第38回 音楽の守護聖人∼聖女チェチーリア ~絵画とともに聴く古楽

~絵画とともに聴く古楽
須田 純一 (銀座本店)
第38回 音楽の守護聖人∼聖女チェチーリア
パレストリーナとローマ音楽名人会
ミサ カンタンティブス・オルガニス
アンドルー・カーウッド指揮
カーディナルス・ミュージック
■CD:CDA 67860 輸入盤オープンプライス
〈HYPERION〉
「守護聖人」
という言葉をご存知でしょう
か。
もしかすると、
日本では聞き慣れない言葉
かもしれません。
インターネット上の百科事典
ウィキペディアによると
「キリスト教の伝統的
な信仰の一つで、特定の職業・活動や国、地
域などを、ゆかりのある聖人(あるいは天使)
がそのために取りなし、守っているという思
想」
となっています。
ちょっとわかりにくいかも
しれないので、
日本で類例を挙げてみます。
た
とえば、商売繁盛を願うなら
「えびす様」に、学
業向上や合格祈願なら
「天神様」に、芸能関
係なら
「弁財天」にというように、願い事に応
じて神様が異なります。
これは神々がそれぞ
れ担当する役割が異なり司る分野が違うから
なのでしょう。ですから願い事をするとき、そ
の目的に合わせて願う神様が違ってきます。
これと同じようなことがキリスト教における守
護聖人と言えるでしょう。一神教であるキリス
ト教ですが、成立以前の民間信仰なども取り
入れ発展していきました。そうした中で、民衆
が場合に応じて祈りをささげられる存在が必
要だったのでしょう。民衆にとって遥か高みに
いる唯一神よりも、
もっと身近な存在であるの
が守護聖人なのです。
さて、その守護聖人、音楽にも存在していま
す。それが「聖チェチーリア」です。チェチーリ
アは、日本では、
「カエキリア」、
「セシリア」な
どとも呼ばれることがある聖女です。チェチー
リアへの信仰は6世紀くらいからあったよう
ですが、彼女の物語は、中世ヨーロッパにお
いて、聖書に次いで読まれていたという13世
紀の大司教ヤコブス・デ・ウォラギネによって
書 か れた聖 人 伝 集『 黄 金 伝 説( L e g e n d a
Aurea)』によって広く知られることとなりまし
た。
それによると、紀元200年ごろローマの貴
族階級に生まれたチェチーリアは、幼いころ
から敬虔なキリスト教徒として育てられまし
た。美しい彼女は、早くから純潔の誓いを立
て、結婚する時も純潔を守り、婚約者である貴
族の男性とその弟もキリスト教に改宗させ、
その後も多くの人々をキリスト教へ導いたと
されています。
ローマ皇帝の弾圧にあい、
ロー
マの神々へ寄進を拒んだため、処刑されるこ
ととなりました。首を刎ねようとしたところ、三
度刀を振るっても首が落ちず、そのまま3日
の間、生き延びたといいます。
さて、
この『黄金伝説』のチェチーリアの話
の中には音楽に関する目立ったエピソードは
出てきません。
では、なぜチェチーリアは音楽
の守護聖人となったのでしょうか。
『黄金伝
説』のストーリーを追ってみると、早くから純
潔を誓ったチェチーリアが結婚直前、
こころと
からだの純潔を守り通せるようにと神に祈っ
た時、楽器が鳴り響く間、讃美歌を歌ったと
なっています。おそらくチェチーリアが、楽器
が鳴り響く中、神に向かって讃美歌を歌った
こと、それがチェチーリアと音楽を強く結び付
け、音楽の守護聖人とされたのではないかと
思われます。チェチーリアが信仰されるように
なると、彼女の祝日の時うたわれるその聖歌
の歌詞は、
「Cantantibus Organis」
(楽器の調
べが鳴り響いている間)でした。
このことも楽
器とチェチーリアを結 びつ け、や がてチェ
チーリア自身が楽器を奏でるというように
なっていったのでしょう。チェチーリアは、や
がて楽器とともに、または楽器を弾いている
