中国ハイテク物語 - NOBUAKI TERAOKA

中国ハイテク物語
―すぐ後ろから中国の足音が聞こえる。この大国のハイテク
とその周辺の深層を現地科学技術リポート、エッセイ、小説
の形を通じて解き明かす―
北京
2010 年 7 月
目
次
<科学技術>
中国のハイテクの足音が聞こえる
2
中国のスパコン:
「天河」と「魔方」
5
2009 年科学技術キーワードランキングトップ 10
7
中国の十大科学技術ニュースのウラを読み解く
12
中国人が選んだ 2009 年世界科学技術ニュースのトップ 10
19
中国の科学論文の質はどこまで向上しているのか
21
日中両国の科学力比較研究-中国が日本に追いつくのは 2010 年代後半-
27
科学者に直撃インタビュー“日中格差は何年か”
中国科学技術推進体制の特徴
中国イノベーション政策の概要
世界の工場から世界の研究所へ
30
34
36
38
中国科学技術政策の歴史
41
イデオロギーとサイエンス
44
有名大学“見聞録”
50
研究機関“見聞録”
61
歴史から学ぶ日中学術交流
71
欧米大学は中国でどんな連携活動を行っているのか
76
東アジア共同体実現に一歩前進
82
<エッセイ>
本音が言えない哀れな北京駐在員
85
トップダウンの中国とボトムアップの日本
87
「中国の世紀」の条件
89
2012 年 12 月 21 日中国が地球を救う?
91
「心の科学」が世界を救う
93
ツボは実在しないのになぜ鍼灸が効くのか
96
太極拳は内臓の運動を促進する
100
中国社会の矛盾を描く映画
101
野生の知性
102
楽天的で愉快な中国人
103
ワールドカップに沸く中国
105
上昇する中国企業の労働賃金
108
メロスよ!走るな、跳べ!
110
楽観主義を排除し、悲観主義を乗り越えろ
114
島国根性の日本人の敗北
115
いじめほど愉快なものはない
117
美しすぎた仮説
119
微笑みを忘れたタイ人
122
そうでなかったもうひとつの現実
125
小説『1Q84』を読み解く
126
スピーチコンテスト必勝法
128
日本という儚い存在
129
上海世界博覧会ぶらりぶらり
131
<サスペンス小説>
『紅い北極星』
1 晩すぎる北京の春
133
2 珠海騒動
3 現地採用
4 二人だけの同窓会
5 大理石の白菜
6 ハイテク流出
7 競争か、協力か
8 北京秋天
9 三里屯のバー
10 カネの成る木
11 M資金
12 支配の正当性
13 共産主義の進化
14 静かな戦い
15 脳サイバー研究所の放出
16 人質解放
科学技術
1
中国のハイテクの足音が聞こえる
JETRO 北京センターの一角に、日本企業の知的財産権に抵触する中国工業製品の模造
品や偽造品が展示してある。中国人の知的財産権の侵害の仕方もさまざまだ。日本企業
の名前に類似するブランド商品もある。例えば、SONY ではなく、FONY や SQNY の製品だ。
生産されているはずのないトヨタの家電製品まである。一般に、中国の偽造品や模造品
は品質が悪いと考えられるが、ある日本メーカーの二輪車の模造品は本物の機能とほと
んど変わらないところまで来ているという。
中国人は商売がうまし、モノつくりも巧みだ。コピー製品の製造は儲かるからやって
いる。自社で自主開発すると研究開発費のコストがかかるからやらないだけだ。でも、
見よう見真似でやっていると、次第に技術力がついてきて、人材開発にも役に立つ。
日本も欧米に追いつくために似たようなことをしてきたのだから、中国などの開発途
上国に対してあまり偉そうなことを言えない。独創的なものを作れと言っても、今もっ
とも売れているものと似たようなものを作れなくてはどうしようもない。製品の技術開
発は真似ることから始めるのが、技術論としては正しい。ただし、知的財産権の保護が
重要であると考えるのであれば、中国企業が違反したら抗議しなければならない。
日本企業が欧米に追いつこうとする時代は幸福だった。欧米企業は知的財産権につい
てうるさく要求してこなかったからである。このような状況に変化したのは、米国の科
学技術政策の転換にある。1980 年代、米国企業は日本企業の製品の進出におされてい
た。
米国政府が起死回生にでたのが知的財産権の主張である。モノつくりでは日本に適わ
ない。でも、米国企業はその製品を開発するために莫大なコストを払っているのだから、
特許などの知的財産権は保護されるべきだという発想だ。当時、日本の「基礎研究タダ
乗り論」も盛んに喧伝された。製造大国の道を諦めようとしていた米国からすると、妥
当な判断だった。
さらに、米国は日本の先端技術の伸長にも警戒感を示すようになってくる。筑波の材
料系の国立研究所は当時、高温超伝導材料の開発に成功し、米国特許庁に特許申請した
が、それが認められることはなかった。次世代産業の中核となる重要な技術であると目
されているからである。米国は先端技術において、日本に負けることは容認できないの
だ。それは日本に隷属することを意味するからである、と米国政府は考えた。
歴史は繰り返す。
現在、日本人はかつて米国人が日本人に抱いた感情を中国人に対して感じている。中
国にハイテクで負けるわけにはいかない。中国に隷属することになるからだと。この「隷
属」という強い言葉の意味することは何であるかを慎重に考える必要がある。議論が過
激になると、中国に誤ったメッセージを送ることにもなりかねない。
日本企業が中国市場に参入してきているのは儲けるためであり、そのためには、技術
流出はやむを得ない。中国市場でのライバルは、中国企業だけでなく欧米企業でもある
のだから、彼らとの競争に勝つためには、場合によってはハイテクを中国の工場に投入
しないわけにはいかない。
日本が海外技術の導入から自主技術開発へと歩んで来たように、中国も同じ道を歩ん
でいる。日本を真似ているわけではない。その方が合理的なのだ。技術の導入→消化→
自主開発の流れは自然なのだ。中国が現在「自主創新」を国家目標に掲げているのは当
然と言えば、当然である。世界の工場から世界の頭脳に発展した方が自国国民を豊かに
するからである。
中国の科学技術政策は、「国家中長期科学技術発展計画(2006-2020 年)」に則って
推進されている。社会主義国家は計画経済的な手法は得意だ。でも、この中長期計画に
2
は、具体的にいつまでにどこまで技術開発を進めるということは書かれていない。中国
政府の幹部は、技術開発は「計画どおり」にはいかないと知っているからであろう。た
だ、おおざっぱな目標や重点的に進めるべきプロジェクトや研究領域は記載されている。
研究開発費の対 GDP 比を 2020 年までに、2006 年の 1.4%から先進国並みの 2.5%へ
引き上げるとしている。GDP 自体毎年 8%以上伸びているため、政府と企業の研究開発
費投入はそれ以上の伸びを記録しなければならない。実際に研究開発費は毎年 20%前
後の伸びを記録しているため、科学技術力も強化されるのは当然である。カネとヒトを
投入すれば、システムが多少悪くても、科学技術は進展する。
今回、この中長期計画のなかで、「重大特定プロジェクト」に注目したい。社会的ニ
ーズもあり、目標がはっきりしている大型技術開発プロジェクトである。先端科学では
独創的なアイデアが勝負を分けるが、このようなプロジェクトはがむしゃらにやれば、
ある程度の目標は達成できる。中国人がよく唱える「困難に打ち勝って達成する」精神
に合致しているようにも思える。以下の一覧表を見て欲しい。
1.
中核電子デバイス
2.
高度な汎用チップと基本ソフトウェア
3.
超大規模集積回路の製造技術とユニット加工技術
4.
次世代ブロードバンド移動通信ネットワーク
5.
高レベル数値制御工作機械と基盤製造技術
6.
大規模油田と炭層ガスの開発
7.
大型先進加圧水型炉と高温ガス冷却炉の原子力発電所
8.
水質汚染の制御と管理
9.
遺伝子組換え生物の新種育成
10. 重要新薬の開発
11. エイズ、ウイルス性肝炎などの重要伝染病の予防と治療
12. 大型航空機
13. 高解像度地球観測システム
14. 有人宇宙飛行と月面探査プロジェクト
中長期計画には重大特定プロジェクトは 16 項目と書いてあるが、14 項目しかない。
2 項目は公表されていないが、軍事関係の開発プロジェクトであろう。
最上位の 4 項目は情報通信社会の基盤となる項目である。5 番は製造技術。6 番と 7
番はエネルギー確保。8 番は環境保護。9 番は生命科学で、農業技術の近代化を狙って
いるのであろう。10 番と 11 番は医療。12 番は国産技術のよる航空機の開発・製造。13
番は衛星、航空機及び成層圏飛行船による先端観測システムだ。14 番は宇宙開発。
上記 11 件のプロジェクトに対して、中国政府は 2009 年と 2010 年の 2 年間で 628 億
元(約 8,200 億円)を投入することを表明している。政府の研究費以外にも民間企業に
よる研究費の投入も期待されているようだ。16 項目のプロジェクトの資金総額は数億
元(数兆円)規模に達するとも言われている。
7 番の高温ガス冷却炉については、実証炉の建設が 2009 年に山東省で始まる。コア
部材である黒鉛材は日本の企業が製造、納入することになっている。中国の原子力開発
は、情報管理が徹底しているので、マスメディアによる世論の混乱が生じることはない。
9 番の遺伝子組換え生物の新種育成については、抗害虫、抗ストレス、良品質、高収
穫、高効率な生物新種の育成を狙う。
10 番の重要新薬の開発については、
医薬大国から医薬強国への転換を目指すもので、
すでに 970 件の研究課題に対して総額 53 億元(約 690 億円)の投入が確定している。
約 15,000 人の専門家が参加するビッグプロジェクトだ。もちろん、先端技術を使った
バイオ薬品のみならず、漢方薬の開発も含まれている。
3
12 番の大型航空機については、08 年 11 月、中国自主開発の中小型ジェット旅客機
ARJ21「翔鳳」が上海で初飛行に成功している。エコノミークラス 90 席で、標準飛行距
離は 2,225 キロである。製造注文は 200 機を超えていると言う。今後、さらなる大型機
の開発が進んでいくと思われる。中国は戦闘機を独自に開発してきた国だから、民間航
空機に技術移転すれば、目標達成は困難ではあるまい。
中国ハイテクが急ピッチに進む足音が聞こえる。日本が中国の背中を見る日はそんな
に遠いことではないのかもしれない。(2009 年 12 月)
4
中国のスパコン:「天河」と「魔方」
中国語の「天河」は天の川で、
「魔方」は立方体パズルのルービックキューブを指す。
日本でも大流行した、あのルービックキューブである。両方とも中国が世界に誇るスー
パーコンピュータ(以下、スパコンと称す)の名称であるが、これらの名称はとても洒
落ている。
「天河」は天津に設置されているので、天津の天の字を使ったのであろうか。そもそ
も天津の名前は、天子つまり皇帝が通った、港つまり津に由来している。
「魔方」は上海に設置されているが、戦前に魔都と呼ばれた上海にちなんでつけられ
たというのは考えすぎであろう。以前に「曙光 4000A」と呼ばれていたスーパーコンピ
ュータを改良し、「曙光 5000A」を開発した際に、全国に新しい名前を募集し、最終的
に「魔方」と命名されたのだ。
世界のスパコンの専門家で構成される TOP500 Organization は、09 年 11 月 19 日、
世界のスーパーコンピュータのランキングを発表し、国防科学技術大学国家スパコン研
究センターが開発したぺタフロップス(1,000 兆回の浮動小数点演算)級スーパーコン
ピュータ「天河1号」が世界で 5 位、アジアで首位と評価された。
「魔方」は 19 位で、
日本の「地球シミュレーター」の 31 位を上回った。
トップ 500 にランクされたスパコンは、アメリカ 277、ヨーロッパ 153、アジア 50 だ
った。全体の約 80%の 402 システムがインテルの CPU を使っている。
今回発表の 1 位は米・オークリッジ国立研究所に設置されているクレイ社の「ジャガ
ー」である。
「ジャガー」は 09 年 6 月発表のトップ 500 リストでは 2 位だったが、オバ
マ政権が米国再生法のもとで、
「ジャガー」の改良に約 2,000 万ドルを投じて、首位に
なった。2 位は米・ロスアラモス国立研究所の IBM 社の「ロードランナー」である。09
年 6 月発表時では首位だった。原爆を作ったロスアラモス研究所だから、
「ロードラン
ナー」は主に核兵器開発に使用されると考えられる。
そもそもスパコンはミサイルの弾道計算の手段として開発されたものであり、軍事研
究に不可欠である。アメリカ政府にとっても、軍事の優位性を保つためには、スパコン
性能のトップの座を他国に譲るわけにはいくまい。研究費をじゃぶじゃぶ使える国家で
なければ、世界のトップを維持するのは難しいのだ。
10 年前のトップ 500 のリストでは、中国は 1 台しかランクされておらず、ちなみに、
日本はトップ 500 のなかに 57 台が入っていた。10 年後の現在のリストを見ると、中国
は 21 台がランクインし、日本はわずか 16 台になった。
国防科学技術大学国家スパコン研究センターが開発した「天河 1 号」は 6,000 のイン
テルのプロセッサーと 5,000 の ATI のグラフィックアクセレレーターを使用し、100 平
方メートルの大きさで、重量が 155 トンにもなる。すべてのチップがフル稼働すれば
1,206.2 テラフロップスで計算でき、3 位に入ってもおかしくないが、実際には 563.1
テラフロップスしか計算できない。効率は 46.7%と悪く、トップ 500 のなかで最低で
ある。CPU を山ほど使っても、チップ間の同期をうまく取ることができなかったのだ。
IBM の「ロードランナー」の効率は 75.8%で、ドイツの「ジュゲン」は 82.3%だ。
中国のスパコン科学者はアメリカやドイツとはまだ遥かにかけ離れているとコメント
する中国人研究者もいる。なお、
「天河 1 号」の効率の悪さについて、中国のメディア
はまったく報道していない。
「天河 1 号」は 2009 年末から 2010 年初にかけて、天津市濱海新区に据え付けられ、
国家スパコン天津センターのホストコンピュータになり、国内外にスパコンサービスを
提供する予定だ。
「天河 1 号」は主に石油探査と航空機の設計に使用されるという。中
国独自開発の民間航空機は天津地区で開発中なので、その開発にも貢献することになろ
5
う。なお、時間は遡るが、09 年 6 月 9 日、国防科学技術大学と天津市濱海新区は国家
スパコン天津センターの共同設立、スパコンの開発などの協定に調印していた。
国防科学技術大学は湖南省長沙市にある人民解放軍の大学であり、国防の教育・研究
を行っている。09 年 11 月、10 校を超える日本の大学が長沙の大学との間で交流会を実
施した際に、国防科学技術大学は出席していないので、普通の大学とは学風が異なる大
学に違いない。
「魔方」は科学院計算機研究所国家知能計算研究開発センターが開発し、上海スパコ
ンセンターに設置された「曙光 5000A」だ。
「魔方」は、以前にトップ 10 入りしていた
スパコン「曙光 4000A」の性能の 20 倍、体積で 3 分の 1、消費電力では 50%増である。
「魔方」は 6,000 以上の CPU で構成されているが、彼らのソフトウェアではフルに活用
できていないという。
「魔方」は 09 年 6 月 15 日、上海スパコンセンターで本格的に稼動し始め、ピーク計
算能力は毎秒 200 テラフロップスを超えている。上海航空機設計研究所、上海原子力工
程設計院、宝山鋼鉄、上海自動車、上海交通大学、上海光源(シンクロトロン放射光施
設を持つ)及び科学院上海高等技術研究所がユーザーとして予定されている。
中国政府は「天河 1 号」を天津地区のハイテク開発に、「魔方」を上海のハイテク開
発や金融に活用していきたいと考えているのではなかろうか。スパコンはハイテクと金
融の基盤となる技術であるからだ。
日本のスパコン開発のジリ貧を尻目に、中国のスパコンの技術力はまだまだ向上する
に違いない。
中国は 2010 年末までに、国産 CPU を使ったぺタフロップス級のスパコンを有する「国
家スパコン深圳センター」を設立する計画だ。また、中国科学院が取りまとめた 2050
年までの科学技術発展のロードマップ『科学技術革命と中国現代化』によると、中国は
今後 10 年~15 年かけて生命現象をシミュレーションするために、
「天河 1 号」の千倍
の計算速度に当たる 1,000 ぺタフロップス級のスパコンの開発を目指すとしている。日
米中の熾烈な競争は今後ずっと続くことであろう。(2009 年 12 月)
2010 年 5 月に発表されたスパコンの世界ランキングでは、トップ 10 に中国の 2 台が
入った。曙光信息が開発した「星雲」(深圳)が 2 位で、国防科学技術大学の「天河1
号」
(天津)が 7 位にランクされた。日本は原子力研究開発機構の 22 位が最高位だった。
ただし、中国のこの 2 台のスパコンは依然として効率が悪く、実行値を理論値で割った
効率は 40%台に低迷している。トップ 10 に入った米国のスパコン 8 台はいずれも効率
が 75%以上を記録しているのと対称的な結果になった。中国はソフトウェアの開発の
遅れが際立っている。
さらに言うと、スパコンは研究開発のツールにしか過ぎなので。何を研究開発するか
が極めて重要である。ユーザーの研究レベルの質の向上がなければ、ただの「ハコモノ」
にしか過ぎない。
(2009 年 6 月 29 日追記)
6
2009 年科学技術キーワードランキングトップ 10
2009 年の年末、中国の新聞「科技日報」が一年間の科学技術動向を 10 のキーワード
で表現しているので、紹介してみたい。
1.戦略的新興産業
戦略的新興産業の科学的な選択は非常に重要である。正しく選択すれば、飛躍的な発
展を遂げられる。さもないと、チャンスを逃がすことになる。
新エネルギー、新材料、情報産業、新医薬、バイオ、省エネ・環境保護、電気自動車
の 7 大戦略的新興産業の発展は、国際金融危機下における 4 兆元投資と 10 大産業振興
計画に続く新たな景気刺激策となる。
中国国務院の温家宝総理は 9 月 22 から 23 日に 3 回の新興戦略的産業発展座談会を召
集し、中国科学院と中国工程院の院士、大学と科学研究院の教授、専門家、企業と業界
協会の責任者など約 47 人を招き、7 分野の発展について意見交換を行った。会議後、
これらの 7 大産業を「戦略的新興産業」とすることが発表された。
温家宝総理は 11 月 23 日に開かれた首都科学技術界大会でスピーチし、7 大産業につ
いて再び具体的な説明を行った。同時に、海洋、宇宙、地球深部資源の利用問題につい
て意義深い見解を発表した。
戦略的新興産業リストに対して、温家宝総理は、戦略的新興産業はコア技術を把握し
なければならなく、市場需要の将来性、エネ消耗が低く、就職チャンスが多く、綜合的
収益がよい特徴を持つべきであると提示し、「正しく選択すれば、飛躍的な発展を遂げ
られる。さもないと、チャンスを逃がすことになる」と言った。
これらの分野は共同で将来我が国の戦略的新興産業が発展する難関攻略のロードマ
ップになる。
2.天河一号
天河一号は今回発表された世界スパコントップ 500 のうちの上位 10 における唯一の
非米国製品である。
毎秒一千兆回を超える中国初のスパコンは 10 月 29 日、湖南省の長沙市に登場した。
算盤という計算道具の発明者として、中国は歴史上最速の演算道具を有した。
ピーク演算速度が毎秒 1206 兆回、Linpack 実測性能が毎秒 563.1 兆回を有するこの
「天河一号」は同日公表された中国スパコントップ 100 の第一位になった。これで中国
は米国に続いて世界で2番目に演算速度毎秒 1000 兆回を超えるコンピューターを開発
できる国になった。
「天河一号」は主流のパソコンで 160 年かかる計算を1日で行うことができる。その
メモリー容量は四つの中国国家図書館の蔵書総量に相当する。
スーパーコンピュータは HPC サーバ(High Performance Computing Server)
、また巨
型計算機とも呼ばれる。スパコンは世界で認められているハイテクの頂点であり、21
世紀の最も重要な科学分野の一つである。
「マルチメディアプラットホーム」など 7 つのコア革新技術を採用する「天河一号」
は高性能、高効率、高安全性、使いやすい特徴を持つ。
11 月 18 日、正式に発表された第 34 回世界スパコントップ 500 ランキングで我が国
の毎秒一千兆回を超えるスパコン「天河一号」は世界 5 位、アジア 1 位にランクされた。
世界スパコントップ 500 のうちの上位 10 において、これは唯一の非米国製品である。
これは国際的ランキングに我が国のスパコンの史上最高成績である。以前、我が国が
研究開発した曙光 4000A と曙光 5000A は二回このランキングの第 10 位にランクされて
7
いた。
3.クローンマウス「小小」
「小小」の特別なところは iPS 細胞を使い、胚幹細胞研究で直面している倫理や法律
など諸々の障碍を回避することである。
今年 7 月、英誌ネーチャー・ウェブサイトは「小小」という中国の黒いマウスの不思
議な運命を報道し、記者会見を開いて世界 30 あまりの重要なメディアに中国科学者の
研究成果を発表した。
中国科学者は黒いマウスの皮膚細胞から 37 株の iPS 細胞を作製し、そのうちの 6 株
の iPS 細胞をそれぞれ 1500 枚あまりの四倍体胚に注入し、そして四倍体胚を雌のマウ
スの子宮に戻して生育させた。21 日後、
「小小」は奇跡的に誕生した。
iPS 細胞は遺伝子の「リナンバー」を経て胚幹細胞状態に戻した体細胞を指す。胚幹
細胞に似た分化能力をもつとともに、胚幹細胞研究で直面している倫理や法律など諸々
の障碍を回避しており、したがって医療分野の応用の見通しは非常に明るい。
「小小」を誕生させた研究者の一人、中国科学院動物研究所の周琪研究員は、
「小小」
の特別なところは iPS 細胞を使うことであると紹介した。胚性幹細胞はヒトと動物体内
にある各種の器官や組織に分化することができ、この特性は細胞の全能性と呼ばれる。
以前には、幹細胞は胚胎からしか獲得できなく、したがって倫理問題について論争が起
こっていた。2007 年、アメリカと日本の科学者はそれぞれ皮膚細胞など普通細胞から
幹細胞を作る方法を発表した。こうして獲得した幹細胞は人工多能幹細胞、または iPS
細胞と呼ばれる。iPS 細胞の作製は倫理的論争を回避した。『サイエンス』雑誌のウェ
ブ・サイトは、中国の科学者は iPS 細胞研究をより高いレベルに推進したと述べた。
4.緑坝・花季護航
2009 年 5 月 19 日、工業情報部は、
「コンピュータのフィルタリングソフト導入に関
する通知」を発表し、7 月 1 日以降、中国で販売されるパソコンに「緑坝-花季護航」
と呼ばれる指定のフィルタリングソフトの搭載を義務付けた。
フィルタリングソフト「緑坝-花季護航」には、
「金恵アダルト画像遮断及び不良情報
分析システム」と「花季護航ネット管理ソフト」が統合された。このソフトはパソコン
を定期に更新される「有害サイトデータベース」に繋がり、ユーザが「ブラックリスト」
にあるサイトに接続すると遮断される。
青少年をインターネットの有害なコンテンツから守ることが目的で、政府は中央財政
資金で 1 年間のライセンスを買い取り、社会に無料で提供することにする。このニュー
スが発表されると世論が騒がしくなった。人々は、この計画の実施はインターネットの
コントロールを強め、情報の流れを制限するかどうかを心配している。世界各国の状況
から見て、青少年をネットの有害サイトから守るためにフィルタリングソフトの搭載を
義務付けるのではなく、提唱するのである。政府は一切合切引き受ける「大家長」では
なく、各政策を通して家長の責任を提唱して監督する役割を果たすべきだとは世論の声
である。
5.汚染物質排出削減
これはずっとブームが続き、そしてずっと注目されるワードである。モルジブの海底
閣僚会議やネパールのエベレスト閣僚会議は極端な方式で世界の省エネ・排出削減を呼
びかけている。低炭素生活は消費主義と大いに異なる姿勢で登場し始め、普通の市民の
間に流行っている。
中国経済の高速的成長は大量の炭素排出をもたらすと同時に、排出削減の責任もある。
8
中国は『気候変動対策国家方案』を制定して実施する初めての発展途上国であり、近年
省エネ・排出削減に最も力を注ぐ国でもある。2009 年上半期までに、単位国内総生産
(GDP)の二酸化炭素の排出量を 2005 年より 13%減少するとし、これは 8 億トンの二
酸化炭素排出減少に相当する。中国は新エネルギーと再生可能なエネルギーが最速に増
加する国であり、世界で人工造林の面積が最も大きい国でもある。
2009 年年末、
「人類を救う最後のチャンス」と言われるコペンハーゲン会議はデンマ
ークで開かれた。85 ヶ国以上の国家元首或いは政府の首脳、192 ヶ国の環境大臣及び代
表者が集結し、
『京都議定書』の期間が終わった後の新たな枠組みを考えた。
先進国と途上国は激しい論争を経て、法的拘束力のない『コペンハーゲン協定』が合
意された。『コペンハーゲン協定』は『国連気候変動枠組み条約』及び『京都議定書』
で確立された「共通だが区別ある責任」という原則を維持し、先進国が温室効果ガス排
出削減義務を負い、途上国が自主的に排出を削減するという方針を定め、温度上昇 2 度
以下の目標を設定した。
会議は気まずい思いで閉幕したが、排出削減の努力はなお続いていく。
6.蛍火1号
蛍火1号は中国火星探査計画における初の火星探査機である。火星は古代に「熒惑」
と呼ばれたので、中国初の火星探査機をその近い発音を取って「蛍火1号」と名づけら
れた。
上海衛星工程研究所は 2007 年 6 月にロシアと協力協定をサインした後、任務を受け
た。頭初の計画の打ち上げ時期は 2009 年 10 月で、研究開発の時間は 2 年しかなかった。
これは我が国が独自に研究開発した初の火星探査機の実体モデルで、重さは 110 キロ、
本体の長さと広さは 75 センチ、高さは 60 センチで、デジカメや磁場強度計など八つの
器材を持ち、系外惑星の宇宙環境の初探査という重要な任務を帯びている。約 10 ヶ月
から 11 ヶ月半の飛行を経て、蛍火1号は火星の軌道に入り、主に火星の電離層及び周
囲の宇宙環境、火星磁場などを研究する。
各種の原因で、2009 年の秋に打ち上げを予定していた蛍火1号を、2011 年に延期し
なければならなかった。火星打ち上げの窓口は 26 ヶ月ごとに地球との距離が最も近く
なり、これと同じような条件が次に訪れるのは 2011 年になる。蛍火1号は打ち上げが
延期になったとしても、地上ですべての模擬打ち上げ及び火星環境の機械電力、熱など
の実験を経た。実験結果で探査機が問題なしと表明し、中国は宇宙飛行の準備ができた。
火星探査は有人宇宙船、嫦娥1号に継ぐもう一つの宇宙科学計画であり、わが国の深大
な宇宙への探査技術の発展を促進し、他の惑星の探査にも基礎を定めるに違いない。
7.クラウドコンピューティング(cloud computing)
Amazon,Microsoft,Google,IBM などの会社はクラウドコンピューティング(cloud
computing)製品とサービスを発表したが、大多数のインターネットユーザはこの雲を
つかむようなプラットホームがよく分からない。
雲(cloud)はインターネットを表す。ネットワークの計算能力はコンピュータのハ
ードウェア、ソフトウェア、データなどに取って代わり、人々はネットワークで仕事を
し、ファイルなどを莫大なネット空間に保存することになる。我々はネットワークのサ
ービス受けて資料をネットのサーバーに保存し、そしてブラウザを利用してこれらのサ
ービスサイトに登録し、サイトを利用して各種計算や仕事をする。
ネットワークに基づく Hotmail や Yahoo のような電子メールサービスはクラウドコン
ピューティングの最初の方式だと言われる。もしあなたが Facebook を使って友達と交
流し、 Flickr を使って写真を保存し、Google Gmail を使ってメールを送れば、あなた
9
はもうクラウドに自分の資料を置き、クラウドコンピューティングに基づく技術を利用
したのである。
どこにいっても空が見えるように、人々はいずれのネット利用可能なところに自分が
ほしいクラウドコンピューティングに接続できる。たとえ自分のパソコンでなくても、
利用できる。
ネットブック(netbook)及び移動ネットワーク(例えば、ネットに接続できる携帯
電話)の登場は、クラウドコンピューティングを普及させる。ネットブックと携帯は低
性能の計算設備だと考えられ、より少ない電力を消耗すると同時に携帯に便利である。
だが、サービスのサプライヤーといい、業界の技術者といい、未来のクラウドコンピ
ューティングの広範な応用において、保存データの安全をどのように確保するのかは最
も重要な問題だと考える。クラウドの安全は周辺環境の安全制御と違って、無形である。
ユーザはこの安全システムが始動したかどうか、正常に働くかどうかが分からない。こ
れは安全の錯覚をもたらし、ユーザを心配させた。
ところが、Microsoft、Google、HP など IT 業界の大手会社は依然としてクラウドコ
ンピューティングの先行きが明るいと考える。実は、業界大多数の企業はクラウドコン
ピューティングに希望を持っている。メリルリンチの分析によると、2011 年までクラ
ウドコンピューティングの販売額は 1600 億元に達するという。クラウドコンピューテ
ィングは目下、初期段階にあるが、この予測はクラウドコンピューティングが世界で最
速に発展する市場になることを表明した。
国内の個人ユーザーにとって、クラウドコンピューティングを実現するには、パソコ
ンにオンライン・プラットホーム操作システムがある他に、通じるネットワークが必要
である。しかし、3G 及び wifi の普及につれて、パソコンや携帯の電源を入れるとネッ
トに接続するのはもうそんなに難しいことではないだろう。
8.新型インフルエンザ H1N1
2009 年 3 月、
「豚経由のウイルスはヒトに感染する」疾患が登場し、世界範囲で流行
している。世界保健機関(WHO)はこれを「豚インフルエンザ」と呼んだ。2009 年 4 月
30 日、世界保健機関、国連食糧農業機関(FAO)、世界動物保健機関(OIE)は、「豚イ
ンフルエンザ」を代えて「A 型インフルエンザ(H1N1)」を使って当時の疫病を指すこ
とに合意した。我が国衛生部の公表ではこの疫病を「甲型 H1N1」と呼んだ。
12 月 18 日まで、世界保健機関が発表した最新疫病情報によると、全世界にわたって
A 型インフルエンザ(H1N1)による死者は 1 万人を超えた。我が国は衛生部が 5 月 11
日午前に初の H1N1 患者を確認してから今まで、
H1N1 による死者の人数が百人を超えた。
SARS に対応した経験及び H1N1 ワクチンの開発が成功したため、H1N1 は我が国の社会秩
序にほぼ影響がない。
H1N1 の流行は人々に人畜共通感染症という概念を了解させた。人々は、犬インフル
エンザ、猫インフルエンザ、羊インフルエンザに注目し始め、さらにヒト、鳥、豚イン
フルエンザが統合する「スーパーインフルエンザ」を心配する。新型伝染病の頻発も人
と自然の調和的発展に新しい試練を与えた。
9.3G 元年
騒ぎと忙しさに伴って中国は 3G 元年を過ごした。年初に計画始動、春に投資してネ
ットワークを構築、夏に端末機の購入、秋に運営者はアップルやブラックベリーと協力
関係を確立し、そして冬に携帯アダルトサイトの禁止。顧みるとこの 3G 元年は確かに
「期待が外れた」
。
工業情報部の李毅中部長は今年の 3G 投資が二千億元に達し、2011 年に三大運営者(移
10
動、聯通、電信)がそれぞれ八千万のユーザーを有することをかつて予測した。政府側
が 15 日発表したデータによると、前の十ヶ月、中国の 3G ユーザーは一千万に近く、投
資額は 1023 億元であった。
3G の市場規模は有名スターが出演したコマーシャル宣伝と正比例しなかった。中国
移動会社は今年の初め、TD ユーザーを一千万発掘する予定だが、十月末まで実際のユ
ーザー数は 394 万しかないので、目標を下げるつもりである。
ある有名な通信情報専門家は、中国の 3G は「三分の二のヒール、三分の一の泡」と
指摘した。だが彼は、3G の普及はもともといっぺんで成功することではないと認めた。
2008 年、全世界で 3G ユーザーは 1.4 億人、前年同期比 67%増で、全部の携帯ユーザー
の 11%を占めた。欧米諸国は 3G 技術を 8 年間研究開発してから、素早い発展期を迎え
た。この速度なら、中国がこの3G 元年に獲得した成績はすばらしいといえる。
この一年間、中国電信は半年で全国のネット建設を完成し、中国聯通は十月一日に全
国範囲で携帯電話の番号を発売し、中国の 3G ネットワーク建設が世界で最速になった。
我が国知的財産権を持つ TD-SCDMA が登場し、中国は 3G 時代から初めて通信領域の体系
的コア技術を有した。
年初、中国が 3G を始動した時、政府は 3G を利用し、投資を動かして GDP に寄与する
と望んでいたが、中国経済は内需的成長に変わるにつれて通信情報業界も変わらなけれ
ばいけない。運営企業の発展だけでなく、各産業の均衡的発展こそがユーザーに 3G が
生活にもたらす便利さを感じさせられる。ユーザーにコスト・パフォーマンスの高い携
帯を提供することで、ユーザーは 3G を使い、3G の利潤実現も可能になり、予定の 4500
億元の投資は業界全体に役に立ち、よりよい効果が上がられる。
10.皆既日食
7 月 22 日、我が国で 500 年ぶりの皆既日食が観測された。今回の皆既日食は 22 日午
前約 8 時 4 分から始まり、西から東へ移動し、チベット、雲南、四川、重慶、湖北、湖
南、安徽、江西、江蘇、浙江、上海の 11 の地域を通過し、皆既帯は 250 キロにわたり、
50 あまりの主要都市を通った。日食は始まりから終わりまで 2 時間以上にわたり、太
陽が月にすっぽり隠れる皆既日食は 6 分以上続いた。
今回の皆既日食の規模を超える皆既日食は、2132 年までない。この皆既日食がわた
った地域の広さ及び継続時間の長さは我が国の過去 200 年、
また未来 300 年に見えない。
新中国が成立した 60 年以来、中国は皆既日食が 5 回起こった。これらは 1968 年新疆
皆既日食、1980 年雲南皆既日食、1997 年黒龍江漠河皆既日食、2008 年新疆、甘粛皆既
日食及び今回の 7 月 22 日長江流域皆既日食である。前の皆既日食は人口が少ない省、
自治区に起こり、継続時間が短かった。今回の 500 年ぶりの皆既日食は、天文学者が重
力異常観測を行い、水星の内側の惑星を見出し、太陽外層大気変動などを研究するいい
チャンスに違いない。
今回の皆既日食を通して国民全体の科学普及がブームになっている。最も多い天文フ
ァンや観光客が訪れた観測点で雨が降り、観測に影響したが、
「食既(皆既日食)」、
「食
甚(太陽が最も欠けた時刻または状態)」、「貝利珠(日食のとき細くなった太陽が数珠
のようにつながる現象)
」
、
「生光(皆既日食の直後に差す光)」、
「鉆石環(ダイヤモンド
リング)」などの専門用語が民衆の間に流行るようになった。(2010 年 1 月)
11
中国の十大科学技術ニュースのウラを読み解く
2009 年の年末、中国科学技術部傘下の科技日報は「2009 年国内十大科学技術ニュー
ス」を選考し、発表した。選考は科学者、マスメディア関係者、新聞読者が行ったとさ
れているが、中国政府の意図が大きく影響しているに違いない。中国の科学技術の真の
力を評価するとともに、政府の意図を考察してみようと思う。
なお、十大ニュースの順位は明らかにされていないが、以下の順位は記述しやすさを
考慮して筆者が勝手に並び替えたものである。
1.毎秒一千兆回のスパコン「天河一号」の開発
世界のスパコンの専門家で構成される TOP500 Organization は、2009 年 11 月 19 日、
世界のスパコンのランキングを発表し、国防科学技術大学国家スパコン研究センターが
開発したぺタフロップス(千兆回の浮動小数点演算)級スーパーコンピュータ「天河1
号」が世界で 5 位、アジアで首位となった。
「天河一号」は、一日の計算量がパソコンで 160 年かかる計算量に相当し、メモリー
量は中国国家図書館四つ分、全国 13 億人それぞれ一枚の高解像度写真を保存する量に
も相当する。そのシステム全体の重さは 19 隻の神州宇宙船に相当する。スパコンは重
ければいいというものでもないが。
「天河一号」は国防科学技術大学によって研究され、国家 863 計画「千兆回スパコン
システム研究開発」における重要な研究成果となった。
「天河 1 号」は 6,000 のインテルのプロセッサーと 5,000 の ATI のグラフィックアク
セレレーターを使用し、100 平方メートルの大きさで、重量が 155 トンにもなる。すべ
てのチップがフル稼働すれば 1,206.2 テラフロップスで計算でき、世界 3 位に入っても
おかしくないが、実際には 563.1 テラフロップスしか計算能力がだせない。効率は
46.7%と悪く、トップ 500 のなかで最下位であるという。CPU を山ほど使っても、チッ
プ間の同期を取ることができなかったのだ。それでも世界 5 位は評価すべきだ。
中国は、「天河一号」は高性能、高効率、高安全性、使いやすいなどの特徴を有し、
総合技術は世界トップ水準を誇るとしているが、自信過剰である。それとも中国国内向
けのプロパガンダであろうか。
「天河一号」はスパコン天津センターのホストコンピューターとなり、社会に開放さ
れ、資源の共有を実現し、国内外にスパコンによるサービスを提供する予定だ。石油探
査データ処理、バイオ製薬研究、航空宇宙研究開発、資源探査・衛星リモートセンシン
グデータ処理、気象予報などに使われるという。
スパコンは世界で認められているハイテクの頂点で、科学技術競争力と総合的な国力
を示す重要な指標である。各国はそれを国家科学技術革新の重要なインフラ整備と見な
し、巨額な開発費を投入して研究を行っている。現在、スパコンではアメリカが圧倒的
強さを誇っているが、中国、日本などの他の国がどこまで追随できるか将来が楽しみで
ある。
2.中国科学者が世界で初めて鉄系超伝導材料の三次元超伝導特徴を発見
超伝導という奇妙な物理現象は人類の希望を呼び起こした。室温条件下の超伝導材料
を開発し、エネルギー輸送における損耗をゼロにできるかも知れない。リニアモーター
カーと核磁気共鳴画像技術は超伝導技術を実用化したものにほかならない。
しかし、高温超伝導材料の形成メカニズムは依然として国際的な難題だと認められて
いる。酸化銅複合物超伝導材料は 20 年前にブームとなったが、それ以外の新規の高温
超伝導材料の発見が模索されていた。
12
数年前、東京工業大学の細野教授は鉄系超伝導材料を発見し、論文を発表すると再び
超伝導ブームに火がついた。この成果は発表には不可解な点が多い。細野教授の論文発
表の前に、その情報が外部の研究者に漏れ、材料合成装置がすぐに売り切れたとも噂さ
れている。
中国の研究者はこの材料に飛びつき、科学院物理研究所などで新しい超伝導材料の研
究が中国で本格化した。一時、日本と中国の二カ国で鉄系超伝導材料の世界の論文数の
4 割を生産していた。中国政府は研究費と人材を豊富に投入し、今では日本を上回る研
究者群と研究成果を挙げるようになったとも言われている。
浙江大学物理学科教授で、「長江学者」の袁輝球特任教授は鉄系超伝導材料が発見さ
れて間もなく、その特性を研究し始めた。彼はパルスによる強磁場など極限条件を通じ
て、鉄系超伝導材料の温度―磁場相図の研究範囲を拡大し、不思議な現象、つまり鉄系
超伝導材料の(Ba、K)Fe2As2 が低温の上限臨界磁場で外部磁場の方向に依存せず、
「等
方性」の特徴をもつことを発見した。これは二次元層状超伝導体で観察された初めての
等方性現象であり、鉄系超伝導材料が形成するメカニズムに重要な物理情報を提供した
のだった。
鉄系超伝導材料の珍しい超伝導特性はその独特な電子構造によって決定された。袁教
授は、鉄系超伝導材料は二次元層状の結晶構造をもっているが、その電子構造は三次元
により近い可能性があるため、低次元の結晶構造は高温超伝導形成の唯一の要素ではな
いとしている。袁教授は、1月 29 日、イギリスの科学誌『ネイチャー』にこの研究結
果を発表した。
前述したように、鉄系超伝導材料研究に世界で初めて注目したのは、東京工業大学の
細野教授であるが、中国はチャンスと見るや、豊富な研究費と人材を投下し、世界のリ
ーダー国になった。これは非難されるものではないが、中国が世界の研究水準に急速に
追いつくための典型的な手法になるかも知れない。
なお、余談かもしれないが、20 年前、つくばの某研究所は酸化銅複合物超伝導材料
の特許をアメリカ特許庁にも申請したが、未だに許可が下りていない。戦略的重要技術
であるからである。中国も似たような戦略に出てこないとも限らない。大国はいつもわ
がままである。
3.中国科学者が iPS 細胞の全能性を世界で初めて実証
「小小」というマウスの誕生は世界の関心を集めた。中国人科学者は iPS 細胞を利用
して生体マウスをクローン化し、iPS 細胞が胚胎幹細胞と同じ全能性を持つことを初め
て実証した。iPS 細胞樹立の成功は、ES 細胞の持つ生命倫理的問題を回避し、器官移植、
遺伝子治療などに重要な意義があると言われる。7 月 23 日、イギリスの科学雑誌『ネ
イチャー』とアメリカの科学雑誌『セル・幹細胞』はそれぞれそのネット版で研究成果
を発表した。
『ネイチャー』の表紙には、作製された個体マウスが掲載されていた。
iPS 細胞の全能性を実証したのは、中国科学院動物研究所の周琪研究員と北京生命科
学研究所の高紹栄研究チームである。彼らはほぼ同じ遺伝子技術を利用して別々に生体
マウスを育成したのだった。
周琪研究員と上海交通大学の曾凡一研究員はマウスの皮膚細胞から 37 株の iPS 細胞
を作製し、そしてそのうちの6株の細胞系を 1,500 個あまりの4倍体胚に注入し、最後
に3株の iPS 細胞系から 27 匹の生体マウスを獲得した。数種類の分子生物学技術の鑑
定によると、当該マウスは間違いなく iPS 細胞から発育し、あるマウスは熟成して繁殖
能力を持つことが分かった。
北京生命科学研究所の高紹栄研究チームは慢性ウィルス誘導システムを利用して、
Oct4、Sox2、c-Myc、Klf4 四つの転写因子をマウスの体細胞に移入して iPS 細胞を獲得
13
し、そして iPS 細胞を4倍体胚に注入して iPS 細胞から発育したマウスの個体を得た。
オーストラリアの幹細胞センター(ASCC)で、ヒト胚性幹細胞技術の責任者を務める
Andrew Laslett 氏は「この実験で初めて iPS 細胞の全能性が証明された。これから個
体のいかなる組織も作ることができる」と述べている。
中国の二つの研究チームが iPS 細胞からマウス個体を作製したニュースは世界を驚
かせた。ライフサイエンス分野で大きく遅れていた中国は着実に実力をつけていること
を見せつけたのである。
4.中国人科学者が「ヒューマン・パンゲノム」(human pan-genome)」という概念を
世界で初めて打ち出す
深セン華大遺伝子研究院が主導し、華南理工大学が参与した研究論文「ヒューマン・
パンゲノム配列図(シーケンスマップ)の構築」が 12 月7日、国際的に有名な科学雑
誌『ネイチャー』の生物技術版(
「ネイチャー・バイオテクノロジー」)に発表された。
この論文はヒト・ゲノム配列の新しい基準を樹立し、未来の医学研究の方向を示し、中
国のゲノム学研究の国際的地位を高めた。
研究過程で、深セン華大遺伝子研究院は自主的に開発した第2世代のシーケンス(配
列解読)技術・ゲノム組立て手段を活用し、初のアジア人の個人ゲノムである「炎黄一
号」のさらなるシーケンスとスプライシングを行った。そして、ヒト・ゲノムの中に、
従来広く認められていたモノヌクレオチド多形性、挿入削除多形性および構造性変異の
ほかに、個体群に特異さらには個体に特有のDNA配列と機能遺伝子が存在しているこ
とを発見した。例えば、主にアジア人の間で特有な遺伝子配列などだ。
現在、国際ヒト・ゲノム計画でヨーロッパ人のDNAに基づいて完成したゲノム配列
は、現在圧倒的多数のヒト・ゲノム学研究のデータになっているが、長年、大多数の科
学研究では、一つ一つの個体のゲノムはこのゲノムと似ており、置換または再配列の性
質の変化があるにすぎないとされてきた。
当該研究は、世界で初めて全ゲノム組み立て手段を利用し、幾つかのヒト個人ゲノム
についてスプライシングを行って新しいゲノム配列を追加し、ヒト・ゲノムの中に「有
または無」型の遺伝子変異が存在していることを指摘し、そして「ヒューマン・パンゲ
ノム」という概念、すなわちヒトのゲノム全体をひとつの集合体として扱う概念を初め
て打ち出したのだった。
アジア人の面目躍如である。
5.中国最大の科学装置「上海光源」の落成
4 月 29 日、オウムガイの形を模したドームが上海で落成した。
「多くのユーザーが同
時に使うことができる顕微鏡」だとも、「ミクロの世界を照らす不思議な光」だとも言
われる。これは中国の最大の科学装置、
「上海光源」である。投資総額 15 億元(約 210
億円)。
第三世代放射光施設として、上海光源には 60 本以上のビームラインを建設でき、同
時に 100 もの実験室へ赤外から硬 X 線までの放射光を提供できる。他の光源と比べて、
上海光源は広い範囲の周波数、高い強度・明度・安定性などの特性を備えている。
科学装置として、上海光源は中国のバイオサイエンス、材料科学、環境科学、情報科
学、凝集態物理、原子物理、化学、医学、薬学、地質学など多くの分野の基礎研究及び
マイクロエレクトロニクス、医薬、石油、化工、バイオサイエンス、医療診断、微細加
工などハイテク技術の開発応用に不可欠な実験プラットホームとなろう。
上海光源に各分野の百名以上の科学者やエンジニアの科学実験が同時に実施可能に
なる。
14
上海光源は世界で 4 番目に大きい放射光施設であり、これで先進国の仲間入りを果た
したと言ってよかろう。ただし、大型科学装置の価値は利用研究者の研究成果のレベル
と一体となって評価されるべきものである。今後、どのような研究成果が生まれるかを
注視していく必要がある。
また、放射光施設は不断の技術改良により更に優れた放射光を発生させていかなけれ
ば、陳腐化してしまう。放射光施設の高い根幹技術を有する日本のメーカーは過去に中
国との取引で酷い眼にあっているため、その部品を上海光源に売っていない。やむなく、
上海光源は米国のメーカーから部品を調達したが、所定の性能が出ないと嘆いている。
信頼関係はなによりも重要である。
6.世界最大口径かつ広視野の天体望遠鏡の完成
6 月 4 日、世界中で最大口径を有する広視野望遠鏡の大天空面積多目標ファイバー分
光望遠鏡(LAMOST)は、中国科学院国家天文台河北省興隆観測基地で順調にテストに合格
した。これで、中国は世界中の大口径望遠鏡を自主的に研究開発する能力を有する少数
の国家の一つになることを示した。
LAMOST の出現は、半世紀以来、光学天体望遠鏡における大口径と広視野が共存でき
ないという難題を解決し、世界的レベルの技術の難関を突破したことになる。また、一
つの鏡面に超薄型鏡面能動光学素子技術と分割鏡面能動光学素子技術を同時に使い、精
度は一本の髪の数千分の一に達すること、六角形の超薄型鏡面を使うこと、同じ光学シ
ステムの中に二つの大口径分割鏡面を使うこと、4,000 本の光ファイバーによる高精度
の測定などは世界でも初めてである。同類の設備は 640 本の光ファイバーしか持たない。
LAMOST は、
観測しうる天体のスペクトルデータ数を千万単位のレベルまで向上させ、
一回の観測で最も多い場合は 4,000 の天体スペクトルデータを得ることができるとい
う。
確かに、
LAMOST のアイデアや設計には中国の独創性が発揮されていると評価できる。
しかし、天体望遠鏡建造の目的はそれ自体にあるのではなく、宇宙天文学の発展のため
にある。つまり、宇宙の何を解明するための天体望遠鏡かという科学的意義は弱い。本
来科学的意義が先にあって、それを解明するための天体望遠鏡を作製するというのが常
道であるはずである。中国のこのケースは順番が逆になっている。中国の天文学のレベ
ルはまだこの程度かも知れない。ハワイに建造されている日本の「すばる」は次々と大
発見をしているが、それと較べると、LAMOST は世界を驚かす発見には寄与しないであ
ろう。
さらにもうひとつ問題がある。LAMOST の立地は河北省興隆にある。標高こそ 1,000
メートルを超すが、北京から近く、天空の空気が澄んでいるとも言えない。第一、黄沙
の通り道であるため、春先には視界が悪くなるだけでなく、黄沙の細かい粒子が精密機
械の隅々に入り込み、メンテナンスに支障がでる恐れも考えられる。ではなぜ、この地
に建造したのか。それは有力者の決定である。そもそも、LAMOST は政治的色彩が強い
プロジェクトなのだ。
7.院士の不正行為は学術界の粛正を呼びかけた
2009 年初め、工程院院士李連達の研究チームは論文偽造事件に巻き込まれた。浙江
大学薬学院のポスドクが書いた数篇の学術論文が剽窃や盗作の嫌疑があると指摘され
たのである。ニュースが出ると、世論が急に騒がしくなった。人々は中国の学術界に蔓
延る学術上の不正に対して憤慨すると同時に、仕方がないとも感じていた。
事件後、浙江大学は調査を行い、「問題論文にある李連達教授の署名は学生が書いた
のだ。院士とは無関係」との声明を出した。この結果を予想していた世論は不満に思い、
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「ポスドクに責任を転嫁し、役人同士がかばい合っている」と考えた。
数ヵ月後、浙江大学は「論文偽造に関した者は浙江大学から追放され、李連達は浙江
大学薬学院院長として指導管理を疎かにした責任が問われ、院長の任期が満了になると
引き続いて任用されない」との最終の処分結果を発表した。
「李連達事件」事件によって院士本人だけではなく、中国学術界も苦しい立場に置か
れている。院長として年間 5、6 回しか勤務しないこと、院士は指導していなかった論
文に署名したこと、ポスドクは論文を多く発表するために道徳を顧みないこと、これら
の怪しい現象は中国研究機関にとってもう珍しくない。
さらに、2009 年学術の不正行為に関するニュースは少なくなかった。武漢理工大学
学長は剽窃と指摘され、遼寧大学副学長も剽窃と指摘され(以上の両件は最後に学生に
転嫁した)、西安交通大学教授は偽造と指摘され訴訟を起こし、武漢には論文製作、論
文発表を主たる業務にする会社が現れたことなどだ。ネットワークが急速に発展してい
るこの時代に、一人の力でも学術の不正行為を摘発できる。学術界は現行の欠点のある
学術評価システムをやめないかぎり、近い将来においてネット上の学術不正行為に対す
る批判は止まないであろう。
ひとりの中国人研究者が 1 年間に 300 報近い論文を発表したという情報もある。それ
がすべてきちんとしたデータに裏づかれていると考えることは不可能だ。また、過去に
発表した論文が剽窃だったとして、政府高官が更迭されたという噂もある。
論文の捏造、剽窃などの不正が頻繁し、中国科学界の腐敗は深刻である。面子を大事
にする中国人がその記事を十大ニュースに選んだのは政府・党のトップの危機感の現れ
である。地方政府の役人の腐敗はひどいが、学術界も似たようなものである。ただし、
それでも学問の真理を追究しようとする科学者もまた多いことも忘れてはならない。
8.第 3 世代携帯電話方式(3G)の中国の標準
2009 年元旦、中国通信産業の三大プロバイダーが待ちに待った 3G 営業許可書が終に
でた。中国通信業界は正式に第三世代デジタル通信時代に入ったのだ。中国が自主開発
した TD-SCDMA の許可書を中国移動社に授けたのだ。
TD-SCDMA とは、第 3 世代携帯電話方式の一つで、中国独自の仕様だ。国際的な 3G規
格である W-CDMA、CDMA2000 とは別に、中国国内向けに独自開発されたもの。
TD-SCDMA では、CDMA 方式に時分割複信技術を加え、上りと下りを時分割で細かく切
り替えて通信する。通常は別の周波数帯域を利用する上りと下りのチャネルを一本化し、
周波数を有効に使用できる。このため、周波数帯域の不足しがちな大都市圏でのサービ
ス展開に有利であると言われる。中国の大唐集団とドイツのシーメンス社とが中心とな
って開発を行ない、2001 年 4 月に初の通話実験に成功したものだ。
2009 年元旦、TD-SCDMA の許可書が中国移動社に授けられたものの、当初ほとんど販
売されておらず、入手することが困難だった。だが、温家宝総理が広東省で、「世界中
の新製品・新規格競争の中で、中国人は先頭を走れ!」と渇を入れると状況が一変した。
世界の 4 大携帯メーカー(ノキア、モトローラ、サムスン、ソニーエリクソン)のうち
ノキアとモトローラが TD-SCDMA 携帯を開発していることを表明。さらに、中国メディ
アは、シャープが現在 TD-SCDMA 携帯を開発中で、日本向け携帯とほぼ同様の TD-SCDMA
携帯がリリースされる予定と報じた。多くのメーカは TD-SCDMA 携帯を生産できると発
表している。
特に、中国国内企業は TD 端末設備の生産を狙い、機先を制しようとしている。国際
金融危機下に、政府が TD の発展を後ろ押しするのはこの産業チェーンのうちの中小企
業の発展を促進するためである。
消費者にとって、3G 時代は無線通信の内容がいっそう豊富になることを意味する。
16
例えば、映像通話、携帯動画、ファイルダウンロードなどの機能がある。これらは無線
速度が十数 Kbps の 2G 時代では実現できない。だが、3G 無線通信速度は数 Mbps 更に十
数 Mbps に到達できる。実は、3G 無線 LAN カードを購入し、パソコンの USB に接続すれ
ば、3G ネットを利用してインターネットにアクセスできるのだ。
2009 年、中国 3G 建設の投資総額は 1,435 億元に達し、建設の基地局は 28.5 万ヶ所
に達し、中国モバイルの TD ネットは 38 の都市に広がっている。
中国は TD-SCDMA で自信をつければ、ロボットなどの他のハイテク製品でも独自の標
準を作成し、国内企業の後押しをしてくるに違いない。海外企業は中国の今後の動きに
どこまで立ち向かえるのであろうか。
9.中国深圳証券取引所がマザーズを開設
10 年の準備期間を経て、創業板(ベンチャー・ボード、マザーズ)は 10 月 23 日に
取引が開始された。これは 2009 年の資本市場において最も注目された事件であり、科
学技術分野にとっても重要な意義がある。創業板は新興或いは発展中の小企業、特にハ
イテク企業と創新企業に直接に融資する方法を提供した。
創業板市場が受け付けた企業や上場した企業の構成を見ると、電子情報、新型材料、
生物医薬、現代サービス業などの企業が約 68%であり、創業板が自主創新、成長型企
業に寄与するという特色が明らかになった。
創業板は年間 300 社から 500 社の会社の融資ニーズを満たすことができるが、融資の
必要に差し迫っている数多くのハイテク企業や創新企業にとっては、創業板の容量はま
だまだ程遠い。しかしながら、ベンチャー投資業とプライベートエクイティの発展を有
効的に刺激し、より多くの民間資本を集め、創新型企業やハイテク企業の発展を支える
のは創業板開設の重要な意義である。
第1陣の 28 社が創業板に上場して以来、創業板は今まで二ヶ月運営した。メインボ
ードと比べて創業板はより大きい変動を示したが、総じて言えば安定的な運営だった。
12 月 16 日、創業板で上場する第二陣の8社が新株の窓口発行とオンライン公募抽選状
況を発表した。近い将来、もっと多くのハイテク企業や新興中小企業が創業板に上場す
るに違いない。
10.人民の科学者、銭学森氏の死去
10 月 31 日、
「中国宇宙開発の父」と呼ばれる銭学森氏が死去。98 歳であった。彼が
かつて生活、勉強、仕事をした場所で、人々は数日続いた哀悼式を開き、彼の功績を偲
んだ。
銭学森氏は「中国ミサイルの父」や「中国宇宙開発の父」と呼ばれている。銭氏は読
書人の家柄で頭がよかった。上海交通大学機械学部で学んだ後、清華大学で飛行機デザ
インを学び、そして米国に留学した。カリフォルニア工科大学でセオドア・フォン・カ
ルマン教授の助手を務めて超音速機の研究をすると同時に、最先端のロケット開発グル
ープに加入し、第二次世界大戦においてアメリカのミサイルの研究開発に重要な役割を
果たした。第二次世界大戦が終わった後、銭氏は宇宙開発分野の天才だと認められた。
米国では 1950 年ごろからマッカーシズムが始まった。銭氏は米国の軍事秘密を中国
に伝えた疑いが持たれ、約 5 年間の間、自宅に軟禁状態で、研究活動はできなかったと
いう。米国はロケット開発技術の中国への流出を懸念したため、銭学森氏の中国への帰
国を遅らせたと考えられている。1955 年、銭学森氏は軟禁を解かれ、朝鮮戦争の米軍
捕虜との交換で中国に引き渡された。
中国のリーダーたちは銭氏を迎え、中国はミサイル・ロケットを開発できるかどうか
を尋ねた。銭氏は「外国人ができるなら、中国人も必ずできる」と答えた。その後の
17
30 年間、彼は経験、先見の眼、リーダー能力によって「両弾一星」の開発事業を遂行
した。彼の研究は中国の国家安全を保ち、国家の声望を向上させた。従って、国家は未
曾有の最高栄誉、「人民科学者」という名誉を銭氏に授けた。ほとんどすべての国家首
脳たちは彼の葬式に参加したのだった。
銭学森氏の一生を振り返ると、創造的なインスピレーション、愛国の心、名利への淡
泊など輝かしい特徴が見える。これらは今の中国科学界の足りないものである。人々が
尊敬したのは大きな貢献をした科学者だけではなく、国を愛する魅力的な人でもあった。
中国政府は創新国家という目標を一国も早く実現したいために、銭学森氏の逝去を追
悼すると同時に、ニュースとして大きく報道することで、中国国民、特に若者を鼓舞し
たと思われる。
(2010 年 1 月)
18
中国人が選んだ 2009 年世界科学技術ニュースのトップ 10
2009 年 12 月 28 日、科技日報が主催し、一部の院士、いくつかの中央報道機関及び
本紙の読者が選んだ「2009 福田自動車カップ」国際科学技術ニュースのトップ 10 が発
表された。以下の記載順序は年内の発生順である。
1.遺伝子をスクリーニングした「癌なし」赤ちゃんが誕生
1 月 9 日、イギリスのロンドンで胚の段階で乳癌の遺伝子をスクリーニングした世界
初の赤ちゃんが誕生した。「癌なしの子」と言われる赤ちゃんの誕生はゲノム医学にお
ける画期的な道標であるが、遺伝子スクリーニングのモラルの低下を招く恐れがあると
いう倫理的な論争を引き起こした。
2.人工衛星が宇宙で衝突
アメリカ東部標準時 2 月 10 日、アメリカ「イリジウム 33」衛星とロシアの“コスモ
ス 2251”衛星が衝突した。宇宙で人工衛星の初めての衝突事故は少なくとも数千個の
スペースデブリが生じ、宇宙における他の衛星及び国際宇宙ステーションの安全を脅か
した。
3. 新型インフルエンザ(H1N1)が世界で流行、漢方薬が予防と治療で独特な優位を発揮
3 月、最初の A 型インフルエンザ(H1N1)はメキシコで発生したが、その後速やかに
世界に広がっていた。世界の衛生体制は緊急に対応し、最短の期間でワクチンを開発し
た。各国での A 型インフルエンザの流行状態は現在抑えられているが、ウィルスの変異
を警戒しなければならない。漢方薬は予防と治療で重要な役割を果たしている。「蓮花
清温カプセル」は中国の始めての A 型インフルエンザ治療の漢方薬としてタミフルと対
照して科学的証拠に基づいて医学研究を行われた。「蓮花清温カプセル」は A 型インフ
ルエンザ治療に確かに有効であると確認された。
4.「スーパー原子」は磁気と電気伝導の性状を同時に持つ
6 月 14 日、
『ネイチャー・化学』雑誌はアメリカのバージニア・コモンウェルス大学
が磁気と電気伝導の性状を同時に持つ「スーパー原子」を発見したと発表した。その「ス
ーパー原子」を次世代パソコンの分子電子デバイスの製造に使えば、電子学分野の発展
を率いるかもしれない。
5.今までにない新しい状態の物質である透明なアルミ二ウムが現われた
7 月 26 日、
『ネイチャー・物理』雑誌はイギリスのオックスフォード大学が世界で一
番強い軟 X 線レーザーが産生する短パルスを利用して、サンプルの各個原子の中心電子
に衝撃を与え、アルミ二ウム金属を透明に近い状態に変化させたと発表した。これは空
想科学の小説にしか現しないが、いまだにだれも触れていない新しい状態の物質である。
6.「磁気単極子」という現象が現われた
9 月 4 日、『サイエンス』は物性物理学分野の画期的な研究成果を発表した。ドイツ
とフランスの二つの研究グループは中性子散乱実験を通して、一つのスピンアイスの結
晶の中の「磁気単極子」現象を始めて観測した。この研究成果は磁気メモリー及びスピ
ン電子デバイスの開発に役立つが、これは理論物理学者が存在を予言した粒子ではない。
7.エイズワクチンの免疫効果が始めて出た
19
9 月 24 日、アメリカ軍事系研究人員はタイのバンコクで「1.6 万人のボランティアが
組織した世界の最大規模のエイズワクチン試験対象の中で、エイズワクチンを注射され
て、ウィルスを感染されていない人の割合はプラセを注射されたコントロールグループ
より 31%超えた」と発表した。これは世界で始めての免疫効果を持つワクチンである。
8.アメリカの衛星が月面に衝突実験により月に氷が存在することを確認
アメリカ東部標準時 10 月 9 日午前、アメリカの NASA はアトラス V ロケットの上段を
利用して、衛星に連続衝突させて水を探した。11 月 13 日、NASA は月の南極の永久性影
部分には水の氷が存在することを確認した。衝突実験で少なくとも 95 リットの水が出
てきた。この研究成果は世界に注目され、道標のような発見であり、宇宙探査の歴史に
残されるべきである。
9.大型ハドロン衝突型加速器は最初の衝突を完成
11 月 20 日、ヨーロッパの大型ハドロン衝突型加速器が新たに始動した。11 月 23 日、
ヨーロッパの大型ハドロン衝突型加速器の内部で二つの陽子ビームを同時に発射して
衝突させた。巨大な科学研究プロジェクトは前に一歩進んだ。11 月 30 日、二つの陽子
ビームを 1.18 万電子ボルトのレベルまで加速させ、世界の新記録を出した。
10. コペンハーゲンで開かれた気候会議で協定を締結
12 月 17 日から 19 日、国連気候変動会議はコペンハーゲンで開かれ、法律的な約束
力を持たない「コペンハーゲン協定」を締結した。先進国と発展途上国の「共同、かつ
区別がある責任」の原則及び各自の義務と措置をさらに明確にし、国際社会が気候変動
に応対する長期的な目標、資金、技術及び措置の公開程度などの課題での共同認識を表
した。
以上 10 件のニュースのうち米国が 4 件、英国が 1 件、中国、ドイツ、フランスがそれぞ
れ 1 件入っている。中国の 1 件は漢方薬だった。中国の科学技術は先進国を追撃する段階
であり、独創的研究にチャレンジするまでには至っていない。それまでには数年から十年
の時間が必要であろう。されど 10 年、たかが 10 年。(2010 年 1 月)
20
中国の科学論文の質はどこまで向上しているのか
中国は GDP で日本に迫る勢いを見せている。ハイテク分野でも、宇宙開発では世界三
番目の有人飛行を成功させた国になるばかりでなく、スーパーコンピューターの演算ス
ピードにおいても、日本を抜き、米国、ドイツに継ぐ国となった。研究費が毎年約 20%
も増加していることを考慮すると、中国の科学技術力は急速に先進国に迫ってくるはず
である。科学技術力もマラソンと同じで、抜くのは困難かも知れないが、追いつくのは
比較的易しい。
英国の一流雑誌『ネイチャー』の東京支局長が「掲載論文を見る限りにおいて、日本
は化学分野の基礎研究ですでに中国に抜かれている」と発言し、日本の学術界に激震が
走った。人口比から分かるように秀才が日本の 10 倍いるため、長期的には抜かれるこ
とはあっても、
「こんなに早く追いついてくるとは」という驚きである。
しかし、一方、中国で化学が最も強いと言われている科学院化学研究所の某研究者は、
「中国は先進国に追いつこうとするあまり、独創的な研究課題に挑戦することがないた
め、当分の間ノーベル賞受賞者が出ることはない」とメディアに語っている。筆者がこ
の研究所を訪問した際にも、幹部らは同様の趣旨の発言を繰り返していたし、研究内容
の説明を受けても、世界の流行を追っているという印象が否めず、独創的なテーマに挑
戦しているようには感じられない。
日本人研究者に訊いてみても、ある研究者は中国の科学を高く評価しているが、別の
研究者はまだ低い位置にいるとみており、評価が一定でない。いったいどのように解釈
すればいいのであろうか。中国は研究者数が多いため、玉石混交であり、誰を見るかに
よって、評価が大きく異なってくることが予想される。
ここでは、まず中国側が発表している客観的なデータを基に分析してみたい。
1.中国の論文総数は世界第 5 位でシェアは 7.5%
中国科学技術情報研究所は 2009 年 12 月、「SCI データベースによると、2008 年に中
国の研究者は科学論文を 11.67 万報発表し、世界シェアの 9.8%を占め、アメリカに次
ぐ世界の第 2 位となった。その論文数は、2007 年に比べると 13.4%も増加している」
と発表した。また、SCI 掲載論文における国際共著論文数では、アメリカが 5,064 報で、
日本は 1,360 報の第 2 位だった。
2009 年までの 10 年間で、中国の研究者は論文を 65 万報発表し、世界第 5 位となる
一方で、被引用回数は 340 万回で世界第 9 位に留まっている。発表論文の質の面でまだ
遅れているが、科学はトップクラスの人材の競争であるので、被引用回数はあまり参考
にならない。
また、中国が発表した国際論文の中で発表数が多い研究分野は、化学、電子・通信・
自動制御、物理学、計算技術、材料科学、数学、生物学、力学、地学、土木建築であっ
たという。特に、『ネイチャー』の東京支局長は指摘するように、化学分野の強さがう
かがえる。
2.『サイエンス』と『ネイチャー』で論文数の増加は認められない
『サイエンス』と『ネイチャー』は世界でレベルが最も高く、総合性を持つ科学雑誌
であるが、これらの雑誌への中国の論文発表状況を見てみよう。
『サイエンス』と『ネイチャー』に発表した論文の経年変化
2004 年
2005 年
2006 年
2007 年
2008 年
『サイエンス』
20 報
25 報
23 報
21
26 報
18 報
『ネーチャー』
32 報
20 報
18 報
19 報
35 報
合計
52 報
45 報
41 報
45 報
53 報
世界占有率
2.79%
2.28%
2.21%
2.58%
2.86%
第一作者割合
65.5%
46.7%
46.3%
26.7%
30.2%
2008 年の『サイエンス』と『ネイチャー』の合計 53 報は中国学術界の新記録である
が、2004 年からこれら一流雑誌への掲載論文は安定しており、目立った増加が認めら
れない。科学論文の総数が激増していることと比較すると奇妙な印象を受ける。トップ
級の研究では、少なくとも『サイエンス』と『ネイチャー』を見る限りにおいて、あま
り進展していないのではないのか。
論文には複数の研究者の名前が掲載されるが、最も主要な役割を果たすのは第一作者
である。第一作者の割合が多いほど、オリジナリティーが高いと理解しても構わない。
表を見ていただくと、驚いたことに、第一作者の割合が減少傾向になる。つまり、中国
の研究者は一流の論文の発表においては、従属的な地位にあるとも理解できる。
次に、これらの雑誌に論文を発表する研究機関はどこかを見てみよう。
『サイエンス』と『ネイチャー』に論文を発表した上位研究機関
北京大学
5報
中国科学技術大学、南京大学、南開大学
4報
中国科学院生物物理研究所、中科院地質・地球物理研究所、中科院国家天文台、中科
院上海生命科学研究院
3報
中科院古代脊椎動物・古代人類研究所、南京師範大学、中国医学科学院、中科院紫金
山天文台、北京生命科学研究所、清華大学、中国科学院物理研究所、中科院遺伝・発育
生物学研究所、中科院大学院
2報
これらの他、1報掲載の研究機関は 27 ヶ所だ。
『サイエンス』や『ネイチャー』に論
文が掲載されると、研究者の所属研究機関で大きな話題となり、その後中国政府から研
究費を獲得するのが容易になるという。そのため、中国人研究者は優秀な海外の研究者
との共同研究を強く望んでいるのだ。競争的研究資金を獲得しなければ、研究活動がま
ったく出来ない中国人研究者にとって死活問題である。
『サイエンス』と『ネイチャー』に論文を発表した研究機関は 44 ヶ所だが、その中
で第一著作機関は 13 ヶ所のみだった。これらの研究機関は実力があると判断しても構
わない。
『サイエンス』と『ネイチャー』に第一著作機関として論文を発表した中国の研究機関
中国科学院生物物理研究所
3報
中科院古代脊椎動物・古代人類研究所
2報
中国科技大学、南京大学、中科院地質・地球物理研究所、南京師範大学、中国医学科
学院、中科院紫金山天文台、蘭州大学、深圳華大遺伝子研究院、雲南大学、中国農業科
学院、科学院大連化学物理研究所
1報
中科院古代脊椎動物・古代人類研究所が2報掲載しているのは、中国は恐竜遺跡大国
であることが影響していると思われる。「研究対象の現物」が豊富にあれば、研究レベ
ルも自然と高くなる。
2008 年にこれらの雑誌に発表した 53 報の論文のうち、48 報は国際協力によって完成
した論文で、41 ヶ国に関わっている。
『サイエンス』と『ネイチャー』で発表した論文のうち国際協力相手国
アメリカ
40報
ドイツ
16報
22
イギリス
14報
オランダ
8報
カナダ
8報
オーストラリア
6報
フランス
6報
日本、イタリア
5報
以下省略
中国研究者から見た国際雑誌掲載の論文における共同研究では、別のデータによると、
日本は米国に次いで多いが、『サイエンス』と『ネイチャー』のような一流雑誌では 8
位に低迷している。この理由はよく分からない。日中間の国際共同研究は盛んになって
きているが、トップサイエンスでの交流は比較的少ないと言える。
3.『PNAS』掲載の論文数は増加している
次に、
『PNAS』
(Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States
of America、
『米国科学アカデミー紀要』
)における、中国人の発表論文を分析して見よ
う。
一覧表を見ると、2004 年から 2008 年にかけて増加傾向にあることが分かる。第一著
作者の論文も基本的に増加している。
『PNAS』に発表した論文の経年変化
年次
発表した論
第一著者と
総数に占め
国内協力で
総数に占め
文数
する論文数
る割合
完成した論
る割合
文数
2004
39
14
35.9%
4
10.3%
2005
44
22
50.0%
6
13.6%
2006
66
26
39.4%
7
10.6%
2007
110
53
48.2%
19
17.3%
2008
91
45
49.5%
11
12.1%
先に分析した『サイエンス』と『ネイチャー』では、近年明確な増加傾向が認められ
なかったが、『PNAS』では論文は増加している。これは何を意味するのであろうか。大
胆な仮説を言えば、世界に伍するトップサイエンティストはまだ少ないが、それより少
し低いレベルの研究者は着実に増えていると言えるのではなかろうか。中国全体のレベ
ルが上がってくると、世界レベルの研究者の層も厚くなり、『サイエンス』と『ネイチ
ャー』への掲載論文数も増加してくると予想される。増加傾向が見えてくると、研究者
数の多さから、急激な進展も期待される。
『PNAS』に論文を発表した中国の研究機関
科学院上海生命科学院、科学院生物物理研究所、華東師範大学
6報
上海交通大学、科学院遺伝・発育生物学研究所、北京大学
5報
浙江大学、中国科技大学、中国農業大学
4報
華中農業大学、科学院大連化学物理研究所、中国農業科学院、清華大学、科学院物理
研究所、中国協和医科大学
3報
以下省略(合計 73 ヶ所)
『PNAS』に論文を発表した 73 ヶ所(大学 47 ヶ所、科学院 17 ヶ所、その他9ヶ所)
の中国研究機関のうち、27 ヶ所の研究機関だけが第一著作機関として論文を発表して
いる。
23
『PNAS』に第一著作機関として論文を発表した中国の研究機関
中国科学院上海生命科学研究院
5報
中科院生物物理研究所、上海交通大学、華中農業大学、科学院大連化学物理研究所
3報
華東師範大学、浙江大学、中国科学技術大学、中国農業大学、中国農業科学院、科学
院古代脊椎動物・古代人類研究所
2報
以上のリストに北京大学や清華大学といった超一流大学の名前が見えないのは面白
い。中国は日本と違って、研究のレベルは研究機関に依存しているのではなく、研究者
個人に依存しているのであろう。中国では有名大学という理由で、研究レベルが高いと
は限らないようだ。
『PNAS』に発表した論文のうち国際協力相手国
アメリカ
60報
スウェーデン
9報
イギリス
8報
日本
6報
ドイツ
5報
カナダ、スイス
4報
以下省略
アメリカとの共同研究論文が圧倒的に多い。『PNAS』がアメリカ発行の雑誌である
というのが色濃く出ている。
4.生命科学関連雑誌の掲載論文数も増加している
中国の生命科学の進歩は著しい。2009 年夏、中国の二つの研究グループが iPS 細胞
から世界で初めてマウス個体を生成したと発表し、世界を驚かせた。
2007 年、中国大陸科学研究機構が生命科学分野の研究レベルを把握するため、2007
年、中国研究機構が『セル』
、
『ネイチャー』、
『PLoS』などの生命科学関連雑誌で発表し
た論文状況を分析してみよう。
2007 年、中国研究機構が上記のトップジャーナルの生命科学雑誌で発表した論文は
112 本で、2006 年より 19%増え、世界でのシェアも増加している。その割合は 2.29%
であり、2005 年、2006 年の割合はそれぞれ 1.61%、1.80%であった。
その中に、第一著作機構として発表した論文は 54 報で、2006 年より 6 報増え、第一
著作機構の論文数はこれらの雑誌の論文総数の 1.1%を占め、2006 年の 0.92%より高
かった。第一著作機構論文数は中国の発表論文数の 48.2%を占め、その割合が 2006 年
よりすこし減った。国内で完成した論文(国内研究機構独自で完成した論文及び国内協
力で完成した論文)は 24 本で、論文総数の 21.4%を占め、2006 年より減った。オリジ
ナリティーのある論文が一気に増加しているわけではなさそうだ。
中国研究機関がトップクラスの生命科学雑誌に発表した論文の経年変化
第一著作機
国内で完成
中国の論文
第一著作機
国内で完成
年次
構の論文数
した論文の
数
構の論文数
した論文
の割合
割合
2003
44
19
43.2%
6
13.6%
2004
47
20
42.6%
8
17.0%
2005
79
32
40.5%
8
10.1%
2006
94
48
51.1%
27
28.7%
2007
112
54
48.2%
24
21.4%
24
生命科学分野であっても、中国の研究機関が異なる雑誌で発表した論文数の成長速度
はかなり違う。例えば、セル系雑誌及びネーチャー系雑誌(生命科学分野雑誌のみ)で
発表した論文数の成長が速く、2006 年にセル系雑誌で発表した論文は 27 報で、2007 年
は 36 報まで増え、2006 年ネーチャー系雑誌で発表した論文は 18 報で、2007 年は 33 報
まで増えた。しかし、 New England Journal of Medicine 及び JAMA-Journal of the
American Medical Association で発表した論文数は逆に減った。
2007 年、中国大陸の 60 ヶ所の研究機関がトップクラスの生命科学雑誌で論文を発表
している。
トップクラスの生命科学雑誌に発表した論文数の上位研究機関
順位
研究機構
論文数
1
中国科学院上海生命科学研究院
22
2
中国科学院生物物理研究所
10
3
北京生命科学研究所
8
4
中国科学院大学院
8
5
北京大学
7
6
上海交通大学
7
7
中国科学院遺伝・発育生物学研究所
6
8
中山大学
6
9
復旦大学
5
10
華中科技大学
5
10
中国農業大学
5
10
中国医学科学院
5
データによると、中国科学院上海生命科学院はトップクラスの生命科学雑誌で発表し
た論文総数及び第一著作機構として発表した論文数が第1位で、中国科学院上海生命科
学研究院が高いレベルの論文を発表する能力が高いことを反映している。ただし、この
研究院は神経科学研究所など約 10 ヶ所の研究所を擁しているので、その規模も考慮に
入れる必要がある。
トップクラスの生命科学雑誌に第一著作機構として論文を発表した上位研究機関
順番
研究機構
論文数(報)
1
中国科学院上海生命科学研究院
10
2
北京生命科学研究所
5
3
中国科学院遺伝・発育生物学研究所
4
4
中国科学院生物物理研究所
3
5
北京大学
2
国際協力論文は 26 ヶ国に関係している。上位 4 ヶ国は以下のとおり。
アメリカ
64報
イギリス
7報
カナダ
7報
日本
6報
以下省略
アメリカとの協力が多いのは、アメリカが生命科学分野で圧倒的な強さを誇っている
ことを裏付けている。中国政府と北京市制府が共同で設立した北京生命科学研究所のP
I(教授クラス)はほとんどすべてアメリカからの帰国者で占められている。研究所の
運営方法までアメリカ方式を採用しているという。
25
5.理研と中国との比較
主要雑誌掲載の論文数で、理研と中国を比較すると以下のとおりになる。
理研
中国
07 年
08 年
07 年
08 年
『ネイチャー』
13 報
17 報
19 報
35 報
『サイエンス』
13 報
10 報
26 報
18 報
『PNAS』
36 報
27 報
110 報
91 報
『セル』
5報
5報
6報
不明
このデータからは経年変化を読み取ることはできないが、どの雑誌においても、中国
の発表論文数の方が上廻っている。理研は研究者約 3,000 人の研究機関であるが、中国
全土と比較してこれだけのパフォーマンスを示しているのは、世界トップ 10 に入る実
力を遺憾なく示しているとも言える。
日本政府の財政事情から考えると、理研の研究者数や研究費が今後伸びる可能性は低
いが、中国の科学技術はまだ「青年」の段階であるので、今後も著しい成長が期待でき
る余地が多い。今後とも、中国の一流雑誌の発表論文数の傾向を注視していきたい。
(2010 年 1 月)
<参考文献>
『2009 中国科技論文統計結果』
(中国科学技術信息研究所)
『中国基礎科学』
(中国科学技術部主管)
26
日中両国の科学力比較研究
―中国が日本に追いつくのは 2010 年代後半―
日本人は集団催眠に罹りやすい。今年GDPで中国に抜かれることが明らかになるに
つれて、日本はもうダメだという悲観論が国中を覆っている。銀座の高級デパートやラ
オックスの中国人売上高が急速に伸び、都心のマンションが中国人に物色され、一流大
学の大学院が多くの中国人に占められるようになると、日本人は日本が中国人に買収さ
れ、占拠されてしまうという極端な考え方に染まってしまう。日本人はなんとお人よし
で、情緒的な人々なのだろうかと僕は考え込んでしまう。煽るマスメディアも悪いが、
極端な発想をする日本国民も困ったものである。
考えてみるがいい。80 年代の後半から 90 年代前半にかけて、日本の投資家は円高の
勢いを借りて、米国の物産を買いまくった。当時日本は米国から学ぶものは何もない。
もうすぐ超一流国になるのだと国中が酔いしれた。その当時、米国人に味わわせた「日
本人に買収される」という恐怖感を今度は日本人が中国人に対して味わっているだけに
過ぎない。因果応酬なのだ。
ただ、日中両国では少し状況が異なっている。中国人は海外からの投資を歓迎するが、
日本人は占拠されるという恐怖心が先にたち、海外投資を喜ばない。これも冷静に考え
てみるがいい。魅力的な市場ほど海外投資家が注目し土地や会社や株を買い取り、移民
も未来の成功を求めて押し寄せるものだ。日本の発展のためには海外からの投資と人材
の流入が欠かせないはずである。しかし、島国根性の日本人は海外投資を拒み、外国人
流入に神経を尖らせている。こんな国がグローバル化時代に生き残れるはずがないでは
ないか。
このまま発想を改めなければ、優秀でやる気のある日本人と民間企業は海外へと離散
することになろう。日本は中国ばかりではなく、韓国にも抜かれる可能性が現実味を帯
びてきた。日本による韓国併合から 100 年。今後は韓国による日本併合の時代に移行す
るのかもしれない。日本人は平仮名とカタカナを止めて、漢字とハングルを使用するよ
うになるかもしれないのだ。悪い冗談であって欲しい。
それがいやなら、勇気を持って立ちあがるしかない。ウンコ座りに慣れた若者が立ち
あがるだけでもしんどいにちがいない。大人たちが築き上げたひとつの虚構を破壊して
みるがいい。今の大人たちは前世代の仕組を抱いたまま墓場に突き進んでいる。若者も
一緒に墓場まで引きずり込まれたくなければ、自分達の将来のために虚構や仕組を破壊
するしかない。日本の大人たちは若者の生き血を吸って生き延びている。搾取して栄華
を誇っている。日本人が貯めた財産を食いつぶして、大人たちはこの世から去っていく
のだ。ザマーミロ。安心するがいい。もちろんそんなことは起こらないのだ。中国人の
目から見ると、日本はお手本とすべき先進国なのだから。日本は今後それなりの位置に
収まるだけだ。
さて、堅い話に移ろう。日本は科学技術力で生きていくべきであるという議論は国民
のコンセンサスになろうとしているが、日本の実力は中国との比較においてどのレベル
にあるのだろうか。科学者が発表する論文数では、日本はとっくに中国に抜かれてしま
っている。コピー商品が街に溢れているように中国人の書く論文はコピーすなわち盗作
や捏造も多い。でも、中国政府も問題視し対策を立てているので、いずれは沈静化して
こよう。
トップ 10%の論文数比較
論文数で議論しても見当違いな結論に至ってしまう恐れがあるため、質で議論した方
が科学力を正確に把握できそうだ。論文の質を比較するのは難しいが、一般に被引用数
27
が多い論文ほどすぐれた論文と言われている。自然科学の全分野の被引用件数の多いト
ップ 10%の論文数に占める論文数で各国比較してみよう。
2008 年の統計において、米国が断然トップであることは議論を待たないが、英国、
ドイツ、中国、日本の順である。日本が中国に抜かれたのは 2007 年である。もうすで
に 3 年経過しているため、その差はもっと大きくなっていると思われる。
トップ 1%の論文数比較
では、被引用件数の多いトップ 1%の論文数に占める論文数で各国比較するとどうな
るか。同じく 2008 年の統計では、日本はまだ中国の上位に位置している。少し安心し
たような気持ちになる。でも残念ながらこれも時間の問題だろう。中国に抜かれるのは
仕方ないとしても、日本の占める割合が少しずつ減少しているのが気になる。あまり認
めたくないが、日本の科学は国際比較するとジリ貧なのだ。
領域別の比較
次に大学・研究機関別の論文被引用件数の各国の順位を見てみよう。トップ 500 位に
入った大学・研究機関の内訳は、米国 198、ドイツ 43、英国 41、日本 26 で、中国は僅
かに 7 に留まった。中国科学院 23 位、北京大学が 261 位、清華大学 310 位だった。日
本の最高位は東京大学の 11 位だ。大学・研究機関別の科学力では、日本はまだ中国よ
りも随分上位にある。
次に研究領域別に、日中の科学力を比較して見よう。
材料科学領域では、2008 年のトップ 10%の論文数は米国、中国、日本の順で、日本
は 2004 年にすでに中国に抜かれている。大学・研究機関別の被引用件数では、トップ
300 位に入っている大学・研究機関は、米国 86、ドイツ 26、日本 24、中国 23 の順だ。
日本はかろうじて中国を上回った。でも、世界ランキングでは、1 位中国科学院、2 位
マックスプランク協会、3 位東北大学となっている。
物理学領域では、2008 年のトップ 10%の論文数は米国、ドイツ、中国、英国、フラ
ンス、日本の順だ。日本は 2005 年に中国に抜かれている。大学・研究機関別の被引用
件数では、トップ 300 位に入っている大学・研究機関は、米国 98、ドイツ 31、日本 23
の順で、中国は 8 にしか過ぎない。世界ランキングでは、2 位東京大学が 6 位中国科学
院を抑えている。物理学ではまだ日本に優位性があるようだ。
化学領域では、2008 年のトップ 10%の論文数は米国、中国、ドイツ、日本の順で、
日本は 2004 年にすでに中国に抜かれている。大学・研究機関別の被引用件数では、ト
ップ 300 位に入っている大学・研究機関は、米国 95、ドイツ 29、英国 24、日本 19、中
国 13 の順である。ただ世界最高位は中国科学院になっている。
数学領域では、2008 年のトップ 10%の論文数は、米国、中国、フランス、英国、ド
イツの順で、日本はやっと 10 位に顔を出す。日本は中国の 5 分の 1 にしか占めていな
い。勝負はずっと前にあったのだ。
生物学領域では、2008 年のトップ 10%の論文数は、米国、英国、ドイツ、日本の順
で、中国は 7 位だ。日本は横ばいだが、中国は急増している。抜かれるのは 2010 年代
の前半の見込みだ。大学・研究機関別の被引用件数では、トップ 300 位に入っている大
学・研究機関は、米国 132、ドイツ 27、英国 26、日本 21 の順だが、中国は 1 にしか過
ぎない。生物学領域での中国の立ち遅れは顕著である。
一流雑誌掲載論文数の比較
次に世界の一流雑誌に占める各国の論文数の割合を見てみよう。
まず、2008 年の「ネイチャー」では、米国 66.6%、英国 21.6%、ドイツ 14.7%、フ
28
ランス 9.8%、日本 8.3%、中国 3.0%だ。中国は日本の 3 分の 1 程度であるが、2008
年から顕著な増加傾向が見られるため、2010 年現在では、中国は日本の半分の論文数
を発表していると予想される。
2008 年の「サイエンス」では、米国 71.7%、英国 17.7%、ドイツ 14.2%、フランス
9.4%、日本 8.3%、中国 2.7%だ。これも中国は日本の 3 分の 1 程度だ。
2008 年の生命科学雑誌「セル」では、米国 78.8%、ドイツ 12.6%、英国 9.8%、日
本 7.3%、中国 2.3%で、この雑誌でも中国は日本の 3 分の 1 程度となっている。
2008 年の物理学雑誌「PRL」では、米国 46.3%、ドイツ 22.3%、フランス 15.1%、
英国 14.7%、日本 11.0%、中国 5.9%となっている。中国は日本の半分程度だ。
中国は材料領域と科学領域で全体として日本を凌駕していることが判明した。しかし、
2008 年の一流雑誌への論文発表数を見る限りにおいては、中国は日本の半分から 3 分
の 1 程度の論文数に留まっている。
研究者数、論文数では、日本はすでに中国に抜かれており、研究費でも、日本の増額
は見込めないが、中国は毎年約 20%の増加が予想されている。中国の研究費総額は 5
年乃至 10 年で日本に追いつく勢いだ。
今後、豊かな人材と豊富な研究費を武器に中国の科学力は今後も伸び続けていくに違
いない。10 年後は科学力で中国は日本と肩を並べるか、すでに抜き去っていることで
あろう。アジアの盟主の交代の時期は近い。日本人は肩を落とすことなく、東洋文明を
数千年に渡って牽引してきた中国に盟主の座が戻ると考えればよい。日本は中国の発展
に牽引されるように一緒に発展していけばよい。それはいつか来た道に戻るだけである
のだから。
(2010 年 5 月 17 日)
<参考文献>
中国科学院国際科技比較研究組『中国与美日徳法英五国科技的比較研究』
(科学出版社)
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科学者に直撃インタビュー“日中格差は何年か”
中国人が好きな言葉に、「実事求是」と「愛面子」がある。前者は事実に基づいて真
実を求めることで、毛沢東が好んだとされている。後者は面子を大切にすることである。
この二つの概念は時に、矛盾を起こす。真実を追究すれば、実態が赤裸々となり、面目
を失うことがある。面子ばかり気にしていては、真理に到達することは困難になる。
科学の本質は当然、真理追究だ。面子という人間の営みを気にしていては、自然は永
遠に真の姿を見せてくれない。ただ、研究は人間の営みであるため、科学の世界と相容
れないことが起きる。各国の研究水準は、調べれば実態が明らかになるが、面子が邪魔
をしてそれを認めたくないという場合が生ずる。これを文化衝突ということもできよう。
しかし、実際の姿を明らかにし、その事態を招いた原因を科学的な手法で解明し、それ
を着実に改善していかなくては、研究水準を高めることは難しい。簡単なことであるが、
時としてできない場合もある。なぜか。科学の本質を十分理解していないからである。
科学者に直撃インタビュー
日中米の科学者に日中の研究水準について質問した。科学者のほとんどは正直に答え
てくれたと思う。それをまとめてみたい。ただ残念であるが、本人に迷惑がかかるとい
けないので、実名を書くことは避けることにした。真理追究と非難は別の概念である。
真理を追究しているつもりでも、ある人々から見ると、非難されていると感ずるものだ。
面子を傷つけられたとガンと主張する者も現れる恐れがある。信頼関係があれば、真理
追究や議論は生産的なものとなろうが。
さあ、前置きはこれくらいにして、インタビューを紹介していこう。
加速器科学の中堅の中国人研究者は明言する。
「中国の重粒子加速器科学は日本よりも 15 年は遅れている」
外国語の英語を話しているからであろうか、それとも若干酒に酔っているからであろ
うか、はっきりと自己評価する。
「中国は、やっと日本と同規模の重粒子サイクロトロンを整備できるようになったが、
それは同様の研究成果を上げられるということを意味しない。日本も 113 番目の原子を
発見するまでに、15 年から 20 年を費やしている。中国が同レベルの成果を上げるまで
には、あと 15 年は必要である」
最後に彼は付け加える。
「我々の実力を過度に高く評価しないで欲しい」
加速器科学はまず装置ありきであるが、装置の整備がすぐに成果に結びつくわけでは
ない。納得できる議論である。
今度は日本人の加速器研究者の発言。誤解しないで欲しいと、前置きしながら、
「わが研究所は、海外の専門家の評価で不可能といわれた加速器建設を必死になって成
功させ、成果も出して世界を驚かせ、今では世界トップの加速器研究所になった。中国
のカウンターパートの研究所にも人的、技術的な支援を積極的に行ってきており、彼ら
はデッドコピーに近い加速器を建設している。新しさへの挑戦が余り感じられない。こ
れでは世界に追いつくのは早いかも知れないが、世界の有数な加速器研究所になるには、
発想の転換をしない限り相当困難ではないか」
加速器科学の分野は、国際的にみると、競争よりも協力がより重視されている。研究
が進んでいる国が遅れている国にアドバイスしたり、研究者を受け入れ指導することは
当然とみなされている。世界の研究者が国境を越えて協力して、加速器科学を発展させ
ようとしているようだ。しかし、各研究所が特徴のある“新しさ”に挑戦することが国
際協力の前提である。
30
日本に追いつくのは 20~30 年後
次に中国人化学者に発言してもらおう。
「中国の化学研究分野で、一流研究機関と呼ばれているのは、北京大学、南京大学、ア
モイ大学、科学院化学研究所、科学院上海有機化学研究所、科学院大連化学物理研究所、
科学院長春応用化学研究所などであるが、そのなかでも世界レベルに達しているのは
50 人程度。世界一流の化学分野の雑誌を見ると、中国人の占有率は増加中ではあるが
まだ 5%に過ぎず、一方日本人は 30%も占めている。日本に追いつくには、まだ 20 年
から 30 年もかかる。
大陸の中国人のノーベル賞受賞者はまだいないが、受賞するのは 40 歳代前半の私の
世代ではなく、今の 30 歳代であろう。外国がなんと評価しようが、中国のサイエンス
は、実際にまだかなり遅れているのだ」
同じく化学分野だが、今度は日本で働く中国人。
「私の研究室は、錯体触媒を使って、選択性が高く、精密に有機化合物の合成ができる
ようになった。まだ、触媒を理論的に設計し、合成することは困難であるが、水素結合
の作成などある程度の予想ができるようになった。一方、中国は特定のポリマーの効率
的な生産など社会ニーズに結びついた目的志向の研究が多いため、複数の触媒や原料を
混ぜて使う不均一性触媒を使う段階にあり、合成の選択性が高いとは言えない」
具体的な数字こそ挙げてもらえなかったが、触媒合成の思想や方法の面で一世代の差
があると言わんばかりである。
たかが2年、されど2年
応用範囲が広いレーザー開発ではどうだろうか。日本人研究者に登場してもらおう。
「私の研究室は数百アト秒(1 アト秒は 100 京分の 1)のパルスを発振できる。欧州に
はもっと短時間のレーザーを発振しているところがあるが、我々のレーザーの特徴は輝
度が強いということだ。つまり、輝度が強いと原子や電子を見ることができる。超微視
の世界の観測手段として有効である。
中国人研究者はフェムト秒のオーダーのレーザーまでは発振できている。レーザー発
振の日中格差は 2 年である。新しいレーザーを発振できたら、論文が世に出るまで 6 ヶ
月かかる。中国側はそれを熱心に読み、技術的な工夫を重ねて、実際に発振できるまで
に更に 1 年半がかかる、つまり、合計 2 年かかるので、2 年間の格差があると私は考え
ている。但し、彼らが追いつく頃には、我々はその先を行っている」
たかが 2 年、されど 2 年である。これを埋めるのに何年かかるか分からない。中国側
は論文と言うヒントを与えられており、自ら必死になって全く新しいことにチャレンジ
しているわけではないのだから。
新規のレーザーの開発は、様々な技術の複合で始めて実現できるものであるため、産
業の基盤技術が弱い国では世界の先端を行くことは困難である。
似たような議論は別の研究者からも聞いた。中国研究機関の実情に詳しい日本人。
「中国の研究環境には問題がある。研究所のガスバーナーの火力が弱く、化学合成に必
要な真空ラインが作れない。業者にやらせても精密加工ができない。これでは、精密な
合成ができるはずがない」
基盤技術の遅れ
研究を支える産業や社会の基盤が遅れていると、その上部構造である科学が大きな花
を咲かせることができない。
「NMR(核磁気共鳴装置)や三次元画像が見える光学顕微鏡等の高価な研究機器はある
が、日常で使う汎用的な計測機器が研究室にない。正確な温度を測るための温度計すら
31
ない。これは論文の表面には出てこないが、このような基本的なことを疎かにしていて
は、得られたデータの信憑性がなくなる恐れがある。教授が若いときに本物の研究をや
っていないために、このような科学の基本が分からないので、温度コントロールの重要
性が理解できず、それに必要な精密な温度計を購入しようとしない。実験の基礎的なセ
ッティングができていない。つまり、科学の本質が分かっていないと言わざるをえない」
かなり辛らつなコメントである。これが中国に普遍的な現象か、特別なケースか判断
できないので、このような意見もあると理解していただくしかない。
文化の面にまで踏み込んで議論する日本人研究者もいる。
「中国では、研究に基本的なことが欠けていると思う。例えば、試薬の在庫がないと海
外から取り寄せるため 3 ヶ月間(日本は 3 週間)もかかってしまう。物流システムが整
備されていない。
また、研究室が汚いのも大きな問題だ。北京は埃が多いため、窓を開けるなと学生に
再三言ってやっと守られる。汚ない場所ではそもそも研究ができないのだ。埃が実験台
に積もっていても平気であるという感覚では現代科学は推進できない。不純物が混入し、
再現性がなくなってしまう。中国人は日本人に較べて清潔感がないという欠点を克服し
なければならない。普通の人々の感覚では科学は成り立たないのだ。さらに、文化的な
面だけでなく、科学の基礎が教育されていない。科学精神が何たるかが理解されていな
い。実験をやって、得られたデータをまとめて、論文を書き、雑誌に投稿するという行
為自体が研究と誤解されている。科学の本質は思索と実験と議論の繰返しであるべき
だ」
2030 年までに日本を追い越すことはあり得ない
政府系科学技術政策シンクタンクの所長にも質問をぶつけた。この所長にかつて、
OECD の統計では中国の研究費で日本を追い抜いたがどう思うかと聞いたところ、「俺
はそんなデータは信じない」と一蹴していた。中国人学者には珍しく、率直な意見が口
から飛び出てくる。
「中国の平均的な科学技術水準は、2030年以前に日本を追い越す、ということはあり得
ない。中国の科学技術水準のレベルアップが他国よりも速いのは事実であるが、2020
年の時点では、ようやくスペインを追い抜く程度と思われる。論文の数量的データにお
いて、2020年の時点で日本を追い越すものが出ると思われるが、トップジャーナルに掲
載されているか、他の多くの研究者が凌ぎを削っている中心的分野でフロンティアを拓
く論文が書かれているのか、基礎研究と産業との関係、特許状況などを総合的に判断し
た場合はどうなるか、といった質の点も加味すれば、2030年までは中国が日本を追い越
すことはあり得ない」
との回答を得た。現在のところ、中国のハイテク輸出のうち、90%は外資系企業に依
存しているため、中国人エリートが悲観的になっているのは理解できないわけではない。
また、所長は次のコメントを付け加えた。
「米国に行った研究者で、研究を行う分野で優秀な能力を持つ研究者は米国に残り、中
国には帰ってこない。中国に帰って来るのは、自らの研究成果を活かして、中国でビジ
ネスを展開しようとする人たちが多い」
2030年は遠いようで近い。逆に言うと、この所長は2030年後には中国は日本を追い越
すと予言していると見ることができる。
中国人の論文の 8 割は拒絶されている
中国の現状に詳しい元中国国籍の米国人科学者にも意見を伺った。
「中国人研究者が SCI 収録雑誌に投稿する論文は、かなりの数が掲載を拒否されている。
32
実験データがひどい(lousy)のだ。中国人研究者は毎年一定の数の論文の掲載を強く
求められているため、実験室でデータが得られれば、精査せずにすぐに論文を書いて投
稿するため、このような事態に陥っている。中国の基礎研究水準が上がっているように
は私には思えない」
中国国内の雑誌掲載の論文のある日本人レフェリーは、8 割の投稿論文を送り返して
いると言う。新規性がないからだ。
また、競争的資金の研究課題の審査を行っている海外に住んでいる中国人は、「一時
審査をパスし、競争率 2 倍まで絞り込まれた研究課題の審査に携わっているが、背景、
研究目的、戦略性、将来展望などを明確に記述している者は数%に過ぎない」と計画立
案能力の不足を嘆く。
一方では、中国に対して楽観的にみる研究者もいる。脳科学の日本人研究者の話だ。
「私は遺伝病の一種であるハンチントン病の遺伝子レベルの研究を行っている。ハンチ
ントン病は、生まれながら特定の遺伝子を持っていると、アルギニン酸の連鎖が出来、
それが凝集して 100%発病する病気だ。アルツハイマー病の遺伝子研究については、米
国が圧倒的に強いため、他国が追いつくのは難しい。しかし、研究のアプローチ法は分
子生物学的方法(ノックアウトマウスを使った遺伝子レベルの研究など)などに限られ
ているため、ハンチントン病やその他の遺伝病の研究で同様の手法を熱心にやっていけ
ば、中国の研究機関でもそれなりの研究成果が上げられるはずである。最初は論文を読
んで、やり方を取得し、コツコツやっていけばそのうちに独創的な研究へと結びついて
いく。日本から中国に戻った研究者に聞くと、研究費は十分にあり、研究装置にも困っ
ていないと、言っている」
彼は、中国は生命科学の分野では、力をつけてきており、いずれは追いついてくると
考えている。ただ、それがいつかは判断できないようだ。中国人研究者の創意工夫など
に大きく依存しているからである。
(2008 年 7 月)
以上の文章を書いたのはほんの 2 年前であるが、中国の科学技術の進展ぶりを見ると
大きな修正を余儀なくされている。日本に追いつくのは 10 年程度しかかからないかも
知れない。研究者の平均レベルでは、中国は日本に及ばないが、国の科学技術レベルは
平均ではなくトップ次第である。オリンピック競技と同じで、氷山の一角がメダルやノ
ーベル賞を獲得すればいいのである。「人才」の宝庫である中国は科学技術力も急速に
伸長する可能性が高い。
日本はいたずらに競争心を駆り立てるのではなく、勢いのある中国を利用して人類の
ための科学技術の進歩に傾注すべきであろう。(2010 年 6 月 29 日追記)
33
中国科学技術推進体制の特徴
急速に科学技術力を増強しつつある中国の科学技術推進体制の特徴について、簡潔に
取りまとめてみた。
1.鄧小平「科学技術は第一の生産力」
中華の復興を目指す中国は、科学技術強国なくして真の強国はないというシンプルな
考え方を持っている。その思想は端的に、鄧小平の「科学技術は第一の生産力」という
言葉に集約されている。
共産党中央政治局常務委員の大半は理工系出身であることからも理解できるように、
中国の幹部は科学技術の造詣が深い。テレビでは幹部の農村訪問の様子がしばしば放映
されているが、彼らはまた大学や研究所へも頻繁に訪問している。
毎年約10%のGDP成長を大幅に上回る約20%の研究開発投資の増加に党・政府
の決意が結実されている。
2.強固なトップダウンを支える共産党体制
中国は共産党を中心とする強固な政治体制ができあがっているため、政策決定が迅速
で、かつ全面的・統合的に政策が実行できる。日本のように役所や国民の利害調整に時
間がかからないという特徴を持つ。トップダウンはスピードが速い。
反面で、気象データ、食品分析等体制に不利な研究が認められないなど「研究の自由」
が十分に保証されていない面もある。また、インターネットの規制があるため、研究者
が協力し合ってデータベース等を整備しようという草の根の活動が活発でない。
3.「人才」の宝庫
日本では人材育成は重要としばしば指摘されているが、中国語では「人才」と書かれ
ている。中国では人才は材料ではなく、才能なのだ。漢字の本国は漢字の意味を大切に
しているという事例だ。
14億の莫大な人口を擁する中国は「人才」の宝庫でもある。天才は日本の十倍もい
る。羊の群の番人や水汲みをやっている子供たちを学校に行かせるようになれば、さら
に優秀な人才が発掘されるようになろう。
改革開放政策以来、100万人の留学生が中国を去り戻って来ていないが、中国政府
はたいして心配していない。頭脳流出が気にならないのは、人才は自然に再生産される
からである。コストはかからない。
また、中国は幼少時から厳しい競争社会であるため、人才が厳しく鍛えられ選別され
ている。中国の優秀な大学に入学できない学生は日本などの海外大学に留学するという
現象が発生している。
4.積極的な研究基盤整備
中国政府は豊富な研究費を活用して、スパコン、ゲノムシーケンサー、天体望遠鏡等
の整備にやっきになっている。これら基礎研究の基盤の整備に計画的に熱心に取り組ん
でいるのだ。
ただし、最近のスパコン高速ランキングで中国は世界二位に躍り出ているが、ソフト
ウェアの開発が遅れているため、効率は非常に悪い。ゲノムシーケンサーも大量に海外
製品を購入し、莫大なデータを積み上げているが、それを分析して生命現象を如何に解
明するかというバイオインフォマチックスが進んでいないという問題を抱えている。
あまり中国を責めたくないが、天体望遠鏡の整備についても、独自の望遠鏡技術の開
34
発には熱心であるが、それを利用して何を解明しようとするのかが明確になっていない。
研究基盤の整備はサイエンスの手段であって目的ではないことに留意すべきであろ
う。
5.人脈社会の束縛
中国は人脈社会であるため、不公平、不透明、不平等な研究課題評価がまかり通って
いる。海外から帰国した科学者は請われて戻った者を別にして、まずは人脈作りから着
手しなければ研究費を獲得することができない。政府は「人脈優先」から決別し、科学
的な評価を導入すべきであろう。
6.定量的すぎる評価
政府は競争的環境を導入したいがために評価に非常に熱心である。有名な雑誌に論文
を投稿すると、報償金が出されたり、政府の研究費が取りやすくなったりする。しかし
一方で、評価が定量的になり過ぎており、論文の質より量を重視する傾向が強く、誰も
論文がでにくい難しい基礎科学に挑戦しようとしなくなることが懸念される。
合理的評価の導入は難しい課題であるが、政府の柔軟な対応が求められるところだ。
7.地域の多様性
北京、上海、広州、内陸部等地域の人々の価値観や文化は多様である。北京人は政府
役人や学者になる傾向が強いが、上海人はベンチャー起業に熱心である。これらの多様
性は、長期的に見て科学技術振興、産業育成などにプラスになるはずである。
また、政府は都市毎に特徴ある産業の育成に努めている。天津はバイオ、蘇州はナノ
材料、武漢は光産業、済南はITというように都市毎に特徴を持つ産業技術の育成に努
めている。さらに、中国科学院は地方政府と協力し、地域の発展を支える研究所を積極
的に建設している。これらの試みはすぐには成果がでないが、長期的には効いてくるで
あろう。
8.ハイテク産業への集中投資
中国は潤沢な資金を活用してハイテク産業育成にも熱心である。電気自動車、大型民
間飛行機、新型原子力発電、医療機器開発、遺伝子組換え生物など次世代の産業育成に
集中的に積極的に取り組んでいる。
9.大学と企業の連携
オープンイノベーションが世界の流行語になっているが、企業は大学へ積極的に委託
研究を行い、また大学発ベンチャーの育成にも熱心なように日本と比較しても大学と企
業の関係が緊密である。企業委託費の一部が教授の給与や学生の賃金になるのも、両者
の連携のインセンティブとなっている。
一方で、本来基礎研究を分担すべき大学の応用研究と開発への偏重の弊害も指摘され
ている。
以上中国の特徴を書き連ねてみた。
豊富な「人才」と「研究費」の両輪は中国科学技術力の大きな推進力となっている。
中国は色々な問題を抱えているが、両輪がある限りは中国の科学技術は前進し続けるに
違いない。
(2010年6月22日)
35
中国イノベーション政策の概要
大胆で革新的な政策は政府の各部門に及ぶため、議院内閣制の民主主義国では調整に
時間がかかる。一方、大統領制のように強いリーダーシップを発揮できる国は思い切っ
た政策が打ち出しやすい。
中国は共産党が政府を指導する立場にいるため、党幹部の方針が決まれば、政策を迅
速にかつ統合的に実施できるというメリットがある。日本では共産党支配を一党独裁と
断定し、その負の面ばかりが強調されるが、ここは冷静になって中国の政策を分析して
みるのも悪くはあるまい。
日本のマスメディアが中国共産党を悪く言うのは、日本が中国みたいな国になった場
合、マスメディアは党の強い規制を受け、その存在意義が失われかねないからだとも言
えようか。報道の自由が確保されていて、政府が混迷するほどマスメディアの仕事は増
えていく。日本はダメだとマスメディアが唱えるほど、国民はそれに同調し、停滞感と
虚脱感が増強され、政府も国民も希望を失い、やる気を喪失し、腐敗し堕落していく。
マスメディアの自作自演の亡国のシナリオである。
中国に駐在していて仲のよい中国人と議論すると、日本のマスメディアの横暴を規制
しないと、日本は本当の実力や優れた点を忘れ、自信を失い、衰退してしまうぞと彼ら
に警告される。もちろん、中国のあり方が優れていて、日本は何でもダメだと中国人が
主張している訳ではない。有能な中国人は両国を冷静に観察しているのである。
脇道にそれたが、本論に入ろう。
自主創新
中国の「中長期科学技術発展計画綱要」
(2006~2010 年)は「自主創新」を国家目標
として掲げており、人材育成、資金投入、優遇税制、政府調達等の各方面から政策を実
施している。
人材育成では、海外留学帰国者の就業・起業に優遇策や資金提供を実施したり、優秀
人材を有する企業に政府の産業化研究プロジェクトを優先的に委託したり、上海市では
ソフト、IT、バイオ等新興企業の高級管理者や技術者の個人所得を50%補填するな
どのインセンティブを与えている。
資金投入では、国家開発銀行が政府の重大科学研究プロジェクトの参加企業向けに融
資・貸付利子補助等を支給したり、ハイテク企業向けの輸出信用・研究開発に関する特
別保険サービスを設立したり、中国輸出入銀行でハイテク製品輸出向けの特別融資口座
を設け中小企業に輸出促進融資を提供したり、重要技術装置製造のコア技術・主要技術
の研究開発に無償資金援助、貸付利子の補助、ベンチャー投資等総合的な支援などを行
っている。
優遇税制については、新技術等の研究開発費を所得控除、五割増控除を許可したり、
ハイテク企業の企業所得税を免除したり、サイエンスパーク等における不動産税・都市
部土地使用税の免除、インキュベーションサービスの提供による税収の営業税の免除な
どを行っている。
政府調達については、『自主イノベーション製品政府調達目録』を定期的に公布し、
目録に入選した製品を政府調達で優先的に選択している。
さらに、企業に対しても「国家重点実験室」、
「国家工学実験室」等政府レベルの研究
機関設立の申請を開放している。許可された企業に対して、政府は経費の一部を補助し
ている。また、「国家認定企業技術研究センター」と認定された企業の研究開発機関に
対しても政府は部分的に資金を援助している。
36
積極的に研究投資する中国企業
次に、中国の主要企業の研究開発の概況を見てみよう。
中国国内に200社もあると言われる自動車メーカーの中で成長著しいのは、奇瑞
(きずい)自動車(Chery Motors)だ。研究開発の重点は、エンジン、ATトランスミ
ッション等の主要技術分野に置き、エンジン、ギアボックス、自動車エレクトロニクス、
新エネルギー等核心技術を握るメーカーに躍進した。核心技術でない部品については、
例えば車体設計でイタリア等にアウトソーシングしたり、世界中から廉価な製品を調達
したりしている。2010年の研究開発費は約25億元(約370億円)と予測されて
いる。
成長著しい情報ソフトウェア企業の華為(ファウェイ)は定款で「売上高の10%を
下回らない費用と43%を下回らない従業員を研究開発に投入し、かつ、研究開発の1
0%を先端技術、コア技術及びコア技術の研究に用いる」と明記している。実際、20
08年の研究開発費の対売上高割合は11.6%で、世界トップレベル企業のエリクソ
ンの14.8%、シスコの13.0%に迫る勢いである。特許協力条約(PCT)に基
づく出願件数で、華為は世界最大となった。
また、華為は世界中に18ヶ所の海外研究センター、国内に12ヶ所の研究所を設置
し、大学、ライバル企業との協力も含めてオープンな研究開発協力体制を整備している。
家電メーカーの海爾(ハイアール)グループは、2009年度に約73億円を研究開
発に投入し、売上高の約6%となっている。2009年の冷蔵庫の出荷量では世界一と
なった。ロボット事業ではハルピン工業大学、ソフトウェアでは北京航空航天大学等と
協力研究を行っている。
イノベーションの総合的政策は中国企業に次第に浸透し、その成果は徐々に挙がりつ
つあると言える。
(2010 年 6 月 14 日)
37
世界の工場から世界の研究所へ
中国は世界の工場となり、石油や原材料を世界から掻き集めて工業製品を大量生産し、
世界中に輸出している。中国国内消費の石油の半分は輸入に頼っているという。シーレ
ーン防衛のため、海軍を強化しようとしているのは理解できるが、きちんと説明しない
と日本や東南アジア諸国に中国は脅威だと受け止められることだろう。中国は空母を国
内生産できるところまで来ているのだ。
中国は鉄鉱石などの工業原料を求めてアフリカや南アメリカとの資源外交にも積極
的である。資源を購入するために、現地国の道路などの社会インフラ整備の支援もして
いる。中国は借款や技術の提供だけでなく、労働者さえ現地に送り込んでいるのだ。貧
困地域の農村に生まれた中国人はアフリカ奥地での労働に対して大して苦痛を感じな
いのではなかろうか。彼らは然るべき賃金がもらえれば、どこへでも出かける。勤勉な
中国人はそうやって世界中の大都市にチャイナタウンを築いてきたのである。
歴史とは皮肉なものである。文化大革命終了時の中国は貧しかった。豊かな国になる
ためには人口が多すぎた。そのため、人口抑制策がとられた。いわゆる一人っ子政策で
ある。しかし、現在世界の企業は人口が巨大であるがゆえに、中国に進出しようとして
いる。未開の市場が狙われ、資本がそれを拡大再生産する国や地域に投資されるのは自
明の定理である。さらに、余剰人口を使って海外の社会インフラの整備のために働かせ
ようとしている。一石二鳥である。
日本人が決して行きそうにない生活の不便なところにも中国人は出かけていく。韓国
人もまだバイタリティーがある。中国人はカネのことしか考えないと日本人は批判し、
軽蔑する。そのような日本人の清貧の思想はつつましく、美しいと私も思う。
しかし、日本人の自信喪失現象を見ると、中国人の生き方が悪いとは言えないような
気がする。彼らは金持ちになってもなおカネ儲けを追究するのだ。金儲けがはしたない
と軽蔑される日本と比較すると、彼らの方が自然な社会かも知れない。カネ中心に人生
が終わるのは、少なくとも金融資本主義経済にマッチした生き方である。日本人には貪
欲にカネを稼ぎ、はしたなくカネを使いまくることが必要なのかも知れない。美意識の
転換が必要な気がする。
帰国奨励政策
前置きが随分長くなった。本論に入ろう。
中国は海外に散らばった優秀な中国人を帰国させる政策を実行してきた。1970年
代末に始まった改革開放政策以来、130万人の留学生が夢を求めて海外へ飛び立ち、
30万人が帰国した。100万人が海外に残ったままである。この膨大な数字の優秀な
人材が米国などに行って、帰国しなくても、中国政府はあまり気にならないらしい。海
外で自由思想を身につけた100万人が一挙に帰国すれば民主革命が起こるから政府
はそれを望んでいないという中国人民主活動家もいる。
天才は自然に再生産できるため無理に呼び戻す必要もないとも言える。中国人は彼ら
が信じているように頭の回転が早く、労苦を厭わない優秀な民族である。中国大陸には
人材はいくらでもいるのだ。羊を追いかけている少年に勉強させれば、彼らは優秀な科
学者になる可能性だってあるのだ。
アメリカで理工系の博士を取得する外国人は半分であるが、その三分の一は中国人で
ある。アメリカにおける日本人の博士号取得者の二十倍もいる。中国人の海外ネットワ
ークの形成能力ですでに日本は大きく遅れている。日本ではハーバード大学卒よりは東
京大学卒が高く評価されるために、優秀な日本人は海外を目指さない。海外帰りはバタ
臭いと言って敬遠される。
38
日本は、海外に留学に行って苦労して外国語や世界トップの知識を身につけても、国
内で余り評価されないという風変わりな国である。ガラパゴス化は技術において進んで
いるだけでなく、人材育成においても進展しているのである。
さて、中国はどうであろうか。中国は「遅れてやってきた青年」であるため、海外に
人材を派遣し、世界最先端の制度や技術を修得する必要があった。ちょうど、平城京を
建造するために、当時の日本政府が優秀な役人や僧侶を大唐に派遣したのと似ている。
現在、多くの中国人が海外から帰国するようになったと中国政府は胸を張るが、統計
上海外に行く留学生数はまだ帰国人数を上回っている。つまり、頭脳流出は続いている
のが実情だ。
90年代から中国政府は海外に散った優秀な留学生を呼び戻そうと政府一丸となっ
て政策を打ってきた。教育部の「長江学者奨励計画」、中国科学院の「百人計画」
、国家
自然科 学基金委員会の「国家傑出青年科学基金」が代表的な制度である。研究者は帰
国後の研究費や給与が保証されて帰国したのである。まさに、パラシュート部隊だった。
このような制度によって、四十歳代の教授のみならず、三十歳代の教授も次々と出現し
た。彼らは大学や研究所の要職に就き、中国のサイエンスを牽引するようになった。
現在では主要なアカデミズムポストは海外留学組で占められ、今後は特別に優秀な人
材を除いて、中国に帰国するには地方政府の研究機関や大学を狙うしか方法がなくなり
つつある。
中国政府が次に打ち出した政策は世界の優秀な頭脳を中国に結集させることである。
研究費は毎年20%の勢いで増えている。研究は人材で決まることを考慮すると、人材
に高額の経費を払うことは難しいことではない。
千人計画
ここでは、共産党中央組織部の「千人計画」と中国科学院の「人材育成誘致システム
プロジェクト」について述べよう。なお、これらの計画は当初外国人を念頭においたも
のと聞いていたふぁ、蓋を開けてみると、華人(国籍は問わない)が大多数を占めてい
る。http://www.sciencenet.cn/m/user_content.aspx?id=329082
「千人計画」は2008年にスタートし、5~10年で国の重点プロジェクト、重点
実験室、ハイテクパークなどに約2000名の技術革新人材を招致しようというプログ
ラムである。選ばれた人材は一度に限り100万元(約1400万円)の補助を受ける
ことができる。ビザ取得の優遇策は勿論のこと、配偶者の雇用、子女の教育、住宅購入
などでも優遇措置が設けられている。なお、中国滞在は半年以上と決められているので、
自国のアカデミックポストとの兼務も可能である。
2009年においては、67ヶ所の研究機関で326名を受け入れている。これらの
人数のうち大多数はアメリカ人と思われるが、在日華人教授も14名含まれている。日
本人については、噂は耳にするが選出されたという事実は確認されていない。
中国科学院の「人材育成誘致システムプロジェクト」は毎年300名の人材招聘を目
的としている。内訳は、
「アインシュタイン講座教授」
(20名が中国で学術講座)
、
「外
国専門家特別招聘研究員」
(100名が国際共同研究)、
「海外有名学者」
(50名が中国
で短期勤務)
、
「外国籍青年科学者」
(130名が中国で専従勤務)となっている。
「外国
籍青年科学者」については、日本人も数名含まれているが、今後日本の研究費が伸び悩
むことになれば、日本から中国への頭脳流出が起こる可能性もある。研究者にとって、
国境は関係がないからだ。
地方政府も優秀な人材の獲得に乗り出している。
無錫市はリーダー型海外留学帰国者の創業人材を導入するために「530計画」を打
ち出している。中国の地方都市間のハイテクシティーやエコシティーの建設競争は激し
39
さを増しているが、それは人材獲得競争にも波及してきている。東京を始めとして、世
界各国で人材獲得のための説明会が開催されている。
また、中国科学院は地方都市と共同でその都市に必要な技術を開発する研究機関を共
同で設立している。日本では地域科学技術事業は「仕分け」の対象となっているが、中
国は将来を見据えた政策を着実に実行している。
最後にもう一言。
アメリカのコールド・スプリング・ハーバー研究所は主にライフサイエンス系の大学
院生や若手研究者を育成するためにセミナーなどを開催している非政府系団体である。
ノーベル賞学者など一流学者の前で研究成果を発表できるとしてアメリカ人若手研究
者の「登龍門」として有名である。このセミナーは門外不出とされてきたが、あろうこ
とか日本の頭越しに、中国の蘇州において、一年間セミナーが開催されることになった。
中国側の強力な誘致運動が行われたと想像されるが、アメリカにとっても中国は将来の
科学大国になる資格と可能性があると認められたとも言える。
日本は中国への技術流出を警戒する風潮が強いが、中国は高い視野から着実に重要な
政策を実行しているのである。
(2010 年 6 月 9 日)
40
中国科学技術政策の歴史
1949年新中国の成立以来の中国科学技術政策の変遷を振り返ってみたい。この間、
中国は共産党支配が一貫して継続されてきたが、国家の屋台骨を支える科学技術政策は
世界の情勢に合わせて大きく変化し、発展を続けてきている。中国共産党に媚を売るわ
けではないが、科学技術重視の姿勢は変わらず、国家の軍事や経済の強化を支えてきた
のである。
科学技術政策の歴史を理解するために時代区分をしてみよう。まず、1978年から
始まった改革開放政策を境に大きく二つに分けられる。さらに、改革開放前は三つに、
改革開放後は四つの段階に分けて考えることができる。整理すると以下のようになる。
○
・
・
・
○
・
・
・
・
改革開放前(1949年-78年)
基礎段階(1949年-56年)
発展段階(1956年-66年)
重大局面(1966年-78年)
改革開放後(1978年-)
1978年全国科学大会後(1978年-85年)
科学技術体制改革(1985年-95年)
科学技術・教育立国戦略(1995年-06年)
2006年全国科学技術大会後(2006年-)
改革開放前
改革開放前の科学技術政策の特徴は、①計画主義、②軍事科学研究優先、③高度集中
管理、④政治目標優先に要約される。
計画主義とは、政府が研究開発計画を作成し、研究機関や大学はそれに従わせるとい
う従来の共産主義体制の手法である。
軍事科学研究優先は、周辺国の侵入や干渉から国家を守るために原水爆やロケットの
開発に優先的に取り組んできたことを指している。これらの研究開発に携わった科学者
は今でも国家の英雄扱いだ。
高度集中管理とは、研究者の自由を認めず、政府・党に権限を集中させて研究者や研
究機関を強力に管理したことをいう。研究者や人民にはひたすら国家に奉仕する義務が
課せられていたのである。
政治目標優先も同様な意味である。政治が経済や文化や科学の発展よりも優先された
のだ。
次に改革開放前の段階を三つに分けた理由を考えてみたい。
新中国成立直後、ソ連の科学アカデミーをモデルとして中国科学院が設立される。中
国はソ連の影響を大きく受けていた。ソ連の計画経済方式はまだ成功を収めていたし、
ソ連は技術者を中国に派遣するなど両国の関係も良好だった。ソ連は1957年10月
人類初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功し、世界を驚かせた。ショックを
受けたアメリカは翌年の58年NASAを設立し、61年からアポロ計画をスタートさ
せ、米ソの宇宙開発競争は激しさを増していき、69年7月アメリカが月面有人着陸に
成功すると両国の宇宙開発競争に一応の終止符が打たれた。
改革開放前の発展段階(1956年-66年)はソ連の計画経済の全盛期時代と重な
る。だが、59年中ソの政治対立が激化し、ソ連は中国から技術者総引き揚げを敢行す
る。
その後、中国は文化大革命に遭遇し、研究開発においても大きな痛手を負うことにな
41
る。それが「重大局面」(1966年-78年)に相当する。文化大革命の時期、大学
は閉鎖され、知識人は人民の敵として弾圧されるころになる。この時代に大学に入れな
かった現在の五十歳代の人材不足は深刻である。そのため、一方で大学や研究機関で四
十歳代の学長や所長が多く誕生することになる。
改革開放後
1978年毛沢東の死後、鄧小平が権力を握ると、改革開放政策が発動され、海外の
優れた制度や技術の導入が始まる。1978年3月全国科学大会が開催され、科学技術
は第一の生産力であり、知識人は労働者階級の一部であるとして名誉が回復される。大
学も再開され、ようやく「科学技術の春」が訪れることになる。改革開放政策の数年後
から高度経済成長が始まり、現在まで三十年以上継続している。
経済発展が科学技術を引き上げ、科学技術の発展が経済成長を下支えするという好循
環が繰り返されることになる。中国はかつての古色蒼然としたセピア色の共産主義社会
から光輝くメタルカラーの資本主義社会へと変貌する。変わっていないのは共産党によ
る一党支配体制であり、諸外国からは政治改革の立ち遅れが早晩経済発展の足かせとな
ると言われ続けてきたが、激動する世界経済の中でその点が不利かどうか予断を許さな
い状況である。
さらに、1985年3月「中国共産党による科学技術体制改革決定」が公布されると、
一層の制度改革が行われるようになる。その後の10年間は「科学技術体制改革」(1
985年-95年)の時代と呼ばれる。
体制改革のポイントは、科学技術と経済のミスマッチを解決することである。具体的
には、科学技術予算配分制度の改革、多様な産学官研究機関の発展、研究開発機関の自
主権の拡大、研究機関長の責任の明確化、科学技術専門家の招聘制度の改革、専門家の
兼務の促進、専門家の管理の緩和などである。いずれも資本主義社会では当たり前の科
学技術政策である。中国の欧米や日本の追撃が始まったと言えよう。
この時代のエポックメーキングは、1985年アメリカのNSFをモデルとして中国
自然科学基金委員会(NSFC)の設立とハイテク計画である「863計画」(86年
3月スタート)の実施である。前者の設立により、研究者の自由なアイデアに基づく基
礎科学の振興が行われるようになった。2010年度のNSFCの予算は1200億円
を突破し、今後も毎年30%の増額が見込まれている。
それから 10 年後、中国はさらに一歩踏み出す。
「科学技術・教育立国戦略」(199
5年-06年)である。これは1995年5月の「科学技術進歩の加速に関する決定」
を契機に新しい政策が打ち出された。つまり、科学技術は第一の生産力、経済建設は科
学技術に依存、科学技術の頂点に登頂などを基本方針とする「科学技術・教育立国戦略」
だ。日本は「科学技術創造立国」と呼んでいるけれど、中国は教育まで含んでいる。中
国におべっかを言うつもりはないが、やはり教育を入れたのは視野が広く、正解だった
と私には思えてしまう。
そして、「科学技術・教育立国戦略」は第九次五ヵ年計画に明示され、正式な国策と
なった。基礎研究を強化するために「973計画」が始まり、さらに大学を世界一流に
するために「985計画」がスタートする。
自主創新国家
さらに10年後の2006年 1 月、全国科学技術大会が開催され、
「国家中長期科学
技術発展計画(2006年-2020年)」が決定され、中国は「自主創新国家」を目
指すことが明記された。科学技術発展はイノベーション(創新)のためにあるのだと明
確にされたのだ。2020年までに研究開発投資額のGDP比率を先進国並みの2.
