知の知の知の知 - 社会福祉法人大阪手をつなぐ育成会

い~な
あまみ
中 央
さくら
しらさぎ
大阪+知的障害+地域+おもろい=創造
知の知の知の知
社会福祉法人大阪手をつなぐ育成会 社会政策研究所情報誌通算 1810 号 2014.3.14 発行
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介護支援ボランティア制度の登録者数が増加 北九州市
読売新聞 2014 年 3 月 13 日
車いすを磨く小山田さん
北九州市が昨年7月から始めた「介護支援ボランティ
ア制度」の登録者数が順調に増えている。
介護施設などでボランティア活動を担う65歳以上の
市民にポイントを付与し、現金に替えられる仕組みで、
2014年12月末の目標に掲げていた「登録者100
0人」を早くも超えた。ただ、実際にボランティアを手
がけた人は半数程度にとどまっており、意欲のある高齢
者を活動へと導けるかが課題となっている。
小倉北区萩崎町の特別養護老人ホーム「北九州シティホーム」
。昨年11月に介護支援ボ
ランティアとして登録した小山田恭子さん(65)は2月下旬、同施設で車いすを掃除し
ていた。タオルやブラシで座席の汚れを拭い、車輪を磨く。1時間で4台がきれいになっ
た。
職員から手帳に判を押してもらい、
「ラジオ体操の判子のようなもの。たまっていくのが
励みになる」と笑顔を見せた。
同施設を運営する社会福祉法人・薫会の宮崎猛志・主任介護支援専門員は「介護支援ボ
ランティア制度が始まってから、
『どんなお手伝いができますか』といった問い合わせが増
えてきた」と話す。
市は、高齢者の社会参加を促し、健康増進や生きがいづくりにつなげようと、同制度を
スタートさせた。制度の仕組みや認知症などに関する講習後にボランティアとして登録。
利用者の話し相手や居室の掃除、イベントの手伝いなどの活動を手がけてもらう。
登録者にはポイント手帳が交付され、約200か所の施設で1回のボランティア活動(1
時間以上)につき200ポイントが付与される。1ポイント1円相当で1~12月を区切
りに換金(上限5000円)でき、地域福祉振興基金に寄付も可能だ。
制度開始以来の登録者数は2月末までに1011人。約3分の2はボランティア団体な
どに所属していない高齢者が占めており、介護保険課は「社会貢献や地域活動に興味をも
つ高齢者が予想以上に多い」と受け止めている。
一方、登録者のうち、昨年12月末までに活動実績がなく、ポイントがついてない人は
約半数に上っている。このため、市は登録者に近隣の施設を紹介し、気軽にボランティア
を体験できるイベントの開催などを検討。同課は「登録者をさらに増やしながら、実際の
活動に結びつけていきたい」としている。(後藤敬人)
非行立ち直り、地域で支援…県警手応え
読売新聞
2014 年 3 月 13 日
非行少年の再犯を防ぐ宮崎県警の「立ち直り支援事業」が始まって間もなく2年になる。
農作業や調理などを通じて、働くことの苦労や達成感を感じてもらい、社会に溶け込む意
欲の醸成を目指している。
参加者の再非行率は低下し、県警は「どんなに態度が悪い少年も褒められると、うれし
そうな顔をする。掃除も一生懸命やってくれるようになった」と手応えを感じている。
立ち直り支援事業は2012年5月から始まった。地域のボランティアや県内の大学生
の協力を得て月に1度、支援する農家が提供する畑で農作業に取り組んだり、公民館など
で調理実習やスポーツを行ったりする。
対象となるのは14歳以上の犯罪少年だけでなく、刑事責任を問われない14歳未満の
触法少年も含まれる。今年度は対象者72人(昨年12月末現在)のうち9~17歳の延
べ59人が参加。繰り返し呼びかけに応じる少年もいれば、一度きりの少年もいるが、今
年度の参加者で再非行はないという。
◇対話の大切さ指摘
