神経心理学を哲学する - Hidetaka Yakura Site

神経心理学 29 (1): 35-43, 2013
Japanese Journal of Neuropsychology 29 (1): 35-43, 2013
教育講演
神経心理学を哲学する
パリ大学ディドロ大学院 科学知専攻
矢倉 英隆
要
旨
本稿では二つの問題について論じる。第一に、哲学という精神運動の意味す
るところを哲学者の言葉を基に考察することにより、高いレベルの意識や真理
に到達するためには哲学が不可欠であることを示す。また、この考察から浮か
び上がるこれからの知のあり方を新しい「知のエティック」として提案したい。
第二には、神経心理学と密接に関連し、デカルトが体(脳)と心を本質の異な
る延長実体と思惟実体として分けたことから生まれた心脳問題について検討す
る。両者の関係を説明するために提出された二元論と一元論の主なヴァリエー
ションの特徴を分析することにより、この問題の解決がどのような方向性のも
のになるのかについて考察したい。
Keywords: 哲学的問いかけ、新しい知のエティック、心脳問題
1
神経心理学 29 (1): 35-43, 2013
Japanese Journal of Neuropsychology 29 (1): 35-43, 2013
Philosophical Problems in Neuropsychology
Hidetaka Yakura
Scientific Knowledge, University of Paris Diderot
Abstract
In this paper, I would like to discuss two problems. First of all, after
reflecting on what philosophical exercises mean to us, I will demonstrate that
philosophy is vital to reach a higher level of consciousness or truth. Based on
this analysis, I will propose “an ethics of knowledge” as a future form of our
intellectual activities. Secondly, I will focus on the mind-body problem that is
originated from Descartes who divided our existence into material body (brain)
and nonmaterial soul (mind), independent of the law of nature. The problem
thus arises as to how physicochemical reactions in the brain give rise to
nonmaterial mental phenomena and how the mind inversely affects the body. I
will first review representative theories and hypotheses put forward to explain
this apparent paradoxical situation, namely various forms of dualism
(substance
and
property
dualism,
parallelism,
occaisonalism,
epiphenomenalism) and a variety of monism (idealism,
and
materialism,
physicalism, eliminativism, behaviorism, and neutral monism), and then search
for a possible way to resolve this difficult question.
Key words : philosophical questioning, a new ethics of knowledge, the
mind-brain problem
2
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はじめに
神経心理学に対して哲学的問いかけをするという場合、大きく二つのやり方
があるだろう。一つはこの領域の個別の研究成果や研究方法、あるいは科学者
の思考過程を具体的に取り上げて、それについて考察を加えるというやり方で
ある。この場合、神経心理学の細部に精通していることが求められる。第二の
方法は、神経心理学という営みを外から眺めた時に見えてくる哲学的問題につ
