第1回国際理解講座『ウクライナから京都へ』

国際理解講座シリーズ
第1回
6月19日
「ウクライナから京都へ」
講師 オレーナ・シゲル氏
オレーナさんとは神戸での会議で知り合いになりまし
た。英語もかなりなのですが、日本語がそれ以上に見事
なのです。それも、癖のない美しい日本語です。ウクラ
イナの首都キエフの外国語大学で日本語を専攻し、京都
府国際交流センターの職員として来日して5年目になる
ということです。日本舞踊や手鞠など多くの趣味を通し
て日本を理解しています。7月末には帰国するというこ
とでしたが、ぜひ、三木のみなさんにとお願いしてこの
講座が実現しました。
30名の参加者があり、あまり知ら
れていないウクライナについて知ることができました。
ウクライナはロシアよりも長い歴史を持つ国です。しか
し、
13世紀にモンゴル人の侵入を受けて以来、ある時は
ポーランド、ある時はロシアに統合されてきました。最
後にソビエトから独立したのも1991年のことです。そし
て、
2005年の今年、ユーシェンコ大統領が1回目に続い
て再選挙でも当選し、新しく西側の国としてスタートし
ました。この意味でタイムリーな講演となりました。
職員として留学生などのお世話をしています。ご存知の
ように、JETプログラムで約60
, 00人のALT(語学指
導助手)や国際交流員が全国に派遣されていますが、ウ
クライナからは私一人です。
Q1 ウクライナはソビエト連邦の一部(州)だと思っ
ていました。新聞で読んだのですが、独立の際に残って
いた核兵器を全て廃棄または返却したと知りました。核
兵器を保持して国際的に発言権を得ようとする国が多い
にも関わらずウクライナは偉いな、良い国だなと思いま
す。そのあたりをお話しください。
ご存知のチェルノブイルはキエフから北へ約1
00キロ
の所にあります。原発事故の後は原子力発電所から3
0キ
ロ以内は立入り禁止です。爆発のエネルギーは廣島の3
0
倍といわれます。ウクライナは核兵器を持つことが国力
になるという考えに組みしませんでした。私もうれしい
です。原子力発電施設は他に5箇所あります。水力や火
力などの発電施設もありますが、電力が不足気味なので
原発を廃止してしまうわけにはいかないようです。
サッカーのワールドカップ予選でギリシアに勝ちまし
た。ドイツで日本のチームと会えたらいいなと思ってい
ます。
(実際日本もウクライナも予選を突破しました。)
日本でウクライナというと「あっ、ロシアの一部です
ね。」といわれます。実は、キエフは西暦482年に首都と
なりました。モスクワは1147年です。ウクライナはロシ
アより古い国なのです。特に9∼1
1世紀に掛けて栄えま
した。この点で京都の歴史と似ています。ロシアとは同
じスラブ民族の国として共通点がありますし、宗教(ロ
シア正教とウクライナ正教)や言葉も似ています。人口
は約50
,0
0万人。ウクライナ人が70%、ロシア人が22%、
その他ポーランド人、チェコ人、ギリシア人、ユダヤ人
などの構成になっています。西に山があり、ルーマニア、
ハンガリー、スロバキア、ポーランドと接しています。
キエフはニプロ河を利用する交易の中心でした。問題の
チェルノブイルの北はベラルーシです。そこは大変な被
害を受けました。しかし、事故から1
9年経ち、農産品も
安全になりました。ここは穀倉地帯と呼ばれ農業が盛ん
です。黒海やアゾフ海から小麦が輸出されます。東は工
場が多く、宇宙船(スプートニク)や航空機を製造して
きました。港町オデッサは横浜と、キエフは京都と姉妹
都市です。日本とは企業を通して交流が続いています。
「ドンプレンゼー」
(こんにちは)。私の名前はオレー
ナ・シガルです。シガルが苗字でオレーナが名前です。
学校時代、先生が私をしかる時は「シガル」と呼びまし
たが、友達などはオレーナと呼びました。ところが、オ
レーナという名前はごく一般的な名前で、クラスに6人
のオレーナがいました。他にも「ナタイヤ」や「ナター
シャ」も多い名前です。私はウクライナの首都キエフに
生まれました。そして、外国語大学のドイツ語学部の日
本語科に入りました。なぜドイツ語学部なのかと疑問に
思われるでしょう。当時、日本語を専攻する学生は非常
に少なく、1クラス1
0人ぐらいでした。それでも、日本
との交流(企業)が増えるにつれて、日本語科の設置が
必要となり、とりあえず、ドイツ語学部内にということ
になったようです。キエフには、日本人が少なく、大学
でも日本人に会う機会がほとんどありませんでした。で
も、かなりの人が日本の文学について興味を持ち、源氏
物語、徒然草、芥川龍之介、川端康成などの翻訳本を読
んでいました。日本語の先生は大阪万博で日本を訪れ、
独学で日本語を勉強した方でした。3年生の時は、日本
人の先生、熱心で文字のきれいな方でした。静かな雰囲
気で学生を平等に扱う優しい先生でした。一般にドイツ
人は物言いがストレートで大きく、自己主張が激しいで
す。そして、ウクライナ人は静かな物言いで優しさを大
事にするといわれます。この点で、日本や日本人にはど
こか親しみと憧れを持っていました。実際、京都に住ん
でみて、やはりそうだったと思っています。京都に来る
前、キエフの日本大使館で受付や邦人保護係りの仕事を
していました。今は、京都府国際交流センターのJET
―4―
ば月80
, 00円程度で暮らせます。子供たちの夢はサラリー
マンになること、特に医者や大学教授が人気です。輸出
品はガス、飛行機、乳製品、機械、肥料などです。1家族
