未修者問題 - 白鷗大学法科大学院

白鷗大学大学院法務研究科
(白鷗大学法科大学院)
平成 22 年度 12 月一般入試
入 学 試 験 問 題
法学未修者用
白鷗大学法科大学院 12 月一般入試問題
以下の問題すべてについて答えなさい。(180 分)
【問題 1】
文化・伝統・習俗の継承について論述せよ。
【問題 2】
次の文章を読んで後記問1ないし問3について答えなさい。
「人間を押しつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも
彼を殺すのに十分である。
」
ひもと
紙片にこう書きつけたパスカルを 繙 くまでもなく、人間は弱い。ほとんどの獣に素
手で向かうことはできないし、蛇や百足のような小さな生き物にもひるむ。天地の異変
に翻弄され、内では小さな病や心の痛手にすぐうろたえ、ときに深く傷ついてしまう。
人間がその〈弱さ〉を知り、そのための手はずを整えるというのは、人類としてはき
わめて原始的な段階ですでに見られたことである。個別にではなく共同で事に当たる、
安全なベースキャンプを作る、生産と分業と交換システムを編みだす……。
たとえば、一つの野菜を手に入れるためにも、耕作をしなければならない。そのため
に水を引いてこなければならない。家畜の力も借りねばならない。耕作するにはどうし
ても鋤や鍬が要る。そしてそれを作る職人を、さらにそのために金属を溶出する工人も
当てにせざるをえない。水路を造るひと、家畜の世話をするひとも要る。もちろん、耕
作するだけでは生きられない。代わりに食事を作るひと、子どもや病人の世話をしてく
れるひとが要る。さらに食器や衣料や家具を作ってくれるひとが要る。その材料を作る
人も要る。それを手に入れるためには、おのれの耕作物と交換しなければならない。交
換のためにいちいち仕事を休むわけにもいかないから、交換サーヴィスを引き受ける商
人が要る。そこから得た手数料で商人たちはこんどは自身の生活財を手に入れる……。
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ただ耕作という仕方で安定した食材一つを得るためにも、これほど複雑なひとびとの連
繋と相互依存が前提となる。
古代ギリシャの犬儒派に属するディアゲネスは、何の不足もなく、何も要らないのが
神というものであって、ひとは必要とするものが少なければ少ないほどそれだけ神に近
づくとし、
「最低生活」、つまり必要最小限の生活を理想とした。田中美知太郎はその論
文「最も必要なものだけの国家」のなかで、「ただ一枚の衣をまとい、ただ一個の袋を
携えるのみで、身体が衰えてからも、わづかに一本の杖をこれに加えただけだと言われ
ている」ディオゲネスに冷や水を浴びせているかのように、こう書いていた。
彼がそこにおいて、必要やむを得ないものとして、保留しなければならなかったのは、
いったい何であったろうか。それは一枚の衣と一個の頭陀袋であり、なおこれに一本の
杖や酒瓶や住居が加わるであろう。これは僅かなものではあるが、決して単純なもので
はない。彼の衣は誰が作ったのであろうか。彼はこれを何処から得たのであろうか。頭
陀袋とて同じことである。またその中には、主として食糧が入れてあったと思われるの
であるが、それは何処から得られ、何人がこれを作ったのであろうか。酒瓶に至っては、
私たちは背後に、葡萄酒の醸造や陶器の製造を考え、更にまたアテナイの海上貿易まで
想像しなければならない。またその食料とても、彼が若い時に見すてて来た、黒海沿岸
地方から輸入されたものであったかも知れない。
賢者の自足性とは何であろうか。彼はそれらのすべてを自給自足しなければならない
のであろうか。しかし彼は、その耕作法を誰に学び、その種子と農具を何処から得、何
