旅行会社の企画・経営戦略-競争の激化と求められる差別化

駒澤大学 小林ゼミ 2008 年度 卒業論文
旅 行 会 社 の 企 画 ・ 経 営 戦 略
―競争の激化と求められる差別化―
川島
1
序論
2
旅行業界の近況
3
旅行業の全体像
4
大手旅行会社の戦略、手法
卓也 1
4-1 旅行業界のリーディングカンパニーJTB
4-2 旅行業界のカリスマ HIS
4-3 一風変わった旅行会社クラブツーリズム
5
旅行業界の新しいビジネスモデル
5-1 急速に拡大するネット旅行会社
5-2 これからの時代の新しいツーリズム
6
結論
文献一覧
1. 序論
今、旅行業界に変化が訪れている。観光が日本の国家戦略の 1 つとして認められつつある。そ
して、団塊世代の大量退職や消費者の多様なニーズ、IT 化によるネット専業旅行会社の台頭等に
より旅行会社の競争は激化し、各社で旅行商品や戦略の差別化が求められるようになった。
そこで、大手旅行会社の戦略を調べ、そしてこれから旅行会社はどう変わっていかなければな
らないかを考えていきたいと思う。
第 2 章では、旅行業界の近況をプラス要因、マイナス要因に分けて説明していきたい。
第 3 章では、旅行業界とはどういった業界か、どういった特徴があるか、どういった儲け方を
するのか等を説明していきたい。
第 4 章では、大手旅行会社である JTB、HIS、クラブツーリズムの戦略、手法をそれぞれ調べ
メリット、デメリット等を説明する。
第 5 章では、旅行業界の新しいビジネスモデルとしてネット旅行会社を紹介し、これからの時
代に活躍すると思われる新しいツーリズムをいくつか紹介していきたいと思う。
1
かわしま
たくや
駒澤大学経済学部経済学科 4 年
EK5384
旅行会社の企画・経営戦略(川島)
2.旅行業界の近況
現在、日本の旅行業界には様々なプラス要因とマイナス要因がある。プラス要因は、2007 年 1
月 1 日に、観光立国推進基本法が施行されたこと。これは、
「観光立国」を国家戦略の 1 つとして
明確に位置付けたことになる。また、2003 年には、訪日外国人旅行者の促進を目的に開始された
「ビジット・ジャパン・キャンペーン」や、2008 年 10 月には観光庁が設立されるなど、国をあ
げて観光事業を推進する態勢は整いつつある。2006 年の海外旅行者数は約 1753 万人で、過去 2
位である。そして、訪日外国人旅行者数は 733 万人である。他にも日本の近隣諸国である東アジ
ア経済圏の旅行マーケットの急激な成長など旅行業界を活性化させる要因はたくさんあるといえ
る。また、団塊世代の大量退職による余暇産業の活性化も見逃せない。逆に、マイナス要因は、
少子高齢化による国内マーケットの規模縮小や日本人の海外旅行への意欲減退、特に若者たちの
海外旅行者数の減少が見られる。さらに、不安定な円の動きや燃油高騰によるオイルサーチャー
ジ等の予測しにくい外的要因にも気をつけなくてはならない。これらのプラス、マイナス要因が、
旅行業界にどう影響を与えるかが注目される。
3.旅行業の全体像
まずは、旅行商品の特性を述べたいと思う。1 つめは、
「サービス商品である」ということ。旅
行商品は全てサービス商品であり、無形の商品である。そのため、旅行の商品価値とは、サービ
スの優劣とこれを提供する会社の信用によって決まる。2 つめは「ストックが不可能」であるこ
と。キャンセル以外に商品ロスというものがなく、在庫負担や商品破棄といった経費はかからな
いが、オンシーズンに多くの旅行者を集めても、商品の供給量は一定なので、需要に比例して売
上が限りなく伸びるものではない。3 つめは「定価がない」ということ。旅行商品の価格は、需
要と供給のバランスで決まる。週末と平日、オンとオフでは施設の稼働率が違うから、価格が大
きく異なる。3 つめと繋がる部分はあるが、4 つめは「季節変動が激しい」ということである。オ
ンとオフの差が激しいのも旅行商品の特徴である。5 つめは「差別化が難しい」ということであ
る。旅行商品は特許等が取れないので、差別性を発揮することが難しく、流行に左右されるため、
類似した商品(追随商品)が多く出回り、価格競争に走りやすいといった特性がある。
次に旅行会社の種類と機能を述べたいと思う。現在、日本には旅行会社が約 1 万 1000 社存在
する。旅行業法上の分類では、
「第 1 種旅行業」、
「第 2 種旅行業」、
「第 3 種旅行業」、
「旅行業者代
理店」に分けられる。第 1 種は、海外、国内パッケージツアーの主催と、海外、国内旅行商品の
販売が可能。第 2 種は、国内パッケージの主催と海外、国内旅行商品の販売が可能、第 3 種は、
パッケージツアーの主催は不可能だが、海外、国内の旅行商品の販売は可能。旅行業者代理店は、
どこかの旅行会社に所属して、その会社の代理として、旅行業務を取り扱うことになる。
次は、旅行会社を法律という観点からではなく、業務内容で区別する。まずは、「総合大手」。
2
旅行会社の企画・経営戦略(川島)
全国のネットワークを持ち、全分野に商品を持つ大規模な旅行会社。次に、
「海外ホールセラー 2 」。
次に、
「海外ディストリビューター 3 」。次に「海外旅行系リテーラー 4 」。順に「国内旅行ホールセ
ラー」、
「中堅リテーラー」、
「私鉄系中堅リテーラー」、
「小規模リテーラー」と続く。また、
「イン
ハウス」というのもあり、親会社の業務渡航などを中心に行う旅行会社もある。そして、ホール
セラー、リテーラーと並んで、もうひとつ重要な役割を果たす旅行会社として「ツアーオペレー
ター」というものがある。これは、旅行先のホテルの部屋やレストランの食事、ガイドの手配な
どを専門に扱う会社のことである。
また、旅行会社は資本系列でも分類ができる。一番わかりやすい分け方でもある。分類は次の
様になる。
「運輸会社系」
(JTB、近畿日本ツーリスト、ANA セールスなど)、
「流通系・カード会
社系」
(ジャスベルなど)
、
「農協、生協系」
(農協観光など)、
「新聞社系」
(読売旅行など)、
「商社、
物流会社系」
(エムオーツーリスト、日立トラベルビューロなど)、
「出版社系」、
「ツアーオペレー
ター系」、
「インハウス、エージェント系」、
「独立新興系」
(HIS など)、
「外資系」、
「ネット企業系」
などである。旅行業界は新規参入しやすい業界なので、これからもっと増える傾向があると考え
られる。
次は、旅行会社の儲け方、仕組みを説明したいと思う。旅行会社は「フィー(手数料)ビジネ
ス」と呼ばれている。どのような仕組みになっているかというと、1 つめは旅行者から収受する
