自律神経障害の病態と治療

全日本鍼灸学会雑誌,
2004年第54巻4号581-591
2004.8.1
( 15 )
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第53回 全日本鍼灸学会学術大会(千葉)
特別講演Ⅰ
自律神経障害の病態と治療
服部 孝道
千葉大学大学院医学研究院
司会:松下
神経病態学教授
嘉一(第 53 回全日本鍼灸学会学術大会会長)
要
旨
自律神経系は呼吸、循環、消化、代謝、分泌、体温維持、排泄、生殖など、生体にとっ
て最も基本的な機能調節を担う神経系である。随意的に運動機能の調節を行う体性神経
系とは異なり、自律神経系は随意的な制御を受けずに無意識的に機能しており、平滑筋、
心筋、腺などを支配し、生体の内部環境の恒常性(ホメオスタシス)の維持に重要な役
割を果たしている。本講演では私どもの教室で取り組んでいる自律神経研究の中から起
立性低血圧と食事性低血圧および神経因性膀胱を取り上げ、その病態と診断および治療
について述べた。これらはいずれも頻度が高く、患者のADLを阻害し、時に重篤な合
併症をきたす重要な疾患であるが、あまり注目されておらず、見逃されていることの多
い疾患である。治療法や予防法があるので、積極的に見出し、治療することが望まれる。
キーワード:自律神経、起立性低血圧、食事性低血圧、神経因性膀胱
Ⅰ.はじめに
今日は自律神経障害の病態と治療という大変大
す。しかし、この症状で困っている人は少なくな
いということで取り上げました。
きなテーマを取り上げましたが、これは鍼灸の治
療効果が自律神経系を介して生じるのではないか
Ⅱ.自律神経系の解剖・生理
と一般的にも考えられていると思いますので、自
1.自律神経とは
律神経をテーマとして取り上げました。
まず、自律神経というのはどういうものなのか。
今日お話しする内容ですが、まず、自律神経と
一口でいいますと、呼吸、循環、消化、代謝、分
いうのは何かということ、次にそれが障害された
泌、体温維持、排泄(排尿排便)、生殖など、生
ときに起こる症状はどんなものがあるだろうかと
体にとって最も基本的な機能調節を担う神経系と
いうこと、その上で治療もきちんとしている代表
いうことができます。非常に多くの機能を担って
的な三つの疾患を取り上げました。起立性低血圧、
いるわけです。この自律神経系というのは随意的
食事性低血圧、そして神経因性膀胱です。この起
に運動機能の統御を行う体性神経系と異なり、意
立性低血圧と神経因性膀胱については、皆さんは
かなりご存知ではないかと思うのですが、食事性
識的、随意的な制御を受けずに機能しているため、
植物神経系ともよばれます。
低血圧というのはあまり知られていないと思いま
神経系には自律神経系と体性神経系とがあるの
〒260-8670 千葉市中央区亥鼻1-8-1
Department of Neurology, Graduate School of Medicine, Chiba University 1-8-1 Inohana chuoku, Chiba, Japan
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特別講演Ⅰ
全日本鍼灸学会雑誌54巻4号
ですが、体性神経系の遠心路、運動路が主に骨格
もう少し分かりやすい図ですが(図1)、こち
筋を支配するのに対して、自律神経系の遠心路は
らが脳、大脳、脳幹、そして脊髄です。左側に書
平滑筋、心筋、腺(内分泌、外分泌腺)を支配し
いてあるのが交感神経、右に書いてあるのが副交
ます。そしてトータルの機能の結果、自律神経系
感神経です。交感神経が出てくる所というのはご
は生体の内部環境の恒常性・ホメオスターシスの
く限られたところ、すなわち、脊髄の胸髄から腰
維持に重要な役割を果たします。外部の環境が変
髄のところから出てきます。一方、副交感神経は
わっても内部を一定に保つという重要な働きをし
ているわけです。
脳幹と脊髄の一番下の仙髄から出てきます。つま
り、自律神経系の交感神経と副交感神経は、違っ
神経系の分類をもう一度整理してみますと、体