人の土地にそれを試みんとするのであるか。私たちは犬儒派の簡易生活といえども、極
めて複雑な社会的関連のうちに組織されているのを知らなければならない。かくて、私
たちが到達したと信じた確実性の一点は、忽ちにして無限の複雑性を持つ延長と化して
しまうのである。
田中はここから、「一緒に住むこと」(シュノイキスモス)、つまりは〈共生〉を不可
避の条件とする人間にとって、この膨張する共生が必然的に生み出す国家社会について
「最も必要なものだけ」というのはどういうことかを問いつめてゆくのだが、私が今論
じたいのはそういうことではない。
わたしがここで、まるで寓話のような、単純にすぎる物言いからはじめたのは、人間
にとってその存在のもっとも基底的な条件とでもいうべきこの〈共生〉という事態、と
りわけ相互に依存しないでは何一つできない、そういう人間の〈弱さ〉が、この社会で
どれほど見えにくくなっているかを際だてたかったからだ。
相互依存(interdependence)
、それはあまりにあたりまえすぎる事実だと言ってよい。
個人として生きるというのは、じぶんの面倒をじぶんで見るということだ。食べたい物
を食べ、入浴したい時に入浴し、見たいものを見る。そういうセルフ・ケアが独力でで
きなくなったときは(すでに見たように、そういうセルフ・ケアも実際は見かけのうえ
でしかなりたっていないのだが)、他人の手を借りるしかない。これもあたりまえのこ
とだが、それが今の社会のようにひひとびとの協働体制が果てしなく複雑に機構化され
て
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くると、他人の手を借りていることじたいも見えにくくなる。
調理、排泄物処理、洗濯、縫い物、看病、出産、介護、葬送、教育など、ひとつの生
命にかかわるもっとも基本的な営みは、かつては家族や地域の共同の営みであった。が、
そのほとんどは、「近代化」の駆動とともに、家庭の外部にある、あるいは地域を超え
た、公共制度やサーヴィス期間によって代行されるようになっていった。「必要」への
かかわりを最小限にすることで個人の「自由時間」を増大させるという意味では、人類
は皮肉にもディオゲネスの「簡易生活」の理想に技術の進化で応えた、と言えるかもし
れない。
が、「必要」事を敷いている生命上の「欠乏」がそれで消えたわけではない。震災時
のようにこうした公共的なサーヴィス機能が停止し、遮断されると、たちまち個人のセ
ルフ・ケアが不能になるから、やはり生命維持をめぐる最低のセルフ・ケアは独力でで
きる訓練をしておかなければならない……と、ここで言いたいのではない。そうではな
くて、かつて家族や地域が持っていた〈共同〉の機能が、その細部まで中央管理的なシ
ステムに吸い上げられることで急速に痩せ細ってきたという事実を言いたいのだ。それ
を言いかえると、「生活の標準化」というかたちで家族が国家による個人管理の細胞と
しての機能を果たす場へと鞍替えし、「私的なものの抵抗の拠点」としての反対ベクト
ルの力を削がれてゆくプロセスなのでもあった。そういう〈共同〉の営みとしての家事
一つとっても、その合理化、たとえば電化、サーヴィス商品化によって家事労働への幽
閉からの婦人の解放を促進はしたが、他方で女性の社会性が家事以外には非労働の場
(サークルやクラブ)でしか確認できないような状況がずっと続いてきたわけで、その
点からすると、家事の外部化以上に、「共同家事」や「家事空間の共有」というかたち
でいわば〈共同〉の視点から同じ目的を追求する道があったはずだ。
〈共同〉の力を削いでゆくこのプロセス福祉政策というより大きな〈共同〉の衣をま
とうことでその実「弱い者」をさらに弱体化してゆくプロセスであった。扶養する者―
扶養される者、保護する者―保護される者というかたちで、家庭や福祉施設や学校を一
