聖徳太子の人間理解 - J

聖 徳 太 子 の人 間 理 解 (高
橋)
聖 徳 太 子 の人 間理 解
高 橋 事 久
人 間 理 解 の問 題 は、 思 想 史 上 の重 要 な課 題 と し て 論議 さ れ てき た
一二 八
儒 教 や 法 家 思 想 は 、 人間 社 会 に新 し い行 動 と 価 値 規 範 を も た ら し
た が、 人 間 の我 所 執 の判 断 に 基 づく の で、 民 族 宗 教 社 会 が 有 す 個 別
志向 を否 定 す る原 理 と は な り え な い の であ る 。
いま憲 法十 七条 の第 二条 に 、 ﹁
共 れ 三宝 に 帰 り ま つ ら ず ば、 何 を
以 て か 柾 れ る を直 さ ん﹂ と し 、 ﹁世間 虚 仮 、 唯 仏 是 真 ﹂ を 持 言 と さ
の こと は 、 他 の諸 思 想 の相 対 化 と虚 仮 の認 識 が 並 行 し て行 わ れ て い
れ る のは 、仏 教 (三宝 ) の 普 遍 妥 当性 の獲 得 を 意 味 す る 。 つま り こ
否 定 さ れ 、 超 克 さ れ ね ば な ら な い ので あ る。 こ の考 え方 の背 後 に は
る の であ る 。 ここ に 太 子 の人 間 理解 と し て、 人 間 の無 明 (無 智) 性
科 学 的 思 考 の前提 と し て の人 間 理 性 の虚妄 性 と、 不 実性 の 認 識 が あ
が 明 確 に位 置 づ け ら れ て いる 。 <
儒 教 等 の思 考 > <
無 明な る 分 別> は
例 え ば浄 土教 の 思 想史 を考 え る とき 、 そ れ は他 力 の純 一性 、 真 実
が、 仏 教 思 想史 は さ な が ら仏 教 にお け る 人 間 理 解 の展 開 であ る と い
性 、 絶 対 性 が鮮 明 に さ れ て いく 歴 史 で あ る と 同 時 に、 人 間 の 罪 悪
る。 上 田義 文 博 士 は 仏 教 の人 間 観 に つ いて ﹁仏 教 に お い て 人 間 と 動
つて よ いで あ ろ う 。
性 、 虚 仮 不 実性 、 相 対性 が い よ いよ 明 確 にさ れ、 深 めら れ て いく 展
る か ら であ る。 す な わち そ れ ら は ﹃如 来 ﹄ で は な いか ら で あ る 。 智
る か ら では な い。 人 間 も 動 物 も 虚 妄 ・無 知 (
無 明) な ﹃衆 生 ﹄ で あ
者 で は なく て迷 え る も の であ り、 清 浄 な 者 で は な く て不浄 であ り 罪
物 とが ひと し いの は 、 動 物 と 人 間 と が ﹃進 化﹄ に よ つて連 続 し て い
従 来 、 ﹁認 識 の 主 体 は 認識 の対 象 には な り え な い。﹂ と い わ れ て い
あ る も の であ るか ら であ る。﹂ と述 べら れ る が 、 先 述 の人 間 の 絶 対
開 であ る と いえ よ う 。 つま り機 教 の逆 対 応 の論 理 的 展 開 が な さ れ る
る よう に 、 人間 理 解 のた め の科学 的 考 察 は 、 人間 の 一面 を 把 握 す る
ので あ る 。
の に は有 効 であ る が、 そ の本 質 の全 体 的 理 解 は不 可 能 であ る 。 そ こ
否 定 の中 に人 間 の本 質 把 握 が な され る と いえ る 。
