OYS002002 - 天理大学情報ライブラリーOPAC

『天理大学おやさと研究所年報』 第 20 号 2014 年 3 月 26 日発行
論文
海外伝道における外国語の必要性をめぐって
森 洋明 要旨
天理教が海外での伝道活動を始めたのは明治 26 年とされる。明治 29 年に発令され
た内務省訓令によって国内での布教活動が制限される中、海外に道の新天地を求め、
韓国や中国、東南アジアやアメリカなどを目指し、多くの教友が海を越えて布教伝
道に出るようになる。
海外での伝道に対して外国語の習得が不可欠と痛感した中山正善二代真柱は、大
正 14 年に天理外国語学校を設立する。海外伝道師の養成をその第一の目的としたこ
の学校は、その後多くの布教師を海外に輩出するようになる。昭和 24 年に改編され
て大学となるが、その建学時の精神は、今日に至るまで受け継がれている。
ところが、海外伝道には外国語の習得が不可欠であると言われる一方で、ことば
を介さなくてもおたすけはできるという声も少なくない。そこで本稿では、海外伝
道における外国語の必要性について改めて検証していくものである。
先ず伝道とは何かを確認した上で、実際に展開される伝道活動に対して、ことば
の問題がどのように生じてくるのかを、筆者が関わっているコンゴ(共和国)伝道
の歴史を振り返りながら考察していく。ことばの必要性だけでなく、活動に応じて
必要とされることばのレベルについても明らかにしていきたい。また、海外伝道を
推進していくのに当たって、国際語としての地位を確立した英語に対する考え方を
視野に入れつつ、どのような外国語が必要とされ、その習得に当たっては、どのよ
うな教育のあり方が求められるのかについても考えていきたい。
【キーワード】天理教、海外伝道、言語、グローバル化、外国語教育
1.はじめに
伝道宗教とは、丸川仁夫によれば、「民族の勢力とかあるいは氏族の勢力の消長と
かに関係なく、宗教の本来の使命として、自分たちの宗教は世界万民の救いのために
あるのであり、当然世界の人々に自分のこの教えを伝えていかなければならないとい
(1)
う使命を自覚し、且つそうした活動をしている宗教である。」とある。「世界一れつを
たすけるために天降った」と教祖の口を通して発した天理王命を拝する天理教は、い
うまでもなく伝道宗教であり、それはまた、教祖が「ひながた」として後世に残した
50 年にわたる道すがらを通しても明白なことである。
─ 25 ─
ただ一言で「伝道」といっても、何をして「伝道」ということができるのか、またど
のような活動をすることがを伝道活動だと捉えるのかは、伝道の定義や伝道に対する
考え方、あるいは個人の「おたすけ観」によって異なるかもしれない。したがって、
伝道活動といっても、現実問題としてその形態はさまざまであろう。たとえば、一軒
一軒を回る戸別訪問や拍子木を打ちながらみかぐらうたを歌って練り歩く神名流し、
また人通りの多い場所での路傍講演といったような、直接的に未信者や大衆に働きか
ける機会を伝道活動というなら、病む人におさづけの理を取り次ぐことも伝道活動だ
ろうし、また悩める人の相談にのることも伝道の一環だといえるだろう。あるいは、
直接的な教えの伝達がなくても、「天理教」あるいは「天理」の名の下に、教育活動
に携わったり、日本語や華道、茶道といった文化活動を行うこと、また難民や被災民
のための支援活動や災害救援活動も、伝道活動といえないことはないだろう。スポー
ツの分野においても、「天理」の冠をかぶって全国大会や国際舞台で活躍することは、
よく「にをいがけ」と評価されることでもあり、広い意味で伝道活動とみなすことも
できるだろう。
つまり、一言で伝道といってもその実質的な形態は千差万別である。伝道における
ことばの問題を考える時、このような現実を看過することはできない。日本という国
で生まれた天理教が日本国内で布教している間は、たとえ方言や特殊な表現といった
次元でのことばの問題があったとしても、それが決定的な問題に発展することはな
かった。さまざまな形が考えられる伝道活動において、ことばが前面的に問題になっ
てくるのは、日本国外での伝道の場面であり、また国外でもハワイやアメリカ、ブラ
ジルなど日系移民に対する伝道ではなく、韓国や中国、東南アジア、またヨーロッパ
やアフリカといった地域で展開されている日本語を解さない人たちに対する伝道の場
面である。
そこで、伝道における外国語の必要性について本稿では、筆者が関わっているコン
ゴ伝道の事例に依拠しつつ、先ずさまざまな活動に応じて必要とされることばのレベ
ルの違いを考える。次に教祖のひながたに見ることばの使い方を検証し、世界たすけ
に向けた外国語に対する取り組む方向性を示していきたい。そして最後に、伝道を視
野に入れた外国語教育のあり方についても触れていく。
2.海外伝道におけることばの必要性
2.1 コンゴ伝道に見る外国語の価値
ここでは 60 年代に始められたコンゴ伝道における事例を参考にしながら、展開さ
れたさまざま活動とことばの関係について考えていくが、その前に、なぜコンゴ伝道
の事例が、伝道とことばの問題を考えるのに相応しいのか、その理由について簡単に
─ 26 ─
森洋明 海外伝道における外国語の必要性をめぐって
触れておきたい。
コンゴでの伝道活動は、現在、天理教の布教伝道が展開されている他の国や地域と
比較して、地理的条件や社会的背景、二国間の経済格差や政治体制などを鑑みると、
最も日本から「遠い」地での活動といえるだろう。したがって、異なる文化との接触
が大変広範囲にわたってなされている。ことばの面だけを見ても、南北アメリカでの
布教伝道とは異なり、コンゴ伝道はその当初からコンゴ人だけが布教対象だった。そ
うした意味では中国や韓国、台湾でも現地の人たちを対象とした伝道だったが、大き
く「アジア」という枠組みで捉えるなら、その根底には共通の文化的背景があるだろ
うし、終戦までの政治体制の下で、これら地域において日本は支配的であり、日本語
には言語的優越性があった。また、距離的に近いこともあり、現在も多くの日本語を
話すネイティブも少なくない。その点、文化的共通点が少ない中で展開されてきたコ
ンゴ伝道は、これまでに天理教が海外の伝道活動において経験してこなかったさまざ
(2)
まな問題点が浮き彫りになってきており、ことばの問題はとりわけ顕著に表れている
と思われる。
(3)
天理教においてコンゴ伝道が本格的に始められたのは、1963 年に日本人布教師 を
初めて教会本部から派遣した時である。送られた日本人布教師は、コンゴの公用語で
