言葉の遅れを主訴とした事例 The Case about the Delay of Language

中北敦子:言葉の遅れを主訴とした事例
言葉の遅れを主訴とした事例
The Case about the Delay of Language Development
中
要
北
敦
子
約
言語発達の遅れを主訴とした事例である。母子への心理面接の中で、本児の発達状況を見守ると共に、母親への心理的
なサポートを行った。個人面接のみではなく、地域の社会資源を活用しながら、母子に必要な援助を模索した。当初、言葉の
遅れという発達的な問題が中心であったが、しだいに母子関係の問題が影響していることが浮き彫りとなった。長期に渡る母
子への関わりによって見えてきた問題や課題について検討したい。
は じ め に
(2)
した。
本稿では筆者が担当した言葉の遅れを主訴とした事例を
通して見えてくる問題・課題について検討したい。
K 市子育て相談センターは、子育てグループの育成・指
導事業、子育てホットライン事業、母子保健事業(乳幼児
事 例 検 討
健診、育児学級など)との連携により、市の育児支援サー
ビスの総合的窓口として、悩みを持つ養育者に対して迅速
にスムーズに対応していくことを目的としている。筆者は
1. 概要
子育てホットライン事業の心理相談員として活動してきた。
相談経緯は、センターで行っている電話相談に母親から
子育てホットラインの業務内容は、育児の悩みや子どもの
直接相談が入る。子どもの言葉が遅れている。他児と比べ
発達・情緒面に関する電話相談に応じるとともに、面接に
ると明かであり、どうすれば良いのか悩んでいるとのこと
よるカウンセリングを行い、乳幼児を持つ養育者の不安の
であった。電話相談のみでは詳細が把握できないため、来
(1)
解消を図るものである。 相談内容を5項目に分類し、Ⅰ
所面接を勧奨。面接を行う日程を決め、後日、母子で来所
発達(
「言葉の遅れ」というものが大部分を占めるが、全体
して頂くことになった。
的な発達の遅れがうかがえるものや、発音不明瞭といった
発達上の問題を主訴とするもの)Ⅱ情緒(赤ちゃん返り、
2. 事例
母子分離不安、吃音やチック、性格的・情緒的な問題を主
対象児:A 君 年齢:3歳0ヶ月
訴とするもの)Ⅲ行動(登園しぶり・拒否、乱暴、多動、
所属:在宅
自傷・他傷、夜驚、遺尿・夜尿など、子どもの行動上の問
家族構成:父親、母親、妹(4ヶ月)
、A 君。父親は会社員、
題を主訴とするもの)Ⅳ親の問題(親の方に問題があると
仕事は多忙で休みは少なく子どもと関わる時間がほとんど
思われるもの。
なおこれについては以下の2つに細分する。
ない。母親は専業主婦、父親の育児協力がないことへの不
親の問題1:主に子育てに対する不安やストレスを主訴と
満を持っており、ストレスの高い状態、近隣の母親同士の
するもの 親の問題2:夫婦間や家族間の悩みや親自身の
人間関係にも疲れている様子。
抱える問題によって、子どもに何らかの影響を及ぼしてい
期間:通算2年4ヶ月。
第1期から第5期に分け報告する。
るもの)Ⅴ保健(主に赤ちゃんの離乳食や生活などについ
て、また子どもの病気や健康の問題を主訴とするもの)と
3. 事例経過
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中北敦子:言葉の遅れを主訴とした事例
激になると考えた。今後は、センターで母子の定期的な面
第1期(x 年10月∼x 年12月)
接と、k 市が主催する親子教室を案内し社会資源の活用を
「相談機関との出会い」
勧奨した。
面接には本児、母親、妹で来所。母親と共に相談内容を
センターでの母子面接は月2回の間隔で行うことを決め、
確認、生育歴の聴き取りを行う。妊娠中・出産時の異常は
なし、大きな病気にかかったこともない、首のすわり:3
