アダム・スミスの思想と仏教

A研 究 論 文 5V
アダム・スミスの思想と仏教
Ⅰ 十 七 世 紀 の末 に現 わ れ た ニ ュ ー ト ン の物 理 学 は 、十 八 世 紀 の 学
問 界 に測 り 知 れ ぬ ほ ど大 き な 影 響 を及 ぼ し た 。
﹁ 誰 も彼 も 、 各 自
の研 究 領域 で ニ ュ ー ト ン で あ ろ う と 企 て て い た ﹂、 と 言 って も 過
言 で は な い だろ う 。こ の こ と は、 諸 科 学 の 目 的 が自 然 ︵ 人 間 的 自
都 築 正 信
の半面︱︱秩序、超越的なものの存在、身分・階層社会への信頼
︱︱を対当させ、彼の思想全体を、すなわち、スミスの全体像を、
あ る 一 つ の 観 点 から 眺 めよ うと す る試 み で あ る 。 そ れ は 、彼 の目
標が常に、自然的秩序の自覚による人間の作為の克服にあったと
い う 観 点 で あ る。 こ の目 標 は、 彼 の天 文 学 史 、 模 倣 芸 術 論 、 修 辞
学 ・ 文 学 、﹃ 道 徳 感 情 論 ﹄、 そ し て﹃ 国 富 論 ﹄ に一 貫 し て 現 わ れ る 。
想 を 関 連 さ せ て少 し 論じ てみ たい 。
で あ る。 小 論 の後 半 で は 、 創造 に伴 う 自 由 と 責 任 の 問 題 に仏 教 思
この うち、
﹃ 国 富 論 ﹄ は 高 い科 学 性 を持 ち 、 科 学 的 創 造 の 一 典 型
な 基 礎 の上 に据 え ら れ ね ば な ら な い こ と を 意 味 し た 。 衆 知 のよ う
然 を 含 め る︶ の秩 序 の発 見 に あ り 、 そ れ は 経 験 と 観 察 と い う 確 実
に十 八 世 紀 は、 啓 蒙 の 時 代 、 理 性 の 世 紀 と 言 われ る。 こ の 世 紀 の
只 中 に生 き た スミ ス を 、 啓 蒙 の指 導 者 、 自 由 主 義 の 使 徒 、 市 民 社
たいするこれらの評価は、いわば、像の半面にすぎない。この小
が 、 そ れ がそ の ま ま 作 品 にな り 得 る わ けで は な い。 彼 は特 に、 舞
Ⅱ スミ ス に よ れ ば 、 芸 術 作 品 の対 象 は一 般 に 、 人 間 の情 感 で あ る
会 の 唱導 者 とし て 把 握 す る こ と は自 然 で あ る 。 し か し、 スミ ス に
論 は 、従 来 、 スミ ス の ブ ル ジ ョア 的 限 界 と し て 軽 視 され て い る 他
いわば、秩序であり、形式である。生の情感は、これに従うこと
も つ自 然 的 規 則 の前 に匡 正 さ れ て ゆ く 。 拍 子 や 韻 の 作 る リ ズ ム は、
ば な ら な い 。 こ の過 程 で 、自 己 の 独 善 、 気 取 り 、 放 恣 が、 作 品 の
確 な調 和 と 規 則 的リ ズ ム を発 見 し 、 見 分 け ら れ るよ う に し な け れ
が あ る 。 こ の た め に は 、﹁ 長 年 の 経 験 と 多 く の 観 察 に よ っ て ﹂、 正
素材と作品との間に、﹁自然が置いた﹂へだたりを克服する必要
話 と変 ら な く な る 。 情 感 を 表 現 し て 作 品 と なす に は、 情 感 を 起 す
み な し た 。 こ れ ら を 欠 く と き 、 舞 踊 は通 常 の動 作 にな り 、 詩 は会
踊 、 音 楽 、 詩 の 本 質 は 、 拍 子 や韻 律 の律 動 ︵ リ ズ ム︶ に あ る、 と
合と化しつつあった。
ての共同体ではなく、精神的紐帯を失った、ばらばらの個人の集
ン 横丁 の如 く暴 飲 と暴 力 の横 行 す る所 で も あ った 。 社 会 は 、 か つ
求 め て争 い 、 ロ ン ド ン を はじ め とす る都 市 は、 ホ ガー ス の 描 く ジ
う に 奢 侈 、 虚 栄 、 堕落 を も た ら して い た。 上 ・ 中 流 階 級 は 名 利 を
的 緊 張 が解 け る に 伴 っ て 、 経 済 的 繁 栄 は マ ン ディ ヴ ィ ル の 描 く よ
は 、 な お 、 多 く の 人 を 支 配 し て い た が、一 方 で は、 前 世 紀 の 精 神
大な利を得、経済繁栄の道を一途に歩んでいた。宗教の厳粛な掟
イ ギリ ス は 、工 業 先 進 国 と し て 優 位 に 立 ち 、植 民 地 貿 易 か ら は莫
﹃道 徳 感 情 論 ﹄ に お い て、 スミ ス は人 間 の 自 己偏 愛 性 と も言 う
べき 性 質 を明 確 に 指 摘 す る 。﹁ わ れ われ が行 為 し よ う とす る 時 、
に よ っ て のみ 作 品 と な る。 実 際 、 スミ スは 無 韻 詩 に は反 対 し 、 押
韻 詩 を 支 持 し 、 ドラ イ デ ン 、 ホ ー プ な ど の 古 典 派 を好 ん だ と い う 。
情 念 の強 烈 さは 、 わ れ わ れ が利 害 関 心 の な い 人 物 の公 平 さ を も っ
さ ない だ ろう 。 諸 情 念 は 、 ⋮ ⋮す べて 自 己 を正 当 化 す る も の であ
て 自 分 た ち がし よ う と し て い るこ と を 考 察 す る こ と を め っ た に許
一 方 、 スミ ス は、 当 時 の 作 為 的 で 煩 瑣 な修 辞 学 の書 物 を ﹁ 愚 劣
る﹂。 し かし 、 自 然 は人 間 のこ の 弱 点 を 黙 過 し な い 。 な ぜ な ら 、
Heroic coupletの完成者の一人である﹁ドライデンにとっては、
で あ る ﹂ と評 し 、 修 辞 に おい て は、 当 人 の思 想 ・感 情 が自 然 に 、
利 己 心 がい かに 強 く と も 、自 然 は人 間 に 、 他 人 から 同 感 さ れ 、同
﹃ 詩 ﹄ と は 自 然 の 法 則 に 従 い 、 そ れ を 模 倣 す る も の だ っ た 。﹂
し か し 、 放 恣 で あ って は な ら ず 、 あ い まい さ、 大 仰 な 表 現 は避 け
明 瞭 に 表 現 され るこ と が大 事 で あ る 、 と 力説 し た 。 こ の た め に は 、
た とえ ば、 自 分 が強 い 感 情 に把 われ た時 に は 、 見知 ら ぬ人 の同 感
の た めに は わず か し か 感 じ な い ﹂ よ う に 努 力 し な け れ ば な ら ない 。
る た め に は、 人 は 、
﹁ 他 の人 び と の た めに 多 く を 感 じ 、 自 分 た ち
感したいという本性︵nature︶をあたえた。この本性を満足させ
が あ るこ とを 説 い て い る 。 彼 がフ ラ ン ス の作 家 の文 章 を 翻 訳 し て
も得られるように感情を抑制し 、
逆 に、
他 人 の 感 情 を判 断 す る と き
る こ と 、 簡 潔 で あ る こ と な ど、 文 章 の自 然 さ と明 確 さ を保 つ 秘 訣
﹁ 自 然 な 型 ﹂ を 会 得 す る た めで あ っ たの だ ろう 。
に は、 当 人 の 事 情 に 出 来 る限 り 精 通 し 、 そ の 感 情 に沿 う よ う に努
自 ら の 文 体 を 錬 った の も 、 文 章 表 現 上 で 、 独 善 や 放 恣 を 抑 え 、
ピ ュ ー リ タ ン 革 命 と名 誉 革 命 を 前 世 紀 に 終 え て い た十 八 世 紀 の
