フルブライト語学アシスタントプログラム (FLTA)

フルブライト語学アシスタントプログラム (FLTA)
2008 年度 参加者レポート
浅野 浩代 ---Lincoln University
中間レポート
私は 2008 年 8 月から、Fulbright の FLTA プログラムに参
加し、Pennsylvania 州 Lincoln University というところで
日本語教師として働き、同時に、他の学生と同様、いくつか
の授業を受講しています。
プログラム名は
「Assistantship Program」ということになっ
てはいますが、派遣される大学によっては、私のように、そ
の大学で日本語の全授業を任されることもあるようです。
今回渡米するのは、私にとって初めてのことであり、ましてや、
日本語教師として働くというのも、初めてのことです。
がられます。私はこれまでに日本以外の国々で留学した経験
するというよりかは今まで積んできた経験と知識を『実践す
で、実に「異文化」を肌身で感じている毎日です。
んでした。
Experience」という授業を他の学生と共に受講し、その授
とはいうものの、異国の地に行くということについては、緊張
はありますが、今回のような状況下に置かれたことは初めて
る』絶好の機会!!と考え、あまり不安に思うことはありませ
で す が、 秋 セ メ ス タ ー で は、
「African American
業を通して、黒人文化・歴史について深く学ぶことができ、徐々
にこの大学内での様々な状況も理解できるようになりました。
「教える」ということと、
「学ぶ」ということを同時にするのは、
決して容易なことではありませんが、他の学生と同じように授
業を受けることにより、
「学生からの視点」も理解できるよう
になり、自分自身が「学生に授業をする」際に、大変役に立
ちます。
また、日本語の授業以外に、日本語サークルの顧問もしてい
ます。そこでの活動はとても意義のあるもので、日本に興味
ここ Lincoln 大学へ来る前に、RI 州 Brown 大学へ行き、そ
のある協力的な学生たちと本当に楽しく濃い時間を過ごして
を教えていただき、実に密度の濃い研修に参加しました。そ
これから今年の五月までこの大学で学び、働き続けますが、
かなりリラックスすることができました。
して決して忘れることのできないものとなると、今、胸を張っ
の大学の教授陣の下で「米国の大学で言語を教える、いろは」
います。
のおかげもあり、ここ Lincoln 大学へ来る頃には、心身共に
ここでの FLTA としての経験全てが、一生私を勇気付け、そ
しかし、実際に大学の授業が始まるやいなや、状況は一転。
て言えます。
実にめまぐるしい日々の毎日でした。まず、日本人の教授が一
人もいないということで、私が計3クラス(初級・中級・上級)
の授業のコースデザインから成績管理まで、全責任を負って
いかねばならず、これら全てが初めての経験であった私にとっ
て、ほとんどの時間を、これらの仕事に費やしました。
また、ここ Lincoln 大学というところは、Historically Black
University とカテゴライズされる大学で、基本的に黒人の学
生しかいません。加えて、日本人はおろか、
「アジア人」自体
もほとんどおらず、私が大学構内を歩いていると本当に珍し
2008 年度 参加者レポート
浅野 浩代 ---Lincoln University
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フルブライト語学アシスタントプログラム (FLTA)
2008 年度 参加者レポート
藤田 恵里子 ---U. of Scranton
「シラバスは生徒との契約だ」という言葉でした。シラバスと
中間レポート
授業を異なる授業を行うことは生徒との契約に違反すること
ペンシルベニアの北東部に位置するスクラントン大学に派
で、場合によっては訴えられることもあるということでした。
遣されてから早くも 5 カ月弱が経ちました。同州はもともと白
この言葉で、アメリカがいかに訴訟社会であるかを痛感しま
人約 85%、
アジア人約2%と、
アジア人の少ない地域のようで、
した。
実際スクラントンのアジア人率もかなり低く、特に日本人も日
また、日本語を教えるほかに、大学院のコースを2つ受講
本のものを見かけることもほとんどありません。
しました。大学を卒業してからだいぶ経っているため、久し振
生徒数は初級8名、中級3名と少なかったのですが、日本
りの大学生活はとても新鮮で、学ぶことの喜びを再認識して
語教育の経験が全くない私が唯一の日本語担当教師というこ
います。特に前学期受講したコースはいずれもESLのクラス
とで、シラバス、授業案及び教材、テストの作成、成績づけ
だったのですが、以前英会話スクールで教えていた経験のお
などを一人でこなしました。秋学期は、日本語教授に関して
かげで、授業をよりよく理解することができ、仕事をしてから
相談できる人もいない状態で常に一人で暗中模索し続けてい
学校に通うことの利点を感じています。
た気がします。それでも、積極的に授業に参加してくれる生
学生と教員という二足のわらじを、ましてや言葉も文化も
徒がかわいく、授業作成のモチベーションになっていました。
違う異国の地で体験したことは、苦労だらけではありますが、
また、日本語を教えるという経験ができたこと、またそれを
この経験が今後の人生の糧になるだろうことは間違いありま
まったく一人で、しかも大学レベルでできたことは自分にとっ
せん。そして、アメリカでの生活を通し、客観的に日本と日
て大変良い経験と自信になったと思います。
本人の良さを感じることができたことは大きな収穫だったと
スクラントン大学は、文化理解等のイベントがないため、生徒
思っています。このような機会を与えていただけたこと、また
にも日本の文化を体験させる機会がなかなかありませんでし
日米教育委員会の皆様のサポートに本当に感謝しています。
た。しかし、学期末に「ぜひ生徒にアニメ以外の日本も知って
ほしい」思い、
「お茶会」を開催しました。テストで急がしい
時期で、参加できた生徒は少なかったのですが、みんなとて
も楽しんでくれました。このような機会を一から自分で企画し、
実行に移すこともまた、とてもよい経験になったと思います。
このプログラムのもう一つの目的は、アメリカの文化を自国
に持ち帰るということですが、スクラントン大学の担当者に言
われて、アメリカをものすごく感じた言葉があります。それは、
2008 年度 参加者レポート
藤田 恵里子 ---U. of Scranton
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フルブライト語学アシスタントプログラム (FLTA)
2008 年度 参加者レポート
福西 啓子 ---Colorado College
中間レポート
日本語の授業があるブロックには、大抵毎日授業に顔を出し、
初めまして。私は、フルブライト FLTA としてコロラドカレッ
ついていけていない生徒さんに、さりげなく放課後ミーティ
会話の練習をお手伝いしたり、宿題の採点をしたり、授業に
ングの機会を与えてあげたりもしなければいけません。大変
ジに派遣されています、福西恵子といいます。コロラドカレッ
なように聞こえるかもしれませんが、ひとつひとつの授業の
ジは、アメリカ合衆国西部のコロラド州、コロラドスプリング
生徒数がとても少なく(10-20 人 )、ブロックシステムのおか
というパイクスピーク地域に属しています。パイクスピークや
げで毎日生徒と教室で顔を合わせるので、一人一人の生徒さ
ロッキー山脈付近にあるので、高度が高く冬にはスキー愛好
