第9講 表象文化 講 表象文化 講 表象文化としての演劇Ⅱ 西洋演劇の歴史

桜美林大学2014
桜美林大学2014年秋学期
2014年秋学期「
年秋学期「エンターテインメント産業論
エンターテインメント産業論」
産業論」
第 9講
第9講 表象文化としての
表象文化としての演劇
としての演劇Ⅱ
演劇Ⅱ
2014.
2014.11.
11.20
西洋演劇の
西洋演劇の歴史
-大衆芸能、
大衆芸能、民衆娯楽の
民衆娯楽の視点から
視点から
1. 呪術的舞踊~
呪術的舞踊~祭礼劇、
祭礼劇、舞台芸能へ
舞台芸能へ
演劇の起源
未開民族が今日でもまだ行っているような擬態による呪術の儀式
に見出される。
↓
様々な生物や事物の中に宿る精霊=変身
仮面とは変身の手段 呪術的・神秘的な興奮を具体的に表現するもの
擬態=模倣 → 再現 (表象=representation)
祭礼の宴
大地の恵み、生産力に対する祭礼は狂宴を伴う秘儀の形を取る。
↓
労働を律する秩序は、消耗する(人を疲れさせ、飽きさせる)。
定期的に原始の混沌に浸して蘇生させる必要がある。こうして、狂騒
性を帯びた祭礼が行われた。
舞台芸能
祭礼の呪術的緊張が弱まってくると、人間の意識に対する支配力を
失う。即ち、呪術性から離れて人間精神が解放される。仮面を被った
精霊や魔神はカーニバル(謝肉祭)や縁日での見世物になる。演劇史
を通して、これらの精霊、魔神が登場する。宗教的起源のこれらの所
作、喜劇的なるものは宗教的に神聖だったものからの堕落から生じ、
人間の所作の模倣起源の芸能と渾然一体となって、笑劇や喜劇などに
発展していく。 悲劇は、完成と体験の歌として、演技に宗教性を維
持する。
2.古代ギリシア
古代ギリシア演劇
ギリシア演劇、
演劇、ローマ演劇
ローマ演劇
1)ギリシア演劇
劇芸術、舞台芸術は祭礼の狂騒性を排除することで生まれる。
ギリシアにおいて、祭礼から劇を切り離し、人間の運命を上演の中心であり、対
象とすることで劇を確立した。
・ディオニュソス信仰
酒(葡萄酒)の神ディオニュソス=ゼウスの子、巨人族に殺され寸断され、
食われ、やがてゼウスによって復活する。ディオニュソスが再生した時、歓喜
狂乱になって爆発する。ディオニュソス信仰は、野蛮な儀式であった。
-1-
↑
こうした狂乱を伴う儀式を合唱のリズムによって鎮めた。ディオニュソス信仰
は、葡萄の収穫を祝う祭儀と合体して合唱舞踊を伴うものとなった。
・悲劇の発生
ディオニュソスの従者であるサテュロス(半人半山羊)がディオニュソスの苦
難を嘆く姿を表象して、祭壇の周囲で円舞合唱する。この円舞合唱が悲劇芸術
の始まりと言われる。
・ディテュランボス
ディオニュソス祭礼から分離した円舞合唱はディテュランボスと呼ばれ、やが
て宗教音楽風のオペラに発展、形式が確立する。
・ギリシア演劇の創始者テスピス
BC 536年、テスピスはディオニュソス大祭で催された第1回悲劇詩競演
で優勝。始めの頃、悲劇の単なる朗詠者であったものを仮面をつけ、演じるこ
とで、演劇としての要素を確立し、また俳優を成立させた。
・ギリシャ演劇の完成期
BC 5世紀頃、アイスキュロス(『 オレスティア』3部作など)、ソポクレス
(『アンティゴネ』『オイディプス王』など)、エウリピデス『バッカスの巫女』
など)の優れた悲劇作家が現れる。また、BC 5世紀の後半になると、アリス
トパネスが出て、『女の平和』『蛙』等の傑作喜劇を生んだ。ギリシア演劇の
上演は、アテネのアクロポリスの丘の南斜面に作られたディオニュソス劇場が
その中心となり、ディオニソス大祭では2万人を集めたと言われる。
2)ローマ演劇
イタリア人は道化の天才といわれる。古代ローマの時代からその才能を見るこ
とが出来る。
・ギリシアの遺産