則﹂が﹁気づかぬうちに︵insensibly︶﹂帰納されよう。スミスは、
な され 、 何 が回 避 さ れ る べき か の行 為 の是 非 に関 す る ﹁ 一 般 的 法
い う 経 験 と 観 察 を 重 ねれ ば、 そ の相 互 的 同 感 を基 準 と し て 、 何 が
め な け れ ば な ら な い 。 周 囲 の 人 々と の、 こ う し た想 像上 の同 感 と
が周囲の人との一致だけを最善と考えていたわけではない。﹁一
論 ﹄ は当 時 の 支配 的上 層 階 級 か ら 大好 評 を 得 て い た 。 し か し 、彼
全 は貧 者 の 救 済 より 重 要 ﹂ で あ っ た ので あ る。 実 際、﹃道 徳 感 情
し て 、 慎 慮 の徳 を勧 める 自 然 の﹁ 摂 理 ﹂で さえ あり 、
﹁社会 の 安
上 か ら はっ き り と是 認 し て い た 。彼 に と って 、 そ れ は人 々 を励 ま
から、個人と周囲の対立もあり得る。こうした場合、彼は究極的
般 則 ﹂ は 個 々 人 が自 発的 に形 成 す る内 面 的 規 律 ︵ 良 心 ︶で も あ る
こうして形成される﹁一般則﹂への顧慮を、正義や慈恵の徳を含
む ﹁ 義 務 の 感 覚 ﹂ と よ び 、﹁ 人 間 生 活 に お い て 最 大 の 重 要 性 を も
、
リ
ス
い わ
﹁ 自
八
由
資
め て
本
い
主
る
義 経
の
済
、 彼
が
た
の 根
ど
動
は
し
済 活
と
経
に と
、
理
て
史
し
原
歴
は 決
を
彼
制
、
規
し
己
か
し
自
活
は 、
済
動
な 経
数
由
の 多
っ た 。
層
は
階
革
が 各
で
か
誉
な
﹂
命
の 名
系
と
の 体
こ
八 年
う 自
一 六
る
は 、
ゆ
可
た
に神 に よ る 救 い が予 定 さ れ てい る 、 とい う 信 念 を表 明 し て い る 。
つ原理である﹂と断定した。この規則によって、人々は自らの行
ギ
不
し
こ の 信 念 は 、 同 感 とい う 自 然的 原 理 から 道 徳 の﹁ 一 般 則 ﹂ が得 ら
l
a isser-fa ire
ス
は
聖
定
為 を方 向 づ け る こ と がで き るの で あ る 。 人 々 の自 己 偏 愛 的 な諸 情
て
、
イ
在
を 神
の 存
と 規
念 は 鎮 め ら れ る の で あ る 。 そ し て 、 こ れ に 対 す る 従 順 に は 、﹁ 心
い
く
れ
体
の
れ る と い う 信 念 と 共 に 、神 的 なも の の 創 造で あ る自 然 がも つ 摂 理
お
な
の
団
も
に た い す る 彼 の 信 頼 を 語 っ てい る。
に
も
そ
許
な
の平 静 、 自 己 充 足 ﹂ がも た ら さ れ 、 そ の 侵 犯 に は 、 恥 辱 感 と自 己
で
紀
特
侵
非 難 の責 苦 が お わ さ れ ると 考 え た 。
﹄
ス ミ ス は 、﹃ 道 徳 感 情 論 ﹄ で ス ト ア 哲 学 を 賞 賛 し て い る 。 ス ト
ま
を
論
ス の 名
う
ミ
富
の 言
る 。
言
彼
に あ
﹃ 国
ろ 、
と
ア 哲 学 が、 内 面 的 な 感 情 を制 御 し 、 精 神 の平 安 を 維 持 す るこ と に
し
た こ
を
む
し
論
示
理
い 。
提
的
な
最 大 の 関 心 を 払 っ た か ら で あ る 。 し か し 、 そ の 哲 学 は 、﹁ 人 間 本
ら
の自由を手ぱなしに主張したのではないことはくり返し強調され
な
本
ば
性 の到 達 点 を ま った く 越 え た 完成 を め ざ す ﹂ 賢 人 の哲 学 で あ ると
ね
み なし 、 彼 は最 終 的 に こ れ を しり ぞ け て い る 。
、
と
伴うある種の戒律の遵守の上に成立しなければならないのであっ
スミ ス の道 徳 論 の 特 質 の 一 つは 、 道 徳 則 が人 間 の外 から 与 え ら
世
益
た。彼はみずからの体系を、﹁自然的自由︵傍点︱引用者︶の体系﹂
八
よ び
権
っ て内 面 的 に形 成 さ れ る点 に あ る。 そ こ で は、 自 然 的 生 得的 同 感
十
得
れ ず に、 周囲 と の 感 情 の想 像 上 の 交 換 を 通 して 、 自 由 な人 格 に よ
既
と
の
の感 情 が 重視 さ れ 、 理 性 の 役 割 は 極 めて 小 さい 。 し た が っ て 、社
い 。 ス ミ スは当 時 の 画 然 と し た身 分 的 ・経 済 的 階 層制 度 を道 徳 の
会 の安 定 時 に は 、 道 徳 感 情 は 社 会 の 支 配 的 なも の に落 ち着 き やす
も あ ず か っ て 、﹁ あ ら ゆ る形 態 の団 体 生 活 で 悪 弊 が不 問 に 付 さ れ
期 待された。
く 社会 に 放 り 出 さ れ て い た 最下 層 の 労働 貧 民 に まで 生 活 の向 上 が
﹃国富論﹄ではまた、﹁富裕の自然的進歩﹂︵傍点︱引用者︶とい
た ⋮ ⋮ 時 代 で あ っ た ﹂、 と 言 われ る。 スミ ス は、 当 時 の商 人 や 製
う 歴 史 概 念 が 導入 さ れ 、 主 と して ロ ー マ帝 国 没 落 以 後 の経 済 史 が
造 業 者 が 、独 占 を 擁 護 す る た めに 、﹁ 立 法 府 か ら 強 引 に 獲 得 し た
諸 法 律 は、 ⋮ ⋮す べて 血 で 書 か れ て い る ﹂ と 攻 撃 し た 。 こ の よ う
が農 業 、 製 造 業 、外 国 貿易 の順 序 で 投 入 され る こ と に あ る が、
﹁ 人 間 がつ く っ た諸 制 度 が、 事 物 の 自 然 的 運 行 を 攪 乱 し ﹂ た た め 、
批 判 的 に 分 析 さ れ て い る 。 ス ミ ス は、 社 会 の自 然 的 発 展 は、 資 本
歴 史 は 逆 行 的 な 順 序 を た ど っ たと 論 じ る 。 し か し 、﹁同 時 に 、現
な 利 権 は彼 ら のエ ゴ イ ズ ム の 追 求 の帰 結 に他 な ら な い 。 彼 の自 然
く 許 さ れ て い な い 。﹃ 国 富 論 ﹄ で は 、 し た が って 、独 占 の 撤 廃 が
的 自 由 の 体 系 の下 で は 、 こ の種 の利 権 や特 許 団 体 の 存 在 は ま った
強 く 主 張 さ れ る 。 こ れ は 、 自 然 的 自 由 の体 系 は、 そ の存 立 の 基 盤
に引 き も ど し つ つ 、 や がて あ る べき 自 然 的 順 序 を顕 現 さ せ るに い
た る過 程 を も描 い て い る ﹂。 ここ に も、 明 瞭 に 、 歴 史 の 自 然 的 秩
実 の権 力 よ り も 一 段 と 高 い 自 然 的 理法 がこ の転 倒 を正 常 な か た ち
除 され た 場 合 、 個 人 の 自 由 な 経済 活 動 は 、 自然 の﹁ 見 え ざ る手 ﹂
序 と 、 こ れ を乱 す 人 間 の 作 為 、 さ ら に、 作 為 を匡 正 す る 自 然 と い
に 、利 己 的独 占 の 断 念 と い う 規 制 を人 々に 義 務 づけ て い るこ と を
に よ り 、 個 人 と 市 民 社 会 の双 方 に 経 済 繁 栄 を招 来 し よ う 、 と い う
う 思 想 が見 ら れ る 。
意 味 す る 。独 占 は い わ ば利 己 心 に よ る 作為 で あ る 。 こ の作 為 が排