方的な管理のシステムとして再編成し、「弱い者」を管理されるものという受動的な存
在へと押し込めることになった。女性も老人も子どもも、その対抗性、破壊性を封印さ
れ、「可愛い」存在であることでしか安寧を約束されないという体制が社会に浸透して
いった。そうなりたくなければ「がんばれ」、というわけだ。
「がんばれ」というのは、「強い」主体になれということだ。「強い」主体というのは、
みずからの意思決定にもとづいて自己管理ができ、自己責任を担いうる主体のことだ。そ
ういう「自立した自由な」主体が、社会の細胞として要請される。それ以外の者は、
「社会
にぶら下がる」ことでしか生きられない保護と管理の対象とみなされる。そしてそういう
「自立した自由な」主体を想定して、近代の法制度は作られてきた。そういう合理的に行
動する市民的個人を前提として、近代経済学はつくられてきた。
しかし、「自由」というのは、「自立」を、つまりは自己決定と自己管理と自己責任を引
き受けうるということを必ず前提とするものだろうか。各人が自分の主人であること、そ
ういう意味で、決定と責任の主体でありうるような自己完結した存在の想定なしには不可
能なことだろうか。
「自由」の概念は、社会の因襲的なくびきから解放された「リバティ」
の意識として歴史的には深い意味があったが、「自由」にはもう一つ、「リベラリティ」と
いう言い方がある。「気前のよさ」という意味だ。「じぶんが、じぶんが……」といった不
自由から自由になることと言い換えてもよい。「自己実現」とか「自分探し」というかたち
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で、より確固ある自己を求めるひとが、同時にひりひりととても傷つきやすい存在である
ように見えるのは、無償の支えあいという、この「気前のよさ」へと放たれていないから
かもしれない。「自立」がじつは「孤立」としてしか感受しえないのも、「支えあい」の隠
れた地平、つまりは家族や地域といった中間世界がこの社会で確かなかたちを失いつつあ
るからかも知れない。
支える―支えられるという関係はつねに反転する。別の言い方をすれば、依存は「ぶら
下がり」ではないし、更には一方的なものでもない。依存はつねに相互的である。
たしかに介護や育児においては「支え」は一方的に見える。そしてその反転は「支えあ
い」というかたちではなく、サーヴィス(世話)がサーヴィチュード(隷属)に裏がえる
という悲惨なかたちでしか起こらないかのように見える。が、ケアが最も一方通行的に見
える「二十四時間要介護」の場面でさえ、ケアはほんとうは双方向的である。子どもを育
てるなかで赤ん坊の笑顔に救われないひとはいないだろう。高齢で、あるいは重度の障害
によってほぼ全面的に他人のケアに依存しているように見えるひとの前でも、いや前でこ
そ、ひとは「強く」あろうとしてこれまで押し込め、押さえつけることしかしてこなかっ
たじぶんのなかの〈弱さ〉に気づき、それに素直に向きあえるようになろう。意のままに
なる「じぶんのもの」でまわりを固めようとしてきた、そういう存在のこわばりがほどか
れるのだ。
あざけ
この背景には、ちょっとした 嘲 りや裏切り、挫折や傷心に今も深く傷ついているわたし
がいる。ひとの思いのずれやもつれのなかで翻弄されてきたわたしがいる。じぶんはほん
とうにここにいていいのかという不安な問いを抱え込んだままのわたしがいる。そもそも
もろ
じぶんが何を望んでいるのかさえ不明であるということもある。そういう「脆い」主体、
じぶんについて不明なものどうしが絡みあい、支えあってきたのが、私たちの共同生活で
ある。
「自己決定」をするには自分に見えないものが多すぎるのであり、自己の存在につい
てすら「責任」をとりきれないのがわたしたちなのだ。老いや幼さだけが、じぶんで背負