理 と し て、 儒 教 、 法 家 思 想 の ご とき 人 聞 の知性 ・分 別 ・価 値 判 断 を
し、 虚 妄 不 実 の世 間 と認 識 す る こ とに あ つた 。 そ し てそ の超 克 の原
聖 徳 太 子 仏 教 の意 義 は、 当 時 の歴 史 的 現 実 を 民 族 宗 教 社 会 と規 定
で、 仏 教 は 人間 本 質 を 把 握 す る べく <
明 晰 の 眼> を 用 意 す る ので あ
太 子 に よ れ ば 人 間 世界 と は 、独 善 的 であ り 、 対 立 的 で あ る と さ
必要 とす る教 え では 、 新 た な迷 妄 を お こす と し 、 た だ 仏 教 に よら な
る。
れ、 そ の原 因 と し て 、 人 間内 奥 の我 所 執 <
有私> <
有党> <
有執> を
ハ
ナリ
ノ
ニ
レ
ス
常 住 真 実 に見 ぬか れ た自 我 の絶 対崩 壊 であ り 、 絶 対 沈 黙 (
否 定) を
勝 髪 経 義 疏 に、 二 切 法 常 住 、是 故 我 帰 依 ﹂ と あ る が 、 帰 依 と は
ノ
け れ ば無 明 か ら のが れ ら れ な いこ とを 主 張 す る こと にあ つ た。
あ げ る。
人間分別 による聖 (
賢 )愚 、是 非 、 善 悪 、 正邪 の決 定 は、 人間 分
別 によ る 限 り、 そ の 独善 性 、 不実 性 は 払 拭 さ れず 、 常 に大 義 名分 の
下 に、 新 た な迷 妄 と 矛 盾 を 生 産 す る の であ つた。
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遍 的 世 界を 志 向 す る 和 の実 践 こ そ仏 智 の絶 対 意 志 に よ る と 考 え た こ
﹁共﹂、﹁我 独 錐 得 、 従 衆 同 挙 ﹂ の思 考 は 、 個 別 的 志 向 を転 回 し 、普
ダ ルマ
いう 。 この常住 な る 法 は 、人 間 の認 識 の対 象 では なく 、 そ れ への帰
の
ダルマ
依 も 人間 の意志 作用 で は な い。 つま り 、宗 教 的 真実 及 び実 践 は 、 人
と と軌 を 一にす る の であ る 。
な ら な い。 そ の絶対 意 志 を行 動 原 理 の根 拠 と し、 民族 宗 教社 会 の権
動 原 理 しか も ち え な か つた当 時 に 真 実 への志 向 と、普 遍 的 実 践 の主
を 厭 う て物 を 化 せず 。 皆 仏 意 に違 い倶 に中 道 を失 う 。﹂ (以 上 ﹃維 摩
を 計 す る が故 に世 を 楽 う て厭 離 せず 。 二乗 は 無常 を 観 ず る が 故 に 世
て浬 繋 を畏 る﹂ ﹁凡夫 は諸 の邪 見 に入 り て彼 岸 に到 らず ﹂ ﹁凡 夫 は 常
﹁凡 夫 は欲 に著 し て道 を 去 り 、 奉 観 事 希 り﹂、 ﹁凡 夫 は 生 死 を 愛 し
さ いご に 三経 義 疏 に おけ る 人 間 理 解 を 見 て いか ね ば な ら な い。
と いう 一面 を 担 つて いる 。
憲 法 十 七条 は、 常 に人 間 を 問 題 とす る 意 味 から し て人間 研 究 の 書
間 の 認 識、 意 志 、感 情 等 を超 え た 法 の絶 対 意 志 の活 動 (
妙用) に他
力 構 造 に対 決 し た の が憲 法十 七 条 の 意義 であ る 。
憲 法 十 七 条 は 民族 宗 教社 会 の内 実 を 明ら か にし 、 そ れ を否 定 し 、