支援事業の開始当初から携わっている警察官は「声をかけて反応がなかった子でも、話
しかけるうちに表情が柔らかくなり、笑顔も見られるようになる。本来は素直な子どもが
ほとんど」と話す。
サツマイモや枝豆の植え付けに参加した少年からは「作業は思った以上に大変。農家の
人の苦労が分かり、感謝の気持ちも生まれた」という手紙が届いた。「帰宅した子どもが、
体験したことを楽しそうに話してくれた」という保護者の声も寄せられている。
担当する警察官は「まずは彼らの存在を受け止め、対話を広げていくことが大事。非行
に走る背景について理解を深め、厳しくも温かい目で見守る社会をつくっていくことが必
要」と強調する。一定の効果が表れていることから、県警は今後も支援事業に力を入れる
方針。保護者も巻き込んで、家族や地域ぐるみで立ち直りを後押しするという。
県警少年課によると、13年に刑法犯で摘発・補導された少年(14~19歳)は44
4人で、前年より74人減った。07年に1000人を下回って以来、減少傾向にあるが、
再び摘発・補導される再非行率は30%前後で高止まりの状態が続いている。
摘発・補導件数の6割は自転車盗などの窃盗が占める。「遊びの延長でやった」と軽い気
持ちで手を染めるケースが多いが、繰り返すうちに非行の内容がエスカレートし、重大な
犯罪につながることもある。このため、早めの対処が求められているという。(江口朋美)
Listening:「若年性認知症」本人の支援策探る
毎日新聞
2014 年 03 月 12 日
若年性認知症について意見を発表した宮城県の丹野智文さん(右)=東京
都千代田区で2014年 2 月27日
認知症は若い人でも発症する。18〜65歳未満で発症する認
知症を「若年性認知症」という。働き盛りの現役世代で発症する
ため経済的な影響も大きいが、支援策はまだ乏しい。若年性認知
症の人にどんな支援策が必要か、本人の声を直接聞いて政策に生
かそうとする取り組みが始まっている。
●意見交換会で訴え
東京都内で2月にあった、厚生労働省と若年性認知症の本人や
家族との意見交換会。全国から本人と家族ら6組が参加し、今の
暮らしや求める施策を、自分の言葉で訴えた。
「私は会社も理解してくれた上で、仕事を続けることができている。認知症になると仕
事を辞めてしまう人もいるが、みんな仕事をしたいと思っている。認知症になっても、支
えてもらいながらでも仕事ができる環境があれば」。宮城県在住の会社員、丹野智文さん(4
0)は、体験を交えてこう語った。
車の営業職だった3年前、客や同僚の顔と名前が分からなくなった。
「ストレスかも」と
脳神経外科を受診。複数の医療機関での検査を経て、39歳でアルツハイマー型認知症と
診断された。
これまで通り営業職を続けるのは困難だった。だが、職場に病気を伝えると、勤務しや
すい内勤職に変えてくれ、今も仕事を続けられている。プライベートでは「認知症の人と
家族の会」県支部の合唱団に参加。
「大声で歌うことで楽しく過ごせている」という。
とはいえ、将来に不安はある。妻と中学生、小学生の娘の4人暮らし。
「子どももまだ小
さく、仕事はしても以前のように収入はない。重度になるまで少し(経済的な)支援が欲
しい」
「薬を使わなくても、環境などで病気の進行を遅らせるような場が増えれば」などと
訴えた。
意見交換会は、若年性認知症施策を進めるため2009年度に始まり、今年で5回目。
ここでの意見は国の施策にも生かされる予定だ。参加した厚労省の原勝則老健局長は「若
年性認知症施策では、きめ細かな政策が必要。本人からの意見を聞くことは重要で、全国
でも実施してほしい」と話していた。
●経済的な問題深刻
厚労省研究班の調査(09年)によると、若年性認知症の人は全国で約3万7800人
と推計されている。65歳以上で発症する認知症と同様、脳血管障害やアルツハイマー病
などによって、もの忘れや判断力の低下などがみられる。発症年齢は平均51・3歳。約