本児に対しては定期的な発達検査を行い発達状況を見守っ
ヶ月、座位:7ヶ月、歩行:1歳2ヶ月、初語:喃語のみ。
た。母親に対しては本児への関わり方、またその中で生じ
言葉は出ないが、
周りが話す内容はある程度理解している。
る様々な不安を受けとめるための心理的なサポートを行う
家では活発だが外に出ると大人しく内弁慶。同年齢の子ど
方針を立てた。市主催の親子教室に参加し始め、本児3歳
もとの交流が少なく、時々公園など行くと非常にうれしそ
1ヶ月時の面接の際、子どもの言葉が多く出始め、とても
うにしている。家では積木やブロック、車の玩具で遊んで
驚いているという報告を受ける。真似もたくさんするよう
いる。車は特に好きで名前はひと通り覚えている。面接で
になったと話す。親子教室にはとても楽しんで参加してい
は本児の行動観察、発達検査を実施(新版 k 式発達検査)
。
る。本児の変化について喜ぶ母親の気持ちを受容した。本
生活年齢3歳0ヶ月。P-M:DQ97 DA2歳11ヶ月、
児の発達にとって、他児と遊ぶ経験を増やすことが非常に
C-A::DQ78 DA2歳4ヶ月、L-S:DQ45 DA1歳4ヶ月、
大切であることが確認できた。12月の面接の際、色の識
全領域:DQ69 DA2歳1ヶ月。面接室への入室に抵抗は示
別ができるようになったこと、
他児の遊びの真似をしたり、
さないが、片手にぬいぐるみを抱え、大人しい。母親も妹
家ではビデオやテレビを観て踊ったりもする、また絵本を
を抱き大人しく静かな様子。発達検査への抵抗はなく課題
見る時には以前のようにじっとしていない様子とは異なり
に取り組むが積極的ではない。トラック・家の模倣ではモ
落ち着いて見られるようになったという報告を受けた。そ
デルに積もうとし、何度か教示を伝えるが同じ動作を繰り
の反面、
「∼したらだめだよ…」と言うことを何度もわざと
返す。形の弁別Ⅰのマッチング課題は正答するが、形の弁
するのでいらいらして怒ってしまうということであった。
別Ⅱのポインティング課題では教示内容の理解が難しい。
それに加え、父親が多忙であるため育児を一人で抱えてい
描画の課題では筆圧は薄めだが他の課題よりも積極的に取
ることへの不満も語られた。10月にトイレットトレーニ
り組む。2個・3個のコップ(+)では落ち着いて取り組
ングを終え一人でできるようになっていたが、今、逆戻り
み、ほどよい対人距離や関わりが持てることがわかる。言
の状態。トイレに行きたい時には「んーんー」と言って知
語表出は喃語レベルだが、指さしは多く確認でき、表出が
らせるが、
逆戻りしていることへの苛立ちの方が強くなり、
ない分、手や動作で表現する様子が見られる。身体各部の
子どもを受けとめることができないと話す。母親には本児
課題では身体を母親の方に向けた状態で答えることはしな
ができるようになったこと、逆に反発したり逆戻りしてし
い。何度か言い直して伝えると、拒否する課題もあった。
まっている意味を説明した。できるようになったことにつ
視覚的な情報に比べ、聴覚的な情報になると反応にむらが
いては本児の発達が伸びている証拠である。反発すること
観られる。
についても第1反抗期と考えられ、3歳頃を中心として見
言葉の遅れに注目すると、言語表出は喃語レベル、指さ
られ、
「自我の芽生え」を意味し乳幼児期の子どもの発達に
しは多く確認でき、言葉に出来ない分、手や動作で表現す
は欠かせない特徴であることを説明した。排泄の自立が逆
る部分が観られた。言語理解はできるが聴覚的な情報より
戻りしたことについては、
「退行」現象と考えられ、母親に
も視覚的な情報に対する応答が早く、反応にむらがある。
甘えたいという赤ちゃん返りを意味し、本児の情緒的な状
普段、同年齢児との接触の場が非常に少なく、また母親か
態を示すサインであり、本児の示す特徴にはそれぞれ意味
らの声掛けも限られたものであり、環境的な要因が影響し
