会報 2011年7月号 - 日本ビジネス航空協会

2011年7月号
隔月刊
(NPO法人)日本ビジネス航空協会
◇
巻
頭
理事 栗林 顕
双日(株)航空事業部長
ビジネス航空の目指すもの
協会の皆様がリーダーシップをとり活動をされてきた努力が、国交省の動きにもつなが
ってきており喜ばしい限りです。
ちょうどよい機会なので、一度ビジネスジェットについて本質的な整理をしておきたい
と思います。世界各国のビジネス機の保有機数や空港の発着回数などのデータはほとんど
が General aviation も含んでいたり、せいぜい絞れてもターボジェット機のデータとなっ
ています。
適当な言葉は見当たりませんが、その中でビジネス機には大きく二つのカテゴリーがあ
ると思っております。それは採算・効率性のみで説明がつくものと、つかないものの二種
類です。これは定期航空会社等、代替交通手段との比較になりますが、例えば採算・効率
性のみで説明がつく例とすれば、中国のような広大な国に複数の訪問先を持つ出張の場合、
中国国内の移動を航空会社の運航スケジュールに合わせて旅程を組むのではなく、定期航
空会社便で中国のゲートウェイに入ったあと、ビジネス機に乗り換えて訪問先の面談の日
程に合わせて旅程を組むケースがあげられます。私どもの簡単な試算だと(日本から中国
までビジネスジェットでいくと数字的に苦しくなりますが)中国国内での移動のみをビジ
ネスジェットとした場合(国内の移動であれば航続距離もそれほど必要ではないので中小
の機体を使用)
、ビジネスクラスの運賃程度で採算にのると考えられます。
ビジネスクラスの運賃で、ケースバイケースですが出張日数に大きな削減があるとすれ
ば、需要は容易に想像されます。
一方 採算・効率性で説明がつかないものは、私どもが取り扱っているもので言えば、
BBJ やグローバルエクスプレスのような機種が最たるものでしょう。
両方のカテゴリーの客層は全く異なるものです。前者のようなケースは、企業の出張に
も充分活用が可能ですが、後者のようなケースは企業の役員の報酬が欧米並みにならない
限り企業トップの需要は限られたものになり、やはり個人的な富裕層が客層となります。
少し前に米国で VLJ (Very Light Jet)を使い、新しいタイプの航空会社を立ち上げようと
した会社がありましたが、彼らのビジネスモデルはその旅の起点から最終目的地までの空
港の選択や時間帯の選択を多く顧客に与えることによります。ビジネスとレジャーマーケ
ット両方をターゲットとし300マイル以上の長距離ドライブを強いられている層に、独
自の予約のシステムと Door to Door を意識したスムースな運用を提供する画期的なプラン
でした。これも車社会の米国ならではのビジネスモデルです。
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米国の VLJ 事業は、エクリプス機の生産中止と経済の低迷を受けて資金不足になり、当
時の創始者たちが思ったように立ち上がりませんでしたが、航空機の経済性が向上し、ビ
ジネスモデル次第では車社会に需要を見出すことができるようになったということは特筆
される事実だと思います。
日本のビジネス機業界は、まずは先進国として恥ずかしくないようなビジネスジェット
機の受け入れ態勢を整備することが急務ですが、国交省を始め業界の皆様の努力でその成
果が挙がりつつあります。
大事なことはビジネスジェットを利用するような方々は、空港に行くのではなく目的地
に早く確実に到達するのが目的ですので、「空港へ行く」の発想から空港へのアクセスまで
視野にいれた取り組みが必要でしょう。
目先の課題をひとつひとつ手をうっていくと同時に、日本でビジネス機が果たす交通体
系の中での役割についても検討されるべきでしょう。
前述の中国のモデルと米国のモデルは、残念ながら国土が狭く、ジェット機が利用でき
る空港の数の少ない日本では当てはまりませんが、大事なことはこれから規制緩和や法律
の整備、インフラの構築等を日本が進めていく中で、何を目指していくのか、という議論
をしっかりと尽くすことが重要だと思います。
機材の進歩によってどんなビジネスモデルが可能なのか。補助金の規模を考えるとビジ
ネス機が過疎地への交通手段になるのではないか?韓国、台湾、中国への手軽な足になる
のではないか?救急航空への展開は?
