目 次 2 - 椙山人間学研究センター

椙山人間学研究センター年誌 2006
椙山人間学研究 第2号
Journal of Sugiyama
Human Research
Vol.2
目 次
巻頭言「人間研究の磁場として」 ………………… 001
椙山人間学研究センター長 椙山 孝金
シンポジウム報告 …………………………………… 003
シンポジウムアンケート …………………………… 031
プロジェクト研究報告 ……………………………… 035
「総合人間論」プロジェクト研究報告 …………………………………… (035)
「女性論」プロジェクト研究報告 ………………………………………… (052)
「人間発達論」プロジェクト研究報告 …………………………………… (063)
「ゲノム人間論」プロジェクト研究報告 ………………………………… (082)
ホモ・サピエンスの稜線の彼方で ………………… 096
椙山人間学研究センター客員研究員 江原 昭善
子どもの体育指導法とその神経学的背景に関する考察 … 105
椙山女学園大学文化情報学部教授 國井 修一
「人間とは」その3 ………………………………… 111
椙山女学園理事長 椙山 正弘
講演会報告 …………………………………………… 116
椙山女学園大学文化情報学部教授 橘堂 正弘 ……………………… (127)
椙山女学園大学文化情報学部助教授 飯塚 恵理人 …………………… (136)
椙山女学園大学文化情報学部教授 荻野 恭茂 ……………………… (153)
センター活動概要 …………………………………… 155
規程 …………………………………………………… 157
編集後記 ……………………………………………… 159
巻 頭 言
『人間研究の磁場として』
椙山人間学研究センター長
椙山 孝金
椙山人間学研究センターの年誌『椙山人間
する手がかりともなりました。 橘堂正弘先
学研究第二号』、をお届けいたします。椙山
生の『熱風に吹かれて−三蔵法師インド求法
女学園創立100周年記念事業として昨年度に
の旅に学ぶ』では過酷な条件をものともせず
設立されました本センターの平成18年度の活
求道の一念に支えられながら勇猛にインドを
動成果の報告ということになります。本セン
旅する僧の凄まじさに胸をうたれました。
ターは、椙山女学園の教育理念「人間になろ
また、これまで長らく「虹」の研究を続け
う」を、プロジェクトメンバーの先生方や客
てこられた荻野恭茂先生の講座では、世界各
員研究員、主任研究員の先生方を始め、学園
地や日本の伝承に現れた「虹」の解釈や、悠
内外のさまざまな方々の叡智をいただきなが
久の時代から「虹」に対して人間が込めてき
ら、さまざまな視点から探求し、学園の将来
た思い、あるいは文学に表される「虹」をめ
の教育・研究のありかたに資することができ
ぐるエロティシズムなどについて、それまで
るだけでなく、地域の皆様や社会のみなさま
あまり深く考えてきたことのない世界を垣間
にもその成果をお伝えできるよう、地道で継
見させていただけました。
続的な活動をつづけております。
今年度は、プロジェクト研究の2年度目で
年に一度の大きなイベントである「公開
少しずつその成果が形になろうとしておりま
シンポジウム」では、早稲田大学で哲学の教
す。また今年度も昨年に引き続き「公開講
授をなさっていらっしゃる竹田青嗣先生から、
座」「人間講座」「シンポジウム」を開催し、
「哲学とは原理の学である」というお教えい
多くの方々のご参加を得ることができました。
ただくことができました。人間を考えるに際
ご参加くださった皆様に心から感謝を申し上
してその王道はなんといっても哲学に優るも
げたいと思います。
のはないとは思いながらも、その難解な用語
年度初めの西出弓枝先生の講座では、発達
や言葉遣いについつい腰が引けてしまってい
障害の子どもさんやその親御さんの心の悩み
た私自身にとって、竹田先生のお話は目か
のありどころなどについて深く思いを巡らせ
ら鱗の連続でした。哲学が単に思弁的なもの、
る絶好の機会となりました。また、伝統的な
観念的なものではないかと高を括っていた私
名古屋の文化の紹介をしてくださった飯塚恵
に、いやそうではない、人間が一歩一歩「原
理人先生と、同時に行われた岩田律園・恭彦
理」的に考え、少しずつその「原理」を現実
父子による尺八のワークショップを交えた講
のものにしてきたその結果が、今日のわれわ
座では、日本文化の奥深い味わい、とりわけ
れの「人間性」や「自由」をより確かなもの
その揺らぎと幅のある尺八の音色に魅了され、
にしてくれたのだ、という竹田先生の説得力
名古屋が「芸どころ」と呼ばれた所以を理解
のあるお言葉に、はっとさせられる思いがし
001
Journal of Sugiyama Human Research 2006
巻 頭 言
たのでした。
センターでは、これまでの活動を基礎と
繰り返しになりますが、本学の教育理念
して継続しながら、なおその活動の幅を広げ、
「人間になろう」は、創設者椙山正弌が教育
より多くのかたがたのご参加をいただけるよ
の最終、究極の目標として掲げた言葉です。
う、次年度以降も新たな試みを加えつつより
近代社会になってはじめて「人間」あるいは
充実した事業を心がけていきたいと考えてお
「人間性」というものがわれわれの自己の本
ります。たとえば、これまでのプロジェクト
質であり、また自己の精神や魂への配慮を自
研究である「総合人間論」研究、「女性論」
己の本質であるととらえるようになった、と
研究、「人間発達論」研究、「ゲノム人間
いわれます。しかし、この「人間」や「人間
論」研究の4つの領域に、新たに「日本・ア
性」をめぐる諸問題は、昨今のグローバリゼ
ジア文化と人間」研究、「環境と人間」研究
ーションの風潮や市場原理優先の傾向のなか
の二つのプロジェクト(ともに仮称)を立ち
だけでは方向性が見えず、人間は安心して生
あげたいと考え、現在その準備をいたしてお
きて行けないのは明らかでしょう。こうした
ります。また、客員研究員江原昭善先生を軸
傾向や風潮に対して、個々人がそれぞれの人
とした小規模な寺子屋的研究会を発足させた
生を見つめ、生きかたを問い直そうとする機
いとも考えております。
運が一方で強く萌してきているのは確かなよ
もちろん、こうしたわれわれセンターの研
うに感じられます。そして、この機運は、わ
究活動だけでなく、椙山女学園がその内部に
が学園においても椙山人間学研究センターの
擁しています多くの知的蓄積や個性的研究領
設立と継続的活動の展開というかたちで新し
域についての研究会があちこちで立ち上がっ
い人間のあり方、新しい時代の生きかたの模
てくれば、その立ち上げのお手伝いが出来る
索という形になっていると言っていいでしょ
ものと期待しております。また本センターが
う。
本来取り上げるべき課題でまだ手づかずのま
まの領域も多いと思います。それらについて
「人間になろう」という学園の教育理念
のご指摘も含めて、どうか皆様も「人間」を
のより深い理解と、現代という困難な時代へ
めぐるさまざまな研究を、このセンターをひ
のわれわれなりの答えを模索しながら、みな
とつの磁場としてご活用いただければ幸いで
さまとともに今後も着実にその歩をすすめて
す。
まいりたいと思いますので、なにとぞみなさ
まからのご指導ご鞭撻の程、よろしくお願い
いたします。
平成19年3月20日
Journal of Sugiyama Human Research 2006
002
シンポジウム報告
『椙山人間学研究センター 第二回シンポジウム』
(概要)
テーマ :「哲学する感動―自分を知るための哲学入門」
日 時 : 平成 18 年 11 月 11 日
(土)
13:30 ∼ 16:30
場 所 : 椙山女学園大学 文化情報学部 001 教室
(開会挨拶)
椙山正弘理事長:椙山人間学研究センタ
(ヴィトゲンシュタイン)→哲学は終わって
ーの第2回のシンポジウムに大勢の方に
しまった?
お越しいただきまして、まことに有難う
ございます。本日は竹田青嗣先生をお迎
②哲学は
「原理」
の学である。
えし、一見難しそうに思われがちな「哲
1)信念補強的思考ではなく信念検証的思考
学」というテーマを、日常的な生きかた
2) 哲学は「原理」を見つけ出す学「なん
や考え方、或いは世界の見方といったも
とでも言える」から「誰にとっても」の
のについて分かりやすくお話戴けると思
道へ
います。ご清聴よろしくお願いいたします。
*「事実学」ではなく「本質」の学
*「物語」→「解釈」→「原理」
(渡邉毅主任研究員から竹田先生のプロフィ
ール紹介)
③「アンチノミー」の冒険(カント)
*世界の「ほんとう」についての4つの「謎」
1)世界の果てはあるのか?
2)最小物質はあるのか?
3)人間はほんとに「自由」か?
4)神は存在するか?
*誰も気づかなかった「思考の原理」
1)「極限」の問いに答えられない理由
2)「世界の謎」の理由→「理性」の性格 「よく生きること」
(当日レジュメ)
3)「どちらが正しいか」(二項対立)を終
椙山女学園講演 「哲学する感動」
わらせる方法
(竹田青嗣) (1) 哲学って何 ?
(2)哲学の「原理」について→人間と社会につい
①「世界の謎・存在の謎」
*哲学は答えがない? 哲学は世界と存在の謎
に対する驚き? 哲学は「形而上学」?
*「語りえないものについては、沈黙せよ」
003
ての学 ①プラトンの
「イデア」
について 「真・善・美」
の原理
1)「洞窟の比喩」→「陶治」の本質
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シンポジウム報告
≪壁の影絵←縛られた囚人←あやつ
*「真の信仰」の考えは戦争と支配を終
り人形←火←太陽(善のイデア)≫
わらせない。 「暴力の縮減」の原理が
いかに「知識」は「思惑」から「真の知
必要。
識」へ育つか→自分の信念から「普遍的
な認識」へ
③人間の「ほんとう」とは何か 2)「エロス論」(恋愛論)→美しい肉体へ
の愛→性格・営み・魂の美質→「美のイ
デア」へ
1)カントの「道徳」とヘーゲル「良心」
→1.「道徳法則」→「普遍福祉」
2.
近代では「正しさ」の信念対立→「悪を
1.エロス的愛と精神的愛はともに「美」へ
の愛(同じ本質)→出発点から育っていく
必然性 正義とする悪」
2)へーゲル 近代人の「ほんとう」
→「自己意識の自由」の三類型 1)スト
2.
「美的感受性」の不思議→芸
術 や 文 化 の 理 由 → 感 受 性・ 審
美 性 の 原 理 →「 善 の イ デ ア 」
ア主義 2)スケプシス主義 3)不幸の
意識 →挫折
1.
快楽と必然性(ケラクトサダメ)恋愛
の
「ほんとう」
②いかに「戦争」をなくすか?→近代社会のな
りたち
2.心胸の法則(ムネノノリ)
・徳の騎士
正義の
「ほんとう」
1)ヨーロッパの宗教改革→宗教戦
争 ルター(1517)→ドイツ農
民戦争→30年戦争→百数十年
「新しい信仰」→腐敗した宗教と政治へ
の反抗。カトリックとプロテスタント→
答えなし。
3.サクセスゲーム 社会的成功という
「ほんもの」
4.事そのもの 「ほんもの(ほんとう)
」
についての表現ゲーム
→「私のほんとう」(内的理想)→信念対
立→「ほんとう」の関係化→「相互承認
2)哲学の登場
ゲーム」 →ホッブズ(17C)「万人の万人に対
3)ニーチェ 「ヨーロッパのニヒリズム」
する戦争」欲望と不安による「戦争状
「ルサンチマン」→人間の防衛性と攻撃
態」抑制法は原理的にただ一つ。絶対
性の原理
権威と権力・実力の集中→「覇権の原
理」(最強者)
(3) まとめ
→ルソー「社会契約」 「一般意志」→
1)哲学は答えがないか?→「原理」は進ん
「主権の原理」(特権者なし)
でいく→「超越的な絶対」から「関係の
→ヘーゲル「主奴論」主人と奴隷の弁証
原理」へ
法 2)「 事 実 学 」 で は な く 「 本 質 」 の 学 →
*人間の欲望は「自我の欲望」 「自己
「本質」とは「真理」ではなく「人間
価値」→「承認欲望」→「自己意識の自
の原理」
由」→「普遍闘争」から「自由の相互承
認」へ
3)「挫折」→「原理」→「絶望」→「可能
性」という道
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004
シンポジウム報告
第一部 竹田青嗣先生 基調講演
て、哲学者が余りにも難しい言葉で書いてい
るためです。哲学がそんな奇妙な言葉の体系
になるには、それなりの理由があったんです
が、しかし哲学者の責任も大きいと言えます。
今日は特にヨーロッパ哲学が何を言って
いるのかから、まずお話ししてみたい。
一般に20世紀の後半から21世紀の現在まで
の「哲学」は、世界レべルではどうなってい
るのかと言えば、いまや断然「反哲学の時
代」です。つまり「哲学は無用のもの」であ
るというのが世界思想の流れです。これは19
竹田青嗣先生:皆さんこんにちは。「哲学」
世紀半ばぐらいから始まっている。
は確かにそう分かりやすくはない。分かって
くると非常に中身があって面白いのですが、
(世界の謎、存在の謎)
敷居が高い。まず言葉が分かりにくい。とて
ところで、「哲学とは何か」という問い
も難しい言葉を使っているので、ふつうに
に対する一番わかりやすい答えは「世界の謎、
読んでも分からないのが事実です。一方「科
存在の謎」と言われること、たとえば「世界
学」は言葉の合理的な体系を作る努力があり
はなぜ、いかに出来たのか」「死んだらど
ますが「哲学」にはそうした公準がない。そ
うなるか」「何のために人間は生きているの
んなことがからんで、「哲学」が何であるか
か」といったことを考えるものだと言えば、
はとても分かりにくいものになっている。そ
わりと納得されやすいでしょう。これらの問
こで今日は、「哲学」とは何かについて、で
いは、誰でも少しは考える問いなのに、答え
きるだけ簡明にお話してみたいと思います。
のなかなか出ない問いでもある。したがって
だんだん気持ちの中に溜まってくる、そう
いう問い。これらは文明発生以来の大昔から、
(哲学って何?)
「哲学」の本で私が一番初めに読んだのは、
人間にとっての根深い問いになっていた。宗
サルトルの『存在と無』でした。その次に読
教の神話をみるとその証拠になります。どん
んだのがカントの『純粋理性批判』、ふたつ
な宗教でも固有の「物語」を持っており、そ
ともとにかく最後まで読んだが、読み終わっ
れらの問題について「物語」のなかで答えを
て考えると、何が書いてあるかまるで分か
用意していたということがある。
らなかったんです。たとえば高校の教科書に、
デカルトは「われ考える、ゆえにわれあり」
「哲学」はどの文明でも宗教の後に現われ
と言ったとか、プラトンが「善のイデア」
てきた。「哲学」では、宗教でのような「物
について言っているなどと書いてあります
語」を使わない。「物語」は期せずして紀元
が、その意味をきちんと理解している生徒は
前5世紀ごろにインドや中国やギリシャで民
殆んどいない。これは学生が悪いのではなく
俗宗教として共同体の中で流通してきたが、
005
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シンポジウム報告
それは「物語」を使うためにその共同体の中
でしか通用しなかった。
それから、近代哲学はヘーゲルが最高峰で、
19世紀はじめに亡くなりますが、その後フラ
ンス実証主義の創始者オーギュスト・コント
「哲学」は「物語」としてではなく、「概
が出てきて、「形而上学」としての哲学は終
念」を論理的に使うこと、「原理」を提出す
わりにしようと言った。コントは、伝統的な
ること、という独自の言語ゲームになってい
哲学は「世界の根本原理」や「世界の究極原
る。「概念」を使うことで、共同体の外に出
因」を突き止めようとするものであり、それ
ても話しが通じる。その意味で、「哲学」が
が「形而上学」だ、と言った。別の表現でい
ギリシャのミレトスから発生したことは象徴
うと「世界の真実、世界のほんとう」、「絶
的です。つまり、そこは西と東の交易の中心
対的な真実」をつかまえようとするのが「形
で、様々な人々が出会う場所であった。そう
而上学」であるとされているが、しかしそれ
いう場所では共同体固有の「物語」は通用し
は無理がある、と。そして自然科学を基礎に、
ないし意思疎通ができない。そういう場で
経験的に実証しながら必要なものを理解して
「哲学」は生まれてきた。「哲学」はそうい
いく、これからの人間の認識のありかたはそ
う独自の方法を持っている。こういうことは
ういう「実証」的な知であるべきだ、と彼は
あまりふつうの教科書には書かれていません。
言った。これは実証主義と言われます。
ところで、一般的に「哲学」は「形而上
次に、現代の言語哲学を代表する哲学者ヴ
学」であるという言い方があります。「形而
ィトゲンシュタインにも、「哲学は語りえな
上学」とは形を持ったものを越えたものにつ
いものについては沈黙せよ」という有名な言
いての学、ということ。アリストテレスがは
葉がある。このことが言おうとしているのは
じめに「形而上学」という言葉を使った。で、
「哲学」はこれまで「世界のほんとうとは何
哲学と科学とは大いに異なる考え方だという
か」「世界は何であるか」「なぜ生きるの
のが、いまでもかなり流通している考え方で
か」という語りえない問いをしてきたが、そ
す。しかし、一方で、今は「反哲学の時代」
れは無駄な問いだから、もうやめにしようと
と言われている。ヨーロッパでは「哲学」は
いうことです。これは多くの人の共感を得た。
不評なのです。いま現代思想では、フランス
経由のポスト・モダニズム思想が全盛ですが、
しかし、そういう「哲学」は役に立たな
しかしこれもそろそろ終わりかけている感じ
いという考え方に対して、まったく逆に「哲
がある。それ以前では、マルクス主義が全盛
学」は「形而上学」である、と主張する人も
でした。彼の「哲学者は世界を解釈してきた
いまの日本の哲学者にはけっこういて、両極
が、問題なのはどうやって世界を変革するか
が存在している。
ということにある」という言葉は、かつて私
にも非常な説得力をもって入ってきた。ポス
しかし私の考えでは、両方とも妥当では
ト・モダニズム思想もマルクス主義も、哲学
ないと思う。私はもともとは「哲学」ではな
を形而上学として強く批判しています。
く「文学」や「評論」から入った。その後両
方やっていたのだが、10数年前からは、「哲
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シンポジウム報告
学」に興味を持つようになった。哲学をほん
い」と思う人も同様である。すると、それを
とに読み始めたのは30歳過ぎですが、読んで
いろんな知識で補強し実証しようとする。そ
いくうちに「哲学」のエッセンスがだんだん
れをずっと10年間もやれば、いっぱい証拠が
分かってきた、そういう感じがあります。
集まり、そのことについて相当に言えること
になる。知識としての「哲学」をそういった
(哲学は「原理」の学である)
「信念補強的」に使うこと、ある権威を持た
私にとって「哲学」というのは、答え
せようとして利用する人は多くいるが、それ
の出ない問いを延々考え続けるべきという
は「哲学」の本来から完全にはずれたことで
「形而上学」でもなく、「もう終わってし
す。
まった無駄な問いの方法」でもない。私に
これに対して、「哲学」の考え方は「信念
とって「哲学」とは独自の方法をもった
検証的思考」です。近代社会、現代社会では、
「原理の学」であり、また、近代において
いろんな考え方が許容されている時代、社会
特別重要な役割を果たしたし、もしそれが
なので、一つの問題について必ずいろいろな
自覚できれば、同様に現代でも、きわめて
考えが出てくる。
重要な役割を果たすことのできるものです。
また、「哲学」は「原理の学」であるという
たとえば、近代哲学の祖といわれるデカル
ことだが、たとえば、何か問題を考える場合、
トは「われ考える、故にわれあり」と言った。
「どうも友達とうまくいかない」とか、どん
これは字面どおりの意味だけでなくて、いま
なことでもいいが、それについては幾つかの
まで世界は神様がつくったと考えられてきた
意見が存在する。たとえば、いじめの問題を
が、正統なキリスト教が堕落しいろいろな矛
考える場合、その原因について「親が悪い」、
盾が出てきて、「ほんとうにそうだろうか」
「教育が悪い」、「子どもが悪い」といろん
と近代の知識人はそのことを考えようとした。
な考え方や意見が出てくる。しかしよく考え
デカルトは、誰もがなるほどと納得できる一
てみると、これらの意見は、「始めの感覚」、
致点、考えかたの出発点を作るべき、と言い、
「始めの直感」、「直感による意見」と言う
そしてそれが本当に正しいかを確かめなけれ
ことができる。
ばならないとした。この言葉にはそういう意
味合いがあった。哲学的な思考は、任意の物
(信念補強的思考と信念検証的思考)
語ではなく、誰もが納得できる権利的な始発
一般にわれわれは大抵の場合、そうした
点を必要とする、ということ。「始めに神様
「始めの感覚」、「始めの直感」による考え、
があり、世界を創った」というふうには考え
意見について「信念(直感)補強的」に考え
ない。それでは土台が検証できない。デカル
る。たとえば、「先生が悪いに違いない」と
トはそう考え、そこから出発した。「自分は
いう直感があると、その直感を補強するため
なぜこのように考えるのか」「自分の考え方
に一生懸命本を読む。わたしも学生のころ、
はどの程度普遍的なのか」「なぜ人と考えが
「世の中が悪い」というところから出発して
違うのか」と考え、そういうことを確かめて
それを補強するために本を読むということを
みようとした。つまり自分の信念を検証しよ
した。大体そういうことになる。「親が悪
うとした。優れた哲学者は、必ずそういう思
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考法によっていることがだんだんわかってき
べ検証して、言葉で意識化する。そして意識
ます。
化できたものをある「概念」として置いてお
く。するとそれはだれでも使えるものになる。
よく、近代哲学は観念論であり、観念から
「原理」は概念としてその理由を納得した形
出発すると言われている。観念論、これはか
でとっている、これが「原理」という言葉の
なり評判が悪いが、しかしそれはありふれた
基本です。
誤解です。観念から出発するというのは、自
分の内側にもっている観念のありかたをもう
たとえば、「哲学」と「科学」は全然違
一度検証するということだった。デカルトは
う、と言っている哲学者の代表にヤスパース
カトリックの信仰を持っていたけれども、自
がいます。「科学」は、近代以降みんなが理
分の信仰と考え方の原理は、まったく別のも
解できる共通了解を出してきた。それに対
のとした。で、思考の普遍的な方法を確かめ
して「哲学」からは共通了解が出てこない、
てみようとした。こういうものが「哲学」
しかしそれが「哲学」のいいところで、答
の方法であり「原理」だった。「哲学」とい
えの出ない生と世界についての問いをどこ
うのは「原理」を考える。この「原理」を説
までも考えるのが哲学のよいところだ、と
明するのはそう簡単ではないが、「原理」と
彼は言った。しかし私の考えからは、これ
いう考え方が「哲学」のまずもっとも重要な
は形而上学としての哲学で、まさしく終わ
キーワード。自分の考え、自分の信念を「補
っている。終わっているというのは、哲学
強」するのではなくて、「自分の考えは他
はそういう段階をもう過ぎてしまって、も
の人の考えとどこが違うのか」「何故違うの
う二度とそこには戻らないということです。
か」と考え、そのことを検証していこうとす
そもそも「哲学」はギリシャの哲学者、ミレ
るような考え方です。
トスのタレスは、万物の原理は、神が創った
のではなく、「水」であるとした。この意味
(哲学は「原理」を見つけ出す学)
は、世界はある単位が組み合わさってできて
たとえば、平泳ぎの北島康介の泳ぎ方を
いると考える。この考え方は誰でも納得する
考えるというTV番組があった。足の甲の角
考え方ですね。「科学」もそう考える。世界
度や蹴り方が、もっとも抵抗を受けるよう
を誰かが創ったものとは考えずに、世界は単
な角度で蹴ると速い。そんな具合にもっと
純なものが組み合わさっていろんなものが出
も合理的な泳ぎ方の原理を取り出すことが
来たと考える。そのことで自然に対する処理
できる。哲学の「原理」を考えるというと
の可能性、操作可能性が出てくる。優れた哲
き、「達人」という言葉と対比して考える
学者の考えは、必ずそうやってみなが納得で
といいかもしれない。たとえば水泳の「達
きる「原理」を考えるものであった。
人」は、速く泳げる理由を「経験知」として
持っている。しかし、それを言葉で伝える
しかし、問題は、あまりに近代の哲学者
ことは難しい。「達人」の言うことばは含
が難しい言葉を使ってきたので、「哲学」に
蓄があるが謎めいていて、うまく伝わらな
はそういう「原理」についての思考のあり
い。「原理」の言葉は、なぜそうなるかを調
かたがある、ということが理解されなくな
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ってしまった。こういう事情を、哲学者や
答えられない、ということをカントは『純粋
哲学の研究者たちはよく考えないといけな
理性批判』で証明しようとした。
い。「哲学」にはちゃんと「原理」があり、
この考え方を応用すると、社会的問題にせ
カントはそうした「世界のほんとう、世界
よ、人間の問題にせよ、きわめて重要な役割
の謎」の問い方を集約すると以下の4つにな
をはたすことができる。それが私の考えです。
ると言う。
1)世界の果てはあるのか?(世界の大
きさ、時間的極限はあるのか。)
2)最小物質はあるのか? (分割しき
れない最後のものが残るか。)
3)人間はほんとに「自由」か?(第三
の問いは、これもなかなか微妙な問
いですが、因果性の問い。たとえば、
私は今、このテーブルの上にあるコ
(アンチノミーについて)
ップの水を「自由意志」で飲んでい
「哲学」が今言った「原理」を作り出して
ると考える。しかし、それは肉体の
いるか、確かめてみましょう。近代哲学者の
要求から出ているので「自由意志」
初代のチャンピオンはデカルト。2代目のチ
などではない、とも言える。)
ャンピオンはカント。3代目のチャンピオン
4)神は存在するのか?(最高存在、至
はヘーゲル。4代目はニーチェですが、カン
高存在についての問い。)
トに「アンチノミー」(二律背反)という議
論があります。
この4つの問いに答えることができれば
「世界のほんとう」が理解できるはずだが、
「アンチノミー」の議論というのは、「世
カントの答えは、その一つひとつを検証した。
界のほんとう」は分かるだろうかという問
むかし埴谷雄高という文学者が学生運動で捕
題です。近代哲学以前の「スコラ哲学」では、
まったとき、カントのこの「アンチノミー」
世界の究極原因は「神」であるということは
の議論を刑務所の中で読んで、哲学とはすご
自明であった。つまり「世界のほんとう」の
いものだと震撼した、という有名な話がある
答えは出ていた。しかしでは、それをどう証
が、カントは延々とこの四つの問いに答えて
明することが出来るのか。答えは出ているが、
いく。そして「世界のほんとう」は究明でき
それでもいろいろ疑問は残った。たとえば
ない。しかしそのことは論理的に証明できる、
「神」が創った世界であるのに何故悪が存在
と主張した。
するのか、などといったような疑問を論義し
ていた。しかし、こういう考え方は終わりに
カントは、この四つの問いに対して、両
しようと言うのがカントです。そして、「世
方を証明するという方法をとった。たとえば
界のほんとう」とは何かという問いは決して
最初の「世界の果てはあるか」という謎。こ
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シンポジウム報告
れは時間的には起点の問いといえるが、も
うふうに、人間は、「信念補強」にしたがっ
し時間的な出発点があるとすると矛盾が起こ
て、推論のタイプが分かれる。しかし、わ
る。なぜなら、カントのいう「理性」は推
れわれが実際に考えることが出来るのはこ
論の能力のことですが、われわれの「理性」
の「推論のタイプ」だけである。どっちが正
は、何かあることがらがあると、なぜそのこ
しいというものではない。したがって「推
とがらが起こったのかと考える。与えられる
論のタイプ」しか答えられないということ
ものがあると、なぜそれがこうなっているの
は、「極限の問い」「根源の問い」「世界
か、起点が「ある」というと、なぜその起点
の絶対的なほんとう」といった問題につい
が出てきたかと考える。絶対的な起点が「あ
て、「答えはない」し人間は絶対に到達でき
る」とすると、ずっと先まで続いている。つ
ないということだ。これがカントの証明です。
まりそれは「無」から「有」が出てくるとい
よほどの専門家でない限りカントがそんな証
うことになり矛盾する。それでは万人が納得
明をしたことを知らないが、カントに続く近
できない。無限に時間が存在したというふう
代哲学者はみなこのカント考え方を引き取っ
に言われると、先が見えなくなって茫漠とし
て先に進んでいる。
てしまい、「理性」は納得しない。「理性」
は、完全性あるいは全体性に至るまで推論を
つまり、「世界の究極原因」を問うのはも
繰り返すので、「ある」といっても「ない」
う無駄だと認めて、もっと大事な問題、軸に
といっても、どっちにしても「理性」は納得
なる問題について考えよう、ということにな
しない。従って「ここが起点だ」と言っても
った。もう「形而上学」は終わり。それま
決着がつかない。絶対的には証明できない。
で近代哲学で延々とやってきた「世界の究極
別の言い方をすると、われわれは一般に大昔
問題」の追及をやめよう。そして「世界の
を辿ることは、知ること、調べることができ
究極問題」ではないもの、人間にとってもっ
るはずだから、どっちかが正しいだろう、と
と大切なものがあるのではないか。それは道
思うのだけれども、しかし、カントに言わせ
徳、つまり人間の価値の問題である。そうカ
れば、それは誰も検証できないし、実証でき
ントは言った。そういう言い方で古い「形而
ないことだと言った。カントは、その違いは、
上学」を焼き滅ぼしてしまった。
ただその人の「推論の仕方のタイプ」による
のみだ、そういう種類の問題だと考えた。
それまで、多くの人が、形而上学を探究し
ていたが、このように、「世界の究極原因」
もうひとつカントは丁寧につけ加えてい
は決して追求できないものであるということ
る。「世界に果てはあるという人と無いとい
が分かると、一瞬大きな「絶望」が生じる。
う人」「最小物質があるという人と無いとい
しかしその次に「希望」があらわれる。つま
う人」「自由はあるという人と無いという
り「なぜ人間はこのような問題をずっと問う
人」「神、最高存在があると言う人と、い
てきたのか」ということが初めて視野に入っ
ないという人」がいる。しかしそれはタイ
てくる。その答えは、人間は「自我」をもち、
プによって分かれる。世の中と調和的心性
世界との関係を意識し、世界の全体の像を知
を持った人、そうでなく懐疑論的な人とい
りたいということの「不安」を持つ。それだ
Journal of Sugiyama Human Research 2006
010
シンポジウム報告
けではなく、人間には「よく生きたい」とい
いる。だから「哲学は形而上学」だ、とい
うものが必ずある。そこで「ほんとうとは何
う考えは「哲学」の進み行きでは、もう200
か」という問いが出てきていたことがわかる。
年前に終わっているわけです。それは意義あ
る「哲学」としてはもうけっして再生しない。
こうして「形而上学」を打ち滅ぼすこ
とによってはじめて、その次の問題を考え
そんな具合に近代哲学者は、考え方の
ることができるようになる。カントはそ
「原理」を少しずつ推し進めてきた。人
のことに対して極めて自覚的だった。「形
間の考え方はだんだん人間と社会の合理
而上学」を終わりにして、もっと人間に
性に少しずつ向かってきた。「原理」の
とって重要な問題、「よいとは何か、悪
言葉は「達人」の言葉ではない。「達人」
いとは何か」という次の問題、つまり人
の考えが悪いわけではないが、「達人」
間の「道徳」の問題に向かったわけです。
の言葉には文学的な良さがあるが、しかし
「原理」には「原理」のよさがある。その
少し別に言うと、それまで人々は、つま
ことがわかると少し先に向かって進んで行
り真の「信仰」のありかたを考えていた。こ
ける。よい考えに少しずつ向かっている。
れが「形而上学」です。真の信仰を見つけ出
カントの考え、言い方はとても分かりにく
すことで、世界はよくなるはずだと。しか
いけれども、もしそれを十分理解することが
しカントの原理は「形而上学」の不可能性を
できれば、つまり「絶対的、究極的な問いは
示した。これで、人々はようやく真の「信
答えがない」ということを、どのような人も
仰」があるはずだという考えを断念した。そ
必ず納得できる、殆んどの人が納得できる
のことで、世界をよくするには、人間と社会
ものである、ということがわかるはずです。
について新しい考えを作り出す以外にない
という方向に向かった。そういうことです。
(プラトンのイデア説)
プラトンの哲学について考えてみます。そ
こうして、近代哲学をずっと読んでくると、
の先生はソクラテス、彼は本を残していない。
このカントのやったことは非常に大きなこと
ソクラテスの弟子のプラトンは、「あらゆる
だったということが分かる。なぜならそれは
ものにはイデアがある」と言った。これがイ
今日でも十分に通用することだからです。議
デア説。一般的にはどう言われているかと言
論するときに、かならず信念補強で対立し
うと、マイクにはマイクのイデアが、机には
てしまいがちなわれわれにとって、「これは、
机のイデアが、竹田には竹田のイデアがある。
本当に答えの出るものなのかどうか」を一度
「あらゆる個物は、イデアという本質にあず
考えてみると、がらりと局面が変わる場合が
かって存在する。」つまり本体があって現象
ある。あるいは「なぜこの対立が起こってい
がある。イデアというのは雛形、本質であり、
るのか」と問う、そうした態度が、哲学の
その具体的現れとして個物がある。こういう
「原理」を取り出すという考えかたの中に含
彼の考えは、「本質実在論」あるいは「実念
まれている。そのことをカントは、この「ア
論」といわれている。しかし、これは何を言
ンチノミー」のなかで非常に象徴的に示して
っているかなかなか分かりませんね。
011
Journal of Sugiyama Human Research 2006
シンポジウム報告
あることを離れて、普遍的なものになるの
か。知識が深くなるというのは単に知識が
増えるということではなくて、われわれの
主観的な思惑が段々普遍的になってくるこ
とだ。そしてそれを保証するのが、「善の
イデア」である。それがプラトンの説です。
これも翻案が必要です。われわれはみな主
観的な自分の信念を持ち、それを補強しよう
とする。それが「普遍的な知」になるため
プラトンの『国家』の中に、「洞窟の
には、つねに「なにがほんとうによいこと
比喩」というのがあって、それはイデア
なのか」という「よい」に向かう気持ちが条
説の説明とされている。そこでプラトン
件として存在しなければ、この「陶冶」に
は、われわれは影絵にすぎないもの、現象
導かれない。プラトンでは、「真のイデア」
にすぎないものを現実だと考えている、と
ではなく「善のイデア」が最高の審級です
言う。我々人間は杭に縛られて前しか見
が、たえずこの「何がよいだろうか」という
ることができないが、ほんとうのもの
問いに導かれるような場合にだけ、個々の
は、洞窟の背後にある太陽という光源であ
信念は「普遍的な知識」へと導かれうる可
る。これもよくわけの分からない説明です。
能性を持っている。「善」はふつうは道徳
的、利他的な価値と解されているけれど、プ
ここでプラトンが言いたいことを私が翻案
してみます。われわれは自分のいろんな知識
ラトンの「善」の本質は、生を深くするもの、
関係をよくするもの、としての「善」です。
を持っていて、それこそが「普遍的な知識」
だと考えている。つまり、誰でも自分の「信
さらにこの傍証ですが、プラトンにエロ
念」であるものを、「真の知識」だと考えて
ス論、恋愛論があります。哲学者の中でほか
いる。しかしそれは「普遍的」ではなく「主
にエロス論をやっている人はきわめて少ない。
観的な知識」である。もし、われわれが「真
バタイユがエロチシズム論をやっているが、
の知識」を手にしたいなら、それを多くの他
哲学の恋愛論はまずプラトンだけです。た
の知識で傍証しているだけではだめで、特別
だ、ギリシャなので、このエロス論は基本的
の方法が必要である。これは私がさっき述べ
に青年愛です。ギリシャの時代では青年愛は
た「信念補強型思考」と「信念検証型思考」
普通だった。しかし、その中身は普通の恋愛
の考え方に対応しています。
論としてみても全く適合的なのが、驚きです。
プラトンはこの「洞窟の比喩」を、「陶
一般には、プラトンの恋愛論はプラトニ
冶(とうや)の本質」つまり「教育の本
ック・ラブということで知られている。プラ
質」についての話だと言っている。つま
トンが言っていることは、だれでも人間はま
り、どういう「原理」で人間の知恵、知識
ず、美しい肉体への愛から出発する。しか
は、深くなるのか、つまり主観性や信念で
し恋には適切な道、正しい道というのがあ
Journal of Sugiyama Human Research 2006
012
シンポジウム報告
り、はじめは必ず美しい肉体へのセクシュア
とは何か」という問いに導かれてだんだん
ルなものから始まるが、次第にその人間の性
高くなっていく可能性を持っている。「よ
格の良さとか、心根の良さとか、営みの美質
い」とは真理、つまり正しい認識の原理では
に対する愛に変わっていく。そして最後には、
なく、エロスの原理である。エロスが「正
美のイデアそのものに対する愛に向かってい
しさ」に先行する。また「エロス」が主観
く。こういうことをプラトンは『饗宴』や
的な場面に固執するのでなく、関係のエロ
『パイドロス』で書いている。これは普通に
スに導かれるときだけ、われわれの「恋」
言われているようなプラトニック・ラブ、つ
は、より深くなり、われわれの「認識」つ
まりセクシュアルな愛よりもプラトニックな
まり「教養」はより深いもの、普遍的なも
愛のほうが価値がある、ということの代名詞
のになる。プラトンの言い方は、わかりに
のように言われているが、これは誤解です。
くいけれど、すでに2500年以上前にそういう
「原理」をつかんでそれを示そうとしていた。
プラトンの「愛」についての考えの本質
は、美しい肉体への「愛」も、人間の「美
質」そのものへの「愛」も、ともに美に対す
る「愛」ということにおいて、その本質が
同じである、共通本質である、とするとこ
ろにある。キリスト教の場合は、アガペーと
エロスとをはっきり分けて、善悪の二元に振
り分けますが、プラトンの場合にはその逆
である。むしろ、それは一体のものである
が、もしある条件に導かれるならば、美しい
肉体から始まって、だんだん人間の「美質」
わたしがここで言いたかったことは、「哲
それ自体にまで高まっていく、そういう「原
学」はとくに「人間の本質」について考えよ
理」があると。それがプラトンの考えです。
うとしているということです。タレスの「万
物の原理は水である」からはじまって、ソ
さきの洞窟の比喩を、この考えと重ねてみ
クラテス、プラトンに至って、はじめて「世
ます。人間は誰でもはじめ自分の「直観」か
界の究極原理とはなにか」という言い方を
ら始まる。つまり「自分はこれが正しい」と
やめて、「本当に探求に値するものは人間に
思う、というところから出発する。だれで
とっての良いものとは何かだけであるという
もそこから出発せざるを得ない。しかし、ほ
ことがわかった(ソクラテス)」という問
んとうに「よい」ものは何か、という問い
題です。プラトンはこのソクラテスの一番
に導かれる場合だけ、自分の直観を変えて
のエッセンスをつかまえて、「正確な認識
行く可能性がある。先に言ったようにプラ
というものがあるというのではなくて、ただ
トンでは「善のイデア」が一番すぐれたも
認識・知恵が高まっていくということがあ
の、イデアのイデアです。それはわれわれ
る。それは、認識が拡張されて多くのものが
の認識や、美的な感受性や価値観が「よい
実証されるということではなく、「よいと
013
Journal of Sugiyama Human Research 2006
シンポジウム報告
は何か」という問いに導かれて、個別的な信
歴史に登場した社会だった。なんといって
念が、普遍的な共通了解に変わっていく、そ
も、この「近代社会のしくみの原理」を全て
ういう時に人間の「知恵」が深くなる」、こ
作り出したのが、近代哲学の最大の功績です。
れがプラトンの哲学の中心点です。これは
「人間の探求」のギリシャ哲学の大きな出
これを別の言い方で、もっとわかりやすく
発点であった。この問題は近代哲学にもきち
言うと、いかに「人間社会から戦争を抑制す
んと受け継がれてきて少しずつ進んで来てい
る」原理を見いだすか、また「固定支配をな
る。プラトンの問題の設定自体が非常に大き
くす」原理を作り出すか、という問題です。
な問題であった。「善とはなにか」「美とは
近代哲学はこういう問いを立て、その原理を
何か」について非常に大事な直感を置いた。
見つけ出した。これが近代哲学の最大の功績
ですが、やはりうまく理解されていません。
(戦争をなくすことができるか)
さて、近代哲学に移ります。近代哲学もも
ヨーロッパの歴史は、15世紀はイギリス
ちろん人間の問題を考え、それを大きく進め
の内乱の時代。もちろんフランスでも戦争を
たけれど、もっと大事なのは、近代哲学は新
ずっとやっていた。16世紀は宗教戦争の時代。
しい「近代社会の原理」を作ったということ
プロテスタントが出てきて血を血で洗う戦
です。これは決定的なことだった。
いがヨーロッパ中に蔓延した。17世紀になっ
てようやく啓蒙主義の時代となる。だんだん
こんな風に考えてみます。人間の本格的な
新しい考えも出始めてきた。そして18世紀へ。
共同体社会は、まず紀元前4000年くらいから
この200∼300年の間に「哲学」が、それまで
はじまったとします。すると、いま6000年く
の中世的な、キリスト教を中心とした考えを
らい続いてきたわけだけれど、本格的に「近
全部ひっくり返して、「近代社会」「市民社
代社会」が成立したのは、まだせいぜい150
会」という全く新しい概念の社会の原理をつ
年くらいです。それまで、5800年の間は、人
くりあげた。その始発点のモチーフは「いか
間社会は、重たい三角形のヒエラルキー社会
にして戦争をなくすか」ということだった。
だった。ヒエラルキー社会は、なぜかたい
そういう考え自体が、それまでまったくなか
てい1割から2割の支配層と、8割から9割の絶
ったものです。
対的窮乏状態におかれた被支配層という構成
になっている。そこで、この9割の被支配層
ところで「戦争はなくなるか」とか「差
は、つねにただ労働と生産だけ行い、1割の
別はなくなるか」という問いを置いてみる
支配層が、消費と享受をもっていた。これ
と、戦争も差別も完全に無くなるには、とて
が人間文化の発生以来の絶対的な社会構造だ
も時間はかかる。しかしそれがなくなる「原
った。「近代社会」が、はじめて、一般の民
理」ははっきりしている、それはすでに見い
衆が労働だけでなく、消費もし享受もするこ
だされている、というのが私の考えです。差
とが可能となる構造として作り出された。そ
別をなくす「原理」も、戦争をなくす「原
れはまだ人類全体にはゆきわたっていないが、
理」も、近代哲学のなかではじめてつかみ出
ともあれ、200年ほどまえにはじめて人間の
された。戦争をなくす「原理」、これはわた
Journal of Sugiyama Human Research 2006
014
シンポジウム報告
しの言葉では、「社会的暴力縮減の原理」で
人間(集団)は、隣の人と言語が違う、宗
すが、それを近代哲学がはじめに作り出した。
教が違う、顔も知らない、生活習慣も違う、
いかに差別を克服するかの原理も同じです。
そうなると必ず不安が起こり、その不安をな
だめようとするが、自然の定める絶対秩序が
誰がそれをはじめたか。ホッブズという人
存在しない。そこで、あちこちで強い集団が
です。彼は17世紀の始めに『リバイアサン』
弱い集団を支配し、共同体を強くしてゆくと
を書いた。ホッブズは王政を擁護したことか
いう、戦乱状態がどこまでも続く。最後に絶
ら、いろいろ非難されている。たいてい王権
対的に強大な支配の三角形までゆきついて、
に反対したロックのほうが偉いと言われて
はじめて収まる。これはまさしく、中国でも、
います。しかし、哲学的にみると、ホッブズ
インドでも、エジプトでも、ローマでも、古
の仕事がはるかにすぐれている。というのは、
代の帝国のどこにからでも取り出される原理
ホッブズは、「どうすれば戦争をなくす事が
です。
できるか」の「原理」をはじめに示唆したか
らです。といっても、ホッブズはいまでもそ
んな具合にはあまり理解されていません。
ホッブズはこの状態を一つのテーゼにま
とめた。「万人の万人に対する戦争」つま
り「普遍戦争」状態を抑止できる「原理」
ホッブズの考えのキーワードは、「万人の
は一つだけである。強力な権威と権力がで
万人に対する戦争」です。彼の説はこんな具
きて、実力や権威をそこに集中して、その
合です。人間には誰もが「欲望」と「不安」
権威者が、絶対的ルールを作る。そして
をもっている。人間はどんぐりのせいくら
人々がこの権威とルールにしたがう。この
べで、どれだけ強い存在がいても、五人集ま
状態が生み出されないかぎり、私闘が普遍
れば勝てるので、つねに安全を確保するた
的となり、それを誰も抑止できない。これ
めの策謀が動く。もし動物のように共謀なし
がホッブズの提出した「原理」です。哲学
なら、自然が絶対的な秩序を決めるが、人間
はいつでも「原理」から出発するわけです。
社会ではそれがない。強い存在がいても絶対
ホッブズは内乱の続くイギリスの状態を憂
的な秩序の安定というのは起こらない。従っ
慮していたので、この原理にもとづいて、人
て、人間をこの不安のうちに放置すると、必
民の生命や財産を大事にする条件をしっかり
ず「万人は万人に対して戦争する」。これが
つけた上で、イギリスの王権にもっと権限を
彼のつかんだはじめの原理です。ホッブズの
与えよ、と主張した。ロックは、ホッブズの
この考えに対して、この考えは余りに性悪説
原理の上にのっかって、最高権限を、いっそ
ではないか、と批判する人がいまでもいるが、
王権じゃなくて、人民主権にゆだねよ、と言
あまりにもとんちんかんです。性悪説もな
った。時代の進み行きからはロックの方向に
にも、人間の歴史をみればまさしく「万人の
向かったので、ロックが偉いとされているの
万人に対する戦争」がずっと続いてきた。な
だけど、はじめの原理はあくまでホッブズ
ぜそうなるのか、その根本原理は何か、そ
が出したものです。「万人の万人に対する戦
れをホッブズは正確に示しているからです。
争」を縮減する原理は、強大な権限を集中し
て第一人者と強力なルールを作るしかない。
015
Journal of Sugiyama Human Research 2006
シンポジウム報告
この考えは、戦争は、相手が邪悪なので起こ
じて、長子継承と決めておく。そうしないと、
る、あるいは神の御心によって起こる、とい
いつでも争乱が起こる。つぎに宗教です。宗
う考えしかなかったそれまでの観念を、大き
教の権威をうんと高めておいて、「王権」
くひっくり返すものだったし、何より、いっ
に強力な宗教的権威をもたせる。ヨーロッパ
たん提出されると、人間社会の「暴力原理」
はこの方式で、キリスト教が大きな役割を果
として、いまでも通用するきわめて本質的な
たした。そして一旦決まったらなるべくその
原理だということが分かります。ホッブズは
決まりを動かさないようにする。これが、い
だから王様を強くするのがいいと言い、ロッ
ままで無意識に取られてきた暴力縮減の「原
クは、人民の政府のほうがもっといい、と言
理」。
ったわけです。
大事なのは、ホッブズが「暴力縮減の原理
ホッブズの原理は、私の言葉で言い直すと、
はこれしかない」として提出するや否や、つ
「覇権の原理」と言えるものです。先に言っ
ぎつぎにそれをより強化する原理が出てきた
たけれど、これは歴史的にはまったく普遍的
ということです。「哲学」はそういう原理
です。中国、インド、ペルシャ、ギリシャ、
についての言語ゲームになっている。たとえ
ローマ。どこでも、古代帝国が典型的に存在
ばロックは、では第一人者は「王権」でな
する。そのあり方は、いわば全国高校野球甲
くても「人民主権」でもいいはずだ、と主張
子園大会のようなものです。覇権が定まらな
した。これはその通りです。ただ、ロックの
いところでは、我こそと思わんものは、とい
言い方は、哲学的には統治の原理は、神が
うのが出てくる。そして、どんどん闘いあう。
王に与えたのではなく、じつは万人に与えた
そしてたくさん殺されて、一番最後に誰かが
という言い方だった(天賦人権論)。哲学
生き残ったら、そこで初めて皆は納得し、彼
的にはきわめて弱い。そこでルソーが出てき
が一番強いから彼に王として従おう、となる。
て、人権や人民主権の「原理」を哲学的に基
これが「覇権の原理」。
礎づけた。これがルソーの「社会契約」の
考えです。ルソーの言い方は、神は王権で
さて、歴史上、人間の社会が暴力を縮減す
はなく、人民に主権を与えたではなく、な
る方法は一つしかなかった。「覇権の原理」
ぜ「人民主権」に優位があるかという論証
しかなかったと言えます。ところが「覇権の
です。第一に、「主権の原理」のほうが「覇
原理」は、「原理」ではあるが非常に不安定
権の原理」より納得性や安定性が大きい。な
です。というのは「覇権」とは強いものが王
ぜなら「主権の原理」は、みな「対等だか
(第一人者)になるという「原理」。だから
らしょうがない」と考え納得する「原理」
状況が変わってより強い者が出てくると、ま
だから。もう一つ。「覇権の原理」、王権の
た覇権をめぐって戦争が起こるということに
原理は、伝統的宗教的権威に依存する。強力
なる。強いやつが「王」だという原理は不安
な権威は暗黙の合意によってのみ成立する
定で、社会的にはきわめて不都合です。それ
が、「自由」の考えが圧倒的となったヨーロ
で歴史的にはいろんな工夫がなされて、代表
ッパでは、これはもう普遍的に成立してい
的なものは、まず「血統」です。血統を重ん
ることは不可能。ゆいいつ人々が圧倒的多数
Journal of Sugiyama Human Research 2006
