カナダの歴史について

カナダの
カナダの歴史について
歴史について
カナダの先住民は、4 万年前の氷河期にシベリアからベーリング海峡がまだ陸続きだった頃新大陸
に渡ってきた、私達日本人と同じモンゴロイドである。彼らの時代はカナダ史上、“First Nations”
と呼ばれる。西暦 1000 年頃には北欧のヴァイキングがアイスランドからニューファンドランド島に到
達し、さらに南下したが、ヴァイキングの居住地は永続せず、食糧難により全滅してしまった。
西欧史上、最初にカナダを「発見」したのは英国のヘンリー7 世が派遣したイタリア人探検家ジョ
ン・カボットと、セントローレンス川を探検したフランス人カルディエである。当時、大西洋を西北
に向かえばアジアに到達する通路があると信じられており、カボットはこの西北航路発見のためニュ
ーファンドランド島に到達し、この付近の海域が豊かな漁場であることを知った。この知らせを聞い
て、16 世紀初期フランスやポルトガルの漁師が大西洋を横断してニューファンドランド沖で漁をする
ようになったが、英国は新世界領有にまだ食指を動かさなかった。一方、1526 年以降、フランソワ 1
世が探検家ジャック・カルティエをしばしばカナダに派遣し、セントローレンス川流域を探検させ、
16 世紀半ば、この地をフランス領とした。1608 年フランスの探検家サミュエル・ド・シャンプランが
セントローレンス川中流域に永続的なケベック植民地(現在のケベック・シティ)を創設した。フラン
スの植民目的はインディアンとの毛皮交易の拠点を作ることで、ルイ 13 世の宰相リシュリュー枢機卿
は 1627 年、ヌーベルフランス会社を設立し、植民地経営を会社に委ね、同時にカトリック教徒以外の
者が植民地に入植することを禁止した。
1642 年にはモントリオールにも植民拠点が創設されたが、植民地経営はなかなか発展せず、ルイ
14 世のもとで植民地再編の任に就いたジャン=バティスト・コルベールはヌーベルフランス会社を廃
止して、植民地を王領とした。同年、ケベック・シティ初の市長が選出されている。1672 年にはルイ・
ド・フロントナク伯爵が知事として赴任し、長年フランスと対立していたイロコイ族と和約した。1674
年ラバル司教がケベック植民地に赴任し、聖職者養成のためにケベック・セミナリーを創設した。こ
のセミナリーは北米最古の大学ラヴァル大学に発展する。
1682 年ド・ラ・サールがミシシッピ川流域をフランス領と宣言し、1712 年、ヌーベルフランスはメキ
シコ湾にいたるルイジアナ(ルイの土地)植民地にまで拡大した。しかし、この頃から世界各地で英
仏の対立が激化し、英国のアメリカ植民地との間に一連の北米植民地戦争が開始される。この一連の
抗争の最後となる七年戦争が勃発するとニューイングランドの英軍はケベックを襲撃し、1759 年英仏
両軍はアブラハム平原で激突したが、仏軍の大敗に終わり、ケベックは英軍の占領下に置かれた。1763
年のパリ条約でフランスはカナダの植民地を放棄し、ケベックは正式に英領となった。これ以後、英
国はカナダ植民地と称するようになる(ただし、カナダの名称は仏領時代から存在した)。この時、
新たに英国の支配下に入ったフランス系住民は約 65,000 人に達し、すべてカトリックであった。新教
国・英国はこれら新住民を英(アングリカン)に改宗させることもできたが、英国議会はより穏健な
政策を取り、1774 年ケベック法を制定して、フランス民法典とカトリック教会の存続を容認した。こ
れは今日までケベックにフランス色が残る決定的な役割を果たす。
翌年アメリカ独立戦争が勃発し、アメリカ大陸議会がカナダ住民に革命への参加を呼びかけてきた
が、フランス系住民は応じなかった(本国フランスはアメリカ革命軍を支援していたにもかかわらず
である)。この年、モンゴメリー将軍率いるアメリカ革命軍はモントリオールを占領し、ケベック市
に迫ったが撃退された。1783 年戦争が終結し、アメリカ合衆国が成立すると、アメリカのロイヤリス
ト(王党派)は国内に残ることを嫌い、ノバスコシアやケベック東部に大挙して移住してきた。ノバ
スコシアに移住したアメリカ人は 35,000 人と見られ、新たにニューブラウンズウィック植民地が設置
された。またオンタリオ湖西方のセントローレンス川上流部に移住した者は約 5,000 人で、カナダの