いて分析を加えるというやり方で、他の領域にも広がりを持つ、より普遍的な
テーマが現れる可能性がある。神経心理学を定義することは、他の学問におい
てもそうであるように難しい課題である。ここでは仮に、行動と脳の病変との
相関を研究し、患者の状態の改善を目指す学問として神経心理学を定義し、そ
こから現れる問題を拾い上げると、少なくとも次のような問題が現れる。
1) 症状や感情の表現に使われる言語の問題
2) ある症状から原因を突き止めることができるのかという相関と因果性の
問題
3) 一つの障害がある特定の部位に起因するように見える時、その他の部位
の関与はないのかという部分と全体の問題
4) 物質レベルの出来事からどのように非物質である精神活動が現れるのか、
さらに相互に重なり合うことのない精神と脳との間に存在するように感
じる因果性をどのように説明するのかという心脳問題
5) 症状のどこからを病的なものとするのかという正常と病理の境界の問題、
あるいは、そもそも正常と病理をどのように捉えるのかという問題
6) 病気や治癒の過程で現れる人間と人間を取り巻く環境との新たな関係を
どのように考えるのかという人間と環境の問題
これらの問題はどれ一つを取っても深い科学的・哲学的思索が要求されるだ
けではなく、神経心理学を超えて医学全般に及ぶ大きな課題を内包している。
このエッセイでは最初に哲学という精神運動をどう捉えるのかについて考え、
そこから見えるこれからの知のあり方を新しい「知のエティック」として提唱
した後、特に神経心理学との関連があり、哲学が科学に重要な貢献をしている
心脳問題を取り上げ、個人的な経験を交えながらその問いの意味するところに
考察を加えたい。
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哲学という精神運動と新しい「知のエティック」
哲学という言葉を聞いた時、人により様々なイメージが湧いてくると想像さ
れるが、それは哲学者による哲学の定義を見ても明らかである。振り返ってみ
ると、学生時代には意識していたはずの哲学は、科学の分野での時間が長くな
るにつれて頭から完全に消え去り、形而上学という言葉の辞書的な意味さえす
ぐには浮ばないほどであった。しかし、フランスに渡りいろいろな哲学者の思
索の跡に触れる中で、形而上学の姿もぼんやりと浮かび上がってきた。最初に
科 学 と の 関 係で 哲 学 の 位 置 が 見 えた よ うに 感 じ た の は、 デ カル ト ( René
Descartes, 1596-1650 ) が 1644 年 に 発 表 し た 『 哲 学 原 理 』( Principes de la
Philosophie)のフランス語版の序にあった説明である。17 世紀にはすべての科学
は哲学の中に含まれており、それを一本の樹に譬えながら次のように書いてい
る(図 1 左)。
「このようにすべての哲学は一本の樹のようなもので、その根が形而上学、
幹が物理学、そこから出る枝が他のすべての科学になり、医学、工学、道
徳という三つの主要なものに還元されます。わたしは、他のすべての科学
を知り尽くしたという前提で、最も高く完全な道徳が智の最終段階である
と理解しています」1
この説明は哲学から始まる学問の系統発生樹を示すものとして捉えることがで
き、明確な印象を残した。
その後、現代アメリカの哲学者ウィルフリッド・セラーズ(Wilfrid Sellars,
1912-1989)が考える哲学の説明に触れ、よりはっきりとした哲学の姿に変容し
ていった。彼は哲学の目的を「最も広い意味における『こと』が、どのように
最も広い意味において矛盾なく繋がっているのかを理解することである」2と定
義した後、哲学について説明を加えている。そのエッセンスをまとめると、以
下のようになる。
「哲学には他の分野のような専門はありません。そのような専門領域が
できると、過去 2500 年の間にやったようにそれを非哲学者に手渡すの
1
本稿の引用は、特に断りのない限り拙訳とした。Descartes R : Lettre-préface des Principes de la
philosophie, Flammarion, Paris, 1996, pp. 74-75
2
Sellars W: Philosophy and the Scientific Image of Man, in Sellars W, Empiricism and the Philosophy
of Mind, Routledge and Kegan Paul, London, 1963, p. 1
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です。哲学に特徴的なことは専門となる対象ではなく、すべての専門領
域との関係において『こと』を理解するという目的にあるのです」3
つまり、哲学を実践する者に求められることは、すべての領域の事象について