あまり思考を広げるとビジネス航空協会の域を超えてしまいますが、二つの顔を持った
ビジネス機の発展を祈るものです。
◇
ビジネス航空界のトピックス ・ 新着情報
EBACE 2011
今年の EBACE(European Business Aviation
Conference & Exhibition)が 5 月 17 日か
ら 19 日までジュネーヴ(ジュネーブ空港と
それに隣接する Geneva PALEXPO)で開催さ
れました。EBACE は EBAA(European Business
Aviation Association)と NBAA(National
Business Aviation Association)の共催で、
ヨーロッパを代表する世界的なビジネス航
空のイベントとして毎年ジュネーブで開催
されており、今年が第 11 回になります。
EBACE 2011 屋外展示風景
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ヨーロッパのビジネス航空業界の急成長を反映して、各航空機メーカーも大変力を入れ
ており、EBACE は年々盛大になってきています。
今年の入場者数は 108 の国から、
昨年の 11,174 人を上回る 12,751 人でした
(史上 2 番目
)。
実機展示は 62 機、出展社は 511 社(昨年は 436 社)とこちらは過去最多で、展示スペース
を増やしたにもかかわらずすべて売り切れたとのことでした。
今年は EBACE 中に開催された Education Session(Business Aviation Across the World:
Challenges & Opportunities)において協
会としてプレゼンテーションを行う機会を
与えられ、最近の日本におけるビジネス航
空の変革(国土交通省のビジネス航空に対
する姿勢の変化、羽田や成田におけるビジ
ネス航空に対する改善等)について事務局
長が話を致しました。最近の日本の変化を
紹介するよい機会になりました。
来年の EBACE は、5 月 14-16 日にやはり
ジュネーヴで開催される予定です。
EBACE 2011 屋内展示風景
国土交通省航空局主催第 3 回「ビジネスジェット推進に関する委員会」および中間報告の
公表
航空局主催第 3 回「ビジネスジェット推進に関する委員会」が、5 月 24 日に国土交通省
特別会議室で開催されました。
又その第 3 回委員会での討議結果を経て、6 月 11 日に委員会の「中間報告」が公表されま
した。中間報告の内容は以下の国土交通省 HP に掲載されておりますのでご覧下さい。
http://www.mlit.go.jp/report/press/cab01_hh_000031-31.html
「中間報告」は成田関係を中心に纏められていますが、委員会は今後も継続され、規制緩
和やその他の空港問題等も討議されることになっています。
協会ニュース
定例総会の開催
協会の平成 23 年度定例総会を、5月 10 日(火)にメルパルク東京で開催し、昨年度の
事業報告、収支報告、監査報告又新年度の事業計画、予算、新役員についてご承認をいた
だきました。
(総会後の新年度協会役員体制については添付 1 をご参照下さい)
また合わせて最近の主要協会活動(最近の規制緩和の実現状況や、ビジネス航空を取り
巻く新しい動き等)についても報告させていただきました。
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懇親会で御挨拶いただく本田航空局長
米国大使館 Aaron Held 主席商務官
尚総会終了後の懇親会には、国土交通省より本田航空局長、
同石津次長、渡邊監理部長、宮下技術部長他、経済産業省よ
り近藤航空機武器宇宙産業課長、米国大使館より Aaron Held
主席商務官等多数のご来賓においでいただき、会員の皆様と
の交流の場を持たせていただきました。
北林 JBAA 会長
上記3枚の写真は石原達也会員提供
IBAC
第 53 回理事会
at
Geneva
IBAC の第 51 回理事会が上記 EBACE2011 に合わせて 5 月 20 日にジュネーヴで開催され当
協会事務局長が理事会メンバーとして出席しました。
詳細は上記 EBACE2011 参加報告と合わせて協会 HP の会員向ページに掲載致しますのでご参
照下さい。
主要協会活動(5-6月)
5 月 10 日
2011 年度総会、懇親会及び理事会開催
5 月 11 日
本田航空局長訪問
5 月 17-19 日 EBACE2011 に参加
5 月 20 日
IBAC 理事会 at Geneva に出席
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5 月 24 日
航空局第 3 回「ビジネスジェット推進に関する委員会」に出席