の がス ミ スの 信 じ る 所 で あ っ た 。 し た が って 、 彼 の自 然 的 自 由 の
体系は、遵守すべき規制とその上に置かれる自由とから成るので
く の 結 論 を得 た が 、 そ の う ち の一 つ は 、 労働 の賃 銀 の 上 昇 は、 国
経 済 の 分 析概 念 が ほ ぼ明 確 な 姿 を与 え ら れ る 。 こ の 理 論 から 数 多
に 始 めて 、富 の 労 働 価 値 説 、 剰 余 価 値 、 自 然 価 格 な ど の資 本 主 義
か れて い た 。﹃国 富 論 ﹄ の 実 質 は、 こ の 機 構 の 解 明 に あ る 。 そ こ
さ ら に 、 こ の 体 系 に おけ る 経済 運 動 は、 秩 序 あ る機 構 の下 に 置
彼 は自 然 的 な も の の 秩 序 な い し 摂理 に よ って 、 人 間 の作 為 、 エ ゴ
を は かろ う と し た 。 こ の 思 想 全体 に渉 って 、 上 に 瞥見 し たよ う に 、
の下で国富の増進と、労働貧民を含めて諸個人の経済生活の向上
し て再 興 し よ う と し た 。 さら に 、 自 然 的自 由 の基 盤 を確 立 し 、そ
づ く 道 徳 を 新 生 さ せ、 社 会 を人 々の 群 れで は な く 、市 民 共 同 体 と
シ ャフ ト に 転 じ つ つ あ っ た社 会 に、 自 然 が植 え つ け た同 感 に も と
か く し て 、 彼 は 、商 工 業 の急 速 な 発 展 に 伴 っ て 、 す で に ゲ ゼ ル
富 が増加 し て い る証 拠 で あ る と い う 一種 の﹁ 高 賃 銀説 ﹂ で あ る 。
イ ズ ムを 克 服 し よ う と し たこ と がわ か る 。 こ の 結 果 、 ス ミ ス の中
ある。
彼 の 体 系 の下 で は、 当 時 国 民 の半 ば を占 め な がら 、何 の保 証 も な
で 、 自 由 と 共 に 秩 序 が、 理 性 と 共 に 自 然 の 感 情 が 、市 民 社 会 と 共
に身分・財産上の階級社会が共存していた。ヴァイナーの指摘す
る よ うに 、 ス ミ ス か ら ﹁ 摂理 ﹂ の思 想 を取 り 去 る こ と は で き な い 。
ス ミ ス に お け る こ の自 然的 秩 序 の 観 念 お よ び そ の 洞 見 と い う こ
と は 、人 々 に そ の 服 従 を 勧 め る こ と に よ っ て 、 現 実 に 耐 え さ せ る
た め で は な く 、 逆 に 、 社 会 的 悪 弊 の 克 服 、 諸 個 人 に おけ る徳 と 幸
福 の 実 現 と い う 積 極 的 な社 会 変 革 を意 図 す る も の で あ っ た。 彼 の
学 問 の 根 底 に は 、﹁ 他 の 人 々 の た め に 多 く を 感 じ る ﹂ 隣 人 愛 が 生
き て い る 。 彼 が キ リ ス ト 教 を 語 る 機 会 は 少 な か っ た が 、﹃ 道 徳 感
情 論 ﹄ で キ リ ス ト 教 の 偉 大 な 法 と し て 、﹁ 汝 の 隣 人 を 汝 自 身 の ご
とく愛せよ﹂を引用している。彼はこの法を説く宗教思想家では
な く 、 こ の 法 の 精 神 を 基 礎 に し て 、﹁ 自 然 的 秩 序 ﹂ の 発 見 に よ っ
て 学 問 を 方 向 づ け 、 そ の 学 問 と 共 に 、 人 々 を 導 い て 、﹁ 自 然 的 秩
序﹂が支配する作為なき社会を実現しようとした。ストア哲学の
諦 観 的 孤 高 的 態 度 か ら は遠 い所 に 立 って い たと 言 え る。
寸 言 を加 え れ ば 、 ス ミ ス の 文 芸 批 評 を 手 厳 し く や っ つけ たワ ー
ズワスが、農村共同体の崩壊とフランス大革命の帰結に遭遇し、
﹁人間の作為︵contrivance︱引用者︶がその宿命的な無知と罪悪と
を詩 人 の直 感 で 把 握 し
を如何ともすることができない事実﹂に直面させられ、その絶望
心胆
の淵から自然の中に人間的喜びと﹁
よ う と し た こ と も 注 目 に 値 す る。 スミ ス が知 性 の 次元 で は た そ う
と し た こ と を ワ ー ズワ スは 感 性 の 次 元 で な し と げ よ う と し た の で
ある。時代を超克する契機を人間のnature を含む自然の中に見
い だ そ う と し た 二 つ の 魂 は深 い所 で はげ し い共 鳴 音 を 発 して い た
であろう。
一 方 、 スミ ス の﹁ 自 然 的 秩 序 ﹂ へ の 信 念 は 、彼 の学 問 内 容 に 、
批 判 の余 地 を 広 く 残 し た。 二 、 三 の要 点 を述 べよ う 。
﹃ 道 徳感 情 論﹄ で は、 当 時 者 の感 情 を道 徳 感 情 と し て 是 認 す る
き め手 は 、﹁ 一 般 的 法 則﹂ の体 現 者 で あ る﹁ 公 平 な 観 察 者﹂ へ の
れ る よ う に 、 社 会 的 に内 面 化 さ れ た﹁ 感 情 ﹂ と言 って よい 。 こ れ
同感である。この同感は、﹁一般則﹂の形成のあり方から理解さ
は、 スミ ス に従 え ば、 あ く ま で 、 一 つ の 感 情 で あ って 理 性 で は な
い。 し か し 、人 間 の利 己 的 貪 欲 は盲 目 的 な パ タシ ョン であ る。 彼
は、このパッションを前者の感情によって克服し得ると信じてい
た が、 具 体 的 な 場 合 は 、 さ さい な 例 を あげ る のみ で 、 そ の 克服 の
社 会 的 筋 道 は明 ら かに さ れ る に至 っ て い な い 。こ のこ と は 、様 々
に 階 層 分 化 し た何 百 万 と い う 人 口 を 有 す る 複 雑 な社 会 に おい て 、
同感という、貪欲よりは決して強くない感情だけで、たとえば、
﹁ 力 を も っ て 強 制 し得 る﹂ 正 義 の徳 一 つで も 確 定 で き る であ ろう
か 、 と い う 疑 問 を 生 む 。彼 が正 義 に反 す る行 為 と し て 具体 的 に列
ど で あ り 、 そ れ 自 体 す で に不 正 義 とみ な さ れ るも の ば かり で あ る 。
挙したのは、﹁アンフェアな行為﹂、﹁詐欺﹂、﹁背信﹂、﹁不正﹂な
ところが、当時のジャコバイトの乱の加担者に対する処刑は、ど
か っ た で あろ う 。学 説 批判 に有 効 で あり 得 た 理 由 は、 そ の抽 象 的
分 析 用 具 とし て は有 効 で あ っ た が、 現 実 に は 鈍 い 作 用 し か生 ま な
と い う 抽 象 的 人 格 の﹁ 感 情﹂ は 、 種 々 の 道 徳 学 説 を批 判 す る 鋭 い
会 う で あ ろ う 。彼 が 、 道 徳 感 情 の 基 準 に 導 入 し た﹁ 公 平 な観 察 者 ﹂
具 体 的 問 題 に 適 用 す る 段 に な る と 、 た だ ち に 容 易 なら ぬ 困難 に出
情 を、 時 に は﹁ 法 ﹂ を も って 強 制 し う る 社 会 ・ 政 治 の 、 こ う し た
おい て 、 会社 は ﹁ 詐 欺 ﹂ を し た の か 否 か 。 スミ ス の﹁ 正 義 ﹂ の 感
の よ う な ﹁正 義 ﹂ に も と づい て い た の か、 ま た 、 南 海 泡 沫 事 件 に