た場所から出てくるわけです。そしていろんな臓
性神経系と自律神経系があります。体性神経系は
器、心臓、肺、気管、肝臓、胃、膵臓、腎臓、大
動物神経系ともよばれ、それには運動系と感覚系
腸、膀胱、生殖器などを支配しています。
があります。一方、自律神経系は植物神経系とよ
ばれ、交感神経と副交感神経があります。
自律神経系と体性神経系の違いをシェーマで書
いていますが、今いいましたように脳幹から出て
これは自律神経の支配図ですが、一番左にある
くるのは副交感神経、胸髄から腰髄にかけて出て
のが中枢神経です。次にあるのが、傍脊柱の神経
くるのは交感神経、そして仙髄の一番下の方から
節(交感神経の神経節)、そして自律神経に支配
出てくるのは副交感神経です。また、自律神経系
される色々な臓器が右にあります。
では末梢の効果器に達するまでに途中に神経節が
図1 自律神経支配図
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あり、そこでニューロンを一回変えます。この
い うこ と を著 して いま す。 ウ イン ス ロー
ニューロンは交感神経の場合には脊髄に近いとこ
(Winslow B)はこの nervi sympathici-ganglia(交
ろにあり、副交感神経では効果器の傍にあります。
感神経節)を little brain(小さな脳)として、そ
従って、脳幹や脊髄に節前ニューロンがあって、
の 重 要 性 を 認 め て い ま す 。 ビ シ ャ ー (Bichat
節後ニューロンは神経節にあるわけですが、節後
MFX)は神経系を二群に分けて自律神経と体性
ニューロンは交感神経で長く、副交感神経は短い
神経という命名をしています。今日の我々の理解
というわけです。一方、体性神経系は中枢、脳幹
から脊髄すべての分野において出てきていますし、
にだんだん近づいてきているわけです。 レイル
(Reil JC)はこの自律神経系を vegetative nervous
途中でニューロンを変えるということはありませ
system(植物神経系)という、今日でも使われて
ん。
いる名前を使い始めました。現在の我々の自律神
経学を確立したのは、ラングレー(Langley JN)
2.神経伝達物質
神経は直接その効果器を支配するのではなくて、
で英国の人ですが、1898 年自律神経系を副交感
と交感に分け、解剖生理学の基礎を確立したとい
神経終末で伝達物質という化学物質を出してその
われています。その後、デイル(Dale HH)は
刺激を伝えるわけです。交感神経の場合には神経
1933 年にこの伝達物質の研究から、cholinergic と
節での伝達物質はアセチルコリン、末梢の効果器
adrenergic というのが自律神経作動の二本柱であ
での伝達物質はノルアドレナリンです。副交感神
経では神経節でも効果器でもアセチルコリンです。
るとして神経体液学説を確立し、現在も使われて
います。バックスター (Baxter JH) らは交感神
体性神経では、神経筋接合部でアセチルコリンが
経の節後神経終末から出てくる伝達物質はアドレ
出てきます。
ナリンではなくてノルアドレナリンであるという
いろんな自律神経の病気を治療していく上で大
ことを断定し、これも現在に続いています。
切なのは、こういったアセチルコリン、ノルアド
レナリン、それから受容体、つまりα受容体、β
Ⅲ.自律神経障害による疾患と症状
受容体、あるいはムスカリン受容体に関する薬理
今、簡単に自律神経学の歴史に触れたわけです
学の知識です。それは、これらに働く薬を使って
が、ここでは自律神経が障害されるとどんな症状、
自律神経系の病気を治しているからです。自律神
疾患が起こるかということをまとめてみました。
経のなかで、交感神経と副交感神経はしばしば拮
抗的に臓器を支配しています。例えば、心臓では
心循環系では、起立性低血圧、食事性低血圧が
ありますが、これは後で詳しく述べます。排尿失
交感神経が促通的に、副交感神経が抑制的に働い
神というのは、排尿直後に起こる失神です。血管
ていて、この二つで調和をとっています。しかし、
迷走神経性失神は、驚いたときに気を失う様な失
