インドの家事労働者(お手伝いさん)たち

南アジア特集(1)インド
インドの家事労働者(お手伝いさん)たち
環境・国際研究誌 2001 年 4 月号
デリー在住
新村恵美
インドの家事労働者(お手伝いさん)たちは、地方から大都市に大勢来ています。
そのお手伝いさんたちの労働条件は劣悪なものです。そんな中、ビハール州チョタナ
グプール地域出身のお手伝いさんたちは「チョタナグプル勤労女性フォーラム」とい
う団体を作って、お手伝いさんたちを支援しています。
●都市で働くお手伝いさん
とな る 職業 のリ ス トが あり 、 現在 お手 伝 いさ ん
近 年 好 調 な 経 済 成 長 を と げ て い る イ ン ド 。当
はリ ス トに 載っ て いま せん 。 した がっ て 、賃 金
然の こ とな がら そ れは 社会 に も大 きな 影 響を 与
は雇 用 者の 気持 ち 次第 でど う にで もで き るの で
えて い ます 。今 や 人口 10 億 人 中、 2 億 人 か ら 5
す。
億人 と もい われ る 中産 階級 が 生ま れ、 都 市で 核
その た め雇 用者 は 10、20 代 の「 従順 であ ま り
家族 化 が進 む一 方 、や はり 社 会変 容の 波 を受 け
反抗 し ない 」女 性 や子 ども を 、よ り求 め る傾 向
て従 来 の仕 事で は 暮ら して い けな くな っ た地 方
にあ り ます 。極 端 な例 です が、「あ る 11 歳の 少
の貧 し い人 々が 仕 事を 求め て 都市 にや っ てき ま
女。休日 な し、1 日 16−17 時 間労 働、雇 用者 は
す。
1年 に 1回 、彼 女 の両 親に 1,300 ル ピー(注 1 )
所 得 格 差 が 大 き く カ ー ス ト に よ る 階 層 社 会で
を払 う だけ 」と い うよ うな こ とも 、現 状 では 雇
もあ る イン ド社 会 では 、も と もと 富裕 家 庭で は
用者 に 許さ れて し まう ので す 。こ の少 女 は自 分
お手 伝 いさ んを 雇 うこ とが 一 般的 でし た 。最 近
では お 金を 一切 も らう こと が でき ませ ん 。全 く
は増 加 した 中間 層 から の需 要 が高 まる 中 、特 殊
自由を奪われた状態です。
な技 能 を持 たな く ても すぐ に 始め られ る 「お 手
●労働者として認められにくいお手伝いさん
伝い さ ん」 の仕 事 に就 く地 方 から の移 住 者が 大
勢います。
なぜお手伝いさんは弱い立場にあるのでしょ
な お 、「 家 事 労 働 者 」 と い う 言 葉 は 英 語 の
うか。
Domestic Workerの 定訳 です 。ま た、日 本語 で「 女
第 1 に、家事という仕事そのものの性質が、お
中」 と いう 言葉 は 「特 別な 場 合以 外は 使 わな い
手伝いさんを労働者として認められにくくして
方が い い」 とさ れ、「 お 手伝 い さん」「 家事 手 伝
います。例えば日本ではお手伝いさんを雇う家
い」とい う のが 適 切だ とさ れ てい ます(「 放 送 禁
庭は稀で、家事は家族内で分担するものですが
止用語」による)。
(実際には女性が多く負担している場合が多い
です が)、文 字 どお り 朝 から 晩 まで 、年 中 無休 。
●お手伝いさんの苦境
家事はこのようなきりのない仕事という性質を
持ち ま す。お手 伝い さ ん の仕 事 も性 質は 同 じで 、
イ ン ドの お手 伝 いさ んの 平 均的 な労 働 条件 は
特に住み込みの場合、際限なく仕事を任される
劣悪です。
ま ず 低賃 金で あ るこ と。 イ ンド には 「 最低 賃
ことが多くなります。年間を通して基本的に休
金法 」 とい う法 律 があ りま す が、 これ に は対 象
日をもらっていない人が多いそうです。雇用者
( 注 1 )1,300 ル ピ ー は 約 3,400 円 。雇 用 者 に よ っ て 非 常 に 差 が あ り ま す が 、後 述 の CWWF と い う 団 体
は雇用者に1ヶ月最低 1,500 ルピーを要求しています。
1
が休 み の日 ほど 、 お客 さん や 親戚 が訪 ね てき て
があ っ ても 、仕 事 を失 うこ と を恐 れる た めに 声
人手が必要だからです。
をあげられる人は少ないでしょう。
第 2 に、 お 手伝 いさ んは 家 庭と いう 密 室で 働
第 3 に、 法 律が 届き に くい こ とも お手 伝 いさ
いて お り、 それ ぞ れが 孤立 し てい ます 。 組合 を
んの 立 場を 不利 に して いま す 。イ ンド に は労 働
作っ て 雇用 者と 交 渉す ると い うこ とが で きま せ
者を 守 る法 律は い ろい ろあ り ます が、 お 手伝 い
ん。 雇 用者 から の セク シャ ル ハラ スメ ン トな ど
さん を 守る ため の 法律 は今 の とこ ろあ り ませ ん。
●お 手伝 いさ んの 組織
−
プ ルカ リア さん
キリスト教系の団体から支援を受けて本格的
のこと
な組 織 を作 った の は 1990 年 。お手 伝い さ んの 多
全国規模にはならないものの、インド各地に
い地 域 の家 庭を 1 軒1 軒訪 問 して 状況 を 調べ る
お手伝いさんの組織があります。その1つ、
こと か ら始 めま し た。 組織 の 拡大 や分 裂 など を
Chhotanagpur Working Women's Forum (CWWF、