いきれないものなのではない。そして、じぶんでじぶんのことが担いきれない、そういう
不完全な存在という意味では、だれもが傷や病や障害を普通のこととして抱え込んでいる
と言ってよい。
「ぶら下がり」というかたちをとらせるケアの制度化によって、ケアの「専
門職」としてその任にあたっているひとは、じぶんが他人によるケアを必要としない「強
い」主体だと、(同じくこの制度によって)「弱い」とされているひとの前で思い込むにす
ぎない。
傷や病や障害を「欠如」としてとらえるのではなく、それをまず「普通」と考え、そう
いう〈弱さ〉の「ほうから「財と権利と尊厳の分配システムの基本原則の修正」を図るこ
とがいま求められているのだろう。そういう視点からすれば、いま立ち上がりつつある「ケ
ア学」や「障害学」などの試みも、
「被介護者」や「障害者」の権利擁護や固有性の主張と
いう以上に、
「健常者」にとって生きやすい社会とはどういうものかという問いを反照的に
立てるものであるはずだ。
出典:鷲田清一ほか著『大人のいない国』
(プレジデント社[2008 年]より抜粋引用・一部改編)
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問1
筆者が指摘する人間の〈弱さ〉と〈共生〉の関係を 300 字以
内で説明しなさい。
問2
現代社会において、個人が抱え込むに至った〈弱さ〉とはど
のようなものであるかを説明し、かつ、その原因は何である
かを 800 字以内で論じなさい。
問3
社会が、自立した自由な主体で構成されるとする考え方と、
他社に依存する弱い者で構成されるとする考え方とでは、ど
ちらの考え方に拠った方がより良い社会を作ることができる
と思うか、具体例をあげて1200字以内で述べなさい。
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白鷗大学大学院法務研究科
(白鷗大学法科大学院)
平成 22 年度 一般
入 学 試 験 問 題
法学未修者用
白鷗大学法科大学院 一般入学試験問題
以下の問題すべてについて答えなさい。(180 分)
【問題 1】
有償と無償について論じなさい。【40点】
【問題 2】 【配点 60 点】
次の文章を読み、以下の問に答えなさい。
朝だ。
しずかな海に、みずみずしい太陽の光が金色にきらめきわたった。
岸からやや離れた沖合では、一隻の漁船が魚を集めるための餌を海にまきはじめる。
すると、それを横から失敬しようという<朝食の集い>の知らせが上空のカモメたちの
間にすばやくひろがり、やがて押しよせてきた無数のカモメの群れが、飛びかいながら
われがちに食物のきれはしをついばみだす。今日もまたこうして、生きるためのあわた
だしい一日がはじまるのだ。
だが、その騒ぎをよそに、カモメのジョナサン・リヴィングストンは、ただ一羽、船
からも岸からも遠くはなれて、練習に夢中になっていた。
空中約三十メートルの高さで、彼は水かきのついた両脚を下におろす。そして、くち
ばしを持ちあげ、両方の翼をひねるようにぎゅっとねじ曲げた無理なつらい姿勢を、懸
命にたもとうとする。翼のカーヴがきつければきついほど低速で飛べるのだ。そして、
いまや彼は、頬をなでる風の音が囁くように低くなり、脚もとで海面が静止したかと見
えるぎりぎりのところまでスピードを殺してゆく。極度の集中力を発揮して目をほそめ、
息を凝らし、強引に…‥あと‥…ほんの‥…数センチだけ‥‥‥翼のカーヴを増そうと
する。その瞬間、羽毛が逆立ち、彼は失速して墜落した。
1
言うまでもない事だが、ふつうカモメというやつは空中でよろめいたり、失速したり
するものではない。飛行中に失速するなどということは、彼らにとって面目を失うこと