専門家のように知ることに努め、その上でそれぞれの間に橋を架けることにな
る。
大阪大学で医学概論を始めた澤潟久敬(1904-1995)は哲学と医学の関係を次
のように考えていた。
「哲学を無用という人は、哲学とは何かを知らぬ人か、似而非哲学を哲
学と思っている人である。哲学とは実生活に無用な概念の遊戯ではなく、
最も具体的現実的な学問なのである。その意味において医学の哲学は医
学をより完全なものにするために第一に必要な学問なのである」4
哲学から離れた医学ではあるが、医学を完全なものにするためには哲学が必要
になるという見立てである。それは、科学から哲学に入り、その視点から科学
を見直す過程で固まりつつあるわたしの考え方とも重なるものである。さらに、
医学に見られる哲学との関係は、すべての学問、延いてはわれわれの日常にお
いても当て嵌まるものだろう。その根拠をヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich
Hegel, 1770-1831)が考える哲学の意味を探りながらわたしなりに敷衍してみた
い。
ヘーゲルは哲学の目的は真理であるとして、こう続けている。
「真理は直接的な知覚や直観においては認識されない。それは外面的感
性的直観においても、また知的直観においても同様である。ただ思惟の
努力によってのみ真理は認識される」5
古くから意識には 2 つのレベルがあるとされている。すなわち、外界の情報を
知覚がそのままの形で受容するものと取り込んだ情報について一歩退いて振り
返るリフレクションから生まれる意識である。それぞれの知覚された内容を一
つのまとまりを持ったものに変える作業がなければ高い意識のレベルには到達
できず、世界を真に理解したことにはならないという意識の情報統合理論
(integrated information theory of consciousness)がある(Tononi, 2008)。ヘ
3
Sellars W, Philosophy and the Scientific Image of Man, in Sellars W, Empiricism and the Philosophy
of Mind, Routledge and Kegan Paul, London, 1963, p. 2
4
澤潟久敬:医学の哲学、誠信書房、東京、1964、増補 1981、p. 247
5
ヘーゲル:哲学史序論―哲学と哲学史―、武市健人訳、岩波書店、東京、1967、p. 60
5
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ーゲルの視点から考えるとすれば、この意識のレベルに至るためには思惟する
努力が必要になり、そのために実践する精神運動が哲学ということになる。
さらに歴史を遡ると、デカルトが最初に使った « apercevoir »(知覚・認識す
る)という言葉に辿り着く。その後、ライプニッツ(Gottfried Leibniz, 1646-1716)
は « perception »(知覚)と異なる « aperception »(統覚)という概念を作り、そ
れがカント(Immanuel Kant, 1724-1804)に至って経験的なものとは別の超越論
的な統覚として確立されることになった。真の理解に達するためには直接的な
知覚のレベルに留まるのではなく、知覚から得られた事実を繋げ、組み合わせ
て一つの纏まりをもった統一体に作り変える作業が必要になる。世界の理解の
ためには一段上から振り返って考える態度が不可欠であること、そしてこの精
神運動の後にのみ、真理に繋がる新しい世界が現れることになる。この運動こ
そが哲学であり、問題が複雑になればなるほどその解決にはこの精神運動が不
可欠になる。複雑さを増す現代に哲学的思考を取り戻すことが求められる所以
でもある。
図1 デカルトの哲学の樹から見るこれからの知のあり方
ここで、わたしが新しい「知のエティック」と呼ぶこれからの知のあり方に
ついて簡単に触れてみたい。19 世紀から 20 世紀にかけて、科学はオーギュスト・
コント(Auguste Comte, 1798-1857)が始めた実証主義(positivism)を自らの
哲学として取り入れた。実証主義とは、経験から得られたものを論理的、数学
的に処理したものだけをすべての有効な情報の基にし、省察や直観から知を得
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ることを拒否する立場である。その結果、科学は著しく発展したが、科学が内
包する価値や意味については考える必要がなくなっただけではなく、それに言
及することは科学的でないとされるようになった。ハイデッガー(Martin
Heidegger, 1889-1976)が看破したように、科学は考えなくなったのである
