クーデター後のマリの情勢について(2012年4月28日)

2012 年 4 月 28 日
クーデター後のマリの情勢について
特定非営利活動法人
サヘルの森
クーデター以前のこと
ここ数年、マリ北部ではイスラム武装勢力(主に AQMI(マグレブ=イスラム諸国の
アルカーイダ))による外国人の誘拐事件が多発して治安が悪化し、サヘルの森の活
動地であるゴッシ、トンブクトゥ、ファギビンヌ湖(いずれもトンブクトゥ州)での
活動ができない状況でした。
一方、チュニジアに始まる「アラブの春」の影響を受けたリビアで 2011 年 2 月に
反カダフィ争乱が始まり、8 月にカダフィ政権が崩壊しました。カダフィ大佐は 1970
代の干ばつから逃れたトアレグ族を支援しており、トアレグ族は大佐の外国人傭兵部
隊の中核を占めていました。政権崩壊の混乱に乗じ、傭兵部隊に参加していたトアレ
グ族は大量の重火器と共にマリ北部に戻り、10 月に MNLA(アザワド解放民族運動)
を結成しました。今回のマリの混乱は、NATO(北大西洋条約機構)のリビア介入に端
を発するとも言われています。
今年 1 月になって、北部の複数の地方都市で MNLA が政府軍を襲撃し、一部の都市
では MNLA が政府軍を追い出し掌握しました。これらの戦闘について身内の安否を心
配した兵士家族の女性たちが、政府による情報の開示や対応の改善を求めて軍の駐屯
地があるカティでデモを起こしました。このデモには青年も加わって商店襲撃や道路
封鎖なども起こり、数日間続きました。この事態を収拾するため、トゥーレ大統領は
女性代表者と会談し、対応を改善していくことで合意しました。「アラブの春」では
フェイスブックなどのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)が大きな役
割を果たしましたが、マリでも急速な勢いで普及している携帯電話が、それによって
もたらされる情報と政府の発表が大きく異なるためにこのデモを後押ししたのかも
しれません。
この戦闘に伴い、巻き込まれることを恐れたトアレグ族などの一般の人々は、モー
リタニア、ニジェール、ブルキナファソなどの隣国に 10 万人以上、マリ国内に 9 万
人以上が避難しているとされています(2012 年 4 月 3 日現在、UNHCR:国連難民高等
弁務官事務所調べ)。昨年、干ばつに襲われたマリ北部だけに、食糧事情も心配され
ます。
マリクーデターとその後の混乱
このような状況の中、3 月 21 日にマリ共和国においてクーデターが発生しました。
北部の前線に立たせられるマリ政府軍下級将校たちが、十分な武器を渡さずに兵士
を前線に送るような政府の無策ぶりに不満を持って反乱を起こし、首都バマコの国営
放送局と大統領宮殿を襲撃、占拠しました。翌日早朝、サノゴ大尉を中心とするクー
デター勢力は CNRDRE(民主主義再建・国家復興のための国民委員会)の設立を宣言し、
民政移行を前提として権力を掌握しました。
国連をはじめとする国際社会は揃ってクーデターを非難し、CEDEAO(西アフリカ諸
国経済共同体、英略称:ECOWAS)が仲裁に乗り出そうと首脳 5 名の代表団を送りまし
た。しかし、親 CNRDRE 派による空港でのデモが発生して代表団が着陸を断念し、実
現しませんでした。
その後もバマコでは、反乱兵士による略奪が起こり、CNRDRE が十分に兵士を統率し
ていないことを露呈しました。また CNRDRE に対する親、反両陣営の衝突があったり、
燃料や生活物資の値上がりが起こったりと混乱が続きました。
トアレグ武装勢力によるマリ北部 3 州の独立宣言
この混乱に乗じ、3 月 30 日から 4 月 1 日にかけて、
これまでマリ北部で政府軍と戦闘を行っていたトアレ
グ武装勢力である MNLA や複数のイスラム武装勢力
アサワド
キダール
トンブクトゥ
(Ansar Dine など)が、マリ北部 3 州の州都(キダー
ガオ
ル、ガオ、トンブクトゥ)を制圧しました。4 月 6 日
モプチ
には MNLA がアザワド(北部 3 州とモプチ州北部)の独
バマコ
立を宣言しています。しかし、協力関係にあったイス
ラム武装組織 Ansar Dine はこれを認めていません。
MNLA が主張するアザワドの範囲
また、Ansar Dine は、イスラム原理主義組織で、AQMI
とつながりがあるとされており、シャリーア(イスラム法)による統治を目指してい
ます。そのため制圧したトンブクトゥなどでは、女性にベールで顔を隠すよう強要し
たり、酒を販売するバーなどを襲撃したりしています。トンブクトゥの街からはトア
レグ族やアラブ、黒人系のソンライ族など多くの人々が他の地域へ避難しているよう
です。
マリ北部を支配している武装勢力は主義主張も異なり、既に対立も見え隠れしてい
ています。また、国際社会からは国家として承認されていません。今後の動向がマリ
全体の和平を左右するだけに注意していく必要があります。
クーデターの終息と和平に向けた動き
