水戸さん

第3回「ハンガリー旅の思い出」2006年コンテスト作品
水戸さんの作品
ハンガリー追想曲‥・
エステルハージ宮殿へのはるかな道
(ツアーだけでは物足りない、と、私たちは、ショプロン・エステルハージ宮殿への一泊旅行を組み入れ
ました。ところが、長距離列車に乗っている間に車掌と話が弾み、計画外の行動を始めてしまったので
す。)
2006年4月、プラハ・ウイ一ンを巡り、ツアーバスはブダペスト市内に入って行った。「ねえ、思っていた
より、ずっと素敵なところよ。」と、ドナウ川が流れる街並みを眺めながら声を上げる。学生時代からの友
人二人との中欧旅行も終わりに差し掛かっていた。
その夜はフォークロア・ショーとゲッレールトの丘からの幻想的な夜景を楽しみ、翌朝から、半日の市
内ツアーが始まった。ブダの王宮、マーチャーシュ教会、聖イシュトヴァン大聖堂などの観光のあと、お
いしい豚肉ソテー・フォアグラ添えの昼食を取り、レストランの前で、他のツアー仲間と別れた。
さあ、これからは自由行動である。今日の午後は郊外のゲデレー宮殿に、そして明日からは中世の古
都・ショプロンへの一泊旅行に、三人だけで列車で出かける予定なのだ。列車の時刻や切符の買い方
をハンガリー政府観光局に問い合わせて準備した、言葉の分からない国での小さな冒険の始まりだっ
た。
まずは、東駅に行こうと、人通りでタクシーを拾う。「ヨーナ・ポット 〈こんにちは)、ケレテイ・ピュ 〈東
駅〉 プリーズ」と言いながら、メモ帳のケレテイ・ピュの文字を運転手に見せて車に乗り込む。駅に着く
と、メモした「切符売り場」というハンガリー語を頼りに、窓口を探して列についた。順番がきたので、「ゲ
デレー」の文字をガラス越しに見せると、「ノー。インターナショナル。ダウン・ステアーズ。」の声。振り
返って入ロを見れば、確かに、ここは国際線窓口の表示である。14時25分の列車に乗りたい私たちは、
急いで地下への階段を探し国内線の切符売り場に並ぶ。ようやく、今日のゲデレー往復切符と明日の
ショプロンまでの一等車片道切符を購入すると、再び階段を登って出発列車の掲示板の前に立った。大
勢の旅行客が、ぎりぎりまで決まらないプラットホームを探して集まっていた。私たちが乗り込んだ列車
は古い車両だったが、40分後、時間通りにゲデレー駅に到着した。
ゲデレー宮殿はシシーという愛称で親しまれた、エリザベート妃が愛した宮殿であり、ハンガリー人に
は人気の観光地だという。
駅で一緒に降りた数人の乗客はあっという間にど
こかに行ってしまい、私たち三人だけが駅前広場に
残った。有名な宮殿だからすぐにわかるだろうという
予想は外れ、目の前には緑豊かな公園が広がるだ
けなのだ。乳母車を押して歩いてきた女性に尋ねる
と、「その道をまっすぐよ。」と、公園の-本道を指差
した。地面には黄色の小花が咲き、ヤドリギが群れ
る木々の下の小道を15分ほど歩くと、ゲデレー宮殿
が見えてきた。今日はイースターで、汗ばむほど暖
かな太陽の下、宮殿は観光客で一杯である。瀟洒
な、かわいらしい宮殿内を楽しみ、カフェでシシーが
好んだというコーヒーをゆっくり飲み、夕方再び列車
ゲデレー駅でブダペストに戻る列車を待つ
でブダペストに戻った。自分たちで何とかやり遂げ
た見知らぬ国での小旅行に満足の一日だった。
翌日からは、日本に帰るツアーと別れ、いよいよ個人旅行が始まった。今日の目的地はショプロンと言
う中世の姿をとどめる小都市である。
オーストリア国境に近く、ブダペストからはジョー
ルという駅で乗り換え、列車で約3時間の行程であ
る。ハイドンが仕えたという、ショプロン近くのエス