016
シンポジウム報告
として認められる主権は、人民主権しかな
社会は必ず三角形の強力なヒエラルキー構
い。それは神と人との契約ではなく、自由を
造になる。人間には自己意識があり、死の不
自覚した人間どうしの契約としてだけ成立す
安があり、その他諸々があり、このための人
る。これがルソーの「人民の自発的な合意に
間独自の支配構造の歴史がある。これがヘー
よる政府創設の契約」という原理です。まさ
ゲルの見いだした「原理」ですが、この「原
しくこれが「近代社会」あるいは近代「市
理」が見いだされることで、はじめて、これ
民社会」のはじめの「原理」だと言えます。
を克服する「原理」もまた見いだされる。そ
ホッブズがはじめて社会的な「暴力縮減」
れが「原理」ということの本質です。
の原理を明らかにし、ルソーがこれをより合
ロックがホッブズの「原理」を批判してよ
理的な「近代社会」の原理として定式化した
り理想的な考えを出したことは、マルクスが
のです。ここから、哲学者たちはもう、宗教
ヘーゲルの「原理」を批判してより進んだ考
によって世界をよくしてゆくという考え方を
えを出したのと似ている。哲学的には、ホッ
きっぱり捨てます。ヒューム、カント、ヘー
ブズやヘーゲルが見いだした「原理」がはじ
ゲル等々の哲学者の人間と社会についての考
めて、ロックやルソー、マルクスの考えを可
えは、自由な人間によって作られた社会、こ
能にしたと言えるのです。
の前提で、社会をどのような仕組みにすれば、
暴力を持続的に縮減し、それだけでなく、一
ヘーゲル自身は、人間の支配構造の原理が
般の人間に自由と享受を確保することができ
そのようなものであるからには、これを根本
るか、という課題に没頭しました。この仕事
的に克服する原理もまたとらえられると考え
も今では、ほとんどあいまいな形でしか理解
た。人間は「自己欲望」、つまり自分は人に
されていないので、もう少し確認します。
承認されたい、自分は人の下に従属したくな
い、と考えたために、つねに支配的社会構造
たとえばヘーゲル。ヘーゲルは、「なぜ
をつくるが、いろいろ悲惨な目に遭って来た
人間は必ず戦争を繰り返し、支配はつねに三
すえに、人間は歴史の中で一つの解決を見い
角形になるのか」と問い、その原理を明らか
だす。つまり全ての人が自分の自由を目指す
にした。彼の説の独自性は、これを人間の
ために普遍闘争が生じるのだが、これを克服
欲望の本質から説明するところです。人間の
する原理はただ一つで、すべての人間がお互
は動物とちがった独自の欲望で「自我の欲
いに相手の自由を承認して、これを法的に確
望」、「自己価値」を求める欲望である。人
保する場所にだけ、つまり「相互承認」を制
間の欲望の根本は、生理的欲求の充足ではな
度化した社会をつくるときだけ、これを解決
く、「承認欲望」、自分を立派な存在である
することができる。それがそれまでどこにも
と自他認められたい。そこから人と人が出会
存在しなかった、「近代社会」の本質である、
うと承認を巡って支配の闘いが生まれる。動
ということです。
物は自然の縄張りをもつだけだが、巨大な権
力構造を作り上げてきた。それは人と人が出
ロックは「天賦人権論」で有名です。「人
会うと支配をめぐって闘いが生じ、最後の安
間は生まれつき自由である」といった。しか
定にゆきつくまで収まらない。その結果人間
し、ヘーゲルは、その考えを退けた。ヘーゲ
017
Journal of Sugiyama Human Research 2006
シンポジウム報告
ルはむしろ「人間が生まれつき自由であった
われは、今後人間の世界がどのようにして、
ためしはない」と考えた。かれは、人間はも
戦争や差別や極端な支配をなくすことができ
し万人が自分の「自由」への要求を自覚し、
るかについての本質的な「原理」を必ずあた
これを確保するための方法を考えるとすれば、
らしく作ってゆくことができると私は考えま
一つの答えに至る。それが「自由の相互承
す。
認」である。これ以外にけっして原理がない
ことが分かる。人間は生まれつき「自由」で
カントに「永遠平和」の考えがありますが、
あるという考え方ではなく、もし万人が「自
これは高遠な考えだけれど、「原理」として
由」を求めるならこの原理しかなく、したが
は少し弱い。しかし、これをもっと強い「原
ってその状態を作り出す以外にはない。そう
理」に作り替えることができると私は思いま
いう考え方にヘーゲルは進んでいきます。ミ
す。戦争をなくす「原理」は、まずなぜ戦争
ルなども似た考えを作ってゆきますが、とも
が起こるかということの「原理」からしか出
あれ、そんな具合に、近代哲学は、社会につ
てきません。それはホッブズがはじめの偉大
いてのさまざまな「原理」を作り出した。け
な「原理」をおき、ヘーゲルがそれをもっと
っして何か高遠な「真理」や「理想」を作っ
深めました。カントもがんばったけれど、ヘ
ていたのではない。彼らも少しは、世界とは
ーゲルと比べると少し弱い。理想主義が残
そもそも何かとか、真理はあるのかとか考え
っているからです。「原理」は、理想から生
た。しかしカントが言ったように、そこでは
まれるけれど、理想主義が残っているとそれ
もうどんな答えもなかった。優れた哲学者は、
に負けてしまいます。理想主義は、ある理想
ぎりぎり考えたあげく、究極的な真理という
を実現化するための現実条件を取り出す力を
概念を捨て去って、人間と社会の「原理」を
弱めるからです。カントの「永遠平和」は、
多く作り出した。いま言ったことはその一端
「最高善」の実現という彼の理想的な理念の
です。
考えに基づいています。それは人間は生まれ
つき「善き」存在へ向かおうとする、あるい
ホッブズからヘーゲルまでおよそ二百数十
は向かう「べき」だとする理念ですが、理想
年を経て、「哲学」はいろいろな経験をつん
から離れて「原理」にまで鍛えられていない。
で、「近代社会」の基本の考え方、原理を作
たとえばヘーゲルの哲学は、それをもっと原
り出してきた。いま、われわれは「近代社
理化しようとする努力だったと言えます。カ
会」を自明のこととみなしているし、そのこ
ント対ヘーゲルは、哲学の二代目チャンピオ
とに無自覚になっているが、それは哲学者が
ンと三代目チャンピオンの格闘ですが、「哲
少しずつ積み上げてきた「人間とはなにか」
学」がどのように理想から出発してそれを
「社会とは何か」についての「原理」的な考
本質的な「原理」へと鍛えていったかという
え方の結果です。そして、ここまでくるとま
点でとても興味深いものがあります。しかし、
ずひっくり返らない。「原理」は本質的な不
ここではこれ以上踏み込めません。
可逆性をもっているのです。そういう「近代
哲学」の原理を適切に取り出し、理解しなお
すことができれば、その踏み台の上で、われ
(まとめ)
はじめに私は、「科学」では明確な答えが
Journal of Sugiyama Human Research 2006
018
シンポジウム報告
あるが、「哲学」には答えがない、「哲学」
現われる。ここでの合理的というのは効率的
ではむしろ答えの出ない根本的な問いを問い
という意味ではなく、誰もが成るほどと納得
続けることに本領がある、というヤスパース
できる考え、共通了解の可能性が現われる考
の説を紹介しました。しかしいま見たように、
え方のことですが、まさしくそれを少しずつ
「近代哲学」を通覧すると、こういう考えは、
推し進めることを「哲学」がやってきた。社
優れた哲学の進み行きからは恐ろしく遠い考
会科学や心理学もやってこなかった訳ではな
えだということが分かります。デカルト、ホ
いが、少なくとも「原理」を作るという点で
ッブズ、ヒューム、ロック、ルソー、カント、
は、「哲学」がいちばん重要で決定的な成
ヘーゲル、こういう人たちの実際の業績をみ
果を生み出してきたと言えます。それまでは
ると、答えの出ない問題を、延々問い続けて
社会をうまくやっていくための最大の考えは、
いるような哲学者は一人もいません。誰も必
古今東西どこでも、超越的、絶対的な権威を
ずそういう伝統的な哲学の問いからはじめて、
作り上げ、それをみなで信じる、という考え
徐々に時代の問題を整理し、もっとも重要な
だった。これが最大の工夫、最大の原理でし
問いを設定して、これに答えを与えようとし
た。宗教や王権、しばしば秘教。しかし、近
ていることが分かります。そして、本質的な
代社会では、この工夫はもう有効性をもたな
「原理」は、一度提出されると、もうそれ以
い。どころか、しばしば人間の近代的な原理
前にもどることが不可能になるような性質を
と衝突します。そこで哲学のはじめの大仕事
もっている。カントが「形而上学」の問いを
は、この「超越的な権威」の根拠を、全て取
滅ぼしたあと、もう「形而上学」の問題での
り払うという作業だった。これは生やさしい
優れた哲学者は一人も登場できない。それが
ことではなかった。しかし、近代哲学がほと
哲学史の特質なのです。哲学の問題は、人間
んど独力でこの仕事を成し遂げてきたことは、
の原理、人間の欲望の原理、人間関係の原理、
近代思想史を見れば一目瞭然です。まずデカ
社会の原理、暴力縮減の原理、政治統治の正
ルトが、キリスト教的な「物語」を前提とす
当性の原理、そういうものに向かい、必ずす
ることを「禁じ手」にし(我考えるゆえに我
こしずつ「原理」が豊かにされ、少しずつ進
あり)、つぎにカントが、「形而上学」の問
んでいる。もし哲学者たちの難解な言葉をし
いを終焉させ、ホッブズは、戦争の原理を提
っかり咀嚼できれば、「近代哲学」がそうい
出し、ルソーがこれを近代的な原理に作り替
う仕方でゆっくり道を辿って歩み続けている
え、ヘーゲルはこれを進化させ、という具合
ことが理解できるはずなのです。
に、いっさいの「超越者」と「超越的思考」
とを少しずつ人間の思考の領域から取り払っ
人間がしっかり考えるべき問題は、大きく
ていったのです。
二つあると言えます。人間は共同生活の中で
生きているので、社会的に生じる諸問題を処
哲学の思考は、「原理」によって、まず絶
理するのがもっとも合理的なのか、が一つ。
望と断念を作りだすという面があります。も
とくに「近代社会」は、各人の自由の解放と
ういちどカントの事を想いだしてほしいと思
いうことが前提となる社会なので、自由の競
います。近代のはじめ、宗教戦争の混乱の中
合による「悪」の問題、利害の衝突の問題が
で、多くの知識人、とくに若い知識人は、本
019
Journal of Sugiyama Human Research 2006
シンポジウム報告
当の「信仰」のあり方を見いだそうとして格
われわれの社会もさまざまな矛盾を抱えて
闘していた。本当の「信仰」のあり方さえ見
いますが、「近代哲学」が直面してきたのと
つけられれば、きっと世の中の新しくて大き
似たような状況が、現在もまた存在するよう
な矛盾、人間の大きな苦しみを解決できるは
に思います。そして現在はいわば相対主義的
ずだと。しかし、「形而上学」の絶対的な
な批判と、それが裏返しにされた絶望が溜ま
答えは存在しない、とカントは言った。多く
りつつある時代ではないでしょうか。この現
の人間が、時間をかけて彼の原理に説得され、
代社会の矛盾に対して、どのような道が可能
そのことで、「真の信仰」という概念に深い
でなく、どのような方向が可能なのか。もう
挫折と絶望が生じ、この考え方への断念が生
いちど人間と社会の問題について哲学の「原
じ、そして、この世の矛盾は、社会の原理を
理」を取り出つつ、新しく考え直すことがで
問題として、社会の構造自体を変える以外に
きるはずだというのが私の考えです。
は解決しえないという方向に人々は踏み出し
た。「スコラ哲学」の「世界のほんとう」や
渡邉:ありがとうございました。時間の
「信仰のほんとう」はあるはずだ、という考
進行がもっとゆっくりであるといいなあと
えは長く生き延びた末に、最後の絶望を与え
思いながら竹田先生のお話を感動を覚え
られ、はじめて、人間と社会の新しい考え方
つつお聞きしておりました。それでは、お
への欲望が現われた。
手元の質問用紙に竹田先生へのご質問
をお書き下さい。では、休憩に入ります。
これは、ちょうど「失恋」に似ている。
「失恋」は一種の世界喪失の体験ですが、失
第二部・三部 全体討論
恋の悔しさと哀惜のさなかでは、「なぜあの
人は自分を去ったのか」「何が間違っていた
のだろうか」「あのとき、これがなければ」
と、百万の思いが乱れて浮かんでくる。恨み、
哀惜、未練、後悔、慚愧、怒り、喪失、自己
卑下、世界への反感等々。そして、「あの
人」への思いはもはや絶対に望みがないとい
う状態まで行きついたとき、ちょうど足の届
かないプールでおぼれかけたとき、このプー
ルは底のない深淵と感じられるが、底にこつ
んと足がつき当たったとき、はじめて、必死
北岡:全体討論への導入ということで、竹
のもがきがやみ、この水深の全貌を知り、力
田先生から難しい哲学を、随分噛み砕いて
が抜け、やがて浮かび上がることが可能とな
お話いただけました。そこでさらに我々に
るように、これ以上どんな希望もないという
なじみが持もてるような質問をできればと
徹底的な挫折と絶望がもたらされたとき、は
思います。先生からは、西洋の哲学史上
じめて別の道を歩む欲望と希望が湧いてくる
のキラ星のような多くの思想家の要点を的
のと似ています。
確にまとめていただけました。また、戦争
Journal of Sugiyama Human Research 2006
020
シンポジウム報告
をはじめ、多様な面からのお話がありまし
のよい考えということになる。
たので、まずわれわれの大学にも何人か哲
近代以前の社会は、人間は必ず共同体の役
学の先生がおりますので、まず質問をさせ
割関係のなかに固定的に生み落とされた。そ
ていただき、その後、会場の皆さんからの
して絶対的な神を信じながら、長男なら長男
ご質問を取り上げさせていただこうと思い
として、妻なら妻として共同体の中での役割
ます。まず国際コミュニケーション学部の
関係をちゃんと果たして行く、というのが人
藤江先生から質問をさせていただきます。
間の本質とされていた。
しかし、近代では人間は、解放されて何も
藤江:全体の質問をさせていただきます。今
のかにならなくてはいけない。それが近代の
日のタイトルにもあるのですが、「自分を知
人間の前提です。自由と享受が解放されたた
るための哲学」、これは私自身のテーマでも
めに、固定的な関係ではなく、自由な相互的
あるが、自分を知る。自己認識の問題。デカ
関係が生じる。そこで、人間関係の中でいろ
ルトにしてもカントにしても、哲学の始ま
んな問題が起こって来る。昔は、鬱とか神経
りとして「わたしとは何か」がある。これは、
症ということはおそらくきわめて少なかった。
わかっている部分とそうでない部分が混在し
フロイトの考えでは、神経症は大本は、親子
ている。「私」あるいは「自己」というもの
関係のねじれから起こる。もちろん人間関係
と、さきほどの哲学の「原理」的なもの、そ
のねじれもある。それは関係が自由になり、
れを竹田先生のお考えで、全体のテーマに貫
さまざまな調整が必要となったときに生じて
通しているものとして、もう一度展開してい
いた新しい問題です。そういうなかで、はじ
ただけないでしょうか。
めて「私とは何か」「自己とは何か」という
竹田:「私とは何か」という問いがなぜ現れ
問題が現われる。つまり関係の中の個体の実
存という問題ですね。さまざまな哲学者が
これをいろいろに考えた。そこで、ここでは、
もっとも重要なものを二つ考えてみます。一
人はヘーゲルです。
彼は本格的な「自我論」を置いたはじめ
の哲学者です。デカルトやカントのそれとは
かなり違っている。人間の欲望の本質は何か、
それは「自我の欲望」であること。自己価値
の欲望であること。つまり「承認欲望」であ
る。これが彼のはじめのテーゼです。ここか
てきたか。この問いは、比較的社会とうまく
ら二つのことが出てくる。一つは、人間社会
いっている人にはこういう問いは出てこない
は、その一つの本質として、自己価値の欲望
のではないかと思います。何か問題にぶつか
の相克の関係としてとらえられる。これが社
ったときに出てくる。この疑問によく対応し
会と歴史の展開の解釈に決定的な視点を与え
てくれるものが「自己」や「自我」について
た。人間は生まれながらに自由なのではない
021
Journal of Sugiyama Human Research 2006
シンポジウム報告
が、本性的に自由をもとめ、そこで、時間を
よれば、それらは時間的に構造化されたもの
かけて各人の自由を実現するようなプロセス
で、分析によってわれわれはこれを知るこ
として進んできた。これがヘーゲルの歴史哲
とができる、と主張した。このことの意義は、
学の骨子です。もう一つは、人間の欲望はど
「社会」とは何かという問いと比べると少し
こに向かうかという問題。人間の欲望の本性
明瞭になる。近代以前では、「社会」とは何
は「承認欲望」である。これがつねにせめぎ
かという問いはなかった。それは神(天)の
合って社会の諸関係を作るが、近代では、固
定めた絶対的秩序だった。しかし、「近代哲
定的役割関係が終わり、社会はいわば自己欲
学」は、はじめて「社会の原理」を取り出
望の自由ゲームとなる。ゴールの定まらな
し、社会を個人が作り出している一つの「構
いオープンゲームとなる。そこで人間の欲望
造」としてとらえた。その公準もまた、はじ
は、単に快楽を求める、安心をもとめるゲー
めて人間の福祉(幸福)ということに定めら
ムではなく、いわば各人が何か自分にとって
れた。この観点から、社会の構造とその原理
の「ほんとうのもの」を求めるようなゲーム
が明瞭に取り出せるようになった。それは
となる。これをヘーゲルは「事そのもの」
操作可能な存在となった。フロイトの提出し
のゲームという変な言い方で呼んでいる。近
た観点は、これと同じで、「心」というもの
代以前の社会では、「絶対的なもの」が存在
を、はじめて一つの「構成物」としてとらえ
して世界を統括しており、皆がこの一つのも
た。それは個人の歴史の中での時間的構成物
のを信じて社会はなりたっていた。近代以降
です。昔は、ただちょっと変な人、性格の変
はこの長く続いてきた構成は壊れる。近代
わった人、頭の具合の変な人がいたにすぎな
は一つは享受のゲームとなる。しかしそれ
かったのに、フロイトの考えによって、われ
だけではなく、各人が自分の「ほんとうのも
われは親子関係の中で性格を構成し、親子関
の」を求め、確執を起こしつつ、しかしそ
係の中で心のありようを不具合にしたりする
のことで社会が展開してゆくという形になる。
ものだ、と考えられるようになったからです。
「私」は、絶対的なもの、つまり、神、秩
特に性的エネルギーのさまざまな変容によっ
序、役割との関係ではなく、自分自身、そし
てその構造は構成される。このことが分析可
て「他者」(親、恋人、友人など)との関係
能であるかぎり、社会と全く同じように、人
性として存在するようになる。これについて
間の「心」のあり方についても人はそれに働
のもっとも一貫した理論を置いたのがヘーゲ
きかけることができる。それは操作可能なも
ルです。
のとなるわけです。他の多くの哲学者も「自
我」や「私」をテーマにしていますが、ヘー
もう一人あげたいのは、これは哲学者では
ゲルの考えとフロイトの考えは、やはりもっ
ないが、深層心理学のフロイトです。フロイ
とも代表的で、もっとも射程の大きなものだ
トの「無意識」の考えは、一言でいえば、人
と思います。
間には自分の内側にもう一人の意識できない
私が存在する、この意識としての自己と、無
藤江:「人間のほんとう」とは何か。プラト
意識としての自己との関係こそが人間の本質
ンとアリストテレスのイデア論的な純粋さが
である、という考えです。そしてフロイトに
堕落しているという趣旨の説明だったと思う
Journal of Sugiyama Human Research 2006
022
シンポジウム報告
んですが、「ほんとうであるか、違っている
れが人間の「自由」の本質です。こうして、
のか」というとりあげかたが、今日のお話の
カントは、一人一人の人間が自分の理性を信
全体の趣旨とどうからむのかについてお聞き
頼し、道徳的価値判断を自分の内部に打ち立
したいのですが。
てて生きる、これが近代の人間の「善」や
「ほんとう」のスタンダードとされた。これ
竹田:本来あるべき人間の姿がおかしくなっ
がいわば近代の「善」や「ほんとう」につい
ているというのは、近代になってとくに多く
ての哲学的始発点です。要するに「何がほん
出てきた考えですが、私が言いたかったのは
とうか」を近代人は自分で探求しなくてはな
「人間のほんとう」が堕落しているというこ
らなくなった。
とではありません。さっき言ったように、近
しかし、ヘーゲルはカントの考えを引き
代社会というのは社会の構造が根本的に変化
取り、その不十分性を言います。たしかにカ
し、そのことで人間の意味もある種根本的な
ントは偉大だったが、この考えは、「近代社
変化が生じた。まず、近代以前の「善」や
会」では十分ではない。なぜなら、個々人が
「ほんとう」は、典型的にはヨーロッパにお
自分の判断で「正しさ」を判定してそれを意
いてですが、絶対的なもの、宗教、神、つ
志するのはよいが、人間は全知ではなく、と
まり聖なるものに支えられていた。それはそ
くに社会の変革という問題の中では、さま
れなりに重要な機能があった。したがって深
ざまな「正しさ」の信念が現われる。いわば
い信仰をもっているかどうかが、いつでも人
「正しさ」の追求が自由に解放された代わり
間の「善さ」の大きな基準だった。しかし
に、正しさについての「万人の万人にたいす
「近代社会」はこういった伝統的な「善」や
る闘争」が生じる。これをいかに調整できる
「ほんとう」の考えを破壊します。「何がよ
か、その「原理」がカントの哲学には存在し
いか」はあらかじめ答えのないものとなった。
ない。これがヘーゲルの道徳論、良心論の核
「人間のほんとう」も同じです。絶対的な答
心点です。
えがなくなったので、各人がそれを探さねば
ならず、またあるところでは、対立が生じま
善悪の問題は、近代以前は単純だった。そ
す。宗教の対立ではなく、イデオロギーとい
れは一般的な「よい」の基準と、自分の傾向
うことも生じてきます。
性、欲望や感情との確執という問題にすぎな
さきほどカントが「形而上学」を滅ぼした、
かった。しかし近代では、「正しさ」の自由
という話をしましたが、カントはここから
競争が起こり、自分の信念を正当化し、相手
「道徳哲学」を打ち立てた。それまで人間の
を「悪」となす、という新しい「悪」の問題
善は、宗教の聖性に根拠づけられたが、理性
が生じる、と言います。私こそ、あるいはわ
の判断によって何が「善」かが判断され、そ
れわれの考えこそもっとも正しい、これが近
の判断に従って、よきことを意志して生きる
代の独自の「悪」の問題だ、という言い方を
こと。これがカントの「善」のいわば公式で
しています。このやっかいな「善」と「悪」
す。そこからはじめて人間の新しい「ほん
の問題をどう克服するかというところに、い
とう」のありかた、人間の本質が出てくる。
わば近代の「ほんとう」の問題が浮かんでく
「善」への意志をもつこと、カントでは、こ
るというような考えですね。
023
Journal of Sugiyama Human Research 2006
シンポジウム報告
しまう。そういう時にどうすればいいか。ヘ
北岡:私とは何かに関して、非常に具体的な
ーゲルで言うと、かつては承認関係の外枠
質問(アンケート)がきております。「今の
があったのでよかったのだけど、いまは承認
日本では自由が広がり、親子が幸せな家庭生
の関係を自分で作る以外にない。現実的にい
活を営めなくなり、生徒たちが楽しい友達関
えば、サークルでもいいし、カルチャーセン
係を作れなくなったりしているように思いま
ターでも出掛けていって、何か自分の新し
す。この悲劇を少なくするにはどうすればい
い関係を見つける以外にないわけです。近
いでしょうか。また、わたしは妻であり、母
代の人間は社会的承認のゲームと、自分の
であり、嫁としての役割を一生懸命してきた
具体的な人間関係の中での了解ゲームを営
のですが、最近ほんとうの私が無くなってし
みます。とくに重要なのは、具体的な人間関
まったように感じます。心のなかにぽっかり
係のゲームで、これを確保できれば、人間
穴が空いたように感じます。信じられるもの、
はなんとか生きていくことができるのです。
信じられる人がいれば埋まるのですか。でも
ヘーゲルは、人間の「ほんとう」への追求
人のこころの底は覗こうとしてもわからない
はいろんな類型をとって現われると言いま
し信じられません。哲学は、私は何のために
す。たとえば若いときには「恋愛こそ本当
存在するのかとか、寂しい気持ちとか心の穴
だ」、という気持ちや、「正しいことをや
を救ってくれるものでしょうか。」と。
りたい(正義のほんとう)」、あるいは
「社会的なサクセスゲーム」のなかで自分
竹田:家族の古典的な役割関係がだんだん解
を認められたい、と考える。しかし、簡単
体していくので、いままではお母さんが歳を
に言うと、「恋愛のほんとう」も「正義の
とるとおばあちゃんになって、それなりの
ほんとう」も「社会的成功のほんとう」
しっかりした役割関係が与えられてきたの
もたいていは挫折するべき運命にある。そ
ですが、「近代社会」になると、この役割関
もそも、成功のゲームでは、成功できる
係はだんだんゆるんでくる。さっき言った
のは2割であって、8割は自分は落伍者であ
ように生き方は、宗教、習俗、慣習という寄
ると感じる。ここでも「絶望」が生じます。
る辺を失います。そこで、人間関係がちょっ
人はふつうそういうアイテムのなかで「自
とぎくしゃくしてくると、生の意味が分から
分のほんとう」を求めるけど、求めすぎると
なくなるということがどんどん出てくるのだ
たいていは失敗し、挫折する。「絶望」だけ
と思います。具体的にどうすればいいか、と
が人生さ、ということになる。そうではなく
いうのはこれはなかなか言えません。それぞ
てむしろ具体的な人間関係のなかでお互い
れのケースがあるので。しかし、原理的には
を表現し合って、「このひとはこういう人
一つで、固定的な役割関係の中で意味を見
だ」、といってだんだん分かり合って、相手
いだすということを早くあきらめて、そこで
のことを了解しあう。そういう了解関係とい
自分が楽しく生きられる新しい人間の関係
う相互承認のゲームがある。相互的な了解や
を作る以外に方法はありません。このごろは
許しあいということです。それがいわば、最
少子化になり、こどもは二十歳を過ぎれば家
後に残る人間の生きている意味の舞台です。
を出て行ってしまう。いわば自由になって
人間は「近代社会」では、大きな「ほんと
Journal of Sugiyama Human Research 2006
024
シンポジウム報告
う」、立派な人間になりたいとか、成功し
国家間ではさっき言ったような「原理」が
たいといったロマン的「ほんとう」の欲望
働かない。国家間では、統一権力も一般意志
をもつのですが、しか基本的に競争になっ
もありません。そこでは「普遍戦争」(万人
ているので、どんどん落伍や挫折が起こる。
の闘争)の「原理」がやはり生きている。た
でも人間の生きる意味の場所は残る。しか
だ、歴史はいくつかのことをわれわれに教え
し、もし大きなロマン的な「ほんとう」の
ている。近代国家どうしは、新しい「万人の
欲望をうまく断念できないかぎりは、だめ
闘争」の原理の中で、二つの大きな戦争を起
です。そこで生の意味を古い倫理関係や道
こした。第一次大戦と第二次大戦。しかし、
徳関係に求めるのは、一つの反動形成です
その後近代諸国家はこれにこりてさまざまな
が、これも結局はだめです。生の意味とい
工夫をした。国家間を調停するような超越権
うものが、どのような原理で現われ、可能な
力はない。国際連盟が全然機能しなかったの
のかをよく自覚することで、はじめて新しい
で、先進国どうしで国際連合をつくった。い
希望がでてくるというのはここでも同じです。
まはいくつかの理由で、先進国家間の戦争は
もう起こりえない条件が現われています。一
北岡:戦争に関する質問です。近代哲学が
つは民主主義の拡張、一つは先進国の生活水
「いかに戦争をなくすか」を考えたと言わ
準。一つは核武力です。そこで普遍闘争原理
れますが、ではどうして第一次大戦、第二次
は、「貧しい国どおし」か、あるいは原理主
大戦が起こったのでしょうか。また今も戦
義的テロリズムという形でしか起こらない。
争がなくならないのでしょうか。また、人
しかし、ともあれ、現在世界で戦争要因
間の生き方を求めるには広い意味での文
が抑止されるその原理は、だいたいはっきり
化、民族、宗教、生活習慣に違いがあると
しています。一つは国際連合のような国際調
統一性ができないと考えるべきでしょうか。
停機関の権限が高められることです。一つ
は、格差の縮小です。格差の拡大は、貧しい
竹田:なぜ戦争が今でもなくならないのかに
国の人々の絶望を高め、それが救済思想や原
ついては、さっきお話した「原理」を考える
理主義の受け口になります。民主国家の拡大
とかなりはっきりするところがあると思いま
ももちろん重要です。それから資本主義経済
す。ここでは簡潔にしか言えませんが、「近
の急速なではなくゆるやかな展開です。ほか
代社会」は近代社会と近代社会にもとづく
にもあります。しかし基本の原理は近代哲学
近代国家の構想を作り出しました。近代国家
がすでに見いだしています。「暴力の縮減」
の内部では、つまり人民主権の原理が機能し
は、第一に「覇権」の原理をいかに抑制する
ている場面では、私闘はだいたいなくなって
か、です。そして、国際間の普遍的な闘争を
きた。かつては政権の交代はほとんどの場合、
抑制する大きな調整権限を作り出すことです。
実力による闘いによって成し遂げられる。し
世界全体で戦争がなくなっていく基本的な
かし近代国家の中ではこの実力ゲームは、ほ
「原理」は、国家間の上位に、近代社会と全
とんど抑止されてきた。近代国家の内部では、
く同じ「原理」で、つまり皆で信託しあって
普遍戦争状態はなくなってきた。ところが問
超越権力、超越権威をつくり、ルールを作り、
題は、国家間です。
それに違反した場合には一定のペナルティー
025
Journal of Sugiyama Human Research 2006
シンポジウム報告
を平等な仕方で与えていくという制度を少し
化的多様性をいかに克服して、共存可能な社
ずつ作り出していくということです。
会を作り出すか、という「原理」だった。そ
近代は、近代国家を作り出すことに成功
れが「市民社会」という考えの核です。「市
しましたが、この「原理」を世界大に拡大
民社会」は、市民でないものを排除するとい
することにはまだ成功していません。近
うのはよく言われている批判ですが、近代国
代国家をとりあえず、作り出すことが先決
家の現状に対する批判としてはその通りで
だったからです。近代の市民社会の「原
すが、「市民社会」の考え方の批判として
理」を世界大に拡大するという課題は、人
は、的をはずしています。むしろ「市民社
間にとって新しい世紀のもっとも大事な
会」の「原理」が、いかに異質なものの共存
課題になると思います。19世紀、20世紀の
を可能とするかの、唯一の「原理」だからで
近代化はひどい矛盾をともなって進んだけ
す。ほかにないのです。宗教対立について
れど、21世紀はできるだけ矛盾を抑えて
は、できるだけ共同的一体性をゆるめて個人
「近代社会」を推し進めなければならな
の信仰におさめる。人種は、たとえばフラン
い。そしてそのもっとも基礎的な「原理」
ス市民という上位のレベルを作り出して、ゲ
は必ず近代哲学から取り出せると思います。
ルマンとか、ノルマンとか、ラテンとかの出
自を相対化する。宗教、信条、出自、そうい
竹田:もう一つの質問、文化の統一性が保持
うものは「属性」であって、市民たることの
できないというのは、多様性が保持できない
「本質」は、他者の自由を承認する意志と能
という意味ですか。
力をもつかどうかという点におかれる。これ
が近代哲学が作り出した「市民社会」の「原
北岡:多様さのなかで普遍的な正義が実現で
理」の中心点です。これ以外に多様性を共存
きるかどうか。
させる原理は、いまのところ存在しない。歴
史的には、世界宗教が「神のもとの万人の平
竹田:それは「近代社会」の進行の中では現
等」という関係で同じ機能を果たしていた
われざるをえない疑問です。世界には大きな
けれど、世界宗教どうしの対立では、世界宗
多様性がある。今の問題でいえば、たとえば
教の「原理」は限界に達してしまうのです。
イスラム教と西洋文明の違いは大きく、そこ
とういうわけで、「ヨーロッパ的」といわ
にいったい普遍的な統一性を作ることがで
れているもの、「近代的」といわれているも
きるか、誰でも危惧をいだく。この考え方の
のが、もしキリスト教的な中心主義でしか
「原理」は、たとえばきわめて異なった文化
なければ、それは結局ローカルな「原理」
をもつ社会が接近すると、歴史的には必ず大
でしかなくて、普遍的でもなんでもありませ
きな摩擦が起こります。これを克服する「原
ん。「近代市民社会」の原理は、べつにヨ
理」は、二つです。何らかの仕方で接触を絶
ーロッパ的原理などではなく、さまざまな
つようなシステムを作り上げるか、あるいは
諸条件でたまたま地理的にヨーロッパに先に
それが不可能なときには、共存の原理を見い
現れてきた考え方だというだけで、文化や
だすかです。で、「近代社会」の「原理」と
宗教に関係なく、共存の原理としてはいま
は、そもそも、宗教的、人種的、言語的、文
のところこれしかないという普遍的な「原
Journal of Sugiyama Human Research 2006
026
シンポジウム報告
理」です。もしイスラム教の内部でも仏教
のことです。
の内部でも、はげしい対立が生じてこれを
さらに、ホッブスの場合、「万人の万人に
共存という仕方で克服するには、宗教を個人
対する戦争」でお互いに主張しあえば、お互
の信仰という場面まで引き戻し、その共同
いに殺しあうしかない。それを逃れるために
性を相対化する以外には方法はありません。
君主に移譲することで平和がなんとか維持で
歴史的に言えば、どんな固有の文明も、時代
きるといっていますが、しかしそこで問題は、
の体制が変わると必ず変わってきて、均質性
ホッブスが君主の「道徳」のことを全く論じ
が現れたり、格差や差別が大きければそのな
ていないということです。しかし「道徳の原
かから分裂がでてくるということがある。つ
理」が出てこないと、「関係の原理」ではす
まり、多様性というものは世界から消える
べて戦争の新しい環境をつくるための原理に
ことはありません。近代市民社会の原理とは、
とりこまれてしまうという心配があるのです
この多様性を共存させるためには、一定の共
が、そのことはいかがでしょうか。
通条件を作り出せばよいという考え方に立つ
ものです。これを近代の「均質性」という人
竹田:その点は私の考えではむしろ逆で、い
もいますが、この市民としての均質性は悪い
かに平和を作り出すかという問題は「道徳の
意味での「画一化」というようなことではな
原理」としてずっと長く考えられてきたけれ
くて、むしろ多様な人間の個性の多様性を確
ど、「道徳の原理」では普遍的暴力の問題は
保するための必要条件としての「共通性」の
乗り越えられない、というのが、ホッブズや
創出ということです。市民的な共通性の設定
ルソーの考えの前提だったと思います。当時
だけが、近代的な意味での個性の多様性を確
はキリスト教がまだ強く、道徳感情論や、道
保するのであって、伝統的な身分階層の社会
徳性をいかに発揚するかという論がたくさん
では、個人の多様性はまず実現されえません。
出てきた。つまりこれを人間の心意の問題と
して考えようとしてきた。しかし、ホッブズ
北岡:現代の平和は休戦状態、次の戦争への
やルソーは、むしろその考えをきっぱり捨て
準備状態だといえると思います。ニーチェは
て、これを社会の構造と制度についての原理
おそらく戦争は無くならないと考えている。
的問題として考察すべきだというところから
私が思っているのは、外交交渉、話し合い、
出発したと思います。
戦争というのは、現代の政治を見ている限り
歴史的には、まだまだ戦争の波は簡単には
は全部ひとつながりになっている。もしそう
収まらないし、暴力縮減の原理の実現は時間
であるなら、戦争を縮減していく原理という
がかかります。そこでわれわれは絶望的にな
のが徐々に進展していくというときの進展の
るし、実際いまはそういう気分の時代です。
仕方が、まったく質的に新しいものが出来あ
しかし、「原理」は関係の理を明確にするの
がった時に、超越的な絶対として永久平和で
で、ほかに道が存在しないことが理解されれ
はなくて、関係を構築するということのなか
ば、必ず時代の大きな欲望がそこに向かうと
に、現代ではもう戦争がすでに織り込まれて
思います。近代でもまったくそういうことが
いるという時代ではないかと思います。たと
起こったのです。欲望のエネルギーは、フロ
えばアメリカがあちこち爆撃するような状況
イトが考えたような生理学的力学では考え
027
Journal of Sugiyama Human Research 2006
シンポジウム報告
られない。人間的欲望の本質は、「挫折」や
まず味わえる人は味わえる。しかし「哲学」
「絶望」や「可能性」というカテゴリーで考
はその点フェアでない。難解すぎるので、ど
えたほうがいいのです。
うしても直観補強的に恣意的に読んでしまう。
おっしゃるとおりですね。しかし、その場合、
北岡:次に、音喜多先生の方から質問をお願
「信念補強的」と「信念検証的」という概念
いします。
が念頭にあるだけで大いに違います。またこ
の概念をおいて議論をさせてみると、はっき
音喜多:参加者の質問の多くは、哲学入門と
り違いが出てきます。自分の正しさを主張せ
いうことで、どういう本を読んだらいいのか、
よ、という前提で議論する場合と、どこに主
最初に分かりやすく哲学の本を読むにはどう
張の相違の理由があるかを考えようとする議
したらいいか、ということを求めている人が
論とは、ぜんぜん違うものになります。私は
多いのではないかと思います。また私自身、
それを現象学の「本質観取」という概念でよ
学生に哲学を教育する立場として苦慮して
く試しています。
いるのは、哲学を全く知らない学生とはいえ、
ともあれ、「哲学」をしっかりやろうとす
思想・哲学を知ることによって自分を表現す
るとまず4、5年ぐらいはかかってしまうので
ることが出来る、あるいは自分の拠り所とす
厄介です。ただ「哲学」にはメリットがある。
ることが出来るといったものを求めているよ
まず、それはヨーロッパの様々な知識、学問
うに思います。先生は、哲学は「信念補強的
の大きな土台をなしているので、何か一つの
な思考」ではなく、「信念検証的な思考」だ
事をしっかり勉強しようと思っている人に
とおっしゃっているのですが、そうしたこれ
は、必ず大きな連関の中での専門をとらえる
から「哲学」を読もうとしている学生などに
ことができるようになる、ということが一つ
とっては、はじめから「信念検証的」に思考
です。もう一つは、「哲学」はその理解が
することはなかなか酷なことではないかと思
進むと、関係の原理に進んでいくので、必
うのです。どうしても最初は「信念補強的」
ず自分の生活や生き方のいろんな問題につな
なところから始まるように思うのですが、い
がってくるということです。そこまで来た
かがでしょうか。 ら、自分や自分の関係の理解への興味が人を
「哲学」につなぎとめます。そういう具合に
竹田:文学や小説の味わいは二十歳過ぎたら
進めないときには、「哲学」は自分が思って
いることを権威づけるためだけのものになり、
大して役には立たないことになってしまう。
北岡:「哲学」を学んだことがない人でも熟
読すれば理解できるという哲学者はいるでし
ょうか。
竹田:それが困ったことに、熟読しさえすれ
ばすぐ理解できるという哲学書はまずいない
Journal of Sugiyama Human Research 2006
028
シンポジウム報告
と思います。一番読めるのはプラトンやキ
い、という点にあります。だから「幸福」を
ルケゴールでしょうか。ニーチェも概念と
つかむために、つまり自分の生を肯定できる
しては比較的いけます。ただ、「哲学」は基
ために、近代人としてのいろんな知恵が必要
本的には一人で読むなというのが私のアド
です。それが近代の「教養」の本質です。は
バイスです。「哲学」をやったたことのある
じめに描いた一般的な「幸福」(自分のほん
人を交えて、読書会をする。はじめに読んで
とう)の像を、自分の資質や能力や関係の
いるときは分からなくても、レジュメを作
条件にあわせて、また自分の人間関係の経験
ってみなで話し合っているうちに、少しずつ
に学んで、自分がほんとうに納得しうるも
必ず分かってくる、というのが普通の体験
の、つかみうるものに少しずつ修正してゆか
です。「哲学」は、楽譜を習うような仕方で
ねばならない。それがうまくできたときに、
読まないと、つまり普通の日本語と同じよう
それが社会的に大きな成功かどうかは別とし
に読むとうまく習得できない。しかしうまく
て、自分の生を肯定できるようになる。これ
習得できるようになるととても力になります。
が「幸福」についての一般的な解ですね。目
標と欲望と能力と可能性の三つの相関性とし
北岡:人間幸福追求の「原理」とは何でしょ
て「幸福」の可能性が決まるので、そのこと
うか。
が腑に落ちると自分の「ほんとう」のあり
方について納得がつきやすくなると思います。
竹田:「幸福」は昔はほとんどの人にとって
北岡:ありがとうございました。司会を交代
「物語」に出てくる憧れの対象にすぎなかっ
たけれど、「近代社会」では、「幸福」は
人間の生の一般的な目標になった。近代人
は、独自の欲望をもち、自分の内的な「ほん
とう」を求める。これをつかんだときに「幸
福」になれると誰でも感じている。美的生活
でも、名声の達成でも、愛情の花咲く樹でも
いいですが、誰でもそれぞれ自分の「ほんと
う」の生のあり方をぼんやりしたイメージと
してもっている。「近代社会」はいわば「幸
せ」の自由ゲームをなしている。どんなゲー
ムでも「上がり」(目標)がそのエロスの源
泉になっている。つまり「近代社会」では、
承認ゲームの上がり(目標)が誰にとって
も「幸福」だと感じられている。哲学的には、
させていただきます。
これが「幸福」という概念の基本構造です。
しかし、近代人の困難は、目標が外側か
ら確保されず、自分で自分の「ほんとう」を
渡辺:竹田先生どうも長時間ありがとうござ
いました。
見つけ、さらにこれをつかまないといけな
029
Journal of Sugiyama Human Research 2006
シンポジウム報告
椙山孝金センター長:今日は足場の悪い中、
御参集くださいまして有難うございました。
センターでは、年1回のシンポジウムのみな
らず、人間講座・公開講座を年に6回ほど行
っていく予定です。今後もよろしくお願いい
*テープ起こし文責、八木。
*竹田先生にはご校正と本年誌への掲載をご了承
いただきました。
心より感謝申し上げます。
*このシンポジウム内容につきましては「竹田青
嗣 Official Home Page」にてもご覧いただけま
す。
たします。 Journal of Sugiyama Human Research 2006
030
シンポジウム報告
椙山人間学研究センター第2回シンポジウム アンケート集計結果
*受講者数:115名 アンケート回答者数:75名(回答率65.2%)
*事前申込:243名/当日申込:1名/受講者:115名(参加率47.3%)
Q1.今回のシンポジウムは何でお知りになりましたか?
1.新聞の折込チラシ
36 名
50%
2.朝日インフォマーシャル(新聞広告)
6名
8%
3.中日新聞掲載記事
5名
7%
4.学園・センターのホームページ
1名
1%
14 名
19%
6.生涯学習センター・図書館の掲示
1名
1%
7.スターキャットテレビ
0名
0%
8.友人知人からのお誘い
10 名
14%
0名
0%
1.興味・関心のあるテーマだったから
71 名
68%
2.講師に魅力・関心があったから
12 名
12%
3.会場が便利な場所にあったから
16 名
16%
4名
4%
5.椙山人間学研究センターからのご案内
9.その他
Q2. 今回のシンポジウムへの参加動機は何ですか ?(複数回答可)
4.その他
031
Journal of Sugiyama Human Research 2006
シンポジウム報告
Q3. 今回のシンポジウムは参考になりましたか?
1.大変参考になった
27 名
36%
2.参考になった
39 名
52%
3.参考にならなかった
3名
4%
4.全く参考にならなかった
0名
0%
5.無回答
6名
8%
Journal of Sugiyama Human Research 2006
032
シンポジウム報告
椙山人間学研究センター・シンポジウム アンケート【ご意見・ご要望】
NO.
職業
1
主婦
50
女
いつも友人と話していることが実証された感じです。
2
主婦
40
女
質問事項の中で、ちょうど自分自身にあてはまる質問があり、本当にはっきりと答えて頂き、
心の中が晴れたような気がしました。「人間は承認関係の中でしか生きていけない!」これ
を肝に銘じて生活していこうと思いました。また講演があったら伺いたいと思います。
3
主婦
40
女
普段友人と話している内容と一致していたので嬉しかったです。
4
無職
70
男
今後は人間中心の講座を要望。
40
女
家族関係のお話を伺いたいと思います。
5
年齢 性別
ご意見・ご要望
6
会社員
50
男
人間の尊厳について開講してほしい。
7
会社員
50
女
一番聞きたかったホントウについてが少ししか聞けなかったのはとても残念です。
8
学園関係者
60
男
難解な内容を分かりやすくお話いただいた事に感謝します。その時その時の(その時代その
時代)人間が抱いている課題に関するお話をお聞きしたい。
20
女
医療現場で働く臨床心理士の話を次回は聞きたいです。
9
10
主婦
40
女
竹田先生の著作を読んで哲学に興味を持ちました。今日、実際にお目にかかれてよい機会で
した。大学生の若い方々の参加が少なかったのが残念です。
11
会社員
30
男
基調講演が中途半端に終わってしまった感じだったのが残念だった。
12
無職
60
男
今後、フロイドを取り挙げて頂ければ有難い。
13
会社役員
80
男
覇権の原理に対して少し理解ができ、人間社会で何故戦争がなくせないか憲法第9条と合わ
せて一層考え方が混乱した。
14
主婦
60
女
進む老齢化と老人の生活スタンスの問題について取りあげて欲しい。
15
会社員
50
男
質問を書く時間・紹介していただく時間が少なく、進行が少しうまくいかなかった点が残念。
次回は全体の時間をもう少し多く取ったらよいのではないでしょうか。
16
主婦
女
日頃の生活から離れていろいろ考えられる場を与えていただけて良かったと思います。
17
主婦
70
女
哲学の現象学・美学について学びたい。
18
主婦
70
女
心理学の方の講演をお願いします。河合隼雄先生など。
19
主婦
30
女
哲学に対する興味が出てきた。今後、先生の御本をよく読み、理解を深めていきたいと思う。
20
主婦
50
女
「哲学」はもともと答えがでないことに対し、何か納得させてしまうような答えに向かって
いく過程の考え方の学問のような気がしていましたが、今日のお話でなぜ「哲学」という学
問があるのか違う認識を持てた気がします。ありがとうございました。
21
学園関係者
70
男
哲学の今後の課題についてもう少し話して欲しかった。
22
無職
60
男
今後の開催のテーマについては文明論・教育論もテーマとして取り上げていただきたいと思
います。もちろん、竹田先生の講演も更に拝聴したいと存じます。
23
会社員
40
男
哲学はとても難しい!もう少し身近な事柄で例えられるとよいと感じます。
033
Journal of Sugiyama Human Research 2006
シンポジウム報告
NO.
職業
年齢 性別
ご意見・ご要望
24
会社員
50
男
竹田先生の説明が概略的ではあるが、わかり易く快地良かった。人間をテーマにした問いを
今後も続くようなシンポジウムになるように継続を望みます。
25
主婦
50
女
カメラの人がチョロチョロして気になった。
26
主婦
40
女
とても楽しく過ごせました。ありがとうございます。今まで漠然としていた考えが少し形に
なった気がいたします。
27
主婦
30
女
とても良かった。もっと質問したかったです。野村万斎など希望します。
28
無職
70
男
今日は広い範囲で楽しかった。これからは各論としての人間(欲望・いじめ・宗教・民族・
文化など)を知りたい。
29
主婦
女
竹田教授のお話は学生に対するのとは、また違った一般の方々に解りやすく、噛み砕いたお
話でしたが、残念ながらこちらの頭がついていかない部分があり、60の手習いを目前とし
ている当方にとって講義をきちんと聞く、そして少しは解るよう努力したいと思いました。
人生の黄昏時を迎えた今日この頃、一日一日を大切に生きるにはどの様な視点を持ったら良
いのか機会がありましたら是非、取りあげて頂きたいと思います。
30
主婦
女
哲学入門、とあったので、軽い気持ちで参加しましたが私にはますます分からなくなりまし
た。先生はどんな頭の構造をしているのでしょう。第二部は内容がわかりやすく興味があり
ました。
31
主婦
50
女
講演の最中に写真を撮り過ぎていると思います。気が散ります。講演を聞き、本を読む時の
参考になりました。
32
会社員
60
男
私には難しかった部分が多いが、老後の人生の挑戦のためにも今後とも参加させて頂きたい。
33
フリーター
20
女
名古屋ではシンポジウムなどが少なく、こういう「知」に触れることができないので、これ
からも沢山行なって欲しいと思います。
34
会社員
50
女
先生ご自身が哲学を学んで感動された事があったと思われるのですが、その体験のお話を聞
きたいと思いました。それが、私たちの哲学の入門になるのではないかと思います。
35
主婦
40
女
哲学は興味があっても難しい。なかなか触れる機会がないので今日はとても新鮮でした。ニ
ーチェのお話は時間がなくて聞けませんでしたので、続きのセミナーを期待しています。
36
会社員
女
“自分を知るための哲学入門”とサブテーマがありながら人間の「ほんとう」とは何かがカ
ットされていたので残念です。(この部分がベースだと思われるので)
37
会社員
50
男
福岡正行氏を希望。
38
主婦
40
女
物事の考え方の参考になりました。ありがとうございます。
演台の照明が暗いのでは?話し手のところだけでももう少し明るくなるようにする方が聴衆
をもっとひきつけられるのでは?