5 月 24 日
SJAC(日本航空宇宙工業会)懇親会に参加
6月2日
協会 HP 改善検討会議開催
6月3日
日本航空技術協会総会ならびに懇親会に参加
6月6日
航空局平嶋新企画室長と会議
6月7日
航空局「ビジネスジェット推進に関する委員会」座長の戸崎早稲田大学教授
訪問
6 月 10 日
東京都都市整備局都市基盤部及び知事本局基地対策部と会議
6 月 21 日
在日米国商工会議所専務理事訪問
6 月 21 日
日本ヘリコプター事業促進協議会と会議
◇
投 稿
希
望 の
松
岩手県警察航空隊長
村 山 眞 寿 雄
前号で予告しました岩手県警察航空隊長
村山眞寿雄氏の東日本大震災直後のレ
ポートです。岩手県陸前高田市の「高田松原」は、全長 2 キロに渡る松林と砂浜およ
そ 7 万本の松が、街の人々の生活や農作物を塩風から守ってきたとのこと。
夏には約 20 万人の海水浴客が訪れる県内有数の観光名所。最近の報道では倒れた松
は燃料の薪として住民の心身を温めるために使われるらしい。倒れてなお民を支える
松たちの数奇な運命に心を打たれます。
「希望の松」は 2011 年 4 月 14 日に入稿した
ものです。
復旧にはなお長い道のりですが、東北の空で活躍する警察、防災、医療等に携わる
ヘリコプタ航空の現状を含めて加筆して頂きました。
「二つの黙祷時刻」は 2011 年 6
月 26 日に書かれたものです。
松の写真は Yahoo ブログから転載しました。
平成23年3月11日(金)午後2時46分。
築50年の航空隊事務所が崩れるか、と思われるような長く激しい横揺れ、
「隊長、早く
出ないと建物が崩れますよ!」と叫ぶ部下パイロットを尻目に、フライトプランを緊急フ
ァイルする。
同時に、格納中のヘリをエプロンに出するよう指示した。
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マグニチュード9.0の「東日本大震災」が幕を開けた瞬間だった。
まだ地面の揺れを感じながらエンジンを始動し離陸しようとしたが、被害確認中で滑走
路が使えないため、誘導路上の緊急用ヘリパッドから離陸。
約20分後、沿岸南部の町に到着、地震による被害は上空からはほとんど認められず、
国道45号線上を普段と変わらず車も走っているのを見て内心安堵した。
ただ・・・・海岸は普段に比べると少し干上がっている?
いや違う、これがよく聞く「引き波」なのだ・・・と知るのは、さらに北約5㎞の町の
入り江に作られた湾港防波堤を乗り越えて加速度的に大きな波が押し寄せているのを見た
時だった。
波と言うよりも、海全体がせり上がっていると言った方が適当かも知れない。
直後、さきほどの町の方向に反転して下を見ると、来たときは全く異なる景色が広がっ
た。
その町には日本百景にも数えられる美しい松原と海岸線があり、さらに市街地との間に
は高い防潮堤が砦のように築かれている。
しかし、眼下に今広がるのは、それらを難
なくひと呑みにして進む、まるで巨大な生き
物のような荒れ狂う海の姿である。
折しも国道を猛スピードで走り抜けようと
している車、
「止まれ!引き返せ!頼む、助か
ってくれ!」
その叫びも虚しく、目の前で瓦礫の波の中
に呑み込まれていく。
家屋が倒壊する瞬間に立ち上る激しい土煙
とにおいの中、それでも必死にヘリテレ映像
を撮影する。
通常、映像は最寄りの中継局を経由して各
方面に配信されるが、この時は地震による停
電で使えず、リアルタイムで送ることができ
ないと分かり、乗員全員が茫然と為すすべを
失っていた。
陸前高田市の高田松原
(震災前)
それでも何かやらなければと思い、気を取り直して撮影を続けた、いや続けさせた。
映像はビデオに収録し、その後、悪天候の中を何とか災害本部へ手渡すことができたが、
それを見た県庁では全員が愕然としたのは言うまでもなかった。
その夜は一睡もできないまま朝を迎え、再び被災地上空を飛んだ。
そこにはあまりにも虚しい変わり果てた荒野が広がり、各機関の航空機多数がすでに救
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助活動をしていた。
ヘリテレをやっているよりも、目の前で助けを求める人たちを救助する方が重要ではな
いか、という迷いと衝動を抑えてひたすら映像を送った。
今はこれが自分たちの役目なのだと信じて。
以来約1ヶ月間、警察ヘリ14機により延べ115回の飛行を実施、まさに不眠不休の
日々が続いた。
そんな毎日の中で、私を含む乗員は、これまで経験したことのない PTSD に苦しめられる
ことになる。
普段、
「個人の生命・身体・財産」を守る仕事をしていながら、目の前で無数の命が消え
ていくのを見ていることしかできないジレンマに、乗っている者全員がやり切れないもの
を感じていたのである。
ただ、こうした日々の中にも、思いがけない発見があった。