どちらかだけの支配、交感か副交感だけに支配さ
神です。頚動脈洞性失神、これは頚部を刺激すると
れる臓器もありますし、両方が興奮することによっ
急に血圧が下がって失神するということです。高
て効果的に働く臓器もあります。必ずしも全てが
齢者に多いので首の診察は慎重にしないといけま
拮抗的ではありません。
せん。起立時頻脈症候群は比較的若い人に見られ
る病態で、起立時に非常に脈が速くなる疾患です。
3.自律神経研究の歴史
瞳孔系では、散瞳、緊張性瞳孔、羞明(眩しい)、
これらの自律神経の研究の歴史はかなり長く、
はっき りと指摘した のは、 トーマ ス・ウィリス
近見障害(近くを見ることができない)、ホルネ
ル症候群、アーガイルロバートソン瞳孔などがあ
(Thomas Willis)でウィリスのサークルという頭
ります。
蓋底部の血管網を初めて発見した方ですが、1664
発汗、体温調節系ですが、発汗消失、発汗過多
年に voluntary system(随意系統)に対して invol-
があり、発汗が低下すれば鬱熱、夏バテが起こり
untary system(不随意系統)というものがあると
ます。ひどくなれば熱射病になります。発汗過多
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では低体温が出現します。高齢者ではこの発汗体
どうしてこういうことが起こるかということで
温調節系が障害されていて、高体温、あるいは低
すが、寝ている時には胸腔や腹腔に血液がたくさ
体温で亡くなる人が大変多いということです。
んたまっています。ところが、立ち上がると重力
排尿系については後で別に述べます。性機能系
の影響で下半身の方に血液は下がってきます。そ
では陰萎、射精障害、性欲の低下や亢進などがあ
うすると、血液が下肢や腹部内臓系に貯留し、心
り、消化管系では嘔気、嘔吐、腹痛、下痢、便秘、
臓への静脈還流は約 30%減少します。そのため
イレウス等がみられます。
以上のように、非常に多くの自律神経障害によ
に心拍出量が減少して血圧が低下するというわけ
です。健常な人の場合には血圧が下がっても、す
る症状があります。自律神経系は種々の疾病、ス
ぐ圧受容器反射が働いて血圧がもとに戻ります。
トレス、加齢によって障害され様々な症状が起こ
つまり、頚動脈洞を中心とする圧受容器反射が起
ります。特に高齢者では、外部や内部環境の変化
こります。その結果、血管交感神経活動が亢進し
に対する適応性が低下しているため、起立性低血
て末梢血管が収縮します。また同時に、心臓副交
圧、食事性低血圧、熱射病、低体温、排尿障害が
感神経の活動が抑制されると共に、心臓交感神経
起こりやすくなるというわけです。
の活動が亢進して心拍数が増加します。これらの
働きによって血圧が回復、維持されるわけです。
Ⅳ.起立性低血圧
1.起立性低血圧の発症メカニズム
次 に起立性低血 圧について 話します。
2.起立性低血圧の検査
私どもがルーチンにやっている検査の状況です
Orthostatic hypotension(起立性低血圧)、 これは
が、チルトテーブルという自動的に身体を起こす
臥 位 か ら 立 ち 上 が っ た 時 に 収 縮 期 血 圧 が 20
機械を使い、血圧を測定しながら脳の組織酸素飽
mmHg から 30 mmHg 以 上低下するものをいいま
和度を測定しています。脳の血流、血液量をみて
す。国際的にもまだ 20 mmHgか 30 mmHgか決まっ
いるわけです。
ていません。加齢と共にこの頻度は増加してきま
す。
これは健常者の測定結果ですが、収縮期血圧、
平均血圧、拡張期血圧、中大脳動脈の血流速度、
図2
起立性低血圧をきたした81歳男性
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服部 孝道
近赤外線法でとった組織の血液の量などを示して
います。正常では立ち上がっても特に変化はあり
ません。
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4.高齢者起立性低血圧の特徴