39
40
主婦
40
女
講演はやはり難しくて半分以上理解できませんでした。今後は、心理学・環境・いじめ等に
ついて、また、世界・日本等の人間の向かう方向について。子供を取り巻く環境→幼児期か
らの近隣の信頼と助け合いの現状についてなど、取りあげて欲しい。
41
主婦
40
女
短時間では理解できなかった。
42
無職
60
男
わけの分からない事をダラダラやられてはヤリキレナイ。先生ご自身の考えを簡明に話して
欲しかった。今後は足を運んでよかった!と思うようなものを希望します。
Journal of Sugiyama Human Research 2006
034
「総合人間論」プロジェクト研究報告
総合人間論の目指すもの
椙山女学園大学人間関係学部教授
椙山人間学研究センター主任研究員
渡邉 毅
Tsuyoshi Watanabe
平成17年度にスタートした総合人間論プロ
育基本法は改定されてしまった)。結果とし
ジェクトは『身体・所作の人間学』というテ
て、戦後教育において、哲学と宗教が完全に
ーマを掲げた。その意図について、本小稿で
欠落することになったのは事実だろう。しか
論じておきたい。
し、そのために教育が荒廃し、児童の素行が
20年にわたって人間関係学部の学生をわた
悪くなったのだろうか。
しは見てきたのだが、彼女たちの人間理解に
わたし自身の個人的体験によれば、1949年
とまどいを憶えることがしばしばだった。授
の小学校入学は、そして用意されていた戦後
業で<サル学>の成果を提供するのだが、頭
民主主義教育は、希望の光であった。とくに
から人間とサルは違う、人間には理性がそな
男女同権、男女平等の理念は新鮮だった。周
わっている、との人間観を信じて、サルと人
囲のオトナたちには、「男女七歳ニシテ席ヲ
間の連続性に思いをはせる想像力をもってい
同ジウスベカラズ」という価値観が共有され、
ない。なぜ、そのような人間理解になってし
それをわたしたちに押しつけていた。<男女
まうのだろうか。欧米のようなキリスト教的
同権>というキーワードは、女性への抑圧を
伝統と信念をもともと欠落させているわが国
柔らげる効力を、確かにもっていたし、子供
の文化の下で、人間理解が欧米風に形成され
ながらに女の子と一緒に遊ぶ楽しさも保障し
てしまうのは、学校教育がそのような方向性
てくれたのだ。
を与えているからか。
1955年に保守合同によって、自由民主党と
日本の学校教育、とくに初等教育における
いう政党が成立した。明らかにくいちがう理
問題点として、明治政府が宗教と哲学を排除
念を接着した党名ではあるが、それが長期政
してスタートしたことが指摘されている。明
権を担ってきたのも、党名同様、いかにも日
治政府は、そのかわり教育勅語を用意した。
本的なのかもしれない。自由民主党の結党理
勅語とは「天皇のことば」であり、教育勅語
念は、自主憲法制定であったことは、広く世
では、学校で教える道徳規律の目標を<忠君
間に知られている。
愛国>に定め、目指したのだ。夫婦相和し、
わたしの故郷の村には、曹洞宗のお寺があ
兄弟仲良く、子は親に孝行すべしといった徳
り、よく催しものがおこなわれていた。家か
目も、もって君に忠を捧げるためであった。
ら50米の距離にあり、いわばお隣さんといっ
1948年の国会において、教育勅語は排除・
てもよかった。小学校時代、よく集会がある
失効確認がおこなわれた。戦後教育は、1947
と出かけていた。思い出深い講演には、京都
年発効の教育基本法によって担われることに
の一燈園のお坊さんのものがあり(3回は聴
なった(2006年、国民的議論もないままに教
いた記憶がある)、また選挙のときには、必
035
Journal of Sugiyama Human Research 2006
「総合人間論」プロジェクト研究報告
ず立会演説会がおこなわれ、ほとんどの会に
うか。欧米の哲学は、決して理性信仰を説い
出席した。衆議院議員選挙の区割りは、鳥取
てはいない。それでは教育学のなかで理性信
全県区で定員4名、ほぼ指定席のような選挙
仰が強調されるようになったのか。わたしは
だったが、演説は面白かった。自民党の赤澤
教育学の歴史にうといので、ここら辺りの事
正道、古井よしみ、徳安実蔵、社会党の足鹿
情をつまびらかにしない。ただ、子供への教
覚の4代議士と常に挑戦しては敗退していた
育がいかに大切かを説明するとき、必ずとい
共産党の米原いたる(作家米原マリのお父さ
っていいくらい、アヴェロンの野生児、ある
ん)の演説だった。誰だったか忘れたが、憲
いはオオカミ少年、オオカミ少女の事例が引
法改正を口にして会場からやじり出された候
用されている。今日、動物行動学の世界では、
補者もいた。わたしが賛同したのは足鹿覚と
これらの事例をことごとく事実に反するもの
米原いたるだったが、小学生に選挙権はなか
としている。引用に値しないのだ。人間は学
った。
習を必要とする動物であるが故に、教育は非
さて、自由民主党政権の方針は1955年以
常に大切ないとなみとなる。その教育の目標
来、一貫した流れで今日に到っている。それ
として、どのような人間を目指すのか。ここ
は、教育勅語的なるものの復活であり、自主
には、きちんとした人間像あるいは人間観が
憲法といいながら大日本帝国憲法へのノスタ
必要とされる。近年の知見は、理性的人格を
ルジアを基盤としているように思える。とく
もつ人間という人間像の洗い直しを必要とし
に、男女同権のもとで社会的に弱者化してき
ているように、わたしには思われる。
た男性たちの怨念が、保守層を支えてきたよ
今日、欧米での人間理解の諸学問において、
うだ。「女は子を生む機械・装置」、「男は
<進化>というキーワードが浮上してきてい
レイプするぐらい元気なほうがいい」といっ
る。過去30年にわたって、動物行動学で激
た妄言を平気で(無意識だろうが)吐露する
しい議論が展開されてきた。以前に紹介した
保守系代議士があとをたたない。
(椙山人間学研究 Vol.1)社会生物学論争が
1958年には、義務教育課程に「道徳の時
それだ。個別テーマの一つに「霊長類の子殺
間」が導入され、1959年には、激しい反対闘
し行動」をめぐる議論がある。結論の一つは、
争にもかかわらず、勤務評定が実施されてい
オスによる赤ん坊殺しの行動が合理的であり、
くようになった。この時点から学校現場は大
それ故進化してきた、というものだ。つまり、
きく変化し始めた、とわたしは認識している。
オスにとって自分の子ではない赤ん坊は、殺
教育委員長も選挙ではなく任命制となり、ア
しの対象となるのだ。子殺しは、オスの行動
メリカ型民主主義は、次から次へと骨抜きに
パターンとして定着している。人間とてこの
されていった。ここでの結論は、修身・道徳
例外ではないはずで、この連続性を<進化>
が地に落ちたから教育の荒廃がもたらされた、
概念が保証しているのだ。現代日本の社会に
とする言説には根拠がないということだ。校
おいて、子殺しは後を断たず、その多くは生
長におもねる教員が増えたことこそ問題なの
物学的父親ではない男性の手によってなされ
だ。
ている。もちろん、母親による育児放棄や子
話をふりだしに戻そう。人間の理性信仰が
教育に定着したのは、何が原因だったのだろ
殺しも存在しているが、これはまた別の文脈
で分析されるべき問題だろう。
Journal of Sugiyama Human Research 2006
036
「総合人間論」プロジェクト研究報告
理性と呼ばれてきたものは、大脳新皮質
は感情ではなく、行動なのだ。
の活動に由来している。人間、とくに新人類
現代社会は、感情をあまりにも抑制し過ぎ
(Homo sapiens)の大脳新皮質は高度に発
たのではないか。理性信仰が感情の行動発現
達している。近年、新皮質発達の適応的意味
にブレーキをかける。感情の処理ができない。
をめぐる議論が活発化してきているが、霊長
ストレスがたまる。爆発する。感情をもっと
類研究者の立場は、複雑な社会構造、さらに
大事にし、教育に取り込む必要があるのでは
はそこでの複雑な人間関係と新皮質拡大が相
ないか。京大教授菅原和孝の提起する〈感情
関していると推論する。つまり、他者をあざ
の人類学〉は、この文脈に位置づけられよう。
むいてでも自己を有利にする機能を新皮質は
さて、総合人間論の目指すところへと論を
担っている。新皮質の働きのそうではない
進めよう。ヨーロッパに発する知の伝統には、
一部を強調して理性と呼ぶ。たとえば、利他
心身二元論が根強く横たわってきた。そこで
行動と呼ばれる他者を助けるような振舞いだ。
の価値観は、心あるいは理性を上位とするも
しかしながら、社会生物学においては、利他
のだ。このパラダイムを変えなければ、新
行動の進化も基本は利己主義であることを証
しい人間像は描けない。感覚のするどい学者
明している。
は、各方面で実際の活動を始めている。浅田
動物に感情があることは、誰しも否定しな
彰、中沢新一、養老孟司などの活動は、知の
い。恐れ、不安、喜びといった感情を動物も
パラダイム・シフトを目指すものと、わたし
示す。感情の中枢は、新皮質ではない扁桃体
は評価している。
と呼ばれる場所にある。外部刺激が扁桃体
以上から鳥瞰できる21世紀の人間学は、身
に達すると、感情がうまれる。その結果、動
体問題を抜きにしては語られないだろう。こ
物は逃げたり、悲鳴をあげたり、他者を攻
の立場から、『身体・所作の人間学』は構想
撃したりする。その行動は新皮質が担ってる。
されている。このプロジェクトが新しい人間
「あいつは感情的だ」という表現は、人間的
学展開の一里塚になることを期待する次第で
に劣っているとの含意をもつ。しかし悪いの
ある。
037
Journal of Sugiyama Human Research 2006
「総合人間論」プロジェクト研究報告
「じか」にふれる身体の経験について
椙山女学園大学人間関係学部
三井 悦子
Etsuko Mii
「じか」ということがとても気になってい
「わたしという存在」にとって、「じか」と
る。生活のいろいろな場面で「じか」でいた
いうことがとても重要なことのように思われ
いと思う。そうでないと、生きているという
る。
気がしないのだ。そう言うと、「じか」でい
さて、広辞苑によれば、「じか(直)」
たいというのは、なんだ、ただの個人的な嗜
は「じき(直)」の転であり、間にへだたり
好か、と思われるかもしれない。だが、そう
がないことを意味するとある。「じき」に
ばかりではない。「じか」でないことが原因
は、ふたつの間に、ものや人を入れずにする
で、あちこちでさまざまな問題が起こってい
こと、時を移さずすること、距離の近いこと、
ると思えてならない。
心がすなおなことという意味がある。つまり、
「じか」とは、正直である、とか、すなおで
1.「じか」ということ‐個と関係性
ある、といったひとりの人間の性格や心情を
あらわすと同時に、間にへだたりがない、と
「じか」、それは「ほんとう」とか「リ
いうように「関係性」をも表す言葉である。
アル」とか「なま」という感覚に似ている。
いいかえれば、「じか」であることは、個
「じか」とはどういうことか。なぜ「じか」
の問題と関係性の問題のふたつのことがらを
でなければ生きている実感がしないと感じて
含んでいる。このことはとても興味深い。な
しまうのだろう。
ぜなら、ほかの誰とも替えることのできない
「じか」でないと、自分の存在を確認でき
「わたし」の生を思うままに生きたいと渇望
る何かがぼんやりしたままで、しっかりとつ
すること、そして、家庭や教室や職場や地域
かめない。まさしく、自分というものがリア
で「関係」の中で生きること、そのふたつが
ルに浮かび上がってこない。こんなふうに、
相反することではないと示してくれているか
何かにくるまれたような、何かに覆われてい
らである。つまり、「わたしであること」と
るようなぼんやりした感覚の中では、人は、
「つながること」は大きく重なっている、と
これでほんとうに生きているといえるのか、
端的に教えてくれている。これをもう少し進
「わたし」はいったいどこにいるのか、と自
めて、「さまざまな関係の中で人間的な交流
分の存在に不安を抱いてしまう。
をもち、そしてそこにすなおに存在すること
いまここで私は生きている、という確かな
こそ、人が人として十分に生きることであ
手ごたえ、そして自分の存在を確認すること
る」と受け取るのは深読みしすぎだろうか。
に、「じか」であることは深く関わっている。
ところで、この「わたしであること」につ
Journal of Sugiyama Human Research 2006
038
「総合人間論」プロジェクト研究報告
いて考えはじめると、とてもやっかいな事柄
の境界、区別は何か、わたしのもっとも外側
に突き当たる。「わたし」であろうとすれば
と他との境い目は何か、そしてそれは、いつ、
するほど、「わたし」を捨てなければならな
どのようにして意識されるだろうか。
い、というような問題なのだが、かつて私は、
つぎのように考えてみたことがある。
人間は、まぎれもなく身体的な存在であり、
このとき、「他」(すなわちわたしでない
もの、それが「もの」であれ「人」であれ)
が私に触れるか、私が「それ」に触れたとき、
ひとりひとり、このからだとして個別の生を
私の皮膚が「わたし」を呼び起こす。このと
生きている、「わたし」は誰にも取って替わ
きはじめて、私の輪郭がはっきりし、「わた
ることのできない固有の存在である、と。す
し」という存在が立ち上がる。何かに触れる
ると、つぎに、ではその「わたし」はどこに
ことなしに「わたし」は存在しない。「他」
いるのか。どこまでが「わたし」で、どこか
から切り離されているところでは、「わた
らが「他者」なのか、という問題が浮かび上
し」を立ち上がらせるすべはない。「触れ
がる。そこで、その境界線を明らかにするた
る」「触れ合う」という関係性の中ではじめ
めに、「わたし」と「わたしの身体」は等身
て「わたし」は明確になる、そして、存在す
大で同義か、との問いをたて、「わたし」と
るのである。人は、完全な「個」として他か
いう存在のありかを尋ねてみた。そして、結
ら切り離されて存在することはできない、と
局のところ、「わたし」とは、他との関係性
いう先の答えはこのような理由によっている。
の中で相互に融合的・融和的に存在するもの
このことは、ナンシーがすでに詳しく言っ
である、「わたし」は「わたし」の中にはな
ているとおりである。彼の言葉で言うならば、
い、と答えることに至った。
接触、分割=分有ということになろう。(ジ
つまるところ、人は、関係性の中でしか生
きられない。人は、完全な「個」として他か
ら切り離されて存在することはできない、の
である。
ャン=リュック・ナンシー『声の分割(パル
タージュ)』(加藤恵介訳)松籟社1999)
「ふれあう」という関係性の中ではじめて
「わたし」は存在する、といま、述べた。と
するならば、わたしがいまここに生きている
人は、関係性の中でしか生きられない。こ
というリアルな実感はどうしたら得られる
れは、人間が他のいのちを食べてしか生きら
か、との先の問いかけにはどのように答えら
れない生き物であることからして、自明のこ
れるだろうか。それは、自分の中にとどまっ
とではある。人間はもっとも始原的なもの
ていくら問いを重ねても答えは導き出せない。
として「依存関係」を生命の基盤としている。
「ここに生きている」と実感することもまた、
そして、この依存関係の上に、さらにその他
他者との関係性を必要としている。わたしが
のたくさんの関係をもち、その中で生きてい
いまここに生きているというリアルな実感は、
る。家族や職場、地域、自然など、言わずも
つながりやふれあう体験のなかにあるといえ
がなである。
るだろう。繰り返して言うが、「わたし」は、
さて、自分のなかには無く、他との関係性
他(との接触、他からの接触)によってはじ
の中で、いわばそのあわいに存在する自分を
めてその存在が明らかになり、それによって
想定するとき、わたしとわたしでないものと
「わたし」が立ち上がるのであるから。
039
Journal of Sugiyama Human Research 2006
「総合人間論」プロジェクト研究報告
ここでは、「わたし」が存在することの受
じるのが握手をするという行為である。触れ
動性について注目しておくだけにとどめ、つ
られているというのは、受身的、受動的であ
ぎに進もう。
る。他律的ともいえる。なぜなら、その触れ
られていると感じる部分は私ではなくあなた
2. 共にいること
の行為に任せられているのだから。
そして、今度は、あなたが触れたとき、あ
「つながり」とか「ふれあい」という言葉
なたが触れたその手のひらに私の手のひら
をよく耳にする。私もさきほどこの言葉を用
が呼応して、単に触れられているのではない、
いた。「つながり」「ふれあい」、どちらも
私が触れているのだ、と感じられたとき、こ
とても和やかな心地よい言葉だ。しかし、実
れもまた同様に受身的、受動的である。握手
際に、触れたり、つながったりするのはかな
をするという行為は真に受動的である。なぜ
り難しい。その困難さは何によるものだろう
ならば、私の呼びかけをあなたが身をもって
か。文字通り、つながるためには触れること
「受け」止め、私を再び呼びかけるのだから。
がまず必要だが、一つには、触れるというこ
ここでもナンシーの言葉を借りよう。受動性
とへの根源的な不安があるだろう。なぜなら、
とは、「能動性との対立関係によって自由
触れようとする対象は、何であれつねに自己
に規定されるのではない。…こう言ってよけ
にとっては「他」であり、それはどう考えよ
れば、意味を被り感じうる(passible感受し
うとも馴染みのない不思議な世界、異物だか
うる、感受すべき)ことにある。言い換える
らである。もちろん、だからこそ興味がつき
なら、意味を受容しうること、受け入れるこ
ず、知りたい、近づきたい、触れたいと思う
とが可能であることにある。」と。(ジャン
のだが。ところで、触れることにまつわる困
=リュック・ナンシー『哲学の忘却』松籟社
難さにはもうひとつある。触れることの深み、
2000 p.124)
重層さとでも言おうか。ほんとうに触れてい
るかという問題である。
満員電車で皮膚と皮膚の接触があったとし
てもそれをだれも「触れ合い」とは呼ばない。
いうまでもないが、人が触れるということ
一方が、誰かのからだのどこかにただ触れる
は、モノとモノとが接触することとは本質的
というだけでは「触れ合い」は成り立たな
に異なる。ましてや、触れ合う、というので
い。あなたが触れた、私も触れた、というの
あればなおさらである。例えば握手をしよう
ではなく、あなたが触れる、私が触れられる、
と私が手を出す。あなたも手を出し私の手に
そしてわたしが受けとめる、私も触れている、
触れる。これだけで触れ合うということが成
あなたも触れられたと感じる、こうしてはじ
立していると考えて良いか。いや、そうでは
めて「触れ合い」は成立する。握手をしよう、
ないだろう。私が手を出す、そしてあなたが
と私が手を出すことは、私があなたを私の世
これに応じ手を出し私の手に触れる。このと
界に招きいれることである。あなたがそれに
き、触れた私が、同時に触れられていると感
応えて手を出してくれる。それは、あなたが
じるか、そこが問題である。握手は相手に応
私をみとめ、受け入れたということ。わたし
じてもらってはじめて成り立つ。手を出した
があなたを招き入れるためには、わたしはあ
私が、触れたことよりむしろ触れられたと感
なたに受け入れられなくてはならないのであ
Journal of Sugiyama Human Research 2006
040
「総合人間論」プロジェクト研究報告
る。
る。
機械的な反応ではなく、人間としての響き
あい、呼応。こうした互いの行き来が「触れ
3.「じか‐から‐からだ」について
合う」ことには必要である。
二人は共にそこにいる。互いに触れ、触
さて、話を元に戻そう。「触れ合い」とい
れられ、融かし、融かされ、変わっていく。
うとき、重要なことは、触れると触れられる
「つながりの場」にいきいきと生きることは、
が、一つのところで同時に起こっているとい
それ以前のわたしやあなたではない新たな存
うことである。そこでは、自と他の境界があ
在へと生まれ変わらせる。こうして、「場」
いまいな、あるいは、自と他の区別の必要の
を分かち持つ体験においてこそ、人は、自分
ない、いやむしろ自と他の区別があっては成
の存在を確かなものとすることができるのだ
立しない「共同の場」がある。つまり、ふた
ろう。そこでは、互いに影響しあい、変化を
りはあなたでも私でもない存在として、そこ
もたらしあう。これが「じか」であることの
にいる、のである。
あらわれ、証しである。
このように、触れ合い、つながり、その交
「じか」とは、はい、これを剥がせば「じ
感の場に「共にいる」こと、それが人を人と
か」になれます、と、剥がして見せ説明しう
して生きさせているといえるだろう。人は人
るような「概念」ではない。それは、周到に
との関係の中で生きる。それこそが「人間で
準備された深い集中の中で生まれてくる「状
ある」ということである。
況」であったり、突然起こる「現象」であっ
ところで、先ほど握手の例をあげたが、触
たり、そして、一瞬ののちは消えてしまうよ
れる行為は唯一手だけの仕事とは限らない。
うな「想い」かもしれない。であるならば、
しかも、皮膚は目に見える表皮部分だけにと
今生じているこの感覚をそのままを受け止め、
どまっていない。さわるだけではなく、舐め
じっくり味わうことはとても大切である。そ
ること、味わうこと、匂いをかぐこと、排泄
のためには、その感覚をそのまま受け止め味
すること、性交すること、これらもまた接触
わうことのできる身体でいることが重要であ
である。さらに、触れ合う場所は皮膚だけに
る。
とどまらない。身体接触を伴わないことさえ
われわれは自分のからだのことをどれくら
ある。「まなざしがふれる」ことや「琴線に
い知っているだろう?からだについての情報
ふれる」ことも、そして「こえ」や「まごご
といえば、身長、体重、視力、聴力などをあ
ろ」や「まなざし」が届くということも接触
げる人がいるだろう。どんな力を持っている
に関係している。
かと問えば、握力や背筋力や柔軟性をkg や
人間は、存在の全体で呼びかけ、そしてま
cmで説明するかもしれない。さらには、顕
た、受けとめる。握手をするとか、抱擁する
微鏡やCTやMRIなどの精密機器を用いて、
とか、そういう身体の接触などなくても、た
ふつうなら見えない部分を見ようとする。観
だ素直に相手の前に立つこと、それで十分に
察し、検査し、数値化される身体。しかし、
触れ合い、十分につながることもある。この
はたしてそういう方法で自分のからだがわか
とき、ふたりはたしかに「共にいる」のであ
るのだろうか?
041
Journal of Sugiyama Human Research 2006
「総合人間論」プロジェクト研究報告
体重計に乗って、足ふみしたり、しゃがん
とは、知識を積み上げることではなく、むし
だり伸び上がったりすれば、それが指す数字
ろからっぽになって感じること、そしてから
は大きく変わる。しかし、人間は、こうして
っぽのなかに何が生まれ何が流れていくのか、
動いているじゃないか。直立不動の姿勢で測
からっぽからだの不思議を体験すること、で
定した数値に、何の意味があるか。生きて動
ある。
いているわたしのからだにとって大事なこと
しかし、鎧や仮面や役割を身にまとった身
はこうした数値ではないはずである。映像や
体は、いつも身構え、無意識のうちに緊張し
数値で、これがあなたのからだですよ、と示
ている。こんなものを着ていては、文字通り
されることにわれわれは従順すぎる。それが
「じか」に触れ合うことはできない。余分
自分のからだだと思いこみやすい。そんなと
な緊張をとり、身にまとったものを脱ぎ捨て、
き、わたしのからだがどう感じているかは後
からっぽになること、それが「じか」に近づ
回しにされる。それどころか、否定され無視
くことだろう。
されることもある。こんなふうに、人間のか
「じか」であるためには「からっぽ」のか
らだは覆いをかけられている。数値とか標準
らだにもどることが必要である。そして、か
とか科学とか、そういう外からの情報ではな
らっぽの「からだ」と「からだ」が出会うと
く、また静止したモノの重さではない、生き
き、触れ合い、ひびき合い、差異に気づき、
て動いているときの、その瞬間瞬間に変わる
そして信じあうことができるのだ。これが出
からだからのメッセージを感じとることが重
会うということである。このとき人は互いに
要だろう。
互いの中で生きはじめる。
「からだ」という和語は、「から」から来
わたしがあなたに出会うとき、わたしはあ
ているという。野口三千三によれば、「「か
なたの中で生きはじめる。そしてあなたはわ
ら」は、空、虚、洞、穀、殻…でもある。そ
たしのなかで息づく。
れは懐かしく安らかな安息の場であると同時
に、或る神秘的・呪術的な働きによって、は
*ここに記したことは、竹内レッスンの体
かりしれない怪しい何事かが起こることを予
験をとおして、からだで学んだことによるも
想させる「内部空間」を持つ…」、それがか
のが多い。(レッスンの内容については、竹
らだである。(野口三千三『原初生命体とし
内敏晴『竹内レッスン』春風社2006、『から
ての人間』三笠書房1972)
だとことばのレッスン』講談社現代新書1990
つまり、からだはもともとからっぽで、内
など)竹内氏がレッスンを進める際の発問や
には大切なものをはぐくみ、そして外にむけ
指示句に呼びかけられて、私のからだが行っ
ては生のエネルギーをあふれさせる流動的な
たことといえるだろうか。したがって、これ
場なのである。であるならば、からだを知る
は、わたしのからだの記憶の記録にすぎない。
Journal of Sugiyama Human Research 2006
042
「総合人間論」プロジェクト研究報告
江戸文化と身体所作
̶ 身ぶり・声色という遊び ̶
椙山女学園大学人間関係学部
佐藤 至子
Yukiko
Sato 江戸時代後期に庶民の間にひろがった芸
な書籍を擬人化して活躍させる作品だが、作
能、あるいは遊びといってよいものの一つに、
中、役者の名ぜりふなどを抜粋した「鸚鵡
こわいろ
「身ぶり」「声色」と呼ばれるものがある。
石」という書物を擬人化して、遊里の座敷を
身ぶりとは、何かを表現する体の動き・しぐ
描いた場面に「声色」の芸を披露する芸人と
さであり、声色とは、その人に独特の声質や
して登場させている。これは、物真似芸が遊
物を言うときの間の取り方、言い回しなどの
里において客を楽しませる芸として行われて
ことだが、ここで言う芸能、ないし遊びとし
いたことをふまえていると考えられる。
ての「身ぶり」は体の形やしぐさで対象物の
こわいろ
しかしながら、これらの芸は芸人だけによ
真似をすることであり、「声色」とは歌舞伎
ってなされていたわけではなかった。洒落本
役者などを声や話し方で真似するものである。
『呼子鳥』(安永8年刊〔1779〕)の序文に
この物真似を職業として行っていた芸人
は「朋友ども大勢あつまり、三味線長唄浄瑠
を「浮世師」という。山東京伝作の洒落本
璃声色の大騒ぎ、なかにも浮世こわいろを得
きゃくしゅきも か が み
『客衆肝照子』(天明6年〔1786〕刊)には
て」というくだりがあり、素人の宴会芸とし
「江戸浮世師富蔵」が序文を寄せており、遊
てこれらの芸が楽しまれていたことがうかが
廓に存在するさまざまな人々を描いたこの作
われる。仲間うちの遊びであるから、場所も
品を「京伝が振付の身振こはいろ坐しき芸」
遊里とはかぎらないだろう。
に喩えている。遊客(通、半可通、競い肌)、
体と声を使い、特別な道具は用いないこ
遊女(おいらん、新造、禿)、その他の遊
の芸は、その後も命脈を保ち、文化期の戯
里関係者について、その独特のしぐさとせり
作にもこれを扱った作品が散見する。その
ふを絵と文章で活写したところが物真似芸の
代表的なものの一つに山東京伝作の滑稽本
「身ぶり」や「声色」に通じるとの意である。
『腹筋逢夢石』とその後続作がある。
はらすじおうむせき
本田康雄氏は洒落本・滑稽本を調査し、こ
『腹筋逢夢石』は文化6年(1809)7月に
の「富蔵」のような職業的芸人が宝暦頃
伊賀屋勘右衛門から出版された。序文に
(1751∼1763)から現れたことを指摘して
「 凡 動 物 其介科を絵にうつさしめ其口技を
いる(「洒落本・滑稽本の描写について」、
文字にしるして人の笑を催さしむ」とある通
「国語と国文学」54・3、1977年3月)。
り、「かいる」(蛙)・「まひまひつぶり」
をよそのどうぶつ そ の み ぶ り
もんじ
ひと
え
わらひ
そのこはいろ
もよほ
ではこれらの物真似芸はどこで演じられた
(蝸牛)・「くろいぬぶちいぬ」・「雀」な
のか。やはり京伝作の黄表紙『御存商売物』
ど身近な小動物を題材に、それぞれの物真似
(天明2年〔1782〕刊)は、当時のさまざま
をしている人間の姿形と台詞を絵と文で表現
043
Journal of Sugiyama Human Research 2006
「総合人間論」プロジェクト研究報告
したものである。
文化7年 8月 京伝作『腹筋逢夢石』二編
例えば「かいる」と題する作品は、顔にあ
同年10月 京伝作『腹筋逢夢石』三編
ばたのある肥った男が相撲の仕切りのような
同年12月 京山作『台所譚』
格好をしている絵に、次のような文が添えら
これらはいずれも『腹筋逢夢石』の板元伊
れている。
賀屋勘右衛門から出版されたものである。同
「やっとこなやっとこな ○とかけ声して
趣向の浮世絵が別の板元から出版されている
手水鉢のもとへ這ひ出で、目をぱちぱちして
ことからも、『腹筋逢夢石』の好評をうかが
「どりや昼飯にみみずでもかせぐべいか い知ることができる(注)。
○トそこらを探す思入れ 「ハハアおかみ
京伝作の二編・三編を見ていくと、絵と
さんわつちがつらへ手水の水をかけなさるか。
文章で滑稽な物真似の様子を表現しているこ
おせわだの。いくらでもかけなせへ。何とも
とは変わりないが、多少変化している点もあ
思やアしねへ。をつとやにならごめんだ ○
る。二編では生き物以外のものも題材になっ
トどたりどたり逃げのきて(略)
ており、例えば「鉢うゑの梅」(諸肌を脱ぎ
「手水鉢のもとへ這ひ出で」「どたりどた
梅の形をした菓子を腕につけている男の絵)、
り逃げのきて」など、いかにも蛙を思わせる
「柚みそのにえたつ身ぶり」(籠に入り、大
体の動きをト書きに表し、せりふは蛙が言葉
きなふたを頭にのせている男の絵)などの作
を話せたら言いそうな内容のものになってい
品がある。文章は初編とはやや異なり、絵の
る。一人芝居と言うと大げさかもしれないが、
余白に細字で書かれているごく短いせりふの
このせりふとト書きにしたがってひととおり
他に、絵とは別の丁にやや大きめの字で書か
しゃべり、体を動かせばそれらしい蛙の物真
れたせりふとト書きがある。このように絵と
似になるわけである。
文が分かれている形式は三編も同様であるが、
文章は題材によってト書きがなかったり、
興味深いのは、三編には物真似を行う主体と
二人で掛け合いを行う形式になっているなど、
しての人間に目を向けた作品があることであ
形式や長さには違いがあるが、台本風の文体
る。「雞の夫婦いさかひ」と題する作品がそ
である点は一貫している。挿絵に描かれてい
れであるが、この作品に書かれているせりふ
る「身ぶり」は、着物や小道具を工夫し、表
は、物真似の対象である鶏のせりふではなく、
情やしぐさでそれらしく真似ており、着物は
鶏の物真似をする男とその妻の会話になって
浴衣や羽織、小道具は扇子や手拭いで特別な
いる。以下、冒頭部分を紹介したい。
ものはない。つまり誰でもかんたんにできそ
○雞の夫婦いさかひ これはにはとりの
うな物真似が描かれているのであり、台本と
心いきにあらず。にはとりの身ぶりをす
しても役立つし、単に読み、見るだけでも楽
る人の心いきをしるす
しめる作品になっている。
ある人、近所の日待によばれて雞の身
本書は好評だったらしく、以下のように、
ぶりをし、やんやアとほめられ、大にの
同じ発想による続編が短期間のうちにいくつ
りがきてゐる最中に、その女房あはただ
か出版された。
しく来たり「おめへまたそんな馬鹿をし
文化6年10月 山東京山作『腹佳話鸚鵡八
芸』(京山は京伝の弟)
なさるか。不器用もののくせに外聞の悪
い。よしなせへよしなせへ。 ト言へば、
Journal of Sugiyama Human Research 2006
044
「総合人間論」プロジェクト研究報告
にはとりになつてゐる人振り返り、「な
つくだけでもおかしいのだが、それが周知の
んの来ずともいいになぜ来た。そんなに
ストーリーの登場人物にあてはめられると、
言ふな、いいはへ。おれが好きでするの
また別種の面白さがある。作者京伝の面目躍
だ。うつちやつておけへ 女房「いいじ
如だろう。そしてまたこれは、単なる物真似
やアねへはな。そんな馬鹿なことをしな
に一工夫を加えてみたいと考える、自ら物真
さつて。外聞が悪いはな。 ト言ひなが
似を演じる側に立ちうる読者の嗜好に応じた
らよくよく見て 「おめへ。小僧が疱瘡
作品と見ることもできる。また、同時期に茶
の時の頭巾まで持ち出してきなすつたの
番(素人が行う芝居)が流行していたことも、
(略)
この作品の成立の背景として考慮すべきだろ
鶏のつがいの諍いを夫婦げんかに見立て、
う。
物真似に興じる夫と異見する妻の言い合いを
物真似芸は現代にも脈々と残っており、テ
描写している。掲出部分にある「小僧が疱瘡
レビや寄席を覗けば芸能人の物真似を売り物
の時の頭巾」は鶏冠のかわりにかぶるのだろ
にした芸人を目にすることができる。しかし
う。確かにいい年をした大人がそんなことを
芸人でもない人々が、仲間うちの集まりで自
するのは「馬鹿なこと」で「外聞が悪い」こ
ら演じ、互いに楽しむという習慣は、もはや
とかもしれないが、そういう男も、呆れてた
都市部ではさほど一般的なものではないので
しなめる妻もどこかほほえましい。物真似そ
はなかろうか。江戸時代の庶民が物真似芸を
のものの面白さを描いてきた京伝は、ここで
楽しんだように、この時代にはおそらく武士
物真似に興じる人そのものが醸し出す滑稽さ
には武士の、農民は農民の、互いに披露しあ
を描こうとしているのである。
い楽しむ芸があったと思われる。一方的に芸
そして文化7年12月に、やはり同じ趣向で
を鑑賞するだけではなく、自らの身体を使っ
京伝作の滑稽本『坐敷芸忠臣蔵』が出版され
て芸を見せ合うという相互的な遊びの楽しさ
た。この作品はそれまでの『腹筋逢夢石』と
が近代化のなかで失われていったとするなら、
は少し違い、物真似のありさまを列挙してい
それは単に娯楽の質的変化というだけではな
くのではなく、物真似を「仮名手本忠臣蔵」
く、相互に楽しむ仲間という人間関係そのも
のストーリーに関係づけていく内容のもので
のが変質していったことをも意味するのかも
あった。例えば『腹筋逢夢石』初編には「と
しれない。
んび からす かけ合」と題する作品があ
り、とんびとからすの真似をしている二人
注 『腹筋逢夢石』の挿絵を担当した画工歌
の人間を描いた絵に両者の掛け合いのせり
川豊国は「介科絵」と呼ばれる浮世絵を製作
ふが添えられているが、これが『坐敷芸忠臣
した。亀・猫・蟹・サボテンといった動植物
蔵』では睨み合う「もろなほとんび」と「も
の物真似をしている人間を描いたもので、十
ものゐからす」に変じ、江戸時代には誰もが
種類あることが知られている。絵の余白には
知っていた演劇「仮名手本忠臣蔵」の登場人
滑稽本で組んだ山東京伝が讃(絵の内容に関
こうのもろなお
もものいわかさのすけ
み ぶ り え
物、高師直と桃井若狭之助が対立する場面の
係のある狂歌)を書いている。極印(検閲の
見立てになっている。とんびやからすの真似
行われた年月を示す印)は文化6年(1809)
をしている人間の絵にもっともらしい台詞が
7月で、板元は永寿堂西村屋である。「外題
045
Journal of Sugiyama Human Research 2006
「総合人間論」プロジェクト研究報告
作者画工書肆名目集」の記載から『腹筋逢夢
石』初編の発売は文化6年7月27日であったこ
とがわかっており、これらの浮世絵は『腹筋
逢夢石』発売に前後して作られ、ほどなく売
り出されたものと考えられている(展示図録
「寛政の出版界と山東京伝」、たばこと塩の
博物館、1995)。
付記 引用文は読みやすさに配慮して適宜表
記を改め、句読点を加除した。
Journal of Sugiyama Human Research 2006
046
「総合人間論」プロジェクト研究報告
日本人の歩き方
椙山女学園大学人間関係学部
山根 一郎
Ichiro Yamane
まず、現代日本人の歩行姿勢(歩容)をチ
1.歩行と作法
ェックしてみよう。そもそも、幼な子がただ
本稿は、身体動作から「人間」を探る視点
歩き始めただけで喜ぶ親たちは、その子の自
の一部として、人間の人間たるゆえんといえ
然な歩行を洗練させることなど思いもよらな
る「直立二足歩行」について、作法とりわけ
い。その結果、運動効率的・美的に理想とか
「小笠原流礼法」という武家礼法の観点から
け離れた姿になっているのに本人も気づかな
問題にしたい。
い。たとえば、学生を歩かせてみると、腕の
まず、小笠原流礼法について簡単に紹介
振りが左右で非対称、というより片手は全然
する。清和源氏の一族である小笠原氏は、言
振られない歩容が目につく。これは同方向の
い伝えによれば、鎌倉時代から弓・馬(す
片荷(いつも同じ側の手で荷を持つ)による
なわち上級武士の武術)の師範の家柄であ
癖によるもので、おそらく肩の高さも左右で
った。南北朝期にそこに礼法を加え、以後、
違っているだろう。
弓・馬・礼の三法を武士の嗜み(武芸)とし
一方、意識的に腕を振ってウォーキングし
て「糾法」と称し、その家元を任じた。この
ている中高年は、腕の振りが体幹の前と後で
ように武家礼法は戦場での命をかけた武術と
不均等になっている(体の前方だけで振って
同格で、武術の動作原理(身体力学的合理性、
いる)。彼らは「競歩」の基本的なフォーム
すき
隙のなさ)を非戦場たる日常世界に応用した
を身につけていないため、腰の回旋(ウエス
ものである。それゆえ武家礼法は立位・坐位
トのひねり)がなく、腕が自然な振り子運動
の姿勢(「胴造り」「生気体」)を基本とし、
(前後の振幅が等しい)になっていない。骨
歩行をはじめあらゆる日常動作に及んでいる。
盤から歩いていないため、開脚軸が低くなり、
武士にとって礼法・作法とは、日常の起居
思ったほど足が前に出ない(歩幅を損してい
進退についての考え抜かれた“理想レベルの
る)。
動作法”のことであり、特別な儀式のしきた
また着地時に膝が曲っている姿勢も多い。
り的な手順(故実)に限られるものではない。
これは後述する洋式歩行の基本ができていな
そのような視点から、われわれの歩行姿勢・
い証拠である。特にハイヒール+ミニスカー
動作(=歩容)を論じてみよう。 ト姿で膝が曲っていると、せっかくのおしゃ
れが台無しになる。
一方、和服姿では、立っているだけなら美
1.1.
047
現代日本人の歩き方
しいのだが、歩く姿がいただけない。さすが
Journal of Sugiyama Human Research 2006
「総合人間論」プロジェクト研究報告
に腕は振らないものの、踵を上げて草履の裏
後に等しい角度で振られ
が見える歩き方をしている。このような歩き
る。腕は前・後ともに内
方をする人に、和室での音を立てないしずし
側(体軸側)に流れ、前
ずとした歩きは期待できない。すなわち、現
後面から見て体の外側に
代の日本人は、洋式歩行と和式歩行が中途半
腕が出ることはない(図
端にミックスした、逆にいえばどちらからも
2)。
理想的でない歩容になっている。必要なのは
着地から蹴り出しまで
両方の歩行を正しく身につけ、服装・履物に
の足内の重心移動は、踵
よってきちんと使い分けることである。
から足底部に沿って拇指に抜ける。踵を引き
ずるような「すり足」には絶対ならない。
2. 歩行の原理
このような歩行に耐える靴は踵着地の衝撃
とつま先の後方蹴り出し時の屈曲に耐える頑
では和洋の理想の歩行法を紹介する。洋式
丈かつ柔軟なものである。
歩行は作法というより科学的に追究されたも
以上、洋式歩行の特徴をまとめてみる。
のである。
① 後方蹴り出し動作が推進力である。
② 蹴り出しから遊脚期以外は膝が伸びて
2.1.
洋式歩行
いる。
洋式歩行は、Ducroquet(文献1)によれ
③ 下肢だけでなく、腕も腰も使ったダイ
ば、着地期・支持期/遊脚期・蹴出期の4相
ナミックな全身運動である。
からなり、彼はそれぞれを綿密に分析してい
④ 踵着地・蹴り出しに負荷がかかるため、
る。ここではそれらを元に簡単に流れを示す
踵が頑丈で、中足骨関節部分が柔軟な
(歩行相ごとのより細かい記述は文献1また
履物が求められる。
は6参照)。洋式歩行では推進力はつま先の
この歩き方は乾燥した平原をスタスタ歩く
後方蹴り出しである(蹴り出し駆動)。つま
のに向いている。ただし、われわれはこの洋
り脚を前に出すから進むのではなく、後ろに
式歩行が人類の唯一の理想的歩行法だと思っ
蹴り出す反作用で前に進むのである。そして、
てはならない。
蹴り出しによって前進した上体のつっかえ
棒のために、脚を伸ばし
2.2.
和式歩行の原理
て踵から着地する。した
そこで和式歩行である。そもそも日本と
がって着地脚の膝は棒状
西洋とでは、歩行だけでなく、テーブルマナ
に進展する(図1)。ま
ー・立位と坐位の価値など作法の原理が根本
た、歩幅をかせぐために、
的に異なっている。作法学では、それらの違
股関節ではなくその上の
いを単なる習慣の差とみるのではなく、それ
骨盤から歩く(骨盤歩)。
ぞれが追究している価値が異なる、合理性・
骨盤は水平面において回
理想の追究における「理」の相違であるとみ
旋するので、その反動と
なす。したがって和式歩行は洋式歩行と「ど
して、腕が体幹を軸に前
こが違うのか」だけでなく、「なぜ違うの
Journal of Sugiyama Human Research 2006
048
「総合人間論」プロジェクト研究報告
か」が問題となる。
定されない。上級武士の急ぎの移動は乗馬に
a) 小笠原流礼法におけ
よる。
屋外では、完全なすり足でなく、すり足気
る室内歩行法
小笠原流の歩行は、踵
味に歩く。草履の裏を見せないように、後方
も爪先も着けたままの完
蹴り出しは極力おさえ、着地は踵ではなくつ
全な“すり足”である。
ま先からフラットにする。
まず、和式立位姿勢、す
以上の和式歩行の特徴をまとめる。
なわち両手を腿上につけ、
① 前方踏出しが推進力である。
膝を軽く曲げて腰をやや
② どの歩行相においても膝を伸展しない。
落とし上体を垂直にす
③ 最低限の部位しか動かさない静的な歩
る。足は外向せず正面を向き、両足の間隔は
自然な腰幅にする。そこから滑るように片足
をすり足で前に踏み出し、その脚の膝を曲げ
て、上体をその膝の上に移動する。この動作
容。また体をねじらない。
④ 急ぐ歩行ほど歩幅が小さく、小股にな
る。
2.3. 和式歩行のバリエーション
が推進力となる(踏み出し駆動)。そして後
以上の武家礼法の歩行法が作法としての和
ろに残った足の踵を地につけたまま、前に出
式歩行の基本であるが、身分や履物によって
した足に追いつかせる(ここで後足が前足を
歩き方は異なっていた。それらのいくつかを
追い越す歩きと追い越さずに揃える歩きとが
紹介する。
ある)。歩行中は上体を固定し、両手を腿上
a) ナンバ
から離さない(腕を振らない)。膝は常に伸
現在スポーツ関係者から注目されている
ばさず、腰をやや落として、上下動・左右動
「ナンバ走り」は江戸時代の飛脚の走り方に
をなくす。また呼吸と歩行を対応させる(図
由来すると言われている。今では走りだけで
3)。足内の重心移動は、踵から小指丘へ抜
なく様々な身体操作法として「ナンバ」が拡
ける。
大されている。そこでの「ナンバ歩き」では、
この和式歩行は、格式(歩く場面)に応
骨盤を踏出し足側から旋回させる。その結果、
じて、主に歩幅を違えて次の5種類に別れる。
腕も踏出し足側が前方に振られる(ただし腕
すなわち歩幅が広く、格式の高い順に、「練
を振る動作はしない)。まずこの点で洋式歩
り」(儀式での歩行、追い越さない歩き。図
行と異なる歩容になる。ただナンバより以前
3)、「運び」(以下追い越す歩き)、「歩
に武家礼法が作法として上述の歩行法を確立
み」(通常の歩幅)、「進み」(やや急ぎ
させているので、ナンバを和式動作の基本と
足)、そしてこれらとは形が異なる「走り」
みるのは誤りである。
がある。
武家礼法とナンバの違いに注目してみよう。
「走り」は、歩幅は半足分で、一呼/吸で
まず武家礼法では殿中を長袴で歩く(練る)
四歩進む「小走り」である。このように、和
時以外は骨盤の回旋を使わない。つまり足と
室では格が低く、また急ぐ時ほど歩幅を小さ
同側の腕を出すという動作はない。
くする。足音や体の揺れをふせぐためである。
ちなみに、武家礼法では屋外で走ることは想
049
空間移動・廻転動作は、武家礼法では股関
節より下の関節のみを使う。たとえば、ふり
Journal of Sugiyama Human Research 2006
「総合人間論」プロジェクト研究報告
たいさば
返る時の動作も足を使った体捌き(「開く」
足がまた自然に着地足の前に出る。この推
という所作)をして、体幹は決してねじらな
進原理は洋式歩行に近い。ただ洋式歩行と違
い。ナンバのふり返り方とされる「見返り美
って、一歩ごとの後方蹴り出しが不要となり、
人」の所作は武家礼法にはない。
最初の一歩以降は、ほとんど慣性の力だけで
坐位から立位への動作(その逆も)同様で
前進できる。足半を実際着用してみると、非
あり、武家礼法では上体は垂直のまま固定し
常にエネルギー効率のよい歩行を実現でき
て動かさない。また両手は腿にあてたままで
る(むしろ停止時に制動力を使う)。これは、
ある。
ナンバの「地球重力をじょうずに活用して、
武家礼法からみると、ナンバの所作は運
前に倒れながら移動」(小林、2004)という
動合理性のみを原理としており、風格・美し
歩行原理を実現しているといってよい。この
さに欠ける。ナンバは庶民の作業動作であり、
利点のため、足半は図4のように馬に乗らな
武家礼法は大名クラスの作法であるから当然
い下級武士(歩兵)の履物として戦場で使わ
であるが。
れるようになった。
b) 履物による差異
また一本歯の足駄(高下駄)という不思議
洋式歩行でも
な履物がある。修験者の履物として有名であ
ハイヒールでは
るが、絵巻物によると行者でなくても履いて
踵着地ができな
いる。これを履いている時のアンバランス状
いように、履物
態が身体の訓練によいと古武術家が推奨して
によっても歩行
いる。筆者がこれを履いて実感したのは、安
法は変わる。
定して歩くには後方蹴り出しをまったくしな
あしなか
たとえば「足半」という長さが半分しかな
い完全なすり足歩行を必要とするということ
い草履がある。絵巻物によると、旅や運搬作
だ。言い換えれば、昔の日本人は元来すり足
業での着用が見られることから、足半は裸足
歩行であったため、このような一見不安定な
を常とする人たちのすべり止め用らしい(長
履物でも難なく履きこなせたのである。
良川の鵜匠は現在も着用している)。絵巻物
さらに、すり足歩行自体がバリエーション
を概観すると、足半は機能的にも身分・作法
をもっている。たとえば同じ小笠原流でも弓
的にも裸足と草履の中間の存在であることが
術(弓道)の時は、踵を上げたままのすり足
わかる(図4)。
で進む。また小笠原流礼法と同時代に完成し
裸足に慣れている当時の庶民は、足半を
履いていてもすり足をしていたようであるが、
た能の仕舞・狂言では逆に一歩ごとに爪先を
あげるすり足で進んでいる。
足半に合わせてつま先立ち姿勢をとることに
よって、足半特有の歩行運動が実現する。つ
3. 歩行の使い分け
ま先立ちの静止姿勢で、最初の一歩を踏出す
と、重心が前に移動するので、自然に後方蹴
以上概観してきたように、理想の歩行は一
り出しになる。すると、蹴り出しからの慣性
種類ではなく、理想の根拠の数だけ存在する
力だけで上体が着地足よりも前方に出る。重
ことがわかる。歩行姿勢を規定するのは、履
心が依然として足より前方にあるため、次の
物・服装、そして接地面の状態である。また
Journal of Sugiyama Human Research 2006
050
「総合人間論」プロジェクト研究報告
歩く目的によっても理想の動作は異なる。た
カラダを変える』2004 徳間書店 とえば速度・運動効率を求めるなら競歩やナ
4. 木寺英史『常歩:本当のナンバ』2004
ンバが理想になろう。しかし風格や美しさを
求めるなら礼法のような別の基準で洗練され
スキージャーナル 5. 澁澤敬三・神奈川大学日本常民文化研
た歩行姿勢になる。このようにみてくると、
究所編『絵巻物による日本常民生活絵
一人の人間にとっても複数の歩行法をマスタ
引』1984 平凡社
ーし、状況に応じて使い分けた方がよい。
6. 山根一郎 『小笠原流日常動作法』2003
三恵社
4. 参考文献
7. 山根一郎 「中世武家礼法における中
国古典礼書の影響」
(椙山女学園大学文
1. R.J.et P.Ducroquet
(鈴木良平訳)
『歩行
と跛行』
1975 医歯薬出版
2. 『春日権現験記絵』
(日本絵巻物全集
16)
1978 角川書店
化情報学部紀要 4) 2005
8. 矢野龍彦・金田伸夫・織田淳太郎 『ナ
ンバ走り』2003 光文社 (Endnotes)
3. 小森君美
『ナンバの効用:整体動作が
051
Journal of Sugiyama Human Research 2006
「女性論」プロジェクト研究報告
「女性論」プロジェクト研究報告
A Research Report of the Women’
s Studies Project
男女共同参画を推進する女子大学における女性人材育成プログラム
―お茶の水女子大学「女性リーダー育成プログラム」と奈良女子大学
「地域の変革を促す女性人材育成プログラム」の比較研究―
椙山女学園大学現代マネジメント学部
東 珠実
Tamami Azuma
1. 男女共同参画の推進と女子大教育
男女共同参画社会基本法が制定されて以来、
の果たす役割の重要性が再確認されたといえ
る。
既に7年余が経過した。2005年には男女共同
このようななか、我が国の女子大学の草分
参画基本計画(第2次)が策定され、このな
けである2大学において、女性の人材育成に
かで、「女性のチャレンジ支援」に注目が集
関する興味深いプログラムが展開されている。
まっている。これは、「一旦家庭に入った女
お茶の水女子大学の「女性リーダー育成プロ
性の再チャレンジ(再就職、起業等)支援策
グラム」と、奈良女子大学の「地域の変革を
を充実」させることなどを目指すものである
促す女性人材育成プログラム」である。
1)
。女性の社会進出が急速に進行している
とはいえ、我が国の女性の年齢階級別労働力
2. お茶の水女子大学「女性リーダー育成プログラム」
率は、以前としてM字型を示し、出産・育
お茶の水女子大学では、文部科学省の支援
児期に離職する女性は多い
。また、昨年
の下、女性支援室が中心となり、今年度より
度、本学学生に対して実施したアンケート結
4年計画で、特別教育プログラム「女性リー
果でも、「予想される将来像(ライフスタイ
ダー育成プログラム」をスタートさせた。こ
ル)」に関して、4割以上の学生が「結婚し
のプログラムでは、優れた女性リーダーに必
子どもができたら職業をやめ、大きくなった
要な「資質とノウハウとパワー」を強化・育
ら再び職業をもつ」と回答している
成するために、
2)
3)
。
一方、男女共同参画を支援する動きは、当
① 女性が少数派である様々な場において、
地域においても盛んである。例えば2004年の
的確な発言によって自己主張をする訓練
名古屋市男女平等参画審議会答申「男女平等
② 重要なポジションを得るノウハウの獲得
参画先進都市をめざして」によれば、「職場
③ 女性リーダーとして現在活躍している
と家庭の両立支援策を一層拡充すること」、
ロールモデルの方々からの、大勢を統
「指導的立場(管理職)や新たな職域で活躍
一するノウハウの学習
する女性を計画的に増やす等ポジティブ・ア
④ 自ら講演会を企画・運営する訓練
クションに取り組むこと」等とならんで「名
などを行うことを目的とした講義・実習が行
古屋市の教育機関における男女平等を推進す
われている。昨年7月には、大学院生対象プ
ること」が掲げられている
。つまり、男
ログラム「アカデミック女性リーダーへの
女共同参画の普及・啓発において、教育機関
道」が、後期からは、学部生対象プログラム
4)
Journal of Sugiyama Human Research 2006
052
「女性論」プロジェクト研究報告
(コアクラスター)「優れた女性リーダーに
よび選択必修科目のいずれかを含む10単位以
なろう」が、それぞれスタートした。
上を2006∼2007年度内に履修させることにな
コアクラスターの科目表は、図表1のとお
っている。ここでの取得単位は、いずれも卒
りである。すなわち、必修科目「女性リーダ
業単位にカウントされる。また、このコース
ーへの道(入門編)」、選択必修科目「女性
で身につけた「ノウハウと資質とパワー」を
リーダーへの道(ロールモデル入門編)」、
海外において実践する計画書を提出させ、そ
「女性リーダーへの道(実践入門編)」のほ
のうち優れた計画を立案した数名を2007年度
か、通常の授業科目の中からいくつかの関連
に海外へ派遣することが予定されている5)。
科目が指定され、これらの中から必修科目お
図表 1. お茶の水女子大学「女性リーダー育成プログラム」コアクラスター科目
2006 年度開講科目
単位 2007 年度開講(予定)科目
単位
女性リーダーへの道(入門編)〈必修〉
2
女性リーダーへの道(入門編)
〈必修〉
2
女性リーダーへの道(ロールモデル入門編)〈選択必修〉
2
女性リーダーへの道(ロールモデル入門編)
〈選択必修〉
2
女性リーダーへの道(実践入門編)〈選択必修〉
2
女性リーダーへの道(実践入門編)
〈選択必修〉
2
芸術Ⅰ(コア科目基礎講義)
2
芸術Ⅰ(コア科目基礎講義)
2
法と文学(コア科目基礎講義)
2
哲学(コア科目基礎講義)
2
現代社会分析Ⅱ(コア科目基礎講義)
2
現代社会分析Ⅱ(コア科目基礎講義)
2
数学パースペクティヴ/数学Ⅰ(コア科目基礎講義)
2
数学パースペクティヴ/数学Ⅰ(コア科目基礎講義)
2
現代生物学(コア科目基礎講義)
2
現代生物学(コア科目基礎講義)
2
ジェンダー論(生活科学部共通科目)
2
倫理・宗教(コア科目基礎講義)
2
−
−
教養の科学/科学Ⅰ(コア科目基礎講義)
2
−
−
物理学入門/物理学Ⅰ(コア科目基礎講義)
2
出所)女性支援室「女性リーダーへの道」お茶の水大学、2006 年
3.奈良女子大学「地域の変革を促す女
ログラム―歴史的市街地に立地する大学を
性人材育成プログラム」
地域社会変革の拠点とする―」を展開して
一方、奈良女子大学では生活環境学部が中
いる。そのコンセプトは図表2に示したよ
心となり、現代GPの取組みとして、2005年
うに、地域社会の変革に関する「6つのテ
10月より「地域の変革を促す女性人材育成プ
ーマ」と「3つのフィールド」から成る。
図表 2. 奈良女子大学「地域の変革を促す女性人材育成プログラム」のコンセプト
6 つのテーマ
3 つのフィールド
Ⅰ . 商店街の活性化
○近鉄奈良駅周辺の商店街
Ⅱ . 女性企業家から学ぶ
Ⅲ . 歴史的な生活・町家から学ぶ∼ならまち∼
Ⅳ . 住宅地の居住環境整備∼きたまち∼
×
○ならまち
○きたまち
Ⅴ . 安全・安心のまちづくり
Ⅵ . 歴史的景観の現代的再生
注)奈良女子大学生活環境学部現代 GP 推進室「現代 GP2005」に基づいて作成した。
053
Journal of Sugiyama Human Research 2006
「女性論」プロジェクト研究報告
2005年度はプログラムの準備期間として位
ども開催された6)。
置づけられ、6つのテーマに関して、例えば
2006年度には、前年度の実績をふまえ、全
(Ⅰ)商店街における祭りへの参加、(Ⅱ)
学および生活環境学部の授業カリキュラムの
女性起業家をゲストスピーカーとする「女性
中に本プログラムの関連科目が明確に位置づ
起業家から学ぶ」(生活環境学部共通科目
けられた。すなわち、図表3にみるように、
/既存科目)の授業、(Ⅲ)「奈良町セミナ
全学共通科目内のキャリア教育科目<キャ
ーハウス」の開設と活用、(Ⅳ)旧銀行保存
リアプラン科目>の中に「キャリアデザイン
活用プロジェクトや市場活性化プロジェク
ゼミナール」として4科目を開講するととも
ト、(Ⅴ)防犯研修会や街路の視環境調査、
に、生活環境学部においては、前年度から継
(Ⅵ)ワークショップを取り入れた「生活と
続の2科目に加えて「世界遺産と地域計画」
観光」(生活環境学部共通科目/既存科目)
を新設し、関連の授業を展開することになっ
の授業などが実施された。併せて、年度のま
た。さらに、前年度と同様、年度末にはシン
とめとして、シンポジウムや、商店街を会場
ポジウム等の開催も予定されている。
とする「奈良」にかかわる卒業研究発表会な
図表 3. 奈良女子大学「地域の変革を促す女性人材育成プログラム」(現代 GP)関連科目
キャリアデザインゼミナール(全学共通)の現代 GP 関連科目
生活環境学部共通科目の現代 GP 関連科目
歴史的町並みの保存・再生実践講座Ⅰ(奈良女子大学セミナーハウスの活用)
生活と観光(観光対象としての生活風景、町ぐるみ観光)
歴史的町並みの保存・再生実践講座Ⅱ(奈良きたまちとの連携)
女性起業家から学ぶ(地元の女性企業家の生き方、インタビュー形式)
商店街活性化体験講座(8 商店街をフィールドとする体験学習)
世界遺産と地域計画(文化遺産を守るための地域計画、地域変革と文化)
安心・安全のまちづくり実践講座(地域と連携した防犯・防災への貢献)
−
注)1. 奈良女子大学 HP「現代 GP / 2006 年度活動概要」http://www.nara-wu.ac.jp/gp/naragp_ex/history_2006.html に基づいて作成した。
2.( )内は各科目の授業概要よりポイントを抜書きした。上記のほかに科目外の取組みとして「奈良漬プロジェクト」がある。
4.まとめ
www.gender.go.jp/main_contents/
以上のように、お茶の水女子大学のプログ
ラムは、学内のカリキュラムの整備を中心に、
将来職業分野などで「女性リーダー」として
活躍できる人材を育成するものであるのに対
し、奈良女子大学のプログラムは、地域との
連携の下、社会の多様な場面で求められる女
性人材を実践的・体験的学習により育成する
という特徴をもつ。これらを参考に、本学で
も、今後「都市部における地域との連携」を
独自性とするプログラムの開発を試みたい。
category/point.pdf、2005 年
内閣府男女共同参画局『平成 17 年版男女
2)
共同参画白書』国立印刷局、2005 年
森川麗子ほか「「女性論」プロジェクト研
3)
究報告」、『椙山人間学研究 2005 年度』
Vol.1、2006 年、p.79
名古屋市男女平等参画審議会答申「男女
4)
平等参画先進都市をめざして」、2004 年
女性支援室編「女性リーダーへの道」お茶
5)
の水女子大学、2006 年
奈良女子大学生活環境学部現代GP推進
6)
室「現代GP 2005」、2006 年
引用文献・参考文献
内閣府男女共同参画局「男女共同参画
1)
基本計画(第 2 次)のポイント」
、http://
Journal of Sugiyama Human Research 2006
054
「女性論」プロジェクト研究報告
リーダーシップの育成と大学教育
∼多様性と環境変化への対処に向けて∼
椙山女学園大学現代マネジメント学部
塚田 文子
Fumiko Tsukada
今日、日本は、労働力構成の再編を巡っ
ることがリーダーシップ養成の基盤となる。
て論議が喧しい。従来、成人男性が担ってき
例えば、カリスマ的なリーダーなどは、広く、
た職種や職域にも女性が参加するようになり、
学生に敷衍してトレーニングを行うことはで
日本経済を支える人材育成への要望は切迫し
きない。しかしながら、行動理論においては、
ている。この状況下、組織のマネジメントに
どのような行動がリーダーシップ機能に有効
おいて、リーダーはその運営能力の向上を求
かという観点から、その特徴や習得方法など、
められ、多様な環境変化への対処が急務とな
大学教育、特に、女性大学に対して、社会が
った。多様性や環境変化を削減、抑制する方
現在、要請し、近い将来には、その重要性が
向ではなく、それらを組織の生産性向上の源
増大してくる課題であると言えよう。
として活用する方向が求められるという、よ
では、どのような行動がリーダーとして優
り複雑・高度な期待がリーダーに寄せられて
れているのか。まず、行動理論研究では、リ
いるのである。本稿はリーダーシップの理論
ーダーの型を特定することから始まった。ア
研究を辿りながら、大学教育、特に女性大学
イオワ大学研究(1939) 1では、K.Lewinら
におけるリーダーシップ研究とその実践活動
によって、民主型、放任型、専制型リーダー
の方向性について示唆を得るためにまとめた
が特定された。ミシガン大学研究 (1950)
ものである。
2
では、Katz他により、従業員志向型、生産
性志向型が特定された。オハイオ大学研究
リーダーシップ理論は元々、組織の生産
(1957)3では、構造作り型と配慮型に特定した。
性を高め、外敵の脅威から護り、組織の凝集
構造作りとはリーダーと構成員の役割規定で
性を高めるために研究されてきたものであ
ある。配慮とは信頼、尊重、気配り等、構成
る。社会における組織を維持し、社会システ
員に対する関係作りである。グループダイナ
ムの存続を助長するための、所謂、機能理論
ミクスセンター研究(1959)では、カートライ
(Functionalist Theory)に所以するもので
ト、ザンダーらが、リーダーシップ機能を
ある。
集団維持機能、目標達成機能であるとした 4。
リーダーシップ理論は特性理論と行動理論
PM理論(1964)では、三隅二不二 5がリー
に分類され、特性理論はリーダーは特別に優
ダーシップをP機能(Performance−課題達
れた資質を持つとしてその特徴を特定する研
成)とM機能(Maintenance−集団維持)の
究として進められた。此れに対してリーダー
組合せによる四類型行動モデル(課題達成・
の行動に焦点をあて、人物ではなく、行動の
集団維持型、課題達成型、集団維持型、非課
特徴を研究したのが行動理論である。教育に
題達成・非集団維持型)を構築した。マネジ
おいて、特性理論はその人物の特徴を特定す
055
Journal of Sugiyama Human Research 2006
「女性論」プロジェクト研究報告
リアル・グリッド理論(1964)6においては、
Vroom and Jago10は独裁型と協議型とい
Blake and Moutonはリーダーシップを人間
ずれの意思決定方法が効果的かを測定した。
への関心、生産への関心で表し、四類型と中
優れたリーダーは状況やフォロワーの性格・
間型モデルを考案した(社交型、超人型、消
特徴に柔軟に対応していることを示している。
極型、業績型、中間型)。
状況をリーダーとフォロワー間の情報や
上記の研究で明らかになったことは、リー
地位、役割の交換と見て、その相互作用を
ダーの型には大きく分類して、人間志向型と
分析することにより、リーダーシップ理論
タスク志向型があり、優秀なリーダーは両方
を考察するものが交換理論である。Graen
併せ持つ行動を行うということである。
他(1987)11はリーダーがフォロワーの中で、
次に焦点となったのが、この人間志向とタ
信頼性が高く、当てになるフォロワーによ
スク志向は、リーダーに与えられた状況と複
り高い地位や権力、情報へのアクセスを与え、
雑に絡み合い、リーダーシップの成功と失敗
そうでないフォロワーにはより低い地位や権
を規定しているということである。この研究
力、情報へのアクセスを与えることを明らか
に至って、リーダーシップ研究は、リーダー
にした。Dov Eden(1990) 12は、リーダー
と構成員と状況の相互作用に焦点化されるこ
が構成員に対して高い生産性への期待を寄せ
とになる。この側面を体系的な研究で、明
ることが構成員をして、高い生産性を誘う要
らかにしたのが、Fiedler である。Fiedlerは
因となっていることを明らかにしている。こ
条件即応モデル(1967)により、1)リー
れらの研究からは相手に対する好意的な感情
ダーと構成員の関係(良い・悪い)、2)構
がリーダーと構成員の信頼や類似性、生産性
成員の職務内容の規定の度合い(高い・低
への高い期待を生み出すとしている。
7
い)、3)リーダーの職務上の権限の度合
カリスマ型若しくは変容性リーダーシップ
い(強い・弱い)により、8種類の状況を特
の理論については教育訓練の分野では取り扱
定し、状況によって、人間志向のリーダー
うことが難しい個人的特性である観点から本
シップが効果的な場合とタスク志向のリー
稿では論考することを割愛する。
ダーシップがより適切な場合を特定してい
変数としての性別に焦点を当てる
る。また、Hersey & Blanchardは、SL理
研究も出ている。Eagly, Makhijani, &
8
論 (Situational Leadership) として、リー
Klonsky(1992)13は通常、男性が多くリーダー
ダーシップ類型をリーダーシップ機能を指示
シップを取っているタスクについては、女性
的と協労的の二行動と成員の成熟度の組合せ
がリーダーシップをとると、その評価は低く
によって、指示型、説得型、参加型、委任型
なされるというジェンダー・バイアスが出現
に類型した。Houseはパス・ゴール理論 に
するという報告や、女性はより参加型のリー
より、指示型リーダーシップ、支援型リーダ
ダーシップを発揮するという報告 14(Eagly
ーシップ、参加型リーダーシップ、達成志向
& Johnson:1990)などがある。しかしながら、
型リーダーシップに類型し、優れたリーダー
結論としては、性別に関わらず、リーダーシ
は環境変数と構成員の個人的特徴を考慮にい
ップについてはその類似性のほうが、相違性
れ、行動することを明らかにした。
よりも数多く報告されている。
9
女性大学における、女性に対するリーダー
Journal of Sugiyama Human Research 2006
056
「女性論」プロジェクト研究報告
シップ教育とその実践は、社会の要請とニー
ズが高まっており、特に、経済活動の活発な
McGraw-Hill
8
Paul Hersey & Kenneth H. Blanchard
中部圏においては、その意義は大きい。今後、
(1969) Management of Organizational
更に一層の充実を試みたい。
Behavior : Utilizing Human Resources
Englewood Cliffs, N.J. : Prentice-Hall
9
(Endnotes)
1
K.Lewin(1939) “Experiments in Social
Space”. Harvard Educational Review. 9,
pp21-32.
