髪の略奪

アラベラ・ファーマー嬢3に捧げる,
髪の略奪
お嬢様,
英雄滑稽詩
あなたにこの詩を捧げるからには,その詩に思い入れがあることは,
5編
まったく否定できません.
この詩は,
ご婦人方の軽率な愚行だけでなく,
ご自身でも笑ってすますことができて,良識やユーモアーのある数人の
淑女を楽しませることも私のために証言すると思います.この詩は,ひ
ベリンダよ1,あなたの髪を傷つけるのは気が進まなかったが,
そかに回覧されていたのですが,
すぐに人々の知るところになりました.
あなたの願いの多くを聞き入れておいて,今はうれしいと思う.
出版社に渡された不完全な草稿でしたが,あなたは,私のためにいっそ
マルティアリス2
う完璧にして出版することに親切に同意していただけました.その草稿
は,私の構想半ばにして出さざるをえなかったもので,その完成には「仕
組み」が必要だったのです.
お嬢様,その「仕組み」4とは,詩において,神,天使,悪魔が演じさ
せられている役割を示すために,批評家達によって編み出された用語で
す.古代の詩人達は,ある意味で現代のご婦人方に似ています.どのよ
うな行動であっても,些細なことでなければ,詩人達は,常に究極的な
重要性から生じているようにいたしました.私は,薔薇十字団の精霊説
という新しく,奇異な基礎の上に,これらの「仕組み」をすえてみよう
と決心しました.
ご婦人方の前で難解な言葉を使うことがいかにご納得していただけな
3
当時は,少女を除き,未婚,既婚に関わらず,Mrs.を用いた.
神や精霊などの超自然物を取り入れた意匠を指している.古代の叙事詩において,神々が
天井と地上の間を行き来して,人間に働きかけたように,ここでは妖精や精霊がその役割を
担っている.
4
1
2
原詩では,Belinda ではなく,Polytimus となっている.
1 世紀後半ローマに住んでいた風刺詩人,警句家.スペイン生まれ.
いことなのかを存じているつもりですが,とりわけご婦人方に作品を理
でしょう.しかし,すべては,成り行きに任せることにして,あなたの
解していただくことが詩人の最大関心事でありますので,どうか2,3
もっとも従順な下僕であることを分かってもらえる機会を得ただけでも,
の難解な言葉を説明させてください.
私はこの上もなく幸福です.
薔薇十字団とは,あなたにぜひとも知ってもらいたい人々なのです.
敬具,
彼らについての最良の手引きは,
『ガバリエル伯爵』というフランス本に
貴女のもっとも忠実なる下僕,
あります.その本は,表題も,体裁も,小説のようなので,多くのご婦
A.ポウプ
人方があやまって小説と思ってお読みになっていました.教団の会員に
よると,四大要素は,大気の精(シルフ)
,土の精(ノウム)
,水の精(ニ
ンフ)
,火の精(サルマンダ)という精霊にたちによって住まわれている
とのことです.土の精,あるいは,大地の悪魔はいたずら好きですが,
住処を空間にしている大気の精は想像できるかぎりもっとも優れた精霊
たちです.会員の紳士達が言いますには,達人達にはなんでもないこと
ですが,貞節さえ守ればどんな人間でもこれらの優しい精霊たちと親し
く交流することができるのだそうです5.
以下の詩篇については,それらの内容は,最初の夢の場面から最後の
昇天の場面に至るまで,すべて作り事です(ただ,私がいつも敬意を込
めて申し述べる髪の喪失をのぞけば)
.登場人物も,大気の精霊のように
虚構ですし,美しさをのぞけば,ベリンダもあなたと似ているところは
まったくありません.
この詩があなたのお姿やお心のように優雅さをもっていたとしても,
あなたと違って,この詩は,世に出るやきっと人々の批判を浴びること
5
精霊たちは,地上の女性を愛人とすることで,不死になることができた.
振鈴が 3 度鳴り,スリッパで床を打ちたたいた8.
詩篇1
そして,副打時計9は,銀鈴のような音色を返した.
ベリンダは,まだ柔らかい枕で夢心地であった.
おそろしい過ちが恋愛から生じ,
彼女の護衛である大気の精も,そのまま気持ちよく寝かせてあげた.
すさまじい争いが些事から起きることを,
彼女の枕元に朝の夢10を呼び寄せたのは,まさしく大気の精であった.
私は歌おう.詩の神よ,この詩はわが友キャリルに捧げられるべきであ
宮廷誕生会の紳士よりもきらびやかな若者は,
る.
(眠りにある乙女の頬を赤く染めさせさえした)
べリンダさえも,この詩を見て下さるであろう.
魅力的な唇を彼女の耳につけたようだ11,
もし,ベリンダが霊感を与え,友が私の詩を認めるならば,
そして,ささやいた,いや,ささやいたようだ.
主題は些細であるが,誉れはそうではない.
「うるわしき乙女よ,あなたは,
詩の女神よ,いかなる不可思議な動機で,
天界の何千もの住人の注目の的だった.
育ちの良い紳士がやさしい乙女を襲うことができたのかを語られよ.
乳母や僧侶が教えたこと12のひとつでも,
いっそう不可思議で,いまだ分かりかねる動機で,
あなたのあどけない琴線に触れたとすれば,
やさしい乙女が紳士を拒むことができたのかを語られよ.
たとえば,月夜の影におぼろげに見える妖精たちについて,
なぜ,小男がとても大胆な行いができるのか,
(そっと置かれた駄賃の銀貨や円形の芝枯れは,妖精の訪れた証)
なぜ,激しい憤りが優しい胸に宿るのかを語られよ.
あるいは,黄金の冠と天の花輪で飾られた
陽光6は,寝台の白いカーテン7をそっとかいくぐろうとして,
天使の訪問を受けた乙女13たちについて,
陽光を圧倒するにちがいないベリンダの眼を覚まさせてしまった.
昼になれば,子犬たちも起きて,身を震わせる,
8
メイドを呼ぶための行為.
pressed watch は repeater と呼ばれる副打時計,昔,暗闇で時刻が分かるように考案された時
計.
10
朝見る夢は正夢と考えられていた.
11
叙事詩での夢の神から主人公へのお告げを連想.
12
当時,乳母や僧侶が子供たちに迷信を教えると考えられていた.
13
受胎告知(the Annunciation)を連想.
9
眠れぬ恋人たちも,ちょうど 12 時の時鐘で目を覚ます.
6
7
Sol はローマ神話の太陽神で太陽を擬人化している.
四柱式寝台のカーテン.
耳を澄まして,信じなさい,あなたの大事を知りなさい,
自らは興じないけれども,トランプ遊びを遠くから眺める.
また,あなたの狭くなりがちな見方を浮世のことに囚われないように.
死後も,現世のように,女は金色の馬車を乗り回し,
とっておきの真実は,小賢しい心では見ることができず,
オンバー17に興じたい.
女と幼子だけに姿を現す.
うぬぼれのすぎた婦人たちが命尽きると,
疑い深い才子が信じないからといって,気にしなくてもよい,
女たちの魂は,
(土,水,大気,火のいずれか)支配的な要素に立ち帰る
乙女や幼子は,きっと信じるであろう,
18
されば,
数多くの精たちがあなたの周りを飛んでいることを知りなさい,
はげしく,口やかましい女の魂は,炎となって
低空14にいる軽装の軍隊は,
燃え上がり,火の精(サランマンダー)を名乗る.