があることを母親に伝え、母親のストレスや不安な気持ち
ているのではないかと考えた。母親へ発達検査の結果をフ
を受容した。
ィードバックし、本児の発達状況、そして今後の対応につ
いて話し合った。本児の発達を促すには、本児への関わり
第2期(x+1年1月∼x+1年4月)
方を工夫することや、集団の場へ参加することが大きな刺
「親子教室への参加」
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中北敦子:言葉の遅れを主訴とした事例
親子教室への参加は継続している。母子共に教室の日を
う。4月中頃の面接では、言葉がだいぶん増え会話も少し
楽しみにしていると言う。教室で行われる母親グループに
ずつできるようになったという報告を受ける。反抗期の様
ついて話しがある。グループワークでは相談員が進行役と
子は以前に比べると落ち着いたが、妹との玩具のやりとり
なって母親一人一人が自由に話しをする。育児や子どもの
で手を出すなど力の加減ができない所がある。この頃から
発達について同じように悩みを抱える母親がいることがわ
妹に対する攻撃が強くなる。母親に甘えたい気持ち、安心
かり、非常に勇気づけられる。また、不安な気持ちを一人
感を得たい気持ちが面接の中で表現される。しかし、妹へ
で抱えず皆の前で話しをすると、発散できたという思いで
の攻撃は逆に母親の苛立ちを生み、結果的には本児を受け
気持ちが楽になるとのことだった。本児のことがきっかけ
止めるのではなく、本児を叱るという悪循環が起きる。母
で参加した教室であったが、本児と共に母親自身にも良い
親へは本児の示す行動の意味を伝えると共に、本児の良い
影響を与えているようであった。しんどさを一人で抱えず
面を探していくことを勧め、本児の示す行動の一側面のみ
仲間と共有することで安心感が生まれること、そして語る
を観て本児の価値を判断するのではなく、本児の示す様々
ことによって母親自身が母親として妻として一人の人間と
な特徴を観察し、
肯定的に観られるよう助言した。
その後、
して様々な役割を持った自分という存在を再確認していけ
母親自身も当初の焦りは減り、ストレスを抱えた時には友
るのではないかと感じられた。母親にとってこうした経験
人に相談するなど、自ら積極的に行動することができるよ
が非常に大切であることを母親とともに話し合った。
うになったため、定期的な面接を一旦終了し、次回4ヶ月
後に様子を確認することにした。
2月末の面接時に、発達検査(新版 k 式発達検査)を実
施。前回の検査から半年経過している。生活年齢3歳4ヶ
第3期(x+1年8月∼x+2年3月)
月。P-M:DQ70 DA2歳4ヶ月、C-A:DQ78 DA2歳7ヶ月、
L-S:DQ 63 DA2歳1ヶ月、全領域:DQ73 DA2歳5ヶ月。
「母子関係の問題」
運動面の課題では、階段の登降で「交互に足を出すこと」
8月末に面接を実施。親子教室が9月で修了するとの報
ができず片足ずつでないと登降が難しい、また「ケンケン」
告を受ける。子どもの発達面や集団の中に上手く入ってい
の課題でも両足でジャンプする動作となり片足のみで、全
けるかという不安はまだあるが、来年からは幼稚園入園を
身のバランスをとりながら立つことは難しい段階。認知・
考えていると話す。発達検査(新版 k 式発達検査)を実施。
適応面の課題では、
「門の模倣」
(−)ではあるが「家の模倣」
前回の検査から半年経過している。
生活年齢3歳10ヶ月、
(+)
。
「四角構成」や「折り紙Ⅲ」といった他の共通する
P-M:DQ61 DA2歳4ヶ月、C-A:DQ89 DA3歳5ヶ月、
課題からもわかるように、まだ斜めを意識した課題は困難
L-S:DQ 76 DA2歳11ヶ月、全領域:DQ83 DA3歳2ヶ
な段階であった。円模写(−)円模倣(−)で紙に描くがま