ち 、 さら にイ ギリ ス の近 代 民 主 政 治 を 考 察す る た め に は 、彼 が
ら 、 近 代 法 は目 的 意識 性 、し た がっ て 人 為 性 と い う 特 性 を強 く持
る人 為 的 諸 制度 は 、彼 の 関 心 を引 か な か った の で あ ろ う 。 な ぜ な
前 近 代 の 自 然法 の 解明 に あて ら れて い る 。 新 しい 近 代 政 治 に お け
法 学 講 義 を 残 し た が、 そ こ で は経 済 の部 分 を除 け ば、 そ の 大 半 が
う と し た の は 、﹁ 人 為 ﹂ で はな く 、
﹁ 自 然 的 秩 序﹂ で あ った 。 彼 は 、
ろ ﹁ 人 為 ﹂ に よ って 成 立 す る 。 し か し 、 スミ ス が 終 生、 依 存 し よ
制、権力分立などの原理を根幹とし、自然的秩序ではなく、むし
﹃ 道 徳 感 情 論 ﹄ で 批判 し 、克 服 し よ う と し た 人為 的 な 功利 主 義 と
こ こ で次 の 論 点 に 移 ろ う 。
Ⅲ
社 会 契 約 概 念 を不 可 欠 と して い た と 考え ら れ る か らで あ る 。
﹁ 感 情 ﹂ が、 個 人 と 全体 を緊 密 な調 和 の う ち に 融 合 さ せ る自 在 性
を も つ﹁ 人為 ﹂ 的 な 感 情 で あ った た めで あ る。 し か し 、 そ の調 和
は 、学 問 の 抽 象 的 世 界 の 出 来 事 で あ り 、 実 際 的 に も、 理 論 的 に も
利 益 ﹂ を 説 く ヒ ュ ー ム の功 利 主 義 が、 か え って 、 ベ ンサ ム に継 承
清 水 幾 太 郎氏 の言 う よ う に、﹁ 世 界 の 諸 事 物 は 、 人 間 を 主体 と
矛 盾 を含 ん で い た の で あ る 。 スミ ス に よ っ て 批 判 さ れ た﹁ 効 用 と
され、産業資本家の世紀である十九世紀のイギリスは功利主義思
想に支配されるに至ったのはある意味で当然であった。
ないし文化的諸事物は、個人の価値判断と一体となってそこにあ
と一組のものである。﹂確かに、われわれを含む自然的、社会的
す る遠 近 法 の う ち で 、最 初 から 或 る 価 値 を 含 み 、 ま た 、或 る行 動
に 提 示 す べき で あ っ た ろ う 。 資 本 家 や地 主 階 級 が利 己 心 に も と づ
る 。 無 色 で は なく 、 価 値 に よ っ て 彩色 さ れて い る 。一 言 で 言 え ば 、
お そ ら く 、 ス ミ ス は 自 然 的 自 由 の体 系 に お け る ﹁ 正 義 ﹂ を 明 確
い て 利 益 追 求 を め ざ す 行為 が ど こ まで 是認 さ れ 、 ど の よ う に し て
規 制 され る の か 、 と い う 基本 的 問題 は ま っ た く論 じ ら れ て い な い 。
︱︱問題意識や危機感を含めて︱︱に対する人間の反応の一形式
他 の文 化 と同 様 、 こ の 個 人 的文 脈 に生 じ た広 い 意 味 の 驚 異 の 感 情
世 界 は 、 諸 個 人 に と って 、 個人 的 文 脈 を なし て い る 。 学 問 も ま た 、
の 実 現 の 道 程 の 考 察 と い う課 題 は、 健 康 上 の理 由 も あ って 、 スミ
である。
︵ ス ミ ス は、 古 典 古 代 から ニ ュ ート ンに 至 る 天文 学 の 歴
既 に 出 発 し て い た 近 代 市 民 社 会 にお け る﹁ 正 義 ﹂ の法 の内 容 、 そ
ス に お い て 断 念 され た 。 近 代 社 会 は 、平 等 の 人 格 、 多 数 決 、 代 表
史 を 概 説 し た小 論 文 で 、 学 問 の 目 的 は、 個 人 から 出 る驚 異 の感 情
を 鎮 め るこ とに あ ると 述 べて い る 。
︶ し た が って 、 そ れ は 発 端 に
お い て 個 人 的 固 有 性 を も って い る。 そ して 、 そ の反 応 の過 程で 、
諸事物は生の具体性を徐々に失い、逆に、硬質な抽象性を帯びて
ので あ る。 あ る条 件 に 乗 せ れ ば 、 学 問 が客観 に至 る とい う 考 え は
こ と がで き る 。 こ れ ら の 条 件 は 、 学問 を客 観 に導 く 大 道 で はな い
大 き な誤 解 で あ る。 鍵 は 、 む し ろ 、 学 問 の固 有 性 、 す なわ ち 、 驚
異 の固 有 性 ない し 抽 象 化 の固 有 性 にあ る 。 前 者 は、 問 題 ・ 危 機 意
む し ろ 、失 敗 の可 能性 が大 き く写 って い る ので あ る 。 し た が って 、
か え る と 、 生 成者 以 外 に は 、 そ の 基盤 が脆 弱 で あ る よ う に見 え 、
そ れ が 生 成者 個人 に よ って のみ 支 え ら れ る点 に 本質 が あ る 。言 い
を 得 る た め の 必 然 の要 件 で あ る 。 し かし 、 そ れ を い か に 行 う か は、
そ こ で は 、 生 成 者 に お い て 一つ の 賭 け が行 われ る 。 生 成者 が賭 け
識 の固 有 性 で あり 、後 者 は抽 象 概 念 の 独 自 性で あ る 。固 有 性 は、
す な わ ち 、 ど の よ う な概 念 を 、 ど の よ う に し て 用 い 、 作 り 出 す か
に 勝 つ た めに は 、 す な わ ち 、 他 の 人 々 に も自 分 の 学 問 が受 容 さ れ
く る。 し ば し ば、 新 し い 抽 象 概 念 が 投入 さ れ 、 重要 な 役 割 をあ た
は 、 個 人 の 選 択 、 意 志 に か か っ て い る 。 す な わち 、 学 問 は生 成 の
る た めに は 、少 な く と も先 の二 つ の条 件 を満 足 させ て い な け れ ば
え ら れ る 。こ の抽 象 化 は 、程 度 の 差 が あ る に せ よ 、 学 問 が客 観 性
個性 的 で あ る 。 し た が っ て 、 学 問 は 、 発 端 に おい て も 、 形 成 の 途
過 程 で 、抽 象 と い う均 一 な形 式 を 獲 得 し て ゆ く が、 抽象 の 内 実 は
な ら な い 。 そ れ だ け の 責 任 は 負 わ な け れ ば な ら ない 。
す る 人 々 の 個人 的 文 脈 は少 し更 新 さ れ る。 こ こ に意 味 あ る客 観 が
と き 、 従 来 の諸 事 物 は人 々 に新 しい 意 味 を も た ら す 。世 界 に たい
る と 、固 有 な問 題 意 識 ない し 独 自 の 抽 象 概 念 が人 々 に受 容 さ れ る
そ して 、 こ の 賭 けに 、 と も か く あ る 程 度 成功 す る時 、い い かえ
上 に お い て も 固 有 的 な も の か ら 逃 れ られ な い。 そ れ は、 驚 異 の固
有 性 と 抽 象 化 の 固 有 性 を 本 質 とす る 。
生成者以外の人々に受容される。受容される条件は何か。これは、
成 り 立 つ 。 そ こ に 至 る 一 筋 の 細 い道 が あ る。 し た がっ て 、学 問 の
にも か かわ ら ず 、 学 問 は 客 観 に転 化 し 得 る。 す な わ ち 、 学 問 の