42
5%に、外国への技術依存度を30%まで下げるなどという目標が設定された。
ちなみに、2009年の研究開発投資額のGDP比率は1.53%である。日本の3.
8%には及ばないが、すでに研究開発投資額は日本の半分近くまで迫っている。日本の
研究開発投資は政府の財政状況や企業の体力低下のために、今後伸びは期待できないが、
中国の研究費総額は毎年約2割も増加しており、2010年代後半に日本に追いつくと
予想される。
また、中国は数年前より大型飛行機の開発、遺伝子組換え動植物の開発、省エネ・新
エネ開発などいわゆる「重大科学技術プロジェクト」を開始し、単なる基礎研究のみな
らず、飛行機や電気自動車などの産業技術まで政府が指導して開発する仕組を作り上げ
ている。
2015年には全国科学技術大会が開催され、次の国家目標と政策が打ち出されるこ
とになろう。2025年までの次の10年間で、世界の科学技術を牽引する、つまり米
国を凌駕する科学技術強国が目標として掲げられることになるのではなかろうか。数年
以内で中国は論文総数でアメリカを抜くが、次のステップは質の面での世界一を目指す
ことになろう。
日本は第一に国内の科学技術体制の一層の効率化を急ぐ必要があるが、中国の勢いも
借りて、共に発展する仕組を作り上げていくことが必要ではないだろうか。(2010 年 5
月 10 日)
43
イデオロギーとサイエンス
急送に発展する中国の科学技術
近年、中国の科学技術は随分急速に発展してきた。政府投入研究費の毎年20%の伸
びに呼応するかのように、中国人学者による発表論文数が急成長している。中国側のデ
ータによると、2007年国際雑誌に発表された論文数及び学会発表数では、中国は日
本を追い抜き、米国に継ぐ世界2位になった。
また、研究環境も急速に改善してきた。1995年前後、大学や科学院研究所の建物
は、研究者が不憫に思えるくらい古臭いセピア色で、研究機材・機器なども貧弱で、社
会主義国のイメージにピッタリ合っていた。その後、政府は科学技術振興に力を注ぎ、
一流大学や科学院研究所のキャンパスの古い建物は一掃され、次々と新しい建物が聳え
立つようになった。研究機材や機器も高価で新しいものに置き換えられていった。国家
重点実験室の研究環境は、日本と遜色のないレベルまで改善された。大学教授の給与も
10年で十倍という猛烈なスピードで上昇し、共産党・政府は知識分子の体制内抱き込
みに成功したばかりでなく、研究環境を整え、優秀な人材を確保し、イノベーション立
国の基礎を固めていった。江沢民の「三つの代表」論は資本家の体制内抱き込みを狙っ
たものであるが、中国人は体制内の亀裂の可能性を前もって防ぐのが実にうまい。
政府も海外に流出した中国人頭脳を呼び戻すために、政府は優遇策を提示し、さらに
ハイテク促進、基礎研究推進、ビッグプロジェクト創設など積極的に政策を打ち出して
いった。ハイテクパークやサイエンスパークには近代的で瀟洒なビルが林立し、海外の
企業がバスに乗り遅れまいと我先に中国国内に研究拠点を設置していった。日系企業も
流行に遅れまいと、海外ライバル企業に追随するように研究拠点を設置している。この
ような国まるごとの模様替えは、さすがに、中国のリーダーの多くは理工系出身者であ
ると言わしめるだけのことはある。21世紀の大国といわれる中国の面目躍如である。
このような科学技術の変化は、中国経済の急速な発展が世界から注視される一方で、
それを上回るくらいのスピードで起こったのである。中国政府や中国人学者が胸を張る
のはよく理解できる。
実は以上は表面的な出来事である。もっと深層を見てみよう。
イデオロギーと政治の影
科学技術の発展には優秀な人材が不可欠である。どんなに潤沢な研究費があっても、
人材が揃っていなければ、おカネを溝に捨てるのと同じである。鄧小平の改革解放路線
後、130万人の留学生が中国を離れたが、祖国に戻ってきた者は30万人に過ぎない。
100万人が米国などの海外で活躍し、祖国に帰ってきていない。帰りたいが、大きく
なった子供の教育を考慮すると、二の足を踏んでしまう者もいよう。また、ある者は世
界トップの研究環境と比較すると、まだ中国に戻る気がしないであろう。中国の特殊な
政治体制に見切りをつけて、民主主義国で「自由」を享受している者もいよう。いや、
このタイプはかなり多いかもしれない。そう考えると、政治的自由のありなしが、優秀
な研究者や学者を集める上で非常に重要ということになる。
現在でも、帰国する留学生数よりも海外に渡る留学生数の方が多い。頭脳流出が止ま
ったと言える状況ではない。
真理の追究より安全保障が優先
気象情報は国家の重要な軍事情報であるため、中国人研究者でさえ、然るべき当局の
許可を得ずに勝手に気象観測をすることは許されていない。外国人であればなおさらで
ある。ある日本人学者が中国のカウンターパートとの共同研究協定に基づいて水文など
44
の気象データを得ようとして、当局に一時拘束されたこともあった。自宅のベランダで
簡単な気象観測をして公安から事情聴取を受けた日本人駐在員もいる。
市場に出回る食品に含まれる農薬を調査し、研究発表することも許されていない。研
究者は真実の追究よりは、科学技術振興による強国化や国家管理体制の保全に貢献する
ことを求められている。
大型研究施設の建設は国家の国威発揚に直接貢献するために、積極的に推進される。
高エネルギー加速器や大型天体望遠鏡の建設は強国のシンボルである。LAMOSTと
いう天体望遠鏡は中国独自の国産技術で建設されたもので、中国の誇るべき大型研究施
設である。ただし、この天体望遠鏡によって得られる観測データは天体の全体像を理解
する上で重要なデータベースを形成するものにはなるが、何か具体的な科学的課題の解
決を目指して企画・完成されたものではない。この点、日本がハワイに建設した「すば
る」とは対極的な位置にある。
「すばる」の研究成果は一級品である。
困ったことに、LAMOSTはなぜか北京と河北省承徳の間に位置している。標高1
500メートルの山地に建設されたのはできるだけ空気が清浄な場所を選んだためと
思われる。しかし、この場所は春には黄砂が駆け抜ける場所でもある。天体望遠鏡のメ
ンテナンスに大きな障害を受ける恐れがある。立地の理由をある筋から訊いてみると、
「政治的理由」という回答がきた。大型研究施設の立地に当たり、日本や米国にも政治
家の圧力がないとは言えないが、それにしても観測研究に障害が及ぶかもしれない立地
は避けるのが当然であろう。
官製ベンチャー
政府はベンチャー育成に懸命である。特にコア技術をもとにしたベンチャーが筍のよ
うに生えてくると、企業における技術開発も活発になってくる。そもそも中国にはベン
チャーが育つ社会環境が整っていない。計画経済に慣れ親しんだ中国人にはリスクに挑
戦する精神はまだ育っていない。
ある日、政府は後方から支援し、ベンチャーの育成を行っている。北京の中関村生命
科学パークに位置する中国自慢のバイオチップメーカーを訪れた。欧米帰りの中国人清
華大学教授が開発したという技術に中国のリーダーが注目し、巨額の資金と研究費を投
入して、バイオベンチャーを立ち上げた。年商15億円まで成長しているという。ただ、
よく話を聞いてみると、このベンチャーは「国家エンジニアリングセンター」の看板を
持つ国営の組織でもある。そのセンターの育成を目的に、政府から多くの研究開発費が
投入されているというカラクリになっている。ベンチャーの経営者の立場でいうと、研
究開発費は国からの補助金で賄っていることになる。これではベンチャーが潰れる心配
がなく、必死の経営努力は行われないと推測される。中国にはベンチャーと称する企業
が多く設立されているが、国有企業の資本が注入されていたり、国立大学や公的研究機
関が設立したものが意外と多いことに気づかされる。「ベンチャー躍進」という甘い言
葉に惑わされないことが重要である。まだ、中国ではベンチャーが育つ素地が整備され
ていないのだ。
決定・実行が速い
一党独裁は悪い面だけではない。当然プラス面もある。民主主義国では、政治が国民
のニーズを重視するため、福祉や社会保障が優先されやすく、国威発揚や強国化のため
の軍事費や科学技術予算の増加が国民の強い支持を得にくい。しかし、体制強化や国際
社会での発言力強化を狙う一党独裁国家では、これらの予算は優先的に配分されやすい。
事実、鄧小平の「科学技術は第一の生産力」の前提に基づいて、中国政府は科学技術力
の強化に努めてきた。有人宇宙飛行の二度にわたる成功は、世界中に中国の軍事大国化
45
とハイテク大国化を強く印象付けた。日本国内では早々と、中国はもはや援助を受ける
ような発展途上国ではないとして、政府開発援助の無償供与停止を決めてしまった。周
辺には中国の脅威を感じる国が増加してきている。
一党支配国家は、目標を明確に定めたプロジェクトの遂行に大いなる力を発揮する。
宇宙開発では月面基地建設をも睨んだ計画が検討されているが、高速増殖炉などの原子
力開発、深海探査船などの海洋開発、大型加速器建設、世界最大級の天体望遠鏡建設な
ども強力に推進されている。これらのプロジェクトのレベルは、宇宙開発を除けば、日
本より二世代以上の遅れがあるため、すぐに中国に追いつかれる訳ではないが、中国の
ような強固な政治体制は、いいか悪いかは別として、巨大な構築物の開発・建設に有効
なシステムである。また、1990年代前半、計算速度で米国とトップ争いをした日本
のスーパーコンピューターは、設置数世界トップ500のシェアで中国に抜かれている。
ただし、中国が将来世界レベルまで来ると、科学の観点に立って、真に必要な大型研
究装置とは何かという問題に直面することになろう。科学者のアイデアが試されること
になる。日本では世界に稀有な加速器J-PARCが稼働中で、世界の科学者から注目
されているが、中国の学者たちは独創的なアイデアで大型装置を建設していくことがで
きるか厳しく問われることになろう。
次々と開始される大型研究プロジェクト
中国政府は自国の強みをよく知っているのであろう。最近、科学技術重大プロジェク
トとして13のプロジェクトを承認した。「高級数値制御旋盤と製造の基礎設備」、「大
型飛行機」
、「新世代無線ブロードバンド移動通信網」、「重点電子計器トランジスター、
先端通用チップ及び基礎的ソフト製品」、「大規模集積回路の製造装備及び関連技術」、
「大型油田、ガス田及び炭層の開発」、
「大型先端加圧水炉及び高温ガス冷却炉原子力発
電所」、
「水汚染の制御と整備」
、
「遺伝子組み換え生物の新品種の育成」、
「重要新薬の研
究開発」、
「エイズとウイルス型肝炎など重要伝染病の予防と治療」
、
「有人宇宙飛行・月
面基地建設」などである。トップダウン型の科学技術の開発方式である。
さらに、中国政府は金融危機対策として60兆円の資金を投入すると明言しているが、
そのうちの4兆5000億円は産業界に流れ、産業技術の開発等に使用されると考えら
れている。ハイブリッド車、電気自動車、情報通信技術などの開発にも向けられている
そうだ。
何度も指摘するが、中国の科学技術体制はボトムアップの科学者発意のアイデアの尊
重には向いていないが、強力な権力を後ろ盾とするトップダウン方式に慣れ親しんでい
るように思える。しかし、ここにも問題が潜んでいる。
大躍進政策時代の悪夢が蘇る
中国は1958年から60年にかけて、農工業の生産性を高めるという「大躍進政策」
を強行した。大製鉄・製鋼運動では、農民たちに貧弱な技術で鉄の増産を激励した。そ
れは大失敗だった。農産物の生産でも水増しした数字が地方から競うように上部機関に
報告された。これも失敗した。「農業は大寨に学べ」とモデル地区を指定して盛んに宣
伝されたが、みるべき成果が挙がらなかった。そもそも理念やスローガン優先で、技術
や実情を無視した政策だったことが敗因である。このような中国人の体質は現在でも残
存しているように思える。
中国のハイブリッド車や電気自動車は、公的機関が試験的に使用するという名目で販
売されている。だが、一般の消費者は耐久性、信頼性などに懸念があるため、これらの
車を購入しようとはしない。つまり、企業は研究費補助金をもらい、形だけのハイブリ
ッド車や電気自動車を開発し、「中国でも開発に成功」と謳い上げる。党・政府はその
46
まま信じて、気をよくし、次にもっと高い目標値を設定する。もうすぐ日本や米国に追
いつく、と思い込んでしまう。これでは大躍進政策時代と基本においてあまり違わない
ではないか。研究開発現場は面子を重んずるあまり、市場ニーズに耐えられない、見掛
け倒れの車を製造して、「うまくいった」と上部機関に報告するのである。これは中国
式無責任体制であるが、この悪弊の克服が必要である。
論文窃盗・捏造問題
中国では院士、副学長、教授、博士学生、修士学生などあらゆる知識分子階層のあい
だで、他人や近辺者の論文を剽窃する事件が相次いでいる。学術道徳の欠如が蔓延って
いる。研究者個人に対する研究評価が発表論文数を重視しすぎているのが背景として指
摘されている。筆者が清華大学教授にこの問題を持ち出すと、日常茶飯事の話題となっ
ており、どこまで論文窃盗が蔓延しているのかつかむことは出来ないとの回答だった。
中国製品のコピー体質は、知識分子の倫理観まで蝕んでいる。
中国の大学には、日本のような面倒見のいい「美しい」師弟関係は存在しない。教授
は学生を育てる気持ちが弱く、彼らの能力を利用して論文数をいかに「多く生産」する
かを考えている。学生も研究費を多く集められる教授に集中する。最新の研究テーマに
携わることができるし、企業からの委託費のプロジェクトに参加できれば、お小遣いを
もらうこともできる。
これらの問題の根本は、独立した権威のあるサイエンス・コミュニティー(学術界)
が存在しないからである。学者から構成される学術界が伝統と権威を持っていれば、自
己浄化作用が働き、論文不正の撲滅や研究教育の信頼関係の構築ができるはずである。
中国では他の先進国のような学術界組織がきちんと機能しているようには思えない。国
内での学会活動も不活発と中国人学者から耳にしたことがある。
これを政治体制と関連つけて分析すると、党のトップは国家の頭脳であり、その他下
部機関はその前衛政党の正しい指導の下で手足のように働けばよいという国家理念に
基づいているからではなかろうか。大学の研究現場や企業の開発現場は、指導者の喜び
そうなことは何か、自己保身のためにもっとも重視すべきことは何かと考えて行動して
いるように思える。真面目に働く者はバカをみるのだ。真理の追究や技術開発の楽しさ
は二の次である。
中国大学ランキングを巡る騒動
大学ランキングを作成している武書連氏が成都理工大学の金銭的援助を受けている
と報道され、大学ランキングへの疑惑が明らかとなった。さらに、大学ランキングの作
成に当たり、「理系を重視し文系を軽視」、「規模を重視し質を軽視」などという不満も
出されている。中国では大学ランキングに対する関心が高いだけに、様々な思惑や意見
が渦巻いている。社会全体に拝金主義が蔓延ると、このような不正が拡がる。自分の大
学のランキングがあがると、優秀な学生の確保や企業からの研究費の授受にも有利にな
るため、人脈利用や金銭などあらゆる方法で工作がなされる。理想を失った社会はカネ
中心に物事が動くようになる。全く困ったものである。
応用研究と技術開発にシフト
中国の研究費に占める基礎研究はわずか5%といわれている。急速な強国建設を急ぐ
余り、基礎研究より応用研究や技術開発が重視される嫌いがある。鄧小平の「科学技術
は第一の生産力である」という言葉がしばしば想起されている。基礎研究の振興を目的
とする国家自然科学基金委員会の予算が約4年で倍増していることは高く評価できる。
しかし、基礎研究という科学の土台をしっかり固めることをせずに、その上に「応用」
47
や「開発」という巨大建築物を建てるのは危険である。少なくとも筆者はそう信じてい
る。
中国の研究開発の強力な推進機関である中国科学院が、最近基礎研究をおろそかにし
応用や開発という「下流」に重点をおきすぎているのではないかと懸念している。中国
は長い間、計画経済を行ってきたため、技術開発を担う企業が育っていないのは事実で
ある。その役割を科学院が担っていこうという意気込みで、各地に基礎研究の成果を産
業技術に転換する拠点がつくられつつある。中国に限らず、他の先進国においても、基
礎研究の成果を産業技術まで発展させるのは決してたやすい仕事ではない。厳しい市場
ニーズを把握している民間企業でなければ、産業技術の開発に執着できない。公的機関
が関与すると、油断や甘さが出て、技術開発の効率が極端に落ちる。筆者は官主導によ
る「上流」からの技術移転を行うよりは、民間企業の技術開発を激励する環境作りの方
が大切と思う。技術開発は苦しいものである。それによって利益を得る企業が本気にな
らなければ、成功はおぼつかない。
さらに、「科学技術は第一の生産力」というテーゼは科学技術の重要性を指摘したも
のであり、決して科学技術が経済発展の「奴隷」になることを主張しているわけではな
い。これは筆者の見立てであるが。20世紀は科学技術振興によって経済を牽引してい
こうという時代であったかもしれないが、21世紀には、科学技術が人類の抱える諸問
題の解決に取り組んでいかなければならない。科学者は時代の先頭を走るべきであるの
だ。科学者は政治家や官僚や国民をむしろリードすべき存在である。このような考え方
が21世紀らしいクールなものである。中国政府の発想は「若干」遅れている。
イデオロギーと科学の発展
最後に、イデオロギーが強い国家体制の下での科学技術推進のメリットのデメリット
について、取りまとめてみよう。
メリットについては、政治体制の維持と強国化が大きな国家目標であるため、科学技
術投資の重点化や科学技術推進体制の強化が重視される。特に、目標が明確で、国威発
揚の大型プロジェクトには潤沢な予算と優秀な人材が投入される。月面基地建設や大型
飛行機の開発では、米国を脅かす存在まで成長する可能性がある。前述したように、ス
ーパーコンピューターの設置数トップ500のシェアで、日本はすでに中国に抜かれて
いるが、潤沢な人材と資金を投入することができる中国の将来は空恐ろしい。
また、指導者に理工系出身が多いというメリットが生かせれば、世界的視点で重要な
研究課題に重点的かつ迅速に研究投資が行われるという可能性はある。これは可能性で
あって、あくまで指導者は腐敗していない、つまり「国家理性」がきちんと機能してい
ることが前提である。
次にデメリット。最大のデメリットは学者や研究者の主体性の喪失である。学術界は
自律的に判断し、行動し、中国の科学技術の発展に努めるべきである。責務を遂行すべ
きである。だが現実は、政権が強固であり、絶大なる権力を持つため、すべては政治の
トップが決定し、研究者はその方針に従うだけという構図ができあがっている。主体性
の崩壊である。そうすると、様々な不正や腐敗が蔓延ってくる。正直者がバカをみる学
術界になると、研究室にこもり、落ち着いて真理の追究や新技術の開発に取り組む者が
いなくなる。論文数は増加するが、ゴミ論文ばかり多くなる。三度の飯を忘れて、機械
と格闘する工匠も現れにくい。仮に、すべてのものが偽善者になり果てるとしたら、中
国の科学の将来は明るいものではなかろう。研究者や技術者が喜びを感じる社会を作り
出すべきである。自由や楽しさがない研究開発現場に真のイノベーションが発生するわ
けがない。
これらのメリットとデメリットをどう評価するかは、イノベーション国家の建設を目
48
指す中国政府の責務である。ただし、中国の科学技術は推進体制に問題を抱えながらも、
着実に進展していくに違いない。その姿は日本から見ると、かなりいびつなものかも知
れない。でも直視しない訳にはいかない。
(再掲、一部修正 2010 年 6 月 29 日)
49
有名大学“見聞録”
2005 年の大学進学(専門学校などを含む)率は 21%、高校進学率は 53%、中学校進
学率は 95%と中進国並にまで成長した。現在の大学生の数は 2500 万人で、中国政府は
2010 年までに 3000 万人を目指すという。学生数の急激な増加は、大学がエリート化か
ら大衆化に変貌し、教員の養成不足も追い討ちをかけ、平均学力の低下が懸念される。
さらに、就職率は 70%程度しか届いていない。
「親戚中に面倒をかけて大学は出たけれ
ど、就職ができない」という厳しい状況になりつつある。
また、中国政府は、毎年海外に 10 万人の学生を派遣しつつ、一方では世界中から 16
万人の在学留学生を惹きつけている。日本人留学生数は韓国に次ぐ 2 位の位置につけて
いるが、そのほとんどが語学留学生である。内陸の大学のキャンパスでも、西欧人学生
の話す中国語を聞く機会はもはや少なくはない。国際交流は急ピッチで進行しているの
だ。
中国の有名大学はどのようなところであろうか。どのような大学があり、どのような
特徴を持っているのであろうか。科学技術の話題を中心に有名大学の素顔に迫ってみよ
うと思う。
各論に行く前に中国の有名大学の特徴を説明しておこう。
有名大学は、元来はすべて国立大学であったが、法人化されたため経営責任は自らが
負うことになっている。資金面の調達では銀行から融資を受けることができるため、日
本の私立大学並みの自由度がある一方、多額の不良債権を抱えている大学もある。また、
研究費の入手先は概ね三等分される。政府から自動的に配分される部分、競争的資金を
研究者個人が確保する部分、そして企業や地方政府から委託を受ける部分である。政治
思想は共産党から派遣された書記が担っており、政治デモの発生を警戒しており、外国
人客人との面会に姿を現すことは少ない。また、各大学は「校弁企業」と呼ばれる大学
ベンチャー企業を設立し、パソコン、ソフトウェア、医薬、環境などのビジネスを展開
している。中国では強い研究開発力を持つ国内企業が少ないため、大学の起業化に期待
がかかる。中国の企業は自前の研究所を持たず、大学に委託研究するケースが多い点も
日本と随分違う。
“自由よりは管理が優先”される国であるため、大学内では教授より管理部門の職員
の権力の方が一般的に強いとされている。また、中国の学生はキャンパス内の学生宿舎
に住む必要がある。個室はない。勉学と集団生活に集中する青春時代を過ごすことにな
る。
また、大学間の競争が激しいためか、“我が大学が中国で一番”と言わんばかりの説
明を聞かされるので、訪問者は冷静な分析が必要である。
もう一つ。理工系大学院生の処遇について触れておきたい。学部学生ばかりでなく、
大学院生もキャンパス内の宿舎に入り、在学中はそこから教室や研究室に通い、勉学と
研究に集中することになる。大学院生には、政府、大学及び指導教授から生活費補助金
が支給される。大学や専攻によって異なるが、年間合計約 8000 元から 1 万元以上にな
る。そのため、日本の大学院生のように学外でアルバイトする必要がない。米国の理系
大学院生は、ティーチング・アシスタントの名目で賃金を受け取れるため、学位を取得
するための研究に専念できる。
中国も米国も、大学院生が勉学に専念可能な環境を整備していると言える。これは米
中両国に限らず世界の常識であり、日本の方が特殊で、大学院生を大切に処遇していな
い。日本で理工系離れが進む原因と一つであるが、海外から優秀な大学院生を誘引する
際の阻害要因にもなっている。日本が中国から学ぶべき点である。
50
北京大学:次世代のリーダー達は北京大学出身か
北京大学は、1898 年創立の中国初の国立総合大学であるが、2000 年 4 月、北京医科
大学を合併し、着実に進展している。英国タイムズ誌の世界大学ランキングでは、2 年
連続で東京大学を上回ったこともあるが、SCI 登録論文数では、東京大学が 9471 報、
北京大学が 1290 報、
被引用数トップ 1%に占める論文数はそれぞれ 174 報、
6 報である。
東京大学は総合ランキングで負けても、自然科学の研究レベルでは北京大学を大きく引
き離しているのが実情だ。なお、北京大学在学の留学生数は東京大学のそれをすでに上
回っている。海外の学生からすると、中国の将来の発展を見込んでの中国行きと考えら
れる。
教員の主力は海外帰国組だ。教授の出身は、1/3 が北京大学の卒業生、1/3 が海外で
博士号を取得した者、1/3 が他の大学出身者とバランスがとれている。入学した大学の
学部、大学院を経てその大学の教員になる“純粋培養”が多い日本の大学も見習うべき
であろう。
1980 年代から大学教授が自分の研究成果を基に大学の名義で用地、資金などを確保
し、運営をする校弁企業が登場してきたが、現在大小合わせて 30 社ほどある。実力が
あるのは 5 社で、方正集団は最強集団である。大学は、校弁企業から譲り受けた技術(特
許の使用権)を株の形で保有するが、大学による株式保有比率は企業によって異なって
いるという。
北京大学の教員の特に優れた人は、1998 年に発足した教育部の招聘制度である「長
江学者奨励計画」を受けている。45 歳以下が対象だ。
林久祥副学長は淡々と話す。
「申請は重点大学のみが可能である。2005 年には、全国 100 人の枠のうち、北京大学
には従来と同様の 20 人の割り当てがあったが、適格者が多かったので 23 人にしてもら
った。因みに、清華大学は 14 人だった」
清華大学に対するライバル意識は非常に強い。
ある北京大学の教授が、
「地方政府の副省長クラスでは清華大学を数で圧倒している」
と胸を張る。次世代のリーダーは北京大学出身者が占めると言わんばかりだ。2007 年
10 月の第十七次共産党大会において、政治局常務委員に抜擢された李克強は、北京大
学で経済博士号を獲得した俊英であり、ポスト胡錦涛として期待されている。
また、谷崎光の著書『北京大学てなもんや留学記』のよると、北京大学の教授は、外
国人留学生を相手に、「北京大学は、学生一流、教員二流、管理三流」と不満をこぼし
ている。学生のバイタリティーや英語力では、日本の一流大学を凌いでいる。
力学・工程科学系は、1995 年、乱流・複雑系統研究国家重点実験室に認定された実
験室を持つ。評価をパス後、2004 年から二期目に入っている。教授は 10 人で、そのう
ち長江学者は 3 人(中国滞在が 1 ヶ月の者 1 人、半年の者 1 人)
。予算は 1500 万元で、
そのうち維持費は 50 万元。実験施設としては、10 年前に改良した大型の風洞実験室が
ある。民間企業からの委託により高層建築物などの模型の風圧実験を行なっている。ま
た、水槽を使った大気変動などのシミュレーション実験やコンピュータ・シミュレーシ
ョンも行なっている。だが、世界レベルからは程遠いという印象。同行した理化学研究
所の中国人研究者は「特に、コンピュータ・シミュレーションが相当遅れていて、仮に
この研究所に招聘されても帰国する気になれない。満足な研究が実施できる環境が整っ
ていない」とコメントしていた。
核物理学の教育向上のために、北京大学は 2 年に 1 回、国内の優秀な学生をキャンパ
スに集め、世界の一流研究者によるサマースクールを開校している。
また、有名大学は経営者を対象とした MBA コースを開講しているが、北京大学の場合、
2 年間のコースの授業料が 1000 万円もかかるという。大学の財政に貢献している。卒
51
業生は連絡先を記したリストに名前を連ね、将来にわたり緊密に連絡をとることができ
る。彼らによって新しいビジネスモデルが創出されるのか、企画はいいが実行の段階で
また喧嘩別れになるかが注目される。
清華大学:大清帝国
清華大学は、共産党の政治局委員の多くが輩出している超エリート校である。清華大
学の教授をしながら、天津大学や海南大学の学長を勤めている者もいる。清華大学はエ
リートのシンボルであり、中国では、その影響力の大きさから“大清帝国”とも呼ばれ
ている。
しかし、清華大学は、自然科学の基礎研究成果では他大学の追撃を許している。2004
年の SCI 論文の被引用数では、中国の大学の中で 4 位に後退した。前述したように、筆
者が独自に作成した大学ランキングでは 5 位。戦後の大学改革の際、北京大学はサイエ
ンス、清華大学はエンジニアリングと区分けされたのが尾を引いていると思われる。
李克強と同時に政治局常務委員入りを果たした習近平は、清華大学化学工学系出身で
あるが、後に清華大学の法学博士号を獲得している。胡錦涛総書記の後継者と目されて
いるこの二人は、それぞれ北京大学と清華大学の出身であるため、2012 年の全国党大
会に向けて、両大学の間の期待や競争も激化しそうである。
清華-富士康ナノテク研究センターは、台湾のブランド電気製品の下請けメーカーの
「富士康企業集団」
(大陸の工場で 15 万人の中国人が働く)が清華大学のキャンパス内
に、研究棟、研究装置、研究費などを寄付し、2003 年 12 月に設立されたものだ。研究
成果は企業と大学で均等配分される。貢献した教授には、ライセンスで大学に入ってき
た収入の 3 割が研究費として配分される。研究分野は応用指向で、企業と教授の利害が
一致するものを実施しており、具体的には、半導体、薄膜、CVD、カーボンナノチュー
ブなどの研究を実施している。
熱能工程系は、熱科学・動力工程教育部重点実験室を併設している。科学技術部の
973 計画からも研究資金を得ている。研究領域は、熱力学、燃焼機構の解明だが、脱硫
技術の開発も手がける。JST や NEDO からの資金提供も受けていたという。
脱硫で得られた副産物の石膏を使ってアルカリ土壌を改質する実験がフフホト、瀋陽、
銀川の大規模プラントで実施中だ。脱硫法には、湿式、セミ乾式、乾式の三種類がある
が乾式は困難で誰も成功していない。水が少ない中国西部では乾式の開発・導入が不可
欠である。プラントレベルと実機レベルでは、処理量が 100 倍も異なるので、実証され
た技術というわけではない。亜硫酸ガスを処理するのみでなく、石膏という化学肥料と
なる副産物を得ることができるが、石炭火力発電所では導入しようという動きは弱い。
1 セット装置の投資は、3 千万円から 5 千万円と高額であるが、中国の環境破壊は死活
問題であるので、調和社会の実現のためにも本気で取り組んでもらいたい。
物理系は 1926 年に設立されたが、一時北京大学に統合され、1982 年再び清華大学に
戻された。物理系は、原爆、水爆、人工衛星の成功に大きく貢献した。ノーベル賞学者
の楊振寧ら 10 人の院士を擁する。国家級の重点実験室は3つ持つ。論文は年間 300 報
以上で、純粋な研究費は 3000 万元だ。レーザーを利用した細胞膜や眼球の構造解析、
STM を使った半導体表面の解析、光子や素粒子による記録媒体の研究、携帯電話に使用
する超伝導フィルター膜に関する研究などの実験室もある。社会への応用を意識した基
礎研究に重点があるという印象を得た。
大学院生の学費は国家と大学が負担し、生活費の一部は担当教授が負担している。そ
れは教授が獲得した研究費から拠出されるので、教授は楽ではない。計画経済の際は、
大学教育は無料であったが、1992 年より学部学生は学費を徴収されるようになった。
当時は 400 元であったが、現在は 5000 元まで増加している。貧しい家庭は子供を大学
52
に通わせることが困難になりつつある。
清華大学は、大学院生の育成費に年間 26000 元を使っている。清華大学は知財権を企
業に売っている。特許申請は 800 件で、取得は 500~600 件。企業グループ(持ち株会
社)は 8 社で、これらの企業に特許を移転する。清華大学の収入は 1 億元に上る。
大学の科学研究経費は 20 億元で、うち国際協力による収入は 10%の 2 億元でその半
分は日本企業によるものだ。トヨタは清華大学との共同ラボに 4000 万元を注ぎ込み、
環境やエネルギーの研究を実施している。日本企業は清華大学と意外にも緊密な関係に
あるようだ。
中国農業大学:クローン牛の次は何の動物のクローンか
中国農業大学は、1949 年北京大学及び清華大学の農学系を統合して設立された大学
で、キャンパスは北京市内に 2 カ所ある。農学に関係しては農業経済、MPA も含む総合
的な農業大学である。
「競争的資金をとっていない教員の方が多いが、とっている教員は 2 本までという規則
が学内にある。競争的資金の 10%は個人の収入として使用できるが課税される。大学
院生や学生に小遣いとして配っている。中国では一部の研究者にのみ多くの競争的資金
が集まっていて、もらったら研究をぜんぜんしなくなる研究者もいる。もらえないひと
は海外の学会にも行けず、才能が無駄になっている。これは制度のマイナス面だ」とあ
る教授は憤慨する。
筆者が 2005 年 4 月の反日暴動の直後にこの大学を訪問した際、その教授は 20 数名の
学生を集めて、筆者の方を指しながら、
「日本に対して反感を持つ若者がいるけれども、日本は中国にとって大切な国です。協
力し合わなければどうやって中国は生きていけるのですか。あなたたちは日本人に会っ
たことがないでしょう。見なさい。日本人が悪い人たちに見えますか」
と言った。
筆者が中国語で挨拶すると、笑いが起こった。日本人は中国語ができないと思ってい
るため、意外であったのであろう。十数人の学生と一緒に日本製のデジカメで写真に納
まった。
生物学院の学院長は、973 計画の予算を使って、遺伝子レベルでの耐塩性、耐水性の
イネの作成の研究を実施している。中国農業大学は 973 計画のうち 6 つのプロジェクト
を実施しており、中国では 3 番目の多さと自慢する。生物学院は、植物生理学・生物化
学国家重点実験室、農業生物技術国家重点実験室の二つの国家重点実験室を持つ。一つ
の学院が二つの国家重点実験室を持つのは他の大学には例がないそうだ。後者の実験室
では、虫のつかないトウモロコシの遺伝子組換え実験、クローン牛などの成果が出てい
る。クローン牛の次は、どんな動物のクローンが飛び出すか。楽しみでもあり、怖くも
ある。
年間平均 200 万元の研究費を使っている生物学院長が語る。
「優秀な学者は米国にいて、まだ帰国していない。研究費は多いが、競争は厳しい。優
秀な研究者が絶対的に不足しているのが中国の最大の問題」
なお、筆者が訪問した 2005 年 6 月は 40 度近くまで暑くなったが、電力不足のため、
廊下は消灯のため暗く、クーラーのコントローラは強制的に封印されており、研究室は
相当暑かった。研究者や学生は白衣を着用せず、私服のまま研究を行っていた。節電は
大切であるが、こんなに暑くて研究成果が出るのか少し心配になった。
浙江大学:民間からの研究委託費が最多の大学
浙江大学は、国内ランキング 3 位の大学と自己評価している。どこの大学を訪問して
53
も、実際以上に水準を高く見せようと努力する。面子を大切にする国柄のなせる技か。
浙江大学は 5 つの大学が合併してできた大学で、年間予算 24 億元、うち科技研究費
10.2 億元だ。国家級重点実験室を 12 ヶ所持ち、重点 9 大学の一つに名を連ねている。
民間企業からの寄付は中国一。浙江大学は地元の江蘇省の中小企業と緊密な関係を持っ
ているのが原因だ。上からの大学改革ではなく、当地に根ざした産学連携が進行中であ
る。
国家自然科学基金委員会の2007年度の採択件数と援助金額合計によると、トップは浙
江大学で、北京大学、清華大学、上海交通大学の順だった。浙江大学は大学の規模が大
きいことも手伝い、採択の件数や金額ではトップになった。ちなみに「採択率」の順位
で言うと、中国科学技術大学、南京大学、清華大学、北京大学の順だ。
1、2年生を対象とした新キャンパスは杭州北西部に建設され、広さは3000ムー(1ム
ーは15分の1ヘクタール)で、さらに3000ムーを整備中だ。敷地内に学生宿舎、ミニス
ーパーなどが整備され、キャンパスの外まで出かける必要はない。副学長は中国で一番
広いキャンパスと言っていたが、吉林大学でも同じことを言われた。どっちが本当だろ
うか。学問にとってキャンパスが大きいことがそれほどに意味があることなのだろうか。
医学院附属第二医院医学 PET 中心の主任は、日本留学経験者の張宏教授である。人体
診断用 PET は浜松ホトニクスから寄付、ポジトロンの製造機は住友重工から寄付、マウ
ス用マイクロ PET は米国の大学から寄付されたと説明する。PET はがんなど病気の早期
発見の全身診断に使用されている。
診断は週 3 日で、一日の診断患者数は多いときで 7、
8 人。患者は中国全国から来ており、保険は効かないという。診断費は 8 万円程度でか
なり高価である。中国でも先端医療技術が次第に浸透しつつあるが、その恩恵を受ける
のは、金持ち階層のみだ。
大連理工大学:
“親日”に将来を託す
大連理工大学は、中国の大学ランキング 16 位だが、教員一人当たりの SCI 登録論文
数は中国でトップという。教授 400 人でその他を合わせると 1200 人の教員。そのうち、
日本での博士学位取得者 40 人、日本滞在 1 年以上は 200 人だ。
日本の大学や企業との関係は深い。東京大学、東北大学、東京工業大学、九州大学、
広島大学、熊本大学、早稲田大学、立命館大学などとの交流がある。企業との協力は、
三菱化学、住友化学、日新、昭和電工、ジャストシステムなどと協力関係にある。訪問
客の 6 割から 7 割は日本人。学院長 16 人のうち 5 人が日本留学経験者と、親日をアピ
ールする。
大学の運営資金は、政府、学費、企業からの委託費、銀行からの借入(図書館などの
建物の建設)からなり、企業からの寄付は少ない。
国家重点実験室は 4 ヶ所で、三束材料改性聯合国家重点実験室、工業装備メカニズム
分析国家重点実験室、精細化工国家重点実験室、海岸・近海工程国家重点実験室。自然
科学基金委員会の競争的資金を受けている教員は 2 割足らず。教員の評価基準は、発表
論文、教育、雑誌の編集、国際会議開催などの社会活動の三つの方向から行なわれる。
ただ、評価が目に見えるものに限定されているため、学長(任期 5 年)のみならず、学院
長(任期 3 年)、教員も評価に耐えられる成果をあげようと近視眼的になっている。幹部
はかなり忙しく、土日もないくらいだという。
専門を持ち、日本語が話せる学生養成クラスが設置されている。5 年間コースで、1
年目は日本語を集中的に勉強し、2 年目から 5 年までは通常の専門コースで、日本語の
授業を受ける。卒業後は中国国内の日本企業に就職するか、日本の大学の大学院に進学
するかのどちらかという。就職率は高く、初任給も高いため、高校生に人気がある。単
に日本語を話せる人材の供給は多く、企業の買い手市場であるが、日本語プラス専門を
54
身につけた人材は日本企業も望んでいるところである。大連という親日の都市にはこの
ようなユニークな大学がある。
日本語学院の学生数は各学年 150 人。卒業後の進路は 6 割が国内の日系企業就職、2
割が大学院進学、残り 2 割が日本の大学院に留学。一方、英語学院の各学年は 300 人。
就職の条件は、日本企業も欧米企業も大差なく、初任給は 3500 人民元程度という。
中国の大学はその歴史的背景から、特定の外国との関係が深い。清華大学は米国と、
同済大学はドイツと、武漢大学はフランスとの関係が深い。大連理工大学は日本との関
係を重視している。大連は日本の電話通信会社のコールセンターや経理部門のアウトソ
ーシングでは、日本企業との関係が強く、地理的な優位性を利用して、日本との連携を
強化することで更なる成長を狙っている。日本の立場からみても、大切にしていきたい
地域であり、大学である。
南京林業大学:遺伝子改良ポプラで江蘇省の緑化大作戦へ
南京林業大学の木材遺伝・遺伝子技術系は、教員 20 人、学生 120 人、実験室 5000 平
方メートル。60 年前から葉教授、王教授などの工程院院士が林木育種を実施している
が、本格的な研究は 70 年代に開始された。目的は木材の利用促進で、耐虫害、耐病性、
耐塩性の研究に重点をおいている。江蘇省、山東省、湖南省などに野外実験場を持つ。
江蘇省には 400 万ヘクタールの野外実験場があり、18 万ヘクタールのポプラの人工林
が広がる。海外からの優良品種の導入、国内種の育種、さらに交雑で新しい品種の開発
を行っており、既に“南林 859”など 15 の新しい種を育種している。1990 年代から分
子レベルの遺伝研究を開始し、ポプラの遺伝子マップ、プロトプラスト(原生質体)を
手がけてきた。ポプラのプロモータ遺伝子の開発が今後の課題だ。
遺伝子組換えのポプラの育種野外実験では、苗木の小規模レベルは大学内キャンパス
で実施し、中規模と大規模レベルは国家林業局に申請し、認可取得後、南京林業大学の
試験地(300 ヘクタール、南京林業大学からクルマで 3、4 時間)で実施している。
理化学研究所植物科学センター及び南京林業大学森林資源・環境学院は、2007 年3
月 14 日、南京林業大学において、研究者の交流、シンポウムの開催、科学技術情報や
研究資材の交換などを含む研究協力協定を締結した。南京林業大学の若手研究者に理化
学研究所植物科学センターでの植物分子育種技術を取得させ、その技術を用いたポプラ
細胞の分子育種実験を南京林業大学で実施するというものである。
この実験に成功すれば、大学構内での野外実験、さらには南京郊外の圃場での大規模
実験へと発展する可能性がある。研究成果は、中国の林業の発展や砂漠の緑化に貢献す
ることが期待される。南京は歴史上、日本人にとっては気が重い土地であるが、このよ
うな協力プロジェクトの成功により、中国国民の日本に対する感情が好転することを切
に望む。
2010 年 11 月頃、この共同研究を加速化させるために、連携研究室を南京林業大学に
設立することが予定されている。
南京大学:内に秘めた研究の実力
南京大学は、上海交通大学、復旦大学などと並んで、中国 3 位にランクされる大学で
あるが、その実力は急上昇しつつある。
モデル動物研究所は、2003 年 6 月建物完成、2004 年 4 月稼動開始し、プロジェクト
の全予算は 5200 万元。世界の遺伝子導入マウスの 6000 種に対し、中国は 200 種を開発
した。ノックアウトマウスは世界の 4000 種に対し、中国はまだ 10 種にすぎない。高翔
所長は、世界一の実験動物センターである米国ジャクソン研究所帰りで、中国人にして
は冗談もよく飛ばす。役所の高官に媚を売る研究者が多いなかで、彼は意義のない接待
55
はしようとしない。頭のなかは米国人である。
2007 年 6 月 28 日、骨や間接の遺伝子研究で世界のトップを走る理化学研究所の池川
チームリーダーと南京大学医学院の蒋青教授が北京で会談し、今後の協力関係の深化方
法について意見交換を行った。マッチファンディングの獲得方法、南京大学の若手研究
者の理化学研究所への招聘方法などについて意見交換を行ったのだ。池川チームリーダ
ーは蒋青教授などのグループと共著で、Nature や Nature Genetics などの一流の雑誌
に投稿しており、今回の会談はそれを一層進めるためのもの。蒋青教授は週末でも研究
室にこもる“研究の鬼”であり、高翔モデル動物研究所長とも仲がいい友達である。類
は類を呼ぶものだ。彼らのような熱心な研究者がいるので、南京大学は更に発展するで
あろう。
池川チームリーダーは「日本の若者は働かなくなった。南京大学の彼らと組むと仕事
がはかどる」と躊躇なく述べる。
于長隆北京大学運動医学研究所所長(北京五輪医療チームの責任者)は、池川チーム
リーダーに対して「四川省のある地域で多発している遺伝性関節病について共同研究し
たい」との提案を行った。中国のエリート層は海外の一流研究者を招聘しては、このよ
うな申し出をする。実力をよく調べている。
遺伝的に日本人と中国人は近いため、今後発展が期待される“遺伝子治療”の基礎研
究分野での両国の共同研究の意義は大きい。多くの人々の試料やデータを基に遺伝病の
メカニズムの解明や新しい治療法が開発されていくであろう。中国は人口が多いため、
遺伝病患者も多い。遺伝子サンプルも集めやすいし、治験も行いやすい。中国は世界の
医療関係企業の勢力図を大きく変える可能性を持つ。
上海交通大学:巨大キャンパス建設の勢いで北大と清華を追撃
上海市郊外に位置する上海交通大学の新しいキャンパスの大学名の揮毫は、同大学卒
業生の江沢民前主席によるものだ。282 万平方メートルの巨大キャンパス(東京大学キ
ャンパスの 7 倍)は、施設や自然にも恵まれ、100 年先を見越した大学を建設するとい
う気概に溢れている。整然と並んだ建物群をみると、そこで学ぶ学生がうらやましく感
じられる。なお、大学名に“交通”がついているのは、かつて交通部に所属していたか
らである。今でも、工学系が強い大学である。
40 歳代の張傑学長の指揮下で、世界レベルの大学を目指そうと教職員も団結してい
る。学長は、2 期 10 年は勤めたいと意気込んでいるが、
「最大の課題はマンモスキャン
パス建設にかけた費用の返済である」と正直に語る。
「学長を辞めたら、60 歳から研究
に復帰したい」と研究への情熱を示して見せた。
上海交通大学は教授を海外の有名な大学、研究機関に派遣する海外研修制度を設置し
ている。上海交通大学は教授に資金を援助するほか、受け入れ大学及び研究機関にも援
助金、奨励金を提供する。欧米の大学、研究機関から提供された資金は日本より多く、
特に米国の大学は教授たちに人気がある。日本の大学は援助金を提供しておらず、文部
科学省の奨励金の定員数も少ないので、教員たちには人気があまりない。
教授の研究方向によって地方政府から研究経費を受け取るのも可能である。また、教
授は企業からの委託研究を受け、また企業との共同研究により企業から研究経費をもら
うことができる。上海交通大学と共同研究を行う日本企業には、日立、オムロン、ダイ
キンなどたくさんあるという。これらの企業の研究所は上海交通大学のキャンパスの周
辺のサイエンスパークに配置されている。卒業後企業で勤めようとする学生にとって、
事前に企業の研究開発に触れることができるのは意義がある。
研究成果の産業界への技術移転を促進するため、上海交通大学は技術移転センターを
設立している。技術移転センターは毎年教授の研究成果を評価し、研究成果の移転を促
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進している。技術移転センターは教授と企業をお互いに紹介し、無料でサービスを提供
する。技術移転センターを利用する日本企業も多く、センターのリーダーは日本に 8 年
間の留学経験がある者だ。
清華大学や北京大学はアカデミック志向が強いのに対して、上海交通大学は産業志向
が強い。上海と北京の文化の違いや外資系企業が集まっている地域特徴が影響している
のであろう。上海には有名な会社、特に外資系会社がたくさんあり、賃金水準も高いた
め、学生は産業界での成功を目指す。そのため、上海交通大学は実業志向の大学になり
がちである。
面会した副学長が優秀な学生には企業経営者ではなく、学者になってもらいたそうな
表情を浮かべていたのが印象的だった。
学生宿舎ではマージャンは禁止で、図書館は週末も開いている。上海都心から1時間
も離れたマンモスキャンパスで勉学に浸る生活を送ることになる。女性の馬書記も「中
国一の大学を目指す」と志は高い。
南京理工大学:ノーベル賞学者のメッセージ
2007 年 3 月、南京理工大学学術交流センターにおいて、野依理化学研究所理事長の
名誉博士授与式及び記念講話が行われ、200 人以上の化学分野を中心とした教員及び学
生が出席した。南京理工大学でノーベル賞学者の講演が開催されるのは初めてである。
講話の後で、熱心な質疑応答が展開された。野依教授のメッセージの一部をここに紹
介する。
1)
偉大な科学者になるためには、優秀な頭脳を持っている必要はない。若者は自
分が関心のあることをトコトン追究し、他の誰もやっていない独創的なことをやり遂げ
て欲しい。五輪は他の者との競争であるが、科学は誰もやっていないオリジナリティー
のあることをやるのが目的である。
2)
中国の文化を大切にして欲しい。真に独創的な研究は、伝統や文化を基層とし
て花開くものである。中国の素晴しい芸術や絵画から知的な刺激を受けることによって、
他の国の人々が発想できない科学を発展させてもらいたい。欧米人の発想は還元的であ
る。東洋人は全体論を重視する傾向が強いが、これを強みとして欲しい。
3)
人類は危機に瀕している。エネルギー、食糧、環境劣化など解決しなければな
らない問題は多い。いわゆる、持続的な社会を構築できるかどうかが人類の将来を決め
る。新しい発想や哲学に基づく科学が必要であり、そのために君たちは活躍して欲しい。
4)
人間一人の能力は限られている。独創的な仕事を達成するためには、他の分野
の研究者や産業界の技術者との交流が不可欠である。象牙の塔や実験室に閉じこもるの
ではなく、社会や世界の発展をリードする科学者になって欲しい。
5)
中国の学生は日本の学生よりも活発であり、熱心である。君らには明るい未来
があるので、一生懸命に努力し、人類のために有益な仕事をやってもらいたい。
質疑応答が終わるや、学生達は手に手にノートなどを持ち出し、野依教授を取り囲み
サイン攻めにした、教授は大変だ、大変だと言いながらも満足そうであった。日本では
このような学生の純粋な熱気はもう見られなくなってしまった。中国の大学は“遅れて
やってきた青年”で溢れている。
西安交通大学:慶応大学 OB 学長が率いる「内陸の王者」
鄭南寧学長は慶応大学で学位を取得しているが、それにしても日本語が非常に流暢な
のには驚かされる。しかも院士である。本大学は 1896 年、南洋公学として上海で設立
され 1951 年、「交通」の名前が付けられ、交通大学となった。1956 年、西部開拓のた
めに、交通大学の大部分は西安に移転したが、一部の教授たちは上海に居残った。1959
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年彼らは、上海交通大学を設立することになる。寺院に喩えると、大部分の和尚は西安
に移転したが、寺院(旧キャンパス)は上海に残ったことになる。西安交通大学の教授
たちは大学には和尚が重要だといい、上海交通大学は寺院が大切だと主張する。西安交
通大学と上海交通大学は元来同じ大学から分かれたわけであるが、「本家争い」は今で
も続いている。
なお、前主席の江沢民はどこの大学を卒業したかと訊かれ、「上海にある交通大学」
と答えている。この回答がいつの間にか、江沢民は上海交通大学の卒業生として定着し
たのだ。彼が大学を卒業した時はまだ上海交通大学は存在しなかったのだが。
「西安交通大学の学生は教師よりも優秀だ」
と、鄭学長は言い切る。
「有名な教授は構内で授業をやらずに、外でばかり活躍するので困っている」とも付け
加えた。
この大学の帰国留学生は日本と欧州からが多く、米国留学組は意外にも少ない。米国
の大学の目が届かない内陸の大学は、日本の大学にとって狙い目かもしれない。
理工系志願の学生数は数年前から減少している。自己中心的な学生が増え、卒業後官
吏や銀行員になる者が増えている。大学の 20%以上の教員は女性だ。
「大学の抱える問題点は、任命権や教員の給与などの管理システムが硬直化し、かつ生
活環境が異なるため、世界から優秀な人材を呼べないことだ」
と、学長は語る。
「二つの 100 を実行したい」
とも学長は意気込む。
まず、外国人 100 人の招聘。40 人が招聘済であるが、そのなかには中国人教員の 10
倍以上の給与をもらっている者もいるという。そして、100 人の教員と学生を海外の一
流の 100 研究機関に派遣。話は簡潔で分かりやすい。西安交通大学は重点 9 大学の一校
として、内陸開発の拠点として期待されている。
“内陸の王者”になってもらいたい。
数年前に医学系と経済系の 2 つの大学を合併した際に、6500 人であった学生入学定
員数を 3900 人まで学長が主導して削減した。学生数が少なくなると給与が下がるとの
教員の反対にあったが、学長は実行したという。学生の高い質を確保するためには、定
員減もやむをえないと決断したと胸のうちを語った。
「自分は文化大革命の影響を受けている。昔は、国家のために身をささげるのが当然で
あった。今は価値観がずいぶん変わったが、自分は世の中のために役に立ちたいと心底
思っている」
学長は毅然と語った。
西安交通大学は、60 人の優秀な高校生を高校からの推薦と独自試験で入学させてい
る。OB の名前を借りて、そのクラスを「銭学森班」と呼んでいる。理系と文系に分け
ず、有名人の講演など独自のカリキュラムで教えているという。
また、西安交通大学の大学院生の授業料は免除で、大学から月 800 元が支給されてお
り、年間の生活費は 3000 元あれば足りるのでアルバイトの必要性はない。博士学位の
審査は厳しくなる傾向にある。5 人の審査員のうち 2 人が反対するとその年に学位を取
得できない。また、次の年に同様に審査にパスしなければ退学させられる。
図書館内に設置されている銭学森博物館を見学した。中国人なら近代科学の父とも呼
ばれる三人の「銭博士」を誰でも知っている。ロケットの銭学森博士、原爆の銭三強博
士、力学の銭偉長博士。銭学森博士の米国から中国への召還に際し、米国政府が中国の
ロケット開発を遅らせようと、中国への帰国を意図的に遅らせたのは有名な話だ。銭学
森博物館の説明文には「軟禁」という言葉が使ってあった。
理化学研究所は西安交通大学のキャンパス内に連携研究センターを設立することで
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すでに合意している。唐時代の日中蜜月期の復活のきっかけになるか楽しみである。
アモイ大学:また行ってみたい中国一美しいキャンパス
アモイ大学は、中国で一番美しいキャンパスを持つ大学である。キャンパスの中央に
は池が配置され、その周りを芝生と樹木が囲っている。海岸までは歩いていける距離で
ある。晴れた日には、海岸から台湾領である金門島が見える。
固体表面物理化学国家重点実験室は、アモイ大学の発表論文の半分、一流論文の 3 分
の 2 を生産しており、研究のレベルが高い。日本留学組の研究者も 2、3 人いる。
国家伝染病診断試剤及びワクチン製造技術研究センターは、ワクチンの製造技術に優
れるが、比較的論文は少ない。論文書きが主な目的でないためである。優秀な研究所長
と米国国立衛生研究所帰りの元所長が研究を率いる。E型肝炎ワクチン、鳥インフルエ
ンザワクチンの研究では、変わらない抗原に着目しているという。ラピッドテストやモ
ノクロール抗体も研究している。予算は 2003 年以降の合計で 463 万ドルという。地方
にも優れた研究室があるものだ。
中国の大学はどこも埃っぽいが、アモイ大学のキャンパスは美しい。アモイ大学専用
のホテルはキャンパス内にあり、早朝の散歩は気分が最高。また行ってみたくなる大学
である。
天津大学:孤高の中国最古の大学
天津大学は 1895 年に設立された中国最初の大学で、設置時の理念は現代の大学と同
じと、副学長は胸を張る。高等教育、研究開発、人材育成に貢献し続けている。国内最
初の航空エンジンは天津大学で開発されているため、今でもエンジン開発は強い。985
計画の大学の一つで、かつて大学ランキングはトップレベルであったが、合併を拒否し
たため、大学の相対的規模が小さくなり、現在のランクは 14 位くらいまで低下した。
しかし、工学は 4 位と奮闘している。工学、管理、文学、農学を含む総合大学。地質大
学、石油大学、郵電大学などは、もとは天津大学の一部から発展したもので、また、天
津大学は政府幹部の訪問が一番多い大学と自慢してみせた。
伝統を守り、隣の南開大学との合併を拒否して、重点 9 大学入りを果たせずに苦しん
でいるようにも見える。しかし、孤高の大学としてのプライドを維持してもらいたいも
のだ。
内燃機燃焼学国家重点実験室は、燃焼の観測研究、メタノールエンジンの開発(エタ
ノールエンジンの開発は食糧を奪うので禁止)、メタノールを一酸化炭素、水素に分離
し、日産のエンジンでそれを燃焼する実験などを実施している。
1985 年設立の天津経済技術開発区(TEDA)を視察したが、5 年前より企業進出が盛ん
になったという。三星、モトローラ、ヤマハ、矢崎、コーラ、富士通、トヨタ、ネッス
ル、上海フォルクスワーゲン、京セラなどが進出している。TEDA にある天津大学科技
園は、ソフトウェア、健康食品、生命科学(ES 細胞)、医薬品、電気自動車の改良、快
速成形、天津方園、コンピュータウイルス応急措置などの企業を有する。2008 年 12 月、
福田首相も訪中の際に、この開発区にあるトヨタ合弁工場を視察している。
天津市微納製造技術工程センター有限公司は、天津大学精密儀器・光電子工程学院の
房豊洲教授が技術顧問を担う企業である。天津市から天津大学経由で 5000 万元の補助
金をもらい、超微細計測、加工技術の開発を促進している。2006 年からの 5 年間の時
限プロジェクトで、光学部品の設計加工をし、金型加工するのが目的である。光学デザ
イン、光学素子の製造、球面や複雑系の計測加工、ガラスや陶器や骨や歯などの脆性材
料の製造も実施している。成果は天津開発区の企業に還元することが期待されている。
日本の一流研究機関の研究室にもない高性能機器を欧米から輸入している。
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日本製はココムのため中国への輸入が制限されていると、房教授は淡々と語る。「4
週間後には稼動開始だ」と意気込んでいるが、朝 6 時過ぎから深夜 11 時までの激務は
続く。
北京航空航天大学:アジア一の巨大ビルを持つ金持ち大学
北京航空航天大学は国防科学技術工業委員会の傘下の大学で、一部は軍事研究を実施
しているため、海外の研究機関が協力協定の締結や共同研究を行う際は、第三者から誤
解を招かないよう注意が必要である。アジアの大学で最大のビルがあるが、名前はまだ
ないという。俗称は新主楼。軍関係の大学のためであろうか、お金持ちの大学だ。
筆者はロボット開発及びバーチャル研究の研究室を視察した。ロボットの方は、医療
ロボット、水中ロボット、壁のぼりロボット、空飛ぶロボットなどの開発を実施してい
る。ロボット開発は 863 計画の柱の一つであるので、研究費は潤沢だ。
バーチャル研究の方は国家重点実験室で行っている。北京五輪の開幕式の企画、修正
のためのバーチャル化研究を実施。水や光や陰の反射まで即時に計算し、描写可能だ。
なお、ソフトウェアの授業の一部を中国人教授が日本語で講義している。日本語とソ
フトウェア技術の両方をマスターすれば、就職に困らないはずという発想である。中国
の大学は画一的なように見えて、このように個性的な授業もやっていることに、文化の
深さと戦略性を再認識させられる。
(再掲、一部修正 2010 年 7 月 1 日)
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研究機関“見聞録”
国家知識創新プログラム
中国科学院は新中国成立の 1949 年にソビエト連邦の科学アカデミーをモデルに設立
された自然科学の総合的研究機関で、初代の院長は日本留学経験者の郭沫若が務めてい
る。中国科学院は、1990 年代に入ると共産党の指導下で、組織のスリム化と強化を着々
と進めている。
1992 年、123 ヶ所あった研究所を 2003 年には 85 ヶ所、2005 年には 80 ヶ所まで合併
合理化を推進してきている。研究者や技術者数も、研究機関の民営化、合理化、統合や
職員の早期退職促進により 8 万人から 3 万人まで縮小削減している。
一方では、国際的なゲノムプロジェクトに貢献する「北京ゲノム研究所」、臨床への
トランスレーショナル・リサーチを目指す「上海健康科学研究所」、科学院と大学が連
携した「国家ナノ科学センター」、広東省と広州市の地方政府との協力で設立した「生
物医薬健康研究所」
、浙江省と協力した「材料技術研究所」
、上海市との協力の「小型衛
星工学センター」、大学と協力した「ライフサイエンス研究所」など世界的に見て重要
と考えられる分野については時間をかけずに早期に設置している。
共産党や政府に権力が集中しているため、このようなスピーディーな政策転換が可能
である。
基礎研究よりイノベーションに重点
中国政府は自主創新を旗印としているため、数年後に成果が期待され、競争力強化に
貢献するプロジェクトが重視されている。これは世界的傾向であるが、中国も例外では
ない。中国科学院の研究所の研究費の 8 割はプロジェクト関連経費であり、純粋に研究
者の好奇心やアイデアに基づく基礎科学への投入は 2 割にすぎない。中国は政治体制上、
上からの管理に重点がおかれ、早急な成果が求められる国柄であるため、自由な発想を
尊重する科学文化に乏しい。自主創新を絶対視するあまり、基礎科学が疎かになったの
では、科学技術強国の達成は危うくなるであろう。
縦割り組織がイノベーションの芽を摘む
科学院は約 100 ヶ所の研究機関を抱えており、サイエンスが細分化されているように、
研究機関も細分化されている。その上、研究機関は激しい競争に晒されているため、共
同研究や共同シンポジウムの開催が困難な状況に置かれている。「競争は効率化を高め
る」という発想からそのようなマネジメントが実施されていると思われるが、横の連携
不足はイノベーションにかなり不利になっている可能性がある。
イノベーションは当然だが計画的に実施されるものではなく、根本において異分野の
研究者や発想の異なる研究者の間の議論から偶然に閃くものである。研究者相互の知的
刺激が非常に重要である。研究の行き詰まりをブレークスルーするのは、他分野の研究
者のアドバイスに依る場合が多い。同類の仲間同士の議論は堂々巡りになる可能性が高
いため、研究マネジメントは研究者間の交流促進におかれるケースが多い。物理と生物、
ナノテクと分子生物学など異なる学問の交流を如何に促進するかが研究機関の活性化
に直結する。その意味では、100 ヶ所という多数の研究機関の交流を如何に構築してい
くかが、科学院のイノベーション促進の鍵であると筆者は考えている。
科学院生物化学・細胞生物学研究所:研究棟の電灯は深夜も消えない
1931 年 4 月、日本政府は義和団事件の賠償金による対支文化事業の一部として、上
海自然科学研究所を完成させるが、その建物は現在の中国科学院上海生命科学院の本部
61
となっている。
生物化学・細胞生物学研究所は 2000 年 5 月、上海生物化学研究所と上海細胞生物学
研究所が合併して発足したもので、科学院上海生命科学研究院傘下の 9 つの研究機関の
一つである。研究所の今までの偉大な成果には、牛インスリンの全合成、イーストのア
ラニン tRNA 研究などである。現在、真新しい 17 階の研究棟に移転している。深夜遅く
まで、研究室の電灯が消えることはない。
研究所は、文字どおり細胞生物学及び分子生物学の研究を行っており、細胞生物学に
関しては国家重点実験室及び国家実験室に選定され、国内トップの座を誇り、分子生物
学分野では国内トップ3に入る。幹細胞や万能細胞研究も実施している。双方が研究資
金を出し合って、マックスプランク研究所とのジョイントラボも設置済み。筆者が会っ
た女性大学院生は、「マックスプランク研究所に行って研究するのだ」と眼を輝かせて
いた。
研究所は、分子生物学国家重点実験室を有しており、①ポリペプチド、タンパク質、
プロテオミクス、②核酸、遺伝子、クロモゾーム、ゲノム、③単細胞生物学、免疫、発
生生物学 の三領域を重点的に推進している。また、科学院から認定された幹細胞生物
学重要実験室もある。
研究者数は 648 人、院士 11 人、研究グループ約 50(グループ長は全員外国からの帰
国組で、ほとんど米国帰り)
、博士学生指導教授 65 人である。国家傑出青年基金獲得者
13 人、百人計画入選者 10 人。研究者約 200 人、ポスドク 22 人、大学院生約 400 人。
2007 年度の予算は 2110 万ドル。科学院からの運営費が 29%、研究資金が 16%、外
部資金が 55%。国家重点実験室よりもレベルが高い“国家実験室”に選定されたため、
2007 年度は前年度と比較し、大幅に予算が増額した。
論文数は 1998 年から 2001 年にかけて、293 報から 268 報まで漸減しているが、逆に
国際論文数は増加し、SCI 登録論文数は 68 報から 197 報まで急激に伸びている。量か
ら質への転換がうまくいっていることを示している。一方、特許取得は十数件。研究所
の副所長は純粋基礎を行っていると主張するが、実際は目的基礎研究を志向しているよ
うに見える。中国唯一の細胞バンクを持ち、実験マウスセンターもある。
学生は博士号取得後、90%が生命科学のメッカの米国にポスドクとして留学するが、
現在では多くが中国に戻ってくる。スタートアップ資金を支給するなど呼び戻しのため
の施策も実施している。女性研究者には妊娠休暇中も給与を全額支給するなどのサポー
トをしている。
研究者の競争では、本研究所は大学よりも厳しく、国内の大学との人材の流動性は少
ない。今後、国際化を促進し、さらに海外に開かれた研究所にしたいとの意向を持つ。
研究機器は共同利用や時間外利用したり、技師をつけるなどのサポート体制により有
効に活用されている。
将来構想では、幹細胞生物学分野の多分化能のメカニズムの解明を通して、新薬の発
見を目指すとしている。
科学院生物物理研究所:30 歳代の研究所長が率いる生体物質の構造解析研究所
1950 年に実験生物研究所として設立され、1958 年に今の名称になった。中国の生物
物理学で一番有名な貝博士が初代所長となり、以降、40 年間順調に発展してきている。
現在の研究所は北京五輪のメインスタジアム“鳥の巣”の近くに位置し、その規模は、
研究者が約 200 人(うち院士が 9 人)
、主任研究員約 50 人(うち外国人が 2 人)、大学
院生約 400 人。現在の重点分野は、タンパク質及び脳と認識の2つであり、これらの実
力は中国一である。
研究所の年間予算は約 1 億元で、科学院から自動的に来る研究費は 4 割未満にすぎな
62
いという。日本の大学や研究機関の研究費は、主務官庁から運営費交付金などの形で拠
出されてくることと比較すると、随分低い。逆に見ると、中国の研究機関は研究費のリ
ソースの分散化が進んでいるといえる。
生物物理研究所には国家重点研究室が 2 つある。1 つ目の「生物大分子国家重点実験
室」は、巨大分子タンパク質の同定をテーマとしていて規模が大きく(教授 7 人、研究
者は数十人、学生 100 人)が携わっている。もう 1 つの方の「脳・認識科学国家重点実
験室」は、脳と認識をテーマとした研究室で、ジーメンス社の fMRI を導入して、研究
成果を挙げている。600M ヘルツ、400M ヘルツの 核磁気共鳴装置も設置されている。
研究所は、SinoBio Biotech Company と BaioAo Pharmaceutical Company の2つの
会社を所有し、研究成果の企業化を行っている。インキュベーターも研究所内にあり、
また TLO も持ち、製品のライセンシングをやっている。MRI、X 線などの手法で、腫瘍、
肝炎、SARS などの新薬設計を行っている。
「中国の基礎研究の問題はポスドクがいないことと、学生は博士号を取得すると米国に
行ってしまうことが研究所の弱点だ」
と対応してくれた研究者は不満をこぼす。ポスドクのポスト自体が中国ではまだ認知
されていないのだ。
研究所は東京大学医科学研究所と共同で、「新興・再興感染症の研究室」を設置して
いる。SARS などの感染症の日本進入の水際作戦として、小泉首相と胡主席の合意を契
機にで発足したプロジェクトである。
科学院自動化研究所:ロボット研究に強い
本研究所は、ロボットに関する基礎研究を実施し、瀋陽の自動化研究所は応用研究を
実施することで、差別化を図っているとのこと。ロボット研究は第 7 次 5 ヶ年計画以来
実施されている重点テーマの一つだ。第 10 次五ヵ年計画では、863 計画全体で 150 億
元が投資されたが、ロボット研究にはそのうち十数億元が投資された。しかし、「人間
型ロボットでは、まだ日本に敵わない」と研究者は本音を語る。日本の研究機関との共
同研究を切望している。
研究所は、中関村に 12 階建ての立派な新築ビルを擁し、研究室として 8 階から 12 階
までのフロアーを使用し、7 階以下はベンチャーなどへの貸し事務所にしている。所長
は英国留学経験者で、国際協力に積極的だ。フランスの情報自動化研究所(INRIA)及
び韓国のサムソンと既に合同実験室を設置運営している。
中国でもロボコンは盛んで、中学生が「少年宮」単位で課外授業やコンテストを開催
しているという。日本に限らず、中国、タイ、ベトナムなどのアジアの若者はロボット
作製に夢中になりやすい体質を持っているようだ。
なお、日本人研究者の中には、この研究所のロボット研究に軍関係の資金が流れてい
る恐れがあるとして協力推進に警戒している者もいる。
科学院化学研究所:中国化学界を牽引
化学研究所は、1956 年に創設された研究所だ。当時、上海の有機化学研究所、大連
の化学物理研究所、長春の応用化学研究所は既に存在していたが、北京にも化学分野の
研究所が必要との発想から創設されたものである。化学研究所には無機分野の研究室も
あったが、青海の研究所に移転したため、無機分野の研究は今でも行なっていない。
スタッフ数は 458 人。教授 89 人、院士 9 人、ポスドク 36 人、大学院生約 700 人で、
教授のうち 2 人は外国人。他の研究所では、海外の大学に所属し中国の研究所に形式上
研究室を設置しているだけの教授もいるが、本研究所では海外滞在は 3 ヶ月以内として
いるため、そのような教授はいない。国内滞在が 9 ヶ月を切ると、ポスドクや学生など
63
の指導が疎かになり、研究所にとってもメリットがないことを経験的に学んでいるため
だに、そのような規則を作っているという。
博士号取得者の 60%はポスドクとして海外の研究機関へ行く。この理由の一つは、
この研究所では、博士号取得者はその研究所のポスドクになれないという規則があるた
めだ。
国家傑出青年科学基金に選定されている者は 26 人。科学技術部認定の国家重点実験
室は 3 ヶ所(分子反応機構、不安定・安定種構造化学など)で、中国科学院の重点実験
室は 5 ヶ所。百人計画対象者は 36 人。年間予算は 1.5 億元で、6 割は競争的資金とし
て確保している。
2003 年の実績では SCI 登録論文数は 516 報、インパクトファクターが 3 以上 6 以下
の論文 84 報、6 以上は 28 報。中国科学院の研究所のなかでは、化学研究所の SCI 登録
論文数でこの数年間 1、2 位をキープしている。化学研究所はまた米国の化学一流雑誌
の JACS に毎年 20 報程度の論文を掲載している。
教授は、2 年に 1 回、ピアレビューと外部評価委員会による評価を受けることになっ
ている。雇用契約は 4 年であるが、評価が悪く再契約にならなかった者はまだいない。
期限付き雇用と言っても、実際は永久雇用に近く、形骸化しているとも言えよう。所長
及び副所長の任期も 4 年間。通常 2 期勤める。所内の重要事項は、所長及び 4 人の副所
長で構成される所内会議で決定される。
日本との間では、理化学研究所及び分子科学研究所との間で協力協定を締結し、毎年、
それぞれワークショップを開催している。外国人の名誉教授 16 人のうち 3 人が日本人
である。野依、白川ノーベル化学賞受賞者ら日本人の訪問者も多い。
中国では化学分野が比較的強い分野であり、さらに化学研究所はその強い化学分野を
リードする研究所であると言えよう。なお、中国科学院の筆頭副院長で次の院長と目さ
れている白春礼は、本研究所の副所長経験者である。
科学院北京ゲノム研究所:世界ゲノム解析プロジェクトへの貢献
2003 年、
中国科学院北京ゲノム研究所は北京華大ゲノム研究センターから独立して、
設立された。現在、北京ゲノム研究所は、北京首都空港の北に位置し、ゲノム解析など
の業務を北京華大ゲノム研究センターにアウトソーシングしているという関係にある。
研究者は約 100 人、うち教授クラスの研究員は約 20 人、ポスドク約 20 人、学生は約
100 人で、研究費は約 1000 万ドルだ。一方、華大ゲノム研究センターのスタッフ数は
約 400 人。
研究分野は、世界ゲノム解析計画(HAP MAP)、イネゲノム解析計画、抗 SRAS 研究、カ
イコゲノム解析計画、DNA シークエンシング、バイオインフォマティクス、プロテオミ
クスなどの研究を実施している。インドネシアのスマトラ沖地震の犠牲者の DNA 鑑定も
受託している。
研究所のゲノム解析の成果は、神舟ロケットの打ち上げ成功と並んで、中国十大基礎
研究ニュースに選ばれたことがある。
研究所は主にゲノム解析のために設立されたものであり、そのための研究機材と人材
を整え、世界に貢献していることは評価されるべきであるが、データの収集・分類が主
な業務であり、生命科学分野の基礎研究を実施しているとはいいがたい。他の研究機関
との連携が鍵となってこよう。
科学院微生物研究所:中国の微生物登録機関
微生物研究所は、中国国内の微生物 6 万種を保存している微生物特許登録機関である。
そのうち 2 万種の微生物がカタログに掲載されており、国内外の機関に販売または交換
64
をしている。インターネットを用いて、どのような特徴を持つ微生物かを問い合わせる
ことが可能になっている。残り 4 万種は研究対象であるため、解析が終わるまで公開し
ていない。
研究所は、微生物の保存・分類の業務以外に、基礎研究も実施している。例えば、タ
ンパク質や毒素の構造解析、免疫反応メカニズムの解明、極限環境微生物の解析などで
ある。また、バイオテクノロジーの開発はやっていない。
教授クラスの研究員は 40 人、大学院生は 300 人で、全体で 600 人程度である。一つ
の研究室の規模は 20 数人。国家重点実験室は、微生物資源国家重点実験室の一ヶ所の
みで、年間予算は 7000 人民元。英国帰りの高福が所長に就任して以来、予算は急増し
ているとのこと。現在、北京五輪のメイン会場付近に移転し、生物物理研究所、動物研
究所などと隣接している。
本研究所が育成した博士のうち、海外に去った研究者の方が国内にとどまっている者
よりも多く、20 年間で海外に流出した博士は 300 人近くにのぼるという。頭脳流出で
ある。
科学院植物研究所:植物標本数は随一
植物研究所は、北京市郊外の香山の麓に位置する。研究所の正面は週末に家族連れで
賑わう北京市の植物園だ。植物研究所は、植物系バイオ研究を実施し、本所のほか、内
モンゴル自治区に5ヶ所と黒竜江省、北京市、湖北省、四川省の合計9ヶ所に野外研究ス
テーションを持っている。植物の発育過程の研究、高収穫食用植物、耐塩性植物、重金
属吸収植物(タバコなどを用いて土壌の重金属を吸収し土壌改良を行う)、バイオ燃料
用植物の開発などを実施している。
植物標本保管棟は系統・進化植物学国家重点実験室に指定されており、植物標本は、
逐次写真撮影され、インターネット上で検索できる植物標本データベースを作っている。
中国各地のほか、世界各国からも標本を収集しており、既にデータベースに180万種類
の標本を掲載済みだ。誰でも無料で検索でき、1日あたり約5万件のアクセスがある。植
物標本を入手する場合は有料だ。
中国政府は、生物資源の収集・分類を非常に大切にしており、このような基礎的な膨
大な作業を積み重ねているのには、大国の風格が伺われる。一方、動物研究所では、昆
虫、動物、魚、鳥など400万種を保存しているという。このような博物学を軽視してい
ると、学問の厚みが失われる恐れがある。中国の為政者は博物学の意味をよく理解し、
地味な分野にも研究費を配分しているのである。
科学院大連化学物理研究所:触媒化学に強い海外に開かれた研究所
1949 年 3 月、大連大学科学研究所として設立され、その後、名前を数度変えて、1962
年、大連化学物理研究所が発足した。触媒化学、プロセス化学、有機合成化学、化学レ
ーザー、分子反応動力学、分析化学、生物技術などの分野で基礎、応用、開発を実施中
だ。燃料電池は実用化に向けて実験中である。
院士 12 人、研究者 473 人(うち教授級研究員 51 人)、大学院生 655 人、ポスドク 50
人。国家傑出青年基金獲得者 10 人、百人計画入選者 20 人という人員構成である。
年間の論文発表数は 472 報で、うちインパクトファクター3 以上は 68 報だ。特許数
は科学院研究所のなかで過去 6 年間トップ 5 回の実績を誇る。
国際協力は 35 ヶ所との間で実施しており、外国人訪問客は 2900 人、外国訪問者数は
1400 人。海外との合同実験室には、触媒合同実験室(フランス)、ナノ触媒技術合同実
験室(ドイツ)、燃料電池合同実験室(サムソン)がある。合同研究センターには、ク
リーンエネルギー研究センター(BP)、理論化学国際合作センター(米国)がある。共
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同研究プロジェクトとしては、燃料電池研究(ドイツ)、結合化学研究(Bayer)、触媒
反応探査研究(BASF)
、化合物合成・分析合成研究(LILLY)、光水分解触媒研究(JST)
がある。特に、BP との共同研究には、13 人の研究者が参加し、定例シンポジウムなど
を実施している。このように海外の研究機関との間で積極的に国際交流を展開している。
科学院近代物理学研究所:日本との関係が深い重粒子加速器研究所
近代物理研究所は、1957 年に設立された原子核研究所であり、現在蘭州で重イオン
を用いた原子核物理やその他の応用研究を推進している。科学者・技術者 330 人、院士
1 人、高級技術者 201 人、教授級研究員 51 人、大学院学生 107 人、ポスドク 5 人が研
究に携わっており、研究施設は 1 年に 300 人以上の科学者に利用されている。サイクロ
トロンを用いて、理化学研究所よりやや低いエネルギーの RI ビームを発生する研究施
設を既に稼動させている。また、発生した RI ビームを蓄積・冷却し、さらに加速する
シンクロトロン 2 基を含む大型施設を建設中であり、理化学研究所の RI ビームファク
トリーとは相補的な研究環境を実現しようとしている。
1988 年 12 月、国家重点プロジェクトとして、蘭州重粒子加速器(HIRFL)を建設し、
1991 年 9 月、国家計画委員会が蘭州重粒子加速器(HIRFL)国家実験室設置を認可した。
HIRFL-CSR(冷却蓄積リング)は第 9 次 5 ヶ年計画の重大科学プロジェクトに指定され
た。建設技術はほとんど国産技術を使用しているが、一部、日本の真空技術株式会社や
ロシアから購入した機材を使用しており、技術の導入国が異なるため、その摺りあわせ
がうまく行かず、トラブルの原因となっている。トラブルの解消には国際的な委員会を
設置し、海外の専門家の意見に耳を傾けている。核物理学の世界では、技術の国外流出
を懸念するよりは、国際協力を重視する考え方が学者に行き渡っている。装置は学問の
手段にすぎないというのだ。
なお、研究所のパンフレットの最初に登場する外国人研究者は日本人である。日本が
20 年以上に渡り、技術協力を行ってきたことを裏付けている。
研究分野は、新元素合成と研究、放射性イオンビーム核物理研究、低中レベル重粒子
衝突及び核エネルギー性能研究、原子核高スピン機構研究、原子核理論研究、高速重粒
子・物質相互作用物理学研究、重粒子輻射生物学効果及び重粒子癌治療研究である。2004
年の発表論文は 271 報、1997 年から 2004 年まで獲得した特許と実用新案の合計は 49
件である。
かつて計画経済の時代には、政府が若手研究者を研究所に“配分”してきていたが、
市場経済化されると、職業選択の自由が広がったため、近代物理研究所は、蘭州という
辺境の地で、かつ核物理学の人気の後退のため、優秀な人材を集めるのに苦労している。
科学院高能物理研究所:鄧小平が熱心だった高エネルギー加速器
高能物理研究所の北京電子陽子線型加速器(BEPC)は、1988 年 10 月、鄧小平の同席
の下で稼動を開始した。1989 年 7 月、北京電子陽電子衝突スペクトロメーター(BES)
がデータ取得を開始し、1991 年 9 月、北京シンクロトロン放射光施設(BSRF)の利用
が開始された。1993 年 5 月、北京自由電子レーザーがアジアで初めて発振を実現した。
2004 年 5 月、BEPC をアップグレードした BEPCⅡのインストールが開始された。
日本の高エネルギー研究機構は、本研究所に対して加速器 BEPCⅡの超伝導空洞真空
技術の提供を行なっている。また、生物物理研究所との間で、この加速器から得られた
放射光を利用して、ほうれん草のタンパク質を共同で分析し、雑誌“ネイチャー”に論
文を掲載している。
2006 年1月、高能物理研究所は、国際協力の下で北京電子陽電子衝突型加速器(BEPC)
を使って、実施した北京電子陽電子衝突スペクトロメータ実験において新素粒子―X1835
66
が観測されたと発表した。この成果は、2006 年度の中国基礎研究成果のベストワンを
飾った。本研究所は、スタッフ 1030 人、うち科学者及び技術者は 600 人、大学院生は
400 人。予算は、年間 4000 万ドル(建設費、大亜湾計画等含まないが、給与、ランニ
ングコストは含む)という。
BEPCⅡは、2007 年 3 月 25 日、ファースト衝突実験成功。設計どおりの性能を発揮し
た。
中国の素粒子物理の主なプロジェクトは、BEPCⅡ、BESⅢ、CSNS(Chinese Spallation
Neutron Source、2 年前に政府認可)、Charm Physics@BEPCⅡ、LHC、CMS/Atlas、ILC
(国際線形加速器)である。ILC は、中国政府当局が推進に消極的であるばかりでなく、
米国政府も中国へのハイテクの輸出を許可しないので、中国での実現のハードルは高い。
中 国の 次世 代の 大 型加 速 器計 画は 、 Particle Astrophysics Experiment, X-ray
Telescope Satellite, 羊 八井 , Moon Project, Alpha Magnetic Spectrometer, CSNS
(Chinese Spallation Neutron Source)
。
大亜湾原子力発電所敷地内のニュートリノ計画は、科学院、科学技術部、自然科学基
金委員会、地方政府、米国エネルギー省などが研究費を拠出しており、予算規模は合計
で 2000 万ドルという。
科学院遺伝・発育生物学研究所:イネ研究は予算獲得が容易
2001 年、遺伝研究所、発育生物学研究所及び石家庄農業現代化センターが統合され
て設立された。スタッフ総数は 614 人、科学技術人員は 469 人で、そのうち科学院院士
は 4 人、教授級研究員は 47 人(全員が海外帰国組であるが、5 年以上の海外滞在は 8
割に及ぶ)
、副研究員、高級工程師及び高給実験師は 110 人、国家傑出青年基金獲得者
は 12 人、百人計画選出者などは 15 人、大学院生は 444 人、ポスドクは 12 人である。
総予算は年間 1400 万ドル。
国家級重点実験室を二つ持ち、植物遺伝子と小麦の品種改良。13 ヶ所の研究室は北
京ゲノムセンターとしてスピンオフした。研究センターは、分子農業生物学センター、
ゲノム情報センター、発育生物学センター、人類・動物遺伝学センター、農業資源研究
センターの 5 ヶ所で、サポート施設として、農業高新技術試験パイロットプラント、実
験動物センターの 2 つの施設がある。
2001 から 2004 年の発表論文は 422 報で、インパクトファクター5 以上は 48 報である。
重点研究は政府が重視しているイネの研究においている。
「イネに関連する研究費は獲得が容易だ」と、研究者は微笑む。
科学院寒区乾区環境・工程研究所:砂漠、凍土、寒冷地の専門研究所
寒区乾区環境・工程研究所は 3 つの研究所が統合して設立された。スタッフ全員で
547 人(退職者 300 人は含まないが、生活保障の必要がある)、科学院院士 3 人、教授
級研究員 62 人、大学院学生 400 人で、年間予算 1.4 億元。
研究分野は、寒冷圏・全地球変化研究、凍土・寒区工程研究、砂漠・砂漠化研究、高
原大気物理研究、水土資源研究、生態・農業研究、リモセン・地理情報科学などの研究
を実施している。
巨大な風洞などの実験施設が整備されている。また、チベット高原で採取された氷床
コアの分析により過去数年の気候に関するデータを整備する一方で、5~60 年間の気象
観測データも整備されているという。
チベット高原に有人・無人の観測所を設置しているが絶対量が不足している。アジア
モンスーン、黄砂などは日本にも大きな影響を与えているので、チベット高原の観測は
日本にとっても大切だが、中国では気象データは機密扱いのため国際共同研究は容易で
67
はない。
国際交流人員が最大数なのは日本だ。王所長が日本留学経験者であることが影響して
いる。2005 年 3 月まで文部科学省の科学技術振興調整費により「風送ダスト(黄砂)
の大気中への供給量評価と気候への影響に関する研究」を実施していた。日本との継続
プロジェクトを強く期待している。特に、日本の観測装置は壊れにくいので重宝という。
重点実験室として、凍土工程国家重点実験室、砂漠・砂漠化重点実験室及びアイスコ
ア・寒区環境開放研究実験室が認定されている。
科学院上海実験動物センター:実験動物は薬品検査や生命科学研究に不可欠
中国科学院上海実験動物センターは、マウス、ウサギ、ラットなどのげっ歯類を大量
生産し、医療機関や研究機関に有料で提供している。中国では、南京大学、軍事医科学
学院(北京)を加えて、三大実験動物センターの一つと数えられている。
スタッフは 118 人(大卒は 42%)でそのうち、研究員は 6 人。実験動物の需要に応
えるために、総工費 1.4 億元をかけて新しい建物を建設予定だ。建設費の半分は中国科
学院、残り半分は上海生命科学研究院、それらの残り 4 分の 1 は自ら負担するという。
現在の使用面積は 1 万 2 千平方メートルであるが、将来は 3 万平方メートルに拡大する
予定。現在の人件費は 500 万元。
中国特有の昆明マウスについては、1940 年インドからスイス経由で昆明にもたらさ
れ、北京経由で中国全土に広まった。12 ヶ所のマウスセンターで安全性試験用の動物
として提供されている。
治験や研究の基礎として欠かせない生物資源をきちんと整備している政府の姿勢は
評価されるべきである。長期的な視点に立って政策を実施していると考えられる。
科学院健康科学研究所:「死の谷」を超えるトランスレーショナル・リサーチに挑戦
基礎研究の成果が産業界や臨床にうまく移転されない現象を「死の谷」が存在すると
いう。基礎研究に従事する研究者は論文を書くことが使命と考えているため、成果の応
用や移転にあまり関心を示さない、これは世界共通の課題であるが、これを解決するた
めに、基礎研究の科学者と臨床の医者が共同で研究しようという試みが中国でもなされ
ている。
科学院健康科学研究所は、上海市の中心地にある上海交通大学医学部の敷地内に位置
する新しい研究所である。科学院と上海交通大学医学部(元上海第二医科大学)が共同
で設置した研究所で、基礎医学と臨床の架け橋役を目指す。
3 つの部門(Basic Research Division - 17 研究室, Clinical Research Division –
6 研究室, Clinical Research Network - 9 グループ)で構成されており、臨床ベッド
がある周辺附属病院とも連携している。Clinical Research Division の建物にはパス
ツール研究所も入居しており、P3 レベルの病原体封じ込め施設もある。
トランスレーショナル・リサーチ、教育、イノベーションに重点をあてているが、漢
方薬の研究も行っている。関節リューマチなどのワクチンなどで良い成果をあげている。
日本でも、基礎生命科学と治療をつなぐトランスレーショナル・リサーチは着目され
ているが、中国は政府の強い意思で組織の壁を越えてこのような研究所を早期に設立で
きるのが強みである。
科学院工程熱物理研究所:エネルギー供給と環境保全に奮闘
科学院工程熱物理研究所は、熱から電気や仕事への変換を行うのが目的で、1980 年、
力学研究所から分離独立した。北京市郊外に 3 ヶ所のプラント実験所がある。
熱力学、ターボ機械、燃焼、熱転換の研究開発を実施している。具体的には、石炭の
68
ガス化、脱硫、都市ゴミの燃焼発電、炭酸ガスの抑制、水素ガス生産、バイオ発電、自
然エネルギー発電などの技術開発を行っている。教員は 173 人で、そのうち、教授級研
究員は 17 人。大学院生は 182 人で 3 分の 1 は清華大学から入学してくる。少し前まで
は定員割れしていたが、エネルギーと環境問題の重要性から人気がでてきている。
研究所の性格はエネルギー供給と環境保全という社会ニーズに応えるものであるた
め、発表論文数の発表は少なく、年間 100 報以内である。
研究所から企業への技術移転の方法は 3 つ。まず、企業からの委託研究で成果は契約
書で決まるが、基本は企業のもの。次に企業へのライセンシングで、導入費(イニシャ
ル費)及び売上高に応じたロイヤリティーを受け取るもの。三番目は、研究所と企業と
のジョイントベンチャーで、企業は資金を提供するが、研究所は技術を資金換算して提
供し、共同で設置するもの。
エネルギーと環境の問題は中国の生命線にもなりかねない。研究者と技術者の活躍に
期待したい。
長春応用化学研究所:日本の大陸科学院の跡地に聳える研究所
長春応用化学研究所は、1948 年設立された、高分子科学、無機化学、分析化学、有
機化学及び物理化学を含む学際的な化学系の研究所である。現在、高分子物理化学国家
重点実験室、電気分析化学国家重点実験室、稀土化学物理重点実験室、高分子応用実験
室、緑化学プロセス実験室の 5 つの組織から構成されており、3 人の科学院院士を含む
796 人のスタッフ、613 人の大学院生より成る。予算は 8000 万元から1億元程度。発表
論文数は 500 報、特許申請数は 150 件程度。600 メガの核磁気共鳴装置など研究機器類
は充実している。
長春応用化学研究所は理化学研究研と関係が深いエピソードがある。戦前、満州国が
新しい研究所の構想作成を財団法人理化学研究所の三代目所長の大河内正敏に託し、新
京(今の長春)に誕生したのが大陸科学院である。大陸科学院は、産業の育成発展のた
めに総合的科学研究機関として、採鉱、航空機、風力、土木建築、林産、医学、畜産、
獣疫、博物館などの研究を実施していた。
終戦後、大陸科学院は中華民国そして中華人民共和国に没収される。大陸科学院は変
遷を経て、現在の長春応用化学研究所へと名前を変えていく。
当時の大陸科学院の本館は撤去されたが、跡地に現在の長春応用化学研究所が威風
堂々と“存続”している。
解放軍総合病院(301 病院)
:日本を上回る治験の規模と質
解放軍総合病院(301 病院)は、解放軍の最大の病院であるばかりでなく、中国最大
の病院だが、研究型病院を目指している。GCP(Good Clinical Practice)に認定され
ている。SARS 騒ぎの際には、当初原因が不明であったため、医者、看護婦など数十名
の死者を出した。
博士大学院生は 360 人、修士学生は 900 人、医者は 800 人、ベッド数 2000、年間患
者数 300 万人、手術 3.4 万件、CT16 台、PET、MRI、DNA シークエンスなど 12 億元の機
器を有する。年間論文 1600 報、被引用数は解放軍病院で 6 年連続一位。外部研究費は
年間 9300 万元だ。
2002 年に 863 計画参加し、2005 年に全軍重点実験室に指定され、2007 年に米国のワ
イス社と共同で、抗がん剤を 3 ヶ所で治験を行っている。そのうちの1ヶ所で毎年 5000
人の患者にフェーズⅡの治験を実施している。
この病院では、大学、研究所、企業の開発した新薬の治験を行うが、ここで開発した
新薬は他の病院で治験をすることになっている。公平を期すためである。
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健常者を対象とするフェーズⅠの登録数は僅か 300 人であるので、治験の際には広告
を出す。日本の製薬企業との間でも、フェーズⅠとⅡの治験を行っている。実施した治
験は 67 件で、うち国際協力は 24 件。フェーズⅠは新薬を中心に 5 項目で、1項目は 4、
5 のテストを行う。赤字にはなっていない。教授は欧米留学経験者が多く、日本のどの
大学よりも治験のシステムが進んでいるように思われる。
病院の 2006 年の収入は 14 億元。2007 年は 17 億元を見込んでいる。治験を行う医者
には残業代の形で賃金を支給。治験は世界的なプロトコール(手続き)のルールに従っ
ている。
なお、中国の薬事法改正案では、人体実験との批判が国内にあるため、フェーズⅠの
国際協力はやらないとしているとのこと。
日本は生命科学研究の成果は多いが、国民に還元される成果が少ない、としばしば指
摘される。治験制度が貧弱であったり、新薬認定の制度が硬直化しているためである。
中国は将来を見越して着々と手を打っているように思われる。
(再掲、一部修正 2010 年
7 月 1 日)
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歴史から学ぶ日中学術交流
日本と中国の学術交流や科学技術協力には、双方の思惑が錯綜していて順風満帆に進
展しているとは言い難い。日米は「同盟」関係であり、日中は「戦略的パートナーシッ
プ」の関係にあるが、これらを分かりやすく表現すると、「同盟」はあらゆる問題につ
いて利害が一致している運命共同体であるが、「戦略的パートナーシップ」は相互互恵
な課題については協力するが、そうでないものについては協力しないということである。
もっと分かりやすく言うと、日米間ではあらゆる科学技術協力は相互に利益があるた
め協力を大いに進めようということであり、日中間では双方にメリットのある科学技術
協力のみ協力をしようということである。例えば、日本が強いハイテク分野では、技術
流出が起こる恐れがあるため、中国との間ではあまり積極的に協力を進めず、環境問題
など放置すると日本が困る分野に限定して協力を進展させようという考え方である。一
方、中国は日本から環境技術のみならずハイテクも学びたいと思っている。日中で思惑
が異なるため、科学技術協力の推進の調整が困難になる。
鳩山政権は「東アジア共同体」構想を打ち上げているが、その内容は明確になってい
ないため、これが日中科学技術協力に及ぼす影響は未確定である。新しいコンセプトの
上にこれらの協力が展開される可能性はあるが、その姿はまだ霧のなかだ。
このような現代的でかつ未来の課題の道標を見出そうとすると、歴史に学ぶことが賢
明であろう。戦前からの日中学術交流を振り返ってみたい。
まず二つの歴史的建造物に注目したい。ひとつは長春にある中国科学院長春応用化学
研究所であり、もうひとつは上海の中国科学院生命科学研究院の建物である。前者には
当時、満州国の大陸科学院の本館が置かれていた。老朽化したため、できるだけ当時の
概観を残し、建造物の骨格を強化するとともに、現在でも使用できるように内装工事を
している。威風堂々たる建造物である。後者は、そもそも日本政府が義和団事件の賠償
金を使って、日中学術交流を推進するために建造した上海自然科学研究所であった。堅
牢な建物であったため、現在でもそのままの姿で使われている。
もう少し詳しく見てみよう。
日本帝国主義は、1931 年の満州事変の後、1932 年中国のラストエンペラーとなる溥
儀を擁立して、満州国を樹立したが、国際的な非難を受けて、1933 年国際連盟を脱退
する。その 2 年後の 35 年に、新京(現在の長春)に大陸科学院が設立されている。