月。運動面について、階段の登りのみ交互に足を出すこと
だ円が最後で止められず、円錯画の状態。言語・適応面で
はできるが、降りる際には片足ずつ降りる。ケンケンの課
は、
「大小比較」
「長短比較」といった比較概念は難しい段
題は(−)
。認知・適応面では、四角構成例前(+)
、門の模
階。言語表出に関しては絵カードに積極的に答えるが発音
倣例前(+)
、大小や長短の比較概念は(+)であるが重さ
がはっきりせず、聴き取り憎さはあるが「パパ、かいしゃ、
の比較は(−)
、人物完成(−)
。言語・社会面では、絵の名
いった…」という3語文は確認できた。母親に発達検査の
称Ⅰ(+)
、絵の名称Ⅱ(−)であるが4/6と正答に近い
フィードバックを行い、半年前の状態と比較して、特に言
反応。了解Ⅰ(+)で場面や状況を想定して答える力が育
語・社会面のプロフィールに注目して説明を行った。前回
っている。数選び3(+)
、色の名称(+)
。発音に不明瞭
に比べ伸びが確認できること、その中身についても結果的
さは残るが聴き取れる単語は増えている。発達検査の結果
に(−)となった課題であっても、より正答に近い(−)と
を前回の結果を振り返り母親にフィードバックした。認
いう段階まで近づいていることを伝えた。今後も焦らずに
知・適応面、言語・社会面の伸びを確認する。発達面の伸
本児の発達を見守っていくよう母親に助言をした。排泄に
びについて母親も安心した様子であったが、本児が普段母
ついて、日中はパンツで十分やれるようになったが、夜寝
親に対して甘えたり言う事をきかないことでは随分困って
ている間はまだお漏らしをするためオムツをしているとい
いるという話しがあった。子どもの発達段階として大事な
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中北敦子:言葉の遅れを主訴とした事例
通過点だとわかっていてもなかなか受け止めることができ
育んでいくためには母親の関わり方をもう一度見直す必要
ないと母親は話す。当初は本児の発達面の問題を中心に、
があることを伝えた。
関わり方や環境面の工夫について助言を行ったが、本児の
第4期(x+2年4月∼x+2年7月)
発達面の伸びが確認できるようになってくると、元々抱え
ていた、本児と母親との母子関係の問題が浮き彫りになっ
「入園による環境の変化」
ているように感じた。母親に対して幼児用親子関係検査を
入園して登園を渋ることはないが、甘えてきたり習い事
実施し、親子関係を確認することにした。特に「溺愛」
「心
に行きたくないと泣いたりすることがあり、新しい環境へ
配」
といった過保護的な部分が高いことがわかった。
また、
のストレスがあるのだろうかという話しがあった。5月、
「矛盾」といった一貫性のない気まぐれな母親の態度が示
本児は少しずつ園に馴れてきた様子で友達の名前がたくさ
された。過保護的な態度については母親自身が子どもから
ん出てくるようになった。母親自身も本児と離れ、自分の
離れられない状況にあること、本児が母親から分離し成長
時間が持てるようになり気持ちに少し余裕が出て来ている
していく芽を母親自身が摘んでいるような状況にあること
様子。6月末の面接では、園では抑えているのか家では自
が推測できた。そこには母親自身の問題が関係してくる。
分の思うようにいかないとかんしゃくをおこすとの話しが
母親自身が自分の母親との関係の中で発達課題を上手く乗
あった。面接中、画用紙に絵を描きクレヨンで色を塗るが
り越えられておらず、そのため、本児が成長していく過程
上手くいかなかったのか涙を流しながら画用紙を破る本児
を上手く受け止められないことが考えられた。特に、子ど
の姿があった。その様子を観ながら、母親はだまったまま
もの自律という部分で、母親自身が母親から同じように自
本児を見つめている。本児の行動を受け止められない母親
