アルゼンチン・SAS Juvenil Ocampense

肉とケーキとアイスと僕
アルゼンチン・SAS Juvenil Ocampense
青木元
今回のぼらいやーの予定のなかで、アルゼンチンのプログラムにはかなりの期待感をもって参加申込みを
しました。アルゼンチンはいろいろな意味で特徴的な国です。大都市は完全にヨーロッパの景観を有してい
るのと、大多数の人がヨーロッパ系であることが挙げられます。実際にブエノスアイレスは完全にイタリア
もしくはスペインのコピーのようでした。中心部には無数のイタリアンレストランがあり、地元系のファス
トフードチェーンはピザ屋です。直前まで滞在していたエクアドル、または 6 月と 7 月にワークをしたメキ
シコ南部と違いすぎて到着直後はかなり戸惑いました。まず言語。アルゼンチン人のスペイン語がかなり癖
があることは事前に確認していましたが、まさか空港などでも外国人に対し遠慮なく彼らの表現方法と訛り
をぶつけてくるとは思いませんで、最初は対応に苦しみました。おそらくスペイン語を学習したことがない
人でも、スペイン語で「元気ですか?」は「コモ エスタス?」というのは知っているかもしれません。が、
アルゼンチン、というより僕がワークをしたビジャオカンポではカジュアルな会話のなかでは「コモ アン
ダス ボス、
トド ビエン?」
というのが普通です。
「トド ビエン?」は直訳すると「すべて調子いいかい?」
または「すべてうまくいっているかい?」というニュアンスです。ただほかの国のカジュアルなあいさつの
中であまり使わないので(レストランのなかですべてのメニューが出そろった時などには「トド ビエン?」
と聞かれることはありますが。)、当初はすべての人が「トドビエン?」と言ってくるので、「なんてここの
人たちはいつも完ぺきを求めてくるんだ?」とびびっていました。でも実際には「トドビエン」は何もすべ
てうまくいっていることを聞いているのではなく、単に「どうよ?」ぐらいのニュアンスであることをすぐ
に知りました。
ビジャオカンポの人たちはさらに訛りが強く、
正直何を言っているのかわからないことも多々
で、言葉に自信を失いかけた時もありました。その後ペルーに行った際に向こうのスペイン語のわかりやす
さに驚いたくらいでした。
第 2 の問題は物価の高さです。アルゼンチンは南米のなかでも先進的な場所なので、そんなに安くはない
だろうとは予想していたのですが、いざブエノスアイレスで食事をしようとすると日本円で 700 円、800 円
の場所がざらで驚きました。ちょっといいレストランに入ると 1000 円近くになります。円高状態でこの物
価の高さというのは、正直アルゼンチン経済の実態を反映しているものではなく、なんとなくインフレが起
きていて、近い将来にまたこの国は経済問題を抱えそうな気がして仕方ありません。ブエノスアイレスから
ビジャオカンポへのバス代も片道 8000 円。エクアドルではほぼ同時間かかったバスの運賃が 720 円くらい
だったので、やはりアルゼンチンペソはかなりの危機をはらんでいると思います。それでもビジャオカンポ
のような郊外だと物価は低く、食品はかなり安かった印象を持っています。具体的なところで言うと、米は
1 キロ 120 円ほど、中型のフランスパンが 2 本で 50 円ほど、肉は日本の高級ヒレ肉レベルの味で 1 キロ 750
円~850 円、鶏肉は一羽の半分で 300 円ほど、野菜もニンジンやトマトは単価が 5~10 円ほどでした。やは
り広大な土地を持っていることで大量に牛を放し飼いにできるので、
「安くて美味しい肉」が日常で手に入り
ます。とにかく食習慣の中心は肉、肉、肉です。
イベントや誕生日会などの時には人々は庭で牛・
豚・鶏・羊などをオールスターで炭火や薪で焼き、そ
れらを一緒に食します。日本では考えられない食習慣
です。そして飲み物の主役は炭酸。デザートにケーキ
かアイス、またはその両方がでます。その結果どうい
うことが起きるか。ほとんどの人が何となくポッチャ
リ型になります。おそらく健康的にはかなり危険な食
生活を送っていると思うのですが、地元の人たちはそ
んなかったるいことは気にしないわけで、食べたい時
に食べたいものを食べるのです。
肉に関して僕が一番気に入ったのは牛タンです。牛
タンは日本のスーパーで売られているような数枚のス
ライスがパックに入っているケチなものではなく、舌一枚丸ごとが売られています。だいたい牛タン一個が
600 円くらいで手に入ります。その牛タンのジューシーなこと。おそらく日本の焼き肉屋では上レベルとし
て扱われるようなものが手ごろな値段で購入できるので、とても幸せでした。牛タンは計 2 個、つまり 2 キ
ロほど滞在中に消費しました。肉も好きなのですが、野菜も大好きで、アルゼンチンの野菜の味が濃厚なこ
とに感動し、日々スナック感覚でトマトやニンジンをかじっていました。肉と野菜をバランスよく食べ、週
日はかなり歩いていたのでだいぶ健康的な生活を送っていたと思います。