3割が50歳未満で発症する。
働き盛りの年代で発症し、仕事を続けられなくなる人も多く、一方で医療・介護の費用
が増えるなど、経済的な問題は深刻だ。また、介護や子どもの養育などで、家族に与える
影響も大きいという。調査によると、若年性認知症の人を介護する家族の6割が、抑うつ
状態に陥っている。
国も支援に力を入れる。厚労省の「認知症施策推進5か年計画」(オレンジプラン)は、
若年性認知症支援ハンドブックの作製や、本人との意見交換会の開催を盛り込んだ。
●自治体で施策も
東京都では12年に「若年性認知症総合支援センター」を開設し、就労継続や介護、年
金などの制度・サービスの相談まで総合的な支援を実施。兵庫県も「ひょうご若年性認知
症生活支援相談センター」を開設し、市町村と連携して本人・家族の支援を進めている。
認知症介護研究・研修大府センター(愛知県大府市)の小長谷陽子研究部長は「若年性
認知症施策は、ゆっくりではあるが着実に進んできている。しかし、まだ課題も多い。認
知症の高齢者と比べて数が少なく、施策に手が回らない自治体もある。本人の意見交換会
を実施するところも、まだ約半数だ」と指摘。また、今回の意見交換会について「本人や
家族の声を聞いてもらうため、各県の担当者にも来てもらった。聞いたニーズを理解し、
持ち帰って施策として生かしてほしい」と話していた。【細川貴代、写真も】
◇若年性認知症の本人たちの声
《日常生活》
・車の運転ができなくなり、活動できない ・店や公共施設などでサポートが欲しい
《仕事》
・残存能力があるうちは社会の一員として活動し、社会の役に立ちたい ・若年性認知症でも働け
る場が欲しい
《家族への支援》
・子どもの教育費への支援、生活費、住宅ローンなどについて相談できる場が欲しい
《医療》
・国家戦略として認知症研究、治療薬の開発と治験の実施をしてほしい ・専門医を全国に増やし
てほしい
《介護》
・若年性認知症の人のためのデイサービスなどを増やしてほしい
《制度》
・介護保険、福祉サービス、就労、医療などの申請・相談窓口を一体化し、具体的な相談ができる
ようにしてほしい ・市町村の支援策の格差を解消してほしい
《その他》
・働けなくともボランティア活動がしたい ・本人の意見交換会を地域でも開いてほしい
*認知症介護研究・研修大府センターの資料を基に作成
Listening:検証、佐村河内氏報道 「物語」に引きずられ
毎日新聞 2014 年 03 月 13 日
「全ろうの作曲家」として数々のメディアで取り上げられた佐村河内(さむらごうち)
守(まもる)氏(50)の楽曲が、代作であることが明らかになった。発端となったのは
2月6日発売の「週刊文春」のスクープだった。3月7日に開かれた記者会見で佐村河内
氏も「ゴーストライターを使ったのは一生償わなければならない罪」と認め、聴力につい
ても現時点では「聴覚障害に該当しない」と診断さ
れたことを明らかにした。毎日新聞を含め佐村河内
氏の活動を報じてきた各メディアは、氏のうそを見
抜けず、
「結果的に誤報」となってしまった。この報
道を教訓に毎日新聞は基本に立ち返り、さまざまな
情報と真摯(しんし)に向き合い、深奥に迫る取材
を心がけたい。その姿勢を再確認する検証記事をお
届けする。
ゴーストライター作曲問題で、聴覚の診断書を示しながら記
者会見に臨む佐村河内守氏=東京都内のホテルで2014年
3月7日、手塚耕一郎撮影
◇週刊誌きっかけに虚偽露呈
自伝によると、佐村河内氏は広島県出身の被爆2世。17歳で聴覚に障害が生じ、35
歳で全ろうに。それでも絶対音感で作曲を続け、「現代のベートーベン」と称された。特に
「交響曲第1番 HIROSHIMA」は東日本大震災の被災地などで「希望のシンフォ
ニー」と呼ばれ、一大ブームに。ところが今年2月に「週刊文春」が、代作者として名乗
り出た新垣(にいがき)隆氏(43)の「ざんげ告白」を掲載。発売直前の5日、メディ
