平成24年年頭に当たり

平成24年年頭に当たり
会長
長谷川
徹
明けましておめでとうございます。
IMC会員及び会友の皆様方におかれましては、ご家族揃って恙無く穏やかにお正月を
過ごされたことと拝察いたします。
昨年は東日本大震災や福島原発事故等大きな災害・事故があり、日本人全員が人間とし
てのあり方に想いをめぐらした年ではなかったかと思います。被災された方々や間接的に
被害を蒙っている人たちにはつらい一年となりました。職を失い、家を失い、土地を失い、
色々大切なものを失い、これからの長い人生について振出しあるいはマイナスからのスタ
ートとなってしまい、その大変さについては言葉もありません。一方、今年は社会のあり
方、資本主義が問われる年にもなるのでしょうか。国家が投機家によってコントロールさ
れてしまいかねない状態から如何に脱却して行くのかが問われる年となってゆくのかもし
れません。一握りの働かない人に金が集まるマネーゲームに、人間は如何に対処していこ
うとしているのでしょうか?
昨年一服の清涼剤を与えてくれたのは、物事をGNHで判断するブータンからの国王夫
妻の来日でした。またNHK‘サイエンスゼロ’で「日本の海洋面積は世界第 6 位の広さ
があり、金・銀・銅・亜鉛・鉛・・・レアアース等鉱物資源が豊富に存在する熱水鉱床が
多く分布している」という明るい情報の提供もありました。日本の未来は明るいか?
今年は良い年であることを皆様とともに祈念したいと思います。
1 月 14 日の高尾山新年山行は 22 名が参加され、賑やかに H24 年の活動がスタートいた
しました。昨年は女性を含め 9 名の新メンバーの方々が入会され、会がますます発展活性
化されてゆきますこと、誠に喜ばしいことと思います。
今年のクラブ山行は 20 周年記念山行(10 月予定)や環境登山、忘年山行を含め 36 の山
行が予定されています。北アルプス・南アルプスの高山や花の山も沢山企画されています
ので、奮って参加されますようお願い致します。
今年も全てに優先して、安全登山を心掛けて頂くようお願い致します。山に登ることは
常に危険と隣り合わせであり、そのリスクを回避するよう常に心がけてゆかねばなりませ
ん。①スケジュールに無理はないか
②装備は充分か
③体調管理は出来ているか
④事
前の情報収集は充分か等常に問いかけチェック願いたい。
本年は例年と同じく安全登山に関する勉強会、パソコン勉強会を実施するとともにIM
C創立 20 周年にちなみ下記施策を企画しています。
-1-
1.記念山行の実施
10 月に実施します。日時、場所については、近々お知らせいたします。ご家族揃ってご
参加くださるようお願い致します。
2.会報の”20 周年記念特集号“発行
皆様の積極的な投稿を期待しています。
3.IMC-HPへの投稿マニュアルの作成
山行計画、山行報告書及び写真のスライドショー投稿マニュアルを 現在住吉さんをヘ
ッドに荒井、小田、小川、海堀、川嵜、杉山さんの皆さんに作成を依頼中です。完成の
暁には全ての会員が写真スライドショーを含め投稿できるようになります。ご期待くだ
さい。
4.オープン山行の企画
会員勧誘の一助として、7 月尾瀬ヶ原~至仏山、8 月白馬岳山行をオープン山行として、
IMC 会員以外の光友会員にも参加を呼びかけ実施することとしました。
以上今年は 20 周年ということもあり、大変盛りだくさんの計画となっています。会員の
皆様のご協力をよろしくお願い致します。
平成 24 年 1 月
今年も無事故で楽しい山行を!!
-2-
小沼英夫
百の山の名前も場所も知らず諸先輩につれられて歩きしうちに知らぬ間に完登と相なり、
平成の二十と三年神無月四日に乗鞍の頂きにて瀬尾先輩持参下されしワインで数多なる山
友共に祝杯を揚ぐこととなり、IMC 七番目の百山クライマー入りとなり、感激一入なり。こ
れ偏に IMC に席なかりせば成就せざることとお礼の言葉もなきほどでございます。只々山
歩きが好きで始まれば、達成の目標もなく、歳月は半世紀越えの長きに及び時の流れに逆
らえず、手足の動き鈍さ増し、記憶も遠くなりしあれば、この辺りで、薄れゆく思い出を
書きとどめ置きたしと思い立ちてしたためし雑詠なれば、お目もじわずらわすも恥ずかし
き限りで、未熟なること平にお許しのほど御願い申し上げ□。重ねて、お許しいただけれ
ば、御仲間の一員として今の後とも末長ごうお引回しのほど願いとうござい□。
[1 苗場]
*今は亡き友と遊びし苗場やまセピアの写真一枚残る(松崎君)
*半世紀経ちて変わらず池塘ある苗場を降りて赤湯を過ぎる
[2 魚沼駒]
*故郷は3mの雪の下魚沼三山如何に在りしか
*かの辺り十と七つのわれをしる駒八海に中の高山
[3 久住]
*牧ノ戸のミヤマキリシマ眺めつつ久住を巡り下る法華院
[4 大山]
*伯耆富士弥山を越えて剣が峰共に歩きし友今は亡く(栗崎君)
[5 富士]
*登り来て富士の高根で見下ろせば眼下の里に花火開くを
*富士の嶺寒さに赤き指先でダイヤル回す母思いの子は
*剣が峰古希の祝いに登り来て記帳済ませしOBの笑顔よ
*富士山の郵便局に駆け込みて消印ねだるおさなき女子
[6 浅間山]
*おだやかな姿車窓の浅間山豹変するは滋野(しげの)の辺
*前掛けの穴を覗けば荒々し肌に小さき虹掛る見ゆ
[7 宮之浦]
*屋久島の四月というに宮之浦みぞれとなりて歩を速め行く
*みぞれ濡れ口紫の単独行山越え無理と共に下りぬ
*縄文の遥か昔に生を受け風雪耐えて杉ぞ凛々しく
*屋久島や飛ぶが如くに枕木を白谷雲水目指すわれらは
[8 雲取山]
*雲取は都の山の最高峰三峯に入り三条を下る
*下る道ソール剥げたる人に遭い思案の後に靴を貸すなり
*雲取を出で七つ石六つ石越えの長き道奥多摩に着く
[9 仙丈]
*トンネルを幾つも通り北沢に着きて一泊明日は仙丈
*馬の背を越えて立つ仙丈小仙丈を巡りて降りる峠に
*初めての南アルプス千丈は忘れ難きの山となりけり
-3-
[10 利尻]
*頂上直下苦しき登り皆同じこないところで休むなおばはん
*利尻山登り来たりて静かなる海原はるか樺太の島
*この山に水500ccのみで来る若者に投げてやる500cc
*沓形(くつがた)で夫倒れ居り水切れて役所を怒鳴る妻の勢い
*登り来て長官小屋を取り巻きし白きもの今無きこと願う
[11 甲斐駒]
*甲斐駒の衝撃残る思い出は水仙小屋の刺身の美味さよ
*甲斐の駒下りて来れば摩利支天飾りし多き鉾に驚く
[12 至仏山]
*頂上の岩場は狭く人多し至仏の石碑ひときわ目立つ
*頂上で忘れ難きは松尾さん沸かしてくれりコーヒーの味
[13 槍ケ岳]
*昨日見し入り日の輝き思いだし西岳に待つ清しき朝日
*朝の陽の光背に受けまなかいの谷越え峰にわが身映れり
*槍の先立ちてぞ想ういつの日か双六岳から登りてみたいと
*槍沢の残雪降りて来しなればソール破れる女子とぞ遭う
*友ありて笠の山荘後にして西鎌尾根を槍に登りつ
[14 間ノ岳]
*間ノ岳過ぎて着きたる肩の小屋今日の疲れで早や爆睡す
[15 北岳]
*我が国の二番に高しこの山は夏なお寒し空に星満つ
*農鳥を目指すあの子の生足の輝く姿脳裏に残る
[16 丹沢]
*丹沢は大倉尾根を登り来て蛭やま越えて焼山を降る
*塔の岳尊仏山荘雪積もり暖を求めてストーブ囲む(三木、栗原さんと)
[17 奥穂]
*雨強く動きも取れずただ読書ひねもす過ごす岳沢の小屋
*9 月末早やみぞれ降る鉄梯子寒さに震え山荘目指す
*昨日の空は嘘かと晴れ渡る朝陽をうけて奥穂に立てり
*空の青松の緑に地の紅葉この絵撮らむとカメラ横尾に
[18 剱岳]
*早月の尾根を登りし剱岳開山人は錫杖残す
*この道を後に帰らぬ人々を想う碑が建つ番場の口に
*剱岳頂きの岩峙ち(そばだち)て思えば今も冷や汗ぞ出る
[19 立山]
*名にしある岩場を越えて立山に目指す黒部は足元に見ゆ
*いかめしき門をくぐりて払い受け無事を謝すなり雄山の上で
*おいその格好で大丈夫か赤子抱き雄山に向かうツアーらし人
[20 鳳凰山]
*鳳凰山夜叉神薬師巡り来て辿り着きたりオベリスク下
[21 筑波山]
*筑波山神社を出でて男女体巡りて来てはつくば湯に入る
*つくば湯はビル屋上に風呂があり湯船に浸かり山々眺めつ
-4-
[22 剣山]
*頂上はほぼ一面が床張りの面白くもなき剣の山は
*ほらあすこ草のたなびく三嶺(みうね)山指呼の間にあるは次郎笈
*祖谷渓のおばちゃんの宿貸し切りで舩木氏歌う3連の泊
[23 安達太良] *安達太良は智恵子の抄と共にあり吾青春の若き脳裏に
*砂崩れ落ちる頂上につんと来る硫黄の臭い安達太良の山
*秋風にゆれる薄野ゆるり行くツアーに入りし安達太良の旅
[24 赤城山]
*黒桧から駒をば下り覚満の淵を巡れば大き歌碑あり
*忠治らも活躍せりか大洞に侠客の跡記す石碑立ちおる
*乗換えのバス停にある見晴らし湯今日の一日の反省を飲む
[25 鹿島槍]
*雪渓の針ノ木越えて爺ケ岳目交いに見る鹿島の槍よ
*おばちゃんはカメラを据えて雲中の白馬の姿待つ栂池の岸
[26 五竜]
*八峰のキレット過ぎて五竜岳凱旋の気分唐松に着く
[27 雨飾山]
*小谷(おたり)から温泉泊り雨飾山頂過ぎて小谷の湯に入る
*ワンカップ露天風呂にて飲みおれば飾りにあらず驟雨襲えり
[28 開聞]
*幾万か戦い人の行く末をじっと見詰めし頂きに立つ
*この山に登り来て見る遠き海逝きし人知る君は佇む
