財産分与に対する課税

保健医療経営大学紀要 № 6 51 ~ 56(2014)
<研究ノート(Research…Note)>
財産分与に対する課税
丹羽 崇之
Ⅰ はじめに
責不法の行為があったことを要件とするものではない。しか
離婚の際になされる財産分与、あるいは慰謝料としてなさ
るに離婚の場合における慰謝料請求権は、相手方の有責不法
れる財産の移転は、分与を受ける者には課税されない。しか
な行為によって離婚の已むなきに至ったことにつき、相手方
し、分与者に対しては、資産の譲渡に該当し、譲渡課税の対
に対して損害賠償を請求することを目的とするものであるか
象とされる(最判昭和 50 年 5 月 27 日、所得税基本通達 33-1
ら、財産分与請求権とはその本質を異にすると共に、必ずし
の 4、38-6)。このような取扱いは、「法律専門家の間におい
も所論のように身体・自由・名誉を害された場合のみに慰謝
ても賛否の結論が分かれており、少なくとも通常の一般人に
料を請求し得るものと限局して解釈しなければならないもの
とっては、財産分与者に譲渡所得が発生するとの理解は必ず
ではない。」「されば、権利者は両請求権のいずれかを選択し
しも容易でないといわざるを得ない。」(東京高判平成 3 年 3
て行使することもできると解すべきである。ただ、両請求権
月 14 日)、法理論的に不合理であり、税法学的に誤りである
は互いに密接な関係にあり、財産分与の額及び方法を定める
とか、離婚給付の重大な障害となっている等と批判される 。
には、一切の事情を考慮することを要するのであるから、そ
そこで、離婚給付についての税負担によって、家族間の問題
の事情のなかには慰謝料支払義務の発生原因たる事情も当然
にどのような影響が生じるか、検討したい 。
に斟酌されるべきものであることは言うまでもない。
」とし
1
2
た。
Ⅱ 離婚給付の性質
また、
〔2〕最判昭和 46 年 7 月 13 日民集 25 巻 5 号 805 頁は、
1 離婚給付
離婚判決により、長女の親権者、監護者を夫に、妻には整理
夫婦が離婚して共同生活を解消する際には、財産関係の清
タンス 1 棹、
水屋 1 個の家財の財産分与がなされたが、その後、
算などの離婚給付が問題になる。民法 768 条 1 項は、協議上
実子すら引き取ることができず、離婚の已むなきに至ったと
の離婚をした者の一方は相手方に対して財産分与を請求する
して、慰謝料が請求された事案である。判決は、
「離婚にお
ことができると定めている。この規定は、裁判上の離婚の場
ける財産分与の制度は、夫婦が婚姻中に有していた実質上共
合に準用されるから(民法 771 条)、協議による離婚と裁判
同の財産を清算分配し、かつ、離婚後における一方の当事者
上の離婚とを問わず、財産分与は、離婚によって当然生じる
の生計の維持をはかることを目的とするものであって、分与
請求権である 。
を請求するにあたりその相手方たる当事者が離婚につき有責
財産分与の中に、(1) 清算的要素、(2) 扶養的要素が含まれ、
の者であることを必要とはしないから、財産分与の請求権は、
このうち清算的要素が中核をなすことについては、学説・裁
相手方の有責な行為によって離婚をやむなくされた精神的苦
判例に異論がない。そのほか、(3) 慰謝料的要素が含まれる
痛を被ったことに対する慰藉料の請求権とは、その性質を必
慰謝料は、
かどうかについては、見解が分かれている4。また、
ずしも同じくするものではない。したがって、すでに財産分
本来精神的苦痛を被ったことに対する損害の賠償であり(民
与がなされたからといって、その後不法行為を理由として別
法 709 条、710 条)、財産分与とは請求権が異なる。
途慰藉料を請求することは妨げられないというべきである。
」
3
「財産分与がなされても、それが損害賠償の要素を含めた趣
2 財産分与請求権と慰謝料請求権の関係
旨とは解せられないか、そうでないとしても、その額および
財産分与請求権と慰謝料請求権の関係については、最高裁
方法において、請求者の精神的苦痛を慰藉するには足りない
