我々と共にいるのは誰?

2016 年 12 月 1 日(関)
『我々と共にいるのは誰?』
マタイによる福音書1章 23 節
済美高等学校
宗教主事
西島
麻里子
済美高等学校の 12 月の聖書の言葉は、今日皆さんと一緒にききました聖書の言葉です。私は、
済美高等学校の宗教主事と聖書を教える教員の他に、高校 1 年生普通科 34 名の担任をしていま
す。今日もこの様に済美高等学校の卒業生たちが本日の礼拝に参加していますが、昨年までは保
育科の担任をしていました。
さて、3年ぶりに 1 年生の担任になって感じたことは、入学後の早い時期に個人面談をした時
に、中学校の人間関係に苦労した人が増加しているのかな、という事でした。そして、学校に通
うのが楽しいと思えない人が、勉強や部活動で良い結果を出すことはできないと思いました。そ
こで、私は 1 年生の担任になっての方針として「とにかく学校に来て遊ぼう、楽しもう。授業は
頭を使う遊び、友達とはおしゃべりをしたり、ケンカをしたり、遊ぶために出会ったんだよね!
でも、高校生だから、大人の社会に通用する楽しみ方、遊びが大事!」と生徒に話し、<学校で
遊ぼう、楽しもう>という事にしました。そして、4 月から 12 月まで、体育大会があったり学
校祭があったり、もちろんケンカもしたし、いろいろなことがありました。LHR で議論もしたし、
テスト前に教え合ったり、担任から授業態度が悪いと雷を落とされたり、とにかく皆でいろいろ
と学校で遊びました。その結果、勉学の成績は・・・と言いますと・・・実は中学校時代にこん
なに勉強をしたことはなかった、だからいい点数が取れた!!という結果が出ました。
この結果を考えると、私たちは<誰と一緒にどんな風に過ごすのか>そして、<一緒に過ごす
人に対してどのように考えているか>という事が大事なのではないかと思います。私たちは、一
緒に過ごす人に対して、時にはケンカをしても信頼が持てるように過ごし、いろいろな事に一緒
に取り組み、向き合う中で信頼を深められたら、私たちは自分の持つ力をたくさん発揮できるよ
うになる、ということではないでしょうか。
12 月の聖書の言葉は私たちにイエス・キリストはインマヌエルと呼ばれる。インマヌエルと
は「神は我々と共におられるという意味である」と語ります。
皆さんは中部学院大学でキリスト教に出会いました。キリスト教では、次の詩のように神の存
在を語ります。少し長いですが、朗読します。
あしあと
ある夜、わたしは夢を見た。
わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。
このことがいつもわたしの心を乱していたので、
わたしはその悩みについて主にお尋ねした。
「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、
あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、
わたしと語り合ってくださると約束されました。
それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、
ひとりのあしあとしかなかったのです。
いちばんあなたを必要としたときに、
あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、
わたしにはわかりません。」
主は、ささやかれた。
「わたしの大切な子よ。
わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。
ましてや、苦しみや試みの時に。
あしあとがひとつだったとき、
わたしはあなたを背負って歩いていた。
マーガレット・F・パワーズ
この詩から学ぶことは何でしょうか。それは、私たちは苦しい時や悲しい時に 1 人で悩んでい
るわけではなく、実は私の気持ちを理解してくれる人や神と言われる存在に支えられているの
だ、という事です。どうぞ、皆さんの人生に対する<信頼>というものを持ってください。そう
することによって、周りの人への眼差しが私たち自身の中で変わってくると思うのです。私の周
りには敵や嫌な人たちばかりがいるわけではありません。私たちを理解し、支え、背負ってくれ
る信頼できる人たち、神がいます。大学生の皆さん、いつか社会に出ていくときに、この考え方
を生かしてください。皆さんを待っている人たちが社会にはたくさんいます。そして、後輩たち
が社会にデビューした時は、皆さんが後輩たちを支えてください。このようにして、お互いに支
え合い、お互いの力を十分に発揮していきましょう。
掲載元:中部学院大学・中部学院大学短期大学部_チャペルアワー