*足元に池田湖ひかり振り向けば支那海はるか開聞の山
*山頂は雨風強く昼食を窪みで済ます二度目の開聞
*開聞を下りて寄りし事務所にて記念の証書手渡しておる
[29 霧島]
*晴れ渡る空に届くか高千穂は遥かに遠く聳え立つなり
*韓国は溶岩い抱きそそり立ち噴火の力如何に強しか
*新燃の柔らかき肌緑して高千穂通ず道に横たう
*一年後何に怒りか新燃は噴煙上げて人を避けおる
*神宿る高千穂の峰鎮まりて長くゆるがず逆鉾立てり
*高千穂は若き二人の思いの地お龍竜馬と同い道行く
[30 両神山]
*両神は清滝泊で朝早く立ちては挑む山また山道
*八丁の滑りやすきを警し(いまし)めて坂本に向う両神の道
[31 大雪]
*夏迎え旭、北鎮、赤岳を行けど行けども花畑かな
*チングルマ、エゾツガザクラ、駒の草華を競えて道ふさぎおり
*黒だけをつづらに降りる道占めるわが物顔のトリカブト群
[32 薬師]
*霧の中かすむ薬師の祠裏赤牛からと顔出す山女
*薬師沢小屋の前なる黒部川釣りし岩魚を焼く人ぞ見ゆ
-5-
*木道を靴の音すぎるつかの間にえさ探り採る子連れ雷鳥
*小雨降るはえ松の下子は濡れて袖広げ待つライチョウの親
[33 甲武信]
*神無月もう木平から甲武信山風の寒きに小屋に飛び入る
*両破風雁坂嶺の落ち葉踏み秋空連れて西沢渓谷(にしざわ)に着く
[34 天城山]
*伊豆の奥大川さんの別荘にゆるり泊りて目指す天城を
*万二郎万三郎とゆるり越え下りし先にゴルフ場在り
[35 大菩薩嶺] *介山が命かけたる大いなる菩薩に代わる雷岩は
*残雪の大菩薩嶺標識と三角点がわれらを迎える
[36 金峰山]
*金峰山人寄せ付けぬ五丈岩なお登りゆく若者たちは
*大弛小屋から金峰小屋に帰し北奥仙丈、甲武信と回る
[37 黒部五郎] *太郎平(ひら)小屋から出でて北ノ股花の道経て黒部五郎に
*三俣の山荘二階で雨宿りケーキ付きたりコーヒー美味し
[38 水晶]
*水晶で百終わりたる81歳4年で完踏祝すワインで
*水晶の頂きに立ち驚きぬ天突く姿笠の偉大さ
[39 白馬]
*七つ湯の蓮華に見たる女人(ひと)肌に遥かに勝る白馬の眺めは
*ピアノあるホテル並みの大食堂二人きりにて白馬と向き合う
*白馬出で帰らずの剣は雨の中唐松過ぎていっきに下る
[40 木曽駒]
*上松のAコースより木曽駒の宝剣山荘に辿り着きたり
*木曽駒のこの岩山は如何にして創生されしか聞く人も無く
[41 空木]
*宝剣の頂に立ち左には千畳カール右三ノ沢
*熊沢へ極楽平過ぎ行きて空木岳越え駒峰に泊
*越百山今朝沢橋をタクシーで出て桟(かけはし)の温泉に入る
[42 那須岳]
*那須岳の三山巡り三斗小屋その煙草屋の宿に泊りぬ
*煙草屋も時代と共に変わり来て古き趣きすでに薄れし
[43 岩木山]
*岩木山百沢コース登り来て流石に立派モニュメントあり
*山男リフト使わずてくてくと下りて着きし岳(だて)の温泉
[44 八甲田]
*酸ケ湯でて大岳を経て毛無岱霧雨の中ぐるりと歩く
*雪多き冬のこの地に死す人を思い起こせり酸ケ湯に浸かる
[45 八幡平]
*久弥さん数日かけて登りきし八幡平はマイカー横付け
*古きより八幡平は景色よく歩いてみたし全山何日か
[46 トムラウシ]
*忠別を越えて間もなく雪多きヒサゴの小屋にもぐり込みたり
*残雪の薄きマーカー探しつつ辿り着きたりトムラウシ山
-6-
[47 十勝]
*赤茶色石礫の道に白き湯気十勝の山は生きております
*また一つ登り終りて振り返り望岳台から雄姿眺むる
*汗流す白銀荘の湯の元は十勝におわすマグマなりしか
[48 幌尻]
*幌尻は最難関の山にして車なければ行き着きもせず
*額平(ぬかびら)の渡渉続きで足とられ前にのめりてドボンずぶぬれ
*幌尻の頂上に立ち快晴の山並み眺め空気は美味し
*駐車場から日帰りす山夫婦那須の 60 代は飛ぶがごとくに
[49 白山]
*白山の砂防新道駆けて行く警察学校の生徒羨まし
*山越えてお花松原弥陀原黒百合の群手づかずにあり
*黒百合の香り残して中宮の温泉に入り白川に出る
[50 焼岳]
*中の湯を出で焼岳の噴火口覗けばにわか雨に濡れたり
*雨の中中尾温泉民宿はびしょぬれ二人を笑顔で迎えり
[51 笠ケ岳]
*中尾よりクリヤコース登り来て雲一つなき笠にぞ立つ
*板岩の笠の頂き立ちおりて今日一日の苦しさ消えゆ
*ぐるり見る笠の頂き風清く山々やまに時をわするる
[52 奥白根]
*丸山のシャレーを後にロープウェイ日光白根を湯元に越える
*雨の道トウヤクリンドウ、トリカブト、キオンの群生特に見事に
[53 瑞牆山]
*瑞牆の大岩在りし頂きで晴天の下ポーズカメラに
*絶壁の瑞牆に立ち眺めいるアルプスの山遥か連なる
[54 巻機]
*山菜の大盛り皿を並べたて話尽きない雲天の宿
*巻機は何処が頂上か迷うごとのっぺりとした這え松の山
[55 武尊]
*武尊への山屋もおおく泊るらし花咲温泉ロッジたかやま
*あれ至仏燧皇海に奥白根谷川見える武尊の頂き
[56 男体山]
*志津乗越より登り来て砂利多き男体山には人気少なし
*足元の中禅寺湖は波もなくただに静かに光居ります
*振り向けば男体山は大き山二荒山の鎮守の神よ
[57 吾妻山]
*五色沼巡りて着きし明月荘同年輩の人で満つおり
*いろは沼梵天の岩西吾妻巡りて着きし白布の温泉
*兼続が鉄砲隠せし白布の湯浸かりて想う越後の山々
*山形は名の通りたる肉生めばすき焼きの味居酒屋もよし
[58 磐梯山]
*紅葉燃ゆ鏡沼過ぎ高台の弘法清水は水多き場所
*頂上はガス常に舞う磐梯のその水源は猪苗代湖か
-7-
[59 蓼科]
*かのあたり北岳、仙丈、甲斐駒か、思い起こさす蓼科に立つ
*蓼科の岩の積木を創生す地下の力は今は休めり
*蓼科の頂に立ちわれ思う噴火の力如何にありかと
[60 伊吹山]
*息きらし登りて来ればじじばばの多し近くに駐車場あれば
*貧弱な日本武尊の石像が力くれるかハーブ茶多し
[61 大台ケ原] *苔むせし林の道を一めぐり食事処はなお休業中
*大蛇嵓(だいじゃぐら)鎖背にして写真撮るこれでよいのか絶壁覗き
*立ち枯れの多き姿を眺めいる神武天皇如何に想わむ
[62 大峰山]
*天川に長谷川さんの車置きトンネル弥山八経巡る
*大峰を縄張りとせし狼も今に名残す狼平
[63 会津駒]
*登山口鉄の階段立派なり山も産業と気付きし地元
*頂上の偉大な標識湿原に立つ水源の会津駒やま
[64 燧岳]
*麓なる宿すぎのやはとめどなく話が続く女将おるなり
*御池より木道続く田代越え柴安嵓(しばやすくら)よ沼山に出る
[65 朝日岳]
*大鳥の朝日受けたるダムの道暖を採りしか鏡餅遊ぶ
*釣り客多い大鳥の朝日屋は自慢の魚拓所狭しと
*泡滝のダムより入りオツボ峰以東小屋まで9時間の道
*寒江山竜門越えて西朝日足引きずりて大朝日小屋
*一夜過ぎ日の出迎える大朝日小朝日を巡り古寺を目指す
*鄙びたる古寺鉱泉準備中冷たき風呂浴びビールで乾杯
[66 飯豊山]
*川入のしゃくなげ荘は親娘して切り盛りしたりこの時期大事
*謹みて黙とう捧ぐ雪の道夕べ語りし女子逝きせば
*切合出飯豊山越え大日を巡り来たりて御西小屋入る
*天狗庭残雪多く御手洗の池を過ぎ見ゆ梅花皮の小屋
*北の股過ぎ小雨なる杁差(えぶりさし)巡りて着きし頼母木の小屋
*雪多き山と聞きおく飯豊山歩きあるきて胎内に入る
*足の松尾根口よりは車にて胎内ホテルで汗流したり
*百名中一,二を競う飯豊山ついに終りし5泊6日で
-8-
[67 常念]
*山にても芸術の香りただよえり燕主の心意気なり
*3日目で青空になりし常念に立ちて眺むる槍よ穂高よ
*この度の常念蝶で一巡す奥穂笠槍含む高地を
[68 平ケ岳]
*故郷の近くにありし平ケ岳人里離れて姿は見えず
*銀山の樹湖里の宿のおやじなりゲートを開き道を案内す
[69 草津白根] *草津なる白根の山はこまくさの多きところで友と歩きぬ
*草津の湯酸性つよくらい病も癒すと言し医師の名残る
[70 高妻山]
*戸隠のキャンプ場のバンガロー目交にみる高妻の山
*信仰の篤き人々ここに来て十三仏に引かれて登る
[71 美ケ原]
*王ケ頭(おうがとう)ホテルの裏に立ちてあり見渡す限り美しの原
*草の野の美しノ塔にロマン追うときめきの日は永久に帰らず
[72 霧ケ峰]
*車山登りてみれば無粋なるレーダーの小屋ただ立ちておるなり
*霧ケ峰お花畑の御射(みさ)やまは乙女心を射ぬく処か
[73 石鎚]
*そそり立つ石鎚の峰四国でも雪多くして寄せ付けもせず
*太古より修験の者を救い上ぐ鎖の太ささすがと想う
*石鎚は西国一の山なれば道も険しく風雨も強し
*石鎚は二度のトライで成就する友と歩きし雨風の中
[74 祖母山]
* 岡城を出でて神原(こうばる)道遠く着きにし宿は廃屋近し
*ゆるやかに泰然なりし祖母突兀(とっこつ)の傾山と対峙しており
-9-
*いにしえの神武天皇の祖母祀るその山のもと緒環(おだまき)の里
*建物も Web サイトも立派ですわれらはそこでシャワーのみ借る
[75 阿蘇]
*ミヤマキリシマ満開の高岳を火口望みて仙酔に下る
*草千里より見る阿蘇と大違い噴煙上げる峨々の山肌
[76 斜里]
*旧道を残雪進み胸八丁馬の脊登り斜里の頂上
*万丈の滝分れより雪のなき峠下りて二股に出る
[77 羅臼]
*北辺の地の涯ホテル後にして目指す三人羅臼の山を
*羅臼平(ひら)ステンレス製フードロッカー先住の主如何にか想う
*晴れたれば異国の島よ見ゆるなり羅臼に立ちて知床越えて
*羅臼岳融雪水は谷違いオシンコシンの滝にはならず
