日本の「健康社会格差」の実態を知ろう

日本の「健康社会格差」の実態を知ろう
研究成果の報告|平成 21~25 年度文部科学省科学研究費
新学術領域研究(研究領域提案型)
現代社会の階層化の機構理解と格差の制御:社会科学と健康科学の融合(略称「社会階層と健康」
)
康社会格差の実態とメカニズムを調査しました。
はじめに
その 5 年間の研究成果の一端をご紹介します。
人生は公平ではありません。生まれ育った家庭や
地域などの環境で人生が左右されることを、私た
ちは経験から知っています。本人の努力以外の要
職業階層と健康の社会格差
因が、学歴や職業、所得に影響を与えます。社会
肉体労働や事務職などの人たちと、企業の管理職
には恵まれている人・いない人の格差があります
や役員などの人たちの間には、所得の格差に加え
が、私たちはやむを得ないこととして、不公平を
て、健康の格差が存在します。歴史的に階級社会
受け入れています。格差のない社会をつくること
とされるイギリスの男性公務員では、40~64 歳
はできないし、そうすることが正しいのかもわか
の事務補助職の死亡率は、管理職の4倍にのぼり
らないのだ、と――。
ます2。しかも、2 番目の階層の健康状態はトッ
しかし、健康にも格差が生じているとしたら、
プ層より悪く、3 番目の階層の健康状態は 2 番目
どうでしょうか。生まれた家庭や就いた職業によ
の階層より悪いというぐあいに、階層と健康状態
って、病気のリスクや寿命にも格差が生じている
の関係は階段のようになっています。つまり、社
のだとしたら……?
会格差は、中間層の健康もむしばむのです。
格差が小さいといわれていた日本でも、近年、
「健康の社会格差」の存在が、明らかになってい
図 1.
社会階層と健康の関係|概念図
ます。たとえば、教育年数が短い人は、教育年数
が少ない人は、所得が多い人より、死亡リスクが
1
2 倍近く高い という現実があります。
の土台です。健康の社会格差を小さくする方法は
ないのでしょうか。
学歴や職業、所得などの社会階層と健康に関す
→
健康は、私たちが豊かで幸福な人生を送るため
健
康
状
態
←
良
い
が長い人より、死亡リスクが約 1.5 倍高く、所得
悪
い
低
低~中
中
中~高
高
社会階層(学歴、職業、所得など)
る研究は、歴史的に社会格差の大きいイギリスや
アメリカを中心に発展し、日本国内の実証データ
日本にも職業階層による健康格差があります。
は少ないのが現状です。そこで、平成 21~25 年
たとえば、事務職の人は、管理職の人より、主観
度文部科学省科学研究費による新学術領域研究
的健康度が約 2.6 倍悪いことがわかっています3。
(略称「社会階層と健康」)では、社会科学と健
この度の新学術領域研究では、企業規模や正規・
康科学の多分野の研究者が協力し、日本国内の健
非正規の雇用形態を考慮した研究を行いました。
■非正規雇用と中規模企業でストレスが強い
マネジメントが重要といえそうです。
企業・官公庁に勤める男性約 9,500 人、女性約
7,700 人のデータを分析し、雇用形態や企業規模
と、ストレスとの関連を調べたところ、男性では
パートタイマー、女性では派遣・契約社員が、最
4
所得階層と健康の社会格差
アメリカでは、所得が最も少ない層の死亡リスク
も高い割合で心理的ストレスを感じていました 。
は、最も裕福な層の4倍にのぼります6。そして、
現在、労働者全体の約 35%、1,800 万人超が非正
中間層の死亡リスクも富裕層に比べて高くなっ
規雇用者です。非正規雇用者に対する企業の福利
ています。日本の所得格差はアメリカほど大きく
厚生は手薄であるため、非正規雇用者の健康問題
