日本フランス語フランス文学会 2005 年度秋季大会研究発表会

SJLLF2005 秋
日本フランス語フランス文学会 2005 年度秋季大会研究発表会
第1部
第 1 分科会
14:10∼15:40
フランス語学
第2部
B3 5 3 教室
司会
第 7 分科会
筑波大学
山田
博志
東京大学(COE 特任研究員)
酒井
智宏
16:10∼17:40
1 5 ・1 6 ・1 7 世紀
司会 1
1.矛盾文と条件文の解釈スキーマ
京都大学(博士課程)
カリタス女子中学高等学校
早稲田大学(博士課程)
出口
優木
山﨑
吉朗
観客像 ─
洋一
3.『ベレニス』におけるラシーヌの作劇術
司会 2
慶應義塾大学
上智大学
東京大学(博士課程)
鷲見
1.『ラモーの甥』に追加された挿話の役割 ─ 「アヴィニ
成城大学
ヨンの背教者」をめぐって ─
第 8 分科会
大阪大学(博士課程)
安部
1 9 世紀(2 )
朋子
井上
櫻子
東京大学(博士課程)
1 9 世紀(1 )
司会
完太郎
第 9 分科会
1 9 世紀(3 )
B3 5 6 教室
慶應義塾大学
孝誠
淳一
高橋
日本大学
早稲田大学(博士課程)
椎名 正博
第 1 0 分科会
2 0 世紀(4 )
恒治
倉方
健作
齋藤
征雄
畑
浩一郎
山崎
敦
B2 5 4 教室
司会
集『幼なごころ』から ─
早稲田大学
塚原
史
1.
「眩暈」の美学と「驚異」の美学 ─ シュルレアリスムとの
龍谷大学(非常勤)
瓜生
濃世
比較から見たバタイユの初期思想 ─
2.表現法としての聴覚 ─ 『悪魔の陽の下で』をめぐって─
大阪大学(博士課程)
2 0 世紀(2 )
司会 1
谷口
東京大学(博士課程)
智美
明治学院大学
東京大学(博士課程)
湯沢
首都大学東京(博士課程)
司会 2
明治学院大学
英彦
第 1 1 分科会
2 0 世紀(5 )
司会
2 0 世紀(3 )
一橋大学
星埜
守之
1.<過去>を見る ─ E.グリッサン『第四世紀』における「非
康之
-歴史」の問題系 ─
尚志
2.パトリック・シャモワゾーの『幼年期の果てに』における
藤田
東京外国語大学(博士課程)
中村
隆之
幼年期の想起と創造 ─ 「自伝」と「小説」の間で ─
鵜飼
哲
東北大学(博士課程)
郷原
第 1 2 分科会
佳以
神房
2 0 世紀(6 )
司会
2.ルネ・シャール「婚姻の顔」における「再生」について
昭和音楽大学(非常勤)
B2 5 6 教室
白百合女子大学
慎改
1.形象化のパッション ─ ブランショにおけるアブラハム─
パリ第7大学(博士課程)
前之園 望
雄太
B2 5 6 教室
司会
文
川原
2.ベルクソン哲学における rythme と mesure の問題
東京大学(博士課程)
長井
2.発生原理の追体験 ─ アンドレ・ブルトンの詩的空間
B2 5 4 教室
1.プルースト初期作品における結晶化作用の描写
第 6 分科会
荒川
シェ』を中心にして ─
1.ヴァレリー・ラルボーにおける「子供」について ─ 短編
第 5 分科会
敏幸
2.フローベールにおける「動物」 ─ 『ブヴァールとペキュ
愛
B3 5 4 教室
司会
東北大学
東京大学博士課程単位取得退学
2.印象派の射程 ─ ゾラの小説描写における理念と実像 ─
2 0 世紀(1 )
堀田
チノープル』 ─
新谷
大阪大学(博士課程)
典克
1.変遷するトルコ ─ テオフィル・ゴーチエの『コンスタン
1.文芸・文学・文学史 ─ 文学概念の歴史性 ─
東京芸術大学(非常勤)
永井
B3 5 4 教室
司会
小倉
哲生
るイメージの駆動 ─
ベールの夢』を中心に ─
大橋
千川
2.旋回する騎行 ─ ヴェルレーヌ「ベルギー風景」におけ
3.ディドロにおける怪物・奇形の概念について ─ 『ダラン
第 4 分科会
愛知学院大学
東北大学(博士課程)
東京大学(博士課程)
博孝
1.『悪の華』(第二版)の「皮肉な」結末
─ 感受性と快楽の問題を中心に ─
京都大学(博士課程)
黒岩 卓
小倉
B3 5 6 教室
司会
2.サン=ランベールの『四季』における田園詩の系譜と人間論
第 3 分科会
和恵
2.演劇の有用性と危険性 ─ コルネイユの演劇理論における
B3 5 8 教室
司会
川那部
心に ─
3.フランスの高校との電子会議の運営と評価
1 8 世紀
奈良教育大学
1.印刷本版ソチ諸作品における句読点について ─ 斜線を中
2.定冠詞句の照応 ─ 非同一性照応からのアプローチ ─
第 2 分科会
B3 5 8 教室
廣松
勲
B2 5 8 教室
成城大学
有田
英也
早川
文敏
1.セリーヌ『城から城』における爆撃の問題
美砂
京都産業大学(非常勤)
2.セリーヌとエリー・フォール ─ 小説・大伽藍・共同体 ─
横浜国立大学
0
彦江
智弘
SJLLF2005 秋
第 1 分科会-1
第 1 分科会-2
矛盾文と条件文の解釈スキーマ
定名詞句の照応
── 非同一性照応からのアプローチ ──
酒井
智宏
出口
優木
拡大メンタル・スペース理論の枠組みで矛盾文 X n’est pas X
この発表では、名詞句 le SN の照応を主に扱い、適宜、代名
の解釈スキーマを提示し、そこから矛盾文の伝達情報を導き出
詞の照応も参照する。その上で、照応表現を使用するというこ
す。
とが、繰り返しを避ける経済性であるという引き算的な捉え方
これまでのところ、矛盾文を正面から扱った研究は存在しな
ではなく、照応表現を使うことでより文脈が明確にされ意味の
いが、断片的な分析として、属詞が vrai X を表し、X n’est pas X
連続性や関連性を正しく伝えられるという観点で論じていきた
si P (X) は「P という性質を持つX は X であることに変わりはな
い。先行詞が明示されない照応(連想照応を含む)や、先行詞
いがプロトタイプ的 X ではない」と解釈される、とする分析が
と照応詞の性・数が一致しない照応など、忠実な同一性照応と
ある (藤田 1988, 1992、坂原 1992, 2002 cf. Lyons 1977)。しかし、
は異なる振る舞いを示す照応がある。
それを踏まえ、
照応とは、
言語事実を検討すると、属詞 X が vrai X を表すという分析は支
最も明示的な関連性を示す接続詞とともに、談話の流れを示す
持できないことが分かる。したがって、矛盾文は X n’est pas X
という形式に基づいて分析される必要がある。
ものとして捉えたい。照応が単語レベルの問題ではなく、それ
矛盾文 X1 n’est pas X2 では X1 が意味的限定を受けることが
聞き手間に作られる談話世界から、その可否を決定されるもの
を含む文、さらには文脈、そして大きくは、発話時に話し手・
多い(大久保 2000)。この限定句は、従属節の形で現れる場合と、
であると考えていきたい。
X1 に対する名詞修飾節として現れる場合とがある。これを
具体的な例としては、主に連想照応の例を取り上げ、先行詞
Fauconnier (1984)のいうスペース導入表現とみなすと、矛盾文は
次のようにしてスペース構成に変換される。
(同一指示としての)を持たないにも関わらず照応現象であるそ
の仕組みを検討する。一般に、連想照応は明示的な先行詞がな
い代わりに、先行文脈に存在する照応詞と関係のある表現を元
(i) 言語表現: X1 n’est pas X2 SB または [ GN X1 SB] n’est pas X2
にして理解される。主に、全体−部分を代表とするような情報
(SB: スペース導入表現)
のフレームといったものを、先行詞と照応詞が持つことが要請
(ii) SB: スペース M1 に対してスペース M2 を開く
(iii) X1: X と照合され、M1 に要素 a を導入する
される。しかし、単に先行詞と照応詞が関係あるだけでは照応
(C (a) = X)
しない例もあり、その照応の可否がいかなる情報の有無または
(iv) n’est pas X2: a の M2 における対応物 a’が X とコネクターC によ
文法的形式の違いに拠るのかを検討し、そこから照応と呼べる
り結合されていないことを断定する (C (a’) ≠ X)
現象に最低限必要な基準というものを考えたい。代名詞 en を伴
う連想照応の可否の議論なども参考にし、先行詞・照応詞間の
ここで述定が M1 の a ではなく、その C2 による対応物である
情報量の多寡によって連想照応の容認度が決まるという考えを
M2 の a’に関して行われるのは、SB により焦点が M2 に移って
軸に推敲していきたいと考える。その枠組みとして、メンタル・
いるからである。簡単に言えば、矛盾文は M1 では X である個
スペース理論を発展させた談話モデル理論を用い、談話の中で
体が M 2 では X でなくなることを表す。
先行詞・照応詞の指示対象といったものが如何のように位置付
こうして得られる矛盾文の解釈スキーマと条件文の解釈ス
けられ、関連付けられるかを示し、話し手・聞き手のもつ情報
キーマを単一化すると、Un chat n’est pas un chat s’il n’attrape pas
の非対称性を考慮することで、談話の流れのなかで照応を説明
de souris = Un chat est un chat (seulement) s’il attrape des souris とい
していきたい。また、関連性理論における関連性の概念や、心
う発話が、情報的意味として「猫はねずみを取るものだ」という
理学で用いられるアフォーダンスの概念なども念頭におき、照
命題を伝達し、議論的意味として、「猫である個体、例えばタマ
応という現象の中で、明示的な文脈(文として現れているもの)
はねずみを取るべきだ」、「ねずみを取らない猫を猫扱いするべ
だけではなく、発話の状況、談話参加者の知識状態などがいか
きではない」という二つの命題を伝達するという事実を説明す
に重要であるかという点を強調していきたい。
ることができる。また、これにより、藤田 (1988)が観察する
以上の方法によって、非同一性照応の可能性から、照応のも
Un chat est un chat (seulement) si R における R に課せられる条件
つ一般的な完全同一性的なイメージとは違う性質を示したい。
を正しく予測することができる。
(京都大学大学院博士後期課程)
(東京大学 COE 特任研究員)
1
SJLLF2005 秋
第 2 分科会-1
第 1 分科会-3
『ラモーの甥』に追加された挿話の役割
フランスの高校との電子会議の運営と評価
──「アヴィニヨンの背教者」をめぐって ──
山﨑
吉朗
安部
朋子
1.過去の蓄積
本校は、1992 年の「ミニテルによる国際交流授業(1993、フ
1773 年ディドロはエカテリーナ二世に謁見するため、ロシア
ランス語教育 21 号)
」をそのスタートとし、現在まで、今回の
へと旅立った。その旅の途上オランダのハーグに滞在し、さか
電子会議に継承される試みを行い、問題点、改善点を蓄積して
んな執筆活動を行う。この時の仕事が『エルヴェシウス反駁』
きた。これまでに得た知見は次の通りである。
の部分、『逆説俳優について』
、『運命論者ジャックとその主人』
1.
