超巨大ブラックホールの爆発現象

天文学会記者発表資料
宇宙に吠える巨大モンスター
―銀河系の中心、超巨大ブラックホールの爆発現象―
西山正吾 (京都大学 日本学術振興会特別研究員)
田村元秀、工藤智幸、石井未来(国立天文台) 羽田野裕史(名古屋大学) 長田哲也(京都大学)
アンドレアス エッカート(ケルン大学) ライナー ショーデル(アンダルシア宇宙物理学研究所)
暗いブラックホール
銀河系の中心領域
輝くブラックホール
天の川銀河の中心には、重さが太陽の約 400 万倍もある超巨大ブラックホール「いて座 A スター」
があります。私たちはすばる望遠鏡と近赤外線カメラ CIAO、補償光学システム AO36 を使って非常
にシャープな画像を得る観測を行いました。その結果、巨大ブラックホールのごく近傍、太陽-地球
間の距離よりも近い範囲でガスが高温に熱せられ、明るさが変化していることを見出しました。
「いて座 A スター」は多数の星で非常に混みあった領域にあるため、シャープな画像を得ることが
できる観測でなければ見えません。今回は赤外線での明るさを精密に測り、その爆発(フレア)現象
を複数回検出することに成功しました。特に、赤外線の偏った光で連続的なフレア現象をとらえたの
はこれが世界で初めてです。
また、最も継続時間の短いフレアでは、約 6.5 分間という短時間での急激な増光/減光が観測され
ました。この短い時間変化はブラックホールのすぐ近く、1 億 2000 万 km 以内の場所で生じた現象を
見ていることになります。これは、太陽-地球間よりも近い距離です。すばる望遠鏡は、ブラックホー
ルのごく近くで起きている激しい現象をとらえているのです。
<お問い合わせ先>
西山正吾 京都大学 理学部 宇宙物理学教室
電話番号:075-753-3907 FAX番号:075-753-3897
電子メールアドレス:[email protected]
URL:http://www.kusastro.kyoto-u.ac.jp/~shogo/press/ASJM09a/index.html
宇宙に存在するほとんどの銀河の中心には、重さが太陽の 100 万倍から 1 億倍もある超巨大ブラ
ックホールがあることが分かってきました。私たちの天の川銀河(銀河系)も例外ではありません。そ
の中心には、太陽のおよそ 400 万倍のブラックホール「いて座 A スター」があります。こんなに大きな
ブラックホールはどうやってできたのだろうか、また、その近くではどんな現象が起こっているのだろ
うか。天文学者は長年、このような興味を抱いて「いて座 A スター」を観測し続けてきました。
なぜ私たちはブラックホールを“見る”ことができるのでしょうか。ブラックホール自身は、光さえも
でてくることができない真っ暗な天体です。私たちが望
遠鏡で見ているのは、ブラックホールを円盤状に取り
囲む、高温のガスが出す光です。図 1 は、ブラックホー
ルとガスの円盤の概念図です。近くにあるガスは徐々
にブラックホールに引きずり込まれていきます。その
時、ガスは円盤を形成します。円盤内におけるガス同
士の摩擦により、ガスは非常に高温になります。その
ⒸNASA/CXC/SAO
結果、円盤内のガスは様々な波長の光を発することに
なるのです。
図 1. ブラックホールとガスの円盤
超巨大ブラックホールは銀河の中心にあります。そこは星やガス、塵などが集中し、非常に混み
合った場所でもあります。その中から中心のブラックホールだけを取り出すためには、大きな鏡を持
った望遠鏡が必要です。また塵に邪魔さ
れずブラックホールを見るためには、私た
ちの目で見える光(可視光)ではなく赤外
線やX線などで観測をしなければなりませ
ん。さらに星のまたたきの原因である、地
球の大気のゆらぎがこまやかな観測の邪
魔をします。この影響を消すような高度な
技術が必要です。私たちは、8.2mの口径
の鏡をもつすばる望遠鏡と近赤外線カメ
ラCIAO(チャオ)、さらに大気ゆらぎを補正
する補償光学システムAO36 を使い、銀
河系の中心の超巨大ブラックホール「いて
座Aスター」を観測しました。その結果、非
常にシャープな画像を得ることができ、混
み合った領域でのいて座Aスターの観測
に成功しました。
図 2. 銀河系の中心領域の画像
図 2 は、私たちがとらえた銀河系の中心領域の画像です。星が非常に混み合っている様子が分か
ります。画像中心やや左上のところに、青い四角で示した領域があります。図 3.1 と 3.2 は、四角の部
分を拡大した画像です。中心の緑の丸の中にいて座Aスターがあります。図 3.1 はブラックホールが
暗い時、図 3.2 は明るく輝いている時のものです。図 3.1 で丸の中に見えているものはブラックホー
