リポート中国<新帝国物語>1 - NOBUAKI TERAOKA

新帝国物語
―中国とは何だ。中国人は何者だ。中国は図体がでかく、不透明で
あるため理解するのが困難だ。文学、哲学、科学等多角的視点から
自由奔放に巨像の実態に迫る。何でもありの中国論。―
2009 年 12 月
寺岡伸章
目
次
第 1 話 雪かきくんは中国を救う
1
第 2 話 美女「嫦娥」と衛星「嫦娥」
6
第 3 話 マルクスに会いに行くのを嫌悪する中国人
9
第 4 話 さらば、毛沢東の戦争論
12
第 5 話 激論!美女遺伝子は存在するか?
15
第 6 話 永遠の真実
21
第 7 話 中国の王朝はなぜ同じ失敗を繰り返すのか
23
第 8 話 小説『1Q84』のなかの中国とサイエンス
26
第 9 話 中国人から見える日本と世界
33
第 10 話 皆既日食観測記
37
第 11 話 嗚呼!上海、シャンハイ、Shanghai
45
第 12 話 イデオロギーと科学
50
第 13 話 国際化と民族の心の傷
56
第 14 話 中国の千夜一夜物語
60
第 15 話 孟嘗君と食客三千
66
第 16 話 日本も中華思想の国だった
70
第 17 話 中国人との議論の必勝法
74
第 18 話 北京 vs ニューヨーク
77
第 19 話 中国の急激な社会変動は何をもたらしたか
81
第 20 話 エセ科学の魅力
83
第 21 話 芸術は爆発だ!
85
第 22 話 日本が中国に抜かれているものとまだ抜かれていないもの
88
第 23 話 桃源郷の旅
92
第 24 話 日本人はなぜ日中戦争を選んだのか
111
第 25 話 世界の潮流から取り残される日本
119
第 26 話 中国人の騙しのテクニック
122
第 27 話 赤ワインは女性をその気にさせる
125
第 28 話 コルテオ
128
第 29 話 技術流出は止められない
131
第 30 話 日本の名誉ある衰退
134
雪かきくんは中国を救う
2008 年のノーベル賞受賞者に理研又は日本人の名前が発表されるのではないかと期
待したが、空振りに終わった。ノーベル文学賞に最も近いと言われているフランツ・カ
フカ賞受賞者の村上春樹の名前が新聞紙上に躍ることもなかった。世の中はなかなか思
うようにはならない。
私は、村上春樹の作品は処女作『風の音を聴け』以来よく読んでいるので、村上春樹
の小説世界を吟味しつつ、世界のあり方や中国との関係を模索してみたい。科学と文学
は手法は異なっても、最終的な目的は同じであるはずである。文学の最前線で何が議論
されているのかを知るのも知的刺激になるはずである。特に感度のよい人々においては。
ただ、小説評論家でない私一人で村上春樹の世界を放浪するのは、道に迷ってしまい
そうなので、水先案内人として、二人の評論家の本の力を借りることにしよう。一冊目
は東大で中国文学専攻の藤井省三の『村上春樹のなかの中国』であり、もう一つは文芸
評論家の内田樹の『村上春樹にご用心』である。
まず、村上文学の作風を理解していただくために、ベストセラーになった『ノルウェ
ーの森』の結末を書き出してみる。
「僕は緑に電話をかけ、君とどうしても話がしたいんだ。話すことがいっぱいある。話
さなくちゃいけないことがいっぱいある。世界中に君以外に求めるものは何もない。君
と会って話したい。何もかもを君と二人で最初から始めたい、と言った。
緑は長いあいだ電話の向こうで黙っていた。まるで世界中の細かい雨が世界中の芝
生に降っているようなそんな沈黙がつづいた。僕はそのあいだガラス窓にずっと額を押
しつけて目を閉じていた。それからやがて緑が口を開いた。
「あなた、今どこにいるの?」
と彼女は静かな声で言った。
僕は今どこにいるのだ?
僕は受話器を持ったまま顔を上げ、電話ボックスのまわりをぐるりと見まわしてみ
た。僕は今どこにいるのだ?でもそこがどこなのか僕にはわからなかった。見当もつか
なかった。いったいここはどこなんだ?僕の目にうつるのはいずこへともなく歩きすぎ
ていく無数の人々の姿だけだった。僕はどこでもない場所のまん中から緑を呼びつづけ
ていた」
村上春樹の小説は東西を越えて翻訳され、多くの国の人々に読まれている。若者向け
の雑誌は、世界の大都市に住む若者の孤独や不安をうまく表現し、それに共鳴した若者
が熱狂的に支持していると言う。洒脱でウイットの利いた文体は気持ちよくするすると
読め、透き通るような気持ちになる。異界からのメッセージは物語の促進剤になり、読
者に謎をかける。読後はビールを飲みたくなり、友達に電話をしたくなる。読者は、自
分でうまく表現できない本当の気持ちが書かれていると感動する。ビール会社は村上春
樹に感謝状くらい贈ってもいいのではなかろうか。
私の感覚では、村上春樹の小説には「人間」が登場しない。人間は欲望を持ち、目標
の実現のために、苦労しながらも自分と戦っていくものという考え方がある。お金を儲
けたり、有名になったり、才能を開花させたり、かわいい女の子とセックスしたりする
のは普通のことと思っている。何かのために生きることが人間の存在理由であると一般
の人々は思いがちである。自分の努力には正当な評価や代償や名誉が与えられるべきだ
と我々は思っている。しかし、村上春樹の小説には、少なくとも主要人物はそのような
人物は登場しない。欲望がないのだ。死を恐れない。目的を持って生きていない。こっ
ちの世界の人があっちに行くこと、つまり死んでしまうことがしばしば起こり、異界に
行ったひとがこっちの世界に戻って来ることもある。死者との交信も時として可能であ
る。ただ、奇怪なメッセージを介してであるが。かと言って、オカルト小説というもの
1
では決してない。
このような小説がなぜ国境を越えて、多くに人々に読まれているのであろうか。村上
小説は、英語、中国語、フランス語、ドイツ語、タイ語、マレーシア語、ノルウェー語
など多くの言語に翻訳されている。いったい、世界の人々の心の中に何が起こっている
のであろうか。村上文学は同時世界性をどうやって獲得したであろうか。なぜ、日本の
文芸評論家の権威達は村上春樹を無視したり、低く評価したりするのであろうか。
内田樹は指摘する。
「村上文学には「父」が登場しない。だから、村上文学は世界的になった。「父」とは
「聖なる天蓋」のことである。その社会の秩序の保証人であり、その社会の成員たち個々
の自由を制限する「自己実現の妨害者」であり、世界の構造と人々の宿命を熟知してお
り、世界を享受している存在。それが「父」である。「父」はさまざまな様態を取る。
「神」と呼ばれることもあるし、
「預言者」と呼ばれることもあるし、
「王」と呼ばれる
こともあるし、「資本主義経済体制」とか「父権制」とか「革命的前衛党」と呼ばれる
こともある。世界の社会集団はそれぞれ固有の「父」を有している」
文学の本道は何か。
「父」との確執を描くことである。
「キリスト教圏の文学では「神」との、第三世界文学では「宗主国の文明」との、マル
クス主義文学では「ブルジョア・イデオロギー」との、フェミニズム文学では「父権的
セクシズム」との、それぞれ確執が優先的主題となる。いずれも「父との確執」という
普遍的な主題を扱うが、そこで「父」に擬されているものはローカルな民族的表象にす
ぎない。「ローカルな父」との葛藤をどれほど技巧を凝らして記述しても、それだけで
は文学的世界性は獲得できない」
村上文学には、「父」が不在である。だから、逆に世界性を獲得し、国境を越えて同
時に読まれるようになった。しかし、権威達は違う考えを持つ。我々の役割は、人間の
救済であり、矛盾の解決であり、人間の苦しみからの解放であり、社会の進歩である。
エスタブリッシュメントは問題の解決(=父との葛藤)にこそ人間の存在意義を見出し
ているからである。
「村上春樹は結婚詐欺だ」
「村上文学は読むな」
と文芸批評家が警戒感を持つのは、彼が権威のレーゾンデートルを否定しているからで
ある。
内田樹は続ける。
「父のいない世界において、地図もガイドラインも革命要綱もマニュアルもない何もな
い放置された状態から、私たちはそれでも「何かよきもの」を達成できるか?善悪の汎
通的基準がない世界で善をなすこと。正否の絶対的基準がない世界で正義を行うこと。
この絶望的に困難な仕事に今自分は直面しているという感覚はおそらく世界の多くの
人々に共有されていると信じたい」
村上春樹の小説は、東西の文明を超え、大都市圏の若者に読まれている。欲しいもの
は何でも手に入る一方で、何も実体のあるものを手にすることができない。虚脱感、虚
無感、そして欠落感が彼らを襲う。彼らを救う答えが、村上文学にあるのかも知れない。
一度そう思うと、村上文学から離れなくなる。これがベストセラーの秘密である。
人間は意味がないことに耐えられない。自己の存在意義を発見し、自己実現を図ろう
とする。政治家は法案を通そうとし、販売員は商品を少しでも売ろうとし、学者は1本
でも多くの論文を書こうとする。努力し、成果を挙げ、評価され、報われようとする。
しかし、それは共同体を前提としている。その共同体が崩れれば、全ては意味を失って
しまう。その共同体には、邪悪なものがうようよしている。
「愛情のない両親にこづき回されること、ろくでもない教師に罵倒されること、バカで
2
利己的な同級生に虐待されること、欲望と自己愛で充満した異性に収奪されること、愚
劣な上司に査定されること、不意に死病に取り憑かれること・・・・・」
人々は死を怖れ、死者を排除しようとする。死という概念さえ取り除こうとする。現
代社会では、人は死ぬと、手手際よく葬式が挙行され、葬られ、忘れ去られる。死を排
除することで、生さえ軽くなってしまった。
小説「ダンス・ダンス・ダンス」で主人公の「僕」は以下のように語る。
「雪が降ると分かるけれど。「雪かき」は誰の義務でもないけれど、誰かがやらないと
結局みんなが困る仕事である。人知れず雪かきをしている人のおかげで、世の中からマ
イナスの芽が少しだけ摘まれているわけだ。そういうのは世界の善を少しだけ積み増し
する仕事だろうと思う」
私たちは邪悪なものから逃れることはできない。しかし、誰からも報われない「雪か
き」をせっせと行い、失われた人(=死者)、失われた時間、欠落しているものを大切
に思い巡らしていく以外にこの世で生きていくことはできないのではなかろうか。
「父」
との葛藤に意義がなくなった時、些細な日常のなかに意味を感じなくては生きていけな
い。現実世界では、存在するものが価値がある。しかし、ないものや失われたもの、あ
るいは欠落感を抱いて生きることに微かな希望があるのではないかと、村上春樹は語り
かけているように思える。
次に、村上春樹と中国との関係について見てみよう。
村上春樹は多感な少年をチャイナタウンのある港町神戸で過ごした。父は京都大学の
学生の時、中国大陸に従軍し、口では言えないことをやり、帰郷後僧侶となっている。
少年春樹に対する影響は大きかったと考えられる。また、高校時代に魯迅を愛読し、
「阿
Q正伝」に傾倒していたようだ。「中国行きのスロウ・ボード」など中国をテーマにし
た作品も見られる。一方、春樹文学は、台湾、香港、大陸の順でヒットし、多くの作品
が中国語に翻訳されている。
「ノルウェーの森」だけでも 6 種類もの中国語訳が刊行さ
れているのだ。台北には、村上春樹の小説名を冠した喫茶店が 2 ヶ所あるというフィー
バー振りである。
東京大学の藤井省三教授は指摘する。
「デビュー作「風の歌を聴け」の冒頭の一節「完全な文章などといったものは存在しな
い。完璧な絶望が存在しないようにね」は、魯迅のことば「絶望の虚妄なることは。ま
さに希望と相同じ」に触発されたものであろう」
村上春樹は作品「風の歌を聴け」は無意識のうちに出てきたものとインタビューで語
っている。魯迅の影響は大きかったと言わざるをえない。
「中国行きのスロウ・ボード」は次のように結ばれている。
「それでも僕はかつての忠実な外野手としてささやかな誇りをトランクの底につめ、港
の石段に腰を下ろし、空白の水平線にいつか姿を現すかもしれない中国行きのスロウ・
ボードを待とう。そして中国の街の光り輝く屋根を想い、その緑なす草原を想う。
だから喪失と崩壊のあとに来るものがたとえ何であれ、僕はもうそれを恐れまい。ク
リーン・アップが内角のシュートを恐れぬように、革命家が絞首台を恐れぬように。も
しそれが本当にかなうなら・・・。
友よ、
友よ、中国はあまりに遠い」
これはエドガー・スノー『中国の赤い星』の影響であろうか、それとも父の従軍の記
憶への想いであろうか。中国は村上春樹のなかで「記号化」されているのかも知れない。
魯迅「阿Q正伝」と村上春樹「駄目になった大国」の一節を藤井教授は比較している。
「わたしが阿Qのために正伝を書こうという気になったのは、もう一年や二年のことで
はない。しかし、書こう書こうと思いながら、つい気が迷うのである。それというのも、
3
わたしが「その言を後世に伝うる」ていの人ではないからである。・・・そしてしまい
に、わたしが阿Qの伝を書く気になったことに思い至ると、なんだか自分が物の怪につ
かれているような気がするのである」
「Qという人間について誰かに説明しようとするたびに、僕はいつも絶望的な無力感に
襲われることになる。僕はもともと物事の説明がうまい方ではないけれど、そういうの
を勘定に入れても、なおかつQ氏の人間について説明するのは特殊な作業であり、至難
の業である。そしてそれを試みるたびに僕は深い深い絶望感に襲われるのである」
これらの表現は瓜二つである。
魯迅は『阿Q正伝』を何のために書いたのであろうか。自らの屈辱と敗北をさらなる
弱者に転換して自己満足する「精神勝利法」を描いて中国人の封建的な、向上心のない
国民性を批判し、民衆が変わらぬ限り革命はあり得ないと訴えたかったのであろう。
それでは、日本人は阿Qを笑えるのであろうか。中国のこととして処理して構わない
のであろうか。春樹は中国への取材旅行から帰国した後の旅行記で、日本の中産階級社
会を痛烈に批判している。
「戦争の終わったあとで、日本人は戦争というものを憎み、平和を(もっと正確に言え
ば平和であることを)愛するようになった。我々は日本という国家を結局は破局に導い
たその効率の悪さを、前近代的なものとして打破しようと努めてきた。自分の内なるも
のとしての非効率性の責任を追及するのではなく、それを外部から力ずくで押し付けら
れたものとして扱い、外科手術でもするみたいに単純に物理的に排除した。その結果
我々はたしかに近代市民社会の理念に基づいた効率の良い世界に住むようになったし、
その効率の良さは社会に圧倒的な繁栄をもたらした。にもかかわらず、やはり今でも多
くの社会的側面において、我々が名もなき消耗品として静かに平和的に抹殺されつつあ
るのではないかという漠然とした疑念から、僕は(あるいは多くの人々は)なかなか逃
げ切ることができないでいる」
我々現代の日本人も阿Qとあまり違わないというのである。
最近の中編作『アフターダーク』に登場する有能なコンピュータ技師の白川の描写を
見てみよう。
「趣味も悪くない。シャツもネクタイも高価なものに見える。おそらくブランド品であ
ろう。顔立ちには知的な印象があり、育ちも悪くはなさそうだ。右手の手首にはめられ
た時計は上品な薄型。眼鏡はアルマーニ風だ。手は大きく、指は長い。爪はきれいに手
入れされ、薬指には細い結婚指輪がはめられている。これといって特徴のない顔立ちだ
が、表情の細部には意志の強さがうかがわれる。おそらくは 40 歳前後、少なくとも顔
のまわりには、肉のたるみはまったくない。彼の外見には、よく整頓された部屋のよう
な印象がある。ラブホテルで中国人の娼婦を買う男には見えない。ましてやその相手を
理不尽に殴打し、衣服をはぎ取って持っていくようなタイプには見えない、でも現実に
彼はそうしたし、そうしないわけにはいかなかったのだ」
現代の日本に蘇った阿Qの姿である。
村上文学を理解するのは難しい。しかし、世界の多くの人々に読まれているという事
実を受け入れなければならない。学生運動、民主運動、バブルなどの高潮の挫折後に、
村上文学は各国で読まれてきた。大都市を覆う空虚感や「父」なき社会の不安が村上小
説へ読者を駆り立ててきた。中国でも多くの読者を獲得しているのは、そのような挫折
感や欠落感や消費社会がもたらす不安感からであろうか。一方で、近代社会へと中国の
扉を開いた魯迅が阿Qを通じて描きたかった自己欺瞞人間への批判は、村上作品にも影
を落としていると言えよう。
大量消費社会に疲れ、うまく表現できない自分に絶望しながらも、なにか「欠けたも
の」を大切に想い、心が傷つきやすい春樹チルドレンとも呼ぶべき「雪かきくん」は、
4
今の中国大陸にも大量に発生していることであろう。
村上文学の系譜は、カミュ、カフカ、ヘミングウェー、サリンジャー、フィッツジェ
ラルドという所謂「ロスト・ジェネレーション」に属する。失われたものに対する愛惜
を大切にし、それを表現している。欠落感といった方が適切だろう。「父」の不在は、
葛藤する対象の喪失ともいえる。ではいったい何が欠落しているのか。失うまでそれは
分からない。あるものはその存在さえ永遠に分からないかも知れない。生きる指標も海
図もどこにもない。しかし、世間には邪悪なものがうようよしており、善良で敏感な我々
を悩ませる。ではいったい何をすればいいの。唯一の希望は雪かきをすること。決して
報われることのない仕事をコツコツとやること。麦畑で遊ぶ子供たちが危険な目に合い
そうになったらそっと手を出して助けてあげること(サリンジャーの『麦畑でつかまえ
て』)。子供にも気づかれることもなくてもいい。
中国は魯迅が阿Q像を提示することで、中国の近代化を切り開いた。その阿Qたちは
今どこにいるのか。私の期待は、彼らが雪かきくんになってくれること。雪かきくんは
村上文学のファンかも知れない。彼らが永遠に欠落感を抱きつつも、雪かきに励むこと
が唯一の希望なのだ。
彼らは、案外中国を救うかもしれない。阿Qが雪かきくんに変身したのである。
<参考文献>
藤井省三著『村上春樹のなかの中国』(朝日選書)
内田樹著『村上春樹にご用心』
(アルテスパブリッシング)
5
二つの「嫦娥」
中国の神話伝説である。
むかしむかし、天帝に十人の子がいた。みんな太陽であった。十の太陽は十日に一度
だけ天空にのぼることになっていた。人間はひとつの太陽と思っていたが、実は交替制
だったのである。何千年、何万年と同じことが繰り返された。十個の太陽は飽き飽きし
てきた。子供は単純作業には耐えられない。そこで、太陽の兄弟たちが考えたのが、み
んなで一緒に出かけようではないかというアイデアだった。十個の太陽がいっぺんに天
に輝くことになったため、人間はたまらない。暑いというよりは、焼け死んでしまいそ
うである。作物も枯れてしまった。きっと、古代に雨が降らない日照りの日々が何日も
続いたことがあったのであろう。そのような経験がこの神話をつくらせたに違いない。
さらに、十個の太陽だけでなく、猛獣、妖怪なども人間に災害をもたらしていた。
地上の聖王の堯(ぎょう)は、天帝に祈りを捧げた。
「どうか、私どもを助けて下さい」
天帝は、猛獣や害鳥を殺すために、天上神のなかで弓の名人である羿(げい)を選ん
で地上に派遣した。天帝は、羿(げい)が弓で猛獣、妖怪などを成敗し、子供の太陽た
ちを威嚇して天空から追いやってくれると思っていた。しかし、羿(げい)は真面目一
本やりの男であった。
当時、天界から下界に降りるにあたっては、夫婦同伴が原則であった。この原則の意
味は、現代のように例外がありうるということではない。原則は原則である。従わなけ
ればならない。中国人官僚が海外の大使館に派遣される際、かつて夫婦同伴は許されて
いなかった。亡命の恐れがあったためである。今では夫婦同伴は構わないが、子供の帯
同は認められていない。過去の方針の残滓であろう。羿(げい)の妻は嫦娥(じょうが)
という名であった。
仕事大好き人間の羿(げい)は地上に降り立つや、猛獣だけでなく、十本の矢を用意
し十個の太陽も次々に射って落とそうとした。慌てた堯(ぎょう)は、太陽が全て消滅
してしまうと、作物が育たなくなると懸念し、ひとに命じて一本そっと抜き取らせた。
羿(げい)は九個の太陽を射落とすと、一個だけが天空に残された。流石、羿(げい)
の面目躍如である。
天帝は激怒した。可愛い子供たち九人も殺されたからである。太陽は射るなと羿(げ
い)にしっかり伝えなかったのが失敗の原因である。真面目な者には、神でもひとでも
話が通じないことがよくあるものだ。
「羿(げい)のやつめ! 夫婦の神籍を略奪せよ」
と廻りの者に命じた。
中国古代の神話には、天上の戸籍と地上の戸籍が存在していた。天上の戸籍を失くし
た羿(げい)夫婦は天上の神に与えられている不死の特権がなくなったことになる。つ
まり、人間なみにいつかは死ななければならない。現代中国には、都市戸籍と農村戸籍
があるが、これも似たようなものである。農村生まれの子供は都市戸籍を取得しようと
死にもの狂いになって勉強に励む。大学に入学すれば、都市戸籍取得の道が開かれるか
らである。両者には天と地ほどの違いはないかも知れないが、人生の運命を大きく左右
するほどの差はある。
羿(げい)夫婦はこのことで喧嘩が絶えなかった。家にいても面白くない羿(げい)
は絶世の美女である人妻にも手をだした。これが原因で喧嘩になるが、最後にはヨリを
戻した。
ある日、羿(げい)は耳寄りな話を聞いた。崑崙(こんろん)山に西王母(せいおう
ぼ)という神が住んでいて、不死の薬を持っているという情報を得たのだ。千年に一度
6
しかないチャンス。千載一遇。
羿(げい)はさっそく崑崙山まで駆けていき、不死の薬を求めた。西王母(せいおう
ぼ)は、
「残念ですが、あと二粒しか残っていません。夫婦で一粒ずつ飲みなさい。一粒飲めば
不老不死になります。二粒飲めば昇天して神になります」
と言った。
羿(げい)は自宅に帰ると、妻嫦娥(じょうが)に西王母(せいおうぼ)の説明を伝
えた。そして、羿(げい)はしんみりと語った。
「天上に戻れなくても、地上で不老不死のままで一緒に楽しく暮らそう」
しかし、嫦娥(じょうが)は別のことを考えていた。夫のミスで私がこうなったのだ
から、元に戻してくれなきゃ割に合わない。
嫦娥(じょうが)はこっそり薬を二粒とも飲んでしまった。すると、身が軽くなり、
天に昇って行く。だんだん地球が小さくなっていく。天と地の間に月があったので、そ
この宮殿でひと休みしようと考えた。しかし、自分の身体が変わっていくのに気がつい
た。キャー。もう遅い。彼女は一匹のガマに変身してしまったのである。これがもとで、
中国では月を嫦娥(じょうが)と呼ぶようになった。女に裏切られた男たちは、はらい
せに美女をガマに変身させたということであろう。歴史は男中心に書かれているからあ
る程度やむを得ない場合がある。日本のお伽噺でも、婆さんは意地悪と相場が決まって
いる。
では、羿(げい)はどうなったか。生を全うしたのであろうか。
彼は家来の逢蒙(ほうもう)に弓の技術を教えていた。逢蒙(ほうもう)はメキメキ
上達し、天下二位まできた。すると、逢蒙(ほうもう)は師匠の羿(げい)さえいなけ
れば、天下無敵になると考え、羿(げい)を棍棒で殴って殺した。哀れな羿(げい)の
最後であった。
これは中国の冷たい現実を教えている。油断すれば弟子に打倒される恐れがある。警
戒せずに、むやみに弟子に“わざ”を教えてはならない。現代の中国の大学で、教授は
学生の面倒をあまりみようとしないと言われるが、その根源は羿(げい)の神話である
とするのは筆者の考えすぎであろうか。
いずれにしても、中国の古代神話は人間の臭いがぷんぷん漂ってくる。孔子が儒教を
始め、前漢の武帝が儒教を国教に定めて以来、中国の歴史は思想的自由や柔軟性を喪失
したように見うけられる。
2007 年 10 月 24 日に打ち上げられた中国初の月探査周回衛星が「嫦娥(じょうが)
1号」と呼ばれるのは、以上のような神話に基づいている。ただ、神話の内容から分か
るように、嫦娥(じょうが)は男を裏切った女として描かれているので、ロマンチック
な気分には余りなれない。
では、日本の月探査衛星「かぐや」の命名のかぐや姫の方はどうであろうか。かぐや
姫も言い寄る若い男と育ての親である翁(当然、男)を捨てて、月に帰っていく。そう
いう意味では裏切り者であることには変わりないが、かぐや姫は嫦娥(じょうが)のよ
うに醜いガマに変身しないぶん、我々の気持ちは和らぐ。
衛星「嫦娥1号」の飛行日数は 494 日、月周回回数は 5514 回で、ほぼ計画どおりに
任務を終え(当局発表)
、燃料が切れて、09 年 3 月 1 日周回軌道上で減速を開始し、約
40 分後「豊かの海」に衝突した。立派な最後であった。見たわけではないが。
衛星「かぐや」はNHKのハイビジョンが搭載されたこともあり、我々は月面の美し
い画像に魅了されたが、衛星「嫦娥1号」の写真は中国国民の関心を引くものでもなか
った。解像度などで日本の技術がまだ上回っていることの証左となった。
しかし、中国政府は、2012 年前後無人探査機による月面着陸、2017 年前後無人探査
7
機による月の土壌サンプル回収と具体的な宇宙開発の目標を掲げて突き進んでいる。月
の土壌は核融合燃料となるヘリウム3を含有していると言われるが、どの程度の含有量
が埋蔵されているか精確に分かっていない。中国からすると、将来の発展を考えると、
地球の資源のみでなく、月の資源にも早くから手を着けておきたいところであろうか。
中国の宇宙開発は日本のように民生と軍事に明確に区別されていない。技術開発の観
点のみで見ると、その方が効率的であるからだ。両者を分けるとロケットの開発費など
重複がでてきて、無駄な投資になるものもある。平和国家日本の宿命である。
ガマになった嫦娥は、将来中国の帰還ロケットに乗って、地球の本土に戻り、夫羿(げ
い)の墓前で冥福を祈るのであろうか。あるいは、裏切りは羿(げい)の方に原因があ
ると主張し、地球帰還を拒み続けるのであろうか。
もし月旅行が日常化された時代になったと仮定すると、かぐや姫には会ってみたいが、
嫦娥とは会いたくないというのが筆者の正直な感情である。これは日本贔屓かそれとも、
普通の男性の感情か、それが問題だ。
<参考文献>
『小説十八史略』一 陳舜臣著(講談社文庫)
8
「マルクスに会いに行く」のを嫌悪する中国人
中国語で「マルクスに会いに行く」と直訳すると、それは「死ぬこと」を意味する。
マルクスは天国に住んでいるからである。
誰もが死ぬことは嫌である。が、生きとし生けるもの、いや宇宙そのものであっても、
その終わりを避けることは決してできない。リンゴが木から落ちるように、生物の死は
法則によって規定されている。この事実を理解できたからといって、死の恐怖が除かれ
る訳では決してない。宗教は死の恐怖から如何に脱するかを人々に悟らせてきたとも言
えよう。
キリスト教徒にとっては、この世は仮の世界であり、真の世界はあの世にあると教え
る。この仮の世で善を施せば、天国で永遠の生命を得ることができると伝道師たちは説
いてきた。イスラム過激派は、自爆テロを施せば、あの世で美女をあてがわれ、永遠の
至福の生活を享受できると教える。この教えを信ずれば、死は恐怖ではなくなる。仏教
徒は生は苦であり、生まれ変わりながらも善を為し続ければ、この物欲の世界を超越し、
極楽浄土に迎え入れられると伝えてきた。
しかし、科学万能の時代になると、人々は宗教を離れ、科学にすがるようになる。科
学の発展で病気が克服され、寿命が延びたのは事実であるが、科学は人々の恐怖心まで
払拭してはくれない。現代人の不幸の源泉はここにある。宗教なき時代に如何に生きる
かは、個人が決めなければならなくなっている。現代は何という苦痛を個人に与えてく
れたことか。
さて、中国人と色々な話をしていると、死は最大のタブーであると彼らが認識してい
ると分かる。
「もう疲れた。死にたい」と筆者が誇張気味に言ったり、
「天国に行けば、父に会える」と語ると、
決まって中国人は嫌な顔をする。死の話は死を呼び込むと信じられているからである。
死はタブーなのだ。中国人は死は生の断絶面であり、それ以降は虚無の世界であるので、
絶対に行きたくないと考えている。科学的発想をし、あるいは宗教を信じない唯物的共
産主義教徒であれば、生は生であり、死は死であり、両者が混じりあうことも、交差す
ることもあり得ない。生にこそ価値があり、死は無価値、あるいは敗北者への道とさえ
考えていると思われる。
科学的な事実はともかくとして、我々の苦痛や快楽の受容器であり、発信源である
「心」は、物事を単純に割り切ることはできない。だからひとは悩むのであり、それが
人間をして人間たらしめているのである。
もっと具体的な話をしよう。
日本映画の『おくりびと』が第81回米国アカデミー賞外国語映画賞受賞作品及び第
32回モントリオール世界映画祭グランプリ授賞作品として選ばれた。日本映画界の快
挙である。
よく知られているとおり、この作品は死者をおくりだす“納棺師”の物語である。チ
ェロ奏者としての希望を絶たれた主人公小林大悟が妻とともに東北地方の故郷に戻り、
ひょんなことから新人の納棺師になる。不幸にも、最初の仕事が死後2週間経過した腐
乱した老婆のおくりびとの役割である。死体を見たことのない主人公はその後脱力感に
苛まれ、さらに妻も「汚らわしい」と言い捨てて去っていく。しかし、主人公はベテラ
ン納棺師に励まされながら、人生に迷いながらも成長していく。さまざまな形の死に向
き合い、そこに息づく愛と悲しみの姿を見つめていくのだ。
死というテーマが深刻であるため、映画はところどころにユーモアを絶妙に散りばめ
ている。チェロの音色が織りなすバックミュージックと名峰月山の美しい四季のうつろ
9
いが映画を叙情的に飾る。
納棺師は整顔、着付け、メイク、納棺の手順を踏んでいくが、その挙動が実に美しい。
少なくとも日本人であれば、このようなキチンとした形でおくられたいと感じるであろ
う。死んだから、遺体が粗雑に扱われてもいいと考えるひとは少ないに違いない。
2008 年 5 月、四川省汶川地方を襲った大地震の被災地において、日本の国際緊急援
助隊は懸命の努力にも関わらず、生存者を発見できず、遺体を前に黙祷を捧げた。その
写真が中国国内に報道されると、大きな反響を巻き起こした。中国国民が日本人の優し
い心に触れた瞬間であった。遺体はそのひとの「命」の一部であるのだ。遺体を大切に
扱う習慣は、考古学の常識を持ち出すまでもなく、人間と猿を分類する大きな屈折点で
ある。遺体を粗末に扱う文化は高級とは筆者には思えない。低級な文化からは創造性は
生まれないのではなかろうか。この問題は科学やイノベーションの発展とも緊密な関係
にあると思う。
この映画は多くの食事の場面を映し出す。食事は生のもっとも典型的な時である。食
事が嫌いなひとはいないほど、食べることは生の本質である。しかし、その美味しい食
事は生物の死によって提供されている。ひとが生きることは、他者(他の生物)の犠牲
の上に成り立っている。ベテラン納棺師は実にうまそうに食べながら、「死ぬ気になれ
なきゃ食うしかない。困ったことに」と語る。生きているものと死んだものの交差であ
る。
死は毎日の生活のなかに潜んでいる。また、死によって肉親や友人の愛を確認するこ
ともできる。死者に感謝することもできる。死者は生者以上にものをいうことがある。
火葬場の職員が言う。
「自分は死者を送り出す。門番なんだ」
『おくりびと』は東北地方の納棺師を通じて、世界のひとびとに生と死の関係を描いて
見せた。それは日本的でありながらも、普遍的な表現でもあった。
筆者が中国の友人と酒を飲みながら、話し込んでいたときのことである。彼が憤慨し
たように語る。
「私の幼馴染の友達が何十年ぶりに連絡してきて、一緒に飲むことになった。彼は事業
に成功し、大金持ちになったことを自慢した。もっと大金持ちになりたいと言う。私が
社会のために寄付でもしたらどうかというと、ケッと否定した。彼にとっては無駄な金
に見えるようだった」
改革・開放政策以来、「バスに乗り遅れるな」とばかり、全中国人民が金儲けに走っ
ている。学者とて例外ではない。金儲けになったものが人生の成功者であると、単純に
考えられている。寄付は個人と社会との絆であると考える者は少ない。時々報道される
中国人役人の賄賂の額の天文学的な数字を聞くたびに、
“天国にお金は持っていけない”
のにと筆者は考える。しかし、彼らは答えるであろう。
「あの世はない。だから生きているうちに欲望を満足させるのだ」
彼らは欲望の追求によって心も身体も疲れることに思いを致さないのであろう。日本
人の心のなかには、仏教の無常観やもののあわれといった「諦め(明らかに見ることに
つながる)」の感情が棲みついている。欲望の追求が空しいと感じるのはそのためであ
る。
ひとは質の高い人生をおくるべきである。いたずらに資源を浪費してはならない。死
との直面、生のありがたさ、そして死者との会話を通じて、ひとはかけがえのない人生
を送ることができるのであろう。
『おくりびと』を観て大いに涙を流して、心を浄化し、明日も元気に生きていこうで
はないか。
10
<参考文献>
映画『おくりびと』パンフレット
11
さらば!毛沢東の戦争論
日本の革新的陣営が主張していた「非武装中立論」を厳しく批判していた永井陽之助
氏が亡くなられた。永井教授は東京大学の政治学研究室の丸山真男教授の門下生である
が、在米中、キューバ危機に直面し、大きな衝撃を受けたといわれる。その後、国際政
治を本格的に研究し、米ソ英中のそれぞれの戦略論を分析し、日本が採るべき国家目標
や外交を提言し、その議論は保守系知識人から強く支持されている。当時の論壇が進歩
的知識人の独壇場であるなかで、
“力の均衡論”を掲げて孤軍奮闘されていたのである。
九州の田舎から上京してきたばかりの筆者は東京工業大学で、永井教授の講義を一言
も聞き漏らすまいと真剣にノートをとっていた。思い出せば、永井教授の講義は非常に
人気があり、ほぼ満席の状態であった。教授は胸のすく程の率直さと奇をてらわぬ冗談
も交えて、大国の戦略論を論理的で分かりやすく説明し、若き筆者は国際戦略論の知的
興奮を満喫していた。キューバ・ミサイル危機、朝鮮戦争、ベトナム戦争がなぜ起きた
かを大国の戦略論を踏まえて、明確な回答を提示していただいたのは非常に懐かしい。
筆者は学生時代何度も、永井教授の『平和の代償』を読み返したものである。
筆者はその後、科学者や技術者の道を諦め、行政の仕事を目指すことになるが、永井
教授の国際戦略論の与えた影響も大きかったのではないかと思う。事実、海外勤務を 3
回も経験することになった。
永井教授が 1965 年に発表された論文を読み返し、当時の中国の戦略を復習しつつ、
現代の中国の戦略を考えてみたいと思う。なお、当時は米ソの冷戦が最も激しい時代で
あったことを想起してもらいたい。日中両国は厚い鉄のカーテンで交流が阻まれていた
のである。
永井教授は、三つの基本的に異なった国際秩序観が並立していると主張する。
第一は、米国リベラリズムの国際秩序観であり、国際問題に対する“法律万能の道義
的アプローチ”である。これを永井教授は、「機構型」と呼んでいる。米国政府の伝統
的な国際秩序観である。米国はヨーロッパ諸国のように階級闘争を経験しておらず、自
由に生まれついた幸福な国である。自由と平等が法的に保障された米国は、それを国際
社会に投影しがちである。日本の憲法第九条の精神は、この機構型の最もラディカルな
表現である。日本の進歩的知識人のルーツは、米国リベラリズムまで遡ることができる。
米国は、ナチ、ファシスト、日本軍国主義者、共産主義者が世界から一掃され、絶滅
され、反民主的な政府が世界から駆逐され、平和と正義を愛する民主的政府が樹立され
たとき、はじめて“平和”が訪れ、正常へ復帰できると考える。現在でも、米国は他国
に干渉し、テロや反民主勢力との戦いをやめようとしていない。
第二は、“力の均衡”によるヨーロッパの伝統的な国際秩序観である。これを「制度
型」と呼ぶ。平和の必要条件として、主要国の勢力均衡によってのみ、ダイナミックな
国際秩序が維持されるとする考え方である。三国志を想起すれば分かりやすい。
第三は、現状打破勢力、つまり革命勢力のもつ国際政治観で、「状況型」と呼ぶ。反
帝=反植民地の民族解放戦争の極限において、はじめて“平和”が達成されると考える。
共産主義者は、世界戦争と局地戦争には反対であるが、民族解放戦争と人民の叛乱は好
ましく、かかる紛争には十分な支援をおしまないと主張する。これは革命の輸出である。
「状況型」の戦術はゲリラ戦の正当化である。典型的な例は、毛沢東の恒久革命論であ
る。
戦後の秩序を決定付けたヤルタ会談は、以上の国際秩序観が交錯した会議であった。
言うまでもなく、ルーズベルトは「機構型」、チャーチルは「制度型」、スターリンは「状
況型」を構想し、戦後の秩序を語り合ったのである。そもそも同床異夢であったのだ。
一方、科学技術の発展が事態をさらに複雑にする。原爆・水爆の発明により、その保
12
有国は敵陣営を威嚇することが可能になった。米ソは核のバランスで不思議な平和を維
持するようになる。また、人工衛星スプートニクの成功は米国を刺激し、米ソの宇宙開
発競争へと向かわせることになる。これらの国際秩序観の違いと科学技術の発展が冷戦
状態を作り出し、時には朝鮮戦争、ベトナム戦争、キューバ・ミサイル危機を生み出す
ことになる。
大国の駆け引きは、自分の国際秩序観に相手を引き出すことである。米国は中国を機
構型へひきずり込もうとし、中国は米国をゲリラ戦のルールに縛りつけ、“帝国主義”
あるいは“張り子の虎”とし世界のさらしものにする作戦である。自分の土俵で戦った
方が有利であるからだ。
毛沢東の戦争論を分析してみよう。
毛沢東は、戦争は政治であり、戦争そのものが政治的性格をもった行動である。だか
ら、政治は血を流さない戦争であり、戦争は血を流す政治である。従って、戦争を消滅
させる唯一の方法は、戦争をもって戦争に反対し、革命戦争をもって反革命戦争に反対
することだとまで言い切っている。まさに、中国の戦国時代を彷彿させる厳しい発想で
ある。だが、この戦争肯定論は平和ボケした国民には信じがたい考えである。
毛沢東は 1957 年、モスクワ会議の席上で、核戦争の問題に言及し、「極端にいえば、
半数の人が死亡しても、半数の人は生き残り、帝国主義はうち平らげられ、全世界は社
会主義化され、さらに何年か過ぎれば、また 27 億になり、かならずもっと多くなるで
あろう」と言い、周恩来もユーゴの外交官に対して、
「全面核戦争では、米国が 1000 万、
ソ連が 2000 万、中国は 3 億 5000 万生き残るだろう」と告げている。西欧人の人命尊重
の原則から見ると、この発想は正気の沙汰ではない。ここに及んで、米国の核兵器の威
力は全く破壊され、意味をなくしたと言ってもよい。
毛沢東の共産主義革命は、農村に基盤をおき、都市を包囲する革命戦略をとった。こ
の発想を国際状況に投射していく。主たる敵たる米国、味方たる社会主義国、その間に
存在する「中間地帯」を設定する。さらに、この中間地帯をアジア、アフリカ、ラテン・
アメリカの第一地帯と、西欧諸国、オセアニア、カナダなどの資本主義諸国からなる第
二地帯との二種類に区分している。この中間地帯全体に反米民族統一戦線を形成し、し
かも第一の「中間地帯」での民族解放戦争を優先的に追求することを世界革命の基本目
標であるとする。孫子の「乱してもってこれをとる」の発想に近い。
欧米の知識人からみると、毛沢東の戦略には戦慄を覚えたに違いない。キッシンジャ
ー教授も当時、「相互抑制の概念の多くは、人命の無視を屁とも思わぬ国(つまり、中
国)に関しては適用できない」と悲鳴をあげている。彼が国務長官就任後、米中国交正
常化に傾斜していくのも、米国の戦略の土俵に中国を載せたかったからではあるまいか。
その後の歴史を見ても、毛沢東の戦略どおりには運ばなかった。やはり、国民の能力
を尊重し、その判断に国家の命運を任せる民主主義国家の方が強く、柔軟であることの
証明であろう。毛沢東は国内で実質的に失脚し、中国は鄧小平によって「改革・開放」
の道を歩むべく戦略を 180 度転換した。社会主義革命の堅持はお題目だけとなり、豊か
な社会を目指して経済の市場化を一層推進している。中国共産党は今や「発展党」と呼
んだ方がその実態に近いほど変質した。国民は年間所得が 3000 ドルになるほど豊かに
なり、政府は革命戦争よりも資源確保戦争に熱心になっている。農民の解放・発展は“自
力更生”に頼るのではなく、政府主導の市場メカニズムに委ねている。
中国がどのような国家になるかまだ予断を許さないが、少なくとも中国人民にとって、
中国政府が人命軽視の戦争論を脱し、人民の幸福を優先課題に挙げているのは幸いであ
る。日本人にとっても、このような戦争論が復活しないことを願うばかりである。
13
<参考文献>
永井陽之助『平和の代償』
(中央公論社)
14
激論!美女遺伝子は存在するか?
(登場人物)
司会者:毎朝新聞論説委員
X教授:遺伝分子生物学者
Y作家:中国歴史作家
司会:本日はお忙しいところ、この会談に出席していただきありがとうございます。新
聞社は社会の公器であるため、差別的発言を避けることにしていますが、それでは問題
の本質を究めることができないことがあります。本音で議論していただくため、本日に
限り差別用語の解禁とします。なお、高級ブランデーを用意しておりますので、それを
堪能しながら議論していただければと考えます。今回のテーマは、美女と遺伝子です。
語弊があるかも知れませんが、女性は・・・・・
Y作家:ちょっと待ってくれ。美女の議論をしようというのに、酒だけでは片手落ちで
はありませんか。“片手落ち”は差別用語だけれども、対談の内容は掲載してくれるの
だよな。
司会:勿論です。私が責任をもって掲載することにします。“片手落ち”発言を“手が
不自由なひと”と決して修正したりはしません。そして、美女の件については、さっそ
く私が行きつけの銀座のクラブに電話し、この場に“配達”していただくよう手配しま
す。ところで、お好みの女性は?
X教授:僕はロシアの肌の白い子をお願いします。
Y作家:先生は意外にロリコン好みですね。私は楊貴妃タイプがいい。
司会:つまり、デブ系がいいということですか。
Y作家:失礼な。唐の長安は西域(さいいき)の彫りの深い美女が多かったのです。そ
れに、唐は漢民族の王朝と思っているひとが多いのですが、本当は鮮卑族系の王朝だっ
たのです。玄宗皇帝は息子の楊貴妃を奪って自分の妃にしています。漢民族の儒教的価
値観からすると、父親や息子の女を手に入れるのは背徳です。決してやってはいけない
のです。しかし、草原を移動する北方民族では普通のことでした。皆で緑と水を求めて
移動するのですから、子を産む女を捨て去る訳にはいきません。礼や孝をとやかく言っ
ていては生きていけなかったのです。
話は飛びましたが、私は漢族系と西域系の混血がいい。デブは駄目だ。私は玄宗皇帝
ではない。彼の価値観が分からぬ。
X教授:そう言われますが、先生は中国歴史学の権威でしょう。古代中国に生きた人々
の感情まで理解できなくては・・・。
Y作家:先生、お言葉ですが、私は理性の範囲で彼らの歴史を理解できますが、感情は
別物です。時代を超えて、彼らの美意識と同化できないのです。我々は現代というどう
しようもない枠組みのなかで生きているだけです。
司会:つまり、踊らされていると。
X教授:それはおかしい。科学は普遍的なものでなければなりません。歴史はまだ科学
の領域に達していないのではないでしょうか。
Y作家:(目をむいて)なに。歴史は役に立たないんだと。
X教授:そんなこと一言も言ってませんよ。ただ、・・・。
司会:まあまあ。先生たちの好みの女性が分かりましたので、まずは、銀座の高級クラ
ブに連絡します。すぐ来てくれますので、期待していて下さい。ええーと。白系ロシア
人と西域系中国人ですね。しかし、なぜ日本人ではないのですか。
X教授:ないものねだりよ。北欧は美人が多いためか、バンコクにやってくる北欧の男
15
性は、鼻ペテャの女を求めたがる。色白で彫り深い美形は敬遠されるが、僕には彼らの
美意識はまったく理解不能だ。
司会:さて、本題を始めましょう。まず、中国の美女のお話をY作家にしていただき、
それをもとに議論を展開していきます。
Y作家:中国の四大美女は、年代順に並べると、春秋時代の西施(せいし)、前漢の王
昭君(おうしょうくん)
、三国時代の貂蝉(ちょうせん)、唐の楊貴妃(ようきひ)です。
このうち、貂蝉(ちょうせん)の名は史実には見えず、小説『三国志演戯』に登場しま
す。西施は越王勾践(こうせん)が呉王夫差(ふさ)を堕落させるために献上した美女
だ。夫差(ふさ)は西施に夢中になり、政治をおろそかにしている間に越に攻められ滅
びてしまう。王昭君は前漢が匈奴に献上した美女だった。漢民族と少数民族の融和のた
めの犠牲者と中国では捉えられている。楊貴妃は、前にも述べたように老境を迎えた玄
宗皇帝が熱をあげ、楊貴妃の親戚を続々と重要ポストに登用し、安史の乱の勃発の原因
をつくり、前漢滅亡へとつながっていった。この他にも、夏(か)と殷(いん)も最後
の王が美女にメロメロになったことが滅亡の原因とされている。そのため、美女は傾城
(けいせい)や傾国(けいこく)とも呼ばれるが、これは「一顧傾人城、再傾人国」
(ひ
と目見ると城を傾け、再び見ると国を傾ける)の故事から来ている。
司会:中国人は特に美女が好きなのですか。
Y作家:権力者はわがままで、美女が大好きというのは古今東西同じでしょう。でも、
中国の史書を読むと、美女で国をダメにする話が多い。儒教の教えの影響でしょう。儒
教は為政者に道徳性を説きますから、戒めを含めて堕落させる女に気をつけろと言って
いるのです。中国人が特に美女が好きというのはちがうと思います。美女は欲望の象徴
です。
司会:ところで、最近の分子生物学の進歩は目覚しく、個人が将来どんな病気に罹りや
すいか、寿命はどの程度かということまで遺伝子の解析によって分かるようになってい
ると聞きますが、
・・・。
X教授:ノーベル賞学者のジャック・モノーが『偶然と必然』という名著を書き、分子
生物学者を目指す学生のバイブルになっています。これは一言で言うと、「生物は機械
である」と主張している本です。
司会:人間も機械ですか?
X教授:そうです、人間は結局のところ、遺伝子と蛋白質という分子が織り成す精密機
械に過ぎないというのです。実際、最近の生命科学の進歩を見ますと、ほとんどの事象
が遺伝子とタンパク質のレベルで解明されようとしているのです。
司会:ひとは生まれつき運命に支配されているというのですか。
X教授:勿論、生後の環境に左右される点もあります。どんな天才でも、努力しないと
いい仕事がやり遂げられません。でも、遺伝病だけでなく、普通の病気なども遺伝子レ
ベルで既定されているという議論が科学者には多いです。
Y作家:そのように人間を矮小化していくと、文化が弱体化する。私は科学者が何のた
めのそのようなことをするのかが、まったく理解できない。
X教授:僕が言っているのは意見ではなく、科学的事実ですよ。意見と事実は異なりま
す。科学者は事実を解明しようとしているのですよ。
Y作家:真理の追及者だと称して、人間を機械と同様の価値まで下げようという科学者
の態度や発想が私は気に食わない。人間の尊厳を貶め、人間の心を不安にさせ、不幸に
しているだけではありませんか。人類という存在に対して責任を果たしているとはまっ
たく思えない。尊厳のある人間の身体をおもちゃ扱いしている。ケシカラン話だ。
X教授:こんなことを言うと更に怒らせることになるかも知れませんが、生物はその個
体の存在に意義があるのではなく、遺伝子が次の世代に受け渡すのが本質であるという
16
説がでてきています。つまり、“利己遺伝子説”です。生体は遺伝子の単なる乗り物と
いう考え方です。
司会:生命科学者はそんな議論をしているのですか。人間中心のヒューマニズムに対す
る挑戦ですかね。人間に対する冒瀆だ。
Y作家:人間の存在意義は、歴史や伝統を背景とした文化的アイデンティティのなかに
こそあるのです。人間は個としてのアイデンティティと集団としてのアイデンティティ
のなかでもがいて生きることによって成長するのです。そこに価値を見出さなければ、
人生は空虚ですよ。
X教授:僕ら科学者は人間の尊厳を傷つけようとしているのでは決してありません。科
学的真理を追究しているだけです。
Y作家:その考え方が気に食わない。真理の追究という錦の旗を掲げて、人間を卑しめ
ているように思われて仕方がない。近代においては、科学はみんなが信じる最大の宗教
ですよ。科学的といえば、正しいとみんなが信じてしまっている。脳トレグッズが売れ
るのはエセ科学的だ。科学の発展によって人類が豊かになったことは認めるが、一方で
科学が垂れ流す“害毒”にひとびとが汚染されている。そこらあたりの新興宗教とあま
り変わらない。
X教授:(むかついて)害毒とは何ですか! 僕らは人類の発展と幸福のために一生懸
命に働いているのですよ。
司会:落ち着いて、落ち着いて議論して下さい。
(フーという声あり)
Y作家:害毒とは、人間をモノと同等の扱いにしていることです。唯物主義的だね。
X教授:科学は唯心論では決してありません。物質の相互作用を通じて、自然や生物の
機能を解析するのが科学的です。客観性を持たせるために、心や精神や神を頼りにしな
い“説明”が必要なのです。
Y作家:科学者はやはりエーリアンだ。普通の人々は普遍的な自己が存在することを疑
っていない。自己の本質は心ですよ。理念や感情と言い換えてもいい。唯一無二のもの
が自分だと信じている。それを科学者は否定しようとしているではありませんか。
X教授:人間の存在は最初に心があり、それが身体を制御している訳ではない。物質が
先に存在すると考えざるを得ない。生体分子の相互作用により、生体機能が維持され、
記憶、認識、感情、自意識などが生まれてくるものです。その逆は真理ではない。
Y作家:そうすると、自我意識は電気信号に還元されてしまい、その実態は何もないと
言われるのですか。幻想や幻影が心の実態であるとでも。自己は存在ではなく、“ある
状況”であると。
X教授:持って下さい。僕ら科学者はスーパーマンでも神でもない。科学は人間を理解
するうえでのひとつのツールを提供しているにすぎないのです。むしろ、人文社会分野
の人間理解が比較的遅れていることの方が問題なのです。
Y作家:科学の発展によって撒き散らされた害毒の掃除を人文社会学者がやれとでも言
うのですか。
司会:両者とも、むきにならないで下さい。知識分子ですから冷静に議論して下さい。
我々はブランディーVSOPを飲んでいるのですよ。Vはバイタリティー、Sはスペシ
ャリティー、Oはオリジナリティー、Pはパーソナリティーです。知識分子はこの四つ
が備わっていなくてはなりません。
Y作家:ふん。そのような言説は西洋文明に毒されている証拠だ。物真似からは真に創
造的なものは生まれぬ。酔いが醒めてしまう。
司会:フー(という声)、では、本論に入ります。まず、X教授に質問しますが、美女
遺伝子は存在するのですか。
X教授:美女遺伝子が存在するかどうかは非常にアバウトな質問です。その前に、美女
17
とは何かという点をはっきりさせなくてはいけません。僕も美女が好きですけれども、
Y作家も司会の論説委員も異存がありませんよね。(両者ともに深くうなずく)美女の
存在意義は、男やオスを誘惑することです。生物は優秀な人材や種を残そうとしますか
ら、美女は単に男やオスを誘惑するだけではなく、それ自身が優秀な才能を具備してい
ることになります。つまり、優性遺伝だ。
Y作家:そうですかね。美女薄命というじゃありませんか。それに、美女でない女は自
己の存在価値を高めようと努力する結果、才能を開花させてきたのではありませんか。
X教授:科学的発想をすると、進化は合理的に起こってきたと考えざるを得ない。交配
は自己遺伝子の子孫への伝達の手段ですから、交配を巡る戦いは熾烈にならざるを得な
い。種の保存は絶対命令です。有益な遺伝子を残した方が得です。美女が男に、あるい
は美しいメスがオスの注目を引くのは、その美女やメスが持っている才能が遺伝子に組
み込まれているからだと遺伝子学者は考えるのです。
「美」は単なる見せ掛けではなく、
その裏に実効的なものが潜んでいると。
Y作家:そのような発想はロマンチックではない。このように考えられないだろうか。
「美」はその固体が持つ能力や才能とはまったく関係がない。仮に、能力がある者同士、
例えば、美女と金持ちの男性ばかりが結婚したとすると、判を押したような子孫しか生
み出さない。それは種にとって短期的には有利であるかも知れないが、長期的には有利
とは限らない。種の存在パターンが少なくなると、環境が激変した場合、種はそれに適
応できなくなり、危機的状況に陥る。こんな状況を回避するため、種はいろんなタイプ
を準備しておいた方がいい。
司会:結論を早く、発言は短めにお願いします。
Y作家:そんなに急ぐことはない。まだ、美女は到着していない。つまりだ、「美女」
は世の中の撹乱要員であるだけでなく、種の撹乱因子だ。
X教授:はあ。撹乱因子?
Y作家:有能な男たちが美女を奪い合い、美以外の様々な才能を有する美女と交配する
ことで、種の単純化を防いでいると。美女は劣性遺伝子を持っているかも知れない。し
かし、その劣性遺伝子はあくまでも短期的な基準で言えることであって、長期的視点に
立つと分からない。
“美”と司る遺伝子は生存能力の遺伝子とは無関係だ。
司会:そう言えば。美女を見ると、男はムラムラと込みあげるものに対抗できなくなる。
もうどうなってもいいというような、破滅的な魅力に屈服してしまう。
X教授:そんな説は作家の面白い作り物であって科学的思考とは言えません。
Y作家:X教授の言われるとおりかも知れない。ただ、合理的でないような話に我々が
夢中になるのはなぜであろうか。戦争の歴史をみても、勝つはずのない非合理的な戦争
を厭きることもなく人間は繰り返している。合理的でないものに惹かれるというのは、
どこかで非合理的なものの優位性または意義が潜んでいるからではなかろうか。交配や
進化がすべて合理的視点から説明されたのでは、人間が非合理性に惹かれる理由を説明
できなくなってしまう。日常生活において、合理的なものは退屈であるのがほとんどだ。
X教授:科学は合理性の積み上げで成り立っている訳ですので、非合理的な要因を含め
て自然界や生命を説明する訳にはいかない。
Y作家:それが科学の限界だ。その発想を科学者が守っていては、科学は普通の人々の
支持を得ることができない。科学者は頭脳明晰ですから、合理的なものや論理的な思考
に興味を抱くが、普通の人は合理性でなく、「面白さ」に興味を持つ。これがむしろ正
常ですよ。
X教授:むかー(と言いつつ)、科学者はそのような役割を期待されているため、普通
の人々に迎合する訳にはいかない。合理的でない、人々を苦難に陥らせるような思想と
戦うことが科学者の使命です。ガリレオのように。口当たりのいい、耳障りのいい悪魔
18
の誘惑は人間世界に満ち溢れている。それの人間社会への侵入を防がなくてはなりませ
ん。
Y作家:質問ですが、先進国では出生率が減少していますが、なぜですか。日本の若者
はセックスレスが多いと聞きますが、本当ですか?