に二つの判例がある 5。このうち、〔1〕最判昭和 31 年 2 月
と認められないものであるときには、すでに財産分与を得た
21 日民集 10 巻 2 号 124 頁は、夫からの離婚請求に対して妻
という一事によって慰藉料請求権がすべて消滅するものでは
が反訴として離婚を請求するとともに慰謝料のみを請求した
なく、別個に不法行為を理由として離婚による慰藉料を請求
事案である。
することを妨げられないものと解するのが相当である。
」と
判決は、「離婚の場合に離婚した者の一方が相手方に対し
した。
て有する財産分与請求権は、必ずしも相手方に離婚につき有
この二つの最高裁判決により、判例上の財産分与請求権と
―…51…―
丹 羽 崇 之
慰謝料請求権の関係が一応明らかにされた。すなわち、①財
るかという問題につき、最高裁は、譲渡所得税が課されると
産分与と慰謝料は性質を異にするから、別々に請求すること
判示した 11。
ができる。②財産分与請求がなされた後、慰謝料請求がなさ
〔4〕 最 判 昭 和 50 年 5 月 27 日 民 集 29 巻 5 号 641 頁・ 判 時
れた場合に、財産分与の中に離婚そのものによる慰謝料を含
780 号 37 頁
めて決定されているときは、重ねて慰謝料の請求は認められ
Xは、妻Aとの間に長女Bをもうけたが、昭和 42 年 5 月
ないが、そうでない限り、離婚そのものによる慰謝料は認め
に調停離婚が成立し、調書に以下の内容を記載した。
られることになる6。
(1) Bの親権者をAと定め、同人において監護養育すること。
なお、
〔3〕最判平成 12 年 3 月 10 日民集 54 巻 3 号 1040 頁は、
(2) XはAに対し本件離婚にもとづく慰謝料として本件不動
「内縁の夫婦について、離別による内縁解消の場合に民法の
産と電話加入権を譲渡し、かつ、現金 1,450 万円を支払うこ
財産分与の規定を類推適用することは、準婚的法律関係の保
ととし、その履行方法は本件不動産については抵当権を抹消
護に適するものとしてその合理性を承認し得る」として、内
の上昭和 42 年 5 月 20 日限り所有権移転登記手続をすること、
縁関係の解消の場合にも財産分与を肯定している。
現金 1,450 万円については内金 250 万円は調停成立の日に授
受を了し、残金 1,200 万円は昭和 42 年 5 月から昭和 52 年 4
Ⅲ 慰謝料と課税
月まで毎月金 10 万円を各月の末日限り支払うこと、右電話
離婚に際し支払われる慰謝料について、所得税法は、「損
加入権については速やかに名義変更手続をすること。
害保険契約の基づき支払を受ける保険金及び損害賠償金(こ
(3) XはAに対し長女Bの養育料として昭和 42 年 5 月から昭
れらに類するものを含む。)で、心身に加えられた損害に基
和 52 年 4 月まで毎月金 3 万円を各月の末日限り支払うこと。
因した取得するものその他政令で定めるもの」を非課税とし
これに対し所轄税務署長Yは、本件不動産の移動によって
(9 条 1 項 16 号)、また、所得税法施行令 30 条 3 号は、「個
Xに譲渡所得が生じたとして、昭和 42 年分の所得税につい
人が心身又は資産に加えられた損害につき支払を受ける相当
て、増額更正処分を行った。Xはこれを不服として、不服申
の見舞金」を非課税とする。「相当の見舞金」とは、相手方
立手続を経て、本件訴訟を提起した。
との話し合いや裁判での係争を経て一般的に妥当であると判
「ところで、夫婦が離婚したときは、その一方は、他方に対
断される金額をいう7。したがって、慰謝料には所得税は課
し、財産分与を請求することができる(民法 768 条・771 条)。
されないことになる。
この財産分与の権利義務の内容は、当事者の協議、家庭裁判
慰謝料は、金銭により賠償されるが(民法 722 条 1 項)
、
所の調停若しくは審判又は地方裁判所の判決をまって具体的
金銭に代えて不動産などの所有権を移転したとき、すなわち、
に確定されるが、右権利義務そのものは、離婚の成立によっ