現 在 の 科 学 哲 学 が抱 え る最 大 の テ ー マ の 一 つ で あ る 。 学 問 が抽 象
創 造 的 な学 問 に は す べて 、こ のよ う な 失 敗 を は らむ 固 有 性 と責 任
生 成 者 の責 任 性 が問 わ れ、 賭 け が行 わ れ て い なけ れ ばな ら な い 。
し い 意 味 を も たら す か ら で あ る 。 し か し 、学 問 の 生 成 の段 階 で は
よ う な学 問 に付 随 す る 固 有 性 で あ る 。 そ れ が人 々に 、 諸 事 物 の 新
客 観 化 に おい て 、 枢要 な 役 割 を は た す の は、 失 敗 の可 能 性 を 含 む
と い う均 一 な形 式 を 持 つ こ と は 、 受 容 の た め の最 底 の要 件 にす ぎ
な い ので あ る 。客 観 に 転 じ る 必要 条 件 の一 つ は、 啓蒙 の精 神 に あ
る だ ろ う 。 す な わ ち 、学 問 が諸 個 人 の経 験 や観 察 と論 理 の上 に 基
礎 づ け ら れね ば な ら な い と い う 条 件 で あ る 。し か し、 こ れら 二 つ
の 条件 が満 た さ れ た と し て も 、 学 問 が た だ ち に受 容 さ れ る わ け で
は な い 。 そ う で な か っ た例 は 、 歴 史 を 振 り 返 れ ば容 易 に見 い だ す
と 賭 け が 伴 って い る 。 こ れ ら は 、 一 般 に 、 創 造 とい う も のの 本 質
で あ る。
さ て 、 ス ミ ス の当 時 、 イ ギ リ ス は 産 業 革 命 の 前 夜 に あ った が、
経 済 思 想 に お いて は、 保 護 貿 易 によ って 獲 得 さ れ る 金 銀 の 富 を も
っ て 国 富 とみ な す 重商 主 義 が支 配 的 で あ っ た 。 ス ミ スは 、﹃ 国 富
論 ﹄ に お い て こ の重 商 主 義 思 想 を く つ がえ し 、国 富 は 国 民 の 年 々
彼 は こ れ ら の主 張 に責 任 を持 たな け れ ばな ら な い 。 最 少限 、 事 実
の 裏 付 け を必 要 とす る。 彼 が﹃ 国 富 論 ﹄ の 理 論 編 の随 所 に 多 くの
事 実 を投 入 し た の はそ の た めで あ る 。 し た が って ﹃国 富 論 ﹄ に は、
失 敗 の可 能 性 を 含 む固 有 性 と 、 そ れ ゆ え に 生 じ る 責 任 と賭 け があ
った 。 スミ ス は、 確 か に 国 富 論 を 創 造 し た の で あ る 。 にも か かわ
ら ず 、 自 然 的 自 由 の 体 系 に おけ るこ れ ら の 諸 命 題 は 証明 され たわ
い る が、 自 然 的 自 由 の体 系 に も と づ く経 済 体 制 は、 ス ミ ス 自 ら
けではない。経済理論の証明とは何か、という問題はなお残って
物 に あ る 、 と い う 観 点 に 立 っ て 、 国 富 を増 進 す る 方 途 を 探 求 し た 。
﹁ ユ ー ト ピ ア﹂ と 言 う よ う に 、人 類 の経 験 外 の世 界 に 属 す る も の
の労 働 に よ って 産 出 され た生 産 品 およ び そ れ ら に よ っ て 購 わ れ る
こ の 問 題 意 識 は 、 ス ミ ス 固 有 の も の で あ り 、 当 時 の 経済 的諸 考 察
である。十九世紀において﹁laisser-faire﹂を実現した、太陽の
で あ る こ と を忘 れ て はな ら な い 。﹃ 国 富 論 ﹄ は出 版当 初 から 批 判
出し、労働者階級の悲惨と後進植民地の犠牲の上に作られた世界
沈 ま ぬ大 英 帝 国 は 、 スミ ス の体 系 から 、 自 由 放 任 主 義 だ け を取 り
の 常 識 に反 す る 一 つ の 革 新 で あ っ た 。 こ の 観 点 は 、言 う まで も な
く 自 明 で は ない 。 ま た 、こ の探 求 の過 程 に お い て 、 経 済 理 論 の 基
軸に置かれた著名な諸命題:商品の価格は労働の量にあるとする
労 働 価 値 説 、価 格 の構 成 要 素 は、 賃 銀 、利 潤 、 地 代 の 三 つ の カ テ
を 受 け て お り 、十 九 世 紀 の 初 頭 に はす で に 、 そ の﹁ 自 由 の体 系 ﹂
が金持ちに対する従属を確立するという、鋭い、真実の評価が現
ゴ リ ーに 分 解 し 、 労働 者 の労 働 が剰 余 価 値 を 生 む と い う 剰 余 価 値
説、自然価格の存在など、これらはいずれもスミス固有の提言で
われてい た。
会 契 約 説 を明 白 に 拒否 し て い た 。 し か し 、 スミ ス が賭 け た﹁ 自 然
て 、自 然 的 秩 序 の 観 念 が社 会変 革 の指 導 的 理 念で あ っ た。 彼 は社
た。
﹁ 近 代 人 ﹂ ス ミ ス に お い て は 、 上 に 瞥 見 し た よ う に、 か え っ
念 と 作為 の 論 理 の 対 立 に 、 前 近 代 と 近 代 の 抗 争 を 把 握 しよ う とし
と︽作為︾︱制度観の対立としての﹂において、自然的秩序の観
か つ て 、 丸 山 真 男 氏 は 、 論 文﹁ 近 世 政 治 思 想 に お け る︽ 自 然 ︾
あ っ た 。 そ れ は 、彼 の 周囲 およ び先 達 か ら 多 く の示 唆 を 受 け た に
せ よ 、 そ の形 象 を明 確 に し、 理 論 体 系 に お け る そ の 決 定 的 役 割 を
認 め 、 主 張 し た の は スミ スで あ る 。 し か し 、 こ れ ら の 提 言 は、 経
験 や 事 実 を あ る が まま に 見 たも ので も な く 、 そ こ か ら容 易 に 得 ら
れ る 抽 象 命 題 で も ない 。 む し ろ 、 多 く の疑 惑 を 抑 え て 、 ス ミ ス 個
人 の 決 意 の下 に な され た断 案 で あ る 。 し た が っ て 、﹃国 富 論﹄ は 、
問 題 意 識 の 固 有 性 と 理 論 的 概 念 の 独 自 性 に よ って 貫 ぬ か れて い た 。
﹁ 一 般 則 ﹂ の よ う に 、 自 ら の 経 験 に も とづ い て 形 成 され る べき も
創 出 ︵ 発 見︶ して ゆ く も の で あ っ た し 、﹃ 道 徳 感 情 論 ﹄ に お け る
的 秩 序 ﹂ は 、﹃国 富論 ﹄ に 見 ら れ る よ う に 、 自 ら の 責 任 に お い て
人 は 、 人 間 を 越 え る 存 在 に 目 を 向 け ざ る を得 な い 。 政 治 や 制 度 で
服 し よ う と し た の で あ る 。 人 間 の不 可 能 性 を深 く 自 覚 す る と き 、
ら 、 彼 はそ の不 可 能 性 を 、 人 間以 外 の も の︵﹁ 自 然 的 秩 序 ﹂︶ で 克
の平 安 は、 し か し 、世 俗 に ある 一 切 の 諸 事 物 ・ 諸力 と は無 縁で あ
せて 、 かえ って 、 大 き な解 放 と平 安 を得 た こ と に 端 を発 す る 。こ
仏 教 は、 人 間 の 不 可 能 性 を﹁ 法 ﹂
︵ ダル マ︶を 証 ら ぬ私 の責 に帰
は決 し て 解 決 し 得 な い人 間 の不可 能 性 と い う も の が あ る 。