会議には進行役が必須
の草案などであったと考えられている。これらは、今日ディド
2.
互いの学校を紹介する事前準備が必須
ロの思想・執筆方法を知る上で避けて通れぬ重要な作品である。
3.
会議での発言内容の準備
本発表では、同様にこの時期に執筆され、
『ラモーの甥』に追加
されたとみなされている一挿話「アヴィニヨンの背教者」の役
4. 教員レベルでの事前交流
2.相手校
割について述べていく。というのも、この挿話の追加は『ラモ
相手校は、Lycée La Fontaine(Paris)である。唐突に相手校が決
ーの甥』の統一を壊しかねない無駄なものとして捕らえられて
定したのではなく、日仏交流ネットワーク « Colibri»の一環とし
おり、作品全体においてどんな役割・機能を果たすかについて
てこの企画が実現した。2 年前からフランス大使館と進めてい
は、ほとんど議論されていなかったからである。
る日仏の高校生の交換留学を促進する組織作りの一環で、昨年
まず初めに注目したいのは、
「背教者」の挿話が、主人公ラモ
秋に筆者が、今回の相手校を訪問した際、留学前の学校間交流
ーの甥の口から語られるという点である。この人物は、ある種
の一つとして電子会議の話が持ち上がり、今回の実現につなが
のリベルタンとして描かれており、キリスト教的倫理観とはか
った。学校の雰囲気、学校の目標、生徒のレベル等、お互いに
け離れた男である。そのため「背教者」の挿話は、他人を憐れ
よく理解した上での実現となった。1 で述べた知見の 2 と 4 は
む善良な人物が罰せられ、冷血無情な人物が利益を得て生き延
このネットワークのおかげで解決していたのである。
びる、反道徳的コントの様相を帯びている。挿話はラモーの甥
3.運営
の性格を如実に示した内容となっており、この男の性格付けに
高校だけでは解決が難しい技術的な問題、派生する費用の問
一役買っているのである。
題は、慶應義塾大学湘南キャンパスの協力により解決した。同
さらに、甥の対話者である「哲学者」との関係でこの挿話を
大学のサーバーを利用し、 « nice to meet you»というテレビ会議
捉えるなら、
「アヴィニヨンの背教者」は相手を論破、説得する
用のソフトを使用した。Messenger や Net M eeting よりも画像、
機能をも担っている。軽犯罪者に対して人は軽蔑の念を抱くだ
音声共に実用に耐えるもので、Fire Wall の問題もクリアーした。
また、同大学のホームページからダウンロードした同じソフト
けだが、大悪人に対しては尊敬にも似た感情を呼び起こさせる
を使うので、version が異なるとか、国によるソフトの違い等が
こした事件なのである。偉大な悪については、ディドロ自身の
なく、メールのやり取りだけでフランス側での準備も問題なく
思想との類似が指摘できる。美徳を愛するディドロと、悪徳礼
進んだ。
賛するラモーの甥との間には大きな隔たりがある。しかし、デ
4.準備と 3 回の会議
ィドロにとって、人に徳高き行動を取らせる力も、この上もな
と主張する甥が、その具体例として挙げるのが「背教者」の起
まずは、国内で技術的な実験を行ったあと、フランスの高校
い罪悪に走らせる力も根源的には同一なのである。ラモーの甥
とは、最初は教員のみで、 « nice to meet you»が正常に稼働す
に語らせながら、ディドロは自らの思想をここに展開させるの
るかどうか、問題点はないかどうかのチェックを行った。そこ
である。
で、画像、音声共にクリアーなのだが、音声のディレーが国内
最後に、
『ラモーの甥』の作品中に常に認められる対立関係を
で行っているより大きく、3-4 秒ずれるということが始めてわ
かった。これに関しては現段階ではフランス側の回線状況が把
指摘しておきたい。ラモーの甥と議論を取り交わす「哲学者」
、
握できず、今後の課題となっているが、事前に分かっていたデ
ちは、様々な組み合わせで、一種の主従関係を保っている。た
ィレーを意識して本番のテレビ会議を進めることができた。1
だし、その関係は遊動的で、常に主人が全権力を握っているわ
回目は高校 3 年生、2 回目は中学 3 年生、3 回目は高校 1 年生、
けではない。とりわけ、今回問題となる「アヴィニヨンの背教
相手側も同学年の生徒で行った。1 で述べた知見の 1,3 を解決す
者」では、背教者とそのパトロンとの関係がすっかり転覆して
るために、
第一回目の高校 3 年生の時は事前準備を入念に行い、
しまう。いわば、いくつかの挿話が主従関係のヴァリエーショ
カメラテスト、マイクテストも一人一人で行った。テーマも決
ンとなっている。つまり、「背教者」の挿話の追加は、『ラモー
め、進行には教員が加わり、参加した生徒の満足度は高かった。
の甥』に新たな例を提供しているといえる。
両者の関係は言わずもがな、エピソードの中に登場する人物た
会議の様子、評価については、発表の際に述べる。
(大阪大学大学院博士後期課程)
(カリタス女子中学高等学校教諭)
2
SJLLF2005 秋
第 2 分科会-2
第2分科会-3
サン=ランベールの『四季』における田園詩の系譜と人間論
ディドロにおける怪物・奇形の概念について
── 感受性と快楽の問題を中心に ──
──『ダランベールの夢』を中心に ──
井上
櫻子
大橋
自然の中での素朴な生活を歌う描写詩は、18 世紀後半のフラ
ンス文学界において急速に発展するジャンルであるが、その誕
生と発展の直接的要因としては、18 世紀中葉、イギリスの詩人
トムソンの『四季』が大陸に紹介されたことが挙げられる。今
回の発表では、感受性と快楽に関する思想的議論に注目しなが
ら、描写詩というジャンルの確立者とされるサン=ランベール
が、トムソンの作品をいかに受容し、変奏したのかという点に
ついて検討したい。さらに、このような考察を通して、トムソ
ンに対するサン=ランベールの独自性を示すのみならず、18 世
紀後半のフランスにおける文学的、思想的関心事を明らかにし、
その文脈の中で自然の歌を手がけたことの意義について一つの
解釈を試みたい。
『四季』
「序文」において、サン=ランベールは、フランスの
代表的な田園詩の作者を批判する一方、18 世紀のイギリス、ド
イツの詩人たちの田園詩を賞賛している。その中でも殊にトム
ソンを高く評価していることは、
『四季』の各歌に添えられた注
からうかがい知ることができる。この注の中で、サン=ランベ
ールは、自分が着想に至った原典を明らかにしているのだが、
トムソンの引用数は、他の作家のそれとくらべて遥かに多いか
らである。トムソンに想を得たとされる詩句に注目すると、サ
ン=ランベールは、イギリスの詩人からありのままの自然の諸
現象を平易な言葉で描く術を学び取ろうとし、それによって、
一種の哀感を込めて現実世界と乖離したユートピア的世界を歌
うフランスの伝統的な牧歌、田園詩とは一線を画する自然の歌
を制作することを目指したと考えられる。
『四季』の注に典拠として明示される箇所以外にも、サン=
ランベールの作品にはトムソンに負うと考えられる詩句が少な
からず認められる。しかし、サン=ランベールは、フレロンが
批判するようにイギリスの詩人の亜流に終わった訳ではないこ
とは、
『四季』における感受性と快楽についての思索に注目する
ことで明らかになる。万物が再生する春の野に身を置く喜びを
歌った詩句からは、18 世紀中葉、感覚論者の関心を集めた「自
己存在感」に関する議論の影響が見られるのみならず、季節の
変遷と共に変容する自然が人間の感受性に与える影響に関する
『四季』のさまざまな記述からも、感覚論的人間論を踏まえて
詩を編もうとするサン=ランベールの意志がうかがわれるので
ある。トムソンが、自然の観想を、神の観想へ至り、道徳的感
情に目覚める契機と捉えたのに対し、サン=ランベールは、当
時のフランス思想界での関心事を踏まえながら人間の情緒的経
験の諸相を描き出すことにこだわった。詩の危機が意識される
時代にあって、このように人間の感受性と快楽に関するより深
い議論を織り込む可能性を提示したサン=ランベールの作品は、
18 世紀末における詩の復権と叙情詩の再生の過程で重要な一
段階をなすものと考えられる。
(京都大学大学院博士後期課程)
3
完太郎
怪物・奇形の概念には古来より様々な意味が付与されてきた。
アリストテレスやプリニウスに始まり、ルネサンス期の医師ア
ンブロワーズ・パレを通じて行われてきた怪物・奇形について
の考察は、19 世紀初頭のジョフロワ=サンティレールにおいて
実証的な奇形学としての完成を迎える。また、17 世紀後半から
18 世紀半ばにかけてのフランスにおいては、生物の発生と神の
創造との関係をめぐって、怪物・奇形の存在の解釈が問題とさ
れていた。こうした背景に加えて、リンネやビュフォンによっ
て発展した生物学は、世界の存在物を一定の類・種構造のもと
に分類配置し、同時に生物界における人間の位相をも確定しよ
うとする。この意味で、類・種の構造をはみ出すような怪物・
奇形、とりわけ人間における奇形は、18 世紀においては、単に
医学や生物学上の問題にとどまらず、人間の形象を規定し、あ
るいはその存在理由を問いに付すような論題であった。
本発表では、こうした背景の中で書かれたディドロの著作
『ダランベールの夢』に見られる怪物・奇形についての記述を
分析することによって、ディドロの怪物・奇形論がもつ射程を
明らかにし、それと同時にディドロの唯物論的一元論における
人間の境位をも明らかにすることをその目的とする。
『ダランベールの夢』に見られる怪物・奇形論は二つの射程
を持っている。まず第一に、ディドロの唯物論的一元論におい
ては、存在する全てのものに怪物・奇形性が認められる。ディ
ドロにとって、各生物の個体とは、形態的な類似性によって規
定された種に内属するものではない。各個体は、それが生物で
あろうと無生物であろうと、
連続的に生成を続ける世界の中で、
物質相互の結合の結果、過渡的で可視的な形象をまとうに過ぎ
ない。
つまり、あらゆるものは更なる変化の可能性の内にあり、
現にある個別的な存在物も、他の存在物の交雑の結果と見なさ
れる。こうした各存在者は、あらゆるものが他のものに対する
偏差であり、また交雑であるという意味で、怪物・奇形的なも
のとして措定される。自然において、すなわち存在論的にあら
ゆるものが怪物・奇形であるというディドロの主張は、この意