姿が見えないけれども,翼を広げて,
.
やさしく柔順な心の持ち主であれば,すっと水に流れ込み,
桟敷の上を窺い,円形車道を舞っていく .
水の精(ニンフ)とともに,水のティーをそそる.
天空で,
お供付き数頭立ての馬車に乗っていることを想像してみなさい,
仰々しく上品ぶった女は,地の精(ノウム)に沈み行き,
そして,2 人の従者と輿を嘲笑ってみなさい.
揉め事を求めて,いぜん地をさまよう.
昔のわれわれは,今のあなたのようであった,
軽々しい浮気女は,空高く,大気の精(シルフ)にたどり着き,
かつては麗しき乙女の姿を装っていた16.
天の原を浮かれて,飛び交う.
」
それから軽やかに転じて,
「とくと知りなさい,男性を拒む,麗しく貞節な乙女は誰でも,
今は現世から天空に身を置いている.
大気の精に抱かれていることを.
女がはかない息を引き取ったところで,
現世の掟から自由な精たちは,容易に,
虚栄心がすぐに絶えるとは,けっして思わないでほしい.
好きなように性を変え,形を変えることができるのだから.
女は,死後もいぜんとして虚栄が残ることを知り,
宮廷舞踏会や真夜中の仮面舞踏会で,
15
心うちとけていく乙女たちの純潔を守ることができるであろうか,
14
the lower sky は,aerial を ethereal から区別した意味.
15
上流階級の人々が劇場の桟敷を陣取り,馬車でハイド・パークの円形車道を颯爽と通過し
ていくさまを連想.
16
輪廻思想(soul-transmigration)を表現.
17
18
トランプ遊びの 1 種.オンバーは第 3 編で実際に演じられる.
本詩では,大気の精のエアリアルと地の精のアンブリエルがベリンダの魂を象徴している.
たとえ油断ならない友人からは身を守れても,昼間の流し目,夜のささ
くだらないものばかりを持ってくる.
やきばかりの,大胆な伊達男からはどうであろうか,
なぜ,生贄でもないのに,かよわき乙女は,
乙女たちの熱き心を,やさしい雰囲気がときめかせ,
ある男からの舞踏の誘いがなければ,
音楽がなごませ,
舞踏が燃え上がらせるとき,
はたしてどうであろうか.
他の男の饗応に侍らなければならないのか.
地上の男たちは,貞節,貞節と言ってはいるが,
もしやさしいデイモン19が乙女の手を繋ぎ止めなければ,
賢い天神たちは,乙女を守るのは大気の精だけであると知っている.
」
フロリオが囁くとき,彼女はどうして抗することができるであろうか.
「地の精に抱擁される定めのために,
あらゆるところからのくだらないものばかりで,
乙女たちは,自分の容姿ばかりを気にしている.
女たちの心は,あたかも玩具店で品定めに迷っているようである.
地の精からの贈り物をあざ笑い,素気無くするたびに,
鬘と鬘のぶつかり合い,柄ふさと柄ふさのつばぜり合い,
乙女たちは,望みをいよいよ膨らませ,いっそう傲慢になる.
伊達男たちが女のことで争い合い,馬車は早さを競い合う.
きらびやかな幻想が乙女たちの空っぽの頭に満ちてくる.
罪深き人間たちは,これを馬鹿げたことと言うかもしれない.
貴族,公爵,そして随行の一行,
なんと人間たちは無知なのか.大気の精たちの謀にすぎないだけなの
ガーター勲章,功労賞,そして宝冠を付けたお歴々,
に.
」
「あなたをお守りする私も,大気の精の身内であり,
閣下は,やさしい声で乙女たちの耳元にささやく.
地の精こそは,早々と乙女たちの魂を虜にし,
見張りの精のひとりで,エアリエルという.
ませた娘たちに(男たちの関心を引くために)ぎょろ目を使えと教え込
澄み切った大気の荒野をさまよっていくと,
み,
あなたの運命をつかさどる星の鏡には,
あどけない頬に紅の秘訣を味あわせ,
何たることか,明け方の太陽が大海原に沈む前に,
伊達男に小さな心をときめかすように諭している.
恐ろしいことが差し迫っているのが見えた.
女たちがさまよっていると噂に聞けば,
しかし,天は,何がとも,どのようにとも,どこでとも,いっさい啓示
大気の精は,神秘の迷路を案内し,
しなかった.
目まぐるしい世界をかけめぐって探し求め,
19
Florio や Damon は,伊達男たちの名前.
こうして大気の精が忠告するのだから,
敬虔なる乙女よ,
注意しなさい.
むこうの箱からは,アラビアの香が漂ってくる.
護衛である私ができるのは,そのことを明らかにするだけだ.
ここでは,亀と象が寄り添って,
すべてに気をつけなさい,特に,男どもに.
」
班のある鼈甲の櫛,あるいは白い象牙の櫛に変わっていく.
眠りすぎだと思った子犬が飛び跳ね,吠えて主を起こした,まさにその
留め飾りも,きらきらと光って列をなす.
ときに,大気の精が語ったのだ.
化粧はけ,白粉,付けぼくろ,聖書,恋文.
うわさが正しければ,
ベリンダは目覚めると,
まずは恋文に目を通した.
おそろしく美しい女は,武装する.
大気の精の夢から覚めるとすぐに,
美女は,いっそう魅力を増し,
感傷やら,魅力やら,熱情やらを綴った恋文を読むのだった.
微笑を矯め,気品を高め,
今,覆いが取り除かれた化粧台が堂々と立ちほこり,
自らの顔に驚嘆を呼び寄せる.
銀の器が不思議な順序で置かれている.
頬がいっそう赤らむのを見ながら,
白い衣をまとった乙女は,
目薬21でで目をパッチリとさせている.
冠りを取り外して,化粧台を差配する神々を熱心に崇めている.
忙しい大気の精たちは,主人である乙女を取り囲み,
神々しい姿が鏡に現れると,
こちらで頭を整え,あちらで髪を分けている.
乙女は,頭を垂れ,あるいは仰ぎ見る.
袖を折り返すものもあれば,ドレスに襞を入れるものもいる.
祭壇の脇にいる侍女20は,
侍女のベティーは,
(精たちの仕業であって)自分の仕事でもないのに,
慄きながら,礼装の儀式を執り行う.
誉められる.
たちまち無数の宝石がひけらかせられ,
世界のいたるところから差し出された貢物が現れる.
侍女は,そこから注意深く品定めをして,
輝かしい略奪品で女神を着飾る.
こちらの箱からは,インドの鮮やかな宝石が取り出され,
20
鏡に映った姿を女神,自らを司祭,侍女を助祭に喩えている.
21
Belladonna という薬草から作られたもので,瞳を拡張する作用がある.
両側の輝く巻き毛ですべすべの白いうなじを飾っていた.
詩篇2
愛は迷路に奴隷を引き止め,
勇者の心は細い鎖で繋ぎ止められる.
大海から天に昇った太陽も,
毛製の網で鳥を欺き,
ボートで銀のテムズ河に繰り出すベリンダ一行の前では,
馬髪の細い釣り糸で魚を捕らえる.
かすんでしまう.
金髪の巻き毛で高貴な人を誘惑し,
彼女を取り巻く麗しき乙女や美しく着飾った若者達も輝いてはいたが,
美女はたった一本の髪の毛で私たちを惹きつける.