はありませんが、日本人の所得と健康の関係にも
は新たな課題となっています。
同様の格差が存在します。
企業規模とストレスの関係では、一般的に小規
模企業ほど従業員の所得は低いため、小規模企業
■家計支出が多いほど、栄養摂取が良好
でストレスを抱える人が多いと想定されます。し
海外では貧しい人ほど栄養状態が悪いことが知
かし、この度の研究結果では、男性では中規模(従
られています。飽食の国といわれる日本ではどう
業員数 300~999 名)の企業に勤めている人が、
でしょうか。男女それぞれ約 11,000 人のデータ
最も高い割合でストレスを感じていました。中規
を、家計支出額の多寡で4つの階層に分けて分析
模企業では、小規模企業ほど社員間の親密さがな
しました7。家計支出が多いほど、総エネルギー、
く、また大規模企業ほど制度面が整備されていな
脂質、タンパク質、炭水化物、カルシウム、ビタ
いことなどが原因かもしれません。メンタルヘル
ミン、食物繊維などを多くとっていることがわか
ス対策では、非正規雇用と中規模企業の労働者を
りました。また、多くの栄養素で、家計支出が多
重視する必要がありそうです。
いほど、厚生労働省による「日本人の食事摂取基
準」の推奨量を摂っている人の割合が高くなって
■仕事のストレスと脳卒中の発症リスク
いました。
慢性的なストレスはさまざまな病気のリスクを
上げるため、仕事のストレスが大きい人の健康度
■家計支出と心臓病などのリスクの関係
は悪くなる傾向があります。仕事から受けるスト
上記の研究から、家計支出が少ないほど栄養摂取
レスが、脳卒中の発症と関連しているかを調べる
状態が悪いことがわかりました。では、家計支出
ために、
全国 12 か所の自治体に住む男性約 3200
が少ないほど病気になりやすいのでしょうか。40
5
名、女性約 3400 人を 11 年間追跡しました 。
その結果、仕事のストレスが小さい男性に比べ、
~64 歳の男性 2700 人と女性 3700 人のデータで、
家計支出額の多さによって肥満、高血圧、脂質異
仕事のストレスが大きい男性は、脳卒中のリスク
常症、糖尿病の割合が異なるかを分析しました8。
が約 3 倍高いことがわかりました。ただし、この
これらの症状は心臓病や脳卒中などの循環器疾
関係は、ホワイトカラーと管理職では見られず、
患につながるリスク要因です。
ブルーカラーと非管理職の男性でのみ見られま
男性では、家計支出との関係は見られませんで
した。また、仕事のストレスの小さい女性管理職
した。一方、女性では、家計支出が少なくなるほ
に比べ、仕事のストレスの大きい女性管理職は、
ど、心臓病や脳卒中などの循環器疾患のリスク要
脳卒中のリスクが約 5 倍高いという結果でした。
因を持つ人の割合が高いことがわかりました。女
男性ではブルーカラーと非管理職の人たちで、
性の方が家計支出の少なさによって生活に影響
女性ではストレスの大きい管理職で、ストレス・
を受けやすいのかもしれません。
この他にも国内外の研究から、職業や所得の階
主な要因と考えられています。加えて、他人と比
層と、健康状態との関連が明らかにされています。
べて自分は豊かでないと感じる「相対的剥奪感」
では、なぜ、職業階層や所得と、健康状態が関係
(後述)によるストレスもあります。慢性的なス
するのでしょうか。社会階層が健康に影響するメ
トレスは、ホルモン分泌や自律神経のバランスを
カニズムがわかれば、その経路を断つことにより、
崩し、病気のリスクを上げます。近年では、慢性
健康の社会格差を小さくすることができます。社
的なストレスが脳の構造や機能を変えることも
会階層が健康に影響する経路には、次のようなも
