2012年度 大学 学部入試 解答

2016 年度 慶應義塾大学 法学部 (論述力) 解答
解説
設問には「トインビーの文明観とその根拠を400字程度でまとめ」という条件が付されているので、まずこのまとめ
がしっかりできるということが肝心である。
トインビーは世界史の未来を文明という角度で見通しているわけであるが、その前提となる主導的傾向として西洋
文明の圧倒的優位を挙げている。そして多くの人が西洋文明の圧倒的優位を永続的なものと考えるのに対して、西
洋文明は非西洋文明に主導権を奪われ、西洋文明が非西洋の諸文明を学ばされるようになると予測する。今日ま
で非西洋は西洋に学んできたが、その逆が生じることで文明同士の学び合いがおこり、その中から一つの世界文明
が生じるという見通しである。多くの人は西洋文明がそのまま世界文明だと考えているが、トインビーの考える世界文
明はそのような文明ではない。最初の3段落でこのように説明がされている。ここでトインビーの構想する世界文明の
イメージがつかめると先が読みやすい。西洋文明がそのまま世界文明になるというのは、西洋文明が世界中に行き
わたり世界全体が均質な一つの文明になるということである。トインビーの言う世界文明はそうではないのであるから、
一つの文明でありながら内部に異質性(他者)を抱え込んだものになるということである。つまり、世界全体が公共的
世界になるということである。そこに気づけば、西洋文明と非西洋の諸文明の関係は「異文化=他者」の関係であり、
「学び合い」は一種の相互交渉として理解することができる。
そのあと第5段落では、西洋文明の優位という傾向は西洋化が世界的傾向であるということであると説明され、第6
段落では、西洋化の主体は非西洋であり西洋は客体に過ぎないと述べ、西洋化の深度は深まり、速度もますます速
くなると述べられている。そして西洋化を二つの文明の出会いだと説明している。非西洋世界全体で西洋化が深く
浸透するときに文明が「出会う」というのは、非西洋文明内部に西洋文明が深く浸透した時に非西洋文明にとって西
洋文明が「異質な他者」として現れるということである。「二つの文明の出会いからは、より予測しえないことがおこる」
という説明から、たとえば「クレオール」が想起できればよい。異質な他者は当然対立するが、その対立の後に新し
いものが生まれてくるということである。続いて第7段落では、西洋化という出会いがもつ価値は非西洋の側に世界
史の比重がかかってくるというところにあると述べている。それは非西洋文明が主導権を持つということで、西洋が非
西洋から学ぶということである。ということは、西洋においても「出会い」が生じるわけで、西洋は西洋のままでありえ
ないことになる。
第8段落からは、トインビーがなぜやがて非西洋が優位に立つという予測をしているのかの根拠が説明されている。
西洋の優位を支えていたのはナショナリズムと近代テクノロジーの結合であったが、ナショナリズムは行き詰まり、テ
クノロジーが容易に伝播可能であることが西洋の優位を失わせるというのである。ナショナリズムの行きづまりには二
つの意味がある。一つは、世界大戦の結果、広域的な連邦国家でなくては主導権的役割を果たし得ない時代に移
行したことで古典的ナショナリズムが行きづまっているということであり、もう一つは、帝国主義的段階に達したナショ
ナリズムが世界戦国時代を現出しているという行きづまりである。またテクノロジーに関しては、それが抽象的な合理
性に基づく中立性をもつために容易に非西洋に受容され、西洋が独占的に保持することはできないということであり、
さらにそこに「勝利の陶酔」という規則性がはたらいて西洋の優位が崩れるということである。
最後にトインビーの言葉を引用してまとめているが、引用で「以前は西洋文明であったこの世界文明は、それに先
立つすべての文明の遺産のなかの最良のすべてわがものとし、同化し、調和させる」と述べられている。ここから世
界全体の「クレオール」化が読みとれる。それをもたらすのは世界化する西洋文明であり、トインビーの言う世界文明
に至るには西洋への抵抗=内的対立を要し、その結果として内的多様性をもった世界文明が形成されるというわけ
である。
以上が課題文の内容である。読み取りはそれほど難しくはないので、これをまとめるのはそれほど難しいことでは
ない。
さて、以上のトインビーの見解をもとに、トインビーの言う世界文明が「来ようとしている」ということについての論述を
するわけであるが、課題文を見れば「来ようとしている」というのは、第4段落の「未来の可能性」ということであることが
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わかる。つまりこのような世界文明は到来する可能性があるのかないのか、ということを考えることになるわけである。
これについては、どちらの立場をとることも可能である。ただし、どちらの立場をとるにしても、その立場をとる根拠を