(Heidegger, 1954)。
このような状況を考慮に入れ、冒頭に引用したデカルトの哲学の樹をもとに
これからの道を模索してみた。現代の医学や個別の科学は哲学(形而上学)か
ら生まれた分枝であるが、成長の過程でその根にあった哲学を時代遅れの遺物
として捨て去ってしまった(図 1 左)。そのため、自らの中での思考に終始する
ことになった科学はその周りの問題に対応できないだけではなく、新たな社会
的問題を生み出すことになった。これからも生まれ続けると予想される人間を
取り巻く問題を解決するためには、現在の科学の思考を転換する必要があるの
ではないかというのが新しい方向性を探る元にある考えになる。
ここで一つのイメージを提示するとすれば、それはデカルトの樹の逆転にな
る(図 1 右)。忘れ去られた哲学がすべての学問を上から照らすものとして蘇り、
科学者の意識に新たに上る世界である。それは個別の知識で終わる世界ではな
く、知識から始まる世界、すなわち集められた知識を統合するという哲学の精
神運動により新しい知の確立を目指す世界である。そのためには「こと」の重
要性を哲学の側から伝えることが不可欠になるが、それとともに専門に埋没し
ている科学者や医学者が哲学における蓄積や思考を基にした新しい知の世界に
心を開くことが求められる。そのための第一歩として、科学を取り巻く環境に
哲学的思考を浸透させる「科学の形而上学化」という過程を導入することをこ
のモデルでは考えている。コントは人間精神の発展が神学的・虚構的、形而上
学的・抽象的、実証的・科学的という三段階を経て完成するという法則を提唱
したが、新しい「知のエティック」ではその先にこれまでに捨て去った神学的、
哲学的視点を取戻して科学について省察する第四段階の到来を想定している。
この骨子を敷衍したものは別に発表しているので参照していただければ幸いで
ある(矢倉、2013)。
デカルトの実体二元論と心脳問題
2007 年春、わたしは「タンパク質に精神があると思いますか?」という質問
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を投げかけられた。はっきりとは意識していなかったが、物理主義(physicalism)
と還元主義(reductionism)の下に免疫学を研究していた者にとって、この問い
は形容し難い衝撃であった。この出来事は、このような問いが成立するという
驚きに留まらず、現代科学における頭の使い方には大きな制約が加わっている
こと、そしてそのために人間が問い掛け得ることを意識的、あるいは無意識的
に排除していたことを教えてくれたのである。それまで物質が精神を持つこと
などあり得ないと何気なく考えていた背景には、デカルトの心身二元論
(dualism)が知らない間に染み付いていたことに思いが至ったのは哲学の領域
に入ってからである。
デカルトは、人間は精神と身体、心と脳という本質の異なる実体(substance)
から構成される存在であると考えていた。彼の言葉に従えば、空間の中に存在
する延長実体(res extansa)とそれとは重なり合わない精神を意味する思惟実体
(res cogitans)とから構成されるということになり、この主張は実体二元論
(substance dualism)と呼ばれている(Robinson, 2011)。われわれの日常感覚
ではそれほど違和感のないこの考えは、問題を解決したというよりは更に大き
な心脳問題という難題を提供することになった。その中には二つの異なる問題
が内在している。
われわれは外界から刺激を受け取った時、主観的な世界の中で何かを感じて
いる。鮮やかな黄色のひまわり畑を見た時に起る内的な変化は人によっても違
うであろうし、庭に咲く深紅のバラを見た時とも違うはずである。このような
主観的な経験の質的な特徴はクオリアと呼ばれている。クオリアに関していく
つかの問題が指摘されている。感覚器が受け取った情報が脳内で物理化学的現
象に変換され、そこからどのようにして非物質とされるクオリアが生じるのか
という問題である。デイヴィッド・チャーマーズ(David Chalmers, 1966-)は
意識の問題を神経科学の範囲で機能解析をすれば回答を得ることのできるやさ
しい問題(easy problems)と現在の神経科学では回答を出すことが難しい問題
(the hard problem)とに分けたが、クオリアの生成メカニズムは後者に属する
(Chalmers, 1995)。これが心脳問題の第一の側面になる。
一方、われわれは日常的に物を取ろうとして手を伸ばし、散策をしたいと思
って外に出ているように感じている。もしデカルトが唱えたように心がこの空
間には存在しない非物質であるとすれば、一体どのようにして心が物理的世界
にある体を動かすことになるのかという心的因果(mental causation)の問題が