人々の目は彼女だけに向けられた.
冒険好きな男爵は,彼女の輝く巻き毛を讃えた.
白い胸元には,ユダヤ人も口付けしてしまいそうな,
一目見るなり望みを抱き,彼女の髪をぜひとも欲しくなった.
異教徒達も崇めてしまいそうな,光きらめく十字架を身に付けていた.
彼は手に入れようと心に決め,方策を考えた.
彼女の生き生きとした表情は,はやる気持ちを表している.
力ずくで奪うか,騙し取るか.
眼差しはせわしく動き,片時も定まらない.
恋する男の骨折りが身を結ぶとき,
誰をひいきとするわけでなく,みんなに笑顔をふりまいている.
望みを遂げたのは,謀なのか,力なのかと,尋ねるものなどいまい.
彼女は,しばしば男を袖にするが,恨みを買うわけではない.
太陽が昇る前に,彼は,彼女の髪を得ようと祈願した.
太陽のようにまぶしい視線は,見つめる人を釘付けにする.
幸先を告げる天神やあらゆる御霊を崇めた.
太陽のように,すべての人々を等しく照らしている.
しかし,とりわけ恋の神を尊び,きれいに金刻された
しかし,優雅な立ち振る舞いや,奢ることのない愛らしさは,
12 冊のフランスのロマンスで飾られた祭壇を愛でた.
たとえ娘に隠すべき欠点があれば,それを隠してしまうであろう.
その祭壇には,3 つの靴下止めと手袋の片割れ,
たとえ彼女に女性らしい過ちがあったとしても,
そして,これまで略奪した愛の戦利品が供えてある.
彼女を見つめていれば,すべてを忘れてしまうであろう.
彼は,愛しい恋文で薪に火をともし,
男どもを破滅に追いやるこの乙女は,
3 度,愛らしい吐息で火勢をあおる.
肩のところで優雅にカールしている二房の髪を養い,
そして,戦利品(彼女の髪)をすぐに手に入れ,長く保持したいがため
に,
天の豊かな色合いで染められていく.
深くひれ伏し,一生懸命に目で乞い願う.
染色の混じる中で光は戯れている.
御霊は,耳を傾け,彼の願いの半分を聞き届けたが,
あらゆる光は,束の間,新しい色を発している.
残りの半分は,風が虚空に散らしてしまった.
大気の精が羽ばたくごとに,色は変わっていく.
今や何の心配もなく,彩られた船が滑走していく.
回り一面に囲まれて,金のマストの頂に,
太陽の光は,潮で満ちた川面で踊っている.
エアリエルは,ひとつ頭を抜きん出て立っていた.
温和な音楽がそっと空を満たし,
彼は,深い紅色の翼を太陽に向かって開き,
和らいだ響きは川面で消えていく.
青い杖を振り上げて,語り始めた.
波がすっと流れ込み,西風がやさしく戯れる.
「大気の精の男女ども,お前らの長の言葉に耳を傾けなさい.
ベリンダが微笑んで,この世は生き生きとした.
フェイ,フェアリー,ジェニー,エルフ,デーモンよ,聞きなさい.
ただ大気の精だけが万が一のことを思い,ふさぎこんでいた。
お前ら,永遠の掟として天界人に定められた
差し迫る災いが彼の胸に重くのしかかった.
さまざまな世界や仕事を熟知しなさい.
大気の精は,直ちに空中に帰化した人々を招くと,
大気の精のあるものは,天高いところで戯れ,
姿の見えない軍隊は,帆の周りに集まり,
陽光の輝きに浴し,純白になっていく.
帆綱越しに,そっと囁くような息使いをする。
あるものは,天高くさ迷える彗星の道案内をするか,
それは,甲板にいる人々に単なるそよ風のように思われた。
果て無き空に惑星を転がしている.
中には,太陽に向かって羽を広げるものもいれば,
また,あるものは,より低く,月の蒼白い月明かりの下で,
そよ風に漂うものもいる.黄金の雲間に沈むものもいる.
夜空を横切る星の後を追うか,
透き通るような姿は,人の目にはみえない.
下界の濃厚な大気の中で霧を吸い込むか,
彼らの自在な体は,半ば光に溶け込んでいく.
虹に翼を浸すか,
彼らの空気の衣は,風になびいていった.
冬の大海に嵐を吹き起こすか,
遊糸で織られた輝く薄衣は,
大地に実りの雨を降らせる.
地上にいる精たちは,人間どもを統括し,
奴らのやり方を見守り,奴らの行動を導いていく.
その中で,大気の精の長は,国々の安寧に思いを砕き,
神聖な武器で英国の王座を守る.
」
「われわれのつつましいお役目は,貴き方をお世話することである.
結構楽しくはあるが,それほど誉れ高くない役割.
荒れ狂う疾風から白粉を守るために,
封じ込められた香水が蒸発しないように,
春の花々から新鮮な顔料を抽出するために,
夕立で消え去る前の虹から透明な化粧水を盗むために,
波打つ髪をカールさせ,
紅を注すのをお助けし,気取った態度をそそのかすために.
いやむしろ,しばしば夢の中で,袖口のひだ飾りを取り替え,スカート
裾のひだ飾りを新たに加える工夫に精を出す.
」
かぎ煙草24や扇子で間を取りながら,
詩篇3
歌ったり,笑ったり,じろじろ見たりと,座を持たしている.
正午を過ぎるころから,
いつまでも花々に覆われている草原の近くで,
燃えるような日差しも斜めに射すようになる25.
テムズ河に誇らかにそびえ立つ塔を眺めるところに,
空腹の判事は,急いで判決に署名をするし2627,
荘厳な造りの殿堂が建っている.
陪審員が晩餐を取るために,人でなしたちは首をつられる.
その殿堂の名前は,近郊のハンプトンにちなんでいる22.
王立取引所で仕事を終えた商人28も,無事に帰途に着き2930,
ここでは,大英帝国の閣僚たちが頻繁に
苦労をした身支度もやっと終わりとなる31.
外国の専制君主や自国の麗人の凋落を定める.
今や,名声ばかりを求めているベリンダは,
23
ここでは,3つの王国 が忠誠を誓うアン女王が
大胆な2人の騎士と,たった独りで32オンバー33の勝負に挑み,
時に評議を開き,時に紅茶を楽しむ.
彼らの運命を決することを切望している34.
ここには,勇者や貴女が
彼女は,打ち負かす瞬間を思って胸をふくらます35.
宮廷の楽しみを味わうために集ってくる.
彼らは, 昨晩の舞踏は誰が催したの,誰が訪ねてきたのと,
さまざまな語らいで,実にためになる時間を過ごしている.
アン女王の栄光を語るものもいれば,
東洋風の美しいついたてを品評するものもいる.
あるいは,振る舞い,表情,眼差しを洞察するものもいる.
語るごとに,評判は落ちていくばかり.
22
ハンプトンは,ロンドン市からテムズ河の数マイル上流にある.
アン女王の治世(1702−14)の 1707 年には,イングランド,スコットランド,ウェール
ズから大英帝国がなったが,それ以前,3 国は,それらの国を指した.あるいは,ここの 3
国は,大英帝国,フランス,アイルランドを示唆もしているのかもしれない.
23
24
アン女王の治世にかぎ煙草の習慣が広まった.
オデュッセイア,17 歌,598-606,
「既にはや午後の陽も傾く頃となっていた.