食費が以上のような状況なので、ビジャオカンポでは週ごとの出費が外食を何回かしても 5000 円を上回
ることはなかったと思います。
さて、ワークに関しては様々なことをしました。児童館での英語の授業やレクリエーション、地元小学校
でのレクリエーション、教会施設で開催される音楽や演劇のワークショップ、近隣集落の清掃啓蒙活動、同
集落での公園建設、ビジャオカンポでのボウフラ発生調査、そして地元有志が企画運営する祭りなどに参加
しました。よくほかの人から「アルゼンチンで何をしてきたの?」と質問されるのですが、その内容が多岐
に渡っているために簡潔に説明できないのです。到着当初は上記のうちの小学校と強化施設での活動しか用
意されておらず、週の合計ワーク時間が 10 時間未満という事態にありました。
「そんなのありかよ!ヒマす
ぎるよ!」と憤り、協働者に訴えた結果、活動が多様化するようになりました。これは自分の力ではなく、
一緒に働いていた市役所の人たちがとても柔軟で、市役所が実施している社会活動(清掃活動やボウフラ調査
など)に僕らボランティアを招待してくれた結果です。本当に市役所の人たちには感謝しています。反面、受
け入れを行っている地元ボランティア団体はあまり事態の改善に努めてはくれず、どちらかというと末端の
高校生ボランティアなどが通学している学校の国際理解を進める授業のゲストとして呼んでくれたり、その
他の地域のイベントに呼んでくれたりしてくれました。市役所の人もアルゼンチンのボランティア団体SA
Sも、今後はビジャオカンポのプログラムに多くの市の活動を入れようと検討してくれています。実際に改
善があるかはわかりませんが、今回参加した僕らの意見を参考に少しでもいい方向に変化があればなと思っ
ています。地元の子供たちは本当に外国人客に興味津々で、たとえ言葉がわからないボランティアにも積極
的に話しかけてきます。また興味のあること、たとえば英語や地理などはすぐに学習します。ビジャオカン
ポは地理的に外の界から閉ざされた場所なので、子供たちは外部の人と交流する機会がなく、自然と視野が
狭くなりがちです。そのため、今後は子供たちがいろいろなことに興味を持ち、将来に何かしらの期待を持
っていけるような形で外国人ボランティアが同プログラムに参加していくことが理想だと思います。
最後に、今回僕と一緒に働いて生活も共にしたボランティアにつ
いて。彼女はベルギー出身の 18 歳。僕が活動を開始してから 3 週
間後にビジャオカンポにやってきました。18 歳の女の子、しかもス
ペイン語を話さないという情報を聞いたとき、正直「めんどくさい
なぁ」と思いました。男(ヤロー)との共同生活はあまり気を使わず
に豪快にやっていけるのですが、18 歳の女子は僕からするとかなり
の子供で、本来はかなり気を使わなければならない対象です。それ
までボランティアハウス内で半裸で好き勝手に生活していたために、
様々な制約を生み出しかねないこの女の子の存在は頭痛の種でした。
特にベルギーやフランスから来たボランティアは、全員ではないの
ですが、英語も下手で若干わがままな傾向があるので不安でした。彼女が到着した夜、僕はかなり不機嫌な
顔で彼女を迎えたと思います。会って第一の印象は「むぅ、綺麗じゃないか・・・」。そして英語もフランス
語なまりが少なく、僕と歴史や政治の話ができて僕が知らないことも教
えてくれました。
「この子は頭のいい子だ」とすぐにわかり、それから彼
女との 2 人暮らしは楽しくなりました。彼女は大人の女性のようにカッ
コよくタバコを吸うときもあれば、人のパソコンを使ったまま片付けず
に寝てしまったり人の洗剤を大量に消費したりと子供っぽいところもあ
り、非常にチャーミングかわいい存在でした。スペイン語のできない彼
女に家電製品購入につき合わされたり、時に払い戻しに連れていかれた
りしましたが、そういう余暇の過ごし方は嫌いではありませんでした。
歳がだいぶ離れているので恋愛の対象にはなりませんでしたが、途中か
ら妹のように思えてきて、イベントの時などに地元の男が彼女に話しか
けようものならだいぶソワソワしていました。彼女の唯一の欠点は極端
すぎる小食。日によってはトマトとコーヒーだけしか食さないことも。
逆にこっちは大食漢なので、お互いの食事量の違いが極端でした。たと
えば近くの惣菜屋でピザを一枚買っても、彼女は1ピース食べて終了、
僕は彼女と話しているうち気づかずに残りを完食という感じでした。
余談ですが、彼女と僕は後の 12 月にメキシコの同じ場所でそれぞれ違
う団体のボランティア活動に参加することになっていました。実はこのエ
ッセイは 1 月のメキシコで書いており、わずか数百メートル離れた場所で
暮らす彼女とチャットをしながら作成しました。
ビジャオカンポの活動は、最初はいくつか問題もありましたが、結果的
にはいろいろな人と関われたり、地域の社会問題を知ったり、ワーク以外
でも楽しい生活を送れたりできたので、総じてみればよかったのかもしれ
ません。