3 MB - 東京大学大学院 情報学環・学際情報学府

東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 No.85
目次
思考の環
昆虫、進化ゲーム論、そしてコンピューティング 〔嶋田正和〕―― i
教員研究論文
不連続性の感覚
〔滝浪佑紀〕―― 1
――小津安二郎映画における〈視線の一致しない切り返し〉の発生過程――
〈ミドルクラス〉の再考
――社会構築主義とメディア学の視点から理解模型を提示する――
ゲーム産業における女性開発者のキャリア発達
――創造的専門家のライフストーリーからの展望――
〔周 倩〕―― 21
〔藤原正仁〕―― 45
査読研究論文
基礎情報学の観点からのインターネットのコミュニティデザイン論〔チェン・ハンロン・ドミニク〕―― 97
――ネオサイバネティクス概念とコミュニティデザイン言語の相互接続――
中国マスメディア・システムにおける宣伝プログラム
〔葛 星〕―― 117
米国パブリック・リレーションズ理論の修辞学(レトリック)
〔河 炅珍〕―― 131
電子政府政策の発現に関する国際比較―米英豪加日の比較
〔本田正美〕―― 147
映画言説におけるフォトグラムの機能
〔難波阿丹〕―― 163
ブランデッド・エンタテインメント時代の「広告融合型番組」
〔金 佳榮〕―― 177
――その構造と機能をめぐる考察――
――J. Grunig の PR 理論に関する批判的考察――
――D.W. グリフィス作品における「フォトグラム」の映像実践――
――新しい番組スタイルを可能にしたテレビ状況とは何か――
フィールド・レビュー
バーチャルリアリティ環境における物体操作
紀要投稿規程
〔広田光一〕―― 195
昆虫、進化ゲーム論、そしてコンピューティング
はじめに
① 昆虫3種の実験系が示すカオス的動態
幼少から昆虫に興味をもち、夏になると昆虫
豆・マメゾウムシ類・寄生蜂を組み合わせて
採集の毎日でした。小学低学年の頃に、牧野富
3者系の実験系を作ります。アズキ(豆)-マ
太郎やファーブルの伝記を読み、生物学者にな
メゾウムシ1種-2種の寄生蜂(コマユバチの1
りたいと、その頃から思っていたようです。生
種とゾウムシコガネコバチ)の3者系では、最
態学の強い京都大学理学部を目指して勉学に励
初マメゾウムシ1種-ゾウムシコガネコバチの
んだものの、入学したとたん、中学から続けて
2種系でスタートすると、小さく穏やかな振動
きた剣道の稽古に没頭しました。当時、京大は
が永続します。そこにコマユバチを加えて3種
関西リーグでも強い大学でしたが、精進の甲斐
系にすると、前者2種は大きな振幅の複雑な動
あってレギュラーになり、3年には関西学生剣
態に変わり、最大リアプノフ指数が正の値とし
道優勝大会で団体優勝、4年には個人ベスト8
て推定され、カオス的挙動になっていました。
で、団体も準優勝できたのは幸運だったと思い
「3者系はカオスの入り口」と言われるメカニ
ます。インカレにも個人・団体で3回出場でき
ズムを研究しています。
たので、剣道選手としては十分やったと、4年
Tuda, M. and Shimada, M. (2005) Complexity, evolution and
生冬に本来の志望だった生態学の学究の道に入
りました(勉学では劣等生か・・・。)。
ところが、当時の京大では、私が研究を始め
persistence in host-parasitoid experimental systems, with
Callosobruchus beetles as the host. Adv. Ecol. Res. 37: 37-75.
② 寄生蜂の学習と進化動態
たアズキゾウムシを使った実験個体数動態を指
ゾウムシコガネコバチは、豆内にいる宿主マ
導して下さった教授が定年退官したため、それ
メゾウムシを探す時に「匂い学習」をします。
以降の指導を受けることができませんでした。
彼らの匂い学習は、宿主2種の頻度に依存して
幸いに、この材料を使い、個体数動態の数理解
選好性が変わることを、私たちは突き止めまし
析とコンピュータを利用した数値シミュレー
た。この匂い学習は2段階あります。一つは母
ションを専門とする若い研究者が米国から帰
蜂が豆表面を歩き回って、豆内に潜んでいる宿
国し、筑波大学で研究室を開くことになったの
主の匂いを探し当てて寄生する学習で、寄生成
で、真っ先に移りました。それ以降は、好きな
功すると学習により選好性が高まります。もう
研究テーマを思う存分できて、幸運な研究人生
一つは、幼虫から蛹〜羽化直前にかけて豆内で
のスタートだったと思います。前置きが長くな
宿主の残骸と一緒にいる間にその匂いを記憶し
りましたが、ここで私の最近の主な研究を紹介
て、羽化後にその匂いを頼りに宿主を探し始め
します。
る学習です。後者の学習は、次世代の母蜂の選
好性へと受け継がれます。私たちは、この2段
i
階学習を個体ベースモデルで定式化し、選好性
ました。生き物は集団中で有利な振る舞いをし
に関わる遺伝的アルゴリズムを組み込んで進化
た個体が次世代に多くの子を残す自然選択の
シミュレーションをすると、初期の数十世代に
作用により適応進化します。ライバルは集団内
は選好性の進化速度が有意に高まりました。つ
の他個体です。「競争的最適化=進化ゲーム理
まり、学習が進化を間接的に推進するBaldwin
論」は生き物から人間社会に至るまで面白い現
効果を示しているのです。迅速な適応性の機構
象を解析できる理論です。
解明に挑戦しています。
Shirokawa Y. and Shimada M. (2013) Sex allocation pattern of
Sasakawa K., Uchijima K., Shibao H. and Shimada M.
(2013) Different patterns of oviposition learning in two
closely related ectoparasitoid wasps with contrasting
reproductive strategies. Naturwissenschaften 100: 117-124.
Ishii Y. and Shimada M. (2012) Learning predator promotes
coexistence of prey species in host-parasitoid systems. Proc. Nat'l. Acad. Sci. USA 109(13): 5116-4120.
③ 進化ゲーム理論による生き物の振る舞い
the diatom Cyclotella meneghiniana. Proc. R. Soc. Biol.
Sci. 280(1761): 20130503.
Abe J., Kamimura Y., Shimada M. and West S.A. (2009)
Mother’s decision: extremely female biased primary
sex ratio and precisely constant male production in a
parasitoid wasp Melittobia. Anim. Behav. 78: 515-523.
Abe J., Kamimura Y. and Shimada M. (2007) Optimal sex ratio
schedules in a dynamic game: the effect of competitive
asymmetry by male emergence order. Behav. Ecol. 18:
1106-1115.
生き物の振る舞いの多くは進化ゲーム理論で
Abe, J., Kamimura, Y., Shimada, M. (2005) Individual sex
理解できます。これまで単細胞の珪藻の精子と
ratios and offspring emergence patterns in a parasitoid
卵の性比調節、細胞性粘菌の柄と胞子数の比
率、寄生蜂の母親が産み分ける息子と娘の性比
wasp, Melittobia australica (Eulophidae), in relation to
superparasitism and lethal combat between sons. Behav.
Ecol. Sociobiol. 57: 366-373.
調節など、私たちはいろんな材料で研究してき
嶋田 正和(しまだ まさかず)
生年月日 1953 年 12 月 3 日
[専門領域]個体群生態学、進化生態学、行動生態学
[著書]
嶋田正和・吉田丈人 (2013)『理系総合のための生命科学(第 3 版)』第 22 章 : 生物群集と生物多様性.(東京大学
生命科学教科書編集委員会編,羊土社).(pp. 239-248、2013 年 3 月刊行)
嶋田正和(2013)『生物学入門(第 2 版)』(石川統・大森正之・嶋田正和編、東京化学同人)pp.296.
嶋田正和・山村則男・粕谷英一・伊藤嘉昭 (2005) 『動物生態学-新版』 海游舎 , pp.614.
[所属]東京大学情報学環教授(総合文化研究科から流動)
[所属学会]日本生態学会、日本進化学会、日本応用動物昆虫学会、個体群生態学会
ii
不連続性の感覚
― 小津安二郎映画における〈視線の一致しない切り返し〉の発生過程 ―
A Sense of Discontinuity: The Genealogy of the Eyeline-Mismatched Shot/
Reverse Shots of the Films of Ozu Yasujiro
滝浪 佑紀
Yuki Takinami
はじめに
互いに向かい合う二人の登場人物を交互に示
ではそのもっとも有名な例として、ノエル・
す「切り返し」において、カメラは二人を結ぶ
バーチとデヴィッド・ボードウェルの論争に注
想像上の直線(イマジナリー・ライン)を超え
目しよう。よく知られているように、バーチ
て交替されてはならないとされている(「180
は1970年代、イデオロギー装置としての映画
度の規則」)。この規則が遵守される限りにお
という問題機制の中で、小津映画の切り返しに
いて、例えば、一方のショットにおいては登場
抵抗映画の可能性を認めたのだった 。すなわ
人物が右方向を向いているのに対し、他方の
ち、視線の不一致を通じてショット間に孕ま
ショットにおいては登場人物が左方向を向いて
れる不連続性を露わにする小津映画の切り返
いるというように、視線はカットを超えて一致
しは、ハリウッド映画の「透明な語り」という
させられ、二人が向かい合っている状況に対
西洋的表象モードに挑戦していると論じたので
して自然であると考えられるためである。対
ある。対して、ボードウェルはバーチを、小津
して、ある時期以降の小津安二郎の映画では、
の切り返しに含まれる不連続性の感覚を強調し
この規則がコンスタントに侵犯された。カメラ
すぎていると批判する 。ボードウェルによれ
はイマジナリー・ラインを超えて交替される
ば、たしかに小津の切り返しはハリウッド映画
ため、登場人物は各ショットにおいて同じ方向
の規則を侵犯しているが、それは特別に違和感
を向いている。結果として、視線は平行線を辿
があるというわけではない。さらにボードウェ
り、二人が向かい合っているように思われな
ルは、小津映画は物語映画であるという点を確
い。
認しつつ、バーチが小津の切り返しを反物語的
1
2
こうした小津の切り返しは国内外の映画学に
要素として概念化していることを問題にする。
おいて、様々な議論を引き起こしてきた。ここ
すなわち、バーチは小津の切り返しをハリウッ
* 東京大学大学院情報学環特任講師
キーワード:小津安二郎、サイレント映画、切り返し、映画理論
1
4
4
4
4
ド映画=物語映画に対して否定的に捉えるに止
る。
まっており、ボードウェルは逆に、小津の切り
本論はこの小津の切り返しに関する問題に、
返しをそれ独自のシステムにおいて肯定的に分
発生過程という観点からアプローチを試みるも
析しようと試みたのである。
のである。これまでもしばしば指摘されてきた
たしかにボードウェルの主張するように、小
ように、小津は最初から〈視線の一致しない切
津映画は物語映画であり、さらに彼の肯定的議
り返し〉を体系的に使用していたわけではな
論の方がバーチの否定的定義づけ以上に生産的
かった。しかし、小津がいかにしてこの特異な
であるだろう。しかしながら、バーチの議論は
スタイルを練り上げたかについては十分な検証
多くの点で問題含みであるとしても、小津の切
がなされていない。以下、バーチとボードウェ
り返しには全く不連続性の感覚が内包されてい
ルの小津論をより詳細に検討することで、問題
るのではないだろうか。あるいは、それ自体と
を明確にすることから始めよう。その上で、
して正しく啓発的であるとしても、ボードウェ
小津の切り返しの使用という観点から1929年
ルの議論からは重要な論点が抜け落ちてしまっ
から1933年までの作品を辿る。こうした検証
ているのではないか。小津の切り返しに含意さ
を通じて、本論は小津による初期の特異な切り
れる不連続性という問題は近年、バーチを引用
返しに、図柄上の一致を介してショット間に緊
しつつ、それを認める宇野邦一に対し、ボード
張を持続させ、それに破断をもたらすようなイ
ウェルを参照しながら蓮實重彦が批判すると
メージを挿入するというドラマツルギーを発見
3
4
4
4
4
いうように、日本において再燃させられた 。
し、この意味において、小津の切り返しは不連
この最近の論争が示すように、小津の切り返し
続性の感覚を含意していると主張していく。
に関する問題は未だ解決に至っていないのであ
1.バーチとボードウェルの小津論
4
ノエル・バーチの小津論は日本映画という枠
批判することにあった 。こうした企図に照ら
組みを超えて広く読まれてきたが、その理由の
す限りにおいて、バーチの小津論は日本映画研
ひとつは『遠くの観察者へ』における彼の企図
究というよりも、D・N・ロドウィックが「政
に求めることができるだろう。バーチが序文に
治的モダニズム」と呼んだ、イデオロギー装置
おいて明らかにしているように、同書の目的
としての映画を問題化した1968年以降の映画
は、田中純一郎やドナルド・リチーが当時まで
学のパラダイムにおいて読まれるべきなのであ
に達成したような日本映画史を書くことではな
る。
5
く、「東洋への迂回」―他者としての日本映
図式的に言えば、バーチはハリウッド映画と
画への迂回―を経ることによって、ハリウッ
小津映画を、物語映画-反物語映画という軸に
ド映画の基礎となっている西洋的表象モードを
沿って対比させている。一方においてハリウッ
2
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
ド映画は、ショットを連続的に繋げ、ショット
することを求めるからだ。この中断から生じ
間のつなぎを目立たなくさせる規則を発展させ
る効果は、発達した「編集法則」が知覚の上
たことによって、語りの物質的水準を隠す傾
で消し去ってしまった、ショット転換におけ
向にある。対して小津映画においては、この語
る不連続性を強調する 。
6
りの水準が隠されていない。そして、こうした
小津の隠されていない映画スタイルとしてバー
すなわち、小津の切り返しにおいては視線が
チが着目するのが、〈視線の一致しない切り返
一致しないことによって、ショットという要素
し〉なのである(さらにバーチは、彼が「枕
がバラバラのまま提示されている。そしてバー
ショット」と呼ぶ、物語の流れに中断をもたら
チは、こうした不連続的表象モードは、「透明
す事物のショットにも注目するが、以下では切
な語り」というハリウッド映画の表象モードに
り返しの議論に集中しよう)。
対して異化の効果を持っていると主張する。
先述したように、小津映画の切り返しにおい
さらにバーチは、物語の要素が断片的なままに
ては、カメラがイマジナリー・ラインを跨いで
止まり、語りの過程が露わになっている小津映
交替されるため、ショット間において登場人物
画の表象モードを、枯山水、和歌、文楽といっ
の視線が一致しない。バーチは大枠において、
た日本の伝統美学に結びつけ、ハリウッド映画
こうした小津の切り返しに関する一般的議論に
-小津映画という対立を先鋭化させるのである 。
従いつつも、政治的モダニズムの観点から、
しかしながら、小津映画における不連続性の
180度の規則に潜む「透明な語り」という西洋
感覚についてのバーチの主張は、次の二点にお
的表象モードのイデオロギーを強調する。すな
いて大きな問題を含んでいるだろう。第一に、
わち、オーソドックスな切り返しにおいて、
初期小津に対するハリウッド映画の影響を考慮
カットを超えて登場人物の視線が一致させられ
に入れれば、ハリウッド映画-小津映画という
るのは、視線を一致させることによって「編
バーチの二項対立的図式はあまりに単純である
集」という語りの過程を不可視にしようとする
(しかもバーチは、ハリウッド映画の影響が色
作為が働いているためだというのである。対し
濃い小津の初期作品を中心的に論じている)。
てバーチは、小津の切り返しは視線が一致しな
加えて、日本の伝統美学による小津の表象モー
いことを通じて、このカットという不連続性を
ドの説明は、さらにいっそう問題含みだろう。
露わにすると主張するのであり、その効果につ
バーチは、和歌、枯山水、文楽など平安時代か
いて次のように書くのである。
ら江戸時代に属する美学モードと20世紀の小
7
津映画を、まったく論拠を与えず非歴史的につ
彼〔小津〕は、連続性の原則に挑戦した。と
なげるのであって、バーチのこうした議論は、
いうのも「悪い」視線の一致は、編集の流れ
他者を貶めるとまでは言わないまでも、ハリ
に「衝撃jolt」をもたらし、物語空間での観
ウッド映画と「他なる」映画という二項対立に
客の方向感覚を一瞬混乱させ、それを再調整
基づいたオリエンタリズムという陥穽のうちに
不連続性の感覚
3
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囚われていると言わざるをえない 。
切り返しを論じるのだろうか。まずボードウェ
第二に、より根本的に、バーチが不連続性の
ルは、小津映画は紛れもなく物語映画であると
感覚を理論化するにあたって自明視されている
いうことを確認しつつ、登場人物の演技や編集
4
4
前提に疑問を呈することもできる。バーチは小
は「読み取りやすい」ように演出されていると
津の切り返しに含意される不連続性の感覚を
強調する 。すなわち、エスタブリッシング・
180度の規則の侵犯に帰しているが、本当にそ
ショットによって登場人物の位置関係は明確に
うなのか。そもそも、小津の切り返しは不連続
示されるのであり、反物語的であることは意図
性の感覚を含んでいるのか。これは、デヴィッ
されていないのである。とはいえ、ボードウェ
ド・ボードウェルによって提起された問いであ
ルの主眼は小津の特異な映画スタイルにある。
る。
小津の切り返しに関していえば、ボードウェル
10
は「360度のシステム」という語によって説明
バーチの説明が個別論的かつ否定的である
する。イマジナリー・ラインという直線に縛ら
ことに注意しよう。この説明はカットの瞬間
れた180度の規則に対して、小津は登場人物を
のみに注目し、それを単につなぎの規則に対
中心とした円形の場に基づいてカメラ位置を選
する侵犯、「挑戦」と見なしている。だが、
択した。すなわち、カメラは登場人物に対して
一連のショットが、ショットの大きさ、アン
45度の倍数のいずれかの場を占めるのである
グル、動きや人物配置などのパターン化を通
(図1.1)。切り返しの場合には、典型的には
じていかに空間全体の文脈を構築しているか
二人の登場人物は対角線上に向かい合って置か
4
4
4
を見れば、小津が固有の肯定的システム、安
れ(「筋交い」の配置)、二人の人物を中心と
定化をもたらす多くの特徴をもつシステムを
した二つの円が重ねられる。そして、各々の登
9
提起していることがわかる〔強調原文〕 。
場人物を正面から捉えたショットが交替される
と、イマジナリー・ラインは侵犯されるのであ
ボードウェルによれば、映画の背後には
る(図1.2)。とりわけ重要なことに、ボード
「ショットの大きさ、アングル、動きや人物配
ウェルは、登場人物が互いに同じ姿勢をし、か
置などのパターン化」など様々な営為が働いて
つ同じ角度から捉えられるとき、ショット間に
いるのであり、ショットのつなぎとはそうした
は〈図柄上の一致〉という効果が生まれると指
活動のひとつにすぎない。とすれば、ショット
摘している 。
11
つなぎの規則の侵犯のみによって、不連続性
*
の感覚が帰結するとはかぎらない。言い換えれ
以上、バーチとボードウェルの論争を見てき
ば、バーチはつなぎの規則とその侵犯のみを抽
たが、小津映画は物語映画であることを指摘し
象化することによって、小津の切り返しに不連
つつ、小津の切り返しのシステムをその独自性
続性の感覚を認めたのである。
において分析したボードウェルの議論の方が、
それでは、ボードウェルはどのように小津の
4
バーチのそれ以上に生産的であると言えるだろ
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
図1.1 「360度のシステム」
図1.2 「筋交い」の配置
う。しかし、小津の切り返しに不連続性の感
の文脈で、この「理由のない」という語に積極
覚を見て取ったバーチの議論は完全に間違って
的な意味を与えているが 、小津が彼の切り返
いるのか。あるいは、ボードウェルの議論には
しを練り上げた理由については考察の余地があ
まったく遺漏がないのか。小津の切り返しに関
るだろう。
する議論を再活性化するために、次の二点を問
13
第二に、たしかに180度の規則の侵犯に帰す
ことは短絡的であるとしても、小津の切り返し
いとして提起しておきたい。
第一の問いは、〈視線の一致しない切り返
は別の理由によって不連続性の感覚を含んでい
し〉の発生過程に関するものである。バーチと
ると考えることはできないだろうか。あるい
ボードウェルが共に認めるように、小津は最初
は、バーチの小津論は多くの点で問題を抱えて
から〈視線の一致しない切り返し〉を体系的に
いるとしても、有益な示唆を含んでいるのでは
使用していたわけではなかった。とすれば、
ないか。こうした観点から注目したいのが、次
小津はいかにしてこのスタイルを練り上げた
のような評言である。
のか。しかしながら、バーチはハリウッド映画
-小津映画という対立的図式ゆえに、この問い
一連の切り返しショットは、平らな表面が
に問題の宛先を向けていない。あるいは、ボー
向かい合う〔face to face〕というよりも並
ドウェルはハリウッド映画の影響という観点か
んで〔side by side〕続いているように見え
ら、小津は最初期の作品でむしろ180度の規則
る。いわば観客のために挿入されるべき想像
12
に従っていたと指摘している 。しかし、小津
14
的空間は、それらの間に存在しないのである 。
の特異な切り返しの発展の過程に関しては、小
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4
4
4
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4
津は規範のダイナミズムの中で試行錯誤と微調
4
バーチはここで、ショットつなぎというより
整 を繰り返しながら、180度の規則に基づいた
も、ショットそのもののイメージの性質という
オーソドックスな切り返しを脱中心化し、自ら
観点から小津の切り返しを論じている。すなわ
の「360度のシステム」に基づいた切り返しに
ち、小津の切り返しは各ショットの水準で「平
改変したと論じるにとどめ、この逸脱=練り上
面性」ないし「正面性」という性質を有してお
げには「理由がないunreasonable」と結論付け
り、それらのショットが切り返しとして交替
てしまう。ボードウェルは1980年代の映画学
されたとしても、「向かい合う」というより
不連続性の感覚
5
「並んでいる」という感覚を与えるというので
し、ボードウェルは「1932年以降、〔視線の
ある。もちろん、ボードウェルも主張するよう
一致しない切り返し〕が優位を占めた」と書い
に、小津の切り返しにおいては、エスタブリッ
ている 。さらにボードウェルは―小津の特
シング・ショットで人物配置が周到に示されて
異な映画スタイルの発展には「理由がない」と
おり、観客は二人が向かい合っているという
しながらも―、小津の特異な切り返しは「図
ことを見失わないだろう(さらにバーチは、
柄上の一致に対する欲求」に起因するのではな
小津映画のイメージの二次元性を、三次元的イ
いかと示唆している 。
15
16
リュージョンを希求する西洋的表象モードに対
以下辿っていくように、たしかに小津による
する日本の伝統的美学に帰すのであり、この議
〈視線の一致しない切り返し〉の練り上げの過
論も大きな問題を含んでいる)。しかしバーチ
程には、それ自体には「理由のない」試行錯誤
は、この「並んで」という語によって、物語空
という側面がある。しかし本論は、〈視線の一
間の理知的把握に還元されない、映画の経験を
致しない切り返し〉は初期作品において、対峙
意味しようとしているのではないか。
のシーンで特権的に使用されていたという点に
以上二つの問いを念頭に置いて、以下では、
注目し、小津による同スタイルの使用に―小
小津が〈視線の一致しない切り返し〉を練り上
津がこの映画スタイルを発展させた理由として
げていった過程を辿ろう。上記では、バーチと
―ショット間に作り出された緊張と破断とい
ボードウェルはこの発生過程に関する問いを考
うドラマツルギーを見出していく。その上で、
察していないと批判した。とはいえ、二人は
同ドラマツルギーのミニマルな物語構造内での
細部で有益な指摘をしていることも事実であ
使用という観点から、〈視線の一致しない切り
る。例えば、バーチは1933年の『東京の女』
返し〉が初めて体系的に使用されたとバーチが
を「不正確な視線のつなぎを確実に生み出すよ
指摘する『東京の女』を分析する。
4
4
うなカメラ配置を体系的に始めた」作品と指摘
2.最初期作品における切り返し―1932年まで
ボードウェルも指摘するように、小津は最初
す」の張り紙でおびき寄せた通行人とやりとり
期の作品において、むしろオーソドックスな切
をする場面など、小津は大半の切り返しシーン
り返しを多く使用していた。ただし、これは、
で180度の規則に従っている。とはいえ、180
小津が〈視線の一致しない切り返し〉を全く
度の規則が明確に侵犯されているシーンもあ
使用しなかったということを意味しない。例
る。映画の中頃、路面電車のシーンで、車掌
えば、彼のもっとも古い現存作品『若き日』
は斎藤に運賃を支払うように促すのだが、財
(1929)において、斎藤達雄と松井潤子が毛
布を落とした彼は払うことができない。コミカ
糸の玉を作る場面や、結城一郎が「貸間ありま
ルではあるが緊張をはらみつつ、車掌と慌てふ
6
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
ためく斎藤のミディアム・ショットがイマジナ
て―交替される(図2.1-2.2)。
リー・ラインを跨いで―図柄上一致させられ
図2.1 『若き日』
図2.2 『若き日』
1920年代後半から1930年前後までの小津の
と考えることができるのであり、ゆえに、オー
最初期の作品は多くが失われているため、注意
ソドックスな切り返しを彼独自の切り返しへと
が必要だろう。しかし『若き日』の切り返しか
改変していくことができたのだと推測すること
らだけでも、小津の最初期の切り返しに関して
もできるだろう。
次の点を指摘することができる。すなわち、小
実際、現存する作品を見る限り、小津は
津は基本的に180度の規則を遵守していたが、
1930年を通して180度の規則を概ね守っていた
時として視覚上の効果―とりわけ図柄上の一
ように思われる。たしかに同年3月の『朗かに
致―のためにイマジナリー・ラインを超えて
歩め』には、社長(坂本武)からの高価なプレ
カメラを交替させた。あるいは同作品には、結
ゼントについて相談するやす江(川崎弘子)
城の下宿を訪れた松井が女将と対面する場面
と母親(鈴木歌子)が火鉢を囲んで座り、彼
(カメラはイマジナリー・ラインを微妙に跨い
らのミディアム・ショットがイマジナリー・ラ
で交替される)や、斎藤と結城が斎藤のアパー
インを跨いで交替されるシーンがある(図2.3-
トで会話する場面(登場人物の移動に伴って
2.4)。しかし、同シーンの終わりではカメラ
180度の規則が侵犯される)など、小津は180
は180度の規則を守って交替されるのだし(図
度の規則に対して曖昧であることを示すシーン
2.5)、仙公(吉谷久雄)が被害者や通行人か
もある。とすれば、小津はこの時期180度の規
らすりの容疑をかけられる場面や、坂本武が川
則を比較的緩やかな規範として受け入れていた
崎弘子に指輪を餌に言い寄る場面など、他の
図2.3 『朗かに歩め』
不連続性の感覚
図2.4 『朗かに歩め』
図2.5 『朗かに歩め』
7
シーンではオーソドックスな切り返しが使われ
起させる切り返しがある。路上で、淑やかな女
ている。また、6月の『その夜の妻』はギャン
性・広子(川崎弘子)が不良女子を演じるモガ
グ映画の視覚的トループを駆使した実験的な作
女優・伊達里子に言い掛かりをつけられる。
品と見なされるが、切り返しに関して言えば、
カメラはイマジナリー・ラインを横切って交替
病床に伏す子供と八雲恵美子の間で取り交され
され、二人のミディアム・ショットが図柄上一
る、イマジナリー・ラインに対して曖昧な幾つ
致させられる(図2.6-2.7)。また同作品には、
かの交替を除いて、基本的に180度の規則は遵
小津が1931年初頭までに前年に比べて、意識
17
守されている 。
的に〈視線の一致しない切り返し〉を使用して
対して、小津が本格的に〈視線の一致しない
いたことを示すシーンもある。弘子は彼女の母
切り返し〉を探求し始めたのは、1931年以降
(飯田蝶子)に岡田時彦のことを話すシーンで
であったと考えることができる。こうした観
は、二人は明示的に筋交いの配置で座り、カメ
点から重要だと思われるのは、同年2月公開の
ラはコンスタントにイマジナリー・ラインを跨
『淑女と髭』である。まず同作品の冒頭近くに
いで二人のショットを交替する。
は、『若き日』における路面電車シーンを想
図2.6 『淑女と髭』
図2.7 『淑女と髭』
それでは、以上のような最初期の作品におけ
ルクスの写真が同一ショット内で重ねられるな
る、小津の切り返しの使用から何が言えるだろ
ど、小津作品の中でもとりわけ視覚上の類似性
うか。まず、ボードウェルも主張するように、
を強調した『淑女と髭』が同スタイルの発展に
小津は1930年代初頭― より特定すれば、
とって重要であったことを鑑みれば、この練り
『淑女と髭』の1931年以降― 徐々に〈視