であるだけでなく、恥ずべき行為ですらある。
ところがジョナサンは、恥ずかしげもなく飛びあがると、またもや翼を例の震えるほ
どのきついカーヴにたもち、ゆっくりと速度をおとしてゆくのだった。おそく、さらに
おそく、なおもおそく――――そして彼はふたたび失速し、海に落ちた。どう見てもこ
れは正気の沙汰ではない。
ほとんどのカモメは、飛ぶという行為をしごく簡単に考えていて、それ以上のことを
あえて学ぼうなどとは思わないものである。つまり、どうやって岸から食物のあるとこ
ろまでたどりつき、さらにまた岸へもどってくるか、それさえ判れば充分なのだ。すべ
てのカモメにとって、重要なのは飛ぶことではなく、食べることだった。だが、この風
変りなカモメ、ジョナサン・リヴィングストンにとって重要なのは、食べることよりも
飛ぶことそれ自体だったのだ。その他のどんなことよりも、彼は飛ぶことが好きだった。
そんなふうな考え方をしていると、仲間たちに妙な目で見られかねないことは彼も承
知していた。なにしろ実の両親でさえも、彼が毎日のようにひとりきりで朝から晩まで
何百回となく低空滑空をこころみ、実験をくり返すのを見ては、おろおろしている始末
だったから。
彼は実際、おかしな練習に熱中していた。たとえば、海面からの高さが自分の翼の長
さの半分以下という超低空で飛んだりもするのだ。そうすると、なぜだか理由は判らな
いが高いところを飛ぶ時よりもかえって少い力ですみ、滞空時間も長くなるのである。
また、彼が滑空を終えて着水するときには、両脚を海中に突っこみバシャンと水をはね
あげる普通のやり方ではなく、両脚を胴体にぴったり流線型にくっつけたまま水面に接
触するので、海面には長いきれいな航跡が残るのだった。そのうち、彼が脚をあげたま
まの恰好で浜辺に胴体着陸をおっぱじめたあげく、砂についた白分の滑りあとを歩測す
るような真似までやりだした時には、両親もさすがに呆れかえって、がっくりきたもの
だ。
「なぜなの、ジョン、一体どうして?」母親は息子にたずねた。
「なぜあんたは群れの皆さんと同じように振舞えないの? 低空飛行なんて、そんなこ
とペリカンやアホウドリたちにまかせておいたらどう?それに、どうして餌を食べない
の?あんたったら、まるで骨と羽根だけじゃないの」
「骨と羽根だけだって平気だよ、かあさん。ぼくは自分が空でやれる事はなにか、やれ
ない事はなにかってことを知りたいだけなんだ。ただそれだけのことさ」
「いいかね、ジョナサン」と、説いてきかすような口調で父親が言った。
「まもなく冬がやってくる。漁船も少くなるだろうし、浅いところにいる魚もだんだん
深く潜ってゆくようになるだろう。もしお前がなにがなんでも研究せにゃならんという
んなら、それは食いもののことや、それを手に入れるやり方だ。もちろん、お前の芸、
飛行術とかいうやつも大いに結構だとも。しかしだな、わかっとるだろうが、空中滑走
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は腹の足しにはならん。そうだろ、え?
わたしらが飛ぶのは、食うためだ。ひとつ、
そこんところを忘れんようにな。いいか」
ジョナサンは素直にうなずいた。そしてそれからの数日、彼はほかのカモメたちと同
じようにやってみようと頑張った。実際、彼はやってみたのだ、桟橋や漁船の周囲を、
群れの仲間たちと金切り声をたてて争いながら飛び回り、パンくずや魚の切れはしめが
けて急降下したりしてやってみた。しかし、彼にはやはり無理だった。
こんなことが一体なにになるというんだ、と考えて、彼はやっと手に入れた小イワシ
を追いすがってくる腹ぺこの年寄りカモメにぽいと落っことした。その気にさえなれば、
こんなことをしている間に飛ぶことの研究がいくらでもできるんだ。おぼえなきゃいか
んことは、それこそ山のようにあるというのに!