ルのすぐ近くの星です。この時ブラックホールは暗くて見えていません。図 3.2 ではブラックホールが
明るく輝いている様子が分かります。
図 3.1 暗いブラックホール
図 3.2 ブラックホールが輝いた瞬間
ブラックホールの明るさはどのように変化するのでしょうか。私たちは、一晩のうちに 3 回の爆発
(フレア)現象を観測することができました。その様子を図 4 と図 5 に示しています。図 4 は約 3 分ご
とに撮影したブラックホールの画像です。上段左から右へ、ひとつ下がってまた左から右へ、というよ
うに時間が経過しています。また図 5 は、いて座Aスターの明るさの変化を折れ線グラフにしたもの
です。横軸は観測開始からの経過時間を示しています。まず観測開始直後、最初のフレア現象が起
きました。これは比較的暗く、継続時間の長いフレアです。第 2 フレアは最も強く、40 分程度の継続
時間でした。最後のフレアは最も短い時間での増光/減光を示しました。図 5 の第 2 フレアと第 3 フ
レアの画像は、図 4 中の青と緑で囲まれた部分にあります。
図 4. 約 3 分おきにとったブラックホールの画像。上段左から右へ、一段下がって左から右へ、と
時間が経過している。青と緑で囲まれた画像が、図 5 の丸の中にある点に対応する。
いて座 A スターの明るさ[mJy]
第 3 フレア
第 1 フレア
第 2 フレア
図 5. いて座 A スターの明る
さの時間変化のグラフ。横軸
は観測開始からの経過時
間、縦軸はいて座 A スターの
明るさを示している。青と緑
の丸で囲まれた点が、図 4
の青と緑で囲まれた画像に
対応している。
観測開始からの経過時間 [分]
第 3 フレアは、たった 6.5 分で増光し、また同じ時間でもとの明るさにもどりました。これは何を示し
ているのでしょうか。
ブラックホールに近づいていくと、重力の影響が徐々に大きくなっていきます。その結果、ある距
離になると、光さえ逃げられないほどの重力になります。この距離を「事象の地平線」といいます。そ
して、ブラックホールの中心から事象の地平線までの距離をブラックホールの半径と定義します。こ
れまでの観測から、いて座Aスターの半径は 1200 万km、太陽のおよそ 20 倍と分かっています。
光の速度は有限であるため、明るさの変動にかかった時間から、光っている領域の大きさに制限
をつけることができます。そのことを、図 6 を使って説明しましょう。私たちが観測しているフレア現象
は、ブラックホールの周りに広がるガスで起きている
観測者
とします。そのガスの大きさを R とします。そして、あ
る瞬間そのガスが消え去ったとしましょう。消えた瞬
間に、観測者に一番近いガスの端からでた光(図 6
赤い点線)と一番遠い端からでた光(青い点線)とで
は、観測者に届く時間にずれが生じます。これは、た
図 6. ガス消滅時の時間差の発生
とえガスが一瞬で消え去ったとしても、観測者にする
と一瞬で消えたようには見えない、ということです。
赤い光が届く時間から徐々に暗くなり、青い光が届く時間でまったく消えてなくなる、というように見え
ます。この赤と青の光が観測者に到達する時間差をtとします。そして、時間のずれtと光速cを使う
と”距離=速さ×時間”という式から、円盤の大きさを制限することができます。実際には円盤が一瞬
で消えることはありませんから、tより長い時間かかると考えると “大きさ<(光速×時間差)”となりま
す。このように、フレアの増光/減光にかかる時間から、フレアを起こしているガスの広がりを知ること
ができるのです。
では、この式に実際の値をあてはめてみましょう。光速は秒速 30 万km、増光/減光にかかった時
間は 6.5 分=390 秒、これより 30 万km/秒×390 秒=約 1 億 2000 万kmとなります。これが、フレ
アが起きているガスの広がりの上限値となります。
第 3 フレアの観測で分かったことを整理します。フレアが起きている場所はブラックホールから 1 億
2000 万 km より内側です。これは太陽-地球間(1 億 5000 万 km)よりも近い距離になります。また、
ブラックホールの大きさは 1200 万 km、太陽の約 20 倍ということが分かっていました。仮に太陽の
位置にいて座 A スターがあり、地球のある場所からそれを眺めると考えてみましょう。空には太陽の
20 倍の大きさにブラックホールが広がっています。その周囲では、非常に高温のガスが突然光り、
あっという間に消え去ります。それが日々繰り返されています。このような驚くべき現象を、すばる望
遠鏡はとらえているのです。
偏光の方向 [度]
偏光の度合い [%]
