理事長のひとこと Vol.55 寒い夏とお寒い日本の政局∼日本が本当に

理事長のひとこと
Vol.55
寒い夏とお寒い日本の政局∼日本が本当に最初で最後の被爆国になるのか
米国と欧州連合(EU)の初の首脳会議のため、チェコの首都プラハを訪れたバラク・オバマ米国大統
領は、
「世界で唯一核兵器を使用したことのある核保有国として、米国は行動を起こす責任がある。米単
独の取り組みでは成功もおぼつかないが、指導的な役割を果たすことや行動を始めることはできる」と
発言し、「核兵器のない世界の平和と安全保障」を米国がめざす方針を示した。
この演説は現時点に於いて世界で唯一の被爆国である日本国に於いては極めて大きな意味を持つもの
と日本のメディアは報じた。果たしてこの演説は米国の総意なのか、単なるバラク・オバマ氏の個人的
見解なのか。当然、米国大統領という立場での演説である。後者はあり得ない。それでは前者はどうで
あろう。これまた、あり得ないと言わざるを得ない。
米国国民の大多数は「第 2 次世界大戦を終結させる為に、広島市、長崎市への原子爆弾投下はやむを
得ない、適切な判断であった」と考えている。そんな中での、このバラク・オバマ米国大統領の演説は
何故、このタイミングで、この様な内容で行われたのか。極めて簡単だ。北朝鮮の核開発、ミサイル問
題に何ら打つ手を示せない米国の権威失墜をカモフラージュする為の単なるパフォーマンスに過ぎない。
仮に彼が米国の安全保障上、本気で「核のない世界」を目指しているのであれば、自国から遠く離れた
プラハでこの様な演説を行うのではなく、ホワイトハウスで米国国民へ向けたメッセージとして発すべ
きであろう。もっと言うなら、原子爆弾投下の 8 月 6 日、9 日に広島市、もしくは長崎市に於いて、演
説すべきだ。
そもそも、第 2 次世界大戦という表現をでっち上げ、その最大の責任国を当時の大日本帝国だとする
見解事態に私は甚だ疑問であり、憤りすら感じる。当時の大日本帝国は決して、米英諸国に対して戦争
を仕掛けたわけではない。1937 年 7 月 7 日、北京南西部で発生した日本軍と蒋介石率いる国民革命軍
の間での軍事衝突である蘆橋溝事件に端を発した大東亜戦争を、戦勝国である連合国軍が第 2 次世界大
戦という表現にすり替えたものだ。
あくまでも当時の大日本帝国は東亜細亜を中心に大東亜新秩序設立を目指した軍事行動であった。当
時のブロック経済の構図の中、米英は大日本帝国を兵糧攻めするかのごとく、計画的に米英に対して
1941 年 12 月に宣戦布告へ誘導した。それが真珠湾攻撃である。この真珠湾攻撃も「奇襲攻撃」とさ
れ、
「日本は極めて卑怯な国だ」との世界的世論を作り上げたのは米国である。しかし、当時の大日本帝
国は宣戦布告の文書を、日本大使館を通じて、米国へ送っている。ここでとんでもないミスを当時の外
務省は犯した。本国から受電した文書を英文に打ち直すのに手間取り、結果的に真珠湾攻撃の数時間後
に米国政府に届ける結果となったのだ。大変な外交上の、歴史的ミスだ。しかも、同僚の送別会の宴に
興じていたという背景すら語られている。当然、この事情も米国も了解していた。しかし、所詮、敗戦
国となってしまえば、何も言えない。その最たるものが、東京裁判だ。当時の国際法に照らし合わせて
も、裁判の体を成さない茶番劇だ。そして、この東京裁判に於いて、
「米国の広島市、長崎市への原子爆
弾投下は無差別大量虐殺である」との日本側の弁護、主張は議事録から抹殺され、同時通訳もその部分
に限って、音声が途絶えたとされている。
1945 年 8 月 6 日午前 8 時 15 分。原子爆弾リトルボーイは、ハリー・S・トルーマン米国大統領の
命により、広島市上空から B-29 爆撃機(エノラゲイ)から投下された。その 3 日後、8 月 9 日 11 時
02 分、長崎市上空から 2 発目の原子爆弾が投下された。結果として、20 万人をゆうに超える日本国民
の命が一瞬にして、無差別的に奪われた。それから、64 年の月日を超えてなお、被爆者はその後遺症に
苦しみ続けている。
長崎県に生まれ育った私はこの 8 月を迎える度に、この原子爆弾投下に関して思いを馳せる。幼少時
は、私自身がいわゆる被爆 2 世であるという事実によるところが大きかった様に思う。しかし、最近で
は現在の日本国の在り方と自国の安全保障問題、そして、米国との軍事協調路線等の政治的な意味から
考えることが多くなった。
仮に問えるのであればバラク・オバマ米国大統領に対して、原子爆弾投下の両国間に於ける歴史的意
味と意義を問いたいものだ。そして、常に腰の引けた日本国政府にもその認識を問いたい。少なくとも
久間章生元防衛省大臣(長崎県 2 区選出)が「(原爆投下は)しょうがない」と発言する様な国であるこ
とは許し難い事実だ。
今年の夏は近年稀にみる冷夏だ。灼熱の太陽が日本の大地を照りつけることがない。そして、この冷
夏のさなかで 2009 年 8 月 30 日、第 45 回衆議院議員選挙の投開票が行われる。この国に於ける重大
な問題が山積した中で、
「政権交代」が叫ばれ、政局が話題になるが相変わらず、政策が話題になること
はない。そして、何よりも日本国民が全くもって、しらけムードだ。与野党の熱い選挙戦など関係ない
といった印象すら受けるのは私だけであろうか。仮に「政権交代」が起きたならば、自国の安全保障問
題は、対米政策は具合的にどの様に転じていくのか。米国に転がされ続ける国・日本はいい加減に終わ
りにしたいものだ。そして、米国を転がすぐらいの気概をもったリーダーシップを発揮出来る政権の実
現に近づく、第 1 歩になることを期待したい。
2009年8月1日
医療法人カメリア 理事長
長岡
和