X教授:これは私の専門ではないので責任を持って答えることはできません。まず、先
進国の中で米国は例外です。人口は増加しています。でも白人でみると、人口減少は始
まっています。
Y作家:人口減少とセックスレスは関係がありますか。
X教授:その質問も私には答えられません。
司会:私の週刊誌的な知識によると、米国人がセックスの回数が最も多いと言われてい
ますが、真実かどうか分かりません。ロシア人の若い女性は夫やボーイフレンドに、週
9回のセックスを要求すると言います。
Y作家:週9回?
司会:毎日1回、ただし週末の土日は1日2回で、合計9回。
Y作家:人口減はヒトという種の存在限界に来ていると直感的に思うのですが。
X教授:世界の人口は増加傾向ですが、近い将来もしかしたら、世界は人口爆発ではな
く、人口消滅の時代に向かうかも知れません。可能性は高い。むしろこっちの方が深刻
ですよ。
司会:人口減少の理由を教育費の重圧という社会的な要因を挙げる傾向が強いのですが、
疑わしいですよ。
X教授:進化の過程で多くの種が消滅していますが、天敵にやられたり、恐竜のように
環境変化についていけなくなったりするのが原因という声が大きいのですが、実際には、
種が子孫を作らなくなるのが大きな原因です。それがなぜか分からないのです。謎です。
Y作家:人口の減少はヒトという種の賞味期限が原因かも知れませんな。
司会:賞味期限ですか。地球上のヒト以外の生物はヒトがいなくなることを“心から”
強く望んでいるでしょう。ヒトはすべての生物の天敵ですから。ヒトは特異的な生物で
す。
X教授:ヒト以外の生物には心はないですから、そうとも言えません。
Y作家:“心から望む”というのは比喩ですよ。比喩。なぜ科学者はものごとをそのま
ま受け取るのでしょうか。
X教授:それが我々の使命です。
Y作家:科学者は人類とともに滅びますよ。
X教授:科学者は人類の一部ですから、人類が滅びる時に科学者も一緒に消えます。当
然の論理です。科学者の冷徹な態度で消えていくしかありません。
Y作家:まったくもう・・・。
司会:なんだか暗い話しになってきました。ブランデーの酔いも醒めてきました。もう
すぐ、美女たちがやって来ますので、一緒に街に繰り出しましょう。酒を飲んで、女を
抱いて、これが生物の宿命だ。人間存在の証だ。
Y作家:人間は偉そうなことを言っても、酒池肉林の古代からあまり進歩してませんな。
X教授:遺伝子にそう記されているからです。黙示録ですよ、DNAは。
司会:議論をやめて、楽しくいきましょう。私の遺伝子もそう叫んでいますよ。指令に
従えと。
Y作家:科学の進歩は生物界の均衡を破壊し、ヒトの生存限界を加速させるだけです。
X教授:それは反科学的です。科学は人類の幸福のために不可欠です。
Y作家:そういう科学も賞味期限が近づいているのかも知れません。
X教授:それでも、僕ら科学者は真理を追い求めます。
19
(筆者注)この三人のその後の行く先はまったく分からない。
20
永遠の真実
日本人は幸せな国民である。トヨタという優良企業があるからではない。自国語を持
っているからである。世界の国々をみると、自国語を持たない国は少なくない。植民地
化されたアフリカや中南米の諸国は、宗主国の言語を使っているところが多い。また、
自国語を有していたとしても、過去に使用していた言語と異なっていれば、歴史が断絶
されてしまい、国の一体感が脆弱になる恐れがある。ベトナムや朝鮮はかつて中国に占
領されていた時、漢語を使用していた。ハノイの古い寺院には、科挙の合格者名が石碑
に漢字で刻まれている。ベトナムの過去の歴史も漢語で書かれているため、ベトナム人
が歴史を研究しようとすると、まず中国に留学し、漢語をマスターしなければならない。
韓国人も似たような状況におかれている。ハングル誕生以前の歴史は漢語で書かれてい
るため、歴史研究には漢語の修得が必須である。
日本の場合は、史書が漢文ないし古文で書かれているため、普通の日本人は英語を修
得するような特別の訓練を経なくても、比較的容易に歴史に触れることができる。中国
の場合も似たような状況にあり、例えば司馬遷の『史記』を読もうとすると、現代中国
語に翻訳されたものを読むか、古代中国語の勉強をする必要がある。二千年の時空を経
て、漢語が変質しているからである。
次のステップに進もう。
言語は人間の思想や感情を表現する道具であるが、自国語を有していることをもって、
自由に表現できているとは限らない。人間はそれほど複雑にできている。
1972 年に北京で生まれ、北京大学卒業後、1996 年に渡米し、免疫学の研究者から作
家に転向したイーユン・リー(女性)は、第一回フランク・オコナー国際短編賞(ちな
みに、第二回の受賞者は村上春樹)など数々の賞に輝いているが、次のように語ってい
る。
「なぜ中国語で書かずに英語で書くのであろうか。中国語で書くときは自己検閲してし
まい、“書けなかった”
。だから、新たに使える言語が見つかり、幸運だと思う」
衝撃的である。自国語では自分の思いを素直に表現できないというのだ。政治的な意
見をはっきり言えない環境、古い価値観にしばられた共同体、そうした二重三重の抑圧
を受けているうちに、リーは自分の発言を“自己検閲”するようになってしまった。そ
れでも彼女は中国にこだわり、中国人の物語を書き続けている。
リーは、アイオワ大学の大学院で免疫学を研究しつつ、恋人を母国においてきた寂し
さから、成人スクールの創作講座で文章を書き始めた。そして、2000 年、彼女は本当
は作家になりたかったのだと突然気づき、本格的な作家活動を行う。その後、彼女は英
語で様々な短編を書いている。2004 年、短編『不滅』がプリンプトン新人賞を受賞す
る。
この作品は、独裁者と瓜二つに生まれた男が経験する悲劇と喜劇を辛らつに描いてい
る。そこには、中国人がたどった壮大な悲劇が凝縮されている。個人を抑圧するものへ
の批判だけではなく、中国人はずっとみずから主体性を放棄し、欺瞞を続けてきたので
はないかという厳しい問題提起が込められている。祖国への熱愛がなければ、そこまで
書けないと思わせる。
自主性の喪失に加えて、人々は幼少から知識を一方的に詰め込まされる。正しい解答
のみを暗誦させられる。自主性を失くした人々は進んで管理されようとする。指示があ
るまで、動こうとはしない。完全な待ちの姿勢である。それがわが身を守る最も簡単で、
確実な方法であるからだ。
「中国人従業員は有名大学出身者でも、自ら新しい企画を提案しようとしない」
日系企業の日本人社長の嘆きが聞こえる。
21
このような魂を亡くした人々は物質的な欲望へと駆り立てられるし、本人も喜んで進
もうとする。テレビ、携帯、住宅、クルマなどの消費財を競って買い求める。これは安
全だ。みんながやっているからだ。心の自由や思想とは関係がないからだ。海外製品の
コピーを作って、売ることも安全だ。政府が実質的に容認しているからだ。
最近、羊のように従順な人々に向かって、政府はイノベーションを唱え始めた。中国
語では、“自主創新”と呼ぶ。自己を忘れた者に、自主的なイノベーションを求めてい
る。これは大きく矛盾している。研究者も技術者も指導者の意図を見抜いている。“自
主創新”は建前である。大切なことは、毎年2報の論文(ゴミ論文かどうかどうでもい
い。自分とは関係がない)を書き、他人が人真似をするように、論文をコピーしたり、
捏造したりするのが安全だ。本当にイノベーションなんかやったら、どんな眼に合わさ
れるか知れたことではない。不信感は払拭されていない。
天安門広場の中央に位置する毛沢東記念堂の遺体を安置したホールには、高価な大理
石の上に金文字で、
「偉大な領袖で指導者の毛沢東は永遠に不滅である」
と書かれている。
中国ではこれが唯一の真実である。
<参考文献>
『千年の祈り』イーユン・リー著、篠森ゆりこ訳(新潮クレスト・ブックス)
『毛沢東記念堂』パンフレット
22
中国の王朝はなぜ同じ失敗を繰り返すのか
中国封建社会の王朝は過去の失敗を学ぶことなく、性懲りもなく歴史を繰り返してい
る。中国の王朝の歴史は概ね以下のとおりです。
新王朝が発足すると、長い戦乱で疲れた農民を休息させるために重い税金をかけず、
富の蓄積が促進される。また、政権の中央集権の基盤を強固にするために、朝廷の親戚
や功臣が地方政権の責任者となって派遣される。時には、優秀な官僚が新秩序の構築の
ために、希望を持って地方に派遣される。三代目くらいの皇帝の時代になると、新王朝
の政治も安定し、生産性も向上し富の蓄積が済んだことから、万里の長城や大運河の建
設などの新しい大規模プロジェクト、あるいは勢力拡張を狙った朝鮮、ベトナム、北西
域への遠征を敢行する。王朝はこれらの出費を継続させるために、農民への過酷な課税
を始める。政権内では、朝廷、官僚、宦官が醜い権力闘争を繰り返すようになる。地方
政府は賄賂などで腐敗し、農民の支持を失っていく。このようにして王朝のガバナンス
は次第に弱まり、政権末期になると、天候不順に伴う飢餓、北方・西方民族の干渉など
の外的要因が政権を揺るがすようになる。厳しい搾取に耐え切れなくなった農民は、新
興宗教にすがるようになり、その運動が勢力を増してくる。頭の痛い政治課題の増加に
嫌気をさした皇帝は酒と女に溺れるようになり、政治を省みなくなる。最終的に農民の
大叛乱がおこり、王朝はそれを制御できなくなって崩壊の道へと突き進む。そして、戦
乱の時代が続き、勝者が新しい王朝を築く。
2000 年の封建社会において、おおむねこのような歴史が繰り返される。これはなぜ
なのだろうか。次の問いとして、現代中国はその歴史の反復法則を克服し、まったく別
の歴史段階に上昇したのであろうか。もしそうであれば、なぜか。
これらの単純な問いは僕を長い間苦しめて来た。納得できる回答が見つからなかった。
最近、東京大学の中国歴史家から1冊の本を紹介され、早速読んでみたところ、ひとつ
の妥当な見解だとの思いに至った。それは気鋭の中国人学者が 1980 年代に書いた『中
国社会の超安定システム』である。本書は個別の皇帝や功臣の具体的な名前を登場させ
ることなく、中国の歴史の流れを社会システムの構造から分析し、その謎に迫ろうとし
ている。また、本書は唯物主義を議論の根底においているが教条的ではなく、行間から
歴史認識の自由闊達な議論を感じ取ることができる。1980 年代の歴史学会は議論がか
なり自由で、闊達であった様子がうかがえる。本書の内容を紹介しつつ、中国の歴史と
現代の謎を考えてみたい。
本書は 2000 年の封建社会の継続とそれが王朝の周期的交替の歴史から構成されてい
る原因について、サイバネテックス、情報理論、システム理論を利用して、経済、政治、
文化(イデオロギー)の面から分析している。2000 年もの長い間、封建社会が安定し
て存続し、繁栄を誇ってきたのはなぜか。封建王朝の周期的交替は、新しい社会(つま
り、資本主義社会)へと変貌する要素を取り除き、古い構造(つまり、封建社会)を回
復させ、封建社会の安定システムを延命させてきた。なぜそのようなことが起こったの
か。この質問は、中国が自ら封建社会から近代資本主義社会に転換できなった理由の解
明とも密接にからんでいる。
著者は、封建社会のピラミッド構造を下層から農民、商人、地主、貴族、皇室と規定
しているが、この構造はヨーロッパや日本の封建社会の構造と大差はないとしている。
注目すべきことは、中国では早くから地主階級に「士」という知識階級が生まれ、特殊
な社会階層を形成していた。士は人口の 0.5%程度であったが、儒生とも呼ばれ、学問
を好み、官僚として組織されることになる。官僚は皇帝から地方に派遣され、軍隊と事
務員を率いて官僚機構を組み立てていく。ただ、官僚は特定の地方に長くとどまるので
はなく、中央と地方、あるいは地方間を頻繁に移動することにより、中央と地方のピラ
23
ミッド状の支配体制を確立し、官僚の現地化、つまり、地方での権勢の増大や独立を阻
止することに貢献した。郡県制を維持しつつ、地方政権の独立の芽を防ぐことで、専制
中央集権制度は強化された。
さらに、中央集権封建社会の強化に、漢字、水陸交通網、儒教も大きな役割を果たし
た。朝廷は漢字による文書で中央の命令や意思を地方に届けようとした。漢字は表意文
字であるため、中央と地方の方言の差異の克服に有利であった。水陸交通網の発展は、
官僚の地方派遣や文書の伝達を容易にした。儒教は国家学説、つまりイデオロギーとし
て、8割の農民を内面から支配する道具として機能した。儒教には、“国家”という文
字に端的に表されているように、“国”と“家”は類似の構造体をなすという発想があ
る。儒家は、仁、孝、忠、礼を説き、家長への服従は、国への服従と同意義のものとし
て認識され、奨励された。
社会構造は、経済構造、政治構造、イデオロギー構造の三つのサブシステムから構成
される。同様に発想すると、中国の安定的な封建社会システムは、地主経済、官僚政治、
儒家正統のサブシステムから成り立っていた。
大量の自作農と中小地主の存在する国家のみが十分な税収を確保して皇室及び膨大
な官僚機構を養うことができる。一方、統一した官僚機構を駆使することで、地方割拠
勢力の出現を抑え貴族化を抑制して、地主経済を維持することが可能になる。同じよう
に、儒家が正統国家学説のイデオロギーの地位を保ち、そのイデオロギーで国家を指導
し、膨大な官僚システムを形成することは不可能である。
地主経済、官僚政治、儒家正統の三つのサブシステムは相互に支えあって、統一的専
制中央集権制度という一体化構造を強固なものにしてきた。
他方、ヨーロッパの封建社会のサブシステムは、封建領主経済(経済)、封建貴族政
体と教会の連合(政治)、キリスト教(イデオロギー)から構成されているが、このシ
ステムの崩壊は封建領主の分裂割拠形態となって現れ、農民の流民化を促し、それら農
民を新興産業が労働力として吸収することにより、資本主義の萌芽を形成することにな
る。中国ではこのような状況には至らなかった。
中国の封建社会構造の撹乱力は、外戚と宦官の専横、官僚機構の腐敗、土地が貴族な
どの少数者の手中に落ちる土地兼併による流民に発生である。これらの波乱要因に対し
ある程度の調整力を中国封建社会は有しているが、一旦組織の崩壊が起こると壊滅的状
況まで進行してしまう。農民大波乱の発生である。中国農民に対する搾取率はヨーロッ
パより格段に高かった。過激な農民からの収奪は農民一揆を誘発し、官僚機構を破壊さ
せ、王朝の統治能力を根本的に破壊し、人口急激な減少、開発したハイテクの消滅など
を引き起こす。このような徹底的な破壊は、貴族による土地兼併、流民から工場労働者
への転換、技術の蓄積などの資本主義の萌芽を同時に摘み取ってしまう。中国封建社会
は崩壊し、元の木阿弥になってしまう。安定で強固な組織ほど、崩壊する時には完膚な
きところまで行き着いてしまう。
しかし、新しい王朝が発足すると、儒教精神を重んずる宗法的家族が核となって、従
来の統一的専制中央集権国家へと急速に回復する。安定した封建社会構造へと再び戻る
のである。
中国の安定した封建社会は、富の集積をもたらし、世界帝国としての文明繁栄の時代
を謳歌した。それは中国人にとって大きな誇りである。
次の問題に移ろう。中国は封建社会制度が身にあっていたがゆえに、資本主義という
歴史の次の段階への進化が阻止された。中国は自らの力で資本主義という近代国家の建
設を実現することはなかった。その代償は、英国との阿片戦争以来の列強による半植民
地化という屈辱を受けることで払わされた。封建社会の超安定システムは、列強による
支配という外部条件の変化により、中華民族を覚醒させ、その本質は破壊されたのであ
24
ろうか。中国共産党による祖国の統一は農民叛乱の勝利であるという発想をすると、一
党独裁構造そのものが封建社会のものと同じという議論もなりたつ。
さらに、文化大革命は中国の過去の成功体験の原因であった封建社会一体化構造の破
壊が目的であったとも言えないこともない。文革の塗炭の苦しみは中国社会の本質を資
本主義社会へと転換させたのであろうか。文革以降、中国は開放改革の道へと舵を大き
く切り、現在、世界資本主義システムに組み込まれている。仮に、中国社会の本質が封
建社会のそれを強く引き継いでいるのであれば、早晩その大きな反動が訪れるであろう。
また、中国社会が封建社会とは根本的に決別したというのであれば、その新しいシステ
ムとはどのような構造を持つものであろうか。
中国の現代と封建社会のシステムを経済、政治、イデオロギーの面で見てみると、以
下のとおりだ。
現 代
封建社会
経 済:
社会主義市場経済、世界市場主義経済
地主経済
政 治:
共産党一党独裁、官僚主義
官僚主義
イデオロギー: 中国の特色ある社会主義、儒教?
儒教
現代と封建社会の大きな違いは、国家の統治イデオロギーとしての中国的社会主義と
それを担う共産党一党独裁である。近代において、中国は儒教を古代中国の病弊の元凶
として否定し、新思想としてマルクスレーニン主義を受入れてきたが、1989 年のソビ
エト連邦の崩壊による社会主義の正統性が疑われるようになった。儒教の復活という単
純な発想では新システムの構築はできない。自由、平等、博愛(人権)という近代ヨー
ロッパ文明の基本理念の導入へと動くのか、それとも中国特有の価値観を生み出そうと
するのか。後者であれば、封建時代の人々の精神を 2000 年にわたって束縛してきた儒
教に代わる思想を探し出すのは困難に違いない。長い成功体験を経験すると、新しいア
イデンティティを見つけるのが難しくなる。巨像の悩みは深い。
<参考文献>
金観濤、劉青峰著、若林正丈、村田雄二郎訳『中国社会の超安定システム』
(研文出版)
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小説『1Q84』のなかの中国とサイエンス
2006 年、フランツ・カフカ賞を受賞し、ノーベル文学賞候補といわれる村上春樹の
久々の長編小説『1Q84』が発売されるや、半月で 100 万部も売れるという前代未聞
のベストセラー現象となっている。村上春樹はおかしくなりかけている世界を描いてい
るが、春樹の新作品を読みたいという読者の飢餓感が高まっていたとはいえ、この小説
の売上数自体が異常である。この謎を解くのは難しい。
奇妙な名前の『1Q84』を見るや、読む前に想像力を掻き立てられる。まず、思い
つくのはジョージ・オーウェルが 1948 年に発表した小説『1984』との関連性であ
る。オーウェルは、ソビエト連邦をモデルに、ビッグ・ブラザーという独裁者によって
人々の生活がすべて監視され、歴史が改竄され、思想が統一される絶望的な社会を描い
た。村上春樹はオウム真理教の事件に深い関心を抱いている。地下鉄サリン事件の被害
者と加害者から詳細な聴き取り調査を行い、その内容を『アンダーグラウンド』と『約
束された場所で』にまとめて出版している。彼はオウム裁判の傍聴にも熱心に通ってい
る。なぜ、オウム事件が起こったかは村上春樹にとって大きなテーマであった。社会主
義と新興宗教の類似性はしばしば指摘されてきているだけに、どのような物語が展開さ
れるか興味津々だ。
次に、『1Q84』のQは何であろうか。魯人の『阿Q正伝』のQからきているとも
読める。藤井省三東京大学教授は、村上春樹の小説には中国の影が濃厚に描写されてい
ると指摘している。これは、村上春樹が 10 代に読んだ魯人の作品に影響されているこ
と、そして、村上春樹の父が有名大学卒業後、中国に軍人として派遣され、大陸で口で
は言えないことをやって帰国し、無言のまま僧侶になったことと関係があるのかも知れ
ない。村上春樹は、サリンジャー、フィッツジェラルドなどの米国作家の多くの作品の
翻訳を手がけているが、意外にも中国の影響は大きいというのである。
さらに、Qはマウスを後ろから見た姿と同じである。いうまでもなく、マウスは情報
化社会のシンボルである。インターネットは人間に自由をもたらしたのか、情報による
言論統制の恐怖を及ぼそうとしているのか、まだ答えはだされていない。現代に生きる
人間がネット社会を当たり前のこととして生きているのがひとつの恐怖である。ナチ支
配下のドイツも、戦前の日本も、今の北朝鮮も、そこに生きている人々は、思想統制さ
れているかは別として、当然の毎日を生きている。特別の世界に生きているという感覚
はない。人間は幸か不幸か、大抵の状況に適応してしまう。この小説の内容も情報化社
会の問題を描いたものではなかろうか。
以上が、読む前に感じたことである。
さて、読了後の感想に移る。
小説のなかで、Qは question mark のQと書かれている。疑問を背負った新しい世界
である。小説の舞台は、1984 年の東京であるが、登場人物たちは、空気が変わり、風
景が変わった「1Q84年」に知らぬ間に導かれてしまった。変な1Q84年の夜空に
は、月がふたつ浮かんでいる。ただ、阿Q正伝のQと書かれていないからといって、僕
の予想がまったく外れたとはいえない。
小説の評論をするに当たって、あらすじをまず書くべきかも知れないが、それがうま
く書けない。読者は読み始めるや春樹の世界に引きずり込まれてしまう。個々のストー
リーはどこに起こってもおかしくないことであるが、あらすじを書こう思った瞬間、手
が止まってしまう。この長編小説は、文字通り、長編でなければ書けないものを描いて
いるのである。でも、やってみる。
この小説の解釈は大きく二つに分かれるであろう。ひとつは、30 歳の青豆(あおま
め)という奇妙な名前の女性と天悟の壮大な愛の物語である。彼らは 10 歳の時、好き
26
になったことがある。青豆は天悟の手を強い力でぎゅっと握ったのだ。彼らは同級生で
あったが、言葉は交わしたことがない。それだけの初恋の経験が忘れないまま 20 年が
過ぎてしまった。それが1Q84年である。もうひとつの解釈は、ビッグブラザーより
も手ごわい敵が我々の生きる世界を内面から蝕んでいるという世界観の提示である。
小説は青豆を巡る物語と天悟を巡る物語が章単位で交互に繰り返される。上下巻合わ
せて、男女二人の合計 48 章からなる物語であるが、二人は終盤、ニアミスをするが再
会することはなかった。村上春樹は、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーラン
ド』で、「世界の終わり」と「ハードボイルド・ワンダーランド」という物語を交互に
書いているが、この二つの物語は一見してまったく異なるものであり、最後まで接点さ
えなかった。その二つの物語の関係性こそ、読者への宿題であったのであろう。
青豆と天悟は普通の人生を歩んではいない。青豆は、キリスト系の新興宗教「証人会」
の信者である母親の影響を受けて育った。週末は布教活動のために、母親とともに戸別
訪問に連れられていき、友達と一緒に遊ぶこともなかった。学校の給食の際には、神へ
の感謝を口ずさむことが求められていた。
「天上のお方さま。あなたの御名がどこまでも清められ、あなたの王国が私たちにもた
らされますように。私たちの多くの罪をお許しください。私たちのささやかな歩みにあ
なたの祝福をお与え下さい。アーメン」
このため友達から気味悪がられた。友達もいなく、いつもひとりぼっちだった。母親
がどう考えようが、少女の心は深く傷ついた。
天悟はNHK集金人の父のもとで育てられた。母親はいなかった。天悟も週末には父
に連れられてNHK集金に連れまわされた。小さい子供を見ると、NHK受信料の支払
いを拒めなくなる視聴者もいたからである。天悟は数学の天童と呼ばれるばかりでなく、
身体も大きくスポーツもできた。うだつの挙がらない父親とは大違いであった。しかし、
青豆と同じように友達がいなかった。時間が経つに連れて、父親は本当の父ではないこ
とに気づくようになる。彼もひとりぼっちの心に傷を負う犠牲者である。
いや、彼らだけではない、ほとんどの登場人物が心に傷を負って生きて来ている。両
親に捨てられ、娘が自殺した老夫婦、10 歳の時レイプされた少女、幼少の頃叔父と兄
から性的いたずらをされた現職婦人警察官のあゆみ。その傷の原因は広い意味の暴力で
あり、暴力が小説の底流にあるひとつのテーマである。
青豆は表の顔は高級ジムのトレーナー兼マッサージ師であるが、ある上客の老婦人か
ら頼まれて、マッサージをする振りをしながら、殺人を請けおっている。細いアイスピ
ックで首の後ろから脳髄まで突き刺し、心臓を停止させて、4 人をあちらの世界に送り
込んでいる。殺すターゲットは、すべて暴力の加害者である。
天悟は受験塾の数学講師であるが、プロの小説家を目指して小説を書いている。毎週
金曜日の午後、年上のガールフレンドが高円寺のアパートにやってきて、肉体の欲望を
解消していた。
天悟は、東京大学文学部卒の我の強い雑誌編集者の小松から「ふかえり」という 17
歳の少女の小説を書き換えるように頼まれる。ふかえりの作品はひとを惹きつける魅力
があるが、文体が幼稚すぎるため、新人賞を獲得できる可能性は低い。天悟はふかえり
と会い、後戻りのできない事件に巻き込まれていく。
ふかえりの父は宗教法人『さきがけ』のリーダーであるが、そこでの生活に耐えられ
なくなり、団体から逃げてきていた。そこで経験した奇妙な体験を綴ったリトル・ピー
プルが空気さなぎをつくるという物語であった。リトル・ピープルはビッグ・ブラザー
を意識した命名であるが、作者はリトル・ピープルについて何であるか具体的に書いて
いない。この謎を解くことが読者の宿題である。ふかえりの小説は天悟によって書き換
えられ、発売後またたく間に、ベストセラーになる。まるで、『1Q84』のベストセ
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ラーを予見しているかのようだ。リトル・ピープルはその存在が知られるようになった
ため怒り、ふかえりや天悟や青豆に復讐しようとする。しかし、ふかえりは、反リトル・
ピープルなるものとして天悟を守ろうとする。リトル・ピープルと反リトル・ピープル
の均衡が世界を善に導くのだ。
一方、青豆は新興宗教『さきがけ』のリーダーを殺すように依頼される。リーダーは
娘のふかえりだけでなく、数人の少女をレイプしたと、青豆は老婦人から聞かされた。
青豆はホテルオークラのスウィートルームでリーダーのマッサージに漕ぎつける。リー
ダーは奇病にかかって身体を蝕まれていた。そのために、マッサージ師を探していたの
である。青豆が細いアイスピックを突き刺そうとした瞬間、リーダーはそれを予見し、
殺されることを望んでいたことを知らされる。衝撃的な一瞬である。リーダーはすべて
を知っていた。青豆の過去も調べてあった。愛する天悟の存在も知っていた。リーダー
は娘をレイプしたのではなく、交わることで娘に巫女の役割をさせたと語る。娘を反リ
トル・ピープルに仕立てあげたのであるという。
リーダーは静かに語る。
「世間のたいがいの人々は、実証可能な真実など求めていない。真実というのはおおか
たの場合、あなたが言ったように、強い痛みを伴うものだ。そしてほとんどの人間は痛
みを伴った真実のなんぞ求めていない。人々が必要としているのは、自分の存在を少し
でも意味深く感じさせてくれるような、美しく心地良いお話なんだ。だからこそ宗教が
成立する」
「わたしがやっているのは、ただそこにある声を聞き、人々に伝達することだ。声はわ
たしにしか聞こえない。それが聞こえるのは紛れもない真実だ。しかしそのメッセージ
が真実であるという証明はできない。わたしにできるのは、それに付随したささやかな
いくつかの恩寵を実体化することくらいだ」
「わたしはそのような特殊な力を与えられた。しかし見返りとして、彼ら(リトル・ピ
ープル)はわたしに様々な要求を押しつけた。彼らの欲求はすなわちわたしたちの欲求
になった。その欲求はきわめて苛烈なものであり、逆らうことはできなかった」
『さきがけ』のリーダーは信者たちの少女をレイプしていると聞かされていた青豆は、
リーダーの言葉に茫然とする。リーダーもリトル・ピープルの犠牲者であったと青豆は
悟る。
そして、天悟は青豆を強く愛していると聞かされる。リーダーは青豆と天悟が1Q8
4年というこの世界で出会うことがないと告げる。天悟がリトル・ピープルに抹殺され
ない唯一の道は、リトル・ピープルの媒介者である、自分をあちらの世界に送ることだ
と青豆に諭した。リーダーが排除されれば、リトル・ピープルは別の媒介者を探すこと
になる。天悟は彼らにとってもはや用はなくなる。だが、青豆がリーダーを殺せば、宗
教集団『さきがけ』に追われ、いずれ捕らえられて罰せられる。青豆は1Q84年の時
間に迷い込み、取り返しの出来ない事件に巻き込まれたが、天悟がずっと自分を愛し続
けていたことを知ったことは救いであった。青豆は愛する天悟を救うために、リーダー
を殺す決断をする。
青豆はホテルオークラから逃亡し、老夫婦から与えられた高円寺のマンションに身を
寄せる。奇遇にも、そのマンションは天悟のマンションのすぐ近くであった。
天悟は、年上のセックスガールフレンドと編集者の小松と突然連絡が取れなくなる。
リトルピープルが彼らを排除したのである。孤独に苛まれた天悟は、痴呆症にかかり千
葉県の千倉で療養中の父を突然見舞いに行く。天悟は痴呆症が進行し話が分かるかどう
か判別できない育ての父に対して、自分の今までの心情を暴露する。天悟は父を怨みつ
つ、育ててくれたことに感謝をする。別れる瞬間、天悟は父の目から涙が落ちるのを発
見する。子の父への怨みは消えたのである。父と子は分かりあえたのである。
28
ある日、天悟は月がふたつ浮かんでいる様子を目にする。1Q84年という世界は月
が二つ浮かんでいるが、人々は忙しく空を見上げないため、それに気がつかない。天悟
はその月をよく見ようと高台を探す。やっと探した公園の滑り台の上で、天悟は奇妙な
月を熱心に眺めている。その男を青豆は隠れ家のベランダから発見して、すぐに天悟だ
と見分ける。20 年の歳月にかかわらず、自分の空白の心を埋めてきた天悟とすぐに分
かった。青豆はマンションの階段を駆け下りて公園に向かうが、天悟の姿はそこにはな
かった。すれ違ったのである。
結局、青豆は天悟との再会は果たせないと知ると、ピストルを喉に詰めて、壮絶な自
殺を遂げる。そうとは知らない天悟は、自分を支えてきた、愛する青豆を一生かけて探
し出すことを心に誓う。
この小説の読者の半分は 30 歳以下という。彼らは途方もない恋愛小説として読んで
いるのであろうか。暴力を受け、内部に「空白」を持った人々は、強く、深く、ひとを
思い続けることで、漆黒の孤独から脱出することができる。村上春樹はそう言っている
ように見える。ただし、人間の敵であるリトル・ピープルの存在は大きな謎である。そ
れは我々の心に巣食っていて、何かの拍子に突然起動するのだ。不気味である。
さて、この小説に描かれたサイエンスと中国について、問題を掘り下げてみたい。僕
がサイエンスと中国という断面で思索する理由は簡単である。僕がその両方に深く関わ
っているからである。
まず、サイエンスに関する言語をピックアップしてみよう。
謎の活動を続ける宗教法人は『さきがけ』と呼ばれるが、『さきがけ』は科学技術振
興機構(JST)の代表的な研究プロジェクトの名称でもある。JSTは政府系の機構
で、科学技術の振興を目的とする組織であり、宗教法人『さきがけ』は言うまでもなく、
オウム真理教がモデルであるが、オウム真理教は若い科学者と研究施設を擁し、サリン
などの猛毒な化合物質を合成していた。村上春樹が『さきがけ』を名称に選んだのは偶
然の一致であろうか。僕の考えすぎであれば、それで構わない。
また、宗教法人『さきがけ』が設立した財団の名称は、『新日本学術芸術振興会』で
ある。類似の名前の組織に、日本学術振興会(JSPS)が存在する。JSPSはJS
Tと並んで、日本の基礎研究の振興のために、研究者に補助金を提供している政府系の
組織である。これも偶然だろうか。
さらに、宗教法人『さきがけ』が社会に向けて放つスパイ集団は小説のなかで、「リ
サーチャー」と呼ばれている。リサーチャーは日本語で研究者の意味である。この小説
は反科学なのであろうか。
まだある。
小説の老婦人は語る。
「人間というものは結局のところ、遺伝子にとってのただの乗り物であり、通り道に過
ぎないのです。彼らは馬を乗り潰していくように、世代から世代へと私たちを乗り継い
でいきます。そして遺伝子は何が善で何が悪かなんてことを考えません。私たちが幸福
になろうが不幸になろうが、彼らの知ったことではありません。私たちはただの手段に
過ぎないわけですから。彼らが考慮するのは、何が自分たちにとっていちばん効率的か
ということだけです」
「私たちの生き方の根本を支配しているのは遺伝子です。当然のことながら、そこに矛
盾が生じることになります」
生命科学の発展は、老婦人が語るような利己遺伝子の概念を生んだ。ひとの運命はす
でに遺伝子に刻印されており、ひとは価値のない単なる乗り物だと。だが、この小説は
訴える。遺伝子支配に対抗するのは、時には合理性を無視し、利他的に行動する、つま
りひとを愛することで均衡を作り出すことだと。利己遺伝子は愛の敵なのだ。この発想
29
は反科学的であるが、人々の同感を得るであろう。また、規定された運命を超越するこ
とで、自由な自己を獲得することができ、そこに人生の真の意味があるのだと。
一方で、村上春樹は老婦人に次のようにも語らせている。
「大昔から同じような詐欺行為が、世界に至る所で繰り返されてきました。手口はいつ
だって同じです。それでも、そのようなあさましいインチキは衰えることを知りません。
世間の大多数の人々は真実を信じるのではなく、真実であってもらいたいと望んでいる
ことを進んで信じるからです。そういう人々は、面目をいくらしっかり大きく開けてい
たところで、実はなにひとつ見てはいません。そのような人々を相手に詐欺を働くのは、
赤子の手をひねるようなものである」
『さきがけ』のリーダーにはこのように言わせている。
「世間のたいがいの人々は、実証可能な真実など求めていない。真実というのはおおか
たの場合、あなたが言ったように、強い痛みを伴うものだ。そしてほとんどの人間は痛
みを伴った真実なんぞ求めてはいない。人々が必要としているのは、自分の存在を少し
でも意味深く感じさせてくれるような、美しく心地良いお話なんだ。だからこそ宗教が
成立する」
政府がどんなにサイエンスの重要性を訴えても、普通の人々が真実に目を背け、サイ
エンスに興味を示さない理由を端的に表現している。なぜペテン師に騙されるのか、な
ぜ宗教が必要なのかは、ひとの心が本質的に要求しているからである。この議論のポイ
ントは反科学的とは言えないが、科学の限界を示している。
人間の心は理性、意志、感性から構成されているといわれる。現代社会では、強い理
性と意思を持つ者はその能力を発揮し、何かを生産し、社会発展に寄与することができ
るので、高く評価される。しかし、ひとの感性がいくら充実していても、それは個人の
プライバシーとして扱わられ、無視されてしまう。ここに現代の息苦しさがある。心優
しいひとは、傷つきやすく、誰からも理解されずに、孤独に苛まれている。
次に、小説のなかの中国関連の記述を拾ってみる。
天悟の父はNHK集金人として描かれているが、戦前東北の農家の三男として生まれ、
仲間とともに満蒙開拓団に入り、満州に渡った。ソ連軍の満州侵攻後、開拓団の人々は
日本を目指して逃げ惑うが、仲間のうちで無事帰国できたのは彼ひとりだった。前にも
書いたように、村上春樹の父も中国帰りである。その影響もあるのだろうか。
『さきがけ』から脱走してきた、ふかえりを受入れたのは、『さきがけ』のリーダー
の元親友で大学の教授である。今はアカデミズムに疑問を持ち、大学を去っている。彼
は語る。
「私が大学をやめ、ふかえりの父親(『さきがけ』のリーダー)もその二年後には大学
を離れた。彼は当時毛沢東の革命思想を信奉しており、中国の文化革命を支持していた。
文化革命がどれほど酷い、非人間的な側面をもっていたか、そんな情報は当時ほとんど
我々の耳には入ってこなかったからね。毛沢東語録を掲げることは一部インテリにとっ
て、一種の知的ファッションにさえなっていた。彼は一部学生を組織し、紅衛兵もどき
の先鋭的な部隊を学内に作り上げ、大学ストライキに参加した」
ふかえりの父は大学を離れた後、完全な共同生活を営み、農業で生計を立てるコミュ
ーン『さきがけ』を立ち上げるが、本物の革命を目標とする一派は脱走し、
『あけぼの』
という武装集団を立ち上げる。『あけぼの』は山梨の山中で警察と銃撃戦を行う。これ
は赤軍派との攻防を彷彿させる。この銃撃戦で『あけぼの』が使用したのは、北朝鮮ル
ートで入手した中国製のカラシニコフ自動小銃だった。「中国」がさらりと顔を出して
いる。
村上春樹は 70 年安保を経験した団塊の世代である。宗教法人『さきがけ』の誕生の
背景に、社会主義運動の興隆と挫折があったと見立てているのではなかろうか。
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スポーツ・クラブでトレーナーとして働く青豆は、マネージャに向かって力説する。
「たいてい男の方が身体も大きいし、力が強いんです。素早い睾丸攻撃が女性にとって
唯一の勝機です。毛沢東も言っています。相手の弱点を探し出し、機先を制してそこを
集中撃破する。それしかゲリラが正規軍に勝つチャンスはありません」
ここでは、毛沢東のゲリラ戦は比喩として使われている。
以上は中国に直接関係する言語から選んだ記述である。さらに、中国的なものを探し
て深く読んでみよう。
青豆が知り合った婦人警官あゆみの発言。
「やった方は適当な理屈をつけて行為を合理化できるし、忘れてもしまえる。見たくな
いものから目を背けることもできる。でもやられた方は忘れられない。目も背けられな
い。記憶は親から子へと受け継がれる。世界というのはね、青豆さん、ひとつの記憶と
その反対側の記憶との果てしない闘いなんだ」
あゆみのこの発言は、一般論を述べているだけで、中国との関係がなさそうである。
しかし、村上春樹は、月刊誌「文藝春秋」のインタビューで以下のように語っている。
「父の人生が戦争で変わったことは確かだと思います。僕は戦後生まれで直接的な戦争
責任はないけれど、記憶を引き継いでいる人間としての責任はあります。歴史とはそう
いうものです。簡単にちゃらにしてはいけない」
村上春樹は日本軍の中国侵略戦争で中国人に与えた苦痛に対して責任を感じると述
べている。また、藤井省三教授は、村上春樹は日中戦争を知れば知るほど、日本という
国家システムの怖さを感じ、戦後の日本社会のある種の暴力的システムは少しも変わっ
ていないと見ていると、主張している。中国に対する原罪意識は村上春樹に重くのしか
かっているのであろうか。
天悟はふかえりに語りかける。
「ジョージ・オーウェルはその小説の中で、未来を全体主義に支配された暗い社会とし
て描いた。人々はビッグ・ブラザーという独裁者によって厳しく管理されている。情報
は制限され、歴史は休むことなく書き換えられる。主人公は役所に勤めて、たしか言葉
を書き換える部署で仕事をしているんだ。新しい歴史が作られると、古い歴史はすべて
廃棄される。それにあわせて言葉も作り替えられ、今ある言葉も意味が変更されていく。
歴史はあまりにも頻繁に書き換えられているために、そのうちに何が真実だか誰もわか
らなくなってしまう。誰が敵で誰が味方なのかもわからなくなってくる。そんな話だよ」
これは小説『1984』の概要だ。当時のソビエト連邦をモデルに、暗い近未来を描
いたものとして、不朽の名作となっている。この社会の姿は一見実現しなかったが、あ
る面では現実のものとなりつつあると指摘する者も少なくはない。現に、中国はそうで
あり続けているし、日本や米国でも個人情報が知らぬ間に売り買いされており、ネット
上の個人情報は管理しようと思えばいつでも可能であるし、情報社会でプライバシーを
完全に守ることは不可能になりつつある。人々の遺伝子をこっそり解析すれば、本人が
知らない未来を特定の集団やひとが知ることも不可能ではなくなりつつある。
ふかえりの後見人の先生は天悟を諭すように語る。
「しかしこの現実の 1984 年にあっては、ビッグ・ブラザーはあまりにも有名になり、
あまりにも見え透いた存在になってしまった。もしここにビッグ・ブラザーが現れたな
ら、我々はその人物を指してこう言うだろう。『気をつけろ。あいつはビッグ・ブラザ
ーだ!』と。言い換えるなら、この現実の世界にもうビッグ・ブラザーの出る幕はない
んだよ。そのかわりに、このリトル・ピープルなるものが登場してきた。なかなか興味
深い言葉の対比だと思わないかい?」
現在世界で最大のビッグ・ブラザーは中国共産党であろう。しかし、この小説は日本
の東京が舞台であるし、中国共産党の記述はまったく出てこない。ビッグ・ブラザーは
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時代遅れの産物である。
村上春樹はむしろリトル・ピープルが人々の心を乱し、迷走させ、世界の均衡を失わ
せると警告している。テロ、DV、児童虐待、宗教的狂信、セクハラなどの様々な暴力
が世界を覆い、人々は連帯を失い、心に「空白」を形成しつつある。その空白を埋め、
人間らしい自己を見出すのは、愛するひとへの強く、長い思いである。これが小説の結
論と僕は見ている。
ところで、この小説では、サイエンスは世界を解釈し、構築するものとして描かれ、
人々の孤独を誘発するものとして捉えられている。サイエンスは中世、真実を追究する
ものとして人々に迎えられた。科学者は希望の星であった。サイエンスがどんなに進歩
しても愛を解明することはできない。愛とサイエンスは別の世界のものだからである。
人間の存在意義の中核に位置するのはひとを愛することである。現代社会では、人々の
サイエンスへの眼差しは益々厳しくなっているのではなかろうか。
<参考文献>
村上春樹著『1Q84』
(新潮社)
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中国人男性の独白
僕は北京の日系企業の自動車メーカーで働く、29 歳の男性だ。名前はあるが、公表
すると当局の目に触れ、やっかいな目になるかも知れないので、一応「王建国」として
おこう。
僕は日本人に僕の話を聞いてもらいたい。中日両国はとっても重要な関係であるが、
中国人の気持ち、特に若い中国人がどのように考えているかを知ってもらいたい。両国
の交流は盛んになったが、相互理解は進んでないように思える。むしろ、誤解が多くな
ってきていると心配している。
僕の出身は安徽省の農村で、北京科学技術大学で冶金学を勉強した。北京科学技術大
学は、かつて北京鉄鋼大学と呼ばれていて、鉄鋼では中国随一の大学だったんだ。でも、
大学ランキングが盛んになり、総合大学を目指すために名称を変更したよ。ランキング
は42位だけれでも、実際の研究者や学生の能力はそれ以上と思うよ。
大学卒業後、日本への留学も検討したが、田舎の両親をあまり心配させたくないので、
就職することにした。父は息子が日本に留学すると、農村の人々から白い眼でみられる
と言って、僕の日本留学を嫌がった。留学は断念したが、僕は後悔していない。
日系自動車メーカーの現地法人に入社すると、日本での研修団の一員に選ばれた。僕
はとてもうれしかった。高校生の時から、アニメや日本の古い文化に憧れ、日本と日本
人の感性がとても好きであったが、日本研修で一層日本が好きになった。日本の街はど
こも美しく、人々はよく働き、中国人の僕にも熱心に技術を指導してくれた。中国人の
教授や上司は学生や部下に命令を下すだけで、あまり技術やノウハウを教えてくれない。
同僚同士で教えあうということもない。日本料理は美しく、美味しく、僕の趣味にピッ
タリあっている。これはお世辞じゃない。中華料理はもちろん世界一美味しいけれど、
寿司、刺身、そば、テンプラも大好きだ。日本で納豆も食べられるようになった。少し
匂うけど、健康的な食品と思う。帰国後、ガールフレンドに強く勧めたら、変なひとに
変わってしまったと言って、僕から去っていった。
日本に研修に行っていた時、日本のテレビや新聞が中国の餃子事件を毎日大々的に報
道していたのには本当に驚いたよ。誰かが殺虫剤を混入したことは間違いないが、それ
が中国で起きたのか、日本で起きたのかは解明されていないのだ。日本政府は日本で混
入された可能性は限りなく低いと言って、あたかも中国で事件が起きたに違いないと言
わんばかりだった。中国の衛生状況は遅れているのは認めるけれども、一方的に中国の
せいだと主張されるのはどうかと思うよ。テレビや新聞も盛んに書きたてていたのには、
正直ビックリしたよ。日中の間にはもっと重要な未来志向の案件があるにもかかわらず、
たかが餃子事件を大きく報道し、日本人の中国に対する印象を著しく悪くしたと思うよ。
中国が嫌いになった日本人は多くなったと聞くし、日本ファンの僕としても悲しい。中
国人も安全な食物を食べたいし、農薬や殺虫剤はご免だ。できるだけ安全で、健康なも
のを食べたいというのは日本人も中国人も同じだよ。同じ人間なのだから当然だよ。中
国人は毒に強い遺伝子を持っている訳では決してないよ。
日本研修の時、ビックリしたことがある。それは送別会で研修の先生と飲んでいた時、
先生から「中国では飛行機が墜落しても、決して報道しないと聞いたけどホントか」と
真顔で訊かれたからだ。飛行機が落ちれば死者がでるし、そうすればネット上で情報が
交錯することは必至さ。政府が情報を規制しようとしても決してできっこない。どうし
て、日本ではそんなことが信じられているか分からないんだ。どう考えたって分からな
い。それに、日本の友達に訊かれたのだけれども、中国人は野菜を洗剤で洗っているの
かと。日本人は中国の野菜は農薬でひどく汚染されていると思っているみたいだ。そん
なこと決してないんだ。ウソだよ、そんなこと。
33
僕の周りの中国人も日本のメディアの態度には相当怒っている。偏向報道だという友
達もいるよ。なぜ、あのようなたいしたことのないことに日本人が熱くなるのか、僕に
はよく分からない。それに、日本政府はなぜそのような偏向報道を取り締まらないのか
も不思議だと思う。一連の報道は日中友好を明らかに阻害しているよ。日本の国内に日
中友好を望まない勢力がいて、それがメディアを動かしているのではないかと勘ぐって
しまうよ。僕は日本のアニメやJポップや歌手も好きだよ。僕は浜崎歩(あゆみ)の大
ファンだ。80 年代に生まれた世代には日本好きな友達がたくさんいるよ。両国はもっ
とよく分かり合えると信じている。けど、メディアが意図的に妨害しているように思え
る。
日本人も世界の人々も、中国が急速に発展していることを妬んでいるように思える。
僕ら中国人は文化大革命という不幸な時代を経験し、鄧小平の指導で改革開放路線を歩
み始め、海外に多くの留学生を派遣し、一生懸命に制度や技術を学んできたんだ。日本
人も西欧や米国から多くのことを学び、社会を発展させてきたんだよね。なぜ、中国人
は外国から技術を盗んだり、真似したりと、外国人が批判するか僕にはよく分からない。
日本や韓国がやってきたことと同じことをやっているにすぎないんだ。それにもかかわ
らず、中国バッシングが激しいのは不思議で、時には不愉快だ。
日本もかつて西洋諸国からエコノミック・アニマルと蔑まされました。しかし、日本
は今先進国から叩かれることはない。それなりの国力を得たからだ。中国はまだ発展途
上国だから、ある一定のレベルを超えると、中国叩きはなくなると思っているよ。それ
までは、政府と人民(国民)が力を合わせて、国力をアップさせていかなければならな
いんだ。どんな困難でもやり遂げるんだ。だって、僕ら中国人はユダヤ人と日本人と同
じくらい優秀な民族だからさ。
中国の軍事費の急増が周辺国から恐れられているが、米国と比べると極端に少ないん
だ。米国から中国は脅威だと指弾されるいわれはない。約 20 ヶ国と国境を接している
ため、仕方がないんだ。国境単位長さ当たりの国防費で比較すると、中国の国防費はま
だまだ少ないんだよ。中国はどんなことがあっても核兵器を先に使用しないと国際社会
にアピールしているのですよ。知っていた?