R.J. House (1971)”A Path-Goal Theory
of Leader Effectiveness”, Administrative
Science Quarterly, September pp321-338
10
V.H.Vroom and A.G.Jago (1988) The
D. Katz, Nathan Maccoby and Nancy C.
New Leadership: Managing Participation in
Morse (1950 ) Productivity, Supervision and
Organizations Englewood Cliffs, NJ:Prentice
Morale in an Office Situation Ann Arbor,
Hall
2
Michigan.
Institute for Social Research,
University of Michigan
11
G.Graen & T.A. Scandura
(1987)”Toward a Psychology of
R.M. Stogdill and A.E. Coons, eds.,
Dyadic Organiing”. In B.M. Staw & L.L.
(1951)Leader Behavior: Its Description
Cummings(Eds.) Research in Organizational
and Measurement, Research Monograph
Behavior Vol.9, pp175-208 Greenwich, CT:
No.88(Columbus: Ohio State University,
JAI Press
3
Bureau of Business Research)
4
カートライト・ザンダー著、三隅二不二
訳編(1959)『グループダイナミックス』東
京: 誠信書房
5
三隅二不二(1984)『リーダーシップ行
R.R. Blake and J.S. Mouton(1964 ), The
F.E. Fiedler(1967)A Theory of
Leadership Effectiveness New York:
057
Prophecy. Lexington, MA: Lexington.
Eagly, Makhijani, & Klonsky(1992)“
Gender and the Evaluation of Leaders: A
Meta-analysis”. Psychological Bulletin, III,
Managerial Grid Houston: Gulf
7
Dov Eden(1990)Pygmalion in
Management: Productivity as a Self-fulfilling
13
動の科学』 東京: 有斐閣
6
12
pp3-22
14151617
Eagly & Johnson(1990) “Gender
and Leadership Style: A Meta-analysis”.
Psychological Bulletin, 108, pp233-256
Journal of Sugiyama Human Research 2006
「女性論」プロジェクト研究報告
新しい社会モデルや価値観について
∼授業における実践を中心にして∼
椙山女学園大学現代マネジメント学部
森川 麗子
Reiko Morikawa
1.はじめに
年度の教育活動のなかで経験したこと 2をも
毎日の暮らしのなかで、私たちが、「男女
とにして、どのようにしたら本学の学生たち
共同参画社会」、「ジェンダー平等」、「多
に、上記の社会モデルや価値観の意義を納得
様なライフスタイル」、「ワーク・ライフバ
して学習さえられるのかを考えてみたい。
ランス」「働き方を変えよう!」といった語
句を見聞きしない日は、非常に少ないのでは
2.新聞比較がもたらした「衝撃」と発見
ないだろうか。主としてメディアからの情報
今年度の授業のなかで私自身が驚いたこ
としてだが、たとえメディアとの接触がない
との一つは、新聞に対する学生たちの思い込
場合でも、駅や公共交通機関の車内には公的
みの強さと画一性の再発見によるものであっ
機関の宣伝を含む多種多様な宣伝ポスターが
た。「女性論II」(2年生対象の教養教育科
掲示されているため、読もうという意思のな
目)の講義で、メディア・リテラシーの説明
い者の目にも触れるような仕組みになってい
とその重要性の一端を示すために、当日の
るのが、現状である。
朝刊の第1面を比較検討した。利用した新聞
確かに、私たちの日常生活は、氾濫する情
は、『朝日新聞』『中日新聞』『日本経済新
報の海のなかで暮らしているのに等しい。だ
聞』『毎日新聞』であり、それぞれの第1面
からこそ、新しい社会モデルや価値観の重要
を黒板に貼ると同時に、学生にはその縮小コ
性を明確に指摘し、その価値を理解すること
ピーを配布した。私が学生たちに課したこと
が、個々人の暮らしや人生に不可欠な意識的
は、「4つの新聞を見て、同じ記事がいくつ
作業となるのである。あふれる情報のなかで、
あるのか、記事を書いた記者の名前が掲載さ
上記の語句は、相互に関連しつつ相補的に機
れた記事の数はいくつか、同一記事の内容は
能しあうことで、「男女共同参画社会」とい
完全に同じかどうか」といったもので、これ
う社会モデルを一層強靭で普遍的にするとも
自体はメディア・リテラシー能力学習の常套
考えられる。
的な導入方法であり、特別新しいことではな
昨年度の人間学研究センター「『女性論プ
ロジェクト』研究報告」の結論部分で、私は、
い。また、メディア・リテラシーについて講
義することも、今年度が始めてではなかった。
「女性の多様なライフスタイルの具体的なモ
しかし、今年度は、新聞4誌のコピーを全
デルの継続的提供は重要で意義深い」と述べ
員に配布して、上の問いへの答と簡単な感想
た 。この緊急の必要性を根底としつつ、今
を書かせて提出させたことが、過去3年間と
1
Journal of Sugiyama Human Research 2006
058
「女性論」プロジェクト研究報告
の違いであった。時間的な余裕に支えられた
別による固定的な役割分担を反映して、男女
結果という、いわば偶然の産物であったのだ
の社会における活動の選択に対して中立でな
が、この差は、私には、大きな発見をもたら
い影響を及ぼすことにより、男女共同参画社
してくれた。学生たちの反応は、「同じ日の
会の形成を阻害する要因となるおそれがあ
朝刊の第1面が、こんなにも違うなんて、思
る」として、性分業の欠陥を指摘する。また、
ってもみなかった」「うちは今まで『中日新
第6条で「家族を構成する男女が、相互の協
聞』だけだったので、書いた人の名前の入っ
力と社会の支援の下に、子の養育、家族の介
た記事があることも知らなかった」「同じ記
護その他の家庭生活における活動について家
事を読み比べると、記事によっては、読者が
族の一員としての役割を円滑に果たし、かつ、
誤解するかもしれないような違いがその内容
当該活動以外の活動を行うことができるこ
にあることが判って、本当に驚いた」という
と」と、家庭経営での家族間の協力を推奨す
ことに、集中していた3。
る。すなわち、「ワーク・ライフバランス」
新聞への画一的な思い込みの強さを如実に
は、「男女共同参画社会」構築のための骨格
示した学生たちの感想文を読んで、私が実感
だということ。あるいは、「ジェンダー平
したことは、①講義であっても、できる限り
等」は、「男女共同参画社会」の理念であり、
具体的な教材と学生が参加できる授業方法が
その構成員相互のあるべき関係性を端的に物
大きな効果をもたらすこと、②新聞の「正確
語っている。したがって、「ワーク・ライフ
さ」への信頼の強さは、一体何によるのか、
バランス」を獲得するためには、仕事一辺倒、
③メディア・リテラシー能力を学生たちに育
あるいは「男は仕事が何より大事」という人
成することが最優先課題である、という3点
生観の持主には、「働き方を変えよう!」と
に集約できる。学期末のレポートからは、新
何度も呼びかける必要があることは言うまで
聞や雑誌を読むときに、この授業での経験が
もない。
役立っていることが読みとれた。確かに、評
このように、上記の価値観を表現した語句
価対象となるレポートでの記述ではあるが、
は、すべてが相互に絡み合い、協働して「男
学生たちにとって、少なくとも、ある種の衝
女共同参画社会」構築を目指すものなのであ
撃を経験したことだけは、確認できた。同時
る。同一の価値観によって結ばれた同意語句
に、その衝撃とともに、メディア・リテラシ
とも呼べるが、注目すべきことは、語句の増
ー(能力)という耳慣れない語句も、インプ
加はその同意語句の輪の拡大を意味している
ットされたのではないかと推測している。
という事実である。一歩一歩だが、私たちの
社会が、男女共同参画社会へと歩み続けてい
3.「具体的なモデル」の多様性
「はじめに」で言及した、社会モデルや
価値観についての語句のなかでは、「男女共
るということであれば、本学の学生たちにも、
その社会モデルや価値観を学ばせることが、
次の課題となってくる。
同参画社会」が最古参であり、「ワーク・ラ
ライフスタイルの多様性は、男女共同参画
イフバランス」は新参と言えよう。しかし、
社会の条件である。一人ひとりが自分に最適
1999年制定の「男女共同参画社会基本法」は、
な暮らし方や生き方を選び、実践するだけの
第3条で「社会における制度又は慣行が、性
力を獲得するための多様な機会を提供できる
059
Journal of Sugiyama Human Research 2006
「女性論」プロジェクト研究報告
場であることが、今後、大学、とくに女性大
だ静かに見守ればいいとなれば、気づかせる
学に求められることは間違いないと考えるべ
ための工夫に全力を注ぐことこそが、最重要
きであろう。
課題となる。
しかし、その具体的なモデルおよびその方
一例を挙げておきたい。私が担当する演習
法は、昨年度の本プロジェクトの研究報告で
の授業で、自分の発表で予想以上に、他のゼ
示唆した以上に、多様で、多種でもありえる
ミ仲間や私の共感を得て、満足してうれしそ
ということを、ここで、強調しておきたい。
うな表情をする学生に共通するのは、テーマ
「具体的なモデル」と言った場合に最初に脳
を担った素材の優秀さである。例年、後期は
裏に浮かぶイメージは、そのような生き方・
とくに、映画のDVDを使用する学生が多い
働き方をしている人物その人、というもので
が、今年度目立ったのは、①優れた女性映画
はないだろうか。もちろん、これは最良のモ
が多かったこと、②主人公の女性のライフス
デルであり、一般的には、おそらく最大の
タイルが正真正銘のジェンダー平等だったこ
説得力をも発揮するものと思われる。同時に、
との2点である。前者については、私の知ら
理想としたモデルが、その力を喪失した場合
ない映画が多かったことも、個人的には衝撃
の衝撃もまた最大級のものとならざるを得な
であった。後者は、まさに、「ジェンダー平
いはずである。教育という場では、こういう、
等」の具体例として、映画という虚構世界が、
生身の人間による手本のもつ否定的な側面も
機能したと言える。
あわせて考慮しておく必要があろう。その被
害者が、他でもなく、学生たち自身だから。
上記の私自身の経験を想起すれば、「具体
4.終わりに
「夫は仕事、妻は家事・育児と仕事」とい
的なモデル」とは、特定の人物だけではなく、
う「新性別役割分業」の最新版「新・新性別
各種メディアのなかでも、ヴィデオやDVD
役割分業」が指摘されたのは、数年前であっ
による、手本として紹介できる人物の間接的
た 4。同様の傾向が、本学の学生たちにも次
な紹介・提示をも含むことを確認しておきた
第に顕著になってきていると、私は感じてい
い。生身の人物紹介だけを、絶対的に有効な
る 5が、その実態や評価には慎重でなければ
モデルとして考えていた自身の反省も含めて。
ならないとも同時に考えている。
ところで、「女性学はとても現実的な学問
学生に自身の問題として考えさせるという
なのだ」と実感する機会も多いが、その最大
効果も期待できるので、学生たちの意識のあ
の理由は、新しい人生観に気づくための契機
りかの手がかりとして、統計やアンケート調
を提供する程度や頻度が、他の学問に比して、
査結果を利用する際に、「この点について、
高いということではないだろうか。すなわち、
同感だと思うひとは手をあげてください」と
気づきの学問としての独自性である。これ
いう問いかけを、授業中に時々やってきた。
を授業の場に置き換えれば、女性学の学習は、
もちろん、正確なものではないが、学生の興
学習者が自分のなかの価値観がジェンダー受
味・関心について、ある程度の傾向は推測で
容に基づくものであったことに気づけば、そ
きると見なしている。
の先は、自習できる学問だと言える。当人が
さて、昨秋、独立行政法人国立女性教育会
気づきさえすれば、周囲の者は、その後、た
館が実施した平成16、17年度「家庭教育に関
Journal of Sugiyama Human Research 2006
060
「女性論」プロジェクト研究報告
する国際比較調査」が発表された 6。これは、
対象者であることを鮮明に示していたが、学
平成6年に文部省(現文部科学省)の委嘱を
生たちの側から見れば、それは、そのまま、
受けた財団法人日本女子社会教育会(現財団
「新・新性別役割分業意識」の枯渇をも意味
法人日本女性学習財団)が実施した、同一の
していることを、ひしひしと感じたと解釈で
国際比較調査の2度目に当たるもので、10年
きようか。理由はどうであれ、私には、非常
間余の変化も捉えられる貴重は調査である。
に好ましい反応であった。日本の両性の関係
調査対象は、日本、韓国、タイ、アメリカ、
性の改善は、若い彼女たちの意識レヴェルに
フランス、スウェーデンの0∼12歳までの子
懸かっていると言っても過言ではないから。
どもをもつ親、各国約1000サンプルである。
最後に、今年度の本プロジェクトの活動が、
この調査結果は、①日本の家庭における夫
リーダーである私の非力のせいで、当初の予
婦の親役割における関係性の現状、②世界の
定が果たせず、共同研究ではなく研究員有志
なかでの日本の親の「ジェンダー平等」の程
による研究報告や実践報告となったことに対
度の2点が、明確に提示されている。この興
して、この場を借りて、深くお詫びを申し上
味深い調査結果の詳細やコメントは別の機会
げる。あわせて、今回の研究報告・実践報告
に譲るが、本稿の主題に関連して、次のこと
を来年度以降への手がかりにしたいという期
を述べて、結論としたい。
待も抱いていることを申し添えておきたい。
国際比較調査は、国内だけの調査よりも、
はるかに説得力に富むものだとは、持論だが、
この調査結果も例外ではなかった。講義での
1
森川ほか「『女性論プロジェクト』研究
学生の関心も高かった。諸外国との、とりわ
報告」『椙山人間学研究』創刊号、椙山人間
け、学生たちが日ごろから興味をそそられて
学研究センター、2006年、p.88。
いる諸外国との比較は、日本の母親と父親の
2
具体的には、演習での学生のプレゼンテ
関係性に発する諸問題を、自分に引き寄せて
ーションや講義(「女性論」「ジェンダー
考えるのに効果的であった。理由は定かでは
論」)での学生の反応、学生による授業評価、
ないが、自国の問題を考える際に、逆説的だ
学期末のレポートに基づく総合的なものであ
が、他国が例としてあった場合のほうが、自
る。
国の問題を真剣に検討できるという現象が、
3
はっきりと認められた。
この講義の期末レポートの課題の一つで
「講義でもっとも関心を抱いたテーマは何で、
一つには、「日本は、まだ、こんな状態な
その理由は何か」を書かせたが、その回答で
のか」という実感が、日常生活ではさほど切
も、上記の新聞比較が、全体の4割ほどに達
実に感じられなくても、国際比較調査が明示
した。
する、ジェンダー平等における、日本の後進
4
夫には高収入の仕事以外にも家事・育児
性から目を逸らすわけにはいかなかった、と
への積極的な役割を期待するが、妻である自
いうことであろうか。この結果は、日本の父
分は、就業意欲に乏しく、趣味と家庭を優先
親がほかのどの国の父親よりも、「ワーク・
する若い女性の新意識を指す。
ライフバランス」を必要とし、「働き方を
変えよう!」と呼びかけなければならない
061
5
本学でも、この「新・新性別役割分業意
識」に対する、学生の意識調査をすべき時期
Journal of Sugiyama Human Research 2006
「女性論」プロジェクト研究報告
であろうと考えている。
6
これについては、中野洋恵「日本の家庭
教育の現状∼平成16、17年度『家庭教育に関
する国際比較調査より』」内閣府編『共同参
画21』ぎょうせい、2006年、pp.16∼19。
Journal of Sugiyama Human Research 2006
062
「人間発達論」プロジェクト研究報告
「人間発達論」プロジェクト研究報告
Project and Research Subjects for the Development of Human Nature
研究員
1. 平成18年度の研究体制並びに研究方針について
石橋 尚子(人間関係学部)
山口 雅史(人間関係学部)
椙山美恵子(附属幼稚園)
中村太貴生(附属小学校)
佐久間治子(高等学校・中学校)
16: 30∼とする。会場は持ちまわり。
②平成 19 年度学園一斉質問紙調査に向け
(1)平成18年度「人間発達論」プロジェクト
て、調査用紙の作成と予備調査を行う
(山口・石橋)。また、それらに関しての各
研究体制について
松坂清俊研究員(前プロジェクトリーダ
ー)には、退職にともない、平成18年3月末
日をもって本プロジェクト研究員を退任され
校内(部署内)合意を形成する(椙山・中
村・佐久間・石橋)。
③各附属学校・園並びに大学における 「 人
た。松坂清俊研究員の退任にともない、山口
間 」「 人間になろう 」 にかかわる教育実
雅史人間関係学部助教授に本プロジェクト研
践の共有化。授業の相互見学を通して、
究員への就任を依頼し、本人快諾のもと、本
教育実践の確かめと共通理解を深める。
会にて承認した。また、松坂清俊前プロジェ
クトリーダーの退任にともない、後任として
2.平成18年度研究会活動報告
石橋尚子研究員をプロジェクトリーダーとし
て承認した。
本年度は、前述の研究方針に従い、5回の
尚、松坂清俊氏には、今後とも引き続き本
研究会と附属幼稚園・附属小学校・中学校・大
プロジェクトに対してご指導・ご助言いただ
学人間関係学部における授業相互見学会を開
くことを依頼し、快諾いただいた。
催した。その概要は以下の通りである。
○第1回研究会 平成 18 年 5 月 30 日(火)
(2)平成18年度「人間発達論」プロジェクト
於附属幼稚園:平成 18 年度の研究体制
と方針について
研究方針について
平成18年度「人間発達論」プロジェクト研究
○第2回研究会 平成 18 年 6 月 20 日(火)
方針について、平成17年度の研究成果を継続
於附属小学校:「人間」「人間になろう」
発展させる方向で、以下の3点について取り
にかかわる教育実践共有化のための授
組むこととした。中でも③の教育実践の共有
業見学会実施方法について
化のための授業相互見学が、本年度の最重点
研究課題である。
於椙山人間学研究センター:附属幼稚
①本研究会を、
長期休暇を除き月1回程度
開催し、
相互理解と研究の進展に努力す
る。
研究会の開催日は、
原則第4火曜日
063
○第3回研究会 平成 18 年 7 月 18 日(火)
園・附属小学校・中学校・大学人間関係学
部における授業相互見学結果報告
○第4回研究会 平成18年11月1日(水)
Journal of Sugiyama Human Research 2006
「人間発達論」プロジェクト研究報告
於人間関係学部石橋研究室:音喜多授
ために、どのような保育が行われているのか、
業「人間論」についての検討と平成19年
どのような教育が行われているのかを、それ
度学園一斉質問紙調査に向けて
ぞれの教育現場で再認識するとともに、校種
○第5回研究会 平成19年1月16日(火)
於ルブラ王山:平成18年度の研究総括
と報告書の内容検討
を越えて研究員が相互に理解し合うことから、
研究の第一歩が始まると言えよう。
そこで、平成17年度は、その理解を、お互
●附属幼稚園保育見学会:平成18年6月21
いの教育目標や教育方針等の中に求めた。そ
日∼7月14日までの保育時間中に各自自
れらを踏まえ、本年度は、実際の保育や授業
由見学
を相互に見学し合うことで、教育実践の中に
●附属小学校「道徳」の授業見学会:平成18
求めて行きたいと考える。しかしながら現段
年7月3日(月)∼7月7日(金)の1週間
階では、まだ充分な議論と考察には至ってい
に行われる「道徳」の授業より各自選
ない。本報告では、収集した資料(『椙山人
択見学
間学研究2005年度』掲載分以外)と保育並び
●椙山学園中学校「総合」の授業見学会:平
成18年6月22日(木)・23日(金)の中
に授業の相互見学資料・記録の一部呈示に留
めたい。
学3年生「総合」−生徒による「沖縄」
についての班発表授業―見学
●人間関係学部「人間論」の授業見学会:平
成18年11月1日(水)2限音喜多授業を
見学
(1)椙山女学園大学附属幼稚園の取り組み
と保育
附属幼稚園では、『椙山人間学研究2005年
度』掲載の教育方針を具現化していくために、
分野別方針、学年別方針、教育課程等を設定
また本年度は、本研究をさらに充実発展さ
し、チーム保育(自分のクラス以外の子ど
せていくための一方策として、科学研究費へ
もの様子も気に留めておき、学年会議で情報
の申請を試みた。申請にあたっては、山口雅
を交換しあう)と、フリー教諭との連携(保
史研究員を代表者とし、10月のほぼ一ヶ月を
育中の出来事について担任と情報交換する)
かけて申請書案を練った。本報告書の「平成
を二本柱とする指導を展開している。加えて、
19年度学園一斉質問紙調査に向けて」に、そ
保護者への情報発信にも留意・工夫している。
の一部を掲載している。
ここでは、平成18年度学年の方針案の一部と
教育課程、実際の保育を見学しての感想の一
3.「人間」「人間になろう」に関する教育現
場の取組状況と授業相互見学会について
部を報告する。
①平成18年度学年の方針案(一部)
【年少児】
「人間になる」という問題を成長・発達とい
(ねらい)
う面から追及する本プロジェクトにおいて、
園生活に慣れ、好きな遊びを通して友達
子ども達の成長・発達に重要な位置を占める
に親しむ。
日々の保育・教育を理解することは、極めて
(取り組み)
重要な課題である。子ども達の人間づくりの
・毎日の生活の中で、歌、手遊び、遊戯な
Journal of Sugiyama Human Research 2006
064
「人間発達論」プロジェクト研究報告
どを活動が変わるときなどに取り入れ、
c. 経験のばらつきをなくすために必
みんなで一緒に楽しむ時間を持つよう
にする。
要なことは全員で行う。
【年長児】
・落ち着いてきたら無理のない製作活動
などをしていく。
→ハサミ、
粘土など初
めて素材、材料にふれる時はクラスで
(ねらい)
友達とのつながりを深め、目的を持って
遊びを進める。
一斉に取り組み、使い方をしっかり知
(取り組み)
らせていく。
・今まで培ってきた友達との関係や遊び
・天気の良い日は毎日外に出て、遊ぶ。
お
もちゃ、固定遊具の使い方を伝え安全
に楽しんで遊べるようにしていく。
・降園前などに読み聞かせの時間を設け、
話を聞く習慣をつける。
の進め方を基盤に、年長児らしい心豊
かな成長を目指す。
・友達との関係…友達を大切に思う気持
ちを育てる。仲間意識を育てる。
・他学年との関係…小さい子をいたわっ
【年中児】
たり、思いやったりする。計画的にかか
(ねらい)
わりの場をもつ。
友達とのかかわりあいを喜び、一緒に遊
びを楽しむ。
・就学に向けて…自分のことは自分で責
任を持ってできる。クラスの活動を通
(取り組み)
し、自分の役割を果たすなどの責任感
・新しい環境、生活の場に慣れ、安心して
を持つ。
(保護者にも協力を仰ぐ)
安全に過ごすことができるようにする。
・けじめ…時間を守るなど、ひとつひと
→はじめに遊具の扱い方や注意するこ
つの活動にけじめをつける。
(遊びの変
とを知らせる。
更、クラスの活動など)
・室内遊びと戸外遊びの切り替えは一斉
に行う。
午後は基本的には室内遊び。
・戸外での遊ぶ範囲
・年長独自の行事に対してねらいを明確
にし、余裕を持って子どもと計画を立
て、有効に進めていくように努力する。
a. 山へは手前の階段までにし、行か
ない。
また、学年便り・クラス便りなどで、保
護者に対してもねらいをわかりやすく
b. 砂場南の斜面は入らないことを伝
え、
紐は張らない。
c. 門側は柵の手前まで。
知らせ、共通の認識が持てるようにし
ていく。
【たてわり保育】資料1)
・サッカーゴールは毎日出し入れする。
②教育課程資料 2)
・クラスの活動では、年長への移行をス
③附属幼稚園の保育について
ムーズにすることも視野に入れながら
暑い夏の保育見学会であったので、主
行う。
はじめが肝心なので、
ルールや基
活動は水遊びであった。幼児の明るさと
本姿勢はきちんと知らせる。
元気に魅了された見学時間。その見学コ
a. 教師の話を聞く。
メントの一部を紹介する。
b. 皆でひとつのことに取り組む。
065
Journal of Sugiyama Human Research 2006
「人間発達論」プロジェクト研究報告
資料1)
Journal of Sugiyama Human Research 2006
066
「人間発達論」プロジェクト研究報告
資料2)
067
Journal of Sugiyama Human Research 2006
「人間発達論」プロジェクト研究報告
・幼稚園には 、 秩序と信頼関係が築かれ
え方を見直してみる」という目標の授業であ
ていた。
皆、
いい子でおりこうさん。
った。教師の問いかけ(例えば「自分の大切
・プール最高。
清潔で安全で、安心して預
にしているものは?」「勝手に大切なものを持
けたくなる幼稚園。
っていかれたらどんな気持ちがするか?」)
・不審者情報、今日やること 、 りんご病、
に対して、子ども達は大変活発に意見を述べ
学年だより、
お楽しみの日の翌日メモ、
ていた。活気とけじめのある授業展開であっ
クラス委員会のゲーム 、 など、広報が
た。主人公やトシ君の気持ちをよく理解でき
きめ細かく行き届いている。
たと思う。宿題にされた「自分の中のいいポ
・スプーン 、 ナイフ 、 フォーク、ナプキ
ン、
水筒持参など、
エコロジーが配慮さ
れている。
ケット 悪いポケット」を、子ども達がどの
ように書いてくるのか、興味深い。
③2年B組「道徳」の授業―学校ではたら
・栽培したプチトマトやナスを食べる。
く人―について資料5)
「おててはおひざ、お口はチャック、手
【コメント】「担任の先生の他に、学校に
を合わせて下さい 、 パッチン、おあが
はどんな人がいて、どんな仕事をしてくれて
りください、
はいどうぞ」
おいしい?お
いるのか」について、子ども達が行ったイン
いしい。
ピザは家でも作れます。
食育も
タビュー調査の発表授業であった。質問内容
行われている。
や結果、調査の状況などがよくわかる長文が
・帰りの会での子ども達は、たいへん落
書けていることに、たいへん驚いた。言葉使
ち着いて行動している。しつけがよく
いや敬語がきちんとしていて、礼儀が身につ
できている。
いている。自分の周りの人に触れる。多様な
・教師の指示が丁寧で細やかである。
人に触れる。人間関係能力の発達においても、
・「 ごんぎつね 」 の絵本を読んでもらっ
望ましい題材と授業内容である。
ていた。小学 4 年生と同じ内容である
ことに驚いた。
④5年B組「道徳」の授業―女性指揮者た
ん生―について資料6)
【コメント】女性指揮者の誕生から、性別
(2)椙山女学園大学附属小学校の取り組み
を超越して、「人間」というレベルで夢を追
状況と「道徳」の授業
い続けていくことの大切さを感じていく、と
附属小学校では、「人間」「人間になろう」
いう内容の授業であった。「先生の夢は何で
に直接関わる科目として、「道徳」の授業の見
すか?」との子ども達からの問いかけをうま
学会を開催した。「建学の精神と教育活動と
くキャッチして、教師自身の体験を語りなが
のかかわり」の表で全体を一覧した上で、見
ら、「夢をかなえること」「目標を持って生き
学した3つの授業の資料と若干のコメントを
ること」の大切さを強調された。何故、本資
報告する。
料の女性指揮者の前に女性指揮者が存在しえ
①建学の精神と教育活動とのかかわり
なかったのか、その理由をもっと考えさせれ
②2年A組「道徳」の授業―ポケット二つ
ば、授業により深い理解と共感が生まれたよ
資料3)
―について
うに感じた。
資料4)
【コメント】「自分の中にある善と悪の考
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068
「人間発達論」プロジェクト研究報告
資料3)
069
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「人間発達論」プロジェクト研究報告
資料4)
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「人間発達論」プロジェクト研究報告
資料5)
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「人間発達論」プロジェクト研究報告
資料6)
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072
「人間発達論」プロジェクト研究報告
(3)椙山女学園中学校並びに高等学校の取
主的な取組みを通じて、生徒の「体力の増強、
り組み状況と「総合」の授業
学力の増進、モラルの確立、情操の育成」が
椙山女学園中学校並びに高等学校では、建
なされ、「各人が人格として互いに尊重しあ
学の理念に基づく多彩な授業展開を行ってい
い、個性を発揮し、次の世代をになう自主的、
る。その中核となるのが、両校で取り組くん
自立的な人間」が育成されているのが、椙山
でいる「総合『人間になろう』」の授業であ
女学園中学校・高等学校である。
る。その蓄積された授業内容資料は膨大で、
②総合「人間になろう」
簡単には紹介し得ないが、若干の解説を試み
・中学校の取り組みについて資料7)
たい。
・高等学校の取り組みについて資料8)
①椙山女学園中学校・高等学校の教育
椙山女学園中学校・高等学校の教育は、
③中3総合 生徒による「沖縄」について
の班発表授業について資料9)
「健康で鍛えられた身体」「科学的体系に基
【コメント】「沖縄」について、修学旅行に
づく基礎学力」「社会的認識の上に立つモラ
行く前の事前学習として調べた内容を、新聞
ル」「豊かな情操と創造力」これらを総合し
形式(B紙)で班発表する授業であった。新
た人間性開発の教育を実践すべく、企画・実
聞は、各班とてもよく工夫され、よくまとめ
施されている。「調べてまとめて発表する」こ
られていた。それぞれの発表に、主張やま
とを大切にした各教科授業の組み立てや内容、
とめがあったのはよかった。発表をよく聞い
カリキュラム、「人権、環境、国際理解・平
て、お互いを相互評価する取り組みがなされ
和」の各分野にわたる総合的な学習の時間=
ている。「沖縄」を6分野(自然,歴史・文化,
椙山総合「人間」の様々な取組み、校外学習
食文化,産業,沖縄戦,基地)から多面的に
での自然とのふれあいや体力増強・事前学習、
みる、というねらいは達成されていると思わ
「沖縄(中学)・長崎(高校)修学旅行」で
れる。この発表をもとに、現地で実際に見て、
の平和学習・テーマ学習、球技大会や体育祭
感じて、さらに深まっていくであろう生徒達。
等生徒会主催の体育行事、クラス発表を主体
修学旅行後の学習発表も拝聴したい。
にした文化祭での取組み、HR読書会や読書
椙山女学園中学校の「総合『人間(人間に
感想文コンクールでの取組み、芸術行事、ク
なろう)』」では、1年生が人権分野、2年生
ラブ発表会やクラブでの取組み、等々。
が環境分野、3年生が国際理解・平和分野中
恵まれた教育設備と、前向きで意欲的な教
心の学習をする。そこに位置づけられた「沖
員の協力体制をベースに、広範囲にわたって
縄」学習という観点に、もっと留意すべきな
学習する授業で身につく基礎学力と、その合
のだろうか?⇒今後の検討課題
間にちりばめられた様々な行事への活発で自
073
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「人間発達論」プロジェクト研究報告
資料7)
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「人間発達論」プロジェクト研究報告
資料8)
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「人間発達論」プロジェクト研究報告
資料9)
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「人間発達論」プロジェクト研究報告
(4)椙山女学園大学の取り組み状況
∼「人間論」の授業を中心に∼
【人間関係学部】人間は人と関わりながら
生きている。「生きる」ことは「人と関わる
①椙山女学園大学の授業「人間論」
こと」。そうした観点から、現代社会の問題
大学では、全学共通科目として「人間論」を
が浮かび上がる事件や人間を描いた文学作品
1年生の必修科目として位置づけている。こ
などを題材に、「人間」について考える。
の「人間論」の授業では、人間とは何か、人
間としてどう生きるべきか、という建学理念
②人間関係学部の「人間論」の授業
に直結するテーマが、さまざまな視点から検
人間関係学部の「人間論」の授業担当者
討されている。そのアプローチには、学部毎
である音喜多信博助教授と佐藤至子助教授に、
に特色がみられる(大学案内より)。
授業展開に関する資料提供をお願いし、快諾
【生活科学部】生活科学部の2学科の教員
いただいた。また、日程調整の結果、音喜多
がそれぞれの学問領域、すなわち「食品栄養」
授業「人間論」の見学が果たせたので、ここに
および「生活環境デザイン」の立場から、「人
若干の報告をおこなう。
間」あるいは「人間になろう」の精神をオム
○音喜多授業「人間論」について資料10)
ニバス方式で講義している。
【コメント】「医師−患者の関係と人権」が
【文化情報学部】生物学的存在であるの
テーマとなっている一連の授業の1回を見学
と同時に、社会的・心理的・思想的存在でも
した。インフォームドコンセントとがん告知
ある人間の本質を学際的にアプローチする。
が主な内容であった。資料内容や学生への問
「地位と役割」「ヒトと人との違い」「細胞
題提起などが実に適切で、理解しやすい授業
と情報」「宗教」などがテーマとなる。
であった。見学者自身が身につまされる問題
【国際コミュニケーション学部】人とのコ
ミュニケーション、異文化とのコミュニケー
であり、強い興味と関心が醸成され、もっと
学びたいと動機付けられた。
ションの視点から「人間」を考える。「ドラ
授業後の検討会では、今回取り上げた「人
マに見る人間」「社会の中の個人」といった
間論」の授業内容が、授業担当者に概ねまか
テーマについて、講義だけでなくディスカッ
せっきりであること、1年生の必修科目であ
ションも重視している。
ることの2点を踏まえ、1年生が初めて出会う
【現代マネジメント学部】4人の教員が
「人間論」として何が必要か、そのテーマとし
「憲法学」「女性学」「経済学」「心理学」
て何がふさわしいのか、といった全学レベル
の視点から人間論を考える。人間の平等、人
での検討が必要ではないかとの問題提起がな
間の欲求と経済の関係、活躍した女性の紹介
された。
などを通し、人間とは?人間になるとは?を
○佐藤授業「人間論」について資料11)
学んでいく。
077
Journal of Sugiyama Human Research 2006
「人間発達論」プロジェクト研究報告
資料10)
Journal of Sugiyama Human Research 2006
078
「人間発達論」プロジェクト研究報告
資料11)
079
Journal of Sugiyama Human Research 2006
「人間発達論」プロジェクト研究報告
4.平成19年度学園一斉質問紙調査に向けて
「人のために生きることができる人」)は非
常に少なかった。このことは、現代の青少年
(文責:山口雅史)
の抱く理想自己あるいは目標とする人間像の
「人間になろう」の教育理念の視点から
人間発達を検討するための基礎的研究として、
中に“向社会性(あるいは公共心)”といっ
た側面が欠落している可能性を示唆している。
各附属学校・園の学生、生徒、児童及び保護
近年、社会規範を遵守しようとする意識の
者を対象とした以下のような調査を計画して
低下が注目されているが、もし仮に現実自己
いる。
のみならず、発達の原動力ともなるべき理想
自己の中にも向社会性という側面が含まれて
いないとするならば、学校教育さらには家庭
(1)問題
子供たちが「将来、どのような人間に『な
教育の見直しを早急に進める必要があるので
ろう』と思うか」は、それぞれの子供が持
はないだろうか。望ましい人間性教育(ある
つ「目標としての人間像(理想の自己像)」
いは青少年の健全育成)を行う上では、子供
によって決まると考えられる。したがって、
たちの成長発達のゴールであるべき理想の人
「人間になろう」という教育理念を実践する
間像が、何よりも健全であることが必要であ
ためには、子供たちが自ら成長・発達してい
る。
く上での「理想とする人間像(理想自己)」
そこで、小学生から大学生までを対象とし
を、教師が適切に援助しつつ、育てていくこ
て、向社会的な側面を考慮した「理想自己」
とが必要である。
を調査し、「人間になろう」を実践する“人
そこで、そのような教育実践の基礎となる
間性教育”すなわち「理想の人間像を目指し
資料を収集することを目指し、子供たち一人
て育つ子供を効果的に援助する教育」のあり
一人がどういう「人間になろう」と思ってい
方を検討するための基礎資料の収集を行うこ
るのかの実態を把握するため、子供たちの持
とを考えている。
つ「理想自己」に関する調査を行うことを計
画している。
(2)目的
従来の研究で取り上げられる「理想自己」
は、その測定項目を吟味してみると、「豊か
次の2点を当面の目的として、調査を行う
ことを予定している。
な感性を持つ」「人より仕事ができる」「頭
第1の目的は、現代の青少年が形成しつつ
がよい」など、個人内の能力や特性の高さに
ある自己意識、中でも理想自己(あるいは可
視点が集中しており、公共性などの向社会的
能自己)に着目し、道徳性や公共心などの向
な視点が不足しているように思われる。
社会的な特質(例えば、「困っている人がい
この点に関しては、項目を選定する研究者
たら助ける」「公共の場では他の迷惑なるこ
側の問題だけではない。2005年に本プロジェ
とはしない」など)が、どの程度“理想の人
クトで実施した大学生を対象とした予備調査
間像”に反映されているのかを実態調査する
でも、「どんな人になりたいか」という質問
ことである。併せて現実自己においてこれら
に対する自由記述の中で、向社会的な特性
の特性がどの程度認知されているのかも検討
に関する回答(「常識やマナーを守れる人」
を行う。これにより、社会規範を遵守しよう
Journal of Sugiyama Human Research 2006
080
「人間発達論」プロジェクト研究報告
とする意識が実際に低下(あるいは欠落)し
可能である。同時に、社会規範を遵守するこ
ているのか、またそれはどの様な側面におい
とに対する意識調査も実施し、現代青年が理
てなのかを明らかにし、実態を把握すること
想自己を思い描く際に、公共心や向社会性は
につながる。
どの様に位置づけられているのかを明らかに
第2の目的は、向社会的な側面に着目した
する。
“理想の人間像”の発達的な変化を明らかに
②他の学校種を対象とした調査
することである。道徳判断の基準は発達によ
この調査結果を受け、小学生から大学生ま
って変化することが知られているが、理想自
でを対象とした同様の調査を行い、その発達
己に内包される向社会的側面はどの様な発達
的な側面について分析を加え、自己意識の発
的変化をたどるのであろうか。中学生から高
達の様相(理想自己と現実自己の差異の変動、
校生の頃に理想自己と現実自己の不一致度が
等)を明らかにすることを試みる。
大きくなるという傾向は知られているが、理
予定としては、高校2年生、中学2年生、
想自己、現実自己双方における向社会的な側
小学校2・5年生を対象として実施すること
面はそこにどの様に影響し、あるいは影響を
を考えている。
受けているのであろうか。幼稚園児から大学
生に至るまでの各段階において横断的にデー
5.おわりに
タを収集し、それらを統合して検討すること
平成18年度は、「人間になる」という問題を
で、その発達的変化について検討を加える。
成長・発達の面から追及していくために、子
ども達の成長・発達に重要な位置を占める各
教育現場を、相互に見学しあい、理解しあ
(3)実施計画
具体的には、以下のような計画で実施を予
定している。
うことを第一の目的として研究を進めてきた。
ここで得られた知見を吟味し、建学の理念「
①大学生を対象とした調査
人間になろう」達成・具体化のための有効な教
まず、向社会的な側面を含んだ理想自己、
育内容を提案していくのが、これからの課題
現実自己に関する実態を調査すべく、大学生
の一つであると受け止めている。また、平成
を対象として質問紙を中心とした調査を実施
19年度以降の「学園一斉質問紙調査」に向けて、
する。その際、従来の研究で用いられている
尚一層の協力体制のもと、研究を進めて行き
項目に、愛他性や向社会性あるいは公共規範
たい。
への態度などを加えた新たな尺度を作成する。
これにより、向社会的な側面を含んだ自己
意識の実態(理想自己の様態、理想自己と現
椙山人間学センターの皆様をはじめ、学園
皆様の益々のご指導・ご協力の程、忠心より
お願い申し上げます。
実自己の乖離の程度、等)を調査することが
081
Journal of Sugiyama Human Research 2006
「ゲノム人間論」プロジェクト研究報告
「ゲノム人間論」
プロジェクト研究報告
2006 Annual Report
on the Genome and Human Research Project
椙山人間学研究センター客員研究員
杉浦 昌弘
Masahiro Sugiura
①発症前診断 ― 幼児や成人
Ⅰ.18年度のプロジェクト・メンバー
②出生前診断 ― 胎児や受精卵
③倫理的問題 ― 障害者差別や胎
(五十音順)
大野 秀夫
(生活科学部 教授)
小川
(杉島)
由美子 (現代マネジメント学部 助教授)
児・胚の地位
(3)遺伝子治療
音喜多 信博
(人間関係学部 助教授)
①現状 ― 対象となる病気や治療法
杉浦 昌弘
(椙山人間学研究センター客員研究員、リーダー)
②倫理的問題 ― 安全性、体細胞、神
渡邊 毅
(椙山人間学研究センター 主任研究員)
の領域や多様性
この話題提供について、生命倫理学は、ヒ
Ⅱ.第1回研究会
トの遺伝子操作をここまで行ってよいといっ
1.
日 時 平成18年4月10日
(月)
午後3時半∼5時
た基準作りの必要性、母親の立場からの考え
やゲノム学分野からでは生殖細胞への遺伝子
2.
場 所 椙山人間学研究センター
操作は技術的に未開拓である等々の討論が行
3.
出席者 全員
われた。
4.
内 容
• 音喜多研究員から「遺伝子工学の医療
への応用がはらむ倫理的問題」につい
Ⅲ.第2回研究会
1.日 時
て倫理学の一分野である
「生命倫理学」
平成18年6月19日(月)
午後3時40分∼5時
の立場から話題提供が行われた。
まず、
2.場 所
椙山人間学研究センター
生命倫理学の基本原則として、①患者
3.出席者
全員
の自己決定権、
②他者危害の原則、
③公
4.内 容
共の秩序、
公序良俗の維持、
があること
• 前回に引き続き、音喜多研究員から、
の説明があった。
次いで、
以下の各項目
遺伝子医療と優生学について以下の項
で概観された。
目について話題提供が行われた。
(1)
遺伝子と病気の関係
(1)優生学の歴史
①ヒトゲノムの解読
(2)新優生学の時代へ
② 「 ゲノム=遺伝子」
ではない
(3)消極的優生学から積極的優生学へ
③病気の
「原因」
とは?
(2)
遺伝子診断
優生学は20世紀初頭英国で提
唱され、第二次大戦後盛んになった
Journal of Sugiyama Human Research 2006
082
「ゲノム人間論」プロジェクト研究報告
が 1970 年代に終息した。それに対
に伴い暑さ寒さを感じる閾値が鈍側に
し、国家による強制がなく、決定が
偏るため夏季、冬季に暑さ対策、寒さ対
個人に委ねられればよいのではな
策が後手に回りやすくなる。暑さ寒さ
いかという考えが現れ、過去の劣っ
に対する対策として、まずは皮膚温変
た属性の除去から将来は優れた属
化に代表される自律性体温調節から始
性の付加という優生学が有り得る
まりそれでも対応しきれない場合には
ことが考えられるようになった。こ
着衣、戸の開閉、暖房やエアコン操作と
れに対し、自己決定権を制限できな
いった行動性体温調節に依存すること
いとかヒトの種的同一性、多様性の
になる。暑さ寒さの感覚とそれをいか
保持の問題などの議論が必要であ
に不快に感じるかが行動性体温調節の
るとの指摘がなされた。
動機付けになるが、行動を起こさせる
•次いで渡邊主任研究員から、優生学に
動因としては後者すなわち強い不快
ついて追加の話題提供がなされた。
感(情動)が重要になる。高齢者は感覚
(1)優生保護法について
鈍化とともに感情も弱くなるといわれ、
①成立と改正
それは熱的不快感にも現われると思わ
②メリットとデメリット
れる。
③母性保護法
(1996 年)
へ
(1)高齢者の熱中症
(2)生命倫理について
地球温暖化及び都市暑熱化に伴
①森岡正博の視座
い、近年、熱中症発症の話題が多く
②金森修の視座
なった。とりわけ体内水分量が減少
(3)人工子宮計画について
し基礎疾患を有する割合の多い高
人間の進化的傾向は「楽で快適な
齢者が罹る場合は、古典的熱中症と
生活」が考えられ、この点をふまえ
いって体温が極めて高温になるの
色々な角度からの討論が行われた。
が特徴といわれている。しかも屋外
に限らず住居内においても熱中症
Ⅳ.第3回研究会
1.
日 時
発症の事例がしばしば報告されて
平成19年1月23日
(火)
いる。夏季の熱中症発生は昼頃から
午後3時30分∼5時 夕方に多い。午前 10 時から昼に掛
2.
場 所
椙山人間学研究センター
けては生理機能が亢進する(モーニ
3.
出席者
全員
ングサージ)時間帯であり、循環系
4.