身の自律を妨げられた可能性があるのではないか。そこに
の気持ちが伝わってくるようであった。愛着形成のやり直
焦点を当て、自らを振り返る作業が必要ではないかと感じ
しをするための受け止めと、発達を促し母子が分離してい
た。面接では母親自身が自身と向き合う作業を援助するこ
くための関わりという、その加減の難しさに母親は戸惑っ
とにした。面接の間隔を月1回に決め、定期的な面接を再
ているようであった。子どもの甘えを受け止め安心感を与
開した。1月末の面接では、4月からの幼稚園入園の話題
えることと、過保護過干渉的に関わることでは意味合いが
となり、
「一人で大丈夫だろうか…」と非常に不安であると
大きく異なる。子どもの甘えを受け止めるということは、
の話しがあった。同時に本児の様子として近頃頻尿があり
子どもが自分でできる力を応援しつつそれを伸すために安
心配であるという報告があった。頻尿に関しては神経性頻
心感や安全感を与えることであり、過保護過干渉的な関わ
尿の可能性が強いと考えられた。入園という母子にとって
りは子どもの自分でできる力を伸すことを阻止してしまう
の大きな変化を前に母親自身の不安が本児に影響している
所に大きな違いがある。7 月の面接の際に、頻尿はすっか
ことが推測されたため、本児への接し方や母親自身の心の
りとなくなったが、腹痛を訴えることが時々あるとのこと
持ち方について助言を行った。2月末、頻尿の回数は減っ
だった。依然として、身体症状を示すことで、不安定な心
ている。母親と妹が一緒に遊んでいると非常に焼きもちを
の状態を示している。
やき母親を独占しようとするという報告があった。本児の
第5期(x+2年8月∼x+3年3月)
退行現象について、その意味を確認した。本児自身も4月
の入園を前に不安や緊張感を募らせている。そうした不安
「母からの分離、自律へ」
を一時的に回避したいという思いが退行現象を引きお越し
本児は家で描いた絵を持参。物語に登場する小さな男の
ていると考えられる。本児の心理的な状態を受け止める関
子のキャラクターが母親と一緒に描かれている。最近家で
わりが周囲に求められることを伝えた。
3月末の面接では、
よく絵を描いて遊んでいるとのことであった。面接の中で
我慢できない行動が目立ち、自分の行動をコントロールで
本児に以前のようなかんしゃくを起こす場面はあまり観ら
きない本児の様子について話しがあった。親の過保護・過
れない。母親と妹がトイレへ行くため本児に声を掛け部屋
干渉的な関わりは子ども自身が自分で考え、行動をコント
を出ようとすると、後を追うことはせず、待っていると言
ロールする力を育む機会を失わせる。本児がこうした力を
う。少し時間が経ち、部屋の外で足跡が聞こえると、
「帰っ
11
中北敦子:言葉の遅れを主訴とした事例
てきたかな…?」とそわそわしている。母親から離れ頑張
(4)
述べている。
発達検査(5)を通した本児とのやりとりの
る自分と一生懸命向き合っているように観えた。母親によ
中で、ほどよい対人距離や関わりのとれる力を持っている
ると、この頃、幼稚園の先生から、
「園での様子を観ている
ことがうかがえたことから、問題の背景には環境因が大き
と、自信がついてきたみたいで、色々なことに積極的に取
く影響しているのではないかと推測した。他児と関わるこ
り組んでいる」と話しがあったという。10月に行われた
とのできる集団の場を提供することで少しずつ発達の伸び
運動会ではかけっこなど張り切って参加していたとのこと。
を見せていくのと同時に母子関係の歪みが浮き彫りになっ
園の友達の話しが家でたくさん聞かれるようになったとい
ていった。本児が示す身体症状や退行現象は、母子関係の
う。兄妹げんかは相変わらずあるが、妹に対して力の加減
歪みを表すサインと推測できた。母親がそのサインの意味
が少しずつできるようになっている。11月の面接時に自
