漢字文化圏近代語研究会

漢字文化圏近代語研究会 主催
日本大阪 関西大学 2004.3.13-14
第 四 回
漢字文化圏近代語研究会
予
稿
関西大学
2004
集
目
次
1
プログラム
「空気」語源考
...荒 川 清 秀
...............
3
...松 井 利 彦
...............
11
開港初期日本人が韓国に直接伝えた日本語
...李
漢燮
............
21
日中近代語の成立に伴う問題点を考える
...陳
力衛
...............
35
...八 耳 俊 文
...............
51
訳語「百科全書」成立、変異及び文化理解
...鄒
振環
...............
61
蔡元培の日本語翻訳と哲学用語の導入
...朱
京偉
...............
77
江戸時代における「唐話」の諸形態とその影響
...奥 村 佳 代 子 ...............
93
...朱
鳳
...............
99
...舒
志田
...............
106
...蒲
豊彦
...............
155
...塩 山 正 純
...............
177
...王
敏東
...............
191
訳 語 の 意 味 変 動 ──日 中 韓 に お け る “合 衆 ( 國 ) ”
...千 葉 謙 悟
...............
201
「大統領」という語の成立について
...孫
建軍
...............
217
...金
敬雄
...............
231
...金
敬鎬
...............
249
――語 基 の 造 語 力 と 伝 播 の タ イ プ を め ぐ っ て
大いなる筆談
――「 対 等 」「 女 性 」 の 共 通 語 化 を め ぐ っ て
博物通書から博物新編へ
――入 華 宣 教 師 の 科 学 啓 蒙 書 の は じ ま り
モリソンが『華英字典』を通して
西洋に紹介した科挙
近代漢語の日中貸借の対照研究
――古 典 語 と の か か わ り を 中 心 に
清末宣教師の文字改革と標準表記システム
初 期 漢 訳 聖 書 の 系 譜 ──『 四 史 攸 編 』『 神 天 聖 書 』
『聖経』その語彙的特徴について
台湾における外国地名の表記について
――日 本 占 領 時 代 の 『 台 湾 民 報 』 を 中 心 に
井 上 哲 次 郎 の『 訂 増 英 華 字 典 』に 於 け る 訳 語 の 増 設
に つ い て の 考 察 ──底 本 の 英 語 に 新 設 し た 訳 語
韓国の近代医学書における医薬用語研究
付録:発表者・関係者一覧
第 4 回 漢字文化圏近代語研究会 1
於日本大阪 関西大学 2004.3.13-14
第4回
漢字文化圏近代語研究会
期 日 : 2004 年 3 月 13( 土 )
13:00~ 17:00
14( 日 )
場所:関西大学
第1日
岩崎記念館
13( 土 )
4F
パネルディスカッション
10:30~ 15:30
研究発表
多目的ホール
13:00~ 17:00
パネルディスカッション:近代語研究の学際的視点
z
第I部
言語接触:漢字文化圏の共通語としての近代語彙
パ ネ リ ス ト と 演 題 ( 敬 称 略 ):
荒 川 清 秀 ( 愛 知 大 学 教 授 ):「 空 気 」 語 源 考
──語 基 の 造 語 力 と 伝 播 の タ イ プ を め ぐ っ て
松 井 利 彦 ( 神 戸 松 蔭 女 子 大 教 授 ): 大 い な る 筆 談
──「 対 等 」「 女 性 」 の 共 通 語 化 を め ぐ っ て
李
漢 燮 ( 高 麗 大 学 教 授 ): 開 港 初 期 日 本 人 が 韓 国 に 直 接 伝 え た 日 本 語
陳
力 衛 ( 目 白 大 学 助 教 授 ): 日 中 近 代 語 の 成 立 に 伴 う 問 題 点 を 考 え る
コメンテータ:内田慶市(関西大学教授)
z
第 II 部
西洋の近代的知識の受容と近代語彙
パネリスト:
八 耳 俊 文 ( 青 山 学 院 女 子 短 大 教 授 ):
鄒
振 環( 復 旦 大 学 教 授 )
( 通 訳 付 き ):訳 語「 百 科 全 書 」成 立 、変 異 及 び
文化理解
朱
京 偉 ( 北 京 外 国 語 大 教 授 ): 蔡 元 培 の 日 本 語 翻 訳 と 哲 学 用 語 の 導 入
コメンテータ:沈
国威(関西大学教授)
パ ネ リ ス ト : 20 分 、 コ メ ン テ ー タ : 15 分 、 フ ロ ア : 15 分
コ ー ヒ ー ブ レ ー ク 25 分
パ ネ リ ス ト : 20 分 、 コ メ ン テ ー タ : 15 分 、 フ ロ ア : 15 分
6 時から懇親会、関西大学(レストラン
一休)
2
プログラム
第2日
14( 日 )
10:00~ 16:00
( 12:30~ 13:30 昼 食 )
研 究 発 表 ( 発 表 20 分 、 質 疑 応 答 10 分 )
午前の部
発表者と演題(敬称略)
10:00
奥村佳代子(関西大学)
10:30
朱
鳳(京都大学)
江戸時代における「唐話」の諸形態とその影響
モリソンが『華英字典』を通して西洋に紹介した
科挙
11:00
舒
近 代 漢 語 の 日 中 貸 借 の 対 照 研 究 ──古 典 語 と の
志田(上海同済)
かかわりを中心に
以上司会:陳力衛
11:30
蒲
12:00
塩山正純(愛知大学)
豊彦(橘女子大)
清末宣教師の文字改革と標準表記システム
初期漢訳聖書の系譜
──『 四 史 攸 編 』『 神 天 聖 書 』『 聖 経 』 そ の 語 彙 的 特 徴 に つ い て
以上司会:内田慶市
( 12:30~ 13:30 昼 食 )
午後の部
13:30
王
敏東(銘傳大学)
台湾における外国地名の表記について
──日 本 占 領 時 代 の 『 台 湾 民 報 』 を 中 心 に
14:00
千葉謙悟(早稲田大学)
14:30
孫
建軍(日文研)
訳 語 の 意 味 変 動 ──日 中 韓 に お け る “合 衆 ( 國 ) ”
「大統領」という語の成立について
以上司会:朱京偉
15:00
金
敬雄(福島大学)井上哲次郎の『訂増英華字典』に於ける訳語の
増 設 に つ い て の 考 察 ──底 本 の 英 語 に 新 設 し た 訳 語
15:30
金
敬鎬(湖南大学)
韓国の近代医学書における医薬用語研究
以上司会:李漢燮
16:00
閉会のあいさつ
漢 字 文 化 圏 近 代 語 研 究 会 2004 年
関西大学
沈
国威
北京外大
朱
京偉
同
目白大学
陳
力衛
同
高麗大学
李
漢燮
同
世話人:
幹事:
2004 年 1 月
第 4 回 漢字文化圏近代語研究会 3
於日本大阪 関西大学 2004.3.13-14
「空気」語源考
――語 基 の 造 語 力 と 伝 播 の タ イ プ を め ぐ っ て
愛知大学・荒川清秀
0
はじめに
本報告では以下の理由から「空気」という語をとりあげる。
(1)
「 空 気 」は 語 基 す な わ ち「 空 」の 造 語 力 に お い て 日 中 で 差 が あ る と 考 え ら
れること。
(2)
「 空 気 」は 日 本 の 蘭 学 資 料 に ま ず 出 て く る が 、中 国 側 に お い て も 、日 清 戦
争 ( 1894) 以 前 の 資 料 に 出 て く る 。 日 中 別 々 に で き た と 考 え る べ き か 、 そ れ と
も日本から中国に伝えられたのか。別々にできたとしたら、いかにしてできた
のか。日中で差はなかったのか。
『日本国語大辞典
第2版』の「空気」の語誌欄には、
蘭 学 者 が 考 案 し た 訳 語 で 、 英 和 対 訳 袖 珍 辞 書 ( 1862) は 、 蘭 学 系 の 訳 語 を
継 承 し 、英 語
air に「 空 気 」を あ て て い る 。そ の 後 、「 和 英 語 林 集 成 」や
明治初期の独和辞書を通じて一般化した。
と あ り 、 そ の 最 も 古 い 用 例 と し て は 、「 砲 術 語 選 ( 1849)
Lugt リュグト
空気」
をあげる。
『英和対訳袖珍辞書』の該当箇所をまずあげておこう。
air
空 気 . 微 風 . 風 格 . 形 状 . 歌 節 (「 空 気 」 は 同 じ 頁 に あ と 6 例 あ り )
『袖珍』のソースが『和蘭字彙』だけでなく、メドハーストの英華辞典から
もきていることは、近年遠藤智夫の研究で明らかになってきたし、編者堀達之
助 が そ れ 以 外 の 蘭 学 資 料 を 参 考 に し て い る こ と も わ か っ て い る 。荒 川 2001 で 問
題 に し た「 健 康 」も そ の 一 つ で 、緒 方 洪 庵 の『 病 学 通 論 』
( 1849)等 の 資 料 を 見
て い た こ と が 想 像 で き る 。と も あ れ 、
『 日 国 』は「 空 気 」を 日 本 語 起 源 と み て い
る わ け で あ る 。と こ ろ が 、中 国 で 出 た『 近 現 代 漢 語 新 詞 詞 源 詞 典 』
(漢語大詞典
出 版 社 2001)は 、そ の 初 出 を 中 国 側 資 料 で あ る『 六 合 叢 談 』
( 1857)と す る 。
(該
当個所担当
Muirhead 慕 維 廉
7-3a 地 理
洋海論)
4
「空気」語源考
(荒川)
光射之。青色最易反照。故 空気 海水皆見為青色。
「空気」は両国で別々に生まれたのか。それとも、宣教師たちが蘭学資料を
みていたのか。今たどれる初出資料からいえば日本の方が古いわけだが、これ
ま で 日 本 か ら 中 国 と い う 訳 語 の 流 れ で 最 も 古 い も の は 、荒 川 1997 で も 指 摘 し た
よ う に 、堀 の『 袖 珍 』か ら ロ プ シ ャ イ ト の『 英 華 字 典 』
( 1866-9)へ と い う 流 れ
である。それよりも前に、つまり蘭学者の語彙が中国へ渡っていくということ
があったのだろうか。
ま た 、一 方 、
『 六 合 叢 談 』は 1857-8 年 の 出 版 で 、日 本 で も 1860 年 に 刪 定 本 の
官版が出ているから、蘭学の訳語の継承とは別に、洋学書(漢訳洋書)を通じ
て日本語に入っていき、このことが「空気」の定着に加速をかけるということ
が考えられる。
そうしたことを検討する前に、最初に述べたように、まず日中での語基の造
語力の違いについてふれておきたい。
1
「空」と「天」
報 告 者 は 荒 川 2002 に お い て 日 中 の 漢 語 語 基 を 比 較 し た と き 、「 空 ク ウ 」 と い
う 語 基 が 、「 か ら っ ぽ 」 と い う 意 味 で 使 う と き と 、「 ソ ラ 」 と い う 意 味 で 使 う と
きとで造語力が違っているのではないかという疑問をもった。中国語において
は 、 < 空 > は も と も と “天 tian”で 表 さ れ 、 “空 kong ”は 本 来 「 か ら っ ぽ 」 と い
う意味であった。
さ ら に 、 現 代 中 国 語 で の “天 ”と “空 ”と を 比 べ て み る と 、 地 上 に 近 い と こ ろ と
か な り 遠 い と こ ろ を “天 ”で 表 し 、 そ の 間 の 、 い わ ば 航 空 機 の 飛 ぶ 範 囲 を “空 ”を
含む複合語で表している。
( た だ し 、上 で も 述 べ た よ う に “航 空 ”に 対 し 、宇 宙 空
間 の 飛 行 に は “航 天 ”が 使 わ れ て い る 。)
天
上天
蒼天
藍天
変天
天 橋( 陸 橋 、平 均 台 )
航天
通天
翻天
露天
天 梯( 高 い 建 物 に と り つ け た 梯 子 )
ンテナ)天車(天井クレーン)
天溝(とい)
天 線( ア
天井(天窓)
天棚
(アンペラ屋根)
空
空際
空間
空降
空姐
空軍
空難
空勤
空襲
空域
空運
空中
空姐
上空
天空
太空
長空
防空
星空
凌空
航空
高空
領空
晴空
こ れ を み る と 、“空 ”を 含 む 複 合 語 の 成 立 が 比 較 的 新 し い こ と が 予 想 さ れ る 。
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
5
“空 ”は 本 来 < 空 > の 意 味 で は 独 立 し て 使 う だ け の 力 が な か っ た が 、 近 代 に な っ
て 、あ る こ と が 契 機 と な り “空 ”を 含 む 複 合 語 が つ く ら れ 、そ れ が モ デ ル に な り 、
他の複合語がつくられるようになった。ここに日本語の影響もあったのではな
いかと報告者は考えている。ちなみに、中国に「空港」という語が受け入れら
れるようになるのは近年のことである。
こ こ で “空 ”の 造 語 力 の 弱 さ を 問 題 に す る の は 、 以 下 に あ げ る よ う に 、 近 代 に
来 華 し た 西 洋 人 宣 教 師 が つ く っ た 辞 書 に は 、 “空 ”だ け で あ げ る も の が な い か ら
である。
Morrison1822
sky 蒼 天
天
air
Williams1844
sky 蒼 天
空中
air 地 気
気
up in the air 在 空 中
地気
吹
atmosphere 地 気
Medhurst1847
sky 天
蒼天
空中
air
気
雰
気
風気
atmosphere 天 空 之 気
Lobscheid1866
sky 天
空中
太清
air
地気
天空之元気
気
太虚
浩天
昊天
atmosphere 地 球 周 囲 之 気
Doolittle1872
VOL.I
sky 天
空中
air
気
地気
風気
こ の う ち 、Medhurst に あ る「 天 空 之 気 」は 後 の 洋 学 書 に も 引 き 継 が れ て い く 。
( 陳 2004) し か し 、「 空 気 」 は Doolittle1872 段 階 で は ま だ あ ら わ れ て い な い 。
Doolittle1872 以 後 で は ど う か 。
華 英 音 韻 字 典 集 成 1902
air 気 、 天 気 、 空 中
sky
天、空中、太清
Technical terms 1904
air 空 気
華 英 大 辞 典 1908
air 気 、 天 気 、 空 中
sky
官 話 1916
air
atmosphere 地 気 、 天 空 之 元 気
天気
atmosphere 地 気 、 天 空 之 元 気
宵、天、空中、太清、天空
気、空気部定
fresh air 新 鮮 空 気 pressure of air 空 気 的 圧 力
sky
総 合 英 漢 大 辞 典 1927
air
sky
天、空中、太清
空気、大気
空中
…
天空、大空、穹蒼;天
中国人がかかわった辞書としては、
『 官 話 』に な っ て は じ め て “空 気 ”が「 部 定 」
という注釈がついて現れる。このマークは厳復指導下の教育部選定ということ
6
「空気」語源考
(荒川)
だ が 、日 本 語 か ら の 移 入 で あ る 可 能 性 も あ る 。さ ら に『 総 合 英 漢 大 辞 典 』の air
の最初の訳語として「空気」が入っていることは、この語が日本語起源である
ことをほぼ確信させる。
し か し 、 一 方 で Technical terms( 1904) に 「 空 気 」 が す で に 出 て い る こ と に
注 意 し た い 。こ れ は 在 華 宣 教 師 た ち の 間 で 、
「 空 気 」と い う 語 が 継 承 さ れ て い た
ことを示唆する。
『 六 合 叢 談 』( 1857) か ら 1904 年 ま で 、「 空 気 」 は ど の よ う に 継 承 さ れ て い
た の か 。 そ も そ も 、 “空 気 ”の 初 出 は 『 六 合 叢 談 』 と 言 え る の か 。 こ こ で 、 わ た
したちは、洋学資料を検討する前に、まず「空気」が先に現れた江戸期の日本
側資料からみてみることにしたい。
3
日本側資料
『 日 国 』は『 英 和 対 訳 袖 珍 辞 書 』
( 1862)に 出 る と い う こ と は 、そ の 前 に 蘭 学
の伝統があったと言うが、はたしてどこまで遡ることができるのか、そこには
なんらかの学統というものがあるのか。実は「空気」の出現は蘭学の伝統の中
で は 、『 砲 術 語 選 』 よ り 1 世 紀 近 く 遡 る こ と が で き る の で あ る 。「 空 気 」 は 以 下
の資料では、まず前野良沢の『管蠡秘言』に頻出する。さらに、それは良沢の
弟 子 で あ る 大 槻 玄 沢 の 弟 子 た ち が 編 ん だ『 ハ ル マ 和 解 』に 継 承 さ れ る 。し か し 、
「空気」は『ハルマ和解』の簡約本である『訳鍵』には継承されなかった。し
たがって『和蘭字彙』にも引き継がれていない。しかし、玄沢がかかわった幕
府の翻訳事業である『厚生新編』には「空気」が出てくる。これはおそらくは
良沢の使用であろう。ところが、玄真やその養子であった榕菴は「空気」とい
う 語 の 使 用 に こ だ わ り 使 わ な か っ た 。一 方 、
『 坤 輿 図 識 補 』を 書 い た 箕 作 省 吾 や
『気海観覧広義』を書いた川本幸民は「空気」を使っている。前者では「世人
之ヲ空気トナヅグ
囲気
即 チ 清 濛 気 」と ま で 言 っ て い る ほ ど で あ る 。一 方 後 者 で は「 雰
大気」が主流であるが「空気」も数回使用している。
ただ、幕末に『民間格致問答』や『英和対訳袖珍辞書』が「空気」を採用し
たのが、こうした蘭学の伝統の継承と言ってしまえるかという問題がある。す
なわち、この段階になると中国での洋学書の伝来、和刻本の出版という要素が
加わってくるからである。
lucht lugt
管 蠡 秘 言 1777( 安 永 6)
空気
前野良沢
この書には頻出
第4回
和 蘭 訳 筌 1785( 天 明 5)
漢字文化圏近代語研究会
リュクト
ハ ル マ 和 解 1796 lugt 空 気
空<即気>
大槻玄沢
7
予稿集
前野良沢
稲村三伯
宇田川玄随
玄真
lugten 空 気 ヲ ア タ ル
訳 鍵 1810
lugt 気 。 空 。 風 。 ……
藤林普山
lugten 気 ヲ 納 ル 。 気 ヲ ア テ ル 。 ……
*『 訳 鍵 』は『 ハ ル マ 和 解 』を 簡 略 化 し た も の と い う が 、こ こ で は 明 ら か
に「空気」という語を拒否している。
諳 厄 利 亜 興 学 小 筌 1811( 文 化 8)
air 大 虚
厚 生 新 編 1811-46
気
*巻 18 天 文 部 ( 玄 沢 訳
sky 大 虚 オオソラ
大気
玄真校)
雷
濛気
空気
大槻玄沢
その四囲の空気及濛気の運転機勢
に よ っ て …大 気 を 払 い 除 き
*続 稿 巻 20( 榕 菴 訳
三英校)
大気
和蘭「リュクト」
玄沢は「空気」を使ったが、榕菴は拒否した。
→『 舎 密 開 宗 』『 遠 西 医 方 名 物 考 補 遺 』 に も な し
諳 厄 利 亜 語 林 大 成 1814( 文 化 11) air
大 虚 オオソラ
sky
気 海 観 瀾 1825( 文 政 8)
雰囲気
lucht
又
空 ソラ
大虚
又空
青地林宗
卵殻有気孔、 外気 襲入而敗之(5 オ)
広 義 →卵 殻 亦 気 孔 ア リ 、 卵 ノ 腐 敗 ス ル モ 空 気 其 孔 ヨ リ 滲 入 ス ル ニ 因 ル
( 巻 2―3 オ )
遠 西 医 方 名 物 考 補 遺 1834( 天 保 5) 大 気
新 釈 輿 地 図 説 1836
濛気
玄真
榕菴
気 リュクト
気中常ニ濛気蒸升シ……総テ是ヲ濛気輪ト名ク
舎 密 開 宗 1837( 天 保 8)
大気
坤 輿 図 識 補 1846-7( 弘 化 3) 清 濛 気
榕菴
空気
濛気ノ生ズルヤ、其源多端ニシテ、諸般ノ気相聚リテ、此一種ノ質ヲ就ス
者ナリ、 世人之ヲ空気トナヅグ
即チ清濛気(巻1)
砲 術 語 選 1849( 嘉 永 2)
空気
又作濛気
地 学 正 宗 1851( 嘉 永 4)
大気
雰囲
気 海 観 瀾 広 義 1851( 嘉 永 4)
雰囲気
窮 理 通 1856( 安 政 3)
大気
大気
( 陳 2004)
雰囲気
雰囲気
理 学 提 要 1856( 安 政 3)
柳河春三
大気
空気
川本幸民
8
「空気」語源考
和 蘭 字 彙 1858
気
増 補 改 正 訳 鍵 1857-60
気 。 空 。 風 。 ……
(荒川)
(空中)
*和 刻 本 『 地 理 全 志 』 下 巻 1859
*和 刻 本 『 官 版
六 合 叢 談 』( 1860 頃 ) 刪 定 本
民 間 格 致 問 答 1862
大 庭 雪 斎 ( 佐 賀 →大 阪 洪 庵 )
空気
*和 刻 本 『 談 天 』 1861
英 和 対 訳 袖 珍 辞 書 1862
空気
和 英 語 林 集 成 1867
空 気 air atmosphere
訓 蒙 究 理 図 解 1868
空気
格 物 入 門 和 解 1870
空気
博 物 新 編 記 聞 1874
地気
原名『ダンプキリングス、リュクト』ト云先哲名
義ニ由テ種々ノ訳名ヲ下ス曰雰囲気。曰濛気輪。曰霧環。
曰 濛 気。曰 雰 気。等 ナ リ 蓋 シ 漢 人 ノ 空 気 或 ハ 大 気 其 他 天 気
ト称スル者皆之ヲ斥ナリ
ここでは「空気」は中国から伝わったものとみている。
改 正 増 補 物 理 階 梯 1876
空気
大気
物 理 全 志 1877
空気
雰囲気
前 野 良 沢 →大 槻 玄 沢 →ハ ル マ 和 解 →幕 府 天 文 方
和 刻 本 『 地 理 全 志 』『 六 合 叢 談 』
4
→? 堀 達 之 助
→? 堀 達 之 助
中国側資料における“空気”
『 近 現 代 漢 語 新 詞 詞 源 詞 典 』で は “空 気 ”と い う 語 の 初 出 と し て は 、
『六合叢談』
( 1857)を あ げ て い る が 、は た し て こ れ が 初 出 と い え る の か 。は た ま た 、“空 気 ”
は 中 国 語 で い か に し て 生 ま れ た の か 。 ま ず 、『 六 合 叢 談 』 に つ い て み て み よ う 。
1857-8 六 合 叢 談 ( 7-3a 慕 維 廉
地理
洋海論)
光射之。青色最易反照。故 空気 海水皆見為青色
『 六 合 叢 談 』 に お け る “空 気 ”は こ の 1 例 だ け で 、 他 に < 空 気 > を 表 す も の と し
て、以下のものがある。
気
包 地 球 之 気 亦 最 切 要 …空 中 若 無 此 気 …気 之 清 者 百 分 中 養 気 二 十 一 分
淡 気 七 十 九 分 ( 2-3 慕 維 廉
風気
地理)
海 水 初 造 已 具 有 此 質 、 如 風 気 之 以 二 気 相 合 而 成 也 ( 7-2b 慕 維 廉 )
水 気 質 薄 軽 於 風 気 ( 1-13 慕 維 廉 )
第4回
漢字文化圏近代語研究会
9
予稿集
風 ( 3-4b 韋 廉 臣 ) / 包 以 大 気 ( 5-4b 韋 廉 臣 )
大気
激蕩大気使為
天空之気
星 気 之 説 昔 以 為 天 空 之 気 ( 1-1b
天空の例
天 空 中 …天 空 諸 星 之 運 行 ( 1-4a 慕 維 廉 ) 繞 天 空 之 枢 ( 1-4a) / 幾 如
小引)
天 空 之 星 ( 2-14b? ) / 天 空 最 遠 之 処 ( 5-6a) / 天 空 無 窮 大 ( 11-7a)
/ 天 空 圏 ( 11-7b) / 見 天 空 之 界 ( 14-8b)
『 六 合 叢 談 』の “空 気 ”は 一 見 孤 例 の よ う に み え る が そ う だ ろ う か 。そ も そ も 、
Muirhead 慕 維 廉 は『 六 合 叢 談 』に「 地 理 」を 連 載 す る 前 に 地 理 の 専 著『 地 理 全
志 』を 書 い て い る 。は た し て 、
『 地 理 全 志 』に は “空 気 ”が お び た だ し く 出 て く る
のである。
東 西 洋 考 毎 月 統 紀 伝 1837-8
Medhurst英 華 字 典 1847
特になし
atmosphere 天 空 之 気
天 文 略 論 1849
気
航 海 金 針 1853
天空之気
地気
気
天空之気能流如水/風者天空之気所激而成也
地 理 全 志 1853-4
天空之気
空気
天 空 之 気 者 包 涵 地 球 之 気 者 也 ( 下 巻 4-1a)
空 気 本 来 無 色 ( 同 4-2) 若 無 空 気 流 動 ( 同 4-6a)
光 通 於 天 空 之 時、以 空 気 之 燥 湿 異 勢 …日 光 藍 色 之 外、其 余 諸
色 、 為 空 気 吸 尽 ( 下 巻 5-1b)
遐 邇 貫 珍 1853-6
天空之気
天気
風気
即 天 空 之 気、亦 永 寂 而 不 動、地 面 之 水、必 凝 滞 而 不 流( 55-8)
外 端 之 水 、 必 被 天 気 、 圧 而 入 内 一 端 …知 天 気 重 軽 ( 27-6)
( 管 頭 内 之 天 気 ) 其 天 気 因 逼 迫 、 必 漸 生 大 ( 25-6)
密 封 之 、 不 可 令 風 気 出 入 ( 25-7)
博 物 新 編 1855
智 環 啓 蒙 1856
地気
気
生気
人 身 之 安 康 亦 頼 於 天 気 及 浄 潔 ( air and cleanliness
若 於 房 中 多 燃 火 燭 則 焼 滅 天 気 ( consume the air
第 188 課 )
第 142 課 )
所 吸 之 天 気 ( the air we breathe 第 11 課 )
六 合 叢 談 1857-8( 慕 維 廉
地理
洋海論)
光射之。青色最易反照。故 空気 海水皆見為青色
医 学 英 華 字 釈 1858
空気
vital air 生 気
Hobson
( 陳 2004)
10
「空気」語源考
談 天 1859
Wylie
空気
格 物 入 門 1868
天気
地 学 浅 釈 1873
天空気
談 天 1874
(荒川)
格物入門和解
1874) 気
(重刊
空気
空気
術語集にはなし
格 物 探 原 1876
空気
格 致 彙 編 1877
空 気 ( -5 論 呼 吸 気 ) 肺 因 受 空 気 而 脹 大
格 致 彙 編 1877
天気(同
格 致 彙 編 1878
風 気 ( -1 生 気 説 )
測 候 叢 談 1877
空気
慕維廉)天気就要太薄、呼吸不得
生気必居風気内、而風気外無生気矣
天 空 之 気 常 与 地 球 同 旋 転 ( 1-1)
熱 力 ……其 一 分 已 伝 於 天 空 気 也 ( 1-5)
空 気 中 所 受 之 熱 …… 天 空 之 気 常 能 流 動
空 気 中 之 水 気 能 升 散 ( 2-42)( 1-5)
地 質 学 啓 蒙 1886
5
巻4
風気
「空気」は日中でどのようにしてできたか
日本の「空気」
空の気から?
中 国 の “空 気 ”
* 空 + 気 →空 気
天 空 之 気 →天 気
( 天 空 気 ) 空 気 (「 天 気 」 で は 意 味 が ま ぎ ら わ し い )
天 + 気 →天 気
6
「空気」は日中で交流があったのか
参考文献
荒 川 清 秀 1997『 近 代 日 中 学 術 用 語 の 形 成 と 伝 播 』 白 帝 社
荒 川 清 秀 1998「 ロ プ シ ャ イ ト 英 華 字 典 の 訳 語 の 来 源 を め ぐ っ て 」
『 文 明 21』創 刊 号
愛知大学国際コミュニケーション学会
荒 川 清 秀 2000「「 健 康 」 の 語 源 を め ぐ っ て 」『 文 学 ・ 語 学 』 第 166 号
荒 川 清 秀 2002「 日 中 漢 語 語 基 の 比 較 」『 国 語 学 』 集
陳 力衛
2004「 日 中 近 代 概 念 の 成 立 に 伴 う 問 題 点 を 考 え る 」
国際日本文化センター「日中近代概念の往来」シンポジウムレジメ
第 4 回 漢字文化圏近代語研究会 11
於日本大阪 関西大学 2004.3.13-14
大いなる筆談
――「対等」「女性」の共通語化をめぐって
松井利彦
(一)
幕末期には種々の規模の「筆談」がなされていた。「筆談」には 2 つの意
味 が あ る 。1 つ は 、談 話 が で き る 環 境 に あ り な が ら 何 ら か の 理 由 で 声 が 出 せ な
いときに文字を書いて意思・感情などを伝達・理解することを言う。もう 1
つは、音声は出せるが、音声では通じないので、その代わりに文字を書いて
意志・感情等を伝え合うことを言う。
高 杉 晋 作 が 文 久 2 年 ( 1862) に 上 海 に 行 っ た と き 、 中 国 人 と 筆 談 を し て 歓
談したと日記に記している。このことから考えるとアメリカのプロテスタン
ト の 宣 教 師 、ミ ュ ア ー ヘ ッ ド( William Muirhead、漢 名 は 慕 維 廉 )と も 筆 談 を
したかもしれない。晋作はミュアーヘッドを何度も訪ねている。西洋学の中
国語訳も彼の所で購入している。このことを、無為無言ですることは無理で
あったろう。ミュアーヘッドは中国語が書けたから漢字で簡単な用を足すこ
とがあったかもしれない。そうだとすれば、高杉晋作のこの行為は、当時の
日本知識人の象徴的な行為であったと言える。
幕末・明治初期に日本では大規模な「筆談」が行われていた。西洋学の中
国語での訳述を読解することは、日本人にとっては大々的な筆談であった。
もっとも書き手は筆談のつもりはない。しかし、中国漢字文を読む日本人側
にとっては結果的には、筆談と本質的に変わらない。
(二)
中 国 側 が 書 き 手 で 、読 み 手 は 日 本 人 の 場 合 の 筆 談 は 古 く か ら 行 わ れ て き た 。
な ぜ 今 、幕 末 の 筆 談 が 問 題 に な る の か と 言 え ば 、欧 米 の 文 明 の 摂 取 が「 筆 談 」
でなされたからである。この筆談によって中国語と日本語の近代化が進み、
結果として日本語と中国語の共通語化(これが共通の熟字化であることは後
12
大いなる筆談
(松井)
に問題にする)が従来とは違った分野・層で広がることになった。
西洋学の中国への伝来は、書き手・翻訳者が欧米人であることが多く、時
には中国人のこともあったが、中国語で書かれたこと、すなわち漢字で書か
れたということでは共通する。その漢字文を日本では、だれもが日本語で読
んだ。江戸時代には、一部の人が中国語音、すなわち華音で読むことがあっ
たが、普通は、日本漢字音、あるいは和語で訓んだ。またはその混交で読ん
だ。漢字文の熟字を日本語で読むのは、熟字を中国語で読むより面倒であっ
た。中国語で読む場合は原則として、方言音を問題にしなければ、簡単であ
る。日本の場合は使用する日本語が問題になる。和語の読み方が幾通りもあ
った。漢字音の場合も一通りではない。これは日中語の共通語化における日
本語側に起こる独自の問題である。
漢語を表記する熟字(以後は漢熟字と言う)を挟んで日中語の間に 2 つの
問 題 が あ る 。1 つ は 、同 じ 熟 字 を 利 用 す る 場 合 で あ る 。も う 1 つ は 、中 国 漢 字
文の熟字をそのまま日本語にすることはないが、その熟字に関わって、ある
いは触発されて別の熟字が造出されることがある場合である。前者の場合は
分かりやすく、気付かれやすい。したがって、近代漢語の日中間の問題は多
くの場合、この同熟字が取り上げられる。たしかに、新しい意味の、同一の
熟字が日本語の中に取り入れられ、語形が確定して単語となることは近代日
本語にとって重要なことであった。しかし、中国漢字文の熟字がそのまま日
本語の中に取り入れられなくても、それが基になって、新しい日本語の単語
を形成することがあったとすれば、このことも、日中語間で同形の熟字が行
き来することと同様に見過ごすことのできない事柄である。
日中語間での同形熟字の問題は、実は、現代語の成立という観点で行われ
てきた。現代日本漢語の源流として西洋学の中国語訳や、著書が取り上げら
れた。しかし、日本語と中国語の関係(今は中国語から日本語への関係に限
る。)を究明するのならば、現代語になる前に使用されなくなった漢語も対
象にしなければ、日中語間の関係の全体像が見えて来ない。
漢熟字が、日本語として語形が確定した後、それが現代語に継承されなく
ても、たとえ幕末・明治初期の、一時期の使用で途絶えたとしても重要な役
目を果たしているはずである。たとえば、津田真道が『泰西国法論』におい
て 、現 代 語 で 言 う「 動 産 」「 不 動 産 」の こ と を 、「 動 貨 」「 植 貨 」と 訳 し た [注
1]こ と は 、 こ れ ら の 単 語 が な け れ ば 、 財 産 に つ い て の 新 し い 概 念 を 日 本 人 に
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
13
理 解 さ せ る こ と が 困 難 で あ っ た か ら 極 め て 重 要 な こ と で あ っ た 。し か も 、「 動
貨 」が 箕 作 麟 祥 に「 動 産 」と い う 単 語 を 思 い つ か せ た と す る な ら ば 、「 動 産 」
が造語できれば、「不動産」の造出は容易であったであろうから、「動貨」
は現代語の成立にも深く係わっていることになる。この「動貨」「植貨」が
ア メ リ カ 人 の ホ イ ー ト ン( Henry Weaton)の Elements of International Law を 丁
韙 良 ( W. A. P. Martin) が 中 国 語 に 訳 し た 『 万 国 公 法 』 ( 同 治 3 年 ・ 1864 年 )
のなかで使用した「動物」「植物」を承けていることは間違いない。財産を
表す「動物」「植物」について日本人は「筆談」したけれども、日中間で共
通語にならなかった。「動貨」「植貨」も同様である。「動産」「不動産」
になって初めて日中間の共通語になった。このような例があるので、近代の
漢熟字の問題は連続体としてとらえるべきである。
このように考えれば、中国漢字文の熟字と、日本の熟字とは、次の関係に
おいて把握しなければならない。
ア 、 中国漢字文の熟字が日本語に取り入れられ、その語形が確定して現代
語にまで承け継がれた場合。
イ 、 中国漢字文の熟字が日本語に取り入れられ、その語形が確定したが、
現代語に継承されなかった場合。
ウ 、 中国漢字文の熟字に基づいて、それと異形の熟字が作られ、その語形
が確定して現代語にまで継承された場合。
エ 、 中国漢字文の熟字に基づいて、それと異形の熟字が作られ、その語形
が確定したが、あるいは既存の漢語が流用されたが、現代語に継承さ
れなかった場合。
本発表では、まず、イ・ウ・エの問題を取り上げ、次にアの特殊な場合を
考えたいと思う。
(三)
「平行」という漢語が明治の中頃には、現代語の意味と違い、次のように
使用されることがある。
1.
額面に這入りし肖像の様に窓の内に立ちて(中略)艶子は尚ほ両親と共
こ は ね
に打語ひつゝあるべしと思ふに、突然耳元より、しかも鋭き 声色 は敏子
の鼓膜に非常の激震を与へしなるべし。敏子はふりかえりて艶子の顔を
見、(中略)艶子も敏子と 平行する 程に進みて窓に手をつきつゝ彼方此
大いなる筆談
14
(松井)
方を見廻し故らに庭前の樹木にのみ其瞳は止りぬれど(『女子参政蜃中
楼 』 94 ペ ー ジ 、 明 治 22 年 10 月 刊 。 句 読 点 は 発 表 者 に よ る 。 以 下 で も 同
じ。)
わざ
2.
あご
艶子は 態 と聴ざる真似して、用ありげに父に対へば、浮田は 腮 と額と
平行する 程に頭を下げ、つと模糊有無の間に答をなめり。千樹は(政子
はよく云ひたり)と云はぬばかり面色にてパイプ(西洋の煙管)を握り
た る ま ま ( 『 蜃 中 楼 』 59 ペ ー ジ )
3.
政府ト社会トノ相伴フテ改革ヨリ改革ニ
勢力ヲシテ 平行シ テ以テ
進歩ヨリ進歩ニ
内部外部ノ
権利ト幸福ヲ享受シ(『志士淑女之想海』明
治 21 年 3 月 刊 )
これらの「平行」を、現在、数学用語として使っている「平行」を利用し
た 表 現 と 考 え る こ と も 出 来 る 。し か し 、落 ち 着 か な い 。1 の「 平 行 」は 分 か り
や す く い え ば 、「 2 人 が 同 じ よ う な 状 態 で 立 つ 」の 意 味 で あ る 。艶 子 と 敏 子 が
並んで窓際から外を眺めている様を背後から描写しているのであるから、2
人が「対等」の関係にあることを誇張して表現したものと考えられる。もっ
と も 、2 人 を そ れ ぞ れ 線 と し て 捉 え 、平 行 線 の 状 態 で あ る と 描 い た と 取 る こ と
も 可 能 で あ る が 、2 で は 線 条 が 出 て 来 な い 。2 は 、母 親 に 娘 と の 関 係 を 指 摘 さ
れ男が恐縮してうなだれるさまの描写である。頭を下げても顎と額は接近し
ないのだが、近づいて並ぶ感じであることを言っている。大げさな表現であ
る 。3 の 「 平 行 」も 「 対 等 」の 意 で 、2 つ の も の が 互 い に 強 弱 の な い 関 係 に あ
ることを言うのである。これらはサ変動詞になっている点で問題が残るが、
直接、中国語訳『万国公法』から継承した「平行」を利用した表現と考えら
れる。
漢訳『万国公法』では自主国が「対等」であることを表すのに「平行」が
使用されている。
4.
自 主 之 国 、 本 皆 平 行 均 レ権 ( 2 巻 61 オ 。 加 点 本 に よ る )
丁 韙 良 は Elements of International Low を 漢 訳 す る の に 、 『 欽 定 大 清 会 典 』
で、「(文書往復および儀礼における)対等の関係」の意味で使用されてい
る 「 平 行 」 を 利 用 し た [注 2]。 そ の 「 平 行 」 が 国 際 法 の 学 習 の 中 で 日 本 に 入 っ
て き た 。 西 周 は 『 畢 洒 林 氏 万 国 公 法 』 ( 慶 応 2 年 12 月 上 表 、 同 4 年 刊 刊 ) の
なかで、単独の「平行」の外に「平行匹敵」「匹敵平行」を使用している。
ま た 、「 人 世 三 宝 説 7」( 明 治 8 年 頃 )で「 平 行 等 輩 」の 4 字 漢 語 を 使 っ て い
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
15
る 。津 田 真 道 も「 平 行 」を 単 独 で 、ま た「 同 等 平 行 」の 4 字 で 使 っ て い る(『 如
是我観』、明治 8 年刊)。このほか明治初年には次のような例も見られる。
5.
一時欧州諸国、使節交際ヲ為スニ羅甸語ヲ用ユルヲ便トナセリ
一千五百年代ノ末ニ至リ「是班牙」欧州一統ニ「ケスチル」(是班牙ノ地
名)語ヲ広メンコトヲ欲セシカ仏帝「ロヲイ」第十四世ノ代ニ及ヒ之ニ代ユ
ルニ仏語ヲ以テス然レトモ諸州同等ノ説ヨリ起リ各国共ニ自己ノ語ヲ以テ使
節ヲ通シ且条約書ハ国語ヲ以テ 平行ニ 認ルニ到ル蓋両国ニ普通ノ語アレハ之
ヲ 用 ユ ( 秋 吉 省 吾 訳 『 波 氏 万 国 公 法 』 1 巻 34 ウ 、 明 治 9 年 11 月 刊 )
幕末・明治初期に使用された「対等」の意味を表す、この「平行」が、前
記の文学作品に僅かに見られはするが、姿を消したのはなぜか。これは数学
用語の平行との衝突であろう。そのために「対等」の意の「平行」が避けら
れ る よ う に な っ た の で あ る と 考 え ら れ る 。し か し 、「 互 い に 優 劣 が な い 関 係 」
という概念は必要であった。したがって、「平行」以外の単語、あるいは表
現が当然のことながら求められた。箕作麟祥は『国際法一名万国公法』(明
治 7 年 8 月刊)では、「対等」を使わず、「其権利 同等互格 」「海上礼式の
互格同等 たる可き」「各国 互に自主同等 」と表現を工夫している。『堅土氏
万 国 公 法 』 ( 明 9 年 11 月 版 権 免 許 ) で は 「 各 国 ハ 互 相 平 等 」 、 「 各 国 平 等
ノ 事 」 と 表 現 し た 。 そ し て 明 治 20 年 代 に な る と 、 藤 田 龍 三 郎 著 『 万 国 公 法 』
( 明 治 28 年 刊 )で は 、「 対 等 国 」の よ う に「 対 等 」が 使 わ れ る ほ か 、「 対 立
同 等 」「 同 等 対 峙 」 な ど の 言 い 方 が な さ れ て い る 。「 平 行 」 の 後 釜 に 「 対 等 」
が坐るということは、まだない。では、どのような語が「平行」の代用語と
して使われていたか。可能性があるのは「平行」と共用された「匹敵」であ
り、「対峙」「対立」と新造語の「対等」であろう。次に明治中期までの、
これらの語の用例を検討してみる。
6.
国力ヲ培養スルノ実業ヲ務メ外辺文明ニ 匹敵スル 一新日本ヲ今ノ新日本
中 ニ 組 成 ス ル ニ 在 リ ( 『 翠 松 影 』 27 ペ ー ジ 、明 治 20 年 9 月 )
7.
幾 ホトん ど 万 城 の 君 主 に も 等 し き 威 力 を 保 有 し 其 或 は 国 王 に も 匹 敵 せ ん と
す る 所 の 諸 侯 を し て ( 『 国 民 大 会 議 』 17 ペ ー ジ 、 明 治 21 年 7 月 )
8.
最モ驚クベキハ女生員甚ダ多ク大抵男子ノ数ト 匹敵ス (『新聞雑誌』5
号、明治 4 年 6 月)
9.
角 利 伏 爾 泥 亜 ハ 、新 黙 時 科 ト 、東 紅 海 ヲ 隔 テ 、相 対 峙 ス ル 端 島 ニ シ テ(『 坤
輿 図 誌 』 2 巻 44 オ 、 弘 化 4 年 刊 )
大いなる筆談
16
(松井)
10. 先年長英等と共に長崎に遊歴し、蘭学成りて江戸に来たり、泉州岸和田
の領主と聞えし岡部侯に聘せられ、当時高野と 対峙なす 蘭学屈指の学医
な り し ( 『 高 野 長 英 諭 迷 物 語 』 90 ペ ー ジ 、 明 治 19 年 6 月 刊 )
11. 一国ノ体面ハ(中略)他国ト 対峙スル ヲ得ルヤ否ヤヲ見ザルヘカラズ。
果シテ他国ト 対峙シ テ同等ノ権利ヲ有シ、同等ノ義務ニ任ずスルヲ得は
可 ナ リ 。( 中 略 )我 邦 ノ 政 約 ノ 議 未 ダ 行 ヲ 得 ズ 。法 律 未 ダ 復 ス ル ヲ 得 ズ 。
是 レ 果 シ テ 対 峙 独 立 ス ト 云 フ ヲ 得 ン カ 。 ( 『 屑 屋 の 籠 』 81 ペ ー ジ 、 明 治
20 年 序 )
12. 貴国苟モ国政ヲ改革シテ以テ万国 対峙 ノ基ヲ立ント欲セハ天子ヲ挟て海
内 ニ 号 令 シ 鎖 国 ヲ 変 シ テ 開 国 ト 為 ス ニ 若 ク ハ ナ シ(『 新 帝 国 策 』110 ペ ー
ジ 、 20 年 5 月 刊 )
13. 左右幣旗各五旒ヲ 対立シ (中略)左右小幡各五旒を対樹ス(『太政官日
誌 』 69 号 1 ウ 、 慶 応 4 年 8 月 )
1 4 . 太 平 洋 の 両 岸 に 対 立 す る 各 都 府 の 港 湾 よ り(『 新 日 本 の 商 人 』17 ペ ー ジ 、
明 治 21 年 2 月 )
15. 天下慄動スル所ノ大基礎ヲ立推及シ玉フニアラサレハ皇威ヲ海外ニ輝シ
万 国 ニ 御 対 立 ア ラ セ ラ レ 候 事 叶 フ ヘ カ ラ ス(『 戊 辰 日 記 』、松 平 慶 永 筆 、
慶応 4 年 1 月)
1 6 . 方 今 大 政 御 復 古 海 外 各 国 ト 御 対 立 之 御 隆 盛 ニ 当 リ(『 太 政 官 日 誌 』44 号 、
明治 2 年 4 月)
17. 今万国唯 平行対立シ テ各々自国ノ規ヲ守リ曾テ他国ノ律法ニ遵フ可カラ
ス且ツ其審判ヲ甘受ス可カラサル旨ヲ大本ト為シ(『海氏万国公法』)
18. 公法上国主ノ爵位:主権ナルモノ既ニ一個ノ人間ニ固定シタルヨリ各国
交 際 上 対 立 同 権 ノ 理 ヲ 本 ト シ 左 ニ 国 主 権 利 ノ 大 体 ヲ 掲 グ 。(『 海 氏 万 国 公
法 』 158 ペ ー ジ 、 明 治 10 年 5 月 )
19. 主義の違ふものが 対立し て居て一身同体のやうに運行せうと云ふは決極
出 来 な い 相 談 で ( 『 薩 長 土 』 13 ペ ー ジ 、 明 治 21 年 11 月 刊 )
20. 管内人民ノ位格若クハ各自 対等 及ヒ継続就官ノ権利義務を定ムルハ皆各
国 自 己 ノ 権 内 ニ 在 リ ( 『 海 氏 万 国 公 法 』 115 ペ ー ジ 、 明 治 10 年 5 月 刊 )
21. 対等 ノ国主及独立国ノ間ニ於テ一方ノ全権ハ以テ他ノ一方ノ全権ヲ毀折
ス ル コ ト 無 キ ナ リ ( 『 万 国 商 法 』 12 ペ ー ジ 、 明 治 10 年 6 月 刊 )
22. 欧米諸国と 対等 の交際を為し何不足あき富国盛大の文明国然たる状態を
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
17
有 す る に 至 り た る(『 内 地 雑 居 経 済 未 来 記 』41 ペ ー ジ 、明 治 20 年 5 月 刊 )
23. 彼レガ口実ヲ齍粉ニ撃破シテ全ク 対等 ノ条約ヲ結ブコトヲ得ンカ(『女
権 美 談 文 明 之 花 』 113 ペ ー ジ 、 明 治 20 年 9 月 )
24. 欧羅巴人ト 対等シ テ常ニ平等ノ権衡ヲ得ン為メ亜細亜全洲会ヲ設立スル
ノ 必 要 ヲ 感 ス ベ シ ( 『 世 界 共 和 美 談 』 自 序 、 22 年 8 月 刊 )
25. 男尊女卑の風盛んに行れまして女子は男子と 対等 の交際が出来なかつた
んで御座います(中略)早くより同権説を主張致しましたけれども是は
何にも公平的の観念より此く論したものでは御座いませんかつた(『慨
世 美 談 』 179 ペ ー ジ 、 明 治 26 年 5 月 )
26. 一般に就ては未た中々男子と女子と 対等 の地位に至りし者とは謂へなひ
( 『 慨 世 美 談 』 200 ペ ー ジ )
「 匹 敵 」は 西 周 が「 平 行 匹 敵 」「 匹 敵 平 行 」 と 使 用 し て お り 、ま た 単 独 で も
使 っ て い る が 、6、7、8 の 例 か ら 明 ら か な よ う に 、「 匹 敵 」は 基 本 と な る 物 ・
事柄があって、「それと同じくらいである」の意味を表すから、「同格」を
意 味 す る 「 平 行 」の 代 用 に 使 い に く い 。「 対 峙 」は 2 つ の 物 が「 向 か い 合 う 」
であり、また、「対立」は現代語と違い、当時は「向かい合って立つ」の意
味 で あ る 。こ の こ と は 9 か ら 19 ま で の 例 文 か ら 明 ら か で あ る 。19 の 例 文 は 現
代語の意味のようにも見えるが、「対立」が現代語のように相反することに
ついて言うのならば、「主義の違ふもの」と「対立」は意味が重複すること
になる。この場合の「対立」は「向かい合って存在する」意と考えてよい。
古くから中国で使用されている、これら「対峙」「対立」は同格であること
は表すが、優劣がないことは示さない。したがって、「平行」の交替語には
な り に く い [注 3]。
「平行」の代用語として「匹敵」「対峙」「対立」が使えるかどうかを見
た 。「 匹 敵 」は 2 つ の 物 の 関 係 の 把 握 の 仕 方 が 違 い 、「 対 峙 」「 対 立 」は「 優
劣がない関係であること」の意味が不足している。そのために、「対峙」あ
るいは「対立」と、「同等」ないしは「平等」を結合させて、「両者に優劣
がない同格の関係」であることを表す「対等」を造出せざるを得なかったの
である。「対立」が「互いに張り合う」の意味を強めるのは、その後のこと
である。
漢訳書の熟字「平行」の伝来によって、新しい概念を日本人は習得した。
そ れ と 同 時 に「 対 等 」と い う 新 漢 語 を 成 立 さ せ る こ と に な り 、こ の 意 味 の「 平
大いなる筆談
18
(松井)
行」は日中語間で共通字にならなかったけれども、「対等」の熟字が中国に
渡ることによって新たな共通の熟字が成立した。
(四)
漢訳書の熟字が現代日本漢語の表記と一致する場合は両者の関係の認定が
簡単である、と一応は言える。第 2 章で指摘したアの場合である。しかし、
中国の書籍や、漢訳書の類の熟字の全貌が必ずしも明らかでない現在では、
漢訳書類と近代日本漢語や、現代日本漢語との関係の確認は容易でない所が
ある。「女性」の現代日本語化もその 1 例である。「女性」の現代語化に漢
訳書類の熟字が関係しているのではないかと私は考えている。
「女性」の現代語化について、漢訳書類との関係に触れる研究者はたぶん
いないであろう。なぜならば、「女性」は漢籍や漢訳仏典には見られないと
されている(『日本国語大辞典』第 2 版)からである。諸橋轍治『大漢和辞
典』にも「女性」は「女子。婦人。女人」の意味では『源平盛衰記』の用例
が挙がっていて漢籍はない。『漢語大詞典』には「女性」の項目はあるけれ
ども、「人類両種性別之一,与男性相対」と意味が記されている用例は魯迅
の 作 品 で あ る 。漢 籍 に「 女 性 」が 見 え ず 、日 本 に は 中 世 以 後 の 文 献 に「 女 性 」
は見えるから、この熟字については、ニョショウかジョセイかという語形の
確定だけが問題である、というのが一般的な了解であるかのように見える。
「 女 性 」は ニ ョ シ ョ ウ と 読 ま れ る こ と が 長 く 続 き 、明 治 も 20 年 頃 に な っ て ジ
ョ セ イ が 見 ら れ る と さ れ て い る [注 4]。
と こ ろ が 、漢 籍 に 漢 訳 書 類 の 西 学 書 を 加 え る と 事 情 は ま っ た く 変 わ る 。『 海
国 図 志 』 の 「 仏 蘭 西 国 」 編 ( 巻 27) に 次 の 記 述 が あ る [注 5]。
27. 嗣王男形 女性 。不親政事。信用匪人。五爵百姓咸戦慄。
ここに「女性」が見えるのである。この熟字を当時の日本人がどう読んだ
か 。『 海 国 図 志 仏 蘭 西 総 記 』( 大 槻 禎 重 重 訳 、 安 政 2 年 新 刻 ) に 次 の よ う に 書
かれている。
おうだんけい じょせい
せ い じ
みづか
28. 嗣 王男形 女性 。 政事 ヲ 親 ラセズ。
「女性」に「ジヨセイ」とルビが振られているのである。なぜ、「ニヨシ
ヤ ウ 」で は な く「 ジ ヨ セ イ 」と ル ビ が 振 ら れ て い る か と い え ば 、『 海 国 図 志 』
を大槻禎重が漢文訓読調で読み下したからである。四段動詞に助詞「テ」が
接続する時の語形変化は次のごとくである。
第4回
原形
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
19
音便形
鋸 ヒキテ
1例
禦 フセギテ
1例
往ユイテ
1例
用 モツテ
1例
立 タツテ
1例
勝 カツテ
2例
従 シタガツテ
1例
奮 フルツテ
1例
戦 タタカツテ
1例
及 オヨンデ
3例
誤 アヤマリテ
1例
在 アツテ
2例
至 イタリテ
1例
怒 イカツテ
1例
偽 イツハリテ
1例
至 イタツテ
2例
回 カヘリテ
1例
留 トドマツテ
1例
原形の使用が、異なり数・延べ数とも 5 例である。これに対して音便形の
使 用 は 、異 な り 数 で 12 例 、延 べ 数 で 16 例 で 、圧 倒 的 に 音 便 形 の 使 用 が 多 い 。
ラ 行 動 詞 に 原 形 が 多 い こ と は 他 の 漢 文 訓 読 文 に も 見 ら れ る こ と で あ る [注 6]。
このような漢文読み下し体の文体要素のなかで「女性」は漢音読みされたの
である。
『海国図志』は訳本ではない。著者も欧米人ではない。しかし、翻訳文が
多数、引用されている西洋学の書物である。上の「女性」はギュツラフ編の
『毎月統記伝』からの引用文である。このような中国で書かれて間もない文
章であっても、漢字文であるから、そして、それを「筆談」として日本人は
読むから、古典と同じ読み方がなされ、その結果、近代日本漢語の語形の更
新に影響することになったのである。中国人に習得されたのはこの漢音読み
の「ジョセイ」である。しかし、中国語になるのは熟字の「女性」であり、
熟字を基準にすれば、共通字化したことになる。このような観点に立てば、
日 中 共 通 の 熟 字「 女 性 」、1 つ の 成 立 を 説 明 す る の も 容 易 な こ と で は な い 。精
査すれば、同様の熟字が多く出現するに違いない。
大いなる筆談
20
(松井)
注
1.
拙 稿「 漢 語 の 近 世 と 近 代 」(『 日 本 語 学 』6 巻 2 号 、1987 年 月 、明 治 書 院 )。
2.
拙 稿 「 明 治 時 代 に お け る 漢 訳 書 の 影 響 」 ( 『 近 代 語 研 究 』 第 11 集 、 平 成 14
年 12 月 、武 蔵 野 書 院 刊 )。山 腰 敏 寛『 清 末 民 初 文 書 読 解 辞 典 』( 1989 年 1 月 ・
1998 年 4 月 、 汲 古 書 院 )。
3.
佐 藤 亨 『 幕 末 ・ 明 治 初 期 語 彙 の 研 究 』 122 ペ ー ジ ・ 125 ペ ー ジ 。 昭 和 61 年 2
月 、桜 楓 社 )に 、こ の 向 か い 合 っ て 立 つ 意 味 の 漢 語 が『 地 球 説 略 』( Richard
Quarterman Way=禕 理 哲 、 1856 年 著 述 ) に 使 用 さ れ て い る こ と が 報 告 さ れ て
いる。しかし、『漢語大詞典』に「相向而立」として『夢渓筆談』の例文が
出ているから漢訳書から始まったと考えなくてよいようである。
4.
松 井 栄 一 「 明 治 時 代 語 探 求 の 一 つ の 試 み 」 ( 『 国 語 研 究 』 平 成 5 年 10 月 、
明 治 書 院 ) 、 拙 稿 「 文 体 要 素 と し て の 漢 字 音 」 ( 『 国 語 と 国 文 学 』 第 79 巻
11 号 、 平 成 14 年 11 月 ) 。
5.
60 巻 本 に よ る 。
6.
前掲「文体要素としての漢字音」
第 4 回 漢字文化圏近代語研究会 21
於日本大阪 関西大学 2004.3.13-14
開港初期日本人が韓国に直接伝えた日本語
高麗大学・李漢燮
1.はじめに
本 発 表 は 、1880 年 代 に お け る 韓 国 語 と 日 本 語 の 語 彙 の 交 流 問 題 に つ い て 考
え て み る も の で あ る 。19 世 紀 末 以 降 の 日 韓 の 語 彙 交 流 問 題 を 考 え る 時 、こ れ
ま で は 主 に 韓 国 人 に よ る 日 本 語 の 導 入 が 問 題 に な っ て い た と 思 わ れ る 。今 日
の 発 表 で は 、そ れ と は 観 点 を 異 に し 、日 本 人 が 韓 国 語 に 直 接 伝 え た 日 本 語 の
問題を考えてみることにする。
2.日韓語彙交流の背景
こ こ で は 本 題 に 入 る 前 に 、19 世 紀 末 に 日 韓 両 語 の 間 に 語 彙 の 交 流 が 行 わ れ
た 背 景 に つ い て 考 え て み る こ と に す る 。19 世 紀 末 日 韓 両 語 の 間 に 語 彙 交 流 が
行われるようになったのには、次のような背景があったと思われる。
ま ず 、言 え る こ と は 、当 時 日 本 を 訪 問 し た 韓 国 政 府 の 外 交 使 節 が 日 本 語 を
韓 国 語 に 紹 介 す る こ と が あ っ た と い う こ と で あ る 。開 港 以 降 日 本 を 訪 問 し た
韓 国 の 外 交 使 節 は 1876 年 の 金 綺 秀 か ら 始 ま り 、 以 降 政 治 的 な 問 題 が 多 発 す
る こ と に よ り 、か な り の 数 の 外 交 使 節 が 日 本 を 訪 問 し て い る 。日 本 を 訪 問 し
た 外 交 官 は 、帰 国 後 必 ず 報 告 書 を 出 す こ と に な っ て い る 。実 は こ れ ら の 報 告
書 に 日 本 語 が 多 く 紹 介 さ れ て い た の で あ る 。( 宋 敏( 1988)「 日 本 修 信 使 の 新
文 明 語 彙 接 触 『 語 文 学 論 叢 』 7(国 民 大 学 校 語 文 学 研 究 所 )
などを参照
次 に あ げ ら れ る こ と は 、日 本 に 亡 命 し た 政 治 家 に よ る 日 本 語 の 流 入 で あ る 。
19 世 紀 末 韓 国 で は 、「 閔 妃 弑 害 事 件 」 や 「 甲 申 政 変 」、「 俄 館 播 遷 」 な ど の 政
治 的 事 件 に 関 わ っ た 、多 く の 人 が 日 本 に 亡 命 し て い る 。彼 ら は 政 治 的 に 問 題
が な く な る と 帰 国 し 、一 部 は 官 職 に 復 帰 し た り 、啓 蒙 活 動 を す る の で あ る が 、
本発表者はこれら亡命者による日本語の流入も少なくなかっただろうと考
えている。
22
開港初期日本人が韓国に直接伝えた日本語
(李)
三 つ 目 に 、日 本 語 を 韓 国 語 に 持 ち 込 ん だ の は 何 と 言 っ て も 日 本 へ 留 学 し た
韓 国 人 留 学 生 で あ る 。 韓 国 人 の 日 本 留 学 は 1881 年 か ら 始 ま る 。 最 初 に 日 本
に 留 学 し た 人 は 兪 吉 濬 、 柳 定 秀 、 尹 致 昊 の 3 人 で 、 朴 己 煥 (1998)の 研 究 に よ
れ ば 、1881 年 か ら 1884 年 ま で に 日 本 に 留 学 し た 韓 国 人 は 67 名 で あ っ た と い
う ( 朴 己 煥 (1998), 「 近 代 初 期 韓 国 人 の 日 本 留 学 -1881 年 か ら 1884 年 ま で
を 中 心 に -」『 日 本 学 報 』 40( 韓 国 日 本 学 会 , 1998.5, 233-251)
}}。1990 年 ま で に は 500 人 近 い 韓 国 人 が 日 本 に 留 学 し た と 推 定 さ れ る 。留 学
か ら 帰 っ た 人 は 多 く が 官 吏 と な る の で あ る が 、一 部 は 新 聞 を 出 し た り 、学 校
を 立 て る な ど 啓 蒙 活 動 家 と し て 活 躍 し た 。こ れ ら の 留 学 生 の 帰 国 後 の 活 動 の
過程で日本語が紹介されることが多かったと思われる。
四 つ 目 に あ げ ら れ る こ と は 、当 時 韓 国 に 招 聘 さ れ た 日 本 人 の 顧 問 、技 術 者 、
教 官 、日 本 語 教 師 、技 術 者 な ど の 役 割 で あ る 。1880 年 代 以 降 、朝 鮮 政 府 で は
近 代 的 軍 隊 や 警 察 を 養 成 す る の に 日 本 人 を 招 聘 す る こ と が あ り 、1890 年 代 以
降 は 日 本 語 学 校 が 増 え る に つ れ 、日 本 語 の 教 師 を 招 聘 す る こ と も よ く あ っ た 。
今回の発表で問題にする井上角五郎という人物は新聞の発刊のために招聘
さ れ た 人 だ っ た の で あ る 。日 本 か ら 招 聘 さ れ た 人 た ち は 、文 明 開 化 の 現 場 で
韓国人と接触したので、彼らによる影響も少なくないと思われる。
最 後 に あ げ ら れ る こ と は 、1880 年 代 以 降 韓 国 に 居 住 す る 日 本 人 が 増 え た と
い こ と で あ る 。資 料 1 を 見 る と 、戦 前 ま で 韓 国 に 居 住 し て い た 日 本 人 は 1884
年 に 4,356 人 、1904 年 31,093 人 、1911 年 に は す で に 210,989 人 に 達 し て お り 、
当 時 朝 鮮 に 来 て い た 日 本 人 が 急 速 に 増 え て い っ た と い う こ と が 分 か る 。こ れ
だ け 日 本 人 が 多 く な る と 、韓 国 人 と の 接 触 も 増 え た で あ ろ う し 、韓 国 人 と 日
本 人 が 直 接 接 触 す る こ と に よ り 、日 本 語 は 韓 国 に 紹 介 さ れ る こ と が 多 か っ た
だろうと思われる。
本 発 表 で は こ れ ら の う ち 、四 番 目 に あ げ た 、当 時 韓 国 に 招 聘 さ れ た 日 本 人
の 顧 問 、技 術 者 、教 官 、日 本 語 教 師 、技 術 者 な ど の 役 割 の 問 題 を 取 り 上 げ よ
う と 思 う 。本 発 表 で は 、韓 国 最 初 の 近 代 的 新 聞 を 発 行 す る と き に 招 聘 さ れ た 、
井上角五郎という人物と関連する話をしたいと思う。
3 .『 漢 城 旬 報 』『 漢 城 周 報 』 の 発 刊 と 井 上 角 五 郎
(1)朝鮮での新聞の紹介
朝 鮮 に は 近 代 的 新 聞 が 発 行 さ れ る 以 前 か ら 、「 朝 報 」 と い う 今 日 の 新 聞 に
第 4 回 漢字文化圏近代語研究会
予稿集
23
相 当 す る も の が あ っ た 。 朝 鮮 で の 近 代 的 新 聞 の 紹 介 は 、 1873 年 と 1874 年 中
国 に 使 節 と し て 派 遣 さ れ た 姜 イ が 書 い た『 北 游 談 草 』及 び『 北 游 続 草 』に 見
え る 。 姜 イ は 、 1874 年 2 月 28 日 清 国 の 刑 部 主 事 張 世 準 を 訪 ね る が 、 張 世 準
は 、中 国 で は 同 文 館 を 設 置 し 、新 聞 を 発 行 し て 世 界 の 情 勢 を 国 民 に し ら せ て
い る と 、姜 イ に 言 っ て い る 。ま た 、1876 年 1 月 朝 鮮 の「 修 信 使 」と し て 来 日
し た 金 綺 秀 は 、『 日 東 記 游 』 に 新 聞 の 発 行 や 写 真 、 印 刷 事 情 な ど に つ い て 記
録 し て い る 。1881 年「 紳 士 遊 覧 団 」の 一 員 と し て 日 本 に 派 遣 さ れ た 厳 世 永 も
日 本 の 新 聞 に つ い て 書 い て い る 。新 聞 の 記 事 が 外 交 問 題 に な っ た こ と も あ る 。
1867 年 1 月 、香 港 に 滞 留 し て い た 日 本 人 八 戸 順 叔 は 広 東 省 で 出 さ れ た 新 聞 に、
日 本 が 朝 鮮 を 侵 略 す る か も 知 れ な い と い う 記 事 を 書 く の で あ る が 、こ の 記 事
は 中 国 政 府 に よ り 、朝 鮮 に 伝 わ り 、日 本 と 朝 鮮 と の 外 交 問 題 に な っ た 。韓 国
最 初 の 近 代 的 新 聞 の 発 刊 は 1883 年 ま で 待 た な け れ ば な ら な い 。 朝 鮮 で 新 聞
を 発 行 す る と い う 話 が 始 め て 出 た の は 、1882 年「 修 信 使 」と し て 日 本 に 派 遣
さ れ た 朴 泳 孝 と 福 沢 諭 吉 と の 出 会 い か ら 始 ま っ た と 言 わ れ て い る 。こ の 時 朴
泳 孝 は 福 沢 諭 吉 に 、朝 鮮 の 開 化 の た め に は ま ず 何 を す べ き か と 聞 い た と い う 。
こ の 質 問 に 対 し て 福 沢 諭 吉 は 、若 者 を 先 進 諸 国 に 留 学 さ せ る こ と と 新 聞 を 出
す こ と を 進 め た と い う 。ま た そ の 場 で 福 沢 諭 吉 は 朝 鮮 で の 新 聞 発 行 を 手 助 け
す る 人 と し て 、井 上 角 五 郎 、牛 場 卓 造 、高 橋 正 信 な ど 五 人 の 日 本 人 を 朴 泳 孝
に 推 薦 し た と 言 わ れ て い る 。彼 ら は す べ て 慶 応 義 塾 の 卒 業 生 で 、福 沢 の 自 宅
の 書 生 で あ っ た 。 福 沢 諭 吉 は 1882 年 3 月 、 自 ら 『 時 事 新 報 』 を 出 す の で あ
る が 、新 聞 の 重 要 性 を 直 接 感 じ た 朴 泳 孝 は 帰 国 後 、朝 鮮 国 王 に 新 聞 発 刊 の 必
要 性 を 訴 え る よ う に な る 。朴 泳 孝 は 、朝 鮮 の 国 王 で あ っ た「 高 宗 」の 婿 で あ
っ た こ と も あ り 、政 治 的 に 力 を 持 っ て い た 人 物 で あ っ た と 思 わ れ る 。こ の よ
う な 事 情 が 影 響 し た の か 、同 年 2 月 28 日 国 王 か ら 新 聞 発 行 の 許 可 が 降 り た 。
朴 泳 孝 は 新 聞 の 発 刊 の 実 務 を 兪 吉 濬 に 任 せ 、日 本 か ら 招 聘 さ れ た 牛 場 卓 造 や
井 上 角 五 郎 、高 橋 正 信 な ど も 新 聞 を 出 す 準 備 を 手 伝 っ た 。当 時 朝 鮮 で は い わ
ゆ る 保 守 派 と 開 化 派 が 対 立 し て い た の だ が 、保 守 派 は 朴 泳 孝 な ど の 急 進 開 化
派 の 動 き に 不 安 を 感 じ て 、国 王 に 働 き か け て 朴 泳 孝 を 地 方 の 官 吏( 広 州 留 守 )
に 左 遷 さ せ て し ま う 。こ れ に 失 望 し た 兪 吉 濬 も 役 職 を 辞 め 、新 聞 の 発 行 準 備
は 途 中 で 中 断 し て し ま う 羽 目 に な る 。身 の 危 険 を 感 じ た 牛 場 卓 造 と 高 橋 正 信
は 日 本 に 帰 国 し 、井 上 角 五 郎 の み が ソ ウ ル に 残 る 。一 時 新 聞 の 発 刊 は 無 理 か
と み え た が 、金 允 植 を 中 心 と し た 穏 健 な 開 化 派 の 努 力 で 新 聞 を 発 刊 す る 準 備
24
開港初期日本人が韓国に直接伝えた日本語
(李)
は 再 び ス タ ー ト し た 。そ れ か ら 同 年 10 月 31 日『 漢 城 旬 報 』は 発 刊 さ れ る に
至 っ た の で あ る 。井 上 角 五 郎 は 正 式 に 朝 鮮 の 政 府 に 雇 わ れ 、新 聞 社 の 記 者 と
して、新聞の発刊に参加する。
( 2 )『 漢 城 旬 報 』 と の 『 漢 城 周 報 』 の 発 刊
①『漢城旬報』
『 漢 城 旬 報 』 は 、 1883 年 10 月 31 日 に 創 刊 さ れ た 韓 国 最 初 の 近 代 的 新 聞 で、
1884 年 12 月 の 廃 刊 ま で 40 号 ま で 出 さ れ た と 知 ら れ て い る 。こ れ ま で 見 付 か
っ た の は 36 号 ま で で あ る 。 日 本 か ら 輸 入 し た 活 版 印 刷 機 で 印 刷 さ れ て お り
( 第 5 号 ま で は 紙 も 日 本 か ら 改 良 紙 を 輸 入 し て 使 っ た )文 章 は 純 漢 文 で あ っ
た 。 大 き さ は 9 ✕ 24cm の 冊 子 型 で 、 面 数 は 18 面 に な っ て い る 。 発 刊 の 目 的
は 、国 民 に 世 界 の 情 勢 を 理 解 さ せ 、ま た 先 進 諸 国 の 政 治 や 経 済 、地 理 な ど を
紹 介 す る の に あ っ た 。1884 年 12 月 4 日 の 政 変( 甲 申 政 変 )の 時 、新 聞 社 が 焼
かれて廃刊される。
②『漢城周報』
『 漢 城 旬 報 』が 廃 刊 さ れ て か ら 1 年 2 ヶ 月 後 の 1886 年 1 月 25 日『 漢 城 周 報 』
として復刊される。
「 周 報 」な の で 週 に 一 回 ず つ 発 行 さ れ た 。新 聞 の 体 制 は 、
大 き さ 22.5✕ 16.5cm、 一 ペ ー ジ に 16 行 ✕ 40 字 。 一 回 分 の 紙 面 は 18 面 。
井 上 角 五 郎 は『 漢 城 周 報 』の 発 行 に も 深 く 関 与 し た 。井 上 角 五 郎 は 新 聞 発 行
の 必 要 性 を 強 調 す る 文 書 を 作 っ て 配 っ て お り ( < 資 料 2 > を 参 照 )、 朝 鮮 政
府 の 依 頼 を 受 け て 日 本 で 新 聞 の 印 刷 に 必 要 な 印 刷 機 を 購 入 し た 。(代 金 は 洋 銀
1,000won)。新 聞 の 発 行 に 必 要 な 中 国 の 新 聞( 申 報 な ど )は ド イ ツ 系 の 貿 易 会
社 で あ る 世 昌 洋 行 ( Edward Meyer & Co.) に 頼 ん だ 。
(3)新聞発行のスタッフ
①『漢城旬報』
ス タ ッ フ は 7 人 程 度 。主 事 呂 圭 亨 ・ 高 永 哲 、司 事 張 博 ・ 呉 容 黙 ・ 金 基 駿
翻訳員
井 上 角 五 郎 ( 当 時 24 歳 。 月 給 は 銅 貨 1,000 両 )
②『漢城周報』
ス タ ッ フ は 9 人 -14 人 程 度 。博 文 局 前 主 事 張 博、司 事 呉 容 黙、金 基 駿、司
果李命倫、秦尚穆、進士李赫儀、幼学権文燮、鄭万教、李鴻来。井上角五郎
は 1885 年 10 月 ( 陰 暦 ) か ら 1887 年 9 月 ま で 2 年 間 翻 訳 員 と し て 雇 わ れ た
第 4 回 漢字文化圏近代語研究会
25
予稿集
が 、実 際 は 翻 訳 の ほ か 新 聞 の 印 刷 な ど も 担 当 し た 。韓 国 人 ス タ ッ フ は ほ と ん
ど訳官出身であった。
(3)文章と内容
①文章
『 漢 城 旬 報 』 は 純 漢 文 で 書 か れ た 。 こ れ に 対 し 、『 漢 城 周 報 』 の 文 章 は 、
漢文を基本にするが、ハングル漢字混じり文やハングル文の記事もある。
②記事の分類
記 事 は 二 つ の 新 聞 と も「 国 内 官 報 」, 「 国 内 私 報 」, 「 各 国 近 事 」, 「 論 説 」,
「 集 録 」 の 体 制 を 取 っ て お り 、 こ れ ら の う ち 「 国 内 官 報 」 と「 国 内 私 報 」は
国 内 ニ ュ ー ス に 当 た り 、「 各 国 近 事 」は 外 国 の ニ ュ ー ス で あ る 。「 論 説 」は 今
日 の 新 聞 で 言 う「 論 説 」で は な く 、外 国 の 新 聞 の「 論 説 」を 抄 略 し た も の で
あ る 。「 集 録 」 は 、 国 際 問 題 や 啓 蒙 知 識 、 科 学 知 識 な ど を 解 説 し た り 、 翻 訳
したもので外国のニュースに近い性格を持っている。
< 表 -1 > 記 事 の 比 率
国内官報
国内私報
各国近事
集録
本局報告
計
漢城旬報
336(21.6)
71(4.6)
1,019(65.4)
127(8.2)
4(0.26)
1,557 件
漢城周報
540(42.8)
28(2.2)
581(46.1)
62(4.9)
49(3.9)
1,260 件
< 表 ―2 > 『 漢 城 旬 報 』 の 外 信 ニ ュ ー ス 源
中国の新聞
日本の新聞
その他の国の
ソース不明
新聞
漢城旬報
568
156
93
202
漢城周報
( 4 )『 漢 城 旬 報 』 の 発 刊 に 関 わ っ た 井 上 角 五 郎
井 上 角 五 郎 は 、1860 年( 万 延 元 年 )10 月 18 日 広 島 県 野 上 村 生 ま れ で 、1879
年 ( 明 治 12 年 ) に 上 京 し 、 慶 応 義 塾 に 入 学 す る ( 上 田 政 昭 他 編 『 日 本 人 名
大辞典』
( 講 談 社 、2001)、p215 に よ る )。福 沢 諭 吉 の 書 生 と な り 、1882 年( 明
治 15 年 、当 時 23 歳 )慶 応 義 塾 を 卒 業 す る 。書 生 と し て 福 沢 家 に い た 頃 、同
26
開港初期日本人が韓国に直接伝えた日本語
(李)
じく福沢の家に寝泊まりしていた朝鮮国最初の留学生兪吉濬と知り合い、
1883 年 1 月 朴 泳 孝 に 付 き 添 い 韓 国 に 来 る (当 時 24 歳 )。こ の 時 一 緒 に 来 韓 し た
牛 場 託 造 や 高 橋 正 信 な ど は 、同 じ く 福 沢 諭 吉 の 家 の 書 生 だ っ た 人 で あ る 。福
沢 諭 吉 は 1882 年 か ら 『 時 事 新 報 』 と い う 新 聞 を 出 す わ け で あ る が 、 井 上 角
五 郎 ら 書 生 た ち は『 時 事 新 報 』の 発 刊 に も 関 わ っ て い た の で 、朝 鮮 で の 新 聞
発 行 に 際 し て も 力 に な れ る と 判 断 し た の で あ ろ う 。来 韓 後 、韓 国 政 府 に 雇 わ
れ 、博 文 局 で『 漢 城 旬 報 』を 出 す の に 重 要 な 役 割 を 担 当 し た( 資 料 2 を 参 照 )。
井 上 角 五 郎 は 主 に 外 国 の 資 料 を 翻 訳 す る 仕 事 を 担 当 し た が 、実 際 は 印 刷 機
の運用や編集の実務も担当した。
4 、『 漢 城 旬 報 』 や 『 漢 城 周 報 』 に 受 け 入 れ ら れ た 日 本 語
( 1 )『 漢 城 旬 報 』
『 漢 城 旬 報 』の 記 事 の 構 成 は 、< 表 -1 > で 見 ら れ る よ う に 、国 内 ニ ュ ー ス
と 国 外 ニ ュ ー ス 、「 集 録 」、本 局 広 告 な ど で 構 成 さ れ て い る 。こ れ ら の 記 事 の
う ち 、国 内 記 事 は ほ と ん ど「 朝 報 」に 頼 っ た と 言 わ れ て い る の で 、韓 国 人 の
ス タ ッ フ に よ っ て 作 成 さ れ た と 思 わ れ る 。国 外 の ニ ュ ー ス の 場 合 も 中 国 の 新
聞がニュース源になっているものは漢文が読める韓国人記者も記事の作成
が で き た は ず で あ る 。と こ ろ が 、ニ ュ ー ス 源 を 日 本 の 新 聞 か ら 求 め た 記 事 や 、
出 典 が 日 本 の 資 料 で あ ろ う と 推 定 さ れ る 読 み 物 類 は 、日 本 語 が 分 か ら な い 韓
国 人 ス タ ッ フ に よ っ て 書 か れ た 可 能 性 は 低 い と 言 え る 。こ れ ら の 記 事 は や は
り 井 上 角 五 郎 が 作 成 し た と 見 る の が 自 然 で あ ろ う 。そ こ で 、本 発 表 で は 、外
国 の ニ ュ ー ス の う ち 、ニ ュ ー ス 源 が 日 本 の 新 聞 で あ る も の と 、ニ ュ ー ス 源 は
不 明 で あ っ て も 記 事 の 内 容 が 日 本 を 扱 っ て い る も の を 調 査 の 対 象 に し た 。さ
ら に ま た 、読 み 物 類 も 出 典 が 日 本 語 で で き た 可 能 性 が 高 い と 判 断 し 、調 査 の
対 象 に 入 れ た 。 調 査 の 範 囲 は 1 号 か ら 36 号 ま で の 全 号 で あ る 。
1 )「 各 国 近 事 」 に 使 わ れ た 日 本 語 の 語 彙
以 下 、第 1 号 か ら 36 号 ま で の 中 か ら 、当 時 日 本 で 使 わ れ た と 思 わ れ る 語( 地
名などを含む)を拾ってみると次のようになる。
第1号:日本鎖聞
記事 3 件。
第 5 号:日 本 鎖 聞
記 事 1 件。陸 軍 省 、鉱 山 東 京 上 野( 上 海 申 報 よ り )
陸軍、海陸軍
第 4 回 漢字文化圏近代語研究会
第 6 号 : 日 本 小 伝( 滬 報 よ り )、日 本 鎖 聞
第7号:日本鎖聞
記事1件
第8号:東京近報
1件
27
予稿集
計2件
欧 州( 日 本 鎖 聞 )
欧州
第9号:徳法不相容(日日新聞記事から)
電信、合衆国、
英 民 移 住 海 外 ( 時 事 新 報 か ら )( 北 米 ) 合 衆 国
英 人 出 償 金 於 日 本 ( 時 事 新 報 か ら ):
灯台
美 廷 廃 公 権 保 護 律 ( 時 事 新 報 か ら ): 公 権
米 国 鉄 道 ( 時 事 新 報 か ら ): 鉄 道
俄 国 虚 無 党 ( 時 事 新 報 か ら ): 印 刷 機 械 、 海 軍 士 官 、 砲 兵 士 官
俄 国 海 軍 省 布 示 ( 日 本 新 聞 云 ): 海 軍 、 海 軍 省 、 海 軍 学 校 、
測量兵、機関兵、艦隊
日 本 海 軍 ( 東 京 日 日 新 聞 か ら ): 陸 軍 、 海 軍 、 砲 台 、 海 陸 軍
噸、馬力、士官、海軍学校、徴兵、
日 本 鉄 道 ( 日 本 近 信 云 ): 鉄 道 、 英 里 、 会 社 、
日 本 造 幣 統 計 表 ( 日 本 造 幣 局 報 ): 造 幣 、 統 計
日 本 軍 艦 周 游 地 球 ( 日 本 報 云 ): 海 軍 、 太 平 洋 、 大 西 洋 、 印 度 洋
日 本 水 産 ( 東 京 日 日 新 聞 か ら ): 面 積 、 漁 場 、 噸 、 合 衆 国 、
中 国 造 船 廠 ( 日 日 新 聞 記 事 か ら ): 造 船 所 、
第 10 号 : 日 本 更 新 : な し
第 11 号 : 俄 国 疆 域 記 (日 本 近 信 ):英 里 、
第 12 号 : な し
第 13 号 : 割 地 与 俄 ( 日 本 協 会 報 告 ):
電 局 近 聞 ( 日 本 協 会 報 告 ): 電 報 、
日 本 海 軍 再 述 (日 本 近 信 ):
海軍、陸軍、砲台、英里、軍艦、
三菱会社、共同会社、海軍学校、生徒、海陸軍、艦隊
第 14 号 : 広 弁 軍 火 ( 日 本 報 ): 磅 、
亜 細 亜 洲 総 論 ( 金 子 弥 兵 衛 論 説 か ら ): 欧 州 、 異 邦 人 、
人口、面積
欧 亜 比 例 説 ( 日 本 近 信 ): 欧 州 、 人 口 、 統 計 、 面 積 、 英 里 、
陸軍、常備兵、海軍、予備兵、
第 15 号 : 松 材 綿 ( 日 本 近 信 ): 陸 軍 、 兵 営 、
第 16 号 : 英 国 人 数 ( 日 本 報 ): 人 口 、 総 数 、 外 国 人 、
28
開港初期日本人が韓国に直接伝えた日本語
(李)
英 国 出 版 新 著 書 籍 ( 日 本 報 ): 出 版 、 教 育 論 、 雑 誌 、 法 律 学 、
俄国南下(日日新聞)兵営、軍用、鉄道、
徳 国 海 軍 ( 時 事 新 報 ): 海 軍 、 艦 長 、 大 尉 、 少 尉 、 生 徒 、 軍 艦
第 17 号 : 英 国 大 砲 ( 日 本 新 聞 ): 大 砲 、 噸 、 弾 丸 、 直 径 、 英 里 、
美 国 関 税 ( 報 知 新 聞 ): 関 税 、 人 口 、 海 関 税 、 弗 、 平 均 、
徳 国 東 洋 艦 隊 ( 報 知 新 聞 ): 艦 隊 、 口 径 、 英 里 、 艦 上 、
砲 兵 工 廠 (時 事 新 報 ): 砲 兵 工 廠 、 軍 艦 、 職 工 、
陸 軍 増 額 ( 日 本 陸 軍 省 ): 陸 軍 、
東 京 財 政 ( 日 本 東 京 議 会 記 事 ): 財 政 、 歳 入 、 予 算 、 歳 出
中央政府、
第 18 号 : 万 国 鳥 類 会 ( 日 本 官 報 ): 試 験 場
保 護 海 運 ( 日 本 新 報 ): 領 事 館 、 海 運 、 海 運 会 社 、 弗 、
第 19 号 : 俄 国 亜 陸 政 略 ( 前 拠 日 本 報 ): 下 議 院 、 代 議 士 、
日 本 近 聞 ( 日 本 報 ): 外 国 、 裁 判 官 、 海 軍 省 、 関 税 、 大 蔵 省 、
銀行、日本銀行、電信局、
日本地租条例:維新、公立学校、地方税、地方政府、神社、
大蔵省
第 20 号 : な し
第 21 号:録 日 本 官 報 朝 鮮 貿 易 経 緯 表:輸 出 入 品、和 紙、足 袋、石 炭 、
和傘、扇子、輸入、生菓、楽器、外科器、置時計、
掛時計、足袋、紡績器、手袋、小銃、護謨、大砲、
木綿布、直輸入品、洋紙、石鹸、消防器、生金巾、
第 22 号 : な し
第 23 号 : 饋 贈 大 砲 ( 日 本 報 ): 大 砲 、 大 統 領 、
英 国 東 洋 屯 兵 ( 日 本 報 ): 陸 軍 、 経 費 、 予 算 、 砲 兵 、 士 官 、
大隊、小隊、殖民地、工兵、歩兵、
東 洋 艦 隊 ( 日 本 報 ): 軍 艦 、 合 衆 国 、
第 24 号 : 東 京 近 信 ( 申 報 か ら ):
日 艦 命 名 ( 中 外 新 報 か ら ):
横 浜 各 邦 人 数 ( 日 本 報 ):
日本載筆:学校、幾何平面図、幾何立方形図、幾何学、代数、
微分、積分、積分方程式、工業、面積計算、音声学
第 4 回 漢字文化圏近代語研究会
予稿集
化学、元素、下水管、工業経営、鉄路、水道、
日 本 国 君 勤 政 ( 日 本 約 哥 哈 新 聞 紙 ): 人 力 車
第 25 号 : 日 本 軍 医 : 公 使 、 病 院 、 神 経 、
日 本 明 治 17 年 歳 出 之 部 : 経 常 歳 出 、 国 債 、 内 訳 、 労 働 年 金 、
軍 人 恩 給、外 務 省、内 務 省、大 蔵 省、陸 軍 省、海 軍 省、文 部 省 、
農商務省、工部省、司法省、国税局、土木、神社費、
紙幣、合計、
第 26 号 : な し
第 27 号 : 日 本 借 銀 ( 申 報 ): 電 報 、 国 債 、
鉄 路 利 益 ( 申 報 ):
第 28 号 : 日 本 華 族 ( 時 事 新 報 ): 華 族 、 維 新 、 合 計 、 公 爵 、 侯 爵 、
伯爵、子爵、男爵、
日本官員統計表:統計、
日本有位者統計表:火山発焔:火山、
第 29 号 : 美 国 貨 幣 鋳 造 局 ( 時 事 新 報 ): 硬 貨 、 金 貨 、 銀 貨
第 30 号 : 英 国 財 政 ( 日 本 報 ): 謗 、 統 計 、 歳 入 、 歳 出 、 海 関 税 、
印 紙 税 、 郵 便 局 、 公 債 、( 亜 弗 肝 ) 戦 費 、 電 信 局 、 汽 船 会 社 、
大蔵卿、
第 31 号 : 和 蘭 商 業 (時 事 新 報 ); 面 積 、 英 里 、 人 口 、 合 計 、 弗 、
法 国 航 業 ( 日 本 官 報 ): 謗 、
俄 国 鉄 道 (時 事 新 報 ): 鉄 道 、 建 築 費 、 面 積 、
第 32 号 : な し
第 33 号 : 上 海 中 立 ( 日 本 紫 溟 新 報 ):
日 本 保 護 船 ( 報 知 新 聞 ):
軍艦、
中 国 陸 軍 統 計 表 ( 報 知 新 聞 ): 陸 軍 、 統 計 、
第 34 号 : 条 約 諸 国 政 躰 記 略 :人 口 、 政 治 、 政 躰 、 太 政 官 、 太 政 大 臣 、
立法、行政、司法、三権、内閣、華族、元老院、議長、
会議、地方官、大蔵省、裁判、
第 35 号 : 日 本 地 租 条 例 ( 日 本 報 ): 維 新 、 公 立 学 校 、 神 社 、 大 蔵 省 、
第 36 号 : 日 本 語 学 生 徒 : 陸 軍 省 、 卒 業 試 験 、
日人巡視我国鉱山:造幣局
29
30
開港初期日本人が韓国に直接伝えた日本語
(李)
日本病院:病院
た だ し 、こ れ ら の 語 に 対 し て は 語 誌 を 調 べ て 拾 っ た わ け で は な い 。出 自 な ど
についてはさらに検討する余地がある。
2 )「 集 録 」 に 使 わ れ た 日 本 語 の 語 彙
『 漢 城 旬 報 』 に は 、 <資 料 4 >に 見 ら れ る よ う に 、 100 以 上 の 「 集 録 」 記 事
が あ る 。こ れ ら の 記 事 は 、件 数 だ け で は な く 面 数 が 多 い の で 、全 部 を 調 べ る
と い う こ と は 時 間 的 に 無 理 で あ っ た 。と い う こ と で 今 回 は 、こ れ ら の 中 か ら
3 編 の 記 事 を サ ン プ ル 的 に 調 査 し 、全 体 の 見 通 し を つ け る こ と に し た 。調 査
の結果は以下に示す。
「 地 球 論 」( 第 1 号 ): 面 積 、 千 里 鏡 、 太 平 洋 、 大 西 洋 、 人 口 、 工 業 、
「 学 校 」( 第 15 号 ):学 校 、小 学 校 、中 学 校 、大 学 校 、農 業 、工 業 、商 業、
洋 語 、理 学 、化 学 、法 学 、医 学 、師 範 学 校 、教 師 、夜 学 校 、官 立 学 校 、公
立 学 校 、文 部 省 、学 制 、工 業 学 校 、建 築 学 校 、鉱 山 学 校 、農 業 学 校 、獣 医
学校、加減乗除、分数
「美国大統領」
( 第 32 号 ):大 統 領、共 和、民 権、自 由、独 立 国、立 法 部 、
行政部、司法部、副統領、西暦、上院議長、月曜、火曜日、選挙、候補、
上院、演説
( 2 )『 漢 城 周 報 』
第 1 号 ( 1886.1.25) 外 報
対 馬 島 紀 事: 人 口 、 海 軍
日本近滋: 警部巡査
西 王 病 ■:内 閣 議 長、大 蔵 卿、外 務 卿、内 務 卿、陸 軍 卿、文 教 卿、工 部 卿 、
海軍卿、植民地事務卿、司法卿、商法会議局:経済雑誌
第 2 号 ( 1886.2 .1) 外 報
独西両国争一島:
人口、
日 本 更 革 官 制:1885 年 11 月 18 日 の 時 事 新 報 を 抄 訳 し た 記 事( 新 官 名
と急官名を対照してあげた)
内大臣、内閣総理大臣兼宮内大臣
第 4 回 漢字文化圏近代語研究会
予稿集
31
日女結援玉均:自由党、英語、
第 3 号 ( 1886.2.15)
国 内 記 事 に : 会 社 ( ハ ン グ ル 表 記 )、 電 報 ( 漢 城 仁 川 平 壌 義 州 四 処 電 報
局価目)
私議 : 論学政第三に
小 学 校 、物 理 、算 数 、代 数 学 、幾 何 学 、三 角 術 、物 理 学 、化 学 、
幾 何 学 、無 機 化 学 、有 機 化 学 、分 析 化 学 、応 用 化 学 、経 済 学 、
簿記学、修身学
外 報 : 博 覧 会 ( 亜 細 亜 博 覧 会 )、
5、おわりに
以 上 、『 漢 城 旬 報 』 や 『 漢 城 周 報 』 の 発 行 と こ れ ら の 新 聞 に 受 け 入 れ ら れ
た 日 本 語 に つ い て 見 て み た 。 調 査 の 結 果 、『 漢 城 旬 報 』 や 『 漢 城 周 報 』 に は
少 な か ら ぬ 日 本 語 の 語 彙 が 使 わ れ て お り 、こ れ は 井 上 角 五 郎 と 関 わ り が あ る
も の と 考 え ら れ る 。こ れ ら の こ と が 事 実 な ら ば 、19 世 紀 末 日 韓 の 語 彙 の 交 流
に お い て は 、韓 国 人 に よ る 日 本 語 語 彙 の 導 入 だ け で は な く 、雇 聘 さ れ た 日 本
人が、日本語を韓国語に直接伝えたこともあるということになる。
参考文献(文献は印刷の関係上韓国語の論文の題は日本語に訳した)
姜 在 彦 (1970), 『 朝 鮮 近 代 史 研 究 』、 明 石 書 店
金 圭 煥 (1969), 漢 城 旬 報 解 題 、『 漢 城 旬 報 』 影 印 本
キ ム ヨ ン ホ (1988), 漢 城 旬 報 の 文 化 的 解 釈 , 言 論 文 化 研 究 Vol.6 No.-, 西 江
大 学 校 言 論 文 化 研 究 所 , 255-292
朴 己 煥 (1998), 近 代 初 期 韓 国 人 の 日 本 留 学 、 日 本 学 報 40, 韓 国 日 本 学 会 ,
1998.5, 233-251
朴 晟 来 (1983), 漢 城 旬 報 及 び 漢 城 周 報 に お け る 近 代 科 学 の 受 容 努 力 , 新 聞
研 究 36.
