実態の体感が学びの基盤になる。 - 地域連携研究コンソーシアム大分

【研究者インタビュー No.111】
地域社会がキャンパス。実態の体感が学びの基盤になる。
別府大学 文学部 人間関係学科 教授 篠藤 明徳 (しのとう・あきのり)
専門: 政治学(地方自治論,市民参加論)
▲研究室にて。
●政治学とはどういう内容の学問でしょう?
政治とは何かという問いかけには長い歴史がありま
す。政治はみんなに関することである,というのが答
えです。みんなに関する事をみんなで語り合うところ
に政治の特徴があります。
確かに,政治の分野は職業人として政治家や役人
がいるし,政治学者が専門的に研究をしています。
だからといって政治学は一部の人のものということで
はありません。古代ギリシア時代を見ると,冒頭言っ
たように,みんながみんなのことに関心を持ち,話し
合うことを政治だと捉えています。政治学は,特殊な
ものではなくみんなが考えることを対象にした学問な
のですね。
政治は難しいから自分の楽しみを優先したいという
人がいます。プライベートに楽しめるのは平和な社
会という基盤が成立しているからこそです。その基
盤は空気のように当たり前にあるので,ふだんは意
識もしません。でも,なければ生きていけません。今
の日本は,これからも基盤が成立していけるかどう
かの境界線に来ていると私は認識しています。
今,人と人の絆を取り戻そうと言われています。こ
れは無縁社会と言われる現象が進むことに対する
人の自然な反応だと思います。人と人の絆を構築す
ることと制度がうまく結びつくことで,様々な形で存在
する個人の不安に対応することが可能になります。
不況で若者が就職できないこと,仕事をしている人
がいつ解雇されるか分からない状況,これらをみん
なの問題として問いかけ語り合うのが政治学です。
私の恩師はディーネル先生といって,ドイツで討議
民主主義の手法を説いている人物です。この先生は
70 年代の初頭に民主主義が袋小路に来ていると指
摘し,解決への道筋として無作為抽出による市民に
よる討議空間の設置と既成の制度の橋渡しを提言
しています。日本でも市民が政治を語るという元々
の姿を取り戻す時代に来ていると思います。
●教育のポリシーは?
学生には,相手に対する共感力もつ人間になって
社会に出て欲しいと思っています。また,未知なるも
のがあるということを理解した謙虚さを持つことも大
切なことと考えています。自分がこうだろうと思って
いるイメージで相手や事象を見てもそれは虚像に過
ぎません。相手の人間そのものを見ることが大事な
ことで,それが相手への敬意となります。
地域と大学との関わりで言いますと,地域は学問の
ための調査の対象であったり,大学の知識を還元す
る対象であったりという位置付けで捉えられがちで
す。しかし,本学の人間関係学科は地域には大学と
は異なる原理があるから,学生はまず地域に飛び込
んでその原理を体感する,教員はそのコーディネー
タ役だと考えています。学生が議員の話を聞き,商
店経営者の話を聞くなどして,あるがままの実態に
触れる中からベースを作り,その上で専門の勉強を
する仕組みです。社会は複雑系として存在していま
す。その捉え方を大学で学び,それぞれが自分なり
に社会を把握する方法を身に付けて社会で活かして
貰いたいと思います。(写真と文/安部博文)
【篠藤 明徳(SHINOTO Akinori)プロフィール】
▼1954 年,大分県別府市生まれ。自然
豊かな環境と人があふれる繁華街という,
観光の町の中心部で育つ。小学校時代
は,先生の引率で映画やサーカスに出か
けた。よく遊びよく学び,学級委員としてク
ラスの世話をする小学校時代を過ごす。
中学では陸上部に所属し,練習に明け暮
れる。生徒会活動も経験。▼大分県立鶴
見丘高等学校に入学。数学や物理が得
意だったが,政治に関心があったので文系の学部に進もうと
考える。一方で哲学や文学の世界への関心も深まる。高校 2
年の時は生徒会の会長を務める。高校 3 年で文学部に絞る。
▼1972 年 3 月,同高校を卒業。東京の駿台予備校で一浪。
1973 年 4 月,東京大学文科Ⅲ類に入学。ルソーやジョン・ロッ
クなどが掲げた思想と当時の社会の動き等を調べ,ヨーロッ
パにおける哲学と政治の関係から学び取れるものは何かを
探求。▼1979 年 3 月,同大学文学部西洋史学科を卒業。同
年 4 月から東京大学新聞研究所に所属し,調査・思索活動を
継続。思想や哲学の本場であるドイツ留学の機会と出会う。
▼1981 年 11 月,ドイツに留学,ドイツ語を学ぶ。1983 年 3 月
からケルン大学でドイツ語及び歴史学を学ぶ。続いてボン大
学に移った。ペーター・C・ディーネル(Peter C.Dienel)教授に
直接、市民参加の手法を学ぶ。ディーネル博士が考案した討
議民主主義の手法「プラーヌンクスツェレ」(Planungszelle,計
画細胞の意)に関する日本人専門家となる。▼1986 年 3 月,
同大学での学生生活を終了。現地で情報サービス会社を起
業し,ドイツのバーテン・ヴュルテンベルク州経済省の対日広
報担当,同州北部の都市であるバート・メルゲントハイム市の
対日アドバイザーを務める。また,日本自治省の現地調査員
として,住民投票制度や過疎対策の調査・研究を行う。大学
から中小企業への技術移転活動の状況も調査を実施。▼
1998 年,帰国。同年 4 月,別府大学短期大学部に着任。2000
年 4 月より,別府大学文学部人間関係学科教授。
平成 22 年度大学等産学官連携自立化促進プログラム / 地域連携研究コンソーシアム大分 / 取材時期 平成 23 年 2 月