rasinban14.

創価学会は、何を目的として
設立されたのか
創価学会は、日蓮正宗の信徒団体として設立され
ました。
創価学会の使命と目的について、歴代会長の言葉
を挙げてみましょう。
初代会長牧口常三郎氏は、
﹁大善生活がいかにして吾々 わ
( れわれ の
) 如きも
の信心の結果であって、ただ宝の山たる大御本尊様
する﹂という言葉をさかんにいいますが、信仰の基
人の御精神を実践する﹂﹁大聖人の教えを広宣流布
あなたが執着している創価学会では、﹁日蓮大聖
思い込みによるのではありませんか。
へ案内するのが、われわれ学会の尊い使命なのであ
本となる末法の御本仏日蓮大聖人の仏法の実体はあ
宝の山にはいって宝をとるかとらないかは、その人
)
すなわち、日蓮大聖人の仏法の根幹である本門戒
りません。
る﹂ 同
( 一一三ページ
)
壇の大御本尊と唯授一人の血脈が創価学会にはない
のです。しかも創価学会は、自らの非を覆い隠すた
蓮 正 宗 を、 あ ら ゆ る 悪 口 雑 言 あ
( っこうぞうごん
)
﹁なんといっても、御本山に登り、親しく大御本尊
様を拝まなくては、本物の信心にはなれない 中
(略
今 後 も、 で き る だ け 多 く の 会 員 を 登 山 さ せ る よ う、
計画を立てたいと思っている﹂ 同
( 四九〇ページ
といっています。
代会長の言葉を受けて、﹁わが創価学会は、日蓮正
をもって罵 の
( のし っ
) ています。このような集団
めに、日蓮大聖人の仏法を正しく受け継いでいる日
宗の信者の団体であります。したがって、私どもは、
が、人びとを成仏に導く清浄で正しい宗教であるは
また、第三代会長の池田大作もかつて、初代・二
それには、仏教の極意たる妙法の日蓮正宗大石寺に
大御本尊様にお仕え申し上げ、御法主上人猊下にご
ずがありません。
のに百発百中の法則として実証されるに到ったか。
のみ正しく伝わる唯一の秘法があることを知らねば
奉公申し上げることが、学会の根本精神であると信
会と運命を共にする﹂﹁思い切った﹂と決めつけて
あなたは、仏法の正邪を深く考えることなく、
﹁学
ならぬ﹂ 大
( 善生活実証録 第四回総会報告一三ペー
)
じます﹂ 昭
( 和三五年五月三日会長就任挨拶 大白蓮
ジ
﹁どこまでも御開山上人の正しく御伝へ下された、
華 昭和三五年六月号七ページ
創価学会が日蓮大聖人の仏法を正しく信仰する日蓮
うのか、この大きな違いをよくかみしめ、今一度、
それとも業火に焼き焦がされる地獄の苦しみを味わ
いますが、あなたが安穏な成仏の境涯を味わうのか、
正宗の信徒団体として出発し、御法主上人の御指南
)
)
︵2︶
とあるように、いかなる法難に遭っても、即身成
御
( 書一三九七ページ
此 こ( の) 大難に値 あ( ふ) とも後生は仏になりなん﹂
そ れ は、 こ の 御 文 の 前 段 に、
﹁我等現 げ
(ん に
)は
切ってしまえばよい﹂という意味ではありません。
という御文がありますが、これは﹁見境なく思い
もい切れ﹂ 御
( 書一三九八ページ
﹁ただ一えんにお
ち な み に、
﹃ 聖 人 御 難 事 ﹄ に は、
冷静に考えてみるべきです。
あなたが、学会と運命を共にすると決めたのは、
宗門と創価学会の問題が起き
た当初はどちらにつくべきか
悩んだが、今は学会と運命を
共にすると思い切った
に随順して信行に励んできたことは明からです。
と述べていました。
これら歴代会長の言葉からも、
)
日蓮正宗大石寺の御法義に従ひ奉って﹃自行化他﹄
の大善生活をなし、国家教育の革新に貢献したい﹂
大
( 善生活実証録 第五回総会報告五ページ と
) 述べ
ています。
第二代会長戸田城聖氏は、
﹁日蓮大聖人様から六百余年、法灯連綿と正しくつ
づいた宗教が日蓮正宗である 中
(略 こ
) の仏法こそ、
私たちを真に幸福に導いてくれる宗教であること
)
を、
私たちは日夜身をもって体験しているのである﹂
戸
( 田城聖全集三 ー一一一ページ
迷っている人があれば、車に乗せて大御本尊様の御
仏法の道理や正邪によるのではなく、偏った情報や
﹁ 私 た ち は 無 知 な 人 び と を み ち び く 車 屋 で あ る。
もとへ案内していくのが、
学会の唯一の使命である。
創価学会の皆さんへ
14 号
)
仏の正法を迷うことなく信仰し貫くことを教え
られたものなのです。
れ天台未弘 み
(ぐ の
) 大 法・ 三 大 秘 法 の 随 一・
間地獄に堕ちることは疑いないと厳しく戒めら
仰に励んでいたのでしょうが、現在の創価学会
あなたは、以前には日蓮正宗の信徒として信
れたものです。
)
本門戒壇の御本尊の御事 お
( んこと な
) り﹂ 文
(
段二八九ページ
﹁此の本尊は広布の根源なり﹂ 同
( 二九〇ペー
て、昼夜の別なく折伏に尽力してきたことによ
れは、多くの学会員が広宣流布の実現をめざし
す折伏布教に大きな成果を挙げてきました。こ
て日蓮大聖人の仏法を宣揚し、広宣流布をめざ