起立性低血圧は、病気があればあるほど、また
高齢になればなるほど多いようです。どうしてな
ところが、81 歳の男性で起立性低血圧を示し
のかということですが、高齢者では圧受容器の感
た方では(図 2)、70 度の起立をさせますと血圧
受性が加齢と共に低下しています。つまり、血圧
がガクン と下がっていま す。 収縮期血圧が 150
が下がったというセンサーの感度が低下している
mmHg ぐらいから100mmHg 近くになっています。
中大脳動脈の血流も減少し、組織の酸素飽和度も
と共に、交感神経系の活動が常に高い状態にある
ため、血圧を上昇させる予備能力が低下しており
低下しています。これが起立性低血圧で、立ちく
ます。従って、交感神経を活動させようという時
らみ症状を伴います。立ちくらみ症状とはどんな
に十分な働きが得られません。また、副交感神経
症状かといいますと、立ち上がった時やしばらく
の機能も低下しているため、これも予備能力の低
立っているときのめまい感、ふらつき感、全身脱
下につながります。さらに心臓の力も弱くなって
力感、目の前が暗くなる、目の前が白くなる、さ
いて心拍出量もだんだんと低下してきますし、循
らに後頚部痛、後頚部から肩にかけて立っている
環血液量も減少しています。その他、高齢者は水
と痛みが起こる、coat hanger pain ともいわれま
分が足りない、脱水になりやすい状態です。のど
すが、そういう症状を訴える人もいます。肩こり、
が渇く感覚も若い人よりも感じにくいという特徴
耳鳴り、欠伸がする、顔面が蒼白になって不安感
や動悸、頻脈、震え、嘔気、食欲不振、立ってい
もあります。私は高齢者にはできるだけ水分を取
るように勧めています。ちょっと散歩するときも
ると思考力が落ちてしまう、集中力が落ちてしま
ペットボトルに水を入れて散歩した方が良い、ま
う、ひどくなれば失神という訴えになります。
た夜にトイレに起きた時も、寝床に戻る時にはお
水を飲んだ方が良いと指導しています。
3.起立性低血圧の原因疾患
高齢者はこれらの結果、わずかに脳の血液量が
起立性低血圧の原因疾患というのはたくさんあ
低下することですぐに症状をきたしやすいという
り、非神経性と神経性(神経疾患によるもの)が
特徴があります。これが起立性低血圧の起こりや
あります。非神経性には、循環血漿量の減少(脱
すい理由ですが、我々の身体で最も重要な臓器は
水、出血、貧血、透析など)によるもの、心臓の
脳です。我々の身体は脳の循環を保つために他を
病気、血管の病気、内分泌疾患などがありますが、
意外に多いのは降圧薬によるものです。その他、
犠牲にしてまで血液を送っています。従って、起
立性低血圧のある高齢者では、脳以外の臓器にも
長期の臥床、運動のし過ぎ、過労、睡眠不足でも
虚血性の変化が容易に起こりやすいわけです。
起こります。
これは 78 歳の男性で高血圧の方でしたが、 立
神経疾患によるものでは、自律神経不全症とよ
ちくらみがあるということで MRI を撮ってみま
ばれる多系統萎縮症やパーキンソン病、脳血管障
すと、白く見えているところ、これは脳の軟化が
害などの脳の病気があります。また脊髄の病気で
起こっているところです(図 3)。不全軟化といっ
も出現します。さらに末梢神経疾患、多いのは糖
た方が良いかもしれません。従って、一般的に高
尿病などによる多発性ニューロパチーです。腎臓
齢者の血圧を下げるのは、脳の軟化を起こす可能
が悪くても多発性ニューロパチーは起こります。
性がありますので、非常に慎重でなければいけま
こういったもので起立性低血圧は起こるわけです。
データはここに出しませんが、特にはっきりした
せん。ただでさえ十分な血流が脳にきていないわ
けですから、血圧が高いからといって下げるとま
病気を持ってない高齢者でも約 30%に認められ
すます脳は障害されてしまいます。
るといわれています。
次に高齢者における起立性低血圧の重要性とい
うことですが、立ちくらみ症状があると転倒や骨
折の原因となります。特に夜トイレに何回も起き
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る人が多いため、暗い所だと余計に転倒、骨折の
