Bestopia

ト
ピ
ア
Bestopia
< 2016 年 4 月 >
古賀 順子
リスボンの春
パリから飛行機で 2 時間、ヨーロッパ最西の国ポル
トガルの首都リスボンは、パリより一足早く春になっ
ていました。
1998 年リスボン万博記念として開通したのが、
テー
ジョ川を跨ぎ、リスボン近郊に架かる「ヴァスコ・ダ・
ガマ大橋」(全長 17.2km、ヨーロッパ最長の吊り橋)
です。1498 年、ポルトガル人ヴァスコ・ダ・ガマ
(1469-1524) が、希望峰を経て、インド航路を発見し
た 500 周年記念でもあります。その「ヴァスコ・ダ・
ガマ大橋」上空を過ぎると、リスボン市街が眼下に広
がります。際立った高層ビルはなく、緑もたくさん残
っています。人口 220 万人を超えるパリに比べると、
54 万人のリスボンは、首都というより地方都市の感が
あります。
敷石と坂が多いリスボン、4 本しかない地下鉄と、
一輌の路面電車、バスが主要な交通機関です。レンガ
色の屋根が青空に映え、
サーモンピンク、
淡いブルー、
黄色などのパステル調の壁、時間と風雨に耐えてきた
アズレージョ(14 世紀から発展してきたポルトガル独
特の装飾タイル) の外壁が、路面電車の電線が交錯す
る中で、哀愁と情緒ある街並みを作り出しています。
ネオゴシック様式の鉄製エレベーター「サンタ・ジュ
スタ」(フランス人の両親に生まれ、エッフェルの弟子、
ポルトガル人メニエ・ド・ポンサール設計、1902 年完
成、高さ 45m) の展望台からは、サン・ジョルジュ城
を正面に、リスボンの屋根が一望できます。
ポルトガルの黄金時代は、15 世紀アルフォンソ 5
世(1438-1481)統治下に始まります。スペイン、イギリ
スに先んじて、アルフォンソ 5 世は、航海学校を設立
し、貴族階層に航海事業への投資を呼びかけ、航海術
と世界地図作成が急速に進歩します。
1487 年バルトロ
メオ・デイアスが希望峰に到達し、1498 年ヴァスコ・
ダ・ガマがインド航路を発見。1500 年、12 艘編成で
「 パリ通信 52号 」
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平成二十八年四 月
ス
第五十二号
ベ
リスボンからインドへ向かったペドロ・アルヴァレ
ス・カブラルは、航路を間違え、ブラジルを発見する
など、マヌエル 1 世統治下(1495-1521) のポルトガル
は、大航海による黄金期を迎え、経済が繁栄し、文化
が成熟します。碇や綱、貝殻など、航海に関連したモ
チーフで飾られたマヌエル様式を代表するベレン地区
の「ジェロニモス修道院」は、今なお、当時の栄華を
思わせます。
ポルトガルと日本の関係は古く、ポルトガル王ジョ
アン 3 世(マヌエル 1 世の孫) の命により、1549 年イ
エズス会のフランシスコ・ザビエルが日本にキリスト
教を伝え、同じ時期に、ポルトガルから鉄砲が伝来し
ています。
食べ物も似ていて、タコ・サラダ、コロッケ、イワ
シのグリルなどはどこにでもあり、カステラの原型に
なった「パン・デ・ロー」
、カスタードクリーム味の「パ
ステル・デ・ナータ」など、お菓子も事欠きません。
しかも、物価が安く、パリの半分です。
ポルトガル語が話せなくても、英語・フランス語・
イタリア語は良く通じます。引退後、購買力が落ちた
シニアのフランス人カップルが多いのに驚くと同時に、
その理由も納得できました。人が少なく、目玉になる
大きな観光がないお陰で、団体旅行者も少なく、のん
びりと太陽を感じることができます。パリのようなテ
ロの脅威、緊迫感はなく、老後の生活には最適かも知
れません。ポルトガル政府も、外国人を税金面で優遇
し、誘致に力を入れているそうです。
地震がある点も似ていて、
1755 年のリスボン大震災
によって、街が崩壊します。再建の指揮を取ったのが
ポンバル侯爵(百年後パリで都市計画を遂行したオス
マン男爵と並び称される)で、その像が聳えるポンバル
広場から、海に向かって一直線に延びる大通りを中心
に都市計画が行われています。
コルク製のバッグや靴、
マデイラ刺繍、ポルトーワイン専門店など、ポルトガ
ルならではのお店が並んでいます。初めてでも違和感
のないリスボン、ゆっくり週末を過ごしたい方にはお
勧めの街です。
―― 平成 28 年 4 月 パリ通信 52 号 ――