プルーストと

プルーストと「償い」の思想
星谷美恵子
はじめに
拙論「『楽しみと日々』におけるスノビスム」1において、意志の欠如とスノビスムの関
係について、リボの理論を元に考察を試みたように、プルーストが、リボの理論によって
心理学的な面から意志について考えていたことは確かなことである。しかし、リボの理論
だけでそのすべてが明らかになったわけではないことは否めないことである。プルースト
の意志の欠如をとく鍵となる哲学的な面も見逃せないであろう。
プルーストは、哲学についてソルボンヌ大学において、師であるダルリュから大きな影
響を受けたと言われている。ダルリュは、プルーストに、英米の文学や哲学を紹介したの
であった。2 その中でも、プルーストはエマーソンに魅せられ、『楽しみと日々』の作品
のエピグラフに彼の作品の一節を引用するほどであった。こうしたエマーソンの思想の中
でも、大きな位置を占めている「償い」の思想は、プルーストの意志の欠如に対する考え
方に、何らかの影響を与えたと考えられる。
そこで本論文においては、エマーソンの説く「償い」の思想が、プルーストの作品や彼
の生き方と関連して、意志の欠如やスノビスムにどのようにかかわってきたのかという点
に、光を充てて考察してみたい。
Ⅰ
『楽しみと日々』とエマーソン
プルーストの最初の作品である『楽しみと日々』の中で、エマーソンは、どのように扱
われているのだろうか。二つの点について、指摘をしてみたい。
最初の点は、先にも述べたように、
『楽しみと日々』の中で、エマーソンの作品が、エピ
グラフとして用いられているということである。しかもその数は、二十弱のエピローグの
うちの四つを占めているのである。3 このことからも、プルーストが、エマーソンの思想
に共鳴していたことが伺えるであろう。
第二点は、『楽しみと日々』という題名についてである。
プルーストが『楽しみと日々』という題名を、ヘシオドスの『労働と日々』をもじって
つけたことは、アナトール・フランスの序文の中にも、触れられているほどである。
しかしプルーストが『楽しみと日々』という題名を、彼の処女作につけようとした時に、
果たしてヘシオドスのことだけを考えてつけたのであろうか。これは推測の域を出ないか
もしれないが、プルーストが、エマーソンの『仕事と日々』Works and Days を思い浮か
べなかったとは言えないだろう。
というのも、エマーソンの『仕事と日々』には、
『楽しみと日々』に何らかの影響を与え
たのではないかと想像される箇所が見受けられるからである。特に、
「悔恨、時々に色を変
える夢想」の自然との関連において、そのことは顕著であると言えないだろうか。
「Ⅳ 音
楽に聞き入る家族 」における自然との融合の場面は、その一例であろう。
そこでエマーソンの『仕事と日々』について、少々触れてみたい。
エマーソンは、人間の欲望が際限のないことに触れ、
「自分の土地に隣接した土地は全部
欲しい。」という農夫のことばを取り上げている。同じような欲望を抱いていたボナパルト
が、地中海をフランス領の湖水にしようとした例や、ロシアの皇帝アレキサンダーが太平
洋を「わが海」と呼ぶことを望んでいたことを、エマーソンは指摘している。しかしこう
した考えの人たちは、たとえその欲望が叶えられたにしても、貧乏人に過ぎないと論破し
ている。では、どんな人物が富めるものかというと、
「一日を我が物とする者のみ」だとし
ている。なぜなら、日々は、神聖なものであり、その日々とは、大自然の無限の賜物を入
れる杯である大地と蓋である大空の中で繰り広げられるものであるからだ。そうした日々
に、神々は卑しい姿に身をやつして現れるのである。
「黄金や宝石で目もまばゆいほど飾り
たててくるものは、卑俗な成り上がり者に過ぎない。」として、エマーソンは、スノブの対
極にあるものが、神々であるとしているかのようである。もちろんここでいう神とは、大
きな自然を動かす崇高な力を指すことは言うまでもないことだろう。
そして、いよいよ仕事について、以下のように語られる。
「金のために、詩を作ったり、訴訟の弁護をしたり、法案を通過させたりするとい
うような、どんな文学的職業的な仕事でもやってのけられる人間、自分の才能を、強
力な意志の努力によって、どんな方向にでも無造作に転ずることができる人間─こん
な連中は食わせ物なのであって、私たちはこんな人間は必要としない。」4
既成の仕事に対する考え方を覆しているこのエマーソンの言葉は、特異なものである。
何故なら多くの成功している人間は、多かれ少なかれ、エマーソンが挙げたような人間だ
からである。しかし、エマーソンは、
「絵の巨匠たちは喜びのあまり絵筆を取ったのであっ
て、絵のもつ力が自分から発していることを意識しなかった。」と、続ける。
このエマーソンの考え方は、プルーストに大きな希望を与えたに違いない。拙論「意志
の欠如とスノビスム」において触れたように、プルーストほど意志の欠如を感じていた人
間はいなかったからである。社会的に認められることのためには、魂を売ってまで、意志
を持って成し遂げることが良いとされている社会にあって、エマーソンのこの考え方は崇
高でさえあると、プルーストには考えられたことであろう。
また、作家になることが夢であったプルーストにとって、喜びをもって書き上げること
こそ大事だとする考え方は、どれほど勇気づけられたかわからないであろう。
当時エマーソンの著作は、Emile Montégut による翻訳で一八五一年に出版された『ア
