日本フランス語フランス文学会2005年度春季大会研究発表会 0 第1部

日本フランス語フランス文学会2005年度春季大会研究発表会
第1部
第1分科会
9 :4 5 ∼1 1 :1 5
フランス語学(1 )
3.断片的テクストあるいは死と再生のエクリチュール ─ ジ
ャン・ジュネのレンブラント論を中心に ─
立教大学 稲 村 真 実
5 3 2 1 教室
1.Excellent, ce café! 型構文について
大阪大学(博士課程) 山 本 大 地
2.動詞 donner の多義性について ─ 認知言語学的分析 ─
山口大学 武 本 雅
第2分科会
フランス語学(2 )
5 3 2 2 教室
1.知覚動詞と共起する現在分詞属辞構文について
第2部
嗣
1 1 :3 0 ∼1 2 :3 0
第9分科会
フランス語学(3 )
5 3 2 1 教室
1."la fille d'un fermier" 型の複合定名詞句について ─ クラス
を構築しない不定 ─
東北大学(博士課程) 宮 本 直 規
2.マッチングと条件文・譲歩文の伝達情報
東京大学(COE特任研究員) 酒 井 智 宏
京都大学(博士課程) 小 田
涼
2.
「代名動詞の再帰的用法」と「所有形容詞を含む他動詞構文」
の比較
第3分科会
あゆみ
種智院大学 川 崎 明 仁
第1 0 分科会
フランス語教育
5 3 2 2 教室
1.対面式多人数授業の IT 化 ─ 電子黒板を活用した語学教育
2.サン=ランベール対ルソー ─ 『四季』における演劇論の
機能 ─
京都大学(博士課程) 井 上 櫻 子
の実践と結果 ─
カリタス女子中学高等学校 山 﨑 吉 朗
2.ティームティーチングによる英語・フランス語同時学習
1 7 ・1 8 世紀
5 3 2 3 教室
1. ラ・フォンテーヌの『ヴォーの夢』における庭の形象
大阪市立大学(非常勤)
藤
田
3.マリヴォー『愛の勝利』にみる男装のヒロインの系譜と変容
第4分科会
広島大学(博士課程)
1 9 世紀(1 )
中 山 智 子
5 3 2 4 教室
第1 1 分科会
京都外国語大学 小 野 隆 啓・舟 杉 真
一
中世
5 3 2 3 教室
1.『バイアーノの修道院』 ─ 作者に関する一考察 ─
京都大学(博士課程) 山 本 明 美
2.ミシュレとマルスラン・ベルトロ
1.中世演劇の作詩法と叙述的ジャンル ─ 「記憶の韻」につ
いて ─
早稲田大学(非常勤) 片 山 幹 生
東京都立大学 坂 口 治 子
第5分科会
1 9 世紀(2 )
5 2 2 1 教室
1.マラルメの危機と大衆 ─ 1860 年代のテクストを中心に
2.新発見の Pelerinage de l'Ame 断片写本
広島大学 原 野
第1 2 分科会
1 8 世紀
5 3 2 4 教室
─
1.18 世紀の小説における父子の対立 ─ レチフ・ド・ラ・ブルトン
上智大学(非常勤)黒
木
朋
ヌの自伝的作品をめぐって ─
興
2.ボードレールと二つのレアリスム ─ 『ボヴァリー夫人』
論を手がかりに ─
一橋大学(非常勤)
海老根
龍
昇
早稲田大学(博士課程)
大
場
静
枝
2.『アリーヌとヴァルクール』における視覚と想像力
明治学院大学(博士課程) 中 村 英 俊
第1 3 分科会
1 9 世紀(3 )
5 2 2 1 教室
介
3.シャルル・ボードレールの詩篇「灯台」の構成について
1.La tentation d'Adam, dans Lorsque j'étais une œuvre d'a rt d'E . E. Schmitt
1.フロベールの小説における「声」の重層性 ─ 『ボヴァリ
ー夫人』 ─
早稲田大学(博士課程) 中 野
茂
カリタス女子短期大学(非常勤)HIRSCHAUER, Armelle
2.L'espace imaginaire dans le théâtre de Jean Giraudoux
アテネ・フランセ(非常勤) BRANCOURT, Vincent
2.ゾラと「小説の危機」
パリ第4大学(博士課程) 田 中 琢
第1 4 分科会
2 0 世紀(4 )
5 2 2 2 教室
3.Voix silencieuses, voix sans visage ─ Rimbaud, Blanchot et
autres "voix venues d'ailleurs ─
福岡大学 TEIXEIRA, Vincent
1.G. バタイユ、死とエクリチュール ─ 死に立ち向かうエク
リチュール ─
明治大学(非常勤) 神 田 浩 一
第7分科会
2.ジャック・ラカンの「死」について(11)
明星大学 片 山 文
第1 5 分科会
2 0 世紀(5 )
5 2 2 3 教室
第6分科会
清 水 まさ志
5 2 2 2 教室
2 0 世紀(1 )
2 0 世紀(2 )
5 2 2 3 教室
1.ウリポの効用 ─ レイモン・クノー「文体練習」1973 年版の場合 ─
リエージュ大学(博士課程)後
藤
加奈子
三
保
2.レーモン・ルーセル『アフリカの印象』の翻案劇について ─
小説の演劇化の理論を目指して ─
名古屋短期大学(非常勤) 永 田 道 弘
1.プルーストと藤の花 ─ 『スワン夫人をめぐって』を閉じる一語 ─
3.レーモン・ルーセルと迷信
早稲田大学(非常勤)
第8分科会
2 0 世紀(3 )
九州大学 ANSELM O, M arielle
第1 6 分科会
2 0 世紀(6 )
5 2 2 4 教室
1.ミラン・クンデラに見る亡命作家のひとつの姿
京都市立芸術大学(非常勤)
2.Proust, encore
新 島
進
5 2 2 4 教室
1.バルト的恋愛主体の分析
明治学院大学(博士課程)塩
東京大学(博士課程) 滝 沢 明 子
2.ル・クレジオにおけるインディオ体験の意味 ─ アルトー
との比較を通して ─
東京大学(博士課程)
阪
木
雅
谷
圭英子
祐
人
2.エマニュエル・ボーヴの郊外『ベコン=レ=ブリュイエール』をめ
ぐって
早稲田大学(非常勤)
鈴
村
生
0
昼
間
賢
日本フランス語フランス文学会2005年度春季大会研究発表会
第 1 分科会-2
第 1 分科会-1
動詞 donner の多義性をめぐって
Excellent, ce café! 型構文について
─ 認知言語学の観点から ─
山本
大地
武本
本発表では、 Excellent, ce café ! といった、形容詞と名詞句
雅嗣
フランス語の動詞 donner は、与格と結合するもっとも典型
で構成された構文を分析する。この構文の大きな特徴は、主た
的な使役移動動詞であり、その類義語の offrir、fournir、procurer、
る述語がなく述定が不完全であることであり、主にこの構文に
conférer、attribuer などよりもはるかに日常的によく用いられる
おける様々な形容詞の適合性を見ることで、なぜ述語がないの
基本語彙である。donner は多義語であるが、言語習得の観点か
か、どのようにして述定せずに文が成り立つのか、という感嘆
らも、この動詞で叙述されるプロトタイプ的な事象は、たとえ
文全体に関わる疑問に取り組むことを目標とする。
ば次のような「人間が持ち物を別の人間に与える」場合だと考
えられる。
まず、形容詞の検討の結果、1. 肯定的な意味を持つ形容詞の
(1) Marie a donné une pomme à Jean.(マリーはジャンに
リンゴをあげた)
ほうが否定的な意味の形容詞よりも成立しやすい、2. 測ること
が可能な形容詞は容認度が低い、3. pas +形容詞(副詞)は容認
されやすい、の三点がわかった。
そして抽象的な事象であっても、(1)のような具体的な事象の場
合と同じ認知構造がとられると、(2)のように、同じ動詞を述語
次に、この構文に最も安定して用いられる最上級的な価値を
とする同じ構文で表現されるわけである。
持つ形容詞(excellent 等)の特性を見ることで、上記三つの特
(2) Le brouillard donne un air triste à la ville.(霧のせいで
町が寂しげだ)
徴をより一般化した形で捉えることを試みた。その特性とは、
否定しにくい、très 等によって程度に段階を設けることができ
ない、という点であり、これらのことから、最上級的な価値を
問題は、次のように、項の数が減って自動詞化している場合
である。
持つ形容詞は対立が生じない、差異化不可能な性質を表すと言
(3) Ce pommier donne bien.(このリンゴの木は実の付き
がいい)
(4) Jean a donné dans la politique.(ジャンは政治にのめり
こんだ)
(5) Cette toile donne à l’usage.(この布は使っているうち
に伸びる)
(6) Sa chambre donne au sud.(彼女の部屋は南向きだ)
える。極端な場合、terrible や fameux のように肯定的・否定的
評価の区別・対立さえも失われる。これらの形容詞のこのよう
な性質が Excellent, ce café ! 型構文を成立させるのに貢献して
いると考えられる。
さきほどの三つの特徴も、対立が生じない、
差異化不可能という同じ点に還元できる。まず 1.の傾向に関し
ては、否定的な評価を表す形容詞はそれに対立する肯定的な概
念を想定しやすいため、容認度が低いと言える。というのは肯
本発表では、認知言語学の立場から、donner 表現のすべての
定的な評価はそれが理想であり、望まれた形であるため、それ
事例を donner スキーマに基づく事象の概念化の具現化とみな
以外を考える必要はない。一方否定的な評価の場合、それに対
し、スキーマの焦点化や捨象、認知プロセスとプロファイリン
立する望ましい評価が想定されてしまうのである。2.に関して,
グ、背景化や活性化がかかわる心的処理などを重視しながら、
測ることが可能であるということは、その概念は非常に差異化
donner を述語とする文の形式と意味の関係を解明していく。周
しやすいということである。それゆえ、測ることが可能な形容
辺的な事例のなかでも、その用法が本来の用法からもっともか
詞は容認度が低いと考えられる。3.については、pas +形容詞(副
け離れているように思われる(6)のような事例は、主体化(語彙
詞)という形式はそれ以上否定し得ない(*pas pas mal, *pas pas
の豊かな意味内容が希薄化して認知プロセスとのみ対応するよ
facile)性質、つまり対立の生じない性質を有しているため容認
うになる過程)と呼ばれる現象であることを指摘し、また、(4)
されやすくなると言える。
のような自動詞構文と(7)のような再帰構文との間の、形式に反
映された概念化・意味の相違についても分析を行う。
こうした分析から、この構文において述語がないのに文が成
(7) Jean s’est donné dans la politique.(ジャンは政治に専
念した)
立するのは、述語を用いた断定の際に生じる、不定な命題を安
定させるという過程が存在しないからであると結論付けた。つ
さらに、いずれの構文をもってしても、donner を用いて、aller
まり、
我々が通常述語を用いて断定を行う際、そうであるのか、
で叙述されるような「人間の純粋な空間移動」は表しえないこ
そうでないのかという不定性が存在し、それを発話者が断定す
とを指摘し、認知構造に重点を置く我々のアプローチが,典型
ることによって自分自身の責任で定める。ところが、この構文
的な授与動詞の多義性をめぐる言語横断的な研究にも有効であ
で述べられる命題は、対立が生じない、差異化不可能な性質を
ることを示す。
持つ。よってそういった不安定な性質がない。そのため、発話
(8) *Jean s’est donné à Londres.(「ジャンはロンドンへ行
った」の意味では不可)
(9) *Jean a donné à Londres avec lui.(「ジャンはロンドン
へ行った」の意味では不可)
者は述語による断定を放棄しているのである。
(大阪大学大学院博士後期課程)
(山口大学助教授)
1
日本フランス語フランス文学会2005年度春季大会研究発表会
第 2 分科会-2
第 2 分科会-1
マッチングと条件文・譲歩文の伝達情報
<知覚動詞(voir)+名詞句+現在分詞>型構文について
宮本
酒井
直規
智宏
≪Je la vois cousant auprès de sa fenêtre≫ のように知覚動詞
意味の表象理論の一種であるメンタル・スペース理論におけ
voir が現在分詞を後続させる文で、特に voir が直接的・物理的
るマッチングの概念により条件文および譲歩文の意味を記述す
知覚を意味する場合の統辞構造と意味解釈の多様性を取り上げ
る。この分析は意味表示を排する喜田(2000)の分析と観察的
る。
妥当性において等価であり、かつ記述的妥当性において優って
いる。
voir は regarder などの知覚動詞と共通して、現在分詞節に対
応する不定詞節(Je la vois coudre auprès de sa fenêtre)や関係詞
喜田(2000)は、言語内論証理論の立場から、条件文 si P, Q
節(Je la vois qui coud auprès de sa fenêtre)を後続させ得るとされ
をそれ以上小さい単位に分解せずに si P, Q という発話全体が正
る。これら 3 つの表現の意味上の相違として、現在分詞を用い
当化する結論を問題にし、si P, Q が主に次の 3 種類の結論 R を
た場合、動作の継続の様を表わし描写的であるのに対し、不定
正当化すると述べている。
(i) R は、あたかも Q が成立するか
詞では動作を述べ、関係詞節では動作主(直接目的補語)に注
のようにみなし、Q が正当化する結論に等しい。例)S’il fait beau,
意を向けるとされており、特に現在分詞と不定詞は直接目的補
Pierre viendra. → Je vais lui préparer un repas. (ii)R は、Q が望
語の属辞と解釈されている。
ましいことであれば、P の成立が望ましいことを示唆する内容
本発表では、当該構文に可能な統辞構造として、主節動詞に
となり、Q が望ましくないことであれば、P の成立が望ましく
対する付加要素・擬似修飾・文的要素の 3 種を想定する。この
ないことを示唆する内容となる。例 ) Si tu travailles, tu réussiras à
3 種の統辞構造は各々明示的ではなく構造的には未決定なもの
ton examen. → Il faut que tu travailles. Si tu rentres tard, tu seras
として想定されるが、現在分詞節が不定詞節、関係詞節と類似
puni. → Il ne faut pas que tu rentres tard. (iii)R は si P, Q を一言
した表現であり得るのは、この 3 種の統辞構造での部分的な類
で要約したものに相当する。例)Si je bois du lait, je suis malade.
