連載 プロマネの現場から 第 77 回 サラミスの海戦とテミストクレス 蒼海

メールマガジン 2014.8.27 No.09-05
連載 プロマネの現場から
第 77 回 サラミスの海戦とテミストクレス
情報システム学会
連載 プロマネの現場から
第 77 回 サラミスの海戦とテミストクレス
蒼海憲治(大手 SI 企業・金融系プロジェクトマネージャ)
前作の映画『300(スリーハンドレッド)』の大ヒットから8年、待ちに待った新作『30
0(スリーハンドレッド) 帝国の進撃』が封切られました。紀元前480年、ギリシアに対し
て、ペルシア帝国の大軍が進撃します。その数、なんと246万。対するギリシア側は、スパル
タのレオニダス王が指揮する三百人隊。前作『300(スリーハンドレッド)』は
両者が衝突
し、ペルシアの大軍を3日間足止めしたテルモピュライの戦いを描いたものでした。『スーパー
マン』や『スパイダーマン』につながるアメコミが原作ということもあるのでしょうが、とって
も暴力的なシーンが多い作品でしたが、それが『マトリックス』を上回るCGによる画像処理が
なされていて、美しい作品となっていました。一方、
『300(スリーハンドレッド)
帝国の
進撃』は、テルモピュライの戦いの後、ペロポネソス半島はペルシア軍によってほぼ占領されま
すが、ギリシア側としても乾坤一擲の大勝負となる海上決戦が、サラミスで行われます。この時、
ペルシア側の海軍に、ハルカリナッソス出身のただ一人の女性指揮官、アルテミシアがいました。
「この女性は夫の死後自ら独裁権を握り、すでに青年期に達した息子もあり、また万止むを得ぬ
事情があったというのでもなかったのに、もって生まれた豪気勇武の気性から遠征に加わったの
であった。・・・全艦隊を通じ、シドンの船についてはアルテミシアの出した船が最も評判が高
かったし、また同盟諸国の全将領の中で最もすぐれた意見を陳べたのも彼女であった」と、『歴
史』の中で、ヘロドトスもべた褒めしています。映画では、フランス映画『ルパン』や『007
カジノロワイヤル』のヒロインを演じたエヴァ・グリーンがこのアルテミシアに扮していました。
正直、映画そのものは、前作以上のスプラッターな作品になっており、期待が大きすぎた分、感
動は得られませんでした。理由は、サラミスの海戦に先だってあったであろう、ギリシア側の様々
なポリスの立場を代表する将軍たちの喧喧囂囂の議論のシーンなど一切なかったため、平板なス
トーリーとなってしまったためでした。
ところで、この2作品が描いた、テルモピュライの戦いからサラミスの海戦へいたるギリシア
の対応の中には、とても感動的な場面がいくつも登場します。今回は、このあたりをヘロドトス
の『歴史』を通して、少し紹介したいと思います。
オリエントの統一を進めるアケメネス朝ペルシアは、前6世紀後半、小アジアのリディア王国
を滅ぼします。その後、アナトリア半島西海岸のイオニア地方のギリシア人ポリスを征服します。
前492年、ダリウス1世は、バルカン半島に第一回の遠征軍を送るが、嵐のため失敗します。
前490年、2回目の遠征軍を送ります。アッティカ地方に上陸したペルシア軍2万は、マラ
トンの地で、アテネの重装歩兵9千と対峙する。この時は、ギリシア側の奇襲戦法により、ペル
シアは敗北します。
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このマラトンの戦いで、ギリシアに対してペルシア軍が敗れた報を聞いたダリウス1世は、怒
り心頭に発したせいか、急死してしまいます。後を継いだのは、クセルクセス。このクセルクセ
ス1世、当初、父王の遺志のギリシア討ちに対して興味がありません。しかし、遠征を延ばし延
ばしにしていると、毎夜、先祖の霊より「ギリシアを討て」との恫喝が続き、ついに観念して、
前480年、3回目の遠征を行います。
クセルクセス1世自らが率い、陸海軍の大軍がギリシアに向けて、進軍します。
この時、編成された部隊の一つが、「不死部隊(アタナトイ)」。ペルシア軍の精鋭一万人によ
って成り立ちます。
「不死部隊」と呼ばれた理由は、
「隊員が死亡とか病気などの止むを得ざる事
情で欠ければ、代わりの者が選ばれて補充され、隊員の数は決して一万を越えもせず欠けもしな
かったからである」
。さすがに、隊員一人一人が「不死」というわけではありませんでした。
峡谷のテルモピュライに陣取り、ペルシア軍を迎え撃つのは、スパルタのレオニダスが跡継ぎ
のある戦士のみで編成した「三百人隊」を核とするギリシア軍4000人。
これに対するペルシア軍は、戦闘員だけで、264万1610名。他に食糧の調達などを担当
する輜重兵などを加えると、倍の528万3220名以上。
この映画の当時のギリシアの精神的背景が、プラトンの訳者、岩田靖夫さんの『ヨーロッパ思
想入門』に、わかりやすく紹介されています。
勢揃いしたペルシア軍の陣容に満足したクセスクセス1世は、スパルタからの亡命者であるデ
マラトスに対し、このペルシア軍を前にしたらスパルタを含むギリシア軍は戦う前に降参するの
ではないか、と問います。
≪デマラトスは祖国での処遇に不満をいだいてペルシアに亡命した、いわば裏切り者である。
そのような者は、クセルクセスの諮問に対して、とうぜんギリシア人の弱点を語り、ペルシア
人を賛美するはずだ。
ところが、クセルクセスの期待は外れた。
ク:はたして、ギリシア人どもが余に刃向かい、抵抗するかどうか申してみよ。
デ:ギリシアでは昔から、貧困は生まれながらの伴侶のようなもの。
しかし、私たちは知恵ときびしい法の力によって勇気を身につけました。
どれほどの大軍が攻め寄せても、彼らは1000人でも戦うでしょう。