あるフランス語がまったく話せなかった。当初はフランス語が話せる人が通訳として
同行しているが、2週間後には帰国した。それ以降、日本人布教師と現地の人とのコ
ミュニケーションは、辞書を頼りにした片言のフランス語と身振り手振りでなされて
いた。
それでも、人が多く行き交う市場の近くに居を構えたことが功を奏したのだろうか、
日本人が住んでいるという噂はすぐに近隣住民に広がり、物珍しさも手伝って連日多
(4)
(下線部は筆者)
くの人が布教所にやってきた。当時の様子は以下のように記されている。
見物人は、口から口へ伝わり日増しに多くなって来る。私はとうとう、たまり
かねて『エイッままよ』とばかりに思い切って、見物に来る連中を何人か手まね
で室内に招き入れてみた。(中略)何かこわいものに近づくように、私にじっと
視線を合わせたまま、そうっと入ってきた。(中略)しばらくしてその中の一人
がやっと口をきいた。しかし残念ながら、私は彼が何を言っているのかさっぱり
分からない。紙とエンピツを出して書くまねをして見せると、書いてくれたので
辞書でその単語を引っ張ってみると、『お前はどこから来たのか』と聞いてるよ
うだった。(「コンゴへの道」16)
その後、毎日やってくる子供たちと日本人布教師との間で「筆談」が続き、トラン
プでゲームなどをしてさらに親密な仲になっていく。そして数日後、彼らを相手にお
てふりの指導を始めた。
─ 27 ─
しばらくして、遊びに来る連中に『あしきをはろうて・・・』の朝夕のおつと
めのお歌とお手を教え始めてみた。彼らは何も訳が分からぬながらも、興味半分
ではあろうが、一生懸命見よう見まねで私の手を見つめながら、何回も何回も練
習するのである。(「コンゴへの道」16)
おつとめを教え始めてから一週間もたてば、手振りを習得したコンゴ人が朝夕のお
つとめに参拝するようになる。そして次の段階として、集まり出した人たちに病人を
連れてくるように言い、
「有無も言わさず、かたっぱしからおさづけの理を取り次いだ」
(「コンゴへの道」167)と記されている。
このように伝道活動開始当初は、集まってくる人たちを相手におてふりを教え、お
さづけの理を取り次ぐ毎日が続いたと記録されている。片言の説明はなされていた
が、それ以上のことはできなかった。その代わりに現地の「古株」の信者が、
「新参者」
に教理の取り次ぎに熱弁をふるっていたということだが、その内容がどのようなもの
だったのかは判断できなかった。
人が集まり、おつとめを教え、またおさづけの理を取り次ぐ段階において、伝道活
動におけることばの必要性はそれほど前面的に出てこない。実際、赴任から3年後、
1966 年の教会設立時には、多くのコンゴ人がおてふりや鳴り物を習得し、設立奉告
祭には「立派な」おつとめであったといわれている。このような事実からは、むしろ「こ
とばを介さなくても伝道はできる」とさえいえるかもしれない。片言の単語と身振り
手振り、あるいは筆談だけでも多くのコミュニケーションが取れることは事実であり、
実際にそれはコンゴ伝道初期の事例からも証明できることである。
しかしその一方で、ことばがいかに重要であるかということを布教師自身が実感す
ることになる二つの事例を見ていきたい。一つは、教理を取り次ぐ段階のことだった。
手記を見てみよう。
片言の仏語でも何とか簡単なことくらいは説明できても、さて本筋の話となる
と、不完全なことばで説明して、知らぬ間にもし間違った意味のことを言ってし
まったり、受けとられたりすることがあれば、取り返しがつかぬことになるし、
辞書を介しての話でも、果たして辞書の中に見出した単語が、当を得ているかど
うかさえわからない私では、いかんともし難く、こんなことを考え出すと、つい
心が沈み勝ちになってしまうのだ。(「コンゴへの道」22)
もう一つは、この布教師が一時日本に帰国するに当たり、その交代でフランス語が
(5)
話せる布教師が赴任した時のことである。
ことばの分かる布教師が来たということで信者達は大喜び、(中略)訳分から
ぬまま半信半疑でついて来ていた連中は、(中略)先生を囲んで今までつもり重
なっていた不安や疑問等矢の集中攻撃をかけ(た)(「コンゴへの道」31)
─ 28 ─
森洋明 海外伝道における外国語の必要性をめぐって
その時の質問の多くが、植民地時代から社会に定着しているキリスト教との比較が
多かったようだ。また願い出たおたすけの中には、「別れた妻に祈りで罰を与えて欲
しい」というようなものもあった。ことばを介して見えてくるコンゴの現実の姿がそ
こにあった。
上記のような事例から、ことばを介さずともできる伝道のあり方と、ことばを介さ
なければできないあり方と大きく二つの段階に分けることができる。それはつまり、
より物理的で具体的な段階と、それらの物理的なものに付与される意味という抽象的
な段階という二つのレベルである。そしてことばの問題が表面化するのは、この後者
の段階である。
伝道におけることばの重要性に関して、コンゴ伝道の先駆者はその手記に以下のよ
うにまとめている。
われわれはお互いに同じ親神の子としての人間である。同じ人間である以上、
人間としての基本的共通点は確かにある。たとえことばが違っていても、皮膚の
色が違っていても、やはり人間としての共通点はいくらでもあるし、たとえ、こ
とばが通じなくても人間としての真心は通じる。(中略)
私が最初にコンゴに降り立って、訳のわからぬままに、がむしゃらに布教活動
を開始した当初の頃は、実のところ『ことばなんか不必要だ、真心さえあれば、
一生懸命にさえやれば』と思い、確信を持った。もちろん、これも間違いではな
いし、むしろ、この考え方も、ある意味においては正しいとも思う。
しかし、教祖からわれわれ日本人が日本語で教えていただいた御教えを外人に
伝えなければならない。海外布教者としての立場を考える時、
『ことばなんか…』
といった考え方は、非常に利己的・自己満足であると言わねばならない。(「コン
ゴへの道」57)
これは、決してコンゴ伝道に限られたことではないだろう。世界中のあちらこちら
で伝道を展開している中、多くの布教師が直面し、感じたことに違いない。そしてそ
れは、伝道活動が具体的、物理的なレベルから、教義の伝達といった意味世界へ誘う
抽象的レベルに入っていく時である。そこで次に、信仰における段階についてより詳
しく見ていきたい。
2.2.段階的信仰のあり方:教えとの出会いから信仰の深化への過程
教えとの出会いは、人によってさまざまだろう。教会での活動を通じて、教えに感
銘して、不思議なご守護をいただいて、人に勧められて、結婚を機に、好奇心等、入