んのこと(学習レベルなども含めて)を把握しやすく、慣れる
者にはたまらない、良い雪が積もります。
と生徒一人一人の可愛い所もたくさん発見できて、楽しめるよ
コロラドの人口には訳 460 万人の人が住んでいますが、内
うになってくると思います。生徒さんは、皆凄く可愛いです。
訳は 82% が白人、黒人が 3.8%, アジア人が 2.2% 程だとい
ただ、私のように自分の勉強にも打ち込みたい人は、time
われています。また、コロラド州の人口の半分がデンバーに
management の側面で苦労するかもしれません。全ての授
住んでいるため、ここコロラドスプリングのアジア人比率はと
業 ( 一部の上級者用言語のクラスを除いて ) がブロックシス
ても低いと言えます。
テム内で行なわれるため、授業を履修したブロックには、与
コロラドカレッジは、全生徒数 2000 人ほどの小規模な私
えられた仕事の上に、自分の授業の課題を毎日、次の日の
立のカレッジで、言語学習に力を入れている学校です。半年
授業に備えてこなさなければなりません。これは本当に大変
かけて、4−5クラスを受講し続けるセメスター制と違い、3
で、慣れて来た今でも、私は課題がぎりぎりまで仕上がらな
週間半をひとつの区切り目、1 ブロックとして、その間集中し
いこともあります。アシスタントの仕事がたくさんあると、授
て(だいたい)ひとつの授業を受けるというブロックシステム
業をとることが物理的に不可能なので(出席などの面で)
、前
を使用しています。
もってスーパーバイザーの先生と話し合って、計画的に授業を
私 は、 こ の コ ロ ラド カレッ ジ で、Cultural Program
履修する事が必要でしょう。やはり、仕事と勉強とを両立す
Coordinator(CPC) として働きながら、一年間に4科目の
ることはとても大変ですが、私はその難しさも含めてコロラド
授業を聴講しています。CPC という仕事は、日本の文化を紹
での生活を楽しんでいます。このような素晴しい機会を与え
介するプログラムを催したり、お手伝いする仕事です。日本
て下さった、フルブライトの皆様に、感謝したいと思います。
の文化に関係のある催し物がある場合は、お手伝いしなけれ
ばいけません。また、最低でも月に一回は Cultural Dinner
Night というような、イベントを開催するようにいわれていま
す。この Cultural Dinner Night では、おもに日本語学習者
最終レポート
語学習者間の親交を深めたり、日本語を練習したりするよう
私は、2008 年 8 月後半より、FLTA としてアメリカのコ
などを食べながら、カルタをしたり、自己紹介をしあったりし
き、主に日本語教師のアシスタントをさせて頂きました。前
を対象に、簡単な日本料理を準備し、それを食べながら日本
ロラド州にあるコロラドカレッジと言う私立大学に派遣して頂
なイベントです。これまでには、お好み焼きやお寿司、カレー
期は、周囲の環境に慣れるのに精一杯でしたが、後期には
ました。前段落でも紹介しましたが、
コロラドカレッジはブロッ
余裕を持って生活できている自分がいました。アメリカの大
クシステムを採用しているため、9,10 月のにブロック間は日本
学で、日本語教師のアシスタントとして仕事をさせて頂きなが
語を学習していても、その後の 2 ヶ月間はメジャーの必須科目
ら、同時に学生としても時間を過ごさせて頂けると言う貴重
(科学など)を履修している生徒さんもいるため、このイベン
な経験を通して、精神的に大きく成長させて頂いたと思って
トを通じて久しぶりに日本語学習者全員の顔を見ることがで
います。
き、とても盛り上がります。その他にも、language table と
以下に、私の具体的経験を述べていきたいと思います。
いう週に二回の会話練習に参加したり、上級者向けの言語の
クラスのひとつを教えたりもしています。また、初級者向けの
2008 年度 参加者レポート
福西 啓子 ---Colorado College
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コロラドカレッジでの後期
コロラドカレッジでの一年を振り返って得たもの
● 学校 仕事 学業
の責任感や、同僚や上司との関係の大切さ、またそれに打ち
私は、コロラドカレッジでの一年を通して、仕事をする上で
私のコロラドカレッジでの前期、9 月から冬休みまでは、
込むことで得る達成感、自分の専門分野に対する知識など、
学校生活、仕事、そして学業の三つに慣れることに終始した
ここには書ききれない様々なことを全身で吸収させて頂いた
と言っても過言ではないと思います。自分の仕事にしても、学
と思っています。これらの経験を通じて私が学んだことで、こ
業にしても、質の高いものを仕上げるということに自分の時間
こで是非最後に書いておきたいことは、
「異文化」間の人間関
をかけるということは、全くできませんでした。とにかく周囲
係についてです。私たちは、それぞれの属する社会や、その
の環境に慣れることに非常に苦労し、とにかく最低限のもの
社会の歩んだ歴史、経済、政治状況によって固有の「文化」
を仕上げることでも精一杯でした。これには、コロラドカレッ
を持っていると言われています。アメリカ人ならアメリカ人の、
ジがブロックシステムと言う、日本人が英語圏の大学で勉強
日本人なら日本人の「文化」があるとされ、社会全体の政治、
するには非常に厳しいシステムを採用しており、そのシステム
経済などの状況によってそれぞれの「文化」に対して新しい意
下で自分の専門分野に対する理解を深めながらも、慣れない
味付けが常に繰り返されます。確かに、我々にはそれぞれの
仕事をしなければならなかった、という事があったと思います。
「文化」によって肯定される相違が、ある程度は認められます。
私は日本で大学院 1 年生だったので、学習意欲が旺盛で、授
ただ、その相違以上に重要なのは個人レベルの付き合いによ
業を履修した時は仕事と両立するのがとても大変でした。
る相互理解です。なぜなら、その「文化」とは全く異なってと
ただ、その多忙な前期の中でやっていて良かった、と思っ
も言えるほどの個性が、それぞれの人間には育まれているか
たことは日本語教師の先生方と、とにかく良い関係を築いた
らです。様々な学生と付き合っていく中で、私はこのことに気
という事でした。後期になってくると、そうして前期で築いて
付かされない日はありませんでした。我々は違っていて当然で
来た信頼関係などから、仕事が本当にやりやすくなったよう
すが、その違いは紋切り型に固定されたものではありません。
に思います。やはり信頼関係が構築された後、意思疎通がう
常に学び合うことができるのです。
まくいくようになってくると、自分の気持ちも伝わりやすいで
最後に、私が FLTA で素晴しい経験をさせて頂くに様々な
すし、相手の気持ちもよく分かり、お互いに不満を募らせると
支援をして下さったフルブライト各関係部署の方々に感謝した
いうこともありません。そうして前には自分でもうまくいって
いと思います。この経験を生かし、私はこれからも「異文化」
いるのかどうかさえ、よく分かっていなかった仕事が、相手に
理解に努めていきたいと思います。
よって感謝されている、等々分かるようになってくると、やは
り仕事も生活も楽しくなっていきます。このように後期になる
と、カレッジでの生活がとても楽しくなり、自分の時間や仕事、
そして仕事の完成度などまでも客観的に(勿論完璧ではあり
ませんが)ある程度見ることができるまでになりました。
● 人間関係/生活面
私は、人間関係を築く上で非常に恵まれた環境に派遣して
頂いたにも関わらず、前期には、これに取り組む余裕が全く