ク:ギリシア兵の一人が二十人のペルシア兵に匹敵するというのか。
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しかし、彼らは自由を好むという話だ。わが軍のように、一人の統率下にあれば、
指揮官を恐れる心から実力以上の力も出し、鞭に脅かされて寡勢をも省みず
大軍に向かい突撃もしよう。だが、自由ならそのいずれもしないだろう。
デ:スパルタ兵は一人一人の戦いにおいても何人にもひけはとりませんが、
団結すれば世界最強の軍隊です。なぜなら、彼らは自由ですが、法という主君を戴いてい
る。
彼らが法を恐れることは、ペルシア人が大王を恐れる比ではありません。
この法の命ずるところはただ一つ。
いかなる大軍を迎えてもけっして敵に後ろをみせず、あくまで自分の持ち場に踏みとどま
り、敵を倒すか、あるいは自分が滅びよ、ということです。
このことは、人間的生の基礎としての自由の自覚と、その自由が人間の権威ではなく、
法の秩序にしたがうことによって可能になったのだ≫
と、解説されています。
このテルモピュライの戦闘の経過と結果は、映画でご覧いただきたいのですが、ペルシア軍の
大部隊を、3日間も釘づけにしたレオニダスの「三百人隊」とギリシアは、途中撤退した部隊を
除き、全滅。一方、ペルシア側も、死者二万人にのぼった、といいます。
この地に残る墓碑にはこう刻まれました。
「旅人よ、スパルタびとに伝えてよ、ここに彼らが
おきてのままに、果てしわれらの眠りてあると。
」
「三百人隊」は、死して、ポリス毎に分裂していたギリシアを一致団結させた、と言われてい
ます。
『300(スリーハンドレッド)』が活躍したテルモピュライの戦いの後、サラミスにおいて、
ペルシア対ギリシア連合軍の海上の大決戦となります。佐藤哲也さんの『サラミス』が、ヘロド
トスの『歴史』等を基に、この海戦の様子をビジュアルに描いています。
≪この海戦を、細大もらさず写し取ろうと試み、映画を凌駕する3Dの迫力を実現した、ディー
プな視覚小説とでも呼ぶべき、奇想天外な戦記≫
とあるとおり、映画のショットを思わせる場面切替え、背景描写と登場人物の議論、いきいきと
して楽しい小説になっています。
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まず戦いに先立ってのギリシア側の陣容です。
ギリシア連合軍は、
スパルタのエウリュビアデスを総指揮官に、
コリントスのアデイマントス、
アイギナのポリュクリトス、
そして、アテナイのテミストクレスら、
20の国家とその指揮官による合議制でした。
決して、映画のように、テミストクレスが指揮官として全権を握っているわけではありません。
どの作戦を採用するか、いつ行うか、誰が何をするか、等々、すべての意思決定の際は、20
人の将軍たちが、侃侃諤諤の議論そして票決が繰り返されます。
小田原評定ではないですが、たとえ、目前にペルシアの大艦隊が勢揃いしつつあったとしても、
そのルールは変わりません。
みな一家言あるのですが、やはり出色なのは、テミストクレスでした。
海戦に先立っての訓示ですが、どれもとても素晴らしい。
まず海戦決定にあたっては、
「・・・我々は全員が一丸となってギリシアの自由のために戦うが、
敵はいずれもペルシアの王に隷属する者たちだ。
仮に勝利を得ることがあっても、その勝利から自由を得ることは決してない。
自由を賭して戦う者は強い。
しかし、隷属して戦う者が、同じ強さを発揮することはできないのだ。・・」
そして、戦闘直前での名演説・・・
「アテナイ勢の諸君。
我々がいまここで何を選択すべきなのか、それを決めるのはわたしではない。
諸君の一人ひとりが決めることだ。
・・
そしてこれが肝心なことだが、諸君が戦いの帰趨を定めると同時に、
戦いの帰趨によって諸君が何者であるかも定められるということだ。
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それはいったい何者であるのか。
世の中には困難を前にして立ちすくむ者がいる一方、
困難に挑んで闘志を燃やす者がいる。
疲れ果てて逆境にあって悲嘆に暮れる者がいれば、
そこから這い上がろうと死力を尽す者がいる。・・・
苦難を前に勇気を示した者は、立派な者として讃えられることになるだろう。
だが惰弱に走って持ち場を放棄した者は、役立たずとして蔑まれることになるだろう。
これは、この場に限った話ではない。
そのときに何者であったかが、その後に何者として見られるかを定めることになるからだ。
強い者と見られるか、弱い者と見られるか、
有用な者と見られるか、無用の者と見られるか。
勝者となって栄誉を掴むか、敗者となって恥辱を浴びるか。・・・
アテナイ勢の兵士諸君、諸君がよいと思うほうを選べ」
・・・
「選べ」と言われても、結論ははなから決まってる、と思います。
でも、
「そのときに何者であったかが、その後に何者として見られるかを定めることになるか
らだ。
」
蓋し、名言です。
プロジェクトにおいても、評論家は無用。
「ああすれば良かった」とか、
「だからあの時、ああ
言ったのに」という言い訳を許してはなりません。だったら、そうなるようにどう行・言動した
のか、ということを、常に問われているのだと思います。
<参考図書>
ヘロドトス『歴史 下』(岩波文庫) 松平千秋:翻訳 1972年刊
岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』 (岩波ジュニア新書)2003年刊
佐藤哲也『サラミス』(早川書房)2005年刊
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