」
26
イリアス,14 歌,377-393,
「人間どもが集会の場で無法にも曲がった裁きを下し,
」
27
オデュッセイア,12 歌,426-446,
「さまざまな争いごとを裁き終えた男が,集会の場を立
って夕餉に向かう頃おい」
28
当時の商人は,コーヒーショップで座って,あるいは,王立取引所の中庭・ギャラリーで
立ちながら商談をした.
29
叙事詩では,その日の仕事が引ける様子によって「夕刻」を意味する.
30
ロンドン市(the City)の情景を記述している.
31
アエネーイス,7 歌,124-127 には,ドライデン訳のアエネーイスの父,アンキーセスの予
言にある「長い旅の苦労も終わる」という表現はない.アンキーセスは,飢えを強いられた
とき,そこに定住するように予言した.
32
4人のゲームにもかかわらず,ベリンダはパートナーを付けていないことを意味している.
33
トランプのようなカード遊戯.
34
ここでは,カードゲームは,戦いそのものというよりも,運動競技として記述されている.
35
単なるゲームの勝利ばかりでなく,性的な征服も示唆しているのか.
25
すぐに3つの部隊36に分かれて戦いの支度をする.
色とりどりの軍隊や輝く一隊列は,
各部隊には,神聖な9枚のカード37が配られている.
ビロードでおおわれた平原を進んでいく.
彼女が持ち札を広げるやいなや,大気の衛兵が降りてきて,
巧みな貴女は,注意深く持ち札を吟味している.
重要なカードごとに座っていく.
彼女が「スペードを切り札に」というと,スペードが切り札となった43.
まずは,エアリアルが切り札にとまり,
彼女の黒の切り札は,浅黒いムーア人の武将のように,
続いて,各階級ごとに大気の精が位置に付く38.
戦場に向かっていく.
大気の精たちは,地上の人であったころがまだ忘れられなくて39,
まず,無双の勇士であるスペードのエースは,
かつて女であったときのように,座席の位置に頓着しているからである
2 枚の切り札を捕らえると,盤上を突き進んだ.
40
これに劣らず,スペードの2も進軍して,多くの札を捕らえ,
持ち札をしっかりと見なさい.白いくちひげと,左右に分かれたあごひ
草原から凱旋してきた.
げをたくわえた威厳のある 4 人のキング41,
クラブのエースも続いたが,彼の運命は過酷であった.
よりやさしい力の象徴である花を手に持つ424 人のクィーン,
たった 1 枚の切り札と並の札を獲ただけだった.
頭に制帽をかぶり,手に斧槍を持った
幅広い剣を携え,長く地位にある
忠実な一団,体にぴったりの服に身を固めた 4 人のジャック.
白ひげを蓄えたスペードのキングが現れる.
.
雄雄しく踏み出された片足は,人目を引き,
36
3人のそれぞれが持つ9枚のカードを兵士の一群と比喩している.
37
9人のミューズの女神も示唆している.
38
アエネーイス,10 歌 4 行,
「神々が観音開きの扉を入って腰を下ろすと」
「二つの開きを持つ宮に,神々席につく時に」
39
アエネーイス,5 歌 39 行,
「彼はその昔の父祖らのことを決して忘れず」
「そのかみの,血
すじのつながりを忘れずに」
40
地位によって座席の位置が決まっていることを指す.
41
イリアス,3歌,121-138,
「馬を馴らすトロイエ勢と青銅の鎧のアカイア軍とが奇妙なこ
とをしていますよ.これまでは恐ろしい戦争のことしか考えず,野原で悲しい戦を繰り返し
ていた両軍が,今はもう戦うのをやめてしまって,楯に倚りかかり,長柄の槍は土に突き立
てて,静かに坐っています.
」
42
アエネーイス,1 歌,314,母神ウェヌス(ビーナス)が武具を付けたいでたちでアエネー
イスの前に現れた場面.
残りは,多彩な衣装に包まれていた.
謀反人のジャックは,王子と戦って,
王の怒りを買っている.
他のトランプゲームでは,キングも,クィーンも打ち負かし,
多くの札を倒すクラブのジャックであっても,
なんと悲しい戦であろうか,まったく助っ人もなく,
43
創世記 1,3「神が言われた.
『光あれ.
』こうして,光があった.
」
勝ち誇るスペードの前では無名の兵士であった44.
ここまで両軍ともに,ベリンダに屈してきた。
アジアの戦士やアフリカの黒人の軍隊が
散り散りばらばらに敗走するようでもあり,
しかし,今や戦況が男爵に傾いてきている。
衣服や肌色が異なる人々が
スペードのキングの王妃にて好戦的でもある女傑は,
混乱して逃げていくようでもある.
自らの主人に攻め込んでいく。
刺し殺された軍勢はあちらこちらに倒れこみ,
横柄な振る舞いや野蛮な虚勢にもかかわらず,
死体の山を築いている.運命がすべてを決している.
クラブの黒い暴君がまずは王妃の犠牲となった。
ダイヤのジャックが狡猾な手を労して
クラブのキングの頭上に頂く王冠や不恰好な巨体は,
ハートのクィーンを勝ち取る(なんと恥ずべきころであろうか)
.
何の役に立つのであろうか。
これで乙女の頬からは血の気が引き,
立派なローブを長く引きずりながら,
顔一面が真っ青になる.
すべての王の中でただ一人金球45を持っていたとしても。
まさに破滅の窮地に詰まれる寸前で47,
いまや男爵は,すみやかにダイヤの札を繰り出す.
不運が近づいてくるのを見て取り,震え慄いている.
横顔だけを見せている,絢爛豪華に身を固めている王と,
今や,乱世のように,
燦然と輝く身のこなしの女王は,力を合わせて,
ありたあらゆる運命は,次の一手にかかっている.
敗軍をやすやすと征してしまう.
ハートのエースが前に出る.一方,まだ見えないキングは,48
クラブ,ダイヤ,ハートは,逃げまどう群衆とともに入り乱れ46,
乙女の手中にあり,捕らわれているクィーンを思いやっていた.
緑の平原を埋め尽くしている.
キングは,復讐とばかりに,一挙に,
嵐のごとくに倒れていたエースの上に重なっていく.
44
イリアス,2 歌,484-493,
「かくも多数の将兵の数と名の一々をことごとく挙げて語るの
は,
.
.
.よしやわたくしに十の舌,十の口,また嗄れることなき声と青銅の肺があろうとも,
到底この身の力には及びますまい.
」
イリアス,16 歌,632-665,
「もはやこれを勇猛サルペドンと見分けることはできぬであろう,
」
45
帝王権を象徴している.
46
本行以降は,ローマのスキピオ将軍がカルタゴのハンニバル将軍の隊を敗走させたことに
たとえている.
歓喜した乙女は,絶叫を天に轟かし,
47
現時点は,ベリンダが最初 4 手を立て続けに取り,その後,男爵が 4 手を取っている状態
にある.
48
ベリンダがキングを持っているにもかかわらず,男爵は(キングよりも弱い)エースを出
してしまう.
城壁が,森が,そして長江がこだまする.
思慮なき人間どもよ,自らの運命に暗く,
軽率な若者よ,辞めなさい,手遅れになる前に思い止まりなさい.
正義の神々を畏れなさい,スキュラの運命を思い描いてみなさい.
すぐに意気消沈し,すぐに意気高揚する.