「取扱手数料」、2 つめは運送、宿泊機関から収受する「販売手数料」
、3 つめは他社のパッケージ
ツアーを販売した場合の、当該他社から収受する「販売手数料」として手数料を得るのである。
つまり、旅行会社は手数料で儲けを出しているビジネスなのだ。しかし、いまでは手数料だけで
会社を維持していくのはとても難しくなってきている。旅行業者の収益は「旅行の販売代金―(マ
イナス)素材の仕入れ価格」によって得られる。基本的には予約の仲介手数料収入というかたち
になるのだが、その額は旅行の販売代金に対して 10~15%と言われている。しかし、最近は、格
安旅行などの出現により、価格の設定が切り下げられているために、5~8%程度の手数料収入し
か得られない商品もある。旅行商品の利益はとても低いのだ。
では次に、実際に旅行商品はどういった順序で作り上げられるのか。まずは、
「マーケティング」
である。旅行業界における顧客の分類としてイリノイ大学のベル教授が考えたものがある。それ
は 4 つの層に分類されており、ピラミット型で上からスキミング層(上澄み)、イノベーター層(革
新)、フォロアー層(追随)、ペネトレーション層(低価格)となる。この層では 6 割強を占める
価格層はマーケットの動きに敏感で、3 割強は旅行商品の内容によって、確実に購入する。旅行
商品は消費者が求めるニーズを理解して作りださなければならない。次に「商品企画」。ここで 1
番のポイントは、他社との差別化である。前述したが、旅行商品は特許などがないので、売れ
始めたら、すぐに追随商品が市場に出回ってしまう。では、どう差別化を行うか。それは仕
入れである。ホテルや飛行機、バスなどの仕入れ量の調整、限定仕入れを上手く行うことだ。
旅行会社は仕入れを制すれば勝ちが近くなる。これにつながり、次は「素材仕入れ」。ここでの 1
2
航空会社から直接、航空券を仕入れ、現地でのホテルや移動方法などを組み合わせてパッケージ化したプランを
作成する会社。
3 素材卸売業者。
4 小売業。他社がホールセールした旅行商品を小売りする旅行会社。
3
旅行会社の企画・経営戦略(川島)
番のポイントはサプライヤー 5 とのWIN-WIN(共存共栄)である。サプライヤーと信頼関係を築
き、仕入れ力を強化することが大切である。次は「手配」
。仕入れたものを確実に手配し、確認。
そして晴れて「運営」につながる。運営においてのポイントはなんと言っても、ホスピタリティ
力。おもてなしの心だ。旅行商品は代金を支払った時点では 50%の確実性しかない。実際に行っ
てみないとわからないので、行った後のサービスが物を言う。このように旅行商品は作られる。
数を集めることで収益を増やす道を行くか、数は少なくても質を高めてよい顧客を獲得し、確実
な利益を生む道を選ぶかは、会社のブランドの方向性や商品戦略により変わってくる。
4.大手旅行会社の戦略、手法
4-1 旅行業界のリーディングカンパニーJTB
言わずと知れた旅行業界の最大手 JTB。2006 年度の JTB グループ売上高は、1 兆 2833 億円。
日本の旅行会社の総取扱額約 7 兆 5000 億円の 17.1%を占めた。なぜトップに君臨し続けるのか、
その理由を考えてみたいと思う。
日本旅行と並び日本で最も長い歴史を持つ。一番の強みとしては「JTB だから安心」という抜
群の信頼感(ブランド力)を持たせることに成功しているからだろう。また、対航空会社ではス
ケールメリットを活かした仕入れ力を持つ上、国内、海外問わず多くのホテルや旅館とも提携関
係にあり、企画、仕入れ、販売など全てにおいて他の追随を許さないことが挙げられる。つまり、
その「スケールのでかさ」も JTB の力と言えるだろう。しかし、JTB がここまでのブランド、ス
ケールになるまでには苦難の連続であった。
JTB は 1912(大正元)年、当時の鉄道員をはじめとして、ホテルや船舶業の代表者たちを発起人
として設立された「ジャパン・ツーリスト・ビューロ」が前身である。つまり「旧国鉄系」の旅
行会社である。もともと JTB は欧米からの来日誘致・旅行斡旋を目的に設立されている。つまり、
インバウンド事業がメインであり、さらに当初は会員制であった。しかし、設立から 2 年後には、
第一次世界大戦が勃発し、欧米からの来日客は激減し、ジャパン・ツーリスト・ビューロは早く
も経営難に陥ることになる。そこで、外国人からの会費が思うように収受できなくなったため、
その打開策として鉄道や船などの切符の受託販売を開始することになったのである。これが、今
日の旅行業の原型であるチケット代売の始まりとされている。その後も東京駅構内等に設けた旅
行案内所で、外国人に向け切符を販売し始めたが、大正時代半ばには大陸への往来も盛んになっ
たので、特殊連絡線や省線(のちの国鉄)の切符を、日本人に対しても販売するようになった。
その後、幾度かの社名変更を経て、株式会社化されたのは 1963 年で、翌年開催された東京オ
リンピックを契機に、国内交通網の整備が一挙に進んだときである。陸では新幹線が開通し、空
にはジェット機が就航し、日本は、本格的な大量高速輸送時代を迎えた。同時に、海外旅行が自
由化され、1970 年の大阪万博開催の年には、それまで特定の人にしか発給されなかったパスポー
トが一般に発給されるなど、誰でも海外渡航することができる時代を迎えた。列車の切符や航空
5
原料・商品を供給する人。旅行業の場合は航空会社やホテル等のこと。
4
旅行会社の企画・経営戦略(川島)
券を代売するだけでも、商売として成り立つ時代が到来し、たくさんの旅行代理店が誕生した。
そして、この時に JTB ブランドとして初のパッケージ・ツアーを開始した。国内旅行は「エース」、
海外旅行は「ルック」という名でパッケージ・ツアーを販売するようになった。この当時の JTB
の名前は「株式会社日本交通公社」
。そして、この頃は旧国鉄との繋がりがとても深かった。
当時国鉄は、JTB の株式の 37.5%を有する筆頭株主だった。しかし、この時 JTB のスローガン
には「チケット・エージェントからトラベル・エージェントへの移行」という言葉があり、
「代売
業からの脱却」の必要性を感じていた。だが、現実には、収益の大半を、国鉄の切符や定期券の
代売が占めていたから、JTB は「なまぬるい体質」
「ミニ国鉄」とバカにされることも多かった。
しかし、独自色を出すことは難しい時代だった。
その後、国鉄の分割民営化後の株式の配分の問題があり、持ち株配分をめぐり、全株委譲を主
張していた JR 東日本との間に確執が残り、JTB に対して 3 つの報復ともとれる措置を行った。