内 容
や心血管系事故の好発時間帯でも
• 今回は、少し趣向を変え工学的見地か
あるため夏季に昼前は高齢者にと
ら、大野研究員による
「高齢者の健康・
って大変危険な時間帯である。外気
安全に配慮した温熱環境」と題する話
温上昇を適確に捉え、行動性体温調
題提供が行われた。高齢社会において
節への動因を喚起できるかを観察
環境工学が果たす役割の一つに健康・
するために実験的に検討した。
安全な居住環境の確保がある。高齢化
083
(2)高齢者と冬期暖房
Journal of Sugiyama Human Research 2006
「ゲノム人間論」プロジェクト研究報告
抵抗力が低下している高齢者に
ルエンザ菌培養実験からの推察で
とって冬季インフルエンザは非常
は室内が 25℃、相対湿度が 50%で
に警戒を要する。対策としては部屋
あればかなり効果的と思われる。冬
を暖房加湿することが効果的であ
季室内湿度 50%は通常では体験し
る。しかし冬季には室外空気は乾燥
にくい環境であるため高齢者が果
しており、エアコン暖房により室内
たしてどう感じるかを実験的に検
空気はますます乾燥する、たとえガ
討した。
スファンヒーターを用いても湿度
この話題提供について、人間学、ゲノム学
はそれほど高くはならない。インフ
的立場や民法学的立場から、また倫理的問題
ルエンザ対策に適する居住温熱環
など種々の角度から議論がなされた。
境の定まった数値はないが、インフ
Journal of Sugiyama Human Research 2006
084
「ゲノム人間論」プロジェクト研究報告
葉緑体での有用物質生産に向けて
Toward the Production of Useful Proteins in Chloroplast
― メッセンジャーRNAの設計技術開発 ―
― How to Design Translatable Messenger RNAs ―
椙山人間学研究センター
中邨真之・杉浦昌弘
Masayuki Nakamura・Masahiro Sugiura
植物の葉が緑色なのは細胞の中に葉緑体を
が肝心のタンパク質が合成できない)。特に
持っているからである。この葉緑体は、太陽
動物由来の遺伝子からうまくタンパク質を合
の光エネルギーを使って空気中の炭酸ガスを
成しにくい。このことは、葉緑体のタンパク
吸収し水と合わせて炭水化物を合成して酸素
合成の機構が異なることによる。
を放出する「光合成」を行う。人間を含むほ
とんど全ての生物の生存は、葉緑体が作り出
す炭水化物と酸素に依存している。
我々は、葉緑体のタンパク合成反応を詳
細に調べるために、葉緑体の抽出液を使って
正確にタンパク質を合成できる系をつくり上
葉緑体は小型のゲノム(DNA)を持つが、
げた。遺伝暗号は61種あるが、アミノ酸は
細胞当たりの数は多く1万コピーになること
20種だけであるため、1種のアミノ酸に対
もある(核のゲノムは巨大であるが細胞当た
し、いくつかの遺伝暗号がある。例えば、ロ
り2コピーしかない)。そこで、有用タンパ
イシンには6種、アラニンには4種、リジン
ク質遺伝子を植物に導入してそのタンパク質
には2種の遺伝暗号がある。いろいろな生物
を造らせるためには、核ゲノムへ入れるより
ではそれぞれ遺伝暗号の使われ方が違ってお
は葉緑体ゲノムに入れた方が合成量は多くな
り、各々の生物の「遺伝暗号使用頻度」と呼
るはずである。実際、核ゲノムに入れた場合、
んでいる。今まで、ある遺伝暗号の使用頻度
葉の可溶性タンパク質の0.1%程度であるが、
が高ければタンパク質の合成効率も良いと考
葉緑体ゲノムに入れた場合には40%を超える
えられていたが、我々はこのことには何の根
例さえある。
拠もないことに気づいた。そこで実験により
確かめることとした。タバコ植物は遺伝子
違う生物種の遺伝子を植物に入れてその
の導入を最も簡単に行えるため広く実験植物
遺伝子から多くの産物を合成させるためには、
として使われるので、タバコ植物の緑葉から
通常、強力な転写プロモーターを使って多く
抽出したタンパク質の合成系を用いて、葉緑
のメッセンジャーRNAを合成させる(遺伝
体での遺伝暗号の使われ方と各々の遺伝暗
子の情報をまずメッセンジャーRNAとして
号のタンパク質合成の効率を計った。その
転写させ、それをもとにタンパク質合成装置
結果、やはり遺伝暗号の使用頻度が高いか
が対応するタンパク質を合成する)。しかし、
らといってタンパク質合成効率が高いわけ
葉緑体ではそれだけではうまく行かない場合
ではないことを初めて発見した。この成果
が多い(メッセンジャーRNAは合成される
は、植物科学分野で国際的に最も権威のある
085
Journal of Sugiyama Human Research 2006
「ゲノム人間論」プロジェクト研究報告
ジャーナルのひとつ The Plant Journal(英
体内でタンパク合成能の高いメッセンジャー
国で発行)の2007年1月号に「Translation
RNAを設計することが可能である。
efficiencies of synonymous codons are not
作物の葉緑体に有用遺伝子を導入して、安
always correlated with codon usage in
全な食用ワクチンや医薬品、新しい健康食材、
tobacco chloroplasts(タバコ植物の葉緑体
安価な工業用酵素の生産などが可能となるで
での同義遺伝暗号のタンパク質合成効率と
あろう。さらには大気汚染を解毒する街路樹
遺伝暗号使用頻度とは必ずしも相関してい
や草花の作出の可能性も考えられる(図2参
ない)」と題して掲載された(図1)。この
照)。今、人類の健康と環境保全に役立つ新
成果を含め、さらに現在研究しているタンパ
しい「植物産業」の時代が来ようとしている。
ク合成に関する種々のデータをもとに、葉緑
図1:ジャーナル表紙および論文タイトル部分
図2:葉緑体工学を基とする「植物産業」の可能性
Journal of Sugiyama Human Research 2006
086
「ゲノム人間論」プロジェクト研究報告
遺伝子医療がはらむ倫理的問題(1)
― 遺伝子診断―1)
椙山女学園大学人間関係学部
音 喜 多 信 博
Nobuhiro Otokita
遺伝子解読や遺伝子操作の技術がヒトを対
までもない。
象とした医療に応用されるとき、これを「遺
しかし同時に、医療政策においては、自己
伝子医療」と総称する。本稿の目的は、遺伝
決定原理だけではすまない問題もある。たと
子医療にともなう倫理的・社会的問題につい
えば、「代理出産」について、この技術は第
て、「生命倫理学(Bioethics)」の分野で
三者に危害を及ぼすものではないのだから、
どのようなことが論じられているか、概括的
それが依頼者と代理母との間の純粋に自律的
な紹介をおこなうということである。
な合意(自己決定)のもとに実行されるなら
「遺伝子医療」として具体的に取りあげる
ば、認められるべきであるという意見がある。
のは、以下のふたつの医療技術である。
これに対して、代理出産は、出産という生命
(1)遺伝子診断(成人・幼児に対する診断、
の根幹に関わる行為(それも場合によっては
出生前診断)
代理母の生命を危険にさらすこともありうる
(2)遺伝子治療(治療と能力強化)
行為)を他人に委託することによって、他人
本稿では(1)について論じ、次号では
の手段化や生殖の商品化を招く恐れがあると
(2)について論ずる予定である。
いう理由で社会的に規制されることもありう
る。
Ⅰ 生命倫理学の基本原則
このように自己決定権の制限がおこなわれ
る場面もありうるのだが、自由主義社会にお
まず、生命倫理学における基本的な原則に
ついて確認しておきたい。
いてそのような制限を恣意的に(たとえば宗
教的見解に基づいて)おこなうことは許され
第二次世界大戦中のナチスによる戦争捕虜
ず、それを正当化するような原理が必要とな
に対する非人道的な人体実験の反省から出発
る。このような原理とは、たとえば「(患者
し、各種の医療裁判、1970年代のアメリカを
に)害をなすべからず」という「無危害原
中心とした「患者の権利運動」などを経て、
則」であったり、「公共の秩序」や「公序良
患者の「自己決定権」が基本的な人権として
俗の維持」といった観念であったりする。す
確認されるに至った。自己決定権とは、患者
なわち、ある決定が本人にとって著しく危険
が自分の治療方針は自分で決めるということ、
なものであったり、社会的秩序に著しく反す
また、医学実験への参加にあたっては、被験
るものであったりする場合には、自己決定権
者本人の自律的な同意が必要であること、な
が制限されることもありうる。そして、各種
どを含意する。「インフォームド・コンセン
の先端医療技術のなかでもごく最近になって
ト(説明と同意)」という観念が、この患者
登場してきた遺伝子医療は、まさに、どこま
の「自己決定権」に基づいていることは言う
で個人の自己決定にまかせていいのかが議論
087
Journal of Sugiyama Human Research 2006
「ゲノム人間論」プロジェクト研究報告
されている領域なのである。
うな病気は、一般的に「遺伝病」と呼ばれて
きた。とくに単一の遺伝子の変異によって引
Ⅱ 遺伝子と病気の関係
き起こされる病気を「単一遺伝子病」と呼ぶ
が、従来「遺伝病」と呼ばれてきた病気の多
つぎに、遺伝子医療の問題を考えるにあた
くはこれである。単一遺伝子病はその遺伝子
っては、誤った「遺伝子決定論」に陥らない
をもっていればほぼ100%発病する。これに
ように注意すべきであることを強調しておき
対して、複数の遺伝子が関連していると考え
たい。
られる病気を「多因子遺伝子病」と呼ぶ。
今日では、さまざまな病気に遺伝子が関連
単一遺伝子病は、遺伝子が関係している病
していることが明らかになってきた。これは、
気の1%ほどにすぎないと言われている(デ
国際的な「ヒトゲノム計画」の進展とも歩み
ュシェンヌ型筋ジストロフィー、血友病、フ
を共にしている。2000年6月には、ヒトゲノ
ェニルケトン尿症など)。多くの先天性奇形
ムのおおまかな解読終了(90%)が宣言され、
やがんや糖尿病などの生活習慣病は、多因子
2003年4月には、ヒトゲノム完全解読宣言が
遺伝病に分類される(青野 2000)。
出されたことは周知のとおりである。
ヒトの病気と遺伝子との関連が明らかに
それでは、以下、具体的な医療技術ごとに
倫理的問題を検討していくこととする。
なるにつれ、それを医療へと応用する「遺伝
子医療」の発展が期待されるようになってき
Ⅲ 遺伝子診断
た。しかし、注意しなくてはならないことは、
DNAの塩基配列(約30憶対)が読解されて
「遺伝子診断」とは、遺伝子の変異を調べ
も、遺伝子がすべて分かったわけではないと
ることによって、その人が病気であるかどう
いうことである。遺伝子としてはたらいてい
か(将来発症する可能性があるかどうか)を
るのは、ゲノム全体の数%にすぎない。ヒト
調べる技術のことである。遺伝子診断は、大
の遺伝子は、およそ3万個と言われている。
きく分けて、成人や幼児といった出生後のヒ
ある病気の「原因」が遺伝子であるという
トを対象とした診断(発症前診断)と出生前
場合に注意しなければならないことは、病気
の胎児や受精卵と対象とした診断(出生前診
の発症のメカニズムは複雑であるということ
断)とに区分される。
である。病気が遺伝子によって決まっている
といっても、その程度はそれぞれの病気によ
1)発症前診断(成人や幼児の診断)
って異なる。通常、病気の発症は、遺伝的要
これは、成人や幼児が病気の遺伝子をもっ
因と環境要因とが複合的に作用して引き起こ
ているかどうかを、発症する前に調べること
される。したがって、遺伝子がすべてを決定
である。通常は、血液を採取してそのなかの細
しているという「遺伝子決定論」は誤りであ
胞の遺伝子や染色体の分析をおこなう。現在
る。
のところ、ハンチントン病、早期発症型アルツ
しかしながら、遺伝を原因とする病気のな
ハイマー病、フェニルケトン尿症などの発症
かには、ある遺伝子の変異をもっていればか
前診断が確立している。不特定多数の人に対
なり高い確率で発病するものがある。そのよ
しておこなわれる診断は「スクリーニング」
Journal of Sugiyama Human Research 2006
088
「ゲノム人間論」プロジェクト研究報告
あるいは
「マス・スクリーニング」
と呼ばれる。
これを、「知らされない権利(知らないでい
たとえば、新生児に対するフェニルケトン尿
る権利)」と呼ぶ。
症の集団検査がそれである。
1-2)遺伝的差別
いずれにせよ、診断は本人の自己決定のも
つぎに、遺伝情報の保護・管理の必要性や、
と、
「インフォームド・コンセント」
を経て行
遺伝子に変異があると分かった人が、保険加
われる必要がある。
新生児・幼児の場合には、
入や雇用において差別的な扱いを受ける可能
親の決定が必要である。
性が問題となっている。このことについては、
1-1)「知る権利」と「知らされない権利」
日本ではまだ本格的に議論されていないが、
この診断のメリットとしては、対象となる
アメリカではかなり議論が進んでいる。アメ
病気の治療法が存在する場合は、病気の予防
リカでこの問題の議論が進んでいる背景には、
や早期治療に役立つということがあげられる。
アメリカが国民皆保険ではなく、自己責任に
しかしながら、治療法のない病気の場合は、
おいて民間の保険会社の提供する医療保険に
診断を受けるか受けないか、あるいは診断の
加入することが一般的であることとも関連し
結果を本人に伝えるか否かということに関し
ている(米本 2006)。
て、個人の自己決定にまかせるだけではすま
アメリカでは、「医療保険の携行性と説明
ない側面もある。たとえば、抑うつ傾向の強
責任に関する法律(HIPAA)」(1996年)
い人が「陽性」の診断結果を聞かされた場合、
により、保険会社が特定の遺伝情報を理由に
最悪のケースでは自殺に追い込まれることも
契約者を選別したり排除したりすることは事
ある。
実上禁じられている。ただし、これは被雇用
アメリカでは、遺伝子診断は本人の「知る
者が企業ごとに加入する「グループ保険」の
権利」と自己決定権のもと、(自己責任にお
制度における保険会社の差別的行為を制限す
いて)ほぼ自由に受けることができる。しか
る法律にすぎない。したがって、これによっ
し、これは遺伝カウンセリングの体制が整っ
てすべてのケースが救済されるわけではなく、
ているアメリカだからできることである。遺
包括的な遺伝的差別禁止法の策定が求められ
伝カウンセリングが十分に普及していない現
ている。法案が何度か提出されているが、保
在の日本においては、全面的な自由化は困難
険会社からの反対などもあり、いまだ成立し
であると考えられる。しかしながら、そのよ
ていない。しかしながら、州レベルで雇用、
うな患者フォローの体制が整う前に、診断が
医療保険における遺伝的差別を禁止する法律
徐々に普及してきているというのが現状であ
を制定しているところもある。とくに、カリ
る。
フォルニア州の州法は包括的なものとして知
さらに、診断の結果は、診断を受けた本
人のみならず、親族にもおよぶ。情報提供は
られている。
また、遺伝的なプライヴァシーと機密保持
誰にどこまでおこなうのかという問題がある。
に関しては、上記のHIPAAによって、遺伝
これに関連して、診断を受けていない親族な
子検査の結果が含まれた医療記録が他者に渡
どが、自分の知りたくもない情報を強制的に
ることも規制されている。さらに、雇用に関
知らされてしまうことから保護されるべきで
しては、2000年2月に公布された大統領令に
あるという考え方が一般的になりつつある。
より、政府関連組織の採用にあたっての遺伝
089
Journal of Sugiyama Human Research 2006
「ゲノム人間論」プロジェクト研究報告
的差別を禁止した。しかし、民間の企業に関
まれてくる子どもの障害の有無を事前に知る
してはこのような規制はない。
ことができ、胎児段階での治療や誕生後の治
この「遺伝的差別」の問題については、日
本でも早急に検討されるべきである。
療・ケアについてあらかじめ準備できる。し
かし、現実的には人工妊娠中絶(以下「中絶」と
略する)が選択されることも多い。胎児の障害
を理由とした中絶のことを「選択的中絶」と呼
2)出生前診断
以上、成人や幼児を対象とした出生後の遺
ぶ。
伝子診断について論じてきた。しかし、1970
この「選択的中絶」の是非について、日本で
年代くらいから、出生前の胎児を対象とした
は法的に明確な決まりはない。一般的に中絶
診断が普及してきた。さらに、1990 年代に入
は刑法の堕胎罪に問われる。しかし、「母体保
ると、受精卵を対象とした遺伝子診断もおこ
護法」
(1996 年に「優生保護法」から改正)にお
なわれるようになってきた。胎児診断と受精
いて堕胎罪の例外が規定されている。すなわ
卵診断を合わせて
「出生前診断」
と呼ぶが、こ
ち、強姦による妊娠の場合と、
「妊娠の継続又
れらは成人や胎児を対象とした遺伝子診断と
は分娩が身体的又は経済的理由により母体の
は異なった倫理的問題を提起するようになっ
健康を著しく害するおそれのあるもの」につ
た。
いては、妊娠 22 週未満の中絶が認められてい
2-1)胎児診断(狭義の「出生前診断」)
るのである。それでは、「選択的中絶」につい
狭い意味で「出生前診断」というときは、
てはどうかというと、母体保護法には、胎児の
胎児診断を指す。胎児診断は、妊婦のおなか
障害を理由にした中絶についての規定はない。
のなかにいる胎児の細胞を採取し、その染色
しかし、実際には、
「経済的理由」を拡大解釈し
体やDNAを分析することによって、胎児の
て、これに含まれるようなかたちで選択的中
遺伝的変異を調べる技術である。よく利用さ
絶は実施されているのが現状である。
れる胎児診断の方法として、つぎのふたつが
選択的中絶に限らず一般に中絶を語るとき
ある(佐藤 1999)。
に問題とされるのが、
「女性の自己決定権」
(リ
a)絨毛検査(妊娠10∼11週に実施)
プロダクティヴ・ライツ)と「胎児の生存権」
将来の胎盤のもととなる絨毛と呼ばれる部
との対立である。つまり、妊婦には、自分の身
分を経膣的あるいは経腹的に採取し、そのな
体に関することは自分で決定できるという自
かに少量含まれる胎児細胞を分離して、染色
己決定権があるのであり、産む産まないの決
体分析あるいは DNA 診断をおこなう。
定もこれに含まれる。しかし、厳密に言って、
b)羊水検査(妊娠15∼18週に実施)
胎児は妊婦の身体の一部なのだろうか、それ
胎児を包む羊水を腹からの穿刺によって採
とも独立した別個の存在なのであろうか。別
取し、そのなかに含まれる胎児細胞を培養し
個の存在であるとすれば、胎児は「生存権」を
て染色体分析あるいは DNA 診断をおこなう。
有する可能性があり、中絶は許されないとい
絨毛検査や羊水検査にともなう副作用とし
ては、
破水、
流産および催奇形性などがあるが、
まれである
(1/500 ∼ 1/300)
。
うことになるのではないだろうか。
この問題については、人間の生命はいつか
ら始まるのか、胚や胎児が生存権をもつのは
これらの技術を利用することによって、生
いつからか、といった哲学的問題がつきまと
Journal of Sugiyama Human Research 2006
090
「ゲノム人間論」プロジェクト研究報告
ってくる。
これは、
「胚・胎児の道徳的地位」
と
る。これまでのところ、出生児にこの診断技術
呼ばれる問題である。この哲学的問題につい
に由来する重篤な障害が生じたということも
ては、誰もが納得できるような合意といった
なく、安全性には問題がないとされている。し
ものは存在せず、そのことが中絶をめぐる意
かしながら、この技術が世界的にスタートし
見の対立を複雑かつ解決困難なものとしてい
たのは 1990 年代であり、出生児数も限られて
る。
いるので、この程度の実施例をもとに判断を
胚・胎児の道徳的地位をめぐる哲学的議論
くだすことはできない。また、出生児が高齢に
については後述するとして、
法的な場面では、
なってきたときに、新たな障害が発現する可
このような生命に関する意見の対立を越えて、
能性もないとは言えない。さらに、そもそも体
ある妥協点を見いだす必要がある。先述の母
外受精の生産率は 15 ∼ 20%ほどであり、け
体保護法において中絶が認められている「妊
っして効率のよい技術であるとは言えないの
娠 22 週未満」という期間にはつぎのような
である。
意味がある。
妊娠 22 週以降は、仮に胎児が母
この技術の推進者側からは、受精卵の段階
体の外に取り出されても、現代の医療の粋を
での選別のほうが、ある程度成育した胎児を
尽くせば生存していける時期なのである。こ
中絶することと比較して、倫理的問題も小さ
れを「
(母体外)生存可能性」
(viability)と呼ぶ。
いという見解が出されている。この点につい
法的には、
この時期を境に、
胎児の生存権のほ
ては、事態はそう単純ではない。
うが女性の自己決定権よりも重いものとみな
まず、「命の質」の選別をおこなっていると
されるのである。
いう点においては胎児の中絶と変わりがない。
2-2)受精卵診断(着床前診断)
出生前診断においては、たとえ診断の結果が
受精卵診断
(着床前診断)
とは、体外受精に
陽性であったとしても出産するという選択肢
よってできた胚が4∼8細胞に分裂した時点
は残されている。しかしながら、受精卵診断は
で、1∼2個の細胞を取り出して遺伝子を調
最初から選別が目的である。
べるという技術である。正常な胚のみを子宮
さらに、母体に戻されない受精卵を廃棄す
に移植することによって、健常な子を出産す
ることそれ自体の問題もある。もし、受精卵が
ることを目的とする(貝谷・日本筋ジストロ
すでに人間の生命の始まりであるとするなら
フィー協会 2001)
。
ば、胎児の中絶はおろか、受精卵を破壊するこ
この技術を利用すれば、重篤な遺伝性疾患
とも許されないということになろう。
の遺伝子をもった夫婦も、健常な子どもを産
日本では受精卵診断に関連する法律などは
むことができる。
この技術については、
受精卵
存在しないが、1998 年に出された日本産科
の段階で選別をするので、胎児の中絶に比べ
婦人科学会の会告(ガイドライン)では、この
て妊婦の身体的・精神的負担が少ないという
診断を「重い遺伝病」の場合に限り容認してい
メリットがあげられている。
る。
「重い遺伝病」とは、具体的には、有効な治
ただし、この技術はいまだ実験段階のもの
療手段もなく、成人になる前に生存が危ぶま
と捉えられている。診断の精度は 80%くらい
れるような疾患のことである。受精卵診断を
であり、結局は妊娠後に羊水検査をしなけれ
実施しようとする医療施設は、学会に申請し
ば障害の有無を確定できないという現実もあ
て審査を受ける必要がある。実際に診断を受
091
Journal of Sugiyama Human Research 2006
「ゲノム人間論」プロジェクト研究報告
けられるのは、対象となる疾患の遺伝がある
考えたときの、私自身の個人的見解を述べて
ことが疑われる夫婦のみである。これまでに
おきたい。上記のような診断に対する批判を
承認された受精卵診断は7件で、うち2組が
理由に、出生前診断や受精卵診断にともなう
出産している(2006 年 9 月現在)
。
対象はデュ
選択的中絶を、たとえば法律によって全面的
シェンヌ型筋ジストロフィーなどである 。
に禁止すべきであろうか。私は、そのようなこ
2-3)出生前診断にともなう倫理的問題
とはすべきではないと考える。なぜなら、生殖
2-3-1)障害者差別の問題
の自由やプライヴァシーといったものは、自
2)
胎児診断や受精卵診断に対しては、障害者
由主義社会のなかでは非常に重要な価値であ
団体や障害児を育てている親の会などから、
るからである。障害をもった子どもを産むこ
つぎのような批判が出されることがある。す
とや産まないことの国家による強制は、この
なわち、出生前診断をして選択的中絶をおこ
ような重要な価値を損なう恐れが強い。
なうということは、意図するとしないとに関
ただし、技術を容認するからには、障害者を
わらず、その障害をもって現に生きている人
めぐる社会政策上の配慮とそれに対する市民
に対して、
「あなたは生きている価値がない」
、
的監視は必須である。事実問題として、一方で
「あなたは生まれてこないほうがよかったの
選択的中絶を認め、一方で障害者に対する偏
だ」という暗黙のメッセージを発しているこ
見をなくし、彼ら / 彼女らに対するケアを充
とになる。出生前診断が社会のなかで一般化
実させていくという「ダブルスタンダード」は、
していくならば、その障害をもって生きてい
そう簡単にうまくいくものではない。中絶に
る人の存在価値が否定されることになり、社
よって障害者の数が減ることによって、その
会として障害者に対する偏見や差別を助長す
人たちをケアする医療・福祉の体制が手薄に
ることになるだろう。
ゆえに、
このような診断
なってくる可能性があるし、また、一般の人た
は禁止すべきである。
ちの認知の度合いも低くなっていくので偏見
このような批判に対する反論としてはつぎ
が助長される恐れもある。さらに、中絶が一般
のようなものがある。
出生前の遺伝子診断は、
化すれば、あえて遺伝的疾患のある子を出産
いま生きている障害者たちの価値や生存権を
する選択をした女性(カップル)、あるいはこ
否定するものではなく、将来この世に生まれ
れからそういう選択をしようという女性(カ
てくる子どもが苦痛の多い人生を送らざるを
ップル)に対して、社会的な圧力がかかること
えなくなるのを回避するためのものにすぎな
もある。結果として、「差別」と同じ事態が生
い。この診断技術を認めることと、
いま生きて
じることはありうる。出生前診断を公費負担
いる障害者のケアを充実させ偏見をなくして
でおこなっているイギリスにおいて、このよ
いくこととは矛盾することではなく、別の問
うな事態が(とくに二分脊椎症の患者につい
題として考えるべきである。
て)実際に起こっているとの報告もある(坂井
この問題についての論者たちの見解は大変
1999)。
多様であり、しかもその立場によってニュア
現在の日本の障害者をめぐる状況(一般
ンスを異にするものなので、ここで詳細に検
の認知の度合い、遺伝カウンセリングの普及
討することはできない。
しかしながら、
これを
度など)を考慮に入れるならば、診断の野放
社会政策上の問題あるいは法的な問題として
図な拡大に対しては慎重であらざるをえない。
Journal of Sugiyama Human Research 2006
092
「ゲノム人間論」プロジェクト研究報告
たとえば、1999年に厚生省(当時)の専門委
解は、女性の権利を強く主張する一部のフェ
員会は、現段階では、医療者側は母体血清マ
ミニストなどによって表明されている 4)。
ーカー検査の存在を妊婦に対して積極的に知
とくにアメリカでは中絶をめぐる価値観
3)
らせる必要はない、との見解を表明している 。
の対立が激しく、政治的次元にまで及んでい
このような見解は、妊婦の「知る権利」
る。カトリックに限らず生命尊重の立場から
と抵触する可能性もあり、議論が続いている
中絶に反対する保守派は「プロ・ライフ」と呼
(松田 1999)。
ばれ、中絶の権利を擁護するリベラル派は「プ
2-3-2)胚・胎児の道徳的地位
ロ・チョイス」と呼ばれる。このような生命を
さて、
すでに述べたとおり、
選択的中絶や受
めぐる価値観の対立に直面して、法的・社会
精卵の廃棄に関連して、道徳的な尊重を受け
政策的にはある妥協点を探らなければならな
るべき人間の生命はいつ始まるのかという哲
い。この点において重要な影響力をもってい
学的問題が提起されている。
これは、
「胚・胎
るのは、アメリカの連邦最高裁判所が初めて
児の道徳的地位」
の問題と呼ばれる。
もちろん、
人工妊娠中絶を合法と認めた「ロウ対ウエイ
一個の生命体としては、すでに受精卵の段階
ド裁判」判決(1973 年)である。
で生命は始まっていると言える。親とは異な
そこでは、妊娠期間を生物学的な発達段階
る遺伝子のワンセットをもっているという意
に基づいて、三期に区分する考え方が採用さ
味において、受精卵はすでに独自の存在であ
れており、これは「三期説」と呼ばれる。第一期
る。
それは、
通常のプロセスを経れば一個の個
は、
「胚」から「胎児」への発達期である。第二期
体として成長していくという潜在性をもって
は、おおむね胎児の形態が形成されたあとの
いる。
しかし、
ここで議論の的になっているの
時期である。第三期は、前述の「生存可能性」が
は、
生命体としての
「ヒト」
ではなく、
道徳共同
生じたあとの時期である。このような区分を
体の成員としての
「人」
、あるいは権利主体と
前提として、おおむねつぎのような判決が下
しての
「人」
である。
された(今井 2005, ペンス 2000)。
この問題について、もっとも保守的な立場
およそ第二期以前においては、国(州)の生
をとるのは厳格なカトリック教徒である。カ
命保護への関心よりも、妊婦の自己決定権の
トリックの見解では、生命とは神の創造によ
ほうが尊重される。国(州)が中絶を制限でき
るものであり、それゆえ生殖過程に対する人
るのは、母体の健康を保護するという目的が
為的介入は神の意図を蔑ろにする行為である。
あるときに限られる。これに対して、第三期
受精卵は、潜在的な人格としてすでに人間の
においては妊婦の自己決定権が制限され、国
生命の始まりであり、これを破壊することは
(州)による胎児の生命保護の関心が上回る。
成人の人格の破壊
(殺人)
と同様の道徳的罪悪
国(州)は、必要があるならば、中絶を禁止する
であるということになる。
法律を制定することができる。
これに対して、もっともリベラルな考え方
この判決はとくに選択的中絶を対象とした
によれば、人間の生存権は出生のときに生ず
ものではなく、中絶一般についての判決であ
る。
これによれば、
中絶はもっぱら女性の自己
るが、胎児の生物学的な発達段階に応じてそ
決定の問題であり、妊娠の全期間において中
の社会的扱いを検討したものとして、その後
絶は自由であると考えられる。このような見
の中絶をめぐる議論に対して大きな影響力を
093
Journal of Sugiyama Human Research 2006
「ゲノム人間論」プロジェクト研究報告
あたえた。
ーの養成をおこなったり、また、各医療機関が
すでに述べたとおり、
日本の母体保護法も、
独自に「遺伝カウンセリング外来」のような名
「生存可能性」という概念を内含している。
母
称で医師による遺伝カウンセリングを始めた
体保護法には選択的中絶の是非に関する条文
りしているが、一般的な医療行為の一部と見
はなく、実質上は
「経済的理由」
で対処してい
なされるにはほど遠い状況である。この遺伝
る。そして、妊娠期間の第二期まで
(日本では
カウンセリングの制度を整備していくことが
22 週未満)の選択的中絶が「事実上」認められ
喫緊の課題である。
ている。
これに対して、
明確に胎児の障害を理
遺伝カウンセリングにおいて重要なことが、
由とした中絶を認める条文
(
「胎児条項」
)
を法
カウンセラーの価値観によってカウンセリー
律に入れるべきだという議論もある。
しかし、
(来談者)の決定が影響を被らないようにする
そのことによって、選択的中絶が社会で公的
ということである。これを、カウンセリングの
に認められることになり、中絶という選択を
「非指示性」という。発症前診断にせよ、出生前
助長するとの慎重論がある。欧米諸国では胎
診断にせよ、診断を受けた者の自律的な自己
児条項をもつ国が多いが、逆にドイツのよう
決定が保証されている必要がある。とくに出
に胎児条項を削除した国もある
(佐藤 1999)
。
生前診断においては、カウンセラーや医療従
事者の価値観で患者の決定が誘導されること
Ⅳ 日本の今後の課題
があってはならない。もし組織的に選択的中
絶への誘導がおこなわれるならば、かつて存
以上、遺伝子診断をめぐる倫理的・社会的
問題について概観してきた。
これらのことは、
暫定的なガイドライン等は存在するものの、
在したような国家による優生学的な施策と区
別がつかなくなる。
さらに重要なこととして、一般市民の遺伝
国民的な合意が完全にできあがっているとい
についてのリテラシーを高めていくための教
う性質のものではない。
今後、
医療従事者のみ
育が必要であろう。それなくしては、今後予想
ならず、一般市民が参加できる議論の土壌を
される診断技術の普及のなかで、市民が安易
整備していくことが望まれる。
な遺伝子決定論に振り回され、遺伝的差別を
好むと好まざるとにかかわらず、遺伝子診
加速させることとなりかねないからである。
断の技術はこれから急速に発展していくこと
と思われる。
現在では、
遺伝子診断の対象は重
【注】
篤な遺伝性疾患に限られているが、診断法を
1)本稿は、平成 18 年 4 月 10 日に開催された
開発・商品化している民間の検査会社などで
「ゲノム人間論」研究会の発表原稿に加筆・
は、その対象を一般の病気
(がん、
糖尿病など)
のかかりやすさへと拡大し、売り上げを伸ば
そうとしている。
修正を施したものである。
2)
日本産科婦人科学会は、2006 年 2 月の理
事会において、受精卵診断技術の利用を習
このようななかで、何よりも遺伝カウンセ
慣流産にも拡大する方針を決定している。
リングの普及が望まれる。
現在の日本では、
遺
3)母体血清マーカー検査それ自体は、母体血
伝カウンセリングに対する保険点数が認めら
清中のある種のタンパク質の濃度を調べる
れていない。関連学会が専門的なカウンセラ
ものであり遺伝子診断ではない。しかし、そ
Journal of Sugiyama Human Research 2006
094
「ゲノム人間論」プロジェクト研究報告
れによってダウン症や二分脊椎症のリスク
が高いとされた場合は、続いて羊水検査を
受けるというケースが多い。
4)
さらに、哲学的な議論として、生存権をも
つのは自己についての統合的意識をもつ
管理への警鐘』有斐閣
シンガー , ピーター(1999)
『実践の倫理 [ 新版 ]』
(山内友三郎・塚崎智 監訳)昭和堂
高橋隆雄 編(1999)
『遺伝子の時代の倫理』九
州大学出版会
「人格(パーソン)
」のみであるという「パー
ドゥオーキン , ロナルド(1998)『ライフズ・
ソン論」
の見解もある。
これによれば、胎児
ドミニオン:中絶と尊厳死そして個人の自
のみならず嬰児さえも生存権をもたないこ
由』
(水谷英夫・小島妙子 訳)信山社
とになる(シンガー 1999)
。
この見解につい
ては、
ここでは触れない。
ペンス , グレゴリー・E(2000)
『医療倫理 1:
よりよい決定のための事例分析』(宮坂道
夫・長岡成夫 訳)みすず書房
ペンス , グレゴリー・E(2001)
『医療倫理 2:
【参考文献】
青野由利(2000)
『遺伝子問題とは何か:ヒト
ゲノム計画から人間を問い直す』
新曜社
今井道夫(2005)
『生命倫理学入門 [ 第2版 ]』
産業図書
よりよい決定のための事例分析』(宮坂道
夫・長岡成夫 訳)みすず書房
ポスト , スティーヴン・G 編(2007)
『生命倫
理百科事典』
(生命倫理百科事典翻訳刊行委
貝 谷 久 宣・ 日 本 筋 ジ ス ト ロ フ ィ ー 協 会 編
(2001)
『遺伝子医療と生命倫理』
日本評論社
金城清子(1998)
『生命誕生をめぐるバイオエ
シックス:生命倫理と法』
日本評論社
坂井律子(1999)
『ルポルタージュ 出生前診
断:生命誕生の現場に何が起きているの
か?』
NHK 出版
員会 編)丸善
松田一郎(1999)
「出生前検査・診断:その背
景とわが国での現状」;高橋隆雄 編(1999)
『遺伝子の時代の倫理』九州大学出版会、
pp.43-65
米本昌平(2006)
『バイオポリティクス:人体
を管理するとはどういうことか』中公新書
佐藤孝道(1999)
『出生前診断:いのちの品質
095
Journal of Sugiyama Human Research 2006
ホモ・サピエンスの稜線の彼方で
∼新しい人類学的人間像∼
Over the Mountain Ridge of Homo sapiens
∼New approach to the physical anthropology∼
椙山女学園大学名誉教授 京都大学名誉教授
日本福祉大学コミュニティ・スクール校長
椙山人間学研究センター客員研究員
江原昭善
Akiyoshi Ehara
Ⅰ. 人類の向上進化と現代人の現状
このようにして、個体数が次第に減少し
てついには姿を消すものもあれば、逆に増
1)進化にはいろんなパターンがある
えていく群れも見られたことだろう。そし
ごく一般的に進化といえば、長い時間をか
てその盛衰の状況は、まさに進化の局面を
けて生物Aが生物Bに変化する現象だと理解
示すものだった。
されることが多い。だが、進化は後で述べる
いささか脇道にそれるが、彼の進化的考
ように、A→Bというような直列的な現象ば
えと近・現代のそれとの間には、時間的に
かりではない。さらに進化は生物界だけに限
も系列的にも大きな断絶があるので、必然
られた現象ではない。実際にはもっと広く、
約な関係はないと考える向きも多い。しか
宇宙レベルの現象や、自然や社会や文化など
し筆者は、文化史的・思想史的には同じ系
の世界でも進化の現象は見られる。
列の中での1段階と見做してよいのではな
進化という現象に初めて目が向けられたの
いかと思っている(『人類の起源と進化∼
は、かなり古い。ギリシャのアナクシマンド
人間理解のために』裳華房、P. 6∼7参照)。
ロス(Anaximandros, ca.610∼ca.540 BC)
は、エーゲ海の岩礁だらけの海岸で、様々な
2)進化の3パターン
変化に富んだ海生生物を毎日のように飽き
話を元に戻して、生物学の分野では19世
ることなく観察していた。そしてそのなかの
紀の中頃に、かの有名なダーウィンの『種
あるグループが陸生へと進化したと確信する
の起源』(1859)が発表され、それ以来、
ようになった。というのも絶え間なく潮の干
生物学の近代化につれて、いろんな立場か
満が繰り返され、それにつれて溜り水の中で
らの進化論が公表されてきた。
過密・過疎などの急速な環境変化が、そこに
J・ハックスリー(J. S. Huxley, 1887∼
凄む生き物たちに生存競争上、形態的・生理
1975)は、このような風潮の中であらため
的・行動的・生態的その他さまざまな影響を
て、多くの研究者たちが扱った進化の様態
与えている姿を、如実に観察できたことだろ
を吟味して、大きく以下のように3パター
うからだ。その結果、新しい水溜りを求めて、
ンに分類した(1954)。
止むなく陸地を這うこともあっただろう。そ
①アナジェネシス(向上進化、anagenesis)
の水を求める努力が、皮肉にも水溜りを見限
:レンシュ(B. Rensch, 1947)の命名。
る動機になったということか。
彼は生物の身体構造・形態の改善、
Journal of Sugiyama Human Research 2006
096
あるいは主要機能の完成を目指す進化を
シュやボルトマンも同じ経験をしたらしい。
そう名づけた。しかしハックスリーは
そこでポルトマンは「チンパンジーと、その
このカテゴリーをレンシュよりも幅広く
祖先に当たるネズミにも似た原猿類とを、ま
解釈し、細かい器官の適応から一般体
ったく同じレベルで論じられようか」と反論
制上の進化までを含ませている。スイス
したという。当を得た反論だったと思う。
の生物哲学者ポルトマン(A. Portmann,
1897∼1982)のelevationに相当する。
3)宇宙的に見た自然の進化
この見方に立てば、たとえば人類では
筆者は本論の冒頭のところで、進化が生物
系統関係は問題にせず「どのレベルで人
界に限定された現象ではないことを指摘して
類に達したか」について論ずる。
おいた。英国のH.スペンサー(H. Spencer,
②クレイドジェネシス(cladogenesis 分岐
1820∼1903,哲学者・社全科学者)は、ダー
進化):ある系統種が枝分かれして、新
ウィン以前から、すでに進化的見解を持って
しい種へと進化する現象。種の系統的起
いた学者の一人だ。膨大な著書『総合哲学体
源を示すことから、生物の進化といえば
系』全10巻を著し、そのなかで『第一原理』
短絡的に分岐進化と考えてしまう傾向が
から『生物学原理』、『心理学原理』、『社
ある。この見方に立てば、たとえば人類
会学原理』、『倫理学原理』までを、星雲
は「どの系統から分岐したか」「直接の
の生成から人間社会や道徳的原理の展開まで
祖先はいずれか」を吟味する。
含めて、進化という観点から組織的に論じ
③スタシジェネシス(stasigenesis, 安定進
た。とくに興味があるのは、人間も含めた自
化):J.ハックスリーの命名。分岐進
然全体の進化について述べており、その見
化して生じた種が、向上進化や退向進化
解は用語に多少の違いはあるが、今でも多く
(マイナスの進化。つまり退化)を遂げ
の研究者たちによって採用されていること
ることなく、長期にわたって安定的に生
だ。それによると、自然の進化には無機次元
存する現象。たとえば化石種シーラカン
(inorganic dimension, 物質段階)、有機次
スが今日も生存し、あるいは昆虫類の多
元(organic dimension, 生物もしくは生命段
くが地質時代を通じてほとんど変化する
階)、超有機次元(superorganic dimension,
ことなく、今日にまで及んでいるような
精神・文化段階)の3段階が区別できる。初
現象。
めは物理・化学的法則が支配する世界が展開
以上に述べた3パターンのうち、本論では
し、やがてその世界から生命が誕生し、その
とくに向上進化に重点を置いて人類の像を考
なかから多くの高等生物が進化して来た。そ
察してみたい。杞憂に属するかも知れないが、
の高等生物のなかから、文化を持ち、精神生
向上進化という語についてちょっと付言して
活を行う人類が出現したというのである(図
おきたい。というのも、筆者がこの向上進化
参照)。
という概念を日本に紹介したとき、思いがけ
ここでいう自然進化の3次元については、
ないほど多くの批判に出くわした。「向上と
スペンサー以降、区分とか領域とか段階や世
いう概念には、科学が忌避する価値観が含ま
界とか、研究者たちによって様々な表現が使
れている」というもの。それについてはレン
用されているが、ほぼ同じ意味だと考えて
097
Journal of Sugiyama Human Research 2006
よい。しかしこれらの用語を吟味してみると、
→超(メタ)精神秩序系の各ゲシュタルト水
いずれも空間的に区分しただけの意味合いが
準に区分した。そして各秩序系には多くの小
強い。自然界を進化的に3区分に区切って、
秩序系が、あたかも松かさのように重なり合
その各々を物質、生命、文化という、質的に
っていて、上位の秩序系を構成していること
中身の異なる実体もしくは中身の異なる箱を
になる。
積み上げたようなもの。だからこの箱の中身
どうしの機能的なつながりや関係は吟味され
4)機械論の限界
たわけではなく、無視されている。単に質的
自然科学や生物学の分野では、依然として
な飛躍として扱われているだけだ。
科学主義や実証主義が強い影響力を持ってい
人間だけに限っていえば、身体的な生物か
る。その根底には機械論が根強く居座ってい
ら精神的な人間への進化については、デカル
ることがわかる。ここではその機械論を取り
ト以来、哲学・人文科学の分野で、異質的な
上げて、吟味してみよう。
物と心(身体と精神)という埋めがたい亀裂
機械論では「目前の現象が存在するのは、
を造ってしまった(心身二元論)。多くの研
それを惹き起こした原因があるからだ」とい
究者や思想家は物か心かのどちらかの領域で
う。その通りだ。その原因と目前の現象との
研究を深め、関心がもたれながらも放置され
間には、切っても切れない原因と結果の糸で
たままになっていた。フランスの実存哲学者
つながっているという(因果関係)。こう考
メルロ=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty,
えるのが、機械論。たいへん明快でわかりや
1908∼1961)は、この両次元の亀裂を修復す
すい論理だ。だが、実際にはことはさほど単
る効果的な理論を構築した。
純ではない。
彼によれば、現象学的に「身体は純粋な物
生物の行動を例に考えてみよう。生物にあ
(=実体)でもなく、純粋な意識(=実体)
る刺激A(原因)を与えると、それに対応す
でもない」「身体とは私たちが世界と関わる
る反応(結果)として、生物の行動Bが観察
仕方を根底で支えている条件であり、体験さ
される。つまり原因Aがあれば、結果Bを生
れる現象の総体である」という。したがって
ずる。心理学の実験では、これを原因・結果
身体には初めから両義牲が含まれている。こ
が強く結びついているので、「恒常性仮説」
のことを彼は「心身合一」「相互浸透」と表
という。ところが実験には、必ずしもそうは
現し、心身は絶ちがたい関係にあることを強
ならないことが明らかになってきた。おなじ
調した(『知覚の現象学』1945)。身体と精
Aという刺激がBやCなどのように違った反
神をいずれも「実体」と捉えることから、議
応を示し、あるいは異なった刺激BやCが同
論はジレンマに陥り、行き詰まってしまった
じ反応Aを示すことが、しばしば観察される
のだ。それ故、このメルロ=ポンティの考え
というのだ。
方を延長して、上述の自然進化の3パター
この例からもわかるように、観察や分析
ンも、次に述べるゲシュタルト論を下敷きに
をわかり易くしようとして、刺激・反応や原
して秩序系の進化として考察することにする。
因・結果の関係を、単純で要素的な関係に還
つまり、ビッグ・バン(原初爆発)→物質秩
元するのは、間違いを生ずることが多い(こ
序系→生命秩序系→文化秩序系→精神秩序系
れを要素還元主義という。自然科学や技術分
Journal of Sugiyama Human Research 2006
098
野でよく採用される手法)。つまり原因と結
果は、かならずしも対をなすとは限らないと
いうことだ。
タルト的に理解されるからなのだ。
ここで注意すべきことは、そしてよく誤解
されることだが、様々な音の混合の中に「荒
行動の予測という問題もさることながら、
城の月」がゲシュタルト的に曲として潜在し
これらの事実は「恒常性仮説」一本槍の心理
ていて、それを「荒城の月」として掬い上げ、
学者や行動主義者を直撃していた。それまで
聞き分けているわけではない。つまりピアノ
は単純に因果関係や機械論や要素還元論で片
という楽器の中に、あらかじめ「荒城の月」
づけていた話が、理解しがたい原因と結果の
のメロディが潜んでいるのでなく、演奏され
不一致や不備を、どう乗り切るかという問題
た音のパターンを人間の側の意識が「荒城の
に直面した(『稜線に立つホモ・サピエン
月」として聞き分けているということだ。
ス』'05江原より)。
メルロ=ポンティはこの例に限らず、す
べての現象について、自分はその外側にいて、
5)ゲシュタルト論の発想
その立場から観察するという、これまでの悪
恒常性仮説の不備を指摘したのは心理学
しき客観主義や科学主義から抜け出して、む
分野からだった。その突破口が心理学者た
しろ新しい主観主義に立っていることがわか
ち(その代表者のひとりはチンパンジーの
る。彼はこのような発想を、じかにフッサー
知恵実験で有名なWorfgang Köhler, 1887∼
ルから「現象学」として学んだ。
1967)によって切り開かれた。
これまで理論的に行き詰まっていた「心身
私たちは「ミミラシドシラ……」という音
二元論」も、心身をそれぞれ異なった2実体
のつながりを聞くと、その音源がピアノであ
として捕らえるのでなく、機能と構造を持っ
ろうと、フルートであろうと、バイオリンで
た2つのゲシュタルトだと考えれば、矛盾な
あろうと、はたまた口笛や草笛であろうと、
く理解できるはずだ(上述のメルロ=ポンテ
「荒城の月」のメロディーの1節であること
ィ参照)。
がすぐわかる。音階の1つぐらいまちがえて
も、それでも「荒城の月」だと認識できるほ
Ⅱ. 進化は人間に宿命的な矛盾を科した
どだ。これは1つひとつの音でなく、まとま
った音のパターンとして理解することができ
1)各秩序系の齟齬
るからだ。このパターンのことをゲシュタル
先ほど述べた宇宙レベルで人類の進化を概
トGestaltという。このゲシュタルト論によ
観してみると、脅威的な事実に気がつく。ビ
ると、音符の1つひとつをバラバラに聴くの
ッグ・バンが約145億年前、地球誕生が46億
でなく1つのまとまり、つまりパターンとし
年前、生命誕生が35億年前、脊推動物出現が
て聴いていることになる。
多めに見て約5億年前、人類誕生がざっと
さらにバイオリンやピアノやフルートその
450万年前、人間は約10万年前に誕生。仏教
他の様々なゲシュタルトである音のパターン
(前5世紀頃)やユダヤ教・キリスト教(約
が統合されて、もう一段階上のゲシュタルト
2000年前)、イスラム教(7世紀)、儒教や
である「荒城の月」の楽曲が認識される。こ
道教(前6世紀∼前5世紀)などの誕生はす
れらはすべて受け手の意識によって、ゲシュ
べて3000∼2000年前のできごと。つまり人類
099
Journal of Sugiyama Human Research 2006
は文化秩序系・精神秩序系の各ゲシュタルト
化を見るとき、すさまじいほどの加速化を遂
水準へと向上進化を遂げ、さらに留まること
げていることに気がつく。そして各秩序系は、
なくメタ(超)精神秩序系の世界へと進化し
無数に内蔵している大小さまざまな小秩序系
つつある。
を、その都合や折り合いなどには配慮するこ
すでに述べたように、各水準の秩序系のな
となく淘汰していく。その格差が大きいほど、
かでも、多くの小ゲシュタルトが松かさのよ
淘汰も困難さを増す。その結果、場合によっ
うに有機的・複合的に重なり合ってより大き
ては淘汰し切れないで、絶滅していった生物
なゲシュタルトを形成し、とくに文化・精神
も数多くある。
レベルの世界では、全体として構造的にいっ
さらに、この進化のプロセスで、もし新し
そう複雑な様相を呈している。このような図
いレベルへと進化するたびに、振り出しに戻
式の中で、巨視的には生物(動物)としての
って進化し直していたならば、これほど大き
諸特徴を土台として、それらを覆うように文
な加速化は不可能だったことだろう。たとえ
化を誕生させ、精神活動をするという人間の
ば自動車の第1号から第2号に向けてさらに
姿が見えてくる。それぞれ違った出自や次元
進化(改良)するのに、エンジンや、ハンド
を異にする各特徴を抱えもった一大ゲシュタ
ルやブレーキその他諸々の構造や材質を、ゼ
ルトとしての人間の姿が見えてくる。
ロからやり直しているわけではない。第1号
そのような人間について、生物としての論
を土台にして、そこから改良するわけだ。そ
理、文化の論理、精神の論理などがすんなり
の結果、進化(改良)は第2号、第3号と次
と同調しているかぎりは問題がないが、多く
第に加速することになる。航空機の例をみて
の場合は出自や由来が異なるだけで、互いが
も、初めて離陸に成功してからの発達の加速
頑固に自己主張し合うから始末が悪い。つま
度はすさまじいばかりだ。
り同じレベルの秩序系の中での自己主張はま
約6,500万年の歴史をもつ霊長類レベルで
だしも、生物と文化や精神といった異なる秩
の人類の進化をみても、その加速化の特徴は
序系から由来する自己主張の間では、簡単に
はっきりと見てとれる。猿人から原人へ、そ
は整合できず、拭い難い自己矛盾の様相を呈
して原人から旧人を経て新人へと加速度的に
する。たとえば、空腹という動物的欲求から、
進化し、そして人類が押しも押されもせぬ
社会や文化などのしきたりを無視して食物を
「人間」の条件を獲得したのは、そのうちの
入手すると窃盗として罰せられ、衝動の赴く
約10万年。過去や未来があることを知り、死
ままに社会の習慣や価値観や掟を無視して異
を認識してこの世とあの世があることを知り、
性と結ばんとすれば、どの人間社会でも背徳
時空の認識とともに「自分つまり人間とは何
として断罪される(多くの動物社会ですらも、
か」を問い始めたのが、多めに見積もって約
それぞれの社会構造の中でのみ許容される社
1万年前。18世紀中ごろ以降では、技術と科
会行動があるくらいだ)。この種の矛盾は人
学が一体化し、生産が飛躍的に向上して、そ
類ではもっとも大きい。
の影響は社会の構造や人間の精神、思想にま
で大きく影響し、産業革命として歴史が大き
く区切られるようになった。
2)すさまじい進化の加速度
巨視的にビッグ・バン以来の自然の向上進
その科学や技術の発達速度は、進化史的に
Journal of Sugiyama Human Research 2006
100
は人間が創り出したものでありながら、まる
維持すべく無視されようとしている国際論理。
で主人公の都合を無視するかのように、人間
人類の存続と秤にかけて、どう帳尻を合わせ
を置き去りにして、先へ先へと進む。このよ
ようというのか。
うにして、物と心、つまり人間の精神文化と
このような人類や人間の末期的な自己矛盾
物質文化を修復しがたいほどに分裂させてし
から救済する方途は、あるとすればどのよう
まった。グローバルに見て、地球上で起きて
なものだろうか。
いる地域紛争や民族間の衝突、国内で生じて
いるさまざまな黙示録めいたやり場のない事
Ⅲ. 人間探求における科学や合理主義の限界
件、わずかな金銭欲しさに、事もなげに人が
人を殺し、親の身勝手で子を殺し、子が親を
殺すような末世的な出来事、まるで世の異常
1)科学や技術自体は人類や人間を救済し
ない
な進み方に人間の方がついていけないような
進化史的に見ると、人類は危機を回避し生
事件が日常茶飯事となっている。「まさか」
存を確保すべく、外的条件の言いなりになっ
という出来事が「またか」となり、ついには
て、まるでしんこ細工のように、受身で適応
「当たり前」になりつつある恐ろしさ。これ
し変化してきたわけではない(自然選択)。
らの病理的現象が、上記の事情とはたして無
確かに生物たちが進化する姿を見ると、自然
関係だと言い切れるだろうか。
条件に身を重ね、適応変化してきたように見
まかり間違えれば、このようなさまざまな
える。このようなことから、進化とは適応の
自己矛盾のなかで、上記のような黙示録的な
時系列変化だと割り切ってしまう傾向が強い
状況は、いわば人類の回避できない危機的状
が、これは大きな間違いだ。もう少し突っ込
況となり、一歩間違えれば、人類の絶滅につ
んで観察すると、生物の側にも主体性があり、
ながりかねない。
なかなかタフでもあることがわかる。ニーチ
「人が人を殺す」のは生物学的には同種殺
ェも指摘しているように、「生き物は外的条
しであり、人間以外の動物社会でもない訳で
件(自然)になされるがままに受身で適応し
はない。だが動物の世界では、注意して観察
ているのでなく、みずからの欲求によって外
すると、それなりに理解し得る生物学的な
部の条件を選択し服従させ、自分に同化吸収
論理が潜んでいる。だが人間の同種殺しや親
していく意志を持っており、それを生」と呼
子・兄弟間の殺しは、拠って立つべき人間社
んだ。生き物は「生きる」という意志や欲望
会の根本原理の崩壊を意味している。
を持っており、そのために外的条件を受身で
一方では、人の心を救済し安らげるはずの
受け入れ、それに受身で処理し適応している
宗教が、ますます激しく流血の惨事を煽って
だけでなく、むしろ逆にそれを生き物の側か
いる矛盾、まかりまちがえれば人類はおろか
ら積極的に選択し利用しているというわけだ。
地球自体が崩壊しかねない人類的犯罪という
べき核問題。あるいは、1991年に国際的に緊
2)「心」と「物」の分断修復への視線
急問題として承認し合った地球温暖化をスト
進化の過程で生物次元に属する人類が、文
ップさせるべく、二酸化炭素排出規制を取り
化を作り出し、精神活動を行うようになった
決めた京都議定書が、自国の産業力と国益を
こと自体が、必然的にデカルト的二元論の呪
101
Journal of Sugiyama Human Research 2006
縛に雁字搦めにされているかのようだ。この
とする中観派(ちゅうがんは)と4世紀の無
状況は合理主義やニュートン的な科学主義で
着・世親を中心とする唯識派が挙げられる。
は、理解できない論理的矛盾を示す。だから
中観派によれば、一切の存在は縁起、つま
といって、デカルト式に精神と身体(ココロ
り互いの関係性によってのみ成立するもので、
とモノ)を相容れない次元の現象としてばっ
絶対的な実体は存在しないという「空」の思
さり切断して考える限り、人間は修復される
想を説いた。唯識派も龍樹の「すべては実体
ことなく分裂したままだ。しかし、その分裂
がなく空である」という認識論を打ち立てた。
状態もしだいに修復の兆しが見えてきた(上
驚くべきことは、すでに3世紀のインドで、
述メルロ=ポンティ参照)。
すでにデカルト哲学の出発点となった「我思
だが依然として、生命秩序系や文化秩序系、
う、故に我あり」も超えて、その「我」すら
精神秩序系(宗教的次元)の間での論理の亀
も実体として認めなかった。さらにすべての
裂はまだ完全に修復されたとはいえず、その
存在は縁起もしくは依他起性(えたきしょ
亀裂を修復するには論理的解決というよりも
う)として理解していたことには、まさに敬
精神的飛躍を必要とする(G.ベイトソンの
服するのみだ。また、その論の進め方には、
学習Ⅲ、もしくは江原『稜線に立つホモ・サ
フッサールの現象論にも一脈相通じ、これが
ピエンス』京都大学学術出版会p.242参照)。
すでに3∼4世紀の頃のできごとであったか
と、一層の驚きを覚える。
Ⅳ. 稜線を踏み越えて
2)ベイトソンの学習ⅡからⅢへ
1)科学主義や合理主義の彼方で
現代人の日常は、学習Ⅱのリアリティ、つ
すでに述べてきたような自己矛盾は、合理
まり普通の経験から形成された世界に住んで
主義や科学主義では到底解決はおぼつかない。
いる。その世界にいる限り、直面する状況に
人類進化史的に見るとき、この壁は好むと好
は学習Ⅱで会得した経験や知識やそれらを組
まざるとにかかわらず、精神秩序系からメタ
み合わせた工夫で十分解決し対処できる。し
精神秩序系への飛躍(向上進化)としてのみ、
かし学習Ⅱの経験的知識が破綻や行き詰まり
解決が可能だ。
を生じた際には、それから脱却して新しい次
科学に限界を感じ、精神医学から哲学へ
元に飛躍する必要があり、それが学習Ⅲだと
と転進したドイツの実存哲学者ヤスパース
いえる(G.ベイトソン)。人間の場合は、
は、世界に名を留め得る古典的な思想家とし
個人的に新しい世界観やパラダイムを持つと
て、ブッダ、龍樹(3世紀。大乗仏教の理論
か、宗教的回心や悟りを得ることをいう。一
的集大成を行う)、儒家の孔子、道家の老子
方でカルト的になるとか、フラストレーショ
を挙げている。興味があるのは、仏教は宗教
ンやノイローゼや分裂症的世界に入るのも、
であるだけでなく、ある面では思想として取
このカテゴリーに属する。詳細はG.ベイト
り扱うことも可能だということか。逆に孔子
ソンもしくは拙著『稜線に立つホモ・サピエ
や老子は思想家に留まらず、中国では民族宗
ンス』に譲る。
教の祖としても扱われている。
本題に戻って、現代の病的状態の壁に包囲
3∼4世紀の大乗仏教では、龍樹を中心
され身動きできなくなっている現代人は、そ
Journal of Sugiyama Human Research 2006
102
の状態から脱却すべく、学習Ⅲつまりメタ精
イエズス会の司祭テイヤール・ド・シャ
神秩序系へと飛躍する以外に解決策はない。
ルダン(Pierre Teilhar de Chardin, 1881∼
つまり既存の宗教から脱皮したメタ宗教こそ
1955)は、進化論者であり化石人類の研究で
が救済の道と考えられる。たとえば世界宗教
も評価の高い人物だったが、晩年の著作で彼
の中でも、一神教には「みずからは正統で他
は「やがて近い将来に、究極的に人類は神と
はすべて異端だ」とする排他性が根強く、そ
合一する。その時点をオメガ(ω点)と名づ
のような固陋な観念から脱却しない限り、未
ける」と主張したため、教会や大学からも放
来を託しうる可能性が少ない。現に今も一神
逐された。キリスト教では、神は人間を超え
教の世界では、腹に爆薬を巻いて異端者を攻
た超越神であり、人間は絶対的に神にはなれ
撃し、固陋な宗教的価値観から流血の惨事や
ない。それを否定するような言動が排斥の理
凄惨な衝突が後を絶たない。自らの属する宗
由だった。彼ほどの人物が信仰を曲げてまで、
教・宗派が絶対的に正しく、他は異端だとす
うっかりと信教の根本に触れる発言をしたと
る限り、この状況からは脱却できるはずが
は、到底考えられないことだ。
なく、それ故どうしてもそのような宗教・宗
一方、仏教では「仏陀、ブッダ」は「真理
派自体が脱皮して、メタ化する必要があると
に目覚めた人」、「悟りを開いた人」を意味
いうことだ。人類救済の方途は、このメタ秩
し、決して超越神ではない。人と仏陀は可能
序系の中で見出されるものと思われる(図参
的に連続している。
照)。
筆者自身は悟りを開いた人間でもなければ、
本項については紙幅の関係で展開できない
ため、別の機会に改めて評述したい。
この問題について学習Ⅲの心境に達した人間
だとも思っていない。また悟りの境地は世俗
的な言葉や論理で説明できるものでもない。
3)頂上への登り口は一本ではない
しかしおそらくその境地に入ると、筆者はい
ここに興味ある事実がある。
つも比喩的に高い山の頂上を想像する。その
年代
現在
進化段階
超(メタ)精神秩序系
精神秩序系
10万年前
文化秩序系
450万年前
6,500万年前 生命
秩序系
35億年前
物質秩序系
46億年前
145億年前
エネルギー
現象
超人類
人間(ネアンデルタール人)
人類
霊長類
哺乳類
多細胞生物
真核細胞
藻類・バクテリア
巨大分子
分子
原始
電・磁エネルギー
光・熱
ビッグ・バン
無
研究・認識の分野
哲学・文学・宗教・芸術
心理学・精神科学
生物学
分子生物学
化学
物理学・量子力学
数学
神秘主義?