ア各社にファクスが送られ、18年にわたって代作が行われてきたことが明かされた。新
垣氏は翌6日、東京都内で記者会見に臨んだ。
「全ろう」との触れ込みにも疑問を呈してい
た。
いち早く対応したのはNHKだ。東日本大震災の鎮魂曲に取り組む姿を追ったNHKス
ペシャル「魂の旋律〜音を失った作曲家〜」(2013年3月31日放送)をはじめ、佐村
河内氏の動向を詳しく伝えてきただけに「(代作者の存在に)気づくことができなかった」
と、2月5日の全国ニュース「おはよう日本」などで謝罪。日本テレビ、テレビ朝日など
もおわびを放送した。
朝日新聞は6日付朝刊に「おわび」を掲載し、過去の関連記事を削除。NHK同様、「取
材の過程で気づくことができませんでした」と、虚偽を見抜けなかった点を謝罪している。
東京新聞も同様に、7日付朝刊に「おわび」を掲載した。日本経済新聞は佐村河内氏の会
見直後の3月8日付朝刊で「おわび」を掲載した。
他の新聞社は、過去の関連記事の本数や、取材の経緯を報告するにとどめた。毎日新聞
は社内の議論で「安易に記事を削除するよりも、なぜ誤報に至ったのかを検証すべし」と
判断。東京本社学芸部長名で「ブームに乗った一面があったことは否めず、遺憾」とする
見解を掲載した。
◇「ストーリー」取材 「聴きたいもの」を記事化
「あなたは作品を生んだ本人か」
「障害や痛みが本当にあるのか」。目の前の人物にそれ
を確かめるのは、至難の業だ。今回は、そんな取材の「死角」を二重に突かれた上に、感
動の「物語」を求める記者としての思いが重なり、虚偽を報じる結果を招いてしまった。
私は2013年8月11日の朝刊「ストーリー」欄で、佐村河内氏を大きく取り上げた。
同年春のNHKスペシャルなどを機に、音楽担当として看過できないほど、
「佐村河内現象」
が熱を帯びてきたためだ。周辺を調べるうちに「米国の青少年合唱団が、鎮魂をテーマに
広島で歌う」など、新しい動きも見えてきた。ピアノ・ソナタの発表会(東京で6月13
日)では、氏とファンの交流タイムも設けられ、腕に深刻なけがをした奏者が「この曲を
弾きたいのでリハビリに精を出す」と、涙ながらに約束する場面も目撃した。専門家は評
価していなかったが、その音楽には確かに「人を動かす力」がある。私はそう感じ始めた。
本人へのインタビューが実現したのは、6月25日のこと。質問は手話で同時通訳され、
佐村河内氏は口頭で答える。反応は素早く、滑舌が美しい。私は相手が健聴者であるとい
う「錯覚」に、何度か陥った。
新聞記事には新しい情報が不可欠だ。私はこの時、まだ語られていない「物語」を引き
出そうと、躍起になっていた。事前に自伝などを調べ、経歴に疑問を覚えてはいたのだが、
「物語」を優先させるあまり、本人にはたださずに終わった。最大の疑問は「音大に通わ
ずに、どこでオーケストラの多種多様な楽器に触れたのか」。だが、現に曲が完成している
以上、その問題は解決されたのだろうと納得してしまった。他人名義で交響曲を書く人間
がいるとは、想像もしなかったのである。
氏を応援しているはずの音楽家がコメントを拒んだり、「死のふちで創作」という触れ込
みへの不信感を口にしたり、立ち止まる要素はほかにもあった。私自身、本人から健やか
さを感じ、握った手の温かさに驚きもしたのだ。しかし「たまたま体調がよいのだろう」
「仮
に病状を誇張していても、苦労の大きさを思えば責められない」−−。脳内で鳴る小さな警
報を、ことごとく黙殺していった。取材に相当の時間と労力を割いてきた以上、後には引
けないという意地も手伝った。時の人を大きく取り上げるという「物語」が、私の中で肥
大化していたのだと思う。
対話し、メールを交わした佐村河内氏からは、終始誠実な印象を受けた。ファンに囲ま
れる姿も堂々としており、
「作者」以外の何者でもなかった。今月7日の謝罪会見を見る限