代物弁済の場合には、財産分与と同様に譲渡所得税が課税さ
て発生し、実体的権利義務として存在するに至り、右当事者
れることになる 。
の協議等は、単にその内容を具体的に確定するものであるに
8
すぎない。そして、財産分与に関し右当事者の協議等が行わ
Ⅳ 財産分与と課税
れてその内容が具体的に確定され、これに従い金銭の支払
1 分与された側に対する課税
い、不動産の譲渡等の分与が完了すれば、右財産分与の義務
国税庁通達は、離婚による財産分与請求権に基づき分与さ
は消滅するが、この分与義務の消滅は、それ自体一つの経済
れる財産は、贈与によって取得した財産にはならないとして
的利益ということができる。したがって、財産分与として不
いて、贈与税の対象とされない(相続税基本通達 9-8)9。
動産等の資産を譲渡した場合、分与者は、これによって、分
しかし、その分与に係る財産の額が婚姻中の夫婦の協力に
与義務の消滅という経済的利益を享受したものというべきで
よって得た財産の額その他一切の事情を考慮してもなお過当
ある。
」
であると認められる場合は、その過当部分、離婚を手段とし
最高裁は、不動産の分与により財産分与義務が消滅するの
て贈与若しくは相続税のほ脱を図ると認められる場合におけ
であるから、分与義務相当の対価を受け取ったといえるので
る当該離婚により取得した財産の価額は、贈与によって取得
あり、譲渡所得が発生するとした。
した財産とされる(相続税基本通達 9-8 但書)
。
これを受けて、国税庁通達は、分与時においてその時の価
また、財産分与によって取得した不動産をすぐに譲渡した
額で分与者側に所得税を課税することを明らかにするにい
場合は、時価で取得したことになり、それを時価で譲渡して
たった(所得税基本通達 33-1 の 4、38-6)
。
いるため、通常は譲渡益は生じないとされる 。
この判決に対しては、実務上・学説上の批判も多かったが
10
12
2 分与した側に対する課税
、その後の最高裁判決も、財産分与としての資産の譲渡が、
譲渡所得課税の対象となることを肯認した。
財産分与として、金銭を分与した場合には、課税の問題は
生じない。不動産を分与した場合に、分与した側に課税され
〔5〕最判昭和 53 年 2 月 16 日判時 885 号 113 頁
X女とA男は、調停離婚が成立し、財産分与について、次
―…52…―
財産分与に対する課税
の調停条項を定めた。
によって顕在化し、実現したときに課税される(最判昭和
(1) Xは甲建物が当初からAの所有物であることを確認する。
47 年 12 月 26 日民集 26 巻 10 号 2083 頁)。「資産」とは経済
(2) AはXに対し慰謝料として金 600 万円の支払義務を認め
的価値のあるものすべてをいうが、譲渡性のあるものでなけ
る。
ればならず、
一身専属的な権利はこれにあたらない。また、
「譲
(3) 財産分与としてXはAに対して不動産(本件土地建物)
渡」とは、所有権その他の権利を移転させることをいう 14。
を譲渡する。
前記最高裁判決〔4〕は、財産分与が資産の譲渡にあたる
Xは調停の履行として本件不動産を譲渡したが、これを申
としたが、資産の譲渡による所得かどうかが問題であるにも
告の対象としないで確定申告をしたところ、Y税務署長は、
かかわらず、経済的利益の有無のみを判断している 15。
本件不動産の譲渡は所得税法 33 条 1 項にいう資産の譲渡に
その後、財産分与契約の際に、分与者側に譲渡所得課税が
あたり、Xに譲渡所得が発生しているとして、Xの所得税に
行われることを知らなかった場合に、分与者側の錯誤の主張
ついて更正処分及び過少申告加算税賦課を決定した。そこ
で、Xは、(1) 本件不動産は、XとAの共有財産であったも
が認められた事案があらわれた。
〔6〕最判平成元年 9 月 14 日判時 1336 号 93 頁・判タ 718 号
のであり、本件財産分与は共有財産の分割にほかならないか
75 頁
ら、
「資産の譲渡」にあたらない。(2) 財産分与としてされた
Xは、昭和 37 年Yと婚姻し、二男一女をもうけ、本件建