身を鳥に変えられ,大空を翔るようにと送られた
名誉は,突然奪われ,
スキュラは,大きな犠牲を払って父ニーソスの傷付けた髪の代償を払っ
この勝利の日は永遠に呪われるであろう.
た50.
しかし,人の心が悪戯に傾けば,
ほら見よ,卓上は,カップとスプーンに飾られている.
コーヒー豆はパチパチと煎られ,ミルで挽かれている.
すぐに相応しい悪の手立てを見つけるであろう.
ピカピカの漆塗りの祭壇には,銀のランプが置かれている.
ちょうどその時,クラリッサが,優雅な素振りで,
赤々と酒精49が燃えている.
光り輝くケース51から両刃の剣を取り出した.
鯨の噴気孔のような銀の注ぎ口から,
おいしそうなコーヒーが注がれる.
ロマンスにうつつを抜かすご婦人たちも,騎士を助けて,
陶器の底の大地は,湯気立つ潮を受け止める.
手槍を差し出し,出陣に備えて武器を持たせる.
卓を囲む人々はすぐに香りや味に満足し,
男爵は,贈られた武器を恭しく受け取り,
何杯もすすむカップで食事時間が長引く.
指先に付けて,小さな武器を広げる.
宙にある侍従たちが乙女の周りにひしめいている.
頭をかがめてコーヒーの香りを味わっている
貴女がすするたびに,ある者はコーヒーの湯気を煽った.
ベリンダの首のちょうど後ろで,男爵は武器を広げる.
また,ある者は,震え慄きながら,豊かな金襴に気付き,
千もの妖精が,ベリンダの巻き毛に急遽集まり,
念入りに手入れをした羽で貴女の膝を覆った.
千の翼でかわるがわる髪を吹き流す.
コーヒー(政治家気取りの輩を小賢しくし,
三度,妖精たちは耳もとのダイヤを引っ張り,
半分目を閉じたままであらゆる物事を見通させる)は,
三度,彼女は振り返り,三度,敵は忍び寄ってきた.
湯気となって男爵の脳裏に
50
輝く御髪を奪うという計略を閃かせた.
49
アルコールを指す.
ギリシャ神話,メガラ王ニーソスのあまたには紫色の髪の毛が 1 本あり,これを抜かれれ
ば死ぬとの神託があったが,敵国クレタ王ミノスに恋した王の娘スキュラが父の毛を抜き取
り,王は死に,メガラは落ちた.
51
当時の女性は,腰から下げたケースにはさみを入れていた.
ちょうどその時,心配なエアリエル(大気の精)は,
勝利の花輪を私の頭に付けてくれ.
乙女が胸に秘めている想いを推し量った.
栄光の賞品は私のものだ!(勝者は叫んだ)
胸に飾られている花束に持たれかけて眺めてみると,
魚が川の流れに,鳥が宙に,
彼女の心の中では,あれやこれやの考えが浮かんでいた.
あるいは,麗人が 6 頭立ての馬車に興じる限り,
彼女はとりすましてはいるけれども,エアリエルは,
『アトランティス』52が読まれる限り,
生身の恋人が彼女の胸のうちに潜んでいるのをみてとった.
小さな枕が乙女の床を飾る限り,
エアリアルは,驚愕し,混乱し,精根尽き果て,
厳かな日々に,多くのろうそくの明かりの助けを借りて,
運命に任せて,ため息をついて身を引いた.
淑女たちが訪問しあう限り,
まさに今,男爵は,きらきらと輝く鋏を大きく開き,
巻き毛をはさみ,ざくっと断ち切った.
運命の鋏が閉じようとしているその時にも,
乙女達が宴を催し,密会をする限り,
私の名誉,名声,賞賛は永遠だ!
時間が哀れむものに,剣が無残にも時を刻み,
哀れな大気の精は,愚かにも身を賭して邪魔をした.
人間どもと同様に,いかなる不朽の構築物も運命に屈する.
運命にせかされて,大気の精は,はさみでまっ二つにされたが,
剣は,神が作り上げたものを破壊し,
(しかし,透明な身はすぐに元通りになる)
トロイの神殿を粉々に打ち砕く.
鋏が合わさったその場所で,清らからな頭部から
剣は,人間の誇る労作を打ち壊し,
御髪は永遠に断たれてしまった.
凱旋門を打ち倒す.
乙女の眼からは,怒れる稲妻がひらめき,
戦慄の絶叫は,天を引き裂く.
わが乙女よ,お前の御髪が,いきり立つ剣の力に屈したとしても,
何の不思議があるものか.
たとえ,夫や愛犬が息を引き取っても,
あるいは,豪華な陶器が落ちて
輝く塵や彩られた破片となっても,
これほどの悲鳴を憐れむ天に向けるものはいないであろう.
52
Mrs. Manley の書いた小説.著名人を誹謗中傷しているために,名誉毀損(libel)で刑を受
けた.
土の精アンブリエルは,すすだらけの翼でさっと飛んできて,
詩篇4
湯気となって憂鬱な館に辿り着く.
この重々しい場所は,心地よい風などにまったく縁がない.
しかし,もしやの心配事が,悲しげな乙女の気持ちをふさがせ,
53
ひどい東風だけが吹いている.
秘めたる熱情は,胸中をいっそう苦しませるばかりであった .
この小洞窟は,大気からも閉ざされ,
捕虜にされた若き王でさえも,
嫌われた白昼の輝きからも遮られ,
色香が衰えはじめても男どもを軽蔑する乙女さえも,
横腹の痛みと偏頭痛で,
あらゆる悦びを奪われた熱き恋人達さえも,
悲しげに沈む床で乙女は,ため息をつくばかり.
接吻を拒む年増の女さえも,
二人の侍女が王女に仕えている.身分は同じだが,
悔い改めないままに死んだ獰猛な暴君さえも,
姿,容貌は異なっている.
間違ってマントをピンで留めたシンシアさえも54,
こちらの一人は,意地悪で,年増.
御髪を奪われた哀れなあなたほどには,
皺のよった容姿を黒と白で着飾っている.
憤怒,憤慨,絶望を感じたことはないであろう.
彼女の手は,朝な,昼な,夕なの祈りで一杯だが,
この悲しき時に,大気の精は退き,
胸の中では悪口ばかり56.
涙ぐむエアリエルもベリンダから飛び去った.
向こうの一人は,なよなよして,どこか気取って,
暗き憂いの妖精,アンブリエルは,
18 歳のむすめのようなばら色のほおをしている.
いつものように光が照らす面を遮り,
幼稚な話し方で,頭を傾げて,
自分が馴染みの地の底に下り.
弱々しくも,物思わしげ.
憂鬱なスプリーン窟55をさがしにいった.
55
53
冒頭の 2 行は,カルタゴの女王で寡婦となったディドが,カルタゴがよそ者の手に渡るか
もしれないという良識に逆らいつつ,アエネイアスと恋におちいる様を描いた『アエネイド』
の第 4 編の導入部分を踏まえている.
54
ここでいうマントは,プチコートの上にピンで留める緩めのスカートを指している.
当時,脾臓から湯気が出て,それが頭部に達すると,憂鬱症や頭痛が発すると考えられて
いた.また,仮病も意味し,spleen がさまざまな口実や言い訳に使われていた.
56
祈りも,風刺も,ひどいものであるが,祈りは手の中に処することができて,風刺は胸の
中にしまいこまなければならない.人の見えるところでは,祈っていても,人の察すること
ができない胸中では,悪口を言っているとも解釈できる.
