貧困の政治における〈他者化〉

関東学院大学人文学会 紀要 第132号(2015)
貧困の政治における〈他者化〉
〜概念とプロセス〜
西
村
貴
直
要 旨:
本稿の目的は、近年における貧困の政治の動態を理解し、そのあり方を批判
的に検討するうえで、
〈他者化〉の視座がますます重要になっていることを示す
ことである。この目的に沿って、以下の構成で検討を進める。序章において全
般的な問題意識を確認した後、第 1 章では本稿の意義を強調することを念頭に
おいて、貧困問題との関わりで〈他者化〉の概念やプロセスが重視されるよう
になった背景を示す。第 2 章では〈他者化〉の概念に関する内容を検討し、そ
のプロセスがもつ機能について確認する。第 3 章では、近年においてある程度
の充実化が図られている一連の対貧困政策のなかにも〈他者化〉の契機が様々
なかたちで孕まれていることを示し、その背景やプロセスについて考察を加え
る。最後に、
〈他者化〉に依拠する対貧困政策の限界を示すことにより、本稿の
結論としたい。
キーワード:
貧困の政治,
〈他者化〉,保守的な〈他者化〉,リベラルな〈他者化〉,
対貧困政策
序.貧困の政治と〈他者化〉
わが国において、多くの人々に貧困が 見えなかった (正確には 見な
いで済むことが許された )時代は、すでに過去のものとなった。格差や貧
困に関わる話題が多くのメディアで語られることが一般化し、貧困の実態
を示す様々な種類の「研究成果」が公表されるとともに、貧困に関わる問
題の広さや深さについての理解が社会的に共有されるようになった。それ
と同時に、既存の社会保障や社会福祉の諸制度が貧困問題の克服に貢献で
きていない現状について、多くの人々の関心が集まっている。そして、こ
のような関心の延長線上において、「生活困窮者自立支援法」(2012年)や
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貧困の政治における〈他者化〉
「子どもの貧困対策推進法」(2013年)の成立等にみられるように、自立支
援や社会的包摂の理念のもと、生活に困窮した人々に対する様々な種類の
支援メニューが整備され、一定の規模でその拡充・豊富化が図られている
ようにみえる。
しかしその一方で、特定の貧困者に向けられる 排除 や 非難 を助長
するような(しばしば 罵倒 に近い)言動もまた、かつてないほどの広が
りと高まりをみせている。ときにそれは、貧困問題の解決に大きな責任を
負うべき地方自治体の首長や政権与党の政治家から発せられることさえあ
り、
(とりわけ公的扶助制度を利用する)貧しい人々自身の姿勢や態度に疑
いの目を向けるような世論形成のあり方が一般化するようにもなっている。
こうした影響を直接的に受けるかたちで、生活困窮者を救うための「最後
のセーフティネット」である生活保護制度の利用に関わるハードルが引き
上げられ 1 )、その守備範囲が大幅に狭められようとしている。また、生活保
護の給付を現物やプリペイドカードの支給に置きかえる、あるいは生活保
護受給者の見守りという名目で住民間の相互監視を奨励するといったやり
方で、生活保護受給者に対する権利と自由の制約を求めるような提言が、
様々なレベルで取り沙汰されている。
こうした状況から改めて思い知らされるのは、貧困に関する「問題」を
めぐる理解のあり方は多様であり、その自明の解決策など存在しない
(Spicker[2007=2008:263]
)ということである。貧困に対する社会的関心
の高まりが、貧困に対して何をなすべきかに関する合意の形成へと直ちに
結びつくわけではない。具体的な「貧困」の定義、貧困の発生理由、貧困に
立ち向かう方法のあり方等の様々な論点をめぐり、人々のあいだには見解
の相違や利害の対立が生じる。その 調整 に関わる一連のプロセス―貧困
ポリティクス
の政治 ―を通じて、それは結果として、より大きな政治的影響力を行使し
うる人々の願望や要求に大きく影響を受けるかたちで、一連の対貧困政策
の内容が決定されていく。逆に言えば、自分たちの生殺与奪に密接に関わ
る「貧困の基準」や対貧困政策の内容に関して、その当事者である貧しい
人々自身の必要や要求を汲み取る回路は、常に脆弱なものになりやすいと
いうことである。とりわけ一定規模の経済発展を遂げ、貧困状態に陥るこ
マイノリティ
とが少数派となった先進諸国においては、多かれ少なかれ「貧困」は、自
分ではない誰か「他の人」が経験する問題として理解されるような傾向が
生じてきた。このように、貧困に関わる問題が「他人事」のように構成さ
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れるプロセスを、イギリスの代表的な貧困研究者 R .リスターは〈他者化〉
(Othering)と表現している(Lister[2004=2011:147]
)
。本稿ではリスタ
ーの邦訳書と同じく一貫して〈他者化〉と表記するが、これから論じるよ
うに、〈他者化〉とは、特定の人々を われわれ と本質的に異なる存在と
して理解することを助長するような、様々な表象や言説の働きを通じて進
行するプロセスである。貧困をめぐる様々な表象や言説を通してなされる
〈他者化〉は、「貧困者」に対する「非貧困者」の考え方・語り方・行動の
仕方を、個人間のレベルと制度的なレベルの両方で形成([ibid:152)する
ことにより、貧困者に対する社会的な処遇のあり方を規定する。
本稿の目的は、近年における貧困の政治の動態を理解し、そのあり方を
批判的に検討するうえで、〈他者化〉の視座がますます重要になっている
ことを示すことである 2 )。この目的に沿って、以下の構成で検討を進める。
第 1 章では、本稿の意義を強調することを念頭において、貧困問題との関
わりで〈他者化〉の概念やプロセスが重視されるようになった背景を示す。
第 2 章では〈他者化〉の概念に関わる内容を検討し、その一連のプロセス
がもつ機能について確認する。第 3 章では、近年においてある程度の充実
化が図られている一連の対貧困政策のなかにも〈他者化〉の契機が様々な