中国はやっと少しだけ豊かになれたけど、貧しい農村が多く存在している。中国のG
DPはもうすぐ日本を抜くが、一人当たりのGDPで考えると、50年経っても日本を
超えないでしょう。中国は全般的にみると貧しい国ですよ。
世界各国は二酸化炭素排出の削減交渉をやっているが、既に豊かになった先進国が発
展途上国に削減目標を課するのは妥当ではない。先進国は途上国に貧しいままでいろと
でも言ってように聞こえるよ。それはわがままです。途上国にも豊かになる権利はある。
そう思わないかい。ある日本人が言っていたが、中国人が寿司を食べ始めると、世界の
海からマグロが消えてしまって困るそうだ。トロは日本の文化だと主張するのはどうか
と思うよ。日本人が中華料理を好むように、中国人も美味しい寿司が食べたいのですよ。
外国人は中国の少数民族の人権問題を指弾するが、政府は少数民族の文化の保護を熱
心に進めてきたのですよ。大学だって、少数民族は漢民族のよりも大学に入りやすいん
だ。一人っ子政策も少数民族には適用されない。先進国にもマイノリティー優遇策があ
るではないか。海外メディアは中国政府のそのような優れた政策を報道せずに、公安の
少数民族に対する暴力だけを放映しているよ。公安の言い分もあるはずだが、海外に流
される情報は少数民族がすべて正しいという視点になっている。ダライラマはチベット
独立運動の象徴として西側は利用しているよ。ノーベル賞を彼に与えたのも、中国にチ
ベット問題というアキレス腱の楔を中国に打ち込むためだよ。これも西側先進国の中国
への嫌がらせだ。僕らは力を合わせて、国家分裂の危機を防がなくてはならない。人民
解放軍はチベットを解放したと学校で習ったが、僕らだってチベットの事情は複雑だと
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思うよ。チベット仏教の僧侶や地主は貧しい人々を古い因習と宗教で搾取していたでし
ょうし、人民解放軍が暴力的に占拠したのも問題があったと思っているよ。でも、総合
的に考えると、チベットの開発のために多額の資金を投入し、チベット人は昔より随分
豊かになったのですよ。なぜ、このような重要なことが海外で報じられないのか本当に
不思議だ。
ノーベル賞の受賞者について言うと、日本の皆さんも感じているとおり、東洋人に対
する人種差別が強く残っているよ。野口英世や鈴木梅太郎が授賞しなかったのは変でし
ょう。皆さんは 袁隆平という中国人を知らないと思うけど、彼はハイブリッド米の開
発により稲作の収穫を急激に伸ばした研究者として中国では知らないひとはいない。ア
ジアやアフリカの人々からも、食糧危機を回避した中国人として非常に尊敬されている。
でもそれほどの貢献をしていながら、なぜノーベル賞を獲得していないのでしょうか。
彼が欧米人であったならば、文句なしにノーベル賞を獲得していたに違いない。
中国の所得格差は大きいと言われているが、僕らは他人が金持ちになろうと関係がな
い。自分が豊かになれるかどうかがもっとも重要なんだ。中国はまだ発展途上国だから、
誰かが豊かにならなければ、その他大勢の人々が金持ちになるチャンスは巡ってこない。
文化大革命の時代は平等だったけれども、みんな貧乏だった。誰もが平等のまま、人々
が豊かになることはあり得ないでしょう。
僕は日系企業に働いていて、他の外資系企業のよりは所得は随分少ないけれど満足し
ている。日本の企業は研修が充実していて、技術をよく取得することがでる。また、議
論は全員参加で、若者の意見をよく聞いてくれるのは新鮮だ。中国の企業の場合は、会
議といえば上からの一方的な指示だから。
そうそう、役人の腐敗の問題だけど、外国特に発展途上国は多かれ少なかれ、どこで
もあるでしょう。どうして中国の腐敗だけを話題にするのでしょうか。賄賂は悪いと思
うけれども、賄賂なしには地方政府の役人は人民に何もやってくれない。病院で治療を
受けようとするとやはりおカネが必要なんだ。おカネでそれで社会が回っているから、
ある程度仕方ないんだ。中国は歴史の遺産を背負っているから、変わるのも時間がかか
る。でも、少しずつ変わると思うよ。日本だって、家族が大きな手術を受けるときには、
少し前まで、担当医に気持ちを表すためにおカネを渡していたではありませんか。
地方役人の腐敗は好きでないけれど、共産党のリーダー達は人民のことを考えてくれ
ていると思うよ。彼らはいつも地方にでかけ、農民や貧しい人々の声に耳を傾けている
よ。その様子はテレビで毎日放映しているんだ。僕はあまり熱心に見ないけれども。彼
らリーダーが真面目に働き、官僚をコントロールしている間は、中国は発展を続けると
みんな信じているんだ。一党独裁と中国を非難するけど、民主主義国になると、台湾省
のように政治家が論争を始め、社会や経済が不安定になると思うよ。中国人には、政治
家を選挙で選ぶ権利はないけれども、それよりも国の統治が安定していなくては、中国
は発展もしないし、僕らも豊かになれないと思うな。
僕の世代は一人っ子ではないけど、80 年以降に生まれているため、“80 后”(バーリ
ンホウ)と呼ばれているんだ。ネットを通じて色々な情報が入ってきて、世界の情勢も
よく分かっているよ。北朝鮮と同じだと思わないで欲しいな。ファッションや価値観は
日本や欧米の若者と同じと思うよ。ガツガツして働いて金持ちや有名人や偉い人になる
のではなく、自分らしい人生を送りたいと思っているよ。そのためには世界が平和であ
って欲しいし、中国に来れば中国人の考え方が理解でき、我々はいい友達になれると信
じているよ。
中国は決して米国みたいな覇権国にはならないよ。発展途上国のリーダーとして世界
平和を希求していくんだ。ねえ、ひとつ教えて欲しいことがあるんだ。日本は米国に二
個の原爆を落とされて、大勢の人々が殺されたけれども、なぜ米国を怨んでいないんだ
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い。中国人にはまったく理解できないことなんだ。敗戦の屈辱を簡単に忘れてしまって
は、日本はまた米国にやられてしまうよ。僕ら中国人と組んで一緒に米国をやっつけて
みようと思わないかい。僕らは同じアジア人だから、きっと心から分かり合えると信じ
ているよ。
それに中国人と日本人は長所と短所が逆なんだ。中国人は細かいことにはこだわらな
いが、原則や大局観を重視するんだ。日本人は小さなことを疎かにしないため、優れた
工業製品をつくることができるけど、戦略性に富んでいるとは言えないよね。日本人は
口を開けば戦略が必要と言うけれども、いっこうに国家戦略が出てこないじゃないかい。
中国と日本が組めば、アジアの時代を導き、世界をリードすることができるさ。きっと。
中国に一度遊びに来て欲しいな。美味しい中華料理を食べながら十分意見交換して、
中国を理解できる友達になってくれよ。ねえ、お願いだ。
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皆既日食観測記
僕は運よく南極大陸の土を踏む経験をしたことがある。2005年2月某日早朝、ロ
シアの輸送機イリューシンがロシアの観測基地から少し離れた氷の滑走路にスムーズ
に着陸した。飛行機を出ると、各国混成の乗客を待ち受けていたものはブリザードだっ
た。寒い。肌に突き刺さるようだ。そして、僕は思った。「氷の惑星」にやってきたの
だと。見渡す限り氷だ。氷以外になにもない。白銀の世界だ。ここは地球ではない。そ
うとも思った。しかし、出迎えてくれた人々は紛れもなく、人間たちであった。やはり、
地球なのだ。地の果てにやって来たのだ。
帰国後、南極談話に明け暮れていると、南極観測隊に派遣された医師が発したひと言
が印象に強く残った。
「南極も素晴らしいが、南極で見た皆既日食はもっと凄い」
彼は南極の皆既日食が忘れられないという。
だが、時間が経つうちに、その言葉もすっかり忘れてしまい、僕は北京駐在員の仕事
に没頭することになった。2009年2月某日、日本の国立天文台の著名な学者からレ
クチャーを受けていた際、思いがけないことを知らされた。
「2009年7月、上海などで皆既日食が見られますよ」
南極の情景とともに皆既日食への憧れが頭をもたげてきた。見に行こう。いや、絶対
行くのだ。皆既日食を見ずに死ぬわけにはいかない。それはゆるぎない決心に変わって
いた。よく調べていくと、汚染のひどい上海よりは、武漢の方が観測地点に適している
ことが分かってきた。武漢に行くのだ。そして、今世紀最大の天体ショーを目撃するの
だ。
家族のなかで自分だけ楽しむのは気が引ける。東京の家族にも声をかけた。すると、
高校二年生の娘が手を挙げた。本名は寺岡夕里であるが、ユリと呼ぶことにしよう。好
奇心旺盛で、なんでも見てやろう、やってやろうの子だ。小田実の生まれ変わりみたい
な奴だ。
2009年7月上旬、イタリアで開催されたG8サミットに合わせて、ユニセフが主
催して、世界14ヶ国の中高校生を集めて、地球温暖化、金融危機などの地球規模の問
題について議論し、G8に報告するという会合が開催された。この会合はJ8サミット
(Jはジュニアの略)と呼ばれていて、ユリはその会合に日本代表のひとりとして出席
したばかりである。帰国後、イタリアでの過密スケジュールと時差でぐったりしていた
そうであるが、1週間も経たないうちに日本を飛び立ち、中国に来るという。
ユリからヒアリングしたJ8の裏話に少し触れておこう。下記の→の後は僕の感想。
1.日本チームほど、事前準備をしたチームはなかった。→日本人は子供でも真面目だ。
準備のため、1ヶ月間学校の勉強をほとんどやっていないので、落ちこぼれになるのが
心配だ。
2.英語ができないチームがあった。主催者のイタリアチームも英語が話せたのは、4
人中ひとりだけだった。→英語ができなくて、どうやって議論に参加するのだろう。観
光気分でイタリアに行ったのか? 主催者のメンバーが英語を話せなくて、どうやって
議論をまとめるのであろうか。日本人には非常識に思える。
3.「GDPって何?」という人がいたんだよ!→こんな学生を送る国の元首の顔を見て
みたい。
4.インドは同じ国の人同士で、言葉が通じない!→これはインドの常識。中国もそう
であるが、世界にはこんな国がいっぱいある。
5.日本に対して好印象を持っている国が多く、「日本語って難しいのでしょう?」と
声をかけてきたロシア人(?)がいた。→日本は海外から注目されている、ホットでか
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つクールな国なんだ。日本人よ、もっと自信を持て。
6.「中国は偉大な国だ」なんて発言した日本人はいない。→中国のネットニュースに
は、日本代表がそう発言したと書かれていた。中国代表の子供の聞き違いか、中国人記
者の意図的な歪曲かは判断できない。いずれにしても、海外の人々は「中国は偉大な国
だ」と皆言っていると、国内向けに宣伝したいのは明らか。これも中華思想だ。
7.ユリは中国語が話せるというのが中国メディアに知られ、インタビューを受けそう
になったが運よく時間切れになった。→日本やイタリアのメディアであれば、取材内容
をそのまま報道してくれるが、中国の場合、自国に有利な内容しか報道しないため、イ
ンタビューを受けなくてよかったのではないか。
8.参加国14ヶ国のメンバーは勝手な意見ばかり主張し、会議は崩壊寸前だった。カ
ナダ、米国、日本の三ヶ国の代表が努力した結果、ようやくまとまった。→これが国際
社会の縮図である。国連でも各国は自己主張ばかりして、議論をまとめようとする国は
少ない。
9.中国は民主主義の国でないのはみんな知っていて、中国も積極的に議論に参加して
こないし、先進国も特に中国のメンバーを議論に取り込もうとはしていなかった。ウル
ムチ暴動の話題はタブーで、誰も敢えて話題にしなかった。→世界の子供たちも中国は
特殊な国だと知っているのだ。ウルムチ暴動が話題にならなかったため、中国は国際社
会に受入れられていると、仮に中国政府が考えていれば大きな間違いである。みんなに
陰口をたたかれていては、中国はいつまで経っても世界に友達が作れないぞ。
10.中国人のメンバーのうちひとりはチベット人だった。→中国政府がチベット人を
メンバーの加えたのは、昨年5月のラサ暴動の後、漢族とチベット族は仲直りしたとい
うのを国際社会にアピールするためであろう。しかし、皮肉にもJ8開始早々、今度は
ウルムチで暴動が発生したのだった。
ユリは小学2年生から6年間、アメリカンスクールに通っていたので、きれいな米国
英語を話す。僕が英語を話す時に、両耳を両手で塞ぎながら、どうしてそんなにひどい
アクセントの英語を話すのと批判的な目を向けられると、僕の心はひどく傷つく。ユリ
によると、NHKワールドニュースの日本人記者の英語の発音も相当ひどいそうだ。ユ
リは発想もアメリカ的だ。広島と長崎への原爆投下は日本人の戦死者の拡大防止に役立
った正しい選択だったし、自分は天皇制の廃止論者だと親の前で当然のことのように話
す。それを聞くと、不愉快になったり、時として情けなくなる。また、北京オリンピッ
クでの日本のサッカーの試合に連れて行った際、スタジアムのほとんどを埋め尽くした
中国人が相手チームを応援し、日本選手にブーイングを浴びせていたのには、大きなシ
ョックを受けていたようだ。日本人は中国人から嫌われているのだ。
こういうユリと一緒に北京から武漢に行って日食を観測し、その後、上海の発展振り
を視察したいと、経団連会長みたいなことをぬかすので、上海まで付き合うことにした。
日本に残る最古の日食の記録は、日本書記の「日、蝕(は)え尽きたる」だ。628
年のことだ。歴史書の世界最古は中国だ。特定できる日食観測は紀元前776年9月6
日で、
「詩経」に書かれているという。日付を特定しなければ、
『尚書』に紀元前194
8年の日食が記録されている。夏(紀元前2070年頃-同1600年頃)の時代に日
食の予報を怠った天文官が斬首刑に処されているともいう。日食は古代中国で不吉なも
のや天の警告として恐れられていた。いずれにせよ、中国の古代文明のすごさは半端で
はない。
でも、中国の現代文明が素晴らしいかはまったく別の議論である。ときどき、それを
混同している日本人に出会って、面食らうことがある。中国は古代も現代もすごいのだ
38
が、日本はいつの時代もだめなのだと仰せになる。聞く耳を持たぬのは困ったものであ
る。逆に、中国は現代も古代もだめと評価するのもどうかと思う。中国古代文明が生ん
できたものを否定はできまい。日本も大きな影響を受けてきたのはまちがいない。
ただし、民族主義者の中国人が主張するように、なにからなにまで日本は中国の模倣
国家だと決め付けるのもどうかと思う。日中両国間にはこのような極端な議論がまだ残
っているのは歓迎できない。もっと冷静に、客観的に思考すべきであろう。
さて、7月18日土曜日の深夜、ユリは北京空港にやってきた。親の経済力を考慮し、
なるだけ安いチケットを購入するというので米国の飛行機を選択することになった。夜
遅く北京について、武漢で日食を観測した後で、上海から早朝飛び立つことになる。
翌日の7月19日、僕の中国語の家庭教師がアパートにやってきて、ユリと談笑した。
中国代表のうち北京第四中等高等学校の生徒はその家庭教師の知り合いの子供という。
校長から指名された優等生とのこと。中国ではJ8や科学オリンピックの中国代表に選
ばれると、優先的に大学入学が認められるという。その家庭教師はユリに米国のハーバ
ード大学に入学するように勧める。最も優秀な中国の生徒は北京大学や清華大学でなく、
ハーバード大学に進学するからである。ユリはローマで北京第二中等高等学校の生徒と
同室で寝泊りをしたため、北京で会いたかったようであるが、メールが返ってきた時、
その時間は残されていなかった。
僕とユリは、7月20日午前9時47分北京西駅発・武漢行きの高速列車の一等車両
に乗っていた。日本から技術導入した車両が武漢までの1200キロを9時間かけて走
る。中国ではもちろん国産技術と宣伝されている。彼らの論理では海外から購入しても、
国産技術だそうだ。満員である。飛行機でなく、列車を選んだ理由は、ユリに中国の大
地を見せてやりたかったためである。
北京を出発した時には天気は晴れであったが、南下するに連れて、霧が出てきて、そ
のうち雨まで降り出した。大地を覆う小麦畑の水平線は見えない。ユリは外の景色には
興味を示さず、ずっと眠りこけていた。売り子が運んでくる油っぽい駅弁は避けて、乗
車前に買ったパンを食べていた。室内は26度に設定されている。速度も電光掲示板に
表示される。日本の新幹線の雰囲気に酷似している。我々の後方で、大声で話していた
家族連れは鄭州で降り、車内は静かになった。彼らが降りるや、ユリは中国人はうるさ
いので嫌いという。中国政府も人民に向かって、タンを吐くな、大声で話すな、列に並
べなどと説いているが、その効果はなく世界標準のモラルには程遠い。
ユリはだんだん言葉数が少なくなる。疲れたのか、退屈なのかよく分からない。話し
かけても、ノーの時は首を横に振り、分からないと言いたげなときは、肩をすぼめるだ
けだ。まるで、村上春樹の長編小説『1Q84』に登場する「ふかえり」の態度のよう
だ。ふかえりは、教祖の父に性的乱暴を受け、教団から脱走して来る。感性は鋭いが、
言語能力が著しく欠けている17歳の少女である。ユリは16歳で、ふかえりのような
謎の美少女という訳ではないが、今日は言葉を嫌悪しているかのように見える。仕方が
ない。僕は昼食の時以外は外をぼんやりと眺めていた。一度通った路線であるので、珍
しいという訳ではない。ただ、前回は黄河を通過する際、眠っていたため、写真を撮り
忘れた。黄河に差し掛かる時に、ユリに声をかけると、デジカメを取り出して、シャッ
ターを切っていた。中国名物といえば、長城、黄河、長江、地平線だろう。これなくし
て、中国は語れない。
予定より5分早く、武漢の漢口駅に着いた。僕が斜め前に座っていた欧米人の若いカ
ップルに、皆既日食を見に来たのかと訊くと、ユリが訛りの強いひとは話さない方がい
いよと、横から口を出す。まったく、こしゃくなふかえりめ。
車外に出るとむっとした蒸気が吹き付けてきた。暑い。午後6時半になるというのに、
相当蒸し暑い。武漢の夏は暑いと聞いていたが、それを思い知らされた。慣れないと息
39
をするのも困難だ。
駅舎を出ると、乗客がタクシーを奪い合った。喧騒だ。これが中国だ。でも、ユリは
特に驚いた様子はみせず、僕の後からついてきた。
「はぐれたら、お父さんが渡したお金でホテルまで行くんだよ。そこで再会だ」
白タクが声をかけてきた。60元という。30元かからない距離だ。やっと捕まえた
タクシーの運転手はメーターを倒そうとせず、値段を交渉してきた。50元からなかな
か値下げしようとしない。ユリの不安そうな顔を見ると、速くホテルにチェックインし
て、休ませてやりたいと思えてきた。タクシーは長江を超えて、マリオット系列の五つ
星のホテルに着いた。ホテルで夕食をとり、早目にベッドに着いた。ユリは寝る前に、
日本人は損をしていると言う。なぜか。レストランのウェイターに中国語で話しかけら
れるからだそうだ。上海のスターバックスでも、我々が朝食をとりにいくと、まず中国
語で話しかけられ、一瞬の間をおいて、英語に切り替わる。ユリにはその英語がひどい
らしい。l(える)の発音がすべてr(アール)に変化しているそうである。
21日。皆既日食の前日である。空は晴天である。明日、大いに期待できそうである。
この日は観光に充てることにした。黄鶴楼、武漢長江大橋、武昌起義軍政府跡、東湖、
湖北省博物館を見て廻ろうと計画していた。
まずは、長江を見下ろすように聳える黄鶴楼にタクシーで向かった。
「明日、皆既日食(中国語では、日全食)が見られるが、関心があるか」
と運転手に訊いた。
「ない」
そっけない感じだ。
「子供は関心があるだろう」
「子供もない。ただ暗くなるだけだ」
確かに暗くなる。それだけかも知れない。日食に対する中国人の関心度を調べようと、
半年前から同じ質問を繰り返してきた。7月22日の皆既日食を知らない者がほとんど
だったし、興味度もかなり低かった。普通の北京人が北京オリンピックに関心がなかっ
たように、日食にも見向きもしていなかった。毎日の生活に忙しいのであろう。稼がな
くては貧乏からの脱出は困難である。
「我々は日食を見るために東京からやってきた」
「日食観測のために、数万元も支払ってやってきたのだな。我々の年収に相当する」
それは事実に違いない。豊かさとは、生活と直結しない“興味”のために、大金を支
払えることなのだ。ヨーロッパ旅行や世界一周クルージングもその部類に入る。そして、
人間は地球環境を必要以上に破壊する。
「明日の天気はどうだ」
僕は期待を込めて訊いた。
「曇りのち雨だ」
天気は下り坂なのか。胸騒ぎがした。中国政府が雲を蹴散らすロケットを発射してく
れることを願いたい。
携帯電話が鳴った。
「娘さんの健康状態はどうか。熱はないか」
中国に入国した人々の健康チェックのために、定期的に電話がかかってくる仕組みに
なっている。
「正常だ」
そういうと電話はプッツリ切れた。ノルマで電話をかけているようである。このよう
な仕事も無駄なような気がする。やはり、地球環境に優しくはない。国外から持ち込ま
れる新型インフルエンザよりも、国内の伝染防止を優先すべきである。
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タクシーは渋滞に巻き込まれた。外はすでに30度を超えている。室内はクーラーが
必要以上に効いている。後部座席のユリはすやすや寝ている。
タクシーを降りるとむっと熱気が襲ってきた。慣れるまでにしばらくかかった。黄鶴
楼は欧米人と中国人の観光客でごった返していた。皆既日食ツアーなのであろう。50
メートルの黄鶴楼からの眺めは素晴らしかった。長江はすぐ下に見え、遠くには高層ビ
ル群が競うように立ち並んでいる。黄鶴楼は仙人が黄色い鶴に乗ってやってきたことか
ら名づけられた。現代人は誰も信じない。皆既日食も事前に1秒の狂いもなく予測され
ている。紀元前6世紀、小アジア(現トルコ)での戦闘中、日の光が失われたことに驚
いた兵士が戦いをやめた。1183年の源平・水島の戦いの最中に日食が起き、源氏軍
は恐怖におののき逃げ惑った。知らないことがいいかどうかを判断するのは難しい。皆
既日食はもはや天体の神秘現象ではなく、天体ショーに成り果てたかのようである。数
分間のために、世界中から観光客が集まる。ホテルのオーナーやタクシーの運転手は稼
ぐのにいい機会だと考えるが、自ら楽しもうとはしていない。こうやって、おカネが動
き、経済がうまく廻っているのであろう。
黄鶴楼から北に1.5キロほど歩くと、武漢長江大橋にたどり着いた。長江の写真撮
影だ。1957年、毛沢東の指示で完成された二階建ての巨大な橋である。下は鉄道が
走っている。この橋の完成で、長江を跨ぐ漢口と武昌の経済が一体化された。都市名も
武漢と改められた。中国政府は沿海部の発展を内陸部まで波及させようと躍起になって
いる。僕の見るところでは、その間に位置する武漢の経済が沿海都市と同レベルになる
かがひとつのポイントと考えている。武漢の発展が本物になれば、一気に内陸部まで経
済発展の波が及ぶようになろう。
「今日、これからどうするの」
ユリが訊ねる。強い日差しが辛そうである。観光の無理をするのを止め、長江沿いに
少し散歩し、カルフール(中国語名は家楽福)で昼食をとり、ホテルの部屋で昼寝をし
て、夕方東湖を観光することにした。
午後4時、マリオネットホテルを出て、東湖で最も景色のよい磨山に行くことにした。
入場券を買って、公園内をしばらく歩き始めると、ユリの足取りが重いことに気がつい
た。
「お腹が痛い」
呟くように言う。昼食の卵チャーハンの油がよくなかったのか、それとも暑すぎるた
めなのか。
「せっかく来たから山頂まで行き、絶景の東湖の写真を撮ろう」
ユリは頭を縦に振る。言葉の少ないふかえりに戻ってしまったようだ。しばらく歩く
と、
「頭が痛い。ズキズキする。座りたい」
これはダメだ。日射病だ、と思い途中で引き返し、ホテルに戻ることにした。
公園の出口を出て、タクシーを待つがなかなかやって来ない。ユリは近くのベンチに
座り込んでしまっている。そうすると、黄色いクルマが近づいて来た。白タクである。
「乗らないか、タクシーと同じ値段でいい」
「マリオネットホテルまで13元でどうか」
と僕が言うと、
「15元ならば行く」
と白タクが粘る。病人を連れている。仕方がないと、僕は妥協した。道は渋滞してい
た。
ホテルに着くや、
その運転手は、
「Uターンして、折り返してきたのだから20元だ」
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と何食わぬ顔で言う。まったく中国人は何かの理屈をつけては値を吊り上げようとす
る。通常ならば、値切ったり、罵声を浴びせたりするのだが、ユリの状態を考えると、
つまらない争いは避け、先方の値段を払った。また、中国に対する印象が悪くなった。
毛唐め。
部屋に入るや、ユリは倒れこむように、ベッドに潜り込んだ。
しばらくすると、「熱がある」と言う。体温計で測ると、37.4度だった。少し熱
があるようだ。
「ホテルのルームサービスをとろうか」
と僕が言うと、
「食欲がない」
と回答。しばらくすると、「熱が上がったみたい」とつぶやく。体温計は38.2度
を指している。一大事である。用意してきた解熱剤を飲ませる必要がある。解熱剤を直
接飲ませると、胃に負担がかかるので、簡単なスナックを買いにいくことにした。ホテ
ルから6分ほど歩いたところに、スーパーマーケットがあった。ホテルの外はまだ暑い
がそんなことに構っていられない。なかは巨大である。中国製ではなく、比較的高い輸
入品の菓子類とジュースを買った。中国製を食べさせて、さらに病状がひどくなれば、
困ったことになる。
部屋に戻って、スナックを食べさせ、解熱剤を飲ませた。そして、九州に帰省してい
る妻に電話した。その時、妻は慌てた様子はなかったが、あとから聞くと、病状が回復
しなければ、東京に戻り、成田から中国行きのフライトに飛び乗るつもりだったようだ。
「頭部を冷やして、熱を下げて」
という妻の指示に従って、ルームサービスに電話し、氷を持ってくるように頼んだ。
先方の雰囲気は、ウイスキーの水割りでも飲むように思っているようだった。10分ほ
ど経ったろうか。随分長い時間のように感じられた。
英語のできるスタッフがウイスキーの水割り用の容器に氷を入れて、部屋に運んでき
た。
「娘は熱がある。この氷で冷やそうと思う」
僕が真剣な眼差しで、そう言うと、事態の深刻さに気づいたスタッフは、
「薬はあるか」と訊いた。
「すでに飲ませた」
「熱冷まし用のバンドはあるのか」と彼女が美しい英語で訊いた。
「いや、ない」と答えると、
「困ったことは何でも言って欲しい」と丁寧な英語で対応する。
しばらくして、そのスタッフが、氷を入れるビニール袋と乾いたタオルを運んで来た。
「困ったことは何でも言って欲しい」と彼女は同じことを繰り返した。心のこもった言
葉だった。さらに、数分後、ルームサービスの応対者から電話があった。
「スタッフに聞いたが、娘さんの病状はどうか。援助は何でもする。要望はいつでも提
出して欲しい」
気遣いに溢れる話しぶりだった。強い味方を得た思いだった。最悪の場合、熱が更に
上がれば、医者を呼ばなくてはならなくなる。その場合、少なくともホテル側が対応し
てくれるだろう。明日まで熱が下がらなければ、皆既日食どころでなくなる。へたをす
れば、新型インフルエンザと疑われて、武漢に長く留め置かれる恐れもある。
五つ星のホテルを選んだ効果があったと思った。そのとき、20元を要求した運転手
を思い出した。中国人にはいいひともいるし、悪い奴もいる。日本も同じだ。僕は冷静
さを取り戻していた。
「ひとりでレストランに行ってもいいよ」
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ユリが呟く。
「お父さんも食欲がない」
僕はそう言って、北京から持ってきたカップ焼きそばを作って食べた。これで十分だ
った。
午後10時が過ぎようとしていた。ユリの体温を測った。37.2度まで落ちていた。
危機は脱出したようである。念のため、額を触ってみた。以前ほど熱くはなかった。ほ
っとして11時に寝入った。
午前4時30分に目が覚めた。ユリの額を触ったが熱はない。カーテンを少し開ける
と、もう外は明るかった。雲はあるが、太陽は元気に光り輝いている。ユリの病気も回
復し、天気もいい。運が廻ってきたようだ。
ベッドに戻り、7時に仕掛けた目覚まし時計に起こされた。カーテンを引いて、空を
見た。太陽が雲に隠れている。空はほとんど雲で覆いつくされている。天候は下りだ。
運転手が言ったとおりだった。
ユリは普通のユリとまでは言わないまでも、ふかえり程度までには回復している。朝
食をとりに、ホテルのレストランに行った。窓側の席は欧米人に占拠されていた。彼ら
も外の天気が気になるのだ。太陽が雲から出たり、隠れたりしている。
朝食後、すぐに観察地点の東湖にでかけることにした。午前8時15分になろうとし
ていた。タクシーに乗って、東湖の畔を目指した。この運転手も外国から日食ツアーに
やってきた我々にあきれていた。
「電灯を消して、点けるようなものだ。何が面白いのか」
僕とユリはタクシーの窓から、日食用のサングラスで太陽を眺めた。日食はすでに始
まっている。しかし、しばらくすると、視界から太陽が消えた。雲に隠れたのである。
特殊なサングラスは、太陽光を1万分の1まで遮る。ちなみに、我々のサングラスは日
本で買って、1500円かかったが、中国国内で売っていたものはわずか5元(75円)
である。なぜ、こんなに違うのか。中国製は偽物なのか、それとも日本のメーカーがぼ
ったくっているのか。
運転手は俺にも見せろと言う。彼は運転をやめて、少し眺めていたが、やはりあまり
興味はなさそうだった。
東湖に着くと、大勢の人々が集まっていた。混乱を避けるために、警察車両も数台来
ていた。我々は東湖の湖畔まで急いだ。ユリは元気になっているようであった。
湖が見える広場に陣取って、太陽を眺めた。厚い雲に隠れたり、出たりと、観測者を
やきもきさせている。雲は左から右に流れているが、左側に行くほど雲は厚くなってい
るように思える。あと1時間。運命の時に皆既日食が見られるかどうか、可能性は半分
程度であろうか。時々、太陽が雲から覗くと、人々は一斉に特殊サングラスをかける。
雲に隠れると、サングラスを外す。これを繰り返しながらも、太陽は少しずつ上の方か
ら欠けていった。その歩みは遅かった。途中雲に隠れると、僕はトイレに行って帰って
来たが、それでもほとんど進行していなかった。
午前9時過ぎになると、三日月に近づき始めた。眼に見えない速度で太陽が細くなっ
ていく。長い。長すぎる、時間が止まったのであろうか。
9時20分。皆既日食になってもいい時間帯であるが。まだ、その時はやってこない。
特殊サングラスで覗くと、かなり太陽は細くなっているが、肉眼で太陽を眺めようとす
ると、眩しくて耐えられない。太陽の輝度は相当高いのだ。
サングラスの奥の太陽は見えるスピードで細くなり、消えようとしている。
「周りが暗くなっているよ」
ユリの元気な声が聞こえた。僕は太陽の最後を見届けようと、サングラスを外さなか
った。宇宙から光が消えていく。この世から命がなくなっていく。僕は恐怖に襲われた。
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この世の終わりだ。自分も闇に包まれてしまいそうな感覚だった。そして1点の光が消
えた時、周りで大きな歓声が起こった。
僕はサングラスを外した。異様な天体が天空に浮いていた。見たことがないものであ
った。初めてみる皆既日食であるので、当然である。が、予想を超える異様さである。
月が燃えているのだ。月が怒っている。我々は何も悪いことをしていないのに。怒りの
正体は太陽のコロナである。月と太陽が作り出す新天体だ。人類に襲い掛かろうとして
いる。僕は頭を殴られたような気分になった。そうだ、6年前にホールインワンを出し
た時も後ろから頭を殴られたのだった。この世の終わりを象徴するに十分な不気味さで
あり、恐怖である。そのメカニズムを知っている現代人でさえ、驚かせるに十分な天体
ショーである。古代の人々に与えた恐怖は尋常ではなかったに違いない。
周りには夕闇が降りている。美しい夕焼けも雰囲気を盛り上げている。夜空には、星
が輝くと聞いていたが、雲がそれを遮っていた。蝉の声はトーンアップしたように感じ
られる。いやもしかしたら、人々が茫然として眺めているので、そのために蝉の鳴き声
が際立っているだけなのかも知れない。いや、僕がやっと正気に戻り、聴覚が急に正常
に戻ってきたためなのかも知れない。
日食はかつて日蝕と書かれていた。現象を眼の辺りにすると、蝕の方がピッタリする。
太陽が虫歯まわれ、蝕されて、この世から消えていく。太陽は生命を育んできた。生命
の根源と言っても過言ではない。それが地球上から消えていくのだ。今後、どうやって
生物は生きていけばいいのであろうか。
皆既日食は雲に隠れた。残された時間は少ない。人々はもう一度みたい。どうか神様、
もう一度だけ拝ませて下さいと、皆で一緒に強く念じた。共通の願いだ。1分ほど経過
しただろうか。人間の願いが叶い、再び皆既日食が現れると、再び歓声が沸いた。しば
らくすると、月の上部から強い光が差し込んで来た。皆既日食の終わりの知らせである。
数秒もしないうちに、裸眼で見るのが耐えられなくなった。闇もあっという間に消えた。
1分後には、普通の世界に戻っていた。人々は家に帰り始めた。何事もなかったかのよ
うな足取りである。
皆既日食は終わった。3分近く見ていた計算になる。その時間はマラソン選手が1キ
ロを走破する時間に匹敵する。そんなに長くみた記憶がない。ユリも同じようなことを
言っていた。
10分もすると、武漢はいつもの武漢に戻っていた。何の前触れもなく、日食が起こ
り、そして皆既日食が人々を怯えさせ、去っていく。皆既日食は部分日食の延長戦上に
あるものではない。皆既日食は皆既日食なのだ。肉眼で見たことがある者にしか、それ
を理解することはできない。
皆既日食観測は終わった。そして、ユリとの旅行は上海で2日間過ごすと、終わるこ
とになる。もう病気になることはなかろう。楽しい上海の休日になることを祈りつつ、
僕とユリはすっかり晴れ渡った暑い武漢を後にした。
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嗚呼!上海、シャンハイ、Shanghai
「上海」は本来日本語読みでは、ジョウカイと読まれるべきだが、日本人は誰もそん
な読み方はしない。中国語と同じく、シャンハイと発音をする。それほど多くの日本人
が夢を抱いて上海に渡り、上海は日本人に深い潜在意識を植えつけてきたのだ。
上海は中国の都市としては珍しく、近代になって成立した大都市である。1848年、
英国が一方的に始めた阿片戦争を終結させた南京条約によって、上海は列強国から開港
させられる。当時の小さい漁村は瞬く間に都市への発展の道を辿ることになる。特に、
英国のユダヤ人が黄浦江沿岸の高層ビル化に着手するや、西洋の都市と見間違えるほど
近代化していく。今でも、この外灘(ワイタン、英語名はバンド)は西洋式の建物がよ
く保存されている地域だ。ワイタンなくして、上海とは言えない。
当時、上海は「魔都」と呼ばれた。英国、仏国、米国などの租界地では外国人が身勝
手に振舞っていた。彼らの母国の軍艦が黄浦江に停泊し、睨みを利かせていたからであ
る。一攫千金を夢見て各国から商売人が集結した。ロシア革命で追放された貴族たちも
身を隠していた。インド人巡査は交通整理をしたが、その裏通りでは、中国人の乞食、
売春婦、纏足の女、苦力がたむろしていた。ヘドロと化した河には、幼児の死体も浮か
んでいた。ゾルゲや尾崎秀実などのスパイも跋扈していた。中国共産党の第一回全国大
会が秘密裏に開催されたのも上海であった。カネ、野心、麻薬、女、頽廃が渦巻く荒廃
した街だった。しかし、人々はそこに魅せられて、集まった。芥川龍之介、横光利一な
どの作家も上海を訪れた。
1949年10月、中国共産党が政権を奪取すると、上海は健康な面白みのない都市
に変貌した。売春婦は矯正所に送られた。乞食も表通りから姿を消した。
しかし、改革開放政策が上海を蘇らせた。南京通りは一新され、デパート、ブティッ
ク、一流ホテル、レストランが競うように中国人観光客を吸い込んでいる。中国がWT
Oに加盟すると海外からの資金の流入は一層激しくなり、未開であった黄浦江の東地区
の浦東地区には、10年もしない間に超高層ビルが聳え立った。東京の高層ビル群は上
海に見劣りするようになった。500メートルに迫る世界一のビルも日本人実業家によ
って建設された。欧米人ビジネスマンも東京を通り越し、上海を目指すようになった。
日本人駐在員も多くなった。戦前最大時に10万人と言われていたが、今その数字を
超そうとしている。英語も中国語もしゃべれない日本人が日本から追い出されるように
上海にやってくるようになった。外国に来たという緊張感を失った日本人や過労企業戦
士が毎年100人も死んでいる。
あらゆる日本料理が日本人の嗜好を満たしてくれる。カラオケが林立し、ソープラン
ドも導入され、農村から来た少女が父母のために一生懸命に働いている。上海に喧騒さ
と猥雑さが復活しようとしている。中国共産党の思惑を超えて、上海は勝手に膨張して
いる。米国人大学教授が「バブルの塔」の街と警鐘を鳴らそうが、上海は気にしない。
上海は眠らない。上海は野望を持つ人々の期待を裏切らない。戦前の上海が現代の上海
に復活しつつある。
以上が序論である。
芥川龍之介と横光利一の作品を通じて、上海の昔と今を比較してみよう。
芥川龍之介が上海を訪問するのは1921年の3月末のことである。大阪毎日新聞海
外視察員としてまず上海に上陸し、その後、江南、長江、廬山、武漢、長沙、北京、天
津などを訪問している。芥川龍之介はすでに『羅生門』、
『鼻』、
『芋粥』、
『地獄変』、
『蜘
蛛の糸』、
『杜子春』を発表し、文壇に大きな影響力を及ぼし始めていた。中国視察は2
9歳のことである。35歳で自殺する6年前のことであった。芥川龍之介は上海到着後、
乾性肋膜炎を患い、3週間病院に入院している。彼は病魔に襲われたにもかかわらず、
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帰国せずに中国視察を続けている。よほど好奇心が強かったのであろう。中国への期待
も高かったのであろう。そして、芥川龍之介は子供の頃『水滸伝』、
『聊斎志異(りょう
さいしい)
』などの中国の古典を愛読し、それらを題材にした小説も書いている。
『杜子
春』はその例である。だが、帰国後体調がすぐれず、鉄道自殺へと踏み進んでしまった
のは、中国での無理な旅程が遠因だったのかも知れない。
芥川龍之介は、『上海游記 江南游記』で軽快に、かつ愉快に中国での出来事を活写
している。紀行文という気楽さもあったのであろうが、結構楽しんでいたようである。
紀行文はしけによる船酔い体験から始まる。その描写が面白い。
「処が翌朝になって見ると、少なくとも一等船客だけは、いずれも船に酔った結果、唯
一人のアメリカ人の外は、食堂へも出ずにしまったそうである。が、その非凡なるアメ
リカ人だけは、食後も独り船のサロンに、タイプライタアを叩いていたそうである。私
はその話を聞かされると、急に心もちが陽気になった。同時にその又アメリカ人が、怪
物のような気がし出した。実際あんなしけに遭っても、泰然自若としているなぞは、人
間以上の離れ業である。或はあのアメリカ人も、体格検査をやって見たら、歯が三十九
枚あるとか、小さな尻尾が生えているとか、意外な事実が見つかるかも知れない」
上海上陸後、埠頭の外に出ると何十人もの車屋(車夫)に包囲されるのだが、これも
楽しげに描写されている。想像しがたいが、芥川龍之介のニタとした顔が浮かんできそ
うだ。
「支那の車屋となると、不潔それ自身と云っても誇張じゃない。その上ざっと見渡した
所、どれも皆怪しげな人相をしている。それが前後左右べた一面に、いろいろな首をさ
し伸しては、大声に何か喚き立てるのだから、上陸したての日本婦人なぞは、少からず
不気味に感ずるらしい。現に私なぞも彼等の一人に、外套の袖を引っ張られた時には、
思わず背の高い(同行の)ジョオンズ君の後へ、退席しかかった位である」
これが芥川龍之介の上海での第一印象である。現在の上海では、空港や駅に到着する
と、タクシーを待つために長蛇の列に並ばされるが、基本的にマナーが悪いと言われた
中国人も一列に並ぶようになっている。タクシーも乗車拒否したり、遠回りすることは
少ない。高額な料金を要求したりすると、乗客に訴えられ、免許を失ったりしかねない
ためである。だが、上海と北京以外の都市に行くと、白タクが跋扈し、正規のタクシー
でもメーターを降ろそうとはしない。中国語での値段の交渉をせざるを得なくなる。通
常の2倍の料金を支払うはめになる。芥川龍之介と同様の経験をしたければ、中国の地
方都市を訪れることをお勧めする。外国人と見れば、カモねぎと思い、運転手の人垣が
できるであろう。
芥川龍之介一行は車屋の包囲を切り抜けて、やっと馬車の上の客になるが、その馬車
が動き出したかと思うと、町角の煉瓦塀と衝突する。龍之介は言う。
「どうも上海では死を決しないと、うっかり馬車へも乗れないらしい」
馬車がホテルの前に止まると、同行の村田君が御者に何文だか銭をやると、
「御者はそれでは不足だと見えて、容易に出した手を引っ込めない。のみならず口角泡
を飛ばして、頻に何かまくし立てている。しかし村田君は知らん顔をして、ずんずん玄
関を上って行く」
今の中国と変わらない。タクシーや三輪車の運転手は何か理由をつくって、乗客から
銭をせびろうとする。
その晩、龍之介はジョオンズ君と一緒にシェッファアドという料理屋へ飯を食いに行
くが、
「給仕は悉く支那人だが、隣近所の客の中には、一人も黄色い顔は見えない」
高級西洋レストランにやってきたのだ。龍之介は正直に英語がうまくないことを認め
ている。
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「私が彼と親しいのは、彼の日本語が達者だからである。私の英語がうまいからじゃな
い」
彼らはその後、西洋人の舞踏場に見学に行っている。龍之介は結構好奇心が強そうで
ある。
「私は車屋さえ見れば、忽ち悪魔払いの呪文のように、不要不要を連発した。これが私
の口から出た、記念すべき最初の支那語である」
龍之介が覚えた最初の中国語は不要(いらない)という中国語であった。これは現代
でも変わらない。観光地に行くと、どの店も同じモノを売っているが、なんとか売りつ
けようと売り子がしつこくからんでくる。
「車屋はもとより不要である。が、この時私は彼等の外にも、もう一人別な厄介者がつ
いて来たのを発見した。我々の側には、何時の間にか、あの花売りの婆さんが、くどく
ど何かしゃべりながら、乞食のように手を出している。婆さんは銀貨を貰った上にも、
また我々に財布の口を開けさせる心算でいるらしい」
当時の上海の喧騒ぶりが目に浮かぶ。
龍之介は中国の古典から多くのことを学んでいるはずで、中国文化に対する畏敬の念
もあったはずであるが、上海の支那人へは批判的である。
「支那の紀行となると、場所その物が下等なのだから、時々は礼節も破らなければ、溌
溂たる描写は不可能である。もし嘘だと思ったら、試みに誰でも書いて見るが好い。―
そこで又元へ立ち戻ると、その一人の支那人は、悠々と池へ小便をしていた。陳樹藩が
叛旗を翻そうが、白話詩の流行が下火になろうが、日英続盟が持ち上がろうが、そんな
事は全然この男には、問題にならないのに相違ない。少なくともこの男の態度や顔には、
そうとしか思われない長閑さがあった。雲天にそば立った支那風の亭と、病的な緑色を
拡げた池と、その池へ斜めに注がれた、隆々たる一条の小便と、―これは憂慮愛すべき
風景画たるばかりじゃない。同時に又わが老大国の、辛辣恐るべき象徴である。私はこ
の支那人の姿に、しみじみとしばらく眺め入った」
男の一条の小便に中国への絶望感が滲み出ている。
次に強烈な乞食の話だ。
「それから少し先へ行くと、盲目の老乞食が座っていた。―いったい乞食と云うものは、
ロマンティックなものである。ロマンティシズムとは何ぞやとは、議論の干(ひ)ない
問題だが、少なくともその一特色は、中世記とか幽霊とか、アフリカとか夢とか女の理
屈とか、何時も不可知な何物かに憧れる所が身上らしい。して見れば乞食が会社員より、
ロマンティックなのは当然である。処が支那の乞食となると、一通りや二通りの不可知
じゃない。雨の降る往来に寝ころんでいたり、新聞紙の反古しか着ていなかったり、石
榴のように肉の腐った膝頭をべろべろ舐めていたり、―要するに少々恐縮する程、ロマ
ンティックに出来上がっている。支那の小説を読んで見ると、如何なる道楽か神仙が、
乞食に化けている話が多い。あれは支那の乞食から、自然に発達したロマンティシズム
である。日本の乞食では支那のように、超自然な不潔さを具えていないから、ああ云う
話は生まれて来ない」
気鋭の小説家らしい見立てである。中国の乞食は日常を超越している。現代中国では
乞食は公安の管理下におかれていないため、大都市で見かけることは少なくなった。そ
の分、中国的ロマンティシズムが消えたと考えるべきであろうか。共産主義は売春婦と
乞食を極端に嫌悪する。これらは資本主義のシステムそのものが生み出す必然の悪だと
共産主義者が信じているからであろう。しかし、現代の本当の悪はどこにあるのであろ
うか。これは難解である。
「現代の支那なるものは、詩文にあるような支那じゃない。猥雑な、残酷な、食意地の
張った、小説にあるような支那である」
47
龍之介には真実の中国が判ったという自信が溢れているようだ。
「文章規範や唐詩選の外に、支那あるを知らない漢学趣味は、日本でも好い加減に消滅
するが好い」
筆者も龍之介にまったく同感である。漢学趣味の日本人は中国の真実を何も分かっち
ゃいない。いや、現実から目を背けようとばかりしている。
「これでは鳥の声を愛する所か、まず鼓膜が破れないように、両耳を塞がざるを得ない。
(中略)この金切声に充満した、恐るべき茶館を飛び出した」
中国人は今でも大きな音や高い音が好きなようだ。日本人や欧米人には耐えられない
ような音でも平気である。時には、賑やかだと楽しんでいる風に見える。昔も今も、同
じ東洋人とは思えない。
上海紀行では、中国人知識人の発言を引用している。
「現代の支那は遺憾ながら、政治的には堕落している。不正が公行している事も、或は
清朝の末年よりも、一層夥しいと云えるかも知れない。学問学術の方面になれば、猶更
沈滞は甚だしいようである。しかし支那の国民は、元来極端に走る事をしない。この特
性が存する限り、支那の赤化は不可能である。成程一部の学生は、労農主義を歓迎した。
が、学生が即ち国民ではない。彼等さえ一度は赤化しても何時かはその主張をなげうつ
時が来るであろう。何故と云えば国民性は、―中庸を愛する国民性は、一時の感激より
も強いからである」
この知識人の予言はまったく当たらなかった。
龍之介が上海を訪れたのは1921年で、この年の 7 月23日、中国共産党第一回全
国党大会が開催されている。中国共産党は秘密裏に発足したのである。見つかれば、蒋
介石の国民党に逮捕監禁されていたに違いない。中国の知識人は「赤化」しないと断言
しているが、新中国への胎動はすでに始まっていたのである。
「が、今になって考えて見ると、どうもその時の私は、多少正気ではなかったらしい。
尤もその逆上の原因は、私の軽薄な根性の外にも、確に現代の支那その物が、一半の責
を負うべきものである。もし、嘘だと思ったら、誰でも支那へ行って見るが好い。必一
月という内には、妙に政治を論じたい気がして来る。あれは現代の支那の空気が、二十
年来の政治問題を孕んでいるからに相違ない」
龍之介は当時の上海の空気を的確に読み取っていた。何か政治的な動きがあるかも知
れないと感じていたようだ。
第一回党大会が開催された場所は、現在愛国教育の基地になっている。その隣のブロ
ック一帯は「新天地」と呼ばれ、欧米系外国人や観光客の夜のたまり場となっている。
ジントニック1杯が70元(1050円)もするので、東京の六本木よりも高い。筆者
が行った夜は、客の半分が欧米人であったのには驚かされた。上海中心の共通言語は英
語、その周辺は中国語、そしてさらに遠くなると上海語が話されるようになると揶揄さ
れるが、あながちウソではない。
革命家の聖地のすぐ隣のバーで、金融資本主義の勝ち組たちが夜な夜な酔いながら、
儲けのネタの情報を交換し合っている。これは矛盾か。それともこれが真の上海の姿か。
「上海は単なる支那じゃない。同時に又一面西洋なのだから」
これは龍之介の感想だ。彼が見た上海は現在でも当てはまる。上海は西洋の一部のよ
うにも見える。
29歳の龍之介はやはり上海が好きになれなかったようである。
「上海は支那第一の『悪の都会』だとか云う事です」
「私が見聞きしただけでも、風儀は確に悪いようです」
「阿片も半ば公然と、何処でも吸っているようです」
「給仕に便所は何処だと訊いたら、料理場の流しへしろと云う。(中略)あれには少な
48
からず辟易した」
「あの人は何でも若い時分に真珠の粉末を呑んでいたそうです。真珠は不老の薬ですか
らね。あの人は阿片を呑まないと、もっと若く見える人ですよ」
これらの断片的な記述からも、龍之介は上海は魔都であり、普通の人間の住むところ
じゃないと思っていた。ただ、龍之介は上海の日本人もよく観察している。あるXとい
う日本人は上海に20年住んで、熱烈な愛情を持っていた。Xは云う。
「建築、道路、料理、娯楽、―いずれも日本は上海に若かない。上海は西洋も同然であ
る。日本なぞにあくせくしているより、一日も早く上海に来給え」
そのXが死んだ時、遺言状を出して見ると、意外な事が書いてあった。
「骨は如何なる事情あるとも、必日本に埋むべし・・・・・」
90年経っても、日本人は変わっていないようだ。それにしても、龍之介は愉快なひ
とである。
横光利一は先輩の芥川龍之介から、是非上海を訪れるようにと言われ、龍之介が自殺
した次の年の1928年、30日ほど上海に遊びに行っている。その時の経験をもとに
書いたのが、横光利一の最初の長編小説『上海』である。その小説には当時の上海の様
子がうまく描かれている。
「利一がいたころの上海には世界最大のクラブや最高級のホテルがあった。アジアでも
っとも高い摩天楼もあり、外国の銀行もいちばん多かった」
これらは現在の上海の記述と考えてもたいして違わない。蘇る上海。
「朝の街頭にはいつも凍死した死体が横たわっていた。高級マンションにはプールやエ
アコンなどの設備が備えられていたが、あばら家や小舟に住む貧しい人々があふれてい
た。上海料理を芸術品として楽しむ金持ちがいる一方、ゴミ箱から食い物を漁る子ども
が走り回っていた」
このような極端な格差は現代上海には存在しない。中国共産党の業績であると言って
よかろう。
狂騒、商売、進取、享楽、矛盾、美女、美食、魔力、傲慢、スパイ・・・・・。龍之
介と利一が見た上海は、現在の上海に見事に蘇ろうとしている。魔都上海は不滅である。
<参考文献>
『上海游記 江南游記』芥川龍之介著(講談社文芸文庫)
『上海』横光利一著(岩波文庫)
49
イデオロギーとサイエンス
急送に発展する中国の科学技術
近年、中国の科学技術は随分急速に発展してきた。政府投入研究費の毎年20%の伸
びに呼応するかのように、中国人学者による発表論文数が急成長している。中国側のデ
ータによると、2007年国際雑誌に発表された論文数及び学会発表数では、中国は日
本を追い抜き、米国に継ぐ世界2位になった。
また、研究環境も急速に改善してきた。1995年前後、大学や科学院研究所の建物
は、研究者が不憫に思えるくらい古臭いセピア色で、研究機材・機器なども貧弱で、社
会主義国のイメージにピッタリ合っていた。その後、政府は科学技術振興に力を注ぎ、
一流大学や科学院研究所のキャンパスの古い建物は一掃され、次々と新しい建物が聳え
立つようになった。研究機材や機器も高価で新しいものに置き換えられていった。国家
重点実験室の研究環境は、日本と遜色のないレベルまで改善された。大学教授の給与も
10年で十倍という猛烈なスピードで上昇し、共産党・政府は知識分子の体制内抱き込
みに成功したばかりでなく、研究環境を整え、優秀な人材を確保し、イノベーション立
国の基礎を固めていった。江沢民の“三つの代表”論は資本家の体制内抱き込みを狙っ
たものであるが、中国人は体制内の亀裂の可能性を前もって防ぐのが実にうまい。
政府も海外に流出した中国人頭脳を呼び戻すために、政府は優遇策を提示し、さらに
ハイテク促進、基礎研究推進、ビッグプロジェクト創設など積極的に政策を打ち出して
いった。ハイテクパークやサイエンスパークには近代的で瀟洒なビルが林立し、海外の
企業がバスに乗り遅れまいと我先に中国国内に研究拠点を設置していった。日系企業も
流行に遅れまいと、海外ライバル企業に追随するように研究拠点を設置している。この
ような国まるごとの模様替えは、さすがに、中国のリーダーの多くは理工系出身者であ
ると言わしめるだけのことはある。21世紀の大国といわれる中国の面目躍如である。
このような科学技術の変化は、中国経済の急速な発展が世界から注視される一方で、
それを上回るくらいのスピードで起こったのである。中国政府や中国人学者が胸を張る
のはよく理解できる。
実は以上は表面的な出来事である。もっと深層を見てみよう。
イデオロギーと政治の影
科学技術の発展には優秀な人材が不可欠である。どんなに潤沢な研究費があっても、
人材が揃っていなければ、おカネを溝に捨てるのと同じである。鄧小平の改革解放路線
後、130万人の留学生が中国を離れたが、祖国に戻ってきた者は30万人に過ぎない。
100万人が米国などの海外で活躍し、祖国に帰ってきていない。帰りたいが、大きく
なった子供の教育を考慮すると、二の足を踏んでしまう者もいよう。また、ある者は世
界トップの研究環境と比較すると、まだ中国に戻る気がしないであろう。中国の特殊な
政治体制に見切りをつけて、民主主義国で“自由”を享受している者もいよう。いや、
このタイプはかなり多いかもしれない。そう考えると、政治的自由のありなしが、優秀
な研究者や学者を集める上で非常に重要ということになる。
現在でも、帰国する留学生数よりも海外に渡る留学生数の方が多い。頭脳流出が止ま
ったと言える状況ではない。
真理の追究より安全保障が優先
気象情報は国家の重要な軍事情報であるため、中国人研究者でさえ、然るべき当局の
許可を得ずに勝手に気象観測をすることは許されていない。外国人であればなおさらで
ある。ある日本人学者が中国のカウンターパートとの共同研究協定に基づいて水文など
50
の気象データを得ようとして、当局に一時拘束されたこともあった。自宅のベランダで
簡単な気象観測をして公安から事情聴取を受けた日本人駐在員もいる。
市場に出回る食品に含まれる農薬を調査し、研究発表することも許されていない。研
究者は真実の追究よりは、科学技術振興による強国化や国家管理体制の保全に貢献する
ことを求められている。
大型研究施設の建設は国家の国威発揚に直接貢献するために、積極的に推進される。
高エネルギー加速器や大型天体望遠鏡の建設は強国のシンボルである。LAMOSTと