ありませんでした。仕事以外にも、私は学業に対する思い入
れが非常に強かったので、慣れない環境で一生懸命に取り組
むあまり、周りが見えていなかった一面もあったと思います。
ただ後期になると、自分の仕事や学業をどのように、そし
てどの程度までこなせばいいのか、などのコツが分かってくる
ので、余裕ができ、カレッジで自分と同じような仕事をしてい
る同僚と時間を楽しむことができるようになりました。コロラ
ドカレッジには、日本語の他に、中国語、イタリア語、フラ
ンス語、スペイン語各種の教師を私のようにアシスタントして
いる半学生のような立場の人が一人ずついて、それぞれととて
も良い関係を築く事ができました。また、私が日本語を教え
ていた学生とも、クラスの外で付き合える良い関係を築くこと
ができ、これらは私の一生の宝物となりました。
2008 年度 参加者レポート
福西 啓子 ---Colorado College
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フルブライト語学アシスタントプログラム (FLTA)
2008 年度 参加者レポート
金田由起子 ---Tougaloo College
中間レポート
「先生、好きなラッパーは誰ですか?」
「先生、ラジオだったら、
普段どのヒップホップステーションを聞いていますか?」これ
は、学生たちの普通の質問である。さて、あなただったらど
う答えるだろうか。
私は、日本からの FLTA として、2009 年の夏、ミシシッピー
州にある歴史的黒人大学トゥガルー大学に派遣された。トゥ
ガルー大学は、1960 年代の公民権運動のすぐ後、アフリカ
ンアメリカンのために創設された私立大学で、現在も学生の
99%がアフリカンアメリカンである。全学生合わせて 900 人
程のとても小さな四年制のリベラルアーツ大学である。
初めて実感した。2008 年 11 月 4 日、私はこの日を一生忘
が、今回、新たな外国語として、日本語が導入された。私は、
挙を手伝わせてもらった。学生と共に、
「VOTE TODAY」
(今
期待と不安を胸に臨んだ授業初日、クラスに入って目を疑っ
た。家に帰り、テレビを見た。オバマ氏に決まった瞬間、学
るのですか?」彼の質問が胸に刺さった。自分の存在意義は
を誇りに思う。我々の大統領は、
アフリカンアメリカンである。”
スを宣伝する日々が始まった。そもそも、アジア人がほとんど
FLTA は、日本語の授業を担当する以外に、米国に関する授
んどいなかったのである。彼らにとっては、私はどこぞの星か
歴史」という授業を受講した。20 人のクラスに、たった一人
恐る尋ねる学生さえいた。ヒップホップのかかるカフェテリア
てくれていた。この授業を受け、私が日本で学んだアメリカ
べ合う男子学生、髪の毛を触ってもいい?と尋ねる女子学生
え方によって、ここまで歴史の語りは変わってくるのかという
秋学期には 6 人の学生が集まった。授業中に出る彼らの質問
最初の学期は、予想もしないハプニングの連続で、このまま
くるキャラクターは、なぜみんな白人みたいなんですか?」と、
無事に続けていられているのは、周りの人のサポートがあっ
実は、ミシシッピー州は、米国では深南部といわれ、人種差
葉がある。南部の人のフレンドリーさに勝るものはこの世にな
区は、明らかに分かれて存在しており、スーパーマーケット
前は今、アメリカにいるんだろう?なんでも頼ればいいじゃぁ
近くには、綿花畑が広がり、ブルースの聞こえる酒場などが
言葉は、凝り固まり怯えた私の心を解きほぐしてくれた。
識したことのなかった問題。この大学に派遣され、学生たち
なんと11 人に増えた。3 月にはニューオーリンズで行われる
外国語はこれまでスペイン語、フランス語が教えられていた
れることはないだろう。米国大統領の一般投票日、私は、選
日本語の主導教員として自分の授業を担当することになった。
日は選挙に行こう)というプラカードを持ち、道路の脇に立っ
た。学生がひとりしかいなかった。
「僕一人で、授業開講でき
生から一気に電話がかかってきた。“ アメリカ国民であること
あるのか。そんな思いが駆け巡った。その後、日本語のクラ
彼らの心からの喜びだった。
いないミシシッピーで、日本人を見たことある学生など、ほと
業を履修することができる。私は、
「アフリカンアメリカンの
らきた異星人。
「先生は、スペイン語の先生ですか?」と恐る
の黄色人種。最初、教授は驚いていたが、常に私に気を配っ
に行き、ビラを配り続けた。私の肌の色と自分の肌の色を比
の歴史は、白人の視点からの歴史だったことに気づいた。捉
…。だんだんと学生が私の存在を受け入れ始めてくれたのか、
事実を知った。
は、どれもとても興味深いものだった。
「日本のアニメに出て
続けていけるのか不安に思い続けていた。しかし、今日まで
答えるのに一苦労す質問もあった。
たからだった。南部には「サザンホスピタリティー」という言
別が最も激しい地域であった。今でも白人居住区と黒人居住
いと思う。
「日本では人に頼ったりしなかったってぇ?でも、お
に入るだけで、どちらに属するスーパーなのか一目で分かる。
ないかぁ、え、そうだろ?」独特の南部訛りで言われたこの
あちこちに点在している。人種。日本に住んでいた今まで意
2009 年 1 月、私にとって最後の学期が始まった。学生は、
と日々を過ごしていく中で、それがどれだけ大きなものなのか
スピーチコンテストに出場することになっている。私は、アフ
2008 年度 参加者レポート
金田由起子 ---Tougaloo College
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後の天皇崇拝』について 50 分の講義やって。
」
「今度の教授
会で、オンラインコースの使い方についてプレゼンして。
」と
様々なアクティビティーを必死でこなす日々。まさに、生きる
か死ぬかのサバイバルだった。
身体的にも精神的にも疲弊しきっていたある日、大学副学長
の妻であるサンドラに出会った。耐えきれなくなって自分の気
持ちを打ち明けると、
彼女はある言葉をかけてくれた。
「Yuki, I’
ll tell you one thing. Keep on opening your mind.」
(ゆき、
ひとつ教えてあげるわね。常に心を開き続けてごらんなさい。
)
その言葉を聞いた時、すとーんと肩の力が抜けた。誰も頼れ
る人がいない、誰も私を助けてくれない。すべて自分でやら
なくてはいけない。そう思いこんでいた私は、誰かに相談し
たり、一緒に進めることを忘れ、自分の殻の中に閉じこもっ
ていたのだった。サンドラの言葉を聞き、それから思い切っ
リカンアメリカンの歴史に加え、
「ブルースの歴史」という授
て、
色々な先生たちに相談してみることにした。出来ない時は、
切った。私に何が出来るか。このような貴重な機会を与えてく
た。心を開いたのは先生たちにだけでなく、学生にも素直に
シシッピアンに感謝を込め、残りの生活を過ごしていきたい
表現してもらい、目には見えないアフリカンアメリカン文化は、
業を新たに履修することにした。アメリカ生活は残り4か月を
出来ないと正直に言い、
どうしたらいいのかアドバイスをもらっ
れた日米教育委員会、フルブライトアメリカ、IIE、そして、ミ
表すことにした。訛りが強すぎて分からない時は、スペルで
と思う。
一緒に体験してみることにした。すると、今まで絡まっていた
糸や張り巡らされていたバリアが一気に解けた。この体験は、
まさに驚きだった。
最終レポート
12 月にワシントン DC でフルブライトのワークショップがあっ
「Kaneda-sensei! I miss going to your class.」
(金田先生!