かたちで孕まれていることを示し、その背景やプロセスについて考察を加
える。そして最終的には、
〈他者化〉に依拠する対貧困政策の限界を示すこ
とにより、本稿の結論としたい。
1 .貧困問題における〈他者化〉の位置づけ
1−1
貧困問題の二側面
貧困の政治における〈他者化〉の概念とプロセスの検討に入る前に、そ
もそもその検討を行うことの意義に関するいくつかの前提条件を確認して
おきたい。
一般的には「貧困」とは、経済的な困窮により、その生存あるいは生活
が脅かされている客観的な状態を表現する言葉である。と同時に、貧困は
「解決を要求してやまない、具体的な意味の言葉」(江口[1979:7])とし
ても用いられる。貧困という言葉が用いられるとき、そこで含意されてい
るのは、それが客観的に観察しうる状態を超えて、道徳的に「容認できな
い状態」にあるということであり、何らかのかたちでその解決を試みるべ
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貧困の政治における〈他者化〉
き「問題」だということである。とはいえ、現実社会における貧困の「現
われ方」や「経験」は多様なものであり、国や地域によって、あるいは社
会の変容とともに変化し続けていくものでもある。貧困がどのような意味
の問題なのか、どのような困難をもたらすのか、その解決のためにどのよ
うな取り組みが必要となるのか、等をめぐる議論のあり方は、それが論じ
られる社会的文脈によって大きく異なるのである。
しかし、少なくとも近年における貧困研究の文脈のなかで一定の合意が
得られるようになっているのは、貧困という問題には、経済的困窮や欠乏
以上の問題が含まれているということ、その解決にあたっては経済的・物
質的な状態を改善すること以上の取り組みが求められるということである。
先述のリスターは、
「貧困は、不利で不安定な経済状態としてだけではなく、
屈辱的で人々を蝕むような社会関係としても理解されなければならない」
(Lister[2004=2011:21]
)と指摘し、貧困問題を構成する「経済的・物質
的な側面」と非物質的な「関係的・象徴的側面」の関係を、車輪のかたち
になぞらえて整理した分析枠組みを提示している([ibid:22])。この分析
枠組みでは、貧困問題の中核的な部分に「経済的・物理的に容認しえない
困窮状態」があり、それを軽視、屈辱、スティグマ、人権の否定、無力感、
そして〈他者化〉といった「関係的・象徴的側面」に関わる諸問題が取り巻
く構図として示されている。そのなかでも〈他者化〉は、貧困の「関係的・
象徴的」側面の根幹に関わる重要なプロセスとして位置づけられている。
この分析枠組みの重要なポイントは、貧困の「経済的・物質的」側面と
「関係的・象徴的」側面が、貧困問題を理解するうえで同等の重要性をもつ
ものとして位置づけられている点である。貧困は、第一義的には経済的な
困窮状態を意味する。しかし、貧困の「関係的・象徴的」側面に目を向け
ると、貧困が一部の人々の経済的な困窮・欠乏にのみ関わる問題ではなく、
実際には貧困ではない多くの人々による社会的・文化的な実践と密接に関
わる問題であるということ、すなわち「経済的・物質的」側面と「関係的・
象徴的」側面が相互に関連した動態的なプロセスのなかで構築される問題
であることが理解される。むしろ近年においては、情報の発信・収集のあ
り方やメディア環境の大規模な変化とともに、貧困をめぐる言説や貧困者
についての表象のあり方が、以前にも増して貧困者をめぐる社会関係やイ
メージの変容過程に大きな影響力をもち、その当事者たちの苦境を増幅さ
せたり、社会的な排除を促したりする現実的な力となっている。こうした
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関東学院大学人文学会 紀要 第132号(2015)
状況のなかで、貧困の「関係的・象徴側面」に焦点を当てた研究の重要性
が、ますます高まっているといえる。
1−2 〈他者化〉が重視される背景
貧困者を〈他者化〉することそれ自体は、決して新しい現象ではない。
むしろ貧困者を、その表現方法や制度的救済の対象分類において、 われわ
れ に近い貧困者とそうではない(異質な他者としての)貧困者に区別し
ようとする試みは、多くの社会において歴史的に一貫したものであったと
いえる。ただし、高度経済成長の下に戦後福祉国家の形成・発展過程にあ
った一時期においては、貧困そのものが見えにくくなったこともあって、
〈他者化〉の圧力が相対的に弱まったことは確かであろう。わが国では、2000
年代前半までそうした状況は続いた。
今日の貧困研究において、貧困者の〈他者化〉
、およびその前提としての
「関係的・象徴的」側面が重視されるようになった背景として、二つの文脈
を指摘できる。一つは、社会的背景である。近年のグローバル化・脱工業
化した社会における、
「新しい貧困」問題の発生・拡大という社会的現実は、
貧困の政治をめぐる社会的構図を大きく変化させた。「新しい貧困」とは、
非正規雇用の一般化や若年層の長期失業に象徴されるような、戦後福祉国
家が想定していなかった新たな社会的リスクのもとで発生してきた貧困問
題であり、その当事者の様々な社会制度からの排除や地域社会からの孤立
をもたらしている。この「新しい貧困」をどのような問題として捉えるの
か、その表象や言語化のあり方をめぐり、各国で激しい論争が引きおこさ
れた。その代表的なものが英米での「アンダークラス」やヨーロッパ諸国
での「社会的排除」をめぐる論争である。これらの論争は、貧困の経済的
側面を重視する傾向から、その社会関係を含めた貧困問題の多様な側面に
光を当てる効果をもたらした。その反面、これらの論争が貧困者を われ
われ とは異質な(価値や行動規範をもつ)人々として理解する傾向を助
長し、それ以降の対貧困政策のあり方を大きく変化させたという点におい
ても共通している。今日の貧困の政治においては、貧困者の 他者性 をめ
ぐる理解のあり方は中心的な争点のひとつとなっており、貧困についての
研究も、その成果が貧困者の 他者性 の構築(あるいは脱構築)にどのよ