朴 正 圭 (1983), 漢 城 旬 報 及 び 朝 報 の 研 究 , 新 聞 学 報 16, 韓 国 新 聞 学 会
白 鐘 基 (1983),『 韓 国 近 代 史 研 究 』 , 博 英 社
宋 敏 著 管 野 裕 臣 他 訳 (1999),『 韓 国 語 と 日 本 語 の あ い だ 』、 草 風 館
宋 敏 (1988),
日 本 修 信 使 の 新 文 明 語 彙 接 触 」『 語 文 学 論 叢 』 7、 国 民 語 文 学
32
開港初期日本人が韓国に直接伝えた日本語
(李)
研究所
兪 東 濬 (1987),『 兪 吉 濬 伝 』 ,一 潮 閣
李 光 麟 (1985),『 韓 国 開 化 史 研 究 』、 一 潮 閣
鄭 晉 錫 (1983), 漢 城 旬 報 お よ び 周 報 の ニ ュ ー ス 源 , 韓 国 言 論 学 報 ,
Vol.16 No.1 ,韓 国 言 論 学 会 , 11-21
鄭 晉 錫 (1983),
漢城旬報と周報についての研究. 新聞研究
36.
クァンフンクラーブ
崔 俊 (1969),「 漢 城 旬 報 」 の ニ ュ ー ス 源 に つ い て , 韓 国 言 論 学 報 , Vol.2 No.1,
韓 国 言 論 学 会 , 12-20
青 木 功 一 (1969),「 朝 鮮 開 化 思 想 と 福 沢 諭 吉 の 著 作 」
『 朝 鮮 学 報 』52, 朝 鮮 学 会
資料
<資料1>:戦前韓国去留日本人の数
(梶村秀樹、
「朝鮮史と日本人」
(梶村秀樹著作集
第 一 巻 )、明 石 書 店 、
1992、 p 225 に よ る 、 軍 人 は 含 ま れ て い な い )
<資料2>井上角五郎が韓国で新聞の刊行を訴えた文書
故方今之急務 在使之知欧術之当取而已 使知之如何 曰 起庠序也 曰
設新報也 盖自古論教化之要者不一而足 詩序刺教化之衰 以為国家滅亡
之兆 故古者王宮国都以及閭巷 無不有学 独至新報 則少如其要者 然上
以此為布政令之具 下以此為興農工之媒 智者以此施教化 愚者以此進智
識 則其效用 固不譲於庠序 西人有言 曰 新報国家之耳目也 是余向所
以尽力於旬報 而大方君子所熟知也 且朝鮮自古有邦文簡而易学 凡士民
尽無不通 自今以之記旬報 則仁義之道 殖産之術 当使愚夫愚婦知之 故
曰 使知之之道 在起庠序設新報而已
<資料3>
金允植の中国での書籍購入目録
1882 年 6 月 11 日 天 津 機 器 局 で 寄 贈 さ れ た も の ( 53 種 205 冊 )
運 規 約 指 (1 冊 ) 地 学 浅 釈 (8 冊 ) 製 火 薬 法 (1 冊 ) 金 石 識 別 (6 冊 ) 汽 機 発 (4
冊 ) 化 学 鑑 原 (4 冊 ) 汽 機 新 制 (2 冊 ) 化 学 分 原 (2 冊 ) 汽 機 必 以 (6 冊 ) 御 風
第 4 回 漢字文化圏近代語研究会
予稿集
要 術 (6 冊 ) 開 煤 要 法 (2 冊 ) 船 法 簡 法 (2 冊 ) 防 海 新 編 (6 冊 ) 西 芸 知 新 続 刻
(6 冊 ) 器 象 顕 真 (3 冊 ) 営 城 掲 要 (6 冊 ) 克 虜 伯 操 法 (2 冊 ) 営 塁 図 説 (1 冊 )
克 虜 伯 造 法 (3 冊 ) 測 候 叢 談 (2 冊 ) 水 師 操 練 (3 冊 ) 平 圓 地 球 図 (1 部 ,16 枚 )
代 数 術 (6 冊 ) 西 国 近 事 巣 彙 (16 冊 ) 行 軍 測 絵 (2 冊 ) 列 国 歳 計 政 要 (6 冊 ) 声
学 (2 冊 ) 三 角 数 理 (6 冊 ) 冶 金 録 (2 冊 ) 井 工 程 計 (2 冊 ) 海 塘 輯 要 (2 冊 ) 格
致 啓 蒙 (4 冊 ) 四 裔 編 年 表 ( 4 冊 ) 数 学 理(4 冊 ) 海 道 図 説 (十 本 ) 水 師 章 程
(16 冊 ) 爆 薬 紀 要 (1 冊 ) 董 方 立 遺 書 (1 冊 ) 電 学 (六 本 ) 九 数 外 録 (1 冊 ) 談
天 (4 冊 ) 句 股 六 術 (1 冊 ) 東 方 交 渉 記 (2 冊 ) 開 方 表 (1 冊 ) 三 才 紀 要 (1 冊 )
対 数 表 (1 冊 ) 算 法 統 宗 (4 冊 ) 弦 切 対 数 表 (1 冊 ) 八 簡 表 (1 冊 ) 恒 星 図 表 (1
冊 ) 算 学 啓 蒙 (2 冊 ) 八 対 数 簡 表 (1 冊 ) 輪 船 布 陳 (2 冊 )79)
1882 年 11 月 24 日 天 津 機 器 局 で 寄 贈 さ れ た も の ( 19 種 74 冊 )
水 師 章 程 (16 冊 ) 御 風 (2 冊 ) 汽 機 必 以 (6 冊 ) 航 海 簡 法 (3 冊 ) 化 学 鑑 原 (4
冊 ) 声 学 (3 冊 ) 汽 機 新 制 (2 冊 ) 器 象 顕 真 (3 冊 ) 化 学 続 編 (6 冊 ) 造 化 薬 法
(1 冊 ) 輪 船 布 陳 (2 冊 ) 煤 薬 記 (1 冊 ) 化 学 分 原 (2 冊 ) 西 芸 (6 冊 ) 絵 地 法 原
(1 冊 ) 防 海 新 編 (6 冊 ) 克 虜 伯 弾 合 法 (5 冊 ) 開 煤 要 法 (2 冊 ) 水 帯 操 練 (3
冊 )80)
<資料4>
集録一覧
『漢城旬報』
地 球 図 解 、 地 球 論 、 論 洲 洋 ( 1 号 )、 論 地 球 運 転 、 欧 羅 巴 州 (2 号 )、 会 社
説、 米 利 加 洲( 3 号 )、 論 電 気、亜 非 利 駕 洲( 4 号 )、日 本 史 略、阿 西 亜
尼 亜 洲 ( 5 号 )、 論 華 人 三 与 致 富 、 英 国 誌 略 ( 6 号 )、 英 人 演 説 、 太 西 法
律( 7 号 )、地 球 圜 日 図 解、欧 羅 巴 史 記( 10 号 )、欧 米 徴 兵 法、論 中 国 戦
船 ( 11 号 )、 太 西 運 輸 論 、 地 球 圜 日 成 歳 序 図 説 、 美 国 誌 略 (12 号 )、 日 本
海 軍 再 述 、 太 西 運 輸 論 続 稿 ( 13 号 )、 亜 細 亜 洲 総 論 、 太 西 文 学 源 流 考 、
火 輪 船 源 流 考 、 欧 亜 比 例 説 、 美 国 誌 略 続 考 ( 14 号 )、 学 校 、 太 西 郵 制 、
出 版 権、法 国 誌 略( 15 号 )、星 学 源 流、占 星 辨 謬 , 欧 米 租 制( 16 号 )、論
土 路 火 車 、 火 器 新 式 、 法 国 誌 略 続 考 ( 17 号 )、 徳 逸 国 誌 略 ( 18 号 )、 徳
逸 国 誌 略 続 考 ( 19 号 )、 行 星 論 、 侯 氏 遠 鏡 論 ( 20 号 )、 合 衆 国 財 政 概 況
( 21 号 )、太 西 河 防、富 国 説 上( 22 号 )、論 緑 気、恒 星 動 論( 23 号 )、禁
煙 説 略、論 耶 蘇 教、亜 里 斯 多 得 里 伝( 24 号 )
、治 道 論、俄 国 誌 略( 26 号 )、
33
34
開港初期日本人が韓国に直接伝えた日本語
(李)
航 海 説( 27 号 )
、歴 覧 英 国 鉄 廠 記 略( 29 号 )
、歴 覧 英 国 鉄 廠 記 略 続 前 巻 、
伊 国 誌 略 (30 号 )
、和 蘭 誌 略( 31 号 )
、美 国 大 統 領、地 球 養 民 関 係( 32 号 )、
禁煙
論、地球養民関係続前巻
欧 羅 巴 洲 ( 33 号 )、 公 法 説 、 法 国 兵
備 記 略 ( 34 号 )、 歴 覧 英 国 鉄 廠 記 略 続 前 巻 、 日 本 地 租 条 例 ( 35 号 )、 覧
英国鉄廠記略続前巻、 地球養民関係続前巻
( 36 号 )
『漢城周報』
亜美利加洲、澳大利亜洲
第 4 回 漢字文化圏近代語研究会 35
於日本大阪 関西大学 2004.3.13-14
日中近代語の成立に伴う問題点を考える
目白大学 陳
一
力衛
はじめに
日中間の近代概念の往来については、つねにホットな話題として、文化
史・ 思 想 史 に 大 き く 取 り 上 げ ら れ る こ と が 多 い 。そ れ は「 文 化 は 高 い と こ ろ
か ら 低 い と こ ろ へ 流 れ る 」と い う 文 化 優 位 論 に 立 つ も の も あ れ ば 、単 に 自 国
の 文 化 だ け を 強 調 す る 狭 い ナ シ ョ ナ リ ズ ム か ら 出 発 す る も の も あ る 。そ こ で
いわゆる日本語学による研究はどこまで言語事実を明らかにすることがで
き る か 、ま た は そ の 限 界 は な に で あ る か を 考 え つ つ 、以 下 の 問 題 を 中 心 に 日
中近代概念の往来にかかわるポイントを整理しようと思っている。
1.なぜ近代概念を表す語の出自に誤解や間違いが多いのか?
2.近代日本語という環境フィルターの役割をどう評価すべきか?
3.いま流布している借用語リストの問題点とは何か?
今 日 ま で に 至 っ て 、日 本 語 学 の 視 点 か ら 見 て こ の 分 野 に お い て 、漢 訳 洋 書
や 英 華 字 典 な ど 中 国 語 か ら の 影 響 に よ る も の と 、日 本 人 が 独 自 に 作 り 上 げ た
も の と に 分 け ら れ る 。し か も 研 究 史 に お い て も 、方 法 論 に お い て も 、基 本 的
な 時 代 区 分 、資 料 の 使 用 範 囲 な ど 多 く の こ と に わ た っ て 共 通 理 解 が で き つ つ
あ る 。一 方 、そ れ ら が 中 国 語 へ 大 量 に 流 れ た こ と に つ い て は む し ろ 中 国 語 の
近代語の成立または外来語研究の対象となっているのが一般の了解である。
し か し 、こ こ で は 日 中 両 方 の 問 題 を あ わ せ て 取 り 上 げ て み よ う と 考 え て い る 。
二
定義と範囲
東 ア ジ ア に お け る 近 代 語 と い う 広 い 視 野 か ら 見 て 、お そ ら く 次 の よ う な ①
か ら ⑫ ま で の 語 を 研 究 対 象 と す べ き で あ ろ う 。中 国 語 と 韓 国 語 は そ れ ら を 全
部 音 読 語 と し て 同 じ レ ベ ル で 扱 わ れ て い る か ら で あ る 。し か し 日 本 語 学 に お
いて、それらをカバーするより広い概念が「漢字表記語」となる。
36
日中近代語の成立に伴う問題点を考える
和語
(陳)
①取締、組合、立場、広場、打消、引渡、場合、見習
②紫陽花、勿忘草
外来語③三鞭酒、天鵞絨、仏蘭西、桑港
④瓦斯、倶楽部、淋巴、浪漫、混凝土
近世唐話 ⑤中央、分割、活動、主張、純白
漢字表記語
⑥電報、鉄道、銀行、保険、権利、化学
⑦細胞、生産、生理、水質、運動
新漢語
訳語
⑧自由、文学、精神、思想、小説
⑨経済、主義、社会、文化、芸術、革命
漢語
⑩電話、哲学、美術、主観、止揚、象徴
(字音語)和製漢語⑪情報、番号、警察、表現、改善、異動
⑫目的、故障、出版、文盲、調整、指向
近 代 語 の 一 環 と し て の「 新 漢 語 」は 時 代 的 要 素 を 加 味 し て ⑤ 以 下 の も の を
対 象 と す る 。 た だ 、「 新 漢 語 」 の 言 い 方 が は っ き り し た 範 囲 を 定 め た も の で
はなく、幕末・明治に使われた語や、新しい事物を表す語などをさすから、
そ れ を「 近 代 漢 語 」の 代 名 詞 に 使 う こ と も し ば し ば で あ る 。し か し 、そ の 反
対 概 念 の 旧 漢 語 と の 境 目 が な か な か つ け ら れ な い 。言 語 の 連 続 性 か ら 近 代 に
な っ て 初 め て 使 い 出 さ れ る 語 か 、新 し い 意 味 が 付 与 さ れ た か を も っ て 、時 代
的 な 烙 印 を 押 す こ と は そ う 簡 単 な こ と で は な い 。一 般 に そ の「 新 漢 語 」の 言
い 方 は「 洋 学 」資 料 に よ っ て 裏 付 け ら れ る こ と が あ る が 、そ こ か ら 得 た 語 は
一 方 で は 「 訳 語 」 と い う 概 念 に も 重 な る 。 と な る と 、「 新 漢 語 」 と か か わ っ
て い る 概 念 は 少 な く と も 由 来 か ら 見 て さ ら に 「 近 世 唐 話 」 ⑤ 、「 訳 語 」 ⑥ ⑦
⑧ ⑨ ⑩ 、「 和 製 漢 語 」 ⑩ ⑪ ⑫ に 分 け ら れ る 。
中国の書物を時代的には清朝の後期まで日本が受け容れていたと見られ
る 。 す な わ ち 、 明 治 維 新 ま た は 明 治 10 年 代 を 近 世 中 国 語 の 受 け 入 れ の 下 限
と す る こ と が で き る 。そ れ は 無 論 ⑤ の よ う な 漢 籍 や 白 話 小 説 な ど の 唐 話 資 料
を さ す だ け で な く 、い わ ゆ る 漢 訳 洋 書 と い う も の も 含 ま れ る 。日 本 の 近 代 語
研 究 で は 後 者 だ け を 重 ん じ る 傾 向 が 強 い が 、事 実 、両 者 が 連 続 的 で あ る こ と
は 、『 雑 字 類 編 』 の 語 か ら 近 代 訳 語 へ の 変 身 を 果 た す 例 ( 記 念 、 顕 微 鏡 、 顔
料 、様 式 な ど )を 見 て 分 か る だ ろ う し 、片 方 だ け を 取 り 扱 う こ と に よ っ て 生
じたジレンマもあると思う。
「 和 製 漢 語 」は 古 来 形 成 さ れ て き た も の で 、近 代 に 限 る べ き で は な い と 思
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
37
う が 、「 訳 語 」 と い う 、 明 治 に 創 出 し た 漢 語 の 象 徴 的 な イ メ ー ジ と 重 な る こ
とで、両者を分かちがたいものになっている。
「 訳 語 」は 、西 洋 概 念 と の 照 合 に お い て 、新 し い 意 味 の 注 入 と い う 特 徴 が
あ る が 、本 当 は 音 訳 の 部 分 ③ ④ も 含 む べ き で 、つ ま り 、外 来 語 を 漢 字 表 記 で
き る も の も 入 れ る べ き だ が 、こ こ で ま た し も 漢 語 と い う 概 念 と 衝 突 し 、結 局
の と こ ろ 、意 訳 の 漢 語 に 限 っ て し ま う 。そ の 中 身 を 、由 来 か ら 次 の 3 種 類 に
分けている。
a
中国語からの直接借用。
例⑤⑥
b
中国の古典語を用いて外来概念を訳すための転用
例⑦⑧⑨
c
外来概念にあてるため、日本人独自の創出。
例⑩
その中で、c は中国語では形態上見つからないという客観的な前提がある
から、日本での創出と分かりやすいのに対して、a は逆に中国語からきたも
の で 、従 来 の 漢 語 の 流 入 と 同 じ く 見 な さ れ る こ と が で き る が 、b と の 区 別 は
は っ き り し な い 部 分 が あ る 。事 実 、上 記 の 村 山 氏 の 例 は す べ て こ の 両 者 に 跨
っているし、あるいはbの拡大解釈によるものともとれる。
一 般 書 で は 近 代 語 、と く に 訳 語 を 話 題 に 取 り 上 げ る と き 、お お む ね 二 つ の
方 向 で こ の 話 を 進 め て い る 。一 つ は 近 代 訳 語 の 創 出 者 た ち は 漢 文 の 素 養 が あ
り 外 来 概 念 を 充 分 に 把 握 し た の ち に 、も っ と も 適 切 な 漢 語 訳 を 案 出 し た 。も
う 一 つ は そ の 訳 語 は 日 本 人 に と っ て 日 常 不 可 欠 な だ け で な く 、中 国 や 韓 国 に
も 輸 出 さ れ て 日 中 韓 共 通 語 と も な っ て い る 、と い う の で あ る 。こ の 方 向 で 誘
導 さ れ た 結 果 、少 な く と も 訳 語 に 関 し て は 一 方 的 に 日 本 語 か ら 中 国 語 ま た は
韓 国 語 へ 流 れ た と い う 印 象 を 人 々 に 与 え る こ と に な る 。こ の 訳 語 の 基 本 構 成
に つ い て の 認 識 、と く に a の 存 在 す ら 一 般 の 人 に 知 ら れ て い な い の が 現 状 で
あ る 。 上 記 の 新 聞 記 事 や 書 物 の 観 点 か ら す れ ば 、 b、 c し か 頭 に 無 い よ う だ 。
一 方 、中 国 や 韓 国 の ほ う で も 日 本 語 か ら 入 っ て き た こ と ば の 重 要 性 だ け を 強
調 し て 、日 本 の こ の よ う な 認 識 や 話 題 を 鵜 飲 み に す る だ け で 、お な じ く a に
ついての自覚と認識が欠けていたのである。
三
中国語からの直接借用と転用の区別
中国語からの直接借用aの判定はいままで基本的に英華字典と漢訳洋書
と に よ っ て い る 。そ れ は も ち ろ ん 日 本 語 と 一 種 の 受 容 関 係 に あ る の が 前 提 で
あ る 。英 華 字 典 と い う は っ き り し た 対 訳 資 料 に よ っ て 選 び だ さ れ た 語 は も っ
38
日中近代語の成立に伴う問題点を考える
(陳)
と も そ の 性 格 に 相 応 し い と さ れ て き た 。た と え ば 、19 世 紀 の 初 め て の 英 華 字
典 ( モ リ ソ ン 、 1823) か ら 次 の 例 を 拾 う こ と が で き る 。
apostle 使 徒
blacklead pencil 鉛 筆
Christ 基 利 斯 督
critic of books 善 批 評 書
digest 消 化
law 法 律
medicine 医 学
level 水 準
necessarily 必 要
practice 演 習
life 生 命
news 新 聞
method 方 法
judge 審 判
natural 自 然 的
novel a small tale 小 説 書
radius 半 径 線
plaintiff 原 告
exchange 交 換
spirit 精 神
unit 単 位
materials 材 料
conduct 行 為
organ 風 琴
men 人 類
arithmetic 数 学
language 言 語
し か し 、た と え 英 華 字 典 に 出 て い て も 、意 味 的 に は「 近 代 」を 示 し て い な
け れ ば 、 そ れ は b の ほ う に 入 れ ら れ る こ と に な っ て し ま う 。「 文 学 、 小 説 、
精 神 、芸 術 、自 由 、思 想 」の よ う に 、英 華 字 典 に 出 て い て 英 語 と の 対 訳 関 係
を も ち な が ら 、西 欧 の 新 し い 概 念 に 対 応 し て い る か ど う か が 問 題 と な っ て く
る 。「 小 説 」 は 中 国 古 来 の 「 野 史 、 稗 説 」 を 意 味 す る 一 方 、 novel と fiction
の 訳 に も 当 て ら れ て い る 。だ け ど 、日 本 で は「 小 説 」が 坪 内 逍 遥 の 造 語 と さ
れ て い る 。同 じ よ う に 、
「 精 神 」は 中 国 古 典 的 な 魂 や 霊 や 魄 な ど を 表 わ す が 、
英 語 の spirit の 訳 語 と し て モ リ ソ ン の 辞 書 以 来 使 わ れ て き た 。 日 本 の 和 英 辞
典 も そ の 訳 を 受 け 継 い で い る 。た だ 、そ の 外 来 概 念 自 身 も 変 化 す る の で 、装
い と し て の 漢 字 表 記 は つ ね に そ れ に 伴 っ て 、内 実 を カ バ ー し て き た 。時 代 に
合 う 外 来 概 念 の 正 し い 理 解 が 、日 本 で 初 め て 行 わ れ た か 、そ れ と も 中 国 で 初
めて行われたかという思想史からのアプローチも確立されてはじめて a に
属 す べ き か 、そ れ と も b に 属 す べ き か が 判 断 で き る 。訳 語 か ら み れ ば 、記 号
としての漢字表記と英語の近代的概念との結びつきをどちらかに先に確認
できれば、そこで訳語の成立となるのである。
漢訳洋書に出てくる語の性格を、a か b のどちらかに判断をつけることは
難 し い 。 た と え ば 、『 博 物 新 編 』( 1855) か ら 拾 え る 語 を 並 べ る と 、
気圧
風雨鍼
汽車
電気
効能
点線
定例
将来
理
航海
点
純白
直線
沙漠
外気
形状
体重
顕微鏡
平方
彗星
直径
所在
差異
地球
蒸気
水質
材料
直射
水性
水族
橋梁
中央
陸地
軌道
電機
隧道
極地
流動
機器
品物
源泉
太陽
赤道
光速
水面
平均
工程
貿易風
牽引
湿気
幻影
貨物
宇宙
西暦
生命
応用
身長
生
呼吸
光
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
39
の よ う に 、 一 見 し て 近 代 的 な 意 味 概 念 を 表 す も の が 多 い が 、「 生 理 」 の よ う
に 古 典 中 国 語 の よ う な 意 味 ( な り わ い ) を 引 き ず っ て い る 語 も あ れ ば 、「 水
質 」の よ う に「 水 の よ う な 性 質 」の 意 味 に 使 わ れ る 語 も あ る 。と な る と 、近
代 的 な 生 理 学 に お け る「 生 理 」の 成 立 と 、水 の 品 質 を 意 味 す る「 水 質 」の 成
立 は 逆 に 日 本 語 に よ り 早 く 求 め る こ と が で き る 。い わ ば b の 扱 い と な る 。そ
の ほ か は 「 差 異 、 効 能 、 将 来 、 純 白 、 身 長 」 の よ う に 、「 訳 語 」 と 判 断 す る
に は 無 理 な 語 が あ る 。も し 単 に 対 訳 辞 書 の 有 無 に 頼 る な ら ば 、そ れ ら の 成 立
は逆にずいぶん後の時代となるというちぐはぐな結果になりかねない。
bのものとして認定されやすい理由の一つは、意味的な格差である。その多
く は 明 ら か な 時 代 差 に よ る も の で 、た と え ば 、中 国 の 古 典 的 に 使 わ れ て い た「 文
化 」「 経 済 」 を 、 そ れ ぞ れ 「 文 で 感 化 す 」「 世 を 経 め て 民 を 済 う 」 の よ う に 理 解
で き る の に 対 し て 、 日 本 語 の よ う に 一 旦 外 来 の 英 語 の 概 念 culture と economy
に照らして訳語として成立すると、固定した意味概念が込められてきて勝手に
字 面 通 り に 分 解 し て 理 解 で き な く な る 。 そ う し た 語 は た と え ば 、「 印 象 、 対 象 、
現象、観念、存在」のように、漢訳仏典に由来するものは少なくない。その中
国語古典としての使い方と近代日本語としての用法の間に意味的・文体的・時
代的な格差が開ければ開くほど、日本での近代的意味の成立が確実視されやす
い 。た と え ば 、
「 印 象 」と い う 語 は 本 来 仏 教 語 と し て「 い ん ぞ う 」と 読 ま れ 、
「象
を 印 す 」と い う 語 の 構 造 か ら 、
「 判 を 押 し た よ う に 形 が は っ き り 現 れ る こ と 」を
意 味 し て い た 。 明 治 十 四 年 の 『 哲 学 字 彙 』 で Impression の 訳 語 と し て 挙 げ ら れ
たのを初出としている説はあるが、その実際の使用は少なくとも明治七年五月
の『明六雑誌』八号の箕作秋坪の「教育談」にさかのぼることができる。訳語
に用いられてからも、サ変動詞としての使用例が多かったが、明治中期以降、
「深き印象」
「 最 初 の 印 象 」の よ う に 名 詞 に 使 わ れ る こ と が 多 く な っ て き た 。さ
ら に 『 普 通 術 語 辞 彙 』( 1905) は 「 印 象 」 の ほ か に 、「 印 象 的 」 と い う 形 容 詞 形
を登録し、
「 直 接 の 感 銘 深 き 」を 言 い 表 す よ う に な り 、
「印象派」
「 印 象 主 義 」と
いった概念の誕生を許す土壌となったのだろう。
し か し 、近 代 語 の な か に そ の 近 代 的 意 味 と の 距 離 は さ ほ ど 感 じ ら れ な い も
の が 多 い こ と が 分 か る 。つ ま り 、そ の 時 代 的 格 差 を 埋 め る べ く 、近 世 以 降 の
資料についていままで十分に関心を払っていなかったことに起因している
の で は な い か と 思 う 。し た が っ て 、唐 話 資 料 と よ ば れ る も の や 、近 世 の 漢 詩
文 の 研 究 が あ ま り に も 日 本 近 代 語 と 切 り 離 し て 行 な わ れ て い た し 、あ る い は
40
日中近代語の成立に伴う問題点を考える
(陳)
単に中国語学の資料として利用され、日本語学から注目されなかったので、
あたかも古代との時間差ができたように見えるだけではないか。
つまり訳語としての意味が英華字典か英和辞典のどっちに先に確立され
た か に よ っ て 判 断 で き る も の が 実 は 非 常 に 限 ら れ て い る 。多 く は 訳 語 と は 無
関 係 に 成 立 し た も の で あ り 、無 理 に 訳 語 の 枠 組 み で 捉 え て い く と 、か え っ て
間 違 っ た 方 向 へ い っ て し ま う お そ れ が あ る 。漢 文 に 出 典 が あ っ て も 、そ の 連
続 的 な 部 分 を 無 視 し 、単 に ど っ ち が 先 に そ れ を 英 訳 に あ て た の か で 判 断 す れ
ば、それはbの落とし穴に陥ることになるであろう。
四
日本語独自の創出
c の 問 題 を 考 え る と き 、和 英 辞 書 や 日 本 人 に よ る 翻 訳 書 が 資 料 に な る こ と
が 多 い 。し か し 、基 本 的 に a、b の 可 能 性 を 排 除 す る と こ ろ か ら 出 発 す る の で 、
ど う し て も 語 史 的 研 究 の 手 順 を 踏 ま な け れ ば な ら な い 。要 す る に 、出 自 を 中
国 語 由 来 か 、日 本 語 で の 創 出 か を 見 極 め る た め に は 幾 つ か の チ ェ ッ ク ポ イ ン
ト を 経 て は じ め て 判 断 で き る 。そ れ を あ る 資 料 を 中 心 に 進 め る 場 合 の 基 本 的
なプロセスがある。たとえば、
1.研究対象とする資料を定める(時代的意味、流布範囲、著者)
2.漢語の抽出(いわゆる語の認定)
3.語の分類(品詞的:
サ変動詞、漢語副詞、形容動詞、名詞)
(語構成的:複合的、派生的)
(時代的:
白話小説語、近代造語、近代訳語)
の よ う に 、手 順 を 踏 ん で 漢 語 の 素 性 を 中 国 語 由 来 か 日 本 語 由 来 か に 分 け て い
く 。た だ 、時 代 的・ 分 野 的 に よ っ て そ の 手 順 が 省 か れ る 可 能 性 は も ち ろ ん あ
る。
と い う の は 、本 来 日 本 近 代 語 に お い て 、蘭 学 な ど に 示 さ れ た よ う に 日 本 人
が 独 自 に 作 っ た 部 分 が あ る か ら で あ る 。 医 学 関 係 ( と く に 外 科 ) で は 、『 解
体 新 書 』(1774)な ど に 見 ら れ る 日 本 人 の 創 意 工 夫 に よ る 新 語 が 目 立 っ て い る 。
例 え ば 「 腺 、 軟 骨 、 盲 腸 、 神 経 」 な ど の 語 が そ れ で あ る 。 嘉 永 二 年 ( 1849)
の 『 砲 術 語 選 』( 尾 張 上 田 仲 敏 輯 、 山 田 重 春 校 、 伊 藤 清 民 序 、 菊 三 屋 蔵 板 )
を 調 べ て み て も 、「 リ ュ グ ト 」 に 「 空 気
素名附此」として、
ワルムテストフ
温素
又作濛気」を当て、そして「諸元
第4回
漢字文化圏近代語研究会
シュールストフ
酸素
リグトストフ
光素
スチッキストフ
窒素
ワートルストフ
水素
コールストフ
炭素
ストームボート
蒸気船
予稿集
則漢人所称火輪船
と 、「 空 気 」 と と も に 他 の 元 素 名 も 並 べ ら れ て い る 。 そ し て そ の 時 す で に 、
日 本 語 の「 蒸 気 船 」に 対 し て 、中 国 語 で は「 火 輪 船 」と い う 異 な る 言 い 方 に
言 及 し て い る こ と が 注 目 す べ き 点 で あ る 。さ ら に 日 本 語 に よ る 元 素 名 の 成 立
が 見 ら れ る 。後 に な っ て 、漢 訳 洋 書 が 日 本 に 入 っ て き て か ら 同 じ 概 念 の 異 同
に つ い て 意 識 す る よ う に な る 。 堀 野 良 平 訳 『 博 物 新 編 演 義 』( 1875) の 冒 頭
に も 、「 称 呼 異 同 標 」 を 掲 げ 、 日 中 間 の 用 語 の 違 い を 列 挙 し た 。
博物新編(中国語)
博物新編演義(日本語)
地気
空気、また大気
大地
地球
生気
大気
酸素一分窒素二分抱合シテ成ル者
養気
酸素
或ハ清気ト云
清気
酸素ト温素ト合テ成ル
淡気
窒素
炭気
炭素
軽気
水素
燃気
水素ト温素ト合テ成ル
汽
水蒸気
湿気
水素瓦斯
軽炭二気
炭化水素瓦斯
風雨鍼
験気管
寒暑鍼
寒暖計
磺強水
緑礬精
硝強水
硝酸
鹽強水
海鹽精
牽合之性
引力
推拒之性
張力
また燃気
或蒸発気
また硫酸
また猛水
また塩酸
また膨張力
41
42
日中近代語の成立に伴う問題点を考える
(陳)
つ ま り 、明 治 八 年 こ ろ で は も う 上 記 の よ う に 、日 本 語 独 自 の 用 語 を 意 識 し て
い る と 思 わ れ る 。こ う 比 較 し て み れ ば 、後 者 は 日 本 で の 成 立 と い う 大 方 の 予
想が立てられる。
中 国 語 の 「 風 雨 鍼 、 寒 暑 鍼 」 に 対 し て 、 日 本 語 で は そ れ ぞ れ「 験 気 管 、寒
暖 計 」と 言 い 換 え て い る 。 と く に 後 者 に つ い て 梶 原( 1993) は 「 温 度 計 」 へ
の 変 化 を 詳 し く 記 述 し て い た 。 明 治 20 年 ま で に 「 寒 暖 計 」 の ほ う が 一 般 的
に使われていたと思われる。
気 体 に つ い て の 命 名 は 日 中 が 大 き く 異 な っ て い る 。中 国 語 の「 養 気 、淡 気 、
軽 気 、 炭 気 」 に 対 し て 、 日 本 語 で は そ れ ぞ れ 「 酸 素 、 窒 素 、 水 素 、 炭 素 」の
よ う だ 。ま た 無 機 酸 の 命 名 法 を 中 国 語 で は「 鹽 強 水 、硝 強 水 、磺 強 水 」の よ
う に 示 し 、そ の 後 、1870 年 代 の 化 学 書 の 翻 訳 で も そ の 言 い 方 が 採 用 さ れ て い
る。それに対して、日本語は独自に成立した「塩酸、硝酸、硫酸」を使い、
中国語のほうも後にそれらを採用するようになる。
日 本 に お い て は 、宇 田 川 榕 菴( 1798-1846)『 舎 密 開 宗 』( 1837)に よ っ て
既 に 「 塩 酸 、 硝 酸 、亜 硝 酸 、 硫 酸 、 亜 硫 酸 」 な ど の 語 の 定 着 が あ っ た 。 そ の
第 百 一 章 に よ れ ば 、強 水 は 希 消 酸 を 指 す 。「 硝 酸 」の 初 出 は 宇 田 川 榕 菴 の『 植
学 啓 源 』( 1834) に あ る 。 た だ し 「 消 酸 」 と し て あ る 。「 硝 酸 」 と し て の 初
登 場 は『 改 正 増 補 和 英 語 林 集 成 』( 1885)を 待 た な け れ ば な ら な い 。さ ら に
「 引 力 」 や 「 張 力 」 と い う 語 も 『 博 物 新 編 』 の 「 牽 合 」「 推 拒 」 と 違 っ て い
た 。日 本 の ほ う は 明 治 6 年 の 西 周 の『 生 性 発 薀 』に す で に「 引 力 ア ツ タ ラ キ
シ ウ ン 」と 見 え る か ら 、日 中 間 の 相 違 が 明 ら か で あ る 。こ れ も 後 に 中 国 の ほ
うは日本の用語を採用するようになる。
こ う い う 対 照 的 な も の が あ れ ば 、日 本 で の 成 立 の 判 断 が 早 い が 、そ れ で も
「 地 球 」の よ う に 、す で に 中 国 語 か ら 日 本 語 に 入 っ て き た も の が 含 ま れ る か
ら 、要 注 意 で あ る 。ま た 、時 々 日 本 が 先 か 、中 国 が 先 か 、な か な か 区 別 の つ
か な い も の が あ る 。 先 の 「 空 気 」 も そ う だ が 、「 細 胞 」「 結 晶 」 の よ う に 出 典
例 で は 日 本 の ほ う が 早 い も の も 、 中 国 で も 19 世 紀 の 半 ば ぐ ら い 使 わ れ て い
る 。 一 般 に 明 治 10 年 ま で 一 方 的 に 中 国 語 か ら 日 本 語 へ 漢 語 が 流 れ て い た と
思 わ れ る が 、も し 日 本 で の 成 立 が 早 け れ ば ど う や っ て 中 国 語 へ 伝 わ っ た か と
いう接点を探り出すことが後述するように、課題のひとつとなる。
こ の よ う に 、日 本 独 自 に 創 出 し た 訳 語 の 検 証 は 英 華 字 典 や 漢 訳 洋 書 で の 使
用をチェックしたうえで
第4回
漢字文化圏近代語研究会
43
予稿集
さらに日本の資料による跡づけが欠かせないだろう。
五
中国語借用語としての二重語源説
中 国 で は 、こ れ ら の 日 本 伝 来 の 新 漢 語 を 外 来 語 と し て 捉 え よ う と す る 議 論
が 活 発 化 し て い る 。中 国 語 学 者 た ち は 、中 国 語 の 中 に ど れ ぐ ら い 日 本 か ら の
借 用 語 が あ る か を め ぐ っ て 研 究 を 続 け て き た 。高 名 凱 ・ 劉 正 琰 の『 現 代 漢 語
外 来 詞 研 究 』(1958、文 字 改 革 出 版 社 ) を は じ め 、王 立 達 や 譚 汝 謙 や 実 藤 恵 秀
な ど が 次 々 と そ の 借 用 語 の リ ス ト を 増 や し て い っ た 。ま た 北 京 師 範 学 院 中 文
系 漢 語 教 研 室 の『 五 四 以 来 漢 語 書 面 語 言 的 変 遷 和 発 展 』(1959、商 務 印 書 館 ) で
は 日 本 か ら の 借 用 語 を 二 節 設 け て 説 明 す る ほ か 、と く に「 反 ~ 、非 ~ 、超 ~
/ ~者、~化、~性、~主義」のような接辞による造語の影響が大きいと指
摘 し て い る 。結 果 的 に 今 日 で は 劉 正 琰・高 名 凱 な ど の『 漢 語 外 来 詞 詞 典 』
(上
海 辞 書 出 版 社 1984)の 約 892 語( 沈 国 威 の『 近 代 日 中 語 彙 交 流 史 ――新 漢 語
の 生 成 と 受 容 』に そ の 語 彙 一 覧 を 収 録 )に 集 約 さ れ る よ う に な る が 、し か し 、
これらの研究においていわゆる借用語の認定過程に関する資料がほとんど
提 示 さ れ て お ら ず 、恣 意 的 な 判 断 に よ る と こ ろ が 少 な く な い た め 、最 近 の 研
究 に よ っ て 間 違 い を 指 摘 さ れ た 語 が 数 多 く あ る 。問 題 は 日 本 人 も 中 国 人 も お
互いに相手がそういっているから間違いないという軽信の上で論を展開さ
せ 、そ し て 語 数 を 累 積 さ せ て い く こ と で あ る 。さ ね と う 氏 の 著 書( 1973)に
わ ざ わ ざ「 中 国 人 の み と め る 日 本 語 彙 」と い う 一 節 を 設 け て 、1950 年 代 の 上
記 中 国 人 に よ る 研 究 を 全 面 的 に 肯 定 し た こ と で 、こ の 議 論 に 輪 を か け て 増 幅
す る よ う に な っ た 。し か も 国 内 外 に お い て こ れ ら の「 成 果 」を も と に 論 を 展
開する研究が多いから、同じような間違った認識がますます広がっていく。
そ れ で は 、中 国 人 に よ る こ の 分 野 の 研 究 の 基 本 姿 勢 を 見 て み よ う 。前 に 見
た よ う に 、日 本 語 の 三 分 類 に 対 し て 、同 じ よ う に 、三 つ に 分 け て 対 応 し て い
る。
日本語
中国語
本族詞・本族新詞
a
中国語からの直接借用。
b
中国の古典語を用いて外来概念を訳すための転用
日本回帰借詞
c
外来概念にあてるため、日本人独自の創出。
日本原語借詞
こ れ を 見 て わ か る よ う に 、c に 対 し て だ け 、中 国 語 の「 日 本 原 語 借 詞 」は ほ
44
日中近代語の成立に伴う問題点を考える
(陳)
ぼ 対 応 し て い る 。そ の 部 分 に つ い て 、中 国 側 の 受 け い れ の 態 度 の 差 に 反 映 さ
れ る も の の 、基 本 的 に 日 本 か ら の 外 来 語 と い う 認 識 に 立 っ て 認 め て い る 。し
かし、日本語のaに対する認識不足(漢訳洋書と英華字典を無視してきた)
の た め 、 中 国 独 自 の 「 本 族 新 詞 」 は 「 火 輪 車 、 公 司 、鉄 路 」 な ど ご く わ ず か
な 語 数( 王 力( 1993)で は 7 語 し か 挙 げ ら れ な い )に 留 ま っ て い る 。そ こ で 、
どうしても「日本回帰借詞」をab両方を巻き込んで拡大解釈してしまう。
た と え ば 、代 表 的 な 言 語 学 者 王 力 は こ う し た 借 用 語 に つ い て 明 治 以 降 の 中 国
人 留 学 生 は 日 本 語 を そ の ま ま 利 用 す る 事 実 を 認 め つ つ 、こ れ で も「 中 国 語 は
日 本 語 か ら こ と ば を 借 り た の で は な い と 考 え る べ き だ 」と 主 張 し て い る 。理
由 は こ れ ら の 語 彙 は 日 本 語 固 有 の も の で は な く 、た だ 西 洋 の 概 念 を 吸 収 し た
も の で あ り 、し か も そ の 新 概 念 は 日 本 の 固 有 語 で 表 せ な い か ら 、漢 字 に よ っ
て 新 し い 語 を 創 出 し て こ そ 、中 国 語 も そ れ を じ か に 利 用 で き 、無 駄 が 省 か れ
る だ け で あ る と い う 。さ ら に b に つ い て「 も し 中 国 人 が さ き に 訳 す と し た ら 、
同 じ 結 果 に な る か も し れ な い 。実 際 に 日 本 人 が さ き に 訳 し た か ら 、中 国 人 は
そ の ま ま 利 用 す る ま で だ 。」
(『 漢 語 詞 彙 史 』商 務 印 書 館 、1993
P153)と 、
「日
本 回 帰 借 詞 」と い う 背 後 に「 実 は 中 国 語 本 来 の 語 源 が あ る ぞ 」と い う 尊 大 な
中 華 思 想 が 読 み 取 れ る こ と が 可 能 で あ る 。こ う し た 考 え が 中 国 で 支 配 的 で あ
る か ら 、こ の 用 語 の 使 用 に よ っ て は 日 本 由 来 の 語 を 曖 昧 に し て 近 代 化 に 遅 れ
る 文 化 的 な 劣 勢 と 、中 国 の 漢 字 に よ る 造 語 と い う 屈 折 し た 心 情 を 反 映 し て い
るとも見受けられる。
したがって、前述した日本語学研究におけるbの拡大解釈と同じように、中
国語も日本語の中の「中国語からの直接借用」を知らないまま、一括して日本
からの回帰用語と認定しているから、量的に多いだけでなく、質的に(意味的
に)関係の有無を問わず、ただ字面の同一性だけに目を向いているとも見受け
られる。そこで生じた問題は、中国古典例を血眼になって探し出すことに意義
を見出そうとすることである。日本では「義務」のように出典例を「断句」せ
ずに一語とみなす場合もあるし、中国のほうでは早くも自国の本源説を立てて
中 国 の 古 典 と の 関 係 を 強 調 し よ う と す る 向 き が 出 て い る 。 民 国 七 年 ( 1918) の
『 新 名 詞 訓 纂 』( 周 商 夫 編 、『 明 清 俗 語 辞 書 集 成 』 第 三 輯 、 汲 古 書 院 、 昭 和 49
年)に「出張、裁可、商標、目的、時計」が収録されているが、その訓釋はい
か に も 強 引 で あ る 。た と え ば 、[出 張 ]を『 周 礼 』の「 天 官 掌 次 。掌 凡 邦 之 張 事 」
と、一字をもっても関連をつけようとする。このやり方は後にほとんどすべて
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
45
の 新 漢 語 に 漢 籍 の 出 典 を あ て る『 王 雲 五 新 詞 典 』
( 1943)に 継 承 さ れ て い る 。そ
うなると、
「 科 学( 科 挙 の 学 )、神 経( 神 妙 な 経 典 )」な ど 近 代 的 意 味 と 無 関 係 な
ものまで中国由来という枠に収めていくのである。
近 代 中 国 に お い て 、こ の b の 部 分 の 受 容 は 中 国 語 旧 来 の 意 味 と 、日 本 由 来
の 新 し い 意 味 を 兼 ね て い る か ら 、思 想 的 、文 化 的 な 抵 抗 が 感 じ ら れ る も の と
な り や す い 。日 本 で も「 自 由 」を 訳 語 に 使 わ れ る 際 、中 国 古 典 の 意 味 と の ず
れ に つ い て 議 論 が あ っ た 。進 藤 咲 子 の「「 自 由 」小 考 」
(『 明 治 時 代 語 の 研 究 』
47 頁 、 明 治 書 院 、1981 年 ) に 福 沢 諭 吉 が「 フ リ ー ド ム 」「 リ ベ ル チ 」 の 訳 語
と し て「 自 由 」を 用 い る こ と に 逡 巡 し て い た こ と が 紹 介 さ れ て い た 。同 じ よ
う に 、 中 国 で も 「 革 命 」 や 「 哲 学 」「 経 済 」「 社 会 」 な ど 日 本 か ら 伝 わ っ た 新
語 を 前 に し て 、当 時 の 知 識 人 は 中 国 古 典 の 意 味 と 訳 語 と し て の 新 し い 意 味 の
間 を 右 往 左 往 し 、相 当 な 葛 藤 を 経 験 し つ つ そ の 定 着 を 見 守 っ た 。
( 梁 啓 超「 釈
革」
『 飲 氷 室 合 集・文 集 一 』中 華 書 局 、1989 年 。湯 志 鈞 編『 章 太 炎 年 譜 長 編 』
上 冊 、 179 頁 、 中 華 書 局 、 1979 年 。 王 国 維 「 哲 学 辨 惑 」『 教 育 世 界 』 55 号 、
1903 年 7 月 、『 王 国 維 文 集 』 第 3 巻 に 再 録 、 中 国 文 史 出 版 社 、 1997 年 )。
対 比 的 な 例 と し て よ く 挙 げ ら れ て い る 中 国 独 自 の 訳 と の 競 合 で あ る が 、ま
ったく新しい言い方をもって外来概念に対訳する厳復はまさにその誤解や
意 味 の 混 乱 を 避 け る 意 味 で 、イ ン パ ク ト が あ っ た が 、日 本 語 の 訳 語 は 意 味 的
な 混 乱 を 伴 い つ つ 、漸 次 的 に 新 概 念 を 浸 透 さ せ る の に 在 来 の も の を 利 用 し た
ことで、結果的に後者のほうは受け入れられやすいものとなった。
六
新語表と日本語借用語表
前にも述べたように、近代語においては、前期では漢訳洋書や英華字典など
中国から日本への流入が主流になっているが、後期では日本から中国へと流れ
ていく。このサイクルは近代以降の日中同形語をもたらす最大の要因になって
いる。ここで主に後期、つまり中国語へはどういうルートと資料を媒介に伝わ
っていったかを見てみよう。
20 世 紀 に 入 っ て 以 来 、中 国 で 作 ら れ る 英 華 辞 典 は 逆 に 英 和 辞 典 を 主 要 参 考 書
と し て 利 用 す る よ う に な っ た 。同 じ 時 期 、1902 年 以 降 、中 国 留 学 生 に よ る 日 本
書物の翻訳が盛んに行われ、多くの日本新漢語が中国語に持ち込まれた。その
意味では、中国語の語彙の近代化は日本語に負うところが大きいと言えよう。
今日では辞書・新聞・雑誌・教科書などを通してその受入れの過程をある程
46
日中近代語の成立に伴う問題点を考える
(陳)
度明らかにすることができる。時代順に見ていくと、辞書の媒介によるものが
大 き か っ た 。初 期 で は 日 本 か ら の 借 用 と い う 認 識 が 薄 く 、お お ま か に「 新 名 詞 」
といって、この種の語彙を一括して扱っている。日本でははやくも留学生を中
心 に 新 語 集 の『 新 爾 雅 』
( 1903)が 編 纂 さ れ た こ と は こ う し た 新 語 の 流 布 に 貢 献
していると言えよう。ここで、注目したいのは宣教師などによる新語への対応
である。
19 世 紀 の 英 華 字 典 な ど 外 国 人 の 手 に よ る も の が 多 い こ と は 知 ら れ て い る 事
実 で あ る 。新 語 に 関 し て も 、彼 ら の 対 応 は す ば や い も の で あ っ た 。山 室(2001)
に 指 摘 さ れ た よ う に 、1877 年 に 創 立 さ れ た 益 智 書 会 で は 、訳 語 の 統 一 を 図 る た
め 、日 本 の 翻 訳 語 を 収 集 す る こ と を 宣 教 師 た ち( マ ッ カ ー テ ィ ー( 麦 嘉 締 )、ア
レ ン( 林 楽 知 )、フ ラ イ ヤ ー( 傳 蘭 雅 )に 要 請 し て い た こ と が あ る 。つ ま り 、在
中国宣教師が日本での翻訳漢語にきわめて高い関心を払っていたことはあきら
かである。ただ、日訳漢語の蒐集がいかに取りまとめられ、どのように翻訳に
利用されたかは不明であるとされている。このことをさらに突き詰めれば、日
本 新 漢 語 の 中 国 へ の 流 入 時 期 に か か わ っ て く る 。た と え ば 、外 国 人 の 作 っ た「 新
語集」の類も次のようにあげられる。
TECHNICAL TERMS
C.W.MATEER 1904
TECHNICAL TERMS
GEO.A.STUART,A.M.,M.D.
NEW TERMS FOR NEW IDEAS
1910
A Study of the Chinese Newspaper
A. H.
MATEER 1917
Hand book of new terms
NEW TERMS
A. H. MATEER 1917
Compiled by A. H. MATEER, Revised by A. P. PARKER
“ENGLISH-CHINESE VOCABULARY OF THE SHANGHAI DIALECT”1918
NEOLOGIE S. Rivat. S.J. 1925
ま た 、『 英 華 合 解 辞 彙 』( 1915) で は 、「 繃 帯 」「 普 通 」 な ど に は わ ざ わ ざ 「 新 」
と 明 記 し て い る し 、 English-Chinese Dictionary of the Standard Chinese Spoken
Language( 官 話 )and handbook for translations, including Scientific, Technical,
Modern, and Documentary Terms.(1916)で は 、「 新 語 」と 、政 府 御 墨 付 き の 意 味 の
「 部 定 ( 教 育 部 制 定 )」 も 表 記 し て い る 。
次々と出されている上記の新語集にはやくも日本由来の漢語を収録してい
るところから見て、新語に対する高い意識を反映しているといえよう。
TECHNICAL TERMS の 初 版 1904 で は Communism を「 有 無 相 通 」と 訳 し て い
第4回
漢字文化圏近代語研究会
47
予稿集
た が 、 1910 版 で は す で に 「 共 産 主 義 」 を 加 え て 一 番 前 に 並 べ る よ う に な っ た 。
ま た 、同 じ よ う に 初 版 で は「 Society 人 世 」と な っ て い る が 、1910 版 で は 、「 社
会 」と い う 語 も 付 け 加 え る よ う に な る 。日 本 の 国 字 と な る「 腺 」の 方 も こ の 1904
年の語彙集に登場している。
そ し て 、新 語 に 日 本 由 来 の 語 を 明 記 し た の も こ の 種 の 資 料 で あ る 。1917 年 の
Hand book of new terms で わ ざ わ ざ 新 語 に J と 注 記 し た 75 語 が 出 て く る 。 以 下
それらの語を並べてみた。
adherent
appellate court high
僧侶
arbitration treaty
authority, to have 支 配
authorize
裁( 認) 可
牛 酪 ceremony of ship-launching
cholera 虎 列 拉
bayonet
cinematograph
court house
director( of affairs of secrety) 理 事
gelatine pad(for copying)
electric torch 探 見 電 灯
寒天版
衣食住
office (building) 事 務 所
photograph 写 真
航
oral, oral communication
健 康 rowdies 浪 人
木材
art of
特許
trade 企 業
柔術
口頭
minister
necessities of life
one sided
passport
片面
周遊票
reference library
法王
scholars(of school or college)
start 出 発
subscribed capital for enterprise
trading post
場所
辣
home
参考
remain a short time 逗 留 return trip(of steamer)
special permission, to grant
刺戟
frightfulness
minister of navy 海 相
motor car 自 動 車
pope
flash light
methods 手 続
officers, military 士 官
plead a case 弁 護
regulate 取 締
robust
農相
minister of prime 首 相
one sided affair 片 務
文庫
finished 終 了
employees
gland 腺 grand 多 大
memorandum 覚 書
minister of agriculture and commerce
of war 陸 相
活 動 写 真
despatch 通 牒
foreign minister 外 相 foreign things 舶 来 物
in 裏 面
法相
court(supreme or of
裁判所
職 工 exchange(money changer's shop) 両 替 屋
secretary 内 相
煉瓦
concession(for residence) 居 留 地 confederated
cassation), appellate 大 審
腕
bricks
法螺
組 合 correspondence course(of university) 校 外 科
懐中電灯
biplane
銃刀
入 水 式 chief justice
church property 寺 院
company(for business) 会 社
仲裁裁判
attorney-at-law 弁 護 士
bishop 僧 正 blow one's own horn
複葉式飛行器
butter
arbitrator 仲 裁
仲裁条約
arbitration
大審院
station, r. r. 駅
基本金
sugar 砂 糖
votes, to get
得点
帰
生徒
stimulus
timber
wrestling,
48
日中近代語の成立に伴う問題点を考える
(陳)
た だ 、同 語 彙 集 に 日 本 で 定 説 に な っ て い る 新 漢 語「 目 的 、美 学 、世 紀 、文 明 、
取消、美術、普通」を数えていないし、逆に「大審院、大審」など、すでに、
漢訳洋書の『聯邦志略、上巻』に出ているのが入っている。
こ の よ う に 見 る と 、い わ ゆ る 日 本 由 来 の 語 彙 表 は 最 初 か ら そ の 基 準 を あ ま
り 定 め ず に 、編 者 の 恣 意 的 判 断 に よ る と こ ろ が 多 い 。こ の 点 は 後 世 い ろ い ろ
と 出 て き た 日 本 借 用 語 の リ ス ト と 共 通 し て い る 。前 述 し た よ う に 、中 国 に お
け る 1950 年 代 の 研 究 成 果 は 基 本 的 に 漢 訳 洋 書 や 英 華 字 典 な ど の 資 料 を 使 わ
ずに完成されたものだから、
『 漢 語 外 来 詞 詞 典 』(1984)も そ の 時 代 の 研 究 を 受
け 継 ぐ も の に な っ て い る だ け で あ る 。1990 年 代 に 入 っ て ア メ リ カ で は 、中 国
語 の 新 語 と し て 研 究 す る 馬 西 尼( 1993)と 劉 禾( 1995)二 冊 の 著 書 が 相 次 い で
出 さ れ て い る 。両 者 と も 新 語 表 と と も に 日 本 由 来 の 語 を と り わ け 表 出 し て い
る と こ ろ が 特 徴 で あ る 。両 書 の 扱 っ て い る 新 語 は 時 代 的 に は ち ょ う ど 繋 が っ
ていて、いずれも『漢語外来詞詞典』をベースに語の出自を判断している。
も ち ろ ん 後 者 は 思 想 史・文 化 史 か ら こ の 問 題 を 捉 え て い る の で 、具 体 的 な 言
葉の性格については重点を置いていない。馬西尼氏は従来の研究に対して、
訂 正 な ど を 加 え て い る 部 分 は あ る が 、劉 禾 氏 の も の は む し ろ 全 面 踏 襲 し て い
る感をぬぐいきれない。
日本の中国思想史研究でもこういった新概念の導入に伴う近代中国の受容
を 問 題 に す る 動 き が 見 ら れ る 。2001 に 入 っ て 日 本 で は 山 室 信 一『 思 想 課 題 と し
てのアジア』が出版され、日本語学で使用される資料を利用して語の出自を丁
寧に跡付けるところは評価すべきであるが、最後の日本由来であるかどうかの
判断を結局上記のリストにどれぐらい認められるかに委ねているところがせっ
かくの資料による検証を台無しにしている感じがする。
ま た 、最 近 の も の と し て 、石 塚 正 英 ・ 柴 田 隆 行 監 修 の『 哲 学 ・ 思 想 翻 訳 語
事 典 』( 論 創 社 、 2003) が あ る 。 原 語 の 意 味 と 訳 語 の 意 味 と を 比 較 さ せ な が
ら日本での定着を見ているやり方は思想史から要請として着眼点がいいが、
ところどころで日本語学の研究成果を盛り込んでいないのが残念である。
七
おわりに
今 後 の 課 題 と し て 考 え る と 、ま ず 日 本 語 学 に お い て 、近 代 漢 語 の 語 誌 を 記
述 す る に は 日 本 で の 成 立 を 考 え る な ら ば 、や は り 近 世 の「 唐 話 資 料 」の 使 用
の実態を明らかにする必要がある。そして、日本漢文での使用例を集めて、
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
49
語の応用範囲を確定してはじめてより確実的なことが言えるようになると
思 う 。も し 中 国 で の 成 立 を 考 え る な ら ば 、宣 教 師 の 書 い た 書 物 を つ ぶ さ に 調
べ て み る 必 要 が あ り 、そ し て 日 本 と の 接 点 を さ ぐ り 、両 者 の 関 係 を 確 認 し て
ある程度一語の素性に決着をつけることができる。いずれの可能性につき、
資料の精査が前提になり、確認するには手間と時間がかかるだろうと思う。
結 局 、「 訳 語 」 の 研 究 は あ る 特 定 の 資 料 か ら 単 語 を リ ス ト ア ッ プ し た だ け
で は 問 題 解 決 に は な ら な い 。ど う し て も 、時 代 的 に そ の 出 自 と 成 立 を 探 ら な
け れ ば な ら な い 。そ こ で 、資 料 の 範 囲 を ど こ ま で に 限 定 す べ き か の 問 題 に ぶ
つ か る 。 た と え ば 、 漢 訳 洋 書 か ら 、「 権 利 」( 万 国 公 法 )「 電 気 」( 博 物 新 編 )
が入ってきたことが知られるし、
『 格 物 入 門 』(1868)の 目 次 で は す で に「 工 業 、
火 力 、 鉄 道 、 通 信 、電 力 、 電 報 」 が 出 て い る こ と も わ か る 。 さ ら に 、「 共 和 」
「 民 主 」「 汽 車 」「 汽 船 」が す で に こ の 時 期 の 漢 訳 洋 書 に 出 て い る こ と を 、古
田 東 朔 氏 が つ と に 指 摘 し て い る 。ま た 、資 料 に よ っ て は「 民 族 」と い う 語 も
19 世 紀 の 初 頭 の 使 用 例 が 確 認 で き る 。そ の よ う な 意 味 で こ の 研 究 に お い て の
資 料 の 整 備 が ま だ 不 十 分 で 、 単 に 『 日 本 国 語 大 辞 典 』 と 『 漢 語 大 詞 典 』『 大
漢 和 辞 典 』な ど の 辞 書 類 だ け で は 必 ず し も 正 し い 結 論 を 導 く こ と が で き な い
だ ろ う と 思 う 。む し ろ そ れ ら に 頼 り す ぎ る こ と へ の 警 鐘 を な ら す べ き で あ ろ
う。
中 国 語 へ の 逆 輸 入 に 関 し て 、 英 華 字 典 以 外 に 、『 徳 華 大 字 典 』( 1920) な ど 、
他の対訳語辞典も中国へ新語を伝える重要なルートの一つである。そして、新
聞雑誌や日本滞在経験のある有名知識人の文章も日本新漢語を中国に伝える媒
介をしている。たとえば、章炳鱗、梁啓超の文章や在日の留学生が発行してい
た『清議報』などをこうした語彙の交流を伝える資料として調査すべきだと思
う。とくに中国社会に大きな影響の及ぼす『共産党宣言』などの日本語訳経由
の中国資料の研究が重要になって来る。
また、同じ外国語の文献に対して、日中両方の訳がほぼ没交渉で同時期に現
れる場合、両国のそれぞれの翻訳態度や、訳語の定着などを見るのも必要であ
る。思想・哲学に関して、厳複の翻訳がよく挙げられるが、顔永京の心理学・
教育学など、人文科学に関するものをもっと丁寧に調べるべきであろう。自然
科学に関する交流の細部にわたってもさらなる調査が必要であると考えている。
最後に、語の出自がわかってから類義語や語構成などの研究と意味分析にど
う役立てるかを言語学的に再検証する必要がある。それによって近代語の果た
50
日中近代語の成立に伴う問題点を考える
(陳)
している役割をもっとはっきりさせることができるだろうと思う。
参考文献
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森 岡 健 二「 開 化 期 翻 訳 書 の 語 彙 」
『近代の語彙
講 座 日 本 語 の 語 彙 6 』明 治 書 院 、
1982
馬 西 尼 ( Federico Masini)”The Formation of Modern Chinese Lexicon and its
Evolution toward a National Language: The Period from 1840 to 1898" (『 中 國
語 言 學 報 』Journal of Chinese Linguistics 1993)、中 国 語 譯『 現 代 漢 語 詞 彙 的
形 成 ―――十 九 世 紀 漢 語 外 来 詞 研 究 』 (漢 語 大 詞 典 出 版 社 、 1997.9)
劉 禾 ( Lydia H. Liu) “TRANSLINGUAL PRACTICE Literature, National Culture, and
Translated
沈
Modernity - China, 1900-1938”Stanford University Press
1995
国 威 『『 新 爾 雅 』 と そ の 語 彙 』 白 帝 社 、 1995
「 新 漢 語 研 究 に 関 す る 思 考 」『 文 林 』 32 号 、 1998
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関 西 大 学 出 版 部 、 2000
陳
力 衛 『 和 製 漢 語 の 形 成 と そ の 展 開 』 汲 古 書 院 、 2001
香 港 中 国 語 文 学 会 『 近 現 代 漢 語 新 詞 詞 源 詞 典 』 漢 語 大 詞 典 出 版 社 、 2001.2
山 室 信 一 『 思 想 課 題 と し て の ア ジ ア 』 岩 波 書 店 、 2001.12
手 島 邦 夫「 西 周 の 新 造 語 に つ い て 」――「 百 学 連 環 」か ら「 心 理 説 ノ 一 斑 」ま で
『 国 語 学 研 究 』 41、 2002
石 塚 正 英 ・ 柴 田 隆 行 『 哲 学 ・ 思 想 翻 訳 語 事 典 』 論 創 社 、 2003.1
孫
建 軍 『 日 本 語 彙 の 近 代 ――幕 末 維 新 期 新 漢 語 の 成 立 に 見 ら れ る 漢 訳 洋 書 の
影 響 』 ICU 博 士 論 文 、 2001
第 4 回 漢字文化圏近代語研究会 51
於日本大阪 関西大学 2004.3.13-14
『博物通書』から『博物新編』へ
――入華宣教師の科学啓蒙書のはじまり
八耳俊文
1.はじめに
筆 者 が『 博 物 通 書 』( 寧 波 、1851 年 )に「 電 気 」の 文 字 の 使 用 が あ る こ と に
注目し、本書が日本に伝わり蘭学者の間に筆写のかたちで読まれ、それに平行
し て 幕 末 に 「 電 気 」 と い う 用 語 が 広 が っ た こ と を 論 じ た の は 1992 年 で あ っ た
(「漢訳西学書『博物通書』と「電気」の定着」『青山学院女子短期大学紀要
46』 ) 。 こ れ は 当 時 、 愛 知 学 院 大 学 教 授 千 野 光 芳 氏 の 和 本 コ レ ク シ ョ ン 中 に 同
書の所蔵を知り、それを契機として調査をすすめ、まとめたものであった。だ
が『博物通書』はこのとき初めて世に知られたのではなく、すでに日蘭学会編
『 洋 学 史 事 典 』( 雄 松 堂 書 店 、1984 年 )に そ の 主 要 部 分 で あ る「 電 気 通 標 」が 、
「電気通標」の項をたて説明されていた。この解説を担当したのが布施光男氏
で 、氏 は『 科 学 史 研 究 』第 122 号( 1977 年 夏 )で「『 電 気 通 標 』お よ び『 博 物
通書』について」と題する論考を発表され、その中で同書において「電気」の
文字の使用も指摘されていた。筆者の論考のオリジナルは、千野氏所蔵の版本
をもとに考察したこと(布施氏は写本をもとに論じられていた)、写本の伝存
状況を旧蔵者とともに明らかにしたこと、「電気」の用語の広がりとともに写
本が次々と作成されたことを、議論したことにあった。
その後、「電気」の出典は『博物通書』にあると述べる文献も現れたが、依
然、一般における『博物通書』の知名度は高いとは言えない。これに対してそ
の3年後に刊行された『博物新編』については抜群の知名度を誇る。これはか
つ て 筆 者 が 幕 末 か ら 明 治 初 期 ( 西 暦 で い う な ら 1860 年 ご ろ か ら 1880 年 ぐ ら い
ま で )の 20 年 間 を 自 然 科 学 の 学 習 に お け る「 博 物 新 編 の 時 代 」と 名 づ け た ほ ど 、
日本では『博物新編』が歓迎されたことによる。人々は当時、『博物新編』を
読んで自然科学の基礎知識を身につけたのである。『博物通書』の名前をあげ
ると『博物新編』と混同する人がいるが、それは一方があまりに有名なためで
52
『博物通書』から『博物新編』へ
(八耳)
ある。
さて、『博物通書』の論文を書いたとき、気がかりなことが二点あった。一
つめは、『博物通書』が「電気」の用語を広めるのに貢献したことは確かであ
ったが、果たして『博物通書』が「電気」の初出であるのかという点、二つめ
は『博物通書』と『博物新編』との間に関係があるのか、別に言えば、『博物
通 書 』 の 著 者 マ ッ ゴ ウ ァ ン ( Daniel Jerome Macgowan) と 『 博 物 新 編 』 の 著 者
ホ ブ ソ ン( Benjamin Hobson)と は 交 流 が あ っ た の か 、あ る い は ホ ブ ソ ン は マ ッ
ゴウァンの著書『博物通書』を参看して『博物新編』を作成したのかという点
であった。今回、その後の調査から両者にある程度の解答を与えることができ
たので、その報告をしたい。
2.「電気」の初出
言葉の初出を語ることは難しい。造語者が自ら定義を与え、以下、使用する
と宣言しているならば、その時点で「初出」とひとまず判断できるが、断りな
く 新 語 が 出 て き た 場 合 、判 断 に 悩 む こ と に な る 。『 博 物 通 書 』に お い て は 、「 電
気」が使用されているが、定義もなく日常語のように登場する。第一章冒頭で
「雷電之気」とあるのでこれが省略して「電気」となったと推論したが、他で
は 断 り な く わ れ わ れ と 同 じ よ う に 「 電 気 は …」 と い う よ う に 使 用 さ れ て お り 、
『博物通書』成立前に「電気」なる言葉が中国に存在していたのではないかと
の 疑 念 が 起 き て も 不 自 然 で は な い 。こ う し て 筆 者 は 1851 年 以 前 の 科 学 関 係 の 著
作に関心を向けた。もちろん『博物通書』成立にあたり、マッゴウァンは中国
知識人を前に電気や磁気の実験をおこない、彼らの助言を受けつつ専門用語を
決定したというから、このとき「電気」という語が、人々の間で声に出されて
い た こ と は 間 違 い な い 。electricity を 指 す 言 葉 な し に 電 気 の 演 示 実 験 が お こ な わ
れたなど想像もできないからだ。とはいえ、その「電気」の生成現場に立ち会
えない後世のわれわれとしては、文字として残る記録から淵源を探究するしか
ない。
ミ ュ ア ヘ ッ ド( William Muirhead)の『 格 物 窮 理 問 答 』( 1851)の 研 究 は こ の
動機からおこなわれた(拙稿「『格物窮理問答』の成立と本文」『青山学院女
子 短 期 大 学 総 合 文 化 研 究 所 年 報 9』 ) 。 こ の 書 物 は 、 オ ラ ン ダ の 宗 教 家 に し て
教 育 者 で あ る マ ル チ ネ ッ ト ( Johannes Florentius Martinet) 著 の 『 自 然 に つ い て
の 問 答 』( 1777-1779)の 児 童 向 け の 要 約 版 の 英 語 版 を 原 本 と す る も の で 、自 然
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
53
誌を中心に自然科学の初歩を先生と児童の間の問答形式で伝える内容をもつ。
この第四章が論大気風雨にあてられており、雷の発生機構にも説明が及んでい
る。ただしその内容は「電光は雲が交差するとき内質が発火したものである」
と 電 気 現 象 と の 説 明 に 踏 み 込 ん で お ら ず 、他 で も 電 気 に ふ れ る 箇 所 は な か っ た 。
ワ イ リ ー ( Alexander Wylie) の Memorials of Protestant Missionaries( 1867)
を 見 る 限 り 、こ の『 格 物 窮 理 問 答 』以 前 に 自 然 科 学 の 入 門 書 は 著 さ れ て い な い 。
こ の た め 1851 年 以 前 に 電 気 の 体 系 的 説 明 は な さ れ て い な い と 判 断 し 、資 料 中 に
雷現象で「電気」に相当する語が使われていないか調べることにした。フラン
ク リ ン が 凧 を あ げ 雷 が 電 気 現 象 で あ る こ と を 実 験 し た の が 1752 年 で 、こ れ 以 降
で、地球の大気現象に言及する可能性のある天文・地理書が調査対象である。
筆 者 が 見 た 範 囲 で 、こ れ に 関 し 、最 も 詳 し い の は マ ル ケ ス( Marques)の『 外 国
地 理 備 考 』 ( 1847) 巻 2 で あ っ た 。 こ の 巻 2 は 、 気 論 、 雲 論 、 風 論 、 雷 電 論 、
流 星 論 、虹 論 、光 環 論 、日 月 重 見 論 、北 暁 論 、雨 論 、雪 論 、雹 論 、露 論 、霜 論 、
霧論、氷論、潮論、水流論、泉論、河論、地震論、火山論から成り、地学の入
門記事としてかなり興味深い。この雷電論に雷の発生機構の説明がある。だが
そこでは電気現象でなく、地中の窒素や硫黄が上昇し、空中に充満して発火し
たものと解釈されている。爆発説による限り、電気的説明が登場することはな
く 、「 電 気 」の 概 念 も 現 れ て こ な い 。爆 発 説 は ホ ブ ソ ン の 後 述 す る『 天 文 略 論 』
( 1849) で も 採 用 さ れ て お り 、 同 じ く 『 天 文 略 論 』 で も 電 気 概 念 を 必 要 と す る
場面はない。
こ う し た 中 、 入 華 宣 教 師 の 雑 誌 The Chinese Recorder and Missionary Journal
の 第 5 巻 第 1 号( 1874 年 1/2 月 )に 電 気 関 係 の 書 物 4 点 を 紹 介 す る 記 事 に 出 会
った。そこに『博物通書』も取り上げられていたので翻訳して引用すると、
( 中 国 が 国 際 電 信 で 結 ば れ る よ り か な り 前 )、中 国 人 に 西 洋 の こ と に 関 心
を 向 け さ せ る た め の 努 力 が な さ れ た 。わ れ わ れ の リ ス ト の 3 番 目 に あ る の
は [ 八 耳 注 、 『 博 物 通 書 』 の こ と ] Macgowan 博 士 に よ り 出 版 さ れ た も の
で 、 The Philosophical Almanac と 訳 さ れ 、 主 体 は 電 信 の 性 格 と 作 用 を 図 示
す る 電 気 に つ い て の 入 門 書 で あ る 。こ の 問 題 を 中 国 語 で 最 初 に 取 り 上 げ た
も の と の 功 績 は 博 士 に 帰 す る と 思 え る 。そ こ で 用 い ら れ た「 電 気 」は そ れ
以 来 、 electricity と 同 義 語 と し て 確 立 し た と い う の は 重 要 な 事 実 で あ る 。
そ れ ま で の 知 識 人 は メ ド ハ ー ス ト の English and Chinese Dictionary に あ
54
『博物通書』から『博物新編』へ
(八耳)
る「 琥 珀 磨 玻 璃 発 火 之 法 」と い う 語 か ら 理 解 し て い た 。お そ ら く 語 源 的 に
は こ の ほ う が 正 し い で あ ろ う が ( 八 耳 注 、 electron は ギ リ シ ア 語 の 琥 珀 に
由 来 す る ) 、 実 用 に は 耐 え な い ( *) 。
となっている。注(*)には次のような文が書かれている。
*日 本 の 本 で 1854 年 に 刊 行 さ れ た『 が 遠 西 奇 器 述 』の 中 で electricity は「 越
歴 的 爾 」と 表 現 さ れ て い る 。日 本 語 に よ る こ の 発 音 は 不 明 だ が 、メ ド ハ ー
ス ト の 綴 字 論 に よ れ ば 中 国 人 な ら Yue-le h-teih-urh と 呼 ぶ の で あ ろ う 。
堀 越 の English Japanese Dictionary [ 八 耳 注 、 堀 越 亀 之 助 序 が つ く 『 英 和
対 訳 袖 珍 辞 書 』 再 版 ] で は electricity に 「 エ ラ ト リ シ テ ヰ 」
( Ye-ra-to-ri-shi-te-i) の 語 を 与 え て お り 、 ヘ ボ ン 博 士 の 『 和 英 語 林 集 成 』
で は Yerekiter と な っ て い る 。 こ れ ら は お そ ら く ヨ ー ロ ッ パ の 語 の 音 を 移
し た も の と 思 わ れ る 。音 訳 が 真 に 最 善 な ら 日 本 人 は ヨ ー ロ ッ パ 人 に 合 わ せ
て日本語を捨て去ることになるであろう。
『 博 物 通 書 』の 版 本 の 残 存 に つ い て 1992 年 の 時 点 で は 千 野 氏 コ レ ク シ ョ ン に
しか知らなかったが、その後、東京大学史料編纂所島津家文書やロンドンにあ
るウェルカム図書館、オックスフォード大学ボードリアン図書館にも所蔵され
て い る こ と を 知 っ た 。ロ ッ ク ハ ー ト・ラ イ ブ ラ リ 目 録 に も 収 録 さ れ て い る の で 、
刊 行 と 同 時 に 佚 本 と な っ た わ け で な い と は 想 像 し て い た が 、 1874 年 の 時 点 で 、
本書が中国において電気電信を知らしめた初期の書と位置づけ、「電気」の言
葉も本書に由来すると明記していることは驚きであった。
なおここで日本の書としてあげられている『遠西奇器述』は川本幸民の著作
で 、 全 二 輯 あ り 、 そ の 第 一 輯 ( 1854) の 伝 信 機 の 部 分 で 「 越 歴 的 爾 」 の 文 字 を
使 っ て い る 。幸 民 は そ の 後 、中 国 で の「 電 気 」の 用 例 を 知 り 、1857 年 公 刊 の『 気
海 観 瀾 広 義 』 巻 11 で 伝 統 的 な 「 越 歴 」 を 使 い つ つ も 「 支 那 人 近 日 電 気 と 訳 す 」
と の 注 釈 を 加 え た 。そ の 後 、『 遠 西 奇 器 述 』第 二 輯( 1859)で は 完 全 に「 電 気 」
に切り替えている。幸民は多数の蘭書の翻訳を手がけたが、訳書や日本学士院
に残る翻訳メモ・雑記帳よりうかがうことができるように訳語に苦労した。東
大図書館に寄贈され関東大震災で焼失した、モリソンの『五車韻府』の幸民に
よる自写本8冊もあったことが知れている(日本学士院蔵「川本幸民関係資
料」)。幸民は翻訳にあたり必ずしも先人の訳語を採用することはせず独自の
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
55
訳語を模索するとの態度をとったが、その先人の一人、宇田川榕菴も『五車韻
府 』を 参 看 し て い た 。彼 の『 舎 密 開 宗 』の 中 に は 10 以 上 の『 五 車 韻 府 』へ の 言
及 例 を 認 め る こ と が で き る 。高 野 長 英 の『 夢 物 語 』で も モ リ ソ ン を『 五 車 韻 府 』
と結びつけて紹介している。蘭学者も翻訳にあたりモリソンの辞書も利用しな
がら、訳文をつくりあげていたのである。
3.『博物新編』以前のホブソンの活動
『 博 物 新 編 』の 著 者 ベ ン ジ ャ ミ ン・ホ ブ ソ ン( Benjamin Hobson, 合 信 )は 1816
年、イングランド中部ウェルフォードに非国教会系の独立派の牧師を父に生ま
れた(以下の記述の出典となる文献は、拙稿「ウェルカム図書館蔵ホブソン文
書を用いたベンジャミン・ホブソン(合信)伝」『青山学院女子短期大学総合
文 化 研 究 所 年 報 11』参 照 )。初 等 教 育 を 経 て バ ー ミ ン ガ ム 一 般 病 院 付 設 の 医 学
校 で 5 年 間 、外 科 を 中 心 に 医 学 を 学 び 、1835 年 に は ユ ニ バ ー シ テ ィ・カ レ ッ ジ・
ロンドンに進学、さらに医学を専門的に学習した。彼の学修記録によれば、化
学、薬物学・治療学、産科学、法医学、病理解剖学、解剖学・生理学、記載解
剖学、外科学、内科臨床、外科臨床、臨床書記、外科手術を学んだことが判明
し て い る 。19 世 紀 前 半 の イ ン グ ラ ン ド で は 病 院 付 設 の 医 学 校 で 医 学 を 学 ぶ の は
一 般 的 で あ り 、進 学 し た ユ ニ バ ー シ テ ィ・カ レ ッ ジ・ロ ン ド ン も 1826 年 創 設 の
新しい大学で、優秀なスタッフを迎えていた。ホブソンは前掲の科目の大半で
5位以内の成績をあげており、優秀な医学生であった。彼が修得したのは西洋
医 学 の 最 前 線 の 外 科 と 産 科 で あ っ た こ と は 注 意 す べ き で あ ろ う 。1838 年 に は ロ
ンドン王立外科医師協会試験に合格し、同協会の会員として医業を開業する資
格 を 得 た ( M.R.C.S.) 。 そ の あ と 、 ユ ニ バ ー シ テ ィ ・ オ ブ ・ ロ ン ド ン の 試 験 を
受 け 、医 学 士 の 学 位( M.B.)を 取 得 し た 。な お 中 国 で の 活 動 を 終 え 帰 英 し た 1859
年 に は 王 立 内 科 医 協 会 か ら 会 員 資 格 を 与 え ら れ て お り ( M.R.C.P.) 、 こ れ ら の
肩書きがホブソンにつくことになる。
こ の 医 学 生 時 代 の 1838 年 、ロ ン ド ン 伝 道 協 会 か ら 広 州 の 医 療 宣 教 師 と な る よ
う指名を受け、それにしたがい学業を終えたあと中国へと渡った。中国に到着
し た の は 1839 年 12 月 18 日( マ カ オ )、中 国 を 離 れ た の は 1859 年 2 月 15 日( 香
港 )と 中 国 で の 活 躍 は 約 20 年 に 及 ん だ 。医 療 活 動 は マ カ オ 、香 港 、広 州 、上 海
で従事し、『博物新編』は広州、恵愛医館時代の業績である。ホブソンの中国
滞在中の活動を見ると、医療と布教を両方とも重視したことが特徴としてあげ
56
『博物通書』から『博物新編』へ
(八耳)
られる。本稿でホブソンとの関係で取り上げるマッゴウァンは医療宣教師とし
て入華したが、のちに伝道団体とも関係が離れ、もっぱら医療と中国研究に専
念した。これに対しホブソンは病院経営にあたり医療はもちろん院内で礼拝を
もつことに心を砕いており、相違は確かである。
ホブソンは中国の医学あるいは医療を低い水準にあると見なしていた。その
原因を分析して次の点をあげている。
( 1) 解 剖 学 に 対 す る 基 礎 的 知 識 を 欠 い て い る 。
( 2) 科 学 を 医 学 は 無 視 し て い る 。
( 3) 医 学 を 専 門 的 に 教 え る 学 校 が な い 。
( 4) 医 者 と な る の に 試 験 を 受 け な く て も よ い 。
ホブソンが本国で最も時間を費やして学んだのが解剖学にもとづく人体の構
造と機能であり、医療としては外科学であった。この目でみるなら中国医学は
その対極にあった。中国にも自然に対する深い考察があることなど、中国に滞
在して日の浅い、ヴィクトリア朝時代のホブソンは考えられなかった。医者が
制度的に保証されていないことに対する驚きは、これはホブソンだけでなくイ
エズス会以来、多くの西洋人が述べることであった。
彼の結論は西洋医学を身につけた中国人医師の養成、つまり医学校の設立で
あ っ た 。1844 年 の 計 画 に よ れ ば 、中 国 の 少 年 を 生 徒 に 、ま ず は じ め 医 学 関 連 科
目として、物理学、化学、動物生理学、植物生理学の初歩を特に自然神学と結
びつけて教授する、そして機会があれば解剖学実習や病院実習を経験させると
の構想であった。中国における宣教師の活動は人々の支援によって成り立って
いた。このことは別の言い方をするなら、医療にせよ出版にせよ、西洋人社会
と深くつながっていたということである。財政的にも独立採算でおこなわれて
いたのでなく、資金供与がおこなわれていたということである。医療伝道には
図書も備品も本国から送られてきた。宣教師が中国大陸の中で孤軍奮闘してい
る像は多くの場合、成り立たない。
ホブソンもこの医学校設置のため寄金を募るため、香港であるいは一時帰国
中、英国各地で講演してまわっている。結局、実現するに足る資金を集められ
ないうちに、諸条件が悪化し、計画は挫折したが、書籍や医療器具や薬品の供
与 は 継 続 し て 受 け て い た 。ホ ブ ソ ン が 出 版 活 動 を 開 始 す る の は 1849 年 か ら で あ
るが、これは香港の商人から石版印刷機を購入したことが契機とされている。
以降、ワイリーが記録するように中国書の宗教書や医学書の活発な出版となっ
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
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た。これは偶々、印刷機が入手したから出版物を作成するようになったという
よ り 、 も と も と 出 版 活 動 に 対 す る 意 欲 が あ っ た と 見 ら れ る 。 1848 年 か ら 49 年
の恵愛医館の活動報告によれば、幻灯機を購入し、天文学や解剖学の基礎を中
国人に伝えるのに大いに役立ったとされているので、このころには病院内で科
学の講義が開始されていたと思われる。この報告書には、医学の基礎を教える
中国語テキストの欠如をあげ、解剖学、病理学、化学、薬学、外科学の入門書
の必要性を訴えており、また伝道の目的に沿うものとして神の智、徳、力に関
す る 著 作 、具 体 的 に は ペ イ リ の『 自 然 神 学 』や デ ィ ッ ク の『 キ リ ス ト 教 哲 学 者 』
のような本が求められるとしている。ペイリとディックの本は科学とキリスト
教 信 仰 を 結 び つ け た も の で 、19 世 紀 前 半 、ポ ピ ュ ラ ー サ イ エ ン ス と し て 人 気 を
博 し て い た 。ホ ブ ソ ン は 1849 年 に『 天 文 略 論 』を 出 版 し た が 、こ れ は デ ィ ッ ク
の 同 じ く ベ ス ト セ ラ ー 書 『 太 陽 系 』 ( 1846) の 翻 訳 で あ っ た 。 『 天 文 略 論 』 は
か な り 印 刷 さ れ た よ う で 、初 版 の 1849 年 版 は 数 1000 部 、図 を 改 め た 1851 年 版
は 1000 部 印 刷 さ れ た 。
1850 年 冬 に は 病 院 内 で 週 3 回 医 学 講 義 が お こ な わ れ 、ホ ブ ソ ン は 生 理 学 と 解
剖学の著書の準備にかかった。中国語の教師、陳修堂の協力を得て完成したの
が『 全 体 新 論 』( 1851)で あ る 。こ の 初 版 は 1200 部 刷 ら れ た 。印 刷 に 要 し た 経
費 は 176 ド ル 。 ロ ン ド ン 中 国 協 会 書 記 の 名 義 の 預 金 か ら 111 ド ル を 支 払 い 、 残
りの大半は書籍代金と寄付でまかなった。代金を支払った内訳は、ロックハー
ト 医 師 ( 上 海 ) 30 ド ル 、 マ ッ ゴ ウ ァ ン 医 師 ( 寧 波 ) 6 ド ル 、 マ ッ カ ー テ ィ ー 医
師 ( 寧 波 ) 5 ド ル 、 ゲ ナ ー ル 師 ( 香 港 ) 2.5 ド ル 、 ハ ー パ ー 師 ( 広 州 ) 2 ド ル 、
中 国 人 2.5 ド ル で あ っ た 。 お そ ら く こ れ ら の 購 入 者 は ホ ブ ソ ン 支 援 の た め 、 支
払ったのは間違いなかろう。1 冊 1 冊購入されるのでなく、このように大量に
購 入 す る 人 物 が い て 、出 版 が 可 能 に な っ て い た と 思 わ れ る 。2 刷 は 2000 部 準 備
さ れ た が 、『 天 文 略 論 』に も み ら れ る 数 1000 と い う 印 刷 部 数 は こ の し く み で 成
り立っていた。
4.『博物新編』の成立
『 博 物 新 編 』 は 『 恵 愛 医 館 報 告 ( 1853/1854) 』 に よ れ ば 、 著 述 は 1853 年 に
お こ な わ れ 、 全 三 集 の う ち ま ず 動 物 誌 の 第 3 集 2000 部 が 、 1854 年 前 半 期 に 、
宗教冊子の配布と有用知識の普及を目的とする広州英国冊子委員会から印刷さ
れ た( 版 木 の 所 有 権 は 恵 愛 医 館 蔵 板 と さ れ て い る )。『 博 物 新 編 』は 1855 年 に
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『博物通書』から『博物新編』へ
(八耳)
上海から刊行されたというのが通説であるが、実際は分冊形式で印刷され、第
3集からその 1 年前に広州で公刊されたのである。この『三集』は現在、国内
では高知県立牧野植物園牧野文庫に伝存している。『同報告』では初集と二集
に つ い て も 年 内( 1854 年 内 )に 刊 行 さ れ る で あ ろ う と 記 し て お り 、印 刷 の 準 備
は 進 ん で い た こ と が 伺 わ れ る 。『 博 物 新 編 二 集 』は 天 文 略 論 と 名 づ け ら れ 、1849
年刊の『天文略論』の再録のような体裁をとるが、実際には分量は3分の1に
圧縮された抄録である。かつて筆者は『天文略論』と『博物新編二集』を比較
し て 、後 者 の 著 述 年 数 を 1853 年 と 推 定 し た こ と が あ っ た が( 拙 稿「『 天 文 略 論 』
と『博物新編』」、『平成 6 年度科学研究費補助金一般研究C研究成果報告書
(研究代表者:八耳俊文)』)、『同報告』によればその通りであった。なお
筆者は初集、二集、三集の順に成立し、刊行されたと推論したが、これは誤り
で 、1853 年 に 全 体 の 原 稿 が で き 、一 番 早 く 印 刷 の 準 備 が 整 っ た 三 集 か ら 刊 行 さ
れたというのが正しい。
『博物新編初集』は地気論、熱論、水質論、光論、電気論から成り、分量も
最も多かった。電気論を見るなら、『博物通書』と『博物新編』とでは違いも
あるが、「電気」の文字は共通して使用している。ホブソンは『博物新編』を
著すとき、マッゴウァンの『博物通書』を参看したのであろうか。筆者は内容
と用語の精密な比較検討をしたうえでの推論ではないが、「電気」という用語
の自らの著作に採用しただけでなく参看した可能性は大いにあると考えてい
る。その根拠として、
(1) ホ ブ ソ ン の 子 孫 か ら ホ ブ ソ ン 関 係 資 料 が ロ ン ド ン に あ る ウ ェ ル カ ム 図 書
館に寄贈されたが、その中に『博物通書』も含まれていた。つまりホブ
ソンは『博物通書』を所蔵していた。
(2) ホ ブ ソ ン が 『 博 物 通 書 』 を 入 手 し た 時 期 や 経 緯 は 不 明 で あ る が 、 マ ッ ゴ
ウァンは前述したように『全体新論』が刊行されたとき、購入というか
た ち で ホ ブ ソ ン を 支 援 し て い る 。 The North China Herald や 『 王 韜 日 記 』
を 見 る と 、ホ ブ ソ ン は 中 国 を 離 れ る 前 に 1858 年 の「 中 国 病 院 の 友 」の 年
会に出席し、その会場でマッゴウァンがホブソンの功労を讃える挨拶を
おこなっており、互いに活動を認め合っていたことが伺われる。このあ
とホブソンは帰英するが、マッゴウァンはホブソンの本をもって日本を
訪れている。
(3) ホ ブ ソ ン が 『 博 物 新 編 初 集 』 の 原 稿 を 作 成 す る と き 、 電 気 論 の 部 分 は 、
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『博物通書』を除けば、中国で初めての内容であり、入手したのは『博
物新編』以後というより、この執筆時期の前と考えるのが自然である。
を あ げ て お き た い 。ホ ブ ソ ン も マ ッ ゴ ウ ァ ン も 西 洋 科 学 を 中 国 語 で 紹 介 し た が 、
こ の 困 難 さ を 十 分 に 体 験 し て い た 。ホ ブ ソ ン は こ の 別 れ の 会 と な っ た 同 年 会 で 、
中国での活動を回顧し、西洋の科学用語を中国人に伝える難しさを主題とする
講演をおこなった。ホブソンはここで、翻訳には音訳と義訳があるが、義訳が
望 ま し く 、そ の 例 と し て 、酸 素 に「 養 気 」、水 素 に「 軽 気 」、動 脈 に「 脈 管 」、
静 脈 に「 廻 管 」を 充 て た こ と を 述 べ た 。ホ ブ ソ ン に は『 医 学 英 華 字 釈 』( 1858)
の著作があり、またホブソンの二人目の妻はロバート・モリソンの娘であった
ため、モリソンの中国語研究の影響も受けており、彼の訳業に対する研究が望
まれる。この年会ではホブソンの書物が中国人の間に普及するようにと、外国
商 人 か ら 2000 ド ル の 予 約 購 買 の 意 思 が 発 表 さ れ た 。現 在 、『 博 物 新 編 』を 含 む
ホブソン五書が多く残るのは、このためである。
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『博物通書』から『博物新編』へ
(八耳)
第 4 回 漢字文化圏近代語研究会 61
於日本大阪 関西大学 2004.3.13-14
近代“百科全书”译名的形成、变异与文化理解
复旦大学・邹 振环
“百 科 全 书 ”(Encyclopedia)的 词 源 出 于 古 希 腊 语 Enkuklios paideia 的 变 化 ( 普 通
教 育 ), 其 词 义 的 原 意 为 “Enkuklios Paideia”。 “Enkuklios”意 谓 “普 通 的 ”或 “各 方 面 ”
的 两 种 解 释 ,而 “paideia”其 意 有 “教 育 ”或 “学 识 ”的 意 思 。Enkuklios 还 包 含 有 “循 环 的 ,
周 期 性 , 平 常 的 ” 的 解 释 , 与 paideia 结 合 , 构 成 了 带 有 相 同 词 义 的 希 腊 词
enkuklopaedia, 其 含 义 有 “普 通 教 育 ”, 从 字 面 上 看 即 一 个 欲 接 受 通 才 教 育 的 人 所 应
该 学 习 的 艺 术 和 科 学 知 识 。 新 拉 丁 语 词 encyclopaedia, 则 带 着 “指 导 教 育 的 普 遍 课
程 ”之 语 意 又 进 入 英 语 , 意 谓 “系 统 的 知 识 , 包 容 一 切 学 术 的 内 容 ”, 包 含 有 “普 通 教
育 ”和 “全 面 教 育 ”的 意 思 。该 词 被 选 中 作 为 一 本 覆 盖 各 科 知 识 的 参 考 著 作 的 书 名 最 先
记 载 于 1531 年 ,也 有 的 论 著 指 出 :把 “Encyclopedia”作 为 专 门 书 名 ,首 见 于 1559 年
瑞 士 巴 塞 尔 出 版 的 德 国 作 家 斯 卡 利 希 ( Paul Scalich) 的 《 百 科 全 书 : 或 神 与 世 俗 科
学 知 识 》, 在 英 国 首 次 这 样 的 用 法 记 载 于 1644 年 。 [1]
自 此 到 18 世 纪 中 叶 ,欧 洲 已 出 版 有 相 当 数 量 的 形 式 各 异 的《 百 科 全 书 》。18 世
纪 初 开 始 了 欧 洲 历 史 上 的 “百 科 全 书 ”运 动 , 1728 年 英 国 人 钱 伯 斯 ( E. Chammbers)
主 编 的 《 百 科 全 书 、 或 关 于 各 种 艺 术 和 科 学 的 综 合 辞 典 》( Cyclopedia or Universal
Dictionary of Arts an Sciences)出 版 ,这 是 一 部 重 视 科 技 ,注 意 介 绍 古 今 哲 学 体 系 的
百 科 全 书 。此 书 在 问 世 到 1744 年 的 16 年 间 ,已 经 再 版 了 五 次 。法 国 狄 德 罗( D. Diderot,
1713.10.5——1784.7.30) 为 主 编 , 达 兰 贝 尔 ( R.Dalembert, 1716——1783) 为 副 主
编 的 《 百 科 全 书 》。 此 书 全 名 为 《 百 科 全 书 : 或 科 学 、 艺 术 和 工 艺 详 解 辞 典 》
( Encyclopedie, ou Dictionnaire raisonne des Sciences, des Areset, des Metiers), 全 书
多 达 28 卷 ,第 一 卷 出 版 在 1751 年 ,第 28 卷 出 版 在 1772 年 ,其 中 正 文 17 卷 ,图 片
11 卷 , 精 细 插 图 有 3000 多 幅 。 后 来 出 版 商 又 加 上 补 编 5 卷 , 索 引 2 卷 , 合 成 第 一
版 共 35 卷 本 。风 靡 欧 洲 ,并 在 整 个 世 界 产 生 了 巨 大 的 影 响 ,狄 德 罗 等 因 此 而 被 誉 为
“百 科 全 书 派 ”的 代 表 。1768 至 1771 年 英 国 斯 梅 利( W. Smellie,1740——1795)主 编
了 《 不 列 颠 百 科 全 书 》( Encyclopedia Britannica), 他 们 注 意 区 别 于 狄 德 罗 百 科 全 书
的 大 学 科 、 大 主 题 、 大 条 目 ; 强 调 实 用 性 。 第 一 版 3 卷 , 2689 页 , 有 160 幅 图 版 ,
近代“百科全书”译名的形成、变异与文化理解
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1769 至 1771 年 出 版 。 以 后 多 次 修 订 再 版 , 保 持 了 旺 盛 的 生 命 力 。 [2]
以一家之言为中心,按词典的形式分条编写,以阐发系统的知识成果的百科全
书 究 竟 是 何 时 让 东 方 人 知 晓 的 , “百 科 全 书 ”这 一 译 名 是 何 时 在 汉 字 语 系 中 出 现 , 其
究竟如何构成的?至今莫衷一是,即使在中国一些权威的辞书解说中仍没有真正得
以 澄 清 。金 常 政 称 :“中 文 ‘百 科 全 书 ’一 词 是 20 世 纪 初 才 出 现 的 。”[3]而 姜 椿 芳 和 金
常 政 合 写 的 “百 科 全 书 ”条 又 称 : “‘百 科 全 书 ’这 个 名 称 在 20 世 纪 初 才 在 中 国 出 现 ,
是 由 日 文 的 ‘百 科 事 典 ’和 中 国 传 统 大 型 丛 书 的 名 称 ‘全 书 ’融 合 而 成 。 ”[4]语 文 学 家 倪
海 曙 在 《 关 于 ‘百 科 全 书 ’》 一 文 中 认 为 , 1903 年 范 迪 吉 的 《 普 通 百 科 全 书 》 是 首 次
出 现 在 汉 语 中 的 百 科 全 书 的 译 名 。 [5]
“百 科 全 书 ”的 汉 译 名 究 竟 是 如 何 形 成 的 ;“Encyclopedia”的 汉 译 名 在 近 代 又 有 过
哪 些 变 化 ? 如 果 我 们 对 “百 科 全 书 ”的 译 词 的 认 识 不 仅 仅 停 留 在 语 言 层 面 , 而 将 这 一
译 词 的 形 成 ,放 到 19 世 纪 20 世 纪 初 这 样 一 个 广 阔 的 近 代 文 化 视 野 中 进 行 考 察 的 话 ,
这 一 译 词 的 产 生 , 就 具 有 了 独 特 的 历 史 学 和 文 化 史 的 价 值 。 本 文 通 过 19 世 纪 至 20
世 纪 初 ——近 代 中 日 两 国 保 留 的 汉 文 文 献 和 相 关 辞 书 的 寻 觅 , 尝 试 从 历 史 学 的 角 度
来 检 讨 “百 科 全 书 ”这 一 译 名 在 近 代 东 亚 汉 字 文 化 圈 知 识 转 变 中 的 作 用 。
一
三 才 图 会 、渊 鉴 类 函 、杂 文 书 、三 百 六 十 衡 皆 通 、铨 衡 一 书 、逐 类 旁 通 、广 事 汇
记 、智 环 总 录 、百 智 汇 记 、大 福 节 用 、图 书 集 成 — — 西 洋 传 教 士 对 类 书 概 念 的 利
用
最 早 将 百 科 全 书 带 到 东 方 的 是 新 教 传 教 士 , 1823 年 马 六 甲 英 华 书 院 当 时 已 有
3380 册 藏 书 , 其 中 中 文 书 籍 2850 册 , 余 为 外 文 书 籍 , 包 括 英 文 、 法 文 、 拉 丁 文 、
希腊文、希伯来文极其他东方语文的书籍,如马来语、暹罗语、泰米尔语等,图书
馆 里 收 藏 有 一 部 《 大 英 百 科 全 书 》。 [6]这 可 能 是 从 西 方 带 到 东 方 的 最 早 的 几 套 百 科
全 书 之 一 。19 世 纪 初 Encyclopaedia、Encyclopedia 一 词 ,首 先 也 是 通 过 早 期 传 教 士
所 编 的 英 汉 辞 书 进 入 了 汉 字 语 系 的 ,如 马 礼 逊《 华 英 字 典 》(A Dictionary of Chinese
Language, three parts,1822 年 伦 敦 版 ) 将 该 词 译 为 “三 才 图 会 ”、 “渊 鉴 类 函 ”。[7]1844
年 澳 门 出 版 的 卫 三 畏 (L. Wells Williams)编 纂 的《 华 英 韵 府 历 阶 》
( English and Chinese
Vocabulary), 也 将 该 词 译 为 “三 才 图 会 ”、 “渊 鉴 类 函 ”, 表 明 了 自 己 在 这 一 译 词 上 对
马 礼 逊 字 典 的 完 全 认 同 。 [8]《 三 才 图 会 》 106 卷 , 是 明 朝 王 圻 纂 集 的 , 其 子 王 思 义
又 进 行 续 集 ,黄 晟 重 校 ,有 明 朝 万 历 年 间 印 本 。其 中 分 为 天 文 、地 理 、人 物 、时 令 、
宫 室 、器 用 、身 体 、衣 服 、人 事 、仪 制 、珍 宝 、文 史 、鸟 兽 、草 木 等 ,前 有 万 历 37
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年 陈 继 儒 、 周 孔 教 、 顾 秉 谦 序 和 王 圻 万 历 35 年 的 引 言 。《 渊 鉴 类 函 》 450 卷 , 清 朝
张 英 等 总 裁 ,该 书 以《 唐 类 函 》所 录 故 实 仅 至 唐 初 ,于 是 取《 太 平 御 览 》等 17 种 类
书进行补充,增其所无,详其所略,又进一步增补明朝嘉靖以前的材料,供当时人
作 文 采 摭 辞 藻 、 典 故 之 用 。 有 清 康 熙 四 十 九 年 ( 1710) 内 府 刻 本 。 这 两 部 都 是 明 清
两代著名的类书,西方传教士初来中国,对中国的类书感到非常新奇,可能马上就
与西方百科全书对应起来,这就是为什么西方人会把明初解缙等人编纂的《永乐大
典 》 称 为 “世 界 最 大 的 百 科 全 书 ”、 把 康 熙 时 代 编 成 的 著 名 的 类 书 《 古 今 图 书 集 成 》
视 为 “康 熙 百 科 全 书 ”的 原 因 。 当 然 , 像 马 礼 逊 那 样 博 学 多 才 的 学 者 , 是 不 可 能 区 分
不了西方百科全书与中国类书两者内涵之差别的,把百科全书与中国类书对应,正
如当年利玛窦附会儒学与天主教一样,是为了让中国士大夫最快的接受和理解西方
百科全书所采取的一种有意的误读。西洋传教士多少已经了解到中国士大夫中流行
“西 学 源 于 中 国 说 ”, 西 方 现 有 的 一 切 , 都 可 以 找 到 中 国 的 源 头 , 正 是 基 于 迎 合 中 国
士 大 夫 这 种 “虚 幻 心 理 ”, 与 同 时 代 麦 都 思 “和 合 ”中 西 历 史 、 慕 维 廉 在 编 译 《 大 英 国
志 》时 模 仿 中 国 纪 传 体 一 般 ,[9]马 礼 逊 等 用 类 书 来 附 会 Encyclopedia 一 词 ,其 用 意
都 在 于 要 “井 底 之 蛙 ”的 中 国 人 知 道 西 方 人 也 有 如 中 国 一 般 广 博 的 知 识 和 学 问 。
1831 年 出 版 有 活 动 于 澳 门 葡 萄 牙 传 教 士 J.A.GONCALVES 所 编 的 拉 丁 语 辞 书
《洋汉合字汇》
( Diccionario Portuguez-China),该 书 中 将 Encyclopedia 译 成 “杂 文 书 ”、
“三 百 六 十 衡 皆 通 ”、“铨 衡 一 书 ”、“三 才 图 会 ”、“渊 鉴 类 函 ”、“逐 类 旁 通 ”。[10]显 示
该书编者觉得西方百科全书还不完全等同于类书,但又似乎找不到更合适的译词。
于 是 就 将 “杂 文 ”、 “品 鉴 衡 量 ”意 思 的 “铨 衡 ”之 类 的 译 词 都 用 上 了 。 1847 年 麦 都 思
( W.H.Medhurst)
《华英辞典》
( English and Chinese Dictionary)也 稍 有 变 化 ,译 为 “广
事 汇 记 ”、 “三 才 图 会 ”。 [11]上 述 这 些 英 汉 辞 书 与 马 礼 逊 字 典 尽 管 略 有 差 异 , 但 基 本
上还是按类书的线索去附会百科全书的。众所周知,类书与百科全书是有明显区别
的 ,类 书 是 用 文 摘 的 形 式 汇 集 和 保 存 历 代 专 题 知 识 ,百 科 全 书 是 以 一 家 之 言 为 中 心,
按词典的形式分条编写,以阐发系统的知识成果。这一点似乎当年邝其照已经注意
到 了 , 他 在 《 华 英 字 典 》 和 《 华 英 字 典 集 成 》 两 种 词 典 中 都 放 弃 了 “三 才 图 会 ”这 一
译 词 , 而 选 用 麦 都 思 采 用 的 “广 事 汇 记 ”一 词 来 对 应 “Encyclopedia”。 [12]19 世 纪 60
年 代 , 罗 存 德 在 翻 译 “Encyclopedia” 一 词 , 进 行 了 比 较 有 意 义 的 思 考 , 在 罗 存 德
(W.Lobscheid)编 的 《 英 华 字 典 》( English and Chinese Dictionary) 中 , 在 保 留 “广 事
汇 记 ”、 “三 才 图 会 ”译 法 的 同 时 , 首 次 译 出 “智 环 总 录 ”、 “百 智 汇 记 ”和 “大 福 节 用 ”
的 新 译 名 。 “Encyclopedist”则 被 译 成 “作 智 环 者 ”。 [13]“智 环 ”、 “百 智 ”都 是 原 来 汉 字
语系中所不曾出现过新词汇,显示了极大的独创性。该书后来在日本广为流行,日
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本 所 采 用 的 “百 学 ”、 “百 科 ”的 翻 译 思 路 , 很 有 可 能 是 来 自 这 个 “系 统 ”。
当时一些传教士已经开始将百科全书中的资料编译为中文文献,较早注意利用
百 科 全 书 的 有 英 国 传 教 士 慕 维 廉 ,他 在 编 译 同 时 代 的 英 国 历 史 与 地 理 学 家 托 玛 斯 ·米
尔 纳 的 原 著《 英 格 兰 史 》( History of England)时 ,将 这 部 按 照 时 间 顺 序 排 列 的 王 朝
更迭史编译为七卷,卷一为开国纪原、英降罗马纪;卷二英萨索尼朝;卷三英诺曼
朝;卷四北蓝大曰奈朝;卷五都铎尔朝;卷六斯丢亚尔的朝;卷七北仑瑞克朝。译
本 的 第 八 卷 是 由 关 于 职 官 、 宗 教 和 地 理 等 八 种 “志 略 ”组 成 , 据 慕 维 廉 的 英 文 序 文 ,
第 八 卷 的 资 料 是 采 自 《 钱 伯 斯 英 文 版 百 科 全 书 》( Chamber's Information for the
People) 等 书 的 相 关 内 容 。 [14]
二
大类编书、泰西大类编书——流产的百科全书编译计划
中 国 有 着 悠 久 编 纂 类 书 的 传 统 ,尽 管 清 代 蒋 廷 锡 编 的《 古 今 图 书 集 成 》,曾 被 外
国 学 者 冠 以 “康 熙 百 科 全 书 ”的 美 称 , 将 “Encyclopedia”与 “图 书 集 成 ”相 对 应 。 [15]但
类书与百科全书原并不能完全等同的。百科全书究竟何时出现,在很长时期里,中
国学者,包括百科全书的主编人都一直不清楚清末中国曾经有过百科全书的编译计
划 和 译 述 活 动 。 笔 者 在 1998 年 曾 就 此 问 题 进 行 廓 清 。 [16]
第一次在中国展开的百科全书的编译计划是在江南制造局翻译馆策划的,主要
的 策 划 人 可 能 是 英 国 传 教 士 傅 兰 雅 和 中 国 学 者 徐 寿 。“Encyclopedia”在 19 世 纪 60 年
代 的 上 海 曾 被 徐 寿 及 傅 兰 雅 等 译 为 “ 大 类 编 书 ” ,《 大 英 百 科 全 书 》( Encyclopedia
Britannica)最 早 的 中 译 名 可 能 就 是 “泰 西 大 类 编 书 ”。[17]1867 年 江 苏 著 名 的 翻 译 家
徐 寿 受 曾 国 藩 的 委 派 ,到 上 海 江 南 制 造 局 主 持 翻 译 活 动 ,他 在 西 方 传 教 士 的 帮 助 下,
了 解 到 西 方 有 一 种 具 有 容 纳 广 泛 科 学 知 识 的 文 化 工 具 书 ,于 是 “寄 信 至 英 国 购《 泰 西
大 类 编 书 》,便 于 翻 译 者 ,又 想 书 成 后 可 在 各 省 设 院 讲 习 ,使 人 明 此 各 书 ,必 于 国 家
大 有 裨 益 。”[18]张 静 庐 为《 泰 西 大 类 编 书 》加 了 一 个 注 ,即《 大 英 百 科 全 书 》。[19]
但参与江南制造局翻译的外国传教士对是否选用《大英百科全书》意见不一,中国
政 府 又 急 需 翻 译 馆 提 供 有 关 军 事 技 术 的 “紧 用 之 书 ”, 于 是 编 译 “大 类 编 书 ”的 计 划 只
能放弃。
“大 类 编 书 ”与 “智 环 总 录 ”、 “百 智 汇 记 ”相 比 , 显 得 非 常 不 雅 , 而 且 明 显 在 翻 译
上作了低调的处理。作为专门从事译书活动的江南制造局翻译馆,无疑不会没有上
述马礼逊、麦都思、罗存德等编的英汉辞书,徐寿等不去附会传教士关于中国类书
的类比可以理解,这正反映出他们对大英百科全书和类书之间的区别,有着比马礼
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逊 等 更 为 清 晰 的 认 识 和 了 解 。 但 徐 寿 等 为 什 么 不 愿 意 采 用 比 “大 类 编 书 ”更 漂 亮 、 更
典 雅 的 “智 环 总 录 ”和 “百 智 汇 记 ”的 译 名 呢 ? 我 认 为 , 在 中 国 传 统 学 者 的 眼 光 里 , 泰
西属于遥远的蛮夷,晚清以来的学者虽然已经渐渐认识到西方有远远高于中国的坚
船利炮和声光化电,但即使一些直接接触西学的学者,也仍然有着很深的文化上的
自尊自大,一般不认可西方有中国值得学习的文化和礼教,早期郭嵩焘、王韬都曾
有类似的见解,既并不愿意承认近代西方文化有整体上的优势。尽管江南制造局翻
译馆的创办人徐寿等有着相当丰富的西学科技知识,但他们仍然无法接受西方有属
于 “百 科 ”的 宏 大 知 识 系 统 ,因 此 他 们 能 够 分 辨 西 方 百 科 全 书 与 中 国 类 书 之 间 的 区 别,
但 不 愿 用 类 似 “智 环 ”、 “百 智 ”这 样 的 典 雅 的 译 词 去 描 述 西 方 的 百 科 全 书 。 在 他 们 看
来 , 西 方 在 “智 ”的 系 统 上 , 仍 是 无 法 与 中 媲 美 的 , 更 何 况 能 够 称 作 “百 智 ”? 因 此 能
为 徐 寿 等 所 采 用 的 只 是 “大 类 编 书 ”这 样 比 较 一 般 的 译 名 。
我 们 可 以 看 到 , 尽 管 《 大 英 百 科 全 书 》 没 有 系 统 编 译 , 但 中 国 读 者 在 19 世 纪
70 年 代 已 经 读 到 了 该 书 中 的 一 些 长 篇 条 目 ,如 傅 兰 雅 与 华 蘅 芳 译 出 了《 大 英 百 科 全
书 》第 8 版 中 英 国 数 学 家 华 里 司( WM. Wallace)著 的《 代 数 术 》和《 微 积 溯 源 》两
文 , 分 别 于 1873 和 1874 年 由 江 南 制 造 局 出 版 了 单 行 本 ; 德 国 金 楷 理 和 华 蘅 芳 还 合
作 译 出 了 上 述 版 本 中 的《 测 候 丛 谈 》一 文 ,于 1877 年 出 版 单 行 本 。[20]1880 年 华 蘅
芳 还 与 傅 兰 雅 合 译 了 英 国 数 学 家 伽 罗 威 ( T.Galloway) 的 《 决 疑 数 学 》 一 文 , 该 书
是 据 1853 年《 大 英 百 科 全 书 》第 8 版 中 有 关 概 率 论 的 辞 条 译 出 的 ,也 有 认 为 参 考 了
1860 年 刊 载 于《 钱 伯 斯( Chambers)百 科 全 书 》中 英 国 数 学 家 安 德 森 (R.E. Anderson)
所 撰 的 辞 条 。 [21]而 这 些 19 世 纪 70 年 代 译 出 的 条 目 , 几 乎 全 部 都 是 自 然 科 学 理 论
方面的,换言之,江南制造局翻译馆对西学的总体认识是在科技的层面。只是到了
90 年 代 ,才 由 傅 兰 雅 与 汪 振 声 合 作 译 出 了《 大 英 百 科 全 书 》第 9 版 中 罗 伯 村( Edmund
Robrtson) 的 《 公 法 总 论 》 一 文 ( 约 于 1894 年 前 出 版 了 单 行 本 )。 可 以 认 为 , 在 19
世 纪 60 至 70 年 代 ,中 国 知 识 分 子 对 西 方 文 化 的 整 体 理 解 的 误 差 ,投 射 到 了 “百 科 全
书 ”的 译 词 上 。
三
厚生新编、百学连环、百科全书、节用集、学术字林、学术类典、百科字类、百
科 字 汇 、泰 西 政 事 类 典 、日 本 社 会 事 汇 、百 科 辞 林 、百 科 事 汇 、百 科 宝 典 — — 日
本学者的译解
中 文 “百 科 全 书 ”的 译 名 是 一 个 日 语 外 来 词 。 据 说 文 化 八 年 ( 1811) 日 本 学 者 开
始 翻 译 西 洋 百 科 全 书 , 当 时 定 名 为 《 厚 生 新 编 》, 原 书 名 为 “Huischoudelijk
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近代“百科全书”译名的形成、变异与文化理解
(邹)
woordenboek, door M. Noel Chomel, Tweede druk gebeel verbetert en meer als belste
verme erdert door J.A. de Chalmot. Te Leiden bei Joh. Le Mair, en Leewarden 1786”,
这 可 能 是 “百 科 全 书 ”在 东 方 最 早 的 翻 译 活 动 ,也 是 出 现 在 汉 字 系 统 中 的 第 一 个 译 名 ,
可 惜 该 书 是 到 1937 年 才 由 贞 松 馆 长 校 订 正 式 刊 行 的 。[22]日 本 在 历 史 上 是 一 个 文 化
输 入 国 , 具 有 学 习 和 模 仿 其 他 文 化 的 悠 久 传 统 。 在 “大 化 革 新 “时 , 日 本 曾 经 从 中 国
大量输入文字、制度、宗教和礼仪等。明治维新后日本把吸收新思想的目光聚焦于
西 方 ,向 居 于 优 势 地 位 的 欧 美 的 学 习 ,并 很 快 从 器 物 的 层 次 跃 进 到 制 度 层 面 的 模 仿,
并从思想价值层面对西方文化加以吸收。于是当西方百科全书在日本出现后,日本
学者没有把它们去和中国的类书相附会,他们最早开始寻找最合适的崭新的术语,
以准确地表达这一新事物。
最 早 对 “百 科 ”一 词 翻 译 作 出 贡 献 的 是 日 本 学 者 西 周 ( 1829——1898), 1870 年
他 在 一 次 育 英 社 的 讲 学 中 ,将 “Encyclopedia”译 成 “百 学 连 环 ”。[23]他 的 讲 义 就 叫 “百
学 连 环 讲 义 ”。 [24]“百 学 ”一 词 可 能 是 受 中 国 宋 代 左 圭 辑 丛 书 “百 川 学 海 ”的 启 发 , 显
然 也 有 来 自 西 方 学 者 罗 存 德 “百 智 ”、 “智 环 ”的 影 响 。 可 以 说 “百 学 ”、 “百 科 ”是 中 西
交互碰撞的产物。
第一部日译本的《百科全书》是由日本文部省编译局长箕作麟祥负责,组织学
者 55 人 ,翻 译 英 国 占 弗 儿 兄 弟 编 著 的《 Information for the People》第 四 版 。这 套 文
部 省 版 的 百 科 全 书 陆 续 出 版 在 1873 至 1880 年 。 据 称 到 1884 年 , 该 书 以 再 版 了 46
次 。[25]这 可 能 是 在 汉 字 语 系 中 最 早 出 现 的 “百 科 全 书 ”的 译 名 。明 治 八 年( 1875 年 )
大阪师范学校翻刻了日本著名学者箕作麟祥译出的《百科全书教导说》上下篇,该
书 是 箕 作 麟 祥 据 该 《 百 科 全 书 》 中 的 “儿 童 教 育 说 ”译 出 的 。 文 部 省 版 《 百 科 全 书 》
在 学 界 获 得 好 评 ,同 时 也 允 许 民 间 出 版 。明 治 十 六 年( 1883 年 )十 月 丸 善 商 社 有 文
部 省 版《 百 科 全 书 》的 再 印 本 ,明 治 十 六 年 十 二 月( 1884 年 1 月 )该 书 又 有 有 邻 堂
翻刻本。日本著名的思想家中村正直在丸善社版的《百科全书》前有一篇序言,很
能 代 表 当 时 日 本 学 界 对 于 西 方 百 科 全 书 的 总 体 认 识 : “此 编 英 国 学 士 产 伯 尔 氏 之 撰 ,
凡九十篇。自天文、地理、博物、教育、政治、法律、经济,以至农商、工作、艺
术、游戏诸科,凡天地间不可不知之事,细大不遗,本末皆备,学者苟有待于此,
于所谓格物致知、修身齐家,治国平天下工夫,有思过半所知,则人之思想,其必
发达而不衰减也。世之学术,其必上进而不下退也。何以明之,既就百科全书之屡
经 改 订 可 以 证 焉 。据 原 序 曰 :此 书 自 始 印 四 十 年 于 今 ,而 板 五 改 ,其 间 学 术 之 变 进 ,
人智之开达,实为迅速。故今所印,比诸初板全然不同者多矣。中村子曰:呜呼!
