清水瑠沙香 - Accenture


採用案内
Spotlight on アルムナイ
各方面で活躍中のアルムナイの今、そしてその想いにスポットを
当てて配信しています。自薦他薦を問わず、ご登場いただける方
をぜひご紹介ください。
概要
歌でつながり合う喜びを感じたい。
元コンサル女性シンガーの軌跡
花乃ルサカ
シンガー 清水瑠沙香
「アクセンチュアでコンサルをしていました」。経歴を話すと、みな驚いた顔をする。
でも、音楽もコンサルティングも、根っこは変わらない。誰かの役に立っていると感じ
る、その瞬間が嬉しくて、歌にも仕事にも取り組んできた。(2014年7月取材)
月曜夜の下北沢。照明を暗めに落とした会場に、透き通った力強い歌声が響き渡る。
Hello 最初で最後の 今日
Good luck 最初で最後の 人生に
曲調が変わり、一点アップテンポな曲に。晴れやかな表情で、のびのびと歌い上げるの
は女性2人組ユニット「花乃ルサカ」でボーカル・バイオリンを担当する清水瑠沙香さ
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
は女性2人組ユニット「花乃ルサカ」でボーカル・バイオリンを担当する清水瑠沙香さ
ん。曲間のMCで彼女は語る。
「会社員時代はこれくらいの時間になると『後半戦が始まったなぁ』という感覚でした
(笑)」
「これでも朝の9時には出勤していたんですよ」
ちょうど10年前となる2004年まで、アクセンチュアでコンサルタントとして働いてい
た清水さん。入社半年ほど経った頃から「仕事がツラい」と感じたときに、夜な夜な曲
作りに没頭した。
音楽はいつも常にそばにいてくれた。様々な感情を昇華させるツールだった。
田中花乃さんと出会い、人生を大きく“車線変更”した清水さん。
生きる武器になった歌との出会い
幼い頃から両親の意向でバイオリンを習ったり、自らの意思でピアノのレッスンへ通っ
たりと、暮らしの中にはいつも音楽があった。「最初はバイオリンの練習が面倒くさく
てたまらなかった(笑)。『楽しいな』と感じ始めたのは小学校高学年のとき。受験勉
強の気晴らしに弾いていました」と振り返る。
結局中学受験はせず、商社マンだった父の転勤と同時に中高時代をポーランドで過ごす
ことになる。ショパンを生んだ国。音楽的に豊かで、若者でも気軽にクラシックやオペ
ラを楽しむ土壌があった。次第に清水さんはオペラにハマり「いつかはオペラ歌手にな
りたい」と夢見て、楽器に加えて歌も習い始めた。
思うように英語を話せず、なかなかなじめなかったアメリカンスクール。クラスメート
と上手くコミュニケーションを取れず、家では毎日のように悔し涙を流した。そんな生
活のなかで、歌や楽器を披露する時だけは、存在意義を感じた。生きる武器を手にした
気分だった。
つらい時期を乗り越えて、言葉を不自由なく使えるようになると、学校に通うのも楽し
くなってきた。高校時代にはオーディションに合格したメンバーで構成された合唱団に
所属。各国で仲間たちと一緒に歌い、歌で人とつながり合える喜びを感じたという。
帰国後は慶応義塾大学に入学。アカペラサークルの歌声を聴いて鳥肌が立った。「今思
い出してもプロ並みに上手い集団だった」と話す。すぐに入部して歌にのめり込んだ。
しかし母からの「国立大学も受けてみたら」との勧めで、受験した東京大学に移ること
が決まった。
東大にはアカペラサークルはなかったが、「ないなら自分が作ればいい」と1年次でメン
バーのスカウトを始め、2年次でサークルを発足させた。現在でもそのアカペラサークル
は存続している。高校から大学にかけて“歌うこと”と関わり続けた体験が、今の清水さ
んの土台を形成している。
扇子でバイオリンを弾く清水さん
コンサルからシンガーへ 歌うために何でもした
“その瞬間の気持ち”を大事にしたい。これは今も昔も変わらない。中々仕事が軌道に乗
らず、苦しい時期に作った曲は、当時の気持ちをリアルタイムで反映した暗めなものが
多い。
深夜1時、2時に帰宅する。頭が疲れ切っていて、すぐにでもベッドにもぐりこみたい衝
動にかられる。でも、ちょっとでも歌って、ピアノを弾かないと寝たくない。歌ってな
いと変になってしまう。バリバリ働くことに関して矛盾を感じていたわけではない。で
も、歌のない人生はやっぱりつまらないー。
数曲作ってはMDに録音していると、どんどん曲数が増えていった。自宅の録音は音質が
良いとは言えなかったが、そんな折、現在の相方・田中花乃さん(作詞作詞家・ピアニ
スト)に出会い、「うちで録音してみる?」と誘われた。田中さんの自宅へ行って、ノ
イズのない状態で曲を録音した。その半年後となる2003年夏、仕事の残業中に清水さん