悲哀をうかべ,ふわふわとした布団に身を沈め,
61
病気なのか,見せかけなのか,ガウンをまとう.
想像力たくましく,男どもが子をはらみ,
新しい夜着を買うたびに,
女どもがビンに姿を変えて,コルクで口をふさいでくれと叫んでいる.
.
土の精アンブリエルは,気分を癒すシダの一枝を手に持って62,
婦人達は,こうした病にかかってしまう.
湯気が宮廷じゅうにずっと立ちこめている.
無事に奇怪な一団を通り過ぎていく.
霧のように,奇妙な幻が湧き上がってくる.
そして,地下の支配者に奏上した.気まぐれな女王,万歳!
ひどい暗闇で隠者が見る夢のように恐ろしく,
憂鬱と,女性の才気の,生みの親は,
息を引き取る娘が見る幻影のように輝いている57.
15 歳から 50 歳までの女性を支配し,
あるいは,にらみつける悪霊,轆轤にまく蛇の群れ,
ヒステリックな,あるいは詩的な気まぐれを呼び覚まし,
真っ青な亡霊,口を開けた墓場,そして紫に燃える火.
さまざまな仕方で,さまざまな気分に働きかけ,
あるいは,どろどろに溶けた黄金の湖,極楽の光景,
あるものには薬を飲ませ,あるものには芝居を書かせ,
水晶の殿堂,そして機械仕掛けの天使達58 59.
傲慢な女性に待ち合わせの約束をたがわせ,
スプリーンによって姿を変えられた人々が,
そして,不機嫌な感じが,かえって心身深い人々を祈りに向かわせる.
そこいらじゅうにころがっている.
地下の支配者を軽蔑し,誰に対しても分け隔てない陽気さで
こちらでは,生きた急須が,片方の腕を上げ,
何千もの人々を元気付ける乙女がここにおられる.
もう片方の腕を曲げている.こっちが取っ手で,あっちが注ぎ口.
しかし,何ということになるであろうか,土の精アンブリエルが,乙女の
あちらでは,土瓶が,ホメロスの鼎よろしく歩き回っている60.
優雅を傷付けたりなどすれば,美しい顔ににきびを吹き出させたりなどす
こちらで花瓶が吐息をつき,あちらでガチョウパイがおしゃべりしている
れば,シトロンのブランデーのようにご婦人の頬を真っ赤にさせたりなど
すれば,ゲームに負けて顔色を変えさせたりなどすれば.
57
58
59
60
これらの 2 行は,心気症(hypochondriac)の影響を示唆している.
天使を宙に固定する舞台道具を指している.
これらの 4 行は,幻覚症状(hallucination)をオペラの舞台装置にたとえている.
鍛冶の神であるウゥルカーヌスが作った自走式の黄金の鼎.
61
スプリームで鬱病になった患者は,しばしばキビの実,ガチョウ,ガチョウパイになった
と信じ込むと考えられていた.
62
英雄が金枝(gold bough)をもって下界に行くことにたとえている.
何ということになるであろうか,拙者アンブリエルが,妻が寝取られたと,
乙女がサレストリス66の腕の中に抱かれているのを見届けた.
根拠のない嫉妬心を夫に植えつけたりなどすれば,ペチコートを乱し,ベ
彼が,彼女達の頭上で膨れ上がった袋を引きちぎると,
誰も淫らなことをしていないのに,
ッドをひっくり返したりなどすれば63,
すべての怒りがその穴からあふれ出てきた.
疑いを持たせたりなどすれば,気取った婦人の頭飾りを乱したりなどすれ
ベリンダは,人間とは思えない憤怒で燃え上がると,
ば,便秘気味の子犬に,きらきら輝く眼からあふれる涙を押さえる効き目
激しいサレストリスは,燃え上がる炎をいっそう燃え立たせた.
などない薬を与えたりすれば.
哀れな娘よ,とサレストリスは手を広げ,叫んだ67.
拙者の言うことを聞いて,ベリンダを無念の思いに苛ませなさい.
(ハンプトンのこだまは,哀れな娘よ,と応えた.
)
すると,世界の男どもも64,憂鬱に沈むであろう.
あなたが,常に心してヘアピン,櫛,香水を準備したのは,
不機嫌な女神は,
このためだったのか?
アンブリエルの言うことに耳を貸さなかったが,彼の願いは聞き届けた.
毛巻き紙で毛を結ったのは,このためだったのか?
彼女は,ユリシーズが風を持ち歩いた皮袋のように65,
ひどく熱したこてで髪輪を作ったのは,このためだったのか?
不思議な袋を両手でしっかりと結び合わせる.
金属製のヘアバンドで柔らかな頭をしばり,
彼女は,そこに女性の肺臓の脅威,ため息,むせび泣き,情熱,口論を
二倍の重さの鉛に耐えたのも,このためだったのか?
すべて詰め込んでいる.
神々よ,しゃれ男どもの羨望と,女どもの注目を集めるとき,
次に彼女は,小瓶にも,気を失わせるような恐怖,
強奪者は,あなたの髪をひけらかすであろう.
静かな悲しみ,溶けてしまうような悲哀,そして流れ出る涙を詰め込む.
評判を思えば,その振る舞いは断じて許されない.類まれな誉れの宮廷に
土の精は,喜んで彼女の贈り物を運び去り,
て,
黒い翼を広げて,ゆっくりと昼間の世界へと上っていく.
女どもは,その代わりに安逸も,快楽も,美徳も,あらゆるものを放棄す
アンブリエルは,目が意気消沈し,髪が乱れた
る.
63
アンブリエルが,わざと情事の後とみせかけた.
不機嫌なベリンダに取り乱された男ども.
65
流浪中のユリシーズ(オディッセウス)が風の神アイオロスの島に立ち寄ったとき,アイ
オロスがユリシーズにすべての悪風を閉じ込めた皮袋を贈った.
64
66
ベリンダのモデルであるアラベラの母方の親戚である夫人(Mrs. Gertrude Morley)をモデ
ルとしているといわれている.彼女の夫 Sir George Browne は,後出のプルーム卿のモデル.
67
トロイ戦争のギリシャの老将ネストルがギリシャ人に向けた演説を模している.
わたしには,すでにあなたの涙を目にし,
まずは煙草入れを開け,彼が任された事例を切り出した70.
人々が酷いことをうわさするのを聞き,
彼が突然,
「貴様は,なぜ,こんなひどいことを.
あなたが品位のない美女のようにみられ,
コン畜生,髪のやつめ,もっと礼儀をわきまめろ.
内緒話にあなたの評判はすべて失われたように思える.
これでは,流行り病だ,悪ふざけが過ぎる,いや,天然痘だ.
わたしは,あなたの救いのない名誉をどのように守るのであろうか.
娘に髪を返しなさい」というと,また,煙草入れを軽くたたいた.
今後は,あなたの友人とみられることさえ,汚名となるであろう.
男爵が再び応えるには,よくしゃべるものにかぎって,
この獲物,貴重な戦利品は,
無駄ごとをいうことが,自分をおおいに悲しませる.
はめ込まれた水晶越しに,人々の食い入るような眼差しにさらされ,
しかし,私は,この髪,神聖な髪に誓っていうが
周りのダイヤの輝きに引き立てられて68,
(この髪は,美しい頭に生えていたところから切り取られたもので,
略奪者の手の上で,永遠に輝くのであろうか.