ジョナサンはふたたび群れを離れた。そしてただ一羽、はるかな遠い沖合で、飢えな
がらもしあわせな気持で、練習を再開した。
さしあたっての課題はスピードだった。だが一週間たらずの練習で、彼は世界でいち
ばん速いカモメよりももっと多くのことを、スピードに関して学び終えたのである。
彼は三百メートルの高さから、力のかぎり激しく羽ばたきながら波間めがけて猛烈な
急降下をやってのけた。そしてその結果、どうして普通のカモメが強烈な加速急降下を
やらかさないかという理由を知った。それをやるとわずか六秒後には、なんと時速百十
数キロに達してしまうのである。そのスピードでは、翼を上にもちあげたとたんに、た
ちまち安定が失われるのだ。
なんども同じ事態が発生した。細心の注意をはらっているにもかかわらず、能力ぎり
ぎりの限界をきわめようとするために、高速時においてコントロールが失われるのであ
る。
まず、三百メートルまで上昇。それから最初に全力水平直進。ついで羽ばたきながら
の垂直急降下に移行。するとかならず左の翼を上にあおったところで動かなくなり、激
しく左へ横転しようとする。そこで右の翼も上にもちあげ、たてなおしをはかる、と、
稲妻のように一瞬はげしく右回りにきりもみ状態となって落下するのだ。彼はこれ以上
慎重にできないくらい慎重に両の翼をあおってみた。だが十回こころみて、十回とも時
速百十キロをこえたとたん、回転する羽毛の塊となり、コントロールを失ってまっさか
さまに水面に激突してしまうのである。
この問題をとく鍵は--と、彼はびしょ濡れになりながら考えた。重要な点は高速降
下の最中に翼をじっと動かさずにいることだ。そうだ、時速八十キロまでは羽ばたいて
も、それ以上になったときは、翼をぴたっと静止させてしまえばいい。
六百メートルの上空からふたたびやってみた。横転しながら降下にはいり、やがて時
速八十キロを突破すると、彼はくちばしを真下に向け、翼をいっぱいにひろげたまま固
定した。これにはものすごい力が必要だったが、効果は満点だった。十秒もすると時速
百四十キロ以上に達し、頭がぼうっとなってきた。まさにその瞬間、彼、ジョナサン・
リヴィングストンは、カモメの世界スピード記録を樹立していたのだ!
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だがその勝利はつかの間のものだった。引き起こしにかかったその時、固定した両翼
の角度を変えようとしたとたんに、彼は以前と同じあの危険な操縦不能の災難にまきこ
まれたのである。それは時速百四十四キロというスピードのまっただなかで、ダイナマ
イトのような打撃を彼にあたえた。そしてジョナサンは破裂したようになり、煉瓦同然
の固い海面に激しく突っこんでいったのだ。
彼が意識をとりもどしたのは、日没後、かなりたってからのことだった。彼は月の光
をあびながら、海上をゆらゆらと漂っていた。両の翼はまるで鉛の板みたいな感じだっ
たが、それよりも、背中にのしかかってくる敗北感の重圧のほうがさらに重かった。彼
は打ちひしがれた心で、いっそのことその重さが自分を海の底まで優しく引きずりこみ、
それで何もかも万事終りということにしてくれたらどんなにいいだろう、と考えた。
やがて彼は水の中にどっぶりつかったまま、うつろに響く不思議な声を自分の内部に
聞いた。どうしようもないことだ。お前は一羽のカモメにすぎない。もともとお前にで
きることには限りがあるのだ。もしもお前が飛ぶことに関して普通以上のことを学ぶよ
うに定められていたとしたら、目をつぶってでも正確に飛べるはずだぞ。それにお前が
もっと速く飛ぶように生れついていたのなら、あのハヤブサみたいな短い翼をもち、魚
のかわりに鼠かなんか食って生きていたはずだ。お前の親父さんが正しかったのだ。馬
鹿なことは忘れるがいい。群れの仲間のところへ飛んで帰って、あるがままの自分に満
足しなくちゃならん。能力に限りのある哀れなカモメとしての自分にな。
その声は次第に薄れていったが、ジョナサンはその通りだと思った。夜、カモメにふ
さわしい場所は岸辺なのだ。いま、この瞬間からおれはまともなカモメになってやるぞ、
そう彼は心に誓った。そうすれば誰もかも、もっと幸せになれるんだ。
彼はやっとの思いで暗い水面から身をひき離し、陸地をめざして飛びはじめた。普通
より楽な低空飛行法を身につけていたのが幸いだった。
しかし、すぐに、あ、こいつはまずい、と彼は思った。おれは今までの自分とは縁を
切ったのだ、習いおぼえた飛び方とも全部おさらばだ。おれはほかのカモメたちと同じ
カモメなんだ、連中と同じように飛ばなくちゃならん。そして彼は苦痛に耐えながら三
十メートルの高度まで上昇し、さらに激しく羽ばたきながら岸へ急いだ。
群れの中の平凡な一羽になろうと決心してしまうと、とてもくつろいだ気分になって
きた。もうこれからは自分を飛行練習へ駆りたてた、あの盲目的な衝動からも解放され、
二度と限界に挑戦したりすることも、失敗することもないだろう。こうして、しばらく
の間、考えることをやめ、海岸にまたたく燈火をめざして闇の中を飛ぶのは素敵な気分
だった。
暗いぞ!そのとき例のうつろな声が警告を発した。ふつうのカモメは決して暗い中を
飛んだりはしないぞ!