の携帯が鳴った。
「一緒に組んで活動しない?」
田中さんからの1本の電話が運命を変え始める。平日はアクセンチュアの製造・流通本部
でコンサルタントとして働きつつ、週末に田中さんの自宅へ通い、月1曲のペースで曲作
りに励んだ。そのときに「瑠沙香ちゃんにMDをもらってから、ずっと何かが心にひっか
かっていたの。ようやく“その声なんだ”と気づいた」と田中さんは想いを打ち明けてく
れた。
今度はひとりではなく、ふたりで作った音源。知人経由で音楽事務所に渡してもらう
と、うちに所属しないかと打診を受けた。仕事では当時参加していたプロジェクトに面
白さややり甲斐を感じていたものの、辞めることを決意。上司も「そんなチャンスを掴
んだなら辞めた方が良いに決まっている。この会社に残るんだったらまず俺が反対す
る」 と背中を押してくれた。
ようやくスタートした歌手人生。所属事務所も決まり、順風満帆に走り出したように見
えたが、音楽性の違いから事務所を退社することになった。「『メンバーを増やして
は』『もっと簡単な歌詞にしては』など指示される度に、自分たちが自由に活動できる
環境で挑戦したいと思った」と振り返る。
事務所を離れフリーになると言うことは、完全なる自由を手に入れる代わりに、大がか
りな宣伝活動を行うのは金銭的に厳しい。当然、音楽活動だけではやっていけないとき
もあった。
翻訳、船上やバーでの演奏など、様々なアルバイトをしたことも。「当時、最低限食べ
ていくために稼ぐくらいなら、なんとでもなるんだなと感じました」と笑い飛ばす清水
さん。
「『船内のレストランで演奏してね』とオーダーされていたのですが、なぜか個室を何
部屋も回って演奏することに(笑)。初めての経験でしたがプロですから、慣れたフリ
をするしかありません。演じ切ることの大切さを実感しました」。
清水さんはこれを「はったり力(りょく)」だと語る。「アクセンチュア時代、まだよ
く知らない業界のことを必死に勉強して、さも昔から知っていたかのように振る舞わな
くてはいけない、というシーンは多々ありました。ボーカリストになってからも、意外
と同じ力が必要でした」。
この他にも、アクセンチュア時代に得たことは少なくない。当時からずっと「相手の役
に立てた瞬間に感じる幸せ」を大切にしている。当時はITのシステムそのものに対し、
あまり興味を持てなかった。
「作っている最中はひたすらツラいんです(笑)。でも後々、お客さまから感謝の言葉
を頂くと、達成感に包まれるんです。どんな仕事でもそういった瞬間を大事にしていき
たい、と今も感じています」
人生の酸いも甘いも 歌に込めて
要所要所でアクセンチュアには助けられている。まだ活動が軌道
に乗らない頃から、アルムナイの人たちはメーリングリストなど
で告知に協力、何人もがライブに駆けつけてくれた。シンガポー
ルのラジオ出演もつないでくれた。元社長で現国際大学副理事長
の森正勝さんが来場したこともある。
バーで歌を披露しているとき、絡んできた酔客に、「もともとは
アクセンチュアにいたんです」というと、「そうなんですか!ど
うしてこんなところで苦労されているんですか!?」と急に態度
が変わり、救われたこともある。そして何より。アクセンチュア
で経験した働く女性としてのリアルな辛さや達成感がすべて、今
の歌詞に生きている。
プロになって今年で10年目。その過程で曲作りのスタイルが確立
した。昔からふたりで曲作りをしていることは変わらないが、
2008年頃から意識するようになったのはストーリー性を持った
音楽作り。アルバムを聞くと全体が大きなストーリーになってい
る。
最新アルバムの『eleven』には、相方と出会って10年目の今、
11年目に向かって進んでいこうとする前向きな気持ちが込められ
ている。収録曲のうち最も長い「ガラシャ」は明智光秀の三女・
細川ガラシャの、自らの信念を貫く姿勢に惹かれて作った。大
テーマについて話し合いながら、4年に1度ペースでアルバムを出
す。
そんなふたりが一番大事にしているのはライブ。「私たちのコア
になるのがライブ。これだけは削れません。実際に感触を感じら
れる貴重な場。これからもずっと、『今、そのとき』を大事に活
動していきたい」。
■花乃ルサカ情報
歌声を聴いてみたい方はこちら。最新アルバム『eleven』の
Preview。
■オフィシャルHP
http://www.hananorusaka.com
■楽曲はiTunesで購入できる
https://itunes.apple.com/jp/album/xiaosingle/id277125481
■CDやグッズはオンラインショップで購入可能
http://hanarusa.shop-pro.jp/