2009年11月号 - NPO日住協|特定非営利活動法人日本住宅管理組合

平成 21 年 11 月(第 2 号)
NPO 日本住宅管理組合協議会
神奈川県支部ニュース
魁
発行責任 支部長 川上 湛永
横浜市磯子区西町 10-12
さきがけ
パークセレス根岸 402
三浦税理士事務所内
電話
045-762-1795
NPO日住協40周年記念式典を開催
設立40周年を迎えたNPO法人日本住宅管理組合協議会の記念祝賀会は、11月27日、東
京・帝国ホテルで、加盟管理組合、関連団体などから160名余が参加して開かれました。祝賀会
に先たち、記念講演会も開催され、100名余が参加しました。
祝賀会ではまず、日住協の穐山精吾会長が挨拶に立ち、
「40年前のスタートの時
は、分譲マンションは8万戸程度で、管理運営や修繕をどのように行うのか模索の
時代でした。この40年間にマンションの機能も形態も法整備も様変わりとなり、
管理組合団体も自主・自立のため、これまで以上のノウハウを管理組合に提供できる体制を要求さ
れています。
NPO日住協は、40年という節目を迎え、マンション管理という大海に新たに船出をすることに
なりますが、関係の皆様には、引き続きご指導・ご鞭撻・ご支援を賜りますよう切にお願いいたし
ます」と感謝と決意の挨拶を述べました。
来賓として全国マンション管理組合連合会(全管連)の谷垣千秋事務局長は「40年前、設立総
会は、東京ではなく千葉の稲毛海岸3丁目団地の集会所で開いたと聞いております。全管連は19
86年に設立しましたが、目の前に日住協というお手本、全国の管理組合活動をリードする存在が
中央にあったことで、勇気づけられました」と挨拶しました。
また、日本マンション学会会長の折田泰宏弁護士は「区分所有法の改正などの際にも、日住協に
協力して頂いた。また、マンション問題研究会という組織を立ち上げた時も協力いただいた。学会
は日住協なくしてはなかった」と感謝の言葉を述べたあと、「政権交代で、民主党にマンション問
題に詳しい議員がいるのかどうか不明だ。厳しい予算編成で、マンション関係にどれだけ予算が回
ってくるか。いずれにせよ、行政頼みではなく、民間で頑張ってゆくしかない。その中で、日住協
の役割はますます大きくなってゆく。40周年を契機にさらに頑張ってください」と目下の政治状
況を踏まえた激励の言葉を述べました。
また、弁護士で前マンション学会会長の丸山英気氏は「国はマンションの管理を管理会社などに
まかせる第3者管理方式を研究しているが、我々は管理組合による管理を進めてきた。管理組合管
理の担い手は日住協だった。この管理方式を守ることで、日住協にさらに期待したい」と挨拶しま
した。このあと、10年以上日住協に加盟している稲毛海岸3丁目団地管理組合、花見川住宅管理
組合、六ツ川台団地管理組合などに感謝状が贈られました。また、大規模修繕など
で管理組合に協力して頂いている㈱スペースユニオンなど設計事務所、設計士への
感謝状が贈られました。
なお、日住協では40周年を記念して、記念誌を発行しましたが、記念誌は各加
盟管理組合に届けられることになっています。
-1-
理事長経験 29 年、小澤忠二さんの回想録連載
横浜市戸塚区にある大正団地。30棟、780戸の県内有数の大団地。その管理組合理事長を昭
和51年から平成17年まで、29年間務めた。日本には540万戸の集合住宅があるが、29年
間の理事長というのは、おそらく例を見ない。高度成長期に都市における労働力確保の国家政策で、
旧日本住宅公団が中心になって、団地は、県内はじめ首都圏に大量供給された。当時は,高根の花だ
った。しかし、いま、住民の高齢化、建築・設備の老朽化と、ふたつの老いの問題を抱える。日本
の団地、マンションの歴史を語るのに小澤さんをおいてない。今回、小澤忠二回想録として、2 回
目の連載です。なお、小澤さんは、日住協神奈川県支部顧問です。 (支部長 川上 湛永)
理事長 29 年
小澤 忠二
回想録 -2
駐車場増設議案で総会が流会に・・・
前号(創刊号)で触れた、駐車場についてのあるアイディアを紹介する前に、駐車場をめぐ
る団地の4,5年越しの紛糾をお話します。
45年の入居後、初の総会に駐車場増設案が提出されましたが、
「緑を守れ」と叫ぶ反対者が