上げの根底には図柄上の一致への希求があった
線の一致しない切り返し〉を多用するように
というボードウェルの示唆にも同意できる。
なったと言うことができるだろう。さらには、
しかしながら、上記の切り返しシーンの細部
(1)同一作品における〈視線の一致する切り
に注目することによって、ボードウェルの「理
返し〉と〈視線の一致しない切り返し〉の混在
由のない」練り上げ―ないし単純な視覚上の
を考慮に入れれば、小津は彼の特異な切り返し
遊戯としての「図柄上の一致」―以上のこと
を試行錯誤から、言わば「理由なく」練り上げ
が言えないだろうか。こうした観点から注目し
たと考えられるし、(2)岡田時彦の髭面とマ
たいのは、『若き日』や『淑女と髭』の上記の
8
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
4
4
例において、対峙 という緊張を含意したシー
一致しない切り返し〉を多用しており、こうし
ンで、特権的に〈視線の一致しない切り返し〉
た過程は試行錯誤の結果として「理由がない」
が使用されているということである(斎藤と車
と考えることができる。しかしこれらの作品
掌、川崎と伊達の切り返し)。本論は視線の不
でも、〈視線の一致しない切り返し〉が対峙の
一致によって、登場人物間の敵対関係が示され
場面で印象的に使われているシーンがある。例
ていると主張するつもりはない。しかし、これ
えば『東京の合唱』の冒頭では、授業開始に遅
らシーンの各ショットは、斜め右ないし左方
れてきた岡田時彦は体育教師を演じる斎藤達雄
向、前方へと身構えた登場人物を捉えており、
と対面するが、二人のショットは初め、180度
構図の上で緊張を含意している。そして、こう
の規則に従って交替される。しかし直後、上半
した前傾姿勢に構える人物のショットが図柄
身裸になった岡田が戻ってきて、斎藤と向かい
上同様のショットに交替されると、各ショット
合う場面では、カメラはイマジナリー・ライン
に含意される緊張の感覚がカットを超えて―
を跨いで交替される(図2.8-2.9)。このカメラ
4
位置のパターンの変化は、180度の規則の侵犯
4
4
4
4
4
4
4
4
4
シーンを通じて―、引き延ばされ、持続され
4
4
4
4
るように感じられる。小津はただ単に「理由な
に対する躊躇とも受け取れるが、ここに、対峙
く」というより、こうした緊張の持続という物
の場面に含意される緊張の感覚の強調という小
語上の効果を狙って、図柄上の一致を作り出す
津の演出上の意図を読み取ることもできないだ
カメラ位置を選んだのではないか(さらに言え
ろうか。あるいは、小津は『生れてはみたけ
ば、小津の主眼は「演出mise-en-scene」の水
れど』においても、多くのシーンで180度の規
準で、緊張を表現するようなカメラ位置を登場
則を守っている。しかし、主人公の兄弟(菅原
人物に対して取ることにあり、こうしたショッ
秀夫と突貫小僧)が引っ越し先のガキ大将(飯
トを連続させた結果、図柄上の一致が生まれて
島善太郎)と対峙するシーンでは、『若き日』
いるとすら考えたくなる)。
や『淑女の髭』を想起させる仕方で、イマジナ
一方において、小津は『東京の合唱』
(1931)や『生れてはみたけれど』(1932)
リー・ラインを跨いでカメラが交替される(図
2.10-2.11)。
といった続く時期の作品で、ますます〈視線の
図2.8 『東京の合唱』
不連続性の感覚
図2.9 『東京の合唱』
図2.10 『生れてはみたけれど』
9
図2.11 『生れてはみたけれど』
そして、対峙の場面における切り返しの使用
は、堀野が大学時代の友人・斎木(斎藤達雄)
という観点からさらに興味深いシーンが、『生
と対峙するシーンである。映画の終盤、堀野
れてはみたけれど』の後、1932年秋に製作さ
は斎木がお繁と婚約していることを知り、友人
れた『青春の夢いまいづこ』に見出される。同
であるにもかかわらずそれを黙っている斎木に
作品には、社長の御曹司・堀野(江川宇礼雄)
怒って、彼を呼び出す。最初、二人のミディ
がベーカリーの娘・お繁(田中絹代)に路上で
アム・ショットが数回、180度の規則に則りな
出会う場面など、小津がより安定して〈視線
がら交替される。しかし、堀野が斎木を殴るに
の一致しない切り返し〉を使用しているシーン
至って、カメラは二人を結ぶイマジナリー・
に富んでおり、こうした切り返しは、たしか
ラインの向こう側へと位置を変える (図2.12-
に「理由のない」試行錯誤の帰結として考え
2.14)。
18
ることができる。しかしここで注目したいの
図2.12 『青春の夢いまいづこ』
図2.13 『青春の夢いまいづこ』
図2.14 『青春の夢いまいづこ』
ここで注目したいのは、殴るという掻き乱す
ているショットを図柄上の一致を示唆させなが
ような大きなアクションを伴った劇的瞬間に、
ら交替させることで、ショット内に含意されて
小津がカメラ位置のパターンを変えているとい
いる緊張を引き延ばし、持続させるという彼の
うことである。たしかに堀野が殴る瞬間、カメ
切り返しの使用法を思い浮かべていたのではな
ラは突如としてイマジナリー・ラインを越えて
いか。そして小津は、殴る堀野と殴られる斎木
交替されるため、堀野と斎木のショットが図柄
という文字通り崩壊を喚起するイメージを挿
上、明示的に一致させられることはない。しか
入することによって、この持続された緊張に視
し、小津はここで、各々が緊張の感覚を含意し
覚的水準で明示的に破断をもたらそうとしてい
10
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
るのではないか。この切り返し―およびカメ
な使用を認め、そこに、構図の上で緊張を含意
ラ位置のパターンの変化―において示唆され
したショットを図柄上一致させて連続させるこ
ているのは、構図の上で緊張を含意したショッ
とで緊張の感覚を持続させ、この緊張に破断を
トを図柄上一致させて連続させることで、各
もたらすイメージを挿入するというドラマツル
ショットに含意される緊張の感覚を持続させな
ギーを読み取った。とはいえ『青春の夢いまい
4
4
4
4
4
4
がら、決定的瞬間に、この緊張に破断をもたら
4
4
4
4
4
づこ』においても、殴るという劇的瞬間にカメ
すイメージを挿入するというドラマツルギーな
ラ位置のパターンが変化するというように、小
のである。
津は未だ〈視線の一致しない切り返し〉を完全
たしかに公平に語れば、対峙のシーンは〈視
に使用していない。この点を念頭に置きつつ、
線の一致しない切り返し〉の使用例の一部でし
次節では、1933年1月から2月にかけて製作さ
かない。さらに、小津は1929年から1932年に
れ、バーチが小津の特異な切り返しが初めて体
かけて一定の不整合性を含みながら、徐々に
系的に使用されたと主張する『東京の女』を分
〈視線の一致しない切り返し〉を発展させて
析していこう。見ていくように、小津はこの作
いったのであり、その限りにおいて、試行錯誤
品で、彼の切り返しを上記のドラマツルギーに
による「理由のない」練り上げというボード
基づきながら、ミニマルな物語構造の中で極め
ウェルの筋書きは正しいと言えるだろう。しか
て有効に使用しているのである。
4
4
4
4
し、本論は対峙のシーンに同スタイルの特権的
3.〈視線の一致しない切り返し〉の体系的使用―『東京の女』
『東京の女』のミニマルな物語構造から始め
告知、良一によるちか子への詰問、良一の自殺
よう。同作品は、良一(江川宇礼雄)-ちか子
と姉と恋人の失望という三つのクライマックス
(岡田嘉子)と春江(田中絹代)-木下巡査
となるシーンを、良一、春江、ちか子という三
(奈良真養)という二組の姉弟・兄妹を主要登
人の登場人物を組み合わせながら、ショット間
場人物とし、物語の舞台を彼らの住居にほぼ限
に緊張の感覚を持続させ、この緊張に破断をも
定した中編映画である。こうした物語構造は、
たらすイメージを挿入するという彼の切り返し
しばしば居間を舞台とした、主要登場人物間の
のドラマツルギーを効果的に使って描いている
4
4
切り返しの反復によって物語が進行する後期作
のである。
品のプロトタイプとなっているという意味で、
まず『東京の女』の最初の山場だと見なすこ
小津の語りの手法の発展にとって重要だが、こ
とのできる、良一と春江の切り返しシーンに注
こでは『東京の女』の物語構造と同作品におけ
目しよう。前シーンで、春江は警察官の兄か
る切り返しの使用に焦点を絞ろう。同作品にお
ら、姉のちか子が夜の酒場で働いているという
いて小津は、春江から良一へのちか子の秘密の
噂を聞くが、彼女はこのシーンで、それを恋
不連続性の感覚
11
人の良一に伝えてしまう。シーンは、良一が
詰問する(図3.1-3.2)。落ち着かない良一は屋
アパートで独り読書をしているところから始ま
内を移動するが、二人は最終的に筋交いの配置
る。そこへ春江が訪れ、二人は火鉢を囲んで筋
で立つ。カメラは、「姉との生活を邪魔する者
交いに座る。カメラは、何かを言いたそうだが
は敵だ」と言いながら、手を振り払う良一と、
口に出せない春江とヤキモキする良一の姿を、
今にも泣きそうにうつむく春江を正面から捉
イマジナリー・ラインを跨いで交替する。躊躇
え、二人のショットを〈視線の一致しない切り
する春江に痺れを切らした良一は、自分の机に
返し〉で交替させる。そしてシーンは、春江が
戻るが、春江は身を前に乗り出して、ちか子の
実際に泣き崩れてしまうことで閉じる(図3.3-
噂を告げる。この情報を信じることができない
3.4)。
良一は立ち上がり、同じく立ち上がった春江に
図3.1 『東京の女』
図3.2 『東京の女』
図3.3 『東京の女』
図3.4 『東京の女』
良一と春江はシーンの大半で立っており、し
された緊張を強調する構図で捉え、このように
ばしば場所を移動するため、カメラは必ずしも
緊張を内包するショットが連続される。かくし
イマジナリー・ラインを侵犯して交替されるわ
てシーンを通じて、緊張の感覚が持続された
けではなく、図柄上の一致も前節で見た切り返
後、小津はクライマックスにおいて、良一の手
しに比べて、それほど明示的ではない(ただ
を上げる、あるいは春江の泣き崩れるという、
し、いくつかのショットでは明示的な図柄上の
緊張に破断をもたらすイメージを挿入すること
一致も見られる)。しかし、とりわけシーンの
で、シーンを締め括るのである。
後半においては、カメラは前傾姿勢の良一とう
小津が切り返しシーンを、ショット間に緊張
なだれる春江を、この詰問というシーンに含意
の感覚を持続させ、そこに破断をもたらすイ
12
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
メージを挿入するというドラマツルギーに基づ
まり、二人は筋交いの配置で座る。良一は噂の
いて組み立てたということは、切り返しを効果
真相を尋ねるが、ちか子はごまかそうとする。
的に使った、他の二つのシーンからも明らか
真実を悟った良一は立ち上がり、屋内をしばら
である。ちか子が働く夜の酒場の短いシーン
く動いた後、同じく立ち上がったちか子と筋交
の後、シーンは良一とちか子のアパートに戻
いの配置で向き合う。緊張を含意した二人の
る。このシーンは、良一‐春江というペアを良
ショットが、図柄上の一致を示唆しながら交替
一‐ちか子に置き換え、先述のシーンを構造的
された後、良一は平手打ちをし、頬を手で押さ
に反復している。シーンはちか子の帰宅から始
えるちか子のショットが続く(図3.5-3.6)。
図3.5 『東京の女』
図3.6 『東京の女』
〈視線の一致しない切り返し〉という観点か
りになりながら、辛うじて姿勢を保つ両者の
らいえば、アパートを飛び出し、夜道を歩く良
ミディアム・ショットは、緊張の感覚を構図の
一のシーンを挿んだ、翌朝のシーンはより明示
上で強調しながら交替される。そして春江は何
的である。このシーンで、ちか子は帰ってこ
もしゃべることのできないまま、泣き崩れてし
ない良一を案じ、春江の家を訪ねる。ちか子
まう。ちか子に求められて、起き上がった春江
と春江は囲炉裏を挟んで筋交いに座り、二人
は、良一が自殺したことを伝えるが、再び、フ
のショットは明示的に図柄上一致にさせられ
レーム左下に見つめる、春江とちか子のミディ
た上で交替される。そこに警察官の兄から電話
アム・ショットが図柄上一致させられて、交替
がかかってきて、春江は近所の時計屋へと移動
される(ショットは互いに肩越しに捉えられて
し、良一が自殺したことを聞く。春江が戻って
いる)。そして各ショットに含意される緊張の
きた後、二人のショットは一層切迫して交替さ
感覚が頂点に達したとき、春江は再び泣き崩れ
れる。二人は筋交いに座り、斜め左へ前のめ
る (図3.7-3.10)。
不連続性の感覚
19
13
図3.7 『東京の女』
図3.8 『東京の女』
図3.9 『東京の女』
図3.10 『東京の女』
見てきたように、『東京の女』においては三
関する彼の記述は、とりわけ同作品に当て嵌ま
度、良一‐春江、良一‐ちか子、春江‐ちか子
るのではないか。見てきたように『東京の女』
の組み合わせで印象的な切り返しが演じられ
の切り返しシーンでは、対となるショット間に
る。さらに、小津はいずれの切り返しにおいて
おいて緊張が持続される。たしかに小津映画は
も、ショットを図柄上の一致を示唆しながら連
物語映画であり、観客は登場人物が向かい合っ
続させることで、各ショットに含意される緊張
ていることを見間違えないだろう。しかし、こ
の感覚を持続させ、クライマックスとなる瞬間
こには理知的な物語空間把握には還元されない
に、この緊張に破断をもたらすイメージを挿入
登場人物間の関係が表現されているのであっ
しているのであり、これは、小津が彼の切り返
て、バーチはこの緊張を「並んで」という語で
しを、本論がこれまで辿ってきたような、緊張
意味したのではないか。さらには、小津の切り
と破断のドラマツルギーに結び付けていたとい
返しでは決定的瞬間に、この緊張に破断をもた
うことを示している。
らすようなイメージが挿入される。とすれば、
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
最後に、バーチは『東京の女』を〈視線の一
小津の切り返しには視覚の水準で明示的に破断
致しない切り返し〉が体系的に使用し始められ
を喚起するイメージが含まれているのであり、
た作品だと指摘していたことを思い出しておこ
バーチのいうように―180度の規則の侵犯に
う。さらに言えば、バーチは『遠くの観察者
帰すことはできないとしても―、小津の切り
へ』の小津に関する章で『東京の女』を中心的
返しは不連続性の感覚を内包していると言える
に論じていた。とすれば、バーチは特定のシー
だろう 。
20
ンを分析しているわけではないが、切り返しに
14
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
4.おわりに―『出来ごころ』以降
本論は発生過程という観点から、1933年ま
とつの完成を見たと論じてきた。では以降、小
での小津の切り返しの使用を辿ってきた。たし
津はどのように彼の切り返しを使用したのか。
かにボードウェルの主張する通り、小津の〈視
こうした観点から『東京の女』の後、1933年
線の一致しない切り返し〉の練り上げには、試
夏に製作された『出来ごころ』を見てみよう。
行錯誤あるいは「理由のなさ」という側面があ
喜八(坂本武)、次郎(大日方伝)、春江(伏
る。しかし本論は、〈視線の一致しない切り返
見信子)の間の三角関係を描いた同作品は、
し〉が対峙のシーンで特権的に使われている
喜八と次郎の借家および、おとめ(飯田蝶子)
ことに注目し、この使用に、緊張を含意した
の食堂を主たる舞台として、主要登場人物間の
ショットを図柄上一致させて連続させること
切り返しが反復されるというミニマルな物語構
で、各ショットに含意された緊張の感覚を持続
造を持っている。そして、その多くが〈視線の
させるという演出上の意図を見出した。その上
一致しない切り返し〉であり、いくつかのシー
で、小津はこの緊張に破断をもたらすようなイ
ンで破断を喚起するイメージが効果的に使用さ
メージを挿入し(『青春の夢いまいづこ』)、
れている。例えば、富坊(突貫小僧)の入院
持続された緊張とその破断というドラマツル
費を何とか工面すると申し出る春江に、次郎が
ギーのもと、彼の切り返しを最大限に活用した
ついに心を許すシーンでは、カメラは互いに左
のである(『東京の女』)。とすれば、小津の
手を差し出す二人を、この身振りに含意された
切り返しには、180度の規則の侵犯に帰すこと
緊張の感覚を構図の上で強調して捉え、各々の
は単純だとしても、視覚の水準で明示的に破断
ショットを図柄上一致させて交替する(図4.1-
をもたらすようなイメージのために、不連続性
4.2)。かくして各ショットに含意される緊張
の感覚が含まれていると言えるだろう。
が持続された後、春江は倒れ込むように次郎に
本論は、小津の切り返しは『東京の女』でひ
図4.1 『出来ごころ』
不連続性の感覚
4
4
4
4
抱きつく。
図4.2 『出来ごころ』
15
図4.3 『出来ごころ』
図4.4 『出来ごころ』
あるいは、破断を喚起するイメージの使用と
子が優男の大学生・田浦正巳に平手打ちをする
いう観点から圧巻なのは、富坊が働かない父親
切り返しがある)、彼自身の言葉を引用するこ
を責めるシーンである。飲み屋に入り浸る喜八
とでこれを示唆しよう。1947年の記事「映画
を嘆く富坊は、泣きながら父親の大切にしてい
の文法」で、小津は、彼の切り返しは初め少し
る盆栽をむしってしまう。そこへ喜八が帰って
違和感を持っているかもしれないが、それは
きて叱るのだが、二人のショットは緊張の感
大きなものではないと言っている。その上で、
覚を伴って交替される。そして、この交替は富
「文法などにこだわって知識で身動きできなく
坊が父親に本を投げ、何度も平手打ちすること
なることが嫌だ」と主張し、次のように結論付
で頂点を迎える(図4.3-4.4)。『出来ごころ』
けている。
において、小津は『東京の女』と同様に―あ
るいは本などの小道具を使って、それ以上に
私は映画を作るに当って、文学者が文学を創
―、持続された緊張と破断という彼の切り返
作する時、文法にこだわらないように、私も
しのドラマツルギーに基づいてシーンを劇的に
亦、映画の文法にこだわりたくない。私は感
しているのである。
覚はあるが文法はないと思っている 。
21
それでは、さらに戦後を含めた小津の後期作
品はどうなのか。しばしば静穏によって特徴づ
小津がここで言う「文法」とは、物語の最低
けられる後期作品において、小津は視覚に水準
限の理解に関わる映画の規則であると考えるこ
で明示的に破断を喚起するイメージを使用する
とができるだろう。とすれば、この「文法」以
ことは控えるようになったと思われる。しか
上に重要だと言っている「感覚」とは、ショッ
し、小津は彼の切り返しを緊張の感覚のもと繋
トを緊張のうちに――あるいはその極限状態と
げていたのではないか。ここでは具体例に即し
しての不連続性の感覚のうちに――連続させ
て分析する紙幅は残されていないが(ただし
る、彼の切り返しの方法に関わっていたのでは
1957年の『東京暮色』には、妊娠した有馬稲
ないか。
16
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
註
1
Noël Burch, To the Distant Observer: Form and Meaning in the Japanese Cinema, Berkeley: University of California Press, 1979
(抄訳「小津安二郎論―戦前作品にみるそのシステムとコード」西嶋憲生・杉山昭夫訳『ユリイカ』1981年6月)。なお、英
語文献の引用に際しては、適宜変更を加えた。
2
David Bordwell, Ozu and the Poetics of Cinema, London: BFI Pub., 1988(デヴィット・ボードウェル『小津安二郎 映画の詩学』
新装版、杉山昭夫訳、フィルムアート社、2003年)。
3
宇野邦一『映像身体論』みすず書房、2008年、45-55頁。蓮実重彦『ゴダール フーコー マネ―思考と感性をめぐる断片的な考
察』NTT出版、2008年、120-127頁。
4
Burch, op. cit., p. 11.
5
D.N. Rodowick, The Crisis of Political Modernism: Criticism and Ideology in Contemporary Film Theory, Urbana: University
of Illinois Press, 1988.
6
Burch, op. cit., p. 159(邦訳、82頁)。
7
Ibid., p. 169, p. 175(邦訳、82-83頁、94頁)。
8
Cf. Mitsuhiro Yoshimoto, Kurosawa: Film Studies and Japanese Cinema, Durham: Duke University Press, 2000, pp. 19-23.
9
Bordwell, op. cit., p. 92(邦訳、167頁)。
10
Ibid., pp. 89-90(邦訳、161-162頁)。
11
Ibid., pp. 92-98(邦訳、167-176頁)。
12
Ibid., p. 95(邦訳、172頁)。
13
「理由のない」という語によって、ボードウェルはまず、規範間の連関を強調することを企図している。すなわち、端緒は取る
に足らぬものであったとしても、あるスタイル上の変更は規範の連関の中で大きな影響を持つということである(構図上の微細
な調整は演出や編集の方法まで影響を及ぼすというように)。ボードウェルはこの語を、特定の映画技法に過度な意味を付与し
た(男性的視線の代理など)1970年代の映画学の文脈で提示した。Ibid., pp. 74-90(邦訳、130-160頁)および、David Bordwell,
Narration in the Fiction Film, Madison: University of Wisconsin Press, 1985, pp. 16-26. また小津に関しては、ボードウェルはこ
の「理由のない」という語に、小津によるハリウッド映画の規範の脱中心化の契機という含意も込めている。Bordwell, Ozu, pp.
120-130(邦訳、214-236頁)。
14
Burch, op. cit., p. 175 (邦訳、94頁)。
15
Ibid., p. 159 (邦訳、81頁); Bordwell, op. cit., p. 95(邦訳、172頁)。
16
Ibid., p. 98(邦訳、176頁)。
17
ボードウェルは同作品で、小津はより自由に彼の特異な切り返しを使うようになったと主張するが、切り返しに関する限り、
18
ボードウェルは、このシーンにおけるローアングルを指摘しているが、イマジナリー・ラインの侵犯には言及していない。Ibid.,
19
筆者は別稿において、この『東京の女』の切り返しシーンを、同作品冒頭シーンとの関連で論じた。滝浪佑紀「『動き』の美学
20
最後にボードウェルに対するミリアム・ブラトゥ・ハンセンの批判に言及することで、以上のような小津のドラマツルギーに歴
『その夜の妻』は保守的である。Ibid., op. cit., p. 207(邦訳、354 頁)。
p. 234(邦訳、394頁)。
――小津安二郎に対するエルンスト・ルビッチの影響」、『表象』7号(2013)、188−189頁
史的説明を与えておこう。ハンセンによれば、ボードウェルの映画論の最大の問題点は、彼はあるコーパスとなる映画をその
規範システムにおいて記述することに満足し、その映画の魅力についての問いを排除していることにある。対してハンセンは、
映画が20世紀において、かくも強い魅力を持った理由のひとつとして、このメディアが近代に対して応答をしていたからだと
論じるのである(「ヴァナキュラー・モダニズム」)。Miriam Bratu Hansen, “The Mass Production of the Senses: Classical
Cinema as Vernacular Modernism,” in Christine Gledhill and Linda Williams, eds., Reinventing Film Studies, London: Arnold,
2000, pp. 332-350(邦訳、ミリアム・ブラトゥ・ハンセン「感覚の大量生産――ヴァナキュラー・モダニズムとしての古典的映
画」滝浪佑紀訳『SITE ZERO』3号、2010年)。
ハンセンはこのモダニズム的実践のひとつとして、欧州のサイレント前衛映画を挙げている。そして本論が示唆したいの
は、小津はこうした欧州サイレント映画作家と同時代的であり、とりわけクロースアップを〈感情の充満〉という観点から捉
不連続性の感覚
17
えた映画論(ベラ・バラージュやジャン・エプスタインなど)は、小津の切り返しを考えるにあたって有効なのではないだろ
うかということである。Cf. ベラ・バラージュ『映画の理論』新装改訂版、佐々木基一訳、學藝書林、1992年、Jean Epstein,
“Magnification,” trans. Stuart Liebman, in Richard Abel, ed., French Film Theory and Criticism, vol.1, Princeton, N.J.: Princeton
University Press, 1988, p. 235-241.
21
田中眞澄編『小津安二郎 戦後語録集成』フィルムアート社、1989年、40頁。)
参考文献
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滝浪佑紀「『動き』の美学——小津安二郎に対するエルンスト・ルビッチの影響」、『表象』7号、2013年
田中眞澄編『小津安二郎 戦後語録集成』フィルムアート社、1989年
蓮実重彦『ゴダール フーコー マネ―思考と感性をめぐる断片的な考察』NTT出版、2008年
ベラ・バラージュ『映画の理論』新装改訂版、佐々木基一訳、學藝書林、1992年
滝浪 佑紀(たきなみ・ゆうき)
1977 年 7 月 6 日生まれ
[出身大学または最終学歴]シカゴ大学博士課程修了
[専攻領域]映画史・映画理論
[主たる著書・論文]
(3 本まで、タイトル・発行誌名あるいは発行機関名)
・「『動き』の美学――小津安二郎に対するエルンスト・ルビッチの影響」、『表象』7 号(2013)
・「小津安二郎の小市民映画再考――同時代的批判」、『東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究』83 号(2012)
・“Reflecting Hollywood: Mobility and Lightness in the Early Silent Films of Ozu Yasujiro, 1927-1933,”Ph.D.
dissertation, University of Chicago, 2012.
[所属]大学院情報学環・特任講師
[所属学会]表象文化論学会・日本映像学会・Society of Cinema and Media Studies
18
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
A Sense of Discontinuity: The Genealogy of
the Eyeline-Mismatched Shot/ Reverse Shots
of the Films of Ozu Yasujiro
Yuki Takinami
Abstract
Ozu Yasujiro’s idiosyncratic shot/ reverse shots—in which the eyeline of the characters is
mismatched—have been one of the controversial topics in film studies. In the context of “political
modernism” of the 1970s, Noël Burch considered Ozu’s shot/ reverse shots to challenge the
dominant mode of representation of Hollywood cinema due to its unhidden nature—because the
mismatch of the eyeline reveals the discontinuity immanent in editing that Hollywood cinema
attempts to efface. Criticizing Burch, David Bordwell argues that Burch attends only to the
continuity of shots that is only one element among various activities of cinematic narration; then,
if Ozu’s shot/ reverse shots violate the 180-degree rule, this does not lead directly to a sense of
discontinuity.
This paper considers the above question about Ozu’s shot/ reverse shots in terms of
genealogy. Tracing how Ozu uses this film style in his early films from 1929 to 1933, this paper
clarities Ozu to use it in relation to the dramaturgy in which a tension is created through
graphical matches and an image of disruption is inserted at a climactic moment, arguing that
Ozu’s shot/ reverse shots contain a sense of discontinuity due to this reason, if not the violation
of the 180-degree rule. This paper also offers the analysis of Woman of Tokyo (1933), in which
Ozu made the most of his shot/ reverse shots through his minimalist narration.