テルハージ家の宮殿も見に行く予定なのだ。お昼
ごはんにしようと駅構内でパンと飲み物を買い、10
時25分発の列車に来り込んだ。最新式の美しい車
両で、幸いテーブルつきの向かい合った席が用意
されていた。車内は満員である。郊外の景色を眺
めながら早めの昼食を取る。パンもおいしく、「ハン
ガリーつて、食事が口に合うわね。」と話すうちに、
もうジヨールに到着。
ブダペストからジョールに到着ショプロン行き列車を待つ
少し遅れてきたショプロン行きの列車の一等車はコンパートメントだった。向かい合う六人席に三人で
座り、これからの計画を話し合う。「ショプロンに着いたら、まずホテルにチェックインし、身軽になって街
を見よう。それからエステルハージ宮殿行きのバスの時刻を調べること。そして、明日はバスで1時間の
ところにある宮殿を見物し、宮殿近くの駅からまっすぐブダペストに戻ろう。」これは、観光局にも問い合
わせて作り上げた、間違いのない予定のはずだった。このあと、コンパートメントで出会う若い車掌との
会話が始まるまでは。
ガラスドアが開き、若い男性車掌が入ってきた。空いていたドア側の席に腰を下ろすと制帽を脱ぎ、前
の座席に置く。ヨーロッパでは、検札の後、車掌が乗客と同じ座席で休息することは知っていたので、英
語で話しかけてみた。「私たち、日本人なのよ、これからショプロンに行くの」。そして一緒に写真を撮り、
話し始めた。車掌は、列車が駅に着くと切符を調べに出て行くが、その後は再びコンパートメントに戻っ
てくる。そして、エステルハージ宮殿付近の地図を一緒に見ながら、話が弾んでいった。地図にある宮
殿近くの駅を指差すと、「確かに、その駅をこの路線は通りますよ。」という車掌。素晴らしい青空の下
で、私たちはなんと、これから通るその駅で降りて、今から直接エステルハージ宮殿に行ってしまえば時
間的に楽であろう、という考えになっていった。「この駅には、あとどのくらいで着くの?」というと、「次の
駅ですよ。」と言う。「タクシーはあるかしら。」というと、彼は「たぶんね。」と答えたのだった。そして、私た
ちは降りてしまったのである、野原の中の駅に。
駅の周囲には、タクシー乗り場どころか家も見えない。駅舎に行き、事務室にいた二人の駅員に尋ね
た。「タクシーはありますか。」「ノー。」「電話で呼べますか?」すると、奥から駅長を呼んできた。そして、
駅長は言った。「タクンーはありませんよ。でも宮殿までは歩いていけます。」と、駅の向こうの道路を指
差し、「あちらの方向ですよ。」と教えた。しかし、この時はまだのんびりと考えていた。走っている車も見
えるから、タクシーだって一台くらいは来るだろう。それに、駅から1.8キロくらいだったと記憶しているか
ら、30分、いや速足なら20分ちょっとで行けるだろう。そして、私たちは荷物を持って歩き出したのだ、宮
殿に続くはずの一本道を。
歩きながらも時々後ろを振り返り、タクシーは来ないかしら、と願った。30分歩いても宮殿が見えない。
一時間近く歩いて、もう、ヒッチハイクしようかと思った頃、ようやく道路の右側に石造りの塀に囲まれた
森が見えてきた。「きっとエステルハージ宮殿の敷地の塀だわ。もうすぐよ。」しかし、塀はどこまでも続
く。ようやく、「この先を曲がれば宮殿」という小さな標識が出てきた頃、私たちはただ黙って歩いていた。
1.8キロとは、恐らく、直線距離だったのだろう。
歩いた道路沿いには、可愛い庭を持つ一軒家が
立ち並んでいた。庭の木に吊り下げられたイース
ターエッグを写真に撮ったり、花壇に植えられてい
る花々を見たり、畑を耕している老夫婦が手を振っ
てくれたり、今思い出してみれば、懐かしさを覚え