JR 定期券の取扱い中止や主要駅の旅行センターからの立ち退き、JTB しか発行していなかった
時刻表の発行を JR も始めるなど、かなりの軋轢が JR との間で生じた。
しかし、時代は JTB の味方となり、1985 年にニューヨークで行われた G5 で「プラザ合意」
がなされて以降、急速に円高が進み、旅行業界は海外全盛の時代を迎えた。1990~96 年当時は過
去最高となる取扱高 1 兆円を達成した。この頃から JR 東日本との関係改善にも力を注ぎ、2001
年には「JTB」が正式社名に採用され、代売業を脱出した JTB は、次の目標である「総合旅行産
業」への地位を築き上げた。その後、2003 年 1 月には、小泉総理による「ビジット・ジャパン・
キャンペーン」を展開する発表もあり、その年の 3 月には、これに国家予算をつけることが決定
した。この頃から旅行業を含む「ツーリズム産業」が認められるようになり、21 世紀の日本にお
けるリーディング産業となる可能性を世に知らしめたのである。
この頃率先して JTB は「ビジット・ジャパン・キャンペーン」に貢献し、「日本ツーリズム産
業団体連合会」という観光に携わる民間企業を横断的に組織した日本初の観光関連団体を設立す
るにあたっても、その中心的な役割を果たした。また、
「観光立国基本法」成立に向け、関連産業
全 112 団体をまとめあげた。具体的にいうと、旅行業やホテル、旅館業といった従来の観光業に
加え、運輸業、小売業、飲食業など、観光に関連するさまざまな業界をまとめて「ツーリズム産
業」と命名し、政策面での役割・使命を取りまとめたのである。約 100 年前に、
「外客誘致・斡旋」
を目的に始まった JTB にとって、新たな出発の時に合わせるように「観光立国宣言」が発布され、
JTB はノーブル・オブリゲーション(高貴なるものの義務)として、代売業でしかなかったもの
を、1 つの産業にまで押し上げ、業界全体を引率してきたのである。しかし、この後に急遽 JTB
は 2003 年 10 月に「創業以来の非常事態宣言」を発表することになるのである。
ニューヨーク同時多発テロが発生して以降、相次ぐ逆風に苛まれた旅行業界は、業界トップの
JTB にも大きな影を落としていた。しかも、インターネットの普及で、業界の状況は見る見るう
ちに塗り替えられていく。人気が下降気味の海外旅行の代替目的地として活況を始めた国内旅行
市場ですら、ネット予約専門の新興業者に崩されつつあった。国内最大の店舗数を誇り、戦後の
日本経済史において名実ともにナンバーワンの旅行会社となった JTB を取り巻くビジネス環境
も、わずか数年で驚くほどに変化し、現場の社員にも焦燥の色、閉塞感が見え始めていた。そこ
で、当時の代表取締役社長が切り出したのは、一強と言われた「JTB」を解体して、2006 年 4 月
5
旅行会社の企画・経営戦略(川島)
には持株会社化、ホールディング化をするというものであった。
これは、JTB史上とても大きな出来事と言える。そして、まず社長は 21 世紀を生き残る方策
として「コア・コンピタンス 6 」を挙げた。それを成功させるために欠かせなかったのが「リス
トラクチャリング 7 」と「リエンジニアリング 8 」だ。そして、低迷していた業績回復のために「150
億円のコスト削減」が行われた。そこで、まず年金や退職金の見直しが行われた。その後、本社
機能を極限まで削ぎ落とし 400 人勤務していたところを 100 人にまで減らした。その他システム
の運用コストや役員の報酬をカットするなどの構造改革をひとつずつしていき、150 億円のコス
ト削減を 2 年間で実現した。社員の不安が募る中JTBのホールディング化、分社化が 2006 年 4
月に断行された。
こうして新生 JTB グループが誕生した。急速に変化し、多様化する消費マーケットに対応し
ていくためには、「専門性」を活かした組織づくりが欠かせない。専門分野ごとに組織を細分化
し、それぞれが得意とするマーケットで、「オンリーワン」になること、これが、業界のガリバ
ーとしてナンバーワンの座を死守してきた JTB の 21 世紀に勝ち残るための最初の課題とされた。
企業における意思決定のプロセスは、組織が大きくなると、スピードを欠く。それぞれの立場に
よるさまざまな思惑やしがらみも生じるから、ビジネスの現場で得られた良いアイデアも、上層
部に伝達されないまま消えてしまう。そういうことが今まで JTB でたくさんあった。それぞれ
の道でのオンリーワンをめざすためには、JTB の意思決定のプロセスを洗いなおす必要があった
のである。新生 JTB が掲げた成長戦略に、
「4 つの S」
(誠実、専門性、スピード、信頼)がある。
その戦略を元に、1 つの「事業持ち株会社」と 15 の「事業会社群」に分割された。簡単に説明す
ると、新体制で中核となる事業持ち株会社「株式会社ジェイティービー」は、従来、本社が担っ
てきた機能を引き継ぎ、JTB グループ全体の戦略的な経営計画や、ヒト、モノ、カネという経営
資源の最適配分を行う中枢的役割を果たす。事業会社群の方は「地域別」JTB(北海道、東北、
関東、首都圏、中部、東海、西日本、大阪、中国四国、九州)10 社と「機能別」JTB(法人東京、
グローバルマーケティングトラベル、i.JTB、ビジネスイノベーターズ、マネジメントサービス)
5 社に分かれた。そのほかにも、
「ソリューション事業会社群」
「出版広告事業会社群」
「商事事業
会社群」「独立事業会社群」なども存在するが、これら全ては事業持ち株会社の下で並列・平等
に位置づけられている。
では、実際分社化したことで、会社がどう変わったかということを例を挙げて、説明したいと
思う。全社ホールディング化の 1 年前の 2005 年に、一足先に地域別旅行事業会社「株式会社 JTB
東北」が設立された。観光資源の豊富な東北の地を再活性させ、首都圏はもちろんだが、アジア
を中心とした外国人の誘致に、地域と民間が一体となって取り組む「受注型旅行ビジネス」のモ
デル地域にしようという試みであった。東北地方と首都圏の県民所得格差は大きく、東北県勢が
ワースト 10 に 3 県も含まれるのが現状だ。不安にみちた船出ではあったが、地元では「あの大
企業が、杜の都に本店を移した」と大歓迎を受けた。本社所在地を仙台市にしたことで法人税収
入のアップが見込めるうえ、地方都市や過疎地域の活性化に大きな弾みがつくと行政からも喜ば
6競争力のある中核となる事業
7企業が不採算部門を切り捨てたり、新規事業に乗り出すなど、事業構造の転換を目指すこと。