人口が増えたため、英国議会はアッパー・カナダ(現在のオンタリオ州)とロウアー・カナダ(現在の
ケベック州)に分離する措置を取った。
1793 年にはアレキサンダー・マッケンジーがロッキー山脈を越えてフレーザー川流域に達する大陸横
断に成功し、英領カナダの領域は西方にも拡大していった。1812 年の英米戦争が勃発するとカナダは
再び米国軍の占領の脅威を受けたが、上カナダにおける米軍の侵攻は撃退された。1840 年には合同法
が制定されて分離していた上・下カナダが中央政府の管理下に置かれ、これ以後はカナダ・ウエスト
とカナダ・イーストと呼ばれるようになった。
南北戦争後のアメリカが産業革命によって急速に発展を始めると、再びアメリカによるカナダ併合
の危機が高まったため、英国議会はカナダを統一するため、1867 年英領北アメリカ法を制定し、両カ
ナダやノバスコシア、ニューブラウンズウィックなどを併せた自治領カナダ政府を成立させた。この
立法によってカナダは英連邦の下で、外交権を有することは無いが、自治権を有する連邦となり、オ
タワに連邦首都が置かれた。初代連邦首相には、ジョン・A・マクドナルドが就任し、通算 19 年間在
任した。この時代のカナダは新興の意気に燃える発展期であった。1871 年にはブリティッシュ・コロ
ンビアも自治領政府に参加し、1885 年カナダ太平洋鉄道が完成、大西洋岸と太平洋岸が結ばれた(そ
れまでは米国の大陸横断鉄道を利用するか、海運に頼るしかなかった)。1905 年までには西部地域の
発展により、ノースウェスト準州からマニトバ州とサスカチュワン州が成立した。この時期のカナダ
を代表する職業のひとつに傭兵がある。1853 年からのクリミア戦争で活躍した将兵の多くはカナダの
出身者であり、またイタリア統一戦争ではバチカンを防衛してサルディニア軍と戦ったのもカナダの
義勇兵であり、南北戦争に参加した者も少なくはなく、メキシコ内乱では反乱軍と皇帝軍の両陣営に
カナダからの傭兵がいたとさえいわれている。そして、第一次世界大戦が勃発すると、カナダは英連
邦の一員として参戦し、6 万人のカナダ軍兵士が戦死している。戦後、カナダは 1919 年のベルサイユ
講和会議にも代表を送り、国際連盟にも参加した。これらの実績のうえに、1926 年英国はカナダに外
交権を付与し、英国議会は 1931 年、英連邦諸国は英国と対等であり、共通の国家元首(英国君主)に対
する忠誠心で結びついているだけであると決議した。このウェストミンスター憲章によってカナダは
名実ともに独立を達成したとされる。
第二次世界大戦でもカナダは英連邦の一員として直ちに参戦し、英国に 3 個師団を派遣してブリテ
ン島防衛の任務に就かせると共に、カナダ国内に英連邦空軍訓練計画を設立して約 12 万人の空軍要員
を訓練した。1941 年には香港防衛のためにカナダ軍 3 個大隊が派遣されたが、太平洋戦争勃発により
日本軍の捕虜となっている。ヨーロッパ戦線ではカナダ軍は 1944 年のノルマンディー上陸作戦に参加
し、その後の作戦でも大きな犠牲を払った。戦後のカナダは国際連合と NATO に当初から加盟し、朝鮮
戦争には 27,000 の兵力を派遣した。1952 年にはカナダ生まれの総督が初めて任命され、1964 年には
赤白のカエデの葉の国旗を制定、1965 年 2 月 15 日に初めて掲揚された。1965 年のモントリオール万
博の頃からケベック民族主義の傾向が顕著になり、1969 年には英仏両語がカナダの対等な公用語とし
て定められた。1970 年にはケベック分離主義者のテロ活動が活発になり、ケベック州労働長官ピエー
ル・ラポルトの誘拐殺害事件が起こった。ケベック分離主義政党は 1976 年のケベック州議会選挙に勝
利し、1977 年にはフランス語をケベック州唯一の公用語と定めて英語の使用を制限した。ケベック分
離問題については 1980 年と 1992 年に住民投票が行われ、いずれも否決されている。カナダの先住民
族であるインディアンやイヌイットの権利も問題となり、カナダ政府は 1999 年かれらの自治権を承認
した。また 1997 年の香港返還に前後してバンクーバー周辺では広東語系中国人移民が激増し、1999