「大
陸科学院」は、1942 年当時、17 研究室、4 試験室、4 試験場、1 分院、4 直属研究所を
合わせて 62,627 平方メートルの建築面積を擁する総合科学研究機構に発展し、808 人
の日本人と中国人が働いていたという。また、364 の研究プロジェクトを実施し、312
の特許を取得した。
大陸科学院
「大陸科学院」という名称に当時の状況が反映されている。
「大陸」という用語には、
狭い日本から抜け出し、地平線の彼方までを研究対象にしようという野望が感じられる。
また、「科学院」は、複数の研究所を擁する巨大な自然科学研究機構を彷彿させる。
この大陸科学院の設立には歴史的逸話が残されている。満鉄が本渓湖周辺の地下の石
炭を掘っていた際、張学良の領分まで掘ってしまい、それが発覚して莫大な賠償金を支
払うことになった。ところが、張学良が満州にいなくなったため支払う必要がなくなり、
その使用方法を満州国に申し出たところ、予想外の資金だから研究所でも作ろうという
ことになったという。
1917 年に設立された財団法人理化学研究所は、三代目の大河内正敏所長の強力な指
導で、理化学興業株式会社の下に今で言うベンチャー企業を次々と設立していた。大河
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内正敏はまさに時の人であった。満州国は新しい研究所の構想作成を大河内正敏に託し、
それを基に新京に設立されたのが大陸科学院である。
大陸科学院は、産業の育成発展のために総合科学研究機関として、採鉱、航空機、風
力、土木建築、林産、医学、畜産、獣疫、博物館などの研究分野を擁していた。そして、
三代目の院長に就くのが、当時、ビタミンの発見者として世界的に著名であった理化学
研究所主任研究員の鈴木梅太郎である。彼が東洋人でなければ、ノーベル賞を受賞して
いたであろうと主張する学者は少なくない。鈴木梅太郎農学博士は大河内正敏所長の説
得に応じて、満州の気候の悪い夏と冬を除いて勤務するという条件で、1937 年から 1941
年まで大陸科学院院長の責務を勤め上げる。
鈴木梅太郎院長は著書『研究の回顧』のなかで以下のように述べている。
「私は 1937 年 6 月以来、新京に設立された大陸科学院の経営に従事している。科学院
は満州国の総合研究機関として農、林、畜産、有機無機、生物化学、燃料、冶金、電気、
機械、土木建築、防空などの研究室及び実験工場を持っており、外局として馬疫、獣疫、
地質、衛生の各研究所及び古くロシアの創設せるハルピン博物館をも管掌し又科学審議
会を設けて全満の科学総動員に備え、一般産業の推進力たらんことを目標としている故
に、研究の対照たるべき産業の動向において、常に注意しなければならない」
鈴木梅太郎院長は、多くの研究分野を統合し、異文化交流を促進することで、新しい
産業を育成していくことが可能になると信じていたのである。
「最後の一言致したいことは、科学や技術は政府当局や一部専門家の私有物でも独占物
でもない。これを習得し理解するものが多くなり、一般がこれを認識し、応用し、生活
を合理化することによって始めて成り立つのでありまして、専門家が独善主義を取り、
超然として民衆とかけ離れているのでは、所詮宝の持ち腐れであります。大規模の軍需
工業や重工業等で工場に数百数十の戦士や職工や技術者がいる。おのおのその受持部分
を絶えず改良工夫をなし、能率を増進し、生産費を廉くすることを心がけているのであ
りまして、一人の技師長や工場長だけが如何にすぐれた学者なり技術者であっても、全
体が無知無関心では決して向上進歩はないのであります。それで満州でも青年技術者を
多量に養成し、熟練の職工をつくることに多大の費用を投じている次第であります」
鈴木梅太郎院長は、研究の成果が国民に裨益するには、学者や技術者と産業界の関係
が緊密でなければならなく、特に人材養成が重要であると主張しているが、本質は現代
とまったく変わりがない。
終戦後、大陸科学院は中華民国そして中華人民共和国に接収される。大陸科学院の建
物は変遷を経て、現在の中国科学院長春応用化学研究所の所有へとなっていく。また、
大陸科学院の微生物研究室は瀋陽応用生態研究所の一部となり、その機器や工場は長春
精密機械研究所の一部となる。大陸科学院が整備した研究機器は、遠く北京や上海の地
の研究所にも運ばれたと言う専門家もいる。日本に関連の資料が残っていないのは誠に
残念であるが、なんらかの形で中国の科学の進歩に貢献してくれていれば幸いであると
関係者は思っているに違いない。
現在の中国も化学分野は比較的強い研究分野であり、北京の化学研究所、上海の有機
化学研究所、大連の化学物理研究所、蘭州の物理化学研究所など高水準の研究所を擁す
るようになった。中国人研究者は、米国の一流科学雑誌 JACS に毎年 150 報以上の論文
を発表するまで成長したのだ。
上海自然科学研究所
次に、上海自然科学研究所について述べよう。
1928 年、日本政府は義和団事件の賠償金による“対シナ文化事業”の一部として、
日中の政府と科学者が協力して、フランスの租界で上海自然科学研究所が着工された。
72
対シナ文化事業は途中から中国側の要望で中日文化事業と改称された。日本租界ではな
く、フランス租界に研究所が設置されたところにも、両国の研究者が真に協力して中立
の研究所を建設するという意欲が伺われる。
また、日中双方の委員会が合意した研究所設立の目的は、「自然科学ノ純粋学理」の
研究と「支那人ノ高遠ナル自然科学研究ノ能力ヲ増進スルコトニ注意シ以テ支那ノ自然
科学ノ発達ヲ図ル」と規定されているとおり、研究者の熱い思いが表されている。
上海に日中共同の自然科学研究機関の設置を最初に提案した農芸学者の山崎百治は、
「所長は絶対に中国人にすべき」
、
「同等の履歴を有する日支人間に待遇の差別を設ける
べからず」と強く主張したが、実際に所長が中国人になることはなかった。政治の介入
である。
梁波は著作『技術与帝国主義研究』のなかで、「上海自然科学研究所は中国侵略の急
先鋒であった」と断じている。中国人の視点からは妥当な見立てであるが、科学者の日
中共同の夢を実現するためにも、相手に誤解を与えない慎重な運営が必要であった。当
時の中国人研究者の一人は、「科学に国境なんかないんだ。我々が携わっているのは、
人類すべてのためなんだ」と語っているところを見ると、学理追究のために身を捧げた
中国人もいたのだった。
この事業は当初日中共同で進められていたが、1928 年 5 月に济南事件が勃発すると、
中国側委員は辞退してしまい、日本のみで研究所の建設を進めることになった。戦争が
科学者の夢を砕いたのだった。
この研究所は当時の東京大学医学部本館と瓜二つのネオゴシック式の研究所の建物
であった。この建築様式は、夢を求めて上海にやってきた日本人研究者をがっかりさせ
たようだ。また、建物の平面形が「日」の字型をしていることを中国人職員は気にして
いた。「文化侵略機関」疑惑を助長することを心配していたのだ。
1931 年 4 月、研究所は純粋学理の研究と中国人の研究能力の増進を目的として開所
する。この研究所は、物理学科、化学科、生物学科、地質学科、病理学科などから成っ
ており、当時、日本国内でさえ匹敵するものがないほどの贅沢な研究環境を持っていた。
63 人の研究員のうち、中国人は 17 人で約 27%を占めていた。1942 年の年間予算は 40
万円以上であったという。
戦後
戦後はどうなったのであろうか。
日本敗戦の玉音放送が終わるや否や、中国人の軍人が研究所に侵入してきた。日本人
研究者は個人の蔵書やアルバムなども含めて一切の文書の持ち出しが禁じられた。その
後、日本人研究者には帰国した者もいれば、中国の科学の発展に身を投じた者もいた。
戦後、研究所は中国政府に没収され、現在も、科学院上海生命科学研究院本館として
使われており、上海地区のライフサイエンス研究のメッカとなっている。
科学者の「科学に国境なし」という理想主義は打ち砕かれた。上海自然科学研究所は
戦時中の事業であったがゆえに失敗した面が大きい。しかし、平和時の現在、日中両国
の科学者が未知の世界に分け入り、身を焦がすスリルを味わうように、共同の総合科学
研究機関が設立されるかどうかを夢想すると、過去と現在の日中の科学者の意識は相当
にかけ離れているように思われる。
上海自然科学研究所は、日本帝国主義によって文化侵略機関に利用された事実を認め
つつも、少なくとも科学者は理想に燃えて研究所を共同で運営しようとしていたという
思いを現在の両国の科学者が共通に理解し合えることが大切である。
イノベーションを起こすのは科学者であり技術者である。日中両国が戦略的パートナ
ーシップを維持しつつ、協力してイノベーションを振興するには、先人たちの理念と経
73
験に学ぶ必要があろう。
以上のふたつの研究所の話は中国で起こったことであるが、さらに中国が日本に留学
生を大量に送り出してきた時代もあった。
中国語の科学技術用語のかなりの部分は、中国ではあまり知られていないが、元々日
本語である。明治維新以降、欧州に派遣された日本人留学生が英語やドイツ語から苦心
して翻訳した、物理、化学、医学、社会学などの専門用語が現在の中国人科学者の間で
自然に使用されている。
“中華人民共和国”でさえ、中国語は“中華”だけで、“人民”
も“共和国”もそもそも日本人がヨーロッパ語から翻訳した言語である。
これには歴史的経緯がある。清朝は 1894 年から翌年にかけての日清戦争に敗れると、
中国文化の後進性を悟り、近代化へと大きく舵を切ることになる。最も手近なモデルに
選ばれたのが日本であった。近代日本に学ぶため、日清戦争後の 20 年間に総計 10 万人
の留学生が日本に派遣されたと言われている。多いときで 1 万人以上の中国人留学生が
日本の大学で学び、中国各地でも数百人の日本人が教師や顧問として教育活動を行って
いたという。清朝末の中国教育界は日本に全面的に傾斜していたのだ。
中国人留学生は日本人がヨーロッパ語から翻訳した学術語を母国に持ち帰った。この
事実を知っている中国人学者は日本留学経験者のみであり、ほとんどの中国人学者は知
らない。プライドが高い中国教育界は国内の学校で現代中国語の起源を学生に教えてい
ないのであろう。米国歴史学者のダグラス・レイノルズは、1900 年から 10 年間を「日
中関係における忘れられた黄金の十年」とさえ呼んでいる。
米国の反撃
日中の密月時代を傍観していた米国政府は、中国国内に親米派を育てて中国での権益
獲得競争への出遅れを挽回することに執念を燃やす。そのやり方は組織的で、徹底して
いた。病院やミッションスクールの建設に始まり、義和団事件賠償金の一部を用いて清
華大学の前身となる留学予備校の清華学校を設立し、優秀な学生を選抜後米国の大学で
教育し、本国に送り返すことになる。また、賠償金は米国への官費留学事業の基金にも
なった。さらに、ロックフェラー財団、ハーバード、プリンストン、エールなどの大学
も米国政府の対中文化事業に参加し、官民ともに密接な連携プレーを行いつつ中国に進
出することになる。清華学校卒業の米国留学生の半数は、米国の一流大学で修士号ない
し博士号を所得して帰国し、官僚や大学教授のポストに就き、中国のエリート層に食い
込んでいく。
一方、日本留学生は人数では米国留学数を圧倒したものの、留学生を帰国後どのよう
に日中関係に生かすかなど戦略的な留学政策を持っていたとは言えなかった。米国のこ
のような動きに危機感を抱いた日本政府が義和団事件賠償金にもとづいて“対シナ文化
事業”を発足させるのは、やっと 1924 年 3 月になってからであった。日本政府の戦略
性の欠如、遅い対応などは 100 年後の今でも大差がない。
1919 年の五四運動で中国人の日本に対する不満が爆発し、反日運動が加速化し、そ
の後日本は敗戦に追い込まれていくのは歴史が教えるところだ。日本留学経験者が日中
戦争を食い止めることはなかった。
中国は文化大革命終焉後、国際社会への復帰を目指すが、最高指導者の鄧小平が改革
開放政策のモデルとして選んだ国は日本であった。
そのため、1980 年代は日中密月時代が継続される。駐中華日本大使館で勤務してい
た外交官の故杉本信行は著作『大地の咆哮』のなかで、1980 年代、他国の大使館員が
羨むほど日中関係は緊密であったため、仕事が非常にやりやすかったと述壊している。
さらに、中曽根康弘総理大臣が提唱した「留学生 10 万人計画」は、中国人の日本留学
を加速化させた。しかし、1987 年の親日派の胡耀邦総書記の失脚を契機にして、中国
74
の日本離れが起こり、さらに江沢民主席の反日教育で日中関係は悪化を辿る。その流れ
はまだ修復されているとは言えない。
歴史は繰り返される
現在、欧米の大学は中国の大学や研究機関との間で、中国国内に共同で学術機関や共
同研究機関などを積極的に設立している。他方、日本の大学は様子見のために、事務所
を北京などの設置しているものの、欧米の大学のような学術機関の設置など積極的な連
携を実施している大学は少ない。日本は技術流出などを恐れるあまり、中国との緊密な
連携に消極的に見える。2008 年 7 月、福田康夫総理大臣は「留学生 30 万人計画」を決
定した。それは再び、学術分野で日中蜜月時代を復活させる意気込みのようにも見える。
こうやって歴史を振り返ると、日中関係は密月と悪化の時代を繰り返しているように
思える。また、日中密月は米国の国益と衝突する恐れが高いとも言える。日中友好親善
時代には、米国の対中国への影響が弱まることになるからだ。
中国は経済で世界を牽引できる実力を身につけてきている。中国市場で勝てない企業
はグローバル企業になれないとも言われる。欧米の大学には、中国の若い人材が魅力的
に写っていることであろう。世界の若者の中国語学習熱も急速に高まっている。中国の
市場と人材を各国が奪い合うという構図は長い間続くかも知れない。日本は歴史を鑑と
しつつ、グローバルな視点に立ったしたたかな戦略を構築しなければ勝算はなかろう。
(2010 年 2 月)
<参考文献>
『技術与帝国主義研究-日本在中国的殖民科研機構』梁波著
『研究の回顧』鈴木梅太郎著
『上海自然科学研究所 科学者たちの日中戦争』佐伯修著
『中国の近代教育と明治日本』阿部洋著
『大地の咆哮』杉本信行著
75
欧米大学は中国でどんな連携活動を行っているのか
1.はじめに
日本の学術研究機関は中国に次々と現地事務所を設置している。特に、この数年の間
に雨後の筍のように、30 機関以上の連絡事務所が開設されている。事務所とは言って
も、日本から日本人教職員を中国に駐在させているところは少なく、長期出張で日本人
を派遣するか、日本留学経験者の中国人に事務所活動を任せているところが多い。現地
事務所設置の目的は、人材確保、共同研究推進、学術交流、PR 活動などと多岐にわた
るが、実態は他の日本の大学の様子見のところが多いのだ。
「あそこの大学が行くのであれば、我々も行かないと遅れてしまう」
「まず現地に事務所を設置し、様子を伺いながら中国側とどんな協力をやるかを考えて
いけばよい」
などと気楽に考えている学術研究機関もあろう。また、
「学生が集まらなければ、早晩大学経営が行き詰まってしまう。狙いは中国人留学生だ」
「日本の学生は勤勉でなくなった。優秀な中国人学生や研究者を確保しなくては、我が
機関の研究レベルを維持できなくなる」
などとそれなりの危機感を抱いて、中国に事務所を設置しているところもあろう。
視点を変えてみよう。
欧米の学術研究機関は中国でどのような連携活動を行っているのであろうか。欧米と
中国の学術研究機関の連携はどこまで進んでいるのであろうか。欧米の学術研究機関も
事務所を設置しているのであろうか。もしそうであれば、彼らはいったい何をやってい
るのであろうか。
日本と欧米の学術研究機関が中国に進出する目的が本質的に異なるとは思えない。グ
ローバルな激しい競争のなかで生き残るには、学生と学者の質と量の両面での確保や積
極的な交流が重要である。一流機関を目指すものは質にこだわるであろうし、経営の安
定が第一目的であれば、多くの学生を国内外から確保しなければならない。
海外の学術研究機関が中国を目指す理由は、海外の企業が中国市場に来る理由と大差
はない。企業は「巨大市場」を開拓するために中国に行くし、学術研究機関は「巨大人
材庫」を求めて中国に出かけるのである。頭数が多ければ、優秀な人材も多いのは当然
の摂理である。
しかし、人材を確保するためには、何かの活動をしなければならない。何もやらずに、
待っているだけで、中国から優秀な人材が自分の大学に大挙してやって来るほど世の中
は甘くはない。また、優秀な人材を留学生などの形で確保できなくても、共同研究や人
材交流の形で、中国人の頭脳を活用することは可能であるし、その方が効率的である場
合がある。
2.欧米大学の中国との連携状況
まず、欧米の学術研究機関の中国との連携の実態から見てみよう。
米国のトップ 10 大学の中国の学術研究機関との間の協力形態と件数を見てみよう。
共同研究 奨学金 科学基金
研究機関 教育機関等 委託研究
設立
の設立
共同設立 共同設立
ハーバード大学
5
1
1
6
2
-
スタンフォード
3
-
-
1
5
1
大学
ノースウェスタン 2
-
-
-
2
-
大学
76
ペンシルバニア
6
大学
マサチューセッツ 4
工科大学
シカゴ大学
3
カリフォルニア
2
大学
ミシガン大学
3
コロンビア大学
-
イェール大学
5
合 計
33
1
-
5
4
-
-
-
1
6
-
-
-
-
-
-
6
3
5
-
-
-
-
-
2
-
-
-
1
1
-
8
28
-
3
6
45
-
-
1
2
次に、欧州のトップ 10 大学の中国の学術研究機関との間の協力形態と件数を見てみ
よう。
共同研究 奨学金 科学基金
研究機関 教育機関等 委託研究
設立
の設立
共同設立 共同設立
ケンブリッジ
4
-
1
1
2
-
大学
オックスフォー 10
-
-
2
3
-
ド大学
インペリアル・
3
-
-
-
-
-
カレッジ・ロン
ドン
ユニバーシティ・ 2
-
-
-
-
-
カレッジ・ロンド
ン
スイス連邦理工
4
-
-
1
-
-
学院
カロリンスカ
12
-
-
3
1
-
学院
エジンバラ大学 8
-
-
1
4
-
ミュンヘン大学 6
3
-
-
-
-
ハイデンベルグ 7
-
-
-
2
-
大学
ミュンヘン工業 4
-
-
1
2
-
大学
合 計
60
3
1
9
14
-
米国学術機関と中国学術機関の提携活動のうち、「教育機関の共同設立及び教育プロ
グラム共同実施」が 41%と最も高い比率を占め、次いで「共同研究が」30%、
「研究機
関の共同設立」が 25%を占めた。
欧州学術機関と中国学術機関の連携活動では、「共同研究」が 63%と突出しており、
ついで「教育機関の共同設立及び教育プログラム共同実施」が 15%、
「研究機関の共同
設立」が 10%となった。
米国と欧州の間で差異が見られるのは面白い。
これは米国の有名大学の多くが私立大学で、欧州の有名大学の多くが国立大学である
77
ことに関連するものと思われる、私立大学の場合、中国企業の上級管理職や政府高官な
ど対象に高額な学費による MBA プログラムの開設や、非学歴教育プログラム実施など比
較的自由にできるためと思われる。
また、欧州では、政府機関や基金が資金提供して、中国学術機関と欧州学術機関の連
携や共同研究を支援しているため、共同研究の件数が多くなっていると思われる。
3.中国から見た欧米大学との連携状況
次に、中国学術機関から見た欧米学術機関との連携を表にまとめてみた。
教育機関等共同設立
研究機関共同設立
委託研究
清華大学
21
5
-
北京大学
13
6
-
浙江大学
10
8
-
上海交通大学
15
4
-
南京大学
6
4
-
復旦大学
24
7
-
中国科学技術大学
3
2
-
華中科学技術大学
10
4
-
武漢大学
19
1
-
西安交通大学
6
-
-
吉林大学
2
2
-
中山大学
5
2
-
四川大学
10
3
-
ハルビン工業大学
6
1
1
山東大学
4
3
-
南開大学
4
-
-
天津大学
4
1
-
北京師範大学
4
-
-
中南大学
1
1
-
東南大学
5
-
-
合計
172
55
1
(注)カリフォルニア大学と聯合で提携している大学があるため、数字の合計が合わな
いものもある。
中国の上位ランク大学ほど欧米学術機関との協力は緊密になる傾向が強い。だが、欧
米学術機関との「教育機関共同設立及び教育プログラム共同実施」が最も盛んであるの
は復旦大学であり、北京大学や清華大学を上回っている。また、南京大学と中国科学技
術大学の連携件数は比較的少なくなっている。
国別の連携件数について調べた結果は以下のとおり。
教育機関等共同設立
研究機関共同設立
米国
84
39
英国
32
10
フランス
29
3
ドイツ
23
8
スウェーデン
6
8
アイルランド
5
1
オランダ
4
-
78
委託研究
2
1
-
-
-
-
-
ノルウェー
スペイン
デンマーク
ベルギー
イタリア
ロシア
エジプト
ポルトガル
スロバキア
スイス
ウクライナ
フィンランド
合計
3
2
2
1
1
1
1
1
1
-
-
-
196
-
1
-
2
1
-
-
-
-
1
1
1
77
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
3
中国における連携形態のうち「教育機関共同設立及び教育プログラム共同実施」でみ
ると、有名大学の活動件数 59 件のうち米国の大学は 45 件で約 76%を占め、欧州主要
国の英国、フランス、ドイツの大学は計 13 件で約 21%占めるにすぎなかった。一方、
一般大学の活動件数のうち、米国大学が占める比率は 29%に低下しており、英国、フ
ランス、ドイツが占める比率がそれぞれ 17%、21%、14%に上昇している。
これにより、米国の有名大学は中国の学生や企業幹部や政府の高官に対して、
「教育」
を通じて積極的に働きかけ、優秀な人材を確保したり、人的ネットワークを形成しよう
としているように見受けられる。他方、欧州の大学では、有名大学より一般の大学の方
が、中国に対して「教育機関共同設立及び教育プログラム共同実施」を積極的に行って
いることが分かった。
いずれにしても、欧米の大学はかなり積極的に中国の大学と連携活動を実施している
実態が浮かび上がってきた。米国においては、有名私立大学は自ら豊富な資金力を有し
ており、欧州においては、政府などの公的機関が大学の中国進出を支援していることが
背景として考えられる。
4.中国における学術機関の法的手続き
① 教育機関の共同設立及び共同プログラムの共同実施
中国において、外国の学術機関と中国の学術機関が共同で、教育機関を設立するか、
または教育プログラムを実施しようとする場合には、政府資格を取得する必要がある、
「中外合作辨学条例(中外連携教育条例)」及び「中外合作辨学条例実施弁法(中外
連携教育条例規則)」によれば、「中外合作辨学(中外連携教育)」と銘打って学生を募
集する場合には、教育部または地方政府の教育局の認可を受けなければならない。さら
に、
「中外合作辨学(中外連携教育)」は教育機関を設立するか、教育プログラムを実施
する場合に分けられる。
教育機関を設立するとは、外国の教育機関と中国の教育機関が中国国内に教育機関
(または組織)を設立して、中国公民を対象に教育活動を実施する場合であり、教育主
幹部門より「中外合作辨学機構」として認可される。
教育機関を設立しない場合は、中国の教育機関が外国の教育機関より、学科、専攻、
カリキュラムなどを導入する連携を締結し、中国公民を対象に教育活動を実施すること
であり、「中外合作辨学項目(
「中外連携教育プログラム」
)として認可される。
ただし、中国の大学教育の現状では、外国大学の教育方法の方が優れていたり、海外
実習による知識や技術の取得が必要な状況もある。そのような状況も考慮して、教育部
79
では、中外教育機関の連携による「双校園」教育を「中外合作辨学」として承認してい
る。これに該当するには、教育の大部分が中国で実施されることが条件である。
また、「中外合作辨学」には、学歴教育、非学歴教育及び職業技能教育の3種類があ
る。そのうち、学歴教育には修了後取得できる学位によって、本科、修士、博士及び
MBA 課程に分けられている。非学歴教育には、外国語及び教育部認定 MBA 課程以外の MBA
教育がある。職業技能教育には自動車修理、料理などがある。
中国は上に“政策あれば下に対策あり”とよく言われる。教育部の認可を受けるには、
主な教育場所が中国国内であることなどの条件をクリアしなければならないが、実際の
中外の大学や学生のニーズは、進んだ外国の教育を積極的に受けたいというものである
ため、正式な「中外合作辨学」ではなく、「単位相互承認」、「中外聯合研修」、「○○大
学・××大学共同育成マスターコース」などの名称を用いて学生を募集している。
このような制度は、「非中外合作辨学」のため、この形式を通じて取得した外国大学
の学歴は教育部より認可されない。しかし、現実的にはこのような制度による、いわゆ
る連携はかなりの数に登ると考えられている。
②
研究機関の共同設立
中国において、中外の学術機関が共同で研究機関を設立する方法は、法人を設立する
場合と大学内の既存施設を利用する場合があり、前者の場合は政府(商務部)の認可が
必要であるが、後者は大学内部の承認のみでよい。
政府の認可を受ける場合は、中外学術機関が連携協議書を締結し、中国側学術機関の
科技処に提出して認可を受け、その後中国学術機関が商務部に申請し認可を受けること
になる。商務部の許可証を取得した後、所在地の工商局で登録手続きをする。
ただし、本調査においては、これに該当する事例は認められなかった。これは、法人
設立には多額の投資がかかり、かる法的手続きにも時間がかかるためと推察される。
一部の外国大学には、中国企業と法人研究機関を設立している例がある。
また、中国側の既存施設や実験室を利用する場合は、政府の認可を取得する必要がな
いため、煩雑な手続きがなく、中国の既存の設備と人員を活用できるため投資額を抑制
できる。中外学術機関の研究機関の共同設立はこのケースがほとんどである。この場合
は中国学術機関の承認があれば十分である。
③
基金・奨学金
中国学術機関は一般的に「基金会」が設置されており、所属する教員・学生の活動を
奨励する奨学金支給及び研究・交流・公益活動を推進する基金の運営を統一管理してい
る。科学院系列研究所に関しては、科学院人事局が統一管理している。これらの基金会
の設立は、教育部と中国人民銀行の認可を得た後、民生部に登記することにより成立す
る。
外国学術機関が中国学術機関に対して、研究活動促進基金及び奨励金を支給する場合
は、中国学術機関の基金会を通じて行う。つまり、外国学術機関は、中国学術基金会と
協議書を締結していれば、政府機関への申請・登録など手続きは不要である。
④
共同研究、委託研究
共同研究や委託研究に関しては、外国学術機関と中国学術機関の間で協議書を締結し
ていれば、政府機関の認可は必要としない。ただし、国家プロジェクトを中外学術機関
が共同で受託することはできない。
欧米大学の中国との連携活動の概要は以上のとおりである。日本の大学や研究機関の
80
奮起を期待したい。
(2010 年 4 月)
<参考文献>
『欧米の学術機関と中国の学術機関の連携状況調査』
(2010 年 1 月、理化学研究所中国
事務所準備室)
81
東アジア共同体実現に一歩前進
ヨーロッパ共同体はキリスト教という共通の価値基盤があったために実現したが、東
アジア共同体の場合、民族、文化、政治、経済など多様性に富み過ぎているために創設
は困難であるという意見は根強い。特に、親米学者から見ると、東アジア共同体は中国
を中心とする華夷秩序の復興であり、日本には搾取されるだけでメリットは何もないと
主張している。
しかし、日本企業は日本市場の縮小に直面し、中国やインドの市場を頼りにしなけれ
ばならない状況に陥っている。生き残るためには中国やインドに出かけていかなければ
ならない。日本経済は好むと好まざるとに関わらず、ますます緊密な関係になりつつあ
る。そうであるならば、日本にとってどのような東アジアの国際状況を作り出していく
べきかを考える段階に来ている。中国人はインチキだ、共産党は嫌いだと言っていても、
乗り遅れるだけで日本の状況は不利になるだけである。衰退期に差し掛かっている日本
は東アジアの興隆の波に乗るしか、豊かな生活を維持する方法はないのである。
さらに、東アジア共同体が実現可能かどうかはやってみなければ分からない。ヨーロ
ッパ共同体とは異なる仕組だってあり得るのである。東アジア地域の経済は緊密化し、
人の往来は盛んになりつつある。共同体と言わないまでも、相互に助け合って生きてい
かざるを得ないのだ。良し悪しの議論よりも、まずは一歩前に踏み出すことが重要であ
る。
東アジア共同体形成において科学技術協力は一つの大切な要因である。最近の動きを
まとめてみよう。
東アジア共同体の構成メンバー候補は日中韓とASEANとその他地域に分けられ
る。その他地域を含めないか、どこまで含めるかについては日中両国の間で意見が異な
る。日本はインド、オーストラリア、ニュージーランドを含めるべきだと主張している
のに対して、中国はまず日中韓プラスASEANに限定して共同体を構築していくべき
だとしている。日本の立場では、大国化しつつある中国を牽制するために、インド、オ
ーストラリア、ニュージーランドを加盟させた方がいいと考えているが、中国はこれら
の国が入ると、政治体制の議論に火が点くのを恐れている。つまり、民主主義国が連携
し、中国包囲論が出てくるのを嫌がっているのだ。
この議論は日中両国に言い分があるが、議論は進まない。一旦棚上げにするしかない。
そうなると、日中韓とASEANの関係をどう結合させるかである。ASEANは長
い間首相級や大臣級会合を開催し、様々な問題に取り組んできた。日中韓では最近サミ
ット会合が行われるようになった。第一回三ヶ国サミット会合が福岡で開催されようと
した時、韓国大統領は竹島領土問題で日韓がギクシャクしていたため出席を躊躇してい
たと言われる。しかし、中国政府は三ヶ国サミットは二ヶ国問題を話し合う場ではなく、
三ヶ国の協力について議論する場であると主張し、韓国を説得した。
第二回サミットは昨年10月中国の北京で開催され、その時、鳩山総理から三ヶ国の
大学間の実質的な交流を促進しようという提案がなされ了解された。それを受けて、今
年4月16日、東京において三ヶ国の政府や大学関係者が日中韓大学交流会議を開催し、
大学の質の保証、大学間の単位互換制度などについて議論を行った。このプロジェクト
は韓国の提案により「キャンパス・アジア」と命名された。これにより、日中韓の大学
の交流・協力は一層加速していくと考えられる。
さらに、東アジア地域の共同研究を一層加速させる仕組を構築しようとする動きもあ
る。日中韓政府が三ヶ国の科学技術プラットフォームを形成するために、従来マッチン
グファンドを設立し、環境やナノ材料などの共同研究を実施してきており、この予算規
模の充実について合意が行われた。
82
国際ジョイントファンドの設立については、当初、三ヶ国がそれぞれ 1000 万ドル(約
10 億円)を拠出し、10 年間で 3000 万ドル規模の国際ジョイントファンドを設立しよう
という協議もなされたが、今回は共同声明にファンド設立を明記するには至らなかった。
しかし、三ヶ国の科学技術関係大臣はジョイントファンドの設立について賛同の意が
表明された。今後さらにこのジョイントファンドを利用して、どのような領域の研究分
野を推進するかなどが議論されることになる。
三ヶ国協力ビジョン2020が合意され、科学技術協力、大学間交流、文化交流、教
員交流などが盛り込まれた。さらに、日中韓若手研究者ワークショップ「The Green Wave
for Opening the Eco Future」が並行して開催され、三ヶ国から63人が参加した。若
手研究者ワークショップ参加者と日中韓首脳との懇談会も開催された。
東アジア共同体構築への道のりは長い。紆余曲折は必ず訪れると思われるが、少しず
つでも前進することが大切である。
2010年5月29日及び30日の日中韓サミット会合が東アジアの歴史に刻まれ
ることになるにちがいない。
(2010 年 5 月 31 日)
83
エッセイ
84
本音が言えない哀れな北京駐在員
中国の発展は著しい。過去の例がそうであったように、五輪後不況になると信じられ
ていたが、中国はその神話を乗り越え、リーマン・ショックをものともせずに成長を続
けている。まるで化け物だ。悔しいけれど、中国市場に参入しなくては、日本企業の未
来の展望は拓けないような雰囲気になってきた。かつては儲からないと言われていた中
国市場でガパスカ儲かっている海外企業は多い。彼らの口は堅く、何も語らないが、笑
いをこらえようと顔が歪んでいる。
クルマはどんどん売れる。北京では軽乗用車はほとんど走っていない。そんなクルマ
に乗っていたら、友達からバカにされるから、最初から中高級車に乗るのだ。不動産価
格も一時期下がったが、今バブルかと思わせるほど高騰している。東京の不動産価格と
あまり変わらないくらいだ。中国人の給与を考えると、高値の華と思われるが、それが
売れているのである。家とクルマがなければ、お嫁さんをもらえないから、親は子供に
まず住宅とクルマを買ってあげるのだ。
悪いと言われていた中国人のマナーもよくなってきた。行列に並ぶようになった。唾
もあまり吐かなくなった。礼儀を知るようになった。衣食足りて礼節を知るようになっ
た。北京の空気もよくなった。日本料理店の味も次第に向上している。競争のお陰であ
る。
北京の生活は安全だ。東京よりも安全かも知れない。公安や監視カメラのお陰でもあ
るが、引ったくりや強盗に襲われるという心配がない。日本人は、侵略戦争の責任があ
るものの、素晴らしい国からやって来た人々として基本的に尊敬されている。
でも、日本企業は競争が厳しく、ノルマが激しいということが中国人に知られ、日本
人に生まれなくてよかったと言われることがある。日本に帰る駐在員は中国人から可哀
想にと慰められ、本人も中国人の悪口を言いながらも、帰国後の満員電車や過当競争を
考えると、やはり中国の方が過ごしやすいと本音を漏らす。
不思議なことに、駐在員が一時帰国し、日本で友達に会って、中国事情を話す時に、
「中国は立派になった。中国人のマナーはよくなった」と言おうものなら、日本人から
奇異な目で見られ、挙句の果てには、村八分にされかねない。
日本人の間には独特な空気が支配していて、「中国は日本よりも遅れている。中国は
地獄で、日本は天国だ」という認識に沿って発言をしないと、大変なことになってしま
う。
「お前は共産党に洗脳されているのか」
「大和魂や日本文化を忘れたのか」
「もうお前は昔のお前ではない」
などなど今まで築き上げた人間関係まで破壊されてしまいかねない。
だから、賢い中国駐在員は、日本に帰国後中国を絶対に褒めない。悪く言ってさえい
れば、「そうだ、そうだ。中国が日本に追いつくことなんて決してないんだ。GDPで
抜かれても、日本は中味で負けないぜ。あいつらは毛唐だから」と言い合い、仲間同士
で安心してしまう。
中国人のある人たちは共産党に洗脳されているかも知れない。しかし、日本人は独特
の“空気”に支配されているように思える。それに日本人が気が付いていないだけだ。
悲しいかな、読書をしなくなった日本人は知性まで萎縮してしまったのではなかろう
か。こんなこと、僕もブログに書くけれど、上司や友達の前では決して口にしない。そ
れが、日本という“村”で賢く生きていくための智恵なのだから。
今夜も日本人同士集まって、日本酒を飲みながら、中国と中国人の罵詈雑言を並べ立
てて、盛り上がろう。こんなに楽しいことはないぜ。
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「ええじゃないか、えじゃないか。日本は神の国なのだから」
宴会をやっている途中、中国に抜かれたって構うものか。飲めば楽しい。
「ええじゃないか、えじゃないか。いつか、きっと神風が吹き、すべてを解決してくれ
るぜ」
(2010 年 4 月)
86
トップダウンの中国とボトムアップの日本
日中両国の橋渡し役をやっていると、しばしば、両国民の仕事のやり方の相違に直面
する。自分達のやり方に慣れ、当然だと思い込んでいると、相手の考え方や手法は粗雑
に思えたり、あるいはスローでやる気がないように見えたりして、双方とも精神的スト
レスが高くなる。相手の発想が頭で理解できたとしても、感情を持つ身体がついていけ
ないことがあるのだ。
相互理解は口で言うのは易しいが、実行は難しい。しかし、相互協力が利益をもたら
すものであるならば、それを克服していかなければならない。
観念論はこのくらいにして、具体的例で見てみよう。相手のある話なので、中国関連
機関の具体名は避けるが、二流大学ではない。一流大学の一角だ。その大学との間で、
人材や研究費などのリソースを出し合って「連携研究センター」をその大学のキャンパ
スの中に作ろうということになった。
中国は共産党の指導の下で政府が機能して社会主義体制であるため、組織は上に行く
ほど権力が大きい。軍隊組織のように強固でなければならない。組織の下から上に新た
な提案をすることは決してない。そんなことをしたら大変なことになる。上部で方針を
決めて、それを下部に伝達し、下部は忠実に実行すすることを求められる。そうやって
中国という巨大な官僚組織が機能している。巨大な人口をコントロールするにはこの方
法が向いている。
大学も同じだ。学長がやると決めたら、予算も権限も学長が握っているため、実行は
可能だ。
一方、日本は異なる。組織のトップや大学の学長が新規のプロジェクトをやると決め
ても、それが関係する会議で同意が得られなければ実行に移されることはない。学長が
思い通りにやろうとすると、
「今度の学長は横暴だ」
「大学の民主主義は死んだ」
「学長はファシストだ」
という声が噴出する。場合によっては、事務関係者が学長の意向を意図的に無視すれ
ば、学長は「裸の王様」扱いされてしまいかねない。
従って、日本の組織では大学に限らず、下部の者が上部幹部の政策意図を感知しつつ、
下から提案しなければ機能しない。上と下の阿吽の呼吸が大切なのだ。この阿吽の呼吸
を醸成するには、情報の過度の共有が必要になってくる。文書に書かれていない、組織
特有の情報や行動様式を感じ取る必要があるのだ。これが企業文化と呼ばれたりする。
そのために、公式な情報だけでなく、職場以外の場での幹部の意向や非公式な情報に
接することができるかどうかが鍵になる。職場の仲間や上司との飲み会やマージャンや
ゴルフが重要になるのはそのためである。勘のいい奴は職場以外での活動に熱心になる。
このような職員ばかり増えるのも組織にとっては困ったことになる。職場で真面目に仕
事する者がバカをみていては組織の活力は低下するからだ。
共同研究の話に戻そう。
日本側は研究者同士がお互いにメリットがある場合に共同研究が成立すると考える
し、それはどこの国でも普遍である。一方だけが得するような協力関係は長続きしない。
当然である。共同研究は信頼関係の上で双方が研究を分担することで成り立つ。実際の
研究は主にそれぞれの研究機関で行い、時折メールでお互いの進捗状況を報告し合った
り、年に数回、相互訪問して議論を深めたりする。場合によっては、学生や若い研究者
を相手機関に派遣したり、教授自らが相手機関で集中講義を行ったりする。海外との共
同研究の一般的なパターンだ。
87
このような共同研究がうまくいき、共同執筆の論文が書けるようになると、もっと緊
密な関係を築こうという具合に発展していく。つまり、数名の研究者を相手機関に常駐
させ集中的に研究するために、「連携研究センター」を設置しようじゃないかという議
論になる。
そうなると、研究者自らが「連携研究センター」の設置を組織の上部に対して提案・
申請することになる。ボトムアップ方式である。これは日本人の典型的な仕事のやり方
だ。権力がトップに集中していないために、このようにならざるを得ない。
しかし、中国人の発想は日本とは逆だ。
まず、学長が対外研究機関との協力の最終状況を決定する。「連携研究センター」を
設立するかどうかは、共同研究がスタートする前やその途中段階で学長が判断する。学
長が決断すれば必ず予算はつく。誰も反対しないし、反対できない。中国人のやり方は
トップダウン方式である。
さて、これらの異なる発想をする組織人が両者の協力関係について議論をすると意見
が噛み合わない。日本人は中国側は乱暴で拙速すぎる、研究成果を積み重ねて次の段階
を考えていけばいいと考える。だが、中国人は日本側はスピード感がない、いったい誰
が決定権を持っているのか、本当に中国との協力を望んでいるのかと疑心暗鬼になる。
両者が相手の考え方をよく理解し、如何に歩み寄れるかを考えていかなければならな
い。時として、中国の方が世界標準に近いのではないかと忸怩たる思いをする。
実は、もっと視野を広くすると、このような日本の意思決定システムはグローバル化
する世界で日本の改造が遅れ、取り残されようとする原因になっているのだ。トップは
見識を持って決定すべきとしばしば指摘されるが、トップには権限がなく、かつ下部の
者が拒否権を持っていることがしばしばある。会社や大学など所属組織全体の利益より
は、事業部や学部の利益が優先されることが多い。
トップに強い権限がないので、全体の利益のために部分を切り落とせないのだ。日本
は国全体の発展のために、一部の勢力や時代遅れの人々に負担を強要することがなかな
かできにくい社会である。住みよい社会ではあるが、改革は遅々として進みにくい。
日本人の改革の遅れへの苛立ちは、守旧勢力の否定が行えないためである。そして、
多くの人々が気づいているかはともかくとして、守旧勢力の側に立っている。
自己犠牲や自己否定ができない限り、日本はぬるま湯の中で安楽死していくのかも知
れない。
(2010 年 6 月 13 日)
88
「中国の世紀」の条件
今年中に中国の GDP が日本を抜き、世界第二位になる情勢が明確になりつつある。
日本は長い間世界第二の経済大国であったというアイデンティティを失おうとしてい
る。日本経済はもはや中国なしでは復興ができないほど中国に依存してきている。日本
企業の中国進出に益々弾みがつくことであろう。
今回は中国側の視点に立って、大国中国の今後を考えてみたい。
2 年前、私は中国政府の中間管理職に質問したことがある。彼とは旧知の仲だ。
「中国は大国となり、諸外国に大きな影響を及ぼしていくことであろう。でも、中国は
世界の人々や人類に対して何をもたらそうとしているのか、それを知りたい」
しかし、彼は無言のままだった。彼は私の質問の内容は理解できていたが、そのよう
なことを考えたことはなかったようだ。もしかしたら、党や政府の上層部が作成した想
定問答には私の質問はまだリストアップされていなかったのかも知れない。
西洋文明の功罪のうち人類にもたらした福音は何かと考えると、それは「自由」と「人
権」であると私は思う。自由も人権も中華文明を始めとして他の文明は創造することが
できなかった。歴史の近代化の門を開き、人間を幸福にしたのは自由と人権を人間の基
本的な条件としたからである。奴隷は解放され、労働者は生存権を取得した。民衆主義
が開花し、経済が急速に発展し、人間は消費社会を享受できるようになった。だが、す
べてのものに表と裏があるように、西洋文明の罪は自然界を征服し、人口が激増し、環
境を破壊し、逆に人類の生存を脅かすようになったことである。その矛盾を解決するた
めに、科学技術の力を借りようとしている。この手法がうまくいくかどうかはやってみ
ないと分からない。
さて、話を中国に戻そう。
中国の復興は偉大な中華文明への回帰である。彼らは世界に対して何をもたらそうと
しているのか。中国は世界の中心であり、周辺国は文明の届かない辺境であるとする華
夷思想は東アジア地域内であれば通用するかも知れない。しかし、グローバル社会に組
み込まれてしまった中国がそれを他国に要求しても、世界から反発を招くだけであろう。
華夷思想を古くなったタンスから持ち出してもダメである。
中国がアメリカに代わって世界をリードしていくには、中国が率いる世界で生きてい
きたいと思わせるような魅力的な「物語」をつくり上げなければならない。中国は共産
主義を信奉する国でかつてのソ連と同様、「冷酷な奪略者」と思われては、世界の人々
は中国についていかない。実際に周辺国から警戒されている。
中国は反帝国主義を旗印に掲げている。それは正しい選択だ。しかし、中国がアメリ
カに代わる新しい帝国になるのであれば、世界の人々は失望する。
欧米人は文明を世界にもたらすのは自分たち以外にないと心底信じている。黄色人種
である中国人が白人の上に君臨するようになると、欧米は「黄禍論」を唱えるであろう。
また、中国は発展途上国の代表だと自負している。アフリカや南アメリカに対する援
助は貧しく抑圧された人々を救うためだというメッセージは中国政府から出されてい
ない。欧米や日本からは資源囲い込みの手段であると警戒されている。
中国は国内に少数民族、所得格差、役人の腐敗、環境破壊など様々な矛盾を抱えてお
り、世界に向けて魅力的な「物語」を提供する余裕はないのが実情であろう。さらに、
共産主義の理想を棄て切っていない以上、新しい「物語」を描くことは憚られるのかも
知れない。
だが、世界に対する影響が大きくなった以上、それを回避することはできない。人類
の危機を乗り越え、世界の人々に幸福と繁栄を約束する「物語」を中国が描かなければ、
中国の復興を妬む先進国からバッシングを受けることは必至である。
89
さあ、中国よ、お前はどうする。(2010 年 2 月)
<参考文献>
『アメリカ帝国の衰亡』ポール・スタロビン著、松本薫訳(新潮社)
90
2012 年 12 月 21 日中国が地球を救う?
昨日、北京の映画館にハリウッド映画『2012』を観に行ってきた。火曜日であるため、
入場料は半額の 40 元だった。別の曜日であれば、倍の料金になる。日本とあまり違わ
ない。数ヵ月後に、いやもうすでに発売されているかも知れないが、偽者の DVD が出れ
ば、5 元でゲットできる。このため、中国では映画館に行く者は少ない。映画館は 100
人から 200 人の小規模にならざるを得ない。中国特有の「人海戦術」が適応されないた
め、入場料は必然的に高くなる。
映画はマヤ伝説の 2012 年地球滅亡をヒントにつくられている。太陽系の惑星が一直
線上に並ぶのを契機に、太陽の活動が今までにないほど活発になる。その影響を受けた
地球の核やマントルが猛烈に活動を始める。人類が住んでいる薄っぺらな地殻はあちこ
ちで陥没したり、活火山ができたり、大津波が大陸に押し寄せたりと大変動する。世界
の大都市は壊滅的な被害を受ける。ロンドン・オリンピックも中止になる。
これより 3 年前、地球滅亡を予見した米国の黒人科学者は米国大統領に報告する。米
国大統領はオバマを彷彿させる黒人大統領だ。大統領はG8会合の席上で、各国首脳に
地球滅亡が避けられないことを報告し、その対策を提案する。それはなんと、巨大な方
舟をつくることである。場所は中国の四川省だ。中国はG8のメンバーでないので、中
国の内陸を選ぶ必要がなかったとも考えられるが、あまり真面目に考えても意味がない。
ただ、四川省を選んだことに監督のあるメッセージが込められているように思える。
2008 年 5 月に発生した四川大地震で話題になったように、その地下に核兵器秘密工場
があるのは公然の秘密である。大地震によって、核爆発が起こり、山が吹き飛んだとも
言われている。また、核爆発のときにしか発生しない放射性物質が検出されたとも噂さ
れている。いずれにせよ、四川省の山奥の秘密基地で方舟が建設されるのである。
主人公の家族 4 人は米国ロサンゼルスに住んでいる。地殻変動に遭遇するが、危機を
次々と乗り越え、ついに方舟が建造されている基地までやってくる。そこで巨大プロジ
ェクトを目撃した主人公が殺し文句を言う。
「中国を選んだのは正しかった。ほかの国に任せていたら完成できなかった」
中国の自尊心をくすぐる。ハリウッド映画も中国の巨大市場を意識しているのである。
しかし、一方で、監督は中国に対して風当たりも強い。中国のリーダーは画面に登場し
ない。中国人がしゃべっているのは普通語つまり中国語ではなく、チベット語だ。中国
人とは言ってもチベット族しか登場しない。主人公の米国人家族 4 人を、危険を冒して
まで、方舟に乗せるのを援助するのもチベット族だ。善人役だ。
普通語を話す中国人は出てこない。秘密基地の場内アナウンスは英語。ダライラマに
似ている僧侶も登場するが、彼は大津波に飲まれて死ぬ。彼を助けていたら、中国国内
での上映が禁止になっていたかも知れない。
一方、米国大統領は四川省行きの専用機「エアー・フォース・ワン」への搭乗を拒否
し、米国国民とともに運命を共にする。自分だけ助かろうとはしない。米国大統領の面
目躍如だ。これと対照的なのが、方舟プロジェクトに大金を寄付したロシア語なまりの
英語を話すロシア人富豪だ。彼はすんでのところで、方舟に乗ることができなかった。
ハリウッド映画では、悪い奴は必ず死ぬことになっている。主人公の家族は危機一髪を
乗り越えて、勇敢に戦い、全員生き延びる。だが、この家族を支援してきた友人は途中
で脱落してしまう。これもハリウッドのお決まりのパターン。
2 時間半があっという間に過ぎる。バカバカしいがスカッとした。僕は前日の二日酔
いが吹き飛んだ。
この映画は、表面上“中国が地球を救う”という設定になっているが、中味を見ると、
監督は魂まで中国に売り渡していないようである。
91
映画の中で、日本の陰は薄い。東京タワーもお台場も富士山も出てこない。日本の総
理も一言もしゃべらない。しかし、この映画の撮影現場でひとりの若い日本人が活躍し
ている。31 歳の坂口君だ。彼は VFX(ビジュアル・エフェクト)技術の総責任者として、
世界をハチャメチャに壊す役割を果たしたという。25 歳で渡米し、必死の努力の末、
ハリウッド映画を技術面で支える地位まで登りつめたのだ。脚光は浴びないが、縁の下
の力持ちという役割は日本人に向いているように思う。これからの日本と中国の関係を
考える上で参考になり得る。
それにしても、2012 年 12 月 21 日の審判の日が待ち遠しい。僕は果たして方舟に乗
せてもらえるのであろうか。(2010 年 1 月 20 日)
92
「心の科学」が世界を救う
第 63 回毎日出版文化賞の自然科学部門賞に輝いた藤井直敬氏著『つながる脳』を読
んだ。藤井直敬氏は理化学研究所脳科学総合研究センターの研究者だ。このセンターは
日本政府が脳機能の総合的解明のために約 10 年前に設立したもので、現在のセンター
長はノーベル医学生理学賞受賞者の利根川進氏が務めている。
『つながる脳』は奇妙なタイトルである。タイトルだけでは、どのような内容の本か
を理解するのは困難である。でも最後まで読めば分かる。脳科学者の挫折と挑戦と克服
と希望が推理小説のように解き明かされる。また、なぜこの本が賞を受賞したのかも最
後になると分かる。
藤井直敬氏は真理追及と社会貢献に真摯な態度で臨んでいる研究者だ。本は脳科学者
の絶望から始まる。脳科学の学問としての行き詰まりを正直に告白している。脳科学の
進展を阻む壁を丁寧に説明する際には、内なる自己に語りかけるような重い口調だ。先
輩や同僚に迷惑をかけないように慎重に言葉を選んでいる。
今までの脳科学の手法は間違っていたのではないか、研究者の脳に対する基本的認識
が間違っていたのではないか、再現性を重視するあまり脳機能の柔軟性を抑圧してきた
のではないか、一回しか起こらない現象を科学にする手法もあるのではないか、藤井氏
の苦闘が素直に語られる。直球勝負だ。文体は科学研究費補助金の申請書を易しくした
ようなもので、読者は若干疎外感を感じるかもしれないが、僕は藤井氏の誠意さと心の
暖かさを感じることができた。
次に、脳科学の壁にいかに臨んだかが語られる。口調も軽やかになってくる。研究者
の本領発揮の場面だ。創意工夫を凝らし、難題に挑戦していく。二頭のサルを使い、社
会性脳研究の手法を編み出していく。困難と思われていた脳の社会性の計測に成功する
のである。
社会は弱者の抑制から生まれる
そして、藤井氏は断言する。サルでもヒトでも「抑制」から社会性が生まれると。そ
して付け加える。抑圧されている弱いサルはボスザルよりも賢い。それは人間社会で言
えば、中間管理職が組織の中で一番苦労しているが、問題点も一番理解しているのと同
じであると。読者をニヤリとさせるのだ。
さらに、藤井氏は脳内の情報を操作するブレイン-マシン・インターフェイス(BMI)
技術の開発にも成功する。脳の内外の双方向性の情報伝達手法の開発につながっていく。
これにより脳を損傷し、手足を動かせなくなったひとでも、考えるだけで身体に装着さ
れた義足や義手を動かすことが可能になろう。この技術を使った研究成果により、藤井
氏は、脳は別の脳とつながりたがっているのだと確信するに到る。これが本のタイトル
である。みんな誰かとつながりたいのだ。分かり合いたいのだと。
世界はグローバル化し、カネ中心の社会になっている。金融工学を駆使し、グローバ
ル経済の勝利者であるはずのアメリカ人は本当のところ幸福になっていないのではな
いかと、藤井氏は自己のアメリカ滞在経験から疑問を呈する。カネは社会に必要である
が、その価値基準がひとり歩きすれば、社会がおかしくなる。脳研究では、脳は実利よ
りも褒められることを望んでいるし、他人の役に立ちたいとも考えていることが明らか
にされている。脳は利己的ではなく、つながることを望んでいるのだ。ここに、彼はカ
ネ万能の社会からの脱出に希望を抱いている。以上が藤井氏の言いたいことだ。受賞に
値する本である。
脳科学の最先端はこころを解明しようとしているが、そのきっかけはまだ見えていな
い。
93
僕は小さいころから疑問に思っていたことがある。それは僕が自分の目で見ている景
色と他のひとが見ているものは同じであろうかということだ。自分の母校に帰ると当時
が非常に懐かしく感じられる。故郷の山々や田園の風景にもなんとも言えない感慨深さ
を感じる。しかし、別のひと、例えば、別の地方の出身者が僕の母校や故郷を訪問した
と仮定すると、そのひとは同じ風景を見ているのであろうか。おそらく、いや絶対に異
なっているはずだ、見え方が異なるに違いないと僕は密かに思ってきた。職場の様子も、
長く務め慣れ親しんだひとと新入職員では見え様が異なっているはずである。
外部から網膜に入ってくる光は網膜で電気信号に変換されて視神経を伝わり、視床を
経て、大脳皮質の第一次視覚野に入ってくる。これが外の景色を見る仕組みだ。しかし、
第一次視覚野は視覚系から情報を受け取るだけでなく、さまざまな脳部位から入力を受
け取っている。第一次視覚野が網膜から受け取る情報はわずか 3%しかない。残りの
97%は脳内部の情報である。
これは驚きである。脳内部の情報には記憶、経験、形状認識などの情報が含まれてい
る。生まれたとき目が見えなかったひとが成人し、手術後に目が見えるようになっても、
その世界が理解できないという。彼の網膜には我々と同じ光が到達しているが、彼の脳
は同じように理解することができない。「見える」ようになるためには、脳の各部位の
活動が必要なのである。
この脳の特性からも分かるように、やはりひとによって景色の見え方が異なるのであ
る。もっと言うと、見える景色や風景に自分の感情がくっついているのである。風景は
「情景」であるのだ。
視覚でさえ個人間にこのような差があるのであれば、知識や文化や歴史は個人や民族
の間でもっと差があって当然である。
ここで藤井氏の議論に戻ろう。彼は脳がいかに社会性を確保するか、脳の情報操作を
いかに行うかについて研究成果をあげた。そして、やはり脳はつながろうとしている、
ひとは他人と関係を持ち、役に立ちたいと考えていると主張している。
我々の脳は実に個性的だ。経験や知識が異なるからである。個性的であるがゆえに、
個人のこころや感情も随分と違っているはずである。争いが起こるのは当然かも知れな
い。しかし、脳は一方では他とつながろうとしている。理解し合おうとしている。それ
を「愛」と呼んでいいかも知れない。
現代文明社会は行き詰っている。希望は見えない。カネがすべてではない、人間は自
分の利益を追及するだけの動物でないなどと言っても、個人ではどうすることもできな
いでいる。戦争の悲劇は地球上からなかなかなくならない。大量生産・大量消費型文明
は地球を破綻させようとしているといっても、生活スタイルを変えられない。アフリカ
の飢えた子供たちにパンを恵んであげようと思う反面、肥満を気にするあまりつい食べ
残してしまう。家族や村落共同体が世界中で崩壊し、人間はアトム化し、孤独感に苛ま
れている。みんな将来に不安を感じている。
脳科学はまだよちよち歩きと言っても、ひとの感情やこころを理解し始めている。道
のりは長く、険しいかも知れないが、その成果が来るべき文明社会の基礎になれば、人
間は別の進化の道を模索する手助けになるかも知れない。新しい世界は今とはまったく
異なっていることであろう。より深く相互理解するために、近未来に個人間の脳が直接
つながっている可能性は高い。
我々は金融資本主義にも共産主義にもはっきりノーと言おう。そして、「こころを科
学する」ことにより、人類が蓄積してきた知の体系を再構築し、新しい世界に踏み出そ
う。絶望するのはまだ早すぎるのだ。(2010 年 3 月)
94
<参考文献>
『つながる脳』藤井直敬著(NTT 出版)
『進化しすぎた脳』池谷祐二著(講談社ブルーバックス)
95
ツボは実在しないのになぜ鍼灸が効くのか
僕は週に一度くらい、北京のマッサージ店に通っている。持て余した時間を潰すため
という理由もあるが、マッサージを受けた後は、身体が軽くなり、足のむくみも取れて、
靴が大きくなったように感じられる。その日、ぐっすり眠れるのも有難い。それに、若
い女性に身体を触られるのは悪い気がしない。でも最近は、より強い刺激を求めて、も
っぱら男性マッサージ師にやってもらっている。誤解しないでもらいたい。
また、中国語会話の練習になったり、地方から出稼ぎに来ている彼らの意識調査にも
なるので、マッサージ店通いのメリットは大きい。屈託のない彼らとの交流にも安らぎ
を覚える。
酸痛
マッサージはツボや筋肉を押したり、さすったりする。マッサージは中国語で「按摩」
というが、按は押すことで、摩はさすることだ。ツボをマッサージすると、血流がよく
なり、悪いところが治癒され、健康になるという。ツボを押された際、痛いと感じる時
は悪い部位がある証拠という。健康な時は、ツボは痛いような、気持ちのいいような微
妙は感じを受ける。辞書にはだるくて、痛いと書いてあるが、僕の印象と違うのだ。中
国語では「酸痛」と言うが、これがピッタリの表現かも知れない。酸痛は日本語には適
訳がないが、直訳すると「すっぱい痛さ」だ。少し痺れて痛いが、慣れると気持ちがい
い。効いているという実感が持てる。なお、ツボは中国語で「穴位(シュエウェイ)」
と呼んでいる。
ツボとツボの間は経絡で結ばれている。僕は疲れると、腰が重く感じられたり、痛か
ったりする。腰痛の持病がある。そのため、腰付近のツボを押されると痛みを感じるの
は当然だが、足首の上のツボを押されると激痛が走る。マッサージ師は二つのツボの間
が経路で結ばれているためだと当然のように言う。実際に痛みを感じるため、経路があ
ると言われれば、そうだと思ってしまう。でも、経路は本当に存在するのであろうか。
ツボ以外にも筋肉もマッサージしてくれる。筋肉は疲れると、硬くなるので、マッサ
ージで柔らかくする。柔らかくなると疲労が取れたような気になる。ひどく疲れている
時には、背中の筋肉が鉄板みたいに硬くなってしまう(実際、何度も「鉄板の背中」と
呼ばれたことがある)ので、ひとの手によるマッサージでは効き目がなくなる。
そこで登場するのが「抜罐子」だ。これも適切な日本語がない。口が開いた円筒形の
ガラスのなかを炎で熱した後で、口を背中に当てると、なかの空気が希薄になり、皮膚
に吸いつく。吸引療法だ。素人目にはうっ血しているように思えるが、悪い気である「寒
気」を吸い出してしまうという。少々痛いが 10 分くらい抜罐子をやってもらうと、背
中の筋肉が柔らかくなり、疲れが取れたように軽く感じられる。汗せんが開いているの
で、その日は風呂に入ってはダメだと言いつけられる。
全身マッサージを 1 時間やった後には、足裏マッサージだ。マッサージ店の部屋のな
かには、足裏に臓器の絵を描いたものが掲げてある。足裏のその箇所が特定の臓器と経
路でつながっているというのだ。痛いと感じるところの臓器が悪いのだという。どのマ
ッサージ師にやってもらっても、指摘されるところは同じだ。
不眠症
まず、親指の内側を擦られると凄く痛い。これは「失眠」つまり不眠の証。でも軽症
である。僕は寝ているときも考えているから、睡眠が浅くなるのは仕方がない。別の箇
所を摩られるとまた痛みを感じる。そうやって病気の診断をしてくれるのである。もち
ろんその場所をマッサージすると、臓器に刺激を送ることになるので、治療効果がある
96
と彼らは言うが、これはどうだか分からない。いずれにしてもいつも指摘されるのは、
不眠、首筋と肩のこり、胃腸の消化不足、腰痛だ。翻って考えると、これらの症状は職
業病のようなものだ。僕の仕事はオフィスワークであるため、長時間座り、ネットで調
べたり、考えたり、文章を書いたりする仕事上のストレスの影響から来ている。
なお、両方の足裏と臓器の関係は基本的に同じであるが。ひとつだけ違う箇所がある。
それは心臓だ。心臓は右足の真ん中辺りにツボがあるという。最初にこの場所をマッサ
ージし、心臓を活性化させて、全身に十分な血流を送り始める。その後、左足のマッサ
ージを行い、再び右足の作業に入る。
さらに、反対の性からマッサージを受けた方が効果があると言う。男性客は女性マッ
サージ師から、女性客は男性マッサージ師から受けるのは、陰と陽の関係から来るとの
説明を受けた。僕はこの説には懐疑的だ。単に異性に触れられるのは気持ちがよく、客
足が伸びるからではないのか。正直にそう言ったら、店のオーナーから睨みつけられた。
僕は年に 1、2 回定期健康診断を受けている。健康診断は血液検査、レントゲン写真、
心電図、超音波検査など西洋医学を基礎に構成されている。そこで診断されるのは、マ
ッサージ師が言うことと随分違う。高血圧、高コレステロール、高中性脂肪、高尿酸値
などだ。共通点はなく、すれ違っている。マッサージで分かるのは、不眠、肩こり、胃
腸の消化不良、腰痛だから病気と関係なく、重要でないとも言えるが、ひとによっては
それが重大な悩みとなっているのではないかと思う。
2 年くらい前にこんなことがあった。咳が止まらなくなったのだ。日本の医者に診察
してもらい、色々な薬を試したが、それでもダメだった。4 ヶ月くらい咳が続いた後、
漢方医の門を叩いた。専門医は脈を慎重にとると、こう言った。
「咳が止まらないのは、気が身体の途中で止まっているからである。腰付近の背骨がず
れていて、それが気の流れを阻んでいる。腰痛と咳は関係がある」
僕は半信半疑のまま、治療を受けた。整体やら気功やらをやってくれた。首の骨がボ
ギボギと音がした。首がはずれるのではないかと心配だ。治療を 2 ヶ月間受けるうちに、
咳は次第に収まり、いつの間にか通院するのを止めた。どれほど効いたか分からないが、
不思議な体験だった。
要は、漢方医学(中国語では「中医」)と西洋医学の体系が異なっているため、診断
結果が異なってくる。どちらを信じればいいのか。
ところが、漢方医学の名医になると、脈に触っただけで、たちどころにどこが病気か
を指摘できるという。まさに名人芸だ。北京で会ったアメリカ人が興奮したように僕に
語ってくれた。最近では、中国のみでなく、欧米でも漢方医学の研究が盛んで、西洋医
療と合体した統合医療として治療にも応用されている。
ニクソン大統領訪中
少し科学的な話をしよう。
鍼灸の治療効果だ。
1972 年、米国ニクソン大統領が電撃的な中国訪問をした際、同行した記者が虫垂炎
に罹り、それを鍼麻酔で手術を行ったことを、大統領自身が記事で報道し、米国で鍼麻
酔ブームを引き起こすきっかけになった。でも真実は、鍼を施したのは、手術中の麻酔
ではなく、手術後の違和感や痛みの改善であった。いずれにしても、鍼灸治療の研究が
欧米で盛んになり、WHO(世界保健機構)も鍼灸治療が数十種の疾患に有効であると発
表するまでになった。
ツボの解剖学的研究、ツボの電気抵抗の測定、鍼の刺入による内臓の動きの X 線によ
る記録や心電図による心臓の反応などが熱心に研究された。だが、これらの研究はすべ
て挫折した。ツボが解剖学的に発見できないのだ。不思議である。誰もがツボを感じる
97
が、それが解剖で確認できないのだ。中国 4,000 年の鍼灸の歴史の謎はまだ暴かれてい
ない。
鍼灸をツボに刺入する治療を受けた場合、被験者の 50%以上に痛みの軽減などの明
らかな治療効果が認められている。一方で、偽の模擬治療を受けた被験者でも 40%以
上に同様の治療効果がみられている。この 40%はプラセボ効果によるものである。こ
の 10%の差を大きいと見るか、小さいと見るかは意見が分かれるところである。プラ
セボ効果は製薬会社の大きな悩みだ。巨費を投じて新薬を開発しても、プラセボ効果を
明らかに上回る効果を出さなければ、新薬として認定されない。
プラセボ効果
視点を変えると、プラセボ効果がこんなに大きいということは、脳の働きが凄いとい
うことにもなる。脳は偽物の薬でも、本物と同じように機能させてしまうのである。脳
機能は恐るべし。やはり、「信じる者は救われる」や「病は気から」は実社会で真実な
のだ。
プラセボ効果は、薬を服用した精神的安心感が自律神経に働きかけることによって引
き起こされる。怒ったり、緊張したりすると、心臓がドキドキする。これらは誰もが経
験するが、生理学的にはまだ解明されていない。なぜか。
身体の神経には、体性神経系と自律神経系がある。体性神経には大脳皮質に感覚情報
を伝える感覚神経と身体を動かす命令を大脳皮質から筋肉に伝える運動神経がある。体
性神経の中枢は大脳皮質である。一方、自律神経は我々の感覚や意志とは無関係に(だ
から、
“自律”神経と呼ばれている)、身体機能の調節を行い、その中枢は脊髄と脳の間
の脳幹部にある。しかし、驚くべきことに、体系神経系と自律神経系を結びつける神経
の連絡路は見出されていない。教科書にも、体性神経系と自律神経は別のものとして記
載されている。
プラセボ効果は未解明なのだ。薬を飲んだから病気が治るというのはほとんどのひと
が経験済みであるが、科学がこんなに進んだ現在でもその理由は分からない。精神が緊
張した時、心臓がドキドキする理由も分からないのだ。
鍼灸の話に戻そう。
鍼灸によるツボの刺激で引き起こされた電気インパルスは感覚神経を伝わって。脳の
基底核まで達し、ここで脳の血管を支配する自律神経に「飛び移り」、この結果、自律
神経から放出される化学物質のアセチルコリンにより脳血管が膨張し血流が増加し、偏
頭痛の原因となっていた化学物質が増大した血流によって洗い去られると考えられて
いる。問題は感覚神経から自律神経への「飛び移り」である。この神経連絡路が解剖学
的に発見されていない。
また、電気インパルスの伝わる神経経路は、残念ながら中国医学が主張するツボをつ
なぐ経路とは無関係である。この事実により、ツボと経路の存在が否定された訳ではな
いが、中国医学会は真っ青であろう。
「ゆらぎ」
さて、議論を先に進めよう。
体系神経系と自律神経系の連絡路は発見されていないと述べた。最近の研究では、自
分で血圧の測定値を見ることにより、それを低めることに成功したという論文も出てい
る。脳のアルファ波発生も意識でコントロールできるようになったという。前頭葉の「ゆ
らぎ」を見れば、グリーン上のパットが外れるかどうかを予測できるという論文まで発
表された。膨大な練習を積んだプロでも、短いパットを外す理由は不定期に起こる「ゆ
らぎ」である。プロにとってみたら、才能や努力と無関係の「ゆらぎ」でパットを外し、
98
賞金を逃がしたら悔しくて仕方がないだろう。だが、「ゆらぎ」はコントロールできる
とも言うのだ。欧米のプロゴルファーは脳科学者の指導で「ゆらぎ」を抑制する修練に
取り組むようになっている。
僕は、体系神経系と自律神経系の連絡路を解剖医学的に発見しようという試みはナン
センスであると思う。秘密は脳機能に隠されている。連絡路が無くても、我々の経験が
示すように、両者は“連絡”しているのである。そこが脳の凄さである。脳は各部位が
機能をある程度分担しているが、各部位の相関関係が強く、また複雑である。その情報
ネットワーク構造を理解した時に、プラセボ効果が理解できるのであろう。
社会、環境、感覚器、脳、心、言語などの関連性や高度な精神活動など人間であるこ
との根幹への科学的アプローチはまだ見出されていない。考えてみるがよい。人間が持
つ情報処理能力の素晴らしさを。そして今まで人間が築き上げてきた文明や文化の傑作
品を。簡単に脳機能が解明できるはずがないのは当然である。
我々はひとの話を聞いてから、0.2 秒で内容を理解できる。神経シナプスが情報を受
け渡すのは 1,000 分の 1 秒だから、シナプスを 100 回ほど介せば脳の情報処理は終了す
る。わずか 100 回のステップで高度な知的活動が行われているのだ。コンピューターは
1 秒に何億回以上の演算をやっているが、人間の知能には遥かに及ばない。
脳科学者の苦悩は続くことである。彼らの新発見の喜びのニュースを心から期待して
待っている。
僕はその間、ツボと経絡の存在を信じながら、マッサージを受けることにしよう。プ
ラセボ効果を最大限に引き出すためには、騙されようが、その方が効果が上がるのであ
る。疲労の解消と気持ちよさの追及には適わない。
さらに、いつか、脳科学者から脳波ゆらぎの抑制の指導を受け、スコア 78 の新記録
を達成したいものだと思っている。
(2010 年 2 月)
<参考文献>
『現代医学に残された七つの謎』杉晴夫著(講談社ブルーバックス)
『進化しすぎた脳』池谷祐二著(講談社ブルーバックス)
99
太極拳は内臓の運動を促進する
僕は北京で週一回太極拳の個人レッスンを受け初めて、2 年半が過ぎようとしている。
楊式と孫式は一様ひとりでできるようになった。でも、太極拳の効果を実感するところ
までは行っていない。やはり、毎日やらなくては身につかないのであろう。
太極拳をやっているひとを見ると、手と脚のゆったりした、スムーズな動きに眼を奪
われるが、太極拳の本当の効果は別のところにある。
気が身体のどこかで滞ると病気になると言われる。身体を気が廻ることで健康が維持
されるとも聞く。現代科学の立場では、気が存在するかどうかは議論があるところであ
るので、気を前面に出して太極拳を語っても多くのひとを納得させるのは困難かも知れ
ない。
そこで、疑い深いひとに対して分かりやすく太極拳の効用を説明しよう。ポイントは
呼吸と腰の動きである。呼吸は深いほど身体の血液の循環をよくするだけでなく、心を
落ち着かせてくれる。せっかちなひとは呼吸が短かく、寿命も短い。
腰の動きも重要だ。よく観察すると分かるが、太極拳をやっているひとは中腰である。
腰を低くしているため、脚や腰に負荷がかかり、下半身を強化してくれる。老化は脚か
らやって来るため、まず脚を鍛えなければならないのだ。腰を中心に身体を動かすこと
で、身体全体の運動量が増すのだ。
さらに、深い呼吸と腰の動きは内臓の動きを促進する。心臓、肺、胃腸、肝臓、脾臓、
膵臓を運動させることで、これらに刺激を与え、老廃物を排出させるだけでなく、鍛え
てくれる。
健康の源は内臓が健全であることだ。酒で弱った肝臓を薬で支えるのは限度がある。
内臓の奥深くまでしっかり運動させることで、内臓を強化し、健康を得ることができる。
ヨガで身体をくねらせるのも、内臓に直接刺激を与えるためである。
人間の身体は使わなければ弱体化するように作られている。頭脳も筋肉も内臓も同じ
である。同じ法則が適用されるのだ。
成人病の原因は栄養過多、ストレス、運動不足である。さあ、太極拳をやって、内蔵
を鍛えよう。内臓が強くなると、精力もついてくる。回春にも役に立つ。
太極拳は決して、手や脚を軽快に動かす運動ではないのだ。
僕も心を入れ替えて、明日から毎日太極拳をやることにしようか。いつもそう思う。
(2010 年 1 月)
100
中国社会の矛盾を描く映画
09 年 12 月下旬、東京の東中野のポレポレ座で開催された「中国インディペンデント
映画祭 2009」を鑑賞して来た。10 作位のマイナーでB級の作品が 2 週間、繰り返し放
映されたのである。B級だからこそ、中国のある面の本質を突いているとも言える。100
席にも満たない小さい劇場に、20 人に満たない中国映画ファンが駆けつけて来ていた。
僕が観たのは、「武松の一撃」
、「俺たち中国人」、「オルグヤ・オルグヤ」の三作であ
る。
「武松の一撃」は、水滸伝で有名な武松を主人公にした映画を撮ろうという物語で、
主人公を誰に演じさせるかを巡り、若い監督と映画の出資者の間で意見が別れる。若い
監督の徳松は本物に近い豪傑の武松にマッチした人物を探そうとするが、出資者の方は
観衆の受けを狙い、虎退治よりは色物に焦点を置こうとする。両者の意見はなかなか合
わない。武松は中国の男児たるものの憧れの英雄である。
「俺たち中国人」は、ロシアとの国境である宏疆村に住むロシア人との混血の人々のド
キュメンタリーである。この村の人々は文化大革命の時代にはスパイとして差別されて
いる。彼らはロシア語をしゃべれず、育ちも文化も中国人と同じであるが、風貌が中国
人とは異なるとして、現在でも結婚相手として選ばれることはない。それでも彼らは言
う。中国民族は偉大だ。俺たちは中国人だと。この映画は中国の辺境の人々の封建性や
矛盾を炙り出している。中国本土で放映されることは決してあるまい。
「オルグヤ・オルグヤ」は、内モンゴルの少数狩猟民族の生活を追ったドキュメンタリ
ー。かつてこの狩猟民族は野生の動物を狩ったり、トナカイの角を売って、山の中で生
計を立てて生きていた。しかし、現在では、密猟が増え、動物が減ってしまい、山で生
きていくことは不可能になりつつある。政府はこの少数民族のために、平地の街に住居
を提供するが、山の生活が好きな彼らは酒に溺れる。ある女性は自棄になり、江沢民の
悪口を並び立てる。山の生活を残そうと油絵を描くが、すぐに燃やしてしまう画家もい
る。未来に希望が持てない。彼らは彼らを最後に消えていく民族の悲しさに耐えられな
いである。最期のシーンは、亡くなった親や弟の墓参りをしながら、狩猟民族の滅亡を
嘆く場面で終わる。
中国は巨大である。少数民族の矛盾や悲劇を抱えながら生存していかなければならな
い。中国のリーダーも人民もこのような困難を乗り越えるしか、道は開けない。中国人
はそれによって鍛えられていくのであろうか、それとも民族の精神の病は深くなってい
くのであろうか。僕は映画を観て、そんなことを考えていた。(2010 年 1 月)
101
野生の知性
映画『タイタニック』や『ターミネーター』を手がけた、ジェームズ・キャメロン監
督の3D映画『アバター』
(中国語で「阿凡達」
(アーファンダー)と発音する)を北京
で観た。この映画は北京でも人気があり、通常の料金で 120 元(約 1,670 円)もするが、
火曜日は半額となる。僕は当然火曜日に観に行った。通常料金の 120 元は日本とあまり
変わらないではないか。北京人の所得は急激に上昇している。映画の際にかけるゴーグ
ルを紛失した場合には、250 元(約 3,470 円)の罰金を取られる。
この映画が中国で人気があるのは、画面が美しく、物語も分かりやすく、楽しいとい
う理由もあるが、3D映画であるため、偽物のDVDが作れないためと思われる。3D
でない普通の映画のDVDは街角で、5 元(約 70 円)程度で売っているため、わざわ
ざ映画館に足を運ぶ必要はないためだ。
ストーリーは詳しく説明しないが、未開の星・パンドラには、肉体の能力は人間より
も高く、研ぎ澄まされた感覚を持つ人間そっくりの種族、ナヴィが生息していた。地球
人はパンドラの森の奥の希少鉱物を狙っている。人間は、遺伝子操作技術で、人間とナ
ヴィを組み合わせた肉体、アバダーを 3 人作り、ナヴィの社会に侵入させた。
ナヴィ征服を目論む地球の海兵隊は、パンドラの森への侵略を開始する。アバダー3
人は使命を忘れナヴィ側に寝返り、地球人海兵隊とナヴィの戦争が勃発する。今から観
るひとのために、結末は書かないでおこう。
なお、アバダーという原語は、インド神話や仏教説話でアヴァターラ(化身)という
意味のサンスクリット語である。この映画で、まさに主人公たち人間はナヴィの化身に
なったのである。
キャメロン監督はこの映画で何を描き出したかったのであろうか。海兵隊員とナヴィ
の対決を文明と野蛮、文明と自然、西欧とアジア、強欲と愛情などになぞらえることは
可能であろう。
でも僕は、レヴィー・ストロース著の『野生の思考』を思い出した。この本は、文明
は西洋人によってもたらされたもので、その他のアジアやアフリカは未開の地であると
いう抜きがたい西洋人の偏見に衝撃を与えたのである。文明が遅れていると考えられて
いた欧米以外の地域には、西洋人とは異なる知性があり、それが歴史、文化、習慣、価
値観などを形成しているということを提示したのである。これによって、文化多元主義
の考え方が世界に広がることになり、アジアやアフリカの人々が自信と誇りを持つきっ
かけとなった。
未開や野蛮の中にも人間性が潜んでいるのである。映画『アバター』はナヴィこそが
人間性と自然との調和の重要性を理解していると訴えているようにも見える。
現代の科学者はどこまで人類の未来を真剣に考えているのであろうか。まさか、武装
している海兵隊に仕えようとしているのでもあるまい。しかし、ナヴィの味方になって、
強欲な地球人と対決することもまた困難かも知れない。
さらに想像力を逞しくすると、東アジア共同体の創造は、かの地に地球人とナヴィの
価値観が共存共栄する新しい世界を作ることであるように思う。
僕はそんなつまないことを考えながら、美しい三次元の映画の世界に浸っていたのだ
った。
(2010 年 3 月)
102
楽天的で愉快な中国人
日本人の中国人に対するイメージは、拝金主義、現実主義、家族主義で、プライドが
高く、外国人や弱者に対して威圧的な態度をとるというものだ。これは当たっていると
も言えるし、間違っているとも言える。これらは中国人の一面でしかない。多民族から
なる十四億人の民をシンプルな概念に閉じ込めてしまおうというのがそもそも無理な
話である。
でも、日本人は台頭する中国が怖くて、中国人とは何かと短い言葉で表現してしまお
うとする。漠然とした印象を抱き続けることは不安になるため、それらしい言葉を探し
て、日本人仲間のコンセンサスを得ようとする。一度それらしいコンセンサスを獲得し
た言葉は独り歩きを始める。それに反する言葉が出て来ても、無視するか、反発するか
のどちらかである。
ひとりの人を評価するのが大変困難なように、ある国の人々を表現するのも難しい作
業なのだ。しかし、分かりやすさが優先し、それらしい言い方がされるとそれを採用し、
日本人はその概念の上に安住してしまう。事実かどうかが吟味されることは少なくなる。
困ったものである。
僕はこれは異常な事態とは思わない。社会なんてものは、しょせん人々の誤解や思い
込みの上に成り立っている。自分を他人や社会に正しく認識させようと思った瞬間に、
ひとは莫大な労力を背負い込むことになる。どうせみんな都合のいい視点で、他人や社
会を見て、考えていると思った方が気楽だ。中国人論も幻想の産物でしかない。
誰かが中国論を唱えても、「あ、そう」と聞き流すのが一番賢明なやり方である。真
剣に耳を傾けるほど混乱が起こってしまう原因となる。
そういう訳で、僕の中国人論も軽く聞き流してもらった方が健全であり、安全である。
真面目な顔をして聞かないでもらいたい。
僕は中国人を包括的にこうだと決め付けたくないし、基本的にそんなことは出来ない
と思っている。ただ、中国に住んでいると、日本人と違うなということに時々出くわす。
その理由を考えることはけっこう楽しい。こんなことでもやって、好奇心を失わないよ
うにしないと、海外駐在員は時間に流されその国を理解することはなくなる。
身近なことからいこう。誰でもバブルは嫌いだ。泡沫なものは経済でも、才能でも好
きになれない。でも、ビールだけは別だと多くの(すべてではない)日本人は考える。
泡の喉越しは最高である。幸せの極地と言ってもいい。しかし、中国人はそうは考えな
い。泡は泡であって、中身ではない。泡が多いほど内容が少なくなるため、ビールは泡
があまり出ないような注ぎ方をするし、中国のビールは泡があまり出ないようにつくら
れているように思える。中国人は中身重視の現実主義者なのである。
中国はコピーで溢れているためか、中国人は本物と偽物に非常にこだわる。日本製品
は優れていると信じているが、日本製品であってもメイドインチャイナは本物じゃない
と思っている節がある。日本にやってきて、メイドインジャパンと書かれた製品は本物
で質が高いと信じきっている。ホンダのアコードでも、資生堂の化粧品でも、中国でつ
くられたものは本物じゃなく、偽物に近いと思い、日本で作られたものはすべて本物と
彼らは思っている。
「やっぱり、日本人がつくるアコードは結構走るし、故障も少ない」
「銀座で買った化粧品は肌ののりがよく、中国の資生堂製品とぜんぜん違うわ」
でも実際は、中国でつくろうとも日本でつくろうとも、日本企業の製品であればほと
んど差がないのであるが、信じ込んでいる彼らにいくら説明しても埒があかない。しつ
こく言うと、日本人は中国にハイテクを移転していないから、それを隠すためにつべこ
べ言うと誤解されてしまう。困ったものだ。中国人同胞がつくった製品なのだから、も
103
う少し信じてあげてもいいと思うのだが、そうではないらしい。彼らも中国人を信用し
ていない。
新車の展示会で確実に売れるのは展示されたクルマそのものであるという。潔癖症の
日本人は展示品は他人の垢がついているため買うのを嫌がるが、中国人はそうではない。
展示品は偽物であるはずがなく、それどころか展示されたクルマだからプレミアムがつ
くと中国人は感じるという。
ウソをつくのは中国でも嫌悪される。日本で発生した毒餃子事件について、証拠がな
いにも関わらず、当初中国政府は犯行は日本で行われたのだと主張していた。ただ、面
子を守るためにそう言ったに過ぎない。しかし、よく調べていくと、犯人が工場の従業
員だったことが分かる。当局はすぐに発表できず、事件が風化するのを待って、小さく
報道しただけだった。ネット上では、当局に対する不満がぶつけられた。中国政府に裏
切られたのだと。
人間はすべていつか死ぬ。百パーセントの確率で起こる。例外はない。でも、中国で
は死や老化はタブーである。死を議論したり考えたりすることは生をいかに生きるかと
いうことにつながるはずであるが、中国人はそのような発想はしない。嫌なものは嫌だ。
何を好んでそんな不吉なことを考えるのだと。人生には食事、酒、セックスと楽しいこ
とがいっぱいあるのだ。もっと多くのものを手に入れて、人生を謳歌しようじゃないか
と彼らは考える。金持ちは若くて、美しいガールフレンドを持つのが当然と考えられて
いる。倫理もなにもあったものじゃない。彼らには倫理は建前なのだ。
虚勢を張り、欲望を追究してもますます人生が空しくなるではないかという仏教的な
人生観は中国人にはないらしい。株や土地の価格が下がる話も中国人は好きでない。
それではなぜ中国人はそのように考えるのだろうか。僕の仮説は孔子の教えに辿りつ
く。孔子は弟子に死とは何かと訊かれて、「未だに生とは何かも分からないのに、死が
分かるはずがない」とうそぶいている。この言葉は中国人に「一生懸命に生きるがよい。
死はいつか訪れるのだからくよくよしても始まらない」と解釈されているのではなかろ
うか。
それに対して、日本人は仏陀の影響を強く受け、人生を苦と考えがちである。死は最
大の苦であるが、日本人はそれに美意識を付加し、美しい心中物語や切腹物語を生み出
した。日本人は人生に悲観的な美意識を抱いているような気がする。
中国人は楽天的なのだ。美味しい食事と旨い酒を飲んで冗談を言い合って、爆笑する
愉快な人々なのだ。中国の高度経済成長は当分続くであろう。世界のエネルギーと資源
と食糧を食い尽くすまで、彼らの欲望は止まりそうもない。
(2010 年 4 月)
104
ワールドカップに沸く中国
中国チームはワールドカップ(中国語は直訳で「世界杯」)に出場していないにもか
かわらず、中国人は今サッカーに沸いている。中央電視台(CCTV)の5チャンネル
は全試合を生放送しているだけでなく、翌日にも再放送までやるという熱の入れようだ。
北京電視台のスポーツ専用チャンネルでも、競争するようにワールドカップの試合を放
送している。
こんなに熱心にテレビ局が放送する背景には、中国人のサッカー熱があることは確か
だ。視聴率が稼げるから、莫大な広告収入が入る。中央電視台はチャンネル毎に事業収
支が分離されているため、5チャンネルの放送の従業員の給与はさぞ高いことだろう。
チャンネル毎に視聴率と広告収入の競争をやらせているから驚きだが、「中国の特色あ
る資本主義」、いや「中国の特色ある社会主義」の面目躍如だとも言える。中国人は競
争と金儲けが好きだからこのようなやり方が向いているのだろう。
南アフリカ大会の飲料水の公式スポンサーに「ハルピンビール」が採用されている。
日本では青島ビールくらいしか知られていないが、ハルピンビールは中国東北地方から
世界に飛躍しようとしている。
中国の今年の夏は例年にも増して暑いため、ビールが飛ぶように売れているに違いな
い。14億人の中国人が一日に飲むビール量を想像するとそら恐ろしい。「東シナ海」
なんてすぐに飲み干してしまうのではないだろうか。余談だが、東シナ海は中国ではシ
ナを取って、「東海」というのが正式名称らしい。日本外務省も中国への「配慮」から
東海を使っている。
「ワールドカップが始まるや、中国人客が少なくなった」
と日本料理店の店長が嘆いている。自宅のテレビでサッカー観戦しようという訳であ
る。ワールドカップが終わるまで客足は戻らないかも知れない。
日本では、相撲の野球賭博問題が浮上している。日本国技の相撲の力士は公的な存在
である。建前上、公的な立場のひとが賭博をやってはいけない。賭博はいけないことだ
けれど、普通のひとが常識の範囲でやることは許される。これは法令には書いてないけ
れども、相撲に限らず、サッカーでも世界共通の人の世の掟なのだ。
かつて哲学者が「人間は考える葦」だと言った。でも「人間は遊ぶ動物」でもある。
楽しいことは止められないのだ。「飲む、打つ、買う」は日本男性の三大の遊びと言わ
れているが、中国ではそれに「食べる」が入り、四大遊びになっている。さすがに、食
の国だけのことはある。
中国人は賭博が好きで、それがマカオの賭博場を世界最大の売上げに押し上げたと言
われるが、中国人だけでなくひとは賭博が好きだ。「労働が価値を生む」と喝破したカ
ール・マルクスは図書館にばかり通っていた遊ばない真面目な人間だったに違いない。
賭博だって価値を生むのだ。カネを使えば経済もよくなる。基本的な認識の間違いがそ
の基盤の上にとんでもない社会科学主義の楼閣を建造してしまったようだ。
中国人はそれに気付いているが、それは幻想でしたと認めれば、歴史の成り行き上不
都合が生じるため、看板と本音をうまく使い分けてやりくりしている。そんな状況を見
て、生真面目な海外の学者が資本主義と社会主義は相矛盾するもので、両立し得ないと
何十年も言い続けているが一向に崩壊する前兆が見えない。
中国人知識人は中国人の行動様式は欧米人とは随分異なるため、海外の学者の予想通
りに中国の経済も政治も機能していないと主張する。もしそうであるならば、中国に適
用される理論を早急に構築し、世界に示すべきであろう。そうしないと、海外の人々の
理解は得られない。
海外の学者も中国人の学者もどっちもどっちという気がしないではないが、現実が理
105
論よりも前に進んでいるからこういうことになってしまう。社会科学という学問がまだ
未成熟のように思えて仕方がない。
随分脱線した。サッカーと賭博の話に戻そう。
ワールドカップに熱狂するのは戦争よりはるかにましである。勝った、負けたと熱く
なり、灼熱の夏を忘れたいものだ。ただし、ビールの飲みすぎと賭博のやりすぎには注
意をしなければならないが。
さて、中国人はサッカーが大好きだけれども、中国チームはなぜ弱いのだろうか。貧
乏国の北朝鮮でも本大会に出場しているのに、中国は最終予選にも残れない体たらくで
ある。
周りの中国人になぜ中国チームは弱いのかと訊くと、すぐに返ってくる言葉は「腐敗」
の二文字だ。八百長、買収、ルール違反が横行しているらしい。審判がピットで暴行を
受けたり、試合をボイコットしたり、ナショナルチームの代表に選抜してもらおうと選
手が監督に賄賂を贈るから相当ひどい。
ネット上では威勢よく日本チームの悪口を並べていても、中国チームは日本や韓国に
当面勝てないというのが彼らの本音である。
プロサッカー界の余りのひどさに、胡錦濤主席も対策を指示した。
14億の人口を擁している大国だ。アメリカチームが急速に実力をつけているのを見
ると、中国だってその気になればやれるのではないかと思える。しかし、どうも問題の
本質にカネがからんでいるらしい。
サッカーの広告収入は莫大であるため、サッカー界は相当に潤っている。プロチーム
に所属している選手は試合に負けても、勝っても、高額の年俸が支払われている。イン
グランドのプレミアリーグチームにスカウトされると、年棒が下がるとも言われている。
ヨーロッパのチームで過当競争の中で苦労するよりは国内のプロチームに所属してい
た方が「賢い」とも言われる。
中国チームが弱いもうひとつの原因は、中国人はチームプレーが苦手だということだ。
オリンピック競技を見ても、チームプレーで強いのはバレーボールくらいだ。バレーは
相手と混じり合わないから戦術が比較的簡単であるため、中国人は真の意味のチームプ
レーを発揮する必要がないからだともいう。中国人は穏健に見えるひとでも「我」が強
い。自分を殺して、チームや他人のために貢献するのが苦手なのだろう。
多くの中国人は日本や韓国の活躍を複雑な気持ちで観戦していることであろう。これ
らのライバルチームが勝てば、中国のワールドカップへの出場が遠のくため、負けて欲
しいと考える反面、同じアジア人でもここまで世界と戦えるだから中国人にもできるは
ずであるとも考えている。この矛盾する感情がエネルギーとなって、中国チームが強く
なり、アジアチームの実力の底上げになってもらいたいと思う。
さて、日本チームの勝機は得意とする早いパス回しからチャンスをつくれるかどうか
だ。日本が勝つには得意な能力をいかに発揮するかに掛かっている。これは、今後の日
本の生きる道にも同じことが言える。台頭する中国の横で日本が如何に生きていくのか
は、日本人の持つ優れた能力は何かをよく理解し、それを伸ばそうと一致団結していく
ことであろう。これがサッカーを通じて学べる最大の収穫だ。
侍ブルーの活躍を期待したい。勝てば勝つほど、日本人は中国人から一目置かれる存
在となるに違いない。そして、カネよりも大切なものが世の中にはあるということを拝
金主義の中国人に教えてやりたいものだ。
(2010 年 6 月 22 日)
八強を賭けたパラグアイ戦で日本チームは惜敗した。中国のマスメディアは日本チー
ムの健闘を大きく称えていた。知り合いの数人の中国人に「中国チームと日本チームは
一緒に四年後のブラジル大会に行こう」と呼びかけたが、「中国のサッカー界は腐敗し
ているため絶対無理だ」とみんな口を揃える。愛国心のかけらも感じさせないが、僕は
106
正直そこに中国人の成長を感じてほっとしたのだった。(2010 年 6 月 30 日追記)
107
上昇する中国企業の労働賃金
清華大学のキャンパスには、台湾系の富士康科技集団が全額負担し富士康の名称
を掲げたナノ材料開発センターが建設されている。センター内の研究施設を使用する
のは清華大学の教員と学生であるが、知的財産権の半分は富士康科技集団が所有する
という。富士康科技集団の飛ぶ鳥を落とす勢いを現す現象である。
ところが、今年になり富士康科技集団の中国人従業員の連続自殺は中国国内でも大
きく報道された。この台湾系企業は世界の有名ブランドの電子機器の代理生産を行い、
中国国内に80万人も従業員を擁しているという大企業だ。
連続自殺の原因は管理の厳しさと指摘されているが、これを切っ掛けにこの企業は
月給の大幅アップに応じた。すると、この情報は中国沿海岸域の海外企業に伝播し、
賃上げ要求ストライキが続発することになった。日本の大手自動車メーカーの部品工
場では、従業員が自動車組み立て工場並みの賃金を要求するストライキが起こり、日
本企業は賃金引上げに追い込まれた。民主化運動家もこれを契機にしようと陰で動い
たという噂もある。
中国人労働者の賃金は廉価であるという「神話」は崩壊しつつある。中国よりもベ
トナムやタイの労働者賃金の方がむしろ低くなっているとも言われている。
中国を理解しようとする場合、中国人が「お上」の意図をどのようにキャッチして
いるかを理解することが重要である。五年前の反日デモは、若者がお上は日本の国連
安全保障常任理事会加盟を反対しているというメッセージをキャッチし、デモを実行
したが、途中で一部暴徒化した事件であった。学生は反日であるという旗を掲げてい
れば、デモが当局から許されると理解していた。
今回のストライキはどうであろうか。そもそも中国でストライキ権が認められてい
るかどうかハッキリしていない。中国は労働者の国であるので、ストライキ権が認め
られていて当然と考えるのは自然である。しかし、ストライキ権を認めてしまうと、
それを行使する労働者争議が続発し、海外企業は対応に困り、中国への直接投資が減
少するのを当局は懸念している。
さらに、労働争議の矛先が海外企業だけではなく、政府にも向かうことになれば対
応がやっかいになる。そのため、建前と本音のバランスの上でストライキ権の認知は
グレーになっている。中国人労働者は労働争議を起こした場合の当局の締付けや弾圧
の厳しさをよく知っているため、ストライキの実施は容易でなかった。
ところが、最近状況が変化してきた。
中国企業は廉価商品の製造から脱皮し、ハイテク化を推進すべきと政府は従来から
提唱していた。二、三年前、政府は労働者派遣法を改正し、労働者保護の方針を明確
に打ち出し、労賃のコスト高になると海外企業に衝撃が走った。そして最近、政府が
所得倍増計画を打ち出した。このメッセージは当局は労働者に賃金の上昇を認めると
いう風に写った。
このような情勢下で先の台湾系企業の管理の厳しさとその結果としての連続自殺事
件で、状況が動き出したのだった。
当局が考えていることは次の通りだろう。
海外企業に搾取されている中国人労働者の賃金の上昇はある程度認めてもやむを得
ない。しかし、海外企業が東南アジアやインドに工場を移転するようなレベルの賃金
の上昇は認めないし、さらにストライキが広がり政府批判に転化することは断固とし
て認めない。
労働者達は政府の考え方をよく理解しているはずである。このストライキ騒動は中
国政府がシナリオを書き、労働者が演技をし、目的を達成したので一応幕が降ろされ
108
るのではなかろうか。
さて、この事態を海外企業がどのように考えるかである。労働賃金が廉価なタイに
工場を移そうにもタイの政治は不安定である。中国は政権が安定であるがゆえにまだ
安心していられる。なんといっても14億人の市場は魅力的であるので、少々の賃上
げで撤退する訳にはいかない。
中国政府と労働者と海外企業の思惑はバランスし、事態は収拾されるはずである。
次の人民元高ショックの襲来のときには、三者の均衡が一時崩れるが、再びそれを収
束する方向に動くのではなかろうか。
均衡から不均衡へ、そして再び均衡へ。プレーヤー達の腹の探り合いは続く。
(2010
年 6 月 22 日)
109
メロスよ!走るな、跳べ!