8業務の流れや組織構造を抜本的に再構築することに重点をおくこと。
6
旅行会社の企画・経営戦略(川島)
れた。
ハングルや中国語など多言語対応できる専用ホームページも開設し、韓流ブームや華流ブーム
を追い風に、芸能交流やイベント等も積極的に誘致した。そのため、紅葉の季節ともなると、韓
国、台湾などのアジア地域を筆頭に、世界各国からダイレクトに仙台入りする外国人旅行者が増
えているという。こうした外国人観光客の増加が、東北の人里離れた温泉宿に新たな風を送りこ
んでいる。また、航空会社にも喜ばれている。地域密着型のセールスが功を奏し、地元常連客か
らも好評であり、さらに大手メーカーの工場誘致が活発化しているこの地域では、企業進出にと
もなう職場旅行や出張の需要が増加している。地域色を活かした、柔軟な企画や営業が従来以上
に可能になっている。
キャンペーン商品なども組みやすくなり、温泉などでは、客足も戻っているし、旅館などを営
む地元企業では、売り込みのために東京まで行かなくて済むこともあり、地元の同業者とのアラ
イアンスは、以前にも増して組みやすくなったようだ。このように、地域別旅行事業会社が地元
に根付くのに、そう時間はかからなかった。
また、機能特化型である「JTB 法人東京」では、分散しがちだった首都圏に働く JTB マンの法
人営業のエネルギーを集約化できたと大きな成果を挙げている。また、新しいビジネスモデルで
ある EC(イベント・コンベンション)にも力を入れている。インターネットの旅行会社が台頭
する中で、それに対応するために立ち上げられた「i.JTB」等も JTB を成長させる為の力を担っ
ている。
この様に JTB は分社化したことによって、様々な地域、分野で成功を収めている。実際に分社
化直後の 2006 年の JTB グループ全体の営業利益は過去最高を記録した。「専門性」「スピード」
を意識し、多様化するニーズに迅速かつ的確に対応し、分社化することにより権限と責任の明確
化が成し遂げられた。前にも書いたとおり JTB は必ずしも順風満帆ではなかった。だが、度重な
るピンチの中でもそれを乗り越えてきた経営陣の勇気や判断力が今までの JTB のブランド力、ス
ケールメリットを成長させたのだと思う。そして、それが販売に繋がり、消費者への信頼につな
がっているのである。JTB の強さはそこにある。だが、逆に弱さ、デメリットはあるのだろうか。
実際、分社化したことでの問題というのはある。地方と首都圏では、やはり集客力というものが
違う。だから、労働条件に不均衡が生じるのではないかと思われる。また、分散することによっ
てスピード力は上がったものの、1 つ 1 つの求心力というものは弱くなっている。また、JTB の
スケールはでかく、様々な所に JTB の店舗を見ることが出来る。だが、他社だけでなく支店によ
っては JTB 同士で消費者を取り合っている現状もある。JTB というブランドの上にあぐらをかい
ていては、1 万以上ある他社に寝首をかかられると思う。こういった問題を直視し、厳しい競争
を強いられる旅行業界で勝ち続けなくてはならない。
4-2 旅行業界のカリスマ HIS
旅行業界でヒーロー視されている HIS。現在、業界第 5 位。創業は 1980 年で、わずか 20 年で
大手旅行会社の一角を占めるに至った新興企業である。2006 年度の取扱高は 3028 億円。2005
年度は海外取扱人数でトップに躍り出た。新興企業の HIS がなぜここまでに成長できることがで
きたのか、理由を追ってみたいと思う。
7
旅行会社の企画・経営戦略(川島)
HIS といえば「海外」
、
「安い」、
「若者」というイメージがある。これが HIS の武器であること
は確かだ。今でこそ、ここまで有名になった HIS だが、実は 1980 年に現 HIS 取締役会長である
澤田秀雄が机 2 つと、電話 1 本で立ち上げた会社である。一体 HIS はどのように出来上がり、成
長したのだろうか。
澤田は学生時代に旧西ドイツのフランクフルトに留学していた。この時に、澤田はフランクフ
ルトの見本市などにやってくる日本人客相手の通訳のアルバイトをしていたのだが、日本人から
夜の町を案内してくれるようにとお願いが殺到した。そこで、澤田はこれをビジネスにしてしま
おうと学生の身分ながら自分でナイトツアーを企画、主催してしまった。このツアーは大成功。
手ごたえを感じた澤田は、1976 年に東京でビジネスを始めることを考え始める。リュックサック
とドイツで貯めた 1000 万円の軍資金だけを持ち新宿に上京した。場所は西新宿 7 丁目のマンシ
ョンの一階にある 6 坪ばかりの 1 室だった。だが、もともと澤田が初めに手掛けた事業は旅行業
ではない。毛皮の輸入販売を手掛けていたのだが、これは失敗。困っている時に思いついたのが
ドイツ留学時代に知った格安航空券の販売であった。
正式に旅行業に進出したのは、1980 年に旅行業の登録をして、HIS の前身である「株式会社イ
ンターナショナルツアーズ」という会社を興してからになる。しかし、半年の間はお客様の数は
皆無。来るのは旅行好きの友達だけで、部屋は机 2 つと電話 1 本を置くだけで他に置くものは何
もなかった。まだまだ当時は格安旅行航空券の業界全体は、小さなものであった。たまに来る旅
好きなお客様を相手にしている毎日であったが、当時澤田達が企画した旅の中で、
「インド自由旅
行」というものが大人気を得た。この当時若者にインドがとても人気があり長期貧乏旅行の渡航
先として代表される国だった。澤田が作ったインド旅行は他社とどう違うのか。それは格安航空
券を使ったもの。どうやって格安にするのか。例を挙げると、当時、安上がりにインドに行くに
は、東京からタイのバンコクに入り、バンコクでチケットを発券してインドに入るというルート
があった。JAL などの直行便を利用すると 20 万円前後かかった旅が、このルートであるならば
10 万円ちょっとでインドへ行くことが出来た。ただ、澤田がこの時実行していたのは、単に安い
航空券を販売するということだけではなくて、旅のインフォメーションに重点を置いていたので
ある。自分の学生時代の豊富な旅体験を活かし、さまざまな現地情報をお客様に提供した。旅行
業の要であるコンサルティング力が発揮されたのである。他社では味わえない旅の細かい部分ま
でのコンサルティングは、
「インターナショナルツアーズに行けば、面白い情報を教えてもらえる」
といった口コミ情報に繋がり、旅好きな仲間たちに広がっていった。その大半は時間が自由で旅
の好きな学生であった。