似性によるものであるとし、合わせて不定詞節や関係詞節とは
→ Je suis allergique au lait.
異なった意味上の特性を説明する。またこの構造の多様性は、
この分析は観察的には妥当であるが、大きく 3 つの問題点が
当該構文の否定文における意味の決定、受動文や C'est...que に
ある。(A)条件文の内部構造を見ていないため、なぜ(i-iii)
よる焦点化などの可非を反映し、本構文の意味解釈の多様性を
の結論が正当化されるのかが説明できず、言語習得に関して誤
保証するものである。
った予測をする。
(B)結論のタイプによってふるまいが異なる
表面上同一に見える知覚動詞+現在分詞(J'ai regardé / vu
ことが説明できない。
(i-ii)の結論は却下可能であるが、(iii)
Sylvie dormant paisiblement dans mon lit)の組合せにおいて、3 種
の統辞構造が各々常に成立するものではなく、知覚動詞の種類
は却下不可能であるか、却下される場合には別の(iii)タイプ
によって可能な統辞構造が限られたものであると考えられる。
の答えとなる。さらに、分析的条件文には結論(i-ii)は存在す
regareder + 現在分詞の組合せでは、現在分詞は主節に対する付
るが、結論(iii)は存在しない。
(C)譲歩文 même si P, ¬Q が
加要素の解釈が優勢となり、対応する不定詞節の構文とはその
正当化する結論との関係が説明できない。
の結論が必要とされる。また、結論(iii)のみが Pourquoi ? へ
統辞構造が本質的に異なると考えられる。
そこで、坂原(1985)の理論を技術的に改良したものを
Fauconnier (1997)のマッチング理論に統合する。Si P, Q の基
(東北大学大学院博士後期課程)
底スペースはそこで成立する命題のうち P⊃Q の十分条件をな
すものからなる集合 E を含み、それに基礎スペース、拡張スペ
ースが従属する。基礎には E の対応物 E’および P が、拡張には
E’’、P’、Q が書き込まれる。E と基礎・拡張は因果リンクで結ば
れる。この枠組みによると、結論(i-ii)はある文脈で si P, Q が
発話された場合にターゲット・スペースに書き込まれる情報な
いしそれについての判断であり、結論(iii)は E に含まれる命
題である。
(iii)は si P, Q の要約ではなく原因であり、喜田の議
論はある種の因果律の誤謬に陥っている。
譲歩文が非明示的条件文に対して E の成立に関する(広義の)
反事実的スペース構成を作ると考えると、その伝達情報も条件
文の場合と同様に正しく算出できる。
(東京大学 COE 特任研究員)
2
日本フランス語フランス文学会2005年度春季大会研究発表会
第3分科会-2
第 3 分科会-1
サン=ランベール対ルソー
ラ・フォンテーヌ『ヴォーの夢』における庭の形象について
─ 『四季』における演劇論の機能 ─
藤田
あゆみ
井上
櫻子
ラ・フォンテーヌを17世紀古典主義の主要な作家として、
今回の発表では、ジャン=フランソワ・ド・サン=ランベー
私達の記憶に留めるのは、なによりも120篇を超える数々の
ル(1716-1803)『四季』
(初版 1769)における演劇論の機能を
寓話作品であるが、彼はその寓話作家としての成功を納める以
考察しながら、18 世紀後半の文学創造の一つの特徴を明らかに
前に演劇、オペラ、コント等のさまざまなジャンルの作品に取
することを試みたい。
り組んでいたことも忘れてはならない。
素朴な田園生活の称揚を主要なテーマとする描写詩は、イギ
とりわけ『アドニス』『ヴォーの夢』『プシケとキュピドン
リスの詩人トムソンの『四季』がフランス文学界に紹介された
の愛』の3作品は、『寓話』以前の主要な作品として、ラ・フ
ことをうけ、春夏秋冬それぞれの季節に特徴的な自然現象と、
ォンテーヌ死後300年を機に夢、アレゴリーなどのテーマに
その影響を受ける人間の心理をより巧みに描きだそうという詩
基づく精密な読みが行われるようになった。
この3作品の中で、
『アドニス』『プシケとキュピドンの愛』はギリシャ神話をも
人たちの競合により 18 世紀後半に急速に発展する文学ジャン
ルである。描写詩の主要なものに目を通すと、この田園の賛歌
とにしているのに対し、『ヴォーの夢』は神話的な題材を取り
を締めくくる「冬」においては、厳しい季節の到来と共に、都
入れながらも、彼の保護者である大蔵卿フーケのヴォー=ル=
市の享楽的生活に救いを求める人々の脆弱さを戒め、荒涼とし
ヴィコントの館を讃えるためにラ・フォンテーヌ自身によって
た自然の中でも心の平静を保つ賢者の美徳を強調することが詩
主題が創作されている点に特徴がある。主題や筋立てにおいて
人たちの間での慣例となっていることが分かる。サン=ランベ
多くの制限を受ける寓話作品とは異なり、『ヴォーの夢』には
ールもこの慣例に概ね忠実に自らの作品を創り上げているが、
ラ・フォンテーヌの独創的な詩的創造がいかにして行われるの
興味深いのは、彼が「冬」における都市文明と人間の諸技芸の
かを探る可能性が秘められている。
発達に関する考察の中で、演劇の社会的有用性を弁護するくだ
そこで今回の発表では『ヴォーの夢』において、庭という要
りを挿入していることである。描写詩の重要な主張と矛盾する
素を中心にラ・フォンテーヌが現実の風景を契機にいかにして
ようなこの「冬」の一節が決して恣意的に挿入されたものでな
庭の美学とも言える詩的世界を創造するのかという問題を検討
いことは、演劇に関する一節に、初版から既に詩人が例外的に
してみることにしたい。
多くの注をつけているだけでなく、 1771 年の改訂版出版時に、
『ヴォーの夢』という作品は作者の分身であるアカントやそ
さらに注を加筆してその主張の正当性を強調しようとしている
の友人たちが、ヴォー=ル=ヴィコントを散策するという筋立
ことから推察される。詩人の意図をより明確に把握するため、
てを持つ。ただし、それは現実のヴォー=ル=ヴィコントにお
ここではこの注における議論に考察の焦点を当てたい。
いてではない。なぜなら、作品の冒頭部においてヴォーの庭は
『四季』における演劇論の役割について検討するにあた
「木々がすっかり新しく植えられ」まだ未完成の状態にあるた
り、 1758 年 6 月 23 日ルソーに宛てて書いた手紙の中で、サン
めに夢の中にヴォーという場を再現することが作者によって宣
=ランベールが、当時出版間近であった『ダランベールへの手
告されるからである。こうして未完成な現実の庭から作品の夢
紙』の内容に関心を示していることに注目したい。この書簡を
想世界への転換が行われる。
手がかりに、サン=ランベールとルソーのテクストをつきあわ
同時にこの作品には別の形の「庭」が存在することになる。
せると、『四季』における演劇論が、『ダランベールへの手紙』
それは、誰がヴォー=ル=ヴィコントを飾るのに最も相応しい
の主要論点を踏まえ、それを反駁する形で展開されていること
のかを競って芸術の精たちが美学的論争を繰り広げる場面にお
が明らかになる。以上の点から、
「冬」に添えられた注に展開さ
ける寓意的人物としての庭である。そこで庭の精は、建築、絵
れる演劇論は、同じ歌の末尾に加えられている百科全書派の企
画、詩に対して、庭の美学を主張する。
図を弁護する注と関連づけられると考えられる。
現実の庭、夢想の中の庭、寓意としての庭のそれぞれがいか
『四季』が公刊された 1770 年前後は、百科全書派や有力な出
に表現されたのか。とりわけ庭の寓意の主張の特質と、芸術の
版業者が、知的好奇心溢れる読者層に支えられ、
『百科全書』を
精たちの論争における位置づけを明らかにする。
法に抵触しない形で出版する手段を模索していた時期である。
(大阪市立大学非常勤講師)
また、サン=ランベール自身、
『四季』出版直前まで『百科全書』
の編纂に積極的に協力していた。
このような事実を踏まえると、
『四季』制作時の詩人にとって、自ら属する思想的陣営の弁護
は戦略上重要な問題であり、だからこそ、描写詩の根本的主張
と矛盾するような一節を、敢えて『四季』を締めくくる歌に織
りこんだと考えられる。
(京都大学大学院博士後期課程)
3
日本フランス語フランス文学会2005年度春季大会研究発表会
第4分科会-1
第 3 分科会-3
『バイアーノの修道院』
マリヴォー『愛の勝利』にみる男装のヒロインの系譜と変容
─ 著者に関する一考察 ─
中山
智子
山本
明美
マリヴォーは 1732 年、
恋人に近づくために男装するヒロイン
スタンダール(=S)著『イタリア年代記』作品群中、
『深
を持つ戯曲『愛の勝利』を発表した。恋人を追いかけるための
情け』と『尼僧スコラスティカ』はイタリア古文書179を源
男装は、文学的トポスの一つであり、マリヴォー以前にも多く
泉の一つとして創作した中編小説である。この古文書のフラン
の作品の中で用いられている。マリヴォーはどのように男装と
ス語訳は 1829 年 8 月 22 日出版された『バイアーノの修道院』
いう文学的トポスを利用したのだろうか。本発表では、マリヴ
(=当文献)であるが、著者 J...C...o は特定されていない。当文
ォーに先行する作品と『愛の勝利』とを比較検討し、
『愛の勝利』
献はSの著作と微妙な関係にあり、当文献の2年前に発売の『ロ
にみる男装のヒロインの系譜と変容について検証していく。コ
ーマ、ナポリ、フィレンツェ』から剽窃したと見られる一方で、
ーパスは、
『愛の勝利』を上演したイタリア人劇団および同時代
当文献の2週間後に刊行の『ローマ散策』に剽窃されたとも見
に人気を博した縁日芝居の作品を中心に選定した。
られている。
旧イタリア人劇団の時代においては、ヒロインは男装するこ
ビブリオフィル版『イタリア年代記』編集者デル・リットは、
とによってその衣裳にふさわしい属性を手に入れる。同劇団の
Sが死のー週間前にあたる 1842 年 3 月 15 日まで当文献を目に
戯曲集(1700)に収録された女性登場人物が男装する戯曲を分析
しなかったとしている。これが実相だとすれば、Sはその時点
すると、男装を 3 つの類型に分類することができる。女性を口
まで、イタリア古文書にのみ依拠して『深情け』と『尼僧スコ
説く騎士、勇敢な戦士、学術用語を操る学者(医者、弁護士)
ラスティカ』の大半を創作しなければならなかったことになる。
である。これらの作品には、衣裳(男装)は相応の能力を身に
だが、この作家は『イタリア年代記』所収の他作品に関し他人
つける人間に与えるという暗黙の規範が存在する。
の翻訳を土台にすることはなく、自らほぼ忠実に翻訳した上で
自由な創作へと移行していた以上、例外的な創作法と言わねば
しかし 18 世紀にはこのような男装の約束事に疑問が向けら
れ始める。恋人を追いかけるための男装は、あまりにも多用さ
ならない。
れたため、すでに文学作品の中で戯画的なとらえられ方もされ
考察を要するのは、
『バイアーノの修道院』がSの文体ではな
ていた。マリヴォー自身、初期の小説『ぬかるみにはまった馬
いとする説である。こうした外見の批評に対し本発表では、古
車』
(1714)の中で、冒険小説にならい、侍女と共に男装し旅に
文書179との照合によって明確になる当文献の独自性とS作
出かけるヒロインをカリカチュラルに描いている。ピロンの『テ
品には、「奇妙な singulier 」という形容詞の独特な用法がある
ィレジアス』
(1722)のヒロイン、カリクレは騎士に扮し、逃げ
など、思想及び表現に多数の共通要素があることを指摘し、カ
た恋人を追跡する。しかし、カリクレの臆病さは衣裳によって
ルボナリスムに焦点を合わせる。
も隠せない。カリクレに対し、腹心役の登場人物は「衣裳は性
先ずSが
『ローマ散策』
で初めて当文献の梗概を紹介する際、
を作らない」と諭す。
時空間が既に再構築されているが、それは主としてヒロインの
衣裳(男装)と性(に付与される能力)との関係が変化し始
恋人をカルボナリ党員にしたことに基因している。また 1799
めた時代にあって、
『愛の勝利』をどのように読み解くことがで
年のナポリにおけるサン・フェリーチェの逸話が、
『ローマ、ナ
きるだろうか。ヒロインである王女は、哲学者兄妹の邸にかく
ポリ、フィレンツェ』と当文献の双方にあり、後者出版の 3 ヶ
まわれ容易に近づくことができぬ青年アジスに会うため、旅行
月後にあたる 1829 年 12 月 13 日に発表された『ヴァニナ・ヴァ
者に扮する。一見、男装のヒロインの系譜にそった設定のよう
ニーニ』で、この逸話にカルボナリスムが移植されている。さ
でありながら、
『愛の勝利』にはいくつもの異質性が見受けられ
らに当文献と『ローマ散策』ではともにナポリで 1809 年に制定
る。まず、王女が哲学者の邸にたどり着くまでの移動の距離の
された民法典が高く評価されている点が一致し、前者には 1806
極端な短さが挙げられる。道中の危険から身を守るための男装
の役割はここでは成立しない。また哲学者の邸の庭園は「すべ
年との対比、後者には 1814 年との対比がなされ、ナポレオン統
治と表裏一体になったカルボナリスムの歴史認識が刻まれてい
てが開かれている」と強調され、誰もが簡単に近づける空間と
る。つまり当文献がこの作家の創作工房になった可能性を視野
して位置づけられる。そして、王女の男装は哲学者にすぐに見
に入れることで、長年疑問視されてきたこの作家におけるカル
破られてしまう。 一方で、
『愛の勝利』には同時代の戯曲には
ボナリスムの着想過程がみえてくるのである。加えて『ヴァニ
ない、
複数の相手に対するヒロインの誘惑が存在する。男装は、
ナ・ヴァニーニ』
におけるカルボナリ党員とヒロインの関係は、
異性・同性両方に対する誘惑を可能にするための手段として用
『カストロ尼僧院長』における山賊と修道女との対峙関係に引
いられている。マリヴォーは男装のヒロインという伝統的手法
き継がれており、この中編が『尼僧スコラスティカ』のもう一
を用いながらも、常套的設定から乖離させ、複雑な誘惑を成立
つの土台となっている。これを勘案すれば当文献におけるサ
させるために利用している。
ン・フェリーチェの逸話に「ド・スタンダール氏」の名が添え
(エリザベト音楽大学非常勤講師)
られた経緯には、テーマの既得権確保の意図すら窺える。
(京都大学大学院博士後期課程)
4
日本フランス語フランス文学会2005年度春季大会研究発表会
第4分科会-2
第5分科会-1
ミシュレとマルスラン・ベルトロ
マラルメの危機と大衆
─ 再生の夢と化学 ─
─ 1860 年代のテクストを中心に ─
坂口
黒木
治子
朋興
マラルメは 1860 年代に「危機」の時代を通過する。多くの研
歴史家ミシュレはその晩年、歴史の執筆活動を続ける傍らで
徐々にその視線を自然界の事物へと広げ、
『鳥』
『虫』
『海』
『山』
究者がその原因とそこからの回復のプロセスについて議論を重
などの自然史と呼ばれる書物を出版した。これらの書物の執筆
ねてきた。例えばマラルメ研究の第一人者であるマルシャル氏
にあたって彼は、当時フランスで飛躍的に発展しつつあった科
は詩人の葛藤をデカルトのコギトの問題として分析を行い、故
学の知識を得るため、多くの科学者と直接交流し、また科学の
