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■ 続編 阪神淡路大震災を乗り越えて(※業界紙面よりの抜粋)
● 日本人初のテーラーである初代音吉は、明治23年に柴田家に婿入りした友蔵(2代目)が、大正にかけて約30年間、神戸周辺および北海道
に10数箇所の木材製造所を有する北海林業株式会社を設立し、特にマッチに関しては業界では例がないほど大成功したため(兵庫県人物列
伝より引用)、長女・千代に大正2年、源頼朝の重臣で、鎌倉武士の模範と称えられた(NHKテレビより引用)畠山重忠<現在も埼玉県嵐山町に
石像が残る>の末裔である忠(3代目)を養子婿に迎え、後継者と決めた。
初代の没後(大正12年)、2代目音吉を襲名。当時としては珍しい東京外国語学校(後の東京外大)フランス語学科出身で、毛
織物関係では政府派遣第1号としてフランスに留学。リヨンにて毛織物の勉強に励む。語学力に優れ、洗練された国際人で、内外に人
脈を広げ、これも日本人としては最初に初代が晩年手がけていた服地の輸入、販売を本格化して、軌道に乗せる。特に、大正4年パリの毛織物
商社、ドーメル社との独占契約に成功し、全国に販路を広げた。このことは、後代への大きな遺産となる。また、初代を敬い、高野山の奥の院近く
の表参道にある豊臣秀吉碑の正面近くに、初代音吉の碑を建立した。
● 2代目音吉の長男である高明(4代目)は、父が昭和9年49歳の若さで他界したため、哲学に興味があり、大学教授になる夢をもって
いたが、神戸大学在学中に家業を継ぎ、社長に就任。先代からの事業をさらに整備拡充、特に先の大戦後、回りすべて焼け野ケ原の中、
奇跡的に類焼をまぬがれた、神戸元町3丁目の社屋にて、再建・再興に力量を発揮。まず洋服店を昭和22年に開店し、さらにドーメル社
も、ロンドンからスコットランドへ倉庫を移転しており、ロンドン空襲の被害をのがれていたため、戦争で中断されていた取引を再開した。昭和24年
には、柴田商事(株)を設立し、ヨーロッパからの輸入服地のみならず、戦後日本の繊維商社の中では先駆者としてプレタポルテ・洋品雑貨の輸
入卸の業務を軌道に乗せる。英国の「アクァスキュータム(レインコート)」、ドイツの「ペロ(ネクタイ)」「ピルツ(ハンカチ)」、スイスの「ハウザーマン
(シャツ地)」等は、全国のデパート、ブティックで販売され、好評を得る。
昭和43年には、ドーメル社(ロンドン・パリ)と業界初の合弁会社、柴田ブリティッシュテキスタイル(株)を発足させ、1980年代には数多い輸入ブ
ランド服地の中で、質・量ともに第1 位の実績を維持するなど、画期的な成功を収めた。その当時、ドーメル社を世界最大の毛織物商社に成長し
たことは、4代目の大いなる貢献として大方のひとしく認めるところとなっている。その卓越した毛織物の知識とともに、特に財務関係には強く、グ
ループ会社7社(従業員150人、売上高80億円)の経営にいかんなく力を発揮した。弟禎三は、営業面で兄に協力した。85歳になり引退し、92
歳で亡くなるまで3代目音吉にアドバイスを続ける一方、より完成度の高い洋服づくりを目指して挑戦する心を忘れぬよう、スタッフを常に激励す
ることを忘れなかった。
● 5代目啓嗣は甲南大学在学中、テニスの名プレイヤーとして全国に名を知られ卒業後はロンドンへ留学。語学力に磨きをかけ、サビル
ローのテーラー及び毛織物の研修と国際的なファッションセンスを養う。
平成2年に3代目音吉を襲名すると同時に社長に就任。生来のファッション好きで、日本の服地卸商社としては初めてミラノにバイング・オフィスを
もうけ、紳士服地のデザイン・商品企画に優れた才能を発揮。特に、輸入紳士服地を語らせれば右に出るものがいないと、内外の取引先から高
い評価を得ている。
就任後、当グループを育てていただいた、世界の一流品をお好みになるお客様の「プレステージ・ファッションライフ」の提案をスローガンとするCI
(コーポレート・アイデンティティ)を制定し、グループのコンセプトとして3つの1、つまり
1.THE FIRST IN HISTORY AND TRADITION 一番の歴史と伝統
1.THE TOP
IN PRESTIGE AND CREATION 最高の風格と創造