いう天体望遠鏡は中国独自の国産技術で建設されたもので、中国の誇るべき大型研究施
設である。ただし、この天体望遠鏡によって得られる観測データは天体の全体像を理解
する上で重要なデータベースを形成するものにはなるが、何か具体的な科学的課題の解
決を目指して企画・完成されたものではない。この点、日本がハワイに建設した「すば
る」とは対極的な位置にある。
「すばる」の研究成果は一級品である。
困ったことに、LAMOSTはなぜか北京と河北省承徳の間に位置している。標高1
500メートルの山地に建設されたのはできるだけ空気が清浄な場所を選んだためと
思われる。しかし、この場所は春には黄砂が駆け抜ける場所でもある。天体望遠鏡のメ
ンテナンスに大きな障害を受ける恐れがある。立地の理由をある筋から訊いてみると、
「政治的理由」という回答がきた。大型研究施設の立地に当たり、日本や米国にも政治
家の圧力がないとは言えないが、それにしても観測研究に障害が及ぶかもしれない立地
は避けるのが当然であろう。
官製ベンチャー
政府はベンチャー育成に懸命である。特にコア技術をもとにしたベンチャーが筍のよ
うに生えてくると、企業における技術開発も活発になってくる。そもそも中国にはベン
チャーが育つ社会環境が育っていない。計画経済に慣れ親しんだ中国人にはリスクに挑
戦する精神はまだ育っていない。
ある日、政府は後方から支援し、ベンチャーの育成を行っている。北京の中関村生命
科学パークに位置する中国自慢のバイオチップメーカーを訪れた。欧米帰りの中国人清
華大学教授が開発したという技術に中国のリーダーが注目し、巨額の資金と研究費を投
入して、バイオベンチャーを立ち上げた。年商15億円まで成長しているという。ただ、
よく話を聞いてみると、このベンチャーは「国家エンジニアリングセンター」の看板を
持つ国営の組織でもある。そのセンターの育成を目的に、政府から多くの研究開発費が
投入されているというカラクリになっている。ベンチャーの経営者の立場でいうと、研
究開発費は国からの補助金で賄っていることになる。これではベンチャーが潰れる心配
がなく、必死の経営努力は行われないと推測される。中国にはベンチャーと称する企業
が多く設立されているが、国有企業の資本が注入されていたり、国立大学や公的研究機
関が設立したものが意外と多いことに気づかされる。“ベンチャー躍進”という甘い言
葉に惑わされないことが重要である。まだ、中国ではベンチャーが育つ素地が整備され
ていないのだ。
決定・実行が速い
一党独裁は悪い面だけではない。当然プラス面もある。民主主義国では、政治が国民
のニーズを重視するため、福祉や社会保障が優先されやすく、国威発揚や強国化のため
の軍事費や科学技術予算の増加が国民の強い支持を得にくい。しかし、体制強化や国際
社会での発言力強化を狙う一党独裁国家では、これらの予算は優先的に配分されやすい。
事実、鄧小平の“科学技術は第一の生産力”という前提に基づいて、中国政府は科学技
術力の強化に努めてきた。有人宇宙飛行の二度にわたる成功は、世界中に中国の軍事大
51
国化とハイテク大国化を強く印象付けた。日本国内では早々と、中国はもはや援助を受
けるような発展途上国ではないとして、政府開発援助の無償供与停止を決めてしまった。
周辺には中国の脅威を感じる国が増加してきている。
一党独裁国家は、目標を明確に定めたプロジェクトの遂行に大いなる力を発揮する。
宇宙開発では月面基地建設をも睨んだ計画が検討されているが、高速増殖炉などの原子
力開発、深海探査船などの海洋開発、大型加速器建設、世界最大級の天体望遠鏡建設な
ども強力に推進されている。これらのプロジェクトのレベルは、宇宙開発を除けば、日
本より二世代以上の遅れがあるため、すぐに中国に追いつかれる訳ではないが、中国の
ような強固な政治体制は、いいか悪いかは別として、巨大な構築物の開発・建設に有効
なシステムである。また、1990年代前半、計算速度で米国とトップ争いをした日本
のスーパーコンピューターは、設置数世界トップ500のシェアで中国に抜かれている。
ただし、中国が将来世界レベルまで来ると、科学の観点に立って、真に必要な大型研
究装置とは何かという問題に直面することになろう。科学者のアイデアが試されること
になる。日本では世界に稀有な加速器J-PARCが稼働中で、世界の科学者から注目
されているが、中国の学者たちは独創的なアイデアで大型装置を建設していくことがで
きるか厳しく問われることになろう。
次々と開始される大型研究プロジェクト
中国政府は自国の強みをよく知っているのであろう。最近、科学技術重大プロジェク
トとして13のプロジェクトを承認した。「高級数値制御旋盤と製造の基礎設備」、「大
型飛行機」
、「新世代無線ブロードバンド移動通信網」、「重点電子計器トランジスター、
先端通用チップ及び基礎的ソフト製品」、「大規模集積回路の製造装備及び関連技術」、
「大型油田、ガス田及び炭層の開発」、
「大型先端加圧水炉及び高温ガス冷却炉原子力発
電所」、
「水汚染の制御と整備」
、
「遺伝子組み換え生物の新品種の育成」、
「重要新薬の研
究開発」、
「エイズとウイルス型肝炎など重要伝染病の予防と治療」
、
「有人宇宙飛行・月
面基地建設」などである。トップダウン型の科学技術の開発方式である。
さらに、中国政府は金融危機対策として60兆円の資金を投入すると明言しているが、
そのうちの4兆5000億円は産業界に流れ、産業技術の開発等に使用されると考えら
れている。ハイブリッド車、電気自動車、情報通信技術などの開発にも向けられている
そうだ。
何度も指摘するが、中国の科学技術体制はボトムアップの科学者発意のアイデアの尊
重には向いていないが、強力な権力を後ろ盾とするトップダウン方式に慣れ親しんでい
るように思える。しかし、ここにも問題が潜んでいる。
大躍進政策時代の悪夢が蘇る
中国は1958年から60年にかけて、農工業の生産性を高めるという「大躍進政策」
を強行した。大製鉄・製鋼運動では、農民たちに貧弱な技術で鉄の増産を激励した。そ
れは大失敗だった。農産物の生産でも水増しした数字が地方から競うように上部機関に
報告された。これも失敗した。「農業は大寨に学べ」とモデル地区を指定して盛んに宣
伝されたが、みるべき成果が挙がらなかった。そもそも理念やスローガン優先で、技術
や実情を無視した政策だったことが敗因である。このような中国人の体質は現在でも残
存しているように思える。
中国のハイブリッド車や電気自動車は、公的機関が試験的に使用するという名目で販
売されている。だが、一般の消費者は耐久性、信頼性などに懸念があるため、これらの
車を購入しようとはしない。つまり、企業は研究費補助金をもらい、形だけのハイブリ
ッド車や電気自動車を開発し、“中国でも開発に成功”と謳い上げる。党・政府はその
52
まま信じて、気をよくし、次にもっと高い目標値を設定する。もうすぐ日本や米国に追
いつく、と思い込んでしまう。これでは大躍進政策時代と基本においてあまり違わない
ではないか。研究開発現場は面子を重んずるあまり、市場ニーズに耐えられない、見掛
け倒れの車を製造して、“うまくいった”と上部機関に報告するのである。これは中国
式無責任体制である。
論文窃盗・捏造問題
中国では院士、副学長、教授、博士学生、修士学生などあらゆる知識分子階層のあい
だで、他人や近辺者の論文を剽窃する事件が相次いでいる。学術道徳の欠如が蔓延って
いる。研究者個人に対する研究評価が発表論文数を重視しすぎているのが背景として指
摘されている。筆者が清華大学教授にこの問題を持ち出すと、日常茶飯事の話題となっ
ており、どこまで論文窃盗が蔓延しているのかつかむことは出来ないとの回答だった。
中国製品のコピー体質は、知識分子の倫理観まで蝕んでいる。
中国の大学には、日本のような面倒見のいい“美しい”師弟関係は存在しない。教授
は学生を育てる気持ちが弱く、彼らの能力を利用して論文数をいかに多く“生産”する
かを考えている。学生も研究費を多く集められる教授に集中する。最新の研究テーマに
携わることができるし、企業からの委託費のプロジェクトに参加できれば、お小遣いを
もらうこともできる。
これらの問題の根本は、独立した権威のあるサイエンス・コミュニティー(学術界)
が存在しないからである。学者から構成される学術界が伝統と権威を持っていれば、自
己浄化作用が働き、論文不正の撲滅や研究教育の信頼関係の構築ができるはずである。
中国では他の先進国のような学術界組織がきちんと機能しているようには思えない。国
内での学会活動も不活発と中国人学者から耳にしたことがある。
これを政治体制と関連つけて分析すると、党のトップは国家の頭脳であり、その他下
部機関はその前衛政党の正しい指導の下で手足のように働けばよいという国家理念に
基づいているからではなかろうか。大学の研究現場や企業の開発現場は、指導者の喜び
そうなことは何か、自己保身のためにもっとも重視すべきことは何かと考えて行動して
いるように思える。真面目に働く者はバカをみるのだ。真理の追究や技術開発の楽しさ
は二の次である。
中国大学ランキングを巡る騒動
大学ランキングを作成している武書連氏が成都理工大学の金銭的援助を受けている
と報道され、大学ランキングへの疑惑が明らかとなった。さらに、大学ランキングの作
成に当たり、「理系を重視し文系を軽視」、「規模を重視し質を軽視」などという不満も
出されている。中国では大学ランキングに対する関心が高いだけに、様々な思惑や意見
が渦巻いている。社会全体に拝金主義が蔓延ると、このような不正が拡がる。自分の大
学のランキングがあがると、優秀な学生の確保や企業からの研究費の授受にも有利にな
るため、人脈利用や金銭などあらゆる方法で工作がなされる。理想を失った社会はカネ
中心に物事が動くようになる。全く困ったものである。
応用研究と技術開発にシフト
中国の研究費に占める基礎研究はわずか5%といわれている。急速な強国建設を急ぐ
余り、基礎研究より応用研究や技術開発が重視される嫌いがある。鄧小平の“科学技術
は第一の生産力である”という言葉がしばしば想起されている。基礎研究の振興を目的
とする国家自然科学基金委員会の予算が約4年で倍増していることは高く評価できる。
しかし、基礎研究という科学の土台をしっかり固めることをせずに、その上に“応用”
53
や“開発”という巨大建築物を建てるのは危険である。少なくとも筆者はそう信じてい
る。
中国の研究開発の強力な推進機関である中国科学院が、最近基礎研究をおろそかにし
応用や開発という“下流”に重点をおきすぎているのではないかと懸念している。中国
は長い間、計画経済を行ってきたため、技術開発を担う企業が育っていないのは事実で
ある。その役割を科学院が担っていこうという意気込みで、各地に基礎研究の成果を産
業技術に転換する拠点がつくられつつある。中国に限らず、他の先進国においても、基
礎研究の成果を産業技術まで発展させるのは決してたやすい仕事ではない。厳しい市場
ニーズを把握している民間企業でなければ、産業技術の開発に執着できない。公的機関
が関与すると、油断や甘さが出て、技術開発の効率が極端に落ちる。筆者は官主導によ
る“上流”からの技術移転を行うよりは、民間企業の技術開発を激励する環境作りの方
が大切と思う。技術開発は苦しいものである。それによって利益を得る企業が本気にな
らなければ、成功はおぼつかない。
さらに、“科学技術は第一の生産力”というテーゼは科学技術の重要性を指摘したも
のであり、決して科学技術が経済発展の“奴隷”になることを主張しているわけではな
い。これは筆者の見立てであるが。20世紀は科学技術振興によって経済を牽引してい
こうという時代であったかもしれないが、21世紀には、科学技術が人類の抱える諸問
題の解決に取り組んでいかなければならない。科学者は時代の先頭を走るべきであるの
だ。科学者は政治家や官僚や国民をむしろリードすべき存在である。このような考え方
が21世紀らしいクールなものである。中国政府の発想は“若干”遅れている。
イデオロギーと科学の発展
最後に、イデオロギーが強い国家体制の下での科学技術推進のメリットのデメリット
について、取りまとめてみよう。
メリットについては、政治体制の維持と強国化が大きな国家目標であるため、科学技
術投資の重点化や科学技術推進体制の強化が重視される。特に、目標が明確で、国威発
揚の大型プロジェクトには潤沢な予算と優秀な人材が投入される。月面基地建設や大型
飛行機の開発では、米国を脅かす存在まで成長する可能性がある。前述したように、ス
ーパーコンピューターの設置数トップ500のシェアで、日本はすでに中国に抜かれて
いるが、潤沢な人材と資金を投入することができる中国の将来は空恐ろしい。
また、指導者に理工系出身が多いというメリットが生かせれば、世界的視点で重要な
研究課題に重点的かつ迅速に研究投資が行われるという可能性はある。これは可能性で
あって、あくまで指導者は腐敗していない、つまり“国家理性”がきちんと機能してい
ることが前提である。
次にデメリット。最大のデメリットは学者や研究者の主体性の喪失である。学術界は
自律的に判断し、行動し、中国の科学技術の発展に努めるべきである。責務を遂行すべ
きである。だが現実は、政権が強固であり、絶大なる権力を持つため、すべては政治の
トップが決定し、研究者はその方針に従うだけという構図ができあがっている。主体性
の崩壊である。そうすると、様々な不正や腐敗が蔓延ってくる。正直者がバカをみる学
術界になると、研究室にこもり、落ち着いて真理の追究や新技術の開発に取り組む者が
いなくなる。論文数は増加するが、ゴミ論文ばかり多くなる。三度の飯を忘れて、機械
と格闘する工匠も現れにくい。仮に、すべてのものが偽善者になり果てるとしたら、中
国の科学の将来は明るいものではなかろう。研究者や技術者が喜びを感じる社会を作り
出すべきである。自由や楽しさがない研究開発現場に真のイノベーションが発生するわ
けがない。
これらのメリットとデメリットをどう評価するかは、イノベーション国家の建設を目
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指す中国政府の責務である。ただし、中国の科学技術は推進体制に問題を抱えながらも、
着実に進展していくに違いない。その姿は日本から見ると、かなりいびつなものかも知
れない。でも直視しない訳にはいかない。
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国際化と民族の心の傷
情報とひととおカネの交流により、「地球村」はますます小さくなっている。お互い
の国や文化が接触する機会が多くなると、ルールも必要になってくる。今、使用言語は
英語である。英語を母国語としない国にとっては大きなハンディキャップとなるが、世
界で生き残っていくためには英語の修得は避けられない。しかし、現実には英語使用に
踏み出す国と母国語の保護を優先させる国がある。前者の例は、ドイツやスウェーデン
である。彼らの多くは英語を母国語のように話す。後者の例は、フランスである。自国
文化を守るためにフランス語に固執し、英語使用を決断できない。ドイツとフランスの
国際的な地位は今後大きく変動していくであろう。ドイツは「小さな地球」で生き残り、
フランスは衰退する可能性が大きい。少なくとも、科学の世界ではそれが現れ始めてい
る。科学界では英語が共通語だから、その能力が科学力の差となって現れる。英語が通
用しない国には優秀な人材は集まらないからである。
今のフランスは将来の日本となる可能性は大きいかも知れない。フランスも日本でも、
英語教育は自国の独自文化を破壊し、アイデンティティーを喪失させるという保守的な
議論が根強い。確かに両国は、世界的も優れた伝統と文化を育んでいた。日本の落語、
俳句、漢字ブームを見ていると、そのレベルの高さと国民の熱狂ぶりが垣間見える。本
が読まれなくなっていると言われるが、自国語で小説を書こうとする人々は増加してい
る。日本語に対する愛着やそれを通じた創造活動は勢いを失っていない。グローバル化
が進展するほど、その反動かと思えるように、一連の日本語ブームは盛んになっている
と思えるほどである。
以上は言語を巡る概括論である。英語教育は具体的に人々の心に何を及ぼしているか
を見てみたい。彼らの個々の経験の総体として、日本人の英語に対する態度が決定され
ていると言ってもいい。
まず、自分の子供のことから話し始めよう。2000年8月から2年間、家族 4 人は
バンコクに住むことになった。その間二人の子供は米系インターナショナルスクールに
通わせた。長男は小学4年生から、長女は小学2年生からそれぞれ英語の世界にどっぷ
り浸かることになった。子供二人と妻は、インターナショナルスクール通学の二日目の
夜、三人で号泣したという。心細くて、九州のおばあちゃんにも電話をしたようだ。学
校の授業が何もかも分からなくて苦痛だったという。
似たような経験を持つ日本人駐在員は少なくはない。インターナショナルスクールに
子供を通わせたある家族では、子供が学校生活が苦しくて耐えられず、5階のアパート
から飛び降りようとする騒動まで引き起こしている。幸い自殺を思いとどまり、半年後
には学校生活をエンジョイするまでに適応したという。
また、バンコクで交際していた海外駐在が長い日本人家族では、家族の共通言語が二
つであった。親が子供に話しかける時は日本語、子供が親に返答する時は英語だった。
得意な言語で話し、不得手な言語で聞くというのだ。この現象は私にはショックだった。
日本人だけの家族でありながら、日本語という共通言語が使用されていないのである。
日本語で親に甘えたり、日本語で冗談を言い合って笑うというごく普通の日本人家族の
暖かさはそこにない。
さらに、海外駐在が長い別の家庭でのことであるが、子供はやはり母国日本が好きで、
日本の大学に進学したいと希望しているが、日本語の能力が弱いため、大学受験に失敗
し、親から離れて日本の予備校に通っているという。英語ではなく、母国語であるはず
の日本語が壁になっているのだ。
我が家の話に戻ろう。子供たちはしだいにバンコクの学校に馴染んでいったように思
えた。そして、2年間が過ぎて、帰国した。長男は普通の日本語学校を選択し、長女は
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府中の米系インターナショナルスクールに通い始めた。長男が帰国後5年には高校2年
生になっていた。英語の成績はよかったが、他の成績はパッとしなかった。英語だけが
大学受験の頼りだった。ある日、学校で問題を起こし、反省文を書かされた。過去のこ
とも書かされた。学校側としては、心の奥底に潜むあらゆる問題を引っ張り出し、それ
を生徒に客観化させることにより、克服し、人間的成長を促そうという試みであろうと
思った。書かれていたことで衝撃的だったことは、バンコクのインターナショナルスク
ールでの辛い思い出である。最初の1年間は何も分からず過ごし、2年目にはどうにか
学校生活に慣れたように書いてあった。このような境遇に陥れた父親を恨んだとも記述
されていた。バンコクに住んでいたときには、大学は豪州かアメリカに行くと夢を語っ
ていた長男がこんなに苦しんでいたとは思いも及ばなかった。衝撃が走った。心に大き
な傷を負っていたのである。幸い現在では、自分の過去を客観視できるようになり、英
語を武器に浪人生として再度の大学受験勉強に臨んでいる。しかし、彼は将来英語を使
う仕事や海外勤務はしたくないという。そして、他の若者同様、理由もなく中国をひど
く嫌悪している。
次に長女の話。彼女は順調にインターナショナルスクールの生活をエンジョイしてい
た。ある日、広島と長崎への原爆投下は日本人の犠牲を最小化するための正当な手段だ
ったと、当然のことのように語ったのだった。米国人の発想だ。これは看過できない。
現代日本人の役割は、世界平和の希求であり、廉価で優れた工業製品を世界に広めるこ
とで人々の生活の向上に貢献することである。少なくとも、私の世代はそのように教育
され、それが日本人としてのアイデンティティーになっている。娘の発言を聞いている
と、このまま教育を続けていくと、思考方法がアメリカ人になってしまう。日本文化を
共有するわが子ではなくなる。そう思った。そして、本人は反対したが、中学2年生の
9月、日本人学校へ転校させた。それから3年が経ち、長女は学校生活を楽しんでいる
ように見える。しかし、時折、アメリカンスクールは楽しかった。そのまま続けていれ
ば、今よりずっと楽しい学校生活を送れたのにと小言をいう。
以上は、国際化の名のもとで英語教育巡る日本の子供たちの心の有り様である。彼ら
は日本の国際化の犠牲者とも言えるし、日本民族一丸となって克服しなければならない
課題とも指摘できる。
同じような問題は中国でも起きている。改革開放政策以降、130万人の留学生が海
外に飛び立ち、30万人しか帰国していない。100万人はまだ海外に留まっている。
そのなかには、子供の教育のことを考慮すると、中国に帰国したがらない者も多くいる
だろう。政治信条が理由の者もいるにちがいない。
帰国した中国人女性研究者から聞いた話だ。
「日本に数年滞在した後で、カナダに行った。子供は当地で英語を話していたが、大き
くなるに連れて、中国語が覚えられなくなるのではないかと危機感を抱いた。小学生に
なると、もう限界だと考え、帰国することにした。現在、学校で漢字の特訓を受けてい
る。自分の選択はまちがいないと思っている」
子供に中国の文化を教え込みたいという母親の気持ちである。
日本での長い研究生活後、帰国した男性研究員の話。
「自分は仕事のために中国に帰ってきたが、息子は日本が好きで、日本の高校から日本
の一流大学に進学した」
親も子供も日本文化ファンである。日本としては大切にすべきだと思うが、彼らの文
化のアイデンティティーはいったいどうなっているのであろうか。文化よりも稼いで生
きていくことが重要なのだろうか。
小学6年生の息子を持つ日本留学組の中国男性は語る。
「正直言って、息子は勉強が得意ではない。中国の一流大学に入学させるのは不可能だ。
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高校2年生から豪州に留学させ、そのまま豪州の大学を卒業させようと考えている。英
語ができれば、世界中どこでも生きていける。自分と妻は引退したら、中国でも日本で
も好きなところに住もうと考えている」
中国人の発想の方が日本人よりも国際的なように思える。米国で博士号を取得する中
国人は日本人の20倍である。人口比を考慮してもかなり多い。中国文化の方が普遍性
が高く、どこでも生きていけるという強さを感じる。日本文化が将来消滅することがあ
っても、中国文化が地球から消えるとは考えにくい。中国人エリートは、遠い将来、英
語に代わって中国語を世界の共通語とすべく虎視眈々と狙っていることであろう。その
時、日本人にとって、中国語が世界の共通語になった方が幸福であろうか。まあ、随分
先のことであると考える日本人が大多数であろう。日本の国際対応はすべて後手、後手
だから仕方がない。面倒な国際交流を考えるよりは、心地よい日本の文化のぬるま湯に
浸かっているのが気持ちよいのだ。
さらに議論を一歩進めて、グローバル化の速度が一層増すなかで、国家の核となるア
イデンティティーは守れるのであろうか。文化よりももっと根源的な問題だ。
東南アジアのタイの問題を考えてみたい。バンコクの政府系機関でアドバイザーとし
て長く勤務している日本人技術者の声に耳を傾けよう。
「(中国から)翻ってタイをみると、大国意識を持つ以前のより原始的なレベルで自分
達を客観視することが出来ない傾向があります。教育システムや家族内しつけに閉鎖的
慣習が色濃く残っている為、世界の事象の観察から自国タイを客観的に良い部分、時代
遅れな部分を評価していく社会学者や論者が出てくる必要があります。王室擁護一辺倒
の考えを改めないといけないのですが、その部分についてはいまだタブーで、皆正直に
話すことを極端に恐れています。タイではこの王室問題から脱しないかぎり真の民主化
は勿論のこと、自主独立的科学技術発展も出来ないのではないかと最近、半ばあきらめ
の気持ちも出てきています」
近代国家になかなか脱皮できないタイの苦悩が浮き彫りにされている。国民から絶対
的な支持を得る王室はそれ故にクーデターがあっても安定な国家であるが、経済を活性
化させ、教育改革を断行し、イノベーション政策を実行させるシステムや人材が不足し
ている。近代国家は国王が統治するのではなく、近代合理主義思想を身につけたエリー
ト群が企画し、国民に選ばれた議員が責任を持って実施すべきなのだ。タイはそのよう
なメカニズムを持っていない、タイ知識人の苦悩でもある。
夏目漱石や森鴎外も欧州留学の経験を通じて、優位を誇る西洋文明に圧倒されたこと
であろう。漱石は日本の近代化に悲観的であった。しかし、第二次世界大戦で国家存亡
の危機に陥るが、日本は戦後蘇った。80年代、ジャパン・アズ・ナンバーワンと米国
に褒められると、本気にして改革を怠った。バブル崩壊を経験し、日本は存在感をしだ
いに弱め、先進国の一員から取り残されようとしている。日本人一人当たりのGDPは
すでに18位なのだ。
世界には、タイのように近代国家に脱皮できない国がほとんどである。BRICsの
ように莫大な人口と資源を有する国はそれを武器に台頭して来よう。先進国クラブのな
かで、英語使用を避ける国は世界の潮流から遅れることになろう。フランス、日本、韓
国の出方が注目される。米国は自動車産業では躓いたが、21世紀の産業の核となる生
命科学と情報産業で復活することであろう。
日本文化は非常に創造的である。小説、映画、アニメ、漫画、ファッションなどのサ
ブカルチャーを育んできた。科学の最近の発展も目覚しい。日本語のユニークさと日本
人の創造性と日本の美しい季節の賜物である。国際化が進展すると、日本の子供たちの
心は英語で傷つき、日本文化も変容していこう。隣の家に中国人、イラン人、コンゴ人
が住むようになる事態を日本人が受け入れられるのだろうか。日本は移民国家にはなれ
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まい。
結局のところ、世界は平和な厳しい各国争奪戦になる。国家総力戦だ。自国文化の強
さと柔軟性、人口、面積、国民の知見の深さとバイタリティー、そしてハイテク。日本
国家には生き残り戦略は存在しないが、国総体の力が厳しい国際環境下で試されている。
敗れれば、中国か米国の属国への道が待っている。勝敗が決まるのは長くて20年以内
であろう。
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二人の美人妻
中国は唯物論を信奉する政党が支配する国であるので、幽霊や化け物は存在しないこ
とになっている。少なくとも、そのようなものを信ずるのは、前近代的、封建的な悪い
伝統であり、迷信とされている。しかし、人々の心の底には、それらがうごめいている。
迷信や後進性という勿れ。笑うなかれ。人間は唯物論では割り切れない不思議な存在で
ある。中国では幽霊や化け物の物語は、長く庶民に語られ、知識人も好んで読んできた
のである。それが文化というものである。
『聊斎志異』(りょうさいしい)という書物がある。全篇ことごとく神仙、狐、鬼、
化け物、美女に関する不思議な短編小説集である。清始めの蒲松齢(ほしょうれい)が
その作者であるが、怪異の世界と人間の世界が自由に交錯している。死んだ人間が生き
返ったり、人間が幽鬼の美女と結婚するのは日常茶飯事。飢えた人々が墓に埋められた
死人の肉まで食ったという実話を基にした話もある。まるでゾンビの世界だ。なお、聊
齋(りょうさい)は作者の号及び書斎の名であり、『聊齋志異』とは「聊齋において怪
異譚を記す」の意味である。
読み始めたころは、気味悪く、夜になると、恐くて寝付けなくなるかもしれないと思
ったが、慣れてくると、けっこう楽しめる。近代では、現実の世界と冥界を明確に分け
るのが合理的な精神とされているが、人間はそんなに単純な存在ではあるまい。変幻自
在に進行する物語は自由な精神の発露である。芥川龍之介や司馬遼太郎も熱心に読んだ
という。500篇近い物語は、まさに中国の千夜一夜物語と呼んでもいいかもしれない。
蒲松齢は19歳で、科挙受験資格試験である童子試を受験し、県・府・道三次の試験
にすべて首席で合格している。親や親戚の期待も高まる。だが、省段階の郷試を受験す
るが、落第を重ねる。とうとう、51歳で郷試を受験したとき、病を得て途中で受験を
放棄し、帰郷した。妻から言われた。
「もういいでしょう。あなたにもし運があったなら、今頃はとうに立身して台閣に列し
ていらっしゃるはず。山や林のなかの暮らしにもそれなりの楽しさがあります。毎日が
大宴会の暮らしだけが楽しいとは限らないのではありませんか」
「なるほど、それもそうだ」
と蒲松齢は30年間の受験生活にピリオドを打った。彼は三十代のはじめにすでに
『聊斎志異』収録の作品を書きはじめているが、75歳まで自ら書き、また集めたのが
『聊斎志異』として残されている。立間祥介の訳もすばらしい。簡潔明瞭な日本語に仕
上がっている。
「犬神―野狗(やこう)
」の全文を書き出すことにしよう。
于七の乱では、麻を刈るように人が殺された。
李化龍という者が、夜の闇にまぎれて避難先の山から村の様子を見に戻ったとき、行
進してきた清の軍隊にぶつかった。問答無用で斬られてはたまらんと、慌てて逃げよう
としたが隠れる場所もない。やむなく死人の群に倒れこんで、死人を装って棒のように
伸びていた。兵隊が通り過ぎても、なおしばらく我慢しているうち、首や腕を切り落と
された死体がぞろぞろと立ち上がった。なかのひとり斬られた首を皮一枚で肩にぶらさ
げたのが、
「犬神さまが来たらどうしよう」
とつぶやくと、死体たちも口々に
「どうしよう」
と言ったが、突然またばたばたと一斉に倒れ、物音ひとつしなくなった。
肝をつぶしがたがた震えながら立ち上がりかけたとき、何者かが近づいた。頭は獣、
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身体は人間という怪物が、死人の頭に噛みついて、かたはしから脳味噌を啜っているの
である。仰天して頭を死体の下に突っこんだ。怪物が来て、肩を持ち上げ頭に噛みつこ
うとした。
李が死体にしがみついて頑張ると、怪物がまわりの死体をどけたので、頭がむきだし
になってしまった。死にものぐるいで、腰の下をさぐると茶碗ほどの石があった。それ
をしっかりと握りしめ、怪物が身をかがめて食いつこうとしたとき、ぱっと立ち上がり
ざま、わっと大声で叫んで叩きつけたところ、口に当たった。怪物は梟(ふくろう)の
ような絶叫を残し、口を抑えて逃げ去った。吐き出した血が道に残っていたので、近づ
いて見てみると、血だまりに歯が二本残っていた。真ん中で折れ曲がり、先がとがって、
長さは四寸あまりもあった。持ち帰って皆に見せたが、誰も怪物の正体を知らなかった。
この怪物が存在するとは思えないが、死体も恐がる怪物はものすごく恐い。こんな奴
とは死んでも、お目にかかりたくない。
「飲み仲間―酒友」はこうだ。概要を書こう。
車(しゃ)という若者は豊かではなかったが、酒に目がなく、毎晩遅くまで飲んでい
た。
ある夜、目が覚めてみると、誰かがわきで寝ているようなので、灯で照らしてみると、
なんと狐が酔いつぶれていた。酒瓶は空になっていた。車は、これは飲み仲間になると
笑い、そっと着物をかけてやった。
真夜中になって狐が伸びをして起きると、よくも殺さずにおいてくださったと礼を言
った。そこで、車は、僕は酒が好きでひとからはバカにされるが、よければ飲み友達に
ならないか、遠慮なくいつでも来てくれと言うと、狐もOKサインを出した。
次の日、とっておきの大吟醸酒(こんなのが清代の中国にあるわけはない。これは筆
者の作り話だが)を酒瓶に満たして待っていると、狐はやはり日暮れになってやってき
た。膝を交えて愉快に酒を飲み交わした。狐は酒豪のうえに座談にも長けていた。
狐は、ご馳走になって恐縮です。あなたは役人のように裕福ではありませんから、酒
代をひねり出すのも大変でしょう、酒代を工面してみましょう、と言った。
狐は次の日の暮れ方に来て、東南へ七里行ったところの道端にカネが落ちていると言
うので、翌朝行ってみると、銀子(ぎんす)が二両手に入ったので、酒の肴を買い込ん
だ。
筆者が好きなカラスミも買ったかは分からない。今度は、中庭の奥の地中に埋まってい
るものがありますと、狐が言うので、掘ってみると、なんと百両の銀子が出てきた。他
日、蕎麦の値が上がると狐が言うので、蕎麦の種を買い込んでいると、ひどい日照りに
なり、作物は枯れ植えることができるのは蕎麦だけとなったので、種を売って十倍の利
益を得た。
こうして、狐は車ばかりでなく、車の妻や息子とも親しくなっていった。だが、のち
に車が死ぬと、狐はそれっきり姿を見せなくなった、とさ。
このような楽しく、金儲けさせてくれる飲み友達であれば、狐でも幽鬼でも構わない。
「二人妻―蓮香(れんこう)
」
。これはタイトルからして、妖しそうな物語だ。
桑暁(そうぎょう)は幼くして両親と死に別れ、ひっそりとひとりで暮らしていた。
ある夜、ひとりの女がきて、書斎の扉を叩いたので、迎え入れてみると、傾国の美女だ
った。傾国とは為政者が夢中になって国を傾けてしそうなほどの美女という意味だ。名
は蓮香という。灯を消して床に入り心ゆくまで歓をつくした。四、五日に一度は、夜に
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なると通ってくるようになった。
ある夜、ひとりの女がひらりと入ってきたので、てっきり蓮香だと思っているとそう
ではなかった。十五、六歳のみるからに上品そうな娘だった。手は氷のように冷たかっ
た。良家の娘で李といった。お情けをかけてくれと頼むので、交わってみると正真正銘
の処女だった。李は毎晩でもお側に侍らせて欲しいと言った。桑暁は時々蓮香がやって
来ると言うと、それでは鉢合わせにならないようにすると李は言うと、刺繍した履を片
方置いて帰った。
ある日、その履を取り出して弄んでいると、李がひょっこりやって来たので、愛をた
しかめあった。以来、履を取り出すために、必ず女が現れた。
ある夜、蓮香がやってきて、桑がすっかりやつれてしまったと驚いた。蓮香は十日後
の再会を約束して帰っていった。李は毎晩やってきたので、抱いてやった。李は、蓮香
がやってくる夜、こっそり覗いてみるので、黙っているように桑に言った。
蓮香が約束の日にやってきて、仰天して言った。
「力がないうえに、脈も切れ切れです。きっと幽鬼に祟られているのですわ」
でも、桑は無視した。そんなことは信じたくなかったのだ。
翌晩、李がやって来た後で、桑が蓮香は何物だと李に訊くと、狐だと答える。
幽鬼と狐。いったいどちらがほんとうなのか。どちらともほんとうなのか。蓮香が厳
しく問い質すので、李のことを話すと、その者が来たとき外から観察すると言った。次
の夜、李が来て、帰っていくと、蓮香は、李はまちがいなく幽鬼です、そのままでは間
もなくあの世ゆきですと言った。翌日、蓮香は薬を持参して桑に服用させた。腹が二、
三度激しく下り、腹の中が空っぽになり、頭もすっきりした。桑は有難いと思ったが、
病気が幽鬼のためとは信じなかった。桑は李の方に惚れているのだ。
蓮香は桑に決して李と会わないように言ったが、李がやってくると桑は招き入れた。
だらしないやっちゃ。そして、「お前のことを幽鬼だという者がいるんだ」と桑が言う
と、李は、「あの牝狐とは縁を切ってください。そうしないともう二度と来ません」と
罵り、しくしく泣き出した。
翌日、蓮香がやってきて、李と会ったことが分かると、呆れ、そして怒った。
「百日後、あなたが病床に臥せているところにやってきます」
と言って、蓮香は固い顔で去っていった。
桑はそれでも李と昼も夜もともに暮らすようになった。日ごとにやせ細ってきて、そ
のうちに二度と立てなくなってしまった。後悔して、意識を失った。
蓮香が約束どおりやって来た。桑は自らの罪を認め、助けてくれと懇願した。李がひ
らりと入って来た。蓮香は李になぜこのような悪をするかと詰め寄った。李は、
「わたくしは若死にしてこの堀の外に埋められたが、未練が残り、桑さまとお付き合い
がしたかったに過ぎない、毎晩毎晩やったのがいけなかったのですわ」
桑はそのとき悟った。蓮香は害を与えない狐で、李が本当の幽鬼であることを。そし
て、もうすぐ死ぬのかとわっと泣き出してしまった。すると、蓮香が言った。
「薬を採りに蓬莱に行き、やっと揃えることができました。この薬とその病の原因とな
った物を混ぜなければなりません。つまり、李さんの香ばしい唾が必要なのです。」
蓮香は丸薬を桑の口に含ませ、ついで、李が唾を口移しした。蓮香はつきっきりで看
病し、李も毎晩やってきて、まめまめしく働き、蓮香を実の姉のように立てて仕えた。
こうなってしまえば、桑のものだ。やれやれ。
桑はすっかり回復したが、李は顔を見せないようになった。蓮香も桑をいとおしく思
うようになった。桑ははらはらと涙を落とした。
これより先、張という金持ちの家の娘、燕児(えいじ)というものが、汗が出ない病
にかかって死んだ。だが、明け方に蘇生し、突然、外へ出ようとしたので、張が扉を閉
62
めた。
「私は幽鬼なのです。李と申します」
と燕児は奇妙なことを言った。よく話を聞いてみると、ひとの身体を借りて転生した
ことにはたと気がついた。
桑はこの不思議を噂に聞いて、燕児の母親の誕生祝いに出かけていった。桑が最後に
入ってくると、燕児は桑の袖口をとらえて、ついていこうとしたので、母親に咎められ
た。母親は吉日を選んで桑を婿に迎えることにした。
桑が帰ってこれを蓮香に話し、住まいをどこにするか相談すると、蓮香は別れると言
い出した。
「だって、あなたはあのひとのお宅に婿入りされるじゃありませんか。のめのめとつい
て行けるはずはないでしょうに。バカー」
と蓮香に言われたが、どうにかなだめすかした。桑と燕児の結婚式に出た蓮香が燕児
に転生の次第を尋ねると、燕児が言うには、
「あてもなくさまよっていたところ、張家の若い娘が床に横たわっていたので、乗り移
った」
それからふた月して、蓮香が男の子を生んだが、産後病に倒れて、日ごとに重くなっ
た。蓮香は燕児の腕を握って、
「この子をお願いするわ。私の子はあなたの子よ」
と言うので、燕児は涙ながらに蓮香を慰めるだけだった。
「お泣きにならないで。あなたが楽しく生きてくだされば、私も楽しく死ぬことができ
ます。縁があったら、十年後にお目にかかるでしょう」
と言ったかと思うと、蓮香は息を引き取った。遺体はすでに狐と化していた。
子供は狐児(こじ)と名づけ、燕児がわが子同然に育て、清明節がくるたびに、子供
を抱いて墓に詣でた。ただ、燕児には男の子ができなかったので、桑に妾をいれるよう
勧めていた。
ある日のこと、下女が、
「娘を売りたいと言っている女が、門の外にきています」
というので、燕児は呼び入れて、娘を一目見るなり叫んだ、
「蓮香さまが生まれ変わっていらっしゃったわ」
桑も会ってみて、あまりに似ているので驚いた。そして、娘を買い取った。
燕児は娘をなかに招き入れて、私を知っているかと問いかけた。
「存じません」
との回答だった。
娘をあらためてよく見ると、蓮香の生き写しだったので、そのうなじをとんと打って、
「蓮香さま、蓮香さま、十年したら会おうというお約束を、お忘れではないでしょうね」
と声をかけると、娘は夢から醒めたように、えっと大きな声を出した。
桑は娘すなわち蓮香と、悲喜こもごも前世のことを語りあった。
燕児が桑に、私と蓮香さまは二世にわたるお付き合いなので、お骨を一緒に埋めてく
ださいと言ったので、桑は李の墓から遺体を掘り出して、一緒に葬った、とさ。
二人の美人妻を持つことは男の憧れだが、空恐ろしい結末が待っていそうだが、二人
の妻が姉妹のような関係になるならば、三人の生活はうまくいくだろう。いやこれしか、
複数の美女を安全に手に入れる道はないのである。桑は幸せ者である。
この物語は中国人の女性観を表している。狐や幽鬼のような女性を思い浮かべるとい
い。色白で、妖しい美しさを持ち、生活感のない女性が思い浮かぶであろう。これが中
国でもてる女性のイメージである。大都市の中産階級はお手伝いさんを雇えるくらい豊
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かになった。妻に家事を負担させる必要はない。日常の雑事を忘れさせてくれる、生活
をまるで感じさせない雰囲気の女性が中国人男性を幸せにするのではなかろうか。社会
は近代化しても、愛すべき女性像は変わらないのである。
「奥の国―羅刹海市(らせつかいし)」はロビンソン・クルーソーの冒険に似ている創
造性に富む作品だ。
馬驥(ばき)は商人の子で女も凌ぐ美男子だった。
馬驥は仲間と海に出て嵐にあい、ある遠い町に漂着した。そこの人はみな異様な顔を
しているが、馬驥を見ると化け物と思い、逃げ散った。互いに怖れていたのである。村
人は馬驥がひとを食う化け物でないと分かると、近づいてきた。話しかけてみると、言
葉は違っているものの半分は通じた。ある者が口を開いた。
「祖父から西方二万六千里に中国というのがあり、人々はみな無様な顔をしていると聞
いたことがあるが、それが本当であると今日知った」
この村の美意識は中国人と正反対のようだ。
「我が国で重要なのは学問ではなく、容貌です。もっとも美しい者が朝廷の大臣、次が
地方の役人、まあまあの者でもお偉ら方のお情けにすがって妻子を養うことができま
す」
「この国の名は」
「大羅刹国(だいらせつこく)です。都は北へ三十里行ったところにあります」
ある日、見学に連れて行ってもらった。瓦のかわりに赤い石で葺(ふ)かれていた。
赤い石は不老不死の薬の原料である丹砂(たんさ)そのものであった。
宰相は、耳が後ろ向きにつき、鼻の穴は三つ、睫は簾のように目の前に垂れていた。
大夫(たいふ)も奇怪な顔立ちばかり、ただ位が落ちるに従って醜怪さの度合いが少な
くなった。ついで、村人に案内されて侍従武官に会いにいった。その人は目の玉が飛び
出し、髭は針鼠のように巻いていた。
侍従武官に案内されて、王に謁見し、踊ったり、歌ったりするとたいそう喜ばれた。
そうこうするうちに、海上で開かれる市に出かけることになった。舟に乗って三日し
て
上陸した。城壁の瓦は一つ一つがひとの背丈ほどもあり、望楼は天に届くほどだった。
市に陳列されている物は、人間世界では見たこともない目もあやな宝物ばかりだった。
そこに若い大夫が見事な馬に乗って現れた。一緒に轡(くつわ)を並べて城門を出、
岸にいたると、乗っていた馬がひらりと海に飛び込んだ。すると、海が二つに裂け、切
り立った崖のようになった。まさに、モーゼの出エジプトにそっくりではないか。しば
らく行くと宮殿が見えた。竜宮国だ。馬驥(ばき)は美しい侍女たちの大歓待を受けた。
財宝もうなるほどあった。竜王は言った。
「愛娘(まなむすめ)が伴侶に恵まれずにおります。ぜひ先生に貰っていただきたいの
です」
馬驥はありがたいお言葉と、頭を垂れるばかりだった。
竜宮国での楽しい生活も三年がすぎようとしていた。馬驥は両親と会うために、暇を
願い出た。王女は言った。
「わたくしはあなたのために操を守りますから、あなたもわたくしにために約束を守っ
てくださいね。あなたのお子を身ごもったようなので、名前をつけてください」
「女だったら竜宮、男だったら福海としよう」
と馬驥は返答した。
王女は三年後の4月8日、南の島においで下さい、あなたのお子さまをお返しします、
と言った。
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馬驥が故郷に帰ってみると、両親は健在だったが、妻は再婚していた。我々が知って
いる浦島太郎の物語とは違う。王女との約束を守るために、再婚せずに妾を入れること
にした。昔の男はいいよなー。
三年後の約束の日に島に行ってみると、はたして二人の子供が水上で遊んでいた。
馬驥は子供たちを抱きかかえて、帰宅した。翌年、母親が死んだ。喪服姿の女性が現
れたが、激しい風となって、その姿は瞬く間に見えなくなった。彼女は王女かも。
竜宮は大きくなると里心がつき、竜宮国に帰ると、王女からたくさんの嫁入り道具を
貰って帰ってきた。馬驥がこれを聞くと、王女を思い出し竜宮と手を取り合って泣いた。
その時、轟音とともに雷が落ち、その姿は消えてしまった、とさ。
<参考文献>
『聊斎志異』上下
蒲松齢著、立間祥介編訳(岩波文庫)
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孟嘗君と食客三千
中国の戦国時代は大国の晋が韓・魏・趙の3つの国に分裂した紀元前403年から秦
の始皇帝による天下統一の紀元前221年まで約200年続いた。天下の覇権を巡って
七雄が熾烈な戦いを繰り広げたのだ。ただ、面白いことに、各国は国境を封鎖し、絶え
ず総力戦で戦いに挑んだ訳ではない。有能な人材は方々から招聘され、宰相に任命され、
経済政策や軍事力強化策を次々と実行したのである。戦国時代はブロック化というより
は、国際化が一層進展した時代だった。諸子百家が活躍できた自由闊達な時代であった
のだ。今の腐敗し停滞した中国とは随分違う。
そんな時代に活躍し、現在でも愛されている面白い人物がいる。孟嘗君(もうしょう
くん)である。彼は賓客や士(知識人)をもてなすのが好きで、斉(せい)のために楚
と魏の攻撃を防いだのだった。それが理由で、司馬遷は孟嘗君の記録を歴史に残そうと
決心したのである。
孟嘗君は死後の名前であるが、生前は田文(でんぶん)と呼ばれていた。父は靖郭君
田嬰(せいかくくんでんえい)で、斉の宰相まで登りつめ、薛(せつ)の領地をたまわ
った人物である。
田嬰の男子は40数人いたが、身分の低い妾が5月5日に子を産んだ。文と名づけら
れた。後の孟嘗君である。5月5日に生まれた子は成人して親に危害を加える、と当時
信じられていたため、田嬰はその母親に棄てるように命じた。だが、母親はこっそり育
て上げた。周りのものに告げ口されないようにするために、相当の苦労をしたことであ
ろう。ばれれば親子は殺されていたに違いない。
文が大きくなると、母親はその子を田嬰に会わせた。もちろん田嬰は怒って、母親を
責めた。
「棄てるように言ったではないか。どうして、生かしておいた」
文は頭を地につけて、言った。
「父上が五月の子を生かすなと言われるのはどうしてでしょうか」
田嬰「五月生まれの子はせいが門よりも高くなると、親に害を与えるようになるから
だ」。
田文「ひとの運命は天から授かるものでしょうか、それとも門の戸から授かるもので
すか」。田嬰は沈黙した。
田文は言った。
「運命が天から授かるのなら、心配は要りません。もし、運命が門の戸から授かるので
あれば、門をうんと高くすればいいでしょう」
田嬰はうまく返答ができず、さがれと言った。田文は賢い子供に成長していた。それ
だけではない、母親は父親に告げ口されないよう慎重にその子を育てたため、田文も他
人に心遣いができるひとに成長していた。
ある時、田文は田嬰に言った。
「父上は宰相になられましたが、賢者はひとりもいません。士は粗末な上着も着られず、
食事もろくなものを食べられぬありさまです。国の政治もしだいに勢いを失っていくで
しょう」
田嬰はわが子の発言に感心して、賢人を他国から集めるために客人を接待することに
した。客人は人数が増え、名声は諸侯に知れ渡った。田嬰は頭角を現しつつあった田文
を跡継ぎの薛(せつ)公にした。孟嘗君の誕生である。
孟嘗君は、財産を投げ出して、身分を問わず、諸侯の賓客、罪を得て亡命した者、ス
パイ、泥棒、ただ飯食いなどを差別せずに接待した。食客は数千人にもなった。彼は客
のよりごのみをせず、誰でも手あつくもてなしたので、誰もが自分だけが大切にされて
66
いると思い込んでいた。孟嘗君は客人をよく遇する賢人だという噂が戦国の世に広まっ
た。
秦の昭王(しょうおう)が孟嘗君を宰相として招こうとして、実の弟を人質として斉
に送り込んできた。客人のひとりは、秦は虎や狼のような信用のならない国です、と忠
告したが、結局秦に派遣されることになった。
ところが、秦に到着すると、孟嘗君の政治改革により既得権を失うと恐れた昭王の側
近が昭王に告げ口をした。
「孟嘗君は斉の国のひとですから斉の利益を第一に考え、秦の利益は後回しにすること
でしょう。孟嘗君は賢く、敵にまわすと厄介です。いっそのこと斉に返さずに殺してし
まった方が得策ですぞ」
昭王も同意した。
孟嘗君は食客のなかの諜報員からこれらの情報を得ていた。孟嘗君は監禁された。い
つ殺されるかわかったものではない。危機一髪である。
「昭王の意思を変えることができるのは、昭王の寵愛する姫だけでしょう」
秦の内情に詳しい客人は孟嘗君にそう言った。はたして、その姫のところにひとを送
り、とりなしを乞うと、狐の白い毛皮の外套が欲しいと要求された。孟嘗君は千金の価
値がある狐の白い毛皮の外套をすでに昭王に献上し、持ち合わせがなかった。困り果て
ていると、幸いにも、盗みの得意な男がへりくだって言った。
「私がその狐の白い皮ごろもを取ってまいります」
彼は夜にまぎれて犬のまねをして秦の宮中の倉庫に忍び込み、献上してあった狐の外
套を取ってきて、姫に贈った。姫は昭王をうまく説得し、孟嘗君は保釈された。この泥
棒は「狗盗」と呼ばれている。
孟嘗君一行は大急ぎで秦を脱出しようとして、その場を立ち去った。夜半になって函
谷関(かんこくかん)に到着した。この関を超えれば外国である。だが、鶏が鳴くまで
関所は開かないことになっていた。一方、秦の昭王は孟嘗君を許したことを後悔し、追
っ手を遣わした。再び、危機一髪である。ところが、客分の末席に、鶏の鳴き声が得意
な者がいた。彼が鶏の鳴き声の真似をすると、関門は開かれ、孟嘗君は外に出ることが
できた。追っ手はすぐそこまで来ていた。声帯模写の名人は「鶏鳴」と呼ばれる。これ
らのふたつのエピソードを合わせて、「鶏鳴狗盗」と呼ぶ。泥棒や一芸に優れた者まで
大切にもてなした孟嘗君の度量の大きさを褒め称えている。
孟嘗君のお話はこれで終わらない。
ある日、みすぼらしい身なりの馮歓(ふうかん)という乞食がやってきた。孟嘗君は
上等の客には「代舎」
、中等の客には「幸舎」
、普通の客のためには「伝舎」を用意して
いた。馮歓は「伝舎」に案内された。すると彼は、「帰ろうじゃないか。ここじゃ魚も
食えない」と大声で歌っていると宿舎の主任が孟嘗君に報告しに来た。孟嘗君は少し考
えて、馮歓を「幸舎」に移すように命じた。今度は、「帰ろうじゃないか。ここはクル
マがない」と歌い始めた。仕方なく、孟嘗君は彼を最上級の「代舎」に引っ越させた。
馮歓の要求はやまなかった。
「帰ろうじゃないか。ここじゃ一家のあるじになれやしない」
孟嘗君は眉をひそめた。馮歓は食うや、飲むやのぜいたくな生活を送った。1年が過
ぎたが、馮歓は孟嘗君に役に立つことを何も進言しなかった。
一方、孟嘗君は薛で金を貸し付けていたが、1年たっても貸したものも利息さえも返
ってこなかった。これでは、食客三千人の費用にも支障がでてくる。孟嘗君は困って側
近に問うた。
「貸し金を取り立てるには誰が適切だろうか」
宿舎の長が「馮歓は弁も立ち、取り立てにはうってつけでしょう」と言う。すぐに、
67
孟嘗君は馮歓を近くに呼んで、頼んだ。馮歓は承知しましたと答えて、出かけた。
馮歓は薛に着くと、酒をたくさん造らせ、肥えた牛を大量買い、金を借りているもの
を呼んだ。利息を出せたものは皆来い、出せないものも来い、借金の証文を引き合わせ
て調べる、と言うのである。牛を殺し、酒もりも始めた。酒がじゅうぶんまわったころ、
証文を取り出し、利息を出せたものには元金を返す期限を定め、貧しく利息さえ出せぬ
ものには、証文を取り上げて焼いた。そして、馮歓は言った。
「貧困の者の証文は焼いて捨ててしまうこととする。諸君、腹いっぱい飲んだり、食っ
たりしてくれ。このような殿様の信頼にこたえないでよいものだろうか」
座っていたものは一斉に立ち、再拝して感謝した。
孟嘗君は馮歓が証文を焼き捨てたと聞いて、腹を立てて問い質した。
「貧乏なものから厳しく取り立てようとしても、逃げるか、証文を破り捨てるかのどち
らかでしょう。どうせ、戻ってこないものであれば、目の前で焼き捨ててしまう方が殿
様の名声を高めることでしょう。私は殿様の評判を高めようとしてやったまでのことで
す」
孟嘗君は手を打って感嘆し、礼を言った。孟嘗君は度量の大きい人物であるが、馮歓
(ふうかん)もそれに劣らず傑物である。彼らは人間の本性をよく理解していたのだっ
た。
客の接待はやさしいようで、誰にでもできることではない。大判振る舞いをすればい
いという訳ではない。お金や気の向くままに客を接待していても、効果がないばかりか、
かえって相手に侮られてしまいかねない。
中国人は接待上手と言われるが、果たして本当にうまいのであろうか。接待主人(ホ
スト)が丸いテーブルの上席に座り、客人に対して何でもいいから注文しろと言われて
も、客人は何を頼んでいいか分からない。時には、高いものを食わせたり、飲ませたり
すれば、客人が喜ぶと誤解しているホストに出会うことがある。また、注文した料理の
素材や調理方法あるいは料理に関する言い伝えは服務員(ウェイトレス)の仕事だとホ
ストが信じている場合もある。これは勘弁して欲しい。客人は乞食ではないのだから、
ただ飯が食えればいいという訳ではない。
ノーベル賞授賞学者の野依良治から直接聞いた話であるが、ヨーロッパに行ったとき、
是非とも自宅に来てくれと当地の学者に懇願されたことがあったと言う。断りきれず、
行ってみると、小さい家の一室に親子3人で住んでいた。子供部屋とはカーテンで仕切
られており、狭い台所で、奥さんの手料理を三人で食した。その時の料理の味と暖かい
もてなしの気持ちが忘れられないと野依氏は懐かしそうに語る。日本人は学者に限らず、
海外生活経験者でさえ、外国人を自宅で接待しようとする者は少ない。家が狭いから恥
ずかしいのではなく、接待の気持ちをうまく現すことができないから恥ずかしいからで
ある。議論をすり替えてはいけない。
都市化が進展するほど、人間関係が希薄になっていく。仕事を通じた形式的で表面的
で軽薄な関係が当たり前になろうとしている。インターネットやケイタイの普及で、人
間関係の基本が変わるのではないかと不安になることがある。直接ひとと接しないのが
普通になるようなことになれば、私はそのような社会には未練はない。ITを使った自
宅勤務の推奨はペテンである。早くそんな世の中から去りたい。
一方、経済成長だけが進展している中国では、仲間内の人脈は強いと言われるが、意
外に金銭面や短期的利益に偏っていて、壊れやすいものなのではないだろうか。
家族、気の置けない友人、魅力的な異性などとの食事は至福の時である。それを目的
にして、ほとんどの人間は生きていると言っていいかも知れない。先端の科学者たちが
軽食をとりながらのブレーンストーミングもアイデアがアイデアを生む最高の時間で
68
ある。創造力が発揮される瞬間である。
食事はひとの絆を深め、新しいアイデアを生み、人間の品格を磨く場である。
孟嘗君の物語が現代でもよく読まれるのは、人間関係が砂漠化した現代に生きる者の
癒し効果のためなのかも知れない。
たかが食事、されど食事である。
<参考文献>
『史記列伝』
(一)司馬遷著(岩波文庫)
69
驚くなかれ、日本も中華思想の国だ!