に 1869 年に読んだ『方法序説』が詩人に重要な示唆を与えたと
様々な分野の書物を参照している。
する。対して我々は、確かにマラルメに「ウチニコモル」とい
その中で、化学もまた、物質の知られざる性質を次々に解明
う「絶対の詩学」の問題系があったことは認めつつも、また別
しその隆盛期を迎えていた。ミシュレはこの学問を、
『19 世紀
史』の中でも特に重要なファクターと見なし、世紀の発展を象
の視点からの分析を試みてみたいと思う。つまり、コギトの問
徴するものとして「創造の科学」と呼んだ。しかしまた 19 世紀
一人称単数の思考、コギトが哲学の原理となっていったのは
は発見の世紀であり、自然科学、医学、工業などの多くの分野
17 世紀から 18 世紀、つまりデカルトからカントにかけての時
で、近代化につながる発見が相次いだ時代である。
『19 世紀史』
代であったことは広く知られている通りである。かつて人の理
においてミシュレが、特に化学の中に他の分野を凌駕する特権
性は神に由来するものとされており、一人の理性が考えたこと
的な価値を見出したのは、いかなる理由からであろうか。
は決して現在の意味における個人の「主観性」の内に限られる
題系から漏れてしまう部分に光を当ててみたいと考えている。
ものではなかった。
対してコギトに基づく哲学の発展の歴史は、
ミシュレが化学との接点を持ったのは、マルスラン・ベルト
ロという若い化学者と交流を結んだことがきっかけであった。
そのまま神の支配を離れ人間の手だけによって真理に到達しよ
この人物は 24 歳という若さでコレージュ・ド・フランスに職を
うという人間中心主義の歴史とパラレルであったと言うことが
得、晩年にはレオン・ブルジョワ内閣の外務大臣をも勤めた科
出来よう。
マラルメは、1867 年 5 月、危機に苦しむ中、信仰を捨てる。
学界の大物であり、文学の分野では思想家ルナンと親交が深か
ったことで知られている。1857 年に、彼は主著である『総合に
芸術がそれまで担ってきた神の世界の「美」を表象するという
基づく有機化学』を発表するが、ミシュレはそれを読んだ後、
役割から詩を解放し、新たなる時代の詩学を確立しようと務め
著者に
『あなたは信じがたいほどの明晰さを持っておられます。
たことを考えれば、その詩人の思考の分析にコギトの問題系を
私はあなたの文章を、読んだのではなくスポンジのように吸い
持ち出すことの有効性を確認することができるだろう。だがし
取りました。』と書き送った。ミシュレがこのように熱をこめて
かし、コギトのようにそれ自体で完結している自律した体系を
この書物を賞賛したのは、この書物がグリセリンから油脂を作
想定した場合、自ずとその内側と外側という区分が表れ出てこ
ることに成功したことを証明するものだったからであった。そ
ないだろうか。この場合、内部とは「絶対の詩学」であること
れはすなわち無機物から有機物を作ることに成功したというこ
は明らかであるが、外部に当たるものは何であろうか。我々は
とであり、ミシュレはこれが「死したものから生命を作り出す」
それは詩の読み手、
つまり 1860 年代に急激に勢力を拡大した大
という生命の再生の可能性の第一歩を示す、画期的な出来事で
衆であると捉える。
1860 年代における大衆の出現。例えばパドゥルーという指揮
あると考えたのである。このような考えから、彼は化学が「創
者は大衆向けのコンサートを企画することによってそれまで一
造の科学」であると書いたのであった。
部の特権階級のみに限られていた交響曲をより多くの人に開放
しかし
『19 世紀史』に輝かしく記されている化学者の名前は、
ベルトロではなくラヴォアジエであった。当初はベルトロの功
していくし、
『ル・プティ・ジュルナル』という大衆紙の成功は
績に心酔していたように見えるミシュレも、次第に彼の名を言
それまで活字とはほど遠かった階層の人たちにまで新聞を読む
及をしないようになる。そこには、交流の中で芽生えていった
という習慣をもたらした。マキシム・デュ・カンやゾラのよう
ベルトロに対する、またその親友ルナンに対するミシュレの反
な文人はこの大衆の出現が文学の質の低下をもたらしたと嘆く。
発があったと考えられる。ミシュレはある日の日記に、彼らの
我々はこの大衆の出現とそれによって引き起こされる「芸術
実証主義的な宗教観に対する反感を記している。特に彼はルナ
の通俗化」に対する恐怖こそがマラルメの危機の原因であった
ンの『イエスの生涯』に反感を抱き、その感情をきっかけとし
と解する。神とのコミュニケーションの断絶と同時に読者との
て『人類の聖書』を出版した。そして同時にベルトロへの賞賛
断絶があったということだ。我々は詩人がこの問題を如何に考
も、革命の英雄ラヴォワジエへの賞賛へとすり変わっていった
え、悩んでいたかについて 60 年代の文章を精読することによっ
のであった。
て考察し、90 年代の散文作品で発せられた「共感と不快感」と
いう言葉に要約されるマラルメ特有の大衆観が 60 年代の危機
(首都大学東京助手)
の中で如何に準備されたかを分析する。
(上智大学非常勤講師)
5
日本フランス語フランス文学会2005年度春季大会研究発表会
第5分科会-2
第5分科会-3
ボードレールと二つのレアリスム
シャルル・ボードレールの詩篇「灯台」の構成について
─ 『ボヴァリー夫人』論を手がかりに ─
海老根
清水
龍介
まさ志
1850 年代に展開されたレアリスムの運動に対するボードレ
ボードレールの『悪の華』の詩篇6「灯台」は、8人の芸術
ールの態度が、表面上は全面的対決の形をとりつつ、実は肯定
家の特質をそれぞれの詩節で描き出し、最後の3節で芸術の使
と否定とをともに含むニュアンスに富んだものであったことは、
命を語る、詩の形で表された「最良の批評」として有名な詩で
これまでの研究でも明らかにされてきた。醜く卑近な同時代の
ある。しかしなぜボードレールがこの8人の芸術家を選びこの
現実を所与のものと認めた上で、主観性を付与することによっ
ような順序に並べたかに関してはいまだ決定的な解釈はない。
てそこからの距離を確保するというボードレールの姿勢が、こ
この点に関してひとつの解釈を与えることが本論の目的である。
のような入り組んだ評価を生んだと考えられるが、このことは
この詩の構成を解く鍵は、『1846 年のサロン』の「ロマン主
対象をいかに描くかという表象の次元のみならず、対象といか
義とは何か?」で取り上げられる「北方/南方」という図式に
に関わるかという実存の次元においても確認できる。フロベー
あると考えられる。ボードレールがこの図式をスタンダールの
ルの『ボヴァリー夫人』を論評するに際して、ボードレールは
影響で採用したことは通説だが、この図式にスタンダールとは
小説家がレアリストたちと共有する要素の一つとして「非人称
異なった意義を与えていることが見逃されてきた。この相違点
性(impersonnalité)
」を挙げているが、フロベールにおける「非
こそ、
「灯台」の8人の芸術家の構成に「北方」の芸術家と「南
人称性」と他のレアリストたちのそれとは必ずしも同じではな
方」の芸術家の交互的配列を導入し、この図式と最後の3節を
い。「自由間接話法」が頻繁に現れることからも分かるように、
結びつけ、構成の全体的な統一を作り上げるものである。
ボードレールはこの単純な風土的区分に様々な意義を与え、
『ボヴァリー夫人』において、
「語り手」は醜く卑近な世界から
完全に身を引き離すのではなく、逆にそうした世界の一部をな
ロマン主義を「北方」の芸術だと定義する。しかしスタンダー
している登場人物とほとんど一体化してしまうという現象がし
ルのロマンティシズムの基礎は同時代性にあり、各国で可能で
ばしば見られる。にもかかわらず、この「語り手」が周囲の世
あるものの美術における「南方」の優位を疑わなかった。しか
界と完全には同化していないといえるのは、たとえばシャンフ
もスタンダールは芸術を人間的活動として神学的観点を退ける
ルーリの作品と比較してみれば明らかである。1856 年 8 月に発
以上、ボードレールが「北方/南方」の区分に神学的な意味を
表した記事の中で、シャンフルーリは小説における「非人称性」
与えたことは決定的であり、自らとスタンダールを区別する意
の重要さを説きながら、
「非人称性」とは何よりもまず「不偏不
図が明確に表れている。
党性(impartialité)」のことであって、
「語り手」はいかなる視
「灯台」において、スタンダールが『イタリア絵画史』で取
点をも特権化せず、代わる代わる全ての登場人物と一体化する
り上げた二人の「南方」芸術家(ダ・ヴィンチとミケランジェ
べきだと論じている。
「語り手」が登場人物と一体化するもっと
ロ)に対して「北方」芸術家(ルーベンスとレンブラント)が
も有効な手段は、その人物と同じ言葉を語ることであり、
実際、
年代順を無視して優先される。そしてピュジェの名前の異例の
シャンフルーリの作品においては、
「語り手」の物語への介入は
配置によって「北方/南方」の相互順序の交代が示唆され、最
極端に抑制され、紙面のほとんどは直接話法の羅列で占められ
後に「北方」の巨匠ドラクロワの位置が強調される。しかもス
ている。これに対し、フロベールの「語り手」は周囲の世界に
タンダールがダ・ヴィンチとミケランジェロを近代性において
自己をほぼ一体化させているときでも、詩的な感受性や文体の
選んだように、この詩は「北方」の芸術家(ルーベンス、レン
彫塑を通して、そこからの距離を常に確保する主体としてふる
ブラント、ヴァトー、ドラクロワ)と「南方」の「近代的」芸
まっている。
術家(ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ピュジェ、ゴヤ)で構
こうした「語り手」のあり方は、ボードレールの詩学と強い
成されている。さらにボードレールは「北方」=色彩の関係を
親近性を持っている。ボードレールは醜く卑近な現実と関わら
ざるを得ない 19 世紀の芸術家の営みを「売春」の比喩を用いて
重視し、この詩の構成を『1846 年のサロン』第3章の色彩理論
になぞらえていると考えられる。
「北方」芸術家がメロディーで
表現するが、詩人にとってこの「売春」は「特異な仕方で」で
「南方」芸術家は対位法をなし、全体的なハーモニーを作り出
行われなくてはならず、対象へと自らを一体化させようとしな
している。そして最後の3節、特に最終節で神と人間の関係で
がら、同時に自分自身であることを決してやめないという両義
芸術の使命をとらえなおすことで、美術史の「北方性」+「近
性にこそ、その眼目があった。群衆の中へと積極的に入ってい
代性」を明確にする。このように、この詩の構成には、スタン
きながら、そのただ中での自立を保持するというボードレール
ダールに対するボードレールのロマン主義のマニフェストが表
詩学の実存的賭金は、対象をいかに描くか、物語をいかに語る
れていると考えられる。
(筑波大学大学院博士後期課程単位取得退学)
かといった創作の技法とも密接に関連しており、
『ボヴァリー夫
人』をはじめとする同時代作品の論評においても、ひとつの判
断基準を形作っている。
(一橋大学非常勤講師)
6
日本フランス語フランス文学会2005年度春季大会研究発表会
第6分科会-2
第6分科会-1
La tentation d'Adam, dans Lorsque j'étais une œuvre d'art
L'espace imaginaire dans le théâtre de Jean Giraudoux
d'E. E. Schmitt
HIRSCHAUER, Armelle
BRANCOURT, Vincent
« J’ai toujours raté mes suicides » : c’est ainsi que le roman de
En soi l’espace scénique est espace imaginaire, surgi de l’obscur et
Schmitt se clôt dès la première ligne sur un « ratage ». Et pourtant, de
retranché du réel pour la délectation et l’édification du public. Or dans
page en page, une volonté farouche, commune à tous les personnages,
l’œuvre de Giraudoux il arrive que se rejoue sur scène, dans l’espace
s’acharne à trouver une issue à un monde, il est vrai, toujours décevant.
de la représentation, ce partage du réel et de l’imaginaire, fondateur de
Si le héros décide de prendre sa revanche en réussissant sa
l’acte théâtral.
Nous ferons porter notre réflexion en particulier sur trois scènes de
mort,d’autres, avant lui, n’ont pas attendu d’en arriver là pour défier le
l’œuvre théâtrale dans lesquelles un personnage s’engage dans un
monde. De quoi s’agit-il?
Tazio firelli, vingt ans, ne supporte plus l’être insipide qu’il est.
“espace imaginaire” qui vient ouvrir une échappée dans l’espace
Cependant alors qu’il decide d’en finir, un artiste fantasque,
homogène de la représentation. Ainsi nous nous attacherons à la fin de
Zeus-Peter Lama, lui propose de devenir une œuvre d’art. Le jeune
La Folle de Chaillot quand Aurélie, avant de sauver Paris de la
homme accepte ce pacte diabolique qui le réduit à être Adam bis, un
spéculation, rencontre sur un plan imaginaire, les yeux fermés et dans
monstre de foire, un objet qui lui interdit désormais d’être un homme.
un demi-sommeil, Adolphe Bertaut, l’amant autrefois disparu.