大荒れして、総会が流会になりました。役員も辞任してしまって、管理組合は無政府状態にな
りました。
無秩序な駐車を規制したり、注意したりするものもいなくなり、団地内の幅員4メートルの
アプローチには、左右に関係なく、自動車,自動二輪、自転車、幼児用三輪車が無秩序に停めら
れ、夜間などはつまずくほどになってしまいました。
横浜市からは、ごみ収集車が通れないから、ごみを収集しないと警告され、警察に苦情を訴
える人もあり、秩序を早急に立て直すよう注意される始末だった。
カークラブを設立へ
こんな状況が半年続いた。さすがに、住民の間から、なんとかしなければ、という声が出始
めました、そこで団地内の有識者に何回か集まってもらい、意見を求めました。
この中から次のような意見が出てきました。
1. 車の使用者が率先して、秩序を立てる必要がある。緑を守れと主張する人たちは、車
を使用していないから、反対者に同調するだけで、車社会になり、やがて自ら、あるい
は子供が車の使用者となることまで考えていない。
2. 車の使用者は、団地内の交通安全に協力するとともに、共有地を利用することから、
どこに停めようと共用物の使用にあたる。従って、全員駐車料金を支払わなければなら
ない。
そんな意見がでたことから、カークラブを設立することになりました。このクラブの目的は、
-2-
自主的に秩序回復の活動を行うことを主眼とするとしましたが、会長には私が推され、引き受
けることになりました。
まず、取り組んだのは、車の使用者(無届者がかなり多かった)を探して、名簿を作り、趣
旨を話して協力を呼びかけました。毎月のように会報をガリ版で作り、会の趣旨を説明しまし
た。しかし、共有地だから無料でいい、たまたまの来客だ、たまたま借りに来ただけだとか、
金を集めても使用目的がないなど勝手な論客も多く、閉口しました。会員から集めたわずかの
会費から、文房具を買い、ときには会員に呼びかけ料金徴収作業、道路やアプローチなどの駐
車禁止場所等の標示をペンキ塗りするなど無償奉仕に参加してもらいました。
やがて、再び総会が開かれましたが、初代会長も意欲を失い元気がなく、そんな中で私にも
理事になれというので引き受けました。この中で、前回総会が荒れ、理事の一人が割れて、流
会に至った経過から理事会が全員合意で可決することになりました。コミュニケーションの活
発化が必要ということが分かってきて、自治会を作ろうということで、その下準備にも参加し
ました。
こんな中で、理事会、カークラブ双方の考えが一致し、後まで威力を発揮したのが次のよう
な決まりです。
1、 車の所有者は何らかの方法で共有物を利用しているから、必ず料金を
払え、滞納者は滞納分を払え
2、 この料金を積み立て、駐車場の増設、整備に使用し、団地内の環境整備(不足する施
設の造成)などに充てる。
(この当時は、現在のような建物補修に使うという思想はなく、
あっても車の増減で不安定なので、そのような資金にするのは一般的ではなかった)
3、 交通安全,コミュニケーション(理事会、自治会、子供会のお知らせ、ときには迷子
や防犯まで)。駐車場会計はその後、運動場、駐車場、駐輪場建設、クラブ、収集車置場
に使用され、放送設備は現在でも、毎日使用されている。
以上に述べましたことは、昭和47年以降、実施されました。理事会広報、カークラブニュ
ースなどで教宣に努めた結果、団地内の秩序はかなり回復するに至りました。
しかし、
「共有物の変更は全員の合意」という民法の条文がネックになって、駐車場をつくるこ
とは、困難をきたしました。中には、お金を集めても、どうせ何もできやしないと主張する人
もいて、その方たちはこの条文を楯にしましたね。これに対して、わたしはこの法律に従って
いる限り、いつまでたっても、よくならない、隣人を不幸にする法律は不適切だ、みんなが幸
になるような手段を考えようと叫び続けました。
駐車場増設に突破口開く
そんな中で、
「各戸やその近くに影響がなければ、遠くのことは関知しない」という考え方の
住民が、大部分であることがわかってきました。当団地は、敷地が81000㎡もあります。
隅から隅まで700メートルもある。だから、自分の近くは関心があるが、離れたところはど
うでもいいという風潮があります。増設計画の場所に近い号棟の方を予め説得して、増設を了
解させ、さらに総会で大多数の了解を得て、約40台分の増設が成功しました。昭和50年の