Project Lecturer, Interfaculty Initiative in Information Studies, the University of Tokyo
Key Words:Ozu Yasujiro, silent film, shot/reverse shot, film theory
不連続性の感覚
19
〈ミドルクラス〉の再考
― 社会構築主義とメディア学の視点から理解模型を提示する―
Reconsideration of “middle class”: Proposing a new model from the
viewpoints of social constructivism and media studies
周 倩*
Zhou Qian
1.はじめに
戦後のアジアにおいては、〈ミドルクラス〉
1)
ラス〉の出現と台頭が東アジアの政治に民主化
に関する議論が絶えず続いてきた。1950年代
をもたらすと信じている(Huntington 1991=
半ば以降の日本、1980年代半ば以降のアジア
1995; Hsiao and Koo 1997)。経済学者はアジ
NIEs(韓国・シンガポール・台湾・香港)と
アの〈ミドルクラス〉が共通の消費嗜好とライ
タイ、マレーシアなど、そして2000年前後か
フスタイルを持っていると想定し、彼らの存在
らの中国とインドで見られるように、戦後長
と「アジア共同市場」の形成を結びつけて考え
く〈ミドルクラス〉はアジアの注目を集めてい
ている(谷口 2004)。文化学者は1990年代後
る。確かにそれぞれの国・地域が〈ミドルクラ
半から始まった「ジャパナイゼーション」や
ス〉を語る際に、その時間的・社会的背景と客
「韓流」、「華流」といった文化のフロー現象
観的な諸条件が異なってはいるものの、すべて
を例に、それら現象の発生が〈ミドルクラス〉
と言えるほどほとんどの国・地域において、
の類似した文化的特徴と重なりあうと説明し
〈ミドルクラス〉の形成と成長が、社会階層構
ている(岩淵 2001, 2003; 青木 2005)。これま
造の発展と政治システムの転換にとって重要
で、多くの研究者はアジアにおける〈ミドルク
な要素だと認識されている。1990年代後半か
ラス〉の出現と成長が、「東アジア共同体」の
ら、「東アジア共同体」構想の提起とともに、
形成を加速すると期待を込めながら論じてき
研究者たちの目線は〈ミドルクラス〉にいっそ
た。しかし、「〈ミドルクラス〉とは何か」と
う引かれている。政治学者は〈ミドルクラス〉
いう定義や中身に関しては、諸研究者は吟味し
を「民主化」の担い手として捉え、〈ミドルク
た上で議論しているとは言い難い。
* 東京大学大学院情報学環 交流研究員
キーワード:ミドルクラス、メディア、イメージ、主観、客観。
21
2.輪郭のはっきりしない〈ミドルクラス〉
本稿はまさに「〈ミドルクラス〉とは何か」
雇用の専門技術者や被雇用の一般事務員なども
という根本的な問題から出発し、学問的言説の
挙げられる。初期のマルクス主義の公式の中で
布置の中に置かれた既存の〈ミドルクラス〉の
は、資本主義経済の発展にともなって、〈ミド
概念を再考しようとするものである。ここで、
ルクラス〉は社会は窮乏化していく無産のプロ
まず既存の学問的言説の布置の中に置かれてい
レタリアートと、少数のブルジョアジーとの激
た〈ミドルクラス〉の概念を整理してみる。
しい対立に追い込められていく中で没落する過
階層研究では、〈ミドルクラス〉は「中間」
渡的な存在だとされていた。アメリカの社会
にあたる社会階層を表すものである。社会階層
学者C. W. ミルズが著した『ホワイトカラー』
(social stratification)というのは、「社会全
(1951)も、〈ミドルクラス〉という階層的
体において社会的資源ならびにその獲得機会
地位の不安さを指摘して没落の可能性を示唆し
が、人々の間に不平等に分配(distribute)さ
ている。しかし、実際には、資本主義経済は、
れている社会構造状態を表示する整序概念で
そうした公式や見通しの通りには進行しなかっ
ある」(富永編 1980: 3)。その概念にしたが
た。むしろ「一握りのブルジョア」と「窮乏化
えば、〈ミドルクラス〉とは「社会資源分配の
したプロレタリアート」との中間には、資本家
中間に位置づけられる存在」となる。また「中
でもなく、雇用労働者でもない、第三の中間の
間」である限り、〈ミドルクラス〉はあくまで
階層―〈ミドルクラス〉―が存在している
も相対的な存在である。たとえば、収入の点で
ことが無視できなくなった。
は、上層や下層からはっきり区別された層とし
ところで、〈ミドルクラス〉と一言で言って
て〈ミドルクラス〉というものを捉えることは
も、その内容なり中身は、けっしてはっきりく
難しい。
くり出せるわけではない。なぜなら、資本家と
他方、階級研究では、〈ミドルクラス〉は
労働者階級との中間に横わっている、形態上
「資本家階級と労働者階級の中間に位置する階
は、雇用主でもなく、さりとて労働者でもない
級」を指す。そのイデオロギーは資本主義的生
〈ミドルクラス〉は実に雑多で、分厚いからで
産関係における生産手段の非所有によって規定
ある。
されている(Centers 1949)。マルクス主義的
こうして、〈ミドルクラス〉の特徴を一言で
観点に沿うと、〈ミドルクラス〉を構成するも
言えば、上と下の境界がはっきりしない、何か
のには、生産手段を所有しているが、他人の労
茫漠とした曖昧な集まりということになる。ゆ
働に依存しない経済活動を行っている自営業者
えに、既存の学問では、〈ミドルクラス〉と
(農林漁業従事者、鉱工建設運輸業従事者、販
はきわめてつかみにくいものだと考えられてき
売従事者、サービス業従事者)、独立専門技術
た。
職業者(手工業者)などが挙げられる一方、被
22
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
2.1 〈ミドルクラス〉の判別方法
〈ミドルクラス〉というものは難解ではある
を設ける、③この順位の枠組みを指標として一
ものの、社会学の中では最も基本的かつ魅力的
社会を構成する各人各世帯を格付けし、かつそ
な課題の一つだと言えるであろう。これまで、
れぞれの順位に応じて分類する、④分類された
社会学で一般に用いられている〈ミドルクラ
各グループの連続体のどこかに刻み目をつけ、
ス〉の判別方法は、大別すれば、①主観的方
そしてこの刻み目を境界線として〈ミドルクラ
法、②客観的方法、③主観的方法と客観的方法
ス〉に入る人々の数を計算する、という四つの
との総合、という三種類に分けられる。以下、
ステップが含まれるのが普通だという。そのう
尾高邦雄の整理(1961)に基づき、三種類の
ち、第一のステップの、人々の収入あるいは所
判別方法をそれぞれ見ていく。
得の額によって〈ミドルクラス〉を判別する方
第一の主観的方法というのは、伝統的な世論
調査から発展したものである
2)
法は、経済学者の愛用するものと見られる(た
。尾高によれ
とえば、Kacapyr et al. 1996など)が、社会学
ば、日本の〈ミドルクラス〉研究では、①「労
者の間では、職業を、〈ミドルクラス〉を決め
働者階級・中産階級・資本家階級」という三つ
る最も基本的な指標として、採用する傾向が
の中から選択させるもの、②「上・中の上・中
ある(たとえば、Mills 1951; Goldthorpe 1990;
の下・下の上・下の下」の五つの中から選択さ
Erikson and Goldthorpe 1993; Wright 1997な
せるもの、および ③「支配者層・指導者層・
ど)。そのほか、二つ以上の要因の組みあわせ
経営者層・中間層・勤労者層」の五つの中から
から、〈ミドルクラス〉を判定する指標として
選択させるもの、という三種類を併用してい
用いるアプローチもある(たとえば、Warner
る。この方法は直接的で、操作も簡単であり、
et al. 1949; Thompson and Hickey 2005; 陆学
結果の信頼性も高い。
艺 2002; 李春玲 2005; 刘毅 2006など)。
第二の客観的方法というのは、比較的複雑な
三番目の主観的方法と客観的方法との総合と
操作を必要とする方法である。尾高の整理によ
いうアプローチとは、主観的方法と客観的方法
れば、一般的な手続きとしては、これに、①研
から得られたデータを組みあわせて、〈ミドル
究者が〈ミドルクラス〉の規定と看做す客観的
クラス〉を判定するものである。このアプロー
な要因(職業・学歴・収入・財産・消費水準・
チは現在の階層階級研究で最もよく使われてい
住居の様式・居住地域・家柄など)を選ぶ、②
る方法である。
この要因について一定の数量的な順位の枠組み
2.2 主観と客観の不一致
以上、既存の研究における、〈ミドルクラ
て、たとえ同一の社会においても、異なる〈ミ
ス〉を判別する主要な方法を概観してきたが、
ドルクラス〉が描き出されるわけである。こ
これらの諸方法のいずれを採用するかによっ
れらの諸方法にはいずれも何らかの利点があ
<ミドルクラス>の再考
23
るが、問題はこれらの方法から判別された〈ミ
また、職業や、学歴・収入・財産・消費水
ドルクラス〉が必ずしも同一ではない(Bulter
準・居住地域・居住様式といった客観的な指
and Savage 1995)という点にある。たとえ
標を用いて規定された〈ミドルクラス〉に属
ば、中国では2005 年に〈ミドルクラス〉の規
する人々は、必ずしも自己判定として〈ミド
模について、中国社会科学院の李春玲が社会科
ルクラス〉への帰属意識、すなわち、階層帰
学院のデータを使い、職業では15.9%、収入で
属意識(主観的な指標)を持っているとは限
は24.6%、消費水準では35.0%と発表したが、
らない。他方で、〈ミドルクラス〉の客観的な
職業と消費水準では20 ポイントも〈ミドルク
指標が満たされていなくても、その階層帰属意
ラス〉の規模が異なることになる(李春玲 識を持つこともありうる。たとえば、日本の全
2005)。南京大学の周暁虹の推定によれば、
国的なデータに基づく1955年社会成層と移動
職業(ホワイトカラー)、教育(大卒以上)、
(SSM)調査では、表1に見られるように、収
収入(月給3,000 元以上)の三つの基準で〈ミ
入と職業を手掛かりとする客観的方法から得ら
ドルクラス〉を抽出すると、これら全部をクリ
れた〈ミドルクラス〉の割合は、自己判定を手
アする〈ミドルクラス〉の割合は11.9%になる
掛かりとする主観的方法から得られた割合と異
としている(周暁虹 2005)。
なっている。
表1:1955年SSM調査における〈ミドルクラス〉
(単位:%)
客観的方法
収入による階層構造(高額・中間・低額)
職業による階層構造(Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ)
主観的方法
自己判定Aによる階層構造(資本家・中産・労働者)
分類Ⅰ
自己判定Bによる階層構造(上流・中流・下流)
分類Ⅱ
上
中
下
その他
不明
計
3
13
27
67
70
20
-
100
100
3
-
29
56
62
42
5
2
100
100
9
80
9
2
100
(注)1960年、東京都男子。自己判定Bによる階層構造の分類Ⅰは上流・中流の上下・下流の上下の三分類を、
分類Ⅱは上流と中流の上・中流の下と下流の上・下流の下の3分類を示す。
(出所) 尾高(1961: 19).
また、筆者は2006年のアジアバロメーター
3)
で見たように、日本と中国の〈ミドルクラス〉
を用いて、職業・収入・学歴とい
をそれぞれ算出した。そこでも、客観的な〈ミ
う三つの客観的な指標を、生活水準に対する自
ドルクラス〉と主観的な〈ミドルクラス〉の不
のデータ
己評価
24
4)
という主観的な指標とあわせて、表2
一致が見出せる(周倩 2010)。
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
表0-6:2006年アジアバロメーター調査における日中両国の〈ミドルクラス〉 日本
中国
職業的
17.44
22.90
収入的
25.30
7.90
学歴的
21.66
12.55
(単位:%)
主観的
70.30
68.07
客観的
7.69
1.85
(注)「客観的」というのは、職業・収入・学歴という三つの客観的な指標を同時に満たす〈ミドルクラス〉
を指す。この手法を用いた理由は前述したように、〈ミドルクラス〉を規定する基準のいずれを採用
するかによって、たとえ同一の社会においても、異なる〈ミドルクラス〉を描き出しうるわけであるた
め、客観的な〈ミドルクラス〉を算出するには、職業・収入・学歴という三つの客観的な指標を同時に
満たすのがより妥当だと考えるからである。
(出所) 周倩 (2012: 46).
3.「階層のイメージ」という問題の浮上
これまで、〈ミドルクラス〉に関する階層意
観的方法と主観的方法によって算出された〈ミ
識研究は、客観的と思われる個人の階層的地位
ドルクラス〉の違いに対して、様々な解釈が行
と主観的自己認知の関係を明らかにしようとし
われてきた。
てきた。それは、マルクス自身の理論に端を発
たとえば、「多様な中間説」
5)
6)
(富永
、「世間
し、後に発展的に解釈され論じられてきたもの
1977)、「過去との比較仮説」
である。そこでは、「物質的生活の生産様式が
並み仮説」
社会的、政治的および精神的な生活のプロセス
ち」や「雇用関係の増大により、経済的安定
の一般を制約しており、人間の意識が人間の存
観がある」という説明(岸本 1978)、「暮ら
在を規定するのではない。逆に、人間の社会的
しむき」という変数の導入
存在が人間の意識を規定する」(Marx 1859:
「非構造的かつ流動的社会構造」による「新
258)という考え方が、〈ミドルクラス〉に関
中間大衆論」
する階層意識研究を明示的にも暗示的にも方向
感仮説」と「部分社会仮説」
付けてきた。
1987)、「成長説」と「平等仮説」
戦後、日本の意識研究の最大のトピックであ
7)
、「自分の努力を認めたい気持
9)
8)
(直井 1979)、
(村上 1984)、「生活満足
10)
(友枝・小島
11)
(間々
田 1989)などが挙げられる。
る「中流論争」の勃興も〈ミドルクラス〉への
しかしながら、研究者たちがどのように分析
階層帰属意識(「中流意識」の形成)を焦点と
の工夫をして、〈ミドルクラス〉の階層意識を
し続けながら、その多くはそれまでのマルクス
説明しようとしても、〈ミドルクラス〉の階層
系の理解様式から〈ミドルクラス〉を分析しよ
帰属意識を規定する根拠をはっきりさせること
うとしてきた。したがって、所得・財産・学
ができなかった。つまり、〈ミドルクラス〉の
歴・職業などの客観的要因(変数)から〈ミド
階層帰属意識を決定しているのは、所得でも、
ルクラス〉の意識を説明しようとし、実証的な
職業でも、年齢でも、学歴でもなく、また職
成果を積み重ねてきたのである。そこから、客
業上の地位でも、世帯収入でも、財産でもな
<ミドルクラス>の再考
25
い
12)
。さらに、それらを組みあわせた複数の
人にとって階層基準は所得と財産を主変数とし
要因でもない。〈ミドルクラス〉の階層帰属意
て構成される生活水準のある具体的なイメージ
識は社会的地位を構成する諸客観的要素との直
として存在し、そのイメージは主観的に認知す
接的関連度は弱いと言わざるをえない。
る生活水準の分布を漠然と反映している」(傍
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
こうした研究上の問題点に対して、宮島喬
点筆者)という基本仮説を立て、イメージの変
(1983)は階層的地位との直接的関連が想定
化や偏倚に関する二つの補助仮説を設定し、
されていた〈ミドルクラス〉の階層意識につい
1955年から1985年のSSM調査における〈ミド
て、階層的地位とは直接関係のない独立変数や
ルクラス〉の階層意識の変化を説明している。
媒介変数を導入したり、「媒介過程」の問題を
ここで、注目に値するのは、研究者たちが
考慮するなど、多様な分析のタイプが必要とな
「階層のイメージ」という言葉を用いて、主観
ることを指摘している。
的な〈ミドルクラス〉と客観的な〈ミドルクラ
高坂健次(1979、1988)はまた、階層帰属
意識を客観的地位要素によって説明しようとす
る従来の研究の欠陥について、次のように述べ
ている。
ス〉の違いや、〈ミドルクラス〉の階層意識に
ついて説明しようとしていることである。
では、「イメージ」とは何か。また「階層の
イメージ」とは何か。以下、簡単に説明してみ
る。一般的に言うと、「イメージ」とは何かの
階層帰属意識は自分が現実の客観的な階層
物体・出来事・または情景などに対して、特定
構造それ自体のどこに位置しているかを判断
の姿や様相を想像することであり、意識や無意
した結果ではない。そうではなくて個々人は
識の中に抱かれる、ある物体・出来事・または
まず自分なりの階層のイメージを抱いてい
情景などについての心像である。それは合理的
て、そのイメージの中に自分を位置づけてい
な判断や思考のように明晰なものではないが、
るのではないだろうか。だとすれば、階層帰
対象となる物体・出来事・または情景などの全
4
4
4
4
4
属意識を問題にするに先立って、階層イメー
4
体像を描いたり(=「準観察」)、対象物とな
ジの形成を問題にしなければならない。(高
る物体・出来事・または情景などが存在しなく
13)
てもそれが目の前に存在するかのように思い描
坂 1988、傍点原文)
くことができるという特徴を持っている。そし
そして、盛山和夫(1990)はそれまでの
て、「イメージ」は意識の深層に蓄積され(=
〈ミドルクラス〉の階層意識をめぐる議論を総
「イメージ・タンク」)、時々それがタンクの
括し、論点を整理した上で、(経済的な)社会
中から取り出され、人間の行動に影響を与える
的地位が階層帰属意識を明白な対応関係で規定
という働きがある。それに、「イメージ」の作
するような、マルクス主義階級論からの流れを
用の中でも重要なのは、それが望ましい対象物
汲む従来の説明の仕方や仮説群を、「素朴実在
に対しては一体感を強く感じたり(=「同一
反映論」として厳しく批判しつつ、「平均的個
化」)、あるいはその存在を無意識的に自分に
26
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
植えつけてしまう(=「刷りこみ」)ことであ
議論する際によく言われている、「ピラミッド
る。
型」や「タマネギ型」といったものである。こ
本稿では、「階層のイメージ」は「イメー
れらは階層の構造それ自体を表現しようとする
ジ」の概念を受け継いだ上で、高坂による「階
ものである。③自己の所属階層に関するイメー
層のイメージ」に関する解釈を参照する。高坂
ジ。それは普通、広義の階層帰属意識を指すも
(1988)によれば、「階層のイメージ」とは
のであるという。
「階層構造全体がどのようなものであるかとい
こうした「階層のイメージ」を概念的に整理
う認知」である。それは大まかに次のように
しているうちに、「階層のイメージ」形成の影
分けられる。①階層の構造に関するイメージ。
響源がどこにあるのか、「階層のイメージ」が
それは階層のシステムがいくつの、どのような
いかに構築されているのかといった素朴な疑問
具体的階層から構成されているかについてのイ
が浮き上がってくる。これらの問題は今後の研
メージである。そこには諸階層が連続的に構成
究につながる重要な課題であると同時に、階層
されているか、非連続的に構成されているかに
研究者にまかせきりにしては無理なテーマでも
関するイメージも含まれる。②階層の分布に関
ある。
するイメージ。すなわち、階層の構造について
4.メディア
14)
へのまなざし
確かに「階層のイメージ」を検討するには、
的制約によりきわめて限定されている。人々が
個人心理のメカニズムを探求する方法があると
直接的に他者と接触できない場合や、メディア
思われる。社会心理学では、人々の自己に対す
によってしか現実の判断基準を持たない人に
る認識(階層帰属意識をも含む)は自分自身に
とって、他者を媒介として、社会的比較を通じ
ついての様々な記憶、経験や知識から構成され
て自己の階層性を認識する際に、メディアが大
ており、その内容や構造などの側面から研究さ
きな役割を果たしていると言わざるをえない。
れてきた。そこでは、自己認識(たとえば、階
言い換えれば、「階層のイメージ」の形成に働
層帰属意識)の内容と構造の要因には、文化的
くメディアの役割を見逃してはいけない。なぜ
な要因が挙げられるほか、自己の社会的な側面
なら、メディアは現実を反映するとともに、多
(たとえば、職業、学歴、収入に規定される階
くの人々に対して、現実の判断基準を提供し、
層性)を認識する時、特に自己の社会的な側面
メディアに描かれた内容をリアルなものとして
(階層性)が不安定な場合に社会的比較が多用
認識させ、それが現実を構成していく作用をも
されると指摘されている。
有しているからである。また、今日では情報化
ところが、人々自身の五官を通じて直接的に
が進み、人々はメディアに依存して生活してお
知ることのできる世界は、経験の時間的・空間
り、そこから世界についての多くのイメージを
<ミドルクラス>の再考
27
得ているため、メディアはある対象や事実に関
かかわらず、ほとんどの中国人はメディアに映
する観念ないし像、すなわちイメージを形成す
し出された表象に基づいて〈ミドルクラス〉
るのに重大な役割を果たしており、人々はメ
を認知しているため、自分自身を〈ミドルク
ディアを通じて世界や社会に対する大部分の知
ラス〉と称することに躊躇や抵抗を感じている
識を得ており、自己認識を完成させているから
(张宛丽 2002; 周晓红編 2005)。
である。
2007年6月1日から30日まで、筆者は中国の
メディア研究では、メディアは「イメージ
「調査網」というネット調査サイトに、〈ミド
の構築機能」と「現実の社会的構築機能」
ルクラス〉を理解する情報源について、質問票
(Berger and Luckmann 1967; Adoni and
を載せ、41名の匿名解答者から回答を得た。
Mane 1984)という役割を持ち、メディアには
その調査結果からも、今日、中国人の〈ミドル
世論や人々の意識を形成し、あるいはそれらに
クラス〉に対するイメージがほとんどメディ
影響を与える効力を持つという機能があるこ
アに由来していることが確認された(周倩 とが明らかにされている。メディアは、人々が
2008)。
直接認識・経験できない社会全般の事件に関す
かつてミルズは次のように述べている。
る情報を提供し、またそれらの物事に関して解
釈、あるいは評価をすることにより、人々を取
マルクスが生きていた頃には、ラジオもテ
り巻いている環境に対するイメージを形成して
レビも映画もなかった。ただ印刷物に限って
いる。ゆえに、現在、毎日様々なメディアに囲
はすでに存在していて、新聞や雑誌の出版は
まれた人々の現実把握能力、ならびに現実把握
企業として成立するほど隆盛を誇っていた
のパターンはメディアによって引き寄せられ、
が、まだそれほど大きな説得力や影響力を
重なりあっている。メディアによって送り出さ
持っていたわけではない。したがって、マル
れた「階層のイメージ」も人々の意識に深く浸
クスは階級闘争の原動力となるイデオロギー
透し、人々の意識を規定するほどの影響力があ
は物質生活の条件だけによって一義的に決定
ると考えられる。メディアがこうした見逃すこ
されると信じていた。…もしも人間のイデオ
とができない重大な役割を果たしているにもか
ロギーが、その生活を決定するものでないな
かわらず、従来の階層階級研究や階層意識研究
らば、同様に人間の物質的生活はそのイデオ
では、メディアが周辺的な位置に置かれてき
ロギーを決定しえないはずである。イデオロ
た。したがって、本稿ではメディアに焦点を当
ギーと生活の間には、コミュニケーションが
てることによって、既存の階層階級研究や階層
介在し、それがイデオロギーに制約を与えて
意識研究を補完したい。
いる(Mills 1951=1957:309 傍点筆者)。
4
4
4
4
4
4
これまで中国で行われていた、いくつかの階
層意識調査で明らかになったように、階層階級
こうしてミルズはマルクスを批判し、マルク
研究に〈ミドルクラス〉と規定されているにも
スに見逃されたか、過小評価されたコミュニ
28
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
ケーションの役割を強調している。ここで彼が
セージが何らかの記号によって組み立てられる
言う「コミュニケーション」という言葉は、基
必要があるが、そのような記号は、何らかの物
本的に一方から他方への「情報の伝達」のこと
理的な支持体によって保持されていなければな
である。すなわち、特定の送り手から受け手に
らない。そのような物理的な支持体が「メディ
向けて、ある種のメッセージが伝達され、受け
ア」と解釈される
手によってそれが受容されることである。送り
(あるいは記号)の乗り物であるとも言える。
手が送り出したメッセージが、受け手に到達
したがって、ミルズのこの言葉から「コミュニ
し、イメージ的に再現されている。メッセージ
ケーションの媒介」(竹内ほか 1998)として
が送り手から受け手に届くためには、そのメッ
のメディアの重要性も同時に読み取れる。
15)
。メディアはメッセージ
4.1 従来の階層階級研究
従来の階層階級研究においては、メディアに
〈ミドルクラス〉はまたメディアを借りて、
関する言及は周辺的な位置に置かれてきたが、
自分自身の社会的権威や身分を主張し、その生
これまでの社会学者は〈ミドルクラス〉を論じ
活様式を労働者階級の眼前に繰り広げている
る際に、メディアについても様々な議論を行っ
(Mills 1951=1957: 223-236)。
てきた。以下はこれまでの階層階級研究を概観
し、そこでのメディアへの言及を整理したもの
である。
他人なみというモノサシ
D. リースマンによれば、変化し続ける高度
産業社会で求められるのは、他者の期待や好み
権威の市場
を敏感に察知し、時代の変化にすばやく適応す
ミルズによれば、〈ミドルクラス〉は資本家
る生き方である。そこで、流行や時代の流れに
階級と労働者階級との中間的存在であるため、
敏感である反面、他人からどう見られるかを常
明確な機能を持っているわけではないので、権
に意識している〈ミドルクラス〉は、いわゆる
威に対する強い欲求を抱いている。「身分恐
「他人指向型」の人間である。彼らは他者か
慌」の〈ミドルクラス〉は、一方では、メディ
ら疎外されないように、メディアを利用し、他
アによって提供された、最新の流行と消費の先
者の動きや自分の位置を常に把握している。彼
端を行く資本家階級の代表者になるスターの
らにとって、メディアは「他人指向型」のレー
姿をまねして、外見的なスタイルの点で自分自
ダーである(Riesman 1950=1964)。
身の権威を主張する。他方では、〈ミドルクラ
ミルズはリースマンのこの論考を踏まえた上
ス〉と労働者階級との身分差がきわめて明確で
で、「孤立した不安定な立場にあるミドルクラ
ある小都市とは違い、地理的社会的に細分化さ
スは雑誌、ラジオ、映画、テレビなどのメディ
れた大都市ではこの両者の直接交渉の機会が少
アの宣伝の好目標であり、集中攻撃を受けやす
ないので、その身分差も不明確であるため、
い。彼らのパーソナリティーは、メディアの強
<ミドルクラス>の再考
29
い影響を受けている」(Mills 1951=1957: 11)
「中間文化」の提供者
と述べ、「大規模な技術の適用とメディアの発
日本の加藤秀俊は、1955年以後の日本文
達による画一化の力」に注目し、メディアとい
化を「中間文化中心の段階(Middle-brow
う「文化機械」を、〈ミドルクラス〉の間に
dominant)」と名づけている。加藤によれ
「共同感情」を作り出す「公分母」と看做して
ば、「中間文化」とは、「高級文化と大衆文化
いる(ibid.: 8, 310)。ミルズに指摘された、
の中間をゆく妥協の文化である。それは、常
こうしたメディアの「画一化の力」はその後、
識主義によって支えられ、適度の政治的好奇
日本の社会学者の論述の中にも現れている(た
心とゴシップ精神、そして趣味的中間性を特徴
とえば、尾高 1961:5; 岸本 1978; 直井 1979; 犬
とする。そして、その担い手、使い手は日本に
田 1982; 小沢 1985; 村上 1987など)。
日ごとに増大する社会的中間層である」(加藤
1957: 252-261)。加藤から見ると、新書、週刊
政治的冷淡を助長する悪貨
誌、ミュージカル、ムード・ミュージックと
アメリカの社会学者のほとんどは、〈ミドル
いったメディアは異なる階級の間の文化的落差
クラス〉の政治意識を「後衛」・「保守」・
を縮め、文化の中間的統一という方向へ向かわ
「冷淡」・「無関心」といった修飾語で表し、
せている。
さらに〈ミドルクラス〉のこのような政治的
態度をメディアと結びつけて論じている。た
卓越性のシンボル
とえば、ミルズによれば、メディアは政治と
現在中国では、若手社会学者杜骏飞らは、南
いう良貨を駆逐し、娯楽という悪貨を社会に
京大学社会学院が2004年2月から2005年3月ま
蔓延らせ、〈ミドルクラス〉を政治から引き離
で実施した社会調査のデータを分析し、今日中
し、彼らの政治的無関心を助長しているのであ
国の〈ミドルクラス〉が他の階層より、メディ
る(Mills 1951=1957: 301, 811)。リースマン
アへの接触率が高いという結論を得た。彼らの
はまた、メディアが〈ミドルクラス〉に政治
分析によると、収入指標で算出された〈ミドル
的情報、政治的態度を商品として消費すること
クラス〉はファッション雑誌、娯楽新聞や文学
を教え込むと述べている。彼によれば、メディ
作品をよく購読し、職業指標で算出された〈ミ
アは政治的情報を製品、ゲーム、娯楽、リクリ
ドルクラス〉は経済・経営、情報処理、外国語
エーションとして送り出している。〈ミドルク
などの専門書、他の諸専門紙/誌、全国紙、業
ラス〉は何も考えずに、商品としての政治の買
界紙/誌をよく購読している。〈ミドルクラ
い手、遊び手、見物人、気ままな傍観者になっ
ス〉の読書率と読書頻度が他の階層より高く、
てしまうのである(Riesman 1950=1964: 174-
〈ミドルクラス〉の読書選択が他の階層より専
178)。
門的かつ幅広い。それは、〈ミドルクラス〉と
他の階層との間の教育レベルの差による「知識
のギャップ」(「Knowledge-gap」)に起因す
30
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
る。そのほか、読書以外にも、中国の〈ミドル
以上は過去の社会学者が〈ミドルクラス〉を
クラス〉は他の階層と、メディアを利用する上
論じる際に、五つの角度から言及したメディア
での差異が見られる。たとえば、〈ミドルクラ
の役割である。ところが、そこには人々の「階
ス〉はテレビやラジオから能動的に情報を獲得
層のイメージ」に対する認知やイメージの生産
し、パソコンを通してインターネットで発信す
に関わるメディアの重要な役割についての掘り
る能力がある。その能力は〈ミドルクラス〉の
下げた検討が欠如している。当然、〈ミドルク
経済・文化上の「卓越性」を表している。ゆえ
ラス〉という階層のイメージがいかにメディア
に、今日、メディアは中国の〈ミドルクラス〉
によって構築されているか、といった問題を論
の「卓越性」を象徴する一つのシンボルだと位
じるまでには至っていない。
置づけられる(杜骏飞 2005: 183-222)。
4.2 メディア・イメージに関する諸先行研究
とすれば、「階層のイメージ」というテーマ
ス〉を構築したという視点は、有馬哲夫の論
を階層研究者に委ねるだけでは不十分である。
文(2003)にはあるが、テレビがいかに虚構
〈ミドルクラス〉に関する研究は階層階級研究
の〈ミドルクラス〉を作り出しているかにつ
者によって蓄積されてきたが、階層階級研究と
いて、十分な分析は展開されていない。欧米
メディア学はまったく別の研究領域だと考えら
では、このテーマを扱った代表的な先行研究
れてきたため、メディアに触れてはいるもの
は三つある(Ohmann 1996; Fernandes 2000;
の、メディア学の視座から〈ミドルクラス〉と
Liechty 2003)。そのうち、R. オーマンは
いう階層のイメージを捉えてはいない。
1890年から1905年までのアメリカ雑誌を研究
他方、これまでのメディア研究者の間では、
対象に、M. リーヒティは1990年代のネパール
メディアが〈ミドルクラス〉のライフスタイル
の首都カトマンズの〈ミドルクラス〉の文化実
や消費のイメージを作り上げてきたという見解
践に注目し、両者とも「ミドルクラス」・「メ
が流布しているようであるが、実証的な研究は
ディア」・「消費」という三者の相互構築的な
皆無に近い。既存のメディア研究で、フェミニ
(mutually constitutive)関係について論じて
ズムの視点からの映画やテレビドラマにおける
いる。しかし、彼らも〈ミドルクラス〉のイ
女性や家族のイメージに関する研究が進んでい
メージがいかにメディアによって構築されてい
るのに対し、〈ミドルクラス〉のメディア・イ
るのかについて、具体的な分析を行っていな
メージやメディアと〈ミドルクラス〉の相互関
い。また、L. フェルナンデスは1990年代以降
係などのテーマを扱った先行研究はきわめて少
のインドのメディアに着目し、メディアによる
ない。
〈ミドルクラス〉のイメージ構築行為がグロー
管見では、日本では、テレビが現実のもの
バルに蔓延した消費文化の産物だと指摘してい
というより虚構のものとしての〈ミドルクラ
るが、グローバリゼーションがいかに影響を与
<ミドルクラス>の再考
31
えているかについては説明できていない。
れらの研究は中国社会における〈ミドルクラ
これに対して、中国の研究者によるこの種の
ス〉の出現と、それと同時に起こったメディア
研究は大きく二種類に分けられる。①〈ミドル
の変動に一早く注目し、両者の間に存在してい
クラス〉の誕生によってもたらされたメディ
る何らかの関係性を探ろうとする姿勢におい
アそのものの階層化について批判するもので
て、評価に値するであろう。しかし、これらの
ある(Yen Xiaoping 1995; Zhao Yuezhi 2000;
研究はメディアのテクストに対する具体的な分
孙玮 2002; 王艳・周正昂 2003; 呉廷俊・陳棟
析を行っていないだけに、説得力が弱いと言わ
2007)。②ファッション雑誌を中国の「中産
ざるを得ない。。また、メディアに対して厳し
雑誌」と看做し、〈ミドルクラス〉の見栄消費
く批判する姿勢を一様に採用することで、議論
に対して批判を行うものである(戴锦华 1999;
の多面性と総合性を損なっている。
周春玲 2000; 王晓明 2000; 孟繁华 2004)。こ
5.社会構築主義とメディアの機能
「〈ミドルクラス〉とは何か」という問題か
手掛かりになると考えている。メディアが〈ミ
ら出発した本稿は、こうしたメディア研究と階
ドルクラス〉に与える影響の程度や内容につい
層階級研究の「ミッシング・リンク」を明らか
ては、未だ解明されていないものの、本稿はメ
にした上で、〈ミドルクラス〉に接近するに
ディアの「現実の社会的構築機能」に注目し、
は、〈ミドルクラス〉の階層イメージを解明す
メディアによって構築された〈ミドルクラス〉
る必要があると考える。そこで、従来の階層階
が人々の認識と思考の形成に一定の影響を与え
級研究にメディア学の視座を導入し、〈ミドル
ているということを前提としている
16)
。
クラス〉のイメージから着手することが大切な
5.1 社会構築主義の視座
構築主義は、「物事が、人々の主観的な意識
社会構築主義の議論では、あらゆる社会的
のありようとは独立に実在する」という客観主
属性(たとえば、階級、ジェンダー、エスニ
義の見方、および「物事には、容易には変化し
シティなど)とは、何らかの(生物学的、経
がたい普遍的な本質がある」という本質主義の
済的)原因に基づいて構成されているので
見方に異議を唱え、物事が「普通」や「本質」
はなく、むしろ社会構成員による自己同定
や「実在」とされるのではなく、人々の認識や
(identification)によって構築されていると
活動によって、社会的・文化的・歴史的に「構
いう認識視座である。そこで、階級、ジェン
築」されたものであり、可変的であることを強
ダー、エスニシティといった属性アイデンティ
調している(赤川 2006: 53)。
ティは、社会的・文化的・歴史的に構成された
32
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
ものとして扱われる。
社会構築主義からすれば、「現実の社会的構
したがって、社会構築主義的なパースペク
成」のメカニズムに関する分析が重要な課題と
ティヴを採用した本稿は、〈ミドルクラス〉を
なる。従来のメディアに関する理論や研究にお
経済構造から統計データ的に導き出すのではな
いては、メディアの「現実の社会的構築」の機
く、特定の歴史的背景の下で、特定の表象の構
能が多くの学者によって繰り返し論じられてい
成と表出に込められた社会的・文化的実践の中
る。メディアが持つこの機能に関する論考は、
から構築されるものとして捉え直す。そこで、
社会構築主義の「現実の社会的構成」の問題と
特定の表象を産出し、人々に自らの社会的位置
接点を持つため、以下、社会構築主義が前提と
に関する帰属意識を獲得させ、あるいはある社
してきたメディアの「現実の社会的構築」の機
会的地位に従属化させるための「場」であるメ
能に関わる諸論考を概観してみる。
ディアに注目する必要性を見出す。
5.2 メディアの「現実の社会的構築」
メディアによる現実構築について、重要な
「疑似環境論」の創始者である。
問題提起をしたのは、W. リップマンである。
清水は著書『社会心理学』の中で、「コピー
彼は著書『世論』の中で、20世紀における人
の支配論」を提起した。彼によれば、「コ
間の環境認識の問題を論じている(Lippmann
ピー」とは、ニュース・メディアが行っている
1922=1963)。リップマンによれば、今日で
「現実」の描写である。現代社会では、適応す
は適応すべき環境があまりに大きく、複雑で、
べき環境が拡大した結果、人々はメディアが提
移ろいやすいため、人間は自分の手の届かない
供する「コピー」(「現実」の描写)に依存せ
世界について「頭の中にイメージ」(彼はそれ
ざるをえない。人々は「コピー」で満足するし
を「疑似環境」(pseudo-environment)とも
かないという。
呼んでいる)を作り、それを基に適応行動を試
清水の理論は実証に支えられたものではない
みている。「頭の中のイメージ」は、メディア
が、認識論的な視点からメディアの役割を指摘
からの情報を主要な素材として構成されるもの
したところで、他の研究者に刺激を与えたと考
であり、「ステレオタイプ」という枠に嵌め込
えられる。実際、1950年代から1960年代にか
まれているものでもある。
けて、清水によって提起された「疑似環境論」
リップマンのこうした考えは、戦後、本格的
が、日本のメディア研究において、大きな注目
に始まった日本のメディア研究に大きな影響を
を浴びたのである。その中で、藤竹暁の所説
与えた。そこで、いわゆる「疑似環境論」が提
(1968)が一つの到達点と看做されている。
起された。「疑似環境論」とは、リップマンの
藤竹は『世論』におけるリップマンの議論を
考えをメディア、とりわけジャーナリズムの機
さらに展開し、「疑似環境」を広義と狭義とに
能に絞って論じたものである。清水幾太郎は
分けた。彼によれば、広義の「疑似環境」は
<ミドルクラス>の再考
33
リップマンが『世論』で用いたのと同じく、個
は、これらの問題はまさに原問題とも呼べる
人の主観的環境に対するイメージを指す。それ
ものであるため、1970年代以降、メディアの
に対して、狭義の「疑似環境」は、メディアが
研究者は絶えずメディアと「現実」の認識に関
作り出す「現実」の描写を意味し、メディアに
する理論的な考察に熱心に取り組んできてい
よる「現実」の表象である。現代社会では、
る。たとえば、G. タックマンは著書『ニュー
人々が狭義の「疑似環境」を「現実」の環境と
スの社会学』の中で、「(ニュースの生産)は
等価なものとして受け入れる傾向がある。した
現実の反映というより、現実を構築する行為で
がって、「疑似環境の環境化」と呼ばれる現象
ある」(Tuchman 1978=1991: 18)と述べ、
が起こるわけである。
J. トムリンソンは「人々が現実を構築すると
藤竹の議論に対して佐藤毅(1972)はま
きに、メディアのイメージの方に引き寄せら
た、「コピーの自立」論を立てて、「記号環
れるようになった」(Tomlinson 1991=1997:
境」という概念を用いて現代社会におけるメ
134)と論じている。
ディアの環境を捉えようと試みた。佐藤によれ
ところが、メディア学の中で最も注目を浴び
ば、「記号環境とは自然環境、社会環境と対比
ているのは、実証主義的なメディアの「現実構
して捉えられるものであり、一般的に自然環境
築論」の代表作と呼ばれた、H. アドーニとS.