へて 、現 在 CWWF は 彼女 と同 じ ビハ ール 州 チョ タ
チョタナグプル勤労女性フォーラム) は 元お
ナグ プ ール 地域 出 身 の 500 人の お 手伝 い さん が
手伝 い の女 性が 自 分の 仲間 や 支援 者と 一 緒に 作
登録 す る団 体に な って いま す 。お 手伝 い さん が
った団体です。
雇用 者 と契 約書 を 交わ す際 の 立ち 会い 、 トレ ー
ニン グ やピ クニ ッ クの 企画 、 事件 に巻 き 込ま れ
プ ル カリ ア・ ミ ンツ さん 、 現在 40 歳代 前 半 。
ビハ ー ル州 のト ラ イブ(「部 族」。イ ン ドで は「 ト
たお 手 伝い さん へ の法 的支 援 など をし て いま す。
ライ ブ 」と 呼ば れ ます )の ク リス チャ ン 家庭 に
プル カ リア さん は 今、 この 団 体の 代表 。 従属 的
生ま れ まし た。10 歳ま で学 校 に行 った 後 、い く
な響 き のあ る「 メ イド 」や 「 サー バン ト 」と 呼
つか の 職を 経 て 28 歳 で デリ ー に来 まし た。デ リ
ばれたくはない、と主張します。働く女性、
ーで お 手伝 いさ ん とし て働 き 、仲 間と 情 報交 換
"Working Women"、とし て認 識 され たい と いう 願
をす る うち に共 通 の問 題が あ るこ とを 知 りま し
いからです。
チ ョ タナ グプ ー ルと いう の はビ ハー ル 州を 含
た。
めて イ ンド 東部 の 5 州 にま た が
る丘 陵 地帯 で 、も とか らい く つ
かの ト ライ ブ が住 んで いた 地 域
です 。 森林 資 源・ 鉱物 資源 が 豊
富な た めに 、 イギ リス 統治 時 代
より 外 部か ら の踏 査や 開発 の 対
象と な って き まし た。 これ に 対
して ・ 現在 、 トラ イブ の人 た ち
は自 治 州を 要 求す る運 動や 文 化
的な ア イデ ン ティ ティ の再 構 築
に力 を 入れ て いま す。 その 一 環
とし て 9 月 初 め、 チ ョ タナ グ プ
ル地 域 の伝 統 の祭 り「 カラ ム ・
フェ ス ティ バ ル」 が、 デリ ー 市
「カ ラ ム・フェ ステ ィ バル 」 入 場を 先導 し てい る のが ブル カ リ
アさ ん。トラ イ ブ出 身 の政 治 家が この 日 のメ イン ゲ スト とし て 迎
えられた。
2
内の キ リス ト 教系 の学 校の 校 庭
折し も この 11 月、イ ン ドに 新 しく
3 州 が 誕生 し ます 。 ビ ハー ル 州の 南
部も 新 しい 州 の1 つ で 、ト ラ イブ の
多い地域が分割されます。
今回プルカリアさんにインタビュ
ーす る 際、 彼 女の ヒ ン ディ ー 語を 英
語に 通 訳し て くれ た の はド ク ター ・
カカ(Dr. XAXA)。彼 も 同地 域 のト ラ
イブ 出 身で 、 普段 は 政 府の 病 院で 医
者と し て働 き 、CWWF に ボラ ン ティ ア
1日断食した女性たちが美しいサリーを着て「カラム」
の木の枝のまわりを踊る。
とし て 関わ って い ます 。CWWF の最 終
的な目標を聞いたところ、ドクタ
を借 り て行 われ ま した 。美 し く着 飾っ た 女性 た
ー・カカは、とても明解に答えてくれました。
ちが 会 場の 中心 に 据え られ た カラ ムと い う木 の
「 チ ョ タ ナ グ プ ル か ら 都 市 に 働 き に 出 る 人の
枝の 周 りで 踊っ た り、 トラ イ ブ出 身の 政 治家 が
95% は 女性 、ほ と んど がお 手 伝い さん と して 働
民族 の 団結 を訴 え るス ピー チ をし たり 、 最後 に
く。 チ ョタ ナグ プ ル地 域の 女 性の 男女 の 数の ア
は参 加 者全 員で 踊 った りと 、来 場 者 6000 人を 越
ンバ ラ ンス は深 刻 な問 題に な って きた 。 女性 た
える盛大なお祭りでした。
ちに と って も都 市 での 生活 は 苦労 が多 い 。し か
し、 だ から とい っ て彼 女た ち が故 郷に 帰
った と ころ で仕 事 があ るわ け では ない 。
私た ち の活 動の 最 終目 標は 、 故郷 に小 規
模な 産 業を 起こ し 女性 たち が 安心 して 故
郷に帰れるようにすることです」
(了)
にい む ら
めぐ み 、元 シャ プ ラニ ール
=市 民 によ る海 外 協力 の会 職 員、イ ギ
リスのマンチェスター大学修士課程
を経 て 現在 デリ ー 在住 。イ ン フォ ー マ
ルセ ク ター の女 性 労働 者に つ いて 、個
人研究を進めている
この日の来場者は 6000 人を超えた。
主な参考文献
・Armacost, N. C. (1994), "Domestic Workers in India: A Case for Legislative Action", Journal
of the Indian Law Institute, Delhi
・Widge, A. (1995), Women in the Informal Sector: Multidisadvantages of Domestic Workers",
Indian Social Institute, Delhi
インタビュー
・Ms. Phulkaria Minz, Chhotanagpur Working Women's Forum (CWWF),
3
2000 年 8 月 25 日