資産の譲渡を譲渡所得課税の対象とすることは、租税負担公
物に居住していたが、勤務先銀行の部下女子職員Aと関係を
平の原則に反し、また、憲法 24 条 2 項に違反する等と主張し、
生じたことなどから、Yが離婚を決意し、昭和 59 年Xにそ
更正処分及び過少申告加算税賦課決定の取消を求めた。
の旨申し入れた。Xは、職業上の身分の喪失を懸念して申入
一、二審は、(1) 本件不動産は名実ともにXの特有財産で
れに応ずることとしたが、Yは、本件建物に残って子供を育
あると認められるから、財産分与としてされた本件不動産の
てたいとの離婚条件を提示した。そこで、Xは、Aと婚姻し
譲渡は「資産の譲渡」にあたる。(2) 財産分与としてされた
て裸一貫から出直すことを決意し、Yの意向にそう趣旨で、
資産の譲渡を譲渡所得課税の対象としても、租税負担公平の
いずれも自己の特有財産に属する本件建物、その敷地である
原則に反しないし、憲法 24 条 2 項にも違反しないとして、
土地及び土地上建物(時価 8 億円相当。以下、これらを併せ
Xの請求を棄却した。
て「本件不動産」という。)全部を財産分与としてYに譲渡
最高裁も、次のように判示して、Xの上告を棄却した。
「夫
する旨約し(以下「本件財産分与契約」という。
)
、その旨記
婦の一方が婚姻中自己の名で得た財産はその特有財産とする
載した離婚協議書及び離婚届に署名捺印して、その届出手続
と定める民法 762 条 1 項が憲法 24 条に違反するものでない
及び右財産分与に伴う登記手続をYに委任した。
ことは、当裁判所の判例(最高裁昭和 34 年(オ)第 1193 号
Yは、委任に基づき、昭和 59 年離婚の届出をするとともに、
同 36 年 9 月 6 日大法廷判決・民集 15 巻 8 号 2047 頁)とす
本件不動産につき財産分与を原因とする所有権移転登記を経
るところである。そうして、本件不動産が名実ともに上告人
由し、Xは、その後本件不動産から退去してAと婚姻し一男
の所有に属するもので、その特有財産であつたとする原審の
をもうけた。
認定判断は、原判決の挙示する証拠関係及びその説示に照ら
本件財産分与契約の際、Xは、財産分与を受けるYに課税
し、正当として是認することができる。」 されることを心配してこれを気遣う発言をしたが、Xに課税
「所得税法 33 条 1 項にいう「資産の譲渡」とは有償無償を問
されることは話題にならなかったところ、離婚後、Xが自己
わず資産を移転させるいつさいの行為をいうものであり、夫
に課税されることを上司の指摘によって初めて知り、税理士
婦の一方の特有財産である資産を財産分与として他方に譲渡
の試算によりその額が 2 億 2224 万余円であることが判明し
することが右「資産の譲渡」にあたり、譲渡所得を生ずるも
た。
のであることは、当裁判所の判例(最高裁昭和 47 年(行ツ)
Xは、本件財産分与契約の際、これより自己に譲渡所得税
第 4 号同 50 年 5 月 27 日第三小法廷判決・民集 29 巻 5 号 641 頁)
が課されないことを合意の動機として表示したものであり、
とするところである。これと同旨の原審の判断は正当であり、
2 億円を超える課税がされることを知っていたならばその意
原判決に所論の違法はない。」
思表示はしなかったから、本件財産分与契約は要素の錯誤に
前記最高裁判決〔4〕を受けた本件により、財産分与とし
より無効である旨主張し、Yに対して、本件不動産のうち、
て不動産が分与された場合に、譲渡所得の対象となることが、
本件建物につき所有権移転登記の抹消登記手続を求めた。
判例として定着することになった 。
これに対してYは、仮に要素の錯誤があったとしても、X
13
の職業、経験、右契約後の経緯等からすれば重大な過失があ
3 財産分与と譲渡所得
る旨主張した。
譲渡所得は、資産の譲渡による所得(所得税法 33 条)で
一審・東京地判昭和 62 年 7 月 27 日は、錯誤の主張を認め
あり、資産の値上り益(capital… gains)が、その資産の譲渡