「いわて花巻空港」は、日頃は発着数もわずかで、のんびりしたローカル空港である。
そこに日本中から警察、消防・防災、海上保安庁、陸海空自衛隊機そして米軍や他の海
外からの支援航空機など、一日最大122機が殺到した。
当然混乱して機能しなくなることを覚悟していたが、実際にはほとんど混乱なく終始整
然と行われているのを見て正直驚いた。
3年前「岩手・宮城内陸地震」の際には、3日間の対応だったが、駐機スポットは飛来
する機体で溢れかえり、1台の燃料ローリーを各機関で奪い合い、その結果、緊急度の高
い医療搬送ヘリに燃料が入れられない事態を生じさせてしまったという苦い経験があった。
まさに混乱の極みを呈したわけだが、この時の教訓から、その後、県の担当者がリーダ
ーシップを取り「ヘリコプター運用調整会議」を設置、粘り強く各機関の意識統一を図っ
ていた。
そして、はからずも震災ではこれが大いに功を奏したわけである。
一例をあげれば、駐機スポットの指定を円滑にするため、CAB 情報官室に空港(管理)事
務所員、県防災航空隊員が常駐、ここからエプロンのランプコーディネーターの隊員に無
線で指示を出すことで即時に処理できた。
事前に各飛来航空機の情報を各部で共用し、燃料搭載の優先順位を指定することで混乱
を避けることができた。
また、航空機用燃料は12キロリットルのローリー1台のみであったが、これに通常は
旅客機に給油する別の業者と協定を締結し、災害時の供給を可能としていたことで、期間
中、航空機燃料の心配することなく全機関の航空機が飛行に専念できた。
さらに、新ターミナルビルが従来の場所から滑走路反対側に移転したことから、新ター
ミナル地区には自衛隊、米軍等を集約、旧エリアはその他の救難救助航空機を駐機させる
こととして、スペースの問題が解決された。
また、滑走路は地震による被害はなかったものの、一定期間、定期旅客機を運休とし、
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救難・救援航空機の一大基地としての位置付けで24時間運用体制が取られたことも大き
かった。
東北地方の基幹空港である仙台空港が津波により水没して使えなかったことにもよるが、
これらは、各担当者の日頃からの準備や危機意識の高さによるものであり素晴らしいと感
じた。
わが警察ヘリが、ヘリテレを始め、不明者捜索、物資搬送、被災者搬送など多岐にわた
る業務を安心、安全に行うことができたのは、こうしたバックアップ体制に依るところが
非常に大きかった。
その意味で、
「いざというときに自分は何ができるか、何をすべきか」を常々考えている
人たちがこれほど多かったことは嬉しい誤算であると同時に今後の希望の光でもあると感
じた。
あの日、吠える海に呑まれた多くの命はいまだ発見されていないが、そんな中でも被災
地は日々、立ち上がる逞しさを増しつつある。
それでも、被災地上空を飛ぶとき、今も津波に呑み込まれる情景を思い出し、自分の無
力さにさいなまれることがある。
そんな時、7万本もの高田松原がすっかり流された跡に、たった1本だけ残った松の木
が語りかけてくる気がする。
「私たちはみんな自然の中で生かされている。
いつ死ぬかなんて誰にも分からないのさ。
だから、その日、その時を大
切にして生きること、
そして、亡くなった多くの命
に恥じない生き方をすること
が残された者の努めなのさ」と。
この木は「希望の一本松」と呼
ばれ、今日も私をはじめ、被災地
の人たちの心のよりどころとな
っているのである。
そして、季節は着実に春へと変
わりつつある。
希望の松
二つの黙祷時刻
岩手県では地震にともなう大津波で4300名の命が奪われ、いまだ2300名余りの
行方不明者を数えている。
大震災後、1週間、1ヶ月、2ヶ月そして3ヶ月目にあたる日の午後2時46分に合わ
せて、各地では一斉に黙祷が捧げられている。
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そんな節目では、私も静かに祈っているが、いつも少しだけ違和感を覚えている。
平成23年3月11日(金)
、マグニチュード9.0の激しい横揺れの地震で始まった「東
日本大震災」
。
そして、まだ揺れが収まっていない状態での出動と沿岸への飛行。
離陸後16分で到着した沿岸南部の街。
その時そこには、なんら地震による被害が感じられない、人々のいつもの営み、息吹き
が確かにあった。
わずか数分後に全てが大津波にひと呑みされるまでは。
時刻は、地震発生から27分後の午後3時13分
だから、私自身の中での大震災は14:46ではないのである。
目の前で何千、何万もの命が、街が消えてゆく・・・・
日頃は、困っている人を助ける、悪い奴らから市民を守る、そんな警察の仕事にプライド
を持っていたはずの自分が、今は何もできない。
眼下の大惨事をただ見ていることへの無力感と罪悪感は、直後よりむしろ100日を経