明るさ [mJy]
すばる望遠鏡がとらえたブラックホールの明るさの変化は、ブラックホールのすぐ近くでガスが高
温になって光り、直後に消え去っていく、という激しい現象によるものだということが分かりました。で
は、何がこのような現象を引き起こしているのでしょうか。その謎を解くための重要な手がかりが、
“偏光”の観測によって得られるのです。
光は、進行方向に対して垂直な方向に振動する横波です。太陽などからくる自然光は、いろんな方
向に振動する波が混じりあい、どの方向にも偏っていない光です。それに対し、例えば水面で反射し
た光などは、ある決まった方向に振動する成分が多くなります。このように振動方向が偏ることを偏
光といいます。
どれだけ偏っているか(偏光の度合
第 3 フレア
い)、どの方向に偏っているか(偏光の
第 1 フレア
向き)という情報を得ることで、どんな
第 2 フレア
現象が起こっているのかを知ることが
できます。今回の観測で用いた赤外
線カメラ CIAO は、すばるのような大望
遠鏡で偏光の観測ができる数少ない
装置の一つです。
図 7 は、いて座Aスターの明るさの変
化(上)に対して、偏光の度合い(中)、
偏光の方向(下)がどのように変化した
のかを示したグラフです。第 3 フレア
は短時間で、観測の終わりに近いた
め、明確なことは言えません。しかし、
第 1 フレアと第 2 フレアでは、“明るさ
のピークを過ぎて暗くなっていくとき
に、偏光の度合いが大きくなっていく”
というよく似た特徴をとらえることがで
きました。このように似た特徴をもつフ
レアを連続的にとらえた観測は世界で
も他に例がありません。それでは、こ
のような特徴からいったい何を知るこ
観測開始からの経過時間 [分]
とができるのでしょうか。
図 7. いて座 A スターの明るさ(上)、偏光の度合い(中)、偏
光の方向(下)の時間変化を示したグラフ。
すばる望遠鏡で得られたグラフとモデル計算とを比較すると、フレアを起こしている現象を解明す
るヒントが得られます。図 8.1 には、すばる望遠鏡で得られたいて座Aスターの明るさ、偏光の度合い、
偏光の方向の変化のうち、第 1 フレアの部分をとりだしました。図 8.2 には、アメリカの研究者
BroderickとLoebが行ったモデル計算の結果を示しています。(A. E. Broderick & A. Loeb, 2006 年,
Monthly Notices of the Royal Astronomical Society, 367 巻, 905 ページ) 彼らのモデルは、高温の
偏光の方向 [度]
偏光の方向 [度] 偏光の度合い [%]
偏光の度合い [%]
明るさ
明るさ [mJy]
ガスの塊がブラックホールのすぐ近くを高速で回転しているというものです。それを遠くから観測した
とき、明るさや偏光の度合いがどう変化するかを計算しました。図 8.2 の 2 種類の線は、ブラックホー
ル周囲のガス円盤を真横から見るような方向から観測したとき(0○) と、少し斜めから観測したとき
(22.5○)にどう変化するかを示しています。図 8.1 と 8.2 には多くの類似点が見られます。明るさの変
化に見られるふた山とその高さの関係、さらに偏光の度合いにも見られるふた山構造などです。第 1
フレアほど明確ではありませんが、同様の傾向が第 2 フレアにも見られます。これらの類似点は、以
下のようなことを示唆しています。すばる望遠鏡がとらえたいて座Aスターのフレアは、高温ガスの
塊がブラックホールを周回しながら落ちていく現象が原因であるということ。そしてそのような現象が
頻繁に起こっていることです。
観測開始からの経過時間 [分]
明るさのピークからの時間
図 8.1. 図 7 より取り出した第 1 フレアの部 図 8.2. モデル計算で得られた、明るさ(上)、偏光の
分。上からいて座 A スターの明るさ、偏光 度合い(中)、偏光の方向(下)の時間変化。図中の
の度合い、偏光の方向の時間変化。
角度は、ガスの円盤を真横から見ているか(0○)、少
し斜め(22.5○,一点鎖線)からかの違い。
私たちは、銀河系の中心にある超巨大ブラックホール「いて座 A スター」を観測し、その激しいフレ
ア現象をとらえました。また偏光の観測から、フレアの原因は「いて座 A スター」を高速で周回する高
温のガスの塊ではないか、という結果を得ました。現在国立天文台では、近赤外線カメラ CIAO の後
継機である HiCIAO(ハイチャオ)を製作し、その調整の最終段階に入っています。これを使えば、「い
て座 A スター」の偏光をより正確に、より早く測定できるようになります。今後、ブラックホールに関す
るより深い研究が期待できます。