ギリシア演劇はローマに伝わり、ローマではギリシア悲劇をラテン悲劇に焼き
直された。(筋を誇張)喜劇についても、ギリシア劇にローマの体裁を施した
ようなものであった。ローマの土着の宗教と融合して、娯楽性の高い劇となっ
た。(代表的劇作家はテレンティウス)
・大衆喜劇
ナポリ近郊で発生した仮面即興喜劇(ファブラ・アテルラナ)=アテルラナ劇
非常に淫らで粗野な笑劇。政治的風刺もあった。
ギリシア・アジア起源のミモス劇はアテルラナ劇よりさらに下品で、現代の寄
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席やミュージック・ホールのようなもの。物真似狂言。
ミモス劇から、仮面黙劇(パントミモス)が生まれた。役者はギリシア、ロー
マともそれまで男優が演じてきたが、仮面黙劇では女性も登場するようになり
肉感的な表現が中心となった。
・ローマ演劇の衰亡
ローマ演劇は時代と共に破廉恥になり、堕落、浪費、腐敗したものとして、キ
リスト教徒は劇場に近づかなかった。キリスト教がローマで公認されると、演
劇はその批判性と娯楽性によって、教会の弾圧の対象となった。紀元 533 年を
最後に古代ローマの劇場は閉鎖された。また、ミモスの役者は教会から破門さ
れた。しかし、ミモスやパントミモスは劇場を必ずしも必要としない民間芸能
である。この分野は、旅芸人が諸国を遍歴し、様々な地方で根強く生き続けた。
3.中世の
中世の西洋演劇
・宗教劇、典礼劇
10世紀頃から、カトリック教会が布教のため演劇的様式を取り入れ始めた。
聖書を理解させるための演劇、聖書の視覚化が演劇を通して行われた。
典礼劇は10~14世紀にフランスを中心としたカトリック教会の典礼の中
で行われた音楽劇。聖書から様々な題材を得て作られた。オペラの源流とも
言われる。
・聖史劇(ミステール)
キリスト受難の物語を吟遊詩人達が各地で吟じていたが、この聖史劇上演を
目的として組合が結成され、1402 年フランス王は勅許状を与え、パリに初め
て常設劇場が出来た。
4.ルネッサンス期演劇
ルネッサンス期演劇と
期演劇と演劇の
演劇の黄金時代
1)ルネッサンスと演劇
ルネッサンスは古典的教養の再興の時代であり、古代学芸研究が盛んに成された。
アリストテレスの『詩学』研究が演劇にとっては最も重要な要素となった。この
研究によって、劇や戯曲の理論化が進められた。これらの理論は演劇の基礎として
現代にまで影響を及ぼしている。
ルネッサンス後期イタリアでは、プロセニアム・アーチと呼ばれる舞台と客席とを
区切る額縁構造の劇場が生まれ、17世紀以降のヨーロッパ劇場建築の主流となっ
た。イタリアでは16世紀にオペラが誕生している。
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2)黄金期の演劇
演劇における黄金期とは、一般的にセルバンテス(16 ~ 17 C初)~カルデロン(17
C末、)までのスペイン演劇の輝かしい時代を指す。カルデロンは 600 編の戯曲を
作り、またカルデロンと共に黄金期を築いたローペ・デ・ベーガは 1800 編を書き
下ろしたと言われる。
この時代、イギリスでは、エリザベス朝演劇、イタリアではコメディア・デラルテ
が栄え、華々しい演劇の時代を迎えた。演劇史上最大の劇作家であるシェクスピア
もこの時代(16 C後半から 17 C初め)に活躍した。
17 世紀フランスでは 、コルネーユ( 悲喜劇『 ル・シッド』等 )、ラシーヌ( 悲劇『 フ
ェードル』等)、モリエール(喜劇『タルチェフ』『ドン・ジュアン』等)の古典
主義の大作家を生んだ。
5.大衆芸能、
大衆芸能、民衆娯楽としての
民衆娯楽としての演劇
としての演劇(
演劇(旅芸人遍歴の
旅芸人遍歴の歴史)
歴史)