信に際してさまざまな動機が考えられる。信仰が親から子へと受け継がれていく中、
「親譲りの信仰」という人は今日多いだろうが、それでも物心ついた時に、教えに改
─ 29 ─
めて触れる機会もあり、信仰に目覚める時があったのではないだろうか。一人の人間
が天理教の教えと出会い、信仰に目覚め、入信を決意し、自らが「たすけにん」とし
て自立する過程は、
『諭達第三号』
(2012 年 10 月)の中で以下のように述べられている。
おたすけは周囲に心を配ることから始まる。身上・事情に苦しむ人、悩む人が
あれば、先ずは、その治まりを願い、進んで声を掛け、たすけの手を差し伸べよう。
病む人には真実込めておさづけを取り次ぎ、悩める人の胸の内に耳を傾け、寄り
添うとともに、をやの声を伝え、心の向きが変わるようにと導く。更には、共々
に人だすけに向かうまでに丹精したい。
これを伝道における過程として捉えるなら、以下ように3段階にわけることができ
る。
①教えとの出合いの段階:
「身上・事情に苦しむ人、悩む人があれば、先ずは、
その治まりを願い、進んで声を掛け、たすけの手を差し伸べよう。病む人には
真実込めておさづけを取り次ぎ」
②教えの習得の段階:「悩める人の胸の内に耳を傾け、寄り添うとともに、をや
の声を伝え、心の向きが変わるようにと導く」
③教えの深化の段階:「更には、共々に人だすけに向かうまでに丹精」
海外伝道という枠の中で、この3つの段階に対して、それぞれのレベルに応じたこ
とばの必要性を考えてみたい。
①の段階における活動は、片言のことばであっても、また極端な言い方をするなら、
コンゴ伝道の初期の状況でも見てきたように、ことばを介さなくても伝道ができる部
分ではないだろうか。病む人におさづけの理を取り次ぐには、片言のことばしかでき
ないとしても、あるいはたとえ一言も発せられないとしても、コンゴ伝道の中で多く
の人におさづけの理を取り次いだように、十分に可能なことである。おさづけの理の
取り次ぎによっていただく不思議なご守護は、ことばでの説明以上に説得力があるだ
ろうし、この道に誘うための大きな原動力となる。
次に、②や③の段階になると、ことばを介さないと展開できない場面が出てくるの
ではないだろうか。「悩める人の胸の内に耳を傾け」るにはそれなりの会話が必要だ
ろうし、また「をやの声を伝え」るにも、やはりそれ相応のことばの運用能力が必要
とされるだろう。例えば、身振り手振りだけでは「かしもの・かりもの」の教理は説
明できない。ましてや「心の向きが変わる」までとなれば、教理の伝達だけでなく、
個と個が関わるコミュニケーション能力が問われる段階に入っている。同じ道を志す
同志として、教えに基づいた価値観を共有したり、お互いに信頼関係を構築したりす
る必要もあるだろう。そこには、教義の伝達だけでなく、生活におけるさまざまな局
面でのことばの運用能力が問われてくる。
─ 30 ─
森洋明 海外伝道における外国語の必要性をめぐって
では、②の段階と③の段階の違いは何だろうか。それは、教理を伝えるという段階
から、「共々に人だすけに向かう」段階への移行であり、教えの伝達に必要なことば
の運用の段階から、人だすけの中でさまざまな悩み聞き、時には教えに基づいた助言
や諭しをしたり、直接的に教えとは関係ない会話も必要とされてくる人間関係構築の
段階である。とりわけ文化や習慣、価値観などが異なる外国の人たちとの人間関係の
構築には、教えの伝達だけにとどまらず、さまざまな面でのコミュニケーション能力
が必要になってくる。
とはいえ、このおたすけは教えを修得しなければ、あるいは人間関係構築に不可欠
なことばの運用能力を持たなければ実行できないものでは決してない。『稿本天理教
教祖伝逸話篇』にも多く見られるように、たすけられた人がその恩返しとしておたす
けに回ったり、たすけられた事実を語ったりしている。また、おたすけをしている人
(6)
が、質問に答えられなくて教祖のところに戻り教えを確認する例もある。①の段階で
見たように、教えを理解していなくても、また教えを伝達するだけのことばの運用能
力がなくても、おさづけの理を取り次ぐこともできれば、教えに触れる機会を提供す
るさまざまな活動に参加できることは可能である。
しかし、それでもやがて一信者が教えを体得するには、どこかで②や③の段階のこ
とばの運用能力に根差した話(神殿講話、教義講習会など)や文献(教義書、教義解
説書、機関誌など)に接する機会が必然的に訪れる。したがって、通訳や翻訳も欠か
せない。おたすけは外国語を話せなくてもできるかもしれないが、教えを知らない外
国の人をその意味世界にまで誘うには、やはりそれ相応のことばの運用が問われてく
る。
3.教祖のひながたとことば
3.1.伝道の3つの方法
次に、伝道活動おけることばの問題を、教祖のひながたを通して見ていきたい。こ
れまで人類が知らなかった最後(だめ)の教えを伝える方法を、大きく3つに分けて
考えることができる。
一つ目は、不思議な守護である。我が子のお産から始まったをびやゆるしによって、
それまで教祖は「憑きもの」や「気のちがい」などと見なされていたが、人を集める
ことになっていく。あるいは、さまざまなさづけの理によって不思議な助かりは、さ
らに多くの人が集めるようになっていく
二つ目は、言語を介しての伝道である。「世界一れつをたすけるために天降った」
という立教の宣言は、元なる神の思いを言語化した形と捉えることができる。教祖は
寄り集う人たちに、口頭で神の教えを伝えた。そのさまざまな言説の例は『稿本天理
─ 31 ─
教教祖伝逸話篇』に見ることができる。慶応2年には「みかぐらうた」を完成させる。
教えにより馴染むようにとの配慮から、歌という形態をとっている。また、明治2年
からは「おふでさき」を執筆。話しことばだけでなく、文字を使うことによって「こ
(7)
れまでどんな事も言葉に述べた処が忘れる。忘れるからふでさきに知らし置いた。」
とあるように、教えの根幹が後世に間違いなく伝わるように配慮されている。
そして三つ目は、「神のやしろ」と定まった 50 年にわたる自らの生き様である。教
祖は人里離れた山奥にこもることはせず、社会の中に身を置きつつ、言い換えれば人々
と同じ生活空間の中に共に生きながら、親神による人間創造の根本理由である陽気ぐ
らしのあり方を示した。そしてそれは「ひながた」として、『稿本天理教教祖伝』と
いう形で今日に伝えられている。
3.2.ひながたに見ることばの使い方
(8)
立教の三大いんねんによれば、天理教は創造主である神が人類に対して明かした「最
後の教え」である。「十のものなら九つまで教え、なお、明かされなかった最後の一