や社会環境―この場合特に出来事や事件―
メーンの研究である。アドーニとメーンは、
に関してメディアを媒介として直接、間接に描
P. L. バーガーとT. ルックマンの「現実の社会
かれる記号化された環境、いわば環境の環境を
的構成」理論から影響を受け、「現実」を「客
指している」(佐藤 1972: 7)。また「記号環
観的現実」、「象徴的現実」、「主観的現実」
境」とは、「事物=オリジナルから相対的に自
という三つに分類している(Adoni and Mane
立した記号=コピーの世界」であり、「コピー
1984)。アドーニとメーンによれば、「客観
の自立」の「相対性」とは、「コピーとオリジ
的現実」とは人々が直接に関与することがな
ナルとの関係は人類史においてそもそも無限
く、事実として向かいあい、客観的世界として
の重層構造を形成しており、その構造転換の契
経験されるものであり、「象徴的現実」とはメ
機こそが史的発展の契機にほかならなかったこ
ディアの情報によって構築されるものである。
と」(ibid.: 660)である。
「主観的現実」はまた「客観的現実」と「象徴
以上はリップマンの「疑似環境論」から受
的現実」がインプットされることで、人々の頭
け継いだ問題―メディアは「現実」と人々の
の中で構成されるものである。そして、これら
「認識」とをどう媒介するのか、人々の「認
三つの「社会的現実」が相互に影響しあう中
識」ないし「頭の中のイメージ」はいかに形成
で、まさに弁証法的過程を経ることで、「現
されているのか―に関する日本のメディア研
実」というものは「社会的」に構築され、構成
究での諸論議である。メディア研究にとって
されているのである。
34
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
6.「〈ミドルクラス〉の理解模型」の提示
こうしたアドーニとメーンから提示された
義的見地から、〈ミドルクラス〉の実在性と
〈「現実」の社会的構成モデル〉から示唆を受
客観性に対する判断は下さず、「〈ミドルクラ
け、新たな理論的・実証的展開を目指す本稿
ス〉とは何か」について図1のように考えてい
は、従来の階層階級研究と区別し、社会構築主
る。
図1:〈ミドルクラス〉とは何か
(筆者作成)
図1において、〈ミドルクラス〉は三つに分
を〈ミドルクラス〉のメディア・イメージと名
けて考えられることが示されている。まず「客
づけて研究対象とする。それから「主観的現
観的現実」として、裕福になった人々は社会に
実」として、諸個人にとっての階層意識、すな
実際に現れてくる。階層階級研究においては、
わち頭の中で描かれている〈ミドルクラス〉で
その一部が〈ミドルクラス〉と定義されている
あり、本論文では、それを〈ミドルクラス3〉
が、本論文ではそれを〈ミドルクラス1〉と呼
と名づける。そして、これら三つの〈ミドルク
ぶ。次に「象徴的現実」として、近代社会にお
ラス〉は相互に(さらには弁証法的に)影響
いては、主としてメディアによって形成され、
を及ぼしあい、相互作用の中で、〈ミドルクラ
構成される〈ミドルクラス〉であり、本論文で
ス〉というものが形成され、定着していくと考
はそれを〈ミドルクラス2〉と呼び、またそれ
える。
<ミドルクラス>の再考
35
したがって、〈ミドルクラス〉というものの
正体を把握するために、この三つの〈ミドルク
〈ミドルクラス2〉)を考察に加えることが取
り組むべき重要な課題となってくる。
ラス〉が全部、必要となる。また、〈ミドルク
こうした学問的要請に応じて、筆者は博士学
ラス3〉(すなわち、〈ミドルクラス〉への帰
位論文でこれまでの階層階級研究で蓄積されて
属意識に関する問題)を解明ないし理解するた
きた膨大な研究成果を批判的に継承しつつ、
めに、これまで蓄積してきた「客観的現実」と
メディア学の研究手法を用いて、メディアの
しての〈ミドルクラス1〉のみを頼りに解釈し
〈ミドルクラス〉に対する様々な描写を分析す
ては明らかに不十分である。イメージの生産と
ることによって、また〈ミドルクラス〉をめ
伝達という作業を通じて、人々の〈ミドルクラ
ぐる諸言説活動の継起的な流れを追尾すること
ス〉に対する認知や態度を生み出す、ないしそ
を通じて、〈ミドルクラス〉のイメージの形
れを影響させるメディアに注目し、メディア上
成とその意味について詳細に考察した(周倩 の表象としての〈ミドルクラス〉(すなわち、
2013)。
7.おわりに― 今後の研究展望
本稿は「〈ミドルクラス〉とは何か」という
討する余裕はないが、手掛かりを一つ示した
問題から出発し、〈ミドルクラス1〉と〈ミド
い。それはアドーニとメインのモデルを発展さ
ルクラス3〉の不一致について、従来の階層研
せた大石裕(2005: 126)によって提示された
究や階層意識研究では、少し周辺的な位置に置
「『現実』の社会的構築・構成に関する時系列
かれてきたメディアの視点を従来の階層階級研
的モデル」を参照し、そこに時間軸という視点
究へ導入すべきであると主張し、図1で示され
を入れることで、三つの〈ミドルクラス〉の関
たような「〈ミドルクラス〉の理解模型」を提
係性をマクロの過程において考察するという方
起した。
法である。
今後、研究の展開は〈ミドルクラス2〉を析
以下、図1に対して、三つの〈ミドルクラ
出することによって、三つの〈ミドルクラス〉
ス〉の相互作用について、時間的経過を考慮し
の間で相互に作用しあっているメカニズムの解
ながら、単純化かつ簡略化したモデルを図2と
明を目標として掲げていく。むろん、ダイナミ
して提示し、それに関する説明を試み、今後の
ズムやメカニズムの解明は簡単にできる作業で
研究課題として掲げることで、本稿を締めくく
はない。本稿では、この作業について詳細に検
る。
36
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
図2:〈ミドルクラス〉の構成に関する時系列的モデル
(筆者作成)
①「〈ミドルクラス1〉(A)」が「〈ミドル
1〉(A)」が「〈ミドルクラス2〉(A)」
クラス2〉(A)」に及ぼす影響について。
の影響を受けて推移し、「〈ミドルクラス1〉
「〈ミドルクラス1〉(A)」がメディアに
(B)」となる可能性が生じる。
よって報道の価値があると認められ、「〈ミド
ルクラス2〉(A)」として報じられる。これ
③「〈ミドルクラス2〉(A)」が「〈ミドル
はメディアが「客観的現実」に及ぼす影響だと
クラス3〉(A)」に及ぼす影響について。
言える。また、「〈ミドルクラス1〉(A)」
「〈ミドルクラス2〉(A)」は、「〈ミド
自身もメディアによって報道されることを目的
ルクラス1〉(A)」が生じたことを社会に知
に計画する場合がある。
らせ、「〈ミドルクラス3〉(A)」を喚起す
ることがある。ただ、報道量に差が生じ、解説
②「〈ミドルクラス2〉(A)」が「〈ミド
や論評が多様になった場合や、また〈多様な読
ルクラス1〉(A)」→「〈ミドルクラス1〉
み〉によって、その影響も複雑になると考えら
(B)」に及ぼす影響について。
れる。
「〈ミドルクラス2〉(A)」として報じら
れると、「〈ミドルクラス1〉(A)」が影響
④「〈ミドルクラス3〉(A)」が「〈ミド
を受け、それにともない、「〈ミドルクラス
ルクラス2〉(A)」→「〈ミドルクラス2〉
1〉(B)」へと変化する可能性がある。つま
(B)」に及ぼす影響について。
り、「〈ミドルクラス2〉(A)」が強く生成
「〈ミドルクラス3〉(A)」、すなわち、
された場合、「〈ミドルクラス1〉(A)」
「〈ミドルクラス1〉(A)」以外の人々は、
に与える影響が強くなり、「〈ミドルクラス
様々な形で「〈ミドルクラス2〉(A)」に反
<ミドルクラス>の再考
37
応し、その報道量や報道姿勢に影響を及ぼし、
互に作用しながら、時間とともに変化し、〈ミ
「〈ミドルクラス2〉(B)」が生成する可能
ドルクラス〉全体を絶えず構成していくのであ
性が出てくる。
る。その過程からわかるように、〈ミドルクラ
ス1〉自体は、〈ミドルクラス2〉や〈ミドル
⑤「〈ミドルクラス3〉(A)」が「〈ミド
クラス3〉と相互作用しながら生み出され、作
ルクラ ス 1 〉 ( A ) 」 → 「 〈 ミ ド ル ク ラ ス 1 〉
り出され、変化していくのである。そこでは、
(B)」に及ぼす影響。
「あるがままを事実とするのではなく、事実で
この段階では「〈ミドルクラス1〉(A)」
あると想像していることを事実とする」(藤竹
ではなかった人々が、社会調査を通じて、
1968:27)という状況が生じる。つまり、〈ミ
「〈ミドルクラス3〉(A)」の結果がわかる
ドルクラス1〉が〈ミドルクラス3〉をある程
と、「〈ミドルクラス1〉(A)」に関心を示
度、規定するが、〈ミドルクラス3〉が〈ミド
し、直接に関与するようになる場合がある。こ
ルクラス1〉を規定するかのような、倒錯した
れにより、「〈ミドルクラス1〉(A)」は拡
状況も存在しているのである。こうしたダイナ
大していく。また、それとは異なる、もう一つ
ミックな過程から、メディアは〈ミドルクラス
の〈ミドルクラス1〉が生成しうる。つまり、
2〉の生産と伝達の作業を通じて、〈ミドルク
「〈ミドルクラス1〉(B)」が生じる可能性
ラス1〉を可視的にすると同時に、〈ミドルク
が出てくるのである。
ラス1〉を変化させ、〈ミドルクラス3〉を生
み出し、再び〈ミドルクラス1〉を変化させる
以上のように、〈ミドルクラス1〉、〈ミド
ということがわかる。そこで、メディアの媒介
ルクラス2〉、〈ミドルクラス3〉の三者は相
的かつ重要な位置を再び確認できる。
註
1)
本稿で、概念としてのミドルクラスには山カッコを付けて〈ミドルクラス〉としている。それは、〈ミドルクラス〉の実在に対
する判断を保留したまま、従来の階層階級研究と区別するためである。
2)
この方法は第二次世界大戦直後、アメリカの社会心理学者R. センターズによって、初めて社会学の方法として組織的に適用され
て、階級意識に関する理論が展開された(Centers 1949)。
3)
アジアバロメーターは政治学者の猪口孝氏によって主導されてきた。東アジア、東南アジア、南アジア、中央アジアを含
む広義の東アジアを対象とした地域調査プロジェクトであり、普通の人々の日常生活に焦点を当てている(https://www.
asiabarometer.org/ja/data)。2006年のアジアバロメーターの調査データには日本(1, 003サンプル)、韓国(1, 023サンプ
ル)、中国大陸(2, 000サンプル)が含まれている。
4)
本稿では、アジアバロメーターで質問文Q8「あなたの生活水準は、この中のどれにあたりますか」を取り上げている。確かに生
活水準を「平均的」と答えることは、必ずしも〈ミドルクラス〉への階層帰属意識を意味してはいない。しかし、既存の諸階層
意識研究から見ると、両者には強い相関関係があり、概念が重複する部分もたくさんある(盛山 1990: 70)。
5)
富永の論文「社会階層構造の現状」では、大量の〈ミドルクラス〉の意識層の基盤は、「みんな同じ、みんな中間」ということ
ではなく、社会的資源(報酬)の分配規則の民主化にともなう「地位の非一貫性」の増大にあることを強調している。
6)
岸本の「過去との比較仮説」とは、自分の過去と比べて生活がよくなったと判断し、〈ミドルクラス〉への帰属を決めることで
ある。
38
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
7)
岸本の「世間並み仮説」とは、他者と比べて「世間並み」のところに自分がいると思っているから、〈ミドルクラス〉への帰属
8)
直井は階層帰属意識を決定する最大の要因は「暮らしむき」変数であるとしている。直井によれば、〈ミドルクラス〉の意識と
9)
村上は「新中間大衆」の概念を用いて、〈ミドルクラス〉の帰属意識の持ち主を表現している。村上によれば、自分自身を〈ミ
を決めるということである。
相関しているのは、その人が自分の「暮らしむき」をどのように考えているかという、生活程度に関する主観的評価である。
ドルクラス〉と意識している人々は、生活様式や意識で均質な存在としての「新中間大衆」なのである。この「新中間大衆」は、ホ
ワイトカラーとは異なる概念であり、ブルーカラー、農民、自営業主などが幅広く含まれている。
10)
「生活満足感仮説」は、他人との客観的な比較ではなく、自分がどのぐらい豊かであるか、という主観的な感覚を基に、階層の
帰属を判断しているものである。また、「部分社会仮説」は、人々が自分の収入や財産を、地域社会や職場の範囲内で他者と比
較するため、必ずしも日本全体の中での客観的地位が階層帰属意識に反映しない、とするものである。
11)
間々田の「成長説」とは「高度経済成長」によって生活水準が上昇し、その結果として〈ミドルクラス〉の階層意識も増えたの
ではないかという仮説である。「平等化説」は戦後の民主化や福祉政策の成果として、平等化が進み、その結果、平等意識が高
まったため、〈ミドルクラス〉の階層意識も増えたという考えである。
12)
職業、学歴、権力などの非経済的と言われる要素と〈ミドルクラス〉の階層帰属意識との関連が弱いということを、坂本慶行と
友枝敏雄は1955 年から1985年のSSM調査を分析した結果で確認している。
13)
高坂はさらに①階層のイメージ形成と現実の階層構造との関連、②自己評価(階層帰属意識)と階層イメージとの関連、を明ら
かにする必要があると指摘している。彼はこうした視点に基づいて人々の地位認知の変化に関する数理モデルを構築し、現実分
析を試みているが、現状をうまく説明できるものにまだなっていない(高坂・宮野 1990)。
14)
『情報学事典』を参照すると、本稿で言う「メディア」とは単に情報を運ぶ役割を担う装置としての、諸コミュニケーション媒
体装置のことを意味するだけではなく、それらコミュニケーション媒体と社会諸力との節合、すなわち、技術・記号・政治・文
化といった次元が絡まりあう媒介的過程をも内包しているのである。
15)
吉見(1993)によれば、情報を載せたり運んだりする物理的支持体そのものをメディアというのである。
16)
本稿はメディアの影響の経路、個人の選択性、社会構造上の位置が受け手に及ぼす影響などを考慮すべき要因として同時に認め
ている。
本研究は2012年度「中国人若手研究者による社会と文化に関する個人研究助成」(サントリーフェロー)を受けたものです。
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日本語概要:
本稿は、「〈ミドルクラス〉とは何か」という根本的な問題から出発し、学問的言説の布置の中に置かれた既存の〈ミドルクラ
ス〉の概念を再考しようとするものである。
本稿では、従来の階層階級研究における〈ミドルクラス〉の定義と判別方法を考察し、〈ミドルクラス〉をめぐる問題状況を把
握することから始めた。その際、「階層のイメージ」という問題が浮上したため、メディアへのまなざしを検討し、メディア・イ
メージに関する諸先行研究を概観し、それぞれの先行研究における欠陥と限界を指摘した。その上で、本稿は社会構築主義とメデ
ィアの機能から示唆を受け、「〈ミドルクラス〉の理解模型」を提示し、そこで示された三つの〈ミドルクラス〉について、その
関連性を整理し、今後の研究を展望した。
こうして本稿は〈ミドルクラス〉というものを全体的に把握するために、諸先行研究が蓄積した成果を引き続いで、〈ミドルク
ラス〉のメディア・イメージを研究する必要性を説き、既存の学問的言説の中に置かれた〈ミドルクラス〉の概念の組み替えを図
ってみた。
<ミドルクラス>の再考
41
周 倩(しゅう・せい)
[出身大学または最終学歴]東京大学大学院学際情報学府 学際情報学 博士
[専攻領域]階層研究、メディア研究、日中比較社会学
[主たる著書・論文]
(3 本まで、タイトル・発行誌名あるいは発行機関名)
「今日の中国社会における〈中産階層ドラマ〉の受容――カルチュラル・スタディーズのオーディエンス研究を
手がかりに」,『マス・コミュニケーション研究』, 74 号 , pp.95-114, 2009.3. 「中国の「中産階層」とそのメディア・イメージ――グローバルな視点からの検討」,『年報社会学論集』, 23 号 ,
pp.59-70, 2010.8. 「第 2 章 中産階級の定義・実態・イメージ――日中韓比較の知見」,園田茂人編『勃興する東アジアの中産階級』,
勁草書房,2012.3.
[所属]東東京大学大学院情報学環 交流研究員
[所属学会]日本社会学会、関東社会学会、日本マスコミュニケーション学会、アジア政経学会
42
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
Reconsideration of “middle class”:
Proposing a new model from the viewpoints
of social constructivism and media studies
Zhou Qian*
Abstract
This paper reconsiders the concept of the “middle class” as found in the existing academic
discourse by starting with the fundamental question, “What is the ‘middle class’?”
By reconsidering issues surrounding the concept of the “middle class”, this paper sets out to
examine the methods used to define and discriminate the “middle class” in previous research
on stratification and class. This brings up the problem of “class image,” which leads to an
examination of the media’s perspective, an overview of previous research on media images,
and the faults and limitations of these investigations. This paper also proposes a model of the
"middle class", drawing on social constructivism and the functions of the media, examines the
relationship among three views of “middle class” indicated by the model, and suggests a new
agenda for future research.
This paper argues that in order to comprehend the “middle class” in a holistic manner, it
is necessary to study media images of the “middle class” by building on the achievements of
previous research. Finally, it attempts a reconfiguration of the existing academic concept of the
“middle class.”
Graduate school of Interdisciplinary Information Studies, the University of Tokyo
Key Words:Middle class, Media, Image, Subjectivity, Objectivity.