ず、原審東京高判昭和 62 年 12 月 23 日判時 1265 号 83 頁も、
―…53…―
丹 羽 崇 之
前記の事実関係に基づいて次のような判断を示してXの控訴
産分与に伴う課税の点を重視していたのみならず、他に特段
を棄却した。
の事情がない限り、自己に課税されないことを当然の前提と
「1 離婚に伴う財産分与として夫婦の一方が他方に対して
し、かつ、その旨を黙示的には表示していたものといわざる
する不動産の譲渡が譲渡所得税の対象となることは判例上確
をえない。そして、前示のとおり、本件財産分与契約の目的
定した解釈であるところ、分与者が、分与に伴い自己に課税
物はXらが居住していた本件建物を含む本件不動産の全部で
されることを知らなかったため、財産分与契約において課税
あり、これに伴う課税も極めて高額にのぼるから、Xとすれ
につき特段の配慮をせず、その負担についての条項を設けな
ば、前示の錯誤がなければ本件財産分与契約の意思表示をし
かったからといって、かかる法律上当然の負担を予期しな
なかったものと認める余地が十分にあるというべきである。
かったことを理由に要素の錯誤を肯定することは相当でな
Xに課税されることが両者間で話題にならなかったとの事実
い。
も、Xに課税されないことが明示的には表示されなかったと
2 本件において、Xが本件不動産を分与した場合に前記の
の趣旨に解されるにとどまり、直ちに右判断の妨げになるも
ように高額の租税債務の負担があることをあらかじめ知って
のではない。
」
いたならば、本件財産分与契約とは異なる内容の財産分与契
最高裁は、Xの上告をいれて原判決を破棄し、
「要素の錯
約をしたこともあり得たと推測されるが、右課税の点につい
誤の成否、Xの重大な過失の有無等について更に審理を尽く
ては、Xの動機に錯誤があるに過ぎず、Xに対する課税の有
させる必要がある」として、原審に差し戻した。
無は当事者間においては全く話題にならなかったのであっ
〔差戻審〕東京高判平成 3 年 3 月 14 日判時 1387 号 62 頁
て、右課税のないことが契約成立の前提とされ、Xにおいて
「<中略>本件財産分与契約によりXに約 2 億円の課税がさ
これを合意の動機として表示したものとはえいなから、Xの
れることになったが、本件土地建物全部を財産分与した後の
錯誤の主張は失当である」。
Xの収入は勤務先から受け取る給与のみであって、右高額の
Xの上告に対し、最高裁は次のように判示した。
税金を支払うことはできないから、このような課税を受ける
「意思表示の動機の錯誤が法律行為の要素の錯誤としてその
のであれば、本件財産分与契約をしなかったであろうと認
無効をきたすためには、その動機が相手方に表示されて法律
められる。以上によると、Xの本件財産分与の意思表示に
行為の内容となり、もし錯誤がなかったならば表意者がその
は、これによりXが前記の課税を受けることに関して、要素
意思表示をしなかったであろうと認められる場合であること
の錯誤があったものといわざるを得ない。<中略>財産分与
を要するところ(最高裁昭和 27 年(オ)第 938 号同 29 年
について分与者に譲渡所得税が課されることは課税実務の取
11 月 26 日第二小法廷判決・民集 8 巻 11 号 208 頁、昭和 44
扱いであり、昭和 50 年 5 月 27 日の最高裁判所第三小法廷判
年(オ)第 829 号同 45 年 5 月 29 日第二小法廷判決・裁判集
決以来同裁判所の判例とするところであるが、法律専門家の
民事 99 号 273 頁参照)、右動機が黙示的に表示されていると
間においても賛否の結論が分かれており、少なくとも通常の
きであっても、これが法律行為の内容となることを妨げるも
一般人にとっては、財産分与者に譲渡所得が発生するとの理
のではない。
解は必ずしも容易でないといわざるを得ない。<証拠略>に
本件についてこれをみると、所得税法 33 条 1 項にいう「資
よると、銀行員を対象とした税務研修や検定等のために発行
産の譲渡」とは、有償無償を問わず資産を移転させる一切の
