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●経営理念とは何か
ゴール到達への道しるべ
山に登るとき、みなさんは何を用意するでしょうか。地図、コンパス、食糧、
防寒具など、用意しなければならないものはいろいろ考えられます。しかし、
まず最初に決めなければならないことは、「どの山に登るのか」ではないでし
ょうか。標高はどれだけあるのか。勾配はどうなっているのか。山道はあるの
か。それによって装備は自ずと変わってきます。
経営においても同じことがいえます。戦略について考える前に、まず自分が
どこに到達したいのかというゴールをしっかり定めることが必要です。ゴール
がわからなければ作戦を立てることもできません。本や映画ならば初めに結末
がわかってしまったらつまらない話になってしまいますが、経営の理想的なプ
ロセスは「初めにゴールありき」です。このゴール到達への道しるべというべ
き経営理念があるおかげで、企業は回り道をせずにゴールめざして歩いていけ
るのです。
たいがいの企業は経営理念を掲げています。ホームページや会社案内に記載
されている場合もあれば、社是・社訓として表れていることもあります。しか
し、たとえば起業して、いざ経営理念をつくろうと思っても、これはそう簡単
にできることではありません。目標をすべて盛り込めばよいというものではあ
りませんし、精神論に傾きすぎて具体性に欠けても効果は期待できません。で
は、どうしたら効果的な経営理念をもつことができるのでしょうか。
日本では経営理念や企業理念という言葉でひと括りにされることが多いので
すが、この概念を構成している要素をまず理解したほうがわかりやすいでしょ
う。一般的に経営理念は、①ミッション、②ビジョン、③バリューの3つから
成り立っていると考えることができます。
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第1章
経営理念――経営の柱を築く
図表 1-1 ' サウスウエスト航空のミッション
サウスウエスト航空のミッション
サウスウエスト航空のミッションは、温かさと親しみやすさ、個人としての誇りと会社の
精神をもって、最高の顧客サービスに献身することです。
従業員のみなさんへ
私たちは、みなさんが等しく学び成長できる機会をともなった安定した労働環境を提供
することを約束します。創造性と革新性は、サウスウエスト航空の発展のために奨励され
ています。そして何よりも、一人ひとりのお客様に接する際にみなさんに期待されるのと同
じ心遣い、尊敬の気持ち、思いやりのある態度をもって、私たちはみなさんを気遣い、尊
敬し、大切にします。
1988 年 1 月
出所:サウスウエスト航空の HP より翻訳抜粋
①ミッション
ミッションとは日本語でいえば「使命」であり、会社や組織が「何のために
存在するのか」「何のために事業経営をしているのか」という根本的な意義を
表します。これは、戦略や事業計画など、すべての経営活動の指針となる最も
重要な要素です。
具体的なミッション・ステートメントの例を見てみましょう。米国サウスウ
エスト航空は、「顧客第一」ではなく「従業員第一」をスローガンに掲げるユ
ニークな企業です。しかしながら、常に高い顧客満足度を達成し、フォーチュ
ン誌が毎年発表する「全米で最も称賛される企業上位10社」の常連にもなって
います。同社のウェブサイトにある「私たちのミッション」というページは、
その経営姿勢を反映したユニークなものとなっています(図表1-1参照)。
このように、サウスウエストは外部に対するステートメントと内部に対する
ステートメントを同時に掲載しています。しかも内部である従業員向けのステ
ートメントのほうが長く、念入りな印象さえ受けます。会社のミッションを表
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明するページで、従業員に向けて「みなさんを大事にします」というメッセー
ジを送る例は珍しいと思いますが、まさに従業員第一をうたうサウスウエスト
航空ならではのミッション・ステートメントです。同社独特の性格やポリシー
をすぐに想起させるという意味でも、優れたステートメントといえるでしょう。
②ビジョン
ビジョンとは企業がめざす具体的な「将来像」のことで、経営活動が5年後
なり10年後に「どのように結実するか」を表すものです。ミッションが現在の