すると良いかというと、頭部を挙上しておくと、
危険性も増えるわけです。先ほどいいました様に
レニン・アンギオテンシン系が賦活され、代償的
全身的に血流が減少していますので、脳梗塞だけ
に血圧が上昇するといわれています。また、塩分
でなく心筋梗塞なども起こしやすいといえます。
を少し多めに取ります。高血圧の治療と逆です。
もし先生方の患者の中で立ちくらみの人がいたら、
適度な運動を避け、排尿は座位で行うようにしま
単なる立ちくらみと考えないで、こういう点にも
す。弾性ストッキングや腹帯は非常に効果があり
気をつけていただきと思います。
ますが、あまり気分の良いものではないので長く
使える人は少ないようです。
5.起立性低血圧の治療
対症療法の最後は薬物療法で、昇圧剤という血
治療で一番大事なことは誘因の除去です。急激
圧を上げる薬を使います。軽症の場合にはジヒデ
に立ちあがること、例えば、夜中にトイレに行く
ルゴット(メシル酸ジヒドロエルゴタミン)とか
時もいったんベッドに座って、それからゆっくり
エホチール(塩酸エチレフリン)を用いますし、
立ちあがるように心がけます。長期の臥床は良く
中等症や重症の場合にはもう少し強力な昇圧剤で
ないのでできるだけ避けるようにします。排尿、
あるリズミック(メチル硫酸アメジニウム)とか
排便時のいきみも良くありません。便秘があれば
メトリジン(塩酸ミドドリン)、ドプス(ドロキ
その治療をする必要があります。暑い所では末梢
シドパ)を用います。
血管が開いて起立性低血圧は起こりやすくなりま
すので、そういう環境はできるだけ避ける。過度
Ⅴ.食事性低血圧
の肉体労働も避けるようにします。過食、特に暖
1.食事性低血圧の症状と問題点
かい食事をたくさん食べるのはよくありません。
食事性低血圧はあまり知られていなのではない
アルコールもたくさん飲むのは良くありません。
かと思います。Postprandial hypotention(食後性
最後に、非常に問題が多いのは血圧を下げる薬で
低血圧)ともよばれ、食事により収縮期血圧が 20
す、十分注意しないといけません。
mmHg 以上低下するものをいいます。患者では、
こういった誘因を除去し、一般的治療としては
血圧は食事開始後 15 分ぐらい経ってから徐々に
夜間に頭部を挙上します。何故夜間に頭部を挙上
低下し始めて、60 分前後で最大となり、数時間
図3
起立性低血圧のある78歳男性、大脳に広範囲の虚血性変化がみられる。
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にわたって遷延する形が多いといわれています。
たという結果からもわかるように、かなりの率の
健常者では食事によって血圧はほとんど変化あり
人に食事性低血圧があるというのが実情です。
ません。
食事性低血圧の問題点をもう一度整理しますと
これは私どもが経験した 68 歳の男性で(図 4)、
次のようになります。 ①QOL が低下する、 せっ
食事をしている最中から血圧が下がってきます。
かく美味しい食事をしても、その後かえって大変
この方はものすごく下がった人で収縮期血圧が
辛くなってしまいます。②高齢者の失神や転倒、
130 mmHg ぐらいから 80mmHg ぐらいまで下がっ
てしまっています。そして回復には 3時間ぐらい
骨折の重要な一因になります。③起立性低血圧と
同じく心筋梗塞、肝不全や脳梗塞の誘因になりま
かかっています。これが食事性低血圧です。
す。④痴呆の促進因子にもなります。⑤降圧薬は
どんな症状かというと、食事の度ごとに眠気や
食事性低血圧も増悪させることがあります。
全身倦怠感、脱力感、ひどい場合には食事の途中
から血圧が下がりますので、食事が続けられない
2.食事性低血圧の原因と予防・治療
こともあります。問題は、同時に起立性低血圧を
どうしてこういうことが起るのだろう、食事を
伴うことがあるため、食事の後に立ち上がったり
したらどうして血圧が下がるのだろうということ
するとよけいにひどくなります。食事性低血圧と
ですが、食事をすると内臓の血管が拡張し、血液