(9)
点」である。つまり、人間がそれまで知らなかった教えだった。しかしながら、それ
まで人類が知り得なかった教えを説くのに、教祖は新たな言語、存在しなかった表現
を使って教えられたわけでは決してない。その当時に、その場所で使われていた言語
を介して明かした。それは言語的には日本語で、地域的には大和ことばだった。重要
な教語にしても、それまで社会の中で使われていた表現ばかりである。「神」「月日」
「親」「やしろ」「さづけ」「つとめ」「いんねん」「ほこり」など、当時の人びとが使っ
ていた表現を用いて教えを広めた。より分かり易しく親しみのあるものとなるよう、
「棟梁」や「大工」「普請」あるいは「種まき」や「旬」など建築や農事などに関わる
表現をむしろ積極的に用いている。
神の啓示が日本語だったからといって、「天理王命は日本語話者」というわけでは
ないことは言うまでもないだろう。神の啓示がなされた場所が、偶然なのか必然なの
かその議論はともかく、
「日本語」が話されているところであり、大和の一農村であっ
たわけだ。そのような状況の中で、人類普遍の世界救済の教えは、限定された地域や
その時代の人たちに伝わるように具現化、つまり言語化されたと捉えることもできる。
しかし、教祖が用いることばの意味は、それまで使われていた意味とは異なるため、
その一つひとつに新たな意味を付与する必要があった。例えば「神」という表現に関
して中山正善は、「恐ろしいというような気持ちと、そして、親しみを以て、温かい
気持ちを以て何とするのと、神という解釈の中には、いろいろ出てきているのであり
(10)
ます。これが、教理じゃなしに、我々の常識であります。」と述べ、教え本来の意味
との違いを指摘している。そうした上から、
「元の神」「実の神」という啓示の表現は、
─ 32 ─
森洋明 海外伝道における外国語の必要性をめぐって
すでに当時の社会で「常識」と認識されていた「神」から「分ける」必要から生じる
形容的表現が加わったものといえるかもしれない。また、
「月日」
(世界中に共通し「温
(11)
かみ、親しみというものが、恐ろしさよりも強く湧いてくる」
)や「親」(「単に仰ぎ
(12)
見る神ではなく、我々にはもっと喜怒哀楽を共に語り合えるところの神」)
、あるいは
「ほこり」などは、それまでに使われていた本来の意味との類似性を利用した比喩的
表現である。そこにもまた、当時の人びとにとって初めて明かされる教えがより分か
りやすいものとなるための教祖の配慮が窺われる。
教祖はさまざまな「てびき」や「みちをせ」でこの道に引き寄せるだけでなく、話
しことばや書きことばで、しかも当時使われていた親しみのあることばを用い、また
覚えやすいように数え歌や和歌体といったスタイルを使って教えを伝達している。そ
して、同時に見せられる教祖の生き様は、人類に新たに明かされる教えが具現化され
(13)
たものであり、言語学的に解釈すれば一つの「レファレンス」の提示であったという
見方もできるだろう。当時の人たちに対して、いかに分かりやすく教えを説くかとい
う教祖の姿勢もまた一つのひながたとして捉えるなら、今日の伝道活動において、特
に日本語を解さない海外の人たちにとって、教えがより分かりやすいようにと心を砕
くこともまた、ひながたをたどる姿と言えるのではないだろうか。
4.海外伝道に必要とされる外国語
4.1.伝道活動の内容とことばの関係
一言で伝道といってもさまざまな活動があり、また教えに触れる人が「たすけにん」
となるまでには、大きく3つの段階に分けることができ、それに応じてことばの必要
性も変わってくることを見てきた。信仰の段階に応じたことばの必要性の違いは、語
(14)
学教育において関口一郎が提唱するこの3つ段階に当てはめて考えることができるだ
ろう。関口は会話を以下のように三つのレベルに分けている。
一つ目は「旅行会話」である。これは、買い物やホテルのチェックイン、切符の買い方、
道の尋ね方など、旅行のさまざまな場面における会話の形態である。例えば、駅の切
符売り場に行って「行き先」だけを告げても、切符は買えるだろう。カフェに入って
飲み物の名前を告げれば、注文も可能である。地図を持っている外国人から単語だけ
で「えき?」と言われても、
「この人は駅を探している」と分かるだろう。旅行会話は、
極端な言い方をすれば、単語を発するだけでも通じる場合が多い。
二つ目は「社交会話」である。「状況の会話」とも言われているが、挨拶からお礼
の述べ方、食事の際によくある会話のパターンで、日常生活の中で繰り返される状況
において使われる発話のパターンである。これは単語を並べるだけでは無理で、やは
りさまざまな表現や文章力が要求される。しかし、ある程度のパターンさえ身につけ
─ 33 ─
れば、日常のこうしたやりとりは可能である。
三つ目が「コミュニケーション会話」である。これは特に人と人が人間関係を構築
していく上でなされる会話のレベルを指している。つまり、政治や経済から、社会、
歴史、文化、スポーツ、また個人的な趣味や悩みなど会話の主題は何も限られておら
ず、しかも実際のコミュニケーションの現場ではそういった話題が、どこに飛んでい
くのか予想もつかない。「『場』と『状況』が限定されていない」会話である。
海外での伝道において必要とされる外国語とは、伝道が教えの出会いを提供するよ
うな活動なら、旅行会話に相当するもので十分に用が足りると言えるだろう。すでに
コンゴ伝道の例で見たように、単語を並べる片言の外国語であっても、おさづけの理
の取り次ぎやおてふりや鳴り物などを教えることは可能である。身振りや手振り、筆
談などを通じて、ある程度の意思疎通も図ることもできれば、信仰に誘うことも可能
である。コンゴ伝道の初期の頃に、日本から派遣された布教師が、興味津々でやって
くる子供たちにトランプをして遊び、さらにおてふりを教え、また病む人におさづけ
の理を取り次ぐことによって、多くの人が布教所に集まった。今日、さまざまな機会
に海外へ行き、短期間の伝道実習のような中で必要とされるのは、まさに「旅行会話」
的なものであり、ことばがなくてもおさづけの理は十分取り次ぐことができるのであ
る。
二つ目の日常会話は、教えの簡単な説明などをする場合に問われるレベルに相当す
るのではないか。コンゴ伝道では、本部から派遣された者の多くが天理大学フランス
語学科出身であり、大学で身につけた日常会話レベルのフランス語を武器に、にをい
がけやおたすけ、教義の伝達などを行い、現地の人たちの教えの深化に寄与してきた。