メリカ哲学試論』Essais de la philosophie américaine や、一八九四年にブリュッセルで
出版された Maeterlinck の序文つきの I. Will (Mlle Mali) による『七つの試論』Sept
essays などによって、フランスに紹介されていた。プルーストは、これらの翻訳を手が
かりにエマーソンの思想に啓蒙されたと思われる。
ところでプルーストの書簡をひもといてみると、エマーソンについての記述がいくつか
見られることに気づかされる。しかもその明るい調子から、彼がエマーソンに夢中になっ
ていたことがうかがい知れるだろう。プルーストは、
「償い」について、一九〇四年七月十
日付けのアルベール・ソレル宛てのラスキンとエマーソンを比較した手紙の中で、興味深い
ことに次のようなことを述べている。
「あなたの論文には、間違いがひとつだけあります。ラスキンが私をいやしてくれた
わけではありません。数年前から、私はひどい病状です。しかし病ある身の私は、先生
の論文を読ませていただいた今夜ほど、エマーソンの唱える「償い」という不思議な法
則のおかげでしょうか、まるで夢のように美しい「予期しない出来事」で、「運に恵ま
れた」と感激してこれほど有頂天になったことは一度もないのですから。」5
この後には、ラスキンへの批評が述べられている。またプルーストは、
『アミアンの聖書』
のあとがきで、ラスキンの偶像崇拝に対して批判的に書いている。しかしエマーソンに対
しては、
「償い」という生きる上での励ましとしての思想を認めていることが窺えるのであ
る。そこで次に、このエマーソンの「償い」について紹介してみたい。
Ⅱ
エマーソンの「償い」
エマーソンは、一八〇三年、ボストンで、代々牧師の家の次男として生まれた。幼少の
ころに父親がなくなったため、彼は苦学を強いられたが、兄弟で力を合せ母親を助け、兄
の開いたフィニッシング・スクールで教えたりしながら神学部で学び、ボストン第二教会
の副牧師となった。
しかし、一八三一年に最初の妻エレンを亡くした後、エマーソンは、一八三二年にボス
トン第二正牧師の職を辞任することになるのである。このことがエマーソンにとって大き
な転機となったことは周知の事実であろう。彼は、それまで牧師の職務として聖餐式を執
り行ってきたのであるが、その儀式は、単なる「死んだ儀式」に過ぎないと考えるように
なり、自分自身の中で相反する二つの立場に疑問を持つようになっていた。エマーソンは、
形式によって、自分自身を規定することに嫌悪感を感じていたのである。それは取りも直
さず、自分自身の内面が形式などには、収めきれない無限の可能性を持つものだというこ
とに気づいたからに他ならないだろう。
さて『償い』は、エマーソンが子供の頃から書いてみたいと長年温めてきたテーマであ
った。
『償い』の冒頭で、エマーソンはひとつの疑問を投げかける。それは、教会でのある
牧師の説教を聴いていたときのことである。最後の審判について、その牧師は、
「裁きはこ
の世でなされず、悪人は栄え善人はみじめな思いをしなければならない。・・・ここで分別と
聖書に促され、あの世ではどちらの者も償いを受けるのだ。」と主張したという。この考え
方をつきつめていくと、
「君たちは今悪いことをしている、我々もそのうちやるんだ。出来
ることなら今悪いことがやりたいのだ。でもうまくいかないから、明日仕返しをしようと
思っているのだ」となってしまうと、エマーソンは言っている。
エマーソンは、善と悪、真の成功と偽りの成功を見分ける基準を明らかにしない牧師の
愚かさを非難する。なぜならこの牧師は、成功の基準を俗世間のさもしい見解の中に求め
ているからである。つまり悪人は成功し、正義は現世では行われないという、根本的な譲
歩に基づいた考え方であり、真理によってその非を責め善悪の基準が打ちたてられていな
い。また成功と虚偽の基準さえ、分かっていないのである。
このような浅薄なものの見方しかできないこの牧師の説教を追求した上で、エマーソン
は自然界のいたるところでの償いを取り上げている。闇と光、潮の満ち干、動物や植物の
呼吸、などである。世界がこのように二元性を持っているのと同様に、人間の本性と境遇
の根底にも潜んでいることを指摘する。つまり何かが過剰になれば別のものが不足し、楽
しみには苦しみが、悪の傍らには善がある。何かを失った時には何かを得る。その反対も
しかりである。
そして意志や治世の力で他の多くの人たちを見下ろすようになった偉大だと思われてい
る人も、その名声のために代価を払っているのである。たとえ大統領になったとしても、
心の安らぎや男らしい属性の最良のものを犠牲にしなければならないのだ。また父と母、
妻と子供を疎まねばならないこともあるだろう。このように、エマーソンは、既成の概念
には、全て反対の要素が潜んでおり、必ずしもプラスやマイナスといった考え方で判断で
きない真理が潜んでいることを、我々に気づかせている。
このようにエマーソンは、社会で一般的に考えられている「意志を持つことは良いこと
だ」という単純な思考に、鋭い矢を打ち込む。意志を持つことのマイナス面にふれ、
「人の
意志の中に反逆と分離の病気が起こると知性はたちまち感染し、その結果、人はどの対象
にも神を完全な姿で見ることはできなくなり、対象の感覚的な魅力は感じても感覚的危害
は感ぜず、人魚の頭を見て竜の尾には気がつかず、したがって自分のほしいものを自分の
欲しくないものから切り離せると考えるものだから、この実験が試みられるわけである
が。」6と、論破する。