もとのところには絶対に付けられないし,
そのようなことになれば,今に,ハイドパークの円形車道に雑草が茂り,
美しかったころの評判も取り戻すことができないであろう)
,
ボウ寺院の鐘の音が届くところに69,才子が居を構えるであろう.
私の鼻孔が活き活きと息を吸うかぎり,
今に,地も,天も,海も.天地創造以前のように混沌とし,
髪を奪ったこの手に携えるであろう.
人間も,猿も,犬も,おうむも,すべて命を失うであろう.
彼は,さらに語り続け,勝ち誇って,
サレストリスは,激怒してプルーム卿に近づいて,
長年の苦労の末に手に入れた評判の髪を大きく広げた.
しかし,
あのにくたらしい土の精,
アンブリエルが,
容赦することなく,
彼女を慕うこの男に,大切な髪を取り戻すように命じる.
(プルーム卿は,自慢するのももっともな琥珀の煙草入れを身に付け,ま
小瓶を打ち壊し,そこから悲しみがあふれ出る.
だら模様の籐の杖で小粋に振舞っている)
見てみなさい!乙女が麗しい悲しみにひたり,
くそまじめな目,間抜けな丸顔で,
彼女の目は,半ば悲しげに,半ば涙にぬれている.
彼女のうなされた頭が豊かな胸の上にうつ伏せていたが,
68
ダイヤで意匠を凝らして水晶の下に髪の毛を組み込んだ指輪を意味している.
「ボウ寺院の鐘の音が届く周辺」は,シティーの商業地域を意味していて,市西部の閑静
な住宅地と対照的な場所を示唆している.
ため息をついて頭をあげ,語り出した.
69
70
ここでは,プルーム卿が,ベリンダの弁護人として事に当たることを意味している.
私の最良の,愛しんだ巻き毛を奪った,この忌まわしい日は,
自らの手が,あなたが奪ったときでさえ残した,もう一方の髪を引き裂こ
永遠に呪われるであろう71.
う.
自分がハンプトンの宮廷をみることがなければ,
二つの黒い巻き毛に分かれるようになっていた髪々は,
十倍も幸せであったであろう.
かつて,雪のように白いうなじに新たな美しさを加えていたが,
しかし,自分が,最初に,宮廷の愛に裏切られ,
今では,片割れの巻き毛は,ぶざまに残され,
数々の不幸に陥ったものではない.
失われた巻き毛の運命に,自らの運命を重ね合わせている.
何ということであろうか,金色の馬車がわだちをつけることもなく,
残った巻き毛は垂れ下がり,運命のはさみを求めて,
誰もオンブルにうつつを抜かすこともなく,ホビー茶をそそることもない
もう一度,神聖な神を汚したあなたの手を誘惑している.
離れ小島や,遠い北方の土地で,
何と残酷なことか,あなたが,人目につかない髪か72,
人々の賛辞も受けないままであればよかったものを.
巻き毛以外のどの髪でも,奪って満足していたら,どんなによかったこと
そこでは,荒野に咲き,そして散る薔薇のように,
か.
人々の目にさらされることもなかったであろう.
なぜ,若い殿方が歩き回ると,自分の心が乱れたのであろうか.
何たることか,家にとどまり,お祈りを唱えていればよかったのに.
今朝の予兆が語っていたことはこのことだったのか.
付けぼくろ入れが,私の震える手から,二度も落ち,
風もないのに,すわりの悪い陶器がぐらぐらとよろめいた.
いや,おうむが黙って木にとまり,子犬もやけに機嫌が悪かった.
不思議な夢で,大気の精が不幸の差し迫っていることを警告したのに,
今では,信じるのも遅すぎた.
屈辱を受けた髪のあわれな跡形をみてみなさい.
71
アキレウスのパトロクロスに対する哀悼を模している.
72
性的な意味を示唆している.
美貌によって得たものを守る良識がなければ,
詩篇5
すべての華やかさ,すべての苦労は,無駄になる.
桟敷の前席が飾り立てられるとき,男どもは,
ベリンダが語り終えると,同情する人々は涙した.
容貌とともに,まずは美徳をみよ,というであろう.
しかし,運命も神々の王ジュピターも,男爵の耳を封じてしまった.
もしも,一夜を踊りあかし,昼間に着飾って,
サレストリスは,むなしく罵倒して攻め立てるが,
天然痘75を治し,老いを追い払うことなぞできれば,
ベリンダでもできないのに誰が男爵を改心させることができるであろう
誰もが,主婦の苦労を軽蔑し,
か.
日常に役立つものを学ぼうとしないであろう.
むなしく,アンナはすがり,ダイドウははやし立てても,
73
化粧直しで,いや色目を使って,もしかして聖者になれるかもしれず,
トロイ人の心を半ばも引き止めることができなかった.
たかが化粧で,深い罪になるわけではない.
その時,重々しいクラリッサは,優雅に扇子を動かすと,
しかし,美は朽ちていくゆえに,
周囲は沈黙し,そして彼女は語り出した.74
巻き毛であろうと,なかろうと,黒髪はいずれは白くなるゆえに,
なぜ,もっともほめたたえられた美女が,
化粧をしていようと,いまいと,すべては衰えていくゆえに,
賢いもののあこがれの的や,見栄っ張りの喝采を浴びたのであろうか?
男をさげすむ女は,娘として死ななければならないゆえに,
なぜ,大地と海が恵むすべてのもので飾り立てられ,
われわれが何を失おうとも,最後に残るのは,
天使と呼ばれ,天使のようにあがめられるのか?
うまく気立てを用いて,長く保つこと.
白い手袋をしたしゃれ男どもが馬車の周りを囲んで群がり,
信じてほしい,気取り,気まぐれ,絶叫,罵倒が倒れても,
もっとも奥の桟敷から会釈をするのか?
気立ては生き残る.
美女は,かわいい目を無駄にくるくると回す.
73
ここでトロイ人とは,トロイ王子アエネイアスを指す.カルタゴ女王ディドは,妹のアン
ナとともに,カルタゴを発とうとするアエネイアスを思い止まらせようとしたさまにたとえ
ている.
74
リュキア(Lycia)の王サルペードーンが,王子グラウコスにトロイ側に組することを求め
た演説を模している.そこで,サルペードーンは,名誉ある死と下劣な老いを比較している.
魅力は人目を引くけれども,魂こそは真価を見出す.
クラリッサが語り終わっても,誰一人拍手はしなかった.
75
男爵のモデルとなったピーター卿は,1713 年に天然痘で亡くなっている.
ベリンダはしかっめ面,サレストリスは淑女ぶっているというばかり.
ヘアピンの槍にもたれかかり,妖精たちは,
いくさ支度をしろと,獰猛果敢な女丈夫76叫ぶと,
盛り上がる戦闘を観戦し,時には戦いに加勢する.
稲妻のごとくに戦闘に駆けつけ,
雑踏を分け入って,激怒したサレストリスは飛び掛り,
敵,味方にわれて,攻撃を開始する.
両眼から,あたり一面に死を撒き散らすと,
扇子がふれあい,絹の衣がすれあい,強固な鯨の骨がきつい音を立てる.
しゃれ男も,うぬぼれ屋も,続々と倒れてしまう.
紳士,淑女の叫び声が入り混じり,
ある者は謎めいた言葉を残し,ある者は歌を口ずさんで果てていく.