た 400 人以上の FLTA たちに出会い、自分たちの経験を共
てからというもの、心ここに有らずだった私にふと届いた学生
悩みを抱え、
困難を乗り越え、
本気で毎日を過ごしていた。
ワー
のEメールを見て、思わず泣きそうになった。永遠に終わりが
界中の英語教師を眺めながら、
「後期はもう恐れないぞ。
」と
から、
月日は流れ10 カ月…。とうとう終わりを迎えてしまった。
1 月に授業が再開し、また多くのミッションに巻き込まれた。
一ヵ月、一週間、一日を今まで経験したことがないくらい必
た。自分の経験を他の先生たちとシェアしたいと思い、ミシ
最初の半年間は、まるで赤ちゃんになったかのようだった。
of International Educators)で、フルブライトプログラム
分からないことだらけで頭がおかしくなりそうだった。しかし、
先生方とは、その後も連絡を取り合い、進路相談などにのっ
携帯電話の契約、インターネットの接続、中古洗濯機の購入
語スピーチコンテスト」に参加した。コンテストは隣の州で行
来なかった。南部訛りが全く聞きとれず、電話がかかってくる
で飛ばしながら学生たちのスピーチの最後確認をするほどに、
らず、赴任早々、仕事が山のように降ってきた。
「授業で使う
んなにたくさんの日本人を見たの初めて!何だか日本にいるみ
ておいてね。
」
「シラバスとコースアウトラインを自分で作って、
や他の大学からいらっしゃった 10 人ほどだったにも関わらず
の授業だけではなく、
「来週、○○教授のクラスで『日本の戦
味は少しでもあるのかもしれないと心をなでおろした。
た。そこで、日本の FLTA たちと再会し、世界各国から集まっ
先生の授業がなくて寂しいです。
)任務を終え、日本に帰国し
有した。気楽に過ごしてきた FLTA は一人もいなかった。皆、
からのEメール。まるで私の気持ちを表しているかのようなそ
クショップ最後日の夜、ダンスパーティーで楽しそうに踊る世
来ないのではないかと不安な気持ちいっぱいで迎えた 1 日目
心に決めた。
私にとってこの 10 カ月は、決してあっという間ではなかった。
しかし、肩の力が抜けた私は、それを楽しめるようになってい
死で生きた。すべての瞬間が、刺激であり、挑戦であった。
シッピ州国際教育者学会(MAIE: Mississippi Association
初めての海外生活、初めての一人暮らし、初めての教師生活。
について発表することにした。そこで出会った教授や学者の
物事は進んでいく。ソーシャルセキュリティーナンバーの取得、
てもらった。授業では、学生たちが生まれて初めての「日本
…。日本にいたら何でもないことが、ミシシッピでは全く出
われたのだが、学生たちを車に乗せ、ハイウェイを 100km
のが怖くて仕方なかった。大学では、前任の日本語教師がお
あの赤ちゃんだった私はたくましくなった。会場に着き、
「こ
教科書とワークブックは、自分で選んでブックストアに予約し
たい!すごいね!」と興奮する学生たち。日本人は、領事館
今月末までに 3 部提出して。
」
とどんどん指令が出された。日々
…。そんな彼らを微笑ましく思いながら、私がここにいる意
2008 年度 参加者レポート
金田由起子 ---Tougaloo College
6
任務が終わる1ヵ月前に、
大学のお祭りがあった。そこで私は、
何か出来ることはないかと考え、学生たちと一緒に「ソーラン
節」を踊ることにした。カフェテリアの前でいつも踊っている
彼らにとって、ダンスは大好物!授業が終わってから講堂に集
まり、大音量でソーラン節をかけながら、
「もう動けないー!」
と汗びっしょりになって練習した。本番には、領事館から送っ
てもらったハッピを着てステージで発表した。立ちあがって一
緒に踊ってくれる学生もたくさん出てきて、大いに盛り上がっ
た。
ちょうど1年前に派遣先が発表された時、私はこんなことをす
ることになるなんて夢にも思っていなかった。指導教官から、
「私たちの大学は歴史的黒人大学で 99%の学生はアフリカン
アメリカン。日本語のコースはこれまで皆無だったので、学生
を募集するところから始めます。
」と言われた。そんな中に、
私ひとり日本人が飛び込んでいって何ができるのかと途方に
暮れた。目標は、学生たちが一生のうちで Japan という単語
に出会った時に、そういえば昔、日本人らしき人が大学にい
たなと思ってくれることにしたのを思い出した。さて、その 10
カ月を終え、果たしてその目標は達成できたのか。
前述した帰国後に届いた学生からのEメール。実は、この
メールの後に、衝撃が走る。
「Two of your students are
coming to Japan!」
(先生の学生 2 人が、日本に行くことに
なったよ!)なんと、大学が申請していた奨学金がめでたく通
り、学生を日本に送ることが出来ることになったというのだ。
夏休み中の 3 週間、日本語トレーニングプログラムに参加す
るという。2 人とも海外はおろか、州の外に出たこともほとん
どない。初めての飛行機に緊張しているようだが、これはきっ
と彼らにとって日本人を 10 人以上目の前にするいい機会にな
るはずだ。FLTA プログラムは帰国して終わりというものでは
ない。日本、アメリカ双方が歩み寄るためのきっかけとして、
様々な形でこれからも発展していくものだと思う。
最後に、このプログラムに参加したことは、私自身にとって
大きなターニングポイントになった。この機会を与えてくれた
フルブライトアメリカ・ジャパン、IIE スタッフの方々をはじめ、
英語・日本語教育に携わっている先生方、ミシシッピ在住の
貴重な日本人の方々、派遣大学の教授・学生たち、世界の
FLTA 同志たち、そして、常に私を支え続けてくれた大切な
友達と家族に、心からの感謝を送りたい。
2008 年度 参加者レポート
金田由起子 ---Tougaloo College
7
フルブライト語学アシスタントプログラム (FLTA)
2008 年度 参加者レポート
金城佐和子 ---Beloit College
最終レポート
に週2回ランチタイムにてジャパンテーブル(1時間程度)を
私は 2008 年 8 月~ 2009 年 5 月にかけて米国・ウィスコン
春学期に担当しました。大学に日本人学生が少人数しかいな
第一期生として派遣されました。プログラムに参加させて頂く
いう意欲的な生徒が毎回必ず10人程度は訪れ、私以外の日
と心配な点も多々あったことを覚えています。そこでまず、プ
く生の日本語に慣れてもらうようにしました。ジャパンテーブ
語教授法の本や現地で使う教科書(げんき)を手に入れて読
明を求めに来る学生もおり、教科書を一緒に見ながら実際に
設け、ネイティブスピーカーと直接日本語で会話する活動を秋・
シン州に所在する私立 Beloit College に FLTA プログラム
かった為、ネイティブスピーカーと日本語会話を練習したいと
前に
「日本語教授」という仕事に直接関わったことはなく、
色々
本人学生も誘って日本語クラスを取っている学生たちになるべ
ログラム採用通知が来てから派遣されるまでの期間に、日本
ルでは、日本語のクラスで理解できなかった文法や表現の説
んだり、日本文化を伝えるための資料や伝統工芸品を収集す
生徒たちが分かりにくいポイント等を把握するための情報交
るなど日本に滞在している間に出来る限りの準備をしました。
換の場にもなりました。
1.派遣先大学での仕事内容
d. チューター
a. 秋学期 (2008.08~12.)