1985 年にはジワジワと顧客も増え始め、事務所も移転し、一挙に 3 倍に拡張し、社員数も 10
人程度に膨らんだ。この当時も「中国自由旅行」というヒット商品を成功させ、価格は既存の旅
行商品とは 30%の格差をつけた。1980 年には 2 億 9600 万円であった売上高は 1985 年には 24
億 3900 万円までになり、1987 年には 58 億 200 万円、1988 年には 92 億円、1989 年には 164
億円となった。その原因はバブル経済へと続いていく好景気と円高というフォローの風が、旅行
業界に吹いていたこと。さらに企業における週休 2 日制の普及や余暇の長期化などの社会的ムー
ドがあったことだ。また、ジャンボジェット機の就航で航空座席の供給が飛躍的に増えたことも
見逃せない。それに乗り、業績は順調に伸びていった。
8
旅行会社の企画・経営戦略(川島)
しかし、バブル景気が異常に過熱してくると、事務所の家賃が地価と同様に上昇していった。
一方 HIS も業績に比例し、仕事量、人が増えるので事務所スペースが狭くなったのだが、新宿で
採算の合う物件が見つけられず、バブル全盛期に HIS はあえて一時避難を決断したのである。
本社の総務、経理、コンピューターといった管理機構だけを切り離して、本社と管理部門だけ
が、1990 年に浅草に移ったのである。大胆な分社化が行われたのである。同業他社や他人からは、
業績が絶好調の時になぜ都落ちをと思われたらしい。ついに HIS の急成長もここまでかと。しか
し、澤田は、バブルはいずれ崩壊すると見越し、その時までじっと耐えた。そして、1993 年、
HIS はバブル景気崩壊の中で、再び新宿へ戻る。新宿南口に新本社を構え、海外旅行のデパート
「トラベルワンダーランド」をオープンさせた。スペースは日本一であった。だが、世の中は不
景気の真っただ中。世の中で価格破壊、激安の文字が流行語として流れていたころに、HIS はオ
ープン特別企画で「香港・4 日間
19800 円」の超格安ツアーを提供した。これがヒットし HIS
は一気にその名を世に浸透させた。
1994 年には経常利益は 24 億 2000 万円となり、ついに旅行業界でトップの地位を築くことがで
きたのである。そして、1995 年には旅行業界のベンチャー企業としては初めての株式店頭公開を
達成することになった。
ここまで、格安航空券やコンサルティング能力で成長してきた HIS だが、
航空券の仕入れに関しては、まさに、とにかくやってみようという状況であった。
初めは、見も知らぬ航空会社に電話をかけては断られる毎日だった。全く相手にされないので、
除々に小さなエアラインに相手を変えていき、旅行業界に、飛行機の座席の問屋ともいえるホー
ルセラーがあるということを知り、攻める相手をホールセラーに変えた。そこで、ようやく仕入
れが始められるようになり、1 番最初に、仕入れに成功した航空券はパキスタン航空であった。
次はいよいよエアライン(航空会社)の攻略であった。攻略のポイントは旅行シーズンの波に
あった。ピークを外れたオフシーズンは、売りたくても航空券は売れない。その余った航空券を
どう売るかが、航空会社の課題であった。HIS のお客はもともと学生や若者層が中心だったので、
時間的な余裕はみんな持っていた。だから一般社会のオフシーズンであっても、行きたいと思っ
たら旅行に出かけることが出来る。航空券も売れる。ならば、エアラインも喜んでくれるオフシ
ーズンの航空券を、HIS で頑張って売ろうじゃないかとなった。こうして HIS は、オフシーズン
用旅行のオリジナル企画を立ててはキャンペーンと称して、学生層に格安航空券を提供していっ
たのである。
このような格安航空券の販売は一種のニッチ(隙間)ビジネスだった。大手の旅行代理店ではそ
うした航空券は販売しない。だが、世の中にはオフシーズンでもいいから、できるだけ安く旅行
をしたい人たちが確実に存在している。そこにこそ、新たな市場の可能性があったのである。ニ
ッチであるということは、既成勢力である大手旅行会社が手を出していない、あるいは手を出し
にくい分野ということだ。大手旅行会社のビジネスターゲットになっていない、というよりもそ
のターゲットから外れてしまっていた学生の若者に対し、一生懸命に格安航空券という商品を売
り込んでいった結果、成果をあげたわけである。
また、澤田が長らく守り通してきた 1 つの方針がある。それは、チケット販売の分野である程
度の力をつけるまでは、他分野の商品開発はしない、ということである。もっとはっきり言えば、
格安航空券販売の分野で HIS が業界ナンバー1 になるまでは、パッケージツアーのような分野の
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旅行会社の企画・経営戦略(川島)
商品開発には手を出さないということである。市場におけるナンバー1 は、ナンバー2 の上という
単なる序列の上下以外に、決定的な立場を築くことができる。なぜなら、市場のトップシェアを
占めることにより、仕入れや販売に対する市場決定権を優位にもってくることができるからであ
る。26%と 42%。澤田は事業戦略においてシェアを狙う場合、まず,第 1 に 26%のシェア獲得をタ
ーゲットに置く。ある市場において、26%のシェア獲得は、自社の事業を有利に展開できる分岐
点となり、利益を伸ばす原動力となる。さらにシェアが拡大して 42%を占めた時、市場の支配力
が生まれてくる。事業にとって、いかにシェアというものが意味を持ち、経営資源の集中が大切
なのかを 2 つの数字は教えてくれると澤田は語る。
であるからこそ、たとえ格安航空券の販売で経営が苦しくなったとしても、絶対に他の商品開
発を進めることはしなかった。HIS と同程度の規模の会社が早々とパッケージツアーに進出して
も、じっと我慢の姿勢で、とにかく格安航空券の分野でナンバー1 になるのを待ったのである。
新たな展開を模索し始めたのは、80 年代後半になり HIS の企業規模が拡大し、手持ちの商品
構成の充実が求められるようになったころである。それは 1988 年ごろ。新商品の開発を視野に
入れて、少しずつパッケージツアーの検討に入っていた。それは創業当初に顧客になってくれた
学生や若者が、20 代後半という年齢にさしかかった時期に当たり、新婚旅行を経験する年齢層に
入った時期でもある。今までのように格安航空券の販売というニッチ分野で勝負していれば、な
んの関わりもなかった大手旅行会社もパッケージツアーの分野でビジネスをするとなると、正面