エマーソンは、社会生活を難しくさせるような欠点を持った人に関してさえ、その欠点
があるからこそ、自分に対して向き合い、自助の習慣があたかも傷ついた牡蠣が自分の殻
を真珠層で覆うように、欠点がその人の核をつくっていくとさえ述べている。
以上述べたように、意志の欠如は欠点であるとしても、その欠点があるからこそ、自身
を見つめることが出来、
「強さは弱さによって育つものだ」というエマーソンの理論は、プ
ルーストを励ましもし、さらに彼自身の生き方にも大きな影響を与えたと思われるのであ
る。
プルーストへのエマーソンのもう一つの影響は、悪徳に関する考え方である。エマーソ
ンは、先に「償い」に関してみてきたように、万物に二つの側面があること、つまり良い
面と悪い面があると言っている。そして悪徳については、次のように言っている。
「
『魂』には、償いよりもいっそう深い事実がある。すなわち、魂それ自体の本質である。魂は
償いで与えられたものではなく、いのちである。魂は実在している。打つ波の寄せては返し、す
こしも均衡を破ることのない、干満を繰り返すこの流動する境遇と言う大海の底に、真の実在と
いう本源の深淵が横たわっている。実在、すなわち神は、相対や部分ではなく全体なのだ。実在
は広大無辺な肯定であって、否定を許さず、それ自身の力でバランスを保ち、一切の相対、部分、
時をその中に包含している。自然、心理、徳は、そこから流れ込んでくる。悪徳は、その本源の
不在、あるいはそれからの逸脱である。だから虚無や虚偽は、巨大な夜、あるいは影のようなも
ので、それは生きている宇宙が自身の姿を描く時の背景にすぎず、もともと実在しないから何の
事実も生まないし、どんな働きもすることはない。それは毒にも薬にもならない。虚無は、実在
するものより実在しないものの方が劣っていると言う点で有害だというだけである。
」7
まず、エマーソンは、魂(精神)と償いの関係を明らかにしている。つまり、魂は、償
いによって与えられたのではなく、いのちであるから、誰のうちにも実在しているのであ
る。そしてその実在ということについては、神という言葉を用いているが、これは今まで
述べてきたように宗教上のものではなく、宇宙に存在するあらゆるものを動かす存在と捉
えるべきであろう。その神がどんな人間の中にも存在するものであることは明確である。
その神とも言うべき実在とは、全てのものを包含しており、そこから自然や心理や徳が生
まれるのである。
何か悪徳というものが存在すると考えられてきた従来の考え方に対して、悪徳とはその
実在するという本源の不在あるいはそれからの逸脱であると、エマーソンは説いている。
悪意と欺瞞を抱いている限り、悪徳を犯す人間には、自然の性質と生命が奪われている
のである。
以上のような悪徳に対するエマーソンの考え方が、プルーストの悪徳の概念を形作るも
のの一つであったのではないだろうか。
先に述べたように、プルーストは、英米文学とくにエマーソンやカーライル、ラスキン
などについて、師であるダルリュから手ほどきを受けたと言われている。ダルリュもプル
ーストも、そのような文学から道徳的な考えについて影響を受けたとされている。
そこで具体的に、プルーストの作品を見てみよう。
『楽しみと日々』の中で著されている
悪徳は、二つあると考えられよう。
「若い娘の告白」の中で述べられているように、一つは、
肉体的な快楽に対する悪い欲望であり、もう一つは社交界に出かけ真実の自分ではない自
分を演じるスノビスムである。
この作品の中では、悪徳を道徳的に悪いことであると考えているプルーストの姿が浮か
んでくるであろう。しかし、道徳的に悪いことであるとわかっていながら、意志の欠如の
ために、ずるずると社交界に入り込みそこから出ることが出来ないヒロインの姿は、まさ
に当時のプルーストの姿であったと言える。観念的にプルーストは、エマーソンの説く悪
徳に関する考え方を知っていたと思われる。だが、実際的に、この作品を書いていた時点
では、そういう自分と戦っていたのではないだろうか。
しかし、先に引いたエマ―ソンの言である「悪徳は、その本源の不在あるいはそれから
の逸脱である。」とするならば、悪徳を持たないためには、真の実在の本源を源とする自然
や心理や徳をもつことが必要であろう。だからこそ、プルーストは『楽しみと日々』の後
半の「悔恨、時々に色を変える夢想」の中で自然に触れることや自分自身と向き合うため
に孤独に浸ることの重要性を強調するような作品を書き、
『嫉妬の果て』においては、心理
や徳について描いたのではないだろうか。
Ⅲ
『失われた時を求めて』とエマーソン
プルーストとエマーソンの関係については『マルセル・プルースト アングロ・サクソ
ンの読書』8の中でも触れられている。P.-E. Robert は、アングロ・サクソンの作品の中に
も、エマーソンの「償い」の思想は現れているとした上で、
『失われた時を求めて』の中で
もいたるところに見られることを指摘している。またヴェルデュラン夫人の社交界での地
位の上昇がシャルリュス男爵の社交界での地位の進歩的な剥奪と一致することや、ジルベ
ルトが、語り手に対する行為のために、夫であるサン=ルーの死という詩的な罰を受けて
いるとの解釈をしている。このような指摘は、ある意味でエマーソンが、浅薄な牧師を批
判したような結果を生むように思われる。つまり、「悪人は、あの世で罪を償う、善人は、
あの世で報われる」という論理から来るように思われるのである。確かに、ジルベルトは、