されている教材又は解説資料の中には、財産分与についての
行為をいうものであり、夫婦の一方の特有財産である資産を
右課税実務の取扱いに触れているもののあることが認められ
財産分与として他方に譲渡することが右「資産の譲渡」に当
るが、Xが本件離婚問題の発生前にこれらの教材又は資料等
たり、譲渡所得を生ずるものであることは、当裁判所の判例
に接して、一般的知識として右の点を理解していたこと又は
(最高裁昭和 47 年(行ツ)第 4 号同 50 年 5 月 27 日第三小
当然かつ容易にこれを理解し得たことを認めるべき証拠はな
法廷判決・民集 29 巻 5 号 641 頁、昭和 51 年(行ツ)第 27
い。これらのことを考慮すれば、Xが銀行員であったとの事
号同 53 年 2 月 16 日第一小法廷判決・裁判集民事 123 号 71
実から、本件財産分与により自己に課税されないと信じたこ
頁)とするところであり、離婚に伴う財産分与として夫婦の
とについて重大な過失があったと認めることはできない。次
一方がその特有財産である不動産を他方に譲渡した場合に
に、Yは、Xが離婚の申入れを受けてから本件財産分与契約
は、分与者に譲渡所得を生じたものとして課税されることと
を締結するまでの間に、財産分与をめぐる課税問題を自ら調
なる。したがって、前示事実関係からすると、本件財産分与
査、検討するなり、専門家に相談するなりしなかったのは重
契約の際、少なくともXにおいて右の点を誤解していたもの
大な過失である旨主張する。しかし、前記認定のように、X
というほかはないが、Xは、その際、財産分与を受けるYに
は、突然離婚の申入れを受け、数日間家にこもって考え続け
課税されることを心配してこれを気遣う発言をしたというの
た上でこれに応ずる気になり、すぐに本件財産分与を承諾し
であり、記録によれば、Yも、自己に課税されるものと理解
たものであって、このような経過に照らせば、右数日の間に
していたことが窺われる。そうとすれば、Xにおいて、右財
Xが財産分与に関する課税問題についてまで自ら調査し又は
―…54…―
財産分与に対する課税
専門家に相談しなかったことをもって重大な過失とみること
分与としての形式が備わっていれば、財産分与としての性格
は相当でない。」
を否定するのは難しい 20。
民法 95 条は、法律行為の要素に錯誤があったときは、そ
の法律行為は無効であると定める。「法律行為の要素」とは、
Ⅴ 離婚後の養育費と課税
意思表示の内容の中で重要な部分のこととされる 16。本判決
離婚後に、元配偶者や子どもに対して養育費等を支出した
は、課税に関する錯誤は、動機の錯誤であるしたうえで、動
場合にどのように扱われるか。相続税法は、
「扶養義務者相
機の錯誤が法律行為の要素の錯誤として無効をきたすために
互間において生活費又は教育費に充てるためにした贈与によ
は、動機が明示または黙示に表示されて法律行為の内容とさ
り取得した財産のうち通常必要と認められるもの」の財産の
れることを要する、としてXの課税上に関する動機が明示的
価額は、贈与税の課税価格に算入しない、と定める(21 条
には表示されなかったものの、黙示的に表示されていて、本
の 3 第 2 号)。また、所得税法は、「学資に充てるため給付さ
件財産分与契約が、法律行為の要素の錯誤にあたる、として
れる金品(給与その他対価の性質を有するものを除く。
)及
無効の主張を認めた。
び扶養義務者相互間において扶養義務を履行するため給付さ
課税上の負担についての錯誤は、税法に関する錯誤である。
れる金品」を非課税としている(9 条 15 号)
。
これについては、「租税法は、種々の経済活動ないし経済現
これは、支出した本人の所得から控除しない代わりに、受
象を課税の対象としているが、それらの活動ないし現象は、
け取った者にも課税しないことで、受け取る側に配慮した方
第一次的には私法によって規律されている。租税法律主義の
式となっているが、そのために離婚後の養育費の支払いが十
目的である法的安定性を確保するためには、課税は、原則と