欧米之多仪文明富强,其在于此欤。盖由思想之变新而致学术之变新,由学术之变
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新 而 致 邦 国 之 景 象 ,亦 由 以 变 新 。蒙 昧 者 ,浸 假 而 文 明 矣 ;贫 弱 者 ,浸 假 而 富 强 矣 ,
成迹彰彰可得而征已。如我邦维新之事,亦人心变新之结果也。思想既已变新,则
学 术 不 得 不 变 新 ,亦 其 势 也 。是 以 人 心 喜 新 事 ,竞 新 功 ,或 沉 酣 西 籍 ,或 翘 企 新 译 。
今此书世人多需用者,而书铺得以供给焉。谓文明富强之兆在此,岂夸言乎哉。抑
此书博综百科之窍要,洵为人智之宝库,专门世业之士得之,则彼此有所触发,而
可免面墙之叹;各般人民得之,则可以广智识,明物理,而各效其用。然则此书之
行 其 于 翼 赞 世 运 之 开 进 ,岂 曰 小 补 之 哉 。”[26]他 把 欧 洲 学 术 的 发 展 和 人 类 知 识 的 迅
速进步,与百科全书的不断修改和刊行联系在一起,他认为学术的变新反映在百科
全 书 的 刊 行 上 ,并 将 之 称 为 “文 明 富 强 ”的 征 兆 ,精 英 阶 层 通 过 其 可 以 互 相 切 磋 探 讨 ,
普通百姓获得百科全书则可以广知识和明物理。
同 一 时 期 日 本 一 些 和 译 英 文 辞 典 中 也 出 现 了 一 些 译 名 ,如 1886 年 攻 玉 社 出 版 的
斋 藤 恒 太 郎 纂 述《 和 译 英 文 熟 语 丛 》
( English-Japanese Dictionary of Words & Phrases)
译 为 “三 才 图 会 ”、“大 福 节 用 ”,[27]显 然 ,该 书 没 有 创 造 新 词 ;但 明 治 十 七 年( 1884)
小 栗 栖 香 平 校 订 、 傍 木 哲 二 郎 纂 译 的 《 明 治 新 撰 和 译 英 辞 林 》( An English and
Japanese Dictionary)将 “Encyclopedia”译 为 “节 用 集 ”、“学 术 字 林 ”;将 “Encyclopaedist”
译 成 “学 术 字 林 编 辑 者 ”;这 一 译 法 为 1886 年 丸 善 商 社 出 版 的 棚 桥 一 郎 译《 英 和 双 解
字 典 》( English & Japanese Dictionary of English Language) 沿 用 。 [28]1887 年 大 仓
书 店 出 版 的 岛 田 丰 纂 译《( 附 音 插 图 )和 译 英 字 汇 》则 译 为 “学 术 类 典 ”、“百 科 字 类 ”、
三 才 图 会 。[29]1888 年 东 京 三 省 堂 出 版 的 棚 桥 一 郎 等 共 译 的《 和 译 字 典 》
( Webster’s
Unabridged Dictionary of the English Language) 完 全 沿 袭 棚 桥 一 郎 《 英 和 双 解 字 典 》
的 译 法 : “节 用 集 ”、 “学 术 字 林 ”、 “百 科 全 书 ”; “Encyclopedist”被 译 成 “学 术 字 林 编
辑 者 ”[30]1889 年 东 京 六 合 馆 出 版 有 尺 振 八 译 的 《 明 治 英 和 字 典 》( An English and
Japanese Dictionary ) 则 沿 用 了 以 往 的 “ 智 环 总 录 ” 、 “ 学 术 类 典 ” 的 译 词 , 但 将
“Encyclopedist”译 成 “学 术 类 典 编 辑 者 ”。[31]也 许 正 是 循 着 “类 典 ”这 一 译 法 ,1886 年
日 本 植 田 荣 所 译 John Swinton 的 《 须 因 顿 氏 万 国 史 》 将 法 国 狄 德 罗 的 《 百 科 全 书 》
译 为 《 佛 国 类 典 》。 [32]1886 至 1887 年 松 岛 刚 译 述 的 维 廉 ·斯 因 顿 著 的 《 万 国 史 要 》
下 卷 述 及 了 Dalambert( 1717——1783, 今 译 达 朗 贝 尔 ) 及 其“百 科 字 汇 ”。 [33]
19 世 纪 末 20 世 纪 初 , 尽 管 日 本 还 出 现 过 不 少 不 同 的 译 名 , 如 经 济 杂 志 社 1882
至 1884 年 出 版 有 田 口 卯 吉( 1855——1905)翻 译 的《 泰 西 政 事 类 典 》、1888 至 1896
年 又 刊 行 有 田 氏 主 译 的《 日 本 社 会 事 汇 》。[34]显 然 田 氏 有 向 “百 科 ”译 名 挑 战 的 勇 气 ,
但 “百 科 ”一 词 的 翻 译 在 日 本 基 本 定 局 ,如 1891 年 有 尺( 三 点 水 )田 诚 武 编 的《 国 民
之 宝( 日 用 百 科 )》、1898 年 博 文 馆 推 出《 帝 国 百 科 全 书 》一 百 种 ,该 书 发 兑 广 告 中
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称 赞 该 书 如 同 《 大 英 百 科 全 书 》 一 般 , 将 世 界 “万 种 事 物 ”网 罗 殆 尽 。 [35]1900 年 有
大 町 桂 月 的《 新 体 作 文 百 科 辞 林 》、1902 年 有 渡 边 太 郎 编《 农 业 百 科 》、1903 年 田 中
芳 四 郎 编 《 日 本 百 科 全 书 》、 1906 至 1913 年 的 《 大 日 本 百 科 辞 书 》、 1906 年 富 山 房
编 刊 的《 日 本 家 庭 百 科 事 汇 》、1906 年 小 林 鹰 里 编 的《 日 用 百 科 宝 典 》、1910 年 尚 文
堂 编 刊 的 《 国 民 百 科 全 书 》 等 。 [36]这 些 译 名 都 反 映 出 日 本 学 者 对 西 方 “百 科 ”知 识
系 统 的 理 解 ,即 承 认 这 是 一 种 具 有 近 代 知 识 系 统 的 “学 术 ”专 门 之 学 ,有 着 丰 富 的 “百
科 ”知 识 内 涵 ,具 有 经 世 致 用 的 “厚 生 ”、“日 用 ”和 “节 用 ”的 意 义 。特 别 是 文 部 省 的 介
入 , 使 箕 作 麟 祥 “百 科 全 书 ”这 一 原 是 属 于 个 人 化 的 译 词 , 在 明 治 时 代 很 快 进 入 到 制
度 化 的 层 面 , 这 也 是 日 本 “百 科 全 书 ”这 一 译 名 能 从 一 开 始 就 居 于 学 术 优 势 地 位 的 部
分原因。但一个译词能否具有广泛的社会影响力,在很大程度上并不完全是制度推
行和运作的结果,译词的合理性还是学者的首选原则。否则我们就很难解释后来日
本 与 中 国 都 仍 有 很 多 不 同 的 译 法 ,而 且 “百 科 全 书 ” 这 一 译 词 还 遭 到 诸 如 像 严 复 这 样
著 名 翻 译 家 的 反 对 , 但 “百 科 ”这 一 译 名 在 清 末 中 国 社 会 还 是 广 泛 流 行 , 最 终 还 是 在
汉字语系的文献中占有完全的优势。
四
名物书、格致汇编、博物志、普通百科全书、日用百科、通俗百科、小百科、
百科书——中国引进日本译词
甲 午 战 后 , 梁 启 超 第 一 个 提 出 了 百 科 全 书 的 新 译 名 , 1896 年 8 月 至 12 月 , 他
在 《 时 务 报 》 上 连 载 了 《 变 法 通 议 》, 其 中 有 一 篇 题 为 《 论 幼 学 》( 收 录 《 饮 冰 室 文
集 ·丁 酉 集 》),他 认 为 西 方 启 蒙 读 物 中 有 一 种 叫 “名 物 书 ”:“名 物 书 。西 人 有 书 一 种 ,
此 土 译 者 , 命 之 为 ‘字 典 ’。 其 最 备 者 , 至 数 十 巨 册 , 以 二 十 六 字 母 编 次 , 古 今 万 国
名 物 皆 具 焉 。故 既 通 文 法 者 ,据 此 编 以 读 一 切 书 ,罔 有 窒 矣 。中 土 历 古 未 有 是 书 。”[37]
显 然 , 这 里 的 “名 物 书 ”是 西 方 蒙 学 百 科 全 书 的 另 一 种 译 名 。 同 时 , 中 国 文 化 人 也 密
切 注 意 日 本 翻 译 出 版 界 的 动 向 , 日 本 学 者 借 助 汇 聚 各 种 知 识 的 “百 科 全 书 ”的 编 纂 ,
对 日 本 民 族 进 行 系 统 西 学 启 蒙 的 活 动 也 受 到 了 中 国 学 者 的 注 意 。1897 年 ,康 有 为 发
表 的《 日 本 书 目 志 》,在 生 理 、理 学 、宗 教 、图 史 、政 治 、法 律 、农 业 、工 业 、商 业 、
教 育 、文 字 语 言 、美 术 等 门 类 中 ,列 出 了 日 本 文 部 省 藏 版 的《 百 科 全 书 》80 多 种 单
行 本 的 篇 目 。[38] 1902 年 由 袁 清 舫 、晏 海 澜 编 纂 的《 西 学 三 通 》的 “西 史 通 志 ”的 “图
籍 志 ”中 , 也 著 录 了 28 种 日 本 文 部 省 出 版 的 “百 科 全 书 ”的 书 名 。 [39]
但 当 时 “百 科 全 书 ”的 译 名 似 乎 没 有 在 中 国 学 者 中 普 遍 流 行 , 西 方 传 教 士 和 中 国
学 者 合 译 的 书 仍 然 在 采 用 其 他 的 译 法 , 如 1901 年 上 海 广 学 会 出 版 有 英 国 唐 兰 孟 编
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辑 、 英 国 李 提 摩 太 鉴 定 、 吴 江 任 廷 旭 翻 译 的 《 广 学 类 编 》, 其 中 卷 一 “史 事 类 ”的 “泰
西 历 代 名 人 传 ·性 理 道 德 诸 名 家 ”中 提 到 :“提 特 洛 德 生 于 一 千 七 百 十 三 年 ,卒 于 七 百
八 十 四 年 。 为 ‘格 致 汇 编 ’馆 之 大 主 笔 。 俄 后 加 他 邻 在 位 时 , 从 充 管 理 书 楼 之 大
臣 。 ”[40]1905 年 法 人 LE P. C. PETILLON, S.J.所 编 的 《 法 华 字 汇 》( 上 海 土 话 本 ,
法 文 书 名 : Dictionnaire Francais-Chinois, Dialectede Chang-hai) [41], 该 书 以 字 母
顺 序 排 列 ,每 页 分 三 栏 :法 文 、上 海 土 话 、汉 语 翻 译 ,其 中 Encyclopedie 被 译 为 “博
物 志 ”, 这 里 的 “格 致 汇 编 ”、 “博 物 志 ”, 显 然 就 是 “百 科 全 书 ”的 另 一 种 译 法 。
但 “百 科 全 书 ”的 译 法 , 在 留 日 学 生 中 却 颇 为 流 行 。 1903 年 1 月 8 日 , 留 日 的
马 君 武 发 表 了《 唯 物 论 二 巨 子( 底 得 娄 、拉 梅 特 里 )之 学 说 》一 文 ,指 出 :“百 科 全
书 者 ,法 语 称 之 曰 Encyclopedie,英 语 曰 Encyclopedia。编 纂 此 书 之 学 者 ,莫 不 主 张
无 神 论 , 底 得 娄 Diderot 与 亚 龙 卑 尔 Alembert 实 当 编 纂 《 百 科 全 书 》 中 哲 学 一 门 之
任 。 ……《 百 科 全 书 》 亦 绝 大 一 纪 念 碑 也 。 盖 是 书 为 一 时 有 名 之 伟 著 , 法 国 莫 不 知
之,人民多读而受其思想之范铸者。因是知国家、真法律之性情及道德上之自由,
信 公 理 而 不 信 真 神 也 。 造 始 也 简 , 将 必 也 巨 , 区 区 一 书 之 效 力 , 遂 至 是 哉 。 ”[42]
由 于 “百 科 全 书 ”译 词 的 巨 大 号 召 力 ,1898 年 起 日 本 博 文 馆 将 大 量 教 科 书 按 类 编
辑 ,形 成 大 型 的 丛 书 集 成 的 丛 书 ,也 以 “帝 国 百 科 全 书 ”为 名 号 ,其 实 是 由 “文 科 书 类 ”、
“理 科 书 类 ”、“工 科 书 类 ”、“政 治 书 类 ”、“经 济 书 类 ”、“法 律 书 类 ”、“农 学 书 类 ”、“林
学 书 类 ”、 “工 业 丛 书 ”、 “商 业 丛 书 ”、 “医 学 新 书 ”、 “警 察 监 狱 丛 书 ”等 多 种 教 科 书 所
构成。江苏昭文(今常熟)的留日学生范迪吉(字枕石)主持的《普通百科全书》
共 计 100 种 ,1903 年 由 会 文 学 社 出 版 。全 书 的 原 本 分 别 是 据 日 本 富 山 房 出 版 的 初 级
读 物 和 部 分 中 学 教 科 书 , 其 中 绝 大 部 分 也 是 据 东 京 博 文 馆 的 1898 年 开 始 出 版 、 至
1903 年 出 齐 的 百 种 《 帝 国 百 科 全 书 》, 按 政 治 、 法 律 、 哲 学 、 历 史 、 地 理 、 数 学 、
理 学 、工 学 、农 学 、经 济 学 、山 林 学 、教 育 学 等 分 类 ,以 三 个 系 列 由 浅 入 深 地 编 排 。
每 本 书 独 立 成 篇 , 各 自 为 目 。 1903 年 在 为 该 书 所 写 的 《 新 译 日 本 普 通 百 科 全 书 叙 》
中 ,汤 寿 潜 指 出 :“日 本 之 重 科 学 也 ,有《 日 用 百 科 》、有《 通 俗 百 科 》、有《 小 百 科 》,
亦 浸 浸 与 欧 美 并 隆 矣 !”。郑 绍 谦 在 为 该 书 所 写 的 序 中 称 :“夫 百 科 书 ,东 邦 巨 籍 也 ,
亚欧菁英于斯荟萃。今发见于中国,则东西文明之程度,虽未足以其蕴,固已有学
皆 臻 , 无 科 不 备 , 可 以 研 精 , 可 以 互 证 , 响 学 之 士 , 始 无 遗 憾 矣 。 ”[43]大 量 “百 科 ”
用 语 的 使 用 , 可 见 “百 科 ”这 个 词 的 确 深 受 中 国 人 的 欢 迎 , 它 揭 示 了 西 方 文 化 的 总 体
性 的 特 点 , 不 仅 仅 是 “用 ”, 也 是 “体 ”, 可 以 说 , “百 科 ”成 为 晚 清 中 国 人 寻 求 “西 学 ”
总 体 知 识 系 统 的 一 个 思 想 主 题 。19 世 纪 末 的 中 国 人 ,不 仅 仅 引 进 了 一 个 新 词 ,事 实
上也是引进了一个全面寻求近代西方新知识的思想主题。
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五
婴 塞 觉 罗 辟 的 亚 、 智 环 、学 郛 、 学 典 、 百 科 类 典 、 英 文 百 科 类 典 、 提 氏 类 典 、 图
书类编——中国学者的再创造
尽 管 20 世 纪 初 , 来 自 日 本 的 “百 科 全 书 ”这 一 译 名 已 被 留 学 日 本 的 学 生 普 遍 接
受 ,但 还 是 与 一 些 中 国 学 者 不 满 足 于 经 过 日 本 的 咀 嚼 再 放 入 中 国 人 口 中 的 接 受 方 式,
于是还有学者提出要重新思考着仪译词,并继续创造一些不同的新译法。
如 《 申 报 》 在 1907 年 刊 有 关 于 大 英 百 科 全 书 的 评 论 , 仍 有 学 者 坚 持 认 为 “百 科
全 书 ”是 与 “图 书 集 成 ”对 应 的 译 词 :“英 籍 中 之 有 ‘百 科 全 书 ’,犹 中 籍 之 有 ‘图 书 集 成 ’
也 。 所 以 称 为 ‘百 科 ’者 , 其 目 则 分 历 史 、 文 学 、 医 学 、 卫 生 、 哲 理 、 心 理 、 理 财 、
政 治 、制 造 、工 商 学 、宗 教 神 学 ,及 律 例 、人 类 、博 言 、地 理 、风 俗 、迷 信 、美 术 、
传记、音乐、戏曲各门。其著者,皆欧美知名专门士。其字数则都四千万言,其项
目 则 二 万 六 千 种 。 ”而 颜 惠 庆 则 认 为 “百 科 全 书 ”与 中 国 类 书 有 相 同 点 , 也 有 不 同 点 ,
两 者 还 是 有 着 根 本 性 的 区 别 :“用 集 政 界 学 界 军 界 农 工 商 界 ,暨 乎 实 业 美 术 图 画 歌 舞 ,
与凡游戏运动,一切科学之大成。俾从事于诸学者,知所率由,得所归宿。盖书为
西 国 所 仅 见 , 尤 为 中 国 所 罕 闻 , 而 实 不 可 少 焉 者 也 。 ……方 今 中 国 自 知 贫 弱 , 改 官
制 、 废 科 举 , 立 学 堂 、 实 行 新 政 , 以 期 训 政 于 富 强 , 亦 既 率 循 泰 西 科 学 矣 。 ……安
见往日之退化,不将于此成为进化也哉。况中国地大物博,灵秀所钟。既得导师,
造就所士。以科学为贤才根柢,以贤才为国家命脉。天荒既破,景远聿新,又何患
富 强 隆 盛 , 不 英 国 若 也 。 则 夫 是 书 即 作 中 国 进 化 券 观 亦 可 也 。 ……百 科 全 书 深 造 诸
科学之堂奥,而显有门径之可寻。故英首辅之言,谓求学者苟置是书,可减省无穷
之劳悴,盖用少许精神,即能获多许粹美;而诸名流强思力索以得之者,亦可遽窥
其 隐 赜 。……是 书 与 中 国 类 书 ,类 而 不 类 ,不 类 而 类 。不 类 者 此 为 有 用 ,彼 为 无 用;
类 者 同 资 参 考 也 。 ” [44]
严 复 是 一 个 非 常 不 喜 欢 采 用 日 本 译 名 的 翻 译 家 , 如 不 用 “逻 辑 学 ”, 而 使 用 传 统
的 “名 学 ”;不 用 “经 济 学 ”而 用 “计 学 ”;不 用 “社 会 学 ”而 用 “群 学 ”。但 他 也 难 以 抗 拒 排
山 倒 海 般 日 本 新 词 的 冲 击 , 特 别 是 “百 科 全 书 ”确 实 译 得 很 好 。 但 他 还 是 不 甘 心 完 全
就 范 ,他 曾 反 复 强 调 “科 学 名 词 ,含 义 不 容 两 岐 ,更 不 容 矛 盾 ”,因 为 在 他 看 来 ,“科
学入手,第一层功夫便是正名。凡此等处,皆当谨别牢记,方有进境可图,并非烦
赘。所恨中国文字,经词章家谴用败坏,多含混闪烁之词,此乃学问发达之大阻
力 。 ”[45]因 此 , 1907 年 严 复 在 题 为 《 书 〈 百 科 全 书 〉》 一 文 中 认 为 要 对 “百 科 全 书 ”
的 译 名 重 新 加 以 斟 酌 : “百 科 全 书 者 , 西 文 曰 ‘婴 塞 觉 罗 辟 的 亚 ’, 正 译 曰 ‘智 环 ’, 或
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曰 ‘学 郛 ’。 盖 以 一 部 之 书 , 举 古 今 宇 内 , 凡 人 伦 思 想 之 所 及 , 为 学 术 , 为 技 能 , 为
天官,为地志,为各国诸种有传之人,为宗教鬼神可通之理,下至草木、禽兽、药
物 、玩 好 ,皆 备 于 此 书 焉 ,元 元 本 本 ,殚 见 浃 闻 ,录 而 著 之 ,以 供 检 考 。泱 漭 浩 瀚 ,
靡所不赅,唐乎多(上面一个大字)乎,真人慧之渊海,而物理之圜枢哉!尝谓方
治 化 之 进 也 , 民 有 余 于 衣 食 , 则 思 想 问 学 之 事 兴 焉 。 ”严 复 一 口 气 说 了 一 个 音 译 名 ,
两 个 意 译 名 。而 且 他 对 狄 德 罗 的 百 科 全 书 予 以 极 高 的 评 价 :“于 时 法 国 笃 生 两 贤 :月
狄 图 鲁 ,曰 达 林 白 。本 英 国 哲 家 法 兰 硕 培 根 之 指 ,号 召 同 志 ,闳 规 大 起 ,议 造 此 书 ,
用 分 功 之 术 。 其 著 论 也 , 人 贡 其 所 知 , 而 两 贤 司 其 编 辑 。 ……而 智 环 一 书 , 实 群 言
之林府。于是政教笃旧之家,心骇神愕,出死力以与是书抵距。盖其书越二十年而
始 成 ,编 辑 之 人 ,屡 及 于 难 。迨 书 成 ,而 大 陆 革 命 之 期 亦 至 ,其 学 术 左 右 世 运 之 功 ,
有 如 此 哉 ! 是 故 言 智 环 者 , 必 以 此 书 称 首 。 ”他 还 专 门 论 及 英 国 “泰 晤 士 百 科 全 书 ”,
认 为 泰 晤 士 报 馆 所 编 百 科 全 书 “学 者 家 置 一 编 备 考 览 ,则 不 出 户 可 以 周 知 天 下 。上 自
国 家 政 法 病 农 之 大 ,下 至 一 名 一 物 有 器 饰 之 微 ,皆 可 开 卷 了 然 ,究 终 本 始 。”最 后 他
感 叹 到 : “惜 乎 , 吾 国 《 图 书 集 成 》 徒 为 充 栋 之 书 , 而 不 足 媲 其 利 用 也 。 ”[46]以 上
三 文 见 载 于 《 大 英 百 科 全 书 评 论 》, 该 书 无 出 版 项 , 钟 少 华 估 计 为 商 务 印 书 馆 出 版。
[47]
1906 年 李 石 曾 与 吴 稚 晖 、张 静 江 等 一 起 在 巴 黎 创 办 了 世 界 社 ,开 始 编 译 百 科 全
书 的 工 作 。 1908 年 他 们 在 巴 黎 达 卢 街 75 号 世 界 社 出 版 的 中 文 画 报 《 世 界 》 第 二 期
增 刊《 近 代 世 界 六 十 名 人 》一 书 ,并 计 划 推 出 一 种 “学 典 ”( Encyclopedia)式 的 期 刊 。
该 书 对 学 典 派 的 代 表 人 物 狄 德 罗 有 如 下 介 绍 :“狄 岱 麓 ,法 国 哲 学 家 及 著 作 家 也 。生
于七百十三年,卒千七百八十四年。狄氏与孟德斯鸠、服尔德、卢骚齐名,为当时
四 名 家 。……狄 氏 少 学 于 教 会 小 学 ,后 入 中 学 ,精 数 学 及 外 语 ,译 ‘英 文 百 科 类 典 ’,
即 本 之 起 草 , 为 本 国 类 典 , 有 名 当 时 。 ”1908 年 杨 家 骆 的 父 亲 杨 紫 极 读 了 该 书 中 有
关 狄 德 罗 的 事 迹 ,非 常 钦 佩 ,便 着 手 计 划 将 狄 德 罗 百 科 全 书 译 成 中 文 ,从 1908 年 至
1922 年 共 翻 译 了 200 多 万 字 的《 提 氏 类 典 》。[48]李 石 曾 后 来 在 民 国 时 期 大 力 推 出 他
的 学 典 计 划 , 并 创 办 “世 界 学 典 社 ”, 还 编 纂 过 《 世 界 学 典 ·朝 鲜 学 典 》。 [49]
1908 年 在 英 国 窦 乐 安 与 中 国 学 者 黄 鼎 、张 在 新 等 人 合 作 译 出 的《 世 界 名 人 传 略 》
中 有 “提 多 罗 传 ”, 其 中 提 到 “某 书 贾 欲 印 行 英 人 张 伯 尔 ( Chamders) 的 《 图 书 类 编 》
译 本 , 延 氏 为 总 校 ”。 [50]
六
系统性、结构性认识西学的思想资源与概念工具——结语
72
近代“百科全书”译名的形成、变异与文化理解
(邹)
综 上 所 述 , 我 们 似 乎 可 以 理 解 英 国 文 化 史 家 彼 德 ·伯 克 所 指 所 过 的 一 句 话 : “所
有 的 概 念 都 不 是 中 性 的 ‘工 具 ’。 ”[51]名 词 、 概 念 都 有 着 鲜 明 的 价 值 倾 向 性 。 上 述 近
四 十 个 关 于 “百 科 全 书 ”的 不 同 译 名 , 都 不 同 程 度 地 携 带 着 翻 译 者 的 某 种 重 要 的 文 化
蕴涵和知识信息。黄兴涛曾指出,近代中国出现的新名词实际上由三个层面的内涵
构 成 :一 是 语 言 学 意 义 上 的 词 汇 本 身 ;二 是 它 们 所 各 自 表 示 的 特 定 概 念 和 直 接 凝 聚、
传达的有关知识、观念、思想和信仰;三是由它们彼此之间所直接形成或引发的特
定 “话 语 ”。他 认 为 “从 某 种 程 度 上 说 ,一 部 具 有 近 代 意 义 的 中 国 思 想 史 ,就 是 一 张 由
各种新名词为网结编织起来的立体多维的观念之网。因此,要认知各种近代新思想
和新思潮,测量其社会化程度,就不能不从总体上考虑这些新思想所包含的各种重
要 的 新 词 汇 、 新 概 念 的 形 成 、 传 播 和 社 会 认 同 问 题 。 ”[52]近 代 “百 科 全 书 ”的 译 词 虽
然 没 有 构 成 如 其 所 说 的 第 三 个 层 面 的 “话 语 ”, 可 能 也 没 有 他 所 描 述 的 在 理 解 中 国 近
代 思 想 史 上 有 如 此 重 要 的 作 用 。 但 通 过 笔 者 以 上 揭 示 的 “百 科 全 书 ”译 词 的 形 成 和 变
化 过 程 ,不 难 看 出 “Encyclopedia”中 文 译 词 的 形 成 和 变 异 史 ,其 实 也 是 一 部 近 代 中 日
两国学人如何认识西学的知识、观念和思想的演变史。
已有译名研究者指出:近代中国外来的新名词与其母语中的原形词之间的对等
关 系 的 建 立 本 身 并 非 天 然 存 在 ,而 是 两 种 或 多 种 文 明 间 思 想 观 念 互 动 的 “实 践 ”产 物 。
外来新名词的思想史的意义,不仅表现在其形成之后,而且表现在其产生之时,即
开 始 于 两 种 或 多 种 语 言 词 汇 “互 译 ”的 过 程 之 中 。 [53]我 们 从 上 述 这 些 译 名 创 造 者 的
所 创 造 的 各 种 译 词 中 可 见 , “百 科 全 书 ”词 汇 形 成 和 变 异 过 程 中 , 的 确 有 许 多 值 得 中
国 近 代 思 想 史 学 者 研 究 探 讨 之 处 。近 代 中 日 两 国 的 发 展 历 程 都 见 证 了 这 样 一 种 事 实,
即汉字圈内使用的不少重要的术语,不管是经济的,还是政治的;是法律的,还是
文 化 的 , 在 稳 定 的 译 名 出 现 之 前 , 都 曾 有 过 不 同 的 译 名 , “百 科 全 书 ”的 译 名 从 最 初
在汉字文化圈的登陆到最后形成稳定的译名,期间同样出现过一段不平凡的翻译争
议的阶段。最初西洋传教士有附会中国类书的译法,其中包含了文化接触初期的援
引输入地名词的翻译。有着丰富西学知识的徐寿等,他们仍然无法接受西方有属于
“百 科 ”的 宏 大 知 识 系 统 , 因 此 他 们 创 造 了 区 别 于 中 国 类 书 的 译 名 , 但 极 力 想 在 译 名
的 过 程 中 保 持 中 国 文 化 的 自 尊 。 当 Encyclopedia 进 入 日 本 汉 字 文 化 圈 时 , 同 样 展 开
了 不 同 的 翻 译 斗 争 , “百 科 ”首 先 出 现 在 日 语 的 汉 字 系 统 中 , 正 好 显 示 了 日 本 学 人 在
接受西学的初期对西方知识文化有着与中国学人的不同理解和解释。总体而言,除
了 少 量 译 词 , 如 “节 用 ”、 “杂 文 ”、 “铨 衡 ”、 “字 林 ”、 “名 物 ”等 来 自 中 国 传 统 词 语 外 ,
绝 大 多 数 的 译 词 , 如 “智 环 ”、 “百 学 ”、 “大 类 编 书 ”、 “学 典 ”、 “学 术 类 典 ”、 “百 科 字
林 ”、“学 郛 ”等 都 是 传 统 汉 字 语 系 中 所 没 有 的 ,分 明 显 示 出 这 些 译 语 的 中 外 创 造 者 对
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
73
西学本土化的不同取向中,还是非常强调译词翻译的独创性。特别是日本学者所创
造 的 “百 科 ”和 “百 科 全 书 ”的 译 词 , 显 示 了 日 本 学 者 不 仅 注 意 吸 收 中 国 传 统 的 词 汇 ,
而且在这基础上独立化解,推出这一富有独创性的译词,丰富了汉语词汇的宝库。
每 一 个 时 代 所 形 成 的 名 词 和 术 语 ,也 是 这 一 时 代 所 凭 借 的 “思 想 资 源 ”与 “概 念 工
具 ”,人 们 靠 着 这 些 资 源 来 思 考 、整 理 、构 筑 他 们 的 生 活 世 界 ,同 时 也 用 它 们 来 诠 释
过 去 、 设 计 现 在 、 想 象 未 来 。 [54]新 名 词 和 新 术 语 往 往 能 够 帮 助 人 们 更 好 地 认 知 和
了解人类新思想产生和演变的过程,能够更方便、更精确地组织和表达自己的现代
意识。新词汇和新术语一旦产生和流传,就会影响一个民族和社会的思维方式,因
为 这 些 汉 字 新 词 汇 和 新 术 语 所 指 称 的 内 容 和 所 代 表 的 事 物 , 如 “百 科 全 书 ”在 晚 清 中
国,从真正完整的现代意义上,成为中国人自觉关注和开始整体进行把握的对象。
它们使得中国人在理解和诠释他们的经验世界时发生某种深刻的变化,而且还会对
该 名 词 和 术 语 所 附 带 的 某 种 新 的 价 值 倾 向 和 文 化 取 向 ,具 有 思 维 的 启 发 性 。“百 科 全
书 ”的 形 成 首 先 是 反 映 了 日 本 学 界 对 于 西 方 学 术 文 化 价 值 的 全 面 认 同 ,它 不 是 以 往 东
亚 汉 文 圈 中 一 般 的 “字 书 ”和 “字 林 ”, 也 不 是 单 科 知 识 的 “集 成 ”和 “类 编 ”; 它 容 纳 了
人 类 和 世 界 知 识 的 “百 科 ”, 是 一 个 东 西 方 知 识 系 统 的 “全 书 ”。 “百 科 全 书 ”构 成 了 理
解西方近代知识系统的一个立体的名词,这一新名词引进与流行,使人们不知不觉
中加深了对西方文明系统性的了解,深化了对西方文化的结构性的认识。人们在经
常 性 的 使 用 “百 科 全 书 ”这 些 新 名 词 的 过 程 中 , 潜 移 默 化 得 受 到 了 “概 念 工 具 ”的 思 想
训 练 和 逻 辑 熏 陶 , 使 中 国 人 也 尝 试 建 立 某 种 区 别 于 传 统 “类 书 ”的 现 代 “百 科 ”的 知 识
系统,从这种意义上说,清末中国人从日本似乎只是引进了一个新名词和新术语,
事实上也是引进了一个寻求西方近代新知识系统的思想主题,开启了中国近代知识
输入史上的一个新阶段。
注与文献
[1]参 见《 辞 海 》,上 海 辞 书 出 版 社 1999 年 版 ,页 4751-4752;参 见《 简 明 英 汉 词 典 》、
《美
国 传 统 词 典 》, 金 山 词 霸 2003 年 。
[2]参 见 《 中 国 大 百 科 全 书 》, 新 闻 出 版 卷 , 姜 椿 芳 与 金 常 政 合 写 的 “百 科 全 书 ”条 , 中 国
大 百 科 全 书 出 版 社 1990 年 。
[3]参 见 《 中 国 大 百 科 全 书 》, 图 书 馆 、 情 报 学 、 档 案 学 卷 , 金 常 政 的 “百 科 全 书 ”条 , 中
国 大 百 科 全 书 出 版 社 1993 年 , 页 6。
[4]参 见《 中 国 大 百 科 全 书 》,图 书 馆 、情 报 学 、档 案 学 卷 ,姜 椿 芳 与 金 常 政 合 写 的 “百 科
全 书 ”条 , 中 国 大 百 科 全 书 出 版 社 1990 年 , 页 8。
[5]倪 海 曙 《 倪 海 曙 语 文 论 集 》, 上 海 教 育 出 版 社 1991 年 , 页 428。
74
近代“百科全书”译名的形成、变异与文化理解
(邹)
[6]To the public,Concerning the Anglo-Chinese College( Malacca:Mission Press,1823),
P.7; 转 引 自 刘 绍 麟 《 古 树 英 华 ——英 华 书 院 校 史 》, 英 华 书 院 校 友 会 有 限 公 司 2001 年 ,
页 22-23。
[7][英 ]马 礼 逊 《 华 英 字 典 》 (A Dictionary of Chinese Language, three parts), 1822 年 伦 敦
版 , 页 496。
[8][ 美 ] 卫 三 畏 (L. Wells Williams) 编 纂 的 《 华 英 韵 府 历 阶 》( English and Chinese
Vocabulary), 澳 门 1844 年 版 , 页 84。
[9]参 见 邹 振 环《 麦 都 思 及 其 早 期 中 文 史 地 著 述 》,载《 复 旦 学 报 》2003 年 第 5 期 ;《〈 大
英 国 志 〉 与 早 期 国 人 对 英 国 历 史 的 认 识 》, 载 《 复 旦 学 报 》 2004 年 第 1 期 。
[10]J.A.GONCALVES 编 的 拉 丁 语 辞 书 《 洋 汉 合 字 汇 》( Diccionario Portuguez-China),
澳 门 1831 年 版 , 页 294。
[11][英 ]麦 都 思( W.H.Medhurst)
《华英辞典》
( English and Chinese Dictionary),1847 年 ,
页 496。
[12]参 见 [日 ]内 田 庆 市 《 近 代 东 西 言 语 文 化 接 触 研 究 》, 关 西 大 学 出 版 部 2001 年 ,
页 234。
[13][英 ]罗 存 德 《 英 华 字 典 》, 香 港 Daily Press Office 1866-1869 年 ; 参 见 [英 ]罗 布
存 德 的 原 著 、 井 上 哲 次 郎 订 增 《 英 华 字 典 》, 1883 年 藤 本 氏 藏 版 , 页 451。
[14]参 见 邹 振 环《〈 大 英 国 志 〉与 早 期 国 人 对 英 国 历 史 的 认 识 》,载《 复 旦 学 报 》2004
年第一期。
[15]参 阅 《 申 报 馆 内 通 讯 》 1 卷 10 期 , “申 报 掌 故 ”; 19 世 纪 70 年 代 , 西 人 非 常 重
视 该 书 ,认 为 是 一 部 获 知 中 国 知 识 的 百 科 全 书 ,英 国 人 美 查 兄 弟 组 织 资 本 在 上 海 设
立 了 “图 书 集 成 印 书 局 ”, 哟 功 能 铅 活 字 来 翻 印 这 部 巨 著 , 开 印 后 在 光 绪 十 四 年
( 1888) 竣 工 , 共 印 1500 部 , 称 为 “美 查 版 ”, “集 成 ”自 此 流 传 甚 广 , “K’ang His
Imperial Encyclopaedia”( 康 熙 百 科 全 书 ) 的 名 称 亦 由 此 而 来 , 1911 年 伦 敦 英 国 博
物 院 印 行 的 英 国 汉 学 家 翟 理 斯 (L.Giles) 《 An Alphabetical Index to the Chinese
Encyclopedias》曾 对 该 书 编 制 索 引 。
( 参 见 徐 载 平《 清 末 四 十 年 申 报 史 料 》,新 华 出
版 社 1988 年 ,页 324-325;胡 道 静《〈 古 今 图 书 集 成 〉的 情 况 、特 点 及 其 作 用 》,载
《 图 书 馆 季 刊 》 1962 年 第 一 号 , 页 31-37) 可 见 翟 理 斯 是 将 Encyclopedia 与 “图 书
集 成 ”对 应 的 。
[16]邹 振 环 《 近 代 最 早 百 科 全 书 的 编 译 与 清 末 文 献 中 的 狄 德 罗 》, 载 《 复 旦 学 报 》
1998 年 第 三 期 。
[17]“大 英 百 科 全 书 ”一 词 ,最 早 可 能 见 之 于 1898 年 日 本 博 文 馆 发 兑《 帝 国 百 科 全 书 》
的广告。
[18][英 ]傅 兰 雅《 江 南 制 造 总 局 翻 译 西 书 事 略 》,载《 格 致 汇 编 》第 3 年 第 5 卷 ,1880
年 6 月。
[19]详 见 张 静 庐 辑 注 《 中 国 近 代 出 版 史 料 初 编 》, 群 联 出 版 社 1953 年 , 页 11。
[20][美 ]贝 内 特( A.A. Bennett)
《傅兰雅译著考略》
( John Fryer:The Introduction of Western
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
75
Science and Technology into Nineteenth-Century China) ,哈 佛 大 学 东 亚 研 究 中 心 1967 年
英 文 版 , 页 84、 100、 105。
[21]参 见 王 渝 生 《 华 蘅 芳 》, 载 杜 石 然 主 编 《 中 国 古 代 科 学 家 传 记 》, 下 集 , 科 学 出 版 社
1993 年 , 页 1248。
[22]参 见 [日 ]福 镰 达 夫《 明 治 初 期 百 科 全 书 的 研 究 》,株 式 会 社 风 间 书 房 1968 年 ,页 19;
[日 ]弥 吉 光 长 《 弥 吉 光 长 著 作 集 》 第 二 卷 “图 书 馆 史 ·读 书 史 ”, 东 京 日 外 株 式 会 社 1981
年 , 页 319-320。
[23]参 见 [日 ]箕 作 麟 祥 翻 译 《 百 科 全 书 教 导 说 》, 大 阪 师 范 学 校 1875 年 。
[24]钟 少 华 《 人 类 知 识 的 新 工 具 ——中 日 近 代 百 科 全 书 研 究 》, 北 京 图 书 馆 出 版 社 1996
年 , 页 19。
[25]钟 少 华 《 人 类 知 识 的 新 工 具 ——中 日 近 代 百 科 全 书 研 究 》, 北 京 图 书 馆 出 版 社 1996
年 , 页 122-123。
[26]转 引 自 [日 ]福 镰 达 夫 《 明 治 初 期 百 科 全 书 的 研 究 》, 株 式 会 社 风 间 书 房 1968 年 , 页
73-74。
[27][日 ]斋 藤 恒 太 郎 纂 述 《 和 译 英 文 熟 语 丛 》( English-Japanese Dictionary of Words &
Phrases) 攻 玉 社 1886 年 , 页 192。
[28][日 ]小 栗 栖 香 平 校 订 、 傍 木 哲 二 郎 纂 译 的 《 明 治 新 撰 和 译 英 辞 林 》( An English and
Japanese Dictionary)明 治 十 七 年( 1884),页 266;[日 ]棚 桥 一 郎 译《 英 和 双 解 字 典 》
( English
& Japanese Dictionary of English Language), 丸 善 商 社 1886 年 , 页 243。
[29][日 ]岛 田 丰 纂 译 《( 附 音 插 图 ) 和 译 英 字 汇 》, 大 仓 书 店 1887 年 , 页 266。
[30][日 ]棚 桥 一 郎 等 共 译 《 和 译 字 典 》( Webster’s Unabridged Dictionary of the English
Language), 东 京 三 省 堂 1888 年 , 页 281。
[31][日 ]尺 振 八 译 的《 明 治 英 和 字 典 》
( An English and Japanese Dictionary),东 京 六 合 馆
1889 年 , 页 354。
[32][日 ]植 田 荣 所 译 John Swinton 的 《 须 因 顿 氏 万 国 史 》, 岩 本 米 太 郎 1886 年 , 页 661。
[33][日 ]松 岛 刚 译 述 维 廉 ·斯 因 顿 《 万 国 史 要 》 下 卷 , 岛 连 太 郎 1888 年 重 版 本 , 页 737。
[34] [日 ]弥 吉 光 长《 弥 吉 光 长 著 作 集 》第 二 卷 “图 书 馆 史 ·读 书 史 ”,东 京 日 外 株 式 会 社 1981
年 , 页 328-329。
[35]参 见 日 本 东 京 博 文 馆 发 兑《 帝 国 百 科 全 书 》广 告 ,附 载《 帝 国 百 科 全 书 ·日 本 文 明 史 》
一 百 编 , 东 京 博 文 馆 1903 年 。
[36]参 见 钟 少 华 《 人 类 知 识 的 新 工 具 ——中 日 近 代 百 科 全 书 研 究 》, 北 京 图 书 馆 出 版 社
1996 年 , 页 126-127。
[37]吴 松 等 点 校 《 饮 冰 室 文 集 点 校 》 第 一 集 , 云 南 教 育 出 版 社 2001 年 , 页 54。
[38]参 见 姜 义 华 编 校 《 康 有 为 全 集 》 第 三 集 , 上 海 古 籍 出 版 社 1992 年 。
[39]《 西 学 三 通 ·西 史 通 志 ·图 籍 志 》, 光 绪 壬 寅 ( 1902) 萃 新 书 馆 版 。
[40][英 ]唐 兰 孟 编 辑 、李 提 摩 太 鉴 定 、任 廷 旭 译《 广 学 类 编 》,卷 一 ,上 海 广 学 会 1901
年校刊本。
近代“百科全书”译名的形成、变异与文化理解
76
(邹)
[41][法 ]LE P. C. PETILLON, S.J.《 法 华 字 汇 》
( 上 海 土 话 ),上 海 徐 家 汇 天 主 堂 1905
年 , 上 海 徐 家 汇 天 主 堂 1905 年 , 页 222。
[42]载《 大 陆 》1903 年 第 2 期 ,原 无 署 名 ,马 君 武 在《 社 会 主 义 与 进 化 论 比 较 》一
文 中 称 此 文 系 其 所 作 , 参 见 莫 世 祥 编 《 马 君 武 集 》, 华 中 师 范 大 学 出 版 社 1991 年 ,
页 81。
[43]参 见 范 迪 吉 等 编 译 《 编 译 普 通 百 科 全 书 》 序 , 会 文 学 社 1903 年 。
[44]转 引 自 钟 少 华《 人 类 知 识 的 新 工 具 ——中 日 近 代 百 科 全 书 研 究 》,北 京 图 书 馆 出 版 社
1996 年 , 页 22。
[45]《 政 治 讲 义 》,载 王 栻 主 编《 严 复 集 》,第 五 册 ,中 华 书 局 1986 年 ,页 1290、1247。
[46]王 栻 主 编 《 严 复 集 》, 第 二 册 诗 文 ( 下 ), 中 华 书 局 1986 年 , 页 251-252。
[47]钟 少 华 《 人 类 知 识 的 新 工 具 ——中 日 近 代 百 科 全 书 研 究 》, 北 京 图 书 馆 出 版 社 1996
年 , 页 46。
[48]杨 家 骆《 狄 岱 麓 与 李 石 曾 》,世 界 书 局 1946 年 ,页 16、23;参 见 杨 恺 龄《 民 国 李 石
曾 先 生 煜 瀛 年 谱 》, 台 湾 商 务 印 书 馆 1980 年 , 页 17-20。
[49]参 见 邹 振 环 《 李 石 曾 与 〈 朝 鲜 学 典 〉 的 编 纂 》, 载 石 源 华 主 编 《 二 十 七 年 血 与 火 的
战 斗 》, 人 民 教 育 出 版 社 1999 年 。
[50][英 ]张 伯 尔 原 本《 世 界 名 人 传 略 》, 英 国 窦 乐 安 、 中 国 黄 鼎 、张 在 新 等 人 译 述 ,上 海
山 西 大 学 译 书 院 光 绪 三 十 四 年 ( 1908) 十 月 版 , D 册 , 页 24。
[51][英 ]伯 克 著 、 姚 鹏 等 译 《 历 史 与 社 会 理 论 》, 上 海 人 民 出 版 社 2001 年 , 页 56。
[52]参 见 黄 兴 涛 《 近 代 中 国 新 名 词 的 思 想 史 意 义 发 微 ——兼 谈 对 于 “一 般 思 想 史 ” 之 认
识 》, 载 杨 念 群 等 主 编 《 新 史 学 》, 中 国 人 民 大 学 出 版 社 2003 年 , 页 324、 336。
[53]参 见 刘 禾 著 、 宋 伟 杰 译 《 跨 语 际 实 践 ——文 学 、 民 族 文 化 与 被 译 介 的 现 代 性 》,
三 联 书 店 2002 年 。
[54]“概 念 工 具 ”( conceptual apparatus) 是 王 汎 森 在 其 论 文 中 经 常 使 用 的 一 个 术 语 ,
很 多 情 况 下 是 指 词 汇 用 语 ,参 见《 “思 想 资 源 ”与 “概 念 工 具 ”——戊 戌 前 后 的 几 种 日
本 因 素 》 与 《 晚 清 的 政 治 概 念 与 “新 史 学 ”》, 载 王 汎 森 著 《 中 国 近 代 思 想 与 学 术 的
系 谱 》, 河 北 教 育 出 版 社 2001 年 。
附 记 :本 文 是 笔 者 在 作 为 复 旦 大 学 与 关 西 大 学 2003 年 度 交 换 研 究 员 访 问 期 间
完成的关于这一问题的初步研究。在本文写作过程中,关西大学沈国威教授
和内田庆市教授为笔者提供了不少珍贵的资料,给予了许多真诚的帮助,在
此谨致深切的感谢!
第 4 回 漢字文化圏近代語研究会 77
於日本大阪 関西大学 2004.3.13-14
蔡元培の日本語翻訳と初期の哲学用語の導入
北京外大・朱京偉
1.
中国における初期の哲学書翻訳
「哲学」は,明治初期に西周によって造られた用語である。中国人がいつか
ら こ の 語 を 目 に し た か は 明 ら か で は な い が ,例 え ば ,日 本 を 訪 れ た 黄 慶 澄 の『 東
遊 日 記 』( 1894) に は , 日 本 の 学 校 教 育 に 触 れ て 「 文 科 分 四 目 , 曰 哲 学 , 曰 本
国文学,曰史学,曰博言学」と述べているのが見られる。日清戦争の後になる
と,中国では日本に対する国民的関心が急上昇した。亡命中の梁啓超が横浜で
編 集 し た 『 清 議 報 』( 第 十 二 冊 , 1899) に は 「 吾 人 之 学 , 雖 與 哲 学 異 域 , 今 挙
其 一 二 言 之 。」( 吾 ら の 学 識 は 哲 学 と 分 野 が 異 な る と 雖 も , 今 は 一 つ 二 つ を 挙 げ
て 言 わ せ て も ら お う 。) の よ う に ,「 哲 学 」 の 用 例 が 見 ら れ る 。 し か し , こ れ ら
は い ず れ も 個 別 の 用 語 に 過 ぎ ず , 中 国 に お け る 近 代 哲 学 の 体 系 的 な 導 入 は 20
世紀に入るのを待たねばならないようである。
初期の哲学翻訳書について,近代以降の西学関係の翻訳書を集めた 5 種の図
書 目 録 で 調 べ て み た 。 徐 維 則 ・ 顧 燮 光 編 集 『 増 補 東 西 学 書 録 』( 1902), 梁 啓 超
編『 西 学 書 目 表 』
( 1903),広 学 会 編『 広 学 会 訳 著 新 書 総 目 』
( 清 末 刊 )の 3 書 は
出 版 時 期 の 早 い ほ う で あ る が ,こ れ ら に は 哲 学 関 係 の 書 物 が 登 録 さ れ て い な い 。
上 海 製 造 局 翻 訳 館 編『 上 海 製 造 局 訳 印 図 書 目 録 』
( 民 国 初 )に も 哲 学 の 翻 訳 書 が
なかった。これは,上海(江南)製造局翻訳館の最盛期が清末頃にあり,しか
も 理 化 学 や 産 業 関 係 の 書 物 が 翻 訳 の 中 心 で あ っ た こ と と 関 連 す る と 思 わ れ る 。5
種 の 図 書 目 録 の 中 で ,顧 燮 光 撰『 訳 書 経 眼 録 』
( 1934)に だ け ,出 版 年 月 が な い
が,次の諸書が登録されている。
①『哲学要領』二巻,日本井上円了著,羅伯雅訳,広智書局排印本二冊
②『哲学原理』一巻,日本井上円了著,王学来訳,閩学会叢書
③『哲学要領』一巻,徳科培爾著,日本下田次郎述,蔡元培訳,商務印書館哲
学叢書本
蔡元培の日本語翻訳と初期の哲学用語の導入
78
(朱)
④『理学鉤元』三巻,日本中江篤介著,陳鵬訳,広智書局排印本二冊
⑤『哲学新詮』一巻,日本中島力(造)著,呉田炤訳,商務印書館本一冊
筆者の調査では,このうち,文献④と⑤の所在が未だに不明であるが,文献
① は 光 緒 二 十 八 年 ( 1902) 十 一 月 , 文 献 ② は 光 緒 二 十 九 年 ( 1903) 正 月 , 文 献
③ は 癸 卯 年 ( 1903) 九 月 に , そ れ ぞ れ 初 版 が 出 て お り , 現 在 , 中 国 ま た は 日 本
の図書館に所蔵されていることがわかった。清末頃の翻訳・出版事情と関連付
け て 考 え る と ,外 国 の 哲 学 書 が こ の 3 文 献 に 先 立 っ て 19 世 紀 末 の 中 国 で 翻 訳 さ
れていた可能性がかなり低いと思われる。そのため,この 3 文献は,中国にお
ける,最も早い近代哲学の啓蒙書として位置付けられよう。
3 文 献 の 中 で ,王 学 来 訳『 哲 学 原 理 』の 表 紙 に は ,書 名 と と も に ,
「閩学会叢
書 之 一 ,閩 県 王 学 来 訳 」と あ る 。実 藤 恵 秀( 1970:318)に よ れ ば ,閩 学 会 は 福
建省の留日学生で作ったグループで,
「 閩 学 会 叢 書 」と い う 翻 訳 書 の シ リ ー ズ を
出版していたという。また,本書の印刷所は東京の神田にある中原印刷所とな
っている点から見ても,留学生の手になる翻訳書と断定できる。ただし,本書
の巻頭に「日本・井上円了著」と書いてあるものの,井上円了には同名の著書
が見当たらない。同氏の未刊講義録に拠ったかまたは原著の抄訳である可能性
もあるが,現在のところ,翻訳の底本が不明で,訳文と比較するのが難しい。
これに対して,羅伯雅訳の原著も蔡元培訳の原著も現存しているので,原文と
訳文の比較が簡単にできる。以下,この 2 書を中心にとりあげ,中国における
初期の哲学書の翻訳について検証してみたい。
2.
羅伯雅訳『哲学要領』
本 書 は , 上 海 の 広 智 書 局 に よ っ て 1902 年 に 出 版 さ れ , 明 治 20 年 ( 1887) 刊
行の井上円了の同名著書が底本となっている。井上円了の原著は前編と後編に
分 け ら れ , 前 編 11 章 59 節 で 東 西 の 哲 学 史 を 述 べ , 後 編 12 章 63 節 で 「 純 正 哲
学内部之組織」
( 後 編 の 序 )を 論 じ て い る 。原 著 と 訳 書 の 目 次 を 照 合 し て み る と ,
「瑣克剌底→瑣格拉底,弗拉的→柏来図,斯賓撒→斯賓塞」のように,一部の
人名の訳し方をやむをえず修正したのを除き,両者が完全に一致しているのに
気付く。事実上,羅伯雅の訳文は,この目次の訳し方によってわかるように,
徹 底 し た 直 訳 で 一 貫 し て い る 。1902 年 の 時 点 で ,日 本 語 の 名 著 を 翻 訳 の 底 本 に
選び,しかも原著通りに完訳した点において,中国の近代哲学史上特筆すべき
であろう。
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
79
本 書 を 出 版 し た 広 智 書 局 の 住 所 は「 上 海 英 界 大 馬 路 同 楽 里 」と な っ て い る が ,
発 売 所 は「 駐 上 海 横 浜 新 民 叢 報 支 店 」と あ る の が 興 味 深 い 。
『 新 民 叢 報 』は 日 本
に亡命した梁啓超が編集した『清議報』から生まれ変わったもので,日本の横
浜 で 印 刷 さ れ て い た 。広 智 書 局 と『 新 民 叢 報 』の 関 係 に つ い て ,実 藤 恵 秀( 1970:
322) は ,
その印刷が日本の印刷所でおこなわれたのでないとしても,印刷機械は日
本 の も の に ち が い な い と お も う 。広 智 書 局 と 最 も 関 係 の ふ か い『 新 民 叢 報 』
には,毎号かならず東京築地活版製造所の広告がでていることも,この関
係をうらがきするといえよう。
と述べている。本書の発売が「駐上海横浜新民叢報支店」経由で行なわれたこ
とからも,広智書局と『新民叢報』の密接な関係,ひいては日本との関係が裏
付けられる。一方,訳者の羅伯雅については,直接知る手掛りがないものの,
その訳文の質の高さに着目すれば,日本語を正しく理解でき,しかも近代哲学
の知識を有する人と推測できる。日本語を正しく理解できる点に関しては,上
海在住の日本人であったとも考えられるが,しかし哲学の専門知識を有する点
や,訳者は「中国・羅伯雅」の形で明示されている点に加え,広智書局と日本
の関係を考え合わせると,訳者の羅伯雅は日本に渡った中国人留学生であった
と推測するほうが自然であろう。
本書は,出版が早いだけでなく,原文を漏れなく忠実に直訳した点も一大特
徴としてあげられる。井上円了の原文から任意の文脈を選んで,羅伯雅の訳文
と比較してみよう。
( 漢 字 と 仮 名 の 旧 字 体 を 現 行 字 体 に 改 め た 。① - ⑥ は 原 文 と
訳文の対応関係を示す。以下同様)
井上円了の原文
羅伯雅の訳文
①凡ソ人ノ論理思想ノ発達ハ物心二元ヨ
①論理思想之発達。自物心二
リ 始 マ リ ,唯 物 ニ 入 リ ,唯 心 ニ 転 メ ,復 ビ
元始。入於唯物。転於唯心。
二 元 ニ 帰 ス ル ヲ 常 ト ス 。② 然 レ ト モ 其 ノ 初
復帰於二元。若循環然。②雖
メニ生ズル所ノ二元ト後ニ起ル所ノ二元
然其初所生之二元,與後所起
ト ハ 名 同 ウ シ テ 実 異 ナ リ 。③ 初 メ ノ 二 元 ハ
之二元,名雖同而実則異。③
物 心 異 体 ノ 二 元 ナ リ 。④ 後 ノ 二 元 ハ 物 心 同
初之二元。物心異体之二元
体 ノ 二 元 ナ リ 。⑤ 故 ニ 一 ヲ 物 心 異 体 論 ト 云
也。④後之二元。物心同体之
ヒ ,一 ヲ 物 心 同 体 論 ト 云 フ 。⑥ 智 力 ノ 未 ダ
二元也。⑤故一云物心異体
発達セザルモノニアリテハ人皆物心其体
論。一云物心同体論。⑥在智
蔡元培の日本語翻訳と初期の哲学用語の導入
80
(朱)
ヲ 異 ニ ス ト 信 ズ ル モ ,其 智 高 等 ニ 進 ム ニ 及
力未発達時。人皆信物心異
ンデ次第ニ物心同体ノ理ヲ会得スルニ至
体。及其智進於高等。然後会
ルベシ。
得物心同体之理。
( 後 編 p5 の 4 行 か ら )
( 後 編 p2 の 裏 か ら )
このように,羅伯雅の訳文は,日本語の原文から仮名を除き,テニヲハの助
詞類を適当に中国語の虚字「之・於・而・則」などに置き換えてできたような
もので,忠実な直訳そのものである。しかも,この直訳は,理路整然でわかり
やすい井上円了の原文に助けられて,翻訳調の硬さがあるとはいえ,比較的読
みやすく筋の通る中国語の文語体となっている。この点においては,後述する
蔡元培の翻訳と好対照になる。
3.
蔡元培と日本語の関わり
学 者 ・ 教 育 家 で あ る 蔡 元 培 ( 1868- 1940) は , 若 い 頃 , 挙 人 か ら 進 士 へ と 科
挙 の 道 を 進 ん だ が ,日 清 戦 争 後 の 1895 年 か ら 西 学 の 書 物 を 読 み 始 め た 。と く に
康有為・梁啓超の日本に学ぶ論に影響されて日本のことに自ら興味を示し,日
本 語 を 勉 強 し て 日 本 語 の 書 物 を 読 ん だ り 翻 訳 し た り し て い た 。蔡 元 培 を は じ め ,
当時の中国人が国内でどのように日本語を勉強したかは,清末の日本書翻訳の
状況を知る上でたいへん参考になるので,興味深いことである。これについて
は,蔡元培の日記に断片的な記録が書かれている。彼の日記によると,蔡元培
は ,1898 年 に 王 書 衡 と 一 緒 に 北 京 で 東 文 書 社 を 発 足 さ せ ,6- 7 人 の グ ル ー プ で ,
陶杏南という中国人,のちに野口茂温という日本人に「日本文字」を教授して
も ら っ た 。こ れ は 蔡 元 培 の 最 初 の 日 本 語 体 験 で ,同 年 10 月 北 京 を 離 れ る ま で に
断 続 的 に 続 い た と 見 ら れ る 。こ れ に 関 す る 記 述 を 抜 き 出 す と 次 の よ う に な る 1 。
1898.8.4
8.8
聘会稽陶杏南司馬教授日本文字。
訳日本小文典序一紙。
8.10
陶杏南…将去天津,薦日本人野口茂温代課。
8.13
六点鐘,野口君来。訳『万国地誌』序。
8.15
野口君議以『論語』訳為日文,並注虚字文法,訳一章。
8.16
訳日人敗師於平壌一紙。
8.17
訳 『 万 国 憲 法 』。
8.23
刺取日本字書中虚字。
8.24
野口茂温授課,訳『韓非子』十余行為日文。
第4回
8.25
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
81
憲法為専門之学,多彼国相承語,野口君亦未能尽解也,暫輟。
この中で留意すべきは,
「 日 本 文 字 」を 教 え て も ら っ た と い う 表 現 で あ る 。
「日
本文字」とは日本語の中の漢字ではなく,日本語特有のテニヲハなどの助詞類
を 指 し て い る の で あ ろ う 。こ の ほ か ,
「 虚 字 文 法 」や「 刺 取 日 本 字 書 中 虚 字 」な
どの言い方からも,当時の日本語教授法は,発音や会話はともかく,専ら目で
日本語の文章が読めるのをめざして,テニヲハの用法や返り読みの勉強が中心
であったということがわかる。蔡元培自身も「自写年譜」という文章の中で,
日本語勉強の経験に触れ,
不肯学日語,但学得「天爾遠波」等読法,硬看日文書。
(日本語の話し方を身に付けようとせず,ただ〈テニヲハ〉の読み方を覚
え て , 日 本 語 の 書 物 を 無 理 や り に 読 み 通 し て い く 。)
と 振 り 返 っ て い る 。文 中 の「 日 語 」は 日 本 語 の 口 語 ,
「 日 文 」は 日 本 語 の 文 章 と
いう意味で理解すべきであろう。もう一つ注目するのは,テニヲハの習得と同
時に,すぐ中国の古典または日本の書物の翻訳に取り掛かり,実践しながらテ
ニヲハの用法を覚えさせた点である。清末当時の中国語はまだ昔の文語が根強
く残っていたため,日本人は漢文訓読の方法で中国語の文章を読むことができ
ていた。その方法を逆に利用すれば,中国人でも日本語の文章が理解できるは
ずだという考え方は,当時において,維新派の康有為・梁啓超をはじめ,中国
の知識人の間で流行っていたようである。蔡元培たちが学んだ「日文漢読」の
方法は,まさにこのような文章の読解だけを中心とする「速成」の日本語習得
法である。
1898 年 10 月 , 蔡 元 培 は 康 ・ 梁 に よ る 「 百 日 維 新 」 の 失 敗 に 憤 慨 し , 北 京 を
去って故郷の紹興に帰った。その年の末に地元にある中西学堂の「総理」を引
き受け,日本人の教習を招いて日本語の講義を新設させた。翌年から蔡元培の
日記には,1 年ぶりに日本語の勉強を再開し,のちに自ら教壇に立ってテニヲ
ハの講義を始めたなどのことが書かれている。
(カッコ内は日記の原文ではなく,
事 柄 の 要 約 と 補 足 を 示 す 。)
1899.8.7
( 日 本 語 の 勉 強 を 再 開 す る 。)
1899.9.5
( 日 本 語 の 授 業 に つ い て )更 定 以 先 一 小 時 授 読 書 一 課 ,限 第 二 日
黙写,以後一小時訳漢文為日文,以討文法。
9.7
(『 生 理 学 』 の 翻 訳 を 始 め る 。)
9.8
閲 日 本 石 川 千 代 所 著 『 進 化 新 論 』, 所 引 達 爾 文 説 , 甚 豁 心 目 。
蔡元培の日本語翻訳と初期の哲学用語の導入
82
11.19
(朱)
命 令 詞「 ヨ 」 字 ,吾 郷 亦 有 此 語 , 如 去「 ヨ 」来「 ヨ 」 之 属 , 即 元
曲波字也。
1900.1.8
2.26
1901.9.13
11.10
1902.3.26
7月
1903.6.15
( 日 本 語 の テ ニ ヲ ハ の 講 義 を 始 め る 。)
( 中 西 学 堂 の 総 理 を 辞 任 。)
南 洋 公 学 特 班 生 開 学 , 今 日 到 学 。( 総 教 習 と な る 。)
( 杜 亜 泉 か ら 井 上 円 了 著 『 妖 怪 学 講 義 』 の 翻 訳 が 頼 ま れ る 。)
(「 日 文 漢 読 」の 講 義 )是 日 始 課 之 ,嗣 後 於 月 ,水 ,金 日 為 常 課 。
( 夏 休 み に 訪 日 す る が , 一 ヶ 月 足 ら ず で 帰 国 。)
( 上 海 を 離 れ て 青 島 に 向 か う 。日 本 語 か ら『 哲 学 要 領 』を 翻 訳 す
る 。 ド イ ツ 語 の 勉 強 を 始 め る 。)
10 月
( 商 務 印 書 館 に よ っ て 『 哲 学 要 領 』 が 出 版 さ れ る 。)
お よ そ 1900 年 か ら , 蔡 元 培 が い よ い よ 自 ら テ ニ ヲ ハ の 講 義 を 始 め た 。 と く
に 1902 年 の 春 か ら は 南 洋 公 学 特 班 の 学 生 を 相 手 に 頻 繁 に「 日 文 漢 読 」の 講 義 を
進める時期があった。当時の様子を,蔡元培が「記三十六年以前之南洋公学特
班」という文章で,次のように回想している。
其時学生中能読英文者甚少,群思読日文書,我乃以不習日語而強読日文書
之不徹底法授之,不数日,人人能読日文,且有訳書者。
(その時,学生の中で英語のわかる人がとても少なく,みんな日本語の本
を読みたがっていた。ぼくは日本語の話し方を習わず,日本語の本を無理
やりに読み通すという中途半端の方法を教えたところ,数日の内に,みん
な 日 本 語 の 文 章 が 読 め る よ う に な り , 本 を 翻 訳 し た 者 さ え 有 っ た 。)
一 方 , 特 班 の 学 生 で あ っ た 黄 炎 培 は , 約 40 年 後 に , 蔡 元 培 の 死 を 悼 む 文 章
の中で,当時の日本語講義に触れてこう書いてある。
吾輩之悦服我師,尤在正課以外,令吾輩依志願習日本文,我師自教之。師
之言曰:…読欧文書価貴,非一般人之力所克勝。日本迻訳西書至富,而書
価賤,能読日文書,無異於能読世界新書。至日語,将来如赴日留学,就習
未晩。令我輩随習随試訳。
黄 炎 培 「 敬 悼 吾 師 蔡 孑 民 先 生 」 重 慶 『 大 公 報 』 1940.3.23
(吾が師に感服したのは,とりわけ,必修の授業以外に,吾らの希望に従
い日本語を習わせ,吾が師が自らこれを教えたことである。吾が師が言う
には,
「 … ヨ ー ロ ッ パ 語 の 本 が 高 価 な の で ,普 通 の 人 の 力 で は か な わ な い 。
日本では西洋の本を数多く翻訳され,しかも値段が安いので,日本語の本
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
83
が読めるなら,即ち世界中の新書が読めることになる。日本語の話し方に
至っては,いつか日本へ留学に行ってまた勉強しても遅くはない」と。わ
れ わ れ に 勉 強 し な が ら 翻 訳 を 試 み る よ う に さ せ て い た 。)
ここからもわかるように,蔡元培は日本語習得の目的と方法についてたいへ
ん実用的に考えていた。この南洋公学特班にいた頃は,蔡元培が読書や講義な
ど で 比 較 的 多 く 日 本 語 に 接 し た 時 期 で あ っ た 。1903 年 6 月 か ら 蔡 元 培 が ド イ ツ
語を勉強するために青島に行ったのがきっかけで,次第に日本語から離れてい
き,その後の日記を見ても,日本に関することはあまり書かなくなったのであ
る。
4.