日本人はなぜ中国が嫌いなのであろうか。嫌いというよりも「嫌悪」しているといっ
た方がいいかもしれない。近代において相手国を侵略したのは「日本」であって「中国」
ではない。それにもかかわらず、中国人の日本に対する憎悪よりも、日本人の中国に対
する嫌悪感の方が勝っているような気がする。世論調査によると、7割の日本人が中国
に対していい印象を抱いていない。多くの日本人は中国を「生理的」に受入れていない
のだ。これは私がずっと抱き続けてきた疑問である。なぜか。なぜなのか。
中国を嫌いな理由を日本人に尋ねると、色々な答えがすぐに跳ね返っている。中国人
はすぐにひとを騙すから嫌いだ。コピー製品を作って、儲かっている。共産主義は脅威
だ。自由がない。急速に進む軍拡が恐ろしい。中国人はお金のことばかり考えている。
列に並ばない。交通ルールを守らない。トイレが汚い。つばを吐く。威張っている。大
声で話し、うるさい。汚染された食物を外国に輸出している。自己中心であり、相手の
ことを思いやる心が乏しい。少数民族を弾圧している。もうすぐ日本はGDPで抜かれ、
そのうちに飲み込まれてしまう。拉致問題の犯人である北朝鮮をかばっている。
以上のような意見は理性的なものもあるが、感情論も多く含まれている。日本人だけ
の宴会の席で、中国や中国人の悪口を言い出せば、「場」が盛り上がり、酒が美味しく
感じられる。溜飲が下がるのだ。なぜ、そんなに中国のことを嫌がるのか。
もっと理性的な議論もある。日中両国の文化はそもそも異なるのだとの議論だ。中国
の歴史は王朝が変わる易姓革命を特徴とするが、日本は万世一系の天皇を君主としてい
ただいてきた国であった。天皇制度の維持は戦乱が少なく比較的平和な社会を形成して
きた。また、中国は抽象論志向で華麗で壮大な大陸文明で、フランスに近い。それに対
して、日本は誠実で真面目で約束を守る武士道の海洋文明で、アングロサクソンに近い。
あるいは、中国は文明の発展のために国土を酷使し、自然を破壊し、大改造を行ってき
た。日本は先進工業国としては珍しく、現在でも国土の6割が森林に覆われているよう
に、古代から自然との共存を重視してきている。中国と日本の文化や文明の性質は水と
油のように異なるのだというのである。
歴史学者のトインビーや文明学者のハンチントンも日本文明は中国文明とは異なっ
た発展をしてきた特有のものだと指摘している、と胸を張る日本人学者もいる。中国文
明が日本に押し寄せる前に、日本には1万年にわたる世界有数の縄文文明が興り、都市
文明が栄えており、それが日本人の精神の基層をなしているという議論も盛んになって
いる。つまり、中国から文明が押し寄せてくる前に、日本には世界に誇る文明がすでに
存在したのだというわけである。中国から導入したものは一部の表層的なものに過ぎな
いと暗に主張している。
さらに、文字、律令制度、技術などを中国から導入したのは事実だとしても、日本人
の祖先はそれを日本人の身の丈に合うように作り替え、本家のものよりも精巧で美しい
ものへと昇華していった。つまり、換骨奪胎するほど日本人は本質まで変えたというの
だ。わび、さびや虫の音に季節の変化を感じる繊細な感情は日本人特有のものであると、
アイデンティティーを求めようとする。
日本人が日本の文化をユニークなものであると主張するのは、中華思想に対する反発
から来ている。中華思想とは言い換えれば、華夷思想である。文明の中心である中華と
文明の光に浴しない野蛮人が住む周辺に別れ、周辺は次第に同心円状に文明化していく
という考え方である。中原といわれる中国河南省に興った黄河文明が中国大陸で拡大し
つつ、北は中国東北地方やモンゴル高原まで、西は河西地域から新疆やチベットまで、
南はベトナムまで、そして東は朝鮮半島を経て日本まで文明の恩恵が広がっていった。
長い歴史の過程で、北方民族や西方民族は時に中華文明地域に侵攻し、それを征服した
70
が、やがて中華文明に同化されていった。鮮卑族、契丹族、モンゴル族、満州族はその
例である。中華文明を嫌悪し、去った民族もいる。匈奴はアジアの西に去り、フン族に
なったとも言われている。
一方、朝鮮と日本の中華文明に対する考え方は異なっていた。朝鮮は中国の政権に長
い間支配されてきたこともあり、中華文明の影響を色濃く受けている。中華文明の優位
性や意義を認め、時として中華文明の誕生に深く関与した、あるいはその正統な後継者
であるという極端な議論を展開することもある。孔子は朝鮮人だった。漢字は朝鮮人が
発明したというのはその心理の現れである。
朝鮮人は日本人に対しては、中華文明を教授してきたという自負と優越性を感じてい
る。日本が野蛮な状態から文明化したのは、朝鮮のお蔭だと自慢げに言う。帰来人は天
皇の祖先であったし、帰来人が社会制度や技術を日本人に教えてやったのだと。日本人
からみると、朝鮮人はミニ中華思想のシンパのように映る。
日本人の中華思想に対する態度は、すでに述べたように、日本文化は中華思想とは一
線を画すものだというものだ。これは国民のコンセンサスがとれているように思える。
このリポートの目的は本当にそうであろうかという問題提起である。冒頭述べたよう
に、日本人が中国を嫌悪するのはなぜかという疑問である。両国の文明や文化や人々の
考え方が異質である。そのために、相容れないのであるという議論は一見分かりやすい。
しかし、もうひとつ別の見方もある。世界的視野でみると、日本も中国も実はかなり似
通っている。それがために、両国は嫌悪し合う。例はよくないかも知れないが、中核派
と革マルは大局的に見れば思想や目的は類似のものであったが、実際はその正統性を巡
り、内ゲバという血なまぐさい闘争を繰り返していた。近親憎悪である。
ただ、中国と日本の場合では、中国人は、日本は中華文明の影響下にあると認識して
いるため、文明の位置付けを巡って中国側にわだかまりはない。しかし、日本は歴史上
長い時間をかけて中華文明の文物や文化を受入れてきたため、その影響が日本文化のな
かにどの程度根をおろしているかは非常に重要な問題である。アイデンティティーに関
わってくるからである。繰り返すが、日本の学者も国民も中華文明の影響は比較的少な
いと認識し、安心している。
中国という名称は世界の中心の国という意味である。要するに、文明の中心である。
一方、日本という国号は大宝律令制定の前後に定められているが、太陽の下の国である
という意味である。つまり、光り輝く大地の中心とも解され、中華の匂いが漂う。
天皇という名称はどうであろうか。古代中国で神格化された北極星を意味する「天皇
大帝」が天皇の起源であるという説が有力である。天皇が北極星に位置し、その他の国
や庶民がそれを中心にまわるという構図である。また、中国の神話と歴史は三皇五帝か
ら始まると言われる。三皇は異説もあるが、天皇、地皇、人皇を指すとされている。中
国歴史の父である司馬遷は、三皇は神話であるとして、五帝から『史記』を書き始めて
いる。いずれにせよ、三皇のひとりにも天皇が現れる。偶然の一致とは言え、天皇の名
称の起源は、中心=中華の考え方を受け継いでいる。
当時の倭国が中国の皇帝に対して天皇を名乗ったのは、小野妹子が隋の煬帝宛に持参
した2度目の国書であった。『日本書紀』には、その国書に「東の天皇、敬しみて西の
皇帝にもうす」と書かれたと記録されている。ただし、この記録は中国の史料にはない。
『随書』
「倭人伝」に記録されているのは、
「その国書曰、日出ずる天子、書を日没する
処の天子に致す」という有名な記述である。受け取った煬帝は不愉快であったようだ。
天子が二人いるはずがないためである。面白いことに、この国書の記録は日本の史料に
はない。二つの国書のうちお互いに都合のよい記録だけ残されたのであろうか。それと
も、そもそも国書はひとつであり、どちらかが改竄して記録した可能性も考えられる。
71
ここでの議論のポイントは、中国の皇帝のみでなく、日本の天皇も中国と対等な天子
と名乗ったことである。日本が中国の華夷思想に組み込まれたくなかったという解釈も
なりたつが、相手と同じ論理で反発するほど日本も華夷思想に染まっていたと考えられ
ない訳ではない。
時代は下がる。豊臣秀吉は 1592 年から朝鮮出兵を行う。最終的な目標は明朝を倒し、
皇帝になることであった。中国の周辺民族は中原の征服に憧れていた。それを歴史上で
実現したのは、モンゴル族と満州族であったが、野望に満ちていた民族も多かったに違
いない。豊臣秀吉もそのひとりであった。日本統一に飽き足らず、中国大陸の中原を手
に入れようという発想は、中国歴代王朝や周辺民族と変わりはない。華夷思想が浸み込
んでいたからである。
徳川家康は日本統一という野望を実現したが、中国大陸進出は断念した。秀吉の失敗
を見ていたからであろう。しかし、彼はその野望は抱いていたと思われる。家康が葬っ
て欲しいと遺言した日光東照宮の本社の正門には、中国の天子である「舜帝朝見の儀」
が彫られている。舜帝は中国の賢帝のひとりである。一説によると、この舜帝は家康自
身をなぞらえていると言われている。家康も中国の皇帝になりたかったのではなかろう
か。
さらに、平成という元号は、舜帝の「内平外成」から引用したものである。中華文明
はいやおうなく日本の文化の中枢にまで及んでいる。私は個人的には次の元号は万葉集
からとった「ひらがな」にしてもらいたいと秘かに考えている。
時代は更に下がる。日本帝国主義による中国大陸侵略である。なぜそういう愚かなこ
とをしたのか、理由は色々あるであろう。西洋列強に伍していくためには避けられない
選択であったとも言われている。今までここでは、まったく異なった視点から考えてき
た。中華思想との関係における日本の振る舞いである。
1848年の阿片戦争の敗北によって、中国は西洋列強国の影響下に入った。あの燦
然と輝いていた中華文明は色あせた。自ら改革を断行し、近代化の道を切り拓けなかっ
た中国はもはや日本の模範とする国ではなかった。日本から見ると、中華思想の本流を
行く国とも認められなくなっていた。1921年、上海を訪れた芥川龍之介も中国の頽
廃を嘆いている。もはや中華文明=東洋文明を受け継いでいるのは中国でなく、日本で
あるという過剰意識がもたげていた。中国が体たらくならば、日本が中国人民を率いて、
中華文明を再興してやる。他の北方民族や秀吉が成し遂げることのできなかった野望を
優秀な大和民族の手によって実現してみせる。国家を精神心理学的観点で分析すれば、
日本はアジア諸国の解放を大国中国に代わって実行しようとしたのである。
現実は東洋の反乱は西洋列強によって封じ込められた。日本は自由主義陣営に所属し、
経済的繁栄を謳歌してきた。戦争に敗れて、中華思想は遅れたものだと悟り、深層心理
に閉じ込めてきた。しかし、生まれは争えない。時々芽をだす。日本人の経済的、文化
的に遅れたアジア諸国に対する優越感は華夷思想のひとつである。日本国内における都
市と地方の文化的格差も華夷思想のひとつである。人生の成功は都市にあるとばかり、
中心を目指したがる。一寸法師の古代から日本人は農村から都市に憧れてきたのである。
中国人の発想と同じである。
日本人とは何かという議論は長く続けられてきた。私は、日本人は「二重人格者」の
性格を帯びていると思っている。日本人は特殊な優れた文化を持っているという自負、
そして否定しきれず身に浸み込んでいる華夷思想を併せ持っているようにみえる。
東アジアの盟主は中国か日本か。中国がGDPで日本を超えようとする現在、日本が
中国に対抗するには、日本文化の特殊性で戦うべきか、それとも、中華思想の正統性を
引き継ぐ国として競争を行っていくべきかの選択に思い悩んでいるようだ。おそらく、
日本は特殊な文化を持ちつつも、米国などの民主主義国と価値観を同じくするという発
72
想で、盟主争いをするであろう。歴史、人口、面積など総合的国力を考慮すると、日本
にアジアの盟主争いの勝ち目は薄い。
日本は西洋の自由、人権などの近代的民主主義の価値観を取り入れ、「三重人格者」
となっても、それらの矛盾による精神的苦痛に耐えて、混成された新しい文明圏として
のアジアの創設に貢献していくべきであろう。協力と競争。握手とピストル。援助と恫
喝。日本にはあらゆる試練が待ち受けている。
<参考文献>
『国民の文明史』中西輝政著(産経新聞社)
73
中国人は会議のとき何を考えているのか
「中国はもうすぐ崩壊する」と20年近く海外メディアは言い続けているが、その崩
壊の期待に反して、中国は成長を続けている。米中戦略経済会議も開催され、今や世界
の二大大国(G2)にのし上がりつつある。評論家の意見にごまかされてはいけない。
マスメディアを鵜呑みにしてはいけない。残念ながら、中国は崩壊しないし、今後世界
に対しての影響力は大きくなるばかりである。
中国の失策を期待するよりは、そのような中国とどう付き合っていくかを真剣に考え
た方が遥かに有意義である。今回は中国人の議論の仕方を研究してみたい。議論の特徴
をつかむことで、彼らとの議論に勝てる道筋も見えてくる。敵を知り己を知れば、百戦
危うからず。
いきなり本質論に入るが、中国人が好きな言葉のひとつに、
「実事求是」
(事実を踏ま
えて、真理を追究する)があるが、これをそのまま信じてはいけない。「実事求是」こ
そ中国人がタブーとする概念である。彼らの本音はそのまったく逆である。つまり、先
に真理があり、そしてそれを支える事実が存在するという発想だ。このような社会をイ
デオロギー社会というのだ。真理は前衛政党である共産党が決定し、人民はそれを信じ、
それに沿って生きることを強く求められる。教育もそのような観点でなされ、生徒間の
自由な議論が推奨されることはない。
「日本帝国主義による南京大虐殺事件の被害者は30万人である」という言説は、中
国人にとって、ひとつの見解ではなく、歴史的真理なのだ。日本人が歴史的事実を積み
重ねて反論を展開しても、彼らには決して受入れられることはない。反論するほど、歴
史を改竄し、戦争責任を回避しようとする者として糾弾される。日本人と中国人は共通
の議論のテーブルに座っていない。相撲とレスリングを一緒にやっているようなものだ。
相手はルール違反ばかりしているように映る。これでは、信頼感が築けるわけがない。
議論を一歩展開しよう。「会議」は何のために存在するのであろうか。日本も含めた
先進工業国では、ソクラテスの産婆法といわれる問答法の影響を受け、「会議」の目的
は新しいコンセプトや見方を追求するために開かれる議論の場である。会議に参加する
メンバーは、発言内容に対して責任を負うものの、それは人格まで追及されたり、否定
されたりするものではない。これが前提になっているため、我々は自由に意見を述べる
ことができる。意見と自己は別であるのだ。
しかし、イデオロギー社会では大いに異なる。中国での会議の本来の目的は、上部機
関が決定した事項を下部機関に伝達するために開催されるのだ。会議での質問は許され
るが、それは伝達内容の理解を助けるためのものであり、それに疑問を挟んだり、否定
したりするものであってはいけない。会議の参加メンバーが理解した内容は、後日、彼
らがその下部機関に説明、伝達することになる。
学校においても同じようなことが行われている。先生は教科書に書かれた内容を分か
りやすく生徒に教えることであり、それに個人的な解釈や意見を付け加えることは許さ
れない。欧米人の目からみると、日本も同じ東洋の国として似たような教育状況かもし
れないが、日本の教師に与えられた裁量権は中国の比ではない。中国の友人によると、
数学は当然として、国語(中国語)でさえ、暗記科目とみなされている。模範解答から
少しでもはずれると、減点の対象になる。
学者や知識人の議論はどうであろうか。筆者も時々、中国人との会合に出席すること
があるが、面食らうことも多い。まず、会議出席者の目的意識は、「自己主張」と「人
脈形成」である。自己主張とは、自分はこんなに多くのことを知っているのだと、盛ん
に披露する。あるいは自分の会社の優れた点ばかりを並び立てる。一方的な知識の切り
売りである。大バーゲンセール。ジョークを言って聴衆を楽しませたり、集中力を高め
74
たりする者はいない。割り当てられた時間をオーバーしてもまったく気にしていない。
自分の発表が終わると、他の発表者には耳を傾けようとせず、同業者や役所のお偉さん
と名刺交換すると、さっさと帰っていく者もいる。なかには、発表者に予定されている
が、断りの連絡もせず、代理を派遣して、代わりに発表させるつわものもいる。発表原
稿のレジュメが印刷されていれば、発表したという証拠になり、大学や公的な研究所な
どでは、それが評価の際の業績に反映される。うがった見方をすれば、ワークショップ
での発表依頼を了解した時にすでに、本人が出席するつもりでなかったのかもしれない。
会合をなんと思っているのであろうか。
中国政府のあるシンクタンクに行き、組織の活動のプレゼンテーションを聞いて驚い
たことがある。数字がほとんど出てこないのである。何をやっているかを理解できても、
どの程度の規模で実施し、どんな問題に遭遇しているのかを知ることは難しい。話が抽
象的すぎて、実態をつかむことが難しい。偉い人の話ほどその傾向が強い。言ったこと
に対して責任を追及されるのを極度に恐れているように思える。
結局、プレゼンテーションの内容を具体的に理解するために、質疑応答の際、予算、
人数などの数字について何度も質問をしなくてはならなくなる。質問すれば数字は口頭
で教えてくれるが、上部機関の許可がなければ、プレゼンテーションの資料に数字を書
けないこともあるらしい。上からの情報統制である。数字の裏付けがある事実を踏まえ
た議論が中国では一般に行われていないのだ。
セミナーやワークショップでの質疑応答も日本と状況が異なる。日本でも米国でもそ
うであるが、質問に対する回答は簡潔で本質を突いたものが喜ばれる。しかし、中国で
は回答はやたらと長く、およそ質問に対して的確に返答しようという姿勢が乏しい。質
問された機会に、自分が言い足りなかったことを追加したりする場面が多い。質問者も
他の聴衆も、回答のポイントは何かと真剣に聞いているが、それは何かが分かる前に回
答者の話は終わってしまう。日本人の参加者には、中国人は情報を隠そうとしている。
何か都合の悪い状況が潜んでいるに違いない。この学者や企業と付き合うのはリスクが
あるから避けた方がいい。というような方向に日本人参加者の気持ちが動いてしまう。
質問に対する回答は、分からなければ、分からないと正直に言うか、企業秘密やクラ
イアントとの守秘義務契約のため答えられないと率直に言ってもらった方がいいのだ
が。中国人は面子を大切にするため、知らないというのができないらしい。的が外れた
ことをくどくどしゃべり続けるよりも印象はいいと思うのだが。
前述したように、会議の醍醐味は議論を通じた新しいコンセプトの創出である。これ
に貢献する者がもっとも尊敬されるのである。日本でも米国でも同じである。発言は多
くても、事実を述べるだけの者は他の参加者から感謝されることはない。新しいコンセ
プトやアイデアを出すためには、個々人の発言に耳を覚まし、自らの頭で思考し、足り
ない部分を質疑応答によって補充しているという作業を参加者個人が自らの頭で行う
必要がある。しかし、大方の中国人にはこのようなことがまったく理解されていない。
会議はスタンドプレーと人脈形成の場であり、議論そのものに価値観を見出している者
は少ないように思われる。あるいは、一度主張した意見に固執し続ける者も見かける。
様々な意見やアイデアを出し合い、議論を昇華させていくことが目的であるため、特定
の主張にばかりこだわっていては、会議の議論は進展しない。議論の勝敗や個人の優劣
を決めようというのではない。このようなことが一般的に行われているのは大変残念で
あり、また時間の無駄でもある。
話は少しずれるが、海外の大学で幹部(学部長や研究所長)が中国人に任命されると、
その部下は中国人に埋め尽くされるという現象があるという。米国などでは、中国人に
よるアカデミズムの占拠であるとも疑われている。この理由をある中国人に訊いてみた
ことがある。彼の回答はいたって明確であった。
75
「中国人は自分の考え方は正しいと信じている者が多い。部下に多くの中国人を雇用す
るのは、自分の指示通りに忠実に働くからである」
上下関係において母国語の中国語による正確な議論のためではなく、専従関係を理解
できる中国人を雇いたいからである。
このケースも中国人は弁証法的議論が不得手であると言える。共産党は弁証法の重要
性を説くが、それが国内の議論に使われることはない。
さて、中国人の議論の特徴を述べてきたが、もちろん状況は固定化されているわけで
はなく、変動しつつある。30年来、130万人の中国人留学生が世界に飛び出し、3
0万人が帰国した。30万人は外国人の発想が理解できているはずである。彼らは母国
に、海外での議論の手法を持ち込んでいることであろう。科学の世界でブレーン・スト
ーミングは非常に重要であるが、そのためには基本的な議論のルールを知り、経験を積
むことが大切である。これを言ったら笑われる。根拠のない直感な意見を述べてはだめ
だ。という雰囲気があれば、ブレーン・ストーミングは成功しないし、新しい科学の芽
も育たない。
本来の議論の手法が中国社会に浸透していけば、科学の発展のみならず、政治的自由
の確保に向けて、国家が胎動することであろう。海外留学経験者にその先導役を期待し
たい。
ブレーン・ウォッシングは本来中国語の「洗脳」から来た言葉である。勝つために古
代中国でよく使用された戦術であったのであろう。今、洗脳から人々を解放し、ブレー
ン・ストーミングの能力の高い人材を育成してもらいたいものである。
76
北京 vs ニューヨーク
暑い夏休みの時期である。仮想の飛行機に乗って、中国と米国を往復してみたい。中
国を代表する都市は共産党のお膝元である北京であることは間違いない。米国は自由の
シンボルであるニューヨークを選ぶのが自然であろう。これら二つの都市を比較してみ
たい。ニューヨークはマンハッタンを中心に栄えた都市であるので、マンハッタンに重
点をおくことにする。都市は人々が築いた人工物であるゆえに、人々の発想や思いが色
濃く映し出されている。中国人と米国人の脳がそれぞれ形成した都市とも言えよう。都
市の特徴を見れば、両国人の脳の中味を知ることができるのではないだろうか。
1.
モンゴル人が造った都市と英国人が造った都市
北京は1267年フビライが大都として建造した都市である。上海人は、北京はモン
ゴル人が造った田舎街と批判することもある。北京には都市としての華やかさはなく、
どの道路も南北に交差しているのも一見整然としているようであるが、やはり田舎っぽ
い。そして、一年中、埃っぽい。すぐそこまで砂漠が押し寄せているからであろうか。
水をどうやって確保していくつもりなのだろうか。欧米人設計士による斬新なビルも林
立するようになったが、北方の騎馬民族が築いた街の雰囲気が色濃く残っている。お腹
を出して、道路わきで涼んでいる中年男性もよく見かける。
ニューヨークは、1664年英国人が征服し、イングランド王ジュームズ2世(ヨー
ク・アルバニー公)の名をとって「ニューヨーク」と名付けられた。マンハッタンは美
しく、楽しい大都会だ。人類のルツボと言われるように、様々な肌の人々が好みの服装
を着て、忙しそうに闊歩している。ニューヨークは金融、商業、ファッション、エンタ
ーテインメントで世界をリードしている。近代文明の世界の中心にいるようで、華やか
で自由の風を感じる。
2.
天安門広場とタイムズスクウェア
北京の心臓部といえば、100万人収容可能ともいわれる天安門広場である。新中国
の建国宣言が行われたのは、天安門に立つ毛沢東が天安門広場に埋め尽くされた人民に
対してだった。新中国成立後も、天安門広場は幾度となく人民による政治的事件の現場
となった。天安門広場の存在が北京は政治都市であると雄弁に語っている。将来、政治
改革が行われると仮定すると、天安門広場を抜きにしては考えられない。現在の天安門
広場には、地方から観光にやってきた「おのぼりさん」がたくさんたむろしている。の
どかである。
タイムズスクウェアはブロードウェイと7番街が交差するあたりをいう。夜には色と
りどりの看板のネオンサインがひしめく。お目当てのミュージカルを観ようというニュ
ーヨーカーと観光客で賑わう。大晦日の夜、新年に向けたカウントダウンでもおなじみ
の場所となった。明るい未来を感じさせる聖地でもある。タイムズスクウェアから3ブ
ロックも歩くと、街灯は少なくなり、足元が暗くなるので、引ったくりに注意をする必
要がある。被害に合えば、未来は急に暗くなってしまう。
3.
故宮博物院とメトロポリタン美術館
故宮博物院は元、明、清の皇帝たちが住んだ紫禁城である。中国を代表する世界文化
遺産であり、壮大な建築群は訪れるものを圧倒せずにはおかない。皇帝の権威と権力の
大きさを見せ付けている。海外からの使節団は光り輝く中華文明にひれ伏したことであ
ろう。残念ながら、紫禁城の至宝はほとんど中華の正統な継承者であると自認する蒋介
石が潜水艦で台湾に持ち去った。台北の故宮博物院に行くと、皇帝の財宝、文物の精華
77
を享受することができる。殷墟から発掘された甲骨文字と青銅器は圧巻である。宋代の
青磁器も見応えがある。これら二つの故宮博物院を訪れなくては、本当の紫禁城を理解
するのは困難かもしれない。両者とも、一見の価値がある。なお、紫禁城の北の景山公
園の頂から眺める紫禁城はお勧めである。
メトロポリタン美術館は大英博物館、エルミタージュ博物館、ルーブル博物館と並び
称される美術館である。エジプト美術、ギリシア・ローマ美術、東洋美術、中世美術、
近代美術などが陳列されている。ゴーギャン、モネ、マネ、ルノワール、ゴヤ、ピカソ、
モジリアニなどの名作は観光客の足を止める。印象派絵画が好きなひとにとっては、メ
トロポリタン美術館を訪れるために、ニューヨーク行きの切符を購入する価値がある。
ただ、観光客で混んでいるので、開館と同時に入場したい。お目当ての作品に直行し、
じっくりひとりで独占して鑑賞したいものだ。ただ、2時間も偉大な作品群を鑑賞して
いると、脳の回路が満杯になってしまう。作品が発するメッセージーが大きすぎるため
であろう。疲れたら、隣のセントラル・パークの芝生の上で休もう。できれば、また別
の日にやってきたいものだ。
4.
毛沢東記念館と自由の女神
これらの比較は米中の本質的な違いを端的に語っている。抑圧と自由。
天安門広場の中心に位置する毛沢東記念館では、新中国の建国の父とも呼べる毛沢東が
眠っている。毛沢東の遺体を安置したホールには、高価な大理石に金文字で、「偉大な
領袖で指導者の毛沢東は永遠に不滅である」と書かれている。「わが巨人軍は永遠に不
滅である」というあの名せりふよりも空々しい。永遠に真実なものなんて、この世に存
在しない。形あるものや生命はいつか滅びる。万物はつねに流転している。新中国成立
60周年くらいでおおはしゃぎしないでもらいたい。ニューヨークの象徴であるエンパ
イア・ステート・ビルの歴史は新中国のよりも18年も前に建設されたのである。ワー
ルド・トレード・センターはテロリズムに破壊されたが、エンパイア・ステート・ビル
は永遠に聳えていてもらいたい。このビルの展望台からのマンハッタンは最高の眺望で
ある。摩天楼の上を飛んでいるような錯覚を受ける。ただ、エレベーターが多少揺れる
のが気になる。上海には世界一の「環球(グローバル)金融中心」ビルが昨年建設され
たが、そこからの眺望は世界の金融の中心というには程遠い。
毛沢東記念館に対応するのは、1789年4月30日、初代大統領ジョージ・ワシン
トンが大統領就任の宣誓をした地を記念するフェデラル・ホール・ナショナル・メモリ
アルかもしれない。しかし、毛主席の登場のあとは、やはりフランスからの贈り物とは
いえ、自由の女神が相応しい。ただ、自由の女神は有名すぎて、記述するのが恥ずかし
くなる。自由の女神を我々の脳裏に焼き付けたのは映画だったにちがいない。「猿の惑
星」、
「タイタニック」
、
「キングコング」、
「ザ・デイ・アフター・トゥモロー」で女神の
顔を拝むたびに、文明と自由を身体で実感する。女神を悲しませることをしてはいけな
いのだと、人々は決意してきたのだ。永遠は存在しないが、女神には永遠な存在であっ
て欲しいと人々は思う。それに比べて、天安門広場の・・・・・。これ以上言うまい。
聞くまい。
5.
天壇公園とセントラル・パーク
天壇公園は護国豊穣を願う世界文化遺産「祈念殿」を中心とする公園であり、北京市
民の憩いの場になっている。太極拳、社交ダンス、民謡唱歌、将棋、蹴羽根、柔軟体操
などを楽しむ近所の老人が多い。北京市民の寿命も長くなった。健康で快適な毎日を過
ごしたいというのは退職者の願いである。
ニューヨークは4月中旬頃になると、急に暖かくなり、梨や桜の花が開花し、市民の
78
目を楽しませる。マンハッタンの文字通り中心に位置するセントラル・パークには、短
パン姿の若い女性がジョギングを楽しんでいる。彼女らの白い脚も人々の目を細める。
目の保養だ。家族や観光客も訪れる、大都会と思えぬほど緑が多い公園である。セント
ラル・パークも数多くの映画の舞台となった。世界の文明の中心で叫ぼう。アイ・ラブ・
ユー。
6.
宮廷料理とハンバーガー
食は偉大な文化のひとつである。中国人は食べるために生きているようにみえる。不
況になると、一流ホテルの客は少なくなるが、高級レストランの客足は止まらない。皇
帝が贅沢を凝らした宮廷料理は海外の賓客や美食家をうならせる。ただ、不思議なこと
に、美食家を自認し、料理の仕方や謂れに詳しい中国人に会ったことはない。役人の接
待用に高級レストランを使っているだけであろうか。最近、フカひれ、アワビ、カニ、
高級魚などの海鮮料理が大流行である。筆者は中華料理に海産物を多用するのはどうか
と思っている。皇帝たちだって、そんなに多くの海の幸を享受したわけではあるまい。
西太后が客人を接待したレシピが残っているそうである。会席料理は3888元(5万
8千円)もするそうだ。機会があれば、挑戦してみたい。スナックやクラブで遊ぶこと
を考えると、高くはあるまい。
ハンバーガーやフライドチキンなどのジャンクフードを米国の代表的料理と考える
のは酷かもしれない。ニューヨークには各国の料理が揃っている。イタリア、フランス、
スペイン、ギリシア、ロシア、日本、中華、タイ、ベトナム、インド、アフリカ、中南
米、ベジタリアン、オーガニックなんでもある。昼は猛烈に働き、夜は各国の料理を楽
しみ、そしてミュージカルを観る。これぞ、ニューヨーク式ライフスタイルである。で
も、実際はどうだろうか。そんな疲れないひとは大勢いるのであろうか。
7.
清華大学・北京大学とコロンビア大学
これらの大学と比較するのは、コロンビア大学に失礼かもしれない。歴史、実績、世
界への影響力は段違いである。コロンビア大学の卒業生、教授、研究員などを含めたノ
ーベル賞受賞者数は90名に達する。うち卒業生だけでも36名も受賞している。もち
ろん、両方とも世界一である。原爆開発のマンハッタン計画で最初に原子核分裂に成功
したのは、コロンビア大学の Pupin Hall(物理学部の校舎)においてだった。日本人
初のノーベル賞受賞者の湯川秀樹博士もこの校舎の一角に研究室を構えていた。湯川教
授研究室を引き継いだのは、弱冠31歳の時中国人で初めてノーベル賞を受賞した李政
道教授であった。彼は終身教授としてまだこの研究室で研究を続けている。筆者も李政
道教授を訪ねて、コロンビア大学に出向いたことがあるが、研究室は黒板が掲げてある
普通の研究室であった。理論物理学は頭の中で考えるものであるので、研究室の広さや
内装にまったく関係ないのではあるが。
コロンビア大学は、マンハッタンの北部に位置し、その美しさと荘厳な雰囲気からし
ばしば映画のロケに使われてきた。1967年制作の「卒業」でダスティン・ホフマン
演じる主人公ベンはコロンビア大学院に入学予定の設定。映画のもとになった、小説「い
ちご白書」の著者及び主人公はコロンビア大学の学部生だ。映画「ゴースト・バスター
ズ」の主人公はコロンビア大学超心理学部をクビになった元研究者だった。映画「スパ
イダーマン2」のスパイダーマンはコロンビア大学の学部生で、キャンパスがロケに使
われた。
約250年の歴史を有するコロンビア大学と比較して、清華大学と北京大学の歴史は
その半分にも満たない。清華大学は、米国政府が「義和団の乱」の賠償金をもとに、米
国留学生の予備校として開設した学校だった。今でも清華大学の優秀な学生は米国留学
79
を目指す。
8.
京劇・雑技とミュージカル
京劇は北京オペラの呼ばれる歌舞伎で、雑技は中国式サーカスである。京劇の役者が
発声する甲高い声には閉口する。聞くに堪えなく、頭脳がどうにかなりそうだ。これが
好きになれなければ、
「中国通」とはいえないだろう。
ブロードウェイミュージカルは、希望、笑い、涙、連帯など人生のすべてを表現して
くれる。しばらくすると、また行きたくなる。京劇には伝統があるかもしれないが、ミ
ュージカルにはひとを惹きつける華がある。ひとはミツバチと同じように華に吸い寄せ
られる。
9.
漢族と移民
北京市民のほとんどは漢族であるのに対して、ニューヨーク市民は移民である。単民
族と多民族。中国は人々を海外に送り出し、米国は移民を受入れてきた。前者は貧しか
ったし、後者は裕福だったため、ある意味それは自然なことであった。人間は貧乏な暮
らしは嫌いで、豊かな生活に憧れるからである。しかし、米国国籍を取得する者が多く、
中国国籍を取得する者はほとんどいないという事実は何を物語っているのだろうか。そ
の違いは軽視できないほど大きい。
米中両国はG2として、世界をリードする二ヶ国になる可能性は大きい。しかし、今
まで比較してきたように何から何まで異なる両国が描く世界は不安定なものになって
くるにちがいない。
あ、そうだ。両国の類似点がある。それは砂のような乾いた個人主義と、いざとなれ
ば、国家の名の下に団結する強烈な国家意識である。米国が金融危機で分裂しないよう
に、中国も民族動乱で分裂することはない。両国とも、日本人にとってやっかいな国で
ある。ただ確かに言えることは、日本は米国と同盟関係にあった方が得策ということで
ある。だが、将来、米中がどのような関係になるか誰も予想できない。
80
文化大革命から改革開放への大転換についていけない人々
中国は1976年に狂気じみた文化大革命を終え、1978年には鄧小平の指導の下
で改革開放政策を実施し、まさに資本主義社会へとまっしぐらに突き進んできた。欲望
が抑圧されていた文化大革命の時代精神が否定され、欲望が肯定されるようになった。
地主や資産家は人民の敵であったが、現在、人民そのものがカネを追いかけている。人々
は極端な欲望のままに浮ついている。1978年以来、中国人民は海外に“開放”され
たのみでなく、欲望の束縛からも“解放”されたのである。その意味では、1949年
の新中国成立よりも、1978年の政策は“革命的”であったと言えるであろう。
使い古された表現をすると、価値観が180度変わったのである。西洋人が中世から
現代まで400年かけて経験してきた価値観の転換を、中国人はわずか40年で経験し
ている。このような急激な社会変動のなかで、人々は気が狂わない方がおかしいのであ
る。
文化大革命から改革開放への転換に翻弄される小説が2005年、中国でベストセラ
ーになった。余華著の『兄弟』である。余華はノーベル文学賞候補とも目されている。
隣人が隣人を陥れる文化大革命の時代に、異なる家族がひとつの家族になった。男は
やさしい男の子を連れ、女は強い男の子を連れていた。男と女は結婚し、ふたりは兄弟
になった。兄の名は宋鋼、弟は李光頭。李光頭は14歳のとき、トイレで女の尻を覗い
て捕まる問題児だったが、どこまでも欲望に忠実に、過酷な文革時代を生き抜き、改革
解放後は時代の波に乗って商機をみつけて大富豪になる。処女膜美人コンテストに豊満
クリーム行商。カネになりさえすれば、何でもありの世界、いや中国。一方、実直だっ
た兄は、父の気質を受け継ぎ、愚直なまでの正義感や誠実さを体現しているが、職を失
い落ちぶれていく。そして、死が待ち受けている。最後は、欲望の限りを尽くして大成
功を収めた李光頭は兄の遺灰を持って、宇宙へと旅立っていく。
この小説は高度経済成長を終えた先進国からみるとブラックユーモアだが、中国人は
現在でも怒涛のなかを必死に泳いでいる。持てる者へと必死に這い上がろうとしている。
カネがなければ何もできないが、カネがあると何でもできる社会である。病院は前金払
いである。貧乏人はまともな治療が受けられない。中国は“共産主義”の理想からはほ
ど遠い状態だ。役人に賄賂を渡せば、許可が早く降りるが、渡さなければ、ちっとも進
まない。
こんな社会に生きていつ人々はどう感じているのであろうか。
昨年、超難関の大学である北京大学の学生が相次いで飛び降り自殺して、話題になっ
た。地方で神童として崇められていても、都会に出てくると、周りに優秀な学生は大勢
いる。勉強ばかりやって付き合い下手な地方出身者は孤独感に苛まされる。大学に行く
ために両親や親戚が多くの借金をしたことが両肩にのしかかる。将来の展望が開ければ、
学生時代をエンジョイすることができよう。だが、田舎者に対しての都会人の差別意識
は強い。これを乗り切れない者は厳しい競争社会に生き残れない。
日本人の年間の自殺者は3万人を超えて大きな社会問題になっているが、中国では年
間27万人も自ら命を絶っている。自殺者の捕捉率を考慮すると、中国人は日本人より
も自殺しやすい環境に追い込まれているのかも知れない。希望がある者とない者の差も
大きい。中国では、農村での女性に対する差別や圧力が強いとしばしば耳にする。手を
伸ばせば、農薬に届くのだ。
先週、有名なT大学の教授から驚くべきことを知らされた。中国では治療の必要な脳
神経疾患者はなんと全人口の1割もいるというのだ。1億3千万人が治療を待っている
計算になる。そんなバカな。この数字にはネット中毒も含まれている。小学生の7.1%
がネット中毒というデータも最近発表された。いったいどうなっているのか。一人っ子
81
政策の下で甘やかされて育った子供をバーチャルの世界から現実の世界に連れ戻す仕
組みはない。
事態の深刻さに最初に気づいたのは、人民解放軍のようである。入隊してくる若者の
なかに異常な行動をとったり、集団生活について来られない者や役に立たない者が多く
いることに驚いたようだ。よく調べてみると、推計1割の中国人が脳神経疾患を患って
いるらしいということが判明した。原因は解明されたわけではないが、急速な社会変動
への不適応と一人っ子政策による若者への過剰圧力と考えられている。小説『兄弟』が
描いたのは喜劇ではなく、現実そのものなのである。
この事態が判明してからの中国政府の動きは速い。脳神経疾患はある程度薬品で押さ
えることができるが、投薬の前後、効き目を判断する基準が必須であると考えたようだ。
その対策のひとつとして、脳内の血流を画像化して評価基準を確立しようとしている。
画像化には、MRI(磁気共鳴画像装置)とPET(陽電子断層法)が候補として挙が
っている。日本は画像処理技術では世界の主要国のひとつであるので、日中国際協力が
期待されるところだ。
脳神経疾患の評価基準を確立することができれば、中国は脳神経研究のトップに躍り
出る可能性は高い。患者数が最大の中国の基準が世界の基準になるかも知れない。仮に
そうなると予想されれば、世界の製薬メーカーは中国に結集するであろう。いや、すで
に上海のハイテクパークには世界一流の製薬メーカーは進出済である。評価基準が誰よ
りも早く分かれば、新薬の開発競争に優位に立つことができる。
脳神経疾患1割という非常事態を逆手にとって、中国が脳神経研究で基準を握り、世
界をリードしていくのは夢とばかりは言えない。現実を悲観せず、政策によって事態を
好転させられるかどうかは、エリート集団の能力次第である。
日本の製薬メーカーも評価基準作りの当初から研究協力プロジェクトに参加すれば、
“将来の果実”を早く入手することができよう。ビジョンあるところに道は拓かれるの
だ。
『兄弟』の著者の余華は本書のあとがきで、イエス・キリストの言葉である「滅びに
通じる門は広く、道も広い。そこから入る者は多い。命に通じる門は狭く、道も狭い。
それを見いだす者は少ない」を引用しつつ、小説であろうと人生であろうと、正しい出
発は狭い門をくぐるものだと思う。広大な門に惑わされてはならない。その向こうにつ
ながる道は決して長くはないのだから、と述べている。彼は主人公の李光頭の生き方に
否定的であるのだ。欲望肯定の人生観の破滅を予感しているようでもある。
確かに急激な社会変化は様々な矛盾を引き起こした。それを叡智で乗り切れるかが中
国のエリートに託されている。彼らが自分の利益のみを追求していては、本当に中国は
破滅するに違いない。だが、知識分子と言われるエリートが、文革時代の弾圧や苦悩を
乗り越え、中国の将来のために立ち上がるのであれば、中国は新時代を切り拓くであろ
う。我々外国人は、中国の今後を注意深く見守りたい。
なお、最後に、人民解放軍の兵隊の強化や改善に日本が協力するのかと懸念される読
者に申し上げる。もちろん、それを目的に中国と協力しようとしているのでは決してな
い。先端科学の競争は国際協力の競争でもある。国際的な協力のネットワークに参加で
きない、あるいはその動向を知らない国や研究機関には凋落が待っている。研究機関の
競争力は国際協力の進展度と比例するのだ。
<参考文献>
『兄弟』余華著、泉京鹿訳(文藝春秋)
82
エセ科学の誘惑
中国は長い歴史をもつ国である。時々、中国人の言説に戸惑う。
「胃の調子が悪いのであれば、豚の胃を食べるのがよい」
「白髪が多いのは牛肉の食べすぎである。羊肉に変える必要がある」
それは迷信だと、喉まで出て飲み込んでしまう。信じているひとには何を言っても通
じない。非科学的と言ってみたところで、本人がそれを信じていれば効果があるかもし
れない。真実かどうかよりも、効き目があるかどうかが実生活では重要である。
風水学も生きている。北京オリンピックのメインスタジアムと競泳会場は、天安門か
らまっすぐ北に延ばした線上に建設された。風水によると気が集まりやすい地点だとい
う。北京オリンピックの大成功は、この風水を基にした判断によると信じている中国人
も多かろう。
北京人は「上風上水」と呼んで、風や水は北からやってくるが、同時にそれらは気も
運んでくると信じている。北京市の北郊外に高級住宅地が広がり、南側は開発が取り残
されているのも風水の影響と考えられている。この行動は科学的でないとして目くじら
を立てて怒るほどでもないかも知れない。ただ当事者にとっては大切な伝統であったり、
文化であったりするので、科学的かどうかの議論を堂々と行わない方が懸命である。心
の中で、実証主義の近代科学には合致していないと思っていれば十分であろう。
ただ合理的な発想もある。中国のレストランでビールを注文すると、常温か冷やした
ものがいいかを訊かれる。日本人は、ビールは冷やすのが当然と思っているが、中国人
はそうは発想しない。ビールに限らず、冷やしたものは身体に負担がかかるため、健康
上よくないと考えるのだ。これは合理的である。ビンビンに冷えたビールは確かに美味
しいが、身体には必ずしもよくないのである。
中国人と“死”について話すと、きまって嫌われる。死の話題は死を招くと思ってい
るからである。これも文化の問題かもしれない。日本人でも、がんの告知はタブーであ
ったが、今では死と向き合って生きようというひとが多くなってきた。文化や価値観も
変わっていく。中国人の立場に立つと、病は気から、死も気からであるので、死の話題
は百害あって一利なしというのも妥当な考えかもしれない。このような際どい話になる
と、科学的かどうかを判断するのは困難だ。人々の感情を害しないためにも、科学はあ
まりでしゃばらない方がよさそうだ。
日本人もエセ科学が大好きである。血液型と性格の相関性はないと科学的に証明され
ているにもかかわらず、それを信じるひとは多い。みんながワイワイ議論しているとき、
それは非科学的と主張すると、村八分にされかねないので注意が必要だ。星座と金銭運
や恋愛運も関係があるとは思えないが、やはり一定の数のひとは頼りにしている。姓名
判断も同じだ。
問題の本質は、対象となる現象が科学的かどうかではなく、ひとの心の不安を消すこ
とができるかどうかである。よほど意志が強く、頭脳明晰でない限り、自分で決断をく
だすのは難しい。ほとんどのひとは判断や決断の際、何かを頼りにしたいのである。そ
の手段として使われるのが、血液型であり、星座であり、人相であり、姓名であるのだ。
要は何でもいいわけである。ただし、少しは科学的であるという化粧が必要である。現
代社会で迷信を信ずる者は変人扱いされるため、誰もそのようには見られたくないのだ。
科学の装いが必要だ。
民主主義は責任を持って自己判断できる人々の投票行動に依存している。国民の責任
感が前提である。ひとが血液型や星座に信をおいて他人の人格を判断し、自己責任を放
棄するように、投票もマニフェストを真面目に読まず、他人の行動や“空気”に左右さ
れるのだ。勝ち馬に乗りたいのは、得するという以上に、みなと同じに行動した方が安
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心できるからである。マニフェストは飾りにすぎなくなりがちである。困ったものであ
る。
ただ面白いのは、このように国民が熱にうなされ、少々無謀な行動(民主党に怒られ
そうであるが)をとらないと、社会は変わらないということである。政権を奪取した政
党は、その理念に基づき、数年間政策を実行していき、国家の在り様や社会の体質が少
しずつ変わっていくであろう。それは国民の望む姿でなかったかもしれないし、望むも
のであったかもしれない。ただ、結果に過ぎない。国民は変わりたいと望んだ以上、そ
の結果の最終責任を負わされる。筆者はいい変革であることを期待するばかりである。
話をエセ科学に戻そう。脳のトレーニングがブームである。アルツハイマー病から逃
れたいという危機意識がブームを煽り立てる。一見、脳科学の最前線の知見を基にした
商品が溢れかえっている。声を大にしていうがほとんどエセ科学である。科学の仮面を
かぶっているに過ぎない。脳トレはやらないのよりもやった方がいいから、それで害に
なるひとはいないと思われるが、まったく困ったものだ。これも非科学的であると騒ぎ
立てるよりも、流行や文化と思って享受するのが賢明であろう。
脳科学研究の成果を基にして難事件を解決するという番組があるが、その内容は稚拙
すぎる。脳科学研究は未知の部分や謎が多く、始まったばかりと言っても過言ではない。
簡単に断定できるものは多くない。左脳=理性、右脳=直感という簡単な図式は危険で
ある。脳は訓練や環境によって変わりうる可塑性を持っている。素人は最先端科学を理
解するのが難しいため、簡単な結論に飛びつきたがる。そこにエセ科学の誘惑がある。
科学者も人々がエセ科学の犠牲にならないように、研究成果を分かりやすく説明する義
務がある。
中国医学はまだ解明されていないものが多く、未知の科学かエセ科学かを見分けるの
が難しい。漢方薬がどれほど効果があるか分からずに、手を出すものが多い。病気にか
かるものはエセ科学も文化のひとつだと寛容に構えてばかりおられない。自分で身を守
るしかない。漢方薬は副作用がない、というのはほとんど誤りであると認識すべきであ
る。
一方、西洋医学で治らなかった病気が漢方医に診てもらったらすぐに治ったというの
もある。脈を取っただけで、どこが悪いかをピタリと当てる名医もいるから、事情は複
雑である。このような漢方医学は科学的に実証されていないが、有効である場合もある。
科学の未知領域か、エセ科学かは個別に判断していくしかない。
また、筆者の経験であるが、足裏マッサージをやってもらうと、つぼの痛みから悪い
部分を言い当てられる。不眠症、首筋のこり、腰痛、胃腸の不調。これらはすべて職業
病とも呼べるものであるので、すぐに治療できるものではない。ただ面白いのは、人間
ドックを受診しても、これらの不調を指摘されることはない。筆者の悩みを西洋医学は
分からないのである。
米国では“祈り”の研究が盛んに行われるようになっている。“苦しい時の神頼み”
も非科学的だと否定する訳にはいかないようである。祈りによって他者への働きかけは
できないと思われるが、祈りは呼吸を整え、不安を鎮め、血圧を下げたり、免疫力を向
上させたりする作用があると言われている。新しい科学の領域である。
人間の寿命は伸び続けている。女性100歳、男性90歳という時代はすぐそこまで
来ている。生命科学の発展のより、それが達成される日は近い。健康で長生きをしたい
という人々の願いは、科学を信頼し、エセ科学を疑ってみる見識によって支えられるで
あろう。
エセ科学は甘く、真の科学は苦いのだ。
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芸術は爆発だ!