「アメリカや中国の属国になってもいいのか」
「歴史の法廷に立つ気があるのか」
これは昨年、日本の有名な学者が吐いた言葉である。これらの発言は切羽詰まった時
に発せられた本音で、日本の本質と日中関係を考える上で非常に参考となる。最初に断
っておくが、この発言をした大学者に反論しようとか、間違っているとかいう気はさら
さらない。日本の最高頭脳の言説に私のような普通の日本人が議論できるはずがないで
はないか。
以上お断りした上で、私は自由奔放な議論を展開したい。
まず、大胆な発想であるが、「アメリカや中国の属国になってもいいのか」という発
言の裏には、日本はすでにアメリカや中国の属国になっているという本音を暴露してい
ると思われる。日本という村社会においては、通常の状態で無意識下の本音を言っては
いけないことになっている。本音を誰憚らず言えるのは、渥美清演じる寅さんだけであ
る。
「それを言っちゃ、おしまいよ」
考えてみるとよい。“属国”は本来は口にすることを憚られる屈辱的な言葉で、酔っ
払ったサラリーマンの会話のなかでもしばしば登場する。独立国であるはずの国が“属
国”を意識したり、口上にのぼること自体が尋常ではない。つまり、もうすでに日本は
これらの国の属国になっているが、少なくともそういう事実があるということを村社会
で言ってはいけないという掟がある。掟が破られるのは、追い詰められた時か、酔っ払
った時か、はぐれ者の寅さんくらいだ。
軍事的にはどうか。日本はアメリカの核の傘で守られている。日米同盟といっても片
務的だ。アメリカは日本を大陸からの侵攻から守っていると同時に、日本に反米政権が
成立するのを阻む役割をしている。アメリカは太平洋戦争で日本からひどい眼にあわさ
れている。日本軍国主義の復活を阻止し、日本を米国の利益のために利用するのは戦勝
国の勝手である。そのために、天皇皇族は縮小され、押し付けられた平和憲法を信仰す
るように洗脳され、米国国債を購入するようにエリート階級を籠絡してしまった。アメ
リカの属国でなくてなんていうのであろうか。
中国との関係はどうか。日本という名前の由来は、そもそも“日出る処”という意味
だ。どこから見て日が出るのか。それは中国だ。日本は中国から見て、東に位置するの
でそう呼んだに過ぎない。日本という称号は日本人自身がつけたものであって、中国人
がそのようにしろと命令した訳ではない。属国根性丸出し。話はずれるが、君が代の曲
はそもそもイギリス人が作ったものであるが、日本の学校ではそれが教えられていない。
屈辱的であるからだ。
天皇(てんのう)という称号は、三皇五帝のひとりである天皇(てんこう)からとっ
たものである。日本語の発音は両者で異なるが、中国語では同じ発音である。属国根性
からの脱出は発音の違いに終わっている。北宋の首都は東京(とうけい)と呼び、日本
の首都は東京(とうきょう)の呼び名と異なっているのも同じ理由からだ。
年号の平成は中国の故事からとっている。なぜ、万葉集や古事記から選択しないので
あろうか。仮名ではなぜいけないのであろうか。日本人は精神的に中国の属国だからで
ある。
中国から取り入れた漢字を真名と呼び、日本人が発明したひらがなを仮名(仮の字)
と呼ぶのもおかしな話だ。漢字が中国から伝播する前に、日本語という言葉は存在して
いた。それに合わせてひらがなを作った訳であるが、なぜか仮名と呼んでいる。今から
でも遅くない。中国から独立するために、呼び方を逆にしよう。
110
言葉は古来から日本で言霊と言われている。単なる口から出る言の葉ではないはずだ。
日本は残念ながら華夷思想にどっぷり浸っているようである。夷という屈辱的な位置
づけが時として反転する。豊臣秀吉は朝鮮に出兵したが、最終目的は明を倒し、大和民
族による政権を大陸に樹立することであった。モンゴル族、鮮卑族、満州族の辺境の民
族がやったように、中原を手に入れたかったのだ。
日清戦争後の日本人の大陸侵略は豊臣秀吉が果たせなかった夢を追ったに過ぎない。
華夷思想からの脱却はできなかった。それどころか事態はもっと深刻かも知れない。
第一次世界大戦後、ヨーロッパ人は 3,000 万人の死屍累々の犠牲者を前に、新しい世
界秩序を構築しなくては人類の文明は滅亡するという危機感に襲われる。パリ講和会議
後、国際連盟が発足することになるが、日本人はその真の意味が分かっていなかった。
なにしろ日本人犠牲者は 1,000 人に過ぎなかったからだ。その後の、日本人が選択した
ことは、満州国建国、大陸侵略、南洋諸島侵攻である。この態度は、当時のヨーロッパ
人から見ると、ロシアが日露戦争に勝利していたならばやったであろう戦略と同じであ
る。ロシア帝国主義ではなく、日本帝国主義が帝国主義の名の下に国際秩序を破壊した
と見なされている。
戦後、アメリカは覇権を握ると、世界秩序を再構築するために、IMF と GATT という
ブレトンウッズ体制を創造する。途上国への支援と自由貿易の振興が戦争の再発防止に
役に立つと考えたのである。先進国と途上国の格差是正と貿易振興による相互依存が戦
争の芽を摘み取るとアメリカのエリートは発想した。実際に、戦後の長期間、このメカ
ニズムは機能し、大規模な戦争は避けられたのである。
無責任体質
日本人は世界のエリートから信頼されていない。東京裁判での発言をみれば一目瞭然
である。戦争指導者達が口々に発したことは何か。
「個人的には戦争反対だったが、それを阻止することはできなかった。空気に抵抗でき
なかった」
まったく無責任である。戦争で死んだ 300 万人の犠牲者はうかばれない。何のために
命を捧げたのであろうか。指導的立場にある人々がほとんど、その責任を果たさず、戦
争に加担している。しかも、その意識がない。欧米人の知性からすると、まったく理解
不能な態度である。
民族の習性は 60 年で変わるはずがない。日本の普通の人々が心から指導者や政治家
を信用していないのは、当然と言えば当然である。政治不信が今に始まった訳ではない。
日本の学者はどうか。古来は中国から、近代においては欧米から先進技術や制度を取
り入れ、それを分かりやすく解釈して日本語に翻訳した努力は賞賛すべきである。フィ
リピン、マレーシアなどでは知的議論を現地語で行うことはできない。欧米文明の概念
が現地語に翻訳されていないからである。だから、これらの国では英語を学ばなくては
大学教授、政治家、高級官僚などの知的な職業に就くことはできない。
明治維新後、留学生が必死になって欧米文明を学び、市井の人々に伝えてきた。だが、
それらの用語は哲学、物理、化学、共和国、民主主義などの漢字に翻訳されていたため、
普通の日本人が腹にストンと落ちるほどきちんと理解するには、慣れ親しんだ大和言葉、
すなわち平仮名交じりの分かりやすい言い方に再翻訳する必要に迫られた。漢字は日本
人が発明した文字でないため、現在でも外国語である。感情の機微を表す小説には、分
かりやすい平仮名を中心とする言い方にならざるを得ない。漢語表現では日本人にはよ
く分からないのだ。
日本人学者は欧米にいち早く留学し、先進の学問を学び、それを漢字に翻訳すれば権
威として一生生きていくことができた。大学生が分からない講義をしても、分からない
111
のは学生の努力が足りないか、頭が悪いためだと言い訳することができた。その学者が
本当にその学問を理解していたかどうかは問題にされることはなかった。偉大なる詐欺
である。ウソは大きいほど、見破られにくいというのは真理である。
日本人は学ぶのは速いが、創造力がないとよく言われるが、原因は自信がないからで
ある。日本は古代においては中国から、近代においては欧米から学び続けてきた。学ぶ
ことに長けたひとは、自ら考えようとしない。要領のよい受験生は難問に挑戦しようと
しない。時間の無駄になるからである。その習性は大学入学後も、就職後も変わること
がない。
創造の基本は自信である。真理はどこか外国にあると思うか、自ら生み出せると信じ
るかである。他人を頼らず、全身全霊を賭けて孤独と戦い抜けるかどうかである。科学
でも芸術でも政治でも同じである。
2009 年、行政刷新会議の仕分け人が「理系大学院生や若手研究者は社会のお荷物で
ある」旨の発言をし、本人達をがっかりさせたという。基礎研究は本来社会に役に立た
ないものであり、それを追い続けるのは特権ではない。一般大衆から見れば、税負担増
になるだけである。しかし、私はそれでも、基礎科学は人間や社会にとって必須と考え
ている。役に立たない哲学、文学、天文学などの学問や絵画、音楽などの芸術を探求し
たり、それらに接することにより、情緒が育まれ、美的センスが鍛錬されると思う。こ
れらは人間を人間らしくさせ、人々の創造性を涵養する。学術は重要なんだ。まずはそ
う信じることだ。日本政府や老人支配の学術界に幻滅する若い学者はアメリカや中国に
行って、真理を追究すればよい。
天皇陛下の御質問
数年前、天皇陛下が理化学研究所を訪問され、巨大加速器で新しい原子を作成・発見
した研究者にお尋ねになった。
「この研究成果は何の役に立ちますか?」
その研究者は迷わず答えた。
「何の役にも立ちません」
訝しく思われた天皇陛下は同じ質問をされた。
「それでも、何かの役に立つでしょう?」
「いえ、役に立ちません」
その研究者は同じように答えた。
同様のやりとりが 2 度行われたというところが面白い。賢人同士の対話である。基礎
研究を志す研究者はこうあって欲しいと私は思う。功利主義が蔓延する現代において、
役に立たないものにひた向きに取り組む人間がいてもいいではないか。懐の深さが文化
を育むのだ。
経済学は教える。自己の利益を最大限にするように合理的に行動する者を「経済人」
と呼ぶ。経済学はこのような「経済人」の存在を前提に成り立っている学問である。現
実の社会は合理的に行動する人間だけで構成されている訳ではない。そう思った瞬間、
経済学を根本的に書き直そうという発想が浮かんでくる。もちろん、言うは易し、行う
は難しである。問題は一生を賭けてこの課題に取り組めるかどうかである。それを信じ
ることができれば、新しい経済学が生まれることであろう。
脳科学の進歩は著しい。仮に、ある学者が最新の脳科学の知見を基に、今まで人類が
築いてきた哲学、社会学、政治学をすべて書き直そうと誓った瞬間、自然科学と社会科
学の融合の可能性が生まれる。その試みがうまくいくかどうかは、やってみないと分か
らない。信じるかどうかが、創造の出発点である。
太宰治風に言うと、メロスよ、友情のために走るな、民族が知性の地平から抜け出す
112
ために“跳べ”
。
それが“歴史の法廷に立とう”とする者の気概というものであろう。日本から新しい
学問が生まれるか、日本人が新しい世界秩序を創造できるか、日本から新しい人間像を
作り出すことができるかどうかは、一途に現状から“跳べ”るかどうかにかかっている。
その時、日本は属国のくびきから解き放たれるのである。(2010 年 1 月)
<参考文献>
『日本辺境論』内田樹著(新潮新書)
113
楽観主義を排除し、悲観主義を乗り越えろ
海外に住んでいると、日本は不可思議な国に映る。人々はデフレ不況で苦しみ、中国
に抜かれると浮き足立っている。デフレ不況は将来を悲観し、消費を抑えているために
起こる。通貨は天下の廻りものであるため、使わなければ、自分のところに戻ってこな
い。使っても、戻ってこないという不安と不信が自らの首を絞めている。
中国に抜かれるのも、冷静に考えれば特別のことではない。東洋文明を牽引してきた
中国の歴史を見れば、眠れる獅子が立ち上がる時代がいつか来ることは容易に予測でき
ていたからである。今マスメディアが騒ぐこと自体がおかしい。
日本の子供は夢を抱かないというが、大人だって国や自分の将来に希望を見出してい
ない。大人は子供より感性が鈍感なぶん悩みが深刻でないだけだ。今までやってきた路
線を歩み続ければ、豊かなまま生涯を終えることができる。大人は気楽だ。
日本の論壇では日本の衰退が正面から議論されるようになってきた。
長期的には衰退局面に入っているため、残されたリソースをうまく使って、できるだ
け長期間生存していこうという議論。江戸時代も人口減少の時代であった。今からの日
本はアメリカのマネーイズムから脱して、昔に戻るだけだ。経験済みだから心配するこ
とはないという専門家。
民主党政権そのものが悲観主義を政治哲学にしているのが問題だと主張する政治学
者。読めば不安を解消してくれる本ばかりが売れ、知的縮み志向に陥っていると警告す
る作家。中国崩壊論の本ばかりが本屋の店頭に並ぶのは典型的な例だ。はっきり言って
おくが、中国は崩壊しない。それは期待幻想にしか過ぎない。
一方で楽観論を唱える学者も少なくはない。リーマン・ショックで日本経済は打撃を
受けたが、世界を見渡すとどこも惨憺たる状況だ。日本はむしろ優等生に属すると鼓舞
する経済学者。日本には強い製造業があり、1,400 兆もの個人金融資産があるので、悲
観する必要はどこにもないという経営者。中国やアセアン諸国に行っても、日本は将来
性のある素晴らしい国だと羨ましがられると戸惑いを隠せない者。
また、これからはGDPという指標でなく、幸福指数を掲げるべきだと、かび臭い議
論を持ち出してくる政治家。
そこで私の意見。
真の原因は日本人の心の芯が折れてしまっていることだと思う。何のために生きるの
か、どういう人生を送りたいか。今まであまり真剣に考えなくても、社会の空気に従え
ば、それなりに生涯を全うすることができた。でも今誰も教えてくれない。当たり前だ。
自分の人生は自分で切り開くしかない。生きている限り、苦闘は続く。その苦難な道に
背を向け、安易な答えを他人頼みにしているのが問題なのである。
年間 3 万人の自殺者、100 万人のうつ病患者の日本。心の病は深刻だ。本を読め。特
に古典を。そこには先人達の生きる智恵が隠されている。
いいこともあれば、悪いこともある。気分が滅入ることもあれば、なんとなく楽しい
気分になることもある。ひとも国も基本的に同じだ。
悲観も楽観もすることなく、生きている喜びと悲しみを抱いて、今日一日生き抜いて
いくしかない。人間はそのような存在なのだ。(2010 年 3 月)
114
島国根性の日本人の敗北
海外に住んでいるとよく分かるが、日本は歴史的な転換期に差し掛かっている。この
まま衰退局面に入り込むか、それとももういちど“坂の上の雲”を夢見て、身を粉にし
て働き、反転するかの瀬戸際である。
歴史は繰り返すとよく言われる。日本は日露戦争で国力の総力を結集して歴史に残る
勝利をしたが、それからわずか数十年後、中国大陸に侵略し、かつ勝つ見込みのないア
メリカとの開戦に踏み切ってしまうという愚を犯してしまう。敗戦後、日本人は猛烈に
働き、急速な経済回復を果たし、80 年代にはアメリカからバッシングされるほど興隆
した国になったが、それからわずか 20 年間で夢も自信も持てない国民になってしまっ
た。
その一方で、中国や韓国やアジア諸国に対する根拠のない優越感だけは日本人の心の
底に巣くっているように思われて仕方がない。日本人は謙虚さを失ったのだ。日本人は
過去の成功体験に安住し、時代の変化を読めなくなってしまい、国の命運を誤らせてし
まったと言えないだろうか。
さて、視点を変えて、中国人の優れた資質に注目してみたい。これらを通して、日本
人とは何かを振り返ってみることは意義があると思われる。
中国人の資質の中でもっとも優れているのは人的ネットワークを大切にすることで
ある。中国人はビジネスマンでも大学教授でも、中国人に限らず外国人でも人間関係を
広くかつ深くすることに熱心である。厳しい競争社会の中で最後に頼れるのは自分の能
力と人的ネットワークであると彼らは信じている。友達を大切にする。新しく知り合っ
た者に対して、一緒に仕事をやらないかと常に語りかける。積極的である。失敗を恐れ
ていないようにも思える。
かたや、日本人は社交的でないため、友達、特に外国人の友達をつくるのが苦手であ
る。お互いの文化の違いを気にするあまり、相手の懐に入っていこうとせずに、阿吽の
呼吸が通じる日本人で集団を形成しやすい。日本人は外国人を自宅に招くことを嫌がる。
家が狭いと言い訳するが、心が狭いのである。日本食のレストランで接待すれば、事足
りると考えているようだ。日本は技術では優れていても、世界標準が作れないのは世界
に友達がいないからである。
日本国内に目を向けると、日本の共同体は崩壊に瀕している。自殺者3万人、うつ病
患者100万人、無縁孤独死(遺体の引き取り手がない者)3万2千人という数字が表
すように、共同体の絆や暖かさが急速に失われ、人々がバラバラになりつつある。楽し
い家庭団欒の我が家はいったい今の日本にどれほど存在するのであろうか。
次に、中国人は文明の中心であり続けたことが原因と思われるが、中国を中心として、
外国の特徴をよく観察している。海外に張り巡らされた華人ネットワークが働くという
面もあるが、公平な眼で外国を評価している。日本人は中国人はみな共産党に都合のい
い情報しか信じていないと思い込んでいるが、それは間違いである。政治的体制問題に
関しては、たしかにタブーが横たわっているが、海外のニュースは新聞やネットでよく
国内に伝えられている。
一方、日本にはアメリカでフィルターを掛けられた情報しか入って来ておらず、日本
人には公平な情報に接していないという自覚がない。アメリカに都合のいい情報しか日
本に伝達されていないことにまず気がつくべきである。日本はアメリカとの戦争に負け、
いまでもアメリカの核の傘で生存しているのだから、やむを得ないと言ってしまえばそ
れまでだが。
中国には国家戦略がある。中華復興が彼らの目標だ。そのためには、石油、鉱物資源、
科学技術、軍事力、中華文化普及などが必要と考え、政府は着実に手を打ってきている。
115
アフリカでの資源外交、中国政府ファンドを利用した海外企業の買収、廉価な商品の輸
出、孔子学院を通じた中国語普及などは戦略の現れ、つまり戦術である。
中国人は外国をよく分析し、その国とどのような関係を結ぶべきかをよく考えている。
日本は彼らにとってどんな価値があるかをちゃんと評価している。
一方、日本には国家目標がない。“安全で安心した活力のある国”が目標であるとい
うひとがいるが、これは抽象的すぎて、日本国民の心を奮い立てさせられない。日本で
なくても、他の国の国家目標にもなり得るものは日本の国家目標ではない。
民族の活力も違う。
日本人も貧しい時には活力があり、日本商品を売りに世界中に出かけていたが、いま
は日本が快適で、外国に行きたがる者が減ってきている。一方、中国は貧しい農村が多
いため、アフリカの僻地にも出かけ、数十万人の中国人都市が出現している。貧乏な生
活になれ親しんでいるので、アフリカや南米での生活にも平気である。こうやって、華
人ネットワークは世界の隅々まで張り巡らされようとしている。
中国は政府でも企業でも大学でも、実権を持ち中心となって働いているのは、30 歳
代や 40 歳代である。そのため、改革へのエネルギーが非常に強い。若いから失敗を恐
れない。日本は言うまでもなく、50 歳代や 60 歳代がまだ指導的な立場にいる。失敗を
恐れるあまり改革に及び腰であり、時代や技術の急速な変化を読み取るアンテナが鈍く
なっているため、後手後手に廻る傾向が強い。
中国人は大声で話すため、傲慢だと考えられているが、付き合ってみると、意外に謙
虚である。日本の優れた点を学ぼうと必死である。中国人は行列を作らないと言われて
いたが、少なくとも北京ではみな行列に並ぶようになった。北京首都国際空港の搭乗口
の行列に割り込む日本人は少なくない。逆には日本人は中国から学ぶべきものは何もな
いと思っている。傲慢で、怠慢である。
中国人と日本人はどちらが自由であろうか。日本人は中国は共産主義体制の国だから
政治的自由がなく、窮屈な国と信じているが、中国人はそうは感じていない。
「日本人は組織に従属しており可哀想だ。いつも緊張して夜遅くまで仕事をしている。
過労死なんて野蛮なことは中国では起こらない。中国人は会社が嫌になったらいつでも
辞めるし、自由に生きていける。中国には選挙権はないが、それは慣れてしまっている。
日本人は選挙権はあっても行使しないひとの方が多いではないか。日本人はお金があっ
ても自由でなく、中国人はお金があれば何でもできる自由がある」
最後にひとこと。中国人は楽観的であるが、日本人は悲観的だ。不況の時こそ、パッ
とお金を使う必要があるが、日本人はそれができない。日本人は基本的にケチだ。ケチ
は中国では最大の侮辱の言葉だ。
日本人よ!
謙虚になり、海外から積極的に学べ!
外国人の友達を大切にしろ!
ニュースを鵜呑みにせず、自分の頭で考えろ!
哲学や文学を読んで、歴史観や世界観を磨け!
まだ朽ちるには早すぎる。成功体験を忘れて、改革のために猛烈に働け!
真面目になるのはほどほどにして、お金をパッと散財しろ!
そして、人生をもっと楽しめ!(2010 年 3 月)
116
いじめほど愉快なものはない
芥川賞作家の川上未映子氏の『ヘヴン』を読んだ。
主人公は中学 2 年生の男の子の「僕」。普通の男の子だが、斜視のため、同級生から
気味悪がられて、いじめを受けるという設定だ。
私はこの小説を最初、自分の中学生時代を久しぶりに思い返しながら読んでいた。だ
が、エスカレートするいじめ、いや陰惨を極める暴力に思わず目を背けた。チョークを
食べさせ、それを吐き出すと、また舐めさせる。頭からバレーボールを被せ、それをサ
ッカーボールに見立ててゲームに興じる。すさまじい。
でも、川上未映子氏が描きたかったのは日本に蔓延している凶悪ないじめでも、それ
を告発することでもない。いじめられる側といじめる側の論理の齟齬を描き、善悪とは
何かという普遍的な問題に挑んでいる。
主人公の「僕」は、同じクラスのコジマという女の子と友達になる。コジマもいじめ
を受けている。コジマの両親は離婚し、母と新しい父と大きな家に三人で住んでいる。
コジマは貧しかった父が大好きで、その父との絆として父と同じように意図的に汚い格
好をしていた。コジマはいつも体臭がし、髪はぼさぼさで、服は品がなく、靴は真っ黒
だった。それが原因で、クラスのみんなからいじめを受けている。
「僕」はコジマと友達となり、ヘヴンという絵を観に遠くはなれた街の美術館に出か
けていく。ヘヴンはコジマが勝手に名づけた絵画の題名であるが、二人はそれを観るこ
となく、帰ってくる。川上未映子氏が小説の題名をなぜヘヴンにしたのかは謎のままで
ある。
「僕」は最後には手術を受けて、斜視を治し、美しい太陽や樹木の世界を自分の目で
発見する。それがヘヴンのようにも思えるが、私はそれは違うと思う。
さて、小説は終盤にいじめられる側の論理といじめる側の論理が激しくぶつかり合う。
いじめられる側の論理を語るのはコジマで、いじめる側の論理は百瀬という同級生が語
る。
いじめられる側の論理。
「ねえ、でもね、これにはちゃんとした意味があるのよ。これを耐えたさきには、きっ
といつかこれを耐えなきゃたどりつけなかったような場所やできごとが待ってるのよ。
そう思わない?」
「わたしがあの子たちの犠牲者だとしたら、あの子たちもまたなにかもっと大きなもの
の犠牲者なのじゃないかと、そう思ったりもするのです」
「これは試練なんだよ。これを乗り越えることが大事なんだよ」
「わたしたちは従ってるんじゃないの。受入れているんだよ。そしてわたしたちは正し
いことがちゃんとわかっている。ここにはちゃんとした意志があるんだもの、そしてこ
の人たちはまだ色々なことがわかっていないだけなんだよ。まえにもその話をしたじゃ
ないか。いつかちゃんとわかるときがくるからって」
そして、いじめる側の論理。
「弱いやつらは本当のことには耐えられないんだ。苦しみとか悲しみとかに、それこそ
人生なんてものにそもそも意味ないなんてそんなあたりまえのことにも耐えられない
んだよ」
「あのね、正しいも間違ってるも、そんなものはない。ただそれぞれの都合があるだけ
だ。その都合と解釈のなかに、どれだけ他人を引きずりこむことができるか、圧倒的に、
有無をいわさず、自分の枠のなかに取り込むことができるか、けっきょくはそれだけじ
ゃないか(中略)理想でもなんでもない。すでに設定されて十全に機能している単純な
システムの話をしてるんだよ」
117
「なにかに意味があるなら、物事の全部に意味はあるし、ないなら全部に意味はない。
だから言っているだろう、けっきょくおなじなんだって。僕も、君も、自分の都合に従
って世界を解釈しているだけなんだって。その組みあわせでしかないんだって。こんな
単純な話もないじゃないか。だからちからを身につけるしかないんだよ。相手の考えか
たやルールや価値観をまるごとのみこんで有無を言わさない圧倒的なちからをさ」
実は、この対立する論理は敷衍すると、弱者の論理と強者の論理である。前者はグロ
ーバル競争社会で消えていく弱小国、少数民族、希少文化、失業者を思い起こさせる。
強者は大国、金持ち、権力者、エリートの考えそうなことだ。
科学者はいったいどちらに属するのであろうか。科学技術力は国の命運を握るという
主張には科学技術はパワーの源であり、強国に奉仕しているように思える。科学者は幼
少の時から優秀で、先生に可愛がられ、いじめとは無縁であったかも知れない。仮にそ
うであれば、科学も科学者も基本はいじめる側の論理しか理解できないのであろうか。
「アメリカや中国の属国になってもいいのか!」
科学者のこの言説は、日本は永遠に強者のままでいるべきだという希望がこめられて
いる。強者はいつまでも強者に留まることはできない。だが、強者になりたいという人
間の欲望のなかに、真の悪の深淵を見るような気がする。何がいったいいじめられる子
供を救ってくれるのであろうか。何によって弱者は救われるのであろうか。
そして、科学はやはり人間のこの根源的な問題に対して無力なのであろうか。(2010
年 1 月)
<参考文献>
『ヘヴン』川上未映子著(講談社)
118
美しすぎた仮説
売れっ子科学者、福岡伸一著の『世界は分けてもわからない』を読んだ。この本の結
論は、タイトルと同じだった。
「分けてもわからないと知りつつ、今日もなお私は世界を分けようとしている。それは
世界を認識することの契機がその往還にしかないからである」
これが本の最後の文章である。ある意味、科学者の言を待つまでもなく、当然なこと
なのだ。
福岡教授は専門の分子生物学や脳科学の最新の研究成果の知識だけでなく、ヨーロッ
パ中世の絵画の謎を思索しながら、当然の結論を導いていく。科学者にしては、文章も
流れるように書かれている。本を売るためには内容も重要だが、それ以上に読者は心地
よい読書を求めている。過程が大切なのだ。
僕がこの本を取り上げたのは、結論の是非を議論しようとした訳ではない。僕の関心
を惹いたのは、米・コーネル大学生化学研究部門のエフレイム・ラッカー研究室で起こ
った事件である。福岡教授はラッカー研究室に所属していた日本人ポスドクからこの事
件を聞いたという。
ラッカー教授は世界で最も有名な生化学者であったため、世界中から優秀で、野心の
ある若手研究者が集まってきていた。しかし、毎週 1 回開催されるラボ・セミナーは、
ポスドクにとって憂鬱だった。研究成果を発表し、ラッカー教授や先輩研究員の厳しい
追及に耐えなければならなかった。
ラッカー教授の研究テーマは細胞のエネルギー代謝だった。細胞内では、エネルギー
は通貨とも言えるアデノシン三リン酸 ATP の形で蓄えられている。糖の燃焼とリンクし
ながら、ATP を作る酵素が ATP 合成酵素であり、ATP 合成酵素の発見と精製がラッカー
教授の成し遂げた最も華々しい成果だった。
当時、ラッカー教授はワールブルク仮説の虜になっていた。ノーベル賞学者のワール
ブルクは、
「がんは細胞の“呼吸の乱れ”によって起こる」という仮説を提出していた。
呼吸の乱れとは、エネルギー代謝の異常のことである。
ユダヤ人のラッカー教授は思索を重ね、がん細胞は無益な ATP の消費と無益な ATP の
生産を永遠に繰り返している、果てしのない浪費細胞なのだという理論を構築する。こ
れが科学的に実証されればノーベル賞級の大発見になる。そのためには、まずがん細胞
から精製した ATP 分解酵素と正常な細胞の ATP 分解酵素を比較しなければならない。
世界中から集まってきたポスドク達はがん細胞から ATP 分解酵素を精製することに
挑戦した。実験は忍耐と体力勝負のほとんど泥臭い単純な作業の繰り返しだった。だが、
成果は一向にあがらず、時間だけが過ぎていった。
1980 年 1 月のある日、研究室に大学院 1 年生の初々しい新人がやってきた。マーク・
スペクター、24 歳。彼は天才だった。スペクターはオハイオ州の田舎の大学を修了し
たばかりで、ほとんど実験室の経験がなかったのにもかかわらず、細胞とタンパク質の
取り扱いと、その分析技術を瞬く間に自分のものとした。器用で、段取りもよかった。
神業に近かった。深夜まで働くハードワーカーでもあった。ほどなくして、彼は世紀の
大発見を行うことになる。
ノーベル賞級の成果
その論文の原稿は、1980 年 2 月 19 日、生化学の一流雑誌ジャーナル・オブ・バイオ
ロジカルケミストリーの編集部に届けられた。スペクターがラッカー研究室にやって来
て、ひと月足らずしか経過していなかった。がん細胞から ATP 分解酵素を見事に精製し
たのである。
119
スペクターの業績はそれだけで終わらなかった。精製した ATP 分解酵素を試験管のな
かで人工的に作り出した擬似的な細胞膜に埋め戻した。つまり、再構成実験にも成功し
たのだった。
ATP 分解酵素はナトリウムイオンを細胞の内から外に汲み出すという仕事をしている。
ナトリウムイオンの細胞内外での不均衡が生命現象の源となっている。スペクターは、
さらに、正常細胞の ATP 分解酵素と正常細胞の ATP 分解酵素が ATP 一つの消費に対して
何個のナトリウムイオンを運ぶかを実験で確認した。
正常細胞の ATP 分解酵素は二個弱のナトリウムを運ぶのに対して、がん細胞の ATP 分
解酵素は ATP 三つ消費してやっと一個のナトリウムを運ぶのだった。つまり、がん細胞
はナトリウムイオンの濃度勾配を維持するために、正常細胞のおよそ 6 倍の ATP を消費
しなければならない。だから、がん細胞は浪費者なのだ。ラッカー教授の華麗な仮説は
スペクターの神の手によって立証されたのだった。
二人はさらにがんの神秘へと迫っていく。では、なぜがん細胞の ATP 分解酵素は正常
細胞と働きが異なるのか。ラッカー教授はリン酸化が原因だと踏んでいた。がん細胞の
ATP 分解酵素のリン酸化をつかさどるリン酸化酵素 M が存在する。そして、リン酸化酵
素 M をリン酸化する酵素 S が存在する。その上流には酵素 L が、さらに上流には酵素 F
が存在するはずだ。つまり、F→L→S→M→ATP リン酸化酵素の順でリン酸化の滝が流れ
ているのだ。滝の意義は情報制御と情報の増幅にある、とラッカー教授は考えた。下流
に行くほどネズミ算式に情報の伝達量は増加する。
研究成果はさらに上昇気流に乗って行く。ラッカー教授はがんウイルスの研究者と共
同研究を始める。相手は同じコーネル大学のヴォークトだった。
がんウイルスは細胞をリン酸化すると考えられていた。ルイスサルコーマウイルスは
細胞に感染すると、宿主のゲノムからリン酸化酵素の遺伝子をちぎり取って持っていっ
てしまうのだった。このウイルスが持ち込むリン酸化酵素は src(サーク)と呼ばれる
ことになった。src は細胞のなかでリン酸化の滝の上流の引き金を引き、次々とリン酸
化のドミノを倒していくのだ。リン酸化酵素 F と src が同じであれば、どんなに素晴ら
しいことだろうか。驚くべきことに、スペクターの実験結果は両者の分子量ともほぼ
60,000 だと示したのだった。
ラッカーとスペクターは晴れ晴れとした顔で、科学雑誌「サイエンス」に特別論文を
寄稿した。その論文は次のように締めくくられていた。
「この研究の過程において、我々はごくごく限られた量の細胞試料から不安定な膜酵素
を大変な労力を払って精製しなければならなかった。細胞内環境とはまったく違う条件
で、膜酵素を再構成する方法を考案しなければならなかった。ウイルス発がんの原因タ
ンパク質を突き止めたウイルス学者や遺伝学者たちから様々なサポートを受けた。そし
て今、そのすべてを乗り越え、長い間、待ち望まれていたこと、つまり生化学と分子生
物学がここに融合したことを目撃したのである」
高らかな勝利宣言だった。特大のノーベル賞級の成果だった。
共同研究者のヴォークトはこの数ヶ月の間の出来事が夢のようで、現実感がなかった。
データは予想される結果と完璧に一致していた。まるで絵にかいたように。深夜、ヴォ
ークトはスペクターの実験台の前に立っていた。
世紀の大スキャンダル
彼は隣のテーブルの上にあったガイガーカウンターに目を留めた。何気なく、スイッ
チをオンにした。すると、ピッ、ピッという音がした。そこにないはずの放射性同位体
が存在したためだった。偽造発覚の発端だった。それまで誰も気づかないほど実に精巧
な実験だった。
120
スペクターはラッカーとヴォークトの前に呼び出された。スペクターはいつもと変わ
らず、まったく冷静だった。ラッカーは説明を求めたが、スペクターは捏造の意図も何
も認めなかった。
ラッカーはスペクターに命じた。
「3 週間の猶予を与える。すべてのリン酸化酵素を新たに精製して自分に手渡して欲し
い。その活性を別の者に調べさせる」
3 週間がたったが、スペクターは戻って来なかった。サイエンスに掲載された論文は
撤回された。スペクター事件は一大スキャンダルと化した。追試も無残な結果に終わっ
た。実験結果は捏造だったのだ。
ラッカー教授はその後も、彼の仮説を実証するために研究を続けた。そして、目的を
果たすことなく、1991 年にこの世を去った。
美しすぎた仮説は実証されなかった。
先進国では、6 割のひとががんに罹患し、3 割ががんが原因で死んでいる。がんのメ
カニズムは当初考えられていた以上に複雑であり、その真の治療法は端緒さえ見出され
ていない。科学者たちのがんとの戦いは当面続くことであろう。そして、輝かしい成果
を見る前に、我々はがんに罹り、死んでいく。
科学者の捏造の誘惑と我々の長生きしたいという願望は、いったいどちらが強いのだ
ろうか。
(2010 年 1 月)
<参考文献>
『世界は分けてもわからない』福岡伸一著(講談社現代新書)
121
微笑みを忘れたタイ人
僕は 10 年ほど前に駐在していたバンコクに休暇を兼ねて訪れた。ゴルフを終えた後、
クラブハウスでの古い友人や新しい友人との熱を帯びた議論は楽しかった。タイ料理は
美味しく、氷を入れた冷えたシンハー・ビールはタイの風土にマッチしていた。至福の
ひと時だった。
タイは典型的な中進国である。先進工業国には及ばないが、開発途上国の段階ではな
い。自ら工業ブランド製品を開発し、海外に売るほど技術が進歩している訳ではないが、
輸出に占める割合が最も大きいのはコンピューター部品である。コメが最大の輸出品で
あったのはだいぶ昔のことである。
タイ人は近代的な生活スタイルに変わりつつある。昔も、食べるのに困らなかったか
も知れないが、携帯電話を持ち、コンビニで気軽に買い物をし、日本料理を楽しめる中
間層が確実に増えてきた。一方で、微笑みの国としてエキゾチックな雰囲気はいつの間
にか消えてしまった。両手を胸と顔の前で合わせ、
「サワディカー(こんにちは)」とは
にかむように挨拶していた若い女性はどこに行ったのであろうか。
マッサージ店ではチップをもっとくれと要求されるし、タクシーの運転手も外国人と
みればふっかけてくる。カネ万能の価値観が心の余裕をなくし、笑顔を喪失させた。外
国人の眼からみれば、伝統や文化が廃れつつあるように思われて仕方がない。近代化と
伝統保存は矛盾するものであろうか。
今回のタイ国訪問の前に、僕は一冊の本を読んだ。タイ国研究の第一人者と言われる
末廣昭東京大学教授の『タイ 中進国の模索』だ。末廣教授はタイ国のこの 30 年間を政
治と経済の面から振り返り、データを提示しつつうまくまとめている。タイ国の入門書
として、推挙できる本である。
タイ政府は二重権力構造
タイ国は国王が権威のみでなく権力を有する国である。クーデターが起こっても、国
王が出てくれば事態が収拾される。国王を排除しようという軍人はいない。国王は軍と
仏教界のトップに君臨しているからだ。メディアも王室や軍が実質的に左右できる。国
王の絶対権力ゆえに、比較的安定した国なのだ。国王は選挙民が選んだ国会が議決した
法律を廃案にする権力もあり、また国家の議決を経ずに国王みずから法律を制定するこ
とができる。さらに、プミポーン国王は世界一の富豪と言われるほど、金持ちでもある。
西欧や日本から見ると、タイ国政府は二重の権力構造になっているのだ。
10 年前、タイ国にひとりの革命児が出現した。タクシンである。彼は 2001 年の総選
挙で歴史的な大勝を収め、グローバル経済社会においてタイ国が進むべき道は「現代化」
であると説いた。かつてない強い首相はインフラの大工事を行って外資企業を呼び込ん
だ。役所にも定量的目標を掲げさせ評価制度を導入した。一方、セイフティー・ネット
を確立するために、30 バーツ(当時約 100 円)医療制度を導入した。30 バーツを払え
ば、病院の初診を受けることができるようになったのだ。タクシン首相への国民の支持
率は高水準を維持した。経済指標も上向き、国際競争力も向上していく。政治改革では
民主主義を徹底しようとする。タクシンは国父とも見られるようになっていく。
これが面白くないのは王室周辺や軍などの守旧派である。二人の国父は並び立たない。
海外ではあまり知られていないが、司法は国家権力から独立であるが、王室寄りである。
タクシンは憲法裁判所から収賄などの理由で弾劾され、軍のクーデターにより首相の座
を追われる。信長タイプの改革派のタクシンが守旧派に敗れた瞬間であった。
末廣教授はタイ国の将来は、「近代化への道」と「社会公正の道」の折衷したものと
結論づけているが、本当にそうだろうか。改革派のタクシン支持派は「赤色シャツ」を
122
着用し、守旧派は「黄色シャツ」を着ている。両方の勢力の激しい対立はタイ国を混乱
に陥れる可能性があるし、末廣教授もそれは最悪のシナリオと思っている。しかし、王
室の内部事情に関する教授の記述や分析が少なすぎるように感じる。タイ国には不敬罪
があるため、それを恐れるあまり、
「触らぬ神に祟りなし」と考えたのであろうか。
プミポーン国王は 82 歳の高齢で、病気を患い入院している。不測の事態がいつ起き
てもおかしくはない。また、次の国王と目されている王子はタイ人に非常に評判が悪い。
遊び人であまり尊敬もされていない。プミポーン国王は名君であり、国民の絶対的な支
持を得ているが、王室は国民から支持を得ているのであろうか。内部事情に明るいはず
の教授にはそこまで分析してもらいたかったものだ。
現代化か伝統回帰か
タクシンが国民から一定の評価を得ているのは、それなりの理由がある。30 バーツ
のような国民迎合的な政策のみならず、経済を好転させ、国民に仕事を供給できる戦略
的な発想ができるからではなかろうか。そうであるならば、守旧派は「足るを知る経済」
に甘んじ、「現代化」路線に悪戯に反発するのではなく、国土開発や経済発展を振興す
る政策を積極的に取り入れるべきではないのか。それは、守旧派の思想的転換かも知れ
ないが、そうしない限りタイ国は安定した経済発展の国にはなれないような気がする。
仮に、守旧派が「現代化」に逆行するような政策を採用すると、ポスト・プミポーン
の時代に、国民はタクシンの再登場を望み、タクシンは国民の支持をバックとした守旧
派への攻勢を強めることになりはしないかと懸念する。守旧派はタクシン勢力の力を削
ぐためにも、内部改革が必要である。それができなければ、タクシンに一気に攻め込ま
れる口実を与えてしまう危険性が高い。海外逃亡生活を送っているタクシンは自ら君臨
する姿を思い描いているかも知れないのだから。
タイと中国
ここで中国に目を転じてみよう。中国は共産党が支配する社会主義国であるが、その
政策の要は国民の平等ではなく、経済の発展である。「発展党」と呼んだ方が適切であ
るとも思える。この点こそ、共産党が中国国民から支持されている所以である。共産党
は毛沢東時代の平等重視の政策から改革・開放路線に 180 度転換した。共産党は、中国
という国を豊かにし、強くするためには、イデオロギーや伝統に固執してはおられない
と考えているのだ。
タイ国も国の基本は同じであるはずだ。タイ国民が豊かになり、タイ国が先進国に近
づくことを国家目標にすべきである。伝統重視で格式ばった王室のままであれば、いず
れは国民の支持を失うことになろう。
国家の現代化によって、タイ人の微笑みは喪失したままになろう。もう戻っては来な
いかも知れない。しかし、さらに豊かになり、余裕がでてくれば、伝統回帰の運動が起
こるかも知れないのだ。
タイ国と中国の共通点には意外なところもある。両国ともに、相続税は存在しない。
金持ちの家族はそのまま上流階級のまま幾世代も維持される。格差は是正されない。相
続税の導入に反対しているのは、タイ国ではタイ王室を支持する保守階級であり、中国
では共産党幹部だ。中国では階級は存在しないという建前だから、相続税の導入は必要
がないといういい訳なのだろう。
最後に両国の共通点をひとつ書いておきたい。タイ政府はタイ王室を非難したり、茶
化したりしている国内外のタイ語のホームページへのアクセスは禁止している。同じよ
うに、中国でも共産党非難のホームページや党が忌み嫌う用語へのアクセスはできない。
この方針については、第三の国はとやかく言うべきではなかろう。我々にとっては、表
123
現の自由は守るべき基本的権利かも知れないが、その価値観を受入れられない国もある
のである。
中国は一党支配が強いがゆえに、エリートによる国家理性が機能している限り国は安
泰であろう。「絶対権力は腐敗する」と我々は教科書で習ったが、本当にそうなるか分
からない。一方で、民主主義国におけるメディアの巨大化や大衆迎合政治や政治の劇場
化も危ういのである。国家の運営に絶対法則はない。その国特有のやり方で歴史の荒波
を乗り切れるかが課題である。そういう意味では、すべての国がつねに崩壊の危機に面
しているのだ。
(2009 年 12 月)
<参考文献>
『タイ 中進国の模索』末廣昭著(岩波新書)
124
そうでなかったもうひとつの現実
「昭和以降に恋愛はない、街はいつでもばかみたいにセックスにしかみえない男子女子が
連れ立って歩く、みんな死なないといけない」
大江麻衣氏の詩編『昭和以降に恋愛はない』からの引用であるが、現代を簡潔にえぐっ
ているショッキングな一文だ。僕には書けないと脱帽。こんな文章が書けるのは自己と他
者との軋みやずれを強烈に感じ取っているからだろう。詩や小説を書くひとは世界と自分
のずれに軋み、叫ぶところから始めるのだから。
僕が書いた小説を知人に読んでもらい、感想を聞くとしばしば驚かされることがある。
「これは現実に起こったことですか」
と多くのひとが同じような質問をする。作家にとって、その事件が実際に起こったかど
うかはたいして重要なことではない。テーマが重要なのだ。でも、小説を書かない普通の
人々は現実が唯一の世界と信じ、そこですべてを賭けて精一杯生きているように見える。
現実ほどうつろいやすく、頼りないものはないのだが。
人生の成功者と言われる者のほとんどは偶然がなし得たものだ。本人はひとなみ以上の
苦労と努力をしたことであろうが、世の中にはもっと惨めな思いをしても、栄冠を手に出
来ない者は多い。我々ひとりひとりの今の姿は、そうならなかったかも知れない可能性が
すべて消されてしまった結果にすぎない。現実は偶然がもたらした一面なのだ。
自分もそうなったかも知れないし、そうならなかったのかも知れない存在だ。今の自分
の現実の姿を否定することはできないが、かと言って現実を肯定し埋没しすぎるのもどう
かと思う。その証拠に明日になれば、今の自分は過去のものであり、現実のものではなく
なる。
さらに言えば、現実の自分だって、考え方ひとつで幸福にもなったり、不幸にもなった
りする。お金持ちの生活を見るとコンプレックスを抱き惨めになるが、飢餓や病気に苦し
んでいるひとを知ると、あぁ今の自分でよかったと安堵する。
現実なんてそんなものでしかない。あなたが羨んでいるひとも家庭内では大きな問題を
抱えていることだってあり得るのだ。
現実に一喜一憂し、時代に流されるまま生きるのも良かろう。それはそれで楽だ。何も
考えなくてもいいからである。でも流された目的地がどこで、どんな思いを抱かされるか
は分からない。何もしてこなかった責任を負わされることになるかも知れない。どうせみ
んな同じ思いをするのだからそれで構わないと思えるひとはそれでいい。健康で、かつ仲
のいい家族や友人がそばにいれば、幸福な人生を過せることだろう。ひとは肩を寄せ合っ
て生きたいのだから。
でも作家はそれができない。なぜひとは生きているのだろう。
みんな同じ風景を見ているが、はたして考えていることは同じか。
幸福にみえるひとは実は不幸で、不幸そうな顔をしているひとが幸福ってことはないか。
景気がよくなればとみんな願っているが、そうなったからといって不幸から脱出できな
いひとはいるのではないか。政治家の役割は「最小不幸社会」をつくることはできても、
「最
大幸福社会」をつくることはできないのではないか。
先端科学が発展すれば、健康で長生きできるようになると信じているひとがいるが、そ
んなユートピア社会は本当に来るのか。人類は多くのユートピアに騙され続けて来たでは
ないか。
文明のおかげで病気や事故であまり死ななくなった現代人ははたして幸福か。
ひとはいつから夢を見なくなったのだろうか。なぜ夢を信じなくなったのだろう。
ひとは様々な理由で生きているが、それを汲み上げることで共同体意識が生まれるのか
も知れない。国家も社会も家族も少しづつ解体されていくなかで、小説の可能性は大きい
のではないかとも思えてくる。
そうでなかったもうひとつの現実を描いてみたい。
(2010 年 6 月 24 日)
125
小説『1Q84』を読み解く
まず、この小説を読んでいない方のためにあらすじを書こう。
舞台は 1984 年の東京。主人公は予備校の数学教師で作家志望の天吾とスポーツイン
ストラクターで暗殺を請け負う青豆(あおまめ)。二人はともに幼少から心にある種の
暴力の深い傷跡を残していた。十歳の時、青豆は何の前触れもなく天吾の手を一度だけ
強く握りしめたのが、その後二十年間、二人は離れ離れになっても心は強く結び付いて
いた。互いに再会を強く願っていたのだった。
青豆は渋滞の首都高速道路の非常階段を降りたことで、1Q84年の世界に迷い込む。
そこは月が二つ浮かぶ奇妙な世界だった。青豆は新興宗教団体のリーダーを殺害するこ
とで、命を狙われている天吾を救おうとする。最終的に、二人は巡り合い、新興宗教の
追っ手から逃れることができる。そして、二人は高速道路の非常階段を逆行することで、
現実の1984年に生還する。ハッピーエンドのパーフェクトな恋愛小説だ。
なお、新興宗教は村上春樹が熱心に取材したことのあるオウム真理教がモデルだ。
こうやってあらすじを書いてしまうと、何の変哲のない小説のように思えるが、登場
人物は結構個性的で読んでいても飽きることがない。
さて、1Q84は何を表現し、この小説はいったい何なのだろうか。作家は何を言い
たかったのであろうか。テーマは何であろうか。
村上春樹は直木賞も芥川賞も受賞していないばかりか、日本の批評家にすこぶる評判
がよろしくない。「高度資本主義消費社会の若い男女のアーバンライフを描いた批評に
値しない小説」「村上春樹に騙されるな。彼の小説を読むな」という批評家は多い。し
かし、なぜ村上文学は世界中の人々に読まれているのであろうか。なぜ、村上春樹はカ
フカ賞を受賞し、ノーベル文学賞候補と言われ続けているのであろうか。
話は変わるが、日本で高く評価されていない研究者が海外で絶賛されたことを契機に、
日本国内での評価が一変することがある。ノーベル化学賞受賞者の田中耕一さんはその
いい例だ。
文学であれ、科学であれ日本は特殊な閉鎖空間だ。世界の辺境と呼んでもいい。日本
本土でしか通用しないものが尊重されている。日本のハイテクがガラパゴス化しやすい
傾向はこれとどこかでつながっているのではなかろうか。日本の小説もガラパゴスしや
すい。
日本では普遍的な議論が起こりにくい。哲学でも、科学でも、文学でも同じだ。土着
化した思想が勝利を収めやすい。権威や体制が創造の芽を摘み取ってしまう。若者が閉
塞感を覚えるのは無理もない。
村上春樹に戻ろう。
僕の解釈では、1Q84年は霊界の世界である。霊界という言葉が刺激的であれば、
別世界と言ってもいい。僕らが生きている現実の世界とは別のところに、価値観を異に
する世界があるのだ。そして、行こうと思えば、いつでもその世界へ往来することも可
能だ。僕はおかしなことや、特別のことを言っているんじゃない。
宗教に帰依した人々の価値観は現実世界とは随分異なる。ほとんど逆転していると言
ってもよい。お金を多く持つ者が現実社会の成功者であるが、宗教世界では彼らは救わ
れない人々である。小説世界も別の世界だ。現実社会の矛盾に疲れた人々は小説をよく
読む。小説の中に現実よりもリアリティーのある世界が展開されているからである。
もっと言うと、人々の関心が現実社会に向けられたのは現代のみであって、人間は古
代から神話に親しみ、先祖や死者と交信していたのである。現代人の失った記憶の中に
古代、中世、近世の人々の営みが残っている。先進工業国でも、発展途上国でも世界中
どこでも起こっていることだ。人間にとって普遍的なことなのだ。
126
村上春樹の小説には霊界や別世界と行き来する物語が多い。それが違和感なく読者に
受け入れられているのは、作者の筆力のためである。今まで読んだことのない物語に読
者が引き込まれているのである。軽快でウィットに富んだ文章が読者を知らず知らずの
うちに村上ワールドに引き込んでしまう。『1Q84』の舞台は東京だが、小説は東京
や日本を描いたものではない。
脳科学の発展は心や自己は幻想に過ぎないと唱えている。科学的に言えばそれは真理
であろう。しかし、人間は自己は唯一であり、自己が自分の身体や知情意の支配者だと
信じている。
一方、小説は人々の心の動きを表現することで、人間とは何かを問い続けてきた。現
代において、科学と文学の全面戦争に発展する可能性がある。その時、人々はどちらを
支持するのであろうか。科学技術はエネルギーや食糧などの諸問題の解決の手段でしか
ないという地位に貶められる恐れはある。
ただ、科学と文学の論争をつなぐキーワードがある。それは「絆」である。人間はひ
とりだけじゃ生きていけない。死んでも生きている者との間でつながっているのだ。脳
も他人や社会とのつながりを介して日夜再構成されているのである。「絆」という概念
を介して科学と文学が分かり合える可能性がある。
天吾と青豆は十歳の時にたった一度手を握っただけで、口をきいたこともない。しか
し、彼らはその後20年も愛し続けていた。こんなことは脳科学の常識に反しているし、
普通の人々は誰も真似できない。でも、この物語は読者を魅了する。科学や常識を超え
た心のリアリティーがあるからだ。
Book3はそれまでの二冊の謎を解いているが、説明的過ぎて僕はあまり好きになれな
い。村上春樹は Book2でこの小説を終わらせてもよかったと僕は思う。恋愛小説とし
ても、新興宗教の恐怖と矛盾も十分書けている。
結局、Book3でもビッグブラザーに代わるリトルピープルも空気さなぎの実態も謎の
ままだ。Book4へと続くのであろうか。まさか。
(2010 年 5 月)
127
スピーチコンテスト必勝法
2010 年 6 月 26 日、広島大学北京研究センター主催の「2010日本語作文スピーチコ
ンテスト」の発表会を聞く機会に恵まれたので、ひとりの聴衆として感想を述べるととも
に、来年以降参加される学生のために非公式の必勝法を伝授したいと思う。
このスピーチコンテストは中国各地の大学の日本語学科の学生が教授の指導の下でテー
マ「平和」に即して作文し、その作文の事前審査をパスした五名の優秀者による発表であ
った。審査員は広島大学の教員三名が務め、最優優秀選手二名が選ばれた。五名スピーカ
ーすべてが女子学生であったのは少し寂しい。男子学生の奮起を期待したい。
事前審査に提出された作文が六百篇という多数に達したのは、中国における日本語学習
ブームを実証するものとなった。五年前の反日暴動を契機とした日本語学習の沈滞を振り
返るとまさに隔世の感がある。日本のアニメや漫画が日本語学習のきっかけになったとい
う学生が多いことを考えると、日本はソフトパワーの国際社会での影響力を再認識した方
がいいと思われる。
発表者のスピーチは発表文をすべて暗記しているとはいえ、中国語訛りもほとんどなく
完成度の高い日本語だった。わずか数年の日本語学習を経てこれほどまでに外国語をマス
ターできるのは、中国人の語学能力の高さを改めて見せ付けられたような気がする。
さらに、多くの日本人は日本語は難しいと信じているが、実は比較的易しい外国語であ
ると私は思っていたが、その思いを深めた次第である。外国語はコミュニケーションの手
段と考えると、語学学習にもっとも大切なことは発音である。日本語のように発音の要素
が少ない言語は珍しい。外国人の日本語学習者にとっては楽なはずだ。さらに、日本語は
「てにをは」を単語の後に正確につければ、語順を自由にしても相手に通じるというメリ
ットも見逃せない。日本語は易しい言語であるという宣伝をもっとすべきである。
さて、五人の学生の日本語はほとんど完璧であったにも関わらず、何が差を生んだのか
考えてみたい。
今回のテーマは「平和」である。抽象的すぎて、どのようにでも書けそうであるが、意
外と難しい。常識的に考えてみて、
「平和は大切でない」という人はいない。どんなスピー
チをしても結論は「平和は尊いものだ、大切にしよう」に行き着かざるを得ない。そうす
ると題材やプロセスが重要になってくる。
最優秀者の二人は私が予想した者が選ばれた。福建師範大学の高薇さんは、日本語を教
えてくれた日本人講師の方々の教え方の特徴をうまくとらえて発表し、彼らは日本語を通
じて平和の種を撒いている、とスピーチした。高薇さんは自分の経験を掘り下げ、一貫し
て日本語教師たちの教え方を日中文化の差も織り交ぜながら愉快に描写している。
スピーチに勝つには審査員や聴衆を感動させなければならない。そのためには、
「話題の
一貫した掘り下げ」が必要だ。話題がいろいろと拡散していては聴衆を感動させることが
できない。
厦门大学の馬薇さんも題材が一貫していた。怖そうな曾祖母から聞いた戦争体験を克明
に語り、曾祖母の経験を通じて、平和を守るためには過去の教訓を覚えておき、かつ腹を
割って話し合うべきだと結んだ。馬薇さんは曾祖母の経験を詳細に語ることで、聴衆を惹
きつけていた。
この二人のスピーチは自分と他人(曾祖母)の経験の違いはあるものの、ひとりの経験
を深く追及したいという点では同じアプローチである。
さらにつけ加えると、スピーチは聴衆を感動させるものであるので、笑顔で抑揚をまじ
えて語りかけるように話さなければならない。発表者の気持ちを聴衆に伝達させる必要が
あるのだ。
「一貫した題材の深堀り」と「心の伝達」のふたつがスピーチコンテストの必勝法であ
る。
(2010 年 6 月 28 日)
128
日本という儚い存在
また、真夏がやって来た。夏は子供たちが躍動しつつ成長し、幽霊話が持ち上がる季節
であるので僕は好きなのだが、終戦問題に直面せざるを得ないのは気が重い。マスメディ
アはあの敗戦はいったい何だったのかと毎年問うているが、共通の回答は生まれていない
ように思える。
日本は太平洋戦争で 310 万人の同胞を失った。その莫大な犠牲の上に日本人は何を学ん
だのだろうか。祖国のために死んでいった英霊は草葉の陰から現在の日本を眺めてどのよ
うな思いを抱いているのだろうか。
「我々の犠牲の上に現在の日本の繁栄と日本人の幸福がある」
と彼らが喜んでいてくれればそれでいい。そうであればの仮定であるが。
東京大学の加藤陽子教授は「戦争の目的は敵国の憲法を書き直すことである」と言って
おられる。日本は戦争で負けたのだから、憲法が書き直される立場に立たされ、実際にそ
うなった。誰に戦争の責任があるという議論はここではしないが、憲法が書き直され、戦
後新しい日本がスタートしたのは間違いがない。
経済は復興し、国民は確かに豊かになった。若者には信じられないかもしれないが。1980
年代初頭、日本国内の自動車の生産台数は一時期アメリカを抜いて世界一となったのであ
る。豊かになったという意味では、敗戦の経験は意味があったし、英霊も浮かばれよう。
しかし、現在の日本の閉塞状況を見ると、将来は暗い。一人当たりの所得は世界ベスト
20 位にも入らない。少子高齢化は進み、長期低落傾向は避けられない。子供たちも将来に
夢を抱けない社会になってしまっている。こういう日本になったのは、敗戦による憲法書
き換えが原因であろうか(そういう議論をする者はいる)、それとももっと根本的なところ
で日本人は道を間違っているのであろうか。
ここで団塊世代の話をしよう。僕は団塊世代ではなく、その下の団塊世代にコンプレッ
クスを抱きつつ生きてきた世代である。団塊世代は大学生だったとき基本的に未来を信じ
ていた。
「今の大人は意識が低く、バカだから、日本がダメなんだ。俺らのように理想主義的で、
自己を社会のために犠牲にできる世代が日本の中心に位置するようになったら、必ず日本
は素晴らしい国になるのだ」
彼らはこのように考えていた。しかし、結果は彼らは右上がりの経済成長に波乗りのよ
うに乗っかり、実力以上の能力を発揮し、日本を経済大国に押し上げ、挙句の果てはバブ
ル経済を起こして、日本をぺしゃんこにしてしまった。若者の理想主義は破れた。団塊の
世代は年金を食いつぶして、この世から去っていくであろう。遺されたものは地獄絵を見
せられるかも知れない。
僕は団塊の世代に訊きたい。
「あなたたちの夢は壊れた。その根本原因は何か」と。
経済やお金なんかよりも大切なものを忘れたり、切り捨てたりしてきたのではないのだ
ろうか。もしそうであれば、それは何であろうか。この原因を解明せずして、日本の復活
は決してないと僕は思う。
日本の技術は優れているが、ビジネスモデルが創造できないために、製品が売れないと
いう。「技術のガラパゴス化」(技術のための技術開発)である。技術は何のためにあるの
か深く考えることが必要である。決して、技術者の目的はパテントを取得することでもな
く、科学者の目的は論文を書くことでもないはずである。科学技術者の成果を社会の発展
と国民の幸福のために利用することである。では、どのような社会が我々の理想とする社
会なのだろうか。
低炭素社会であると即答しないでもらいたい。それは流行を追っているにすぎない。
世界は今現代文明の崩壊の危機に直面している。迫り来るエネルギーや食糧の不足を僕
129
が指摘しているのではない。
財政危機、アルコール依存症の蔓延、人口構造の衰退、不順な気候、活力を失った社会
秩序、都市の下町地区の荒廃、増加するシングルマザー、環境破壊、格差拡大、家庭内暴
力など問題は深刻化の一途を辿りつつある。文明が根本から終わろうとしているのではな
いかと時々背筋が寒くなる。
我々は問題の核心を探り当てていないのである。科学技術が進歩すれば、すべてを解決
してくれるわけではないのだ。みんなが我慢して消費税を上げることに同意できればいい
というわけではない。
結局のところ、人間は物質ではなく、精神的な存在であるという単純な事実から出発し
なければならない。豊かになればすべての問題が解決するわけではない。日本人とは何か
とは問うても、人間とはいったい何かという問いかけを戦後の日本人は避けてきた。19 世
紀と 20 世紀の理想的人間像と 22 世紀の人間像は異なってしかるべきである。
豊かな者が尊敬される時代は終わった。では自己犠牲に富む者が尊敬されるのであろう
か。それは難しいだろう。窮屈だから。
善(平和)を志向すれば、悪(戦争)が起こるのだ。理想(ユートピア社会)を追求す
れば、地獄(強制収容所)が待っている。人間とはかくも複雑な存在である。
子供たちは見抜いている。今の大人たちはちっとも面白くない毎日を送っていることを。
そんな大人が子供に大志を抱けと言っても限界はある。面白く生き生きとできる社会とは
どのような社会であるのだろうか。
日本人の精神の再生は人間に対する深い洞察から生まれると思う。我々は永遠に思索を
続けなければならない。経済的に貧乏になっても、人間が生きるに値する社会とは何か。
政府とは。企業とは。家庭とは。そして己とは。
(2010 年 7 月 13 日)
130
上海世界博覧会ぶらりぶらり
7月上旬、上海世界博覧会を観に行ってきた。僕は北京に住んでいるが、知り合いの中
国人や日本人に「行く、行かない?」「どうだった、面白かった?」と訊いてみた。そこで
分かったことは、国籍に関わらず、30 歳以下の若い人は「行きたい」
「面白かった」と言い、
30 歳代以上は「興味がない」
「疲れた」「並ぶのはこりごり」と言っていた。
世界博は夢を売る場なのだ。若者は自己の夢実現の未来像を世界博の雰囲気の中に投影
している。人生の厳しさを味わった者(おじさんやおばさん)には世界博は過ぎ去ってし
まった青春でしかなく、疲れるだけの死の行進にしか映らないのだろう。
実際世界博にでかけてみると、その通りだった。夏休みに突入していることもあり、家
族連れと若者のグループが大半である。中年の男女は疲れて日陰のベンチで横になってい
る。自分の人生の真実をあますところなく露呈している。老人なんて見かけやしない。お
そらく、権力のある老人たちはずるくも混んだパビリオンに裏口から入り、
「こんなもんか」
と思い、感激することもなく帰って行くのであろう。
若者は 5 時間待とうが、3 時間立ちっぱなしであろうが、疲れないのだ。なぜならば、彼
らには将来の明るい夢があるからだ。オリンピックが若者の祭典と呼ばれるように、世界
博覧会も若者の祭典なのだ。上海博覧会で得たイメージは彼らの心の中に生涯残るであろ
う。後世畏るべし。そういう意味では、中国政府は若者に夢を与えることに大成功したの
である。
大阪万博の際には日本人は将来に明るい夢を抱いていた。そのころ日本人は元気があっ
て、まだ若かった。でも、バブル経済という頂点に酔い、それが弾けるとずっと二日酔い
に悩まされるようになった。中国人は今高度経済成長と明るい未来に期待を膨らませてい
る。将来日本のような停滞社会を経験することになるのか。歴史は繰り返すのか。
僕が行った日は午後 1 時 30 分で入場者数が 40 万人に達する寸前だった。こんなに大勢
のひとが入場していても広大な敷地に広がっているため、人気のあるパビリオンに並ばな
い限り不愉快には感じない。
僕はパビリオンに並ぶと時間の無駄になると思い、端から端まで物見遊山の気持ちでぶ
らりぶらりと歩いてみた。お陰で日頃の運動不足が少し解消された。疲れるとベンチで休
んだり、人気のないパビリオン(バングラディシュ、モンゴル、イラン、アルゼンチン、
チュニジアなど)に入館して、クーラーの恩恵に預かったりした。ほっと一息。生き返っ
た。
全体を歩いてみて感じたことを書き残しておこう。
まず、世界各国のパビリオンの配置である。逆三角形の中国政府パビリオンを中心に世
界地図のように各国のパビリオンが配置されている。中国パビリオンのすぐ近くに当然の
ように台湾パビリオンがある。中国に国境を接している北朝鮮、韓国、ベトナム、インド、
ネパール、中央アジア諸国はやはり中国パビリオンにほど近い。日本は韓国パビリオンよ
りも遠い極東に配置されている。
でも、日本パビリオンは人気があるのだ。日本産業パビリオンも中国人の若者の心を捉
えていた。5 年前中国全土を駆け抜けた反日デモはどこに行ったのだろうか。日本に対する
イメージは格段によくなっている。日本人は中国人に尊敬されていることを忘れずに。
中国周辺国のパビリオンよりも遠いところには東南アジアと中東のパビリオンが配置さ
れ、それよりも遠いところに、ヨーロッパ諸国のパビリオン、アフリカ諸国のパビリオン、
そしてアメリカ大陸のパビリオンが一番遠くにある。地球儀を太平洋の中央でハサミを入
れて、広げたと思えばいい。日本とアメリカは両端にあるのだ。お互いに一番遠い。これ
は決して、中国政府が日米同盟を切り裂こうとしている意図を表したものではない。もし
そう考える者がいたら勘違いにもほどがあると言える。
パビリオンの建物のデザインは見ているだけで楽しい。写真をほとんど撮らない僕は面
131
白い造形美を発見しては、盛んにシャッターを切っていた。特に、ヨーロッパ諸国のデザ
インは洗練されている。上海世界博覧会でどこに行こうか迷っているひとには、まずヨー
ロッパのパビリオンが固まっているC区に行くことをお勧めする。夜になるとライトアッ
プするので、夢のような世界に変貌する。若い女の子を連れていけば喜ばれることまちが
いない。僕は残念ながらそうできなかったけれども。なお、閉館は午後 12 時だそうだ。
今年 10 月末まで上海世界博覧会はやっている。機会があればまた行ってみたいと思って
いる。入場券は入口で並ばずに買える。大人 160 元(約 2200 円)
。午後 5 時以降入場数す
ると 90 元になる。飲料水の持ち込みは禁止だが、どこでも売っている。レストランは街よ
りも少し高いが、これもどこにでもあるのは嬉しい。味は少し落ちるのは仕方ない。それ
に上海のホテルの宿泊費は 5 割も跳ね上がっている。これも仕方ない。夢を見るには困難
なことも我慢しなければならない。
上海世界博覧会で夢と希望を見た中国の若者ははたしてどのような未来を築いていくの
であろうか。興味津々である。
(2010 年 7 月 13 日)
132
サスペンス小説
『紅い北極星』
133
1
晩すぎる北京の春
北京は五月の労働節の連休が来ても、ひどく寒かった。年によっては、強い日差しが
降り注ぐ夏日になることもあったが、今年は、どんよりとした雲が街を覆い、時折小雨
が降っていた。薄手のコートが欲しいくらいだった。
東西に伸びる十車線もある長安街の北京飯店の前を一台のフォルクスワーゲンのタ
クシーが通りかかった。乗客は若い日本人夫婦だった。男が女に言った。
「もうすぐ天安門の前を通過するよ」
女は質問した。
「天安門から領袖の肖像画が降ろされるのはいつのことかしら」
男は女の横顔を見た。そして、タクシーにマイクが隠されていないか心配になった。
即答は避けた。男の名前は亀尾信二。三十八歳。
彼は、1984 年に開設された日中友好科学財団北京事務所副所長を務めていた。日中
友好科学財団は、親中派と目されていた当時の日本の総理大臣が日中両国の科学交流を
活発化するために設立したものだった。80 年代の両国関係は非常に友好的で、仕事も
やりやすかった。中国のカウンターパートの対応も迅速でかつ周到で、抜かりがなかっ
た。中国の主席も親日派のため、中国の政府や大学が日本との協力に率先して取り組ん
でいたからだ。
日中科学交流の窓口である、日中友好科学財団北京事務所の所長には優秀な人材が登
用されていた。初代所長は科学技術省の局長経験者だったが、それは総理の指示だった。
日本のメディアは異例な人事に沸き立った。
しかし、中国の主席が突然失脚すると、日本との交流の優先度はとたんに低くなり、
財団の北京事務所の仕事も潮が引くように減少していった。所長と副所長の人事には誰
も関心を示さなくなり、実際小粒の人材が投入されるようになっていった。
タクシーの女の客は毎朝新聞社科学文化部記者の玉田玲子だった。夫婦別称だ。お互
いの領域に干渉しないことを条件に結婚したのだった。
玉田玲子は黒いジャンパーを着て、ジーンズ姿の膝の上にはリュックサックを置いて
いた。髪は短く切り揃えていた。
玉田玲子は取材のために北京を訪問したわけではなかった。観光を兼ねて、単身赴任
の夫に会いに来たのである。
「ねぇ、聞いてる?」
天安門がよく見える右側の座席に座っていた玉田玲子は亀尾信二に顔を向けた。亀尾
信二も右に顔を向けた。ふたりは顔を見合わせる格好になった。お互いに久しぶりに面
と向かった。亀尾信二は隣の女を美しいと思った。
回答を催促されたと思った亀尾信二は言った。
「当分、肖像画は安泰だよ」
「どうして」
玉田玲子は切り替えしてきた。亀尾信二はなぜそのような言葉が口から飛び出したの
か自分でも分からなかった。中国社会党にも、政治にも、外交にもあまり興味がなかっ
た。共産主義がどうなるか、中国社会がどう変化するか、将来はどうなるか、どうでも
いいと思っていた。亀尾信二は北京で心を癒したかったのだ。それだけが小さい願いだ
った。
でも、更なる質問に何か答えなくてはならない。そう思ったが、理由が見つけられな
かった。
「理由はよく分からない。でも、北京に住んでいるとそう感じるんだ。中国の前途は明
るいと」
134
玉田玲子は、あっそと言ったきり、しゃべらなかった。タクシーは天安門の前を過ぎ、
中南海の豪華な門に差しかかっていた。
「これが党の幹部が住んでいると言われている中南海の入口だ」
亀尾信二がそう言うや否や、玉田玲子はデジカメを皮のジャンパーからすばやく取り
出して、シャッターを切った。記者らしく、何枚も連続して撮影した。亀尾信二は二人
の護衛の視線がこちらに向けられているような気がした。もういいよと言おうと思った
が、言葉を唾とともに飲み込んだ。タクシーは加速するように中南海を通り過ぎていっ
た。
玉田玲子は小柄で、筋肉質であった。皮のジャンパーもよく似合っていた。東京では
少しでも時間があれば、新聞社の地下のジムで汗を流していた。女があまり好まないボ
ディ・ビルディングにも熱心に取り組んでいた。会社のソファーに横になって夜を過ご
しても平気だった。男なんかに負けない、というそんな気概が身体に溢れていた。
彼女はタクシーに乗り込む前に、偽物ブランドで有名な「秀水」で黒いジャンパーを
買ったのだった。中国語がまったくできないにもかかわらず、売り子の言い値の十分の
一の価格で買った。地方出身と思われる売り子の方は玉田玲子の執拗な攻勢にたじたじ
だった。玉田玲子はジェスチャーと得意の英語でまくし立てていた。売り子の方が最後
には泣き出しそうな顔をしていた。
亀尾信二は皮のジャンパーに手を伸ばした。本物と違わぬ手触りだった。心地よかっ
た。ジャンパーをなぞった。下に行くと、玉田玲子の手に辿りついた。手の甲のひやり
とした、心地よい感覚が伝わってきた。二人で過ごした東京での落ち着いた日々が思い
出された。
「仕事の調子はどう。おもしろい?」
玉田玲子は亀尾信二に訊いた。
「北京に来て 1 年になるから慣れたよ。中国語は前から話せたし、中国人も同じ人間だ
から。しかし――」
「上司とうまくいっていないのでしょう。あなたと所長は性格が正反対だから、仕方な
いかも知れないわね」
玉田玲子は早口で、亀尾信二の言葉に割り込んできた。たしかに、亀尾信二は読書家
で物静かだったが、所長は外交的でいつもどこかで誰かに会っていた。もう六十歳を過
ぎているのに、毎晩のように活動的に飲み歩いていた。色沙汰の噂も多かった。
「どうしてそんなことが分かるんだ」
亀尾信二は驚いて訊き返した。
「その程度の調べはついているわ。私は新聞記者よ」
亀尾信二は長身であったが、学生の時から玉田玲子に頭が上がらなかった。亀尾信二
は一浪して関東の外国語の国立大学に入った。現役合格間違いないと言われていたが、
受験前に姉が突然自殺し、そのショックで歩くことさえ億劫になってしまった。受験は
断念せざるを得なかった。翌年、その国立大学に入学したのだった。
姉の自殺の原因は分からなかった。姉を救えなかった自分を何度も責めた。父母は亀
尾信二を慰めたが、彼はひとり悩み続けた。
亀尾信二は姉がよく聴いていたカーペンターズの澄み切った音楽にしばしば耳を傾
けるようになった。この歌手の歌声を聴きながら、いったい姉は何を思い続けていたの
だろうかと考えていた。そうすることで、亀尾信二の気持ちも次第に楽になっていった。
カーペンターズの声は明るく聴こえるが、ひどく寂しく感じられるようになっていた。
亀尾信二は本当は東京の名門私立大学に入りたかったが、実家はあまり裕福でなかっ
た。亀尾信二はその国立大学の英語学科には得点が届かず、中国語学科に配属されたの
だった。中国に関心があったわけではなかった。どこかに受かればいいと思っていた。
135
玉田玲子は現役で同じ大学に入り、英語を専攻した。
彼らはゴルフ部に入部して、知り合うことになる。亀尾信二はゴルフに興味があった
わけではないが、入学式を終えて会場から出てきた彼に最初に声をかけてきたのがゴル
フ部員だった。山形県の山奥からでてきたばかりの亀尾信二は断り方を知らなかったの
で、言われるままに入部したのだった。
同じ年齢であるふたりは、先輩と後輩の関係になった。玉田玲子は四年生の時、副部
長を任された。この大学のゴルフ部の歴史上、女子学生が副部長になるのは初めてだっ
た。亀尾信二は長身を生かして大きな円を描き、ボールを遠くまで飛ばした。小柄な玉
田玲子は筋肉を鍛え、パンチショットでボールを打つ訓練を積み重ねた。女子部員のな
かでは飛ぶ方だった。それに加えて、グリーン周りとパットがうまかった。グリーンの
読み方は男性部員でも適わなかった。勝負がかかると集中力を発揮したのである。
そんな玉田玲子は就職人気上位の毎朝新聞社の試験に簡単にパスしていった。総理大
臣官邸で国民を代表して総理大臣に質問するのが夢だった。新聞記者はかっこいい仕事
だと思っていた。しかし、入社後、華のある政治部ではなく、地味な科学文化部にまわ
された。
亀尾信二はひと付き合いが得意でなかった。自由時間のほとんどは自宅での読書に費
やした。彼の関心を惹いたのは理科系のブルーバックスという本だった。最先端の科学
を分かりやすく書いてあった。数学や物理が得意でない文科系の学生でも理解できるよ
うに書かれていた。次第に、分子生物学の世界にのめり込んでいく。遺伝をつかさどる
デオキシリボ核酸という化学物質の二重螺旋構造の美しさに魅せられた。生命の本質は
なんと単純で、かつ規則正しいのだろうか。亀尾信二は分子生物学の専門書を貪るよう
に読むようになっていった。そして、自分がやりたかったのは科学者ではないのかと考
えるようになる。
三年生になると、大学院に入学すべく、東京都内の大学の生命科学専攻の教授に手当
たり次第にメールを出した。ほとんどの教授は文科系の学生を受入れようとはしなかっ
た。ただ、幸いにも、ある私立大学の教授が亀尾信二の熱意に感心し、研究室への出入
りが許されるようになった。研究室のセミナーに出席して、最先端の研究の雰囲気に触
れつつ、大学院の入学試験の準備をした。亀尾信二は二つの大学のしかも異なる領域の
学問に同時に触れることになったのだ。忙しかったが、満足感に満たされていた。
亀尾信二は大学院の試験にパスし、修士課程を普通の成績で終え、指導教授に強く勧
められて、博士課程に進むことになった。指導教授はやり手だった。科学研究で業績を
あげるだけでなく、大学の管理行政にも大きな影響力を持っていた。
亀尾信二が博士課程三年生のある日、指導教授は学長に立候補すると言い出した。当
選が危うい情勢と知るや、選挙運動に学生まで動員し始めた。亀尾信二には封筒を配る
ように命じた。封筒のなかには現金が入っていた。亀尾信二はこのような行為が嫌だっ
た。科学の真理の追究の場で、権力に目がくらむ欲望が渦巻いていた。それは彼にとっ
て、矛盾するものだった。指導教授は学長選挙に大敗し、その原因を研究室の学生や若
い研究者に押し付けた。大人しい亀尾信二への風当たりは強かった。時々、研究室のゼ
ミのみんなの前で無能呼ばわりされた。亀尾信二は傷つき、自信を喪失していった。
科学雑誌に論文を二報掲載し、あと一報掲載すれば博士号が取得できるところまで来
ていた。結局、亀尾信二は指導教授に退学願いを提出し、大学を去った。指導教授は引
き留めなかった。科学者の夢も諦めた。
亀尾信二は中国ブームの勢いに乗り、有名プラスチック企業に就職した。皮肉なこと
に、中国語の専攻が評価されたのである。中国語が話せて、理系の素養がある者が強く
求められていたのである。亀尾信二は経営企画室に配属されよく働いた。会社の業績は
伸びていき、職場の雰囲気も明るかった。ハードワーカーとして高く評価されるように
136
なった。仕事に打ち込むうちに、いつしか博士号取得の挫折は忘れてしまった。
ことがそのまま進んでいたら、その企業の中堅に育っているはずだった。人並み以上
の生活水準と社会的地位を得ていているはずだった。あの事件がなければ―。
亀尾信二と玉田玲子の二人は就職後、どちらからともなく声をかけ、食事をともにす
るようになった。玉田玲子は就職後、一度地方勤務を経験したが、また科学文化部に戻
されていた。二人とも学生時代の夢を果たせず、社会の厚い壁を感じていた。気持ちが
折れそうになっていた。特に、玉田玲子は安らぎと慰めを求めていた。男の厚い胸の上
で思いっきり泣いてみたいとも思った。次第に、二人は深い関係になっていった。だが、
玉田玲子は亀尾信二の前で涙を見せることはなかった。
二人は三十歳になるのを契機に結婚し、入籍した。それは形だけだったが、そうする
のが自然のような気がしたのでそうしただけだった。ただ、玉田玲子は職場では旧姓を
使用していた。
結婚式はオアフ島で二人だけで挙げ、ハワイ島で一週間ゴルフを楽しみ、帰国した。
ハネムーンの間、肉体関係はなかった。彼らは子供を作らなかった。彼らの間に子供が
いる様子を想像することができなかったからだ。二人だけの生活の方が自然だった。
その後、玉田玲子はニューヨークの支店に異動になった。やっとチャンスに巡り合え
たと思った。亀尾信二は彼女を祝福した。玉田玲子は得意の英語とヴァイタリティーで
激務をこなしていった。スクープも何回か取り上げた。ニューヨークに隣接するニュー
ジャージー州のゴルフ場で知り合った米国政府高官から得た情報をヒントにしたもの
だった。
玉田玲子の明るい性格は米国人に好まれ、ホームパーティーにもしばしば招待された。
彼女は独身を装った。夫がいると言えば、奇異な目で見られるのを恐れたからである。
そのため、しばしばボーイフレンドを紹介された。実際、ボーイフレンドと付き合い、
軽い肉体関係になったこともあった。でもそれは肉体の生理的欲求に従ったのにすぎな
く、心から相手を愛することはなかった。玉田玲子の心と体には亀尾信二の影が住み着
いていたのである。
玉田玲子は三年の華やかなニューヨーク駐在生活を終え、帰国した。なぜか、再び科
学文化部に配属された。玉田玲子には不満な人事だった。今度は数人の部下の面倒を見
ることになった。
二人ともいつしか三十八歳になろうとしていた。
玉田玲子は私用旅行とは言っても、記者魂を発揮して、亀尾信二にいろいろと質問し
た。中国の歴史、政治・経済状況、ハイテクの水準、未来予測、庶民の食べ物、反政府
運動、少数民族問題。
亀尾信二にはどれも満足に答えられるものではなかったが、それよりも、もしタクシ
ーに盗聴マイクが仕掛けられていて、話の内容が工作部に漏れていたらと心配になった。
北京には五十万台とも言われる隠しカメラが設置されている。盗聴マイクは数え切れな
いくらい多いかもしれない。当局は国民の安全確保という理由からそれを正当化してい
る。国民もそれを認知していた。安定が国の経済発展に最も重要と国民も信じていたか
らだ。
どこに仕掛けられているか判らない隠しカメラや盗聴マイクを通じて、自分の発言や
行動が当局に知られてもいいように、国民は自重していた。本当の気持ちは心の底にし
まい込んでいた。それらの真実はすべて墓場まで持ち込まれ、そして永遠に封印される
のであった。
137
二時間後、二人は中国の伝統的な住居つくりである四合院を改造したレストランの庭
の四人掛けの席で向かい合って座っていた。空は雲っていたが、まだ明るかった。庭に
は季節はずれの冷気が沈殿していた。冷気を払うために大きなストーブが三台、庭に配
置されている。四合院の部屋もテーブルも椅子も中国の伝統を意識的に反映したもので、
素朴なものが配置されていた。市内には高層ビルが立ち並び、豪華な内装のレストラン
が中国人の中産階級を引き寄せていたが、外国人は金ピカのレストランより隠れ家のよ
うな落ち着いた雰囲気を好んだ。客はほとんどが外国人だった。
「なかなかいいお店を知っているのね」
玉田玲子は亀尾信二の顔を覗き込んだ。
「中国人の友達に案内されて、やってきたことがあるんだ。ほっとできるからうれしい
よ」
亀尾信二は言いながら、前回来たときのことを思い出していた。
玉田玲子は、
「ここでデートしたのね」と独り言のように気軽に言った。
「違うよ。違うったら。清華大学の男性教授と仕事の話をしただけだ」
亀尾信二は即座に否定した。でもぎこちない話し方だったため、二人の間に気まずい
雰囲気が生まれた。玉田玲子は、夫は浮気しないだろう、いや仮にしたとしても、それ
を追及するまいと思っていた。そして、彼女はニューヨークのボーイフレンドとの短か
った交際を思い出していた。予想外の沈黙が二人を覆った。
亀尾信二が注文していた中国産の赤ワインを服務員が運んできた。服務員は慣れた手
つきでワインを亀尾信二のグラスに注いだ。亀尾信二は中国人と同じようにワインの香
りを嗅ぐことなく、一気に喉の奥に流し込んだ。
「いいよ。美味しい」
と中国語で言った。飲む前からそう言おうとしているかのような一連の仕草だった。
沈黙は続いていた。玉田玲子のグラスにワインが多めに注がれた。玉田玲子は一呼吸お
いて、グラスを手のひらに載せて持ち上げ、ゆっくり回転させ、そしてワイングラスを
鼻に近づけた。一瞬額に皺を寄せ、考え込むような表情を見せ、それからゆっくり赤い
液体を口に含んだ。上品で完璧な動作だった。
「いいわ、このワイン。中国人にもワインが作れるのね」
玉田玲子は驚いたようなトーンで沈黙を破った。
「長城ワインさ。フランスの技術を導入して作っている、すでに中国人は完全にマスタ
ーしているよ。中国人は器用で、頭がいい民族だから」
亀尾信二は話題がつながったと思い、ほっとした。結婚してからも、二人の間には、
べったりした感じはなく、初めてのデートの時と同じような感情を抱いていた。でも、
それは息苦しくはなく、丁度よい距離感だった。亀尾信二が玉田玲子という女性をずっ
と愛しているという事実に変わりはなかった。
二人のセックスは玉田玲子のリードで始まり、玉田玲子が登りつめるのに合わせて、
亀尾信二も“行く”のだった。玉田玲子は常に夫の上に乗り、ことが過ぎた後で、右手
の人差し指の第一関節を亀尾信二の唇に当てるのだった。亀尾信二にはその意味が分か
らなかった。これは二人だけの秘密とも解釈できるし、終了時のキスにも思えた。
脳は五本の指のなかで人差し指を認識できる領域が最も広い。人差し指は脳にとって
最も敏感で、重要な指なのだ。でも、亀尾信二は妻がそんなことを知っているようにも
思えなかった。その仕草は依然として謎だったし、あえて訊こうともしなかった。亀尾
信二は玉田玲子が浴びるシャワーの心地よい音を聞きながら、いつも眠りに落ちた。彼
は玉田玲子の汗をまとったまま、朝を迎えるのだった。その方が安心感を抱くことがで
きた。そして、翌朝シャワーを浴びて、出勤した。
玉田玲子は現実に戻す質問を浴びせてきた。
138
「ねぇ。天安門に掲げてある領袖の肖像画は降ろされることはないと、タクシーのなか
で言ってたわね。1991 年にソ連は崩壊したけれど、なぜ中国の共産主義は安泰なの。
もうあれから二十年近く過ぎているのよ」
「それが解明できれば、ノーベル経済学賞がもらえるよ」
「茶化さないで」
玉田玲子は真剣な眼差しになった。ワイングラスを右手で弄びながら続けた。
「中国は貧富の格差が大きく、地方の役人の腐敗もひどいから、貧しい人々の間で相当
不満が溜まっているはずよ。それがいつか、活火山のように噴火するってことはないの
かしら」
新聞記者のような質問だった。実際に玉田玲子は新聞記者なのだが。
「僕は自分の眼で見たこと以外はあまり信じないんだ。貧富の格差や地方役人の腐敗や
環境汚染のひどさは、西側メディアが繰り返し流すけれど、どこまで本当なのかなと
時々思っている。データはそれらのひどさを具体的に示しているので、それ自体を疑う
つもりはないけれども、それらが原因で中国社会党体制が崩壊するというのはひとつの
シナリオにしかすぎない。
中国台頭の脅威を感じるアメリカか、どこかの誰かが思いついた筋書きだと思うよ。
それを日本人もあまり疑うことなく、信じているんじゃないかな。一種の未来予測、い
や願望に近い側面が強いんじゃないかな」
亀尾信二は言葉を選びながら言った。でも、玉田玲子は納得できないと、首を傾けた。
「ソ連の崩壊を二十年以上前に予測したフランスの学者がいたのよ。当時は誰も信じな
かった。学者も政府のエリート達も共産主義の理想に浮かれていて、真実を見破ること
ができなかった。でも、彼は偏見を持たず単純な事実に着目した。それは何だと思う?」
亀尾信二には予想もできなかった。玉田玲子は続けた。夕闇が迫り、ストーブは激し
く燃えていた。
「それはね、乳児の死亡率なの。当時、急激に高まっていたの。この学者は乳児の死亡
率が高い社会がそのまま維持されるはずはない。それは破綻の前兆に過ぎないと考えた
わけ。今からみれば、自然な発想だけど、みんな共産主義の理論に酔い、単純な事実に
目を向けようとしなかったのよ」
玉田玲子は、では中国はどうなのかしらという眼で亀尾信二を見つめた。
「乳幼児の死亡率は下がっているはずだよ。仮に新中国の体制が将来倒壊するとした場
合、それを現時点で予測できる指標は分からない、僕はこの分野の専門家ではない。で
も――」
亀尾信二は適切な言葉を探した。どう表現すればいいか迷った。
「感じるのね。そんなはずはないと」
玉田玲子が助け舟を出した。
「うん、そうなんだ。北京にやってきて一年になるけれど、この社会がおかしくなると
いう実感が湧かないんだ。日本人は日本社会が崩壊すると誰も思ってないよね。安定感
があるからさ。それと同じで、中国は高度経済成長の真っ只中にあり、交通渋滞などの
問題はあるけれど、体制が崩壊するということは感じられないんだ」
「第六感?」
「北京生活者の実感としてそう思う。それに、最近の脳研究では、第六感は真実を言い
当てていると指摘する学者も出るようになっている。膨大な情報を処理している脳の無
意識の世界がアウトプットするのが第六感だと」
「相変わらず、生命科学の知識に詳しいのね。博士さま」
玉田玲子はそう言った後で、後悔した。博士号を取得できなかったことを亀尾信二に
思い出させてしまったに違いないと思った。
139
「脳科学の進歩は我々の人間観を大きく変える段階まできているよ。自然科学だけでな
く、人文社会科学への影響も甚大なものになるかも知れない」
亀尾信二は科学者のような顔をして言った。
「新聞記者は言葉にできないものを新聞に書けないし、伝達もできない、直感を何かに
投影してくれなくては困ってしまう」玉田玲子は自嘲気味に言った。「でも、生活者の
知恵って大切かも知れない」
料理が次々と運ばれてきていた。二人は気づかなかった。
「美味しそう。食べながら話しましょう。ところで、これは何料理なのかしら」
玉田玲子は質問した。
「雲南料理さ。四川省は盆地でいつも雲や霧で覆われているけど、その南に位置すると
いうので雲南と言われるようになった」
「雲南はタイ族が住んでいるという地域よね? 少し辛そうに見えるわ」
「タイ族は雲南省の南端に住んでいるよ。漢民族の拡張政策のために南下せざるを得な
かった。タイ族の一部はさらに南下し、今のタイ王国をつくったのさ」
亀尾信二は続けた。
「雲南には多くの少数民族が住んでいる。雲南が漢民族の版図に入れられるようになっ
たのは、明初に十万人の強制移民を行ってからだよ」
「美味しいわ。キノコや魚や鶏肉を材料に料理してあるわ。中華料理みたいに、油っぽ
くないのがいいわね」
玉田玲子は自分に言っているように思えた。亀尾信二は妻が自分の話を聞いているの
か不安になった。
「雲南省か。私も行ってみたいわ。日本の風習が色濃く残っていると聞いたことがある
けれど―」
玉田玲子は好奇心が旺盛だった。
「稲の原産地は雲南だけど、日本の稲作は長江流域から伝播したと考えられている。長
江の上流域が雲南なんだ。おそらく、ミャオ族などの少数民族が長江を下り、長江中流
域で稲作を始めたんだろう。八千年前の稲作の跡まで見つかっている。これらの長江文
明は黄河文明よりも古いという学者もいるくらいさ。古代時代に、彼らは中流域に楚、
下流域に呉と越という国を作った。
彼らは鉄に武装した黄河文明に破れ、ある者は大陸を南下し、ある者は東シナ海に出
て、ボートピープルとなり、黒潮と対馬海流に乗って日本海側の日本に達したという日
本人学者もいるよ」
「ふーん。つまり、彼らが越前、越後の祖先ってわけだ。面白いわね」
玉田玲子は夫の話に耳を傾けながら、せわしく箸で料理をつまみ、口に運んでいた。
亀尾信二は先々月の雲南旅行を思い出しながら、しゃべった。
「雲南の少数民族の風習も日本と似ているよ。ミャオ族はヘビを信仰の対象としていて、
日本の神社のしめ縄は二匹のヘビが絡まっている様子さ」
「分かりやすく言うと、ヘビのセックスね」
「そう。五穀豊穣のシンボルなんだ。それに日本人が大好きなコンニャクや納豆は雲南
が原産地さ。明治時代まで続いていた夜這いも雲南の風俗なんだ。男が夜中に女の居所
に忍び込むなんて、儒教色の強い中国や朝鮮では決してありえない」
玉田玲子は夫の知識欲が頼もしく思えた。専門の生命科学だけでなく、中国の歴史や
風習にも造詣が深くなっていた。
「雲南に何回もでかける日本人旅行者がいると聞くけれども、今の雲南に古き日本が色
濃く残っているのね。おそらく」
玉田玲子は箸を置き、次は赤ワインのグラスを手にしていた。食事を終え、本格的に
140
ワインを享受する時間帯に入っている。
「オリンピック後、開催国は必ず不況が来ると言われていたけれども、中国は高度経済
成長を遂げているわ。なんだか将来、日本も飲まれてしまいそうね。漢族は歴史上ずっ
と膨張してきたのだから」
「正直言って、僕にはよく分からない。版図が大きくなったのは、元と清の他民族政権
のときなんだ。漢族は領土拡張主義なのだろうか」
「でも、チベットや新疆は武力で奪い取ったと言われているわ」
亀尾信二は廻りを見渡した。英語やドイツ語の会話が耳に入った。現代の政治の話を
したくなかった。誰が聞いているか分からない。テーブルの下に精巧なマイクが仕掛け
られていてもおかしくはなかった。
インターネットと電話が完全に盗聴されているのは中国では常識だった。重要な話は
手紙で書くか、直接会って話すかのどちらかだった。会談は雑踏のなかを歩きながら行
うのが、盗聴される可能性がもっとも低かった。
亀尾信二の無言に気づいた玉田玲子は話題を変えた。
「日本はいつも暗い話ばかりよ。まだ貿易は黒字だけれども、そのうちに競争力が落ち
て赤字に転落するわ。そうしたら、円安になり、海外からの石油や食糧は高くなり、物
価は高騰することになるわね。きっと。税金も高くなる。日本人の生活レベルは確実に
下がっていく。優秀な人材は海外に流出し、大企業も本社を税金の安い海外に移すかも。
暗い未来。逆ビジョン」
「逆ビジョン?」
亀尾信二には始めての言葉だった。
「逆ビジョンは今、政府の若手官僚がこっそり研究会を開いて、議論している概念だけ
れども、日本は衰退しながら下り坂をいかにうまく降りていくかということよ」
玉田玲子は新聞記者仲間から聞いた話を披露した。
「つまり、高血圧や糖尿病などの成人病とうまく付き合い、いかに健やかな老後を送れ
るかということなんだね」
亀尾信二は補足した。
「でも、そんなにうまくことが進むのかしら。中国は先進国に必死で追いつこうとして
いる。少なくともそういう風に見えるわ。実際はどうかしら」
玉田玲子は質問を亀尾信二に振った。
「よく分からないけれど、中国は外国人が捕らえどころのない、複雑怪奇な世界だよ。
頑張っている人々もいるけれども、やる気がなく、堕落し、腐敗している奴もいる。一
概には論じることができないよ」
「そうよね。人口が十倍もいるのだから」
玉田玲子は思い出したように、日本の話題に戻った。
「日本の黒字を稼いでいるのは、クルマ、工作機械、電子部品よ。世界一強いと言われ
ている日本のクルマ産業は、環境に配慮した電気自動車の登場で苦戦が予想されるわ。
工作機械はコンピューター化が進んでいて、今まで培ってきた感覚を基にした熟練工の
特殊技能が生かされにくくなってきている。電子部品でも、韓国や台湾の追い上げが激
しい。日本はどうやって、今後外貨を稼いでいけばいいの」
亀尾信二は再び廻りを気にした。次第に落ちつかなくなってきた。雲南特有の麺料理
の「過橋米線」を口に入れた。すでに冷めていた。中国の将来は安定しているであろう
という確信のようなものがあった。しかし、自分の仕事や日中関係はうまくいかなくな
るのではないかという感覚も抱いていた。頭というよりは、身体が漠然と感じていた。
「中国って刺激的で面白そうだけども、怖い国のようね。十分注意してね」
玉田玲子は明るい声で言った。
141
亀尾信二は北京駐在を決めたとき、妻とは相談しなかった。北京に行くことにしたよ
と、日常会話の延長線で告げたときの玉田玲子の表情を亀尾信二は思い出した。妻は一
瞬ひるんだような表情をしたが、なるだけ感情を外に出さないようにしているのが痛い
ほど分かった。
そう、よかったわねと玉田玲子は、呟くのが精一杯だった。本当は泣き出したかった
のだが。
亀尾信二は北京で一年に経験した恐怖を思い起こしていた。それは思い出したくない
ものであったが、記憶を消し去ることはできなかった。それらの経験は誰にも話しては
いけないように思われた。口にしただけで、いつも監視されている者にその場で消され
てしまう。そうした切迫感があった。
もう一年の辛抱だ。そうすれば帰国できる。
「何を考えているの。そんな悲しそうな顔をして。悩んでいるのね。上司との関係」
玉田玲子は酒の勢いを借りて断定するように言った。亀尾信二は上司との関係はうま
くいっていない。しかし、そんな些細なことはどうにかこなしていける。
でも、独裁者のビッグブラザーには勝てない。どうしようもない。飲み込まれ、消化
され、あとには何も残らない。日中友好科学財団で働いたという記録さえ残されないか
も知れない。
「寒いわ」
玉田玲子はつぶやくように言った。亀尾信二の心も凍てつくように寒々としていた。
ストーブは赤々と燃えているのに、身体が冷たく感じられた。不思議だった。
空はすっかり暗くなっていた。雲はいつの間にか晴れわたっていた。星も出ていた。
「北京は五月になってもこんなに寒いの」
玉田玲子は皮のジャンパーに袖を通しながら、亀尾信二に訊いた。
「今年は特別だ。いつもだったら、五月になれば、夏日が続くのに」
亀尾信二は空を見上げながら言った。
「北京の春は晩いのね」
玉田玲子は呟いた。
「今年の春はなぜか晩すぎる」
二人は上空を見た。北の空に北極星が輝いていた。廻りの星が北極星を中心に回転し
ているように見えた。
「北京の北極星は紅く輝いているのね」
玉田玲子がそう言うと、
「そうだね。今まで気がつかなかった」
と亀尾信二は応答したのだった。
紅い北極星は透き通る夜空に燦然と輝いていた。
亀尾信二は一年前に珠海で見た北極星を思い出していた。それは白く輝いていたのだ
った。珠海で経験した騒動は突然で、激しいものだった。しかし、遠い過去のようにも
思えた。
2
珠海騒動
その一年前の四月上旬。
亀尾信二は大手プラスチック会社に就職後、経営企画室から営業部門に廻されていた。
中国語ができるという理由で採用されたのだが、中国関連の仕事に携わることはなかっ
た。でも、彼は中国という国や人々に特段の関心があった訳ではないため、不満はなか
った。関連企業や事業者への製品の売込みも慣れてくると、辛い仕事とも感じなかった。
142
学究肌の亀尾信二は頭を下げるのが得意でなかったが、相手の質問のポイントをつかみ、
丁寧に説明することで顧客の信頼を得ていった。売込み成績も徐々に向上していった。
三十歳代後半に差し掛かっていた亀尾信二は現状に満足していた。妻の玉田玲子は昨
年、ニューヨーク単身赴任から帰国し、再び共同生活が始まっていた。亀尾信二は妻が
探してきたお台場の高層アパートへの引越しにすぐに同意した。反対して自分で代案を
出すことが億劫だったからだ。内心住まいはどこでもいいと思っていた。玉田玲子はゆ
りかもめ線で新橋駅まで出れば、歩いて十分で新聞社に出勤できた。
亀尾信二は新橋駅から地下鉄を二回乗り継いで、会社まで行く必要があった。長身の
彼は、地下鉄のなかで人々の様子を窺いながら時間をやり過ごした。ひとり一人の顔を
見ながら、どんな仕事をしているのであろうか、家族の構成はどうだろうか、今何を考
えているのだろうか、果たして幸せなのだろうか、とぼんやり考えていた。その答えは