<ミドルクラス>の再考
43
ゲーム産業における女性開発者のキャリア発達
― 創造的専門家のライフストーリーからの展望 ―
Career Development among Japanese Female Game Developers:
Perspectives from Life Stories of Creative Professionals
藤原 正仁*
Masahito Fujihara
1.はじめに
近年、女性の職域が拡大していく中で、専
他の新たな産業から人材を確保し、とりわけ女
門的な職業に就いている女性のキャリア発達
性やマイノリティのような多様な層を、ゲーム
の諸相を解明し、キャリア発達支援の在り方
開発プロジェクトに迎える必要がある」との見
を検討していくことが研究課題の一つとして
解を示している。
挙げられる。高度な専門分業化と協働が多元
米倉・生稲(2005)によると、ゲーム産業
的に展開しているゲーム産業における女性開
は、新奇性が高い製品、画期的な製品が発売さ
発者のキャリア発達研究は、世界的にも緒に
れにくくなっており、また発売されても大きな
ついたばかりである。ゲーム産業における女
売上を達成しなくなっているという問題を抱え
性開発者の構成比に焦点を当てると、日本
ていることが指摘されている。そのため、ゲー
では12.8%(藤原, 2010)、米国では11.2%
ム会社は、既存製品と比べて意味のある何らか
(Gourdin, 2005)、英国では4.0%(Skillset,
の違いを盛り込みつつ同時に既存製品とかけ離
2009; Prescott and Bogg, 2010)、カナダで
れ過ぎない製品を目指す「適度な差別化」を実
は10〜15%(Dyer-Whitheford and Sharman,
現するために、「既存製品との類似性を優先す
2005)、そして、オーストラリアでは10%未
る戦略」と「補完財を利用した新奇性戦略」を
満(Geneve et al ., 2008)と顕著に低いことが
採用し、開発活動の内部化に伴う開発ノウハウ
指摘されている。ゲーム産業における女性の働
の蓄積と活用を進めるという。近年の日本国内
き方に関する研究に先鞭をつけたPrescott and
の家庭用ゲーム市場をみると、2008年以降の
Bogg(2010:143)は、このようなゲーム産業
それは縮小傾向にある(コンピュータエンター
における女性労働者率の低い結果に懸念を抱
テインメント協会, 2013)。
き、「ゲーム会社は、採用範囲を拡大させて、
このような状況において、多様なエンターテ
* 東京大学大学院情報学環、専修大学ネットワーク情報学部
キーワード:ゲーム開発者、キャリア・トランジション、ライフストーリー、生成継承性、ロールモデル、多様性
45
インメントを世界中の老若男女に提供していく
いう二軸により、個人の意識の側面(精神的次
ためには、とりわけ性別を超えたダイバーシ
元)からキャリア発達を捉えることを目指すか
ティ・マネジメントが、ゲーム会社の重要な経
らである(藤原, 2009)。
営課題の一つとなっていることが指摘できる。
また、「ライフストーリーは、あいまいな現
すなわち、Prescott and Bogg(2010)が言及
実を明確にしたり、出来事の多義的な意味をあ
しているように、多様なゲーム開発者をプロ
きらかにすることにつながるだけでなく、研究
ジェクトに迎えるというアプローチである。そ
者が想像もしなかった新しい理解に道を拓く可
のためには、まず、ゲーム産業における女性に
能性も秘めている。しかも、単一のストーリー
ついて解明していく必要があるだろう。
の理解は多くのストーリーと関連する社会的コ
そこで、本稿は、以上の問題意識に基づき、
ンテクストの理解へもつながっている。語り手
ゲーム産業における女性開発者のキャリア発達
が何を伝えようとしているのか、いかに自己と
の過程と意識や行動の特徴を、創造的専門家の
自分の人生を解釈しているか、人生のなかで何
ライフストーリーから明らかにすることを目的
を最重要視しているのか、人生における出来事
とする。
と経験がどのように連関しているのか、語り手
なお、本稿において、キャリアとは、「個人
は行為の理由や動機をどのように理解し、他者
の生涯を通じて、仕事に関わる諸経験や諸活動
にいかに説明しようとしているのか。その理解
に関連した態度や行動の、個人的に知覚された
は、ほかの人びとの人生経験とどのように類似
連鎖」というHall(1976)の定義に準拠する。
し、またどの程度異なっているのか、などのア
なぜならば、生涯にわたる職業経歴の連続的過
イディアを検討することもでき、限定的な範囲
程(時間的次元)と、教育と職業、役割と職
やローカルな文化での一般化や理論化も可能に
業、余暇と職業、ライフスタイルと職業など
なる。」(櫻井, 2005:129)ことから、ライフ
キャリアに内包される諸側面(空間的次元)と
ストーリー法に基づいて分析を行う。
2.対象者と方法
2.1 対象者
本研究の対象は、ゲーム産業における女性開
者の平均勤続年数は5.1年(藤原, 2010)である
発者である。「開発者」とは、本稿では、ゲー
ため、これを一つの客観的なキャリア・トラン
ムの企画・開発・マネジメントを担う創造的専
ジションと捉えて、ゲーム産業での就業年数が
門家の総称と定義する。具体的には、プログラ
5年以上有する者を対象とした。
マー、グラフィッカー、プランナー、ディレク
しかしながら、調査対象である女性ゲーム開
ター、プロデューサーなどの職種に携わり、創
発者を網羅した母集団台帳は存在しないため、
造的な専門職を担う者を指す。女性ゲーム開発
これらの対象者へのアクセスには大変な困難が
46
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
伴う。そこで、本研究では、次善の策として、
(N)、G氏より2名(B, M)、J氏より2名(G,
年齢、職種、役職などの基本属性の分布を考慮
K)の協力を得ることができた。
した上で、以下の3つの方法で調査対象者を募
このような公募と人的ネットワークを介した
集する(あるいは紹介を依頼する)という方法
スノーボール・サンプリングとを組み合わせ
を採用した。第一に、調査者のウェブサイトと
ることにより、調査対象者の恣意性の排除に
SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービ
努め、結果として21名の女性開発者にインタ
ス)を通じて、本調査を告知し、調査対象者を
ビュー調査を行った。しかしながら、上記の3
公募した。その結果、2名(J, L)から応募が
つの経路それぞれに一定のバイアスがあること
あった。第二に、調査者の人的ネットワークを
は否定できない。第一に、ウェブサイトを通じ
活用して、ゲーム開発者ならびに人事部や広報
て募集した調査対象者の中には、日頃からキャ
部の担当者を通じて、女性ゲーム開発者を紹介
リアの構築について高い意識を有している者が
してもらった。その結果、7名の開発者より9
含まれている可能性がある。第二に、人事部や
名(A, B, C, D, G, K, M, N, R)、3名の人事担
広報部の担当者を通じて紹介された調査対象者
当者から8名(E, F, H, I, O, P, S, U)、1名の
の中には、所属組織を代表する客観的キャリア
広報担当者から2名(Q, T)の紹介を受けた。
を有する従業員が選ばれている可能性がある。
これら19名のうち、11名に対しては、個人の
第三に、調査対象者を通じて紹介された者の中
連絡先を事前に把握することができたため、本
には、キャリアの構築について何らかの関心を
調査の概要を記したフォーマルな依頼状を個別
抱いている者が含まれている可能性がある。如
にメールで送付した。残りの8名に対しては、
上のとおり、年齢、職種、役職などの基本属性
調査者が人事担当者または広報担当者に面会し
の分布について考慮をしてはいるが、以上のよ
て本調査の趣旨を説明した後、当該担当者より
うな制約のもとでサンプリングを行っているた
社内の調査協力者に依頼状が渡された。第三
め、定量的な分析結果の解釈にあたっては、一
に、調査対象者を通じて、女性ゲーム開発者
定の留意が必要である。
を紹介してもらった。その結果、A氏より1名
2.2 ライフストーリーの生成方法
インタビュー調査(ライフストーリー・イン
己紹介を行って何者であるかを示すとともに、
タビュー)は、1対1の半構造化面接によって
本調査の趣旨を記した文書を提示しながら調査
実施した。面接は、原則として調査対象者の職
の概要について口頭で説明した。調査の概要な
場の会議室としたが、勤務時間外や休日に協力
どについて、質問を受けた場合には、個別に対
を得た者については、職場あるいは自宅近郊の
応して説明を加えた。また、インタビュイーに
喫茶店で行った。いずれの場所においても、本
飲み物を提供し、それを飲みながらリラックス
調査実施前に、まず調査者より名刺を渡し、自
して自由に語ってもらえるような環境や関係性
ゲーム産業における女性開発者のキャリア発達
47
に配慮した。そして、個人名や企業名が特定さ
のコミュニケーションを図り、豊かな意味世界
れない配慮を行い、匿名性を確保した形で公表
の生成と共有を目指した。構造的な質問とは、
を行うことを調査対象者に事前に説明し、承諾
例えば、「なぜゲーム産業で働こうと思ったの
を得た後、ICレコーダーの録音を開始した。
ですか」というような意識や行動を組み立てて
質問項目は、現在の仕事や働き方、職業経歴、
語ってもらう質問である。また、対照的な質問
現在・過去・将来におけるキャリアや仕事に関
とは、「以前の職場と現在の職場では、働き方
する考えなどである。面接にあたっては、オー
はどのように変化しましたか」という比較を含
プンエンドな構造的な質問や対照的な質問を用
んだ質問である。インタビュイーによって語ら
いて、インタビュイーのライフストーリーをめ
れる言葉の多声性や社会的関係なども考慮し、
ぐるさまざまな次元の意味を喚起するととも
相互行為によって生み出された新たな意味につ
に、表出された語りの本質的な意味を探究し得
いても確認をした。本調査は、2010年10月〜
るように、経験や感情に寄り添いながら、イン
12月にわたって行った。
タビュイーとインタビュアーの相互行為として
2.3 ライフストーリーおよび対象者の概要
本調査の面接時間は、短い場合で約42分、長
学校卒2名、③最終学歴の卒業年は、1998年
い場合で約108分にわたったが、一人平均にす
(S.D.=4.9)、④最終学歴の学問系統は、文系
ると約76分になった。後日、ICレコーダーに
19名、理系2名、⑤家族構成は、独身8名、既
録音された全ての音声データをトランスクリプ
婚無子9名、既婚有子4名、⑥職種は、プログ
トとして忠実に再現し、この文書データ(ライ
ラマー2名、グラフィッカー11名、プランナー
フストーリー・トランスクリプト)を分析対象
2名、ディレクター2名、プロデューサー3名、
とした。なお、文書データは字数にして約44
経営者1名、⑦役職は、一般15名(うちプロ
万7千字(一人あたり平均約2万1千字)となっ
ジェクト・マネージャー4名)、主任2名、係
た。
長2名、課長1名、役員1名、⑧所属企業の規模
調査対象者の概要は次のとおりである(表
(資本金)は、中小企業(3億円以下)14名、
1)。①平均年齢は、34.1歳(S.D.=5.2)、
大企業(3億円超)7名となっている。調査対
②最終 学 歴 は 、 大 学 院 卒 1 名 、 大 学 卒 1 3 名 、
象者のゲーム産業での平均就業年月数は、11.7
専修学校専門課程(専門学校)卒5名、高等
年(S.D.=4.9)である。
48
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
表1 調査対象者の概要
(Table 1 Interviewee Overview)
No.
A
B
C
D
E
F
G
H
I
J
K
L
M
N
O
P
Q
R
S
T
U
年齢
42
29
24
36
29
34
47
32
27
38
37
36
31
37
37
31
33
29
34
33
39
最終学歴
大学
大学
高校+S
大学+S
専門学校
専門学校
大学
大学
専門学校
大学院
大学
高校+S
専門学校
大学
大学
大学
大学
専門学校
大学
大学
大学
卒業年
1991
2004
2004
1997
2002
1999
1985
2001
2004
1997
1996
1994
2003
1995
1999
2002
2000
2003
1998
1999
1991
学問系統
文学
文学
総合
物理学
芸術学
芸術学
芸術学
芸術学
芸術学
理工学
語学
芸術学
観光学
芸術学
芸術学
芸術学
芸術学
芸術学
芸術学
心理学
服飾学
家族構成
夫
夫、祖母
―
夫、子(3歳)
―
弟
夫、子(18歳)
夫
―
夫
夫
養子
夫
夫
夫
―
夫、子(1歳)
―
夫、子(0歳)
―
夫
職種
プロデューサー
ディレクター
プログラマー
グラフィッカー
グラフィッカー
グラフィッカー
経営者
グラフィッカー
プランナー
プランナー
プロデューサー
グラフィッカー
プロデューサー
グラフィッカー
グラフィッカー
グラフィッカー
グラフィッカー
プログラマー
グラフィッカー
ディレクター
グラフィッカー
役職
課長
一般
主任
係長
一般
一般
役員
一般
一般
主任
一般
一般(M)
係長
一般
一般
一般(M)
一般(M)
一般
一般
一般(M)
一般
企業規模
大
中小
中小
中小
中小
中小
中小
中小
大
大
大
中小
中小
大
大
大
中小
中小
中小
中小
中小
(注1)「最終学歴」のSは、学校教育法に基づかない民間の教育機関を指す。
(注2)「役職」のMは、プロジェクト・マネージャーを指す。
2.4 分析方法
ライフストーリー法による分析を選択した
はなく、インタビュイーとインタビュアーの相
理由は、冒頭で述べたが、キャリア発達とい
互行為によって生成されたストーリーに含まれ
う研究視角から説明を加えれば、蘇我・朴
る重層的、多義的な意味を見出して(やまだ,
木(2010)が言及しているように、インタ
2000)、個性的な生きられた経験の豊かさや
ビューにおいて語られた現実(点)をつないで
主観的現実を抽出する(櫻井, 2005:161)とと
ライフストーリー(線)にすることにより、人
もに、同じような出来事を経験したインタビュ
生における出来事とそれが人生に与えたイン
イーのストーリーの共通性(解釈共同体)を呈
パクトとその後の展開に果たした役割などを明
示する(小林, 2005:243-244)アプローチに立
らかにすると同時に長い期間にわたる内的キャ
脚する。
リアの変化の経過を顕すことができると考えた
具体的な分析方法は、櫻井(2005:155-183)
からである。すなわち、ライフストーリーによ
に倣い、一人のライフストーリーを分節化して
る分析は、インタビュイーとインタビュアーの
見出した概念やカテゴリー、その関連を他のス
相互行為によって語られた現実(外的キャリ
トーリーや他の人のライフストーリーと比較検
ア)と意味づけ(内的キャリア)を統合して解
討しながら、そのコアになる概念やカテゴリー
釈する方法として有効である。データを抽象化
のバリエーションを明らかにし、複雑で多層性
することによって概念化や理論化を目指すので
を持つ意味の構造や連関について整理を行っ
ゲーム産業における女性開発者のキャリア発達
49
た。解釈にあたっては、インタビュイーとイン
的コンテクストの関連から語られるマスター・
タビュアーの相互行為によって呈示される標識
ナラティヴという重層的な語りの様式に留意し
となる言葉に焦点を当て、インタビュイーが自
て解釈を行った(櫻井, 2012:95-109)。とりわ
己をどのように定義し、語りの動機をどのよう
け、インタビュイーのキャリアに影響を与え
に規定しているかという語りに内在する指標を
た出来事(events)と意味づけ(meanings)
手がかりにした。また、インタビュイーによっ
に注目し、ゲームへの関心醸成の時期と動機、
て語られたライフストーリーを、当該個人に個
ゲーム産業への参入理由、キャリア・トランジ
性的で独自なパーソナル・ストーリー、コミュ
ション、キャリア発達の特徴について考察を
ニティとの関連で卓越した地位を占める用語法
行った。
で語られるモデル・ストーリー、そして、社会
3.結果・考察
3.1 客観的なキャリア発達過程
現在、ゲーム開発を担っている女性は、学校
有している(表2)。女性ゲーム開発者のこれ
卒業後、平均年齢22.3歳で職に就き、1社目で
までの就業年数をみると、学校卒業後に就職し
平均5.2年の就業経験を積んで初期キャリアを
た1社目での就業経験が比較的長い結果を示し
構築している。その後、14名が転職をして2社
ている。したがって、この間に初期キャリアを
目で平均3.2年、うち9名が3社目で平均3.9年、
着実に蓄積しながら、自らのキャリアを探求し
うち7名が4社目で平均5.9年、うち3名が5社目
ていることが示唆される。しかしながら、学校
で平均2.9年、うち1名が6社目で5.8年の就業経
卒業後にゲーム会社に就職をして、一つの組
験を重ね、中期キャリアに至っている。そし
織の中で就業継続している者は6名に留まり、
て、現在までに平均11.7年(S.D.=4.9)の職業
いずれもプランナー(I, J)、プログラマー
キャリアを有している。ゲーム産業での就業経
(C)、グラフィッカー(D, E, Q)という開
験に限ってみると、女性ゲーム開発者は、学
発職としてのキャリアを構築している。現在、
校卒業後、16名が1社目のゲーム会社で平均6.2
ゲーム開発者として就業している女性のうち、
年の初期キャリアを構築している。その後、
5名(A, G, L, M, U)は他産業を経由してゲー
他のゲーム会社に転職をして、10名が2社目で
ム産業に参入しており、また、10名(B, F, H,
平均4.1年、うち8名が3社目で平均4.2年、うち6
K, N, O, P, R, S, T)はゲーム産業内で転職を
名が4社目で平均6.8年、うち3名が5社目で平均
している。このような客観的なキャリア発達過
2.9年、うち1名が6社目で5.8年の就業経験を積
程より、多くの女性ゲーム開発者のキャリアは
み重ねて、現在までに平均11.1年(S.D.=4.2)
組織を越境して構築されていることが指摘でき
にわたるゲーム開発者としての職業キャリアを
る。
50
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
女性ゲーム開発者のキャリアパスを職種の
点から女性ゲーム開発者のキャリアパスをみる
観点からみると、①経営者(G)、プロデュー
と、マネジメント職は、初期キャリアにおいて
サー(A, K, M)、ディレクター(T, B)のマ
マネジメントに関する職業を経験した後、プロ
ネジメント職のキャリアパス(6名)と、②プ
デューサーやディレクター等に就いており、漸
ランナー(J, I)、プログラマー(R, C)、グ
次、職掌が広がっていく職務拡大がみられるの
ラフィッカー(U, L, N, D, S, O, F, Q, H, P, E)
に対して、開発職は、各職掌でより高次の専門
の開発職のキャリアパス(15名)という、2つ
職としてのキャリアを構築していることから、
のキャリアパスが存在する。
垂直方向の職務充実がみられる点が特徴として
まず、マネジメント職のキャリアパスを
指摘できる。
みると、文学(A, B)、語学(K)、心理学
ゲーム開発者のキャリア発達を規定する要因
(T)、芸術学(G)、観光学(M)という人
の一つが働き方である。女性ゲーム開発者の週
文科学を専攻した後、プランナー、プロデュー
平均労働時間を、職種別にみると、マネジメン
サーやディレクターのアシスタントを経て、マ
ト職は54時間(繁忙期は63時間)であるが、
ネジメント職へ就いている(表3)。学校卒
開発職は45時間(繁忙期は59時間)であり、
業後の就業年数は平均で13.7年(S.D.=4.7)、
マネジメント職は開発職よりも週平均労働時間
うちゲーム産業での就業年数は平均で12.5年
が9時間長くなっている。役職別にみると、課
(S.D.=4.3)である。
長・係長・主任などの有職者は50時間(繁忙
次に、開発職のキャリアパスをみると、理
期は62時間)で、一般社員は47時間(繁忙期
工学(J)や芸術学(I)を専攻しプランナー
は60時間)であり、週平均労働時間に大きな
として、また、芸術学(R)やプログラミング
乖離はみられない。しかしながら、家族構成別
(C)を専攻しプログラマーとして、物理学と
にみると、独身は48時間(繁忙期は62時間)
3DCGを専攻しグラフィッカーを経てテクニカ
で、既婚無子は50時間(繁忙期は62時間)と
ルアーティスト(D)として、さらに、芸術学
拮抗しているのに対して、既婚有子は42時間
(L, N, S, O, F, Q, H, P, E)、服飾学と3DCG
(繁忙期は54時間)であり、既婚有子は独身
(U)を専攻しグラフィッカーとして、専門職
と既婚無子と比べて、週平均労働時間は短く
のキャリアを構築している(表4)。とりわけ
なっている。女性ゲーム開発者は、裁量労働制
芸術学を修めた者がグラフィッカーとして就
で働いている者が多いが、既婚有子の場合、定
業を継続していることは、学校教育の職業的
時制あるいは短時間勤務で働いている者が多い
意義の観点から特筆すべき点である。学校卒
からある(表5)。
業後の就業年数は平均で10.9年(S.D.=4.7)、
しかしながら、職業人以外のさまざまな役割
うちゲーム産業での就業年数は平均で10.3年
を担いながら就業している女性ゲーム開発者
(S.D.=3.9)である。
は、多様な価値観や心理的葛藤を抱えており、
如上のとおり、マネジメント職と開発職の観
ゲーム産業における女性開発者のキャリア発達
客観的なキャリア発達過程だけでは捉えられな
51
い意識や行動上の特徴がある。そこで、これら
者の主観的なキャリア発達過程と意識や行動に
の発見事実を踏まえて、次に、女性ゲーム開発
ついて考察する。
表2 女性ゲーム開発者のキャリアパス
(Table 2 Career Paths of Japanese Female Game Developers)
学校卒業
N
21
Mean
22.3歳
S.D.
1.7
Min
18.0歳
Max
26.0歳
2社目
3社目
4社目
5社目
6社目
総就業年数
1社目
(うちゲーム産業) (うちゲーム産業) (うちゲーム産業) (うちゲーム産業) (うちゲーム産業) (うちゲーム産業) (うちゲーム産業)
21
14
9
7
3
1
21
(16)
(10)
(8)
(6)
(3)
(1)
(21)
5.2年
3.2年
3.9年
5.9年
2.9年
5.8年
11.7年
(6.2年)
(4.1年)
(4.2年)
(6.8年)
(2.9年)
(5.8年)
(11.1年)
3.7
2.6
4.9
6.7
1.6
0.0
4.9
(3.5)
(2.6)
(5.1)
(6.8)
(1.6)
0.0
(4.2)
0.5年
0.3年
0.3年
0.3年
1.0年
5.8年
6.0年
(0.5年)
(1.0年)
(0.3年)
(0.3年)
(1.0年)
(5.8年)
(5.7年)
13.0年
9.5年
17.5年
20.0年
5.0年
5.8年
25.0年
(13.0年)
(9.5年)
(17.5年)
(20.0年)
(5.0年)
(5.8年)
(23.0年)
表3 マネジメント職のキャリアパス
(Table 3 Career Paths of Management Professionals)
No.
G
A
K
M
T
B
最終学校
(専攻)
職務経歴
就業年数
(うちゲーム産業)
(〇はキャリアの節目、[ ]は就業形態、( )は就業年数)
①22歳:映像制作会社でアシスタントディレクター[アルバイト](約1年)。
大学
②23歳:映像制作会社でアシスタントディレクター、アシスタントプロデューサー[正社員](約2年)。
25年
(芸術学) ③25歳:教育ゲーム・映像制作[フリーランス](約2年)。
(20年)
④27歳:ゲーム会社起業(約20年)。
①23歳:コンサルティング会社で事務職[正社員](約6ヶ月)。
大学
19年
②24歳:服飾会社で新規事業支援[正社員](約1年)。
(文学)
(17.5年)
③25歳:ゲーム会社でプランナー、ディレクター、プロデューサー[正社員](約17年6ヶ月)。
大学
①23歳:ゲーム会社でプランナー[正社員](約1年)。24歳:メインプランナー(約5年)。
14年
(語学) ②25歳:ゲーム会社でディレクター[正社員](約3年)。28歳:プロデューサー(約5年)。
(14年)
①24歳:旅行会社勤務[契約社員](約2年)。
専門学校 ②26歳:ゲーム会社でプロデューサーアシスタント、プランナー[正社員](約1年)。プロデューサー
7年
(観光学) (約1年)。
(5年)
③28歳:ゲーム会社でプロデューサー[正社員](約3年)。
①22歳:ゲーム会社でディレクター[正社員](約1年6ヶ月)。
大学
11年
②24歳:ゲーム会社でアシスタントディレクター(制作管理)[正社員](約5年)。30歳:ミドルディレ
(心理学)
(11年)
クター(約2年)。32歳:アシスタントマネージャー(約2年6ヶ月)。
①23歳:ゲーム会社でディレクターアシスタント[正社員](約6ヶ月)。
大学
②24歳:他産業で勤務(約3ヶ月)。
6年
(文学) ③24歳:ゲーム会社でシナリオライター[正社員](約4年)。
(5.7年)
④28歳:ゲーム会社でディレクター[正社員](約1年3ヶ月)。
表4 開発職のキャリアパス
(Table 4 Career Paths of Development Professionals)
職務経歴
就業年数
(うちゲーム産業)
(〇はキャリアの節目、[ ]は就業形態、( )は就業年数)
①25歳:ゲーム会社でプランナー[正社員](約1年)。26歳:メインプランナー(約4年)。30歳:プラ
13年
J
ンナーチームリーダー(約6年)。36歳:ネットワークゲームプランナー(約2年)。
(13年)
①21歳:ゲーム会社でプランナー[アルバイト](約1年)。22歳:プランナー[契約社員](約2年6ヶ
6年
I
月)。24歳:プランナー[正社員](約2年6ヶ月)。
(6年)
①22歳:ゲーム会社でプログラマー[正社員](約7年2ヶ月)。
専門学校
8年
R
②29歳:休職(約4ヶ月)。
(芸術学)
(7.5年)
③29歳:音楽制作会社でプログラマー[正社員](約3ヶ月)。
高校+S
①18歳:ゲーム会社でプログラマー[正社員](約2年)。20歳:プログラマー(主任)、スケジュール管
6年
C
(総合)
理、人材管理[正社員](約4年)。
(6年)
(プログラミング)
No.