年にはカナダ史上初の中国系総督アドリエンヌ・クラークソンが就任した。これらの動きによってカ
ナダは多元文化国家としての色彩を強めているといえる。
カナダ史年表
カナダ史年表
•
•
•
•
•
•
•
•
1000 年頃 ノルウェー人のレイフ・エリクソンが、ヴィンランド(現在のニューファンドラン
ド島最北端)に上陸する。
1497 年 英国王ヘンリー7 世の命を受けてブリストルを出航したイタリア人の不動産業者ジ
ョバンニ・カボットが 6 月 24 日、現在のニューファンドランド島に上陸し、同島沖合いに巨
大なタラ漁場(グランドバンクス)を発見する。
1523 年 フランソワ 1 世 (フランス王)の命を受けたフィレンツェのジョバンニ・デ・ヴェラ
ザノが大西洋岸を探検し、現在のノヴァスコシアを「アカディア」と名付ける。
1534 年 フランス王フランソワ 1 世の命を受けたフランス人ジャック・カルティエが 7 月に
ガスペ半島に上陸し、セントローレンス川を遡上探検(~1541 年)。
1535 年 9 月 7 日、ジャック・カルティエがスタダコナ(現在のケベック・シティ)、さらに
10 月にはホチェラガ(現在のモントリオール)に到着し、これらをフランス領土と宣言する。
1583 年 英女王エリザベス 1 世の命をうけた英国人ハンフリー・ギルバート が、ニューファ
ンドランド島に到着し、同島を英領土と宣言するも、帰路遭難して死亡する。
1605 年 アンリ 4 世の命を受けたフランス人サミュエル・ド・シャンプランとピエール・ド・
モンが、ポールロワイヤル(現在のノヴァスコシア州アナポリスロイヤル)に植民地を築く。
1608 年 7 月 3 日、サミュエル・ド・シャンプランがケベックに要塞(プラス・ロワイヤル)
を築き、ニューフランスの首都とする。
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
1613 年 サミュエル・ド・シャンプラン及びエティエンヌ・ブルレがオンタリオでネイティ
ヴ・アメリカンと接触する。
1642 年 ポール・ド・ショメディ・メゾンヌーブがヴィル・マリー(後のモントリオール)
を建設する。
1662 年 フランスがニューファンドランドのプラセンティアに要塞を築く。
1678 年
12 月 7 日、フランス人の宣教師ルイ・ヘネピンによりナイアガラの滝が発見される。
1689 年 フランスと英国との間でウィリアム王戦争(英王位継承戦争)が勃発(~1698 年)
し、これに呼応して英国の植民地軍が、アカディアを攻略する。
1690 年頃 ハドソン湾会社が派遣したヘンリー・ケルゼイがサスカチュワンを探検する。
1697 年 ライスワイク条約が締結された。
1700 年 フランスと英国等との間でアン女王戦争(スペイン王位継承戦争)が勃発(~1715
年)。
1710 年 フランスの支配していたポールロワイヤルが陥落。同地は、アン女王にちなんでア
ナポリスロイヤルと改名される。
1713 年 ユトレヒト条約によりフランスは、ハドソン湾、ノヴァスコシア及びニューファン
ドランドを英領と認める。
1719 年 フランス人が現在のプリンスエドワード島に入植する。
1744 年 フランスと英国の間でジョージ王戦争(オーストリア王位継承戦争)が勃発(~1748
年)し、英国がフランスのルイブール要塞を占領する。
1747 年 ノヴァスコシア半島のグランプレにおいて英人 100 人余りが虐殺される。
1748 年 10 月 18 日、アーヘンの和約により英国はベルギー、マドラスの解放の代償としてル
イブール要塞をフランスに返還する。
1754 年 フレンチ・インディアン戦争(七年戦争)が勃発(~1763 年)。英軍とフランス・イ
ンディアンの同盟軍がオハイオ川流域の支配権を巡って争う。ハドソン湾会社社員の英人アン
ソニー・ヘンディが現在のアルバータ州に到着する。
1755 年 英国のチャールズ・ローレンス総督がアカディアン追放令を発布。住民の強制移動
が行われる。ルイジアナに追放された人々はケイジャンと呼ばれる。
1760 年 9 月、英軍がモントリオールを陥落する。
1763 年 パリ条約によりカナダ全土(サンピエール島とミケロン島を除く。)が英国の植民地
となる。
1774 年 ケベック法が制定され、フランス系住民懐柔のためケベックにフランス民法の適用