[78 雌阿寒]
*雌阿寒へ野中温泉後にして小雨降る中火口に立ちぬ
*雨に濡れやれ戻りなば入浴の交渉済ませ友は待ちおり
[79 塩見]
*鳥倉のバス停出でて辿り着く三伏小屋は雨の真夜中
*塩見小屋過ぎハイマツと砂礫道明日行く先の山々を見ゆ
*東峰にひょっこりい出まし日焼け顔北岳よりと言う女子あり
*塩見岳1000mのアップダウン疲労困憊夕食通らず
[80 悪沢]
*中岳にデポして往復悪沢は荷無しに感激歩速みおる
*悪沢で問えば答えるおばんたちバス貸切りで椹島(さわらじま)から
[81 赤石]
*荒川の小屋で加えし水重く大聖寺平ゆるり行くわれ
*陽は沈み赤石岳の標識でしばし休みて小屋にし入りぬ
*赤石を下りし谷の百間洞お変わり自由コーヒー美味し
*天井のブルーシートに水たまる兎の小屋は今日のわが宿
[82 聖岳]
*兎小屋から見上げれば霧の中急坂の上の聖の頂き
*覚悟して登りし坂は早や終り奥の聖でアルファ米食す
[83 光岳]
*茶臼小屋出でて易老を過ぎついに願い叶えり光(てかり)岩踏む
*富士の山眺めておれば訓練のヘリ降り立ちて驚かされぬる
*痩せ臑で南アルプス縦走し光を後に易老渡(いろうど)におる
- 10 -
[84 四阿山]
*雨のなか牧場事務所後にして四阿や越えて根子岳まわる
*根子岳で迷い入りしはスキー道辿り着たる夜の峰原
*峰の原ペンションリミニは親切に菅平へとわれを移送す
[85 早池峰]
*花の山頭垢離(こうべごうり)に咲き乱れ薄雪草はわれを迎えり
*チングルマ、ハクサンイチゲにイワウメも咲き競いたり早池峰の山
*コメツガもヒメコザクラもトラノオも半鐘蔓もと花花花が
[86 岩手山]
*新道は蒸し暑いよと言いし婦人(ひと)我らを抜きて汗もかかずに
*岩手山火口に並ぶ石地蔵それぞれの人生如何に在りしか
*溶岩の跡に育ちし駒の草幾万株となりし岩手よ
[87 鷲羽]
*鷲羽よりしたたり集め黒部川(くろべ)生む急流の淵黒百合ぞ咲く
*指呼に見る頂きなれど息きれて遅れて着けば友待ちおりぬ
[88 谷川]
*猛暑なり天神の道木陰なくわれバテ果ててオキの耳つかむ
*娘には格好付けて湯を沸かす小屋の前にて疲れた父は
[89 火打山]
*笹が峰から高谷池ヒュッテにデポし火打頂上ピストンすなり
*雪山の火打の山を60分往復するはちょう人なるか
[90 妙高山]
*双耳なる妙高山は急坂で足重く着く燕温泉
*その時期にまた来てみたし花多き輝きを増す妙高の山
- 11 -
[91 皇海]
*景勝の吹き割りの滝一巡し竜宮の湯でカラオケ三昧
*急坂の不動の沢のコル巡り着きし皇海(すかい)は眺望も無し
*向いなる鋸山は樹木なく十一峰の山々を見ゆ
[92 荒島]
*荒島は九頭竜川の上流の勝原(かどはら)スキー場の上にありけり
*寺参る人々多き永平寺近くにあるも寄らぬ荒島
*六月の荒島岳の頂上は風強く祠の陰で弁当食べる
[93 八ケ岳]
*何度かの八つがの峰をわがために運びてくれし友有難き
*行者小屋過ぎ中岳を巡り着く赤岳下り展望荘に入る
*横岳や硫黄山越え天狗庭跨ぎて泊る黒百合の宿
*中山の峠を越えて両天狗行き着く先は渋の隠し湯
*傷癒す隠し湯なれば音もなくこのぬるき湯に浸かりおりしか
[94 羊蹄山]
*昨年は豪雨に勝てず撤退す真狩(まっかり)の森にまたテント張る
*息きれる登りのみなり羊蹄山お鉢巡りて頂上に着く
*露天風呂前に聳える羊蹄山離れて見れば更によき山
[95 蔵王]
*晴天の空の青さを取り込むかお釜の色はとくと目立ちつ
*半世紀経ちてなお思いだす冬の蔵王と今日のちがいよ
[96 鳥海山]
*霧の中海越しの風肌に刺し鳥海は明日と鉾立に返す
*残雪の道をば越えて神詣で岩多くある鳥海に立つ
*行者だけ伏し拝みしか鳥海は雲従えてデンと構える
*古に何ねがいしか七五三(しめ)掛けの地名残りし象潟の口
[97 月山]
*月山は弥陀ケ原と湯の殿の山の中間に鎮座まします
*修験者の山にしあれば唱和する声響きたり盆近き日に
*頂上は厳かに立つ社裏見晴らしの地の中にありけり
[98 御嶽]
*そば処中山道のくるまやは木曽福島に近くにぎあう
*田の原のまだ暗き道登り来て頂上奥社に無事を謝すなり
*ずぶ濡れで飯森駅で着替えしてバス出て行けば迎え頼みぬ
[99 恵那山]
*中津川神坂(みさか)に近き萬岳荘夜満天に星は輝き
*頂上の見晴台は眺なしでも元気なり82の熟女
*リベンジの恵那山降りて帰り路温泉うれし諏訪パーキング
- 12 -
[100 乗鞍岳]
*白山も御嶽さんも眺めつつ乗鞍に立ち百を終りぬ
[101 百終え]
*百を終え親と家族と山友の感謝を記ししはがきポストへ
*山靴のひもの下までオイルやり振りかえりたり幾多の山旅
*守門岳共に歩きし父の碑に百名山の事なきを告ぐ
*ほころびたリックの背帯に問いかける山々の宿覚えているかと
*それぞれに足跡残す山々の百の輝き思い出尽きず
*願わくば何処でも見える高嶺に骨散らせよと書き遺すなり
*山入れば浮世忘れて至福なり心満たされ素晴らしかな
(2012.02.20 75 歳の春
- 13 -
記)
小沼英夫・日本百名山登山履歴
順番 年月日
和暦
座名
標高(m) 所在
2011.10.28
同行者
備考
1 1954.07.25 S29 苗場山
2145 新潟・長野 小千谷高;瀧澤文男、故・松崎修2回目;2005.07.08松尾、塚原、住吉
2 1954.08.10 S29 越後駒ケ岳2003 新潟県
小千谷高;瀧澤文男、桜井研二スニーカーで三山を縦走。豪雨で農家に泊る
3 1963.10.25 S38 九重山
1791 大分県
単独
2回目;1967.08.20妻
4 1968.08.20 S43 大山
1729 鳥取県
5 1980.08.05 S55 富士山
3776 山梨・静岡 長女(美久子/小4年)
浅間山/
6 1998.10.23 H10
黒斑山
36年同期;故・栗崎佳
2568 群馬・長野 大谷(隣人)
2回目;1969.07.25妻
2回目;1982.07長男(太朗)、甥(久喜)、
3回目;1986.08二男(日加利)、
4回目;1999.07.25成住俊二、窪田雄一郎
前掛山2011.10.24西川、長谷川、住吉、結城、小川
舩木、西川、豊田夫妻(霙 2回目;2009.05.30池田、住吉;淀川小屋→永田岳
の中、人命救助)
→縄文杉→白谷雲水峡
2回目;2002.05.12松尾、大川英宏
東京・埼玉 単独
3回目;2003.05.13西川、佐藤博→奥多摩駅へ
山梨・長野 舩木、
利尻(鴛泊→沓形コース)・礼文(スコトン→桃岩→
北海道
窪田雄一郎、西川 奮部灯台)、稚内宗谷岬5日間の旅
山梨・長野 西川
摩利支天に寄って下山
群馬県
松尾、塚原、兼重
長野県
松尾、西川、岩村
2回目;2007.08.25栗原
長野・山梨 舩木、西川
山梨県
舩木、西川
大倉登山口→塔ノ岳→蛭ケ岳泊→焼山登山口
神奈川県 西川
長野県
舩木
富山県
西川、
早月コース登る
富山県
西川、
黒部ダムへ下る
山梨県
西川、大川英宏
西川、佐藤博、大川佳伸、
茨城県
本郷精吾
7 1999.04.09 H11 宮之浦岳 1936 鹿児島県
8 1999.08.07
雲取山
2017
9 1999.10.01
仙丈ケ岳
3033
10 2000.07.05 H12 利尻山
1721
11 2000.08.23
甲斐駒ケ岳2967
12 2001.07.14 H13 至仏山
2228
13 2001.07.20
14 2001.08.15
槍ケ岳
間ノ岳
15 2001.08.15
北岳
16 2001.09.20
丹沢山
17 2001.10.02
奥穂高岳
18 2002.08.10 H14 剱岳
19 2002.08.11
立山
20 2002.09.14
鳳凰山
21 2003.03.30 H15 筑波山
22 2003.04.17
剣山
3180
3189
3193
1673
3190
2999
3015
2840
877
1955 徳島県
23 2003.06.10
24 2003.06.21
安達太良山1700
赤城山
1828
25 2003.07.24
鹿島槍ケ岳2889
26 2003.07.25
五竜岳
2814
27 2003.09.30
雨飾山
1963
28 2004.05.24 H16 開聞岳
924
韓国/霧
29 2004.05.26
1700
島山
30 2004.06.24
両神山
1723
31 2004.07.12
大雪山
2290
32 2004.07.19
薬師岳
2926
33 2004.10.16
福島県
松尾、西川、佐藤博、
群馬県
西川、佐藤博、大川佳伸、塚原、福井幸雄
長野・富山 西川、
扇沢・針ノ木→五竜→唐松→白馬駅
富山県
西川、
長野・新潟 山戸、西川、池田
雨飾温泉→雨飾→小谷温泉
鹿児島県 高田、緒方、(片岡英明氏運転)
2回目;2009.05.28西川、住吉
鹿児島・宮崎
高田、緒方(韓国岳往復)
埼玉県
北海道
富山県
山梨・埼
甲武信岳 2475
玉・長野
34 2005.05.04 H17 天城山
祖谷渓、三嶺、次郎笈。以後 単独で東赤石、笹ケ峰を
回る。石鎚は雪で二の鎖で撤退。成就社近くで転倒、顔
面傷。
バスツアー
舩木
1406 静岡県
西川、佐藤博、塚原
(高校友人)新野義久、田中六郎夫妻
2回目;2007.07.11長谷川、住吉