ことです。しかし、この程度では車の増加に追いつきません。そこで、便法を考えました。駐
車場を無指定として、駐車する時はまず、駐車場へ。空きがなければ、アプローチアの定めた
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個所へ。そして、このアプローチ駐車は、翌朝、必ず駐車場へ入れ、アプローチには昼間、駐
車しないように指導しました。このアプローチの昼間駐車禁止は、駐車場など車の施設を造る
ことは一切反対という人達の怒りを抑える結果となりました。40台の増設は、それによりそ
の付近の住民には、大変便利になることが分かってきたのでした。
税 金 よもやま話 -2
次号へ続く。
税理士・外部監査人 三浦
利彦
(日住協神奈川県 副支部長)
= = = 今月のキーワード = = =
1.人格なき社団
2.収益事業(34業種)
1.税務調査の経過報告
先月号で書いた管理組合の経過ですが、現時点(11 月 28 日)でまだ終了しておりません。
あまり詳しく書いてしまうと、どこの管理組合だかわかってしまうので、あまり詳しく書けませ
んが、調査対象を 5 年から 4 年に短縮してもらうとか、経費をいろいろ認めてもらうとか、あれ
これ考えて条件闘争のようなことをしております。
2.役員さん達の大いなる誤解
セミナ-の講師をしていて、たまに質問を受けるのですが、「マンション管理組合」はもとも
と税金とは無関係なのではないですか?
いつから税金が掛るようになったのですか? とい
う質問です。これに対しては、最近からではなく、とっくの昔から税金の対象になっています、
とお答えしています。
ただし、条件があり、何でもかんでも税金の対象になるのではなく、今月のキ-ワ-ドの「収益
事業」に該当する場合だけです。この「収益事業」のことは、次号で説明します。
3.管理組合の法律的な立場
これも役員さん達があまりよく分かっていない点ですが、「区分所有法」で法人格を取得して
いれば、マンション管理組合は法律的には「法人」となりますが、まだ大多数の管理組合は「法
人」にはなっていませんので、その場合は「人格なき社団」という立場になります。
この「人格なき社団」というのも細かく言いますと、いろいろと条件がありますが、一般的にマ
ンション管理組合は「人格なき社団」と考えていただいて結構です。
ここで、皆さんにご理解していただきたいことは、「法人格」を取得している管理組合と「人格
なき社団」としての管理組合も法人税という税法の目で見ますと、全く同一の扱いであり、取扱
いに何ら優劣はないという点です。従って、ポイントは上述の「収益事業」に該当するかどうか
が重要な点になります。テレビ番組みたいに、次回に引っぱって申し訳ないのですが、次回に「収
益事業」のことを、集中的に解説したいと思います。 (次号へ続く)
-4-
六浦台団地地域に、念願のミニバスが運行
六浦台住宅管理組合 佐藤 忠雄
(日住協神奈川県支部理事)
郊外型団地の六浦台住宅
横浜市金沢区内の六浦台住宅管理組合は、1971 年(S.46 年)に旧日本住宅公団が分譲した 270 戸
の郊外型団地(8 棟 5 階建て、エレベーターなし)です。京急六浦駅から徒歩約 10 分の坂上に所在し
ます。敷地面積は約 33,000 ㎡で、緑が多く静かでとても環境の良いところです。
しかし、買い物などをする場合は、坂を下り京急六浦駅周辺や、また一つ先の
京急八景駅の大手スーパーまで足をのばさなければなりません。
周辺をご紹介しますと、海の公園、金沢八景シーパラダイス、金沢文庫、池子
団地への坂道と階段
米軍住宅、鎌倉八幡宮、米軍横須賀軍港等々、娯楽施設や歴史的名所、基地施
設などが点在しています。
築 38 年になります。住民は入居当初は若かったので、生活の不便さは感じようもありませんで
した。4・5階居住者の方は「こんなに緑が多く見晴らしの良い団地に住めて幸せだ。」と喜びあ
っていたものです。しかし、年を重ねるごとに「駅からの階段がきつい、5階までの階段は大変、
エレベーターがあればいいが、買い物や病院へ行くのが大変だ」ということが切実な問題となって
きました。また、子供達の姿の少ない高齢者団地になってしまいました。
生活の足としてのミニバスを誘致しよう!