バスとソプラノが天に響きわたる.
「何と残忍な女か,死にまねならば耐えもするが.
」
誰の手にも,普通の武器はなく,
とダパーウィット79は叫び,椅子のそばに倒れた.
神々のように戦い,致命傷も心配していない77.
ホプリング卿80は,悲しげな上目使いをし,
大胆なホメロスは,神々を激怒させ,
「あの生まれながらの両眼に睨まれると,死んでしまう」と最期に言った.
人間のような情念で神々の心を乱すとき,
かくして,メアンデル川の花咲く岸に身を横たえる.
マルスがパラスに,ヘルメスがラトナに立ち向かうとき,
死際の白鳥も,歌を歌って死んでいく.81
オリンポスの丘に警鐘が鳴りわたる.
大胆なブルーム卿がクラリッサを押し倒すと,
ジュピターの雷がとどろき,天界が激震し,
クロエが分け入って,しかめっ面でにらみつけ彼を殺してしまった.
海神ネプチューンが暴れ回り,海のうなりがとどろく.
強い男が倒れるのをみてクロエが微笑むと,
大地がぐらつく塔を揺さぶると,地面が裂け,
彼女の微笑でブルーム卿はまた蘇った.
青白い幽霊どもは,真昼の閃光に驚いて飛び起きる.78
勝ち誇ったアンブリエルは,張り出し燭台のところで,
ジュピターは,黄金の天秤を空中につるし,
令嬢の髪と男の才智を秤にかける.
歓喜の翼を羽ばたかせ,座って戦を眺めていた.
疑い深い秤の棹は,長らくいずれとも決めがたく,
76
79
77
78
イタリアでアイネーイスたちと戦った足の速いカミラも,
「獰猛な女傑」と呼ばれた.
「致命的」とは,性的,肉体的な関係を隠喩している.
地中に潜んでいた亡霊が,突然の閃光に驚く様.
80
81
Whcherley 著 Love in a Wood の登場人物.
Etherege 著 Man of Mode の主人公.
オウィディウスをはじめとして多くの詩人が,白鳥は死の間際に歌うと考えていた.
屈辱を与える敵よ,私を倒したからといって,おごらないでほしい,
(と
ついに才智が上がり,髪に傾く.
激しいベリンダが並みの稲妻よりもすばやく,
男爵は叫んだ.
)
男爵に飛びかかるのを見てみなさい.
あなたも,いつかは,誰かに,このように倒されるであろう.
男爵は,不利な戦いを恐れたわけではなく,
たとえ死んでも,私の気高き精神が絶えてしまうとは思わないでほしい.
敵の手にかかって死ぬことを望むばかりであった.
私が恐れることは,唯一つ,あなたを残していくことだけだ.
ベリンダは,親指ともう 1 つの指で,
そうするよりは,なお生きて,
,
男らしい資質に恵まれた男爵を押さえ込んだ.
愛の炎に身を焦がせてほしい,生きながらに燃え尽きたい.
狡猾な乙女は,呼吸をする鼻孔に,
「髪を返せ」とベリンダは叫ぶと,
葉煙草を押し込んだ.
丸屋根が「髪を返せ」とこだまする.
土の精たちは,すべての粒に抜かりなく,
獰猛なオセロでも,これほどの大声を張り上げて,
強い刺激をもたらす粒に指図する.
彼に苦悩をもたらしハンカチを求めはしなかったであろう.82
すると,両眼からどった涙があふれ出し,
しかし,いかに野望がくじかれ,
くしゃみが丸屋根に響いてこだまする.
すべての獲物がなくなるまで武将たちが争い続けるのを見てみよ.
「観念しなさい」と激怒したベリンダが叫び,
罪を犯して得て,苦労して守ってきた髪は,
とどめのヘアビンを抜いた.
どこを探しても,徒労に終わる.
(祖先から伝わるこの装飾品は,
誰もそのようなものなぞ授からない,と
曽曽祖父が,3 つの印章付きリングにして首の辺りに付け,
神が告げているではないか!誰も,神と争うことなぞできない.
髪は月世界に昇っていったと思うものもいた.83
その後,彼の未亡人のガウンの留め具に鋳なおした.
次に,ベリンダの祖母が幼いころに笛となり,
地上で失われたあらゆるものは,そこに蓄えられている.
祖母は鈴を鳴らしては,笛を吹いた.
そして,髪を飾るヘアビンとして
母が長く身に付け,今は,ベリンダが付けている.
)
82
ムーア人の将軍オセロは,イアーゴの訴えによって,妻に対して不義の疑いを持った.そ
の際,イアーゴは,オセロが妻に贈ったハンカチを証拠に持ち出している.
83
地球と月の間の天空を指している.大気の精の棲家.
英雄たちの才智も,どっしりとした瓶に入れられ,
音楽を奏しながら,その吉兆を歓迎する.
しゃれ男の才智も,煙草入れや毛抜き小箱にしまわれている.
この様を,幸せな恋人たちは,ロザモンダの池のほとりから,
たがわれた誓いも,死際の施し84も,
愛の女神ビーナスと見たて,愛の誓いをささげる.
あるいは,リボンでくくられた恋心も,
この様を,パートリッジ87も,ガリレオの望遠鏡をのぞくとき,
ご機嫌取りの約束も,病人の祈りも,
雲ひとつない星空に見るであろう.
売春婦の微笑みも,相続人の涙も,
そこから,悪名高い魔術師は,
ぶよのかごも,のみをつなぐくびきも,
ルイ王朝の運命や,ローマ法王の没落を予言する.
美しい乙女よ,奪われた髪を嘆くのはやめなさい.
乾いた蝶の死骸も,詭弁を弄した大著も,すべてそこにある.
しかし,ミューズを信じよ,詩神は髪が昇っていくのを見ていた.
あなたの髪は,輝く天界に新たな輝きを加えている.
誰も気が付かなかったけれど,詩神の眼にはしっかりと留まった.
どんなに美しい頭がほこる髪であっても,
(ローマの建国者85が天に昇るとき,
あなたの失った髪ほどには,羨望を受けるわけではない.
プロクラスだけに現れてお告げがあった.
)
あなたの眼が多くの人々を魅了し,
彗星は,澄み切った大気を突き抜け,
何百万の人々を悩殺しても,その後に,あなた自身も死んでいく.
光放つ髪の尾を引きずっていく.
太陽の輝きを持つあなたの両眼88が,沈むべきときに沈むとき,
ベレニケの黒髪86が天に昇るときでさえも,
あなたのすべての髪も,塵と化してしまうであろう.
これほどまでに,髪の尾の輝きで天がちりばめられることはなかった,
この髪こそは,ミューズの詩神が名誉に奉じ,
大気の精は,髪が,燃えて輝く尾を引いていくのをながめ,
星々の中にベリンダの名前を刻むであろう.
(終)
喜んで,その天界を駆ける行方を追いかける.
この様を,社交界の男女は,ジェームズ宮殿に沿った並木道からながめ,
84
守銭奴が,死への恐怖を前に慈善をすること.
ロムルスのこと.ロムルスが亡くなって天上に昇ったと,プロクラスにお告げがあった.
86
ベレニケの黒髪は,星になったと伝えられている.ギリシアの詩人カリマコスによってう
たわれている.
85
87
88
ポウプの時代の著名な占い師.
ベリンダの目の輝きを比喩している.