いていない学生(各クラス1~2人程度)の授業外でのチュー
られており、日本人とアメリカ人の専任教授(二名)がいらっ
習に力を入れました。教科書の練習問題を解いてもらい、間
Assistant)として任務させて頂きました。まず、秋学期に担
ターを進めました。一対一のチューターの場合なら問題はな
と4年生(1クラス、1コマ2時間/週2回)です。一年生の
め教える際にもさらに注意を払う必要がありました。大学時
作り補助、宿題の添削を行いました。また、四年生のクラス
チューターの仕事は比較的取りくみ易かったと思います。
スの始めの20分間は私がパワーポイントを使ってクラスの導
e. ジャパンクラブの運営
TA を担当している各学年のクラスで、著しくクラスに追いつ
Beloit College には Japanese Studies という専攻が設け
ターを1時間ずつ担当しました。チューターは主にクラスの復
しゃいました。私はその二名の教授の元で TA(Teaching
違ったところを一緒に考えながら復習するという形式でチュー
当させて頂いたのは一年生
(2クラス分、
1コマ1時間/週4回)
いのだが、生徒が複数人いる際は一人一人のレベルが違うた
クラスでは担当教授の元で会話パートナーや発音補助、教材
代に中学生の家庭教師のアルバイトをした経験があった為、
においては、エッセイやテストの添削などだけではなく、クラ
入部分を教えさせて頂きました。
Beloit College の周りはアジア系のスーパーや繁華街といっ
b. 春学期 (2009.01~05)
ちが日本文化に触れる数少ない機会だったと思います。ジャ
間/週4回)と2年生(1クラス、1コマ 50 分/週4回)
、4
の一つである Cultural Ambassador を達成できたのではな
頂きました。1年生と4年生のクラスは前学期からの引き継ぎ
の文化紹介のプレゼンテーション、日本食の試食会などを行
たものがほとんど無く、その意味でもジャパンクラブは学生た
春学期のクラスにおいては、1年生(2クラス分、1コマ1時
パンクラブの運営に参加することで、FLTA プログラムの目的
年生(1クラス、1コマ 90 分/週2回)の TA を担当させて
いかと思います。ジャパンクラブでは主に茶道の実践や日本
でしたので、仕事内容がほとんど変わらなかったため比較的
いました。
のもとで会話パートナーや発音補助、文法の説明等を主に担
2.履修したクラスについて
容量を得ることができました。2年生のクラスでは専任教授
私 は 主 に American Studies の ク ラ ス(”American
当させて頂きました。
Romanticism”, “Woman, Race, and Class”, “20th
Century American Literature”, “International Prose
c. 授業外の語学学習補助活動(ジャパンテーブル)
and Poem”)
を受講しました。将来、
日本で英語教育に関わっ
日本語のクラスを取っている中級~上級レベルの生徒を対象
2008 年度 参加者レポート
金城佐和子 ---Beloit College
8
ていく上でアメリカ文化や社会、歴史等をアメリカ本国で学べ
るという機会は大変貴重なものになりました。勿論、英語で
ペーパーを何度も作成するという作業を通して英語力の向上
にも大いに繋がったと思います。履修したクラス以外にもハン
ガリー語のクラスも聴講させて頂けることになりました。ハン
ガリー語という学習したことのない外国語のクラスに参加する
ことで、アメリカにおける外国語教育の実態を把握することも
出来たと思います。ハンガリー語のクラスでは、生徒を能動
的に参加させるスタイルを終始取っており、教授法等も今後
の日本での英語教授法の参考にもなりました。
3.FLTA プログラムを終えて
私にとって米国留学は今回が初めてではありませんでしたが、
「日本語を教授する」というプログラムの主旨を通してより具
体的・実践的に外国語教育を研究する貴重な経験となりまし
た。日本だけでなく諸外国の FLTA のメンバーと関われたこ
ともより世界的な視野を広げる良い刺激になっています。彼ら
とは現在でも連絡を取り合い、世界中の外国語教育のエキス
パートたちとネットワークが出来たことも本プログラムの大き
な財産となっています。FLTA プログラムで得た知識・経験を
英語教育を通して次の世代へと還元できるように日々邁進し
て行きたいと考えております。
2008 年度 参加者レポート
金城佐和子 ---Beloit College
9
フルブライト語学アシスタントプログラム (FLTA)
2008 年度 参加者レポート
大村 恵美子 ---Wittenberg U.