味において理解される。
第二の射程は、人間と人間の怪物・奇形の関係を問題とする。
形態的相同性にまつわる種の概念を否定しつつも、ディドロは
器官の構造的同一性とそこから生じる欲望の共同性において、
人間という概念を保持している。
『ダランベールの夢』に頻出す
る様々な怪物・奇形の事例も、すべて人間性の解釈と関連して
いる。
すなわち、
サイクロプスのもつ発生段階での組織的欠損、
及びシャム双生児や両性具有者がもつ感覚の過剰さとの比較に
おいて、人間における感覚や意識が相対的に中庸なものでしか
ないことが示される。怪物・奇形とは、極端な人間として解釈
されるべき存在であって、人間は怪物・奇形における欠如や過
剰の中間に位置づけられる。
怪物・奇形のこうした二層の考察によって、無秩序に生成を
繰り返す唯物論的一元論の世界と、それにも関わらず無秩序な
自然から離れつつ世界の中心に位置する人間概念とがディドロ
において並立していることが明らかになる。ディドロにとって
怪物・奇形とは自然性の本来的な発露であるが、それは同時に
中心的人間というメタ自然的な存在の様態、すなわち人間の形
而上学的な中心性を浮き彫りにするものでもある。
(東京大学大学院博士後期課程)
SJLLF2005 秋
第 3 分科会-1
第3分科会-2
文芸・文学・文学史
印象派の射程
―― 文学概念の歴史性 ――
── ゾラの小説描写における理念と実像 ──
新谷
淳一
高橋
愛
“文学とは何か”という問いは、発するべきではない愚かな
エミール・ゾラは、ロマン主義時代までに培われた文学的遺
問いとしばしば目される。本質論的な見かけを持つこの問いが
産と断絶し、
「自然主義者」としての理念を明確にしながら、新
有意味となるのは、文学概念の歴史性への関心を召喚する場合
しい文学の「定式」を探求した。その一環として、小説描写の
に限られる。フランス語に則して言うなら、
“littérature”の語と
“文学”の語義が比較的近年に結合したという事実があり、
“文
改革にも取り組んだが、それは自然主義文学の本質である「環
芸”[belles-lettres]から“文学”[littérature]への名辞の移行が
表現を模索した試みにほかならない。
境」と「人間」の相関性を描き出すという問題に対峙し、その
重要な指標となる。
試みの一つとして、ゾラは近代社会の躍動感やそこに生きる
文学概念の歴史性を問うことは、文学研究の欠落を補う建設
人間の生命力、モチーフを通して示される時間の流れなどを表
的な作業であると同時に、文学史を支える前提を相対化する、
現できる印象主義の絵画様式を理解しようと努めた。印象派の
脱構築的な作業でもある。様々な時代に属する作品を、その時
画家たちを
「自然から直接制作しようとする自然主義の美術家」
代に組み込まれた、
“模倣”するべきモデルとして扱うのではな
と呼んで擁護し、自らの小説描写においても彼らが新しく定着
く、現代から等距離にある対等のものとして鑑賞・評価して初
させた絵画上の技術を実践して、絵画と小説の相互影響を示そ
めて、文学史の言説が可能となる。過去の作品に向けられる文
うとしたのである。絵画・小説の両分野で通用する「自然主義」
学史的な視線は、文芸の作品を浸していた修辞学的な規範性の
崩壊、および、文芸とは別種の、文学の原理の成立を前提とし
の決定的な「定式」を見出そうとするゾラの野心は、1878 年に
出版された『愛の一ページ』において頓挫する。小説描写にお
ている。
ける印象派への偏重は、筋の流れを妨げるほど冗長さを際立た
文学概念の歴史性の認識は、文芸と文学のあいだに、連続性
せ、結果的には作品の価値までを危うくしたのだ。
より先に、断絶の関係を見ることを出発点とする。文芸と文学
2 年後、
『ヴォルテール』紙に「サロンにおける自然主義」を
の両立不可能性の根底には、それぞれを構成する言葉の地位の
発表したゾラは、印象派の画家たちが傑作を生み出せるような
違いがある。たとえ書かれていても理念的には語られた言葉を
決定的な定式を依然として見つけ出せていないことを指摘、事
指向する、生きた言葉のアートたる文芸に対し、文学を構成す
実上、印象派と訣別した。『実験小説論』も発表したこの 1880
るのは、死んだ言葉としてのエクリチュールである。文芸を支
年には、ゾラは「描写について」と題された記事を書いており、
えていた修辞学的な伝統の本質は、多様な文彩の分類ではなく、
その中で革新的な絵画様式を用いて自身の小説描写を特徴づけ
“着想”に“措辞”をつねに従属せしめ、原因と効果、知的な
ていた姿勢を見直す発言をしている。自身の文学理念をあらた
ものと可感的なものの確固たる序列を想定する世界観にある。
めて宣言すべき時期に彼はいたのであり、それにともない自然
文学の言葉は、この秩序を愚弄し、主題に奉仕することなく、
主義小説の描写に関しても、その特質が同様に問われていたの
言葉それ自身としての栄光を求める。
だ。
ひとたび文学が出来し、文学史が成立すれば、文芸の作品を
印象派から離れたゾラは、新しい「定式」を独力で確立しよ
も、遡及的に文学の作品として解釈し、新たな読みを提示する
うとする。
『人間喜劇』に影響を受け『ルーゴン・マッカール叢
ことが可能となる。断絶を経てあらためて、文学としての連続
書』を創造するに至った作家は、
「環境」と「人間」の関係を描
性が想定される。そのとき、文芸の本質を忘れた文学史は、規
くという自然主義の本質を守りながら、フローベールの作品が
則の遵守を要諦とする教条的な古典主義文学像を定着させる。
示す描写の「簡素さ」に感銘を受け、ゴンクール兄弟の描写の
この操作に対し、文芸の豊かさに敏感な人々は、現代の文学も
特質、すなわち登場人物の感情から生じる神経質な震えによっ
また、古の修辞学の水脈によって養われているとの信念から、
て、事物に生命力が与えられるとすら思われる側面に注目する。
別種の文学観を提示する。
1880 年以降のゾラの小説描写で際立つのは、写実性を追及する
文芸の側に就く者と、文学の側に就く者とのあいだには、フ
網羅的な側面ではなく、むしろ喚起的な側面を強調しながら、
ランスの歴史と深く絡み合った、イデオロギー的な対立がしば
象徴的で印象の強いワンシーンを簡潔に描くという新たに確立
しば観察される。
“文学とは何か”という問いを発しない分別あ
された構成力の強さである。ゾラの考える「環境」と「人間」
る態度には、文学の永遠性を想定するという予断が孕まれてい
をめぐる思念、印象派の世界とは異なる強烈なイメージと読者
る。逆に、
“文学とは何か”の問いを敢えて立てる態度には、文
へのメッセージについて考えたい。
(大阪大学大学院博士後期課程)
学を、自然としてではなく、歴史として捉えようとする偏りが
ある。少なくとも、こうした問題系を露出させるという一点に
おいても、文学そのものを問いとして立てる無謀さには、積極
的な意義が認められよう。
(東京芸術大学非常勤講師)
4
SJLLF2005 秋
第4分科会-1
第4分科会-2
ヴァレリー・ラルボーにおける「子供」について
表現法としての聴覚
── 短編集『幼なごころ』から ──
──『悪魔の陽の下で』をめぐって──
うりう
谷口
あつよ
智美
瓜生 濃世
人間には五感がありそれぞれが異なった感覚を認識してい
二十世紀の仏文学において「子供」は重要な一要素となり、
多くの小説で主要人物として登場するようになった。ヴァレリ
る。その中でも特に多くのものを認識しているのが視覚である。
ー・ラルボーも「子供」を重要視した作家のひとりであり、代
視覚は、物体の色、大きさ、距離を知覚し多くの情報を一度に
表作である短編集『幼なごころ』には様々な語り手や語りの手
得ることのできる重要な器官である。それゆえに、人間は視覚
法を用いて子供を描いた十編の短編が収められている。そこで
を中心に物事を考察している。しかしながら、ベルナノスの処
ラルボーは「子供」をどのように描き出そうと試み、どういっ
女作品『悪魔の陽の下で』では、視覚(voir, regarder, le regard, les
た役割を期待したのであろうか。
yeux etc.)と聴覚(entendre, écouter, la voix, l’écho etc)に関す
『幼なごころ』を俯瞰すると、描写されている子供や子供時
る語彙を比較してみると全体に占める割合は、前者が 40%、後
代はそれぞれの語りの視点を生かした多様なイメージに富んで
者が 60%と後者が勝っている。視覚に比べて客観性に劣る聴覚
おり、子供は純粋無垢であるといった単純な図式を超越してい
がなぜ多用され、どのような効果を生んでいるのかが今回の発
ると言えよう。例えば「ひとりぼっちのグウェニー」の主人公
表の狙いである。先ず視覚について考察してみると、それを多
である男性は子供が優しく純粋な存在であることを思い描いて
用するのは聖職者や知識人たちで、視覚を中心に事物を描き出
いるが、
「夏休みの宿題」の語り手である少年は純粋なのはむし
すのだが、その視線はあくまでも客観的であろうとしていると
ろ大人であると述べているのだ。子供たちはいわばひとつの人
同時に冷ややかで時には無慈悲な視線となっている。また人物
格を持つ者であり、より複雑な性格を帯びた存在として捉えら
描写については、視覚から得られる情報と聴覚のそれを対立さ
れ、その心理が精緻に描写されている点にラルボーの特徴が表
せ、物語上重要な役割を担うのは聴覚が表す人物像であること
れている。そして、子供たちが直面する困難は様々である。大
が多い。最も信頼できる能力であった視覚が聴覚にその地位を
人社会を支配するブルジョワの価値観に疑問を持ち、葛藤する
譲る結果となる。最後に物語全体の中での両者の使用頻度から
「包丁」の幼き主人公ミルー。
「ローズ・ルールダン」や「夏休
みても、後者のほうが勝ることを考えると聴覚がこの小説を表
みの宿題」の主人公たちのように、学校生活で同級生たちに馴
現する第一の手段であることがいえるであろう。
染めずにいる子供たち。そして母親に反発し異性への関心を深
ベルナノスは処女作を発表する際にインタビューで、うその
める「十四歳のエリアーヌの肖像」の主人公の少女。子供は大
忌むべき形、それは安易に陥ることであるといって自分はそれ
人と同等の存在であると唱えたラルボーだが、それは同時に子