夫の手の詩的な罰という報いを受けるし、上流貴族のシャルリュス男爵は、その驕りから
物語の後半では悲惨な相貌を見せているし、貴族から馬鹿にされていたヴェルデュラン夫
人は、最後にはゲルマント大公夫人となっている。このような変化を、プルーストが「償
い」の思想を反映させようとして描いたと考えることもできるだろう。しかし、エマーソ
ンが、
「悪は罰せられる」などという単純な勧善懲悪の理論を説いたのではないことは、明
らかである。むしろ反対に、欠けているものは補われるという、人間の精神の中に善を見
ようとする、積極的な姿勢からこの理論を打ち出したのである。P.-E. Robert は、続けて、
語り手の空しく取るに足らない生活そのものが、文学作品へと回り道をしながらも、変化
していくことを述べている。この点については、同意できるだろう。しかし、それ以上、
語り手の「償い」については、論じていない。そこで本論文では、この点について、若干
の考察を試みてみたい。
さてこれまで見てきたように、エマーソンの「償い」の思想は、世界の中のあらゆるも
のが、必然的な二元性に分かれていて、一方が大きくなると、他方が小さくなり、そのこ
とによって代償ともいうべき償いの作用が働いているというものであった。だから自然の
中の事物には、ある部分が過剰になれば別の部分が欠けているのである。また、このこと
は、翻ってみるならば、ある部分が欠けていても、必ずそれを補うものが与えられている
ということにも通ずる。
このエマーソンの思想を、プルーストは、最終的に彼の集大成ともいうべき『失われた
時を求めて』の中で、どのようにあらわしたのであろうか。この点を探ることによって、
プルーストの文学創作の原点を見出すことができるのではないかと考え、
『失われた時を求
めて』の中で、欠如している部分の代表的な例である、語り手の意志の欠如を取り上げて
みたい。
⒈
『失われた時を求めて』における語り手の意志の欠如
意志の欠如は、いったいどういう発端から起こり、物語の中でどのように進展をみせる
のであろうか。
『失われた時を求めて』の第一篇である「スワン家の方へ」の冒頭から、語り手の意志
の欠如は明かされる。それは、有名なコンブレーでの就寝劇においてであった。
語り手が、この就寝劇とその舞台しか、コンブレーに関しては存在していないとさえ述
べているこの就寝劇の内容を、ここで少し紹介したい。
語り手が、人一倍母親の愛情を独占することに執心していた少年時代のことである。大
人たちの夕食後のおしゃべりに加われない彼の心を唯一慰めるものは、母親がベッドに来
て、お休みのキスをしてくれることであった。時にはその母親が、来客のため来られない
こともあったが、その来客とはほとんどの場合スワンだった。彼が来たことを知らせる小
さな鈴の音は、語り手に苦悩をもたらすのだった。
ある晩、やはりスワンがやってきたので、語り手は夕食後に母親におやすみのキスをし
ようとする。しかし「そんなところを見られたら笑われるよ」という祖父の一言で邪魔を
されてしまう。それでも我慢が出来ない彼は、フランソワ―ズに言伝を頼むがそれも叶わ
ない。思い余った彼は、母親を待ち伏せしているところを父親に見られてしまう。てっき
り叱責されると思っていたにもかかわらず、父親は、母親に語り手の部屋に行ってやるよ
うに言ってくれる。
こうして語り手と母親は、その晩一緒に就寝することを許されることになった。しかし、
語り手は、嗚咽しはじめ、彼の母親も一緒に泣き始めるのである。その晩、母親は、語り
手の部屋で過ごしてくれることになり、そのときに読んでくれた『フランソワ・ル・シャ
ンピ』は、大きな意味を持つことになる。9
それまで、語り手の意志の力を強くするために、困難を克服させようとしていた母親は、
この日初めて譲歩したのだった。語り手の悲しみは、罰すべき過ちなどではなく、意志で
はどうにもならない病気であると認められ、彼の責任のない神経の状態であるとされたの
である。しかしこのことは、母親の信念を放棄させ、母親の意志を弛緩させ理性を屈服さ
せたにすぎず、かえって彼の悲しみを深くすることになったのだった。しかもこの苦悩さ
え、語り手の意志の力で避けることはできない。
このように、コンブレーでの就寝劇は、語り手の意志の欠如を神経の病気とみなした出
来事であり、それ以降の彼の人生に大きな影響を与えたのである。
さらに意志の欠如と神経の病気は、喘息という病気と結び付けられて、いよいよ複雑な
様相を呈してくる。神経の病気に語り手が罹っているということが、さらに認められるの
は、
「花咲く乙女たちのかげに Ⅰ」のシャンゼリゼ公園の場面あたりに顕著に現れる。神
経症患者についての記述があるのだが、そこで、
「自分に耳を貸す」という表現が出てくる。
彼らの特徴として、あまりに自分たちの内部にいろいろなものが聞こえてくるために、そ
のことに振り回された経験から、ついには何も注意をしなくなるというのである。神経病
患者の神経は、まるで重い病気にでもかかったように、よく「助けてくれ」と呼び続ける。
このような、神経と病気との関連は、語り手の特徴として描かれている。
また、それまでよく息がつまる発作が起こっていた語り手に、最大の発作が高熱ととも
に起こったことが描かれている。語り手が「かなりもう神経がやられている」と感じた母
親は、医者の処方に不安を抱く。ある医者は、発作の時には、カフェインとアルコールを
取るように指示する。だがコタール教授は、咳と息切れの発作がぶり返すときには、
「下剤
をかけて、おなかの中をきれいにして、安静にし、牛乳」を与えるように言う。この処方