り、氏は恐らく「感動のプロデュース」を使命と信じており、その点については反省もし
ていないのだろう。それを拡散した私たち記者は、苦い後悔をかみしめている。
「人は見たいものしか見ない」というが、自身の発するシグナルに耳をふさいで「聴き
たいもの」しか聴かなかった、一連の取材。「危うさを感じたら立ち止まること」「記者は
決して『物語』におぼれてはいけない」
。今はただ、そう自戒している。
【斉藤希史子】
◇京都で記者会見 きれいな発音、よどみなく
2010年7月15日、京都市内で開かれた「作曲家 佐村河内守 記者会見」に参加。
同28日の大阪本社夕刊で、被爆2世の作曲家の思いを記事化した。
記者会見の主催者は地元の福祉団体で「被爆2世である氏の『交響曲第1番』の演奏会
を京都で開催して、核兵器のない世界をともに祈りましょう」という趣旨だった。当時、
佐村河内氏はテレビの報道番組の特集で「全ろう作曲家」として取り上げられて話題にな
りつつあった。
会見には約10人の記者、ライターが参加していた。主催者が、佐村河内氏と京都の障
害者や子供たちとの交流の場を何度も設けてきたことを説明、演奏会にも無料招待したい
のだといい、熱意が伝わってきた。その後、佐村河内氏がヒロシマへの思いを語ったが、
当時の取材メモには「被爆2世の作曲家は私しかいない。自分が音楽でヒロシマのことを
後世に伝えたい」
「曲の途中にはエノラ・ゲイの恐ろしい音が聞こえてくるはずだ」などと
ある。
耳の障害についても語っており、
「自分が書いたものが聞こえないジレンマ、みじめ。だ
が音圧は伝わる」
「障害者で『同情票』がつくのはいや。真っ向から音楽で勝負したい」と
いうメモもある。最後に質疑応答の時間もあったが、主催者の手話通訳が入っていた。記
憶にあるのは、氏がよどみなく自らの出自を語っていたこと。たどたどしさはなく、きれ
いな発音で答えていたことだ。
記者会見後、写真撮影をさせてもらった。その際「頭痛を引き起こす恐れがあるので」
としてフラッシュを嫌がっていた。
【出水奈美】
◇佐村河内氏の活動と関連記事 社会現象と同時に掲載増加
毎日新聞は佐村河内氏の「創作活動」を、どう報じてきたのか。関連記事は2008年
7月以降、新垣氏が名乗り出るまで、計22本が掲載されている。CDチャート6本、通
信社配信記事1本を除くと、計15本(東京本社9本、大阪本社4本、西部本社2本)。佐
村河内氏にインタビューをして書かれた記事は、うち2本だった。一方、音楽の専門家に
よる作品評などは掲載していない。これらの記事を検証していきたい。
初出は08年7月3日付朝刊の広島面。主要8カ国(G8)首脳会議下院議長会議の記
念コンサート(同年9月、広島市)で「被爆2世作曲の交響曲を上演する」と報じた。次
いで09年8月7日、テレビ各局による「戦争特番」を紹介する記事の中で「被爆2世の
作曲家・佐村河内守さんが平和を訴える姿を追う」と伝えた(東京本社夕刊)。
本人へのインタビュー記事が最初に掲載されたのは10年7月28日、大阪本社の夕刊
芸能面「表現者たち」
。「命で奏でる祈りの光」の見出しとともに、生い立ちや創作活動を
詳報した。
15本を掲載年ごとにみると、08年=1本▽09年=1本▽10年=京都市内で「H
IROSHIMA」が初めて全曲演奏されたことを報じた記事(8月15日付朝刊京都面)
など2本▽11年=0本▽12年=0本▽13年=11本。記事は13年に集中している
ことが分かる。
例えば、6月5日付東京本社夕刊芸能面では「HIROSHIMA」を「NHKが特集
を組んだことが、ヒットの始まり」と紹介した。7月12日付朝刊スポーツ面(東京、大
阪本社)では、フィギュアスケートの高橋大輔選手が、ソチ五輪シーズンで「バイオリン
のためのソナチネ」を使用すると報じ、作者を「広島県出身の被爆2世で両耳が聞こえな
い」佐村河内氏、とした。