を恐れると述べている。それを避けるために視覚、聴覚の二つ
供にも大人と同じ重責を担わせることを意味する。無邪気では
の手段を表現の手段としているといえよう。視覚のみで語られ
いられない子供たちは今いる場所とは別の所へと思いを馳せ、
る世界には、真実味や客観性がない一方、聴覚は逆に客観性を
それは夢想や過去の思い出という形で語られる。自分が居るべ
帯び視覚に劣らないほど情報提供のできる優れた知覚であるこ
き場所を探求すべく、子供は現実とは別の世界を思い、すでに
とが言える。したがって、真実の姿を描き出す手段として、作
大人となってしまった者は二度と戻れない子供時代を理想化す
者は聴覚を多用したと考えられるであろう。また人間の能力で
ることで現実とは別の世界を思う。
ある視覚、聴覚を通して宗教をテーマとしているだけでなく、
人間についても書かれている作品であると言える。
こうした子供や子供時代に対する描写の多様性は、常に「私」
(大阪大学大学院後期博士課程)
という存在に対して抱いていたラルボーのとまどいが反映され
ていると考えられるのではないだろうか。ラルボーは自分につ
きまとっていた不安 ─―「自分」とは何者か、そして自分を取
り巻く社会や他人をどう受け入れるべきか ─― を子供時代を
描写する上でも基盤として、固定的な解釈を避け、語りの手法
を変化させ、複数のイメージを描き出したように思われる。本
発表はこうした観点から『幼なごころ』に描かれた子供像を分
析し、ラルボーが「子供」を登場させた理由を考察することを
主眼としたい。
(龍谷大学非常勤講師)
5
SJLLF2005 秋
第5分科会-2
第5分科会-1
ベルクソン哲学における rythme と mesure の問題
プルースト初期作品における結晶化作用の描写
川原
藤田
雄太
尚志
『つれない男』は、青年プルーストが1896年に発表した
ベルクソン哲学の中核をなす持続概念の比喩としてしばし
短編である。フィリップ・コルブは、この短編の結晶化作用の
ばメロディーが特権視されてきた。だが、持続の本質が区分な
き継起であるという点よりもむしろ、その内的な緊張や数なき
多様性という点にあるのであれば、むしろリズムこそベルクソ
分析が『スワンの恋』に発展させられ、特にスワンが恋に落ち
る場面は、
『つれない男』のヒロインが恋に落ちる場面から直接
ンの意図に最も沿う比喩なのではないか。リズムは、分割可能
性の問題、分節化の問題、多様性(multiplicité)の問題、した
がって可能的なものの現実化と区別される、潜在的なものの顕
取り入れられた、と主張している。一方、ジョヴァンニ・マッ
キアは、このコルブ説を批判し、この時期、同じテーマの下に
『ド・ブレーヴ夫人の憂鬱な別荘生活』という短編が書かれて
在化の問題を、メロディーよりさらに明示的に提起するからで
ある。メロディ対リズムという対立は、ジャンケレヴィッチ対
ドゥルーズ、
(バシュラールから見た)ベルクソン対(バシュラ
いる事実に注目し、
二つの短編がプルースト青年期に特有の「無
関心」というテーマを共有していると指摘した。
ところで、二つの短編の恋愛の心理分析では、スタンダール
ール自身から見た)バシュラールという狭義・広義のベルクソ
ン研究を貫く対立をこのうえなく明確に照射する。
rythme はただ単に「リズム」であるのではない。rhuthmos に
の『恋愛論』における結晶化作用とは異なる分析がなされてい
る。ヒロインは何の魅力も持たない「無関心な」男を誘惑しよ
うと試みて拒絶され、自尊心の痛みから、恋に落ちる。
『囚われ
由来する rythme は今なおヘラクレイトスの神話的な panta rhei
とプラトンの古典的定義 kineseos taxis(『法律』665a)の間を揺
れ続けるがゆえに。すなわち現在ある硬直した秩序を突き崩し
の女』での「美は幸福を約束すると言われる。逆に、快楽の可
能性が美の始まりになることもある」という一節や、
『ジャン・
常に無秩序へと回帰しようとする流れ・運動の動的軸と、無秩
序から常に新たな秩序を再編成しそれを維持しようとする形
成・構造の静的軸の間を。Rhuthmos と arithmos の運命的な混同
サントゥイユ』の恋愛に関する断章でのスタンダール批判から
もうかがえるように、プルーストは、恋愛対象の美に対する感
嘆を「快楽の可能性」に置き換え、美への感嘆ではなくエゴイ
スティックな想像力の働きを結晶化作用の始点に置いているが、
『つれない男』と『ド・ブレーヴ夫人の憂鬱な別荘生活』とい
った初期の短編でも、この考えを先取りしたプルースト独自の
Rhythmus、キェルケゴールの反復、ニーチェの永劫回帰、フロ
イトにおける反復強迫、ドゥルーズ=ガタリのリトゥルネロに
至るまで。aïsthésis と kinèsis の想像界(音楽・天文学・ダンス・
結晶化作用の分析が行われている。
だが、この結晶化作用の展開は、コルブの主張に反して、ス
ワンが経験する心理過程とは同じではない。ミッシェル・クル
建築:調和・黄金数、ルソーの『音楽辞典』
・ヴァレリー・ギカ)
、
logos と arithmos の象徴界(算術・幾何:有理数/無理数・実数
/虚数・アルゴリズム)
、ethos と nomos の現実界(道徳・宗教・
ーゼは、『ジャン・サントゥイユ』と『スワンの恋』における、
スタンダール批判を含意した結晶化作用についての研究で、ジ
ャンやスワンの中では結晶化作用は二度起きると指摘している。
ジャンやスワンは最初、恋人からの好意を受ける。しかし、恋
人の不実に対して疑惑が生じると、第二の結晶化作用が生じて、
政治:正義・公正・法の力、ビュフォンの精神算術試論やコン
ドルセの政治算術)を貫いて。
rythme と切り離しがたく結びついた mesure もまた単に「拍
子」であるのではない。mensura、さらには métron に由来する
この語は、
「単位」や「尺度」など計測されるものを表すのみな
らず、
「測定」
・
「計測」行為自体に関わり、であるからこそ節度
ふたりは嫉妬に苦しむ。
ジャンやスワンに見られるこの展開は、
二つの初期短編には見られない。この二段階の結晶化作用が生
じるためには「疑惑」や「嫉妬」といった要素が必要不可欠だ
や中庸、juste mesure は決して受動的・消極的な習俗・慣習の反
復・機械的適用に留まらず、
「措置」「対策」を講ずる能動的・
積極的な創設行為にまで関わるものである。
『試論』から『物質
が、二つの短編の執筆時期にはまだこれらの要素は存在しなか
った。その後、
『シルヴァニー子爵バルダサール・シルヴァンド』
と『嫉妬の終わり』という二つの短編において初めて疑惑や嫉
と記憶』を経て『持続と同時性』に至るまでベルクソン哲学一
貫して流れる「計測されうるもの」に関する批判は、単に mesure
概念の批判に留まらず、
その根底的な刷新に寄与する。
『二源泉』
妬のテーマが登場する。バルダサール・シルヴァンドは嫉妬に
苦しめられるが、彼が「ピアの無関心」に苦しむのは、彼女が
第 1 章に見られる正義概念の歴史概観は、秤量の否定ではなく、
その尺度の絶えざる再鋳造以外の何物であろうか。mesure は常
に機械と関係し、機械のもつ最大の危険性と最大の可能性を同
他の男に恋していることが明らかになるからである。
『嫉妬の終
わり』では、友人の何気ない一言が恋人に対する疑惑を生じさ
せる。この二つの短編を機に「無関心」から、
「疑惑」と「嫉妬」
時に可能にする。最終章に見られる「過度に肥大化した身体
corps démesurément grossi」と魂の不均衡、機械主義と神秘主義
に関する検討は、中庸を根本概念とするアリストテレス倫理学
のテーマへと結晶化作用の契機が変化する。そして、疑惑と嫉
妬というテーマの登場が、後の『スワンの恋』での情熱恋愛と
結晶化作用の展開を準備するのだ。等しく『失われた時を求め
との対決を通じ、新たな政治哲学の可能性を開く。
(東京大学大学院博士後期課程)
て』の先行作品と見なされがちな『楽しみと日々』収録の短編
小説にも、詳しく検討すると段階を追って成長する作家の足跡
が認められるのである。
が numerus をもたらし(アウグスティヌスの音楽論)、rythme
が提起する周期性と運動、差異と反復、形式と形成、構造と力
の問題をたえず増殖させていくがゆえに。ドイツロマン主義の
(首都大学東京大学院博士課程)
6
SJLLF2005 秋
第6分科会-1
第6分科会-2
形象化のパッション
ルネ・シャール「婚姻の顔」における「再生」について
―― ブランショにおけるアブラハム ――
郷原
神房
佳以
美砂
モーリス・ブランショ(1907−2003)は 1940−50 年代に、
ルネ・シャールの韻文詩「婚姻の顔」は、1944 年『カイエ・
小説と批評の双方において、
「創世記」22 章に描かれたアブラ
ダール』誌に発表され、1945 年には、他の四つの韻文詩ととも
ハムのイサク供犠に繰り返し触れ、その新たな読解の可能性を
に同名の標題すなわち『婚姻の顔』の下にまとめられ、詩集『孤
示唆している。小説では処女作『謎の男トマ』(第一版 1941)
立して留まって』に収められた。しかし実際「婚姻の顔」の印
と中篇『望みのときに』
(1951)、批評では「カフカを読む」
(1945)
と「カフカと作品の要請」
(1952)という二篇のカフカ論にイサ
刷が完成したのは 1938 年に遡る。
したがってこの詩は戦前のシ
ャールの作品を代表すると言ってよいであろうし、また戦時中
ク供犠への言及が現れる。キルケゴールを始めとする思想家や
に書かれた作品の多くが散文詩、特に断章であることを考えれ
作家によって様々に論じられてきたアブラハムのジレンマは、
ば、その後のシャールの詩法を理解するために、重要な手がか
ブランショにおいてどのように読み替えられ、文学論に昇華さ
りとなる作品であることは間違いないだろう。
れたのか。この問いに答えるために、本発表ではまず、二篇の
さてこの詩は、シャールがトリスタン・ツァラの元妻グレ
小説、とりわけ『望みのときに』におけるアブラハムのイサク
タ・クヌトソンに恋していた頃に書かれたものである。しかし、
供犠への言及を分析し、次に、それを踏まえたうえでカフカ論
ポール・ヴェーヌが「これは祝婚歌ではない」というように、
を読解する。
恋愛の成就、あるいはその結果としての結婚を素朴に祝ってい