中間レポート
ありました。自主的に参加
私 が Wittenberg 大学に派 遣されることが決まったのは
私が背中を押さなければい
してくれる学生もいますが、
2008 年 5 月で、すぐ 8 月に渡米し、Wittenberg 大学に来
けない場合もあります。そ
ました。Wittenberg 大学はオハイオ州スプリングフィールド
うした場面の為にも、学生
という小さな町にありますが、州都コロンバスまで一時間ほ
に普段から信頼してもらう
どです。Wittenberg 大学はリベラル・アーツの大学で、学
ことが大切なのだと改めて感じました。
生数は 2000 人ほどの小さな私立大学です。実は、コロンバ
私の受講している授業は、先学期は ESL とジェンダー学、今
ス周辺には某日系自動車会社の工場があるようで、日本食レ
学期はアメリカ史と教育発達学・特別支援教育です。一般的
ストランやスーパーがいくつかあり、日本語教育にも良い環境
に日本の大学と比べてアメリカの大学は厳しいと言いますが、
と言えるかもしれません。
本当にその通りだと思います。また、Wittenberg 大学では
大抵のクラスが 1 クラスにつき学生数 30 名以下という少人
数教育が徹底していることからも、授業で求められるレベル
は高いです。それに、教授はみな驚くほど熱心なのです。
FLTA というプログラムには、派遣先大学への到着前のオリ
エンテーションと一学期終了後のワークショップが含まれてい
ます。これらも非常に有効で、世界中から来た FLTA と数日
間講義を受け、共に過ごします。世界から集まった英語教師
志望あるいはすでに英語教師経験のある人たちと意見を交換
し合ったりできるのです。このような機会を与えられることは
Wittenberg 大学には日本語の先生が二人います。一人はア
なかなかないことです。
メリカ人の先生、もう一人は日本人の先生です。私の仕事は
Wittenberg 大学に来てまず驚いたことは、
「日本人だ」と言
主に 4 つで、先生方のクラスを手伝うこと、ラボで Tutoring
うとアニメやマンガなどのポピュラー文化について尋ねられる
すること、授業外で会話テーブルや映画鑑賞などを企画する
ことです。日本語の学生の多くがそういった文化に精通してお
こと、Festival などのイベントを補助することです。
り、私の知らない「新たな日本文化」の存在を意識せざるを
授業内では、板書をしたり、単語や会話の音読をしたりします。
得ません。そうした文化についても学ぶと同時に、私が知っ
また、学生の様子を見てサポートするのも私の大切な役割で
ている「伝統的日本文化」や「日本人の日常生活」について
す。ラボでの Tutoring の時間は学生とコミュニケーションを
できるだけ教えることも私の使命だと感じています。ここに来
取る大切な時間です。学生はネイティブ・スピーカーを恐れる
て、
「日本」について視野が広がりました。将来英語を教える
傾向があるので、易しい日本語を使って積極的に話しかける
立場になることを考慮すると、外国人の視点から見た日本あ
ようにしています。ラボには私の他にも日本人の学生一名とア
るいは日本自体について自らが学ぶことはいい経験になると
メリカ人の学生四名がチューターとして働いています。私が日
確信しています。不安を抱えながらオハイオ州まで来ましたが、
本語文法を説明できない時に、アメリカ人のチューターに助
Wittenberg 大学は教授もス
けてもらう場面もあり、チューターをとても信頼しています。
タッフも学生もフレンドリー、
その他には日本語の環境を増やす為に、会話テーブルを設け
そして何よりも熱心でこれ以
ています。さらに今学期は映画鑑賞の時間を設置することで、
上にないほどの環境で学んで
日本文化や日本人の生活についての理解を深めるよう試みて
います。残された時間を有意
います。最後に、毎年行われる行事を補助するのも私の任務
義に過ごせるよう、日々行動
です。先学期は百物語と East Asian Studies Festival が
2008 年度 参加者レポート
大村 恵美子 ---Wittenberg U.
していきたいと思います。
10
フルブライト語学アシスタントプログラム (FLTA)
2008 年度 参加者レポート
新川美幸 ---Carleton College
中間レポート
のでとても人気があります。お
私は昨年の9月からミネソタのノースフィールドにあるカール
茶を飲みながら、日本の遊びを
私の仕事を大きく分けると、2種類に別れます。1つは、日
をして日本のお正月の文化を教
の添削などがあります。私は1年生と2年生のクラスの学生を
学校のラジオ局を使って一時間
日などは50人分のワークッブをその日のうちに採点しなくて
ときには日本の音楽を流したり
だけで3、4時間費やしてしまうことも多くあります。しかし、
月に1回は日本のパーティーを開いて、日本語の学生に日本食
るのはとても大事なことだと考えます。学生の伸び具合が分
ティーが好評でした。お正月には、
書き初めパーティーを開き、
けるので、採点や添削をしているときが一番学生との距離を
きてとても満足そうでした。今学期は
「節分パーティー」と
「お
スアワーというものがあり、学生が質問に来たり、学生と会
これら日本語の仕事以外に、私は他の学生と同じ様に授業を
茶の時間には日本のお菓子とお
トン大学で日本語の補佐として働いています。カールトンでの
教えます。最近は「ふくわらい」
本語の授業に携わった仕事です。宿題やテストの採点、作文
えました。ラジオの時間では、
担当しているので、両方の授業でワークブックの宿題が出た
日本の話題について話したり、
はならず、本当に大変です。時間も予想以上にかかり、採点
します。この他に、なるべく1ヶ
日本語の補佐をするにあたって、学生の提出物をきちんと見
を振る舞うようにしています。今までした中では、
おにぎりパー
かるのも勿論のこと、出来具合に対するコメントも自由に書
学生はお雑煮も食べられて、人生初めての書き初めも体験で
縮められていると思う瞬間です。あとは、
1週間に5時間オフィ
雛祭りパーティー」を計画中です。
話の練習をしたりします。
取っているため、自分の宿題もしなくてはなりません。お互
いを両立させることはなかなか難しいですが、そんなときは
日本語の仕事を優先させることにしています。
「学生第一」と
いう考えのもと、カールトン生活を送っています。私は将来、
日本で中学校の英語教師になりたいと思っているので、ここ
での経験が将来に役立つことだと日々実感しています。フル
ブライト奨学金に全て支援していただいて、カールトンに来ら
れたことを本当に幸せに思っています。残りのカールトンでの
半年を、悔いなく、学生の日本語がより一層上達するように
精一杯頑張りたいと思います。
もう一種類の仕事は、日本語を教えるというよりも日本の文
化を教えるというものです。それぞれ一週間に一度ですが、
「映
画の時間」
、
「ランチテーブル」
、
「お茶の時間」
「ラジオの時間」
というものがあります。映画の時間には日本語の映画を見せ
ます。英語の字幕付きですが、たまにセリフを聞き取れた学
生は嬉しそうです。ランチテーブルでは、昼食を食べながら
日本語だけを話すというものです。日本語の教授三人も来て
くださっているので、学生にとってみれば他の学年の学生とも
日本語を練習できるし、先生とも深い話ができる機会である
2008 年度 参加者レポート
新川美幸 ---Carleton College
11
質問もたくさんしてくれるようになりました。教師と学生間の
最終レポート
信頼関係の大切さを改めて思い知らされました。
日本へ帰国してから、約1ヶ月が経ちました。FLTAとして、
私は、LA(ランゲージアシスタント)という傍ら、学生とし
ミネソタ州のカールトン大学へ派遣していただき、日本語アシ
て毎学期授業を1つ取ることができたので、私が住んでいたと
スタントとして働いていたあの頃の生活が懐かしく、いかに特
ころは学生と同じ寮でした。教師でもあり、
生徒でもあるのが、
別であったかを気付かされるばかりの毎日です。