4 月 2 日には CEDEAO から科された外交・貿易・財政における制裁が科されました。
対外的にも孤立し、国内でもクーデターの理由の一つがマリ北部戦線の立て直しであ
ったはずが、イスラム武装勢力によって北部 3 州が掌握されてしまい、CNRDRE はます
ます窮地に立たされました。そこで CNRDRE は CEDEAO と協議を始め、4 月 8 日にトゥ
ーレ大統領の辞任、CEDEAO による制裁の解除、トラオレ国民会議議長を暫定大統領と
する文民暫定政権に権力を委譲、クーデター関係者を恩赦、40 日以内に大統領選挙の
実施することで今回のクーデターに一応の終止符が打たれました。
北部の問題に関しても、暫定政権と北部武装勢力との間で今後の和平に向けた話し
合いが始まっています。
サヘルの森の現地活動の今後
今回のクーデター発生時に日本人スタッフはマリに滞在しておらず、またマリ人関
係者についてはその後、無事を確認しています。マリ各地の現場においても今のとこ
ろ被害は発生しておりません。現在はマリと電話のやり取りで情勢を把握すると共に、
インターネットなどを利用して国内外からの関連情報の収集に努めています。
しかし、外務省からは在留邦人にマリ全土から退避勧告が出されており、日本人の
渡航については現時点では難しい状況です。マリでの現地活動に関しては、今後の大
統領選挙の趨勢、北部の情勢がどう推移するか見守り、状況が許せば現地活動再開で
きるよう準備しておきたいと考えています。
一日も早くマリの人々が安心して生活できるように、平和が回復するように祈ると
ともに、私たちにできることを考えていきます。
マリの混乱と難民の状況
アルジェリア
5,000
モーリタニア
ティンザワテン
テッサリ
93,000
アゲルホック
アザワド
キダール
アネフィス
トンブクトゥ
46,000
ブーレム
ガオ
レレ
ドゥエンザ
オンボリ
23,000
バマコ
アンデランブカン
ニジェール
モプチ
マリ
メナカ
アンソンゴ
ワガドゥグ
主な都市
イスラム武装勢力
に掌握されている
都市
25,000
リビアからの
兵士と武器の流れ
ブルキナファソ
MNLA が主張する
アザワドの範囲
コートジボワール
アビジャン
5,000
避難民の数
(4/3 現在)
クーデターとその前後の動き
2011 年以前
3/22 クーデター軍が民政移行を前提とした
マリ北部や隣国で AQMI(マグレブ=
CNRDRE(民主主義再建・国家復興のための
イスラム諸国のアルカーイダ)によって、
国民委員会)の設立、憲法の停止、国家機
多くの欧州人が誘拐される。
関の解体、夜間外出禁止令発令、国境閉鎖
を宣言
2011 年
国連、アフリカ連合など国際社会が相次い
2月
リビアで反政府闘争が始まる
3月
NATO(北大西洋条約機構)、リビアへ
軍事介入
8月
でクーデターを非難
3/27 アビジャンで CEDEAO(西アフリカ諸国
経済共同体)が臨時会合
カダフィ政権崩壊。
3/29 CEDEAO が仲裁のため首脳 5 名をバマコ
その後、カダフィ傭兵部隊にいたトアレグ
に派遣するが、親 CNRDRE 市民が空港でデモ
族兵士が大量の重火器と共にマリ国内へ
を行い、実現せず
10 月
2 つのトアレグ武装勢力が統合して
MNLA(アザワド解放民族運動)を結成
11/23 オンボリのホテルにて、フランス人 2
名が 10 人の武装集団によって誘拐。
11/25 トンブクトゥ市内のアバラジュ地区
で武装集団によってドイツ人 1 名が殺害、
欧州人 3 名が誘拐される。
CNRDRE に対する賛成派、反対派が衝突
3/30~4/1
MNLA やイスラム武装組織がマ
リ北部 3 州都(キダール。ガオ、トンブ
クトゥ)を制圧
4/2
ダカールで CEDEAO 首脳会議。
対マリ制裁発動
4/6
MNLA、アザワドの独立を宣言。
CNRDRE と CEDEAO、権力移譲と民政移管
2012 年
について合意
1/17~2 月
北部の複数の都市で、トアレグ
4/7 CEDEAO による制裁解除
武装勢力とマリ政府軍との間で戦闘。一部
イスラム武装集団、ガオでアルジェリア領
の都市を武装勢力が掌握。
事や館員を誘拐
1/31-2/2
北部の戦闘に駆り出されている
兵士家族の女性たちや青年が軍駐屯地のあ
るカティでデモ。デモはバマコ市内に広が
り、数日続く。
2/3
事態収拾のため、トゥーレ大統領は女
性代表者と会談。事態改善の約束をする。
4/8
トゥーレ大統領、正式に辞任。
4/12 トラオレ前国民会議議長、暫定大統領
に就任
4/14-15
CEDEAO 仲介によりワガドゥグで
CNRDRE とマリ政党との暫定政府成立に向け
た会合
4/15 ヌアクショットで暫定大統領密使とマ
3/21
政府の対応に不満を持ったマリ政府
軍兵士たちが蜂起。マリ国営放送、大統領
府を攻撃、占拠(クーデター発生)
リ北部イスラム武装集団と接触
4/17 元 NASA の宇宙物理学者ジャラ氏、暫定
政府首相に就任