しかしその一方で、ことばの別の問題にも直面することになる。当時積極的に行われ
ていた奥地布教では、フランス語より現地のことばの運用能力が問われ、ブラザビル
市内においても、人びとの生活用語であるリンガラ語をマスターしていく必要があっ
た。この現地語に関する問題は後でもう一度触れていく。
三つ目のコミュニケーション会話レベルは、さまざまに変化する会話の内容に対応
できる能力で、本来のコミュニケーションである。伝道の第三段階における会話とは、
まさにこのレベルの運用能力が必要とされる。教えを一方的に伝えるだけでなく、日
頃の会話から悩みの相談にのったり、家族の問題から社会的事象に関して話をしたり、
また相手が別の信仰を持っているなら比較宗教的な知識も要求されるだろう。これま
で知らなかった教えが体系的に体得されるには、このようなレベルの運用能力が必要
となる。また翻訳や通訳をするにも、相当の語学能力が必要であることはいうまでも
ないだろう。コンゴ伝道で本部から派遣された人の中には、現地での生活からことば
の運用能力がさらに伸びて、日常会話レベルからコミュニケーション会話のレベルに
─ 34 ─
森洋明 海外伝道における外国語の必要性をめぐって
までいった人もいた。2000 年以降、コンゴブラザビル教会では教義研修会が開催さ
れている。研修会では、教義を一方的に伝達するだけでなく、受講生の質問、特に他
宗教との比較や現地の宗教観に基づいた質問や、家族や生活上の問題に関わる話をす
る機会も少なくない。より広いレベルのことばの運用能力が問われてくるようになる。
このように伝道を視野に入れた外国語教育を考えるなら、単なる旅行会話や簡単な
日常会話レベルではなく、より高い運用能力である「コミュニケーション会話」のレ
ベルを目指さなくてはならないだろう。
4.2.国際語としての英語に対して
平成 23 年度には、小学校において高学年クラスで年間 35 単位時間の「外国語活動」
が必修化されるようになった。文部科学省の「小学校学習指導要領解説外国語編」に
よれば、その目標は「外国語を通じて、言語や文化について体験的に理解を深め、積
極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り、外国語の音声や基本的
な表現に慣れ親しませながら、コミュニケーション能力の素地を養う。」とある。外
国語と言っても「英語が世界で広くコミュニケーションの手段として用いられている
実態」、また「中学校における外国語科は英語を履修することが原則とされている」
ことを踏まえて、「英語を取り扱うことを原則」と定められている。このような中で
近い将来、日本においても英語が「話せる」ことが社会におけるスタンダードになっ
ていくだろう。実際に会議はすべて英語でするという企業や、英語ができる人を優遇
する会社も既に現れている。このような流れは経済活動の分野だけでなく、学術交流
やさまざまな国際会議、音楽や映画など文化活動の分野においても同様である。
グローバル化の流れによって、国際語としての英語の地位は確固たるものとなり、
それに呼応して英語学習の重要性は増すだろう。そして、この傾向は伝道活動にとっ
ても無関係ではない。英語ができれば世界中の至るところで、より多くの人たちとコ
ミュニケーションをとる機会が増え、にをいがけの場面も多くなるだろう。天理教で
は「英語圏の教友が一堂に会し、教えを拠り所とするつながりを深めるとともに、世
(15)
界布教の新たな展開を探ろう」という大会がすでに日本(2006 年)や現地(ハワイ
(16)
2011 年)で開催されており、世界布教を進めるに当たって英語の重要性は一層高ま
るだろう。また、日本を訪れる外国人旅行者数の増加を見れば、海外伝道を敢えて志
すこともなく、多くの外国人と会話する機会が増えることになり、国内においても「海
外布教」が可能となる。ただ、英語ができれば海外伝道におけることばの問題が解決
できるかといえば、そこにはまだ多くの課題があると思われる。
現在天理教が伝道を展開している英語圏は、アメリカ本土やハワイの他、カナダ、
イギリス、オーストラリア、シンガポール、香港、フィリピン、ケニア、タンザニア
─ 35 ─
等である。英語の必要性や英語ができる布教師の需要度の観点からは地域差が見られ
る。例えば、日系移民から始まったアメリカやハワイでは、現地の教友の英語話者、
あるいは日本語話者は相当数あるが、イギリスやオーストラリア、またフィリピンや
東アフリカでは、英語ができる日本人布教師の必要性はまだまだ高いといえる。また、
これらの国々の中でも、ケニアやタンザニア、フィリピンなどは、公用語である英語
以外に、現地の国語(国民語)としてスワヒリ語やタガログ語、さらにはもっと細か
い部族語といった言語が存在し、社会的階層や地域によっては、このような現地語の
需要が高まってくる。英語は公用語や教育言語であったとしても、一般庶民が日常的
に使う言語でない場合がある。実際、そのようなことを踏まえて、例えばウガンダで
開催された教義研修会では、公用語であり教育言語である英語だけでなく、現地語だ
けの別のクラスを特別に設ける必要があった。英語話者が多いフィリピンにおいても
地方に行けば、英語だけでは十分に理解されないところもある。
このことは、前述のようにコンゴのようなフランス語圏のアフリカ諸国にも当ては
まる。コンゴでは、フランス語は憲法で保障されている公用語であり教育言語だが、
実際はリンガラ語やムヌクトゥバ語といった国民語、またラリ語やテケ語といった地
域や部族で話されている言語が、実際の生活では使われている。義務教育の劣悪な環
境や、高等教育への進学が家庭の経済的条件によって大きく左右される中、フランス
語を話せる人は、いわゆる社会の中・上層部の人たちであり、一般的な大衆には十分
なフランス語の運用能力を有していない人も少なくない。つまり、フランス語という
公用語を使って伝道活動をするにしても、それだけでは不十分な現実がコンゴにはあ
る。
このような状況では、より分かりやすいようにと工夫された教祖のひながたに逆行
(17)
することになりかねない。通訳や翻訳を介することによって本来「ひらがな宗教」で
あるのに、難しい教えとなる逆説的な問題も起こりうるのである。英語やフランス語
といったいわゆる国際言語として確立され、世界で広く話されている言語だけを視野
に入れていたのでは、「金持ち学者後回し」という姿勢で臨んできた教祖の伝道スタ
イルと、場合によっては相容れないことになりうるのである。
さらに、英語圏であったとしても、アメリカ本土での伝道のように、韓国系の信者