西川、佐藤博、本郷葉子 雲の平・高天原温泉、
瀬尾、西川、本郷葉子
高田、津出、山戸、塚原、長谷
川、吉永、村重、兼重、井戸
2回目;2011.03.06長谷川、杉山、川嵜、結城、小田
川、佐藤英樹、高橋傳、本郷
2599 山梨・長野 葉子
佐藤博、住吉、本郷葉子
大菩薩岳 2057 山梨県
36 2005.06.18
金峰山
黒部五郎
2840 富山・岐阜 佐藤博、住吉、本郷葉子
岳
38 2005.07.20
黒岳(水晶)2986 富山県
39 2005.09.04
白馬岳
43 2006.10.20
44 2006.10.21
那須岳
蓮華温泉泊→朝日泊→雪倉→白馬泊→不帰キ
レット→唐松→八方池→白馬駅
2932 長野・富山 住吉 岩木山
八甲田山
45 2006.10.22
八幡平
46 2007.07.13 H19 トムラウシ
47 2007.07.16
十勝岳
48 2007.07.19
幌尻岳
1917
1625
1584
1613
2141
2077
2052
折立→黒部五郎→三俣蓮華→水晶→野口五郎→
烏帽子→高瀬ダム
佐藤博、住吉、本郷葉子[77歳 2回目;2009.08.07長谷川夫妻、西川、住吉、海堀夫妻。
から81歳で百踏破の人に会う] 翌日長谷川、住吉、小沼は赤牛ピストン。
40 2006.08.07 H18 木曽駒ケ岳2956 長野県
41 2006.08.08
空木岳
2864 長野県
42 2006.08.24
2回目;2005.06.19佐藤博、住吉、本郷葉子
西川、佐藤博、大川佳伸、
大川さんの実家(別荘)泊。
高橋傳、住吉
35 2005.05.14
37 2005.07.19
2回目;2009.05.25長谷川、西川、住吉(韓国→新燃→高
千穂)[四国→鹿児島:長谷川車]
大田(隣人)
大田(隣人) 木曽駒→宝剣泊→空木→駒峰HY→越百山→今朝沢橋
長谷川、大川佳伸、住吉、
栃木・福島
煙草屋泊
池田、田中
青森県
長谷川、住吉、井戸川
この頃より長谷川さんの車で約60ヶ所巡る
青森県
長谷川、住吉、井戸川
岩手・秋田 長谷川、住吉、井戸川
北海道
長谷川、住吉
北海道
長谷川、住吉
北海道
長谷川、住吉
渡渉で転ぶ。
- 14 -
順番 年月日
和暦
座名
標高(m) 所在
白山
2702 石川県
50 2007.08.22
焼岳
2455
51 2007.08.24
笠ケ岳
2897
奥白根山 2578
瑞牆山
2230
54 2007.09.28
巻機山
1967
55 2007.09.29
武尊山
2158
56 2007.10.12
男体山
2486
57 2007.10.14
吾妻山
2035
58 2007.10.15
磐梯山
1819
59 2008.06.17 H20 蓼科山
2530
60 2008.06.24
伊吹山
1377
61 2008.06.25
大台ケ原山1695
62 2008.06.26
大峰山
1915
63 2008.07.04
会津駒ケ岳2133
64 2008.07.05
燧岳
2356
65 2008.07.19
朝日岳
1870
66 2008.07.26
飯豊山
2128 福島県
67 2008.08.06
68 2008.08.28
常念岳
2857
平ケ岳
2141
69 2008.09.17
草津白根山2171
70 2008.10.25
高妻山
2353
71 2008.10.27
美ヶ原
2034
72 2008.10.27
霧ケ峰
1925
73 2009.05.17 H21 石鎚山
1982
74 2009.05.19
祖母山
1756
75 2009.05.20
阿蘇山
1592
76 2009.06.29
斜里岳
1547
77 2009.06.30
羅臼岳
1661
78 2009.07.01
雌阿寒岳 1499
79 2009.08.22
塩見岳
3052
80 2009.08.24
悪沢岳
3141
81 2009.08.24
赤石岳
3120
82 2009.08.26
聖岳
3013
83 2009.08.27
光岳
2591
84 2009.10.26
四阿山
2354
85 2010.07.04 H22 早池峰山 1917
86 2010.07.05
岩手山
2038
87 2010.08.06
2924
谷川岳
火打山
90 2010.09.14
妙高山
91 2010.09.28
皇海山
92 2011.06.01 H23 荒島岳
1977
2462
2454
2144
1523
93 2011.06.14
八ケ岳
2899 山梨県
94 2011.07.02
95 2011.08.10
後方羊蹄山1898
蔵王山
1841
鳥海山
2236
月山
1984
御嶽山
3067
恵那山
2191
96 2011.08.12
97 2011.08.13
98 2011.08.26
99 2011.09.21
100 2011.10.04
乗鞍岳
西川 西川、長谷川、住吉
川入しゃくなげ荘→切合泊→御西泊→(別隊死亡事故)
→梅花皮泊→朳差岳→頼母木泊→足の松尾根口→胎
内温泉
長野県
栗原、杉山、海堀夫妻
中房→燕泊→常念泊→蝶ケ岳→徳沢
新潟・群馬 長谷川、住吉、荒井、結城
群馬県
成住、杉山
成住さんの常宿に泊る
長野・新潟 住吉
長野県
長谷川、住吉
長野県
住吉
愛媛県
住吉
長谷川車で四国から大分に岡城、臼杵見学
大分・宮城 住吉
熊本県
住吉
長谷川さんと共に尾鈴、市房、を登る
北海道
住吉
北海道
長谷川、住吉
北海道
住吉
長野県
大谷(隣人)
塩見→光まで縦走。大谷さん塩見で下山。
静岡県
単独
長野・静岡 単独
長野・静岡 単独
長野・静岡 単独
長野・群馬 大谷(隣人)
下山時に道間違い、峰原に降りた
岩手県
住吉
岩手県
住吉
馬返し→頂上→焼走りコース。駒草の大群落。
長谷川夫妻、西川、住吉、 鏡平→三俣蓮華→雲ノ平→高天原→水晶→赤牛
長野・富山
往復→鏡平(豪雨)→新穂高温泉(赤牛は長谷川、住吉、
海堀夫妻
小沼)
新潟・新潟 長女(美久子)
猛暑で英夫バテル
新潟県
住吉、小田、荒井、海堀
新潟県
住吉、小田、荒井、海堀
群馬・栃木 住吉、塚原、海堀、結城 吹割の滝見学、竜宮の湯泊、鋸山も。前日のカラオケ効く
長谷川、住吉、海堀夫妻、小田 翌日の恵那山は雨で中止。
福井県
鷲羽岳
88 2010.08.18
89 2010.09.13
備考
別当出合→白山→室堂泊→お花松原・クロユリ→
中宮温泉泊→高山
長野県
栗原
中ノ湯→焼岳(豪雨)→中尾温泉
中尾→クリヤ谷コース→笠泊→双六→西鎌尾根
岐阜県
栗原 →槍ケ岳泊→槍沢→上高地
群馬・栃木 西川、佐藤博、岩村、田中、杉山、池田、山田
山梨県
松尾、栗原、杉山、住吉、海堀、池田
新潟・群馬 西川、長谷川、住吉、
群馬県
西川、長谷川、住吉、
栃木県
大谷(隣人)
湯元温泉泊。志津乗越まで車で移送。
福島・山形 西川、長谷川、住吉 浄土原→明月荘泊→西吾妻山→白布温泉→米沢
福島県
長谷川、
長野県
西川、佐藤博、住吉、結城
滋賀県
長谷川、住吉
奈良・三重 長谷川、住吉
奈良県
長谷川、住吉
福島県
長谷川、住吉
福島県
住吉
山形県
長谷川、住吉
49 2007.08.01
52 2007.08.28
53 2007.09.22
同行者
美濃戸口→頂上→黒百合HY(杉山さんら6名と合流)→
西天狗→渋の湯
長谷川
北海道
住吉、小田
同行二人は翌朝利尻へ。
山形・宮城 長谷川、住吉
快晴
山形・秋田 住吉
前日は強風で途中撤退。再挑戦。天候曇。
山形県
住吉
岐阜県
塚原、田中
田の原→頂上→黒沢コース・飯森駅。雨。
岐阜・長野 住吉、小田 神坂峠コース
82歳のおばあさん元気。快晴。
大快晴。長谷川、住吉、妻の四人はベルグハウス泊。長
瀬尾、西川、長谷川、岩
3026 長野・岐阜
谷川車で善五郎の滝、石松庵、大王わさび田、松本城を
村、住吉、杉山、(妻)
巡る
西暦年;座数 1954(S29);2 63(S38);1 68(S43);1 80(S55);1 98(H10);1 99(H11);3 2000(H12);2 01(H13);6 02(H14);3
03(H15);7 04(H16);6 05(H17);6 06(H18);6 07(H19);13 08(H20);14 09(H21);12 10(H22);7 11(H23);9
初回同行者/座数 住吉龍教;47 西川幸男;29 長谷川徹;26 佐藤博;11 海堀進;7 塚原恒夫;7 杉山修二;6
舩木健;6 本郷葉子;6 小田憲和;5 池田鎮雄;4 大川佳伸;4 栗原賢造;4 松尾憲之助;4
- 15 -
小沼君の日本百名山踏破を祝う
成住 俊二
平成 23 年 10 月 4 日 乗鞍岳 3026m を登
り、日本百名山を踏破されました。小沼ご
答しながら歩いたこのグレートジヤーニー
は君の登山歴に輝かしい足跡を残した。
夫妻による登頂報告会(11 月 7 日於小岩焼
クラブ山行の歴史を振返ると瀬尾、舩木、
き肉店秋元)に一同集い祝盃をあげた。国
豊田、吉永君と私が日本百名山を登り、
の内外で暗いニュースが続く中で、
「なでし
第 1 の波を作ったとすれば、君は、西川、
こジャパン」同様、私達に元気を与え周囲
佐藤博、長谷川、住吉君他新入会の若手と
を明るくするグッド・ニュースであった。