蔡元培訳述『哲学要領』
本 書 は 癸 卯 年 ( 1903) 九 月 初 版 と あ る が , 初 版 本 の 存 否 が 不 明 で , 北 京 の 国
家図書館,上海図書館及び東京の都立中央図書館の実藤文庫に所蔵しているの
はいずれも民国以降の再版である。今度の用語調査で,筆者は実藤文庫所蔵の
民 国 7 年( 1918)の 七 版 を 用 い た 。蔡 元 培 は 1903 年 6 月 に 上 海 を 離 れ て 青 島 へ
赴き,そこで本書の翻訳にとりかかったのだが,翻訳当時の様子について本人
はこう述べている。
孑 民( 蔡 元 培 の 号 )在 青 島 不 及 三 月 ,由 日 文 訳 徳 国 科 培 爾 氏 哲 学 要 領 一 冊 ,
售稿於商務印書館。其時無参考書,又心緒不甚寧,所訳人名多詰屈,而一
時 筆 誤,竟 以 空 間 為 宙,時 間 為 宇,常 欲 於 再 版 時 修 正 之。(『 口 述 伝 略 』上 )
(僕は青島に三ヶ月足らずいたが,日本語からドイツ人コエーベルの『哲
学要領』一冊を翻訳し,商務印書館に原稿を買ってもらった。その時参考
書もなく,気持ちも不安定だったので,人名の訳し方がわかりにくい上,
筆 を 誤 っ て 「 空 間 」 を 「 宙 」 に ,「 時 間 」 を 「 宇 」 に 訳 し て し ま い , 再 版
の 時 に ぜ ひ 修 正 し た い と 常 に 願 っ て い る 。)
民国以降の再版で調べてみると,訳文には「空間」と「時間」が出ているの
で,再版では,初版の語句が一部修正されたと考えられる。
蔡元培は『哲学要領』を翻訳するに先立って,日本語の本を幅広く読んでい
た ほ か ,井 上 円 了 撰「 仏 教 活 論 」の 一 部 を 翻 訳 し て ,
「 哲 学 総 論 」と い う 題 で 杜
亜 泉 編 集 の 『 普 通 学 報 』 の 第 1 号 と 第 2 号 ( 1901- 02) に 連 載 し た こ と が あ る
2
。『 哲 学 要 領 』 は , ド イ ツ 人 の コ エ ー ベ ル ( R. G. Koeber) 氏 が 日 本 文 科 大 学
で 行 な っ た 哲 学 講 義 の 原 稿 を ,下 田 次 郎 が 日 本 語 に 訳 し ,1897 年 に 出 版 さ れ た
84
蔡元培の日本語翻訳と初期の哲学用語の導入
(朱)
ものである。日本語で書かれた哲学書がいろいろある中で,蔡元培がなぜこの
下 田 次 郎 訳 『 哲 学 要 領 』を 底 本 に 選 ん だ の か 3 。そ の 頃 , 蔡 元 培 は ド イ ツ 語 を
勉強してドイツ留学を果たしたいと計画していた。青島に赴いたのもドイツ語
勉強のためであったが,
『 哲 学 要 領 』は そ こ で 翻 訳 し た の だ か ら ,ド イ ツ 語 を 勉
強することとドイツ人の哲学の原著を選んだこととの間に,何らかの関連があ
るように思われる。
しかし,筆者には,下田訳を底本にしたのはいい選択とは思えない。なぜな
ら ,専 門 的 知 識 と ド イ ツ 語 の 素 養 に 制 約 さ れ た せ い か ,下 田 次 郎 の 日 本 語 訳 は ,
硬い翻訳調と冗漫な構文でかなり難解な文章になっているからである。蔡元培
流の「日文漢読」式の読解力が下田流の生噛りの日本語訳に遭遇すると,翻訳
の作業がかなり難航したことは容易に想像できる。原文と訳文の具体例をあげ
る と 紙 幅 が 相 当 費 や さ れ る が ,最 低 限 に 用 例 を 掲 げ て お こ う 。
( 文 中 の〔
〕は
中 国 語 訳 に な い 部 分 の 説 明 を 示 す 。)
下田次郎の日本語訳
蔡元培の中国語訳
①前講に於いて余の諸君に與えたる種種
①吾前者為諸君挙哲学之各
の 哲 学 上 の 教 を 挙 く る に 際 し ,余 は 知 識 論
部 。 自 知 識 論 始 。〔 こ こ に 原
を以て始めたり。
〔 こ こ か ら の 約 60 字 は 中
文 の 約 60 字 が 省 略 さ れ た 〕
国 語 訳 に は な い 。〕 ② 何 と な れ ば , 知 識 論
②知識論者。論理学之一部
は 論 理 学 の 一 部 と し て ,〔 こ こ か ら の 約 90
也 。〔 こ こ に 原 文 の 約 90 字 が
字 は 中 国 語 訳 に は な い 。〕 ③ 蓋 し 此 教 は あ
省略された〕③於各部中実為
らゆる哲学的となす所の及び哲学的の教
哲学之門径。故亦謂之方法
の 真 の 始 ,真 の 端 緒 な れ ば な り 。余 は 哲 学
学 。〔 こ こ に 原 文 の 約 90 字 が
的方法の学即ち方法学を意味するなり。
省略された〕④方法学者。英
〔 こ こ か ら の 約 90 字 は 中 国 語 訳 に は な
語 曰 眉 妥 特。Method 源 於 希 臘
い 。〕 ④ メ ソ ッ ド ( method) は 希 臘 の メ タ
語之眉太及霍特斯。
とホドスに由来す。
( 原 著 p32 の 1 行 か ら )
( 訳 書 p12 の 12 行 か ら )
対照しやすいように,原文と訳文の対応がよく見られる文脈を選んだ。これ
でも,原文の内容を飛ばしながら中国語訳を綴っている様子がうかがえる。極
端 の 場 合 は , 10 数 行 ま た は 数 ペ ー ジ の 原 文 が 飛 ば さ れ る と こ ろ も あ る 。『 哲 学
要領』は全 7 講で構成されているが,各講の字数の比較によって訳文と原文の
差について見てみよう 4 。
第4回
表1
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
85
『哲学要領』の原文と訳文の字数の比較
各講の主な内容
日本語の字数
中国語の字数
訳文の比率
第一講(哲学の定義)
6,820
2,772
40.6%
第二講(哲学の分類)
5,797
1456
25.1%
第三講(哲学の方法)
9,331
4,032
43.2%
第四講(哲学の系統)
10,199
4,116
40.4%
第五講(哲学の歴史)
12,028
5,600
46.6%
第六講(哲学の歴史)
16,585
7,700
46.4%
第七講(哲学の諸説)
9,114
4,116
45.2%
全書の合計
69,874
29,792
42.6%
表中の「日本語の字数」と「中国語の字数」で,原文と訳文の字数を示し,
右欄の「訳文の比率」によって,訳文の字数が原文の字数で占める割合を示し
ている。比率が高ければ,原文に対する訳出率が比較的高いことになるが,反
対に,比率が低ければ,原文に対する訳出率が低く,訳文の省略が多いという
こ と に な る 。表 1 の 合 計 欄 を 見 る と ,訳 文 の 総 字 数 は 29,792 字 で ,原 文 の 総 字
数 69,874 字 の 42.6%に 相 当 す る 結 果 に な っ て い る 。日 本 語 に 比 べ て ,中 国 語 と
くに中国語の文語体が,少ない字数でより多くの内容量が伝えられるのは事実
であるが,このような言語構造上の特徴を考慮に入れても,中国語訳の分量が
まだ日本語原文の半分にも達さないということは,やはり訳文の省略が相当多
か っ た と 言 わ な け れ ば な ら な い 。と り わ け ,第 二 講 の 訳 文 の 字 数 は 原 文 の 25.1%
に過ぎず,各講の中でも省略が最も多いと指摘できる。調べてみると,原文第
二 講 の 最 初 の 6 ペ ー ジ 余( 約 2,300 字 )は 完 全 に 翻 訳 さ れ て い な い の が わ か る 。
省略の部分について検討してみると,当該の文脈はとくに難解で,訳者の読
解力が及ばず,仕方なく省略した場合もあれば,当該の内容が必要でないと訳
者 が 判 断 し て 自 ら 省 略 し た 場 合 も あ る 。2- 3 行 省 略 さ れ た と こ ろ は 主 と し て 前
者 の 場 合 で ,10 数 行 な い し 数 ペ ー ジ も 省 略 さ れ た と こ ろ は 後 者 に 属 す る 場 合 が
多いと見られる。このように,蔡元培訳の『哲学要領』は,日本語の底本を忠
実 に 直 訳 し た も の で は な く ,訳 者 自 身 の 理 解 や 想 像 が 相 当 入 り 混 じ っ た「 編 訳 」
というべきであろう。
5.
蔡元培訳と羅伯雅訳でみる日本製用語の導入
これまでの研究では,蔡元培は近代哲学を中国に紹介した先駆者として位置
蔡元培の日本語翻訳と初期の哲学用語の導入
86
(朱)
付 け ら れ て い る よ う で あ る 5 。し か し ,以 上 見 て き た よ う に ,日 本 語 の 原 本 が
難解な上,蔡元培自身の読解力に限度があったため,蔡元培の訳文には,省略
と誤訳などが随所に見られるのが明らかになった。翻訳の質で見れば,むしろ
蔡元培訳よりも早く出版された羅伯雅訳のほうが正確に原本の内容を伝えてい
るといえる。にもかかわらず,近代哲学の導入における蔡元培の功績がとくに
注目されたのは,彼は生涯盛んに文筆活動を行い,北京大学の学長を長年勤め
る な ど ,教 育・文 化 の 分 野 で 多 く の 業 績 を 残 し た 有 名 人 で あ る た め と 思 わ れ る 。
一 方 ,蔡 元 培 訳 は ,文 脈 ま た は 文( sentence)の レ ベ ル か ら 見 れ ば ,省 略 と 誤
訳 が 多 か っ た と は い え ,単 語( word)と り わ け 哲 学 の 専 門 語 の レ ベ ル で 検 討 し
てみると,原文の用語をそのままの形で取り入れる場合がむしろ多いというこ
とも指摘する必要がある。今度の調査で,哲学用語およびこれに準ずる日中の
同 形 漢 語 を 中 心 に , 日 本 語 の 原 文 か ら は 196 語 , 中 国 語 の 訳 文 か ら は 193 語 を
抽 出 し た 。こ れ ら の 抽 出 語 に つ い て ,ま ず ,原 文 と 訳 文 で と も に 見 ら れ る か( 2
書 共 通 )ま た は 一 方 の み に 見 ら れ る か( 訳 文 の み ,原 文 の み )に よ っ て 二 分 し ,
次に,それぞれの語の出自を明らかにすべく,漢籍出典の有無を調べてみた。
その内訳は表 2 の通りである。
表2
『哲学要領』の原文と訳文の用語比較
出典あり
出典なし
『 漢 詞 』未 見
新義あり
合計
原
原文のみ
29
11
23
3
66( 33.7)
文
2 書共通
46
46
26
12
130( 66.3)
訳
2 書共通
46
46
26
12
130( 67.4)
文
訳文のみ
25
18
16
4
63( 32.6)
「出典あり」と「出典なし」とは漢籍に出典を持つ語と持たない語のことを
意味する。
「『 漢 詞 』未 見 」と は『 漢 語 大 詞 典 』
( 羅 竹 風 主 編 ,1988- 94)に 収 録
されていない語をさす。このパターンの語は,漢籍の出典を持たない点では前
項の「出典なし」の語と共通するが,さまざまの要因によって中国側の辞典に
収録されていず,日中同形の語ではない点において,また「出典なし」の語と
区別される。
「 新 義 あ り 」と は ,漢 籍 に 出 典 を 持 ち な が ら も ,訳 語 と し て 使 わ れ
たのがきっかけで新しい意味が付与された語である。表 2 からは,抽出語の中
で ,「 2 書 共 通 」の も の は 130 語 見 ら れ ,そ れ ぞ れ 原 文 の 抽 出 語 の 66.3%と ,訳
文 の 抽 出 語 の 67.4%を 占 め て い る の が わ か る 。 換 言 す れ ば , 原 文 と 訳 文 に お け
る哲学用語の重なり度合は 6 割以上に達しており,互いにずれる用語は約 3 割
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
87
余りあるということになる。つづいて,重なる用語とずれる用語の中味を詳し
く見てみよう。
5.1
「2 書共通」の語について
「2 書共通」の語とは,言い換えれば,蔡元培の訳文において原文そのまま
の 形 で 取 り 入 れ た 語 の こ と で あ る 。 こ の 130 語 の 中 に は , 原 文 に あ る 主 な 哲 学
用語はほとんど含まれている。この意味で,蔡元培の訳文は,同時期の他の文
献とともに,日本製哲学用語が中国語に移入される歴史的な歩みの中でしかる
べき役割を果たしたといえよう。
表3
出典あり
字数別で見る「2 書共通」の語
出典なし
『 漢 詞 』未 見
新義あり
意 志,意 識,異 端, 学 派,感 覚,間 接 , 教 権 , 総 念 , 影 響,科 学 ,
二字語
演 繹,規 則,空 想, 機 能,客 観,結 論 , 反 題
観 念,現 象 ,
具 体,系 統,結 果, 原 理,主 観,進 化 , ( 計 3 語 )
時 間,主 義 ,
原 因,真 理,性 質, 属 性,対 象,抽 象 ,
組 織,直 接 ,
先 天,想 像,知 覚, 定 義,特 質,内 容 ,
認 識,表 象 ,
物質,本質,矛盾
美学,美術,目的
命題,論証
な ど ( 計 46 語 )
な ど ( 計 27 語 )
( 計 12 語 )
三字語
四字語
一 元 論,演 繹 法,宿
厭 世 教,懐 疑
命 論,心 理 学,多 元
説,帰納法,
論,二元論,認識
経 験 説,原 子
論,無機物,唯神
論,合理説,
論,唯物論,唯心
思 想 家,主 観
論,有 機 物,論 理 学
性,人類学
( 計 13 語 )
等( 計 18 語 )
形而上学,三段論
懐 疑 主 義,詭
法,自 然 科 学,宗 教
弁 学 派,自 然
哲 学,神 秘 主 義,折
哲 学,純 正 哲
衷主義(計 6 語)
学(計 4 語)
表 3 の 中 で ,「 出 典 あ り 」 の 語 は , 古 典 中 国 語 元 来 の 意 味 を 踏 襲 し な が ら ,
西 洋 哲 学 の 概 念 を 表 す 訳 語 と し て の 機 能 を 担 っ て お り ,二 字 語 の 抽 出 語 88 語 の
中で約半数を占めている。このパターンの特徴として,専門語と一般語の性質
蔡元培の日本語翻訳と初期の哲学用語の導入
88
(朱)
を兼ねる用語が多く見られることがあげられる。
「出典なし」の二字語は,主として明治以後,日本人によって創出された新
しい専門語である。それまでの中国語に存在しないものなので,翻訳の際別の
語 に 置 き 換 え ら れ る 可 能 性 が 高 い は ず な の に ,原 文 と 訳 文 で 照 合 す る と ,
「絶対」
「個人」などごく少数の語を除いて,ほとんどの用語が原文そのままの形で訳
文に取り入れられた。日本製用語の導入を可能にした最大の要因は,日本製用
語のほとんどが語形と構造の両面で中国語と一致しているため,中国の知識人
にとって違和感があまりなかったことに求められるが,たとえ,少数のものに
対する違和感があったとしても,当時の社会情勢の下で,体系的に移入される
日本製の専門語に取って代わるものはなかったことも事実である。
「新義あり」の語は,漢籍に同じ語形の語が存在するのを前提に成り立つも
の で あ る が ,漢 籍 語 の 意 味 と 大 き く か け 離 れ た 場 合 ,
「 新 義 あ り 」と い う よ り も ,
日中双方の語が別々に造られ,語形が偶然に一致した「日中分立」の語として
扱 う べ き で あ ろ う 6 。 例 え ば ,「 論 証 」 と い う 語 は , 漢 籍 で は 「 証 は 症 に 通 じ
る 」と し ,
「 病 症 を 論 断 す る こ と 」の 意 な の で ,現 代 語 の「 論 理 に 基 い て 証 明 す
る 」と の 関 わ り が 薄 い と 思 わ れ る 。た だ し ,
「 日 中 分 立 」の 語 は ま れ に 見 ら れ る
ので,ここでは「新義あり」の語として記入した。
「 出 典 な し 」と「『 漢 詞 』未 見 」の 欄 に 三 字 語 と 四 字 語 が 集 中 し て い る の は ,
そ れ ま で の 中 国 語 で ,二 字 語 に「 - 論 」
「-学」
「-説」
「 - 主 義 」の よ う な 接 尾
語を結合させて三字語を造る造語法が発達しなかったためである。中国語で二
字語または一字語として使われることがあっても,複合によってできた三字語
は日本製のものといわなければならない。
5.2
「原文のみ」の語について
「原文のみ」の語では,蔡元培の訳文で意識的に改訳または排除したものが
中心になるが,原文と訳文の用語抽出は別々に行なわれたため,訳文にあった
のに抽出作業の誤差で見落とされたものも少数ながら混入している可能性もあ
る。
第4回
表4
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
89
字数別で見る「原文のみ」の語
出典あり
出典なし
『漢詞』未見
新義あり
二字語
応 用,確 定,過 失 , 概 念 , 個 体 ,
覚官,実存,
外界,推
記 憶,虚 偽,区 別 , 実 質 , 直 観 ,
定言,反論
理,動機
形 成,梗 概,誤 謬 , 範 疇 , 非 難 ,
(計 4 語)
(計 3 語)
自 然,実 行,支 配 , 模 型 , 要 素
終極,真実,説明
(計 8 語)
な ど ( 計 29 語 )
出 版 物 ,造 物 主 , 感 触 的 ,偶 然 的 ,
三字語
倫理学
合 理 的 ,科 学 者 ,
(計 3 語)
客 観 的 ,健 康 性 ,
個体論,混合説
な ど ( 計 15 語 )
四字語
最高主義,絶対
主義,道徳哲学
(計 3 語)
表 4 に よ っ て 次 の こ と が い え る 。「 出 典 あ り 」 の 語 に は , 哲 学 の 専 門 語 と い
う よ り も , 日 常 的 に 使 え る 一 般 語 が 数 多 く 見 ら れ る 。 こ の 点 で は ,「 2 書 共 通 」
にある同類語と一致している。翻訳の際,この種の語は若干見落とされても哲
学 用 語 の 移 入 に は 大 き な 影 響 が な い と 思 わ れ る 。こ れ に 対 し て ,
「 出 典 な し 」の
二 字 語 は「『 漢 詞 』未 見 」の 語 と と も に ,純 粋 な 哲 学 用 語 で あ る 。こ れ ら の 語 は ,
「2 書共通」にある「出典なし」の語と比べればわかるが,語構成の面でも意
味の面でも違和感を与えるようなものとは思えない。蔡元培の訳文で取り入れ
なかったのは,訳者が意識的に排除したというよりも,うっかりと重要な用語
を 見 落 と し た と い う べ き で あ ろ う 。た だ し ,全 体 か ら 見 れ ば ,こ の 種 の 語 は 10
数語だけにとどまっている。
「 原 文 の み 」の 三 字 語 も ,
「 2 書 共 通 」の 場 合 と 同 じ よ う に ,二 字 語 に 接 尾 語
を 付 け て で き た も の が ほ と ん ど で あ る 。 こ の う ち ,「『 漢 詞 』 未 見 」 の 語 に は 接
尾 語 「 - 的 」 が 付 い て い る 語 が 多 い が , 当 時 の 中 国 語 で は ,「( 原 文 ) 絶 対 的 科
学 → ( 訳 文 ) 太 極 之 科 学 」 や 「( 原 文 ) 合 理 的 心 理 学 → ( 訳 文 ) 合 理 之 心 理 学 」
の よ う に ,「 - 的 」 を 文 語 の 「 - 之 」 で 対 訳 す る の が 普 通 で あ っ た 。 語 尾 「 的 」
蔡元培の日本語翻訳と初期の哲学用語の導入
90
(朱)
に関しては,日本語独自の使い方にとどまっている。
5.3
「訳文のみ」の語について
前述のように,蔡元培の訳文は原文の直訳ではなく,省略したり,あるいは
自分の推測と理解を混ぜたりしていた。そのため,原文にない用語が訳文で使
われても,むしろあたりまえのことである。また,訳者が,原文のままその語
を取り入れると中国語の文脈に合わないと判断し,自らほかの語に置き換えた
場合もあると考えられる。
表5
字数別で見る「訳文のみ」の語
出典あり
出典なし
『漢詞』未見
新義あり
二字語
異 質,運 動,概 論 , 階 段 , 仮 定 , 過
各体,公理,
公式,世
基 本,形 式,材 料 , 敏 , 極 点 , 議 論 ,
物界
紀,比例,
資 格,自 覚,事 実 , 欠 点 ,裁 判 ,承 認 , ( 計 3 語 )
神経
資 性,実 践,状 態 , 前 提 ,界 説 ,学 説 ,
(計 4 語)
証明など
原質,公例など
( 計 25 語 )
( 計 16 語 )
三字語
多神教,自然界
一神教,各体
(計 2 語)
論 ,価 値 論 ,実
在論,美術界,
哲学家など
( 計 11 語 )
四字語
雅 歌 法 曲,精 神
世界(計 2 語)
表 5 で「 出 典 あ り 」の 語 を 見 れ ば ,こ れ も「 原 文 の み 」の 場 合 と 同 じ よ う に ,
哲 学 用 語 以 外 の 一 般 語 が 多 い 。こ れ ら の 語 は ,日 中 同 形 語 と は い え ,
「出典あり」
なので,日本語からの借用語ではない。興味深いのは,表 5 の「出典なし」の
語 と 「『 漢 詞 』 未 見 」 の 語 で は ,「 前 提 」「 裁 判 」「 仮 定 」 の よ う に , 日 本 製 と 思
われるものが見られることである。原文に全く使われていないなら,訳者がす
でに別のルートでこれらの語を知っているということになる。このほか,清末
頃 に 中 国 人 に よ っ て 造 ら れ た と 思 わ れ る「 界 説 」
「学説」
「各体」
「 物 界 」な ど の
語にも留意する必要がある。
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
91
三 字 語 で は ,「( 原 文 ) 個 体 論 → ( 訳 文 ) 各 体 論 」「( 原 文 ) 哲 学 者 → ( 訳 文 )
哲 学 家 」 の よ う に , 日 本 製 用 語 の 一 字 を 変 え て で き た 修 正 語 や ,「( 原 文 ) 自 然
→ ( 訳 文 ) 自 然 界 」「( 原 文 ) 美 術 → ( 訳 文 ) 美 術 界 」 の よ う に , 日 本 製 用 語 の
延長線で造った派生語が大半を占めているのが特徴的である。
注
1
日 記 の 本 文 は , 高 平 叔 ( 1998) に よ っ て 抜 き 出 し た 。 以 下 同 様 。
2
こ の こ と に つ い て は , 高 平 叔 ( 1998) p225 を 参 照 。
3
1901 年 10 月 2 日 の 日 記 に は , 蔡 元 培 は , 王 季 点 と い う 人 か ら 元 良 勇 次 郎 著 『 心
理 学 十 回 講 義 』と 桑 木 厳 翼 著『 哲 学 概 論 』を 借 り た と 書 い て あ る 。高 平 叔( 1998)
p219 を 参 照 。
4
下 田 訳 は 31 字 / 行 ×14 行 / 頁 = 434 字 / 頁 , 蔡 訳 は 28 字 / 行 ×13 行 / 頁 = 364
字/頁で,それぞれの字数を算出した。
5
熊 月 之 ( 1994) p657 を 参 照 。
6
朱 京 偉 ( 2001) を 参 照 。
参考文献
実 藤 恵 秀 ( 1970)『 増 補 ・ 中 国 人 日 本 留 学 史 』 く ろ し お 出 版
熊 月 之 ( 1994)『 西 学 東 漸 與 晩 清 社 会 』 上 海 人 民 出 版 社
高 平 叔 ( 1998)『 蔡 元 培 年 譜 長 編 ・ 第 一 巻 』 北 京 : 人 民 教 育 出 版 社
朱 京 偉( 2001)「 中 国 の 日 本 語 研 究 ― 語 彙 」至 文 堂『 国 文 学
7号
解 釈 と 鑑 賞 』第 66 巻
92
蔡元培の日本語翻訳と初期の哲学用語の導入
(朱)
第 4 回 漢字文化圏近代語研究会 93
於日本大阪 関西大学 2004.3.13-14
江戸時代における「唐話」の諸形態とその影響
関西大学・奥村佳代子
1.はじめに
唐 通 事 は 江 戸 時 代 に 長 崎 で 、通 訳 と し て 事 実 上 貿 易 を 運 営 し た 人 々 で あ る 。
唐 通 事 の 祖 は 明 末 清 初 の こ ろ 長 崎 に 渡 来 し た 中 国 人 で あ る 。唐 通 事 の 本 流 で
あ る 大 通 事 や 小 通 事 と い っ た 職 は 、彼 ら の 家 が 受 け 継 い だ 。中 国 語 は 来 日 一
代目にとっては母語であると同時に日常使用言語だったと考えられる。が、
出 国 の 自 由 の な い 鎖 国 の 民 と な っ て か ら は 、中 国 語 は 必 ず し も 母 語 で も 日 常
使用言語でもなくなり、学びの対象となったといえる。
唐 話 は 、唐 通 事 が 中 国 語 を さ し て 用 い た 呼 称 で あ り 、ま た 、唐 通 事 以 外 の
江 戸 時 代 の 日 本 人 に よ っ て も 中 国 語 を 意 味 す る 呼 称 と し て 用 い ら れ た 。す な
わ ち 、江 戸 時 代 の 日 本 で 使 用 さ れ た り 、あ る い は 学 ば れ た 中 国 語 を 、唐 話 と
いった。
2.日本における唐話研究
唐 話 は 17 世 紀 か ら 19 世 紀 の 中 国 語 資 料 と な り う る か ど う か と い う 問 題 は 、
唐 話 そ の も の に 対 す る 分 析 を も 妨 げ て き た 。唐 話 は 、第 一 に 使 用 地 が 日 本 で
あ り 使 用 者 も 日 本 人 で あ る と い う 特 殊 性 、第 二 に 鎖 国 と い う 外 部 か ら 遮 断 さ
れ た 状 況 に あ り 、時 代 に と も な う 言 葉 の 変 化 を 知 る す べ の な か っ た 閉 鎖 性 が
大 き な 障 害 と な り 、言 語 資 料( と く に 中 国 語 口 語 資 料 )と し て 扱 う 危 険 性 が
考慮され、唐話を言語資料として扱う研究はなかなか始まらなかった。
たしかに中国語口語資料として扱うには良い資料とは言えないかもしれ
な い 。し か し 、唐 話 を 知 る た め の 唐 話 資 料 と し て 扱 う の な ら ば 、上 等 の 資 料
であると言えるだろう。
3.三種類の唐話
唐 話 資 料 と は 、狭 義 に は 唐 通 事 に よ っ て 唐 話 で 書 か れ た 資 料 を さ す が 、広
江戸時代における「唐話」の諸形態とその影響
94
(奥村)
く 捉 え れ ば 、書 き 手 が 唐 通 事 で は な く と も 、唐 話 か ら な ん ら か の 影 響 を 受 け
たと見られる資料すべてを含むと考えることができるだろう。
本 論 で は 唐 話 資 料 を 広 義 で と ら え る 。江 戸 時 代 の 知 識 人 は 漢 文 で の 文 章 力
が 大 切 な 素 養 の ひ と つ で あ っ た た め 、古 典 の 知 識 に 裏 付 け ら れ た 漢 文 資 料 は
多 数 あ る 。唐 話 資 料 は 形 態 と し て は 漢 文 資 料 と 似 て お り 、判 然 と 区 別 し に く
い 場 合 が あ る か も し れ な い 。唐 話 資 料 と し て 看 做 し う る か 否 か の 第 一 段 階 の
目安として、次の点を挙げることができるのではないだろうか。
1.書き手が唐通事である。
2.書き手が唐話学習者である。
3.内容が長崎での唐人貿易に関係がある。
4.日本の講史小説や浄瑠璃の翻訳である。
ま た 、上 記 の 目 安 に 該 当 す る も の の 他 に も 、唐 話 資 料 と 看 做 し う る 資 料 が
存 在 す る 可 能 性 も あ り 、 ま だ そ の 全 貌 は 明 ら か で は な い 。( 中 村 幸 彦 に よ る
と日本語による本の序文、本文以外の書付が白話で著されているものがあ
る 。)
そ の 全 貌 は 明 ら か で は な い が 、 岡 島 冠 山 ( 1674-1728) の 『 唐 話 纂 要 』( 享
保 元 年 1716 五 巻 五 冊 、享 保 三 年 1718 六 巻 六 冊 )を 中 心 に 据 え る こ と に よ っ
て 、唐 話 資 料 の 分 類 が 可 能 と な る の で は な い だ ろ う か 。岡 島 冠 山 の『 唐 話 纂
要 』は 、唐 通 事 の 世 界 で の み 用 い ら れ て い た 唐 話 が 、広 く 唐 通 事 以 外 の 日 本
人 に も 知 ら れ る よ う に な っ た 、1 つ の 転 機 で あ っ た と 言 え る だ ろ う 。
『唐話纂
要 』 は 、 も と 唐 通 事 の 岡 島 冠 山 の 編 著 書 で あ り 、「 唐 話 」 と 題 し て 出 版 さ れ
た 初 め て の 本 で あ る 。 岡 島 冠 山 に は 他 に 『 唐 話 便 用 』『 唐 訳 便 覧 』 な ど 、 唐
話 を 記 録 し た 書 物 が あ り 、唐 通 事 の 言 葉 を 紹 介 し た 人 物 と し て 有 名 で あ っ た 。
で は 、岡 島 冠 山 は 編 著 書 で あ る『 唐 話 纂 要 』『 唐 訳 便 覧 』『 唐 話 便 用 』を 通
じ て 、長 崎 の 唐 話 そ の も の を 、日 本 の 読 者 に 伝 え た の だ ろ う か 。岡 島 冠 山 の
唐 話 の 性 質 を 、ふ た つ の 異 な っ た 面 か ら 見 て み よ う 。書 名 は『 唐 話 纂 要 』を
『 纂 要 』、
『 唐 訳 便 覧 』を『 便 覧 』、
『 唐 話 便 用 』を『 便 用 』、
『 訳 家 必 備 』を『 必
備』と記す。
①唐通事の唐話(狭義の唐話)を継承している面
①-1.貿易関連用語が含まれている。
明日清貨『纂要』
三估一估『纂要』
第 4 回 漢字文化圏近代語研究会
予稿集
95
起貨未完所以不許舩中人上崖『便覧』
①-2.唐通事のせりふとしてふさわしい語句が含まれている。
你此舩從何處開江。為甚無故到此。莫非在洋中遇着大風,漂流而來。我邦有
法 。 要 預 先 問 明 白 , 然 後 好 與 你 做 主 。 你 們 必 須 從 實 招 說 。『 便 覧 』
跐 銅 板 是 本 地 的 法 式 。『 便 覧 』
②日本人知識人向きに工夫した面
『纂要』に描かれた花見
目 下 各 處 花 開,甚 是 好 看。先 生 若 有 空 夫,須 要 同 去 看 看。決 不 可 推 事 辭
卻。我 也 聽 見 說,而 今 花 開 得 正 盛。兄 長 肯 帶 我 去 時,我 也 情 願 奉 陪。若
在那裡飛盃花間,求醒醉中,胡乱做詩耍子,卻不是一場大消遣了。
『必備』に描かれた花見
這看花比不得時常的款待,各寺廟多備好菜好酒款待唐人。唐人也是高
興,未 免 多 吃 了 兩 杯 酒。酒 興 上 要 唱 歌 要 做 詩。一 箇 說 道,樂 器 帶 出 來 了
麼。‧‧‧你們好不曉事。這幾株的花,和尚用了多少工夫做箇好排式。
一 箇 枝 頭 也 去 不 得,半 箇 葉 子 也 動 不 得。你 們 隨 手 亂 拿 是 什 麼 道 理。大 家
歇 歇 手,不 要 採 花。你 們 這 樣 沒 規 矩,叫 我 怎 麼 樣 回 覆 和 尚 好 呢。快 些 走
下來。若還不依我,我就叫人拉你下來哩。
こ こ に 挙 げ た 二 点 か ら 、岡 島 冠 山 の 資 料 は 唐 通 事 の 唐 話 を ル ー ツ と し て お
り 、さ ら に 読 者 と し て 想 定 さ れ た 日 本 人 に 合 わ せ た 工 夫 を 施 し た と 考 え ら れ
る だ ろ う 。岡 島 冠 山 の 資 料 は A と B の 境 界 線 上 の 資 料 で あ る と い え る の で は
ないだろうか。
上 述 の 点 を 踏 ま え 、江 戸 時 代 の 唐 話 の 流 れ を 図 示 す る と 次 の よ う に な る だ
ろう。それぞれの代表的な資料を付記する。
A
長崎:唐通事(中国人唐通事、日本人唐通事)を中心とする世界
『訳
家必備』
↓
岡 島 冠 山 ( も と 通 事 日 本 人 )『 唐 話 纂 要 』『 唐 訳 便 覧 』『 唐 話 便 用 』
↓
B
江戸:儒者を中心とする学問の世界
⇒
『唐音雅俗語類』
よ り 広 い 範 囲 に 拡 大 ( 滝 沢 馬 琴 、 大 田 南 畝 ら )『 海 外 奇 談 』
上 の 図 の よ う に 、唐 話 は 唐 通 事 の 世 界 か ら 、ま っ た く 異 質 な 儒 者 の 世 界
江戸時代における「唐話」の諸形態とその影響
96
(奥村)
へ と 渡 り 、さ ら に 文 人 や 戯 作 者 を 介 し て 、広 い 層 の 人 々 が 触 れ る こ と と な る 。
4.唐話資料の二形式
さ て 、唐 話 が 広 く 江 戸 時 代 の 日 本 人 に 知 ら れ る と こ ろ と な っ た 発 端 は 、上
述のように岡島冠山による『唐話纂要』などの出版によるところが大きい。
こ の 出 版 は 、日 本 人 に と っ て 、唐 話 、さ ら に は 中 国 語 の 口 語 文 を よ り 身 近 な
も の に し た で あ ろ う と 考 え ら れ る 。白 話 小 説 の『 水 滸 伝 』が 岡 島 冠 山 に よ っ
て 初 め て 訓 点 を 施 さ れ た 和 刻 本 『 忠 義 水 滸 伝 』( 初 集 五 冊 、 享 保 13 年 1728)
と し て 出 版 さ れ た こ と に よ り 、日 本 に お け る 中 国 白 話 小 説 の 翻 訳 や 翻 案 が 盛
ん に な る 。江 戸 時 代 の 読 み 本 が 中 国 白 話 小 説 の 受 容 な く し て は あ り え な か っ
た で あ ろ う こ と は 有 名 で あ る 。し か し 、唐 話 が 日 本 人 社 会 へ も た ら さ れ 、中
国 の 口 語 へ の 関 心 の 高 ま り が 引 き 起 こ し た 現 象 は 、中 国 白 話 小 説 の 翻 訳 翻 案
と い う 日 本 語 に よ る 表 現 だ け で は な か っ た 。本 来 日 本 語 で 書 か れ た も の を 唐
話 に 訳 す と い う 現 象 を も 引 き 起 こ し た の で あ っ た 。唐 話 に よ っ て 文 章 を 綴 る
と い う 行 為 は 、唐 通 事 だ け で な く 、日 本 人 に よ っ て も 試 み ら れ た 。日 本 人 は
受け身だっただけでなく、唐話を文学の表現手段としても用いた。
こ こ で 、資 料 の 種 類 と そ の 担 い 手 と い う 観 点 か ら 唐 話 資 料 を 再 度 整 理 す る
ならば、以下のようにまとめることができるだろう。
作者
唐通事
岡島冠山
日本人
資料の種類
問答形式
白話小説体
『訳家必備』
『 国 朝 紀 事 』『 忠 臣 蔵 演 義 』
『 纂 要 』『 便 覧 』『 便 用 』
『太平記演義』
(『 唐 音 雅 俗 語 類 』 の 一 部 )
『海外奇談』
5.日本人の表現手段としての唐話
前 述 の よ う に 、問 答 形 式 の 資 料 は 、岡 島 冠 山 の 資 料 を 中 間 に 置 く こ と に よ
っ て 、大 き く 3 種 類 あ る と 看 做 し た 。で は 、唐 通 事 に よ る 白 話 小 説 体 の 資 料
と日本人による資料とは、どのような相違点があるだろうか。
前頁の唐話資料の二形式をまとめた表の白話小説体の欄には4資料の名
を 挙 げ た 。『 国 朝 紀 事 』( 関 西 大 学 蔵 )は 序 文 に よ る と 、唐 通 事 が 自 ら の 学 習
の た め に 日 本 の 歴 史 書 を 唐 話 訳 し た も の で あ り 、「 寛 政 6 年 」( 1794)と 記 さ
第 4 回 漢字文化圏近代語研究会
予稿集
97
れ て い る 。『 忠 臣 蔵 演 義 』( 早 稲 田 大 学 蔵 )は 、 唐 通 事 に よ る『 仮 名 手 本 忠 臣
蔵 』 の 唐 話 訳 で あ り 、 文 化 元 年 ( 1804) ご ろ か ら 文 化 12 年 ( 1815) ま で に
書かれたと考えられる。
『太平記演義』
( 関 西 大 学 蔵 )は 岡 島 冠 山 が 日 本 の『 太
平 記 』の 巻 之 九 ま で を 唐 話 訳 し た も の で あ り 、享 保 4 年( 1719)に 出 版 さ れ
た 。『 海 外 奇 談 』は 清 人 を 騙 っ た「 鴻 濛 陳 人 」な る 人 物 が『 仮 名 手 本 忠 臣 蔵 』
の 唐 話 訳 『 忠 臣 蔵 演 義 』 に 手 を 加 え 、 文 化 12 年 に 初 版 が 出 版 さ れ た 。
日 本 人 資 料 『 太 平 記 演 義 』『 海 外 奇 談 』と 、 唐 通 事 資 料『 国 朝 紀 事 』『 忠 臣
蔵演義』とを比較してみよう。
① 『 太 平 記 演 義 』、『 海 外 奇 談 』 に 共 通 す る 、 唐 話 資 料 と の 違 い
日 本 人 資 料 の ほ う が 語 彙 の 種 類 が よ り 豊 富 で あ る 。唐 通 事 資 料 に は 用 い ら
れておらず、日本人資料でのみ用いられている人称代詞の例を次に挙げる。
・「 ワ レ 」 を 指 す 代 詞
又 有 俺 女 兒 與 不 教 俺 患 霍 亂 給 俺 和 中 散 同 反 魂 丹 。(『 海 外 奇 談 』)
若 是 哥 哥 殺 死 儂 了 。 只 怕 娘 娘 埋 怨 。(『 奇 談 』)
活 佳 兒 道 。 雖 是 有 理 的 話 這 那 里 教 你 悞 了 事 務 都 是 奴 做 過 失 。(『 奇 談 』)
「ワレラ」を指す代詞
眾稍工震恐曰我等多年走船何嘗見如斯大風波此必欲翻船耶因一齊拜伏于
船 傍 合 掌 高 叫 曰 真 人 且 請 罷 法 饒 我 每 性 命 。(『 太 平 記 演 義 』)
・語気助詞
, 至 今 不 回 來 。(『 海 外 奇 談 』
我那老人家如何
這是天與我
。(『 海 外 奇 談 』)
今 日 是 已 至 此 亦 足 無 可 奈 何 望 泰 山 作 主 則 個 。『 太 平 記 演 義 』)
・因果関係
姑爺昨天到了衹園街去議定這事,至今不曾回家,因事上母子二人蹀躞不
定 。( 海 外 奇 談 )
為此上眾家臣奉上區區禮物。
況 且 世 上 人 指 與 他 說,這 是 鹽 冶 公 的 墓 石,傳 到 末 世,與 是 故 要 挪 移 使 費 金
銀,造得壯觀。
②『海外奇談』と唐通事資料との共通点
唐 通 事 問 答 形 式 の 資 料 (『 訳 家 必 備 』 な ど ) に 見 ら れ る 「 因 為 」 の 結 果 を
導 く 用 法 が 、白 話 小 説 体 の 唐 通 事 資 料 に も 日 本 人 資 料『 海 外 奇 談 』に も 見 ら
れる。
江戸時代における「唐話」の諸形態とその影響
98
(奥村)
不 論 男 女 幼 老,忽 然 不 見,那 不 見 的 人 眾 不 知 去 向,竟 不 再 回 來。因 為 人 人
疑 是 有 人 拐 騙 去 了 。(『 国 朝 紀 事 』)
他 說 跑 馬 到 貴 府。相 公 早 已 出 來。因 為 直 來 此 間。要 求 謁 見。
(『 忠 臣 蔵 演 義 』)
留在門外的從人趕來彎着腰報說小人等在門外伺候有桃井爺的家老賀古川
本藏要拜謁見相公他說跑馬到貴府相公早已出來,因為直來此間要求謁見。
(『 海 外 奇 談 』)
『 太 平 記 演 義 』 に は 見 ら れ な い 。 た だ し 、『 唐 話 纂 要 』 な ど の 唐 話 学 習 の
た め に 用 い ら れ た 書 物 に は 結 果 を 導 く「 因 為 」が 用 い ら れ て い る 。訳 社 の 影
響 を 強 く 受 け て い る と 考 え ら れ る『 唐 音 雅 俗 語 類 』に も 見 ら れ な い 。こ の 点
についてはあらためて考えたいと思う。
6.まとめ
本 稿 で は 、唐 話 を 唐 通 事 の 中 国 語 と し て の み な ら ず 、江 戸 時 代 に お け る 表
現 形 式 の ひ と つ と し て み な す 立 場 を と っ た 。白 話 小 説 体 の 唐 話 資 料 は 担 い 手
の 違 い に 関 係 な く 書 き 残 さ れ た 。そ れ ぞ れ の 共 通 点 と 特 徴 を 分 析 す る に は さ
ら な る 調 査 が 必 要 だ が 、日 本 人 に よ る 資 料 は 同 じ 意 味 を 持 つ 語 彙 を 数 種 類 以
上 使 用 し て お り 、語 彙 が 豊 富 で 多 様 で あ る 傾 向 を 持 つ こ と が 予 測 で き る 。こ
れ は 、本 来 の 唐 話( 狭 義 の 唐 話 )を 離 れ た こ と を 意 味 し 、江 戸 時 代 の 白 話 観
を象徴しているとも考えられるだろう。
参考文献
中 村 幸 彦 1984『 中 村 幸 彦 著 述 集 』 第 七 巻
中央公論社
林 陸 朗 2000『 長 崎 唐 通 事 ― ― 大 通 事 林 道 栄 と そ の 周 辺 』 吉 川 弘 文 館
奥 村 佳 代 子 2000「 近 世 唐 話 学 の 多 様 性 ― ― 「 唐 話 」 形 成 の 1 つ の 手 が か り と し
て 」『 或 問 』
第1号
― ― 2001「 近 世 日 本 に お け る 中 国 語 受 容 の 一 端 ― ― 岡 島 冠 山 に よ っ て 紹 介 さ れ た
「 唐 話 」」
『 中 国 語 学 』 第 248 号
― ― 2002「 ケ ン 園 に お け る 中 国 語 受 容 と 俗 語 観 ― ―『 唐 音 雅 俗 語 類 』の 雅 語 と 俗
語 に つ い て 」『 中 国 文 学 会 紀 要 』 第 23 号
― ― 2002「『 忠 臣 蔵 演 義 』 と 『 海 外 奇 談 』」『 中 国 語 研 究 』 第 44 号
― ― 2003「『 太 平 記 演 義 』の 言 葉 ― ―『 太 平 記 』翻 訳 に 現 れ た 白 話 観 」
『中国文学
会 紀 要 』 第 24 号
― ― 2003「 唐 話 資 料 の 二 面 性 ― ― 内 の 唐 話 と 外 の 唐 話 」『 或 問 』 第 6 号
第 4 回 漢字文化圏近代語研究会 99
於日本大阪 関西大学 2004.3.13-14
モリソンが『華英字典』を通して西洋に紹介した科挙
京 都 大 学 ( 院 )・ 朱
鳳
1.はじめに
ロ バ ー ト ・ モ リ ソ ン ( Robert Morrison,1782-1834) の 『 華 英 字 典 』 は 、 最 初
の 華 英 ・ 英 華 字 典 と し て 世 に 知 ら れ て い る 。『 華 英 字 典 』 も 日 中 近 代 語 彙 交 流
史 の 研 究 に 、 論 文 や 著 作 に よ く 引 用 さ れ て い る 、 し か し 、『 華 英 字 典 』 そ の も
のにかんする研究は、まだあまりなされていないのが現状である。
モリソン以前のヨーロッパ人が作った中国語学習用辞典は文字や熟語の釈
義 、或 い は 短 い 用 例 に 止 ま っ て い る 。ま た モ リ ソ ン が『 華 英 字 典 』の 底 本 と し
て参照した『康煕字典』も用例に中国の古典しか引かない。
し か し 、 こ れ に 対 し て 、『 華 英 字 典 』 に は 、 中 国 の 古 典 四 書 五 経 か ら 、 明 清
小 説 ま で 、天 文 地 理 の 知 識 か ら 広 東 書 肆 の 書 物 の 値 段 ま で 、殷 周 の 王 に ま つ わ
る 伝 説 か ら 民 間 の 婚 姻 風 習 ま で 、あ り と あ ら ゆ る 中 国 文 化 の 情 報 が 含 ま れ て い
る 。中 国 文 化 を 全 方 位 的 に 伝 え よ う と す る 編 纂 者 モ リ ソ ン の 意 図 が う か が え る 。
『 華 英 字 典 』は す で に 文 字 や 言 葉 の 釈 義 を 中 心 と す る 一 般 的 な「 字 典 」の カ テ
ゴリーを超え、百科全書的な性格をもっている書物である。
本論文は、
『 華 英 字 典 』に 収 集 さ れ た 膨 大 な 中 国 文 化 情 報 か ら 、
「 科 挙 」に か
ん す る 情 報 の み を 取 り 上 げ 、『 華 英 字 典 』 の 百 科 全 書 的 な 特 徴 を 一 瞥 し た い 。
さ ら に 、『 華 英 字 典 』 以 前 に ヨ ー ロ ッ パ 人 に よ る 「 科 挙 」 の 記 述 と 比 較 す る こ
と に よ っ て 、『 華 英 字 典 』 に み え る 「 科 挙 」 に か ん す る 記 述 が 、 中 国 教 育 制 度
の 本 質 を つ い た 資 料 で あ り 、ヨ ー ロ ッ パ 人 に よ る「 科 挙 」記 述 史 に お い て 重 要
な位置をしめている、という結論に導きたい。
2 .『 華 英 字 典 』 に み え る 「 科 挙 」
周 知 の 通 り 、古 代 の 中 国 で は 文 字 の 形 、音 、義 を 説 明 し 、あ る 一 定 な 方 式 に
よ る 見 出 し 字 を 排 列 し た 書 物 は 字 書 と い う 。そ し て 字 書 を 字 典 と 読 み 始 め た の
100
モリソンが『華英字典』を通して西洋に紹介した科挙
(朱)
『 康 煕 字 典 』 よ る も の で あ る 。 し か し 、『 華 英 字 典 』 は 『 康 煕 字 典 』 同 じ よ う
な 見 出 し 字 の 排 列 を し た が 、文 字 の 説 明 は 形 、音 、義 に 止 ま ら ず 、そ の 見 出 し
字と直接、或いは間接に関連のある中国文化情報を貪欲的に取り入れている。
1908 年 に 出 版 さ れ た『 辞 源 』は 、「 近 代 も っ と も 早 く 刊 行 さ れ た 言 葉 を 中 心 と
し て 百 科 知 識 を も 含 め た 大 辞 典 で あ る 。」 i と 言 わ れ て い る が 、
『 字 源 』よ り 100
年 近 く 早 い 誕 生 し た『 華 英 字 典 』は す で に『 辞 源 』を も う わ ま わ る よ う な 大 量
な 百 科 情 報 を そ な え 、百 科 全 書 的 な 性 格 を も っ て い た 。そ の 百 科 全 書 的 な 一 面
を も っ と も よ く 示 す の は 、同 字 典 に 収 録 さ れ て い る「 科 挙 」に か ん す る 豊 富 な
情報量である。
中 国 の 科 挙 試 験 に よ る 任 官 制 度 は 、は じ め て そ れ を 知 っ た ヨ ー ロ ッ パ 人 に と
っ て は 新 鮮 で 、 驚 嘆 す る も の で あ る 。 次 節 で あ ら た め て 述 べ る よ う に 、 19 世
紀 ま で の 時 点 に お い て 、西 洋 人 に よ っ て 書 か れ た さ ま ざ ま な 科 挙 を 紹 介 す る 書
物 が み ら れ る が 、そ の 多 く は 試 験 風 景 に と ど ま る も の で あ る 。も っ と も 科 挙 試
験 の 本 質 に 近 づ き 、質 の 高 い 情 報 を 提 供 し た の は 、
『 華 英 字 典 』で あ っ た 。1300
年 も つ づ い た 科 挙 試 験 の 歴 史 の 中 、も っ と も 制 度 が 整 備 さ れ た の は 清 朝 で あ る 。
モ リ ソ ン は『 華 英 字 典 』に ま さ に 当 時 の 生 の 科 挙 情 報 を 書 き 残 し て い る 。こ の
節 で は 、『 華 英 字 典 』 に 科 挙 に か ん す る 情 報 が ど れ く ら い 含 ま れ て い る か を ま
ずとりあげたい。
科 挙 に か ん す る 情 報 は 、主 に 見 た し 字「 学 」の も と に 集 め ら れ て い る 。
「学」
の 説 明 、 釈 義 は 49 頁 も 渡 っ て い る 。 そ こ で 、 モ リ ソ ン は 当 時 の 中 国 人 の 学 問
にたいする考え方について独自の見解も述べている。
中 国 で は 、古 代 と 現 代 の 知 識 人 に 本 質 的 な ち が い が 存 在 し て い る 。孔 子 の
時 代 か ら 降 っ た 最 初 の 千 年 に 、「 儒 」 と 称 さ れ る 人 々 は 一 種 の 哲 学 者 で あ
り、国家とまったく無関係であり、かれらの目標は主に道徳学であった。
中 国 の 全 盛 期 で あ る 漢 代 で は 、そ の 階 級 の 存 在 が ま だ ほ と ん ど 知 ら れ て い
な か っ た が 、こ こ 千 二 百 年 の あ い だ に 、か れ ら は「 儒 教 」と 呼 ば れ る よ う
に な り 、か れ ら は 学 問 を 功 名 心 の た め の た だ の 道 具 に 変 え て し ま っ た 。か
れ ら は 真 の 宗 教 に 無 関 心 と 同 じ よ う に 真 の 学 問 に も 無 関 心 で あ り 、学 問 は
国 家 の 道 具 だ と 考 え て い る ii 。
そして、科挙にかんしてモリソンはつぎのようなコメントを述べている。
中国の政府にとっても知識人にとっても、科挙は人間の知を広めるため
ではない。政府のねらいは、既存の知で若い世代を教育し、低俗凡庸な
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
101
群衆から真の人材を抜擢し、これらの天才を利用して一般民衆を支配す
ることにある。本来の意味における学問の振興や科学の発明は、政府の
関 心 事 で は な い 。政 府 は 学 ぶ べ き 本 を 指 定 し 、そ れ 以 外 の 本 を 禁 止 す る 。
そしてみずからの主導によらないいかなる新しい変化をも許さないので
あ る iii 。
新 し い 知 を 求 め る の で は な く 、政 府 に よ っ て 定 め ら れ た 範 囲 の な か で 学 問 を
身 に つ け 、政 府 に と っ て 有 用 な 人 材 に な る 、あ る い は そ う い う 人 材 を 育 て る こ
と に 、科 挙 の 本 質 が あ る 、と モ リ ソ ン は 見 た 。こ の 視 点 に 立 つ『 華 英 字 典 』の
科挙記述はおもに、3 種類の情報からなっている。
科挙を目指すための勉学上のしつけ・心得。
科挙にかんする法規。
科挙に受かるための作文の技法。
こ の 三 つ の 角 度 か ら の 科 挙 記 述 は 、後 述 の よ う に 、そ れ ま で の ヨ ー ロ ッ パ 人
による記述と質的なちがいをみせ、より科挙の内面に迫っているものである。
ここでは、とりあえずこの 3 種類の情報をそれぞれのぞいてみることにする。
科 挙 の 基 盤 は 初 等 教 育 で あ る 。モ リ ソ ン は 、中 国 に は 国 立 の「 県 学 」、
「府学」
が あ る が 、そ れ ら の 学 校 は 普 段 学 生 が ほ と ん ど 出 席 し な い 、ず さ ん な 状 態 に あ
り 、科 挙 試 験 の 期 間 中 の み 一 時 的 に 機 能 し て い る に す ぎ ず 、そ の 代 わ り に 私 塾
が 初 等 教 育 を 担 っ て い る と 指 摘 す る 。従 っ て 、モ リ ソ ン が 科 挙 の 情 報 を 紹 介 す
る際、私塾での教育方法に視点を置いた。
勉 学 上 の し つ け・心 得 に つ い て 、
『 華 英 字 典 』は『 家 宝 全 集 』か ら 、
「学堂条
約 」、「 読 書 心 法 」、「 読 書 十 戒 」 を 掲 載 し て い る 。
『 家 宝 全 集 』は 全 四 集 三 十 二 巻 、揚 州 石 天 基( 1658〜 ? )撰 。親 孝 行 の 説 教
か ら 、学 問 の 勧 め や 医 学 豆 知 識 、炊 事 料 理 法 な ど ま で 含 む 、今 で い え ば 家 庭 百
科 の よ う な 書 物 で あ る 。康 煕 四 六 年( 1707)初 刊 、乾 隆 四 年( 1739)や 道 光 一
四 年 ( 1835) に 重 刻 が あ る か ら 、 広 く 利 用 さ れ て い た と 推 測 さ れ る 。
初 集 巻 二 に 収 録 さ れ て い る「 学 堂 条 約 」は 、石 天 基 が 教 師 と 生 徒 の た め に 書
い た も の で あ り 、教 師 と し て の 心 得 や 教 授 法 も 含 ま れ る が 、主 と し て 生 徒 向 け
の 勉 学 上 の し つ け や 心 得 で あ る 。試 験 そ の も の す ら な か っ た ヨ ー ロ ッ パ と ち が
っ て 、科 挙 制 度 を 発 明 し た 中 国 人 に と っ て 勉 強 と は 何 か 、勉 学 に は ど ん な し つ
け を 守 ら な け れ ば な ら な い か を 知 る の に 格 好 な 資 料 で あ る 。『 華 英 字 典 』 は 、
100 条 か ら な る「 学 堂 条 約 」の な か の 33 条 を 省 い た が 、残 り 67 条 を 全 文 訳 出
102
モリソンが『華英字典』を通して西洋に紹介した科挙
(朱)
か要約して掲載している。
「 学 堂 条 約 」 第 99 条 で は 、 子 供 に 勉 強 さ せ る こ と は こ の 世 で い ち ば ん す ば
ら し い こ と で あ る 、と し て い る 。な ぜ な ら 勉 強 し な い 子 供 は 小 さ い と き か ら 邪
悪 な 心 と 粗 野 な 性 格 を 身 に つ け 、大 き く な れ ば 犯 罪 に 走 り か ね な い 。勉 強 し た
人 間 は そ ん な ふ う に は な ら な い 。だ か ら ど ん な に 農 業 で 忙 し い 家 庭 で も 子 供 に
勉 強 さ せ な け れ ば な ら な い 。3 年 か 5 年 勉 強 す れ ば 、「 成 人 」、一 人 前 の 人 間 に
なる、と力説している。
こ こ で 見 ら れ る よ う に 、勉 強 と は 、
「 成 人 」、一 人 前 の 人 間 、あ る い は「 邪 悪
な 心 と 粗 野 の 性 格 」か ら 卒 業 し て 、ま と も な 人 間 に な る た め だ と 考 え ら れ て い
た の で あ る 。先 ほ ど モ リ ソ ン の コ メ ン ト に あ っ た よ う に 、科 挙 は 学 問 の 発 展 や
知 の 探 求 を め ざ す も の で は な か っ た 。科 挙 を 頂 点 と す る 教 育 や 官 僚 選 抜 の シ ス
テ ム を 有 す る 中 国 で は 、勉 強 の 究 極 の 目 的 は 知 の 探 求 で は な く 、
「 成 人 」、つ ま
り 人 間 と し て の 完 成 に あ っ た 。そ れ は 国 家 に と っ て 有 用 な 人 材 に な る 意 味 に お
いても、個人の自己完成の意味においても同じである。
そ の た め に 、 勉 学 の し つ け と 心 得 を 教 授 す る 「 学 堂 条 約 」 に は 、「 登 校 し た
ら ま ず 孔 聖 人 に 一 礼 、そ れ か ら 先 生 に 一 礼 す る 」を は じ め 、
「座るときは端正、
厳 か に 座 ら な け れ ば な ら ず 、股 を 開 い た り 、足 を 交 差 し た り 、あ る い は 身 体 を
斜 め に し て は い け な い 」、
「 食 事 は 細 か く 噛 ん で ゆ っ く り 飲 む よ う に 、音 を た て
て は い け な い 」な ど の よ う な 、一 見 し た と こ ろ で は 勉 学 と 直 接 か か わ り の な い
ようにみえる、人間としてのしつけを教える条項が非常に多い。
勉 学 に 直 接 か か わ る し つ け と 心 得 、た と え ば「 読 書 す る と き は 、眼・心・口
と も に 本 に 集 中 し な け れ ば な ら な い 。口 で 読 ん で い な が ら 心 で は 別 の こ と を 考
え て は い け な い 」 や 、「 本 に は っ き り わ か ら な い と こ ろ が あ れ ば 、 丁 寧 に 質 問
し な け れ ば な ら な い 。鵜 呑 み に し て は い け な い 」、
「 淫 詞・艶 曲・小 説・俚 唱 は
も っ と も 気 を 散 ら す も の で 、読 ん で は い け な い 」な ど は 、も ち ろ ん 細 か く さ ま
ざまに説かれているが、人間としてのしつけとセットで提示されている。
そ う い う 100 条 に も わ た る「 学 堂 条 約 」を 、モ リ ソ ン は 丁 寧 に 訳 出 し 掲 載 し
て い る ( 図 1 に 参 照 )。 科 挙 の 国 、 中 国 で 、 知 と は な に か 、 知 の 伝 授 が い か に
なされているかをモリソンは説明しようとしたのである。
同 じ『 家 宝 全 集 』初 集 巻 二 に お さ め ら れ て い た「 読 書 心 法 」は 、読 書 の 心 得
を 説 い た も の で あ る 。「 学 堂 条 約 」 が 人 間 と し て の し つ け も 含 め た 初 級 者 向 け
の も の な ら 、「 読 書 心 法 」 は 読 書 法 の み を 伝 授 し よ う と す る 中 級 者 向 け の も の
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
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である。そこに語られている読書法は、たとえばこのようなものがある。
「 読 書 す る に は 、ま ず 雑 念 を 除 去 し て は じ め て 透 徹 に 理 解 で き 、長 く 記 憶 に
と ど め る こ と が で き る 。た と え て い え ば 、人 が お 腹 に 藜( あ か ざ )藿( ま め の
は )や 野 菜 を い っ ぱ い 食 べ て か ら は た と え 珍 饈 美 味 が あ っ て も 喉 を 通 ら な い の
だ 。必 ず お 腹 の 中 か ら 藜 藿 や 野 菜 を い く ぶ ん 除 い て は じ め て そ の ぶ ん だ け 珍 饈
美 味 を 入 れ る こ と が で き る 。こ の 雑 念 と は 、俗 世 間 の こ と を 指 し て い る ば か り
で は な く 、 本 の 中 に も 大 事 な も の と そ う で な い も の が あ る 。」 iv
「 読 書 す る に は 、活 用 で き な け れ ば な ら な い 。活 用 と は 、理 解 力 に た け る こ
と で あ る 。甲 を 聞 け ば 乙 を 知 り 、類 推 す る こ と が で き れ ば 、一 篇 が 十 篇 、十 篇
が 百 千 篇 に も な り 、無 限 に 活 用 で き る 。わ た し は よ く 、た く さ ん の 本 を 読 ん で
い な が ら 字 面 に と ら わ れ て 活 用 を 知 ら な い ば か り で な く 、な に に 使 え る か も 知
ら な い 人 を 見 か け る 。そ れ で は か え っ て 少 な く 読 ん で 活 用 で き る 者 の ほ う が 上
で あ る 。」 v
こ の よ う な 読 書 の 心 得 は 全 部 で 27 項 目 が あ る 。
「 学 堂 条 約 」を 掲 載 す る さ い
に 、「 毎 日 在 館 ( 学 校 に い る ) 中 に 、 小 便 は 四 、 五 回 、 大 便 は 一 回 の み 許 さ れ
る 」 と い う よ う な 細 か い 規 定 を 33 条 も 省 い た の に た い し て 、「 読 書 心 法 」 は 、
わずかな文言の省略を除いて、ほぼ全文が原典掲載つきで訳出されている。
「 読 書 心 法 」 は 著 者 自 叙 に も あ る よ う に 、「 才 高 学 博 之 士 」 の た め の も の で
は な く 、こ れ か ら 志 を 立 て て 勉 学 に 励 も う と す る 人 の た め の も の で あ る 。な ぜ
志を立てて、
「 発 憤 」し て 勉 強 し な け れ ば な ら な い か に つ い て 、
「試験会場で出
された問題を呆然と眺めて解き方がわからないときの悲しさや焦燥感を想像
し て み れ ば 自 然 に 発 憤 し て 読 書 す る 」、 と 「 読 書 心 法 」 が 説 い て い る よ う に 、
この読書の手引き書も、あきらかに科挙の試験を意識しているのである。
「 読 書 心 法 」 に つ づ き 、『 家 宝 全 集 』 二 集 巻 七 に み え る 、 つ ぎ の よ う な 「 読
書 十 戒 」 も 同 じ く 見 出 し 字 「 学 」 に 収 録 さ れ た 。「 莫 分 志 、 莫 牽 事 、 莫 懈 惰 、
莫間断、莫妄想、莫枯守、莫多言、莫間出、莫高誦、莫呆坐」
この「読書十戒」は、同じ著者によるものだけに、内容的には「読書心法」
の要約に近い。
以 上 の よ う な 勉 学 上 の し つ け・心 得 に つ づ い て 、
『 華 英 字 典 』は 、
『科場条例』
をとりあげた。
『 科 場 条 例 』は 、
『 欽 定 科 場 条 例 』と も い っ て 、清 朝 朝 廷 が 10 年 ご と に 更 新
す る 、事 細 か な 規 定 も 含 め た 科 挙 試 験 に か ん す る さ ま ざ ま な 法 規 集 で あ る 。主
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モリソンが『華英字典』を通して西洋に紹介した科挙
(朱)
な項目を挙げるとつぎのようなものがある。
郷試(試験日程や受験者、定員などについて)
会試(受験手続きや受験者への旅費などについて)
考官(試験官について)
執事官員(係官について)
試題(試験問題の出題範囲、規定などについて)
試芸(いわゆる八股文について)
試巻(試験問題の書式などについて)
閲巻(採点について)
中額(合格者定員などについて)
広額(恩賜による特別合格者額などについて)
廻避(試験官の縁戚にたいする同じ会場での受験禁止条項などについて)
関防(試験会場の警備、試験会場設置にかんする規定などについて)
禁令(不正行為にかんする禁止条項について)
冒籍(出生地を偽ることにかんする禁止条項について)
坐号(座席順について)
外簾所官(答案の受け取り、封印、謄写、読み合わせなどについて)
収掌所官(答案の保管、移送などについて)
違式(諱の避け方や書写形式について)
供具(試験場内備え付け書籍や備品について)
掲暁(結果発表について)
筵宴(試験官、合格者にたいする招宴について)
闈墨(上位合格答案の刊行や落第答案の本人開示などについて)
解巻(合格者答案と合格者自筆履歴書の移送などについて)
覆試(替え玉受験防止の再試について)
磨勘(合格答案の再吟味について)
殿試(試験日程、手続きなどについて)
朝考(新しい進士にたいする任官前の試験について)
と の よ う に 、主 要 項 目 を 並 べ た だ け で も 以 上 の よ う に あ る 。む ろ ん そ れ ぞ れ
の 項 目 の 下 に さ ら に 個 々 の 細 目 が 枝 分 か れ て い く 。 そ の う え 、『 科 場 条 例 』 は
10 年 ご と に 更 新 さ れ る た め 、「 現 行 事 例 」( 現 行 法 規 )や「 例 案 」( 現 行 法 規 の
実 例 ) の み な ら ず 、「 附 載 舊 例 」( 過 去 の 実 行 例 ) や 「 附 載 駁 案 」( 過 去 の 否 決
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漢字文化圏近代語研究会
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例 )も 併 記 さ れ て い る の で 、1 6 冊( 道 光 2 年 版 )に わ た る 膨 大 な 文 書 で あ る 。
『 華 英 字 典 』は 、20 頁 の 紙 幅 を 費 や し て 、こ の 全 60 巻 の『 科 場 条 例 』の 主 要
項 目 を ほ と ん ど 漏 ら さ ず に 逐 一 要 約 し て 訳 出 し て い る の で あ る( 図 2 に 参 照 )。
そ れ ば か り で な く 、必 要 に 応 じ て「 附 載 舊 例 」の 一 部 に も 触 れ て い る 。百 科 辞
典 の 文 字 数 を 優 に う わ ま わ る 長 い 項 目 を 多 く も っ て い る『 華 英 字 典 』の な か で
も 、こ の『 科 場 条 例 』に か ん す る 記 述 は も っ と も 長 く 、膨 大 な 量 に な っ て い る 。
し か し 、モ リ ソ ン は た だ『 科 場 条 例 』を 翻 訳 し た だ け で は な い 。逐 一 訳 出 し
ているかたわら、モリソンはみずからの解釈や批判も加えている。
た と え ば 、「 禁 令 」 の な か に 、 民 間 の 印 刷 屋 に 小 さ い サ イ ズ の 教 科 書 類 の 刊
行 を 禁 止 す る 、と い う 一 条 が あ る 。そ の わ け を 、モ リ ソ ン は こ う 解 説 す る 。
「ど
の 答 案 も 独 自 で 作 成 さ れ る こ と が 期 待 さ れ て お り 、小 型 教 科 書 を 試 験 会 場 に 持
ち込む可能性が皆無だが、世間にはたしかに非常に小さいサイズの本があり、
手 書 き の も の も 買 え る 」 vi 。こ の 解 説 に よ り 、カ ン ニ ン グ に 悪 用 さ れ る こ と を
恐 れ て の 禁 令 と い う こ と が わ か る だ け で な く 、当 時 中 国 の 出 版 事 情 の 一 端 も う
かがえて、興味深い。
答 案 に 書 き 直 し や 抹 消 す る 字 数 に つ い て の 規 定 が あ り 、合 計 100 字 を 超 え れ
ば、その受験生の名前が入口に張り出されることになっている。モリソンは、
名 前 が 張 り 出 さ れ る と は 、そ の 受 験 生 が そ の 年 の 試 験 か ら 除 名 さ れ る こ と を 意
味 す る と 解 説 し た う え 、 こ う も 付 け 加 え て い る 。「 広 東 で は 通 常 、 100 人 あ る
いはそれ以上の受験生がおびただしい規定のどれかを破ったかどでこの罰則
を 受 け て い る 」vii 。こ こ に モ リ ソ ン み ず か ら の 広 東 で の 見 聞 が 披 露 さ れ て お り 、
公 式 な 文 書 に 残 ら な い 貴 重 な 記 録 で あ る 。こ の よ う な 、モ リ ソ ン が 広 東 を 中 心
として収集した生な情報が、翻訳の合間に散見される。
条文の翻訳にもっとも長い解説を加えているのは、
「 筵 宴 」条 項 に「 鹿 鳴 宴 」
と い う 言 葉 が 出 た さ い で あ る 。 モ リ ソ ン は 、「 鹿 鳴 」 の 出 典 を 示 そ う と し て 、
詩 経 の「 鹿 鳴 」1 節 8 句 を 全 部 引 い た 。欧 米 の 利 用 者 に は 行 き 届 い た 手 厚 い サ
ービスである。
先ほども触れたように、モリソンは科挙を批判的な目で見ていたのである。
『 科 場 条 例 』の 翻 訳 に も と こ ろ ど こ ろ モ リ ソ ン の 批 判 が 混 じ っ て お り 、こ こ で
二つほど例を見てみよう。
「 宗 室 人 員 」、 す な わ ち 皇 族 関 係 者 が 受 験 に か ん す る 条 項 が あ る が 、 モ リ ソ
ン は そ の 実 態 を こ う 指 摘 す る 。「 そ れ は ま っ た く の 猿 芝 居 で あ る 。 か れ ら の 問
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(朱)
題 は 他 の 人 が 代 わ り に や っ て お り 、そ の あ い だ に か れ ら は 近 く で 飲 ん だ り ど ん
ち ゃ ん 騒 ぎ を し た り し て い る 」 viii 。
答 案 の 書 式 に つ い て は 、「 列 聖 」・「 郊 」・「 廟 」 な ど の 文 字 は 普 通 の 行 頭 よ り
3 文 字 上 げ て 書 く 、「 徳 」・「 恩 膏 」 な ど は 2 文 字 上 げ て 書 く 、「 朝 廷 」・「 国 家 」
な ど は 1 文 字 上 げ て 書 く 、と い う よ う な 事 細 か な 規 定 が あ る 。ま ち が う と 失 格
に な る 。モ リ ソ ン は そ れ ら を 逐 一 サ ン プ ル を 示 し な が ら 翻 訳 紹 介 し た あ と 、思
わ ず た め 息 を つ い た 。「 あ あ 、 頭 文 字 の 書 き 方 に か ん す る 教 育 上 の ル ー ル が 、
勉 学 の 向 上 に 何 の か か わ り が あ ろ う か ! 」 ix
このように、時折みずからの解説や批判を加えながらまとめた『科場条例』
の 要 約 は 、 20頁 に も わ た り 、 そ れ だ け で も 科 挙 を 欧 米 に 紹 介 す る う え で の 貴 重
な 資 料 に な る 。 じ っ さ い に 、後 年 モ リ ソ ン は 、
『 華 英 字 典 』に 掲 載 し た こ の『 科
場 条 例 』の 要 約 を ほ ぼ そ の ま ま 、"The Literati of China"( 中 国 の 知 識 人 )と い う
題 で 、The Asiatic journal and monthly register for British India and its dependencies
( Vol.22 (1826) P.521-527) に 発 表 し た の で あ る 。
科 挙 に か ん す る『 華 英 字 典 』の 記 述 に 、も う ひ と つ 目 を 引 く も の が あ る 。科
挙 に 受 か る た め の 作 文 の 技 法 に つ い て の 情 報 で あ る 。『 科 場 条 例 』 は 、 科 挙 制
度 の 本 質 を 知 る う え で 欠 か せ な い 根 本 資 料 で あ り 、そ れ を 取 り 上 げ た モ リ ソ ン
は 、科 挙 制 度 の 骨 格 を 的 確 に 欧 米 に 紹 介 し た と い え る 。し か し 、そ れ だ け で は
な い 。モ リ ソ ン は さ ら に 、科 挙 の 作 文 の 技 法 に ま で 立 ち 入 っ て 、科 挙 に お け る
知のあり方を開示しようとした。
『 科 場 条 例 』に つ づ き 、
『 華 英 字 典 』は 、科 挙
の 作 文 技 法 を 紹 介 す る た め に 、 2 冊 の 本 、『 初 学 明 鏡 』 と 『 初 集 啓 蒙 』 を と り
あげた。
『 初 学 明 鏡 』は 、科 挙 を め ざ す「 童 生 」の た め に 書 か れ た 、作 文 技 法 を 伝 授
す る 本 と 紹 介 さ れ て い る 。こ の『 初 学 明 鏡 』は 現 在 、目 に す る こ と が 非 常 に 難
し く 、モ リ ソ ン の 蔵 書 目 録( Andrew C. West Catalogue of the Morrison Collection
of Chinese Books 馬 禮 遜 蔵 書 目 録 、 School of Oriental and African studies
University of London
1998)を 収 蔵 し て い る ロ ン ド ン 大 学 ア ジ ア・ア フ リ カ 学
院 ( SOAS) 図 書 館 以 外 に 、 ま だ 所 蔵 図 書 館 を 知 ら な い x 。
『 華 英 字 典 』が『 初 学 明 鏡 』か ら 引 い た の は 、い わ ゆ る「 八 股 文 」の 作 文 技
法 で あ る 。「 破 題 」、「 承 題 」、「 起 講 」、「 提 股 」、「 過 脉 」、「 中 股 」、「 末 股 」、「 束
股 」、 と い う 「 八 股 」 の そ れ ぞ れ の 要 領 を 要 約 し て い る 。
た と え ば 「 破 題 」 に つ い て は 、( 1) 明 破 、( 2) 暗 破 、( 3) 合 破 、( 4) 分 破 、
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
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( 5) 或 先 破 意 後 点 題 面 、( 6) 或 先 破 題 面 後 足 題 意 、( 7) 或 先 破 後 断 、( 8) 或
先 断 後 破 、と の よ う に 、
「 破 題 」の 八 つ の 技 法 を 逐 一 詳 し く 取 り 上 げ て い る( 図
3 を 参 照 )。「 八 股 」の そ れ ぞ れ に つ い て こ う い う ふ う に 紹 介 し て い る か ら 、科
挙の試験に求められる作文の技法はかなり明らかにされている。
商 衍 鎏 の 『 清 代 科 挙 考 試 述 録 』 に よ れ ば 、「 明 か ら 清 に 至 り 、 汗 牛 充 棟 ほ ど
の 文 ( 八 股 文 )、 そ の 数 は 数 え 切 れ な い 。 し か し 、 蔵 書 家 は 重 ん ぜ ず 、 目 録 学
は 言 及 せ ず 、図 書 館 は 収 蔵 し な い 。科 挙 が 停 止 さ れ 、八 股 が 廃 止 さ れ て か ら は 、
零 落 散 逸 し 、二 束 三 文 の も の に な り は て て し ま っ た 。将 来 、い ま だ 世 間 に 残 り
学者の口にのぼるような策論や詩賦のようにこれを求めようとしても得られ
な い だ ろ う 」 xi 。 じ っ さ い そ の と お り 、『 四 庫 全 書 』 に 収 め ら れ て い る 「 欽 定
四 書 文 」以 外 に 、現 在 、八 股 文 の 文 集 が ほ と ん ど 残 っ て い な い 状 態 で あ る 。八
股 文 の 文 集 す ら そ う い う 境 遇 な の で 、八 股 文 の 作 文 技 法 を 説 く『 初 学 明 鏡 』を
所 蔵 す る 図 書 館 が 見 あ た ら な い の も 当 然 か も し れ な い 。 そ の 意 味 で 、『 初 学 明
鏡』を収録した『華英字典』は、希少な資料を保存したともいえる。
『 初 学 明 鏡 』の つ ぎ に 、『 華 英 字 典 』は『 初 集 啓 蒙 』を と り あ げ た 。『 初 学 明
鏡 』 か ら 八 股 文 の 作 文 技 法 を 解 説 し た の に た い し て 、『 初 集 啓 蒙 』 か ら は 、 一
般の作文技法を紹介している。それは、
与えられた題を血脈までみえるようにしっかり把握するようにという
「 認 題 」、
文章全体の「呼吸」や勢いをあらかじめ心の中で描いて把握するように
と い う 「 布 勢 」、
古 典 の 傑 作 の 魂 を み ず か ら の 文 章 に 取 り 入 れ る よ う に と い う 「 錬 格 」、
正 鵠 を 射 る よ う に と い う 「 中 彀 」、
と い う 、作 文 に お け る「 四 則 」、四 つ の 基 本 技 法 あ る い は 、キ ー ワ ー ド で あ る 。
「 八 股 文 」の 技 法 で は な い が 、こ ち ら の ほ う も 試 験 に お け る 作 文 の 技 法 で あ る 。
科挙を頂点とする中国の教育における、入門者へのしつけからはじまって、
科 挙 に か ん す る 法 規 や 科 挙 に 受 か る た め の 作 文 の 技 法 に い た る ま で 、『 華 英 字
典 』は 、科 挙 制 度 の 全 体 像 や 科 挙 の 知 の あ り 方 を 、限 ら れ た「 字 典 」の ス ペ ー
スの中で描き出したのである。
3 .『 華 英 字 典 』 以 前 の ヨ ー ロ ッ パ 人 に よ る 科 挙 記 述
試 験 で 官 僚 を 選 抜 す る 科 挙 制 度 は 、ヨ ー ロ ッ パ の 人 に と っ て 、も っ と も 驚 く
108
モリソンが『華英字典』を通して西洋に紹介した科挙
(朱)
べ き 異 文 化 の ひ と つ で あ っ た 。 Ssu-yu Teng ( 鄧 嗣 禹 ) に よ れ ば 、 英 語 で は
examination、「 試 験 」と い う 言 葉 自 身 、1612 年 に よ う や く 登 場 し た 新 し い 語 彙
で あ り 、 ヨ ー ロ ッ パ の 大 学 で 筆 記 試 験 が 実 施 さ れ る よ う に な っ た の は 、 18 世
紀 以 降 の こ と で あ る と い う xii 。そ う い う 文 化 背 景 の ヨ ー ロ ッ パ 人 が 中 国 に や っ
て く る と 、当 然 の よ う に 、科 挙 の 試 験 に 注 目 し 、さ ま ざ ま な 旅 行 記 録 や 報 告 書
に 観 察 記 を 残 し た 。こ の 節 で は 、16 世 紀 か ら 19 世 紀 ま で の 、ヨ ー ロ ッ パ 人 に
よ る 科 挙 記 述 を 振 り 返 り 、そ の 中 に お け る『 華 英 字 典 』の 位 置 づ け を 検 討 し た
い。
も っ と も 早 い 記 述 は 、宣 教 師 と し て も っ と も 早 く 中 国 を 訪 れ た 、ポ ル ト ガ ル
人 ド ミ ニ コ 会 士 ガ ス パ ー ル ・ ダ ・ ク ル ス ( Gaspar da Cruz、 ? 〜 1570) の 『 中
国 誌 』( 1570 年 初 版 ) に み え る 。 29 章 か ら な る そ の 本 の 第 17 章 は 、 中 国 の 官
僚 選 抜 制 度 を 述 べ て お り 、科 挙 試 験 そ の も の に 触 れ て い る 部 分 は そ れ ほ ど 長 く
はない。要点は以下の通りである。
三 年 ご と に 巡 察 に や っ て く る 察 院 は 、省 の 業 務 す べ て に け り を つ け た 後 、
新しいロウティアを選抜することに従事する。その選抜方法は次のとお
りである。彼らは、省内の市および大きな村のすべてから、すでによく
勉 強 し て き た 学 生 全 員 を 省 の 主 要 都 市( 省 城 )へ 召 集 す る 。
( 中 略 )そ の
場で彼らは学生たちひとりひとりにみっちりと試験を課す。すなわち、
彼らの法律について多くのことがらを尋ねるのである。もし学生がすべ
てによく応答すれば、傍らへ退くよう命ずる。もしあまり勉強が進んで
い な い な ら 、も っ と 学 習 す る よ う 命 じ る 。
( 中 略 )試 験 が 済 む と 、察 院 は
ロウティア一同とともに立ち上がり、盛大な儀式、お祭り騒ぎ、音曲、
奏楽のうちに有能と認めた学生たちひとりひとりへ学位を授ける。これ
がすなわちロウティアの称号を与えることにほかならない。彼らはお祭
り 騒 ぎ や 宴 会 の う ち に 幾 日 も 過 ご し た 後 、 宮 廷 へ 送 ら れ る xiii 。
試 験 に よ っ て 官 僚 を 選 抜 す る 制 度 が は じ め て 紹 介 さ れ た が 、試 験 そ の も の の
詳細はまだ伝えられていない。
ク ル ス の 『 中 国 誌 』 の つ ぎ に 、 1585 年 に ゴ ン サ ー レ ス ・ デ ・ メ ン ド ー サ
( González de Mendoza、1545〜 1618)の『 シ ナ 大 王 国 誌 』が 上 梓 さ れ た 。著 者
本 人 が 中 国 を 訪 れ た こ と が な い が 、中 国 を 訪 ね て き た 宣 教 師 た ち の 報 告 を も と
に 編 纂 さ れ た こ の 本 は 、ヨ ー ロ ッ パ で 一 大 ブ ー ム を 起 こ し た ほ ど 、当 時 で は 中
国 情 報 を 得 る た め に も っ と も 読 ま れ て い た 書 物 で あ っ た 。し か し 、科 挙 に か ん
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
109
しては、この本によって提供された新しい情報はそれほど多くはない。
三 年 ご と に 試 験 を 行 う こ と や 合 格 者 に 称 号 を 授 与 す る こ と に つ い て 、『 シ ナ
大 王 国 誌 』の 記 述 は ほ ぼ『 中 国 誌 』を 踏 襲 し て い る 。新 た な 情 報 は 、下 記 の よ
うな、学位授与式についてのより詳細な記述である。
学位授与に指定された日には、ロイティアたちは全員正装して巡察使の
もとに参集する。
( 中 略 )一 同 が 参 集 し た と こ ろ へ 、学 位 を 受 け る ひ と た
ちが、外被は着用せず、きらびやかに着飾って入場する。かれらの前に
はそれぞれ介添え役が進み、本人に授与される徽章を捧持してゆく。そ
して各人がひざまずいたままでいとも恭しく、その徽章を授与してくれ
る よ う に 巡 察 使 に む か っ て 懇 願 す る 。巡 察 使 は こ の 願 い の 言 葉 を 聞 く と 、
かれらのつぎのような宣誓をおこなわせる。すなわち、今後推挙される
職 務 に 精 励 し 、万 人 に た い し て 公 正 な 裁 判 を お こ な い 、な ん ぴ と か ら も 、
またいかなる種類のものであれ、賄賂や贈与を受けないこと、国王にた
いして忠誠をつくし、いかなる謀反の企てにも同調しないこと、その他
のもろもろのことを宣誓するのであって、これにはかなりの時間がかか
る xiv 。
こ の よ う に 、こ の 学 位 授 与 の 儀 式 が 著 者 に と っ て「 す こ ぶ る 珍 し い こ と 」で
あ る た め 、丁 寧 に 描 出 さ れ て い る 。こ の あ と も 、授 与 式 が 済 む と 、市 内 の 鐘 が
鳴 り 、大 砲 が 轟 き 、新 学 位 取 得 者 が 市 内 を 練 り 歩 く 様 子 に つ い て の 細 か い 記 述
が つ づ く 。著 者 の 関 心 は 主 に 儀 式 の 珍 し さ や 華 や か さ に 向 け ら れ て い る の で あ
る。
1590 年 に 、マ カ オ に て『 遣 欧 使 節 対 話 録 』
( De missione legatorum Iaponensium
ad Romanam curiam) が ラ テ ン 語 で 出 版 さ れ た 。 そ の な か に 科 挙 に 触 れ た く だ
り が あ り 、 科 挙 の 三 つ の 「 学 位 」、 秀 才 ・ 挙 人 ・ 進 士 と 、 そ の 学 位 を 取 得 す る
た め の 試 験 を 紹 介 す る と と も に 、す べ て の 官 僚 は 科 挙 試 験 の 合 格 者 か ら 選 ば れ 、
実力さえあれば、出身の貴賤にかかわらず、高い官職にのぼることができる、
と 科 挙 制 度 を 称 賛 し て い る xv 。
『 遣 欧 使 節 対 話 録 』に 収 録 さ れ た 上 の 資 料 の 出 所 は 、マ ッ テ オ・リ ッ チ な ど
中 国 在 住 宣 教 師 の 報 告 だ が xvi 、そ れ ぞ れ 中 国 大 陸 に 27 年 と 22 年 滞 在 し た マ ッ
テ オ・リ ッ チ と ア ル ヴ ァ ー ロ・セ メ ー ド( Alvare
de
Semedo、中 国 名:曾 徳
昭 、1585〜 1658)の 科 挙 に つ い て の 記 述 は 当 然 そ れ ま で の 記 述 よ り は る か に 詳
細 で 正 確 で あ っ た 。 マ ッ テ オ ・ リ ッ チ の 『 中 国 キ リ ス ト 教 布 教 史 』( 1615 年 )
110
モリソンが『華英字典』を通して西洋に紹介した科挙
(朱)
と ア ル ヴ ァ ー ロ・ セ メ ー ド『 チ ナ 帝 国 誌 』( 1643 年 )で み る と 、二 人 の 記 述 は
と も に 、秀 才・挙 人・進 士「 学 位 」取 得 の た め の 、科 挙 試 験 の 全 過 程 を 明 ら か
に し て い る 。そ れ ぞ れ の 試 験 の 実 施 期 間 を は じ め 、試 験 会 場 、実 施 方 法 、出 題
範 囲 、合 格 の 発 表 方 法 、合 格 後 の 任 官 な ど に い た る ま で 、科 挙 試 験 の 全 容 が ヨ
ー ロ ッ パ の 読 者 に は じ め て 伝 わ っ た の は 、 二 人 の 記 述 に よ る も の で あ る xvii 。
上 記 の 二 人 の 宣 教 師 に づ つ い て 、も う 一 人 の ポ ル ト ガ ル 人 宣 教 師 ガ ブ リ ル ・
マ ー ガ ル ハ ン ス( Grabriel de Magalhaens、中 国 名:安 文 思 、1609-1677)も か れ
の 著 作『 中 国 新 志 』( 1688 年 )で 、科 挙 に 触 れ て い る 。先 輩 の 二 人 の 記 述 と や
や 違 い 、科 挙 試 験 に 合 格 し た 人 々 の そ の 後 の 任 官 に つ い て 述 べ て い る 。三 年 一
度「 挙 人 」が 北 京 に 集 ま り 、三 日 間 の テ ス ト を 受 け た 後 、も っ と も 文 章 の 優 れ
た 人 た ち が「 進 士 」に 選 ば れ る と 述 べ た 後 、か れ ら の 任 官 に つ い て 、ガ ブ リ ル
は次のように記述している。
皇帝は「進士」の中のもっとも若い、もっとも優秀な人を翰林院に送り
込む。翰林院は中国のもっとも博学で、知恵に富んだ官僚を多数そろえ
て い る 機 構 で あ る 。そ こ で 五 つ の ラ ン ク と 五 つ の 部 署 に 分 け ら れ て い る 。
(中略)かれらは太子の家庭教師をつとめ、太子に道徳、礼儀、一般科
学などの知識を教え、そして、かれの成長にあわせて、国家の運営方法
と礼儀作法も伝授する。かれらは後世に伝えるために宮廷あるいは国内
に起きた重要事件を記録する。かれらは中国の歴史も編纂する。かれら
は常に勉強し、そして様々なテーマに関して本を書く。皇帝は頻繁にか
れらとさまざまなことについて議論し、かれらの中から数人選んで自分
の 相 談 者 と し て い る 。か れ ら は 皇 帝 の 知 恵 袋 で あ る 。
( 中 略 )翰 林 院 は ロ
ーヤル・アカデミックである。かれら(進士たち)つねに国のため、皇
帝 の た め に 尽 力 す る こ と を 心 得 て い る xviii 。
科 挙 試 験 よ り 科 挙 後 の 任 官 に 重 点 を お く こ の 記 述 は 、同 時 代 の 科 挙 記 述 の 中
でややユニークである。
18 世 紀 に 入 っ て 、 ヨ ー ロ ッ パ に 伝 え ら れ た 中 国 情 報 の 集 大 成 な る 書 物 、 デ
ュ・ア ル ド の『 中 華 帝 国 全 誌 』
( Description géographique, historique, chronologique,
politique, et physique de l'Empire de la Chine et de la Tartarie chinoise) が 1735 年
に パ リ で 出 版 さ れ た 。 4 巻 か ら な る こ の 大 作 は 翌 1736 年 に は や く も ロ ン ド ン
で 英 訳 が 出 版 さ れ た ほ ど 、反 響 が 大 き か っ た 。当 然 、こ の 本 も 科 挙 に 相 当 の ス
ペ ー ス を 割 い て い る 。そ の 内 容 を 見 る と 、科 挙 の 概 要 に つ い て の 説 明 は 、ほ ぼ
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
111
マ ッ テ オ・リ ッ チ と ア ル ヴ ァ ー ロ・セ メ ー ド の 著 書 の 域 を 出 な い 。た だ 、科 挙
の「 学 位 」と ヨ ー ロ ッ パ の そ れ と の 比 較 が 目 新 し い 。そ れ に よ る と 、ち が い は
主 に ふ た つ あ る 。ひ と つ は 、ヨ ー ロ ッ パ の 学 位 は 大 学 に 限 ら れ る が 、中 国 で は
政 府 の 官 僚 の ほ と ん ど が 学 位 を も っ て お り 、ヨ ー ロ ッ パ に は 科 挙 の 学 位 に 相 当
す る も の は な い 。も う ひ と つ は 、ヨ ー ロ ッ パ の 学 位 を 取 得 す る た め に は 、専 門
の 科 学 や 哲 学 、神 学 の 知 識 が 必 要 と さ れ る が 、中 国 で は 歴 史 、法 律 の 知 識 と 弁
論 術 だ け が 求 め ら れ る 、 と い う xix 。
イ ギ リ ス 人 の 手 に よ る 記 述 は 18 世 紀 末 以 降 に な る 。1793 年 、マ カ ー ト ニ ー
( Macartney) 伯 爵 が イ ギ リ ス 政 府 の 派 遣 で 、 百 名 以 上 の 随 員 を 率 い て 中 国 を
訪 ね 、イ ギ リ ス 人 の 使 者 と し て は じ め て 中 国 の 皇 帝 に 謁 見 し た 。そ の 使 節 団 に
参 加 し た G.L.ス タ ン ト ン (G.L.Stauton)が An Authentic Account of an Embassy
from the King of Great Britain to the Emperor of China と い う 紀 行 を 残 し て い る 。
それほどの量ではないが、そこに科挙制度に触れた箇所がある。
中国の試験は昔からずっと公開に行われているという。試験監督係およ
び現場の長官や地方官僚は、いささかも私心をもつべきではないとされ
ている。
( 中 略 )こ の よ う な 試 験 は 、社 会 の す べ て の 階 層 に 開 か れ 、平 等
で あ り 、誰 も こ の 機 会 か ら 排 斥 さ れ る 人 は い な い 。
( 中 略 )こ の よ う な 制
度 は 社 会 秩 序 を 維 持 す る う え で 有 利 で あ る xx 。
これは科挙についての記述というより称賛であった。
G.L.ス タ ン ト ン の 息 子 、ジ ョ ー ジ・ト ー マ ス・ス タ ン ト ン (G.T.Staunton)も 使
節 団 に 同 行 し て 、『 中 国 雑 記 』 と い う 本 に お い て 、 そ の と き の 見 聞 を 記 し て い
る。そこでもやはり科挙のことが称賛されている。
マカートニー使節団は中国での短い滞在期間中に、知識と道徳の重視こ
そ こ の 国 が 他 の 国 々 よ り す ぐ れ て い る 理 由 だ と 十 分 理 解 で き た 。( 中 略 )
少数の例外を除いて、どの階層、どの種類の人間でも試験を受けること
ができる。かれらの学位は、知識水準のシンボルのみならず、この帝国
内では事実上、政府部門に就職し、高い地位を手に入れるための、唯一
の 正 規 ル ー ト で あ る xxi 。
4.結論
モ リ ソ ン 以 前 の 、ヨ ー ロ ッ パ 人 に よ る 科 挙 に つ い て の 代 表 的 な 記 述 は お お よ
そ 以 上 の よ う で あ る 。正 確 さ 、詳 細 さ に 差 が あ る に せ よ 、中 国 を 訪 れ た さ ま ざ
112
モリソンが『華英字典』を通して西洋に紹介した科挙
(朱)
ま な ヨ ー ロ ッ パ 人 に よ っ て 、試 験 を と お し て 官 僚 を 選 抜 す る 科 挙 制 度 の 全 容 が
ほ ぼ ヨ ー ロ ッ パ に 伝 え ら れ た 。そ し て 、こ こ で は い ち い ち 触 れ る こ と が で き な
い が 、ス タ ン ト ン 父 子 の コ メ ン ト に も み た よ う に 、ヨ ー ロ ッ パ が 科 挙 に た い し
て一様に称賛と感嘆の言葉をおくっていた。
そ れ ら に 比 べ て 、『 華 英 字 典 』 の 科 挙 に か ん す る 記 述 は 質 的 な ち が い を 見 せ
て い る 。 第 2 節 で も 検 討 し た よ う に 、『 華 英 字 典 』 は 、 科 挙 試 験 を 目 指 す 学 校
教 育 に お け る 知 の 伝 授 方 法 を は じ め 、科 挙 試 験 に か ん す る 朝 廷 の 法 規 、お よ び
試 験 で 求 め ら れ る 作 文 の 技 法 に ま で は じ め て 立 ち 入 っ て 、科 挙 に お け る 知 の あ
り方をはじめて明らかにしようとしたのである。
『 科 場 条 例 』は 、1812 年 に 、『 大 清 律 例 』の フ ラ ン ス 語 訳 が 刊 行 さ れ た さ い
に 、ジ ョ ー ジ・ト ー マ ス・ス タ ン ト ン が 若 干 の 翻 訳 を つ け た 。そ れ は モ リ ソ ン
の 『 華 英 字 典 』 よ り や や 早 か っ た xxii 。 し か し 、 ジ ョ ー ジ ・ ト ー マ ス ・ ス タ ン
ト ン の 訳 出 し た の は わ ず か な 部 分 に 限 ら れ て お り 、『 華 英 字 典 』 の よ う に 『 科
場 条 例 』を 始 め か ら 終 わ り ま で 要 約 、抄 訳 し た わ け で は な い 。Ssu-yu Tengに よ
れ ば 、『 華 英 字 典 』 に 訳 出 さ れ て い る 科 挙 制 度 に か ん す る 部 分 は 、 今 日 で も 英
語 訳 の も っ と も す ば ら し い 原 典 資 料 な の で あ る xxiii 。
特 筆 す べ き な の は 、『 華 英 字 典 』 に お け る 「 八 股 文 」 の 作 文 技 法 に つ い て の
記 述 で あ る 。科 挙 の 試 験 に し か 使 い 道 の な い「 八 股 文 」は 、科 挙 で 名 を 成 し た
大 学 者 た ち に す ら 顧 み ら れ な い も の で あ る が 、モ リ ソ ン は そ の 作 文 技 法 を 紹 介
す る こ と に よ っ て 、科 挙 と は ど ん な 知 を 求 め て い る か を 開 示 し よ う と し た 。す
で に 触 れ た が 、科 挙 に か ん す る コ メ ン ト で 、モ リ ソ ン は 自 ら の 回 答 を 出 し て い
た 。す な わ ち 科 挙 は 知 識 の 普 及 や 学 問 の 振 興 、科 学 の 発 見 な ど を 目 指 し た も の
ではないという指摘であった。
モ リ ソ ン 以 前 の ヨ ー ロ ッ パ 人 に よ る さ ま ざ ま な 記 述 に よ っ て 、科 挙 の 全 体 像
が 伝 え ら れ た と す れ ば 、モ リ ソ ン は 一 歩 進 ん で 、科 挙 の 解 剖 図 を 示 し た と い え
る 。そ し て こ の モ リ ソ ン の 解 剖 図 に よ っ て 、中 国 の 独 特 な 教 育 制 度 、選 官 制 度
について、それまでその表面的な様子しか伝えられなかったヨーロッパ人に、
よ り 本 質 的 な 情 報 が 伝 わ る よ う に な っ た と い え る 。 し た が っ て 、『 華 英 字 典 』
に み え る「 科 挙 」に か ん す る 情 報 は 、ヨ ー ロ ッ パ 科 挙 記 述 史 に お い て き わ め て
質の高いものであると考えられる。
ま た 、モ リ ソ ン 以 前 に 紹 介 さ れ た 科 挙 に か ん す る 情 報 は「 遊 記 」、或 い は「 中
国 志 」と い っ た 書 物 に 見 え る の に 対 し て 、モ リ ソ ン は は 限 ら れ た「 字 典 」の ス
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
113
ペ ー ス の 中 で 、し か も 一 見 出 し 字 の も と で 、よ り 詳 細 な 科 挙 の 全 体 像 を 描 き 出
し て い る 。一 見 出 し 字 の も と に 集 め た 情 報 は と き ど き 中 国 を 紹 介 す る 専 門 書 の
そ れ を も う わ ま わ る ほ ど 詳 細 に わ た っ て い る 。こ こ に 、我 々 は『 華 英 字 典 』の
百科全書的な特徴を垣間見ることができる。
図1
モリソン『華英字典』第一部第一巻に見える『家宝全集』
モリソンが『華英字典』を通して西洋に紹介した科挙
114
図2
(朱)
モリソン『華英字典』第一部第一巻に見える『科場条例』
第4回
図3
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
モリソン『華英字典』第一部第一巻に見える『初学明鏡』
115
モリソンが『華英字典』を通して西洋に紹介した科挙
116
(朱)
注:
i
劉 葉 秋 『 中 国 字 典 史 略 』 中 華 書 局 1983 年 233 頁
ii
‘The learned, or literali, in China, of ancient and of modern times, differ very
materially. The 儒 Joo, of the first thousand years, from the time of Confucius, were a
sort of philosophers entirely unconnected with the state, and whose object was chiefly
moral science. The Han 漢 dynasty, which is the pride of China, knew nothing of that
class of men, who, for the last twelve hundred years, have been called the Joo keaou 儒 教
who have converted learning into a mere tool of ambition, and who care as little for true
learning, as those men go for true religion, who consider it a tool of the state.’ Robert
Morrison A Dictionary of the Chinese Language Macao 1855 Part I Vol. I p758-759
iii
Ibid.1 p.759
iv
Ibid.1 p.755
v
Ibid.1 p.755
vi
Ibid.1p774
vii
Ibid.1 p.767
viii
ix
x
Ibid.1 p.760
Ibid.1 p.776
本論文執筆のため、ロンドン大学アジア・アフリカ学院図書館から『初学明鏡』
の コ ピ ー を 全 文 取 り 寄 せ た 。そ れ に よ る と 、モ リ ソ ン が 所 持 し て い た『 初 学 明 鏡 』
は 南 海 鄧 美 中 先 生 編 次 で 、 康 煕 癸 未 ( 1703 年 ) 春 自 序 、 正 祖 会 賢 堂 よ り 刊 行 さ れ
たものとかわる。
xi
xii
商衍鎏『清代科挙考試述録』
Ssu-yu Teng
生 活 ・ 読 書 ・ 新 知 三 聯 書 店 1958 年 217〜 218 頁
“Chinese Influence on the Western Examination System”Harvard
journal of Asiatic studies Vol. 7 p.271
xiii
ガ ス パ ー ル・ダ・ク ル ス『 ク ル ス「 中 国 誌 」』日 埜 博 司 訳
講談社学術文庫
2002
年 200〜 201 頁
xiv
ゴンサーレス・デ・メンドーサ『シナ大王国誌』長南実
矢沢利彦訳
岩波書
店 1965 年 199 頁
xv
同 書 の 中 国 に か ん す る 部 分 は 、”An Excellent Treatise of the Kingdom of China, and
of the Estate and Government Thereof” と 題 し て 、Richard Hakluyt に よ っ て 英 訳 さ れ 、
1599 年 に Hakluytus Posthumus に 収 録 さ れ た 。 同 文 は 、 Everyman’s Library 叢 書 の
Hakluyt’s Voyages に も 収 録 さ れ て お り 、引 用 は 後 者 に よ る 。pp.219-221。上 掲 Ssu-yu
Teng 論 文 お よ び 張 国 剛 等 著『 明 清 伝 教 士 与 欧 州 漢 学 』
( 中 国 社 会 科 学 出 版 社 )参 照 。
xvi
平 川 祐 弘『 マ ッ テ オ・リ ッ チ 伝 』1 に よ れ ば 、1585 年 11 月 24 日 に リ ッ チ が 科
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
117
挙 に つ い て 報 告 し て い る 。 平 凡 社 1969 年 101 頁 。
xvii
マッテーオ・リッチ『中国キリスト教布教史』一
36〜 48 頁
ア ル ヴ ァ ー ロ・セ メ ー ド『 チ ナ 帝 国 誌 』 『 中 国 キ リ ス ト 教 布 教 史 』二 所 収 331
〜 351 頁 。
以上両書とも、大航海時代叢書第Ⅱ期
岩 波 書 店 1982〜 83 年
な お 、マ ッ テ オ・リ ッ チ と ト リ ュ ゴ ー ル の 報 告 書 に も と づ く も の が 、”A Discourse
of China”と 題 し て 、
Hakluytus Posthumus, vol.12 に も 収 録 さ れ て お り 、 科 挙 に 触 れ た 部 分 は 、 マ ッ テ
ーオ・リッチ『中国キリスト教布教史』にほぼ同じである。
xviii
同 書 は 1688 年 に 英 語 版 と フ ラ ン ス 語 版 両 方 出 版 さ れ て い た 。 両 方 と も 1668
年のポルトガル語版の翻訳である。ここでは翻訳は英語版によるものである。
Gabriel Magaillans A new history of China London 1688 p.218-219
xix
xx
Du Halde
A Description of the Empire of China London 1738 Vol. I p.374〜 378.