を理解し、受け止めていくには時間が必要であった。そこ
画像とその背景に虹が描かれた絵を持参。以前に比べ人物
には母親自身の問題が存在し、本児との関わりを通して母
像がしっかりと描けている。園で製作した作品は力強くダ
親自身が自身と向き合わなければならなかった。本児に対
イナミックであったとのこと。園の先生からも、
「一つのこ
して過保護・過干渉に関わることは、本児の自律の芽を摘
とに集中し最後まであきらめずに取り組む事ができる」と
み、母親から分離できない状況を作り、また母親自身にも
話しがあったと言う。少しずつ安定した様子を見せる本児
本児から分離できない状態を生んだ。母親自身も母親から
であるが、時々、突然、わぁーとかんしゃくを起こす事が
同じように自律を妨げられた体験があった。
育児を通して、
あると母親は話す。そこには本児と母親との間で、微妙な
母親は自身の問題に直面したのである。時間の経過ととも
サインの受け取りのズレが生じているように感じた。母親
に、本児は本来持つ力を発揮し、成長を見せていく。その
の訴えは以前のように困惑した様子ではなく、一段乗り越
姿を傍で観ながら、母親自身も勇気をもらい自分の問題と
えた上での新たな課題として受け止めているという印象を
向き合おうとした。今後も本児の成長において様々な壁に
受けた。3月、母子共に落ち着いた様子で来談。幼稚園で
ぶつかることが予測されるが、それに対処していける力を
も伸び伸びとやれているとのこと。最近は本児よりも妹に
母親は少しずつ身に付けていったように感じた。母親の変
手がかかっていると苦笑しながら母親は話した。面接の最
化にはもちろん母親自身の成長もあるが、周囲や家族の理
終日には父親も来談され、本児の成長、母親の変化、そし
解やサポートも大きな影響を与えている。人が変化する過
て、家族の理解や大切さについて話しがあった。家族4人
程においては、様々な事柄が作用し合うと感じた。
がそろっている姿を観て、
関わってきた時間の重みを感じ、
2. 社会資源の活用と予防的な取り組み
家族の成長を実感した。
本児の問題がきっかけとなり参加することになった親子
考
察
教室は、母子に大きな影響を与えた。日頃、他児との関わ
りの少なかった本児にとって集団の場は本児に良い刺激を
与え、発達を促す効果があった。同時に、母親同士が語る
1. 言葉の遅れの問題と母子関係との関係
グループは母親にとって同じ悩みを抱える仲間の存在を感
主訴は言葉の遅れであったが、母子との面接を通して、
その背景には環境要因として母子関係の問題があると考え
じ、勇気をもらい、そして、グループの中で発言し自分を
られた。大塚らは、言葉の発達を左右するものとして、①
語ることが、母親にとって大きな収穫となった。母親同士
個体要因:知能(精神)発達、社会性の発達、身体の発達
が語り合い悩みを共有する場へ参加することによって、母
など②環境要因:家庭、友達、保育園、幼稚園などの環境、
親にカタルシス効果が現れるのは、同じ悩みを共有できた
を上げ、個体要因も環境要因も小児により様々に異なるた
という、青年期の発達課題をやり直しているようにも感じ
(3)
め、言葉の発達は個人差が非常に大きいと述べている。
られた。自我同一性の課題(6)、つまり、
「自分とは何者で
また、森谷らは、子どもが言葉を話せるようになるには、
(6)
あるか」
というテーマを、母親として妻として一人の人
ただ言葉を聞く経験だけでなく、愛着形成といった母子間
間として、見つめ直しているとも考えられる。援助者とし
の情緒的な関係が必要であり、言葉の発生の基盤となると
て、こうした社会資源を活用するなど、相談者に合った場
12
中北敦子:言葉の遅れを主訴とした事例
や情報の提供を適切に行う事が大切である。澤田は、子育
欠かす事ができないものである。事例の母子においても、
てに対する嫌悪感、母親のネガティブな感情を包含するこ