Ce n’est qu’après la rencontre avec un artiste aveugle, Hannibal, qu’il
L’Apollon de Bellac, brève pièce presque contemporaine de La Folle,
retrouvera le goût de vivre, tel qu’il est.
nous offrira avec sa scène finale un parallèle intéressant puisque l’
De quoi souffrait-il donc pour consentir à un tel pacte ?
héroïne achève sa fulgurante ascension sociale par l’amère
« D’invisibilité », répond-il. Ce que refuse le héros, c’est non
contemplation de la figure imaginaire de l’Apollon de Bellac, les yeux
seulement de se sentir sans consistance, mais surtout de supporter la
fermés elle aussi. Enfin nous reviendrons sur un passage du
comparaison, au regard de l’éclatante réussite de ses frères. Cette
Supplément au voyage de Cook où le jeune Tahitien Vaïturou pénètre
tentation de refuser que les choses soient comme elles sont, forcément
et explore l’imagination de Mrs. Banks, la femme du naturaliste de
injustes, et donc blessantes, Schmitt la rapproche de celle qui habite
l’expédition. À chaque fois, il s’agira d’interroger la dialectique que
l’artiste : l’art n’est-il pas la tentation de parfaire le monde?
Giraudoux instaure entre le réel et l’imaginaire, tout en définissant le
statut exact de ce dernier, et d’examiner la façon dont la plongée dans
Zeus, Hannibal ou Adam ont un point commun : tous sont tentés de
l’imaginaire permet un retour vers le réel.
faire mieux que la Nature. Zeus veut « enfoncer la Nature », tandis
qu’Hannibal croit que l’invisible peut surgir de la Nature elle-même.
Nous éclairerons notre réflexion par d’autres incursions dans le
Adam bis, lui, en voulait tant à la Nature de ne pas l’avoir fait beau
théâtre de Giraudoux, notamment lorsque la mimésis semble vaciller
qu’il accepte de sortir des mains de Zeus. En définitive, l’homme,
et que le spectateur ne peut plus exactement décider du statut de ce qui
pour Schmitt, est toujours tenté de parfaire le monde, mais il est libre
se déroule devant lui sur scène (scène avec l’ange dans Judith, la
de le faire à la manière de Zeus ou d’Hannibal. Comment vivre avec
question du spectre dans Intermezzo, l’apparation de la fille de
cette tentation, sans se méprendre sur le sens du verbe « parfaire »?
vaisselle dans Ondine). Et puisque cet espace imaginaire se donne
Tout se joue dans l’interprétation que l’artiste se fait du sentiment
sous forme de la contemplation de visions, nous inscrirons notre étude
d’être dans un monde raté. Zeus, l’artiste mondialement connu
dans le cadre de la problématique plus vaste du regard, en nous
travaille à l’abri des regards et propose des objets stupéfiants qui
attachant en particulier aux modifications et altérations qu’il subit
obtiennent un succès à la mesure de leur extravagance. Il vainc la
dans la traversée du désir autour des figures de quelques héroïnes
Nature en se fermant à sa banalité. Quant à Hannibal, son atelier est
giralduciennes (Hélène et ses visions colorées dans La Guerre de
ouvert à tout venant, à l’autre : son chevalet est installé sur la plage.
Troie n’aura pas lieu, Paola et Lucile dans Pour Lucrèce)
(Professeur non-titulaire à l’Athénée Français)
Cet art triomphe de l’apparente monstruosité de la Nature ou de celle
d’Adam en y accueillant une profondeur qui, parce qu’elle échappe à
l’artiste, devient visible.
(カリタス女子短期大学非常勤講師)
7
日本フランス語フランス文学会2005年度春季大会研究発表会
第6分科会-3
第7分科会-1
Voix du silence, voix sans visage
ウリポの効用
─ Rimbaud, Blanchot et autres voix venues d'ailleurs ─
─ レイモン・クノー「文体練習」1973 年版の場合 ─
後藤
TEIXEIRA, Vincent
加奈子
Interroger encore le silence d’Arthur Rimbaud n’est pas pour
レイモン・クノーの『文体練習』には複数のバージョンが存
surcharger le mythe ; Rimbaud continue de nous échapper. Il ne s’agit
在する。1947 年に初めて出版されたのち、単語の選び方などの
pas non plus d’expliquer la dessiccation des sources et de l’élan verbal,
細かい部分に変更を施した幾つかの改訂版を経て、1973 年(作
mais plutôt de voir comment l’aventure poétique, spirituelle et vécue
者の死の 3 年前)にはテクスト自体の大幅な修正を含む実質上
de Rimbaud présente une unité de destin, celle d’un exilé essentiel qui
の「最終バージョン」が発表されている。73 年版では、それ以
refuse le réel effectif et rêve d’un grand « dégagement ». Rimbaud
前の版に収められていた 6 つのテクスト(以下「練習」と表記)
n’est pas tant un mystique qu’un mage ; son but n’est pas le silence
が削られ、新しい 6 つの「練習」が挿入されているほか、8 つ
mais le verbe. Néanmoins, ce verbe est ancré dans le silence : comme
の「練習」の題名が変更されている(なお、いずれの版におい
l’a dit Salah Stétié, « Rimbaud n’est pas un poème qui s’est tu, mais
ても「練習」の総数は 99 に保たれている)。
un silence une fois qui a parlé ». D’une certaine manière, s’il a écrit
73 年版で削除された「練習」については、これまで多くの研
pour « changer la vie », il a aussi écrit pour disparaître. La poésie est
究がなされてきた。約言すれば、クノーは読みづらいもの、完
cet exil, radical, contre-nature, mais sans arrière-monde, exil qui tente
成度の低いもの、政治的メッセージの強すぎるものや作家の個
d’échapper à l’emprise du réel en créant une langue autre, surgie de
人的な思い出にかかわるものを削除し、作品の普遍化を図った
l’inconnu, de « là-bas », car le « Je est un autre » est aussi et avant tout
ということである。一方、新たに挿入された「練習」について
une création de langage. Une langue inouïe, un écart de langage dont
は、1960 年にクノーが直接創立にかかわった文学結社ウリポの
l’éclair impatient bute contre le silence, se brise dans l’inachèvement,
活動を忠実に反映している、
という説明にとどまるものが多い。
dans la trace vertigineuse d’un grandiose échec, comme s’il se heurtait
ウリポの作業を反映するテクストを挿入することで、文学史の
à quelque mystérieux « interdit ».
アップデートに実践的に貢献した、という点を指摘する研究者
Il y a donc deux silences, ou plutôt deux moments d’un même
もいるが、なぜクノーがそのほぼ晩年になってこれほどラディ
silence, primordial : le silence initial, inaugural, celui du dégagement
カルな書き直しの必要性を感じ、そしてその源流をウリポに求
duquel s’élève la parole poétique, et le silence final, testamentaire,
めたのかという点は、今もなお議論されずじまいである。
本論では、73 年版の『文体練習』で新たに挿入された「練習」
celui de l’échec ou de l’inachèvement, un « sans issue » auquel se
heurte l’écrivain, mais qui est le moteur même de sa quête, dans la
のうち、ウリポの影響を色濃く受けているものをとりあげ、そ
nécessité tragique de toujours chercher une issue. Exilé de la parole,
れらの(規則を伴ったテクストとしての)構造と、その規則の
Rimbaud fut aussi un exilé de la vérité, comme l’est tout écrivain,
生み出す効果を分析する。同時に、クノー以外のメンバーたち
selon M aurice Blanchot, dont la solitude essentielle, l’éloignement,
の作品も参照しながら、ウリポの存在意義や、その活動がどの
l’effacement, l’anonymat et « l’entretien infini » avec des voix venues
ような信念のもとに発案、実践され、作者そして読者によって
d’ailleurs ne sont pas sans rapport avec l’exil majeur de Rimbaud. La
享受されていったのかを再確認したい。さらに、アリストテレ
folie d’écrire est-elle folie de jeunesse ou, comme le dira M allarmé, le
スの時代から文学作品には不可欠とされてきた「規則」のあり
seul but sublime de la vie ? Rimbaud, voyant ce que peu entrevoient,
方を、歴史的な例を挙げながら(ルネッサンスの詩法、大押韻
tente de nommer l’innommable, l’inouï et sacrifie son âme dans cette
派、17 世紀の悲劇など)考察し、作品の形式や内容の諸規則と
approche de « l’impossible ». Le poète, comme tout homme,
作品のオリジナリティとは必ずしも矛盾しないということの証
appartient pour l’essentiel à l’invisible, a fortiori quand il se met à
明を試みる。
l’écoute d’une voix lointaine, en avant ou immémoriale, voix secrète,
ウリポの使命とは、作家の感情の介入しない「からっぽの構
« venue d’ailleurs », qui pointe vers l’inconnu et esquisse un « pas
造」を提供することによって言葉の自己増殖を助けてやること
au-delà ». Dans cette quête, les véritables « hauts faits » sont ceux du
だという。しかし、その機械的なテクスト生成の方法は、作家
langage, qui nous interroge et nous traverse. Le poète est traversé par
のインスピレーションを否定するものではない。
それどころか、
quelque chose d’inhumain (langage, mort, Dieu, animal…), en route
作家を逆説的に創造活動へと導いているように思われてならな
vers « le Pays où l’on n’arrive jamais ». Car on ne peut détenir le feu
de l’inconnu ; bien plutôt, on s’y brûle. Dans cette entreprise presque
いのである。こうした視点から 1973 年版の『文体練習』の書き
直し作業を再考すると、クノーがウリポの「効用」―作家の創
invisible et cernée de silence, le seul véritable secret reste le silence de
造活動を助けるという意味での―に抱いていた信頼の大きさが
la langue qui demeure « le grand objet extérieur ».