G.L. Staunton
An Authentic Account of an Embassy from the King of Great Britain to
the Emperor of China London Vol.Ⅱ p.153
xxi
Ibid.1 p.286
xxii
Ibid.1 p.287
xxiii
Ibid.1 P288
118
モリソンが『華英字典』を通して西洋に紹介した科挙
(朱)
第 4 回 漢字文化圏近代語研究会 119
於日本大阪 関西大学 2004.3.13-14
近代漢語の日中貸借対照研究
――古典語とのかかわりを中心に
同済大学・舒
1
志田
はじめに
近代において、日本と中国はともに西洋文化の影響を受けて、社会・文化な
ど多くの面で変化を余儀なくさせられたのである。言葉の面でも、押し寄せて
きた新しい事物や概念に追われて、夥しい数の新語が作られ、両国それぞれの
言語体系、特に語彙体系に大きな変化をもたらしたのである。新語生成の際、
同じ漢字文化圏にある日本と中国との間で、同一の事物または概念に対して、
しばしば共通したり或いは共通しなかったりする漢字表記語を当てていること
がある。また、お互いに新造語を借用したりすることもある。そういった新造
語についての日中間の貸借対照表を作ることは有意義であると提唱したのは中
山 茂 1992「 近 代 西 洋 科 学 用 語 の 中 日 貸 借 対 照 表 」(『 科 学 史 研 究 』Ⅱ -31)で あ
る。氏は自然科学用語を中心に、イエズス会系、蘭学系、プロテスタント系な
どの訳語に分けて一つの対照表を提供してくれた。
但し、同論文の中で、訳語の初出について論じる際に、次のようなことが述
べられている。
中国人が新しい言葉をつくる場合、しばしば古典にレファーする。たとえ
ば、「植物」という言葉がすでに『周礼』に出ているといっても、それが
どれほど近代科学の概念としての「植物」に近いか、あまり詮索しても意
味がない。ただ、中国人の古典崇拝の文化的志向を表現するものとして意
味があるだけである。近代西洋科学の翻訳ということは、当然近代概念の
導入以前にはありえないので、「訳語」の意味を強調するために、以下で
は古典へさかのぼることは原則としてしない。
この意見に対して、わたしは次のように反論したい。
第一、確かに、昔の中国人が西洋からの事物や概念に接する時、その起源を
120
近代漢語の日中貸借対照研究
(舒)
自国の在来文化に求める傾向がある。例えば、西洋宣教師達がもたらした「地
球」(天円地円」)といった概念を曾子の「天円篇」などに、コペルニクスの
地動説を『尚書』にある「地遊説」に附会したりするのは、その一端を示して
いるものである。しかし、これを造語の問題と混同して批判するのは見当違い
である。新しい事物や概念に対して、在来の知識に基づいてそれを理解しよう
とするのは、むしろ極自然な成り行きと思われるし、「古典語の再生転用」が
近代翻訳漢語の生成の方法の一つとして挙げられるのも、周知のことである。
佐藤喜代治氏は次のように指摘している。
わが国では、明治の初め、西洋の科学技術が伝えられた時、それは、内側
からではなく、外から与えられたものであるから、翻訳のために新たにこ
と ば を 造 る こ と に な り 、そ れ は 日 常 の こ と ば と 違 う 、特 殊 な も の で あ っ た 。
しかし、新たにことばを造ると言っても、完全な新語を造ることも事実上
困難であって、訳語を造る素材を提供したのは、日本人が従来学んできた
漢籍、および仏典であり、そういう意味では、西洋の学術を受け入れる素
地ができていたとも言える。
(『 近 代 の 漢 語 』角 川 書 店 1979、pp.423)
近代概念の導入とされた訳語と古典にある在来語との間に、確かに隔たりが
存在しているが、それを如何にして近代概念の理解に利用できたのか、むしろ
訳語の意味の面から研究する必要が大いにあると思われる。
第二、近代翻訳漢語の造出に際して、古典崇拝志向は造語者達の間で、ある
程度共通に見られる傾向であり、特に中国人とは限らない。このあたりの事情
は 、 井 上 哲 次 郎 の 『 哲 学 字 彙 』 ( 1881) の 緒 言 に 「 先 輩 之 訳 字 中 妥 当 者 、 尽 採
而収之。其他新下之訳字者、佩文韻府淵鑑類函五車韻瑞等之外、博参考儒佛諸
書而定」とあるところから見ても十分に理解できるだろうと思われる。
ということで、本稿では古典語とのかかわりを中心に、近代翻訳漢語の日中
間の貸借関係を整理した上で、訳語成立の一面を考えてみたい。
2
漢語訳の 方法
森 岡 健 二 1969, 1991で は 、 幕 末 か ら 明 治 へ か け て の 漢 語 訳 の 方 法 と し て 、 次
の六つを挙げている。
Ⅰ)置きかえ
例 → 「 war合 戦 」 な ど
Ⅱ)再生転用
例→「絶対」「先天」など
Ⅲ)変形(省略・音読・転倒)
例→「経済」「利益」「推論」など
第4回
漢字文化圏近代語研究会
Ⅳ)借用(漢訳からの借用を指す)
論文集
121
例→「電気」「天使」など
Ⅴ)仮借
例→「煙草」「硝子」など
Ⅵ)造語
例→「風船」「弾力」など
し か し 、既 に 古 田 東 朔 氏 の 書 評(『 国 語 と 国 文 学 』47-3、pp.64~ 69)に 於 い て
指摘されたように、ここに挙げられているものは、並列的なものではなく中に
は重なり合うものもあるのではないか。「再生転用」「変形」も「造語」の一
種と考えられるのである。例えば、「先天」のような、古典語と近代語との間
では、字面が同じでも意味が違っているものは、むしろ立派な造語だと思われ
る。「経世済民」から「経済」となるのも造語によるほかはない。また、「変
形」や「置きかえ」とされているもの中にも、「再生転用」と似たようなもの
が あ る 。 従 っ て 、 森 岡 健 二 1969, 1991で 示 し た 漢 語 訳 の 方 法 は 条 理 性 を 欠 く も
のと言わざるを得ない。以下、森岡氏の分類を参考しながら、漢語訳の方法に
関する私案を提示する。
そ の 1: 置 き か え
そ の 2: 仮 借
そ の 3: 造 語 a.再 生 転 用 ( 名 詞 化 ・ 転 移 な ど )
b.組 合 せ
c.凝 縮
d.類 推
そ の 4: 借 用
但し、「借用」と前の三者とは次元が違う。貸方にとって借用されたものは、
も と も と 1~ 3の い ず れ か の 方 法 に よ っ て 生 成 さ れ た 語 で あ る 。 そ し て 、 も う 一
つ断っておくが、ここで言う「借用」は語形と語義を共に借りた場合に限る。
従って、漢籍に典拠あるものの、日本側で新しい意味を付与されたと思われる
漢字語は、「再生転用」のものと見なす。
「 置 き か え 」 「 仮 借 」 「 借 用 」 に つ い て は 、 ほ ぼ 森 岡 健 二 1969, 1991の 中 で
論述された通りである。以下、主に「造語」について、在来語とのかかわりを
考えながら考察して行きたい。
3
3-1
訳語 生成の 方法 ――古 典語とのか かわり
先行研究
122
近代漢語の日中貸借対照研究
(舒)
近世・近代に於いて、西洋文化の摂取に際して、西洋からの新しい概念に対
して中国側も日本側もむやみに造語を好まなかったのである。日本では幕末か
ら明治初期にかけて漢学尊重の風潮は一貫して続いていたし、洋学に携わった
人々の多くも漢学に深い修養を持つ人であった。造語はむしろいろいろ考えた
すえ、どうしても在来語によって説明できない場合に限られている。杉田玄白
のように、「なるたけ漢人称するところの旧名を用ひて訳しあげたく思ひしな
れども、これに名づくるものとかれに呼ぶものとは相違のもの多ければ、一定
しがたく当惑せり」人もあるが、結果的にはやはり「旧名」を多く使用したこ
とは(注:『重訂解体新書』における大槻玄沢の感懐)ある。
このような「新漢語」と在来語との関連を論考するものとしては、例えば、
浅 野 敏 彦 1998『 国 語 史 の な か の 漢 語 』( 第 三 章「 漢 語 の 相 関 と 革 新 」)が あ る 。
漢籍に同じく典拠を有する語でありながら、「交易」「運送」のような、日本
語の歴史を通して、ある程度一般に用いられてきた語は、文明開化の明治期に
入ってから古臭く感じられた故、その勢力を失い、一方、「貿易」「運輸」の
ような、それまで一般の識字層に馴染まれていなかった語は、明治期に入って
から手垢にまみれていなかった故、逆に「新しいブドウ酒を入れる革袋」とし
て「新漢語」とり、その勢力を伸ばしたという。浅野氏の考察は主に類義語と
いう観点からの歴史的な考察であり、ここで言う日中語彙交流史における漢語
訳の方法とは若干趣旨が違っているが、在来語が「新漢語」として用いられる
所 以 の 一 つ を 示 し た と 言 え る 。 森 岡 1969, 1991で も 指 摘 さ れ た よ う に 、 古 典 語
の再生転用の場合、廃語や一般の人から遠のいた特定階層の用語が多い。「多
くの人から忘れられているだけに、もとの意味やニュアンスに制約されること
なく、外国語のもつ新しい意味を積極的にになわせることができる。」1
ここで、漢籍に典拠があって近世・近代になってから新しい意味が付与され
た と 思 わ れ る 漢 語 を 集 め て み た 。表 1―「 日 中 近 代 漢 語 貸 借 関 係 表 」が そ れ で あ
る 。個 々 の 語 の 出 自 に 関 し て 、研 究 者 に よ っ て 様 々 で あ る が 、表 1に お い て 、つ
いでに整理を試みた。
3-2
表 1に 関 す る 説 明 事 項
(ア)語 例 の 選 出
本表における語彙の大部分は、『王雲五新詞典』をベースに選出したもので
あ る 。 『 王 雲 五 新 詞 典 』 ( 一 冊 ) は 、 1943年 に 出 版 さ れ た も の で ( 翌 年 再 版 、
第4回
漢字文化圏近代語研究会
論文集
123
1945年 初 版 再 刷 、 1947年 三 版 ) 、 当 時 の 新 語 の 出 典 を 詮 索 す る も の で あ る 。 本
辞 書 の 編 纂 の 趣 旨 に つ い て 、同 辞 書 の 最 初 に 掲 げ ら れ た 王 雲 五 の「 自 序 」で は 、
次のように述べている。
近来国内流行的許多新名詞,国人以為傳自日本者,其実多已見諸我国的
古 籍。日 人 的 文 化 由 我 国 東 傳,久 而 久 之,我 国 随 時 代 之 変 遷 而 不 甚 使 用 者 ,
日人却継続使用,但亦因時代之変遷与国情之殊異,表面雖仍其旧,意義却
多有変更。近数十年間又由日本回流我国,国人覚此類名詞之生疏、輒視為
日本所固有。〈中略〉
且 不 僅 日 本 名 詞 如 此,即 国 内 新 流 行 的 許 多 名 詞,在 未 嘗 多 読 古 籍 者 視 之,
非認為初期傳教士与訳書者所創用,即視為著作家或政治家之杜撰。其実溯
来 源,見 於 古 籍 者 不 在 少 数;但 正 如 日 本 名 詞 一 般,其 意 義 有 与 古 籍 相 若 者 ,
有因転変而大相懸殊者;且古今応用不同,名同而実異者亦比比皆是。
〈中略〉
本書目的在追溯新名詞之来源,各挙其所見之古籍篇名与辞句,並作簡単
釈義,其有数義者分別挙之。至現今流行之意義与古義不同者,於各該条下
附述今義,而以[今]字冠之。
表 1に お い て は 、特 に 古 今 の 間 に 意 味 が 違 う 語 を 取 り 上 げ た 。な お 、意 味 の 違
いを判断する時、『王雲五新詞典』における記述だけでなく、『漢語大詞典』
をも参考にした。『王雲五新詞典』から引き出した語は、「参考」の欄に同辞
書におけるページ数を示した。それ以外の語は、筆者の判断で新漢語と見なし
ているものである。同じく参考欄に判断の根拠を示している。
(イ)表 中 に お け る 略 名
余 又 櫂 1935、 「 日 訳 学 術 名 詞 沿 革 」 『 文 化 与 教 育 旬 刊 』 69, 70
高 名 凱 1958、 高 名 凱 ・ 劉 正 埮 『 現 代 漢 語 外 来 詞 研 究 』 ( 文 字 改 革 出 版 社 )
王 立 達 1958、 「 現 代 漢 語 中 従 日 語 借 来 的 詞 彙 」
五 四 以 来 1959、 『 五 四 以 来 漢 語 書 面 語 言 的 変 遷 和 発 展 』 ( 商 務 印 書 舘 )
譚 汝 謙 1977、「 近 代 中 日 文 化 関 係 的 鱗 爪 ― 日 語 外 来 詞 的 捜 集 和 弁 認 問 題 商 ― 」
『 香 港 留 日 学 生 会 年 報 3』
高 名 凱 1984、 高 名 凱 ・ 劉 正 埮 ・ 麦 永 乾 ・ 史 有 為 編 『 漢 語 外 来 詞 詞 典 』 ( 上 海
辞書出版社)
沈 国 威 1994、 『 近 代 中 日 語 彙 交 流 史 ― 新 漢 語 の 生 成 と 受 容 』 ( 笠 間 書 院 )
マ シ ー ニ 1997、 『 現 代 漢 語 詞 彙 的 形 成 ― 十 九 世 紀 外 来 詞 研 究 』 ( 漢 語 大 詞 典
124
近代漢語の日中貸借対照研究
(舒)
出版社)
中 山 茂 1992、 「 近 代 西 洋 科 学 用 語 の 中 日 貸 借 対 照 表 」 『 科 学 史 研 究 』 Ⅱ -31
(ウ)表 中 に お け る 記 号 の 意 味
●=日本語借用語
○=中国側の造語
高 名 凱 1958の 欄 に あ る ① 、 ② 、 ③ は 、 同 研 究 に お け る 日 本 語 借 用 語 の 分 類 で
ある。①純粋な日本語;②在来語で日本人によって意味更新された語;③日本
人が作り出した新しい訳語。
(エ)出 典 に つ い て
「出典」欄において、斜線の前は当該語の旧義での出典、斜線の後は新義で
の出典である。
3-3
再生転用
表 1の う ち 、「 食 道 」「 組 織 」な ど 、再 生 転 用 に よ る も の は 多 く あ る 。し か し 、
単に再生転用と言ってもその内容はいろいろあると思う。これを意味論から詳
しく分析する必要もあるが、本論の主な研究方向とはあまり関係ないので、こ
こ で は 深 く 立 ち 入 ら な い こ と に し て 、た だ 表 1か ら 見 た 二 、三 の 主 な 傾 向 を 指 摘
することに止まる。
まず、再生転用のうち、動詞の用法から名詞の用法に転ずるものがある。仮
に「名詞化」と呼ぶことにする。「組織」「選挙」「感覚」「感想」「感動」
「思惟」「思想」「知覚」などがそれである。例えば、
「組織」は中国語の古典に於いては、「組み立てること」、「織物で緯糸と
経糸とを組み合わせること」の意味で、それが生物学における植物の繊維組織
や動物の筋組織・神経組織などに転用されるようになったのが、和訳によるも
のである。
( 1) 一 生 自 組 織
( 2)樹 桑 林 、習 組 織
( 3)tissue
組 織( 生 = 舒 志 田 傍 注:生 物 学 )
(孟郊詩)
( 遼 史 ・食 貨 志 )
(哲学字彙)
ま た 、社 会 学 で の organizationの 訳 語 と し て 用 い ら れ る の も 日 本 が 先 で あ る 。現
代中国語では、「組織」はこれらの意味のほかに、共産党機関を特別に指す用
法がある。
( 4)向 組 織 祉 報 工 作 / 組 織 に 仕 事 の 情 況 を 報 告 す る 。
第4回
漢字文化圏近代語研究会
論文集
125
次 に 、「 転 移 」と い う も の が あ る 。例 え ば 、「 食 道 」「 軌 道 」「 線 路 」な ど 。
( 5)食 道 直 訳 2[ 烏 索 法 牛 斯 ]羅[ 斯 落 骨 達 盧 模 ]蘭
按[ 斯 落 骨 ]者 嚥 也 。
[達盧模]者腸也。蓋嚥者飲食嚥納之義。其謂之腸者。食道与腸。其状相
似也。故直訳之則嚥腸也。一有[苜
百乙不]蘭之名。是胃管之義。以其
為 胃 之 上 管 也。此 漢 所 謂 食 道 也。但 大 異 其 命 名 之 義。然 今 不 用 原 称 二 訳 名。
而直以食道訳之。亦取旧称易記也。
(重訂解体新書・巻三名義解下)
このように、再生転用の仕方は様々であるが、但し、大槻玄沢や井上哲次郎
のように、明白yにその訳語を典籍に求めたと記した以外、古典語の再生転用
であるかどうか確定するのは難しい。後述する「組合せ」「凝縮」などの方法
によって生成された訳語も、しばしば、在来語に同形のものが見かける。この
場合、一つ判断の手掛かりとして、意味的な連係がある。つまり、新義と旧義
との間に、意味的なつながりが看取されるものはすべて「再生転用」によるも
のとは限らないが、意味的なつながりがないものは、まず「再生転用」のもの
と考えられないだろう。
3-4
組合せ
組合せとは既存の語基を使って新しく語を造ることである。「経度」緯度」
などがそれである。「経度」緯度」は漢籍において、
( 6)
属西北備辺、募兵益屯及賞賜聘問之費、不可勝計。仲孫悉心 経度 、
雖病、未嘗輒廃事。
( 7)
徘徊玉輦、逍遥紫清、転輪八節、 緯度 天経。
(宋史・姚仲孫伝)
(雲笈七籤)
それぞれ、「取り計らうまたは工夫すること」と「横に渡ること」の意味であ
る 。 佐 藤 亨 1983で は 、 中 国 洋 学 書 の 一 つ で あ る 『 職 方 外 記 』 に お け る 「 経 度 」
「緯度」の用例は上記した漢籍の用例の転用によるものと認識されているが、
こ れ は 荒 川 清 秀 1997で も 指 摘 さ れ た よ う に 、 既 存 の 語 基 「 経 」 「 緯 」 「 度 」 に
よって、新に組み合せての造語として認識したほうがよいのではないかと思わ
れる。「経度」「緯度」の「経」はもともとタテイト、「緯」はヨコイトとい
う意味であったのが、後に、「所謂南北為経、東西為緯」(漢書・地理志上)
のように、大地の方向を指す意味が生じた。一方、「度」は天球や星の位置を
測るめもりとして、中国では漢以降の天文書に見られるものである。マテオ・
リ ッ チ は こ れ ら を 結 び つ け 、 地 球 に 転 用 し た の で あ る 3。
126
3-5
近代漢語の日中貸借対照研究
(舒)
凝縮
いわゆる「省略」もこの類に入るが、「経済」「神経」などがそれである。
現在で言う「経済」は幕末・明治期に成立した翻訳漢語である。『英和対訳
袖 珍 辞 書 』 初 版 ( 文 久 二 年 = 1862) に は 、
○ Economimist s.
Economy
家事スル人、経済家
家事スルコト、倹約スルコト
Political economy
経済学
とある。「経済」は、一般に「経国(世)済民(俗)」の成句から略して成立
した語と思われている。但し、漢籍には、例えば、『宋史・王安石伝』に「以
文 章 節 行 高 一 世 、以 道 徳 経 済 為 己 任 」と 見 え る よ う に 、「 経 済 」と い う 語 形 が
以前から存在している。日本側の文献にも、竹浪聡氏の指摘されたように、太
宰 春 台 の 『 和 読 要 領 』 ( 享 保 十 三 年 = 1728) に は 「 経 済 ト ハ 天 下 国 家 ヲ 治 ル ヲ
イ フ 」と の 使 用 例 が あ る 4 。つ ま り 、近 代 の 翻 訳 漢 語 と し て 成 立 し た「 経 済 」と
いう語は、在来語の再生転用とも考えられる。
3-6
類推
言語学での「類推」は「言語の形式とその意味(或いは機能)との間に均整
な関係を維持しようとする働きのこと」であるが、ここでいう類推とは既存の
語形から関連づけて新しい語を作り出すことである。例えば、
「小脳」→「大脳」
「知覚」→「触覚」「視覚」
但し、この方法により生成された語は、字面・意味ともに新しい場合が多いの
で 、 表 1の 中 に は こ の 種 の 語 は 少 な い 。
注と参考文献
1.
森 岡 1991『 改 訂 近 代 語 の 成 立 ・ 語 彙 編 』 、 pp.253。
2.
大 槻 玄 沢 が こ こ で 言 う「 直 訳 」と は 、現 在 で 言 う「 対 訳 」も 含 ま れ て い る 。
必ずしも逐字訳に等しいものではない。
3.
荒 川 清 秀 1997『 近 代 日 中 学 術 用 語 の 形 成 と 伝 播 』白 帝 社 。pp.64-66を 参 照 。
4.
竹 浪 聡 「 経 済 」 ( 『 講 座 日 本 語 の 語 彙 10・ 語 誌 Ⅱ 』 所 収 )
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近代漢語日中貸借表
語例
余
1935
高
1958
王
1958
五四
1959
日中間の貸借関係
譚
高劉
沈
1977
1984
1994
マ
1997
中山
1992
舒
愛情
愛人
●
握手
悪魔
慰安
○
○
●
委員
意訳
○
医科
回帰
○
意訳
○
○
回帰
●
●③
医学
意義
異教
●
●
●
意見
違憲
意志
意識
意匠
意象
異端
●
●③
●③
●
●
●
●
●
●
●
●
●
●
○
出典
参考
醒世恒言
漢語大
4336
論語/英和対訳袖珍辞書
1862
史記/
法苑珠林/
漢書/
/ 艾 儒 略 1623、 傅 雲 龍
1889
旧 唐 書 / 李 之 藻 ・ 1631
神 仙 伝 / 医 学 原 始 1688
韓愈/
旧 唐 書 / 黄 遵 憲・日 本 国 詞
1890
後漢書/
朱子語類
北斉書/
杜甫/
文心彫龍
論語
王 55
王 187
王 33
王 212
漢語大
2285
王 222
王 10
王 197
王 10
王 121
王 10
王 10
王 10
王 10
漢語大
4640
位置
遺伝
緯度
●
●
●
異物
遺物
意味
依頼
因果
印紙
印象
宇宙
右翼
運行
運動
運輸
運用
影響
●②
●
●
●
●③
●②
●
●
●
○
●
●
●
●
影像
●③
●
●
原語
借詞
意訳
●
●
○
○
●
○
○
●
回帰
衛生
○
●
●
○
演習
●
●
演出
●
●
宣和画譜/
史記
史記
●
営業
営養
演繹
●
○
原語
●
宋史/
杜牧
曾鞏謁舜廟文/
北史/
旧唐書
大 集 経 / 医 学 原 始 1688
淮南子/
易・繋辞/
董仲舒/王徴・奇器図説
史記/
宋史・岳飛伝
書経/
金史/黄遵憲・日本国志
1890
荘子/傅雲龍・遊歴日本
1889
大唐西域記/王韜
1879Photograph
朱憙中庸章句/
西 遊 記 / ロ プ シ ャ イ ト『 華
英字典』
唐・黄滔・誤筆牛賦/王
王 54
王 124
漢語大
漢語大
4637
王 124
王 10
王 55
王 196
王 223
王 223
王 108
漢語大
王 130
王 130
王 130
王 130
王 199
王 254
王 61
漢語大
1923
漢語大
王 117
漢語大
3426
漢語大
韜 ・ 扶 桑 遊 記 1879
書経/
東観漢記
朱子全書/
宋史/
三国志/
3425
王 117
王 242
王8
王8
王 14
漢 書 / Hothouse
王 125
顧凱之定命論/
史記/
列女伝/
晋書/
王
王
王
王
○
史 記 / Bridgman1838
王 236
●
後漢書/
史記/
宋史/何如璋・使東述略
1877
孟子/傅雲龍・遊歴日本
1889
魏志/
書経/
王 208
王 221
借詞
演説
鉛筆
応接
応用
音楽
●②
●②
●
●
●
○
○
●
●
温室
原語
借詞
●
●
開化
海外
海関
外観
本族
詞
会議
階級
開業
●②
●
●
本族
新詞
海軍
会計
●②
●
○
回帰
戒厳
解散
●
会社
解除
改選
改造
解体
開発
●②
原語
借詞
●
●
●
●
●
221
133
134
72
王 134
王 236
王 182
王 93
漢語大
論衡/
晋書/
詩経/
後漢書/
漢書
王
王
王
王
王
93
52
52
93
221
解放
●③
●
解剖
開幕
傀儡
会話
科学
☆
家具
覚悟
学士
学費
学府
革命
●
●
●
●③
●
●②
●
●
●
●
●
回帰
回帰
原語
借詞
●
●
朱子語類/
霊 枢 経 / 傅 雲 龍・遊 歴 日 本
1889
徐伯彦賦/
列子・湯問/
宋・陳亮/
王 93
漢語大
王 221
王 86
漢語大
漢語大
4749
王 107
王 215
王 220
王 221
●
●②
●
火車
☆
火星
原語
借詞
本族
新詞
易 経 / 康 有 為・明 治 変 政 考
1898
王 154
唐 書 / Bridgman1838
王 249
王 249
●
化石
●
学校
活動
課程
過程
過渡
科目
火曜
感覚
●
本族
新詞
回帰
●
●②
●
●
●
●
●
●
回帰
鄭 元 祐 / 張 徳 彝 1866
孟子/艾儒略・職方外記
1623
図画宝鑑
詩 経 / 東 行 日 記 1876
王 75
王 115
王 129
蘇軾
王 80
王 249
●
●
環境
関係
観光
観察
●
感情
関節
感想
潅腸
間諜
感動
官能
幹部
気管
気球
議決
騎士
記事
気質
高名凱
原語
借詞
●
/ 黄 遵 憲 ・ 日 本 国 志 1890
王
王
王
王
182
225
182
118
韓愈
荘子
王
王
王
王
68
90
147
147
易林
王 147
●
●
孔子家語
本族
詞
●
管理
機関
元史
●
王 161
王 161
幹事
記憶
幾何
帰化
機会
機械
●
●
●
/ Bridgman1838
●
意訳
●
●
●
○
回帰
●
●
●
●
原語
借詞
/ 徐 光 啓 ・ 幾 何 原 本 1607
●
●
●
●
漢書
漢書
●
宋書
王 239
高名凱
王雲五
本族
新詞
記者
/ モ リ ソ ン・察 世 俗 毎 月 統
紀 伝 1815
王 183
王 110
王 102
技術
寄生
犠牲
規則
軌道
☆
規範
気分
規模
希望
義務
客車
★
牛乳
教育
教官
教訓
凝結
教授
●
●
●
回帰
李 群 玉 / 黄 遵 憲・日 本 国 志
1890
王 183
●
●
孔安国
孔子家語
●
韓愈
論語/
●
回帰
●
●
●
●
原語
借詞
原語
借詞
孟 子 / 日 本 記 遊 1880
●
●
●
原語
借詞
王
王
王
王
王
81
166
166
166
127
史 記 / 日 本 記 遊 1880
王 167
孟子/黄遵憲・日本国志
1890
漢語大
1824
王 167
史 記 / 黄 遵 憲 1890
王 157
教父
虚無
王 186
王 141
王 110
行政
共和
高名凱
王 61
記録
緊急
金庫
●
●
原語
借詞
●
銀行
近世
近代
緊張
勤務
金曜
空間
後漢書
●
●
●
●
謝霊運
軍事
君主
軍籍
軍団
軍閥
訓練
経営
計画
景気
経験
王 151
王 230
管子・軽重甲
本族
新詞
空気
偶然
空想
空中
具体
軍国
金瓶梅/
王 226
王 230
漢語大
7048
王 115
●
●
列子
摩訶止観
●
●
●
●
●
孟子
原語
借詞
●
●
王 104
王 225
王 132
史 記 / 梁 啓 超 1896
王 50
●
韓愈
王 132
王 132
王雲五
王 65
●
●
●
●
●
●
経済
●
●
警察
●
●
●
●
原語
借詞
回帰
宋 史 / 梁 啓 超・飲 氷 室 文 集
1896
金史/傅雲龍・遊歴日本
1889
計算
刑事
形式
形而
上
芸術
形象
経度
経費
刑法
経理
経歴
血液
結果
結構
結束
決闘
月曜
研究
現在
検察
原始
現象
元帥
王 65
王雲五
王 44
王立達
●
●
●
原語
借詞
後 漢 書 / 黄 遵 憲 1890
王 157
王 44
●
●
●
●
回帰
史記
左 伝 / Bridgman1838
仏
仏
●
●
●
●
●
仏・宝行経
左伝
王 65
王 42
王 64
王 65
舒志田
王 80
王 80
王 80
王 122
王 216
王 40
王 47
王 168
王 208
王 47
建築
●
●
清・陳康琪/
建設
限度
検討
●
憲法
原本
権利
原理
故意
交易
●
●
意訳
●
●
●
公園
●
公会
航海
交換
公館
抗議
講義
貢献
高原
考古
口語
交際
工作
考察
原語
借詞
●
本族
詞
原語
借詞
意訳
国 語 / 梁 啓 超・飲 氷 室 文 集
1896
史 記 / 万 国 公 法 1864
玄理・張喬詩
杜甫
易/艾儒略・職方外記
1623
北史/王韜・扶桑遊記
1879
晋書/徐継余
1850parliament
漢語大
1124
王 47
王 218
王 108
王 208
王 159
王 167
王 13
王 238
王 238
王 56
●
●
●
通典
●
後漢書
王 238
高名凱
●
王雲五
王雲五
王 152
王 191
●
●
意訳
孟 子 / 万 国 公 法 1864
王雲五
王 152
公使
講師
工事
講習
交渉
工人
恒星
構造
●
●
張 協 /七 命
●
易・兌
范成大
●
●
原語
借詞
原語
借詞
校長
●
交通
工程
後天
高度
功能
公法
効用
公理
交流
拘留
綱領
国籍
告訴
国体
告別
国防
個人
悟性
●
●
●
●
●
●
●
●
●
史 記 / 梁 啓 超・飲 氷 室 文 集
1896
王雲五
尹 文 子 / 万 国 公 法 1864
穀梁伝
●?
●
●
王 145
唐書・天文志
漢書
三国志
●
●
後漢書
回帰
王 13
王雲五
王 249
王 160
/ 黄 慶 澄 1894
易経
倣訳
王 237
王 21
王雲五
趙師秀
王雲五
王 67
王雲五
王 46
王 237
王雲五
王 237
王 13
王
王
王
王
194
79
193
79
戸籍
国会
古典
鼓動
鼓膜
顧問
再生
採納
材料
作業
索引
作者
作物
左傾
鎖骨
挫折
座談
作家
意訳
●
●
●
宋志・職官志
●
●
●
易林
論語
王
王
王
王
107
194
144
151
王 113
王雲五
王 180
王 158
王 99
王 145
王 99
●
王 137
●
●
雑誌
作法
作用
左翼
参議
参考
参賛
賛成
散文
参謀
/ 林 則 徐 ・ 四 洲 志 1844
●
●
●
●
●
●
●
本族
新詞
戦国策
王 189
王 243
王 99
/ 中 外 雑 誌 1862
王立達
白居易
史記
王 99
王 100
王
王
王
王
73
73
73
80
●
王 73
散漫
思惟
詩歌
司会
資格
事業
試験
●
王 195
●
●
周礼
王 132
王 171
●
本族
詞
●
事件
指示
支持
時事
市場
●
自然
●
思想
自尊
時代
●
●
自治
●
●
市長
七曜
失業
実験
実践
実体
自転
支配
師範
唐書
劉 迎 / Martin 格 物 入 門
1868
柏梁
左伝
●
王 19
王 171
王 179
王 143
●
本族
詞
●
本族
詞
老 子 / 万 国 公 法 1864
王 85
曹植
王 195
王 86
王 201
史 記 / 万 国 公 法 1864
王 86
●
王雲五
●
●
●
谷梁伝序
●
原語
後 漢 書 / 六 合 叢 談 1857
北史
/ 何 如 璋 ・ 使 東 述 略 1877
王 81
王 112
王 112
王 112
王 86
高名凱
借詞
王 71
紙幣
司法
唐書/何如璋・使東述略
1877
晋書
回帰
釈 名 / 傅 雲 龍 1894
王 208
王 132
王 82
東京夢華録
王 120
●
私法
脂肪
資本
使命
●
社会
●
●
●
●
●
●
写真
自由
集会
修士
十字
架
住所
修飾
重力
収斂
●
主義
●
主教
主権
主宰
主食
主人
公
原語
借詞
●
●
●
原語
借詞
原語
借詞
回帰
晋書/王韜・扶桑遊記
1879
後 漢 書 / 中 美 条 約 1868
王 51
王 108
王 86
王 57
王 90
王 137
●
王
王
王
王
●
●
●
●
原語
借詞
史 記 / 黄 遵 憲 1890
意訳
/ 万 国 公 法 1864
54
92
54
103
王雲五
王雲五
●
●
●
通鑑
●
韓愈
王雲五
高名凱
主席
●
高名凱
原語
借詞
種族
主体
手段
出生
受理
手腕
純粋
消化
照会
小学
蒸気
消極
条件
上司
上訴
●
漢書
●
●
●
●
●
本族
詞
●
●
●
周書/合信・全体新論
1851
淮南子
●
北史
消息
状態
情緒
上帝
衝動
衝突
承認
消費
上品
条約
/ 梁 啓 超 1896
意訳
●
晋書/教会新報
1868information
仏
江淹賦
王雲五
王 57
王 69
王 56
王 57
王 84
王 135
王 204
王 246
王 153
高名凱
王 93
王 59
王 59
王 73
王 251
王 58
●
●
●
●
●
●
王 59
高名凱
王 59
王 93
情欲
省略
条例
書記
食道
植物
職務
曙光
所長
署長
処分
私立
自律
真空
神経
人工
深刻
紳士
人事
神聖
振動
人道
侵犯
神父
意訳
●
周 礼 / real property
252
248
93
175
王
王
王
王
王
王
王
159
45
201
209
196
62
71
金史
王 144
●
●
●
●
王 229
王 127
意訳
/ Parliamentarian
●
●
史記
史記
●
王
王
王
王
229
122
178
229
王 123
新聞
●
意訳
進歩
●
回帰
審問
●
王
王
王
王
●
安得長者言/天下新聞
1828
宋 史・楽 志 / 黄 遵 憲・日 本
国 志 1890
礼記
王 18
王 107
訊問
信用
真理
侵略
心霊
推算
水準
推理
数学
●
●
●
正式
性質
青春
精神
政体
●
●
史記
●
元史
漢 語 大 3667
宋史/柯尚遷・数学通軌
1578
本族
詞
●
王雲五
王 55
王 144
王 92
王 116
王 172
舒志田
王 190
●
王雲五
●
王雲五
王 82
●
●
世紀
政治
後漢書
左伝
●
助教
頭脳
性格
西学
生活
請願
正義
請求
聖経
生産
●
●
●
●
宋書
晋 皇 甫 謐 / 梁 啓 超・飲 氷 室
文 集 1896
●
本族
詞
●
●
王 156
史記
王雲五
高名凱
王 47
王 81
書 経 / 海 国 図 志 1844
王 52
●
●
●
●
原語
借詞
荘子
王雲五
王 251
王 173
王 252
王 52
王 180
王雲五
静電
正統
政府
●
●
回帰
宋史・欧陽脩伝/
Bridgman1838、 黄 慶 澄
1894
王 66
王 82
王 181
王 82
王 163
王雲五
制服
生物
成文
生命
声明
西洋
●
生理
世界
●
●
●
石油
積極
接近
設備
節約
前期
選挙
宣言
原語
借詞
史記
王 81
回帰
仏/張徳彝・航海述奇
1866
王 157
○
/ マ テ オ ・ リ ッ チ 1602
意訳
/李善蘭・代微積拾級
1859
本族
詞
/ 張 徳 彝 ・ 航 海 述 奇 1866
●
碩士
赤道
責任
積分
王 52
●
●
王 142
王 176
蘇軾
王 84
史記
後漢書
王雲五
●
●
●
●
●
●
●
意訳
後 漢 書 / Bridbman1838
王 231
王 130
王 104
専攻
原語
借詞
全国
孫 子・謀 攻 / 黄 遵 憲・日 本
国 志 1890
先進
先生
回帰
借志
意訳
専制
全体
先知
先天
宣伝
専任
全能
専門
戦略
線路
●
●
本族
新詞
総会
総裁
宗主
叢書
装飾
想像
相対
総督
総務
総理
組織
●
●
●
●
●
●
●
●
●
●
韓 非 子 / 黄 遵 憲 1890
/ 合 信 ・ 全 体 新 論 1851
易経
北斉書
●
●
●
梁簡文帝移市教/万国公
法 1864Congress
楚辞
儀礼
意訳
王 174
漢語大
493
王 75
王 75
蘇 軾 / 斌 椿 1866
遼史
王
王
王
王
王
王
王
王
75
75
104
174
230
175
200
90
王 89
王 89
王 112
王 114
王 79
王 162
王 162
王 89
王 89
漢語大
5724
王 97
素質
損益
存在
体格
大学
大気
待遇
体験
大使
体質
代謝
対象
退席
態度
代表
大便
退歩
代理
大陸
堕落
単位
単軌
治安
知覚
知識
地図
中尉
注意
●
爾雅
●
礼記
/ 艾 儒 略 ・ 職 方 外 記 1623
回帰
●
●
●
●
伝習録
●
●
●
徐 彦 伯 / 梁 啓 超・飲 氷 室 文
集 1899
原語
王 186
王雲五
王 213
王 139
王 76
王 213
王 138
王 213
王 74
高名凱
王 129
王 63
王 74
王 137
王 129
●
王 139
王 211
●
●
●
●
●
●
孔融
史記
王
王
王
王
王
王
202
117
241
241
150
169
中央
中学
注射
中心
抽籤
中和
貯蓄
追加
通信
締結
鄭重
締約
典型
天使
電車
回帰
●
●
●
●①
●
●
同意
統一
登記
投機
同居
道具
統計
中庸
後漢書
●
●
王
王
王
王
王
169
170
105
169
184
王
王
王
王
王
王
76
130
128
58
242
58
説文解字
王雲五
●
●
本族
新語
●
天主
伝染
天堂
伝道
伝播
/ 艾 儒 略 ・ 職 方 外 記 1623
新唐書
晋書
王 38
史記
王雲五
王 83
王雲五
王 83
仏
●
●
●
●
●①
●
●
回帰
●
●
●
●
原語
北史/黄遵憲・日本国志
1890
王 83
斉家宝要
新唐書
王 216
王 58
高名凱
王 188
王 217
高名凱
釈氏要覧
/ 教 会 新 報 1868
借詞
動作
同志
導師
同情
統制
淘汰
統治
●
釈氏要覧
漢書
●
意訳
語
動物
同胞
動脈
同盟
東洋
道理
統領
独占
特徴
特命
度数
奴隷
内閣
南極
軟骨
日曜
日給
日程
日報
入学
●
周礼/万国公法
1864personal property
王
王
王
王
王
王
王
75
217
135
217
58
126
58
王 75
王 217
●
●
●
左伝
王 217
王 177
●
意訳
●
●
●
蘇軾
●
北史
/ マ テ オ リ ッ チ 1602
意訳
●
王 79
王 79
王雲五
王 163
王 141
●
●
倣訳
瑯琊代酔篇
/ 華 字 日 報 1864
王 192
王 192
王 192
王 229
認識
布景
年鑑
農業
農民
能力
廃棄
※
博士
●
●
宋史
王 185
●
●
回帰
●
史記
柳宗元
王雲五
●
博物
●
回帰
●
○
史記/傅雲龍・遊歴日本
1889
左伝/合信・博物新編
1854
●
唐書/黄遵憲・日本国詞
1890
宋玉
宋書/黄慶澄・東遊日記
1894
唐書
文心彫龍
●
●
●
南史
仏・法華経
●
●
原語
借詞
●
●
発明
判決
判事
反対
反応
伴侶
美化
悲観
秘書
批評
美容
標準
表象
王 147
王 147
王 148
博覧
破産
王 60
●
●
●
●
●
回帰
●
●
●
●
●
●
●
後漢書
王 46
王 43
王 250
王 250
王 207
王
王
王
王
103
234
40
75
王 234
王 147
高名凱
表情
標本
比例
品位
風化
封鎖
諷刺
風俗
風流
福祉
服従
服用
福利
武装
負担
部長
●
●
白虎通
邵伯温
●
賈島
●
欧陽脩
顔氏家訓
●
礼記
●
原語
借詞
原語
借詞
●
●
●
●
●
●
児 女 英 雄 伝 / 傅 雲 龍・遊 歴
日 本 1889
金・刁 白 / 梁 啓 超・飲 氷 室
文 集 1896
回帰
○
晋書/王徴・奇器図説
1634
王 236
漢語大
3490
王 121
王 94
●
舞踏
文化
分解
●
●
●
文学
●
●
文具
214
149
22
214
214
王 113
王 45
王 51
王雲五
沸騰
物理
王
王
王
王
王
●
普通
物質
王 176
王 147
王 64
意訳
説苑
後漢書
論語/艾儒略・職方外記
1623
王 11
王 232
高名凱
王 11
文献
文庫
分子
分析
分配
分別
●
●
●
文法
●
文明
●
●
●
●
●
●
●
●
●
●
原語
借詞
●
●
●
宋史
穀梁伝
後漢書
後漢書
王 11
王 11
高名凱
王 232
王 231
王 232
史 記 / 黄 遵 憲 1878
王 11
易・乾 / 梁 啓 超・飲 氷 室 文
集 1896
高名凱
王 232
分野
分類
平均
平行
美国
便宜
偏見
弁護
変態
張廷珪・弾碁賦
王雲五
王雲五
王 234
王 62
王 73
●
王 67
本族
詞
貿易
法科
●
法学
●
封建
冒険
報告
方式
法人
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回帰
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史記/艾儒略・職方外記
1623
後漢書
/ 艾 儒 略 1637; 黄 遵 憲 ・
日 本 雑 事 詩 1879
左伝
漢書
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周書
王 119
王 149
王 196
王 163
高名凱
王 119
法則
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方程
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法廷
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方法
方面
●
法律
飽和
簿記
牧師
保険
星期
保守
保証
保障
北極
本部
真主
身分
民事
民主
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本族
詞
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柳 宗 元 / 黄 遵 憲・日 本 国 志
/ 黄 遵 憲 ・ 日 本 国 志 1890
後漢書
管子/艾儒略・職方外記
1623
梁粛送皇甫尊師帰呉興序
隋書
回帰
○
張元晏謝僕射啓
左伝
マ テ オ ・ リ ッ チ 1602
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周礼
九 章 算 術 / 梅 文 鼎・方 程 論
六 巻 1723
回帰
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民法
名流
命令
野人
唯心
●
本族
詞
原語
借詞
回帰
宋書
倣訳
原語
借詞
書 ・ 多 方 / 万 国 公 法 1864
書・湯 誥 / 黄 遵 憲・日 本 国
志 1890
王周
●
王 119
王4
高名凱
王 242
王 243
王 102
王 88
王 192
王 87
王 87
王 88
王雲五
王 173
王 144
王 94
王 224
王 224
王
王
王
王
95
237
204
191
唯物
優越
遊撃
誘導
輸出
輸入
要求
預言
預算
楽観
理解
陸軍
理事
利潤
理性
律師
立体
立方
立法
流行
流通
旅行
履歴
理論
臨時
倫理
霊魂
礼拝
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漢書
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籌海図篇
史記
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耶律楚材
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/ 何 如 璋 ・ 使 東 述 略 1877
漢書
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後漢書
回帰
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左伝
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鄭谷
回帰
礼記/黄慶澄・東遊日記
1894
仏
王立達
王 62
王 133
王雲五
王 189
王 189
王雲五
王 49
王 49
王 70
王 48
王 48
王 70
王 48
王 82
王雲五
王雲五
王雲五
王 105
王 105
王雲五
王 219
王 47
王 228
王 100
王雲五
王 123
歴史
●
列車
恋愛
連帯
●
●
●
原語
借詞
三 国 志・呉 主 伝 裴 松 之 注 /
黄 遵 憲 1890
王粲
原語
借詞
唐 書・朱 朴 伝 / 黄 遵 憲・日
本 国 志 1890
三国志
柳宗元
●
漢語大
2888
王 41
王 124
●
聯絡
労動
浪人
露骨
和平
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王 253
王雲五
王 88
第 4 回 漢字文化圏近代語研究会 155
於日本大阪 関西大学 2004.3.13-14
清末宣教師の文字改革と標準表記システム
橘女子大・蒲
豊彦
1.はじめに
中 国 人 で 最 初 に 文 字 改 革 を 唱 え た の は 、盧 戇 章 だ と さ れ る 。ロ ー マ 字 を す
こ し 変 形 さ せ た 文 字 で 、厦 門 語 を 表 記 し よ う と し た 。そ の 著 作『 一 目 了 然 初
階 』が 1892 年 に 出 版 さ れ て の ち 、辛 亥 革 命 に い た る 約 20 年 の 間 に さ ま ざ ま
な 文 字 改 革 案 が 発 表 さ れ た こ と は 、よ く 知 ら れ て い る 。新 中 国 成 立 後 も つ づ
く 文 字 改 革 運 動 の 始 ま り で あ る 。清 末 の こ の 運 動 に つ い て は 、倪 海 曙 を は じ
めとする研究者によって、すでに詳細に研究されている。
一 方 、盧 戇 章 以 前 に す で に 数 十 年 に わ た り 、プ ロ テ ス タ ン ト 宣 教 師 を 中 心
と す る 西 洋 人 が 漢 字 に か わ る 表 記 方 法 を 模 索 し て い た 。こ れ も 周 知 の こ と だ
が 、こ の 動 き に つ い て は 、い ま だ に 充 分 な 整 理 が な さ れ て い る と は 言 い が た
い 。そ の た め 、重 要 な 点 で と き お り 誤 解 が 生 じ て い る よ う で あ る 。た と え ば 、
宣 教 師 の い わ ゆ る 教 会 ロ ー マ 字 は 20 世 紀 の 始 め に は 以 前 の よ う な 勢 い を な
く す の だ が 、 倪 海 曙 は そ の 理 由 の 一 つ と し て 、「 当 時 、 中 国 に は す で に 言 語
統 一 の 思 想 が 生 ま れ て お り 、と り わ け 一 部 の 知 識 人 が 、・・・〔 教 会 ロ ー マ 字
は 〕国 語 の 統 一 を 妨 げ る も の と 考 え 、反 対 の 態 度 を と っ た 」こ と を あ げ る 1 。
宣教師が考案した中国語表記法はほとんどの場合ローマ字を採用しており、
ま た 、お も に 中 国 東 南 沿 海 部 の 諸 方 言 を 表 記 す る た め の も の だ っ た 。と こ ろ
が 、こ こ で 倪 海 曙 は 重 要 な 事 実 を 見 落 と し て い る 。宣 教 師 は 官 話 や 北 京 語 を
も ロ ー マ 字 化 し よ う と し て い る の で あ る 。そ し て 、文 字 改 革 に か ん し て 、清
朝 の 末 年 に 宣 教 師 が 組 織 的 に お こ な っ た も っ と も 重 要 な 仕 事 の ひ と つ が 、当
1
倪 海 曙 『 中 国 拼 音 文 字 運 動 史 簡 編 』( 時 代 出 版 社 、 1950 年 )、 20 頁 。 こ う し た
理 解 が そ の ま ま 周 有 光 『 漢 字 改 革 概 論 』( 1961 年 初 版 、『 周 有 光 語 文 論 集 第 1
巻 』、上 海 文 化 出 版 社 、2002 年 所 収 )、27-28 頁 、大 原 信 一『 近 代 中 国 の こ と ば と
文 字 』( 東 方 書 店 、 1994 年 )、197 頁 、 藤 井 (宮 西 )久 美 子 『 近 現 代 中 国 に お け る 言
語 政 策 』( 三 元 社 、 2003 年 )、 35 頁 な ど に も 受 け 継 が れ て い る 。
156
清末宣教師の文字改革と標準表記システム
(蒲)
時 、ウ ェ イ ド 式 を は じ め と し て 複 数 存 在 し て い た 官 話 表 記 法 を 統 一 す る た め
の 、 標 準 シ ス テ ム ( standard system) の 策 定 な の で あ る 。 こ れ に よ っ て も 、
宣 教 師 が い わ ゆ る「 方 言 」の み に 目 を 向 け て い た の で な い こ と は 明 ら か だ ろ
う。
清 末 の 宣 教 師 が 考 案 し た 表 記 法 の 言 語 学 的 特 徴 や 、そ れ ら 相 互 の 継 承 関 係
などについては、閩南語に関してはかなりの研究の蓄積がある 2 。他方、宣
教 師 が さ ま ざ ま な 表 記 法 を 考 案 す る に 至 っ た 経 緯 や 、そ の 過 程 で 発 生 し た 議
論 に つ い て の 本 格 的 な 研 究 は 、筆 者 の 知 る 限 り 、ド ・ フ ラ ン シ ス の も の が あ
る の み で あ る 3 。か れ は 、マ テ オ =リ ッ チ 、ニ コ ラ ス =ト リ ゴ ー 、ロ バ ー ト =モ
リ ソ ン ら の 仕 事 を 概 観 し た う え で 、1850 年 代 の 前 半 か ら ま ず 中 国 東 南 沿 海 部
で ロ ー マ 字 化 の 試 み が 始 ま る こ と を 明 ら か に す る 。や が て そ う し た な か か ら 、
言 語 改 革 と 社 会 変 革 と を 結 び つ け る 考 え が 現 わ れ る が 、宣 教 師 た ち は 、中 国
の 内 的 な 秩 序 に 変 動 を よ び お こ す よ う な こ と を 唱 え る こ と に 躊 躇 し た 。そ の
よ う な と き 、中 国 人 が 文 字 改 革 に 興 味 を 示 し 始 め た た め 、宣 教 師 は い わ ば こ
の仕事を中国人にゆだね、その表面からは退いていったのだという。
ド・フ ラ ン シ ス は 、宣 教 師 の ロ ー マ 字 化 の 動 き が や が て 低 調 と な る と い う
問 題 に 、一 つ の 答 え を 出 し て い る 。し か し こ れ は 、中 国 語 の 表 記 問 題 を め ぐ
る 議 論 の 、ご く 一 部 に す ぎ な い 。こ れ に た い し て 本 稿 で は 、モ リ ソ ン 時 期 か
ら 清 末 に い た る そ う し た 議 論 を 整 理 し な が ら 、ロ ー マ 字 化 と い う 考 え 方 の 出
現 、表 記 法 の 改 良 、口 語 の 浮 上 、そ し て 官 話 標 準 シ ス テ ム に い た る 道 筋 を 明
ら か に し た い 。 そ こ に は 、「 標 準 的 な シ ス テ ム 」 一 般 に た い す る 宣 教 師 た ち
の一貫したつよい志向を読み取ることができる。
な お 本 稿 で は 、お も に プ ロ テ ス タ ン ト 宣 教 師 の 動 き の み を 論 じ 、カ ト リ ッ
ク に つ い て は 触 れ な い 。マ テ オ =リ ッ チ『 西 字 奇 跡 』や ニ コ ラ ス =ト リ ゴ ー『 西
儒 耳 目 資 』に 象 徴 さ れ る よ う に 、中 国 語 の ロ ー マ 字 表 記 に 関 し て カ ト リ ッ ク
の 宣 教 師 が 決 定 的 な 役 割 を 果 た し て い る こ と は 明 ら か で あ る 。し か し か れ ら
は 、中 国 語 自 体 を ロ ー マ 字 化 す る こ と に は あ ま り 熱 心 で は な く 、と り わ け 清
末 の 文 字 改 革 に つ い て は 、カ ト リ ッ ク の 動 向 に は と く に 見 る べ き も の は な い
2
野 間 晃 「 台 湾 閩 南 語 研 究 文 献 目 録 」(『 東 北 大 学 語 学 文 学 論 集 』 3 、 1998 年 )。
John De Francis, "A Missionary Contribution to Chinese Nationalism," Journal of the
North China Branch of the Royal Asiatic Society, 73 (1948). John De Francis,
Nationalism and Language Reform in China, Princeton University Press, 1950.
3
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
157
ように思われる 4 。
ま た 資 料 と し て は 、The Chinese Repository と The Chinese Recorder を 中 心 と
し な が ら 、 あ わ せ て 19 世 紀 に 出 版 さ れ た 各 種 辞 書 の 序 文 、 宣 教 師 の 著 作 な
どを使用する。
2.五港開港以前
①最初期宣教師
中 国 に や っ て き た 最 初 の プ ロ テ ス タ ン ト 宣 教 師 ロ バ ー ト =モ リ ソ ン( Robert
Morrison) は 、 二 つ の 点 で 大 き な 足 跡 を 残 し た 。 一 つ は 、 聖 書 の 中 国 語 へ の
翻 訳 。も う 一 つ は 中 国 語 辞 書 の 編 纂 で あ る 。こ の う ち 、か れ の 聖 書 訳 を 一 つ
の糸口として、当時の西洋人の、中国語観の一端をまず見ておきたい。
モ リ ソ ン の 聖 書 訳 文 に は 、中 国 の 一 般 的 な 慣 例 に あ わ な い 文 体 が 採 用 さ れ
て い た 。中 国 で は 伝 統 的 に 、書 き 言 葉 と し て は 文 言 が 使 わ れ 、人 々 に 尊 敬 さ
れ る べ き 重 要 な 書 物 に は 、な お さ ら 洗 練 さ れ た 文 章 が 要 求 さ れ た 。そ の 点 か
らすれば、聖書はまさに四書五経の文体で訳されるべきものだった 5 。とこ
ろ が モ リ ソ ン の 文 体 は 、「 口 語 的 な も の と 古 典 的 な も の と の 間 に あ っ た 」 と
評されるように 6 、かなり口語に傾いていた。モリソンはあきらかに、意識
的 に そ う し た 文 体 を 採 用 し て い る 。 か れ は 、「 教 育 あ る 人 々 に と っ て の み 理
解 可 能 な 、 高 尚 で 古 典 的 で 難 解 な 文 体 」 で 聖 書 を 訳 す の は 、「 手 ほ ど き を 受
けた人のみに理解可能なヒエログリフで教義を表現したエジプトの神官の
や り か た を 、再 演 し よ う と す る よ う な も の だ 」、「 わ た し は 古 典 的 な も の よ り
も 普 通 の 言 葉 が 好 き だ っ た し 、理 解 す る の が 難 し い と 見 な さ れ る よ り は 、洗
練 さ に 欠 け る と 思 わ れ た ほ う が い い 」と い う 7 。こ の よ う な モ リ ソ ン は 一 時 、
『 聖 諭 広 訓 』の 口 語 体 に 引 き つ け ら れ た 。し か し 、古 典 の 重 々 し さ と 威 厳 を
そ な え な が ら 、 か つ 分 か り や す い と い う 点 で 、 結 局 、『 三 国 志 演 義 』 を 手 本
とする文体に落ちついたのだという 8 。
モ リ ソ ン は こ の よ う に 、あ ま り 教 育 を 受 け て い な い 普 通 の 人 々 に 近 づ こ う
4
倪 海 曙『 中 国 拼 音 文 字 運 動 史 簡 編 』、23-29 頁「 天 主 教 会 的 羅 馬 字 運 動 」に 整 理
されている。
5
Milne, Retrospect( Chinese Repository, vol.9 no.7, 1835.11, p. 300 に よ る ) .
6
Kenneth Scott Latourette, A History of Christian Missions in China, Society for
promoting Christian Knowledge, 1929 (reprint, 1975), p. 213.
7
W.H. Medhurst, China; Its State and Prospects, Crocker & Brewster, 1838, p. 218.
8
Milne, Retrospect( Chinese Repository, vol.9 no.7, 1835.11, p. 300 に よ る ) .
158
清末宣教師の文字改革と標準表記システム
(蒲)
と し た の だ が 、そ の た め に 漢 字 そ の も の ま で 捨 て る こ と は な か っ た 。か れ は 、
「 中 国 の 口 語 を 漢 字 な し で 伝 え る こ と は 実 行 不 可 能 で は な い が 、し か し 、そ
れ は 困 難 で 、お お く は 学 習 者 に と っ て や っ か い な も の で あ る 」と い い 、口 語
のローマ字化には懐疑的だった 9 。さらにそれにとどまらず、漢字に頼らね
ばならないもっと積極的な理由が、モリソンにはあった。かれはそもそも、
中 国 だ け に 限 定 さ れ な い 東 ア ジ ア 、東 南 ア ジ ア 全 域 を 対 象 と す る ガ ン ジ ス 以
東 伝 道 会 ( Ultra Ganges Mission) の 構 想 を 抱 い て お り 、 言 語 に か ん し て は 、
「書かれた中国語」が中国のみならず朝鮮、日本、琉球諸島、コーチシナ、
そ し て ま た ペ ナ ン 、マ ラ ッ カ 、シ ン ガ ポ ー ル 、ジ ャ ワ の 中 国 人 移 民 の あ い だ
で も 通 用 す る こ と に 注 目 し 、「 航 海 者 、 商 人 、 旅 行 者 、 そ し て キ リ ス ト 教 宣
教 師 は 、も し 中 国 語 を 書 く こ と さ え で き れ ば 、東 ア ジ ア 全 域 で 、自 分 の 考 え
を 人 に 知 ら せ る こ と が で き る だ ろ う 」 と 考 え て い た の で あ る 10 。
ド ・ フ ラ ン シ ス は 、 と く に 根 拠 は 示 し て い な い が 、 モ リ ソ ン が 1834 年 に
死 亡 す る こ ろ ま で は 、中 国 語 は か な ら ず 漢 字 で 表 記 さ れ な ば な ら な い も の で
あ る と い う 点 で は 、専 門 家 、非 専 門 家 を と わ ず ほ と ん ど 意 見 が 一 致 し て い た
と い う 11 。 こ の よ う な 認 識 が 容 易 に は 揺 ら が な か っ た 背 景 に は 、 中 国 語 が 伝
統 的 に 漢 字 で 表 記 さ れ 、ま た そ れ が 中 国 以 外 で も ひ ろ く 理 解 可 能 で あ っ た と
い う 事 実 の ほ か に 、初 期 の 宣 教 師 た ち が 、中 国 人 の 識 字 率 を し ば し ば か な り
高 く 見 積 っ て い た 、と い う 問 題 が あ っ た と 思 わ れ る 。モ リ ソ ン の 後 継 者 と も
評 さ れ る メ ド ハ ー ス ト( Walter Henry Medhurst)は 1838 年 に 出 版 さ れ た 著 書
の な か で 、「 中 国 で 文 字 を 知 っ て い る 人 の 数 は 、 驚 く ほ ど 大 き い 。 男 子 の 半
分 が 読 む こ と が で き 、・・・」と い い 12 、ア メ リ カ か ら の 最 初 の 宣 教 師 で あ る
ブ リ ッ ジ マ ン ( Elijah Coleman Bridgman) と ア ベ ー ル ( David Abeel) も そ れ
ぞ れ 、中 国 人 は「 本 好 き な 人 々 」で あ り 、
「 読 書 を す る 人 々 」で あ る と い う 13 。
五港開港後、こうした認識はしだいに訂正されていくことになる。
9
“Literary notices: 1. Select papers on the subject of expressing the languages of the
East in the English character,” Chinese Repository, vol.3 no.8, 1834.11.
10
Robert Morrison, Chinese Miscellany, Printed by McDowall for the London
Missionary Society, 1825, p. 3.
11
John De Francis, Nationalism and Language Reform in China, p. 18.
12
W.H. Medhurst, China; Its State and Prospects, p. 144.
13
Elijah Coleman Bridgman, The Life and Labors of Elijah Coleman Bridgman, Anson
D. F. Randolph, 1864, p. 59. David Abeel, Journal of a Residence in China, Published
by J. Abeel Williamson, 1836, p. 146.
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
159
②ローマ字化の提唱
1834 年 8 月 、中 国 語 の 権 威 で あ っ た モ リ ソ ン が 死 亡 し た 。そ の 後 ま も な く 、
同 年 12 月 の Chinese Repository誌 上 に 、ロ ー マ 字 中 国 語 の 可 能 性 に 言 及 す る 無
署 名 の 書 評 が 現 わ れ る 14 。 書 評 の 対 象 と な っ た Select papers on the subject of
expressing the languages of the East in the English character, extracted from the
periodicals published at Calcutta, in ... 1834 (Serampore Press, 1834)は 、 イ ン ド
の 諸 言 語 を ロ ー マ 字 化 す る こ と に つ い て の 論 文 集 で あ る 。当 時 、イ ン ド の カ
ル カ ッ タ 周 辺 で 、方 言 の ロ ー マ 字 化 が 試 み ら れ て い た 。評 者 は 、こ の ロ ー マ
字 化 の 可 能 性 は 、ビ ル マ 語 、シ ャ ム 語 、ジ ャ ワ 語 、さ ら に は 日 本 語 に も 及 ぶ
も の だ と 考 え 、そ れ で は 中 国 語 は ど う で あ ろ う か 、と 問 う 。そ し て 、さ き に
引 用 し た ロ ー マ 字 化 に つ い て の モ リ ソ ン の 疑 念 を 示 し 、「 そ う し た 意 見 の 正
し さ に つ い て は い さ さ か も 疑 問 の 余 地 は な い が 、数 年 の う ち に 、中 国 の 文 字
が ロ ー マ 字 に 取 っ て 代 ら れ る こ と に な っ た と い わ れ て も 、驚 く こ と は な い だ
ろう」と、微妙な言いまわしで書評を締めくくった。
翌 1935 年 5 月 、Chinese Repositoryは ロ ー マ 字 化 が イ ン ド で さ ら に 進 展 し て
い る こ と を か さ ね て 紹 介 し 、あ る 有 名 な 官 吏 が 、上 部 諸 地 域 の あ る オ フ ィ ス
に こ の 新 文 字 を 導 入 す る よ う 、 政 府 に 提 案 し た と い う 15 。 こ う し て 、 す く な
く と も Chinese Repositoryを 見 る 限 り 、 漢 字 の ロ ー マ 字 化 を め ぐ る 中 国 で の 議
論は、インドの状況の紹介という形でまず提出される。
同 年 8 月 に な る と 、漢 字 を 使 う こ と 、お よ び そ れ を ロ ー マ 字 に 変 え る こ と
の 是 非 を 周 到 に 論 じ た 無 署 名 の 論 文 An alphabetic language for the Chineseが
掲 載 さ れ る 16 。 こ の 論 文 に つ い て は ド ・ フ ラ ン シ ス や 大 原 信 一 が す で に 詳 し
く 紹 介 し て い る の で 、こ こ で は 要 点 の み を 記 す に と ど め る 。著 者 は ま ず 、中
国 で 実 際 に 行 わ れ て い る 漢 字 に よ る 教 育 の 弊 害 と し て 、漢 字 を お ぼ え る た め
の 時 間 の 損 失 が お お き い こ と や 、読 む こ と 自 体 に あ ま り に も 時 間 が 費 や さ れ
る た め に 結 局 は 無 学 を も た ら す 、等 々 を 列 挙 し 、ア ル フ ァ ベ ッ ト 的 な 言 語 を
導入すれば、そうした欠点のいくつかは除去できるとする。
一方、ローマ字を採用した場合に発生すると思われる問題点については、
14
“Literary notices: 1. Select papers on the subject of expressing the languages of the
East in the English character,” Chinese Repository, vol.3 no.8, 1834.11.
15
“Literary notices: 1. Use of the Roman alphabet in the language of India,” Chinese
Repository, vol.4 no.1, 1835.5.
16
Chinese Repository, vol.4 no.4, 1835.8,
160
清末宣教師の文字改革と標準表記システム
(蒲)
現 行 の 書 籍 が 使 用 で き な く な る 、漢 字 に よ る 書 き 言 葉 の そ れ な り の 長 所 が 失
わ れ る 、中 国 を 分 裂 さ せ る 恐 れ が あ る 、と い っ た 点 を 指 摘 す る 。最 後 の 点 に
つ い て す こ し 補 足 す る と 、著 者 は 、現 行 の 書 き 言 葉 が 中 国 を 一 つ に ま と め る
役 割 を 果 た し て い る こ と は 疑 い な く 、も し こ の 結 合 の 紐 帯 が は ず さ れ る な ら 、
この国はばらばらになってしまうかも知れず、そのあとに続くのは戦乱と、
帝 国 の 分 裂 で あ ろ う が 、 し か し そ れ は 一 つ の 可 能 性 に す ぎ ず 、「 当 然 、 宮 廷
方 言 が 、・ ・ ・ あ ら た な 書 き 言 葉 を 形 成 す る も の と し て 選 ば れ る だ ろ う 」 と
いう。
これらとは別に、著者が真の困難、唯一の重要性をもつと考える問題は、
中 国 語 そ の も の に 同 音 異 義 語 が お お い た め に 、ア ル フ ァ ベ ッ ト を 使 う と 表 現
があいまいになりかねない点である。しかし、このあいまいさは、文脈や、
ま た 声 調 符 号 等 を 使 う こ と に よ っ て お お い に 減 ず る と す る 。こ の 問 題 に つ い
て は 、編 集 者 が 同 論 文 の 最 後 に 付 し た 読 者 か ら の 手 紙 が 、別 の 答 え を 提 示 し
て い る 。 そ の 手 紙 は ま ず 、「 漢 字 の 助 け を 借 り る こ と な く 、 中 国 の 諸 方 言 を
話 す 能 力 を 獲 得 す る こ と が 可 能 で あ る こ と は 、疑 い な い 。な ぜ な ら 、無 数 の
現地住民が、漢字を一つも知らないまま言葉を身につけているからである」
と し て 、中 国 語 に と っ て 漢 字 が 必 須 の も の で は な い こ と を 指 摘 す る 。そ し て 、
「 書 か れ た 言 葉 の 単 音 節 的 性 格 が ど う で あ れ 、口 語 方 言 は か な り 多 音 節 的 で
あ る と 考 え ざ る を え な い 」と 述 べ 、さ ら に 、そ う し た 多 音 節 語 を 書 く 場 合 は
「 ハ イ フ ン 」で つ な ぐ べ き だ と 提 案 す る 。こ う し て 、同 音 異 義 語 に 由 来 す る
あ い ま い さ が 、非 常 に 軽 減 さ れ る の で あ る 。は っ き り 示 さ れ て い る 訳 で は な
い が 、こ の 手 紙 は 、文 言 と 口 語 と を 切 り は な し 、ロ ー マ 字 化 が 向 か う べ き 方
向は口語にあることを示唆しているとみてよいだろう。
こ う し て こ の 時 期 に は 、イ ン ド の 状 況 が 紹 介 さ れ た の ち 、中 国 語 へ の ロ ー
マ 字 導 入 に 関 す る 諸 問 題 が 整 理 さ れ 、ま た モ リ ソ ン が 漢 字 か ら 離 れ る こ と が
で き な か っ た の と は 異 な り 、中 国 語 と 漢 字 は 切 り は な す こ と が で き 、さ ら に 、
ロ ー マ 字 化 が 向 か う べ き 対 象 は 書 き 言 葉 で は な く 口 語 に あ る こ と 、等 々 が 示
される。
③表記法の改良
前 節 の An alphabetic language for the Chinese が Chinese Repository に 掲 載 さ
れ た の が 、 1835 年 8 月 で あ る 。 こ の の ち 、 1850 年 前 後 に 厦 門 や 寧 波 で ロ ー
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
161
マ 字 化 が 実 践 に 移 さ れ る ま で の 間 に 、 中 国 語 に か ん し て Chinese Repository
誌 上 で も っ と も 頻 繁 に 登 場 す る 話 題 は 、ロ ー マ 字 表 記 法 の 改 良 、も し く は 統
一の問題だった。
議 論 を 主 導 し た の は System of Orthography for Chinese wordsを は じ め と す
る 一 連 の 論 文 で 、無 署 名 で あ る が 著 者 は い ず れ も ウ ィ リ ア ム ズ( Samuel Wells
Williams) だ と 思 わ れ る 17 。 著 者 の 論 点 は 、 こ の 最 初 の 論 文 の な か に ほ と ん
ど 出 つ く し て い る 。そ こ で 、こ の 論 文 を 中 心 に し て 、適 宜 他 の 論 文 を 参 照 し
な が ら 論 旨 を ま と め て み よ う 。著 者 は ま ず 、モ リ ソ ン の 辞 書 が 採 用 し て い る
表記法を批判する。これは、当時すでにひろく使われるようになっており、
モ リ ソ ン に 対 す る 批 判 は 、と り も な お さ ず 大 勢 に 対 す る 批 判 で も あ る 。そ の
内 容 は 、第 一 に モ リ ソ ン 自 身 に 矛 盾 が あ り 、そ の シ ス テ ム は 未 完 成 で あ る こ
と 。つ ぎ に 、官 話 以 外 の 諸 地 域 の 方 言 音 を 表 す の に 適 当 で な い 部 分 が あ る こ
と 。第 三 に 、モ リ ソ ン は ロ ー マ 字 を 英 語 式 の 発 音 で 使 っ て い る の だ が 、そ も
そ も 英 語 と い う 言 語 は 母 音 の 表 記 が 一 定 せ ず 、他 の 言 語 の 表 記 に 流 用 す る の
は不適当だ、ということである。
著 者 は さ ら に 、モ リ ソ ン 批 判 に と ど ま ら ず 、欧 米 の 中 国 語 研 究 者 の あ い だ
に 、表 記 法 の 不 統 一 、も し く は 混 乱 が あ る こ と を 問 題 に す る 。こ の 点 に つ い
て は 、イ ソ ッ プ 物 語 の 中 国 語 訳 で 有 名 な ト ー ム( Robert Thom)が 、わ か り や
す い 例 を あ げ て い る 。 ト ー ム に よ れ ば 、「 是 」 と い う 文 字 を 、 ポ ル ト ガ ル 人
は xi、 xe、 イ タ リ ア 人 は sci、 sce、 ド イ ツ 人 は schi、 sche、 フ ラ ン ス 人 は chi、
che、イ ギ リ ス 人 は she、sheeと 書 く と い う 18 。こ れ は た し か に 、と く に 中 国 語
の学習者を非常にとまどわせるものに違いない。
こ の よ う な 現 行 の 諸 表 記 法 に た い し て 著 者 は 、中 国 語 の 諸 方 言 に も 一 様 に
使 用 で き る あ た ら し い 表 記 法 を 採 用 す る の が 望 ま し く 、ま た そ れ は 不 可 能 な
こ と で は な い と 主 張 す る 。そ し て 、こ の よ う な こ と を 提 起 す る の は 、現 在 の
イ ン ド で の 試 み に 、非 常 に お お き な 影 響 を 受 け た た め だ と い う 。そ の 試 み と
は 、「 サ ン ス ク リ ッ ト 、 ペ ル シ ャ 語 、 ア ラ ビ ア 語 、 そ の 他 の 同 族 言 語 の 、 単
17
“System of Orthography for Chinese words” (vol.5 no.1, 1836.5), “On a system of
orthography for the Chinese language” (vol.6 no.10, 1838.2), “Remarks on the system
of Chinese orthography proposed in the Repository, vol. 6, page 479” (vol.7 no.9,
1839.1), “New orthography adopted for representing the sounds of Chinese characters,
by the Roman alphabet, in the national language and in the dialects of Canton and
Fukien” (vol.11 no.1, 1842.1).
18
“Aesop’s Fables, …,” Chinese Repository, vol.9 no.4, 1840.8, p. 205.
162
清末宣教師の文字改革と標準表記システム
(蒲)
語 の 音 声 を は っ き り と 明 確 に 表 す の に 適 し た 音 声 表 記 の 、一 つ の 統 一 的 シ ス
テ ム を 、イ ギ リ ス の 東 方 の 諸 領 土 や そ の 近 隣 諸 国 に 広 め る こ と 」で あ り 、こ
の 「 統 一 的 シ ス テ ム 」 (one uniform system)と は 、 具 体 的 に は 、 ウ ィ リ ア ム =
ジ ョ ー ン ズ ( William Jones) の そ れ を 指 す 。
ウ ィ リ ア ム =ジ ョ ー ン ズ ( 1746-1794) は 、 イ ギ リ ス の イ ン ド 植 民 地 官 僚 で
あ っ た が 、 一 方 で 諸 言 語 に 通 じ 、 1786 年 に い わ ゆ る イ ン ド -ヨ ー ロ ッ パ 語 族
と い う 概 念 を は じ め て 明 確 に 提 起 し た 言 語 学 者 で も あ る 。か れ は 研 究 者 と し
て の 立 場 か ら 、ア ジ ア の 諸 言 語 を 扱 う と き は そ れ を ロ ー マ 字 で 表 記 す る の が
よ い が 、人 々 は 自 分 だ け の 表 記 の 仕 方 を 持 っ て は い る も の の 、一 つ の 完 全 な
シ ス テ ム と い う も の は ま だ 現 わ れ て お ら ず 、こ の 問 題 が 見 過 ご さ れ て い る た
め に 、 歴 史 学 や 地 理 学 が 非 常 に 混 乱 し て い る と い う 19 。 そ し て 、 英 語 式 の 発
音 表 記 に は さ き に 述 べ た よ う な 欠 点 が あ り 、母 音 を 正 確 に 表 記 し て い る の は
イ タ リ ア 語 だ と す る 。こ う し て 1788 年 に 、「 母 音 は イ タ リ ア 語 の 音 価 に 、子
音は英語の音価のように記述する」という原則を提唱した。
ウ ィ リ ア ム ズ は 続 け て 、こ の イ タ リ ア 語 式 表 記 シ ス テ ム は 、イ ン ド で 活 動
す る お お く の 学 者 の ほ か 、南 洋 諸 島 や ア メ リ カ・イ ン デ ィ ア ン に か か わ る 宣
教 師 た ち も ひ ろ く 採 用 し て い る と い う 。そ こ で 、ジ ョ ー ン ズ の こ の 表 記 法 を
中 国 語 に も 適 用 し 、「 中 国 の 表 記 法 の 、 イ ン ド 、 ま た イ ン ド シ ナ 諸 国 へ の 融
合 」を 目 指 そ う と す る 。こ れ に よ っ て 、あ る 一 つ の 言 語 の 表 記 法 が 固 定 さ れ
る だ け で な く 、他 の 諸 言 語 を も 統 一 的 に 表 記 で き る よ う に な る( は ず な の で
あ る )。 も ち ろ ん 、 中 国 国 内 の 諸 方 言 も そ の な か に 含 ま れ る 。 こ れ は つ ま る
と こ ろ 、 現 在 の 国 際 音 声 記 号 ( IPA) に 通 ず る 試 み と い え よ う 。
④統一表記システム
こ こ で 、当 時 の 、こ う し た 統 一 表 記 シ ス テ ム の 構 想 と 非 ヨ ー ロ ッ パ 諸 言 語
と の 関 係 を 、す こ し 見 て お き た い 。Chinese Repositoryの 1836 年 6 月 号 に 、イ
ン ド シ ナ 諸 言 語 の 比 較 語 彙 集 を 作 成 し よ う と い う 提 案 が 紹 介 さ れ る 20 。 提 案
19
“A dissertation on the orthography of Asiatick words in Roman letters,” Works of Sir
William Jones, J. Stockdale, Piccadilly and J. Walker, Paternoster-row, 1807, vol.3, p.
253.
20
“’Proposal for forming a Comparative Vocabulary of all the Ind-Chinese languages,’
together with a plan of the Vocabulary.” こ れ は も と も と 、 Calcutta Christian
Observer 誌 に 掲 載 さ れ た も の で あ る 。
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
163
者 は 、こ こ で タ イ 語 や ビ ル マ 語 を 表 記 す る た め に 使 っ て い る の は 、イ ン ド の
諸 言 語 を ロ ー マ 字 化 す る た め に ひ ろ く 使 わ れ て い る シ ス テ ム で あ り 、そ れ は
ま た 、北 米 の 全 イ ン デ ィ ア ン 諸 族 の 言 語 を 統 一 的 な 文 字 で 書 く た め に ピ カ リ
ン グ( John Pickering)が 提 唱 し た プ ラ ン と 同 一 の も の で あ り 、ハ ワ イ 諸 島 や
南 太 平 洋 の ソ シ エ テ 諸 島 で 宣 教 師 が 導 入 し て い る も の で も あ る 、と い う 。こ
こ に 、ピ カ リ ン グ( 1777-1846)と い う 名 前 が 出 て く る 。ア メ リ カ 人 の ピ カ リ
ングはボストンの法務官も勤めた法律家だが、やはり東西の諸言語に通じ、
アメリカ比較言語学の主要な創設者とされている人物である。
次 ぎ に 、す こ し 時 代 は 下 る が 、ウ ィ リ ア ム ズ は 、1856 年 に 出 版 し た 広 東 語
の 辞 書 A Tonic Dictionary of the Chinese Language in the Canton Dialectの 序 文
で 表 記 法 に 触 れ 、お そ ら く 一 番 よ い の は レ プ シ ウ ス の「 普 遍 ア ル フ ァ ベ ッ ト 」
( Universal alphabet) を 使 う こ と だ ろ う 、 と い う 21 。 カ ル ル =リ ヒ ャ ル ト =レ
プ シ ウ ス( Karl Richard Lepsius 1810-1884)は 、ド イ ツ 人 の エ ジ プ ト 考 古 学 者
で あ り 、ま た い わ ゆ る ハ ム -セ ム 語 族 と い う 概 念 を 提 起 し た 言 語 学 者 で も あ る 。
レ プ シ ウ ス の 表 記 法 は ジ ョ ー ン ズ を 受 け 継 ぐ も の で 、1850 年 に 、世 界 の 諸 言
語 を ロ ー マ 字 で 統 一 的 に 表 記 す る た め の 会 議 が ロ ン ド ン で 開 か れ た 際 、そ の
表 記 案 と し て 発 表 さ れ た 22 。
こ う し て 、19 世 紀 の 中 国 人 宣 教 師 が 、ジ ョ ー ン ズ 、ピ カ リ ン グ 、レ プ シ ウ
ス の 3 人 に 言 及 す る の だ が 、か れ ら は い ず れ も 、そ れ ぞ れ の 分 野 で 当 時 一 流
の 学 者 で あ っ た だ け で な く 、じ つ は ジ ョ ー ン ズ か ら 始 ま る 非 ヨ ー ロ ッ パ 言 語
の 統 一 表 記 シ ス テ ム の 、 主 た る 唱 道 者 だ っ た 23 。 そ の 主 張 に 、 各 地 の 宣 教 師
が 敏 感 に 反 応 し 、 中 国 も 例 外 で は な か っ た の で あ る 。 1836 年 5 月 に Chinese
Repositoryに 発 表 さ れ た System of Orthography for Chinese wordsは 、 そ の 流 れ
を中国語にも適用しようとする、おそらく最初の試みだろう。
こ こ で 、1830、40 年 代 の 中 国 に 戻 り 、こ う し た 統 一 シ ス テ ム に た い す る 批
判 を す こ し 紹 介 し て お き た い 。1837 年 3 月 、System of Orthography for Chinese
wordsに 対 す る 批 判 が Chinese Repository上 に 掲 載 さ れ た 。 著 者 は 、「 融 合 を あ
21
Samuel Wells Williams, A Tonic Dictionary of the Chinese Language in the Canton
Dialect, the office of the Chinese Repository, 1856, p. 27.
22
亀 井 孝 等 編 『 言 語 学 大 辞 典 』( 三 省 堂 、 1988 年 ) 第 1 巻 上 、 320-321 頁 。
23
Richard L. Venezky, In Search of the Perfect Orthography (Third International
Workshop on Writing Systems, University of Cologne, Germany, September 23-24,
2002, http://www.uni-koeln.de/~amd58/workshop/venezky.PDF).