1.THE BEST IN QUALITY AND ELEGANCE 最上の品質とエレガンス
を掲げる。
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一方、90年代前半より低価格マーケットへの量販志向を強めるドーメル社と、販売方針の不一致が最大の理由により、平成9年、3世代82年
に及ぶ取引関係の終了を決断するにいたった。他方、その間、70年代後半より25年にわたり毎年最低4回はイギリス、イタリアを中心にヨーロ
ッパへ出張。商品企画・仕入れ及び情報収集を行い、その実績が認められ、英国王室エリザベス女王御用達の栄誉に輝くロンドンの「J&J ミニ
ス」、チャールス皇太子ご愛用の「ジョンGハーディ」の服地ブランドを通じ、当時世界最大のテキスタイルグループとして知られるイリングワース・モ
リス・グループの毛織物商社部門と全面的な提携に成功する。さらに、フランスの文化と謳われているパリの「ジバンシィ」、イタリアの3大ファッショ
ンブランドの1つといわれているミラノの「クリツィア」、同じイタリアの最高級品質ウールメーカー「アニオナ」や、ロンドン・サビルローの新進気鋭デ
ザイナー「リチャード・ジェームス」を日本市場に初めて紹介し、さらにミラノのスタイリストとして有名な「フランコ・フェラーロ」など、ヨーロッパの代表
的な服地7ブランドの導入に成功。高級品マーケットである全国約1500店のデパート、テーラー、ブティック、アパレルメーカーから圧倒的な支持
を得る。グループの扱う輸入服地「J&Jミニス」は天皇陛下のご愛用の栄に浴している。
当初順調な推移をたどっていた輸入服地部門の子会社は、90年代のバブルの崩壊と、それに加え、平成7年の阪神淡路大震災で、グループの
神戸市内にある2カ所の営業拠点ビルが全壊し、その後遺症も大きく、また一流デパート・大型アパレルメーカーの倒産が相次ぎ、平成13年に整
理するにいたった。同時に、大阪支社である第3ビルと東京支社である第7ビルを手放すこととなる。
さらに元町4丁目にあった注文洋服部門の、グループ本社ビルである伝統格式漂う古風なレンガ造りの建物も倒壊したが、幸いテーラーの生命線
である約2万人の顧客の型紙、伊藤博文公をはじめとする歴史的価値のある洋服や、スタッフ全員も再度奇跡的に難を逃れた。大震災を乗り越え、
平成9年に7階建てのビルに建て替え、7社あったグループ会社も3社に縮小され、現在は親会社であった株式会社柴田音吉商店に全精力を注
入し、2階店舗もサロン風の完全予約制のスタイルに模様替えされた。従来、外商が主力であったが、背広の発祥地である英国ロンドンのサビル
ローのテーラーの本来の営業スタイル「ビスポーク」、つまりご来店いただき、お話をしながら注文を頂戴するスタイルへ移行しつつある。
お得意様は神戸近郊20%、東京から九州まで80%の割合で、全国に各界を代表する著名人の方々にご愛顧いただいている。誇らしいことには、
2代目はもちろん、経済界では4代目社長、ドクターで3代目院長に、1世紀にわたりご贔屓にされている。
今も伝統の技術を大切に守り、5代目が、注文洋服で世界で最初に考案した最新ファッションのスタイルを取り入れた「スタイル・オーダー」を前面
に打ち出した、手作り仕立てのお誂え注文洋服は、お客様の間で“芸術品の名にふさわしい”と、お褒めいただいている。
当店の工場長である稲沢治徳は平成16年「神戸マイスター」、平成19年には「現代の名工」に選ばれ、平成20年には黄綬褒章を受章するなど、業
界を代表する技術者に認定される。
●平成21年秋には、従来の当店の縫製よりも約400㌘軽い、史上最軽量「ライト・フィット」テーラード・ジャケットを発表。お客様より「こんなに軽くて
着やすい替上衣は、今までに着たことがない。ニットのセーターを羽織っているようで、車を運転していても腕が動きやすく、また仕事をしていても
肩がこらず、ストレスを感じない」と大好評で、更に喜ばしいことに「LITE-FIT」ジャケットは平成23年春に登録商標を済ませ、平成24年夏には特許
庁より実用新案特許を受理するにいたる。
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