のこどもは平均2.0人です。男子1
8歳、女子16歳から結
婚が許されます。男子は18歳から20歳まで徴兵義務があ
ります。宗教上などの理由でこれを拒否する場合には介
護福祉施設などで働きます。平均結婚年齢は24∼25歳で
す。私は28歳、家族から早く結婚しろといわれています。
同級生の多くは小学生のこどもがいます。食生活ですが、
日 本 料 理 屋 が 流 行 っ て い ま す。家 庭 で は、ボ ル シ チ
(キャベツなど野菜のスープ)、そば、 サラダなどとご
飯 で す。
(た だ し、タ イ 米 で、あ ま り 洗 わ ず に 使 い ま
す。)タバコは安いです。世界中のメーカーが売り込ん
でいます。消費税は内税になっており何%か分かりませ
ん。医療制度は整っており、公立の病院は無料です。た
だし、高度の治療を受ける場合は、私立の病院にかかり
ます。もちろん、高額のお金が必要です。今まではイン
フレ続きでしたから銀行に対する信用度が低く、貯金を
するという習慣がありませんでした。幸いなことに、数
年前からこのインフレも収まり、国外からの留学生も来
るようになりました。比較的、治安も安定しており、約
16
, 00人の日本人が暮らしています。ヨーロッパではスリ
やかっぱらいが多いので気をつけねばなりません
が...。
「パナソニックとソニー、どちらがいい?」という会話
が日常的に交わされています。思想、文化の交流もかな
りなものです。禅や剣道も道場があります。現代小説も
読まれており、
「村上春樹読んだ?」と話題にされる位
です。
Q2 日露戦争の時、ロシアの黒海艦隊がオデッサから
出てボスポラス海峡を通って日本海までやって来たとい
うことや戦艦ポチョムキンの話も有名ですね。オデッサ
あたりのことを聞かせてください。
オデッサは国の南に位置する港町です。日本でいう東
京に対する大阪のような感じの町です。ユダヤの文化が
残っており、吉本興業のようなお笑いも盛んです。ロシ
ア帝政の時代には貴族の宮殿や別荘が立ち並んでいまし
た。日露戦争については旧ソ連時代の歴史教育が偏って
いたので知らされていません。ウクライナの中北部では
冬の平均気温が−1
0℃ ∼−20℃ です。日本では冬でも山
茶花などの花が咲きますが、ウクライナでは雪と氷に閉
ざされます。したがって、人々には南指向が強く、休暇
を利用して日光を浴びにオデッサなど南の地方を訪れま
す。
(*ロシアにはバルチック艦隊と黒海艦隊がありまし
た。
1
905年5月、日本海海戦ではバルチック艦隊が東郷
艦隊と戦いました。黒海艦隊の参戦については不明です。
*1905年ロシアでは日露戦争の敗北により帝政ロマノ
フ王朝に対する不満が高じ、第1次ロシア革命が起こり
ました。当時戦艦ポチョムキンはオデッサへ入港直前、
水兵が反乱を起こし革命の引き金となりました。映画
「戦艦ポチョムキン」ではオデッサ港岸壁での騒乱場面
が多くの人の記憶にあると思います。)
(スクリーンに写真を写しながら
① 劇場の多いキエフ
② 国立キエフ大学
③ 詩人・シェフチェンコ
④ アンドレイ教会
⑤ 民族博物館
⑥ キエフの市章
⑦ ペチカ などの話を聞く。)
Q3 ウクライナの人々の暮らしぶりについて話してく
ださい。
最初にいいましたが、私はJR京都駅にある京都府国
際交流センターに勤めています。日本の歴史の中心であ
る古都に暮らせる幸せを噛みしめています。京都があま
りにもすばらしいので、ほとんど、他の町や地方に行っ
たことがありません。清水寺だけでも、
10回以上訪ねま
した。祗園まつり、時代まつり、葵まつりを見ながら、紫
式部や清少納言の世界を感じることもできました。京都
の人が何に感動するかも察知できました。しかし、たま
に、地方の町や村を訪れると、それぞれに歴史があり、
そこの人々がそれを誇りにしていることが分かります。
また、自然、植物、祭り、付き合いなどを大事にしていま
す。事務所では若い人が少なく、年配の上司などと話す
機会が多かったのですが、彼らの知識や感性に学んだり
感動したりすることがありました。とはいっても、まだ
まだ分からないことや知りたいことがあります。国に
帰ってからも京都や日本との交流を続け、人々に日本の
良さを伝えていきたいと考えています。ありがとうござ
いました。
日本は世界一の長寿国ですね。ウクライナの平均寿命
は男性が57歳、女性が71歳です。特に、男性が悲しい状
況です。一般に、男性はきつい仕事に就き、タバコをよ
く吸い、強いお酒を飲みます。このことが原因なのかも
知れません。雇用は男女平等です。管理職やパイロット、
重機の運転操作などにも女性が従事しています。女性も
男性と同じく残業しなくてはなりません。おまけに、家
事はなんといっても女性の肩にかかることが多いので、
結果として、女性は男性の3倍は働くといってもいいで
しょう。私の家は原子力関連会社の管理職、母は市役所
勤務です。母の帰宅が遅い時は、父が得意料理を作って
くれました。また、高齢者が少ないこともあって介護施
設が少ないです。我が家の祖母も家で面倒を見ています。
日本では、街のあちこちにバリアーフリーの設備が充実
していますが、ウクライナではこれからという感じです。
学校を出ても私は就職に苦労はしませんでしたが、今
は厳しいようです。多くの人が公務員志望ですが、それ
とて、月給970ドル程度(日本円)約1
00
, 00円)です。しか
し、公営のアパート賃や光熱費が安いので、きりつめれ
―5―