図:宇宙レベルでみた人類への進化段階
103
Journal of Sugiyama Human Research 2006
合
目
的
性
・
秩
序
性
エ
ン
ト
ロ
ピ
ー
減
少
加
速
性
増
大
山の頂上へは登り口は幾つもあるはずだ。キ
筆者は何故かほっとした気持ちになる。
リスト教も仏教もそしておそらくイスラム教
もう少し丁寧に論ずべきかも知れないが、
も、信仰の頂上つまり悟りの境地では一神教
思索の方向はある程度定まった感がする。そ
や多神教や超越神の有無などは霧散してし
れ故ここから先はもう少し時間をかけて、思
まって、文字通り仏陀(真理に目覚めた人)
索を進めたいものと思っている。 になっているのではないか。こう考えるとき、
Journal of Sugiyama Human Research 2006
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子どもの体育指導法と
その神経科学的背景に関する考察
Teaching Methods of Gymnastics for Children,
and their Neuroscientific Background.
椙山女学園大学文化情報学部教授
國井 修一
Shuichi Kunii
1.小学校課程の子どもの成長と運動能力
ぶなどの基本的な運動スキルを獲得する。5
∼9歳ぐらいでは就学前に学んだ基本運動ス
小学校入学時の身長の標準値は、男子
キルをより組織化されたゲームや遊びに結び
117.4cm、女子110.5cmであり、卒業時の身
つけていく。10歳ぐらいから思春期では、個
長の標準値は男子 152.2cm、女子 145.1cm
人やチームスポーツなどの高度な身体運動の
と男子では34.8cm女子では 36.4cmの伸びを
スキルを習得していくようになる。ここで失
示す 1) 。また、体重は、小学校入学時男子
敗回避動機に基づく運動逃避から、運動嫌い
22.4kg、卒業時43.9kgで21.5kg増加し、女子
が始まる。青年期からは生涯にかけて積極的
では 入学時21.6kg、卒業時45.0kgで23.4kg増
に運動を行う習慣を持ち続け、心身共に健や
加する 。体重では、男女ともに入学時の倍
かな生活を営むことができる 2)。このように
の体重で卒業することになる。このように小
運動スキルの発達は、それぞれの年代に特徴
学校の6年間は、子どもから大人の入り口に
的な傾向が見られる。しかしながら、運動能
むかっての最大の成長時期であると考えられ
力は誕生から一定の速度で伸びるのではなく、
る。
停滞時期と急激な伸びの時期があることが知
1)
ヒトの動き(スキル)の獲得過程として、
られている。成長の過程で最も運動能力の伸
次のように考えられている。ヒトは生後しば
びる時期はゴールデンエイジとよばれ、大人
らくの間、原始反射(新生児反射)と呼ばれ
になるまでに三期あると言われている 3)。第
る新生児固有に見られる特有な反射によっ
一期(1∼6歳)では、いろいろな種類の運動
て動作が形成される。それらは、乳探索反射、
を経験させ、運動の基本となる運動神経回路
吸引反射、把握反射、緊張性頚反射、交叉性
パターンを多く作り出す。運動は、走る、跳
伸展反射、陽性支持反応、自動歩行(原始歩
ぶ、投げるなどの基本運動や動き遊びなどを
行)、踏み出し反射、ガラント徴候、モロー
工夫して、子どもが飽きないように、また、
反射として知られている。このような原始
怪我のないように注意して実施する。第二期
的反射は生後3,4ヶ月後には発現しなくなる。
(小学校の中∼高学年)では、運動神経が発
これは消失ではなくて、より上位の中枢の発
達し、運動能力も向上する。そして、運動・
達によって抑制されるためであると考えられ
スポーツそのものに興味をもち、試合で競っ
る。小児の発達診断では、これらの反射の有
たり、スポーツ選手にあこがれたりするのを
無が利用されている。1∼5歳では基本的運動
好む。また、運動の量と質の変化から、筋肉
のスキルが獲得される。すなわち、走る、跳
痛や関節痛などのスポーツ障害をともなうこ
105
Journal of Sugiyama Human Research 2006
ともある。そして、第三期(15∼23歳)では、
特徴や感じをとらえて即興的に表現したり、
本格的なスポーツ活動をめざしスポーツトレ
表したい感じを誇張したひと流れの動きを工
ーニングを実施する 。
夫したりして表現できるようにする。具体的
3)
学童の時期は、第二期ゴールデンエイジに
には、動きを伴った身近な遊びの中から即興
属し、急激に運動能力を伸ばすことのできる
的に踊って交流を楽しむ。また、生活の中か
期間の一部に含まれている。このような時期
ら題材を選び、その特徴をとらえて即興的に
に様々な運動を十分に実施することのできる
表現する。
環境や正しい運動の指導をうけることで、身
2)空想の世界などの想像が広がる題材で、
体的能力の向上は確保でき、第二期ゴールデ
その多様な場面をとらえて即興的に表現した
ンエイジに続く、第三期ゴールデンエイジへ
り、表したい感じを中心にひと流れの動きを
の資質となることは十分に推測される。
工夫してりして表現できるようにする。
本編では、小学校の体育で実施される運
教師の指導としては、間接的な指導として
動種目の内、「表現運動」、「浮く・泳ぐ運
指導計画の作成、 子どもの準備状況の把握、
動・水泳」、「陸上運動」に関して指導の留
単元の内容の選択・設定、学習活動の条件設
意点を示すとともに、運動の学習課程の基盤
定、グループ編成、場所づくり、音楽の選択
となる神経科学的機構について示した。
などである。直接的な指導としては、学習場
面での言葉かけ、観察、軌道修正、評価など
2. 「表現運動」の特徴と体育指導
である。指導で最も要求されるのは子どもの
中にある潜在的な能力や可能性を「開いた状
「表現運動」は、自己の心身を開放し、リ
態」にすることである。教師はインストラク
ズムやイメージの世界に没入して、なりきっ
ターや指導者ではなく、演出家であり、ある
て踊ることが楽しい運動である 。「表現運
いは自らがダンサーであり、子どもと一緒に
動」は、感じたことや思い・願いなどの心の
楽しむ気持ちが最も重要である。
4)
動きを体の動きで表すことができる運動であ
る。また、互いの違いや良さを生かし合って、
3. 「浮く・泳ぐ運動・水泳」の特徴と体育指導
仲間と交流して踊る楽しさや喜びを味わうこ
とができる運動である。さらに、心身をほぐ
「浮く・泳ぐ運動・水泳」は、自己の能力
し、進んで自己を表現したり、仲間の違いを
に応じためあてをもち、そのめあてを克服し
認めて受容できる心情を育てたりする可能性
たり、達成したりして楽しむ運動である。い
を持っている。ヒトには「踊りたい」「変身
ろいろな泳ぎを身につける楽しさや、泳いだ
したい」といった本来的な欲求を内にもって
距離や速さを競ったり、自己の記録に挑戦で
おり、「表現運動」は、子どもに身体を動か
きる楽しさなど多様な楽しみ方ができる5)。
すことへの意欲をもたせ、主体的に学習する
「浮く・泳ぐ・運動」、水泳は、体全体を
態度をはぐくむのに適した領域であることか
操作しながら泳ぐ運動であることから、調整
ら、生涯学習につうじる側面もある。
力の他、筋力や持久力などの体の調和的な発
学習指導要領に示された例として、
達が期待できる。「浮く・泳ぐ・運動」、水
1)身近な生活から選んだ題材で、その主な
泳の能力に関しては個人差が大きく、泳いだ
Journal of Sugiyama Human Research 2006
106
経験のない子どもにとっては、水泳は苦痛で
り、他人や自己の記録への挑戦をしたいとい
あるばかりでなく、恐怖を覚える場合もある。
う欲求に基づく運動である 6)。指導にあたっ
しかしながら、陸上と異なる呼吸法を身につ
ては、子どもがどのような点に魅力を感じる
けることにより、水の危険から身を守ったり、
か、興味や関心を持つのか、逆にどのような
他人の生命を救うことも可能である。したが
ところが嫌なのかを明らかにすることが必要
って、それぞれの能力に応じた課題をもたせ、
である。子どもの立場から運動の特性をとら
それに向かって努力・解決させたり、より運
え、個人差を考慮した観点から個人の欲求の
動を楽しんだりするための活動の場を工夫で
程度を把握して学習課程に生かすことが重要
きるような学習を進めていくことが大切とな
である。
る。
学習指導要領解説に示されている例示と
学習指導要領に示されてある例として、
して、短距離走では、いろいろなスタートの
1)伏し浮きからの立ち上がりやけ伸びをする
形で行う、ストライドやピッチを変えて走る、
(補助やプールの壁を利用しての伏し浮き、
50∼80mの距離を全力で走る。また、リレー
補助なしの伏し浮き、伏し浮きからの立ち
では、テークオーバーゾーンの中でできるだ
上がり、け伸び)、2)補助具を使用しての泳
け減速しないで次走者に引き継ぎをする、い
ぎ等をする(ばた足泳ぎ、面かぶりばた足泳
ろいろな距離(一人の走距離50∼100m)で
ぎ、プールの壁につかまってのかえる足、か
リレーをすることが示されている。ハードル
える足泳ぎ、面かぶりクロール)、3)補助具
走では、40∼60mのハードル走で、ハードル
を使用して呼吸して泳ぐ(補助具を使用して
を素早く走り越し、ハードル間を歩でリズミ
呼吸しながらのクロール)、4)クロール(呼
カルに速く走る。慣れてきたら、徐々にハー
吸しながら10∼25m程度のクロール)、5)
ドルの数を増やすことが示されている。走り
平泳ぎ(呼吸しながら10∼25m程度の平泳
幅跳びでは、幅30∼40cmの踏切ゾーンを設
ぎ)である。
けたり、踏切板を置いたりして5∼10m程度
なお、1)2)3)は第3学年4)5)は第4学年であ
る。
の短い距離からリズミカルに助走して遠くに
跳ぶ、15∼20m程度の距離から助走に速度を
「浮く・泳ぐ運動・水泳」を意欲的に実施
つけて踏切ゾーンに足を合わせ、遠くに跳ぶ
するための指導方法として、学習カードを作
ことが示されている。走り高跳びでは、 5
成することは重要である。能力の異なる子ど
∼7歩程度のリズミカルな助走から高く跳ぶ、
もが、それぞれ異なった目標を設定し、授業
はさみ跳びで足から着地する安全な跳び方で
を重ねるごとに、目標に近づいた結果を具体
高く跳ぶことが示されている。
的に知ることによって、学習の意欲が増強さ
5.運動学習における神経科学的機構
れよう。
4.陸上運動の特徴と体育指導
1)新しい運動技能の獲得
新しい運動技能を学習する場合、これから
「陸上運動」は、より速く走る、より遠く
学ぶ運動技能がどのようなものかを理解する
へ跳ぶ、より高く跳ぶことをめざす運動であ
必要がある。そして、過去の運動経験から類
107
Journal of Sugiyama Human Research 2006
似した動きを引き出し、新しい運動との共
ャネルをもつ。随意運動を開始する場合の運
通性について検討する。次にどのように運動
動プログラムの流れは以下の通りである。
を遂行するかという問題に移行する。この
段階で何度かの試行錯誤を繰り返し、ようや
1.運動前皮質は、運動プログラムを生じ、
その信号を第一次運動皮質に送る。
く目的とする運動が達成される。しかし、ま
2.その信号は下行性の上位および下位運動
だ、運動遂行は不安定である。次に、反復練
ニューロンを通って筋肉を刺激する。
習を積み枷ねることによって、運動はより巧
運動前皮質が運動の信号を送り出すたび
み・円滑になり、安定化する。最終段階とし
にその複製が小脳中継路を通って小脳へ
て、動きそのものへの意識が減少し、意識は
送られる。
戦術や相手の観察(姿勢やポジションなど)
3.小脳はこれらのコピーを筋肉による実際
に移行する。こうした動きの変化は、運動の
の運動と合致させ、その誤差を運動皮質
自動化として知られ、小脳におけるプルキン
に信号として送る。
エ細胞の長期抑制機構が関連していると考え
られる。
4.このような、フィードバック機構の過程
で、3.での誤差信号は徐々に減少する。
こうして運動の固定化・円滑化がもたら
2)運動調整での大脳基底核と小脳
7)
随意運動の調節に重要な脳の構造として大
脳基底核および小脳があげられる。大脳基底
される。ただし、ここで反復練習は、正
確な運動・動作であることが必要である
ことは言うまでもない。
核は、前脳(尾条核、被蓋、淡蒼求)および
中脳(黒質、赤核、視床下核)内にある。大
4)小脳シナプスの長期抑制9)
脳基底核の機能は、随意的および複雑な不随
小脳のプルキンエ細胞は、樹状突起をま
意運動の高次の制御を行っている。具体的に
るで植物の枝(樹状突起はこのような形を意
は、運動時の姿勢の調整、あるいは弧を描く
味)のように多数伸ばしている。これに平行
ような四肢の運動などの随意性の粗雑な運動
線維と登上線維という性格の違う神経線維が
と随意運動の開始を命令することにある。
シナプス結合している。平行線維からのシナ
小脳は大脳の外側に位置している。小脳の
プスはひとつのプルキンエ細胞の樹状突起に
構造は最も原始的であり、小脳皮質と小脳核
約20万個ある。一方、登上線維は一本が枝分
とからなる。小脳の基底部に位置する片葉は
かれして、プルキンエ細胞の樹状部によじ登
均衡、釣り合い、頭・眼の協調運動を調節す
るように配列(登上線維の名前はここからき
る。正中線に位置する虫部は関節や筋肉から
ている)している。
広範囲な投射を受け取っている。また、小脳
正常時では、平行線維からの運動プログラ
半球は運動前野と密接な関連をもち、精巧な
ムの入力信号がプルキンエ細胞の樹状突起の
速い運動活動の協調を行っている。
シナプスを介して情報伝達され、プルキンエ
細胞が出力信号を出力する。ここで、誤った
3)運動遂行時の小脳の役割
8)
運動が行われた場合、その信号は、下オリー
小脳半球は運動協調を行うために大脳運動
ブ核を経て登上線維からプルキンエ細胞の樹
皮質と末梢の随意筋との間に両方向の連絡チ
状突起に送られる。プルキンエ細胞の樹状突
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108
起上では、実行中の信号と誤信号の両者を同
終的に運動の完成を成就させる。これは、い
時に受け取る。これが繰り返し実施されると、
わゆる「教師つき指導」である。指導者は、
実行中の信号(平行線維からの入力)のシ
成功事例の反復練習を要求するが、その背景
ナプス伝達の効率が低下し、この伝達効率の
には、ここに示した巧みな神経機構の再構築
低下は長期にわたって維持(シナプスの長期
(学習)と運動記憶が存在する。そのことを
抑制)される。すなわち、プルキンエ細胞は、
理解することは、指導者には必須であるもの
正しい運動を学習しそれを長期にわたり記憶
と考えられる。
する機構をもつことが知られている。
参考文献
5)バリスティック運動10)
日常生活での通常の運動では、その運動が
1)東京都立大学体力標準値研究会編
(2000):「新・日本人の体力標準値
正しく行われているかを常にチェックしてい
2000」、24-26、 不昧堂出版、東京.
る。すなわち、運動の様子をモニターしなが
2)河辺章子(2005):運動習熟のためのからだ
ら、フィードバック機構を働かせて目的に
の発達、体育の科学、55(7)、496-501.
かなった運動を遂行している。しかしながら、
3)佐藤雅弘(2004):「子どもの運動能力を引
非常に素早い運動では、フィードバック機構
き出す方法」、28-36、講談社、東京.
が働く時間がないために、これとは異なった
4)藤崎敬、森脇洋二編著(2001):表現運動を
機序によって運動が制御される。これを「バ
充実させるポイント、「小学校体育5
リスティック運動」という。たとえば、ゴル
図解・実践、用具を操作する運動、浮
フのショット、器械体操での着地、フィギア
く・泳ぐ運動、水泳、表現運動(3・4
スケートでの3回転ジャンプなどである。こ
年)」、100-107、東洋館出版社、東京.
れらの運動では、フィードバックの時間的な
5)藤崎敬、森脇洋二編著(2001):表現運動を
余裕がないために、今までの経験(練習経
充実させるポイント、「小学校体育5
験)から適当な制御信号をターゲットに送る。
図解・実践、用具を操作する運動、浮
すなわち、フィードフォワード制御と言わ
く・泳ぐ運動、水泳、表現運動(3・4
れるものである。それが、失敗した場合には、
年)」、62-69、 東洋館出版社、東京.
小脳は失敗情報を認識し、修正することで運
6)藤崎敬、中川一編著(2002):表現運動を
動の学習が行われ、次のバリスティック運動
充実させるポイント、「小学校体育8
に備える。運動においても、「失敗は成功の
図解・実践、 陸上運動、ボール運動
元」の諺が生きている。
(5・6年)」、14-19、東洋館出版社、
東京.
6.まとめ
7)永田豊、坪井実監訳(1990):「カラースケ
ッチ生理学」、90-91、廣川書店、東京.
体育の現場で実施されている指導形態は、
教師が模範を見せ、試技した児童の失敗原因
を指摘し、また、部分練習などを行わせて最
109
8)柳原大(1996):運動学習と小脳、体育の科
学、46(6)、455-463.
9)山村紳一郎(1996):目で見る脳内記憶の痕
Journal of Sugiyama Human Research 2006
跡、Quark、163、87-91.
10)橋本敏広(2003):ゴルフ上達の秘伝伝授バリスティック運動-「脳百話∼動きの
仕組みを解き明かす∼」松村道一、小田
伸午、石原昭彦(編)、140-141、市村
出版、東京.
Journal of Sugiyama Human Research 2006
110
「人間とは」その3 人間と教育̶
̶
椙山女学園理事長
椙山 正弘
熟な姿で生まれてくるのである。
1教育の起源
「教育によってはじめて人間になる」
「人間とは教育されなければならない唯
人間以外の動物は、本能だけによって外界
と対応しなければならないから、こうした外
一の被造物であります」「人間は教育によっ
界に早く対応できる先天的な能力を発展させ、
てはじめて人間になることができます」とは、
それを遺伝的に継承してきているのである。
ドイツの著名な哲学者カント(Kant,I1724
ところが、人間の生活は前に述べたように本
∼1804)の言葉である。人間と教育との関係
能だけによって支配されているわけではない。
をきわめて明快に説いたカントの、この短い
人間は、外界への動物的な対応から、人間的
二つの言葉のなかには、人間性のための教育
な対応へと、その対応関係を変化させ、動物
に対する切々たる願いがこめられている。
のなかで、外界に対して、最も強い対応力を
人間は教育によって初めて人間になると同
貯え、幾百世代、幾千世代にもわたってそれ
時に、教育は、人間のみの固有の営みであっ
を継承・発展させ、本能のみに頼らない資質
て、教育という営みは、人間以外の動物には
を貯えるにいたってきたのである。
みられないのである。シートンの『動物記』
こうして、人間は、その築きあげた外界へ
などをみると、他の動物の世界にも、親が子
の対応力によって、動物の一種でありながら、
に教え、導いていると表面上受けとられるよ
同時に動物をこえる存在に発展させたのであ
うな現象がみられるが、あくまでこれは、本
る。しかし、人間が動物をこえる存在になっ
能の営みであって教育的な営みであるとはい
たからこそ、逆に外界に対応する本能を一部
えない。
退化させるという矛盾した結果を招き、その
一般に動物の仔は、下等動物ほど親の姿に
ために、社会からの保護、とりわけ教育が必
近い成熟した姿で誕生し、生まれおちて数時
要とされる、一面で弱い存在になっていると
間以内に立ったり、歩いたり、泳いだり、と
いえる。人類が築きあげた文化遺産を、親が
いった親と同じ行動をとることができる。親
いかに習得していたとしても、それは子にい
と同じ行動をとるのにかなり手間のかかる鳥
っさい遺伝されない。子はすべて一から再習
類でも、ひな鳥は、数十日間で巣を飛び立つ
得し、さらに親をこえていかなければならな
ことができる。けれども人間の赤ちゃんは生
いのである。だからもし社会的保護、とりわ
まれてから数か月経なければ立つこともでき
け教育がなければ、単なる「動物」に帰して
ないし、約一か年かからなければ歩くことも
しまい、その後たとえ人間社会に復帰しても、
できない。人間の赤ちゃんは、それだけ未成
ほとんど人間性が開発されることはないであ
111
Journal of Sugiyama Human Research 2006
ろう。
れているのである。
ルソー(Rousseau.J.J.1712∼1778)が、
このように、人間社会には、いつの時代に
「わたしたちは生きはじめると同時に学びは
も、どこの場所においても、教育という営み
じめる。わたしたちの教育はわたしたちとと
が続けられてきたのである。教育は社会生活
もにはじまる」と述べているのは、この意味
に本来備わっている基礎的な機能であり、社
においてとくに重要なことであるといえよう。
会的な価値を次の世代に継承・発展させるは
さらに、最近では、誕生以前の子の発育とい
たらきであり、人間社会成立の当初から今日
うものが重視され、サリドマイド障害児や母
にいたるまで続いている機能なのである。
体の風疹のように、胎児の発育にとって、そ
の環境である母体の影響が大きいことが注目
3無限の可能性
され、精神面でも胎教の重要性が叫ばれてい
教育とは何か
るほどである。
この問いに答えることは決して容易なこと
要約すれば、教育というものは、人間以外
ではない。「教え、育てること」と答えてみ
の動物にはみられない、人間だけの固有の営
ても、それは、単に文字を解釈したにすぎず、
みであり、同時に、誕生とともにそれ以後欠
教育とは何であるかという本質に触れた回答
かすことができない営みであるということが
になっていないのである。
できる。
教育という語を歴史的にたずねてみると、
孟子の『蓋心上篇』のなかに「得天下英才而
教育之、三之楽也」(天下の英才を得て、こ
2教育の機能
人間は、生産力の発展による生活の向上と
れを教育するのは三楽なり)とあり、「教
文化の発展に伴い、生産諸関係を変化させな
育」という言葉がみられる。その意味は、今
がら、社会的価値を次の世代に継承・発展さ
日のそれと大差はない。
せるという、社会生活に本来備わっている教
英語のeducationの語源は「導き出す」と
育の機能をより意図的、組織的なものとして
いう意味のラテン語educereであるといわれ
きた。人類の歴史の発展とその過程のなかで、
る。また、ドイツ語のErziehungも本来「導
人間の生活や文化が一定の水準に到達してく
き出す」という意味からきている。ヨーロ
ると、これを次の世代に伝え、発展させよう
ッパでは外から「教える」というよりも、内
という意図がさらに強くはたらくようになり、
に秘めたものを「導き出す」という意味で、
意図的な教育がより組織化されてくることに
educationなりErziehungなりの用語が使用
なる。そして、近世以前の社会においても貴
されているのである。
族や僧侶の階級のなかでは、それが学校とい
東洋にも「導き出す」という思想は古く
う形で組織化されはじめ、近代国家の成立と
から存在していた。日本にも以前から伝わる
ともに、国民的な学校制度が成立し、さらに、
「易」を例にあげてみよう。易は一般に「占
社会教育なども制度化されるようになる。こ
い」として知られているが、その本質は人
うして、今日の人間は、近代的な教育制度の
生哲学であるといわれる。易のなかに「山水
もとに成立した教育機構によって、社会によ
蒙」というものがあり、それは教育につい
る一定の価値志向をともないながら、教育さ
て説かれているという。山から出てくる水は、
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112
本来たいへんきれいなものである。このきれ
みられた。子どもも、罪あるもの無知なもの
いな水は、よごすこともできるし、きれいな
とみられ、アメとムチとによってきびしく教
ままでさらに大きな流れに変えることもでき
育されねばならないとされた。このような児
る。いずれになるにせよ、これが教育である
童観、教育観が中世ヨーロッパにおいては支
というのである。そして、一方、山というも
配的であった。
のは徳をあらわし、水は知をあらわすという。
近代ヒューマニズムの基調となった近世ヒ
山があって水が湧き出るように、徳があって
ューマニズムは、中世の児童観、教育観を根
こそ知恵が生かされるというのである。そし
本的に変えた。そのよりどころとなったのは、
て蒙は、つたかずらが木におおいかぶさって
「古典に帰れ」のスローガンのもとに人間尊
いることをいう。教育というものは、おおい
重の精神を啓発したルネサンスと、ローマ教
かぶさっているものをとり除き、本来の姿と
会絶対視に対する抵抗を示した宗教改革とで
木ののびる可能性を開発することにあるとい
あった。教育思想の面でみれば、問答法また
う。
は助産法によって知恵を「導き出す」ソクラ
「山水蒙」には、このように深い意味があ
テスや善のイデアを探求するプラトンなどの
り、詰め込み教育や受験準備教育の弊害が問
ギリシア的ヒューマニズムを原型とするもの
題とされる今日においても、教育というもの
であった。
の本質に深くせまる課題を提起している点で、
古代ギリシアでは紀元前六世紀頃から、ト
積極的な意義がある。教育が対象とする人
ロフェー(trophe=養育)という語のほか
間は、本来、汚れのない美しいものであって、
に、パイディア(paideia=子どもを導く−
のびる可能性を秘めたものであり、教育はそ
教育)という用語が使用され始めたといわれ
の美しいもの、のびる無限の可能性を導き出
る。導くという概念の発生は人間を「善い」
し、おおいかぶさっている障害物をとり除い
方向に引き上げることであり、何が「善い」
て、人間を形成するものであるという。
のかという「徳」の尺度が生まれたことを意
教育について、このように内にあるものを
味するのである。そのためわが国ではこのパ
「導き出す」という考え方は、西洋にも、東
イディアという言葉をただ単に教育と訳さな
洋にも、共通する発想であったのである。
いで、教育は人間の徳とのかかわりなしに
はあり得ないという意味からとくに「人間の
教育」と訳されている場合が多い。ところで
4「導き出す」思想
次に西洋の場合をみてみよう。education
古代ギリシアは、アテネやスパルタに代表さ
なりErziehungの語源が、「導き出す」とい
れるポリスと呼ばれる都市国家群から成り立
う意味からきているという基礎には、西洋に
っていた。アテネでは、奴隷制を基盤としな
おけるヒューマニズムを基調とした教育思想
がらも、市民による直接民主主義が成立して
史からの発想があったことはいうまでもない。
おりソクラテスやプラトンという有名な哲人
中世のヨーロッパでは、ローマ教会の教義
も活躍していた。スパルタでは、いわゆるス
に対して、絶対服従をせまられ、個人の欲望
パルタ教育という兵士の教育が行われていた。
はいっさい禁圧されていた。人間は、罪ある
ソクラテスは、弟子と問答することによって
愚かなものであり、神の救いを必要とすると
知恵を「導き出す」ことをその教育方法とし
113
Journal of Sugiyama Human Research 2006
たので、「問答法」とか「助産法」などと呼
ルソーはその著『エミール』の冒頭で「万
ばれた。この方法で教育された弟子のプラト
物をつくる者の手をはなれるときすべてはよ
ンは、その著書のほとんどがソクラテスを主
いものであるが、人間の手にうつるとすべて
人公とする発答形式をとっている。プラトン
悪くなる」と述べ、子どもの自然性を基本原
はソクラテスの発問の形で「人間の善とは何
理とし、その自然な発展を保護し、それをさ
か」などという問題から教育へのつながりに
またげるのを除去するのが真の教育であると
発展し、基本的には善のイデアは「エロス」
主張した。子どもの生活にはおとなと違った
との関係において考えられることになり、人
意味があると唱えたルソーは、「子どもの発
間の教育もこの関係を抜きにしては考えられ
見者」であるといわれる。
ないというのである。要するに、プラトンは、
ルソーの自然主義の提唱を、教育実践
パイディアが「人間の教育」の問題であるこ
を通じてヒューマニズムの本質にせまった
とを示した最初の思想家であるといわれてい
のは『隠者の夕暮』『リーンハルトとゲ
る。
ルトルート』などの著者ペスタロッチー
次に目をローマに転じてみると、帝政時代
(Pestalozzi,J.H.1746∼1827)であった。ペ
のローマにおいて理想的人物はいわゆる「弁
スタロッチーは教授法の分野で、直観教授法
論家」であった。弁論家は単に弁舌さわやか
を確立した教育者として知られているが、直
だけでなく、教養によって裏づけられた円満
観し、体験し労作する生活によって、全人間
な政治家で、説得力のある話術を身につけて
が開発されなければならないと主張した点が
いる人物を指すのであって、要するに人間と
むしろ強調されるべきであろう。
して卓越した人物を意味していた。この理想
ペスタロッチーのヒューマニズムの教育
像の「善さ」を教育的に追求したのは「弁論
思想は、幼児教育の道を開拓したフレーベ
家原論」(Institutio 0ratoria)を著わしたク
ル(Frobel,F.1782∼1852)や教育学を科
インテリアヌス(Quintilianus,M.F.35?∼
学として確立する方向を示したヘルバルト
96?)であった。これはほんの一例にすぎな
(Herbart,J.F.1776∼1841)らに受け継がれ、
いが、古代ローマにおいてもパイディアの思
さらに一九世紀後半以後、社会的ヒューマニ
想が存在していたといえるのである。
ズムの教育思想として多面的に展開されてい
ギリシア、ローマのヒューマニズム精神
くことになる。
にその起源を求めたルネサンスの背景のも
こうして、ヒューマニズムに根ざした教育
とで『大教授学』を著わしたコメニウス
思想は、それぞれの時代を反映して、それぞ
(Comenius,J.A.A1592∼1670)は、すべて
れの特徴をもって展開されてくるが、近代ヒ
の人の権利の平等を原則に、未来の社会の担
ューマニズムの基調となった近世ヒューマ
い手として、すべての子どもに学校教育の
ニズムの人間観、教育観、とりわけ子どもの、
機会が与えられなければならないと主張した。
のびる無限の可能性を信頼した児童観は、子
コメニウスや、ベーコン、ロックら先人の思
どもを「罪ある者」「愚か者」と見ていた従
想を受け継いで自然主義の教育を提唱したの
来の児童観のコペルニクス的転回として注目
は、前出のフランスの啓蒙思想家ルソーであ
されているのである。
った。
Journal of Sugiyama Human Research 2006
114
義がむしろ強調されるべきであろうと思われ
5教育の本質
これまで、子どもの持つ無限の可能性を信
るからである。
じ、その可能性を最大限に伸ばしてやるとい
では、教育を意図的な人間形成と限定して
う子どもの側、教えられる側の立場に立つこ
考えた場合、いったい何が意図されるかが問
との意義について触れてきたが、一方、教育
題となる。意図には当然一定の価値観が伴う。
というものは、基本的にはいつの時代におい
山から流れ出た清水を、本来のきれいなまま
ても、人間(社会とおとなの側)が人間(子
で大河の流れにすることもできるし、汚い
どもの側)にはたらきかけて行う人間形成作
流れに変えてしまうこともある。同様に、人
用が含まれていることは間違いない。
間は生まれたとき、汚れを知らない美しいも
人間(社会とおとなの側)が、対象とする
のであって、それを美しいままでのばすのも、
人間(子どもの側)にはたらきかけるという
汚れた存在にするのも教育次第であるという。
場合、社会の後継者を養成するという意味か
それは、教育が意図する価値観によるもので
ら、前にも述べたように当然のことながら一
ある。
定の方向をめざす意図がはたらくことになる。
いずれにしても、教育の意図には、一定の
しかし、人間形成作用全体からみれば、ルソ
価値観を伴うわけであって、望ましい価値観
ーの自然の「教育」のように、人間の意図を
とは、人間の幸福のために資するものであり、
まったくはたらかせない場合もある。
それは、人間の知的、道徳的、情操的、身体
さらに今日のいわゆる「情報化社会」の
的に調和のとれた全面的な発達、いいかえれ
なかでは、とくに無意図的な、社会による
ば全人間的な開発がめざされるものでなけれ
人間形成作用も否定できない。クリーク
ばならない。
(Krieck.E.1882∼1947)などのように、無
このようにみてくると、「教育とは何か」
意図的な人間形成の作用を「教育作用」の一
という問いに対して、だいたい次のように要
つの類型とみなす見方も存在する。このよう
約することができよう。教育は、人間の社会
な広い意味の「教育」については、これを形
生活に本来備わっている機能であり、社会的
成と呼び、教育というものについては、意図
な価値を次の世代に継承・発展させる機能で
的な人間形成に限定する狭義の見方をするほ
ある。今日われわれがめざす教育とは、無限
うがその本質を解明する上で適切であろう。
の可能性を導き出す、いいかえれば全面的な
それは、われわれが人間の教育を抽象的一般
発達を意図した人間形成である、と。
論として論議するのではなく、今日の制度・
政策のもとにおける教育現実のなかで明らか
参照 椙山正弘著『人間教育の本質』1993年
にしようとするとき、教育における意図の意
4月福村出版株式会社38∼48ページ
115
Journal of Sugiyama Human Research 2006
目 次 2
※これより講演会報告となりますが、縦書き表記とな
りますので、下記の目次をご参照下さい。
講演会報告
椙山女学園大学文化情報学部教授 橘堂 正弘 ………………………… (127)
熱風に吹かれて −三蔵法師インド求法の旅に学ぶ− ………… (127∼124)
甦る無畏山寺 Abhayagiri Viharaの大塔 ………………………… (120∼123)
−法顕の住した寺院を訪ねて−
資料編 ………………………………………………………………… (117∼119)
椙山女学園大学文化情報学部助教授 飯塚 恵理人 ……………… (136∼128)
昭和初期の「伝統芸能」
−蓄音機レコードとラジオ放送を中心に−
椙山女学園大学文化情報学部教授 荻野 恭茂 …………………… (153∼137)
虹と人間
−エロティシズムの問題にも触れて− 熱風に吹かれて ̶三蔵法師インド求法の旅に学ぶ̶
無畏山寺
Abhayagiri Vihāra
Tei Cultural Triangle of Sri Lanka, UNESCO 1993, P.43 より
1. 寺域の境界 2. 大塔 3. 林 4. 僧房 5. ランカーラーマ 6. 水浴池 7. 事務所と博物館
117
Journal of Sugiyama Human Research 2006
熱風に吹かれて ̶三蔵法師インド求法の旅に学ぶ̶
The Sacred City of Anurādhapura. Harischandra,1908, 写真 XXII より
修復間近の無畏山寺(2006,12,18)
全塔に足場をくみ、雑草雑木を除きレンガを
修理する
Journal of Sugiyama Human Research 2006
118
熱風に吹かれて ̶三蔵法師インド求法の旅に学ぶ̶
上 古いレンガを残す工夫
下 Mahatissa-Hsien Museum
119
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熱風に吹かれて ̶三蔵法師インド求法の旅に学ぶ̶
甦る無畏山寺
Abhayagiri Viharaの大塔
―法顕の住した寺院を訪ねて―
で外国の僧侶、大乗仏教の僧侶までも受け入
れ、留学させた。また、インド、カシミール、
中国、シャム、ジャワ方面にも伝道師を派遣
していた。このために、法顕がこの寺院に
法顕の熱烈な求道心は、インドからさら
住したのである。『法顕伝』は当時、この寺
にスリランカにかれを留学させる。旅の僧
院には5000人の僧侶、Mahaviharaには3000
は、意外と商人から外国の噂を聞くものであ
人の僧侶が住したと述べている。また、こ
る。かれの住したガンジス河口のTamralipti
の島には、6万人の僧侶がいたと述べている
は多くの外国の商人が往来していた。法顕は、
が、Abhayagiri Viharaが最大であった。第3
スリランカで上座部仏教が栄え、僧俗共に熱
派は3世紀にMahavihara派から分派したJeta-
心な仏教徒の国だと知っていたのである。か
vana Vihara(祗多林寺)である。
れは、ベンガル湾を渡り、スリランカの都
Anuradhapuraに着き、Abhayagiri Vihara
1.2.無畏山寺などジャングルの中に埋もれる
で2年間過ごしたのである。筆者は公開講演
後、平成18年12月16日より1週間、法顕の住
した寺院を訪ねた。以下はその報告である①。
13世紀に、Anuradhapura王国が崩壊し、
都がPolonnaruvaに移る。しかし、度重なる
南インド人の侵入と450年に及ぶ西洋植民地
1.1.法顕が無畏山寺に住した理由
支配によって、無畏山寺をはじめ他派の寺院
もジャングルの中に約800年放置されていた。
法顕の当時、スリランカには仏教教団が3
19世紀中ごろ、イギリスの考古局が調査しは
派あった。いずれも上座部仏教である。第
じめ、20世紀に入ると、スリランカ人の仏教
一の派は、仏教初伝の紀元前3世紀以来の伝
徒の中からも復興に志す者が出てきた。
統を誇るMahavihara(大寺)であり、戒律
は厳格で、見識、威厳をもった保守派である。
2.1.Cultural Triangle
この派は、西暦5世紀中ごろ、インドから
上座仏教史上最高の学僧Buddhaghosa(仏
1980年、スリランカ政府は、ユネス
音)を迎えた。かれは、教学の集大成書の
コの援助によってCultural Triangle(文
Visuddhimagga『清浄道論』を著し、ほと
化三角地帯)のプロジェクトを開始した。
んどのパーリ聖典の注釈書を書いた。12世紀
Cultural Triangleとは、3古都Anuradhapura
になると、第3派はMahavihara派に統一され
( A b h a y a g i r i , J e t a v a n a )P o l o n n a r u v a
た。第2派として、西暦1世紀にVattagamani
(Alahana Pirivena), Sigiriya, Dambullaと
Abhaya王が南インド人の侵略者を駆逐し、
Kandy を線で結ぶと三角形となり、国の主
インド人の寺院の跡にAbhayagiri Viharaを
要な文化遺産が集まっていることから名づけ
建立した。そして、世事に通じたMahatissa
られた。1990年には、コロンボを加えて伝統
長老にこの寺院を寄進した。国王が一人の僧
文化の発信地とした。プロジェクトは1996年
侶に寺院を寄進したのはこれがはじめてであ
に終了の予定であった。
った。この派は、勢力をもち、自由、進歩的
Journal of Sugiyama Human Research 2006
120
熱風に吹かれて ̶三蔵法師インド求法の旅に学ぶ̶
告書は刊行されつつある。現在まで、寺院の
2.2. プロジェクトの内容と資金
伽藍配置が明らかになり、寺院設計も高度に
発達していたことが知られた。即ち、寺院は
1.)遺跡の発掘、調査、記録―国立大学の
仏塔を中心に4地区(Mula)に分かれ、ボダ
歴史学、考古学の学科長が責任分担。2.)保
イ樹堂、布薩堂(Ratnapasada)、僧房、集
存事業―建築学者、専門技師が歴史学、考
会場(Sannipata sala)、食堂や美しい一対
古学者の協力をえて、責任分担。修復、保
のまた大きい水浴池が整っていた。さらに
存計画、仕様書,見積書を作成し、施工業者
灌仏堂や温浴場も発見された。5戸建の僧院
に競争入札させる。3.)参拝者のための道
(pancavasa)は30ほど発掘されている。石
路、歩道、駐車場、植樹、造園照明、表示
造のカヌー状の(長さ19m)飯入れとカレー
板、情報案内、博物館、売店、公共施設をつ
入れの発掘は5000人の僧侶の存在を思わせ
くる。プロジェクトの運営は、文化省(現
る。比丘尼の僧院といわれるLankaramaも
在は文化、宗教省 Ministry of Cultural and
美しく整備されている。すべての遺跡にノル
Religious Affairs)の中央文化基金 Central
ウェー政府寄進の表示板が立っている。近年、
Cultural Fundがあたる。現理事長は考古学
Aranna派の比丘の石窟も発見された。水路
者 Dr.W.H.Wijepalaである。資金は、ユネス
設備、冶金術、美術工芸に高度の技術が見ら
コが60%負担したが、実質的には世界食糧計
れる。瓦が8種類発見されて、外国産のもの
画(WFP)、国連開発計画(UNDP)、ユ
もある。道路は北方へ一直線で主軸は10m幅
ネスコ加盟諸国の援助をえて、拠出されたも
である。
のである。
保存作業は、現在までにElephant pond,ま
1980年から1996年までの大略の予算は22億
た、食堂、ボダイ樹堂5戸建の僧院などの遺
ルピー(約48億円)であった。外国の援助の
構になされた。1991年、中国政府は法顕②の
最大のものは世界食料計画からの38.000万ル
名前をつけた博物館を建立した。現在、その
ピーである。これは3800人の労働者の15年間
前に、山門風の扉を設け、係員がいる。テロ
の毎日の食事代の提供である。
に備えたものである。
現在、すでにプロジェクト計画の期間が過
ぎ、ユネスコをはじめ外国からの決まった援
3.2. 無畏山寺の大塔の復興
助はないが、スリランカ政府は独自の予算で
継続している。
大塔は12世紀に一度修復されたが、その跡、
小山の様になって樹木が繁っていた。それを
3.1.無畏山寺の発掘、保存と整備
取り除く作業は非常に困難で、プロジェク
トの最初は未定であった。しかし、1997年よ
Cultural Triangleの対象はすべて世界文化
り着手された。大塔は総高75m、基底の直径
遺産に入り、そのプロジェクトの成果が世界
が106mでレンガ造りの塔としては、Jevana
の各方面の注目するところであるが、無畏山
Vihara(総高120m)と共に世界で最も高い
寺についてはどうであろうか。
塔のひとつである。レンガとレンガとの間の
寺域61万坪の約70%が発掘された。その報
121
つなぎ部分に雑木、雑草が生えているところ
Journal of Sugiyama Human Research 2006
熱風に吹かれて ̶三蔵法師インド求法の旅に学ぶ̶
に足場を設け、手作業で取り除く。レンガを
その跡にこの寺院を建立したからである。
はずせば、元通りに置くため番号が書かれて
いた。塔の内部はレンガの切れ端や瓦礫であ
4.1. 無畏山寺以外のプロジェクト
る。ドームの80パーセント、その上の平頭の
90パーセントが終了した。相輪も修復された。
Jetavana Viharaの発掘、保存、整備の
基壇の外側の擁壁、砂と石を敷いた行道、礼
70パーセントが終了した。Polonnaruvaの
拝用のテラスの工事が50パーセント終了して
Alahana Pirivenaの発掘、保存、整備が終
いる。石畳に新しい御堂が修復され、仏像が
了した。これらの報告書が発行されつつあ
安置されている。
る③。Dambulla、Sigiriyaの壁画が修復され、
これらの作業には近隣の村人が月給で雇わ
Kandyの保存、修復がほぼ終了した。博物館
れているが、他に毎日200∼300人の仏教徒が
の建設はJetavanaがノルウェー、Sigiriyaは
功徳を積むために労働奉仕しているという。
日本政府によって完成した。博物館の最初の
古来、この世での善行のひとつとされている
建設は、記述の如く法顕との関係から中国政
ため、全国から集まるという。
府である。
このレンガ造りの大塔から雑木を除くとき、
スリランカ政府は、更に1999年以
塔はMahaviharaのように全体を真っ白く塗
来AnuradhapuraのMahaviharaの発
り、大空の下で美しく輝かせるべきか、レン
掘、整備を行っている。今後は東南部の
ガのほとんどをとりはずし、古い姿で元通り
Mahiyangana、Tissamaharamaなど南部の
に置きなおし保存すべきか、当局は一週間の
遺跡を目標としている。
議論をしたという。結局は、考古学的立場か
ら手間のかかる復旧作業をした。
注
① 筆者は1992、1993年度の科学研究費
3.3.スリランカ人の無畏山寺観
補助金(総合A)課題番号04301003
『南方上座仏教の展開と相互交流の
Abhayagiriが文化三角地帯のプロジェク
研究』で「スリランカ文化三角地域
トの対象に選ばれた理由は、Anuradhapura
(Cultural Triangle)の発掘、保存、
の最大の寺院であって、世界最大の遺跡の
整備プロジェクトの現況」pp.56-71を
ひとつであり、かつて世界の仏教の中心と
発表した。今回の調査はその続編の一
して栄えたからである。現代のスリランカ
部である。Central Cultural Fundの
人のAbhayagiri観は、大乗系の比丘を受
Director GeneralのDr. W.H. Wijepala、
け入れて戒律がみだれ、教団が粛清されて
また、Prof. T.G. Kulatunge, Mr.
Mahaviharaに統一された寺院という悪いイ
S.J.Sumanasekera Bandaのご厚情をう
メージではない。Abhayagiriは仏教の復興、
けた。謝意を表する。
シンハラ人の勝利を意味する。この寺院の歴
② 法顕については、スリランカではよく
史において、インド人(ジャイナ教徒)によ
その名前が知られている。かれがアダ
って侮辱されたVattagamani Abhaya王が王
ムスピークに登ったとき、その途中
位を奪還して、その異教徒の寺院を壊して、
に住した洞窟が残っていると噂され
Journal of Sugiyama Human Research 2006
122
熱風に吹かれて ̶三蔵法師インド求法の旅に学ぶ̶
て い る 。また、ドラマにもなってい
ed.,Cambridge,1923; Rontledge Kegan
る。Ratna Handurukande,“Sundry
Paul, 1956, 1959) , J.Legge ( Oxford,
Notes on Fa-hsien”, Sri Lankan
1986, New Delhi, 1993). S.Beal (1869,
Journal of the Humanitiies, XXIV-
1884, Indian ed.1969 ) などを参照し
XXV,1-2 (Peradeniya 1998-1999),
ている。Wimalabuddhi本はLi Yung-
2000.pp.136-142; 湯山明「楞伽島備忘醜
hsi も参照している。Li Yung-hsi, A
襍記の雑學的拾遺」、『創価大学・国
Record of the Buddhist countries by
際仏教学高等研究所・年報』平成16年
Fa-hsien. Translated from the Chinese,
度(第8号)pp.12-14.
Peking, The Chinese Buddhist
『法顕伝』についてのシンハラ語訳に
Association. 1957.
次の3種がある。
③ Abhayagiri Vihara Project
1) W.Charles De Silve,Pahiyange
Anuradhapura (1989.07.01-1989.12.31),
Bauddha Rajadhani sahaVandana
xviii, 325p.1994; 1995.01.01-1995.06.30),
Gaman Vistaraya(Chr.era 399-414),
xiv, 512p. 1999.
N.J.Cooray and Sons(printer), 1921.
Jetavanaramaya Project Anuradhapura
(1-6,1983), 1 map, 295p., 2002;
2) Balangoda Ananda maitreya,Fa-hsien
(7-12,1986), v (1 map 枚含む ), 204p.,
Sum Yum Denamage Gaman vitti,
Alahana Parivena Polonnaruva,(9th
Maharagama Saman Mudralaya,Balan
Conservation Progress Report,
goda,1958.
1990)16p., 1999;(11th,1991), 24p., 1999;
(12th,1992)16p., 1999; (13th 1993), 19p.,
3) Balangoda Wimalabuddhi,Bauddha
1999; (14th, 1994), 20p.,1999; (15th,
Rajadhani Pilibandha toraturu namvu
1995), v, 23p., 1999; (16th, 1996), v,22p.,
Fa-hienge Desana Vartava( Sinhalese
17th, 1997).1999.
translation of a Record of Buddhist
Alahana Parivena Excavation Report,
Kingdoms of the Travels of Fa-
1994, 7-12, viii,199p, 2002; 1995,7-12,
hsien), Colombo, M.D.Gunasena and
182p, 2003.
Co.Ltd.1958. Second ed. 1960, UNESCO
助成出版。
Mahavihara Project, 2000, 1-2000.6, viii,
179, 2003; 2000, 7-12, viii, 166, 2004.