伺えるのではないだろうか。
(リエージュ大学博士課程)
(Chargé de cours à l’Université de Fukuoka)
8
日本フランス語フランス文学会2005年度春季大会研究発表会
第7分科会-3
第 7 分科会-2
もう一つの妖精劇
レーモン・ルーセルにおける迷信と周期性
─ レーモン・ルーセル『アフリカの印象』の翻案劇について ─
永田
道弘
1911 年と 12 年、ルーセルは自身の小説『アフリカの印象』
を翻案し舞台にかけるが、結果は不評を買っただけに終わった。
今回の発表の目論見は、この翻案劇を積極的に評価する可能性
を、1989 年に発見された翻案劇のタイプ原稿に拠りつつ探るこ
とである。
小説の戯曲へ書き換えには、二つのジャンルの表現形式の本
質的相違から様々な困難が伴う。最も顕著な困難は表現形式の
時間性であり、小説が一行で十数年の出来事を要約するところ
を演劇では、
「筋の持続」と「再現の持続」とを可能な限り一致
させ、観客にとって「今、ここで」起こっているかのような意
識を与えねばならない。
伝統的な小説においては、「情景法」と「要約法」の交替が
作品の基本的な律動を決定していた(ジュネット)。作中人物の
直接的対話によって構成されることが多い「情景法」はともか
くも、作品の重要な背景の役割を担う、
「要約法」的記述で書か
れた部分が、小説の演劇化の過程で問題となる。この部分をど
う処理するによって翻案の方向性が決まってくる。そこで、ゾ
ラとルーセルの処理の仕方を対比させることでルーセルの翻案
劇の独自性を浮かび上がらせることにする。
ゾラは、『居酒屋』の翻案に際して小説の見せ場(筋に緊張
感が高まる場面)を選び出して舞台化した。
これらの見せ場は、
多くの場合、
「情景法」が用いられている。見せ場と見せ場のあ
いだの筋(小説では主に「要約法」の部分にあたる)の多くは、
翻案テクストからは省かれている。その代償として場面と場面
の間に筋の過剰な飛躍が生じた。このような方法は、翻案され
た小説が広く知られており、観客の多くがオリジナルのストー
リーに親しんでいたために可能であったといえる。
ルーセルのとった方法は、ゾラとは対照的である。小説『ア
フリカの印象』では、舞台で演じられている様々な演目が順次
描写されていく前半部分で「情景法」が用いられ、語り手が過
去に起こった出来事を年代記的に語っている後半部分が、主に
「要約法」で書かれている。常識的には「情景法」で主に書か
れている小説の前半部を中心に舞台化するはずである。しかし
ルーセルは、後半部を集中的に翻案し、過去の出来事の要約的
なレシをそのまま登場人物に語らせている。その結果、異常に
長い時間をその台詞が独占し、劇の筋の流れが完全にせき止め
られてしまっている。
ただ、ドラマを途絶させるという欠陥を補ってあまりある積
極性が、ルーセルの演劇にあると考えられる。ルーセルが翻案
の過程で固執した要約法で書かれた逸話は、通常の因果関係を
大きく逸脱した奇想天外な筋をもつ。述べられた台詞を再び後
戻りして聞くことの出来ない観客にとっては、人物間の葛藤を
描くことから生じる演劇的緊張感とは別種の緊張感が生まれる
と考えられる。
次に、舞台上への静止した時間の現出を指摘できる。単純過
去で登場人物が昔語りをする瞬間、時制がそれまでの複合過去
から単純過去へと変化し、この瞬間、ドラマの流れは静止し、
劇世界とは異質の世界が現出する。行為を推進させていくため
のファクターであるはずの人物が単なる物語の媒介にすぎず、
人物が後退して、物語そのものが己を語っているかのような感
じを観客に与えるのである。
このような、観客の頭の中で御伽噺をみているような感覚を
生じさせるルーセルの劇世界は、必ずしも現実の舞台では十全
に実現されたとは限らないが、タイプ原稿を読むことによって
その可能性を探れるのではないだろうか。
(名古屋短期大学非常勤講師)
新島
進
死後出版された『いかにして私は或る種の本を書いたか』の
なかで、ルーセルは自らの創作方法「手法」を開示するが、戯
曲作品『額の星』については唯一「聖ユリウスが少年に貸した
上掛」の逸話を、singulier et pluriel を Saint Jules et pelure と読み
替えたことから創作した、と記すに留めている。ルーセルがこ
の挿話についてのみ
「手法」を明かした理由は定かではないが、
ひとつ確かなことは、同挿話には作家の創作法にからむ重要な
事柄が無数に見られるということである。なかでも「赤い月」
という迷信と、
「朔望月」いう天文用語はルーセルの「手法」に
深くかかわり、
また作家独特の時間概念をよく示すと思われる。
本論では、聖ユリウスの挿話で月が体現している「迷信」と「周
期性」という点からルーセルを考えてみたい。
赤みがかった月の光は植物を枯らすという言い伝え「赤い
月」は、ヨーロッパで広く知られている現象であるが、ルーセ
ルが愛読した天文学者カミーユ・フラマリオンが著書『大衆天
文学』でも述べている通り、これは科学的な根拠のない迷信で
ある。ここで迷信というものを、Aという事象(月が赤い)と
Bという事象(植物が枯れる)とのあいだに、自然科学的な現
実を鑑みず、人間中心的な視点から因果関係を認めることとす
るならば(植物が枯れる晩は月が赤い→赤い月は植物を枯らす)、
このシステムは「手法」によって物語を構築する際、ルーセル
が踏む手続きによく似る。つまり、AとBという本来関連性の
ない語を前置詞 à で「A à B」とつなぎ、こうして組み合わ
された言葉を、物語を補うことによって論理的に関連づけるの
が「手法」であるからだ。ルーセルが作中で好んで迷信を持ち
出すことは「手法」の使用と密接に関係しているのである。
聖ユリウスの挿話でもうひとつ問題となるのは、月が地球を
一周する周期を示す「朔望月」である。この天文用語は、一ヶ
月という時間進行と地球一周という空間移動の等価性を示すが、
こうして時間を空間に換算する考えは『八十日間世界一周』と
いうタイトルでも明らかなように、ルーセルの実質上の師であ
るジュール・ヴェルヌに顕著に見られる傾向である。事実、ル
ーセルの諸作品では、ヴェルヌの「双六式小説」のごとく、時
間は空間的に把握、処理されており、ほかの挿話でも繰り返し
現れる周期性への言及もまた、ルーセルがもつ空間的な時間概
念を示唆していると考えられる。
さらに、以上のような迷信(物事の故事)
、そして周期性(出
発点への回帰)へのルーセルの好みは、ともに未来へ流れてい
く時間を頑なに拒む態度を示している。そしてそれは作家が十
九歳のときに経験した「栄光体験」への、終生変わらぬこだわ
りと無縁ではないであろう。
(早稲田大学非常勤講師)
9
日本フランス語フランス文学会2005年度春季大会研究発表会
第8分科会-1
第8分科会-2
「憐れみ」がもたらす「小説」
ル・クレジオにおけるインディオ体験の意味
― バルトにおけるプルーストの影響 ―
─ アルトーとの比較を通して ─
滝沢
明子
鈴木
雅生
バルトがプルーストの『失われた時を求めて』に強く惹かれ
アルトーにとってと同じく、ル・クレジオにとってもメキシ
ていたことは、さまざまなテクストにおいて作品中の一節を引
コとの出会いは創作活動において大きな転機をもたらした。本
用したり、作家としてのプルーストについて繰り返し言及して
発表は、両者の旅の親近性と差異を明らかにすることで、ル・
いたりすることからも明らかである。バルトの思考においてプ
クレジオにおけるインディオ体験の意味を浮き彫りにすること
ルーストは常に重要な位置を占めていた。
『失われた時』はバル
を目的としている。
トの文学観と深く結びついたものであり続けたといえよう。晩
西欧世界に対する違和感から「ヨーロッパで見出されるもの
年のバルトのテクストでは、時間にたいする意識の変化が語ら
と正反対のもの」をメキシコで探求する点において両者の旅は
れることが多い。それがプルーストとの一体化によって引き起
共通しているが、その探求するものは同一ではない。それは「ヨ
こされた、という思想的な影響関係は、バルト自身が語るとこ
ーロッパにおいて見出」しているものが異なるからだ。たしか
ろである。
に両者ともに西欧を超越的価値観が不在な「人間中心主義」に
よって特徴づけられていると見なすが、アルトーが西欧におけ
本発表では、バルトとプルーストの影響関係に着目し、
『明る
る「生の衰退」を問題とするのに対して、ル・クレジオが問題
い部屋』の写真を介しての時間体験がプルースト的な「憐れみ」
にするのは「孤独」と「暴力性」だ。西欧のなかに見ていたも
の感情体験をもたらしていることを論じたい。そして写真体験
ののこの差異は、インディオ体験を通じて見出そうと望むもの、
は、プルースト的な「小説」の構想と深くかかわっていること、
見出したと思ったものの差異へと直結する。
また『明るい部屋』はバルトにとって「小説」への移行の出発
アルトーをメキシコへと向かわせたのは、生命の治癒を可能
点であったことを指摘したい。
にする「異教的汎神論の神聖偉大なイデー」の、革命による再
まず、
『失われた時』と同様に、
『明るい部屋』が時間体験を
興の期待であった。しかし実際にそこで眼にしたのは、マルク
契機とした特殊性と普遍性の和解、という問題をはらんでいる
ス主義に立脚した社会的・経済的革命、すなわち人間の地平の
ことを示す。そこに「小説」の可能性が示唆されているのだ。
みに関わる革命であった。同時代のメキシコに幻滅したアルト
『明るい部屋』に見出される時間や記憶といった主題は、
『失わ
ーは、タラフマラ族のもとでペヨーテを用いた呪術的儀式に参
れた時』と共鳴する。
『明るい部屋』を書いた時期のバルトをプ
加することで、超越的なものとの「失われたつながり」を取り
ルーストの語り手に重ねれば、探究と発見の物語としての『明
戻し、自らの生の回復を図ろうと試みる。
るい部屋』が、バルトにとっての『失われた時』であることは
ル・クレジオには、アルトーに見られた、同時代のメキシコ
明らかだ。さらに、そうした明白なつながりに加えて、二つの
の政治に対する関心、インディオの呪術の治癒的側面に対する
作品において語られる体験そのものが、根底において通じ合う
関心は見られず、興味の中心はインディオが行う日常の表現行
ことを示したい。
為が持つ呪術的認識の側面に向けられる。個人性と優劣関係に
バルトは写真の分析を通して、時間の新たな論理の開示の瞬
立脚した西欧の芸術と異なり、人間と宇宙全体とを結びつける
間を語っている。そうした時間体験をへて、個人的な喪失体験
共同の表現であるインディオの芸術を通じて、ル・クレジオは
の苦悩を、プルーストがしたように「憐れみ」という他者への
「人間/世界」および「自己/他者」という断絶を乗り越える
共感のうちに消化させようとしていたのだ。
可能性を見出すのだ。アルトーがペヨーテの儀式によって取り
「憐れみ」の体験は、プルーストにおいてエゴティスムの超
戻そうとした「失われたつながり」が、個人(アルトー自身)
越につながっており、芸術的創造に欠かせないものである。作
と超越的なものとを結びつける、いわば垂直の関係のみだとす
れば、ル・クレジオがインディオの呪術的芸術の中に見出した
品は普遍性を有していなければならず、芸術家は個人的体験を
ものは、その垂直の関係に加えて、それぞれの個人を互いに結
普遍化することが求められるからだ。このことが、バルトのテ
びつける水平の関係である。
クストにもあらわれている。プルースト論「長い間、私は早く
インディオ体験を通じて見出したもののこの差異は、両者が
から床についた」では、小説的エクリチュールの発見は特殊か
西欧へ戻ってからの対照的な歩みとなってあらわれる。アルト
ら普遍への転換によってもたらされた、と論じられている。ま
ーは、
「白人」(近代西欧人)という「精霊たちから見捨てられ
たスタンダール論「ひとはいつも愛する人について語りそこな
た」存在を、宇宙全体とつながった存在へと変貌させて、自ら
う」では、エゴティスムを超えて到達される普遍性が小説的エ
の生命の治癒を図ることを志向し、西欧世界との決定的な決別
クリチュールの実現を可能にしたと述べられている。このこと
(「狂人」としての隔離)へと導かれていく。それに対してル・
は他ならぬバルト自身が企図する「小説」の概念となっている
クレジオは、以降の作品が示しているように、あくまで西欧内
のである。
部にとどまりながら「人間/世界」および「自己/他者」とい
(東京大学大学院博士後期課程)
う断絶を乗り越えるようとする。
(東京大学大学院博士課程単位取得退学)
10
日本フランス語フランス文学会2005年度春季大会研究発表会
第8分科会-3
第 9 分科会-1
断片的テクストあるいは死と再生のエクリチュール
"la fille d'un fermier" 型の複合定名詞句について
─ ジャン・ジュネのレンブラント論を中心に ─
─ クラスを構築しない不定 ─
稲村
真実
小田
涼
ジャン・ジュネは、1950 年代の中頃にレンブラントに関する
伝統文法において、名詞句の定と不定の区別はもっぱら形態
一冊の著作を書こうとしていたと言われている。アルベルト・
論の分野に属する問題であった。すなわち、名詞句の限定詞と
ディシーによれば、具体的には、1956 年にロンドンで行われた
して定冠詞が使われているなら定、不定冠詞が使われているな
『女中たち』の上演の際に訪れた、ナショナル・ギャラリーで
ら不定、という分類である。では、 “la fille d’un fermier” 型の複
観たレンブラントの作品が契機となっているということだが、
合名詞句は定なのだろうか、それとも不定なのだろうか。M ilner
実際に発表されたのは、1958 年に『エクスプレス』誌に発表さ
は、不定名詞句を属格に伴うこのタイプの複合名詞句は、不定
れた「レンブラントの秘密」と題された短いテクストと、1967
名詞と似通った統語的・意味的特徴を持つと指摘している。一
年に『テル・ケル』誌に掲載された「小さな真四角に引き裂か
方、Corblin や Flaux は、これがあくまで定であると主張する。
れ便器に投げこまれた一幅のレンブラントから残ったもの」と
本発表では「“le N1 d’un N2”型の複合名詞は全体として不定で
いうテクストである。後者は、表題からもうかがえるように、
あるが、“N1 d’un N2”のクラスの構築を前提とせず、クラスか
計画されていた一冊の本が断念され破棄された後に残されたと
らの“N1 d’un N2”の抽出を許さない」ことを主張したい。
いう経緯をもつものであるが、著者の意志により、同一のペー
M ilner は定と不定を区別する非形態論的な基準をいくつか挙
ジ上をふたつの欄にわけ、別々のテクストを並べ、最終的には
げている(以下、参考文献および例文の出典は、発表時のハンド
一方をイタリック体にして掲載された。
アウトで示す)。例えば、M ilner によると、定名詞句のみが右方
これらふたつのレンブラント論が書かれた時期は、一方では
転位の対象となる。(1) Je la connais, cette fille. (2) *Je la connais,
代表的な戯曲の作品が生み出されながら、他方、1954 年に発表
une fille. (3) Je la connais, la fille du fermier. (4) *Je la connais, la fille
された『断片』以来の、形式のうえでの“断片的なテクスト”
d’un fermier.これらの例から、Milner は le N1 d’un N2 型の複合名
群が、
「綱渡り芸人」や『アルベルト・ジャコメッティのアトリ
詞は不定であると結論する。一方、Flaux は不定名詞を主題化
エ』(ともに 1957)としても書かれている。この“断片的なテ
クスト”という構成は、ジュネのエクリチュールにおいては最
できる別の型の右方転位の例(5) J’en connais une, de fille. Vs (6)
終的には 1986 年の『恋する虜』として結実するものである。
しの例(7) J’ai rencontré une fermière cet apres-midi et une autre ce
*J’en connais une, de fille d’un fermier.と、“un autre”による受け直
本発表においては、先のふたつのレンブラント論を中心に据
soir. Vs (8) *J’ai rencontre la fille d’un fermier cet apres-midi et une
えながら、ジュネの“断片的テクスト”の一側面を、絵画論と
autre ce soir.を根拠に、この le N1 d’un N2 型名詞は定であると結
して、また芸術論として考察を試みると同時に、そこから引き
出されるジュネのエクリチュールの特異性を、
“断片的”な構成
論する。ただし、
Flauxの挙げる en…de による右方転位と un autre
による受け直しは、クラスを構築する不定名詞についてのみ可
を持つことの意味とともに辿ってみたい。
能な操作である。このことから本発表では、1)「構築されたク
(立教大学嘱託講師)
ラスからの要素の抽出を許す不定」と 2)「構築されたクラスの
存在を前提とせず、要素の抽出ができない不定」の二種類の不
定を設定し、le N1 d’un N2 型の複合名詞は第二のタイプの不定
であるという仮説を提示する。例えば la fille d’un fermier は、
fermiers というクラスから抽出された不定の un fermier との関係
において定義された fille である。起点となる un fermier が「任
意の不定」であり、かつこの任意の不定名詞との関係において
のみ fille が規定されることから、la fille d’un fermier は全体とし
て不定となるが、“fille d’un fermier”のクラスは構築されない。
この例において定冠詞 la は、un fermier と fille を結ぶコネクタ
ーとして働く。一般に le N1 de N2 型の複合名詞において、N1
と N2 は何らかの従属関係を表しており、N2 を起点としてのみ
N1 へのアクセスが可能となる。例えば“l’odeur d’une rose”と“la
mère de Julie”の指示対象はそれぞれ、rose と Julie を起点として
アクセスできる odeur と mère であり、絶対的な odeur や mère
は存在しない。定冠詞は、
「花の属性」や「親子関係」といった
認知フレームの中で成立するコネクターなのである。
(京都大学大学院博士後期課程)
11
日本フランス語フランス文学会2005年度春季大会研究発表会
第 10 分科会-1
第9分科会-2
対面式多人数授業の IT 化
「代名動詞の再帰的用法」と「所有形容詞を含む他動詞構文」
─ 電子黒板を活用した語学教育の実践と結果 ─
の比較
川崎
山﨑
明仁
代名動詞の再帰的用法は、主語の行う動作の影響が主語自身
に及ぶ点に、その特徴がある。そのうち、
《Je me lave les mains.》
(1a)のように「身体部位名詞を伴う構文」については、
《Je lave
mes mains.》
(1b)のように「所有形容詞を含む他動詞構文」で
言い換える(パラフレーズする)ことが可能である。ところが、
《Il se coupe le doigt.》(2a)を(1)と同様の方法で言い換えた
《? Il coupe son doigt.》
(2b)については、(1b)と統語構造が同
じであるにもかかわらず、容認可能性が下がる。
(1b)と(2b)を比較した場合の容認可能性の違いの根拠と
して、ケイン(1975)に代表される変形文法学者たちは、三人
称の所有形容詞(ここでは son)の指示内容の曖昧性(son が il
自身を指すか別人を指すか)を挙げている。しかし、
(2b)が代
名動詞構文(2a)の言い換えであることに鑑みれば、
(2b)の
son の指示内容は当然 il 自身となるので、son の指示内容の曖昧
性はここではそもそも問題にならない。したがって、変形文法
的アプローチでは、
(1b)と(2b)の容認可能性の違いを説明で
きない、と考えられる。
次に、パンション(1976)は、ケイン(1975)らと同様、三
人称の所有形容詞の指示内容が曖昧であることに言及しつつも、
(1b)と(2b)の容認可能性の違いの直接的な根拠としては、
「意図性」の有無を挙げている。すなわち、
「手を洗う」ような
動作は意図的に行われるのが通常であるが、
「指を切る」といっ
た動作が意図的に行われることは稀であることから、
(2b)の容
認可能性が下がる、というのが彼の主張である。確かに、
(1b)
と(2b)の容認可能性の違い自体については、
「意図性」の有無
の観点から説明可能であると思われるが、そもそもなぜ所有形
容詞と「意図性」が関連付けられるのかについての説明がなさ
れていない点で、問題が残る。
さらに、ボーンス他(1976)の挙げる《Pierre se dépense / emploie
à mener à bien ce travail.》(3a)と《Pierre dépense / emploie ses
forces/son énergie / son temps à mener à bien ce travail.》
(3b)はと
もに容認可能であるが、意味的に同値とはいえない。にもかか
わらず、彼らは、この(3a)と(3b)の違いについて説得的な
説明をしていない。
吉朗
IT が教育の分野に大きく入ってきても、黒板は教育に必須の
メディアになっている。本研究では、この黒板の IT 化に注目し
た。黒板に IT 技術を組み込むことにより、従来の黒板とは違う
学習効果があるかどうか、教員、学習者にとっての利点がある
かどうかについて検証した。なお、本研究は 2 年前の本学会(於
獨協大学)で第 1 回目の報告を行っており、今回はその研究を
継続した発表である。
1.使用環境
コンピュータ教室で、教室管理システムを用い、学習者の端
末に黒板を表示して授業を行っている。電子黒板のシステムは、
Sky DigitAl ChAlk(Sky 社)を用いている。前回の発表で利用
していたスカイデジタルクラスの後継ソフトである。前回に比
べての改良点は次の通りである。
1.