164
清末宣教師の文字改革と標準表記システム
(蒲)
ま り に 進 め す ぎ る の は 、実 際 的 と は 思 え な い 」、「 そ れ 自 体 は 望 ま し い こ と で
は あ る が 、そ れ で も よ く 適 合 し た 表 記 シ ス テ ム を 人 類 の 三 分 の 一 が 話 し て い
る 言 語 に 提 供 す る こ と の 重 要 性 、と 比 較 す れ ば 考 慮 に 値 し な い よ う な 目 的 の
た め に 、真 の 簡 潔 さ と 実 用 性 が い さ さ か も 犠 牲 に さ れ る こ と が あ っ て は な ら
な い 」 と い う 24 。
こ の ほ か 、ト ー ム は 、だ れ も 自 分 の シ ス テ ム を 捨 て る よ う な こ と は し な い
だ ろ う と 、統 一 に は 悲 観 的 で あ る 25 。ま た 、1843 年 7 月 以 来 、広 州 で 領 事 館
通 訳 を 勤 め て い た メ ド ウ ズ ( Thomas Taylor Meadows) は 、「 太 平 洋 の 島 々 や
北 米 の 未 開 人 、あ る い は イ ン ド の 半 野 蛮 人 が 話 す 言 語 を 書 き と め る の に 使 わ
れ て き た と い う た だ そ れ だ け の 理 由 で 、不 便 で 、そ れ ど こ ろ か 十 分 に 適 合 さ
え し て い な い 表 記 法 を 使 っ て い く べ き だ ろ う か 」と 問 う 。こ れ は や や 粗 雑 な
議 論 の よ う に も 見 え る が 、 続 け て 、「 中 国 語 の よ う な 難 し い 言 語 を 研 究 す る
際 に は 、な ん で あ れ 他 の あ ら ゆ る 言 語 を 参 照 す る こ と な く 、す べ て の こ と が 、
で き る 限 り 扱 い や す い よ う に な さ れ な け れ ば な ら な い 」と す る 26 。す な わ ち 、
Chinese Repository上 の さ き の 批 判 と 同 じ く 、 中 国 語 は 、 そ の 特 徴 に ぴ っ た り
とあった独自の表記法を考えねばならない、それだけの重みのある言語だ、
とするのである。
1842 年 1 月 、Chinese Repositoryに 、ウ ィ リ ア ム ズ の 新 し い シ ス テ ム に も と
づ く 音 節 表 が 掲 載 さ れ る 。そ れ は 、音 節 を 409 種 に 分 け 、そ の す べ て に つ い
て各音節を代表する漢字をまず掲げたあと、新表記法、モリソンの表記法、
広 東 語 の 音 声 、メ ド ハ ー ス ト の 表 記 法 、新 表 記 法 に よ る 福 建 語 の 音 声 を 横 に
並 べ た も の で 、音 節 の 配 列 は 、新 表 記 法 に よ る ア ル フ ァ ベ ッ ト 順 に な っ て い
る 。こ の 音 節 表 が 示 さ れ た こ と に よ っ て 、あ た ら し い 表 記 シ ス テ ム が ひ と ま
ず 完 成 し た と い え よ う 。そ の 影 響 に つ い て は 、1847 年 の Chinese Repositoryの
記 事 の な か に 、中 国 語 に か ん し て 、ジ ョ ー ン ズ の シ ス テ ム が「 今 で は 一 般 的
に 是 認 さ れ て い る 」 と 述 べ ら れ て い る 部 分 が あ る 27 。 ま た 閩 南 語 の 研 究 者 で
あ る 洪 惟 仁 は 、 こ の の ち 、 Chinese Repositoryは 新 シ ス テ ム に 移 行 し 、 福 建 の
24
“Orthography of Chinese language,” Chinese Repository, vol.5 no.11, 1837.3, p.
481.
25
“Aesop’s Fables, …,” Chinese Repository, vol.9 no.4, 1840.8, p. 206.
26
Thomas Taylor Meadows, Desultory Notes on the Government and People of China,
W. H. Allen and co., 1847 (reprint, 1970), p. 49.
27
Chinese Repository, vol.16 no.5, 1847.5, p.242.
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
165
教 会 ロ ー マ 字 も 伝 統 的 に こ れ を 採 用 し た と す る 28 。 こ の 新 シ ス テ ム が は た し
て ど れ ほ ど 受 け い れ ら れ た か は 、今 後 の 調 査 を 待 た ね ば な ら な い が 、こ の 時
期 に 、表 記 法 の 改 良 が 企 て ら れ た こ と と 、そ の 議 論 の な か で 、ジ ョ ー ン ズ に
代 表 さ れ る「 統 一 表 記 シ ス テ ム 」が 中 国 語 研 究 者 の 視 野 に も 入 っ て い た こ と
を、ここではひとまず確認しておきたい。
3.近代中国語を求めて
①近代西欧語の成立と口語
こ の の ち 、1850 年 以 降 、ド・フ ラ ン シ ス が 指 摘 す る よ う に 、ロ ー マ 字 中 国
語 を 実 践 し よ う と す る 試 み が 中 国 の 東 南 沿 海 地 区 で 本 格 化 す る 。そ れ は 、開
港された五港のうち、厦門、寧波でとくに発展したが、一方、上海、福州、
広 州 で は 、そ れ ほ ど お お き な 動 き に は な ら な か っ た 。そ の 詳 細 に つ い て は 別
稿 に ゆ ず る こ と と し 、こ こ で は 、宣 教 師 た ち が 、ど の よ う な 議 論 を 通 過 し て
官話標準システムに向かってゆくのかを、整理してみたい。
ロ ー マ 字 化 と は 口 語 を ロ ー マ 字 化 す る こ と な の だ が 、そ れ 以 前 に ま ず 、文
言 ( Wen-li, the classical style, the book style, the written language) を と る べ き
か 口 語 を と る べ き か と い う 、モ リ ソ ン 以 来 の 最 重 要 問 題 が 依 然 と し て 未 解 決
で あ っ た 。ま ず 、口 語 そ し て さ ら に は ロ ー マ 字 を 採 る 宣 教 師 た ち の 論 点 を 見
て お こ う 。五 港 開 港 後 か ら 清 末 に か け て 、キ リ ス ト 教 に 入 信 す る 中 国 人 は 基
本 的 に 下 層 社 会 の 人 々 で あ っ た 。し た が っ て 、そ の 識 字 率 は 中 国 人 の 平 均 よ
り も さ ら に 低 か っ た と 思 わ れ る 。そ の よ う な 人 た ち を 布 教 の 対 象 と す る と き 、
ど の よ う な 手 段 で キ リ ス ト 教 を 伝 え る か が 、お お き な 問 題 と な る 。厦 門 で の
ロ ー マ 字 化 の 主 唱 者 タ ル ミ ジ ( John Van Nest Talmage) は 、 1850 年 12 月 17
日 付 け の 書 簡 で 、「 こ の 人 た ち を 、 本 を 読 む 人 々 に す る こ と が で き る よ う な
方 法 、と く に 信 者 が 神 の 言 葉 を 手 に 入 れ 、そ し て 自 分 自 身 で き ち ん と 読 み 取
る こ と が で き る よ う な 方 法 が 何 か あ る だ ろ う か と い う 問 題 に 、こ こ の 宣 教 師
た ち は ず い ぶ ん 頭 を 悩 ま し て い る 」 と 報 告 し て い る 29 。 か れ は 、 こ の 地 区 で
28
洪 惟 仁 「 解 説 」『 閩 南 語 経 典 辞 書 彙 編 3 福 建 方 言 辞 典 』 武 陵 出 版 有 限 公 司 、
1993 年、23 頁。た だ し、教 会 ロ ー マ 字 へ の 影 響 に つ い て は、Henning Klöter, The
history of Peh-oe-ji, ( 2002 台 湾 羅 馬 字 教 学 KAP 研 究 国 際 学 術 研 討 会
http://203.64.42.21/iug/ungian/POJ/siausit/2002/2002POJGTH/lunbun%5CK2-kloeter.
pdf) p. 8 が 異 論 を 提 出 し て い る 。
29
John Gerardus Fagg, Forty Years in South China, The Life of Rev. John Van Nest
166
清末宣教師の文字改革と標準表記システム
(蒲)
き ち ん と ( intelligently) 本 が 読 め る 人 の 率 を 、 男 で 10 人 に 1 人 以 下 と み な
し 、 ま た 女 で は ご く ま れ に し か そ う い う 人 に 出 会 わ な い 、 と い う 30 。
口 語 論 者 の 主 張 は つ ま る と こ ろ 、宗 教 的 文 書 は「 一 般 庶 民 」に 理 解 可 能 な
も の で な け れ ば な ら な い 、と い う 点 に つ き る 31 。そ も そ も プ ロ テ ス タ ン ト は 、
そ の 根 本 原 理 の 一 つ に「 聖 書 原 理 」と 呼 ば れ る も の が あ り 、教 皇 そ の 他 で は
な く 、聖 書( 厳 密 に は 新 約 聖 書 )の み に 信 仰 の よ り ど こ ろ を 求 め る 。そ の た
め、聖書を読むことが非常に大切になる。また、口語を主張する宣教師は、
流 通 の 問 題 に つ い て は 、 じ つ は 古 典 の ス タ イ ル も 「 読 む 人 は 1300 万 人 も お
ら ず 、 も し マ ー テ ィ ン の 見 積 も り を 採 れ ば 、 600 万 人 に も な ら な い 」 と 反 論
す る 32 。 文 言 文 は 、 中 国 全 土 で 読 ま れ る 可 能 性 が あ る が 、 し か し 実 際 に 文 言
を 読 む こ と の で き る 人 は 非 常 に 限 ら れ て い る こ と に 注 意 す べ き だ 、と い う の
である。
大多数の一般人にとって理解不可能な書き言葉が存在しているこのよう
な 状 況 を 、宣 教 師 た ち は し ば し ば 、ラ テ ン 語 に 支 配 さ れ た 宗 教 改 革 以 前 の ヨ
ーロッパの状況になぞらえた。この点を早い時期に自覚したのが、寧波で
1850 年 以 前 に 自 分 の 説 教 を す で に 口 語 で 準 備 し て い た ラ ウ リ ー ( Walter
Macon Lowrie) で あ る 。 か れ も ま た 、 初 期 の 宣 教 師 の 一 人 と し て 、 中 国 人 の
識 字 率 を 高 め に 考 え 、「 中 国 で は お お く の 人 が 読 む こ と が で き る と い う 事 実
については、たくさんのことが語られている」としながらも、すぐ続けて、
「 し か し 、そ こ か ら あ ま り に お お く の こ と が 期 待 さ れ す ぎ て い る 嫌 い が あ る 。
現 在 の か れ ら の 学 問 と 、そ れ が 書 か れ る ス タ イ ル か ら 、私 は 宗 教 改 革 以 前 の
ヨ ー ロ ッ パ の 状 態 を つ よ く 連 想 す る 。そ こ に は 学 識 者 が 存 在 し 、日 常 生 活 の
言 葉 と は 違 っ た 、普 通 の 人 々 に は 理 解 で き な い 、学 習 に よ っ て 得 た 言 葉 、を
持 っ て い た 」と い う 。こ の よ う な 比 較 は 、ラ ウ リ ー を 容 易 に つ ぎ の 段 階 へ と
導 く 。 か れ は さ ら に 、「 宗 教 改 革 の の ち 、 考 え る こ と 、 話 す こ と 、 書 く こ と
の あ た ら し い 方 式 が 導 入 さ れ 、古 い も の は 消 滅 し て い る 。卑 見 で は 、ま さ に
Talmage, D.D., Anson D. F. Randolph & Co., 1894, “Romanized Colloquial.”
30
“Letter from Mr. Talmage, December 17,1850,” The Missionary Herald, vol.47 no.5,
1851.5, p. 153.
31
た と え ば 、 Records of the General Conference of the Protestant Missionaries of
China : held at Shanghai, May, 10-24, 1877, Presbyterian Mission Press,1878 (reprint,
1973), p. 215.
32
John C. Gibson, Learning to Read in South China, Hazell, Watson, and Viney, Ld.,
1888, p. 9.
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
167
同 様 の 大 変 革 が 中 国 に 起 こ る に 違 い な い 」 と し て 中 国 に フ ラ ン シ ス =ベ ー コ
ン が 現 わ れ る こ と を 期 待 し 、布 教 と の 関 係 で は 、そ う し た 変 化 が 訪 れ な い か
ぎり、
「 一 般 庶 民 の あ い だ で 真 理 を ひ ろ く 行 き 渡 ら せ る 」の は 困 難 だ と す る 33 。
こ の 現 状 に た い す る か れ な り の 努 力 が 、説 教 を ロ ー マ 字 口 語 で 準 備 す る こ と
だったのだろう。
上 海 の ク ロ ー フ ォ ー ド ( Tarleton P. Crawford) は 、 さ ら に 具 体 的 に 、「 ギ リ
シ ャ 語 も ラ テ ン 語 も 近 代 ヨ ー ロ ッ パ の 意 思 疎 通 の 媒 体 に は な ら な か っ た 。ど
の 場 合 で も 、 さ ま ざ ま な 区 域 の 諸 方 言 が 前 面 に 出 て き た 。・ ・ ・ い つ か こ の
国 で 知 的 な 活 動 が 始 ま る と す れ ば 、そ れ は 主 と し て 口 頭 の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ
ン を 通 し て 始 ま り 、 音 声 表 記 的 な 文 書 に よ っ て 発 展 す る に 違 い な い 。・ ・ ・
諸 方 言 の み が 生 命 を 持 ち 、そ こ か ら 未 来 の 中 国 が 現 わ れ る に 違 い な い 」と い
う 34 。
また、そうした変革は、偉大な著作によってもたらされると考えられた。
お な じ く 上 海 の 中 国 人 牧 師 Yen Yung-kiung 35 は 近 代 英 語 を 例 に あ げ 、 そ れ は 、
マ ン デ ビ ル( John Mandeville)が 1356 年 に 旅 行 記 を 書 き 、ウ ィ ク リ フ( John
Wycliffe)が 1383 年 に 聖 書 を 翻 訳 し 、等 々 で 始 ま り 、ス ペ ン サ ー 、シ ェ ー ク
ス ピ ア 、ベ ー コ ン な ど を 経 て「 そ の 国 の 尊 敬 さ れ る 言 葉 に な っ た 」。そ し て 、
「同様に、上海の俗語がいつもいい顔をされず、あざ笑われねばならない、
そ う し た 理 由 は な い 。西 洋 で の 英 語 と 同 じ よ う な 地 位 を 、上 海 語 が い つ か 中
国語のなかで占めることを、私は本気で望んでいるわけではない。しかし、
つ ぎ の こ と を 言 い た い 。著 名 な 文 人 た ち が 学 ぼ う と す る よ う な 、価 値 あ る 書
物〔 複 数 〕 が 上 海 語 で 出 版 さ れ る な ら 、上 海 語 は 一 般 的 で 、尊 敬 さ れ 、価 値
あ る も の に な る だ ろ う 」 と い う 36 。
19 世 紀 を 通 し て 、キ リ ス ト 教 の 信 者 は お お む ね 中 国 の 最 下 層 の 人 々 だ っ た 。
そ の た め も あ っ て 識 字 率 が 低 く 、文 言 の 書 物 で は ほ と ん ど 対 応 で き な い 。し
か も 方 言 の 問 題 が こ れ に 重 な る 。こ れ は 、五 港 開 港 以 降 、実 際 に 中 国 人 社 会
の 奥 深 く に 入 り 始 め た 宣 教 師 が 直 面 し た 現 実 で あ り 、モ リ ソ ン の 時 期 の よ う
33
Memoirs of the Rev. Walter M. Lowrie, Missionary to China, Presbyterian Board of
Publication, 1854?, p. 226, 323.
34
“A System of Phonetic Symbols for writing the Dialects of China,” Chinese
Recorder, vol.19 no.3, 1888.3, p. 102.
35
ア メ リ カ で 教 育 を 受 け た 中 国 人 牧 師 で あ る 。Kenneth Scott Latourette, A History
of Christian Missions in China, p. 483 参 照 。
36
“The Shanghai Vernacular,” Chinese Recorder, vol.23 no.8, 1892.3, p. 388.
168
清末宣教師の文字改革と標準表記システム
(蒲)
に 、マ カ オ 、広 州 、南 洋 、イ ン ド の セ ラ ン ポ ー ル な ど で ほ そ ぼ そ と 中 国 語 を
研 究 し 、文 言 の 文 書 を 準 備 す る し か な か っ た こ ろ と は 、状 況 が 根 本 的 に 変 化
し た 。プ ロ テ ス タ ン ト の 宣 教 師 た ち は 、は じ め て 庶 民 大 衆 を「 も っ と も 重 視
さ れ る べ き 読 者 」と し て と ら え 始 め た 。そ し て 、近 代 西 欧 語 の 成 立 と 同 じ よ
う な 変 革 と 、そ れ を 象 徴 す る 著 作 の 出 現 を 中 国 の 言 語 に も 待 ち 望 ん だ の で あ
る。
た だ し 、こ の よ う な 流 れ と は べ つ に 、19 世 紀 後 半 に は 、中 国 社 会 の 最 上 層
を め ざ す 動 き が し だ い に 顕 著 に な っ て い く こ と も 見 逃 せ な い 。こ の 場 合 、言
語 面 で は 文 言 を 用 い る こ と に な る 。つ ま り 口 語 論 者 の 対 極 に 位 置 す る 動 き で
あ る 。文 言 を 主 張 す る 宣 教 師 の 論 点 の ひ と つ は 、や は り 文 言 が も た ら す 流 通
の 広 さ に あ っ た 。1851 年 7 月 、始 ま っ た ば か り の 厦 門 や 寧 波 の ロ ー マ 字 化 に
つ い て 、「 ロ ー マ 字 化 さ れ た 本 は 、 そ の 流 通 が ほ と ん ど 出 版 地 の 町 に と ど ま
る だ ろ う 」、そ の 点 、口 語 を 漢 字 で 表 記 す る 試 み は ま だ 可 能 性 が あ る と し て 、
は や く も そ の 流 通 性 を 問 題 に す る 文 章 が 現 わ れ た 37 。お な じ 意 見 が 、1877 年
に 上 海 で 開 か れ た 、在 華 プ ロ テ ス タ ン ト 宣 教 師 に よ る 第 1 回 総 会 で も 繰 り 返
される。
こ の 流 れ の も う ひ と つ の 論 点 は 文 人 対 策 で あ る 。同 じ く 第 1 回 総 会 で エ ド
キ ン ス ( Joseph Edkins) は 、 布 教 の 最 大 の 敵 は 文 人 階 層 に あ り 、 そ の た め か
れ ら を 納 得 さ せ る 文 体 が 必 要 だ 、 と 述 べ た 38 。 対 象 を こ の よ う な 文 人 階 層 に
し ぼ っ て 活 動 を 展 開 す る こ と に な る の が 、 1887 年 に ウ ィ リ ア ム ソ ン
( Alexander Williamson) に よ っ て 組 織 さ れ た 同 文 書 会 ( The Society for the
Diffusion of Christian and General Knowledge among the Chinese) で あ る 。 1891
年 に ウ ィ リ ア ム ソ ン の あ と を 継 い で 同 会 の 秘 書 と な っ た テ ィ モ シ ー =リ チ ャ
ー ド( Timothy Richard)は 、1890 年 の 第 2 回 宣 教 師 総 会 で す で に 、布 教 の 重
点 を 上 層 官 吏 と 士 大 夫 に 移 し 、出 版 を 強 化 す る こ と を 提 唱 し て い た が 39 、1891
年 に は 、最 上 層 の 中 国 人 を こ ま か く 数 え 上 げ 、4 万 4 千 人 と い う 数 字 を 示 し
な が ら 、 こ れ が す な わ ち 同 会 の 第 一 に 接 触 す べ き 人 々 で あ る と し た 40 。 同 文
37
“Bibliographical notices,” Chinese Repository, vol.20 no.7, 1851.7, p. 476.
Records of the General Conference of the Protestant Missionaries of China: held at
Shanghai, May, 10-24, 1877, p. 220.
39
顧 長 声 『 伝 教 士 与 近 代 中 国 』( 上 海 人 民 出 版 社 、 1981 年 )、 176 頁 。
40
The China Mission Hand-book, American Presbyterian Mission Press, 1896, pp.
307- 308.
38
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
169
書 会 は 1892 年 に は 広 学 会 と 改 称 し 、 そ の 後 、 変 法 運 動 の な か で 一 定 の 役 割
を果たしたことは周知のとおりである。
②国語としての官話
当 時 、以 上 の よ う な 議 論 と 平 行 し て 、お も に 中 国 東 南 沿 海 部 で ロ ー マ 字 化
が 進 展 し て い た の で あ る 。し か し 、近 代 中 国 の 言 語 状 況 に つ い て も っ と も 注
目 す べ き は 、や は り 北 部 諸 省 の 官 話 だ ろ う 。本 節 で は 、宣 教 師 を 中 心 と す る
在 華 西 洋 人 が 官 話 を ど の よ う に 認 識 し 、ど の よ う に 扱 お う と し て い た の か を 、
検討する。
1835 年 に Chinese Repositoryに 掲 載 さ れ た 記 事 が 、現 行 の 書 き 言 葉 で あ る 文
言 が 消 滅 し た 場 合 、「 宮 廷 方 言 」 が 新 た な 書 面 語 を 形 成 す る だ ろ う と 予 想 し
た こ と は 、す で に 述 べ た 。こ れ は 、い つ 起 こ る と も わ か ら な い 将 来 に つ い て
の 予 測 で あ る 。当 時 は 、国 語 と し て の 標 準 的 な 中 国 語 は ま だ 成 立 し て い な い。
そのようななかで、すぐにも中国人と意思疎通をはかろうとする外国人は、
自 分 が 学 習 す べ き 言 葉 を 、そ れ ぞ れ の 判 断 で 選 ば な け れ ば な ら な か っ た 。メ
ド ハ ー ス ト は 、「 庶 民 と 口 頭 で 交 際 す る 見 込 み が あ ま り な い 」 か 、 そ れ と も
「 概 し て 中 国 全 土 で 上 層 階 層 や 政 府 の 役 人 と 親 し く 交 わ る こ と に な る 」人 は 、
官 話 を 勉 強 す る の が よ い が 、し か し「 そ の 交 際 が お そ ら く 一 つ の 地 域 に 限 ら
れ 」、「 そ こ に 住 む 庶 民 の 大 部 分 と つ き あ う こ と に な る 」人 は 、そ の 特 定 地 域
の 庶 民 の 方 言 を 勉 強 す る の が よ い だ ろ う 、と い う 。メ ド ハ ー ス ト 自 身 は 最 初
は 官 話 を 学 ん だ が 、マ レ ー 群 島 の 中 国 人 移 民 社 会 で は そ れ が 理 解 さ れ な い こ
と に 気 づ き 、 福 建 語 の 勉 強 を 始 め た 41 。
広 州 の 領 事 館 通 訳 だ っ た メ ド ウ ズ は 、広 東 省 在 住 の 商 人 を 対 象 に し た 言 語
調 査 に も と づ い て 、 ビ ジ ネ ス の た め に 中 国 語 を 学 ぼ う と す る も の は 、「 話 し
言 葉 と し て は 北 京 語 の み に 専 念 す る の が よ い 」、 ま た 政 府 の 官 吏 に な ろ う と
す る も の も 、「 そ れ に 、 ま た そ れ の み に 精 を 出 す べ き だ 」 と 、 さ ら に 北 京 語
に 限 定 し た 意 見 を 述 べ る 42 。 こ れ と お な じ 認 識 を 繰 り 返 し た だ け で な く 、 実
際 に 北 京 語 の 教 科 書 『 語 言 自 邇 集 』 を 1867 年 に 出 版 し 、 ロ ー マ 字 表 記 法 の
41
W.H. Medhurst, A Dictionary of the Hok-keen Dialect of the Chinese Language,
according to the reading and colloquial idioms ... the Honorable East India Company's
Press, 1832, Preface, vi.
42
Thomas Taylor Meadows, Desultory Notes on the Government and People of China,
pp. 45-46.
170
清末宣教師の文字改革と標準表記システム
(蒲)
面 で も お お き な 影 響 を あ た え た の が 、 ウ ェ イ ド ( Thomas Francis Wade) で あ
る 。か れ は 、ど の よ う な 中 国 語 を 勉 強 す べ き か と い う 質 問 は 、
「その答えは、
ま っ た く 質 問 者 の 職 業 に よ る 」。 つ ま り 、 言 語 学 者 な の か 商 人 な の か 、 そ れ
と も 宣 教 師 か 、 通 訳 官 か 、 が 問 題 な の で あ り 、 そ の な か で 、「 北 京 語 は 通 訳
官 が 学 習 す べ き 方 言 で あ る 」 と 断 定 し た 43 。
メ ド ウ ズ や ウ ェ イ ド が 、中 国 の 共 通 語 に な る の は 北 京 語 で あ る と 考 え て い
た か ど う か は 、 は っ き り し な い 。 そ れ に た い し て 、 す く な く と も Chinese
Recorder上 で も っ と も 早 い も の と し て は 、1877 年 に ヘ ル ム( B. Helm)が 、つ
ぎ の よ う な 意 見 を 提 出 し た 44 。 す な わ ち 、 か つ て ル タ ー の ド イ ツ 語 訳 聖 書 に
よ っ て 標 準 語 と し て の 高 ド イ ツ 語 が 成 立 し た よ う に 、「 わ れ わ れ は 、 高 ド イ
ツ 語 が あ の 国 で 占 め て い る よ う な 位 置 を 、官 話 も 中 国 で 徐 々 に 占 め る よ う に
目 指 す べ き で は な い だ ろ う か 」、「 現 在 、お な じ 教 派 の 教 会 が 、方 言 上 の 困 難
の た め に 、目 に 見 え る 統 一 を 示 す の が む ず か し く な っ て い る の が わ か る 」と
し た う え で 、も し さ ま ざ ま な ミ ッ シ ョ ン が 一 つ の 方 言 を 使 う こ と に 同 意 す れ
ば 、一 つ の 本 を お お く の 地 区 で 使 う こ と が で き 、こ れ は 印 刷 費 用 の 節 約 に も
な る 、と 述 べ る 。そ し て さ ら に 、
「しかし官話の利点を十分に引き出すには、
そ れ を ロ ー マ 字 化 す る 必 要 が あ る だ ろ う 」 と い う 。 た だ し 著 者 は 、「 こ の こ
と は す く な く と も 中 央 と 北 部 中 国 で は 実 行 可 能 で あ る 」と 断 っ て お り 、必 ず
しも中国全土の共通語として官話を考えていたのではない。
南 京 の 宣 教 師 リ ー マ ン( Charles Leaman)は 1887 年 に 、漢 字 で は 電 信 が 使
え な い こ と を 指 摘 す る な か で 、中 国 の 文 明 化 や 伝 道 に と っ て 官 話 の ロ ー マ 字
化 が 必 要 な こ と を 論 じ た 45 。 そ し て さ ら に 1898 年 に 、「 ロ ー マ 字 の 本 だ け で
わ れ わ れ の 用 が 足 り る よ う に な る 」と 述 べ る な か で 、と く に ロ ー マ 字 化 に つ
い て 、「 も っ と も 簡 便 で も っ と も 実 用 的 な 筆 記 方 法 は 疑 い な く ロ ー マ 字 表 記
で あ る 」、「 現 在 、官 話 諸 地 区 で 使 用 さ れ て い る い く つ か の ロ ー マ 字 化 シ ス テ
ム の な か か ら 、中 国 人 の た め の 、す っ き り と し て 実 用 的 な シ ス テ ム が 、す で
に 任 命 さ れ た ロ ー マ 字 化 委 員 会 か ら 容 易 に 提 示 さ れ る も の と 信 じ る 」と い う
46
43
。こうして、教会のより広範囲にわたる統一、とくに言語上の統一、そし
Thomas Francis Wade『 語 言 自 邇 集 』( Trübner、 1867 年 ? ) 序 iii。
“The Mandarin dialect for Christian Literature,” Chinese Recorder, vol.8 no.2,
1877.3-4, pp. 164-165.
45
Charles Leaman, “Telegraphy in China,” Chinese Recorder, vol.18 no.11, 1887.11.
46
Charles Leaman, “Missions to the Poorer Classes,” Chinese Recorder, vol.29 no.4,
44
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
171
て そ の た め の ロ ー マ 字 化 と 、 そ の 綴 り の 統 一 の 課 題 が 提 出 さ れ て き た 47 。
官 話 の ロ ー マ 字 化 と 綴 り の 統 一 の 問 題 に 入 る 前 に 、宣 教 師 に よ る 官 話 の 位
置 付 け に つ い て 、も う す こ し 見 て お き た い 。Chinese Recorderで は 1880 年 3、
4 月にはじめて、やはりリーマンが布教に限ってのことであるが、官話は中
国 の す く な く と も 3 分 の 2 が 使 っ て い る 言 葉 で あ り 、あ ら ゆ る 場 面 で 現 在 の
書物に取って代ることができ、官話のみが教会学校で使うべき言語である、
と す る 。そ し て 官 話 文 の モ デ ル と し て『 聖 諭 広 訓 』を あ げ た 48 。1892 年 4 月
に は 、「 も し 今 日 、 中 国 に 国 語 が あ る と す れ ば 、 そ れ は 衒 学 者 の 半 分 死 ん だ
文理ではなく、官吏と人々がともに〈官話〉として知っているものである」
と 、 よ り 一 般 化 さ れ た 意 見 が 出 さ れ る 49 。
た だ し 、中 国 の キ リ ス ト 教 界 で は 、こ う し た 議 論 と は べ つ に 、も う す こ し
具 体 的 な 実 践 の 場 面 で 、 実 は 19 世 紀 の 終 わ り ご ろ ま で に は 布 教 の 言 語 が 事
実 上 確 定 し よ う と し て い た 。そ れ は 、聖 書 の 発 行 部 数 の 上 に は っ き り と 現 わ
れた。
官話(漢字)版
554900 部
浅文理版
196700 部
古典版
184820 部
官話以外の漢字口語版
ローマ字口語版
46600 部
6700 部
こ れ は 、1894 年 度 の 聖 書 発 行 部 数 で 、聖 書 の 一 部 分 の み の も の も 含 む 50 。官
話 ( 漢 字 ) 版 が 、 文 言 版 ( 浅 文 理 と 古 典 ) を 上 回 っ た の で あ る 。 官 話 は 、発
音 は と も か く と し て 語 彙 の 面 で は き わ め て 統 一 さ れ て お り 51 、 地 域 差 の 問 題
はほとんど生じない。
1898.4, pp. 178-179. ロ ー マ 字 委 員 会 に つ い て は 次 節 を 参 照 の こ と 。
47
中 国 東 南 部 で 諸 方 言 の ロ ー マ 字 化 が 始 ま る の は 1850 年 代 で あ る 。そ れ に た い
し て 官 話 の ロ ー マ 字 化 が こ の よ う に 遅 く な っ て よ う や く 提 起 さ れ た の は 、官 話 が
す で に 漢 字 で 十 分 に 表 記 可 能 だ っ た こ と に よ る 。 W.P.A. Martin, “A Plea for
Romanization,” Chinese Recorder, vol.38 no.9, 1907.9, pp. 501-502 を 参 照 。
48
Charles Leaman, “The Book Language,” Chinese Recorder, vol.11 no.1, 1880.3-4,
pp. 118-119.
49
Jonathan Lees, “Letter to a Friend on Wen-li v. Vernacular,” Chinese Recorder,
vol.23 no.4, 1892.4, p. 178.
50
“Bible Publications for 1894,” Chinese Recorder, vol.26 no.11, 1895.11, p. 509.
51
A. Sydenstricker, “Romanizing the Official Dialect,” Chinese Recorder, vol.19 no.1,
1888.1, p. 37.
172
清末宣教師の文字改革と標準表記システム
(蒲)
③官話標準システムへの模索
1887 年 に リ ー マ ン が 電 信 を め ぐ っ て 官 話 の ロ ー マ 字 化 を 唱 え た こ と は す
で に 紹 介 し た が 、 こ れ に た い し て 、 す ぐ に 反 論 が 出 さ れ た 。「 現 在 、 非 常 に
よ く 知 ら れ て い る こ と だ が 、 官 話 の 発 音 の 普 遍 的 な 形 態 は 、 “宮 廷 方 言 ”で さ
え 存 在 し て い な い 」、 著 者 が 「 官 話 と い う 言 葉 を 使 う と き 、 ど こ の 言 葉 を 指
し て い る の か 」、 官 話 に は 「 統 一 さ れ た 発 音 、 つ ま り ロ ー マ 字 化 の 基 礎 が な
い 」 と 52 。 官 話 は 大 き く 分 け て 、 少 な く と も 北 京 を 中 心 と す る 官 話 と 、 南 京
を 中 心 に す る 官 話 の 、南 北 の 違 い が あ る 。ロ ー マ 字 化 と い う の は 発 音 を 表 記
す る こ と な の だ が 、い わ ゆ る「 官 話 」に は そ も そ も 一 定 の 発 音 が 存 在 し な い 、
と い う の で あ る 。こ れ に つ い て は 、す ぐ に 別 の 宣 教 師 が 、す こ し 改 変 を ほ ど
こ し た 南 京 語 は 、さ ま ざ ま な 地 域 の 人 に よ く 通 じ る と 、再 反 論 を 提 出 し た 53 。
結 局 、そ の の ち の 大 勢 と し て 宣 教 師 た ち は 、ロ ー マ 字 化 に か ん し て は 、特 定
地 域 の 官 話 を 選 ぶ の で は な く 、官 話 全 体 の 統 一 表 記 シ ス テ ム を 作 る 方 向 に 進
んだ。
システム作りは、つぎのような経緯をたどった。
ま ず 、 1877 年 の 在 華 プ ロ テ ス タ ン ト に よ る 第 1 回 総 会 の と き す で に 、「 中
国 語 音 を ロ ー マ 字 で 表 記 す る た め の 統 一 シ ス テ ム 」を 検 討 す る た め の 委 員 会
が 設 置 さ れ 54 、ま た 1890 年 の 第 2 回 総 会 で は 、官 話 の 音 声 を 綴 る た め の 統 一
シ ス テ ム に つ い て の 報 告 が あ っ た が 、い ず れ も 詳 細 は 不 明 で あ る 55 。1897 年 、
「 統 一 シ ス テ ム が こ れ ま で 採 用 さ れ て こ な か っ た の は 、わ れ わ れ の 官 話 地 区
で の 活 動 の 、 お お き な 過 ち の 一 つ だ 」 と い う 宣 教 師 が あ り 56 、 統 一 シ ス テ ム
が 布 教 上 の 重 要 問 題 と 考 え ら れ て い た と 同 時 に 、す く な く と も こ の 時 点 ま で
は 、こ れ と い っ た 進 展 の な か っ た こ と が う か が え る 。統 一 の 進 め 方 に つ い て
は 、テ ィ モ シ ー =リ チ ャ ー ド( Timothy Richard)が 課 題 を 整 理 し て い る 。リ チ
ャ ー ド に よ れ ば 、中 国 の 新 し い 表 記 シ ス テ ム を 考 え る と き は 、ま ず 一 つ の 標
準 的 な 言 語 に 固 定 す る こ と が 必 要 だ が 、こ れ が 官 話 で あ る こ と に は 疑 問 の 余
地はないとする。ただし、南北両官話の中間的なものを採用すべきであり、
52
同上。
A. Purist, “Romanizing the Official Dialect,” Chinese Recorder, vol.19 no.3, 1888.3,
p. 135.
54
Records of the General Conference of the Protestant Missionaries of China: held at
Shanghai, May, 10-24, 1877, p. 17.
55
A. O., “Romanized Colloquial,” Chinese Recorder, vol.28 no.1, 1897.1, p. 26.
56
同上。
53
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
173
「 ト マ ス =ウ ェ イ ド の よ う な 地 域 限 定 的 な も の で は な く 、 モ リ ソ ン 、 ウ ィ リ
ア ム ズ 、マ テ ィ ー ア 、バ ラ ー の よ う な 、も っ と 一 般 的 な 音 声 表 記 法 が 必 要 だ 」
と い う 57 。
ウ ェ イ ド の 表 記 シ ス テ ム は 北 京 語 に 特 化 し て お り 、そ の 点 が 画 期 的 で あ っ
た と 同 時 に 、そ の た め に 批 判 を あ び る こ と に な っ た 。福 州 領 事 の プ レ イ フ ェ
ア( Playfair)は そ の 著 書 の な か で 、
「 ト マ ス =ウ ェ イ ド 卿 の ロ ー マ 字 シ ス テ ム
は 、し か し な が ら 、し ば し ば 、一 般 的 な 目 的 に は 向 か な い と 断 言 さ れ て い る 」
と 、当 時 の 評 価 を 紹 介 し 58 、ま た マ テ ィ ー ア( Calvin W. Mateer)は そ の 官 話
教 本 の な か で 、ウ ェ イ ド の シ ス テ ム は「 そ れ 自 体 に 一 貫 性 が な く 、北 京 語 と
他 の 諸 方 言 と の 関 連 を ま っ た く 無 視 し 、あ た か も 北 京 語 以 外 の 方 言 へ の 適 用
を 排 除 し よ う と し て 構 成 さ れ た か の よ う だ 」 と い う 59 。
1899 年 、 中 国 教 育 協 会 ( The Educational Association of China) の 第 3 回 会
議 で 、 統 一 表 記 シ ス テ ム 策 定 の た め の 委 員 会 が 設 置 さ れ 60 、 よ う や く シ ス テ
ム 作 り が 本 格 化 す る 。 そ の 作 業 は 次 ぎ の よ う な 手 順 で 進 め ら れ た 61 。
(1)
ロ ー マ 字 の 各 文 字 の 音 価 を 決 定 し 、諸 官 話 の す べ て の 音 を 表 記 で き る
システムを構築する。
(2)
そ の シ ス テ ム に よ る「 比 較 音 声 表 」を 作 成 す る 。こ れ は 、約 3 千 の 漢
字 を 選 ん で 、そ の す べ て に 北 京 、山 東 西 部 、南 京 の 漢 字 音 を 、ま た 最 常 用 語
にはさらに漢口、満州、四川の発音を付したものである。
(3)
「 比 較 音 声 表 」か ら 、音 声 の 変 化 の 規 則 を 導 き 出 し 、そ れ ぞ れ の 漢 字
に つ い て 、 標 準 的 綴 り ( standard spelling) を 試 験 的 に 確 定 し 、「 標 準 音 声 表 」
を作成する。
(4)
「 標 準 音 声 表 」に も と づ い て 、音 節 表 、入 門 書 、福 音 書 の 一 部 を 印 刷
し、意見を求める。
ま も な く 、標 準 シ ス テ ム が ひ と ま ず 完 成 し た の ち 、1903 年 8 月 に 、江 西 省
の 牯 嶺( 廬 山 )で 同 シ ス テ ム に か ん し て 、南 京 か ら 成 都 ま で の 長 江 上 流 域 地
57
Timothy Richard, “Non-Phonetic and Phonetic Systems of Writing Chinese,”
Chinese Recorder, vol.29 no.11, 1898.11, p. 545.
58
G.M.H. Playfair, The Cities and Towns of China: A Geographical Dictionary, The
Kyoyeki Shosha, 1879?, Preface, vi.
59
C. W. Mateer, A Short Course of Primary Lessons in Mandarin, American
Presbyterian Mission Press, 1911, Preface, xv.
60
“Notes,” Chinese Recorder, vol.32 no.8, 1901.8, p. 410.
61
“Notes,” Chinese Recorder, vol.34 no.3, 1903.3, p. 144. “Mandarin Romanization,”
Chinese Recorder, vol.34 no.7, 1903.7.
174
清末宣教師の文字改革と標準表記システム
(蒲)
区 ( 湖 南 省 を 含 む ) の 会 議 が 開 か れ 、「 概 し て 満 足 で き る も の で 、 い く つ か
変 更 を 加 え る だ け で 揚 子 江 流 域 の 大 部 分 に 適 用 可 能 で あ る 」と の 意 見 を 、全
会 一 致 で 採 択 し た 62 。そ し て 1905 年 4 月 ま で に は 、山 東 の 登 州 大 学 や 、南 京
の Christian Collegeに も 導 入 さ れ 63 、シ ス テ ム の 解 説 書 、入 門 書 、マ タ イ に よ
る 福 音 書 、マ ル コ に よ る 福 音 書 の 試 訳 、8 頁 の 月 刊 誌 Pu Tung Wen Baoが 現 わ
れ た 64 。
1907 年 、マ ー テ ィ ン( William Martin)は 標 準 シ ス テ ム に つ い て 、「 す べ て
の人を満足させることはできず、私を満足させることもできない。しかし、
妥 協 す る こ と は 、協 同 の 代 償 で あ る 」と し て 、シ ス テ ム に 不 満 を も ら し つ つ
も 、お お く の 宣 教 師 と お な じ く 、や は り 普 遍 的 な 適 用 可 能 性 の 側 に 重 点 を お
い て 評 価 し て い る 65 。 な ぜ ウ ェ イ ド の よ う に 北 京 語 に 特 化 し て は な ら ず 、 さ
まざまな地域の音声にたいして普遍性をもった表記システムでなければな
ら な か っ た の か 。こ の 点 を 明 確 に 説 明 し た 文 章 は 見 当 た ら な い が 、す く な く
と も 宣 教 師 の 場 合 、そ の 理 由 は 容 易 に 想 像 が つ く 。そ も そ も 宣 教 師 が 口 語 の
ローマ字化を考えたのは、よりおおくの人に神の言葉を届けるためだった。
諸 官 話 は 、音 声 上 の 違 い が あ る も の の 、東 南 部 の 方 言 ほ ど で は な い 。統 一 さ
れ た 国 語 が 必 要 だ と い う 前 提 の も と で 、そ の 諸 官 話 に ゆ る や か に 網 を 掛 け る
よ う な か た ち で 表 記 シ ス テ ム を 作 り 上 げ れ ば 、そ の ロ ー マ 字 は 、北 京 語 な ど
に 限 定 す る 場 合 よ り 、も っ と 広 範 囲 に 理 解 さ れ る も の に な る 、と 考 え た の だ
ろ う 。ウ ェ イ ド が 通 訳 官 と い う 職 務 の た め に 北 京 語 を 選 ん だ の と 同 様 に 、宣
教師もその任務上、北京語のみを選ぶわけにはいかなかったのである。
4.おわりに
モ リ ソ ン の 死 後 、中 国 語 の ロ ー マ 字 化 の 課 題 が 在 華 西 洋 人 の 視 野 に 入 っ て
く る が 、そ れ は 、直 接 的 に は イ ン ド の 状 況 か ら 影 響 を 受 け た も の だ っ た 。そ
の 影 響 に は 、二 つ の 側 面 が あ っ た 。一 つ は 、非 ヨ ー ロ ッ パ 諸 言 語 の ロ ー マ 字
62
F.E. Meigs, “Romanization Meeting at Kuling,” Chinese Recorder, vol.34 no.10,
1903.10, p. 528. “The Mandarin Romanized,” Chinese Recorder, vol.35 no.1, 1904.1, p.
38.
63
“The Mandarin Romanized,” Chinese Recorder, vol.35 no.1, 1904.1, p. 38.
“Standard Mandarin Romanized,” Chinese Recorder, vol.36 no.4, 1905.4, p. 197.
64
“Romanized Mandarin,” Chinese Recorder, vol.36 no.3, 1905.3, p. 144.
65
W.A.P. Martin, “A Plea for Romanization,” Chinese Recorder, vol.38 no.9, 1907.9, p.
502.
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
175
化 と い う 考 え 方 そ の も の 、も う 一 つ は 、ジ ョ ー ン ズ に 代 表 さ れ る 統 一 表 記 シ
ス テ ム の 導 入 で あ る 。そ の 後 、1850 年 以 降 に ま ず 東 南 沿 海 地 区 で 口 語 の ロ ー
マ 字 化 が 本 格 化 す る 。19 世 紀 の 後 半 は 、こ う し て ロ ー マ 字 化 が 進 む と と も に 、
布 教 の た め に は そ も そ も 文 言 を と る べ き か 、そ れ と も 口 語 を と る べ き か と い
う 議 論 が 先 鋭 化 し て い く 時 期 で も あ っ た 。文 言 の も つ 流 通 性 と 文 人 の 影 響 力
を重視する前者の流れは、広学会の成立のなかで一つの頂点を迎える。
一 方 、宗 教 文 書 は 一 般 庶 民 に 理 解 可 能 な も の で あ る べ き だ と す る 口 語 論 者
は、その一つの結論として、官話標準表記システムにたどりつく。これは、
き た る べ き 中 国 の「 国 語 」 を 、 北 京 語 で は な く 「 官話 」 と し て 捉 え 、 そ の 標
準 音 声 を 確 定 す る 作 業 で も あ っ た 。諸 官 話 に は 音 声 上 の 違 い が 存 在 す る 。官
話 標 準 表 記 シ ス テ ム は 、そ の 違 い を 具 体 的 に ど の よ う に 調 整 し た の か に つ い
て は 、筆 者 は 同 シ ス テ ム の 入 門 書 、見 本 印 刷 等 を ま だ 入 手 し て お ら ず 、詳 細
は 不 明 で あ る 。し か し シ ス テ ム の 制 作 過 程 か ら み て 、そ れ が 民 国 初 年 の 読 音
統 一 会 が 作 り 上 げ た「 国 音 」的 な も の で あ っ た こ と は 想 像 で き る 。つ ま り 現
実 に は ど こ に も 存 在 し な い よ う な 音 声 体 系 で あ り 、い わ ば 、い わ ゆ る「 官 話 」
というものを音声的に作り上げようとする作業であったともいえよう。
そ の 計 画 が 本 格 化 し た の は 1899 年 の こ と で あ っ た 。 と こ ろ が そ の 7 年 前
に は す で に 盧 戇 章『 一 目 了 然 初 階 』が 出 版 さ れ 、文 字 改 革 と い う 、一 国 の 文
化 の 根 幹 に か か わ る 作 業 に 、中 国 人 自 身 が 参 入 し 始 め て い た 。こ う し て 、宣
教 師 た ち の ロ ー マ 字 へ の 努 力 は 、 19 世 紀 末 に 一 つ の 頂 点 に 達 す る と 同 時 に 、
歴 史 の 表 面 か ら 撤 退 す る こ と を 余 儀 な く さ れ る の で あ る 。た だ し 、庶 民 に も
理 解 可 能 な 中 国 語 と い う 理 想 は 、中 国 人 に よ っ て 受 け 継 が れ て 行 く こ と に な
る。
( 2004.2.27)
176
清末宣教師の文字改革と標準表記システム
(蒲)
第 4 回 漢字文化圏近代語研究会 177
於日本大阪 関西大学 2004.3.13-14
初期中国語訳聖書の系譜
『 四 史 攸 編 』『 神 天 聖 書 』『 聖 経 』 そ の 語 彙 的 特 徴 に つ い て
愛知大学・塩山正純
[1]3つの中国語訳聖書
『 四 史 攸 編 』 170?
Basset
『 神 天 聖 書 』 1813−1823
『 聖 経 』 1815−1822
Morrison
Marshman
[2]訳文
『四史攸編』がもとになった部分
「使徒行傳」第一章より
1節
【四】 陡婓勒
2節
余 先 言 耶穌 始行訓諸情
至于 以聖風 囑
所選之使徒
而被
取升天 之日
【神】 弟阿非羅 乎余 先 言 耶穌 始行訓諸情
至于 以聖風 囑其 所選之使徒 後 而被
取上去 之日
【聖】 弟亞非羅 乎吾 先 講 耶穌 始行 誨 諸情
迄
以聖風 命其 所選之使徒
而
升天 之日
『 四 史 攸 編 』( 4 つ の 福 音 書 合 訳 ) を 改 編 し た 部 分
「馬竇」第二章より
1節
【四】 耶穌 既生于 如達白冷黑洛特 王時即有數瑪日自東方來 柔撒冷
【神】夫 耶穌 生於 如氐亞 之 畢利恆 後至王 希羅得 之時卻有或嗎咥自東邊來至 耶
路撒冷
【聖】夫 耶穌 生於 如氐亞 之 畢利恆 後於 希羅得 王之時卻有哲人從東方來至 耶路
178
初期中国語訳聖書の系譜
(塩山)
撒冷
旧約部分は独自の訳
モリソン訳「以所多書」第二章より
10節
【神】且孩兒生長而婦帶他與 法拉阿 之女則孩為厥子而女呼其名叫 摩西 蓋女曰
因我從水撈孩出也
【聖】及子長婦攜之至 法老 之女處而為其子焉女曰因我拯其出自水中乃命其名
摩西
ミルン訳「復講法律傳」第二章より
1節
【神】我們就轉身起程入曠野向 紅海 之路照神主諭吾我們又周走西耳山多日也
【聖】且我等轉進於野田 紅海 之路運遊西兒山多日
[3]語彙
『神天聖書』に注のあるもの
1)キリスト教に関するもの
2つの悪魔
“氐 亞 波 羅 ”「 氐 亞 波 羅 意 謗 者 即 魔 鬼 者 也 ( 馬 竇 04-01)」
「 氐 亞 波 羅 者 厄 利 革 之 音 意 是 冤 枉 稱 者 也 是 惡 神 之 名( 路 加 04-02)」
「 氐 亞 波 羅 即 魔 鬼 之 首 ( 彼 多 羅 1 05-08)」
『 四 史 攸 編 』 で は “魔 ”( 5 −1 )
『 聖 経 』 で は “撒 但 ”( 馬 竇 04-01、 彼 多 羅 1 05-08) “魔 鬼 ”( 路 加 04-02)
“撒 但 ”「 撒 但 者 魔 鬼 是 也 ( 馬 耳 可 01-13)」
「 撒 但 即 是 魔 鬼 ( 馬 耳 可 03-23)」
「 音 譯 撒 但 者 魔 鬼 是 也 ( 若 翰 13-27)」
『 聖 経 』 で は す べ て “撒 但 ”
Morrison1822 で は
“DEVIL”or demon 鬼 kwei; 魔 鬼 mo kwei.
“SATAN”な し
“DEMON”鬼 kwei,expressed by an evil spirit,悪 神 go shin;魔 鬼 mo kwei;
邪 神 seay shin;悪 鬼 go kwei;狂 悖 的 悪 神 kwang pei leih go shin.
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
179
「 啞 門 ( ア ー メ ン )」「 啞 門 希 百 耳 音 義 乃 心 悅 有 如 此 ( 路 加 24-53)」
「 啞 門 兩 個 字 乃 我 心 願 為 如 此 之 意 也 ( 法 律 27-15)」
「 啞 唎 路 呀 ( ハ レ ル ヤ )」「 啞 唎 路 呀 譯 言 讚 頌 神 主 也 ( 現 示 19-04)」
「 彌 賽 亞 」「 乃 先 知 古 時 指 耶 穌 之 稱 ( 使 徒 26-23)」
「彌賽亞希百耳字音耶穌之別稱與基利士督厄利革字音同義通用即
是被傅油
者 古 禮 王 輩 祭 者 首 輩 及 先 知 輩 受 神 命 時 被 傅 油 者 ( 路 加 02-11)」
「 撒 百 日 / 撒 吧 日 」「 每 七 日 之 稱 安 息 之 日 是 也 ( 路 加 04-31)」
「 譯 言 安 息 日 ( 以 至 比 多 20-08)」
「 巴 所 瓦 / 吧 所 瓦 」「 意 越 過 也 指 一 段 故 事 ( 路 加 22-11)」
「 指 一 款 禮 以 色 耳 以 勒 之 人 每 年 所 該 守 一 次 者 也 ( 法 律 16-01)」
「 基 利 士 當 」「 即 是 屬 基 利 士 督 之 教 者 ( 使 徒 11-26)」
「 信 耶 穌 之 稱 ( 使 徒 26-28)」
2 ) モ ノ 「 ノ ア の 箱 舟 ( ark)」
「 啞 咡 革 」「 乃 大 船 之 類 ( 希 比 留 11-07)」
「 似 一 大 船 在 於 洪 水 時 ( 新 21 彼 多 羅 1 03-20)」
「 乃 略 似 大 船 ( 創 世 06-14)」
「 是 似 大 船 名 耶 穌 入 世 之 前 約 二 千 三 百 六 十 九 年 ( 創 世 07-07)」
『 聖 経 』 で は “舶 ( 希 比 留 11-07) ”
3)貨幣
「 大 林 大( タ ラ ン ト )」
「 氐 拿 利 以( デ ナ リ )」「 是 其 拉( シ ェ ケ ル )」「 利 比 大
(レプ
タ )、 瓜 氐 蘭 ( コ ド ラ ン ト )」
4)場所や地名
「巴比勒 Pa pe lih / Ba bi le(Babel)」ほか多数。
5)植物
「 吐 本 至 Too pun che( sponge)」
「 路 Loo( rue)」
「 啊 唎 瓦 O le wa( olive)」
「希
所 布 He so poo( hyssop)」
6)身分
「 馬 至 Ma che / Ma zhi( magi, magicians)」
「 馬 至 乃 大 學 問 輩 一 門( 馬 竇 02-01)」
「 嗎 至 聖 賢 之 屬 ( 創 世 41-08)」
「 東 方 の 三 博 士 の 一 人 」の 意 味 の ギ リ シ ャ 語 ‘μαγοι’、ラ テ ン 語 ‘magus’
の 複 数 形 ‘magi’の 音 訳 で あ る 。「 啦 比 」は「 師・先 生( 啦 比 譯 言 師 也 …
180
初期中国語訳聖書の系譜
(塩山)
馬 竇 23-07)」 の 訳 で あ る 。
7)人名
「 Hosanna( ホ サ ナ )」「 何 散 拿 譯 言 讚 頌 神 之 意 ( 馬 竇 21-09)」
「 音 譯 何 散 啞 即 我 求 今 救 也 ( 馬 耳 可 11-09)」
「 何 撒 拿 請 福 安 之 意 ( 若 翰 12-13)」
その他、度量衡、動物、時代などについての説明がある。
[4]語彙
白話の要素
“便 、得 、裡 、這 、底 / 的 、着 、子 ”
“從 (介 詞 )”( “ 自”“ 由”)
“在 (介 詞 )”
“願 意 ”
“特 意 ”
“不 拘 ”と“不 論 ”
“不 但 〜乃 / 〜且 / 〜而 / 〜即 ”
“除 〜外 ”
“就 ”
“差 不 多 ”
“連 / 聯 ”
“連 〜亦 / 連 〜”
“ 该、〜过、〜去、〜上、为什么、爷们、我们、他、地下”
“很 / 狠 ”
“總 ”“ 你们、他们”
[5]語彙
その他特徴のあるもの
比 較 : 3 つ の 聖 書 、 ブ リ ッ ジ マ ン = カ ル バ ー ト ソ ン 訳 、 欽 定 訳 ( 英 )、 文 語
訳
「 臺 場 ( げ き じ ょ う )」
【 神 】 亞 西 亞 數 尊 貴 人 素 為 厥 契 友 , 亦 差 人 請 之 毋 投 于 臺 場 。( 使 徒 19-31)
【四】亞細亞數尊貴人素為厥契友,亦差人請之毋投于 臺場 。
【聖】數亞西亞尊貴人素為其厚友,亦遣使勸之莫投自于 臺場 。
第4回
漢字文化圏近代語研究会
181
予稿集
【裨】亞西亞宗伯數人,與保羅為友者,亦遣人勸之,勿自投於 戲館 。
【 英 】 And certain of the chief of Asia, which were his friends, sent unto him,
desiring him that he would not adventure himself into the theatre.
【 日 】又 ア ジ ア の 祭 の 司 の う ち の 或 者 ど も も 彼 と 親 し か り し か ば 、人 を 遣 し て
劇場に入らぬやうにと勧めたり。
「 麵 包 ( パ ン )」
【 神 】 會 在 席 時 , 其 取 麵 包 言 之 福 , 擘 之 , 而 分 與 伊 等 。 (ルカ 24-30)
【四】
﹣
【聖】既在席其取 麵頭 言之福擘之而分與伊等。
【裨】在席間,耶穌取 餅 祝謝,擘而予之。
【 英 】And it came to pass, as he sat at meat with them, he took bread, and blessed it,
and brake, and gave to them.
【日】共に食事の席に著きたまふ時、パンを取りて祝し、擘きて与へば、
A DICTIONARY OF THE CHINESE LANGUAGE PART
) 中,“BREAD”
解释为“麵 頭 meen tow; 麵 包 meen paou. Bring the bread, 拿 麵 頭 來 na
meen tow lae.”
「 議 會 ( ぎ か い )」 同 義 に “公 所 ”“會 所 ”。
【 神 】 然 此 等 亦 可 言 我 在 厥 議 會 中 , 責 我 有 何 不 公 平 之 情 。( 使 徒 24-20)
【四】然此等亦可言我在厥 議會 中,責我有何不公平之情。
【聖】然此輩亦可言我在 議會 中,責我有何惡端。
【裨】或我立議會前,在茲者見我有不義之處,亦可言也。
【 英 】 Or else let these same here say, if they have found any evil doing in me, while
I stood before the council.
【 日 】或 は ま た 此 処 な る 人 々 、わ が 先 に 議 会 に 立 ち し と き 、我 に 何 の 不 義 を 認
めしか言へ。
「原告」と「被告/被告人」
【神】我答以羅馬規矩不容 被告人 未曾對質諸 原告 以能表白己罪而先被問罪。
( 使 徒 25-16)
【四】我答以羅瑪規矩不容 被告人 未對質諸 原告 以能表白己罪前被問罪。
182
初期中国語訳聖書の系譜
(塩山)
【聖】我答以羅馬規矩不容 被告人 未對質諸 原告 以能表白己罪前先被問罪。
【 裨 】我 曰,被 訟 之 人,未 得 與 訟 者 面 質,以 自 訴 己 事,遂 付 之 於 死,非 羅 馬 人
例也。
【 英 】To whom I answered, It is not the manner of the Romans to deliver any man to
die, before that he which is accused have the accusers face to face, and have licence
to answer for himself concerning the crime laid against him.
【 日 】我 は 答 へ て 、訴 え ら る る 者 の 未 だ 訴 ふ る 者 の 面 前 に て 弁 明 す る 機 を 与 え
られぬ前に付すは、ロマ人の慣例にあらぬ事を告げたり。
こ の 他 、「 裁 判 官 」 に あ た る “審 司 ”、「 裁 き 」 に あ た る “審 判 ”が あ る 。
現代語と意味が異なるもの
「 工 業 ( work)」
【 神 】伊 等 事 主 而 齋 時 聖 風 謂 之 曰,汝 曹 拔 掃 羅 與 巴 耳 拿 巴,置 與 伊 以 就 我 所 為
取 伊 等 之 工 業 也 。( 使 徒 13-02)
【 四 】聖 風 謂 之 曰,汝 曹 拔 埽 琭 與 巴 納 伯,置 與 我 以 就 我 所 為 取 伊 等 之 工 業 也 。
【 聖 】伊 等 齋 事 主 而 聖 風 謂 之 曰,爾 等 拔 巴 耳 拿 巴 及 掃 羅 置 與 伊 以 就 我 所 為 取 伊
等之 工業 也。
【裨】事主禁食時,聖靈曰,為我甄別巴拿巴,掃羅,俾行我所命彼之職。
【 英 】 As they ministered to the Lord, and fasted, the Holy Ghost said, Separate me
Barnabas and Saul for the work whereunto I have called them.
【 日 】彼 ら が 主 に 事 へ 断 食 し た る と き 、聖 霊 い ひ 給 ふ「 わ が 召 し て 行 は せ ん と
する業の為にバルナバとサウロとを選び、別て」
「 落 地 ( 地 面 に 倒 れ る )」
【 神 】 我 儕 既 偕 落 地 , 余 聽 聲 希 百 耳 音 曰 , 掃 羅 , 掃 羅 ,( 使 徒 26-14)
【四】我儕既皆 落地 ,余聽聲赫伯音曰,埽琭,埽琭,
【聖】我等既皆仆地,我聞聲希百耳音曰,掃羅,掃羅,
【裨】眾皆仆地,我聞聲亦希伯來方言語我曰,掃羅,掃羅,
【 英 】 And when we were all fallen to the earth, I heard a voice speaking unto me,
and saying in the Hebrew tongue, Saul, Saul,
【 日 】我 等 み な 地 に 倒 れ た る に 、ヘ ブ ル の 語 に て「 サ ウ ロ 、サ ウ ロ 、……」と
いふ声を我きけり。
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
183
周辺
旧教『古新聖経問答』
语言资料
『 新 遺 詔 書 』 1813
『 神 天 聖 書 ( 旧 約 部 分 )』 1823
『 聖 経 』 1815-1822
『新約全書』上海美華書館
1864
『舊新約聖書・文語訳』日本聖書協会
1991
THE BIBLE AUTHORIZED KING JAMES VERSION
主要参考文献
太 田 辰 夫 1981
尾 崎 實 1991
『中国語歴史文法』朋友書店
「 清 代 末 期 に お け る パ ン の 受 容 度 」『 関 西 大 学 文 学 論 集 』
40 巻 3 号
川 島 第 二 郎・土 岐 健 治 2001「 初 期 日 本 語 訳 聖 書 と 中 国 語 訳 聖 書 」
『聖書の世界』
自由国民社
香 坂 順 一 1983
『白話語彙の研究』光生館
蘇 精 2000『 馬 禮 遜 與 中 文 印 刷 出 版 』 台 湾 学 生 書 局
柳 父 章 1986
『ゴッドと上帝』筑摩書房
都 田 恒 太 郎 1974
『ロバート・モリソンとその周辺』教文館
矢 沢 利 彦 1967「 最 初 の 漢 訳 聖 書 に つ い て 」『 近 代 中 国 研 究 セ ン タ ー 彙 報 』
No.9 近 代 中 国 研 究 セ ン タ ー
吉 田 寅 1997
『中国プロテスタント伝道史研究』汲古書院
184
初期中国語訳聖書の系譜
(塩山)
(資料1)
上段/四史攸編<使徒行>
中 段 / 馬 禮 遜《 神 天 聖 書 》< 使 徒 行 傳 卷 五 >
段/《聖經》<使徒行傳>
1
【四】 陡婓勒
余 先 言 耶穌 始行訓諸情
【神】 弟阿非羅 乎余 先 言 耶穌 始行訓諸情
【聖】 弟亞非羅 乎吾 先 講 耶穌 始行 誨 諸情
2
【四】 至于 以聖風 囑
所選之使徒
而 被取升天 之日
【神】 至于 以聖風 囑其 所選之使徒 後 而被 取上去 之日
【聖】 迄
以聖風 命其 所選之使徒
而
升天 之日
3
【四】蓋受難
四旬 多
已活 現 伊等
而言 天 國之情
【神】蓋受難 後其以多實憑據 四旬 之間現 已活 與 伊等 看 而言 神 國之情
【聖】蓋受難 後其以多確證驗 四旬 之間現 已活 教 伊等 看 而言 神 國之情
4
【四】又同 食間 命 曰 勿離 柔撒冷
惟 候 父之許 汝曹 所 曾 聞出吾口
【神】又同 食間 命 曰 勿離 耶路撒冷 惟 倘 父之許 汝曹 所 曾 聞出吾口
【聖】又同 集際 命 云 勿離 耶路撒冷 惟 候 父之許 汝等 所 嘗 聞出吾口
5
【四】蓋 若翰 固 受 水 洗汝曹乃 不日
受聖風之 洗
【神】蓋 若翰 固 施 水 洗汝曹乃 不日 必 受聖風之 洗
【聖】蓋 若翰 固 施 水 蘸汝等
不日 則 受聖風之 蘸也
6
【四】且集會者問之曰主爾 復舉 依臘尒
國于此時 乎
【神】且集會者問之曰主爾 復舉 以色耳以勒 國于此時 乎
【聖】且集會者問之曰主爾 于斯時復舉 以色耳勒
7
【四】答伊等 曰爾弗宜 知父能特定之 時刻
【神】答伊等 曰爾弗宜 知父能特定之 時刻
【聖】答伊等 云汝不當 知父能特定之 時候
8
國乎
下
第4回
漢字文化圏近代語研究会
【四】惟汝將受 上臨汝聖風之德 而汝
列
185
予稿集
為吾証于 柔撒冷
與 如達
諸方于 撒瑪
至地末之境也
【神】惟汝將受 上臨汝聖風之德 而汝
為吾証于 耶路撒冷 與 如氐亞 諸方于 撒馬
利亞 至地末之境也
【聖】惟汝將受 德于
聖風臨後 而汝 則 為吾證于 耶路撒冷 及 如氐亞 諸方于 沙麻
利亞 至地末之境也
9
【四】言 斯畢 眾 見 之
騰 上而雲接之 于厥 目
【神】言 此畢 眾 視 之 時昇 上而雲接之 於厥 目
【聖】言 此已 眾 睹 之
升 上而雲接之 於眾 目
10
【四】眾仰天
視 其升時 突 有 白 衣二人 近 伊等
立曰
【神】眾仰天
視 其升時 突 有 白 衣二人 近 伊等
立曰
【聖】眾仰天 注視 其升時 俄 有 皓 衣二人 附 伊等 而 立曰
11
【四】 加里辣 人 汝曹何立 仰天耶此 耶穌 由爾輩 舉升天者 依然見 其 往 天之樣後必
如此
來也
【神】 加利利 人 汝曹何立 仰天耶此 耶穌 由爾輩 舉升天者 依然見 其 往 天之樣後必
如此
來也
【聖】 加利利 人 爾等奚佇 仰天耶此 耶穌 從爾等 舉升天者 宛然睹 其 適 天之樣後必
若是而 來也
12
【四】伊等自山名 遏里瓦 離 柔撒冷
撒罷路
者 歸 柔撒冷
【 神 】 伊 等 自 山 名 阿 利 瓦 離 耶 路 撒 冷 撒 百 #日 路 者 歸 耶 路 撒 冷
【 聖 】 伊 等 自 山 名 阿 利 瓦 離 耶 路 撒 冷 撒 百 #日 路 者 旋 耶 路 撒 冷
13
【四】 而入
騰高庭 伯多羅 及 若翰雅各伯 及 安德肋婓理伯 及 多默巴
馬寶
之子 雅各伯西滿
亞阜
【神】 而入
馬寶
及 雅各伯 之弟 茹答
多茂
皆居之所
騰高庭 彼多羅 及 者米士若翰 及 安得路腓利百 及 多馬士巴耳多羅茂
亞勒腓五 之子 牙可百西們洗羅氐 及 牙可百 之弟 如大士 皆 居 之 所
【聖】 既入而 登高庭 彼多羅
牙可百若翰
安得路腓利百
多馬士巴耳多羅茂
馬寶 及 亞勒非五 之子 牙可百西滿洗羅氐 及 牙可百 之弟 如大士 皆 住 之 處
186
初期中国語訳聖書の系譜
(塩山)
14
【四】 此 眾偕數婦及 耶穌 之母 瑪利亞 及厥 弟兄
合一 心恆于祈禱
【神】 此 眾偕數婦及 耶穌 之母 馬利亞 及厥 弟兄們合一 心恆于祈禱
【聖】 斯 眾偕數婦及 耶穌 之母 馬利亞 及厥 兄弟
同
心恆于祈禱
15
【四】彼日間會集 一百
二十人而 伯多羅
中起曰
【神】彼日間會集 一百
二十名而 彼多羅
中起曰
【聖】彼日間會集 約百有二十人
彼多羅 於門徒 中起曰
16
【四】 吾
弟兄們 經內聖風以 達未
口所預指 儒達
率擒 耶穌 輩者之情夫經必
驗矣
【神】 人與弟兄們 經內聖風以 大五得 口所預指 如大士 率擒 耶穌 輩者之情夫經必
驗矣
【聖】 人與兄弟
經內聖風以 大五得 口所預指 如大士 率擒 耶穌 輩者之情夫經必
驗矣
17
【四】其向入吾數而 幸 獲 斯職分
【神】其向入吾數而
獲 斯職分
【聖】其向入吾數而 幸 獲 此職
18
【四】其 以 惡逆之價 得 一地而 縊衷 破而厥腸盡傾洩
【神】其 以 惡逆之價 買 一地而 縊衷 破而厥腸盡傾洩
【聖】其 用 惡逆之價 購 一地而 倒腹 破而厥腸盡傾洩
19
【四】凡居 柔撒冷
者 悉 知 焉 致 斯 地以 厥 音名 哈瑟達瑪
即血之地
【神】凡居 耶路撒冷 者 悉 知 焉 致 斯 地以 厥 音名 亞革勒大馬#即血之地
【聖】凡居 耶路撒冷 者 咸 知 矣 致 該 地以 其 音名 亞革勒大馬#即血之地
20
【四】蓋 詠書紀 云其 居之所即 為荒廢無人 住 之而其牧職 即 他人受之
【神】蓋 詩書記 云其 居之所即 為荒廢無人 住 之而其牧職 即 他人受之
【聖】蓋 詩書記 云其 住處
21
宜 為荒廢無人 居 之而其牧職 宜 他人受之
第4回
【四】 是以
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
此 眾偕 我輩 常集會 見 吾主 耶穌 出入
【神】 是以由此 眾偕 我輩 常集會 見 吾主 耶穌 出入
【聖】 故
由斯 眾偕 吾儕 常集會 睹 吾主 耶穌 出入
22
【四】始自 若翰 洗 至其 自吾輩 升舉 者當選 一同 吾輩 為其復活之証 矣
【神】始自 若翰 洗 至其 自吾輩 升舉 曰必選 一同 吾輩 為其復活之証 矣
【聖】始自 若翰 蘸 至其 從吾儕 升舉 曰務掄 一同 我等 為其復活之證
23
【四】 遂 立二 若瑟
名 巴撒巴
稱義者及 馬第亞
【神】 遂 立二 若色弗 名 巴耳撒巴 稱義者及 馬太亞
【聖】 隨 立二 若色弗 名 巴耳撒巴 稱義者及 馬太亞
24
【四】眾 祈 曰主知眾心者 懇 示 此 二爾所選之一
【神】眾 祈 曰主知眾心者 懇 示 此 二爾所選之一
【聖】眾 禱 曰主知眾心者 求 示 斯 二爾所選之一
25
【四】
補
儒達
【神】
補
如大士 已負 義以往己 所 者 此職使徒之位
【聖】 以補受 如大士
已負 義以往己 所 者 此職使徒之位
背 義以往己 處 者 使徒此職
26
【四】 遂給 伊等 鬮 而 鬮 落 馬第亞
即入
十二 使徒之數
【神】 遂給 伊等 卦 而 卦 落 馬太亞 其即入
十一 使徒之數
【聖】 隨與 伊等 卦 而 卦 落 馬太亞 其遽補受十一 使徒之數 焉
187
188
初期中国語訳聖書の系譜
(塩山)
(資料2)
馬竇2章
上段/馬禮遜《神天聖書》
下段/《聖經》
1
【 神 】夫 耶 穌 生 於 如 氐 亞 之 畢 利 恆 後 至 王 希 羅 得 之 時 卻 有 或 嗎 咥 自 東 邊 來 至 耶 路
撒冷
【四】耶穌既生于如達白冷黑洛特王時即有數瑪日自東方來柔撒冷
2
【神】曰彼生如大輩之王者何在蓋我們在東方見過厥星而且來拜之
【四】曰如達王新生者何在我等自東見其星我等特來拜崇
3
【神】王希羅得聞此則惶而通耶路撒冷偕之一然也
【四】黑洛特聞驚慌舉柔撒冷皆然
4
【神】其既集諸祭者首與民之書士輩會問伊等及彌賽亞該在何處而生
【四】王集會鐸德諸宗與民中書士諮究以基利斯督必生何處
5
【神】伊等謂之曰於如氐亞之畢利恆蓋其先知者言如此云
【四】皆曰于如達之白冷蓋有先知者曰
6
【 神 】且 汝 畢 利 恆 於 如 大 省 者 非 為 如 大 有 名 聲 之 至 小 蓋 君 將 出 爾 其 必 為 治 我 以 色
耳以勒之民
【 四 】且 汝 白 冷 如 達 之 土 耶 爾 非 為 如 達 宗 城 間 微 末 因 自 汝 將 出 一 督 牧 治 吾 民 依 臘
爾者也
7
【神】且希羅得既私喚該嗎咥勤問及伊等於何時星現著
【四】維時黑洛特暗邀瑪日備細究見星之時候
8
【神】又其遣伊等往畢利恆曰爾去勤詢及嬰兒遇之之時則回報致我亦往去拜之
【四】且遣之往白冷曰汝等赴勤查問嬰孩諸情得遇旋報余亦欲往奉拜
9
【 神 】伊 等 聞 希 羅 得 王 之 後 即 往 去 且 卻 伊 等 在 東 方 見 過 之 星 先 伊 等 而 行 待 來 至 嬰
兒所在之頂上方立止
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
189
【四】聆王畢即往而其在東所見之星即先之至嬰孩居所方至
10
【神】伊等見星時則歡喜之極矣
【四】其見星不勝歡喜
11
【 神 】伊 等 進 家 時 即 見 嬰 兒 同 厥 母 馬 利 亞 故 伊 等 俯 伏 拜 之 又 開 了 盒 即 獻 之 以 金 以
乳香以沒藥也
【四】且入屋遇嬰孩與厥母瑪利亞即伏地朝拜啟笈獻禮黃金乳香沒藥
12
【神】且夢中伊等得神示不可回希羅得故伊等往別路回本地
【四】夢間得示弗回黑洛特而從別道歸厥方
13
【 神 】已 往 去 後 卻 主 之 神 使 夢 中 現 與 若 色 弗 謂 之 曰 起 也 取 嬰 兒 同 厥 母 避 逃 以 至 百
多去而在彼等我再示爾知蓋希羅得尋嬰兒之命欲滅之也
【 四 】及 有 主 之 使 夢 間 見 若 瑟 曰 汝 起 攜 嬰 暨 厥 母 而 逃 厄 日 多 居 彼 待 余 再 示 蓋 黑 洛
特將覓嬰以殺
14
【神】其則起身取嬰兒而夜間往向以至百多
【四】若瑟即夜起攜嬰與厥母遁往厄日多
15
【神】又居彼待希羅得死了之時致驗主以先知所言云出以至百多我喚我子矣
【四】而居彼至黑洛特之亡以成主托先知而示之言自厄日多余召吾子
16
【 神 】時 希 羅 得 見 嗎 咥 騙 之 則 大 生 氣 而 差 役 出 外 殺 在 畢 利 恆 及 其 界 諸 嬰 兒 從 兩 歲
以下依其所勤問及嗎咥之時
【 四 】維 時 黑 洛 特 見 瑪 日 給 之 怒 甚 即 依 先 究 問 瑪 日 之 時 凡 二 歲 以 下 在 白 冷 與 鄰 裔
之嬰孩使盡殺焉
17
【神】當時先知耶利米亞之語得驗云
【四】爾時熱肋蔑先知之言成驗其曰
18
【 神 】於 拉 馬 聞 得 哀 哭 之 聲 大 憂 泣 拉 至 利 哭 為 厥 嬰 兒 們 又 因 伊 等 不 在 故 不 接 安 慰
190
初期中国語訳聖書の系譜
(塩山)
矣
【四】聲聞于臘媽涕哭甚多臘客泣諸子弗欲受慰因皆不在矣
19
【神】且希羅得死了後主之神使夢中現與若色弗
【四】黑洛特既王主之使即見若瑟于厄日多夢間曰
20
【神】曰起也取嬰兒同厥母往去以色耳以勒之地蓋尋殺嬰兒者已死
【四】汝起攜嬰與厥母而回依臘爾土蓋謀殺嬰命者皆已死矣
21
【神】故其起取嬰兒同厥母來以色耳以勒之地
【四】其起攜嬰與厥母而來依臘爾土
22
【 神 】惟 聞 亞 耳 其 老 士 在 如 氐 亞 接 厥 父 之 王 職 則 怕 往 彼 但 得 夢 中 之 示 其 轉 向 加 利
利之方
【四】聞雅格老嗣父黑洛特王如達因懼往焉且夢間得示而退往加里辣方
23
【神】而來於城名拿撒勒致驗先知輩所預言云其將得稱為拿撒勒之人也
【四】且來居一邑名納匝肋以成諸先知之言蓋彼稱納匝肋者
第 4 回 漢字文化圏近代語研究会 191
於日本大阪 関西大学 2004.3.13-14
台湾における外国地名の表記について
――日本占領時代の『臺灣民報』を中心に
(台湾)銘傳大學・王敏東ほか
○、はじめに
本 発 表 で 検 討 し た い の は 日 本 占 領 時 代 ( 1895 年 ~ 1945 年 ) の 間 、 台 湾 人 の
手によってつくられた唯一の新聞-『臺灣民報』で使われていた外国地名の表
記である。
一 、 19 世 紀 以 降 の 台 湾
1895 年 以 前 -
1895 年 ~ 1945 年 -
1949 年 以 降 -
二、台湾における外国地名の表記
1895 年 以 前 -
1895 年 ~ 1945 年 -
1949 年 以 降 -
三、本発表で取り扱う問題
時 期 - 日 本 占 領 時 代 ( 1895 年 ~ 1945 年 )
資料-『臺灣民報』
外 国 地 名 - ‘ ア フ リ カ ’‘ ア メ リ カ ’‘ イ タ リ ア ’‘ オ ー ス ト ラ リ
ア’‘ドイツ’‘フランス’
三 - 一 、『 臺 灣 民 報 』
* 大 正 12 年 ( 1923 年 ) 4 月 15 日 に 創 刊 。 昭 和 5 年 ( 1930 年 ) 3 月 29 日
台湾における外国地名の表記について
192
(王ほか)
からは『臺灣新民報』と改名。
* 第 1 号 ~ 第 7 号:半 月 に 1 回 。第 8 号 ~ 第 58 号:旬 刊 。第 59 号 ~ 週 刊 。
昭 和 7 年 ( 1932 年 ) 4 月 15 日 ~ 日 刊 。 1 ~ 305 號 。
* 創 刊 当 時 は 東 京 で 印 刷 。 昭 和 2 年 ( 1927 年 ) か ら は 台 湾 で 印 刷 。
* 日本占領時代において唯一台湾人の手によってつくられた新聞。
「専用平易的漢文」
( 注 大 正 12 年 4 月 15 日「 創 刊 詞 」
。)の た め 、記 事 は 主 に
漢文で書かれている。が、日本や中国大陸で書かれたものの翻訳や、日本語で
書かれたものも散見。
三-二、日中両国における外国地名の表記
『 坤 輿 萬 國 全 圖 』( 1602 年 )
『 海 國 圖 志 』( 1847 年 )
『 瀛 環 志 略 』( 1848 年 )
(一)‘アフリカ’
中 国 :『 坤 輿 萬 國 全 圖 』( 1602 年 ) - 「 利 未 亞 」
『 坤 輿 圖 説 』( 1672 年 ) - 「 亞 非 利 加 」
日 本 :「 利 未 亞 」「 亞 非 利 加 」
「 弗 」(「 亞 弗 利 加 」 な ど )、「 仏 ( 佛 )」、「 払 ( 拂 )」 を 用 い た 「 フ ツ 」
系 表 記 明 治 43 年 か ら の 第 二 期 読 本 で は 漢 字 表 記 と し て は 「 亜 弗 利
加」しかみられなかった(注
貝 ( 1997)。)。
(二)‘アメリカ’
中 国 :『 坤 輿 萬 國 全 圖 』( 1602 年 ) - 「 亞 墨 利 加 」( 大 陸 名 )
「 メ リ ケ ン 」、「 合 衆 国 」 や 「 花 旗 国 」
19 世 紀 中 期 以 降 - 「 亞 美 利 加 」「 美 利 堅 」 や そ の 略 称 で あ る 「 美 」
な ど 、「 美 」 を 含 む 表 記 が 主 流 。
日 本 :「 亜 米 利 加 」「 米 利 堅 」「 米 」 な ど 、「 米 」 系 の 表 記 が 多 く 用 い ら れ
ている。
(三)‘イタリア’
中 国 :『 坤 輿 萬 國 全 圖 』( 1602 年 ) - 「 意 大 里 亞 」
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
193
現 在 、 台 湾 で は 「 義 大 利 」( 1995 年 『 外 國 地 名 譯 名 』)、 中 国 大 陸 で
は 「 意 大 利 」( 1983 年 『 外 国 地 名 訳 名 手 冊 』)
日 本 :「 意 大 里 亞 」
18 世 紀 初 期 に 「 大 」 → 「 太 」、 以 後 ず っ と 優 勢
18 世 紀 末 ( 注 た と え ば 「 伊 多 利 亜 」( 1796 年 、 橋 本 宗 吉 の 『
蘭新
訳 地 球 全 図 』)。) か ら 「 伊 」 で は じ ま る 表 記 が み ら れ 、 19 世 紀 後 半 か ら
多用されるようになっていた。
明治期の教科書で‘イタリア’を現す唯一の漢字表記-「伊太利」
(注
貝 ( 1997)。 )
(四)‘オーストラリア’
中 国 :『 瀛 環 志 略 』( 1848 年 ) - 「 澳 大 利 亞 」。 こ の 「 澳 」 で 始 ま る 表 記 が
終始優勢。
日 本 :「 澳 」 で 始 ま る 表 記 - 19 世 紀 後 半 ~ 20 世 紀 初 頭 以 後 日 本 独 自 の 「 豪
( 濠 )」 系 の 表 記 が 多 く 用 い ら れ て い る 。
(五)‘ドイツ’
中 国 : 19 世 紀 以 後 - 「 德 意 志 」 ま た は 「 德 國 」 の よ う な 「 德 」 系 の 表 記 。
日 本 : 1830 年 代 か ら - 「 獨 ( 独 ) 乙 」「 獨 ( 独 ) 逸 」 の よ う な 「 独 ( 獨 )」
系の表記(注
中国の影響を受けず、日本でつくられた独自の表記
だ と 思 わ れ る 。)
(六)‘フランス’
中 国 :「 仏 ( 佛 ) 国 」 に 由 来 す る と 思 わ れ る 表 記 は 古 い 用 例 が み ら れ る 。
『 海 國 圖 志 』( 1847 年 ) - 「 法 蘭 西 」
現 在 、台 湾 で は「 法 蘭 西 」、あ る い は そ れ を 略 し た 形 の「 法 國 」
( 注 1995
年 に 中 華 民 国 教 育 部 が 公 布 し た『 外 國 地 名 譯 名 』で は「 法 蘭 西 」と「 法
國 」、1983 年 に 中 国 大 陸 の 地 名 委 員 会 が 編 纂 し た『 外 国 地 名 訳 名 手 冊 』
で は 「 法 国 」。)
日 本 :「 仏 ( 佛 ) 国 」「 仏 ( 佛 )」 と 表 記 す る こ と が あ る 。
明治期-漢字表記としての「仏蘭西」が用いられた。
終 始 こ の 中 国 か ら 将 来 さ れ た 「 仏 ( 佛 )」 系 の 表 記 を 広 く 用 い 続 け 、
台湾における外国地名の表記について
194
(王ほか)
今 で も 「 仏 」「 仏 国 」 と い う よ う な 形 が 残 っ て い る 。
四 、『 臺 灣 民 報 』 で み ら れ る 外 国 地 名 の 表 記
『臺灣民報』であつめた‘アフリカ’‘アメリカ’‘イタリア’‘オースト
ラリア’‘ドイツ’‘フランス’の6地名の用例数及びパーセンテージはそれ
ぞ れ ‘ ア フ リ カ ’ 50 例 の 2 % 、‘ ア メ リ カ ’ 1184 例 の 51% 、‘ イ タ リ ア ’ 151
例 の 7 % 、‘ オ ー ス ト ラ リ ア ’ 38 例 の 2 % 、‘ ド イ ツ ’ 336 例 の 15% 、‘ フ ラ
ン ス ’ 520 例 の 23% (
。注
今回調査対象とした‘アフリカ’‘アメリカ’‘イ
タリア’‘オーストラリア’‘ドイツ’‘フランス’の6地名がいっさい出て
いない『臺灣民報』は4部あった。なお、台湾中央図書館と台湾大学総図書館
に 所 蔵 さ れ て い る 『 臺 灣 民 報 』 は い ず れ も 「 第 284 號 」 が 欠 如 し て い る 。)。
作者別(注
作 者 の 署 名 。) で 分 け る と 、 台 湾 人 、 日 本 人 、 転 載 、 翻 訳 と 、
明示されていないものという5種に分けられる。転載、翻訳の原作は更に、日
本の新聞に載せられた社説などと、ある個人が書いたものとに大別できる。ま
た 、 他 社 の 新 聞 社 説 に は 、 日 本 の も の ( 注 「 大 阪 毎 日 新 聞 」「 大 阪 朝 日 新 聞 」
「東京日日」
「 報 知 新 聞 社 」計 7 社 あ る 。)の 他 に 、中 国 大 陸 の も の( 注 「 國 民
日 報 」「 天 津 益 世 報 」「 中 華 新 報 」 計 4 社 あ る 。) も あ っ た 。
(一)‘アフリカ’
「阿弗利加」
( 13 例 、26% )、
「亞弗利加」
( 6 例 、12% )、
「阿佛利加」
(3例、
6 % )、
「亞佛利加」
( 3 例 、6 % )、
「阿非利加」
( 4 例 、8 % )、
「阿非利亞」
(1
例 、2 % )、
「亞非利亞」
( 2 例 、4 % )、
「亞菲力加」
( 1 例 、2 % )、
「非洲」
(5
例 、10% )、
「菲洲」
( 1 例 、2 % )、
「アフリカ」
( 5 例 、10% )。な お 、‘ 南 ア フ
リ カ ’ の こ と を「 南 阿 」で 表 記 し た 例 は 3 例 あ り 、
「 南 菲 」で 表 記 し た 例 は 1 例
あった。
中 国 的 な「 非 」
(「 阿 非 利 加 」
「 非 洲 」な ど )も 使 わ れ た が 、日 本 的 な「 弗 」
「佛」
を 用 い た 表 記 が メ イ ン( 5 割 ぐ ら い )
( 注 古 く に 日 本 で は「 払( 拂 )」を 用 い た
例もあったが、
『 臺 灣 民 報 』で は 使 わ れ て い な い こ と が 今 回 の 調 査 で 明 ら か に な
っ た 。)。
作者:*「非」系表記を使用したのはすべて台湾人。
* 台 湾 人 が 用 い た ‘ ア フ リ カ ’ を 表 す 表 記 の う ち 、 半 分 以 上 ( 53% )
が 日 本 的 な 「 弗 」「 佛 ( 仏 )」 を 含 む 表 記 ( 注
皮肉なことに、張
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
195
我 軍 氏 は 「 改 造 台 灣 語 言 , 以 統 一 於 中 國 國 語 」( 梁 ( 1995)) と 主 張
し な が ら も 、 日 系 表 記 を 使 っ て い る 。)。
*台湾人がもと日本語の文章を中国語に訳した場合にも「弗」系
表記を用いていた。
文 章 の 言 語 別 : * 中 国 語 文 章 :「 弗 」「 佛 ( 仏 )」 を 含 む 表 記 → 60% 、「 非 」
「 菲 」 を 含 む 表 記 → 34%
* 日 本 語 文 章 :「 弗 」「 佛 ( 仏 )」 を 含 む 表 記 → 100%
(二)‘アメリカ’
「 阿 美 利 加 」( 3 例 、 0 % )、「 亞 美 利 加 」( 5 例 、 0 % )、「 美 ( 美 國 、 美 洲 、
美 州 )」( 689 例 、 59% )、「 美 利 堅 」( 5 例 、 0 % )、「 亞 米 利 加 」( 13 例 、 1 % )、
「亞米利堅」
( 1 例 、0 % )、
「 米( 米 國 、米 洲 )」
( 456 例 、40% )、
「北米合衆國」
( 3 例 、 0 % ) の 他 、「 合 衆 國 」「 美 合 衆 國 」「 北 美 合 衆 國 」「 亞 米 利 加 合 衆 國 」
や 、 仮 名 を 用 い た 「 ア メ リ カ 」「 ア メ リ カ 合 衆 國 」 も み ら れ る 。
「 美 」 系 表 記 :「 米 」 系 表 記 → 6 : 4
「 美 ( 國 )」「 米 ( 國 )」 の よ う な 略 称 が 多 く 用 い ら れ た 。
作 者 : * 「 美 」 系 表 記 の 58% が 中 国 人 作 者 に よ っ て 使 用 。
* 「 米 」 系 表 記 の 59% が 日 本 人 作 者 に よ っ て 使 用 。
文 章 の 言 語 別 : * 中 国 語 文 章 :「 美 」 系 表 記 が 多 か っ た 。
* 日 本 語 文 章 :「 米 」 系 表 記 が 多 か っ た 。
他 社 か ら の 転 載 や 翻 訳 : 中 国 大 陸 か ら :「 美 」 系 表 記 の み 。
日 本 内 地 か ら :「 米 」 系 表 記 の み 。
※「美」系と「米」系の表記が同一の記事で使われていた例も相当にみられ
た。
※同じ作者が時には「米」系表記、時には「美」系表記を使う現象もみられ
る。
(三)‘イタリア’
「 意 大 利 」( 38 例 、24% )、「 意 太 利 」( 4 例 、3 % )、「 意( 國 )」( 3 例 、5% )、
「伊大利」
( 3 例 、2 % )、
「伊太利」
( 22 例 、15% )、
「 伊( 國 )」
( 7 例 、5% )、
「義
大利」
( 4 例 、3 % )、
「 義( 國 )」
( 22 例 、15% )と 、仮 名 表 記 で あ る「 イ タ リ ー 」
( 1 例 、 1 % )。
台湾における外国地名の表記について
196
日 本 的 な「 伊 」を 用 い た 表 記 は 38%( 注
(王ほか)
‘ イ タ リ ア ’ の 二 音 節 目 を 現 す「 太 」
も 入 れ た ら 、「 意 太 利 」 も 日 本 的 な 表 記 法 だ と 考 え ら れ よ う 。)。 そ れ に 対 し て 、
中 国 的 な 「 義 」 を 用 い た 表 記 は 18% 。
作 者 : * 「 義 」「 意 」 で は じ め た 表 記 の 75% が 中 国 人 作 者 に よ っ て 使 用 。
*「義」ではじめた表記を用いた日本人:0。
文 章 の 言 語 別 : * 中 国 語 文 章 :「 意 大 利 」 は 特 に 中 国 語 の 文 書 で 使 わ れ て
い る よ う だ 。「 意 」「 義 」 を 含 む 表 記 → 66% 、「 伊 」 を 含
む 表 記 → 31%
* 日 本 語 文 章 :「 伊 」 を 含 む 表 記 → 100% 。 特 に 「 伊 太 利 」
が 多 い 。( 注
中 国 人 が 日 本 語 で 書 か れ た 文 章 も 含 む 。)
※1つの記事に‘イタリア’を表す表記を2通り用いたことがある。
※ 1 つ の 記 事 の 中 で で は な い が 、「 意 」 を 使 っ た り 、「 伊 」 を 使 っ た り し た 作 者
もいた。
(四)‘オーストラリア’
「澳」
( 3 例 、8 % )、
「澳洲」
( 5 例 、12% )、
「澳大利亞」
( 1 例 、3 % )、
「澳
地 利 亞 」( 1 例 、 3 % )、「 濠 洲 」( 21 例 、 54% )、「 濠 州 」( 1 例 、 3 % )、「 濠 太
剌利亞」
( 3 例 、8 % )、
「濠太利亞」
( 1 例 、3 % )、
「豪洲」
( 1 例 、3 % )、
「オ
ー ス ト リ ア 」( 1 例 、 3 % )。
作 者 : * 中 国 人 作 者 :「 澳 」 系 表 記 も 用 い た が 、「 豪 ( 濠 )」 系 表 記 を 比 較
的多く用いた。
* 日 本 人 作 者 :「 豪 ( 濠 )」 系 表 記 → 100% 。
文 章 の 言 語 別 : * 中 国 語 文 章 :「 澳 」 系 表 記 ( 26% ) も 使 わ れ た が 、「 豪
( 濠 )」 系 表 記 ( 7 割 ) は よ り 多 く 用 い ら れ て い た 。
* 日 本 語 文 章 :「 豪 ( 濠 )」 系 表 記 → 100% 。
他 社 か ら の 転 載 や 翻 訳 : 中 国 大 陸 か ら :「 澳 」 系 表 記 の み 。
日 本 内 地 か ら :「 豪 ( 濠 )」 系 表 記 の み 。
※1つの記事・報道で2種以上の表記を使ったことや、同一人が違った表記を
用いたことは、この地名においては見当たらなかった。
(五)‘ドイツ’
「徳國」
( 133 例 、41% )、
「徳意志」
( 15 例 、4 % )、
「徳」
( 91 例 、27% )、
「獨
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
197
逸 」( 52 例 、 15% )、「 獨 乙 」( 18 例 、 5 % )、「 獨 」( 9 例 、 3 % )、( 注
または
古 い ‘ プ ロ イ セ ン ’ を 表 す 「 普 」( 6 例 、 2 % )、「 普 國 」( 1 例 、 0 % )、「 普 魯
士」
( 3 例 、1 % )、
「普魯西」
( 4 例 、1 % )、及 び 民 族 名 ‘ ゲ ル マ ン ’ を 表 す「 日
耳 曼 」( 4 例 、 1 % )。) な ど が 見 当 た っ た 。
作 者 : * 中 国 人 作 者 :「 徳 」 系 表 記 の 65% の が 中 国 人 作 者 に よ っ て 用 い ら
れ た 。 ま た 、「 獨 」 系 表 記 の 25% の が 中 国 人 作 者 に よ っ て 用 い ら
れ た 。「 徳 」 系 表 記 か 「 獨 」 系 表 記 の ど ち ら し か 使 わ な か っ た 中
国人作者もいた。
* 日 本 人 作 者 :「 徳 」 系 表 記 → 100% 。
文 章 の 言 語 別 : * 中 国 語 文 章 : 77% が 「 徳 」 系 表 記 ( 注
日本人署名の中
国 語 文 章 も 含 む 。)。(「 獨 」 系 表 記 → 17% 。 )
* 日 本 語 文 章 :「 獨 」 系 表 記 → 100% 。( 注
中国人作者がほ
と ん ど だ っ た 。)
※1つの記事または報道に複数の表記を用いたというゆれの現象もみられた。
※同一作者が異なった記事・報道で違った表記を用いたことがある。
(六)‘フランス’
「法蘭西」
( 69 例 、13% )、
「法國」
( 171 例 、33% )、
「法」
( 173 例 、33% )、
「佛
蘭西」
( 19 例 、4 % )、
「佛國」
( 39 例 、8 % )、
「佛」
( 47 例 、9 % )、
「フランス」
( 2 例 、 0 % )。( 注
金 で あ る フ ラ ン ク (「 £ 」) の こ と を 「 弗 朗 」「 法 郎 」「 佛
郎 」 と 表 記 し た 例 も み ら れ た が 、 今 回 は こ の 例 に つ い て は 特 に ふ れ な い 。)。
作 者 : * 中 国 人 作 者 : 213 例 の 「 法 」 系 表 記 が 中 国 人 作 者 に よ っ て 用 い ら
れ 。( 37 例 の 「 佛 」 系 表 記 が 中 国 人 作 者 に よ っ て 用 い ら れ た 。)
「法」系表記か「佛」系表記のどちらかしか使わなかった中国
人作者がいた。
中国語文章で「法」系表記、日本語文章で「佛」系表記をきち
んと区別して使った中国人作者もいた。
*日本人作者:ほとんど「法」系表記。
文 章 の 言 語 別 : * 中 国 語 文 章 : 中 国 語 文 章 で 用 い ら れ た 477 例 の 中 で 、
70 例 だ け が 「 佛 」 系 表 記 。
* 日 本 語 文 章 : ほ と ん ど 「 佛 」 系 表 記 を 使 用 。( 注
系 表 記 を 用 い た の は 4 例 。)
「法」
台湾における外国地名の表記について
198
(王ほか)
他 社 か ら の 転 載 や 翻 訳 : 中 国 大 陸 か ら :「 法 」 系 表 記 の み 。
日 本 内 地 か ら :「 法 」 系 表 記 が メ イ ン 。
※連載の文章で複数の表記を用いた現象がみられた。
五、まとめ
◎ 『臺灣民報』における6地名の表記のゆれは相当に激しい。
☉一部の新聞のうちで同一の地名に対して異なる表記を用いたという現象
は8割ぐらいの『臺灣民報』で観察された。
☉一つの記事・報道の中で、同一の地名に対し異なる表記をする例がしば
しばみられた。
☉同一の作者のうちでも表記のゆれがみられることがあった。
・ ‘ ア フ リ カ ’ は 日 本 的 な 表 記(「 弗 」を 含 む 表 記 の 38% と 、
「 佛 」を
含 む 表 記 の 12% ) が 優 勢 。
・ ‘アメリカ’は日本的な「米」系表記と、中国的な「美」系表記が
それぞれ4:6ぐらいを占めている。
・ ‘イタリア’は日中どちらからの影響かが判別不能の「意」を含む
表記が4割ぐらいを占めているが、日本的な「伊」系表記の用例数
が中国的な「義」系表記の用例数より倍ぐらいもあった。
・ ‘ オ ー ス ト ラ リ ア ’ の 場 合 は 日 本 的 な 「 豪 ( 濠 )」 系 表 記 が 圧 倒 的
に多かった。
・ ‘ ド イ ツ ’ は 中 国 的 な「 徳 」系 表 記 が 多 数 を 占 め 、72% に も 達 し た 。
・ ‘ フ ラ ン ス ’ は 中 国 的 な 「 法 」 系 表 記 が 79% も 用 い ら れ た 。
こ の よ う に 、『 臺 灣 民 報 』 で 使 用 さ れ た 外 国 地 名 の 表 記 に 見 ら れ る 日 本 ま た
は中国からの影響は、地名によって違う様相を示すことがわかった。
六、おわりに
外国地名における表記の混乱ぶりは当時の台湾の社会状況を考えるとむし
ろ 当 然 の 結 果 と 思 わ れ よ う 。つ ま り 、当 時 の 台 湾 は す で に 日 本( ま た は 日 本 語 )
の影響をかなり受けていた一方で、中国(または中国語)からの影響を完全に
取り除けていなかったことを物語っているのである。
『 臺 灣 民 報 』に お け る 上 述
6地名の使用状況をみると、‘アメリカ’が一番多くて、‘オーストラリア’
が一番少なかった、という用例数の違いがあるが、各地名を表す日本的な表記
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
199
と中国的な表記が用いられた割合や年代から日本・中国それぞれからの影響が
窺えようと思われる。また、台湾における外国地名の表記について、清(また
はそれ以前)の時代から、日本占領時代を経て、現在にいたるまで、という長
い時間の流れの中で、
『 臺 灣 民 報 』の 代 表 す る 日 本 占 領 時 代 に お け る 実 態 が 究 明
された。
本研究は主に量的に検討してきた。以下のような幾つかの問題を今後の課題
として探究し続けたい。
1、
「『 臺 灣 民 報 』で 使 用 さ れ た 外 国 地 名 の 表 記 に み ら れ る 日 本 ま た は 中 国
からの影響は、地名によって違う様相を示す」原因。
2、
作者の実態。
( た と え ば 、日 本 人 署 名 の 中 国 語 文 章 は 本 人 が 中 国 語 で 書
い た も の か ど う か 、 な ど 。)
3、
転 載 文 章 の 原 典 と の 対 照 。( 原 作 そ の ま ま 掲 載 か 、 或 い は 『 臺 灣 民 報 』
の 編 集 部 か 誰 か に よ っ て 要 約 ま た は 翻 訳 さ れ た か 、 な ど 。)
参考文献
教 育 部 『 外 國 地 名 譯 名 』 1955 年 ( 台 湾 )
中 国 地 名 委 員 会 『 外 国 地 名 訳 名 手 冊 』 1983 年 ( 中 国 大 陸 )
唐 曼 珍 、 王 宇 主 編 『 台 湾 事 典 』 南 開 大 学 出 版 社 、 1990 年 ( 中 国 大 陸 )
王 敏 東「 外 国 地 名 の 漢 字 表 記 に つ い て -「 ア フ リ カ 」を 中 心 に 」
『 語 文 』58、pp12-34、
1992 年 a( 日 本 )
王 敏 東 「 外 国 地 名 の 漢 字 表 記 を め ぐ っ て - 「 オ ー ス ト ラ リ ア 」 を 中 心 に 」『 待 兼 山
論 叢 』 26、 pp17-39、 1992 年 b( 日 本 )
王 敏 東 「 外 國 地 名 有 關 德 國 諸 名 稱 之 表 記 史 - 以 中 日 對 照 為 中 心 」『 第 四 屆 中 國 文 字
學 會 全 國 大 會 論 文 集 』、 pp333-342、 1993 年 ( 台 湾 )
王敏東『外国地名の漢字表記についての通時的研究』大阪大学国文学(国語学)
博 士 論 文 、 1994 年 a( 日 本 )
王 敏 東 「 音 譯 地 名 之 漢 字 發 展 流 變 及 其 對 日 文 之 影 響 - 以 表 「 利 」 音 者 為 例 」『 第 五
屆 中 國 文 字 學 會 全 國 大 會 論 文 集 』 1994 年 b( 台 湾 )
王 敏 東 「 日 本 語 に お け る イ ギ リ ス の 呼 称 に つ い て 」『 台 灣 日 本 語 文 學 報 』 6 、
pp211-238、 1994 年 c( 台 湾 )
梁 明 雄 「《 台 灣 民 報 》 與 台 灣 新 文 學 運 動 」『 中 日 文 化 』 第 18 号 、 pp 108-115、 1995
200
台湾における外国地名の表記について
(王ほか)
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仲 崇 親 『 台 灣 史 略 』( 2 版 ) 1997 年 、 商 鼎 文 化 出 版 社 ( 台 湾 )
貝 美 代 子「 国 定 読 本 の 外 来 語 表 記 形 式 の 変 遷 」
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張 園 東 「 日 據 時 代 台 灣 報 紙 小 史 」『 國 立 中 央 圖 書 館 台 灣 分 館 館 刊 』 5 巻 第 3 期 、
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『 或 問 』5 、pp1-12、近 代 東 西 言 語 文 化 接 触 研 究 会 、2003
年(日本)
著 者 ( 50 音 順 )
*王敏東(オウ ビントウ)
(台湾)銘傳大學應用日語學系副教授
何家德(カ カドク)
(台湾)銘傳大學應用日語學系学部生
洪子傑(コウ シケツ)
(台湾)銘傳大學應用日語學系学部生
連雅琪(レン ヤチ)
(台湾)銘傳大學應用日語學系学部生
盧慧萍(ロ ケイヘイ)
(台湾)銘傳大學應用日語學系学部生
第 4 回 漢字文化圏近代語研究会 201
於日本大阪 関西大学 2004.3.13-14
訳語の意味変動
― ―日中韓に おける「合 衆」
早稲田大学(院)・千葉謙悟
0) は じ め に
The United States を 表 す 「 合 衆 国 」 は 現 在 ア メ リ カ の 正 式 な 国 号 を 表 記 す る
際用いられる翻訳語である。この語は従来「共和国」の謂で用いられたものと
されてきた。
千 葉 2004( 近 刊 。以 下「 前 稿 」と 称 す る )で は 、現 在 ま で に 確 認 で き る 限 り
で は あ る が 初 出 を つ き と め 、 「 合 衆 國 」 は United States( 以 下 US) の 訳 語 で あ
り、<聯邦>の意味をもつことを明らかにした。* 1 「合衆国」とは「衆を合し
た 國 」 で は な く 「 衆 國 ( = 多 く の state) を 合 し た ( ま た は 「 合 し た 衆 國 」 ) 」
という語構成、つまり「合+衆国」という構造を有していたのである。さらに
いえば、共和政治に関する要素は翻訳の際に考慮されていない。この訳語は、
先行する訳語であった「合省(國)」の改良形として、おそらくは望廈条約締
結( 1844)以 前 に ア メ リ カ 人 宣 教 師 ブ リ ッ ジ マ ン( E. C. Bridgman)周 辺 で 創 造
され、以後の米中の公文書に用いられて定着したと考えられる。 2
ならばもともと<聯邦>を表していた「合衆國」という語はいかにして<共
和>のような別の意味を持つと解されるに至ったのであろうか。そしてこうし
た訳語の意味変動の幅は日中韓の間で異なっている。本論の目的は前稿におい
て残されたこの課題に初歩的なアプローチを試みることにある。
問 題 は 、 USが 国 制 と し て 採 用 し た republicお よ び democracyの 訳 語 と 「 合 衆 」
1 メタ概念については<>で表すこととする。
2 「 合 衆 国 」は 語 構 成 と 語 義 の 解 釈 の 変 化 に 伴 っ て「 合 衆 」と い う 形 を と る よ う に
も な っ た 。 即 ち 「 王 国 」「 政 治 」 な ど に 前 置 さ れ て 複 合 語 を 構 成 す る 力 を 得 た の で
あ る 。従 っ て 本 稿 で は そ の よ う な 要 素 と し て 用 い ら れ る「 合 衆 」に は「 合 衆 」と い
う 語 を 用 い て 論 を 進 め る 。「 合 衆 国 」 と 用 い ら れ る 場 合 は 「 合 衆 國 」 と 表 記 し 、 そ
の 双 方 を 表 し た い 場 合 は 「 合 衆 ( 國 )」 と 記 す 。
訳語の意味変動(千葉)
202
と の 関 連 に あ る よ う だ 。 republicと democracyを 前 面 に 掲 げ た 国 家 は 本 論 が 取 り
上 げ る 19 世 紀 後 半 で は ア メ リ カ を そ の 代 表 と し て い た し 、そ の よ う に 日 中 韓 の
知 識 人 も 捉 え て い た で あ ろ う 。そ の た め 、こ の 二 語 に 相 当 す る 新 漢 語 が「 合 衆 」
という語の意味変遷に影響を及ぼしているのである。その訳語とは「民主(民
政)」と「共和」にほかならない。これらは現在、日中韓で同字語 3 であるが、
US, democracy, republicの 訳 語 と し て そ れ ぞ れ「 合 衆 」「 民 主 」「 共 和 」 と い う
語が確定するまでには注目すべき過程があった。なお、先行研究には古田東朔
1963 が あ る が 、本 稿 で は「 合 衆 」を 中 心 と し 、考 察 対 象 を 日 中 韓 の 三 国 に 広 げ
てさらに訳語の意味変動の問題を掘り下げたい。
1) 日 本 に お け る 「 合 衆 ( 國 ) 」
1-1) 「 合 衆 」 に つ い て
ま ず は 19 世 紀 に お け る 世 界 地 理 の 著 作 と し て 先 駆 的 な 箕 作 省 吾 の 『 坤 輿 圖
識 』 ( 1845-46) を み て み よ う 。 し か し こ の 書 に は 「 合 衆 ( 國 ) 」 は 現 れ な い 。
『 坤 輿 圖 識 』 に お け る US の 訳 語 は 「 共 和 政 治 州 」 で あ る 。 つ い で 、 福 沢 諭 吉
1866 に は 以 下 の 通 り 。
・ 福 沢 諭 吉 1866「 西 洋 事 情 初 編 」 巻 之 二
遇ゝ千七百七十六年の春、英國王より命を下し、亞米利加人を征す
るに付ては劇烈の力を盡して之を制壓すべしとの報告ありしより、
諸州一般、之に奮激して合衆獨立の意を生じ、第六月九日會同協議
して、合衆諸州は固より獨立するの理を以て獨立し、英國と交を斷
ち、英國の支配を受けず…
「西洋事情初編」での「合衆」はいずれも諸州の「連合」を意味している。
しかし、特に前者の「合衆」に関しては人民を糾合するの含義があるかもしれ
な い 。す で に ブ リ ッ ジ マ ン 周 辺 が「 合 衆 國 」を 創 造 し た 時 の 語 構 成「 合 + 衆 國 」
は忘れられ(あるいは最初から伝わらず)「合衆」という文字列が用いられて
3 こ の よ う な 場 合 、本 論 で は「 同 形 語 」と い う 呼 び 名 に 代 え て「 同 字 語 」を 用 い る 。
漢 字 は い わ ゆ る 形 ・ 音 ・ 義 か ら 成 る が 、「 同 形 」 と い う 語 で は 「 形 」 の み で は な く
「 音 」「 義 」 を 含 め た 全 て が 同 一 で あ る か の よ う な 印 象 を 与 え る 。 同 じ 文 字 列 に よ
っ て 構 成 さ れ る 語 で あ っ て も 各 言 語 で 発 音 が 異 な る 上 、本 論 で 論 じ る よ う に 、そ の
意 味 が 一 時 的 に せ よ 各 言 語 で 同 一 た り え な い こ と も あ り う る 。従 っ て 本 論 で は「 字 」
が共通する語を暫時「同字語」と称する。
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
203
い る こ と が わ か る 。 4 松 山 棟 庵 1870 に な る と 「 合 衆 」 は USの み な ら ず unitedの
訳語、あるいは<連合>として用いられ始める。
・ 松 山 棟 庵 訳 述 1870『 地 学 事 始 初 編 』 巻 之 二
い ぎ り す
ぶ り て ん と う
がつ志うをうこく
ゑんげらんど
英吉利 、 不列顛島 ト阿爾蘭との 合衆王國 にて審に言ヘハ 英 倫
すこつとらんど
あ ふ る す
蘇 格 蘭 豪留須
あいるらんど
阿爾蘭 の四邦を合併せしものなり
これは<連合>という意味で「合衆」の用いられる典型的な例であるが、同
様の例は字典からも拾うことができる。 5
ヘ ボ ン 1886『 和 英 語 林 集 成 』 三 版 :
GASSHU
ガツシウ
島田豊纂訳『附音挿図
United States
和 訳 英 字 彙 』 1887:
American, a 亞 米 利 加 ノ 、 合 衆 國 ノ
― , n,
亞米利加人、合衆國人
United, a
結合シタル…
マ
United kingdom
United states
マ
合衆王國( 英吉 、蘇格蘭、愛倫)
合衆國(北亞米利加ノ)
尺 振 八 訳 1889『 明 治 英 和 字 典 』 :
American,( 形 ) 亞 米 利 加 國 ノ 、 亞 米 利 加 合 衆 國 ノ
(名)亞米利加人
亞米利加合衆國人
平 塚 定 次 郎 等 1895『 新 撰 和 獨 字 彙 』 :
Gasshu-koku
合衆國
subst. vereinigte Staaten
(von Amerika): fö derativstaat
島 田 豊 1887 に も 見 ら れ る よ う な 「 合 衆 」 の 使 い 方 は 明 治 前 半 に 流 行 し た よ
う で あ る 。United Kingdom( 以 下 UK)に つ い て「 合 衆 」の 語 が 用 い ら れ る こ と
は、この時代決して稀な例ではない。実際の文献中では、現在の<連合>につ
い て 「 合 衆 」 が 用 い ら れ て い る の で あ る 。 そ こ で 、 < 連 合 > に 相 当 す る union
ま た は united の 項 目 を み る と
4 中 国 古 典 の さ ま ざ ま な 用 例 も「 合 + 衆 国 」と い う 解 釈 を 妨 げ た で あ ろ う 。
「合衆」
という語(正確にはフレーズ)は中国古典中に現れるのである。たとえば『周禮』
春 官・大 宗 伯「 大 封 之 禮 、合 衆 也 」鄭 玄 注「 正 封 疆 溝 塗 之 固 、所 以 合 聚 其 民 」の よ
うに。
5 参 考 文 献 に あ る 辞 書 中 で 、対 象 と な る 語 の 用 例 が 挙 げ ら れ て い な い も の は 記 載 が
なかったことを示す。以下同。
訳語の意味変動(千葉)
204
堀 達 之 助 『 英 和 対 訳 袖 珍 辞 書 』 1862:
unit -ed -ing
一致サセル、結ヒ付ル…
村 上 英 俊 『 仏 語 明 要 』 1864:
union
一ツニナルコト、一致、一和、睦サ
unite
一和、一致
ヘ ボ ン 『 和 英 語 林 集 成 』 初 版 1867:
union
Mutszmajii, shitashimi, chigiri
unite
Awaseru, gasszru, k'waszru
ヘ ボ ン 『 和 英 語 林 集 成 』 第 二 版 1872:
union
Mutsumajii, shitashimi, chigiri
unite
Awaseru, gassuru, au, kuwa suru, soyeru
ヘ ボ ン 『 和 英 語 林 集 成 』 第 三 版 1886:
union
Mutsumajii, shitashii, chigiri, itchi, rengo
unite
Awaseru, gassuru, au, kwa suru, soeru, …
島田豊纂訳『附音挿図
union n,
和 訳 英 字 彙 』 1887:
一 致 、 連 合 … 、 [世 ]聯 邦 6
中 江 篤 介 ・ 野 村 泰 亨 共 訳 『 仏 和 字 彙 』 1893:
uni,ie adj. 併 合 シ タ ル 、 連 絡 サ レ タ ル …
union,
s.f.
