黙って十年 うら・おもて 更に参ぜよ三十年 ・・・・・清島 俊峰

随
想
<随 想>
黙って十年 うら・おもて
更に参ぜよ三十年
清島 俊峰
ある朝の参禅風景
..
遂に参禅の順番がきた、直日、声を大にして「キヨシマ!! 参禅」
「有りません!」
「参禅!」
「有りません!」2、3度のやりとり。直日曰く「助
......
警! 引っ張り出せ」助警、襟首を捕まえて引きずり出して、喚鐘の前に据える。
それでも抵抗すると、代わりに喚鐘を叩いて、参禅の廊下に突き出す。諦めてと
ぼとぼと入室。
「見解の無い奴は来るな!」と、怒鳴りつけられて、退散。
当時の参禅はその怖いこと、先輩たちも震えておられた。
私が入門したのは、昭和 35 年のことで、世の中は日米安全保障条約の改定を
巡っての所謂「60 年安保騒動」の最中で、大学は騒然としていた。
へきえき
劣等感ばかりが強く、気の弱いくせに気位ばかりが高いという自分に辟易して
いた頃であった。
こんな自分を何とかしなければと鬱々としていたとき、不意に『禅』が現れた。
自転車に野菜を乗せた友人が来て、
「近所の寺で坐禅の会があっているが、来ない
..
..
か」そして「飯はただ!」この「飯はただ!」の一言に釣り上げられた。
当時は日本が経済成長に入る前で不景気の最中、それに日米安保騒動、生来の
鬱の気が出て悶々としていた頃であった。
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「禅」と聞いて頭に浮かんだのは、吉川英治の『宮本武蔵』で、武蔵が内なる
悩みを解決するために、沢庵和尚を訪ねる場面である。武蔵は和尚に会うために
山門の横に控えていた。そこへ出てきた和尚は持っていた杖で武蔵の回りを円で
囲みそのままスタスタと行ってしまった。武蔵は呆然と自分を取り囲んだ円をみ
つめていた。
この沢庵和尚が禅宗のお坊さんだったなあ、と思いつくとともに武蔵を取り囲
んでいる円が今の自分を取り囲むものであるように思われた。
入 門
最初の摂心会で入門を許され参禅したが、冒頭のようなありさま。生来の負け
ん気もあって、強引に突っ込んでいたら、ある朝喚鐘の前で省あり。俊峰という
道号をいただく。
熊本五葉塾の朝の静坐の後の読経の一つに『両忘老大師 亀鑑』があった。こ
れの中に【禅道は冊子上にあらず】とある。先輩はしきりに「本を読むな!」と
言われる。生来の勉強嫌いと重なって、不勉強で押し通していたが、ある日大喝
...
一声老大師から「お主は不勉強だ!」と怒鳴られた。当座は本に首を突っ込んだ
が、次第に不勉強となり今日に至る。誠にお恥ずかしい限りである。
戴いた公案に最初から工夫もせず本と首っぴきで許された公案は感激が少ない。
山登りでルートを間違え、さんざん迷っててこずった山の方が振り返った時なつ
かしいものがある。
居士禅の修行・二つの関門
間もなく大学を卒業、就職したがこれが大変。
「この事の修行のためには全てを
なげうたねばならん」と教えられ、先輩方はそれを実践しておられた。
「社会に基盤を置き禅の修行をする」という居士禅は、実際にやるとなると、
個々の性癖や与えられた条件に因って違うであろうが、大変な苦しさを伴う。
摂心会の一週間休みが取れない。強引に休むもんだから段々と椅子の座り心地
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が悪くなる。所謂、窓際、転勤。これで禅との縁が切れた人が多い。学生は時間
的余裕があると言われるが、最近の学生を見ると、学生も同じようだ。
就職という関門をなんとか乗り越えても、
もう一つの関門がある。
結婚である。
禅修行に理解のある女性(男性)であれば有り難いことである。多くの場合そ
うではない。何とか結婚にこぎつけても、いざ家庭を持つと取り巻く現実の風に
吹きさらされて修行に対する信念が揺らぐ。この二大関門を潜って、公案と取っ
組み合いをしながら修行を継続しておられる多くの方々が現実におられるのには
頭が下がる。
磨甎庵劫石老師の遺作集『磨甎』の「居士禅の修行」の項に実際の例が挙げら
れている。居士禅者の修行の手本である。
この辺りが、布教・救済という面から見ると、現実の社会に基盤を置くという
ことは居士禅は絶好の位置採りであるが、また苦しい点でもある。
黙って十年
昭和 42 年頃、剛毅木訥・蛮カラを信条とする熊本支部の先行きを懸念されて
か、担当師家であられた耕雲庵英山老大師が、
「禅の修行とともに何か道と名のつ
くものの習練もまた人間形成には必要である」と示された。
これに呼応して、俳句部・書道部・茶道部を立ち上げ、
『黙って十年』を合言
葉とした。この『黙って十年』という合言葉がどこから出たのか知らずにすごし
..
..
ていたが、簡潔で胸にストンと落ちた。苦しくなると「黙って十年、黙って十年」
と称える。
「禅林句集」には『十年帰不得 忘却来時道』などは見かけるのだが、
どうもしっくり来ない。
最近になって、
『磨甎』に次のような記述があるのに出くわした。
きょうどう
【安泰寺において、耕す坐禅を嚮 導 しておられる渡辺耕法という方の坐禅に
ついて耳にしたことがある。この方は、初め北陸の大乗寺で十年間生活し、京都
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の安泰寺において十年間坐り、新たに山国に安泰寺を創建されたという。大地を
開墾して畑を作り、自然とともに生活しながら天地の恵みを身に滲みて体得する
坐禅である。澤木興道師の法嗣の内山興正師に参じられた方である。
初めて禅の道に入ったとき、禅とは何かを尋ねたら、とにかく十年間黙って坐
れと云われ、十年経ったら、もう十年黙って坐れと云われ、二十年経ったらもう
云わんでもよかろうと云われたという。
黙って坐ることによって、谿声山色の説法が身で聴けるところまで心を耕す。
大変に立派な学道の姿で、学ぶべきである】
...
老大師はその著書『十牛の図講話』の中で「更に参ぜよ三十年」と。
黙って十年 うら・おもて
更に参ぜよ三十年
嗚呼
■著者プロフィール
清島俊峰(本名/勝)
昭和 13 年、福岡県生まれ。熊本大学卒業。元熊
本県共済農業協同組合連合会部長。昭和 34 年、
人間禅立田英山老師に入門。現在、人間禅師家。
庵号/妙青庵。
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