今日における演劇活動、テレビ番組、映画、ショーなどのエンターテインメントに
多大な影響を及ぼしてきたものに、演劇の系統で言えば、人間の所作の模倣起源を持
つミモス劇やアテルラナ劇、ポピュラーシアターなど、役者が主体的に芸を見せる非
文学的演劇の系譜がある。それらの系譜の中からいくつかを拾ってみよう。
本講では、近世から近現代の演劇については、娯楽的要素の強い民衆的なものを対象
とし、この時代の文化の支配的位置に立ついわゆる高尚芸術は対象としない。
1)ハンス・ザックス(Hans Sachs)と謝肉祭劇
中世ヨーロッパで発達した宗教劇に対して、大衆的世話物劇として民間伝承された
ものに謝肉祭劇がある。
謝肉祭劇とは
ゲルマン民族の異教的な行事や祝祭の舞踊や演技と中世キリスト教の祭礼儀式、
風習が混じり合った民衆劇。イタリアで盛んであったカーニバル(謝肉祭)の
行事の影響を受ける。
謝肉祭劇は、オーストリア南部、チロル地方、スイスやバイエルンに広まり、15
世紀半ばから、南ドイツのニュールンベルグの商工組合によって盛んに演じられる。
15 C初め、ニュールンベルグの靴屋にして工匠歌人(マイスタージンガー)であ
たハンス・ザックスが登場する。ザックスはアリストパネス的な風刺喜劇の伝統の
最も輝かしい最後の代表といわれる。
謝肉祭劇の内容は、初め武技、舞踊などの余興的なものから、対話劇、裁判劇の
ようなものに、更には人情芝居、伝説、宗教劇、童話をもとにした茶番狂言になり
卑俗、猥雑、素朴な祝祭的な表現、英雄伝説や時事問題、風俗習慣を戯画化したも
のであった。軽妙、愚劣、滑稽、淫靡、皮肉を特徴とした。近代的な喜劇を内包し
ていた。ハンス・ザックスはこうした或る意味で低級な謝肉祭劇を向上発展させた。
85の謝肉祭劇を残したが、それは茶番狂言の謝肉祭劇に市民道徳の向上や教訓
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を盛り込み、市民教化を図った。ザックスの手法は市民教化にあたり、農民や町人
の生活を戯画化し、滑稽な所作を用いて、教化の試みを行った。
2)シャルラタンの存在
フランス民族学の蔵持不三也が、「諧謔の仕掛け人」シャルラタンを巡る体系的
な研究成果を著した。『
( シャルラタン』2003 新評論刊)
シャルラタンとは近代前夜に登場した異形の周縁者達である。
シャルラタンは、イタリア語のサルティンバンコを意味し、大道芸人、道化、口
上、いかさま、ペテン、香具師、放浪者と言った意味まで含まれる。
実際のところ、シャルラタンは、「医術」を行う者、「医薬品」を行う者であった。
但し、彼らには鑑札も免状もなく、諸国を遍歴した。医術や医薬品を施すにあた
って、行動を共にしてきた芸人達に仮設舞台でいかがわしい医術や薬学を見世物
化した。シャルラタンは同行した大道芸人と同一化されていた。シャルラタンの
中に後世に名をとどめたタバランがいる。(17 C前半)彼は「シャルラタンの王」
と呼ばれた。薬売りの香具師であるシャルラタンとして、問答劇や笑劇を作り、
客を集めた。このシャルラタンと共に次に触れるコメディア・デラルテのイタリ
ア人役者も多数存在した。これらシャルラタン芸人は、フランス演劇に多大な影
響を与えた。
3)コメディア・デラルテ
先にイタリア人は道化の天才と述べたが、イタリアで生まれたのが、仮面即興喜
劇コメディア・デラルテである。
ローマ演劇の衰亡後、中世の500年という長きにわたって、教会の弾圧を演劇
は受けてきたが、古代のミモス劇、アテルラナ劇は旅芸人の手に託されて、生き
続け、洗練され、後世に伝えられてきた。古代旅芸人の物真似狂言を無数の香具
師が受け継ぎ、民衆の間を旅し、手品や魔術と共に喜劇を演ずる。
コメディア・デラルテの演劇は、渋面、立ち姿、敏捷な動き、柔軟な身体表現、