わかっています。
のが考えられています。
新学術領域研究では、研究協力者に課題を解い
てもらった成績と、課題を解いているときの脳の
なぜ学歴や所得と健康状態が関係するか
機能を測定する神経画像法を用いて、ストレスの
影響を調べました14。その結果、慢性的に強いス
■物質的な制限
トレスを感じている人の脳では、目的に応じ柔軟
まず、収入が少ないと健康維持に必要な物やサー
に意思決定し行動するための脳部位の機能不全
ビスを十分に購入できません。
が見られました。また課題成績からも、ストレス
また、医療へのアクセスでも格差があります。
度が高い人は、状況に応じた柔軟な意志決定能力
日本は国民皆保険制度により、すべての国民が少
が低下し、習慣的な行動を続けてしまうことが示
ない自己負担で医療を受けることができるはず
唆されました。つまり、慢性的なストレス度が高
ですが、現実には約 160 万人の無保険者がいると
いと、脳の機能不全によって、健康に悪い生活習
9
推計されています 。加えて、保険加入者の中に
慣を改めることが難しくなり、酒やたばこといっ
も、所得や学歴による医療アクセスの格差があり
た嗜好品への依存などを習慣的に続けてしまう
ます。所得の少ない人や教育年数の短い人たちは、
可能性があるということです。しかし、ストレス
病院での受診を控えたり、健康診断を受けない傾
度が下がると、脳の機能は回復する15ため、スト
向があります1011。この度の新学術領域研究で
レスを慢性化させないことが重要です。
は、男女約 3400 人の回答の分析により、病院の
外来受診と入院が所得の多い人に偏り、所得の少
■人間関係
ない人では受診控えが多いことがわかりました
先行研究から、人間関係が豊かな人は風邪を引き
12
。また、健康診断の受診について男女約 4,300
にくく16、死亡率が低い17ことなどがわかって
人の回答を分析したところ、パート、アルバイト、
います。反対に、人間関係のネットワークが小さ
自営業者などで健診の受診率が低いことがわかり
いと、他者からのサポートが少なくなるなどの要
13
ました
。このような医療サービスの利用抑制が、
健康悪化に影響している可能性があります。
因で、健康状態が悪くなります。過去の研究から、
社会階層が高い人ほど人間関係が豊かなことが
では、図 1.のように、健康を維持するのに十
知られており、この度の新学術領域研究でも、学
分なお金のある中間層においても、健康格差の勾
歴・職業階層・所得が高い人ほど友人や仕事仲間
配があるのは、なぜでしょうか?
が多い傾向が確認されました18。また、国内の高
齢者の男性約 6,500 人、女性約 6,800 人を約 4
■ストレス
年間追跡したところ、友達との交流が少ない人は
一般的に職業階層が低いと仕事のストレスが大き
死亡リスクが高いことも確認されました19。
くなります。職業階層が下がるにしたがい、仕事
の裁量と、努力に対する報酬が小さくなることが
■生活習慣
社会階層が高い人ほど、健康に良い行動をとるこ
環境なども、健康格差の要因と考えられています。
とがわかっています。新学術領域研究では、約
3,400 人の回答をもとに、学歴、所得と運動習慣
の関係を分析したところ、学歴や所得が高い人ほ
ど、運動習慣があることがわかりました20。また、
21
高齢者約 580 人の回答を分析した研究
でも、
相対的剥奪感と健康の社会格差
次の2つの状況のどちらがよいと思いますか?
A.
自分の年収は 500 万円で、周囲の人の年収は
学歴が高いと食品摂取のバランスがよいという
結果でした。反対に、社会階層が低い人では、喫
300 万円
B.