が自 分 の 学 説 に 決 し て 、 絶 対 性 を あ たえ な か っ たこ と は 、 彼 が 、
うとする﹁近代﹂的人格の刻印を見ることができる。そして、彼
のであった。ここに、
﹁ 人為 ﹂ に よ って 秩 序 を 自 主 的 に 探 求 し よ
自 然 的 秩 序 に 比 し て ﹁ 人 為 ﹂ で あ る こ と をま ぬ がれ な い 学 問 の不
り 、 仏 教 の初 期 で は 、自 己 が﹁ 無 明 を滅 し 、 一切 に た い す る束 縛
れ て い た 。原 始 仏 教 は大 乗 思想 の展 開 に よ って 一 つ の 革 新 を 経 る 。
を断 つ ﹂こ と によ っ て﹁ 法 ﹂ を絶 え ず 自 証 す る こ と に目 標 が置 か
完 全性 を自 覚 し て い た か らで も あ る 。
Ⅳ
い 自 由 の精 神 で あ る。 自 由 の 意 義 は 、
﹁ 自 分 が 主 犯 な って 働 く ﹂
抜 き 去 るこ と はで き ない 。﹃ 起 信 論 ﹄ はこ の不 可 能 性 の自 覚 に お
無 始 の 無 明 あ り ﹂ と ある 様 に 、 凡 夫︵ 人間 ︶ から 無 明 ・ 妄 分 別 を
このかた、念々相続して、未だ曽て念を離れざるを以ての故に、
﹃大乗起信論﹄に、
﹁ 一 切 衆 生 を 名 づ けて 覚 とは な さず 、 本 よ り
と い う こ と に あり 、自 由 の下 に おい て のみ ﹁ 私 の ﹂ とい う観 念 が
﹁ 人 為 ﹂ の 活 動 を育 て る基 盤 は 、 個 人 の 思 考 や行 為 を 束 縛 し な
意 味 を 持 つ 。 一 方 、 自 由 の 領 域 を拡 げ る に つ れて 、 人 間 は む し ろ 、
いて 解 脱 の契 機 を 発見 し た 。 た とえ ば、﹁不 覚妄 想 心 有 る を 以 て
るれば、則ち真覚の自相の説くべきもの無し。﹂と言う。ここに
の故に、能く名義を知り、為に真覚と説くも、若し不覚の心を離
は 、 妄 念 あ る が故 に か え っ て 真如 ︵ 解 脱 ︶ の名 義 ︵ 意 味 と 名 ︶ を
ジンメルの句を借りれば、自由の下では、人間の﹁限りない可能
性 と 、 限 り な い不 可 能 性 ﹂ が表 出 す る 。 ス ミ ス は 、 人 間 に ﹁ 限 り
自 己 を 縛 る 偏見 や 束縛 や 欺 瞞 に 一 層 敏 感 に気 付 く よ う に も な る 。
な い可 能 性 ﹂ を 期 待 し た 一方 、 宗 教 的﹁ 原 罪 ﹂ 意 識 に 似 た絶 対 的
の 宗 旨 は人 間 の 生 の 全否 定 と 、そ の裏 返 し の 全 肯 定 、あ る が ま ま主
に あ ず か って 往 生 を遂 げ る と い う 他 力 本願 の宗 旨 が位 置 す る 。こ
こ の 大 乗 思 想 の 発 展 の 極 に 、 罪 悪深 重 の身 のま ま に 弥 佗 の救 済
知 る こ と がで き る のだ と い う 主 張 があ る 。
人伝てに聞いたのではなかろうか。それは、もしかしたら、﹁血
も 二 十 代 の前 半 ま で に 、 人 間 の 作為 がも た ら す 悲 惨 を目 撃 し た か 、
不 可 能 性 を見 て い たと 思 わ れ る 。︵ ス ミ ス は 、 若 い 頃 、 少 な く と
を も って 書 かれ た 法 律 ﹂ の犠 牲 者 で あ っ たか も し れ な い 。
︶ だか
の 思 想 は 日本 で は 特 に 、
﹁ 国 学 的 な 事 実 の絶 対 化 と直 接 感覚 へ の
味 で 仏 教 の核 心 を 一挙 に 把 握 せ し め る も ので あ っ た が 、 他 方 、 こ
義 を 産 ん だ 。 い わ ゆ る﹁ 自 然 法 爾 ﹂ の 思 想 で あ る 。 こ れ は あ る 意
明 が ま かり 通 る 。
往 々 、私 以 外 のも の が私 を して そう せ し めた の だ と い う解 釈 や弁
め、分別したのは私だと観念することは、それほど容易ではない。
を断 ち、 分 別 に たい す る貪 り を捨 て よ 、 と 言 う 。
﹁ 内 的 にも 外 的
とこ ろで 、 原 始 仏 教 は、 何 も のに も 執 着 す る な と説 い た 。愛 執
に も 執 着 の 根 源 で あ る 諸 々の 束 縛 を 断 ち切 り 、一 切 の執 着 の 根 源
密 着 ﹂ を 伴 う﹁ 自 然 権 なき 自 然 状 態 ﹂ へ の 信 仰 と容 易 に結 合 し て 、
こ か ら は﹁ 人 為 ﹂ に よ って 自 然 や 社 会 の 秩 序 を探 求す る とい う よ
﹁ す な お﹂ な心 情 、
﹁ 無 私 ﹂ の 行為 の 野 放 図 な称 揚 が な さ れ た 。 そ
で ある束縛から脱れ﹂よ、と教えた。
も っ と も 陥 り や す い 浅 薄 な そ の ま ま 主 義 も潜 在 して い る 。あ る 意
こ こ に も っと も 東 洋 的 な 深 遠 なる も の が あ る と同 時 に 、 わ れ ら の
か ら で あ る 。 だ か ら 、 仏 教 はま ず 、 何 よ り も 、 私 か ら出 て 私 に帰
強 制 や指 令 で あ っ たら 、私 に対 し そ れ に執 着 す る な と は言 わ な い
ら に 他 な ら な い だ ろ う 。 も し 、 そ うで な く 、私 以 外 の 存 在 に よ る
こ う 呼 び か け る の は 、 そ の 執 着 が私 の決 断 、私 の 行 為 で あ る か
う な 主 体 的 精 神 はつ い に 開 花 し な か っ た の で あ る 。 鈴 木 大 拙 は言
味 の 努力 不 息 的 な も の を 、﹃ 自 然法 爾 ﹄ の う ち に 認 識 し な く て は
す る 行 為 があ る こ と を 教 え る 。﹁ み ず か ら 悪 を な す なら ば、 み ず
う。
﹁ 仏 教 全 体 に わ た り て ﹃ 自 然 法 爾 ﹄ 思 想 が深 く はい っ て い る 。
な ら ぬ と い う の が 、自 分 の主 張 で あ る 。﹂ も ち ろ ん 、 こ こ に 言 う
か ら 汚 れ 、 み ず か ら 悪 を な さな い な ら ば、み ず か ら浄 ま る 。 浄 い
私 か ら 出 て 、 私 に 帰 す る こ と を示 唆 し て い る 。 とこ ろで 、 私 に根
﹁ 努 力 不 息 的 な も の﹂ は、 スミ ス に見 ら れ る﹁ 自 然 的 秩 序 ﹂ を 発
﹁ あ る が ま ま ﹂ を 理 想 と して も 、 文 字 通 り に ﹁ あ る がま ま ﹂ で
源 が あり 、 私 が責 め を 負 う 行 為 は 、 私 の 判断 、意 志 が働 い た行 為
の も 浄 く な い の も 各 自 の こ と で あ る 。﹂ む し ろ 、す べて の 行 為 が
あ る こ と がで き な い の が人 間 の 本 性 で あ る 。﹃ 起 信 論 ﹄ の 説 く よ
で な け れ ば な ら な い 。 そ れ は 自 己 実 現 の 意 志 の行 為 で あ る 。 仏 教
見 し よ う と す る こ とで は な い 。
う に 、 念 々 に分 別 は持 続す る の で あ る 。 実 際 、 世 界 の 諸 事 物 がわ
は こ の 行為 を 根 本 的 前 提 と し て い る 。
れわれはその時々何ものかに心を著することなくして生きられな
