ロンドンに在住する、フォトグラファー の富岡秀次 / Shu

 初めまして。ロンドンに在住する、フォトグラファー
の富岡秀次 / Shu Tomioka です。
レコード・コレクターズ誌で93年より “ブリティ
ッシュ・ロックの肖像” を連載させて戴いています。
撮影&インタヴューを通じて今迄に出会った“ブリテ
ィッシュ・ロックの巨人達”の印象などを書き連ねて
みたいと思います。
第十回 チベット支援コンサート
Support Tibet Concert at Alxandra Palace 20/7/96
僕はディック・へクストール=スミスに誘われて彼のクルマに同
乗した。
ディックは、どんなギグにも必ず僕を連れて行って、僕に写真を
撮られる事を好んだ。
それにレコード・コレクターズの僕の連載に使えそうな題材を、
考えていてくれた。
主催はミック・ジャガーの弟のクリス・ジャガー。
クリスは当時、割と活発にギグをしていた。
ディックが彼に頼まれて、彼のバンドで時々サックスを吹いてい
た頃だ。
この記事、写真の権利は富岡秀次が所持しており、SPACE DOG!が許可を得て転載しています。一切の無断転載を禁じます。
※クリス•ジャガー
おそらく、ダライ・ラマ師の来英は突然決まったのだろう。
ラジオでしか宣伝出来なかったようで、聴衆の集まりはいまいち
だった。プレスもほとんど来ていなかった。わざと避けたのかも
しれない。クリスはちょっと苦い顔をしていたっけ。
師に傾倒していたクリスの誘いで、同様にチベットにシンパシー
を感じたミュージシャンが集まった。
デイヴ・ギルモア、シネイド・オコーナー、アンディ・サマー
ズ、ジョン・エスリッジ達。
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※デイブ•ギルモア
ディックに同行して、バック・ステージに向かう。バック・ステ
ージと言っても、野外コンサートなので、文字通りステージの裏
のエリアだ。
今で言うワグ/WAG (Wives And Girlfriends の略。妻やガー
ルフレンド達の意味)が沢山いて、華やかな中にちょっとむさ苦
しいディックと僕が入って行く。
ディックはデイヴ・ギルモアと世間話を始める。アンディー・サ
マーズが寄ってきて、アコースティック・ギターを静かに弾き始
める。
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※アンディー•サマーズ
天気は快晴だし、基本的に、仏教やヨガ等に興味を持った東洋び
いきの英国人が集まってくるワケで、政治的意味を持つ割には、
そういった刺々しい雰囲気は皆無だ。
大スターがいるのに、サインを求めにくる人もいないし、各々が
自由に芝生で太陽を浴びてエンジョイしている。ニュー・エイジ
の思想が広まっていた頃で、ヒッピーのような格好の人も多かっ
たな。
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僕はとにかく自由に撮影させてもらった。会場中見渡しても、ち
ゃんとフォトグラファー然とした人が、僕以外いなかった事もあ
って、僕は自然にオフィシャル・フォトグラファーとしてみられ
ていた。
シネイド・オコーナーが、結構大きい息子と手をつないで会
場に入ってきた。フットボールを持って、二人で蹴り合って遊んで
いる。周囲の、彼らを知る友人達も加わり、和気あいあいとした
雰囲気。僕は彼女近くに立ち何枚かシャッターをきる。
※シネイド•オコーナー
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エキセントリックな言動がいつもつきまとうシネイドだが、当時
の彼女の美しさったら無かった。
神々しいばかりのカリスマを持ち合わせていた。
※シネイド•オコーナー
黒いリムジンがバックステージに入ってきた。
すかさず、サングラスをかけた何人かのシークレット・サーヴィ
スが構える。後部座席からダライ・ラマ師が現れる。
クリス・ジャガーやデイヴ・ギルモアらが挨拶をしている。何故
かシネイドや何人かのその場にいた人達が、優しく僕を後ろから
押し出すので、僕は結局ダライ・ラマ師の横に立つ事になった。
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とりあえず『こんにちは。今日は良い天気ですね』と、僕はダラ
イ・ラマ師に話しかけてしまった。師はもちろん僕を知らないの
で、不思議そうに笑顔で答えてくれた。
横1メートルの位置から『写真を撮らせて下さい』と頼むと『も
ちろん.Go ahead.』と答えてくれた。今考えると、おそらく周
囲の人は僕をチベットの写真家と勘違いしたのではないだろう
か?それで、師と僕は一緒にいるべき(おそらく唯二の東洋人同
志)だと考えたのではないか。その日、皆が僕を見る目がなんと
も優しかったのは、それが理由ではないだろうか。
※ダライ•ラマ
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96 年の時点で、ダライ・ラマ師と会話を交わした日本人はかなり
稀だと、後になって新聞記者の人から言われた。
ダライ・ラマ師がステージに上がる。聴衆は喝采、或は芝生に臥
して師を拝む。
師はみんなに挨拶し、祝福する。
そこに、ローカル英国教会、カソリック教会、イスラム教モスク、
ヒンズー教の長老が加わり、ダライ・ラマ師を囲みながら世界の
平和の為に祈った。
あの時代、僕らにはまだそれが可能だったのだ。
9/11の悲劇がやがておとずれるなんて、誰にも想像出来ない時代
があったんだ。
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