FLTAです。普段、
「先生」と呼ばなくてはならない人物が
春になり、前回の2月のレポートから劇的に変わったことがあ
一緒に住んでいるということで、寮内で会うと戸惑う学生もい
りました。それは、学生の日本語の伸び具合です。昨年9月
ましたが、そんな中立な立場だからこそ、学生の新たな一面
に日本を勉強し始め、ひらがなやカタカナも知らなかった1
を垣間見られることもありました。毎週膨大な数の単語を覚
年生が、10ヶ月間の日本語の授業を終えたときには、自分
えなくてはならず、小テストは毎日という中、本当はもう日本
たちで考えたスキットを披露できるまでになっていました。約
語を勉強するのに疲れてきているのではないかと疑問を持つ
10分にわたる日本語でのスキットです。自分たちで脚本をし、
こともありました。しかし、実際は寮の廊下のホワイトボード
台詞を覚えるのですが、中には一つの間違いもおかさなかっ
には日本語でメッセージを書いていたり、学生の部屋に立ち
たグループがいて、これには教授も私も本当に驚かされまし
寄ってみると動画サイトで日本に関するビデオを見ていたり、
た。学生も楽しそうに演じており、本当に嬉しかったです。な
本当に日本が好きで、日本語を学びたいと思っているんだ!と
ぜなら、カールトンへ来て、私がまず最初に決めた目標を達
気付かされ、これはまさに嬉しく、この立場ならではの特権
成できた気がしたからです。それは「自分がカールトンにいる
だと思いました。
間に、学生の日本語が少しでも上達するように、精一杯、手
この10ヶ月、カールトン大学でLAとして日本語を教えられ
助けをすること」でした。一年しかカールトンにいられないか
たこと、本当に幸せに思います。素晴らしい先生方、私を信
らこそ、とにかく自分をできるだけ活用して、日本語が上手く
頼して頼ってくれた学生、かけがえのない仲間、本当にたくさ
なって欲しかったのです。私は学生に対して、授業外であって
んの人たちに出会うことができ、一生に残る特別な経験をす
も常に日本語で話しかけ、学生が間違えたときは積極的に注
ることができました。また派遣先の大学以外でも、フルブラ
意するようにしていました。初めは困惑していた学生たちも、
イトを通じて、大切な仲間に出会うことができました。私が
時が経つにつれて理解してくれるようになり、最後にはどんな
派遣された2008年には、8月と12月、夏と冬にわたって2
内容でも、自分たちが習った範囲内での文法や単語を上手く
回のオリエンテーションがアメリカ国内で催されました。オリ
使って話してくれるようになりました。私の英語よりもみんな
エンテーションでは、米国内の大学教授による教授法のセッ
の日本語の方が上手なのではないかと思ったほどです。
ション、他には生徒の注意を惹く方法をマジシャンがショー
また、私は日本の文化を伝えることが仕事の一環でもあった
を披露して教えてくれるという興味深い内容のセッションま
ので、
「映画の時間」
「ランチテーブル」
「お茶の時間」
「ラジ
でありました。夏のオリエンテーションでは25人ほどの、冬
オの時間」を、週に1回ずつ、後半期も持たせていただきま
のではなんと400人ものFLTAに出会うことができました。
した。これらのイベントは、
自由参加となっています。秋学期、
400人、教師を志す人ばかりです。中には私よりだいぶ年上
冬学期は20人分ぐらいのテーブルがあっという間に埋まり、
で、母国では大学で教えていた経験のあるFLTAもいました。
席が探せないほどだったランチテーブルも、春学期になると
みんな、教員を目指す者として、見習うに値する素晴らしい
授業の関係で来られる学生が極端に少なくなりました。あま
仲間です。オリエンテーションが終わり、それぞれ自分の州、
りに学生が少ないと、来てくれた学生が日本語を話す相手が
大学へ戻った後も支え合い、たくさんの勇気をもらいました。
おらず勉強にならないため、こっちも学生集めに必死でした。
FLTAの一員として、このオリエンテーションに参加させて
ポスターを掲示したり、Eメールを送ったり、スタンプカード
いただいたこと、またカールトン大学でLAとして10ヶ月日
を作ったりの試行錯誤の日々でした。スタンプカードとは、イ
本語教育に携われたことの全てが夢であったかと思うぐらい、
ベントに来た学生は日本のシールを1つもらえ、それがカード
かけがえのない経験となりました。このような素晴らしい機会
いっぱい貯まると、なにか日本に関連したグッズがもらえると
を与えてくださり、常に支えてくださったIIE、日米教育委員
いうものです。学生はこのアイデアを大変気に入ってくれ、そ
会の皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。本当に、ありが
れ目当てでイベントにたくさん来てくれる学生もいました。ミ
とうございました。
ネソタの冬は、寒いときだとマイナス30度ぐらいにもなりま
す。そんな極寒の中、自分のイベントのためにわざわざ自分
の寮から歩いてきてくれたと思うと、それだけで嬉しくなるこ
ともしばしばでした。学生も秋学期と比べると春学期にはすっ
かり心を開いてくれており、間違えることを恥ずかしがらず、
2008 年度 参加者レポート
新川美幸 ---Carleton College
12
フルブライト語学アシスタントプログラム (FLTA)
2008 年度 参加者レポート
多田 利恵 ---Hollins University
中間レポート
まとい演じているようにも見えるが、やる気のあまり見られな
女子校出身で、少しばかり教鞭をとったこともあったが、その
の過程を思い出したりすると、自分が何のためにここへ来た
かった生徒までもが生き生きとしている姿を見たり、それまで
生徒が全員外国人だったという経験はなかった。自分なりの
のか、その答えがなんとなく見え始めた。
イメージはあったものの、実際、教室で彼女たちに出会うと、
もちろん私にとっての学びの場は授業中のみばかりではない。
新たな不安と緊張でいっぱいになった。
大都市では経験できないこと、感じることのできないこと、
TA の任務は、派遣先の大学や担当教官によって様々なよう
言葉に表すことはできないことがキャンパスの内外である。そ
だが、私は初級・中級クラスのグループ別会話セッション、そ
して日本との違いがあるからこそ、この差が歴然とし、両者の
して上級クラスの授業を担当教官と分担して受け持つことに
良し悪しがわかり、それぞれが貴重な存在に思えてくる。任
なった。私の派遣先である Hollins University はバージニア
期の折り返し地点に立つ今、ここで出会った全てを大切に、
郊外の小さな女子大で、日本語のメジャーも、マイナーもない。
教える者として、学ぶ者として、案ずるよりも、欲張りになっ
ただ、一年間外国語を履修しなくてはならない。だから、生
て何事も体験し、また伝えるべきことを伝えていこうと心に決
徒が日本語を受講している理由も様々である。もちろん、日
めた。
本のポップカルチャーが好きな生徒もいれば、伝統的な日本
好きもいる。アルバイト先で日本人を接客する機会があった、
あるいは将来日本で英語を教えたい、日本で獣医になりたい、
など感心してしまう理由もあれば、日本語しか選択肢がなかっ
た、という正直ものの生徒もいる。そんな彼女たちに、私が
滞在するたった一年で、何を伝えられるのだろうか。渡米直
後の私の一番の課題であった。
初級クラスのセッションでは、授業の内容を復習し、扱った
単語やフレーズを一人一人練習させたり、質問に答えたりして
いる。もちろん、日本の文化や生活も話題にのぼる。当然会
話は英語。しかし、自分の英語力など気にすることはない。
生徒たちは語学を習得することの難しさを、十分理解してくれ
ていることに気づいてからは、余計な肩の力が抜け、思った
こと、感じたことをどんどん伝えていこう、と思えた。
秋学期の最後の授業は、生徒たちによるスキットの発表だっ
た。スキットの内容は、
それまでに習った表現を用いて、
グルー
プで寸劇を作るというものだった。担当教官からこの課題が
発表された時は、
「そんなのは無理、できない」という声も上