が多いところでは英語よりも韓国語話者が必要とされる。実際、海外部から韓国語ス
(18)
タッフがアメリカ伝道庁に派遣されている。世界的にみれば、一国一言語という社会
の方が希なことで、多くの国が多言語社会である。その中では、少数言語の権利が議
論されている。例えば、28 カ国が加盟する欧州連合は、「多様性の中の統一」を謳っ
ていることから、加盟国のすべての言語を公用語と定め、その数は 24 カ国語に及ぶ。
少数言語といえども母語を使用する権利はことばの平等に関わることで、それは人権
─ 36 ─
森洋明 海外伝道における外国語の必要性をめぐって
に関わる問題でもある。その欧州に拠点を構える天理教ヨーロッパ出張所では、そう
した多言語社会の中で、教義研修会の開催には、たとえ受講者が人数が少なくてもフ
ランス語だけでなく、英語やドイツ語、スペイン語クラスも設置している。
グローバル化の加速と共に人の移動がますます盛んになる中、一国における多言語
社会の風潮はさらに進んでいくだろう。この現実にどのように対応するのかというこ
とも伝道におけることばの問題である。このような状況に対し、深谷洋アメリカ伝道
庁長は次のように述べている。
英語だけ(カナダはフランス語も公用語 ) がこれら両国のことばではない。移
民の流入により、スペイン語、韓国語、中国語も話されており、近い将来、純粋
な白人の割合はマイノリティーになることが予想されている。だから、こうした
諸言語を学んだ若い人たちも臆せず、アメリカに布教伝道に来ていただきたいと
思う。そのためにも、英語文献を含め、外国語に翻訳された教理書がもっとほし
(19)
いところである。
伝道活動で必要とされる外国語といっても、それは国際舞台でスタンダード化する
英語中心の考え方ではなく、人びとの生活により密着した言語である。そして、それ
こそが「谷底せり上げ」を標榜してきた天理教の伝道精神と呼応するのではないだろ
うか。天理大学の前身である天理外国語学校の始まりは、朝鮮語、支那語第一部(北
京官話)、支那語第二部(広東語)、馬来語、露語からであり、当時伝道がすでに展開
され、あるいは展開される可能性をひめた近隣の地域の言語だった。西洋の「進んだ」
文化を取り入れるべく、英語やフランス語、ドイツ語といった「先進国」の言語を積
極的に学ぼうとする社会風潮の中で、また「朝鮮語部の開設は当時の国内事情から他
に類をみない」とさえ言われた中で、これらの言語をあえて選択したところに「伝道
師の養成のため」という創設者の強い思いが感じられる。そしてその思いは、英語が
国際化した今日においても、ひながたを通して教えられる伝道の姿勢を鑑みれば、貫
かねばならない姿勢ではないだろうか。
4.3.外国語教育の姿勢:創設者の視点
上記のことを踏まえて、伝道活動を視野に入れた外国語教育の方向性について考え
ていきたい。外国語学校創設者である中山正善は、創設に当たって以下のようにその
趣旨を述べている。
ただ独り何の準備もなく向ふ鉢巻で海外に飛び出してみましても、その意気は
壮とすべきですが、肝腎の実力がこれに伴わねば、しょせんその目的を達するこ
とはできません。そこでまずことばという根底をよくマスターして、しかる後乗
り出すことが必要ではないかということで、その根底たることばを教えんとした
─ 37 ─
(20)
のが、学校設立の出発点でした。
ことばをコミュニケーションの道具や手段ではなく、「根底」と表現しているとこ
ろに深い思いが感じられる。「根底」とは、すべての「元」になっているものである。
それは言い換えるなら、海外伝道は、「それ」なくしてあり得ないと解釈することも
できるだろう。
創設者はまた、
語学校と申しますが、語学校が教えているのは一般の言語学そのものではな
く、主に語学の使い方でありまして、例えばロシヤ語といっても、話したり翻訳
したり読んだりするのが目的であって、その発生、由来、他との関連なりを、体
(21)
系づけて教えるのが語学校の目的ではないと信ずるのであります。
と述べ、その意図するところは、理論的な知識よりも、会話や翻訳における運用能力
であり、より実践的なものを主眼としている。天理外国語学校は、天理語学専門学校(昭
和 19 年4月)の校名に変わり、昭和 24 年には天理大学と名称が変わる。二代真柱は
そのことに関して、
いわゆる看板がすり変わっただけの話でありますが、その間に宿命付けられて
おります教育内容というものは、たとえ変わりましても、準拠するところの法的
な根拠が変わりましても、その姿というものには変わりない。歴史というものに
は一貫性を考えたい。大学は大学から出発するんだというようなお考えは、一応
理論になりますが、しかし、いわゆる命からいうならば、四十年のものを、やは
り一貫して考えてもらいたい。(中略)
私の不得手な外国語というものを若い連中に覚えてもらって、それで世界の
隅々まで教祖の教えを伝えていきたい、というのが念願だったのであります。こ
れこそ私の一生において、命とともに果たさしていただくところの務めであると
感じたからであります。そういうような提唱に対して、その時の青年会の役員た
ちも心から同意してこれに力を添えてくれた。その発案によって、外国語学校と
(22)
いうものの方針が決まったのであります。
と述べている。伝道師の要請を目的とした学校の設立理念を堅持し、常に布教伝道を
視野に入れた語学教育を目指す一貫した姿勢が窺われる。
4.4.学習のモチベーション
最後に、語学学習における重要な要素の一つである学習の動機について触れておき
たい。語学教育における動機は、統合的動機づけと道具的動機づけの二つに大きく分
けて考えられる。前者は「外国語学習がただ単に学校における科目だけでなく、高度
に社会的なものであるということを示しました。つまり、学習対象言語を話す集団に
─ 38 ─
森洋明 海外伝道における外国語の必要性をめぐって
対して共感したり好意的な評価をしている学習者は、学習対象言語を話す人々とその
文化を理解し、その人々と同じように振る舞い、またその文化の一員として参加した
い、と思う傾向」であり、後者は「外国語を、何か実利的な目的を達成するための「道
(23)
具」としてとらえる」姿勢である。
第二言語学習では、道具的動機づけは短期間の結果に結び付くが、長期的には統合
的動機づけが優先されるなど、どちらの動機づけがより学習にとって重要かという議
(24)
論がなされてきた。しかし、この二つには相関関係があり、どちらが先かという議論
もある。むしろ学習者にとって重要なことは「教師がどういう教え方をするか」が動