自分の年収は 1,000 万円で、周囲の人の年収
煙率が高く、運動習慣が少ないなど、健康に悪い
生活習慣の多いことが、過去の研究からわかって
います。
は 2,000 万円
周囲より相対的に所得が多い A.を選ぶ人が多
いのではないでしょうか。人間は社会の中の自分
の位置を常に意識しています。そして他人に対し
■相対的剥奪感、ソーシャル・キャピタル、
胎児期・子供時代の環境
劣等感を抱き、ストレスを感じます。慢性的なス
トレスが病気のリスク要因となるのは前述の通
しかし、統計学の手法で生活習慣の影響を取り除
りです。
「病は気から」といいますが、他人と比べ
いて解析しても、健康格差は依然として存在しま
て自分は豊かでないという劣等感(相対的剥奪感)
す。
「生活習慣が悪いのだから、病気になるのは自
は、現実に健康をむしばむ可能性があります。こ
分のせいだ」と自己責任論で片づけることはでき
れは「相対的剥奪仮説」と呼ばれています。
ないのです。生活習慣は社会階層による健康格差
の2~3割しか説明できません22。これから紹介
■所得の劣等感が強くなると、死亡率が上昇
するように、劣等感(相対的剥奪感)や地域の絆
アメリカの研究で、自分と学歴などが似た人たち
(ソーシャル・キャピタル)
、胎児期・子供時代の
との間に、所得の格差を強く感じるほど、抑うつ
社会階層が健康に影響するメカニズム
物質的な制限がある
 低所得で物やサービスを購入できない
 医療へのアクセス抑制
ストレスが大きい
個人・家族の
学歴、職業、所得
などの社会階層が
低いほど……
 仕事の裁量と努力への報酬が小さい
 他人と比べた劣等感、相対的剥奪感
人間関係が乏しい
孤立しやすく、サポートが少ない
健康状態の悪化
寿命が短くなる
健康に悪い生活習慣
胎児期・子供時代の
低栄養、逆境体験による
ストレスの長期的影響
ソーシャル・キャピタル
地域などのコミュニティーの信頼感、
協調性、結束力など
状態などの割合や死亡率が上がることが示され
ています
2324
スもあります。お互いに信頼し合い助け合うコミ
。日本人を対象とした先行研究で
ュニティーは暮らしやすい一方で、互いへの不信
も、主観的健康感や高齢者の機能障害で同じこと
感が強いコミュニティーではストレスを感じ暮
が確認されています2526が、死亡率との関係を
らしにくいものです。先ほど、人間関係が豊かな
調べた研究はありませんでした。
人は健康状態がよい傾向があることを紹介しま
そこで、高齢者約 16,000 人を約 4 年間追跡し
したが、個人が持つ人間関係だけでなく、地域や
ました。自分と同じ性・年齢階級・居住市町村の
職場などのコミュニティーの信頼感と健康状態
人たちの平均所得と、自分の所得との間に感じる
との関連も報告されています。
差が1単位増えると、男性の死亡リスクが 1.2 倍
27
に上がることがわかりました
コミュニティーの信頼感や結束力、協調性など
。一方、女性でも
は、近年、「ソーシャル・キャピタル(社会関係
死亡リスクが少し上がりましたが、統計学的に意
資本)」と呼ばれ注目を集めています。ソーシャ
味があるほどの差ではありませんでした。女性よ
ル・キャピタルは、私たちが「地域の絆」や「ご
りも、男性の方が、周囲の人との所得の差を気に
近所の底力」などと呼んできたものと同じと考え
病み、そのストレスの健康への影響が強い可能性
てよいでしょう。ソーシャル・キャピタルが豊か
があります。
な地域では、主観的健康感が良好29で、死亡率30
や精神病の有病率31、犯罪率32が低いなどの報
■所得格差の大きい都道府県ほど、
健康感と幸福感が低い
告が多数あります。
反対に、格差の大きい社会では、前述のように
イギリスやアメリカなどの格差の大きい国では、
人々は相対的剥奪感にさいなまれ、さらには信頼
所得格差の大きい地域に住んでいる人に不健康
感が低下しソーシャル・キャピタルが損なわれま
な人が多いことがわかっています。格差が大きい