から競合することになる。事業分野を広げることにより、敵となる相手が増えるのだ。新たな敵
を相手に、新たなビジネス競争をしていかなければならない。
さらに、格安航空券の販売とパッケージツアーの企画販売は、どちらも旅行を売るという点で
は同じだが、商品の企画販売のノウハウは全く異なるのである。格安航空券の旅は 1 人からの旅
であるが、パッケージツアーの旅はマスの旅である。そう考えれば、両者は似ているが全然違う
ものである。マスを狙うパッケージツアーの商品化を進めなければ、ビジネスは不成功に終わっ
てしまう。だから澤田は慎重にことを進めていった。
そして 1993 年。バブル崩壊後の不況真っただ中の時期は格安がトレンドであった。ならば HIS
が勝負をする商品も、トレンドに乗って格安を訴える企画を考えなければならない。結果は大成
功となって幕を閉じ、HIS に対する社会的関心度は、一気に高まった。格安航空券の HIS から、
パッケージツアーやビジネスユースなどを含めた、総合旅行会社としての HIS が新しく認識され
るようになった。今では、かつてのリーズナブルな価格を全面に押し出した街頭配布のチラシの
イメージから、自由旅行を売り物に幅広い活動を行っている。
HIS は 1996 年にスカイマークエアラインズ(現スカイマーク)を立ち上げ航空事業に参入す
るなど、他の旅行会社とは一線を画しており、21 世紀型ともいうべき攻めの経営を推し進めてい
る。また、同年にオーストラリアでホテル事業も手がけた。意欲的に様々な事業に挑戦している。
また、近年では IT 事業にも意欲的で、インターネット販売に関しては、オンラインで完結する予
約とコールセンターでの予約を合わせた売上げが大きく伸びていることから、引き続き「e ビジ
ネス事業部」が中心となり、航空券からパッケージツアーに至るオンライン予約を本格的に展開
すると共に、顧客利便性を追及したホームページや、旅行に関連した情報・商品を充実させて集
客力を高めている。2007 年には業界初のセカンドライフに進出し、仮想サービス『HIS 旅 SL(タ
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旅行会社の企画・経営戦略(川島)
ビスル)』を展開している。
なぜ、HIS が 20 年あまりでここまで伸びたか。私が考えるには、
「タイミング」と「目の付け
どころ」、「コンサルティング能力」ではないかと思う。HIS の創業者の澤田は度重なる分岐点で
トレンドを読み、しかし他社に流されずタイミングを見ていた。他社がどんどん新たな展開を見
せてもじっと耐え、好機を逃さずにいた。そして、それが何倍にも膨れ上がり返ってきた。次に
「ニッチ市場」という隙間のビジネスである格安航空券に目を付け、さらにそれを同じく当時は
ニッチターゲットとされていた学生につなげることができたのも澤田の目の付けどころの良さが
あったからだと思う。さらに HIS の良い点は、澤田が自身の過去の旅行体験を元に、顧客の為に
どうすればいいかを考え、独自のやり方でコンサルティングをしていたのだが、そのやり方をし
っかりと後世へと伝えていることだ。しかし、HIS には苦手な分野がある。学生や若者がメイン
ターゲットなためどうしてもシニア層には浸透力が弱い。これから、高齢化社会になり、さらに
今は団塊世代の大量退職もある。それらのシニアをどう引き付けるかが課題だ。それに、HIS は
海外がウリだが、今は燃油高騰により飛行機代が高くなり、海外旅行は伸び悩んでいる。海外一
筋ではどうにもいかないのが現状だ。観光立国として、日本を盛り上げていこうと言われている
今こそ、国内にも目を向けてほしい。
4-3 一風変わった旅行会社クラブツーリズム
世の中にはこんな旅行会社もあるのだということを紹介したいと思う。クラブツーリズムは、
2004 年 5 月に、近畿日本ツーリストの営業譲渡により独立し、新たなスタートを切っている。前
身は近畿日本ツーリスト渋谷営業所。現在、業界第 10 位。取扱高は 1459 億円。一体どこが変わ
っているのか。クラブツーリズムのキーワードは、
「メディア販売」、
「クラブ型旅行事業」、
「シニ
ア層」、「顧客参加型」である。
まず、「メディア販売」から説明すると、1980 年に新聞広告を使ったダイレクトマーケティン
グ、いわゆる旅の通販を始めた。他の旅行会社は、広告では旅行商品の中身が伝わらない、前例
がないので広告の訴求効果を予測できない、媒体広告費のリスクが大きすぎる等によりなかなか
踏み込めないでいた。そんな中、渋谷営業所は年間 1 億円の媒体広告を打った。結果は大成功。
それまで旅行商品の買い方がわからない人が多かったのか、電話 1 本で申し込めて便利だという
声が上がったのだった。その後、ツアー中の顧客の間の絆を深める、そして会社と顧客をつなぐ
術として「旅の友」という会報誌を創作した。これは、コミュニケーション誌としての機能、カ
タログ誌としての機能、情報誌としての機能を持っていた。発行当時は 10 万部だったが、現在で
は、全国 360 万部という膨大な発行部数を誇る。クラブツーリズムは店舗やカウンターを設けず、
会員誌「旅の友」と新聞広告のみで商品情報を提供し、電話やインターネットで直接申し込みを
受け付ける。
次は「クラブ型旅行事業」と「シニア層」。クラブツーリズムの顧客の大半は、シニア層の方で
ある。これからの高齢化社会にとって仲間づくりが必須であると考えたクラブツーリズムは「仲
間が広がる、旅が深まる」という基本コンセプトのもと、
「旅の友サークル」を作った。会員誌「旅
の友」の会員の顧客をいろいろな趣味・嗜好でつなぎ合わせて、学校でいうところのクラブ活動
を作ってみようという発想である。そのクラブは多岐に渡っていて、登山、ダンス、写真、スケ
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旅行会社の企画・経営戦略(川島)
ッチ、温泉、歌などの目的に分かれクラブが構成されている。いずれはクラブを 1000 まで増や
そうという「クラブ 1000 構想」があり、日夜クラブは増え続けている。現在のクラブ数は 150
である。新しく「クラブ型余暇事業」という言葉がクラブツーリズムにより生まれた。
次は「顧客参加型」。それは 2 つあり「エコースタッフ」と「フェロー・フレンドリースタッフ」
である。エコースタッフとは、会員誌「旅の友」を会員の顧客に配達するスタッフのことである。
なんとこのエコースタッフこそ顧客自身なのである。顧客に募集を呼び掛けたところ想像以上に