PPT ファイルのサポート
2.
消しゴム機能の強化
3.
表示の高速化
使用しているのは高校生第 1 フランス語の講読、文法の授業
である。
2.学習者の評価
電子黒板を3ヶ月使用した時点で行った第 1 回目のアンケー
トでは、電子黒板に対して学習者は高い評価を与えていた。し
かし、IT 技術は、一般的に導入時は学習者に高く評価されても、
新規性が失われると評価が低くなり、元の方法に戻るという場
合もあるので、長期利用した後に、アンケートをとった。最大
2年半、短くても半年間使用した長期利用者に対するアンケー
トである。その結果、長期利用の方が短期利用以上に評価が高
いということがわかった。電子黒板に対する評価は、単なる新
規性によるものではないということがわかった。
また、第一回目の自由記述にあった「個別指導を受けている
ような気がする」、「電子辞書が表示されてわかりやすい」の2
点について、質問項目を加えて、学習者の評価を尋ねた。いず
れについても大半の学習者が「個別指導の感覚」
、「電子辞書の
利用の利点」を感じていることがわかった。
3.学習効果の検証
電子黒板を使用したクラス(B クラス)
、使用しないクラス(A
クラス)の間での学習効果について検証した。B クラス、A ク
ラスは学力別編成になっており、B クラスの方が下位の学習者
のクラスである。
電子黒板を利用した授業だけ、B クラスが A クラスを有意に
上回った。下位の学習者にとっては、通常の黒板に比べて、電
子黒板利用の学習効果が高いということがわかった。
そこで、本発表では、特に、「個々の動詞のもつ語彙的意味」
学習効果の検証のまとめ
仏文法(電子 仏作文(通常 世界史(通常
黒板)
の黒板)
の黒板)
向上度 1
5%有意(B ク 5%有意(A ク 有意差なし
ラス)
ラス)
向上度2
有意差なし
有意差なし
有意差なし
向上度3
有意差なし
有意差なし
有意差なし
4.発表では
発表では実際に電子黒板を用いながらその機能を説明し、上
記の詳細を述べ、分析したい。
(カリタス女子中学高等学校教諭)
と「所有形容詞のもつ意味的特性」の観点から、上で指摘した
TABle 1
問題点の解決を試みたい。
(種智院大学助教授)
12
日本フランス語フランス文学会2005年度春季大会研究発表会
第11分科会-1
第10分科会-2
中世演劇の作詩法と叙述的ジャンル
ティームティーチングによる英語・フランス語同時学習
─ 「記憶の韻」について ─
小野
隆啓・舟杉
真一
片山
幹生
京都外国語大学では 2003年秋学期、
「英語を基軸とした二言
「記憶の韻」と呼ばれる技法を中心に作詩法の観点から中世
語同時学習」構想の最初の試みとして、英語とフランス語の同
演劇作品のテクストの特徴を検討することで、初期演劇ジャン
時学習を目的とした「CALL EF I」の授業を開講した。英語を
ルとファブリオなどの叙述的文芸ジャンルの関係について考察
主専攻としフランス語を第2外国語として1年以上学習してい
する。
る学生と、フランス語を専攻語として半年以上学習し、第2外
中世の演劇作品のディアローグは、主に北フランスの都市出
国語として英語を選択している学生を対象に、英語を専門とす
身の詩人によって制作された十三世紀の初期演劇作品から、十
る教員とフランス語を専門とする教員が同時に教壇に立ち、テ
五、六世紀のファルス、モラリテ、聖史劇、ソティに至るまで、
ィ−ムティ−チングにより2講時連続授業(180分)を行ってい
すべて八音節平韻を基調とする韻文で書かれている。韻律や脚
る。
韻によって拘束される韻文は芸術的に再構築された人工的言語
の産物であり、レアリスムからは遠い位置にある。文芸ジャン
毎回、授業の最初の30分は、
「CALL EF I」用に作成したCALL
ルの中でも、演劇は舞台上でのパフォーマンスという条件を満
教材による予習・復習、応用練習を、学生が各自のペースで行
たす必要があり、おそらく台詞の記憶の補助手段として機能し
う。教材の種類は、大きく二つに分けられている。一つは英仏
ていた韻文の束縛からは、なかなか逃れることができなかった
融合型(EF問題)で両言語の相違点、共通点を比較しながら練
ジャンルだった。ファルス、聖史劇などの中世から続く演劇ジ
習するタイプのものであり、もう一つは単独型(E問題、F問題)
ャンルの作品の台詞は、ジャンルが消滅する十七世紀初頭まで
で、それぞれの言語の個性に合わせた個別練習である。CALL
常に韻文で書かれていた。
は、基本的に自学自習を目的としたものであるが、本取組では、
ファルスのような日常的場面でのやりとりを題材とする作品
授業内で教員が積極的に学生とのインタラクションを持ちなが
のディアローグに当時の日常的言語の反映を見ようとする研究
らCALLシステムを用いる融合型CALLを導入し、語学的演習や
もあるものの、もっぱら韻文で記述されているフランス語中世
文化的知識の理解をより効果的に進めている。
演劇のディアローグの母型は、演劇ジャンル誕生以前から存在
対象となる二言語のそれぞれの言語を専門とする教員2名が、
していた語り物の文芸ジャンルのスタイルに求めるべきだろう。
同時に同じ教室で授業を行うことにより、同一の言語現象をそ
中世演劇作品で用いられている八音節平韻を基盤とする詩形は、
れぞれの個別言語の観点からその表現形式を示し、共通点、類
語り物の文芸の中でも特にロマンとファブリオで好まれた詩形
似点、
相違点を対照言語学的観点から分析し明確にすることで、
である。
両言語の発音、文法、語彙、表現、意味、文化などに関して、
語り物文芸の作詩法が演劇ジャンルにもたらしたのは、八音
従来の個別的学習よりも深い理解と強い定着が促されるのがテ
節平韻だけではない。脚韻の対となる詩行を異なる台詞の最終
ィ−ムティ−チングのメリットである。
行と冒頭行に振り分ける「記憶の韻」と呼ばれる技法は、十三
この取組の有効性については、CALL EF I(2003年度秋)、
世紀初頭に制作されたジャン・ボデルの『聖ニコラの劇』以降、
CALL EF II(2004年度春)、CALL EF I(2004年度秋)の3回、
中世演劇作品のディアローグで一貫して用いられている作詩上
最終授業時に受講生に実施したアンケート調査から以下の3点
の慣習であるが、中世演劇作品に特徴的なこの脚韻分割システ
をあげることができる。
ムは、そもそもは語り物文芸に由来するものである。クレチア
①
授業に対する高い満足度・学力向上
ン・ド・トロワは、この韻の振り分けの技法を直接話法の部分
②
二言語の言語的・文化的特徴の相違点・類似点の認識向上
で意識的に用いた最初期の作家である、この技法は演劇作品で
③
他の講義に取り組む態度への好影響、自学自習の指針
は台詞の記憶補助の役割を果たしていたと考えられ、それゆえ
「記憶の韻」と呼ばれる。中世の演劇作品に特有の詩法である
と考えられがちである「記憶の韻」の起源は語り物文芸ジャン
(京都外国語大学教授、京都外国語大学助教授)
ルにあり、この脚韻システムは多くのファブリオで、ディアロ
ーグの交換の際に用いられている。
世俗劇作品とファブリオの間の主題面における影響関係につ
いては多くの研究で言及されてきたが、両ジャンルの形式面、
作詩技法上の共通点についてはこれまであまり着目されていな
かった。二つのジャンルで共有されている作詩法の分析は。フ
ァブリオなどの叙述的ジャンルと初期演劇作品の制作環境の密
接な関係を示唆するだけでなく、
語り物文芸から演劇が分離し、
ジャンルとして独立していく過程を検証する上での有効な手段
となるだろう。
(早稲田大学非常勤講師)
13
日本フランス語フランス文学会2005年度春季大会研究発表会
第12分科会-1
第11分科会-2
Pelerinage de l'Ame の新発見断片写本
18 世紀の小説における父子の対立
─ レチフ・ド・ラ・ブルトンヌの自伝的作品をめぐって ─
原野
昇
大場
静枝
このほど、
東京在住の A 氏所蔵の写本の中から、Guillaume de
18 世紀中葉、驚異的な経済的発展と急速な都市化が、農村部
Digulleville, Pelerinage de l'Ame の断片写本2葉が発見された。
2
から都市部への人口の流出を招き、
「家族」をめぐる環境に大き
葉と言っても、実際は連続した1枚の羊皮紙である。Cahier と
な変化をもたらした。農村部では、絶大な家長権を持つ家父を
して綴じるために2つ折りにしてあるので、cahier の foliotation
で言うところの2葉4ページのことである。1葉の大きさは、
中心に形成された、旧社会の家族共同体が崩壊しつつあった。
縦 303mm、横 225mm で、各ページ2欄、1欄 51 行である。
義的な思想が生まれ、その結果、家族のあり方、とりわけ親子
1
の関係に新しい局面が展開されるようになった。もはや「父性」
一方、都市部ではブルジョワの台頭に伴い、個人主義や自由主
写本の由来
A 氏は同断片写本をアメリカの古書業者 Rosenthal 氏から購
は「権威」を意味する言葉ではなく、
「寛大」や「愛情」といっ
入した。Rosenthal 氏の手に渡る前にどこに所在していたものか
た概念と結びつけられた言葉へと変化した。こうして「慈父」
については不明であるが、今回発見された Pelerinage de l'Ame
という新しいアイデンティティを獲得した「父」は、文学芸術
断片写本には、Hermann Suchier の蔵書票 Ex libris が貼られてい
の分野に新たなテーマを与えた。
る。
2
レチフ・ド・ラ・ブルトンヌは、その自伝的作品の中で、さ
写本の状況
まざまな父親像を描出した。レチフの作品において、
「父」の表
記録されているテクストの分量に関して言えば、1葉目表の
象は、とりわけ父子の対立において、鮮明に浮かび上がってい
第1欄(1-r-a)が 51 行、第2欄(1-r-b)が 51 行の計 102 行、
る。この時代、父子の対立の多くが、子どもの結婚問題を引き
1葉目裏の第1欄(1-v-a)が 51 行、第2欄(1-v-b)が 51 行の
金に表面化した。その理由の一つとしては、結婚が子どもにと
計 102 行、2葉目表の第1欄(2-r-a)が 45 行、第2欄(2-r-b)
って独立や自由を勝ち取る手段でありながら、実際には、
「結婚」
が 51 行の計 96 行、2葉目裏の第1欄(2-v-a)が 51 行、第2
と「家」を切り離すことができなかったという当時の事情が挙
欄(2-v-b)が 51 行の計 102 行であり、総計 402 行のテクスト
が記録されている。
げられる。つまり、息子は結婚相手を自由に選ぶことも、持参
3 Guillaume de Digulleville と Pelerinage de l'Ame
に決めることもできなかったのである。従って、結婚はしばし
金を自ら交渉することも、まして何処に新居を構えるかを勝手
ば親子関係に亀裂をもたらす元凶となった。
作者 Guillaume de Digulleville は 1295 年に、ノルマンディ地方
の Digulleville で生まれた。Pelerinage de l'Ame は 1355-58 年頃の
結婚をめぐって父子が対立した時、子は父親に従って恋人と
作とされており、1行8音節、約 10,000 行からなる韻文作品で
ある。魂が肉体を離れ、天に昇って行き、そこで天の裁きを受
別れるか、あるいは反抗して、自らの意志を貫き通すかの二者
ける、という内容である。
結びつきを強硬に推し進めようとした場合、父親は「呪い」を
4
択一を迫られることになる。その時、息子が父の意に添わない
発して息子を勘当することができた。この「父の呪い」の場面
写本と éditions
は、当時の文学でも頻繁に描出されたモチーフであった。例え
Le Pèlerinage de l'âme の写本は、Stürzinger によると、43 点以
上があげられている。
ば、
『マノン・レスコー』において、シュヴァリエは、父に「行
校訂本としては、Johann Jacob Stürzinger (éd.), Guillaume de
け、身を滅ぼしに行くがいい。二度とお前に会うことはあるま
Digulleville, Le Pèlerinage de l'âme, London (Nichols & Sons), 1895
い、親不孝者め」という言葉を投げつけられる。
『一家の父』の
がある。
中では、サン・タルバンが父の意に背いた結婚を望んだがため
5
に、
「親不孝で、堕落した息子よ、私の元から立ち去れ。私はお
A 氏写本の特徴
前に呪いをかける」と父親から呪われる。レチフもまた、
『父の
当該 A 氏写本は、上記 Stürzinger 版の次の個所に該当する。
第1葉:8198〜8405 行
呪い』の中で「お前を再び呪う。
(…)行け、お前はもはや私の
第2葉:9612〜9811 行
息子ではない」と息子を呪う父親を描いている。
底本写本 BN, f.fr. 12466に忠実に従っている Stürzinger 版では、
今回の発表の目的は、息子の出立、「恋人」という名の第三
1行が7音節しかない行がかなりある。ところが、A 氏写本で
者の存在、
「父の呪い」に到るまでの父子の葛藤、呪いの影響な
は、そのような行に1音節加えられ、8音節と修正されている
ど、父子に関わる諸要素のいくつかを分析することによって、
行が多く見られる。この作詩法上の方針の相違が A 氏写本の一
その対立の根源を明らかにすることにある。そのため、家族関
番目立つ特徴である。
係の中でも特に父と息子で形成される親子関係に焦点を当て、
(広島大学大学院教授)