二篇の小説から共通して言えることは、ブランショにおいて
るわけではない。さらに、ヴェーヌがこの詩について、
「どうし
アブラハムのイサク供犠は「イサクが雄羊になること」として
て肉体的な情熱が、しばらくの間、書く務めを忘れ、したがっ
捉えられているということである。
『望みのときに』の語り手は、
て詩人がそこから逃れることのできなかった挫折した文学的過
ジュディット〔ユディト〕という名の女性に起こった「アブラ
去を断ち切り、もっと豊かな作品が自らのうちに芽生えるのを
ハムの物語に似たようなこと」について説明するためにこの物
感じる機会であるのかを語っている」と述べているように、こ
語を解釈するのだが、それによれば、アブラハムはモリヤ山を
の詩のひとつの主要なテーマは「再生」である。そしてそのテ
降りたとき、息子イサクではなく「雄羊のイメージ」を連れて
ーマを文体上支えているのは、現在形の使用である。
いたという。さらには、ジュディットは「アブラハムの物語に
ところでミシェル・コローは、半過去形の時を指し示すこと
似たようなこと」を自ら望んで行ったという。以上から、語り
ができない性質と、半過去形で示された行動や状況が、すでに
手が「耐えがたい」と形容する次のような物語を引き出すこと
始まっているが、まだ終っていないこととみなされる効果に言
ができるだろう。アブラハムは、神に約束された息子を犠牲に
及しながら、シャールの作品における半過去に注目している。
捧げるという命令を受け容れたことによって、息子も神もユダ
「婚姻の顔」の半過去形についても、一部が引用され言及され
ヤ民族の〈約束の地〉も失った。それによって残るのは、殺害
ているが、しかしそれにもかかわらず、実際にこの詩で多用さ
されたイサクとしての雄羊のイメージだけである。とすれば、
れている時称は現在形である。これは「再生」が、半過去形に
ジュディットはあえてそのイメージのもとへと赴く。
よって喚起されるできごとの継起のなかで捉えられるものでは
カフカ論においてブランショは、カフカをキルケゴールに対
なく、現在を把持することに関わっているからだと思われる。
比させながらアブラハムに準えた。ブランショによれば、1915
したがって、半過去形を現在形に対置する過去時称として捉え
−16 年頃の危機を経た後のカフカの手記や『城』には、
〈約束
るのではなく、現在形をできごとを持続的に捉える半過去形に
の地〉を奪われ永久に彷徨する者の歩みが見出される。ところ
対置させて捉え直すことが必要となる。
が、彷徨の掟に従う者(「測量師」)
も、
「焦燥Ungeduld=impatience」
したがって本発表では、半過去についてのコローの指摘を踏
という「本質的な罪」のせいで、
〈約束の地〉への媒介的な形象
まえながら、
「再生」のテーマとそれを支える文体について考察
(「城」にまつわる種々のイメージ)を求めずにはいられない。
していきたい。
したがって、ブランショが文学を語るためにユダヤ教を援用
(昭和音楽大学非常勤講師)
したとしても、そこから導き出される文学の営みとは、仮の供
犠を通した超越的真理の探求(キルケゴール)でもなければ、
偶像の禁止でもない。ブランショは、
『文学空間』の核となる「オ
ルフェウスの眼差し」
(1953)において、正当な忍耐 patience と
は焦燥 impatience にほかならないという逆説を提示することに
なるが、カフカ論においても、偶像禁止を徹底しようとすれば
するほどイメージの空間に踏み迷わずにはいられないという
パッション
「形象化の幸福と不幸」
、カフカのこの 受 苦 そのものに、彼は
文学の営みを見ていたのだ。
(パリ第 7 大学大学院博士課程)
7
SJLLF2005 秋
第7分科会-1
第7分科会-2
印刷本版ソチ諸作品における句読点について
演劇の有用性と危険性
── 斜線を中心に ──
── コルネイユの演劇理論における観客像 ──
黒岩
卓
千川
哲生
本発表は 16 世紀前半に印刷された劇ジャンル「ソチ」の諸
作品、特に『トレプレル集』収録ソチ諸作品の伝承・受容形態
ピエール・コルネイユは、時代を代表する劇作家となったた
を探る試みの一環である。句読点、特に斜線の頻度や使用方法
めに、1637 年の「ル・シッド論争」では同業者から、1660 年代
を検討することで、各ソチ印刷本の出版目的や購買層を考える
にはキリスト教論者から、演劇の道徳的側面に関する批判を浴
ための資料とする。
びた。これらの批判に対してコルネイユは、自分の作品を受容
フランス国立図書館(以下 BnF)蔵の P・グランゴール作『阿
する「観客」の定義に基づいた反論を行う。それは、劇作家と
呆の王様の劇』
(ソチ・モラリテ・ファルスからなる三部作)印
しての成功を、観客の嗜好や倫理的性質を実際に把握している
刷本には、上演年月日及び著者名の記載があり、不特定多数の
証拠として、自分の演劇理論に導入する試みであった。
読者に向けた配慮が見られる。この作品が広く読書用として流
本発表では、演劇の有用性に関するコルネイユの理論におい
通したことは、世俗劇としては例外的な印刷本のサイズや、別
て独自の観客像が果たす役割、及びその議論が創作活動に与え
の印刷本版で本文が二段組になっていることなどから推測され
る影響を明らかにしたい。作業手順として、1)
「ル・シッド論
る。この BnF 版において、斜線は感嘆や疑問などの後のみなら
争」直後のコルネイユの反論、2)1660 年に成立した体系的理
ず、句またぎ(enjambement)の後にも現れる。以上に共通する
論における見解、3)1660 年代の演劇批判に対する返答、以上
のは、音読時になんからの小休止が行われると推測されること
の三段階に分けて、理論的考察の展開を辿る。
である。
まず「ル・シッド論争」では、ヒロインの不道徳な振る舞い
本発表の主眼である『トレプレル集』収録ソチは、備忘録判
が観客に悪影響をもたらすとして非難された。これに対してコ
(細長い 4 つ折版)で印刷されている。これら印刷本には作者
ルネイユは、演劇は基本的に道徳と無関係で、付随的に有益な
名・上演年月日・印刷者名などの記載が無く、作品内容からこ
機能を果たしうるに過ぎないという立場を表明する。
れらを推測することも難しい。斜線の用い方は各作品によって
ところが 1660 年に発表された「三劇詩論」及び「自作検討」か
様々ではあるが、概して、感嘆や疑問、句またぎの指示などと
ら構成される理論では、従来の主張が修正され、演劇は道徳的
いう点で、Bnf 版グランゴールのソチにおける用法に近いとい
感化をもたらさねばならないと宣言される。
この新たな主張は、
える。他方、テクストの長さに比した斜線など句読点の数は明
コルネイユが定義する観客像に依拠している。
二つの有用性が観客の性質と関連する。まず、情念が原因で
らかに少なく、一般読者向けテクストとしての配慮は、BnF 版
グランゴールのソチに比べ低いといえる。
不幸に陥った英雄を見た観客は、同じ目にあうことを恐れて情
これに対し、より後の時代に印刷されたとされる『大英博物
念の矯正を目指す(浄化)。そして、英雄と観客は道徳的な性向
館集』収録ソチ諸作品では、斜線の数も多く用法の幅も広い。
を共有するので、英雄が勝利する勧善懲悪の結末のおかげで、
なかでも詩行末尾で数多く斜線や終止符が使用されていること
観客はさらに美徳を抱くように仕向けられる。その反面、普通
は特筆すべきである。なぜなら、
『トレプレル集』収録ソチにお
の人間に過ぎない観客は尊属殺人のような大罪を犯せないため、
いては、感嘆や疑問などが予期されていようとも、斜線が詩行
劇中の犯罪描写が現実に模倣される恐れはない。しかし、恋す
末尾に来ることは決してないからである(終止符はしばしば現
る若者が片思いの相手を誘拐するといった軽犯罪は模倣されか
れるが、数は少ない)。これは詩行一行ごとが音読上の一単位を
ねないので、劇中で失敗か罰を描いて、その危険を防止しなけ
構成しているため、詩行末尾に必ず小休止が生じることを踏ま
ればならない。
えたものだろう。逆に言えば、『大英博物館集』収録ソチでは、
以上のように、道徳的とはいえ英雄でも悪人でもない普通の
詩形の音読上の役割が見えにくくなっているということである。
人間という観客像を利用して、演劇の効用を正当化するばかり
総じて、他の印刷本版ソチに比べ、『トレプレル集』収録ソ
チにおける斜線の使用は最小限にとどまっているといえる。こ
か、危険性も認めることで、1660 年のコルネイユの理論は整合
性を保つことになる。
のことから、これらのソチが劇上演(とくに当該テクストの上
コルネイユは自ら定義した観客を想定しながら 1660 年以降
演)における詩行の朗誦によく親しんでいた(従って、句読点
も創作を続ける。ところが、名誉より恋愛を重んじる英雄を描
の指示が最小限でも混乱の少ない)読者層のために印刷された
いたラシーヌらのロマネスクな悲劇が観客の人気を博し、他方
と仮定できるのではないか。だがもう一方で、何らかの事情に
でコルネイユが道徳性を弁護したにもかかわらず、教会関係者
より、劇上演に際して準備された草稿が、一般読者に向けた修
は彼の劇の不道徳性を指弾する。この美学的、道徳的な二つの
正抜きに印刷された結果が『トレプレル集』収録ソチであると
危機に、コルネイユはどのように対処するのか。ピエール・ニ
考えることもできる。この両極の仮定の周辺にテクスト伝承の
コルの『演劇論』を受けて 1667 年に執筆された『アッティラ』
実際があるのだろうが、より詳細な検討は機会を改めて行いた
「序文」の議論と、その後のコルネイユの創作活動との関わり
い。
を、最後に検証したい。
(東京大学大学院博士後期課程)
(早稲田大学大学院博士後期課程)
8
SJLLF2005 秋
第8分科会-1
第 7 分科会-3
『悪の華』(第二版)の「皮肉な」結末
『ベレニス』におけるラシーヌの作劇術
永井
荒川
典克
恒治
『フェードル』のように原作がある悲劇の場合、作家の個性
ボードレールは自らの作品の全体性について、執着を見せて
は、原作から逸脱する場面に現れると考えられ、我々の興味も
いた。
『パリの憂鬱』の序文で、一つ一つ全ての散文詩が「同時
そこにあるが、原作がない作品の場合、物語の構成そのものに
に頭であり尻尾である」と言ったのも、この意識の表れであろ
作家の個性が現れ、そこを問題にしなければならない。