うに関わるかという点を無視することができなくなっているのである。
もう一つの文脈は、理論的背景である。貧困の「関係的・象徴的」側面
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貧困の政治における〈他者化〉
への注目は、近年の政治理論や社会政策論における、
「承認」をめぐる議論
の興隆と密接な関わりがある。承認をめぐる政治理論は、20世紀後半の多
文化主義をめぐる議論のなかで、人種やエスニシティ、ジェンダー等に関
わる文化的・象徴的不公正(不正義)を問い直す規範的な視座を提供する
ものとして発展してきたが、今日の社会政策や福祉国家に関わる研究にも
大きな影響を与えている 3 )。
承認をめぐる政治理論には様々な立場があるが、社会を構成する人々の
あいだに様々な境界線を引いて われわれ と 他者 を分割し、後者に関
する社会的地位の従属性を正当化することに貢献する、言説や表象の力を
重視する点において共通している。そして、恣意的な言説や表象によって
構築され、正当化された社会的従属性は、その〈他者化〉された当事者に
対する直接的で具体的な不利益(例えば、雇用機会や社会保障へのアクセ
スの欠如など)をもたらしてきた、あるいは現在進行形でもたらし続けて
いることを、承認の政治理論は問題視する。こうした構図は、今日の貧困
をめぐる言説や表象のあり方においても十分に当てはまる。貧困層が経験
している社会生活上の不利や諸困難は、貧困層をめぐる恣意的で不正確な
言説や表象に基づいて構築された、「誤った承認」と密接に関連している。
貧困の政治において、誤った(あるいは不当な)承認に基づく〈他者化〉
のプロセスをどのように克服することができるのか、その理論的な探求を
進めることは、今日における貧困研究の重要な課題のひとつとなっている
のである 4 )。
2 .〈他者化〉の概念と機能
2−1 〈他者化〉の概念
ここからは、
〈他者化〉の概念についての検討を進めていく。本稿でいう
〈他者化〉とは、特定の人々の集団(グループ)に われわれ と異なる特
徴(他者性)を見いだし、それらをその人々の本質的で同質的な特徴として
構築することに関わるプロセスをいう。他者性の構築においては、常に特
定のステレオタイプとの密接な結びつきが強調されることから、〈他者化〉
とステレオタイプ化は双子の概念として理解することができる(Pickering
[2001:x])。他者(化)やステレオタイプ(化)をめぐる研究に主体的に関
わる学問領域としては、社会心理学と文化・コミュニケーション研究の二
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つの領域があるが、この二つの領域における他者やステレオタイプの概念
に関する相違点を比較することによって、貧困の政治に関わる文脈におい
て用いられるべき〈他者化〉概念の特徴と、重要性を確認しておきたい。
前者(社会心理学)の領域においては、ステレオタイプは「特定の集団
に属する人々の特徴についての心理的表象」
(McGarty,Yzerbyt,and Spears,
eds[2002=2007:10]
)として定義されている。社会心理学においては、ス
テレオタイプを形成して自己と他者を分節化するのは個々人であり、個々
人が外集団を認知する過程においてどのようにステレオタイプが形成され、
それがどのような帰結をもたらすのかという点に焦点が当てられてきた。
一般にステレオタイプは「認知の歪み」に基づく「固定観念」や「偏見」
として理解されており、その否定的な側面が強調される。そして、それが
結果的に既存の社会関係や秩序の維持・強化をもたらし、
「社会的勢力の弱
い外集団の力を奪い、諦めさせる」
(
[ibid:229]
)傾向をもつものとして理
解されてきた。ただし、近年においては、個々の人間が「現実を理解し形
作るために使われる共有された集合的道具」
(
[ibid:242]
)として、ステレ
オタイプ自体の中立性や肯定的な側面を強調する研究も登場してきた。そ
こでは、ステレオタイプや他者イメージの形成は、人々の行動様式やアイ
デンティティを構成する規範や慣習の維持・再生産のプロセスと密接に関
わり、人々の社会生活の円滑な進行を保証するものとして捉えられるよう
になっている。さらに、
(外部化された集団による)対抗的なステレオタイ
プや他者イメージの共有が、支配的なステレオタイプに挑戦し、社会変革
の足がかりとなる(ex.排除されたマイノリティの連帯)可能性も指摘さ
れ、ステレオタイプや他者イメージの形成が積極的な効果をもつことを一
層強調するような研究成果も提出されている(
[ibid:232]
)
。ただし、否定
的側面と肯定的側面のどちらを強調するにせよ、社会心理学的な ステレ
オタイプ や 他者 の概念は、人間の認知過程において自然に、あるいは
不可避的に形成されるものとして位置づけられる点が重要である。社会心
理学的なアプローチにおいては、ステレオタイプ化された他者を生み出す
社会の構造は所与のものとされており、それ自体を批判する道筋は想定さ
れていない。その結果、
〈他者化〉された特定の集団の不利益が、それ以外
の集団に一定の利益をもたらしている可能性、特定の集団に不利益をもた
らすステレオタイプ化が半ば積極的に遂行されている可能性を議論の俎上
に載せることができない。要するに、ステレオタイプ化された他者を能動
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貧困の政治における〈他者化〉
的に生み出そうとする、政治権力のダイナミクスを適切に捉えることがで
きないのである。
したがって、貧困の政治との関連でより重要と思われるのは、文化・コ
ミュニケーション研究におけるステレオタイプ(化)や他者(化)の概念
である。文化・コミュニケーション研究の文脈においては、他者(化)や
ステレオタイプ(化)は、言説や表象(representation)によって遂行され
る社会的・文化的プロセスとして理解される。ステレオタイプや他者のイ
