論文詳細はこちら(PDF)

巨大食道症と急性膵炎により持続的胃拡張を起こした犬の1症例
新里 健
赤瓦動物病院・沖縄県
要約
巨大食道症は食道拡張と低蠕動を特徴とする症候群で、血管輪奇形、狭窄、腫瘍などによって
生じる局所性の食道拡張とは区別される。また本症は食道括約筋の緊張は正常で適切に弛緩し
ないこと、及び蠕動運動に乏しいという特徴をもっているため人の特発性食道拡張症とも異な
る疾患である。病理発生は解明されていないが、生理的研究において求心性神経経路のなんら
かの障害であると推測されている。今回、巨大食道症をもち急性膵炎を併発したことで持続的
な胃拡張を起こした重症例に遭遇し若干の知見が得られたので報告する。
症例
[年齢]11 才
[犬種] ヨークシャーテリア
[性別]避妊雌
[予防]6 種混合ワクチン、狂犬病ワクチン済、フィラリア予防済
[既往歴] 乳腺腫瘍、顆粒膜細胞腫により子宮卵巣摘出
[主訴] 腹部の張り、嘔吐、不眠、呼吸困難を主訴に来院した。
[身体検査所見]腹部膨満、開口呼吸、嘔吐(泡沫状の吐物)
。頚部伸張、激しい腹部圧痛など
の症状を認めた。
[各種検査]
(1)初診時血液検査所見:白血球数、中でも好中球数の割合が増加しており膵特異的リパーゼ
は 400μg/dl 以上と高い値を示した。
(表 1)
(2) 単純X線: 胃腸管全域に多量のガスが認められた(図 1)。
(3) バリウム造影検査:VD 像では食道ならびに胃体部の拡張を認め、また十二指腸が右側方向
へ変位しているのが観察された(図 2)。Lateral 像ではバリウムの軽度の食道内停滞と胃
拡張を認めたが、バリウムは結腸へスムーズに移送された(図 3)。
(4) 超音波検査: 右側アプローチにて十二指腸と接する膵臓領域が高エコーを呈していた(図
4)。
(5) 内視鏡検査:食道拡張と唾液の貯留が顕著に認められた。胃粘膜不整と糜爛が顕著であっ
たが腫瘍や狭窄部位は認められなかった(図 5)
。
(6) 試験開腹:開腹後、胃切開を行い泡沫状ガスと貯留液の除去を行った。捻転や閉塞は確認
できず、膵臓は右葉領域のび慢性炎症を呈していた。盲腸領域は著しい拡張を認めたため
胃の全層生検とともに盲腸切除を併せて行い病理組織検査に供した。さらに幽門周囲の肥
厚を認めたため幽門拡張術を行った。
(7) 病理組織検査:胃/ 全層性、多巣性の石灰化コラーゲン繊維の壊死
盲腸/著変なし。腸間膜内の散在性石灰化を認める。
表1血液検査所見
CBC
RBC = 832 万/μℓ
Grans =19100/μℓ
PLT
=79.3×103/μℓ
HCT =54.1%
NEUT =18100/μℓ
WBC =22500/μℓ
L/M =3400/μℓ
生化学検査
Glu = 116mg/dl
TP = 7.4g/dl
BUN = 23mg/dl
Cre = 0.9mg/dl
ALT = 17U/L
AST =19U/L
CK = 103U/L
ALKP = 166U/L
NH3 =29μmol/L
Na=145,K=4.1,Cl=128 (各単位=mmol/dl)
膵特異的リパーゼ>=400μg/dl (正常:0~200μg/dl )
T4<0.5μg/dl, fT4(ED RIA)=14.2pmol/L, アセチルコリンレセプター抗体=0.01 nmol/L
図1 レントゲン写真
図2 消化管バリウム造影検査(VD)
c
図 3 消化管バリウム造影検査(lateral )
図 4 超音波検査
DUO
PAN
図5 食後レントゲン検査
図 6 内視鏡検査
治療経過及び診断
初診時、上記に示す検査結果により(表1、図1~図 4)膵炎による胃拡張症と診断し、絶食
下で下記に示す治療を行った。
治療 1