集まり、現在では 1 万エリア、9000 名の方がエコースタッフとして働いている。「フェロー・フ
レンドリースタッフ」とは、クラブツーリズムの社員や添乗員の代わりに、顧客ご自身がツアー
に同行し、添乗業務を行うスタッフのことである。実際、顧客目線でガイドをしてくれているた
め、とても好評である。
この会社は顧客をスッタフとして働かせるなど、他社にはないユニークな動きを見せている。
しかし、会社を退職してしまったシニア層には生きる目的となっていて、それがこの会社の成長
へと繋がっている。現在では、ニーズの多様化により消費者の要望は一筋縄ではいかなくなって
いる。それらの要望に応えるためには今後はこういった旅行会社であって旅行会社ではない新し
いビジネスモデルが必要になるかもしれない。
5.旅行業界の新しいビジネスモデル
5-1 急速に拡大するネット旅行会社
近年急速に成長し、旅行業界に大きなインパクトを与えているのが、ネット専業旅行会社だ。
これらの旅行会社の急速な普及による市場拡大のスピードは、既存の旅行会社の想像をはるかに
超え、無視できない存在となっている。旅行関連の個人向け電子商取引における国内市場規模は、
2003~2004 年のわずか 1 年で 40%も拡大し、取扱額は 6000 億円を突破した。現在でも、市場は
拡大し続けている。ネット専業旅行会社とは一体どのようなものなのか。
主にネット旅行会社が主戦場としているのが国内宿泊予約マーケットだ。つまり宿泊予約サイ
トである。そこに特化して参入してきたのが、
「楽天トラベル」や「一休.com」などに代表される
ネット旅行会社だ。ネット旅行会社の特長は、
「場貸しサイト」であることだ。どういうことかと
いうと、ネット旅行会社は契約した全国の宿泊施設のためにサイト上に「場貸し」するスペース
を提供し、予約件数に応じて受け取る手数料が収益源であることだ。この手数料は、一般の旅行
会社より低く設定できる。一般の旅行会社の場合は 15%を支払うところをサイト販売の場合は
6~8%で済むのだ。なので、空き部屋を埋めたい宿泊施設にとっては好都合で、さらに販売コスト
を抑えることができるし、その分を割り引いて消費者還元することも出来る。ネット旅行会社は
こうしたニッチな領域から確実にシェアを伸ばしてきた。成功の理由は、
「消費者には安い料金を、
宿泊施設側には低い手数料を」だ。
ネット旅行会社のもう 1 つの特長は、旅行会社としての店舗を持たないことである。顧客との
接点はサイトのみであるがゆえに、消費者のニーズに即したサイトのシステム構築に注力できる
ことが強みになっている。同じことは、宿泊施設に対してもいえて、契約先ごとにカスタマイズ
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旅行会社の企画・経営戦略(川島)
させたサイト機能を付加させている。たとえば、ユーザーのアクセスや予約の集計結果から、宿
泊施設に対して効果的なマーケティング戦略を導くことができる。
ここで問題になってくるのが「リアル店舗の立ち位置」である。ネットの普及で消費者は自宅
にいながら情報を得ることができ、手続きも出来るとなれば、これまでの販売拠点であった旅行
会社の店舗はどうやって生き残ればいいのか。ネット専業旅行会社の台頭で、
「対面販売不要論(リ
アル店舗はもういらない)」といった話も出てきている。だが、きめ細かい顧客のニーズに応えら
れるのはやはり経験豊富な既存の旅行会社だ。コンサルティング能力と商品企画力ではまだまだ
負けていない。今は価値観の多様化と個性化の時代だ。どちらが気まぐれな消費者のニーズにマ
ッチしたサービスを提供できるのであろうか。最近では、携帯電話からでも旅行予約が出来、バ
スなどでチケットレスなども行われている。2006 年時点では、携帯電話からのインターネット・
ショッピングで購入した品目では、旅行関連が第 1 位なのである。ネット対リアルにこれからも
目が離せない。
5-2 これからの時代の新しいツーリズム
旅行業界は、消費者の多様なニーズ、団塊世代の大量退職、IT 化によるネット専業旅行会社達
の台頭、景気の動向などの変化の影響をダイレクトに受ける業界だ。そして、もはや旅行という
のはただ観光地に行って観光するだけの物見遊山型の旅行商品だけでは、売れなくなってしまっ
ている。これからは、テーマや目的のある旅行商品を造っていかなければならない。そこで、今
注目されている新しいツーリズムをいくつか紹介してみたいと思う。
まずは、「高額所得者向け旅行商品」。これは、時間と金銭に余裕のある富裕層に的を絞った販
売戦略である。オーダーメイドの旅がコンセプトで、平均 150 万円である。中には1人 600 万円
もする旅行もある。2003 年には JTB が銀座に高額商品専門の旅行店舗「ロイヤルロード銀座」
をオープンさせている。次いで、2007 年には同様に近畿日本ツーリストが「ラグゼ
銀座マロニ
エ」、HIS が「銀座ヴィヴァレット」をオープンさせている。これから団塊世代の大量退職により、
賑わうと思われる。
次に「グリーンツーリズム、エコツーリズム」。グリーンツーリズムとは、農山漁村において、
自然やそこで暮らす人々との交流を目的にした観光スタイルだ。都会の人間には新しい余暇の過
ごし方として、地方自治体には地域振興の切り札としてさまざまな取り組みが進んでいる。エコ
ツーリズムは、自然環境を守りながら、地域の文化や歴史を楽しみ、専門のガイドと共に自然観
察や体験学習をする環境教育を兼ねた観光スタイルだ。これらのツーリズムはまさにただ観光す
るだけでなく、目的を持った旅行である。まだ人気は出ていないが、エコが叫ばれている現代で
はこれからどんどん活況していくと思う。
次に、「法人ソリューション、イベントコンベンション」
。法人ソリューションとは何か。今ま
で旅行会社の法人営業は、企業の職場旅行や視察旅行の手配が一般的であったが、今ではクライ
アントのあらゆるニーズを解決しようという課題解決型営業を基盤に、インセンティブ旅行や製
品の販売促進から出張手配の清算、経営コンサルタント、社内行事やイベント運営、福利厚生業
務まで行っているのだ。例えば、ツアー客にクライアントの無料商品サンプルを渡したり、機内
の網ポケットに商品カタログを入れたりするのだ。
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旅行会社の企画・経営戦略(川島)
次にイベントコンベンション。これはイベントの会場の運営から、警備、通訳、式典イベント
企画、設営、広告宣伝までを旅行会社が行うというのだ。驚くことに、2005 年に行われた「愛・