機に大きな影響を与えると考えるようになってきた。
そもそも、動機という表現には語学学習を始めるに至るモチベーション、つまり「学
習の理由や目的」とするゴールやオリエンテーションを表すものと、それを続けてい
くための動機、この場合は「やる気」があり、日頃の学習にとってはこの学習者の「や
る気」がより重要になってくると言われている。学習者の「やる気」に関するある調
(25)
査でも、教師の役割の重要性が指摘されており、とりわけ「授業中、あるいは授業外
で、勉強以外の話をしてくれる先生、あるいはしたいと思う先生の授業は、興味が持
てるし、やる気がでる」という意見を紹介し、教師自身の「自己開示性」の重要性が
指摘されている。言語学習はすぐに結果が見えてこない地味な作業とも言えるだろう。
世界たすけという大きな理想を抱いても、日頃のやる気をいかに引き出すかは語学教
育における現場での重要な課題である。そのためには、伝道を目指す学習者にとって、
それぞれの言語地域における伝道活動の諸相や実際に活動に参加する機会は有効だろ
うし、教える側が伝道活動に関する「自己開示」をするとしたら、なお一層学習者の
「やる気」を引き出すことになるだろう。
5.おわりに
海外伝道と一口に言っても、その活動はさまざまであり、それに応じて必要とされ
ることばの運用能力も変わってくる。極端な言い方をするなら、おさづけの理を取り
次いだり、おてふりを教えたり、あるいは海外で「天理」の名の下に日本語を教えた
り、特殊な技術を活かし救援活動に従事したり、外国語を知らなくてもできるような
活動もあれば、人の相談にのったり、諭したり、教義研修会や翻訳をしたりなど、外
国語の能力が絶対に必要とされる活動もある。ただ伝道というものを、「共々に人だ
すけに向かうまで」と考えるなら、その過程においてことばはやはり不可欠な要素と
なり、海外での伝道に関わる者にとってそれ相応の外国語運用能力が問われるし、世
界布教を目指す教団としてもそのような人材を育成することは欠かせないだろう。
また、伝道を視野に入れた語学教育のあり方に関しては、英語が国際的スタンダー
─ 39 ─
ドになったとしても、それだけで海外伝道における外国語の問題が解決するわけでは
なく、「谷底せりあげ」と言われ進められてきた教祖のひながたを鑑みれば、さまざ
まな外国語は今日においても必要である。さらに加えるなら、英語あるいはフランス
語など、世界においていわゆるメジャーな言語だけでなく、伝道地における日常生活
により密着した言語が求められていることも、「世界一れつをたすけるために天降っ
た」神の教えを広めるためには忘れてはならないことだと感じる。海外伝道とは「国
際舞台」という何となく華々しくも確固とした実態がない空間における活動ではなく、
伝道する側やされる側にとっても、一つの限定された日常となる生活空間での地道な
活動ということである。そうした意味においては、国内における伝道も海外における
伝道も大差はない。
また本稿は、海外伝道の前提として「日本人が外国に行き伝道する」という視点で
述べてきたが、今日、韓国や台湾、中南米など伝道地によっては、現地出身の信者が
すでに伝道を展開しているところもあり、そうしたところでは、日本人がその地の外
国語を習得して出向く必要性が低いところもあるだろう。また、現地出身の信者には
日本語の運用能力を持っている信者もいる。現地の信者が現地の人に伝道する段階に
入っている地域においては、その形態はもはや「海外伝道」と呼べなくなっているの
である。海外伝道の過程において、さらに一歩進んだ段階に入っているともいえる。
コンゴ伝道においても、コンゴ人によるコンゴ人、あるいはコンゴ国内の外国人への
伝道が日常的となっている。ただそのような地域でも、伝道のサポートや、とくに教
義を理解し深めていくためには、翻訳された文献はまだまだ十分ではないという現実
があり、それらを担う人材の育成は急務である。
世界たすけを進めるには、おぢばから遠く離れたところにも、常に「親の声」が届
くようにすることは不可欠である。そのための翻訳や通訳を通じた後方支援の役割は
大きい。おぢばがある日本に生まれた者が、また教祖の言説を言語的に理解できる者
が、これからも果たしていかなければならないことは大いにある。それはつまり、海
外伝道の布教師養成を目的として創設された語学学校の建学の精神を今日も受け継ぐ
天理大学の役割も大きいことを意味している。ただし、言語学習の環境が十分に整っ
ても、それを活かす道、つまり「出口」がなければ、言語学習のモチベーションは低
下するだろう。天理教が世界一れつの陽気ぐらしを目指すことには変わりはない。そ
の目標に向かって、人材をどのように輩出し、どのように役立てるのか、組織全体で
改めて考えていく必要があるのではないだろうか。
─ 40 ─
森洋明 海外伝道における外国語の必要性をめぐって
註
(1)丸川仁夫『伝道学概論』8頁
(2)拙著『伝道宗教による異文化接触─天理教コンゴ伝道を通じて─』天理大学附属おやさ
と研究所、2013 年、参照
(3)高井猶久氏(コンゴブラザビル教会初代、三代会長)
(4)高井猶久「コンゴ伝道への道」『天理時報』で連載(1968 年~ 1969 年)
(5)飯田照明氏(当時、おやさと研究所員)
(6)130「小さな埃は」『稿本天理教教祖伝逸話篇』
(7)「おさしづ」明治 37 年8月 23 日
(8)『改訂天理教事典』によれば、「親神天理王命が、何故この人に、何故この所に、何故この
時に顕現し、本教が始まったのか、これらの問いに答えるものが、人、所、時の三つに関する
いんねんである。人に関するいんねんを「教祖魂のいんねん」といい、所に関するいんねんを「や
しきのいんねん」といい、時に関するいんねんを「旬刻限の理」という(『天理教教典』32 頁)。」
(9)『天理教教典』33 頁
(10)中山正善『火水風』213 頁
(11)前掲書、215 頁
(12)前掲書、215 頁
(13)一つの単語における意味の三角形より:①意味するものとしての「能記」(形式、コード、
シンボル)、②その「概念」(意味)、③実際に意味される「所記」としての「レファレンス」。
例えば、「陽気ぐらし」という表現自体(表記や音)が「能記」に当たり、「陽気な心、すな
わち明るく勇んだ心で日々を通ること」(『改訂天理教事典』より)という意味が「概念」で
あり、その現実におけるレファレンスとしては「ひながた」があると考えることができる。
(14)関口一郎『「学ぶ」から「使う」外国語へ』80 頁
(15)「天理フォーラム 2006」