さらに、毎週日曜掲載の大型企画「ストーリー」でも、佐村河内氏を取り上げた(8月
11日付)。骨肉腫で亡くなった広島の少年との交
流などを詳報。本人へのインタビューも行い、相当
の行数を割いて「生の声」を伝えている。
記事の増加は、「被爆2世」かつ「全ろうの作曲
家」であることが共感を呼んで社会現象になった時
期と、軌を一にしている。一連の報道に、ブームに
乗った一面があったことは否定できない。【まと
め・栗原俊雄】
◇佐村河内守氏を巡る主な経過
=2013年6月、内藤絵美撮影
2008年 9月
広島市で開かれた「G8議長サミット記念コンサート」で「交響曲第1番 H
IROSHIMA」初演。佐村河内氏は一躍有名に
11月
広島市が佐村河内氏に市民賞を授賞
11年 7月
CD「HIROSHIMA」発売
13年 3月
東日本大震災で母を亡くした宮城県の少女に献呈された「ピアノのためのレク
イエム」初演
31日 NHKスペシャル「魂の旋律〜音を失った作曲家〜」放送
4月
CD「HIROSHIMA」の売り上げが10万枚を突破(オリコン調べ)
14年 2月 5日 佐村河内氏の代理人弁護士が「HIROSHIMA」などの楽曲について、別
人が作曲していたと公表
6日 桐朋学園大非常勤講師の新垣隆氏が18年にわたって代作をしていたと記者会
見で説明
12日 佐村河内氏が報道機関に直筆のわび状をファクス。聴力については「一時は全
ろうだったが約3年前から限定的に回復」と釈明
21日 厚生労働省が聴覚障害の認定方法を見直す方針を公表
3月 7日 佐村河内氏が記者会見
失った声がよみがえる!「ボイスバンク」プロジェクト
スーパーニュースアンカー
「私の名前はユアン・マクドナルドです」。
2014 年 3 月 12 日
イギリス人男性が自己紹介をする音声なんですが、この男性は難病で声が出せないため、
本物の声ではありません。
男性の以前の声そっくりに作った人工の声なんです。
この音声システムを開発したのは、日本人研究者です。
のどの障害や病気で声を失う人たちのために、元の声を再
現 し よう とい うプ ロ ジ
ェクトを始めています。
【山内民興さん】「花粉
症は大丈夫なん?」
【職員】
「はい、大丈夫です」
【山内民興さん】
「うそつけ、大丈夫なんか?」
奈良市にある障害者の自立支援施設で、理事長を務める山
内民興さん(65)
。
15年前に少し声がかすれるのが気になって病院を訪れたところ、喉頭がんと診断されま
した。
山内さんは声帯を切除したため、自分の声を出せなくなりました。
電気式人工喉頭という機械で喉に振動を与えて、人工の声を出しています。
【山内さん】
「なるほどな、やっぱり分解している時にどこかで傷がつくんだね」
コミュニケーションはとれますが、かつての自分の声とはほど遠いものです。
さらに、長時間機械を使うと、喉が痛くなるといった不便があります。
【山内さん】 「あの人は親しみのある声だとか、雰囲気出てますねとか、人となりを決め
る大きな要素となっているわけですね。そのあたりが、
この声だと…。体の一部の機能を失うのは、大きな思い
がある」
失われた声を取り戻すことはできないのか――。
今、新たな方法が模索されています。
【国立情報学研究所 山岸順一准教授】
「初見でも難なく読めると思います。ご自身が普段会話
されるように、普段の方言でしゃべっていただければと」
大阪市内のレコーディングスタジオ。
ここで、あるプロジェクトが始まりました。
【ボランティア】
「ファイナンシャルプランナーなるには、どれくらいの勉強期間が必要で
すか?」
「彼が空港ですぐレンタカーを借りる」
女性が画面に表示された文章を次々と読み上げ、その声を収録しています。
【山岸准教授】
「ここで『ボイスバンク』の収録を行いました。音声合成のプロジェクト、
声に障害のある方に、個人の声で、自分の声で会話できる音声合成器を作るプロジェクト
です」