どうでもよかったが、時間を潰すためだけに脳を働かせていた。でも、具体的な姿が目
の前に浮かび、そういう時間が亀尾信二に安心感を与えていた。
ある日、出勤すると、すぐに部長室に呼び出された。広い個室だった。直属の上司で
ある課長が緊張した面持ちで部屋のなかに立っていた。頭の薄くなった部長は亀尾信二
を丁重にソファーに座らせた。小柄だが作法はきびきびしていた。課長は立たされたま
まだった。あたかも部長の意識から消されているようにも思えた。
亀尾信二は偉い部長と話をすることがほとんどなく、ましてや部長室で部長と面と向
かって話すことなどなかった。亀尾信二は何か重大なことが起こったに違いないと思っ
たが、思い当たることがない。業績は平均よりも上であるが、叱咤激励されるのではな
いかとも思った。しかし、部長の態度からは別の案件のように思えた。
部長は右手の中指で黒縁の眼鏡を上にあげ、亀尾信二の顔を正面から見据えると、一
通の会社の封筒を前に出した。場の雰囲気は亀尾信二に中を見るように促していた。亀
尾信二は課長を見たが、課長は下を向いたままだったので、視線を合わせることはでき
なかった。
「早く開けてみろ」
部長の歯切れのいい声が響いた。
亀尾信二は慌てて、封筒から中味を取り出した。航空券だった。亀尾信二は息を呑ん
で、部長の顔を見た。眉間に皺が刻まれていたが、無表情だった。
氏名欄には自分の名前がローマ字で印刷されていた。行き先は香港。搭乗日は明日、
帰りのフライトには日付が印刷されていない。オープンチケットだった。
部長は咳払いをすると、口から言葉を吐き出した。亀尾信二は一言も聞き漏らすまい
として、意識を集中させた。喉が渇いた。気持ちはちぎれてしまいそうだった。いった
いどういうことなんだ。
「亀尾信二君へ。明日から珠海出張を命ずる」
「珠海?」
亀尾信二の口から言葉が反射的に飛び出した。
「珠海にある我が社の工場への出張だ。君は中国語ができるし、酒も強い。身体も大き
いから、中国人との交渉に向いている。この仕事ができるのは君しか我が社にいない」
部長は威嚇するように言った。ひとのよい課長は申し訳なさそうな顔をしている。
「どういうことなんですか。現地で何があったんですか」
亀尾信二はすがるような思いで訊いた。
「たいしたことではない。我が社の幹部と中国人従業員の間で行き違いがあり、ストが
起きている。それを収拾するだけだ。現地社長は中国人の要求にタジタジになり、どう
判断していいか分からないらしい。今、軟禁されているようだ。仕事はすべて部下に任
せて、毎日ゴルフと女遊びをしていたようだ。
143
まったく無能な奴を中国に派遣したものだ。ワシはこの人事に反対したんだが、人事
部長は他にひとがいないと言って強行した。現地法人は順調にいっているから、誰でも
務まると言い訳をしていた。中国駐在は優秀な人材でないと、務まらない」
部長は身体を前に乗り出して、続けて話した。
「君は大人しく目立たないが、ひとの心を読むことができる。少なくともワシはそう見
ている。違うかね。中国人はなまじっか日本人と顔が似ているため、日本人と同じ発想
をすると思っているバカな日本人が多い。奴らは銭のことしか考えておらん。会社から
いくら絞り取れるかしか、念頭にない。日本人のような会社への忠誠心はこれっぽっち
もない。君なら分かるよな」
亀尾信二は賛成も反対もしなかった。日本人も中国人もそれぞれの文化の影響を受け
ているため違うのは当然だが、人間としての基本的な価値観は同じじゃないかとも思っ
た。部長の言い方は乱暴すぎて好きになれなかった。部長はノーベル賞学者を多数輩出
している京都工業大学の卒業生で頭は切れるのだが、自分以外はバカだという発想はど
うかとも思った。もちろん、そんなことを口にできるはずもなかったのだ。
「君のミッションは我が社の幹部を軟禁から解放し、彼らの要求にうまく対処し、工場
を再開させることだ。目標ははっきりしている。我が社は世界中に五十ヶ所以上の工場
を持っている。この工場だけに構っている訳にはいかない。君ならできるはずだ。君に
任せる」
部長は怒っているように見えた。だが、それがどこに向けられているかよく分からな
かった。
「幹部が監禁されているならば、地元の警察が動くはずじゃないですか」
亀尾信二は率直な質問をぶつけた。
「警察もバカじゃない。下手に動くと、中国人から逆怨みされかねないからな。ただ、
賄賂を渡せば、事態を収拾してもらえるかもしれん。中国の警察は上からの命令か、賄
賂がなければ、まったく働かないんだ」
亀尾信二は茫然となった。いったいどうやって事態を収拾できるのであろうか。中国
語は話せても、中国人の発想には馴染みがない。
「現地の資料は課長からもらってくれ。そして、説明も課長から受けるといい。それが
終われば今日は帰ってよい。出張の準備があるだろうからな」
部長は立ち上がろうとした。
「いつになったら日本に戻られるんですか?」
「ミッションが終わり次第だ」
部長は背中を向けた。ソファーから自分の椅子に足を向けた。そして、思い出したよ
うに、
「君はゴルフ部だったな。ゴルフシューズを持って行き給え。現地の警察と党の幹部は
ゴルフとこれが大好きらしい」と言いながら、右手の小指を立てた。「中国の人口は日
本の十倍だ。彼らは日本人よりもセックスが十倍好きなはずだ」
亀尾信二は笑わなかった。ひどい冗談だと思った。部長は机の上を整理しながら独演
会を続けた。
「ただし、ゴルフバッグを持って行ってはいかん。空港で関連会社の者に見つかると、
当社は暇なのかと疑われる。それと毎日携帯で現地の状況を課長に報告すること。分か
ったな。成果を期待している。君は絶対にできるはずだ」
そのようにまくし立てると、部長は資料を抱えて部屋を出て行った。役員室に行くよ
うな雰囲気だった。物腰が急に柔らかくなっていた。
亀尾信二は課長から説明を聞いたが、歯切れが悪いせいか、現地の状況を的確につか
むことができなかった。現地の日本人副社長からの報告をまとめたものであったが、日
144
本人幹部からの一方的な解釈のようであり、客観的に事態を把握しているようには思え
なかった。中国人の要求もその背景や意図まで分析しているものではなかった。結局、
現地に乗り込んで、ゼロから事態を把握し、解決策を考えていくしかなさそうだ。
「ひとつだけ質問していいですか。中国入国に際してビザは必要ないんですか」
亀尾信二は頼りない課長の顔を覗き込むように、ゆっくり質問した。課長は資料をめ
くりながら、
「15 日間以内の滞在であれば、ビザは要らない。期限が切れそうになったら、香港に
出て、再度入国スタンプを押してもらって、中国に入ればいいらしい」
自信のなさそうな言い方だった。
亀尾信二は資料が入った一冊のファイルを抱えて、午前中に会社を後にした。明日か
らの出張の準備をする必要があった。ホテルの予約とスーツケースが必要だということ
に気がついた。ホテルの予約は本来であれば、現地職員がやってくれるのだが、監禁さ
れているのでそれはできない。なにより現地の工場は明日自分が行くことを知っている
のであろうか。にわかに不安になってきた。ふと、週末に妻とフランス料理を食べに行
く約束をしていたことを思い出した。
ホテルの予約は自宅でインターネットを介してするとしても、スーツケースの手配を
しなければならない。ほとんど旅行をしない亀尾信二は自分のスーツケースを持ってい
なかった。仕方なく、玉田玲子に電話した。妻は彼の中国出張には驚かなかった。どう
せ、数日で帰って来るだろうと思っていたようである。
「いいわよ。その代わり、香港でハンドバッグくらい買って来てくれるでしょう」
玉田玲子は甘えてみせた。でもそれは形だけのようにも思えた。
「フランス料理は帰国してからにしよう。ゴメン」
亀尾信二は丁寧に謝った。
翌日早朝、亀尾信二は香港行きのキャセイパシフィックの飛行機に乗り込んだ。満席
だ。亀尾信二の座席は最後尾の真ん中だった。格安のチケットに違いない。会社の業績
は悪くはないと聞いていたので、ここまで節約する必要はないのではないかとも思った。
それとも、昨日部長は自分を買っていると言っていたが、会社の自分に対する本音の評
価はこの程度なのかと疑問を感じた。
亀尾信二は機内で香港のビールを飲むと、寝不足も手伝い、中国語のポップソングを
聞きながら寝入ってしまった。悪い曲ではなかった。
何時間過ぎたのだろうか、隣席の中国人の声に眼を覚ました。大きな声で中国人同士
で話していた。広東語訛りの中国語だった。中国人は周辺のことを気にせずに大声で話
す。習慣だといえばそれまでだが、これを理由に中国人が好きになれない日本人も多い。
亀尾信二もひとりで静かにしている方を好むため、胡散臭く思っていた。このような
中国人の心情を理解しなくては、工場の再開には至らないのではないかと考えると、気
が滅入ってしまった。育った環境が違えば、価値観や考え方が違うのは当然と言えば当
然だった。そんなことは中学生でも理解できるが、それを実行することはとても難しい。
人間は心で納得しなくては、落ち着かないのだ。自分と異なる価値観が心に進入しよう
とすると、異物や外敵を排除する免役作用が働き、心に緊張感が起こったり、拒絶感情
が先走ったりする。つまり、苦しむことになる。その苦しみを共有し、発散するために、
日本人駐在員同士が集まり、中国人の悪口を言ったり、こけにしたりして溜飲を下げる。
心の緊張感がやわらぐ一瞬である。
機体は巨大な香港空港に到着した。亀尾信二は最後に機内から外に出た。四月初旬と
いうのに外は蒸し暑かった。
香港入国後、妻から借りた女用のスーツケースを受け取って、待合室ロビーに出た。
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天井が高い建物だ。珠海行きの高速バスの案内版に沿って、空港ビルの外に出た。日本
人ビジネスマンと思われる一群は次々とセダンの乗り合いタクシーに乗り込んでいた。
課長からは香港から珠海ヘは乗り合いタクシーではなく、バスに乗るようにと言われて
いた。
バスは冷房を効かせて高速を快適に走り、海にかかる長い橋を何本か渡り、中国との
国境に差し掛かった。バスに乗る理由が分かったのは越境審査所に着いてからだった。
乗り合いタクシーは料金が高かった。二倍近かった。そして、これに乗ると、クルマか
ら降りることなく越境審査を済ませることができるのだ。
バスに乗車の場合は、他の乗客と争うように下車し、長蛇の列に並んで、入国審査を
受けなければならない。審査は短時間で終わるのだが、香港に出稼ぎに来ている内地の
中国人が多く、時間がかかる。大きな荷物を肩に担いでいる人々も少なくなかった。暑
いホール内は中国語と広東語が響いていた。越境審査を終えた客は、国境を越えてやっ
てきたときと同じバスに乗って目的地へ向かって出発していく。亀尾信二にとっては、
中国語が話せるとはいえ、共産主義の国に入るのは初めてだったため、多少緊張したが、
意外にもスムーズにことが進んだ。
だが、馴染みもない初めての中国出張である。重要な任務であれば、セダンに乗せる
だけの配慮が会社にあってもいいではないかと思った。部長の高笑いが聞こえてきそう
だ。
亀尾信二が乗っていたバスは珠海の高級ホテルを経由し、最後にバスターミナルに停
まった。そこで降りる乗客は半分にまで減っていた。亀尾信二はバスから降りると、待
っていたタクシーに乗り込み、行き先を告げた。
運転手は五十元だと言った。亀尾信二はメーターを倒すように主張したが、運転手は
そのホテルは遠いから五十元でなければ行かないと何度も繰り返した。亀尾信二は仕方
なく、折れたが、十五分で着く距離だった。三ツ星ホテルにチェックインした後で、ボ
ーイに訊くと、ボーイは二十元くらいだと答えた。運転手に騙されたのである。大した
金額ではないが、旅の疲れもあって、急に惨めな気持ちになった。
部屋に入ると、その気持ちを振り払うようにシャワー室に飛び込んだ。バスタブはな
かった。温水が出ない。仕方なく、水を浴びた。頭の芯が冷めてくるようであった。身
体も時間をかけてくまなく洗った。疑念やモヤモヤした感情を払いのけなければ、今日
からの戦いに臨めないと思った。亀尾信二はこのような仕事に自分が一番向いていない
と思った。部長を恨みたい気持ちになっていた。
小さい頃から、廻りの子供にドン臭いとか、のろまなカメと言われていた。機転を利
かせたり、冗談を言ったりするのが苦手だった。ひとりで読書をして過ごす方が性に合
っていた。生まれ変わらなければ、この仕事はできない。いや、確実にできないと信じ
ていた。
亀尾信二は別人になるために、ペニスやアナルまで時間をかけてよく洗った。彼は濡
れた髪をドライヤーで乾かすにも十分時間をかけた。これらは変身するための儀式のよ
うなものだ。今までの自分ではいけない。
亀尾信二はそう決意すると、身支度を始めた。勝負の赤いネクタイを締め、夏用の紺
のスーツを着た。長身の三十七歳の男によく似合っていた。亀尾信二は鏡の前で、頑張
れよと心のなかで目の前の自分に言い聞かせて、ガッツポーズをとった。それでも頼り
ない人間に見えた。
部屋を出るや否や、足早にエレベーターに乗り込み、ロビーに出た。タクシーに乗り
込むと、行き先を告げた。今度はメーターを倒す運転手だった。窓から入ってくる潮風
は心地よく感じられた。海は近いようだ。
146
工場に着いた。プラスチックの玩具を作る工場で、設立後二十年以上の歴史を持って
いる。従業員三百人の中国では小規模の工場だった。当初は海外向けに生産していたが、
最近は中国の富裕層が買ってくれるため、広州、上海などの沿岸部の大都市に出荷して
いた。東京の本社では、順調に稼動していた現地法人との評価だったはずだが。
門の入口付近には、労働者の一群がたむろしていた。二十歳代前半の男がほとんどで
あったが、若い女も混じっていた。警察のクルマが一台、三十メートル離れた路上に停
まっていた。車内で二人の警官が労働者の行動を監視していた。彼らは十分毎に上司に
無線で報告している。
亀尾信二が乗ったタクシーが門の前に停まると、労働者らは一斉にやってきて、タク
シーを取り囲んだ。亀尾信二はメーターが示した金額を支払い、クルマから降りた。運
転手は不穏な様子に驚き、タクシーを急速でバックさせ、向きを変えて去っていった。
労働者十数人は亀尾信二を取り囲んだ。険のある眼で亀尾信二を睨みつけている。亀
尾信二はスーツのボタンを留め直した。
「お前は誰だ」
リーダー格の男が中国語で威嚇するような声を張り上げた。
亀尾信二は深呼吸した。
「私は本社から派遣されてきました、亀尾信二と申す者です」
労働者達はお互いに顔を見合わせた。日本人だと口々に言った。最初、珠海市の役人
とでも思ったのだろうか。ある者はこいつ中国語が話せる日本人だとも言った。
「俺は趙強だ」リーダー格の男が亀尾信二を睨みつけるように言った。「日本から何を
しにきた」
「私は工場を再開するためにやってきました」
亀尾信二はゆっくり、噛みしめるように言った。
周りから冷笑が起こった。
「この工場はお前ら日本人のものではない。俺たち中国人のものだ」
誰かが叫ぶと、そうだそうだと、みんなではやし立てた。
亀尾信二は趙強を正面から見据えて言った。
「いったい工場はどうなっているんですか。日本人の総経理と副総経理はどこにいます
か。あなたたちの要求は何ですか」
趙強はニヤリと笑ったが、質問には何も答えなかった。
「総経理が突然工場を閉鎖すると言い出したんだ。そうなれば、我々は全員職を失う」
亀尾信二はそんなことは何も聞かされていない。それは会社の本当の方針なのか。冷
静を装っていたが、心臓が急に鳴り響き始めた。
「そんなことはない。この工場の業績は悪くないはずだ」
亀尾信二は動揺を隠すために言葉をゆっくり口に出してみた。
「お前は本当に会社を代表して来ているのか。証拠を見せてみろ」
趙強は頭がいい男だった。亀尾信二は痛いところを突かれたと思った。昨日突然、部
長から言われて、珠海にやってきたに過ぎない。自分の出張は会社としての方針か、部
長の独断かも分からない。そこははっきりさせておくべきだった。突然の出張を言い渡
されて、そこまで考える余裕がなかったのだった。
「私は問題を解決するために会社を代表してやってきました。工場を閉鎖する予定はあ
りません。みなさん、安心して下さい。仮に、経済状況の悪化に伴い、工場閉鎖に追い
込まれたとしても、法令に沿って保証させていただきます」
「ほら見ろ。本音は工場を閉鎖し、お前らとっとと日本に帰るんじゃないか。俺は四川
に残した病気の母親のために、広東までやってきたんだ。カネがないと母親は手術を受
けられねえんだ」
147
ひとりの大柄な男が目を赤く腫らせて、四川訛りの中国語で訴えた。他の者も口々に
個人の窮状を訴え始めた。訛りが強く、亀尾信二には半分しか聞き取れなかった。
いつの間にか、二人の警官がやってきて、敷地の外から遠巻きにやりとりを聞いてい
た。腰には拳銃が装備されている。不測の事態を恐れた亀尾信二は個人の話はあとで必
ず聞くので、まずは二人の日本人に会わせてくれと趙強に要求した。
趙強は了解し、俺について来いという合図を出して、歩き出した。亀尾信二は後ろか
らついて行った。労働者らもぞろぞろと動き出した。警官は敷地に入らず立ち止まり、
しばらくすると、クルマに戻って行った。
亀尾信二と趙強らはロータリーの前にある管理棟に入り、階段を歩いて二階に上がっ
た。総経理室と書かれた札が掛かっている部屋の入口の前では、二人の中国人が椅子を
並べて座っていた。趙強を目にすると、二人はすぐ立ち上がった。中国人らは耳打ちで
話し合った。亀尾信二には聞き取れなかった。
「総経理と副総経理は部屋のなかで大人しくしているようだ」
趙強は冷静に言った。
「俺と一緒に部屋に入れ」と亀尾信二に向かって言うと、
「お前らは一階で待っていろ」
と仲間の中国人に命令した。彼らは向きを変えると、ブツブツ言いながら階段を下って
行った。
趙強が部屋に入り、亀尾信二も彼に続いた。部屋の中は雑然としていた。資料と労働
者の靴が運んできたらしい泥が床に散らばっている。奥のソファーには三人の男がうな
だれて座っていた。二人は日本人で、ひとりは中国人だ。彼らは趙強に怯えているよう
に思えた。下を向いたままで、顔を上げなかった。
「ほら、日本から救援が来てくれたぞ」
趙強がそう言うと、中国人が翻訳した。たどたどしい日本語だった。訳し終わるや、
二人の日本人が顔を上げて、亀尾信二の方を向いた。
「ただいま参りました。営業部の亀尾信二と申します」
丁寧な日本語だった。
「おお、来てくれたのか。ありがとう。来てくれたんだ。本当にありがとう」
総経理は感激した声を出しながら、亀尾信二に歩み寄った。声は恐怖でかすれ、顔も
やつれている。総経理は両手を出して、亀尾信二の右手を握ろうとした。亀尾信二も両
手を出した。彼らは本社で面識がなかったが、親しみを感じた。総経理は定年に近かっ
た。このポストを無事に終えれば、帰国後すぐ定年を迎えるという人事だったと思われ
る。頭には白いものが多く混じっていた。
副総経理の方は四十歳代後半の小柄な筋肉質の男だった。ふと玉田玲子が男に生まれ
ていれば、このような風貌だったのかも知れないと思った。
彼らは亀尾信二から見ると、会社の大先輩だった。彼らに解決できないことが自分に
できるのであろうか。おそらく、彼らも本社が送り込んだのが四十歳にも満たない若い
社員という事実に戸惑っていたのではなかろうか。亀尾信二はそう思った。
彼らはよれよれの背広を着ていたが、ネクタイをしていなかった。ソファーで十日間
近くも夜を過ごしていたのであろう。食器類や箸がソファーの周りに散らばっていた。
「もう安心ですよ。すぐに日本に帰国できますから」
亀尾信二は根拠のない、慰めの言葉を吐いた。彼らの疲れた姿を見ていると、そう言
わざるを得なかった。
「そうか、そうか。感謝しますよ」
総経理は息子くらいの年齢の男に頭を下げた。
「お前ら、何をコソコソ話しているんじゃい」
趙強がたまりかねたように中国語で大声を出した。顔は紅潮していた。南方訛りがな
148
かった。黄河以北の北方地方出身かも知れない。随分遠くから珠海にやってきているの
だろうか。
「趙強、こうしようじゃないか」亀尾信二は向き直った。
「私は現地の事情を知らない。
まず、この二人の日本人から話を聞きたい。君ら中国人従業員の要求は文書にして提出
してくれ。我が社は誠意をもって回答する」
趙強は薄ら笑いを浮かべた。
「文書は出さない。お前らが俺達の言うことを書き留めればいい」
亀尾信二は一瞬硬直した。
「文書で出すと、証拠になる。出るところに出ればそれで困ることもあるんだ」
副総経理が横から亀尾信二に言った。
趙強は中国人通訳に向かって、何と言っているんだ、とどやしつけた。通訳が躊躇し
ていると、趙強は通訳の顔面を平手で殴った。部屋に緊張が走った。
「暴力はやめろ」
と亀尾信二が中国語で言った。
「亀尾信二よ。悪いのはこいつらの方だからな。仕事もろくにせず、毎日ゴルフとカラ
オケに興じてやがる。接待という名目で、会社のカネで遊んでやがるんだ。そんなカネ
があるんなら、俺らの賃金を少しでも増やしたらどうなんだ。日本人は中国人労働者か
ら搾取するためにやってきたんだ。忘れるな。鬼子め」
趙強はフンと言って、部屋から出て行った。鬼子は日本人を侮蔑するときの言葉だ。
亀尾信二には事情が少し見えてきたようだった。本社から派遣されてきた二人の日本
人は中国語がまったくできないし、話そうと努力もしていないようだった。中国人との
コミュニケーションは通訳を介してやっていた。しかし、通訳の能力は高くない。誤解
が起きてもおかしくはないレベルだ。さらに、中国人を途上国の人々として見下してい
たかも知れない。ひとは言葉ではなく、態度を見れば、本音が分かる。
総経理も、副総経理も業績を伸ばすことよりも、娯楽に専念していたのだろう。少な
くとも、中国人労働者の目にはそのように映った。通訳も幹部に寄り添って幹部ツラを
し、他の中国人に反感を持たれていたのではないか。積もった不満が何かの拍子に、労
働争議へと発展していったのではないか。亀尾信二はそう見立てた。
亀尾信二は中国人通訳に、疲れた様子なので外で休んでいるようにと言って、部屋の
外に追いやった。そして、二人の幹部から詳しく事情を聞いた。
珠海工場の売上げは伸びてはいたものの、他の日本企業と較べると、目立ったもので
はなかった。彼らは創意工夫をせずに前任者と同じように仕事をこなしていた。
ところが、突然、本社はコスト削減の合理化を進め、その資金で新しい生産機器を購
入するように指示して来た。彼ら二人は本社で経営にかかわる仕事をしたことはないし、
多くの部下を指導した経験もなかった。海外駐在も初めてで、異文化社会の中でよい人
間関係を作り上げることも苦手だった。そもそも本社勤務の間でも、社員旅行にすら一
度も参加したことがなかった。ひと付き合いが嫌いだったようだ。
亀尾信二は同情した。自分も似たようなものだ。お世辞を言ったり、媚びたり、部下
に夢を語ったりすることができなかった。
総経理と副総経理はどのように対処していいか分からなかった。そんな折、頼りにし
ていた中国人部長二人が事前の相談もなく一緒に辞めて行った。彼らは途方にくれた。
本社は、現地法人が経営合理化のロードマップを作れないと悟ると、本社で作成し、そ
れを即座に実行するよう求めてきた。
しかし、一向に事態は改善しなかった。本社は業を煮やし、見通しが立たなければ、
撤退も視野に入れると通告してきた。これは叱咤激励のつもりであったが、この情報は
総経理室の秘書経由で中国人従業員に漏れ、尾ひれがついて、「会社は赤字に陥った」、
149
「工場閉鎖は避けられない情勢だ」などと彼らは寮のなかで言い合っていた。
中国人労働者は動揺し、日本人幹部に迫った。総経理は、工場閉鎖は事実無根だ、絶
対に閉鎖しないと言い張ったが、信じる者は誰もいなかった。総経理が五月の労働節連
休を日本で過ごすと聞いた中国人労働者は、逃げ出す気だと思い、幹部を会社に閉じ込
めた。うち日本人幹部の二人は総経理室に監禁されたというわけなのだ。
彼らの要求は、工場閉鎖しないという約束、雇用期間の無条件延長、賃上げ五十%、
有給休暇年間二十日だった。どれも飲める案ではなかった。本社と相談したが、現地で
妥協せずに解決せよという指示が来るだけであった。工場がストップし、十日が過ぎよ
うとしていた。総経理と副総経理は一週間以上、部屋に閉じ込められていた。
警察に被害届を提出したが、彼らは行動に出ずにただ事態の推移を眺めていただけだ
った。日系企業の知り合いを通じて、珠海市の副市長へ仲介を求めようとしたが、出張
中という返事があっただけだった。また、それが事実かどうかを知る術もなかった。不
思議にも、ストは新聞にまったく報道されなかった。
「本社はどのような対策を講じようとしているのでしょうか」
副総経理は亀尾信二に率直に訊いた。亀尾信二は首を振った。
「私は昨日の朝、部長に珠海に行くように言われました。本社としての対策も秘策も何
も聞かされていません」
総経理は唇を噛んだ。そして、弱音を吐いた。
「我々は会社に棄てられたのかな」
「そんなことはありませんよ。この工場が頓挫したら、本社も困るはずだ。中国市場は
拡大していますから、我々を見捨てることはしませんよ。絶対に」
亀尾信二は自分に言い聞かせるように言ったが、解決の妙案はなかった。
「ともかく、コミュニケーションが大事です。交渉はその後です。今夜、会社の交際費
を使って、趙強などの幹部を接待しましょう」
亀尾信二はそのように提案したが、会社の規定では、交際費は外部の者との会食しか
認められていない、と総経理は否定的なことを言った。副総経理は今やそんなことを言
っておられません、と総経理の決断を促した。
「領収書は街角で買えばいい。中国では何でもカネで買える」
最後に副総経理は呟いた。
その夜、日本人三人は亀尾信二という新しい仲間の歓迎会という名目で、趙強ら八人
の男を接待した。中国人通訳を外し、亀尾信二が通訳を買って出た。
五つ星のホテルの最上階のレストランで、海老、蟹、フカひれ、アワビ、ナマコなど
海産物をふんだんに使った料理を注文した。内陸から出稼ぎに来ている中国人労働者は
こんなものを食うのは初めてだと大はしゃぎをした。高粱で作った蒸留酒の白酒“五糧
液”も提供した。アルコール度五十四度の白酒が次々と空になった。宴会は盛り上がっ
た。日本側は仕事の話は持ち出さなかった。
中国人同士で誰が一番酒が強いか、飲み較べ合戦を始めた。日本人は蚊帳の外に置か
れたような形になった。だが、三人はその方がいいと思った。農村出身の二十歳代前半
の彼らとさしで飲めば、アルコール急性中毒に罹患する恐れがある。
趙強が場を制御するように言った。
「今日は亀尾信二先生の歓迎会だ。我々中国人は縁を大切にする。亀尾先生とはきっと
いい友達になれると信じている。古い友達と新しい友達に、乾杯、乾杯だ」
「乾杯!」
みんなの声が響き渡った。宴会がお開きになった。
亀尾信二はもっと接待攻勢するように、総経理に目配せした。
ホテル内の高級クラブの個室に移ると、この集団はウイスキー・ロイヤルを四本空け
150
た。ホステスとともに飲んで、歌って、踊って大騒ぎになった。ホステスも酔った。副
総経理は店のママに大金を渡し、ホステスに中国人労働者を誘わせて、即席のカップル
となり、ホテルの部屋に向かわせた。労働者たちは嬉々とした大声をあげながら、消え
ていった。
総経理と副総経理は趙強から今夜は家に帰ることを許された。単身赴任の二人は酔い
ながらも、それぞれタクシーでアパートへ帰った。亀尾信二は相当飲んだはずだが、頭
ははっきりとしていた。今日一日は長かった。やっと終わるのかとほっとした。しかし、
明日以降、どう対処すればいいか途方にくれた。
亀尾信二はホテルの部屋に戻った。ひとりの見知らぬ女が待っていた。化粧が濃い女
だった。彼は有無を言わさずに女を追い出した。なんという下品なホテルなのかと思っ
ていたが、緊張感が解けて急に睡魔が襲ってきたのか、亀尾信二はワイシャツのままベ
ッドに倒れ込んだ。
翌日、総経理と亀尾信二は工場にやって来たが、副総経理は来なかった。趙強の部下
がアパートに連絡を取ってみたが、行方不明だった。彼らが副総経理のアパートの部屋
に行ってみると、副総経理本人のパスポートと財布も消えていた。趙強は怒り心頭だっ
た。
「日本人は信用できない。俺たちに酒を飲ませて、いい気分にさせ、隙を見て、逃亡し
たんだ」
中国人労働者の集団にも険悪な雰囲気が漂った。亀尾信二ですら裏切られたような気
になった。
「お前が副総経理の身代わりになったって訳か」
趙強は亀尾信二に侮蔑の視線を送った。
亀尾信二は打開策を考えた。あらゆる手段を頭のなかで検討してみた。趙強が部屋か
ら出て行った隙を見て、総経理に打ち明けた。
「普通の解決策では乗り切れません。私の見るところでは、このストは趙強が絶対権力
を持っているように思われます。彼さえ他の集団から切り離してしまえば突破口が開け
るのではないでしょうか」
「いったい、どうしようと言うのかね」
総経理は亀尾信二の言葉に関心を示した。
「籠絡するんです」
「籠絡?」
「うまく丸め込むのです」
「どうやって?」
「カネです。カネしかあり得ません」
実際、中国ではカネで買えないものはない。有名大学の博士号も地方公務員の幹部ポ
ストもカネがあれば入手できるのだ。
「我が社にはそんな大金はないよ」
亀尾信二はにやりと笑った。
「工場の製造機械を売りましょう」
「それは本社の決裁が要る。それに本社がOKを出すとは思えない」
総経理は躊躇した。他に方法もなく、現地法人社長として決断する以外に監禁状態か
らの解放もないと思った。総経理は、本社に顔向けができなくなる、と思ったが決断し
た。
それを受けた亀尾信二の動きは素早かった。まず、趙強に、あなたがたの要望をでき
るだけ達成したいが、資金がないので機械を売ることにした、と伝えた。そして、中国
151
人の担当課長を呼び出し、機械を三台売るように、と総経理の名前で指示を出した。機
械はライバルの中国企業が高値で買ってくれた。
また、スト決行の幹部らとの接待宴会を毎晩開いた。そんなある夜、趙強には二人の
美女を抱かせ、ひとりの女に濡れ場の写真をこっそり撮らせた。
策を打ち始めて三日後、総経理は趙強を呼び出し、ボストンバックに入った大金を黙
って差し出した。横から亀尾信二が小さな声で趙強へささやきかけた。
「このカネを持って故郷に帰ってくれ。今夜の瀋陽行きの航空券も用意してある。これ
だけあれば、両親のために立派な家を建ててあげられるぞ。許婚と結婚して、十年は遊
んで暮らせるはずだ。みんなで幸せになるといい」
趙強は驚いたように、顔をこわばらせつつも黙って話を聞いていた。
「昨夜の女は趙強のことを大変気に入っていたよ。また会いたいと言ってきている。も
ちろん、瀋陽の許婚には、写真ことも何も言わない」
様子をみた亀尾信二はさらに拍車をかけるごとく続けた。このせりふがどういうこと
か、頭の回転の速い趙強はその意図がすぐに理解できた。
「総経理のクルマを外に待たせてある。今すぐ、それに乗って空港に行ったらどうだ」
亀尾信二は最後の賭けに出た。ダメならば交渉は無限に長引くだろう。そうなると、
総経理の健康が案じられる。しかしそれは杞憂に終わった。
趙強は顔を上げた。
「日本人はみんな屑だ。小日本鬼子」
まるで負け犬のようにこう叫ぶと、ボストンバッグと航空券をひったくり、急いで部
屋から出て行った。小日本鬼子は日本人に対する最大の侮辱の言葉だ。
ストは労働者の賃金を大幅に上げるという約束で解除になった。騒動はウソのように
急に治まり、その二日後の午後には工場も動き出した。玩具の製品が次々と敷地から搬
送されていき、過ぎ去ったストのことを口にする従業員は誰もいなかった。それどころ
か、カネを稼ごうと、残業をやらせてくれと強く求めてきた。恐らく、従業員は趙強が
恐くてストに参加していたのだろう。
本社へ一連の報告をしたが、本社はスト解除を当然の結果だと認識したに過ぎなかっ
た。労いの言葉すらなかった。
亀尾信二は二週間の珠海での滞在の最後の夜、北の星空に輝く北極星を見つけた。そ
れは低い位置で輝いていたが、日本で見るのと同じ白色であった。
亀尾信二はお台場のアパートに帰って来ると、約束どおり香港で買ってきたハンドバ
ッグを妻に渡した。給料に見合わない高価なブランド品だったせいか、仕草がこわばっ
ている。
「珠海では辛い思いをしたのね」
玉田玲子がハンドバッグをチェックしながら言った慰めの一言が亀尾信二の緊張感
を解いた。彼は泥のように眠り、翌朝の午後四時過ぎまで目を覚まさなかった。
本社に出勤すると、総経理と亀尾信二に形だけの「ご苦労であった」という言葉が送
られた。しかし実際には、現地での事情を調査チームからまるで被告人を詰問するかの
ように詳細に聞かれ、裏金づくりが現地法人の独断で行われたと判断されたため、総経
理には早期退職勧告が言い渡された。事実上の責任を取らされた解雇処分だった。一方
で、現場から逃げるように帰国した副総経理には何の処分もなかった。
本社は亀尾信二にも厳重注意を下した。亀尾信二には、総経理の決断を促したのは自
分であり、総経理だけを犠牲にするのを潔しとできなかった。総経理に対する処分に不
服を表し、辞職願を提出して会社を去った。
152
3
現地採用
亀尾信二は心の芯が折れていた。妻と今後のことを相談する気にもなれなかった。
「会社のことを恨んでいる?」
玉田玲子が訊いてきた。亀尾信二には憤りも越えて、会社に失望し、反発するエネル
ギーも残っていなかった。学生時代の博士取得の挫折、珠海での出来事、会社の不当な
評価。世の中のあらゆることが亀尾信二には理不尽に思えた。
各自が自己の利益の最大化のために奔走し、周りの者を突き飛ばしても平気でいる。
突き飛ばされた者の心の痛みを考えることはない。
「運が悪かった」
「努力が足りなかっ
た」「戦わずして逃げた」というレッテルが貼られるのだ。
ただ、すべてのことを忘れたかった。
「世界のどこかでのんびりしてくるよ。今後のことはそれから考える」
亀尾信二は自分の両手に目をやりながら、玉田玲子に伝えた。玉田玲子は小さく頷い
ただけで何も言わなかった。
四日後、亀尾信二はバンコク市内のカオサン通りの小さいホテルの一室にいた。五月
というのに、蒸し暑い真夏日が毎日続いていた。強い紫外線が容赦なく人々を襲った。
亀尾信二は冷房のあまり利かない部屋のベッドでまどろんでいた。寝ているのか醒めて
いるのか分からない時間に身をゆだねていた。
カオサン通りには世界中からバックパッカーが集まって来ている。安宿が立ち並び、
その建物の合間に、レストランやネットカフェや旅行代理店やバーが所狭しと並んでい
る。彼らはカオサンで情報収集をすると、次の目的地を目指してタイ全土に散らばって
いく。タイはタイ語で、自由や気ままという意味である。気楽に旅行したり、生きよう
とする人々が世界からタイに集まってくるのだ。
海が好きな者はプーケット、サムイ島に向かい、山岳や少数民族に興味のある旅行者
はチェンマイやチェンライを目指した。腹の出た白人の中高年は若い女を物色し、一緒
に旅行に出かけていく。どういう訳か、東北地方のイサーン出身の鼻がつぶれたような
色黒の女が白人の男に人気があった。ひとは自分にないものを求める。
亀尾信二はカオサンで五日間を過ごした。食欲も少しずつ回復してきた。新鮮な野菜、
海産物、コメをふんだんに使ったタイ料理は辛かったが、亀尾信二の好みに合っていた。
世界の珍味とされるトムヤムクン・スープは辛さと甘さと酸っぱさが交じり合うことな
く、協調もせずに、自己主張しているが、それらの味覚はお互いを引き立てているよう
に亀尾信二には思えた。チャーハンやさつま揚げやフライドチキンは日本のものと同じ
味がした。コメでつくった麺も亀尾信二の胃袋を優しく労わってくれるようだった。
夜になると、バーでシンハー・ビールを飲みながら、何も考えずに過ごした。女が次々
と言い寄って来たが、言葉少なく、ぴしゃりと英語で断った。女は亀尾信二の頑な目を
見ると、すぐに退却していった。隣の席では、二人の白人が大声で話をしていた。プー
ケット、ブルーキャニオン、ゴルフなどの聞き覚えのある単語が亀尾信二の耳に飛び込
んできた。
「ゴルフか」
亀尾信二はそうつぶやくと、学生時代を思い出した。ゴルフ部の合宿の模様が次々と
思い起こされる。両手の皮が擦りむけ、血が滲んできてもスイングを続けさせられ、痛
みが麻痺して消え去ったことも思い起こされた。青春が燃え盛り、心を空っぽにして、
白球を打ち続けた。部員の陽に焼けた顔も思い起こされた。
そのなかで最も輝いていたのは玉田玲子の顔だった。各部員に目を配り、ゴルフ部全
体の団結を最優先して考えていた。自分の世界に閉じこもっていた亀尾信二には、別世
界の人物のように思えた。
153
亀尾信二は心に何か動くものを感じた。それは次第に膨らみ、質感のあるものとなり、
脳細胞をしだいに刺激するようになった。ゴルフクラブをどこかのコースで振ってみた
い。亀尾信二はそう思った。
三日後、亀尾信二はプーケット空港に近いブルーキャニオン・ゴルフコースの九番ホ
ールのティーグランドに立っていた。まだ、昼過ぎというのに、空は真っ暗になってい
る。黒い雲が空を覆い、スコールが来そうな雰囲気だ。いや絶対に来る。海から吹く風
も急に強くなってきた。岸壁に打ち寄せる波も白い飛沫を上げている。
九番ホールは短めのパー4。距離は 372 ヤードだが、右にひどくドックレッグしてい
るため、グリーンエッジまで直線距離は 300 ヤードくらいしかない。タイガーウッズは
直接グリーンを狙い、1 オンしたという有名なホールである。
亀尾信二のスイングでは 270 ヤードしか飛ばない。通常であれば、グリーンを狙えな
い。だが、今日は強い追い風のため、うまく風に乗れば届くかもしれない。実際に最初
の一打のボールは風には乗ったものの、わずかにスライスがかかり、青い海に向かって
落ちて行った。あと 10 ヤード飛べば、崖の上まで行くはずである。イスラム教徒の若
い女のキャディーは言った。
「ジャイ・イエン。バオ・バオ」
かっかしないで、冷静にゆっくり振ればいいのよ、という意味のタイ語であった。キ
ャディーは簡単な英語に置き換えて、亀尾信二に向かって言った。
亀尾信二はボールをティーアップし、グリーンの方向にスタンスをとった。ボールと
グリーンの位置を何度も確認した。呼吸を整えて深呼吸をすると、バックスイングに入
り、下半身のリードで全身の捻れた筋肉を巻き戻し、渾身の力を込めてクラブを振り下
ろした。ボールはクラブのスウィートスポットに当たった。手ごたえがあった。低く出
たボールは急に上昇して、風にうまく吹き上げられた。
「届くわ」
キャディーが英語で言った。
亀尾信二は祈るような気持ちだった。高く上がったボールは落下し始めた。届くかど
うか際どいところだ。崖の上に落ちた。届いたと亀尾信二は思った。しかし、ボールは
傾斜に二回バウンドすると、勢いを失い、手前に転がって戻り、崖から滑り落ちていっ
た。ボールは白い飛沫の中に消えた。淵に手がかかったが、力尽きたようのだ。
「ああ。惜しい」
キャディーは自分のことのように悔しがった。亀尾信二は大きな息を吐き出した。物
事は思うようにならない、と思った。
追い風はますます強くなってきていた。大雨がいつ来てもおかしくはなかった。
その時、携帯電話が鳴った。ゴルフバッグから呼び出し音が聞こえてきていた。キャ
ディーは急いで、ゴルフバッグに向かって走り、携帯電話を取り出して、長身の亀尾信
二に渡した。
「前畑だ。ゴルフ部の前畑誠だ。いま北京にいる」
前畑誠は亀尾信二の一年先輩で、四年生の時に部長をしていた。
「玉田玲子、いや、お前の奥さんから電話をもらった。お前の力になってくれと頼んで
きたよ。相当心配しているようだ。惚れているからな」
前畑誠は笑った。昔と変わらない、低い笑い声だった。
亀尾信二は突然の電話にどう答えていいか分からなかった。
「どうだ。北京に来ないか。さっき・・・・・日本人向けの広報誌の求人欄を眺めてい
たら、中国語が堪能で、自然科学に造詣が深い日本人を求めると書いてあった。
・・・・・
お前にピッタシじゃないかと思って電話したんだ。日中友好科学財団とかいう北京事務
所だ。どうせ公的な機関だから、忙しくなく・・・・・暇と思うよ。それに、俺もゴル
154
フの相手がいなくて困っていたところだ。ちょうど・・・・。北京で勝負しようぜ・・・・・」
風の音でところどころ聞き取りにくかった。
「どんな仕事なんですか」
亀尾信二は訊き返した。
「財団本部と中国側カウンターパートの調整じゃないか。・・・・・それに、調査研究
とか書いてあったと思うが、そんなの適当にやってりゃいいさ。中国はああいう国だか
ら、本当のことは不透明で何も・・・・・しない。じゃいいな。今週金曜日までに履歴
書をメールで送ってくれ。俺が適当に申請書を作って、提出しておく・・・・・」
電話は一方的にプツリと切れた。雨が数滴、亀尾信二の頬に落ちてきた。キャディー
は困惑したような表情をしている。キャディーの視線の方向を見ると、三人のゴルファ
ーがこちらを睨んでいる。
「韓国人よ」
キャディーは小さい声で言った。タイでも中国でもどこでもキャディーが最も恐れる
のは韓国人ゴルファーである。賭けゴルフが好きで、気が短く、負けると、キャディー
に八つ当たりする。罵声を浴びせたり、ときにはキャディーに暴力を振るったりもする。
亀尾信二は打ち直しをせずに、ゴルフクラブに向かった。キャディーも急いで後を着
いて来た。韓国人がうしろで大きな声で笑うのが聞こえた。韓国語も聞こえてきた。理
由もなく侮辱されているように感じたが、振り向かなかった。
亀尾信二は後半はプレーしなかった。雨は降り出している。土砂降りになるのは必至
である。亀尾信二は 200 バーツ(約 540 円)のチップをキャディーに渡した。キャディ
ーはそのお金を眺めたまま、去ろうとはしなかった。事情を察した亀尾信二は 300 バー
ツを追加した。キャディーの表情が急に明るくなった。
「ネハン、コップンマカー(旦那様、大変ありがとうございます)
」
キャディーは胸の前に両手を合わせて、亀尾信二に向かって深くお辞儀をした。タイ
式の感謝の表現だった。
亀尾信二は一週間後、北京で面接を受けていた。面接官は名門の東都大学名誉教授の
北京事務所長だった。所長は六十歳過ぎとは思えないほど、髪が黒く、ふさふさしてい
る。顔の血色もよく、口調の歯切れも良かった。彼は亀尾信二の履歴書を眺めながら言
った。
「学部のとき中国語を習い、大学院では生命科学を勉強しているようだね。我が事務所
の要望に合致している。前の副所長が病気に罹り急遽帰国してしまい、困っていたんだ。
北京の汚染された空気で肺をやられたみたいだ」
所長はそこで一呼吸おいた。
「君の採用を決めた。今決めた。今日から働いてくれ。契約期間は私の残りの任期と同
じ二年間だ」
いきなり採用が決まり、亀尾信二は驚いた。博士号取得断念の理由や前の会社を辞め
た理由を訊かれると思っていただけに、拍子が抜けた。
「私は古代考古学が専門だ。戦国時代の斉の都市文化を研究している。時々、調査研究
のために山東省に出かけるので、事務所の仕事は君に任せる。仕事は難しくない。三つ
やればよい。
まず、本部から来る幹部のアテンド。これは粗相のないようにしろ。一番大事な仕事
だ。二番目は日本の研究機関への派遣希望者の申請書のチェックだ。費用は日本側持ち
で、日本政府から本財団への委託費だ。誤字脱字などのチェックだけすればいい。財団
本部から衝き返されないように注意しろ。そして、中国の科学事情の現地調査レポート
の作成だ。私は科学のことは何も分からないし、関心もない。一生懸命書いてもどうせ
155
誰も読まん。新聞やインターネット上で最新情報をキャッチし、翻訳して本部に送れば
いい。
前任者は中国語も英語もまったくできず、調べる気力もなく、毎月一枚しか書いてな
かった。君は二枚書けばよい。それ以上書くな。目立つと、面倒なことに巻き込まれる。
君のためにもならん」
所長はズバズバと本音を吐いた。民間企業では考えられないことが多かった。
「そうそう、大事なことを忘れていた。君は現地採用だから、日本本国からの派遣者に
比べて処遇が悪い。給与は三分の一だ。二年間の辛抱だ。君の学歴では、ここで骨を埋
める訳ではあるまい。こんなやる気も将来性もない財団は腰掛と思い、もっといい職を
捜すといい。これは私の立場から言うべきでないかも知れないが、君のために忠告して
おく」
亀尾信二は背中に冷たいものを感じた。採用面接のときに、次の職場を探せとはいっ
たいどういう了見だろうかと思ったが、前畑誠先輩から紹介されていたこともあり、黙
って採用を受けることにした。住まいは所長に紹介された現地人しか住んでいないアパ
ートに決めた。
その後、中国人のアシスタントを紹介された。名は汪燕で、小柄な朝鮮族だった。日
本留学の経験はないが、流暢な日本語を話した。二十年近くもこの財団の北京事務所に
勤務している。年齢は四十歳代半ばのようだった。笑顔は愛嬌があるが、素顔は近寄り
難い雰囲気を発していた。
「私はこれから山東省へ出張に行く。二人とも仲良くやってくれ。中国では仕事はやり
過ぎないことだ。やり過ぎると必ず災いが起こる。肝に銘じてくれ」
所長はそう言うと、軽い足取りで、事務所を去った。
亀尾信二は汪燕にどうぞよろしくと言った。
「所長は若い女と青島旅行に行くのだわ」
汪燕は思いがけないことを口にした。口調には侮蔑が含まれていた。亀尾信二はどう
回答していいか分からなかった。どうやって仕事をこなせばいいか、不安がよぎった。
亀尾信二は面接の日から仕事をすることになった。中国人アシスタントの汪燕から仕
事の詳しい説明を受けた。それでも、三十分足らずしかかからなかった。
「この事務所は暇なのよ」
汪燕は前任者が残していた資料を手渡しながら、少し恥ずかしそうに言った。
それから三日経っても、所長は戻って来なかった。亀尾信二の歓迎会が開催されるこ
とはなかった。でも、汪燕が亀尾信二を昼食に誘い、事務所の過去の経緯や所長のプラ
イベートなことを教えてくれた。驚くほど、所長の行動を把握していた。高級アパート
の五全公寓にスナックで知り合った女性と同棲していること、その女の名前や出身地や
家族構成、毎月の手当の内容まで知っていた。手当の額は亀尾信二の給与と大差なかっ
た。
「時には別の女と外で会っているわ。所長は私の父と同じくらいの年齢だけれども、精
力絶倫なの」
汪燕は肩をすくめて言った。精力絶倫という日本語も知っているのかと、亀尾信二は
感心した。
亀尾信二はその夜、玉田玲子に電話し、前畑誠の紹介で当面北京に住むことになった
ことを報告した。妻は初めこそ驚いた声を発したが、徐々に冷静さを取り戻し、中国は
将来性のある国だから面白い仕事ができると励ましてくれた。亀尾信二はお礼を言った
が、現地採用のことは言い出せなかった。
新しい職場の日中友好科学財団北京事務所は予想以上に空虚だった。電話がかかって
くるのは週二三回程度だった。それも不動産物件の案内である。電話が切れると、百平
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方メートルもある事務所内に沈黙が降りてきた。メールも東京本部から一ヶ月一回、会
計処理報告書の催促があるだけで、他には何も来なかった。スパムメールさえ来ないの
である。南海の孤島に置き去られたような気になった。
亀尾信二と汪燕の二人だけの職場に気まずい空気が流れた。パソコンを打つ仕事さえ
なかった。亀尾信二は汪燕が何の仕事をしているかもよく分からなかった。机に座り、
ただパソコンのスクリーンに眼をやっているだけだ。手を動かして、何か検索している
ようにも見えない。意地になって何もしないぞと決心しているようにも見えた。汪燕は
いつも不思議な雰囲気を漂わせていた。
所長から言い渡された仕事のうち、財団幹部の出張は予算消化のために年度末にセッ
トされていた。中国側のカウンターパートとの会食をセットするのが最大の仕事で、目
新しい会談の内容があるわけではなく、半ば会食を開催することが目的と化していた。
いずれにしても半年以上先である。今、手をつけなくてもよさそうだ。亀尾信二はそう
考えた。
調査リポートの作成は、二三日あれば済みそうだった。中国語の新聞と中国側関連機
関のホームページから最新の情報をピックアップして、日本語訳にすればいい。二枚と
いう制限では、せいぜい四つのトピックスしか選択できない。所長の指示通りに、適当
にしようと思った。立派なリポートを書いても誰も読まないのだから。
残された最後の仕事は、日本の大学や研究機関への研究者の派遣申請書のチェックで
ある。財団は百名枠の予算を日本政府から委託費として確保していたが、中国側カウン
ターパートからは毎年九十数名の希望者しか届いてなかった。全員合格である。
亀尾信二は前任者が放置していった封筒を開いて、申請書のチェックを始めることに
した。民間企業の作業ペースでは一日で終えられるが、これを一ヶ月近くかけてゆっく
りやるのは、かえって疲れるような気がする。やむなく、申請書の一枚、一枚を丁寧に
読むようにした。所長の指示通り、仕事をやり過ぎないように、できるだけ遅いペース
で作業をするように心がけた。亀尾信二の事務処理能力は次第に衰え、一週間後には、
事務所の空気の淀みにうまく合うほどになっていた。環境に適合するのは意外に早かっ
た。
亀尾信二は外交官や外国人専用のアパートに住む金銭の余裕はなかった。毎月二千五
百元(三万五千円)の1DKの集合住宅の片隅に住んでいた。派遣駐在員の五分の一の
家賃である。それでも、中国人庶民が一家族で住んでいるスペースをひとりで独占して
いるため、文句は言えなかった。農村から出稼ぎに来ている民工には、月五百元の賃貸
の地下室に住んでいる人々も少なくない。当初、他の日本人駐在員を羨んだが、慣れて
くれば、さして困るものでもなかった。食事は近くのスーパーで安い食材を買い求め、
自宅で調理して食べた。
ただ、ゴルフのプレー回数が少なくなることが最も堪えた。コースでのプレーは二ヶ
月に一回と決めた。近くの練習場は高いため、週末に地下鉄とバスを使い郊外の練習場
に通った。バスに乗ると、それは釣竿かと訊いてくる中国人に何回もでくわした。
ゴルフの練習から帰ると、亀尾信二はアパートの一階のマッサージ店にいつも立ち寄
った。疲れて硬くなった背中の筋肉を柔らかくしてもらうためである。亀尾信二は数人
のマッサージ嬢にやってもらい、今では張愛という名の子にいつもやってもらっている。
江蘇省の田舎から北京に出稼ぎにやって来ているという。身体のツボを見つけ出すのも
実に速かった。
張愛は文字通り亀尾信二の呼吸に合わせて、マッサージの力の入れ具合を調節するこ
とができた。傷んだり、緊張した筋肉が次第に柔らかくなっていく快感に亀尾信二は浸
っていた。夢心地のなかで亀尾信二は張愛の技に身を委ねていた。
ある日、亀尾信二がうつ伏せになっていると、張愛が小さな声で話しかけてきた。
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「ねえ、起きている」
「ああ」
亀尾信二は生返事をした。
「神がこの世に存在すると思う?」
突然の大きな質問に亀尾信二の脳が醒めた。大脳の奥がピッと冴え渡ったように感じ
た。
「どうして?」
「私があなたに質問しているのよ」
張愛は大きな声を出した。
亀尾信二は醒めた頭で考えた。なぜこのような質問を突然するのだろうか。今までほ
とんど話したことがない相手に対しては、普通の中国人ならば、いつ北京に来たのか、
中国語はどこで学んだのかなどの中国生活に慣れたかというような当たり障りのない
質問をしてくるのに。亀尾信二は訝った。
「中国人はみな共産主義を信じているはずだ。宗教は阿片だから、信じてはいけないこ
とになっているに違いない」
と言いかけたが、口にはしなかった。
亀尾信二はマッサージ台に伏せた顔を上げた。張愛の顔が目に入った。純粋な美しい
目をしている。どこまでも深い海の底を思わせた。深い緑色をしている。
「僕は仏教徒だけれども、真剣に神のことを考えたことはない」
そう呟くと、再び身体を伏せた。亀尾信二は張愛の視線と合わせているのが辛く感じ
た。心の底を見透かされているようだった。張愛はマッサージを再開した。
「苦しい時には神に祈るけれども、普段はそうでもない」
亀尾信二は顔を横に向けてつけ加えた。
「いつも神の存在を実感できていないのは、信じていないのと同じなの」
「そうかも知れない」
亀尾信二は曖昧に答えた。
「あなたはきっと神様が守ってくれるわ」
張愛は自信のある口ぶりで言った。
「どうして?」
「私には分かるの―」
二人の間に沈黙が流れた。
「君は一神教を信じているのか」
「そうよ」
「イスラム教徒か?」
「違うわ」
声は小さいがはっきりした口調だった。
「私たちは地下に集まってお祈りしているの」
亀尾信二は驚いた。未公認の宗教を信じているのだ。恐らく隠れキリシタンなのだろ
う。地下でイエスに祈る教徒の人数は社会党の党員よりも多く、一億人とも言われてい
る。発展に取り残された人々や豊かさの中で人生の意義を見失った者が心の拠り所とし
てキリスト教徒になっている。政府は宗教の自由を憲法で保障しているが、認定の宗派
は限定されている。当局の管理下の教会でしか宗教活動を行えない。それ以外の宗派は
地下で秘かに祈りを捧げるしかない。発覚すれば、逮捕されたり、迫害されたりする。
亀尾信二は身体中に冷たいものを感じた。なぜ、彼女はそんな重要なことを自分に告
白したのであろうか。
「あなたはとっても優しいひと。こうやって身体に触っているだけで心の中まで分かる
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のよ」
張愛は亀尾信二の心を見透かしたように言った。それは事実かどうか、亀尾信二にも
分からなかった。
「私たちはあの世だけでなく、この世にも天国を作りたいの。神の下に真に平等な社会
を実現したいの。格差の少ない社会を目指したいの。人間は物欲よりは、精神的な世界
を大切にして生きていくべきだわ」
張愛は確信に満ちた口調で言った。
亀尾信二の身体に緊張が走った。当局は宗教の蔓延をひどく警戒している。おそらく
張愛は家庭教会と言われる教会を持たない非公認のキリスト教の一員であろう。そんな
ことが政府に知られたら、ただでは済まされまい。華北省の非公認の教会が当局によっ
て破壊されていたが、ニュースになることは決してなかった。家庭教会も弾圧の対象に
なっていると想像するのは難くない。
この部屋に警察が突然踏み込んできて、張愛を逮捕、監禁してもおかしくはない。国
家転覆罪に処せられてしまったら、どうなるのであろうか。誰が盗聴しているか分から
ない。用心した方が彼女のためにいいようだった。
「僕は疲れているみたいだ。眠くなったから話しかけないでくれ」
亀尾信二はウソを言った。これ以上張愛の口から秘密を聞くと、亀尾信二は重い責任
を背負い込んでしまいそうであった。眼を閉じたまま、色々なことを考えた。なぜ、僕
に告白したのか、そんな大事なことを。僕が誰かにしゃべったらいったい張愛はどうな
ってしまうのだろうか。
日中友好科学財団北京事務所はとっても静かだった。所長は事務所にはほとんど顔を
出さなかった。どこに行っているのかも定かでなかった。所在を訊こうものなら、お前
に何の関係があるのかと叱られそうな雰囲気があった。亀尾信二にとって退屈な毎日が
繰り返されていた。そんなある日、所長から電話があった。
「私は中国の・・・・地方に来ている」
音声が悪かった。遠いところからのようにも思えた。
「・・・今日の午後七時から三金会が開催される・・・・・私の代わりに出席して・・・・
おいてくれ」
「三金会ですか?」
「そうだ。従来毎月第三金曜日に開催されていたため・・・・そのような名称になって
いる。いわゆる勉強会だ。・・・・今回の講師は日本公使館の参事官が話すことになっ
ている。中国の真実をよく勉強しておいてくれ。もっとも、日本公使館だから建前しか
言わんだろうが。あまり面白くないかも知れん。それに・・・・・会費は自腹だ・・・・」
誰かが所長に中国語で話しかける声が聞こえると、通話は何の前触れもなく切れた。
業務命令とはいっても、その日の夕方に会合に出席せよというのはひどいではないか。
それに、会費は自分の財布から出さなければならない。
講師の参事官は亀尾信二とあまり違わない年齢だった。頭髪はきちんと七三に別けて
いた。名刺を差し出して、所属組織名と氏名を告げた。そして、所長の代理で出席し、
現地採用ですと言うと、参事官の顔が曇った。
「現地採用かね」
軽蔑したような視線だった。亀尾信二は肩身の狭い思いをした。出席者との名刺交換
の際には、現地採用とは言わなかった。手にした名刺を見ると、日本の電子機械系大手
企業の現地総経理の名前がずらりと十数名並んでいた。列席者のほとんどは五十歳代か
六十歳代かで、頭に白髪が混じっている者も多かった。亀尾信二と参事官だけが例外的
に若かった。
159
亀尾信二がかつて仕事をしていた大手プラスチック企業の名前はなかった。なぜ、今
まで日中友好科学財団の所長がこのような会合に参加しているのか分からなかった。他
の出席者に訊くわけにもいかなかった。
出席者は丸テーブルに座り、三十分の講演を拝聴した後で、中華料理を食しながら、
懇談会を開催する形式だった。亀尾信二は末席に座った。そこは講師の真正面の位置に
なった。
「今日の話は個人的な意見ですので、日本公使館の公式見解とは異なります」
参事官はこう言って講演会を開催した。公務員の常套文句であるが、それは何かあっ
た場合に責任を逃れるためであって、まったくの個人的な意見が披露されるわけではな
い。
参事官は外交官らしく、紺色の高級スーツに身を包み、赤を基調としたシルクのネク
タイをきちんと締めていた。だが、予想に反して、参事官の講演は過激なものであった。
出席者は耳を疑った。
「日米は同盟関係ですが、日中は戦略的パートナーシップの関係です。この差は大きい。
同盟関係は政治でも経済でも科学でもすべての分野で両国の利害が一致している。だが、
戦略的パートナーシップは名前はかっこいいが、分かりやすく言えば、共通の利益があ
れば協力するが、なければ協力しないということだ。利害の衝突が起これば、究極的に
は、日米間には決して戦争は起こらないが、日中間に再び戦争が起こる可能性はある」
参事官は自説を正しいと確信したように熱弁を奮った。時々、亀尾信二と視線が合っ
た。亀尾信二は視線を避けた。
「中国は社会党が支配する独裁国家です。彼らは共産主義の旗印を降ろしていません。
経済は海外に開放し、一見すると、先進自由主義社会と同じように思えますが、その本
質においては、狼と変わりません。油断すべきではありません。天安門で繰り広げられ
た重大事件の際、私は書記官として日本公使館に勤務していました。私はその惨劇をこ
の目で見ました。それは生涯忘れられません。中国の民主化なくして、日中の交流や協
力は進めるべきではありません。国民が国会議員や知事を選挙で選べないのは異常です。
日本がそのような普通でない国と交流を推進する訳にはいきません」
参事官は最後、亀尾信二を睨みつけるように叫んだ。聴衆は唖然となった。日本大手
企業の年配幹部を前にして、参事官は中国と交流するなと主張している。雰囲気は白け
ているが、参事官はそれに気づかず、いや、無視するように熱弁を続けた。
講演後の懇談会では、誰も講演の内容について質問する者はいなかった。講演とはま
ったく関係のない、日本の若者の話題に終始した。ほどなくして、会合は散会となった。
出席者は招待演者の参事官に口々に感謝の意を表して、高級宮廷料理店から外に出た。
ナンバープレートに公使館の「使」と書かれた公使館車が現れると、参事官が脇目も振
らず乗り込んだ。そして、ベンツや豊田のレクサスが次々と入口に乗り入れてきて、三
金会の出席者は次々と乗り込み、去って行った。
亀尾信二だけは、最寄りの地下鉄の駅まで十五分かけて歩き、自宅へ帰った。この会
合の目的は何なのか、参事官はなぜ歯に衣着せぬ過激な話をしたのか、亀尾信二には解
せなかった。でも、不気味な予感がしたのは確かだった。
翌日、亀尾信二は作業が遅れていた中国人研究者の日本派遣の申請書のチェックに取
り組んだ。申請書には派遣者の履歴と発表論文一覧、派遣希望先の大学や研究機関が記
載されていた。
派遣希望先は日本の一流の大学、研究機関の名前が並べられていた。東都大学、京都
工業大学、仙台総合大学など旧帝国大学の有名大学、さらに、国立高等物理研究所、国
立ナノ物質研究所、国立脳サイバー研究所など日本政府が二十年以上前より巨額の研究
資金を投入し、世界一流の研究機関に成長し、欧米の科学界によく知られるようになっ
160
た研究機関ばかりであった。ちなみに、亀尾信二が大学院生生活を送った私立大学の名
前を発見することはできなかった。
海外に留学するからには、やはり一流の研究機関で研究経験を積んだ方がその後の研
究者としてのキャリア・アップに有利に働くと考えるのが自然だった。過去のこととは
いえ、亀尾信二は自分が果たせなかった夢を若い中国人研究者が追い求めていることが
少し羨ましかった。
申請者の希望研究分野はナノ物質、次世代デバイス、レーザー、素粒子加速器、精密
加工、脳科学、ゲノム、がん細胞、代謝化学など日本が得意とする先端科学分野に集中
していた。これも当然といえば当然だった。
次に中国人研究者の民族名を見た。九十数名の派遣研究者はすべて漢族だった。少数
民族はひとりもいなかった。研究者の所属機関を調べた。有名大学や科学院管轄の研究
所ばかりであった。日本の商務省が安全保障懸念機関としてリストアップし、ホームペ
ージに掲載し、注意喚起している機関はなかった。機微技術がこれらの機関に流される
ことがあれば、日本の安全保障が脅かされる恐れがあった。亀尾信二がこれを照合して
いないと、東京本部からひどく叱責されるに違いなかった。
1980 年代には、日本の大手企業がソ連に輸出した船の高度なスクリュー製品が原子
力潜水艦に応用され、米軍によってソ連の原子力潜水艦の位置が特定できなくなり、米
国政府が日本政府に厳重に抗議した事件があった。大手企業の社長辞任まで発展した。
その事件はすでに過去のものとなり、忘れさられていた。
申請書には研究者の履歴とは別途、発表論文一覧が掲載されていた。投稿雑誌は海外
の有名なものばかりである。研究者の質の高さを窺い知ることができた。それらの雑誌
のなかに、亀尾信二が学生時代に参考論文としてよく読んだ雑誌もあった。懐かしく思
い起こされた。
かつての自分と近い分子生物学の研究者の論文を読もうと思ってネットで検索した。
雑誌名、発表年、論文のページなどを入力すれば、論文の本文がスクリーン上に映し出
されるはずである。しかし、その論文は存在しなかった。申請書の書き間違いと思い、
別の論文も検索した。やはり存在しない。亀尾信二の額に汗が滲んできた。
亀尾信二の心臓が突然激しく鼓動し始めた。何かの間違いであろう。別の研究者の発
表論文も探してみようとした。だが、リストの最初二三報は実在するものの、ほとんど
の論文は見出せなかった。
さらに別の研究者のリスト論文も調べてみた。すると、すべての論文が実在のものだ
った。
亀尾信二は派遣研究者九十三名の論文リストをすべて検索した。検索数は二千近くに
まで及んだ。作業が終わる頃には深夜になっていた。論文が検索できたのは約三分の二
の研究者で、その他の研究者のリスト論文はほとんど存在しなかった。
亀尾信二はこれは単なるミスではなく、何かの意図が隠されていると思った。でもそ
れを知ることはできなかった。
帰宅後ベッドのなかでずっと考えたが、それでも分からなかった。いつのまにか睡魔
に襲われ、翌朝がやってきていた。亀尾信二は事務所に出勤すると、論文が見出せなか
った研究者については資料未整備として、中国人アシスタントの汪燕に頼んで中国政府
の取りまとめ機関に送り返した。申請書の三分の一が不合格だった。中国人は面子を大
切にするので、理由は書かないことにした。何か困ったことがあれば、先方から接触し
てくるであろうと考えた。
そして、論文リストが揃っている申請書のみを東京の財団本部に郵送することにした。
カウンターパートに送り返した資料のコピーを亀尾信二は再度眺めていた。どんな意
図が仕掛けられているのであろうか。若い研究者の顔写真を見ながら考えた。
161
「もしや―」
亀尾信二ははっとした。汪燕の視線が亀尾信二の異常行動に気づき、彼の身体を射抜
いているようにも感じた。
彼は所属機関をチェックしようとした。ネットで所属大学のホームページにアクセス
し、その研究者が働いているかどうかを調べた。申請書が正しければ、記載された大学
や研究機関にその研究者が実在するはずである。念のために、その機関に電話し、確認
をしてみた。だが、誰も存在を確認することができなかった。
論文リストが正しかった研究者についても調べてみた。こちらはすべて研究機関で研
究していることが判明した。亀尾信二は自分でもなぜかは分からないが少しほっとした。
でも、申請書の機関に所属していない研究者はいったいどこで働いているのであろう
か。なぜ、そのようなことをしなければならないのであろうか。
亀尾信二は終日考えたが、正解に行き着くことはできなかった。嫌な感じが彼の脳裏
にべとついていた。
4
二人だけの同窓会
申請書を中国側の取りまとめ機関に返送して一週間が過ぎたが、何の反応もなかった。
アシスタントの汪燕に電話させ、数回問い合わせてもらったが、出張中だったり、会議
中だったりして担当者がつかまることはなかった。亀尾信二はしだいに不安になってき
た。
東京本部からは、今年の申請者数は例年より少ないようだけれどもという照会メール
が来た。亀尾信二は資料未整備のものが多数あったため、返送したと正直に回答してお
いた。その判断に対しても、東京本部から何の指示もお咎めもなかった。
所長は相変わらず、事務所を留守にしていた。出勤したかと思うと、一時間くらい所
長室で作業をし、すぐに去って行った。もしかしたら、何か重要なミッションを追って
いるのではないかとも考えたが、所長の乾いた笑い声と血色のいい顔を思い起こすと、
汪燕の言うように、若い女と遊びまわっているというのが現実味があった。
北京は年間で最も暑い七月を迎えていた。湿度は低いが、それでも暑かった。昼食に
外に出ると、汗が額から滴り落ちた。大陸性気候であるため、日本と違い七月が最も暑
かった。四十度を超える日が続いた。黄河から北側のいわゆる中国の北方地域は降水量
が平年の五分の一しかなく、日照りが続いていた。しかし、コメや小麦の収穫量には大
きな影響がないとテレビと新聞は報道していた。それをそのまま信じる北京市民はほと
んどいなかった。
亀尾信二の携帯電話が鳴った。
「俺だ、前畑だ。仕事には慣れたか。どうせ、俺たち民間企業と違って、楽ちんだろう
が」
前畑先輩は相変わらず、毒舌だった。
「今日も暑いな。ビールでも飲みに行かないか。俺が奢る。先輩の顔を立ててもらわな
くてはな―」
前畑誠は笑いながらそう言うと、亀尾信二の同意を取りつけるまでもなく、場所と集
合時刻を指定し、電話を切った。
亀尾信二はフーと長い息を吐いた。北京駐在の日本人はなぜこうも、一方的な行動を
とる者が多いのであろうか。外国滞在が長くなると、海外文化の影響を受け、現地人の
ような振る舞いと発想をするようになるのであろうか。日本人としての配慮や繊細さが
失われていくような気がした。駐在員が知らず知らずのうちに現地に溶け込んでいく。
赴任地の文化を修得することは、駐在員の任務であるが、それを無意識のうちに身体に
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取り込んでいくことにどれほどのひとが気づいているのであろうか。本国の日本人から
見れば、中国人化していく日本人と接するのは違和感があるに違いない。自分の脳が現
地の空気や水によって変形していく様子を亀尾信二はイメージした。そして、彼は強く
首を振った。
亀尾信二は指定されたレストランに向かった。それは北京の中心にあったが、あまり
清潔とはいえない場所だった。食堂と言った方が適切かもしれない。でも、客は多く、
まだ六時前だというのに満員だった。亀尾信二がチャイナドレスを着た細身の服務員に
予約者名を告げると、二階の窓側の席に案内された。
前畑誠はまだ来ていなかった。通されたのは形だけの仕切りのある四人掛けの席で、
外の様子を眺めながら食事することができるが、周りが騒がしくてゆっくり会話をしな
がら食事できるような雰囲気ではなかった。
紺色のズボンを着た服務員がメニューを持ってきて、料理の注文をするかと訊いてき
た。亀尾信二はジャスミン茶を頼み、連れが来てから料理を注文すると伝えた。地方か
ら来たばかりで垢抜けしていない服務員は何も言わずに去って行った。
亀尾信二は二十分待ったが、それでも前畑誠はやって来なかった。喉が渇いていたた
め、冷えたビールを飲みたかったが、先輩よりも先に飲むのは憚られた。上下関係を守
るのは人間関係の基本だと考えていた。
携帯電話が鳴った。前畑誠からだ。
「スマン、スマン。もう少しかかる。民間企業は忙しいんだ。ビールでも飲んでおいて
くれ」
亀尾信二は心が見破られているかのように思えた。亀尾信二は、冷えた燕京ビールと
白菜の漬物と茹でた落花生を注文した。服務員は面倒くさそうにメモをとり、去って行
った。
亀尾信二がビール一本飲み終わる頃、前畑誠はやってきた。一時間近くの遅刻だった。
前畑誠は中国語学科を卒業すると、ボイラーメーカーに就職した。そのメーカーは数
百人規模の会社であったが、市場規模が大きい中国への進出を考えていたため、中国語
が分かる学生を採用しようと目論んでいた。前畑誠は中国語の通訳として利用されるの
を嫌がり、入社後工場勤務を強く希望した。現場でボイラーの製造技術をしっかり学ん
でおきたかったのだ。修得は実に速かった。
前畑誠は上海で工場の立ち上げに成功すると、昨年から北京勤務になり、合弁企業の
副総経理として活躍していた。同期の出世頭だった。北京でボイラーの生産ラインを早
急につくり、三年以内に黒字化するよう東京の本社社長から厳命されていた。
「まだ食事を注文していなかったのか。公的機関の人間は仕事も遅いが、食事も遅いな」
それが前畑誠の最初の一言だった。亀尾信二は学生時代からこのような皮肉な言われ
方をしていたため、さして気にならない。前畑誠は口は悪いが、性格がカラッとしてい
るため、ひとから恨まれることは学生時代から少なかった。
前畑誠は服務員を大声で呼び、食事を注文した。食べきれないほど注文すると、最後
に、二鍋頭を一本と付け加えた。二鍋頭は北京原産の高粱でつくった、アルコール度五
十二度の蒸留酒である。二鍋頭は安く、労働者の酒と考えられているため、外国人が行
きそうなレストランにはおかれていない。
「この店を選んだ理由が分かるか?」
前畑誠は神妙な顔をして訊いた。
「客が多くて騒がしいのは、料理が安くて美味しいという証拠ですね」
亀尾信二は即座に答えた。
「そうだ。うまいものが食いたけりゃ、混んでいる店で食事しろというのは世界共通の
鉄則だ。だが、もうひとつ理由がある。これが分からなければ、お前は中国駐在失格だ」
163
前畑誠はニヤリとした表情を浮かべた。
亀尾信二はしばらく考えた。服務員が二鍋頭と大き目のグラスを運んできて、二鍋頭
を開封して二つのグラスに注いだ。蒸留酒の強い香がテーブルを覆った。
「分からないのか。まあ仕方がない。まだ中国に来て二ヶ月だからな。何も知らない赤
子と同じだ」
前畑誠はそう言うと、しばらく間をおいた。そして、顔を亀尾信二に近づけた。
「盗聴防止だ。周りがうるさいと、我々の会話が訊かれる可能性は少ない」
小さな声だった。前畑誠は続けた。
「どこに盗聴器が仕掛けてあるか分からない。我々の携帯電話から情報が漏れているか
もしれない」
亀尾信二は驚いた。
「でも電源を切っていれば大丈夫でしょう」
前畑誠はケッと笑った。
「中国社会党を舐めるな。彼らのやることは凄い。携帯の電源を切っても、内部に補助
電源が装着されているため、盗聴しようと思えばできる。我々が今ここで会っているこ
とも、調べようと思えばすぐ分かる」
亀尾信二は驚愕し、そんなバカな、と思った。それは冗談だよと、今にも前畑誠が言
い出すのではないかと思った。前畑誠の表情は崩れなかった。むしろ、険しくなった。
服務員が五皿の料理を運んできた。皿をテーブルに並べる間、前畑誠は黙ったままだ
った。盗聴防止のためだろうと推測できた。前畑誠は服務員さえも信じていない。
「日本公使館の職員の携帯はすべて盗聴されている。でも彼らは、前任者から譲り受け
た公使館支給の携帯電話を使い続けている。公的機関はまったく情報管理がなっていな
い。機密情報の垂れ流しだ。いいか、盗聴されたくなかったら、毎月、携帯番号を変え
ろ。お前もマークされているかも知れん」
前畑誠は亀尾信二を睨みつけた。そして、グラスになみなみ注がれた二鍋頭を一気に
飲み干した。亀尾信二はグラス半分の蒸留酒を飲んだ。喉が焼けるように感じた。胃の
中が次第に熱くなっていくのが実感できた。
亀尾信二はマークされているという言葉が脳のなかで響くのを感じた。盗聴は推理小
説のなかでの話と思っていたため、亀尾信二にはにわかに信じられなかった。あんなち
っぽけで、何の重要な情報もない事務所を盗聴するほど中国の工作部は暇なのだろうか。
「つき合いが悪いな。全部飲め」
前畑誠は吐き捨てるように言った。
「我々民間企業は死に物狂いで働いている。日本の市場は満杯で、これ以上ボイラーは
売れない。中国にかけるしかないが、ここで失敗したら、会社が倒産する。食事や寝て
いるときも気が抜けない。上海の工場は俺が作った。今では黒字になっている。だが、
北京は難しい―」
前畑誠は珍しく弱音を吐いた。少し酒がまわってきたようだった。
「北京には独特のボイラーの検査基準がある。納品した後、検査基準に合致していない
と検査官が難癖をつける。あいつらは賄賂を要求しているんだ。賄賂なしでは中国では
仕事はできん。日本の法律や本社の規則に従って、中国で仕事をしていたのでは、何に
も進まない。釘一本さえ売ることもできやしない。それが本社もなかなか分からない。
いや、中国の現地法人のやり方を了承してしまうと、それがばれたときに彼らも責任を
取らされてしまう。誰も泥を被ろうとしない。澄みすぎる川には魚は住まないのさ」
亀尾信二が勤めていたプラスチック会社では、厳しい競争環境下で生き残るために必
死であったが、前畑誠の話を聞いていると、中国での業務の厳しさを改めて思い知らさ
れた。
164
「欧米企業が羨ましいよ」
前畑誠は突然、呟いた。
「欧米の政府は国内企業の中国進出を後押ししている。大統領や首相が中国に出張する
際には、民間企業の社長を大勢に引き連れてやってきて、商談の後押しをしてくれる。
だが、日本政府は政治家と役人だけがやってきて、中国政府と建前だけの中味のない議
論をやるだけで、日本企業のために何もやってくれない。日本公使館も、問題があった
らいつでも相談に来るように言っているが、いつも威張っており、敷居が高すぎて行く
気になれない」
憮然とした言い方だった。
料理の皿はテーブルいっぱいに並べられている。亀尾信二は残したらもったいないと
思い、しきりに口に放り込んでいたが、前畑誠は強い酒を飲むのに専念していた。
「気にするな。食べ残せ。中国では接待する際、お客が食べきれないほど注文するのが
しきたりなんだ。どうせ安いんだ」
前畑誠は怒ったように言った。それが何に向けられているか、亀尾信二には判然とし
なかった。
「おい、亀尾。お前んとこの財団は重要技術を中国に垂れ流していないだろうな。民間
は中国で勝つためには、技術的優位しかないんだ。技術が盗まれたり、追いつかれたり
したら、もうお手上げだ。民間企業はなけなしのカネで技術開発をやっているが、大学
や研究機関は共同研究と称して、中国に技術をタダでやっているようにしか思えん。あ
いつら、国賊者だ。お前が日本国民を裏切ったら承知しないからな」
前畑誠は酒に酔ってきたようだった。
「北京公使館の武官もだらしねえ。十年間で三回も工作部に捕まって国外追放されてい
る。手口はこうだ。武官の役割のひとつは中国各地の軍事関係施設を視察することだ。
最寄りの空港に着くと、タクシーに乗り、施設の近くまで行こうとする。施設の外から
見学する分には違法でないからな。
ところが、工作部は一枚も二枚も上手だ。武官の到着情報は事前に工作部がつかんで
いる。タクシーの運転手も懐柔されている。武官の乗ったタクシーは意図的に境界線の
ハッキリしない軍事区域に入り込み、武官を降ろして去っていく。残された武官は警備
員に包囲されて、中国の法律違反として国外追放となるのだ。手口は簡単だが、それに
すぐにひっかかるのはレベルが低い。低脳な奴しか中国に派遣されていない」
亀尾信二にはこの話が本当かどうか分からなかった。半分デマのようにも、大げさな
ようにも聞こえた。冷戦時代のスパイ小説を聞いているに思えた。
「それだけではない。武官は体力があり、女好きが多い。下半身サービスのマッサージ
屋に入り、過激なサービスを注文しただけで、警察に踏み込まれている。中国の売買春
は日本よりも厳しい。日本では本番をやっている現場に踏み込まれない限り、罪が成立
することはない。だが、中国では、契約が成立した段階で罪を立証できるのだ。何も分
かっていないうぶな奴は、中国駐在の資格はない」
亀尾信二は女に興味はないが、前畑誠の話は説得力があるように思えた。やはり、事
実なのだろうか。
「カメオ!」
前畑誠は何か別のことを言い始めようとしているらしかった。
「玉田玲子を大切にしろ」
亀尾信二は自分の妻の話になるとは思っていなかったので、ビックリした。
「俺はな・・・俺はな・・・。玉田玲子が好きだった。愛を告白して、交際を求めたが、
振られた。そして、よりによって、お前みたいな、頼りにならない奴を選びやがった。
悔しい。なぜ、俺じゃだめなんだ」
165
亀尾信二は初めて聞くことだった。玉田玲子にも男の経歴を訊いたことはなかった。
お互いにあまり干渉しないことにしていたので、そんな話を聞くはずもなかった。
「あいつはな・・・。何でもやり遂げてしまい、エリートぶっているが、本当は男に甘
えたいんだ。心は決して強くない。ガラスのように脆弱で、壊れやすいんだ。俺はそう
思う」
前畑誠はまだ独身だった。前畑誠はもしかしたら、玉田玲子に振られても、まだ彼女
のことを思い続けているのかも知れない、とも亀尾信二は考えた。
二鍋頭の瓶は空になろうとしていた。服務員はやってきて、もう一本どうかと訊くと、
前畑誠は当然だ、早く持って来いと、即答した。
「玉田玲子を愛してやってくれ。俺の分も愛してやってくれ」
前畑誠は涙声になった。亀尾信二は少し不愉快になった。先輩とはいえ、プライバシ
ーを深く詮索されたくなかった。自分と玉田玲子の関係は当事者が背負っていくべきこ
とだ。
前畑誠は急に立って、洗面所に行った。足元がふらついていた。亀尾信二は前畑誠の
告白の衝撃がまだ脳から消えていなかった。
突然、仕切りの向こうの席から二人の中国人の男が騒ぐ声が聞こえてきた。喧嘩をし
ているようにも思えたが、勘定は俺が払うと請求書を奪い合っている。今日は俺の面子
を立てろという中国語が聞こえた。十秒ほど争うと、決着がついた、腹が出た成金のよ
うな中年の男が支払うことになった。
接待浸けで大きく突き出た腹を中国では、将軍腹や腐敗腹と呼んでいる。急速な経済
成長につれて、中国人の病気は感染症から高血圧、がん、糖尿病などの成人病に移行し
ていた。子供も日本とおなじように成人病予備軍が急増している。
二十分過ぎたが、前畑誠は帰って来なかった。午後九時を過ぎると、客足は急に遠の
いた。静けさが戻ってきた。
亀尾信二は不審に思い、前畑誠の携帯に電話した。話し中だった。三分後に再度、試
みたが、やはりつながらなかった。テーブルには食べ残しの残骸が拡がっていた。手を
付けたのは三分の一程度だった。もったいないと亀尾信二は思った。服務員を呼び、打
包(ダーバオ)にしてくれと言った。分かったと言うと、踵を返して、透明なプラスチ
ック容器を持ってきて、食べ物を詰め始めた。馴れた手つきだった。
前畑誠が戻ってきた。酔いはすっかり醒めている様子だ。眼はいつもの真剣な眼差し
に変わっていた。
「やられた」
亀尾信二は何か不吉な予感がした。
「何があったんですか」
「捕まった」
「誰が?」
「参事官だ」
「どの参事官ですか」
「村井隆参事官だ」
亀尾信二はあっと声を出した。
「お前は知っているのか」
一ヶ月前の三金会の講師のあの村井隆参事官だった。シルクの高級スーツが思い出さ
れた。
「捕まったって。誰にですか。工作部ですか」
亀尾信二は前畑誠に問い質した。前畑誠は首を振った。
「正確に言うと、参事官は工作部に捕まった訳ではない。だが、籠絡されてしまったよ
166
うなものだ。中国社会党に対する過激な発言が災いしたのかもしれん」
「いったいどこからの情報なんですか」
前畑誠は亀尾信二を睨みつけた。俺は日本公使館に太いパイプがあると、その眼は物
語っていた。前畑誠は亀尾信二に携帯をカバンの奥にしまい込むように指示すると、詳
しいいきさつを教えてくれた。事の成り行きはこうだった。
村井隆参事官は家族を東京に残し、北京に単身赴任で来ていた。村井隆参事官はいつ
も八時きっかりにアパートのロビーに降りてくるが、その日は八時三十分になっても姿
を現さなかった。出迎えの公使館車の運転手は不思議に思い、携帯に電話した。電源が
入っていなかった。運転手はエレベーターで参事官の部屋に行って、呼び鈴を押したが、
応答がなかった。
異常事態を直感した運転手は、フロントに説明して、鍵を借りた。急いで部屋に入っ
てみると、村井隆参事官は背広を着たまま、居間で倒れていた。顔は血の気がなかった。
急いで救急車を呼び、日中友誼病院に搬送した。運転手からの連絡を受けて、公使の
秘書官もやってきていた。参事官の身体が救急棟に運ばれると、秘書官はパスポートを
医師に示し、患者は日本公使館の参事官である旨を伝えた。中国では、治療代を確実に
確保するために、前払いか、身分が保証されている患者しか医者は診なくなっていた。
アメリカと同じように社会保障制度が整備されていないのである。大国は社会の最下層
の人々を切り捨てることにより、国家が成り立っている。
日本の大学の医学部で学んだ経験のある医者が患者を診ると、すぐに書記官に伝えた。
「脳梗塞だ、頭蓋骨を切り開いて、血を抜かなければならない。だが、日中友誼病院に
はそれができる医者はいない」
冷静な言い方だった。
「ではどうすればいいんですか」
公使館の秘書官はすがるような気持ちで言った。
「人民解放軍の病院に搬送することです」
「では、そのように手配して下さい」
秘書官は深々と頭を垂れた。
「ただし、条件がふたつある」
医者は淡々と言った。
「参事官の命を助けるためには何でもします」
「まず、手術に失敗しても、損害賠償をしないと誓約書に書くこと。そして、公使館の
トップから外事部の次官にすぐ電話し、部下の命乞いをすることだ」
秘書官は従うしかなかった。
村井隆参事官の手術は無事に終了した。本人は三日目の午後、眼が覚めた。2 週間後、
頭に巻かれた包帯を取ると、開頭の傷跡が少し残っていたが、後遺症はまったくなかっ
た。人民解放軍の医師は最高級の開頭手術の技術を所有していたのだった。
村井隆参事官は当局批判をトーンダウンさせ、従順になった。参事官には任期半ばで
出身官庁の商務省への帰国命令が下った。公使館は秘密裏に処理したかったが、この噂
は北京駐在員に瞬く間に広がった。公使館はいくら調べても、公になった情報の出所を
特定することができなかった。
前畑誠は亀尾信二の眼を見た。
「分かったか」
「しかし、我々と同じくらいの年齢で脳梗塞になりますかね」
亀尾信二は単純な疑問を呈した。
「それもそうだな。だが、真相は誰にも分からん。脳梗塞かどうか、その原因が何かも
分からん。本人さえ、なぜそうなったのかも分からないかも知れん。お前も用心するこ
167
とだ」
「僕は健康には気をつけていますから。脳梗塞には罹らないと思います」
「バカ。お前は大学院は出ているが、頭の回転が悪いな」
前畑誠は眼をぎらつかせた。亀尾信二はその意図を悟ると、頭がガツンと殴られたか
のような衝撃を受けた。
「俺も、お前も、もう包囲されているのかも知れん。中国では何も知らないのも困るが、
知りすぎるのはもっと困る」
レストランは客がほとんどいなくなっていた。服務員がこちらの動きを察している。
二人の会話が途切れると、領収書を持ってきた。前畑誠は財布から毛沢東が描かれた百
元札を三枚差し出し、おつりは要らないと言った。服務員は戸惑った顔色をみせた。中
国のレストランではチップは必要がないのだった。でも、最後ににっこりして、謝謝と
言って受け取った。
「もう一軒、付き合え。せっかく服務員にうまい料理を包んでもらったんだ。それを今
から使いに行こう」
前畑誠は食べ物を打包した亀尾信二を従えると、レストランを後にした。彼らは前畑
誠のお抱え運転手が運転するベンツで、次の目的地に向かった。
「おい、亀尾。さっきの話はあれで終わらないんだ。中国外事部が手術の代わりに日本
公使館トップに要求したことは何だと思う」
前畑誠はクルマの後方座席に深く座り、意地悪な質問をした。
「まだ、先があるんですか」
亀尾信二はすっかり酔いが醒めていた。
「外事部が要求したのは、日本公使館の内装工事だ。それを指定の業者にやらせること
だった」
亀尾信二はその重大性が分からなかったが、またバカにされると思い、ああそうです
かと相槌を打った。
「お前は本当に分かっているのかどうか判然としないが、よかろう、俺の予想はこうだ。
ただ、お前が当局とつるんでいたら、俺も困ったことになるからな」
前畑誠は粘っこい視線で、亀尾信二の横顔を眺めた。
「僕は―。僕はそんなことないです」
亀尾信二は前畑誠から疑われたことに、ショックを受けて、言葉が出てこなかった。
「冗談だよ。お前は真面目で、要領が悪いから、うまく立ちまわることができんだろう。
いつも貧乏くじばかり引かされている。工作部はお前なんか狙わんよ」
亀尾信二は意図的に笑おうとしたが、声が出なかった。
「いいか。公使館が中国側の業者で内装工事されると、特殊な盗聴装置が設置され、情
報が筒抜けになってしまう。今でも、国内の右翼は日本公使館は日本政府の出先機関で
はなく、中国政府の北京派出所だと非難している。この工事で日本公使館が本当に中国
政府の手に落ちる可能性が高くなる」
ふたりの間に沈黙が拡がった。
「これはあくまで、俺の想定だ。どうなるかは俺にはまったく関係のないことだ。会社
を早く黒字化しなければならん」
亀尾信二は黙って頷いていた。
「もうすぐ、二件目の店に着く。つまらんことは忘れて、パーッと行こうじゃないか」
前畑誠は努めて明るく言った。
二人はクルマから降りると、運転手を帰宅させた。
亀尾信二は高層ビルを見上げていた。
「最上階から北京の夜景でも眺めるんですか」
168
亀尾信二がそう言うと、前畑誠は、
「お前は幸せものだ」
と今度は嫌味たっぷりに言った。
建物の一階に入ると、スナックの看板が四つも目に入った。すべて日本語で書かれて
いた。日本人客専用の店で、中国人はお断りという意味も含んでいるのだろうか。亀尾
信二はそんなことを考えていた。
前畑誠はひとつのスナックの看板に顎をしゃくった。「パラダイス」とカタカナで書
かれていた。
ふたりはエレベーターホールに向かった。その横には机と椅子が置かれ、ひとりの中
年の男がガードマンのような服装をして、退屈そうに座っていた。
エレベーターに乗ると、前畑誠は十四階のボタンを押し、亀尾信二に声を掛けた。
「さっきの男は誰だと思う?」
「ガードマンですか」
前畑誠は首を振った。
「パラダイスのママの親父だ」
えぇと亀尾信二は反応した。なぜ親父がエレベーターの前でガードマンのような格好
をして待機しているのであろうか。
「警察が踏み込んできた際の連絡要員だ」
前畑誠はこともなげに言った。
「なぜ警察が踏み込んでくるんですか?」
「もうすぐ分かるさ」
前畑誠は意味ありげに言った。
エレベーターが開くと、いらっしゃいませーという大勢の黄色い声が飛んできた。十
名ほどの若い女が出迎えたのだった。二人は個室に案内された。華美な壁が目に入った。
二人の天使が白い壁に描かれていた。ソファーは十名以上座れるものだった。テーブル
の上にはカラオケのモニターとマイクが二本、きちんと並べられていた。
「随分、豪華ですね」
亀尾信二は現地採用の給与を思い浮かべながら、心配した。
「心配するな。俺は常連だから」
前畑誠は何事にも気を揉む亀尾信二に苛立ちを覚えた。
美しい女が入って来た。
「前畑社長、いつもお世話になっています」
綺麗な発音の日本語だった。日本人と区別がつかない。
「これをみんなで夜食に食べてくれ」
打包を差し出した。
「まあ、うれしい。いつも気を使っていただき、私、社長さん大好き」
前畑誠はママの話を聞いていないように見えた。
「俺の後輩の亀頭(グイトウ)を連れてきた」
グイトウと聞くと、ママは大声で笑った。
「いや、亀頭(グイトウ)ではなく、亀尾(グイウェイ)です」
亀尾信二は慌てて修正した。ムッとした表情もした。
「尾よりも頭がいいじゃないか。男は組織のリーダーにならなくてはいかん。しっぽみ
たいな奴になるな。亀頭の方が中国の女にもてるぞ」
前畑誠は愉快そうに笑った。
「俺は胸がデカイのがいい。亀頭には名前に相応しい、スケベな女を選んでくれ」
前畑誠はママに向かって指示をした。
169
「可愛い子を数人呼びますので、そのなかから好みの子を選んで下さい。みんな日本語
を話せますから」
「日本語は話せなくてもいい。我々は中国語ができる。日本公使館員と同じにしてくれ
るな」
実は、日本公使館はホステスのいる飲み屋への職員の出入りを自粛させていた。広州
の領事館の通信官がホステスと不適切な関係に陥り、それを工作部につけ込まれ、自殺
に追いやられたからである。この店に日本公使館員が来るはずはなかったが。
「こんばんは」とひとりずつ奇妙なアクセントの日本語で挨拶しながら、化粧の濃い
女たちが部屋に入って来た。総勢七人が一列に並んだ。
亀尾信二は息を呑んだ。全員、シースルーのパジャマを身に着けている。身体が丸見
えである。乳首の形も下半身の陰毛も透けて見えた。亀尾信二は前畑誠を見た。前畑誠
はニヤリと笑って、
「好きな女を選べ」
と言った。
女たちの視線が一斉に亀尾信二に向けられた。愛想笑いする女は誰もいない。亀尾信
二は妙な緊張を感じた。ママさんほど美しい女はいなかったが、プロポーションはよか
った。
「早く選べ。ぐずぐずするな。お前はやはりカメだ」
前畑誠は催促した。そして、苛立ち、顔は見ずに、胸が一番大きいが、痩せた子を先
に選んだ。その子は前畑誠の隣りに座った。ホステスは選んでいただき、ありがとうご
ざいますと日本語でバカ丁寧に言った。支配人の教育が行き届いている。
亀尾信二は仕方なく、先輩に習い、胸が二番目に大きい太めの子を指名した。なぜか、
周りで冷笑が起こった。選ばれなかった残りの女たちは、ありがとうございましたと一
斉に声を出して、急いで部屋から出て行った。
ボーイがシーバスと氷と水を運んでくると、部屋の二人の女が四人分の水割りを作っ
た。
「乾杯!」
四人の大声が部屋のなかで響いた。
「中国ではシーバスはすべて偽物だ。覚えておけ」
前畑誠が言うと、うちの店のは本物ですと二人のホステスが同時に言った。
「どの店に行っても、うちのウイスキーはすべて本物というのだ。それが偽物という動
かぬ証拠じゃないか」
ホステスには前畑誠の含意が分からず、返事をしなかった。
「偽物だが、毒じゃない。翌日、頭が少し痛いのを我慢さえすれば、本物と同じだ」
前畑誠は得意気に言った。
太ったホステスは大きな胸を亀尾信二の身体に押し当ててきた。
「寂しいから抱いて、かっこいいさん」
甘い声を出した。
前畑誠は女の下半身を激しくまさぐっていた。ディープ・キスのペチャクチャする音
がはっきり聞こえた。
亀尾信二は玉田玲子を思い出した。妻に悪い気がした。
「どうした、亀尾、いや亀頭!カネは心配するな。今日は俺の奢りだ。どうだ、カメオ。
北京は最高だろう―」
前畑誠は品のない笑い声を出した。
その時、ママが血相を変えて入って来た。
「警察よ。裏のエレベーターから逃げて」
170
前畑誠の顔色が変わった。チクショー、いいところだったのにと唸った。二人の服務
員はキャーと叫んで部屋を出て行った。他の服務員にも何が起こったかを伝えると、逃
げ惑う男と女で大混乱になった。
亀尾信二と前畑誠はママに一足先に案内されて、エレベーターに乗り、地下一階まで
降りた。
警備員に扮した父親からママに連絡が行くと、ママは毎日のようにやってくる上客の
前畑誠を最優先して、知らせてくれたのである。
前畑誠と亀尾信二はエレベーターを降りると、階段で地上に上がり、別方向に走り去
った。
「決して捕まるな」
それは前畑誠が亀尾信二に言った最後の言葉になった。
多くの客は逃げ遅れて、警察に捕まり、そのうちの数人は見せしめのために海外追放
となった。パスポートには「淫」という判を押された上、五年間、中国の土を踏むこと
は許されない。店は三ヶ月の営業停止処分になった。
5
大理石の白菜
亀尾信二はしばらく前畑誠に連絡を取らなかった。携帯やメールで連絡すれば、盗聴
され、あの夜スナック「パラダイス」にいたことが警察にばれてしまうことを恐れたの
だった。前畑誠からも何のコンタクトもなかった。
暑い夏日が継続し、雨もまったく降らなかった。事務所は死んだように静かだった。
電気供給不足のため、廊下の照明は落とされていた。
電話もメールも来なかった。亀尾信二は昨日、ネットから集めた中国の科学情報を月
報としてまとめ、東京本部に送ると、今日は何もすることがなくなった。気だるい毎日
だった。終日、何もせず座っているのにも慣れてきた。頭も手足も使わず、彫刻のよう
にただ佇んでいる。自己を喪失しても平気になりかけていた。
亀尾信二は前畑誠が話した内容を脳のなかで復習した。だが、いったいどこまでが真
実かどうかさえ判別することができなかった。物語としては面白いが、現実感に乏しか
った。少々大げさに伝え、自分に注意を促そうとしているのかも知れないと思った。
東京本部からはその後、申請書の件でも何も言って来なかった。そもそも東京本部の
誰とも亀尾信二は会っていないことに改めて気がついた。もしかしたら、東京本部は自
分の現地採用を知らないのかもと考えると急に不安になった。給与は所長が北京事務所
経費から引き落として、亀尾信二の口座に振り込んでいたのだったし、所長の独断で亀
尾信二を採用した可能性もあった。亀尾信二は動揺した。
自分は本当に北京にいるのであろうか。それを確かめるために、自分の影を見た。薄
暗い電灯に照らされ、頼りない薄い影が足元から伸びていた。声を出してみた。汪燕が
振り返った。亀尾信二はニタと照れ笑いをした。状況が分かると、汪燕は視線をパソコ
ンのモニターに戻した。視線は動いていない。いったい何を見ているのか、依然として
謎だった。
夏日が続いていたが、亀尾信二の気持ちは冷えていた。
午後五時になろうとしている。あと三分で就業時間が終わる。亀尾信二はパソコンの
終了オプションの「電源を切る」をクリックした。しばらくしてモニターが暗くなった。
彼は何も持たず、事務所の出口に向かった。一足先に汪燕が部屋から外に出た。続いて、
亀尾信二が外に出て、鍵を取り出して戸締りをした。ちょうど五時になっていた。いつ
もと同じ行動だった。汪燕の姿はもうそこにはなかった。すでにエレベーターに乗り、
姿をくらましていた。
171
亀尾信二はいつものとおり、エレベーターに乗らず、鉄のドアを押し開け、階段を下
り始めた。電灯が間引きされているため、ところどころ、暗くなっている。事務所は九
階だが、ちょうどいい運動になると思った。いや、時間を少しでも潰すのに、階段を使
っていたのである。時間は捨てるほどある。誰かに買ってもらいたいとも思っていた。
階段を上り下りする者は誰もいない。
四階まで来たところで、ひとりの男がタバコを吸っていた。上下黒い服を着て、サン
グラスをかけている。見たことがない大柄の男だった。男のサングラスが亀尾信二の顔
に向けられた。視線は見えないが、睨みつけているのが分かった。亀尾信二は不安を覚
え、とっさに振り返り、階段を登り始めた。自分の心臓の鼓動が聞こえた。小説の中で
「心臓の鼓動が聞こえた」という表現を何度も見たことがあるが、実際に経験するのは
これが初めてだった。心臓が叫んでいるようにも感じた。何を恐がっているのであろう
か、亀尾信二にも分からなかった。
ふと上を見ると、同じ服装をした男が立っていた。こちらの方は長身の亀尾信二より
も小柄だったが、腕力がありそうな筋肉質の男だった。喧嘩をしても勝てる相手のよう
には思えなかった。亀尾信二は二人の男に挟まれるような格好になった。
「あなたは誰ですか。何の用事があるんですか」
亀尾信二は中国語で威嚇するように叫んだ。自分を鼓舞したしゃべり方だった。
「亀尾信二さんですね」
綺麗な日本語だった。亀尾信二はなぜ自分の名前を知っているのかと訝った。
「日本人ですか」
亀尾信二は安心したような口調で言った。
「違います。私は正真正銘の中国人です」