もうだいぶ前のことになるが、敦煌の莫高窟(ばっこうくつ)遺跡を見に行って、ひ
どく感動したことを鮮明に覚えている。東洋のモナリザと作家・井上靖が呼んだ観音様
は非常に美しかった。莫高窟遺跡は仏教美術の最高峰として、世界文化遺産に登録され
ているが、風化がひどいため、今では本物を見学できない。
当時もうひとつ驚いたことがある。莫高窟は何百年もかけて、掘られ、壁画が描かれ、
菩薩像が塑像されてきている。それらの芸術としての美しさや完成度をみると、盛唐時
代に作られたものが最高峰に位置している。それ以前のものは勢いを感じさせるが、ま
だ完成度が足りない。盛唐から時代が下るにつれて、技術レベルはむしろ下がり、模倣
したとしか思えない、生命力に欠けた作品が多くなっていく。仏教美術の観点からいう
と、盛唐で頂点を極め、その後芸術としての価値を低めている。創造力を感じさせない
のだ。
中国の文化水準は唐がピークで、それから下り坂に入っているというつもりはない。
実際、宋代は印刷術、火薬、羅針盤などの重要な技術が急速に発展した時代であった。
清代も小説が花開いた時代であった。だが、19世紀に入るや、創造的な芸術や科学技
術が生まれなくなったように思える。創造性が失われれば、社会の活性化も弱まり、国
力も衰退へと向かっていく。列強による半植民地化は、侵略してきた国の方が悪いが、
それを跳ねつける中国の国力も弱まっていたのである。
現在、政府は創新国家を目指しているが、コピー商品が蔓延している状況下で、その
実現への道はまだ見えていない。
眼をヨーロッパに転じよう。
13世紀、チマブーエとその弟子のジョットーが絵画の世界で革命を起こした。それ
までの中世のキリストやマリアの絵画は平面的で、生命が宿っているようには描かれて
いなかった。天上の存在だった。チマブーエらは、最初に人物に自然な表情を取り入れ
たのである。人間らしい生命を吹き込んだのだ。彼らがルネサンスの父と呼ばれる所以
である。その後の画家はそれに触発され、まさに人間復興の時代が幕を開く。レオナル
ド・ダビンチ、ミケランジェロ、ダンテ、更には科学の世界にまで影響が及び、ヨーロ
ッパは近代化へと突き進んでいく。創造することの喜びを知った人間を止めることはで
きない。大進歩の時代を迎える。
近代科学が大きく進歩し、大量生産・大量消費時代を人々は享受している。しかし、
現在人類はエネルギー供給不足、地球温暖化、環境劣化などの新たな危機に直面してい
る。再び、ルネサンスが必要になってきているのだ。
最近、中国科学院が発表した『科学技術革命と中国の現代化』では、世界は新しい科
学技術革命の前夜にあると謳いあげている。それは事実であるであろう。生命科学は飛
躍的に発展し、再生医療は人々の寿命をさらに伸ばすであろう。中国政府も“創新国家”
を目指して、毎年2割増の研究費を投入している。科学技術の制覇なくして、世界の覇
権は握れないと躍起だ。
しかし、科学技術は何のために生きるのか、どうやって生きればいいのかを教えては
くれない。人間はロボットではない。科学技術の発展と同様に、絵画、音楽、文学、哲
学などの芸術の発展も必要であるのだ。人生観や価値観は芸術から生まれる。芸術も科
学技術も創造力を必要としている。
印象派のゴーギャンは、1889 年工業化の夢を謳うパリ万国博覧会に湧く大都市の喧
騒に背を向け、文明社会に別れを告げ、南太平洋のタヒチへと旅立つ。彼は内なる野生
の声に忠実に生きようとしたのである。そこで、彼は文明に毒されていない楽園の美し
さと原住民の古代信仰に魅せられていく。ゴーギャンは次々と独特な絵画を描いていく。
85
タヒチで描いた作品を抱えてフランスに帰国し、個展を開催したが、作品の売れ行きは
期待はずれだった。パリの美術界には受入れられなかったのだった。失意のうちに、彼
は再びタヒチを目指した。骨折した脚や梅毒の後遺症に苦しめられていたゴーギャンに
悲報が届く。最愛の娘の死である。絶望の淵に沈んだ画家は、死を決意した上で、自ら
最高傑作という作品を描き上げる。『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々は
どこへ行くのか』をわずか1ヶ月で完成させた。傑作を完成させた夜、睡眠薬を飲んで
自殺を図ったが、未遂に終わった。ゴーギャンは、生き延びて自宅に帰って来て、この
作品を眺め、慰められたという。
完成から100年以上も経過しているが、この油絵の作品は昨夜描かれたのではない
かと見まがうほど輝いている。原色が強烈で、新鮮である。ゴーギャンの作風は日本の
浮世絵の影響を強く受けているといわれるが、死後、印象派の巨人として人々を魅了し
ていく。彼は文明化されていない“野蛮”のなかに、人間の本来の姿を発見したのだっ
た。それは今でも我々の心を打つのである。
翻って、中国社会をみると、“金持ち駅行き”のバスに遅れまいと、みんなが浮つい
ている。カネ万能主義が人々の創造性を奪っている。これでは、物質的に豊かな社会は
予見できても、血が沸き、肉が踊る未来の展望が切り拓けないだろう。若者に希望を与
えられない。中国では毎年約27万人の人々が自ら命を絶っている。生きることさえ息
苦しい社会になっている。
旅行作家・椎名誠は80年代初頭、上海、敦煌、北京など中国各地を旅行した後の感
想を次のように述べている。
「しかしぼくはその時再びフト思った。それは、このままでいくと中国は確実に悪くな
るだろう、という想いであった。悪くなる、というのはいま、中国という国が基本的に
持っている素朴さ、感動的なまでの生真面目さ、そしてそのびっくりするほど綺麗な眼、
化粧のない顔、くったくのない笑顔、そういう中国全部がもっている“なつかしい大昔
の日本”というようなものが、いまの急速な国際的自由化によって汚れつつあるのだな、
ということをこの二週間の旅のあいだにあちこちで見てしまったような気がしたから
である。
もとよりそれは短期間をつっ走っていった旅行者の勝手なロマンチシズムであるの
かもしれない。しかし中国をかけ足で見てきたぼくがいま感想をひとつだけ言ってみろ
と言われたらまさしくこの『中国はこれから確実に悪くなるだろうな』ということしか
ないように思うのだ。
」
彼の予言は当たっているように思える。
北京市の東北郊外に「798 現代芸術村」があるが、そこの作品には生命力や斬新さを
感じない。政治的メッセージはあっても、魂の解放がないのである。人間には無限の可
能性があると信じる。それを可能にするのは、魂の輝きである。無限の自由を芸術家及
び科学者に与えよ。そうすれば、芸術が息を吹き返し、科学技術で世界をリードし、中
国の世紀の時代が来るであろう。
中国人は元来創造力を持たない民族ではない。長期間、東洋文明を牽引してきた歴史
をみれば、一目瞭然である。中国人の創造力は凄まじく、時として古い文化を徹底的に
破壊してきたのである。
戦前から戦後まで35年以上の長期にわたり、中国に滞在した日本人技師・山本市朗
は、大躍進運動前後の北京で面白い経験をしている。ラジオのラッパを作っているおば
さんたちの町工場を訪れた時のことである。山本氏はまったく手工業的な製造工程と全
部自家製の工具を見てまわった後で、製品を手に取って眺め、その音を聞いてびっくり
している。そのおばさんたちの作ったラッパの方が、上海や北京の専門工場で作ったラ
ッパよりはるかによかったのである。おばさんたちはみんな素人で見よう見真似で工場
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を立上げ、熱心に創意工夫を重ねて、高性能のラッパを製造し、飛ぶように製品を売っ
たという。大躍進時代の面目躍如である。中国人の創造力は畏るべし。大躍進政策は大
失敗に終わったとされているが、市井には創造性豊かな、熱心な人々もいたのである。
しかし、役人の指導により、彼女たちの工場は平凡な大工場に吸収合併され、その熱
意と創意をおしつぶしてしまったのである。指導者の無定見がイノベーションの芽を摘
むという典型的な例である。中国政府は歴史を鑑とすべきである。
最後に、一斉を風靡した劇作家・寺山修司作で白井晃演出の演劇『中国の不思議な役
人』の鑑賞の感想を述べておこう。渋谷のパルコ劇場は満員だった。
舞台は1920年代の上海。この街には、略奪が横行し、政治的な陰謀が渦巻いてい
た。少女・花姚(かちょう)は兄とはぐれたところを何者かにさらわれて、娼婦館に売
られてしまう。まだ十三歳で男を知らない花姚は、娼婦接待術を叩き込まれる。ある時、
娼婦館に、中国の不思議な役人が現れる。この街を支配するこの男は、数百年も行き続
けている不死なる存在である。花姚は不思議な役人に見初められ、人形のように弄ばれ
る。一方、花姚を探している兄は、謎の女将校と出会い、役人暗殺を依頼される。兄は
花姚といる役人に青竜刀で切りかかるが、役人は死なない。役人は花姚のもとに通い続
け、やがて、花姚のなかに役人への無垢な思いが芽生え始める。花姚は愛を告白する。
その時、不思議な役人に死が訪れる。身体がバラバラになってしまう。役人が唯一死ぬ
ことができる方法は、真実の“愛”を知ることだった。
寺山作品は前衛的すぎて、難解だ。怪人のような役人は何の象徴なのか。不思議な役
人を演じた平幹二郎は、「20世紀に入り、死ぬに死ねずにいた清朝がもがきながらつ
いに死を迎えるさま。それこそが作品のテーマでは?」とインタビューで答えている。
でも、筆者はこの作品は上海が舞台ではあるが、中国や中国人をテーマにしたものでは
ないと思っている。ただし、現在の拝金主義の中国人に必要なものは芸術であり、絵画
であり、小説であり、演劇であるように思える。生きるうえで役に立たないものにどれ
だけ価値を認識できるかどうか、新中国60周年を迎えて、中国人の人間としての度量
が試されているのだ。そうしないと、
『中国の不思議な役人』のなかの主人公のように、
終焉を迎えるのではなかろうか。
<参考資料>
ゴーギャン展カタログ(東京国立近代美術館等)
『地球どこでも不思議旅』椎名誠著(集英社文庫)
『北京の三十五年』山本市朗著(岩波新書)
『中国の不思議な役人』パンフレット
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日本はすでに中国に抜かれているか
中国の勢いは止まらない。今年中に中国はGDPでも日本を追い越すと言われている
が、実際には円高などの影響のため、来年以降にずれ込みそうだ。だが、実質的なGD
Pはすでに抜かれている。
米中経済戦略会議も開催され、米中2ヶ国が世界の重要案件を決定する構図ができつ
つあるのかもしれない。いわゆるG2サミットの誕生である。G8はG20に拡大され、
日本の国際社会での地盤沈下は明らかになりつつある。中国の足音はすぐ後方から聞こ
えてきたが、あっという間に抜かれてしまいそうだ。日本の経済や政治の学者は、20
年来中国の崩壊や沈滞を予測し続けてきたが、その“期待”は見事に裏切られた。彼ら
の言説を信じたため、その間、日系企業の中国進出は遅れ、日本政府の対中国戦略は消
極的なままだった。学者先生に責任を取ってもらいたいものだ。
多くの中国人知識人は「日本はすごい。まだ数十年は追い抜くことができない」と謙
遜しながらも、その顔には自信がみなぎっている。鄧小平は、「真の実力を身につける
までは、大胆な行動をせずに控えめに振る舞え」と遺言した。彼はすぐに威張りたがる
中国人の性格を熟知していたからであろう。
さて、抜かれていると言っても、その内容が問題である。検討していきたい。まずは
既に抜かれている指標から。
人口は日本の10倍。これは日本がリードしたこともないし、これからも日本が勝て
る見込みはない。中国は16億まで人口が増加すると予測されている。日本は人口減少
社会を経験することになろう。人口の多さは貧困の原因でもあるが、巨大な市場という
見方をすれば、長所に転ずる。世界のカネが中国に吸いつけられている。ライバル企業
に勝つためにも、中国市場に参入しなければならない。また、巨大な人口は人材の宝庫
でもある。優秀な頭脳がイノベーションを牽引すると考えれば、将来中国からどのよう
な新技術が生まれるか計り知れない。中国をよく知る日本人学者が指摘するように、北
京大学の学生の質は東京大学をすでに上回っている。10倍の人口から選ばれたのだか
ら当然といえば、当然かもしれない。
面積は日本の25倍。これだけの版図を維持するためのコストは、少数民族との共存
を考えると莫大であるが、レアメタル、カーボンハイドレートなどの資源が眠っている
可能性は高い。なにしろ、図体が大きいことは、男でもそうであるが、相手に対する威
圧力が高まる。脅威に感ずる国もあるが、一目置いてくれる国もある。
オリンピックのメダル数はまったく太刀打ちできない。スポーツ振興のためのエリー
ト教育は徹底している。穏やかな民主主義国の日本には真似ができない。スポーツは勝
ち負けがはっきりするので、日本は国威発揚のためにも若手の育成に力を入れるべきで
あろう。国際競技の場で勝つと、国民は元気がでてくる。経済効果も大きい。
中国の民族数は56で、漢族が92%を占めている。中国政府はチベット族やウイグ
ル族の反発に手を焼いているが、“持てるものの悩み”である。漢族の民族融和策が成
功するかどうかは歴史の審判を仰ぐ必要があるが、民族融和に成功すれば、多様性のあ
る文化国家として魅力的な国になる可能性はある。一方、日本は朝鮮人と中国人がそれ
ぞれ60万人住んでいる他は、大和族の日本人である。日本は均一性の高い国である。
21世紀に有利で活躍する国家は多様性な国だろうか、それとも均一性の高い国であろ
うか。
貿易黒字額も抜かれている。かつて、1980年代、米国は日本との貿易不均衡を外
交問題にし、日本に半導体やクルマの輸出自主規制を強要していたが、中国との防衛不
均衡はどうしてか問題にしていない。元安の意図的誘導、知的財産権違反などの問題を
米中間で議論しているようには見えない。米国は同盟国の日本にはわがままが言えるが、
88
台頭する中国には要求をできないようだ。これで、日本は米国との貿易不均衡をとやか
く言われる筋合いはなくなった。これも中国のお陰と喜んでいいのだろうか。
中国の株時価総額は日本を抜いて、世界2位に躍り出た。社会主義国がなぜ資本主義
の要である株の時価総額で世界の主要国になるのか不思議でならない。株時価は企業の
実力を必ずしも反映していないかも知れないが、トップ5の企業のうち3社は中国企業
である。日本企業で20位以内に入り込んだのは、トヨタのみである。たかが株時価と
言う勿れ。映画「ハゲタカ」にあるように、日本のハイテクメーカーは中国ファンドに
狙われているかも知れない。
中国の外貨準備高は2兆ドルというとてつもない数字だ。戦後長くトップを誇ってき
た日本は中国の半分しかない。ドル基軸通貨の命運を握っているのは中国なのだ。中国
がドル決裁をやめれば、どうなるのか。
米国債保有高のトップも中国だ。これも日本はあっという間に抜かれた。仮に、日本
と中国が連携して、米国債を売れば、米国の威信は地に墜ち、ドルは暴落するかも知れ
ない。もちろん、暴落すれば、元手が少なくなるからという理由で米国債を売らずに、
保有しているわけであるが、このような不安定なことがどこまで続くことやら。
自動車販売台数で、中国は今年米国を抜いてトップになる予定だ。年間1000万台
の自動車が中国大陸で売れるという。日本の2倍である。日本の自動車メーカーの販売
台数はまだ米国におけるものがトップであるが、近年中に中国がトップになるであろう。
「売れる市場で生産する」というのが自動車メーカーの方針だから、中国市場は“ドル
箱”だ。この言葉も死語となるのも近いかも知れない。“元箱”と呼ばなければならな
くなる。
中国のインターネット利用者数は3.4億人でこれも世界1位。しかも、政府批判が
巻き起こらないように規制しているというから、化け物の国である。いったいどうやっ
て、何人の動員をかけてやっているのか。一方で、ネット中毒の小学生は7%に登ると
いう。これも大きな問題だ。
携帯電話数は4億台とも言われる。もっと伸びることは必至だ。10億台を突破する
ことも可能だ。農村から大都市に出稼ぎに来ている農民は、食費を切り詰めても、携帯
電話は手放さないという。携帯なくしては、仕事にありつけないからである。農村から
都市への出稼ぎ者は 2 億人もいるといわれている。4世紀のゲルマン民族の大移動を上
回る数字に違いない。
中国の最初の高速道路は1989年にやっと開通した。現在の総距離は6万キロ。日
本は8000キロにすぎない。中国は1年間に日本の高速道路の総距離を造ってしまう
ような国である。土地は原則、国のものだ。地図の上に直線を描くように、高速道路を
容易に建設できる。個人の利益よりも社会の利益が優先される社会主義国の特徴が生か
されている。
広大な国土を持つ中国は高速鉄道にも力を入れている。数年前、北京-鄭州、北京-
長春、上海-南京の間の既存の鉄道を高速列車が走り始めた。日本の新幹線のコピーか
と思えるような車両が最高速度240キロで走っている。高速鉄道の名称は、
“和諧(わ
かい)”だ。胡錦濤主席が自分の目指す和諧社会にちなんでつけたに違いない。最初の
専用線の高速鉄道は、北京オリンピック開催に合わせて、北京-天津にオープンした。
最高時速330キロだ。日本の新幹線よりも速い。リニアモーターカーもすでに営業を
始めている。上海浦東国際空港から市内までの30キロを10分足らずで走り抜ける。
最高時速は430キロだ。乗客数は少ないので、赤字と思われるが、バックに世界で一
番金持ちの政府がついているので問題はない。社会主義国のため、国境線内のものは原
則国家のものである。私有財産は認められているかどうか、あやふやである。だから、
党の汚職幹部は没収を怖れて、資産を海外に持ち出そうとするのだ。
89
軍事費では中国は米国と大差があるものの世界2位、日本は7位。米国は中国の軍事
費には研究開発費や武器購入費が含まれておらず、実際は3、4倍に膨れ上がると主張
し、中国脅威論を喧伝している。空母も建設中である。人民解放軍の海軍は台湾海峡を
自由に運航できる領海にしたいのであろう。そして、西太平洋やインド洋にもシーレー
ン確保のために進出したいと考えていると思われる。
有人宇宙飛行も2度成功させた。2度目は海外メディアにも公開し、実況中継を行う
ほど自信があったのであろう。次は月探査衛星の打ち上げ、そして月面探査、さらに月
面基地建設と計画は目白押しである。米国も対抗上、月面基地建設を始めるかもしれな
い。世界の中心と思い込んでいる似たもの同士の両国だ。
中国は国連安全保障理事会の常任理事国だ。拒否権がある。国連の共通語のひとつは
中国語である。日本は選挙で選ばれる非常任理事国だ。拒否権はない。雲泥の差がある。
中国の大学生数は2500万人もいる。これには社会人大学生や専門学校大学生も含
まれている。10年ほど前までは大学卒はエリートとみなされていたが、今では普通の
ひとになってしまった。方々から借金し、苦労して子供を大学に行かせても、就職でき
るとは限らなくなった。当局発表の就職率でも68%である。実際はもっと低いといわ
れている。50%程度の大学も多い。
国際学会での発表を含む学術論文数では、中国は世界2位である。ナノテクの分野で
は米国を抜き、トップというから驚きだ。ただし、誰も引用しない、いわゆるゴミ論文
は確かに多い。中国人学者は言う。「まずは、量で先行し、その後質を高めていけばい
い」
太陽光発電パネル輸出額でも、日本は中国に抜かれている。米国の太陽光パネルは中
国製が多い。シリコンが安いためである。日本は技術力は高くても価格も高いため、海
外市場を占有できないという弱みがある。
中国の炭酸ガス排出量は日本の5倍もあり、世界最高だ。炭酸ガス規制に中国が加入
しなければ、地球の温暖化は止まらない。中国は先進国にこそ責任があるといって、責
任逃れをしようとしている。
少し古いデータであるが、大気汚染都市のワースト5のうち4つは中国大陸にある。
ただ、工場を分散させたり、良質の海外石炭を燃やしたり、脱硫装置を装備するなど対
策を打ち出している。効果が上がるのはいつのことであろうか。汚染が減少し、日本で
光化学スモッグが発生しないようにしてもらいたい。
スーパーコンピューターは自動車の設計や大気変動の予測など膨大な計算に使用さ
れ、産業の高度化のひとつの目安とされている。だが、日本のスーパーコンピューター
の開発力は下降線を辿っている。それに並行して、日本国内におけるスーパーコンピュ
ーターの購入・設置数も減少している。昨今、中国はスーパーコンピューターの設置数
でついに日本を抜いた。頑張れ、ニッポン。この分野で中国に追いつくことは可能だ。
米国の大学で科学と工学の博士を取得する学生の半分は外国人である。その外国人の
三分の一は中国人が占めている。2006年のデータでは4280人だ。日本人は22
2人に過ぎなく、しかも減少している。二十分の一である。韓国人は1219人を記録
している。海外に出たがらない日本の若者という構図が出来上がりつつある。若いとき
の友人は一生の財産になるだけに、もったいない話であり、日本人エリート候補の人脈
形成力が低下していると懸念される。
やれやれ、中国に抜かれている指標は多い。もはや、世界2位の経済大国とは言えま
い。
さて、自信を取り戻すために、まだ抜かれていない指標を探すことにしよう。
スポーツでは、野球とサッカーが中国よりも強い。中国人は卓球などの個人技に勝る
が、団体戦に弱い傾向がある。他人と連携するのが苦手である。唯我独尊といってしま
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えば、厳しすぎるかもしれないが、面子を大切にし、自分のやりかたに固執する。
ソフトパワーでも日本が抜きん出ている。漫画、アニメ、映画、ファッションなどで
日本は強い。自由な発想が認められているのが大きい。中国は表現の自由が認められて
いないため、制約が大きく、面白い発想の芽を摘んでいるのではなかろうか。
科学技術水準でいうと、ノーベル賞受賞数や世界的なハイテクメーカーの量と質では、
また日本が先を行っている。ただ、iPS 細胞から世界で始めて個体マウスを作成するな
ど中国で突然すごい成果が現れるから驚きだ。天才は多いし、政府も毎年2割増の研究
費を投入しているから成果が出るのは速いだろう。科学や産業技術は経験の積み重ねが
モノをいうので、日本に追いつくのに今しばらく時間がかると思われる。
所得格差を示すジニ係数では、中国は日本を追い越し、米国に迫っている。中国では
格差はますます開いているのである。少数民族問題とも絡んで、所得格差は社会の不安
定要因になりかねない。もちろん、日本の所得格差も重大な問題となりつつあることも
確かだ。
中国の街は以前よりも清潔になったが、まだ日本に較べたら汚い。多くの中国人が日
本にやってきて、まず驚くのは街が非常に清潔ということだ。
中国人のマナーは隋分よくなった。列にもちゃんと並ぶようになった。やればできる
のである。ただ、他人の立場になって考え、ひとに優しく接することを年少から教えら
れている日本人は、謙譲の精神が豊かで、誠実である。快適な都市生活をおくる上で、
大切なことである。
一人当たりGDPでは、日本は中国の10倍である。物価高を考慮しても、個人の豊
かさでは、日本が先を行っている。しかし、以前世界2位であった一人当たりGDPは
現在19位まで下降し、「もはや日本は先進国ではない」とまで言われている。日本の
成長神話は本当に終わったのか。政治の舵取りと企業の奮起が期待される。
自由と民主主義では、日本は中国よりずっと進んでいる。個人が大切にされる国の
人々は、幸せである。日本の国籍を取りたいという外国人は多いが、中国籍が欲しいと
いう外国人は聞いたことがない。日本は憧れの国なのだ。
最後に、自殺者数は毎年3万人を超えている。これは大問題である。セーフティーネ
ットが効かなくなってきている証左である。政府も国民も問題点を究明し、解決に向け
て国民運動を起こす時期に来ているのではなかろうか。なお、中国の自殺者数は年間2
7万人でこれは不名誉な世界一である。特に、農村地域の女性は古い因習のなかで社会
的に強い圧力を受けているという。農薬による自殺が多いそうだ。
中国と比較することにより、日本の特徴や進むべき道が見えてきたようだ。経済がそ
こそこに成長し、活気があり、情けのある穏やかな社会が日本人にもっとも合っている
のではなかろうか。鳩山新政権にもそのような日本の建設に励んでもらいたい。
91
桃源郷
国慶節が近づいた。今年は新中国の創立 60 周年の記念すべき年のため、10 年ぶりに
軍事パレードを行うという。今どき、軍事パレードを行うのは、北朝鮮と中国くらいで
あろう。人民解放軍は近代化した軍の最新兵器を人民に誇示したいのであろうが、隣国
からみたら脅威以外のなにものでもない。予告なしの深夜のパレード予行演習を行うほ
ど熱が入っている。北京の街角には公安の姿も多く見かけるようになった。5月、6月
には、女性に淫らな行為をした、あるいはしようとしたとして、邦人3名が海外強制退
去を命じられ、邦人社会にちょっとした激震が走った。なかには、600 元(9,000 円)
のマッサージを勧められ、やむなくOKと返事した後で、公安が踏み込んできたという。
それが本当であれば、囮捜査である。要は、中国当局は、不真面目な行動は慎み、重大
な国事を真面目に祝えというのだ。
こんな息苦しい北京を去って、どこか火薬の匂いのしないところに行きたい。昨年の
国慶節の連休は何をしていたんだっけ。そうだ。4日間連続でゴルフコンペに出場した
のだ。十数名の参加だったが、優勝2回、準優勝2回を記録し、ひんしゅくを買ったの
だった。ま、勝負事だから、弱い者がいけないのだ。弱者に同情していたのでは、上達
するわけがない。弱いものから徹底的にむしりとるに限る。なんて本音をこんなところ
で披露しちゃって、またひんしゅくを買いそうだ。今年もコンペを開くそうだが、最終
日に1回だけエントリーしているだけだ。後日談だが、そのコンぺは惜しくも準優勝と
なった。夏場に体調を崩し、4 ヶ月もゴルフ場に行っていないことを考えると上出来だ。
さて、どうやって連休をつぶそうか。来年の6月に帰国する予定だから、国慶節連休
はこれが最後となる。さっそく、旅行好きの中国人に連絡し、雲南省(日本と同じ面積)
に旅行に行きたいがどこがいいか、と訊いてみた。リストアップされたなかに、シャン
グリ
ラの文字を見つけた。シャングリラと言えば、マレーシアの華僑が経営するシャングリ
ラ・ホテルをすぐに思いつくが、一度も泊まったことがない。
実はシャングリラの近くの世界文化遺産の麗江までは行ったことがあるが、シャング
リラはまだだった。シャングリラという地名は、『チップス先生さようなら』の作者で
あるイギリスの作家ジェームス・ヒルトンが 1933 年に発表した小説『失われた地平線』
に登場するユートピアである。その名の意味するとおりどこにも存在しないところであ
るが、雲南省の中甸という高原の街が、それは「おらの村だべ」と言って、勝手に地名
をシャングリラに変えてしまった。この小説に、シャングリラ渓谷には、チベット人と
中国人が住み、上質のタバコや茶が栽培され、薬草が採れることが書いてあることが根
拠になったという。中国語では“香格里拉”と標記される。その名前に触発されて、中
国国内ばかりでなく、世界中から観光客が押し寄せるようになったのだ。名前の力は怖
ろしい。女は見栄えが大切だが、地名も同じだ。中国人はこういう現実主義的な能力に
非常に長けている。日本人は恥ずかしすぎて、このような大胆な発想と行動ができない。
ただ、シャングリラは世界自然遺産の最寄りの街であるので、美しいところであるに
違いない。ガイドブックやネットで調べていくうちに、ややこれは面白そうではないか。
シャングリラの北方の村まで標高 4300 メートルの峠を越えて行くと、6,740 メートル
の梅里雪山を眺望できると書いてある。よっしゃ、よっしゃ、行こう。
次の行動は旅行会社に見積りを出させることであった。10,000 元ならOK、20,000
元なら考え直す。その間であれば、どうすべきか。15,000 元が境界線だ。もちろん、
こんなことは先方には言わずに見積書を提出させた。手の内を明かしたら負けである。
見積書を見て驚いた。14,640 元だ。15,000 元を少し割り込んでいる。しかも、昼食
代と夕食代は現地払いで、見積書に含まれていない。敵はあっぱれ。僕の心は見透かさ
92
れていたのだ。敵は私の風貌からこれだけは払えると見抜いていたのである。昼食代と
夕食代を加えると、16,000 元を超えてしまう。4秒くらい考えて、行くことに決めた。
行かないという選択をした場合、連休をどうやって潰すか考えなければならない。中国
人は賢い。もう負けた。もうあれこれ考慮するのをやめた。辛いのだ。騙されてもいい、
ベルトコンベヤーに乗ったまま、桃源郷のシャングリラに行くのだ。それもひとりで行
くのだ。ゴルフなんかより、こっちの方が面白いぜ、ベイビー。高山病も吹っ飛ばすぜ、
赤ちゃん。
これを聞きつけた中国人が「ひとりで行くのは危険だ。中国の田舎は危ない。止めは
しないが、くれぐれも気をつけるように。騙されないように」と何人も同じことと言う。
僕は中国の都市や街を 90 ヶ所ばかり廻った。帰国までに 100 の大台を目指している。
今度行けば、さらに二つか三つの街が追加され、赴任中の目標達成が見えてくると、そ
んなバカなことを考えながら、僕はまだ真っ暗な早朝を北京空港へと向かった。
新中国 60 周年式典を迎える前日、空港の検査は厳しかった。靴を脱がされ、傘のな
かまで調べられた。
飛行機は予定通り順調に飛んでいる。乗客はほとんど睡眠不足のため寝ている。3 時
間後、昆明の上空に差し掛かった。標高は 1,900 メートルもあるのに、人口が 500 万と
いう大都市である。工場の煙が何本も立ち昇っている。昆明盆地は黒く汚染された空気
で覆われている。市街地に接する巨大な湖は緑色に染色されている。すごい汚染だ。と
ころどころに黒い油が浮いている。
昆明は常春の高原として宣伝されているが、これじゃ、虚偽宣伝ではないか。ベトナ
ム、ラオス、ミャンマーの近隣国への経済進出の拠点である。湖の汚染は、中国の東南
アジア進出の黒い野望を物語っているように思える。それにしても、昆明は日本のマラ
ソンランナーの高地トレーニングの地であるが、汚染で気管支炎に罹るのではないかと
心配だ。
飛行機は昆明で 1 時間休息し、麗江(れいこう)へと飛び立った。ほとんどの乗客は
麗江まで行くようである。所要時間 40 分で麗江空港に降り立った。
迎えに来てくれたのはガイドの冀(ジ)さんと運転手の洪(ホン)さんだった。冀は
日本語を流暢に話す 21 歳の漢族だ。妻は納西(ナシ)族という。運転手は白(バイ)
族で、大理から来たという。こちらの奥さんは白族だ。後に分かることだが、麗江やシ
ャングリラでは、少数民族間の結婚が盛んで、文化の融合がかなり進んでいるようであ
る。少数民族の風習や価値観も漢族と変わらない。もちろんこれは漢化政策の結果であ
るが。
ガイドから世界文化遺産の麗江の説明を中国語で聞きながら、午後 2 時、ホテルに到
着した。チェックイン後、ガイドと別れた。麗江は一度訪れた街である。自分で観光で
きる。経費節約でもある。
ガイドに教えてもらった近くのレストランに歩いて行った。過橋米线(グオチャオミ
ーシェン)を食べるためである。雲南の米から作った麺が美味しいはずだ。僕は中国式
の丸いテーブルが5つほどあるその店に入った。客は多い。美味しい証拠である。
食券を買って、一番空いているテーブルに腰掛けた。真向かいでは、二人の若い中国
人女性が話しながら、麺をすすっている。しばらくすると、服務員が 15 元の米线を注
文したのは誰かと言いながら、米线の載ったお盆を運んできた。僕が手を挙げると、服
務員はやってきて、煮たぎったスープと麺と具を僕の前に置いた。僕はまずどんな具が
あるか観察した。すると、同じテーブルの女性が早く具をスープに入れろと言う。
「まずは肉からだ。早く。間に合わなくなるよ」
命令調である。いや、中国語はそう聞こえるのだ。僕は言われるまま、肉を入れ、魚
を入れ、野菜を入れ、そして、最後に米线を入れた。
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「これでいいか」
僕は二人の女性の方を見て、言った。
「いいよ」
それから、米线を食べながら、彼女らとおしゃべりをした。
二人の女性のうちひとりは河南の少林寺市からやってきた観光客で、もうひとりはガ
イドだった。少林寺の女性は何度もひとりで旅行しているという。ひとりで旅立ち、旅
行先で友達をつくり、一緒に観光するというケースは珍しくないらしい。集団行動が好
きな中国人も若い世代から変わっていくのだろう。
「今から馬に乗りに草原に行くが、一緒に行かないか」
と少林寺の女性が誘ってきた。中国人は縁を大切にするせいか、初めて会ったひとで
も、平気で誘う。僕は明日以降の海抜 3,000 メートル超での旅程を考えると、体力を温
存しておきたかったので、断った。彼らは食べ終わると、気をつけてねと言って、去っ
ていた。
過橋米线は予想通り、美味しかった。
僕は歩いて、世界文化遺産の納西族の清代の街並み(中国語では、古城)に行った。
連休のせいであろう、観光客が多い。2 年半前に訪れたときと較べると、観光化が一段
と進んでいる。石畳は整備され、レストランや土産物売り屋も小奇麗になっている。世
界遺産とはいっても、街全体がショッピングセンターと変わらない。入れ物を清代の家
屋に似せて作っただけで、中味は現代のショッピングモールである。中国人は商魂たく
ましい。
麗江は雲南とチベットを結ぶ街道“茶馬古道”の経由地として栄えた。雲南のお茶を
チベットに運送し、その代わりチベットの馬を雲南に運んだためこのような名前がつけ
られた。街道は昆明から大理、麗江、中甸、徳欽を経由し、チベットを東から西に横断
する。途上の中甸は現在シャングリラに名称を変更していることは既に述べた。
僕は街の近くまで迫っている丘を登った。斜面にはバックパッカー相手の旅館が肩を
並べている。高度が増すに連れ、世界遺産の瓦の波が見えてくる。僕は一軒の旅館兼休
息所に入り、冷えたビールを注文した。ビールを飲みながら、麗江の瓦の波を眺めた。
周りには誰もいない。僕は世界遺産を独占している。玉龍雪山から吹き降ろしてくる冷
たい風が頬を撫でて行った。至福の一瞬である。僕はビールを少し飲み残して、その場
を去った。
午後 5 時にホテルに戻り、2 時間ほど昼寝した。これも至福な時間だった。
僕はホテルを出て、歩いて夕食の場所を探し回った。よさそうな店がなかなか見つか
らない。やむなく、現地の人が入っている四川料理屋に決めた。服務員からある料理を
勧められた。辛いかと訊くと、辛くないというので、それに決めた。もちろん、ビール
も合わせて注文した。
運ばれてきた料理は、鶏肉を野菜と唐辛子で煮たものだった。火鍋の類だ。僕は唐辛
子を避けて、鶏肉を摘んで食べた。辛い。誰がなんと言っても辛い。慌ててビールを飲
むと、もっと辛くなる。我慢して食べていくと、脳まで辛さで痺れてくる。脳がおかし
くなりそうだ。毛沢東は辛い料理で有名な湖南出身であるので、中国人は辛いものを食
べると頭がよくなると信じている。しかし、僕は信じない。決して信じない。脳がやけ
どしそうだ。助けてくれと叫びたい。辛さを緩和しようと白米を口に入れたが、パサパ
サだ。服務員の舌は化け物だ。僕の繊細な舌と同じ人間のものとは思えない。こりゃ、
地獄だ。天国から地獄への墜落。失楽園だ!
僕は今度はビールを全部飲み、食事はほとんど残し、四川料理店を去った。もう二度
とくることはなかろう。いや、決して行かない。
ホテルに戻る途中、“木桶浴”という看板が目に留まった。木桶浴は文字通り木の桶
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に入って汗を流し、マッサージをしてくれる四川の風呂屋だと聞いていた。一週間前に
重慶に出張したが、経験する時間がなかった。四川の文化を体験してみようとふと思っ
た。
通された個室には、木桶、アカスリ台、ベッドがあった。しばらく待っていると、女
性の服務員がやってきて、木の桶にお湯を入れ始めた。服務員は納西族だという。お湯
が溜まると、入浴剤を振り撒いた。お湯が白く濁った。服務員はいいですよ、入れます
と事務的に言った。僕は服を脱いだ。風呂に入るので、当然素っ裸である。服務員は服
を着たままだ。これも当然だが。僕はゆっくり桶に入った。丁度いい湯加減だった。服
務員は両手を白いお湯に入れて、入浴中の僕の手と足を洗ってくれた。そして、頭髪を
シャンプーで洗い、顔まで丁寧に石鹸で洗ってくれた。
桶から出ると、手術台のようなアカスリ台にうつぶせになるように言われた。言われ
るままにするしかない。服務員は目が粗いアカスリ用のタオルで垢を落としていった。
丁寧な作業である。北京でアカスリを体験したとき、その男の服務員は、作業が終わる
と、こんなに垢が取れて綺麗になったと言わんばかりに、落とした垢を見せつけた。そ
んなの誰が見たいか。止めてくれー。
服務員はアカスリが終わると、乳液で垢を落とし、お湯で身体を洗った。そして、つ
いに身体をひっくり返すように言われた。若い女性の前に身体を晒すのは恥ずかしい。
でもここまで来れば仕方ない。異文化経験にはリスクが伴う。
服務員は相変わらず熱心に作業を進めていった。まず垢を落としにかかった。最初は
上半身から、そして脚へと作業を進めていった。僕は唇が少し乾いてきた。股間がむず
痒くなってきた。やばい。足の裏までアカスリが終わると、今度は乳液で垢を落とし始
めた。まずは上半身、そして下半身へ。だんだんと男の身体が反応し始めた。あそこが
大きくなる。硬くなる。どうしよう。そして最後に、服務員の手が股間に届いた。
「そこは・・・」
と言おうとしたが、間に合わない。うぐゥ。まさに手際よく、手で二三度往復させて、
そこを洗った。フー。思わずため息が漏れそうになったが、悟られまいと我慢した。お
湯で身体についた垢と乳液を流してもらい、タオルで身体を拭いて、ベッドに横になっ
た。
ベッドで脚と手と背中を簡単にマッサージしてくれた。1 時間が経過していた。服を
着て、服務員に年齢を訊いた。19 歳だと答える。再び羞恥心が僕を襲った。夕食は地
獄の味だったが、木桶浴の体験は天国に近かった。
次の日、男のガイドの冀さんが別のガイドを連れてきた。陳さんという女性だ。21
歳の納西族だという。当初、冀さんが虎跳峡まで案内する予定になっていたが、行けな
くなったので、代わりに陳さんがガイドするという。
出発である。我々は、北から南へ流れていた金沙江(長江の上流)が東へ大きく曲が
る地点へと向かった。快晴の空には、5,000 メートル級の玉龍雪山がはっきり聳えてい
た。陳さんは日本語をハルピンの日本語学校で 1 年間学んだというが、別れるまで日本
語を一切口にしなかった。途中の路上で、男が生きた蛇を手に掲げているのが見えた。
何かと訊くと、売り物だと、運転手が答える。新鮮な蛇の肉は身体にとてもいいという。
陳さんに好みの男性のタイプを訊くと、かっこ良くていい仕事に就いている男性と答
える。いい仕事とは給料が高いという婉曲的な言い方だ。結婚相手は、同じ納西族でも、
漢族でも、日本人でも構わないと屈託なく言う。
納西族は絵文字のようなトンパ文字を使っていたが、今は少数の老人しか書けないし、
しゃべれないという。若者は普通語(中国語)しか離せない。白族は文字を持っていな
いが、話し言葉はあるという。白族の間では白族語が話されている。文法は普通語に似
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ているという。一方、チベット族は独自の文字を持っていて、チベット語を家庭内で話
す。文法は普通語よりも日本語に近いそうだ。
10 時になった。クルマのなかのラジオから、新中国 60 周年式典の開会を宣言する胡
錦濤主席の声が鳴り響いた。今日の午前中は空軍の飛行機によるデモンストレーション
のため、北京空港は閉鎖され、パレードが行われる長安街付近のアパートは終日外出禁
止となっている。前日の北京脱出は正解だったようだ。
クルマが道路上に止まった。前の数台のクルマも止まっている。ひとびとがクルマか
ら次々と降りている。交通事故でも起こったのだろうかと訊くと、そうではないと運転
手が答える。陳さんに案内されるまま、クルマを降りると、ここから金沙江の湾曲部(長
江一湾)が見えるという。遠くに河が見えるが、どのように曲がっているかよく分から
ない。一応、写真を 1 枚撮った。クルマの列が動き出した。我々のクルマも次の目的地、
虎跳峡へと向かった。途中で、またガイドが変わることになった。ガイドの縄張りがあ
るのであろう。
三人目のガイドはチベット族の邓小燕さんだ。チベット族の民族衣装を着ている。21
歳で、今年の 5 月までハルピンで日本語を勉強し、6 月からガイドの仕事をしていると
いう。これから 3 日間、邓小燕さんと洪運転手と僕の三人の奇妙な旅行が始まることに
なる。
虎跳峡は金沙江の濁流が間近で見えることで有名だ。中国十大山峡のひとつである。
駐車場から下方に金沙江の濁流の一端が見える。外は暑いので、傘を持つようにと邓小
燕は言うが、僕は持って行かなかった。邓小燕は日傘を取り出した。高地は紫外線が強
いため、皮膚が焼けやすい。その後の旅先で、皮膚が真っ黒な 40 歳過ぎのチベット族
男性を何人も見かけた。邓小燕は日焼けをしたくないのだ。男性は白い皮膚の女性を好
むのを知っている。
さあ、600 段の階段を一気に下るぞ。そう思っていると、男性がかごに乗らないかと
話しかけてきた。歩く必要がないから楽だぞと。でも、僕は断った。疲れるから、下り
がだめなら、上りだけでもいいからかごを使えという。虎跳峡はまだ高地とはいえない。
少々息を切らせても、高山病には罹るまい。
降りてみると、虎跳峡の激流の秘密が分かった。金沙江が虎跳峡で幅が狭まり、流れ
が急になったところに、運よく巨大な岩石が落ちてきたのだ。水流がその岩石に乗り上
げ、落ちる際に激流ができる。凄い音が周囲に鳴り響く。観光客が激流をバックに写真
を撮っている。係員が写真を撮った者は次の者と代わるようにしつこく言っている。雨
季の 8 月には水量が増し、もっと大きい轟音が鳴り響くという。
僕はやはりかごに乗らずに、歩いて駐車場に戻った。たいした道のりではない。でも、
大都市からやってきた“富豪”と思える中年女性はかごに乗っていた。かごをかつぐ男
たちは顔中に大汗をかいていた。
僕ら三人は近くのレストランで昼食をとることにした。レストランに入るや否や、洪
運転手がタバコを 1 本取り出す。吸えというジェスチャーだ。僕はタバコを吸わないと
断った。
「お前の中国語は大変うまい」
洪運転手はお世辞を言う。外国人が少しでも中国語を話すと、中国人は「上手だ。上
手だ」と、うまくなくても、必ず褒めてくる。
昼食は鶏肉と野菜の炒め物と二種類の野菜炒めとビールを注文した。ビールを飲むの
は僕だけだった。洪運転手と邓小燕も初対面のようだ。この時点では、まだ会話は弾ま
ない。洪運転手はすぐ食べ終えるや、国慶節の式典を見に、テレビのところに行った。
勘定は僕が払った。今後 3 日間、ホテルで食べる朝食以外、僕がすべての食事代をもつ
ことになる。中国では一番の金持ちが勘定を払うことになっている。ただ、旅行社によ
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っては、旅行客とガイド・運転手が別々に食事をさせることがある。一緒に食事した方
が気心がすぐに知れてきて、打ち解けるので、何かと便利で、楽しい。
胡錦濤主席の演説を聴きながら、標高 3,300 メートルのシャングリラに向けて出発し
た。途中、コスモスが咲いていた。高原の地にマッチしている。2 時間ばかり走ると、
景色のいいところで、休憩することにした。僕は写真を 2 枚撮り、見えないところに行
って、立ち小便をした。戻ると、どこからやって来たのだろか、二人のチベット族の子
供が邓小燕と何か話している。子供たちは綺麗なチベットの民族衣装を身に着けている。
邓小燕は写真を撮ってやるようにと僕に催促する。僕が彼らにいくらだと訊くと、
「1 元でも、2 元でも、いくらでもいいよ」と恥ずかしそうに言う。
邓小燕を子供たちの真ん中に立たせて、写真を撮った。邓小燕が 5 元あげたらという
ので、そのとおりにした。男の子は 13 歳で、女の子は 11 歳だ。でも、兄妹ではないと
いう。僕が男の子に、彼女が好きかと質問すると、恥ずかしがって何も答えない。僕ら
三人は出発することにした。僕の背中越しに、ありがとうという元気な声が聞こえてき
た。そのときふと思った。子供たちはこのような仕事は本当はしたくないのではないか。
貧しいために、親が観光客相手に写真をとってもらい、お金をもらうように言いつけら
れているのかもしれないと。僕は車中でこのことを邓小燕に質問しなかった。同じチベ
ット族だ。悲しくなるような質問はするまいと思った。
邓小燕の父はチベット族だが、母は漢族という。妹と合わせて 4 人家族だ。家族でホ
テルを経営しているそうだ。邓小燕の両親はともに 40 歳だから、邓小燕は両親が 19 歳
のときの子供だということになる。チベット族の結婚年齢は早い。邓小燕に好きな男性
のタイプを訊くと、優しいひとが好きだと言う。しかし、結婚はしたくない、とも言う。
自由がなくなるからだと、補足した。チベット族の価値観も世界の流れに吸い込まれて
いるように感じた。女性が結婚を避ける傾向は、世界の潮流である。ユートピアといわ
れるシャングリラでも、世界文明の潮流が押し寄せている。
邓小燕は中国国内のチベット族の人口を知らない。答えは 560 万人。チベット族のア
イデンティティーは彼女には無縁のものではないのか。
僕はホテルにチェックインし、部屋ですぐに昼寝をした。高地の旅は疲れる。運転手
は別のホテルに泊まり、邓小燕は水を多めに飲むようにと言って自宅に帰った。身体を
乾燥させると高山病がひどくなる。
僕は夕食後、ホテルの部屋でテレビをつけた。昼間の式典と夜の演舞会の模様を何度
も放映していた。ところで、僕がこの旅行を終えて北京に帰り、いつものイタリアレス
トランで食事をしていると、知り合いの服務員が近づいてきて、真っ先に訊いたのは、
国慶節の式典と演舞会の感想だった。
僕は正直に言った。
「浪費だ!」
彼は意を得たり、といわんばかりに、顔が輝いた。
「そうだ、そうだ」
「中国政府は世界で一番のお金持ちだぜ」
僕は言った。
「しかし、そのお金は俺たちが払ったのだ」
服務員は答えた。中国も少しずつ変わりつつあると、その時思った。式典に参加する
人々は早朝に集合させられ、長時間待たされた。トイレには行けない。全員、垂れ流し
用のオムツを着ての参加となった。辛い 1 日だったと漏らす者も少なくない。壮大で華
麗な式典の裏はこのような犠牲が潜んでいる。
僕はこう思う。巨大な人口 13 億人を結束させていくには、すべての中国人を誇らし
くさせる派手な仕掛けが必要である。中国で軽蔑されるのはケチな者だ。金持ちはお金
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を使うのが当然と考えられている。政府も同じだ。派手で、豪華なパフォーマンスが中
国人をひとつにする。10 年に一度の式典に湯水のごとく税金を浪費するのは、実は中
国人民のためではなく、党や政府自身の保身のためである。
深夜 2 時 30 分、頭痛で目が覚めた。軽い高山病である。この夜を含めて、4 日間連
続、深夜に目を覚ました。このときが一番不愉快なときだった。部屋に備え付けてある
水を飲んだ。深呼吸を何度も繰り返した。酸素を体内に送るためである。いつしか再び
眠りについていた。
ホテルの食堂に行くと、赤い登山着を着込んだ団体が朝食を急いで食べている。彼ら
も奥地の徳欽(ダーチン)に行くのであろう。梅里雪山を見るためである。
僕ら三人のクルマは午前 8 時にホテルを出発した。まず、酸素ボンベを購入しに行っ
た。1 本 49 元のボンベを 4 本買った。購入の時点で十分かどうか分からなかった。旅
を終えるときに分かったのは、携帯用の酸素ボンベは高山病にはほとんど効果がないと
いうことだ。気休めでしかない。急を要する高山病の場合、患者を病院に担ぎ込むか、
クルマか飛行機で低地に搬送するしかない。3,700 メートルのラサでは毎年、何人もの
旅行客が死んでいる。シャングリラでも毎年事故が起きているはずである。
僕はラサ、青海などの高地にも行ったことがあるが、ひどい高山病に罹ったことはな
かった。最高標高 5,000 メートルの地点まで行ったこともある。そのため、風邪をひい
たり、体調を崩さなければ、重大な事態にはならないはずだと思っていた。
徳欽は海抜 3,700 メートルの地点にある鎮だ。そこまで、舗装された山道をクルマが
4 時間以上かけて走る。
洪運転手が知っている日本語は三つだけである。
“よし!”
、
“そうですか?”
、
“バカヤロー!”。
テレビでよく放送される残虐な日本軍の鬼軍曹が発する言葉だ。中国人、特に男性は
誰でも知っている単語である。数年前、鳩山民主党代表が北京を訪問された時、ある会
合の挨拶で最初にこう述べた。
「私の名前は鳩山と言います。私の名前は中国で有名なので、皆さん、ご存知でしょう」
会場には笑いが起こった。
日本人鬼軍曹の名前がまさに鳩山だったのだ。北京駐在員の誰かが知恵をつけたにち
がいない。
洪運転手は、私が彼の質問に正解を出すと、「よし!」と言って、親指を立てた。
クルマは金沙江を横切り、しばらく行くと、チベット寺院の東竹林寺が見えてきた。
僕らが訪れた時は僧侶たちの昼食の時間であった。百人あまりの僧侶がお経を唱えなが
ら、食事をしている。僕は邓小燕の案内で許可を得てなかに入れてもらった。厳かな雰
囲気に包まれている。大経堂の内部を歩きながら見学していると、若い僧侶たちが僕の
方を盛んに気にしている。漢族の観光客はいなかった。訪れたチベット族数人がお釈迦
様の前で、五体投地をしながら、熱心に祈っている。僕は日本式に立ったまま、手を合
わせて参拝した。
外のトイレの入口では、美しいコスモスが咲いていた。僕はシャッターを切った。
僕らは、東竹林寺を後にした。
途中、金沙江はまっすぐ流れることができず、ひとつの山をぐるりと遠回りしている
地点に着いた。中国語で金沙江月亮湾と呼ぶようだ。
白馬雪山に出くわした。下車して、写真撮影。山頂付近は雪をかぶっている。渓谷は
U字型をしている。過去の氷河が削って、残したものだ。
さらに、高度が上がっていく、僕は酸素ボンベを取り出して、酸素を吸った。道路の
最高標高 4,300 メートルを過ぎて、30 分ほど奥地に進むと、まさに梅里雪山が見えて
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きた。今回の旅のハイライトである。少し雲に覆われているが、天に向けて鋭く尖った
主峰の卡瓦格博(カワボガ)峰は雲から突き出ている。雄大で、かつ気品がある雪山だ。
主峰の下には氷河が帯状に真下に伸びているのがはっきり分かる。美しい、実に美しい。
こんなに美しい山を僕は今まで見たことがない。邓小燕も世界で一番美しい雪山だと、
誇らしげに言う。
梅里雪山は標高 6,740 メートルの処女連峰である。チベット仏教の聖地なのだ。この
山で悲劇が起こっている。1991 年に京都大学山岳会の登山隊が大量遭難死している。
日中合同学術登山隊 17 名(日本側 11 名、中国側 6 名)は登頂を断念し下山中、雪崩に
巻き込まれ全員が行方不明になっている。1998 年以降、山麓にいたる氷河のなかから
遭難者の遺体や遺品が発見された。2006 年、京都大学山岳隊は山麓の村に記念碑を建
立したが、翌年には損壊されたそうだ。碑文の日本語部分と遭難者の日本人氏名が消さ
れてしまった。地元ではこの山は信仰の山で、立ち入ってはいけないのである。
誰も登ったことがない山だけに、偉業を達成したいのは登山家の願望であろう。でも、
登らなくていい山があってもいいではないか。最新の装備と詳細な検討を重ねれば、登
頂は可能であろう。しかし、聖なる山と地元のチベット族が崇める山をけがして、いっ
たいどれほどの意味があるのであろうか。梅里雪山は永遠の処女であっていい。人類の
ユートピアであり続けることの方がよほど有意義である。
邓小燕と洪運転手はもう行こうというような顔をしている。午後 2 時を過ぎている。
腹ペコなのだろう。明日、真近でじっくり眺められるのだと、自分に言い聞かせて、徳
欽に向かうことにした。しかし、翌日は雲が多く、山頂を再び拝むことができなかった。
徳欽は緩やかな渓谷に拡がるチベット族の街である。海抜 3,400 メートル。ここから
は山が陰になり、梅里雪山を見ることができない。徳欽はそもそもチベットに属してい
たが、清朝の雍正帝の時代の 1727 年、チベットから分割され雲南に所属するようにな
った。実際、徳欽のすぐ北はチベット自治区になる。中国政府の得意とする、少数民族
の勢力を削ぐための分割統治政策である。
三ツ星ホテルにチェックインし、昼食に出かけることにした。徳欽の楽しみは松茸が
腹いっぱい食べられることである。足も軽やかに、清潔そうなレストランに向かった。
1 件目に入ると、松茸はもうないという。そんな、殺生な!