鎮痛処置: ケタミン 0.3mg/kg/h CRI
制吐処置:メトクロプラミド(プリンペラン)0.3mg/kg sc
抗生物質:セフォベシン(コンベニア)8mg/kg sc
消炎処置:プレドニゾロン 0.5mg/kg sc
蛋白分解酵素阻害剤:ウリナスタチン(ミラクリッド)25000 単位 CRI
入院から 3 日後、嘔吐消失と全身の一般状態が好転し、WBC 数の低下(16700/dl↓)を認めたた
め、少量の低脂肪食の給餌を行った。食後急激に胃にガスが充満し(図 5)
、激しい胃拡張症に
より、吐出、過呼吸、チアノーゼを呈したため、腹部穿刺によるガス吸引や食道チューブ挿入
による排気を試みたが、困難であったため全身麻酔下において胃ガス除去を主な目的として、
開腹手術を行った。腹部正中切開後、胃切開を行いメレンゲ様の泡沫粘液を含む胃ガスの除去
を行った。捻転や閉塞は確認できず、膵右葉領域は瀰漫性の炎症像を呈していた。また盲腸周
囲領域の著しい拡張を認めたため、胃の全層生検とともに盲腸の切除もあわせて行った。さら
に幽門周囲の肥厚を観察したため、幽門拡張手術も同時に実施した。病理検査の結果、胃と盲
腸に腫瘍性変化は認めなかった。高カロリー輸液に加え、下記に示す対症療法を行ったが、引
き続き唾液の吐出や胃拡張を認めたため、経鼻食道カテーテルを胃内まで推し進め、定時的に
ガス吸引を行った。
治療 2
□高カロリー輸液 :脂肪乳剤、アミカリック
□制吐処置: オペプラゾール 1mg/kg sid po メトクロプラミド(プリンペラン)0.3mg/kg sc
マロピタント(セレニア)1mg/kg sc
□鎮痛処置: フェンタニルパッチ
□経鼻カテーテルより定時的胃ガス吸引
その後も状態の改善が認められなかったため内視鏡検査を行った。喉頭麻痺などの所見は観察
されず、食道は空気を送気しなくても拡張しており、食道の拡張と泡沫状唾液貯留が顕著に認
められた。この所見により巨大食道症と診断した。また胃粘膜は不整とびらんが顕著であった
が、明らかな腫瘍性病変や狭窄部位は観察されなかった。さらにこの時、胃造瘻チューブの設
置も併せて行った。その後も持続的な胃ガス貯留と吐出が続いたため、胃瘻チューブより定時
的に胃ガス吸引と膵炎における対症療法を行ったが、入院から 21 日後に死亡を確認した。
考察
巨大食道症の原因については甲状腺機能低下症や重症筋無力症などが基礎疾患として疑われ
るが、今回の症例では明らかに疑心し得る所見は視診、血液検査上ともに確認されなかった。
また胃粘膜の石灰化が広範囲に認められていることから これが胃の運動性になんらかの障害
を及ぼした可能性も否定できなかった。本症例は初診時より以前にも、時折、食後嘔吐するこ
とが多くドライフードよりもウェットフードを好んでいたという飼い主側の報告により、以前
から巨大食道症を患っていた可能性が予想される。これに付随して膵炎を発症したことにより、
疼痛反応により唾液分泌が亢進し食道粘液がその粘調性を増した結果、嚥下困難が増強され,
空気を飲み込んで圧をかけたり食道内停滞液を胃内へ送り込もうとすることで持続的な胃拡
張を起こしたものと推測される。巨大食道症は人の食道拡張症と異なり食道の運動機能に問題
があることから有効な外科的手技がなく内科的治療に依存することが多い。よって今後有効な
外科的治療法が検討されるべき疾患だと思われる。また同疾患の動物はウェットフードが給仕
されることが多く、特に市販食においては脂肪分が多く膵炎を誘発する危険性が高いことが予
想される。そのため、巨大食道症に膵炎が併発した場合の予後の危険性を十分に認識した上で、
巨大食道症と診断した際には、飼い主へ適切な食餌指導を行っていくことが重要であると思わ
れる。