い て い る こ と が 自 証 さ れ る ので あ ろ う 。 とす れ ば、﹁ 空 ﹂ か ら 自
が あ る は ず で あ る 。 た だ 、 そ こ に は彼 岸 的意 志 が一 体 と な っ て 働
仏 教 の 究 極 で あ る﹁ 空 ﹂ に も当 然 、 こ の自 己 実 現 の 意 志 の 行為
れ わ れ の 個 人的 文 脈 と共 に あ る の は 、 わ れ われ の 具 体 的 な 生 活 の
い 。 学 問 研 究 に おい て 一 片 の 事 実 を取 り 上 げ る に 際 し て も 、 そ こ
己実現の意志をはずせば、﹁空﹂は形骸化する。私がなくなるか
意 志 が、 常 に何 も の か に心 を と ど め て い る か ら に 他 な ら な い 。 わ
に は 個 人 の 価 値 判 断 ・ 分 別 が反 映 す る 。 し か し、 何 かに 心 を と ど
遣る。﹂このような修業はブッダ在位にあっても最も奨励された。
聞覚知にも依らず。一切の諸想を念に随いて皆除き、亦除想をも
一 方 、 行 為 が﹁ 私 の も の ﹂ で あ る こ と に 伴 う 必 須 の 条 件 は、 行
ら で あ る。 私 が な く な れ ば 仏 教 は 働 か な い 。
このことは、大乗思想が妄分別の中に﹁無分別﹂を把えると主
張 す る に せ よ 、﹁ 自 然 法 爾 ﹂ を標 榜す るに せ よ、 実 践 に お い て は 、
為 が私 以 外 の も ので は な く 、 私 に よ っ て 支え ら れ 、 私 に よ って 妥
当 と さ れる 判 断 を含 み 、 そ れ に た い し 責 を 担 う の は 他 なら ぬ私 で
の 実 践 的 教 理 の 実 質 は依 然 と し て 仏教 の根 底 を な して おり 、﹁ 法﹂
現 に あ る 自 己 を とと の え 、 自 戒 し 、現 に あら ざ る私 に 向 って 精励
︵ ダル マ︶ に よ って 、
﹁ 怠 ら ず 努 め よ ﹂ と い う ブ ッ ダ が最 後 に ア ナ
す る こ と が必 定 で あ る こ と を示 して い る。 し た が って 、 原 始 仏 教
し た が って 、 原 始 仏 教 で は、 私 の 大小 さま ざ ま な執 着 へ の厳 重 な
ンに 残 し た言 葉 は、 小 乗 と 大 乗 を 問 わず 、 仏徒 が 永久 に とど め る
は前 述 のよ う に、 自 己 実 現 の﹁ 創 造 ﹂ 行 為 の 端 的 な 特 性 で あ る。
省 察 を 通 して 、行 住 座 臥 日 々の 決 断 と 責 任 を 自 ら 担 う緊 張 に 満 ち
べき原理であることに変りはない。この原理に生きようとする意
あ る と いう 私 の賭 け と私 の 責 任 があ る こ と を 意 味 す る 。 こ の条 件
た 生 を維 持 す る こ と に よ って 、 自 己 実 現 の﹁ 創 造 ﹂ 行 為 を 生活 の
志、言いかえると、﹁あるがまま﹂の私を超えようとする意志を
内 包 す る と き に のみ 、 私 に 真 如 が﹁ 漸 々 に 薫習 し﹂、﹁ 私 ﹂ は単 な
造においては、しばしば、この賭けや責任はステロタイプ化した
る 私 で はな く 、 無 私 の﹁ 私 ﹂ が現 わ れ る の で あ る 。
全場面に具現する意図を持していたと言えよう。学問や芸術の創
く。このような意志は、スミスの学問的姿勢︱︱決断し、責任を
思考や感性を打破し、新しい認識の次元を導入する意志と結び付
っ て意 欲 す る存 在以 外 で は あり 得 ず 、 そ の 際 何 を 選 択 す る か の決
し かし 、 こ の ﹁ 薫習 ﹂ の最 中 に あ って も 、 人 間 は 常 に未 来 に向
局 、 原 始 仏 教 の 実 践 的 教 理 はこ の よ う な 創造 的 態度 を 日 々 の 生 活
担い、自己を確立してゆく創造的態度によく発揮されており、結
定 は究 極 的に 私 に よ っ て な さ れな け れ ぱ な ら な い こ と を 忘 れ る べ
辱 ・ 精 進 ・ 禅 定 ・ 智 慧 の六 波羅 蜜 が 勧 め ら れ 、中 で も 、 禅 定 ・
他 方 、﹃ 大 乗 起 信 論 ﹄ の修 業 信 心 品 に おい て 、 布 施 ・ 持 戒 ・ 忍
分 の 身 を よ く と と の え て ︹自 分 の︺ 主 と なり 得 る 。
﹂ ので あ る 。
である。他人がどうして︹自分の主︺であろうか?賢者は、自
の楼閣である。ブッダによれば、﹁この世では自己こそ自分の主
のであり、この一点を失えば、ブッダの教説、大乗の教論は砂上
き で は な い 。こ の 自 由 は﹁ 法 ﹂︵ ダ ル マ︶さえ 奪 う こ と はで き な い
に 横 溢 せ し め る 作 用 をも た ら す も ので あ っ た と 結 論 で き る 。
智 慧 の 止 観 の 行 が詳 し く述 べら れ て い る 点 は 注目 さ れ る 。﹁ 止 を
無 私 の ﹁ 私 ﹂ は 、 人 間 に 限 り な い可 能 性 と不 可 能 性 を見 て い た
修 す る 者 は 、 静 処 に 住 し 、 端 座 し て意 を正 し 、気 息 に も 依 ら ず 、
形 色 に も 依 ら ず 、 空 に も 依 ら ず 、地 水火 風 祀 も 依 ら ず 、 乃 至 、 見
て
克
の
支
服
終
え
し
生
て
よ
変
い
う
ら
た
と
ぬ
の
す
信
は
る
念
人
意
で
間
志
あ
の
に
っ
本
体
た
性
現
。
を
さ
含
れ
め
て
て
い
自
る
然
。
の
こ
﹁
の
摂
意
理
志
﹂
を
に
深
た
奥
い
に
す
お
る
い
スミスにあっては、﹁自然的秩序﹂の自覚によってエゴイズムを
彼
や
る
文
門
学
化
化
問
の
、
的
中
隔
営
に
絶
為
、
化
に
相
が
あ
異
深
る
を
共
ま
と
確
有
り
思
認
と
つ
わ
し
合
つ
れ
な
一
あ
る
が
を
る
。
ら
発
内
思
も
断
想
す
専
の
見
思
求
、
神
一
想
る
探
化
精
、
思
え
を
プ
に
は
較
見
性
イ
中
的
比
に
感
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目
、
か
と
ロ
の
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ば
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性
テ
も
つ
れ
い
知
ス
な
一
す
て
る
の
有
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言
し
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化
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︵3︶ レー 大内節子ほか訳﹃アダム・スミス伝﹄岩波書店、一九七六
年、四ニ︱三頁。
一
義
B
Penguin Books, 1970; A.Dobson, William Hogath.London,
︶
年
︵4︶ 磯田光一﹃イギリス・ロマン派詩人﹄河出書房新社、一九七九年、
6
︵5︶ アダムースミス 宇山直亮訳﹁アダム・スミス修辞学・文学講
︵
1907
.