は、語り手の家族に不安を与えるが、中毒にかかっていることを見抜いたためのものだっ
たことが後になって判明する。語り手が、
「重症の喘息で」あって、とくに「頭もおかしく
なっている」ことが、このコタール教授にはわかっていたのだった。このように、語り手
の意志の欠如は、まず初めに神経の病気とみなされ、次には喘息という病気を引き起こす
ことにもなるのである。神経の病気と喘息は、語り手の意志の欠如が仕方がないものだと
認めさせ、公認させることになったのである。
ところで語り手の少年時代からの希望は、作家になりたいというということだった。し
かし才能や思想がないと思ったり、脳に病気があるのではないかと考えたりする語り手は、
永久に文学を諦めようとする。だがそうした最中にも、文学のテーマになりそうもない光
のちらつく石や屋根、鐘の音、木の葉の匂いなどのイメージが湧いてくるのだが、語り手
に充分な意志の力がなかったために、イメージの下にある本質が死んでしまうのだった。
作家になる夢は、失望と希望の繰り返しの中で、持ち続けられる。語り手は、作家のベ
ルゴットに知性を認められたりもする。それを知った両親は、その知性が「何か目覚しい
仕事によって」発揮されることを願う。しかし、語り手は、自分の怠け心と一日中戦うが、
結局計画を実現することができず、スワン夫人のサロンとジルベルトのほうへ心は動いて
しまっている。そのような語り手の生活を見ていた祖母は、
「例のお仕事の話は、どこかへ
いってしまったの?」と非難の言葉を口にしさえする。だがその後で、その非難が、語り
手の意志を傷つけていることを、祖母は語り手にわびるのであった。意志を持たせようと
していた母親や祖母は、そのことにこだわる余り、かえって意志を持つことを妨害してい
るように見える。さらに語り手は、自分の意志の欠如の理由が祖母や母親のせいだと、理
不尽にも考えるのであった。
このように自分の意志が欠如していた語り手は、ゲルマント公爵夫人を中心とする上流
社交界に憧れ、彼女の毎朝の散歩を待ち伏せさえして、彼女と知り合いになろうと努力す
る。
サン=ルーと親しくしたのも、彼女と少しでも近づきたいと願ったからだった。そして
とうとう晩餐会に招待されるまでになるのである。
こうした語り手のスノビスムは、常に自分の希望つまり作家になるということに失望す
ることから発していることは明らかである。父親は、彼に外交官になることを望んでいる。
ノルポワ氏の影響によって、語り手が文学を志すことにはそれ程抵抗をしめさなくなった
とはいえ、父親は彼が社交界にいくことには賛成していない。母親も、ゲルマント家に入
り込む語り手を心配している。コンブレーのブルジョワである彼らは、自分の息子がきち
んとした職業についてくれることを期待しているのである。彼の意志が欠如していること
を知り抜いている両親は、語り手がずるずると悪徳に染まることを懸念したのであった。
実際語り手は、社交界に入り込むことに夢中で、肝心の文学作品をつくりだすことが、
なかなかできないままである。その後、語り手は、第一次世界大戦勃発後、二度の療養所
生活を経る。そして大戦後だいぶたってから再びパリに戻ってくる。この間に、大きな時
間的な空白が物語の上に存在するので、その間に起こった出来事によって、社交界の人た
ちにとっても、大きな変化が生じたのである。
『見出された時』のゲルマント大公夫人邸でのマチネで、語り手は文学に対する信頼を甦らせる
出来事に遭遇する。それはマドレーヌの体験やヴァントィユの七重奏に通じる無意志的記憶こそ
が、語り手の書こうとする文学の本質であるということである。ゲルマント大公の図書館で、偶然手
にした『フランソワ・ル・シャンピ』が、そのきっかけとなったのである。その書物は、語り手の心に当
時の少年だった語り手を呼び起こす。それは、冒頭に紹介した「就寝劇」の場面で、母親が夜通し
読んでくれたものであった。その日を契機に、両親が最初の譲歩をすることになり、その日から語り
手の健康と意志が衰え始め、困難な仕事をあきらめる気持ちが強くなったのだった。そして、それ
までの日々、つまり失われた時こそが、本質的な書物であり唯一の真実の書物は、我々各人の中
に存在しているのだから、それをそのまま翻訳すればよいことに語り手は気づくのである。
語り手にとっての失われた時は、あのコンブレーの就寝劇から始まる意志の欠如によって社交
界ですごした日々であろう。さらに意志の欠如が、本質を見るには必要な要素であることを、無意
志的記憶の経験を通して語られていくのである。
2 償われるもの
これまで語り手の意志の欠如について、物語の進行に従って、述べてきた。このように、『失われ
た時を求めて』において、エマーソンの説くところの世界の二元性である欠けている部分があると
すれば、自然の中には、それを補う力が働くことが明かされている。その論理に従って、この作品
を見ていくと、語り手にとっての「償い」の部分も見えてくるように思える。確かに『マルセル・プル
ースト アングロ・サクソンの読書』の中で述べられているように、語り手は、文学作品を書く
という中で変化していくわけではあるが、そこに至るまでの経過については述べられていない。
そこで、語り手が、どのように補われるものを見つけていくのかという点を探りながら、論じて生き
たい。
意志の欠如が、作品を書くという語り手の大きな夢の障害となっていると考えられている以上、
彼が自分の欠点と戦っている場面に焦点を当てていくことが必要であろう。中でも、 「囚われの