過した今の方が強くなっている。
もし、地震の発生とともにみんなが避難を開始していたら、ヘリで現地に到着後、映像
撮影などやめて低空で津波の到来を知らせられていたら、多くの命が助かったのではない
か、そんな思いが拭いきれないのである。
だからこそ、あの時、確かにまだみんな生きていた最後の時、15:13が私には本当
の黙祷時刻なのだ。
長くも短くも感じられた震災への飛行であったが、毎回、変わり果てた街並みに涙をこら
えながらも、そのうち、以前の姿さえ思い出せなくなっていた。
それがたまらなく悲しかった。
だた、そんな中でもたくさんの「空を飛ぶ仲間たち」に救われた気がする。
現地では、大津波の翌日から自衛隊、海上保安庁をはじめ、警察、消防・防災そして米軍
やドクターヘリまで、数え切れないほどの航空機が現場に集中した。
さらに、その合間を縫うようにして報道機が飛び交っていた。
しかしながら、ただの一件も「空中衝突」や「ニアミス」が発生しなかったのである。
行方不明者捜索でも、入り組んだ海岸線や岬を低高度で捜索していると、思いがけず正
面、同高度から飛んでくる他の機体と鉢合わせ、あわや衝突か!という場面も何度かあっ
た。
「ばかやろう!どこ見て飛んでんだ!」と普段なら声を張り上げたり、「回避義務はそっ
ちにあるんだからよけろよ!」
・・・などと言うところであろう。
しかし、誰一人としてそんなことを言うパイロットはいなかった。
むしろ、
「あいつも頑張ってるなァ」と胸が熱くなることの方が多かった。
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それぞれ所属する機関が違っても「一人でも多く、早く行方不明になっている人を家族
の元へ」その「想い」で相通じていたからである。
今回ほど、報道を含む各機関のパイロットの安全意識の高さと、任務完遂に対する強い
熱意を感じたことはなかった。
多くの犠牲があり、いまだに生きることさえ苦しいと感じる人たちがいる。
救援活動に携わった私たちも、時間の経過とともに経験したことが風化していくのを感
じることがある。
辛く苦しいことは早く忘れたい、なかったことにしたい。
そう思うことも必要であろう。
しかし、あの日あの時、神の目線にも等しい情景を目の当たりにした者として、生きて
いる限り語り継いでゆこうと心に決めたのである。
40年間のパイロット人生の、ゴール間際に目にした地獄絵図。
そして、そこで日夜を分かたず懸命に飛び続けた「仲間」がいたことを。
また黙祷の日がやってくる。
村山眞寿雄氏のプロファイル
昭和29年5月21日生まれ、新潟県新発田市出身
國學院大學中退後、海上自衛隊第27期航空学生として入隊
以後各航空部隊教官、南極観測船しらせ乗り組みを経て民間でプライベート
ヘリの運航に従事 平成13年12月から岩手県警察航空隊勤務
平成21年3月航空隊長 、飛行時間8,000時間
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◇
ホームページのご案内
協会ホームページ
http://www.jbaa.org/
ホームページで、新着情報等より詳しい情報を提供させていただいておりますのでご利
用下さい。
◇
入会案内
当協会の主旨、活動にご賛同いただける皆様のご入会をお待ちしています。会員は、正
会員(団体及び個人)と本協会の活動を賛助する賛助会員(団体及び個人)から構成され
ています。
詳細は事務局迄お問い合わせ下さい。入会案内をお送り致します。
入会金 正会員
団体 50,000 円
個人 20,000 円
賛助会員
団体 30,000 円
個人
年会費 正会員
1,000 円
団体 120,000 円以上
個人 20,000 円以上
賛助会員
団体 50,000 円以上
個人 10,000 円以上
◇
ご意見、問い合わせ先
事務局までご連絡下さい。
(NPO)日本ビジネス航空協会 事務局
〒100-8088
東京都千代田区大手町 1 丁目 4 番 2 号
Tel:03-3282-2870
丸紅ビル3F
Fax:03-5220-7710
web: http://www.jbaa.org
e mail: [email protected]
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添付1
BOARD OF DIRECTORS May 2011 (平成 23 年度)
役員一覧 会長
北林 克比古 全日空商事(株)
顧問
(元全日本空輸(株)専務取締役)
Chairman
Katsuhiko Kitabayashi Advisor
副会長
金井 大悟
(株)エアロパートナーズ
代表取締役社長
Vice Chairman
Daigo Kanai
President & Representative Director
AeroPartners Inc.