メージは、不完全な知識や認知機能から不可避的に形成されるのではなく、
言説や表象に関わる広範な社会的実践を通して、継続的かつ積極的に構築
されているということである。リスターは以下のように述べている。
「
〈他者化〉という考え方は、これが固有の状態ではなく、
「非貧困者」が
動かしている、進行中のプロセスであることを伝えている。…これによ
って「我ら」と「彼ら」のあいだに、すなわち力の強い者と弱い者のあい
だに線が引かれ、そのことを通して社会的な距離が確立され、維持され
ていく。これは自然発生する線ではない。」
(Lister[2004=2011:148]
)
ステレオタイプ化および〈他者化〉は、その一連のプロセスのなかで、
ある特権化された視点から、それ以外の人々や文化を評価的に序列化し、
その位置に固定化しようとする手段として働く(Pickering[2001:47])。
すなわち、特定の人々や集団がもつ文化やふるまい方に関わる象徴的な 差
異 を、 われわれ が当然のように有しているはずの価値や文化規範から
の逸脱の程度へと読み替え、その劣等性を構築することにより、社会の内
部にある われわれ と外部にある 他者 とのあいだの恣意的な境界線を
設定し、維持することに貢献するのである。そしてこの一連のプロセスは、
様々な社会的神話(social myths)に養分を与え、強化することに関わる集
合的プロセス(
[ibid:48]
)として、安定した社会統合を維持することにも
貢献する。貧困問題との関わりで一例をあげるならば、貧困状態にある人々
の言動を 怠惰 のステレオタイプと結びつけて〈他者化〉することにより、
勤勉さ を評価基準とする われわれの社会 に関する健全性のイメージ
が首尾一貫したものとして維持される、ということである。リスターも引
用するM.ピカリングが指摘するように、ステレオタイプによる〈他者化〉は、
社会的な矛盾をコントロールして正常性と正当性の境界を維持する「社会
― 34 ―
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的な悪魔祓いの儀式」
(socially exorcistic rituals)として作動する(
[ibid:45]
)
のである 5 )。
2−2 〈他者化〉の機能
・・・
〈他者化〉は、その対象を われわれ と本質的に異なる存在として表象
することにより、人々の多様性や差異を本質化された他者性へと変換し、
その劣等性を構築する社会的・文化的プロセスである。本稿で主張したい
ことのひとつは、貧困の政治において生じる〈他者化〉のプロセスは、貧
困そのものの縮減や解消に関わる政策を構想しようとするときに、自覚的
に克服しなければならない最も大きな課題だということである。その理由
を示すことを念頭におき、本節では貧困者の〈他者化〉がもたらす諸帰結
について整理しておきたい。
繰り返すように、
〈他者化〉とは他者性の本質化である。他者性の本質化
とは、
〈他者化〉された人々のあいだの多様性や個別性を剥奪することを意
味する。人が貧困に陥る理由や経緯は個別的で多様である。他の誰かと全
く同じ道筋を辿って貧困に陥る人などそもそも存在しないし、貧困によっ
てもたらされる困難の種類や程度、必要となる援助の内容も千差万別であ
る。しかし、貧困者の〈他者化〉は、そうした個別性に目を向ける道筋を
予め閉ざしたうえで、貧しい人々に対して一律に、そして当然のように わ
れわれ の社会への同化を迫る圧力を形成する。その結果、貧困の状態に
あり続けることが われわれ の社会に同化しない姿勢の表れとみなされる
こととなり、 彼ら の社会的劣等性が追認され、日常的な中傷と権利の剥
奪状態が自然化される。
したがって、
〈他者化〉とは、その対象の無力化に関わるプロセスでもあ
る。
〈他者化〉は、その当事者が支配的な言説や表象のあり方に異議を申し
立てる機会や能力を著しく制約し、最終的には「自分自身からの排除」
(湯
浅[2008:61]
)をもたらす 6 )。例えば、わが国の生活保護をめぐる議論にお
いては「納税者の理解」や「納税者の視点」といった表現が繰り返し登場
するが、そこでは生活保護の「受給者」は「納税者」ではないという考え
方が、暗黙のうちに前提とされている。受給者を、義務を果たさずに制度
の恩恵だけを享受する「受益者」とみなし、その対極に見返りのない負担
だけを強いられる圧倒的多数の「納税者」を位置づけることにより、
「納税
者」である われわれ の他者としての「受給者」が構築されているのであ
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貧困の政治における〈他者化〉
る。こうして圧倒的多数者としての「納税者」と対立させられることによ
り、マイノリティとしての「受給者」は、一連の恣意的で不当な言説や表
象の修正を要求する機会や力を大幅に制約されてしまうため、地域住民に
よる監視やケースワーカーによるハラスメント等の深刻な人権侵害に直面
したとしても、ほとんど社会的な問題とはならない。むしろ支配的な言説
が発しているのは、それに耐えることは当然である−嫌ならば自立すべし−
というメッセージであり、それは( われわれ の当然の権利であったはず
の)生活保護の受給を、社会の 部外者 として、屈辱と孤立のなかで生き
延びることの選択へと転化させているのである。
しかし、以上のように〈他者化〉がその客体に対するネガティブな効果
をもたらす反面、
〈他者化〉の主体には様々な種類の恩恵をもたらしている
側面にも注目する必要がある。むしろ貧困者の〈他者化〉が、 非貧困者
に一定のメリットをもたらすということこそが、
〈他者化〉のプロセスが生
じる理由のひとつでもあることを理解しなければならない。その(
〈他者化〉
ポジティブ
する主体にとっての)「積極的」な機能のひとつは、「他者に否定的な属性
を投影し、そうすることによって自分自身に肯定的な属性を与える」
(Young
[2007=2008:19]
)ことである。
〈他者化〉は、その対象の異質性を際立た
せて異常性と劣等性を構築するプロセスであると同時に、