女」の中には、その心境がところどころに見られるので、まずはその箇所を取り上げてみよう。
語り手は、バルベックで知り合ったアルベルチーヌと、パリの自宅で暮らしている。両親はもちろ
ん、召使のフランソワーズも一緒にであった。アルベルチーヌは、語り手との結婚を望んでいるが、
二人の社会的な階級の違いや恋愛に対して移ろいやすい語り手の逡巡から、同棲という状態を
続けている。経済的に豊かな語り手は、アルベルチーヌにフォルトニーのドレスを買い与えたりす
ることによって、主人としての権限を持ちながらも、反対に嫉妬からアルベルチーヌの奴隷でもある
と感じており、もはや彼女への愛情は薄れている。この生活においては、アルベルチーヌを「囚わ
れの女」にしているのは、語り手であるが、実際は、彼女は一人で外に出かけて行き、語り手は部
屋に閉じこもり作品を書くという仕事に挑戦しようとし始めている。だから、語り手の生活は、外の生
活とは遮断されているといってもよいものであり、自分の部屋の中から、外の生活を想像している
のである。だが、それだからこそ、語り手は、その日の天気に敏感になっているのである。
「朝早く、まだ顔を壁に向けたまま、分厚いカーテンの上を漏れる光線がどんな具合かもたしか
めないうちに、私にはその日の天気がもう分かっていた。」とあるとおり、語り手は、通りの物音の響
きによって、それが湿気によって穏やかに屈折しているのかそれとも矢のように震えながら届くかを
見届け、瞬時に外の天気を当ててしまうのだった。その場面に続く朝八時の浴室内での太陽の光
の描写は、鮮やかである。太陽が凹凸模様のガラスを金色に染める様子は、まるで室内にいなが
ら、戸外で陽を浴びているような錯覚に陥らせる。
このように、語り手は、自然の力に左右される。特に天候に影響を受けるのである。ア
ルベルチーヌに、一緒に出かけないときには、部屋で仕事を必ずすると約束しておきなが
ら、翌日になると、語り手は「異なった天気、ちがった気候」のうちにめざめてしまうの
である。ここで、語り手は「怠けぐせ」(paresse)という言葉を用いて、仕事をしない自分
を分析する。つまり、外の天気しだいで、怠ける口実を見出したような気になってしまう
のである。にわか雨や晴れ間を無為にやり過ごし、明日こそは仕事にとりかかろうとする
語り手は、意志を実行に移すことができない。
そのような怠けごころを、語り手は、自分の内部にいる人間のせいだと考える。まず最
初に、その人物は、晴雨計の人形であった。その人形は、
「コンブレーの眼鏡屋がショーウ
インドーのなかにおいていた天気を告げる人形、陽が照り始めるとすぐに頭巾を脱ぎ、雨
模様になるとそれをまたかぶるあの人形にそっくりの、ちいさなやつではなかろうか」と、
語り手に思わせる人形であった。語り手が呼吸困難に陥る時、雨が降りさえすれば発作は
鎮まるのだが、雨が降れば、この人形は不機嫌になり帽子を目深くかぶってしまう。
つまり、語り手の中には、語り手と違う正反対の人間が、人形のような形をして存在し
ていて、晴れると喜び、雨だと不機嫌になるのである。だから、自分は、天候に左右され、
仕事ができないと考えているのである。これがひとつの口実である。
もうひとつの口実、つまり仕事ができない理由として、語り手は、自分の中に、あのベ
ットに一日中横たわっているレオニ叔母がいると考えている。自分が父親に似てきたこと
を、晴雨計に対する興味であると指摘した上で、レオニ叔母に似ているから、アルベルチ
ーヌと一緒に外出もせずに、部屋に閉じこもっていると考える。むろん、語り手とこの叔
母は、快楽を味わうという点においては、正反対だと知っているし、彼女が読書に興味が
ない点も似ていないということは承知のうえである。この叔母について、語り手は次のよ
うに考えている。
「アルベルチーヌでもなく、私の愛するだれかでもなく、愛する人よりさらに強い
力をふるう一人の人、私の内部に移り住み、しばしば嫉妬に燃えた私の疑惑をいやお
うなく沈黙させ、少なくともそれが根拠のある疑惑かどうかたしかめにいくのも有無
を言わせず禁じるくらいに専制的な人物、それこそレオニ叔母だった。私が父に輪を
かけて、父のように晴雨計を見るだけでは満足せず、ついに私自身が生きた晴雨計に
なりきってしまったこと、またレオニ叔母に支配されて、部屋のなかから、場合によ
ってはベッドから天気を観察していたこと、これだけでももう十分すぎはしないだろ
うか?」11
語り手は、自分自身が晴雨計になってしまったと考えている。つまり、それまで、自分
の中に自分と正反対の晴雨計の人形が存在しているという考えから一歩進んで、自分自身
が晴雨計のように、外の天候によって晴れであればにこやかに帽子を取り、雨であれば不
機嫌に帽子をかぶってしまう人間になってしまったと考えるのである。だからレオニ叔母
のように部屋の中から天気を観察するようになってしまったというのである。
それまで社交界に出かけることによって、外の世界との接触をしていた語り手は、次第
に部屋の中に閉じこもり、作品を完成させようと勤めるが、仕事はいっかな進まないジレ
ンマに駆られているのである。
しかし、その仕事に対する意志は、またもや失われていく。だが語り手には、その意志
の欠如が、それまでの怠けぐせとは同じようには思われなくなってくるのであった。語り
手は外出しなくても、家そのものがいつのまにか旅に出て行ってしまったように思えるの
である。どうしようもない悪天候の日であっても、
「まるで船旅に出たような感興が湧きす