がった。どこの国の生徒も同じなのだろうか、いざ取り組み
始めると真剣に、
そしてかなり内容を詰めて考えていた。ただ、
既習範囲のみでは当然足りず、手を入れざるを得なかったが、
新たな、しかも少し高度な表現を知った彼女たちの輝いた表
情をみて、難しい表現でもいいから、少しでも多くの日本語
に触れることの大切さにようやく気づいた。そして授業当日
は、趣向を凝らしたスキットをしっかりと演じる姿に感動して
しまった。一見ただ訳した日本語を覚え、好きな衣装を身に
2008 年度 参加者レポート
多田 利恵 ---Hollins University
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フルブライト語学アシスタントプログラム (FLTA)
2008 年度 参加者レポート
上野 妙子 ---St. Olaf College
中間レポート
の移民が多く生活しています。このコースを通じて、人種や
私 は 今、 フ ル ブ ラ イ ト FLTA と し て ミ ネ ソ タ 州 の
トたちとディスカッションする機会が多くありました。また新
語の TA として働きながら、アメリカの教育について勉強し
期に、これからの教育についてクラスメートたち語り合えるこ
小規模なリベラルアーツの私立大学で、音楽と留学に関する
ここアメリカでの残り半分になりましたが、ここで日本語
学生の多くは複数の分野で B.A をとる Double Major と呼
英語はもちろん教育について学べていることにとても感謝し
ここ St. Olaf College で日本語を学習している学生は約
り、経験したり、ここでの様々なアクティビティーに参加し
貧困と教育や社会について考え、またアメリカ人のクラスメー
Northfield という小さな町にある St. Olaf College で日本
しい大統領を迎えるという、アメリカの歴史が動いたこの時
ています。ここ St. Olaf College は学生数 3000 人ほどの
とでき、とても充実した貴重な経験をすることができました。
充実したプログラムは全米でも大変知られています。また、
TA として語学教師としての経験を積みながら、学生として
ばれているシステムで勉強しています。
ています。春学期も TA また学生として、新しいことを学んだ
60 ~ 70 人ほどで、そのうちの 3 分の 1 程がアジア研究を
ながら、有意義な時間を過ごしたいです。
専門としています。日本語のコースは4段階のレベルに分け
られています。私の日本語 TA としての仕事内容は、レベ
ル1とレベル2の授業での先生のアシスタント、Language
Lab での指導、全レベルを通しての個別での会話や文法学
習の補助、そして週1回の会話テーブルで日本語の練習と日
本の文化を紹介することです。
日本語を履修している学生の多くが日本の伝統的な文化
または様々なメディアを通した現代的な文化に興味を持って
おり、日本語学習に対する向上心を持っています。彼らとの
コミュニケーションを通して、日本人の視点からの文化や価
値観、また学生たちのアメリカ人の視点からの日本の文化や
価値観を共有できることは、日本語 TA として一番有意義な
ことだと感じています。
フルブライトの FLTA は日本語 TA として働きながら、1
年間に American Studies1コースを含む4つのコースを履
修することができます。私は秋学期にアメリカの歴史に関す
る授業と教育心理学の授業を履修しました。アメリカ史の授
業では、日本という外から見たアメリカではなく、アメリカ
の内側からの視点を通して歴史を学ぶことができ、とても興
味深い授業でした。また、教育心理学ではアメリカの教育
制度、教育観について学ぶとともに、アメリカの小学校での
アシスタント体験をすることができました。
また、St. Olaf College には1月に Interim と呼ばれる1
コースのみを集中的に学ぶ学期があり、私はこの機会を利
用してミネアポリスの小学校で教育実習体験ができるコース
を履修しました。普段生活している小さな町 Northfield と
は違い、都市部にはヒスパニック系を中心に多様なグループ
2008 年度 参加者レポート
上野 妙子 ---St. Olaf College
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フルブライト語学アシスタントプログラム (FLTA)
2008 年度 参加者レポート
山本 志保 ---University of Montana
中間レポート
ミ ズー ラ の 街 は、
モンタナのニックネームは BIG SKY。グレーシャーパークと
かなところですが ,
安 全でとてものど
イエローストーンの2つの国立公園があり美しく、北米の最
おしゃれなレストラ
低気温を保持している州という情報だけを手に、この地に舞
ンなどたくさんあ
い降りて早半年。とても貴重で充実した日々を送っています。
り、 大 学からダウ
ンタウンまで徒 歩
で行ける範囲内な
ので、便利です。また、本数は一時間に一本くらいなのですが、
どこに行くにもたいていバスが通っているので、慣れてしま
えば、さほど不便さは感じません。アジアンマーケットはあ
りませんが、スーパーに味噌、豆腐、麺類など売っています。
さて、肝心なモンタナ大学の日本語学科の事情についてで
すが、とても盛んです。びっくりすることに日本人の留学生
がとても多く、100人はいると思われます。それが、日本
語履修者にいいモチベーションになっていることは間違いあ
セラキュース大学での派遣前のオリエンテーションを済ませ、
りません。今年は初級70人、中級25人、上級10人ほど
同僚となるロシア人の FLTA ともにモンタナ州の小さな空港、
おり、学生も素直で、穏やかな人が多いです。スーパーバイ
ミズーラに近づくにつれて、二人とも絶句。なぜかというと、
ザーのラビノビッチ先生、エックスリー先生、内藤先生と3
周りは茶色の山々に囲まれたほんとに小さな町だといのが空
人なのですが、みなさん理解があり、アイディア豊富で、お
からみてとれたからです。
もしろく、笑いが耐えません。教科書は「ようこそ」
(初級・
中級)を使用しています。私の役割ですが、主に授業中で
空港では、日本語学科のスーパーバイザー、ラビノビッチ先
のアシスタント、宿題や作文、テストの採点、週に一度の会
生とだんな様でもあり、モンタナ大学の中国語学科の教授で
話テーブルの参加などです。授業は、自分が望めば一人で教
もあるティムさんが温かく迎えてくださったのでとても安心し
壇に立つ機会があります。ここの学生は毎日宿題を提出する
たのを覚えています。その日のうちに、大学の前を車で通っ
ので、宿題採点でもそれなりに時間がかかります。しかしや
て雰囲気を見せていただき、大学の状況、日本語クラスの
はり、生徒が日本語で話しかけてくると、とてもほほえましく、
様子を少し伺い、ますます期待に心を弾ませました。
うれしい気持ちになります。
次の日早速大学に行き、他国からの FLTA 陣、ロシア、スペ
このように、私はすばら
イン、トルコ、オーストラリア、アイルランド人と私を含め6
しい経験をさせてもらっ
人と、今年からのインストラクターである日本人とフランス人
ています。 モンタナ大
を含め8人で大学の契約内容に目を通したりやキャンパスの
学に派遣される人はと
案内をしてもらいました。大学の方、海外から来ている方、
てもラッキーだと思いま
全員が全員とも、とてもいい人(お世辞ではありません。)で
す。質問などありました
本当に恵まれているなぁ、と日々感じています。大学のキャ
ら、 いつでもメールに
ンパスも落ち着きがあり、レンガを基調としたビルと芝生の
て連絡してください。
コントラストがポストカードみたいに美しいところです。
2008 年度 参加者レポート
山本 志保 ---University of Montana
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