亀尾信二の心臓は再び激しく鼓動を始めている。恐怖心が相手に気づかれるのではな
いかと心配した。
「ちょっとお話したいことがありますので、ご足労願えませんでしょうか」
バカ丁寧な言い方だったが、言葉の底に有無を言わせぬ迫力が潜んでいた。亀尾信二
は相手の出かたを見ようとして、黙っていた。
「お約束します。決してあなた様に危害を加えることはしません」
さらに紳士的な言い方になっていた。亀尾信二は心を見透かされているような気分だ
った。
「嫌と言ったら、どうなりますか」
男はサングラスをゆっくりはずした。目鼻立ちがはっきりした、賢そうな顔だ。
「私の顔を見てください。信用できない者に見えますか」
男はそう言った。鋭い視線を放っていた。普通の人間ではない、何か特別な訓練を受
けたような雰囲気がある。
「いったいどんな用事があるんですか」
亀尾信二は乾いた口から言葉を吐き出した。唇も乾いていたが、舐めると、怯えてい
ることが悟られると思い、我慢した。
「ひとつ折り入って、お願いしたいことがあるんです」
丁重な言い方だった。
「ここは殺風景です。中国人はお客様を大切にする民族ですから、場所を変えて、お話
しましょう。拘束時間に対する報酬はちゃんとさせていただきます」
亀尾信二は声が出ないほど、喉が渇いていた。亀尾信二は頷いた。仮に、大声を出し
て、騒いでも誰も助けに来てくれそうになかったが。
「どうもありがとうございます」
亀尾信二のうしろにいた別の男が階段を下り始めた。三人は一階を通り過ぎ、地下二
172
階まで降りた。
日本語ができる男は地下の駐車場に停めたアウディに乗るように指示した。アウディ
は中国人幹部がもっとも好きな高級車だった。亀尾信二は横目でナンバープレートを見
ようとしたが、プレートがつけられていなかった。特殊なクルマなのである。駐在経験
の浅い亀尾信二にはそれがどのような機関のクルマかを想像することはできなかった。
前畑誠がいれば、バカにしながらも教えてくれただろうにと、考えていた。あれ以来、
前畑誠と話していないが、どうしているのであろうか。相変わらず仕事が忙しいのであ
ろうか。
三人が乗ると、運転手はすぐにクルマを発進させた。亀尾信二は後部座席に座らせら
れた。クルマはカーブを猛スピードで曲がりながら、明るい地上に出て、大きな通りに
出て行った。運転手の運転技術は確かなものが感じられた。
「ミネラルウォーターでも如何ですか」
亀尾信二の隣の座席に座っている男は、エイビアンの小さいボトルを差し出した。喉
が渇いていることもすべて見抜かれていると亀尾信二は観念した。普通の中国人ならば、
エイビアンは高すぎて手がでないはずである。まだ飲んだことのないエイビアンを亀尾
信二は一気に飲み干した。男は何も言わなかった。
亀尾信二は心臓の鼓動が徐々に収まるのが分かった。クルマの中には静寂が訪れた。
アウディの窓には外から内部が見えない特殊なガラスが使用されている。機関銃の襲撃
にも耐えられそうな丈夫な窓ガラスだ。運転手は信号を無視して、クルマを走らせた。
この先どこに連れて行かれ、どうなるか分からないが、信号無視は悪い気がしなかった。
特権階級になったような気分になったが、それはすぐ消えうせた。
なぜ自分がこのような目に合うのか、亀尾信二は理解できなかった。拉致しようとい
うのか。北朝鮮に送られるのであろうか。特別の情報や能力を持つ人物でもない自分が
ナンバープレートのないクルマでどこかに連れさられようとしている。
日本語を話す隣の中国人の革靴はピカピカに磨かれていた。黒い背広の袖口から高級
そうなカフスボタンが覗いていた。顔は日焼けし血色がよかった。顎の下には贅肉は垂
れていない。年齢は五十歳前後だろうか。もしかしたら、六十歳に近いかもしれない。
頭髪には白いものはなかった。中国のリーダー達と同じように、不自然な黒光りを放っ
ていた。
「僕がいったい何をしたというのか」
亀尾信二はそう叫びたかったが、叫んだところで、置かれた事態が改善するとは到底
思えなかった。少なくとも生きて帰らなければならない。玉田玲子に会うためにも。妻
を思うと、身体が熱くなった。心臓の鼓動が再び大きくなった。でもそれは心地よい鼓
動だった。やはり玉田玲子を愛しているのだ。強く愛しているのだ。その時、亀尾信二
はそう確信した。
アウディは市の中心に向かっていた。王府井通りの高級ホテル・リージェントに向か
っているように思えた。クルマはホテルの正面玄関に停まらず、建物の裏手に廻った。
地下駐車場にハイスピードで滑り込んでいった。どうやら最悪の状態にならずに済みそ
うだと亀尾信二は思った。監獄にぶち込まれて、拷問される姿を思い浮かべていたのだ
った。
地下一階の奥にあるホテルの入口の前に停車した。従業員入口と書かれていた。前の
座席に座っていた大柄の男が素早くクルマから降りて、身分証明書のカードを入口のパ
ネルにかざすとドアが開いた。すぐそこには蝶ネクタイをした品のよい欧米人の中年の
男が立っていた。支配人のような雰囲気を周囲に撒き散らしていた。
「ホテル・リージェントに、ようこそいらっしゃいませ」
剥げた男が英語で挨拶した。支配人の男は亀尾信二ら三人を引き連れて、エレベータ
173
ーホールに出た。二台のエレベーターしかない。普通の宿泊客が使用するものではない。
一台のエレベーターに四人が乗り込んだ。スウィートルームのフロア直通のエレベータ
ーだった。最上階の三十四階で停まった。支配人が先に降り、黒い服の二人の男が亀尾
信二を挟むように続いて、エレベーターから降りた。一団は厚い絨毯の廊下を隅まで歩
き、部屋の前で支配人が三回ノックすると、ドアが開いた。
男たちを迎えてくれたのは二人の美女だった。背丈も体格も年齢もよく似ていた。で
も、顔のつくりは違っていた。双子ではない。彼女たちは両脚にスリットが入ったチャ
イナドレスを着ていた。細くて形のいい脚がスリットから覗いていた。
亀尾信二はニーハオと挨拶してみたが、彼女達は黙ったまま、微笑をつくった。それ
は接客用の笑顔だった。
部屋は豪華な調度品と装飾が施されていた。天使が飛んでくるのではないかという錯
覚するほど豪華絢爛な空間だった。空気でさえ贅沢品のように感じられた。実際に吸っ
てみると、ほのかな香がした。高貴な気分にさせられるようであった。
「亀尾さん、まずはソファーにおかけ下さい」
日本語のできる男が丁寧な言い方をした。黒い服の二人の男と亀尾信二は柔らかいソ
ファーに腰を下ろして、向かい合った。大柄の男はサングラスをかけたままだった。
「何をお召し上がりになりますか」
支配人が訊いた。
「日本人はみな最初に冷たいビールを必ず飲む。その後はブランディーかウイスキーの
水割りだ」
日本語のできる男が支配人に命令口調で言うと、亀尾信二に向き直り、
「どちらにしますか」
と柔らかい口調で訊いた。
「僕は要件を済ませて、早く帰りたい。それに、なぜ僕の名前をご存知ですか」
亀尾信二はハッキリした口調で言った。でもなぜか、後半は丁寧な表現になった。支
配人は女性の服務員に日本製の冷えたビールを出すように指示した。
「日本人は中国製はすべて二級品で、日本のものは何でも最高と思っている」
日本語のできる男が独り言のようにしゃべったが、亀尾信二はどう答えていいか分か
らず、黙っていた。
美女は慣れた手つきで、三人の前に置かれたグラスにビールをついだ。細かい白い泡
が 2 割になるよう注いだのだった。中国人はビールの泡は少ないほど液体が多くよいと
考えるが、日本人はそうではない。服務員は日本人の好みをよく理解していた。
「では、ゆっくりと、おくつろぎください」
美しいアメリカ英語を話すと、支配人は部屋から去っていた。服務員たちは相変わら
ず、不自然な笑顔を浮かべて、後方に立っていた。
「亀尾さん。フルネームは亀尾信二ですね。本日は拉致まがいのことをして大変申し訳
なく思っている。まずはそれに対してお詫びを申し上げたい。申し遅れたが、私の名前
は丁建国と言います。テイと呼んでいただいて結構です」
中国人は仲のよい友人の間では相手の名前を呼び捨てにする。
「僕の質問に答えて欲しい!」
亀尾信二は苛立った。
「約束どおり、身の安全は保証する。だから、そうカリカリしないでいただきたい」
丁建国はカリカリという擬態語も知っている。擬態語や擬音語は外国人には相当難し
いはずである。日本語がかなりできるようだ。
「私は国費日本留学組の第一期生だ。東都大学物理学科で理学博士を取得した。その後、
国立高等物理研究所で九年間研究をすると、中国政府の帰国優遇政策を利用して中国に
174
帰国した。現在は天津の現代日本研究所所長を務めている」
亀尾信二は驚いた。と同時に少し安心した。エリート科学者の道を真っ直ぐ歩んでい
る。身体はボディビルで鍛えられているように見えるが、頭のなかは知的に鍛錬されて
いるようだった。それに較べて、丁建国のとなりの大柄の男はサングラスをかけたまま、
顔も首もほとんど動かしていない。この不釣合いが不気味で、かえってものを言わせぬ
迫力を放っていた。
「丁建国所長の言葉を信じよう。なぜ僕がここに呼び出されたのかも含めて、納得のい
く説明を伺いたい」
亀尾信二は作戦を変え、徹底的に真相を聞こうと思った。今まで起こったこと、前畑
誠先輩から聞いたことすべてが謎だらけであった。もしかしたら、丁建国が何かを知っ
ているかもしれない。
「泡がなくならないうちに、ビールを飲みましょう」
丁建国はグラスを上に挙げた。亀尾信二もグラスを挙げたが、グラス同士をカチンと
合わせることはしなかった。まだ、お前を信頼していないという意思表示だった。丁建
国が本物の知識分子であれば、その意図は伝わるはずだと思った。
服務員はすぐにビールを注ぎ足した。美しい指先だった。
「質問にはきちんと答えてもらいたい」
亀尾信二のやや刺のある言葉に丁建国は顔を光らせた。そして、
「あなたは私の大切なお客様だ。私がお答えできることは何でもお答えしましょう」
と語った。
「まず、あなたたちはなぜ僕らを監視しているのですか」
亀尾信二は切り出した。
「僕ら?」
丁建国は反射的に訊き返した。
「私だけでなく、私の友人や日本公使館の職員に対する監視を訊いているのです」
「あなたは私の所管範囲ですが、その他の外国人は所管していませんので、分かりませ
ん」
亀尾信二は丁建国の役人のような答え方に憮然とした。
「では、僕のことをなぜ監視しているのですか。うちの所長も監視しているのですか」
亀尾信二の声は自然に大きくなっていた。本人は気がついていない。
「正直に言いましょう。私の監視対象はあなたと所長のふたりです」
「なぜ監視しているのですか。僕らの自由を阻害しているではありませんか。日本では
こんなことは決してありません」
亀尾信二はむきになって抗議した。丁建国は声をたてずに笑った。
「外国人の行動を監視するのは、どこでも行われていることですよ。中国は特別の国で
はない。アメリカ政府の監視はもっと徹底しているが、アメリカは同盟国だからそんな
ことはやらないはずだと、日本人は一方的に思い込んでいる。違いますか、亀尾さん」
丁建国は静かに言った。
「三十万人近い日本人が中国に住んでいます。すべての人々の行動を監視しているので
すか」
亀尾信二は追及した。
「私には分かりません。私以外の人々がどんな役割を担っているかは知らされていませ
ん」
「では質問を変えますが、あなたはなぜ僕らを監視するように上司から指示されたと考
えているのですか」
亀尾信二は詰問した。いつの間にか、テーブルにはブランディーのグラスが置かれて
175
いた。丁建国はブランディーで亀尾信二と乾杯しようとしたが、亀尾信二は気がついて
いなかった。服務員は笑顔を絶やすことなく、グラスのブランディーの減り具合を見計
らっていた。
「なぜ上司があなたを監視するように言ったのか、その理由は知りません。命令に従う
のは私の任務ですから。ただ―」
丁建国は言葉を濁した。
「ただ―。何でしょうか」
「私は自分の仕事に誇りを持っています。どんな仕事も重要と考えています」
「つまり、僕の仕事は中国当局にとって重要ということですね」
そう言うと、亀尾信二は大声で笑った。事務所の情景を思い出していた。
「そうです」
丁建国は真面目な顔で言った。
「あなたはあなたが考えている以上に中国にとって重要な人物なんですよ。もちろん所
長も不可欠な人物だ」
「そうですかね」亀尾信二は噴き出して、「すでにあなたもご存知の通り、日中友好科
学財団の北京事務所には機密情報は何もありませんよ」
と言った。
丁建国は深いため息をついた。その質問に対しては、イエスともノーとも答えなかっ
た。
「ブランディーが進んでいませんね。飲みながら、議論を続けましょう」
丁建国は促した。
「さて、本題に移りましょう。本当の要件は何ですか」
亀尾信二は高級ブランディーを一気に飲んだ。喉が液体で焼かれるように感じたが、
逆に頭は冴えてきているように思えた。服務員は大きな笑顔を浮かべて、ブランディー
を注いだ。スリットから垣間見える脚は色っぽかった。
「申請書の件ですが―」
丁建国は言いかけて、意図的に黙り込み、亀尾信二の出方を待った。亀尾信二も口を
挟まず、口を強く結んだ。お互いに牽制しあった。
丁建国は言いかけた手前、言葉を継がなければならない。咳をして、時間を稼いだ。
「例年、申請書は北京事務所を経由して、そのまま東京本部に送られるのですが、どう
してか今年は勝手が違うようだと思っています」
丁建国はここまで言えば、次は相手が発言する番だと思い、バトンを渡した。
「僕は任務に忠実に従っているだけです。申請書の不備をチェックするのは僕の役割で
すから」
亀尾信二は事務的な言い方をした。
「おかしいですね。不備はなかったはずですが―」
「それにお答えする前に、僕から質問したいことがある。我々のカウンターパートであ
る中国科学財団とあなたの勤めている現代日本研究所の関係を明らかにしてもらいた
い。なぜ、中国科学財団ではなく、あなたが僕に会いに来たのですか」
亀尾信二は自分でもいい質問と思った。回答に耳を澄ませた。
「その質問に対する回答は難しい。中国科学財団と現代日本研究所の任務は異なってい
ます」
「どう違うのですか」
亀尾信二は追い討ちをかけた。
「私は上司からの命令で動いているに過ぎない」
「上司は誰ですか」
176
「天津の幹部とだけしか答えられない」
「中国科学財団は政府の機関で、天津は地方政府のはずだ。なぜそれらの機関が連携し
ているのですか」
亀尾信二はブランディーが減っていることに気がついた。知らない間に、飲んでいた
ようだった。
「中国の社会は非常に複雑です。組織は上下関係の命令系統以外に、人的ネットワーク
でもつながっています。組織の内部にいても全体像が分からない。日本とは随分違いま
すよ」
丁建国は瀟洒な風貌をいっそう輝やかせながら言った。
亀尾信二はこれ以上質問しても、肝心なことが聞き出せないと思い、質問を元に戻そ
うとした。
「申請書は明らかに作為的に作られていました。なぜですか」
丁建国にはその事実も理由も知らされていなかった。
「もしなんらかの不具合があれば、再提出するのが当然でしょう。日中友好の精神で、
両国の首脳が約束した長い歴史のある事業を滞ることなく継続していきたい」
丁建国は亀尾信二の質問に直接答えなかったし、申請書の記載の間違いを謝罪するこ
ともなかった。罪を簡単に認める者は中国社会では生きていけない。丁建国は「不具合」
という曖昧な言い方で、この場を凌ぎたかった。
「不具合ではない。何かがある」
亀尾信二は自分に言い聞かせるように言葉を発した。
「単なる不具合ですよ。亀尾さんが疑うのであれば、担当者を処分して、それを証拠に
しましょう」
「処分?」
亀尾信二が予想していなかった言葉だった。
丁建国は右手を刀のようにして、首を切ってみせた。
亀尾信二は考え込んだ。処分が具体的にどのようなことかは明確には分からない。降
格人事か職場追放が待っているに違いない。労働改造所に送られることもあるかもしれ
ない。なぜそこまでするのだろう。
「納得していただけましたでしょうか」
丁建国はブランディーを一口飲んで、空にして言った。眼の周りが酔いで少し赤く変
色していた。亀尾信二は首を横に振った。
「それに、うちの所長はどこで何をやっているのですか」
「おや、その質問は変だ。所長と副所長はお互いに協力して仕事をやっているのではな
いんですか。それが日本人のやり方ではありませんか。和こそ中国人が真似ることので
きない日本人の特長です」
丁建国はとぼけた言い方をした。でも、知性的な顔は残されている。
「所長は不思議な人だ。どこで何をやっているか、僕にも皆目分からない。あなたは所
長も監視しているのであれば、彼の行動を掴んでいるはずだ」
服務員は服を着替えていた。胸が閉じたチャイナドレスから、西洋式のドレスに服装
が変わっていた。それぞれ赤と青のドレスにスタイリッシュな身体を包んでいる。いつ
着替えたのであろうか。もしかしたら、随分飲んでしまったのかも知れないとも亀尾信
二は思った。ドレスの胸元は広く開かれ、白い胸のふくらみが見えていた。
「私もお宅の所長には手を焼いています。余計なことばかりしますので仕事が増えて困
っています」
丁建国は額に皺を寄せて、言った。その隣の大男はビールにも、ブランディーにもま
ったく手をつけていなかった。いつでも戦闘態勢に入れる準備をしているようにも思え
177
た。でも、亀尾信二はブランディーの力を借りて、その圧力を跳ね返そうとしていた。
「余計なこととは何ですか」
亀尾信二は怪訝な顔をして訊いた。
丁建国はすぐに答えなかった。沈黙が続いた。
「所長の行方を知りたいですか」
「知りたいです。是非とも」
「トレードしませんか」
丁建国は提案した。
「トレード?」
「そう。お互いに一歩譲歩するのです」
「条件とは何ですか」
ブランディーが二人のグラスに注ぎ足された。
「所長の居場所を教えましょう。その代わり、申請書を早急に北京事務所に再提出しま
すので、東京本部に送っていただけませんか」
亀尾信二は思いがけない提案に迷った。
「再度提出された申請書はきちんとチェックさせていただきます。同じようなミスがあ
れば、受け付ける訳にはいきません。それが僕の矜持です」
「当然です。それで結構です」
丁建国は議論の解決の出口が見えたと、一安心した。
「次はテイ所長の番です。僕のボスはどこで何をしているのか教えて下さい」
「教えましょう。ただ、それを知らないほうがいいこともあり得ますよ」
丁建国は含み笑いをした。亀尾信二はグラスを唇に近づけた。
「そういう言い方をされると、ますます知りたくなりますね」
丁建国は座りなおした。
「日中友好科学財団北京事務所長は国家秩序破壊分子と接触した罪で、工作部にしばし
ば拘留されています。ただ、拘留期間は数時間で、場合によっては取調室で夜を明かし
てもらうこともありますが」
丁建国は裁判官のような口調で告げた。
亀尾信二の脳に衝撃が走った。そんなバカな。あの女好きそうな所長が、よりによっ
て民主活動家と接触するなんてことがあるのであろうか。
「困ったものです。ただ、彼らと接触したところで、中国の安全が脅かされることはあ
りませんので、取るに足りないことですが。我々は彼ら国家破壊分子の人的ネットワー
クも、所長の日本国内の人脈もすべて把握していますので、影響は想定範囲内なのです。
子供の火遊びのようなものです。今度、所長に会ったら、伝えておいて下さい。すべて
の手口は読まれていますよと」
亀尾信二にはまだ信じられなかった。なぜそんな危険なことを所長がするのだろうか。
一介の元教授が何をやろうとしていたのであろうか。事実だとすると、それは所長の業
務範囲を超えている。亀尾信二は額に汗が湧き出るのが分かった。
「もう遅い時間ですから、会談はこれで終わりにしましょう。最後に、私の招待をわざ
わざ受けていただいたのですから、お礼にお土産を用意しました」
そう言い終わると、亀尾信二は赤いドレスを着た服務員が小さいワゴンを押してやっ
てきるのが目に入った。ワゴンには派手な色彩を描いた木箱が載せられていた。
丁建国は木箱の蓋を開けた。実物大の白菜だった。よく見ると、大理石から彫り出さ
れた白菜だった。亀尾信二はどうせ彫るのであれば、安物の白菜ではなく、高級なもの
や動物を彫ればいいのにととっさに思った。
「天津は白菜の有名な産地です。白菜はファーツァイという発音から分かるように、お
178
金持ちになる、あるいは、出世するという意味を含んでいて、非常に縁起のいい食べ物
です」
亀尾信二は何も言わなかった。
「通常ならば食事に接待するのが中国人の接待のやり方なのですが、今夜は飲み物だけ
の接待になってしまい、中国人として大変恥ずかしく、かつ面子がないと思っています」
丁建国はスーツのうちポケットから白い封筒を取り出して、テーブルの上に丁重に置
いた。
「どうか、これも受け取ってください」
「何ですか」
亀尾信二は何かは想像できたが、わざと分からぬふりをした。
「今夜の食事代と謝金です。少なくて申し訳ないのですが、次回お会いする時はもっと
弾みますよ。あなたは私たちにとって、大切なお客さまですから」
封筒は札束五十枚ほどの厚みがあった。一万円札か百ドル札ならば、約五十万円。百
元札であれば、約七万円である。
亀尾信二は封筒に手を伸ばさなかった。
「僕は日本人です。そういうものを受け取る習慣は日本にはありません。中国人とは異
なります」
思いっきり皮肉たっぷりに亀尾信二は言った。
丁建国はわざと頭をかきながら、
「困りましたな。私の面子が潰れてしまいますよ。ここは中国ですから、中国の伝統に
も従ってもらわなくては―」
丁建国は鋭い視線を亀尾信二に向けた。丁建国のボディガードは胸をそらして、威嚇
した。服務員は部屋からいなくなっていた。
亀尾信二は再び心臓が高鳴るのを感じたが、冷静さを装った。
「いいお友達になれたのですから、二つのうちどちらか一つを選択してもらえませんか。
白菜か封筒か――」
丁建国は有無を言わさぬ雰囲気を漂わせていた。身の安全は保証すると先方は言って
いるが、どんな理由をつけて、それを覆されるかもしれない。
亀尾信二は現金を受け取るのはまずいと思い、安そうな白菜を指差した。
「流石にお眼が高いですな、亀尾先生」
丁建国は冗談とも、本気とも分からぬ言い方をした。
服務員が戻って来て、大理石の白菜を箱に戻し、用意したボストンバッグに詰め込ん
で、亀尾信二に手渡した。
「折角の機会ですから、別れる前に質問をしたい」
亀尾信二がブランディーで顔を赤くして言うと、即座に丁建国がどうぞと応じた。
「前畑誠先輩と会ったこともすべて把握しているんですか。会話の内容も」
丁建国は一呼吸おいて、
「あなたと前畑誠が会ったことは分っている。だが、我々が会話の内容をどれだけモニ
ターしているかを教えることはできない」
「すべて見通しているんですね」
丁建国はニヤリと笑うだけで何も答えなかった。
亀尾信二は考え込んだ。沈黙が流れる。
「亀尾さん、あなたは善良なひとだ。私はそのようなひとが好きだ。いい友達になれれ
ばと、心から願っている。ひとつ私の方から忠告しておきます。張愛とは近づかない方
がいい。あなたの身に不幸がおこるかもしれない」
丁建国は静かに言った。
179
「えっ。マッサージ師の張愛も調べているんですか。なぜだ!」
亀尾信二は突然大声を発した。血が頭に上ってくるのが自分でも分かった。まだ、に
きびが残っている張愛の顔を思い浮かべた。悔しさが湧き上がってきた。
亀尾信二は席を立って、客室の出口に向かった。丁建国は後ろから近づいてきて、耳
元で囁いた。
「ドレスの女と遊んでいきませんか。部屋を用意しておりますから」
亀尾信二は聞こえない振りをして、部屋から出て行った。エレベーターホールには支
配人が待っていた。亀尾信二は支配人に導かれて、グランドフロアまで降りた。高い天
井には豪華なシャンデリアが輝いていた。亀尾信二は支配人の後について、巨大な回転
ドアからホテルの外に出た。リムジンが用意されていた。支配人は後部座席のドアを丁
寧に開いた。
しかし、亀尾信二は無視するように、胸を張って歩いて、正面の王府井通りに出た。
五十メートルほど大通りに沿って歩き、ちょうどやってきたタクシーに乗って、アパー
トと通りの名前を運転手に伝えた。
タクシーは返事もせずに、素早くその場を走り去った。
時計を見ると、日付が変わろうとしていた。
6
ハイテク流出
亀尾信二は自宅のアパートで眠れぬ夜を過ごしていた。夕食をとっていないが、空腹
感は感じられなかった。丁建国現代日本研究所所長との面会中は酔っていないつもりだ
ったが、相当飲んでいたことに改めて気づいた。ガードマン風の大男の前で緊張してい
たのかもしれない。
でも、やはり、ホテル・リージェントの出来事が夢のように感じられた。普通の日本
人である自分がこのような目に合う必然性がないのだった。悪い冗談であって欲しかっ
た。しかし、非情にも大理石の白菜は亀尾信二の部屋に実在していた。丁建国との会談
の動かぬ証拠になった。
亀尾信二はそれがすでに起こってしまったことと諦めると、丁建国との会話を思い起
こしていた。何回も反芻した。
なぜ、申請書の再提出にこだわっているのであろうか、疑問は解けなかった。所長の
行動も理解できなかった。それにしても、当局がマークしている民主活動家と所長の接
触は本当だろうか。所長は何を目的にしているのであろうか。
そもそも現代日本研究所の業務は何なのか。丁建国に質問し忘れたことが悔やまれた。
もっとも、訊いていたとしても満足できる答えは得られていないかもしれない。いや、
そうなるに違いない。疑問は亀尾信二の頭のなかを駆け巡った。
亀尾信二が眠りに落ちたのは、空が白み始めた頃だった。北京の空は 5 時前に明けよ
うとしていた。
亀尾信二が遅刻して、昼前に出勤すると、申請書はすでに届けられていた。他に何も
ない机の上に、申請書が入った大きい封筒が載せてあった。
「さきほど、中国科学財団の担当者が持参しました」
汪燕がこともなげに事務的に言った。
亀尾信二は封を開け、申請書を形式的にチェックすると、その日のうちに、本部に特
急便で郵送した。本部にはメールでその旨通知しておいた。
亀尾信二はボストンバックから大理石の白菜を取り出すと、応接セットの脇の補助の
テーブルの上に載せた。白い大理石の奥は深い緑色に輝いていた。深海の底を覗いてい
るようにも感じられた。貰った物を事務所においておけば、利己的な欲望を持っていな
180
いという証拠になるような気がした。何か追究されたときに、言い訳ができるとも考え
ていた。
汪燕はちらりと見たが、何も言わなかった。白菜にも大理石にもまったく興味を持っ
ていないようにみえた。
数日が過ぎたその日の午後、所長が戻って来たが、特に変わった様子もなく、民主活
動家の話をしようかどうか迷っていると、もう姿が見えなくなっていた。丁建国に会っ
た話をしても、信じてもらえるかどうか分からなかった。寝ぼけているのかと、笑い飛
ばされる恐れが大きかった。
数日しても、何の事件も起こらなかった。連絡をしてこない前畑誠に痺れを切らして
電話すると、携帯はいつもオフになっていた。会社の電話番号は分からなかった。北京
にいるのかさえ、はっきりしなかった。丁建国との出会いについて、前畑誠に相談をし
ておきたかったのだ。申請書を財団の東京本部に追加郵送したことで、一件落着するの
かも知りたかった。
ある日の午後八時頃、スナック「パラダイス」のママから何かの情報を得ようと、店
に出かけてみたが、ビル一階には看板も、横に座っていた中年の男の姿もなかった。十
四階に上がると、スナックの入口は細長い紙で大きなバツ印にして封印されていた。白
い紙には中国語の文字が縦に並んでいた。猥褻行為があったため、無期閉店に処したと
書かれていた。
亀尾信二は後ろに人影を感じ、振り返った。ドアの向こうの階段を急いで駆け降りる
靴音が聞こえた。何者なのであろうか。亀尾信二は恐くなり、急いでエレベーターで一
階まで降り、その建物からすぐに離れた。振り返ることもなかった。亀尾信二の心臓は
いつまでも激しく鼓動していた。
北京での平凡な時間は過ぎていった。
夏が過ぎ、秋になり、冬がやってきた。
二月の春節に帰国したかったが、妻の玉田玲子が突然アメリカに取材旅行に出かける
ことになったので、取り止めることにした。
日本では総選挙が行われ、自由党が下野し、民政党が政権を奪取していたが、亀尾信
二にはそれは遠い国のことのように感じられた。毎年行われていた年度末の日中友好科
学財団幹部の訪中は、新政権の政策動向に配慮し、突如中止になった。亀尾信二は理事
長一行のためにすでに数ヵ所の関係機関に面会予約を入れていたが、キャンセルになり、
すべての関係機関を訪問して謝った。中国人に頭を下げるのはいやだったが、時間つぶ
しには格好の材料になった。
そして、玉田玲子が五月の連休に北京やってきて、天安門の領袖の絵画はいつ降ろさ
れるのだろうかという不吉な発言をしたのだった。妻は亀尾信二の部屋の狭さに戸惑っ
たが、口にはしなかった。生活費は完全に分けており、お互いに干渉しないという約束
を守る必要があった。
玉田玲子が帰国すると、再び退屈な日々が戻ってきた。でも時折、妻と一緒に眺めた
紅い北極星がなぜか思い起こされた。時間とともに、その星の明るさは増し、色彩も赤
みを帯びていくのだった。
所長は昔と変わらず、事務所から去っては突然やってきて、また消えていった。汪燕
は退屈そうな表情を見せず、勤務時間内は机に座り、黙り込んで、パソコンの画面を見
ていた。もしかしたら、何も見ていなかったのかもしれない。
月末に書く調査レポートは二枚から次第に増加していった。中国の科学技術力は急速
に上昇していることが毎月実感できた。大学院で分子生物学を研究し、博士号取得まで
181
もう一歩のところまで来た亀尾信二にとって、最新の科学の動向を調べるのは楽しかっ
た。自然や生命の謎が解き明かされていく興奮を味わえるのだ。退屈な事務所で唯一の
生き甲斐であり、時間を潰すために有効な手段だった。
前畑誠との会話も丁建国との会談もセピア色の風景となり、亀尾信二の記憶から消え
失せようとしていた。
中国の高度経済成長は長期にわたって続き、人々の所得も上昇し、豊かになっていっ
た。北京、上海、広州などの沿海部の大都市は高層ビルが次々と立ち並び、海外資本家
も先を争うように投資していた。地球最後の巨大市場は世界中の人々にその姿の輪郭を
現そうとしている。華やかな経済発展は共産主義体制の暗くて、閉鎖的なイメージを覆
そうとしていた。
北京と上海の都心は再開発され、世界を代表する大都市へと変貌していた。東京の高
層ビルの数はとっくの昔に、上海と北京に抜かれていたが、それを知る日本人は少なか
った。新聞で小さく報道されていたが、その事実は日本人の意識の外におかれていた。
現実から目を背けていたのである。
北京の若者の服装は瀟洒になり、もはや中国人と日本人を服装から区別するのは困難
になりつつあった。列に並ばないとされていた中国人は地下鉄でも空港でも並ぶように
なっていた。列に割り込むひとを注意すると、それは日本人駐在員や旅行者だったとい
うことがしばしば起こった。
日本人は将来の夢を喪失し、中国を見下すことでひと時の満足を得ていた。中国崩壊
論の本がよく売れたが、それは将来の不安からの逃避であり、中国を客観的に書いたも
のは書店に並ぶことはなかった。日本は自由な国で、メディアの情報は客観的であるが、
中国は不自由で、情報は当局によって歪められていると日本人は信じて疑わなかった。
日本のGDPはもうすぐ中国に抜かれると報道されると、今後日本はどうやって生き
ていくべきかと世論は沸騰した。五年前に中国の経済成長率と日本の経済成長率を延長
すれば、現在の状況を予測することはたやすかったが、誰もそんなことをする者がいな
かった。
日本人の未来予知能力は落ち、今日を快楽に生きるに専心し、他人に関心を持たなく
なっていた。家族や地域の絆は断ち切られて無縁社会になり、暴力事件が増加していた。
日本は世界一安全であるという神話は崩れようとしているが、誰もそれを認めようとし
なかった。
多くの日本人は北京や上海が東京や大阪よりも安全であるということを信じなかっ
た。現地駐在員は本国の日本人の同情を買おうと、北京や上海での殺人事件や詐欺事件
を出張者に大げさに喧伝していた。中国に対して冷静な見方や判断ができる日本人はほ
とんどいなくなっていた。
中国人は地球規模の視点で、国家像の戦略を練っていた。中華帝国を真の意味で復活
させるには、経済大国ではなく、経済強国でかつ軍事強国になるべきだと考えていた。
それらのふたつの強国を実現するには、科学技術力の強化が不可欠との結論に達してい
た。そして、それは妥当な発想だった。
1967 年から十年間、文化大革命が続き、この間中国の大学は閉鎖され、科学技術は
大きく立ち遅れてしまった。鄧小平は東海道新幹線に乗車し、両国のあまりの落差に背
中を殴られるようなショックを受けたという。
科学技術の発展のためにはまず海外の先進技術を学ばなければならないとされ、多く
の中国人留学生が海外の先進国に派遣された。改革開放路線が始まって以来、百三十万
人の中国人が派遣され、三十万人が帰国した。知識や技術を獲得して帰国した者は大学
や企業で活躍し、中国の経済発展をリードしていった。
182
だが、百万人の中国人は優れた生活環境や職場環境を手放して、祖国に帰国するのは
忍びなかった。なかには政治的理由から帰国を拒否する者もいた。先進国にとっても、
優秀で、かつ勤勉な中国人は貴重な人的資源だった。アメリカの自然科学と工学分野の
博士号を取得する外国人は全体の半分になっていた。外国人の三分の一は中国人で占め
られていた。優秀な中国人の頭脳なくして、アメリカの科学の将来はないという状況が
生まれつつあった。
中国政府は海外企業のハイテクの取り込みも画策した。海外企業にとっては、中国を
大市場と考え、工場を相次いで建設していたが、ハイテクの提供には慎重だった。コピ
ー商品の製造を極度に恐れていたのだ。中国政府は中国企業との合作の場合しか海外企
業に中国進出を認めていなかったが、海外企業の経営ノウハウを学ぼうと、研究機能を
持つ組織を現地に作ることを条件に、海外企業に独資の企業設立を認めた。
海外企業は独自の経営を行うメリットのために、欧米企業を先頭に研究所を設立し始
めた。日系企業も同じ業界の他者の動向を伺いつつ、少しずつだが研究所の設立を進め
ていった。
しかし、技術移転を嫌う海外企業は、研究所において中国人の頭脳を使い、知的財産
権が生じるまで研究を完成させず、ある程度の成果がでると、自国に持ち帰り、自社の
研究機関で研究をやり、データを追加し、自国の特許庁に申請書を提出していた。巧妙
な抜け道だった。
中国政府は特許法などを改正し、中国国内で生まれた知的財産権については、中国の
特許庁に最初に申請を提出することや、成立した特許の商業化はまず中国国内で行うこ
とを求めた。中国人頭脳による成果の海外流出を警戒していたのだ。
ハイテクが喉から手が出るほど欲しい中国政府と中国に技術移転をしたくない海外
企業との間で攻防が繰り返されていた。中国政府は次の美味しそうな標的に慎重に狙い
を定めていた。
横浜みなと未来公園は横浜港に隣接しているため、冬でも比較的暖かかった。横浜市
は海岸を埋め立てて、みなと未来公園を拡張し、国立高等物理研究所を誘致していた。
その日、国立高等物理研究所の理事会は議論が膠着状態に入っていた。国立高等物理
研究所は日本政府が巨額を投入して、二十年前に設立したもので、現在では応用物理学
の世界最高レベルの研究を誇り、世界から俊英たちが集い、ライバル意識をむき出しに
して、毎晩遅くまで研究に没頭していた。韓国、台湾、中国からの研究者が特に多かっ
た。昼食時間には、英語と中国語が競うように食堂に響いた。外国人研究者が四割近く
いる国際的な研究機関である。
理事会メンバーの五名は楕円形のメインテーブルに座り、配られた資料に眼を走らせ
ていた。理事長はアメリカから呼び戻されたノーベル物理学賞受賞者だった。細い体躯
だが、メガネの奥から眼光を放っていた。真理を追究し続けた者の眼だった。
理事は当研究所のプロパー研究者、東都大学元副学長、科学技術省役人OB、大手家
電メーカー元経営者の四名で構成されていた。
メインテーブルを囲むように、椅子が並べられ、事務系の部長クラスと研究グループ
リーダーが十数名座っている。咳をする者もおらず、重苦しい空気が会議室に漂ってい
た。
「その実験データベースの流出は確かなのだな」
理事長は丸いメガネを右手の人差し指でずらして念を押した。情報管理部長はそうで
すとはっきりした口調で答えた。
「流出したデータはレーザー技術関係で間違いないんだな」
情報管理部長は大きく頷いた。
183
「我々の研究所はレーザーの発信研究で世界のトップを走っている。情報管理を厳しく
していたにも関わらず、その先端技術のデータが盗まれるとは内部の人間の仕業か」
役人OBの理事が厳しい口調で訊ねた。
「外部からのネットを使った進入は不可能です。内部とは言っても、レーザー発信技術
研究室以外の者からのアクセスは外部扱いになっており、同様に不可能です」
情報管理部長は断言するように言った。
「そうすると内部犯行か。研究室の構成はどうなっているのか」
理事長は冷静を装って、静かに質問した。研究室のグループリーダーは立ち上がり、
上気したような面持ちで、
「日本人は私と大学院生二名の合わせて三名だけで、他の十一名はすべて外国人です。
その内訳は中国人五名、韓国人二名、ロシア人、イラク人、インド人、アメリカ人がそ
れぞれ一名です」
「そのなかに犯人がいるんだな」
元東都大学副学長の理事は声を押し出すように訊いた。
「排除の論理でいくとそういうことになりますが、誰かを特定することは困難です。研
究を効率的に進めるために、研究室のメンバーは誰でもデータベースにアクセスできる
ようにしていますから」
グループリーダーは淡々と答えた。
「それにしても中国人が多いな。何か理由があるのかね」
天下り役人理事が訊いた。
「これには歴史的理由があります。中国の国費留学生として日本に派遣され、東都大学
で博士号を取得した丁建国が我が研究室の最初の中国人でした。彼はものすごく優秀で、
将来ノーベル賞を獲得するのではないかと研究室で噂をし合っていたほどです」
グループリーダーは立ったまま、説明を続ける。
「最近の若い日本人研究者は土日に研究室にやってくる者はいませんが、中国人は週末
にも研究室にやってきて、実験をやり続け、莫大な実験データを積み上げています。実
験物理学で論文を書くには実験データが必須です」
「私がアメリカのプリンストン研究所にいたときにも、中国人研究者の間で丁建国の名
前が話題になっていたよ。清華大学をトップで卒業したという逸材らしい」
ノーベル賞学者の理事長が神妙に言った。
「はい。ただ、丁建国はものすごく脂が乗り切っていたのですが、突然急に帰国すると
言い出したのです。我々は強く引き留めようとしたのですが、彼は頑なに理由を明らか
にせず、あわてて帰国しました。でも、その後も優秀な人材を送ってきてくれているの
には感謝しています。研究は人材で決まりますから。なお、中国から派遣される人材の
費用は日中友好科学財団が負担してくれています」
グループリーダーは、そこまで言うと、急に躊躇したような表情に変わった。
「どうかしたのかね」
理事長は促すように言った。
「三日ほど前から研究室の中国人二人の連絡が取れなくなっているのです」
会場にどよめきが起こった。会議室の出席者は彼らがデータ盗難の犯人だと直感した
のだった。
「彼らが犯人と決まった訳ではない」
理事長は会場を見渡しながら、通る声で言った。
「中国はやっかいな国ですが、我が研究所のレーザー発信技術は大出力ではありません
から、軍事に利用される訳ではない」
大手家電メーカー出身の理事が出席者の懸念を払拭するように語った。
184
「そこなんですが、私どもが開発したレーザーはアト秒、すなわちマイナス 18 乗のと
てつもなく短時間のパルスです。世界新記録です。このパルスレーザーを使用すると、
電子の軌跡が観測できるかも知れない」
グループリーダーは自慢するように語った。理事長の顔色が変わった。電子の軌跡が
観測できれば、原子爆発の際の原子内の様子が見えるかもしれない。理論的には、新型
原子爆弾の開発の観測手段として利用できないこともない。理事長はそう思ったが、動
揺が研究所に広がるのを恐れて、それを口にしなかった。
「他の案件もあるので、本件の議論はこの程度にしたい。データベース盗難事件につい
ては、引き続き調査し、実態の解明に努めて欲しい」
理事長は自分の動悸を鎮めるように言った。
「関連の発言をしていいでしょうか」
放射線観測センターの主任が手を挙げた。
「手短に発言したまえ」
主宰者の理事長は不満気な声を出した。
「ただ今、中国人研究者の話題がでましたので、関連案件として報告します。二年前に
四川大地震が発生した数日後、放射線観測センターの計器が天然に存在しない放射能を
検知しました。核爆発の際にしか発生しない物質です。
私はそれをすぐに公表したかったのですが、同じセンターの中国人研究者は観測ミス
の恐れもあるので、数日様子をみてからにすべきだと頑なに主張したため、もっと観測
してから判断しようとしたのですが、翌日には運悪く観測器に不具合が生じ、事実を確
定することができなくなりました」
出席者は全員発言者の意図が分かったが、あまりの衝撃のため、平静を装った。四川
大地震地帯は地下核工場があり、山が吹き飛んだ、コンクリートの塊が地下から湧き出
てきたなどとネット上に情報が書き並べられた。これらの情報は、中国嫌悪派が意図的
に流したでたらめ情報だとして、政府も専門家もその真偽を無視し、確かめようとはし
なかった。
研究機構はアカデミックな研究活動に専念し、下界の雑音や煩わしい政治・外交問題
から無意識的に眼をそらしていたのだった。
「時間の関係から、次の議題に進みます」
場の雰囲気を払拭するように、理事長の大声が響いた。そのような大声を聞くのは珍
しかった。
神戸市ポートアイランドの中央駅にほど近い国立ナノ物質研究所のメタマテリアル
研究室で木曜日午後五時、ブレーンストーミングが行われていた。国立ナノ物質研究所
は阪神神戸淡路大地震の復興の一環として、仙台総合大学の物質材料研究所の一部を神
戸に移転し、ナノ材料の開発に特化して拡張した研究所である。
ブレーンストーミングとは、研究者が思いついたことを自由に発言し、意見交換する
ことにより、まったく新しい発想を促し、研究のグレークスルーを行おうというもので
ある。研究は外部から見ると、高級な頭脳活動のようにみえるが、若い研究者や学生に
とって、毎日はルーティーンな手足の活動に終始する。労働者とあまり違わない。一方、
教授の主な仕事は、研究資金を政府や企業から獲得してくることである。
しかし、そのような雑用ともつかぬようなことばかりやっていては、世界中の研究者
が参加している厳しい競争に勝ち抜くことができない。そこで重視されるのが、常識に
拘泥されないアイデアや斬新な発想である。ブレーンストーミングでは、SF のような
議論が飛び出すこともある。平凡な日常活動から脳を解放するのだ。
メタマテリアル研究室のメンバーのうち、海外出張中の日本人ポスドクを除く、八名
185
の研究者と大学院生が狭い室長室のソファーを二重に取り囲んでいる。ポスドクとは任
期付き雇用の若い研究者のことである。
アメリカ、インド、中国から来ている研究者もいるため、研究室の共通語は英語だ。
英語が流暢でなくても、専門用語さえ的確に使えば、文法が少し間違っていても、かな
り深い専門的な議論を展開することができる。
「その材料をうまく使えば、ハリー・ポッターが使うような透明マントが作れるように
なるかもしれんな」
メタマテリアル研究室の室長は定年に近いが、夢のある話で若い研究者を鼓舞しよう
としている。その材料とは常識とは異なる性質を示すメタマテリアルのことだ。白髪頭
だが、旺盛な好奇心が室長を若く見せている。
「透明マントが完成すれば、綺麗な女の子にもそっと近づけるようになる」
大学院生がうれしそうに言うと、みんなどっと笑った。ただ、中国人研究者だけは笑
ったような顔をしただけで、声を出していなかった。
「透明マントを作るには、二つのアプローチがある。光が反射するのを遮断する方法と
光を物体の後方に屈折させるやり方だ。前者は物体を超微粒子で覆うやり方でナノテク
のプラズモニクスと呼ばれる。後者にはいくつかの材料が開発され、世界の一流雑誌に
掲載されているものもある。ホットな研究分野のひとつになっている」
研究室のナンバー2 の古参研究者が真面目な顔で発言した。
「髪の毛の二十分の一しかない銀線を酸化アルミニウムに組み込んだ微細な材料がア
メリカの一流雑誌に掲載されている。さらに、イギリスの一流雑誌には、銀とフッ化マ
グネシウムを交互に並べたナノスケールの金属片を網目状に裁断し何層にも重ねた研
究成果が載っている」
アメリカからやってきたイタリア系研究者が分かりやすい英語でつけ加えた。
「原理は解明されているんですか」
日本人ポスドクが訊いた。
「それらの新材料は負の屈折率を持ち、可視光を後方に曲げているようだ。ただ、まだ
完全に曲げることができる訳ではないため、ハリー・ポッターのマントのようにパーフ
ェクトに姿を消すことはできない」
脚の長いアメリカ人が手振りを大きくしながら言うと、出席者たちは頷いた。
「いずれの材料も銀が使われていて、かつナノ加工されているのが特徴ですね。新しい
メタマテリアルを作ろうとすると、この二点は不可欠に違いない」
インド人が早口の英語でしゃべった。インドでは、話のスピードが遅いものは頭の回
転も遅いと信じられている。だから、エリートの英語は速い。
「そうとも限らん。あまり流行の後を追うと、世界の先頭を走ることはできない。今ま
で積み上げてきたやり方を信じて、大切に開発していくしかない。我々が開発した手法
で新素材を作製すると、ほぼ完璧に透明マントが実現するはずだ」
室長は出席者を見渡しながら、自慢気に言った。
「アメリカのステルスは敵のレーダーを吸収したり、乱反射させるため、見えない戦闘
機とされている。この素材を戦闘機の表面に塗装すれば、透明な戦闘機が作れるんじゃ
ないですか」
先ほどの大学院生が無邪気に笑いながら、言った。中国人研究者の眼が一瞬光り、メ
モを走らせていた。この中国人研究者はいつも議論に加わらず、ひとつき合いも少なか
ったが、他の研究者の研究内容に異常な関心を示していた。彼は日中友好科学財団の経
費負担で国立ナノ物質研究所に派遣されていたのだった。
「それは考えすぎるアイデアだ。科学者は人類の幸福と繁栄のために研究しているので、
研究成果を軍事に利用することを考えてはいかんよ」
186
古参の副室長は戒めるような口振りをした。
「どんな技術も民生と軍事の両方に利用される可能性がある。それをデュアル技術とい
う。軍事での利用の可能性が高い技術は開発が急速に進展するという専門家もいるくら
いだ。戦争が起こり、負傷した兵士が大量にでると、脳科学が急速に進歩するのも事実
だ。脳の損傷と機能の喪失の関連情報が大量に得られるからだ」
アメリカ人研究者がイタリア人のアクセントで真剣に語った。陽気なイタリア人のイ
メージからは遠かった。
「今日のブレーンストーミングはこれくらいにしよう。我々が開発した素材はできるだ
け早く論文を書き上げて、科学雑誌に投稿し、同時に特許も申請しておくことだ」
室長は古参の副室長に厳命した。目立たないように隅に座っている中国人研究者は一
言も発せず、ひたすらペンを走らせていた。
福岡市郊外の静かなハイテクパークの中央に、ひときわ際立つ二十数階の高層ビルが
あった。国立脳サイバー研究所である。
自然や生命のなかで野心的な科学者の興味を惹く分野は脳しか残されていない。心や
意識の問題は最大の謎で、研究者の前に大きく立ちはだかっていた。
国立脳サイバー研究所はアメリカに遠く遅れていた脳科学の起死回生を願って、日本
政府が特別な予算を組んで設立したものであった。アルツハイマー病の解明など分子生
物学的アプローチではアメリカに追いつくことは不可能である。脳解明のために、日本
らしい独創的なアプローチが求められていた。日本は超微細加工、ロボット制御技術の
分野で世界の最先端を走っているため、これらの技術を活用した脳機能の解明に期待が
寄せられていた。
藤田直哉主任研究員は脳研究の世界の最高峰と言われているハーバード大学医学部
での十年間の研究者生活を終えて、帰国するや、日本の技術の特性を活かし、脳と機械
をつなぐ研究に没頭していた。彼は四十歳に満たない冗談も言わない真面目な科学者で
ある。
彼は大手自動車メーカーと協力し、車イスに乗ったひとの脳波や脳磁気を計測し、車
イスを自由に走行できる技術の開発に成功し、世界中を驚かせた。車イスに座った実験
者は頭のなかで、まっすぐ進め、右に曲がれ、左に曲がれ、停まれと思うだけで、車イ
スを自由自在に操ることができるのである。
さらに、サルの脳に電極を植え込み、それを介して脳の神経細胞活動を検出し、サル
の腕に装着したロボットアームを自在に動かせることにも成功していた。サルはエサが
欲しいとき、そう考えるだけで、情報が脳から電極を通じて外部に抽出され、サルの腕
に装着された人工のアームで遠くにあるエサを取ることができたのである。アメリカで
は、半身不随の被験者に同様の電極を植え込み、考えるだけでパソコン画面のカーソル
を自由に動かす実験に成功している。研究者間の国際競争は激化していた。
将来、もっと研究が進み、ひととひとの脳を直接つなぐことができるようになれば、
さらに緊密なコミュニケーションができるようになるであろう。人間のありかたまで根
本的に変えてしまう可能性を秘めている。
藤田直哉研究室は若い優秀な研究者で活気に溢れていた。毎晩遅くまで電灯が点いて
いた。週末も誰かが研究室に来て、サルの実験データを精力的に取得していた。藤田直
哉主任研究員が机に向かって、イギリスの科学雑誌『ネイチャー』への論文を書いてい
るとき、ひとりの研究者が血相を変えてやってきた。
「藤田主任、大変です。これを見てください」
有名な科学雑誌に掲載された数ページの論文だった。藤田直哉研究室は論文をパラパ
ラめくると、顔から血の気が引いていった。論文の内容は、彼が今まで発表した数種類
187
の論文を継ぎ接ぎして、新しい論文であるかのようにでっち上げたものであった。それ
が権威のある雑誌に掲載されているのである。藤田直哉主任研究員は頭を殴られたよう
な衝撃を受け、これを事実と認識することができなかった。
「この論文の著者は中国軍事医科学研究院の脳神経研究所の研究者です」
その研究者は青ざめた藤田直哉主任研究員に向かって小声だが、明瞭に語った。
「何、中国の軍関係の研究機関が我々の論文を剽窃しているのか」
藤田直哉主任研究員はそう口に出そうとしたが、言葉は脳のなかに閉じ込められ、声
に変換されることはなかった。
東都大学の安岡講堂の裏手の建物の二階のセミナー室で、毎月第三土曜日午後四時か
ら定例会が開催されていた。週末の大学キャンパスはひとが少なく、閑散としていた。
しかし、このセミナー室は熱気に溢れていた。セミナー室の外に漏れてくる言語は、日
本語でもなく、英語でもなかった。中国語だった。
室内には二十人弱の中国人の研究者、技術者、ビジネスマンが大きな声で熱心に議論
していた。日本人の眼には喧嘩しているようにも映るだろう。彼らは日本の大学、研究
機関、企業で働く若い中国人たちであった。
日本人学生や研究者は家族や自分の生活を大切にするため、週末に大学キャンパスに
やってくるものは少なかった。でも、中国、インド、イラン、アフリカからやって来た
留学生は少しでも早く博士号を取得しようと眼の色を変えていた。母国で待つ両親の負
担を軽減し、一刻も早く帰国するか、研究条件のもっと優れたアメリカに渡るためであ
る。日本の大学をアメリカ行きの踏み台として利用する留学生は少なくなかった。
日本の大学の研究室は学生の教育が行き届き、また実験を重んじているため、博士号
取得後、ポスドクとして採用するに当たり、欧米の大学から高く評価されていたのであ
る。
中国人によるセミナーは東都大学だけでなく、技術分野別に他の大学でも盛んに行わ
れていた。自動車エンジン、ロボット、デジタル家電など日本が強い技術のセミナーは
人気が高かった。中国人は初対面でも、相手の懐にぐいぐい入っていき、相手の能力と
性格を見極める能力に長けていた。決断が速い。そのため、意気投合すると、情報交換
や技術協力がすぐに進むというケースが多い。人的ネットワークの形成能力に優れた民
族である。
そのようなネットワークを利用して、欲しい技術情報を獲得したり、もっと条件のよ
い就職先を探すのである。
このセミナーはロボットの頭脳ともいうべき自動制御系に関するものであった。だが、
今日は東都大学の副教授による最先端の研究成果の講演を聞いた後で、就職の斡旋説明
会が行われていた。セミナー室の前方には、駐日中国大使館の参事官、一等書記官、そ
して北京の中関村ハイテクパーク東京事務所の主任が座っていた。中国大使館員はひと
りで行動することが許されておらず、外出の際は必ず二人以上で行動していた。共産主
義の相互監視体制のためである。彼らは日本人の女性と交際することが禁じられていた。
機密の漏洩を防ぐためである。
参事官が演壇の前に進み出た。四十歳前後の外交官然とした雰囲気を発散している。
「中国同志たちのみなさま、セミナーと中関村ハイテクパーク就職説明会への出席に感
謝します。本日は週末にも関わらずここ日本の最高学府に集合し、熱心な学術的議論を
展開されていることに感銘を受けました。お互いが職場で埋もれることなく、中国人同
士のネットワークを大切にし、情報交換を緊密にし、祖国の発展のために貢献していた
だけるよう尽力して下さい。
中国大使館としては、このようなハイテクのセミナーの開催に対しまして、申請によ
188
り、毎年百万円を援助してきました。引き続き、援助していきますので、いっそう活発
な議論と相互の親睦が行われることを期待しております。祖国のために一致団結しまし
ょう」
会場から大きな拍手が起こった。日本人がいる席では、中国の外交官たるものは日中
友好促進という重要な用語を必ず使わなければならないが、今日はそれを用いる必要が
なかったので、緊張感が和らいでいた。
また、公的な場では決められた制限のなかでしか発言できなかったが、むしろその方
が、自分の意見を考える必要がなく、気楽といえば気楽だった。自分の思想を持つこと
は苦痛であり、しばしば危険でさえあった。
次に、中関村ハイテクパーク東京事務所の主任が挨拶に立った。顔には深い皺が寄り、
退職前の年齢と思われるが、声に張りがあった。南方出身のアクセントが残っている。
「中関村ハイテクパークはみなさんのような優秀な人材の帰国を待っております。年内
に帰国され、ハイテクパークで起業される場合には、北京の管理事務所からベンチャー
の立上げ経費を支援するのみならず、最初の二年間は企業所得税の免税を実施し、それ
以降も利益が出るまで免税とさせていただきます。このような特別の優遇措置で、みな
さまをお迎えする準備が万端整っております」
いきなり本論に入るや、具体的な帰国優遇策について詳細に説明を始めた。途中で、
会場から次々と質問が投げかけられた。話はしばしば脱線していった。中国人特有の議
論の展開方法である。
セミナー室には夕闇が迫ろうとしていたが、誰もそれに気がつかなかった。
東京事務所長の説明と質疑応答が終わると、後ろからひとりの男が立ち上がり、前方
に向かって歩き出した。参事官と事務所長は立ち上がり、深く頭を下げた。一目置き、
緊張した様子だった。その男とは丁建国現代研究所長だった。
なお、セミナー出席者の三分の一以上は日中友好科学財団の費用で日本に派遣された
研究者だった。
08 年 7 月、北京オリンピックの聖火リレーが長野で開催された際、中国大使館の秘
かな指示のもとで、日本全国の各大学に設置されたセミナーや勉強会は連絡を取り合い、
二千人以上がバスに集結し、北京オリンピックに反対するチベット系留学生の声をかき
消し、聖火リレーの成功を後押ししたのだった。
7 競争か、協力か
暇だった日中友好科学財団北京事務所の雰囲気が一本の電話で急変した。明日、財団
本部の双葉直子課長が急遽、北京に出張に来るというのである。亀尾信二は役所や公的
機関の仕事のやり方がうまくつかめず、戸惑っていた。今回の出張の目的は一切教えら
れず、中国の科学技術力をきちんと把握しておくようにという伝言が来ただけだった。
所長とは連絡がつかなかったが、財団はさして気にしている風でもなかった。北京事
務所の所長がいなくても構わないという状況が亀尾信二には理解できなかった。民間企
業ではたとえ責任者が不在であっても、その責任を問わないのが考えられない。
翌日、亀尾信二と中国人スタッフの汪燕は世界最大級の北京首都空港第三ターミナル
で双葉直子課長ら二人を出迎えた。双葉直子は科学技術省から財団に出向している三十
二歳のキャリアだ。名門の東都大学法学部を卒業後、Ⅰ種国家公務試験を優秀な成績で
合格し科学技術省に入省した。
だが、同期が本省の課長補佐でバリバリ働いているなかで、二年以上も財団へ出向し
ていることは彼女に出世競争に遅れていると感じさせていた。しかし、三十歳代前半で
の遅れを取り戻すことは至難の業というほどでない。この出張は自己の能力と業績をア
189
ピールする絶好の場であった。もちろん、亀尾信二にはそのような世界の存在も意義も
無関係である。
双葉直子は長い髪を後ろで結び、ショルダーバックを掛け、紅いパンタロン姿で、人
目も気にすることなく颯爽と歩いて、亀尾信二に近づいてきた。亀尾信二は睥睨されて
いるような嫌な感じを受けた。
「出迎えご苦労様。クルマの運転手はどこにいるの」
と言って、コンパクトなスーツケースを差し出した。運転手に運ばせてよ、という魂
胆だろう。
「うちの事務所はよそと違い、予算が潤沢ではありませんので、運転手を雇うことはで
きません」
亀尾信二は恐縮したような言い方をした。まるで自分が何か悪いことをしているよう
な状況に追い込まれていた。
「あっそ」
双葉直子は横を向きながらあっさり言った。
「所長が来られなくてすみません」
亀尾信二はなぜ謝らなければならないか疑問に思いながらも、そう言った。双葉直子
は所長には関心をまったく示していなかった。
「あなたが中国人スタッフね」
汪燕に向かって質問した。
「そうです。課長がいらっしゃるのを首を長くしてお持ちしておりました」
汪燕は満面の笑顔で言いながら、右手を差し出した。それは亀尾信二が見たことのな
い親密な表情だった。双葉直子は作り笑いをしたが、眼は笑っていなかった。
四人は一台のタクシーには乗らず、双葉直子の指示でふたりずつ分かれた。双葉直子
と亀尾信二、汪燕と付き添いの組み合わせだった。
タクシーが動き出すや、双葉直子はなぜ一台のタクシーに乗らなかったか分かるか、
と亀尾信二に訊いた。
「中国人を信頼していないんですね」
「当然でしょう」
双葉直子は吐き捨てるように言った。
「同行者は私の部下ではなく、臨時に雇った通訳よ。関係機関の訪問には通訳を連れて
行くわ」
汪燕経由で情報が外部に漏れることを恐れていたのだった。
「役所の幹部はみんな反中国派か嫌中国派よ。親中国派と思われたら、本流からすぐに
外されるわ」
そんなくだらないことを言わせないでという言い方だった。そして、双葉直子はため
息を我慢せずに吐いた。亀尾信二は年下の女に軽くあしらわれたと思い、ムッとしたが、
それを押さえて、出張の目的を聞き出そうとした。
「一週間後、自由党が財団の理事長らを参考人として呼んで、勉強会を開催することに
なったのよ」
「どんな勉強会ですか」
亀尾信二は下手に出た。
「中国経済はもうすぐ日本を抜くわ。でも、日本が頼りにしている科学技術で、中国が
どこまで日本に迫っているか、政府の役人や大学の専門家などを集めて議論しようとし
ているの。自由党から我が財団の理事長に真っ先に声がかかったのよ。日中友好科学財
団という名称だから当然と言えば当然よ。
でも、この財団ときたら、中国の科学技術力に関するデータをほとんど蓄積していな
190
いのよ。ゴミのような役に立たない情報しかないのよ。今まで何の仕事をやってきたか
わかりゃしない。理事長は自由党の会合で恥をかかない対応ができるように、突然私を
北京に出張させ、情報を掻き集めようとしているのよ」
双葉直子は自分も犠牲者なのだと言わんばかりだった。理事長は科学技術省の事務次
官経験者だ。双葉直子にとって点数稼ぎの絶好の機会だった。双葉直子は脚を組んだま
ま話し続けた。イヤリングは目立たないが、センスがあり、よく観察すると鼻筋が通る
美形だということに亀尾信二は気がついた。玉田玲子と同じ上昇志向の強い女であるこ
とも。
「自由党は前回の総選挙で敗北し、下野したわ。政権に就いた民政党は東アジア共同体
を提唱しているけれど、内容は空っぽだわ。自由党は民政党との違いを鮮明にするため、
中国をもっと研究し、対抗策を打ち出そうとしているわけ。ただ、難しいのは、自由党
は野党だから、あまりサービスすると与党から睨まれるのよ。そこはうまくやらなくっ
ちゃならない。いずれにしても、まず中国の科学技術力と中国政府の政策をしっかり把
握することが大事だわ」
双葉直子は早口で背景を説明すると、二枚の紙を亀尾信二に渡した。一枚目は政府関
係機関、大学、研究機関の名称がリストアップされていた。
「明日からこれらの機関をすべて訪問するから、面会アポを取ってちょうだい」
「面会の目的は何と伝えればいいでしょうか」
亀尾信二は事務的態度で訊いた。
「それはあなたが考えて!財団の人たちはみんな上からの指示待ちばかり。少しは頭を
使ったらどうなの」
タクシーの運転手が双葉直子の大声に驚き、後ろを振り返った。タクシーは高速道路
に入り、市内を目指していた。亀尾信二は女課長の言い分に沈黙せざるを得なかった。
「背景はあなたにしゃべったわ。本音を言わずに、うまく面会アポを取るのがあなたの
役目よ。それ以降は私の責任で聞き出すわ」
双葉直子は落ち着きを取り戻した。任務の重大さに神経質になっているようだった。
はい分かりました、と亀尾信二は回答するのが精一杯だった。イヤリングのオパールが
輝いた。
「私は連れてきた通訳とともに関係機関をヒアリングに行くわ。その間、あなたは二枚
目の資料を完成させて欲しいの。空欄を埋めるだけだから簡単でしょう」
資料のタイトルは日中科学技術力比較の表だった。表の左側に比較のための指標が五
十項目以上ピックアップされていた。日本の縦の欄はすでに数字が書き込まれているが、
中国の欄は空白になっている。これを埋めるのが亀尾信二の仕事という訳である。
この資料を完成させれば、両国の科学技術力を一目で客観的定量的に知ることができ
るというのである。
「これは大変よく出来ている資料です」亀尾信二はまず高く評価した。「しかし―」
「しかし、何よ」
双葉直子は即座に反応した。
「中国はご存知の通り不透明な国のため、信頼できる統計や客観的な数字を得られるか
分かりません」
亀尾信二は声を落として正直に答えた。
「そんなこと調べもせずにどうして分かるの。百二十%の努力をしてちょうだい」
双葉直子は命令口調で言った。
亀尾信二は後悔した。研究者としての道を一度は歩んでいたため、調査研究は嫌いな
訳ではなかった。だが、所長からこの財団は真面目に仕事しても評価されないほど腐っ
た組織だ、中国では仕事をやり過ぎると苦境に落ちると言われていたため、調査活動を
191
抑えてきたのだった。実際、丁建国現代日本研究所長からの牽制球は亀尾信二が余計な
ことをしたために投げられたものである。日本派遣研究者の申請書に深入りしてチェッ
クなどせずに財団本部に郵送していたら、拉致されずに済んだに違いない。
前回は警告だった可能性は高い。次回はどんな眼に合わされるか分からない。亀尾信
二は恐怖感を覚え、身体が一瞬硬直した。
「何を考えているの。しっかりやって下さい。どうせ海外事務所は暇なんだから。私は
本省にいた時にはいつも深夜午前二時にタクシーで帰宅していたのよ」
双葉直子はますます不機嫌になった。タクシーは第二環状線に入り、王府井のホテ
ル・リージェントに向かっていた。亀尾信二はスウィートルームの情景を思い起こして
いた。丁建国所長が語った言葉をひとつひとつ思い起こしていた。そして、土産にもら
った白菜の大理石は事務所の応接セットの横に置いてあった。訪問客はほとんどなかっ
たが、あったとしても誰も興味を示さないシロモノであった。偽物に違いないと亀尾信
二は思い始めていた。ただ、偶然とは言え、あのホテルに行くのは気が進まなかった。
「ホテルに着いたら、私たちは自分でチェックインするから構わないで。この足で事務
所に戻り、一覧表を埋めるための調査をしてちょうだい。あなたしかこれができるひと
はいないのよ。期待しているわ」
双葉直子は亀尾信二の眼を見つめながら言った。この仕事を完遂したいという意思が
眼の奥で輝いていた。
「はい、かしこまりました」
亀尾信二は深く頭を下げた。
「夕食もほっといて構わない。私は日本公使館の科学アタッシェと会うことになってい
るの。公使館には中国政府の公式発表の表面的な情報しかないかも知れないけれど、ダ
メ元で話を聞いてみるわ」
それからの五日間、亀尾信二は朝から夜遅くまで、資料作成に没頭した。インターネ
ットで得られる情報は少なかったため、国家統計局、科学教育部、中国科学財団、中国
アカデミアなどの機関に出向き、資料を収集したり、話を聞いたりした。
政府機関の役人は警戒してか、ほとんど意味のある情報を提供してくれなかった。だ
が、大学教授は知っていることを猛烈な勢いでしゃべり続けた。自分の研究成果を誇示
するかのようであった。でも、資料の提示はなかった。政府と党による情報統制が徹底
しているのであろう。証拠に残るものを外国人に渡すことはしなかった。亀尾信二には
それでも大変有益な情報のリソースになった。
双葉直子も毎日五つの関係機関を訪問し、相手があきれるほど機関銃のように質問し
た。しかし本質的な問題になると、相手は議論のポイントを意図的にずらし、回答して
きた。口裏を合わせたように、誰もが同じ態度だった。会談の最後には、面会者は決ま
って日中友好と日中協力の促進を要望した。双葉直子は日が経つにつれて、中国の役人
の規律正しさを強く感じるようになった。公式な場では、パンフレットに書かれている
ような言葉だけが踊り、理念や戦略や戦術など実質的な議論を行うことはできなかった。
時間を惜しむように、双葉直子はベンチャー企業経営者や大学教授との昼食会や夕食
会を開催し、中国の科学技術力と今後の方向性を掴もうとした。ベンチャー経営者は、
自社の実力を過剰に宣伝する社長ばかりだった。何が現実で、何が目標であるのか明確
でない話が多かった。
しかし、誰もが情熱的に将来の夢を語り、協力相手を必至に求めていることが分かっ
てきた。成熟社会の日本が失った、高度経済成長社会に生きる人々の活力を身を持って
感じることができた。双葉直子は調査を通じて、ぼやけていた中国の実像がカメラのピ
ントが合わさるように明瞭になってくるのを感じた。それはひとつの収穫だった。
数日後、双葉直子は亀尾信二に北京首都国際空港まで見送らせた。役人らしからぬ派
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手なスカートを穿いていた。最後に慇懃無礼にお礼を言い、搭乗口に向かおうとしたが、
突然何かを思い出したように振り返った。
「所長に伝言して下さらない。くれぐれも無理をなさらないようにと―」
そういい残すと、急ぎ足で機上のひととなるべく消えていった。
亀尾信二は女課長にどう評価されようが、自分で満足できる仕事を終えたという感情
に浸っていた。そして、自分が情熱を込めて作成した資料を基に、自由党で活発な議論
が戦わされ、日本の科学技術政策が進展していくことに少しでも貢献できると考えると、
少し誇らしい気分になった。
だが、双葉直子の「所長は無理をするな」とはどういう意味であろうか。亀尾信二は
丁建国現代日本研究所長との出会いについて誰にも何も言っていない。丁建国が本当の
ことを言っていれば、所長は民主活動家に何度も接触し、その都度、拘束されたことに
なる。そのことを双葉直子は知っているのであろうか。今回の出張の目的はもしかした
ら、中国の科学技術力の調査ではなく、別の任務があったのではないか。そのために、
同行が許されなかったのかも知れない。そう考えると、亀尾信二は急に息苦しくなった。
彼は通常していないネクタイを緩め、深呼吸をした。
自由党本部の十一階の会議室には次々と衆議院議員と参議院議員が集まって来てい
た。議員が出席できない場合は代理として政務秘書が出席している。総勢五十名以上が
集まっている。勉強会は午前九時に始まるが、参加者は八時四十分頃から集まり始め、
席に着くや朝食を食べ始めていた。ご飯、味噌汁、鮭の塩焼き、海苔、卵焼き、漬物の
和風定食を瞬く間に平らげていった。政治家の食欲は旺盛である。
役所からは科学技術省、教育省、商務省、外交省の代表が呼ばれていた。講演者とし
て、国立高等物理研究所、国立ナノ物質研究所、国立脳サイバー研究所、日中友好科学
財団、大手家電メーカーなどの幹部が招待されていた。
日中友好科学財団理事長の後ろの席には、双葉直子課長が分厚い資料を抱えてぴった
り寄り添っていた。商務省の代表は、日本公使館で参事官として勤務した経験のある村
井隆政策課長だった。中国に詳しいという理由で勉強会に派遣されたのである。北京駐
在の際に人民解放軍の病院で開頭手術を受けていたが、その傷は外目にはまったく認識
できなかった。
さらに、コメンテーターとして、中国の政治に詳しい東都大学教授と日本公共政策大
学准教授が招聘されている。
コの字型に並べられたテーブルの中央は、自由党国際競争力調査委員会の会長と副会
長が陣取っている。会長は科学技術議員連盟のドンで、前科学技術大臣の後藤勝衆議院
議員が就任している。副会長は科学技術省のOBの寺崎直人参議院議員が務めていた。
まだ、三十九歳の若さだ。ふたりは最初に食事を終え、開始時刻が来るのを待っていた。
「野党に下野するや否や、役人の態度は百八十度変わったな。面白くない」
長老の後藤勝会長がわざと役人席に聞こえるように言った。
「科学技術省は局長が来ているが、教育省は次長クラスで、商務省は課長しか来ていま
せん」
寺崎直人副会長が応じた。
「子供のサッカーと同じだ。権力つまりボールのあるところに子供が集まる」
後藤勝会長は役人を子供になぞらえている。
「まったくそうですね。ところで、今日の会合の結論はどのようにまとめるおつもりで
すか」
「この委員会としての声明文を公表する。マスメディアは政府と民政党の動きしか報道
しないので、自由党の存在が薄くなっている。テレビや新聞社の記者に声を掛けている。
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今日の会合の議論はマスメディアにオープンだ。大々的に報道してもらい、民政党との
違いを国民に鮮明にしようじゃないか。国民の将来を真面目に考えているのは自由党
だ」
血色のいい後藤勝会長は自信たっぷりに言った。
時計の針が九時を示した。記者とカメラマンが一斉に部屋に入って来た。後藤勝会長
が悠然と立ち上がった。
「本日は朝早くから大勢の議員、役所の代表の方々及び中国専門家の皆様にお集まりい
ただき、誠に感謝申し上げます。本国際競争力調査委員会はわが国が将来どのような方
向に進むべきか、将来の日本人のためにいま何に投資すべきかを議論し、決議するもの
であります」
会長の大きな声は会議室の外まで響いた。フラッシュが盛んにたかれた。テレビカメ
ラ三台が会長の表情をアップで映し出している。
「自由党は無責任な与党と異なり、真剣に国の将来を憂えております。この真摯な態度
と質の高い議論を国民にご覧いただき、支持を獲得し、次回の選挙で勝利し、政権を奪
還して参りたいと考えております」
挨拶が終わるや、議員と秘書の大きな拍手と、そうだ、そうだとはやし立てる声が起
こった。講演者とコメンテーターは硬い表情を崩していなかった。
続いて、寺崎直人副会長から今日の会合は、脅威となりつつある中国の科学技術力と
今後の対応の議論に集中したい旨の説明があり、講演者から各十分間の意見開陳を行う
ことになった。
後藤勝会長は各々の講演者の意見を聞きつつ、脂ぎった顔に苦虫を潰した表情を浮か
べていた。約一時間にわたる講演が終了したが、その内容はどれも迫力に欠け、誰でも
知っている新聞情報並みの当たり障りのないものだった。後藤勝会長は当てが外れたと
思った。中国脅威論が続出し、危機感を高めることで、メディアと国民の注目を浴び、
求心力を高めていこうとしていたのである。
講演者はありのままを発言すると、中国政府に睨まれることを恐れているのであろう
か。そうであれば事態は深刻である。東京にいても、野党の自由党よりも中国政府を気
にするのかという無念さが後藤勝会長の脳裏を横切った。
後藤勝会長は座ったまま発言した。
「講演者の皆様、有益な情報提供、大変ありがとうございます。国際競争力調査委員会
といたしましても、中国の科学技術力の概要を把握することができました」
そう言いながらも、後藤勝会長は心の底で憤慨していた。
「もう少し突っこんだ議論を展開させていただきたいと考えています。私の方から質問
させていただきます」
後藤勝会長は講演者を睨みつめた。本音を言えというような眼光を放っていた。
「最初に、北京に長く駐在員事務所を構えておられる日中友好科学財団にお訊きしたい
と思います。中国の現在の科学技術力をどのように評価されておられますか。率直な感
想をお伺いしたい」
後藤勝会長はマイクを事務テーブルの上においた。
日中友好科学財団理事長は、パイプ椅子から巨漢を立ち上げた。手元には双葉直子か
ら事前に詳しいブリーフィングを受けていた資料があった。ご指名いただきまして光栄
でございますと言いながら、後藤会長、議員、マスメディアの方向にそれぞれ頭を下げ
た。
「中国はその変化を掴むのが大変困難な国でありますが、実際に急激な経済発展を継続
しております。同様に、科学技術力に関しましても、急速な地殻変動が起こっているの
ではないかと考えている次第です。
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ご存知のとおり、1967 年から文化大革命が吹き荒れ、中国の大学は十年間も閉鎖さ
れ、学問が停滞しておりました。1978 年、改革開放政策が打ち出されますと、海外の
技術と資金を導入しようという運動が始まります。留学生も今まで百三十万人も派遣さ
れました。帰国した者は三十万人に過ぎませんが、彼らは有名大学や科学院の研究機関
で研究開発のリーダーとして活躍しております。彼らなしには中国の科学技術力を語る
ことはできません」
「歴史や背景はどうでもいい。現在の科学技術力についてコンパクトに説明してもらい
たい」
後藤勝会長は口を挟み、両目をつぶって、腕を組んだ。理事長は話し続けた。
「では、分かりやすく説明するために、統計数字を申し上げましょう。2007 年の中国
の海外雑誌での発表論文数は日本を抜き、アメリカに継ぐ二位を占めています」
会場からどよめきが起こった。GDPに先んじて、すでに論文数で日本は中国に抜か
れているのだ。理事長は淡々と続けた。
「ただし、論文は量よりも質が大切です。論文の質を計測する手段として、論文の被引
用回数が指標として用いられます。この指標で国際比較しますと、トップはアメリカ、
日本は五位、中国は九位という結果ですが、統計には時間差が生じますので、中国の現
在の論文の質は日本に急接近していると思われます」
科学論文でももうすぐ日本に追いつくのか、という声が方々から発せられた。
「世界のトップクラスのネイチャーやサイエンスなどの科学雑誌に掲載された論文数
で比較しますと、日本と中国の差はまだ大きいと認識しています。だが、一流雑誌での
日本の論文数は微増しているのに対して、中国は着実に増加していますので、何年後に
なるか分かりませんが、接近あるいは逆転することも有り得ると分析しています。以上、
私の個人的な意見も含みますが、日中友好科学財団の報告とさせていただきました。あ
りごとうございました」
理事長は腰を降ろした。双葉直子は心のなかで大きなガッツポーズをしていた。財団
としての責務を自由党や関係者の前でアピールできたのである。科学技術省の局長が理
事長の説明に大きく頷いていたのが誇らしかった。これで本省の本流のポストに復帰で
きると双葉直子は闘志を燃やしていた。
「なるほど、中国の科学技術力の実態がよく理解できた」
後藤勝会長が労いの言葉を掛けた。
「次に、中国の民間企業の技術力について話を伺いたい」
後藤勝会長がそう述べると、大手家電メーカーの社長が立ち上がり、両手をテーブル
につきながら、やや前かがみになり、抑制気味に発言した。
「薄型テレビ、液晶技術、携帯電話などの分野では、中国メーカーは日本とたいして差
がないレベルまで来ていますが、デジカメなどいわゆるデジタル家電の技術で日本に少
し余裕がありますが、追いつかれるのは時間の問題と考えています。
中国政府が重要なハイテク分野を指定し、大量の国の研究費補助金がメーカーや大学
に投入され、国家を挙げて家電製品の開発を後押ししています。大型旅客機や電動自動
車やスーパーコンピュータの開発にも政府の多額の研究費と人材が投入されています
ので、中国のハイテクは日本人の予想を上回るスピードで向上しているのです。国全体
の研究開発費の増加が毎年二十%を上回っていますから、日本のメーカーにとりまして
も脅威でございます」
社長はゆっくり椅子に座った。会場は水を打ったように静かになった。中国は予想以
上のスピードで日本に迫っているではないか。日本の最大の頼みである科学技術力で中
国に負けることになるとどうやって日本は生きていけばいいのであろうか。参加者の共
通認識になろうとしていた。
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ノーベル物理学賞受賞者の国立高等物理研究所長が手を挙げた。後藤勝会長が気づか
ないでいると、寺崎直人副会長がどうぞ所長と合図し発言を促した。銀縁の丸いメガネ
の所長は、
「私は科学と商業技術は分けて考えるべきだと考えます。基礎科学の分野に国別の競争
原理を持ち込むのは危険です。科学は人類の共通財産の形成が目的ですから、個人別の
競争は必要であっても、国家間の競争を強調しすぎますと、国際協力関係が阻害され、
かえって学術の発展を遅らせてしまう恐れが出てまいります。創造的な科学の発展には、
研究者の国際的な流動性を高めるとともに、自由な雰囲気の研究環境をつくることが重
要です。私の国際経験から言っても、外国人が四割位働いている研究所にならなくては、
世界一流の研究所にはなれません」
ノーベル賞学者の発言であるだけに、出席者は一目おいた格好になり、正面から反論
するものはいなかった。
元ベンチャー社長の参議院議員がゆっくり立ち上がり、咳払いをした。三十歳代の論
客として、党内でも頭角を現そうとしている。
「我が国の太陽光パネルの中小企業が中国企業に買収されるや、三年後にはその中国企
業の太陽電池シェアは世界三位になりました。わずか三年です。
また、別の日本の中小企業はパソコンにも使える小型燃料電池を開発し、海外にも輸
出していますが、中国で類似品が多数出回っています。
レーザー発生装置では日本は世界トップですが、中国の研究所や企業から製品を売っ
てくれと矢のような催促が来ていると社長さんが私に教えてくれました。超小型衛星に
ついても、世界に先駆けて開発しているのは日本の中小企業です。
中国に限らず、世界の国々、特に安全保障上懸念される国からのアプローチは凄い。
一メートルにも満たない自動走行小型船やガンダムのようなロボット兵士の開発でも
日本は世界のトップを走っています。
しかし、日本人は平和ボケになっているため、技術者はそれらがどのような目的に転
用されるか分かっていない。これらの技術は武器輸出禁止の原則には抵触しないが、日
本と世界の安全保障上、非常に危険です。民政党は友愛や友好を基にした外交とほざい
ていますが、日本のハイテクは我々国会議員や官僚が知らぬ間にどんどん海外に流出し
ているのですぞ。会長、自由党の幹部としてどうなされるおつもりですか」
後藤勝会長は思わぬ発言に戸惑った。党内の世代間競争で優位に立とうとしている若
手議員の発言だった。沈静化するために、役人に質問を振った。
「安全保障輸出を担当している商務省の対応はどうなっているのかね?」
高級スーツをまとった商務省の村井隆課長は自己紹介すると、発言を始めた。
「商務省といたしましては、安全保障上懸念される国々の研究機関につきましては、関
係各国と協議の上で、注意喚起するために、具体的な物質や技術とともに、本省のホー
ムページに記載しているところでございます。ただし、それらは参考として掲げている
ものでして、そのリストに載せていない研究機関につきましても、仮に安全保障上の問
題が生じた場合には、それを輸出した企業やその機関の研究者を受け入れた大学や研究
機関の責任になります。
また、さきほど、日本のハイテク流出の話が出てきましたが、中国は政府ファンドを
設立し、有望なハイテクを持つ海外の中小企業の買収を虎視眈々と狙っております」
村井隆課長は少し顔を歪めたが、何事もなかったように座席に座った。軍の病院での
脳の手術以来、命を救ってもらった医者に対して感謝の気持ちを持っているので、中国
の民主化に対する要求は弱めていたが、中国の批判をする度に、頭痛がするのが気にな
っていた。普段はまったく頭痛はしないが、中国に憎悪を持つと、頭が痛くなるのであ
った。
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「商務省の今の説明にありますように、武器輸出禁止の原則はもはや形骸化しているん
ですよ。デュアル技術と言って、ハイテクは民生にも軍事にも使える時代なんです。そ
んな原則はやめてしまい、もっと個別の技術まで遡って規制すべきですよ。そうじゃな
いと、日本の安全保障は守られない」
先ほど発言した若手参議院議員が座ったままで叫んだ。
「会長!」
と言って、手を挙げる者がいる。教育省の審議官だった。後藤勝会長は目で発言を促
した。
「教育省としましては、一昨年閣議決定しました、留学生受入れ五十万人計画を着実に
実行しようと努力しております。目標の実現には、留学生の六割以上が来日しておりま
す中国との関係は非常に重要であります。さらに、若者、特に学生の日中交流が将来の
両国の安定的な関係構築に重要な役割を果たすと考えております」
審議官は抑揚もなく、淡々と教育省の立場を語った。
「中国の科学技術力の議論から中国との関係はいかにあるべきかという議論に変わっ
てきていますが、自由党としては、民政党との差を出すためにも提言を出したい。そこ
で、みなさんの忌憚のない意見を伺いたい」
後藤勝会長はテレビカメラと新聞記者を意識し、議論を白熱化させようと思った。
中国の科学技術政策に詳しい日本公共政策大学の准教授が発言した。
「技術レベルが優位な国は知的財産権を守ろうとしますが、発展途上国は留学生を派遣
したり、中小企業を買収したりして、技術の差を縮めようとしています。特に、中国は
“科学技術は第一の生産力である”と国是に掲げていますし、科学技術の優位なくして、
超大国にはなれないと考えている国ですから、科学技術の自主開発、つまり創新国家建
設に執着しています。
しかし、日本がハイテク流出を恐れるあまり、外国との交流を弱めたり、阻害したり
すれば、技術革新の勢いが弱くなることは必至です。優秀な人材の流通を円滑にし、常
に高い技術を開発していく仕組を国内に作っていくことが重要です。開発チームの外国
人が帰国し、その技術を利用したとしても、数年も経てばそれは陳腐化していきます。
人材とともに技術が海外に流出しても、その技術より更に高度なものを開発し続けるチ
ームの活力の発展がより重要です
特に、新技術や商品の普及には標準化が伴います。研究開発の段階から海外と協調し、
標準化の作成を目指さなければ、技術は優れていても標準が取れないという悲劇が日本
を襲います。研究人材の国際ネットワークの形成のためにも、人材の流通を円滑にして
おく必要があります。保護主義的な後ろ向きな態度では、日本は世界の趨勢から取り残
されていきます」
大学生相手に講義するように滑らかな口調だった。理屈としてはその通りである。今
度は、隣に座っていた中国政治が専攻の東都大学教授が発言した。
「ただ今の先生のお話は理想論であります。中国は国際的な責任を負うことを嫌ってい
ます。温暖化ガスの排出規制でも発展途上国だからと出張し、責任を取ろうとしません。
レアメタルなどの鉱物資源でも、国際市場への安定供給に協力するどころか、それを武
器に、先進国のハイテクとの交換条件を提示してきています。中国は共産主義体制の安
定が最優先ですから、国際社会との協調や責任感といったものが欠如しています。
彼らの目標は、アメリカに代わって世界の覇権国家になることです。日本に期待して
いるのはハイテクです。それを得てしまえば、日本は用がなくなります。そのとき、日
本は中国に屈服せざるを得ません。油断していてはいけません」
顔が赤く上気していた。マスメディアでもおなじみの、反中国学者として若者から強
く支持されている学者だ。
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大手家電メーカーの社長が血相を変えて割り込んで来た。
「日本の消費は少子化と高齢化で、縮小しています。日本の企業は中国経済の興隆に助
けられて、どうにか黒字を確保しています。長期的な観点で考えますと、中国は巨大市
場であるばかりでなく、優秀な人材供給源としても重要な国です。中国との安定的な友
好関係は不可欠です。中国政府を怒らせたら、我々日本企業は中国市場から締め出され
てしまいます」
後藤会長は机を叩いた。カメラのフラッシュが一斉にたかれた。
「日本は中国と協力すべきなのか、競争すべきなのか。いったいどっちなんだ」
会場はしんとなった。次に発言する者はいなかった。
8
北京秋天
日中友好科学財団の双葉直子課長が帰国した後、自由党国際競争力調査委員会の結果
の報告が亀尾信二に届くことはなかった。海外事務所は財団本部から見ると、情報の入
手源ではあっても、情報の配付先にはならなかった。本部の業務の動向を北京事務所に
知らされることはない。財団本部の誰もが上司に向いて仕事をしており、北京事務所を
気にする者はいない。
亀尾信二にとって、それは自分または事務所の情報管理が信用されていないためかど
うかを判断することもできなかった。どうせ俺は現地採用だからだと、最後には自分を
慰めることにした。
九月中旬になると、苛烈な太陽の光熱は去り、北京も秋めいてきた。大通りに整然と
植えられたポプラ並木は黄色に色づき始めていた。空は高く、青色を深めていた。
亀尾信二は朝陽公園に面したアパートに住んでいた。朝陽公園の入場は有料であるが、
二十元支払うと、一ヶ月のフリーパスが買えた。週末には早朝から付近の老若男女が集
まり、太極拳、社交ダンス、蹴鞠、合唱、将棋などを楽しんでいる風景が広げられた。
平和でゆったりした時間が過ぎていくようだった。
彼のアパートは中国人しか住んでいない古い建物であるが、時折住人は追い出され、
富裕層や外国人向けの高級アパートが建てられるという噂が出ては、立ち消えになり、
また噂が立ち昇っていた。実際に、朝陽公園の周りは高層アパートやショッピングモー
ルが次々と建設され、公園を睥睨していた。
亀尾信二は週末はゴルフの練習に出かけたり、自宅で読書をしたり、テレビを見たり
して過ごした。北京事務所の任期も残すところ八ヶ月余りとなっていたが、その後のこ
とを考えるのは億劫になっていた。仮に、次の職場を中国に求めると、その後は日本国
内の企業はもう採用してくれない恐れもある。妻の玉田玲子との同居を優先すると、東
京に戻るという選択肢もあった。妻が強く主張すれば、きっとそれに従っていただろう。
だが、珠海での騒動で大手プラスチック会社を辞め、その後北京で一年以上生活する
と、北京という都市や中国人に愛着が生まれつつあるのも確かだった。日本食を食べ歩
かず、駐在員の社交場である日本式クラブに通わず、遠くまで旅行に出かけなければ、
北京での生活費は安く済んだ。亀尾信二は友達づき合いも好きでないため、外出するこ
とも少なかった。
今日は土曜日だが、亀尾信二はネクタイを締め、スーツを着て外出の準備をしていた。
日本公使館で日本留学経験者と北京駐在員の交流会が開催されるというのである。事務
所からは所長と亀尾信二が出席することになった。亀尾信二はあまり気が進まなかった
が、アパートから歩いていける距離であるため、所長が出席するように強要したのだっ
た。躊躇していると、最後には業務命令とまで言われた。
天候は北京秋天に相応しく、雲がほとんどない空になった。暑くもなく、寒くもない。
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北京の秋は短い。国慶節の十月一日を境に前後三週間は過ごしやすい時期だが、その前
は暑い夏で、その後は冬が駆け足でやってくるのである。大陸性気候であるため、長い
夏と冬の間に短い秋が北京の人々にプレゼントされているかも知れない。
亀尾信二は歩いて日本公使館の入口まで行き、招待状とパスポートを提出して、なか
に入れてもらった。他の出席者はほとんどクルマで乗り入れてきた。中国人は自家用車
で、日本人は会社のクルマで乗りつけた。亀尾信二はやはり場違いなところに来たとい
う思いが募っていた。所長と約束したのでやって来たが、交流会の半ば過ぎには帰ろう
と考えた。出席者のほとんどは面識がなく、やることは昼食のスナックを食べることく
らいしかないはずである。
公使館公邸の建物に入った。新築の立派な建物である。隣の敷地には外交官が勤務す
る日本公使館があった。村井隆参事官の開頭手術と引き換えに、公使館の内装工事を中
国の業者に任せることを飲まされた、と前畑誠先輩が言っていたことを思い出した。内
装工事の際に各所に精巧な盗聴装置が備え付けられ、機密が中国側に漏れているとも話
していたが、本当だろうか。
亀尾信二はため息をついた。エリートの世界は俺には関係がないし、直接関わりたく
もない。そう考えるうちに丁建国現代日本研究所長との会合も思い出されてきた。申請
書送付の後、何が起こったのであろうか。中国人研究者は日本で活躍しているのであろ
うか。おそらく、彼らは知見や技術を身につけて、中国に大勢帰って来ているはずであ
る。
「そうだ」
亀尾信二は心のなかで声を発した。日中友好科学財団の研究奨励金を使って日本で学
んだ研究者の何人かもこの会場に来ているはずだと思いついた。しかし、それが誰であ
るかを追跡していないため、互いに分からない。前任者も彼らの名簿リストを作成して
いないし、東京の財団本部もリストを作っているかどうか何の情報も北京事務所にもた
らしていない。陸の孤島だ。パイプラインを切られるかのように亀尾信二は寂しく感じ
た。
亀尾信二は受付を済ませると、係のひとに案内されるまま、中庭に出た。日本風の庭
になっている。すでに大勢の人々がやってきていて、飲んだり、食べたり、しゃべった
りと屈託のない表情をしていた。
舞台も設けられ、日本語と中国語の流暢な司会者が場を盛り上げようとギャグを飛ば
している。中国で活躍している日本人モデルが紹介されていた。モデルは可哀想なくら
い痩せていた。それでも精一杯愛嬌を参加者にふるまっている。舞台裏には三味線や二
胡が置かれているので、後ほど日中楽器合同演奏会が開催されるのであろう。
中央の広場を囲むように、出店のテントが張られていた。焼きそば、うどん、カレー、
ビール、日本酒、寿司などの日本食が参加者に無料で提供されている。帰国した中国人
に日本の食文化を思い出してもらいたいという公使館の配慮である。
亀尾信二は立ったままで焼きそばを食べていた。すると、所長が声をかけて来た。
「亀尾君、紹介したいひとがいる」
所長は大きな声を発している。日本酒のカップを干しながら言った。頬が赤くなって
いる。
「彼は日本留学組の出世頭だ。日本と中国の両方に会社を作っている。財産がどれだけ
あるか、本人も分からんくらいだ」
所長が馴れ馴れしく隣の中国人の肩を抱いた。亀尾信二と同じくらいの年齢の黒縁メ
ガネをかけた男だった。
「私は剣攻集団のオーナーです」
と丁寧に名刺を差し出した。亀尾信二も名刺を差し出し、交換した。自分の名前を会
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社名に充てているのである。
「所長さんには大変お世話になっています」
関西訛りの日本語だった。
「亀尾君も剣攻と付き合うといいことがあるぞ。カネがないと何も出来ない。人生、何
をやるにもカネが必要だ」
所長はなぜか上機嫌だった。
「私の任期も亀尾君の任期もあと八ヶ月だ。その短い間、大きな仕事をぱっとやろうじ
ゃないか。ぱっと咲いて、ぱっと散ろうじゃないか」
亀尾信二には何のことかさっぱり分からなかった。所長は事務所では亀尾信二と汪燕
の給与を毎月振り込む以外は何もやっていなかった。事務所にいるのも珍しかったくら
いだ。
所長は知り合いを見つけると、手を振りながらそちらの方に向かっていった。団塊の
世代はなぜ六十歳を過ぎてもこうも元気なのだろうか、と亀尾信二は不思議に思った。
「亀尾さん、中国の生活に慣れましたか」
中国人が必ず初対面のひとにする質問をした。亀尾信二はまあと頷いた。
「中国のことをどう思いますか」
周りは混雑が酷くなり、ざわついていた。マイクを通した舞台の司会者の声も聴き取
りにくかった。
「どう思いますかと訊かれても――。住めば都ですよ」
亀尾信二は質問の真意が理解できないため、安全な答え方をした。
「中国に死ぬまで住んでみたいと思いますか」
亀尾信二はますます剣功の意図が分からなくなった。
「剣功さん、いったい何を訊きたいのでしょうか」
亀尾信二は険しい表情で詰め寄った。
「私の人生の目的は中国社会党を倒すことです」
あまりに率直で、大胆な発言に驚き、亀尾信二は思わず、周囲を見渡した。笑い顔が
中庭に渦巻いていた。誰も剣功の話を聞いていないようである。亀尾信二は場慣れした
ような剣功の顔の表情を覗き込み、冗談ですよという言葉を待った。
「心配要りません。私には多くの社会党員の友達がいて、私はいつも臆することなく、
彼らに信念を披露しています。当局が私を目障りに思い、消そうと思えば、いつでもで
きるでしょう。しかし、私がいなくなれば、それはニュースになって世界を駆け巡りま
す。そうなったら、困るのは中国社会党です。彼らはそのようなリスクを犯しませんよ」
剣功は大胆に言ってのけた。そして、笑った。余裕のある自信に満ちた笑顔だった。
「私は祖国を愛しています。仮に、かつて国民党が社会党との内戦に勝利していたなら
ば、すでに中国はアメリカを追い越すほど発展していたことでしょう。社会党政権下で
さえ、今の高度経済成長を実現しているのですよ。この腐敗した政党においても。
ましてや、自由社会であったならば、中国人はもっと創意工夫をして、もっとハイテ
クも発展したに違いありません。海外の物真似をしたコピー商品はずっと少なかったこ
とでしょう。海外の研究機関にスパイを派遣して、成果を盗むことをする必要もないん
です」
「何ですって」
亀尾信二は驚いた。視野が狭くなるのを自覚した。もしや、丁建国所長の中国人派遣
の狙いは日本のハイテクや先端科学を盗むことにあったのではないか。そうであれば、
自分も共犯者になるのではなかろうか。亀尾信二は眩暈がしたが、平静を装った。それ
を剣功に気づかれることはなかった。
「剣功さん、あなたと所長はどのような関係ですか」
200
亀尾信二は質問した。
「本当のことを言っても私はまったく構いません。いつどんな目に合ってもいいという
覚悟ができていますから。だが、もし所長と私の関係をあなたに話せば、あなたは危険
な目に遭遇する可能性が高くなりますよ。
中国は日本人にとって底知れぬ暗闇を持った社会です。外国人のもっとも賢明な生き
方は中国の闇を知らずに、平凡に暮らすことですよ。うまい中華料理を食べて、名酒の
白酒を飲んで、スナックで若い女の子と遊んで、少し仕事をして少し儲けて帰国する。
これがベストです」
亀尾信二は背筋が寒くなるのを感じた。所長が中国では仕事をやりすぎるなと言って
いたことを今更のように思い出した。亀尾信二は躊躇した。もっとこの国の奥まで知っ
てしまえば、玉田玲子から遠のいてしまうのではないかと予感した。玉田玲子の裸体を
思い出すと、心の芯が熱くなるのを感じた。
舞台ではカラオケ大会が始まっていた。中国人がだいぶ昔の日本の流行歌を熱唱し、
拍手が起こっている。太陽は気持ちのいい光線を浴びせている。亀尾信二は太陽に勇気
づけられた。
「ある中国人から聞きましたが、所長は工作部に拘束されたことがあるのですか」
剣功は驚いたような表情を見せた。
「そこまで知っているのでしたら、亀尾さん、あなたも監視されています。もしかした
ら、境界線をすでに越えてしまっているかも知れませんよ。ノー・リターン・ポイント