明確に論じる必要がある。考える鍵になるのは、世界文明を形成するもととなるのが文明の出会い、つまり、非西洋
文明に対して西洋文明が「他者」として現れるかどうか、ということである。
トインビーの見解に沿う形で「来ようとしている」という論述を組み立てるなら、その論拠はどこにあるだろうか。西洋
文明の世界化は紛れもない事実であり、実際グローバル化という形で世界は一つになろうとしている。そのような状
況の中で世界文明に至るには二つの条件がある。一つは西洋文明が非西洋文明に深く浸透することで、非西洋に
とって西洋文明が他者として現れること。これは非西洋における西洋との接合をもたらす。もう一つは非西洋が優位
になることによって、西洋が非西洋から学ぶということが起きること。これは西洋における非西洋との接合をもたらす。
いずれの場合にも「他者との出会い」が生じるわけであるから、現代の世界において「他者」が現われていることを説
明することが重要になる。
その場合どうしても問題になるのは、西洋文明の世界化の原動力がどこにあるのかということである。トインビーの
見解では、西洋化は西洋が主体になって生じるのではなく、非西洋が主体となって生じるということであった。つまり、
非西洋側が積極的に西洋を受容するという形で西洋化が進行しているということである。では、非西洋はなぜ西洋を
受容するのか、ここを考える必要がある。これは西洋文明=進歩、非西洋文明=伝統と置いた時の「進歩と伝統」の
問題である。そこではどうしても「西洋(西欧)中心主義」を考えざるを得ない。西洋中心主義を非西洋が内面化した
場合、西洋=進歩=文明、非西洋=伝統=未開という形で西洋と非西洋の関係を理解可能化する形になり、そこ
では他者性が消去されてしまう。その上で西洋文明の受容は、「伝統の否定」という形で行われることになる。これで
は他者の出会いは生じずに、均質な西洋文明が世界を覆うことになる。したがって、世界文明に至るには、非西洋
が内面化している西洋中心主義を意識化・対象化して、西洋的規範からの逸脱を実践することがこの場合は条件と
なる。
「進歩と伝統」という問題として考えた場合、もう一つ軸になるのは「文明と文化」という問題である。進歩=文明、伝
統=文化ととらえ、文明と文化を別次元のものととらえる中での西洋文明受容のありかたである。たとえば明治期に
おける日本の西洋文明受容は「和魂洋才」という形で、「文明」を「文化」と切り離し、自らの文明内部の精神文化を
保持しつつ道具としての文明を受容するという形であった。ここでは文明は道具としての制度、システム、技術であ
って、文明をそのように受容する限りそれは他者ではない。この場合、文明が他者として現れるためには、文明がそ
の根底に持つ文化が問題となる。いかに文明をその根底にある文化と切り離して道具化したとしても、文明がもつ文
化の「色」を完全にぬぐい去ることはできない。西洋文明が非西洋に浸透した時に、西洋文明の持つ文化性が非西
洋の文化と齟齬を生じれば、西洋文明を他者として自覚することになる。
これらの視点をもってグローバル化した現代社会を見た場合、西洋と非西洋の衝突として非常に分かりやすいの
が、西洋文明とイスラム文明の対立であろう。西洋化が進行する世界のなかで西洋への抵抗としてイスラムを見た場
合、どのようになるだろうか。たとえばIS(イスラム国)の問題を考えてみよう。彼らは西洋文明そのものを敵視し、西
洋的秩序としての世界システムに対する逸脱の行為を繰り返している。これは、西洋化の浸透が彼らの文化と衝突
し、彼らの文化が危機にさらされたことの表れであろう。これに対し、西洋文明側は徹底抗戦の構えをとっている。こ
れは世界システム内部における、互いに理解不能な他者の衝突と見ることができる。では、ここから内的対立を内的
多様性に変換する道は開けるのか。すでに西洋的な世界システムが成立している中で西洋側がISを排除対象とし
てしか見ないのであれば、内的多様性に至ることは難しい。しかし、ISを世界システムの一員としてとらえ、それとの
共存の道を模索した場合どうなるであろうか。規範から逸脱した存在を秩序内に組み込むためには、逸脱した存在
の価値を含みこむ形での規範の再生成が必要になる。西洋文明がイスラムをシステム内の他者として秩序に組み
込むために変容する可能性がある、ということである。イスラムだけではない。原理的にはアジアもアフリカも南米も
同じような可能性を持つと考えることができる。このように考えると、「来ようとしている」ということを論拠づけることがで
きる。
では、その反対の議論、「来ようとはしていない」=可能性はない、という議論はどのように論拠づけられるのか。同
じISの例で考えてみよう。西洋=進歩、イスラム=伝統と置いた場合、彼らの抵抗を「伝統の保持のためには進歩は