一致、合併、連合、和親
とあり、「合衆」は現れない。これは辞書の記述が必ずしも当時の状況を反
映 し な い 例 と し て 注 意 す べ き で あ ろ う 。 し か し 、 united あ る い は < 連 合 > と い
う意味での「合衆」の用法について、以下のような注意が与えられる場合もあ
った。
・ 内 田 正 雄 纂 輯 『 輿 地 誌 略 』 1873
巻四 7
英國ハ原來大貌利顛及ヒ愛爾蘭ノ合衆國と名ケ(両邦ノ合併シタル
ヲ以テ云フ合衆政治ノ意ト混スル勿レ)大西洋北部ノ東隅ニ位シ海
峡ヲ隔テ直チニ欧洲大陸ノ西ニ接スルノ海島ナリ
(括弧内は割注。以下同)
「合衆國」の用例とその割注から、少なくともこの時期までは「合衆」とい
6 「 聯 邦 」が [世 ]と 注 さ れ 世 界 史 用 語 で あ る こ と が 示 さ れ て い る こ と は「 聯 邦 」が
まずは歴史学の用語として用いられた可能性を示唆するものであろう。
7 箕 作 省 吾 に よ る 文 政 9 年 ( 1826) の も の と は 異 な る 。
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
205
う 語 が 当 時 united と republic、 そ し て democracy と い う 三 様 の 意 味 に 理 解 さ れ
て い た こ と が 把 握 で き よ う 。こ の 時 代 の「 合 衆 」の 意 味 拡 張 が み て と れ る 。『 輿
地 誌 略 』 は 1870 年 代 の 著 で あ る か ら 、 後 述 す る 村 上 英 俊 1864 と 時 代 的 に ほ ぼ
重なり、辞書における「合衆」の例とも附合する。さらに、同時期の文献によ
る 用 例 と し て は 村 田 文 夫 1868 を 挙 げ よ う 。
・ 村 田 文 夫 「 西 洋 聞 見 録 」 1868
巻之下
p.218-219
故ニ全クノ獨立王政(又立君持裁ト云フ清朝、魯國、佛國、土耳其
ノ諸邦此ニ屬ス)ニ非ズ又全クノ侯伯立政(又貴族合議ト云フ獨逸
諸邦此ニ屬ス)ニ非ズ亦全クノ共和民政(又共和政治ト云フ合衆國
等此ニ屬ス)ニ非ズシテ此三制ヲ兼併スルモノナリ故ニ彼自ラヲ合
衆王國(ユーナイテート、キングドム)ト稱シ王國ナリト雖モ王權
ノ行ハルヽ所限リアリテ之ヲ擅ニスルコト能ハズ
この「合衆王國」の解釈は他の文献とは異なり、共和の要素を「合衆」で表
しているとするものである。スコットランドなどを合併して誕生したためとい
う 説 明 で は な い 。 8 い ず れ に せ よ 、 「 合 衆 」 が US以 外 に も unitedや republic、 あ
る い は democracyを 表 し う る 時 代 が あ っ た こ と は 確 実 で あ る 。で は 、そ の republic
や democracyに つ い て 文 献 の 解 釈 は ど の よ う に な っ て い る の で あ ろ う か 。
1-2) Republic に つ い て
republicは 、 英 和 辞 書 に お け る 初 出 と 思 わ れ る 堀 達 之 助 1862 以 来 、 ほ ぼ 一 貫
して「共和」の訳語を用いる 9
堀 達 之 助 『 英 和 対 訳 袖 珍 辞 書 』 1862: Republic
村 上 英 俊 『 仏 語 明 要 』 1864: ré publique
共和政治
共和政治ノ國
好 樹 堂 訳 1871『 官 許 仏 和 辞 典 』 : Ré publique s.f.
共和政治
ヘ ボ ン 『 和 英 語 林 集 成 』 1872:
KIYO-KA-SEIJI
キ ョ ウ カ セ イ ジ * 10 、 共 和 政 事 、
8 し か し 別 の 部 分 で は そ の よ う な 説 明 を 与 え て い る 箇 所 も あ る 。「 英 國 分 テ 四 國 ト
エンゲランド
スコツトランド
ウエールズ
ス 南 を 英 蘭 ト 云 ヒ 北 ヲ 蘇 格 蘭 ト 云 ヒ 西 ヲ 威爾士 ト 云 フ 以 上 ヲ 合 稱 シ テ 大 貌 利 太
ブ レ テ ン
泥亞或 ハ 不列顛 ト云フ別ニ 一島ヲ 愛爾蘭 ト云フ 此四國 ヲ總稱 シテ貌 利太泥 亞諸 島
又 合 衆 王 國 ト 云 フ 」 巻 之 上 、 p.58
9 古 田 1963:6 に よ れ ば 高 橋 重 威 『 和 蘭 文 典 字 類 後 編 』( 1858) に は オ ラ ン ダ 語
vereenigde Neederlanden に 「 共 和 國 」 が あ る と い う 。
10 『 和 英 語 林 集 成 』第 二 版 の「 キ ョ ウ カ セ イ ジ 」と い う 読 み 方 は 興 味 を 引 か れ る 。
訳語の意味変動(千葉)
206
Republican or democratic form of government
Republic
Kiyokaseiji
ヘ ボ ン 『 和 英 語 林 集 成 』 1886: KYOWA
キョウワ
共和
Republican, democratic:
-seiji, republican government; -koku, a republic;
Republic
kyowaseiji
棚 橋 一 郎 訳 1886『 英 和 双 解 字 典 』 :
共和政治、民政國、民主之國
Republic s,
島田豊纂訳『附音挿図
Republic
和 訳 英 字 彙 』 1887:
共和政治、共和國…
尺 振 八 訳 1889『 明 治 英 和 字 典 』 :
Republic( 名 ) 共 和 國 、 民 主 國 、 代 議 政 治 國
中 江 篤 介 ・ 野 村 泰 亨 共 訳 1893『 仏 和 字 彙 』 :
Ré publique
s.f.
共和政体、共和国…
平 塚 定 次 郎 等 1895『 新 撰 和 独 字 彙 』 :
Kyowa 共 和 adj.
Kyowakoku
republikanisch
共 和 国 subst.
Republik, f
こ れ は 、後 述 す る 中 国 で の 状 況 と は 異 な っ て い る 。中 国 で は republicに 相 当 す
る訳語は、ヴァリアントはあるもののふつう「民主(之國)」でしかない。一
方で、日本で「民主」を用いる系統に属するのは、中国で出版されたロプシャ
イト『英華字典』を翻訳増補した井上哲次郎の『増訂英華字典』くらいであろ
う 。 11
「 共 和 」 と い う 語 は 『 十 八 史 略 』 に 求 め ら れ 、 穂 積 八 束 1980 に よ れ ば 、 大
槻盤渓が箕作省吾にアドバイスしたものであるという。辞書では上述のように
republic に 対 し て 第 一 に 「 共 和 」 を 立 て る が 、 す で に み た よ う に 、 文 献 に よ る
「 合 衆 」が 一 時 期「 ゴ ウ シ ュ ウ 」と 読 ま れ て い た ら し い 事 と あ わ せ 、新 漢 語 創 出 当
初 の 読 音 も 追 求 す べ き テ ー マ の 一 つ で あ ろ う 。「 ご う し ゅ う こ く 」 と い う 読 み は 、
い ぎ り す
ほとり
例 え ば 福 沢 諭 吉『 世 界 國 盡 』巻 四 に「「 英 吉 利 」領 の 亞 米 利 加 は 北 極 海 の 邊 よ り 南
ごうしゅうこく
に 隣 る 「 合 衆 國 」」 と し て 見 え る 。( ル ビ は マ マ )
11 ロ プ シ ャ イ ト ( 羅 存 徳 )『 英 華 字 典 』 1866-69 で は 「 Republic, a,
政之國
之邦
衆政之邦
衆
公 共 之 政 」 で あ り 、 井 上 哲 次 郎 『 増 訂 英 華 字 典 』 で は 「 Republic, a, 衆 政
衆政之國
公 共 之 政 」 と な っ て い る 。( 発 音 を 示 す ロ ー マ 字 は 省 略 )「 共 和 」
という文字列はない。
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
207
用例は辞書のように截然と使い分けられているわけではない。上に列挙した訳
語をみても、二番目以降の訳語として「民政」が入っている状況を読みとるこ
と が で き る 。た だ し 、堀 1862 以 来 、一 貫 し て republic に 対 し て は 第 一 に「 共 和 」
が用いられていたのであって、これはのちの訳語の定着と棲み分けにとって有
利に働いたであろう。
1-3) Democracy に つ い て
まず、辞書での釈義とその変遷は以下の通りである。
『 英 和 対 訳 袖 珍 辞 書 』 1862: Democracy
『 仏 語 明 要 』 1864: dé mocratie
共和政治
合衆政府
『 和 英 語 林 集 成 』 二 版 1872:
minsei
democracy
a popular or democratic government
kiyo-kuwa-sei-ji
『 和 英 語 林 集 成 』 三 版 1886:
minsei
democracy
『附音挿図
Democracy, popular or democratic government
kyowa-sei-ji. minsei
和 訳 英 字 彙 』 1887: Democracy
民政、共和政治
democracy に お い て は 、 こ の 語 の た め に 創 出 さ れ た で あ ろ う 「 民 政 」 以 外 に
も、第一義として既出の「合衆」「共和」が現れていることが看取できる。特
に 村 上 英 俊 1864 に は democracy に 対 し「 合 衆 政 府 」と い う「 合 衆 」を 含 む 訳 語
が第一に用いられており、「合衆」の語義変化を表すものとして興味深い。
こ こ か ら democracy と い う 語 が 問 題 の 三 つ の 訳 語 を 融 通 さ せ た 媒 介 で あ る 可
能性が考えられよう。「合衆」という語は文字通りには「衆を合する(合した
衆)」と解釈される。ここから民衆が政治に参加し自ら統治者を選ぶ民主制を
意 味 す る 語 と し て の 「 合 衆 」 が 生 ま れ た 蓋 然 性 は 否 定 で き ま い 。 US 以 外 を 表
す「 合 衆 」の 存 在 の 鍵 は こ の あ た り に あ り そ う で あ る 。democracy に は「 民 主 」
という訳語が用いられていたが、選挙制に基づく民主制をとる国家は基本的に
は共和政体であるから、「共和政治」という訳語もその意味で誤りではない。
と は い え 、 村 上 英 俊 1864 に お け る 「 合 衆 政 治 」 と い う 用 例 は 以 後 の 辞 書 に
は継承されなかった。今まで見てきたように、辞書における訳語の棲み分けは
1880 年 代 に は 完 成 し て い る よ う に 見 え る 。さ ま ざ ま な 文 献 に お け る 使 い 分 け の
定着はこれにしばし遅れるが、いずれにせよおそらく明治年間には棲み分けを
訳語の意味変動(千葉)
208
確定させ、「合衆」の意味拡張を収束させたであろう。
2) 中 国 に お け る 「 合 衆 ( 國 ) 」
2-1) US に つ い て
公 文 書 類 で は US の 正 式 な 国 号 と し て「 合 衆 國 」が 用 い ら れ る 。下 は そ の 例 。
『 清 末 教 案 』 第 2 冊 ( 1875 年 6 月 5 日 )
大亞美理駕合衆國欽命駐紮中華便宜行宜全權大臣艾、爲本國民人在
九江府屬之瑞昌縣地方、迭被不法無知之人所傷、迄今案懸未結。
し か し 英 華 字 典 類 を み る と 、 「 合 衆 國 」 以 外 の 訳 語 も 散 見 す る 。 12
Williams『 英 華 韻 府 歴 階 』 1844: Republic
合省國
Medhurst“ English and Chinese Dictionary” 1842-43:
United, United States,
系維邦國
Lobscheid『 英 華 字 典 』 1866-69: America,
United States,
合國
State, united states,
United States
花旗國、亞美利加、
合邦、合國、合部
合國、合衆國
Doolitle『 英 華 萃 林 韻 府 』 1872
vol.1: United States of America 合 衆 國 、 系 維 邦 國
vol.2: United States(the) 美 國 、 合 衆 國 、 連 合 之 邦
これは宣教師たちが「合衆國」の訳語に満足していなかったからであろう。
上 に 上 げ た 辞 書 は い ず れ も 宣 教 師 の 編 に な る も の で あ る 。“ Chinese Repository”
には「合衆國」という訳語について以下のようなコメントがあった。
・ “ Chinese Repository” , 1845 Jan. ART.Ⅷ p.55
We wish the translator would, at his convenience, give us the proper
characters for the “ United States of America” , which will oblige us very
much.
( 我 々 は 翻 訳 者 に 、 彼 の 都 合 の 良 い 時 で よ い の で United States of America に 対 す る 適
切な訳語を示してくれるよう望む。その訳語は我々に非常に大きな貢献をするだろ
う)
こ れ は 1845 年 の 記 事 で あ る が 、 1861 年 に ブ リ ッ ジ マ ン が 「 聯 邦 」 を も っ て
US の 訳 語 と し て か ら も 、宣 教 師 た ち は US の 訳 語 の 改 良 を 目 指 し た よ う に み え
12 前 稿 で 引 い た 文 献 と そ の 例 は 原 則 と し て 省 略 す る
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
209
る。早くに「合衆國」の定着した日本とは対照的な状況であるといえよう。し
かし、「合衆國」の語構成解釈の変化は中国でも起こった。おそらく『六合叢
談』がその転機だったと思われる。そこには
合衆與日本和議既成、乃立通商条約、以重永久、集議於西莫大衙署
( 1857 年 12 月 )
という記事が載る。中国でもブリッジマン周辺の意図した「合+衆國」とい
う構成は後世に伝わらなかった。ついで、「合衆國」が<聯邦>義で使用され
る例が現れる。
・閔瓛・閔檝編「徳意志志」凡例(『五洲列国志彙』第十四冊)
徳意志先爲日耳曼、自威稜第一戰勝奥國、連合日耳曼北方諸國稱爲
北徳意志、及戰勝法國又与南邦合併、於是統南北各邦、改稱爲徳意
志 合 衆 國 * 13
当時のドイツのような国制(北ドイツ連邦)に対して「合衆」を使うのは日
本 で は み ら れ な か っ た 用 法 で あ る 。一 方 で 19 世 紀 中 の 中 国 側 * 14 に は UKを 表 す
「 合 衆 王 國 」 と い う 用 法 は 管 見 の 限 り 存 在 し な い 。 15 従 っ て 「 合 衆 王 國 」 は 中
国 側 の 造 語 で は な く 、日 本 で 発 達 し た 用 法 と み ら れ る 。中 国 側 で の「 合 衆 王 國 」
の用例は日本からの影響でしかしないようだ。
・「万国新歴史」近世史第三編第二章(『普通百科全書』第十九編)
英蘇合併==此時歴史上必要者。爲英蘇合併、蓋英蘭士与蘇蘭士、
本不受治一王、爲區別之王國。千七百七年、兩國始合併、開一國會
於倫敦、故總稱此兩地云「大不列顛」或云合衆王國。
これは日本のさまざまな学科の教科書を翻訳した叢書『普通百科全書』から
の用例である。新漢語を大量に日本から導入していることが特徴的であるが、
こ こ に 現 れ た「 合 衆 王 国 」も そ の 一 端 で あ ろ う 。20 世 紀 に 入 っ て か ら の 文 献 で
「 合 衆 王 国 」を UK に 用 い る 文 献 は 現 れ な い よ う だ 。< 聯 邦 > に 対 し て「 合 衆 」
以 外 の 語 が 当 て ら れ る よ う に な る の は 、 中 国 で は 20 世 紀 初 頭 か ら の こ と で あ
る。
13 1866 年 の プ ロ シ ア・オ ー ス ト リ ア 戦 争 後 に 成 立 し た の は 北 ド イ ツ 連 邦 で あ る が 、
1870 年 の プ ロ シ ア ・ フ ラ ン ス 戦 争 後 に 成 立 し た の は ド イ ツ 帝 国 で あ る 。
14 こ の 語 は 中 国 人 及 び 来 華 宣 教 師 と い う 意 味 で 用 い る
15 『 新 爾 雅 』 で は 同 じ 北 ド イ ツ 連 邦 を 「 北 徳 意 志 聯 邦 」 と 記 し て い る 。 歴 史 的 存
在となった連邦制国家に対して「聯邦」の語が現れる一つの例といえよう。
訳語の意味変動(千葉)
210
2-2) Republic に つ い て
中 国 側 で は 辞 書 類 に republic が 登 場 す る こ と 自 体 が 比 較 的 す く な い 。 主 だ っ
た例を挙げれば以下のようである。
Williams『 英 華 韻 府 歴 階 』 1844: REPUBLIC,
合省國
Lobscheid1866-69『 英 華 字 典 』 :
衆政之邦、衆政之國、公共之政
Republic, a
Doolittle1872『 英 華 萃 林 韻 府 』 vol.1: Republic
vol.2: Republic or commonwealth; a
民主之國
合省國、公共之政治、
挙衆政治之國、自主之民、百姓作主
Morrison1876『 字 語 彙 解 』 : REPUBLIC
民主之國
Stent1898『 漢 英 合 壁 相 連 字 彙 』 : min2-chu3-kuo2
Pé tillon1905『 法 華 字 彙 』 : Republique
a Republic
民主之國
一部の『英華字典』は「合省國」で共和国の意味にしてしまっているが、そ
れ以外では日本側での検討で述べたとおり「民主」を用いることが多い。文献
からでは以下の例。
・丁韙良『万國公法』巻一
第一章第九節
即如一千七百九十七年間、荷蘭七省有變、法國征之、而其王家黜焉。
於是易其國法、而改作民主之國
Republic に 対 し て 「 共 和 」 を 用 い る の は や は り 日 本 か ら の 影 響 で あ ろ う 。 中
国側での用例は以下に見える。
・ 「 重 訂 法 國 志 略 」 巻 五 ・ 法 人 弑 王 ( 『 五 洲 列 國 志 彙 』 第 21 冊 )
籌國會初議廢王位立共和新政、及克墺普其勢益張、一千七百九十二
年九月二十一日、議會宣告創立共和政体、以是日爲共和第一月第一
日。
ただし、この時期でも「共和」「民主」が共存していたり、「民主」のみが
現れたりする文献も少なくない。「佛郎西志譯略」は前者の、「法政概」は後
者の例である。
・顧錫爵述、世増訳、薛福成鑑定「佛郎西志譯略」
( 『 五 洲 列 國 志 彙 』 第 26 冊 )
・乾隆五十六年、拿破侖改爲民主國、逾一年而稱帝
( 1a7-8)
・嘉慶十九年、拿破侖敗、前朝之裔路易十八復王位、傳及王弟沙爾勒、
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
211
爲國人所逐、而更立族人路易非立爲王。王孱弱、國之大臣分三黨。曰王
權 、 曰 共 和 、 曰 中 立 。 ( 1a8-9)
・ 劉 啓 彤 譯 編 「 法 政 概 」 ( 『 五 洲 列 國 志 彙 』 第 26 冊 )
・(拿破侖第三)同治庚午年、敗於普魯士、身爲羅明。國人乃復民
主 、 立 伯 理 璽 天 徳 。 ( 1a5-6)
い ず れ に せ よ 、 「 合 衆 」 が republic に 対 応 す べ き 領 域 に は 進 出 し て き て い な
いのが理解できよう。
2-3) Democracy に つ い て
democracy に つ い て は 、 ま ず 辞 書 類 で 以 下 の よ う な 解 釈 が 見 受 け ら れ る 。
Lobscheid1866-69『 英 華 字 典 』 : Democracy, Government by the people,
民政、衆人管轄、百姓弄權
Democrat,
民政嘅、從民政者、從民政之理者
Doolittle1872『 英 華 萃 林 韻 府 』 :
Democracy
Democrat
衆人之國統、衆人之治理
推民自主者
気 に な る の は democracy を 見 出 し に 立 て な い 辞 書 が 比 較 的 多 い こ と で あ る 。
ま た 、明 ら か に democracy の 訳 語 で あ る と 言 い 切 れ る 例 を 19 世 紀 中 の 中 国 側 文
献 に 求 め る の は 難 し い 。20 世 紀 初 頭 な ら ば『 新 爾 雅 』に 載 せ る 以 下 の 例 が あ る 。
・『新爾雅』釋政
p.9
ママ
立憲政體又別之爲民主立憲、君主立憲。由人民之願望、建立 公 和國
家 、 擧 大 統 領 以 爲 代 表 、 而 主 權 全 屬 人 民 者 、 謂 之 民 主 立 憲 。 16
以 上 か ら 、日 本 と 違 い 19 世 紀 後 半 葉 に お け る「 合 衆 」の 意 味 範 囲 が democracy
や republic の 領 域 に は 達 し て い な い こ と が 了 解 さ れ よ う 。 「 合 衆 」 は US 以 外
には君主を持たない連邦制を表すのみである。従って立憲制で同君連合たる
UK を 指 す よ う な 用 法 は つ い に 発 生 し な か っ た 。
3) 結 語
以 上 の 議 論 を 通 じ て 「 合 衆 ( 國 ) 」 が 一 時 期 は US 以 外 の 意 味 を 獲 得 し て い
16 こ の「 民 主 」が 日 本 か ら の 影 響 か 、あ る い は 中 国 で 用 い ら れ て き た republic( あ
る い は president)を 表 す「 民 主 」の 意 味 拡 大 な の か は 、現 在 判 断 す べ き 十 分 な 材 料
を持たない。
212
訳語の意味変動(千葉)
たことと、日中両国におけるその様相の差異が明らかになった。
19 世 紀 後 半 は 日 本 語 に と っ て 新 漢 語 の 整 備 期 で あ っ た 。外 国 語 辞 書 の 検 討 か
ら分かるとおり訳語としての新漢語が整備されてくるにつれ、「合衆」を<共
和><民主>または単なる<聯邦>の意味で使用する例はすたれていく。例え
ば UK を 「 合 衆 王 国 」 と す る 用 法 は 現 在 で は も は や 存 在 し な い 。
地理・歴史学の著作に徴せば、それぞれの訳語の領域確定は辞書に比して遅
れ る も の の 、お そ ら く 遅 く と も 明 治 年 間( 1868-1911)に は 現 代 か ら 見 て 破 格 な
用法は消滅したであろう。「合衆」「共和」「民主(民政)」はそのころまで
に訳語の棲み分けをなしえたのである。
と は い え そ の よ う な 意 味 拡 張 を 一 時 的 に せ よ な し え た の は democracy と い う
語 を 介 し た 可 能 性 が あ る こ と を 今 一 度 確 認 し て お き た い 。 democracy と は 大 衆
が 政 治 に 参 加 す る 意 味 で あ り 、 そ の よ う な 政 体 が republic で あ る 。 そ し て そ れ
に 基 づ く 国 家 の 代 表 格 が 、「 合 衆 国 」と し て 日 本 人 の 前 に 現 れ た US で あ っ た 。
一 方 、 中 国 で は 事 情 が 異 な る 。 「 共 和 」 と い う 語 が 20 世 紀 初 頭 に 日 本 か ら
導 入 さ れ る ま で 、democracyと republicが 区 別 さ れ な い 状 況 が 19 世 紀 を 通 し て 長
く続いた。それどころか英華字典類の用法からする限り、前者の概念の導入と
普及は日本よりもかなり遅れたのではないかとすら推測される。この二つの語
彙 は 漠 然 と「 民 主 」の 語 を も っ て 呼 ば れ る こ と が 多 か っ た 。* 17 democracyに「 民
主 」 、 republicに 「 共 和 」 が あ て ら れ 、 日 本 と の 同 字 語 が 定 着 す る の は 20 世 紀
に入ってからのことになる。
従 っ て US を 示 す 「 合 衆 」 は 、 単 に US に 限 ら ず 、 君 主 を 置 か な い < 聯 邦 >
の意味をも表すようになった。当時のドイツなどに対して「合衆」が用いられ
る の は そ の 証 左 で あ ろ う 。 た だ し 、 UK に 対 し て は 日 本 の 影 響 を 受 け た 場 合 を
除いて用いられなかったようであるが。
最 後 に 韓 国 を め ぐ る 状 況 に つ い て 付 言 し た い 。韓 国 語 と 韓 国 語 史 へ 理 解 不 足
か ら 、現 在「 合 衆 」に ま つ わ る 諸 語 す べ て の 状 況 を 解 明 す る 材 料 を 持 た な い が 、
目 に し え た 範 囲 に つ い て い え ば 、 以 下 の よ う な 記 述 が 検 出 で き る 。 18 ( 「 」 内
17 こ の 場 合 の「 民 主 」は「 民 爲 主( 民 が 主 と な る )」と い う 構 成 で あ ろ う 。本 論 で
は 触 れ な か っ た が 、国 家 元 首 と し て の president も 意 訳 す る 場 合 は 多 く「 民 主 」で 意
味 さ れ た 。 こ れ は お そ ら く 「 民 之 主 ( 民 の 主 )」 で あ る 。
18 以 下 の ハ ン グ ル の ロ ー マ 字 転 写 は 金 基 文 1975: xix に よ る 。
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
213
の漢字表記はハングルから引き当てたもの)
< US>
韓 米 条 約 1882: 合 衆 國
Underwood1890『 韓 英 字 典 』 : United States, n.
Hap cung kuk, mi kuk「 合 衆 國 、 美 國 」
Gale1897『 韓 英 字 典 』 : hap cung kuk
合衆國
The United States
Alé vê que1901『 法 韓 字 典 』 :
SIC
Amé rique
n.p.( Où est la lè gation d'Amé rique) 、
mi kuk kong sa kwan
t i is so「 美 國 公 使 館 ~ 」
< Republic>
Underwood1890『 韓 英 字 典 』 : Republic
min cu ci kuk「 民 主 之 國 」
Gale1897『 韓 英 字 典 』 : min cu ci kuk, s.
民主之國
A country governed by the masses, a republic
Scott1891“ English-Corean Dictionary” :
Republic
min cu kuk「 民 主 國 」
Alé vê que1901『 法 韓 字 典 』 : Ré publique
n.f.
min cu kuk「 民 主 國 」
< Democracy>
Underwood1890『 韓 英 字 典 』 :
Democracy, n.
min cu ci kuk, p ik sj ng na ra
「民主之國、百姓~」
Scott1891“ English-Corean Dictionary” :
Democracy
p ik sj ng「 百 姓 」
上 か ら た だ ち に 了 解 さ れ る の は 、「 民 主 」 の 用 い ら れ か た が 中 国 的 で あ る と
いうことであろう。したがって「合衆」に関しても中国式の意味拡張が期待さ
れ る が 、調 査 し た 限 り で US以 外 に「 合 衆( 國 )」の 用 例 が な く 、目 下 意 味 変 動
が 存 在 し た 確 証 を つ か む 段 階 に も 至 っ て い な い 。 19 と は い え 一 つ 指 摘 し て お き
た い の は 、中 国 で な ら ば democracyや republicと 同 字 語 に な る こ と が あ る president
についてである。
Underwood1890『 韓 英 字 典 』 : President
tai t h ong rj ng「 大 統 領 」
19 Gale1897: preface ⅱ に は 来 華 宣 教 師 Giles の“ Chinese Dictionary”を 参 考 に し た
と い う 記 述 が あ る 。英 韓 字 典 は 少 な く と も 漢 字 語 に つ い て 英 華 字 典 の 影 響 を 受 け て
いたとも考えられる。
訳語の意味変動(千葉)
214
Gale1897『 韓 英 字 典 』 :
tai t h ong rj ng
大統領
The president of a republic.
The governer of a colony
Scott1891“ English-Corean Dictionary” :
tai t h ong rj ng「 大 統 領 」
President of United States
Alé vê que1901『 法 韓 字 典 』 :
sic
Pré sident Ré publique
t i t h ong n j ng「 大 統 領 」
president に 対 し て 「 民 主 」 で は な く 、 お そ ら く は 日 本 語 か ら 導 入 さ れ た で あ
ろう「大統領」が記されているのは興味深い。日本語と中国語がせめぎあう、
韓国語における新漢語の状況の一端を伺うことができるであろう。
ここまで「合衆(國)」とそれに関連する訳語の状況を瞥見してきたが、新
漢語の創出と導入、定着に関して一語のみを見ていては十分な視野を得ること
ができない虞れがある。訳語は多くの場合逐次的に導入されるわけではないの
だから、意味的あるいは形態的に関連する訳語群への目配りが必要になろう。
ま た 、一 国 だ け の 状 況 に 注 目 し て い て は 満 足 の い く 深 度 に 達 し な い 危 険 が あ
る。その点で、今回は韓国語に関して十分な比較ができなかったことを憾みと
する。また、今回調査した意味変動範囲が言語ごとに違う要因についても述べ
られなかった。すべて今後の課題としたい。
参 考 文 献 20
川 島 真 1996「「 合 衆 国 」再 考
究会編『黒船と日清戦争
― 中 国 文 献 に 依 拠 し て ― 」比 較 史・比 較 歴 史 教 育 研
―歴史認識をめぐる対話―』東京:未来社
pp.70-81
金 基 文 著 、 村 山 七 郎 監 修 、 藤 本 幸 夫 訳 1975『 韓 国 語 の 歴 史 』 東 京 : 大 修 館 書 店
沈 国 威 1995『 『 新 爾 雅 』 と そ の 語 彙 』 東 京 : 白 帝 社
-
編 1999『 『 六 合 叢 談 』 ( 1857-58) の 学 際 的 研 究 』 東 京 : 白 帝 社
千 葉 謙 悟 2004「 the United States と「 合 衆 國 」
―中西言語文化接触の視点から―」
『 早 稲 田 大 学 大 学 院 文 学 研 究 科 紀 要 』 49( 近 刊 )
飛 田 良 文 ・ 李 漢 燮 2000-2001『 和 英 語 林 集 成 初 版 ・ 二 版 ・ 三 版 対 照 総 索 引 』 鎌 倉 :
港の人
20 紙 面 の 都 合 上 、 前 稿 で 用 い た 文 献 は 記 載 し な い 。 前 稿 を 参 照 さ れ た い 。
第4回
漢字文化圏近代語研究会
古 田 東 朔 1963「 訳 語 雑 見 」 『 国 語 研 究 室 』 2
予稿集
215
pp.4-20
イ ー ス ト レ ー キ 、棚 橋 一 郎 共 訳 1888『 ウ ヱ ブ ス タ ー 氏 新 刊 大 辞 書
和 訳 字 彙 』東 京:
三省堂、復刻は東京:ゆまに書房
内 田 正 雄 1873『 輿 地 誌 略 』 石 川 県 学 校
慶 應 義 塾 編 1958『 福 沢 諭 吉 全 集 』 東 京 : 岩 波 書 店
好 樹 堂 訳 1871『 官 許 佛 和 辞 典 』 Changhai:Imprimé rie de la Mission Presbyté rienne
Americaine
島 田 豊 纂 訳 1887『 附 音 挿 圖
和 譯 英 字 彙 』東 京:大 倉 書 店 、復 刻 は 東 京:ゆ ま に 書
房 1995
尺 振 八 訳 1889『 明 治 英 和 字 典 』 東 京 : 六 合 館 、 復 刻 は 東 京 : ゆ ま に 書 房
棚 橋 一 郎 訳 1886『 英 和 双 解 字 典 』 東 京 : 丸 善 商 社
1995
1886、 復 刻 は 東 京 :ゆ ま に 書 房
1995
中 江 篤 介 ・ 野 村 泰 亨 共 訳 1893『 佛 和 字 彙 』 東 京 : 仏 学 研 究 会
平 塚 定 次 郎 ・ 宍 戸 深 蔵 ・ 塚 本 明 籌 1895『 新 撰 和 獨 字 彙 』 東 京 :三 河 屋 書 店
堀 達 之 助 1862『 英 和 對 譯 袖 珍 辞 書 』 江 戸 : 洋 書 調 所 、 復 刻 は 東 京 : 秀 山 社
ヘ ボ ン 1867『 和 英 語 林 集 成 』 初 版
東 京 : 北 辰 , 1966
ヘ ボ ン 1872『 和 英 語 林 集 成 』 二 版
東 京 : 講 談 社 , 1974
ヘ ボ ン 1886『 和 英 語 林 集 成 』 三 版
東 京 : 講 談 社 , 1980
1988
箕 作 省 吾 1845-46『 坤 輿 圖 識 』 三 冊
村 上 英 俊 1864『 佛 語 明 要 』 四 巻
東 京 : カ ル チ ャ ー 出 版 社 , 1975
村 田 文 夫 1868「 西 洋 聞 見 録 」
『 明 治 欧 米 見 聞 録 集 成 』第 一 巻
東 京:ゆ ま に 書 房
1987
松 山 棟 庵 訳 述 1870『 地 学 事 始 初 編 』 東 京 : 慶 應 義 塾
(英)艾約瑟編『西學啓蒙十六種』上海著易堂
( 韓 )崔 漢 綺 1971『 地 球 典 要 』明 南 楼 叢 書 第 四 冊
서 을:成 均 館 大 学 校 大 東 文 化 研
究院
( 清 ) 梁 廷 枏 1846『 海 國 四 説 』 北 京 : 中 華 書 局
( 清 ) 閔 萃 祥 編 1902『 五 洲 列 國 志 彙 』 麗 澤 学 会
上 海 會 文 學 社 編 1903『 普 通 百 科 全 書 』 上 海 會 文 學 社
(清)王錫祺編『小方壺斎輿地叢鈔』上海著易堂
Alé vê que, C. 1901『 法 韓 字 典 』 Seoul:Seoul Press
Gale, J. S. 1897『 韓 英 字 典 』 Yokohama:Kelly & Walsh
Macgillivray, D. 1898『 漢 英 合 璧 相 連 字 彙 』 Shanghai:Amrican Presbyterian Mission
Press
Morrison, R. 1817-19“ A Dictionary of the Chinese Language”London:Black, Parbury and
Allen
216
訳語の意味変動(千葉)
Morrison, W. T. 1876『 字 語 彙 解 』 Shanghai:Amrican Presbyterian Mission Press
Pé tillon, S. J. 1905『 法 華 字 彙 』 Chang-hai:Inprimerie de la Mission Catholique, À
L'orphelinat de T'ou-Sè -Wè
Scott, J. 1891“ English-Corean Dictionary” Corea:Church of England Mission Press
Underwood, H.G. 1890『 韓 英 字 典 』 2vols., Yokohama:Kelly & Walsh
Williams, S. W. 1844『 英 華 韻 府 歴 階 』 Macao:Office of the Chinese Repository
第 4 回 漢字文化圏近代語研究会 217
於日本大阪 関西大学 2004.3.13-14
新漢語「大統領」の成立について
日文研・孫建軍
1
はじめに
黒 船 来 航 後 、日 本 は ア メ リ カ に 関 す る 情 報 収 集 の た め に 、中 国 語 の 世 界 地 理
書 や 定 期 刊 行 物 な ど を 積 極 的 に 利 用 し 、重 要 な 書 物 は 和 刻 版 を 刊 行 し て い た こ
と は 周 知 の 通 り で あ る 。 後 期 漢 訳 洋 書 を 通 し て 、「 合 衆 国 」 な ど ア メ リ カ に 関
す る 独 特 な 漢 訳 表 現 が 日 本 語 に 受 け 入 れ ら れ 、定 着 す る よ う に な っ た も の も あ
れ ば 、 ア メ リ カ の 国 名 の よ う に 、 中 国 語 で は 「 美 国 」、 日 本 語 で は 「 米 国 」 と
いった、異なった定着を見せるものもある。
アメリカの最高指導者である「大統領」について、諸橋轍次『大漢和辞典』
では、次のように説明している i 。
大統領:共和国の元首。人民から選挙せられて、或は年限の間其の位に
処る。
英 語 President の 訳 語
President に「 大 統 領 」と い う 訳 語 が 当 て ら れ た 辞 書 に 、早 く も 1862 年( 文
久 2) に 刊 行 さ れ た 堀 達 之 助 編 集 の 『 英 和 対 訳 袖 珍 辞 書 』 が あ げ ら れ る 。『 英
和 対 訳 袖 珍 辞 書 』の 用 語 に 、漢 訳 表 現 が 盛 り 込 ま れ て い る こ と は 指 摘 さ れ て い
る ii 。 こ の 「 大 統 領 」 は 漢 訳 表 現 で あ る の か 、 い っ た い い つ 頃 日 本 語 と し て 定
着 し た の か 。本 稿 で は 漢 訳 洋 書 に 現 れ た Presidentに 関 す る 表 現 を 調 査 し た 上 で 、
日 本 側 の 外 交 文 書 、 遣 外 使 節 の 旅 行 記 、 対 訳 辞 書 な ど を 中 心 に 、「 大 統 領 」 と
いう語の成立を考察する。
2
漢 訳 洋 書 に お け る President の 表 現
President は ア メ リ カ 政 治 制 度 の 重 要 な 概 念 と し て 、漢 訳 洋 書 の 中 で し ば し ば
紹 介 さ れ て お り 、そ の 表 現 は 多 様 で あ る 。英 華 辞 典 の 訳 語 を 見 る と 、そ の 複 雑
さが分かる。
218
新漢語「大統領」の成立について
2.1
(孫)
英 華 辞 典 に お け る President の 訳 語
19 世 紀 70 年 代 ま で に 中 国 で 刊 行 さ れ た 主 な 英 華 辞 典 の 訳 語 を 次 の 表 に ま と
めた。
西暦
Presidentの 訳 語
辞書名(編著者)
1815 ~ A Dictionary of the Chinese
1823
Language(R.Morrison)
長、頭目
1844
An English and Chinese Vocabulary
in the Court Dialect
(英 華 韻 府 歴 階 S.W.Williams)
1847 ~ English and Chinese Dictionary
1848
(W. H. Medhurst)
尚書
1866 ~ English and Chinese Dictionary
1869
(W. Lobscheid)
President of a society, 長 、掌 者 、首
事、理長、管総、頭目、監督、正
堂 、督 憲 、尚 書 、掌 院 、掌 院 老 師 、
天卿、春卿、夏卿、秋卿、冬卿;
The President of the United States,
花旗合部大憲
伯理璽天徳、君主
1872 Vocabulary and Handbook of the
Chinese Language
(英 華 萃 林 韻 府 J.Doolittle)
監督、頭目、尚書、正堂、天卿、
春卿、夏卿、秋卿、冬卿
19 世 紀 前 半 の 辞 書 で は 、Presidentの 語 釈 と し て 、中 国 従 来 の 役 職 名 が あ て ら
れ て い た こ と が 分 か る 。 W. Lobscheid の 辞 書 に 初 め て “The President of the
United States”が 登 録 さ れ 、
「 花 旗 合 部 大 憲 」と 解 釈 さ れ て い る 。
「 花 旗 合 部 」は
当時アメリカ合衆国の訳語と一つであり、
「 大 憲 」と は「 大 き な お き て 、大 法 」
の 意 で あ っ た 。 J.Doolittleの 辞 書 に は 「 君 主 」 が あ て ら れ 、 封 建 中 国 の 君 主 制
と 混 同 さ れ て い る こ と が 分 か る 。「 伯 理 璽 天 徳 」 は Presidentの 音 訳 語 の 一 つ で
あ り 、「 玉 璽 を 掌 理 し 、 天 徳 を 有 す る 人 」 と い う 意 訳 も 含 ま れ て お り 、 中 国 で
は 外 交 の 場 で 正 式 名 称 と し て よ く 使 用 さ れ て い た iii 。し か し 、い ず れ の 辞 書 に
も「大統領」は見当たらない。
2.2
漢訳洋書における様々な表現
1830 年 代 か ら 60 年 代 の 漢 訳 洋 書 の う ち 、地 理 書 や 定 期 刊 行 物 及 び『 万 国 公
法 』 を 調 べ た と こ ろ 、 President を め ぐ る 表 現 を 次 の よ う に ま と め て み た 。
年代
1833~
1835
著 者 (中 国 名 )
郭実臘
書名
東西洋毎月統記伝
President を め ぐ る 表 現
統邦之治主、列邦首領之
主、魁首領、首領主、元
第4回
漢字文化圏近代語研究会
1837~
1838
219
予稿集
首、統領
1838
1853~
1854
裨治文
美理哥合省国志略
首領、統領
慕維廉
地理全志
首領、総統領、統領
1853~
1856
理雅各
遐 邇 貫 珍 ( 33 期 )
×
1854~
1858
瑪高温、応思理
中外新報
主
1856
禕理哲
地球説略
衆統領
1856
慕維廉
大英国志(8 巻)
伯勒西敦、首者
智環啓蒙塾課初歩
×
六合叢談
首領、国主
国君
1856
理雅各
1857~
1858
偉烈亜力
1861
裨治文
大美聯邦志略
1862
麦嘉湖
中外襍誌
×
1864
丁韙良
万国公法
首領、伯理璽天徳
30 年 代 の 雑 誌『 東 西 洋 考 毎 月 統 記 伝 』で は 、
「 統 邦 之 治 主 」、
「列邦首領之主」
の よ う に 、短 い 説 明 文 を も っ て President を 解 釈 し て い る 。「 首 領 、元 首 、首 領
主 」と 同 様 の 意 と し て 、「 統 領 」も 見 ら れ る 。「 首 領 」「 元 首 」
「 統 領 」は い ず れ
も 漢 籍 に 出 典 を も つ 表 現 で あ る 。そ の 後『 美 理 哥 合 省 国 志 略 』や『 地 理 全 志 』、
『 六 合 叢 談 』 な ど に 現 れ て い る よ う に 、「 首 領 」、「 統 領 」 と い う 表 現 が 多 く 使
用 さ れ て い る が 、「 伯 勒 西 敦 」、「 伯 理 璽 天 徳 」 な ど の 音 訳 も し ば し ば 現 れ た 。
音 訳 表 現 と し て 、 ほ か に 「 勃 列 西 領 」、「 伯 理 師 天 徳 」 な ど も 見 ら れ る 。
ブレシデント
一 方 、 1848 年 に 刊 行 の 徐 継 畲 『 瀛 環 志 略 』 に は 、「 毎 国 正 統 領 一 。
フイートプレシデント
副
統
領
佐之。副統領有一員者。有数員者。以四年爲任満。集部衆議
之。衆 皆 曰 賢。則 再 留 四 年。各 国 正 統 領 之 中。又 推 一 総 統 領 。専 主 會 盟 戦 伐 之
事 。 各 国 皆 聴 命 」 iv と の 記 述 が あ り 、「 総 統 領 」 が 使 用 さ れ て い る 。 こ の 表 現
は後に刊行された慕維廉の『地理全志』に影響を与えたかと思われる。また、
魏 源 の 『 海 国 図 志 』( 百 巻 本 、 1852) は そ れ ま で 刊 行 さ れ た 漢 訳 洋 書 を ほ と ん
ど 収 録 し た た め 、「 魁 首 領 、 首 領 主 、 元 首 、 統 領 、 首 領 、 統 領 、 勃 列 西 領 、 伯
理師天徳、長領、総統領」など、表現が多く見られる。
以 上 の 内 容 か ら 、President に 関 す る 表 現 は 早 期 の「 統 邦 之 治 主 」、
「列邦首領
220
新漢語「大統領」の成立について
(孫)
之 主 」な ど の 短 い 説 明 文 か ら 次 第 に 語 に 変 化 す る 傾 向 が 見 ら れ る が 、統 一 さ れ
て い な い こ と は 英 華 辞 典 と 同 様 で あ る こ と が 分 か っ た 。 全 体 と し て 、「 統 領 」
や 「 総 統 領 」、「 衆 統 領 」 と い っ た 表 現 が 多 く 見 ら れ る も の の 、「 大 統 領 」 は 見
当たらなかった。
3
外交交渉の中で誕生した「大統領」
漢 訳 洋 書 に 「 大 統 領 」 は 見 ら れ な か っ た が 、『 英 和 対 訳 袖 珍 辞 書 』 に 現 れ た
た め 、1862 年 以 前 に 日 本 に そ の 使 用 例 が 存 在 し て い た こ と に な る 。こ の 場 合 、
開 国 以 前 の 世 界 地 理 書 や 外 交 文 書 は 考 察 の い い 材 料 と い え よ う 。地 理 書 は『 坤
輿 図 識 』及 び『 坤 輿 図 識 補 』、外 交 文 書 は『 大 日 本 古 文 書
幕 末 外 国 関 係 文 書 』、
『日本外交年表並主要文書』などを調査した。
3.1
『坤輿図識補』における「最上官」
箕 作 省 吾 の 『 坤 輿 図 識 』( 1845 年 ・ 弘 化 2) や 『 坤 輿 図 識 補 』( 1847 年 ・ 弘
化 4)は 、当 時 、長 崎 で 輸 入 さ れ た 幕 府 所 有 の 洋 書 辞 典 、情 報 誌 な ど を 基 本 と
し て ま と め ら れ た 世 界 地 理 書 で あ る 。こ れ ら の 著 書 は 、幕 末 の 外 交 、内 治 上 多
く の 影 響 を 与 え 、特 に 、産 業 の 発 達 、対 外 政 策 、軍 事 力 な ど は 正 確 な も の で あ
っ た 。『 坤 輿 図 識 』 に は ア メ リ カ 大 統 領 に 関 す る 記 述 は な い が 、『 坤 輿 図 識 補 』
巻 2 の「 米 利 幹 誌 補 」に は 詳 細 な 記 述 が 見 ら れ 、初 代 大 統 領 ワ シ ン ト ン の 伝 記
「話聖東小伝」も盛り込まれている v 。
○
我 寛 政 二 年 、万 衆「 ヒ ラ テ ル ヒ ア 」ニ 会 議 ス 、皆 話 聖 東 ヲ 以 テ 、上 官 ニ 任
ゼント請フ、是ニ於テ、已ムヲ得ズ復タ起テ事ヲ視、制度ヲ講定ス
○
其 翌 年 、新 ニ 又 会 議 シ 、話 聖 東 ヲ 会 治 ノ 最 上 官 ニ 任 ジ 、四 年 ヲ 以 テ 、其 期
ト ナ ス 、任 満 ル ニ 及 デ 、又 更 ニ 四 年 ヲ 加 ヘ ン ト 乞 フ 、君 其 政 ヲ 執 ル 智 略 ア
リテ、誠信ナリ、
こ こ で は 、「 大 統 領 」 に 相 当 す る 表 現 は 「 最 上 官 」 と な っ て お り 、 四 年 の 任
期 及 び ワ シ ン ト ン が 再 任 し た こ と が 的 確 に 紹 介 さ れ て い る 。し か し 、
「大統領」
という表現はまだ見られない。
3.2
ペリーが持参した書簡における「大統領」
ア メ リ カ 合 衆 国 第 13 代 大 統 領 ミ ラ ー ド ・ フ ィ ル モ ア ( Millard Fillmore) か
ら 東 イ ン ド 艦 隊 司 令 長 官 お よ び 遣 日 全 権 使 節 を 任 命 さ れ た ペ リ ー は 、 1853 年
7 月 、 翌 年 の 1854 年 2 月 と 二 度 に わ た っ て 浦 賀 に 来 航 、 和 親 通 商 を 求 め た 。
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
221
最 初 の 来 航 の 際 に 、江 戸 幕 府 は 国 書 の み を 受 け 取 る が 、翌 年 再 び 来 航 し 、開 港
を 求 め る 。条 約 調 印 ま で 交 渉 の 詳 細 は『 大 日 本 古 文 書
幕 末 外 国 関 係 文 書 』 vi
に収録されている。
初 渡 来 の 際 、ペ リ ー は 大 統 領 の 親 書 を 2 通 日 本 側 に 渡 し て い る 。そ れ ぞ れ 英
文 、 漢 文 、 オ ラ ン ダ 文 で 書 か れ て い た 。『 大 日 本 古 文 書
幕末外国関係文書之
一 』( 自 嘉 永 六 年 六 月 至 同 年 七 月 ) に は 、 使 節 派 遣 を 趣 旨 と し た 1852 年 11 月
13 日 付 け の 漢 文 親 書 が 紹 介 さ れ 、 次 の よ う な 内 容 が 見 ら れ る vii 。
亜 美 理 駕 大 合 衆 国 大 統 領、姓 斐 謨、名 美 辣 達、日 本 国 大 君 主 殿 下、平 安 、
大尊大敬良友乎、今特派本国師船大臣水師提督彼理、管領一幇兵船、帯
公 書 到 貴 国 境 、 専 呈 殿 下 御 覧 矣 、( 後 略 )
こ こ で は 、「 大 統 領 」 と い う 表 現 が 使 用 さ れ て い る 。 も う 一 通 の 使 節 へ 全 権
委 任 を 趣 旨 と し た 親 書 に も 同 様 の 表 現 が 見 ら れ る viii 。
亜 美 理 駕 大 合 衆 国 大 統 領、姓 斐 謨、名 美 辣 達、日 本 国 大 君 主 殿 下、平 安 、
今朕一心全頼本国師船水師提督彼理、是見識端正才能之臣、故特派、勅
賜 之 欽 差 全 権 、 代 大 合 衆 国 、 来 貴 境 、( 後 略 )
ペ リ ー か ら 日 本 側 に 渡 さ れ た 他 の 書 簡 に も「 大 統 領 」が 見 ら れ る ix 。こ れ ら
の漢文の和訳は「大統領」という表現を直接利用している x 。
○
亜美理駕大合衆国大統領、姓は斐謨、名は美辣達、申述候
○
本 欽 差 役 之 者 、本 国 大 統 領 欽 差 の 申 付 を 受 け 、諸 事 取 計 致 し 、一 組 の 軍 船
を卒ひ、日本国の境に渡来致候(後略)
漢 文 の 和 訳 で は「 大 統 領 」を 使 用 し て い る の に 対 し 、オ ラ ン ダ 文 の 和 訳 は い
プ レ シ デント
ず れ も 「 伯 理 璽 天 徳 」 と 表 現 さ れ て い る xi 。
最 初 に 日 本 語 と し て「 大 統 領 」が 使 用 さ れ た の は 、こ れ ら の 外 交 文 書 の 和 訳
文ではないかと思われる。
で は 、何 故 親 書 に「 大 統 領 」と い う 表 現 が 使 用 さ れ た の で あ ろ う か 。こ れ は
1844 年 に 清 国 と ア メ リ カ の 間 に 調 印 さ れ た 『 望 廈 条 約 』 と 関 係 す る よ う に 思
わ れ る 。 条 約 に は 「 大 合 衆 国 大 伯 理 璽 天 徳 」 と い う 表 現 が 使 用 さ れ て い る xii 。
大 合 衆 国 大 伯 理 璽 天 徳 既 得 各 国 選 挙 国 会 長 、公 会 大 臣 、議 定 允 可 肯 批 准 、
限以十八個月、即将両国君上批准之条約互換
前 述 で 紹 介 し た と お り 、「 伯 理 璽 天 徳 」は President の 音 訳 語 で あ る 。こ の 音
訳 語 に 代 わ っ て 、当 時 中 国 で 多 く 使 わ れ た「 統 領 」で 表 現 し た た め 、
「大統領」
222
新漢語「大統領」の成立について
(孫)
となったのではないか。
3.3
日米修好通商条約に現れた「大統領」
黒 船 来 航 の 直 後 に 、 幕 府 は 漂 流 民 中 浜 万 次 郎 に 尋 問 の 際 、「 大 統 領 」 に つ い
て も 質 問 し て い る xiii 。
○
国 王 無 之 、国 中 大 政 を 掌 り 候 大 統 領 職 フ ラ シ デ ン と 申 、国 中 の 人 民 入 札 ニ
テ登職いたし、在職四年にて交替いたし候
○
大 統 領 と い へ と も 、国 法 に 違 ひ 候 儀 難 相 成 規 定 ニ 付 、政 治 一 定 い た し 、人 々
法令を重し、国内能治まり候由
○
去 ル 戍 年 迄 は 、テ ヱ ラ と 申 も の 大 統 領 職 ニ 候 処 、昨 子 年 交 替 準 年 に 付 、余
人 を 交 代 い た し 候 儀 に 可 有 之 、当 夏 中 書 翰 差 上 候 由 大 統 領 ミ ル ラ ル ト 、ヒ
ルモオレ并使節として渡来いたし候由
○
大統領平生は供の者僅一人召連(後略)
1858 年( 安 政 5)ま で に 、日 本 と ア メ リ カ の 間 に 相 次 い で 三 つ の 条 約 が 結 ば
れ て い る 。 三 つ の 条 約 で は 、「 大 統 領 」 の 表 現 に つ い て は 変 化 が 見 ら れ た 。
1854 年 ( 安 政 元 ) ペ リ ー 再 度 来 日 の 際 に 調 印 さ れ た 『 日 本 国 米 利 堅 合 衆 国
和 親 条 約 』 に は 「 大 統 領 」 は 使 用 さ れ て い な い 。 第 12 条 は 「 一 今 般 の 約 定 相
定候上は両国の者堅く相守可申尤合衆国主に於て長公会大臣と評議一定の後
書を日本大君に致し此事今より後十八箇月を過きすして君主許容の約定取換
せ 候 事 」と あ り 、
「 大 統 領 」は「 合 衆 国 主 」と い う 語 で 表 現 さ れ て い る 。
「日本
大 君 」 に 相 当 す る ア メ リ カ の 最 高 指 導 者 に 対 し 、「 合 衆 国 主 」 で 表 現 し た ほ う
が適当と考えたのであろう。
1857 年( 安 政 4)に 調 印 し た『 日 本 国 米 利 堅 合 衆 国 条 約 』に も「 大 統 領 」は
見 ら れ な い 。し か し 、調 印 直 前 、老 中 堀 田 備 中 守 正 睦 と ア メ リ カ の 総 領 事 ハ リ
ス の 会 談 記 録 は「 老 中 堀 田 備 中 守 正 睦 と 米 総 領 事 ハ リ ス 対 話 書 抄 」に 収 め ら れ 、
この対話抄録には「大統領」が多く見られる。
○
合衆国大統領、日本之為に、阿片を戦争より危踏居申候
○
夫故阿片交易は、格別大切に御心附可被成様、大統領も申居候
○
条約被成候はゝ、阿片之禁を聢と御立被成候様、大統領申聞候
○
大 統 領 誓 て 申 上 候 、日 本 も 、外 国 同 様 港 御 開 、商 売 御 始 、ア ゲ ン ト 御 迎 被
置候はゝ、御安全之事と奉存候
○
大統領考候には、日本人は、世界中之英雄と存候
第4回
○
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
223
大統領心願も、日本人をして戦争を史録にて見及ひ、実地御熟覧無之様、
致し度と之事に御座候
○
大 統 領 之 願 は 、戦 争 に 不 到 、互 に 敬 礼 を 尽 し 、条 約 相 結 候 様 い た し 度 と 之
儀に御座候
○
大 統 領 之 心 得 に て は 、合 衆 国 と 堅 固 之 条 約 御 結 被 成 候 は ゝ 、必 外 国 も 右 を
規則と致し、御心配之儀等は、向後決て有之間敷奉存候
○
大 統 領 儀 、御 国 之 誉 を 不 落 、敬 礼 を 尽 し 、条 約 取 結 、御 混 雑 無 之 様 心 掛 居
申候
○
今 般 大 統 領 よ り 私 差 越 候 は 、懇 切 之 意 よ り 起 候 儀 に て 、隔 意 有 之 て 之 事 に
は無之
○
合 衆 国 大 統 領 は 、別 段 飛 離 れ 候 願 は 不 仕 、合 衆 国 民 人 え 、過 不 及 な き 平 等
之儀御許之程を、願居候事に御座候
○
大統領より、亜墨利加にて心得居候儀は、何成共御伝申候様申付候
○
大 統 領 願 に は 、西 洋 各 国 と 、若 確 執 等 有 之 候 節 は 、格 別 大 切 之 取 扱 媒 に 被
立置候様、兼て申唱心掛罷在候
こ の 抄 録 か ら 、 当 時 、 幕 府 の 高 官 の 間 で は 、「 大 統 領 」 と い う 表 現 は ほ ぼ 定 着
していたといえよう。
こ の よ う な 変 化 は 政 府 間 の 条 約 に も 反 映 さ れ て い る 。『 日 本 国 米 利 堅 合 衆 国
条 約 』に「 大 統 領 」は 用 い ら れ な か っ た が 、1858 年( 安 政 5)に 調 印 の『 日 本
国 米 利 堅 合 衆 国 修 好 通 商 条 約 』に は「 大 統 領 」が 見 ら れ る 。条 約 の 冒 頭 、本 文
の第 1 条、第 2 条及び末尾に「大統領」が初めて公文書に現れている。
○
帝国大日本大君と亜米利加合衆国 大統領 と親睦の意を堅くし且永続せし
めん為に両国の人民貿易を通する事を処置し其交際の厚からん事を欲す
るか為に懇親及ひ貿易の条約を取結ふ事を決し日本大君は其事を井上信
濃守岩瀬肥後守に命し合衆国 大統領 は日本に差越たる亜米利加合衆国の
コ ン シ ュ ル 、ゼ ネ ラ ー ル 、ト ウ セ ン ト・ハ リ ス に 命 じ 双 方 委 任 の 書 を 照 応
して下文の条々を合議決定す
○
合 衆 国 の 大 統 領 は 江 戸 に 居 留 す る ヂ プ ロ マ チ ー キ 、ア ゲ ン ト 等 を 任 し( 第
1 条)
○
日本国と欧羅巴中の或る国との間に差障起る時は日本政府の嘱に応し合
衆国の大統領和親の媒と為りて扱ふへし(第 2 条)
○
本条約は日本よりは大君の御名と奥印を署し高官の者名を記し印を調し
224
新漢語「大統領」の成立について
(孫)
て証とし合衆国より大統領自ら名を記しセクレタリース、ファンスター、
と共に自ら名を記し合衆国の印を鈐して証とすへし
こ こ ま で 述 べ て き た よ う に 、日 本 に お い て も 、世 界 地 理 書 な ど に お い て 、ア
メ リ カ の 大 統 領 を め ぐ る 記 述 が 見 ら れ た が 、「 大 統 領 」 は 使 用 さ れ て い な か っ
た 。初 め て「 大 統 領 」が 公 文 書 に 見 ら れ た の は 、ペ リ ー か ら 渡 さ れ た ア メ リ カ
大 統 領 の 漢 文 親 書 で あ っ た 。こ の 表 現 が 日 本 語 の 訳 文 に そ の ま ま 利 用 さ れ 、日
本 語 と し て 、外 交 交 渉 の 場 で 使 わ れ 、つ い に 外 交 条 約 の 中 に も 使 用 さ れ る よ う
になったことが明らかになった。
4
「大統領」の定着
4.1
遣米使節たちと「大統領」
1860 年( 万 延 元 )、修 好 通 商 条 約 文 を 交 換 す る た め 、遣 米 使 節 が ア メ リ カ に
赴 い た 。使 節 た ち は そ れ ぞ れ の 旅 行 記 に ア メ リ カ 大 統 領 James Buchananを 目 の
当 た り に し た こ と を 報 告 し て い る xiv 。 旅 行 記 に 現 れ た 表 現 を 次 に ま と め た 。
作者
書名
漢字表現
仮名表現
森田清行
亜行日記
大 統 領 、大 頭 領
フレシテント、ブレシテン
ド、フレシテンド
益頭尚俊
亜行航海日記
大統領
フレシテント
名村元度
亜行日記
大統領
プレシデント
日高為善
米行日誌
大統領
フレシテント
水野正信
二夜語
大統領
プレシデント
新見正興
亜行詠
大統領、統領
×
野々村忠實
航海日録
大統領
プレシテント
福島義言
花旗航海日誌
大統領
×
こ こ で は 、政 府 高 官 の 間 で ほ ぼ 定 着 し て い た「 大 統 領 」は 遣 外 使 節 に も 使 用
さ れ る よ う に な っ た こ と が 分 か る 。「 大 頭 領 」 や 「 統 領 」 の よ う な 表 現 も あ っ
た が 、殆 ど の 旅 行 記 や 報 告 書 に「 大 統 領 」が 見 ら れ た 。一 方 、外 国 語 が 通 じ な
か っ た た め か 、カ タ カ ナ 表 現 は 統 一 さ れ て い な か っ た よ う で あ る 。そ れ ぞ れ 大
統 領 に 会 見 し た 記 録 を 以 下 に 示 す xv 。
○
此 処 へ 大 頭 領 姪 ノ 由 、婦 人 三 人 デ ユ ホ ン ト イ ザ ナ ヒ 来 初 見 ノ 挨 拶 有 之( 森
田 清 行 、 第 一 巻 、 125 頁 )
○
且 婦 女 子 共 数 多 此 席 江 罷 出 居 、役 人 共 大 統 領 と 種 々 談 抔 致 し 、且 大 統 領 之
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
225
前 ニ 而 も 憚 な く 通 行 之 躰 、別 段 会 釈 之 様 子 も 無 之( 日 高 爲 善 、第 二 巻 、16
頁)
○
此 処 大 統 領 姪 之 由 、婦 人 三 人 ジ ュ ホ ン ト 人 名 召 連 来 、為 引 合 握 手 之 礼 有 之
( 益 頭 尚 俊 、 第 二 巻 、 101 頁 )
○
正 使 御 国 書 ヲ 出 シ 大 統 領 ニ 、直 渡 ス 、正 使 挨 拶 ア リ 、大 統 領 右 御 請 ケ 、書
面 ヲ 以 テ 述 フ ( 名 村 元 度 、 第 二 巻 、 230 頁 )
○
使 節 大 統 領 ニ 見 ユ ( 村 山 伯 元 、 第 二 巻 、 311 頁 )
○
翌 廿 八 日 大 統 領 へ 謁 見 無 滞 相 済 ( 新 見 正 興 、 第 二 巻 、 369 頁 )
○
明 日 大 統 領 御 逢 申 候 間、右 相 済、治 定 之 儀 申 上 候( 水 野 正 信、第 三 巻、52
頁)
○
閏 三 月 廿 八 日 、晴 、大 統 領「 ブ ュ カ ナ ン 」ト 王 府 ニ 於 テ 初 テ 対 面( 野 々 村
忠 實 、 第 三 巻 、 199 頁 )
○
廿 八 日 、陰 、巳 ノ 刻 過 三 君 ヲ 初 諸 官 、大 統 領 エ 初 対 面 ト シ テ 其 館 ヱ 行 玉 フ
( 福 島 義 言 、 第 三 巻 、 327 頁 )
4.2
幕末の新聞と「大統領」
幕 末 に 刊 行 さ れ た 新 聞 は 世 に 欧 米 の 最 新 情 報 を 流 す と 同 時 に 、新 語 の 伝 播 に
お い て も 多 大 な 役 割 を 果 し て い る 。人 々 は 絶 え ず 1861 年 か ら 1865 年 ま で の ア
メ リ カ 南 北 戦 争 の 動 向 を 注 目 し て い た 。幕 府 の 官 版 新 聞『 バ タ ビ ヤ 新 聞 』、
『海
外 新 聞 』、 及 び 会 訳 社 の 『 日 本 貿 易 新 聞 』、『 日 本 新 聞 』 に は 「 大 統 領 」 が 多 く
使用されている。
1862 年 ( 文 久 2) か ら 1863 年 ( 文 久 3) ま で に 刊 行 さ れ た 官 版 新 聞 『 バ タ
ビ ヤ 新 聞 』『 海 外 新 聞 』 に は 次 の よ う な 用 例 が 見 ら れ る xvi 。
○
此度大統領の命に由て非常なる大軍を募りたること一体の法制に戻れば、
人 民 を し て 安 穏 な ら し め ん に は 大 害 あ り (『 バ タ ビ ヤ 新 聞 』 巻 8、 33 頁 )
○
此定額を執政等既に善として大統領も許せしなれば速に行ふ可しとなり
( 同 巻 9、 40 頁 )
○
合 衆 国 の 議 会 に 於 て 、 大 統 領 林 硜 の 処 置 を 甚 だ 善 と せ り ( 巻 11、 49 頁 )
○
合衆国大統領並に会議の免を得て取立る軍用金と利息の運上及今迄の運
上 を 共 に 算 す れ ば 、 金 蔵 に 納 る 高 百 万 々 元 な る 可 し ( 巻 15、 65 頁 )
○
大統領曰く南方徒は決して外国の扶助を待たざれども唯願くは欧羅巴に
て守れる攻囲の正法に合するや然らざるやを徧く分別あらんことを希望
226
新漢語「大統領」の成立について
(孫)
す る の み (『 官 板 海 外 新 聞 』 巻 9、 191 頁 )
柳 河 春 三 を は じ め と し た 開 成 所 の メ ン バ ー に よ っ て 、会 訳 社 が 結 成 さ れ て い
る 。 官 板 新 聞 の 刊 行 が 中 断 し た 後 、 1864 年 ( 元 治 元 ) か ら 1866 年 ( 慶 應 2)
ま で 、会 訳 社 は 手 写 新 聞『 日 本 貿 易 新 聞 』、
『 日 本 新 聞 』を 世 に 送 っ て い た xvii 。
○
米 利 堅 戦 争 は 猶 止 む こ と な し ○此 度 林 硜 氏 の 大 統 領 た る 任 満 た る を 以 て 、
ゼ ネ ラ ー ル マ ツ ケ ル ラ ン を 大 統 領 と 為 し 、戦 争 速 に 歇 み 以 前 の 如 く 泰 平 と
な る を 希 望 す (『 日 本 貿 易 新 聞 』 第 76 号 、 211 頁 )
○
紐 育 の 民 会 に は マ ル ケ ル ラ ン を 大 統 領 に 任 せ ん と 決 し た り( 同 上 、213 頁 )
○
大 統 領 継 立 の 事 あ り 、依 之 其 後 役 を 願 へ る 衆 人 中 よ り 任 に 的 れ る も の を 抜
擢 せ ん か 為 め 、各 其 党 に よ り て 贔 負 の 人 を 名 指 へ き チ カ ゴ の 大 会 議 を 起 れ
り ( 同 第 79 号 、 218 頁 )
○
方 今 林 硜 君 の 治 世 殆 ん と 終 ら ん と す る に よ り 新 大 統 領 撰 挙 の 事 あ り( 同 第
80 号 、 222 頁 )
○
亜国の新聞甚た明白ならす、大統領 リンコルン ミニストル セワルド と南
部 の 全 権 等 と ハ ム プ ト ン に て 軍 艦 の 甲 板 上 に 於 て 、和 親 の 為 め の 応 接 あ り
し か 、双 方 の 政 府 従 来 の 趣 意 を 変 し て 和 睦 を 結 ふ へ き の 談 判 に 至 ら ず し て
破 談 と な れ り と 云 ふ ( 同 第 102 号 、 263 頁 )
○
亜美利加合衆国の大統領 ジョンストン 位を退き、議政官 スタントン も職
罷 ら れ て フ レ ス ト ン 、キ ン グ 暫 く 其 代 を 務 む と い へ 共 、終 に は セ ク リ テ イ
リ ー 官 シ ツ ル ド に 其 職 を 譲 る な る べ し (『 日 本 新 聞 』 第 2 号 、 350 頁 )
○
合 衆 国 の 北 客 羅 利 那 は 初 め 南 党 に 属 せ し 地 也 、然 る に 此 度 国 政 改 正 の 事 に
就 て 、大 統 領 の 命 に 従 ひ 専 ら 黒 奴 売 買 制 禁 の 説 を 主 張 す( 同 第 21 号 、422
頁)
○
亜 国 大 統 領 ジ ョ ン ソ ン は 、嘗 て 讐 敵 た り し 南 党 の 後 来 服 徒 せ し 人 々 に 対 し 、
甚 寛 仁 の 所 置 を 為 せ り ( 同 第 21 号 、 424 頁 )
○
去 年 間 許 多 の 英 雄 世 を 辞 し 去 て 復 返 ら ず 、豈 痛 惜 せ さ る べ け ん や 。亜 墨 利
リオポルト
パルメルストン
加の大統領林硜比利時王 留波爾多 我英国の宰相 巴 麦 斯 敦 就中最も惜む
べ き 者 な り ( 同 第 28 号 、 430 頁 )
こ の よ う に 、 新 聞 に あ る 南 北 戦 争 関 係 の 報 道 は 、「 大 統 領 」 と い う 語 が 一 般
社会への浸透を促す結果になったと思われる。
第4回
4.3
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
227
知識人と「大統領」
政 府 の 公 文 書 や 新 聞 に 使 用 さ れ た「 大 統 領 」は 知 識 人 の 文 章 に も 現 れ て い る。
1860 年 に 完 成 し た 加 藤 弘 之 の『 鄰 艸 』に は 、早 く も「 大 統 領 」が 見 ら れ る xviii 。
○
万 民 の 中 に て 有 徳 に し て 才 識 万 人 に 勝 れ 、人 望 尤 も 多 き 者 一 人 を 推 し 、年
洋名プレ
期を以て大統領 シデント となし
○
合衆全国に関係すべき事に至りては華盛頓に大政府を置き大統領
洋名プレ
シデント を立て大公会の二房を設けて国事を議するとす
○
其 大 統 領 は 庶 民 の 会 議 に て 官 吏 庶 民 に 拘 は ら ず 才 識 万 人 に 勝 れ 、人 望 尤 も
多き者を四年の期を以て抜擢し、以て之に万民統御の重任を授く
『 鄰 艸 』は 手 写 本 の ま ま で 、刊 行 に 至 ら な か っ た の に 対 し 、一 世 を 風 靡 し た
福沢諭吉『西洋事情』にも「大統領」が使用されている。
『 西 洋 事 情 初 編 』巻 之 二 に「 亜 米 利 加 合 衆 国 」と い う 項 目 が 設 け ら れ 、ア メ
リ カ の 独 立 史 や 政 治 な ど が 紹 介 さ れ て い る xix 。
○
又 華 盛 頓 ハ 騒 乱 ノ 初 期 ヨ リ 亜 米 利 加 ノ 兵 ヲ 指 揮 シ タ ル 人 物 ナ ル を 以 テ 、之
ヲ推テ大統領トナシ
○
千 七 百 九 十 七 年 華 盛 頓 職 ヲ 辞 シ 、ジ ョ ン・ア ダ ム ス 代 テ 大 統 領 ニ 任 ジ タ リ
○
毎 事 其 可 否 を 論 シ テ 既 ニ 一 定 ス レ バ 、之 ヲ 一 国 ノ 法 律 ト ナ シ テ 国 中 ニ 施 行
スルノ権ハ大統領ノ手ニ在リ。大統領ノ在職ハ四年ヲ限トス
○
大統領ノ職掌ハ合衆国ノ海陸軍ノ総都督ニシテ、上院ノ議事官ト同議シ、
外国ト条約ヲ結ビ、文武士官ヲ命ズルノ全権アリ
加 藤 弘 之 、福 沢 諭 吉 の 所 属 し て い た 明 六 社 の 他 の 学 者 も「 大 統 領 」を 使 用 し
て い た 。『 明 六 雑 誌 』 に は 3 例 見 ら れ る 。
○
大統領副統領ノ撰択若クハコングレスノ代議者或ハ各邦ノ政官及ヒ法官
ノ撰択(第 6 号、加藤弘之訳「米国政教」第三章各邦ノ教道憲法)
○
方今欧米各国ニ於テ文官ノ礼服ト称スル者帝王大統領ヨリ衆庶平民ニ至
ル マ デ 唯 一 品 ノ ミ ( 第 8 号 、 津 田 真 道 「 服 章 論 」)
○
総テ此ノ後己ノ自由ヲ張テ天子ニナロフ大統領将軍ニナロフト謀反ヲ企
ツ ル ヤ ツ ハ 皆 此 借 金 無 宿 ト 云 …( 第 28 号 、 坂 谷 素 「 民 選 議 院 変 則 論 」)
以 上 の よ う に 、遣 外 使 節 の 旅 行 記 、幕 末 の 新 聞 、そ し て 知 識 人 の 文 章 に 、
「大
統領」が使用され、一般社会にも定着したと言えよう。
228
5
新漢語「大統領」の成立について
(孫)
対訳辞書における「大統領」の定着
1814 年 ( 文 化 11) か ら 1886 年 ( 明 治 19) ま で に 刊 行 さ れ た 対 訳 書 を 次 の
表にまとめた。
西 暦( 和 暦 )
President 訳 語
書名(編著者)
1814( 文 化
11)
諳厄利亞語林大成(写本、本木正
栄ら編)
×
1830( 天 保
元)
An English and Japanese, and
Japanese and English Vocabulary
(W.H.Medhurst)
×
1854( 嘉 永
7)
三語便覧(村上英俊)
×
1857( 安 政
4)
五方通語(村上英俊)
×
同上
英 語 箋 ( 井 上 修 理 校 正、村 上 英 俊
閲)
×
1860( 万 延
元)
五国語箋(松園梅彦)
×
1862( 文 久
2)
英和対訳袖珍辞書(堀達之助)
評議役ノ執頭、大統領
改正増補英和対訳袖珍辞書(堀達
之助編、堀越亀之助改訂)
評議役ノ執頭、大統領
和 英 語 林 集 成 ( J.C.Hepburn)
×
1869( 明 治
2)
改正増補和訳英辞書(薩摩学生)
評議役ノ執頭、大統領
1871( 明 治
4)
大正増補和訳英辞林(薩摩辞書)
(前田正穀・高橋良昭)
評議役ノ執頭、大統領
1872( 明 治
5)
英和字典(吉田賢輔ら)
一社中ノ執頭、大統領、
○監 督
1866( 慶 應
2)
1867( 慶 應
3)
同上
英和対訳辞書(荒井郁編)
和英語林集成<再版>
( J.C.Hepburn)
評議役ノ執頭、大統領
1873( 明 治
6)
附 音 挿 図 英 和 字 彙 (柴 田 昌 吉 ・ 子
安峻)
会 長、首 事、管 総、大 統
領
同上
1876( 明 治
9)
和訳英語聯珠(岸田吟香)
An English-Japanese Dictionary of
the Spoken Language ( E.M.Satow・
評議役ノ執頭、大統領
torio; ( of a republic )
dai-torio ; ( of an
同上
Toriyo, dai-toriyo
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
229
石橋政方)
assembly) gicho
1881( 明 治
14)
哲学字彙(井上哲次郎ら)
×
1882( 明 治
15)
増補訂正英和字彙(2 版、柴田昌
吉・子安峻)
会 長、首 事、管 総、大 統
領
1883( 明 治
16)
訂 増 英 華 字 典 ( W.Lobscheid 著 、
井上哲次郎訂増)
The - of a society, 長 、掌
者、首事、理長、管総、
頭 目;監 督; the - of the
United States, 花 旗 合 部
大憲
1884( 明 治
17)
改訂増補哲学字彙
(井上哲次郎・有賀長雄増補)
議長、大頭領、尚書
1886( 明 治
19)
改正増補和英英和語林集成 <3 版
> ( J.C.Hepburn)
Toryo, daitoryo, gicho,
shacho, kwaicho, kwaito
1862 年 ま で の 対 訳 辞 書 に は「 大 統 領 」が 採 録 さ れ て い な か っ た 。『 英 和 対 訳
袖 珍 辞 書 』を き っ か け に 、そ れ 以 降 に 刊 行 さ れ た 辞 書 に は「 大 統 領 」が 頻 繁 に
集 録 さ れ て い る 。『 英 和 対 訳 袖 珍 辞 書 』 の 編 集 者 堀 達 之 助 は ペ リ ー 初 来 日 の 際
に 、通 訳 を 担 当 し て い る 。日 米 外 交 交 渉 に 誕 生 し た「 大 統 領 」と い う 語 は い ち
早 く 辞 書 に も 載 せ ら れ る 結 果 と な っ た の で あ る 。ヘ ボ ン の『 和 英 語 林 集 成 』で
は、初版には見られなかったが、二版と三版に「大統領」は採録されている。
井 上 哲 次 郎 の 『 哲 学 字 彙 』 や 『 改 訂 増 補 哲 学 字 彙 』 だ け 、 採 用 し な い か 、「 大
頭 領 」 と い う 表 現 と な っ て い る 。『 訂 増 英 華 字 典 』 で は 、 ロ プ シ ャ イ ト の 語 釈
の ま ま に な っ て い る 。 井 上 哲 次 郎 以 外 の 辞 書 か ら 見 る と 、「 大 統 領 」 は 既 に 日
本語として、早くから定着していたといえよう。
6
おわりに
こ れ ま で 、幕 末 明 治 初 期 に 誕 生 し た 新 語「 大 統 領 」の 成 立 か ら 定 着 ま で の 過
程 を 考 察 し た 。「 大 統 領 」 は 漢 訳 洋 書 に は 見 ら れ な か っ た が 、 日 米 外 交 交 渉 の
漢 文 公 文 書 に 現 れ て お り 、 早 く も 日 本 語 と し て 成 立 し た 。「 大 統 領 」 は 政 府 の
高 官 の 使 用 か ら 、幕 府 の 遣 米 使 節 の 旅 行 記 や 報 告 書 、幕 末 新 聞 、知 識 人 の 文 章
を 通 し て 、一 般 社 会 に 浸 透 を 果 す よ う に な っ た 。日 米 修 好 通 商 条 約 に 使 用 さ れ
たのは「大統領」の定着につながった大きな要因だったと思われる。
230
新漢語「大統領」の成立について
(孫)
注
i
諸 橋 轍 次 『 大 漢 和 辞 典 』( 修 訂 版 ) 大 修 館 、 巻 3、 433 頁 。
ii
遠 藤 智 夫( 1996)
「『 英 和 対 訳 袖 珍 辞 書 』と メ ド ハ ー ス ト『 英 漢 字 典 』―抽 象 語 の
訳 語 比 較 ―A ~ H 」『 英 学 史 研 究 』 第 29 号 、 同 ( 1999)「『 英 和 対 訳 袖 珍 辞 書 』 と
メ ド ハ ー ス ト 『 英 漢 字 典 』 ―抽 象 語 の 訳 語 比 較 ―I ~ Z ( 完 結 編 )」 第 32 号 参 照 。
iii
熊 月 之 ( 1999)「 自 由 、 民 主 、 総 統 三 個 詞 彙 的 翻 訳 与 使 用 」( 自 由 、 民 主 、 総 統
三 語 の 翻 訳 と 使 用 )『 百 年 』 5 月 号 参 照 。
iv
徐 継 畲 原 著 、 塩 谷 宕 陰 訓 点 『 瀛 環 志 略 』「 北 亜 墨 利 加 合 衆 国 」 巻 、 対 媚 閣 蔵 版 、
9 丁 裏 、 ICU 図 書 館 所 蔵 。
v
「 話 聖 東 小 伝 」、 半 谷 二 郎 ( 1991)『 箕 作 省 吾 』 旺 史 社 、 pp.249-254 頁 。
vi
東 京 大 学 史 料 編 纂 所 編( 1972)『 大 日 本 古 文 書 幕 末 外 国 関 係 文 書 』( 覆 刻 版 )、東
京大学出版会。
vii
同 上 、『 幕 末 外 国 関 係 文 書 之 一 』、 239 頁 。 な お 、 全 文 は 238 頁 -242 頁 を 参 照 。
viii
ix
同 上 、 251-252 頁 。
例えば、
「 本 欽 差 現 奉 本 国 大 統 領 欽 差 全 権 便 宜 行 事 、坐 領 一 幇 師 船 、来 日 本 国 境 、
呈求大皇帝殿下、請議両国和睦之条約、奉上吾君主公書并本欽差勅書、此二書現
已 鈔 写 英 字 呵 蘭 字 漢 字 等 書 、録 呈 御 覧( 後 略 )」( 同 上 、255-256 頁 )、「 亜 美 理 駕 大
合衆国欽差大臣、兼管本国師船、現留泊日本海水師提督彼理、為申陳事、奉本国
大 統 領 欽 命 、 全 権 便 宜 行 事 、 議 和 立 約 ( 後 略 )」( 同 、 265 頁 ) 等 が 見 ら れ る 。
x
同 上 、 253 頁 、 258 頁 。
xi
同 上 、 247 頁 、 254 頁 、 263 頁 を 参 照 。
xii
『 大 日 本 古 文 書 幕 末 外 国 関 係 文 書 之 五 』、 148 頁 。
xiii
『大日本古文書幕末外国関係文書之三』
(自嘉永六年十月至十一月)
、180 頁 -185
頁参照。
xiv
使 節 の 旅 行 記 な ど は 日 米 修 好 通 商 百 年 記 念 行 事 運 営 会 編 ( 1960)『 遣 米 使 節 史
料集成』風間書房(全七巻)に収められている。
xv
同上、用例は第一巻、第二巻、第三巻からとった。括弧の中は巻数と頁数を示
している。
xvi
xvii
xviii
xix
頁 数 は 、 明 治 文 化 研 究 会 編 ( 1962)『 幕 末 明 治 新 聞 全 集 』 第 2 巻 を 参 照 。
頁 数 は 、 明 治 文 化 研 究 会 編 ( 1962)『 幕 末 明 治 新 聞 全 集 』 第 1 巻 を 参 照 。
明治文化研究会編『明治文化全集
政治篇』を参照、8 頁。
『 西 洋 事 情 初 編 』、 慶 応 2 年 刊 、 国 際 基 督 教 大 学 図 書 館 所 蔵 。
第 4 回 漢字文化圏近代語研究会 231
於日本大阪 関西大学 2004.3.13-14
井上哲次郎の『訂増英華字典』に於ける訳語の増設についての考察
――底本の英語に新設した訳語
福島大学・金 敬雄
一、はじめに
ロ ブ シ ャ イ ド の『 英 華 字 典 』(1866-1869年 )は 近 代 漢 語 の 研 究 で 非 常 に 注 目 さ
れ て い る 書 物 の 一 つ で あ る 。 日 本 で は こ れ を 底 本 に し て 明 治 16~ 18年 井 上 哲 次
郎 に よ っ て 『 訂 増 英 華 字 典 』 が 出 版 さ れ た 。 そ し て 、 明 治 32年 、 明 治 39年 二 回
に わ た っ て 日 本 で 版 が 重 ね ら れ 、 ま た 1903年 に 上 海 で も 刊 行 さ れ て い る (1) 。 こ
の『訂増英華字典』の訂増についての先行研究が若干あるものの、訂増の全容
がまだ明らかにされていない。
筆者の調べては、井上哲次郎の『訂増英華字典』で、訳語の訂増に関わるも
の が 延 べ 9707項 (2) あ る 。 そ れ ら を 大 ま か に 下 記 の よ う に 分 類 す る こ と が で き る 。
( 一) 英 語 の 訂 増 に 関 わ ら な い 訳 語 の 訂 増
(1)訳 語 の 削 減 (66項 ): 訳 語 の 一 部 ま た は 全 部 が 本 来 対 応 し て い た 英 語 の と
こ ろ か ら 外 さ れ た も の 。 こ れ に 関 し て は す で に 拙 稿 (1999a)
で考察してみた。
(2)訳 語 の 修 訂 (646項 ):底 本 の 訳 語 に つ い て の 改 訂 。こ れ ら を さ ら に「 符 号
に 関 わ る 訳 語 の 修 訂 」、
「 字 順 の 変 更 に よ る 訳 語 の 修 訂 」、
「同
義 語・類 義 語 の 入 れ 替 え に よ る 訳 語 の 修 訂 」、
「訳語の修訂ミ
ス 」、
「 訳 語 の 訂 正 」、
「 訳 語 の 修 整 」に 分 類 で き る 。こ れ ら に
つ い て は 、す で に 拙 稿 (1999b、2000a、2000b、2000c、2001a、
2001b)で 考 察 し て み た 。
(3)訳 語 の 新 設 (35項 ):底 本 で は 訳 語 が な か っ た 見 出 し 語 ま た は 英 語 の 例 文 、
解釈文などに訂増版で初めて訳語を付けたもの。
(1)
飛 田 良 文 ・ 宮 田 和 子 「 十 九 世 紀 の 英 華 ・ 華 英 辞 典 目 録 ─翻 訳 語 の 資 料 と し て 」 『 国 語 論
究 』 第 6 集 明 治 書 院 平 成 9 年 7 月 15 日 pp.502~ 510 を 参 照 。
(2)
本稿では英語と対応する訳語をセットで「項」と称している。一つの項目に訳語が複数
付いている場合もあるので、全体の訳語数は項目数より多くなる。
232
井上哲次郎の『訂増英華字典』に於ける訳語の増設についての考察(金)
(4)訳 語 の 増 補 (6206項 ): 底 本 の 訳 語 の 上 に 新 た な 訳 語 を 補 充 し た も の 。
( 二)英語の 訂増に伴う 訳語の訂増
(1)英 語 の 削 除 (83項 ): 底 本 に あ っ た 見 出 し 語 ま た は 英 語 の 例 文 、 解 釈 文 な
ど が 削 除 さ れ 、そ れ に 伴 っ て 対 応 し て い た 訳 語 も 一 緒 に 削 除
されたもの。
(2)英 語 の 修 訂 (11 項 ): 底 本 に あ っ た 見 出 し 語 ま た は 英 語 の 例 文 、 解 釈 文 な
どが修訂され、それに伴って訳語が修訂されたもの。
(3)英 語 の 増 設 (2660項 ): 底 本 に な か っ た 見 出 し 語 ま た は 英 語 の 例 文 、 解 釈
文 な ど を 訂 増 版 で 新 た に 増 補 し 、そ れ に 伴 っ て 対 応 す る 訳 語
も新たに付けられたもの。
本稿では井上哲次郎の『訂増英華字典』における訳語増補の全容を解明する一
環として、
「 訳 語 の 新 設 」項 目 を 取 り 上 げ 、訂 増 版 に よ る 造 語 の 有 無 を 含 め 、そ
の実態を考察してみたい。
二、底本の英語に新設した訳語
底本では訳語がなかった見出し語または英語の例文、解釈文に訂増版で初め
て 訳 語 を 付 け た も の は 全 巻 を 通 し て 、 35項 確 認 で き た 。 以 下 に そ れ ら を 列 挙 す
ると同時に、訂増版で新設された訳語と底本の訳語との接点についても触れて
おきたい。
1.