これらは、H.A.Giles ( 1877,new
123
Journal of Sugiyama Human Research 2006
熱風に吹かれて ̶三蔵法師インド求法の旅に学ぶ̶
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熱風に吹かれて ̶三蔵法師インド求法の旅に学ぶ̶
人
々
の
感
動
を
誘
う
。
そ
れ
は
、
こ
れ
ま
で
も
こ
れ
か
ら
も
変
わ
る
こ
と
は
な
大
い
な
る
志
こ
そ
が
未
知
の
道
を
開
く
原
動
力
で
あ
り
、
時
代
を
こ
え
て
阻
ま
れ
な
が
ら
も
志
を
貫
き
、
求
法
に
徹
し
た
僧
に
の
み
捧
げ
ら
れ
た
。
す
る
。
し
か
し
、
実
際
に
は
三
蔵
に
詳
し
い
学
僧
で
は
な
く
、
幾
多
の
困
難
に
字
通
り
仏
教
聖
典
の
三
種
﹁
経
・
律
・
論
﹂
の
三
蔵
に
精
通
し
た
高
僧
を
意
味
法
顕
も
玄
奘
も
、
と
も
に
三
蔵
法
師
と
称
え
ら
れ
る
。
三
蔵
法
師
と
は
、
文
た
ひ
と
り
で
求
法
の
旅
に
出
た
。
一
五
人
と
と
も
に
西
方
に
旅
立
っ
た
。
さ
ら
に
二
五
十
年
の
後
、
玄
奘
は
た
っ
法
顕
が
長
安
を
出
発
し
て
か
ら
四
年
後
、
そ
の
志
を
継
い
で
智
猛
は
同
志
七
、
法
顕
の
志
法顕は、建康の道場寺に住んでいたインド僧の仏陀跋陀羅ととも
他
。
■
引
用
文
献
■
い
だ
ろ
う
。
に﹃摩訶僧祗律﹄﹃大般泥 経﹄
﹄など六部六三巻の経律の漢訳を完
︵
講
演
資
料
よ
り
︶
長
沢
和
俊
﹃
法
顕
伝
﹄
雄
大 山
谷 閣
大
学
平
成
平 八
成 年
一
三
年
成し、湖北省江陵県の辛寺で亡くなった。
木
村
宣
彰
﹃
仏
教
伝
来
﹄
に
は
戻
ら
な
か
っ
た
。
ン
ド
か
ら
も
た
ら
し
た
律
蔵
や
経
典
の
翻
訳
と
い
う
使
命
を
果
た
す
た
め
長
安
ら
ス
マ
ト
ラ
島
を
経
て
四
一
三
年
、
よ
う
や
く
建
康
︵
南
京
︶
に
至
っ
た
。
イ
大
暴
風
雨
に
襲
わ
れ
海
路
を
失
い
⋮
⋮
さ
ま
ざ
ま
な
危
険
に
さ
ら
さ
れ
な
が
●
●
●
(西暦 3 世紀 , Abhayagiri)
法顕も礼拝した仏像
125
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帰
国
の
途
に
つ
い
た
。
熱風に吹かれて ̶三蔵法師インド求法の旅に学ぶ̶
の
は
四
0
四
年
。
法
顕
と
道
整
が
小
雪
山
を
越
え
、
北
西
イ
ン
ド
か
ら
中
イ
ン
ド
に
到
着
し
た
六
三 年 長
十 。 安
ヵ
か
国
ら
イ
近
く
ン
を
ド
遍
に
歴
入
し
る
た
ま
法
で
顕
六
は
年
、
。
律
イ
蔵
ン
や
ド
経
各
地
典
を
を
携
巡
え
り
て
逗
留
、
い
す
よ
る
い
こ
よ
と
ま
っ
果 是 ハ 復また 山
た
ま
タ ニ 亦た 、 ノほ 法 。
進 北くい 顕 残
サ 於 、
ム 陰んち 等 る
ズ イ 復
活
、 テ セ ニた 中ゅう 三 三
堪えず 、 人 人
奈いか 遂
エ 寒 ハ の
何ん ニ ズ
す
。
風
﹂ 終 便なわ ズ ノ 、み 中
ト ワ チ 。 暴ぼ 南なみ の
う
口
。 ル 、
時
起き シ 慧
。 ニ ヨ ス テ 景
法 去 リは ル 小 も
顕 ル 白くま ニ 雪 大
ハ 可 沫つ 遭 山 寒
之 シ ヲい ウ ヲ 風
ヲ 、と 出だ 。 渡わた の
撫ぶ 倶も シ 人 ル た
め
シ ニ 、
法 ハ 。
テ 死 顕 皆 雪 こ
悲ひご ヲ ニ 噤ぎん 山 と
号う 得 語 戦せん ハ 切
シ ル リ ス 冬 れ
コ
夏 た
、
﹁ ト テ 。え
。
ほ
な 云 慧い 積
本ん 勿か
け
雪
景
い
図とめ レ ク
一 ナ
命い ﹂ 、
ト ﹁ 人 リ
ヲ 。 我 、 。
三
、
つ
い
に
イ
ン
ド
へ
六
、
海
路
の
帰
途
顕
は
二
年
間
に
わ
た
っ
て
経
典
を
探
し
求
め
て
書
写
し
た
。
師
子
国
︵
ス
リ
ラ
ン
カ
︶
に
到
着
。
こ
の
国
で
も
仏
教
が
さ
か
え
て
い
た
。
法
タ
ー
ム
ラ
リ
プ
テ
ィ
か
ら
商
人
の
大
船
に
乗
り
、
ベ
ン
ガ
ル
湾
を
一
四
日
で
五
、
仏
の
島
ス
リ
ラ
ン
カ
宝
雲
、
僧
景
は
天
竺
を
目
前
に
し
て
前
進
で
き
ず
泣
く
泣
く
中
国
に
帰
っ
て
し
界
を
分
け
る
大
障
壁
。
こ
の
山
脈
の
東
北
部
を
法
顕
は
小
雪
山
と
呼
ぶ
。
慧
達
、
パ
キ
ス
タ
ン
中
西
部
の
ス
ラ
イ
マ
ー
ン
山
脈
は
イ
ン
ド
世
界
と
西
ア
ジ
ア
世
■
第
三
の
難
関
、
小
雪
山
テ
ィ
に
到
着
す
る
と
、
こ
こ
で
も
二
年
に
わ
た
っ
て
仏
教
経
典
の
書
写
を
行
う
。
意
し
ガ
ン
ジ
ス
河
に
沿
っ
て
東
に
進
む
。
し
か
し
東
イ
ン
ド
の
タ
ー
ム
ラ
リ
プ
で
実
に
三
年
も
の
間
、
梵
語
と
格
闘
し
律
蔵
を
書
写
し
た
法
顕
は
、
帰
国
を
決
め
梵
語
︵
サ
ン
ス
ク
リ
ッ
ト
︶
を
学
ぶ
こ
と
を
決
意
す
る
。
パ
ー
タ
リ
プ
ト
ラ
名 此
ヅ ノ
ケ 難
テ ニ
雪せつ 遇
山ざん ウ
人じん 者
ト ハ
為 、
ス 万
ナ ニ
リ 一
。 モ
嶺 全
ヲ キ
渡 無
ル シ
ヤ 。
北 彼
天 ノ
笠 土
ニ ノ
到 人
ル 人
。 ハ
、
即
チ
法
顕
は
こ
の
と
き
す
で
に
七
十
歳
を
越
え
て
い
た
が
、
律
蔵
を
書
写
す
る
た
一
五
人
シ ヲ
わ
其 度た 此 中
ノ ル レ 九
意 ヲ ヨ 人
ヲ 得 リ が
失 タ 西 こ
エ リ 行 こ
バ 。 シ で
、す 葱 テ 天
即なわ 嶺 、き 竺
チち ︵ 北たて ︵
毒 山 天んじ イ
風 ︶ 竺ゅく ン
・ ハ ニ ド
雨 冬とう 向 ︶
雪 夏か ウ へ
ヲ 雪ゆき 。 の
吐 有 道 旅
キ リ ニ を
、 。 在 断
沙さ 又 ル 念
・れ 、 コ し
礫き
ト て
石せき 毒
ヲ 竜 一 い
月 る
飛 有
リ 、 。
バ 。 葱
ス
も
。 若 嶺
四
、
梵
語
と
の
格
闘
Journal of Sugiyama Human Research 2006
律
の
原
本
﹂
な
る
も
の
は
見
つ
か
ら
な
か
っ
た
。
一
方
、
法
顕
は
当
初
の
志
を
貫
き
イ
ン
ド
各
地
を
巡
る
が
、
そ
も
そ
も
﹁
戒
道
整
は
パ
ー
タ
リ
プ
ト
ラ
に
永
住
す
る
こ
と
を
決
意
す
る
。
ち
な
み
に
、
法
顕
の
四
年
後
に
長
安
を
発
っ
た
智
猛
ら
青
年
僧
一
行
は
、
涅
槃
の
地
︶
を
す
べ
て
巡
礼
し
、
こ
の
上
な
い
感
激
を
味
わ
っ
た
。
そ
の
た
め
、
を
踏
破
し
た
の
は
奇
跡
的
で
す
ら
あ
る
。
ン
ド
へ
と
﹁
仏
陀
の
聖
跡
﹂
︵
釈
尊
の
誕
生
地
、
成
道
地
、
最
初
の
説
法
地
、
た
い
し
た
登
山
用
具
も
も
た
な
い
老
僧
・
法
顕
が
寒
風
吹
き
荒
れ
る
こ
の
高
原
そ
れ
か
ら
三
年
間
、
二
人
は
イ
ン
ド
の
西
か
ら
東
へ
、
北
イ
ン
ド
か
ら
中
イ
126
熱風に吹かれて ̶三蔵法師インド求法の旅に学ぶ̶
一
、
旅
の
は
じ
ま
り
︵
長
安
∼
玉
門
関
︶
127
経
典
の
翻
訳
に
従
事
、
貴
歳
で
四
人
の
僧
と
と
も
に
イ
ン
ド
に
旅
立
つ
。
一
四
年
後
に
た
だ
一
人
帰
国
。
重
な
西
域
、
イ
ン
ド
の
旅
行
記
﹁
法
顕
伝
﹂
︵
仏
国
記
︶
三
歳
で
出
家
。
二
十
歳
で
正
式
の
僧
侶
と
な
る
。
﹁
法ほっ
顕けん
︵
三
三
五
?
∼
四
二
一
?
︶
山
西
省
じ
襄ょう
垣えん
県
生
ま
れ
。
姓
は
律
蔵
﹂
を
求
め
て
、
六
四 氏
。
三
十
枯 ル 一
度
骨 処 モま 沙 に
ヲ ヲ 全った 河 も
以 求 キ 中 な
テひ メ 者 ハ る
標ょう ン ナ 、
あ。
識しき ト シ 悪くき
鬼
ト 欲 。 熱
為 シ 上
ス テ ニ 風
有
ノ 、 飛ひち ル
ミ 即 鳥ょう
。 チ 無 コ
ト
擬 ク 多
ス 、 シ
ル 下 。
所 ニそ あ
ヲ 走うじ 遭
知 獣ゅう ︵
ル 無 過
︶
莫な シ エ
シ 。へ
。 遍んぼ バ
唯 望うき 即
、 極ょく チ
皆
死 目もく 死
人 、
ノ 度 ス
。
こ
こ
つ
め
の
原
動
力
と
は
?
私
と
一
緒
に
考
え
て
み
ま
せ
ん
か
?
及
ん
だ
法
顕
三
蔵
法
師
の
旅
の
足
跡
り
を
た
ど
り
ま
す
。
ま
さ
に
命
が
け
の
旅
苦
難
が
彼
を
待
ち
受
け
て
い
ま
し
た
。
﹁
︵
講
演
会
案
内
状
よ
り
︶
へ
と
老
僧
を
突
き
動
か
し
た
も
の
と
は
何
か
?
幾
多
の
困
難
に
立
ち
向
か
う
た
で
﹁
生
き
て
は
出
ら
れ
な
い
﹂
と
い
う
意
味
。
夏
は
五
0
度
、
冬
は
マ
イ
ナ
ス
タ
ク
ラ
マ
カ
ン
砂
漠
が
待
ち
受
け
て
い
る
。
タ
ク
ラ
マ
カ
ン
と
は
ウ
ィ
グ
ル
語
玉
門
関
を
出
て
い
よ
い
よ
西
域
に
入
る
と
サ
ハ
ラ
砂
漠
に
次
ぐ
巨
大
砂
漠
、
■
第
一
の
難
関
、
タ
ク
ラ
マ
カ
ン
砂
漠
人
間
講
座
﹂
で
は
、
十
四
年
間
に
も
経
て
よ
う
や
く
イ
ン
ド
に
到
着
し
ま
す
が
、
そ
の
後
も
想
像
を
絶
す
る
数
々
の
イ
マ
ー
ン
山
脈
を
進
み
⋮
。
そ
の
一
歩
一
歩
が
生
と
死
を
分
か
つ
道
な
き
道
を
横
断
し
、
五
0
0
0
m
級
の
峰
が
連
な
る
パ
ミ
ー
ル
高
原
を
越
え
、
障
壁
ス
ラ
二
、
難
関
を
越
え
て
Journal of Sugiyama Human Research 2006
す
か
?
そ
の
人
の
名
は
法
顕
三
蔵
。
熱
風
吹
き
荒
れ
る
タ
ク
ラ
マ
カ
ン
砂
漠
を
※
夏
坐
⋮
⋮
雨
期
の
三
ヵ
月
間
、
一
ヵ
所
に
留
ま
っ
て
座
禅
す
る
特
別
修
行
て
中
国
か
ら
イ
ン
ド
へ
と
旅
立
っ
た
ひ
と
り
の
僧
侶
が
い
た
こ
と
を
ご
存
知
で
格
に
実
行
し
た
た
め
で
あ
る
。
﹃
西
遊
記
﹄
の
玄
奘
三
蔵
よ
り
2
5
0
年
も
前
。
仏
教
を
求
め
、
64
歳
に
し
の
途
中
で
も
僧
と
し
て
守
る
べ
き
戒
律
、
年
中
行
事
︵
﹁
夏
坐
﹂
な
ど
︶
を
厳
三
蔵
法
師
イ
ン
ド
求
法
の
旅
に
学
ぶ
―
い 戴
法 る く 高 ■
顕 。 五 原 第
は
0 と 二
パ
0 は の
ミ
0 い 難
ー
メ っ 関
ル
ー て 、
越
ト も パ
え
ル 高 ミ
に
級 原 ー
二
の 状 ル
ヵ
峰 に 高
月
々 な 原
を
が っ
要
そ て
し
び い
た
え る
が
﹁ の
、
世 は
酸
界 中
素
の 央
は
屋 部
も
根 の
ち
﹂ み
ろ
と 。
ん
呼 年
の
ば 中
こ
れ 雪
と
て を
、
を
著
す
。
―
三
九
九
年
、
長
安
を
出
発
。
二
年
も
の
時
間
を
か
け
て
西
域
と
の
国
境
、
玉
龔
門
関
に
た
ど
り
つ
い
た
。
中
国
の
領
域
内
で
二
年
の
月
日
を
要
し
た
の
は
、
旅
椙
山
女
学
園
大
学
文
化
情
報
学
部
橘
堂
正
弘
熱
風
に
吹
か
れ
て
昭和初期の「伝統芸能」
−蓄音機レコードとラジオ放送を中心に−
だ
ろ
う
。
の
興
行
に
も
影
響
を
与
え
、
﹁
階
級
﹂
を
越
え
た
新
た
な
愛
好
者
の
た
め
の
新
た
岩
田
律
園
先
生
、
岩
田
恭
彦
先
生
に
心
よ
り
感
謝
申
し
上
げ
ま
す
。
ま
た
本
ま
・
む
か
し
﹂
の
講
義
ノ
ー
ト
を
改
稿
し
た
も
の
で
す
。
当
日
出
演
頂
き
ま
し
主
催
第
二
回
人
間
講
座
﹁
﹃
芸
ど
こ
ろ
﹄
を
支
え
る
名
古
屋
の
人
々
補
記
本
稿
は
、
平
成
十
八
年
九
月
二
十
五
日
に
椙
山
人
間
学
研
究
セ
尺 ン
八 タ
い ー
﹁
歌
謡
曲
﹂
と
い
う
新
し
い
ジ
ャ
ン
ル
が
生
ま
れ
た
。
﹁
放
送
﹂
は
逆
に
芸
能
﹁
俗
曲
﹂
と
言
わ
れ
て
い
た
﹁
長
唄
﹂
﹁
清
元
﹂
﹁
新
内
﹂
な
ど
の
地
位
は
向
が
払
わ
れ
、
野
卑
な
も
の
は
避
け
ら
れ
た
。
こ
の
こ
と
に
よ
っ
て
、
歌
舞
伎
や
れ
な
か
っ
た
。
し
か
し
な
が
ら
、
放
送
さ
れ
る
芸
能
の
文
章
に
つ
い
て
は
注
意
よ
り
謡
曲
は
﹁
高
級
﹂
、
清
元
・
浪
花
節
は
﹁
下
層
﹂
と
い
っ
た
差
別
は
な
さ
て
の
ラ
ジ
オ
放
送
で
は
、
各
芸
能
ジ
ャ
ン
ル
が
同
等
に
扱
わ
れ
、
ジ
ャ
ン
ル
に
と
の
結
び
つ
き
は
徐
々
に
崩
れ
て
い
っ
た
。
大
正
末
年
か
ら
昭
和
初
年
に
か
け
な
曲
が
実
際
の
舞
台
・
演
奏
会
な
ど
で
も
行
な
わ
れ
、
﹁
趣
味
﹂
と
﹁
階
級
﹂
に
な
っ
た
。
レ
コ
ー
ド
と
な
っ
て
紹
介
さ
れ
た
﹁
有
名
﹂
な
役
者
の
﹁
有
名
﹂
こ
と
に
よ
っ
て
、
各
ジ
ャ
ン
ル
と
も
﹁
階
級
﹂
を
越
え
て
愛
好
者
を
持
つ
よ
う
場
所
・
入
場
料
を
越
え
て
﹁
自
宅
﹂
で
聴
く
こ
と
が
可
能
と
な
っ
た
。
こ
の
代
に
か
け
て
、
蓄
音
機
レ
コ
ー
ド
が
普
及
す
る
と
、
芸
能
が
演
じ
ら
れ
る
時
・
章
﹂
を
﹁
高
尚
﹂
に
し
よ
う
と
試
み
る
よ
う
に
な
る
。
明
治
末
年
か
ら
大
正
時
15
五 ﹃
二 能
頁 楽
三
代
﹄
桜
間
金
太
郎
著
14
﹁
東
京
朝
日
新
聞
﹂
昭
和
二
年
六
月
十
日
朝
刊
十
一
面
13
﹁
昭 三
和 元
十 放
一 送
年 の
七 無
月 意
発 味
行
﹂
﹃
三 有
四 頂
九 天
﹄
三 内
五 田
二 百
頁 間
著
12
﹁
東
京
朝
日
新
聞
﹂
昭
和
九
年
九
月
三
日
朝
刊
十
面
11
﹁
読
売
新
聞
﹂
昭
和
三
年
四
月
七
日
朝
刊
九
面
10
﹁
大
阪
毎
日
新
聞
﹂
昭
和
三
年
一
月
十
一
日
七
面
9
﹁
大
阪
毎
日
新
聞
﹂
昭
和
三
年
一
月
二
十
二
日
特
別
号
外
十
面
8
﹁
読
売
新
聞
﹂
昭
和
五
年
一
月
二
十
八
日
朝
刊
五
面
7
﹁
読
売
新
聞
﹂
昭
和
三
年
一
月
二
十
九
日
朝
刊
十
面
6
﹁
読
売
新
聞
﹂
昭
和
二
年
十
一
月
二
十
八
日
夕
刊
十
三
面
5
4
﹁
注 読
4 売
と 新
同 聞
紙 ﹂
大
正
七
年
四
月
二
十
三
日
朝
刊
四
面
上
し
た
。
ま
た
、
放
送
用
に
新
し
く
作
ら
れ
た
邦
楽
と
洋
楽
の
合
奏
な
ど
か
ら
、
白
水
社
一
九
八
七
年
六
月
発
行
中
央
公
論
社
Journal of Sugiyama Human Research 2006
が
明
治
期
に
な
る
と
﹁
卑
俗
﹂
と
さ
れ
て
い
た
ジ
ャ
ン
ル
の
も
の
が
そ
の
﹁
文
る
も
の
と
﹁
卑
俗
﹂
で
あ
る
と
さ
れ
る
も
の
が
明
確
に
分
か
れ
て
い
た
。
そ
れ
日
本
芸
術
文
化
振
興
会
明
治
維
新
の
頃
、
芸
能
は
ジ
ャ
ン
ル
に
よ
っ
て
﹁
高
尚
﹂
で
あ
る
と
さ
れ
3
﹃
大
正
の
能
楽
﹄
倉
田
喜
弘
編
著
平
成
十
年
三
月 国
発 立
行
能
楽
一 堂
三 調
一 査
養
一 成
三 課
二 編
頁 集
六
ま
と
め
2
﹁
読
売
新
聞
﹂
明
治
九
年
二
月
十
四
日
朝
刊
三
面
1
﹁
読
売
新
聞
﹂
明
治
八
年
五
月
二
十
八
日
朝
刊
二
面
注
―
聞
社
主
催
の
能
楽
な
ど
が
行
な
わ
れ
る
よ
う
に
な
る
。
蓄
音
機
レ
コ
ー
ド
と
い
―
稿
は
高
橋
信
三
記
念
放
送
文
化
振
興
基
金
及
び
愛
銀
教
育
文
化
財
団
助
成
に
よ
う
ラ
ジ
オ
放
送
と
い
う
メ
デ
ィ
ア
は
、
現
在
に
通
じ
る
﹁
伝
統
芸
能
﹂
分
野
の
―
る
研
究
成
果
の
一
部
と
な
り
ま
す
。
記
し
て
感
謝
申
し
上
げ
ま
す
。
﹁
文
章
﹂
と
﹁
興
行
形
態
﹂
の
成
立
に
大
き
な
影
響
を
与
え
た
と
考
え
て
よ
い
128
昭和初期の「伝統芸能」
−蓄音機レコードとラジオ放送を中心に−
ラ
ジ
オ
放
送
や
新
聞
は
、
﹁
階
級
﹂
を
越
え
て
芸
能
を
普
及
さ
せ
た
。
そ
し
五
﹁
講
堂
﹂
で
の
﹁
宣
伝
能
﹂
芸
能
の
興
行
形
態
と
宣
伝
方
法
の
変
化
面
白
く
な
い
か
ら
河
岸
を
変
え
よ
う
と
、
配
る
と
こ
ろ
を
変
え
た
り
し
た
と
怒
鳴
り
た
い
と
こ
ろ
を
、
よ
ろ
し
く
お
願
い
し
ま
す
と
頭
を
下
げ
た
。
点
に
大
き
な
特
徴
が
あ
っ
た
。
そ
し
て
﹁
地
を
隔
て
た
三
大
家
が
合
奏
す
る
こ
な
﹂
と
言
い
な
が
ら
通
り
過
ぎ
て
行
く
。
﹁
も
っ
と
、
は
っ
き
り
読
め
﹂
﹁
遠
隔
地
の
フ
ァ
ン
﹂
﹁
放
送
に
よ
っ
て
芸
を
享
受
す
る
フ
ァ
ン
﹂
に
届
け
る
は
、
ラ
ジ
オ
が
﹁
芸
能
﹂
を
﹁
出
演
者
の
住
む
土
地
﹂
か
ら
も
完
全
に
開
放
し
、
機
レ
コ
ー
ド
や
従
来
の
ラ
ジ
オ
放
送
で
も
可
能
だ
っ
た
。
こ
の
﹁
三
元
放
送
﹂
だ で り
、 私 だ
た っ
ち た
が と
熊 配 思
の っ う
夕 た 。
べ 。 事
か 銀 前
。 座 に
北 四 は
丁 宣
海 目 伝
道 で マ
か マ ッ
ら ッ チ
来 チ を
た を 作
の も り
か ら 、
。 っ 銀
ご た 座
苦 人 、
労 が 新
さ 、 宿
ん ﹁ な
だ 何 ど
﹁
芸
能
﹂
を
﹁
聴
取
者
﹂
の
場
所
を
問
わ
ず
に
普
及
さ
せ
る
こ
と
は
蓄
音
の
同
山
で
出
た
。
お
そ
ら
く
新
聞
社
の
特
設
舞
台
で
の
能
の
公
演
の
始
ま
は
確
か
で
あ
る
。
︵
飯
塚
注
桜
間
道
雄
︶
が
﹁
石
橋
﹂
を
舞
っ
て
い
る
。
私
も
﹁
安
宅
﹂
放
送
が
﹁
流
儀
﹂
の
枠
を
越
え
た
新
し
い
演
奏
の
可
能
性
を
生
み
出
し
た
こ
と
父
︵
飯
塚
注
初
代
桜
間
金
太
郎
。
後
の
弓
川
。
︶
が
﹁
安
宅
﹂
、
道
雄
:
が
、
一
万
個
の
マ
ッ
チ
は
な
か
な
か
減
ら
な
か
っ
た
。
と
は
放
送
な
ら
で
は
、
出
来
な
い
事
で
あ
る
﹂
と
あ
る
よ
う
に
、
ラ
ジ
オ
放
送
:
と
述
べ
て
い
る
。
街
頭
で
マ
ッ
チ
を
貰
う
よ
う
な
、
ま
さ
し
く
﹁
普
通
の
庶
が
﹁
放
送
で
し
か
出
来
な
い
﹂
新
し
い
﹁
芸
術
﹂
﹁
音
楽
﹂
を
生
み
出
し
提
供
・・・・・・
い ﹁ 民
。 銀 ﹂
座 を
﹂ 観
や 客
﹁ に
新 し
宿 よ
﹂ う
な と
ど し
東 た
京 点
の と
都 、
心 そ
に れ
い ら
る の
と ﹁
考 観
え 客
て ﹂
い と
る な
点 り
が 得
興 る
味 人
深 が
129
し
た
こ
と
は
、
や
は
り
画
期
的
な
出
来
事
と
言
え
る
だ
ろ
う
。
―
て
そ
の
こ
と
は
各
芸
能
の
﹁
興
行
形
態
﹂
を
変
化
さ
せ
た
。
能
は
大
正
期
ま
で
―
能
舞
台
で
の
み
興
行
さ
れ
て
い
た
。
し
か
し
、
昭
和
二
年
六
月
十
八
日
・
十
九
る
大
家
が
出
演
を
応
諾
し
た
と
い
う
こ
と
は
あ
り
え
る
だ
ろ
う
。
こ
の
意
味
で
宣
伝
能
と
い
う
の
を
朝
日
講
堂
で
催
し
た
。
昭
和
十
年
六
月
の
こ
と
で
、
あ
る
。
﹂
と
い
う
。
た
だ
、
全
国
放
送
で
あ
る
か
ら
こ
そ
、
﹁
流
儀
﹂
の
異
な
鈴
木
文
治
朗
さ
ん
の
後
押
し
も
あ
り
、
朝
日
新
聞
社
後
援
で
、
金
春
流
Journal of Sugiyama Human Research 2006
当
夜
の
﹃
根
引
の
松
﹄
の
拍
子
が
一
二
ヶ
所
崩
れ
か
け
た
の
は
笑
止
の
至
り
で
の
大
家
の
合
奏
で
あ
り
な
が
ら
、
馴
れ
ぬ
か
ら
く
り
に
気
を
取
ら
れ
た
所
為
か
、
極
く
上
つ
面
の
英
雄
的
行
為
に
類
す
る
に
過
ぎ
な
い
﹂
と
い
う
。
ま
た
﹁
そ
合
セ
物
を
弾
く
と
か
、
生
田
の
大
家
と
手
合
せ
を
す
る
と
云
ふ
だ
け
の
事
で
は
、
和
・
菊
仲
米
秋
と
合
奏
し
た
こ
と
に
つ
い
て
も
﹁
山
田
流
の
大
家
が
生
田
流
の
に
過
ぎ
な
い
﹂
と
述
べ
る
。
そ
し
て
山
田
流
の
今
井
慶
松
が
生
田
流
の
佐
藤
正
は
ラ
ヂ
オ
技
術
の
上
の
思
ひ
つ
き
で
あ
つ
て
、
要
す
る
に
機
械
い
ぢ
り
の
興
味
こ
と
を
二
代
目
桜
間
金
太
郎
︵
注
15
︶
は
、
そ
れ
以
外
に
街
頭
で
マ
ッ
チ
を
配
る
と
い
っ
た
こ
と
ま
で
行
な
わ
れ
た
。
こ
の
企
画
の
宣
伝
に
は
、
そ
の
企
画
を
行
な
う
新
聞
社
の
新
聞
記
事
が
使
わ
れ
た
が
、
員
な
ど
の
﹁
知
識
人
階
級
﹂
を
対
象
と
し
た
能
の
催
し
で
あ
る
。
こ
の
よ
う
な
徐
々
に
増
え
始
め
た
。
昭
和
初
年
以
降
急
増
し
た
、
サ
ラ
リ
ー
マ
ン
・
公
務
楽
堂
の
み
で
な
く
、
新
聞
社
が
企
画
し
て
能
を
﹁
講
堂
﹂
で
行
な
う
こ
と
が
日
に
朝
日
講
堂
で
行
な
わ
れ
た
東
京
朝
日
新
聞
社
主
催
能
︵
注
14
︶
以
降
、
能
昭和初期の「伝統芸能」
−蓄音機レコードとラジオ放送を中心に−
今
夜
八
時
か
ら
れ
て
、
筝
、
三
味
線
、
胡
弓
を
演
奏
し
、
そ
れ
が
三
曲
合
奏
に
な
る
と
云
ふ
の
菊
仲
米
秋
︵
大
阪
胡
弓
︶
の
地
を
隔
て
た
﹁
合
奏
﹂
の
放
送
に
つ
い
て
の
記
〳〵
演
芸
放
送
に
新
機
軸
を
も
た
ら
す
三
元
放
送
が
い
よ
事
を
載
せ
る
。
意
味
﹂
︵
注
13
︶
と
い
う
題
で
、
﹁
東
京
、
名
古
屋
、
大
阪
の
三
ヶ
所
に
分
か
日
新
聞
﹂
昭
和
十
年
十
二
月
十
日
・
十
一
日
に
内
田
百
間
は
﹁
三
元
放
送
の
無
の
見
出
し
で
、
今
井
慶
松
︵
東
京
三
曲
合
奏
筝
︶
・
佐
藤
正
和
︵
名 新
古 機
屋
軸
三
三 元
絃 放
︶ 送
・ ﹂
和
九
年
九
月
三
日
朝
刊
︵
注
12
︶
に
は
、
﹁
地
を
隔
て
た
三
局
か
ら
三
大
家
が
先
行
﹂
で
、
演
奏
内
容
は
伴
わ
な
か
っ
た
と
い
う
批
判
も
あ
っ
た
。
﹁
東
京
朝
と
な
る
。
こ
の
三
元
放
送
は
好
評
で
あ
っ
た
ら
し
く
、
昭
和
十
年
に
も
﹁
根
後
八
時
A
K
、
B
K
、
C
K
合
同
し
て
引
の
松
﹂
で
行
な
わ
れ
た
。
し
か
し
な
が
ら
、
﹁
三
元
放
送
﹂
に
は
、
﹁
技
術
か
見
ら
れ
な
い
と
い
う
﹁
場
所
﹂
の
制
約
を
越
え
た
。
﹁
東
京
朝
日
新
聞
﹂
昭
な
の
も
面
白
い
事
で
す
新
し
い
ジ
ャ
ン
ル
が
成
立
し
た
。
﹁
放
送
﹂
は
﹁
芸
﹂
の
文
章
・
形
態
を
変
化
﹁
放
送
用
﹂
に
改
作
さ
れ
、
さ
ら
に
﹁
洋
楽
﹂
と
共
演
す
る
な
ど
の
試
み
か
ら
﹁
俗
曲
﹂
﹁
俗
謡
﹂
﹁
民
謡
﹂
で
あ
ろ
う
。
こ
れ
ら
既
存
の
ジ
ャ
ン
ル
の
曲
は
謡
曲
﹂
の
も
と
と
な
る
ジ
ャ
ン
ル
の
名
称
は
﹁
民
間
の
曲
﹂
と
い
う
意
味
で
の
れ
も
詩
人
と
し
て
当
時
す
で
に
高
い
評
価
を
得
て
い
た
人
物
で
あ
る
。
﹁
歌
松
は
﹂
と
﹁
せ
き
れ
い
﹂
が
北
原
白
秋
、
﹁
う
わ
さ
﹂
が
西
條
八
十
で
、
い
ず
と
考
え
て
よ
い
。
使
用
し
た
歌
詞
の
作
者
は
﹁
春
の
歌
﹂
が
島
崎
藤
村
、
﹁
唐
と
あ
る
。
こ
れ
ら
の
作
品
も
﹁
放
送
﹂
さ
れ
る
こ
と
を
意
図
し
て
作
曲
さ
れ
た
元 て の
放 ゐ 曲
送 る を
、 の 手
曲 で が
も 、 け
﹃ 呼 た
松 吸 事
竹 が が
梅 ピ あ
﹄ ッ り
で タ 、
放 リ 又
送 合 三
の ふ 人
日 か は
も ら 流
三・ で 派
日 す を
と 、 離
い と れ
ふ に て
、 か 親
三・ く し
の 三・ く
字 曲 交
尽 の 際
し 三・ し
思
ひ
ま
し
た
。
こ
の
﹃
松
竹
梅
﹄
を
選
ん
だ
の
も
、
前
に
こ
の
三
人
で
こ
年
振
り
、
佐
藤
さ
ん
と
は
去
年
の
春
以
来
の
手
合
せ
で
、
非
常
に
懐
し
く
く
出
来
た
の
で
、
こ
ん
な
愉
快
な
事
は
あ
り
ま
せ
ん
、
菊
仲
さ
ん
と
は
二
テ
ス
ト
を
や
つ
て
見
る
ま
で
は
、
非
常
に
心
配
し
て
ゐ
ま
し
た
が
、
う
ま
か
ら
の
今
井
慶
松
氏
は
語
る
演
奏
の
効
果
上
か
ら
も
非
常
に
良
好
で
あ
つ
た
、
演
奏
者
の
一
人
、
A
K
立
つ
て
三
十
一
日
、
テ
ス
ト
を
行
つ
た
が
、
そ
の
成
績
は
技
術
的
に
も
又
、
ラ
ジ
オ
放
送
の
技
術
の
進
歩
は
、
﹁
自
分
の
住
ん
で
い
る
場
所
﹂
の
芸
能
し
さ
せ
た
の
み
な
ら
ず
、
新
し
い
芸
能
ジ
ャ
ン
ル
を
作
る
働
き
も
し
た
と
言
え
る
。
得
る
も
の
で
す
。
作
、
そ
し
て
新
し
き
日
本
の
代
表
的
歌
謡
曲
と
し
て
世
界
の
楽
壇
に
誇
り
す
魅
力
を
持
つ
て
ゐ
ま
す
。
以
上
の
五
曲
い
づ
れ
も
宮
城
さ
ん
の
快
心
の
ん
、
最
後
は
﹁
う
わ
さ
﹂
春
日
に
か
げ
ら
う
の
如
く
淡
き
恋
心
を
映
し
出
い
の
ス
マ
ー
ト
な
姿
が
目
の
前
に
浮
び
出
し
て
来
ず
に
は
ゐ
ら
れ
ま
せ
さ
ん
の
傑
作
の
一
た
る
﹁
せ
き
れ
い
﹂
で
之
は
聞
い
て
ゐ
る
と
せ
き
れ
そ
れ
か
ら
童
心
を
呼
び
醒
ま
す
響
き
の
﹁
唐
松
﹂
が
あ
り
そ
の
後
は
宮
城
歌
護
也
﹂
を
次
に
柔
か
な
ベ
ー
ル
で
包
ま
れ
た
様
な
感
じ
の
﹁
春
の
歌
﹂
得
た
訳
で
す
、
け
ふ
の
プ
ロ
グ
ラ
ム
は
最
初
に
皇
太
后
陛
下
の
御
歌
﹁
以
す
る
こ
と
は
放
送
な
ら
で
は
、
出
来
な
い
事
で
あ
る
、
尚
、
放
送
に
先
き
る
、
出
演
者
は
い
づ
れ
も
三
曲
界
の
大
家
、
地
を
隔
て
た
三
大
家
が
合
奏
い
も
の
と
さ
れ
て
ゐ
る
だ
け
に
、
今
夜
の
放
送
は
大
い
に
注
目
さ
れ
て
ゐ
初
め
て
の
試
み
で
、
座
談
会
な
ど
と
は
異
り
技
術
上
に
も
非
常
に
難
か
し
耳
に
あ
て
、
互
に
相
手
の
音
を
聴
き
分
け
な
が
ら
合
奏
す
る
三
元
放
送
は
る
が
、
遠
く
離
れ
た
三
局
の
ス
タ
ヂ
オ
内
で
各
演
奏
者
が
レ
シ
ー
バ
ー
を
味
線
は
A
K
と
い
ふ
や
う
に
、
二
局
の
や
り
と
り
で
放
送
さ
れ
た
事
は
あ
と
し
て
は
、
舞
台
劇
で
﹁
曽
我
の
対
面
﹂
義
太
夫
で
は
太
夫
は
B
K
、
三
A
K
、
B
K
、
C
K
合
同
し
て
行
は
れ
る
事
と
な
つ
た
、
今
迄
二
元
放
送
Journal of Sugiyama Human Research 2006
130
昭和初期の「伝統芸能」
−蓄音機レコードとラジオ放送を中心に−
な
次 久 内 竹 多 森 右 則 伊 今
る A つ の 回 東
郎 留 薫 次 村 律 衛 信 原 日
。 K ま プ の 京
ほ
島 、 郎 緑 子 門 、 青 ま ◇
当 り ロ 割 放
同 ◇
武 松 、 郎 、 、 鈴 々 で
事 一 グ で 送
局
彦 居 吉 、 栗 高 木 園 に
者 夜 ラ 編 局
音
、 松 住 今 島 浜 文 、 選
は だ ム 成 で
楽
小 翁 小 村 す 虚 史 遅 定
絶 け 編 す は
部
村 、 三 明 み 子 郎 塚 し
対 の 成 る 、
、
欣 守 郎 恒 子 、 、 麗 た
に プ を こ 今
社
一 田 、 、 、 伊 菊 水 人
そ ロ ま と 度
会
、 勘 与 本 小 東 池 、 々
の 編 づ ゝ 新
教
里 彌 謝 山 笠 深 寛 伊 は
編 成 高 な 鮮
育
見
、
野
荻
水
、
藤
左
成 の 田 り な
部
原
弴 市 晶 舟
、 杉 正 の
に 権 早 、 、
で
、 川 子 、 長 朝 村 徳 諸
服 限 大 こ 在
は
幹
高 猿 、 中
倉 楚 、 氏
従 を 総 の 来
堀
田 之 井 内 、 文 人 石 で
せ 特 長 一 の
内
早 助 上 蝶 柳 夫 冠 井 あ
ね 定 に 月 趣
敬
苗 、 正 二 原 、 、 満 る
ば の 委 は 向
三
、 鏑 夫 、 保 横 尾 、 。
な 一 嘱 廿 と
、
市 木 、 山 惠 山 上 結
ら 人 す 四 異
仲
島 清 長 本 、 大 菊 城
ぬ に る 日 つ
木
謙 方 田 久 九 観 五 禮
事 与 こ 夜 た
貞
吉 、 秀 三 條 、 郎 一
に へ と の プ
一
、 巌 雄 郎 武 濱 、 郎
な る ゝ 演 ロ
両
樫 谷 、 、 子 田 中 、
つ だ な 芸 を
氏
田 季 小 大 、 四 村 松
て け つ 放 月
が
十 雄 山 谷 喜 郎 吉 内
ゐ で た 送 三
、
、
作
品
に
目
を
つ
け
た
の
も
、
賢
明
で
し
た
が
、
宮
城
さ
ん
も
よ
き
歌
手
を
131
ひ
ま
す
、
邦
語
独
唱
の
金
看
板
を
あ
げ
た
永
井
さ
ん
が
直
に
宮
城
さ
ん
の
ソ
プ
ラ
ノ
歌
手
永
井
郁
子
さ
ん
が
今
ば
ん
宮
城
道
雄
さ
ん
の
歌
謡
曲
を
唄
引
用
す
る
と
、
風
で
、
三 ソ
絃 プ
吉 ラ
田 ノ
恭 歌
子 手
︶ の
の 永
伴 井
奏 郁
で 子
歌 が
う 三
ラ 曲
ジ ︵
オ 伴
放 奏
送 筝
の 宮
記 城
事 道
が 雄
載
る 尺
。 八
こ 吉
れ 田
を 晴
の
曲
や
、
藤
村
の
﹃
春
の
歌
﹄
で
今
ば
ん
は
楽
し
い
春
の
夕
﹂
と
い
う
見
出
し
井
郁
子
さ
ん
宮
城
氏
の
作
曲
を
三
曲
伴
奏
で
独
唱
軽
快
な
﹃
せ
き
れ
い
﹄
ば
、
﹁
読
売
新
聞
﹂
昭
和
三
年
四
月
七
日
朝
刊
︵
注
11
︶
に
は
﹁
春
を
唄
ふ
永
現
在
よ
り
も
広
い
意
味
を
持
ち
、
﹁
国
民
音
楽
﹂
を
志
向
し
て
い
た
。
例
え
る
﹂
意
図
を
も
っ
て
い
た
こ
と
は
重
要
だ
ろ
う
。
こ
こ
で
言
う
﹁
歌
謡
曲
﹂
は
ま
た
、
放
送
が
﹁
明
る
い
国
民
音
楽
の
建
設
に
役
立
つ
歌
謡
曲
﹂
を
﹁
作
が
伺
え
る
。
に
と
っ
て
関
心
の
高
い
分
野
で
あ
り
、
視
聴
率
の
面
か
ら
軽
視
で
き
な
い
こ
と
で
、
歌
舞
伎
・
新
派
・
長
唄
の
地
位
の
向
上
が
わ
か
る
。
こ
の
分
野
が
視
聴
者
奏
家
が
、
教
育
者
と
同
様
の
﹁
文
化
人
﹂
と
し
て
の
待
遇
を
受
け
て
い
る
わ
け
田
早
苗
な
ど
教
育
者
等
多
岐
に
渡
る
。
歌
舞
伎
役
者
・
新
派
の
役
者
・
長
唄
演
学
者
、
大
谷
竹
次
郎
な
ど
興
行
関
係
者
、
杉
村
楚
人
冠
な
ど
報
道
関
係
者
、
高
家
の
他
、
伊
東
深
水
、
鏑
木
清
方
な
ど
画
家
、
与
謝
野
晶
子
・
里
見
弴
な
ど
文
Journal of Sugiyama Human Research 2006
聞
﹂
昭
和
三
年
一
月
十
一
日
︵
注
10
︶
の
﹁
千
代
紙
﹂
に
、
局
が
新
し
い
﹁
放
送
文
化
﹂
を
作
ろ
う
と
し
て
い
た
こ
と
は
、
﹁
大
阪
毎
日
新
る
の
で
、
﹁
教
育
的
﹂
な
内
容
の
み
で
押
す
こ
と
は
出
来
な
か
っ
た
。
放
送
取
者
の
興
味
を
引
か
な
け
れ
ば
契
約
者
が
増
え
な
い
。
そ
れ
で
は
経
営
に
関
わ
望
や
意
見
の
承
り
役
も
す
る
さ
う
だ
﹂
と
あ
る
。
﹁
集
金
﹂
を
す
る
以
上
、
聴
月
一
円
づ
ゝ
集
金
す
る
の
で
伎
の
役
者
、
喜
多
村
緑
郎
な
ど
新
派
の
役
者
、
吉
住
小
三
郎
な
ど
長
唄
の
演
奏
人
々
は
尾
上
菊
五
郎
・
中
村
吉
右
衛
門
・
守
田
勘
彌
・
市
川
猿
之
助
な
ど
歌
舞
と
あ
る る 選 め きヽ
。 は 択 た もヽ
﹁ ず と 委 いヽ
奨 員 りヽ
在
励 会 役
来
を を に
の
な 設 な
趣
す 置 つ
向
事 し て
と
ゝ 、 、
異
な 明 文
つ
り る 部
た
そ い 陸
プ
の 国 軍
ロ
第 民 両
﹂
一 音 省
の
回 楽 、
編
協 の 音
成
議 建 楽
者
会 設 界
と
を に 各
し
今 役 方
て
月 立 面
挙
中 つ の
げ
に 歌 権
ら
開 謡 威
れ
催 曲 を
た
す の 集
集
金
人
は
同
時
に
フ
ァ
ン
の
放
送
に
関
す
る
希
ま
づ
大
阪
天
王
寺
区
と
北
区
に
実
施
す
る
、
集
金
人
は
所
定
の
制
服
制
帽
で
毎
昭和初期の「伝統芸能」
−蓄音機レコードとラジオ放送を中心に−
い
る
記
事
を
引
用
す
る
と
大
阪
放
送
局
︶
で
は
聴
取
料
金
徴
収
制
度
を
改
め
集
金
人
を
出
す
こ
と
に
し
よ
い
予
備
知
識
と
な
る
で
せ
う
。
﹂
と
あ
る
。
弥
七
の
談
話
と
し
て
書
か
れ
て
曲
の
話
だ
か
ら
家
庭
の
娯
楽
に
三
味
線
で
も
稽
古
し
よ
う
と
云
ふ
婦
人
方
に
は
、
庭
講
座
は
久
し
振
り
に
テ
キ
ス
ト
が
必
要
で
な
い
放
送
で
す
。
し
か
も
三
味
線
の
譜
に
つ
い
て
解
説
が
行
な
わ
れ
る
こ
と
が
載
る
。
こ
の
内
容
は
﹁
け
ふ
の
家
一
月
二
十
二
日
︵
注
9
︶
の
﹁
B
K
の
集
金
人
﹂
に
﹁
J
O
B
K
︵
飯
塚
注
:
人
気
が
あ
っ
た
と
い
う
こ
と
も
挙
げ
ら
れ
る
。
﹁
大
阪
毎
日
新
聞
﹂
昭
和
三
年
が
視
聴
者
か
ら
料
金
を
徴
収
し
て
成
り
立
っ
て
お
り
、
聴
取
者
に
﹁
俗
曲
﹂
が
﹁
ラ
ジ
オ
放
送
﹂
が
﹁
俗
曲
﹂
を
放
送
し
た
理
由
と
し
て
は
、
ラ
ジ
オ
放
送
杵
屋
弥
七
が
家
庭
講
座
で
説
明
﹂
と
ラ
ジ
オ
の
﹁
家
庭
講
座
﹂
で
、
三
味
線
﹁
ラ
ヂ
オ
版
﹂
に
﹁
家
庭
に
普
及
さ
せ
た
い
三
味
線
の
譜
の
稽
古
長
唄
師
匠
よ
う
に
な
っ
た
。
﹁
読
売
新
聞
﹂
昭
和
五
年
一
月
二
十
八
日
朝
刊
︵
注
8
︶
の
て
こ
の
こ
と
が
﹁
俗
曲
﹂
に
社
会
的
な
地
位
の
向
上
を
も
た
ら
す
。
送
用
﹂
の
曲
に
改
め
、
ま
た
は
放
送
用
に
新
作
し
て
放
送
に
出
演
し
た
。
そ
し
長
唄
・
清
元
・
新
内
な
ど
﹁
俗
曲
﹂
の
演
奏
家
は
い
ず
れ
も
旧
来
の
曲
を
﹁
放
芸
能
放
送
の
み
で
な
く
、
﹁
家
庭
講
座
﹂
に
も
三
味
線
が
取
り
上
げ
ら
れ
る
コ
ー
ド
の
普
及
の
こ
ろ
か
ら
そ
の
よ
う
な
傾
向
は
あ
っ
た
が
、
昭
和
初
期
以
降
、
た
﹁
差
別
﹂
は
一
切
な
い
。
に
高
い
と
か
、
あ
る
い
は
能
楽
師
は
芸
妓
よ
り
も
社
会
的
地
位
が
高
い
と
い
っ
聞
の
扱
い
で
も
、
﹁
謡
曲
﹂
の
ほ
う
が
﹁
常
磐
津
﹂
﹁
新
内
﹂
よ
り
も
芸
術
的
を
作
り
、
そ
れ
を
当
時
有
名
な
芸
人
が
録
音
し
た
。
ラ
ジ
オ
の
扱
い
に
も
、
新
津
﹂
﹁
新
内
﹂
な
ど
の
﹁
俗
曲
﹂
は
、
放
送
用
に
卑
猥
な
言
葉
を
避
け
た
作
品
が
、
放
送
時
の
文
章
中
に
卑
猥
な
言
葉
は
一
切
使
わ
れ
て
い
な
い
。
﹁
常
磐
い
う
権
威
の
も
と
で
な
さ
れ
た
の
は
大
き
い
意
味
が
あ
る
。
大
正
の
蓄
音
機
レ
及
さ
せ
よ
う
と
い
う
内
容
で
あ
る
。
こ
の
よ
う
な
内
容
の
講
座
が
﹁
放
送
﹂
と
っ
た
も
の
を
譜
本
を
整
備
す
る
こ
と
に
よ
っ
て
、
家
庭
に
三
味
線
音
楽
を
普
し
、
ま
た
従
来
師
匠
か
ら
の
﹁
口
伝
﹂
が
主
で
、
譜
本
が
整
備
さ
れ
て
い
な
か
に
ふ
さ
わ
し
く
な
い
歌
曲
が
あ
る
こ
と
を
踏
ま
え
た
上
で
、
そ
の
歌
曲
を
改
良
と
な
る
。
三
味
線
音
楽
が
卑
下
さ
れ
て
い
る
理
由
と
し
て
、
﹁
家
庭
・
教
育
﹂
累
が
身
売
り
を
し
よ
う
と
す
る
場
面
で
、
色
里
の
雰
囲
気
の
あ
る
話
で
は
あ
る
語
﹁
け
累 ふ
身 大
売 阪
り ラ
の ヂ
段
オ
の
東 聴
京 き
富 も
士 の
松 ﹂
富 と
士 し
太 て
夫 午
社 後
中 三
﹂ 時
の 頃
放 ﹁
送 新
本 内
文
が 鬼
載 怒
る 川
。 物
三
年
一
月
二
十
九
日
朝
刊
︵
注
7
︶
の
﹁
よ
み
う
り
東
京
ラ
ヂ
オ
版
﹂
に
は
の
筋
に
は
﹁
色
里
﹂
を
感
じ
さ
せ
る
要
素
は
な
い
。
ま
た
﹁
読
売
新
聞
﹂
昭
和
ン
ル
と
し
て
﹁
常
磐
津
﹂
で
あ
り
、
出
演
す
る
人
が
﹁
芸
妓
﹂
で
あ
る
が
、
こ
富
山
に
上
つ
て
鉄
砲
で
八
つ
房
を
殺
す
所
が
う
た
つ
て
あ
る
﹂
と
あ
る
。
ジ
ャ
恋
慕
ふ
八
つ
房
を
怪
し
か
ら
ぬ
畜
生
と
考
へ
て
ゐ
る
金
鞠
大
助
が
、
ひ
そ
か
に
名
な
﹃
八
犬
伝
﹄
を
浄
瑠
璃
に
脚
色
し
た
も
の
で
、
そ
の
下
の
巻
に
は
伏
姫
を
記
事
に
﹁
尚
こ
の
﹃
八
犬
士
誉
勇
猛
﹄
は
皆
さ
ん
も
御
承
知
の
曲
亭
馬
琴
の
有
ん
。
文
字
寿
美
と
は
菊
藤
家
小
ぎ
く
姐
さ
ん
の
こ
と
﹂
と
な
る
。
こ
の
筋
は
同
一
般
に
三
味
線
音
楽
を
愛
用
さ
れ
た
い
と
思
ひ
ま
す
。
で
は
種
類
も
五
六
種
を
越
え
て
ゐ
る
。
ど
う
ぞ
譜
本
に
よ
つ
て
研
究
の
上
ま
す
。
︵
中
略
︶
大
衆
娯
楽
と
し
て
誰
も
が
容
易
に
賞
玩
出
来
る
方
法
と
歌
曲
に
改
良
を
加
へ
た
な
ら
ば
、
我
が
国
の
立
派
な
音
楽
に
な
る
と
信
じ
三
味
線
の
音
其
物
が
遊
蕩
気
分
を
誘
惑
す
る
も
の
で
も
な
い
か
ら
、
一
朝
育
方
面
か
ら
自
然
に
遠
ざ
か
つ
た
歌
曲
の
み
が
多
か
つ
た
か
ら
で
あ
る
。
味
線
音
楽
そ
の
も
の
の
ゝ
罪
で
な
く
、
稽
古
が
困
難
な
の
と
、
家
庭
、
教
め
ら
れ
て
居
る
。
そ
れ
だ
の
に
三
味
線
が
一
般
に
卑
下
さ
れ
た
の
は
、
三
音
楽
は
三
味
線
音
楽
で
あ
る
﹂
と
発
表
せ
ら
れ
た
程
、
既
に
世
界
的
に
認
わ
が
国
の
三
味
線
は
ド
イ
ツ
の
ス
プ
ン
ツ
博
士
に
依
つ
て
﹁
世
界
最
高
の
し
て
譜
本
教
授
を
す
る
と
云
ふ
こ
と
を
私
は
深
く
考
へ
た
の
で
す
。
現
在
Journal of Sugiyama Human Research 2006
132
昭和初期の「伝統芸能」
−蓄音機レコードとラジオ放送を中心に−
れ
の
ジ
ャ
ン
ル
の
演
じ
ら
れ
る
﹁
場
所
﹂
・
﹁
入
場
料
金
﹂
と
愛
好
者
の
﹁
階
﹁
謡
曲
﹂
を
聴
く
こ
と
も
可
能
で
あ
る
。
レ
コ
ー
ド
の
普
及
以
前
、
そ
れ
ぞ
れ
る
﹁
階
級
﹂
の
高
い
人
が
﹁
浪
花
節
﹂
を
聴
い
て
も
、
あ
る
い
は
庶
民
が
﹁
新
内
﹂
で
も
﹁
同
一
﹂
で
あ
る
。
ま
た
、
寄
席
に
出
入
り
す
る
こ
と
が
憚
ら
関
係
し
な
い
。
入
場
料
金
の
高
い
﹁
能
楽
﹂
で
も
、
大
衆
的
な
﹁
浪
花
節
﹂
の
代
金
は
一
円
か
ら
二
円
で
、
も
と
も
と
の
﹁
舞
台
﹂
の
入
場
料
の
金
額
と
は
台
﹂
を
見
た
事
の
な
い
新
し
い
﹁
聴
衆
﹂
が
出
来
る
の
だ
が
、
国
産
レ
コ
ー
ド
と
こ
ろ
に
大
き
な
変
化
が
あ
っ
た
。
こ
の
蓄
音
機
レ
コ
ー
ド
に
よ
っ
て
、
﹁
舞
に
行
か
な
く
て
も
﹁
春
の
夜
の
室
内
﹂
で
そ
の
芸
を
鑑
賞
で
き
る
よ
う
に
し
た
若
手
の
今
売
出
し
の
綺
麗
ど
こ
ろ
。
三
味
線
の
文
字
梅
は
新
茶
村
の
梅
吉
姐
さ
さ る
ん 文
。 字
里 勢
見 と
実マ は
義マ 高
公 寿
を 々
や 家
る 福
文 八
字 さ
綱 ん
と 伏
は 姫
柳 を
家 や
照 る
吉 文
さ 字
ん 貞
の と
こ は
と 吉
で 田
、 家
み だ
ん ん
な 子
常
磐
津
﹃
八
犬
士
誉
の
勇
猛
﹄
の
下
の
巻
を
放
送
す
る
。
ま
づ
金
鞠
大
助
を
や
こ
れ
を
引
用
す
る
と
、
﹁
今
晩
は
文
字
太
夫
門
下
の
日
本
橋
美
妓
連
が
掛
合
で
売
れ
っ
妓
の
日
本
橋
芸
妓
連
橋
の
芸
妓
で
あ
る
。
こ
の
こ
と
は
、
同
記
事
に
、
﹁
今
ば
ん
の
常
磐
津
連
中
線
は
常
磐
津
文
字
梅
、
上
調
子
は
常
磐
津
文
字
寿
美
と
あ
る
が
、
全
員
日
本
文 ﹁
字 八
勢 犬
、 伝
里 富
見 山
伏 の
姫 段
が
常 下
磐 の
津 巻
文 ﹂
字 が
貞 語
、 ら
里 れ
見 る
実マ 。
義マ 配
が 役
常 は
磐 金
津 鞠
文 大
字 助
綱 が
、 常
三 磐
味 津
133
金
鞠
大
助
が
八
房
を
撃
つ
所
を
語
る
﹂
と
あ
る
。
蓄
音
機
レ
コ
ー
ド
は
﹁
劇
場
﹂
﹁
映
画
館
﹂
﹁
寄
席
﹂
な
ど
、
そ
の
場
所
の
変
化
に
与
え
た
影
響
を
考
え
る
上
で
重
要
だ
ろ
う
。
と
が
出
来
な
い
子
供
向
け
に
多
く
売
れ
た
と
す
る
こ
と
は
、
レ
コ
ー
ド
が
芸
能
っ
た
。
そ
し
て
こ
れ
ら
を
﹁
年
齢
制
限
﹂
に
よ
っ
て
﹁
活
動
写
真
﹂
に
行
く
こ
ャ
ッ
プ
リ
ン
の
喜
劇
吹
込
物
な
ど
、
映
画
の
解
説
レ
コ
ー
ド
な
ど
も
人
気
が
あ
の
人
々
の
恋
愛
を