分に行われていない、と指摘される。むしろ、支出した本人
して私法上の法律関係に即して行われるべきである」17、と
の所得から支出額を控除し、受け取った者の所得とする方が
されるから、民法上の法律関係により判断されることになる 。
養育費の支給を促し、合理的であるとされる 21。
18
しかし、課税上の考慮が、一般的に要素の錯誤にあたると
されるならば、取引の安全が著しく損なわれるという指摘が
Ⅵ おわりに
ある 。
以上のように、財産分与にかかる課税関係は不合理であり、
また、財産分与としては高額であり、贈与であるかが争わ
改めなければならない。離婚に伴う財産分与として、不動産
れた事例がある。
を分与する場合には、分与者にとっては、所得税の課税対象
XとAは、家事調停において成立した調停調書に「離婚に
にならず、分与される者にとっても、贈与税の課税対象には
伴う慰謝料、扶養費を含む財産分与として」17 億円を超え
ならないが、分与される者にとっては、通常の贈与の場合と
る本件財産の譲渡を行ったところ、Y税務署長は譲渡所得税
同じく、旧所有者(分与者)の取得価額を引き継ぐような取
を課した。Xは、本件財産分与は、極めて高額であり、分与
扱いをすべきであろう 22。
19
財産の大部分はXが父から承継したものであるから、本件財
産分与は、財産分与としては明らかに過当なものであり、過
――――――――――――――――――
当部分は贈与に当たるから、過当部分について譲渡所得税の
1
対象とすることは許されないと主張した。
246 頁(法律文化社、1999 年)、北野弘久「夫婦の税金」川井健他
… 三木義一「租税法と家族」利谷信義編『現代家族法学』231、
〔7〕東京高判平成 9 年 7 月 9 日税務訴訟資料 228 号
編『講座現代家族法 第 2 巻』125、139 頁(日本評論社、1991 年)、
「確かに、本件財産分与の総額は、前認定のとおり時価にし
右山昌一郎「財産分与をめぐる課税の問題点」税務弘報 27 巻 1 号
て 18 億円を超えるものであって、極めて高額であることは
118、126 頁(1979 年)
事実であるが、Xの総資産からすれば、半分以下にとどまる
2
ものであり(配偶者の相続分が 2 分の 1 以上であることを想
税法〔第 5 版〕』215 頁(有斐閣、2011 年)
起すべきである)、このことにXとAとの婚姻期間、婚姻中
3
…我妻榮『親族法』〔法律学全集〕149、154 頁(有斐閣、1961 年)
の生活状況、離婚に至る経緯及び離婚後の子供の養育関係等
4
… 有地亨『家族法概論〔新版補訂版〕』306 頁(法律文化社、2006
(この点の原判決の認定は、挙示の証拠によって十分認めら
れ、X論理は採用できない。)を総合勘案すれば、本件財産
…金子宏『租税法〔第 18 版〕』228 頁(弘文堂、2013 年)、水野忠恒『租
年)、沼田幸雄「財産分与の対象と基準」野田愛子・梶村太一他編
『新家族法実務大系 第 1 巻』484 頁(新日本法規、2008 年)
分与に係る財産の譲渡が財産分与として過当なものとはいえ
5
…有地亨『新家族法の判決・審判案内』101 頁(弘文堂、1995 年)
ないこと、引用に係る原判決の理由欄記載のとおりであり、
6
…有地・前掲注 (4)308 頁、中川淳「離婚財産分与と慰謝料の関係」
本件財産分与が財産分与に仮託した財産処分(贈与)と認め
『現代家族法大系 第 2 巻』315 頁(有斐閣、1980 年)
…竹下重人「離婚と慰謝料」桜井四郎・竹下重人・吉牟田勲『新訂民・
ることはできない。」
7
当事者の一方が実質的に贈与だと理解していても、財産分
商法と税務判断』235、240 頁(六法出版社、1990 年)、渡辺充『判
与としての実質を上回る資産の分与や仮装でない限り、財産
例に学ぶ租税法』245、255 頁(税務経理協会、2003 年)
―…55…―
丹 羽 崇 之
… 宮川博史「離婚に伴う贈与・財産分与とそれをめぐる問題」税
8
152 頁(2011 年)、益子良一「財産分与と贈与・譲渡所得」北野弘久・
理 39 巻 13 号 27、33 頁(1996 年)