起立性低血圧とが加わって失神や転倒が起こりや
量が増加します。消化管にたくさん血液が増加す
すくなってしまうというわけです。
食事性低血圧はあまり知られていないのですが、
るということです。消化管ホルモンが過剰に分泌
されるためという説もあります。その結果、心臓
その頻度は決して少なくありません。ある介護施
への静脈還流が低下して心拍出量が減少する、す
設入所者では 133 名中 36%、高血圧患者 530 名中
なわち血圧が低下するわけです。健常者では圧受
では 67%にみられています。また別の報告では、
容器反射が働いて血圧を元に戻すという働きがあ
高血圧患者 49 名中 45%、介護施設利用者 156 名
りますが、患者ではこれが十分代償されないので、
中の 20%にみられました。 島津邦男先生が外来
低血圧となります。
患者で調べた 739 名の高齢者では 35.9%にみられ
起立性低血圧があっても食事性低血圧がない人
図4 食事性低血圧をきたした68 歳男性
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もいますし、逆の人もいます。従って、この2つ
正常では、蓄尿機能は無意識的に長時間かけて行
の病態のメカニズムは別のようで、やはり食事性
われ、排出機能は短時間に意図的に行われます。
低血圧の場合には消化管ホルモンの分泌異常、
どちらの障害も起こります。つまり、排尿障害に
neurotensin とか somatostatin、 VIP (vasoactive in-
は蓄尿障害と排出障害とがあります。患者さんを
testinal peptide)等の消化管ホルモンの異常が大
診た場合にはどちらの障害なのかをまずはっきり
きく関与しているのかもしれません。
と決める必要があります。
予防治療ですが、まずこういうことが起こると
いうことを知ることが重要です。食事の後にだる
正常な排尿状態では、蓄尿期にはある程度の尿
が膀胱にたまると尿意を生じます。尿意を生じて
くなる、眠くなるということを自分の癖だとか体
からもある程度我慢できます。十分な量の尿を膀
質と思っている方がいるのですが、そうではなく
胱にためることができ、その間尿失禁はありませ
食事性低血圧の可能性があるということを疑い、
ん。それではどのくらいたまると尿意を感じるで
血圧を測定してみる必要があると思います。食物
しょうか。個人差もあるかもしれませんが、150
の炭水化物含有が多いと起こしやすいのでその割
ml から 250 ml ぐらいです。 うんと我慢するとど
合を低下させることも必要です。たくさん食べれ
の位ためられるでしょうか。これも個人差があり
ば食べるほど起こりやすいということです。その
ますが、だいたい 400ml から 500 ml で、600 ml た
場合は、一度にたくさん食べずに少量、頻回に取
められる人は稀です。
るのが良いと思います。また、降圧剤とかアルコー
ル摂取は減らしたほうが良いようです。
排出期ですが、通常は排尿したければいつでも
排尿できます。先程トイレに行ったばかりだから
カフェインが予防に有効であるといわれていま
出ませんということは、普通はありません。尿意
す。コーヒーを食事の途中でも、あるいは食事が
が無くても出せます。また、排尿中、尿線はある
終わってからでも少し多めに飲まれるとどうでしょ
程度中断できます。ある程度というのは、男性で
うか。また、食後の歩行や入浴は避けましょう。
は全員できるはずですが、女性では半分ぐらいだ
お風呂に入ると血圧が下がります。高齢者で入浴
といわれています。そして残尿がない。これが正
中に死亡する場合がありますが、そのうちの何人
常な排尿状態です。従って、そうでないのはみん
かは食事性低血圧かもしれません。こういうこと
な排尿障害です。
をしても十分効果がない場合には昇圧薬(リズミッ
排尿は、下部尿路とよばれている膀胱と尿道で
ク、メトリジン、ドプス等)を使います。
行われていて、ほとんど機能的に男女差はありま
せん。下部尿路を支配しているのは下腹神経とい
Ⅵ.神経因性膀胱
う交感神経、骨盤神経という副交感神経、そして
1.神経因性膀胱とは?