姿で描かれるようになります。
こうした例はラファエッロなど多くの有名な
作品がありますが、今回取り上げたのはカル
ロ・ドルチという画家によるチェチーリアの絵
画です。
ここではチェチーリアはオルガンを演
奏している姿で描かれています。純潔を示す
百合が手前に描かれた大変美しいチェチー
リア像です。17世紀イタリア、フィレンツェで
活躍したカルロ・ドルチはこの作品のような甘
美な聖母や聖女などの宗教画で評判を得て
いた画家でした。
実はこのカルロ・ドルチ、日本に大変なじみ
のある画家なのです。彼の「悲しみの聖母」は
国立西洋美術館の所蔵となっていますし、
ま
たこの作品とほぼ同構図の作品が東京国立
博物館に所蔵されています。
これはなんと江
戸時代の長崎奉行所の旧蔵であり、1708年、
イエズス会の宣教師シドッチ(ジョヴァンニ・
バッティスタ・シドッティ)が持ち込んだものな
のだそうです。
遠い日本の話を聞いていたシドッチは布教
活動のため日本に密入国しますが、幕府に拘
束されます。時の幕府の実力者だった新井白
石から尋問されますが、白石はシドッチの知
性に大いに感銘を受け、シドッチとの会話か
ら得た知識をまとめ、
「西洋紀聞」
「采覧異言」
という書物を書きあげています。
またシドッチ
が持参していた聖母像もスケッチをしており、
それが現在東京国立博物館に所蔵されてい
▲カルロ・ドルチ:「オルガンを弾く聖女チェチーリア」
ドレスデン国立美術館
る
「親指のマリア」
と呼ばれる作品だったとい
うのです。300年も前の日本にカルロ・ドルチ
の作品は伝わっていたのです。
おそらくかなり
の数の日本人がこの甘美な聖母像を見たこと
でしょう。多くのキリシタンたち
(もしかすると
白石を含むそれ以外の人々も)の心を感動で
包んだのかもしれません。
さて、
ドルチが活躍する少し前、イタリアの
ローマでチェチーリアに捧げたミサ曲が作ら
れました。それが16世紀後半イタリアで8人
の作曲家の合作となるミサ曲「カンタンティブ
ス・オルガニス(楽器が奏でられている間、処
女チェチーリアは、ただ主のみに向かいて歌
い)」です。
これはパレストリーナの同名のモ
テットを基にしたミサで、3つの4声の合唱隊
のために書かれた最大12声部という作品で
す。1584年教皇の認可を得て結成された音
楽家協会「Vertuosa Compagnia dei Musici
di Roma(ローマ音楽家協会)
」所属の作曲家
たちによって作られました。音楽の守護聖人
チェチーリアと彼らの師匠格であるパレスト
リーナに捧げられた作品で、パレストリーナ自
身も一部を作曲しています。
(ちなみにこの
ローマ音楽家協会は現在のイタリアの有名な
音楽院、サンタ・チェチーリア音楽院の基と
なったそうです)。合作と言うとまとまりのない
作品が多いのですが、
この作品は主題が同じ
であること、
また偉大なる師パレストリーナに
捧げているということもあってか、それぞれの
個性を出しながらも作品として一貫性があ
り、合作が良い方向へと作用しているようで
す。
まさに「音楽の守護聖人」に捧げるにふさ
わしい名作だと思います。カーディナルス・
ミュージックによる演奏も、合唱にオルガンを
加え、荘厳な響きを再現した見事なものです。
音楽の守護聖人チェチーリアは讃美歌を
歌うことによって、自らに力を与えていたのか
もしれません。音楽には力があります。癒し、
慰め、気力を与え、勇気を授けてくれます。そ
ういう経験をされた方も多いのではないで
しょうか。大震災後の危機にある日本でも音
楽の力はとても重要になると思います。私もこ
の連載を通して、みなさんがそうした音楽に
出会えるように、微力ながらもお役にたてるよ
う努力していく所存です。音楽が、慰めに、癒
しに、そして力になりますように!