レチフの小説および同時代人の作品の中で表現されている父子
の対立を、その背景にある社会事象にも目を向けつつ、息子の
視点から考察したいと考える。
(早稲田大学大学院博士後期課程)
14
日本フランス語フランス文学会2005年度春季大会研究発表会
第 13 分科会-1
第12分科会-2
『ボヴァリー夫人』における「語り手の声」について
『アリーヌとヴァルクール』における舞台性、役者を侵食する役
中村
中野
英俊
茂
「田舎ではよくあることだが」、「すべての年をとった女がそ
『アリーヌとヴァルクールあるいは哲学的小説』は、父親の
専制にさらされる美徳の顛末が書簡体で辿られる物語である。
うであるように」。このような饒舌なディスクールを駆使して、
この作品は本編の形式とは異なるいくつかのジャンルの挿話を
バルザックの小説の語り手は、物語世界のメカニズムをつまび
含み、なかでも「サンヴィルとレオノールの物語」と題された
らかにする。それに対して『ボヴァリー夫人』の語り手は、小
冒険譚は分量にして全体の半分以上を占めるなど、形式的不備
説世界の仕組みを一向に説明しようとしない。作家の役割は、
がしばしば指摘されている。しかしそれは過失ではなく、サド
ただ「提示すること(représenter)」にあると考えていたフロベ
の文学的野心があえて選んだ戦略であり、流行の形式で当時の
ールは、作品に饒舌な語り手を介入させることを自らにかたく
読者を引きこみ、展開される物語から彼らの哲学的思考を促そ
禁じていたのだ。だが、この「寡黙な語り手の声」の陰に、共
うとしたという見方もできる。いずれにせよサドの関心は、序
同体の価値観への共鳴を微かに聴き取ることができないだろう
文にあたる部分で言及されているように、さまざまな登場人物
か。ここでは以下、
『ボヴァリー夫人』における「語り手の声」
たちが織りなす椿事、議論の数々を、娯楽性を保持しつつ読者
の機能様態とその射程の解明を試みる。
の問題としていかにうまく提示するかにある。
確かにこの小説において、語り手が表立って自らの意見を表
サドはまた同じ箇所で、悪徳が支配する食人種の国ビュテュ
明することは極めて稀である。しかしながら、物語の戦略的な
アは彼がはじめて足を踏み入れた国で、その描写は正確な報告
箇所にちりばめられている「au lieu de ∼(∼するどころか、∼
であるとしつつ、美徳の立法者が統治する島国タモエは創作で
する代わりに)」
、
「trop ∼(∼過ぎる)」、
「sans ∼(∼すること
しかないと明言し、
「空想の国」にしか「正義と善」はあり得な
なしに)」といった表現には、その裏でひそかに判断を下してい
いと喝破する。このクレドは作品中、腐敗したヨーロッパ社会
る「語り手の声」が、さらには、その判断のよりどころとなっ
を利用して生きる人々は食人種と形容され、タモエに滞在する
ている慣習や価値観が読み取れるであろう。バルザックがその
サンヴィルは牧歌的な黄金時代をそこに重ね、ヴェルフイユの
共同体は理想化された中世を夢見るといったように、レトリッ
小説中で明確に理論化している社会のメカニズムを、フロベー
クを用いて表現されている。このような虚構と現実の対比はサ
ルは陰画のように浮かび上がらせているのである。しかも、誰
ド作品を特徴づける演劇的世界を形成する要素となるが、この
によって発せられているのか明らかにされていない、この「語
作品においては役が役者を侵食する力を持っている。法院長は
り手の声」は、まさに声の出所が明確でないだけに一層、
「匿名
確かに、デテルヴィルがしつらえた舞台で「役者のパラドクス」
集団の声」として物語空間に鈍く響き渡る。この「匿名集団の
を実践している。とはいえソフィを実の娘だと最後まで信じ続
声」がひそかに表しているのは、議論の余地がないほどまでに
けてもいるのである。この頑迷さは、レオノールが母国語をう
その集団内で常識として認められている慣習、さらには価値観
まく操れなくなったり、デテルヴィルが超人的な筆記をやって
なのだ。
のけたりすることと同様、
「アイデンティティの揺らぎ」
(M. ド
だからといって、「匿名の語り手」がある社会集団の代弁者
ゥロン)の亜種とでもいうべき、役による役者への侵食作用に
をなしていると言い切るのは聊か乱暴であろう。というのも、
よるものだろう。
「語り手の声」がある時は農村共同体の慣習、またある時は地
物語はこうした「揺らぎ」や書簡の信憑性につての明らかな
方の大都市に住むブルジョワ階層の視点、さらにある時はパリ
矛盾、形式的なまとまりのなさなどをはらむことで、読者を認
の上流階級の価値観にもとづいて発せられているからである。
識的な宙吊り状態にしたまま結末へと向かう。そこではブラモ
その立場は絶えず変化し、その結果、さまざまな声が不協和音
ン夫人とアリーヌの死が語られる一方、法院長の犯罪は暗示さ
のように物語空間に響き渡ることになるのだ。つまりこの物語
れるにとどまっている。いわば読者には状況証拠しか与えられ
の「語り手の声」とは、ひとつの価値観にもとづいた存在では
ていないので、法院長が罪を犯さなかったと考えることも可能
なく、絶えず立場を変える軽薄なアイデンティティーをもった
なのである。さらに本人の期待通り、アリーヌがボレ伯爵の娘
存在といえよう。
だったとすれば、夢見られた時点で法院長の最終目標は破綻し
そして、このような「軽薄な語り手の声」こそが、この小説
ていたことにさえなる。こう考えると、読者は物語としてふさ
におけるあらゆる価値観や立場を相対化、さらには無意味化し
わしい筋書きを任意に選んでいる、もしくはこの作品に選ばさ
つつ、小説空間を不安定なものとしているのである。この物語
れているということになる。ここに、読者という立場、役割が
はバルザック的なひとつの安定した声によって支配されること
彼自身へと闖入してくるという事態が生じてくる。これは、作
なく、さまざまな声の間で根源的な対立が絶え間なく続く空間
中人物たちに働いていた作用と同様のものが彼を捉えているの
だとも言えよう。本発表ではこうした異なるレベルで働く侵食
をなすのだ。その意味で、『ボヴァリー夫人』は、『ブヴァール
作用を検討することで、
『アリーヌとヴァルクール』の新たな読
とペキュシェ』に先だち、
「対立の虚無」の上に構築された物語
みを提示してみたい。
であるといっても過言ではないだろう。
(成城大学非常勤講師)
(明治学院大学大学院博士後期課程)
15
日本フランス語フランス文学会2005年度春季大会研究発表会
第 13 分科会-2
第 14 分科会-1
ゾラと「小説の危機」
ジョルジュ・バタイユにおける死の概念の変遷について
― 内的なドラマから死の歴史へ ―
田中
琢三
神田
浩一
エミール・ゾラを中心とする自然主義小説が衰退した後、19
当発表では、ジョルジュ・バタイユの死の思想について、そ
世紀末から 20 世紀初頭にかけて、
従来のバルザック的な小説の
の変遷をたどりながら考察する。バタイユは生涯を通じて死に
あり方が問い直され、それに代わるさまざまな新しい小説が模
ついて言及し続けたが、豊穣な意味を含む死という言葉が示す
索された。この発表では、
『ルゴン=マッカール叢書』の作者の
内容は、時代により変容している。それは、第二次世界大戦中
小説に対する問題意識を検討しながら、彼がこの「小説の危機」
に生じた劇的な変化を挟み込む形で三段階に分けることができ
と呼ばれる状況をどのように乗り越えようとしたのかを考察す
る。
る。
戦前、死とは恐怖と混じり合った魅惑を行使する説明不可能
ゾラの自然主義理論によれば、小説とは、想像力によって恣
な内的ドラマとしてあった。死は人間が心底で欲望するもので
意的に作られた物語ではなく、観察や分析に基づいた人間と社
あった。バタイユは、モース経由の「供犠」
、フロイトの「無意
会に関する客観的な「調書」である。ゾラは、あらゆるロマネ
識」などの概念装置、コジェーヴ経由のヘーゲル哲学を援用し
スクな要素を取り除き、ありのままの凡庸な人生や日常生活を
つつ、このおぞましき魅惑の出自を考察する。そして、死の魅
ペシミスティックに描くフローベールの『感情教育』のような
惑は、
自らの閉域に閉じ込められ窒息状態にある個体にとって、
小説を、自然主義のモデルとして評価していたが、同時に、こ
おのれの同一性を打ち破り全体性へと到達させる死の作用に由
のようなタイプの作品が必然的にもたらす「小説の危機」にも意
来すると考えた。メンバーの一人を供犠にふすことで成員を結
識的であった。彼が 1884 年に発表した『生きるよろこび』は、
びつけようと考えた秘密結社「アセファル」の活動の眼目も、
「フローベール型小説」に接近しているが、オプチミスティック
死によって全体性へと結びつけられる情動的な共同体の創設の
なヒロインのポーリーヌは、このタイプの小説のアンチテーゼ
試みであったとも言えるだろう。
のような存在である。
この死の思想は、戦中に劇的な変容を遂げる。というのも、
『ルゴン=マッカール叢書』の完成後、ゾラは、自然主義の
バタイユは、おそらく友人ブランショの影響のもとで、死の不
厳格な理論から離れ、小説の枠組みを拡大させていく。そして、
可能性というエピクロス的な逆説(人は生きている間は死んで
ロマン主義的な想像力を展開させるとともに、自らのイデオロ
おらず、したがって死を知らず、また死んでしまえば、その死
ギーを作品のなかで直接的に表明するようになる。つまり、観
を経験する個体はもはや存在しないという逆説)に自覚的にな
察した事実をもとに物語を組み立てる自然主義小説から、物語
るからだ。死によって全体性に到達するという思想は、その不
の形式をかりて自分の思想を伝える主観的な小説へと移行する。
可能性を宣告され、バタイユは、物理的、身体的な死よりも、
同時に、物語の叙述形式も変化し、小説内の出来事の多くがゾ
むしろエロティックな経験や神秘体験における自己喪失という
ラの代弁者である主人公の視点で語られ、他の登場人物も、し
死の疑似的な経験を顕揚する。自己喪失としての死は人間の持
ばしば何らかの思想的立場を象徴する抽象的な存在になる。
つ根源的な欲望として常に肯定され、自己喪失を共有すること
物語をイデオロギーと結びつける傾向は、19 世紀末の小説の
が「コミュニカシュオン」としてバタイユの思想で重要性を持
ひとつの潮流であるが、このジャンルの作品は、ストーリーの
つようになる。
展開自体よりも、それが例証するイデオロギーのほうを重視す
戦後のバタイユは、死を中心として組織された死の思想シス
るために、小説のディスクールが観念化し、物語本来の面白さ
テムを構築しようとする。その試みは、死の概念化不可能性に
が失われることが多い。これは「フローベール型小説」とは違っ
支えられた非知の哲学の体系と、死の否定性という観点から見
たかたちの「小説の危機」といえる。この危険性を回避するため
た「世界史」
(実際にはエロティシズムや一般経済学の系譜学と
に、ゾラは、小説のなかに、かつて自らが否定していたロマネ
して部分的に実現した)として考察される。
スクで大衆小説的な要素を積極的に取り入れて、イデオロギー
死とは何かという概念規定や死を前にしてのあるべき態度の
に侵食された作品に物語的な興味を加えようと試みた。
追求といった西洋形而上学の伝統的な問題意識とは違い、バタ
ゾラにとっての「小説の危機」とは、何よりも自然主義の厳格
イユは、死の持つ様々な属性のうちで一般的には無視されてい
な理論から小説を解放する試みであり、その結果、彼の作品に
る恐怖とない交ぜになった魅惑を語り続け、また、強い情動的
表われてきたのは、ロマン主義的想像力やイデオロギー、そし
な価値を持った死という言葉を利用して、読者に比喩的な死で
てロマネスクで大衆小説的な面白さを持った物語であった。こ
ある自己喪失を引き起こさせようとした。バタイユの死は、お
のことは、ゾラが本質的にロマン主義的な物語作家であり、メ
ぞましき魅惑を持った内的ドラマから非知の哲学の構築を支え
ロドラマ向きの素質を持った小説家であることを証拠立ててい
る抽象的な否定性へと変遷を遂げていく。
るように思われる。
(明治大学非常勤講師)
(東京大学大学院博士後期課程単位取得退学)
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日本フランス語フランス文学会2005年度春季大会研究発表会
第 14 分科会-2
第15分科会-1
ジャック・ラカンの「死」について(11)
プルーストと藤の花
─「ラス・メニーナス」と超越者 ─
─ 『スワン夫人をめぐって』を閉じる一語 ─
片山
文保
阪村
圭英子
ベラスケス作「ラス・メニーナス」の「構造」について。こ
花に対するプルーストの強い関心はよく知られているが、な
の絵の〈主題-主体(sujet)〉は超越者である。国王をそのモデル
かでも従来ほとんど研究者の目を引かなかった重要なものとし
として選んだのだが、このモデルは、然るべく、超越者の場に
て、藤の花を取り上げたい。本論の目的は、小説改変のプロセ
置かねばならなかった。その為に、画家がモデルを直接この絵
スを視野に入れながら、藤がプルーストの美学、個人的記憶、
の中に描くのではなく、位置を逆にして、画家自身がこの絵の
時代の文脈においてどんな意味をもちえたのか、考察すること
中に入り、そこから、絵の外の、フーコーが「不可視の点」と
である。
呼ぶ視点にモデルを置いて、絵の中の画布に描くことにしたの
『失われた時を求めて』の第二篇『花咲く乙女たちの陰に』
である。視点における超越者とは、画布を前にして制作してい
の第一部「スワン夫人をめぐって」の最終部は「藤の花」glycines
る現在、画家の眼を「窓」として、その場に位置する何ものか