そのような中で、管理組合は、1996 年(平成.8 年)から、終の棲家とすべき団地の将来について、
専門委員会である「再開発計画部会(以下部会という)」に建て替えを含む検討をお願いしてきてい
ました。しかし、それは単純なものではなく、初期段階である住民合意にかなりの年月を要してい
ます。一方では高齢化が更に進むことになります。
多くの住民は将来の建て替えも大事だが、今の生活の足であるバスを団地に通せないものかとい
う要求が高まり、部会として 2007 年 4 月(平成.19 年)からバス誘致の取り組みを始めました。
まず取り組んだのは、コンサルタント(「スバル建設企画」並びにドーム一級建築士事務所)の協
力を得て、他の地域でバス誘致に成功した事例の見学会です。これは、自治会や老人会にも働きか
けて 15 名もの参加を得ました。その後、取り組む母体を自治会に移し、自治会として専門委員会
としての「ミニバス導入検討委員会」(委員12名)を発足させ、部会はこれに全面協力する形に
しました。更に発足直後の 2,008 年(平成.20 年)1 月には当団地自治会と近隣 3 地域の町内会・自治
会で「六浦地域交通対策連絡会(以下連絡会とう)」を立ち上げ本格的な取り組みを始めました。
それは、近隣町内会・自治会も、我々六浦台団地と同様にミニバス運行を切実な問題として捉えて
いたこと、また一方で六浦台団地だけでのミニバス誘致は採算面から不可能なこともあったからで
す。
連絡会の取り組みは、
「横浜市地域交通サポート事業」を活用し、20 数
回の連絡会会議には横浜市の関係者並びに京急バスの担当者並びにコン
サルタントの出席をいただきました。路線の検討、2,000 世帯の住民アン
ケートの実施、広報活動の実施、バスの待機場所及び運転手の休憩場所の
検討、住民説明会の実施、テスト走行等々を得て、取り組みからわずか
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六浦台団地集会所前のバス停
試乗会でミニバスに乗る住民
の方々
1 年 8 カ月後の 2,009 年(平成.21 年)9 月 7 日から長年の夢であったミニバスの運行が開始されまし
た。
実現まで困難な問題は・・・
①
取り組みの経緯を住民にオープンにしました。しかし、広報紙で「お知らせ」をしていても、
「私はそんな話を聞いていない、いつ決まったのか。」という問題が出てきます。検討の途中経
過をすべて知らせると、あたかも決まったかのように受け取られることです。しかし、「お知ら
せ」はもっとも重要視すべき問題であって、他の地域ではこのようなことでご破算になった話を
良く聞いていますので、連絡会は統一広報紙を発行すると共に 4 町内会・自治会での独自な「お
知らせ」態勢をつくり解決してきました。
②
路線の検討の問題がありました。
高齢化の進行の中で、
「日常の買い物を、病院へ、役所へ、通勤通学に、」のためのすべてを満
足することで実現することは、かなりの時間がかかるものと判断しました。そこで、第一段階と
して「直ぐに実現できる路線」として、我々の地域から「京急六浦駅」までの路線に限定するこ
とになりました。路線問題は、4 町内会・自治会住民にとって「こちら
を立てればあちらが立たず」でかなり難しい問題です。そこで、六浦台
団地の敷地内を通過するコースとしました。全国的にもめずらしいこと
です。団地という私有地の中を、営利を目的にした民間バスが走行する
開通式でのミニバス導入検討委員
会のメンバー
ことについて自治会臨時総会と管理組合臨時総会で検討され住民の理
解により了承を得ることができました。
第二段階として病院へのコースをどうするかは、今後の取り組み課題として残しました。
③
バス停の設置問題がありました。
住民はミニバス運行を待望していることは言うまでもありません。しかし、自分の家の前にバ
ス停を設置することは避けてほしいというのが本音のようです。そのため、連絡会で理想とする
位置にバス停をなかなか設置できず、かなり離れた場所になったところもありました。またバス
停候補地の近接住民からの了解が難しい場所は将来の候補地として残すことにしました。その中
で当団地管理組合集会所前のバス停は予定通りでした。
④
バス待機場所と運転手の休憩場所の問題もありました。
京急バスに運行をお願いすることになりましたが、バス待機場所と運転手の休憩場所を「京急
バス車庫」とすることになると、遠方のためその分運行回数が減少することになります。そこで、
連絡会加盟のE団地管理組合(650 戸)が敷地内を提供していただけたことにより解決しました。
それは数百万円の負担を伴いますが、当該管理組合総会で決議されました。
夢が実現した!!