『ベレニ
う。また、ポーの考えに同調し、
「もし最初の行が最終的な印象
ス』を執筆するにあたり、ラシーヌは「インヴェンションはわ
を準備するために書かれないのであれば、作品は始めから失敗
ずかなものから、何かを作り出すことにある」と宣言している
している」とも述べている。
『悪の華』については、
「始まりと
が、我々が知りたいのは、作家がいかにそのわずかなものから
終わり」があり、それが「唯一賞賛すべき点」だとまで述べ、
五幕の悲劇に仕立て上げたかということにある。この発表の目
その首尾一貫性を強調している。
ボードレールは全体に関係あるものとして、その「始まりと
的は、ラシーヌが「単純な筋書き」から悲劇を書き上げるのに
終わり」に特別な注意を向けている。先行研究においては、冒
用いたテクニックを明らかにすることにある。
頭と末尾の詩の対応関係について、詳細には分析がなされてい
悲劇のあらすじは結末から逆向きに作られるが、『ベレニス』
ないように思われる。
も例外ではなく、ティテュスとベレニスの別離から逆向きにこ
最冒頭の詩「読者へ」と、一番の番号がふられている「祝福」
の悲劇は作られている。ベレニスが別離を決意するためには、
まずティテュスがベレニスに別れを告げなければならず、
「告げ
においては、詩集内部で展開される主要な主題についての予告
る」過程がまず描かなければならない。そして「告げる」行為
がある。
『悪の華』の第一章は「憂鬱と理想」であるが、この章
が存在するならば、そこには「未だ告げられていない状態」、つ
は詩の収録数において全体の大部分を占めている。
「読者へ」に
まり対立項である「沈黙」という要素があるはずだ。物語はテ
おいては、
「倦怠」が最大の困難として提示されているが、「倦
ィテュスの「沈黙」に始まり、「告げる」行為を経て、「別れ」
怠」は「憂鬱」と近似した言葉である。
「祝福」においては、
「詩
で終わる。この「別れ」はひとまず「永遠の沈黙」と考えてよ
人」が「天」に上る使命を表明する。
「天」
、つまり「楽園」は
いため、あらすじは沈黙・告白・沈黙という三部分に分割され
「理想」の表れとしてとらえることができる。
ることになる。アリストテレスによれば、悲劇には始まり、途
『悪の華』の最終章は「死」である。「読者へ」においては、
中、終わりがあるが、この沈黙、告白、沈黙こそがそれに相当
「倦怠」が「死」との関連で描かれている。それから、「祝福」
するだろう。
において、
「詩人」は「天」に上る手段として「苦痛」の追求を
選んでいる。
「死」は「苦痛」の極限にあるものとして考えられ
ラシーヌはこの最初のあらすじの三部分のそれぞれを更に、
る。
始まり、途中、終わりの三部分に分割する。新たに作られた部
『悪の華』
(第二版)の最後の詩である「旅」においては、
「死」
分はまたそれぞれが三分割可能なものである。この操作を繰り
返すことで、最初のあらすじは無数のあらすじに分割され、膨
が「未知なるもの」としてとらえられている。そしてこの詩の
らまされる。この手法はコルネイユが「三単一論」で説明して
文脈において、
「未知なるもの」としての「死」へ向かう「旅」
いるものだが、古典主義理論のよき生徒であったラシーヌは、
は「子供」の状態と重なっている。そして、この「子供」の状
あらすじから始めて全体を作る方法を細部に到るまで忠実に用
態は、
「倦怠」を寄せつけない状態として描かれている。
「読者
いて、
『ベレニス』を書き上げている。また、ラシーヌの作劇術
へ」で「倦怠」は「死」を伴っていたが、それが自らを消すも
に特徴的な点は、その三部分を沈黙・告白・沈黙と循環式にす
のともなっている。
「楽園」の追求ということについては、結末
ることで、あらすじに余分な要素が入る余地をなくし(そのた
部ではそこに至る手段として「死」が示されている。
め、見かけ上は単純なあらすじとなっている)、一つのサイクル
『悪の華』の四番目の章である、
「悪の華」の中の「寓意」は
の終わりが次のサイクルの始まりへと繋がるようにしたことで
「ある女」について描かれた詩であるが、そこには「彼女は「死」
ある。このサイクルによる手法は、
『ベレニス』作劇の根幹にあ
の顔を赤ん坊のように見るだろう」という記述があり、これは
り、作品内容を決定していることが明らかになるであろう。
全体の結末と重なっている。
「ある女」は『悪の華』を象徴する
(成城大学助教授)
存在であり、
「死」と「子供」に関する結末は、主要な部分に関
わるものである可能性がある。
「旅」の結末部分においては、冒頭で予告された、主要な主
題の展開が、全て逆のところへ辿り着いており、冒頭から見た
『悪の華』
(第二版)の結末は「皮肉な」ものと規定できるので
はないだろうか。
(東北大学大学院博士後期課程)
9
SJLLF2005 秋
第8分科会-2
第9分科会-1
旋回する騎行
変遷するトルコ
── ヴェルレーヌ「ベルギー風景」におけるイメージの駆動 ──
── テオフィル・ゴーチエの『コンスタンチノープル』──
倉方
健作
畑
浩一郎
ポール・ヴェルレーヌの『歌詞のない恋歌』(1874)は、全体
テオフィル・ゴーチエが 1853 年に発表した『コンスタンチ
が4部から構成されており、その中で「ベルギー風景」と題さ
ノープル』の特徴は、オスマン帝国の急速な西洋化を描き出し
れた第2部には、街の名をタイトルに掲げた6篇の詩が収まっ
たことにある。それは確かに新奇な試みである。従来のオリエ
ている。本発表では、このセクションにあらわれる心的状態を
ント旅行記は基本的に、いかに東方諸国が西洋とは異なってい
形象した二つのイメージに着目することで、タイトル等の外的
るかということを強調する傾向にあった。それに対しゴーチエ
な統一性とは別に、6篇の詩を内部から統御してひとつのセク
は、トルコは今や西洋の国々とそう変わらないと主張するので
ションたらしめている装置を明らかにし、転換期にあった詩人
ある。その諧謔的な言説は、彼の旅行記に独自な視点を与えて
の詩法を確認したい。
いる。
「ベルギー風景」に収められた詩篇の末尾には 1872 年7月、
8月という日付があるが、これは詩人が実際にベルギーを訪れ
は事実である。十九世紀初頭以降、スルタンとその政府は国家
て詩篇を制作した時期を示している。したがって。それぞれの
の近代化を図るため、帝国のあらゆる分野に西洋の制度・習慣
詩篇はリアルタイムで書かれた紀行文という様相を呈してもい
を導入することに努めた。この西洋化改革の流れの中で、トル
いはずだが、実際には街の様子や風物が明確に描かれていると
コの伝統は次々と消滅していくのである。ゴーチエは、西洋文
いうよりも、各都市の断片的な景観を媒介としての心象的な風
明を取り入れることに夢中となっているトルコ人の姿に冷やや
景画とも呼ぶべきものとなっている。セクションの持つ、とき
かな態度を見せる。彼の目には、こうした振舞いは所詮、滑稽
に明るく、ときに沈欝な雰囲気は当時のヴェルレーヌ自身の状
な猿真似としてしか映らないのである。
この時代、トルコが日々その独自性を失っていっていること
況とも絡まっているだろう。ランボーを伴ってのベルギー出奔
ゴーチエにとってさらに許しがたいのは、トルコの西洋化は
は、確たる短期的なヴィジョンもないままに開始されたもので
オリエント独自の美を台無しにしてしまうことである。伝統的
あった。それは詩人にとって、一定の期限と帰着する場所とを
な衣装を着たトルコ人は、アジアの風景の中に自然にとけ込む
持つ「旅行」とは一線を画している。強く言えば自らの新たな
ことができる。しかし西洋のフロックコートを身にまとった近
生を切り開くための遠征であり、気弱なときにはあてどない彷
代トルコ人の姿は、明らかに不自然であり、周りの雰囲気をぶ
徨となる。このような状況下で制作された「風景画」は、詩人
ちこわしてしまうのである。かくしてゴーチエの旅行記には頻
の特異な状況を克明に描写するのではなく、結果としての心的
繁に「不調和」dissonance という語が現れる。西洋人を気取る
状態を描くことによって、開かれた普遍性を獲得している。
トルコ人は、そこではしばしば辛辣な皮肉をもって批判される
詩集の第1セクション「忘れられた小曲」は、様々な形式で
のである。
の一人称の語りによる詩篇から成立していた。ところが「ベル
トルコの伝統的な美はこうして危機に瀕している。しかし西
ギー風景」ではそれが一変し、人称代名詞そのものが陰を潜め
洋文明熱にとりつかれたトルコ人は、自分たちの文化の危機に
ており、逆説的に「私」の視点の絶対化を行っているとも言え
無頓着である。誰かがそれを保存する労をとらなければ、この
る。このように描かれた「風景画集」を、一方的な印象の押し
西洋には存在しない美は永遠に失われてしまうことであろう。
付けに陥らせず、むしろ複層的な意味内容を読者に与えるもの
ゴーチエが自分の旅行記で、トルコの伝統的な風物をできる限
としているのは、ひとつの装置である。随所で用いられている
り描写しようと努めるのはこのためである。彼は旅行中の自分
「王」と「さまよえるユダヤ人」という相反する形象が、この
の立場を「文学的銀板写真家」と表している。その使命は、あ
セクションの隠れた軸となり、全体を豊饒なものとしている。
たかも写真に撮るかのように、文章によって、いまだ西洋化改
両者はともに、ベルギーという地名が呼び起こすイメージでも
革の波を被っていないトルコ本来の風物を丹念に写し取ってい
あり、詩人が読者と共有する文化的基盤をレフェランスとする
くことにあるのである。
ことによって、多弁を避けながら複数の情報を詩篇にまとわせ
しかし「文学的銀板写真家」の活動の限界は、よくも悪くも
る役割を負っている。セクションを通じて通奏低音のように働
彼の視線に依存していることにある。ゴーチエはトルコ語を理
いている両者が最大の効果を発揮しているのが「ブリュッセル
解しない。それゆえ彼は現地人と交流することができず、彼の
回転木馬」と題された詩篇であり、ここで表面に躍り出たふた
観察は、その視線が及ぶことのできる領域に限定されるのであ
つのイメージは、互いに絡み合い、回転木馬の運動へと昇華す
る。この点で彼は、友人のネルヴァルが執筆した『東方旅行記』
る。この詩篇は「ベルギー風景」というセクションでの詩人の
の主人公と好対照をなしている。ネルヴァルの旅行者がカイロ