それぞれ様々な出会いを経験しながら、問題の解決に向か
とを、母親を含む環境全体が失敗していることが問題であ
ったと言える。援助者にとっても、こうした相談者との出
(7)
ると述べている。 子育てに対する喜びと、子育てに対す
会いによって、自らをさらに成長させることができるので
る嫌悪感は母親の中に常に存在するのであって、その辺り
はないか。心理臨床的なサポートは援助する側と相談する
を周囲の環境が十分に理解することが大切であると述べて
側の相互作用によって、成り立つ。相談者の心のサインを
(7)
いる。
地域での親子教室や母親が語れる場の提供を行い、
受け止め援助していくためには、援助者側の力量が問われ
育児をする母親のサポートを行っていくことは重要である。
るが、最も大切なことは、臨床家として相談者と向き合う
児童虐待の問題も叫ばれているが、母子を取り巻く環境を
真摯な姿勢であると考えている。今後も臨床家としてさら
見直し、予防的な取り組みを行うことが問題の早期の改善
に技術を磨き、相談者の方々にお会いして行きたいと考え
につながると考える。
ている。
今後の課題
文
生活の近代化が進み、核家族化、地域状況の変化などの
社会変化に伴って、孤立した育児状況や虐待の増加など育
(8)
児の危機が深刻化してきていると述べられている。
乳幼
児期の子ども、その子どもを抱える母親へのサポートの重
要性が叫ばれており、特に乳幼児期の環境は子どもの成長
に大きな影響を与える。乳幼児を在宅で育てる家族への育
児支援に社会として取り組まざるを得なくなってきている。
問題が発生後の問題対処型の対応ではなく、問題の発生を
防ぐ予防的な観点での育児支援が必要である。子どもと向
き合う閉塞感や、孤立した子育てから解放し育児を通して
(8)
親も子も自尊感情を育める環境が求められている。
様々
な問題を抱える母子に必要な支援体制の充実が求められる。
地域の中で、親子教室等の場を増やし、様々な専門家が連
携して母子を支える援助ネットワークが必要である。
特に、
他職種との連携は母子を援助していく上で欠かす事ができ
ないと考える。他職種とのネットワークを地域で促進して
いくことが求められるのではないだろうか。こうした地域
臨床の中で心理士としての専門性を活かし、新しい取り組
みへ挑戦しながら、活動の幅を広げていくことが必要では
ないだろうか。
お わ り に
人間の生涯における発達において最も重要なことのひ
とつにあげられるのは「人との出会い」であると述べられ
(9)
ている。
人間が成長し変化していく上で、
「出会い」は
13
献
(1)大上律子・林 由香・中北敦子:平成11
年度子育てホットライン相談概要報告書. 加古川市児
童福祉課子育て相談センター, PP.1,2002
(2)大上律子・林 由香・中北敦子:平成13
年度子育てホットライン相談概要報告書. 加
古川市児童福祉課子育て相談センター, PP.3,
2004
(3)大塚親哉:子育てのアドバイスと育児相談
解説編. PP.9, 1996, 南山堂
(4)森谷寛之・竹松志乃:はじめての臨床心理
学. PP.56, 1996, 北樹出版
(5)松下 裕:Ⅰ 認知の発達と新版 k 式発達
検査 ∼認知発達的観点からみた検査項目∼.
京都国際社会福祉センター紀要「発達・療育研
究」, PP.5∼26, 1996, 社会福祉法人
京都国際社会福祉協力会
(6)森谷寛之・竹松志乃:はじめての臨床心理
学. PP.70∼71, 1996, 北樹出版
(7)澤田瑞也:人間関係の発達心理学1 人間
関係の生涯発達. PP.114∼115, 199
5, 培風館
(8)杉原一昭・渡邊映子・勝倉孝治:はじめて
学ぶ人の臨床心理学. PP.262∼263, 2
003, 中央法規
(9)澤田瑞也:人間関係の発達心理学1 人間
関係の生涯発達. PP.107, 1995, 培風
館