仕方なく、次の店に入ると、肌が紫外線で黒く焼けたオーナーが出てきた。
「松茸はない。しかし、干した松茸ならある」と言って、それを持ち出してきた。1 斤
(500 グラム)で 180 元(2,700 円)と言う。邓小燕は僕の横で、
「高い!」と叫ぶ。ど
うやって料理するのかと僕が尋ねると、オーナーはスープにすると美味しいと答える。
ここまで来たのだ。食べずに帰るわけには行くまい。
店のオーナーによると、雨季の夏には、松茸が大量に採れるが、もう乾季になってい
るので、干し松茸しか手に入らないとのことだった。悔しい。
ビールを飲み終わるころ、30 分くらいして出されたスープは、半斤の松茸(残り半
斤は東京の家族へのお土産)と鶏肉と生姜からつくったものである。僕は早速、松茸を
すくって、食べた。松茸の香りが鼻にまとわりつく。美味しい、旨い、うまいのだ。邓
小燕と洪運転手は唐辛子を注文し、具をそれにつけて食べている。彼らにとっては味が
薄く、唐辛子なしでは食べられないようだ。洪運転手は具とスープをご飯と一緒にかき
こんでいる。僕はもっぱら松茸を探し、口に運んだ。こんなに大量の松茸は食べたこと
がないし、二度と食べることがないであろう、と思った。至福の瞬間。
「松茸は日本で非常に高価であるが、雲南でも特別なものか?」
僕は運転手に訊いた。
「そうだ。松茸は雲南でも値が高い。標高が 3,000 メートルを越える土地でないと採れ
ない。大理では無理だ。シャングリラか徳欽あたりまで来ないと採れない。また、松茸
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は抗がん作用があるから重宝されている」
と洪運転手が説明してくれた。
僕は邓小燕に向かって、これからしゃべることは聞くなと言って、洪運転手の方に向
きなおり、
「松茸は日本の男の好物だ。なぜだか分かるか。松茸の生えている姿が男性のおチンチ
ンに似ているからだ。これを食べると、精力がつくような気がしてくるからだ」
と言うと、洪運転手は大笑いをした。
聞いていないはずの邓小燕は、(形が似ているなんて)考えたこともなかったと言っ
た。ちゃんと聞いていたようだ。日本人相手のガイドを続けるのであれば、この程度の
話題を知っていることも必要であろう。あえて、話題にした次第である。
昼食後、徳欽の街を散策した。洪運転手は、多くの大理の白族がここにやってきて、
商売をしていると何度も言う。彼らはレストランや商店を経営している。
僕はホテルで昼寝をし、夕食は一緒に同じレストランでとった。今回は松茸なしだ。
ビールを飲みながら、三品食べた。邓小燕も洪運転手も満足そうな表情をしていた。
僕は邓小燕と洪運転手にもビールを勧めたが、彼らは飲まないと言う。
「僕の見るところでは、チベット族は宵越しのカネは持たないように思える。カネが入
れば、その日のうちに使ってしまう。食べたり、酒を飲んだり、歌を歌ったりと」
僕がそう言うと、洪運転手が補足した。
「お前の言うとおりだ。チベット族は男はみんな酒を飲み、女は3割くらい飲む。お金
があると、すぐ使ってしまう。白族は男でもほとんど酒を飲まない。俺も飲まない。で
も、タバコは 1 日 20 数本吸う。我々はカネが入ると、家に使う。家を建てたり、室内
を飾ったりする。貧乏人でも見かけは立派な家に住んでいる。その家が金持ちかどうか
は家財道具を見てみないと分からない」
なるほど。民族でだいぶ価値観が違うようだ。
「でも、タバコは身体に悪いから、本数を減らした方がいいぞ」
と僕が忠告すると、彼は、
「俺はプーアル茶をいつも飲んでいるから大丈夫だ。解毒作用がある。毛沢東も愛煙家
だったが、長生きした」
と漢族のようなことを言う。
僕は少し酔って、洪運転手に向かって言った。
「明日、梅里雪山を見るためにもっと奥地に行くことになる。運転を誤ると、我々は谷
底に落ちて、一巻の終わりだ。注意して運転してくれよ」
洪運転手はムッとした表情をした。そんな縁起の悪いことは言うなと言う。邓小燕も
同意する。漢族は死などのタブーを非常に避けたがる。老化や死の話題を出すと、嫌な
顔をされる。白族やチベット族でも同じなんだと、僕は妙に合点した。しかし、交通事
故は翌日、現実のものとなる。
僕は高地での睡眠を少しでも深いものとするため、足マッサージ屋へと向かった。オ
ーナーの女性が出て来たので、1 時間でいくらだと僕は訊いた。80 元だと言う。それに
してくれと、僕は答えて、リクライニング式の椅子に横たわった。すると、その四川出
身の中年女は、
「高山病によく効くチベット薬草を使ったマッサージは 160 元だけど、特別価格の 120
元でいい」
と言う。僕はどうしたものかと考えていると、女は、いいだろう、いいだろうと、畳
み掛けてくる。僕は面倒になり、ああいいよと答えてしまった。あとで考えると、40
元余分に払わされたような気がする。四川人は商売がうまい。
僕に足マッサージをしてくれた女性は、大理出身の白族だった。7 歳の子供を育てる
100
ためにこの仕事をしているという。夫とは死別したという。徳欽まで出稼ぎにきている
のだ。春節には大理に帰省すると言っていた。
翌日、早朝 6 時に起床した。すぐにカーテンを開けて、空を見た。まだ真っ暗だった。
星は出ていないので、雲っているに違いない。僕はすぐに荷物をまとめて、ロビーに下
りて行った。邓小燕と洪運転手はすでに待っていた。他の観光客も登山着を着て、忙し
そうにやってきて、すぐに外に出かけて行った。
クルマは徳欽を出て、梅里雪山に向かった。明永氷河を見るためである。この氷河は
梅里雪山の頂より流れ、標高 2,800 メートルの地点まで達している。中緯度のこの標高
で氷河が見られるのは、世界でも珍しいという。道路は舗装されていないので、クルマ
が激しく揺れる。僕は雲に覆われた空を恨めしそうに眺めていた。
「昨夜の天気予報は、ラサも昆明も曇りと伝えていたので、やはり予想どおりだったの
か」
と僕は言った。
「シャングリラと徳欽は、ラサや昆明と遠く離れているため、天候は異なるのよ」
邓小燕は僕を慰めるように言った。
「邓小燕と洪運転手は何回、明永氷河に来たことがあるのか?」
僕は何気なく尋ねた。
すると彼らは初めてという。えっ。不安がよぎる。邓小燕はガイドになって、十数回
旅行客を案内したことがあるが、日本人の相手は僕が四度目と言う。明永氷河に行った
ことがないガイドに案内されるのは心もとない。
東の空が白みかけてきた頃、クルマが止まった。飛来寺から梅里雪山を正面に臨める
ところである。飛来寺は絶壁の上に建っているので、まさに空から飛んで来たチベット
寺院のようである。ここには多くのホテルが立ち並んでいる。一軒の食堂で、お粥、マ
ントウ、ザーサイを急いで食べた。
外に出ると、随分明るくなっている。しかし、ご来光が拝めない。太陽は雲のなかに
隠れたままだ。中国人観光客はカメラを持ち、きちんと一列に並んで、梅里雪山の方角
を見やっている。あいにく、山の上半身は雲が覆っている。彼らの背中はがっくり落ち
ている。
僕らは仕方なく、明永氷河へと向かった。山道を一気に標高 2,400 メートルの地点ま
で下るのである。目的を同じくする観光客の車列が続く。渓谷のもっとも低地を流れて
いる川はザルチュ河だ。下流まで行くと、メコン川となる。この地帯は、三本の川が並
行して流れる“三江併流”といわれる世界自然遺産に指定されている。梅里雪山連峰の
西側と東側を怒江(ミャンマーのモールメイン湾に流れるサルウィン川の源流)とザル
チュ河がそれぞれ並行して南北に流れている。また、ザルチュ河と金沙江(長江の上流)
は白馬雪山連峰を挟んで連峰の東側を北から南に流れている。前に述べたように、三本
の川のうち金沙江だけは、途中で突然東に向きを変え、東進し、東シナ海へと至る。
それにしても、この渓谷は深い。梅里雪山の頂上が 6,740 メートルでザルチュ河の標
高が 2,400 メートルくらいであるので、その差は 4,300 メートル。なんと、この渓谷に
富士山がすっぽり入る計算になる。実際には、渓谷は幅が狭いので無理ではあるが。そ
れにしても、文字どおりスケールが違う。
僕らは明永氷河への登山口に着いた。すでに午前 9 時になっていた。ここから明永氷
河までは 8 キロの距離がある。馬に乗っての登山となる。すると、洪運転手が何か喚い
ている。よく聞くとこうだ。
「明永氷河まで往復すると 4 時間かかるから午後 1 時になる。徳欽まで戻ると午後 2 時、
昼食を済ませると午後 3 時だ。それからシャングリラまで行くと午後 8 時頃になる」
101
僕は、何が問題なのか、そんなに長く運転すると疲れるから嫌なのかと訊いた。
「そうではない。俺は長時間運転しても慣れているから大丈夫だ。途中夜になるから、
暗い山道の運転が危ないのだ」
と洪運転手は真剣に話す。
こんなに遠くまでやってきて、明永氷河が見られないのは残念だ。悔しいが仕方がな
い。だが、すぐに引き返してはもったいないような気がするので、途中まで徒歩で行っ
てみることにした。30 分くらい歩けば、明永氷河が遠望できる地点に行けるかもしれ
ない。
乗馬して山を登る者が多いが、徒歩で登る者もいた。何人かの観光客にどこからやっ
て来たかと聞くと、上海や湖北と答えが返ってきた。中国各地から遠路はるばる来てい
るのだ。今日一日で、何百人の人々が明永氷河まで行くことであろう。でも、苦労して
山道を登ったけれども、夢は絶たれた。氷河のかけらも見えない。やむなく、途中で引
き返した。
観光客は馬に乗って、次々と登って来る。観光客の顔をよく見ると、日本人とまった
く区別がつかない。ほとんどが大都市に住んでいる上中流階級であろうか。垢抜けして
いる。そういえば、この 6 日間の旅行中、日本人はひとりも見かけなかった。声を出さ
ない限り、日本人とは分からない。
僕と邓小燕は 1 時間の登山を終えて、クルマのところまで戻った。洪運転手はそこに
いなかった。邓小燕が携帯電話で呼ぶと、すぐに戻ってきた。大好きなタバコを吸って
いたようだ。
徳欽に戻る途中、クルマが急に止まった。葡萄の即売場が運転手の目に止まったよう
である。運転手に続いて、邓小燕もクルマから飛び出した。でも、即売場には葡萄が少
しばかりおいてあるだけで、誰もいない。しばらくすると、主人がやってきて、僕らを
葡萄畑に連れて行った。葡萄畑の入口には、見張り役のチベット犬が吠え立てている。
噂に聞く獰猛なチベット犬を見るのは初めてである。本気で咬まれたら、命はないだろ
う。葡萄畑の奥まで連れていかれると、邓小燕と洪運転手はそこらの葡萄に手を伸ばし
て、葡萄をもぎ取り、勝手に食べている。
「甘い、甘いぞ」
彼らははしゃいでいる。主人は何も言わない。僕は邓小燕から渡された葡萄の房から
葡萄を摘んで、口に入れた。甘い。原始的な葡萄の甘さがした。でも、食べるに従い、
甘すぎるような気がする。もう少し酸味があるといいのだが。
僕は葡萄よりもむしろ葡萄畑から見える梅里雪山の方に興味があった。晴れていれば、
ここから梅里雪山の全貌が見渡せるに違いない。どんなに雄大なことであろうか。正直、
くやしい。でも、明永氷河は見ることができた。上部は雲に隠れ、下部は山の陰になっ
ているが、中部ははっきり眺めることができた。僕が氷河に見惚れている間、彼らは葡
萄を食べ続けていた。邓小燕と洪運転手は主人に切ってもらった房をビニール袋にいっ
ぱい詰め込んでいる。1 斤が 4 元。彼らはそれぞれ 3 キロの葡萄を買った。僕は葡萄酒
を試飲し、いまいちの味であったが、成り行き上、葡萄酒を 1 斤買うことにした。25
元(375 円)だった。
梅里雪山にもっとも近い村は雨崩村である。敬虔なチベット人が住んでいる。そこに
行くには、クルマを下りて、馬に五時間も乗らなければならない。秘境の地だ。欧米の
桃源郷を探すバックパッカーが訪れる。村人は雪山の水で灌漑を行う。神聖な山への祈
祷もかかさない。日本の僧侶は修行のために、滝に当たるが、彼らは梅里雪山から落ち
てくる雪で身を清める。「雪の聖水洗浴」と呼んでいる。文明が及ばないその村はどの
ような桃源郷であろうか。僕はクルマのなかで夢想していた。
昼食は徳欽のいつものレストランで食べることになった。3 回目である。僕は朝早か
102
ったせいか、登山したせいか、疲労感があり、珍しくビールを飲まなかった。チャーハ
ンと豆腐のスープと白米を注文した。彼らはいつものとおり、唐辛子を持って来るよう
に言っている。僕はどんぶりいっぱいつがれたチャーハンの半分も食べ切れなかったが、
彼らふたりはすべて食べてしまった。
洪運転手が突然質問してきた。
「お前の年収はいくらか?」
これは中国でよく質問されることである。いつもどおり、最初、実際の十分の一の年
収を中国語で答えた。運転手はそんなもんかという顔をしている。彼らと一緒に過ごし
たのが 3 日目となる気軽さから、本当の額を米ドルで言ってみた。彼らのアクションを
見てみたいという好奇心も働いた。洪運転手はさっそく、ドルと人民元の換算レートを
持ち出し、暗算し始めて、すぐに答えを出した。
「そんなことはあり得ない」邓小燕は驚いたような顔をしている。「そんな金持ちに会
ったことがない」
僕は彼らの余りの驚きように、しまった、余計なことをしゃべるのではなかったと後
悔した。そして、東京は物価が高いし、家族と別れて生活しているので生活費も余分に
かかるなどと言い訳したが、彼らはまったく聞いていない。僕は富豪ではなく、偽物の
フゴウにさせられてしまった。彼らの僕を見る目つきが変わった。この発言がこのあと、
思わぬ展開をもたらすことになる。
シャングリラへの帰り道、クルマは順調に飛ばしていた。洪運転手はカーブに差し掛
かると、ミラーがないためクラクションを鳴らす。梅里雪山と白馬雪山と別れを告げる
ために、僕はクルマのガラス窓を開けて中国語で大きな声で叫んだ。
「梅里雪山と白馬雪山よ、君らは雄大で美しかった。でも、今日、君らは恥ずかしがっ
て、雲のなかに隠れてしまった。残念だ。また来年来るからよろしく。風邪をひかない
ように服を多く着ろよ。新型インフルエンザに注意しろよ。楽しかったぞ。ありがとう。
さようなら」
僕は窓を閉めると、彼らに訊いた。雪山は僕の話が聞こえたかと。
洪運転手は小さな声で、そうだと答えると、神妙な雰囲気がクルマに充満した。
しばらくすると、洪運転手が質問してきた。
「1937 年に何が起こったか知っているか」
僕はわざと、中国がチベットを侵略した年だと答えた。彼は「違う」と怒ったように
言う。
「ああ、間違った。日中戦争が始まった年だ」
僕は訂正した。
「中国は強国となった。今度は、報復されるのではないかと日本人は怖れている」
僕は付け加えた。洪運転手はすぐ反論してきた。
「中国国民は平和を愛する国民だ。そんなことはしない」
中国人はみんなこのように答える。教育の成果である。僕もすぐ反論した。
「どの国の国民も平和を愛している。戦争で犠牲になるのは普通の人だ。しかし、国家
のリーダーは違う。国益に適うとなれば、戦争を起こす。リーダーが戦争を決定すれば、
中国人民もそれに従わなければならない」
これに引き続いて、中国は民主主義国でないから、人民は戦争を回避するリーダーを
選べない。だから、中国人民は可哀想だと言おうとしたが、口に出さなかった。それは
彼らの選択だ。外国人は干渉すべきでないだろう。僕は別のことを言った。
「中国は強国になった。日本が侵略しようと思っても、もう遅い」
洪運転手は苦笑した。
突然、一台のクルマが僕らを無理に抜いていった。掃除がしていない汚い四川ナンバ
103
ーのクルマだった。少々無謀な追い越しだったので、僕は、
「あの運転手はそのうち事故を起こすぜ。きっと後悔することになろう」
と笑いながら言った。
途中の鎮で休憩した。僕はトイレを探してみたが、見つけることができなかった。邓
小燕が気を利かせて、ある店のおばさんから梨を 3 個買って、おカネを払った。邓小燕
はトイレを使わせてくれないかと、おばさんに頼むと、自宅のトイレを使っていいと言
ってくれた。
僕がトイレで用を済ませて戻ってくると、おばさんは、梨の皮をむいていた。厚くむ
いた。僕は冗談を言った。
「梨の皮は厚いが、つらの皮も厚いですね」
つらの皮が厚いというのは、日本語と同じ表現だ。おそらく、中国語からそのまま伝
播してきているのであろう。おばさんは苦笑しながら、ほら、つらの皮の厚い旦那にあ
げるわと、むいた梨を僕に差し出した。その間、洪運転手はずっと携帯電話に向かって
大声で話している。
黒い雲から雨が落ちてきた。僕らは先を急いだ。30 分くらい走った道路上で、思わ
ぬ現場に出くわせた。交通事故だった。それも、僕が冗談で言った四川ナンバーが事故
を起こしている。前列に座っている邓小燕と洪運転手が僕の方に振り返った。四川ナン
バーのクルマは別のクルマに横から追突され、ボディーがへこみ、サイドミラーがだら
りとぶら下がっている。用をなさない。乗客はすべて外に出ているようである。若い運
転手は耳を怪我したのであろうか、痛そうに手で押さえている。
僕は身体に悪寒が走った。予言があたった。洪運転手は、
「お前は神様だ。お前の言うとおりになった。昨夜、俺たちのクルマが事故を起こすか
もしれないと注意したから、俺たちは事故に会わなかった。しかし、乱暴な運転をして
いた四川ナンバーの運転手は事故にあった」
僕は言った。
「軽い傷で終わったからよかった。彼は学習したことであろう」
運転手は即座に答えた。
「学習しないさ。また、事故を起こすに違いない」
僕らは雨のなかをシャングリラを目指してクルマを進めた。途中、納帕海(ナパハイ)
が見えてきた。海とはいっても、湖である。中国語では大きな湖は海と呼ぶようだ。納
帕海と近辺の湿地帯は環境保護区となっている。クルマは駐車場に滑り込んだ。外は寒
い。入場料を払って、保護区のなかに入ったが、思ったほど美しくない。一応、記念に
シャッターを切った。すると、ひとりの男が馬を引き連れてやってきた。馬に乗れとい
う。僕は気が進まないので、断ると、洪運転手が右手の人差し指を曲げた。この仕草は
日本では盗人を指すが、中国ではケチという意味だ。僕は無駄なことにはお金を使いた
くない。中国人の感覚では、僕くらいの収入の者であれば、旅行中に派手にお金を使う
ものであるらしい。これも文化の違いである。
急いでクルマに戻った。運転手は運転しながら、冗談半分に、
「お前のホテルはいいホテルだよな。俺はカネがないから路上で寝るしかない。お前の
部屋に泊めてくれ」と言う。
「同じ部屋に男同士泊まると、同性愛の関係になってしまう」
僕も冗談半分で答える。
「お前ら外国人の社会は複雑すぎる。俺たちはそんなことは考えもしない。中国には同
性愛はいない。同性愛は不自然だ」
運転手は自信たっぷり断定する。
「同性愛者は一定の確率で生じる。米国では同性愛者間の結婚さえ認められている。中
104
国に同性愛者がまったくいない方が不自然だ」
洪運転手は反論してこなかった。
シャングリラに着くと、2 日前に泊まったホテルにチェックインし、7 時過ぎに夕食
に出かけることにした。チベット族の食事をしながら、チベット族の踊りや歌を聞くに
行くのだ。だいたいの様子は想像できるが、邓小燕が盛んに誘うので、出掛かけことに
した。これも旅行社から言いつけられたガイドの仕事なのだろう。
邓小燕はクルマに乗ると、二、三分で会場に到着するというが、五分経っても着かな
い。僕がそれを批判すると、邓小燕はもうすぐ着くと言い訳する。結局、八分かかって
やっと着いた。ユートピアのシャングリラでは時間を気にしてはいけないようだ。時間
を大切にしようとするほど、時間に追いかけられることになる。気が休まらなければ不
幸だ。頭で分かっていても、身体がそう反応してしまう。
会場の入口で入場料 200 元を支払うと、チベット人が白い帯状の絹布を首にかけてく
れた。尊敬のしるしとしてひとに贈るハダである。そして、裸麦でつくった蒸留酒を小
さい杯で一杯飲まされる。これも歓迎の印だ。僕は 48 度の酒を一気に飲み干した。チ
ベット人は大喜びだった。
邓小燕と運転手とともに二階に上がった。雲の間から丸くて美しい中秋の名月を拝む
ことができた。会場に入った。中央が舞踏場で、それを囲むように客席が用意されてい
る。客席は 200 席くらいあった。僕らは一番前に座らされた。まずは、チベット料理だ。
裸麦の粉とバター茶を混ぜて、粘土状にして食べるのが主食だ。バター茶を飲む。子牛
の丸焼きも提供された。どれも僕の口に合わない。裸麦の酒を飲みながら、煎った裸麦
を摘んだ。少しずつ酔いがまわってきた。会場にバスで駆けつけた中国人旅行客が次々
と入ってきた。
舞踏と歌が始まった。若い男女が結婚式の踊りを踊ったり、歌ったりしている。80
歳の老人も歌う。司会者が冗談を言って、うまく会場を盛り上げている。裸麦の酒を勧
めにくる役のチベット人もいる。出演者と一緒に写真を撮る者も多い。子供が舞台をく
るくる回って走っているが、誰も止めようともしない。気づいていないのかも知れない。
観光客が中央の舞踏場に出て、踊り始めた。会場は熱気に包まれた。屈託のない歓声や
笑い声が渦巻く。チベット人と漢族の平和な交流会である。僕は相変わらず、裸麦を肴
に、酒を飲んでいる。酔ってくると、歓声が遠くから聞こえてくるようだ。大勢のひと
がワイワイやっているのに。不思議な感覚である。これも一種の桃源郷なのだろう。食
べて、飲んで、歌って、踊って、そして若い男女が伴侶を見つけて、愛し合ったのだ。
チベットだけでなく、世界中の村々で同じことが繰り返されたことだろう。でもいつし
か、都市化が進み、伝統が廃れ、ひとの絆が分断されてきた。人類は桃源郷からむしろ
逃避したのではないのか。酔って、異性が交わるだけでいいではないか。快楽だから。
そして子供が産まれ、十数年経つと、同じことを若者が繰り返す。これがユートピアや
桃源郷の実態なんだ。
司会者が宴会の終了を宣言した。岐路を急ぐ者は入口に殺到した。司会者は続けて、
叫んだ。
「さあ、今からディスコタイムですよ。踊りまくりましょう」
ディスコの曲が鳴り響き、若者が歓声を上げた。米国の文明は桃源郷まで侵入してき
ている。邓小燕は僕の背中を押しながら言った。
「若者の時間帯だから、帰りましょう」
僕は帰途に着いた。すでに、中秋の満月は雲に隠れていた。
次の日午前8時、シャングリラの東方 32 キロに位置する普達措(プーダーツオ)国
家公園に向かった。これが最後の観光地となる。この公園は残念ながら世界自然遺産に
105
は含まれていない。公園の入口に着くと、観光客でごったがえしている。邓小燕もこん
なに多くの人々を見るのは初めてという。ほとんどが団体客である。自然公園内を指定
されたバスに乗ってまわることになる。気に入った場所で降りて、散歩することも許さ
れている。全長 60 キロ、最高標高は 4,200 メートルと、邓小燕は説明する。
バスを待つ列は長かったが、僕らは少人数のため、端数扱いで先にバスに乗せてもら
った。紅葉は始まったばかりだった。でも杉の緑は美しい。ところどころに湖が広がる。
観光客が降りていく。残された男性客のひとりは高山病でグロッキーになっている。
「寝ちゃダメよ。起きてなさい。高山病がひどくなるわよ」
妻の厳しい声が響く。最高地点まで更に 500 メートル上昇しなければならない。気の
毒に思えてきた。
次の停車場は広い草原だった。チベット人の家が数軒散らばっている。夏に放牧し、
冬には街に戻って生活するという。
バスのガイドが今から最高地点に行きますと言うと、乗客が酸素ボンベを取り出し、
一斉にシューシューという音を立てながら、酸素を吸っている。気休めにしかならない。
僕らは碧塔海(へきとうかい)という湖を散策した。天気は晴れたり、雨が降ったり
を繰り返している。邓小燕は相変わらず、日焼けを避けるために日傘を差している。太
陽と雨の両方に対応が可能だ。花は青い花しか観賞することができなかった。春には一
斉に色々な色の花が咲き、楽園に変貌するにちがいない。
僕らのバスは出発地点に戻り、洪運転手のクルマで昼食のレストランに向かった。
「干した松茸ではなく、採れたての松茸が最後に食べたい」
僕は邓小燕に頼んだ。
レストランに入ると、松茸の炒めたものなど三品と豆腐のスープを注文した。そして
冷えたビールだ。僕らは食事をしながら、よくしゃべった。洪運転手と僕が掛け合い漫
才のような話しをしていると、それを聞いているウエイトレス三人が腹を抱えて笑って
いる。
「洪さんは、二ヶ国語を流暢に話せるからすごいよな」
僕は彼を持ち上げたが、彼は不機嫌だ。
「二つの民族の言葉を自由に話せるからすごい」
運転手はその表現ならいいという顔をした。中国はひとつなのだ。
「お前は何ヶ国語、話せるのか」と僕に訊いた。
「日本語と少しの中国語と少しの英語と片言のタイ語だ」
邓小燕がタイ語を聞いてみたいと言うので、タイ語を話し始めた。ところが、途中で
洪運転手が噴出した。僕の口から出たのは、最初はタイ語だったが、途中から中国語に
なっていた。自分でも気がつかなかった。中国語とタイ語は比較的似ているため、脳の
同じ部分を使っているのではなかろうか。
「シャングリラは汚染のない食べ物ばかりだから、みんな美味しい」
邓小燕は自慢げに言った。
「シャングリラは天国だ。こんな楽しいところにずっと住んでいると、飽きるだろう。
死んだ後は、地獄に行きたいと思わないかい。刺激がありそうだから」
僕は邓小燕を問い詰めた。彼女の反応はなかった。そんな発想は思いもつかないのだ
ろう。
「この松茸は僕のより小さい」と、僕が松茸を摘みながら言うと、
洪運転手は大声で笑った。邓小燕はだまったままだ。服務員には通じていまい。
僕が大理の街の美しさを褒めると、洪運転手は大理の自慢を始めた。段氏が大理国を
起こしたのだ、立派な国だったと言った。この時、僕は心のなかでしめたと思った。
「確かに、大理国は唐代に豊かな国だった。しかし、大理国は世界の状況を知らず、自
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分の国が世界で一番大きな国と思っていた。それを聞いた大唐は大理国を簡単に滅ぼし
てしまった。これを“夜郎自大”という」
邓小燕が珍しく笑った。洪運転手は面白くなさそうな表情を浮かべると、話題を変え
た。
僕は腹いっぱい松茸を食べた。松茸だけを食べたといってもいい。満足だ。僕は両手
のこぶしで太鼓のようにお腹を叩いた。服務員は笑った。邓小燕は可愛いと言った。
僕は勘定をした。179 元だった。僕は 100 元札を二枚、服務員に渡した。
「赤い毛沢東が二枚飛んでいった」僕は言った。
「中国は偽札が多いから注意が必要だ」
それを聞いた洪運転手が財布のなかから一枚の 100 元札を取り出して、僕に差し出し
た。僕は表面を何度か擦り、これは偽物だと言った。彼は右手の親指を立てて、
「よし!」
と日本語で言った。今度は別の 100 元札を取り出した。僕はまた擦り、すぐに本物だと
言った。彼は同じ動作をして、
「よし!中国通」と大声で言った。
僕らのクルマはホテルに戻るとばかり思っていた。しかし、連れて行かれたところは、
チベット医学研究所のような建物だった。入口には、パンチョンラマの写真が掲げられ
ていた。もちろん、ダライラマの写真はない。
若いチベット人がチベット医薬の特効を書いた文章を僕に説明した。大きな手の絵に
臓器を書き込んだものが目に入った。足マッサージ屋には足の裏に臓器を描きこんだも
のを掲載しているが、手は初めてだった。絵の位置がその臓器のツボなのだ。そのチベ
ット人は、手を触ることなく、手の様子からそのひとの病気を当てることができると言
った。
「今日、遠路はるばる、チベット医学の有名な医者がシャングリラまで来ている。折角
のいい機会だ、診察してもらわないか。無料である」と言う。
僕はこれは怪しいと思ったが、酒の勢いも手伝って、診てもらおうかと答えた。隣の
部屋に通されて、椅子に座らせられた。絨毯やカーテンがチベット的だった。若いチベ
ット人は、やってくるお医者さんはチベット医学○○協会の副会長をしていると、権威
を強調した。しばらく待つと、男がやってきた。三十代だろうか。
彼は手を合わせて挨拶すると、両手を広げるように僕に言う。診察を始めた。医学用
語が多く、内容がよく分からないが概ね以下のように言っている。
「腎臓が悪いようだ。甲状腺も肥大している。肉をよく食べるようで、血管も血栓で詰
まっている。糖尿病にも罹っているようだ。このまま放置すると、重大な病気に発展す
る。すぐ治療した方がよい。我々がここで会ったのは何かの縁があるのだ」
手のひらを見ただけで、これだけのことが分かるとは、と僕は少し感心した。病状も
大体合っている。しかし、重大かどうかは怪しい。
男は続けて言った。
「チベット医薬を飲むと治る。一袋 280 元で 20 回飲めばよくなる」
「高すぎる!」僕は思わず叫んだ。8 万円以上もするのだ。
「クレジットカードでも支払うことができる」
「それでも高い」
そう言うと、男の話し方が早くなり、とげを感じるようになった。なんだ、こいつ。
ペテン師ではないのか。目つきにも、買わせてやるという欲望が燃えているように思え
た。
「では、10 袋でどうか」
邓小燕は横で固唾を呑んで行方を見ている。僕はもう買う気が失せた。この男は僕を
追い詰めるやり方を間違えたのだ。僕がムッカーと来た瞬間、僕は自ら逃げ道を見つけ
たのである。彼への義理や遠慮は要らなくなった。仮に、この男が、最初高価なお茶を
出して僕をもてなしながら、このお茶を飲むとあなたの病状も和らぐであろうなどと言
107
い、さらに、笑顔を浮かべながら、ゆっくりした口調で病状を語り、また、一袋当たり
の値段を安くしていたならば、僕は八方を塞がれて、負い目を感じ、最低限度内で薬を
購入する事態になったであろう。彼の説得の武器は、副会長という権威と、縁を強調す
ることと、はるばる遠くからやってきたということだけだ。中国人を説得するには、権
威を振りかざしたり、ひとの縁を強調すれば、いいかもしれないが、合理的精神に慣れ
た欧米人や日本人を説き伏せることは難しいのではないか。僕は冷静に分析した。
「僕は二ヶ月に一回、かかりつけの西洋医に身体をチェックしてもらっている。薬も飲
んでいる。僕は彼を信頼している」
と僕は笑顔を浮かべて言った。精神的余裕があった。
「最後だ。2 袋でどうか」
僕はゆっくり、しっかり首を振った。ダメだ。男の目が怒りに燃えているようであっ
た。
「ああ、残念だ。残念だ。縁があると思ったのに」
僕は男に、
「僕は先生に会えてうれしい。すごいチベット医学も理解した。こんどシャングリラに
来ることがあれば、また先生とお会いしたい。ありがとうございました」
とお礼を言って、その場を辞退した。
クルマに戻って、邓小燕にあんな高い薬が僕に買えるものかと、強い口調で言った。
彼女は、
「あなたはお金持ちだから、安いんじゃない?」と言った。
中国人と日本人には意識のずれがあるようだ。中国人の金持ちは旅行中、売店で何で
も買いあさるのであろう。日本人は違う。少なくとも僕は。僕の最大の目的はリポート
を書くことだ。買い物には関心はない。どうせほとんどガラクタになってしまう。でも、
この経験はレポートのいい材料になった。危機一髪だったけれども。
僕はホテルでひと寝して、ひとりでシャングリラ市内の見学に出かけた。大亀山公園
という高台に登ると、人口 20 万人の市内全貌が見渡せた。旧市街は趣があったが、新
市街は普通の都市と大差はなかった。市内を散歩してみた。確かに、平均的な中国の都
市に比べると、ゴミが少なかった。でもそれ以外に特別なものは発見できなかった。
僕は歩き疲れたので、サウナに入り、身体をマッサージしてもらい疲れを取りたかっ
た。ホテルの近くのお風呂屋に入った。シャワーで汗を流し、湯船に浸かり、そしてサ
ウナで汗をかいた。疲れが消えていくようであった。
男性服務員に手伝ってもらって、バスタオルで身体を拭き、透けた小さい紙のパンツ
を穿き、さらにパジャマの上下を着た。そして、休憩室に入った。
休憩室の服務員に中国式マッサージをやって欲しいと告げると、個室に通された。
すぐに、若い女のマッサージ師がやって来た。
「中式の普通のマッサージは 88 元、オイルマッサージは 98 元。10 元しか違わないか
ら、オイルマッサージにしたら」と勧める。
「じゃ、オイルマッサージでいいよ」
僕は言った。
「あなた、現地のひとでないわね。発音から分かるわ。中国でもない。どこから来たの?
韓国人?」
「違う」
「台湾人?」
「そんなとこだ」
22 歳のチベット族のマッサージ師は最後まで、僕が台湾人と信じていた。
「さあ、服を脱いで」
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マッサージ師に言われるまま、上のパジャマを脱ぎ、次に下のパジャマを脱ごうとし
た。その下には紙のパンツを穿いているから大丈夫だろう。
「キャー」
と彼女は叫んだ。
「それは脱がなくてもいい」
僕は下のパジャマをつけたままマッサージ台にうつぶせになった。
「あなた、髪の毛が真っ白ね。60 歳代?」
「違う」
「70 歳代?」
「違う。50 歳代だ」
僕は怒ったような声で言った。
「そうね。肌はつやつやだ。30 歳代みたい」
僕は一息ついた。
「あなた、台湾から独りで来たの?奥さんは?」
「ひとりで来た。妻は子供の世話をする必要がある。まだ、高校生だから」
中国ではいつも同じことを言わなければならない。
「奥さんを連れてくると、色々と世話を焼かなければならない。男はみんな若い女の子
ばかり見ているから、問題にもなる」
年齢の割にはよく物事が分かっていると思った。
「シャングリラには美人はいないけど。みんな肌が黒い」
強い紫外線の影響だ。邓小燕も肌が焼けるのをひどく気にしている。
僕は仰向けになった。彼女は僕のお腹をマッサージしながら、
「まん丸のお腹」
面白そうに人差し指でポコポコと突いた。不愉快ではないが、遊ばれているようであ
った。
「シャングリラには美人はいないけれど、二階には外地からやってきた美人がいるよ。
遊んで行きなさいよ。ひとりだから淋しいでしょう」
彼女は思わせぶりに言った。300 元(4500 円)くらいだよ、とも言った。
「要らないよ。そんなの」
僕はマッサージを終えると、着替えて、勘定を済ませた。午後 8 時 30 分になってい
た。
雨のなかをホテルに戻った。チベット人が次々とホテルに併設されたカラオケ店に吸
い込まれていく。好奇心が働き、高くなければ、数曲歌を歌っていこうかと考えた。受
付に行くと、個室は満杯と言う。国慶節連休ということもあるが、チベット人の遊び好
きも影響しているのではなかろうか。店内には警察が二人立っている。酔って暴力を働
く客人がいるからであろう。そう言えば、洪運転手も夜には出歩くな。酔っ払いが多く
て、危険だと言っていたのを思い出した。僕は仕方なく部屋に戻って寝た。
翌日、邓小燕と空港で別れた。飛行機は昆明空港に 50 分で着いた。北京空港行き飛
行機の待ち合わせの間、昼食を取りにケンターッキーフライドチキンの店に入った。他
のレストランがなく、観光客でひどく混雑していた。僕はセットを注文した。そして、
口にした瞬間驚いた。うまい。美味しいのだ。旅行中食べたどの料理よりも美味しかっ
た。軽い高山病から解放されたのも、その理由なのかも知れない。現代文明のジャンク
フードが一番美味しく感じられるとは、皮肉なものである。グローバル商業主義の勝利
なのだろうか。
これで桃源郷を巡る旅は終わった。人類はエデンから追放され、ユートピアを捜し求
109
め、楽園を夢見てきた。それらがすべて失われたと知ると、死後の世界に天国や極楽を
夢想してきた。もっと現実的な人々は現世に桃源郷を見出そうとしている。文明の及ば
ない山奥に出掛かる者もいる。性愛や食べ物に快感を求める者もいよう。賢人は日常の
生活のなかに小さい桃源郷を発見しようとするであろう。あるいは、将来を展望するエ
リート達もいる。
科学の進歩により、数百年後には、貧困が克服され、化石燃料文明から脱却し、再生
医療が実現し、寿命が飛躍的に延びていることであろう。しかし、どんなに生活が便利
になっても、人間が他人との愛憎に苦しむことには変わりない。
桃源郷はどこにもない。それを感じるのは、個人の脳細胞であるにすぎない。結局、
僕らは自らをよく知ることによってしか、桃源郷に至る道はないのである。
洪運転手と邓小燕よ、ありがとう。君たちとの楽しい交流が僕にとっての桃源郷であ
った。
110
日本人はなぜ大陸侵略を続けたのか
鳩山民主党政権が「東アジア共同体」構想を提案し、日中韓首脳会談でもその設立に
向けて基本的な合意に達した。しかし、中国側の反応を見ると、必ずしも手放しで合意
している訳ではない。警戒感があるようだ。それには理由がいくつかある。まず、日本
主導で「東アジア共同体」が進むことに対しての警戒感だ。日本に東アジアの盟主にな
ってもらっては困るのである。さらに、東アジア共同体の範囲である。中国は日中韓+
ASEANを提案しているが、日本はそれらの国々に加えて、インド、オーストラリア、
ニュージーランドまで広げた構想を打ち出している点だ。日本の主張どおりになると、
日本はこれらの国々と連携し、「東アジア共同体」を成長著しい、民主主義の地域の形
成へと動かしていく可能性があると、中国は怖れている。海外の民主主義が国内に波及
するのを極度に警戒しているのだ。
中国にはもうひとつの心配がある。それは、「東アジア共同体」は日本が戦前提唱し
た「大東亜共栄圏」のイメージと重なることである。「大東亜共栄圏」は東アジア諸国
の列強による殖民地化からの「解放」を謳い上げながらも、日本の権益の拡大政策だっ
たと中国で理解されているからである。戦後 64 年しかたっていない。日本人は 64 年も
たったと考えるが、被害者である中国やその他アジア諸国の人々の身体と心の傷はまだ
癒されていないのである。筆者のみるところでは、日本の侵略戦争が「歴史」になるに
は、関係者がすべて亡くなる時間、つまり 100 年間が必要だと考えている。まだ 36 年
も日本人は反省し続けなければならない。これは嗜虐的史観ではない。被害者に対する
ひとりの人間としての思いやりである。
ただし、我々は時間が過ぎるのを漫然と待っていることはできない。現代史は常に動
いている。ここでは、日本がなぜ戦争を起こしたのか、それを振り返ってみたい。また
反省か、もううんざりだと言われるかもしれないが、日本の閣僚による中国侵略戦争の
否定発言が飛び出すたびに、中国人はふと疑問に思うのである。日本人は侵略戦争を反
省していないのではないかと。実際、終戦から 60 年後に実施された世論調査でも、日
本人の 5 割以上は、日本の政治指導者、軍事指導者の戦争責任問題は十分に議論されて
こなかったと回答している。この議論なしには、「東アジア共同体」の実現は困難だと
筆者は思う。
過去の戦争を議論することは平和時の現代日本社会の本質を議論することにもつな
がっている。戦争の原因は現在の日本国民の不幸にもつながっているのである。
1.戦争の最終目的は何か
戦争の目的は、脅威と認識している相手国の基本原理や憲法を書き換えることである。
これはジャン=ジャック・ルソーの言葉である。日本は太平洋戦争で敗北し、戦前の国
体=天皇制を解体させられ、新しい憲法を作成することになる。敗戦国は歴史の洗礼を
受けなければならない。太平洋戦争における 310 万人の犠牲者の上に、今の日本の社会
体制が築かれたのである。そして、戦後、日本は新しい体制で再出発し、経済的・文化
的繁栄を謳歌することになる。
では、戦争放棄を規定している憲法9条はどこから来たのであろうか。19世紀前半
のクラウゼヴィッツの『戦争論』には、「戦争は政治手段とは異なる手段をもって継続
される政治にほかならない」と書いてある。つまり、戦争は政治の続きであると捉えら
れていた。政治による紛争解決の手段として、戦争が正当化されていたのである。とこ
ろが、第一次世界大戦で甚大な被害を出した国々が集まり、1928 年、アメリカの主導
でまとめられたのが不戦条約である。国家政策の手段としての戦争の放棄、国家間の紛
争解決手段としての武力行使の違法化を内容としていた。この時のアメリカの発想が、
111
米軍占領軍下で起草された日本国憲法第9条の基本になっていると言われている。
では、日本が仕掛けた日清戦争、日露戦争、満州事変、日中戦争、太平洋戦争は、相
手国の社会体制や憲法をどのように変えようとしていたのであろうか。この答えはない。
当時のリーダー達は、列強から日本の安全保障を守るために、ずるずると戦争を始めて
いったのである。まったく無責任な振る舞いである。理念も世界戦略も何もない。やら
なければ、やられるという根拠のない恐怖感が戦争へと自らを駆り立てていったと指弾
されても仕方がない。周辺国にとってはまったく迷惑であった。
2.日清戦争(1894 年~95 年)
当時、清は欧米列強との阿片戦争(1840 年~42 年)とアロー戦争(1856 年~60 年)
の敗北により、開国を余儀なくされていた。一方、日本は列強を目標に近代国家化を推
進していた。日本と中国は、東アジアで日中両国のどちらがリードするかを競争してい
た。リーダーシップをめぐる競争が展開されていたのだ。具体的には朝鮮半島をどちら
が制するかの競争をしていた。
日本は、領事裁判権を認めさせ、関税自主権を奪う不平等条約「日朝修好条規」を
1876 年に締結していた。中国の実力者の李鴻章(りこうしょう)は、従来「礼部(れ
いぶ)
」という儀礼を交換する役所が対朝鮮政策を扱ってきていたが、1881 年にそれを
改めて自らが指導できる直轄下においた。朝鮮の李王朝は、日本につこうか中国につこ
うかで揺れ動く。ついに、1882 年、日本寄りの改革を進めてきた李王朝の政策に対す
る不満を抱く旧式軍隊や民衆が反乱を起こした。これを壬午(じんご)事変と呼ぶ。清
はこの反乱を鎮圧し、朝鮮への関与を積極化させ、朝鮮国内では親清派が力を得ること
になる。次に、清の影響下にある政権を打倒するため、日本公使館の援助を受けた親日
改革派の人々が、1884 年、甲申(こうしん)事変を起こす。だが、これも清によって
鎮圧されてしまい、日本の影響力は決定的に低下する。日清両国は、1885 年 4 月、天
津条約を締結することになる。両国の軍事衝突を避けるために、朝鮮から双方の軍隊を
撤退させるかわりに、朝鮮に出兵するときは事前通告することに決めたのだった。
一方、福沢諭吉が有名な「脱亜論」を書いたのが 1885 年だ。日本には中国と朝鮮の
開化を待って一緒にアジアを担っていく時間がない。むしろ、これらの国と離れて西欧
列強と一緒になり、西洋人が両国人に対してするような態度で接すればよいと主張する
のだ。つまり、真意は、自国を西洋化して力を蓄え、戦争という手段で清を討ってから
朝鮮進出を果たす以外に道はないというものだ。日本は朝鮮の獲得にこだわっていた。
なぜか。日本の実力者の山県有朋は、1888 年 12 月から翌年まで地方制度調査のためヨ
ーロッパ視察を行っている。その時、山県はウィーン大学のローレンツ・フォン・シュ
タイン教授と運命的な出会いをしている。
シュタイン教授は、ロシアがシベリア鉄道を完成させ、朝鮮を占領すると、アジアに
凍らない軍港を開くことができると脅しにかかる。山県は呆然となる。結局、日本の戦
略は、中国の影響力から朝鮮を引き離し、ヨーロッパ列強、特にロシアが朝鮮を領有し
てしまわないようにする方向に定まっていく。日本は自国の安全保障上の理由から、朝
鮮半島への進出を決意するのである。のちほど述べるが、日本の生命線は朝鮮半島では
なく、満蒙だという主張へとエスカレートしていくことになる。日本という“遅れてや
ってきた青年”は列強に追いつこう、負けまいと背伸びを続けることになる。最後には
破滅へと導かれてしまう。それにしても、シュタインというひとりの学者と山県有朋の
出会いが、日本のその後の行方に大きな影響を及ぼすとは、歴史は必然と言われながら
も、偶然の要素もなんと大きいのであろうか。この点こそ、人間の智恵の発揮のしどこ
ろであろう。
日清戦争が起こった背景のひとつには、国内政治情勢も関係している。当時は、長州、
112
薩摩、土佐、肥前などのいわゆる藩閥が政治を牛耳っていたため、自由党や改進党のメ
ンバーが活躍できるポストのことを考えると、台湾総督府や朝鮮総督府は魅力的に映っ
た。現代の官僚の天下りに似た発想だ。
1894 年、朝鮮国内で朝鮮政府に抵抗するための農民反乱が起こる。東学党の乱だ。
朝鮮政府は清に出兵を要請した。清は先に締結した天津条約に従って、日本に通知する。
日本も清に通知して、朝鮮に出兵する。ところが、反乱は急に治まり、日清両国が朝鮮
半島で対峙することになる。日本としては、朝鮮半島はどうしても欲しい領土だった。
ただで撤退するわけにはいかなくなっていた。そして、日清戦争が勃発する。
ただ、国際環境からみると、日本はイギリスと通商航海条約を締結していて、イギリ
スが日本の後ろ盾になっており、一方清の後方にはロシアが支援していた。つまり、日
清戦争はイギリスとロシアの帝国主義戦争の代理戦争という側面もあった。戦後の下関
条約で、戦勝国の日本は、朝鮮半島、台湾を獲得した他、重慶、蘇州、杭州などの港を
開くことを約束させる。当時の日本の国家予算の三倍の賠償金を得た日本政府は、ロシ
アを仮想敵国とした軍備拡張や八幡製鉄所の建設費に使う。日本人は中国に対する劣等
感が払拭され、優越感へと変わり、アジアの盟主という意識が芽生えてくる。アジアに
対する侮蔑感へと変容していく。この意識は今でも変わらない。
この1、2年で中国にGDPで抜かれると、中国に対する優越感は消滅することにな
ろう。百数年ぶりの転換である。長く思い上がっていた日本人はうまく気持ちを整理で
きるのであろうか。
3.日露戦争(1904 年~05 年)
筆者は旅順の203高地に 2 回行ったことがある。日本軍は 13 万のうち死傷者が実
に七割にものぼる大損害を受けたが、ついに203高地を占拠し、そこから見渡せる数
キロ先の旅順港に停泊していたロシア艦隊を砲撃することができたのである。そのため、
日本がもっとも怖れていたシナリオである、バルチック艦隊と旅順港にいたロシア艦隊
の合流を阻止することができ、日本はロシアとの戦争に勝利することになる。陸海軍の
共同作戦が功を制したのである。203高地に立つと、この戦争で敗れていたら、日本
はどうなっていたであろうかと不安になると同時に、黄色人種が白人に始めて勝利し、
アジアやアフリカの植民地の独立運動に大きなインパクトを与えたと思うと、熱いもの
がこみ上げてくる。戦争は悲劇であるが、同時に民族の血を熱くする作用もある。日本
が敗れていれば、極東の地政学は現在とは随分違ったものになっていたであろう。
ロシアはこの戦争に敗北し、満州への影響力も失くしてしまう。実は、日露戦争も帝
国主義時代の代理戦争だったのだ。日本に財政的支援を与えたのが、イギリスとアメリ
カで、ロシアに財政的支援を与えたのがドイツとフランスだった。イギリスとアメリカ
は、大豆という世界的な輸出品を産する中国東北部をロシアが占領し、北京のすぐ近い
位置にロシアの軍隊がいて、ロシアが中国に影響を及ぼす状態は嫌だった。そこで、日
本は満州の門戸開放をスローガンにイギリスとアメリカからお金を借りることに成功
した。ドイツとフランスは、ロシアという潜在的な敵をヨーロッパではなく、アジアに
向けておきたかったのだ。
中国の立場はどうだったのか。中国は強いロシアが勝つと、国を取られてしまうので
はないかと心配になり、弱いほうの日本に協力することになる。日本軍がロシア軍と戦
っているとき、袁世凱や中国の地方の知事が日本軍に義捐金を送ったりしている。満州
では、地域の官僚や農民が日本軍の諜報活動のために働いてくれた。このようなサポー
トの上に、日本の辛勝があったのである。中国東北部は帝国主義国に開放されることに
なる。中国人からみると、どちらが勝っても半植民地化の状態が続くという苦難の道が
待っているのであるが。
113
日露戦争での日本人の死者は八万四千人で、日清戦争の十倍にもなった。巨額の戦費
も負担した。しかし、ロシアから賠償金がとれなくて、みんながっくりくる。日本政府
は増税をしなければならなくなり、直接国税を払っていた人数が倍になる。そのなかに
は、商工業者、産業家、実業家たちが含まれており、彼らの代表が議会に登場してくる
基盤をつくることになる。
4.第一次世界大戦(1014 年~18 年)
第一次戦争は日本にとって幸運な戦争だった。被害は少なく、戦勝国として重要な“戦
利品”を獲得した。この戦争による世界全体の戦死者と戦傷者の数は三千万人にも達し
たが、日本は千人に過ぎなかった。レーニンは「歴史は数」であると喝破したが、多大
な死傷者を出したヨーロッパは激動する。長い伝統を誇っていた三つの王朝が崩壊した。
まず、ロシアのロマノフ朝が崩壊し、1917 年 11 月、レーニンとトロツキーに率いられ
たボリシェビキによってソビエト社会主義連邦共和国が成立した。
次に、1918 年 11 月、
ドイツの皇帝のヴィルヘルム二世が逃亡し、ホーエンツォレルン朝が崩壊した。そして、
オーストリアのハプスブルク帝国も滅亡した。
戦争に懲りた欧米諸国は戦争を二度と起こさないような仕組みをつくろうとし、1920
年、国際連盟が設立された。しかし、歴史が示すとおり、提唱者のアメリカが議会で了
承を得られず、さらに、戦後のパリ講和会議で敗戦国のドイツに重過ぎる賠償金を負わ
せることで不安定要因をつくり、平和は長く続かなかった。
日本は 1905 年に樺太の南半分、1910 年に韓国を併合していたが、第一次世界大戦で
はドイツが極東で権益としていた山東半島と南洋諸島を獲得することになる。日本は火
事場泥棒的に中国への影響力を強めていく。山東半島で獲得したのは青島(チンタオ)
だけではなく、ドイツが青島から済南(さいなん)まで開通させていた鉄道・膠済(こ
うさい)線も占領することになる。青島から兵士や物資を済南まで運べば、その北方に
は天津と北京がある。一方、日本は日露戦争で旅順から奉天(今の瀋陽)、長春までと
っていたので、奉天から鉄道を経て、北京を睨むこともできた。このように中国の首都
を南と北から攻めるルートを確保したばかりでなく、大連と旅順を押させていたので渤
海湾から軍艦でも攻め入ることができるようになっていた。中国からみると、日本の軍
事的脅威はぐんと増したのである。
第一次世界大戦で疲弊したヨーロッパ列強は、痛手を回復するために、まだ手がつけ
られていない中国の資源と経済をめぐる戦いに殺到すると日本の軍部は考えていた。日
本は一歩優位な立場に踏み出たのである。阿片戦争以来、対中貿易で儲けていたイギリ
スは日本の中国進出に懸念を持つようになる。
戦後のパリ講和会議は空前の外交戦となる。出席者も様々な顔ぶれが並ぶ。日本の主
席全権は西園寺公望、報道係主任はのちに国際連盟脱退で名を馳せた松岡洋右、のちに
総理大臣となる近衛文麿、吉田茂。イギリスからは若き日の経済学者のケインズも出席
した。近衛文麿はこの会議に非常に憤慨している様子が、帰国後残した文章から窺い知
ることができる。
「力の支配てふ鉄則の今もなほ厳然としてその存在を保ちつつあることこれなり。(中
略)道理ある人種平等案は力足ざる日本がこれを提出したるがゆえに葬り去られ、これ
に反して不道理なるモンロー主義は力あるアメリカが主張したがゆえに大手を振って
連盟規約のなかに割り込むに至りしものなり」
憤慨したのは大蔵省の主席代表のケインズも同じだった。アメリカを中心とする戦勝
国が熱中していたのは、どうすれば賠償金をドイツから効率的に奪えるかということだ
った。ドイツから絞りとるだけ絞ってしまえば、ドイツ経済の復興が不可能となり、と
りたい賠償金も入ってこなくなるではないかとケインズは怒り、途中で帰国してしまっ
114
た。ケインズが懸念したとおり、ドイツは賠償金の負担に喘ぎ、第二次世界大戦の原因
のひとつとなる。
中国の全権団のひとりの顧維鈞(こいきん)は、宣戦布告をして戦争に勝利すれば、
その国(中国)が敗戦した国(ドイツ)とかつて結んでいた不平等条約がまっさらなも
のに戻るはずだとして、山東半島の返還を主張する。しかし、日本が反発し講和会議が
失敗するのを怖れたイギリスのロイド=ジョージ首相は、顧維鈞を説得する。結局、パ
リ講和会議で結ばれたヴェルサイユ条約には「山東の権益は日本のものになる」と書か
れることになった。
日本はパリ講和会議で実質的な権益を得ることに成功したが、各国からの風当たりが
強く、疑心暗鬼になっていく。
5.満州事変(1931 年~32 年)
、日中戦争(1937 年~45 年)
満州事変は関東軍参謀の石原莞爾らの謀略によって起こされたもので、日中戦争は小
さな武力衝突をきっかけに起こったものだ。
関東軍がロシアから譲渡された中東鉄道南支線(日本名は南満州鉄道)を守っていた
が、柳条湖(りゅうじょうこ)付近のその鉄道の一部を自ら爆破し、それを中国側のし
わざだとして、奉天にあった張学良の軍事根拠地などを一挙に占領した事件だ。石原ら
は三年前から事前に準備をしていた。張学良は自らの陣営を離れ、北京にいた。日本の
特務機関が華北で張学良に対する反乱を起こさせていたからである。張学良の東北軍は
19 万人で、関東軍は1万人しかいないため、そのような手の込んだやり方をせざるを
えなかった。穏健だった関東司令官・本庄繁が奉天を離れて旅順にいたときに事件を起
こしている。上司無視の卑怯なやり方である。さらに、関東軍は兵士の不足を補うため
に、日本の朝鮮駐留軍を独断で越境させている。内閣の同意と天皇の命令がなければ、
日本軍の国境越境はできないはずなのだった。満州事変は言語道断で、決して正当化さ
れるべきものではない。
一方、日本国内世論はどうだったのであろうか。満州事変2ヶ月前のアンケートで、
88%の東京大学の学生が「武力行使は然り」と答えていることからみても、世論も熱く
なり、戦争へと歯止めがかからない状況にあった。
さらに、「満蒙は我が国の生命線である」という議論が支持をあつめるようになる。
日本の満蒙での権益は、日露講和条約とそれに基づいて日本と中国政府との間で結ばれ
た「満州に関する日清条約」で認められた権利であるが、条約には二つのグレーゾーン
が存在していた。南満州鉄道の沿線に日本の鉄道守備隊を置く権利と南満州鉄道の並行
線になりうる幹線と支線を中国側が敷設できないという取り決めである。中国側が並行
線をつくると、中国は日本が条約で認められた権利を侵害しているという議論が沸騰す
る。中国の条約侵害によって、日本の生存権が脅かされるといって、日本軍は国内世論
を煽った。日本は被害者であるという意識が国土を覆うようになる。
さらに、満蒙への投資の 85%は国家が関与していたことも、国家が望む方向に人々
が動きやすくなっていた。
日清戦争時は、日本の安全保障を守るために朝鮮半島への進出を行うが、それがだん
だんエスカレートしてくる。日本は自らを逃れられないところに追い込んでしまうので
ある。グランド・デザインの欠如と言わざるを得ない。これは、現在でも日本の最大の
欠点であるが。
日本人のなかには日中戦争は侵略戦争でなかったと主張する者がいて、それが中国人
をひどく憤慨させることがしばしば起こっている。筆者は侵略戦争だったと考えている
が、そうではないと考えるひとはいったいどのように発想しているのであろうか。
首相であった近衛文麿は中国のトップであった蒋介石に対する声明で、「国民政府と
115
対手(あいて)とせず」と言っている。戦争の相手国を眼中に入れないという意味であ
る。1939 年 1 月、日本軍の司令部は、
「今次事変は戦争に非ずして報償なり。報償の為
の軍事行動は国際慣例の認むる所」と言っている。近衛首相のブレインのひとりには、
この戦争を「一種の討匪(とうひ)戦」と呼んでいる。つまり、不法行為を働く悪い奴
やギャングを討つのだという意味だ。なんたる思い上がりであろうか。
「アジアの盟主」
としての誤解が発露されている。大蔵省のエリート官僚が 1938 年 11 月発表した論考に
は、「日本などの国々が英米などの資本主義国家やソ連などの共産主義国家などに対し
て起こした「革命」だと主張している。当時のエリート層は、満州事変や日中戦争を戦
争と捕らえていなかった。日本がやっていることを客観的に判断する能力が欠けていた
とも言えるし、戦争と認識するのであれば、それの国際ルールに従わなければならなく
なり、様々な矛盾が噴出するのを避けたかったとも解釈できる。
満州事変が起きたとき、中国側の対応はどうだったのであろうか。国民政府のトップ
であった蒋介石は、どのようなよい条件で日本側と妥協したとしても、自分の敵である
共産党や他の国内勢力は、蒋介石が中国を犠牲にして日本と妥協したとして、売国奴呼
ばわりするであろうと考えた。そのため、事件の解決を国際連盟に委ねることにした。
これを受けて、国際連盟はリットン調査団を現地に派遣する。報告書には、日本の経済
的権益が擁護されるよう配慮されていたが、日本軍の満州事変の軍事行動は自衛の措置
ではなく、「満州国」は関東軍の力を背景に生み出された国家だと書かれていた。妥当
な報告書だったのだ。当時の東京大学の吉野作造教授も「あれ以上日本の肩を持っては
偏執の謗り(そしり)を免れないだろう。欧州的正義の常識としては、ほとんど間然(か
んぜん)するところなしとして可」と、立派にできていると日記に残している。
しかし、新聞の論調は険悪だった。日本にとって不利な点ばかり強調されていたのだ。
新聞はいつの時代も「売るために」世論に迎合する。リットン調査団が汗水たらして報
告書を書いているとき、日本の衆議院本会議は満州国承認決議を全会一致で可決させて
しまう。国会は世論に迎合すると同時に、軍部に力を恐れ、表では強そうなことを主張
していた。
こんななか、国際連盟脱退へと日本は知らぬ間に突き進んでいた。当時の外相は内田
康哉(やすや)だった。内田外相は衆議院の答弁で「国を焦土にしても」という表現を
使っていた。内田外相は満州国承認で日本が強く出れば、中国国民党の対日宥和派の
人々は日本との直接交渉に乗り出してくると目論んでいた。実際、蒋介石はまず国内で
共産党を討ち、その後日本にあたるという方針を決定していた。その方針は駐日公使経
由で内田外相の耳に届いていた。1933 年 1 月 19 日、内田は昭和天皇に対して、国際連
盟を脱退せずにすみそうだと自信満々に報告していた。だが、昭和天皇は強行姿勢をと
りつつ中国政府を交渉の場に引き出そうと考える内田のやり方に強い不安と不満を感
じていた。国際連盟でリットン報告書が審議される際に日本全権として出席していた松
岡洋右も内田外相に対して、そろそろ強行姿勢をやめて妥協点を見出すようにしないと
危険ですよと電報を打っている。
このような情勢のなかで、内田外相の作戦を破滅させる事件が起こる。1933 年 2 月、
陸軍が満州国の南の部分の熱河省に軍隊を侵攻させたのだ。この作戦は、天皇が一ヶ月
前に閣議決定を受けて、承認を与えたものだった。ただ、タイミングが非常にまずかっ
た。陸軍は、熱河作戦は満州事変の連続したものだと軽く考えていた。しかし、国際連
盟規約第 16 条には、連盟が解決に努めているとき、新たな戦争に訴えた国はすべての
連盟国の敵と見なすと規定されていたのである。連盟の敵と見なされれば、通商上・金
融上の経済制裁を受けることになり、さらに除名という不名誉な事態も避けられなくな
る恐れがでてきた。
1933 年 2 月 8 日、慌てた斎藤首相は天皇のところに駆け込み、熱河作戦を決定した
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閣議決定を取り消し、天皇の裁可も取り消してほしいと頼む。天皇は奈良侍従長に熱河
作戦の中止を求めたが、彼も元老の西園寺公望もその考えに消極的だった。天皇が一度
出した許可を撤回すれば天皇の権威が決定的に失われる、そして陸軍は天皇に対して公
然と反抗するようになると心配したのだった。天皇の批判は日本ではまだタブーとされ
ているが、この時勇気のある裁断を下されていれば、その後の日本の歴史も大きく変貌
したことであろう。少なくとも、国のために殉じた戦死者はずっと少なくなっていたは
ずである。
軍のクーデターを怖れる元老に行く手を阻まれた斉藤首相は、やむなく、2 月 20 日
の閣議で、国際連盟の日本への勧告案が総会で採択されれば、除名という不名誉な事態
を避けるためにも自ら連盟を脱退するという方針を決定してしまう。松岡洋右が連盟総
会の議場から退場するのはそれから 4 日後のことだった。軍と内閣が連携なしに動いて
いたのでは、いずれはこのような大きな矛盾に直面してしまう。ただ、国内で軍は「農
山漁村の救済は最も重要な政策」と国民に訴え、支持を広げていた。軍は今後の戦争に
勝利するには、
「国民の組織化」が必要だと考えていたのである。
一方、ソ連は重化学工業化の五ヵ年計画を成功させ、軍備増強を着々と行っていた。
軍部が復活するソ連に対抗しようとした工作は、満州国の南に位置する華北地方 5 省を
中国政府から分離しようとしたものである。再び、日本の安全保障を理由に大陸侵略が
継続されることになる。
中国政府は危機感が募っていく。このままでは、日本に中国全土を侵略されてしまい
かねない。1938 年に駐米大使となった胡適(こてき)は、
「日本切腹、中国介錯(かい
しゃく)論」を唱える。介錯は切腹したひとの後で、首を切り落とす役割だ。胡適は日
本の勢いを止めるには、アメリカとソ連を巻き込むしかない。米ソを巻き込めれば日本
を駆逐できる。そのためには、中国は日本との戦いを正面から受けて、負け続けること
だと蒋介石の前で主張している。国際連盟のメンバーでなかったアメリカとソ連は中国
が日本に負け続ければ、必ず干渉してくると読んでいた。実際に歴史はそのように動い
たのだった。国家としての方針や政治決定メカニズムを失った日本は民族滅亡の道を歩
んでいた。
日本側の傀儡政権を南京につくったとして、中国で国賊扱いされている汪兆銘(おう
ちょうめい)は、1935 年当時、胡適と論争し、
「3、4年にわたる激しい戦争を日本と
やっている間に中国は共産化してしまう」と反論している。汪兆銘の予言も見事的中し
たことになる。仮に、中国大陸が共産化されずに、戦後も国民党支配のままであったな
らば、汪兆銘は祖国の英雄として崇められていたことであろう。汪兆銘は共産化を避け
るために、日本と妥協しようとしたのだった。
1970 年代、日中国交回復交渉のために、日本政府代表団を書斎で接待した毛沢東は、
(共産化した)新中国があるのは日本軍が国民党と戦ってくれたお陰ですよと、素直に
語っている。
6.太平洋戦争(1941 年~45 年)
真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争を国民はどうみていたのであろうか。一部の冷静な知