陰部神経という体性神経です。陰部神経は外尿道
最後に排尿障害についてお話します。排尿障害
括約筋を支配しています。下腹神経と骨盤神経は
は膀胱炎や膀胱癌、あるいは前立腺癌などでも起
協調的に膀胱、尿道の平滑筋を支配しているとい
こりますが、今回は神経の障害、自律神経の障害
うわけです。これらを統合しているのが、脳幹の
によっておこる排尿障害(神経因性膀胱)の話で
橋にある排尿中枢であり、さらにそれを随意的に
す。神経因性膀胱というのは、膀胱と尿道を支配
支配しているのが前頭葉排尿中枢です、つまり、
する神経系の障害で生じる排尿障害をいいます。
トイレに行こうか、あるいは我慢しようかという
加齢と共に患者数は増え、高齢者では非常に高率
に見られます。日本で頻尿、尿意切迫、あるいは
ような命令は前頭葉にある排尿中枢でコントロー
ルされています(図 5)。
切迫性尿失禁で困っているひとは 1,000 万人を超
これは PET(Positron emission tomography) の
えるといわれています。
排尿機能には、膀胱に尿をためておく蓄尿機能
と、ためた尿を排泄する排出機能とがあります。
スタディですが、この検査で脳幹の排尿中枢がど
こかを見ることができます。ここは排出の中枢で、
ここが蓄尿の中枢です。
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私どもは脳幹梗塞の患者で排尿障害があった人
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時間の延長、間欠性排尿、尿閉などがあります。
と無かった人を調べて、どこに脳幹の排尿中枢が
あるかを調べてみますと、被蓋(tegmentum)と
2.神経因性膀胱の病態と治療
よばれるところが障害されなければ排尿障害は起
膀胱、尿道の検査をルーチンに行なって、どう
こらないということが分かりました。同じように
いう機序で排尿障害が生じたかを調べています。
脳梗塞の患者さんで排尿障害のある人とない人を
これは健常者です(図 6)。膀胱内圧曲線は、ため
調べてみますと、大脳の前方の内側が障害される
と排尿障害が起こりやすいということも分かりま
ておく時はほぼ一定に保たれ、排尿してください
というと膀胱が収縮します。外尿道括約筋の筋電
した。
図では、筋活動はずっと出ているのですが、排尿
その他、排尿に関する中枢神経の働きについて
は動物実験で調べています。橋排尿中枢、大脳の
を意図した途端にピタッと完全に止まります。そ
れから尿が出るというわけです。
中枢以外にもいろんな神経系が関係しています。
これは蓄尿障害患者です(図 7)。膀胱に無抑
こういった神経系が障害されると排尿障害が起こ
制収縮とよばれる異常収縮がみられ、同時に外尿
りますが、それには刺激症状と閉塞症状がありま
道括約筋の不随意の弛緩が起こります。これが頻
す。刺激症状には夜間頻尿、昼間頻尿、尿意切迫、
尿、尿意切迫の大きな原因です。鍼治療は無抑制
尿失禁があり、閉塞症状には排尿開始困難、排尿
収縮を減らす作用があるのではないかと思います。
図5 下部尿路の神経支配図
590
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特別講演Ⅰ
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排出障害の場合ですが、通常は排尿を意図すると
排尿時に下腹部や大腿部をつねったり、叩いたり、
外尿道括約筋が緩むのですが、それが緩まないた
排尿反射を誘発する方法を用います。鍼治療でも
めに尿が出にくいということも起こり、膀胱の収
同様な機序で尿が出やすくなるのではないかと思
縮不全と共に大きな原因です。
います。末梢性の場合には、膀胱の上を圧迫しま
こういった排尿障害には色々と組み合わせて治
す。尿意が低下している場合には、定期的に排尿
療を行なっていますが、簡単に、膀胱訓練、薬物
させる必要があります。そうしなければ膀胱が過
療法、カテーテルによる尿誘導法、電気刺激療法
についてお話します。
度に拡張し排尿筋が伸展、断裂して回復不可能な
膀胱になることがあります。
膀胱訓練、まずこれを行なうべきです。頻尿、
薬物療法としては、頻尿、尿意切迫には、膀胱
尿意切迫、切迫性尿失禁があるような方には我慢
の異常収縮を抑制する薬、尿道括約筋の圧を高め
させるというのが大事なのです。頻尿がある人は、
る薬(これは腹圧性尿失禁に出す薬です)、排出
ちょっとでも行きたくなるとすぐトイレに駆け込
障害には、膀胱の収縮力を高める薬、それから尿
むという習慣があって、悪循環が起こっているの
道括約筋の圧を低下させる薬(αブロッカー:前
です。従ってだんだん膀胱容量が少なくなってき
立腺肥大症では、ちょうど尿道括約筋の圧が非常
ます。我慢する習慣の人は逆に大きくなります。
に高まったのと同じ様な状況ですから、その場合
そういうときは排尿量を記録させるということで
にもこれらの薬を使っています)を使います。
効果が判定できます。1 日に 1 回やるだけでも効
果があるようです。
残尿が多い人はカテーテルで排尿させる必要が
あります。尿道留置カテーテル法が一番よく使わ
腹圧性尿失禁、つまり咳をしたり、いきんだり