と宗教(カトリック信仰)の自由及び領主制の維持が認められる。スペイン人が現在のブリテ
ィッシュコロンビア州にやってくる。
1778 年 英人ジェームズ・クックが、バンクーバー島に到着する。ノースウエスト会社(北
米会社)のピーター・ボンドが現在のアルバータに毛皮交易所を建設する。
1784 年 6 月、ニューブランズウィックがノヴァスコシアから分離され、独立州となる。
1791 年 カナダ立憲条例により、ケベックがオタワ川を境界にアッパー・カナダ(現在のオ
ンタリオ州、英語圏)とローワー・カナダ(現在のケベック州、フランス語圏)の 2 植民地に
分離される。
1793 年 英国のジョージ・バンクーバー総督が太平洋岸一帯の正確な海図を作るため調査を
行う。奴隷制度禁止法が制定される。
1812 年 米英戦争が勃発し、カナダは英側に参戦する。ハドソン湾会社の株主でスコットラ
ンド貴族のセルカークが現在のマニトバ州に入植地(アシニボイア)を築く。
1825 年 英人のジョン・フランクリン率いる探検隊がユーコン沿岸に停泊する。
1837 年 オンタリオのマッケンジー及びケベックのパピノーの反乱に乗じて、アメリカ軍が
国境を侵略する。
1839 年 英国のダールム総督が、本国に対してオンタリオとケベックとの統合を勧告する(ダ
ールム報告)。
1841 年 英国議会で連合法が可決され、アッパー・カナダとローワー・カナダがカナダ州と
して統合される。両者はそれぞれ、カナダ・ウエスト、カナダ・イーストとなる。
1843 年 ハドソン湾会社のジェームズ・ダグラスがバンクーバー島において毛皮交易所を建
設し、現在のヴィクトリアの礎を築く。
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
1846 年 アメリカと英国がオレゴン条約を締結。オレゴン地域の境界線が、北緯 49 度線に確
定する。
1848 年 カナダ州は外交権以外の自治権が認められる。ノヴァスコシアの責任政府が認めら
れる。
1855 年 ニューファンドランドの責任政府が認められる。
1857 年 ヴィクトリア女王の裁定により、フランス系のモントリオールと英系のトロントと
の中間地点であるオタワが連邦政府の首都に定められる。
1858 年 現在のブリティッシュコロンビア州のフレーザー川下流で金が発見され、ゴールド
ラッシュが始まる。同州が植民地化される。
1864 年 シャーロットタウンにおいて連邦結成の会議が開催される。また、ケベック会議に
より、連邦結成のための 72 ヶ条の決議(ケベック決議)がなされる。
1866 年 バンクーバーがブリティッシュコロンビアの植民地と統合する。
1867 年 ケベック決議を受けて起草された英領北アメリカ法 (BNA) により、7 月 1 日、オン
タリオ、ケベック、ノヴァスコシア、ニューブランズウィックの英国植民地が統合され、連邦
国家である自治領カナダが誕生する。同法には、連邦政府と州政府との権限区分が規定されて
いる。初代首相は、保守党のマクドナルド。
1869 年 レッド・リヴァーの反乱勃発。現在のマニトバ州でルイ・リエル (Louis Riel) が、
メティス(ネイティブカナディアンとフランス人の混血)を率いて反乱を起こし、12 月に臨
時政府を樹立。
1870 年 7 月 15 日、ルパート・ランドのマニトバ州が連邦に加入する。連邦がハドソン湾会
社の保有していたノースウエスト地方を買収し、同地はマニトバ州が管理することとなる。
1871 年 ブリティッシュコロンビア州が連邦に加入する。
1873 年 プリンスエドワードアイランド州が連邦に加入する。
1877 年 長崎県出身で横浜の大工、永野万蔵(1855 年 - 1924 年)が、日本人初のカナダ移
民としてバンクーバーに到着する。
1885 年 ノースウエスト反乱。3 月、ルイ・リエルが、レジャイナにおいて再び反乱を起こす
が、ミドルトン将軍 によって鎮圧され、5 月 15 日に降伏。国家反逆罪で処刑される。大陸横
断鉄道が完成される。カナダ最古の国立公園であるバンフ国立公園設立。
1887 年 横浜-バンクーバー間に定期航路が開かれる。
1889 年 バンクーバーに日本総領事館が設立される。
1893 年 現在のユーコン準州の原型が形成される。