:7月 15 日から 17 日まで、天理で開催。英語を媒介言語として、
19 カ国から約 260 名が集い、世界布教のあり方について話し合われた。
(16)「天理教ハワイコンベンション 2011」:5月 28 日から 30 日まで、ハワイで開催。英語圏
から 320 名が集い、
「絆」をテーマとして講演や分科会が行われ、世界布教の新たな展開を探っ
た。
(17)「『おふでさき』が平仮名でしるされ、難解な教語を避けて平易な日常語で親神の真理を
説き明かされたことに著者が着目して名づけたもの」(『ひらがな宗教』松井忠義、柏樹社、
1991 年:「復刊にあたって」より)
(18)1987 年より韓国語スタッフがアメリカ伝道庁に派遣されており、現在まで続いている。
(19)『グローカル天理』2013 年4月号(「教学と現代9」海外伝道特別講座、講演要旨)
(20)「天理語学専門学校におけるご訓話」(昭和 21 年3月 12 日)『天理大学における眞柱訓話
集(抄)』天理大学、平成7年。
(21)同上
(22)「天理大学四十周年記念式におけるお話」(昭和 40 年4月 23 日)『天理大学における眞柱
訓話集(抄)』天理大学、平成7年。
─ 41 ─
(23)『外国語学習の科学』76 頁
(24)前掲書、77 頁
(25)楠木理香、工藤多恵「外国語学習の動機に関わる要員─アンケート・面接調査結果によ
る一考察─」『山口幸二先生退職記念集』立命館大学法学会、2006 年
参考文献
おやさと研究所編『コンゴ伝道の諸活動─地域社会への貢献と教えの深化─』天理大学おやさ
と研究所、2011 年
白井恭弘『外国語学習の科学』岩波新書、2011 年
関口一郎『「学ぶ」から「使う」外国語へ』集英社新書、2000 年
高井猶久「コンゴへの道」1~ 59『天理時報』1968 年~ 1969 年
津田幸男『英語支配とことばの平等─英語が世界標準語でいいのか?』慶應義塾大学出版会、
2006 年
中山正善『火水風』天理教道友社、1995 年
丸川仁夫『伝道学概論』天理大学おやさと研究所、1991 年
薬師院仁志『英語を学べばバカになる』光文社新書、2005 年
吉田国子「語学学習における動機づけに関する一考察」『武蔵工業大学環境情報学部紀要』第
10 号、武蔵工業大学環境情報学部、2009 年
─ 42 ─
森洋明 海外伝道における外国語の必要性をめぐって
On the Necessity of Foreign Language Learning
for Overseas Mission
MORI Yomei
Tenrikyo allegedly embarked on overseas missionary work in 1893. While the Home
Ministry's directive issued in 1896 restricted its domestic missionary activities, a number of
followers, in search of a new land for the path, would cross the ocean for places like Korea,
China, South East Asia, and Americas to carry out missionary work.
With a keen realization of the necessity of foreign language learning for overseas mission,
the second Shinbashira Shozen Nakayama founded Tenri School of Foreign Languages in
1925. Focused primarily on the training of overseas missionaries, the school was soon to send
a large number of missionaries abroad. In 1949 the school was reorganized as a university and
its founding spirit has been preserved to this day.
While foreign language learning is considered indispensable to overseas mission, it is heard
not too infrequently that salvation can be achieved without the help of language. This essay,
therefore, attempts to reexamine the need for foreign languages in overseas mission.
After reviewing what mission is, the essay looks at how language problems arise with actual
missionary work in view of the history of the mission in the Congo, which the present author
has been involved in. An attempt will then be made to clarify not only the need for language
but also the level of language competence deemed necessary for overseas mission. In light of
the view toward English, which is established as the international language, an attempt will
also be made, for the purpose of accelerating overseas mission, to evaluate which foreign
languages are needed and what type of teaching is required for their learning.
Keywords: Tenrikyo, overseas mission, language, globalization,
foreign language education
─ 43 ─