試みを象徴するものであり、転換期にあったヴェルレーヌが目
の町で、初歩的なアラビア語の知識をたよりに、エジプト人の
指したひとつの詩法をここに見ることができる。
生活に無理矢理入り込もうとするのに対し、ゴーチエはあくま
(東京大学大学院博士課程)
で視覚によって、トルコという異文化の表面をなぞろうと試み
るのである。
10
(東京大学大学院博士課程単位取得退学)
SJLLF2005 秋
第9分科会-2
第 10 分科会-1
フローベールにおける「動物」
「眩暈」の美学と「驚異」の美学
──『ブヴァールとペキュシェ』を中心にして ──
── シュルレアリスムとの比較から見たバタイユ初期思想 ──
山崎
敦
長井
フローベールの小説空間の中には動物が犇いている。
『ボヴ
文
周知のように、1920 年代から 30 年代初頭にかけて、ジョル
ァリー夫人』の家畜、
『サラムボー』の野獣、
『聖ジュリアン伝』
ジュ・バタイユ(1897-1962)はアンドレ・ブルトン(1896-1966)と
の鳥獣、『聖アントワーヌの誘惑』の幻獣。
『純な心』の鸚鵡、
激しく対立していた。1929 年にブルトンが『シュルレアリスム
初稿『感情教育』の犬。書簡集の中にもまた動物は遍在してい
第二宣言』において、バタイユを性癖異常者と批判したかと思
る。あるいは紀行文の中にも−『イタリア紀行』の猿、
『野を越
えば、翌 30 年には今度はバタイユが、シュルレアリスム運動の
え、磯を越えて』の畸獣。フローベールにあっては「動物」と
離脱者たちと共に『死骸』なるパンフレットを刊行し、ブルト
いうカテゴリーは、家畜から怪物、あるいは野獣から幻獣に至
ンを老いた審美家、去勢されたライオンと糾弾する。
り、その内実は極めて多彩である。のみならず「動物」は白痴、
しかしその一方で、こうした険悪な時期でさえ、この二人が
狂人、畸形、蛮人あるいは小児といった存在と密かに共振しな
問題意識を共有していたのも事実である。すなわち、合理的思
がら、
「人間」との境界線を跨ぎこえてゆく。作品ごとに「動物」
考から抜け落ちる事象を重視し、合理主義的な世界観の乗り越
の相貌は大きく異なるが、本発表では、これまであまり語られ
えを目指す点で、両者の試みは一致するのだ。バタイユは人間
ることのなかった『ブヴァールとペキュシェ』中の「動物」を
の「呪われた部分」を、そしてブルトンは「不可思議な美」を、
論じ、フローベールにおける「動物」の問題の一端を明らかに
合理主義を突破する際の拠りどころにしているという違いはあ
したい。
るものの、合理主義の彼方に人間の豊かな現実があると主張し
『ブヴァール』の「動物」には、ジュリアンとアントワー
たという意味では、両者の思想は深く共鳴する。つかず離れず
ヌという二聖人を眩惑する「動物」の帯びていた神話性・幻想
のこうした関係を、バタイユとブルトンは保っていたことにな
性のかけらもない。小説中、動物はひたすら虐げられる存在で
る。
しかない。たしかに動物はブヴァールとペキュシェを魅了しも
この点に着目してか、バタイユ思想をシュルレアリスムの亜
するのだが、それは常に実験の対象としてでしかない。三章生
流と位置づける研究も少なくはない。確かに、拠りどころにし
理学のエピソードにおいて、彼らは犬の脊髄のそこかしこに針
か違いが認められないのなら、バタイユ思想とは、
「不可思議な
を突きたてる。動物の生態に興味をもっても、それは荒唐無稽
美」から「呪われた部分」にその「首」を挿げ替えただけの、
な異種交配の試みに帰着する。動物のあげる悲鳴が彼らに届く
シュルレアリスムの一傍流と言えるかもしれない。しかし、果
ことはけっしてない。この非情な態度は最終章において復讐に
たして本当にそうなのだろうか。バタイユ思想とシュルレアリ
遭う。常のごとく書物を盲信して棄子の兄妹に教育を施す主人
スムの間には、より本質的な差異があるのではないか。
公たちを嘲笑うかのように、
兄妹はこともなげに猫を火にかけ、
こうした問いを出発点に、本発表は、シュルレアリスムとの
殺す。教育学の失敗を決定づけるこの場面は生理学の動物実験
比較を通して、バタイユ思想の特徴を明確にしていきたい。両
を想起させずにはおかない。白濁し見開かれた瀕死の猫の目は
者の相違は詳細に見ていけば無数にある。時間の制約を考慮し
ブヴァールとペキュシェの残虐性をも見据えているかのようだ。
て、本発表では「全く異なる二つの事物の接近」というテーマ
動物にたいするこの残虐行為はデカルト以来の動物機械論
に対する両者の態度に議論を限定する。この問題をめぐる両者
と無縁ではないはずである。同じ十章で彼らは棄子たちに動物
の違いが、
「眩暈」と「驚異」という、両思想を語る際のキーワ
にも魂の宿ることを説くが、この「動物の魂」をめぐる哲学議
ードの違いに表れていることを確認し、さらにこの問題に対す
論は、もとより哲学の章、八章においても俎上にのっている。
る二人の態度が、合理主義を乗り越える際に重要となる、両者
哲学を対象とする読書ノートの中にも「動物の魂」をめぐる引
の世界観の違いを反映していることを明らかにしたい。
用は幾つか見られる。がしかし、この哲学議論は思いがけない
なお、分析対象となるのは、『シュルレアリスム第一宣言』
、
かたちで物語の中に組み入れられているがために、これまでほ
『シュルレアリスム第二宣言』、『ドキュマン』誌に掲載された
とんどそれと気がつかれることがなかった。すなわちフローベ
記事、
『太陽肛門』、
『松毬の眼』草稿といった、1920 年代から
ールはこの議論を催眠の問題と結びつけたのである。
「動物に魂
30 年代前半に書かれたテクストが中心となる。
(東京大学大学院博士課程)
はあるのか」という問いを「動物は催眠にかかるのか」という
問いへと変換し、さらには「催眠は心的要因、生理的要因のど
ちらによるものか」という心身二元論へと横滑りさせること−
ここにマニェティスムと哲学を同じ章の中に封じこめたフロー
ベールの独創があり、かつまたブヴァールとペキュシェの動物
観が露呈するのである。
(早稲田大学大学院博士後期課程)
11
SJLLF2005 秋
第10分科会-2
第 11 分科会-1
発生原理の追体験
〈過去〉を見る
── アンドレ・ブルトンの詩的空間 ──
―― E・グリッサン『第四世紀』における「非–歴史」の問題系 ――
前之園
望
中村
隆之
アンドレ・ブルトンの詩作品を研究する際には、今でもしば
本発表で取り上げる作品は、マルチニックの現代作家 E・グ
しば「自動記述」の亡霊がつきまとう。ブルトンのしかじかの
リッサンの小説、
『第四世紀』
(1964 年)である。本発表は、
『第
作品は、自動記述によって書かれているのかいないのか。そも
四世紀』の読解を通じて、
〈過去〉をどのように認識するかとい
そも自動記述という手法自体、ブルトンの生み出したフィクシ
う問題について考える。そこでは二つの複雑な問題が提出され
ョンのひとつにすぎないのではないか。『磁場』
(1920)の草稿
るだろう。一つは植民地における〈主体〉の形成に係わる、
〈過
の「書き直し」の痕跡は、ブルトンのいう自動記述の真正性を
去〉の回復という問題であり、もう一つは近代的概念としての
ゆるがすものではないのか。こうして、研究対象となっている
〈歴史〉の外部を指し示す、
「非–歴史」というグリッサンの概
詩作品とは外れたところでのお決まりの議論へと、いつの間に
念である。
フランス植民地であったマルチニックでは、その住民たちを
か話題がずれてしまうのである。
これは、「ブルトンの詩法と言えば自動記述」という紋切り
〈主体〉とした〈歴史〉が長らく書かれてこなかった。主人公
型の前提が、今なお根強いことを示している。あたかも、30 年
マチューは書かれなかった島の人びとの〈歴史〉を書くという
以上も詩を書き続けていた彼が、その間にたったひとつの詩法
目的のために、忘れ去られた人びと(例えば逃亡奴隷たち)の
に固執していたかのようである。しかし、自動記述という概念
〈記憶〉を保持するとされるパパ・ロングエのもとを訪れる。島
自体が時期によって揺れる不安定なものである上に、彼が自動
の人びとの〈過去〉を回復し〈歴史〉を書くことは、その人び
記述に積極的に取り組む時期は、シュルレアリスム運動のごく
とを〈主体〉とした〈歴史〉を書くことを意味する。
『第四世紀』
初期に限られる。自動記述とは、ブルトンの詩法の曖昧な出発
とは、この意味において植民地マルチニックにおける〈主体〉
点に過ぎないのである。
形成の物語であるといえよう。
実際には、彼の詩法は絶えず変化し続けていた。ブルトンに
このことは、過ぎ去った出来事を論理的に把握するマチュー
は、安定することで生じる硬直化を忌避する傾向がある。詩を
と、出来事を魔術的に把握しようとするパパ・ロングエの過去
生み出す際にも、彼はその手法の固定化を避けている。ある詩
認識の対立においても確認できる。この対立は、フランスによ
法が確立しかかると、その詩法はしばしば別の詩法へと変形を
って文明化された〈近代〉と、切断されたはずのアフリカ文化
とげるのである。
の残存として表象される
〈前近代〉
という二項対立を呼び込む。
本発表が注目するのは、ブルトンの詩作品における、文字の
この時の〈前近代〉とは、近代植民地主義的なまなざしにおい
果す視覚的要素としての役割の変遷である。シュルレアリスム
て捉えられかつ構成されたもので、近代的なものとの共犯関係
運動の開始当初の詩集には、マラルメの「さいころ一擲」を思
を築いている。このため、パパ・ロングエの〈過去〉の見方を踏
わせる空白を生かした作品や、アポリネールの「カリグラム」
襲して構成される島の〈過去〉は、
〈近代〉の反転としての〈前
の影響を受けた作品が含まれていた。
しかし 30 年代を境として、
近代〉の表象のなかに回収されることになる。
紙上の空白が作品の中心となることなく、かつ物質の外観を文
だがこの読み方は「非–歴史」との係わりにおいて再検討する
字の配列で描きだすこともない、別種の視覚的要素が、ブルト
ンの詩的テクストに介入してくるのである。それは、
「発生原理
時に失効する。
「非–歴史」とは、歴史学の制度の外にあって書
かれなかった〈歴史〉
(民衆史や社会史など)でもなければ、
〈歴
の追体験」としか呼びようのない、ある種の運動を想起させる
史〉として受容される〈物語〉
(歴史小説、時代小説など)でも