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受容できない」という考えに基づくもの、と見ることもできる。進歩と伝統を相容れないものとする発想は、根本的には
西洋中心主義に基づくものであり、伝統の保持のために進歩を否定することはナショナリズムの発想でもある。トイン
ビーは帝国主義的ナショナリズムが世界戦国時代を到来させることをナショナリズムの行きづまりととらえ、西洋の優
位が崩れる根拠に置いているが、他者性という視点からみれば、世界戦国時代の到来は、ナショナリズムの持つ自
文化中心主義の世界化であり、他者性を消去・否定する視点が世界中に行き渡ってしまう事態としてとらえることが
できる。その場合、世界システムは他者のいない戦争のシステムとして永続することになるだろう。また、西洋中心主
義という視点からみれば、イスラムの自己主張は、イスラム=非西洋が劣位であることを前提として、優位である西洋
の支配的立場を希求するものととらえることもできる。その場合は西洋中心主義を自覚することはないのであるから、
世界は西洋文明に覆われたままということになるであろう。
このように現実には様々な解釈が可能であるから、どのような解釈をとるかで結論は変わってくる。重要なのは、ト
インビーの考察を本質的なところで考察する視点である。それが論述のレベルを左右することになる。
解答例
【トインビーの文明観のまとめ】
西洋文明の圧倒的優位の中で進行する西洋文明の世界化は、非西洋文明内に二つの文明の出会いをもたらし、
そのことによって非西洋に世界史の比重は移行する。非西洋の優位のもとでは、それまでとは逆に西洋文明が非西
洋文明から学ぶことになり、そのような学び合いを通して、世界化した西洋文明はその内部に非西洋文明を含みこ
んだ内的多様性を持つ一つの世界文明になるとトインビーは予見する。西洋が優位性の根拠としていたナショナリ
ズムは、一つの国家では主導権を持ちえない時代に移行するとともに、世界戦国時代という対立の中で行き詰まり
を見せ、またもう一つの根拠であるテクノロジーも中立性を持つがゆえに容易に非西洋に伝播し、西洋が独占するこ
とは不可能になるというのが非西洋の優位をもたらす根拠である。
【意見論述例1】
拡張主義的で反国際法的に見える中国の昨今の動きと、そのナショナリズムに対する国際社会及び周辺諸国の
反発は、前者は文明の衝突、後者は帝国主義に対する抵抗という様相を示している。その意味で世界文明は遠ざ
かっているようにも見える。
しかし見方を変えれば、西洋文明及び中国は、異質な他者に遭遇しているともいえる。特に経済的な相互依存関
係が強まっている今日、西洋文明やナショナリズムという現行の規範とそこからの自由や抵抗を目指す動きは、西洋
文明に異質な文明が書き込まれることとナショナリズムを変質させることを通じて、多様な国民が共存可能な次元を
発展させる可能性はあるだろう。そしてテクノロジーの伝播の容易さと「勝者の陶酔」から国際社会の中心勢力が交
代する中で規範が更新され、共存の次元・公共性は拡大していく可能性はある。
テクノロジーの発達と受容の容易さが世界の帝国化や国家の帝国主義に対する他者の抵抗を可能にしている現
在、相互の共存のために国際社会の規範を発展させることができれば、世界文明が形成されていく可能性はあると
いえる。
【意見論述例2】
世界文明の根拠となる事態についてはトインビーの指摘する通りの状況となっている。ヨーロッパはEUという形で
の統合を形成し、環太平洋ではTPPが合意に向けて進行中で、ナショナリズムは衰退しているように見える。また、
テクノロジーは市場とともにグローバルな世界を形成している。しかし、それは市場という西洋的システムによる統合
であり、その点では異文明の出会いが生じているとは言い難い。では、世界はこのまま普遍的な西洋文明によって
覆われた均質な世界になるのだろうか。現在世界規模で問題になっているISの問題を考えてみたい。彼らは西洋
的価値に対してイスラム文化の価値の優位を主張する。西洋文明の浸透が、彼らの文化的価値を脅かしたことがそ
の要因であろう。その意味でそこには文明の出会いがある。しかし、彼らの敵対的行動に対し西洋文明側がこれを
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排除しようとする限りは、異質な価値による多様性の創出には結びつかない。テロと排除のいたちごっこによる疲弊
が、ISを排除するのでなく、世界システムの一員として彼らを秩序に組み込む方向を求めるならば方向は変わる。
規範から逸脱した存在を秩序に組み込むためには、その存在を組み込んで規範を再生成し、システムそのものが
変容する必要がある。西洋的価値に対立する存在を秩序に組み込まざるを得ない状況が生じる可能性があるなら
ば、世界文明は「来ようとしている」といえるのではないだろうか。
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