小池幸造・三木義一『争点相続税法〔補訂版〕』118 頁(勁草書房、
… 相続税基本通達 9-8 「婚姻の取消し又は離婚による財産の分与
9
1996 年)、今井猛「財産分与と譲渡所得について」税経通信 58 巻
によって取得した財産 ( 民法第 768 条 (( 財産分与 ))、第 771 条 (( 協
15 号 202 頁(2003 年)、渋谷雅弘「離婚時における財産分与と課税」
議上の離婚の規定の準用 )) 及び第 749 条 (( 離婚の規定の準用 )) 参照 )
野田愛子・梶村太一他編『新家族法実務大系 第 1 巻』125 頁(新
については、贈与により取得した財産とはならないのであるから
日本法規、2008 年)、橋本守次「離婚に伴う財産分与の課税問題」
留意する。ただし、その分与に係る財産の額が婚姻中の夫婦の協
税務弘報 43 巻 9 号 75 頁(1995 年)、岡正晶「譲渡所得課税と『財
力によって得た財産の額その他一切の事情を考慮してもなお過当
産分与』の実務」税務事例研究 19 号 47 頁(1994 年)、遠藤みち・
であると認められる場合における当該過当である部分又は離婚を
松平定之「離婚に伴う財産分与として取得した資産の取得費につ
手段として贈与税若しくは相続税のほ脱を図ると認められる場合
いて」税研 112 号 58 頁(2003 年)
における当該離婚により取得した財産の価額は、贈与によって取
得した財産となるのであるから留意する。」( 昭 57 直資 2-177、平
17 課資 2-4 改正 )
… 三木義一・末崎衛『判例総合解説 相続・贈与と税〔第 2 版〕』
10
156、157 頁(信山社、2013 年)
…最高裁判決前後の議論について、以下の論稿がある。吉良実「財
11
産分与の課税問題 (1) ~ (3)」税法学 329 号・331 号・332 号・333 号(1978
年)、吉良実「財産分与の課税問題-津田論文を読んで-」税法学
338 号(1979 年)、石島弘「財産分与の譲渡所得課税について」税
法学 328 号 14 頁(1978 年)、津田顕雄「離婚に伴う財産分与に関
する課税についての若干の見解」シュトイエル 200 号 131 頁(1978
年)
…右山・前掲注 (1)126 頁、宮川・前掲注 (8)29 頁(1996 年)
12
… 山田二郎『租税法重要判例解説 (1)〔山田二郎著作集Ⅲ〕』369、
13
371 頁(信山社、2007 年)
…水野・前掲注 (2)203 頁、金子・前掲注 (2)225 頁
14
…水野・前掲注 (2)215 頁、金子・前掲注 (2)228 頁
15
…我妻榮『新訂民法総則〔民法講義Ⅰ〕』299 頁(岩波書店、1965 年)
16
…金子・前掲注 (2)117 頁
17
…山田・前掲注 (12)391 頁、中里実「税負担の錯誤と財産分与契約」
18
租税判例百選〔第 5 版〕35 頁(2011 年)、弓削忠史「財産分与と
錯誤について」山田二郎・大塚一郎編『租税法判例実務解説』29
頁(信山社、2011 年)、野村豊弘「財産分与と錯誤」ジュリスト
952 号 71 頁(1990 年)、鹿野菜穂子「多額の課税と財産分与契約
の錯誤無効」家族法判例百選〔第 5 版〕46 頁(1995 年)、高梨克彦「〔判
例評釈〕協議離婚に伴い不動産を財産分与する夫が、自己には課
税負担がないものと誤信して妻と締結した財産分与契約の効力が
問われる民事訴訟において、この錯誤が黙示的に表示されていた
から同契約は無効とする余地があるとして、原審に差し戻された
事例(最高裁平成元年 9 月 14 日判決)」シュトイエル 338 号 1 頁(1990
年)
…水野・前掲注 (2)217 頁
19
… 三木義一・大森健「財産分与をめぐる課税問題」三木義一・田
20
中治・占部裕典編『〔租税〕判例分析ファイルⅠ』81、84 頁(税
務経理協会、2006 年)
…三木・前掲注 (1)247 頁
21
… 大塚正民「財産分与の税務-日米比較-」税法学 566 号 141、
22
―…56…―