す。そのような安心できない社会では、効率が落
ほど、他人との間に感じる差も大きくなり、スト
ち、犯罪も増えます33。そして、社会階層の下層、
レスが強くなることが一因と考えられます。日本
中間層だけでなく、高階層の人々の健康も危機に
でも同じ傾向があるのでしょうか。
さらされます。相対的剥奪やソーシャル・キャピ
国内の約 4,500 人を分析したところ、所得格差
の大きい都道府県ほど、住民の主観的健康感と幸
タルの仮説が正しければ、格差の拡大によって、
すべての階層の人々の健康がむしばまれるのです。
福感が低いことがわかりました28。特に、就業状
態が不安定な人において、地域の格差が主観的健
■地域の絆と高齢者の機能障害
康感と幸福感に与えるマイナスの影響が強いこ
この度のソーシャル・キャピタルに関する研究で
とがわかりました。先行研究から、主観的健康感
は、国内の高齢者の男性約 7,000 人、女性約 7,600
が低い人ほど、実際の健康状態も悪いことが知ら
人を 4 年間追跡しました34。
「たいていの人は信
れています。この研究から、日本においても、住
じられると思いますか?」との問いに「いいえ」
んでいる地域の所得格差が大きいと、住民の健康
と答えた人が多い地域では、
「はい」
「場合による」
状態が悪くなる危険性が示唆されました。
と答えた人の多い地域より、女性で身体面・認知
面の機能障害になる人の割合が約 1.7 倍高いこと
ソーシャル・キャピタルと健康の社会格差
がわかりました。信頼感が薄い地域では、女性の
高齢者は要介護になりやすいという結果です。一
地域の格差が大きいと、前述のような劣等感に加
方、男性では、この関連は見られませんでした。
え、他人への不信感が強くなることによるストレ
高齢女性の介護予防には、住民の交流事業など、
地域の信頼感や絆を生み出す取り組みが有効か
ら糖尿病になるリスクが高いことなどが知られ
もしれません。
ています39。日本においても、どの地域、どの家
庭に生まれたかによって、将来の病気のリスクが
胎児期・子供時代の環境と健康の社会格差
左右されている可能性があります。
親の職業階層や所得が低いことで、子供が胎児期
■子供時代の貧しさや逆境体験の人生への影響
から幼少期にかけて低栄養やストレスにさらさ
日本の子供の貧困率は先進国の中でも高く、上昇
れると、その健康への悪影響は長期におよびます。
を続けています。約 7,000 人の回答を分析した研
海外の研究では、幼少期に家庭の社会階層が低い
究40で、15 歳の時に家族の所得が低かった人は、
と、大人になってからの心臓病や脳卒中、肺がん、
その後に低学歴、貧困になるリスクが高く、成人
胃がんなどの死亡率が高いことがわかっていま
後の幸福感と主観的健康感も低い傾向が明らか
353637
す
。人生のスタートラインから健康の格差
が始まっているのです。
になりました(図3.)。しかも、成人後の貧困、
幸福感、健康感の低さの要因の大部分が、子供時
代の貧困であることがわかりました。具体的には、
■地域の所得格差、父親の学歴と、子の発育
成人後の貧困の要因のうち 75%が、子供時代の
日本では低体重で生まれる子供が増えています。
貧困でした。成人後の幸福感と健康感の低下につ
胎児の発育と格差・階層との関係を調べるために、
いても、それぞれ 65%と 87%が子供時代の貧困
2001 年に生まれた新生児約 4 万人のデータを分
が直接の要因でした。子供の貧困のその後の人生
38
析しました
。その結果、ジニ係数が高い(つま
り所得格差が大きい)都道府県では、子供が低体
への影響は非常に強いということです。
図3.
重で生まれるリスクが高い(約 1.2 倍|図 2.
)こ
子供時代の貧困が人生に及ぼす影響
とがわかりました。特に父親の学歴が低い家庭で、
子供時代の貧困による直接の影響
住んでいる都道府県の所得格差が大きいと、子供
の出生体重が小さい傾向がありました。
図2.