ビジネスに焦点を当てているのに対し、ビジョンは将来のビジネスに焦点を当
てます。ビジョンという言葉には「空想」や「幻」といった意味もあるように、
将来こうありたいという姿はある程度「夢のような」ものであっても構わない
でしょう。ビジョンが大きすぎるからといって、マイナスになるわけではあり
ません。ホンダ(本田技研工業)がまだ浜松の町工場だった頃、創業者の本田
宗一郎はすでに「世界一のオートバイ・メーカーになる」というビジョンをも
っていたというのは、非常に有名な話です。
③バリュー
バリューとは「価値観」のことで、会社が「どのような信条で活動を行なっ
ていくか」という姿勢を表すものです。会社のあらゆる活動において、意思決
定や判断のよりどころとなるものです。ミッションやビジョンと比べると、バ
リューは、ビジネスというよりも顧客、地域社会、そして従業員などに対して
組織の行動規範や倫理観を示すものといえます。
たとえば、さまざまな環境保護支援活動に力を入れていることで知られるア
ウトドア製品のパタゴニアは、同社が核として志している4つのバリューとし
て、「スポーツの本質への忠誠」「草の根環境保護活動への忠誠」「既成概念に
こだわらないカルチャーへの忠誠」「機能性重視のデザインへの忠誠」を掲げ、
同社の取り組みや生産活動の基盤にある精神を提示しています。
戦略と同様、10の企業があれば10の経営理念があるのは当然です。しかし原
則として、これら3つの要素を踏まえて理念を作成するのが望ましいでしょう。
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第1章
経営理念――経営の柱を築く
ミッションやビジョンをはっきり示すことは、従業員が自分の役割をきちん
と認識したりモチベーションを維持するのに役立ちますし、バリューは彼らの
意思統一に貢献します。外部の者からすれば、これら3つの要素を文章として
見ることができれば、その企業に対する理解がより深まります。経営理念を明
確にすることには、戦略の方向性を定める、社員を1つにまとめるという対内
的な目的と、顧客や取引先、あるいは地域社会に自社の存在意義を知ってもら
うという対外的な目的があるのです。
練習問題…………………………………………………………………………………………基礎レベル
次の文章の(
)内に適切な言葉を入れなさい。
1.経営理念を構成するものには(
)、(
)、(
)がある。
2.企業が活動していくうえでの信条や姿勢を表すものは(
3.経営理念を明確にすることには、(
)である。
)という対内的な目的と(
)
という対外的な目的がある。
ホップを学んだことで、経営理念とは何かについて理解していただけたこと
と思います。それでは次に、実際の企業のケーススタディをみていきましょう。
●ケーススタディ:はとバスにおける意識改革
何が転機となったのか
都内バス観光や関東近県の主催旅行を運営する株式会社はとバスは、本業で
あるバス事業の赤字が影響して経常赤字に陥り、グループの債務超過もあって
一時は倒産寸前にまで追い込まれました。しかし、1998年9月に就任した宮端
清次社長(当時)のリーダーシップによって改革がなされ、1998年度からは経
常利益が黒字に転じるようになります。この業績の好転は、大幅な経費削減や
不採算事業からの撤退といった合理化を行なう一方で、同社のバリューやビジ
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図表 1-2 ' はとバスのバリュー
基本理念
「お客様第一主義」
・お客様サービス推進部の新設
具体策 ・組織図の変更(顧客が一番上、社長が一番下)
ョンが社員に共有されるような働きかけや仕組みづくりを行なった意識改革の
結果ということができるでしょう。
宮端社長の就任当時、社員の危機意識は希薄なものでした。それは、社内で
経営情報が開示されておらず、株主(東京都が4割近い株式を保有)が見捨て
るはずはないという甘えが社内に蔓延していたことによるものでした。そのよ
うななかで宮端社長は再建計画を策定し、バス事業のテコ入れを始めました。
宮端社長はまず、「価値観を変える」ために「お客様第一主義」を基本理念
(バリュー)に掲げ、組織改革を実施しました。具体的には、「お客様サービス
推進部」を新設し、「組織図の変更(顧客が一番上・社長が一番下)」を行ない