IMC 第 2 の波を巻き起こした。このことは
小沼君が
後に続くメンバー諸兄をこれからも激励し
出光山行ク
続けるだろう。
ラブに入会
石鎚山では先を急ぐあまり転落し少し痛
して間もな
い目にあったが、向う見ずに突っ走る君の
い頃、窪田
気力の前に吹き飛ばされ、貴重な経験の積
君と 3 人で
重ねの一つとなった。
私の古稀記
平成 10 年に出光山行クラブに入会され
念登山で富士山に行った。これが初めて君
て以来長い間
と一緒に登った山であったが、装備もいい
①当クラブの幹事を引き受けられ、企画や
し足取りもしっかりし「タフな山男」の片
広報などクラブ運営の為、力を尽くして
鱗を窺わせていた。
頂いた。
北アルプスの笠が岳(2898m)のアプロー
②登山の方は日本百名山であろうと、日本
チは通常、笠新道か鏡平、弓折岳から登る
三百名山であろうとお構いなく手当たり
が、彼の場合は一般ルートには目もくれな
次第に登る。正に「山登りつきあいのい
いで槍見温泉、クリヤ谷から迫る。天晴と
い男」
「吹け吹けラッパでどんどん行く鉄
云う他ない。
人」でした。
平成 21 年 8 月、単独行で南アルプス 8 日
73 才にして達成した百名山の踏破は寧
間の大縦走をしている。鳥倉登山口から三
ろ遅いくらいであった。このようにして君
伏峠小屋に行くのに道に迷い 22 時到着、ス
は我がクラブ第七番目に日本百名山の登
タートでもたついたとのことだが、塩見岳、
頂を果たした。来年は当クラブ創立 20 周
烏帽子岳、小河内岳、大日影山、前山、中
年を迎えるが当時のよちよち歩きを思い
岳、荒川岳、小赤石岳、赤石岳、中盛丸山、
出すとまるで夢のようで、お目出度い限り
兎岳、聖岳、上河内岳、茶臼岳、仁田岳、
である。
易老岳、イザルガ岳、光岳を次々に踏破。
「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ」
そして易老渡に 1600m 急降下している。ル
(論語)という。私達はこれからも登山を
ートから少し離れたあの兎岳避難小屋にも
通じて、共に知を研き仁を養い クラブの
泊まっている。山男は山で寝なければなら
発展を目指していきたいと思う。
ない。山のものを食べ、山の水を飲まなけ
ればならぬ。唯独り山と向かい合い自問自
- 16 -
平成 23 年 11 月 記
小沼君、百名山登頂おめでとう
瀬尾 一太郎
小沼君、百名山登頂おめでとう。
大半を2000年頃からの約20年で登っ
小沼君とはよく山に行っているのですが、 ています。その中には小沼君のかの有名な
百名山については同行していないことに気
南アルプスの大縦走も含まれています。7
付き、百名山の最後の山である乗鞍岳にご
0歳を過ぎて体力も少しは衰えているはず
一緒することにしました。天気予報では大
なのにと敬服します。私は、海外の山のト
きな寒気が来るというので、冬山用の完全
レッキングは別として、国内の山だと3日
武装で参加。
も山の中にいると下界が恋しくなります。
ところがどうでしょう。寒気は乗鞍岳を
結構2回も登っている百名山もあるよう
避けてくれたようで、思ったほど寒くなく
ですし、私が歩いたのと全く同じコースの
何より雲ひとつない素晴しい天気。北、南、
実績をみると嬉しくなります。屋久島の横
中央アルプスから八ヶ岳、富士山までの展
断、中央アルプスの縦走、利尻・礼文等々
望が開けていました。日頃からIMC,パ
です。また私は幌尻岳で渡渉中に転んだ苦
ソコン同好会その他光友会のいろいろな同
い記憶があるのですが、小沼君も同じよう
好会の世話をしていることを見ていた神様
に転んだとの記述を見つけ笑ってしまいま
が祝福してくれたように思ったことでした。 した。しっかり濡れたことでしょう。
おかげさまで私も久しぶりに山の醍醐味を
味わわせていただきました。
今からはどのような目標を持って山に入
るのか聞いておりませんが、よく怪我をす
小沼君もよほど嬉しかったのでしょう。
る小沼君、くれぐれも注意して歩かれます
登頂直後に身体いっぱいに喜びを表してい
ように・・・。
たのが強く印象に残っています。そういえ
ていることを自覚しましょう。私自身の反
ば山頂で出会った山ガールも誘って一緒に
省事項でもありますが・・・。
ワインで乾杯し、小沼君の喜びをお裾分け
しました。
年々、体力が落ちていっ
再度、繰り返します。小沼君、百名山登
頂、おめでとうございます。
ところで、後で調べてみたら、たった1
回ですが、小沼君の百名山にご一緒してい
ることが判明しました。2004年の甲武
信岳です。このときも天気よく富士山の夕
景が素晴しかった記憶があります。
小沼君のまとめた百名山の登山履歴を見
てみるといろいろ気付きます。
私の百名山と根本的に違うのは、その期
間です。私は毎年、少しずつ登って長い年
月をかけたのですが、小沼君は短期決戦型。
- 17 -
小沼兄の百名山踏破を称える
舩木 健
百名山完登、おめでとうございました。
繰り返し、ようやく頂上である第一高点に
遂にやりましたね!
立ちました。その時の気分は、長年の夢が
貴兄がここ数年、百名山に着々と登って
かなえられただけに、文字通り最高でした
いるという話は人伝に聞いていましたが、
ね。特に甲斐駒ヶ岳の雄大な北面を間近に
昨年秋の乗鞍岳登頂で百名山登山が完結し
眺めた時の感激は忘れられません。
たとのことで、本当に良かったと思います。
2.アイヌ語で「熊を転ばした山」の意を
貴兄が1997年に退職してからあちこち
もつこの山には終始緊張しました。という
の山に登り続けていましたが、百名山をや
のも1970年に縦走途中の福岡大学の学
ろう、と一念発起したのは80座くらいを
生が、標高約1,700mの八ノ沢カール
終った2009年10月ごろだったそうで
付近でヒグマに襲われて死亡したという悲
すね。それにしては達成がかなり早かった
劇があったからです。われわれが頂上を目
な、という印象を受けています。貴兄とは
指したこの日は幸い好天に恵まれて、特に
ずいぶんあちこちの山へ行きましたね。山
熊が出てくる気配もなく、難峰といわれる
行回数では別表の通り33回、2人で登っ
カムエク(略称)の頂上をついに踏むこと
た山、並びに貴兄を含めた3~4人の小グ
ができましたね。日高山脈で幌尻岳に次ぐ
ループで登った山を数えあげますと、約5
標高をもつカムエク登頂ができたことは表
0座に及びます。実によく登ったものです。
現しようがないほどの満足感を覚えました。
登った山々の山域をみますと、北は北見山
つぎに、小沼兄との山行等で小生の感じて
地の手塩岳から南は屋久島の宮乃浦岳まで
いる彼の抜群の体力や疲れを知らない歩き
非常に広範囲に及んでいます。それらのど
振り、さらには彼の優れた性格などを箇条
の山行にも良い思い出が残っていますが、
書きにしてみましょう。
数ある山行の中から小生なりの視点であえ
1.体力がすごい
て2回分を選んでみると次のようになりま
2009年8月下旬に足掛け8日間に及
す。
ぶ南アルプスの単独縦走をした、と聞きま
1.2001年6月、登山経験豊富な青木
した。塩見岳から荒川三山・赤石岳・聖岳
さん(社外の山仲間)と3人で登った山梨・
を経て光岳までの長丁場だったようですが、
長野県境にある鋸岳(2,685m)
貴兄が小生と同年輩であるだけに大いなる
2.2002年7月、豊田兄と3人で登っ
驚きを覚えました。小生ならば3泊4日2
たカムイエクウチカウシ山(1,979m)
~3回分のところを一挙に歩き通してしま
これらの2座はいずれも「中級の上」から
ったのですから、やはり並みの体力・気力
「上級」登山者向きの難しい山である、と
の持ち主ではないな、と改めて痛感した次
いうのが共通点です。
第です。
1. 鋸岳は南アルプスには珍しく、鋸歯状
2.登りも下りも速い
の岩峰をもつ、熟達者向きの山です。当日、
一例を挙げます。2001年9月30日
両手両足を存分に動員してアップダウンを
~10月3日、上高地→岳沢ヒュッテ→奥
- 18 -
穂高岳→涸沢→上高地のコースを縦走した
自分の大事な下着を人にあげてしまうとい
時のこと。穂高岳山荘から上高地までの長
うことはなかなかできないことですから。
い道のりで彼のスピードがあまりに速く、
貴兄がその一件を書いた投書が後日新聞に
あたかも断然トップを行くマラソン選手に
掲載されましたね。
二番手がとても追いつけない、という感じ
さらに、小生にも特に優しくしてもらっ
でした。横尾でようやく追いついたなと思
た下記の思い出があります。2007年9
い、一息入れようとすると、もう出発です。
月24~25日、小生の200名山登山の
小生自身は通常ほぼ標準コースタイム通り
うちの198座目の荒沢岳に同行してもら
に歩けると思っていただけに、かなりのシ
いました。この山は鎖場と梯子が続き、1
ョックでした。
日で標高差約1,200mの登高下降をし
3.人づきあいがいい
なければならない上級者向きの山なのです
別表にあるように、小生の200名山登
が、あの日は朝から雨でした。往復約9時
山に17座も同行してもらい、大いに助か
間をかけて何とか無事に登頂を果しました。
りました。「この山に行かないか?」と小
下山してから新潟県出身の貴兄が地元の珍
生はよく声を掛けましたが、まずno.