地球博」の運営に JTB グループが大きく関わっており運営していたのだ。
このように、今の旅行会社はもはや旅行会社と呼べないくらいに様々な事業を手掛けている。
だが、旅行会社はあくまでも旅行会社だ。旅行業という本来のビジネスからは逸脱せずに、しか
し様々な事柄に派生してこれからも新しいツーリズムを誕生させていかなければならないだろう。
6.結論
今回の卒業論文で旅行業界の全体像や近況、そして大手旅行会社の戦略を調べた。調べていて
思うことはやはり旅行業界は変化が激しいということだ。外的要因にも左右されやすく、常に時
代のトレンドも読んでいかなくてはならない。だから、常に新しいものを生み出し、そして消費
者が求めるニーズに答えなくてはならない。もうただの観光地巡りでは旅行商品は成り立たない。
ましてや旅行会社として生き抜くことは出来ない。
JTB、HIS、クラブツーリズムの戦略や手法を調べていて共通していることは、他社がしない
ことをしているということ。つまり、差別化だ。JTB はあらゆる苦難を乗り越え、分社化という
大きな決断を下した。旅行業界のトップを独占し続ける JTB が多大なリスクを背負って分社化を
したのである。多少まだ粗削りな部分はあるものの、分社化後に営業利益は過去最高を記録した。
HIS は、大手が見向きもしなかったニッチ市場に目を向け、格安航空券、学生を中心に成功を
収め、今では大手旅行会社の一角を占めるまでになった。オイルサーチャージにより、現在では
苦戦を強いられているが、CM 等の広告によりその知名度は抜群である。
クラブツーリズムは、クラブ型余暇事業という新たな事業を発掘し、さらに顧客をスタッフに
起用するなどまさに目的をもった旅行を展開している。主にシニア層がターゲットだが、これか
らこういった現代のトレンドにマッチした旅行会社はこれからどんどん伸びていくと思われる。
このように、大手旅行会社は独自の戦略、手法で旅行事業を展開しているが、この大手旅行会
社をも脅かすのがネット専業旅行会社だ。前にも記してあるように 2000 年代に入ってから着々
と成長していき、今ではその存在は無視できなくなっている。ネット専業旅行会社には多大なメ
リットがある。手数料が低いので、ホテルや宿等の提供者側からは奨励されている。その浮いた
分の手数料を顧客にも回せるので、消費者にもメリットがある。また、何といってもネット旅行
会社は手軽だ。わざわざ、旅行会社の店舗に出向くことがないので、家にいながら旅行商品を選
ぶことができる。時間がない社会人や夜型人間が多い学生などには、時間を気にせず旅行商品を
見て、手軽に買うことが出来る。また、携帯電話でも手軽にショッピング出来てしまうので、い
つでも、どこでも旅行商品を買うことができる。ネット専業旅行会社はインターネットが普及し、
誰でも携帯電話を持っている現代のニーズにマッチしているのだ。そのため、ネット専業旅行会
社はものすごいスピードで成長している。現在では、ツアーよりも個人旅行や自由旅行が流行っ
ていて、旅行会社の店舗で係員と熱心に話し合うよりも、インターネットで交通手段と泊まる所
を確保できればいいという人も増えてきている。
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旅行会社の企画・経営戦略(川島)
では、既存の旅行会社(JTB や HIS など)の店舗はどう生き残ればいいのか。ネット専業旅行
会社でもパッケージツアーや海外旅行などを始めていて、総合旅行会社とほとんど何も変わらな
くなってきている。実際 2005 年 8 月には楽天トラベルが、第 1 種旅行業の登録を完了していて、
宿泊予約サイトから総合旅行会社へと変貌を遂げている。
だが、もちろんリアル(店舗)が勝っているものもあると思う。まず 1 つめは「情報力、コン
サルティング能力」である。JTB や HIS には、やはり大手旅行会社であるだけに、情報力、コン
サルティング能力は負けていない。むしろ、これはネット専業旅行会社では顔を合わせない為、
どうしても生の情報力というのは乏しくなってしまう。だが、リアルであるならばどんなに細か
いことでも相談でき、中身の濃い旅行商品を提供できると思う。
2 つめは「安全性、信頼感」だ。ネットであると、画面上だけでの操作になり、どうしても細
かい情報というのは見逃しがちになる。また、お金がきちんと支払われているのか不安になった
りもする。リアルであるならば、顔を合わせて説明してもらえるし、その場でお金を支払えば安
心も出来る。個人情報の漏洩や悪用などの心配もない。
3 つめは「テーマのある店舗」だ。例えば、新しいビジネスモデルで紹介したように高額商品
専門の店舗のことである。こういった商品は長い間、旅行会社と綿密な相談をする。こういった
中身の濃い旅行商品はネットのみではなかなか実行できない。また、最近ではウエディングと旅
行を融合した旅行専門店やカフェと旅行会社を融合した専門店なども現れてきている。
このように、店舗だからこそ出来ることは必ず存在する。だが、時代のニーズにマッチしたネ
ット専業旅行会社はこれからも成長し、拡大していくだろう。大手旅行会社も今のままではネッ
ト専業旅行会社にいずれ飲み込まれてしまう日が来るかもしれない。従って、リアルにこだわり
続けるのではなく、リアルとネットを上手く融合させ、リアルの良さを残し、ネットの良さを取
りいれた戦略、手法を旅行会社は展開していくべきではないかと思う。
文献一覧
1.
折戸晴雄『旅行マーケティングの戦略
2.
国土交通省編『平成 19 年版
3.
澤田秀夫『HIS 机二つ、電話一本からの冒険』日本経済新聞社、2005 年。
4.
JNTO 編『訪日外客実態調査 2006-2007<訪問地調査編>』国際サービスセンター、2008 年。
5.
高橋秀夫『理想の旅行業
6.
千葉千枝子『JTB 旅をみがく現場力』東洋経済新聞社、2008 年。
7.
中村恵二『図解入門業界研究
商品企画と経営』玉川大学出版部、2008 年。
観光白書』コミュニカ、2007 年。
クラブツーリズムの秘密』毎日新聞社、2008 年。
最新旅行業界の動向とカラクリがよ~くわかる本』秀和シス
テム、2006 年。
8.
中村正人『トラベル・航空』産学社、2007 年。
9.
平田進也『旅行業界のカリスマ 7 億稼ぐ企画力』小学館、2008 年。
10. 安田亘宏『旅行会社のクロスセル戦略』イカロス出版、2007 年。
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