ました。そして次に、「車両・乗務員サービス・コース内容で3つの日本一を
めざす」というビジョンを示しました。
このような変更に、当然、社員は戸惑いをみせました。しかし、宮端社長は
すぐに次のアクションを起こしました。「お客様のため」という視点に立って、
あまりコストがかからずにすぐに取り組める施策を実施しはじめたのです。そ
のなかの1つに、車内でふるまうお茶の質を上げたことがありました。これは、
乗務員の声を取り上げて実行した施策で、お客様に直接関係するところでは経
費削減しないという方針の表れでもありました。
また、顧客ばかりではなく、運転手や乗務員から集めた意見が業務に反映さ
れる仕組みを整え、サービス改善が継続的に実践されるようにしました。まず、
顧客から届く苦情やお礼のハガキはすべて社長が目を通すこととし、また運転
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第1章
経営理念――経営の柱を築く
図表 1-3 ' はとバスのビジョン
ビジョン
車両、乗務員サービス、コース内容で 3 つの日本一をめざす
手や乗務員の意見を吸い上げる「お帰り箱」を設置しました。そして、課題別
に整理された意見に対して、関係部署が「実現可能か」「いつまでにやるのか」
といった答えを書き込むことにしたのです。毎年更新される車両にも、顧客の
声が反映されているといいます。
そして、顧客志向と採算性を考慮しながらコース内容の絞り込みや改善を行
なうため、コース企画者や役員が同乗して調査や点検を行なうことも実施しま
した。社員から「お客様第一主義とは何なのか、抽象的でわかりにくい」とい
われたときに、宮端社長は「自腹で乗ってみればわかる」と答えたといいます
が、そのことがきっかけとなって役員には月1回の自腹参加が義務づけられる
ようにもなりました。
顧客満足の法則
さらに、全社員が参加するサービス技術研修を行ない、宮端社長が自らの言
葉で熱心に社員に語りかけたといいます。「お客様第一主義を徹底してくださ
い。顧客満足というのは100−1=0だが、100−0=200になります」。この顧客
満足の法則は、「お客様が1つでも不満を覚えれば成果はゼロになるが、不満
をもたなければ満足度は倍増する」ということを意味しています。
こういった改革が功を奏し、同社は1998年度からの経常利益が黒字に転じる
ようになりました。顧客志向の基本理念が、全社に徹底共有された結果である
といえるでしょう。現在、はとバスグループは経営の基本理念として、「お客
様第一主義」「現場重点主義」「売上至上主義の排除」の3つを掲げています。
その理念のもと、「サービス(品質)日本一の樹立」に向けての施策が行なわ
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れているといいます。
はとバスは、経営理念のうちバリューとビジョンを明確にし、良好な結果を
生みました。ここで大切なことは、同社が単にバリューとビジョンを掲げただ
けでなく、それを組織運営や戦略に的確に反映させたことです。同社の成功は、
その価値観や目標を社員が一丸となって共有したことにあるでしょう。
次節では、その社員の会社に対する価値観と業績の関係について考察してみ
ます。
練習問題…………………………………………………………………………………………中級レベル
1.はとバスの経営理念として相応しくないのは、次の4つのうちのどれ
ですか。
a.お客様第一主義
b.現場重点主義
c.サービス(品質)日本一の樹立
d.徹底したコスト削減
2.ミッションを設定する際のポイントとして不適当なものは、次の4つ
のうちどれですか。
a.ミッションは、必要に応じて数年ごとに見直すべきである。
b.社員を精神的に鼓舞し、目的意識や挑戦心を抱かせるような内容とするの
がよい。
c.「売上を最大化する」「利益を最大化する」といった経済的な側面のみをミ
ッションとして掲げるのは好ましくない。
d.「最高の品質の製品を、最大のサービスで、低価格で提供する」というよ
うに、多くのことを盛り込みすぎるのは好ましくない。
3.経営理念を共有化させるために最も適切なアクションは、次の4つの
うちのどれですか。
a.経営理念を明文化して額に入れ、社長室の壁に掲げておく。
b.経営理念をもとに細かい規則を制定し、監督機関を設けて社員を監視する。