52
最終学校
(専攻)
大学院
(理工学)
専門学校
(芸術学)
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
大学+S
①23歳:ゲーム会社でグラフィックデザイナー[アルバイト](約2年)。25歳:グラフィックデザイナー
13年
(物理学) [正社員](約8年)。33歳:出産休暇・育児休暇(約6ヶ月)。34歳:復職してテクニカルアーティスト
(13年)
(3DCG) [正社員](約3年6ヶ月)。
①20歳:百貨店で販売[正社員](約5年)。
②25歳:スクールでデッサンと3DCGを習得(約1年)。
大学+S
③26歳:映像制作会社で映像・ゲームパッケージ制作[契約社員](約1年6ヶ月)。
19年
(服飾学)
④28歳:建築会社で3DCAD[アルバイト](約8ヶ月)。
(10.8年)
(3DCG)
⑤29歳:ゲーム会社でグラフィックデザイナー[派遣社員](約5年)。
⑥34歳:ゲーム会社でグラフィックデザイナー[正社員](約5年10ヶ月)。
①18歳:漫画家[フリーランス](約1年6ヶ月)。
②20歳:出産(約3ヶ月休職)。
高校+S
③20歳:ゲーム会社でグラフィックデザイナー[正社員](約3年6ヶ月)。
16年
(服飾学)
④24歳:グラフィックデザイナー[フリーランス](約3年)。
(14.5年)
(芸術学)
⑤27歳:ゲーム会社でグラフィックデザイナー(約7年)[正社員]。
⑥34歳:ゲーム会社でグラフィックデザイナー、プロジェクトリーダー[正社員](約9ヶ月)。
①22歳:ゲーム会社でグラフィックデザイナー[正社員](約3年)。
②25歳:ゲーム会社でグラフィックデザイナー[正社員](約1年)。
大学
15年
③26歳:グラフィックデザイナー[フリーランス](約1年)。
(芸術学)
(15年)
④27歳:ゲーム会社でグラフィックデザイナー[派遣社員](約2年)。デザイン統括[正社員]
(約8年)。
①22歳:ゲーム会社でグラフィックデザイナー[正社員](約7年)。
大学
12年
②29歳:ゲーム会社でグラフィックデザイナー[正社員](約4年)。33歳:出産休暇・育児休暇
(芸術学)
(12年)
(約5ヶ月)。33歳:復職してグラフィックデザイナー[正社員](約7ヶ月)。
①26歳:ゲーム会社でグラフィックデザイナー[正社員](約7年)。
大学
11年
②33歳:ゲーム会社でグラフィックデザイナー[契約社員](約1年)。グラフィックデザイナー
(芸術学)
(11年)
[正社員](約3年)。
①23歳:ゲーム会社でグラフィックデザイナー[アルバイト](約3年)。
②26歳:ゲーム会社でグラフィックデザイナー[正社員](約2年)。
専門学校
11年
③28歳:ゲームキャラクターイラストレーター[フリーランス](約3年)。
(芸術学)
(11年)
④31歳:ゲーム会社でグラフィックデザイナー[正社員](約3ヶ月)。
⑤34歳:ゲーム会社でグラフィックデザイナー[正社員](約2年9ヶ月)。
①23歳:ゲーム会社でグラフィックデザイナー[正社員](約4年)。デザイン統括、スケジュー
大学
10年
ル・クライアント管理(約4年)。32歳:出産休暇・育児休暇(約1年2ヶ月)。33歳:復職してグラ
(芸術学)
(10年)
フィックデザイナー[正社員](約8ヶ月)。
①23歳:ゲーム会社でグラフィックデザイナー[正社員](約3年)。
大学
②26歳:ゲーム会社でグラフィックデザイナー[正社員](約3年)。
9年
(芸術学) ③休職(約6ヶ月)。
(8.5年)
④30歳:ゲーム会社でグラフィックデザイナー[正社員](約2年6ヶ月)。
①23歳:ゲーム会社でグラフィックデザイナー[正社員](約5年)。
大学
8年
②28歳:ゲーム会社でグラフィックデザイナー[契約社員](約1年6ヶ月)。グラフィックデザイ
(芸術学)
(8年)
ナー[正社員](約1年6ヶ月)。
専門学校 ①21歳:ゲーム会社でグラフィックデザイナー[正社員](約2年)。23歳:グラフィックデザイ
8年
(芸術学) ナー、外注管理(約6年)。
(8年)
D
U
L
N
S
O
F
Q
H
P
E
表5 女性ゲーム開発者の働き方
(Table 5 Work Styles of Japanese Female Game Developers)
職種 役職
群
家族構成
区分
マネジメント職
開発職
有職者
一般社員
独身
既婚無子
既婚有子
N
6
15
6
15
8
9
4
平均年齢
37歳
33歳
36歳
33歳
30歳
36歳
38歳
定時制
16.7%
26.7%
33.3%
20.0%
25.0%
0.0%
75.0%
フレックスタイム制
16.7%
26.7%
16.7%
26.7%
12.5%
44.4%
0.0%
裁量労働制
66.6%
46.6%
50.0%
53.3%
62.5%
55.6%
25.0%
週平均労働時間(繁忙期) 平均通勤時間
54時間(63時間)
44分
45時間(59時間)
40分
50時間(62時間)
33分
47時間(60時間)
45分
48時間(62時間)
36分
50時間(62時間)
47分
42時間(54時間)
40分
3.2 主観的なキャリア発達過程
本節では、ゲーム開発への職業関心が高まる
されたライフストーリーを解釈することによ
過去から現在に至るまでの過程を、インタビュ
り、キャリアへの意味づけを考察し、主観的な
イーとインタビュアーの相互行為によって生成
キャリア発達過程を明らかにする。
ゲーム産業における女性開発者のキャリア発達
53
3.2.1 ゲームへの関心醸成
ゲームへの関心醸成の時期は、初等中等教育
中学生(B, E, I, R)の時に、主体的あるいは
期、高等教育期、初期キャリア期の3つに整理
偶発的にゲームをプレイした原体験を有してお
できる。初等中等教育の時期にゲーム産業への
り、いずれもそれがゲーム産業への参入動機へ
関心が芽生えた者は、小学生(C, F, S)または
とつながっている。
「小学校中学年ぐらいのころからゲーム系に行きたいなと思っていて、高学年の時にはもうプロ
グラマーになろうと思って、ちょっとプラグラムというかパソコンの勉強を始めたりとかをしてい
ました。初めてまともにクリアしたというか、ちゃんとしたゲームが『ドラゴンクエストⅥ』。そ
れを初めてクリアしてみて、物語も深いし、キャラクターを自分の好みのように成長できるのっ
てすごいなと思って。実際に自分でもやってみたいなっていうのを思い出したのがきっかけかな
と。」(C)
「ゲームをプレイし始めたのは、小学校3年生ぐらいからだと思います。当時はファミコンの
ブームがありまして、『スーパーマリオ』をやっていなければ話に入れないみたいな感じだったの
で。周りの友達がやっているのを見て羨ましくてやったという感じですね。」(S)
「小さい頃に、『スーパーマリオ』とかはやっていたんですけども、私はタイミングよくボタン
を押すっていうのが苦手で、マリオも全然クリアできなくて何も面白くなかったんです。なので、
全然やらなくなっていて、その深夜アニメでの美少女ゲームのコンシューマー版との出会いが結
構、ゲームの再開ですね。」(B)
「兄がいたのでゲーム自体はもともと小さい時から触ってはいたんですけれども、その時はプレ
イステーションを持っていなかったんです。それで、兄の友達からたまたま借りて、『ファイナル
ファンタジーⅦ』のソフトもセットで借りて、それで面白いと、そこからプレイステーションを自
分で買ったりですとか。『ファイナルファンタジー』自体は小学校の時に友達の家でやっていたり
とかは一応したんですけれども、そこまではまったといいますか。それが13歳の時ですね。」(I)
また、高等教育の時期にゲーム産業への関心
れの者も、ゲーム産業の隆盛とともに、ゲーム
が芽生えた者(D, H, J, K, N, O, P, Q, T)は、
開発という職業に注目をするようになってい
主体的あるいは偶発的なゲームプレイの原体験
き、ゲーム会社の採用試験を受け、最初に内定
を省察し、学生時代の就職活動期にゲーム産業
を得た企業に就職をしている。
への関心を抱く動機へとつながっている。いず
「就職の頃ですね。ちょうど大学の1、2年の辺りにソニーがプレイステーションを出していて、
100万台超えた辺りで一番盛り上がっていた時期だったんで。で、あんまりゲームやらない子も、
そろそろやるようになってきた最初の頃ですかね。その時にちらっとやって、グラフィックがすご
くきれいだなあっていうのを思ってて。で、就職活動をしている時に、ゲーム業界っていうのが一
応美大に対して募集がきていたので、ああ、あるんだっていうのを初めて気づきました。」(O)
54
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
「実は初めてきちんとゲームをやったっていうのが大学入ってからだったんですよ。それまでそ
んなにゲームには興味がなくて、ちゃんとまともにプレイもしたことがないという状況だったんで
すけれども。大学の1、2年のどこかで、初めてRPGだったんですが、ゲームをやって、一気には
まってしまいまして、あれも一種の映像作品であり、インタラクティブアートの、アートという
か、インタラクティブな要素のある娯楽の最たるものでもありますし。そういうところでやっぱり
自分の中で1つの選択肢としてありだなというような中で、いろいろゲーム会社も受けてみたとい
うような感じだったと思います。」(P)
そして、キャリア初期にゲームへの関心が芽
人雑誌、店頭で購入したゲーム、3DCG映画鑑
生えた者(A, G, L, M, U)は、元来、ゲームに
賞といった偶発的な出来事を、ゲーム開発とい
はあまり関心を抱いていなかったが、職業経験
う職業に結びつけることにより、これまでの職
を通して、自己の技能を活かせる可能性をゲー
業経験とゲーム開発のキャリアとを連鎖させな
ム産業へ見出し、転職行動へと至っている。職
がら、将来展望を見出そうとしている。
業紹介、ゲーム開発を志す仲間との出会い、求
「出産して、漫画の執筆は辞めたんですが、絵を描くのを辞めるというのはどうしても無理でし
て、何かしらの形でプロでいたいと思っていて、子どもはまだ赤ん坊だったんですけど、すぐに
就職しました。保育園に預けるという形で、ちょっと漫画を続けるというのはちょっとヘビーな
ので。ほとんどずっと徹夜とか、連載を持ってしまうと普通に家事をやるとかがあんまりできない
ので辞めたんですけど。保育園に預けて規則正しい会社員としての生活をやるならできるんじゃな
いかということで就職先を探しまして。その時にたまたま就職したのがゲーム会社だったんです
ね。」(L)
「旅行会社で働きながら資格を取る勉強をしていたんですけど、他の旅行会社に行ってみようか
なって、転職しようというのもちょっとあったんですね。それで就職活動じゃないんですけど、
会社に一回挨拶に行って、その帰りにTSUTAYAに寄ったら、たまたまゲームを売っていて買っ
たというだけです。本当に欲しくて買ったというよりは、たまたま買ったという。ちょうど発売
された直後で、すごくバーッと平積みで展開されていたんですね。私、その頃ゲームはほとんど離
れちゃっていたので、何か久しぶりにやってみようかなという感じで買ったんです。本当に偶然
で。」(M)
3.2.2 ゲーム産業への参入理由
ゲーム産業への参入の理由はさまざまである
を期待する群(技能を活かすことができるか
が、①ゲームというメディアに関心を抱く群
ら、個性を受け入れてくれたから)、③人的つ
(ゲームに可能性を感じたから、ゲームに魅了
ながりの群(紹介を受けたから、仲間と出会っ
されたから)、②多様な個を活かす組織で活躍
たから)という3つに大別することができる。
ゲーム産業における女性開発者のキャリア発達
55
ゲームに可能性を感じた者(C, F, I, J, P)
る仕事を選択している。また、自らのゲームプ
は、最先端の技術を駆使して豊かな表現を可能
レイ経験をもとに、ゲームの特性(インタラク
にし得るゲームというメディアの総合芸術性に
ティブ性など)や表現可能性を見出し、探索的
魅力を感じ、ゲームの開発に携わることができ
にキャリア選択へと結びつけている。
「プレイステーションが出て、結構3Dが出回っていた時期だったと思うんですけれど、それでな
んか2Dが終わってしまったのかなと感じたことがありまして。その時に、2Dの絵がすごいゲーム
が出たんですね。それを見て、なんかゲームでこんな絵が表現できるんだったらぜひやりたいなと
思いました。」(F)
「もともと漫画とか好きでずっと見ていたんですけれども、ゲームって・・・本も漫画だったり小
説だったりいろいろあると思うんですけれども、あと映画とかドラマとかアニメとかいろいろある
んですけど、そのメディアの中でゲームってまだ表現の可能性ってすごい秘められていて、もっと
すごいことができるんじゃないかって当時思っていまして。それらのメディアと比べた時に、ゲー
ムが持っている一番の特徴というのが『操作ができる』というところで。他のものってやっぱり見
ている一方だったりするんですけど、介入ができるというところの可能性というか、介入ができる
ことによってユーザーというか、プレイしている人間に与える影響ってなんか他のメディアと違
うっていう。そこを突き詰めたいというか、なんか面白いことができるんじゃないかなって。そこ
でゲーム業界というか。」(I)
「もともと自分は結構気が多い人間だったというか、いろんなことをやりたがる人間だったんで
す。職人のように1つのことだけに集中するっていうタイプよりかは、音もそうだし、映像もそう
だし、絵の部分もそうだし、基本的にはあれもこれもやりたいっていうすごい欲張りなタイプだっ
たんです。その結果、ゲームほどこんなにいろんな要素が詰まってるものってないじゃないかって
いう結論に至ったっていうところでしょうか。」(P)
ゲームに魅了された者(B, K, M, S)は、主
最初に内定を得たゲーム会社に就職をしている
体的あるいは偶発的にゲームをプレイして、そ
点が特徴として指摘できる。いずれの者も、自
の面白さや楽しさに心酔した原体験が、ゲーム
らのゲームの嗜好を道標としながら、それに関
産業への参入理由に結実している。あまり迷わ
連するゲーム会社に就職をしている。
ずにゲーム産業でのキャリアを選択しており、
「ゲームがすごく好きだったので、自分の好きなことに関してじゃあないと、あまりまじめにが
んばれないんではないかなという気持ちがありまして。ゲームに限らず、アニメなどキャラクター
コンテンツがすごく好きだったんで。あと、電車で通いやすかった事情もありまして。(中略)就
職説明会に行ってというのも、おそらく10社ぐらいはしていたと思うんですけれども、第一志望の
ゲーム会社に受かってから就職活動を止めてしまってという感じです。」(B)
56
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
「ゲーム始めたのも大学2年か1年かの時だったんですね。ぜんぜんお金がなくて、ゲームを買う
ような余裕もなかったので、それは私の生活からゲームは関係なかったんですけど、大学に入って
からたまたまやってみてものすごくはまってしまって。もともと映画とか小説とか本とか好きな人
間はインタラクティブに遊べるっていうのはやはり魅力なんですよね。それではまっちゃった感じ
だったので。(中略)あの時はスーパーファミコンだったんですけど、いろいろやっていて、女の
子向けのゲーム、RPGとかいろいろやったんですけど、本当にたまたまパッケージを見つけて、
こんなのあるんだなんて思って、買ってものすごいはまりましたね。人生変えたゲームですね。」
(K)
技能を活かせることや個性を受け入れられ
果たせるかという現実と対峙して検討をした結
ることがゲーム産業への参入理由である者(E,
果、ゲーム産業に参入している。自らの専門分
L, O, Q, R, T)は、学校で学んだ専門分野を職
野をゲーム開発で活かすだけでなく、仕事を通
業として活かしたいという動機を持っている。
じてそれを追究し続けられることに意義を見出
ほとんどの者がグラフィッカーとしてゲーム開
している。また、個人で絵を描き続けることよ
発に携わっており、絵を描いて人々を魅了でき
りも、むしろ、多様な個性が集まる組織の中で
る職業に就いていることにやりがいを感じてい
創造的な活動ができることを大切にしながら楽
る。絵を描きながら、どのように経済的自立を
しんでいる。
「専門学校に入ってからですね。その時、絵を描くのも好きだったので、イラストを描いていく
仕事に就ければいいなと思っていたんですけど、調べれば調べるほど、お金的に厳しいというのが
分かってしまって。例えば、アニメーターさんの月給ですとか、フリーになった場合は、自分で営
業しに行ったりとか税金対策とか。結構、その当時受けさせていただいた先生が、フリーランスで
働いていて、わりとそういう厳しいことを学生に言ってくださる方だったので。そういうのを聞い
て、絵を描きたいけど、この先、活かしていくにはどの業界じゃなきゃいけないんだろうと調べた
ら、やっぱりゲーム業界が当時会社としても成り立っていましたし、会社員として採っているとこ
ろも多かったので。(中略)地方から出てきていたので、安定した職がないとそのままこっちに
はいられない状態だったので。あとは、周り・・・親戚筋とかも、あまりゲーム業界についてよく分
かっていなかったので、当時。会社員と言っておけば分かりやすいなと思って。」(E)
ゲーム産業における女性開発者のキャリア発達
57
「どうやって食っていこうかということを考えますんで。絵描きは食べていけないので、どう
やってお金になるかっていうことをずっとずっと考えたら、まずは日展に出して賞も取らなきゃっ
て思っていて。その時点で私はもう絵を楽しく描いてないですね。もう取る気でいて、入選するつ
もりでいて。この絵が1号いくらで売れるかくらいまで想像して描いてました。(中略)個人で面
白いものを作っていてもしょうがないというのがすごくあったので。みんなでって言ってはなんで
すけど、個性の違う人同士でぶつかりながら、ものを作ってくっていうことをすごく意識してま
すね。日本画の世界って、どうしても一人っきりでずっと狭いところで考えていくような世界なの
で、意識して。わざわざそういうところを蹴ってまでやるには何を大切にしなきゃいけないかなっ
ていうのを考えると、人と一緒に新しいものを作っていくことだっていうのは意識しています。
やっぱりそれは日常のささいな業務でも気をつけてはいます。あんまり自分が、自分がって決めな
いようにって意識してはいるんですけど。」(O)
「当時デザイナーの面接官の方が非常に魅力的な方で、この方と仕事をしてみたいと思ったのが
きっかけでした。『僕は絵を描くことがエンターテイメントにつながって、人々を楽しませること
ができる』ということを仰っていて、私自身が大学生の時にあまり考えたことがなかったんですけ
れども、絵を描くことで人を楽しませることができて、ゲームという媒体はものすごく社会に対し
て、遊びとして広がりやすいですよね、それがすごく無限大に広がる夢のように思いまして、とて
も魅力的に思いましたね。美術大学というのは、ギャラリーとか、美術館とか、ああいう箱の中で
発表して、分かる人にだけ分かるものをつくっている。閉鎖的な創作というものは、何か違うので
はないかと思っていた矢先だったんですよね。それだから、余計に心に響いたというのもあったと
思います。」(Q)
「プログラマーになろうと思った理由というのは、すごく現実的なんですけれど、CGというかコ
ンピュータの勉強がしたいというのもありますけど、コンピュータがどんどん普及しているので、
コンピュータ関連のことをやっていれば食いっぱぐれないだろうと当時思ったんですね。で、プロ
グラマーという仕事があるというのを知っていたので、私もプログラムの勉強をしたらいいかな
と、中学生後半の時に思いました。高校の進路を決める時に、コンピュータの方にとりあえず行こ
うみたいな感じで情報系の学科を選びました。」(R)
人的つながりがゲーム産業への参入理由であ
産業の知見を広げている。年齢が高いことを考
る者(A, G, U)は、人材紹介会社からの紹介
慮する必要があるが、他の群と比べて、ゲーム
や仕事を通じて培われたゲーム開発者の人脈を
産業での就業経験が長い点が特徴である。ゲー
契機に、ゲーム開発に携わっている。元来、
ム産業参入後も、職場における他者との関係性
ゲームにあまり関心を抱いていなかったが、偶
を大切にしながら、キャリアを構築しているこ
然の人的つながりを活かして、ゲームやゲーム
とが示唆される。
58
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
「紹介されてから、たまたま大学の同級生がゲーム会社に先に就職して働いている友人がいて、
業界情報などを入社前にいろいろ聞いたり、資料をもらったりして、『ああ、今、すごく生き生
きとした業界なんだな』というようなことは肌で感じました。そこで興味を持ったというところ
です。とにかく新聞を開けば、当時、必ずどこかのゲーム会社が何らかの発表記事を掲載されてい
てというくらい注目度が高い産業だったイメージがあります。(中略)AX社(入社したゲーム会
社)も、そういう意味では、ものすごく花火をいっぱい打ち上げていて、当時、本当に新しいこと
をいろいろやりますということで、次々新しいものを出したりとかいうところで、やはり行動力の
ある会社というか、いいにしろ、悪いにしろ、挑戦的であるなという印象は抱きました。」(A)
「ゲーム業界というカテゴリーができる前の段階で、ファミコンが出始めてドラクエが人気が出
てきたとか、ああいう時代だったものですから、就職先としてゲーム業界というものは、何もイ
メージがなかった時代だったんですね。その中で、映像ですとか絵本ですとか、いろんなことを幅
広いメディアのことをやりたいと思っていた自分が、なんとなく偶然、教育ものでしたけど、ゲー
ムのお仕事をやったのが、この業界に巻き込まれると言いますかね、たどり着くきっかけではあり
ました。それでその時の、一応、教育ものを作るための仲間として、いろんな取引先といいます
か、スタッフと交流ができたわけですが、それがプログラマーであったり、ドットを打っている絵
描きさんであったり、私がやっていたようなディレクターであったり。あるいはそれをとりまとめ
る小さい映像制作会社、開発会社だったりと交流ができまして。(中略)その辺りで、ゲーム業界
の方々との交流ができて、行き来をして見学をしたりしてですね、ゲームっていうものは面白そう
だなというので興味を持ち始めて、だんだん巻き込まれていくという経緯がありました。」(G)
3.2.3 キャリア・トランジション
トランジションという言葉は、一般的に、推
し、出産という女性特有のトランジションを乗
移、変遷、転機、移行、過渡期などの意味を有
り越えて、仕事と家庭の役割を両立している。
する。本項では、Schlossberg(1989)に従っ
職場にロールモデルとなる者が不在であったた
て、「イベント」(何らかの出来事)から起こ
め、出産や育児をしながら就業継続すること
る転機(予期したことが起きるとき、予期せぬ
に不安を抱えつつも、家族から支援を得ること
ことが起こるとき)と、「ノンイベント」(予
で、意図的に仕事と家庭の役割を果たすことが
期したことが起こるとき)という観点から、回
できる環境を創造している。例えば、G氏は、
顧的に意味づけられたキャリア・トランジショ
出産を当時のゲーム開発期間と重ね合わせて計
ンを整理する。
算をしていたが、出産の時よりも、その後の育
まず、イベント(予期したことが起こると
児の大変さを「24時間運営のオンラインゲー
き)には、出産(D, G)のカテゴリーが抽出さ
ム」というメタファーを用いながら回顧してい
れた。いずれの者も、ライフ・キャリアを計画
る。D氏も同様に、子どもを保育園に預けなが
ゲーム産業における女性開発者のキャリア発達
59
ら仕事をするイメージは生成しているが、子ど
どのように果たしていけばよいのか不安に感じ
もが小学生になった時に、仕事と家庭の役割を
ている。
「最初に仕事がどうなるんだろうというところがかなり不安でしたね。やっぱり子どもができる
といろいろ制約が出てくるので。そこで、何だろう、会社が受け止めてくれるのかとか。自分も両
立できるのかなあと不安に思いました。会社が受け入れてくれるかなあというのは、前例がなかっ
た。やっぱり愛着があるというのと、やっぱりこのくらいの規模の会社だと、結構自分の好きなこ
とができるというか。他で働いたことがないから比べられはしないんですけど、自分で仕事を作っ
ていくような感覚とかがあったので。あと、単純に転職ってすごく大きい労力が必要なので。腰が
重かったということがあるのかもしれないです。(中略)プライベートでは、やっぱり親とか手伝
いに来てくれたりというところと、仕事の上ではそうですね。あんまり支援はなかったですかね。
母親は、割と近い、1時間以内で来れるような所に住んでいました。認可を諦めたんで。諦めたと
いうか、近くに認可外しかなかったので、ちょっとお金はかかるんですけども、一番駅の近くの便
利な所に入れて。特に困りはしませんでした。8時半から夜の7時半まで預けています。保育園の時
は子どもって、特に預かってもらえて心配はないんですけども、小学生になった時が心配ですね。
小学校に入ると、学童保育というのに預けなくてはいけなくて、学童保育が空きがなかったりと
か。あと、学童保育の方が保育園より早く終わってしまったりとか。そういうことがあるらしいの
で、小学校は頭痛いなあと思ってます。教育というか、働いている間その夏休みとかどうすればい
いんだろうと。」(D)
「子どもを産んだ時も、当然、並行して開発の仕事も走ってたんで、大きいお腹のまま深夜まで
仕事してですね。深夜の電車だと混んでて、妊婦が乗ると危険なのでタクシーで家まで帰ったりと
か。そういう修羅場で妊婦でやってたんですよ。そういうことをやったりして。さすがに生まれた
後は1年ぐらいは自宅と会社を行ったり来たりで、主人の方と交代しながら、なんとか、という時
期を経て。1歳から保育園に預けましたんで。そのあたりは非常に大変な時期でした。なるべく1年
間は母乳で育てたかったんで、休むようにはしたんですが。やはり、打ち合わせとか、収録で行か
なきゃいけない時とかもありますよね。そういう時は旦那に預けて行くとか。保育園に預けて行く
とか。そういうことでなんとか乗り切ったという感じですね。(中略)出産する時は、だいたい当
時、ゲームを開発する時、8ヶ月で開発してました。デバッグして8ヶ月から10ヶ月と考えると、
まあちょうど、開発ライン1本ぐらいで子ども作れるかなぐらいに計算をしていたんですけど。と
ころが出産した後はもう、エンドレスで24時間育て続けなければいけないんで。ゲームでいうと、
オンラインのMMORPGを運営するようなぐらいの。24時間体制なわけですよ。そのぐらい違って
てですね。これは大変だと。めっちゃくちゃ大変でした。」(G)
また、イベント(予期せぬことが起こると
P, R)、メンターである上司との出会い(A, B,
き)には、成長を促す仕事の経験(I, J, M, O,
S)、昇格(C, Q, T)がカテゴリーとして抽出
60
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
された。
事に就いて、信念や自負を持って業務を遂行し
成長を促す仕事の経験をキャリア・トランジ
ていたが、これまでに経験をしたことがない業
ションとして語る者は、予期しない人事異動に
務も任されるようになった時に、その状況を受
よって新しい業務を担うことになった時、これ
け入れて、試行錯誤しながら新しい業務に挑戦
まで蓄積してきた技能を十分に活用できない自
をすることで、新たな自己概念が生成されてい
己と対峙しながら、仕事に適応できるように、
る。とりあえず、自己の置かれた状況を柔軟に
自己研鑽に励んだり、職場のメンバーから助
受け入れることで、これまで自負していたこと
言を受けられるように積極的な態度を示すこと
や信念を、より俯瞰的あるいは多角的な視座か
で、その時の不安や心理的葛藤をポジティブに
ら捉え直し、どのような仕事でも面白いと感じ
対処していた、と回顧的に意味づけている。人
られるように心情を変化させている。
事異動の前までは、自らが志願するやりたい仕
「2本目でたまたまシナリオを実際に書かせていただく機会があり、当時は本当に知識という
か、付け焼き刃で自分で独学で勉強しつつ、ある意味気持ちだけで書いたところもあるので、今読
むと本当に全然、ああっみたいなところはあるんですけれども、やっぱり書かせていただいたこと
が経験でシナリオをもっとやってみたいというか、もっとこの方面で実際に自分は今後働いていき
たい、作っていきたいというのは2本目のゲーム開発ですごい影響を与えてもらいました。書いて
みて、『楽しい』の一言なんですけれども、でもその分孤独との戦いですね。ここおかしいって
思ったら、逃げようと思えばある意味いくらでも逃げられるんですよ、自分しか分からないところ
もあるので。でも、そこで1個逃げたら逃げ癖がつくというか、全部破綻というか、やっぱり見抜
く人は分かるのでそこから逃げない強さだったりとか。(中略)あと、さっき言ったみたいに書い
て終わりではないので、それをチームの方に共有していただくために自分で足を使って説明したり
とか、逆にチームの方から『もっとこうしたら狙っている意図が出るんじゃない』っていう意見も
いただいたりとかは当然あるので。そこに関しては、当時2本目の初めの時は自分がその立場だっ
たので、『もっとこうした方がシナリオよくなりますよ』っていうのを言う立場だったので。そう
いう方の意見を聞き入れて、当然譲れないところもあるんですけれども、やっぱり人の話を聞く、
というところに尽きるのかなというのがいろいろやって分かってきましたという感じです。」(I)
ゲーム産業における女性開発者のキャリア発達
61
「異動の話がきて、ちょっと左遷の意味合いもあったというか、『ああ、部署を小さくするとき
に、人数を減らさなければいけない1人目に入ったんだな』みたいな。裏切られたような気持ちは
ありましたね。ただもう、その時も、会社の方針なんだなとも思いましたし、行く先で女性の中間
管理職が必要なのも理解はしていのたで、『ああ、そういう意味では、また耕しに行けということ
か』みたいな諦めもあり、納得していた部分もあったと思います。異動の意味を早めに理解したと
思うので、何かそんなに文句言わずに、ぱっと異動して、なるべく明るく仕事をするように心掛け
ていたかなと思います。(中略)心情的にはいろいろあったのですけれども、割とすんなり異動し
たかなと。結果的に考えれば、すごくいい異動だったと思っています。ずっと開発を1本でやって
いたらできなかった、知らなかったようなことをたくさん知ることができたので。ポジティブに
異動したのも、自分でもよかったと思っていますし、実際にいいこともいっぱいあったと思いま
す。」(J)
「新卒で入った頃は、ものすごい背景デザイナーになりたかったんです。なんですけど、全然背
景をやらせてもらえずキャラをやっていて。で、キャラが終わった後でちょろっと背景を。『おま
えが背景、背景ってうるさいからやらせてやる』って言われてちょっとやってみたら、『ああ、
そんなでもないなあ』みたいな。そんなに面白いわけではない。『まあ、こんなもんかあ』って
ちょっと思って、『あまりそこにこだわらないようにしよう』って、その時思って。以降、あまり
自分のやりたいとかには全くこだわりを持たないようにしましたね。なんか、その場その場でプロ
ジェクトとかで足りないと言われている仕事とか、やってほしいと言われた仕事をもうすべて受け
ようぐらいの気持ちになってましたね。実際それは結構難しいとは思うんです。今ないスキルを要
求されるケースは結構多いので。それをわざわざ、いちいち楽しんでやるようにしていると、やっ
ぱり周りも『任せても結局なんとかするでしょう』みたいな雰囲気になってきて。何でも仕事を任
せてくれるようになりました。」(O)
メンターである上司との出会いをキャリア・
方向の影響力のみを指摘しているのではなく、
トランジションとして回顧している者は、上司
自らも上司に奉仕することで相互に信頼関係を
との関係性から現在の自己を省察し、上司がメ
築いているのである。そして、時間をかけて構
ンターとして自らのキャリア構築を支援してく
築された強い信頼関係をもとに、相互の情報の
れていたことを自覚している。しかしながら、
非対称性を逓減させ、円滑な職務遂行や自らの
自らを上司についていくフォロワーとして相
キャリア構築に結実させている。
対的に位置づけて、上司に支援されるという一
62
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
「開発の部門は特殊な人材のたまり場で、なかなかそのマネジメントを、やっぱり手を挙げてや
りたいとか、方向性として出世してやるという方向に手を挙げるという人がいない感じで、いかん
せん誰かがやらないと、立ちゆかない場面というのが幾つも出てくるので、仕方なしという感じで
すよね。ただ仕方なしに引き受けて、仕方なしにサポートしていたことでも、徐々に部下や上司と
の信頼関係ができてくれば、信頼関係を拠り所にして、ついてきてくれる人がしっかりついてきて
くれるようになったり、上からは自由度を与えられたりしますので、つらいことばかりだったらき
ついですけれども、その分、何かやりやすくなったり、動きやすくなったりということはあったと