を過ぎているかも知れません。でも安心して下さい。我々の仲間になれば、闇に葬りさ
られることはありません。当局には目立つ存在ほどやっかいなものです。中国は世界の
世論を気にしていますから」
先ほど寒かった背筋をワクワク感が排除しているような気がした。太陽は亀尾信二の
ために輝いているように感じた。亀尾信二は眼で剣功に発言を促した。
「所長は軟禁状態の民主活動家に接近し、支援しています。私は稼いだ資金をすべて中
国の民主化のために使っても構いません。活動資金は所長の要求に応じて支払っていま
すよ。我々は民主化なくして、中国のこれ以上の発展は不可能と考えていますから」
「それは危険なことです。社会の隅々の個人や人々の頭脳のなかまで張り巡らされた共
産主義体制を倒すことなんか不可能じゃないですか」
亀尾信二は眼に見えない恐怖を感じた。
「たしかに時間がかかるでしょう。でも我々はやると決めたのです。以前、優秀な人材
は将来の出世を願い競って社会党に入党したものですが、今では有望なひとほど社会党
を敬遠しています。入党希望を提出するのは、能力がなく、権威を使って上に駆け上ろ
うという奴らだけです。外国人の眼には分かりませんが、地方政府の党員の腐敗は眼に
余るものがあります。人心も急速に離れつつあります」
剣攻は話を続けた。黒い頭髪を七三にきちんと分けているのが彼の誠実さを一層引き
立てていた。
「日中友好科学財団北京事務所長のポストは所長が身の安全を確保するための隠れ蓑
です。工作部は所長を短期間監禁したことがありますが、彼に危害を加えることはでき
ない。なぜだか分かりますか」
亀尾信二は考えた。北京事務所の仕事といえば、中国人研究者の日本派遣の申請書を
東京本部に送ることであった。
「申請書ですか」
亀尾信二は喉がひどく渇いていて、短く答えた。
「そうです」
剣功も暗号のように短く答えた。
201
ひとりの中国人女性が剣功に近寄って来て、
「お久しぶりね」
と中国語で話しかけてきた。美女だった。肌が白く、目鼻立ちがはっきりし、服の着
こなしも洗練されていた。でも、眉間には皺が寄っていた。何かに悩んでいる表情だっ
た。
「こちらは亀尾さんだ。私の古くからの友人だ」
と中国語で亀尾信二を紹介した。亀尾信二はさっき会ったばかりなのに、古い友人と
は言いすぎでないかと思ったが、それには反論せずに、名刺を差し出した。
「私は弁護士の劉艶と申します」
美女はそう言いながら、名刺を出した。劉艶の面影はしだいに早く逝った姉を思い出
させた。
「劉艶は私と一緒に国費で関西の大学に留学したけれど、修士号を取得すると、アメリ
カのコロンビア大学に行ったのさ。三ヶ国語もペラペラの才媛だ」
剣功はさきほどまでとは違って、くつろいだ様子に変わった。美女の影響は大きい。
「日本語よりも英語の方が話すのが楽だわ。日本語は今ではほとんど忘れてしまったの
よ」
劉艶は英語に切り替えて、そう言った。
「亀尾さん、また会おう」
剣功は日本語で言うと、二人を残して去っていた。
「なぜ日本での勉強を途中で諦めて、アメリカに渡ったのですか」
亀尾信二も英語で訊いた。英語の方が廻りを気にせず、話してくれそうに思えた。
「日本人には不愉快かも知れないけれど、中国で成功しようと思うと、アメリカ留学の
肩書きとアメリカ文化の理解と英語力が必要なの」
亀尾信二が頷くのを確かめると、劉艶は話を続けた。
「日本の時代は終わったわ。アメリカと中国が世界を二分する時代に入っているのよ。
日本が頼みにしていた製造業は韓国、台湾、中国に追い上げられているでしょう。新し
いコンセプトの商品が日本企業から最近ぜんぜん出てこないでしょう。イノベーション
の波に日本はうまく乗れていないのよ」
亀尾信二は劉艶と眼が合った。劉艶は相手の眼を正面から見据えて話をする。ひとと
の間隔も日本人と較べて、すごく近い。これもアメリカ生活で学んだ習慣なのだろうか。
それとも美貌を武器にした説得方法を無意識のうちに身につけているのであろうか。い
ずれにしてもたいした才能である。
「亀尾さんは奥さんと一緒に生活しているの」
亀尾信二は頭を振った。
「妻は東京で新聞記者をしています」
「別居中ね。私も同じよ。夫はニューヨークの証券会社で働いているわ」
「中国人ですか」
「そうよ。海外に出た中国人はほとんど中国人と結婚するわ。言語や文化の壁を乗り越
えて、お互いに愛し続けるのは辛いから」
「子供はいないんですか」
亀尾信二は率直に訊いた。その質問が許されるような雰囲気だったからだ。
「私達の両親はいつも孫の顔が見たいと言うのよ。でも、今の中国人の考え方は随分違
うわ。親孝行はしたいけれど、子供を持つかどうかは別よ。私、自信が持てないの。腐
敗した中国で、子供をどうやって育てればいいのかを」
眉間の皺がいっそう深くなった。
「僕たちにも子供はいないですよ。妻が子供を欲しいと言わないから、自然とそうなっ
202
たけど」
劉艶は眼をしば立たせた。瞳が濡れているようにも見えた。女の優しさを醸し出して
いる。これも意図的にやっているのであろうか。それとも自然なのだろうか。
「剣功は日本に行ってひとが変わったわ。以前は熱烈な愛国者だったけれども、今では
祖国愛を失っている。会うたびに、日本人の美点と中国の悪口を聞かされる。いつも日
本の自慢ばかりよ。彼が中国人の心を失ったかと思うと辛いわ」
劉艶はうつむいた。白いうなじが色っぽく感じた。亀尾信二は姉のことを思い出した。
高校三年生の大学受験の直前、謎の自殺を遂げ、忽然と亀尾信二の前から消えたのだっ
た。生き続けていれば、劉艶のような女になっていたかも知れない。胸が締めつけられ
るような親近感を抱いた。
「亀尾さん、剣功は私のいい友達だけれども、あまり深い関係にならない方がいいわよ。
何だか危険な匂いが漂うのよ」
「実は剣功とは今日知り合ったばかりです」
亀尾信二は正直に告白した。
「そうなの。亀尾さんは誠実なひとに見えるわ。お互いに同じような境遇にあるため、
寂しくなったら一緒に食事でもしませんか。三里屯の雰囲気のいい料理店を知っている
のよ。携帯電話は名刺に載っているからいつでも電話して――」
劉艶は社交辞令を言っている風には見えなかった。中国人はあまり社交辞令を述べる
国民ではない。でも、亀尾信二には一緒に食事しても何を話せばいいか分からない。相
手の表情や話に合わせて、話題を展開し、楽しいひと時を送ることが苦手だった。特に、
美女の前では緊張するのだった。
劉艶は外からの視線を気にしていたようだ。あなたと会えて嬉しかったと言って、亀
尾信二から離れて行った。亀尾信二もハッと気づいた視線の先には男が立っていた。
村井隆元参事官だった。今は古巣の商務省に戻っているはずである。
「亀尾君、元気かね。美女と楽しそうに話しているじゃないか。長身の男は女に持てる
からいいよな」
口ではそう言うが、羨ましがっているようには見えない。村井隆は日本人の男の平均
よりも低かったが、短躯というほどでもなかった。亀尾信二と同世代だが、上から目線
で亀尾信二を見下しているように感じさせる。
「中国に出張にやって来て、偶然にこの交流会にぶつかったから様子を見にきたよ。結
構、賑やかなのには驚いた」
そう言いながら笑ったが、外交官的な笑顔だった。本音は別のところにあるように思
えた。
「先日、自由党の国際競争力調査委員会に出席してきた。結局、意見はまとまらず、会
長の面目はつぶれ、国民の自由党支持率の反転には結びつかなかったよ。自由党は野党
に落ち、低迷している。議員の一部は与党の民政党に流れている。政権党に属さなけれ
ば、国会議員とはいえ、ただのおやじやおばさんと同じだ。権力がすべてだ」
村井隆はエリート然とした言い方を放った。
「お宅の財団の理事長は、いいスピーチをして際立っていたよ。亀尾君の中国リポート
が功を奏したんだろうと私は読んでいる」
亀尾信二に感想を求めてきた。
「そうでもないですよ。財団の双葉課長が突然やってきて、あっちこっち関係機関を訪
問し、短期間で資料をうまくまとめて帰りました。さすがに、霞ヶ関の官僚は優秀だと
感心したところです」
亀尾信二は正直に答えた。彼はウソをつけない性格なのだ。
「君も知っているとおり、中国政府は「科学技術は第一の生産力」と認識し、科学技術
203
力の向上に懸命だ。莫大なカネと優秀な人材を投入すれば、中国は超大国になる可能性
がある。しかし、私にはそれが許せない。中国がこのままの状態で世界をリードする国
になれば、世界の人々は必ずや不幸になる。中国は海外で仲間をつくるべく、人権を認
めない政治体制を諸外国に輸出する可能性が大きい。そうなったら、世界は終わりだ」
「村井課長の言われることは一理あると思いますが、仮に中国がそのような野望を抱い
ていたとして、それを阻止する手段はありますか。日本企業も中国市場なくしては生き
ていけないようにすでに組み込まれてしまっていますよ」
亀尾信二はすでに食べ終わった焼きそばの紙の皿を近くのテーブルにおきながら、思
い切って言った。
「自由党の国際競争力調査委員会でも、中国の科学技術力に対する事実認識は一致して
いたが、日本の対応策という点ではまったくコンセンサスを取ることができていなかっ
た。学者先生は能天気で、国益よりも国際交流を強調し、教育省も留学生五十万人計画
の達成しか考えていない。民間企業も中国政府の意向を気にし、中国市場から追い出さ
れることを極度に恐れている」
村井隆はそう言って、フンと鼻を鳴らした。そして、
「どいつもこいつも自分の狭い利益しか考えていない。日本全体としての国益に立って、
物事を考えようとする意欲も能力も欠如している。中国と戦う前に、白旗を掲げている。
国賊だらけだ」
村井隆はまた鼻をフンと鳴らした。
「村井課長にはどんな戦略があるというのですか」
亀尾信二は誰かに聞かれたり、見られたりしていないかと恐れながら、声を落とした。
「日本の優勢な技術を法律で特定し、中国への輸出を禁止するのだ」
村井隆は自信を持って言い放った。
「製造業の特定技術では、日本はまだ中国よりかなり優位な立場にある。追いつかれて
からは遅すぎる、今のうちにハイテク封じ込め策を発動するのだ。法案を次の通常国会
に提出する。商務省の役人から民政党議員になった者は多い。彼らの議員立法でハイテ
ク封じ込め法律案を国会に提出する」
亀尾信二には政府の仕組はよく分からない。そんなに簡単に法律が成立するのであろ
うかと疑問に思った。しかし、それを口にすることは村井隆の前では憚られた。
「僕にはエリートの世界は分かりません。でも、技術を囲い込んでも、すぐに陳腐化し
てしまいませんか」
「それは理系の人間の発想だ。技術論的には正しい。しかし、実際の政治や外交の世界
は多次元方程式のように複雑な世界だ。仮に法律が成立しなくても、一定の効果はある。
状況に応じて、次の手を打つのだ。先進的な科学技術がなければ中国は覇権国になれな
いが、科学技術さえ発展すれば覇権国になれるという保証もない。中国は多くのアキレ
ス腱を持っている。そこを突くのだ。巨人でもアキレス腱を切断されれば、倒れるのだ」
村井隆は大声で笑った。周囲の中国人が怪訝そうに振り返った。しかし、すぐに元の
会話に戻っていった。
「亀尾君、君と最初に会ったときのことを覚えているか」
三金会の夕食会だった。所長の代理で出席したことを亀尾信二は思い出した。
「ええ、よく覚えています。中国での経験が浅いころでしたから」
「あの時、私は中国の民主化なくして、日中協力はないと言ったはずだ」
「そうです」
亀尾信二ははっきり答えた。その時のレストランの雰囲気も、村井隆の表情もスーツ
の色も鮮やかに思い出した。
「日本は決して中国なんかに屈してはだめだ。傲慢な中国人なんかに―」
204
そう言うや、村井隆は急に頭を抱えたまま、その場にうずくまってしまった。
「頭が痛い」
村井隆は搾り出すように言った。酷い頭痛がするようである。顔が歪んでいる。廻り
の人々は村井隆が倒れてくるのを避けた。村井隆は地面でのたうちまわった。若い女た
ちがキャーと叫ぶ声がした。
亀尾信二は何が起こったか分からず、茫然としていた。人々は亀尾信二を嫌疑の眼で
見た。俺は何もしていないと口に出そうとしたが、言葉にならなかった。
しばらくすると、公使館員がふたりやって来て、
「村井課長どうされましたか。また発作でしょうか」
と意外にも冷静に訊いた。
村井隆は頷いた。高級スーツは泥まみれになっている。村井隆はふたりの若い公使館
員に抱きかかえられて、公邸の建物のなかに消えていた。一瞬静まり返った日本式中庭
は、すぐに元の喧騒を取り戻した。
所長が血相を変えて、戻ってきた。
「いったい何があったんだ」
亀尾信二は頭を振りながら、分かりませんと答える以外になかった。そして、所長か
ら村井隆が何をしゃべったかをしつこく訊かれたので、ありのままをしゃべった。所長
は一言も漏らさず、真剣な面持ちで訊いていた。聞き終わるや、最後に我々と同じ考え
だな、仲間になれそうだとポツリと漏らした。
亀尾信二は深い渦のなかに吸い込まれていくような恐怖心がよぎった。いったいみん
な何を考えているんだ。日本人と中国人はどうしてうまく協力していけないのだろうか
と素朴な疑問を抱いた。
9
三里屯のバー
亀尾信二は眠りから醒めた。真っ暗だ。意識が混濁していて、ここがどこか分からな
い。身体を動かそうとするが、金縛りにあったように動かない。眼が慣れてくると、タ
クシーのなからしいというのが分かる。料金メーターの赤いランプが点灯している。な
ぜか金額は表示されていない。クルマは北京の郊外に向かって走っているようだ。揺れ
を感じさせないので、舗装道路を走っているに違いない。
「しまった」
と亀尾信二は思った。誰かに拉致されたに違いない。しかしどうやって、どこから連
れ去られたのか、思い出そうとしても思い出せない。薬物を飲まされたのであろうか、
それとも鈍器で頭を殴られ、タクシーに押し込められたのか。その記憶の一片も脳に残
されていない。
クルマには自分と運転手しか乗っていない。どこに向かおうとしているのか。なぜ俺
はこんな目に合わせられるのか。所長の隠された任務を知ったり、実業家の剣功と知り
合いになったりしたことが当局の逆鱗に触れたのであろうか。
亀尾信二は不覚にもペニスが勃起していることに気がついた。亀頭が張り裂けそうな
くらい膨張している。硬すぎて、痛い。生命の危機に瀕しているのにこの様は何だ。亀
尾信二は自分が惨めに思えてきた。自分の人生が終わろうとしているのに。
勃起したペニスは玉田玲子を思い起こさせた。女性上位を好み、自分が果てるまで腰
を動かすのだった。ときにはゆっくり、そして速くなり、さらにペニスを深く包み込ん
だ。亀尾信二が行こうとすると、動作の速度を落とした。
妻は身勝手だなと思ったこともある。もう終わりにしてもらいたかった。だが、亀尾
信二にはそれを言うことも許されていなかった。また、勇気もなかった。でも玉田玲子
205
が満足するのであれば、それでいいとも考えた。亀尾信二が玉田玲子を愛しているのは
事実であったからだ。
でも、もう玉田玲子と会うこともない。誰も知らないところで、闇に葬りさられてし
まう。亀尾信二が行方不明になるや、日本公使館は形式上、中国政府に捜査願いを出す
であろう。でも、回答は永遠に得られない。
「どこに行こうとしているのか」
亀尾信二は中国語で運転手に質問した。しばらく待ったが、回答はなかった。
同じ質問をもっと大きな声でした。クッと笑う声がしたように聞こえただけだった。
額から汗が噴出してきた。手も汗で滲んでいる。
おっ、両手を動かせそうだ。
亀尾信二は腕を伸ばして、タクシーのドアを開けようとした。走っているクルマから
飛び降りても、運がよければ、怪我で済むかも知れない。このまま連行されると、殺害
されるか、生きていてもこの世界に戻ってくることはあるまい。
運命を呪おうとしたが、こうなってはどうすることも出来ない。人生の終わりはこの
ように突然やってくるのかと亀尾信二は思った。やはり、北京に来るべきではなかった。
東京で玉田玲子と静かに暮らしていればよかったのだ。
ドアの取っ手が見つからない。特殊なクルマに改装されているのであろう。
亀尾信二は観念した。短い人生であったが、仕方がないと思った。誰も恨まない。工
作部も憎まない。こういう運命が待っていたに過ぎない。眼から涙が溢れてきた。亀尾
信二は涙を拭かなかった。出るに任せた。運命のままに命を委ねようと思った。ペニス
は萎れて元の大きさに戻っていた。
亀尾信二は眼を開いた。涙に滲んで、しみがぼんやり見えた。高い天井のしみだった。
腕を伸ばしたが、手が届かない。タクシーであれば、届くはずだが――。
亀尾信二はゆっくり身体を起こした。ベッドの上だった。自分の部屋だ。タクシーの
赤いランプはテレビのセンサーだったのだ。
亀尾信二は背中に冷や汗をかいていることに気がついた。夢だったのである。よかっ
た、本当によかった、玉田玲子にまた会えると思っている間に、意識が薄く、遠くなっ
ていった。
亀尾信二はいつもの時間よりも少し遅く起きた。昨夜の悪夢は手に取るようにはっき
り覚えているが、疲労感はあまり感じない。冷や汗をあんなにかいていたのに不思議と
言えば不思議である。くだらない夢を見たと思い、早く忘れてしまいたかったので、真
剣に考えないことにした。
亀尾信二は今日もノーネクタイで、出かけた。アパートから団結湖駅まで十分ほど歩
き、地下鉄十号線で大学や研究所が密集している中関村まで行く。そして、学生やベン
チャーに勤めている若者に混じって十分ほど歩いて、事務所に着いた。外資系企業がテ
ナントとして入っていない国内企業だけの建物だ。ビルのオーナーは電気代を節約する
ために、廊下の電灯を消している。
亀尾信二は北京事務所で平凡な八時間を過ごすと、来た道を戻って自宅へ帰って行く。
東京本部の双葉直子課長が北京に出張に来て以来、現地リポートの量も飛躍的に増えた。
仕事をやりすぎるなという所長の言葉を無視して、毎月テーマを決めて、ネットで検索
したり、大学の教員や起業家に会って話に耳を傾けたりして、情報を収集しリポートを
作成していった。
中国の教授は若く、ほとんどが海外で博士号を取得しており、しかも何事に関しても
積極的であった。日中友好科学財団との間で協力関係を深めたいという提案をいつも受
けた。それらの提案を東京本部に送付しても何の応答もなかった。担当者が面倒だと握
206
りつぶし、双葉直子課長まで届くことはなかった。
亀尾信二は教授たちと会うたびに、協力関係を提案されるが、財団にはその意思がな
いと分かるようになると、嫌気が差してきた。亀尾信二は次第に外に出かけることが少
なくなっていった。
ある日、日本公使館公邸で会った劉艶から短信(ショートメッセージ)が来た。会っ
て話がしたいというのである。亀尾信二の方から連絡しようかと迷っていただけに嬉し
い情報だった。早速、いつでも、どこでもOKだと返信した。
その日のうちに劉艶から来るかと思っていた返事は来なかった。やはり、自分の方か
ら時間と場所を指定すべきではなかったかと後悔した。劉艶は亀尾信二よりも年下であ
ったが、姉の面影を残していた。劉艶も姉と同じように笑顔を見せることはほとんどな
かった。姉はひととのつき合いに神経質で、友達は疲れると時々漏らしていた。
でも、大学生の姉がいつも櫛を通していた長い髪は美しかった。亀尾信二は姉の突然
の自殺にうろたえ、髪の毛も姉の身体と一緒に焼いてしまった。その黒髪の一部でも残
していればと悔やまれた。
劉艶には無性に会いたいが、いったい会って何を話せばいいのだろうか。自殺した姉
に似ていると言えば、嫌われてしまうに違いない。中国人は死に関する話は大嫌いであ
る。死はタブー視されている。死は日本文学のテーマのひとつであるように、日本人の
生活に死は同居しているが。
話の内容よりは時間を共有できることが大切なのだ。そこにいてくれるだけで、亀尾
信二には重要なのだ。劉艶も共通の認識を抱いているかである。沈黙を嫌う中国人には、
亀尾信二の口下手は耐えられないかもしれない。そう思うと、気が重くなった。
劉艶から返事が来たのは翌日だった。
今夜午後八時、三里屯のバー・リュージュで落ち合わないかというのである。亀尾信
二はすぐに問題なしと短信を発した。
三里屯は大使館街の近くにあり、西洋人や若手の中国人実業家が集う場だ。世界各国
のレストランやバーが多い。青島ビールの小瓶一本は四十元もする。普通の中華レスト
ランの四倍だ。三里屯は外交官と金持ちしか行かない北京の特別区のようなものだ。
夜になると、娼婦が外国人や成金を狙うために出没する。中国の娼婦は若いため化粧
は薄く、OLと区別がつかない。警察車は四つ角の隅に停車しているが、重要な国際会
議、要人の訪中、国会の開催、国慶節の前と期間中を除けば、娼婦を取り締まることは
ない。
世界のどの都市もそれぞれの事情に合ったルールがある。そのルールを踏み外さなけ
れば、外国人でも快適な生活を送ることが出来る。中国社会党も外国人に中国生活を楽
しんでもらい、海外からの投資を促進したいのはやまやまである。
亀尾信二はバー・リュージュの近くの日本料理屋で熊本ラーメンを食べながら、時間
を調節していた。客は多かった。客待ちが出そうになると、亀尾信二は勘定を払って、
外に出た。
ポン引きが日本語で話しかけてきた。亀尾信二は日本語が理解できない振りをして、
中国語で答えた。ポン引きはエヘェと笑い、日本語でまくし立ててきた。亀尾信二は急
ぎ足で振り切り、バー・リュージュに飛び込んだ。約束の 1 時間前だった。
客はまばらだった。亀尾信二はカウンターに腰を掛けた。バーテンダーが注文をとり
に来た。中国人だが、バーでは英語しか話さないらしい。でも、エルとアールの発音が
なぜかすべて逆になっている。亀尾信二は青島ビールを英語で頼んだ。
しばらくすると、冷たいビールが保温材の発泡スチロールに包まれて、運ばれて来た。
そして、目の前で栓を抜き、バーテンダーは去っていった。グラスはない。
ビールの小瓶の口から直接飲むのがこの店の流儀らしい。
207
亀尾信二は物思いに耽りながら時間をやり過ごそうとした。でも、手持ち無沙汰の彼
は十五分もしないうちに飲み干してしまった。バーテンダーが目ざとく、お代わりを催
促に来る。亀尾信二は応じるしかない。二本目を注文した。
劉艶が来た時、何を話そうかと思案にくれた。亀尾信二はどうでもいいことを話しな
がら、時間が過ぎ去っていくのを待つことができない。何かをやるには、それは目的を
持った、意味のあるものでなければならない。端的に言えば、おしゃべりが苦手である。
やっと約束の三十分前になった。さらに、同じ長さの時間を潰さなければならない。
ふと、テーブルを見ると、木目が眼に留まった。木目は一見何かの意思に沿って作ら
れているようにも思えるが、それは偶然の産物である。同じパターンの線は二つとない。
どれも似ているが、微妙に異なる。その違いに法則性はない。不思議といえば不思議で、
当たり前といえば当たり前である。
あの悪夢を思い出した。ざらざらとした現実感のある、変な夢だった。あのまま夢と
気づかなければ、タクシーは亀尾信二をどこに運んだのだろうか。恐くもあったが、そ
の行く末を見てみたいという気持ちも湧いてきた。いやだめだ。亀尾信二は妄想を振り
払おうと頭を強く振った。
「どうかしましたか」
右隣の席に座っている女が中国語で話しかけてきた。劉艶ではない。知的な顔つきの
若い女だった。
「誰か待っているの」
今度は左隣から声がした。これも似たような顔つきの女だが、やはり印象が薄い。二
人とも美人ではないが、醜くもない。いずれにしても、劉艶ではない。
「八時に友達と待ち合わせをしている」
亀尾信二は時計を見ながら言った。八時十分前だった。ビールはなくなっていた。
「彼女は来ないわよ」
右の女がきっぱり言った。
「来るさ。約束したから」
亀尾信二は二人の女に挟まれて、居心地が悪かった。
「亀尾さん」
右の女が言った。亀尾信二は眼を見開いた。
「なぜ、俺の名前を知っているんだ」
「我々は何でも知っているのよ。あなたが待っているのは劉艶という弁護士ということ
まで」
亀尾信二は茫然となった。丁建国現代日本研究所所長を思い出した。
「君らは丁建国の仲間か」
二人の女は笑った。
「笑ったのは丁建国を知っているという意味だな」
亀尾信二は大声で訊いたが、誰も振り返らない。外は雨が降り出したようだ。店のな
かは急に客が多くなり、騒がしくなっていた。
「その質問には答えられないわ」
今度は左側の女が言った。
「なぜ来ないんだ。どうして、君らがここにいるんだ」
亀尾信二は冷静を装って言った。
「急用ができたらしいわよ。代わりに、私たちがお相手するわ。不足かしら」
そう言うと、バーテンダーに向かって、グアンダオ三杯と言った。
「グアンダオ?」
亀尾信二はその女に訊きかえした。
208
「ヒロシマ」とゆっくり発音した。
「カクテルよ」
広島は中国語読みでグアンダオと発音する。
「広島に落とされた原爆みたいに、頭脳によく効くわ」
別の女が笑いながら言った。悪意のある冗談だと亀尾信二は思った。
「君らは何者だ。いったい僕に何の用があるんだ」
亀尾信二は興奮を抑えながら言った。
「話の相手をするだけよ。劉艶に何か用事があって?」
亀尾信二は女に痛いところを突かれた。
「君らも当局の盗聴グループの一味だな」
女たちは返事をしなかった。
「今夜は私たちが奢るわ。人生は楽しまなければダメよ。日本人は仕事中毒になるよう
に資本家に洗脳されているから可哀想だわ。私たちがマインドコントロールを解いてあ
げるわよ」
左の女は胸に手を当てて笑った。今気づいたが、その女は赤いミニスカートを穿いて
いた。ハイヒールからは赤いマニキュアで染めた指が覗いていた。
亀尾信二は尿意を催したので、トイレに立った。
トイレに入ると、鍵を掛け、劉艶に電話した。電源は切られていた。亀尾信二はどう
すべきか考えたが、いいアイデアが浮かばなかった。あの女たちから何か聞きだせない
かと、考えた。
亀尾信二がカウンターの席に戻ると、ミニスカートの女が、
「遅かったわね。劉艶を思い出しながら、飛行機を打ってたの?」
二人の女は下品な声で笑った。飛行機を打つとはマスターベーションの意味の中国語
だ。
三杯のカクテルはすでに運ばれていた。店内の奥で生演奏が始まっていた。ロックの
轟音が響き渡っている。
「明日まで、私たちが一緒に遊んであげてもいいわよ」
彼女らは思わせぶりな言い方をした。
「まずは乾杯よ」
二人の女はグラスを手に取り、宙に浮かせた。亀尾信二は飲んでから色々聞きだそう
と思い、グラスをカチンと二回鳴らした。女たちは亀尾信二にウィンクし、ヒロシマを
飲み干した。亀尾信二も飲んだ。意外にも甘い味がした。
女たちの表情が急に変わった。
「剣功に近づいてはだめよ」
警告するような男のような低い声だった。
「彼は危険人物よ。我々が許さないわ」
亀尾信二には事態がつかめなかった。
「鈍いのね。カクテルには痺れ薬が入っているわ。三十分以内に身体が動かなくなるわ。
これは警告よ。次回はこれで済まないわ」
そう言うと、ふたりはすばやく立ち上がって、腰を振りながらドアに向かった。
亀尾信二は胃の異変に気づき、急いで店を出た。タクシーを拾って、一刻も早く家に
帰らなければならない。外は雨でタクシーの空車は走っていなかった。
亀尾信二は大きな通りまで走った。雨の飛沫が顔面を直撃した。それでも走らなけれ
ばならない。
三里屯に遊びに来る客を乗せたタクシーがやってきた。そのクルマを捕まえようとし
た。中国人カップルもそのタクシーに近づいた。前の座席に乗っていた客が降りる前に、
カップルは後部座席に乗り込もうとした。亀尾信二は財布から百元札を一枚取り出して、
209
「これをやるから、俺にタクシーをくれ。急病なんだ」
と叫んだ。中国人の男は亀尾信二を見ると、
「だめだ。俺たちが先だ」
と落ち着いて言った。
「二枚でどうだ」
亀尾信二が頭を下げて頼むと、
「三枚でなけりゃ、譲らない」
と言い放った。亀尾信二は毛沢東が描かれた赤い三枚の百元紙幣をカップルの男の手
に握らせた。亀尾信二はタクシーに乗り込み、道路とアパートの名を告げた。吐き気が
するが、タクシーのなかで嘔吐してはいけないと我慢した。
中国人の男はガールフレンドに、
「日本人は横暴だ。ひとのタクシーを無理に奪いやがって」
「嫌ね、日本人は。寿司屋に行くのはよしましょう」
女は額に皺を寄せて、答えた。
亀尾信二は急いでくれと運転手に頼んだ。だが、久しぶりの雨で道がクルマで混雑し
ていた。亀尾信二は苦しくて、身体を二つに折った。
「お客さん。悪いものでも食べたのかい。苦しいときには吐くのが一番いい。クルマの
なかで吐いてもいいよ。後で掃除をしておくから」
亀尾信二は温かい言葉に嬉しくなった。でも、迷惑を掛ける訳にはいかない。十分我
慢すれば着く距離だと思った。
手足が痺れてきた。意識もぼんやりしてきた。あいつらに騙されたと思った。スパイ
だったんだ。
「あと何分だ」
「三、四分」
と運転手が答える。
亀尾信二は意識がなくなろうとするのを、頭を叩いて遮ろうとした。
クルマが停車すると、赤い紙幣一枚を座席において、亀尾信二は外に出た。
吐きながらアパートまで走った。真っ直ぐ走ることができない。前を歩く者は避けよ
うともしない。建物に入ると、エレベーターに飛び乗った。自分の階までの時間がひど
く長く感じられた。エレベーターから降りると、よろめきながら部屋まで走った。部屋
まで行かせて下さいと、神様に祈った。助けてくださいとも祈った。鍵を開けて、ベッ
ドに倒れ込んだ。天井を見た。悪夢の時に見たしみは黒さを増していた。
痺れは全身に廻っていた。やっと帰ってきた。助かった。そう思うと、睡魔が襲って
きた。亀尾信二は眠りに落ちた。
今度は夢ではなかった。
亀尾信二は浅い眠りから醒めると、まずそう思った。天井のしみは一段と濃い色にな
っているように見える。
部屋のなかに薄日が差しているから、朝になっているようだ。でも、痺れ薬はまだ完
全に効いている。手も脚も動かすことができない。首も曲がらない。眼を動かすのが精
一杯である。意識は焦点を定めるには時間がかかるが、ゆっくり思考すれば、十分役に
立つようだ。これ以上状況が悪くなり、命が奪われることはない。薬効が切れるときが、
危機から脱出できるときだ。そう考えると、気持ちが楽になった。
両脚のつけ根辺りが冷たく感じる。亀尾信二は考えをめぐらせた。どうやら小便を漏
らしたようだ。羞恥心が襲った。
昨夜の二人の女は丁建国現代日本研究所長の手下か、類似の目的を持った組織に所属
210
しているのだろう。外国人の挙動を監視する当局の一部であるのは間違いがない。
剣功に近づくなと警告していたが、彼らからすると、所長も剣功も劉艶も自分も、民
主活動派か、または反体制グループに位置づけられているのであろうか。誤解も甚だし
い。自分は丁建国に協力したではないか。申請書をほとんどチェックせずに、東京本部
に郵送してあげたのだ。
今度は日本公使館で剣功と立ち話をしたばかりに、こんな眼に合わせられる。剣功は
口では社会党打倒と主張していたが、今考えると真偽は疑わしい。俺の思想や行動を探
ろうとしていたのかも知れない。そう亀尾信二は考えた。
空腹を感じ始めた。事務所はすでに就業時間になっているはずである。中国人スタッ
フの汪燕は、定刻に遅れることのない亀尾信二が来ないのを訝り、電話をしてくるのだ
ろうか。それとも知らぬ振りをしつつ、今日も終日パソコンの画面を見続けているので
あろうか。やはり、どう考えても奇妙である。汪燕も丁建国側の人間であるのか。亀尾
信二は恐怖感を覚えた。月の裏にひとり取り残されたような感触が全身を覆った。
生暖かいものが尻の下に広がった。臭気が背中沿いに駆け上って来た。鼻を覆い、そ
のなかに進入して来た。鼻から大きな息を吐いた。臭気を払いのけようと努力した。敵
はさらに口からも進入し、喉の奥を刺激し始めた。
亀尾信二は自分が惨めに感じた。俺はどこまで見下されるのであろうか。臭気は顔を
覆った。その刺激で眼から涙が落ちてきた。
誰も俺に電話をしてこない。誰も自分の存在に関心もないし、その異変に気づこうと
もしていない。
劉艶も敵なのであろうか。それとも、劉艶も剣功の知り合いであるがゆえに、当局に
マークされているのであろうか。姉の面影が亀尾信二の脳裏を過ぎ去った。
劉艶も犠牲者であるような気がする。いやそうに違いない。そうあるはずだ。あの優
しい姉に似ている者が俺を陥れるはずがない。亀尾信二は容赦なく襲う大便の臭気に打
ち勝とうと、そう心に誓った。
自分の大便を垂れ流し、それに身体を穢されるのがこれほどに惨めとは知らなかった。
老いて、紙おむつを穿かされる者の気持ちが初めて理解できたようにも思えた。
正午が過ぎている頃だ。汪燕から電話があったとしても、携帯電話は昨夜部屋に入る
や脱ぎ捨てた背広のポケットに入っている。手は届かない。でも、携帯の音だけでも聞
きたかった。それが、この世の誰かとつながっている証拠のように思えた。
昨夜乗ったタクシーの親切な運転手の言うとおり、車内で嘔吐していたら、もっと軽
症で済んだはずである。つまらない意地を張り、迷惑を掛けたくないと思ったがゆえに、
最悪の状態になった。
涙はすでに乾いていた。心境が変わっていくのが分かった。
亀尾信二は痺れ薬が切れるのを待った。それは希望への道に変わろうとしていた。今
よりも悪い状況はない。これから状況は上向く。そう亀尾信二は確信した。
午後五時頃、首も手脚も動かせるようになった。彼は起き上がり、ベッドの屎尿を処
理した。シーツと下着はすべて捨て、上着とズボンを綺麗に洗い、最後にシャワー室で
身体を隅々まで洗った。ベッドのマットに浸み込んだ臭みの除去は業者に任せた。やっ
てきた中国人三人は訝しげな表情をしつつ、マットを運び去っていった。亀尾信二は恥
ずかしくなかった。数日後には新品同様になって帰ってきたが、四百五十元も請求され
た。でも払い終わると、この事件にけりがついたと亀尾信二は思った。
亀尾信二はもう惨めではなかった。
三里屯で出会った女たちを恨む気持ちもなかった。しかし、屈する気にもなれない。
自分は立派なことをやり遂げる能力はないかも知れないが、間違ったことは決してやっ
ていない。ここで、先方の言いなりになれば、自分はひととしてやってはならないこと
211
をしでかすかも知れない。それは罪だ。避けなければならない。
連れ去られる悪夢を見たのも弱気になっていたからである。彼らの存在を怖れていた
からだ。俺を消したければ、消すがいい。亀尾信二はそこまで覚悟した。
任務が矮小でもそれを遂げなければならない。俺には遠く離れていても、愛する妻が
いる。そうだ。玉田玲子を心から愛し続けるのだ。その愛情が亀尾信二を救ってくれる
に違いない。
亀尾信二は心のなかで何かが胎動するのを感じていた。
10
カネの成る木
日本経済はデフレ不況に喘いでいた。多くの若者は就職できず、希望を失いかけてい
る。国民はマスメディアが流す悲観的な情報を信じ、財布の紐をかたく締め、消費に消
極的だった。それが企業の業績を悪化させ、失業率もじりじり高くなっていった。
政府の財政破綻は危険水域を超えているが、政治家は増税に消極的だった。増税策を
提示すれば、国民の支持を失い、次の選挙で敗北するからである。国民は眼の前の利益
を追うあまり、財政破綻から眼を背けようとした。民主主義のジレンマが財政問題の解
決を不可能にしていた。成長戦略の必要性は唱えられたが、誰もが納得できるものは存
在しなかった。将来への夢をなくした人々には、どんな政策も政府の言い訳にしか映ら
なかった。民主主義の危機が訪れようとしていたが、それに気づくものは少なかった。
数年後には、政府の借金が破綻し、円安とインフレによって自然解決されるのを待つ
しかなかった。国民は増税を唱える政党には反対できても、円安とインフレには抗する
ことができない。インフレは貯蓄を大幅に目減りさせるため、増税と変わらない。イン
フレは財政破綻解決の最後で、最悪の手段だった。
日本国中を閉塞感が覆っていた。
中国は青年のように伸び盛りである。高度経済成長は継続し、国民の所得は増加し、
消費社会を享受している。競争原理が社会の隅々まで行き渡り、弱者は市場から撤退し
たが、事業に成功し、成金になる者が続出した。高級レストランは多くの客で混雑して
いた。人生の成功物語が人々の間で毎日語られ、国民は未来を向いて、胸を張って歩い
ている。
西側メディアは中国の農民と公安の衝突件数の増加を煽り、体制崩壊が近いと喧伝し
たが、その実態は地方政府へ陳情すれば何かの利益が得られるという農民のタカリが大
部分だった。
中国メディアは西側ほど自由に報道できなかったが、暗いニュースを嫌う中国人の気
質からも、悪いニュースは少なかった。それは一層国民に未来を信じさせ、消費を加速
させた。その結果、中国経済は外需依存から内需依存に急転回しつつあった。世界の人々
は自国の経済不況の解決を中国に期待していた。
中国では政治的自由つまり投票権やデモ行進は制約されていたが、それに不満を述べ
る国民は少なかった。人々の生活は当局の監視下におかれていたが、枠からはみ出さな
ければ、人権が侵されることはなかった。前衛政党である中国社会党の指導の下に、国
は発展を続けていた。
そして、中国は民主主義のジレンマに陥ることはなかった。党のエリート幹部に国家
理性が宿る限り、衆愚政治に堕落することもなく、国家の繁栄と国民の幸福は保証され
ていた。
日本企業は市場が縮小しつつある日本からその重点を中国市場に移動しつつあった。
中国市場で勝たなければ世界で勝てないと、中国への直接投資を増やしていった。様子
見をしていた企業も次々と中国への進出を決定していった。一国での売上げ高が世界で
212
の二十%を超えるとリスクが高まるという議論は、中国での売り上げの急伸の前で押さ
え込まれていった。製造業のみでなく、サービス業も中国市場の開拓に奔走した。
日本商務省は中国の野望を警戒しつつも、日本企業の中国進出を指をくわえてみてい
るだけだった。商務省の内部には、中国に進出した日本企業の知的財産権被害問題に積
極的に関わり、権益を拡大していくべきと主張する者も増え始めていた。
8
,
8
8
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北京市内から東北に伸びる空港高速道路の空港出口からひとつ手前の出口を出て、ク
ルマを東方向に十分間ほど走らせると、西洋風の瀟洒な建物が見えてくる。その建築様
式はバロックでもロココでもなく、見よう見真似で作られていたが、誰の眼にも欧州か
らの舶来のものに見えた。オーナーにとって、そのように思われるだけで十分目的を達
成できていた。要は客が集まればいいのである。
建物は中華料理レストランと会員制クラブから成り立っていた。会員制クラブの専用
入口はなく、レストランで一万元以上の消費をした客で、かつ十万元の会員権を購入し
た者が入場を許されていた。レストラン奥の大理石の廊下が会員制クラブの入口へとつ
ながっていた。
中国のエリート幹部は、料理は中華が世界一と誰も疑わなかった。刺身もフォアグラ
もステーキも中華風にアレンジされ、中華料理の一部として美食家に提供されていた。
中華料理も世界の珍味料理を飲み込もうとしていた。医食同源は健康を願う世界の金持
ちの合言葉になりつつあった。成人病に効くと欧米で人気を集めている漢方薬は世界文
化遺産に登録されようとしている。
この高級レストランで「秦始皇帝」と呼ばれる豪華絢爛たる個室は、三人の男で占め
られていた。主人は丁建国現代日本研究所長で、客人は前畑誠総経理と趙強だった。前
畑誠は現地法人の総経理に出世していた。趙強は珠海で亀尾信二から現金の入ったバッ
グを奪うように持ち去り、遼寧省の瀋陽空港に降り立った後、カネのうま味に魅せられ、
外資系企業などを恫喝して荒稼ぎをしていた。
部屋はブルボン王朝の王室と間違えるほど装飾品に金をふんだんに使っていた。壁に
はルノアールの女の裸体の油絵が掲げられていた。コピーであるが、香港の絵師に描か
せたもので、近くで鑑賞すると絵筆のあとが確認できる精巧なものだった。
大理石の丸いテーブルには、海や山の珍味が並べられている。フカひれ、アワビ、海
ツバメの巣、ロブスター、冬虫夏草、万病に効くというキノコが並べられている。味だ
けでなく、色彩にも工夫が施されている。食べるのが惜しいくらい美しい色を放ってい
た。
三人は一本
元もする茅台(マオタイ)酒を飲みながら、屈託ない雰囲
気で食事を楽しんでいる。茅台酒は高粱などの穀物でつくった蒸留酒で、アルコール度
が五十四%と極めて高い。
「この茅台は普通の茅台とは違う。レストランが前畑誠先生のために、四川省の茅台村
の知り合いから取り寄せたものだ」
丁建国はそう言いながら、前畑誠のグラスと合わせて、乾杯をした。前畑誠は大きめ
の水晶のグラスになみなみと注がれた茅台を一気に飲み干した。
「うまい。中国の白酒は最高だ」
前畑誠は酔いに任せて、素直に喜んだ。三本目の茅台がなくなろうとしていた。三人
は顔を紅潮させ、機嫌よく酔っていた。胸や腰の曲線が浮き出るチャイナドレスを着た
服務員が手際よく三人のグラスに茅台を次々と注いだ。
「前畑誠先生。総経理に出世されて、おめでとうございます」
趙強が祝杯を挙げようと、迫った。前畑誠はシェシェ、シェシェと言いながら、杯を
仰いだ。
213
「もっと早く私どもと知り合いになれていれば、出世も早かったのに―」
丁建国は惜しそうに言った。前畑誠は黙って、深く頷いた。
前畑誠はボイラーを売る際に法外なコミッションを検査官に要求されていたので、売
上げは伸びていたが、利益が上がらなかった。
だが、丁建国から協力しましょうという申し出があり、それに乗ると、検査はスムー
ズに通過するようになった。賄賂を請求されることもなくなった。業績は一挙に上がり、
日本本社のオーナー社長は前畑誠は頼りになると、大抜擢人事を発動した。前畑誠は四
十歳の誕生日前に現地法人の社長になったのだ。
「検査官は地方政府の木っ端役人です。私ども党の中枢にいる者から軽く要請するだけ
で、中国での問題はすぐに解決できるのです。簡単ですよ。我々は友達を大切にします
から」
丁建国は自慢気に言った。でも、眼は冷静だった。
「感謝しています、丁建国と趙強の援助には」
そう言いながら、前畑誠は日本式に頭を深く下げた。
「私の仕事も最近急に忙しくなっている。社会党体制に刃向かう恐いもの知らずが増え
ている。日中友好科学財団の北京事務所長、日本商務省の村井隆、成金の剣功、弁護士
の劉艶らだ。まず、村井隆が落ちるのは時間の問題だ。
中国社会が不安定になってみろ。損するのは日本企業だ。海外企業が中国市場で儲か
るためには、中国社会が安定していなくてはならない。民主派の奴らは日本企業の敵だ。
そう思わんか、前畑誠社長!」
丁建国は前畑誠の反応を待った。
「俺はもう政治には興味がない。会社の発展だけが人生の楽しみだ。新しい事業を開拓
し、会社に儲けをもたらし、その結果出世する。勝ち組になって、思う存分権勢を拡大
するのだ。得たカネで、贅の限りを尽くすのだ」
前畑誠は断言した。
「さあ、今夜は飲みましょう。つまらないことで苦労する必要はないですよ。うまい酒
と高い中華料理と女が人生のすべてですよ。この世では、敗者は苦難を舐め、勝者は快
楽を得るのです」
丁建国は六十歳に近かったが、酒がめっぽう強かった。
「そうだ、そのとおり」
趙強はご機嫌だった。珠海騒動で中国人従業員のリーダーだったが、ひとを惹きつけ
る力は健在だった。人殺しでも何でもやる子分を数十人養っていた。最近では、当局の
権力を笠に着て外資系企業からカネをせびったり、道路建設に反対し立ち退かない住民
を暴力で排除する仕事を任されていた。前畑誠に賄賂を要求した検査官のひとりを暴漢
に襲わせ、重傷を負わせると、その話は瞬く間に広まり、ボイラー検査はごく簡単に済
むようになった。
前畑誠は権力の魅力を知った。こんなに容易に悩みが消えるとは―。
前畑誠は中国社会の権力に近づき成功を得たものの、知らぬ間に籠絡されていたのだ
った。丁建国の支えなくしては、社長のポストに留まることはできなくなっていた。社
長の特権を維持したければ、丁建国の言いなりにならざるを得ない。丁建国はそれがよ
く分かっていたが、決して口には出さなかった。重要なことほど口に出すべきでないと
熟知していたからである。
「亀尾は元気ですか?」
趙強は前畑誠に訊いた。前畑誠は亀尾信二の存在を忘れていたため、当初誰のことか
理解できなかった。前畑誠は社長になるや、人間関係を一新していた。ワンランク上の
人物としか会わないことに決めていた。携帯番号も変え、女も美人でなければ手を出さ
214
ないことにした。生まれ変わったのである。それも高級な人物に。
亀尾信二のような意気地のない、将来性のない男には関心がなくなっていた。つき合
う時間が浪費と感じられた。
「長い間、会っていない。彼がどうなろうと俺の知ったことじゃない」
前畑誠は吐き捨てるように言った。そして、茅台のグラスを空けた。
「日本人の人間関係は淡白になったものですな」
丁建国は勝ち誇ったような表情をした。
「奴が大手プラスチック会社を辞めたのには驚きました。敵ながら光るものを持ってい
た。でも、日本の会社は人情味がなくなったものだ」
今度は、趙強が日本人を哀れむように言った。
「趙強よ。亀尾信二は頭の回転は速くないが、考え抜く力がある。何かにすがろうとし
ているが、信じるものが見つかれば、思わぬ力を発揮するかも知れない。どう転ぶか分
からないが、簡単には操作できないかも知れない」
丁建国の発言は、前畑誠に対する当てつけでもあったが、前畑誠はそれに気がつかな
かった。
「痺れ薬を飲まされると、その醜態に自己嫌悪に陥り、たいていの場合、大人しくなる。
亀尾信二もそうなった方が本人にとっても幸福だが―」
丁建国は自分に語りかけるように言った。
だが、前畑誠は自分の世界に閉じこもり、それを聞いていなかった。前畑誠の狙いは
北京の贅を十分堪能し、数年後帰国すると、本社の役員に昇格することである。それに、
日本に残した妻子と別れ、若い中国人美女をゲットしようと企んでいた。どんな女も自
分になびいてくるように思えて仕方なかった。
「野生動物のメスは強いオスに憧れる。人間も同じだ。女は男らしい男に引き寄せられ
るのだ。権力とカネを持っている男が女の理想だ。強い奴の子供でなければ、自分の子
孫は生き残れない。ひ弱な男の精子なんか、どの女が見向きするものか」
前畑誠は酔いに任せて、本音を露呈した。
「そのとおり」
丁建国と趙強はにやにやしながら、同時に言った。
「乾杯しよう」
丁建国が立ち上がって、言った。
三人は茅台酒がいっぱい注がれた水晶のグラスで乾杯した。その大声は部屋の外まで
響き渡った。服務員は頭を下げたまま、客の注文を待っていた。
時計はすでに午後十時を廻っていた。
「酒とメシを楽しんだ。次は女だ」
趙強は酔った前畑誠の肩を担ぎながら、言った。前畑誠は当然だと言わんばかりに、
右手のこぶしを握り締めて、上に突き上げた。
三人が案内された会員制クラブは高級幹部専用だった。ただし、会員ひとり当たり、
顧客を二人まで連れてくることができる。カラオケ、マージャン、サウナ、マッサージ
が楽しめた。マッサージは伝統的な漢方方式と、特殊サービスつまり女遊びに分かれて
いた。
丁建国は二人をカラオケ・ルームに案内した。中国語、英語、韓国語、日本語などの
曲が用意されていて、パネルで好みの歌を探すことも、リモコンに歌の番号を打ち込む
こともできる。歌詞は中国の世界自然遺産の美しい風景とともに、サムスンの大型液晶
画面に映し出される。壁は防音になっているため、室内はいたって静かである。
「丁建国所長よ。早く美女を呼んでくれ」
215
若い趙強は我慢がならないようだった。
「高級の茅台酒は精力剤と同じ効果があるという論文も出ている」
丁建国は物知り顔で言った。
「少し待っていろ。まずは、ヘネシーで乾杯だ」
いいタイミングで、ボーイが最高級ブランディーのヘネシーを運んできた。
「ストレートで飲もう。酒は混り気がない方がうまい」
丁建国はボーイに命じた。ボーイは三つのグラスにヘネシーを注いだ。高級バーの雰
囲気に相応しい慣れた手つきだった。
前原誠は飲みすぎて、ソファーで横になっている。
「総経理、起きてください。楽しいのはこれからでしょう」
趙強がヘネシーのグラスを前原誠の口にあてると、条件反射みたいにがぶ飲みした。
琥珀色の液体がみるみるうちになくなっていった。
「こりゃ、面白い。社長は何でも言うとおりにやるぜ」
趙強は面白がった。
「そのままにしておけ。どうせ、女が来れば、自然と起きるさ」
二人の中国人は乾杯した。
「丁建国所長は強いですね。大海の量も飲めますね」
趙強はゴマすりをした。中国語で大海の量を飲めるとは、酒豪という意味だ。水滸伝
に登場する武松は大酒を飲んで、虎を退治したと言われている。中国の英雄は酒に強く、
女にももてるのだった。
三人の美女が部屋に入って来た。薄い絹の妖艶なドレスを身に着けていた。赤、青、
黄のドレスは色が異なるだけで、床を擦る長いドレスだった。胸元は広く開かれていた。
膨らみは光が当たるとキラキラと輝いた。金箔をまぶした白粉を塗っていた。背丈も体
形もほぼ同じだったが、顔は違っている。彫りの深い美形型、童顔の丸顔、そして淋し
げな顔をした女だった。三人とも無表情だったが、それが男たちをかえって興奮させた。
「わあ、すごい。こんな美女を近くで見るのは初めてだ。たまらねぇ」
趙強はよだれをこぼしそうになった。
「さあ、始めろ」
丁建国は女たちに指示した。
ひとりの服務員が音楽をセットした。バラードが高級スピーカーから流れ出した。照
明も少し落とされた。
スローな曲に合わせて、服務員が腰を振り始めた。色っぽく、男を誘惑するような仕
草だった。身体をくねらせながら、両手で顔、胸、腹、腰、腿、そして脚を自ら愛撫し
た。細く白い腕がときおり照明に当たると輝いた。幻想的だった。前畑誠はまだ横にな
ったままだ。趙強はごくりと生唾を飲んだ。丁建国は見慣れているのか、ニヤリと冷た
い笑顔をしているだけだった。
女たちが服を脱ぎ始めた。焦らすようなゆっくりした動作だった。男の欲望の刺激方
法を知り尽くした時間のとり方だった。女たちは豊かな腰を揺り動かしながら、ドレス
を剥いでいった。脱ぐよりも剥ぐという表現が似合っていた。三人はパンティーだけに
なった。陰毛がはっきり透けて見える。ブラジャーはつけていない。胸はどれも予想よ
りも大きかった。乳首は天井を向いている。下半身はミツバチのようだった。腰がひど
くくびれ、白い尻は大きく上に突き出している。
趙強のペニスは彼女たちが部屋に入ってきたときから、起動しっぱなしだった。苦し
いからこっそりベルトの穴をひとつ緩めている。
次にパンティーを剥ぎ取ると思っていたが、女たちはそれぞれ男に近づいてきた。青
のパンティーは丁建国、黄色は趙強、そして赤は前原誠に向かった。男の前に立った服
216
務員は無表情のままだった。
女は男の前で跪くと、ベルトを緩め、ズボンを降ろした。そして、パンツの上からペ
ニスを指先で愛撫した。
趙強は我慢しきれず、自らパンツを脱ぎ、早くやってくれと黄色の女に懇願した。
赤いパンティーの女は前原誠の服をすべて脱がせた。ペニスはすでに硬直している。
女は躊躇せずに、それを口に含んだ。すると、前原誠は寝たまま、快楽の声を漏らした。
丁建国はフェラチオを楽しむ女の長い髪を両手で撫でながら、趙強と前原誠の様子を
窺っていた。趙強は行きそうだと叫んでいるが、なかなか行かせてもらえず、苦悩の表
情を浮かべている。
「もっと強く、もっと奥までやってくれ」
と叫び、興奮している。
前原誠は夢のなかで快楽を貪っている。そして、ううぅと唸りながら、女の口に射精
した。女は白い液体をごくりと飲み込んだ。相変わらず無表情だった。
前原誠が果てると、趙強は我慢するのをやめ、すぐに精液を女の喉の奥に発射した。
中国人は面子にこだわるため、早く果てると英雄とみなされなくなるのを嫌がる。早漏
が女に嫌われるのは万国共通だが。
「お前らはもう終わったのか。俺はこんな刺激では満足できない」
そう言うや、急に思い出したように、
「その日本人を起こせ。そして、ヘネシーをがぶ飲みさせろ」
前畑誠を果てさせた女は前畑誠の口に無理やり、ヘネシーを流し込んだ。前畑誠はむ
せびながら気を取り戻した。眼は虚ろだった。
「社長、こっちに来い。八万元やるから、おれの小さい弟をしゃぶれ」
日本語ではペニスを息子と言うが、中国語では小さい弟だ。
女達の表情が一斉に強張った。趙強は冷笑を浮かべたが、満足そうだった。
「早くしろ。縮んでしまうぜ」
丁建国の黒光りしたペニスは勢いを失いつつあった。
趙強と赤いパンティーの女は前畑誠の肩を担ぎ、前畑誠を丁建国の前に跪かせた。意
識が朦朧としている。
「八万元だ。大金だ。これだけの労働で、安いもんだろ」
前畑誠は八万元と復唱した。丁建国は両手で前畑誠の頭をつかんで自分のペニスを舐
めさせた。
「口に含め」
丁建国はうぐっと声を出した。
「たまらん。こりゃ、女よりもいい。日本人は中国にやって来て、カネの成る木にしゃ
ぶりついている。ペニスもカネの成る木だ―。もっとしゃぶれ―。中国人は日本企業に
勝利した。中華民族万歳。中国社会党は永遠なり!」
丁建国は男の口に射精した。前畑誠はペニスを吐き出し、うぉーと喉の奥から声を出
すと、げろを吐いた。精液、ヘネシー、茅台酒、フカひれ、アワビ、海ツバメの巣、ロ
ブスター、冬虫夏草の残骸をシルクの絨毯の上にぶちまけた。前畑誠は背中を波打たせ
て、何度も嘔吐した。その音が部屋に響き渡った。
前畑誠は水が欲しいと言って、全裸のまま気絶した。贅肉が腹の周りにまとわりつい
ていた。
「ぜんぶ吐いたので、放置しても死ぬことはあるまい。監視している外国人に死なれる
と、面倒なことになる」
丁建国はそう言うと、四人の中国人を連れてその場を去っていった。
217
11
M資金
北京は十一月中旬を過ぎると、急に寒くなっていた。大陸の大地から寒気が湧き上が
ってくるようだった。文字通り、日ごとに真冬へと突き進んでいた。
亀尾信二は業務に忠実に励んでいた。残りの任期をまっとうし、その目途がついたら、
次の職場を探そうと考えていた。日本の雇用情勢を考えると、中国で仕事を探す方が容
易に思われた。残り半年を悔いなくやり遂げることが、未来を決定づけるように思われ
た。
柱時計を見ると、午後五時になろうとしていた。もうこんな時間か。最近時間が過ぎ
るのが速いな。亀尾信二は満足だった。
その時、ドアのベルが鳴った。予約なしの訪問客である。スタッフの汪燕が対応しに
行った。入口で言い争うような中国語が聞こえた。何か押し問答を行っているようであ
る。
汪燕が戻ってきた。
「押し売りよ。しかもこんな時間に来て」
亀尾信二は表情を歪めた。中国人の押し売りはしつこいからなと思った。
「でも追い返したから、大丈夫よ」
汪燕は手柄を得たような言い方をした。
「押し売りではありません。それに、ワシは日本人ですぞ」
二人は声がする方を振り返った。八十歳に近いと思われる、頭の剥げた老人が杖を突
いて立っていた。
「私たちは帰宅する時間だから、帰って下さい」
汪燕は毛嫌いするように言った。
亀尾信二はその男の容貌を見て、急いで、
「こちらにお座り下さい」
と言った。老人の慈しみ深い眼差しから、普通の老人には思えなかった。このような
威厳のある人物がやって来るには、何か特別の用事があるに違いない。そう亀尾信二は
直感した。
「申し訳ない。勤務時間が終わろうとするころになって、やって来て」
老人は白髪が側面に少し残っている頭を下げた。頭頂は磨かれたように光っていた。
亀尾信二は老人がソファーに座るのを見届けると、汪燕に向かって、
「退勤時間だから、君はもう帰っていいよ。僕がお茶を出すから」
と言うや、お茶を入れに炊事場に行った。
「大変申し訳ない」
老人は座ったまま、両手で杖を押さえて言った。
汪燕は行きがかり上、帰宅しない訳にはいかなくなった。そして、老人を一瞥すると、
気にしながら立ち去った。
亀尾信二がお茶を二杯入れて、戻ってきた。
「かたじけない」
老人は本当に申し訳なさそうな表情をした。亀尾信二は正面から老人を見つめた。そ
して、その口から要件が語られるのを待った。自分の方から要件を聞くのは憚られるよ
うな雰囲気があった。
しばらく沈黙が続いた。老人は右手で真白くなったあごひげを撫でている。何か考え
ているときの癖のようだった。
「あなたとお会いできてなによりじゃ。嬉しい、本当だ」
と顔の表情を崩した。亀尾信二は頭を下げたまま老人の言葉に耳を傾けていた。
218
「面会の約束もとらずに、退勤時間前に来た理由はわかりますか」
亀尾信二は考えた。一分経過して、口を開いた。
「電話やメールで連絡してこなかったのは盗聴を避けるためで、退勤時間の直前にやっ
てきたのは中国人スタッフの監視を逃れるためですか」
亀尾信二にはそれ以外の回答はないと思われた。老人はゆっくり頭を縦に振った。そ
して、お茶を一口飲んだ。
ソファーの横のミニテーブルの上に置かれた大理石の白菜が老人の目に留まった。老
人ははっとして近づいた。しばらく色々な方向から眺めたり、大理石に触れたりした。
「これは見事な大理石じゃ。どうやって入手されましたか」
驚きながら老人は訊いた。
「友達からいただきました」
亀尾信二は正直に答えた。
「ほほう。さぞ、お金持ちでしょう」
「そうでしょうか。僕にとっては、石の白菜よりも、本物の白菜のほうが価値があるよ
うに思えますが」
老人は笑った。
「若いのう。うらやましい」
老人は亀尾信二の眼の奥を凝視した。
「この大理石は数百万円の価値がありますぞ」
亀尾信二はびっくりした。そして、丁建国が別れ際に、お眼が高いと言った理由が今
やっと氷解した。封筒の現金よりも、大理石の白菜のほうが高かったのである。亀尾信
二の胸が急に激しく鼓動を始めた。気づかれないように、お茶を半分飲んだ。老人は亀
尾信二の一挙手一投足を注意深く観察した。
「どうかなさいましたか。ひどく狼狽されているようですな」
「いやなんでもありません」
亀尾信二の声は上ずっているのが自分でも分かった。
「あなたは日本にとって、いや中国にとっても非常に大切なひとだ」
老人は力強い言葉で言い放った。
「どうもありがとうございます」
亀尾信二はお礼を言った。でも、納得はいかない。
「あなたの周りで異変が起こっていることに気がつきませんか。悪と善の戦いは激しさ
を増しています。どちらが勝つか予断できません。それらの均衡を破るのはあなたかも
知れないと関係者は気がつき始めているのですよ」しばらくして、
「分かりますか?」
と老人は訊いてきた。亀尾信二は首を強く横に振った。
「僕は何も悪いことをしていない。なのに、なぜ恐ろしい眼に合わないといけないので
すか」
「それは運命としか、言いようがない。あなたがこれから先どのように判断するかは自
由だ。ただ、それによって多くの人々が傷つくことがあるかも知れない」
「僕にはそんな重大な任務は遂行できない。僕は静かに暮らしたい。それだけが願いだ」
亀尾信二は玉田玲子を思い出した。恐怖が襲うと、必ず妻のことを思い出しているこ
とに気がついた。
「ワシがあなたに会いにきたのは、形のある要件があったからではない。あなたに語る
ことがあなたにとっても、私どもにとっても大切と分かったからです」
「『わたしども』とはいったい誰のことですか」
亀尾信二は鋭く切り返した。老人は右手で白い髭をさすった。
「それは特定できないが、多くの人々です」
219
「何人くらいですか」
ふっーと老人はため息をついた。
「それもはっきりしない。百人か千人か万人か億人か」
亀尾信二は迷路に引きずり込まされようになった。だんだん分かってきた。この老人
と議論してはいけないんだ。自分がおかれた状況は途方もなく複雑で、そこから抜け出
すには議論をして合理的方法を探り出すというやり方では対処できない。老人の物語に
耳を澄ませ、その一言ひとことを丁寧に咀嚼することで、脱出口を見出せるのに違いな
い。知識の断片をいくら積み上げても、世界の構造を捉えることはできない。この世の
支配者が我々を存在させている理由を認知することはできない。
「僕はやっと分かりました。先生、すべてを語って下さい。僕はそれを正面から受け止
めます」
亀尾信二は静かに語った。老人は頷いた。そして、礼を言い、話し続けた。
「ワシは新潟県の貧しい村で生まれた。父と母は村長に説得されて、満蒙開拓団の一員
として黒龍江省の寒村に向かった。満州には天国のような豊かな土地があり、それを耕
せば誰でも金持ちになると日本政府は宣伝している、と村長は言っていたが、村人はそ
んなことは誰も信じなかった。貧しい農村には、満蒙開拓団員の人数によって政府から
補助金が支払われることになっていた。村長も村人もそんなことはみんな分かっていた。
でも、誰も反対できないような空気が立ち込めていた。
共同体にいて、反対を唱えることは死ぬことよりも恐ろしいことだった。村人は人格
が否定されてしまいそうな恐怖を感じていたものよ。泣く泣く郷土の土地を捨てて、お
んぼろの船で大陸に渡った。
案の定、中国大陸の土地は痩せていて、収穫は少なかった。冬になると大地は凍てつ
き、鍬の刃さえ受けつけなかった。厳冬には満足な暖房もなく、一家四人で抱き合って
寝たものよ。あの時は、ワシら子供たちは寒い、寒いと叫んで、夜も眠れなかったもの
よ。厳しい空気の乾燥で涙もすぐに乾いていった。食べ物もろくなものはなかった。何
年も肉を口にすることはなかった。でも、満州で少年時代を過ごし、郷土愛も育まれて
いった。ワシの故郷は今でも満州だわい。
戦争の末期になると、日本の軍人たちは満州からこっそり引き揚げ始めた。彼らはソ
連軍が攻撃してくるとの情報を得ていたが、満蒙開拓団の農民に知らされることはなか
った。ワシらはソ連軍の盾として、現地に放置されたのじゃ。開拓民は日本政府に見捨
てられたのじゃ。一度目は日本で捨てられ、二度目は満州で捨てられた。悔しいという
よりも、情けなかった。心の底から泣けてきた。なんでワシらはこんな惨めな思いをせ
にゃいかんのかと。
ソ連軍は元囚人を先頭に満州に南下してきたが、気が荒く、暴虐の限りを尽くしたよ。
女は強姦され、男は殺されるか、シベリアに強制的に送られるかのどちらかだった。
ワシの家族は逃げ遅れて、みんなソ連軍に捕まり、殺されてしまった。ただ、ワシは
運よく貨物列車に忍び込み、ひとりで奉天まで逃げてきた。奉天は現在の瀋陽だわ。列
車のなかでは涙が止まらなかった。
それから、縁あって党の八路軍の将校と出会い、戦後は大陸に留まり、高等教育も受
けさせてもらった。大変感謝しているよ。親代わりの彼は党のなかでみるみる頭角を現
していった。党の幹部になっていった。
ワシは成人するや、日本に何度も送られ、日中貿易の窓口や調整役を任されるように
なった。お陰で、日本の商社の重役とのコネを築くことができた。日中国交正常化の交
渉が噂されると、裏方役として日本の政治家に書簡を手渡す仕事を任されるようになっ
た。
ワシは決して表にはでなかったが、日本の戦争責任を巡る中国人の怨念は凄まじいも
220
のがあった。それを蒋介石や周恩来は懸命になって抑えた。悪いのは日本軍国主義であ
って、日本人ではない。日本人民はむしろ被害者であると、中国のリーダーは中国の人々
を説得したものよ。
東京極東裁判において、日本政府のリーダーは戦争責任を追及されると、中国侵攻は
自分の本意ではなかったが、反対できる雰囲気ではなかったと口々に弁解しておる。ワ
シは怒りで身体が震えた。人々の上に立つ者が、責任逃れをしておる。自分が決断した
と正々堂々主張できるものは皆無に近かった。日本はお終いだと思った。祖国は死んだ
と思った。
日本人の中国侵略の責任の認識問題も同様だ。日本の学者は関東軍の暴走であったと
主張し、政府の計画的な関与はなかったとしているが、現場に責任を押し付け、歴史の
審判から逃れようとする魂胆が醜く見えて仕方がない。現場を指揮できていないリーダ
ーは失格だ。こんな言い訳は海外では通用しない。仮にあったとしても、恥ずかしくて
誰も口にすることは決してない。日本人の精神が歪んでしまったように思える。
戦後、日本人は一生懸命に働き、豊かな国を作り上げたと信じているが、それは表面
的な繁栄でしかない。民族の精神はすでに滅んでしまっている。ワシはそう考えた。
日本政府は多くの満蒙開拓民を置き去りにした。その多くは残留孤児になった。しか
し、日本政府はなかなか救済に乗り出そうとしなかった。残留孤児という名称にも悪意
が込められているような気がする。進んで大陸に残ったという語感が残留孤児に現れて
いるように思えてならない。どうして戦争孤児と正面から言えないのか。彼らは戦争の
犠牲者なのだ。戦争孤児は日本政府に三度も捨てられたことになる。こんなに血の通わ
ない政府が世界のどこにいるだろうか。
ワシは日本人だ。日本人の血が流れている。日本人の感性は繊細で、ひとの心情を敏
感に感じとることができる。豊かな四季が育んだ豊かな情緒である。だが、日本人は人
間の根源的なものや最も大切なものに対して無関心で、無感動である。実に残念なこと
だ。日本民族は優秀であるが、何かが決定的に欠けている。それが現在、露呈し、日本
人を実にひ弱なものにしてしまっている。
ワシは今でも祖国を愛している。それでも、日本と日本人が好きだ」
時計は午後八時になろうとしていた。亀尾信二は老人の顔を凝視しながら、言葉の裏
にある思いまで読み取ろうとしていた。老人の両眼は涙で潤っていた。沈黙が続いた。
暖房はまだ入らず、床から冷気が上がってきていた。
「年寄りの話は湿っぽくなるので、若い者から嫌われる。申し訳ない。これから少し明
るい、前向きな話をしよう。
戦前のことだが、南満州鉄道株式会社が満州の本渓湖周辺の地下の石炭を掘っていた
際、頑張りすぎて、張学良の領分まで掘ってしもうた。それが発覚し、満鉄は当時のカ
ネで二百万円もの莫大な賠償金を払わされることになった。だが、張学良が満州からい
なくなったため、満州国に申し出てその使用方法を訊いたところ、予想外の資金だから
研究所でも作ろうかということになった。
その資金で出来たのが大陸科学院だ。当時の日本のどこにもない立派な自然科学総合
研究所だった。両国の科学者の夢が大陸科学院に結実したのだ。ビタミンの発見で世界
に著名な鈴木梅太郎は三代目の院長を勤め上げている。大陸科学院の総面積は六万平方
メートルもあり、千人の日本人と中国人が働いていた。中国人研究者のひとりは中国の
土壌微生物学の基礎を築く人物となった。他の三人は台湾に渡り、台湾大学で有機化学
を教え、後にノーベル化学賞を授賞することになる李遠哲を育て上げた。
大陸科学院は中国や台湾の科学の発展にも貢献したとワシは思うとるが、中国では日
本帝国主義の植民地政策の尖兵として断罪されている。残念なことじゃ。政治が科学者
の夢を踏みにじった。
221
大陸科学院の本館は歴史文化財として外観を保ったまま保存されている。建物の内側
は改修され、中国科学院長春応用化学研究所の研究者が今でも使っている。
そうだ。明るい話をせにゃいかんのだった。老人の昔話はつい長くなりがちじゃ。す
まん。
ワシは日本政治の中枢におられるある方から任務を仰せつかった。それは、戦前の大
陸科学院をもう一度中国大陸に復活させることじゃ。今度は中国人にも感謝してもらう
ことが前提だが。
君は知らぬじゃろうが、日本にはM資金というアングラマネーがある。巷では、GH
Qが日本占領時に日本軍から没収したダイヤモンド、金塊などを売却してつくった基金
と噂されているが、それはほんのごく一部じゃ。M資金の大部分は満鉄が大陸から引き
揚げる際に持ち帰った宝石類を基にしたものだ。政府高官もその実態をほとんど知らな
い。M資金を知っているものは、総理大臣と大蔵省の次官経験者の一部だけだ。このア
ングラマネーの存在を知っている者が日本国の真の統治者の証左ということになる。
M資金から二千億円を引き出すから、新しい大陸科学院を建設して欲しいという申し
出を受けたのじゃ。戦前の大陸科学院に使用した資金二百万円は現在では三百億円以上
の価値がある。二千億円はその六倍以上になる。そのお方は、大陸科学院を大東亜共栄
圏、いや東アジア共同体の復活の起爆剤にしたいと考えておられるようじゃの。真の日
中和解の証になるのじゃ」
老人はそこまで話し続けると、話すのを止めた。亀尾信二には話し終わったのか、そ
れとも小休止しているのか分からなかった。しばらく様子を見ることにした。
すると、老人は眼をつむり、そして、身体を波打たせて大きく呼吸をし始めた。しゃ
べり疲れたように思えた。暖房の効かない部屋は寒々としてきた。時間は深夜になろう
としていた。亀尾信二は時計を見ると、突然に空腹感に襲われた。
いったいこの老人は何者であろうか。話は本当のことのように思える。八十歳になろ
うとする者にとって、ひとにウソをついても何の利益にもなるまい。でも、自分にこん
なことを話しに来た目的は何であろうか。僕に何を期待しているのであろうか。
老人は座ったまま両手を杖におき、気持ちよさそうに眠っている。上半身がゆっくり
船を漕いでいるようにも見える。その寝顔は少年のように無邪気だった。
呼びかけようと思ったが、名前を訊くのを忘れていたことに気がついた。
「あの―」
亀尾信二は声を掛けて、起こそうとした。このまま明日まで待つわけにもいかない。
もう少し大きな声で呼んでみた。しかし、老人は深海の底の魚のように静かに息をたて
て、寝入っていた。
亀尾信二は仕方なく近づいて、右手で肩を揺り動かしてみた。
老人の右目から涙が漏れていた。亀尾信二ははっとした。老人が生きてきた道のりに
思いを馳せるとき、嵐を突いて生きてきた姿に感動した。
老人はふっーと息を吐きながら、眠りから醒めた。
「さて、何を話していたのかいな」
老人は右手の甲で涙を拭いながら言った。
亀尾信二はその質問には答えなかった。M資金も大陸科学院の話も身体によいはずは
ない。これ以上重荷を背負って生きていく必要はない。もう休めばいい。亀尾信二はそ
う思った。思い出さなければ、そっとしておこうと思った。
「先生は随分健康そうですね。健康法は何ですか」
亀尾信二は話題を変えた。
「電気経路療法じゃ」
亀尾信二はでんきけいろりょうほうと言い返した。
222
「ひとはな、ツボとツボをつなぐ経路を気がうまく流れぬようになると病気になる。そ
こで気が経路を円滑に通るように、電気を身体に流すのじゃ。ワシはもう三十年以上こ
の治療法を受けているため、病気ひとつ罹ったことがない。無病息災じゃ。健康であれ
ばどんな困難な仕事も達成できるわい。西洋医学を駆使してもツボは発見されていない。
だが、鍼灸などの経路療法は治療効果があると実証され、代替医学として世界中で熱心
に研究されている。東洋人には東洋医学が一番じゃわい」
老人は笑った。実に楽しそうな笑顔だった。
「先生、頼みたいことがひとつあるのですが―」
老人は顔を上げた。眼も鷲のように光っていた。まるで亀尾信二が何をしゃべるのか
を予測しているかのような眼だった。
「もしご存知であればですが―。丁建国をご存知でしょうか。たしか、現代日本研究所
長の要職に就いているはずです。以前にも会っているのですが、もう一度会いたいので
す。方法をご存知であれば、教えて下さい」
亀尾信二は老人の鋭い眼光に負けまいと、見つめ返した。
老人は再び右手であごひげを撫でた。考える際の仕草だった。
「この白菜の大理石も彼からもらったというわけだな」
「そうです」
「やはりそうか。亀尾さん、あなたには分からないだろうが、あなたの頭上に世界の渦
が巻いているのですぞ」
亀尾信二はその言葉を素直に受け取った。不思議な体験の数々が亀尾信二を逞しくし
ていた。彼には逃げ場もなくなっていた。敵も味方も分からない。でも、前を向いて生
きていくしかなかった。
「丁建国からあなたに連絡を取らせるように仕向けましょう。ただし、ひとつ大切なこ
とを忠告しておきます。迷路に引き込まれても、あせって自分を見失ってはいけません
ぞ。自分の心に曲がったことを言ったり、行動したりしては決していけません。曲げれ
ば、あなたに取り返しのない災害が訪れますぞ」
亀尾信二は大きく頷いた。
「私には失うものは何もありません」
そう言うや、亀尾信二は玉田玲子のことを思い出した。視線が動いたのを老人は見逃
さなかった。
「本当ですか」
老人は意地悪く、訊き返した。亀尾信二は今度は首を小さく縦に振った。
「今夜は遅くなってしもうた。あなたの貴重な時間を割いてしまって、申し訳ない」
老人は礼儀正しく、頭を下げた。そして、杖を支えにしてゆっくり立ち上がった。
「タクシーを呼びましょう」
「いや、下に党幹部のアウディーを待たせているから、心配は無用じゃ。ワシは今から
中南海に向かう」
中南海は泣く子も黙る社会党幹部の執務室と住居があるところだ。老人は党幹部にM
資金の話をしに行こうとしているのであろう。
老人は出口に向けて、歩き始めた。ドアまで行くと、思い出したように振り返った。
「そうだ。北京には一本の冬桜が植わっておる。ワシが胡耀邦主席に会った時、頼んで
植えさせてもらったんじゃい。ワシの故郷から苗を八本運んだ。残念なことに七本は寒
さで枯れてしもうた。残りは一本だ。それが枯れる時がワシの寿命が尽きるときかも知
れん。冬桜は朝陽公園に植わっとる」
亀尾信二は驚いた。朝陽公園には何度も足を運んだことがあるが、見たことはなかっ
た。
223
「ワシは年をとった。最後に大陸科学院の件は頼みましたぞ、亀尾さん。ワシの最後の
望みじゃ」
そう寂しげな表情で言い終わると、背を向けて廊下を去っていった。背中は小さく見
えた。歳相応の雰囲気が漂っていた。
亀尾信二には訳が分からなかった。M資金二千億円を使って大陸科学院を現代に蘇ら
せる。いったいどうすれば実現できるのであろうか。亀尾信二は急に胸が苦しくなるの
を感じた。
12
支配の正当性
亀尾信二は定刻どおりに事務所に出勤すると、所長はすでに所長室で作業をしていた。
こんなことは初めてのことだった。亀尾信二はすぐに呼び出され、所長の机の前のパイ
プ椅子に座らせられた。机の上は資料がなく、広々とした空間が広がっていた。電話が
あるだけで、デスクトップのパソコンも置かれていない。所長は何者かに内容を盗まれ
るのを恐れて、いつもノートパソコンを持ち歩いていたからだ。
亀尾信二は所長との間に距離を感じた。スチーム暖房は入るようになっていたが、建
物の大家は倹約家で、寒気を払拭するまでには至っていなかった。
所長は神妙な顔つきをしている。亀尾信二はこの事務所に採用されて、一年半になろ
うとしているが、所長の人柄や任務をまだ掴んではいなかった。亀尾信二は所長の口が
開くのを待った。しかし、長い沈黙が続いた。亀尾信二の方が嫌な雰囲気を打開しよう
とした。
「どのようなご用件でしょうか」
所長の顔ではなく、胸元に向かって話した。
「仕事が終われば、すぐに家に帰っているようだな。友達はいないのか。女ともつき合
っていないのか。若い男の身体は女を強く求める」
思いがけない質問に、どう答えればいいか迷った。しばらくして、意を決し、
「週末にゴルフの練習をする以外、普段の日はアパートでテレビを見たり、本を読んだ
りするだけです。現地採用者は賃金が低く、日本からの派遣者のような派手な生活はで
きません。ただ、姉が好きだったカーペンターズの音楽だけはよく聴いています。心が
実に落ち着くんです」
亀尾信二は処遇の悪さを言うつもりではなかったが、思いがけず言わされた形になっ
た。
「あと半年が過ぎれば、私と君の任期は終わる。私は大学を退官し、第二の人生を送っ
ている。今の任務が遂行できず、途中で国外に追放されたり、命を消されたりしても後
悔はない。だが、君はまだ若い。将来がある。人生を享受する権利もある。つまらない
ことに関わる必要もあるまい」
所長は静かな口調で言った。でも、話の内容はよく分からない。亀尾信二は覚悟した。
この機会を逃せば、自分が置かれた立場を永遠に知ることはないのではなかろうかと思
った。
「所長―」
そう声を出してみたが、亀尾信二はどう続ければいいか迷った。
「所長はいったい何をされているのですか。誰と関わっているのですか」
日頃考えている疑問を率直に質問した。所長はニヤリと笑った。
「まず、君の行動を監視することだ」
亀尾信二は予想もしなかった回答に衝撃を受けた。
「私は五全公寓の二十八階に住んでいる。朝陽公園がよく見渡せる。それに、君のアパ
224
ートを監視するにもうってつけの位置だ。電灯が点いているかどうかを見れば、君が在
宅中かどうかも分かる。君は真面目だから、敵を欺くために電灯を点けたまま、外出す
ることはない」
亀尾信二は自分でも身体が震えるのを感じた。それは制御できなかった。歯もカチカ
チという音を立てた。いったいどういうことなんだ、よりによって上司から監視されて
いたなんて。言葉を発することもできなかった。
「君を監視するのは私の主目的ではない。君の安全のためだ。君は当局に狙われている。
私は詳しくは知らないが、君にも様々警告や誘惑があったはずだ。君がどこまで先方の
手の内に落ちるかは、我々の任務遂行にも大きな影響を及ぼしてくる。私の見るところ
では、君は崖っぷちで踏みとどまっている。違うかね。多くの日本人が当局に籠絡され
ている。日本公使館の幹部にもいる。カネを相手にせびるようになったら、人格も思想
も破壊されてしまう」
所長は不敵な笑顔を浮かべた。覚悟をした人間の顔だった。死さえ恐れていないよう
に見受けられた。亀尾信二はまだ声を発する状態まで回復していなかった。掌に汗が滲
むのを感じた。背筋も寒く感じられた。
「私は民主活動家と接触して、何度も工作部に拘束された。でも、敵の圧迫に屈してい
ない。我々団塊の世代は若い時から好き放題やってきたから、いつ人生が終わろうとも
後悔はない。我々の世代は学生時代に、理想社会ための共産主義革命の成就を信じてい
た。大学の安岡講堂も封鎖したよ。戦いに敗れたが実に楽しい青春時代だった。私には
まだ残された時間でやり遂げたい夢と理想がある。腐敗堕落した中国には、本当の革命
が必要だ。君には夢があるかね、亀尾君」
所長は亀尾信二を見下すような言い方をした。亀尾信二には答えられなかった。
「私の専門は中国の春秋戦国時代だ。特に、山東省一体に広がっていた斉の歴史を研究
してきた。斉を建国したのはチベット系姜族の太公望だ。彼は人々がみな平等な生活を
おくれるようにという願いを込めて、国名を“斉しい”からとって斉にしたのだった。
当時の斉は現在の中国と同じく多民族国家だった。異なる民族が仲良く暮らせるよう、
太公望は希求していた。斉はその後、王の嫌がることをズケズケと諫言する管仲という
宰相を生むことになる。その頃が斉の全盛期だった。
だが、その後、王に諫言せず、媚びへつらう宰相が現れるようになると国力は急速に
衰えてしまう。最終的に、秦に滅ぼされるのだ。今の中国は斉のような運命を辿るので
はないかと心配だ。多民族が平等に仲良く安全に生活できる状態に早くなってもらいた
い」
汪燕がお茶を運んで、部屋に入ってきた。所長は話を遮った。亀尾信二と所長は汪燕
の手先の動きを見るともなしに追跡した。中国人アシスタントが退席すると、また沈黙
が続いた。所長は深呼吸をした。
「私ら仲間には重大な任務がある。でも、君をそれに巻き込むわけにはいかない。採用
の時に、中国では仕事をやり過ぎないようにと言ったことを覚えているか。深く仕事を
すれば、中国では必ず触れてはならない鉱脈に到着する。鉱脈の存在を知ってしまえば、
引き返すことは不可能になってしまう恐れがある。半年間のほほんと過ごし、日本に帰
国することだ。それは一番幸せな生き方で、賢明だ」
所長は言い終わると、黒いカバンを右手で掴み、すぐに事務所を出て行った。
亀尾信二はパイプ椅子に座ったまま、所長の言葉を反芻していた。それでも、実態を
うまく整理することが出来なかった。所長の行動の謎は解けていないし、自分の置かれ
ている立場もうまく飲み込めなかった。ホテル・リージェントでの丁建国との会談、女
スパイらしい者から飲まされた痺れ薬は亀尾信二に対する当局の警告である。民主活動
家に近づくなという意図は理解できるが、では自分に何をやれと要求しているのか誰も
225
教えてくれない。亀尾信二は途方に暮れた。
「亀尾副所長、お電話ですよ」
汪燕が所長室を覗き込むように声をかけてきた。
亀尾信二は所長の机の上の受話器を取り上げた。
丁建国からのものだった。相手は面会の時間と場所を指定し、電話をすぐに切った。
場所は以前丁建国と会ったホテルの同じ部屋だった。
先日、亀尾信二を訪問してきた老人と丁建国はつながっていることが証明されたこと
になる。所長はこれ以上かかわるなと言う。しかし、亀尾信二は謎を解かずに、帰国す
るという訳にはいかないと思い始めていた。そして、所長がこれ以上危険地帯に入るな
という警告は、もしかしたら、俺を仲間に引きずり込みたいという高等戦術ではないか
とさえ考えていた。
亀尾信二はタクシーでホテル・リージェントに向かった。部屋をノックすると、すぐ
にどうぞお入り下さいという声が聞こえた。迎えたのは、和服姿の女性たちだった。前
回チャイナドレスを着ていたふたりと分かるまで、しばらく時間がかかった。うまく着
こなしていて、凛としているが、奥ゆかしさも具えていた。内股でゆっくり歩いている
姿をみると、相当訓練されているように思われた。
奥から丁建国が現れて握手を求めてきた。随分打ち解けた雰囲気を漂わせていた。亀
尾信二は今までの謎をすべて解き明かすつもりでやってきたのである。
「初対面の際は何もおもてなしできずに、申し訳ありません」
丁建国は日本語で言った。そして、
「今夜は日本料理を楽しんでいただければと、北京随一の日本人シェフに調理させまし
た。どうぞごゆっくり堪能して下さい」
楕円形の広めの食卓の上には、すでに高級魚とロブスターの刺身、毛ガニが用意され
ていた。色鮮やかだった。ふたりの女性は手を口元に当て、恥ずかしそうな仕草をした。
中国人には見えない。これも学習の賜物であろうか。
「まずは、お座り下さい。ふたりで食事しながら、楽しく語り明かしましょう」
丁建国は柔らかい物腰で上座の椅子を引いた。
亀尾信二は勧められるままに座った。タイミングよくおしぼりが女によって運ばれて
きた。和服の女性の指先は白く美しかった。
「まずはビールで、その後清酒にしましょう」
丁建国はおしぼりで日焼けした顔を拭きながら、言った。
「いや、今夜は色々聞きたいことがあるので、酒は抜きにします。お茶で結構です」
「そう堅いことをおっしゃらずに―」
丁建国は場の雰囲気を和ませようとした。
「いや結構です」
亀尾信二は物言わせぬ口調で言った。丁建国は女たちに極上の緑茶を入れるように中
国語で指示した。緑茶を飲み終えると、料理が次々に運ばれてきた。北京で日本料理を
口にする機会のない亀尾信二にとって、どの料理も極上の味がした。
そのなかに、あんこう鍋、サバの味噌煮、苦瓜が入ったチャンプルウの庶民の料理が
こっそり入れられていた。これらはどれも、亀尾信二が大好物の料理である。歓待され
ている喜びと同時に、そこまで調べ尽くしているのかという恐怖心が襲った。中国流の
接待法であるが、無言の圧力のようにも感じられた。お前のことはすべて知っているの
だと――。
主食に特上トロの寿司と赤だし、そしてデザートにコーヒーとマスクメロンが運ばれ
てきた。
226
「満足いただけましたでしょうか」
丁建国は笑顔を振り撒いて言った。
「素晴らしい。こんなに美味しい日本料理を食べたのは始めてです。満足しました。で
も、日本料理は中華料理には適いません。中華料理は世界一です」
亀尾信二は謙遜して言った。
「中華料理を褒めていただいて感謝します。次回は最高級中華料理を賞味していただけ
ればと思います」
丁建国はナプキンで口元を上品に拭いた。亀尾信二は丁建国の誘いには答えなかった。
「さて、質問の時間に移っていいでしょうか」
亀尾信二は国際会議の議長のような口調で言った。
「中南海からの新しい指示により、あなたの質問には何でも答えます。しかし、答えら
れないものもあることをご理解下さい。秘密を漏らせば、私は消されますから」
丁建国は小さく頷きながら、言った。
「了解しました。丁建国さんとはいつまでもいい友達でいたいと願っています。ご迷惑
になるようでしたら、答えなくても結構です」
亀尾信二はコーヒーを啜った。
「その前に、あなたのお陰で中国は日本の先端科学やハイテクを随分導入することがで
き、大変感謝していますよ。商務省の村井隆課長が北京で脳梗塞の手術を受けた際、脳
内に埋め込まれたチップは貴国の国立脳サーバー研究所から学んだものですよ」
「えぇ、何ですって。村井課長を突然襲う発作の原因は脳に埋め込まれたチップが原因
ですか」
「村井課長は中国に反抗的です。中国に限らず、何かを恨んだり、敵対視する感情が生
まれると、チップはそれを感知し、電流を放電する仕組になっていて、苦痛を呼び起こ
します。いつも穏やかな気持ちで過ごしていただければまったく害はありませんよ」
「本人はそれを知っているのですか?」
亀尾信二は身を乗り出して強く迫った。
丁建国は不敵な笑みを浮かべた。答えはノーと容易に理解できた。あのチップが思想
改造の誘導に使用されたとは。亀尾信二は罪悪感を感じた。
「本人にとっても人格の角がとれ、周囲の人々から愛されるようになり、役所での出世
に大いにプラスになると思いますよ」
丁建国は平然と言った。
亀尾信二は自分にもいつかチップが埋め込まれるかも知れない。いや、知らないうち
にすでに手術が施されているかも知れない。底知れぬ戦慄が走った。
「僕が丁建国さんと再会できたのは、ある老人のお陰です。老人は中南海に行くと言っ
ていましたが、まずその老人と丁建国さんとの関係を伺いたい」
「正直言って、私はその老人のことをまったく知らないし、会ったこともない。私は中
南海からあなたを接待し、質問に答えるよう指令を受けただけだ」
「分かりました」亀尾信二はすぐに引き下がった。「マッサージ師の張愛は田舎に帰っ
たと噂に聞いていますが、今元気ですか」
亀尾信二は張愛のにきび顔を思い出しつつ、質問した。
丁建国はうつむいた。
「どうしました―」
亀尾信二は丁建国の顔を凝視した。
「何があったんですか。彼女の身に―」
「逮捕しました」
丁建国はあっさりと言ってのけた。
227
亀尾信二の何ですってという声は発せられなかったが、表情から読み取れた。
「地下組織のキリスト教団に参加しましたから」
「宗教活動の自由は憲法で認められているではありませんか」
「中国には宗教の自由はあります。しかし、非合法な宗教活動は認められていません。
社会の秩序を乱しますから。合法的な宗教活動をしたければ、政府に登記するという法
的手続きをすることになります。中国は法治国家ですから」
「中国政府が登記を認めないので、地下で宗教活動をするのじゃありませんか。それに、
登記すれば当局の完全な管理下に置かれてしまい、自由な宗教活動ができなくなってし
まう。そうでしょう」
亀尾信二は食い下がった。
「いや違う。彼らの目的は社会の秩序を乱し、最終的には国家を転覆させることですよ。
彼らは海外のテロ組織などとつながっているのです。亀尾さん、それをご理解下さい。
西側のマスメディアは不公平だ。中国の人権抑圧をしばしば取り上げるが、海外のテロ
リズムが中国国内の宗教組織や少数民族に援助し、中国を弱体化させようとしているこ
とをまったく報道しない。日本を含めて西側諸国は心の中では中国の興隆を望んでいな
いのです。中国は平和な世界の構築のために一生懸命に働いているのに、世界の人々は
理解しようとしていないのです。悪の芽は小さいうちに摘み取っておかなくてはなりま
せん」
亀尾信二は茫然となった。中国の論理は異常だと思った。
「張愛はどこにいるのですか」
「私には正確な情報は分からない。だが、一般的には労働改造所に送られ、正しい教育
を受けて矯正され、中国人民として社会の発展に貢献する人間へと成長するはずです」
「労働改造所!」
亀尾信二はそれがどのような場所かを想像することはできないが、身の毛もよだつ、
唾棄すべきものであると思えた。それ以外のものであるはずがないと確信した。
「宗教は悪ですよ。時には阿片にもなる。中国の歴史をご覧下さい。朝廷の統治能力が
落ちると、疲弊した農民を洗脳し、戦争を起こそうという宗教団体が現れます。黄巾の
乱、紅巾の乱、太平天国の乱など数多くの邪教が社会を混乱に陥れました。かれらの目
的は新しい皇帝になることだけです。そのため、中国社会の秩序は乱れ、戦争が続き、
人口が激減し、国家は分裂の危機になんども遭遇してきました。
我々中国人は宗教の邪悪な面を嫌というほど知っているのです。中国の農民は知的レ
ベルが低く、迷信や邪教に惑わされやすいのです。彼らを救うのは、知識人であり、合
理的精神であり、科学的発想です。前衛である党がしっかりしなくては中国の安定と発
展は確保できません。どうか、中国の特殊性を理解して下さい」
「張愛は心の優しい子です。両親や友達にもっと多くの愛を与えたいと思っているだけ
です。国家を転覆しようとしたり、社会を混乱に入れたりするはずはありません」
「亀尾さんの言われることは半分正しい。しかし、宗教は個人の心を救うことができて
も、集団になると突如目的を変えますからな。中国、日本、西欧の歴史を見れば、それ
は歴然としていますよ。善を志す者ほど最終的には極悪を働くのです」
「なぜ、中国は自由を尊重しようとしないのですか」
亀尾信二がそう言うや、丁建国は大声で笑った。亀尾信二の発言を前面否定している
ような笑い方だった。
「何がおかしいのですか?」
亀尾信二はムッとした。
「中国には政治的自由以外は豊富にありますよ。むしろ日本社会の方が息苦しい。日本
人は形式を重視するため、職場に出て、上司の言うことを素直に聞いていさえすれば、
228
給与をくれる。一生懸命に働いて成果を挙げても、給与はあまり増えない。共産主義み
たいで、労働者の自由があるようには見えない。
病院や銀行でも、金持ちも貧乏人も平等に扱われる。死に物狂いで働いて金持ちにな
っても意味がない。税率も高いし、贈与税も信じられないくらい高い。教育現場でも、
出来る子供とできない子供は長い間、同じ教室で勉強させられる。強制だけがあるだけ
で、どこにも自由なんか存在しない。
中国は違う。金持ちになれば、選挙権以外のすべての自由を獲得できるのですよ。役
所の許認可もすぐ取得できる。病院では最高級の医療を受けられる。銀行では特別室に
すぐ案内されますよ。株の売買では裏情報さえ購入することができる」
亀尾信二は丁建国の話が我慢ならなかった。
「それこそ腐敗というのです。中国は早晩腐敗によって国が滅びます。絶対に―」
「亀尾さん、あなたは中国のことをまったく分かっていないようですね。中国は他の国
とは違うのです。歴史や社会の成り立ちが根本的に異なっているのです。欧米の偏った
視点で中国を理解しようとしてはいけませんよ。腐敗は中国の文化であり、腐敗や格差
こそ発展の原動力です」
「あなたは狂っている。正気の沙汰ではない。そんな考え方は絶対間違っている。神や
天が許すはずがない」
亀尾信二は感情を爆発させた。でも、丁建国は冷笑を浮かべただけだった。
「神なんて存在しない。天が怒りを人間に及ぼすことは決してない。神や天を信じるの
は中世人の遅れた思想だ。迷信とさして変わりはない。現代は科学中心の世界ですよ。
中国が科学的思考をし、国家理性が働く限り、国家は安泰で、発展を続けます。合理的
発想の勝利方程式ですよ。宗教や愛は個人の慰めになっても、国家の繁栄や発展には何
の役にも立たない」
「個人と国家の発展はどちらが重要と考えているのですか?」
亀尾信二はこんな簡単な質問をしなければならないのかと唖然とした。
「当然、国家でしょう。国家の安定的発展があればこそ、個人の活動の自由が生まれる
のです。個人の権利をより重視していては、中国は分裂し、混乱し、最終的に困るのは
個人ですよ。これが中国人の考え方です」
「やはり、あなたは狂っている。プライバシーが監視されることを誰が望むものですか」
「欧米や日本社会の閉塞感はプライバシーの膨張にあるのです。プライバシーの権利を
主張し、自己の周りに壁を作ってしまっている。それが利己主義を助長し、社会の発展
を無視し、自分のことしか考えない人間を大量に生産したのだ。
テロのような反社会的な組織ができたのは、プライバシーを認知したことが発端にあ
る。国家がすべての個人のプライバシーを監視していさえすれば、テロなんか起こるは
ずがない。個人の監視は国家のためだけでなく、人民のためなのです。人民の名の下で
行われている正当な行為です。近代民主主義社会は自我の確立が生んだとされています
が、それがゆえに矛盾に行き当たり、民主主義国は崩壊の危機に瀕しているのです。自
我の喪失が最大の社会の安定装置であり、理想社会への正しい道です」
丁建国は、我々は決して間違っていないというような表情を浮かべた。
「それは悪魔の発想だ。決して受け入れることはできない!」
亀尾信二は自分に言い聞かせるように言った。狂気が自分を襲ってくるようだった。
村井隆課長のように、いつか脳内にチップを埋め込まれ、丁建国のような発想をごく自
然に行うようになるのだろうか。それは死よりも怖ろしいことだった。
「西側社会の人々は膨張した自己に悩まされている。可哀想な存在だ。価値観の多様性
が唱えられているが、そうなればなるほど悩みは深くなるのだ。人間の心身は自己が強
くなればなるほど苦悩も強くなる。西側の人々は近代的自我にみな疲れているのだ。
229
人々は枠をはめられようとしている。何かに拘束されようとしている。誰かに正しい道
を指示されるのを待っている。
西欧近代社会はその答えが出せないのだ。それができるのは、中国の我が党だけだ。
中国の人民は進んで、党の前に膝を折っている。将来には、西側社会はすべて我が党に
屈服するであろう。日本企業は巨大な中国市場欲しさに、中国に屈服しようとしている
ではありませんか」
「自己こそ最も尊い存在なんだ」
「それは個人の幻想にしかすぎない。個人は市場経済に埋もれて、苦しんでいるだけだ。
自己を喪失すれば楽になる」
「あなたの発想は非人間的だ。人間に対する冒瀆だ。そんな不遜な考え方がいつまでも
続くはずがない。天を畏れぬ者は天に滅ぼされる。人間は神聖な存在だ。西側世界の信
仰心ある政治指導者は神の意識を内省しながら決断している。神の名の下に責任を果た
す。だから、民衆はその指導者に運命を託すことができるのだ」
亀尾信二は息を弾ませながら興奮して言った。
「それは違う。根本的に間違っている。人間は欲望を肥大化させられた動物と同じよ。
きれいごとを言ってみたところで、関心があるのは、うまい食事とセックスとカネと名
誉じゃないか。ケツの穴のように汚い動物にしか過ぎない。生を受けている間に、どれ
だけ欲望を満足させられるかが唯一の指標よ。そんな人々をコントロールし、満足させ
るには、巨大な権力が必要になるのさ。ビッグブラザーの存在意義はそこにある」
丁建国は悪魔の顔にしか見えなかった。
「人間は悩む存在だ。そんなに簡単に動物といっしょにされては、人間らしい豊かな人
生を送ることはできない。人間には無限の精神世界があるのだ。食べ物を満足に得られ
ればいいという訳ではない。人間は現実社会と異なる価値体系の外部世界を創造し、そ
こで安らぎや生存の意義を確認してきたのだ。君みたいに貧困な発想しかできない者に
は分かるまい。虐げられた者こそ天国に召されるだ」
亀尾信二は誇らしげに笑った。しかし、丁建国はもっと大きな声で笑った。
「君が言いたいのは宗教や他者への思いやりや愛のことを言いたいのだね。我々は科学
万能の時代に生きている。精神世界は科学技術が発展していなかった時代には、人々の
支持を得ていたが、現代人は繁栄と幸福のために、科学を崇拝するようになったのだ。
科学が宗教を消滅させようとしている。それは時間の問題だ」
「あなたの言うことは真理ではない。科学は物質世界しか扱うことができない。人間の
精神世界はもっと広大なものだ」
亀尾信二は反論した。
「科学の発展を侮るな。精神世界も人間の生命の営みである以上、かならずいつか科学
的に解明されるのだ。我が党が科学的共産主義を信奉する理由はそこにある」
亀尾信二はこれ以上議論しても、平行線を辿るだけだと思った。
「どうした、亀尾君。我々の考え方が正しいということを認知したかね」
丁建国は勝ち誇ったような言い方をした。
「君にはいろいろと援助していただいた。私からプレゼントをしよう」
「プレゼントは要らない。断る」
亀尾信二は強い語調で言った。
「実は、君の一番大切なものだ」
亀尾信二はハッとした。そんなバカな。
「彼女には指一本触らせないからな」
「我々は毎朝新聞とは隠されたコネがある。極秘裏に得た情報では、玉田玲子は北京駐
在を強く希望しているそうだ」
230
亀尾信二は我を疑った。そんなことがあるものか。非合理な危険な状況におかれるの
は自分だけで十分だと思った。妻にこのような恐怖心を味わわせたくなかった。
「我が党は大歓迎すると伝えてある。記者ビザの発行も円滑に進むよう約束する。若い
夫婦はいっしょに生活するのが自然だよ。君の北京生活も充実したものになるであろう。
幸福を祈る」
丁建国は下品な笑顔をつくった。考えていることが容易に分かり、亀尾信二は余計に
腹が立った。
「もうひとつ話がある」
亀尾信二は無視しようとした。
「いっしょにビジネスをしようじゃないか」
「ビジネス?」
亀尾信二は予想外のことに訊き返した。
「君が会った老人が話していた二千億円のプロジェクトを二人で決めようじゃないか。
