フランス共和主義に迫り来る共同体主義の波

フランス共和主義に迫り来る共同体主義の波
フランスは共和主義を守り続けられるか
新井健太
フランス全人口6000万人の四分の一に当たる1500万人は移民か、移民の子か孫
であると言われている。そんなモザイク社会であるフランスを一つにまとめているもの、
それは「共和主義」である。「共和主義」とは、人種、宗教、文化などの違いを、全て私
的領域に閉じ込めることで、「フランス市民」を唯一の自己定義の手段とし、人々の平等
を実現しようとする原理である。これはよく、「同化」の原理として形容される。近年、
日本は深刻な少子化が進んでおり、移民を受け入れる事態がやってくるかもしれない。日
本でも、日本に来る外国人に対しては、日本人のように生活すること、つまりフランスの
ように「同化」を移民に対して求めている。そこで、移民大国フランスのモットーである
「共和主義」を研究することが、移民国家予備軍であり、フランスとほぼ同じような移民
受け入れ態勢をとる日本に何かしら、未来への鍵を与えてくれるのではないかと考えた。
そして、「共和主義」に今押し寄せている「共同体主義」という波を分析することで、よ
り良い、何か新しい形の「共和主義」が見つけられればよいなと思い研究を始めた。
そもそも、「共和主義」とはどういうものか、それを説明するためにはフランス共和国
原理の心である第五共和制憲法、フランス国民統合理念を示す公式文書であるエルネス
ト・ルナンの1882年のソルボンヌ講演、の二つを参照にするのが最も分り易い。これ
らは、フランスが国民統合の理念として、すべてを超越した「市民」という概念で結ばれ
ていることを明確に示している。
現在、欧州のイスラム人口は2000万人に達しており、彼らの非西洋的文化はヨーロ
ッパ社会と様々な問題、対立を起こしている。それに対し、現在西欧がとっている行動は
大別すると、フランスを代表とするこの「共和主義」、そしてイギリスが属する「多文化
主義」である。
「多文化主義」とはそれぞれの持つ宗教・文化の価値を公的空間でも認め、
積極的に保護し、実質的な平等を実現し共生をはかる統合モデルである。「間接的な」差
別も徹底して無くそうするなど、差別のない社会への姿勢が強く見られる、しかし一方で
は、多様性の許容度が明確に定められないため、それぞれの民族・文化が自己の利益のみ
のために行動し、
「共同体」の結束を強め、国家を「分化」するという事態が起きている。
共和主義者は、このような多文化主義が持つ問題を批判し、「多文化主義」を「共同体主
義」という蔑称を付けて呼ぶ。
なぜこのような蔑称が生まれ、批判の対象とされるかと言うと、近年「共同体主義」が
台頭しその波が、フランス共和主義に押し寄せているからである。フランス共和主義とは
「市民」という概念が国家と個人を直接結び付けている、しかし、共同体主義とは国家と
個人の間に位置するそれぞれのアイデンティティーや利益を優先する。これはフランス共
和主義の否定であり、フランス社会にとって脅威である。よって、これらはある種の悪意
のあるものとして扱われるのである。
これらの共同体主義の中で、今フランスの中で最も脅威とされているものが「イスラム
共同体」である。このイスラム共同体とフランス共和制の論争において、最も引き合いに
出されるのは1989年の「イスラム・スカーフ事件」である。公的領域である公立中学
校で、宗教的シンボルであるスカーフを被るということは、共和主義原理の基礎である「非
宗教性」に対する、聖俗不分のイスラムの挑戦と受け止められた。そして、2004年3
月15日に「公立中学校における宗教的シンボル禁止法案」が可決された。これに対して、
イスラム共同体は「これは差別であり、排除だ!」と訴えている。彼らが、この要求に固
執する理由は、宗教的理由だけでなく、実際のフランス社会の中で雇用、住宅などの面で
差別を受けたもの達にとって、それは自己の特殊性を主張する切実な声であり、義務を果
たしても権利を与えてくれないまやかしの共和主義への異議申し立てなのである。
共同体というものは、人々の共通点でつながる集団である。我々が生きていく上で、最
も我々が意識するであろう、最も基礎的な自己を構成する要素、それは「性」 である。
「一
つにして不可分の共和国」を真っ二つにするこの「男と女の共同体」というものを共和国
がどうとらえるかは、フランス共和主義の本質が試される。この共同体は男女同数議会と
いうものを目標とし、そのために候補者を男女同数にする「パリテ」というシステムの導
入を訴えた。そして、憲法の改正を経て、翌年2001年、実際の市町村議会選挙で実用
化され始めた。しかし、これは、市民のためである選挙において、男性・女性という性差
が介入し、彼らに特殊な地位が与えられている。これらは、明らかに共和国原理に反して
いる、さらに、実在する男女の人口に合わせて男性・女性にこのような特別な地位を与え
ることは、他の共同体が同じように人口に応じて議席を求め始めるという国家の分化の脅
威を孕んでいる。現在は、EU加盟国からの圧力、さらに政界や経済界での目に余る男女
の格差などに対する女性の運動が重要視され、このような原理の矛盾を抱えたまま、パリ
テの原理が選挙において広がっている。「男と女の共同体」というものはある種特殊なの
であり、共和主義と完全に相容れないものではなく、この共同体の起こす波は、フランス
共和主義に潜む小さな汚れを洗い流す波であるというのが私の考察である。
共同体の多くは自分たちの特殊性を社会に認めさせ、特別な権利を与えてもらおうとす
る。しかし、
「同性愛者の共同体」は自分たちの持つ「同性愛者」という特殊性を捨て、
「市
民」として結婚をしようとしている。1999年にPACSが成立し、彼らは結婚してい
る人とほぼ同等の権利と義務を与えられた。これは、確かに同性愛者にとって大きな前進
であった、しかし、これは改めて彼らが「市民」とは違うと強調する出来事でもあった。
PACSとは、《ほぼ》結婚と同じであり、あくまで「二流の結婚制度」なのである。そ
もそも、なぜ同性愛者が結婚できないのであろうか?2004年同性愛者の結婚にたいし、
シラク大統領は「法律は同性愛者の結婚を許す記載はない」という理由により二人の結婚
を認めなかった。これはまさに、法律が「同性愛者の結婚を許可しない」とは言っていな
いことを示している。今、実際に彼らの結婚を許さないのは、キリスト教的伝統と人々の
道徳であり、これらが共和国原理の適用を妨げているのである。だんだんと薄れてきたと
はいっても、いまだ人々の中には彼らに対する偏見があり、それが彼らを無理やり、共同
体という名の檻に閉じ込めているのである。
このような「共同体主義」の登場はすべて、マージナル化されることに端を発している。
それを防ぐために私は、①棲み分けの縮小②男女の同一賃金(客観的職務評価制度)③同
性愛の一般化(メディア、教育の場において)などの対策を可能な限り提案する。
日本でも、仏教以外の宗教にどう対処するべきか?実在する政治、経済の男女の不平
等をどう改善するか?同性愛者に対する偏見をどう緩和するか?など同じような問題があ
る。その答えは、常に原理と妥協の中にあると私は結論付けて、この卒業論文を締めくく
ることする。