〈他者化〉する主
体の正常性と優越性を追認し、その自明性を強化する重要なプロセスでも
あるのである。 われわれ とは異質な 他者 を積極的に構築することによ
り、 われわれ の立場の正当性や所属する集団の優越性は自然化される。
そして、
〈他者化〉のプロセスがもちうるこのような(
「積極的」
)機能は、
既存の権力関係や資源配分のあり方を正当化する政治的機能と深く関わっ
ている。社会の主流を占める多くの人々が懸念や不安を抱くような社会的
問題が発生したとき、その問題を引き起こす原因をつくり、 われわれ に
脅威を与えている 他者 を具体的に名指すことにより、 われわれ が有し
ている価値観や既得権を犯すことのないような理由づけや解決策のあり方
を容易にイメージできるようになる。特定の集団を〈他者化〉して「スケ
ープゴート」にすることで、既存の権力関係や資源配分のあり方の自明性
を損なうことなく、問題の最も手っ取り早い政治的解決策を提示すること
が可能になるのである。こうした〈他者化〉の政治的機能と貧困問題との
関わりについて、リスターは以下のように指摘している。
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「〈他者化〉は、優越性に根ざした「我ら」の特権と、劣等性に根ざし
た「彼ら」の搾取と抑圧を、貧困に内在する社会経済的な不平等ととも
に正当化する。これは、権力関係が〈他者化〉のプロセスに刻み込まれ
る方法を明確に示すものであり、不平等が先鋭化すればするほど〈他者
化〉が顕著になることを示唆している」
(Lister[2004=2011:151])。
貧困を、既存の社会構造に内在する富や権力の分配に関わる 歪み の顕
在化と捉えるならば、その解決に必要なのは既存の分配に関わる 歪み を
是正することである。しかしそれは、既存の権力関係や分配構造から大き
な恩恵を受ける人々にとっては、それまで占有・享受していた諸々の権利
や利益の一部を、別の人々に移転するという「痛み」をともなう可能性が
ある。だからこそ格差や不平等が拡大していく状況において、貧しい人々
を積極的に〈他者化〉して問題の原因や責任を当事者自身に負わせること
は、とりわけ既存の社会関係の下で大きな特権を得ている人々にとって大
きな恩恵をもたらすことになる。
以上のことから示唆されるように、他者性の構築は、既存の社会関係を
自明のものとして正当化する政治的イデオロギーと密接に関わっている。
貧困者の〈他者化〉は、その当事者の劣等性と従属性を構築することによ
って、ともに暮らす人々のあいだのつながりを分断し、社会的に孤立させ
るだけでなく、既存の社会や制度のあり方を代替不可能なものとして理解
させることを通じて、 われわれ から別様な社会を構想するための想像力
を奪う。貧困者の〈他者化〉は、貧困を生み出す社会のあり方に向けられる
政治的な異議申し立てや批判を封じ込め、その永続化に貢献するのである。
3.
〈他者化〉のプロセスと対貧困政策
―保守的な〈他者化〉とリベラルな〈他者化〉
現実の貧困の政治における〈他者化〉のプロセスは、単線的にではなく
多様で複雑な経路を通じて展開されている。J .ヤングは、後期近代におけ
る労働市場のフレキシブル化やコミュニティの解体がもたらした「不確実
性」の高まりが、存在論的不安に駆られた人々による貧困層―アンダーク
ラス―の社会的排除を引き起こしている現況を描き出し、その過程で二つ
の様式の〈他者化〉―「保守的な他者化」と「リベラルな他者化」―が普
― 37 ―
貧困の政治における〈他者化〉
及していることを指摘している。ヤングの議論は、英米社会における人種
差別や移民問題との関連性も含めて論じたものであるが、この二つの様式
の〈他者化〉プロセスを理解することは、近年のわが国における貧困の政
治の動態を理解し、充実しつつあるようにみえる対貧困政策の内実を評価
するうえで重要な意味をもつ。
3−1
保守的な〈他者化〉と対貧困政策
保守的な〈他者化〉とは、これまで繰り返し確認してきたような、各種
の否定的な属性を本質化して悪魔化し、その対象を われわれ の敵として
構築するような、いわばストレートなかたちで展開される〈他者化〉であ
る。ヤングは、保守的な〈他者化〉のプロセスを、 われわれ の社会に何
の貢献もしておらず、その規範に馴染もうともしない(と一方的に名指さ
れる)諸々の 他者 を、犯罪者やその予備軍のようにみなして われわれ
の周囲から積極的に「排除」することにより、顕在化した諸問題の解決を
図ろうとする社会、いわば「社会的排除」を肯定する『排除型社会』
(Young
[1999=2007])の出現・構築プロセスとして描き出している。街頭犯罪や
反社会的行為に対する、いわゆる「不寛容(ゼロ・トレランス)
」政策の導
入は、その典型的な事態を象徴している。
こうした保守的な〈他者化〉の観点から構成される貧困問題は、 われわ
れ と相容れない行動原理に馴染んだ貧困者が、 われわれ の安全なコミ
ュニティを脅かし、貴重な財源を浪費することにより、社会全体が深刻な
損失を被っているという観点から構成されたものである。したがって、貧
困者の保守的な〈他者化〉に基づく対貧困政策の基本的な発想においては、
資力調査の厳格化や不正に対する罰則の強化によって救済を受ける貧困者
を厳しく選別し、その行動に様々な制約を設けて管理(コントロール)を
強化するといった社会的努力の重要性が強調されることになる。厳格な対
貧困政策の実施にともなって強力なスティグマや生活上の不自由さが発生
するのは、至極当然の事態であり、文脈によってはむしろそれを強化する
可能性も容認される。長期間にわたる公的給付への「依存」を防ぐための
しくみも重要視され、受給に期限を設ける等の制度的措置の導入は、その
有効な手段として位置づけられる。1990年代後半以降のアメリカ合衆国に
おいて実施された、懲罰的なワークフェア政策は、保守的な〈他者化〉に
基づく対貧困政策の、最も先駆的な取り組みであるといえる。
― 38 ―
関東学院大学人文学会 紀要 第132号(2015)
わが国の文脈に即していえば、近年における貧困の政治を一定の方向に