1896 年 自由党のウィルフリッド・ローリエがフランス系初の首相となる。ユーコンのクロ
ンダイクで金鉱が発見され、ゴールドラッシュが起こる。
1898 年 ユーコン準州が正式に発足する。
1905 年 9 月 1 日、アルバータ、サスカチュワンの 2 州がルパート・ランドから分離独立し、
残りの地域がノースウェスト準州となる。
1914 年 カナダ、第一次世界大戦参戦
1917 年 ナショナル・ホッケー・リーグ (NHL) が発足。徴兵法を可決。
1918 年 連邦において女性の選挙権が認められる。
1919 年 ヴェルサイユ会議で連邦に英国とは独立した代表権が与えられる。
1920 年 国際連盟に加入する。
1926 年 バルフォアの報告書により、連邦に外交権が認められ国際的に完全な主権国家とし
ての地位を獲得する。
1931 年 英国議会のウエストミンスター憲章により連邦の自治権が認められ、英国からの実
質的な独立を果たす。
1939 年 カナダ、第二次世界大戦参戦
1941 年 対日宣戦布告
1942 年 前年の日本の真珠湾攻撃により、日本人全員の太平洋沿岸部からの立退命令が発せ
られる。
1944 年 国連憲章に署名する。
1948 年 世界人権宣言に署名する。
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
1949 年 3 月 31 日、ニューファンドランド州がカナダ連邦に加入する。北大西洋条約機構
(NATO) に加盟する。英領北米法が改正され、国名から「自治領」の文字が外される。
1950 年 イヌイットが選挙権を獲得する。
1960 年 ネイティブ・カナダ人が選挙権を獲得する。
1961 年 カナダ権利章典が採択される。
1962 年 カナダ大陸横断道路(全長 7,775 ㎞)の完成。9 月 29 日、アメリカの協力を得てア
ルエット 1 号 (Alouette 1) を打ち上げ、アメリカ、英国に次いで世界で 3 番目の通信衛星保
有国となる。
1965 年 2 月 15 日、カナダの国旗(「メープルリーフ旗」)制定。
1967 年 モントリオールで連邦成立 100 周年を記念して万国博(エキスポ)が開催される。
1968 年 ルネ・レヴェックが連邦からの分離独立を旗印とするケベック党を結成する。
1971 年 10 月 8 日、首相のトルドーが多文化主義宣言を行い、二言語・多文化主義を採用す
る。
1974 年 ケベック州において、フランス語のみを公用語と規定する公用語法が制定される。9
月 25 日、日本の内閣総理大臣田中角栄が、トロント大学から名誉法学博士号を授与される。
1976 年 モントリオールで夏季オリンピックモントリオール大会開催。トロントに世界一の
高さを誇る CN タワーが建造される。ケベック州で、ケベック党が政権党となる。
1977 年 ケベック州議会が、フランス語憲章を制定する。
1980 年 7 月 1 日、『オー・カナダ』を国歌と宣言する。ケベック州で、州政府に連邦政府と
の交渉権限を認めるか否かの是非を問う州民投票が行われ、否決される。
1982 年 4 月、英国のエリザベス女王がオタワの国会議事堂においてカナダ憲法に署名し、こ
れが公布され法律的に完全な主権国家となる。ただし、ケベック州は署名を拒否する
1985 年 ケベック・シティがユネスコにより世界遺産に登録される。
1986 年 バンクーバーで万国博覧会(エキスポ)開催。
1988 年 冬季カルガリーオリンピック開催。7 月 21 日に多文化主義法(カナダ多文化政策法)
制定。
1989 年 アメリカとの間の自由貿易協定 (FTA) が発効する。
1995 年 ケベック州において、ケベックの連邦からの分離独立の是非を問う州民投票が行わ
れ、僅差で否決される。
1998 年 1 月 1 日、アメリカとの間の関税が原則撤廃される。
1999 年 4 月 1 日、ヌナブト準州が設立された。ケベック州の州民投票において、ケベックの
連邦からの分離独立が僅差で否決される。9 月、第 8 回フランコフォニーサミットがニューブ
ランズウィック州モンクトンで開催
2002 年 6 月、カナナスキス・サミットが開催される。
2010 年 バンクーバーにて冬季オリンピックが開催される予定である。