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現れる(Robb & Heil, 2008)。実体二元論者はこの問題に答えなければならなく
なるのである。この難問に対して、デカルトは脳の中央に位置する一つしか存
在しない「小さな腺」である松果体が両者の相互作用の場であると主張した。
脳と心が相互作用すると考えたところから相互作用説(interactionism)と呼ば
れる。理論的に整合性を取ろうとしたデカルトの思考の道筋は理解できるが、
心を物理的実体と区別することにより、物理現象は物理学の法則だけで説明で
きるとする物理的領域の因果的閉包性(causal closure of physics)と相容れない
ことになる。20 世紀に入り、科学哲学者カール・ポッパー( Karl Popper,
1902-1994)と神経生理学者ジョン・エックルス(John Eccles, 1903–1997)が新
たに二元論を展開したが(Popper & Eccles, 1977)、物理的領域の因果的閉包性
に綻びが見つからなければこの説の立場は厳しいものになりそうである。
図2 心脳問題に対する主な考え方
二元論のヴァリエーション
デカルトの後、他の哲学者たちもこの問題に挑んでいる。例えば、ライプニ
ッツ(Gottfried Wilhelm Leibniz, 1646–1716)は、心と体は相互作用することも
因果関係を持つこともなく相互に並行して進行すると考え、 心身並行説
(parallelism)を唱えた。両者が恰も相互作用しているように見えるのは、神
による予定調和のためであるとする考え方である。また、フランスの神学者に
して哲学者のニコラ・マルブランシュ(Nicholas Malbranche, 1638–1715)はこ
の問題を次のように解釈し、機会原因論(occaisonalism)を提唱した。すなわ
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ち、神により創造された物はアリストテレス(Aristotle, 384 BC–322 BC)の言
う作用因(efficient cause)には成り得ず、単に切掛けを与えるもの(機会原因)
にしか過ぎない。真の因果関係を持ちえない精神と物質が相互作用するように
見える真の原因は神以外には考えられないとするものである。
デカルトの実体二元論に対して、この世界は実体としては一つのものから構
成されるが、そこに物理的性質と心的性質という二つの性質が備わっていると
唱える性質二元論(property dualism)がある(Robinson, 2011)。つまり、実
体としては脳があり、そこに心的な性質も備わっているとするもので、脳が機
能を止める時に心的性質もなくなると想定される点でも魂の永遠の可能性があ
る実体二元論とは異なっている。また、物質である脳は精神の原因にはなるが、
精神は物理的現象には影響を及ぼさないとする随伴現象説
(epiphenomenalism)がある(Robinson, 2011)。精神は脳の状態に随伴する副
産物のようなもので、精神には因果的な力はなくただそこにあるだけである。
そのため、精神が物理的世界に影響を及ぼさないという点で、物理的世界が因
果的に閉じているとする物理的領域の因果的閉包性には抵触しない。しかし、
日常感覚から見ると、痛みや感情がわれわれの行動に影響を与えないという説
明を受け入れることは難しいという反論がある。このわたしがわたしではなく
なるように感じるからである。
一元論から心脳問題を見る
これまで二元論を中心に心脳問題を見てきたが、ここでデカルトが分けた精
神と物質のどちらか一方がこの世界を構成すると考える一元論(monism)につ
いて検討してみたい(二元論と一元論の主なヴァリエーションは図 2 を参照の
こと)
。一つは観念論(idealism)で、物理的に見えるものは錯覚、あるいは心
で構成されたものに過ぎず、物理的な世界の存在を否定し、すべては心的なも
のであるとする立場である。現在、その支持者は少ないように見受けられる。
もう一つは世界は物質から構成されるとする唯物論(materialism)で、物理主
義 ( Stoljar, 2009 )、 行 動 主 義 ( behaviorism )( Graham, 2010 )、 機 能 主 義
(functionalism)
(Levin, 2009)、心脳同一説(mind-brain identity theory)
(Smart,
2007)をはじめとして多くの主張が出されている。それから観念論、唯物論の
他に、この世界を構成するものは物質でも精神でもない中性的な性質を持つ実
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体であるとする中性一元論(neutral monism)がある(Stubenberg, 2010)。デ