(ノ
しい日本料理屋「浦佐ヤナ」へ案内してく
ウ)と言われることはありませんでした。
れました。魚野川のほとりに簗(やな)が
IMCのほかにも、光友会のさまざまなク
仕組んであって川魚を簗簀(やなす)に引
ラブに所属していてスケデュールが過密状
き入れて獲る現場を見学した後、厳しい登
態にあるようですが、それらを非常に精力
山を無事終えた祝杯を挙げました。加えて、
的にこなしていると聞いています。
小生が198座まで登ったことも特に盛大
4.他人(ひと)に優しい
に祝ってくれましたね。優しい一面を見る
1999年4月に豊田兄夫妻や西川兄と
ことができてとても嬉しく思いました。
宮之浦岳に登った時のことです。あの山旅
この他、上記のカムエクで小生の足首捻挫
は、東京からはるばる屋久島まで出かけた
の救急手当てを手際よく施してくれたこと
のに、登山の当日は朝からあいにくの雨で
など種々ありますが、紙面が尽きました。
した。山頂ではほとんど視界がきかず非常
以上を心からの祝詞といたします。
に残念な思いをしました。仕方なく下山に
かかりましたが、途中、ぬれねずみになっ
た単独行の男性が登って来るのを見かけま
した。大阪から来たとのことで、本人はあ
ちこちの山に登っていると言っていました
が、その雨具があまりにもお粗末なのです。
寒さで震えているようでした。貴兄はそれ
を見かねて予備の下着を彼に与えてその場
で着替えさせましたね。えらいなあ、と思
いました。他人が難儀をしているのを見て
- 19 -
屋久島
宮之浦岳で熟年登山者を救助
(IMC会報 14 号より抜粋、編集時追加)
- 20 -
小沼兄と登った山々
舩木
山行年月
暦年回数
山
98年 5月
1
10〃
2
名
他の同行者(敬称略
特記事項
御座(おぐら)山
吉永・本郷
200名山
浅草岳
西川
健
(2座)
99年 4月
1
宮乃浦岳
6月
2
田代山
10月
3
仙丈ヶ岳
10月
4
双子山・大岳・北横岳
豊田夫妻・西川
100名山
100名山
(6座)
00年 1月
1
龍ヶ岳
妻康子
2月
2
霧訪(きりとう)山
3月
3
真富士(まふじ)山
青木
4月
4
大岳山
西川・岩村
200名山
5月
5
大光山・大谷嶺・八紘嶺(はっこうれい)
6月
6月
6
7
滝子(たきご)山
小無間山・大無間山(だいむげんざん)
西川
吉永・青木
200名山
12月
8
釈迦ヶ岳
青木
(11座/累計19座)
01年 5月
1
荒海(あらかい)山・七(ななつ)ヶ岳
豊田
6月
2
鋸岳
青木
200名山
8月
3
三峰(みぶ)岳・間ノ岳・北岳
西川
100名山 2座
10月
4
奥穂高岳
100名山
(7座/累計26座)
02年 5月
1
経ヶ岳
柊原
200名山
6月
2
戸隠山・黒姫山
200名山 2座
6月
3
田代山(2回目)・帝釈(たいしゃく)山
後者は200名山
7月
7月
4
5
水ノ塔山・籠ノ塔山・三方(みかた)ヶ峰
(東丹沢 源次郎沢)
7月
6
カムイエクウチカウシ山
豊田
10月
7
竜ヶ岳(2回目)
柊原
11月
8
富士見山
12月
9
(桜島 御岳)
200名山
200名山と便宜的に
見做す。(現在も噴火中
(9座/累計35座)
のため登頂は不可能)
03年 3月
1
御荷鉾(みかぼ)山・赤久縄(あかぐな)山
西川・佐藤(博)
4月
2
三嶺(みうね)・剣山・次郎笈(じろうぎゅう)
5月
3
蒜山(ひるぜん)・三瓶(さんべ)山
(蒜山は)成住・豊田
どちらも200名山
6月
4
池口山・熊伏(くまぶし)山
柊原
前者は200名山
7月
5
芦別岳・手塩岳
豊田
どちらも200名山
8月
6
暑寒別(しょかんべつ)岳
豊田
200名山
剣山は100名山、
三嶺は200名山
(12座/累計47座)
07年 9月
1
荒沢岳
200名山
(累計48座)
合計山行回数:33回、同登頂数:48座
- 21 -
日 本百名山完登の小沼さんを語る
豊田
治
IMC会報の投稿ブログを見ると、既に
が、貴兄の素晴らしい文章の数々が今から
大先輩の成住さん他三名の方が小沼さんの
楽しみです。これを機に、次なる高みに挑
【百名山完登】をお祝いする原稿を寄せて
戦されるのではないかと期待が膨らむばか
いるではありませんか。それは、小沼さん
りです。貴兄は基礎体力がしっかりしてお
の山登りだけではない優れた業績をも讃え
られますから、まだまだ、次なる目標を掲
る素晴らしい原稿ばかりでしたね。
げて挑戦できる能力をお持ちと思います。」
この時の私の複雑な心
11 月 29 日夕刻、所用で山口県に来られ
境が。私のような者が幾らお祝いの言葉を
ていた小沼さんと四年半振りに再会、夕食
羅列しても、正に屋上屋を重ねるだけでは
を共にした折に【小沼英夫百名山登山履歴】
ないかと、正直思いましたね。
を頂きました。それを見ると、若い時代に
分かりますか?
杉山さんから寄稿の依頼があった時、些
山登りを覚えられ、勇退後に趣味の一つと
かではありますが、親交のあった小沼さん
して山登りをするための一つの手段が、
「出
の【日本百名山完登】には、お祝いの言葉
光山行クラブ」への入会ではなかったのか
を贈らなければいけないなぁと考えて、安
と想像されます〈小沼さん間違っていたら
易にお引き受けしたけれども、その折には、
御免なさい〉。私も同時期に入会したので承
未だブログを見ていなかったのです。あぁ
知していますが、以来小沼さんの活躍は皆
~「後悔先に立たず」とは、このことでし
さんご存知の通りで、山行クラブ隆盛に最
た。
も貢献されているお一人だと思いますね。
悩み考えた末、
「 小沼さんの一面をほんの
そんな小沼さんですが、以前は【日本百
少し語る」にしても、つたない言葉を並べ
名山】を目指す私達を見て、どのように思
るだけの結果になるであろうことを覚悟の
われていたのか、かなり興味深いものがあ
上で寄稿を決心した、と言うのが本音です。
りますね。少々言い難いことですが、幾分
小沼さんの【日本百名山完登】の情報は、
冷めた目で、
「あんな山登りして、本当の山
平成 23 年 10 月 6 日付の「やっと百名山が
登りと違うなあ……」とか。私の思い違い
終わりました」とのご本人のメールで得ま
かなぁ。しかし、そうでないと、次の文章
した。
につながらないんですよ。
その二日後、私は次のメールをお送りし
では、何時頃から、どうして【日本百名
ました。
山完登】を目指すようになったのでしょう
「【日本百名山完登】密かに続けておられた
か。小沼さんのことですから、何か奥深い
ようですが、遂にやりましたね。貴兄の人
動機が有る筈です。これは興味深いことの
柄を反映するように、最後の乗鞍岳登山で
一つですよね。
は六名{瀬尾、西川、長谷川、岩村、住吉、
私が勝手に思うには、人それぞれに屁理
杉山各氏、筆者追記}もの応援があったと
屈を言いますが、それは説明し難い訳の分
か、素晴らしい最終章でしたね。
からない【日本百名山】の魔力でしょうよ。
勿論、IMC会報には【百名山完登】に
老いも若きも【日本百名山】を目指すこの
関わる記事を投稿されることと思われます
時代を何と説明しますか。やっぱり魔力で
- 22 -
すよ。
いんだけど。小沼さんについては書きたい
「そんなに断定的に言うのなら、何も改め
ことが山ほどあるんだけどなぁー」
て聞かなくてもいいではないかね」
「もう皆、いい加減にしてくれって、ウン
「小沼さんだから聞いてみたいとは思いま
ザリしてるぜ」
せんか」
「私の悪い癖でね、思い切りの悪さ、決断
「それもそうだな」
力の無さと言うか、分かっているのだけど
小沼さんの【日本百名山完登】に最も貢
なぁ……」
献されたのは、
【 登山履歴】を見れば、住吉、
「結婚式のスピーチだって、長いのは一番
長谷川両氏であることは明らかでしょう。
嫌われているんだぜ」
それに両氏はIMCの活動に積極的に関わ
「もう分かったよ。いつか又書くことにし
りその維持発展に貢献されています。小沼
てと。最後に小沼さんの心遣い溢れる【日
さんも後輩の活躍も合わせて嬉しく思い、
本百名山完登】のメールの一部を無断借用、
そして感謝されていることでしょうよ。そ
掲載して終りにします」
うだ、舩木さんや西川さんも忘れてはいけ
[前略]
ない存在でしたね、すみませんでした。
〝四日に乗鞍岳でやっと終わりました〟
そうそう、IMC会員の中で最も読みや
[中略]
すく、興味深く読ませる文章を書くことに
〝IMCのメンバーが六人も応援登山して
かけて、小沼さんの右に出る人はいないと
くれて頂上で盛大に祝ってくれました。豊
私は思っています。私の妻など、大ファン
田さんと屋久島へ行ってから十数年が掛か
で会報が届くと、何時も私より先に読んで
りました。豊田さんは更に二百名山も終わ
いましたね。面白いって。
(ペーパーレス化