流ちょうな弁舌などにおいて、際だっている。
コメディア・デラルテは、特定の劇団を意味するのではなく、道化芝居を演ずる
劇団全体を指す言葉。俳優は独特な仮面と衣装をつけて、個性の強いキャラクタ
ーを演ずる。キャラクターは、予めストックされ、コメディア・デラルテで演じ
る役として供給された。例えば、けちな老商人はパンタローネ、軽妙な動きとイ
ンチキな知恵で主人を助ける召使いのアルレキーノ、間抜けな召使いのペドロリ
ーノなどの役がストック・キャラクターとして用意され、演じる内容によって
ストックから適するキャラクターを選び出し、劇に配置された。
コメディア・デラルテは 1550 年頃、その様式を確立し、抱腹絶倒の面白さ、曲
芸などの身体表現のすばらしさによって、民衆はもとより貴族までも楽しませ、
イタリアやフランスにおいて演劇史における一時代を築いたが、革新性・発展性
がないため、徐々に衰えていった。しかし、例えばオペラに舞踊と舞台の機械装
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置(しかけ)などをもたらすなど、後世に与えた影響が特筆される。
コメディア・デラルテの特徴と後世に与えた影響は次の通りである。
(特徴)
・思想や感情より、行動が重要な演劇
・舞台の動きで筋が展開する、言い換えれば俳優が主体の演劇
・俳優の個性に重要性を持つ演劇
(後世への影響)
・山場中心の台本=葛藤喜劇、メロドラマを生む
・舞踊入り演劇
・オペラ、軽歌劇
・大衆劇、フランス笑劇、ロマンと夢幻劇
・サーカス(道化役者)の口上、ミュージック・ホールのバラエティ
キャバレーの見世物
・カーニバル(謝肉祭)から受けた諸要素
・機械仕掛けの舞台
・操り人形 ・パントマイム
等
これらの特徴と現代に与えた影響の諸要素は、映画、TV,ラジオなどの中に今
日見ることが出来る。
『世界演劇史』の著者ロベール・ピニャールは現代劇作法の精神の基礎になって
いると言っている。上演場所は、観客が集まりそうな所に、すぐ仮設舞台を作り
演じた。前述のシャルラタンらと行動を共にし、パリでは(有名なボン・ヌフ橋
などがその舞台)では、好評を博し、16世紀から2世紀にわたってパリの常設
劇場で演じ続けた。フランスの大喜劇作家・モリエールにも多大な影響を与えた
と言われる。職業的役者で構成される劇団の大きな成功はコメディア・デラルテ
が最初と言われる。
6.近代娯楽へ
近代娯楽へ
フランスの歴史者学アラン・コルバンは 1995 年『レジャーの誕生』(藤原書店刊
渡辺響子訳 2000 年)において、何人かの共著者とともに、19世紀から20世紀初頭
までに今日的な意味でのレジャーが誕生する過程を系譜学的に捉えている。特にフラン
ス、イギリス、イタリアの大衆娯楽が誕生する様子を細かく描いている。
19世紀法半からカーニバルで演じられていた即興的な娯楽、パロディ、道化、殴り合
いや即興的スペクタクル(活劇)=路上演劇は、次第により閉鎖的な場へと舞台を変え
つつあった。カーニバルの大衆芸能は、カフェ・コンセールやバラエティ劇場の中で
断片化され、取り上げられた。
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・カフェ・コンセール
歌やショウを楽しみながら飲食するカフェのこと。1890 年代の10年間栄えた。
・バラエティ劇場
1890 年から 1910 年まで、黄金期にあった。コミカルな出し物、奇術、腹話術、
綱渡り、芝居などが演じられた。
↓
これらの娯楽は、20世紀後半、TVや映画、ラジオなどの娯楽装置に流れ込み、再現
された。
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