一 八 六 頁
三
、
二 〇
年
。
八 頁
。
。
。 ︵7︶ アダム・スミス 水田 洋訳﹁道徳感情論﹂筑摩書房、一九七三
︵ 8 ︶ 同 書 九
二 頁
︵ 9 ︶ 同 書 一頁
︵10 ︶ 同 書 ム
ース ミ ス
﹃ 道 徳 感 情 論 ﹄ 二 四 〇 頁 。
︵11︶ レー﹃アダム・スミス伝﹄第九章。
︵12 ︶ ア ダ
︵13︶ アダムースミス 大内兵衛ほか訳﹃諸国民の富﹄︵二︶ 岩波文庫。
頁 。
︵14︶ トレヴェリアン﹁イギリス史﹂3 みすず書房、一九七五年、三
JH P lumb
. .
、
Eng land in the E i
g hteenth Cen tury ︵ Pe lican
,
︵15︶ アダム・スミス﹁諸国民の富﹂︵三︶ 四三〇頁。
﹃ 増 補 国 富 論 体 系
の 成 立 ﹄ 未
掲 書 、
第 二
章 失 わ れ た 戒 律
て I
八 年 、
ワ ー ズ ワ ス 。
一 九 七
、 一 九 七 九 年 、 二 〇
を 求 め
マ ン 派 の 詩 と 想 像 力 ﹄ 大 修 館 書 店 、
、 四 二 頁
来 社
History of England, Vol. 7︶,London;松浦高嶺﹃十八世紀のイ
︵16 ︶
昇
ギリス﹄岩波講座世界歴史17、一九七〇所収。
二 頁 。
︵17 ︶ 小 林 前
﹃ 英 国 ロ
掲 書
一 。
︵18︶ ヴァイナー 根岸愛子ほか訳﹃キリスト教と経済思想﹄ 一〇八頁。
前
︵19︶ アダム・スミス﹃道徳感情論﹄三二頁。
三 頁 。
加 納 秀 夫
︵20 ︶ レ ー ︵21 ︶
二
︵22 ︶ 磯 田 光
︵23︶ アダムースミス﹃道徳感情論﹄
︵24 ︶
V o l 4 1972 pp 176- 206
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︵25︶ 原田 鋼﹃西洋政治思想史﹄有斐閣、一九七三年、四〇九頁。
︵26。︶ アダム・スミス 高島善哉ほか訳﹃ダラスゴウ大学法学講義﹄日
本 評論社、一九四九年。
︵27
︶ 清 水 幾 太 郎 ﹃倫 理 学 ノ ー ト ﹄
︵28
︶ ヘ ン ペ ル 黒 崎 宏 訳 ﹃ 自 然 科 学 の 哲 学 ﹄ 培 風 館 、 一九 七 五 年 。
︵29
︶ 小 林 昇 ﹃ 増 補 国 富 論 体 系 の 成 立 ﹄ 第 三 章 。
︵30
︶ 同 書 第 三 、 四 、 五 章 。
︵31︶ アダム・スミス﹃諸国民の富﹄︵三︶ 八五頁。
潮 社、一九七六年。
︵32︶ エングルス 武田隆夫訳﹃イギリスにおける労働階級の状態﹄新
二 九頁 。
︵33
︶ 都 築 忠七 編 ﹃資 料 イ ギ リ ス 初 期 社会 主 義 ﹄平 凡 社 、 一 九 七 五 年 。
第 二 章 。 な お 、中 村 元 ﹃自 然 的 秩 序 と 作 為 の 論理 ﹄︵﹃ 日本 宗教 の
︵34
︶ 丸 山 真 男 ﹃ 日 本 政 治 思想 史 研 究 ﹄東 京 大 学 出 版会 、 一 九七 三年 、
近 代 性 ﹄春 秋 社 、 一 九六 四 年 所 収 ︶を 参 照 。
︵35
︶ スミ ス の学 問 的 探 求 の 人為 的 性 格 につ い て は 、 都 築正 信 ﹃ 一 般教
第三巻、一九八一年、一三︱二一頁。
育再建の基盤︱︱アダム・スミス学問論の検討﹄一般教育学会誌、
ァ書房、一九七二年、七〇頁。
︵36
︶ マ ク フ ィ ー 舟 橋 、天 羽 、 水 田 訳 ﹃ 社 会 に お け る 個 人 ﹄ミ ネ ルヴ
大学出版局、一九七一年、第一章。
︵37︶ パイク 中村、竹村訳、りぶらりあ選書﹃アダム・スミス﹄法政
○六頁。
︵38︶ 平 川 彰 ﹃大 乗 起信 論 ﹄仏 典 講 座22
、 大 蔵 出版 、 一 九 七 三 年 、 一
︵39
︶ 平 川 彰 前 掲 書、 一三 九頁 。
。五 二 頁 。
︵40︶ 丸山真男﹃日本の思想﹄岩波新書、一九六九年、五三頁。
︵41︶ 同 書
︵42
︶ 鈴 木 大 拙 全 集 第 二十 二 巻 。
︵43︶中村 元訳﹃ブッダのことば﹄岩波文庫。 一九五一年、九五頁。
a︶平川彰 前掲書、三五一頁。
︵35︶ 平 川 彰 前 掲 書 、二 一八 頁 。
︵46︶ 中村 元訳﹃ブッダの真理のことば、感興のことば﹂岩波文庫、
︵ つ づ き ・ ま さの ぶ 、 科 学 史 、 埼 玉 大 学 教 授︶
一 九七八年、一八九頁。