水路づけることに大きく貢献した1人が、国会議員の片山さつきである。そ
の政治家生活の大半を政権与党のなかで過ごしてきた彼女の国会内外での
一連の言動は、貧困の政治における保守的な〈他者化〉についての最も典
型的な事例を提供している。片山は、今日では200万人を超す生活保護受給
者のなかから、マスコミの注目を集めたある芸能人の「不適切」な生活保
護受給の事例やメール等で自分の元に寄せられたごくわずかな(とくに裏
付けをとった様子もない)事例を示しながら、その著書のタイトルに端的
に表わされているように、現行の生活保護制度が「福祉依存」というモラ
ルハザードを引き起こし、個人の勤労意欲や家族の絆を喪失させ、
「正直者」
にやる気を失わせていると主張する(片山[2012])。片山は、勤労意欲を
欠き、アルコールやギャンブルに保護費を浪費し、優雅な生活を楽しんで
いるとされる生活保護の受給者と、生活が苦しくても正直で勤勉な家族思
いの 一般国民
とを敵対的に描き出しながら、後者の不満や不公平感を
7)
原動力に、前者に著しい不利益を与える生活保護基準の引き下げ、現物給
付化、扶養照会の徹底、不正に対する罰則強化といった根本的な制度変更
が必要であると繰り返し強調してきた。そして実際に、そうした主張を大
幅に受け入れるかたちで改正された生活保護法が、すでに施行されている。
片山は、生活保護を受給する貧困者によって、 われわれ の側こそが精
神的・経済的に大きな損失を被っているという観点から議論を出発させ、
そもそも多くの貧困者を生み出して生活保護の受給者を急増させてきた社
会的背景や、それを食い止めることに失敗してきた政権与党の政治的責任
への関心を全く欠落させたまま、 われわれ と本質的に異なっている 彼
ら を生活保護から「排除」することが唯一の解決策であるという姿勢を
明確に示している。その一連の言説は、単純で強力なレトリックによって
「敵を用意し、ステレオタイプを提供し、攻撃を導き、集団内のアイデンテ
ィティを再確認させ」(Young[1999=2007:304])たうえで、 われわれ
の視野から追い払うという保守的な〈他者化〉のプロセスを、まさに忠実
にトレースするかたちで展開されている。
3−2
リベラルな〈他者化〉と対貧困政策
保守的な〈他者化〉と比べると、リベラルな〈他者化〉はかなり複雑で、
「頻繁になされるがめったにそれとは認識されない」
(Young[1999=2007:
― 39 ―
貧困の政治における〈他者化〉
19])プロセスである。リベラルな〈他者化〉が、〈他者化〉として認識さ
れにくい理由のひとつは、保守的な〈他者化〉のように、その対象を攻撃
的に言及し、直接的に排除しようとする姿勢をともなわないからである。
むしろ社会的に排除された人々に手を差し伸べ、再び われわれ の社会に
「包摂」することの重要性を強調し、その政策策定や実施に至るプロセスの
なかでこそ、リベラルな〈他者化〉は展開されていく。
リベラルな〈他者化〉の文脈においては、その対象者は、
「物質的ないし
文化的な環境や資本の剥奪によって生じる不利な立場」([ibid:19])にお
かれた人々として捉えられ、 彼ら の道徳的欠陥とそれにともなう様々な
逸脱的行動(例えば就労忌避や福祉への依存)は、経済的・社会的に不利
な立場に置かれた結果として理解される。いわば 彼ら を最初に「犠牲者」
として捉えたうえで、教育や就業の機会を提供してその「欠陥」を「修復」
することにより、困窮した状況の改善と社会への「包摂」が目指されるの
である。こうしたリベラルな〈他者化〉の実例としてヤングが想定してい
るのは、イギリスにおけるニューレイバー政権が実施した一連の「社会的
包摂」政策である。その基本構想は、柔軟(フレキシブル)化する労働市
場や地域社会から排除された人々や不十分なかたちで包摂されている人々
に積極的な援助を行い、教育や職業訓練を通じて労働市場や地域社会に自
発的に関わろうとする意欲や能力を引き出すことにより、排除と貧困に関
わる問題の解決を図ろうとするものである。近年のわが国において実施さ
れている生活困窮者の自立支援政策も、基本的には同様の構想に基づいて
いる。
ではなぜ、困窮して排除されている人々を われわれ の社会に「包摂」
することを目指す積極的な支援策の導入が、
〈他者化〉のプロセスとして理
解されるのか。その理由に関してヤングは、以下のように述べる。
「保守的な他者化もリベラルな他者化も、
「かれら」と「われわれ」との
間に大きな隔たりがあると考える、つまり懸隔という点では共通してい
る。いずれも周辺層の道徳的性質を貶めることで中心層が強化されてい
るのだ。その違いは、保守的な他者化において逸脱者は異邦人(エイリ
アン)
、つまり「われわれ」の価値とは正反対のものだという含みがある
こと、他方でリベラルな他者化は、不足つまりある特定の価値観に立脚
したところからみて不利であることを強調することである。これに対応
― 40 ―
関東学院大学人文学会 紀要 第132号(2015)
するように、保守派は懲罰的あるいは排除的な政策を重視するが、リベ
ラル派は教育と社会復帰という包摂的施策を重視する」
([ibid:20])
。
つまり、貧しい人々は われわれ と異なる文化や価値観を有していると
いう前提、とりわけその受動的な依存文化を問題視する観点から議論を出
発させているという点で、両者は問題設定を共有している。その結果とし
て、 彼ら の否定的な属性を本質化して われわれ とのあいだに正常性と
異常性を分かつ明確な境界線があるという(疑わしい)前提を自明化し、
社会的に不必要な存在であるというイメージを強化することに貢献してい
るという意味において、両者は―他者性の構築という―共通のプロセスを
遂行しているのである。
しかしヤングによれば、
〈他者化〉された貧困層の多くは、 われわれ の
社会の外部にあって、市場経済や地域社会から恒常的に排除されているわ
けではない。実際には貧しい人々の大部分は多種多様な労働−警備員、ケ
アワーカー、ウェイターやウェイトレス、運転手、データの入力作業、運