老人の意向に沿ってプロジェクトを立ち上げ、一部の金額をマージンとして二人で山分
けしようじゃないか。老人をうまく騙せば、十億円くらい軽く稼げるぜ。アホな上司に
ぺコペコしながら生きていく必要もなくなる」
「断る!」
亀尾信二はきっぱりと言った。
「歴史認識の問題を持ち出し、恫喝すれば、日本人は簡単に屈服してきたではないか。
せっかくの申し出を断るとは、お前はバカだ。こんな大金を前に理由もなしに意地を張
るとは。そのうち、お前が断れないようにしてやるから、覚えておけ」
亀尾信二は聞いていなかった。彼はドアに向かって歩き出した。ドアの前では和服姿
の女が待っていた。亀尾信二は表情の異変に気がついた。涙を流しているのだった。両
眼から二筋の涙が溢れていた。その理由を知る術は亀尾信二にはなかった。女は瞬きを
しなかった。その眼はこの世のものとは思えない美しさをたたえていた。
亀尾信二は自らドアを開け、外に出た。すると、顔と腹に激痛を感じた。サングラス
をかけたふたりの男に殴られたのだった。鼻の穴からぬめっとした暖かい液体が溢れ出
した。十数発殴られた頃、通路の絨毯の上に叩きつけられ、そして、意識を失った。
「従わなければ、趙強のように交通事故に見せかけて殺害されるぞ。分かったか」
ひとりの男が中国語で言った。亀尾信二は無意識の世界でその言葉を聞いていた。
亀尾信二の意識が戻ったのは次の日の夕闇が迫る頃であった、アパートの自室のベッ
ドの上の自分を発見したのだった。
13
共産主義の進化
中国の元旦は祝日だが、翌日からもう勤務が始まる。春節は爆竹や花火で盛大に祝う
が、元旦は何の風情もなく通り過ぎて行く。外出にはコートと手袋が欠かせないくらい
寒いが、厚く着込んでさえしまえば、空気が乾燥しているのでかえって快適だった。
亀尾信二は事務所の近くの中華料理店で昼食のジャージャン麺を食べていた。白菜や
大豆がふんだんに盛り込まれている味噌味の麺だ。値段も安く、亀尾信二の好物の食べ
物だった。午後は月例リポートを提出しなくてはならないと考えながら、大盛りの麺を
胃のなかに流し込んでいた。
午後一時過ぎに事務所に戻るや、待ち受けていたかのように、携帯電話が鳴った。所
長からだった。
「今すぐ下に降りて来い。黒塗りのベンツが待っているから、それに乗り込め」
緊迫した声だった。亀尾信二はリポートが済んでいないので、少し時間をもらいたい
231
と言おうとしたが、プツリと切れた。
珍しく、汪燕が近づいてきて、誰からの電話だったかと訊いた。緊張した眼をしてい
た。行かないほうがいいという表情だった。
「悪い友達からの電話だ。すぐ戻ってくる」
と言いながら、脱ぎ捨てたばかりの厚手のコートを着て、亀尾信二は部屋を出て行っ
た。
建物の外に出たが、所長の姿は見えなかった。黒塗りの大型のベンツが待機していた。
ナンバープレートはつけられていた。何かあったときのために、そのナンバーを頭に叩
き込んだ。丁建国のように手荒なことはされないかも知れない。そんな予感がした。そ
して、所長は北京で何をしているのか明らかにされるかも知れないと思った。
亀尾信二は後ろのドアを開けてなかに入り込むと、運転手がひとり座っているだけだ
った。ドアを閉めると、運転手は何も言わずにクルマを発進させた。
クルマは北京市郊外の北西の颐和園を通り過ぎて北上し、大理石づくりの立派な門を
くぐって入って行った。守衛に止められることもなかった。入口には、達筆の中国社会
党中央党校理論開発センターの看板が掲げられていた。有名なリーダーが書いた字なの
だろう。クルマは敷地奥の本館の正面で停車した。亀尾信二はベンツから降りると、所
長が笑顔を振り撒いて待っていた。
「よく来たな」
所長は嬉しそうに、握手を求めてきた。電話の声調と異なるのが、不思議でならなか
った。
「なぜ、所長はここにいるんですか」
と亀尾信二は訊いたが、所長は質問を無視し、振り返って歩き始めた。
亀尾信二は所長に案内されるまま階段を歩いて上がり、二階の部屋に入った。入口に
は主任と書かれていたので、中央党校理論開発センターのトップということになる。
なかには二人の中国人が待っていた。ひとりは一見二十年前に突然自殺した姉のよう
だった。足がすくんだ。よく見ると、弁護士の劉艶だった。初対面のときよりも一層、
姉に似ているように思われた。でも、反体制派運動に携わっている彼女が、党の理論武
装の中枢にいるのは理解できなかった。
もうひとりの男はこの建物の主任と思われる。四十歳後半のエリート然としたスマー
トな雰囲気を漂わせている。
「亀尾信二先生、ようこそいらっしゃいました。お礼を申し上げます。私は武永定と申
します」
中国語で呼びかけてきた。
亀尾信二は手を伸ばして、握手した。力強い握手だった。欧米留学経験者だと察知し
た。海外生活の経験のない中国人は男でも握手の際、軽く握るからだ。
「米国留学の経験がありますね」
亀尾信二は先制に出た。
「ほう。一目会っただけで分かりますか。素晴らしい鑑識眼をお持ちだ。所長の紹介者
のことだけはある。今日の会見が有意義なものになりそうだ。私はハーバード大学の医
学部で脳科学の博士号を取得したのです」
武永定は満足そうな表情を見せた。
亀尾信二は劉艶が気になった。姉の生まれ変わりのように見えて仕方がないからだ。
「どうされました。劉艶がなぜここにいるかが不思議でしょうか」
武永定は得意そうに言った。
「劉艶がここにいる理由も訊きたいのですが、不思議に思えることがあります。劉艶は
若くして亡くなった姉にそっくりなのです。生まれ変わりのようで、非常に愛着を感じ
232
ます」
劉艶は顔を赤らめた。
「劉艶は亡くなられたお姉さんに似ているのですか」
武永定は右手を顎に添えながら、続けた。
「人が生まれ変わることはあり得ません。仏教徒のいう輪廻転生は科学的ではありませ
ん。偶然の産物ですね」
「科学的に言えば、ある程度の確率で発生する事象に違いありません。でも、姉に瓜二
つのひとに会ってしまうと、心が乱れて仕方がありません。これ事態は事実です」
「死は生の断絶です。死後は虚無です。死ねば、ひとはゴミ同然ですよ。だから、死を
議論しても何も生産しません。特に、中国人は現実的な合理主義者ですから、死の話を
極力避けようとします」
「主任の言われることはそう信じるひとには正しいかも知れませんが、僕にとって生き
ていく上で科学的真理はあまり意味がありません。姉の生まれ変わりに似たひとがここ
にいるという事実が僕には重要です」
亀尾信二は言った。心は震えていた。劉艶の口から天国の姉の言葉を聞くことはでき
ないと分かっていても、姉の存在を身近に感じることができた。
「姉さん」
亀尾信二は劉艶に向かって言った。おかしな奴と思われても一向に怖くなかった。
「亀尾信二さん、私はもちろんあなたのお姉さんではありません。でも、あなたの心情
を理解することはできます。あなたは本当に優しいひとなのですね」
劉艶は亀尾信二に同情するように言った。
「いや違う。僕は特別ではない。普通の人間なんだ。ただ、姉さんに会いたいだけなん
だ」
亀尾信二は涙が溢れてくるのを必死にこらえた。しかし、それを押し止めることはで
きなかった。
「亀尾信二先生、あなたは思いやりのある人間だというのはよく分かりましたが、でも
発想は科学者ではありませんな。事実と感情を峻別しなくては立派な合理主義者にはな
れませんよ」
「僕にとって科学的真理はどうでもいいことです。大切なのはよく生きることです」
亀尾信二は静かに語った。それは揺るぎのない信念に裏打ちされていた。
「しばらく休憩にしましょう」
武永定主任は小さな声で言うと、所長を引き連れて部屋を出ていった。亀尾信二と劉
艶の間には何か特別な関係があると感じての判断だった。
亀尾信二は劉艶に歩み寄って、両手で右手を握りしめた。その瞬間、劉艶は姉の顔に
変貌していた。
「姉さん、どうして何も言わず、早く逝ってしまったの?」
「私はね、現実世界との折り合いができなかった。いつも違和感を抱いて生きていた。
ここは私のいる場所じゃないと。ごめんなさい。先に隣の世界に行ってしまって」
劉艶の口から姉さんの声が聞こえた。日本語だった。
「隣の世界?」
亀尾信二は驚いたような声を出した。
「そうよ。私は遠くにいるんじゃないわ。扉ひとつ隔てた隣の部屋にいるのよ」
姉の手は亀尾信二の手を強く握り返してきた。
「信二、私はいつもあなたのそばにいて、あなたを見つめているわ。頑張らなくてもい
いから、あなたらしく生きて。自分を決して見失わないで。何が起こっても、恐れるも
のはなにもないわ。死さえも怖くないわ」
233
亀尾信二は感極まり、ほほは涙で濡れていた。
「僕は時間さえあれば、姉さんが好きだったカーペンターズの音楽を聴いている」
「彼らの澄んだ歌声は私を暖かく包んでくれるわ」
「カーペンターズを聴いていると、姉さんがあのとき何を考えていたか、そして今何を
感じているかが分かるような気がする」
「ありがとう、信二」
そう言うと、劉艶は我に帰ったような顔になった。
「私、何かしゃべったかしら」
「日本語をスラスラ話していたよ」
亀尾信二は涙を手の甲で拭きながら、言った。亀尾信二は涙を流し、心が洗浄された
ような晴れやかな気分になっていた。
「身体のなかを風が吹き抜けたような感じがしたわ」
「君のお陰で、亡くなった姉さんに会うことができたよ」
劉艶は亀尾信二の手を握っていることに気づき、とっさに手を離した。
「ありがとう」
亀尾信二は劉艶に礼を言った。
劉艶は何が起こったのか判然としなかった。
しばらくすると、二人が戻ってきた。
「お二人の私的な話も終わったようですので、重大な公的な話をしましょう」
武永定はそう言いながら、三人に部屋の奥にあるテーブルの椅子にかけるように言っ
た。椅子にかけるやタイミングよく、ズボンを穿いた女の服務員がお茶を運んできた。
「中央党校は社会党員幹部候補生の研修を担当する機関です。理論開発センターはその
教材の根本となるイデオロギーを構築する部門です。我がセンターはいわば党の頭脳の
中枢です。所長も劉艶も中国の体制に不満を抱いている。なぜ、その二人がここにいる
か不可思議でしょう」
亀尾信二は首を縦に振った。所長は余裕の笑顔を浮かべている。
「中国社会党が国内外に不遜とも思える態度を示すのは、中国人民を統治するためだ。
人民は強い政府を望んでいる。少数民族の抑圧もそのためだ。しかし、中国社会党は外
部から見えるほど硬直した組織ではない。いつも客観的に中国の将来や党の運営を考え
ている。党はつねに悩んで、苦しんでいる。
中国人民の共産主義に対する信頼は大きく揺れ動いている。中国人民を何によって統
治していくか我々も日夜研究している。単一民族に近い日本が羨ましく思えることがあ
る。危機的状況になれば、自然に国家がまとまる。中国はそういう訳にはいかない。
共産主義に代わり、大中華の復興を願った民族主義が唱えられるようになっているが、
私は反対だ。共産主義は進化を続けなければならない。反体制派や民主活動家の意見も
よく聴かなければならない。我々は各方面に色々なパイプを持っているのだ。所長とも
いつも意見交換している。もっとも、所長は交際範囲が広いため民主活動家に近づきす
ぎて、工作部に拘束されることもあるが」
武永定は愉快そうに笑った。所長もつられて笑った。
「共産主義の基本は科学的であることだ。科学的知見に基づいて、人類の幸福と発展の
ために理想社会を構築することだ。だが、科学の進歩は速い。前世紀初頭、ハイゼンベ
ルグの不確定性原理やアインシュタインの不確定性原理が提唱されると、それまでの固
定的だったニュートン流の世界観が見直されるようになった。世界は単純な機械部品の
寄せ集めで構成されているのではなく、予測が困難なものであると認識が変わっていっ
た。
それら変貌する科学的知見に基づいて共産主義も進化させなければならないが、共産
234
主義者たちはそれを怠ってきている。ソ連が崩壊したのは古い科学に則った共産主義を
信奉していたからだ。我々中国社会党は二の舞を繰り返さない。
近年、脳科学も急速に発展し、我々人類の常識も大きく変わろうとしている。私はハ
ーバード大学医学部での研究生活で、世界先端の脳研究の凄さを目の当たりにしたよ。
共産主義も先端科学の成果を取り込み、人間に対する深い理解に基づいて再構築しなけ
ればならないと、私は決意した。
市場主義も成長の鍵であるイノベーションの形態を変化させ、柔軟に変貌し、生き残
ってきた。共産主義も理論的発展を重ねていかなければならない。西側諸国の人々は資
本主義が共産主義に勝利したと喧伝しているが、果たしてそうだろうか。歴史は百年単
位で考えなければならない。持てるものと持たざるものの格差がこのまま広がれば、西
側世界でもいつか共産主義革命が起こる可能性は高い。
共産主義は理論的すぎると批判する人々がいるが市場主義も似たようなものだ。市場
主義は、合理的で自己の利益を最大化することを目標として行動する人々、つまり“経
済人”を前提にし、その上に成立する経済モデルにしかすぎない。市場主義社会の仕組
は経済人を満足させる合理性を重視した構造になるようにつくられている。この経済人
という概念自体が仮説にしかすぎない。仮説が成り立たなくなれば、市場経済社会は崩
壊するのだ」
武永定はお茶を飲んで、一息ついた。
「僕には難しい理論は分からない。大切なのは、所長と劉艶が安全で、無事であること
だ。それは保証していただけますか」
亀尾信二はきっぱりと武永定に質問した。
「大丈夫だ、俺たちは。それよりもお前のことを心配しろ」
所長が横から口を出した。
「僕はどうなっても構わない。所長と劉艶の方が大事です」
亀尾信二は迷わずに言った。
「亀尾信二先生は丁建国一味に狙われているようですね。彼らも任務に忠実に従っただ
けですよ。日中関係の将来が亀尾信二先生を巡って蠢いていると感知し、業績の確保と
利権を漁って、ちょっかいを出してきているのでしょう。亀尾信二先生はしっかりして
いるから心配は要りません。丁建国も最後の一撃までは加えないはずです。責任を取ら
されるのが恐ろしいですから」
武永定は言った。
「私たちも協力するわ。私が必ず守ってあげる」
劉艶が口を開いた。
「亀尾信二先生は大学院生時代に、分子生物学を研究しておられるので、脳科学にも興
味をお持ちでしょう。脳科学との共産主義の関係について議論を展開してみたいですね。
先ず、カネの問題だ。ワインの味利きを多数集めて、名酒やハウスワインなど様々な
ワインの賞味をしてもらう実験を行った。ただし、値段はめちゃくちゃ付けて、それぞ
れのワインにラベルしておいた。もちろん、試飲する人々にはそれは秘密だ。どれが美
味しかったか彼らに訊いた。
結果は面白いものだった。ワイン名人と言われる人々でさえ、値段が高いものほど美
味しいという評価を下したのだ。彼らはワインの味を無視して、値段だけで評価した訳
ではない。値段の情報が脳にインプットされ、それが味覚の質を上昇させたのである。
高いものは美味しく、脳は感じるのである。これはひとの見栄だと非難しても意味がな
い。脳は実際に高価なワインを旨いと感じているのだから。今までの共産主義は唯物主
義と称されてきたが、新しい共産主義は先端科学の知見や思想に基づいて書き換えなけ
ればならない。
235
モナリザをご存知でしょう。謎の微笑と言われています。その理由が脳科学の研究で
明らかにされたのですよ。イメージや映像は右脳がつかさどる傾向が強い。脳に入る情
報は左右交差していますから、人間が視覚を判断するのは左側の視野が中心です。さて、
モナリザですが、口元の右側は笑っていますが、左側はむしろ神妙な表情をしています。
モナリザの絵を左右逆転させると、明らかに笑っています。本物のモナリザは笑ってい
るような、いないような微妙で不思議な感覚を与えるのは脳の特性のためです。ダ・ヴ
ィンチは経験的にこの効果を知っていたのです。脳科学の視点で見ても、モナリザは真
の意味で傑作です」
武永定が得意そうに話すと、劉艶がしきりに感心した声を上げた。
「モナリザは美しい話であるが、次に驚愕的な話をしよう。西側世界の人々は自由が好
きだ。自由がすべてに優先すると思っている。アメリカ人は旧ソ連のモスクワでコーラ
を飲めるのが自由だとうそぶいていたくらいだ。
しかし、哲学的な議論となると、人間はどこまで自由か疑問が残る。簡単な話だが、
自らの意思で手を挙げる動作を考えてみよう。まず、手を挙げるという自由意志が働き、
それを脳が指令し、手の筋肉が動いて手が挙がる。みんなその順番に起こると信じて疑
わない。この順番を科学的に分けて考えてみることにしよう。認知レベルと脳の活動レ
ベルに分けてみる。認知レベルは、
“手を動かそう”という意図と、
“動いた”という知
覚だ。脳活動レベルは、手を動かすための“準備”段階と、実際に動くように出す“指
令”だ。
常識では発生順は、“動かそう”
、“準備”、“指令”、“動いた”だ。しかし、実際に計
測してみると、“準備”
、
“動かそう”、“動いた”、“指令”の順だ。本人が動かそうと意
図したときには、脳はすでに動かす準備をしているのだ、しかも、0・5 秒くらいも前
に。自由意志の前に脳はすでに活動を開始している。自由意志はそんなに偉いもんじゃ
ないんだ。そのひとの脳を観察すれば、自由意志を事前に知ることができるのだ。自由
が科学の前にひれ伏した瞬間だ。
独裁者というビッグブラザーが巨大なコンピューター・ネットワークを構築し、各人
民の脳に埋め込んだチップで人民の脳活動を監視することができれば、自由意志を知る
ことができるだけでなく、操作することだってできるかも知れない。脳科学は共産主義
の進化のために存在しているようなものだ」
亀尾信二は戦慄を覚えた。最先端科学の成果を利用して、人民を思い通りに操作しよ
うと画策しているのか。同時に、憤りを覚えた。
所長と劉艶は狐につままれたような顔をしている。真偽を判断できないようだった。
「亀尾信二先生はゴルフをやるだろう。プロでも信じられないくらい短いパットを外す
ことがあるのはよく知られている。脳科学研究では、ゆらぎ、つまりアルファ波の発生
が原因と言われている。プロがパットを外すかどうかは、脳科学者がそのゴルファーの
アルファ波を測定していれば、事前に知ることができるんだ。何秒も前に予測可能さ。
さらに驚くべきことには、そのアルファ波の発生を訓練によってコントロールするこ
とができるようになっている。アメリカの一流ゴルファーはこのような訓練を受けてい
る。脳科学の進歩は人智を超えている」
武永定の話に三人は圧倒されたような状態に陥っている。
「こんな実験もある。スクリーンの上にモノの単語がいっぱい並んでいる。画面の上に
モノの写真を映し出す。被験者は何をやろうと自由だと伝えておく。マウスを動かして
カーソルを写真の単語の上に移動させようが、でたらめにカーソルを動かそうが自由を
選択できる。ただ、トリックがあって、実際にはマウスとカーソルはつながっていない。
誰かがこっそり操作して、写真がでたらカーソルを写真の単語に合わせることにした。
被験者はほとんどゲームに忠実に取り組むんだ。終わったあとで、からくりを披露する
236
まで、被験者は自分の意思でカーソルを動かしていたと思い込んでいる。誰かに制御さ
れていたなんて気づきもしない。西側の人々が重要だと主張する自由なんてものはこの
程度なんだ。
ポイントは何かが分かるかね。自由意志というのは、未来の行動を事前に決められる
ことと思いがちだけれども、実際は自分の行動が思いどおりだったら、自由意志を感じ
るのだ。結果が重要なんだ。つまり、自由は未来に向かって開かれているのではなく、
過去に向かって感じるものだ。結果がよければひとは満足するのだ。
中国社会党がチップを使って人民の脳の要求を事前に知ることができれば、それに則
した政策を実行するだけで、人民は自由を自覚することになる。自由意志を事前に検知
し、対処するのだから、選挙を通じて自由意志を表明しなければならない資本主義社会
よりも科学重視の進んだ社会を構築することができる」
話を聞いている三人は緊張で喉が渇いていた。しばしばお茶を口にしながら、主任の
論理を必死に追っていた。
「さきほどの手の動きの順番のなかで、動いたという知覚が脳の手を動かす指令よりも
早く発生していると言った。これも常識に反する。変だ。手が動いたと思ったあとで、
脳が手を動かせと指令するのだから。これは人間がどの時間帯に生きているかという問
題でもある」
「私たちは現在に生きているでしょう。当然―」
劉艶はこともなげに言った。武永定は頭を激しく横に振った。
「人間は未来を知覚しながら生きているのだ。現在ではない。つまり、脳は現実をきち
んと認識した上で、それを基に未来を予測しているという訳ではない。そんなことをし
ていたら、時間がかかりすぎる。人間にとって重要なことは未来に起こることを予測す
ることだ。それを知ることで、厳しい生存競争が繰り広げられた進化の過程で生き延び
ることができた。人間は未来に生きているのだ」
「可塑性だ!」
亀尾信二は呟いた。
「そのとおりだ。さすがに亀尾信二先生は勘がいい。脳は過去の知識や経験を蓄えて、
現実世界をそのまま投射するのではなく、可塑性によって客観的世界を都合よく加工し
ている。それが個々人の感じている“世界”そのものだ。脳は偉大な幻想をつくり出し
ているのだ」
武永定は大学教授の講義調で言った。部屋の外は夕闇が迫ろうとしていた。北京の冬
の日没はことのほか早い。
「考古学は遺跡の発掘によって少しずつしか発展しないが、脳科学の成果にスピードは
凄まじい。人々の常識だけでなく、哲学さえも変容させようとしているのか」
所長はため息混じりに語った。
「私達は脳を支配しているのではなく、脳から支配されているみたい。私って何なのか
分からなくなってきたわ」
劉艶が泣き出しそうな声を出した。
「可塑性を失った種は滅びる。可塑性を失った社会が滅びるように。逆に言えば、脳の
可塑性をうまく利用しさえすれば、脳をコントロールすることによって人民を完全に、
かつ彼らの意思どおりに制御することができる。抑圧や苦痛を感じさせない共産主義社
会の誕生である。唯脳共産主義という新しい名称で呼んでもいいかも知れない」
武永定は勝ち誇ったように胸を張った。主任は完全に狂っていると亀尾信二は思った。
心の底で強く確信した。
「次に、君たちががっかりするような話をしなければならない」
所長と劉艶は興味を惹かれたが、亀尾信二はこの場から去りたい気分に落ち入ってい
237
た。
「ひとは心はよく分からない複雑なもの、理解困難なものと信じ込んでいる。自分の心
を考える自分がいて、そんな自分を考える自分がいて、またそれを考える自分がいてと、
そんな風に考えているとすぐに精神的に行き詰ってしまう。ワーキングメモリーがパン
クするんだ。人間が並行処理できる事象は七個までとされている。それを越えると無限
と同じなんだ。脳の構造や機能は単純なんだけれども、心や自分が複雑だと感じるのは、
脳の処理能力をすぐに超えてしまうためなのだ。科学的に言えば、心も複雑じゃない。
本人がそう思い込みたいだけだ。自分は神聖な存在だから複雑なのだと」
「私は単細胞なの?」
劉艶が言うと、みんな笑った。亀尾信二だけは笑わなかった。
「愛とは何かは文学や宗教や哲学が長い間、論じてきたテーマだ。脳科学者の立場から
すると、どう見えるかを説明したい。
異性の写真を二枚見せて、どちらが好きかを言わせる簡単な実験を行った。公平を期
すために、事前に同じくらい好かれる異性の写真を二枚選んでおく。被験者に最初の異
性の写真は 0・9 秒、次の写真は 0・3 秒見せる。これを数回繰り返す。最後に、どちら
が好きかと被験者に訊くんだ。
結果はどうなったと思う。長い時間見せられた写真を選んだ者が二十%も多かったの
だ。つまり、ひとは長い時間一緒にいれば好きになるという特性を持っているのだ。好
き嫌いの次元はこんなものだ。
また、女を口説くとき、吊り橋の上で告白すると成功率が高いと言われている。吊り
橋の上は高いので誰だってドキドキする。ひとを好きになってときめいているときにも
ドキドキする。不幸なことに、これらのドキドキする際に分泌されるホルモンは同じで
あるため、本人には区別がつかない。人間は既存の材料を使いまわしながら進化してき
たため、同じホルモンを使用しているのだ。そんな理由で、告白された本人はときめき
と勘違いして、思わず肯定的な返事をしてしまうのだ。愛なんてこんな次元で決定され
ている。
恋愛中のひとの脳を調べると脳内のテグメンタと呼ばれる部位が反応している。ここ
が反応すると強い快楽を感じさせるのだ。脳が快楽で盲目になることで、このひとが選
ばれたひとだと思い込み、ひとは結婚し、セックスをして、子孫を残すのだ。恋愛や隣
人愛は崇高なもの、大切なものと考えられてきたが、脳科学の視点では、幻想に近いと
いう結論になる」
武永定は笑おうとした。だが、
「それは違う。断じてペテンだ。愛は決してそんなに薄っぺらなものじゃない」
亀尾信二は激怒した。
「脳科学者は人間を弄び、冒瀆しているのだ。人間はそんな存在じゃない。もっと崇高
なものだ。決して汚されてはならない神秘的な存在だ。心だって、他人にはうかがい知
ることのできない大切な世界なんだ。神も愛も霊性も畏れない君たちが恐ろしい」
亀尾信二は近くに姉の存在を感じた。武永定は姉を侮辱しているように思えてしかた
なかった。
「武永定主任、僕はあなたの唱える進化した共産主義には賛同することはできません。
決してできない」
「なぜでしょうか。科学的真理は誰も疑うことができません。今まで、宗教、迷信、文
学、小説が人民を惑わし、社会を混乱させてきたのですよ。我々は人民を支配すること
が目的ではない。権力に矛盾があれば、いずれ体制は崩壊する。中国は現状のまま時間
が経過すれば、必ず行き詰ってしまう。我々の願いは、人民の未来を切り拓くことだ。
宗教が信じるに足りない時代に頼りになるものは科学しかないのです。その人類の叡智
238
を活用して、共産主義の理論を一層深く研究し、人間社会の発展のために役に立てたい
のです。
人間の不幸の大部分は科学的思考を受け入れられないことに原因があるのですよ。
人々やリーダーたちが科学精神を尊重するようになれば、もっと多くの問題が解決され
ます。そう思いませんか」
武永定は真正面から亀尾信二を見据えて言った。脂の乗り切った世代の風貌をしてい
た。議論に疑問を挟む余地はないという眼だった。
「中国はかつて北極星のように世界の中心だった。他の無数の星は北極星の周りを廻っ
ていた。今、中国社会党は紅く輝き続けるのだ。紅い北極星となって、天空に高く聳え
るのだ。そのためには、あなたの協力が不可欠だ。
福岡にある国立脳サイバー研究所の研究業績はすばらしい。喉から手が出るほど欲し
い。ハーバード大学医学部に引けをとらない。私がハーバード大学に留学していた際、
隣の研究室で毎晩遅くまでひとりで研究に取り組んでいた藤田直哉はたしか国立脳サ
イバー研究所に戻っているはずだ。
我々は一刻も早く、似たような研究所を中国本土に建設したい。資金はいくらでも出
す。優秀な頭脳はいくらでもいる。中国に欠けているのは研究テーマの設定能力だ。そ
れさえあれば、世界トップの脳科学研究センターを作れる。そして、その成果を共産主
義の進化に応用していきたい。脳科学を橋渡しにして科学と哲学を融合し、21 世紀に
ふさわしい共産主義理論を確立していきたい。現在の体制が崩壊してしまわないうちに
やり遂げなければならない」
武永定は不気味な笑顔を浮かべた。そして、続けた。
「新しい共産主義の理論はこの小説が書かれることによって成就されるのだ。共産主義
は最先端科学の成果を呑み込んで、さらに強固な理論になる。そうなれば、中国社会党
は安泰だ。君も私も作家がつくった小説の登場人物でしかない。物語のひとつの駒にし
かすぎない。
この小説は中国社会党の監視下で未来の理想社会のために書かれているの
さ」
二人は天井に顔を向けた。四つの眼は天井のさらの上に焦点を合わせている。そこに
は小説の作者がいる。さらに後ろでは中国社会党が監視している。
「僕はそんなことを信じられない。僕は僕だ。そんな発想は受け入れられない。僕は僕
としてこの世に生きているのであって、決して作家や神や科学に左右されている訳では
ない。僕にこれ以上構わないでくれ。毎日平凡に静かに暮らしたいだけなんだ」
亀尾信二は抗議するかのように声を荒げた。
「あなたには確かに権力はない。北京事務所の副所長じゃ、何も決められない。だが、
あなたは最前線の戦場に送られても、弾ひとつかすらずに帰ってくる男のように思える。
実際、不思議なことに、みんなあなたに惹きつけられている。理由もなしに、あなたに
人々が集まって来ている。我々としても看過できない。きっと何か重大なことが隠され
ている。あなたは地上の北極星かも知れない」
「やめてくれ―。姉さん、助けて!」
亀尾信二は急に脳に痛みを覚え、その場にうずくまってしまった。脳が頭蓋骨を破っ
てしまいそうな激痛だった。
中央党校理論開発センターはすっかり暗闇に包まれていた。
亀尾信二は所長に連れられて、タクシーで夜遅く帰宅した。夕食はとっていないが、
食欲はなかった。脳の痛みはすっかり消えていた。睡魔に任せて、ぐっすり寝た。もっ
とも心が安らぐときだった。
239
14
静かな戦い
北京は寒波が来るたびに気温が下がり、十二月を迎える頃には、本格的な冬になろう
としていた。毎日の気温はマイナス七度からプラス三度の間に固定されていた。建物の
暖房装置はフル回転しているので、室内は軽装で過ごせた。冬の乾いた空気のなかで飲
む燕京ビールは北京の人々に人気があった。でも、亀尾信二には、ひとりで静かにビー
ルを飲む習慣はなかった。彼はアパートの部屋で毎日読書をし、音楽を聴いて過ごして
いた。
亀尾信二は定刻に事務所の仕事を終えると、部屋に鍵を掛け、エレベーターで一階ま
で降り、建物を出て、中関村の最寄りの地下鉄の駅に向かった。外はすっかり暗くなっ
ていた。中関村はコートで着膨れした学生や若者で溢れていた。
近くの大学や研究機関の門から吐き出された人々が北京のシリコンバレーと呼ばれ
る中関村の電気街に吸い込まれていった。亀尾信二はその流れに逆らうように、地下鉄
の駅へと向かっていた。
ひとりの若い女が道路に立ち止まり、亀尾信二を眼で捉えているのに気づいた。中国
では珍しく、黒い皮のコートに身をまとっていた。視線が合ったが誰だか亀尾信二には
分からなかった。近づいてみたがそれでも判明しない。別の誰かと間違っているのだろ
うと思い、女の横を過ぎようとした。
「亀尾信二さん、ニーハオ」
女は中国語で話しかけてきた。亀尾信二は足をとめた。
「私は丁建国の娘です」
亀尾信二はハッとして、女の顔をまじまじと見た。長い黒い髪は頭の後ろでうまくま
とめられていた。丁建国と会った際に服務をしてくれたふたりの女のひとりだった。髪
を解いた様子を想像すると、やっと思い出された。でも、少しやつれているように見え
なくもなかった。
「丁莉と申します」
丁建国現代日本研究所長の娘とは意外だった。亀尾信二はホテルで会ったふたりの女
は丁建国の愛人に違いないと思い込んでいたのだった。丁莉の顔を観察すると、目元や
口元が似ていないこともなかった。
「少しお話があるのですが―」
丁莉は必死にすがるような表情をしていた。亀尾信二はホテル・リージェントの廊下
で丁建国の部下に突然ひどく殴られ、気絶したのだった。亀尾信二は翌日ベッドの上で
眼が覚めたのだが、どうやって帰ってきたのかを思い起こすことはできなかった。その
間何をされたのかも分からない。忘れてしまいたい不条理な経験だった。不快感がつの
った。アパートに戻って引き込んでしまいたかった。外の世界との絆をすべて切ってし
まいたかった。誰からも自分を忘れてもらいたかった。
でも、ふと亀尾信二はホテルでこの女と別れるとき、彼女が美しい頬に涙を流してい
たのを思い出した。
亀尾信二は最後に眼でOKの合図を出した。
すると、丁莉は踵を返して歩き出した。付いてくるようにという合図だった。亀尾信
二は十メートルほど間隔をおいて、丁莉の後を追った。横に並んで歩くこともできたが、
何を話したらいいか、窮屈な思いをするのが嫌だった。それに、周囲からどのように見
られるのかも気懸かりだった。
丁莉は背筋が伸び、歩く姿が美しかった。それにしてもどのような要件であろうか。
丁建国からの伝言であろうか。また、罠が待ち受けているのであろうか。
丁建国はごちごちの共産主義者だった。その支配の正当性を微塵も疑ったことはない
240
ようだった。矛盾や都合の悪い議論になると、中国の特殊性を持ち出して、自分の主張
は正しいと言い張るのだった。静かな内省、許容、謙虚さ、柔軟性、神への畏れを喪失
した議論だった。それらは亀尾信二に耐えられなかった。心も身体もまったく丁建国の
発想を受容することはできなかった。
丁建国に育てられた丁莉もその影響を強く受けているに違いない。再び似たような議
論をするのかと思うと、迷子になった振りをして消えてしまいたかった。丁莉が後ろを
振り返った。まるで亀尾信二の考えを見通しているように思われた。背中に冷やりとし
た感覚を持った。
丁莉は超一流校の清華大学の南門に入っていった。木々の多い広い敷地の大学だった。
丁莉は狭い横道に入った。亀尾信二は後を追った。ひとが少なくなっているので、二人
の行動が際立った。傍目にストーカーのように思われるのが嫌だった。
丁莉は長い石のベンチを見つけると、すばやくそこに座った。最初から、その場所に
亀尾信二を連れて来ようとしているようだった。
亀尾信二は追いつくと、少し間を空けて腰掛けた。そして、丁莉の言葉を待った。沈
黙が流れた。でも、学問を追及する場所は緊張を解いてくれた。亀尾信二は二十歳代半
ば、分子生物学に憧れ、科学の世界を彷徨っていたのを思い出していた。毎日が無我夢
中で、新鮮だった。今考えれば、毎日同様の実験の繰り返しだったが、それでも退屈す
ることはなかった。
「何を考えているの。楽しそうね」
丁莉は亀尾信二の横顔を眺めながら言った。
「大学院生の時代のことを考えていた。僕の大学は清華大学のような名門ではなかった
けれども、それでもキャンパスは活気に満ちていて、夜遅くまで研究に没頭していた。
僕にとって最も輝いていた頃だったと懐かしく思うよ」
亀尾信二は正直に言った。言葉を出して話し合いをするには、真実を語らないと意味
がないと思っていた。見栄を張ったり、思ってもいないことを口に出しながら相手の本
心を探ろうとすることにどれほどの価値があるというのか。少なくとも対話は真実の心
の触れ合いと亀尾信二は考えていた。
「実は父も私もこの大学の出身者なの」
亀尾信二は驚いた。超エリートの家系だった。でも、口には出さなかった。丁莉の口
調は決して幸福そうでなかったからだ。
「父は科学者になるのが夢だったわ。父は同級生の母と結婚し、私という子供が生まれ
ていた。当時の中国は鎖国状態だったけれども、将来いつかアメリカに留学したいと願
っていたの。階級闘争から改革開放へと政策が変更され、チャンスが廻ってきたと父は
思ったの。でも、大学当局から呼び出されて告げられたのは、日本留学だった。それま
でまったく勉強したことのない日本語を勉強するように宣告されたのよ。父は長春の日
本語予備校に一年間派遣されたわ。南方出身の父は米食に慣れているため、長春でのパ
ン食は相当身体に堪えたみたいよ。実際、食事が喉を通らなくなり、体調を壊して、日
本に行けなくなった友達もいたんですって」
「知らなかった。中国は広い国なんだな」
亀尾信二は相槌を打った。丁莉は何かを必死に訴えようとしていた。
「父は名門の東都大学物理学教室に大学院生として派遣され、優秀な成績で学位を取得
すると、次に党からの指令により福岡の国立高等物理学研究所でポスドクのポストを得
たわ。将来はノーベル賞受賞だと仲間から言われるほど頭脳明晰だったそうよ。父は期
待に応えて才能を十分発揮していたが、ニューヨークのコロンビア大学に移籍し、世界
から集まってくる天才たちと交わって、まだ誰も解明したことのない偉大な仕事をやり
遂げようと夢を膨らませていた。しかし―」
241
丁莉の滑らかな口調はそこで止まった。亀尾信二は口を挟まなかった。今求められて
いるのは耳を研ぎ澄まして、丁莉の心の叫び声を聴くことである。そう思った。
清華大学のキャンパスは冷たい風が吹き、学生たちを宿舎に追い払っていた。
「父は科学者の道を捨て、研究機関の管理を任せるという党の指令を受け取ったのよ。
管理職となって権力を握ることが正しい道と党は信じていた。父は絶望したわ。一時は
本気でアメリカへの亡命も考えたのだけれども、母国に残した母と私に降りかかる災難
を考えると決断できなかった。物理学しか知らない父でも、母と私を心から愛していた
のね。
父は帰国し、幹部教育を受けるに従い、人格が変わっていったわ。権力の鬼に変貌し
たの。実力者に近づき、他人を蹴落としてまで昇進しようとしていた。
母が白血病に罹り、あっけなく死んでしまうと、父は数日口も開かず茫然としていた
けど、今度は職場での不平不満を私に当り散らすようになった。党内の権力闘争に敗れ、
中南海へのエリートの道から外されていったのよ。父は私に暴力を振るうようになった
わ。陰湿だった。他人に知られないように、顔や手以外の見えないところを攻撃してく
るの。殴るだけでなく、鞭や蝋燭の火を使ったりして、私を苛めるの。私が泣いたり、
許しを請うと、ますます嬉々として、攻撃を加えていったわ。
私はそれでも父を愛していた。これは本当の父の姿ではないけれど、父には私が必要
だと分かっていた。私は父の考えを変えるために、家出したいと考えたこともあったわ。
しかし、この国には、家以外に私の居場所はどこにもないの。
中国人の人間関係は複雑すぎて、学者のような無垢な心のひとはいつか騙される運命
に落ちるのよ。ひとを信じていては生きていけない。真実を口から発してもいけないの。
父は私にこう教えたわ。騙される人間には決してなるな、騙せる人間になれ。屈辱を味
わわされても死ぬな、恥をさらしても生き残れ。いつか必ず復讐できる機会がやってく
る。その日のために準備しておけ。顔は間抜けた表情をしていても、頭は鋭利な刃物の
ようにいつも研いでおけと。
父は研究所長になり大きな権限を握ったわ。研究者たちは研究経費が欲しいために、
父にひどくへつらった。父は研究経費や交際費をいくらでも自由に使えるようになった
からよ。
私はあまり勉強しなかったけれども、成績がよかった。私は比較的自由な学風の北京
大学を志望していたの。でも、父は党幹部には清華大学卒業生が多いと主張し、清華大
学に入学させられたわ。中国は人脈がすべてだというのは父の口癖よ。
でも、大学卒業後、父は私を監視するため、私の意見も聞かず、同じ研究所の国際交
流処に入れてしまったの。現代日本研究所で日本語が話せないのは私だけよ」
亀尾信二は手袋をはめた両手に眼をやりながら、丁莉に耳を傾けていた。丁建国の背
景を知るに連れて、彼を立体的に理解できるようになってきた。丁建国も犠牲者なのか
も知れない。それでも、亀尾信二は丁建国を許す気にはなれなかった。
丁莉は黒い皮のコートのボタンを外し、亀尾信二との間の空間を埋めるように身体を
寄せて来て、亀尾信二の手袋を脱がせた。そして、両手で亀尾信二の左手を包み込んだ。
丁莉は亀尾信二と視線を合わせた。眼は涙で溢れていた。絶望した人の灰色の瞳ではな
かった。希望を捨てていない青い色の眼だった。
丁莉は亀尾信二の左手をつかみ、白いセーターの裾の下に導いた。亀尾信二は何が起
こるか心配だった。
「私の肌に触って下さい。お願い」
その意味が亀尾信二にはつかめなかった。亀尾信二の左手の指は下着の奥の丁莉の肌
に触れた。柔らかく、暖かく、きめの細かい肌だった。若い女の匂いのする蒸気が立ち
昇ってきて、亀尾信二の鼻をくすぐった。
242
「指をもっと上の方に伸ばして」
亀尾信二は指先の感覚を鋭くした。膨らんだ胸に近づいた。亀尾信二は思わず息を飲
み込んだ。指先がザラッとしたものの存在を感知すると、亀尾信二は反射的に左手を引
っ込めた。亀尾信二はその実態が分からなかった。すべての情報をかけあわせてみたが、
それが何であるか判断できなかった。そこにあるはずのないものがあるのだ。
「これは父がつくった傷跡です。元の胸に決して戻らないのよ。誰も私を愛撫しようと
しない身体にされてしまったの。私は秘密がばれるのが怖くて、誰も愛せないし、誰か
らも愛されなくなってしまった」
丁莉の眼から涙が滴り落ちた。宝石のような輝く涙だった。
「君は美しい。君は可哀想だ。でも、僕は何にもしてあげられない。僕は無力だ」
「私は父を通じて、権力と栄光と金銭の欺瞞を見てきたわ。中国人は生き残るために、
どんな卑劣なことでもやって来たのよ。そうしなければ、死ぬしかないのよ。思いやり
は敗北者の心情よ。誰を信じていいか分からない。人々の間の絆を断ち切り、相互を不
信にさせて、監視させる。これが党の統治方針だわ。
しかし、私はあなたに会って驚いたわ。こんなに誠実で、物事を自然にありのまま受
け取れるひとがいるなんて。あなたは私に希望を与えてくれたわ」
亀尾信二はどう答えればいいか戸惑った。丁建国と丁莉は親子でもこんなに異なって
いるとはすぐに信じられなかった。
「父は党の幹部だけれども、本当のところ、父でさえ中国の将来はどうなるか分からな
いのよ。党のトップ級は海外に財産を移し、緊急時にはいつでも海外に逃亡できるよう
にしているわ。でも一般の国民はどういうことがあってもこの大地に踏みとどまるしか
ない。父も可哀想なひとなんだと私は思うわ。だから、父のあなたに対してやったこと
を許してやって欲しいの。お願い」
丁莉は亀尾信二の両手を握り締めて、言った。
亀尾信二は分かったと小さく頷くしかなかった。それを聞くと、丁莉は両手を解き、
ハンカチで涙を拭き、小走りにキャンパスの奥に消えていった。
しばらく連絡を取り合っていなかった玉田玲子から電話があり、明日北京出張に来る
と突然亀尾信二に伝えてきた。亀尾信二は単刀直入に訊いた。
「毎朝新聞の北京特派員を希望しているというのは本当か?」
玉田玲子はなぜ知っているのかと、驚いたような口調になった。
「よく調べたわね。感心だわ。これは新聞社のトップしか知らない情報よ。北京支局長
にもまだ情報が入っていないはずよ」
「止めておけ。それが君のためだ」
亀尾信二はぶっきらぼうに言い放った。玉田玲子は聞いたことのない亀尾信二の言い
方に驚いた。お互いに干渉しないという約束だったじゃないかという考えがもたげた。
「どうして。中国はこれから世界をリードしていく国になるわ。日本の読者に隣国の最
新情報を提供するのは新聞社としての使命よ」
「それは別のひとにやらせておけばいい。君がやることに僕は耐えられない」
「どうして、いったい何があったの?」
玉田玲子は訝った。
「電話では話せない」
そう言うと、亀尾信二の方から電話を切った。玉田玲子は胸騒ぎがした。それを引き
ずりながら、翌日の午後1時頃、北京首都国際空港の第三ターミナルに到着した。サン
グラスをかけ、ひときわ目立つパンタロンを穿いていた。歩く姿は相変わらず意気揚々
だった。どんな真実でも暴いてみせるという正義感が身体を包んでいた。
243
二人はタクシーに乗って亀尾信二の狭いアパートに向かった。どちらからも口を開か
なかった。クルマが料金所の入口を過ぎ、首都高速道路に差し掛かると、やっと玉田玲
子が咳払いをして話した。
「私、お台場の高層アパートを売り払おうと思っているの。いいでしょう。あなたの持
分は半分だから、了解を取りつける必要があるわね」
事務的な言い方だった。亀尾信二はお台場のアパートは最後の拠り所と考えていた。
中国をいつ去ることになっても、あのアパートに転がり込めば、何とか生きていける。
二年の北京駐在が終わったならば、アパートで次の就職先をゆっくり考えればいいと漠
然と思っていた。それがなくなるというのは、ショックだった。
「返事がないわね。ダメなの。アパートを売り払い、決死の覚悟で、北京駐在員になり
たいの。日本は経済も技術も文化もすべてが縮んでいくから面白くないわ。暗いニュー
スばかり」
「それは新聞記者の責任だ」
亀尾信二はズバリ言った。
「暗いニュースが日本国民に受けるみたいで。デスクが明るい記事を却下してしまうの。
記者も仕方なく、マゾ趣味の国民受けの内容になってしまう。それに、インターネット
の普及で、早晩新聞の役割は終焉を迎えるわ。将来がないのならば、話題がゴロゴロし
ている中国辺りに行くしかないでしょ」
玉田玲子の口調が滑らかになった。
「電話で言ったけど、僕は君が北京に来ることを望まない」
「なぜ。所長との関係がうまくいってないの」
「所長は日中友好科学財団の仕事なんかやっていない。誰からの命令か自分の信念か分
からないが、危険な仕事に首を突っこんでいるみたいだ」
「あなたも何か酷い目に遭ったようね。だから怖がっている」
「正直に言うと僕は怖くて仕方がない。何が怖いのか、その実態がうまくつかめないけ
れども―」
「私は怖くなんかないわ。正義は必ず勝つのよ。最後には―」
「勝利するまで君が健全でいられるかどうか保証はない」
亀尾信二はうわずった声で言った。
「面白そうじゃない」
玉田玲子はいとも簡単に言い放った。二人はそれ以来押し黙ってしまった。
タクシーは安アパートに着いた。二人が亀尾信二の部屋に入ると、亀尾信二は玉田玲
子を強く抱き締めた。
「いや、まだ明るいから」
玉田玲子は抵抗した。それは形だけだった。亀尾信二はベッドまで玉田玲子を運ぶと、
息を弾ませながら、妻の衣服を次々と剥いでいった。彼女がいとおしいと思った。激し
く唇を重ねた。舌も絡ませた。久しぶりに体験する女の身体を抱くと、いてもたっても
いられない気持ちになった。早く前戯を終わらせて、一体になりたかった。
「今日は俺の好きなようにやらせてくれ」
亀尾信二は懇願調で言った。今までの二人のセックスは玉田玲子がリードし、女性上
位の体位で果てるのだった。亀尾信二はそれで妻が喜ぶならばいいと思っていた。しか
し、今回は違った。それではいけないのだとも思った。
亀尾信二は両手で妻の小さい胸を愛撫しながら、クリトリスとワギナを舐めた。次第
にエスカレートし、しゃぶりつくようだった。玉田玲子は痛みで顔をしかめたが、亀尾
信二に悟られないように声をあげなかった。
「玲子、君が欲しい。欲しいんだ」
244
そう叫びながら、亀尾信二はペニスをワギナに挿入していった。内側はすでに愛液で
湿っていた。玉田玲子は悦楽の声を漏らした。初めての激しいセックスだった。こんな
暴力的なセックスでやられてしまうのも悪くはないと思った。心の底ではもっと犯して
欲しいと思った。亀尾信二のペニスが上下するたびに、女の身体を突き破り、口からペ
ニスが飛び出してくるような興奮を味わった。まるで、ペニスが玉田玲子の身体を串刺
しにしているようであった。喉の奥から出てきた亀尾信二のペニスの亀頭をしゃぶって
やりたいとも思った。激しい快楽の津波が玉田玲子の身体を何度も襲った。
「僕は君を失いたくない。君を愛している。どんなことがあっても君を守りきってみせ
る」
亀尾信二はそう叫ぶと、ふたりは絶頂の声をあげながら、果てたのだった。
翌朝、ふたりは部屋で簡単な朝食を済ませた。
「今日はあなたの上司の紹介で、ある人物に会うことになっているの」
玉田玲子はネグリジェ姿で、揚げパンの油条を豆乳で浸して食べながら言った。
「無理はするな。僕の任期はあと半年だ。それが終わったら、安全な東京で一緒に暮ら
そう。僕には君が必要なんだ」
玉田玲子は返事をしなかった。彼女の性格からみると、無言は拒絶という意味だった。
「ところで、地下活動の宗教団体の関係者を誰か知らない?」
玉田玲子はダメもとで質問してみた。亀尾信二は張愛の名前が浮かんだが、話が複雑
になり、迷路に入り込んでしまいそうで言葉にしなかった。張愛のことを話せば、丁建
国にも話は及ぶ。三里屯のバーで飲まされた痺れ薬入りのカクテル・ヒロシマや劉艶の
ことまで関わってくる。どこまで信じてもらえるか分からない。自分だってどこまでが
真実か見分けがついていない。
それに、妻は怖くなって北京駐在を諦めるどころか、ますます感心を持ち、深い闇の
世界に入っていく可能性もある。いずれ話をしなければならなくなるかも知れないが、
その機会が永遠に訪れないことを亀尾信二は期待していた。
「この記事を読んだことある?」
玉田玲子は写真付の中国語の新聞記事のコピーを差し出した。南方晩報の記事だった。
この新聞は広東発行だが、比較的自由に取材して書くため、中央政府が睨みを利かせて
いた。亀尾信二は写真を見て驚いた。警察隊が力ずくで若い女性や男性を建物から排除
しようとしている写真だった。女性のひとりは張愛だった。見出しには、邪教キリスト
教徒の清掃と書かれていた。日時は半年前だった。
「どうしたの、見覚えがあるの」
玉田玲子は訝しげに訊いた。
「この子は北京に出稼ぎに来ていたマッサージ師だ」
亀尾信二はそれ以上口にしなかった。
「中国ってひどい国よね。信仰の自由も認めないとは――」
「そんな国は世界にいくらでもあるさ。自由な国の方がむしろ少ない」
亀尾信二は中国を擁護してみせた。玉田玲子の中国熱を少しでも冷ましたかったのだ。
二人は出勤の支度を済ませると、一緒にアパートを出て、玉田玲子はタクシーに乗り、
亀尾信二は団結湖駅まで歩いていった。
玉田玲子はクルマのなかで、日中友好科学財団の北京事務所長からもらった地図を何
度も眺めていた。目的地は后海(ホウハイ)と呼ばれる湖の近くにあった。后海の周り
には外国人観光客向けの喫茶店やレストランがずらりと並び、賑やかだったが、ひとつ
道を隔てると古い町並みがあった。小道は胡同(フートン)と親しみのある名前が付け
られていた。胡同はくねくねと迷路のように曲がっていた。
245
玉田玲子はタクシーを降りると、地図を手にしながら、その家を探して歩いた。十分
歩いても行き着けないと悟ると、道端に座り込んでいる近くの住民に訊いた。簡単な中
国語は話せるように勉強しておいた。
その老人は知らぬと強く頭を振った。駄菓子屋の売り子に訊いても、知らぬという返
事だった。何かを警戒しているようにも見受けられた。
仕方なく、玉田玲子は所長の携帯電話に連絡することにした。
「やはり探せなかったな」
所長は楽しそうに笑いながら言った。そして、玉田玲子はそこで待つように指示され
た。その間、胡同を廻る人力車が何台もやって来ては、安くしておくから乗れと誘った。
ちょうど十台目の人力車を断るころ、ひとりの男が現れた。名前を剣攻と日本語で名乗
った。髪の毛を七三にきちんと分けている。信頼感のある風貌をしている。
「私についてきて下さい。目的地に着くまで、決して廻りをじろじろ見てはいけません」
剣功は言った。玉田玲子には意味がつかめなかった。
「彼は監視されています。軟禁状態ですから。外出するときは、いつもパトカーに乗せ
られます。街で買い物や食事する時も、いつも二名の私服警官が付きっきりです。です
から、今では彼は外出しません。その代わり、我々支援者が食べ物を差し入れしたり、
情報交換にやって来たりするのです。時々、支援者も事情聴取という名目で当局に拘束
されることがあります。そういう眼に会ってもあまり気にしないで下さい。儀式みたい
なものですから。すぐ、釈放されますよ」
玉田玲子は足がすくんだ。中国でそういうことが起こることは知識として知ってはい
たが、今日がその時になるのかと思うと予想外であった。玉田玲子は昨日の夫との情事
を思い起こし、身体の芯が熱くなるのを感じた。
玉田玲子は眼の端で、複数名の監視員を発見したのだった。訪問の家の前には、二人
の男がたむろしていた。鋭い目つきをしていた。その手の人物とすぐ分かった。女の訪
問者は少ないのであろうか。ひとりの監視員の目元が緩んで、卑猥な笑顔をつくった。
剣功は玉田玲子を引き連れて、中庭に入った。伝統的な中国式の四合院だった。東西
南北の四角い建物が中庭を囲むように建てられている。剣功は一番奥の部屋に入ってい
った。玉田玲子も続いた。
部屋のなかは薄暗かった。真ん中に粗末なテーブルがおかれ、その廻りに六脚の椅子
が置かれていた。ひとりの中国人と所長が座っていた。年齢は玉田玲子より数歳年配の
ように見えた。でも堂々としている。
玉田玲子の姿を見ると、その中国人は立ち上がり、握手を求めてきた。彼は質素な服
を着ていたが、皺はなかった。柔和な表情だった。手は肉厚だったが、暖かかった。幾
多の困難を味わってきているはずであるが、如何にも楽しそうで、ひとの気を引くよう
に思われた。大人(たいじん)というのに相応しかった。
「ようこそ遠いところからいらっしゃいました。私は周宇亮と申します。どうぞお座り
下さい」
玉田玲子に向かって中国語で話しかけると、剣功が通訳した。玉田玲子も名前を名乗
り、民主活動家のおかれた状況の困難や苦労を述べ、同情を示した。仕事上の取材であ
るという立場上、賛意は表さなかった。新聞記者として公平な報道に気を配るべきと考
えていたからである。
「周宇亮は 09 憲章の草案者のひとりとしてネット上に発表するや、当局の監視下に置
かれるようになった。09 憲章の内容は少しも過激的なことは書かれていない。西側先
進工業国と同じ民主主義を採用するように唱えているだけである」
所長が背景を簡潔に説明した。
「中国社会党が設立当初の全国大会で採択した綱領には、三権分立や普通選挙が明記さ
246
れている。でも、今の社会党は政権を奪取するや否や、その歴史的事実を封印してしま
っている。前衛政党が国家を支配するようになってくると、その事実が知られては困る
のだ。初期の綱領は 09 憲章の内容よりももっと進歩的だったんですよ。この事実を知
る中国人はほとんどいない」
周宇亮は玉田玲子が知らない事実を明確に語った。彼女はメモに残そうとした。
「メモを取るのはお互いのためになりません」
剣功は厳しい口調で言った。
「記者さんはみな頭がいい。話を脳に刻み込んで、帰宅してから何かに書き写すといい」
周宇亮は優しい言葉使いで悟らせようとした。玉田玲子は納得した。
「周先生、質問があります」
玉田玲子は正面を見据えてきっぱり言った。
「このような生活はさぞ不自由でしょう。中国の経済は絶好調です。国民の政治改革の
意識がいつ生まれるか分かりません。いっそのこと、海外に移住して民主活動を続けた
らいかがでしょうか」
三人の視線が周宇亮に注がれた。
「いい質問だ。この二人も似たようなことを要望することがある。国内に留まるか、海
外に逃亡したり、追放されるのは非常に重要な分かれ道だ。国外に行けば、資金も集ま
り、中国の人権運動家としてチヤホヤされるに違いない。それにどんな自由も確保され
るであろう。しかし、そうなれば、私は普通の華人と同じになってしまう。私の言葉は
大陸の中国人には一切届かなくなる。まだ、ここに留まれば、様々な形で、私は中国国
民に語りかけることができるし、また希望を失わない人々の精神的柱になることができ
る。
東都大学の少数民族の留学生は帰国の際に図書館で資料をコピーしていたら、スパイ
罪として捕らえられ、長い獄中生活を強いられていた。完全な冤罪にも関わらずだ。刑
期を終えて出獄したあとも、軟禁状態下におかれている。行方も分からない。このよう
な問題もひとつひとつ解決していかなければならないのだ。中国人ひとりひとりの幸福
のために」
論理は明確だった。周宇亮は人格者だけでなく、論理的思考もできると、玉田玲子は
悟った。
「90 年以降、海外に去った活動家はほとんど堕落してしまっている。闘争本能を無く
してしまっている。彼らの影響力はないに等しいのだ」
所長が補足した。
「民主革命が起これば、周宇亮は中国のマンデラ大統領になる。その時には、俺は外交
部長に任命してもらい、日中外交を抜本的に立て直すよ」
ドッと笑いが起こった。
「何をバカなことを言っているのか。戦いは始まったばかりだ。マンデラ大統領は三十
年間近くも収監されていた。そのくらいの時間がかかると考えておかなければならない。
人生を賭けた戦いだ。少なくとも十年、長ければ二十年、中国の高度経済成長は継続す
る。それまでは矛盾は顕在化しない。経済の時代が終わるころきっと政治の季節がやっ
てくる」
周宇亮は愉快そうに笑った。
「基本的な質問ですが、民主主義と党による政府指導はどちらが優れているのでしょう
か。つまり、民主主義は政治家が民衆におもねるため衆愚政治に陥りやすい弱点があり
ますし、党指導体制も国家理性が機能しさえすれば決断が速く、適確であるというプラ
ス面があります。前者が後者より優れているという保証はありますか」
玉田玲子は歯に衣着せぬ質問をした。所長と剣攻は驚いた表情をした。
247
でも、周宇亮は悠然としていた。
「民主主義の本質は簡単だ。国民は税金を払う分、政治や行政に関与する権利がある。
それだけのことだ。政治への関与は自由選挙という形で担保されるべきだ。国民の税金
負担が増えれば、歴史的必然として民主主義の要求は高くなっていく」
懇談はしばらく続き、訪問客三人は周宇亮にくれぐれも気をつけるように口に出し、
石畳の中庭を抜け、三段の階段を降り、四合院の外に出た。
五人の監視員が取り囲んだ。三人はまったく抵抗しなかった。ただ、玉田玲子の足は
震えていたが、気づかれないように気を配った。
監視員が彼らを別々のパトカーに乗せて搬送した。パトカーは静かに胡同を離れてい
った。
15 脳サイバー研究所の放出
その夜、玉田玲子は帰宅しなかった。亀尾信二は玉田玲子の携帯に電話したが、電源
が切れていて通じなかった。所長の携帯電話も同じ状況だった。嫌な予感がした。怖い
もの知らずで、興味を持ったものには何でも探索しようとする玉田玲子の性格を、亀尾
信二は悔やんだ。今回はひどく後悔した。でも、亀尾信二の忠告に耳を傾けるはずはな
いとも思った。それでも自分を責めた。亀尾信二はいたたまれない気持ちになり、眠れ
ない夜を過ごした。
厳冬の朝がやって来たが、事態は何も変わっていなかった。玉田玲子がそばにいない
という事実は厳然としていた。治療しない限り消えてなくならない虫歯の痛みと同じよ
うに。
亀尾信二は時刻どおりに事務所に出勤した。アパートの部屋に閉じこもっていても仕
方がないと判断していたからだ。
汪燕も一分も遅れずに、出勤して来た。席に座り、パソコンを立ち上げて、画面に見
入っていた。
亀尾信二は調査リポートの作成にとりかかった。盗作や捏造論文が多く、研究者集団
の腐敗はひどいと思われていたが、真面目な研究者の努力によって一流雑誌への投稿論
文数も増加していった。中国は科学大国への道を着実に歩んでいた。そのため、面白い
研究成果も生まれるようになり、それをネットで調べたり、本人から直接話を聞いたり
するのを亀尾信二は楽しみにしていた。それらのリポートは日中友好科学財団の東京本
部で読まれることはなかった。
亀尾信二にはそれは些細なことのように思われた。リポートは読まれることによって
意味が生じるのではなく、書くことによって形が生まれ、命が吹き込まれると思うよう
になっていた。
正午になろうとしていた。所長から電話があった。汪燕が昼食で席を外すのを見計ら
ったかのようなタイミングだった。
「私はさっき工作部の取調室から解放された。今回は一泊旅行だった。メシも今までよ
り旨かった」
電話の向こうから大声で笑う声がしてきた。亀尾信二は妻の消息を知りたかった。
「お前の奥さんとは昨日別々に連行された。奥さんから連絡があったか?」
所長は声を落として訊いた。やはり妻は所長の任務に関与していたと分かったが、手
遅れだった。亀尾信二は不吉な予感がした。
「僕にはまだ連絡がありません」
しばらく沈黙が流れた。
「そうか―。心配するな。すぐ解放されるさ。いやもう解放されているかも知れない。
248
ひょっこり家に帰ってくるさ。お前の奥さんは行動力があるだけでなく、好奇心旺盛だ
な。いろいろと鋭い質問をしていたよ」
「いったい、玉田玲子とどこに行っていたのですか」
亀尾信二は苛立った。
「それは電話では言えない。我々の会話はすべて丁建国グループに盗聴されているから
な。奥さんに訊いてくれ」
そう言うと、所長は話を切り上げた。
亀尾信二は胸騒ぎがした。受話器を置くと、すぐに電話が鳴り響いた。
「もしもし。玲子か?」
亀尾信二は息を弾ませながら、日本語で叫んだ。
「玉田玲子はまだ大切に預かっている」
丁建国の中国語の声だった。
「玲子がいったい何をしたというのか」
「亀尾さんは何も知らないのか。夫婦の会話は醒めているようだな」
丁建国はククッと喉から声を出した。
「それはあなたには関係がない。プライバシーの問題だ」
「玲子を何の罪で拘束しているのか」
亀尾信二は問い詰めた。
「奥さん、いや玉田玲子は記者としての取材ビザは取得しているが、その対象でない人
物に会ったのが原因だ。我々は看過できない」
丁建国は裁判官のような冷厳な口調で言った。
「誰に会ったのか?」
「周宇亮だ」
亀尾信二は絶句した。周宇亮は 09 憲章の草案を書いたと言われる中心人物だった。
中国社会党がもっとも警戒する民主活動家である。妻がよりによってそのような危険人
物に近づくとはと改めて玉田玲子の不可思議さを思い知らされた。自分は妻のことを何
も知らないのではないかと。
「いつ妻を解放するのか」
「取り調べ中だから、なんとも言えない」
「所長は解放したのに、なぜ妻は解放しないんだ」
「玉田玲子は普通のひととは違う。マスメディアは影響力があるから、特別だ。簡単に
は解放できない」
「早く解放してやってくれ。頼む。僕が代わりに拘束されても構わない」
亀尾信二は受話器を持ちながら、頭を深々と下げた。
「亀尾さんの気持ちを察すると、傷心でしょうな。でも、方法がまったくない訳ではな
い」
丁建国は意味ありげに言った。
「亀尾さんの援助をいただきたい」
「僕に何ができるというんだ。出来ることがあれば、何でもやる。だから、妻を早く解
放してやってくれ」
へっへっと丁建国は愉快そうだった。
「はっきり言おう。俺が欲しいのは二つだ。M資金二千億円の一部の分け前と国立脳サ
イバー研究所の中国移転だ」
亀尾信二は要求の巨大さに言葉を失った。どんな権力者でも、そんなことが出来るよ
うには到底思えなかった。ましてや自分に何ができるというのだろうか。
「亀尾さん。あなたは自分が考えているものの数千倍の力があるんですよ。それにまだ
249
気づいていないだけだ。権力が天空の真ん中に聳える北極星に宿るように、現在あなた
の周りに、人々が集まろうとしている。天と地の気があなたに向かっているように見え
る。どうですか、取引をしませんか。こちらの要求に沿ってくれれば、いつでも玉田玲
子を解放する」
「僕にはさっぱり理解できない。どうやればいいと言うんだ。僕を騙そうとしているの
ではないか。中国なんて大嫌いだ」
亀尾信二は受話器に向かって大声を張り上げた。電話は先方から切れた。
亀尾信二は受話器を手に握ったまま、興奮が収まるのを待っていた。彼はしばらく茫
然としていた。汪燕がお茶を入れに来たのにも気がつかなかった。
彼は再びリポートの作成に取り掛かろうとした。心を落ち着かせようとしたのである。
少し時間が過ぎたであろうか。汪燕が来客だと伝えに来た。
事務所の入口に出てみると、M資金の話をしに来た老人であった。車椅子に乗ってい
た。逞しそうな中年女の中国人看護師が椅子を押してやって来たのである。老人は前に
会ったときより一段とやつれた様子だった。
「先生、どうぞ、お入り下さい」
亀尾信二は最高のもてなしの言葉で、二人を招き入れた。白衣を着た看護師は表情も
変えずに、車椅子を押して事務所のなかに入った。
老人は車椅子に座ったままだった。亀尾信二はソファーに腰掛けた。老人よりも視線
を低くして語りかけた。
「お久しぶりです。連絡をいただければ、私の方から病院でもどこでも参上したのです
が。どうなさいましたか」
亀尾信二は優しく語りかけた。老人はしばらく黙っていた。何から話そうか迷ってい
るようにも見えた。
「すい臓が痛んだので、二〇三民解放軍病院に行った。そしたら、医者に末期がんと診
断され、すぐ手術を受けることになった。ワシはもうすぐ八十歳になるので、もうこの
世に未練はない。家族もいないし、ひとりで静かに眠りたい。でも、党と医者の強い勧
めで、治癒率十%というがん摘出手術を受けることになった」
そこまでたどたどしく語ると、突然咳き込んだ。看護師が背中を強くさすった。
「手術中は麻酔をかけられていて、気持ちがよかった。天国にいるようだった。空は真
っ暗闇だったが、地上のすべてのものが優しい光を放っていた。綺麗な水の小川が流れ
ていた。不思議にも渓流の音は聞こえなかった。その向こうには花が咲き乱れていた。
花園は光り輝いていて、実に美しかった。色とりどりの花の上に寝転びたいと思ったよ。
どんなに心地よいことかと。希望がある、お花畑には」
老人は休憩した。続けて話すのは身体に応える。亀尾信二はふと気がついた。老人の
名前を知らないのだった。初対面の際に、聞きそびれてしまったのだ。
「ワシはお花畑の匂いに吸い寄せられるように歩いた。どういう訳か足取りはしっかり
していた。若いころと違わぬほど身体が軽く感じられた。脚がついているから、ワシは
まだ幽霊じゃないと思った」
老人は愉快そうに笑った。看護師は表情をまったく変えなかった。亀尾信二はおつき
合いで軽く笑った。
「ワシは渓流に近づいた。水は澄み切っていた。ワシは屈んで両手で冷たい水をすくい、
飲もうとした。すると、うしろの方から声がするのじゃ。誰かと思った。耳を澄ませた
が、何と言っているか聞き取れない。誰だと思うかい」
亀尾信二はゆっくり首を横に振った。分かるはずがないではないかとも思った。
老人は右手を上げて、人差し指を伸ばした。その先には亀尾信二の胸があった。亀尾
信二は自分でも全身の皮膚が震えるのを感じた。そんなバカなことがとも思った。
250
「君だよ。亀尾さん。君の声がするんだ。間違いがないんだ。うしろを振り返ると、ず
っと向こうから、その川を渡ってはだめだと手招きしているんだ。それも必死になって。
ワシは考えたわい。小川を渡って花の上に寝転んでもよかったんだが、何か理由がある
のだろう。そう思って、引き返したよ。やって来た道を。そうしたら、君がいつの間に
かいなくなってしまった。
ワシは気がついて見ると、ベッドの上に寝ていたのじゃ。この看護師が手術は成功し
ましたとポツリと言ったよ。不思議にも、ワシは嬉しくなかった。あのまま、芳香に導
かれて前進していてもよかったのだが―。外出の許可が得られるほど体力が回復したの
で、ここにやって来た訳じゃよ。亀尾さんに老いぼれのこんな変な話をしても、どうに
もならんことは分かっているが。迷惑をかけてすまないな」
老人はフーと息を弱く吐いた。気が抜けていくような感じだった。
亀尾信二は何と答えていいか分からなかった。でも、黙っているのがもっともこの場
に相応しいと確信していた。言葉は無力のように感じられた。
「冬桜は観に行かれましたか?」
老人は唐突に訊いた。亀尾信二は初対面のときの話を思い出そうとしていた。朝陽公
園の隅に一本の冬桜が植わっていると聞いたことを思い出した。
「まだ朝陽公園に行く機会がなくて。申し訳ありません」
「若いひとは忙しいからのう。年をとれば時間は無尽蔵にある。思ったことは時間さえ
かければ、何でもいつかは実現できるように思える。とは言っても根気が続かず、すぐ
に忘れてしまうのは困ったものだが。いいのじゃ。生きているだけで。いや、何者かに
生かされているのを感じ取れるだけで幸福じゃ。命は実に不思議なものじゃい」
老人は顔を崩して声を立てずにほほ笑んだ。
「冬桜はいつ咲きますか?」
「立春になれば、花が開くはずじゃ。見てやってくれ。ワシがこの世でやった仕事のな
かで自慢できる唯一のことじゃ」
「とんでもありません。先生は日中友好のために尽力されてきたではありませんか。業
績は数多くあります。僕には遠く及びません」
亀尾信二は頭を垂れたまま語った。
「あんな仕事なんて、ワシがいなくても誰かがやっているよ。でも、冬桜を北京に植え
るのはワシのアイデアじゃ。ワシ以外にできるものはいないんじゃ」
老人は自慢気な表情をした。幼さが顔のどこかに宿っているようだった。
「ワシには家族はいない。ワシが死んでも、あの冬桜を見たら、思い出しておくれ。ワ
シのこの世への贈り物じゃ。これ以外にこの世に未練はない」
老人は寂しそうな笑顔を浮かべた。
「元気を出して下さい。まだしなければならないことがあるじゃありませんか」
亀尾信二がそう言うと、老人の顔は厳しい表情に変わった。亀尾信二は負担になるこ
とを思い出させてしまったかと後悔した。
「そうじゃ、思い出した。大陸科学院とM資金二千億円の話をしておこう。日本の新政
権の中枢の意向を受けて、中南海の党幹部と極秘裏に話し合った。結論はすぐその場で
出た。重要な話ほどいとも簡単に決まるものじゃ。国立脳サイバー研究所を上海に移転
することで合意した」
亀尾信二は耳を疑った。中央党校理論開発センターの武永定主任も現代日本研究所の
丁建国も脳サイバー研究所が欲しいと言っていたのを思い出した。まさかここまで話が
進んでいたとは信じられなかった。世界最高レベルの脳研究所をよりによって中国に移
転する意味が分からなかった。大量の頭脳が外国に流出するのである。
「僕には目的が分かりません。何がメリットでしょうか」
251
亀尾信二は強い不満をぶつけた。言葉にすると、予想以上の声量が飛び出したのに自
分でも驚かされた。
「戦前の大陸科学院の夢の復活じゃ。日中両国の科学者が協力して、人類の最後の謎と
言われている脳の機能を解明するのじゃ。場所も確定している。中国人は決定が速い」
亀尾信二は場所を聞かざるを得なかった。
「科学院生命科学研究院の敷地に高層の新しい研究所を建設する予定だ。生命科学院の
傘下の脳認知科学研究所と合体して、世界最大で最高級の脳科学研究所を設立するのじ
ゃ。生命科学研究院の本館は戦前、日本政府がフランス租界に設立した上海自然科学研
究所だった。
1928 年、日本政府は義和団事件の賠償金による対シナ文化事業の一部として、上海
自然科学研究所を着工した。それは東都大学そっくりのネオゴシック式の研究所の建物
であった。アメリカは義和団事件の賠償金で現在の清華大学の前身の留学予備学校を造
った。優秀な人材をアメリカに留学させ、米中のエリートの人的パイプを太くしようと
したのじゃ。清華大学の優等生がアメリカに行きたがるのは歴史的必然性でもある。ア
メリカは将来を見据えていたのじゃよ。日本人が持ち合わせていない能力だ。
1931 年 4 月、上海自然科学研究所は、純粋学理の研究と中国人の研究能力の増進を
目的として開所したのだった。この研究所は当時、日本国でさえ匹敵するものがないほ
どの研究環境を持っていた。戦後、研究所は中国政府に没収され、現在も、上海地区の
生命科学研究のメッカとなっている。
戦前の日本人研究者たちの夢が再現できるとも言える。八十年以上の歳月をかけて、
両国の科学者が再び連帯しようとしている」
老人は右手で白くなったあごひげを撫でながら、遠い過去を思い出すように言った。
歴史は繰り返すとは陳腐な言葉になっているが、亀尾信二は新しい巨大な研究所の勇
姿を思い起こすと、鳥肌が立った。ただし、これが日本にとっていいことかどうかの判
断をすることはできなかった。
「夢のある巨大なプロジェクトですね。日本側の関係者は了解しているのでしょうか」
亀尾信二は自分に問うように呟いた。
「脳サイバー研究所の所長は移転に反対し、辞表を提出するという噂じゃ。研究所の研
究員は研究費の減少に強い不満を示していたため、上海に移転することで研究費の増額
が保証されれば、ほとんどの研究者は賛成するだろう。
上海は文化のパリと金融のニューヨークを併せ持つ大都市になろうとしている。生活
費は高いが、生活レベルは東京とたいした差がない。妻子を同伴しても問題あるまい。
研究所のある福岡から移転すると考えると、東京よりも上海の方が近いのだ。研究者は
合理的な発想をしがちじゃ。
研究スペースは脳サイバー研究所のときの三倍、研究費は二倍、給与は米国一流大学
の教授レベルを保証すると、中国の党と政府は約束している。科学者にとって、優れた
研究環境が整備されれば、世界のどこで研究しても同じじゃい。科学は普遍的な文化だ
からじゃ。国家の利益のためではなく、人類の幸福と発展のために基礎研究を行うのだ
から。
経済の活動中心は東アジアに移ろうとしている。科学技術活動の中心も近い将来東ア
ジアにとって代わることになろう。優れた研究成果も中国と日本から生まれることにな
るであろう」
老人は身体じゅうから嬉しそうな表情を発した。
「日本の脳科学学会は賛成しているのですか」
「大半は反対じゃ。学者は自由人であるはずだが、短期的視点でしかものを考えない。
変化を極度に嫌う人たちじゃ。新しい世界のイメージを自ら描くことができないのだよ。
252
社会変革の先頭に立たないといけないのに、いざというときに役に立たない、困ったひ
とたちだ。胆力もないし、勇気もない」
老人は軽蔑するような視線で絨毯を見ながら、言った。
「両政府のトップが合意していれば、M資金の二千億円は必要がないですね」
「いやそういうわけにはいかない。大きな事業には必ず、汚いカネがつきものだ。関係
者全員が賛成することはありえない。反対する者を説得するにはカネがいるのだ。カネ
はモノを買うためにあるのではなく、そのためにも必要なんだ。だから、政治にはカネ
がつきまとう。政治はしょせん利益の調整にすぎないからだ。つまらん話だ。カネのこ
となんか」
亀尾信二は老人の眼を見ながら頷いた。
「いったい誰がカネを求めているのですか」
「まず、日本政府だ。国立脳サイバー研究所を所管している科学技術省は大反対を唱え
ている。官僚は組織と予算の縮小をことのほか恐れる人種だ。M資金から数百億円を引
き出し、科学技術省の予算に積み上げる必要がある。脳サイバー研究所の予算に匹敵す
る額を与えれば、官僚は急に反対しなくなるものじゃ。関係する政治家や大物学者にも
札束が入った厚手の封筒を配る必要があるだろう。
さらに、中国側にも配らなければならない―」
そこまで老人が言うと、亀尾信二はドキリとした。老人への過剰な気配りのために、
妻が人質になっていることを失念していた。丁建国はカネを欲しがっていたのだった。
老人の眼がきらりと光り、亀尾信二の出方を伺っているようにも思えた。
「先生、お願いがあります―」
亀尾信二は言い始まるや、眼から涙が溢れてきた。声が詰まった。なぜだか自分にも
よく判断できなかった。
「あなたも苦労されているようじゃ。ワシにはわかっとる。それは言わなくてもいい。
ワシが何とかしましょう。カネなんて、いざとなれば何の役にも立たないのに。困った
ものじゃ。これが分からぬとは、まだ若いのう。
あなたはワシの命の恩人じゃ。あの世からこの世に連れ戻したのは、亀尾先生だから
な。恩には報いなければならない。ひととして当然じゃよ。心配することはない。あな
たの大切なひとはもうすぐ無事に帰ってくる。
もっとも、ワシはもうすぐあちらの世界に行かなければならないが―」
老人はウインクしてみせた。童顔が蘇った。
看護士が咳払いをした。亀尾信二は突然お茶も入れていないことに気がついた。汪燕
はどこに行ったのであろうか。
「すみません。お茶を入れるのを忘れていました。少しお待ち下さい」
亀尾信二は厨房に行き、お茶を入れて帰って来た。
しかし、老人も看護師の姿も発見できなかった。急いで、エレベーターに向かったが、
故障していて止まっていた。老人はどうやって車椅子で上がってきたのであろうかと亀
尾信二は訝った。
亀尾信二は何かに衝き動かされて、階段を駆け下った。老人の無理をした訪問に対し
て丁寧にお礼を述べる必要を感じた。1 階まで降りるころには息ができないほどになっ
ていた。建物の外に出た。北京は真冬のためコートなしでは寒かった。入口の守衛は亀
尾信二の服装を見て驚いたような表情を見せたが、何も言わなかった。
北京は深い霧で覆われ、視界は悪かった。人々は身体を小さくし、下を見ながら歩い
ていた。亀尾信二は老人と看護師を発見できなかった。すでにクルマで去ったのかもし
れない。なぜ、何も言わずに消えてしまったのか分からなかった。
部屋に戻ると、汪燕はいつの間にか戻っていた。
253
「二人のお客さんはどこに行ったか知らないかい?」
汪燕は、
「私はずっとここに座っていましたが、今日の午後は誰も来ていませんよ」
と不機嫌に言うなり、視線をパソコンに戻した。
亀尾信二は身体の重さが消えていくようであった。まさか、彼らは幻だったのであろ
うか。そんなはずはない。あんなに具体的な話をしたではないか。あれが夢や幻である
はずがない。決してない。亀尾信二は動揺した。
彼はパソコンに向かい、リポートの作成に没頭した。老人に会ったのは事実だ。老人
の話も事実に違いない。脳サイバー研究所の上海移転やそれにまつわる裏情報もリポー
トにつけ加えることにした。ただし、玉田玲子の金銭トレードの件はプライバシー上の
問題から書かないことにした。
何が起ころうとも、老人との面会を否定することはできない。亀尾信二は記録に止め
ておかなければならないという使命感に燃えていた。
16
人質解放
亀尾信二は午後八時ころまでには調査リポートを書き上げた。日中友好科学財団の東
京本部の担当者にメールを送信すると、パソコンをオフにした。
玉田玲子はその夜も帰って来なかった。所長と劉艶から連続して携帯電話がかかって
来て、心配しないように亀尾信二に伝えた。彼らは申し合わせたように、亀尾信二に電
話をかけてきたのであった。彼にはその気持ちが暖かく感じられた。その夜、亀尾信二
は何回も眼が覚めた。長い夜に感じられた。朝がやってこない夜のようにも感じられた。
亀尾信二はいつものように地下鉄十号線を利用して、中関村の事務所に時刻どおりに
出勤した。汪燕はすでに出勤していた。忙しそうにパソコンに向かい、何か書いている。
初めて見る光景だった。
「双葉直子というひとから先ほど電話がありました。至急、電話をして欲しいそうです」
汪燕は開口一番亀尾信二に伝えた。メモを見ると、科学技術省生命科学課課長代理双
葉直子という文字と直通電話が書きなぐってあった。双葉直子の急いでいる気持ちが手
に取るように理解できた。
双葉直子は日中友好科学財団への出向から、本人の希望通りに本省の有力ポストに返
り咲いたのである。亀尾信二は素直に喜んだ。朝一番に電話をして来るとは尋常でない
と思われた。さらに、中国関係の仕事から身を引いているはずである。本省から海外事
務所に直接連絡してくることは普通ありえない。役所は官僚組織のため、日中友好科学
財団本部を経由して連絡するのが筋である。
亀尾信二は浮遊感を覚えた。自分がここにいないような感覚だった。電話が鳴った。
所長からだろうと思った。汪燕がいつもよりすばやく受話器を取り上げた。
「はい、来ております。しばらくお待ち下さい」
汪燕はそう言うと、受話器を掌で塞いで、双葉直子からだと告げた。
亀尾信二は受話器を丁寧に取り上げた。
「リポート読んだわよ。謎が解けたわ」
いきなり興奮した声が飛び込んできた。亀尾信二は何のことか分からなかった。でも、
昨夜書いたリポートを読んだというのは分かった。
「亀尾さんは随分、中国社会の深いところまで関与しているのね。感心したわ。今、科
学技術省は大騒ぎよ、国立脳サイバー研究所を中国に移転するのかって。私の生命科学
課が担当よ。情報を掻き集めていたところに、今朝、あなたが書いたリポートが日中友
好科学財団から転送されてきたのよ」
254
双葉直子は機関銃のように早口でしゃべった。亀尾信二はまさか双葉直子の手元に届
いているとは思わなかった。老人を思い出した。今頃、どこにいるのであろうか。リポ
ートの情報元を訊かれたらどう答えればいいのであろうか。亀尾信二はその老人の名前
さえ知らないのだ。
「昨日の午後、大臣が総理大臣官邸の官房長官に呼び出され、東アジア共同体実現の切
り札として、国立脳サイバー研究所を上海に移転させ、先方の研究機関と合体して、世
界最強の脳科学研究センターを設立すると告げてきたの。これは検討事項ではなく、決
定事項だとまで総理官邸は言い切ったのよ。従わなければ、大臣は解任だという噂も飛
んでいるわ。
大臣は役所に戻るとさっそく局長を呼んで、国立脳サイバー研究所を上海に移転する
ための準備をせよと文書で指示を出したのよ。お陰で、私の課はてんてこ舞いよ。まず
はいったい何がどうなっているんだ。情報を掻き集めろと課長は怒鳴り散らしているわ。
ちょうど運よく、あなたのリポートを読んだの。裏の裏まで理解できたわ。これはうま
く使わせていただくわ」
双葉直子は嬉しそうな声を漏らした。亀尾信二にはなぜだか理解できなかった。
「読んでいただいて、ありがとうございます」
亀尾信二は何と言っていいか分からなかったので、差し当たりそう言った。年下の女
にへりくだるのも苦痛ではなくなっていた。老人から聞いた話はほとんどリポートに書
いていた。
詳しく説明しろと、突っこまれたことを訊かれても、答えられないと思った。まして
や、老人が生死の境から亀尾信二に声かけられて生還したとは言えなかった。そんな話
をすれば、精神がおかしくなっていると思われるに違いない。常に監視されている中国
生活の圧力の下で、脳に異常が生じたと哀れんでくれようか。
「国立脳サイバー研究所の上海移転は研究者たちの間で賛成と反対に分かれて、喧々
諤々議論しているけれども、移転が決まってしまえば、すぐ既成事実化し、静かになる
わ。行きたい者は行くし、行きたくない者は行かない。日本国内の大学で新しい学術ポ
ストを獲得できる科学者はほとんどいないわよ。所長は激怒し、辞意を表明しているけ
れども、もう定年をすぎているし、辞めたって何も困らないわ。健康を心配している奥
さんからすると、辞めるいい機会だと思うわよ」
双葉直子は浮き浮きしたような話しぶりだった。
「東アジアに日中共同で欧米に伍する脳総合研究センターを設立するというプロジェ
クトは壮大で、面白そうと思わない? 欧米中心の歴史から東アジア文明へと大転換が
起こるのよ。私たちは歴史の生き証人となるのだわ。歴史に名が刻まれるかも知れない。
それから、この大仕事をやり遂げれば、省内で高く評価され、大臣秘書官のポストが
ゲットよ。そうなれば、局長への出世の道も拓けるのよ」
双葉直子は同意を求めているように思えた。
亀尾信二は自分の仕事とは関係がなく、ましてや自分の手の届く問題でもないため、
議論に巻き込まれたくなかった。プロジェクトの規模は大きくても、どうでもよい軽い
話のように思えて仕方がなかった。でも、口が裂けてもそう言ってはいけないのだ。こ
の種のひとたちに対しては。それは自然界の法則なのだ。
「僕にはよく分かりません」
亀尾信二は冷淡に言い放った。しかし、双葉直子はそれに気づかず、
「このプロジェクトは必ず動き出すわ。そうすれば、あなたも仕事にありつけるわよ。
プロジェクト遂行の日中合同委員会の事務局に入れるように私が口を利いてあげても
いいわよ。どうですか、亀尾さん」
双葉直子は厚意で言っているようであったが、亀尾信二には逆に煩わしそうに思えた。
255
不思議で、理不尽なことばかりが亀尾信二の身に起こっていた。妻が帰ってこないこと
には何も始まらないのである。
「あら、返事がないのね。ま、いいわ。突然のことなので、急には返事できないわよね。
考えといて。
マスメディアも情報を聞きつけて、生命科学課にアクセスして来ているわ。アメリカ
政府は日中急接近に警戒するだろうし、日本の右翼も騒ぎ出すわ。これからもっと、も
っと忙しくなれば色々なチャンスが廻ってくるわ」
亀尾信二には異様に思えた。世間が騒がしくり、混乱するほど楽しく感じられるひと
がいることが信じられなかった。
「頑張って下さい。何か情報が入れば、連絡します」
亀尾信二はお決まりの言い方をして電話を切った。重苦しく、息が詰まるような会話
だった。
中国社会党の真の目的は共産主義の理論的発展の基本的知見を得ることである。社会
科学と自然科学の融合のために、国立脳サイバー研究所の誘致を利用しようとしている
のだ。
それに、不満分子を鎮めるために、賄賂が日中双方の関係者に配られる。いつか顕在
化し、大きなスキャンダルになるであろう。
さらに困ったことには、民主推進派は大きな痛手を受けるに違いない。共産主義理論
の再検討が行われ、最新の科学的知見を取り入れ、より強固で次世代に相応しい、共産
主義が登場する可能性がある。
亀尾信二は老人の安否を心配し、入院している二○三人民解放病院に電話した。病室
の番号を聞き出し、看病に行こうと思ったのである。だが、患者の名前が分からない。
病院の受付の女に老人の特徴を説明したが、何ヶ所かに転送され、何回も同じことを言
わせられた。最後に、相手の方から電話がぷつんと切れた。息が絶えるような切れ方だ
った。
亀尾信二はいても立ってもいられなくなり、タクシーで二〇三病院に出かけることに
した。北京の西の郊外にあるベッド数二千を超す大病院である。北京のタクシー料金は
安いとはいっても、現地採用の亀尾信二にはメーターの数字が変わるのが気になった。
亀尾信二は外国人専用の対応窓口に行って、老人の面影、膵臓がんに罹患しているこ
と、付き添い看護師の特徴を中国語で熱心にしゃべり続けた。でも、彼らはあの老人を
探し出すことはできなかった。看護師が患者を車椅子で外に連れ出すことは決してあり
えないことだとまで言われた。亀尾信二は絶句した。
見たこと、聞いたことは幻だったのであろうか。そんなはずは決してない。老人の口
にした話はリポートとなり、科学技術省に渡った。日本の政府にも実際に起こっている
ことと矛盾なく受け入れられたのだった。事実でなく何というのであろうか。
老人は壁をすり抜けて、亀尾信二の世界にやって来て、真実を教えてくれたとでもい
うのだろうか。そんな馬鹿な。
亀尾信二の携帯電話が鳴った。相手の番号は不明と表示されている。
「もし、もし」
亀尾信二は中国語で大きな声を出した。応答を待った。
「俺だ。丁建国だ。隠れキリシタンの張愛を解放した」
「よかった。ありがとう」
亀尾信二は張愛の喜んだ、にきび顔を思い出した。
「解放したが、布教活動は許さない。欧米の宗教は中国人の伝統や思想には合わない。
張愛が同じことをすれば、今度は奥地の労働改造所に送る。七年は戻れなくなる」
丁建国は自分が何でも決められるかのような口調で言った。そして、沈黙が続いた。
256
亀尾信二は丁建国の口が開くのを待った。
「俺に頭を下げて請わないのか、もっと大切なひとの解放を」
亀尾信二ははらわたが煮え返るほど、丁建国は最低の人間だと思った。だが、ここで
怒りを爆発させれば、玉田玲子は一層遠のいてしまうように感じられた。
「私の妻を早く返して欲しい」
亀尾信二は静かに、そしてしっかりした口調で丁建国に語りかけた。
丁建国の勝ち誇ったような笑い声が亀尾信二の耳たぶを振動させた。
「返して欲しいか、亀尾信二!」
「返してくれ、お願いだ。僕は妻を愛している」
亀尾信二は心の怒りを抑えながら、懇願した。
「日本人はいつも簡単に屈服するんだよな。すぐに頭を下げたがる、だが、要件が済ん
でしまえば、頭を下げたことをすぐに忘れてしまう。そこが中国人が日本人を信用でき
ないところだ」
亀尾信二は何と言われようが、反論することはできなかった。
「カネは十分受け取った。もう、玉田玲子には用はない。今日、解放する。ただし、女
房によく言っておけ。海外の新聞記者だからと言って、我々はびくつくことはないし、
容赦もしない。次に民主活動家に接近したり、記事を書いたりしたら、即刻国外追放だ
と」
丁建国の話はそこで終わった。亀尾信二は携帯電話をオフにした。電話を通じて、次々
と厳しい現実が突きつけられてくる。もう誰とも会話をしたくなかった。張り詰めた緊
張感が解け、代わって疲労感が亀尾信二を襲った。玉田玲子が彼の元へ帰ってくる。そ
れだけで十分だった。
玉田玲子はその日の夕方、亀尾信二のアパートに戻ってきた。
「貴重な経験をさせてもらったわ。留置所って意外に快適だったわ。シャワーもいつで
も使えたし、みんな親切よ。心配した?」
それが玉田玲子の開口一番の言葉だった。亀尾信二は妻に近づき、抱きついた。両腕
で優しく玉田玲子を包み込んだ。
「心が引き裂かれるほど、心配したよ。君を決して失いたくない。だから、もう無理を
するな」
亀尾信二は慟哭した。言葉は震えていた。
「ありがとう。とっても嬉しいわ。私が北京駐在を強く希望したのは、仕事のためじゃ
ない。本当はあなたと一緒に暮らすためよ。とっても愛しているから」
玉田玲子も涙を流した。亀尾信二の前で流す初めての涙だった。
「僕は五月までの任期が切れたら、東京に戻りたいと思っていた。玲子と一緒に暮らす
ために」
亀尾信二は正直に告白した。
「北京の生活にもう飽きたの? まだ二年も経っていないでしょう」
玉田玲子の言うとおり、二年も過ぎていなかった。でも、亀尾信二は北京で経験した
不可思議なことを思い出しながら、苦笑した。
「何が可笑しいの?」
玉田玲子は抱擁を解いて、亀尾信二の眼を見つめて言った。
「いや、何でもない」
亀尾信二はニヤニヤしながら、言った。
「あ、北京でガールフレンドができたんだ」
玉田玲子は両手で握りこぶしをつくり、亀尾信二の胸を軽く叩いた。
257
「そうじゃないよ、決して。信じてくれよ」
亀尾信二がそう言うと、二人は笑った。大声で笑った。亀尾信二は解放感に包まれて、
久々に心から笑った。嬉しかった。やはり、玉田玲子に再会できたことが。
亀尾信二は突然、泣き出した。自分でも何が起こったのか分からなかった。今まで奥
深く押し込んでいた感情が溢れ出てくるようだった。理不尽な出来事が亀尾信二の脳裏
に走馬灯のように去来した。丁建国から依頼された日本派遣研究者の申請書の件、土産
にもらった白菜の大理石、野望を抱いている双葉直子の北京訪問、工作部の女スパイに
飲まされたしびれ薬、丁建国の部下から受けた突然の激しい暴力、謎の老人との出会い。
どれも自分の平和な生活を乱すために突然やってきては、すぐに去って行った。意味の
あることは何も起こらなかった。
玉田玲子は驚いて、どうしたのと言おうとしたが、口をつぐんだ。やっと亀尾信二の
北京生活が理解できたように思えた。
玉田玲子は東京にいたころ、ピューリッツアー賞受賞を目指して、毎日夜遅くまで仕
事に没頭していた。睡眠時間が四、五時間の日々が続いても平気だった。仕事はそれ以
上に面白かった。でも、ふと亀尾信二のことを思い出すと、心にさざなみが起こった。
それが何かを理解することはできなかった。ただ、不安を掻き立てる、ネガティブな感
情として、それを忘れようと、さらに仕事に打ち込んでいた。
その間、亀尾信二は北京で必死に戦っていたのである。何かと。ピューリッツアー賞
よりも大切な何かと戦っていたのである。
「ねぇ、涙を拭いて。気分一新に散歩しましょうよ」
玉田玲子は静かに語りかけた。
二人は着替えて、厚手のコートを着て、アパートの外に出て、並んで歩き出した。立
春をすぎていたが、風が吹いていて寒かった。
「近くに朝陽公園があると聞いたけど―」
玉田玲子は沈黙を破った。
「うん。まだ閉鎖の時間じゃないから、行ってみよう」
亀尾信二は静かに応えた。亀尾信二は右手で玉田玲子の左手をつかんだ。玉田玲子は
強く握り返してきた。玉田玲子にはそれは新鮮であった。二人が大学生のときに知り合
って以来、ずっと玉田玲子のリードで男女関係が成り立ち、深くなっていったように思
える。亀尾信二が率先して手をつないできたことはなかった。玉田玲子は嬉しかった。
些細なことだが、心が震えるほど嬉しかった。
「僕はつくづく小さい人間だと思い知らされたよ。巨人にはなれない。玲子はいつも大
胆で、羨ましい限りだ」
亀尾信二は冷静に自分を分析した。玉田玲子は意図的に返事をしなかった。亀尾信二
はもっと話したいことがあるように思えた。そして、それは事実だった。
「日本商務省の村井隆課長は脳内にチップを埋め込まれてから親中国的になったらし
い。中国社会党は民主活動家の脳にも改良型のチップを埋め込むかも知れない」
日本商務省は対中国ハイテク封じ込め法案の国会提出を見送っていた。
玉田玲子には夫の話かさっぱり理解できなかった。亀尾信二の眼はいつもの眼ではな
かった。玉田玲子は手をしっかり握り締めた。亀尾信二がどこかへ消えて行ってしまう
のではないかと不安になった。
「高度経済成長下で、人々は所得が増え、消費に明け暮れている。より多く持つ者が幸
せで、成功者と思われている。日本企業も生き残りをかけて中国にやってきている。カ
ネと野望のために、この世界が歪められている。現実は生きる価値がないくらいおぞま
しい。人々の視野も歪んでいるため、間違いに誰も気がつかない。誰もが美酒に酔って
いるだけだ。すべての悪や醜さが忘れられている。でも、それはそこに存在し続ける。
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いつか、人々に復讐するであろう。経済が悪化するとき、パンドラの箱が開かれ、あら
ゆる矛盾と悪が跋扈することになろう。中国社会党の幹部は海外に逃亡するが、人民は
塗炭の苦しみを味わう。神の怒りが下されるときだ」
亀尾信二は誰に向かって話しているのか、玉田玲子には分からなかった。亀尾信二の
心がどこかに行ってしまうのではないかと心配だった。亀尾信二にも脳内チップが埋め
込まれているのではないかと玉田玲子は思った。どこか遠くで、誰かが夫の精神を操作
しているのではないかと恐怖を感じた。
二人は入場切符を買って、朝陽公園のなかに入った。人気は少なかった。公園の真ん
中には大きな湖があったが、まだ凍りついていた。子供たちは家に帰り、スケートをす
る人影はいなかった。カチカチに凍った氷もあと一ヶ月もすれば、溶けてなくなる。水
をたたえた元の湖に戻るのである。その姿を今頭に描くことは難しい。だが実際にそれ
は確実に起こることだ。どんなに厳しい冬でも春は必ずやってくる。大地は生命の芽を
育むのだ。
「彼らは間違っている。頭のいい奴もどこか変だ。何も畏れない者はけだもの同然だ。
きっといつか滅びる」
「彼らって、いったい誰のことなのよ」
玉田玲子は慌てて尋ねた。でも、亀尾信二は何も言わなかった。
「ねぇ、返事をして。私には何も分からない。お願い」
玉田玲子は絶叫した。亀尾信二の眼は虚ろだった。
ふたりは手をつないだまま、何も言わずに公園を彷徨い、一本の木の前にたどり着い
た。朝陽公園の東北方向の角近くのひっそりとした狭い敷地だった。忘れられ、捨てら
れた国のようだった。そこに、冬桜の木が凛々しく立っていた。まるで、二人の来るの
を待っていたかのようなたたずまいだった。咲き始めの冬桜だった。数輪の淡紅色の花
びらは真冬でも逞しく存在感を示していた。冬桜は一輪一輪と咲き、一ヶ月も咲き続け
る。寒気が強くなると、花びらを萎ませて身を守るのである。
亀尾信二はこの冬桜こそ、あの老人が植えた木と断定した。やはり老人は幻ではない
のだ。老人はこの冬桜のことを言い残して、亀尾信二の前から消えた。満州の大陸科学
院を現代に再現することが老人の夢だと語っていたが、最も愛着があったのはこの樹木
だったのかも知れないと亀尾信二は思った。
玉田玲子は長身の亀尾信二に寄り添っていた。そして、突然、
「見て、北の空を!」
玉田玲子は右手の人差し指を指した。その方向には北極星が赤々と光っていた。天空
の星たちを従えているようだった。そして、赤色を増していった。燃えているようにも
見える。
亀尾信二は老人の子供のような笑顔を思い出した。姉の存在を近くで感じた。カーペ
ンターズが「クロス・トゥ・ユゥ」の物悲しい歌を遠くで歌いながら、自分たちを見守
っているようにも思えた。死は生の断絶ではなく、生の一部だとも感じられた。亀尾信
二の心は暖かくなっていた。
国立脳サイバー研究所の上海移転後、当局の亀尾信二に対する監視は弱まるであろう。
だが、依然として不自由な生活を強いられるに違いない。
公園の管理人がやって来て二人に声をかけたが、すぐに去っていた。もうすぐ閉門だ
と伝えに来たのだった。
「冬桜と北極星。冬桜が日本で、北極星が中国なの?」
玉田玲子は亀尾信二に訊いた。
「そんなことは僕には分からないし、関係もない」
亀尾信二は吐き捨てるように言った。
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「どちらが神聖かしら?」
その質問に亀尾信二は答えなかった。
「僕は冬桜にはなれても、北極星のような世界の中心にはなれない。冬桜の花びらは淡
い色でひっそりしているが、寒い冬でも耐えて咲くことができる」
亀尾信二はきっぱりと言った。
「でも、あなたにはなぜかひとが集まって来るのよね」
「それは過去のことだ。彼らはもう僕を必要としないさ。一件落着したから」
「そうかしら。何も解決していないし、物事の深刻度はさらに進んでいるように思える
わ」
玉田玲子は北極星を眺めながら言った。
「玲子、君が北京で駐在を続ける限り、僕はここで働く。現地採用という待遇でも僕は
構わない。君は能力を発揮して、世の中のためにいい仕事をやってくれ。この狂気の世
界で生きていくしかない。僕は何も恐れるものはない、何かを畏れなければならないの
はあいつらだ。僕は君を大切に愛し続けたい。それだけでいいんだ」
二人はいつまでも、互いに手を握り締めながら、冬桜の小さい花びらと紅く燃える北
極星を交互に見つめていたのだった。(了)
「参考文献」
池谷祐二『単純な脳、複雑な「私」
』(朝日出版社)
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