副会長兼事務局長
佐藤 和信
Vice Chairman &
Secretary General
Kazunobu Satou
Vice Chairman & Secretary General
Japan Business Aviation Association
常務理事
東山 浩司
日本ビジネス航空協会
(元日本アジア航空(株)常務取締役)
㈱ユニバーサル・アビエーション
代表取締役
Managing Director Hiroshii Higashiyama Representative Director
Universal Aviation
常務理事
加茂 圭介
富士重工業㈱航空宇宙カンパニー
航空機設計部 固定翼機技術部長
Managing Director
ANA Trading Co., Ltd.
Keisuke Kamo
General Manager of Fixed Wing
Aircraft Engineering
Aircraft Design Dept. Aerospace Company
Fuji Heavy Industries LTD.
常務理事
越智 信夫
朝日航洋(株)
常務取締役 航空事業本部長
Managing Director
Nobuo Ochi
Managing Director
General Manager, Aviation Division
Aero Asahi Corporation
理事 兼 特別顧問
中溪 正樹
(株)Kei Knowledge INC 代表
(元北海道国際航空(株)社長)
Director &
Senior Advisor
Masaki Nakatani
President
Kei Knowledge Inc.
理事 兼 特別顧問
田村 和之
日本ビジネス航空協会
前副会長
Director &
Senior Advisor
Kazuyuki Tamura
Former Vice Chairman
Japan Business Aviation Association
理事
上田 真吾
エアバス・ジャパン㈱
シニア・ディレクター
ビジネス・ディベロップメント
Director
Shingo Ueda
Senior Director, Business Development
Airbus Japan K.K.
理事
長江 操
中日本航空(株)
航空事業本部 国際ビジネス機事業室長
Director
Misao Nagae
General Manager
International Business Aircraft
Enterprise Division
Nakanihon Air Service Co., Ltd.
理事
一丸 清貴
財団法人 日本航空機開発協会
技術顧問
三菱重工(株)航空宇宙事業本部顧問
Director
Kiyotaka Ichimaru
Technical Advisor
Japan Aircraft Development Corporation
理事
上村 次郎
上村インターナショナル
代表取締役社長
Director
Jiro Kamimura
President
Kamimura International Associates
L.L.C.
理事
久喜 敏弘
スイスポートジャパン(株)
代表取締役社長
Director
Toshihiro Kyuki
President & CEO
Swissport Japan Ltd.
理事
栗林 顕
双日㈱
Director
機械部門
船舶・宇宙航空本部
航空事業担当本部長補佐 航空事業部長
Ken Kuribayashi
General Manager, Aerospace Dept.
Marine & Aerospace Unit
Machinery Division
Sojitz Corporation
理事
渡井 洋治郎 静岡エアコミュータ㈱
代表取締役社長
Director
Yojiro Watai
President
Shizuoka Air Commuter Corporation
理事
谷村 仁司
日本エアロスペース(株)
代表取締役社長
Director
Hitoshi Tanimura
President & CEO
Japan Aerospace Corporation
理事
寺岡 伸二
岡山航空(株)
代表取締役
Director
Shinji Teraoka
President & CEO
Okayama Air Service Co., Ltd.
理事
山下 洋司
丸紅エアロスペース(株)
代表取締役社長
Director
Yoji Yamashita
President & CEO
Marubeni Aerospace Corporation
監事
石橋 秀一
(株)ジャムコ
取締役
航空機整備カンパニープレジデント
Auditor
Hidekazu Ishibashi
Director
President, Aircraft Maintenance Company
JAMCO Corporation
Former Chairman
Japan Business Aviation Association
監事
窪田 陽一
日本ビジネス航空協会 前会長
(元全日本空輸(株)取締役)
Auditor
Yoichi Kubota
特別顧問
橋爪 孝之
日本ビジネス航空協会 元会長
(元日本航空(株)専務取締役)
Senior Adviser
Takayuki Hashizume Ex-Chairman
Japan Business Aviation Association