思います。」(A)
「SXさん(上司)が辞めるということは、自分の仕事を見ていて評価をしていたのはその人で、
その人がいなくなったら、自分のそれまでの評価を見てくれている人がいなくなるということなの
で、それが給料とかにもひびくと思いますし。あとは、SXさんといろいろ話をしたら起業の話を聞
いたので、それで移ったという感じです。SXさんは、仕事の面では絶対的な信頼はありますし、い
ろんな相談に乗ってもらったり。」(S)
昇格をキャリア・トランジションとして回顧
ることに注力し、自己の能力開発が大きな発達
している者は、開発職でありながらマネジメン
課題であったが、昇格後は、部下との関係性の
トも任せられた時に、自らの職務上の役割が垂
中で自己を相対化し、上司としての在り方や振
直的にも拡大したことによって責任感を自覚
る舞い方、プロジェクトをいかにマネジメント
し、仕事に対する考え方が変化している。昇格
していくかという発達課題へと役割の認識が大
するまでは、専門職としてのキャリアを構築す
きく変化している。
「自分の中でまだ主任になるほどの年ではないだろうというのも多くありまして、技術的にも管
理もできるとは思ってなかったんです。管理なんて部下なんて持ったことがないですし、何もやっ
てこなかったのに私はできるのだろうかという大きな不安と、あとは技術的にもまだまだ全然長く
やってる人たちよりできないので。それなのになっても大丈夫かなっていう漠然とした不安はあり
ました。普通に作業している中で、『ここやってね』とか普通に自分でやるようになっていたら、
いつの間にか主任になってたみたいな。主任になったっていうのが一番大きいです。まずどうやる
のかすらいまいち分からなかったので、本とか、経営の講義を受けたりとか、あとは社長にも聞い
たりしながらやってきた形です。いったいどうしたらいいのか。あとは会社で講義をしてくれたの
で、そこで教わってっていう形です。」(C)
ゲーム産業における女性開発者のキャリア発達
63
「やっぱりデザイントップに任命されたことが、まず大きかったです。それはなぜかというと、
視野が広がったことですね。あとは、仕事に対する考え方も変わったことですね。それと出産で
しょうかね。その2つに何が共通しているかといったら、やっぱり仕事に対する考え方が変わった
ことです。デザイントップに任命された時は、やっぱりマネジメントすること、自分という存在を
消すとか、人に対してどう接すれば心を開いてくれるかとかですね。自分が自分、今まではトップ
に行くまでは、『自分やりたい、自分やりたい』だったんですけれども、ぽーんととトップに就い
たら、そういう考え方というのは一切、もう邪魔になってしまって、自分が自分がと言っていたら
周りがついてこない。嫌だなと思っていても周りがついてこないし、やっぱりその時に仕事の考え
方というのが変わりましたね。トップであることが、トップである人間が、やるべき振る舞いとい
うのがありますよね。大きいところで言うと、総理大臣とか、大統領とかでもそうですけど。何か
むやみに動揺しないとか。ちょっとバグが起きたときに、あまり騒がないとか。納期が半年延びた
ことによって、スタッフというのはどうしても、『ええ?』とか、ちょっと下がるときがあるんで
す。チームの勢いがポーンとが下がったときとかがあるのですが、そういう時に、自分も下がった
らみんなが下がるので、それは絶対にしないとか、自分の置かれている立場に対しての振る舞い、
要求される振る舞いというのは、上に行けば行くほど絶対あると思います。それをすごく意識して
いました。」(Q)
そして、ノンイベントとしては、職種の変更
かしながら、プランナーからディレクターへ職
(K)とキャリア・プラトーの時期(E, F)、
種を変更した後に、自らの課題を見失うととも
出産(Q)が抽出された。出産は、イベント
に、ディレクターの意思決定の重さや周囲から
(予期したことが起こるとき)とノンイベン
のプレッシャーなどを感じて、自己否定に陥っ
トの両方に含まれており、多義的な意味を有す
てしまう。これまでは自己を信じてゲームを開
る。
発してきたが、自信を喪失してしまうことによ
キャリア・トランジションとして、職種の変
り、何を信じて意思決定をすればよいか分から
更を挙げる者は、それによって、役割の変化を
なくなってしまっている。このように、職種の
期待していたが、実際には期待した方向に変化
変更によって、自らの在るべき姿を模索するこ
しなかったことを回顧している。K氏は、常に
とになった時期をキャリア・トランジションと
自らが達成すべき課題を立てて、自己効力感を
して捉えている。
原動力としてゲーム開発に携わっていた。し
64
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
「(プランナーからディレクターへ)職種を変えた時は、ひたすら自己否定ですね。なんでこん
なにできないんだろうって。それまでは、パーフェクトぐらいに思ってゲーム作っていましたか
ら。基本的にそんなに不安になることがあまりないんですよ。でも、何をしていいか分からなかっ
た、平たく言うとそうだと思うんですけれども。何かをする時って、自分に期待をかけて、それに
応えてちょっとずつ自分というものを作っていくのかなと思うんですね。誰かの期待に応えても、
あまり自分の糧にはならないなと思っていて、自分に課して答えてっていうのの繰り返しだと思っ
ていますけれども、課すものが分かんない場合は答えようがないので、何をしていいか分からな
かったですね。売ればいいとかそういう問題じゃなかった気はします。作り上げればいいわけでも
なく、ゲームを作るっていう全てを1回失った時に何もないじゃんと、要はそれかもしれません。
ディレクターの場合は、自分が何を信じ、そこに向かって絶対にいけると言い張れるか。じゃない
とみんなついてこれないので、それを失っちゃうと何もないんですよ。何かを信じてここを基準に
して生きていこうとか決めていこうとか、ジャッジしていこうというそのジャッジがどんどん重く
なりますよね。年をとって、部下もいて、そうなってくると。そのジャッジの重さをそんなに普段
感じているわけではないけども、それなりに重いし、それなりの反応とか対応も要求されるので、
そこにおいての自信が、今も自分自身に対してはないです。」(K)
主観的キャリア・プラトー(キャリアの停滞
中で就業を継続し、仕事の効率を向上させて、
感)をトランジションとして回顧している者
時間を確保する意思決定をしている。一方で、
は、組織の中で、能力を十全に発揮し続けるこ
F氏は、自らがつくりたいゲームをつくること
とができずに、自らのキャリア展望に暗雲とし
ができない状況を、自己の技能と組織の環境の
た心情を抱きながら、主観的なキャリア・プ
両面から捉えて検討し、転職という意思決定を
ラトーにおけるトランジションを乗り越えて
している。いずれも、他者と比較して現在の自
いる。E氏は、自己研鑽のための時間を十分に
己のキャリアを相対化しながら客観的に評価を
取ることができなかったため、転職によって状
し、主観的に感じるキャリアの停滞感からの克
況を変えることも検討したが、所属する組織の
服を果たしている。
ゲーム産業における女性開発者のキャリア発達
65
「節目だなと思ったのは、5年目ぐらいの時に。今もそうなんですけど、忙しくて勉強する時間
が取れてないなと思ったことがありまして、今よりも、もっとキャリアアップするにはどうしたら
いいかと悩んだ時期がありましたね。当時、学校の友達とかが地方に帰っちゃったりとか、会社辞
めたりとかしてたので。給料ベースとかでは、そんなに不満はなくて、会社がつらいかと言われ
ると、確かに仕事はつらかったんですけど、ただ、いろいろ任せてもらってたのでやりがいはあ
るな、と。で、いろいろ悩んだ結果、その結論に達したんですけど、せっかく5年いるし、今やっ
てる仕事もあるし、自分としては辞めるよりはこのまま続けていった方が得だし勉強になるし、ス
テップアップも実はできるんじゃないかと。で、仕事も慣れれば短くできるので、その分短くした
分、勉強する時間も取れる。新しい環境になったらそれが分からないので、もっと忙しいかもしれ
ないし、かえって時間が出るかもしれないけど。今、ここにいたほうが自分には得だという結論に
達して、5年目を乗り切りました。焦りますね。周りは変化してるのに、自分はどう変化したらい
いか分からなくて。やっぱり、同年代の人とかと比べてという話になっちゃうんですけども。」
(E)
「結構私はコアなゲームユーザーだったみたいで、やっぱり、うーん、だけれども絵が描きたく
て入ったので絵の技術はすごい高かったのですけれど、自分が本当に作りたかったゲームとは違っ
たということに気づいてしまいました。それで、なんですかね、その絵で表現するには自分の実力
も足りないなと思いましたし、逆に自分が作りたいものはこの会社では作れないと気づいてしまっ
た時にちょっと転機ですか、それなりにショックを受けました。また、あまりにもちょっと上司が
出来過ぎた方だったので、ちょっとなんかそれと比べて自分に失望してしまいました。」(F)
出産をキャリア・トランジションとして語る
としかできなかった過去を振り返っている。Q
Q氏は、結婚して子どもを授かることを望んで
氏は、当時のライフストーリーをポジティブに
いたが、期待通りに授からず、不安を抱え、自
語っていたが、人によってその捉え方もさまざ
問自答しながら就業していたことを回顧してい
まである。出産という固有性の高いトランジ
る。周囲からの期待や心配が、出産の不安を助
ションを、どのように意味づけ、いかに対処し
長し、自らの身体を疑うこともあった。しか
ていくかという課題は、当事者である本人のみ
しながら、医師の診断を受けて、自らの身体に
ならず、周囲の者も配慮する必要があることが
問題がないことを確認し、仕方がないと思うこ
示唆される。
66
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
「子どもはもういつできてもオーケーですよという気持ちで結婚したんです。でも逆にできなく
て、悩んだぐらいだったんです。(中略)『ああ、産まなきゃ。そろそろ子どもを産まないと、
しんどいな、体力的に』と思っていたんですね。でも、あれは自然に授かるものだから、できな
いものはしょうがないと思っていました。ただ、やっぱり妊娠しないことによって、自分の身体が
悪いんじゃないかと思って、一回検査を受けたことがあります。開き直ってはいましたね。『授か
らないということは、もうそういう時期じゃないんじゃない?』みたいな。『まだじゃない?まだ
働けって神様が言っているじゃない?』と言っていましたね。周りの人にそうやって言っていまし
た。ああ、思い出しました。周りの、普通のスタッフの方からも、『お子さんはそろそろどうなん
ですか?』とか聞かれたり、先輩からも『子ども、どうなの、そろそろ』とか言われたり、『い
や、授からないんで、多分、神が働けと言っていますわ』と言っていました(笑)。一番心配だっ
たのは、やっぱり自分が妊娠しない身体じゃないんじゃないかなと疑った時ですね。それくらいで
したね。でも、お医者さんに『いや、それはないですよ』と言われたら、『ああもう、じゃ、しょ
うがないや』みたいな感じでした。」(Q)
このように、キャリア・トランジションを、
経験、ゼロからのスタート、立て直し、プロ
イベントとノンイベントに整理した結果、イベ
ジェクト・タスクフォース、視野の変化、ライ
ントとしては、成長を促す仕事の経験、メン
ンからスタッフへの異動、第二の「他の人との
ターである上司との出会い、昇格があり、ま
つながり」については、ロールモデル、価値
た、ノンイベントとしては、職種の変更、主観
観、第三の「修羅場」については、事業の失敗
的キャリア・プラトー、出産が抽出された。
とミス、降格・昇進を逃す・惨めな仕事、部下
いずれの者も、回顧的に意味づけされたキャリ
の業績の問題、既定路線からの逸脱、個人的な
ア・トランジションにおける課題に対処し、そ
トラウマ、第四の「その他」については、コー
れを克服して、現在のキャリアへと結びつけて
スワーク(公式の研修プログラム)、個人的な
いる。
問題(仕事以外の経験)である。
リーダーシップ開発の観点から、成長を促す
以上の諸経験から、女性ゲーム開発者のキャ
経験を導出したMcCall(1998)によると、成
リア・トランジションを考察すれば、個人的な
長を促す経験は、課題、他の人とのつながり
問題(仕事以外の経験)として、出産という女
(特に自分よりも高い地位の人)、修羅場と失
性特有のライフイベントが挙げられる。出産を
敗、その他という4つのカテゴリーに分類され
いかに乗り越えるかというトランジションは、
る。それらのカテゴリーには、次の16種類の
個人的な問題ではあるが、それを支援する職場
具体的な経験が提示されている。第一の「課
環境の整備や参考となり得るロールモデルの呈
題」については、初期の仕事経験、最初の管理
示などが必要とされている。
ゲーム産業における女性開発者のキャリア発達
67
3.3 女性ゲーム開発者のキャリア発達の特徴
女性ゲーム開発者のキャリア発達における意
る、第六に、他者に自己を理解してもらう働き
識や行動には、以下の10の共通する特徴が見
かけを行っている、第七に、組織を越境した人
出された。すなわち、第一に、環境や役割の変
間関係を構築・維持している、第八に、現在を
化を柔軟に受け止めて挑戦し続けている、第二
大切にして試行錯誤を重ねながら将来を切り拓
に、物事をポジティブに捉えて楽しんで仕事を
こうとしている、第九に、ジェンダー・ステレ
している、第三に、労働の量ではなく質で評
オタイプに固執しない、第十に、先導的ロール
価されたいという欲求を持っている、第四に、
モデルを呈示しようとしている、という特徴で
組織のなかで創造性を発揮しようとしている、
ある。それぞれの特徴について、ライフストー
第五に、自らのキャリアを客観的に評価してい
リーを示しながら、考察を加えていく。
3.3.1 環境や役割の変化を柔軟に受け止めて挑戦し続けている
環境や役割の変化を柔軟に受け止めて挑戦し
持たずに、その都度、柔軟に意思決定を行って
続けている者(K, L, N, O, P, U)は、このよ
きたからこそ、現在のキャリアに結実している
うに在るべきだというような固定観念や明確な
ことが示唆される。また、ゲーム産業での就業
ビジョンを持っておらず、自らが置かている環
継続を希望しているL氏は、いつか現場を引退
境や役割が変化した時には、それを柔軟に受け
することを予期しているが、あまり遠い将来の
止めて、その都度対処あるいは軌道修正をして
ことを見ようとしていないかもしれないと回顧
いる。これらの者に共通する姿勢としては、将
しており、自らの技術を磨き、代表作を蓄積し
来に対する曖昧な不安を抱えつつも、変化する
ていくことで実績を残し、近い将来のキャリア
環境や役割に適応し、挑戦をし続けていること
展望へと結実させている。そして、 N氏は、
が挙げられる。例えば、ゲーム産業で仕事を始
もし、子どもを授かったら、自らの生活に応じ
めて以降、明確なビジョンを持ったことがな
て目標や役割が変わっていくことを予期してお
く、単発的に判断をしてきたK氏は、仕事上で
り、現在の責任あるデザインリーダーの仕事を
円滑な人間関係を構築していくことは人に好感
続けられるかどうかということについて、自信
を与えるというような手段が上達することであ
がないことを述懐している。P氏は、転職後、
り、人間として魅力が上がることによって人生
多様な価値観をとりあえず受け入れて、そこか
として幸せを感じるかどうかとは別であると述
ら吟味することの重要性に気づき、仕事上で生
懐している。社会的コンテクストの観点から、
じる諸問題をシンプルに考えてその時々で一つ
子どもがいる友人の方がむしろ人に対して許容
ひとつ対処していければよいのではないか、と
量が高いと感じており、その比較において、仕
柔軟に物事を捉えている。U氏は、3ヶ月の派
事上で円滑な人間関係を構築していくことの
遣契約を更新し続けている時に「流されてい
意味について省察している。明確なビジョンを
る」と感じ、全く想像していなかったが、結果
68
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
として「行きついた先がここだった」と回顧し
い、あるいは、描けないが、現在の仕事に挑戦
ている。このように、いずれの者も、遠い将来
し続けることで、曖昧な不安を払拭しようとし
のことについて明確なビジョンを描いていな
ている様子が窺える。
「ゲーム業界で仕事を始めて、こうなりたいって思ったビジョンを持ったことは実はなく、それ
はあまりいいことだとは思ってはいないですね。持っている人多いなと思うので、私はあまりない
ですね。長期的ビジョンかというとそうでもない気がしますね。多分それは人生全般においてもそ
うだと思います。あまり長期的に将来こうなりたいとか、こういう家庭を作りたいとかいうのはな
く、すごく単発的に判断している感じはします。不安はあまりないですけれども、でもあった方が
やはりいいと思います。人は目的がないとなかなか達成もできないので、あった方がいいんですけ
ど。何が魅力的なんだろうな。分かんないな。仕事ってそんなに・・・分かりませんよ・・・ただ、自分
の仕事から考えるに、社会の中でうまくやっていく手法ですね、人に好感を与えるとかいうような
やり方は上達しますけれども、人間として魅力が上がるかっていうと別ですし、人生としての幸せ
を感じるかといったら別ですよね。それは本当にやはり家庭にあるだろうと思いますし、人間的に
絶対的に私はこれは思うんですけれども、子どもがいる友達の方が上なんですよ。許容量が高いん
です。人に対して。自分はそれを選択していないけれども、素敵だなって思って、仕事でそれは、
本当はあくまで手段しかもらえていないなと思いますので、そこをどんなにアップしようかってい
うのはそんなに考えてもねという気はしますね。うまくはなりますけどね。考えてもどうにもなら
ないというか・・・どうにもならないっていうかなんだろう。」(K)
ゲーム産業における女性開発者のキャリア発達
69
「続けたいですけど、いつか現場を引退するということが来るんじゃないかなとは思っています
ね。その時はその時の私の役割というのがあると思うので、例えば経営の方だとか。今は現場のマ
ネジメントですけど、もうちょっと上のマネジメントだとか、トータル的なプロデュースだとか、
そういう方にシフトをするためには、今の私のまだ知らないこと、慣れてないことというのをやっ
ていきたいなとは思っていますね。あまり会社を経営しようとか、そっちの方にはいかないんです
よね。あまり将来が見えない業界なので、遠い将来は見えないんですけど、あまり見てないです
ね。いつも3年後ぐらいは見てますけど、遠い将来はあまり見えないですね。今だったら新規ハー
ドの、どう売れるだろうなとか、じゃあ、会社としてこういう技術を学んでおかないといけないだ
ろうなとか、そういうのは見ていますけど、あんまり遠い将来、自分が定年とかいうところまでは
何も見ようともしていないかもしれない。何か育成メインになってきた時に、自分の功績とか、
ちょっともう引いてるんですよ、若い子が成功するようになってきちゃっていて。若い子の成功と
か、成功経験を増やすことが自分の何か実績になっていて。あとは、一つひとつのプロジェクトの
開発が私の自信であったりとか、それがキャリアの証拠になっていたり、代表作とかになっている
ので、一つひとつを真剣にその時必死に作っているので、その次のプロジェクトが、とかってあん
まり見えてないですね。定年までやれたらいいなと思いますけど、そもそもこの業界の会社って、
退職金がとか、定年がとか、あまりそこまで会社的にも面倒は見てくれないと思っていて、転職経
験が多いというのもありまして、頼れるのは自分の技術のみなので、自分の技術と代表作を増やし
ていけば、キャリア的に迷うことはないなと思っていますね。」(L)
「最近、結婚したんですけど、子どもができたら続けられるかどうかっていうのは正直自信がな
いんですよね。特に人をまとめたりという立場で、子どもがいてということはちょっとできないか
なあと思うので。そうですね。そんなに先のことは考えてないというか、実は。長く続けられたら
いいですけど、きっと変わっていくかなと思うんで。自分の生活に応じて。なので、自分の、どう
なるか、ちょっと分からないので、自分の生活に応じて、ちょっと目標は変わっていくかなという
気はしてます。職場に子どもを持ちながら働いている人はいて、理想ではありますね。ああいう形
で働けたら良いなとは思うんですけど、やっぱり、今やってる、やらせてもらってるデザインの
リーダーとか、もしくはディレクターっていう場合はちょっと難しいのかなと思います。なので、
やっぱり変わっていくのかなと思います。」(N)
70
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
「転職してから、いろんな考え方の人、いろんな仕事のスタイルの人たちが多々いるので、全て
が、やはりまず自分と同じ考えじゃないというところと。もちろん自分と同じように周りの人がで
きるわけでもないっていうところと。あとはそれぞれが持ってる価値観っていうものはもう人に
よってバラバラだっていうことをまずはっきりとガツンと理解する、しなきゃいけない状況になっ
たというところが一番の大きい変化だなという気がします。だからそういう自分と考えが違う人、
志がたまに高くない人もいるし、なんとなくもうやっているっていう人もいるけれども、そういう
人も含めてチームとしてやってかなきゃいけないんだっていうところを前提にして。絶対切り捨て
の考え方はやっちゃいけないんだっていうところをベースとして、それをうまく迎合してやってい
くことの難しさみたいなところが、そこはいまだに戦いのところではあるんですけれども。永遠の
テーマだなっていう気はしてるんですけれども。受け入れるっていうのは基本のスタンスですね。
それは上司にしろ、会社にしろ、無理な注文にしろ、とりあえずまずは1回受けてみると、1回受
け入れてみると。そこから吟味するっていう形になるので、それがやっぱり昔は全然できてなかっ
た時もありましたけれども。今はまず、とりあえず全部OKと、よしとして、受け入れてからその
後考えましょうというようなスタンスに、自分の中では変わってきてはいますね。でも難しいで
す。」(P)
「最初の頃ですね。短いスパンでだったから行ったけど、更新更新で続いている時とか、なんか
流されてていいのかなとか思っていた時もあったんですけど。流れに任せた結果こうなったという
感じです(笑)。自分でもこんなに仕事をしていると思っていなかったので、この歳でもやってい
るって、全く想像していなかったです。なんか本当に目指してこられている方には申し訳ないんで
すけれども、本当に私の場合はそういう感じで。本当にここに入りたくて目指して目指して来てい
る方いるんですけど、私の場合は本当に行き着いた先がここだったという感じです。」(U)
3.3.2 物事をポジティブに捉えて楽しんで仕事をしている
物事をポジティブに捉えて楽しんで仕事をし
一貫している。現在の心境を省察し、ポジティ
ている者(A, D, F, I, J, L, M, N, O, Q, S, U)
ブに物事を捉えることで、仕事を楽しみへと感
は、総じて、協働する他者との関わり合いの中
じられる姿勢を呈示している。しかしながら、
で自己の仕事の役割や意義を見出して、楽しみ
子どもを授かった時に、現在の仕事を続けられ
ながらゲーム開発の仕事に携わっている。もち
るかどうか分からない、あるいは、楽しいと感
ろん、常に楽しさを感じているわけではなく、
じられる仕事ができなくなってしまうかもしれ
自らの技能の欠如を省察し、仕事に対する目標
ない、という将来に対する期待と不安が交錯し
を失う自己と対峙したり、仕事と生活あるいは
ながら、現在の生き方を自己肯定している者
仕事と育児の両立にジレンマを抱えながらも、
(M)がいる。そのため、出産・育児期におい
ゲームというものづくりに対する真摯な態度は
ても就業継続意欲を有する女性の意見や要望を
ゲーム産業における女性開発者のキャリア発達
71
反映し得る、円滑なコミュニケーションの在り
方や職場環境の拡充の必要性が示唆される。
「割と何か確信を持って、やっぱりスタッフとの信頼関係を築いていく上で、どうしても自分の
ゲームキャリアの少なさだったり、開発してきた人間としてのキャリアの短さみたいなものはなか
なか説得力が、人を説得して、ものをつくってもらうというところでは、足らないと苦労も多く
て、その辺で言うと、30歳ぐらいかな。(中略)やっぱり時期的にそのくらいになってきた時に、
皆さんがやっぱりよく話も聞いてくれるようになったし、理解を促せるようになったり、共感を得
られるようになったりしてきたかなというのはありましたね。人から仕事が趣味と言われています
(笑)。仕事自体は楽しいです。嫌なことというか、政治的なこととか、面倒くさいことはいっぱ
いありますけど、ただものをつくるという行為はもう本当に楽しくて。」(A)
「ゲームが複雑になっていく中で、やっぱりテクニカルアーティストいうのは必要だろうと一般
的にもなってきたんで、ちょうどそういう流れに合ってたかなあとは思います。ゲームのCGを作る
にあたって、やっぱり結構テクニカルになってきているところがあって、今。高いCGの技術とかを
求められているようなところがありまして。例えばプログラマーとデザイナーの橋渡し的なところ
ですとか。あと、デザイナーがより物量とかクオリティーが求められている中で、効率よく仕事を
進めていけるような支援をしたい。新しい技術を取り入れられるように検証をしたりとかしていま
す。毎回違う問題が発生したりとかして、それを解決していくことが楽しかったりとか。あと、今
まで面倒くさい作業が簡単になっているようなものを作るのが楽しいですね。効率がよくなるたび
に冒険できるとか。なんかルーティンワークとかではなくて、いつも違うことをしていかなきゃい
けないというのが毎回新鮮で楽しいと思います。」(D)
「転機の前は目標が結構明確にあったと思ったんですね。ただ、それを達成するための努力です
とか、実力に自信がなくなってしまいまして、それをどうしたらいいのかっていうのがまだ解決し
ていないので、なので自分が出来る範囲の目標が立ってないんです。目標がいつまで経っても見つ
からないでいるところを常に思います。今までやってきたことが結構生かされている場面も多いで
すし、あと自信がなくなっていたんですけれど、まあ結構出来ることも多いので、少しずつそう
いった自信が取り戻ってきているところに、少しちょっとやりがいとか楽しいことを感じます、今
の仕事に。」(F)
72
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
「当時、新人のバイトだった時に自分で絵コンテを起こして、それを実際にデザイナーさんに発
注させてもらって実際にものが上がってくるんですけれども、その上がってくるものが本当にすご
い、自分が想像した以上のものが上がってきて、これはすごいというか、本当にありがとうござい
ますっていう感じの。で、やっぱりそれを実際自分のところで組んでみるというか、映像にした時
に、やっぱり自分が頭で描いていた以上のものが出来上がった時にそれがすごくうれしかったって
いうのと、やっぱり自分の、私特有の感覚なのかもしれないんですけれども、やっぱり専門学校の
時にいろいろ触ってやってみて、自分はこれだっていうデザイナーさんのことができなかった自分
がいて、だからデザイナーさんってそういう意味でめちゃくちゃ尊敬しているというか、やっぱり
自分ができなかったことを本当にいい形でやってくれるというか。(中略)ものを作る、企画を考
えて発注するっていう立場なので、実際にデータを作るのは大体デザイナーさんで組むのがプラン
ナーだったりとかってするんですけれども、やっぱり一つ一つ上げてきてくださるデータ、素材
に、デザイナーさんの愛といいますか、もうすごい熱意を込めて上げてくださるのがもう本当にう
れしくて、自分もやっぱりそれを無駄にはできないっていうところで一生懸命組んだりとかして一
つのものを作っていくというのが本当に楽しくて。」(I)
「私は今はまだ子どもがいないですし、ちょっと分からないんですけど、今は本当に仕事が楽し
いですし、両立というよりは仕事を今、私は優先していますし、それは自分にとっては正しい生き
方かなと考えています。」(M)
「この仕事が本当に大好きで、楽しいので辞めたくないと思っています。ただ子どもももっと欲
しいなと思っています(笑)。」(Q)
3.3.3 労働の量ではなく質で評価されたいという欲求を持っている
労働の量ではなく質で評価されたいという欲
で密の濃い仕事をしてどれだけいいものを残せ
求を持っている者(D, L, Q, S)は、ゲーム開
るかを探究すること、平日は遅くまで働いても
発は創造的な仕事であるため、スケジュール通
土日は必ず休むこと、周囲の人には申し訳ない
りに進まないことが当然のようにあることを理
気持ちを抱きながらも自分の作業日数を計算し
解しつつも、とりわけ仕事と育児を両立させる
てできないことは誠実に表明すること、といっ
ためには、保育所への送迎の時間に合わせて仕
た建設的な代替案について言及している。ゲー
事をしなければならず、労働時間の長さではな
ム開発の仕事は、高度に分業化された専門職に
く労働の質で評価されたいと感じている。残業
よる創造的な協働によって遂行されるため、
をして遅くまで仕事をしていることをがんばっ
組織の中で一人だけが逸脱した働き方をするこ
ていると捉えている他者やそれを受容する職場
とは難しい。しかしながら、育児を担いなが
の風潮も見受けられる。そのような現状をたん
ら働いている者は女性だけではないはずだ。し
に問題として捉えるだけではなく、勤務時間内
たがって、金井(2010)が指摘しているよう
ゲーム産業における女性開発者のキャリア発達
73
に、世代生成性という観点からみれば、女性の
く労働の質や成果に応じて報酬を決定する制
問題として矮小化するのではなく、男性も含め
度である。とりわけ、創造的労働のための裁量
た総合的な働き方や社会の仕組みについても検
性を本質とするものであり、労働者の主体的な
討をしていく必要があるだろう。また、本調査
働き方を可能とし、その能力発揮を促進すると
の対象者の過半数が裁量労働制の職場で働いて
の趣旨にある以上、開発者の業務遂行の自律性
いるが、裁量労働制は、業務の遂行の手段およ
が確保されなければならない(菅野, 2013:376-
び労働時間配分の決定を労働者の裁量に委ね、
384)。労働時間管理は、開発者の生活の質に
その場合の労働時間については、一定の時間労
関わる問題であり、過剰労働やその弊害を未然
働したものとみなすもので、労働時間ではな
に防ぐ上でも重要である。
「たとえ保育園の時間があって、勤務時間が限られたとしても、結果で判断してほしいなあとは
思います。今だと、あまり『結果がこうだったね』『だからこういう評価です』みたいな。そうい
うプロセスがないんで、それは明確にしてほしいなあと思いますね。あと、みんな早く来てほしい
です。朝。一応裁量制なんで、基本的には決まってないんですけども。部署的に『11時に来ましょ
う』というルールを一度決めたんですけども。そういうのもまたうやむやになってきて。(中略)
やっぱり私、早めに出社してるんで、自分の都合からなんですけど、みんな来るのが遅いとなかな
か仕事が進まないところがあったりして。みんな11時を守ってくれればいいのにって思ったりしま
す。遅くまで仕事をしていることががんばってるみたいに捉えている人もいないでもないので。」
(D)
「土日出勤とか残業しているのを、私は後輩には当たり前にはさせないですね。何か残業して長
い時間会社にいると、もうそれでがんばってるって、何か自分を慰めているようなところもあるの
で、こんなに徹夜してがんばってるって。それはそれで、もうできたものが良くなくても本人の理
由になっちゃうじゃないですか、こんなにがんばったんですという。なので、勤務時間、普通の8
時間、就業時間でどれだけいいものを残せるか、8時間を密な時間にしていいものを作らないと意
味がない。残業というのはできなかった人がやるものであって、いけないことというのを、若い
子、特に新人の時によく教えてます。なので、夜や通勤時間とか土日とかは、目でものを見たり、
本を読んだり、何かを見たり、教養を増やす時間であって、その教養の積み重ねが将来の自分の役
に立つという話をいつもしていますね。なかなかゲームを好きな子って、ゲームしか見てなかった
りとか、何々のゲームでこういう絵だったからとか言って作り始めるんですけど、何か違うんです
よね。」(L)
74
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
「このお仕事は、やっぱりすぐに終われないんです。何かトラブルがあれば、納得するまで話し
合う必要もありますし、プログラムが動かない、何でだろう、何でだろうって、デザインの素材の
容量がでかいんじゃないかとか、プログラムの組み方が間違っているんじゃないかとか、みんなで
やっぱり頭を付き合わせて解決していくというのも大事なので、やっぱりそういう中で、17時きっ
かりに『お先でーす』と帰るのも、やっぱり心苦しいですね。どうしても作業がイレギュラーもた
くさん起きますし、それに対応していると、スケジュール通りにいかないことが当たり前のように