れています。尿が出ない人でも漏れすぎる人でも
したときに尿が漏れるという人は少なくないと思
カテーテルを使えば治ってしまうということでよ
うのですが、そういうときには外肛門括約筋を強
く使われていますが、留置カテーテルではいろん
く締める練習、ゆっくりグーっと締めるというの
な合併症が必発です。尿路感染は本当に必発です
を 1 日 100 回ぐらいやると良いようです。それに
のでできるだけ使わない方がいいわけです。どう
より腹圧性尿失禁も良くなったし、痔も良くなっ
しても使わざるを得ないこともあると思いますが、
たという人もいます。
そういうときには可能な限り無菌的操作をして細
次に尿が出にくい場合ですが、中枢性の場合は、
図6 正常の排尿機能検査所見
いカテーテルを使うようにします。また、尿道合
図7 蓄尿障害の排尿機能検査所見
服部 孝道
2004.8.1
( 25 )
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併症を減らすために細いカテーテルを使ってクロー
様なメカニズムではないかと思います。私は鍼治
ズシステムを使うというような色々な工夫があり
療のことは分からないのですが、ここにおられる
ますが、原則的には留置カテーテルは使わない方
村上先生と一緒に膀胱の異常な波を捉えながら鍼
が良いと思います。
治療してみるとピタッと止まったという経験を何
カテーテル導尿がどうしても必要な場合には、
回かしていますので、鍼治療もこの中に加えるべ
間欠導尿を指導します。間欠導尿を自分でやるの
きかもしれません。
は自己導尿といいますが、そのためのキットが売っ
ています。女性では外尿道口の位置がわからない
Ⅶ.おわりに
人がいるので鏡付きのキットも市販されています。
以上、自律神経系の解剖生理を概説し、頻度の
最後に、様々な電気・磁気刺激療法、すなわち
高い起立性低血圧、神経因性膀胱、それからあま
骨盤底電気刺激、干渉低周波、磁気刺激、仙髄神
り注目されていませんが、決して稀ではない食事
経根刺激などがあります。神経根刺激以外は内科
性低血圧の診断と治療について述べました。自律
的に非侵襲的に行なわれます。私どもでは、ある
神経障害は患者から訴えることが少ないため、こ
会社と共同で磁気発生装置を開発・研究していま
ちらから聞き出して治療することが望ましいと思
すが、鍼治療でも良くなるというのはやはり同じ
います。
THE 53rd ANNUAL MEETING (CHIBA)
Special Lecture Ⅰ
Pathophysiology and Treatment of Autonomic Disturbances
HATTORI Takamichi
Professor, Department of Neurology, Graduate School of Medicine, Chiba University
Abstract
The autonomic nervous system concerns in the control of various physical functions such as respiration, circulation, digestion, metabolism, secretion, thermoregulation, excretion and reproduction. In contrast to somatic
nervous system which controls motor system voluntary, autonomic nervous system controls smooth muscle,
myocardium and secretary gland involuntary in order to maintain homeostasis. In this lecture I talked about
orthostatic hypotension, posprandial hypotension and neurogenic bladder. These three autonomic disturbances
are quite common especially among elderly people, but often overlooked or unrecognized conditions. Because
there are number of effective therapy, it is recommendable for doctors to inquire the patients to find and treat
these potentially hazardous conditions.
Zen Nippon Shinkyu Gakkai Zasshi (Journal of the
Japan
Society of Acupuncture and
Moxibustion:
JJSAM) 2004; 54(4): 581-91.
Key words: autonomic nervous system, orthostatic hypotension, postprandial hypotension, neurogenic bladder