カルトの同時代人であったオランダのスピノザ(Baruch Spinoza, 1632-1677)は、
この世界には一つの実体しかなく、deus sive natura(神即自然)という言葉に表
されているように自然と神は一つの実体の別の名前であると考えていた。その
点では中性一元論の立場を採っていたことになる。ここで唱えられている中性
な実体の性質はわからないが、精神も物質もその実体に還元されるという点で
は還元主義と考えることもできる。
ここで、唯物論について検討してみたい。まず物理主義であるが、この世界
は物理学で同定されるものから成るというだけではなく、すべての出来事は物
理学の法則に依存する原因を持ち、それ以外の原因を持たないと主張するもの
で、現在多くの支持を集めているように見える(Stoljar, 2009)。この中には、還
元的物理主義(reductive physicalism)と非還元的物理主義(non-reductive
physicalism)がある。還元的物理主義は、心的状態は最終的には物理学の言葉
で説明が可能であると考えるもので、フランシス・クリック(Francis Crick,
1916–2004)の以下の言葉がその本質を雄弁に語っている。
「『あなた』、あなたの喜びや悲しみ、あなたの記憶や野心、あなたのア
イデンティティや自由意志、これらは実のところ神経細胞とそこにある
分子の膨大な集合の動きに過ぎないのです。・・・ つまり、 あなたは
ニューロンが詰まったもの以外の何物でもないのです」6
還元主義はこの世界を層構造として捉え、下位の層にある部分が上位の全体を
決定する原因になるという立場(upward/bottom-up causation)を採る。これ
は、心的状態そのものが存在せず、科学の発展とともに過去に唱えられたフロ
ギストン、エーテル、生命原理などのようにいずれは消え去るとする消去主義
(eliminativism)、あるいは消去的唯物論(eliminative materialism)と結果的
には同様の世界を描いているように見える。
これに対して、それまでは還元主義と同義に扱われていた物理主義に非還元
的物理主義が加わり、心的状態は物理的状態に依存しているが、物理的状態に
は還元されないとする考えが現れた。その後、付随性(supervenience)という
概念が出されるが、ドナルド・デイヴィッドソン(Donald Davidson, 1917–2003)
の定義によると、物理的な状態が同一の場合に心の状態が異なることはあり得
6
Crick F: The Astonishing Hypothesis: The Scientific Search for the Soul, Charles Scribner’s Sons,
New York, 1994, p. 3
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ず、物理的状態が変化することなく心的状態が変わることもあり得ないことを
意味している(McLaughlin & Bennett, 2011)。心的状態は脳の状態に依存する
が、脳は必ずしも心には依存しないことになる。
また、19 世紀イギリスに端を発する創発(emergence)という概念がある
(O’Connor & Wong, 2012)。これは、哲学者ジョン・スチュアート・ミル(John
Stuart Mill, 1806-1873)が、全体が部分の総和と一致する変化を homopathic
( mechanical)、 NaOH + HCl → NaCl + H2O に見られるような変化を
heteropathic(chemical)として区別したことに始まる。創発という言葉は使わ
れていないものの、すべての生物は部分からできているが、生命現象は物理的
な物質の作用から想定される効果とは何の類似性もないと指摘した。創発とい
う言葉を最初に使ったのは、哲学者ジョージ・ヘンリー・ルイス(George Henry
Lewes, 1817–1878)である。彼は構成要素の作用様式からその結果を追跡できる
も の と そ れ が 難 し い も の が あ る こ と を 認 め 、 前 者 を ”resultant” 、 後 者
を”emergent”と表現した。そして、チャーリー・ブロード(Charlie Dunbard
Broad, 1887-1971)に至り、創発の概念が成熟してくる。すなわち、物質がすべ
てを決めているという立場を採りながら、そこには階層性があり、各階層で下
位の層には還元できない新しい性質が現れることを創発とした。意識や心的状
態を脳の物理化学的反応からは想定できない創発と捉える見方がある。ある現
象を創発とした場合には、そのメカニズムは現在の科学では説明できないこと
を含意しているが、それは科学の進歩により消えて行く概念なのか、それとも