べるような快さや心静める静寂さを」感じる。すると、
「怠け者でもいわば自分の代わりと
なって大気が繰り広げた活動に興味を覚え、むだに一日を過ごしたとは思わない」ように
なってくる。こうして、語り手は、部屋の中にいても、怠けているのではなく、本性のま
まに想像力を働かせて外の気候に敏感になるのである。
これらのことから次のようなことが言えないだろうか。
『失われた時を求めて』のはじめ
のころ、語り手は作家になりたいという夢をもっていた。しかし、意志が欠如しているた
めに、社交界にずるずると入り込んでしまっている。それは社交界で有名な作家と知り合
ったり、偉大なテーマについて作品を書かなくてはいけないという感情にとらわれていた
からである。意志の欠如のせいで、作品に取り掛かることもできない。そうした怠け者で
ある自分を乗り越えようと試みるが、いつも失望感にさいなまれるのであった。ところが
アルベルチーヌと知りあい、彼女と同棲し始めると、自分の中にはレオニ叔母がいると感
じるようになる。だから外出することができないのではないかと考える。自分の中にいる
内部の人間に左右されてしまう。また語り手は、自分が父親に似てきたことも知る。それ
まで晴雨計の人形が、自分と違う感覚を持っていて、晴れだと喜び雨だと不機嫌になると
考えていたが、いつの間にか、晴雨計そのものになっている自分に気づくのである。そし
て、外の天候、つまり湿度や太陽の光や風や雨の音にも敏感になっていく。そしてそうし
たことに敏感になってすごしている自分を今までの怠け者ではない違う種類の怠け心が生
まれていて、仕事をしていなくても、無駄に時間を過ごしたとは感じなくなっているので
ある。それは、そうした時間をすごしているときの語り手が、自分の本性に忠実であり、
意志によって捻じ曲げられた自分ではないということに気がつくからである。意志の欠如
が欠点であり怠け者であると考えていた自分から、新しい感覚に敏感なもう一人の内部の
人間が生まれたかのように感じられるのである。
このことに関して、エマーソンの理論を参考にすると、語り手の心境がよく理解できる
であろう。
エマーソンは、意志について、次のように考えている。彼は、意志よりも自然の資質の
ほうが優勢であると考える。そして、外からは意志やゆるぎない自信とみえたものが、本
当は、許容し自己をすてることだったのだと、論破している。そして、実生活に日々起こ
っていることは、人間の意志よりももっと高い法則に支配されているという。だから、人
間は、その人の本性に従った生き方をすべきであって、私たち一人一人には導き手がいて、
それに謙虚に耳を傾ければ正しい言葉がきこえてくるはずであると述べている。自然の中
心には、あらゆる人間の意志を超えた魂があることを、彼は示唆しているのである。
むすび
以上のようなエマーソンの考え方を、
『失われた時を求めて』の語り手の意志の欠如とそ
の償いという点から、ここでまとめてみよう。語り手は、意志の欠如に悩んでいたが、そ
れは作品を書くということに対する怠け心という形で、
「囚われの女」においては取り扱わ
れている。ところがこの怠け心は、それまでのものとは変化しており、家の中にいても、
あたかも外にいるように、自然を感じられるようになっている。語り手は、まるで自分自
身が晴雨計になってしまったかのように、外の天気に敏感になってくる。つまり、単なる
怠け心という意志の欠如が、物事に対する感覚が鋭くなるという償いを果たすようになる
のである。またそれは、単に償いにとどまらずに、エマーソンが言うような償いを超えた
自然の魂を感ずることができるようになるのではないだろうか。一人の少年が、社交界に
憧れ、そこでの空しい虚構の会話に気づき、いよいよ作品を書こうとするときに、その障
害であると思われていた怠け心からくる意志の欠如は、アルベルチーヌとの同棲生活の中
で、まるでレオニ叔母が語り手の内部にいるように部屋にひきこもっているにもかかわら
ず、あたかも外にいるかのように、自然の魂を敏感に感じ取れるようになっていくのであ
る。このようにエマーソンの思想は、
『失われた時を求めて』の中で見事にあらわされてい
るのではないだろうか。
もちろんプルーストは、エマーソンの思想からその全てを学んだのではないだろう。し
かし、このように両者の言わんとしていることを比べてみると、エマーソンの影響が感じ
られるのである。
1
篠田知和基編、クロード・レヴィ=ストロース他、
『神話・象徴・文学 Ⅱ』
、楽浪書院、二〇〇二年
九月五日、三三九ページ。
2
このことに関しては、タディエが、次のように指摘している。C’est sans doute aussi par ce professeur que
Marcel a connu Carlyle et Emerson ; et lorsque Darlu voit dans l’Imitation de Jésus-Christ 《le bréviaire de
beaucoup de penseurs contemporains》, on songe aux
épigraphes que Proust emprunte (d’après l’exemplaire de son ami Lavallée) à ce livre pour Les Plaisirs et les
Jours.(Jean-Yves Tadié, Marcel Proust, Gallimard, 1996. p.251.)
3
「シルヴァニ―子爵バルダサ―ル・シルヴァンドの死」、