扱
っ
て
い
る
が
、
歌
詞
に
卑
猥
な
言
葉
は
な
い
。
ま
た
、
チ
な
﹂
曲
が
選
ば
れ
る
。
新
内
の
﹁
蘭
蝶
﹂
﹁
明
烏
﹂
な
ど
も
題
材
と
し
て
色
里
で
は
な
い
。
レ
コ
ー
ド
は
数
が
出
な
け
れ
ば
採
算
が
取
れ
な
い
た
め
、
﹁
有
名
と
す
る
が
、
こ
の
﹁
レ
コ
ー
ド
﹂
の
歌
詞
は
明
治
の
最
初
の
﹁
俗
謡
﹂
と
同
じ
と
な
る
。
こ
の
時
期
の
東
京
で
は
、
昔
に
還
っ
て
﹁
俗
謡
﹂
が
流
行
し
て
い
る
ろ
﹂
は
常
磐
津
で
﹁
八
犬
士
誉
勇
猛
﹂
︵
は
つ
け
ん
し
ほ
ま
れ
の
い
さ
を
し
︶
最
も
適
し
て
る
も
の
で
あ
る
﹂
と
記
し
て
い
る
。
こ
の
後
の
﹁
午
後
八
時
半
ご
事
に
も
﹁
全
曲
を
通
し
て
章
句
が
優
艶
な
の
で
婦
女
子
の
習
ふ
謡
と
し
て
は
風
﹄
﹂
と
あ
っ
て
婦
人
の
視
聴
者
を
増
や
す
こ
と
を
意
識
し
て
お
り
、
ま
た
記
が
、
こ
こ
に
は
見
出
し
で
﹁
婦
女
子
の
習
ふ
謡
曲
し
て
観
世
銕
之
丞
︵
華
雪
︶
と
観
世
織
雄
︵
雅
雪
︶
の
﹁
松
風
﹂
を
紹
介
す
る
6
︶
の
﹁
よ
み
う
り
東
京
れ
て
放
送
さ
れ
た
。
﹁
読
売
新
聞
﹂
昭
和
二
年
十
一
月
二
十
八
日
夕
刊
︵
注
磐
津
の
番
組
が
続
い
て
い
る
な
ど
、
多
く
の
種
類
の
芸
が
、
﹁
同
列
﹂
に
扱
わ
全
曲
優
艶
な
文
句
の
﹃
松
ラ
ヂ
オ
版
﹂
に
は
、
﹁
午
後
八
時
ご
ろ
放
送
﹂
と
Journal of Sugiyama Human Research 2006
は
保
つ
さ
う
で
す
。
大
正
十
五
年
に
東
京
で
始
ま
っ
た
ラ
ジ
オ
放
送
で
は
、
例
え
ば
謡
曲
と
常
ち
も
二
百
回
は
大
丈
夫
だ
さ
う
で
、
大
切
に
扱
へ
ば
毎
日
使
つ
て
も
一
年
至
二
円
、
舶
来
品
は
六
七
円
。
和
製
で
も
今
日
は
舶
来
と
大
差
な
く
、
持
四
ラ
ジ
オ
放
送
と
芸
能
さ
う
で
す
。
レ
コ
ー
ド
の
値
段
は
肉
声
両
面
物
で
、
和
製
な
ら
ば
一
円
乃
別
で
、
帝
劇
で
﹁
戻
り
橋
﹂
を
出
し
て
か
ら
そ
れ
が
非
常
に
多
く
売
れ
た
論
チ
ヨ
ボ
か
ら
お
囃
子
ま
で
這
入
つ
て
ゐ
る
の
で
す
か
ら
、
面
白
さ
も
格
る
こ
と
は
非
常
で
す
何
し
ろ
俳
優
が
動
か
な
い
と
い
ふ
だ
け
で
科
白
は
勿
離
す
働
き
を
し
た
と
考
え
ら
れ
る
。
能
﹂
の
ジ
ャ
ン
ル
を
、
愛
好
者
の
﹁
階
級
﹂
﹁
年
齢
﹂
﹁
性
別
﹂
と
か
ら
切
り
級
﹂
は
必
然
的
に
結
び
つ
い
て
い
た
。
蓄
音
機
レ
コ
ー
ド
の
普
及
は
、
﹁
芸
昭和初期の「伝統芸能」
−蓄音機レコードとラジオ放送を中心に−
良
い
だ
ろ
う
。
ド
と
違
つ
て
限
り
な
く
種
類
が
あ
る
と
い
ふ
訳
で
は
あ
り
ま
せ
ん
が
、
出
れ
ま
す
。
演
劇
物
は
何
と
申
て
も
御
婦
人
向
き
で
、
こ
れ
は
外
の
レ
コ
ー
か
ら
目
先
を
更
へ
て
金
を
惜
し
ま
ず
吹
き
込
ん
だ
も
の
な
れ
ば
必
ず
悦
ば
チ
ャ
ッ
プ
リ
ン
物
の
次
に
出
る
の
は
、
お
伽
も
の
や
オ
ペ
ラ
も
の
、
そ
れ
な
ど
の
日
本
音
楽
そ
の
も
の
の
地
位
が
上
が
っ
て
き
た
こ
と
の
反
映
と
考
え
て
動
写
真
を
年
齢
に
よ
つ
て
制
限
す
る
様
に
な
つ
て
か
ら
の
新
傾
向
で
す
。
議
論
は
書
か
れ
て
い
な
い
。
こ
の
よ
う
な
議
論
が
新
聞
に
載
る
の
は
、
三
味
線
と
あ
る
。
こ
こ
で
は
﹁
日
本
音
楽
﹂
が
﹁
遊
蕩
﹂
の
雰
囲
気
を
持
つ
と
い
っ
た
を
学
校
に
入
れ
た
方
が
よ
い
と
思
ひ
ま
す
。
し
て
、
よ
く
調
和
の
取
れ
て
ゐ
る
も
の
で
す
か
ら
思
ひ
切
つ
て
日
本
楽
器
の
上
に
坐
つ
て
ゐ
る
の
で
あ
り
、
殊
に
琴
も
三
味
線
も
昔
か
ら
の
音
楽
と
靴
で
な
く
草
鞋
を
穿
い
て
戦
争
に
勝
つ
国
民
で
、
そ
し
て
一
般
家
庭
は
畳
私
一
個
の
考
へ
だ
と
日
本
人
は
洋
服
よ
り
も
和
服
が
似
合
ひ
、
兵
隊
は
三
味
線
な
り
を
入
れ
る
が
よ
ろ
し
い
。
に
努
め
る
と
か
、
ま
た
日
本
音
楽
が
よ
い
と
思
つ
た
ら
、
学
校
に
琴
な
り
ガ
ン
は
二
三
十
円
で
買
へ
る
や
う
に
し
て
、
一
般
の
家
庭
へ
入
れ
る
や
う
楽
が
適
当
と
思
つ
た
ら
、
ピ
ヤ
ノ
は
八
十
円
、
百
円
位
で
も
買
へ
、
オ
ル
経
つ
て
も
解
決
さ
れ
る
も
の
で
は
あ
り
ま
せ
ん
。
そ
こ
で
研
究
の
結
果
洋
論 そ
を こ
喚 で
起 、
し 是
、 は
何 国
れ 家
か が
に 国
か・ 民
た・ 音
を 楽
付 と
け い
な ふ
い も
と の
、 を
此 研
の 究
問 し
題 て
は 、
何 一
時 般
ま の
で 与
今
の
小
学
校
の
音
楽
は
国
民
性
と
調
和
が
取
れ
て
ゐ
な
い
も
の
で
す
。
特 ん そ 向 の で ば 方 く い 円 値 集 行 春
に 。 の の 地 は れ は 、 の か 段 会 、 の
お
地 レ 方 喜 る 流 三 は ら は ま 携 夜
子
方 コ 々 久 の 行 十 十 九 喇 た 帯 の
様
の ー 々 太 で が 円 円 十 叭 は に 室
に
人 ド に 夫 、 昔 位 や 円 無 遠 軽 内
喜
が と よ の そ に の 二 位 し 音 便 の
ば
吹 は つ 十 の 還 も 十 で の に の お
れ
込 区 て 六 内 つ の 円 す で 聴 た ま
る
ん 別 流 夜 で て が の が 三 く め ど
の
だ さ 行 な も 長 よ 安 、 十 に 喜 ゐ
は
特 れ が ど 新 唄 く 物 何 円 は ば に
チ
色 て 違 が 内 、 出 で 處 位 喇 れ 適
ャ
の 居 ふ 、 で 義 る は の か 叭 る 当
ッ
あ り の 東 は 太 さ な 蓄 ら が の な
プ
る ま で 京 加 夫 う く 音 六 な は の
リ
も す 、 で 賀 、 で 五 機 七 く 鞄 は
ン
の 、 東 は 太 清 す 十 店 十 て 形 喇
の
で ま 京 喜 夫 元 。 円 で 円 は の 叭
喜
な た 向 ば の 常 そ 八 も 、 音 小 な
劇
く 追 の れ 蘭 磐 れ 十 一 喇 が 形 し
吹
て 分 レ ま 蝶 津 か 円 般 叭 透 の の
込
は や コ す や 、 ら の に 付 り も 蓄
み
喜 磯 ー 。 明 新 レ も 売 の ま の 音
物
ば 節 ド 端 烏 内 コ の 行 方 せ 、 機
で
れ な と 唄 、 等 ー で き で ん 大 で
、
ま ど 西 は 清 が ド も の 四 。 勢 、
活
せ は 京 そ 元 喜 の な 多 十 お の 旅
、
Journal of Sugiyama Human Research 2006
具
な
も
の
で
せ
う
。
に
広
ま
っ
て
い
る
様
子
が
知
ら
れ
る
。
こ
の
記
事
を
引
用
す
る
と
、
の
は
声
楽
だ
け
で
、
器
楽
は
な
い
こ
と
に
な
り
ま
す
。
両
方
な
く
て
は
不
婦
人
向
き
に
は
演
劇
物
が
全
盛
﹂
か
ら
は
、
当
時
蓄
音
機
レ
コ
ー
ド
が
家
庭
ふ
楽
器
を
鳴
ら
す
こ
と
が
出
来
な
い
の
で
す
か
ら
、
つ
ま
り
生
徒
の
習
ふ
人
附
録
﹂
の
﹁
俗
謡
と
チ
ャ
プ
が
歓
ば
れ
る
蓄
音
機
長
唄
清
元
新
内
の
復
興
は
手
を
触
れ
る
こ
と
す
ら
許
さ
れ
ま
せ
ん
し
、
家
庭
に
帰
つ
て
も
さ
う
い
﹁
読
売
新
聞
﹂
大
正
七
年
四
月
二
十
三
日
朝
刊
︵
注
5
︶
の
﹁
よ
み
う
り
婦
実
際
学
校
で
は
歌
を
歌
ふ
だ
け
で
、
ピ
ヤ
ノ
と
か
オ
ル
ガ
ン
と
か
に
生
徒
を
取
つ
た
な
ら
ば
、
今
に
な
つ
て
こ
ん
な
問
題
も
起
ら
な
か
つ
た
で
せ
う
。
三
大
正
期
の
蓄
音
機
レ
コ
ー
ド
の
普
及
134
昭和初期の「伝統芸能」
−蓄音機レコードとラジオ放送を中心に−
人
の
頭
が
進
ん
で
来
ま
す
に
従
つ
て
鑑
賞
力
が
鋭
く
な
る
、
そ
の
音
律
の
た
の
で
す
が
、
追
ひ
用
す
西 こ る
洋 れ と
か が 、
ぶ も
れ し
を 維
し 新
な の
い 際
で 我
、 国
在 が
来 西
の 洋
文 文
明 明
を を
調 取
和 り
す 入
る れ
や る
う 時
な に
教 、
育 矢
方 鱈
針 に
135
美
に
酔
ふ
よ
り
も
そ
の
歌
詞
の
内
容
を
も
併
せ
て
味
は
ふ
や
う
に
な
り
ま
に
教
育
の
普
及
と
云
ひ
ま
せ
う
か
、
世
の
中
の
義
太
夫
だ
と
か
清
元
、
長
唄
と
か
さ
う
い
つ
た
俗
曲
の
弾
奏
を
楽
ん
で
ゐ
話
は
前
記
某
能
楽
通
の
家
庭
謡
曲
鼓
吹
に
続
く
。
﹁
昔
は
町
家
の
家
庭
も
に
は
日
本
音
楽
と
し
て
琴
や
三
味
線
が
良
い
と
す
る
意
見
で
あ
る
。
こ
れ
を
引
ら
れ
て
い
る
こ
と
を
問
題
と
し
、
音
楽
に
器
楽
を
い
れ
る
こ
と
、
そ
し
て
そ
れ
う
記
事
が
載
る
。
こ
れ
は
、
小
学
校
に
お
け
る
音
楽
教
育
が
洋
楽
の
声
楽
に
限
〳〵
し
た
。
で
す
か
ら
老
幼
一
堂
に
あ
つ
て
楽
む
家
庭
で
口
に
す
る
を
憚
る
文
二
日
︵
注
3
︶
を
引
用
す
る
と
、
勧
め
る
べ
き
だ
と
い
う
意
見
も
あ
っ
た
。
﹃
大
阪
時
事
新
報
﹄
大
正
四
年
五
月
章
に
よ
る
も
の
で
、
上
流
の
家
庭
婦
人
に
は
、
色
里
の
雰
囲
気
の
な
い
謡
曲
を
思
う
。
こ
の
よ
う
な
色
里
・
遊
蕩
の
雰
囲
気
は
、
歌
舞
伎
・
長
唄
の
台
本
の
文
強
く
、
子
供
に
教
え
る
こ
と
は
は
ば
か
ら
れ
た
と
い
う
理
由
も
あ
っ
た
よ
う
に
理
由
に
つ
い
て
、
琴
・
三
味
線
な
ど
の
日
本
音
楽
に
色
里
・
遊
蕩
の
雰
囲
気
が
と
い
う
反
対
意
見
を
述
べ
て
い
る
。
小
学
校
教
育
に
西
洋
音
楽
が
採
用
さ
れ
た
何
で
ご
ざ
り
ま
し
や
う
と
歌
舞
伎
の
お
方
に
伺
ひ
ま
す
深 も
川
の
ハ
伊
東
秀
快
事
を
し
な
け
れ
バ
な
り
ま
す
ま
い
か
ら
長
歌
の
踊
り
位
に
し
て
置
た
ら
如
の
教
導
に
な
り
ハ
せ
ま
い
か
と
思
は
れ
ま
す
然
し
切
幕
ハ
何
ぞ
賑
や
か
な
様
の
情
死
し
て
見
様
抔
と
真
似
で
も
さ
れ
る
と
無
学
の
教
導
も
却
て
色
事
子
供
が
見
て
是
ハ
面
白
そ
う
だ
か
ら
浄
瑠
璃
口
調
で
一
番
欠
落
を
し
て
見
食
に
な
る
と
か
巡
査
に
補
へ
ら
れ
で
も
す
れ
バ
ま
だ
し
も
︶
も
し
夫
を
娘
に
情
死
の
道
行
と
か
欠
落
と
か
を
し
て
見
せ
ま
す
が
︵
欠
落
の
仕
舞
が
乞
教 月 入 作
へ 二 す ら
よ
十 べ れ
三 き て
小 日 で き
学 朝 あ た
生 刊 る 。
に ︵ と こ
遊 注 い の
芸 4 う よ
を ︶ 議 う
教 に 論 に
へ 三 が な
る 輪 起 っ
こ 田 き て
と 元 て 、
の 道 く ﹁
是 氏 る 学
非
談 。 校
と ﹁ 教
教 し 読 育
育 て 売 ﹂
の ﹁ 新 に
根 三 聞 三
本 味 ﹂ 味
問 線 大 線
題 も 正 音
﹂ 学 七 楽
と 校 年 を
い で 四 導
も
﹁
家
庭
へ
の
普
及
﹂
﹁
教
育
へ
の
配
慮
﹂
か
ら
徐
々
に
﹁
高
尚
﹂
な
も
の
が
の
は
一
つ
の
方
法
で
あ
っ
た
が
、
﹁
浄
瑠
璃
﹂
な
ど
の
三
味
線
音
楽
の
文
章
に
す
。
﹂
と
述
べ
る
。
﹁
浄
瑠
璃
﹂
の
﹁
文
章
﹂
に
能
楽
を
取
り
入
れ
る
と
い
う
の
高
い
の
は
、
即
ち
能
楽
を
学
ん
だ
お
陰
で
す
。
京
都
の
井
上
流
も
又
さ
う
で
ち
能
楽
臭
い
と
か
能
楽
の
模
倣
と
い
ふ
意
味
で
す
。
能
楽
臭
く
又
夫
に
習
つ
て
婦
人
で
も
大
阪
の
舞
踊
の
誇
り
と
す
る
山
村
流
の
所
謂
本
行
な
る
も
の
は
、
即
持
っ
て
い
る
。
こ
の
こ
と
に
つ
い
て
、
同
記
事
で
は
﹁
男
は
勿
論
の
事
で
す
が
、
村
流
・
井
上
流
な
ど
は
、
と
も
に
﹁
本
行
物
﹂
と
し
て
能
を
受
容
し
た
作
品
を
ど
を
﹁
上
品
﹂
な
も
の
に
す
る
と
い
う
議
論
も
こ
こ
で
行
な
わ
れ
て
い
る
。
山
と
あ
る
。
ま
た
、
舞
踊
や
長
唄
に
﹁
謡
曲
﹂
を
取
り
入
れ
る
こ
と
が
、
舞
踊
な
ゐ
る
か
ら
山
村
舞
は
高
尚
な
の
で
す
。
東
京
や
名
古
屋
の
舞
踊
に
比
し
て
気
品
Journal of Sugiyama Human Research 2006
の
切
幕
に
ハ
多
く
清
元
や
常
磐
津
抔
で
裾
模
様
の
揃
ひ
を
着
て
面
白
そ
う
す
の
一
ツ
に
て
決
し
て
人
の
為
に
な
ら
ぬ
も
の
で
ハ
あ
り
ま
せ
ん
が
偖
彼
○
芝
居
ハ
無
学
の
教
導
と
か
申
て
女
子
供
に
善
い
事
を
勧
め
悪
い
事
を
懲
声
は
上
品
で
す
。
だ
と
何
だ
か
卑
し
い
感
じ
の
す
る
に
引
替
へ
て
、
鼓
や
笛
の
音
、
又
は
謡
さ
れ
る
如
き
こ
と
も
な
く
、
他
所
か
ら
洩
れ
聞
か
れ
て
も
、
三
味
線
な
ど
中
も
の
を
や
る
こ
と
に
つ
い
て
の
批
判
と
し
て
た
﹁
読
売
新
聞
﹂
明
治
九
年
二
月
十
四
日
朝
刊
︵
注
2
︶
に
は
、
歌
舞
伎
で
心
そ
こ
に
な
る
と
謡
曲
は
高
雅
で
年
若
き
婦
人
の
前
で
唄
つ
て
も
顔
を
赤
く
句
な
ど
の
多
い
俗
曲
は
、
自
然
と
忌
ま
れ
る
に
至
つ
た
は
尤
も
の
事
で
す
。
昭和初期の「伝統芸能」
−蓄音機レコードとラジオ放送を中心に−
の
徳
で
な
く
バ
い
け
ま
せ
ん
京
橋
以
東
の
左
官
鏝
俳 丸
に
耻
を
か
き
ま
す
か
ら
能
々
考
が
へ
て
御
覧
な
さ
い
ど
ふ
あ
ッ
て
も
学
問
り
演
劇
を
見
せ
て
浮
気
物
に
し
た
其
上
に
こ
ん
な
浮
名
を
立
ら
れ
て
世
間
泣
い
て
居
る
そ
う
だ
が
ナ
ン
ト
世
間
に
年
頃
の
娘
を
持
ッ
た
親
さ
ん
達
余
七
福
隊
の
一
主
た
る
大
黒
店
の
金
箱
を
盗
み
出
す
ハ
何
事
ぞ
と
オ
イ
つ
け
る
意
識
を
大
き
く
変
え
た
の
は
、
大
正
時
代
に
一
般
に
普
及
し
た
蓄
音
機
ら
れ
忠
兵
衛
泣
く
歎
て
い
ふ
︵
中
略
︶
ペ
イ
俳
優
の
身
を
以
て
無
く
な
っ
て
ゆ
く
。
こ
の
よ
う
な
ジ
ャ
ン
ル
と
愛
好
者
の
﹁
階
級
﹂
と
を
結
び
略
︶
田
舎
路
さ
し
て
落
人
と
出
掛
た
跡
ハ
大
黒
屋
夫
婦
ハ
宝
の
小
槌
を
取
が
あ
っ
た
。
そ
し
て
そ
の
区
別
は
大
正
時
代
か
ら
昭
和
戦
前
に
か
け
て
徐
々
に
大
黒
屋
忠
兵
衛
と
い
ふ
古
着
渡
世
の
者
の
娘
と
い
つ
し
か
心
藍
縞
や
︵
中
唄
・
清
元
・
新
内
・
浪
花
節
な
ど
は
下
層
階
級
の
も
の
と
い
う
よ
う
に
、
区
別
せ
ん
爰
に
新
富
座
へ
出
る
大
谷
門
三
と
い
ふ
ペ
イ
俳
優
ハ
常
盤
町
の
の
初
期
に
は
、
﹁
能
・
狂
言
﹂
﹁
筝
曲
﹂
は
上
流
階
級
の
趣
味
、
浄
瑠
璃
・
長
と
い
ふ
物
ハ
宜
い
者
の
や
う
に
思
ッ
て
見
ま
す
が
余
り
宜
い
者
で
ハ
有
ま
う
が
芸
術
的
価
値
が
低
い
と
い
う
人
は
い
な
い
。
し
か
し
な
が
ら
、
明
治
時
代
○
善
を
観
て
悪
を
懲
す
と
い
ふ
ハ
無
筆
の
眼
学
問
と
い
ふ
と
同
様
か
演
戯
現
在
、
﹁
能
・
狂
言
﹂
と
﹁
歌
舞
伎
﹂
を
比
較
し
て
、
﹁
歌
舞
伎
﹂
の
ほ
駆
け
落
ち
事
件
を
載
せ
る
。
こ
れ
を
引
用
す
る
と
、
一
は
じ
め
に
蓄
音
機
レ
コ
ー
ド
と
ラ
ジ
オ
放
送
を
中
心
に
昭
和
初
期
の
﹁
伝
統
芸
能
﹂
―
と
な
る
。
﹁
商
売
﹂
を
し
て
い
る
店
の
娘
の
親
に
と
っ
て
、
﹁
ペ
イ
レ
コ
ー
ド
と
大
正
末
年
か
ら
始
ま
っ
た
ラ
ジ
オ
の
全
国
放
送
の
働
き
が
大
き
い
。
〳〵
優
﹂
は
娘
の
嫁
ぎ
先
と
し
て
ふ
さ
わ
し
い
所
で
は
な
か
っ
た
。
﹁
身
分
﹂
制
度
本
稿
は
、
﹁
芸
能
﹂
と
﹁
階
級
﹂
と
の
結
び
つ
き
が
薄
れ
、
﹁
能
・
狂
言
﹂
―
﹁
日
本
音
楽
﹂
﹁
歌
舞
伎
﹂
に
対
す
る
世
間
の
評
価
﹁
歌
舞
伎
﹂
﹁
日
本
舞
踊
﹂
﹁
長
唄
﹂
な
ど
の
日
本
の
芸
能
・
音
楽
が
﹁
伝
統
〳〵
は
崩
壊
し
た
も
の
の
、
感
覚
は
残
っ
て
い
た
。
ま
た
﹁
俳
優
﹂
は
﹁
女
子
供
﹂
二
芸
能
﹂
と
し
て
纏
め
ら
れ
て
ゆ
く
過
程
と
、
そ
れ
に
果
た
し
た
新
聞
・
蓄
音
機
〳〵
を
﹁
誘
惑
﹂
し
﹁
堕
落
﹂
さ
せ
る
存
在
と
し
て
見
ら
れ
て
い
た
と
い
え
る
。
ま
レ
コ
ー
ド
・
ラ
ジ
オ
放
送
と
い
う
メ
デ
ィ
ア
の
働
き
に
つ
い
て
考
察
し
た
い
。
〳〵
明
治
初
年
か
ら
大
正
時
代
に
か
け
て
、
日
本
の
三
味
線
音
楽
や
浄
瑠
璃
音
楽
〳〵
の
評
価
は
大
変
低
か
っ
た
。
こ
れ
は
、
そ
れ
を
職
業
と
し
て
い
る
芸
人
の
風
紀
新
聞
﹂
明
治
八
年
五
月
二
十
八
日
朝
刊
︵
注
1
︶
に
は
、
役
者
と
商
家
の
娘
の
上
よ
く
な
い
と
い
う
面
の
両
面
が
あ
る
と
さ
れ
て
い
た
か
ら
で
あ
る
。
﹁
読
売
Journal of Sugiyama Human Research 2006
う
面
と
、
文
章
が
卑
猥
で
あ
っ
た
り
、
心
中
を
賛
美
し
て
誘
発
す
る
な
ど
教
育
が
悪
く
、
子
女
を
誘
惑
し
て
駆
け
落
ち
す
る
な
ど
の
事
件
を
起
し
や
す
い
と
い
椙
山
女
学
園
大
学
文
化
情
報
学
部
飯
塚
恵
理
人
136
虹と人間 −エロチシズムの問題にも触れて−
︵注2︶
﹃旧約聖書﹄第九章。前半︵
cf.
︶
137
Journal of Sugiyama Human Research 2006
̶
吉兆、吉祥、
人間の脳の奥には、古皮質部︵大脳辺緑系︶という所があって、
そこの発動により、心理の深層に眠る古代的民族意識
端祥のプラス意識、逆に凶兆、凶祥、兵祥、淫祥等マイナス認識
代的認識、稿者のいう一時的認識・二次的認識がその表現作品上に
の間歇的覚醒と発現があり、それは現代の人間といえどもこれら古
現れる場合もありますが、いずれにせよ、かくプラス、マイナスの
認識を止揚した所で、大空に顕つ大自然の︿虹﹀を仰ぎつつ眺め、
1
また芸術・宗教等、文化上の消えることのない︿虹﹀を幻視し、か
のワーズワースのように心を躍らせることは、地球が、太陽系唯一
の青い水惑星である という有難い天与の事象に思いを馳せること
であり、またそのことを感性的に深く再認識する一手段ともなりま
す。
その結果、自然の恵みへの感謝と、あまりにも神秘的な美しさゆ
えの畏怖感と同時に、わが未来の生へのローマン的希望を内蔵する
̶
̶
美な相関関係の中に、地球存亡の危機をもささやかれる今日、重大
︵注1︶
事に底通するものなのです。
これは、かの高名な﹃旧約聖書﹄の︿虹﹀観とも、はからずも見
ているように思われます。
̶
な環境問題 自然保護の大切さの覚醒と認識をベースとした運動
かく自然の︿虹﹀と、人間の心が感受した文化上の︿虹﹀との甘
陶酔的なまでの至福感を抱くに至るのです。
風景。里山 野 春田。日本人の心のふるさとのような懐かし
とも絡まりつつ、人間の運命をも左右する一つの金の鍵が秘められ
による。
̶
﹄
︹二︺
﹁春田﹂
︵春︶
︹三︺俳句︹四︺昭和時代︹五︺
野の と春田の と空に会ふ
︹一︺
﹃
1
︺ 千 葉 よ り 東 京 へ 向 か う 電 車 の車 窓 よ り の パ ノ ラ マ な す動
い原風景。二キロを隔てて大空の中天まで合体している壮麗な
43
に宿る古代的︿虹﹀感が、やや艶なエロチシズムを揺曵させつ
白鳳社︶中、P
59
2
︿虹﹀の景。座五の﹁空に合ふ﹂の中に、農耕民族の深層心理
く風景の瞩目詠である。雨上がりの明るい早春のゆたかな田園
︹
̶
情況下の比喩の中に︿虹﹀が登場している。
︹八︺Ⅵ・
﹁現代の歌﹂中。
﹄
︹二︺巻二十︹三︺短歌︹四︺昭和時
晴れやかな空の夢精を思ひけり谷のうへなるされざれの
︹一︺
﹃
虹
︹ ︺エロチシズムあるいは淫事に通ずる夢想がみられる。
代︹五︺
柏
木 昭
茂
和
萬
葉
集
虹
︵注1︶水原秋桜子著﹃自選自解水原秋桜子句集﹄︵昭 ・5、
結
章
138
Journal of Sugiyama Human Research 2006
私
註
考
虹
水 私
考 原 註
秋
桜
子
霜
林
つ見事表出されている。
Ⅳ
̶
虹と人間 −エロチシズムの問題にも触れて−
美しい色に染まって。﹁
̶
歌番号。
○にほひて
﹂は﹃みだれ髪﹄中の
154
︹ ︺︿虹﹀は恋の成就の予兆。この場合は、西欧的キリスト教
211
﹄︹二︺﹁はたち妻﹂
︹三︺短歌︹四︺明治
̶
̶
恋愛の象徴。参考 ﹁春の野に
︺恋人︵鉄幹︶との灼熱の恋愛が、︵夢︶↓︵現実・結実︶
考
︹
を溶くごとく油彩にあそべる夜を
﹄︹二︺巻十六︹三︺短歌︹四︺昭和時
虹
︹八︺Ⅳ・
﹁愛と死﹂・︿愛の歌﹀中。
︺次に展開するであろうエロチシズムの世界を想像させる
代︹五︺
︹一︺﹃
ベッドよりわれをよぶ君
の﹂の形容詞の中に伝統的エロチシズムの薫染がみられる。
を黙示。
﹁紫﹂は恋の色彩象徴語であり、強いて援用された﹁紫
︹
赤人︶﹁ ﹂は﹃みだれ髪﹄中の歌番号。
菫つみにと来し我ぞ野をなつかしみ一夜寝にける﹂
︵﹃萬葉集﹄
たのと全く同様の。○紫の虹
̶
︹六︺語釈
時代︹五︺
○露にさめて 野宿した朝、
露の冷やかさに目覚めて。○夢のただちの 今夢の中で見てい
︹一︺﹃
露にさめて朓もたぐる野の色よ夢のただちの
チシズムを秘めている。
的吉兆。美しく夢見る乙女の幻想の中に、淡ひ、ほのかなエロ
考
私
註
紫
の
虹
̶
虹
﹄
︹二︺﹁蓮の花船﹂
︹三︺短歌︹四︺明治
小百合さく小草がなかに君まてば野末にほひて あらはれぬ
︹一︺
﹃
み
だ
れ
髪
与
謝
野
晶
子
昭
和
萬
葉
集
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139
私
註
211
星
河
安
友
子
み
だ
れ
髪
与
謝
野
晶
子
私
註
考
154
時代︹五︺
は
︹八︺課釈
○早百合・小草の﹁小﹂
美 称 の 接 頭 語。﹁ 小 草 ﹂ は 草 稿。 ○ 野 末 遥 か 野 の は て の 方。
̶
虹と人間 −エロチシズムの問題にも触れて−
虹と人間 −エロチシズムの問題にも触れて−
3
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2
141
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2
1
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虹と人間 −エロチシズムの問題にも触れて−
能
安良波路万代母
伊香保呂能
夜左可能為提尓
多都
佐称乎佐称弖婆
三四三三
三四一四
﹄
︹二︺巻第十四・
﹁東歌﹂・
︿上野国相聞徃
の
あらはろまでも
いかほろの
やさかのいでに
たつ
さねをさねてば
努
自
︹一︺
﹃
の
じ
萬
葉
14 集
︹八︺民謡風短歌︹ ︺苛酷な気象
125
考
と労働を強いられている東北地方農村の若者の心が、いきいき
﹃新編国歌大観﹄
︹七︺P
来歌廿二首﹀中、 首目︹三︺和歌︹四︺奈良時代︹五︺不明︹六︺
私
註
とした民謡調のリズムに乗った歌の甘美な夢想の世界で、やや
序詞修辞法の中の︿努自=虹﹀が、みごとにその導入の効果を
哀 愁 を 帯 び つ つ エ ロ チ シ ズ ム の 陶 酔 に よ っ て 救 済 さ れ て い る。
﹃萬葉﹄四五四〇音中、唯一の︿虹﹀詠歌であり、その後の
あげている。
和歌史、
﹃ 古 今 ﹄ よ り﹃ 新 古 今 ﹄ ま で 勅 撰 八 代 集 上 か ら 姿 を 消
したものである。謎を秘めた﹁否定・不在の暗意﹂の難解さが
144
Journal of Sugiyama Human Research 2006
身に沁みる現象である。因みに、伊香保は︿虹﹀の名所、今で
泉界隈での︿虹﹀の写真の幾枚かを秘蔵している。
さえも︿虹﹀のたちやすい気象にあり、稿者も現に、伊香保温
1
虹と人間 −エロチシズムの問題にも触れて−
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虹と人間 −エロチシズムの問題にも触れて−
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虹と人間 −エロチシズムの問題にも触れて−
︹一︺﹃
﹄
︹二︺伊耶那岐命と伊耶那美命﹁淤能碁呂
事記
︵昭和 、小学館︶︹七︺P ∼ ︹八︺
﹃日
上代歌謡﹄
本書紀﹄は﹃古事記﹄とは世界観異なるが、天浮橋=︿虹﹀説
︹六︺荻原浅男・鴻巣隼雄校注・訳﹃古
礼
撰録=大安万侶︶
島の聖婚﹂
︹三︺神話︹四︺神代︹五︺不明︵※誦習=稗田阿
古
事
記
に関してはほぼ同じ。
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147
私
註
48
52
54
虹と人間 −エロチシズムの問題にも触れて−
考
載の論考﹁虹と日本文藝﹂に関する資料の通し番号である。
⋮⋮は﹃椙山女学園大学研究論集﹄連
P
︵参考︶
﹂は︿ニジ﹀のことであるが、﹁虹
︵初学記︶
︵太平御覧︶
︵霓︶﹂が中国
﹂
148
Journal of Sugiyama Human Research 2006
凡例
の、︹一︺=﹃
﹄等
﹂︹三︺=﹁ジ
一、
︹二︺=﹁摘出部分 ャンル ﹂︹四︺=﹁内容の時代 ﹂︹五︺=﹁作者・編者﹂等
︹六︺
﹁備
=﹁直接の典拠﹂︹七︺=﹁︹六︺の収録頁
︵ ︶﹂等
︹八︺=
考 ﹂︹ ︺=﹁小考
︵内容に関する場合もあるが、主に資料的意
義について︶
﹂である。
私
註
二、︹考︺中に用いた
︹ ︺﹁
展開されている。強烈なエロチシズム抑圧の思想詩である。
=︿ニジ﹀を媒体として、陰陽道をも採り入れた儒教の世界に
字義の示す﹁天の大蛇﹂
、雌雄淫着性の強い生態をもつ﹁
春 知 り 初 め た 女 性 の 裡 に 秘 め た 邪 婬 願 望 へ の 戒 め の 心 が、
の南方の文化を担っているのに対し北方の文化を担っている。
考
書
名
Ⅲ
︿
虹
﹀
と
エ
ロ
チ
シ
ズ
ム
虹と人間 −エロチシズムの問題にも触れて−
149
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虹と人間 −エロチシズムの問題にも触れて−
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150
虹と人間 −エロチシズムの問題にも触れて−
151
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虹と人間 −エロチシズムの問題にも触れて−
一、 次 文 中 に 用 い た
料の通し番号である。
⋮⋮ は、
﹃椙山女学園大学研究論集﹄連載の資
Journal of Sugiyama Human Research 2006
152
̶
という面に気づいたからです。
資料としては、次の一級資料
の立役者でもある
恭
茂
̶
̶
̶
̶
﹄︵昭和の感情史︶
現代短歌 ﹃昭和萬葉集 ︶
現代俳句 水原秋桜子
︵
を採りあげます。
その総称的表記。
︿ニジ﹀に同じ。
︵ 注 1︶
︿虹﹀の表記は対位散同を表わす。雌雄のある場合は、
̶
̶
̶
いは地域・歴史、すなわち時間軸・空間軸の交差する点に生まれた、
この︿虹﹀を仰ぎ、仰ぎ見つつ生き継いできました。そしてその想
人間の文化によって様々でした。かく︿虹﹀と共存してきた人間、
その精神活動の織りなす﹁︿虹﹀認識﹂について、まず総括的にお
そ の 後、 今 回 は、 あ る い は 意 外 と 思 わ れ る か も 知 れ な い﹁︿ 虹 ﹀
話したいと思います。
とエロチシズム︵官能的愛、係恋の情︶の問題にズームインし、資
料を提示しつつ少しくお話したいと思います。この問題を採りあげ
ようと思いつきましたのは、儒教的に見れば妖祥︵妖艶︶の部類に
入り、
﹃旧約聖書﹄的に見れば、いわば﹁原罪﹂問題に絡むもので
̶
﹁神﹂と﹁動物﹂との中間的存
どちらかと言えば、
︿虹﹀のマイナス認識のカテゴリーに入るもの
かも知れませんが、今、﹁人間﹂
在 をテーマに据えて考える場合、その生命の根源とも繋がり、ま
た人類の存続を、情緒的にかつパワフルに、確と支え続けてきた陰
4
S
地球上に棲息する人間は、遙か悠久の太古の昔から、大空に顕つ
﹄︵中国、儒教の聖典︶
﹃詩径 荻
野
︿ 虹 ﹀ と い う 気 象 現 象 は 、 現 代 で は 一 般 に、 オ ー ロ ラ と 並 ぶ 最 高
章
に美しいものの一つとされています。
序
﹄︵日本の神話、国宝︶
﹃古事記 ﹃萬葉集﹄東歌 ︵日本人の心のふるさと︶
近・現代小説 夏目漱石、川端康成 ︵文豪︶
近・現代詩 北原白秋、堀口大学、殿岡辰雄 ︵詩王たち︶
近代短歌 与謝野晶子
︵明星派の女王︶
1
椙
山
女
学
園
大
学
文
化
情
報
学
部
凡例
Ⅱ
︿
虹
﹀
認
識
の
変
遷
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153
エ
ロ
チ
シ
ズ
ム
の
問
題
に
も
触
れ
て
虹
と
人
間
Ⅰ
̶
虹と人間 −エロチシズムの問題にも触れて−
目 次 2
※これより講演会報告となりますが、縦書き表記とな
りますので、下記の目次をご参照下さい。
講演会報告
椙山女学園大学文化情報学部教授 橘堂 正弘 ………………………… (127)
熱風に吹かれて −三蔵法師インド求法の旅に学ぶ− ………… (127∼124)
甦る無畏山寺 Abhayagiri Viharaの大塔 ………………………… (120∼123)
−法顕の住した寺院を訪ねて−
資料編 ………………………………………………………………… (117∼119)
椙山女学園大学文化情報学部助教授 飯塚 恵理人 ……………… (136∼128)
昭和初期の「伝統芸能」
−蓄音機レコードとラジオ放送を中心に−
椙山女学園大学文化情報学部教授 荻野 恭茂 …………………… (153∼137)
虹と人間
−エロティシズムの問題にも触れて− 椙山人間学研究センター 活動概要
(平成18年4月から平成19年3月まで)
○椙山人間学研究センター構成員(敬称略)
研究員:音喜多信博(人間関係学部助教
センター長 椙山 孝金
授)、大野秀夫(生活科学部教
主任研究員 渡邉 毅(プロジェクト統括)
授)、小川由美子(現代マネジメ
客員研究員 杉浦 昌弘
ント学部助教授)
客員研究員 江原 昭善
事務局(センター事務室長)八木茂徳
○平成18年3月28日(火)
事務局(センター事務室職員)藤田修
・椙山人間学研究センター第二回運営委員会
事務局(センター事務室職員)出口麻実
(平成18年5月まで)大浦詔子(平成18年6
月から)
○平成18年5月13日(土)
・「椙山人間学研究センター第1回公開講座」開催
テーマ:西出弓枝先生『発達障害児の保
育・教育上のニーズについて』
○プロジェクト構成員
①『総合人間論』
時 間:10:30∼12:00
プロジェクトリーダー 渡邉 毅主任研究員
場 所:大学附属小学校
(人間関係学部教授)
参加者:24名
研究員:三井悦子(人間関係学部教授)、
山根一郎(人間関係学部助教授)、
佐藤至子(人間関係学部助教授)
②『女 性 論』
○平成18年7月3日(月)
「椙山人間学研究センター第1回人間講
座」開催
プロジェクトリーダー 森川 麗子
テーマ:橘堂正弘先生『熱風に吹かれて−
(現代マネジメント学部教授)
研究員:塚田文子(現代マネジメント助教授)、
三蔵法師インド求法の旅に学ぶ』
時 間: 16:40∼18:10
影山穂波(国際コミュニケーション学
場 所:生活科学部棟B206室
部助教授)藤原直子(人間関係学部助
参加者:105名
教授)、東珠実(現代マネジメント学
部教授)太田ふみ子(高等学校教頭)
③『人間発達論』
○平成18年9月5日(火)
・国連WFP(国連世界食糧計画)協会主催
プロジェクトリーダー 石橋 尚子
『第8回WFPセミナー』協力
(人間関係学部助教授)
研究員:椙山美恵子(大学附属幼稚園長)、
佐久間治子(高等学校)、中村太
貴生(大学附属小学校長)
④『ゲノム人間論』
○平成18年9月25日(月)
・「椙山人間学研究センター第2回人間講
座」開催
テーマ:飯塚恵理人先生『「芸どころ」
プロジェクトリーダー 杉浦 昌弘
を支える名古屋の人々−尺八い
(人間学研究センター客員研究員)
ま・むかし』
155
Journal of Sugiyama Human Research 2006
講 師:岩田律園先生・岩田恭彦先生
(告知・広報)
時 間: 16:50∼18:20
①中日新聞折込20万部(10・22) ②新聞
場 所:生活科学部棟B206室
「催事告知欄」(無料)への原稿送付(中、
参加者:32名
毎、読、朝) ③マスコミへの告知取材依
頼(名古屋教育記者会16社) ④教職員へ
○平成18年10月18日(月)
の告知(10・24) ⑤学園ホームページで
・「椙山人間学研究センター第3回人間講
の告知(10・20) ⑥朝日新聞「インフォ
座」開催
マーシャル」(11・1掲載) ⑦名古屋市
テーマ:荻野恭茂先生『虹と人間−エロチ
社教センターへのチラシ掲載依頼(郵送チ
シズムの問題にも触れて』
ラシ5枚) ⑧名古屋市立図書館(各5枚)
時 間: 16:50∼18:20
⑨日本福祉大学コミュニティーカレッ
場 所:椙山人間交流会館1階会議室
ジ事務局、中部大学(各5枚) ⑩その他、
参加者:43名
近隣他大学関連機関(各5枚)南山、淑徳、
愛知学院
○平成18年11月7日(火)
・椙山人間学研究センター第三回運営委員会
○平成19年3月16日(金)
メンバー:委員長(センター長) 椙山 孝金
・椙山女学園女性リーダー育成教育研究会
大学(主任研究員) 渡邉 毅
「地域女性懇談会」主催シンポジウム後援
大学(学長)
泉 有亮
高校・中学(高校・中学校長) 水谷 市
附属小学校(小学校長) 中村 太貴生
附属幼稚園(幼稚園長)椙山 美恵子
○平成19年3月
・『椙山人間学研究』(第2号)発行(3月31
日完成)
学園(学園事務局長) 高木 吉郎
事務局(センター事務室長) 八木 茂徳
○平成19年3月
事務局(センター事務室職員) 藤田 修
・椙山人間学研究センター第四回運営委員会
事務局(センター事務室職員) 大浦 詔子
○平成18年11月11日(土)
開催予定
■「椙山人間学研究センター打合せ会」
・「椙山人間学研究センター第2回シンポジ
開催日(毎回議事録作成)
ウム」開催
参 加:センター長、主任研究員、センター事務室職員
テーマ:竹田青嗣先生『哲学する感動−自
陪 席:江原客員研究員
分を知るための哲学入門』
時 間:13:30∼16:30
平成18年
4月19日、 5月10日、 5月24日
6月7日、 6月21日、
7月5日
場 所:文化情報学部メディア棟001室
7月19日、 9月6日、 9月20日
構 成:第一部基調講演、第二部全体討論
10月2日、10月17日、10月25日
導入、第三部全体討論
参加者:115名
11月28日、12月19日 平成19年 1 月10日、 2月22日、 3月22日
Journal of Sugiyama Human Research 2006
156
平成16年規程第13号
椙山人間学研究センター規程
平成16年7月30日制定
第3条 センターにセンター長を置き、セン
(趣旨)
第1条 この規程は、学校法人椙山女学園
ター長 は、理事長の命を受け、セン
(以下「学園」という。)が、建学の精神
ターの事業を統括し、 所属職員を統
に基づく伝統に立って、その教育理念「人
督する。
間になろう」そのものを、より広くより深
く研究し、新たな人間についての知の開発
2 センター長の任期は2年間とする。ただし、
再任を妨げない。
を通して、学園の教育研究、学術の振興
に寄与するとともに、研究の成果を広く学
(主任研究員)
界、一般社会及び地域に向けて発信する拠
第4条 センターに主任研究員を置く。
点として設置する、椙山人間学研究セン
2 主任研究員は、各調査研究領域を統括し、
ター(以下「センター」という。)について
研究ネットワークを主宰する。
必要な事項を定める。
(研究員)
第5条 センターの事業遂行に必要な研究調
(センターの事業)
第2条 センターは、次の各号に定める事業
を行う。
査を行うため、研究員を置くことが
できる。
(1)学園の教育理念「人間になろう」の調
査研究及びその教育実践の支援に関す
る事業
(客員研究員)
第6条 センターの研究調査に関して、学園
(2)新しい世紀に求められる「人間観」
外に 広く知識又は経験を求める必要
(人文科学、社会科学及び自然科学等
があるときは、客員研究員を置くこ
における人間観の研究並びに学際的領
とができる。
域の研究)についての調査研究事業
(3)学園の一貫教育及び連携教育について
2 客員研究員について必要な事項は、理事
長が 定める。
の調査研究事業
(4)「人間学
(観・論)
」
を主題としたフォー
ラム、公開講座及び自主講座等の事業
(5)大学等学校、研究機関及び企業等学園
外の機関との交流並びにネットワーク
に関する事業
(事務室)
第7条 センターに事務室を置く。
2 事務室に室長を置き、室長は、センター
長の命を受け、その室の事務を掌理する。
3 事務室に係員を置き、係員は、上司の命
(6)年報の刊行に関する事業
を受け、 その担当事務に従事する。
(7)人間論及び人間関係論等に関するコン
サルテーション、研修会並びに講演会
への講師の派遣等に関する事業
(8)その他センター長が必要と認める事業
(運営委員会)
第8条 センターの的確かつ円滑な運営を図
るため、
センターに運営委員会を置く。
2 運営委員会は、センターの事業に関する
(センター長)
157
次の事項を審議する。
Journal of Sugiyama Human Research 2006
(1)調査研究、委託研究、プロジェクト、
(2)大学長
研究会及び年報等の事業計画に関する
(3)高等学校長及び中学校長
こと。
(4)小学校長
(2)予算に関すること。
(5)幼稚園長
(3)前各号のほかセンター長が諮問するこ
(6)主任研究員
と。
(7)学園事務局長
3 運営委員会は、次の各号に掲げる委員で
構成する。
(1)センター長
(附 則)
この規程は、平成17年4月1日から施行する。
Journal of Sugiyama Human Research 2006
158
編集後記
学がこういう話題を議論しているということ、
『椙山人間学研究』第二号をお届けいたし
これは資本金の多い少ないに関係なく、その
ます。ご執筆いただきました先生方には、大
大学が将来生きのびていく最大の保証だと思
変にお忙しいところを何かとご協力下さり、
います。こういう議論を重ねている大学は強
本当に有難く心よりお礼申し上げます。
い。いまどんなに大きい大学であっても、こ
さて、シンポジウムや人間講座の開催をは
ういう教養論の哲学が議論できない大学は、
じめ、本センターで実施する年に数回の公開
つぶれていきます。教養とはなんだろう、大
講演会の事務局の一員として強く思ことがあ
学で学ぶとはどういうことだろうということ
ります。それは、私がその都度講師の先生方
をたえず議論し合える、そうしたコミュニテ
と出会う際に体感する「学び方を学ぶ」こと
ィをつくることこそが、私たちがいまやるべ
の重要性です。それが出会いという直接性ゆ
きことなのです。」(前掲書)
えに、より溢れんばかりの豊かさとしてもた
らされるということです。先生方の卓越した
本センターは学園の教育理念「人間になろ
知識や経験については当然ですが、とりわけ
う」や人間をめぐる様々な領域において「い
その知識の扱い方、その知識に対する感受性
かに生きるべきか」などといった非常に困難
のありかたに極めて個性的な魅力をお持ちに
な課題を真正面に据えて、自由で多様な視点
なっておられ、その身振りや話しかけの作法
から研究しています。まさしくわれわれ学園
の様なもののなかに、個性的な「学び方を学
のみならず近隣一般の方々にとっての「教
ぶ」ことの方法や秘密が、折り畳まれている
養」のあるべき姿を模索し提示する極めて本
のを実感できました。
質的、未来志向的なセンターだということが
言えると思います。そのなかには当然上記の
ところで、以前、東大教育学部教授の佐藤
佐藤氏が述べられた「教養論の哲学」論義も
学氏が神戸女学院大学でおこなった「新しい
含まれてくるはずです。つまり大学や学園が
教養教育をもとめて」と題する講演・シンポ
生き続けるうえで最も重要な人材とコミュニ
ジウム(神戸女学院大学総合文叢書2)で次
ティを本センターがすでに準備できていると
のような興味深い主張をおこなっていたこと
言える訳で、このことは誇るべき素晴らしい
を思い出します。佐藤氏は、現代は「ポスト
ことだと思います。
産業主義社会」であり、モノの生産と消費が
経済市場の中心をなしていたかつての「産業
したがってわれわれはこのセンターを拠点
主義社会」と異なり、その市場の中心は情報
として、少しずつ時間をかけながら、竹田青
や知識や対人サービスに移っているとし、そ
嗣先生のことばをお借りすれば「原理を探し
こでもとめられるのは、今日の教育改革で重
続け、一歩一歩前に進む」ことで、21世紀の
視される「基礎学力」といったものではなく
もっとも根幹となる課題に挑んでいくことに
「高度の知的関心」「創造的な能力」「多様
なるわけでしょう。事務局といえどもそのこ
な表現力とコミュニケーション能力」だと言
とにわくわくしないわけにはいきません。
います。そしてまた神戸女学院につぎのよ
うなエールを送っています。「神戸女学院大
159
Journal of Sugiyama Human Research 2006
センター事務室長 八木茂徳
執筆者紹介
椙山 正弘
(椙山女学園理事長)
椙山 孝金
(椙山人間学研究センター長 学園長)
橘堂 正弘
(椙山女学園大学文化情報学部教授)
飯塚 恵理人
(椙山女学園大学文化情報学部助教授)
荻野 恭茂
(椙山女学園大学文化情報部教授)
(総合人間論)
渡邊 毅
(椙山女学園大学人間関係学部教授)
三井 悦子
(椙山女学園大学人間関係学部教授)
佐藤 至子
(椙山女学園大学人間関係学部助教授)
山根 一郎
(椙山女学園大学人間関係学部助教授)
(女性論)
森川 麗子
(椙山女学園大学現代マネジメント学部教授)
東 珠実
(椙山女学園大学現代マネジメント学部教授)
塚田 文子
(椙山女学園大学現代マネジメント学部助教授)
(人間発達論)
石橋 尚子
(椙山女学園大学人間関学部助教授)
山口 雅史
(椙山女学園大学人間関係学部助教授)
椙山 美恵子
(椙山女学園附属幼稚園長)
中村 太貴生
(椙山女学園附属小学校長)
佐久間 治子
(椙山女学園高・中学校図書館長)
(ゲノム人間論)
杉浦 昌弘
(椙山人間学研究センター客員研究員)
中邨 真之
(椙山人間学研究センター杉浦研究室)
音喜多 信博
(椙山女学園大学人間関係学部助教授)
江原 昭善
(椙山人間学研究センター客員研究員)
國井 修一
(椙山女学園大学文化情報学部教授)
「椙山人間学研究」 第2号
Journal of Sugiyama Human Research Vol.2
八木 茂徳
(椙山人間学研究センター事務室長)
大浦 詔子
(椙山人間学研究センター事務職員)
発 行:平成19年3月31日
発行者:椙山人間学研究センター
〒464-8662 名古屋市千種区星が丘元町17番3号
電 話
052-781-1186(代)052-781-7146(直)
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印 刷:長屋印刷株式会社