子
供
の
低
出
生
の
リ
ス
ク
所得格差と低出生のリスク
1.24
1.23
1
子
供
時
代
の
貧
困
の
影
響
(
%
)
10
5
75%
0
65%
-5
-10
-20.8
-15
-20
-25
大卒
低
中
高
都道府県のジニ係数(所得格差)
Fujiwara T et al., 2013,
Am J Epidemiol, 15;177(10):1042-52.をもとに作図
出生体重の小さかった子供は、大人になってか
87%
貧困
幸福感
健康感
Oshio T et al., 2010, SocIndis Res, 99:81-99.をもとに作図
 子供時代に貧困だと、そうでない場合に比べ、大学を
卒業する確率が 20.8%低下する。
 子供時代に貧困だと、成人後に貧困状態に陥る確率が
4%高くなる。そのうちの 75%は子供時代の貧困によ
る直接的な影響である。
 同じく、子供時代に貧困だと、成人後に幸福と感じる
確率は 9.4%低くなり、健康だと感じる確率は 11.7%
低くなる。そのうち子供時代の貧困による直接の影響
は、
それぞれ 65%と 87%で大きなウェイトを占める。
らしは困難な状況が続いています。
わが国では児童虐待の報告件数も増加してい
ます。約 3,300 人の回答を分析したところ、虐待
私たちにできること
やネグレクト(育児放棄)、学校でのいじめの経
験者では、学歴や所得が低くなったり、人間不信
あなたは日本にどんな国であってほしいでし
になり他者からのサポートを受けにくくなるこ
ょうか。格差が小さく、ストレスが少なく、信頼
とによって、大人になってからの幸福感、健康感
感・安心感のある、健やかに暮らせる社会を望み
が低下していました41。しかし、学歴や所得、サ
ませんか。日本は先進国の中でも長寿の国で、安
ポートの程度による影響以上に、子供時代のつら
心して暮らせる社会といわれてきました。その日
い経験そのものの影響が大きく、大人になってか
本の良さを損なわないために、私たちにできるこ
らの幸福感、健康感を直接的に低下させていまし
とは何でしょうか。
た。また、たとえ大人になってからの所得やサポ
健康社会格差によるダメージから、自分や大切
ートの状態が良好でも、子供時代のつらい経験の
な人の健康を守るには、
「ストレスと上手につきあ
影響が弱まるわけではないこともわかりました。
う」
「人間関係を豊かにする」「健康に悪い生活習
子供時代に貧困や虐待を経験した人を、大人に
慣を改める」
「地域や職場のコミュニティーの絆を
なってからサポートするだけでは不十分です。子
大切にする」こと。そして、
「健康を損なったのは
供の貧困や虐待、いじめそのものを減らす対策が
自分が悪い」と自己責任で片付けないこと。私た
必要といえます。
ちの健康問題の根底には、本人の努力ではどうす
ることもできない社会的な要因があります。した
がって、国の政策として取り組むべきこともあり
東日本大震災被災者の調査
東日本大震災で被災し、大槌町仮設住宅に入居し
ます。
生活に困るほど所得が少ない人たちの健康は、
ている方々約 300 人に、
質問調査を行いました42。
低所得による物質的な制限と、相対的剥奪による
「暮らし向き」(生計面)については、被災前か
心理的ストレスの二重でダメージを受けていま
ら厳しいと感じていた人が 4 割以上(42.3%)と、
す。政策として、最も所得の少ない層への重点的
被災前から貧困の問題が広がっていたことがわ
な支援が必要です。特に子供のいる貧困層への重
かりました。また、被災後の暮らし向きが厳しい
点的支援により、生まれたときから始まっている
と答えた人は 7 割以上で、手取り月額が 10 万円
健康の社会格差を解消しなくてはなりません。
未満の割合は全体の約 4 割にのぼりました。特に
所得格差の拡大を防ぐことも重要です。日本の
20 歳代~40 歳代で、暮らし向きが厳しい人の割
ジニ係数(2011 年)は 0.38 ですが、ジニ係数が
合が高いことがわかりました。
0.3 を超えると、0.05 上がるごとに、
死亡率が 9%
心の平穏についての調査結果をあわせると、5
増えるとの推計があります43。日本の死亡者数は
割以上の人が暮らし向き、気持ちの両方で問題を
年間約 120 万人ですから、死亡率の 9%の増加は
抱えていました。復興事業が被災者一人ひとりの
約 11 万人の死亡者増加に相当します。この 11
生活と心の再建までは及んでいない現状がうか
万人の死亡者の中には、貧しい人もお金持ちも含
がえます。被災者への医療費の減免は 2012 年 9
まれます。貧困層を支援し、所得格差の拡大を防
月で打ち切られましたが、自由回答欄で最も多か
ぐ政策は、あなた自身を含む国民全員の健康を守
ったのは、医療費の免除を続けてほしいという訴
ることにつながります。
えでした。被災から 3 年目の今も、被災地での暮
自分とは異なる立場・階層にいる人を思いやる
想像力と、努力しても抜け出せない困窮にある人
を助けようとする政策が、すべての人の健康と幸
福につながる――そんな未来を、「社会階層と健
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