ったと言うのに。羨ましくもありますが、
された現在では、印刷していますが)名文
一応満足しています。一つの一寸した通過
章家ですよね。
「自戒山行有訓無訓」などが
点だとは思っていますが、次の通過点まで
最たるものですが、登山などに関する紀行
は行けそうもありませんので、この辺りで
文も一味も二味も違いがありますね。これ
方向転換せねばなりませんね〟
は物事(特に人間)に対する旺盛な好奇心、
[後略]
観察力、創造力、想像力、などから醸し出
【2012・1・31 記】
される事象を、自らの思想、哲学、信条で
もって濾過し、そのエッセンスを巧みに組
み合わせることの出来る表現力が人一倍優
れているからではないでしょうか。
まだまだ有りますよ。次は人一倍の行動
力についてですが……と。
「おいおい、長々とどこまで書き続ける積
りなんだよ。最初のあの逡巡は一体何だっ
たんだい」
「そんなこと言ったって、まだ書き足りな
- 23 -
小沼さん 100 名山登頂おめでとうございます
長谷川 徹
2011 年 10 月 4 日 3025m乗鞍岳登頂で、
平成 18 年までに小沼さんはまだ 45 座し
IMC 最高齢で 100 名山を完登されました。
か登っていなかったが、平成 19 年はすごか
誠におめでとうございます。快晴の山頂か
った。年齢 69 歳になった年でちなみに私の
らは澄んだ秋空の下、御嶽や恵那山、中央
昨年である。昨年の私は、足が頻繁に攣っ
アルプス、南アルプスその奥に富士山さら
た上にバランスも相当悪くなってきていた。
に目を転ずれば槍穂高の後ろに立山連峰・
最近 10 分ぐらいのジョギングで苦しくな
白馬が白く輝きまさに胸のすくような 360
り、体力が相当落ちたと実感しているが、
度の大パノラマが小沼さんの登頂を祝って
小沼さんはすごいスケジュールで山を駆け
くれていた。瀬尾さん、西川さん、岩村さ
巡っている。7 月 4 日に自宅を出られ、北
ん、杉山さんは所用の為その日に帰京され
海道東大雪を登られたあと住吉さんと私と
たが、畳平で待っておられた小沼夫人と小
に合流し、旭岳~トムラウシ山、十勝・美
沼さん、住吉さんの 4 名は、乗鞍高原の散
瑛岳、幌尻岳を登り(後述)7月末~8 月初に
策の後、今夜の宿のベルグハウスでゆっく
かけ健脚西川さんと白山に登り下りは室堂
り温泉に浸かり、宿からお祝いで頂いたワ
から中宮温泉への長~い道を 12 時間かけ
インで乾杯をした。ベルグハウスは、当地
て歩かれた。さらに8月末には焼岳~笠ヶ
のスキークラブのリーダーで、あのトニー
岳~槍ヶ岳を超人栗原さんとともに登る。
ザイラーや皇族の方も寄られたなかなか瀟
笠ヶ岳は、最近はめったに登る人のいない
洒な作りで、明るく感じのよい女将の存在
ハードなクリヤ谷を詰め、翌日は 5 時笠ヶ
も含め、お祝いにぴったりの宿であった。
岳山荘を出発、12 時間かけて槍の肩まで行
翌日は安曇野を散策した後帰京したが、思
っている。さすがに西鎌尾根は相当てこず
い出多い山行となった。
ったようで、栗原さんには 3 時間遅れであ
記録をたどると、小沼さんとは 2005 年 5
った。それにしても小沼さんのスケジュー
月にクラブ山行大菩薩嶺にご一緒して以来
ルは、いつも一日を目一杯歩く計画が多く
80 回の山行をともにさせて頂いた。2007
驚きである。小沼さんの肺活量が通常の人
年に 15 回、2008 年、2009 年には各 18 回、
の 80%しかなく、標高の高い山では酸素不
2010 年 9 回、2011 年 10 回一緒に登り、さ
足となる。まして 69 歳である。8 月 26 日
らに登る山は異なるが同じ宿泊所に泊まっ
に槍から上高地に下り、帰京した次の日に
た回数は 12 回に及ぶ。このうち100名山
は日光白根山山行に参加されている。この
には初夏花の季節に大雪~トムラウシ山、
年は、9 月にも 21・22 日に瑞牆山に登り取
十勝岳、幌尻岳、伊吹山、大台ケ原山、大
って返して、24・25 日は小雨の中厳しい岩
峰山、会津駒ヶ岳、朝日連峰、飯豊連峰、
場がある荒沢岳に舩木さんと苦労されて登
羅臼岳、霧島韓国岳へ、また秋の紅葉の時
り、28 日に巻機山、29 日上州武尊に登頂さ
期には、那須岳、八甲田山、岩木山、八幡
れている。10 月に入って 11・12 日に男体
平、吾妻連峰、磐梯山等々にご一緒させて
山、13・14 日には一切経山から西吾妻山ま
もらった。日高の難峰ペテガリ岳、カムイ
で縦走し、15 日には磐梯山に登るという若
エクウチカウシ山他盛夏~秋にかけても数
いとはいえない身体に鞭打ちながら超過密
多くの山に同行させてもらった。
スケジュールで踏破。身体に蓄積された疲
- 24 -
労の回復はなかなか抜けないと思われるが、
登る。すでに森林限界を超えている。天気
小沼さんはさらにハイキングクラブ、ウォ
は快晴、もくもくとのぼる火山の噴気を横
ーキングクラブ、街道ウォーキングにも積
目に 2290m 北海道最高峰の旭岳を目指し
極的に参加されているのだから驚きである。
た。避難小屋泊まりの為 3 人のザックは大
2 年後の平成 21 年 5 月 16 日~6 月 1 日
きくふくらんでいる。約 2 時間半で山頂に
にかけ四国~九州の山を巡り、6 月中旬に
到着、豊富な残雪の白い帯をまとった大雪
女峰山に登ったあと 6 月 27 日~7 月 8 日ま
の峰々、遠くに特異な山容のトムラウシ山、
で斜里、羅臼、阿寒、カムエク(途中撤退、
さらにその右奥に白く輝く十勝連峰が見渡
翌年登頂)、ペテガリで体力を使ったあと 8
せる。
月 21 日から 28 日まで南アルプス塩見岳か
ら光岳までの単独グレートジャーニーを実
行された。71 歳で肺活量のハンディがあり
ながら、シュラフ・炊事道具・食料さらに
多いときには水 3L を背負っての山行であ
る。ハードなスケジュールで、問題点はあ
ると思われるが、登りきってしまう。南ア
ルプスは一つ一つの山が大きく、登り甲斐
がある山ばかりだが、クリアーされたこと
は、小沼さんの強靭な体力と強い意志を感
じずにはいられない。さすが満州帰りの鉄
人である!
展望を十二分に堪能したあと大きな雪田
小沼さんとご一緒した山行のうち大雪連
を下る。ここからはたおやかな大雪の山並
峰、十勝岳、幌尻岳山行は、麓の富良野、
みが続く。雄大な北海道の屋根、足の踏み
美瑛の美しい風景、山上の残雪と高山植物
場もないように一面に咲き乱れる高山植物
の大群落に出会えた素晴らしい山行であっ
はみずみずしく天上の楽園を歩いているよ
た。平成 19 年 7 月8日にクマネシリ、ピヤ
うだった。高根ヶ原からひさご沼にかけて
シリ等を学生時代の友人と登ってこられた
は「神々の遊ぶ庭」と表現され、標高差も
小沼さんと旭川で落ちあい、東神楽キャン
あまりない花園のプロムナードである。こ
プ場に宿泊。このキャンプ場は広大で、バ
の日は霧雨で展望はなかったが、逆に花の
ンガロー・コテージも沢山あり、コインラ
写真に集中できた。途中出会ったのは1パ
ンドリーや清潔なトイレ、自販機も完備さ
ーティのみの静かで素晴らしい山旅を経験
れおり、隣接するホテルで、温泉・レスト
できた。
ランを利用できる。旭山動物園見学者の宿
泊も多く、土日は満杯状態で大変賑わって
いた。翌日昼過ぎ住吉さんが合流し、7 月
11 日ロープウェーで標高 1600m の姿見に
- 25 -
13 日は無風晴天の下トムラウシ山に登
り 14 日天人峡温泉へ下山した。
外でのバーベキュー。その日は暗くなって
からの食事となったが、住人は我々のみの
楽しい宴会であった。18 日はやっと予約が
取れた幌尻山荘(5 月 GW あけに予約。前
年 5 月末で×)へ向かった。小沼さん、住
吉さんは地下足袋+わらじでの渡渉は初体
験であったが、好天続きだったため水量は
比較的少なくほっとした。私はストックを
用いたが、小沼さんと住吉さんは用具に頼
らない登山スタイルを続けていたのでスト
ックを使わずに渡渉。20 回以上の渡渉のう
ち中間付近、水深が膝上になる最も深かっ
たポイントで2番目の小沼さんがドボン。
小沼さんはすれ違った女性のパーティから
2 年後 7 月 16 日強風雨の中 9 人の遭難者が
出てしまったが、晴れていれば大変楽しい
山である。東神楽のべースキャンプ場に戻
り、久し振りのレストランで少し奮発して
豪華な食事とビール・ワインで乾杯!熊に
も会わず素晴らしい山旅で話も弾み最後は
ずぶぬれになった姿を哀れみの目で見られ
惨めな思いをしたといわれているが、これ
はいつも自力歩行で頑張られる小沼さんら
しいチャレンジのたまたまの結果である。
直ぐ補助具に頼ってしまう私とは基本的に
違うのである。ただ、さすがに以後渡渉で
はストックを使われるようになった。幌尻
またまた飲みすぎてしまった?