存在論的カテゴリーとして最後まで残るものなのだろうか。
最後に、行動主義について少しだけ触れてみたい。これは心的出来事を行動
に よ っ て 確 認 し よ う と す る 考 え 方 で 、 ジ ョ ン ・ ワ ト ソ ン ( John Watson,
1878-1958)、バラス・スキナー(Burrhus Frederic Skinner, 1904-1990)、ギルバ
ート・ライル(Gilbert Ryle, 1900–1976)などにより進められた(Graham, 2010)。
論理実証主義の影響を受けており、できるだけ科学的、客観的であろうとする
あまり、刺激を入れた時にどのような行動をとるのかについて観察・測定・記
録するという入力と出力のみに集中した解析を行い、入力と出力の間にある内
省や主観などの内的世界を一切認めない。しかし、われわれは行動には出ない
豊かな精神的生活を営んでおり、行動によってのみ心的状態を推し量るやり方
には強い抵抗を感じる。幸いなことに、現在ではこの流れは下火になっている。
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おわりに
本稿では、心脳問題について提出されている多くの考え方の中から主だった
ものを選んで検討した。一つの現象を説明するために、ここでは取り上げきれ
ないほど多彩な学説が完全には否定されず跋扈している領域は珍しいのではな
いだろうか。しかも、これだけの哲学者が発言している科学の領域も少ないか
もしれない。心脳問題や意識の領域がいまだ混沌とした状態にあることを表す
証左であり、それだけにこれからの展開から目が離せない。このような状況に
おいて、われわれはどのような方向性でこの問題と向き合えばよいのだろうか。
日常感覚から言えば二元論には捨て難いところもあるが、現状では一元論の物
理主義が主流になっている印象がある。このような背景の中、例えば、アメリ
カの哲学者ジョン・サール(John Searle, 1932-)は自らの考え方を生物学的自然
主義(biological naturalism)と名付け、この問題の解決のために次のような提
案をしている(サール, 2006)。第一に、心脳問題の元にある心的なものと物理
的なものの区別を排除し、心的なものはこの物理的世界に存在することを認め
る。第二に、意識は脳内における下位のレベルにある神経生物学的な過程によ
って誘導され、そのレベルに因果的に還元されるものとする。第三に、意識は
脳組織の性質として現実に存在する。つまり、意識は個々のニューロンにはな
いが、その上位にある組織には備わっている。第四に、意識は現実世界に存在
する性質なので因果的にも機能する。これらの提案を認めることにより二元論
とも唯物論とも決別し、他の生物現象と同じレベルで解析することができるよ
うになると主張している。
いつの日か、一つの理論を残してすべての仮説が人々の記憶から消え去るこ
とはあるのだろうか。少なくとも現段階では心脳問題は人類には解決できない
と唱えるコリン・マッギン(Colin McGinn, 1950-)らの新神秘主義(new
mysterianism)には与したくないが、解決への道は長くなりそうな予感はある
(McGinn, 1989)。われわれにできることは、これからの科学の進展を見守りな
がら新しい仮説を模索する以外になさそうである。
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文
献
1) Bickle J, Mandik P, Landreth A: The philosophy of neuroscience, The
Stanford Encyclopedia of Philosophy, ed by Zalta EN, URL =
<http://plato.stanford.edu/entries/neuroscience/>, Stanford University,
Stanford, 2010
2) Chalmers D: Facing up to the problem of consciousness, Journal of
Consciousness Studies, 2; 200-219, 1995
3) Graham G: Behaviorism, The Stanford Encyclopedia of Philosophy, ed by
Zalta EN, URL = <http://plato.stanford.edu/entries/behaviorism/>,
Stanford University, Stanford, 2010
4) Heidegger M: Was heißt Denken? In Heidegger, Vorträge und Aufsätze,
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