Absolute, a.
完全,齊全,全。
底 本 で は 、同 じ 見 出 し 内 に「 complete, 全 ,齊 全 」と い う 解 釈 文 が あ り 、訂 増
版の新設訳語「齊全,全」はこれと一致している。ただし、訳語「完全」は底
本と接点を持たない。
2.
Accent, n.
3.
Accessary, a.
4.
Accost, v.t.
來近。
5.
Acting, ppr.
做。
6.
Admirably, adv.
7.
Ado, n.
8.
Aggrandizement, n.
9.
Alloy, n.
聲音。
從,相連。
絶奇之貌。
多事,艱難。
致爲高大。
會鎔。
底 本 で は 、 こ の 見 出 し 内 に 「 alloy of the fine and base metals, 高 低 會 鎔 」 と い
第4回
漢字文化圏近代語研究会
233
予稿集
う例文があり、訂増版で新設した訳語がこれと接点を持っている。
10. Antiquarian, a.
好古,博古。
底 本 で は 、こ の 見 出 し 内 に「 One who studies into the history of ancient things, 好
古之人,博古之人」という項目があり、訂増版で新設した訳語がこれと接点を
持っている。
11. Artillery, n. (底 本 ) artillery men. see Artillerist.
(訂 増 版 ) artillery men. 砲 手 。
こ の 項 の 見 出 し 語 「 Artillery」 の 直 前 に 見 出 し 語 「 Artillerist」 が あ り 、 そ こ
に 訳 語「 砲 手 」が 付 い て い る 。そ の た め 、底 本 で は「 artillery men. see Artillerist」
の 形 を 取 り 、訳 語 を 付 け て い な い と 思 わ れ る 。こ れ に 対 し て 、訂 増 版 で は「 see
Artillerist」 を 削 除 し 、 訳 語 「 砲 手 」 を 付 け た 。 ( 画 像 1 を 参 照 さ れ た い )
画像1
(底本)
12. Astonish, v.t.
(訂増版)
驚奇,驚動。
底本では、同じ見出し内の例文に「令人驚奇」、「驚動天地」という訳語が
あり、訂増版で新設した訳語がこれらと接点を持っている。
13. Binomial, a.
a root consisting of two members, connected by the sign plus or
minus, as: a+b or 5-3.
二項式
底 本 で は 、 見 出 し 語 「 Binomial」 に つ い て 、 数 式 を 挙 げ て 説 明 し て い る が 、
訳語はなかった。訂増版でその説明の英文に訳語「二項式」を付けている(画
像 2を 参 照 さ れ た い ) 。
画像2
14. Blind, n.
(底本)
門簾,百葉窓。
(訂増版)
234
井上哲次郎の『訂増英華字典』に於ける訳語の増設についての考察(金)
底本では、同じ見出し内の例文に「牛百葉窓」、「開牛百葉窓」という訳語
があり、訂増版で新設した訳語「百葉窓」がこれらと接点を持っている。
15. Brigantine, n.
兩枝桅船。
底 本 で は 、 見 出 し 語 「 Brigantine」 に つ い て 、 「 see Brig」 が あ る だ け で 、 訳
語が付いていない。また、英語の例文、解釈文もない。訂増版で見出し語に訳
語「 兩 枝 桅 船 」を 付 け た 上 、底 本 に あ っ た「 see Brig」も 受 け 継 い で い る 。な お 、
底 本 の 「 Brig」 の 項 で も 見 出 し 語 に 訳 語 が 付 い て お ら ず 、 英 語 の 解 釈 文 に 訳 語
「兩枝桅船」が付いていた。
16. Britain, n.
・咭唎國。
底 本 で は 「 Britain, Great, 大 英 国 」 と な っ て い た 。
17. Caiman, n.
鱷魚。
底 本 で は 、 見 出 し 語 に 対 し て 「 see Cayman」 が あ る だ け で 、 訳 語 が 付 い て い
ない。また、英語の例文、解釈文もない。訂増版で見出し語に訳語「鱷魚」を
付 け た 上 、底 本 に あ っ た「 see Cayman」も 受 け 継 い で い る 。な お 、底 本 の「 Cayman」
には訳語「鱷,鱷魚」が付いている。
18. Came, pret. (底 本 )of Come, which see.
(訂 増 版 )of come.
来了
この項の英文は見出し語についての説明となっている。訂増版で見出し語
「 came」に 対 応 さ せ て 、訳 語「 来 了 」を 付 け て い る 。な お 、底 本 の「 Come」の
項 に 「 to be present, 來 了 , 嚟 了 , 到 了 , 到 咯 」 と い う 項 目 が あ る 。
19. Camomile, n.
甘菊。
底 本 で は 、見 出 し 語 に 対 し て「 see Chamomile」が あ る だ け で 、訳 語 が 付 い て
いない。また、英語の例文も解釈もない。訂増版で見出し語に訳語「甘菊」を
付 け た 上 、 底 本 に あ っ た 「 see Chamomile」 も 受 け 継 い で い る 。 な お 、 底 本 の
「 Chamomile」 に は 訳 語 が 付 い て お ら ず 、 英 語 の 解 釈 文 に 「 甘 菊 花 」 と 「 野 菊
花」がある。
20. Castoreum, n.
海狸膠。
底 本 で は 、見 出 し 語 に 対 し て「 see Castor」が あ る だ け で 、訳 語 が 付 い て い な
い。また、英語の例文も解釈もない。訂増版で見出し語に訳語「海狸膠」を付
け た 上 、底 本 に あ っ た「 see Castor」も 受 け 継 い で い る 。な お 、底 本 の「 Castor」
の項でも見出し語には訳語が付いておらず、英語の解釈文に訳語「海狸膠」が
付いている。
21. Coal-house, n.
煤炭棧。
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
235
底 本 で は 、 見 出 し 語 に 対 し て 「 see Coal-shed」 が あ る だ け で 、 訳 語 が 付 い て
い な い 。 ま た 、 英 語 の 例 文 も 解 釈 も な い 。 訂 増 版 で 見 出 し 語 「 Coal-house」 に
訳 語「 煤 炭 棧 」を 付 け た 上 、底 本 に あ っ た「 see Coal-shed」も 受 け 継 い で い る 。
し か し 、底 本 で 提 示 し て い る 参 照 項 目「Coal-shed」に 付 い て い る 訳 語 は「 煤 炭
棧」ではなく、「煤廠」となっている。
22. Contents, n. pl. 目 録 。
底 本 で は 、見 出 し 語 に 対 し て「 see under Content」が あ る だ け で 、訳 語 が 付 い
て い な い 。訂 増 版 で 見 出 し 語 に 訳 語「 目 録 」を 付 け た 上 、底 本 に あ っ た「 see under
Content」も 受 け 継 い で い る 。な お 、底 本 と 訂 増 版 と も に 見 出 し 語「 Content」が
三つあるが、いずれにおいても見出し語には訳語が付いていない。ただし、訳
語「目録」は英語の例文に付いていた。
23. Cruciate, v.t.
加苦,酷刑,加刑。
底 本 で は 、 見 出 し 語 に 対 し て 「 see Excruciate」 が あ る だ け で 、 訳 語 が 付 い て
い な い 。ま た 、英 語 の 例 文 な ど も な い 。訂 増 版 で 見 出 し 語 に 訳 語「 加 苦 ,酷 刑 ,
加 刑 」 を 付 け た 上 、 底 本 に あ っ た 「 see Excruciate」 も 受 け 継 い で い る 。 な お 、
底 本 の「 Excruciate」に は 訳 語 が 付 い て お ら ず 、英 語 の 解 釈 文 に「 拷 打 ,用 慘 刑 ,
用酷刑,加苦」が付いている。
24. Diffusive, a. 蔓 延 , 蔓 衍 , 靡 漫 , 張 的 , 廣 傳 。
この項では、訳語「廣傳」だけが訂増版で新たに付けたもので、それ以外は
すべて同じ見出し内の訳語を移動したものである(画像3を参照されたい)。
画像3
25. Fist, n.
(底本)
(訂増版)
拳頭。
26. Hear, v.t. (底 本 ) to hear a bird sing, to receive private communication, 私 吓 聴 ,
竊 聞 。 (訂 増 版 ) to hear a bird sing, 聴 鳥 鳴 。to receive private communication,
私吓聴,竊聞。
底 本 の 訳 語 「 私 吓 聴 , 竊 聞 」 は 英 文 「 to receive private communication」 の 部
分 に 対 応 し お り 、 「 to hear a bird sing」 に 対 応 す る 訳 語 は な い ( 画 像 4を 参 照 さ
れ た い ) 。 「 to hear a bird sing」 と 「 to receive private communication」 が 一 つ の
文としては意味上の関連性がなく、不自然である。これは本来別々であるはず
236
井上哲次郎の『訂増英華字典』に於ける訳語の増設についての考察(金)
の も の が 、「 to hear a bird sing」の ほ う に 対 応 す る 訳 語 を 付 け て い な い た め 、一
つ の 文 の 格 好 に な っ た の で あ る 。訂 増 版 で「 to hear a bird sing」に 訳 語「 聴 鳥 鳴 」
を 付 け 、 「 to receive private communication, 私 吓 聴 , 竊 聞 」 を 単 独 の 項 目 と し
て打ち出した。
画像4
(底本)
(訂増版)
27. Indignation, n. (底 本 ) he who does not manifest his indignation at other people's
slights, is he not a superior man? not the least indignation, 都 拍 嬲 , 都 無 憤 怒 ,
毫無忿恨,毫無坂恨。
(訂 増 版 ) he who does not manifest his indignation at
other people's slights, is he not a superior man? 受 辱 而 不 慍 不 亦 君 子 乎 。 not
the least indignation, 都 拍 嬲 , 都 無 憤 怒 , 毫 無 忿 恨 , 毫 無 坂 恨 。
こ の 項 は 上 の 26番 に 類 す る も の で あ る 。 本 来 は 「 he who does not manifest his
indignation at other people's slights, is he not a superior man?」 と 「 not the least
indignation」 は 別 々 の 文 で あ る は ず だ が 、 前 の 文 に 訳 語 が 付 い て い な か っ た た
め 、 一 つ の 文 の 格 好 に な っ た の で あ る 。 訂 増 版 で 「 he who does not manifest his
indignation at other people's slights, is he not a superior man?」に 訳 語「 受 辱 而 不 諫
不 亦 君 子 乎 」を 付 け 、「 not the least indignation. 都 拍 嬲 ,都 無 憤 怒 ,毫 無 忿 恨 ,
毫無坂恨」を単独の項目として打ち出した。
28. Just, adv.
只,秪,僅可,正正,就正。
底本には同じ見出し内に「僅可」、「正」などの訳語があった。
29. Malleability, n.
30. Malleable, a.
31. Mullus, n.
打成片。
可槌得薄的。
黄尾鱭。
底 本 で は「 Mullus」の 中 に「 surmullet, 飛 啼 鵲 」と「 another species of ditto, 洋
鑽 」の 2 項 目 が あ っ た 。し か し 、訂 増 版 で そ れ ら を 全 部 削 除 し 、見 出 し 語「 Mullus」
に 訳 語「 黄 尾 鱭 」を 付 け た 上 、さ ら に 参 照 項 目「See Mugil」を 付 け て い る 。底
本 と 訂 増 版 の 両 方 に 見 出 し「 Mugil」が あ り 、そ の 中 に「 Mullet,黄 尾 鱭 」が あ る 。
32. Payer, n.
支銀者,還銀者。
底 本 の 見 出 し 語 「 Payment」 の 訳 語 と し て 「 還 銀 者 , 支 銀 者 」 が あ る 。
33. (底 本 ) Shoots, (訂 増 版 ) Shoot, n. 嫩 樹 枝 , 笋 。
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
237
底本では見出し語が複数形だったのを、訂増版で単数形に改訂している。そ
の上で、訳語「嫩樹枝,笋」を付けた。
34. Silk, n.
the three grades of Canton raw silk. 絲
底 本 で は 、英 文「 the three grades of Canton raw silk」の 直 後 に「 as―No. 1, ……」
という形で三つの等級に当たるものを取り上げている。それに対して、訂増版
で は 「 the three grades of Canton raw silk」 の 直 後 に 「 絲 」 を 付 け て い る 。
底 本 で は 、見 出 し 語「 Silk」に 続 け て「 raw ditto, 絲 ,糸 」と い う 項 目 が あ る 。
35. (底 本 )Silkworm, silk-worm oak, quercus mongolica, small-leaved ditto, 小 葉 柞
樹 。 (訂 増 版 ) Silk-worm, n. silk-worm oak, quercus mongolica, 柞 樹 。
small-leaved silk-worm oak, 小 葉 柞 樹 。
こ の 項 は 上 の 26、 27番 に 類 す る も の で あ る 。 本 来 は 「 silk-worm oak, quercus
mongolica」 と 「 small-leaved silk-worm oak」 は 別 々 の 文 で あ る は ず だ が 、 前 の
文に訳語が付いていなかったため、一つの文の格好になったのである。訂増版
で 「 silk-worm oak, quercus mongolica」 に 訳 語 「 柞 樹 」 を 付 け 、 「 small-leaved
silk-worm oak, 小 葉 柞 樹 」 を 単 独 の 項 目 と し て 打 ち 出 し た 。
上 に 挙 げ た 35項 の う ち 、 26、 27、 35番 の 3 項 は 、 底 本 の 不 備 を 修 正 し た も の
で あ る 。ま た 、訳 語 が 対 応 し て い る 英 語 の 特 徴 を 見 る と 、11、13、26、27、34、
35番 の 6 項 を 除 き 、 他 の 29項 は い ず れ も 見 出 し 語 に 訳 語 を 新 設 し て い る 。 さ ら
に 、 35項 の う ち 、 以 下 の 19項 で は 訳 語 の 一 部 ま た は 全 部 が 底 本 の 訳 語 と 接 点 を
持っている。
1、 9、 10、 11、 12、 14、 15、 17、 18、 19、 20、 22、 23、 24、 25、 28、 31、
32、 34番
し か し 、 こ れ ら 19 項 で は 、 訳 語 が 他 の 見 出 し に あ る の も あ れ ば 、 新 設 訳 語
が底本の訳語の構成内容と部分的に接点を持っているものもある。則ち、これ
ら 19 項 目 の 訳 語 が 底 本 と 一 定 の 接 点 を 持 っ て い る も の の 、そ こ か ら 訳 語 を 採 集
したと見るには、不自然な要素がある。したがって、以下においては、底本と
接 点 を 持 っ て い る 項 目 を 含 め 、35 項 に 新 設 し た 訳 語 全 体 が 訂 増 版 以 前 の 辞 書 類
とどのような接点を持っているかを調べてみることにした。
三、先行辞書との接点
森岡健二氏は訂増版の増補訳語の多くはメドハーストに由来すると指摘して
238
井上哲次郎の『訂増英華字典』に於ける訳語の増設についての考察(金)
い る (3) 。 ま た 、 宮 田 和 子 氏 は 訂 増 版 の 増 補 訳 語 の 典 拠 は 下 記 の 4 辞 書 で あ る と
している。
(4)
1844年
S.W.Williams 『 英 華 韻 府 歴 階 』
1872年
J.Doolittle
1875年
鄺其照
明 治 12年
『英華萃林韻府』第一部・第三部
『字典集成』
中村敬宇
『英華和譯字典』
本稿では、上記の辞書を含め、その範囲を若干広げ、訂増版の先行の辞書類か
ら方言を用いた辞書などを除き、下記の辞書類で新設訳語との接点を調べてみ
ることにした。
1822年
R. Morrison 『 英 華 字 典 』
1844年
S.W.Williams『 英 華 韻 府 歴 階 』
1847、 1848年
W.H.Medhurst 『 英 華 字 典 』
1872年
J.Doolittle『 英 華 萃 林 韻 府 』 第 一 、 二 、 三 部
1875 年
鄺其照『字典集成』
1878年
梁述之
『華英字彙』
1879年
點石齊
『英華字典』
明 治 2年
柳澤信大
明 治 6、 15 年
『英華字彙』
柴田昌吉・子安峻『附音挿図英和字彙』
明 治 12年
中村敬宇
『英華和譯字典』
明 治 12年
矢田堀鴻
『英華學藝詞林』
14 年
矢田堀鴻
『英華學藝辭書』
17 年
矢田堀鴻
『英華學術辭書』
明 治 14年
永峰秀樹
『華英字典』
明 治 14年
井上哲治郎
『哲学字彙』
訂増版の新設訳語との接点を確認する際、以下の三つの基準が考えられる。
A: 英 語 と 訳 語 す べ て が 完 全 に 一 致 す る こ と 。
B: 英 語 は 、形 態 上 訂 増 版 の も の と 完 全 に 一 致 す る こ と 。訳 語 は 、訂 増 版
の訳語と形態上一致するものが一語でも含まれていること。
C: 英 語 は 、形 態 上 訂 増 版 の も の と 一 致 す る か 、同 じ 形 態 の 英 語 が 含 ま れ
(3)
森 岡 健 二 編 著 『 近 代 語 の 成 立 ・ 明 治 期 語 彙 編 』 明 治 書 院 昭 和 44 年 9 月 10 日 pp.78
~ 81 を 参 照 。 こ の 部 分 は 平 成 3 年 の 改 訂 版 で も 同 様 で あ る 。
(4)
宮 田 和 子 「 井 上 哲 次 郎 『 訂 増 英 華 字 典 』 の 典 拠 ─増 補 訳 語 を 中 心 に ─」 『 英 学 史 研 究 』
第 32 号 1999 年 10 月 1 日
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
239
ていること。また、新設訳語の対応している英語が見出し語の場合、
確認範囲をその見出し内の例文、解釈文まで広げること。訳語は、訂
増版の訳語と形態上一致するものが一語でも含まれていること。
もし訂増作業が取捨選択をせず、機械的に先行の辞書類から訳語を採集して訂
増版に増補したならば、基準「A」で確認するべきであろう。しかし、全体の
訂増様相から、訂増版の訂増作業は非常に綿密に行われたことが確認できた。
したがって、本稿では基準「A」は採用しないことにした。実際の訂増過程で
おそらく基準Bに近い形で作業が行われたものと思われる。しかし、新設訳語
との接点を調べる際、もし基準「B」で確認を行えば、初めから英語の対応性
を絶対視することになり、訂増版の新設訳語がたとえ見出し語に対応している
ものであっても、実際は英語の例文、解釈文などから採取した可能性を除外し
て し ま う 。こ の よ う な 要 素 を 考 慮 し 、本 稿 で は 基 準「 C 」で 調 べ る こ と に し た 。
以下に基準「C」で確認した新設訳語と接点を持つ項目を辞書別に挙げてみ
たい。なお、注目すべき項目には下線を付して示す。さらに、訳語が複数ある
項目では、新設訳語と一致する訳語には二重下線を付して示す。
( 一 ) R. Morrison『 英 華 字 典 』 (1822 年 )( 2 項 )
Contents, pl. 目 録 。
Fist, 拳 頭 。
この2項は項目全体が訂増版のものと一致している。ただし、後続の辞書に
も収録されている。
( 二 ) S.W.Williams『 英 華 韻 府 歴 階 』 (1844 年 )( 7 項 )
Accent, 聲 音 。
Alloy, 會 鎔 。
Astonish, 驚 奇 。
Britain, ・ 咭 唎 國 。
Came, 来 了 。
Camomile Flowers, 甘 菊 。
Contents, 目 録 。
こ の う ち 、「 Astonish, 驚 奇 」に は 新 設 訳 語「 驚 動 」が 欠 け て お り 、「 Camomile
Flowers, 甘 菊 」 で は 、 訂 増 版 に な い 「 Flowers」 が 付 い て い る 。
これら7項にあるすべての訳語が他の辞書にも収録されている。
( 三 ) W.H.Medhurst 『 英 華 字 典 』 (1847)( 12 項 )
240
井上哲次郎の『訂増英華字典』に於ける訳語の増設についての考察(金)
Accent, the tones of the Chinese language, 聲 音 。
Admirably, 絶 奇 之 貌 。
Ado, 多 事 。
To Astonish, 驚 動 , 驚 赫 , 驚 駭 , 驚 訝 。
Blind, of a door, 門 簾 , 緩 , 雜 。
Brigantine, a small brig, 兩 枝 桅 船 。
Caiman, 鱷 魚 。
Camomile, 甘 菊 。
Contents, contents of a book, 目 録 。
To cruciate, 酷 刑 , 加 苦 。
Fist, 拳 頭 。
Just, only, 只 , 直 秪 , 菫 可 , 菫 够 , 廑 。
このうち、下線が付いている4項は、英語と訳語が訂増版のものと完全に一致
しているものである。その他の8項はすべて部分対応になっている。また、こ
れ ら 12 項 に の う ち 、新 設 訳 語 と 一 致 す る 訳 語 は 、す べ て 他 の 辞 書 に も 収 録 さ れ
ている。
W.H.Medhurst 『 英 華 字 典 』 (1848)( 1 項 )
Came, 来 了 。
この項目は他の5つの辞書にも収録されている。
( 四 ) J.Doolittle『 英 華 萃 林 韻 府 』 第 一 部 ( 1872 年 ) ( 9 項 )
Accent, 聲 音 , 圏 聲 。
Alloy, 會 鎔 。
Artillery, 大 炮 , 砲 手 。
Astonish, 驚 奇 , 驚 動 , 驚 天 動 地 , 驚 動 天 地 。
Britain, ・ 咭 唎 國 。
Came, 来 了 。
Camomile, flowers, 甘 菊 。
Contents, of a book, 目 録 。
Fist, 拳 , 拳 頭 。
このうち、下線が付いている3項は、英語と訳語が訂増版のものと完全に一
致している。その他の6項はすべて部分対応になっている。また、これら9項
のうち、訂増版の新設訳語と一致する訳語は、すべて他の辞書にも収録されて
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
241
いる。
J.Doolittle『 英 華 萃 林 韻 府 』 第 二 部 ( 1872年 ) ( 0 項 )
新設訳語と接点を持つものはない。
J.Doolittle『 英 華 萃 林 韻 府 』 第 三 部 ( 1872年 ) ( 2 項 )
Binomial, 二 項 式 。
Malleability, 打 成 片 。
「 Binomial, 二 項 式 」は 矢 田 堀 鴻 に も 同 じ 項 目 が あ る 。ま た 、柴 田 昌 吉 (明 治 15)
に も 類 似 の 項 目 が あ っ た 。 「 Malleability, 打 成 片 」 は こ の 辞 書 と 矢 田 堀 鴻 の み
に収録されている。
( 五 ) 鄺 其 照 『 字 典 集 成 』 1875 年 ( 22 項 )
Absolute, 完 全 , 齊 全 , 全 。
Accessary, 從 , 相 連 。
Accost, 來 近 ,先 對 人 説 。
Acting, 做 。
Admirably, 絶 奇 之 貌 。
Ado, 多 事 , 艱 難 。
Aggrandizement, 致 爲 高 大 , 整 得 大 。
Astonish, 驚 奇 , 驚 訝 。
Blind, 門 簾 , 百 葉 窓 。
Brigantine, 兩 枝 桅 船 。
Caiman, 鱷 魚 。
Came, 來 了 。
Camomile, 甘 菊 。
Coal-house, 煤 炭 棧 。
Contents, 目 録 。
Cruciate, to. 加 苦 , 酷 刑 , 加 刑 。
Diffusive, 漫 延 , 流 開 的 , 廣 傳 。
Fist, 拳 頭 。
Just, 只 , 秖 , 僅 可 , 正 正 , 就 正 。
Malleable, 可 槌 得 薄 的 。
Payer, 支 銀 者 , 還 銀 者 。
Shoot, 嫩 樹 枝 , 笋 , 秧 。
242
井上哲次郎の『訂増英華字典』に於ける訳語の増設についての考察(金)
これらのうち、下線が付いている5項は、英語と訳語が新設訳語と完全に一
致し、同じ形態では點石齊の『英華字典』と永峰秀樹の『華英字典』以外では
確認できないものである。點石齊の『英華字典』と永峰秀樹の『華英字典』は
いずれも鄺其照の『字典集成』とその内容が同じである。
鄺其照系の辞書のみが新設訳語と接点を持つ項目。(9項)
Absolute, 完 全 , 齊 全 , 全 。
Accessary, 從 , 相 連 。
Accost, 來 近 ,先 對 人 説 。
Acting, 做 。
Coal-house, 煤 炭 棧 。
Diffusive, 漫 延 , 流 開 的 , 廣 傳 。
Malleable, 可 槌 得 薄 的 。
Payer, 支 銀 者 , 還 銀 者 。
Shoot, 嫩 樹 枝 , 笋 , 秧 。
こ の う ち 、波 線 が 付 い て い る 訳 語 は 、新 設 訳 語 と 一 致 す る も の で あ る 。特 に 、
「 Coal-house」 に つ い て は 、 底 本 が 提 示 し た 参 照 項 目 に 訳 語 「 煤 廠 」 が あ っ た
にも関わらず、訂増版で「煤炭棧」を採用している。即ち、底本より本辞書を
優 先 的 に 参 照 し た こ と が 窺 え る 。 ま た 、 訳 語 「 來 近 」、「 廣 傳 」、「 嫩 樹 枝 , 笋 」
の採集からは、訂増版が訂増過程で訳語を部分採集した事例として注目すべき
で あ る 。 特 に 、「 Shoot, 嫩 樹 枝 , 笋 , 秧 」 の 項 で 、 訳 語 「 秧 」 を 排 除 し た の は 、
「 秧 」は「 苗 」と い う 意 味 の 言 葉 で 、英 語「 Shoot」と 意 味 上 の ず れ が あ っ た た
めだと思われる。これらの事例からも、訂増版の訂増作業は綿密に行われたこ
とがわかる。
( 六 ) 梁 述 之 『 華 英 字 彙 』 ( 1878 年 ) ( 7 項 )
Accent, 聲 音 , 圏 聲 。
Ado, 多 事 。
Alloy, 會 鎔 。
Artillery, 大 炮 , 砲 手 。
Astonish, 驚 奇 , 驚 動 。
Came, 來 了 , S.鉛 條 。
Camomile Flowers, 甘 菊 。
こ の う ち 、 「 Astonish, 驚 奇 , 驚 動 」 は 、 英 語 と 訳 語 が 新 設 訳 語 と 完 全 に 一
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
243
致し、同じ形態では他の辞書で確認できないものである。なお、ここに含まれ
ている新設訳語はすべて他の辞書にも収録されている。
( 七 ) 點 石 齊 『 英 華 字 典 』 ( 1879年 ) ( 22項 )
新 設 訳 語 と の 接 点 が 、 鄺 其 照 ( 1875年 ) と す べ て 同 様 で あ る の で 、 項 目 の 列
挙は省略する。
(八)柳澤信大『英華字彙』(明治2年)(6項)
Accent, 聲 音 , 圏 聲 。
Alloy, 會 鎔 。
Astonish, 驚 奇 。
Britain, ・ 咭 唎 國 。
Came, 来 了 。
Camomile Flowers, 甘 菊 。
「 Accent, 聲 音 , 圏 聲 」 の 訳 語 「 圏 聲 」 を 除 け ば 、 す べ て 『 英 華 韻 府 歴 階 』 と
一致している。ちなみに、『英華韻府歴階』に収録されている項目のうち、
「 Contents, 目 録 」 は 柳 澤 信 大 に 収 録 さ れ て い な い 。
( 九 ) 柴 田 昌 吉 ・ 子 安 峻 『 附 音 挿 図 英 和 字 彙 』 ( 明 治 6年 ) ( 1 項 )
Ado, 騒 擾 , 混 雑 , 勤 労 , 艱 難 。
この項では訳語「艱難」が新設訳語と一致しているが、新設訳語「多事」が
欠けている。
柴 田 昌 吉 ・ 子 安 峻 『 附 音 挿 図 英 和 字 彙 』 ( 明 治 15 年 ) ( 3 項 )
Ado, 騒 擾 , 混 雑 , 勤 労 , 艱 難 。
Binomial, 二 根 , 二 項 式 。
Brigantine, 快 船 , 二 枝 桅 船 。
このうち、訳語「二枝桅船」の「二」と新設訳語の「兩枝桅船」の「兩」は
字体が違うが、数詞の表記違いで、意味は同じであるため、接点を持つものと
見なした。それから、訳語「二項式」は『英華萃林韻府』第三部と矢田堀鴻の
辞書にも収録されている。
( 十 ) 中 村 敬 宇 『 英 華 和 譯 字 典 』 ( 明 治 12 年 ) (0 項 )
新 設 訳 語 35 項 に 限 っ て 見 れ ば 、ロ ブ シ ャ イ ド の『 英 華 字 典 』と 比 較 し て 、英
語と訳語に若干の修訂はあるものの、ほとんどはロブシャイドと一致していお
り、新設訳語との接点は確認できない。
ちなみに、新設訳語との関連で言うと、中村敬宇で次のことが確認できた。
244
井上哲次郎の『訂増英華字典』に於ける訳語の増設についての考察(金)
(1) 新 設 訳 語 の 13 番 は 、 次 の よ う に な っ て い る 。
Binomial, n. a root consisting of two members, connected by the sign plus,
or minus, as: a+b or 7-3. 算 法 之 語 , 以 加 減 之 標 表 二 個 之
數者。
(2) 新 設 訳 語 の 26 番 は 、英 語 の 部 分 が 底 本 の ミ ス で あ る が 、そ の ま ま 受 け
継いでいる。
(3) 新 設 訳 語 の 27 番 は 、 削 除 さ れ て い る 。
( 十 一 ) 矢 田 堀 鴻 『 英 華 學 藝 詞 林 』 ( 明 治 12 年 ) ( 2 項 )
矢 田 堀 鴻 『 英 華 學 藝 辭 書 』 ( 明 治 14 年 ) ( 2 項 )
矢 田 堀 鴻 『 英 華 學 術 辭 書 』 ( 明 治 17 年 ) ( 2 項 )
Binomial, 二 項 式 。
Malleability, 打 成 片 。
三 つ の 辞 書 す べ て に 、こ の 2 項 が 収 録 さ れ て い る 。こ の 2 項 に つ い て は 、『 英
華萃林韻府』第三部のほうでコメントしているので、そちらも参照されたい。
( 十 二 ) 永 峰 秀 樹 『 華 英 字 典 』 ( 明 治 14年 ) (2 2 項 )
新 設 訳 語 と の 接 点 が 、 鄺 其 照 ( 1875年 ) と す べ て 同 様 で あ る の で 、 項 目 の 列
挙は省略する。
( 十 三 ) 井 上 哲 治 郎 『 哲 学 字 彙 』 ( 明 治 14年 ) ( 0 項 )
新 設 訳 語 35項 と は 接 点 を 持 っ て い な い 。
上では、訂増版の新設訳語と接点を持っている各辞書の項目を挙げてみたが、
それらを項目数の多い順から配列すると、次のようになる。
( 22 項 ) 1875 年
鄺其照『字典集成』
1879年
點石齊『英華字典』
明 治 14年
永峰秀樹『華英字典』
( 13項 ) 1847、 1848年
W.H.Medhurst『 英 華 字 典 』
( 11項 ) 1872年
J.Doolittle『 英 華 萃 林 韻 府 』 第 一 、 三 部
( 7項 ) 1844年
S.W.Williams『 英 華 韻 府 歴 階 』
1878年
梁述之『華英字彙』
( 6項 ) 明 治 2年
柳澤信大『英華字彙』
( 3項 ) 明 治 6、 15年
( 2項 ) 1822年
柴田昌吉・子安峻『附音挿図英和字彙』
R. Morrison『 英 華 字 典 』
明 治 12 年
矢田堀鴻『英華學藝詞林』
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
14 年
矢田堀鴻『英華學藝辭書』
17 年
矢田堀鴻『英華學術辭書』
( 0項 ) 1872年
245
J.Doolittle『 英 華 萃 林 韻 府 』 第 二 部
明 治 12年
中村敬宇『英華和譯字典』
明 治 14 年
井上哲治郎『哲学字彙』
上 の 考 察 を 通 じ て 、 訂 増 版 で 訳 語 を 新 設 し た 35 項 目 の う ち 、 10、 20、 26、
27、31、34、35 番 の 7 項 が 先 行 辞 書 と 接 点 を も っ て い な い こ と が わ か っ た 。し
か し 、 10、 20、 31、 34 番 の 訳 語 は 底 本 と 接 点 を 持 っ て い る 。 し た が っ て 、 26、
27、35 番 の 3 項 の み が 底 本 と 先 行 辞 書 類 で そ の 接 点 を 確 認 で き な い 項 目 と な る 。
こ の 3 項 は い ず れ も 、底 本 に 不 備 が あ り 、訂 増 版 で そ れ を 訂 正 し た も の で あ る 。
35 番 は 現 在 そ の 典 拠 を 確 認 で き な い も の の 、訳 語 は 植 物 の 名 称 で あ り 、訂 増 版
による独自の訳語とは考えにくい。したがって、訂増版における独自の新設訳
語 は 26、 27 番 の 2 項 の み と な る 。
それから、鄺其照系の辞書だけが、9項にわたって独自に接点を持っている
こ と が 確 認 で き た 。 ま た 、 新 設 訳 語 「 打 成 片 」 が 確 認 で き る の は 、 J.Doolittle
と矢田堀鴻のみである。しかし、矢田堀鴻のほうでは、2項しか接点を持って
い な い の に 対 し て 、 J.Doolittle の ほ う は 11 項 に の ぼ る 。 さ ら に 、 鄺 其 照 と
J.Doolittle の 内 容 は 、新 設 訳 語 が 先 行 辞 書 と 接 点 を 持 っ て い る 28 項 の 訳 語 全 体
をカバーしている。したがって、訂増版で訳語を新設する際、主に鄺其照と
J.Doolittle の 辞 書 を 参 考 に し た と 言 え よ う 。
四、まとめ
本 稿 で は 井 上 哲 次 郎 の『 訂 増 英 華 字 典 』に お け る 新 設 訳 語 の 様 相 を 考 察 し た 。
全 巻 を 通 じ て 、 こ の 類 の も の は 35項 し か な く 、 他 の 類 の 改 訂 と 比 較 す れ ば 、 非
常 に 少 な い 部 類 に 属 す る 。 そ し て 、 35項 の う ち 、 2 項 の み は 訂 増 版 に よ る 独 自
の 訳 語 で 、28項 は 主 に 鄺 其 照 と J.Doolittleの 辞 書 か ら そ の 訳 語 を 採 取 し た こ と が
確認できた。その他の5項のうち、4項は底本の訳語を引用または参照したも
のと思われ、訳語「柞樹」のみが典拠不明であり、その解明は今後の課題とな
っている。
な お 、本 稿 で 取 り 上 げ た 新 設 訳 語 35項 が A~ Zの 部 に お け る 分 布 状 況 は 次 の 通
りである。
訳語新設項目分布表
246
井上哲次郎の『訂増英華字典』に於ける訳語の増設についての考察(金)
A
B
C
D
F
H
I
J
M
P
S
合計
12
4
7
1
1
1
1
1
3
1
3
35
こ の 表 か ら 訳 語 の 新 設 項 目 の 大 半 が 「 A、 B、 C」 の 部 に 集 中 し て い る と い う 特
徴が窺える。
参考文献
陳力衛
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那 須 雅 之 1995「 W.Lobscheid 小 伝 ―《 英 華 字 典 》 無 序 本 と は 何 か ―」『 文 學 論 叢 』
第 104 揖
愛知大学文學會
1997「 Lobscheid の 《 英 華 字 典 》 に つ い て ―書 誌 学 的 研 究 (1)―」『 文 學 論
叢 』 第 114 揖
愛知大学文學會
1998「 Lobscheid の 《 英 華 字 典 》 に つ い て ―書 誌 学 的 研 究 (2)―」『 文 學 論
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愛知大学文學會
1998「 ロ プ シ ャ イ ト 略 伝 」 (上 、 中 、 下 )『 し に か 』 10、 11、 12 号
寒 河 江 實 1998「 ロ ブ シ ャ イ ド の『 英 華 字 典 』─井 上 哲 次 郎 の 訂 正 増 補 本 に つ い て ─」
『 桜 文 論 叢 』 第 47 巻
宮 田 和 子 1999「 井 上 哲 次 郎 『 訂 増 英 華 字 典 』 の 典 拠
─増 補 訳 語 を 中 心 に ─」『 英
学史研究』第32号
2000「 井 上 哲 次 郎『 訂 増 英 華 字 典 』の 典 拠
─動 詞 の 自 他 、分 詞 、付 録 を
中 心 に ─」『 或 問 』 第 1 号
金敬雄
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「 井 上 哲 次 郎 の『 訂 増 英 華 字 典 』に 於 け る 訳 語 の 削 減 に つ い て の 考
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『 行 政 社 会 論 集 』 第 11巻 第 4 号
福島大学行政社会学会
「 井 上 哲 次 郎 の『 訂 増 英 華 字 典 』に 於 け る 訳 語 の 修 訂 に つ い て の 考
察 ( ) ──符 号 に 関 わ る 訳 語 の 修 訂 ──『 行 政 社 会 論 集 』 第 1 2 巻
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2000 a
福島大学行政社会学会
「 井 上 哲 次 郎 の『 訂 増 英 華 字 典 』に 於 け る 訳 語 の 修 訂 に つ い て の 考
察 ( ) ─字 順 の 変 更 に よ る 訳 語 の 修 訂 ─」『 行 政 社 会 論 集 』 第 1 3
巻第1号
b
福島大学行政社会学会
「井上哲次郎の『訂増英華字典』に於ける訳語の修訂についての
考 察( )─同 義 語 ・ 類 義 語 の 入 れ 替 え に よ る 訳 語 の 修 訂 ─」『 行 政
社会論集』第13巻第2号
福島大学行政社会学会
第4回
c
漢字文化圏近代語研究会
247
予稿集
「井上哲次郎の『訂増英華字典』に於ける訳語の修訂についての
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東北大学
国際文化学会
2001 a 「 井 上 哲 次 郎 の 『 訂 増 英 華 字 典 』 に 於 け る 訳 語 の 修 訂 に つ い て の 考
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福島大
学行政社会学会
2001 b 「 井 上 哲 次 郎 の 『 訂 増 英 華 字 典 』 に 於 け る 訳 語 の 修 整 に つ い て の 考
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近代東西言語文化接触研究会
豊 田 實 著 『 日 本 英 学 史 の 研 究 』 岩 波 書 店 昭 和 44 年 12 月
大阪女子大学付属図書館編集『大阪女子大学蔵 日本英学資料解題』大阪女子
大 学 1962年 3月
森岡健二著『近代語の成立』 明治期語彙編
森岡健二著『改訂近代語の成立』 語彙編
明 治 書 院 1969年 9月
明 治 書 院 平 成 3年 10月
沈 国 威 著 『 近 代 日 中 語 彙 交 流 史 』 笠 間 書 院 1994年 3月
永 嶋 大 典 著 『 新 版 蘭 和 ・ 英 和 辞 書 発 達 史 』 ゆ ま に 書 房 1996 年 12 月
荒 川 清 秀 著 『 近 代 日 中 学 術 用 語 の 形 成 と 伝 播 ―地 理 学 用 語 を 中 心 に ―』 白 帝 社
1997年 10月
飛 田 良 文 ・ 宮 田 和 子 「 十 九 世 紀 の 英 華 ・ 華 英 辞 典 目 録 ─翻 訳 語 研 究 の 資 料 と し
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248
井上哲次郎の『訂増英華字典』に於ける訳語の増設についての考察(金)
第4回 漢字文化圏近代語研究会 249
於日本大阪 関西大学 2004.3.13-14
韓国の近代医学書における医学用語について
韓国湖南大学・金
敬鎬
1.はじめに
韓 国 語 お い て 他 言 語 体 系 か ら 言 語 の 外 来 要 素 が 流 入 、あ る い は 借 用 さ れ た 時
期 は 大 き く 二 つ に 分 け ら れ る 。す な わ ち 、十 九 世 紀 半 ば 以 前 ま で は 、中 国 か ら
の 漢 語 に よ る 影 響 が ほ と ん ど で あ り 、十 九 世 紀 以 降 に は 西 欧 語 系 や 日 本 語 系 の
借 用 語 が 中 心 を 占 め る よ う に な る 。な お 、近 代 に お け る 借 用 語 は 日 本 語 を 通 し
て 流 入 す る 傾 向 を 表 し 、そ の 影 響 で 韓 国 で は 現 代 語 に お い て も 日 本 語 系 借 用 語
は 多 く 使 わ れ て お り 、近 代 か ら 始 ま っ た 日 本 語 系 借 用 語 の 影 響 は は な は だ し い
ともいえよう。
韓 国 語 に お け る 日 本 語 系 借 用 語 は「 出 張 」の よ う な 和 製 漢 語 を 始 め 、
「社会」
の よ う な 訳 語 、「 サ ラ ダ 」 の よ う な 西 欧 語 系 外 来 語 な ど さ ま ざ ま で あ り 、 日 本
語系借用語の特徴は次のように分けられる。
1)文語ではなく、口語と俗語に数多くの日本語系借用語が用いられる。
2 ) 専 門 用 語 ( 学 術 用 語 )、 特 殊 分 野 の 用 語 に は 日 本 語 系 借 用 語 が 夥 し い 。
3)和語系漢字語には韓国伝統的な漢字造語法と異なる漢字表記語がみら
れる。
4)混種語のなかには日本語要素が多く含まれている。
5)近代において新しく借用された訳語が多くみられる。
本 稿 に お い て は 、2 )に 該 当 さ れ る 専 門 用 語 の 中 で 医 学 用 語 を 中 心 に 取 り 調
べ る た め に 、韓 国 で は じ め て 刊 行 さ れ た「 済 衆 院 医 学 教 科 書 」に 現 れ る 医 学 用
語を取り上げ、日本語との係わりやその影響を明らかにしたい。
2.日本における医学用語の成立
日 本 に お け る 医 学 用 語 の 成 立 は 、杉 田 玄 白 ら が な し と げ た 日 本 最 初 の 本 格 的
250
韓国の近代医学書における医学用語について
(金)
西 洋 解 剖 学 書 の 訳 本 で あ る『 解 体 新 書 』(安 永 3年 (1774)刊 )に 現 れ る 用 語 が そ の
始 ま り で あ ろ う 。そ の 訳 に つ い て の 詳 細 に つ い て は 次 の よ う な 説 明 が あ る の で 、
引用する。
本 書 翻 訳 の 苦 心 談 は ,玄 白 の 著 作 で あ る 蘭 学 事 始 に 記 さ れ て い る 。満 足 な 辞
典 の な い こ と で 訳 語 に 苦 労 し ,と く に 中 国 書 に な い 学 術 用 語 の 日 本 訳 に 苦 心 が
は ら わ れ た 。4 年 を 費 や し 、改 稿 1 1 回 に 及 ん で い る 。軟 骨 ,神 経 ,門 脈 な ど
の 言 葉 は 新 造 語 で あ る が ,訳 名 を 与 え ら れ な か っ た 言 葉 は オ ラ ン ダ 語 の ま ま と
され,のちに宇田川玄真や大槻玄沢らが新造語を当てている。 1
先 学 の 研 究 結 果 で 知 ら れ た と お り 『 解 体 新 書 』 は 、 ド イ ツ 人 ク ル ム ス J.
Kulmus の 解 剖 書 (anatomische Tabelle) の 蘭 訳 本 (俗 称 タ ー ヘ ル ・ ア ナ ト ミ ア
1734刊 )を 日 本 語 訳 し た も の で あ る 。
『 解 体 新 書 』か ら 始 ま っ た 西 洋 医 学 の 訳 語
は 、 そ の 後 、 大 槻 玄 沢 が 改 訳 し た 『 重 訂 解 体 新 書 ( 1798)』 に よ り 変 化 が み え
るが、日本語における医学用語の発達を探るには重要な資料であると佐藤亨
( 1980氏 は 次 の よ う に 指 摘 2 し て い る 。
「 重 訂 解 体 新 書 」 は 、「 解 体 新 書 」 を 、 玄 白 の 命 に よ っ て 玄 沢 が 改 訂 し た
も の で 、 寛 政 十 年 ( 1798) に 刊 行 さ れ た 。 両 書 と も 刊 行 後 相 当 に 広 く 読
まれていたこと葉、版本の種類が多く、しかも、しばしば版を重ねたこ
と か ら も 知 ら れ る の で あ る 。 本 書 「 重 訂 解 体 新 書 」 が 、「 解 体 新 書 」 よ り
一層厳密に訳されたことは勿論であるが、更に訳語においても現代語と
一致する点が多いのである。
し た が っ て 、日 本 に お け る 西 洋 医 学 の 用 語 の 始 ま り は『 解 体 新 書 』か ら で あ
ったといってもよいであろう。
3.韓国における西洋医学の始まりと医学書の翻訳
韓 国 に お い て 西 洋 医 学 が 施 術 さ れ 知 ら れ た の は 文 献 に よ る と 、1884年 ア メ リ
カ 人 の 宣 教 医 師 で あ る ア レ ン ( Horace N. Allen) か ら で あ る 。 な お 、 ア レ ン は
当 時 の 朝 鮮 政 府 に 西 洋 医 学 の 医 療 機 関 の 設 立 を 提 案 し 、 認 め ら れ 1885年 4月 に
1
舒 志 田( 2003)「『 性 学 粗 術 』の 語 彙 と 日 本 の 近 代 漢 語 」韓 国 日 本 語 学 会 2003
年度国際学術大会「漢字文化圏における近代語の成立と交流」発表集
2
佐藤
亨 ( 1980)「『 重 訂 解 体 新 書 』 の 訳 語 」『 近 世 語 彙 の 歴 史 的 研 究 』 桜 楓 社
第4回
漢字文化圏近代語研究会
予稿集
251
済衆院という病院を開院し、次いで 医学を教育するために当時の朝鮮政府の
支 援 を 受 け 1886年 に ソ ウ ル に 医 学 校 を 開 校 し 、英 語 や 算 術 、物 理 、化 学 、解 剖
学 な ど を 教 え た の で あ る 。 そ の 後 、 ア レ ン の 後 任 で あ っ た エ ビ ス ン ( Oliver
R.Avisom)が 医 学 教 育 に 科 学 用 語 や 医 学 用 語 が な い こ と に 困 難 を 感 じ 、西 洋 医
学 に 関 す る 医 学 書 の 翻 訳 に 勤 め は じ め た 。し か し 、西 洋 医 学 書 を 当 時 の 韓 国 語
に 訳 す る に は エ ビ ス ン の 語 学 実 力 で は 無 理 が あ っ た た め 、助 手 兼 ね 弟 子 で あ っ
た韓国人
金
弼 淳 と と も に 翻 訳 を 始 め 、さ ら に 翻 訳 に あ た っ て 用 語 選 択 や 造
語問題で非常に悩んでいたことなどが文献に窺われる。
我 ら が グ レ イ 氏 の 解 剖 学 を 翻 訳 す る 際 、い ろ い ろ な 科 学 上 の 述 語 を 韓 国
語 で 訳 す る こ と が で き な い こ と を 知 っ て 途 方 に 暮 れ た 。し た が っ て 我 ら は
翻 訳 の た め に 新 し い 言 葉 を 造 ら な け れ ば な ら な か っ た の で 、翻 訳 と と も に
新 造 語 を つ く っ た 。私 の 下 手 な 韓 国 語 で 、翻 訳 す る ひ と に 原 語 の 意 味 を 説
明すると翻訳する人はその意味に合う漢字語を作り出した。
( 中 略 )、中 国
に は 韓 国 よ り 早 く 西 洋 か ら 医 療 宣 教 師 が 訪 れ 、活 動 し た た め に 医 学 書 籍 も
中国語で訳されたのが多かったのでそれを参考した。
( 中 略 )、ま た 、テ キ
ス ト に は 日 本 か ら 刊 行 さ れ た 日 本 の 書 籍 を 参 考 に し た の も 多 か っ た が 、そ
れは日本の文部省が医学校教育書として刊行したものであった。 3
引 用 で わ か る よ う に 20世 紀 初 期 ま で に 、韓 国 に お い て は 西 洋 医 学 に つ い て の
知 識 が 乏 し く 、そ れ ら に つ い て の 文 献 や 書 籍 も 中 国 や 日 本 か ら 流 入 し た も の に
頼ったので、翻訳において中国語や日本語の医学用語を参照することになり、
韓国語の医学用語の成立に大きい影響を与えたことが推量できるであろう。
4.韓国の近代医学翻訳書に現れる医学用語
前 述 し た と お り 、韓 国 に お い て 西 洋 医 学 に 関 す る 翻 訳 が 行 わ れ た の は イ ギ リ
ス の 宣 教 医 師 で あ る エ ビ ス ン ( Oliver R.Avisom) に よ っ て 始 ま っ た の で あ る 。
文献によると当時の済衆院で編纂された教科書の中で所在が確認されたのは、
『 薬 物 学 上 巻 無 機 質( 1905)』、
『 新 編 化 学 教 科 書 無 機 質( 1906)』、
『解剖学巻一
( 1906)』、
『 新 編 生 理 教 科 書 前( 1906)』、
『 診 断 学 1( 1906)』、
『 診 断 学 2( 1907)』、
3
魚 丕 信 博 士 小 伝「 朝 鮮 医 療 教 育 の 始 め 」基 督 新 報 、 第 867 号 1932 年 7 月 13 日
(韓国延世大学校医学大学医史学科編『済衆院(セブランス)医学教科書』韓国
医史学科叢書、再引用)拙者訳
252
韓国の近代医学書における医学用語について
(金)
『 武 氏 産 科 学 ( 1908)』 な ど で あ る 。 そ れ ら の 中 、 日 本 の 書 籍 を 底 本 と し て 翻
訳したのは、
『 解 剖 学 巻 一( 1906)』、
『 新 編 生 理 教 科 書 前( 1906)』、)』、
『武氏産
科 学 ( 1908)』 な ど で あ る 。
し た が っ て 、こ こ で は 殊 に 日 本 語 か ら の 医 薬 用 語 の 影 響 や 実 態 を 究 明 す る た
め に 1906年 に 刊 行 さ れ た『 解 剖 学 巻 一 4 』と そ の 底 本 で あ る『 実 用 解 剖 学 5 』に
お け る 医 学 用 語 を 比 較 し 、そ の 影 響 や か か わ り 、あ る い は 相 違 点 や 特 徴 を 調 べ
てみたい。
4-1
『 解 剖 学 巻 一 ( 1906)』 の お け る 医 学 用 語
韓国で刊行された西洋医学関係書籍の中で最も早く刊行されたのは日本で
刊 行 さ れ て い た 『 実 用 解 剖 学 』 を 底 本 と し て 翻 訳 し た 『 解 剖 学 巻 一 ( 1906)』
で あ る 。両 書 を 比 較 し て み る と そ の 底 本 と し た『 実 用 解 剖 学 』の 語 彙 と そ の 翻
訳 書 で あ る『 解 剖 学 巻 一( 1906)』に 現 れ る 医 学 用 語 の 語 彙 は 殆 ど 同 じ で あ る 。
エ ビ ス ン は 西 洋 医 学 書 を 翻 訳 し な が ら 、中 国 や 日 本 の 書 籍 を 参 照 し 、韓 国 語 に
相応しくない漢語は韓国語の表現に改めるために新しい用語を作り出したと
い っ て い る が 、 そ の よ う な 例 は み ら れ な い 。 た だ し 、『 実 用 解 剖 学 』 の 本 文 の
用 語 に は ド イ ツ 語 と ラ テ ン 語 を 併 記 し た の が 見 え る が 、『 解 剖 学 巻 一 』 に は 英
語 が 併 記 さ れ て い る の が 異 な る 点 で あ る 。こ れ は『 実 用 解 剖 学 』の 凡 例 に 次 の
よ う に 書 い て あ る の で 、今 田 氏 が こ の 本 の 著 述 に お い て ド イ ツ 語 で 刊 行 さ れ た
医学書 6 を参照したことが推察できる。
・
引証書目ハ尽ク枚挙スルニ遑アラズト雖モ主トシテヘンレー、ヒル
トル、クラウゼ、ホフマン、マイエル、ボック、ホルスタイン、ゲ
―ヂ ン ボ ―ル 、 バ ン セ 、 オ ル ト 諸 氏 ノ 解 剖 及 組 織 書 二 拠 ル 7
一 方 、韓 国 で 刊 行 さ れ た『 解 剖 学 巻 一 』は イ ギ リ ス の 宣 教 医 師 で あ っ た エ ビ
スンとその通訳を担当した助手金
弼 淳 の 共 同 作 業 で 行 わ れ て い た の で 、その
原本のドイツ語を英語に直した例がみられる。
4
金 弼 淳 著 ・ エ ビ ス ン 校 閲( 1906)『 解 剖 学 巻 一 』 韓 国 延 世 大 学 校 医 学 大 学 医 史
学 科 編 (『 済 衆 院 ( セ ブ ラ ン ス ) 医 学 教 科 書 』 韓 国 医 史 学 科 叢 書 ( 韓 国 )
5
今 田 束 『 実 用 解 剖 学 』( 株 ) 東 京 印 刷 1巻 1 6項
6
今 田 束 氏 は 明 治 5年 第 一 学 区 医 学 校 に 入 り 、ド イ ツ 医 デ ニ ッ ク に 解 剖 学 を 修 め た
のでドイツ語に詳しかったと推察できる。
7
原書には旧体漢字で書いてあるが、便宜上簡略字に直す。
第4回
骨 組 織 ( Feinerer
漢字文化圏近代語研究会
253
予稿集
『実用解剖学』 8
Bau der Knochen)
『解剖学巻一』 9
골 조 직 (骨 組 織 ) BONE TISSUE
こ の よ う に 、『 実 用 解 剖 学 』 の 著 者 で あ る 今 田 氏 は 相 当 ド イ ツ 語 に 詳 し か っ
た の で 、漢 語 で 訳 さ れ た 医 学 用 語 の 概 念 を ド イ ツ 語 で 説 明 し た 。一 方 、当 時 お
い て は そ の 訳 語 の 概 念 が そ れ ま で と の 違 う 用 語 で 、確 実 な 意 味 を 持 ち 、定 着 し
て な い の で 、『 解 剖 学 巻 一 』 の 訳 者 の エ ビ ス ン は 漢 語 訳 語 に 英 語 で 概 念 を 説 明
する必要があったであろう。
こ こ で 、『 解 剖 学 巻 一 』 に お け る 医 学 用 語 の 中 二 字 漢 語 を 中 心 に そ の 一 部 を
抜粋してみると次のような用語がみられる。
距骨
鉅齒
鼓室
固有
腔
鉤狀
肩胛
肩峰 犬齒
骨間 骨盤
脛骨
髁間
溝狀 球狀
顆粒
臼窩 屈筋
筋學
基底
內皮
短骨
蛋黃 大翼 釘骨 突起
眉間
副孔 浮肋 分界 分泌
開口
眉弓
髖骨
屈伸
動物
咬筋 交文 交通
棘筋 棘狀
頭蓋 頭蓋
味器 半球 發生
隆線 頤棘 二頭 頤窩 翼狀
蹠 彽板 眞肋
軀幹
跟骨 筋膜
口
筋腹
頭筋 膜囊
方形 腹筋
附骨 縫合
靭帶
鱗樣
前葉 前縱 截痕 精系 組織
眞椎 眞皮
器 體部 椎孔 皺襞 錐體
蹠骨
樞軸
小角 笑筋 小頭
心臟 深層 眼球 眼窩 腋窩
腕骨 外科 外頭 外脣 外隅 外圍 橈骨
前額
莖狀 鼓膜
頭骨
腺上 舌骨 聲帶 楔狀
上皮
小舌 小翼 鎖骨 髓腔 手筋 手柄 伸筋
前膊
脛腓
分割 鼻腔 鼻骨 髀臼 鼻筋 鼻部 鼻窩 丕点 鼻櫛
篩骨 四肢 篩板 上肢
骨 榮養
結節
卵巢 內端 內頭 內臟 內脣 淚溝 肋骨
筋肉
末線 盲孔 拇指
基質
頸筋
運動
乳糜 肉素 隆起
子宮 掌骨 長頭 哉域
足骨
尺骨 蹠面 脊髓
坐骨
軟
中軸 趾骨
赤髓
趾
脊柱 薦骨 尖椎 聽
臭部 恥骨 齒冠 椎間
椎骨 椎管 椎弓
扁骨 下肢 下椽 海面 血管 血液 頰筋 虹彩 滑車 黃膸 回旋 橫徑 後端
喉頭 胸腔 胸骨 胸廓 胸筋 胸椎
な お 、こ れ ら の 二 字 漢 語 と 結 び つ き 三 字 以 上 の 漢 語 を 成 す 用 語 を 取 り 出 し て
みると次のような用例がみられる。
8
今 田 束 『 実 用 解 剖 学 』( 株 ) 東 京 印 刷 1巻 1 6項
韓国延世大学校医学大学医史学科編『済衆院(セブランス)医学教科書』韓国
医 史 学 科 叢 書 301項
9
254
韓国の近代医学書における医学用語について
(金)
距 骨 -: 距 骨 筋 骨 間 靭 帶 距 骨 筋 骨 關 節
鉅 齒 -:鉅 齒 狀 筋 鋸 齒 緣
肩 胛 -:肩 胛 頸 肩 胛 固 有 靭 帶
肩胛骨 肩胛骨窩
肩胛棘 肩胛筋
肩胛帶聯接
肩胛背神經 肩胛上神經 肩胛舌骨筋 肩胛截痕 肩胛下筋 肩胛下神經
肩 峰 -:肩 峰 突 起 肩 峰 鎖 骨 關 節 肩 峰 鎖 骨 靭 帶 肩 峰 烏 喙 靭 帶
犬 齒 -:犬 齒 筋 犬 齒 窩
脛 骨 -:脛 骨 結 節 脛 骨 關 節 脛 骨 神 經
脛 腓 -:脛 腓 脛 腓 聯 接
莖 狀 -:莖 狀 舌 骨 筋 莖 狀 神 經 莖 狀 顎 靭 帶 莖 狀 突 起
鼓 膜 -:鼓 膜 部 鼓 膜 張 筋 管
鼓 室 -:鼓 室 小 管
固 有 -:固 有 四 肢 骨
固有上肢骨 固有下肢骨 固有小指伸筋 固有靭帶
骨 間 -:骨 間 腔 骨 間 筋 骨 間 櫛
骨 盤 -:骨 盤 腔 骨 盤 帶 聯 接
髁 間 -:髁 間 窩 髁 間 隆 起
顆 粒 -:顆 粒 窩 顆 粒 關 節
髖 骨 -:髖 骨 結 節 髖 骨 固 有 靭 帶 髖 骨 弓
棘 狀 -:棘 狀 筋 , 棘 狀 突 起
跟 骨 -:跟 骨 結 節
肋 骨 -:肋 骨 擧 筋 肋 骨 結 節 肋 骨 頸 肋 骨 溝 肋 骨 部 肋 骨
蛋 黃 -:蛋 黃 膜
肋 骨 -:肋 骨 窩 肋 骨 隅 肋 骨 截 痕
頭 蓋 -:頭 蓋 骨 , 頭 蓋 頂 , 頭 蓋 頂 筋
方 形 -:方 形 股 筋 , 方 形 上 脣 筋 , 方 形 腰 筋 , 方 形 㶊 筋 , 方 形 足 蹠 筋
附 骨 -:附 骨 竇 附 骨 脊 骨 關 節
髀 臼 -:髀 臼 關 節 髀 臼 半 月 面 髀 臼 緣 髀 臼 截 痕
篩 骨 -:篩 骨 棘 篩 骨 突 起 篩 骨 神 經 溝 篩 骨 緣 篩 骨 截 痕 篩 骨 櫛
四 肢 -:四 肢 筋 四 肢 帶
上 肢 -:上 肢 骨 上 肢 筋 上 肢 靭 帶
上 皮 -:上 皮 組 織 舌 骨 連 接
第4回
漢字文化圏近代語研究会
255
予稿集
楔 狀 -:楔 狀 軟 骨
鎖 骨 -:鎖 骨 間 靭 帶 鎖 骨 上 窩 鎖 骨 截 痕
鎖骨下勁脉溝 鎖骨下筋
鎖骨下神經
腋 窩 -:腋 窩 弓 腋 窩 筋 膜 腋 窩 神 經
軟 骨 -:軟 骨 膜 軟 骨 細 胞 軟 骨 樣 物 質 軟 骨 接 合 軟 骨 接 合 面 軟 骨 組 織 軟 骨 質
榮 養 -:榮 養 孔 榮 養 器
腕 骨 -:腕 骨 背 側 靭 帶 腕 骨 掌 骨 關 節 腕 骨 掌 側 靭 帶
翼 狀 -:翼 狀 口 蓋 溝 翼 狀 突 起 翼 狀 窩 翼 狀 靭 帶 翼 狀 破 裂
鱗 樣 -:鱗 樣 縫 合 鱗 樣 部
掌 骨 -:掌 骨 間 筋 掌 骨 結 節 掌 骨 櫛 掌 骨 肢 骨 關 節 掌 骨 下 腹 神 經
前 額 -:前 額 斷 前 額 面 前 額 部
坐 骨 -:坐 骨 結 節 坐 骨 棘 坐 骨 神 經 坐 骨 截 痕
尺 骨 -:尺 骨 結 節 尺 骨 神 經 尺 骨 神 經 溝
脊 柱 -:脊 柱 管 脊 柱 神 經 脊 柱 靭 帶
薦 骨 -:薦 骨 角 薦 骨 岬 薦 骨 管 裂 孔 薦 骨 神 經 薦 骨 翼 薦 骨 脊 柱 筋
恥 骨 -:恥 骨 結 節 恥 骨 弓 恥 骨 筋 恥 骨 軟 骨 接 合 恥 骨 櫛
椎 骨 -:椎 骨 動 脈 椎 骨 部 椎 骨 連 接
下 肢 -:下 肢 骨 下 肢 筋 下 肢 帶 下 肢 靭 帶
胸 骨 -:胸 骨 間 靭 帶 胸 骨 甲 狀 筋 胸 骨 膜 胸 骨 部 胸 骨 舌 骨 筋 胸 骨 鎖 骨 關 節
-突 起 : 假 關 節 突 起 假 棘 狀 突 起 假 橫 突 起 肩 峰 突 起 鎌 狀 突 起 莖 狀 突 起
頸靜脈突起髁狀突起
鉤狀突起
-靭 帶 :髖 骨 固 有 靭 帶 固 有 靭 帶 肩 峰 鎖 骨 靭 帶 肩 峰 烏 喙 靭 帶 距 骨 筋 骨 間 靭 帶
肩胛固有靭帶
-神 經 :莖 狀 神 經 肩 胛 背 神 經 肩 胛 上 神 經 肩 胛 下 神 經 脛 骨 神 經
-關 節 :距 骨 筋 骨 關 節 脛 骨 關 節 顆 粒 關 節
日 本 で 刊 行 さ れ た 西 洋 医 学 書 の『 実 用 解 剖 学 』と そ の 翻 訳 書 で 韓 国 で 刊 行 さ
れ た『 解 剖 学 巻 一 』の 内 容 は 必 ず 一 致 す る と は い え な い 。し か し 、二 字 漢 語 を
始 め 、漢 語 で 表 記 さ れ て い る 医 学 用 語 は す べ て そ の ま ま 引 き 受 け 用 い た の が 明
らかになっている。
な お 、こ こ に 取 り 上 げ た 医 学 用 語 に は 、『 解 体 新 書 』以 来 、『 重 訂 解 体 新 書
( 1798) 』 な ど に 見 出 さ れ れ る 語 も 多 く 含 ま れ て い る こ と が わ か る で あ ろ う 。
256
韓国の近代医学書における医学用語について
(金)
す な わ ち 、 翻 訳 教 科 書 で あ る 『 解 剖 学 巻 一 ( 1906)』 の 底 本 で あ る 日 本 の 『 実
用解剖学』にには次のような凡例が書いてある。
訳名ハ尽く先哲ノ所定ニ従フト雖モ亦タ必ス名下ニ羅甸語或ハ独逸語ヲ
併記シ以テ検閲ニ供ス
し た が っ て 、『 実 用 解 剖 学 』に み ら れ る 語 彙 は そ の 著 者 で あ る 今 田
束氏が造
り だ し た 語 彙 で は な く 、以 前 か ら 日 本 で 成 立 し て い る 用 語 を 採 択 し 著 述 に 用 い
た も の と 推 量 さ れ る 。そ れ を 立 証 す る た め に 先 学 の 研 究 に よ っ て 日 本 の 西 洋 医
学 用 語 の 成 立 に 大 き い 影 響 を 与 え た も の と し て 指 摘 さ れ て い る 中 国 の 書 籍『医
学 原 始( 1692)』や 日 本 に お け る 西 洋 医 学 用 語 の 成 立 に 多 大 な 影 響 を 与 え た『 重
訂 解 体 新 書 ( 1798) 』 の 用 語 と 比 べ る と 次 の よ う も の が 取 り 出 さ れ る 。
跟骨
肋骨
內臟
四肢
子宮
掌骨
脊髓
血液
胸骨
『 医 学 原 始 ( 1692) 』 10
屈伸
宮
椎骨
拇指
分泌
鎖骨
心臟
血液
眼球
軟骨 榮養
腕骨
運動
隆起
子
『 重 訂 解 体 新 書 ( 1798) 』 11
舒志田氏は、中国医学書の日本への影響について次のように述べる。
『 解 体 新 書 』ま た は そ の 後 の 重 訂 版 に あ る「 関 節 、血 脈 、気 管 、血 液 、血
行、触覚、注入、肺臓、けん臓、脾臓、肝臓、耳鼓、 脊髓、尾し骨」な
ど の 多 く の 語 は 、『 医 学 原 始 』な ど か ら 影 響 を う け て 成 立 し た 訳 語 で あ る
可 能 性 が 高 い と 思 わ れ る 。 12
こ れ に よ っ て 、韓 国 で 翻 訳 さ れ た『 解 剖 学 巻 一 』に 現 れ る 西 洋 医 薬 用 語 の 一
部 は 中 国 で 作 り 出 さ れ 、日 本 へ 影 響 を 与 え 、そ の 後 韓 国 に そ の ま ま 借 用 さ れ た
こ と と 推 量 で き る 。さ ら に 、こ れ ら の 西 洋 医 学 用 語 は 現 在 の 辞 書 に も 見 出 し 語
として載っている。
10
舒 志 田 氏 は 注 1 )の 論 文 で 多 く の 医 学 用 語 が 中 国 で 成 立 し 、日 本 へ 影 響 を 与 え
たと指摘している。
11
佐 藤 亨 ( 1980)「『 重 訂 解 体 新 書 』 の 訳 語 」『 近 世 語 彙 の 歴 史 的 研 究 』 桜 楓 社
12
舒 志 田 ( 2003)「『 性 学 粗 術 』 の 語 彙 と 日 本 の 近 代 漢 語 」 韓 国 日 本 語 学 会 2003
年度国際学術大会「漢字文化圏における近代語の成立と交流」発表集
第4回
漢字文化圏近代語研究会
距骨
肩胛
肩峰 犬齒
鉤狀
球狀
屈筋
棘狀
基底
大翼
頭蓋
盲孔
眉間
半球 分泌
上皮
舌骨 聲帶 小頭
外科
運動
乳糜
隆起 靭帶
尺骨
脊髓
脊柱
皺襞
虹彩
滑車
橫徑
喉頭
脛骨
結節
鼓膜
基質
開口
分割
小翼 鎖骨 伸筋
錐體
胸腔
子宮
胸骨
鼓室
卵巢
內皮
固有
骨盤
內臟
短骨
齒冠
胸廓
前額
血管
胸椎
顆粒
肋骨
軀幹
髀臼
眼球 眼窩 腋窩
赤髓
恥骨
257
予稿集
軟骨
前葉 組織
血液
四肢
榮養
坐骨
頰筋
13
こ れ ら の 西 洋 医 学 用 語 は 近 代 に 日 本 か ら 借 用 さ れ 、そ の 以 降 に も 受 け 継 が れ
今 日 に も 専 門 用 語 と し て 用 い ら れ 、さ ら に 、そ の 一 部 は 一 般 用 語 に な り 韓 国 語
の中で、漢字表記語として定着していることがわかる。
5.おわりに
こ れ ま で 、韓 国 の 西 洋 医 学 に 関 す る 用 語 の 成 立 や 日 本 語 か ら の 影 響 な ど を 調
べ る た め に 日 本 で 刊 行 さ れ た 医 学 書 を 底 本 と し て 翻 訳 し た 韓 国 の『 解 剖 学 巻 一
( 1906) 』 に 現 れ る 用 例 の 中 二 字 漢 語 を 中 心 に 取 り 出 し 、 比 べ て み た 。
そ の 結 果 、当 時 韓 国 に は 西 洋 医 学 に つ い て の 知 識 な ど が 乏 し く 、韓 国 語 の 用
語 も 存 在 し な か っ た た め 、西 洋 医 学 の 教 育 や 普 及 に も 困 難 が あ り 、翻 訳 に お い
て は 中 国 や 日 本 の 医 学 書 籍 を 参 照 し 、中 国 や 日 本 で 訳 語 と し て 成 立 し て い た 漢
語を鵜呑みといってもよいほどに、そのまま借用して用いたのがわかる。
殊 に 、こ の よ う な 医 学 用 語 は ほ と ん ど が そ の ま ま 受 け 継 が れ 、現 代 に も 医 学
用語として、さらに一部の用語は一般用語化した例もみられる。
今回の調査は近代における西洋医学用語の一部だけを扱っている面もある
が 、こ れ か ら は 、韓 国 に お け る 近 代 の 西 洋 医 学 書 を 調 べ 、そ こ に 現 れ る 用 例 な
ど を 取 り 出 し 、そ の 成 立 や 中 国 や 日 本 か ら の 影 響 を 明 ら か に し た い 。な お 、語
源やその借用経路をあきらかにするために日本語との関係や中国語との関係
を調べる共同研究なども必要であると思う。
13
大 韓 医 学 協 会 ( 1984)『 英 韓 韓 英 医 学 用 語 集 』 学 研 社 ( 韓 国 )
258
韓国の近代医学書における医学用語について
(金)
参考文献
今田
金
束 ( 1887) 『 実 用 解 剖 学 』 ( 株 ) 東 京 印 刷
弼 淳 著・エ ビ ス ン 校 閲( 1906)
『 解 剖 学 巻 一 』韓 国 延 世 大 学 校 医 学 大 学 医 史 学
科 編 (『 済 衆 院 ( セ ブ ラ ン ス ) 医 学 教 科 書 』 韓 国 医 史 学 科 叢 書 ( 韓 国 )
森岡
健 二 (1969)『 近 代 語 の 成 立 ―明 治 期 語 彙 編 ―』 明 治 書 院 ,
佐藤
亨 ( 1980)「『 重 訂 解 体 新 書 』 の 訳 語 」『 近 世 語 彙 の 歴 史 的 研 究 』 桜 楓 社
( 1986)『 幕 末 ・ 明 治 初 期 語 彙 の 研 究 』 桜 楓 社
大 韓 医 学 協 会 ( 1984)『 英 韓 韓 英 医 学 用 語 集 』 学 研 社 ( 韓 国 )
沈 國 威 (1994) 『 近 代 日 中 語 彙 交 流 史 』 笠 間 書 院 刊
金
敬 鎬 (2001)「 韓 国 語 に お け る 日 本 語 系 漢 字 音 借 語 」 『 日 本 語 学 研 究 』 第 4 集
舒 志 田( 2003)「『 性 学 粗 術 』の 語 彙 と 日 本 の 近 代 漢 語 」韓 国 日 本 語 学 会 2003年 度
国際学術大会「漢字文化圏における近代語の成立と交流」発表集
惣郷
正 明 ( 1983) 「 江 戸 後 期 の 西 洋 語 辞 書 」 『 言 語 』 昭 和 5 8 年 2 月
発表者・関係者一覧
氏
名
所
属
E-mail ア ド レ ス
荒川清秀
愛知大学
[email protected]
松井利彦
神戸松蔭女子学院大学
[email protected]
李
漢燮
韓国・高麗大学
[email protected]
陳
力衛
目白大学
[email protected]
内田慶市
関西大学
[email protected]
八耳俊文
青山学院女子短期大学
[email protected]
鄒
振環
上海・復旦大学
[email protected]
朱
京偉
北京外国語大学
[email protected]
沈
国威
関西大学
[email protected]
奥村佳代子
関西大学
[email protected]
朱
鳳
京都大学・院
[email protected]
舒
志田
上海・同済大学
[email protected]
蒲
豊彦
橘女子大学
[email protected]
塩山正純
愛知大学
[email protected]
王
敏東
台湾・銘傳大学
[email protected]
千葉謙悟
早稲田大学・院
[email protected]
孫
建軍
国際日本文化研究センター
[email protected]
金
敬雄
福島大学
[email protected]
金
敬鎬
韓国・湖南大学
[email protected]
*2004 年 4 月 1 日 以 降 、朱 鳳 氏 の 所 属 は 、京 都 ノ ー ト ル ダ ム 女 子 大 学 に 、
孫健軍氏の所属は、北京大学に変更することになっている。
編 集 後 記
漢字文化圏近代語研究会は、近代東西言語文化接触研究会(代表者:内田慶市)
の 姉 妹 研 究 会 と し て 、 2001 年 2 月 に 発 足 し て か ら 、 は や 3 年 の 歳 月 が 経 ち ま し た 。
本 研 究 会 は 、日 本 、中 国 、韓 国 …と 漢 字 文 化 圏 の 国 と 地 域 で 年 1 回 、国 際 色 豊 か な
研 究 会 を 開 催 し て 参 り ま し た ( 第 1 回 研 究 会 : 2001 日 本 ・ 国 立 国 語 研 究 所 、 第 2
回 研 究 会:2002 中 国・北 京 外 国 語 大 学 で 、第 3 回 研 究 会:2003 韓 国・祥 明 大 学 校 )。
今年の研究会は、日本・関西大学にて、2 日間にわたるシンポジウムと研究発表
と い う 少 々 欲 張 り の 日 程 で 開 催 す る 運 び と な り ま し た 。誠 に 喜 ば し い 限 り で す 。条
件 面 の 制 約 も あ り 、質 素 で は あ る が 、内 容 の 充 実 し た 会 に な る に 違 い な い こ と を こ
の予稿集を持って予言することができます。
この度の研究会の開催に当たって、関西大学より学会助成を受けることになり、
中 国 よ り 優 秀 な 研 究 者 の 招 聘 が 実 現 で き ま し た 。関 係 者 を 代 表 し て 、心 か ら お 礼 を
申 し 上 げ ま す 。ま た 、パ ネ ラ ー 、研 究 発 表 を 快 く 引 き 受 け た 先 生 方 、関 係 者 の 皆 様
にも大変お世話になりま
第 4回
した。
2005 年 度 の 研 究 会 は 、
上海で開催する予定です。
上海同済大学の舒志田氏
漢字文化圏近代語研究会
2004年 3月 1日 発 行
編集・発行:
漢字文化圏近代語研究会
編
Http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~guowei/
3 月 、豊 か な 研 究 成 果 を 携
ではありませんか。
2004.3
沈国威
記す
国威
E-mail:[email protected]
が 鋭 意 努 力 中 で す 。来 年 の
え て 、上 海 で お 会 い し よ う
集:沈
予稿集
協
賛: 関西大学
近代東西言語文化接触研究会
事務局: 関西大学 文学部 内田研究室
ダ イ ヤ ル イ ン 06-6368-0431
564-8680 大 阪 府 吹 田 市 山 手 町 3-3-35
郵便貯金:接触研
記
号 : 14190
番
号 : 95188881
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発 売 白帝社
171-0014
東 京 都 豊 島 区 池 袋 2-65-1
Tel. 03-3986-3271
頒価
2,000円