岳を登頂されたことで、100 名山達成への
目標が明確になったと記述されている。(幌
尻岳は 48 座目)
十勝岳~美瑛岳を登った後、東神楽に別れ
を告げ、幌尻岳に向かった。途中美瑛~富
良野は観光客で道路は渋滞気味。沙流川キ
ャンプ場では食料をスーパーで仕入れ、屋
- 26 -
小沼さんとの山行はそのほとんどが住吉
また山の中でも電車の中でも見ず知らず
さんも一緒で、登山と、下山後の温泉、周
の人に直ぐ話しかけ、仲良くなる。男女を
囲に気を使わずに大いに飲み、大いに話す
問わずである。人見知りをせずあのにこや
ことが出来るバンガローでの夜等いつも楽
かな笑顔で話しかけられたら、相手も直ぐ
しい旅行をさせて頂いた。それらを通じて
乗ってしまうのであろう。また山の頂上で
感じた小沼さんの登り方の特徴はなんと言
岩があるとその上に立ちポーズ。この飾り
っても速いことである。小沼さんのペース
気のない少年のような天真爛漫さが人に愛
で歩くと脚の筋肉が攣ってしまうのでとて
される所以だろうか。
も付いて行けないが、しばらく行くと待っ
方向感覚には若干の苦手意識をお持ちの
ていてくれるので安心してゆっくり登るこ
ようで、どんどん行ってしまうので渡渉点、
とが出来る。背負うザックは小さくともい
雪田、落ち葉道、ガスの中等では注意が必
つもずっしりと重い。何が入っているのだ
要とお見受けした。
ろう。ただ昼食が遅くなると急に体力が落
これからは徐々に体力が低下するのを感
ち元気がなくなることもある。所謂シャリ
じざるを得ないと思いますが、まだまだ大
バテである。
変お元気。今後も沢山の山にご一緒したい
足が速いのと同じように諸々の準備も速
と思っていますのでよろしくお願い致しま
い。朝起きたら直ぐにコンロに点火、食事
す。
の準備に入る。テン場に付いたら、直ぐ食
事の準備。食事も速く、後片付けも速い。
パッキングも速い。どんどん作業を進める。
お見事!私は目的地に着いたら暫し休んで
しまうが、小沼さんは殆ど一休みをしない
のである。仕事振りを髣髴とさせる行動の
速さである。
氏名(敬称略)
1
2
瀬尾
一太郎
成住
俊二
達
成
年
月
日
平成 8(1996)年 7 月 30 日
〃 9 (1997)
年 7 月 26 日
百座目の山
蔵王熊野岳
美ヶ原王ヶ頭
3
舩木
健
〃11(1999)年 7 月 14 日
幌尻岳(北海道)
4
豊田
治
〃12(2000)年 9 月 28 日
槍ヶ岳
次広
〃14(2002)年 8 月 6 日
焼
岳
徹
〃21(2009)年 9 月 24 日
焼
岳
英夫
〃23(2011)年 10 月 4 日
乗鞍岳
5
吉永
6
長谷川
7
小沼
- 27 -
小沼さん百名山登頂おめでとうございます
杉山修二
小沼さんと初めて出会ったのは、丁度今
徒歩で宿泊地に向かいました。以前から小
から 30 年位前の昭和 56 年頃でした。当時
沼さんの健脚ぶりは少なからず認識してい
私は北海道製油所に勤務していましたが、
ましたが、歩行スピードがとても速く、自
昭和 55 年 4 月 1 日に起こった徳山製油所の
分の歩行ペースと全く違うことをこの時改
第二灯軽油脱硫装置の反応塔破裂事故に端
めて認識しました。宿泊地は成住さんご推
を発して、出光の技術の集大成をする為の
薦の「草津グリーンハイツ」で草津温泉街
PJ に参加して、本社製造部の一室で連日
から徒歩で約 30 分のところにあります。こ
侃々諤々の議論をしている時でした。当時
の草津グリーンハイツは林野庁のもと厚生
小沼さんは石油化学の製造部で、情報シス
施設で、当時は既に一般客も宿泊できる施
テムの担当をしていたと記憶していますが、
設に変わっていて、成住さんは以前何回か
私どもの部屋に顔を出して「何をやってる
宿泊した施設と聞き及んでいました。付近
の」と声をかけてきました。何か変なおっ
は閑静な所で、あまり大きな宿泊施設では
さんという印象を持ったのが初めての出会
ありませんが、こじんまりしていて中々感
いでした。小沼さんは石油化学の勤務であ
じの良い施設でありました。翌日施設前に
り、私は製油所勤務が長く、また出向もし
ある天狗山バス停から白根火山バス停まで
ていましたので疎遠になり、私が平成 18 年
バスで約 20 分、ウイークデーにも関わらず
9 月に山行クラブに入会したとき入会諸手
多くの観光客で賑わっていました。流石人
続き等々でお世話していただいたのが久し
気の観光地との印象を強くし、成住さんと
ぶりの再会でした。以来小沼さんとは多く
は湯釜までご一緒し、そこで別れて頂上に
の山行にご一緒させてもらいました。平成
向かったのは小沼さんと私の 2 人となりま
18 年 12 月 1 日に初めて山行クラブのクラ
した。天候は良好な登山日和で、快適な山
ブ山行に参加し、高取山・仏果山を目指し、
行でありました。残念なことは鏡池へのル
松尾さん、塚原さん、井戸川さん、小沼さ
ートが道路工事のため閉鎖されていて行け
んと 5 名で登り、良い汗を汗を搔かせても
なかったことであります。頂上までは約 2
らいました。クラブ山行で一緒に登山した
時間、100 名山の名峰にしては少し拍子抜
回数は 25 回に亘り、百名山には 5 座同行さ
けする思いでありましたが、それでも爽や
せてもらいました。特に印象に残っている
かな汗をかき頂上でゆっくりと360度の
山行は、平成 20 年 9 月 16~17 日に一緒に
パロラマを満喫したいと思って腰を下ろし
登った草津白根山であります。この時はク
かけたところ、
「サー下ろう」との声に唖然
ラブ山行の割には参加者が少なく、現会友
とした思いでした。私の山行への思いは、
の成住さんと小沼さんと私の 3 名の登山で
多くの山に登ることが目的ではなく、苦し
した。登山前日、小沼さんと私は草津に早
い思いをしてやっと登りつめた頂上で、ゆ
目に到着したので、草津の温泉街を散策後
っくりと大自然の雄大な景観を満足のいく
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まで堪能することでしたが、その時はその
小沼さんと一緒に山行に行くと安心して
価値観と全く相反する局面でありましたの
登山を楽しめます。特にリーダーの時はそ
で、大変印象に残った山行として今でも懐
の喜びはひとしおです。リーダーはパーテ
かしく思い出されます。
ィーの安全登山を最優先して計画し、そし
て行動を心掛けますが、下山後の恒例とな
っている反省会に頭を悩ませることが多々
あります。特に下山場所に適当なところが
ない場合はそうであります。その時小沼さ
んがご一緒の場合は安心しておれます。不
思議にお酒のある場所を手際よく嗅ぎ分け、
迷うことなくパーティーを案内してくれる
のです。小沼さんの本能とも察せられる稀
にみる特技であります。
現在は山行クラブの事務局で新入会員の
お世話から総会の諸々の諸事項を手際よく
小沼さんの百名山踏破の経緯を拝見しま
処理し、後輩のよき相談相手として、また
すと、現役時代は6座しか登頂しておりま
先輩としての良き手本として活躍していた
せんが、残り94座は勇退してからの登頂
だいています。光友会の他のクラブにも参
であり、勇退後いかに精力的に活躍したか
加されていると聞いていますが、なるべく
が伺われます。良い友人に出会ったことも
山行クラブへのウエイトを多くして頂いて、
そのようなことを可能ならしめた要因はあ
今後も山行クラブ運営と後輩の指導をお願
るにしても、
「鉄人小沼」といわれる所以も
いすると同時に、新たな挑戦に向けて活躍
そこにあるのでしょう。100名山最後の
していただきたく思っています。最後にな
登頂となった乗鞍岳に昨年の10月4日ご
りますが、改めて100名山登頂達成誠に
一緒しましたが、麓までは奥さんがご一緒
おめでとうございます。
されており、初めて奥さんにお目に掛かり
平成 24 年 1 月 17 日記
ました。とても穏やかな方で、小沼さんの
一面をサポートしてくれ、この方なくして
は100名山登頂の達成は不可能であった
だろうとの印象を受けました。乗鞍岳山頂
では達成の喜びを全身で表現してくれたの
は小沼さんのまた別の一面に会えたような
気がしました。達成最後の場面にご一緒で
きたことを感謝しています。
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山
頂
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岳
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【那
須
岳
】
【那
須
岳
】
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場
山
】
幸
男
自著「山巓に憩いあり」出版のその後
舩木 健
題記の著書を出版したのは平成22年4
は同団体から、「貴著」はその選考を通過
月15日であったから、爾来、本日(8月
した、というお知らせが来たことを言う。
15日)まで1年4ヶ月が過ぎ去った。発
嬉しかった。この調子で7月9日に行われ
行部数は1,000冊(うち、著者と出版
る第二次選考会もパスしてくれればと祈る
社の取り分は150冊)。残り850冊を
ような気持ちで結果を待った。だが、結果
全国的に発売し、当初は好調な滑り出しを
は落選。候補作品120点が10点に絞ら
見ることができた。このことは今年4月発
れたのだから無理もないか。わずか4~5
行の「光友會会報」64号にも記載した。
日の儚い夢であった。ただ収穫はあまたの
ありがたいことに、IMC 会員の20名近い
自費出版物の中で自著の位置づけが何とか
皆さんにも本書をお買い上げ戴き、販売に
判ったことである。
一段と弾みがついた。(本来ならば、会の
最後に現状をひと言。昨春発売当時はま
皆さんに1冊づつ進呈したいところであっ
ずまずの売れ行きだなと感じていたが、こ
たが、それは叶わず、有料で、という無理
こへきて残念ながら陰りが見えるようにな
なお願いをしてしまい、とても恐縮してい
った。現時点で、文芸社の倉庫にはまだ2
る。)読後、会の皆さんから e-mail や温
40冊ほど在庫があるので大変だ。何故売
かい感想文をしたためたお手紙を頂戴し、
れ行きがパタッと止まったのだろう。その
非常に感激した。
理由を自分なりに分析してみると、次のよ
この出版に関して、去る7月7日につぎ
うになろうか。
のような朗報が届いた。前置きが長くなる
1.著者である私の知名度が低く、登山を
が、お許し戴きたい。実は、1996年に
しない一般読者は本屋で手に取りにくいの
設立された「NPO 法人日本自費出版ネット
だろう。
ワーク」という団体があって、ともすると
2.山行の足取りを示す地図がなく、文章
埋もれがちな自費出版物に光を当てて優れ
だけではいまひとつ物足りない。
た作品を掘り出そうとする催しが、年1回、
3.交通手段を使ってできるだけ山中深く
同団体によって行われている。第14回に
入るという最近の登山方法に、私の登り方
当たる今年度分の募集が昨年11月1日か
はそぐわないのではないか。
ら始まった(締め切りは本年3月末)。私
4.新聞紙上での広告宣伝をしていない。
はとても良い催しだと思い、早速11月初
それはともかく、もうひと頑張りもふた頑
旬にその個人誌部門に応募した。運良く部
張りもせねば、と
門賞が獲得できれば最高だが、という淡い
気ばかり焦る今
期待を抱きながら。
日この頃である。
第一次選考が本年4月はじめから6月末
{完}
にかけて行われたが、前述の朗報というの
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