ものである。本発表では、
ブルトンの複数の詩作品を例に取り、
ない。それは近代的認識における〈歴史=物語〉に回収し得な
テクストに含まれるこの運動を個別に分析し検討する。そして、
い徹底的な外部なのである。この意味において「非–歴史」を書
この詩法の背後にひそむブルトン独特の芸術観まで確認する予
くことは不可能である。
定である。
グリッサンは、この記述不可能な「非–歴史」のヴィジョンを、
霊感を受けた詩人の直観的想像である「過去の預言的ヴィジョ
(東京大学大学院博士後期課程)
ン」という概念を通して提示する。このヴィジョンは、〈過去〉
という不可視なものをそれ自体として「見る」というパパ・ロ
ングエの〈過去〉の捉え方において開示される。この時、
「見る」
ことによる過去把握は、
〈前近代〉の表象としてでなく、この表
象を成り立たせる二項対立の外部を示そうとする行為として読
むことができる。
『第四世紀』は、
「非–歴史」の問題系において
捉えた時、この記述不可能な認識の外部としての〈過去〉を示
そうとする断片的な挿話の集積なのである。
(東京外国語大学大学院博士後期課程)
12
SJLLF2005 秋
第11分科会-2
第12分科会-1
パトリック・シャモワゾーの『幼年期の果てに』における幼年
セリーヌ『城から城』における爆撃の問題
期の想起と創造 ――「自伝」と「小説」の間で ――
廣松
早川
勲
文敏
パトリック・シャモワゾーの創作活動は、失われたもの/失
ベロスタが『夜の果ての旅』を「矛盾の芸術」と呼ぶように 、
われつつあるものを、いかに書き伝えるか?という自問との絶
セリーヌが小説の中で取っているはずの自らの思想的立場を、
えざる闘いである。この失われつつあるものへの視線は、当然
一義的に決定することは難しい。戦後の小説に関してはなおさ
シャモワゾー自身の過去へも向けられる。これは、ほとんどの
らだろう。フランス国内で粛清の嵐が吹き荒れていた時期、政
小説作品で作者が「語り手−登場人物」として物語世界に登場
治犯の引き渡しを固く拒むデンマーク政府の下で、著名な対独
することや、すでに 3 冊の自伝と自伝的随筆を発表している点
協力思想家としては奇跡的に難を免れたセリーヌとしては、戦
からも明らかである。その結果、彼の作品群では自己言及的物
前からの態度を固持することも、逆に単純に改悛してみせるこ
語や「自伝」
という文学形式が非常に大きな位置を占めている。
とも不可能だったことは想像に難くない。戦後の作品に見られ
このような自己言及的作品群において際立っているのは「幼
る歴史観が、首尾一貫することを拒んでいるようにも見えるの
年期」への注目である。シャモワゾーは小説で多くの子供たち
は、そのためかもしれない。そしてこうであるからこそ、小説
を登場させるだけでなく、幼年期をめぐる自伝を 15 年に渡って
中の作者の直接的発言だけにとらわれず、フィクションがどの
3 冊出版している。なぜそれ程まで幼年期にこだわるのか?ま
ような意匠として付け加えられているかを分析するのは、作者
た、幼年期の「自伝」を書くことに、いかなる意義があったの
の当時の政治的立場や思想を知る上で重要だ。
か?本発表では幼年期 3 部作の最終巻『幼年期の果てに』を中
心に、これらの問題を考察していく。
ッツの招待を受け、食事をともにしていたところ、同席してい
『城から城』には、セリーヌがドイツ大使オットー・アーベ
まず、物語内容に注目し、主人公の少年や幼年期が物語世界
たシャトーブリアンが突然態度を一変させ、暴れ出す場面があ
でどのように造形され、いかなる機能を果たしているのかを考
る。ここで彼は大量のドレスデン磁器を破壊するのだが、この
察する。本作品は、題名が示すとおり、語るべき幼年期や少年
理不尽な行為が、有名なドレスデン爆撃を暗示していると考え
の喪失状態が物語の前提にある。この幼年期と語り手との距離
るのは不自然ではない。
は、主人公≪le négrillon≫が語り手≪je≫によって絶えず三人称
小説のこの場面を表層的な次元で解釈すれば、まず「敵」で
で指示される点や、主人公と語り手の「名前の同一性」が明示
あるアーベッツらに対して理不尽な危害が加えられること自体
されない点に表れている。この幼年期の喪失状態を埋め合わせ
から、まず笑いが生み出され、そして現実から目を背けるアー
るために、語り手は場所や人間関係に応じて、主人公を多様な
ベッツに対して敗北しつつあるドイツの姿を示すという攻撃的
役割で指示せざる得なくなる。つまり、語り手の想起における
な批判が表現されていると言えるだろう。しかしこの事件の背
主人公の少年は、語り手の想像力で補う他にない存在として機
景となった当時の国際情勢や後世への影響を考慮すると、シャ
能しているのである。さらに、ル・ジュンヌの「自伝契約」を
トーブリアンの身なりや発言も含めたこのエピソードを彩る笑
鑑みるならば、この物語は「主人公と語り手の名前の一致」や
いの表現と、ドイツに対して強烈な警告を発する現実作者の姿
「真実性の契約」という構成要件を満たしていない。
の表れというレベルの下に、より重要な意味合いを持つ次元が
次に、物語言説と語りに注目し、物語の構成を考察する。本
ある。つまりシャトーブリアンというセリーヌよりも強くドイ
作品は、地の文では家や小学校や遊び場での主人公の生活が語
ツに傾倒していた熱心な対独協力者が連合軍の恥辱的な行為を
られる。語り手はその地の文へ介入しコメントしたり、また挿
再現してみせているというこの点が、作者の嫌悪する対象、彼
入句で擬人化された幼年期や記憶へと語りかける。さらに物語
が理不尽な戦争の勝者と見なす連合国に対する、批判的アイロ
全体は断章形式であり、文中に幾度となく「...」が付属し、日
ニーを強く生み出しているということである。
付も皆無である。つまり、物語の構成自体が、語り手の想起の
占領が始まってまだ間もない頃、フランスの文学者らは連合
断片性、記憶の語り手への優位、記憶の不確定さを示している
軍によるパリ空爆を非難したが、時間がたつにつれ戦局が変わ
のである。この点においても、
「真実を書く」という自伝の成立
るとともに、批判者の数は減っていった。セリーヌの目から見
要件は満たしえないことが分かる。
れば、これもまた時流に乗る行為、つまり自分と異なり最初か
以上の考察から言って、本作品は厳密な意味での「自伝」で
ら完全に立場を決定していなかった者だけが使える生き残りの
はなく、小説的な虚構の要素を含んだ「自伝的小説」である。
手段であり、許容しがたいものだったのではないだろうか。戦
そのような自伝的小説における幼年期の想起は、失われつつあ
後になっても空爆を描きつづけたセリーヌは、この点に関して、
る過去を虚構の導入によって新たな「現実性」の元に表現する
あえて世の流れに逆らって自説を認めさせようとする存在だっ
点で「創造的な想起」といえる。シャモワゾーにとって、この
た。それほどセリーヌにとって連合軍の空爆という事象は根深
想起の方法は、厳密な意味での「自伝」では把握しきれない失
い嫌悪の対象だったのである。
われたもの/失われつつあるものを書き伝える表現方法なので
ある。
(京都産業大学非常勤講師)
(東北大学大学院後期博士課程)
13
SJLLF2005 秋
第12分科会-2
セリーヌとエリー・フォール
── 小説・大伽藍・共同体 ──
彦江
智弘
『夜の果ての旅』の小説家と浩瀚な『美術史』で知られる批
評家との間には短い交流があった。1932 年、セリーヌから処女
長編を献呈された還暦間際のエリー・フォールは、これを読み
直ちに熱狂する。そしてここから二人の作家の間に書簡のやり
とりが始まり、それは断続的に 1936 年まで続くだろう。セリー
ヌ研究において第一級の資料であることに間違いのないこのエ
リー・フォール書簡はそれ自体で十分論じるに値するものだ。
けれどもここではあえてこの書簡と並行するような形で執筆さ
れた『なしくずしの死』の冒頭部を集中的に論じたい。なぜな
らこのわずか 30 頁ほどの導入部こそはセリーヌがほかでもな
い彼のテクストにおいてエリー・フォールと出会う場所だから
だ。
これを見極めるには、
『なしくずしの死』の冒頭から3つの位
相を取り出す必要がある。まず第 1 に、この冒頭部が『なしく
ずしの死』執筆にいたるコンテクストをテクストに内在化させ
ているということがある。
『なしくずしの死』の冒頭では、セリ
ーヌと同じく場末の医師であり作家でもあるフェルディナンが
『クロゴルド王の伝説』と題された中世風の物語を語ろうとし
て果たせず、自らの少年時代の回想を始める。ところがセリー
ヌ自身が第2作目としてまず稿を起こしたのは彼の少年時代に
取材した小説ではなく、まさしく中世の騎士道風の作品なのだ
った。けれども『なしくずしの死』の冒頭部は何らかの理由で
廃棄された作品の記憶を新たに始められたテクストの内に刻み
込むためだけにあるのではない。例えば、そこには 1930 年代前
半のフランスにおける共同体の思考に対するセリーヌの態度を
読みとることが可能である。エリー・フォール宛の書簡とつき
合わせることで浮かび上がってくるセリーヌのその態度とは、
共産主義とファシズムに対するアナーキズムの堅持であるとひ
とまずは表現しうるものだ。これが第2の位相である。
そして第3の位相とは、それでも当時のセリーヌが抱いてい
た共同体への夢である。実際、セリーヌは中世の表象を通じて
ある調和のとれた共同体を夢想していた。そして私たちはそれ
が『美術史』においてエリー・フォールが中世に与えた表象で
もあったことを指摘せずにはいられない。また、時として語り
のパフォーマティブな側面に力点を置くような形で行われる
『クロゴルド王の伝説』の語りもセリーヌが掻き抱いていた共
同体の夢と決して無縁ではないのではないか。けれどもこの中
世風の物語の語りはことごとく失敗に終わり、フェルディナン
は孤独のうちに少年時代の回想を始めるだろう。つまり、セリ
ーヌの小説のエクリチュールとはファシズムや共産主義のみな
らず肯定的に表象される共同体の夢までもが潰え去ったところ
に成立するものであり、
『なしくずしの死』は作家の少年時代に
取材したという以上に、セリーヌ文学のある原初的な光景を私
たちに垣間見せてもいるのだ。
(横浜国立大学助教授)
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