転手等−に従事しており、とりわけマジョリティの快適で安全な暮らしを
下支えするうえで欠かせない低廉な労働力の供給源として、 われわれ の
社会・経済システムのなかにしっかりと包摂されている。
「かれらの仕事は合衆国や先進国の繁栄にとって経済的に不可欠な存在
である。かれらは成長部門であり、ニューエコノミーは低賃金労働者を
減らすどころか増大させてきた。…だがこのように経済的に重要な役割
を果たしているにもかかわらず、奇妙なことにこの労働者たちは不可視
な存在のままなのである」(
[ibid:174])
様々な言説によって〈他者化〉されている人々の多くも、実際には わ
れわれ と同じ文化や価値観を共有しており、むしろ われわれ 以上に、
プライド
支配的文化が称揚する労働の誇りや安定した家族を欲している 8 )。だからこ
そ われわれ の社会は、低賃金で退屈な労働にも真面目に従事する人々−
ワーキングプア−を安定的に調達できているのであろう。しかし、そのよ
うな現実に目が向けられることはほとんどなく、
「強力過ぎるほどに文化的
に包摂されているにもかかわらず、そうした文化がふりまくイメージを実
現することから系統的に排除されている」([ibid:56])現実のなかで、働
― 41 ―
貧困の政治における〈他者化〉
くことの尊厳が著しく損なわれ、安定した家族を形成することに絶望した
一部の人々による、あまり好ましくないふるまいとして「顕在化」した部
分だけが、メディアの関心事となる。
「かれらは常に非難のサーチライトを浴び、スティグマ化、監視と非難
の対象である。しかしながらこのサーチライトは特定の存在、すなわち
エキゾチックで、危険で、落伍した者だけを、そしてその存在の際立つ
箇所、ステレオタイプ化、怪しさだけを照らしだす。一方で、非常に豊
かな社会における平凡なもの、日常的な貧困層の中心部分を無視してし
まうのだ」
([ibid:171]
)。
このように、保守的な観点からであれリベラルな観点からであれ、
〈他者
化〉の言説は、貧困に関わる問題の特定の側面だけを「可視化」して本質
化することにより、それ以外の側面を「不可視化」する。このプロセスは、
われわれ が正常とみなす経済や政治のあり方こそが、問題を生み出す原
ライフスタイル
因となっている現実を見えにくくする。 われわれ の快適な生活様式は、
貧しい人々を供給源とする低廉な労働力を前提に成立しているという側面
があり、その意味で 彼ら はまさに社会的に 必要 とされている。にも
かかわらず、社会的に不必要な よそ者 として表象されることによって、
彼ら に対する不当な扱いと、そこから引き出される
われわれ の利益
が正当化される。このように、 われわれ にとっての必要性から 彼ら の
貧困が継続させられている可能性に目を向けない限り、すなわち〈他者化〉
にともなう問題設定をそのまま前提とし続ける限り、生活に困窮した人々
にどのような支援の手を差し伸べようと、それは貧困者を〈他者化〉する
プロセスに貢献しているのである。
結びに代えて ―〈他者化〉に基づく対貧困政策の限界
ここまで、
〈他者化〉の概念及び貧困の政治における〈他者化〉のプロセ
スについて検討してきた。最後に改めて確認しておきたいのは、貧困の政
治における〈他者化〉は、貧困問題に関する理解のあり方をめぐる、因果
関係の逆転をもたらすということである。
「社会的に引き起こされる問題と
しての貧困」ではなく、
「貧困者が社会的な問題を引き起こしている」とい
― 42 ―
関東学院大学人文学会 紀要 第132号(2015)
う発想のあり方、すなわち、貧困問題の核心が われわれ の側にあるので
はなく、あくまでも 彼ら の側にあるという問題設定を正当化し、助長す
るのが〈他者化〉のプロセスである。そして、このような問題設定から導
かれる対貧困政策のあり方は、貧困そのものの縮小や根絶を目指すものと
はなりえない。貧困が 彼ら の問題として構築されることによって、 わ
れわれ の責任において解決することの必然性は失われるからである。
本稿では、ヤングの議論を参照しながら、
〈他者化〉に基づく対貧困政策
のあり方として、二種類の方向性があることを確認した。その一つの方向
性としての保守的な〈他者化〉に基づく対貧困政策のあり方と、近年のわ
が国における対貧困政策との関わりについては、すでに言及した。保守的
な〈他者化〉に基づく対貧困政策の特徴を端的に表現するキーワードは、
「排除」である。貧困に関わる諸問題を、 われわれ の社会生活と可能な限
り切り離して考えようとする志向性に貫かれているのが、保守的な〈他者
化〉に基づく対貧困政策の基本的特徴であるといえる。もちろんこのよう
な方向性の先にあるのは「排除型社会」であり、貧困をそのまま放置する
社会である。
他方、リベラルな〈他者化〉に基づく対貧困政策の特徴を表現するキー
ワードは、
「包摂」である。その象徴的な取り組みはニューレイバーの社会
的包摂政策であり、わが国の文脈でいえば近年における一連の自立支援政
策である。これらの政策は、様々な社会的圧力のもとで主要な社会制度の
外部 に追いやられた人々に、教育や職業訓練を提供することによって再
び われわれ の社会に包摂しようとする発想に基づく。しかし、それらが
もたらすのはあくまでも〈他者化〉である。わが国において近年の対貧困
政策の目玉として導入されたのが、
「子どもの貧困対策の推進に関わる法律」
と「生活困窮者自立支援法」であるが、いずれも基本的に労働市場の 外
部 にいる人々を主たる対象にしているという事実が、
〈他者化〉に基づく
政策であることの内実を象徴している。すなわち、今日における貧困層の
大部分を占め、労働市場や地域社会から排除される人々を生み出す供給母
体としてのワーキングプアの貧困問題を不可視化したうえで、可視化され
た他者としての貧しい人々に働きかけることにより、結局のところ「退屈
な仕事とわずかな報酬、ほぼ自明視されている現状の不平等構造というシ
ステムへの包摂」(Young[1999=2007:27])を目指す構図となっている
のである。もちろんこのような構図のもとでは、自立支援の枠組みが期待
― 43 ―