ジョナサンはぼんやりしていて、その声に気づかなかった。素敵だと彼はうっとりし
ていた。月も、遠くの燈火も、きらきらと海面に揺れて、夜の中にかすかな光の尾を投
げかけている。すべてが平和で、静寂そのものだ‥…
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降りるんだ!
またうつろな声が響いた。カモメは決して闇の中を飛んだりはしな
い!もしお前が闇の中を飛ぶように生れついているのなら、フクロウのような目を持っ
ているはずだぞ!
目をつぶってでも正確に飛べるはずだぞ!
そしてハヤブサの短
い翼がそなわってるはずだぞ!
夜の中を三十メートルの高さで飛びながら、ジョナサンは突然まばたきをした。さっ
きまでの苦痛と決心とが、たちまち吹っとんだ。
短い翼だ。ハヤブサのあのつぼめた短い翼!
こいつが答だ!
おれはなんて馬鹿だったんだ!
必要なのは小さく短い翼だけな
のだ。翼の大部分をたたみこみ、残され先端だけで飛ぶ!
短い翼!
それがすべて
だ!
彼は暗黒の海上を一気に六百メートル駆けのぼった。そして翼を固く胴体におしつけ
ると、その翼の先だけを細い短剣の形をした後退翼そっくりに風の中に突きだし、失敗
することも、死ぬことも全く考えるいとまもなく、いきなり垂直急降下に突入した。
風は怪物のような唸りをあげて、彼の頭上におそいかかった。時速百十キロから百四
十キロヘ、さらに百九十キロヘ、そして速度はなおも上りつづけた。やがて時速は二百
二十キロに達した。だがその速度でさえ、以前のやり方の百十キロの時よりはるかに楽
だった。そしてほんの少し翼の先をひねると、急降下からやすやすと脱出でき、月下を
飛ぶ灰色の弾丸さながらに波の上を突進してゆくのである。
目を細めて風に立ちむかいながら、彼は歓びに身を震わせた。時速二百二十四キロ!
それもコントロールをたもちながら!
