フジェール城 - Château de Fougères-sur

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歴史
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菜園
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日本語
用語集
栽培法
中世において、菜園植物はその食用部分にあわ
せて、地下部分(根、根茎)、地上部分(茎、葉)、
実(エンドウなどの豆類)の「根」、「草」、「実」に
区分されていました。中世様式の菜園は城の庭
園に彩りを添えています。この庭園は、ビエー
ヴル河とその区門*による豊かな水源を利用して
いて、規則正しく配置された正方形あるいは長
方形の花壇で構成されています。栽培は、棚板
あるいは「プレシー」と呼ばれる栗の木製の組み
格子で補強され、高さをつけた花壇で行われて
います。
石落とし:張り出し部分にある石の回廊で、床
に設けられた開口部から(上方から下方に向かっ
て)ものを放って攻撃することができた
隠し戸:要塞中で最も目立たない箇所に設けら
れた秘密の扉
クシエージュ:窓の開放部に設けられた腰掛
区門:二つの滝間や疎水間の水流区分
ペディメント:入口、扉、窓の上方に施された
三角あるいは半円形の建築装飾で、これによっ
てタンパンを装飾くり型で囲った
ミサ用の瓶:ミサで用いられるワインと水を入
れる小さな容器
持ち送り:アーチの起拱点となる突き出し部分
植物の力
役に立つ情報
中世以降、「サンプル」と呼ばれる薬草が、都
市の庭園で栽培されていました。自然に隠され
た治癒力が利用されていたのです。修道士は、
これらの薬草を特別な方法で分類していまし
た。18世紀になると、今日においても知られて
いる、ラテン語による植物の学名命名法が生み
出されます。城の庭園には、野菜や果樹、バラ
(化粧や手入れ、異性を魅惑するのに用いられ
た)に代表される花々と並んで、香草やスパイ
ス、薬草が植えられています。染料植物は、原
稿の写しに用いられるカラーインクの製造や衣
料の染色に使用されました。
見学に要する平均時間:1時間
*裏面に解説あり
国立モニュメントセンターは、フランスのモニュメントに関するガ
イドシリーズを翻訳版で出版しています。文化・歴史遺産バージョ
ンは書店ブティックにて販売しています。
Centre des monuments nationaux
Château de Fougères
41120 Fougères-sur-Bièvre
tél. 02 54 20 27 18
www.monuments-nationaux.fr
フジェール城
15世紀の城塞
crédits photos B. Attala © Centre des monuments nationaux, Paris. conception graphique Plein Sens, Anders. réalisation beau fixe. traduction Caractères et cætera. impression Néo-Typo, avril 2008.
中世の菜園
中世の記憶
1030年、フジェールの荘園はブロワ伯の一家臣
のものでした。百年戦争期に、城はイギリス人
の手に落ちますが、
敗戦を受けて1429年
に手放され、廃墟化
します。1470年、オ
ルレアン公シャルル
・ドルレアンの国務
評定官およびルイ
11世の財務官であったピエール・ド・ルフュー
ジュによって、城は本格的に要塞化されました。
ルネッサンスの装い
1510年から1520年にかけて、ピエール・ド・ル
フュージュの孫ジャン・ド・ヴィルブレズムに
よって、ルネッサンス様式の要素が城に加えら
れました。続く世紀にも軍事的外観が減退して
いきます。開口部が拡大され、堀は埋め立てら
れ、跳ね橋は取り去られました。
1789年、すでに隣接するボワセー城の城主であ
ったルネ・ランボに城が売却されました。1812
年から1901年には、ランボによって城内に製糸
工場が設置されました。1912年に歴史建造物に
指定され、1932年には国有物となります。
中世の小城塞のモデルといえるこの城は、ロワ
ールのような巨城と異なり、そのルネッサンス
の装飾要素にもかかわらず、華美さを欠いてい
ることが特徴です。
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菜園
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中庭
中庭
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1階
中庭
2階
中庭
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3階
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ブレゾワの城塞
城には、15世紀終期の軍事的な配置や城内の配置
が残されています。簡素で力強い建物は、素材の
選択から建設方法に至るまで、地方建築の好例と
なっています。壁には、ボース産の硬い石灰石の
切石が用いられ、より軟質で白っぽいシェール河
岸産の石灰土は、くり形や彫刻の施された部分に
用いられています。
。1812年に製糸工場で用いられる羽根車を設置した
際に、リブヴォールトが取り除かれています。アー
チの起拱点である持ち送りには、紋章を抱えた天
使が刻まれています。
4 見張りの間 は中庭に直接通じることを特徴として
います。隣接する階段の壁には銃眼があり、2階へ
の出入りの監視に使われていました。
5 廊下 は庭に通じていて、その扉上に残された溝に
よって、当初一跳棹タイプの別の跳ね橋があった
ことが示されています。
前庭
2階
入り口の上方には、跳ね橋の跳棹をはめ込むため
の垂直の溝があります。
1階
1 正面中庭 の入り口正面と右手には、1450〜1475
年頃に建てられた最も古い住居棟があります。奥
の南側の住まいにある二つの扉の上部には、彫
刻を施したペディメント*がみられます。右手には
二人の兵士、左手には紋章を抱えた天使と、ドラ
ゴンと戦う大天使ミカエルの肖像が刻まれてい
ます。
2 オープン型の回廊 には扁形アーチが付けられ、ブ
ロワ城にあるルイ12世の回廊といくらか類似して
います。
3 礼拝堂 には「足温器」タイプの暖炉が備えられ、内陣
にはミサ用の瓶*を置くための壁がんが見られます
6 大広間 の中庭側には、重なり合う屋根が織り成す
趣のある風景が見られます。
7 高回廊 はアーチ付回廊および礼拝堂の上部に位置
します。ひっくり返した船の底に似た骨組を持ち、
角の張り出し部に位置する小塔は、物見台として周
辺警備の役目を担っていました。
4階
西の住居 上階から下階へ
10 角の塔 は、元来テラスで覆われていました。このこ
とは、軽く傾斜した敷石張りの床と、その最下部の
巡回路上にある雨水溝によって証明されています。
円錐形の屋根は建築後に付け足されたもので、見張
りの間となっています。この部屋の壁は、木骨軸組
と荒壁土の骨軸組から作られています。
11 小住まい は2階と3階にあり、ゴシック期の住まい
に特徴的な間取り―クシエージュ*の付いた窓と暖
炉のある寝室、控えの間、塔のプライベート寝室、
トイレ―になっています。
12 旧台所 ではかなり高い位置に二つの窓が取られ、
蒸気や煙を排気していました。暖炉上には木製の
まぐさが取られています。
13 旧守りの間 は1階にあり、矢狭間と大砲用の銃眼
を備え、放射状に攻撃することができました。
入り口の防御翼棟
8 主塔は長方形型で、15世紀の最終四半世紀に建築
されました。建物外側の階段で、角の塔と連絡し
ています。
各階の広間には、クシエージュ*が備えられた開口
部の2つの窓によって外部へ開かれています。
9 巡回路 には小塔にある階段の隠し戸*から出るこ
とができ、石落とし*が備えられています。
*裏面に解説あり