「イタリア喜劇断章」、
「悔恨、時々に色を変え
る夢想」「嫉妬の果て」の四作品である。
4
エマソン、小泉一郎訳、
「仕事と日々」、
『エマソン選集 3 生活について』、㈱日本教文社、一九八
九年一月、二四一ページ
5 Votre article ne contient qu’une erreur : Ruskin ne m’a pas guéri. Je suis depuis quelques années très malade.
Mais jamais malade ne fut aussi gâté, ne fut comblé, en vertu de la loi mystérieuse de compensation d’Emerson,
d’une surprise plus féerique que moi ce soir, par la lecture de votre article. ( Marcel Proust, correspondance de
Marcel Proust, texte établi, présenté annoté par Philip Kobl, tomeIV, p.177.)
6 Ralph Waldo Emerson, Compensation, dans The complete works of Ralph Waldo Emerson, vol., 2, P. 105. エ
マソン、入江勇起男訳、
「償い」、
『エマソン選集 2 精神について』、㈱日本教文社、一九七五年六月、
九五ページ。
7
There is a deeper fact in the soul than compensation, to wit, its own nature. The soul is not a compensation, but
a life. The soul is. Under all this running sea of circumstance, whose waters ebb and flow with perfect balance,
lies the aboriginal abyss of real Being. Essence, or God, is not a relation or a part, but the whole. Being is the vast
affirmative, excluding negation, self-balanced, and swallowing up all relations, parts and times within itself.
Nature, truth, virtue, are the influx from thence. Vice is the absence or departure of the same. Nothing, Falsehood,
may indeed stand as the great Night or shade on which as a background the living universe paints itself forth, but
no fact is begotten by it; it cannot work, for it is not. It cannot work any good; it cannot work any harm. It is harm
inasmuch as it is worse not to be than to be. ( Ralph Waldo Emerson, Compensation, The complete works of
Ralph Waldo Emerson, vol., 2, P.120.)
8 P.-E. Robert, Marcel Proust lecteur des anglo-saxons, A.-G.NIZET, Paris, 1976.
9
『失われた時を求めて』の中でのこの就寝劇は、既に『楽しみと日々』の「シルヴァニ―子爵バルダ
サ―ル・シルバンドの死」の中にも、少し触れられている。
「帰るとキスしてくれた時の母、夜彼を寝か
しつけて、両手で足を暖めてくれた母、そしてもし彼が眠れないとそばについていてくれた母、そうい
う時の母の姿が浮かんだ。」(Marcel Proust,《La Mort de Baldassare Silvande》 dans Jean Santeuil, Bibliothèque
de la Pléiade, Gallimard, 1987, p27.) そのほか「嫉妬の果て」の中でも、「ほんの幼子だったころの、七歳
の小さな子供で、毎晩八時に眠らなければならなかった頃の欲望のひとつが甦った。」として、就寝時
の悲しい思い出が語られている。また『ジャン・サントィユ』の冒頭においても、就寝劇に対して同様
の記述が、されている。(Marcel Proust, Jean Santeuil, Bibliothèque de la Pléiade, Gallimard, 1987, p203.)
Marcel Proust, A la recherche du temps perdu III, Bibliothèque de la Pléiade, Gallimard, 1988, p.589. マルセ
ル・プルースト、鈴木道彦訳、
『失われた時を求めて』、集英社、一九九九年五月、第九巻、一二五ペー
ジ。
11