る、のどかな風景である。ようやく数軒の建物があ
る広場に着いた.。右に曲がっていけば宮殿のは
ずだが、まずはショプロン行きのバス停を探そう。
もう3時を過ぎようとしているし、ガイドブックには、
「1時間に1本のバス」と書いてあったのだ。バス停
を見つけて、そこにいた若者たちに尋ねたバスの
時刻をメモ帳に写し、若緑の木々の下を宮殿の正
門に向かった。
ずっと続くエステルハージ宮殿への道
エステルハージ宮殿は修復された、美しく、可愛
らしいお城だった。しかし、見学の前に疲れた足を
休めようと、正面にあるカフェでコーヒーを飲み、お
いしいパンケーキを食べて一息つく。そして宮殿の
オフィスに入っていくと、数人の観光客がガイドツ
アーを待っていた。ところが、ガイドツアーを待って
いては4時45分のバスに間に合わないとわかり、
あきらめる。外観の写真を撮っただけで、またバス
停まで戻り、ベンチに座ってバスを待った。けれど
も、5時になってもバスは来ない。隣の売店で尋ね
れば、今日は5時20分までバスはない、とわかり、
それならガイドツアーができたのに、とがっかりす
る。
手をふってくれた農家の人たち
道路脇の美しい家々、お花が素敵でした
ようやく到着したエステルハージ宮殿
バスを待ちながら広場を歩いていると、「あ、あそ
こ見て!コウノトリの巣よ。」と言う友人の声。見上
げると、煙突の上の巣の中でコウノトリが雛にえさ
をやっている。珍しい光景に、三人で大喜びした。
ようやくやってきたバスは混雑していたが、約1時
間後ショプロンに近づくと、大勢の乗客が、「次が
ショプロンだよ。」と口々に教えてくれた。 屋根の上にみつけたコウノトリの巣
ショプロンは、中世の姿をとどめる城壁を持つ街であり、また、かつてオーストリア併合が決められた
際、ハンガリーに残る事を住民が選んだことから、「忠誠の街」とも言われる。
城壁をくりぬいた通路を抜けて街に入ると、時が
止まったような静かなたたずまいの通りが現れた。
中心の美しい広場は、ヤギ教会・火の見の塔に囲
まれている。静かな街に、子供の声が聞こえる。通
り過ぎようとした建物を見ると窓に中学生らしい姿
がみえ、学校だとわかる。中世の街も現実の活動を
しているのであった。静かに夜を迎えると、時折教
会の鐘の音が響き渡り、異国にいる思いがこみ上
げた。翌日は、ショプロン11時40分発・ジヨール乗り
換えのブダペスト行き列車の切符を無事に購入し、
午後には懐かしのケレテイ・ピュ(東駅)に戻ってき
静かなショプロンの広場
たのだ。
トラブルのない旅は、楽しい思い出ばかりが残るかもしれない。けれどもそれ以上の感動をもたらすだ
ろうか。ブダペストの夜景、美しいゲデレー宮殿や静かなショプロンの街はもちろん素晴らしい思い出で
ある。ハンガリーの食事が日本人の口に合う事も大きな発見だった。しかし、今、心に深く刻み込まれて
いることは、思いがけない体験であり、いろいろな場所で出会った人々の姿や言葉であり、そして、残念
な事に、これらの多くは写真に残すことができないのだ。ケレテイ・ピュ(東駅)でタクシーを呼んであげま
しょうと申し出てくれた若い女性がいた。ゲデレーの駅員は、ハンガリー語放送が分からない私たちのた
めに、遅れてくる列車の時刻を紙切れに書いて持って来てくれた。
間違った下車駅を教えたあの若い車掌だって、会話の中で日本からの旅行費用を尋ね、「自分には無
理だ。」と言って苦笑いした表情を、私はしっかりと覚えている。息子のような年齢の車掌に言ってあげ
たかった。「頑張って働いてね。あなたの国はこれから、どんどん大きく伸びていくのよ。」と。
2006年8月