貧困の政治における〈他者化〉
通りにその機能を発揮したとしても、貧困者を大幅に減らすことはできな
いだろう 9 )。要するに、保守的な〈他者化〉に基づく対貧困政策は、その客
体を一律に無価値な者とみなすことによって実施されるが、リベラルな〈他
者化〉に基づく対貧困政策は、その客体のなかからわずかな「上澄み」を
掬い取ることを強調するという程度の違いでしかない。
ここまで検討してきた内容により、今日の貧困の政治をめぐる動態を理
解するうえで、貧困者の〈他者化〉に関わる言説に注目すべき理由を示し
てきた。貧困の政治における〈他者化〉のプロセスが一般化することによ
り、人々のあいだには無数の「ひび割れ」が生じ、貧困状態にある人々の
「尊厳の毀損」(加藤[2009])がますます深刻化している。〈他者化〉に基
づく対貧困政策は、貧困問題の解決にまったく資するものではなく、むし
ろ貧困がもたらす諸問題をより深刻化させる。以上が本稿の結論となるが、
このことを踏まえたうえで、
〈他者化〉に基づかない対貧困政策をどのよう
に構想しうるのか、それは次稿の検討課題としたい。
注
1 )その主な内容としては、生活保護基準の引き下げ、扶養照会に関わる手続き
の強化、福祉事務所の調査権限の強化、不正に対する罰則の引き上げ等が挙
げられる。中央法規出版編集部(2014)参照。
2 )リスターが提起した〈他者化〉論の意義と重要性については、すでに圷(2010,
2012)によって紹介されている。本稿が目的としているのは、その紹介とい
う段階を超えて、
〈他者化〉の概念構成を確認し、わが国における「貧困の政
治」の動態を理解するうえで、
〈他者化〉の視座がどの程度の有効性をもちう
るのかを検討することである。
3 )社会政策論や福祉国家論の文脈では、承認の政治理論は、同質的な 国民 の
標準的 な生活の保障を目指して再分配を行ってきた、従来型の福祉国家の
あり方が、異性間の婚姻関係に基づく男性稼ぎ手モデルに典型化されるよう
な、特定の生のあり方や文化の様式を事実上強制してきたこと、そのモデル
から逸脱した人々の生を著しく困難なものにしてきたことに関する批判的な
視座を提供してきた。その記念碑的な文献の一つとしてFrazer(1997=2003)
を参照。
4 )この文脈に即して整理するならば、今日における貧困の政治は、
(再分配のあ
り方をめぐる政治から)承認のあり方をめぐる政治の様相を強めているとい
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関東学院大学人文学会 紀要 第132号(2015)
うことである。言説や表象による〈他者化〉の重要性に注目するリスターも、
フレイザーが提起する再分配−承認の政治論を下敷きにしながら、
〈他者化〉
を克服するための方法論の検討を行っている。
5 )ここまで本節では、ステレオタイプ化や〈他者化〉の概念を厳密に区別する
ことなく用いてきたが、次節以降においては〈他者化〉の概念を中心に使用
する。
〈他者化〉を使用することがより適切である理由は、すでに述べたよう
に、ステレオタイプの言葉には、個々人の心理のなかに不可避的に形成され
る「固定観念」や「偏見」のイメージが分かちがたく結びついてしまってお
り、社会的・文化的プロセスとしてのイメージを喚起しにくいからである。
とりわけ今日における貧困問題の構成は、社会的・文化的プロセスとしての
側面を強めており、しかもそのアクターである貧困の当事者と非貧困者のあ
いだには、圧倒的な非対称性がある。
〈他者化〉の概念は、こうしたイメージ
を喚起するうえで「ステレオタイプ」よりも有益な効果をもつ。
6 )「自分自身からの排除」とは、「何のために生き抜くのか、それに何の意味が
あるのか、何のために働くのか、そこにどんな意義があるのか。そうした「あ
たりまえ」のことが見えなくなってしまう状態を指す。…(様々な排除を受
け、
)しかもそれが自己責任論によって「あなたのせい」と片づけられ、さら
には本人自身がそれを内面化して「自分のせい」と捉えてしまう場合、人は
自分の尊厳を守れずに、自分を大切に思えない状態にまで追い込まれる」
(湯
浅[2008:61])。
7 )もちろんそれは、彼女の脳内において想像された理念型としての「一般国民」
であることは強調しておかなければならない。
8 )このような状況、すなわち「系統的かつ構造的な排除」に直面している人々
が、 われわれ 以上に支配的な文化に全面的に包摂されている状況について、
ヤングは「過剰包摂」(Young[2007=2008:69])と呼んでいる。
9 )筆者は、従来のように生活保護が貧困問題のすべてに対応しなければならな
い状況、それ以外の社会制度の「矛盾」をすべて生活保護が引き受けなけれ
ばならない状況と比べれば、貧困家庭の子どもや生活困窮者を対象とした自
立支援のプログラムを導入することにそれなりの意義があることは理解して
いる。財源的な裏付けを欠く状況のなかで、生活に困窮した人々に対する多
様な援助実践を展開してきた様々な団体・グループの活動に光が当てられた
こと、そこに制度的な裏付けが与えられたことには、一定の評価があって然
るべきであると考える。しかし、自立支援を提供する一連のプログラムは、
そもそも貧困者を能動的に生み出している労働市場の動態や、貧困を防ぐこ
とのできない社会保障制度のあり方に対し、何の影響力ももたない。むしろ
生活保護制度の「守備範囲」の縮小とセットで導入された経緯をみるならば、
公的扶助の実施に関わる行政の責任を民間企業やNPOに肩代わりさせるシス
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貧困の政治における〈他者化〉
テムの構築として捉えることもできる。さらに、そのプログラム(例えば「中
間的就労」等)を「悪用」して、より低廉なコストで労働力を調達しようと
する企業が「参入」してくることにより、労働市場全体に悪影響を及ぼす可
能性もないとはいえないだろう。
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