もし六百メートルでなく千五百メートルから
降下すれば、いったいどれ位のスピードが‥‥‥
いまや、さっきの誓いのことなど、すさまじい風に吹きとばされ、忘れ去られてしま
っていた。そして彼は自分できめた約束を破っていながら、いっこうに悪いとは思って
いなかった。ああいう約束は、世間一般の連中のものなんだ。真剣に学び、卓越した境
地に達したカモメには、そんなたぐいの約束なんて必要じゃない。
朝日が昇るころには、ジョナサンは再び飛行練習にもどっていた。千五百メートルの
高みから見おろすと、漁船はたいらな青い水面にちらばる小さな点にすぎず、例の<朝
食の集い>に群れるカモメたちも、こまかな埃でできた靄となって眼下に渦まいている
のだった。
彼は精気に満ち、歓びに身を小きざみに震わせながら、自分が恐怖心に打ち勝ってい
ることを誇らしく感じた。やがて彼は、むぞうさに翼をたたみこみ、角度をつけた短い
翼の先をぴんと張ると、海面めがけてまっさかさまに突っこんでいった。千二百メート
ルを過ぎるころには、彼はすでに限界速度に達していた。風は、彼がもうそれ以上の速
さでは進めないほどの、激しく打ちつける固い音の壁となった。いま、彼はまさに時速
三百四十キロ以上で一直線に降下しつつあるのだ。もしこのスピードで両翼をひろげた
ら、たちまち爆発して何万というカモメの切れはしになってしまうだろう。それを考え
て彼は思わず息をのんだ。だが、彼にとってスピードは力だった。スピードは歓びだっ
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た。そしてそれは純粋な美ですらあったのだ。
三百メートルの高さで彼は引き起こしを開始した。翼端はすさまじい風の中で鳴りひ
びき、感覚がにぶってきた。船とカモメの群れが流星のような速さで彼の進路にまっす
ぐ飛びこんできて、みるみるうちにふくれあがった。
彼は、それを止めることができなかった。その速度では、どうすれば方向転換ができ
るのか、皆目、見当がつかない。
激突すれば即死だ。
彼は目を閉じた。
そのとき何かがおこった。ちょうど朝日が昇りきった直後だった。ジョナサンは、<
朝食の集い>に集ったカモメの群れのまん中を、弾丸のようにまっすぐ突き抜けていっ
たのだ。時速三百四十キロのスピードで、目を閉じ、風と羽毛のまきおこす怒号のよう
な金属音につつまれて。
幸運の女神が彼に微笑んだのだろうか、一羽として死んだりはしなかった。
上昇にうつり、空にむかってくちばしがまっすぐ突き立つ頃になっても、彼は依然と
して時速二百五十キロでめちゃくちゃに飛んでいた。やがて三十キロにまでスピードを
落し、やっと翼をのばしきったときには、漁船は千二百メートル下の海面に浮ぶパンく
ずのようになっていた。
彼の考えが勝ったのだ。極限速度!
一羽のカモメが何と時速三百四十二キロに達し
たのだ。それはひとつの〈限界突破〉であり、群れの歴史上もっとも偉大な一瞬なのだ
った。そしてその一瞬こそジョナサンにとっての新たな時代の幕あきだったのである。
彼はすぐさま、ほかに誰ひとりいない自分だけの練習空域に飛んでいった。そして今
度は二千四百メートルからの降下をめざして両翼を折りたたむと、さっそく方向転換の
方法を探しはじめた。翼端の羽根を一枚だけわずかに動かすと、猛烈なスピードがでて
いる時でも、なめらかなカーヴを描いて飛べることを彼は知った。しかしその事を発見
する前に、そのスピードでほかの羽根をちょっとでも動かせばたちまちライフルの弾丸
のようにきりもみ状態で墜落することを、彼は身をもって知らねばならなかった。だが、
その結果、ついにジョナサンは、カモメ史上初の曲技飛行の第一人者となったのだ。
彼はほかのカモメたちと話をする間も惜しんで、日没後も飛びつづけた。そして彼は
ついに、宙返り、緩横転、分割横転、背面きりもみ、逆落し、大車輪、など数多くの高
等飛行技術を発見したのである。
リチャード・バック作 五木寛之訳「かもめのジョナサン」
新潮文庫(昭和52年5月30日発行)から抜粋
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問1 この文章について、「かもめのジョナサン」とは別のタイトル
を考え、そのタイトルと共に考えた理由を簡単に述べなさい。
<100 字以内>【10 点】
問2 ジョナサンが約束を破っても飛ぶことに執着した動機は何だ
と考えますか。またこの点を踏まえ、作者は何をカモメのジョ
ナサンに託して言いたいと考えるか述べなさい。
<600 字以内>【20 点】
問3 みんなと同じように振舞うことと、みんなと違うように振舞う
ことについて、現代社会における例をあげながら両者の違いや
必要性・重要性について述べなさい。<1000 字以内>【30 点】
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