という一語で締めくくられている。その花房の下に立つスワン
である。それを捉えるには、今現在の、制作中の自分の「窓」
夫人を回想する場面は幸福感に満ちている。実は作家が 1913
年に『スワン家の方へ』の刊行を準備していたとき、
「スワン夫
を見るのでなければならない。自分で、自分の「眼」を見るの
人をめぐって」はその最終章になるはずであった。しかし、加
である。
筆で 800 ページにまで膨張した一巻本を出版することは不可能
この「窓」としての「眼」とは、ラカンの言う「枠 cadre」
、
だった。やむなく作家は第三部「土地の名」を分割し、ジルベ
即ち、S1-S2(「/」
)のことである。そして、時として、
「世界」
ルトの物語の後半を、第二篇の冒頭に送ることにした。二篇の
内に暮らす我々に、
「対象 a」が、
「/」を限界枠とする欠如から
連続性を保証しているのは、両篇に共通するスワン夫人の森の
垣間現れる。画家は、これを画布上に、絵の具で捕らえようと
散歩である。薄紫色の衣装をまとったスワン夫人が優雅に登場
する。この時、画布は、
「眼」の「枠」の上に重ねられ、画布の
する場面だ。
眩い白地は「世界」における欠如、即ち、
「他者」の場となる。
第二篇第一部の結末において、ジルベルトとの交際がとぎれ
画家は、この空白の中の「光点」を形象として捕らえようとす
たあとも、スワン夫人は語り手の心を捉えて離さない。断章の
る。しかし、この試みは、絵の具の糞便をもってそれを形象化
最後に置かれた「藤」の一語は、全篇をとおして唯一使用され
すること、即ち、それを「表象 representation」とすることでし
る語であり、夫人に付与された薄紫の麗人のイメージを完結さ
かない。こうして、画布上に描かれるのは、王女を中心とする
せる。
宮廷世界でしかない。
「対象 a」は、それを限界づける「枠」と
長い花房が優美に垂れ下がるこの蔓性植物は、アール・ヌー
共に、表象化を誘いつつ、常にその背後へと逃れるのである。
ヴォーに親しいモチーフとして、当時の工芸家たちがこぞって
この、シニフィアンである「枠」そのものを表象の只中に捕ら
作品に取り込んだものだ。藤は本来ヨーロッパに自生せず、19
える方法はただ一つだろう。画布上に捕らえられるものは再び
世紀初めに極東から導入された植物である。万国博覧会などの
世界でしかないとしても、この画布は「世界」の〈内枠〉に重
機会に日本がその意匠を用いた美術・工芸品を多くもたらした
ねて置かれたのではなかったか。そうであれば、画布上の世界
結果、ジャポニスムの花と見なされたのである。藤を背景に薄
の〈外枠〉
(つまり画布の枠)は、問題の「枠」に重なっている
紫の日傘をさしてたたずむスワン夫人の姿は一幅の絵画を思わ
だろう(つまり、画布の枠は、一般に、画家自身の「眼」の価
せる。
値を持つことになる)。従って、この画布自体を画布の中に描き
けれどもタイプ原稿の段階では、フジは断章の結語という特
込んでやれば、この「枠」を絵の中に描き捕らえたことになる
権的位置にあったわけではない。そこで、この花へのプルース
だろう。
「ラス・メニーナス」はこのようにして造られているだ
トの関心をさかのぼってみると、まず 1894 年 4 月に、彼は詩
人ロベール・ド・モンテスキウ伯爵とエミール・ガレの合作で
ろう。
ある「藤の大型姿見」に触発され、散文詩を書いた。サロンに
ベラスケスは、絵画とは、画家本人が自覚していようがいま
出品されたこの鏡の実体は不明であるが、伯爵が藤と日本を結
いが、また、どんなに具象性が明らかであろうと、
「眼」を描こ
びつけていたことはその回想録から明らかである。またプルー
うとするものであること、そして、
「眼」
(における対象 a)を
ストは、友人リュシアン・ドーデの短編集『ネクタイのプリン
描くとは、画布の中にその画布自体を描くことであるという、
ス』をたたえた 1910 年の書評で、藤に言及している。プルース
絵画の「構造」を示そうとしたのだろう。そして、「/」を描く
とは、そこに構造の二重性を描くことである。画中の画布が「ス
トに捧げられた表題作「ネクタイのプリンス」の冒頭部には、
印象的な藤の描写場面がある。この書評が書かれたのはプルー
クリーン」
(
「/」)となって、そこに、国王夫妻の肖像画(
「絵」
)
ストが小説の執筆に没頭し始めた時期である。リュシアンとの
と空白(
「光点」
)が交錯するのである。ラカンの「視線 REGARD」
あいだでは、小説をめぐり書簡が幾度となく交わされている。
の図は、この意味で、
「ラス・メニーナス」の構造図になってい
小説の肝心な部分にあえて藤を選択・配置したのは、リュシア
る。
ンに対するオマージュとも読めるだろう。
(明星大学教授)
(京都市立芸術大学非常勤講師)
17
日本フランス語フランス文学会2005年度春季大会研究発表会
第15分科会-2
第16分科会-1
ミラン・クンデラに見る亡命作家のひとつの姿
Proust, encore
塩谷
祐人
ANSELMO, Marielle
今回の発表は、クンデラが現在のところチェコ語で執筆した
Ici l’on reviendra - encore - sur l’ouverture du roman A la recherche
最後の作品である『不滅』(1990)と、亡命先の言語であるフラ
du temps perdu, sur les premières pages de “Combray”. On examinera
ンス語を作家の言葉として択んだ『緩やかさ』(1995)を比較し
en quoi l’incipit de la Recherche - son geste inaugural - constitue un
たときに見られる、この作者がチェコと向き合うときにとるス
geste d’une remarquable nouveauté, en cela qu’il se fait, de manière à
タンスの違いに着目し、そこから亡命作家のひとつのモデルを
la fois discrète et spectaculaire, le lieu d’exposition de la scène de
浮き彫りにすることを目的とする。
クンデラはこの両作品の舞台をフランスに設定し、『不滅』
l’écriture.
Plusieurs critiques (en particuliers les psychanalystes) ont déjà
ではチェコを「昔の祖国」と記し、
『緩やかさ』では、そこに登
souligné la dimension incestueuse des premières pages de la
場するチェコ人の学者へ「同国人よ」と語りかけた。そこでは、
Recherche (dimension explicite dans la scène au cours de laquelle le
チェコ語からフランス語へと執筆の言語を転換した裏側にある、
narrateur, enfant, est amené à passer une nuit auprès de sa mère, dont
その転換とは逆の動きをみることができる。すなわちフランス
il est usuellement séparé). On s’intéressera plus particulièrement au
から「かつての国」を見ていた作者は、フランス語で直接語る
mouvement de régression que les premières pages développent, au
ことによって、チェコへの接近を見せたのである。
contraire ou à l’envers de la progression narrative d’usage dans le
そしてそこに、作品の中に現れる「わたし」の問題を合わせ
roman traditionnel. Régression qui autorise, par l’écriture, un
て考察したい。作者は『不滅』の中にクンデラの名前で登場す
processus d’intégration du réel qui se révélera, in fine, le projet
る。作品中で他の登場人物と会話まで交わしているこのクンデ
d’ensemble de l’oeuvre.
ラは、小説の中に描かれたフランスの住民である。つまり、チ
ェコ語で執筆していながらも、その小説の中にはフランス語で
De cet exercice non sans danger, la langue et la phrase proustiennes
語るクンデラがはっきりと認められる。一方、
『緩やかさ』に登
témoignent.
場する「わたし」はミランクであり、クンデラの名すなわち
(Lectrice à l’Université du Kyushu)
M ilan では登場していない。この K の一文字分の隔たりは、決
して小さいものではない。
チェコもしくはフランスと作者との間にある距離、そして作
品内に現われている「わたし」の姿。この二点を踏まえて彼の
最新作『無知』を見てみると、そこに亡命作家のひとつの姿が
浮かび上がる。フランスへと亡命し、作品の舞台もフランスへ
と移り、ついには執筆言語もフランス語に変えたクンデラは、
一見するとチェコから遠ざかり、フランスへと傾いていったか
のように見える。だが、そうではなかった。クンデラはチェコ
をその内に潜ませたまま、祖国とフランスとの間の揺れ動きの
中にあった。そしてその結果として『無知』が生まれたのだと
考えられる。
『無知』は、フランス語のオリジナル版よりも翻訳が次々と
先に出版された。日本でもフランスに二年先駆けて書店に並ん
だ作品である。その理由を作者は語っていないが、クンデラが
チェコとフランスの揺れ動きの中にあったのだとすれば、亡命
者が祖国へ帰還することをテーマとした作品を、最初にフラン
ス以外で出版するという方法を選んだのは必然的なことであっ
たと言えよう。なぜならクンデラは、祖国に居場所を見出すこ
とのできない物語を、チェコを舞台にフランス語で綴ったから
だ。もし、最初にフランスで出版していたならば、読者の目に
は帰還を果たせぬ亡命者の帰着地点はその亡命先であるかのよ
うに映るであろう。おそらく作者はそれを望まなかった。もは
や、どこにも帰着するべき場所を見出せなくなった亡命作家の
姿がそこに見られるのである。
(明治学院大学大学院博士後期課程)
18
日本フランス語フランス文学会2005年度春季大会研究発表会
第16分科会-2
エマニュエル・ボーヴの郊外『ベコン=レ=ブリュイエール』
をめぐって
昼間
賢
いずれもパリで、1898 年に生まれ 1945 年に亡くなった作家
エマニュエル・ボーヴほど、フランスの小説が翻訳されている
国々の受容状況に比べ、その作品がわが国において見過ごされ
ている作家も珍しい。1924 年の処女作『僕の友だち』で名声を
得た後、ボーヴ(本名ボボヴニコフ)は、20 年代の後半には驚
異的なペースで書き継ぎ、注目を集めていたのだが、30 年代に
入ってからは次第に寡作となり、第二次大戦中にはアルジェリ
アに渡って再び盛んに執筆するも、戦時下の不条理を描いた最
後の三部作は、パリ解放の喧噪の中に忘れ去られてゆく。そし
て、1977 年以降ボーヴの作品はすべて再刊され、各地の大学で
は、ボーヴ研究が活発に行われている。そのような作家を論じ
ようとする時、必ずしも代表作とは言えない小品『ベコン=レ=
ブリュイエール』(1927 年)を取り上げるのがよいかどうか、
確信はない。しかし、どこからともなく現れたこの作家に対し
ては、
「移民」なり「郊外」なり、何らかの場を与えてみなけれ
ばならない。ボーヴ文学の特異性が浮かび上がるとすれば、そ
れは、少なくとも手がかりはある本書のような作品を、それが
書かれた時代に送り返し、そこから逃れようとする言葉を捉え
直してからのことだろう。
発表の前半では、まず本書が書かれた当時の状況を確認して
から、ヴァージニア・ウルフの「意識の流れ」にも比べられる
ボーヴ独自の文体の特徴を分析する。リアルな観察力と温かな
想像力とが同居した文体である。著名な作家による「フランス
の肖像」叢書の一冊として発表された本書は、その奇抜な設定
がスキャンダルを呼んだいわく付きの本なのだが、何の変哲も
ないパリ西郊の一地区ベコン=レ=ブリュイエールを「究極の郊
外」
(ペーター・ハントケの表現)に変えたのは、その文体であ
る。続いて後半では、出版部数の多い作家ではあったが文壇か
らは冷遇されていたボーヴを評価しようとした唯一の評論家、
マルセル・アルランのボーヴ評を取り上げる。NRF掲載の論
文「新世紀病」で名を上げたアルランは、ちょうど本書が出版
された年に、郊外生活についての卓抜なエッセー『心が通じ合
うところ』を上梓している。意外かつ興味深いつながりだが、
これを見過ごしたアルランは、
『ベコン=レ=ブリュイエール』
のすぐ後に発表された小説に対する書評の中で、ボーヴ固有の
レアリスムに気づきながらも、理論化には失敗している。題に
反して実は閉鎖的なアルランの郊外に比べれば、ボーヴの郊外
は、私的なのに世界に開かれてある。人間相互の理解不能性を
描き続けた作家は、あるゆる種類の人々がひしめきあっていた
両大戦間のパリを避け郊外に逃れることで、想像の赴くままに
書くことの安らぎを見出していたのかもしれない。ボーヴのベ
コン滞在は一年にも満たず、これは奇跡的な書物である。
(早稲田大学非常勤講師)
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