ミニバス運行の前日(9 月 6 日)、六浦台団地内広場で盛大に開通式を行いました。これには関係
者を含め 200 名以上の方々が参加し、試乗会も行いました。「バスが通って、本当に助かります」
という声がいっぱいでした。
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運行されてから 3 ヶ月近くになりますが、
「今日もバスに乗ってきました。」というのが挨拶がわ
りです。住民の方々が生き生きしているようにも感じられます。
また、バス停から離れている地域住民の方々から、「自分達の地区に
もバス停を」という署名活動がおき、さらには他の数か所でも「バス
停を」という要求が上がり始めました。
高齢化の中で、生活の足の必要性を痛切に感じるところです。第一
段階としての「直ぐに実現できる路線」が実現し、さらにバス停の
増設問題や第二段階としての取り組みをどうしていくのかが今後の
団地内広場での開通式
課題となります。管理組合として自治会並びに地域的な連携の中で成果を上げましたが、管理組合
の役割について考えさせられた取り組みでした。
クリック(編集長から)
1年近く前から準備してきました日住協40周年記念事業が、11月27日の祝賀会、記念講演をも
って一区切りつきました。不慣れなことで、実情は四苦八苦でしたが、何とか無事乗り越えたというの
が実感です。ところで、記念講演会で、
「マンション管理とコミュニティの信頼感―フランスの経験を
踏まえてー」と題して講演した新潟大学工学部建設学科の寺尾仁・准教授の話は、日本のマンションで
も起こりうることとして、興味深いものがありました。
フランスには,800万戸のマンションのうち30~35万戸が「荒廃マンション」と位置付けられて
いて、家賃の長期滞納、若者が学校(フランスでは18歳までが義務教育)に行かず昼間からぶらぶら
している。エレベーター管理が行き届かず、電灯が付かないまま運転される、など荒れ果てた状態とい
います。荒廃マンションは、パリなど都心部ではなく、主に高度成長期に大量供給された郊外団地に顕
著な現象。マンション管理の障害が問題点として、政府は強い管理会社を送りこむ政策をとってきた。
ところが、それでも滞納は減らず、管理費も値上げできないまま、荒れる。結果、中堅所得者やいい賃
借者が逃げ出す。中には部屋で羊の首をはねる異教徒も出たりする。当然、不動
産価値が下落する。
政府は、その対策として、共用部分工事の補助金、管理組合の債務処理、居住
者支援、などの手を打ってきた。さらに、公的セクターが一時取得をして、社会
住宅としてリフォームして再生させる。それでも、ダメなら最後は取り壊しという手段をとる。
日本のマンションではそこまで荒廃した例は聞きませんが、しかし、高齢化、所得格差、失業者の増
大などの問題は深刻度を増しています。管理組合活動を中心に、マンションとそれを取り巻くコミュニ
ティをどう構築し、維持して行くかが課題です。
その意味で、今月号で取り上げた六浦台団地にミニバスを走らせた管理組合と自治会、さらに隣接の
マンション管理組合との連携の動きは、コミュニティを考える絶好の生きた教材です。(川上湛永)
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