体 の転 回 を教 え た の で あ る。 第 一条 の ﹁和 ﹂ の 所依 は 儒 書 に よ る
普 遍 宗 教 社 会、 人格 平 等 の社 会 の実 現 を志 向 した 。 ま た 、個 別 的 行
が 、 そ の内容 は 人間 肯 定 の思考 を 用 いず、 和 の破 滅 は 人 間 の無 知 に
経義疏﹄
)
(金 治勇 ﹃聖
これ ら 凡夫 に対 す る義 疏 の見 方 は衆 生 の迷 いの根 源 はも ろ も ろ の
徳 太 子 の生涯 と思 想 ﹄ によ る )
﹁凡 夫 は浅 識 に し て 五欲 に 著 す ﹂ (﹃法 華義 疏﹄)ー
し て、 この見 生ず 。 是 を 辺 見 と名 つく ﹂ (
以 上 ﹃勝 髭 経 義 疏﹄)
﹁凡 夫 の識 は 一見 顛 倒 な り 。﹂ ﹁凡夫 は 五受 陰 に於 て我 見 妄 想 計 著
よ る とし 、 そ の我 所 執 にも と つ く ﹁有 心﹂ ﹁有 党 ﹂ を 転 回 し 、 無 私
ダ ルマ
の立 場 を 志向 す る。 つま り ﹁和 ﹂ は 仏 教 の無 我 思 想 を 原 理 と す る。
第 一条 、 第 二条 の思 想 的 連 関 こ そ 、憲 法 全 体 に 通 じ る 精 神 で あ
無我 思 想 は縁 起 の自 覚 であ り 、 <法> への帰 依 であ る 。
つぎ に太 子 の人 間 理 解 の究 極 であ る第 十 条 を み て い こう。
り、 太 子 仏 教 の根 幹 とも いえ る の で あ る。
絶 念 棄 瞑 、 不 怒 人違 。 人 皆 有 心 、 心各 有 執 。彼 是 則 我 非 。 我 是 則
﹁無 始 於 己﹂ (﹁
始 め な き はお の れ に お い てす 。
﹂) と実 存 的 に 把 握 さ
煩 悩 であ り、 こ れ は帰 す る と こ ろ無 明 住 地 の 煩 悩 に よ る と さ れ 、
れ る 。 この こ と は ﹁歎 二仏 真 実 嚇帰 二
依 常 住 こ ﹁生死 即是 顛 倒 、 如 来
彼 非 。 我 必非 聖 、彼 必 非 愚 、 共 是 凡夫 耳 。 是 非之 理 、誕 能 可 定 。
蔵 即 是 真実 ﹂ (
﹃勝 童 経 義 疏 ﹄) 等 にあ る仏 教 理 解 が 背 景 と な つ て い
相 共 賢 愚 、 如鎖 無端 。 是 以 彼 人 錐 瞑 、 還 恐 我 失。 我 独錐 得 、 従 衆
同挙。
ダル マ
こ の 人間 理 解 は、 第 二条 の常 住 真 実 (
法 ) に きり ひ ら か れ た 地 平
参 考 文献
一二 九
二葉 憲 香 博 士 ﹁飛 鳥 文 化 の形 成 ﹂ 等。
し て いる と考 え られ る。
常 に 彼 の仏 教 理 解 は、 彼 の 人間 への凝 視 が あ り、 人間 理 解 が 成 立
る ので あ る。
ダ ルマ
に立 つて の人 間 自 覚 にも と つく の で あ る。 法 の絶 対 的 意 志 の具 体 的
顕 現 が 、 こ の人 間 理 解 を行 わ し め た と も い え よう 。 凡 夫 の自 覚 は 、
仏 の智 慧 に照 破 さ れた こ と であ り 、 こ こか ら繊 憶 と帰 依 の実 践 が展
橋)
開 さ れ て いく の で あ る 。 ﹁共 是 凡 夫 耳 ﹂ ﹁
相 共賢愚、如 鎧 無端 ﹂ の
聖 徳 太 子 の 人間 理 解 (
高
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