日本には、喉頭がんや全身の筋肉が衰える難病・ALS などを患い、将来自分の声で話せな
くなる恐れがある人がたくさんいます。
そこで、国立情報学研究所の山岸順一准教授は、患者の病気が進行する前に、本人の声を
少しでも収録しておけば、声を失った後でも再現できると考えました。
再現するのには、できるだけ多くの人の音声データを収録しておく必要があります。
【山岸准教授】
「健常者の声から、この地域の声の特徴を計算して、声のテンプレート(平
均声)を作ります。このテンプレートがあると、(患者本人の声の)10~15分のデータ
で、目標の音声を作ることができる」
山岸准教授は今、若い人からお年寄りまで、方言を話す人を含めた全国の幅広い世代の男
女から声のサンプルを集めています。
その音声合成システムの仕組みはこうです。
人は声を出す時に、
「あ」
「い」
「う」
「え」「お」の母音を、口の中のこのあたりから出して
います。
仮に、患者の病状が進行していて「あ」と「う」しか発声できない場合でも、音声合成シ
ステムは、本人の声とボイスバンクに収録された健常者の声のデータから、
「い」
「え」
「お」
の母音がどんなふうに発せられるかをコンピューターで予測し、元の声を再現するのです。
山岸准教授は、イギリスでこのシステムを使って、声を再現することに成功しています。
ユアン・マクドナルドさんは11年前に ALS を発症し、今は体の一部分しか動かすことが
できません。
【ユアン・マクドナルドさん】
「2~3週間かかったんだ
よ~」
【山岸准教授】
「新しい機械にしたんだね」
マクドナルドさんが山岸准教授と出会った時、すでに病
気が進行していて、母音の一部を発声することができま
せんでした。
今は、視線を感知して入力できるパソコンを操作し、山岸准教授が開発した音声合成シス
テムで再現された声をスピーカーから流して周りの人とコミュニケーションを取っていま
す。
病気が進行する前の声と、音声合成システムが生み出した声を聞き比べてみると…
【6年前の声】
「私の名前はユアン・マクドナルドです。エディンバラ出身です」
【音声合成器】
「私の名前はユアン・マクドナルドです。エディンバラ出身です」
【6年前の声】
「エディンバラ大学の生徒で、法律を勉強しています」
【音声合成器】
「エディンバラ大学の生徒で、法律を勉強しています」
昔と同じような声が聞こえてきました。
【ユアンさんの父親】
「素晴らしいことだ。ユアンの元々の声をうまく再現している。喉の
がんなどで人々は声をなくすことはあるけど、そういった人たちに役立つだろう」
【ユアン・マクドナルドさん】
「声を発してアイデンティティを保つことは大事だ。この音
声合成システムをいち早く使えるようになって、僕は幸せだ」
音声合成システムは、イギリスで10人の患者に届けられました。
【山岸准教授】
「自分の声で表現したい時ってあると思うので、そういう時に自分の声でし
ゃべってくれる音声合成器があると、他人にしゃべって
もらうよりも自分の思いが伝わるんじゃないかなと思い
ます。声に障害のある方の生活が少しでもよくなる可能
性があるので、是非とも(ボランティアに)参加してほ
しい」
ボイスバンクのプロジェクトは、日本では始まったばか
りです。
声のサンプルが多いほど、失われた声に近い音声を作り出すことができます。
このプロジェクトが成功すれば、声を失う恐れがある人たちにとって大きな希望となりま
す。
ボイスバンクプロジェクトでは、声の収録に参加できるボランティアを
募集しています。
詳しくは、ボイスバンクのホームページをご覧ください。
http://www.nii.ac.jp/news/2013/0311-2
月刊情報誌「太陽の子」、隔月本人新聞「青空新聞」、社内誌「つなぐちゃんベクトル」、ネット情報「たまにブログ」も
大阪市天王寺区生玉前町 5-33 社会福祉法人大阪手をつなぐ育成会 社会政策研究所発行