年までの約五十年間、日蓮正宗の信徒団体とし
創 価 学 会 は、 昭 和 十 二 年 の 発 足 以 来、 平 成 三
す。すなわち、日蓮正宗を離れて真の広宣流布
と護持伝承 ご
( じでんしょう さ
) れているので
代上人によって、日蓮正宗総本山大石寺に厳然
いうまでもなく、本門戒壇の大御本尊は御歴
ご教示されています。
本尊こそ、広宣流布の根源であることを明白に
尊を弘宣 ぐ
( せん す
) ることであり、この大御
と仰せられ、広宣流布とは本門戒壇の大御本
て堕地獄の厳罰を被ることになるのです。
ないのですから、功徳がないばかりか、かえっ
弟相対の信心ではなく、信心の血脈が流れてい
尊を心に念じて勤行をしても、それは正しい師
団になったのです。
り果てました。まさしく師弟子の道に狂った教
を犯して日蓮正宗の教義信仰に背く邪宗教にな
は日蓮大聖人以来の血脈を否定し、数々の謗法
﹁死んだ先のことなど考えていない﹂などとい
るものであり、この仏道精進によって、個々の
はあり得ないのですから、広宣流布のために生
ジ
うあなたは、日蓮大聖人の仏法をまったく理解
会員は大きな功徳を受けることができたのです。
きてきたあなたにとって、日蓮正宗から離れる
若 い 頃 か ら﹁ 広 宣 流 布 ﹂ の
た め に 戦 っ て き た。 創 価 学
会 を 辞 め る こ と は、 い ま ま
での人生を否定することに
なる
していません。
しかし、平成二年の池田スピーチに端を発し
)
と、死後の成仏を心がけることこそ大切であ
た創価学会の宗門への背信行為と、それを改め
﹁創価学会では成仏で
き な い ﹂ と い う が、 自
分は死んだ先のことな
ど考えていない
ると教えられています。また、
あなたは﹁成仏﹂
ない池田の執念にもとづく指導に盲従したこと
慎みても慎むべきは来世なり﹂ 聖
( 愚問答抄 御
書四〇〇ページ
)
いうあなたは、長い間すべてをなげうって信心
﹁若い頃から広宣流布のために闘ってきた﹂と
ました。
る人や、血脈の大事を知らずして、日興上人以
中に、﹁自分は大聖人の直々の弟子だ﹂と名乗
第二祖日興上人の御在世当時、佐渡の信徒の
と御教示されています。
じしょうぐき﹀
﹄に、
この御文は、同じ南無妙法蓮華経を唱えたと
と御教示されています。
﹃折伏教本﹄より抜粋
したがって、あなたがいかに総本山の大御本
という言葉を誤解しています。成仏とは、臨終
によって、創価学会に所属する者はすべて日蓮
﹁ 恐 れ て も 恐 る べ き は 後 世、
日 蓮 大 聖 人 は、
や死後のみをさすのではなく、現世のみならず
正宗の信徒ではなくなりました。このことは、
ことは、自分の人生を否定することになるのです。
来世においても崩れることのない絶対的な幸福
宗門にとっても、広宣流布のために努力してき
時は生 し
( ょう の
) 仏、今は死の仏、生死とも
に 励 ん で き た も の と 思 い ま す。 し か し、 あ な
外の人を師匠とする人がいました。
創価学会に籍を置いている
が、今でも大石寺の大御本
尊 を 念 じ て 勤 行 し て い る。
それではいけないのか
に仏なり。
即身成仏と申す大事の法門これなり﹂
たがめざした﹁広宣流布﹂とは、日蓮大聖人の
﹁この法
日 興 上 人 は こ れ ら の 信 徒 に 対 し て、
﹁いきておはしき
こ の こ と を 日 蓮 大 聖 人 は、
﹁死んだ先のことなど考えていない﹂といって
正法をもって不幸な人びとを救っていくことで
門は、師弟子をただして仏になり候。師弟子だ
)
も、あなたは、三世にわたる生命論や未来の成
あって、創価学会の組織の拡大とか、自分の名
にも違い候へば、同じ法華を持 た
(も ち
) まい
上
( 野殿後家尼御返事 御書三三六ページ
仏を否定しているわけではないでしょう。にも
誉のためのものではなかったはずです。
ら せ て 候 へ ど も、 無 間 地 獄 に 堕 ち 候 な り ﹂ 歴
(
て、宗門から﹁創価学会は間違っている﹂と指
﹁今末法に於 お
( い
) て は、 必 ず 応 ま
(さ に
)
しても、唯授一人の血脈を所持される日興上人
蓮大聖人が説かれる即身成仏の法門に照らし
摘されることから逃れたいためでしょう。あな
文底深秘 も
( んていじんぴ の
) 大法広宣流布す
を師匠として、その御教導に従わなければ、無
)
たが大事に考えている現世の幸せはもちろん、
べし 中
(略 文
) 底 深 秘 の 大 法、 其 そ
( の
) 体如
全一ー 八三ページ
未来永劫の幸せは、正しい仏法である日蓮正宗
何 い
( か ん 。) 答 う、 即 す
( なわ ち
) 、是 こ
(
第 二 十 六 世 日 寛 上 人 は、
﹃ 撰 時 抄 愚 記︿ せ ん
かかわらず、あなたがそのようにいうのは、日
た学会員にとっても、じつに不幸な結果となり
境涯を築くことです。
)
の教えを信仰しなければ得られないのです。