識人はとんでもないことになったと記しているが、多くの知識人や庶民はキリリとみの
引き締まるのを覚える、落ち着くところに落ち着いた気持ちだと日記に書き残している。
戦争の高揚感が全土を覆っていたことであろう。
では、開戦決定の場でどのような議論が行われていたのであろうか。当時、日本とア
メリカの兵力の差は広く知られていた。通常の戦いならば勝てないのは誰もが分かって
いたのである。永野軍司令部総長は、1941 年 9 月 6 日の御前会議で歴史を持ち出して
いる。
117
「なにがなんでも戦争しろといっているのではないが、大坂冬の陣の翌年の夏、大坂夏
の陣が起こったときに、もう勝てないような状態に置かれて騙されてしまった豊臣氏の
ようになっては日本の将来のためにならない」
つまり、開戦の決意をせずに戦争をしないまま、豊臣氏のように滅ぼされてしまうよ
りは、緒戦の大勝に賭けたほうがよいという趣旨だ。近代戦争と四百年前に戦いを比較
するのはあまり合理的な発想ではないと思うが、軍部は、天皇は歴史の比喩の話しに弱
いと知っていたに違いない。
山本五十六連合艦隊司令長官が真珠湾奇襲攻撃を天皇に説明し、
承認を得たのは 1941
年 11 月 15 日である。説明に際して、山本は、真珠湾攻撃は「桶狭間の戦にも比すべき」
奇襲作戦であると再び史実を用いて説明しているところが面白い。
真珠湾奇襲攻撃は戦艦五隻、駆逐艦二隻、航空機 188 機を破壊した。では、なぜこの
作戦は成功したのであろうか。艦隊を攻撃するには魚雷を使わなければならないが、当
時の常識では魚雷は真珠湾では使えないとされていた。航空機から投下された魚雷は着
水後、深度 60 メートルまで沈み、その後深度 6 メートルまで浮かび上がって、その深
度を保ちながら艦隊の燃料などを攻撃していた。真珠湾の水深は 12 メートルしかない
ため、魚雷での攻撃は無理だとアメリカは考えていた。魚雷ネットも張っていなかった。
しかし、日本空軍は航空機から魚雷を投下し、水深 12 メートルよりも沈まない訓練を
徹底してやっていた。この神業的技術のお陰で、真珠湾攻撃を成功に導いたのである。
激怒したアメリカは潜在工業力を駆使して、艦隊や戦闘機を大量に整備し、日本軍を文
字通り物量で圧倒していく。
時間は前後するが、アメリカとの開戦に踏み切らざるを得なかった理由がある。1941
年 7 月 2 日の御前会議において、フランス領インドシナへの進駐が決定されている。日
本は中国を越えて更に南進を決意したのである。中国や来るべきアメリカとの戦いに具
えた資源確保が目的だった。日本軍はフランス領だからアメリカとは関係ないと考えて
いた。ところが、フランス領インドシナへの進駐が実行されるやいなや、アメリカは在
米日本資産の凍結を断行し、さらには石油の対日全面禁輸を実行する。アメリカはドイ
ツ戦で苦戦していたソ連を力づけるために日本の南進にすぐ報復したのである。当時、
日本国内では南進よりも、ソ連を攻撃する北進の議論がなされていたため、ソ連からみ
ると、日本の動向が気懸かりだったのだ。いずれにしても、アメリカのこの措置で日本
は苦しい立場に追い込まれ、アメリカとの対決に踏み込んでいったのである。日本はま
さしく焦土と化してしまった。
以上見てきたように日清戦争以降を振り返ると、日本の将来のグランドデザインの欠
如、軍と内閣との思惑の不一致、場当たり的な対応、感情に訴える国民の未熟さが浮き
彫りになってくる。戦後、日本は奇跡的な復活を遂げたが、60 年以上が過ぎた現在で
もこのような日本の弱点はどれほど克服されてきたのであろうか。日本の将来を考える
上でも、戦前の記録を直視すべきである。
<参考文献>
『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』加藤陽子著(朝日出版社)
118
世界の潮流から取り残される日本
国と国との関係は対人関係に似ている。日本人は中国に対して、歴史上憧憬と恐怖心
を同時に抱いてきた。恐怖心がなくなると、憧憬も消え去り、その反動で優越感と侮蔑
に転じてきた。侵略戦争に敗れると、今度は贖罪感が昂じてきて、変に謙(へりくだ)
るようになる。
日清戦争を境に、憧憬と恐怖心が優越感と侮蔑に急変したのであるが、戦後は贖罪感
が表に出てきていた。が、毒餃子事件など食品安全問題が発生すると、再び優越感と侮
蔑に転じるようになった。東シナ海のガス油田問題では、恐怖心が日本人の心を捉えて
いる。もうすぐGDPで中国に抜かれると、再度日本人は中国人に憧憬を抱くようにな
るに違いない。日本人の対中感情は猫の目のようにクルクル変わる。
日本人はこのような対中感情の起伏の激しさに気づいていない。日本が歴史上、中国
から受けた心の傷はこれほどまで深いのである。トラウマになっている。まず大切なこ
とは、日本人の心象風景の原因は中国にあるのではなく、日本人の心のなかにあるとい
うことを理解することである。
この認識のうえで、中国から見える日本を客観的に見ていきたい。
日本のGDPはもうすぐ中国に抜かれるが、ひとり当たりのGDPはまだ高いと信じ
込んでいる日本人は多い。一億総中流だから日本人は幸せなのだとはもう言えないのだ。
ひとりあたりのGDPは下がり続けて、すでに 19 位まで転落している。日本は先進国
のビリにつけているだけだ。国民の 7 人に一人が貧困層に属する。給食費を払えない貧
困児童も増え続けている。セーフティーネットはぼろぼろだ。ブランコから落ちたら、
ネットを突き破って、地面に叩きつけられてしまいかねない。
「国民の生活が一番」というスローガンを掲げた民主党が選挙に勝ったのは当然とい
えば当然だった。弱者救済の政策が前面に押し出され、強者に重い税負担が課せられ、
裕福な者は海外に逃亡するようになるかもしれない。
中国の所得格差は日本以上である。これは事実であるが、そればかりが強調されると、
日本は平等な社会と思わされてしまう。中国の所得格差は大きいが、村落共同体がまだ
崩壊していないため、日本ほど深刻にはなっていない。日本は工業化社会を経過した核
家族社会であるため、本人が職につけなければ、両親以外に面倒をみる者がいない。就
職できない若者は両親が裕福でなければ、即アウトだ。青いテント生活が待っている。
北京にも乞食はいる。共産党が否定しても、確かにいる。しかし、職についている者
は所得格差をたいして問題にしていないように見える。金持ちや腐敗役人が毎日美味し
いものを食べていようとも、自分の生活が少しでも向上していれば、ひとは大きな不平
不満を持たないものである。
日本人の豊かな生活を支えてきたのは、ハイテク産業である。クルマ、工作機械、電
子部品が 30 兆円を稼ぎ出し、そのお金で石油、原材料、食品を購入してきたのである。
世界最強と言われているクルマ産業でも、電気自動車革命が進行すれば、今までの優位
性は急速に崩れていく。これらのハイテク産業に続いて稼ぐことのできる産業が育たな
ければ、日本は赤字国に転落し、国民は苦しい生活を迫られる。デジタル家電やロボッ
ト技術は日本の得意とする分野であるが、どこまで“稼ぎ頭”になれるのだろうか。関
係業界の技術者には奮起をお願いしたいところである。
さて、世界の他の先進国は日本をどう見ているのであろうか。残念ながら、日本には
余り関心がないのだ。米国の政府高官や投資家は中国へと怒涛のように向かっている。
中国には、責任をもって決断できる人々とビジネス・チャンスが転がっているからであ
る。その帰途、挨拶代わりに東京に立ち寄っていく。でも、日本のベスト・アンド・ブ
ライテスト(最も善良で最も聡明な人々)は、米国はまだ日米同盟を重視していると思
119
い込んでしまう。いや、そう思い込みたいのかもしれない。中国の台頭に対する戦略や
手段を思い描くことができないからである。
ヨーロッパの大企業の中国進出は凄まじい。シーメンスやフィリップスなどの巨大企
業は、自国政府の後押しを受けて、中国市場への食い込みに躍起となっている。中国市
場でのシェア獲得が社運を決めると信じているからだ。今後建設が相次ぐ原子力発電所
の受注に日本企業は入り込めないでいる。世界に占める中国市場が 11%を占め、6 万人
以上の中国人従業員を従える日立でさえ、欧米勢の中国侵攻に危機感を深めている。
日本企業も日本の市場縮小を乗り越えるためには、海外市場に活路を見出す必要があ
るが、日本政府は支援には冷淡である。官民とも「技術流出」を警戒しているためだ。
電気自動車を中国で売り出そうという日産自動車は、その資源となるリチウムとレアア
ースが欲しいが、中国側は資源の安定供給の代わりに日産自動車のハイテクの開示を求
めている。
技術流出の戦略がないため、日本企業ですら、案件ごとの対応に留まっている。全体
像がない。日本企業は中国から何を確保したいのかがポイントである。市場の確保、人
材の確保、技術の共同開発、標準化の共同確保のそれぞれの段階に応じた技術提供(技
術流出)戦略があるはずである。
日本の大学も教授の判断に任せている。中国好きな科学者は中国人留学生を積極的に
受け入れ、先端技術を教授し、教え子の帰国後も企業の設立の支援を行っているケース
もある。技術流出よりも、可愛い教え子の成長が楽しみである。学術分野の人々は人材
の交流が日本に恩恵をもたらすと手放しで喜んでいるのだ。
欧米の学者の“中国詣で”も盛んになっている。ジャパン・パッシングの構図が明ら
かになりつつある。冷静に統計を読むと、中国の学術論文数は米国に次ぐ世界2位(中
国側発表)であるが、サイエンスやネーチャーなどの一流雑誌への掲載数は日本に遠く
及ばない。しかし、欧米人は数十年先を読んでいるのである。中国の人口に比例する優
秀な人材が魅力的である。日本の大学の学生も中国への留学に消極的であるが、欧米の
大学は違う。長期的な視点で考えているのである。21世紀の大国に日本がなることは
ありえないが、中国はその可能性が高い。そうであれば、中国語を学んだり、中国の親
しい友人をつくっておくことは自分の将来に有利である。自然とそのような発想になる。
毒入り餃子事件でヒステリックになり、中国留学を念頭にもおかない日本人学生とは随
分違う。
今年中には、広州と武漢を結ぶ高速鉄道が開通する予定だ。最高時速 350 キロで、1068
キロを 3 時間で走る。3 年後には、北京と上海にも高速鉄道が開通し、5 時間以下で走
る予定だ。こちらは世界最高時速 380 キロを達成する。この他の大都市を結ぶ高速鉄道
の計画は目白押しで、数年後には、日本の新幹線の総距離を簡単に抜いてしまうであろ
う。高速鉄道の次はリニアモーターカーの時代がやってくる。日本やドイツは国土が狭
いため、リニアモーターカーの導入はあまり経済効果をもたらさない。しかし、中国大
陸ではその威力が十分に発揮される。ニーズがあるところに技術が発達する。リニアモ
ーターカー技術でも、日本は中国にすぐに抜かれてしまうに違いない。
10 月 27 日、北京で日中韓ロボット技術ワークショップが開催された。ワークショッ
プに付帯して開催されたロボットの展示会では、日本のロボット技術の優位性は明らか
である。世界トップと言ってもいいであろう。日本のロボット業界は日本が優位な時に、
標準化を形成しておきたいところだ。だが、中国側は日本の意図を十分理解しているの
で、その標準化の議論に乗ってこない。中国は国内のロボット技術の進展を待って、独
自の標準をつくり、海外企業の中国市場への参入にはそれに従うようにさせる戦略であ
る。巨大市場を背景に中国標準を世界標準にしょうという魂胆だ。中国のロボット研究
開発プロジェクトのリーダーである北京航空航天大学の某教授とは知己の仲であるが、
120
今回会った際には余裕の笑顔を浮かべていたのは印象的であった。
中国独自開発の民間航空機も数年後には、中国の大空を飛ぶようになるであろう。日
本人が知らないうちに、中国の産業技術の躍進が続いている。日本人は中国を下に見る
傾向が強いため、食品安全、公害、役人の腐敗、農村の貧困、独裁政治などのネガティ
ブな面にばかり目が向けられ、プラスの面には向けられにくい。世界の人材と資金と技
術が中国に吸い寄せられようとしている現実を直視しなければならない。
中国の研究費は毎年 20%増を記録しているが、財政危機のため日本の研究費の伸び
は期待できない。日本の大学は益々貧困になりつつある。教授も学生も未来に希望が持
てなくなっている。中国政府は日本との協力に総計 6 億円を用意し、日本に対して同額
の研究費を拠出して共同研究を行わないかと提案しているが、日本政府は日中協力にこ
の程度の研究費を確保することができないでいる。今後、日本の経済も縮んでいく恐れ
がある。
中国は海外にいる優秀な中国人科学者を帰国させるべく、1990 年代から帰国奨励制
度を設けてきた。現在はその一歩先を行く政策を打ち出している。海外の優秀な人材を
中国に招致するプロジェクトだ。
“千人計画”と呼ばれるものは、55 歳未満の世界の一
流の研究者を中国の大学や研究機関に招致するもので、国家研究開発プロジェクトのリ
ーダーとしての役割も期待するという。報酬は年間 1,500 万円で、中国国内で 6 ヶ月以
上働けばいいとのことだ。優秀な人材ほど忙しく、兼職でないと中国に来てくれないと
知っているからだ。この制度に確定した外国人は米国人がほとんどであるが、日本人の
候補者もいると某有名大学学長から直接聞いた。また、若手や中堅の外国人研究者の中
国招致プロジェクトも稼動しており、これらには日本人も含まれている。研究費が伸び、
研究環境が急速に改善しつつある中国に引き寄せられる日本人も増えていくことであ
ろう。
科学技術水準でも中国の躍進が続いていることは、日本政府も論文の量と質の両面か
ら分析し認識している。ただ、日本の科学技術力は米国との間で大差があるものの、少
しづつだが縮小しているため、妙な楽観論が覆っている。中国が日本を追い越すのは随
分先のことという認識が強い。しかし、日本の一流の研究者ほど中国の研究開発力を高
く評価している。雑誌「ネーチャー」の東京支局長は化学の分野で日本は中国にすでに
抜かれていると断言している。
“成長する中国、縮む日本”の将来はどうなるのであろうか。悲観的な日本人は、将
来の日中関係は現在の米国とカナダの関係になると言う。人口比もどちらも 10 対 1 だ。
筆者はそこまで悲観的ではない。日中間は陸続きでないし、日本の文化の独創性はまだ
強い。科学技術の面でも優れた成果や人材も多数いる。問題はそれらを発掘し、産業技
術へと結び付けられるかどうかである。権力の周辺から既得権勢力を排除し、隠された
才能や技術の芽をうまく育てることができれば、日本が世界をリードできる点は多い。
さらに、日本は国家建設の段階で、遣隋使や遣唐使を中国に派遣し、多くのことを学
んできた。当時に較べれば、日本が現在の中国から学べるものは少ないかも知れないが、
多くの留学生や駐在員を派遣し、彼らの優れたものを謙虚に学ぼうという姿勢も大切で
あろう。将来の日中関係のあり方はまだ明確になっていないが、偏見を持たずに、中国
を冷静に観察することが重要である。
121
中国人の騙しのテクニック
2 年前の経験である。当時はまだ、その 2 年前の反日暴動の余韻がまだ払拭されてい
なかった。
北京の首都師範大学において開催される「中国人学生による日本語スピーチコンテス
ト」に招待されたときのことだ。会場は 300 名近い学生で満員だった。僕は審査員には
選ばれなかったが、来賓として最前列で、スピーチコンテストを聞いていた。スポンサ
ーは日本の地方の企業が担っており、優勝者には日本での数週間の研修旅行の権利が与
えられる。そのオーナー企業の社長も審査員のひとりとして参加していた。高齢者であ
るが、見るからにワンマン社長のようだった。
スピーカーは地方予選を勝ち抜いた約 10 名の学生だった。スピーチの発表内容は、
事前にパンフレットに印刷されていた。概要ではなく、全文である。ほとんどの学生た
ちは、丸暗記したスピーチを披露するだけでなく、抑揚もつけて気持ちを込めて感動的
に話すのである。恥ずかしそうに話す学生は皆無だった。ほとんどの学生は中国語特有
の訛りがなく、日本人との区別もできないほどだった。
「2 年前の反日暴動で、
日本語を学ぶ私たちに向けられる親戚や学友の目は厳しかった。
日本語の学習を放棄する学生も多かった。日本語を第一希望の専攻に選ぶ学生は 2%し
かいなかった。この会場の学生もそうですよね。苦しいなかでも真剣に日本語を勉強し
てきましたよね。(会場から拍手が湧いた)私は日本語や日本の文化をもっともっと勉
強し、将来中国と日本の架け橋に必ずなりたいと決心しています。中日はお互いに発展
していかなければなりません。私はどんな困難にも負けません」
このような健気なスピーチが相次いだ。こんなに純情な学生が日本にいるのだろうか
とさえ思った。僕はすっかり魅せられ、不覚にもしばしば涙ぐむこともあった。
結局優勝は抜群のパフォーマンスを発揮した北京大学大学院の女子学生に決まった。
それは妥当な結果だった。オーナー社長もすっかりご機嫌の様子で、その学生に優勝の
賞状を手渡した。会場は盛大な拍手に包まれた。
すると、予期せぬことが起こった。オーナー社長がマイクを取り上げ、上気したよう
に興奮気味に話し始めた。
「中国人は素晴らしい。本当に素晴らしいスピーチばかりだった。感動しました。私は
準優勝の方にも日本研修をプレゼントします」
準優勝の学生は飛び上がって喜んだ。会場からは割れんばかりの拍手が起こった。社
長の突然のプレゼントだった。社長は二人の女子学生の間に立ってご満悦だった。この
ような素直な学生が両国に育てば、日中の将来は明るいに違いないと僕も思った次第で
ある。
それから 2 年後、偶然この話を中国人と日本人に別途する機会があった。僕は彼らの
感想に耳を傾けていて再度驚いた。
中国人の話はこうだ。
「中国人は小学生の頃から美辞麗句の作文を書くことに慣れている。先生、父兄、共産
党、政府などの目上の者に対して感謝し、尊敬している気持ちを美しい言葉を並べて書
かなければ、先生はいい点数をくれない。もちろん、中国民族や歴史に対しても誇りを
持って、表現しなければならない。批判的なことを書けば、先生から目をつけられてし
まい、いい成績を得られず、上級の学校にも進級できない。そのような環境に育ってい
るので、中国人は状況を判断し、何を言えば相手を納得させたり、感動させることがで
きるかをよく修得している」
つまり、感動したのは日本人審査員だけで、うまく彼らの処世術と会話術にはまった
のであるといわんばかりだ。
122
一方、中国駐在が長く、日本語スピーチコンテストの審査員を行っているという日本
人女性の言い分はこうだ。
「日本人審査員のなかには、中国人学生のスピーチには嘘が含まれていることを知って
いる者もいる。ある日の関係者の会合で、スピーチに嘘が含まれているかを採点の基準
にすべきかどうかが、議論の対象になったことがある。私は嘘があってはダメだと強く
主張したが、2、3割の日本人は内容が嘘かどうかよりは、日本語のスピーチ力を問う
のが本来の目的であると言っていたのには驚いた。中国人はどこで、どんな内容を話せ
ば人を感動させ、賞を獲得できるかを熱心に研究している。作り話を事実のように話す
ことに慣れていて、罪の意識を抱かないのだ。日本人とは非常に異なる。日本では誠実
かどうか、事実かどうかが問われ、美辞麗句が嫌われるのとは対照的である」
中国人は幼少からこのような“特訓”を受けているので、相手を褒めることが上手で
ある。美辞麗句がつい度がすぎて、嘘の領域に入ってしまうことがあり得る。それに較
べて、日本人は誠実さをモットーに生きているので、相手の欠点が先に目に付き、相手
を喜ばせることが苦手である。この中国人の能力は企業間の協力や外交の交渉で遺憾な
く発揮される。これがしばしば日中両国の誤解となることもある。
中国人の海外留学ブームは衰えたとはいえ、まだ海外の大学を目指すものは多い。中
には、中国国内の有名大学に合格する能力がないために、海外の有名大学に入学しよう
とする者もいる。需要のあるところに供給があるように、そのような若者をサポートす
る業者がいる。業者が学生になりすまして、美しい英語で面白そうな研究計画を書き、
海外の大学の研究室に送信するのだ。学歴や成績証明書が偽造されているケースも多い。
北京大学や清華大学の近くでは、卒業証明書を発行している。もちろん偽物であるが。
中国人のそのようなテクニックを知らずに、優秀な学生が自分の研究室を希望してい
ると知って、うぶな教授は大喜びで、受入れのサインをしてメールで送り返す。数ヵ月
後、学生がやってきて、その英語力や学力の低さに愕然としてしまうケースが多い。日
本の有名な大学でもこのようなことが繰り返されている。教授本人は自分の判断ミスや
失敗が外に漏れることを怖れる余り、大学内でさえ問題が共有されることが少ない。教
授は仕方なく、苦労して学生を卒業させるが、もう二度と中国人留学生を受入れること
がない。中国を嫌う学者がまたひとり増えることになる。
僕自身、ある中国人教授と英語でメールのやり取りをし、実際会ってみると、英語を
まったく話せないことが分かり驚いたことがある。これは虚偽とは呼べないかもしれな
いが、仮に誰かに代筆させているのであれば、その旨書くべきであろう。いずれにして
も、再びその教授と付き合うことはあるまい。信頼の問題である。
中国政府は学位や学歴の偽物の流通に手を焼き、教育部の下部組織として、「学位・
大学院生教育発展センター認証処」を設立した。中国人学生を受入れたい海外の大学は、
その機関に問い合わせれば、その学生の学位取得状況や成績の証明書を入手することが
できる。ただし、1件当たりは 200 元(約 2,800 円)であるが、大量の中国人を受入れ
る大学の財政負担は大きいに違いない。中国政府は、虚偽証明書の多さを理由にそのよ
うなシステムの導入で稼ぐことができる。
では、面接をすればいい学生を正しく選抜できるではないかと考えがちだが、身代わ
り面接の商売もなりたつというから、相手は一枚上手である。面接を受けた人物と別人
の学生が来日してくる。
話の質が落ちていくが、騙される駐在員が後を絶たない。上海で、ガールフレンドの
名義でアパートを購入してあげて、その部屋に喜んで行ってみると、すでに転売されて
いた話。これは騙される方が悪い。北京で直接聞いた話であるが、赴任浅い某有名企業
の現地社長がガールフレンドと特別な関係になり、現場の写真を撮られて大金を出すよ
うゆすられたという。仲介に入った日本料理店の日本人オーナーから聞いた話だ。
123
スナックの女性従業員の間では、「日本人はお人よし。中国人は絶対に騙せない方法
でも簡単に引っかかってしまう。私の廻りには日本人から大金を巻き上げた中国人女性
が大勢いる」との会話が交わされている。
日本で毎晩残業に明け暮れて疲れていたが、中国で時間的な余裕が出てきて、「俺も
意外に持てるではないか」と幻想を抱かされて、余計な貢ぎ物をしてしまう者がいるの
である。金銭で済めばいいが、日本の妻と別れて、中国人の若い女性と結婚し、すべて
の金銭を巻き上げられて、棄てられ、挙句の果てには自殺してしまった人までいるとの
こと。人生何が起こるか分からないが、良識ぐらいは具えておいて貰いたいものである。
若い女が体力の衰えた 60 歳くらいの男をターゲットにするのは、金銭以外の目的があ
るはずがないではないか。
さて、下品な話を昇華させよう。中国人に騙される日本人が後を絶たないのは、文化
的側面もあるが、真実を言えば“人口比”が原因である。ほとんどの日本人も中国人も
真面目であり、通常嘘はつかない。中国人の嘘が目立つのは十倍の人口がいるからであ
る。嘘をつく人間も十倍いるのだ。彼らが目立つため、中国人はほとんどが嘘をつくよ
うな錯覚を起こしてしまう。大多数の中国人は誠実に慎ましく生きているのだ。
もうひとつの課題は、美辞麗句で鍛えられ、騙されない処世術を学んだ者が膨大な数
に登るとどういうことが起こるかということだ。彼らをまとめるには、見破られない壮
大な理想や夢や幻想を作り上げなければならなくなる。政治の仕事だ。マルクスはかつ
て言った。
「小さい嘘は見破られるが、大きい嘘は見破られにくい」
実際、戦後長い間、共産主義の理想は当時の若者や学者を魅了し続けた。害毒は社会
を徹底的に分断し、破壊し、人間の尊厳を著しく傷つけるまで流された。共産主義の理
想を誰も信じなくなった現在、それに代わるものは偉大な中華文明、輝かしい歴史、海
外が羨む経済繁栄、巨大な建造物、言語を尽くした人間賛美である。
質素な美意識を重んじる日本人から見れば、中国のやることは虚構だらけだ。文化の
ない文明、歴史改竄、バブル経済、空虚で無意味な巨大建造物、壮大な虚礼。日本人は
人間の感覚の届く範囲で世界を感受しているが、中国人は“壮大な物語”のなかに生き
ているように思える。壮大な物語には真実も嘘も混じっている。それを嘘や虚構と呼ぶ
のは、日本人の見方であり、価値観である。世界は広い。
誠実さをモットーに活きてきた日本人は人間的な訓練を受けずに大人になったよう
に見受けられる。“正直者がバカを見ない社会”を作ろうというキャッチフレーズは間
違いである。
「世界は正直者がバカを見る社会であるので、そこでも生き伸びていける日本人を育て
よう」
これが斬新なキャッチコピーである。嘘や騙しのテクニックを決して軽視したり、嫌
悪してはならない。
「そんな深刻な顔をして何を考えているの。他の日本人は騙せても、あなたったら、な
かなか騙せないから好きだわ」
そばに座っている女が言うと、聞いていた女たちの嬌声が湧き起こった。
「人生は短いのよ。楽しまなくっちゃ」
その女が僕の手を強く握りしめたのだった。
124
「赤ワインは女性をその気にさせる」
日本でも、中国でも、米国でも、フランスでも、白ワインよりは赤ワインが好んで飲
まれる。赤ワインは健康的な飲み物と信じ込まされているからだ。発端となった論文は、
1992 年、フランスの学者が発表した「ポリフェノール説」である。フランス人に動脈
硬化や脳梗塞が少ないのは、赤ワインに豊富に含まれているポリフェノールが抗酸化作
用やホルモン促進作用を向上させるためと主張した。これが赤ワインブームに火を点け
たのである。白ワインの消費量が多かった日本でも、赤ワインの消費がすぐに上回って
しまった。この学者はワイン業界から委託費でももらっているのではないかと勘ぐって
しまいそうだ。騙される消費者もバカだが、御用学者も困ったものである。
フランスで心筋梗塞が少ないのは、ワインのポリフェノール効果ではなく、ワインを
飲み過ぎて肝疾患で死ぬ人が多いのと、ワインを飲みすぎるため食事量が少なくアメリ
カ人に較べて心臓疾患の発生率が低いからにすぎない。
ポリフェノール自体は動脈硬化や脳梗塞を減少させるかもしれないが、だからと言っ
てそれを含む赤ワインが身体にいいという理由にはならない。こんな単純なことさえ、
学者や権威あるものから発表されると、みんな疑問に思わず信じてしまうのは恐ろしい。
なぜこうなるか少し説明しておこう。科学の役割は物事の「関連性」を解明すること
であり、「因果関係」を解明することではない。ポリフェノールが抗酸化作用やホルモ
ン促進作用を向上させるのは事実であるが、だからと言って、ポリフェノールを含む赤
ワインが動脈硬化や脳梗塞を防ぐとは言い切れない。だが、消費者にとっては関連性と
因果関係の違いを理解するのは困難であろう。
なぜか。脳には不思議なことに対して結論を急ぐ性質があるからである。か弱い人類
は進化の過程で、敵から身を守るために、猛獣の様々な情報をキャッチし、分析してき
た。臆病と言われようが、警戒を怠らなかった者が生き延びた。シグナルから次に何が
起こるかを予想することが大切だった。あらゆる情報には因果関係が含まれているに違
いないと、人類は考えることが習慣になってしまったのだ。このような脳の特性により
人間は因果関係の結論付けを急ぐようになった。科学者はウソをついているわけではな
いが、世間ではポリフェノールが動脈硬化や脳梗塞によいと言われるようになり、それ
を聞いた別の消費者は、ポリフェノールは健康によいから毎日飲んでもいいという風に
考えるようになる。
人間の脳はおっちょこちょいに作られているが、しばらくすると、その考え方はやは
りおかしいということになり、是正されていく。
赤ワインの俗説が見破られると、赤ワイン業界は次の手を編み出した。
「赤ワインは女性をその気にさせる」というキャッチコピーである。論文の内容は実証
されていないが、赤ワインを飲んだ女性の脳活動を調べたら、性的欲望が活発になった
というものだ。
女を口説くのが下手な男性達は、デートの時に競って赤ワインを彼女に飲ませるよう
になる。男は臆病だから、女がその気になってくれなければ、口に出したり、行動に出
たりするのができないのである。これで、赤ワインブームは当分続くことになろう。し
かしまあ、赤ワイン業界は実に逞しい。世界恐慌がやってきても、生き残るに違いない。
これで、このエッセイを締めくくってもいいが、枚数が少なすぎるから、もう少しお
しゃべりすることにしよう。おまけの話の方が面白いことだってある。
オルガズムに達したときの男性と女性の脳の活動を計測した論文もある。これはオラ
ンダで行われた実験であるが、日本ではこのような研究は決して行われないだろう。も
しやってしまえば、テレビのワードショーで取り上げられたり、2ちゃんねるで盛んに
からかわれることになるに違いない。西欧人は真実を追究することに非常に熱心である。
125
邪推が入り込まない。オナニーしているときの被験者の脳画像を PET や MRI で計測する
のである。自分の手でオナニーすると、頭が動いてしまうため、配偶者や恋人などのパ
ートナーにやってもらうことになる。さて、結論。
男女ともに、テグメンタという快感を生み出す場所が活発に活動していたことが分か
った。しかし、女性だけ活動している部位があった。それは、中脳水道傍灰白質と呼ば
れる我を忘れる場所だ。頭が真っ白の状態だ。セックスの時に女性が声を出すのはこの
部位が刺激されるからであると推察される。人間は欲望多い動物だから、将来きっとこ
こを刺激する薬が開発され、販売されることになるに違いない。あ、それからテグメン
タは他人の失敗を聞かされると活動するという。倫理的にどう言われようが、脳にとっ
ては他人の失敗は快感で、甘い蜜なのだ。
こういう実験もある。ワイン好きの人々を集めて、ワインを試飲させた。値段は本人
に分からないようにでたらめなものを伝えておいた。結果はどうだろうか。テグメンタ
の活動の大きさは伝えた値段に比例したのである。味がどうであろうが、脳は価格が高
ければ脳は喜ぶのである。ブランドを買いあさる女性を軽蔑することは簡単であるが、
彼女たちの脳はブランドを見ると、とろけそうなくらい興奮していることになる。人間
の脳はお金やブランドが大好きである。社会通念として大切なものは中味や心であって、
お金やブランドに固執する者は醜いとされているのは、社会の暴走を防ぐ防御策なので
あろう。
セックス後に放出されるオキシトシンは相手を信頼するためのホルモンだ。相手の鼻
にこのオキシトシンを噴霧するだけで、信頼感や愛情を得ることができるという。あく
どい手口の勧誘にオキシトシンを使えば、ぼろ儲けできるだろう。高嶺の花の異性もこ
れで落とすことが可能だ。オキシトシンは人工合成できるから、どこかの宗教団体かテ
ロ国家で極秘裏に製造されているかもしれない。
世界には色々な科学者がいるものだ。アダルトビデオを見ている男性の汗を女性の脳
は識別できるとの論文を発表した学者もいる。大勢の男性を集めて、半数には教育番組
を二十分間、もう半分にはアダルトビデオを二十分間見せて、彼らの汗を採取して女性
に嗅いでもらったそうだ。意識の上、つまり言語表現では女性はそれを区別できなかっ
たが、女性の脳を測定すると、アダルトビデオを見た男性の汗は女性の脳の視床下部な
どを活性化させた。無意識でも脳は感知しているのだ。無意識の世界は意識の世界より
も圧倒的に大きいのかも知れない。
サブミリナル効果は有名だ。映画の画面のなかに本人が意識できない画像、例えば、
コカ・コーラの画像をほんの一瞬入れるだけで、販売数が急増したという。脳は正直に
反応し、コーラを欲しがる自分を認識して、自分はコーラが好きだと認識してしまう。
脳が感知した無意識の世界に従って行動した自分を見て、自分の意識はこうなのだと納
得するのだ。
女性を口説く時、吊り橋の上やお化け屋敷での成功率が高いと言われる。吊り橋の上
やお化け屋敷では、恐いから心拍数が多くなる。アドレナリンが分泌されるからだ。と
ころが、異性を好きになった時ときめきを感じる場合でも、アドレナリンが放出される
のだ。脳で起こっている現象は同じである。愛を告白された本人の心は、自分の心臓が
ドキドキするのは、このひとが好きだからに違いないと「理屈」をつけてしまう。一度、
言語化されると、それは心に刻印されるのだ。つまり、告白した男性を好きになってし
まう。人間の好き嫌いや評価はこの程度のレベルで決まってしまう。
今回のお話は中国と関係がなくなりそうであるので、無理やり関係つけるようにしよ
う。中国人は話し声が大きいが、女性の喘ぎ声も大きい。僕は中国出張中、2、3度隣
の部屋の情事の女性の声で起こされてしまったことがある。午前3時から5時頃の出来
事だった。中国人女性の脳のテグメンタや中脳水道傍灰白質は敏感なのであろうか。い
126
やそれとも、ホテルが経費を節約するために、壁の防音工事を怠っているだけなのかも
しれない。いずれにしても、これは謎である。日中共同研究の課題にしたらどうかと提
案するのは、ちょっとふざけすぎであろうか。
西洋人が好奇心を抱く話題でも、日本人は道徳や文化が壁になってしまう。文化も大
勢の人々の脳が無数の記憶から紡ぎだした「幻想」であると言えば、文化人に怒られそ
うである。
脳研究の行き着く先には、愛や心やアイデンティティーは崇高なものではなく、脳が
作り出したひとつの自然現象だという結論が待ち構えている。人間はその真実にどこま
で耐えられるのであろうか。
<参考文献>
「脳の秘密、身体の謎」
『小説新潮09年10月号』
127
コルテオ
僕が小学生だった頃、親に連れて行ってもらった街をあげてのお祭のなかで、一番好
きだったのはタコ焼きとサーカスだった。サーカスは神社の広い境内に張ったテント小
屋のなかで行われていた。小屋に入ると、そこは夢のような空間だった。ピエロがおど
けたり、小人が悪戯をしたり、ライオンが火の輪をくぐったり、男女が空中ブランコを
飛び移ったりしていた。大人から見ると子供の世界はおとぎ話のようであるが、サーカ
スは子供にとって目の前にある現実の世界だったのかも知れない。
半世紀余りがあっという間に過ぎた。現実と夢の世界の区別はできるようになった。
現実の世界でうまく生きていく手法も自然と身についた。やっていけないこと、言って
いけないことも分かるようになった。現実の世界で長く過ごしてきたから当然といえば
当然である。誰しもが経験することであり、特に述べるまでのことはないかも知れない。
でも、ひとは大人になっても、音楽を聴いたり、素晴らしい絵画を見たり、決して起
こらない事件の小説を読んだり、感動的なミュージカルや映画を鑑賞して、笑ったり、
泣いたりする。芸術や文化は心を癒してくれる。現実から夢やおとぎ話のような世界へ
連れて行ってくれる。時には、日常の生活よりもリアリティーを感じさせてくれる。現
実は仮の世界に過ぎないとも思わせてくれる。
確かに、僕らは生きていくためには、食べなくてはならないし、そのためには働いて
賃金を得なくてはならない。それは苦しいことであるから、楽しみながら仕事をやった
方がいいが、現実の世界を楽しみすぎて、夢の世界を忘れるのももったいないような気
がする。
中国は歴史の長い国だ。人々は食べて、飲んで、しゃべって、鑑賞して、笑って、一
生懸命に生きてきた。その財産は文化として引き継がれてきている。北京オペラと呼ば
れる京劇、中国サーカスの雑技、仮面を次々と変えていく四川に伝わる变脸(ビエン・
リエン)、二本の弦の弦楽器の二胡(にこ)、笛などの吹奏楽器も現在まで伝えられてい
る。
中華料理は美味しいと思うが、これらの芸術はいまいち好きになれない。京劇は役者
の歌う声や笛の音階が高すぎて、頭の芯が可笑しくなりそうだ。脳への刺激が強すぎる。
まるで、辛くて舌が麻痺する四川料理や湖南料理を食べさせられているような感覚がす
る。どうしても耐えられない。拷問を受けているような気がしてくる。納豆やクサヤが
どうしても食べられない外国人がいるように、僕が苦しみ、悶えていてもごく自然なの
であろう。京劇が好きな中国人には、あの高音が脳の奥に沁みるとき、悦楽の境地に達
することであろう。
雑技は小さいときから特訓を重ねて、鍛え上げられた身体が、様々なアクロバットを
演じてくれる。女性のくねくねした柔らかい身体を眺めていると、自分の身体が破壊さ
れるのではないかという恐怖心に襲われることがある。言葉は悪いがヘビ女みたいで、
好きになれない。皿回しや一輪車やジャグリングの曲芸はハラハラしながらも比較的安
心して見ていることができる。
今年7月、上海で雑技を鑑賞していたとき、失敗が連続したのには閉口した。覚えて
いるだけでも、三回のやりそこねがあった。それぞれ、2回、3回、4回目に成功した
のだが、同じ曲芸に3回も失敗されると、観客は白けてしまい、現実の世界に引き戻さ
れてしまう。わざと失敗し、観衆を集中させ、期待どおりに3度目に成功させるという
「芸」であったとは到底思えない。単に、芸が完成していないだけである。後味が悪い
雑技だった。
变脸(ビエン・リエン)は、目にも留まらぬ速さで仮面を次々に変化させていく芸で
ある。マジックではなく、幼少からの訓練が必要な芸という。誰もがどのような仕掛け
128
で、仮面が変わるのであるかと興味が湧いてくる。鳩山総理夫妻が北京を訪問された際、
幸夫人がその芸をご覧になり、どのような技(わざ)なのかと、しつこく質問されたそ
うだ。もちろん、先祖直伝の芸であるため、門外不出である。知らぬが仏ということも
ある。ただ、僕は十度くらいみているが、だんだん興味が薄くなってきて、見ても感動
を覚えなくなった。困ったものである。
二胡はどうであろうか。レストランで特別料金を払うと、すぐそばで二胡の演奏をし
てくれる。少々高いが、この演奏はお勧めである。音色が実に美しい。たかが二本の弦
にもかかわらず、優雅で深い世界を表現してくれる。僕の中国のイメージにピッタリ合
っているのだ。何回でも聞きたい。
中国の芸術ではないが、北京の北朝鮮直営のレストランでは、喜び組から派遣された
かどうかは分からないが、美女たちが歌ったり、バイオリンを演奏したりしてくれる。
これも近くで聞くと、心が震える。感動する。ただ、レストランが儲けた資金で日本向
けのミサイルが開発されているのではないかと疑うと、二度と行く気にはならない。も
ちろん、彼女たちの胸には将軍様のバッジが輝いている。
東京に一時帰国していたとき、家族とサーカスを鑑賞に行った。カナダのケベック州
に本拠地をおく「太陽のサーカス」団が演じるコルテオだ。コルテオはイタリア語で「行
列」という意味であるが、この出し物は「葬式の行列」の意味である。ひとりのクラウ
ンが自分の葬式の際にやってくる人々の行列を思い描くというプロットで、物語は幼少
の頃から経験した思い出が次々と浮かぶという形で進行する。サーカスとはいっても、
ミュージカルのようなストーリーがある。クラウンはピエロとは違う。ピエロはフラン
ス語で、クラウンは英語だが、欧米ではそれ以上の違いがあるという。サーカスのクラ
ウンは道化師だけでなく、知性も備えている者として尊敬されているそうだ。
コルテオは幻想的である。アクロバットのみならず、踊り、歌、小噺もある。芸術性
と運動性の融合という専門家もいる。ハラハラがあり、笑いがあり、涙がある。主人公
のクラウンは、「君たちがいてくれたから、僕の人生は美しかった」と気づき、笑顔で
天上に去っていく。こんな人生であれば、死はまったく恐くない。一度ぐらい死んでみ
てもいいような気持ちになる。
人生は生きる価値がある。でも現実は厳しく、辛いから、勇気と希望を抱いて生きる
ためにも、人間には芸術や文化が必要なのである。
結局のところ、コルテオと雑技の違いは、物語性があるかどうか、人間の美や善の追
究があるかどうかではないのか。僕は少なくともそう確信した。妙技だけでは僕は感動
しない。
ところで、このクラウンはある種の幽体離脱を経験しているようなものだ。自分の身
体はベッドに横たわっているが、魂はその場から離れ、天井の上から自分が見下ろせる
現象だ。生死の境をさまよった人の証言にときどき登場する。人間の3割は経験するそ
うだ。
脳科学の進歩のおかげで面白いことが分かってきた。頭頂葉(とうちょうよう)と後
頂葉の境界にある角回(かくかい)と呼ぶが、右脳の角回を刺激すると、幽体離脱を経
験するという。どうして、脳にこのような機能が備わっているかまだ解明されていない。
冷静に考えると、大人になるということは他人の視点で自分を眺められるようになると
いうことだ。人間の脳にはそもそもそのような能力が備わっているか、社会を形成する
ようになってから、人間が後天的に身につけたのであろう。
台頭する中国を眺めていると、日本の将来は明るくないし、少なくともそう思ってい
る者が多い。中国は青年、日本は初老の段階にあるのだろうか。日本は大国にはなれな
いし、円が国際通貨になることもあるまい。しかし、日本の若者は、海外でスポーツや
クラシック音楽や科学やハリウッド映画で活躍している。彼らを素直に誇りに思う。
129
それと同時に、サーカスやミュージカルや映画を鑑賞し、心を震わせ、笑ったり、泣
いたりするのは悪くあるまい。人間には希望へと続く道は必ず残されているものだ。
<参考文献>
コルテオ・日本ツアー・パンフレット
『単純な脳、複雑な「私」
』池谷祐二著(朝日出版社)
130
技術流出は止められない
民主党新政権の仕分け作業ワーキンググループにおいて、世界一の演算スピードを目
指す「次世代スーパー・コンピューター開発プロジェクト」が実質的に凍結の判断を下
された。その数日後、世界のスーパー・コンピューターのランキングが発表された。内
容は衝撃的だった。中国が独自に開発したスーパー・コンピューター「天河一号」が突
然5位に入ったのみならず、日本は韓国にも抜かれ、30位以内にも入れなかった。か
つて、2002年、日本が「地球シミュレーター」で世界最速を誇ったのが夢のようで
ある。世界最先端の開発競争はかくも激しいのである。
スパコン「天河一号」は科学技術部の財政支援のもとで、天津市濱海新区と国防科学
技術部が共同で立ち上げた国家スパコン天津センターが中国初の毎秒一千兆回の演算
能力を実現したものである。このスパコンは主に石油探査と飛行機の設計に使用される
という。
日本の次世代スパコン開発の凍結は民主党への批判の代表例となっているため、政治
的決断により復活すると思われるが、日本のハイテクは新興国に対して優位になると信
じられていたが、その差はあっという間に縮まっている。かつて、金型技術、半導体、
液晶は日本の得意技術であると言われていたが、現在それを主張する専門家はいない。
中国や台湾や韓国は必死になって策を巡らし、人材を育ててきたのである。戦後、日本
が欧米に急速に追いついたように、新興国が日本に追いつくのは、人材や情報の流通が
一層速くなっていることを考慮すると、もっと速いのである。
日本の一流大学や研究機関に多くの熱心な中国人や韓国人が在籍していることを考
えると、彼らに帰国後豊富な研究費を与えられると、近い将来日本が抜かれる可能性も
否定できない。大学は人材養成機関であるため、学生が教授から知見や技術を修得する
のはごく当然であり、彼らが世界の繁栄と平和のために活躍してくれることを大いに期
待している。ただ、偏狭な民族主義的な発想をすると、ハイテクはこのような形で海外
にも流出しているのであり、これを止めることはできない。
仮に、日本が海外からの留学生受入れを止めれば、日本の科学技術力は瞬く間に世界
から取り残されてしまうことになる。大学や研究機関は夢を抱いた若い才能が熱心に勉
強したり、研究したりするがゆえに、研究現場に活気が得られ、新しい発見や発明へと
つながっていくのである。
また、帰国した学生たちは大学教授や企業の幹部へと昇進し、日本とのパイプも太く
なる。彼らは優秀な学生や若者を再び、日本に送ってくるようになる。信頼できる人材
のネットワーク化が重要なのである。
しかし、残念ながら、日本政府は、中国や韓国などへのハイテクの流出を怖れる余り、
積極的な研究協力を行おうとしていないように見受けられる。少なくとも中国政府はそ
のように認識している。先のオバマ大統領の訪中に際して、米中両国はクリーンエネル
ギー開発センターの設置に合意した。米国は中国との研究協力を前向きに捉えている。
このセンターを通じて、米国のハイテクが中国にどの程度流れるかは検証してみる必要
があるが、少なくとも表面上は研究協力に積極的である。
技術は高いところから低いところに流れるのは必然であると述べた。問題は、それを
食い止めようとするのではなく、技術流出をただ指をくわえて見ているか、それとも、
なんらかの戦略的思考をもって考えるかの違いである。
基本に戻って考えてみるといい。技術が優位な国や企業が欲しいものは何であろうか。
それは、市場であり、人材であり、規格や基準である。市場を確保しようとすれば、商
品を売ることになるため、技術の流出は食い止められない。現地に工場を建設すれば、
それは一層加速されるが、儲けるためには仕方がない。もちろん、知的財産権は当然の
131
権利であるため、断固たる態度で主張していかなければならない。現地国の消費者のニ
ーズが高度になれば、ハイテク商品の割合も次第に多くなっていくことになる。
市場を開拓する段階がある程度達成されると、次に欲しくなるのは優秀な人材だ。人
材なくして、次世代の技術の開発はおぼつかない。優秀な人材の確保を巡って競争が激
化することになる。これは大学での企業でも同じだ。ただ、優秀な人材は流動性が高い
ため、一定の割合での流出は避けられない。どのようなハイテク製品もひとりの能力で
開発できるものではなく、複数の分野の研究開発者が協力して初めて成り立つものであ
る。数人が開発チームから抜けたとしても、おなじ製品を開発できる訳ではない。仮に、
似たような性能の製品を開発されても、その企業はチームの開発力を武器に、一歩先の
製品を開発していくことになる。重要なのは技術や技術者そのものではなく、開発力の
仕組みそのものである。仕組みが活発に機能していれば、簡単に追いつかれることには
ならない。
そして最終段階が共同による規格や基準つくりである。研究開発段階から、他社と共
同で作業していかなければならない。交渉力や場合によっては外交力が必要になってく
る。いわゆる、オープン・イノベーションの世界である。日本はひと付き合いが下手で
あるため、これが苦手である。少なくともそう言われてきた。若い世代の感性と行動力
に期待したいところだ。
近年、日本の科学技術予算はほとんど伸びていないのに較べて、中国の研究開発費は
毎年20%の増加を続けている。その結果奇妙な現象が起こりつつある。中国政府は日
本との協力を加速化させたいため、それ相当の予算を組んでいるが、日本がそれに対応
する研究費を出せないため、国際共同研究が組めないという情けない状況に陥っている。
中国は日本よりも実質的な研究費が多いのである。日本人研究者のなかには、日本政府
から研究費がもらえないのであれば、中国政府からもらえばいいという、冗談とも投げ
やりとも言いかねる言葉も聞かれる。
中国政府は海外に散った中国人の帰国を促すのみならず、十分な処遇により世界の優
秀な頭脳を中国に結集させようとしている。なかなか教授になれなかったり、恵まれた
ポストを得られない日本人ポスドクの海外流出の危険性は迫ってきている。近いうちに
メディアが騒ぎ出し、日本政府は重い腰を上げて、対応に大わらわになる様子が目に浮
かぶ。すべてが後手、後手なのだ。誰も問題が発生するまで、それを予期したり、予防
したりすることをしようとしない。まったく怠慢である。
英国の一流科学雑誌『ネーチャー』の東京ブランチの責任者が、「中国は化学の分野
で、日本を質的にも量的にも抜いている」と発言し、日本人の関係者の間で動揺が広が
っている。人口比と研究費の伸び率から判断すると、いつの日にか抜かれることになる
が、こんなにも早く中国がやってきたかと思うと、背筋が寒くなる。化学分野のみなら
ず、他の研究分野においても、日本は次々と中国に抜かれることになるに違いない。
さらに驚くべき事実がある。日本人は研究費の規模や技術レベルの高低にばかり関心
が向けられているが、欧米の大学や研究機関は中国のパートナーとかなり緊密な関係を
築きつつあるのだ。明言こそしていないが、中国の人材はやはり“宝庫‘なのである。
例えば、ハーバード大学の中国進出の状況について触れてみることにしよう。
共同研究について、ハーバード大学は、清華大学環境科学・工程学科、浙江大学電磁
波研究センター、北京大学神経科学研究所、北京大学第三医院呼吸科睡眠センターなど
との間で実施している。一般にハーバード大学が技術を提供し、中国側が人材、設備、
場所を提供する形で協力が成立している。
優秀な中国人を確保するための奨学金としては、1928年よりハーバード・燕京学
社奨学金を利用して、研究者や博士課程大学院学生をハーバード大学に招聘している。
ハーバード大学と復旦大学華山医院は、2002年共同で華山・ハーバード医学国際発
132
展基金を設立し、医療、教育、研修などの活動資金に使用されている。さらに、200
6年秋に設立されたハーバード中国基金会は、ハーバード大学教授や学生が中国におけ
る研究をサポートするための経費を支援している。
共同研究機関としては、華山ハーバード国際聯合医院、新疆医科大学心血管病共同研
究センター、漢方薬聯合研究センター、復旦・ハーバード医学人類共同研究センター、
四川省医院異種移植実験室、武漢理工大学・ハーバード大学ナノ聯合重点実験室などを
中国国内に設立し、米中の優秀な人材を集中させて共同研究を実施している。ハーバー
ド大学は戦前から中国医学会との交流が密接であるため、医学分野での研究機関の共同
設立が多い。
教育機関の設立や研修プログラムについては、2001年より清華・ハーバード上級
マネージャー研修プログラム、2005年より衛生上級衛生行政人員研修プログラムな
どを利用して、人材の育成に務めている。中国人にとって、ハーバードブランドは魅力
的である。
2003年9月、米国のハーバード大学基金会は南京市白下区人民政府との間で、南
京理工大学サイエンスパークに、2億 5,000 万ドルの投資で「南京・ハーバード大学ハ
イテクパーク」設立に合意している。米国の資金、技術、マネジメント経験を中国に注
ぎ込み、中国から漢方薬などの製品を米国に移送する狙いだ。
以上はハーバード大学の中国での事業展開であるが、他の欧米の大学も豊富な資金を
利用して、中国との関係を深化させつつある。
日本の大学は国立大学、私立大学ともに、基金が絶対的に欠乏しているのみならず、
マネジメント能力に疎いことから、中国進出と言えば、事務所設立や研究室レベルでの
共同研究の段階に止まっている。
欧米の大学や研究機関は、戦略性や事業規模において、日本との間でかなり格差があ
ることを忘れてはならない。欧米の大学が奨学金の提供などで中国社会に深く潜入して
いることを考慮すると、日本の大学がどんなに日本の魅力を宣伝しても、中国の研究者
や学生には空しく聞こえることであろう。優秀な理工系や医学系の学生は米国へと向か
う。日本に来たがるのは、英語の点数が低い学生のみだ。
日本の魅力は漫画とアニメと日本語の響きである。彼らがこれらを学ぶために日本に
行きたいというのは、当然なのである。
日本政府が技術流出を怖れる余り、中国との協力に消極的である一方で、欧米の大学
や研究機関は21世紀の大国である中国との関係を益々強化させている。悲しいかな、
戦略性及び資金力において、もはや勝負があったという状態であるのだ。
133
日本の名誉ある衰退
日本の国民一人当たりの国民所得は栄光の2位から下降を続け、今では19位まで落
ちている。もはや先進国とは言えない状況なのだ。ある専門家は、生涯所得に占める住
宅費を考えると、現在だけでなく過去においても、生活の質において先進国ではなかっ
たと主張している。先進国の定義を国土の調和ある発展とするならば、日本は他の発展
途上国と同様、首都への一極集中が続いており、とうてい先進国の仲間だとは言いきれ
ない。生まれた都市の大学に通い、その都市で就職先を得て、故郷の文化と友人たちに
育まれながら豊かな生活を送るのが先進国の生活スタイルではないのだろうか。農村に
生まれ、立身出世を求めて都会に出かけていくのは、途上国型の価値観である。明治時
代ならいざ知らず、現代でもそのような価値観が賞賛されているとするならば、社会が
未成熟だと判断しなければならない。
さらに困ったことに、日本国内の所得格差も広がっている。金持ちは少ないが、最低
限の生活を支えるに必要な収入を得られない若者が増えている。努力しても報われない
社会が来ている。若者が夢を描けない状態に置かれている。
学術分野では、大学が大学教授の定年を延長したために、運営費交付金が圧迫される
だけでなく、若い学者が昇進したり、自由に研究できる機会が狭まっている。志の高い
若者はもっと良い研究環境を求めて海外に逃避するであろう。
労働環境の多様化という美名で始まった非正規職員雇用制度は雇用者に悪用され、非
正規職員は低賃金のままに据え置かれるのみならず、いつクビになるか分からない不安
定な環境に置かれている。
日本を牽引してきた産業は、自動車、工作機械、電子部品である。これらの産業で3
0兆円を稼ぎ出し、海外から石油、資源、食糧などを購入し、我々の生活を成り立たせ
ている。中国の国内自動車販売台数は、縮小する米国と日本市場を尻目に、今年130
0万台を超える勢いである。前年比でなんと4割近い伸びとなる。
さらに、自動車分野で技術革命が起こりつつある。電気自動車の登場だ。家電メーカ
ーの自動車産業への参入が可能となり、世界をリードしてきた大手自動車メーカーの優
位性が崩れる可能性が出てきた。工作機械や電子部品でも新興国の激しい追い上げが起
こりつつある。
日本は未来にも国民が食べていける産業や企業を育成することに失敗してきたので
ある。マイクロソフトやウォルマートなどの米国の主要な企業はこの20年位以内に設
立されたが、日本の大企業は戦後設立されたものと余り変わっていない。新興企業が育
っていないのだ。日本政府の経済成長戦略も機能しなかったと言わざるを得ない。
高齢者人口は三分の一まで増加すると言われる。労働力人口が減少していく。総人口
も減少する。活気が失われ、改革の意欲も失われていくに違いない。十年後には明確な
衰退現象が待っているに違いない。
一方、中国は米国と肩を並べる大国になる道筋が見えてきている。共産党支配による
政治的自由が抑圧されていると、先進国は中国を非難するが、中国住民にとって重要な
ことは豊かになるということである。ほとんどの人々にとって選挙権があるかないかは
重要なことではない。日本の地方の首長選挙の投票率が5割を切っていることを見れば、
明らかなように、住民にとって選挙権の有無は最優先事項ではない。僕は中国政府を擁
護しようとは思わないが、住民は毎日の生活が平穏無事に過ごせればそれで十分なので
ある。
歴史を概観すれば分かるように、中国は復興の段階に入っている。昇竜だ。共産党支
配下でも現在のような成長を遂げている、仮に、国民党が内戦に勝利していたならば、
中国の近代化のスピードはもっと速かったことであろう。かつて、中国は人口の多さが
134
貧困からの脱出を阻む最大の要因であった。一人っ子政策を採らざるを得なかったのは
そのためである。しかし、時代は変わった。人口の多さ、つまり市場の大きさが大きな
武器に変わったのである。海外の企業は競って中国に殺到し、工場を建て、製品を生産
し、中国の工業化に貢献した。現在、中国の人材(中国語では“人才”という)を求め
て、海外の企業は研究機関を設立している。海外の大学や研究機関も優秀な学生を求め
て、連携大学や合同研究室の設立など中国の大学や研究機関との協力関係を深めようと
している。歴史の必然である。
中国人はかつての日本人と同じように真面目で、勤勉である。日本人から見ると、中
国人は他人の立場に立って発想する能力が弱いが、それは文化や習慣の問題である。基
本的能力が欠如しているという訳でない。一部の悪い特定の中国人ばかりがクローズア
ップされ、中国人の能力や人間性を低く評価するのは間違いである。北京大学の学生の
方が間違いなく東京大学の学生よりも勤勉で、向上心が強い。東京の地下鉄の若者はい
らいらしていて、身体が接触しようものなら、何をされるか分からず恐いが、北京の地
下鉄の若者はゆったりと構えている。時には席を譲ってくれるから嬉しい。北京市は女
性が深夜にひとりで歩けるほど安全である。ただし、監視カメラがすべてを見ているが。
日本では中国の公害や食品問題のひどさばかり強調されるが、中央政府も地方政府も
まったく無策と言う訳ではない。努力しているのだ。公害のない日本企業の工場をモデ
ルとすべく、積極的に誘致し、他の中国企業への波及を促そうとしている。多くの日本
人が気づいたころには、中国の大気も水も、日本と大差ないところまで来ていることで
あろう。あと十数年しかかからないだろう。追いつくのは速い。
台頭する中国、沈む日本という構図は残念ながら確定したのではないだろうか。
日本は絶頂期を過ぎ、次第に国力が衰えていく。日本国としての影響力も弱まり、人々
の生活環境は悪くなっていくであろう。円は弱くなり、物価は上がり、失業率も高くな
り、所得格差は広がることになろう。そして、今の韓国のように、能力と野心のあるも
のは機会を求めて海外へと飛翔していくに違いない。その一部は中国大陸へと向かうこ
とであろう。中国ビジネスが儲からないと言うのは過去の遺物だ。
人間は老化と死から免れないように、国も衰退と滅亡から逃げることはできない。ど
うせ衰退するのであれば、名誉ある衰退を示すべきである。虎は死して皮を残す、日本
は何を残せるかだ。
日本の最大の功績は、工業化社会のモデルを提示したことである。農業国がものつく
りに目覚めれば、工業国になれるということを示した。ものつくり企業として成功する
には何をすればいいかを日本企業は教えてくれた。職員が一丸となってこつこつ努力す
れば、企業は成長するということを教えてくれたのだ。また、日本人の細部へのこだわ
りが日本製品の魅力の源泉でもある。製品の細部にも気を配り、そこを改良していくと
いう態度は日本人特有のものだ。実はこの能力はものつくりで発揮されるばかりでなく、
サービス産業、漫画、音楽、映画作りでも独創性の基盤となっている。Jポップやアニ
メは、台湾、韓国、中国、東南アジアの若者の心を虜にしている。日本人の細部へのこ
だわりは、毎日微妙に変化する四季や自然が育んだものであるに違いない。
さらに、日本は近代化と伝統・文化の保持は両立するということも示した。日本では
ハイテクと民族の心は共存しているのである。
アジアやアフリカの貧しい国々が新興国となるために、日本はひとつのモデルになる
に違いない。それは世界の歴史にとって大きな財産である。
さらに、日本の名誉ある衰退のために提案したいことがある。それは歴史問題に終止
符を打つということである。過去の過ちの総決算を行うことだ。
鳩山民主党政権の沖縄基地の見直し問題と東アジア共同体創設が議論を呼び起こし
ている。オバマ政権は鳩山政権の言動に神経質になっているようだ。日本の安全保障の
135
基本は日米同盟と主張しながら、東アジア共同体創設を唱えるのは矛盾しているのでは
ないかというのである。戦後日本の安保は米国の核の傘の下で保証されてきたが、米国
は究極において日本のために米国の若者が死ぬことを是認するのであろうか。答えは否
だ。日米間では真の信頼関係に至っていないのが現状だろう。
日本軍による真珠湾攻撃は米国人の深層心理に焼きついている。米国人の心の底には、
日本人は何をしでかすか分からないとの思いがあるのではなかろうか。日本人も核のな
い世界を夢想しながらも、その実現への道は遠いと感じていた。その時、福音が聞こえ
てきた。オバマ大統領が核廃絶を唱えたのである。今が、両国民がもういちど信頼感を
確認するチャンスである。鳩山総理が真珠湾で亡くなられた兵士に黙祷を捧げ、オバマ
大統領が広島・長崎の原爆の犠牲者に遺憾の意を表するのはどうであろうか。相互のわ
だかまりを取り除くことで日米同盟は確固たるものになろう。日本にとっても、太平洋
戦争の総決算になる。
黒龍江省ハルピン市からクルマで3時間の距離にある方正(ほうせい)村に日本人公
墓がある。満蒙開拓団として大陸に渡り、終戦直後、方正で命を落とし眠っていた方々
が大勢いた。近くに住む中国人夫婦は日本人の骨を集めて、弔うために墓を作ったとい
う。全くのボランティアである。敵国であった日本人のために、墓を建立してくれたの
である。終戦直後、中国人に襲われた満蒙開拓団の人々も多かったのは事実である。し
かし、一方で、このような行為をしてくれた中国人もいたのである。
鳩山総理には方正村の日本人公墓に参り、日本人犠牲者を弔うとともに、墓を作り、
そして守ってくれた中国人と地方政府に感謝を述べるべきであると思う。そして、これ
を契機に日中間の戦争の怨念を払拭しようではないか。
日本人はかつて清き心を持っていた。今、日本に追いつこうとする中国の発展を妬む
人々が多くなっているのは実に悲しく、寂しいことである。経済力や科学技術力で勝ち
負けを競っても仕方がない。その空しさに早く気づくべきである。日本はしょせん中国
と勝負しても勝てないのである。人口、国土、歴史、文化を見れば歴然としている。多
くの外国人がどの国の言語を学んでいるか見れば、彼らが21世紀の大国はどこかと考
えているのがよく分かる。
日本は米国、中国さらには韓国との不幸な過去を清算し、日本は極東の小国でありな
がらも、その特徴である繊細さを生かしながら、ハイテクや現代文化の発信基地となっ
ていければいいと思う。日本を愛する外国人には門戸を開放すればよい。一緒に創造性
ある国家を建設すればよいであろう。米国や中国には大国の思想や文化や技術を学ぶた
めに、現代の遣唐使を派遣すればよい。歴史はいつか来た道に戻るだけである。
新帝国の復活の時である。
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