c.経営理念をシンプルに表現し、それらが具体的に何を意味するのかを社長
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第1章
経営理念――経営の柱を築く
やマネジャーが頻繁に社員に語りきかせて理解を促す。
d.専門家であるコンサルタントに高額のコンサルティング料を支払い、立派
な経営理念づくりとその社内発表を任せる。
●理念から文化へ
真に卓越した企業の条件
かつてスタンフォード大学のビジネススクールは、時代を超えて際立った存
在でありつづける企業18社を選び、真に卓越した企業の条件について研究を行
ないました。その成果は『ビジョナリー・カンパニー』
(日経BP出版センター)
という本にまとめられましたが、著者の1人であるジェームズ・C・コリンズ
は7年後の2001年、その続編ともいえる『ビジョナリー・カンパニー2』(日
経BP出版センター)を出版しています。
前作が最初から超優良企業を調査対象としていたのに対し、続編では、普通
の優良企業が偉大な超優良企業へと飛躍し、それを持続していく過程を検証し
ています。これらの調査を経てコリンズは、成功には「カリスマ的な経営者が
必要なのではない」という結論を導き出しました。強力なカリスマ性を備えた
リーダーに牽引されて成功しても、そのリーダーが引退したり、他社に移った
途端に競争力を失ってしまう企業の例は数多く見られます。
経営において重要なのは、リーダーにカリスマ性があるかどうかということ
よりも、リーダーが交代しても力を失わずに存続していける組織をつくれるか
どうかという点です。それには、リーダーの掲げる目標や価値観を組織全体で
共有できるシステムを、時間をかけて構築していくしかありません。経営理念
の確立には対内的な目的と対外的な目的があることは前に述べましたが、経営
理念にはもう1つ、この存続のシステムを構築するという役割もあるのです。
長期的な成功を望むなら、明確な理念をもち、それを単なる「お題目」として
終わらせるのではなく、組織の文化として根づかせ、リーダーシップを継続し
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ていく作業が必要となります。
企業文化を育てる
前述のサウスウエスト航空では、同社のバリューが正式に文書化されたこと
が、実はありません。これも他の多くの企業とは異なる同社の特徴の1つです
が、その代わり同社は、人材の選考やリーダーシップ能力を磨く訓練を非常に
注意深く行なっています。
サウスウエストの創設者であるCEOのハーブ・ケレハーは、経営に対する
強固な価値観を備えていることでも有名ですが、同社はその価値観を浸透させ
ることに多大な力を注いでいます。「企業文化とは企業にとってきわめて重要
なものであり、何にも増してこれを培う努力を惜しんではならない」とケレハ
ーは語っています。「従業員を家族として扱う」、「持株制度により従業員への
利益分配を行なう」、「適材を採用し従業員に決定権を与える」といったやり方
はすべて、社内で価値観を共有し、それを企業文化にまで落とし込んでいくた
めの同社の方法論なのです。ケレハーはカリスマ視されることも多いため、
「ハーブ・ケレハー以降もサウスウエストは存続できるのか」という疑問の声
があがることもありますが、その疑問に対する同社の回答がここに見られます。
企業文化は一朝一夕にできあがるものではありませんし、他社の文化をその
まま自分の会社に当てはめられるようなものでもありません。しかし経営理念
という芽がやがて実を結び、そして花を開かせるためには、理念を途絶えさせ
ず、企業文化と呼べるほどにまで組織に根づかせていく努力が必要です。個人
のリーダーシップの影響力は限られますが、そのリーダーシップをうまく継投
していくことができれば、理念は後々まで受け継がれていくのです。
練習問題…………………………………………………………………………………………応用レベル
あなたの会社には明確な経営理念がありますか。ある場合、それは現在
のビジネスとマッチしていますか。また、ない場合は、あなたの会社にと
って効果的な理念を書き出し、それを実践する企業文化を育む方法を考え
てみましょう。
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第1章
経営理念――経営の柱を築く