あるんですね。そのあふれた分をどこで埋め合わせるかといったら、今まではやっぱり残業した
り、土日出勤したりしていたんです。でも、それができなくなってしまったと。そうした場合に、
やっぱり『できません』と言うのが、まず自分の中でもうプライドとして心苦しくて仕方がない
と。まずそのプライドはもう捨てるんです。それは本当に、3日前ぐらいに、もうずっと、もんも
んと考えていたことだったのですけれども。一番駄目なのは、やっぱりできないことをできると言
うことです。正直に自分の作業と日数、1日当たりどれぐらいできるかというものを、スケジュー
ルを組んでみて、日数はたとえ2週間遅れても、『いや、これは2週間ないとできません』。4週間
か、『4週間ないとできません』とか言う勇気ですね。それによって、ああ、この人できないなと
思われても仕方がないと。その気持ちの割り切りがなかなか難しいですし、やっぱり周りの人に
も、それはすごく申し訳ないと思います。」(Q)
「もうちょっと働く環境がよくなればなと。おそらくゲーム業界で結婚をされている方って男性
でも少ないと思いますし、女性はもっとそうだと思いますし、だいたい子どもができたら、結婚し
た時点でもかなり辞めますし、子どもができてまだ働いているのって、私の友人の中ではいないん
です。私ぐらいなんですよね。なので、もう少しよくなればなと。いろんな働き方を認めてもらい
たいですね。やはり結構クリエイティブな仕事なので、やはり徹夜する人も必要だと思うんですけ
れども、そうではなくて、私は今そういう働き方、定時内で帰るという、変則的な残業をしないっ
ていう働き方にしているんですけど、そういう働き方をもっとこの会社でなくても他の会社も認め
て、あとは朝型にするとか。ゲーム業界って10時半出社とか多いんですけど、そうするともう保育
所とかに預けられないですし、普通の会社にシフトしていくみたいな感じが必要なんじゃないかな
と。そうしないとやはり仕事だけになっちゃうので。家族との時間とか考慮されていないので。例
えば、平日は遅くまで働くけど、土日は絶対出ないとか、長く働かなきゃできない時もあるんです
けれど、徹夜してもいいから、徹夜できるんだったら今ゆっくり仕事しようとかそういうこともあ
るので、限られた時間でやった方が密度の濃い仕事ができたりもするので、時間を決めて働くとい
うのはいいんじゃないかなと思います。時と場合によってですけど。」(S)
ゲーム産業における女性開発者のキャリア発達
75
3.3.4 組織の中で創造性を発揮しようとしている
組織の中で創造性を発揮しようとしている者
会に提供している会社員の一人であり、その対
(J, K, L, M, O, P)は、組織の一員としての自
価として給料を得ているという考え方を持って
覚を持って働いており、組織に成果をいかに還
いる。とりわけ、J氏は、それゆえに長く勤め
元し得るか、顧客に面白さをいかに提供できる
られていると述懐している。しかしながら、た
か、という経営的観点も重視しながら、自らの
んなる代替可能な人的資源の一部としての会社
創造性を最大限に発揮しようとしている。すな
員ではなく、自己研鑽を継続的に重ねていかな
わち、会社員としての自己とクリエーターとし
ければ、クリエーターとして創造性を発揮し続
ての自己という、多元的な自己像を自覚してい
けていくことの難しさをも自覚している。その
るのである。あくまで、組織の中で、芸術性や
意味で、女性ゲーム開発者は、組織の中の創造
娯楽性を有するゲームという商品を創造し、社
的専門家という側面を有している。
「私にとっては、そんな特殊なものだと思っていなくて、会社員でしかないと思っていて。それ
がたまたまゲームという商品をつくっている。それがエンターテイメントというか、要は消費産業
の中でもあんまり世の中の役に立たないというか、すごく必要なものではない、娯楽であるという
のをつくっているというだけでしかないんですね。なので、今でも、自分がクリエーターという意
識はそんなに強く持っていないと思います。たまたまここにいるというか、相性がよかったという
か。もちろんクリエーターであると思う部分もすごくたくさんあって、その企画者として、やっぱ
りちょっと多めにやらせていただいているのもあって、その部分は自分が責任を負うところだとは
思うんですけど、あくまでやっぱり『会社の社員として商品をつくって、それがややクリエイティ
ブと言われるかもね』ぐらいのことでしかないと思っています。そういう意味では、逆に長持ちす
る秘結なのかなと思います。(中略)やっぱり企業に勤めて、お給料をもらっているので、その企
業がいかに稼ぐかというのが会社員としては考えるところかなと、一応理論上は思っています。」
(J)
「お金をもらってやっている以上、すべてにおいて誠意を持ってやらなくてはいけないとは思う
んです。プロと同人の違いってそこぐらいしかなくて、私が作ったものがプロなのかって言ったら
分からないわけですよ。本当に気持ち一つでどこかで自分でけりをつけないと、プロか同人って分
からない。同人の方でもめちゃくちゃうまい方はいっぱいいますから。そうなると、けじめをつけ
なきゃいけない、私の中でそれは誠意なんですね。」(K)
「たぶん私の人生経験で、子どもを育てながらやっていたというのがあって、やっぱり早く帰ら
なければいけないので、その勤務時間のうちの内容を、いかに他の独身男性より増やすか、内容を
濃くするか。独身男性の2時間より私の1時間は優れているんだよというのをひたすらやっていた
というか、それをやっていたのでそういうのが身についちゃったというのもあるんですけど。」
(L)
76
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
「このまま今の仕事を続けていきながら、もうワンステップアップしたいなと思っています。女
性向けのゲームという視点だけになってしまうんですが、お客さんはもう日本にいるけれども、決
まってしまっているので、それをどう広げていくかっていう、それが日本でさらにライト層に向け
てなのか、それとも海外なのかというのを、ちゃんと自分で考えたいです。」(M)
「組織の中で働くにはやっぱり与えられた仕事を柔軟にこなしていくっていうこと。そこでもめ
ても迷惑かかるしなあって思ったし、せっかくだからいろいろな仕事を振ってくれてるっていうの
はイコールそれなりに私の能力を見込んでくれていることだろうと考えて、まあ、前向きに知らな
い技術でも一個一個身につけて消化して、いいものを提出しようという考え方にはなってました
ね。(中略)だいたいサラリーマンでお金が・・・仕事がちょっとタフだとしても毎月のお給料もも
らえてるじゃないですか。相当安定してるんですよね。だから、よっぽど何か自分で自分をちょっ
と変えるようにしないと、すぐ駄目になっちゃう。すごく、そういうの・・・クリエーターとしては
駄目になっちゃうだろうというのは思ってます。」(O)
「1人の会社員であり、ゲームという産業そのものがそんなにクリエイティブか芸術的なものか
と言われたら、もうそうじゃなくなってはいるんですけれども。やっぱりそれでも1つ娯楽とい
う、そんなに直接的な価値ではない部分、人が楽しむだけという部分に対するものとして作る、
やっぱりすごいクリエイティブな仕事にはなってくるので。そこの1つの芯というところはやっぱ
りなくしちゃいけないなという気がしています。それはもう、自分も然り、携わる人間然りだと思
いますけれども。多分、私は組織の中で活躍できるタイプの人間かなというふうに思っているの
で、タイプ的には。そういう意味では、組織の中でサラリーマンとして運営体制をしていくという
ようなタイプになっていくかなと思います。」(P)
3.3.5 自己のキャリアを客観的に評価している
自己のキャリアを客観的に評価している者
成すべき目標を主体的に設定して能力開発に励
(J, K, L, O, P, Q, R, T, U)は、転職や職種変
んでいる。また、P氏は、ジェネラリストとし
更、将来のキャリア展望、出産や育児などの
ての自己の在り方を自覚し、グラフィックデザ
キャリア・トランジションを契機に、組織との
イナーに関するさまざまな仕事に携わり、ポジ
関係性の中で自己を相対化し、技能や価値観を
ティブな思考で冷静に物事を判断しながら、
省察して、自らのキャリアを客観的に評価して
キャリアを構築してきたことを回顧している。
いる。第一に、転職の時に、L氏は、自分が会
そして、R氏は、女性のプログラマーが希少な
社でどのように役立つかを吟味し、O氏は、感
中で、マジョリティである男性プログラマーと
覚ではなく論理的に物事を組み立てることが好
比較した場合、男性プログラマーは趣味と仕事
きである自己に気づき、その時々で身につけ
が合致している者が多く、技能の水準も高いた
るべき技術や知識が鮮明になり、5年単位で達
め、かなわない自己を痛感し、趣味と仕事を峻
ゲーム産業における女性開発者のキャリア発達
77
別する自らの価値観を尊重し、転職へと至って
トに可能性を見出している。第四に、出産や育
いる。第二に、職種変更の時に、K氏は、他者
児の経験から、Q氏は、急激な技術革新に伴う
と自己を比較検討しながら、与えられた機会に
開発環境の変化によって、ゲームを自ら開発で
挑戦をしようとする態度を呈示している。第三
きる技能を有する新入社員に敬意と脅威という
に、将来のキャリア展望において、J氏は、人
両極の感情を抱き、継続して学び続けることの
員管理という精神的な負担(価値観)や自己の
重要性を実感して、子育てをしながらゲーム開
能力を考慮した場合、マネジメントよりもスペ
発に携わる戦略として、これまでに培ってきた
シャリストとしてキャリアを構築することが望
2Dや3Dグラフィックで勝負していく意志を示
ましいと自己評価しており、T氏は、自己のコ
している。
ンピタンスを省察し、プロジェクトマネジメン
「マネジメントまでは正直に言うと、あまり考えていないです。もちろん仕事なので、ディレ
クションをやっていた時もマネジメントみたいなことをやっていたんですけど、欠点の1つとして
ちょっと情が深すぎるところがあって。例えば、人を切るとか、そこにすごくメンタリティー的な
負担がかかってしまう。ディレクションとマネジメントの両方を深くやるのは難しいですし。この
会社として私に望んでいることがマネジメントの方に行くことなのか、現場のトップとして、とに
かくタイトルを動かしていくことなのかと考えた時に後者かなと思ったので、そこでいいかなと。
むしろそこでスペシャリストになる方が、性格的にも、能力的にも合っているのではないかと。」
(J)
「仕事が全てとは思っていないんですけれども、仕事を変わった以上、他人ができていることが
自分ができない理由ってあまりないと思うんですね。今からモデルになるのは無理ですけど、誰か
がやっている仕事で、がんばってできないこともないだろうっていうことはできてもおかしくはな
いので、そこに向かってチャレンジはしてもいいのかなと思います。せっかくなので、機会もも
らっているわけだし。求めている機会を順当に与えてもらっているとは思います。」(K)
「今回の転職は年齢的にも厳しいのかなと思ったんですけど、そんなに厳しくはなかったです
ね。自分のスキルをよく見ていて、この会社なら自分が役立つだろうとか、自分が求められるだろ
うというところを間違えなければ、転職の厳しさとかにあまりぶち当たることはなかったですね。
何かその辺はうまいのかなって、何か見極めというか。」(L)
78
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
「この会社に来て自分の特性ということをもう一度考え直した時に、自分は意外と感覚的なとこ
ろでものを作るタイプではなくって、論理的に組み立てるのが好きなんだなということに気づい
て、今のプロジェクトではテクニカルをサポートする仕事をメインにしてます。今までにそういっ
たことをメインにしてなかったので、ちょっとこれは新しいチャレンジだなあと思いながら。なの
で、プログラムとかを実は勉強しました、入ってしばらくの間は。入社して1年目のところで、自
分はさておきっていう覚悟ができたので、あんまり自分にこだわらないので、柔軟に取り込めるよ
うになったんだと思うんですよね。そうすると、今身につけなければいけない技術や知識っていう
のが、わりとクリアに見えてきて、こなすべき目標というのが簡単に見えてくるんですね。自分の
中でフェーズを切って、この5年間は、じゃちょっとテクニカル重視でいこうとか、その前の何年
間はちょっとアート重視というかディレクションとか感性とかをより豊かにするようなことを意識
していこうとか、そういう5年間単位くらいで意識することを変えてますね。」(O)
「自分はあまり派手なことというか、すごい絵が描けるわけでもないですし、1つのことに対し
てものすごい、絶対この人の右には出られないみたいなそんな感じの要素を持ってるわけではな
いっていうのも、結構前から自覚してたんです。それは大学時代、大学の学生時代の時から既に
そうだったと思うんですけれども、だから自分がそんなにすごい芸術でもなければ、ものすごいも
のを作り出せるデザイナーでもないっていうような、自覚は結構前からあって、じゃあその中で自
分の強みは何だって考えた際に、それが例えばマネージ的な要素であったりとか、物事を論理的に
考えて進めていく要素であったりとか。そういう総合的な立ち回りみたいなところが自分は得意だ
なっていう部分、それは特にはっきりしてきたのはPX社(最初に就職したゲーム会社)時代でし
たかね。そういう立ち回りがやはり得意だったので、そういう意味ではやっぱジェネラリストのタ
イプだなとの自覚は昔からあったと。何でもそれを信じてひたすらいろんなことを進めてきたとい
う形です。だから自分を理解するじゃないですけれども、別にできないことを諦めるっていうわけ
ではなくて、そこはじゃあもうそういうことでっていうところで置いておきながら、じゃあ強みの
部分は何だろうっていう探すところにすぐシフトできたというか。基本的にポジティブ思考なの
で、そこでうまく切り返しながら冷静に見つめてこれたので、うまいこと進んできたのかなという
気はしてます。」(P)
ゲーム産業における女性開発者のキャリア発達
79
「子育てと関係してくるんですけれども、まずウェブページをつくれるスキルがあれば、在宅で
もやっていけるんじゃないかと思ったんですね。子どもはやっぱり2人目が欲しいですし、あわよ
くば3人目も欲しいですけども、家でもできる仕事を身につけたいと思ったんです。その時に、今
までコンシューマーで築いてきた2D素材をつくるとか、3Dですね。(中略)自分でゲームをでき
る子、つくれる子が新卒として入ってくるんですよ。その脅威といったらないんですよね、今。
でも、私はそうですね、子どもを授かる2年ぐらい前、書類診査の担当をさせていただいたんです
ね。会社の面接。入社試験の書類審査。履歴書と作品が送られて、もうすごい描けるし、つくれる
し、使えるソフトもいっぱいだし。素晴らしいと。この方々は素晴らしいです。逆に、やっぱりそ
ういう子が入ってくる。自分はできない。追っ掛けられる。その恐怖。だから、やっぱり勉強し
続けないと、この業界は置いていかれます。だからこそ、やっぱり育児との両立は難しいです。
ぼーっとしていたら、ぱーっと置いていかれて。」(Q)
「プログラマーで女性がとても少ないので、プログラム的な同性の仲間みたいなのがいない状態
だったので、そういうのも気にはしていたかもしれないです。続かない理由は、すごく私も考えた
んですけれど、やっぱり、周りのレベルがとても高くて。周りの男性プログラマーというのは、趣
味と仕事が一緒の人がすごく多いんですよ。寝ても覚めてもプログラム大好き、みたいな人たち
ばっかりで。私が、ずっと続けられないなと思った理由は、すごく忙しいというのもありましたけ
ど、私はそこまで力を注ぎこめられないな、というところもありました。私は、趣味が手芸とか編
み物とかの方なので。そういう、趣味も、寝ても覚めてもプログラムのことを考えている人にはか
なわないな、みたいなふうに、私は思ったりとかしました。」(R)
「私は絵を描けるわけでも、プログラムをできるわけでもなく、そんなにとっぴな発想力という
か、ユニークな発想力を持っているわけではなかったんですけれども。でも、できることと言った
ら管理とか、プロジェクトの、なんというか。全体の進行を見ていくようなことだったら自分にも
できるかなあと思って。」(T)
3.3.6 他者に自己を理解してもらう働きかけを行っている
他者に自己を理解してもらう働きかけを行っ
指揮命令を行うことで周囲の人たちが信じてつ
ている者(C, M, Q, U)は、自らの意見や考え
いてきてくれると、リーダーシップの大切さを
を他者に明確に伝えるとともに、他者の人物像
回顧している。Q氏は、仕事以外のことについ
を理解しようとする態度を示し、意思疎通を円
ても明朗快活に話かけて、他者がどのような人
滑に行うことで、他者に自己を理解してもらえ
であるかを自分の眼で確かめ、理解しようとし
るような働きかけを行っている。C氏は、若く
ている。その行為によって、他者を理解するだ
して主任に就いたが、周囲を動かしマネジメン
けでなく、自己を他者に理解してもらえるよう
トする立場として、自分に自信を持って明確な
な関係性を構築するとともに、仕事を楽しくす
80
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
ることを志向している。職種によるが、ゲーム
方で長く勤めていけるかどうか模索をしてお
開発の仕事は、コンピュータと対峙して人と話
り、日曜日は休暇を取らせてもらうことを周囲
す機会が少ない場合もあるため、一見、無愛想
に公表することで、健康と仕事のバランスを確
な人でも話をしてみると、普段と違った側面を
立しようとしている。現在の職場での長期にわ
発見することができるのかもしれない。ゲーム
たる就業継続により、構築された信頼関係があ
は、技術によって構成される側面は大きいが、
るからこそ、自らの在り方を公表することがで
技術を駆使する多様な人間の在り方を探究する
きているのである。このように、自らの意見や
行動は、ゲーム開発の仕事を豊かなものにする
考えを明確に伝達する過程には、一定のコスト
ために重要であろう。U氏は、加齢とともに、
が必要であるが、その結果は自己と他者の相互
自らの健康を考慮するようになり、従来の働き
作用によって得られていることが示唆される。
「自分に自信を持って、こうだからこうして欲しいっていうのをしっかりと相手に伝えていけば
もうみんなも信じてついてきてくれるので。そこが大事かなと思います。」(C)
「やっぱり同じフロアで普段からどんな話をしているとか、どんな趣味を持っておられるとか、
そういうところがキー、鍵になってくるのですけれども、私自身が『あの人、どういう人なんだろ
う』というと、自分から結構つつきに行くということだったですね。昼休みとかに『こんにちは』
とか言って。うちの会社の人、多分どこのゲーム会社の人でもそうだと思いますけれども、好きな
フィギュアとかを飾るんですよね、自分の机の周りに。そうすると、ああ、この人は美少女が好き
なんだと思うと、『美少女を教えてくださいよ』みたいな切り口でちょっと話しに言ったりとかす
ると、何か普段無愛想でも、『しゃべってみたら全然、この人は優しいじゃないか』とか、分かっ
たりするんですね。そういうのをすごく心掛けていたので分かったのかなというのはありますね。
あとは、もう普段から、『飲みに行きましょうよ』と言ったら、すぐ乗ってくれる人とか。そこで
やっぱりコミュニケーションを取って、仕事に対してこの人はこう考えているんだとか、それこそ
趣味はこれでとか、そういうのを蓄積していった結果だと思いますね。最初は無意識でした。で
も、途中で意図的にやるんだみたいなこと、ビジネスとしてそういうやり方もありますよね。でも
ビジネスとして割り切ってしまったらつまらないなと自分が思ったので、また遊びに行くという気
持ちで、『ちょっと飲みに行くんですけど、どうですか』みたいな感じで、知らない人も呼んでみ
たりとかしていました。」(Q)
ゲーム産業における女性開発者のキャリア発達
81
「やはり20代の時の働き方と30代の時の働き方は変えていかないと、何かと身体に出てくるの
で、20代の時にできると思って無理をしても、やはり30代で出てきたりとかするので、ちょっと無
理しすぎたかなとか思ったりもしています。疲れやすくなったりとか年とともにあって、同じよう
なスケジュールで土日どちらか働いてとかというのは、かなりきついなという感じで(笑)、休日
出勤がすごくきついですね。繁忙期の時は半年ぐらいずっと土日どちらかは絶対出ていました。私
は『日曜日は休む』とかもう周りに公表していたので、貫き通したんですけど、周りの20代の人た
ちは両方出たりとか。身体も元気というのもあると思うんですけど。自分でこの方法だとやってい
けるかなというのがもし見つかれば、長くやっていけるのかなと思います。もうそういうふうに自
分の中で決めてしまえば、決めて公表してしまえばあとは楽になるかもしれません。公表は、ここ
だからできるんだと思います。新しいところに行っていきなり言えないので。やっぱり恵まれてい
ると思うので、ほとんど知り合いの人ばかりの中でやっていて、どういう人か分かっているので、
また違うところで一から始めてしかも正社員というとちょっともう厳しいなと思います。」(U)
3.3.7 組織を越境した人間関係を構築・維持している
組織を越境した人間関係を構築・維持してい
とが信頼関係の構築につながっており、その結
る者(E, M, Q, R)は、多様な人間関係を構築
果として、仕事に対して誠実に取り組む姿勢を
し、その関係性を維持することで、自らのキャ
重視している。例えば、Q氏は、よりよいもの
リアの構築につながるだけではなく、ゲート
を創造するために敢えて悪役を担っており、R
キーパーとして他者を結びつける役割を果たす
氏は、周囲から仕事を頼まれやすい存在となっ
ことも可能となり、より豊かな人生を過ごすこ
ており、その在り方を楽しんだり、関わり方を
とにも結実している。人間関係を大切にするこ
受容したりしている。
「人とのつながりを大事にしたいです。そこから生まれるものっていうのは、結局今の自分を形
成しているので、例えば仕事で忙しくて1年以上誰とも会っていないとかっていうのは、論外なん
ですよ(笑)。自分の仕事にはつながらなくても、自分の人脈の中で、この人とこの人ってつなげ
たりとかもできますし、やっぱり、ここの会社しか経験していないので。やっぱり、そういう他の
会社がどうしているかというのがすごく興味があるんですよ。でも、別に辞めるつもりはないの
で。」(E)
「失敗したのもあって、やっぱり人とのつながりっていうのは大事だと思っているので、やっぱ
り周りの人との関わり方っていうか、そういう、周りの人間っていうわけではないですけど、周り
の人との関わり方が、どうやって関わっていけるかっていうこととか、それをうまくやっていけ
るっていう自信があるかどうかって言ったら変だけど、うまくやっていけるかどうかっていうとこ
ろで決めるかなと思います。」(M)
82
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
「仕事と育児を両立するためには、人間関係が大切ですね。だから、敵はつくってはいけないな
と思いますね。でも、敵をつくらないと、正直いいものが生まれないときもあるんですよ。もう
ぶっちぎらないと。『もう悪いけど、ここ泣いてくれ』という時があるんですよね。それが、結
構楽しいなんて感じたりすると、私はちょっと悪いかもしれないですけど、それが今ちょっと、あ
あでも子どもを産んだら、もうそれはできないんだなと。それをやるのは私にとって危険なんです
ね。ここにいることが。だから、人間関係の考え方を変えなければいけない。もうあくまで自分が
楽しくないとやらないぞというのが自分の中の、本当に世の中の人に申し訳ないんですけど、私の
人生で、本当に自分の好きなことしかやってきていないんです。」(Q)
「結構、コミュニケーションがあまり取れないような感じの方もいっぱいいるんですけれど。
あ、なんかひどい話。だけど、そういうんじゃなくて、人間関係を大事にした仕事をしていきたい
なというふうに思っています。私がずっとそうしてきて、実際に周りから、『Rさんはすごく仕事
を頼みやすい』と言われたり、『他のプログラマーよりも質問とかしやすい』と、デザイナーさん
とか企画の方とかに言っていただいて。そういうところから、私もずっとそうでありたいなという
ふうに思うようになりました。なので、人間関係を無視した仕事の仕方とかもできるとは思うんで
すけれど、そういうのはしたくないなというふうに思っています。」(R)
3.3.8 現在を大切にして試行錯誤を重ねながら将来を切り拓こうとしている
現在を大切にして試行錯誤を重ねながら将来
る。同様に、T氏は、女性で定年まで勤めた人
を切り拓こうとしている者(D, F, H, P, Q, S,
が職場に不在のため、いつまで働けるかどうか
T, U)は、とりわけ、出産や育児の可能性や
分からない不安を抱えつつも、機会があれば挑
経験との関連から現在のキャリアを省察し、子
戦をしていきたいと、仕事の中から希望を見出
育てをしながら働くことなどに不安を抱えつつ
そうと試行錯誤を重ねている。また、U氏は、
も、よりよく在ることができる姿を模索し、試
仕事と家庭(とりわけ食生活)を両立させるた
行錯誤を重ねながら将来像を描こうとしてい
めに、朝早く出社して早く退社するという働き
る。職場に育児をしながら就業できる短時間勤
方を実践しているが、そのような生活をいつま
務制度などがあっても、現場でそれを受け入れ
で続けられるか分からないと述懐している。S
る雰囲気ではないために、自らのキャリアをど
氏が語っているように、子どもが大人になるま
のように構築していけばよいか不透明になって
で、ケアを欠かさずに担いながら、養育費や学
しまっている。例えば、Q氏は、このような不
費などを補填していく上で、就業継続は死活に
透明な状況の中で、現在の自己を支えている
関わる問題でもあり、環境や役割の変化ととも
のは、自らが一番やりたい仕事ができているこ
に、働くことの意味が問い直されていることが
とであり、仕事から希望を見出そうとしてい
窺える。
ゲーム産業における女性開発者のキャリア発達
83
「やっぱり朝来て夜、夜中までずっとやれるのか、夫婦で働きながらやれるのかというところ
と、じゃ、一部だけ短い時間だけ働くようなスタンスというふうにやる場合もあるということは、
会社は謳ってはいるんですけれども。具体的に開発の中で、ゲームを作る開発部署でそういう状
況ってなかなか難しいんじゃないかなとか、というのもありますので、そこら辺を結構、今後も課
題なんじゃないかなというふうには感じていますね。例えば、私が自分で結婚して子どもを産ん
で、復帰しましたとなった際に、今の勤務時間、フルフルの状態でやれるかと考えたら、きっとや
れないだろうと。そういうやれない人間を組織やプロジェクトは受け入れる余裕があるのかという
ところが、まだそんなにやれてない気がするので。それが当たり前ぐらいの状況になれれば一番ベ
ストなんですけれども。たまに、男性でも送り迎えで早めに帰りますとかいう人もいますけれど
も、やっぱりそれはたまにやれるイレギュラーの状況みたいな形っぽいので、一般的にはなってい
ないなという気はしますね。そこが、まだしばらくかかるだろうなという気はしております。」
(P)
「不確定要素が多過ぎるんです。子どもがいつ熱を出すかとか、そういうことになる。あとは残
業できない、無理がきかないんですよね。だから、ちょっとどう仕事と向き合っていいか、その辺
がまだ探り中ではあります。会社としては、もうその辺は容認していますと言われたんですね。
戻ってきた時に、でもね、スタッフは違うんですよね、やっぱり現場は。会社はいいよと言ってく
れていますけれども、現場は違いますね。あと、将来性といいますかね。自分、こんな働き方をし
ていたら、自分、絶対給料は上がらないじゃないと。だって、周りはもっとがんばっていますよ
ね。やっぱり会社としては、そういう人にお給料をあげたいじゃないですか。じゃ、私の給料はも
う上がらないんじゃないかと正直思っています。それでちょっと、先が見えなくなった。時々先が
見えなくなることがあるのは確かで、今の私を支えているものは何ですかと考えたら、自分の一番
やりたい仕事ができているということだけなんです。」(Q)
「今は本当に、子どもができて、今、短縮勤務で働いているんですね、変則的な。それもあっ
て、やはり人と同じぐらいの仕事が、一応定時時間まではいるんですけれども、なかなかできてい
ないかと思う。あとは、子どもが風邪をひいたらすぐ休んじゃったりというところもあるので、と
にかく子どもが大きくなるまでなんとか働けないかなと思う程度で。とにかく長くなんとか働けた
らと。一つの区切りは小学校に入る6年かなとは思います。ただ、子どもが小学校に入って、中学
校に入って、高校に入ってという区切りでかなと。」(S)
84
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
「いつまで働けるかどうか分からないけど、なるべく長く働けるように、長く働けたらいいなあ
と思いました。単純に雇い続けてもらえるかなという不安が一番大きいです。女性で、40代ぐらい
ならまだいるんですけど、50代とか定年まで働いたりとか、少なくとも自分の周りでは見たことが
ないんですね。一部のほんとに成功した大出世をして、幹部とかになっているような人だったら別
なんですけども。多くの男性で普通に働いてらっしゃる方というのは、そこまで行く。行かなくて
も定年まで働きますよね。だけど、女性はないんですよね。なので、私はできるのだろうかという
不安がすごく今でもあります。女性が全然いないなあって。そうですね。もともと、ものすごく若
い業界で、男性自体も定年まで働いた例というのがほとんどないんですよね。なので、これからな
のだろうなあというのは思っているんですけれども。就職した当時は全然そんなこと考えずに。自
分が60まで、定年まで働きたいかとかも考えてなかったです。できれば今のままでのんびりやって
いきたいんですけど、もう少し上に行かないと、定年まで働けないだろうなあと思ってます。なの
で、もしチャンスがもらえるんであれば、チャレンジしたいなあと思っています。」(T)
「ちょうど結婚したというのもあって、家庭と両立どうやってしていこうかっていうのが今一番
の課題です。それで今は忙しくないので、プロジェクトも終わったところなので普通の生活ができ
ていますけれども、また一旦始まって忙しくなった時に、両立できないんじゃないかなという不安
はずっと抱えています。食生活とかですかね。やはり食べるのが遅くなったりすると、朝起きるの
もつらくなったりとか、どんどん悪循環になってきて、身体も壊しやすくなったり、抵抗力がなく
なるのか風邪もひきやすくなったり。うちは旦那さんも二人とも忙しくなっちゃうと共倒れみたい
になってしまうので、やはりどちらかが普通に帰って、食事作ったりとかできる方がいいなと今は
すごく思います。その分、朝早く来て早く帰るっていうのを今実践中なんですけど、それがどこま
で続くかというのはちょっと分からないんです。」(U)
3.3.9 ジェンダー・ステレオタイプに固執しない
ジェンダー・ステレオタイプに固執しない者
た、O氏は、現在の仕事を楽しんでおり、子ど
(J, K, M, O)は、歴史的・文化的・社会的に
もを産むことでその面白い仕事を諦めざるを得
形成された女性像の文脈に位置づけられるので
ないかもしれないというジレンマを抱えてお
はなく、個性を持った人間として自分らしく在
り、出産や育児という家庭の領域と切り離し
りたいという考えを持っている。例えば、J氏
て好きなだけ仕事ができる夫を羨ましく感じて
は、いわゆる女性らしさという固定観念から
いる。しかしながら、子どもを産み育てること
逸脱した個性を自覚しており、それが特別なこ
への期待や幸福感も併せて抱いており、その時
ととして捉えられるのではなく、性別に関係な
にはうまいやり方を考えるだろう、というポジ
く普通なこととして受け入れられる人間関係や
ティブな思考を有している。他方で、K氏は、
コミュニティ、社会の在り方を望んでいる。ま
仕事における自己実現と、人生全体におけるそ
ゲーム産業における女性開発者のキャリア発達
85
れとを同一に捉えて苦しんでいる女性について
味を深く考えている。このように、男性と女性
言及し、仕事以外の領域においても自己実現の
とでは、とりわけ出産という意味において役割
可能性があることを示唆している。すなわち、
の違いがあることを認識しつつも、個性の尊重
仕事で個人そのものが評価されるという認識に
を重視しているのである。
警鐘を鳴らしており、女性にとっての仕事の意
「私はちょっと、一般的な男性が思う女性像、何か幻想のような女性像が幾つかあるうちに当て
はまらないところがあるみたいなんです。私はパソコンとかも結構好きで、普通にマシンを組み
立てたりするのも嫌いではないし、物を分解するのも大好きなんですけど、そういう方面での知
識がいわゆる普通の女性に比べて多いので、話をしていると、すごくぎょっとされることがあるん
です。『あ、女性なのに、ここを説明しなくていいんだ』とか『女性なのに、そういう考え方なん
だ』みたいなことをよく言われるんで、それがもうちょっとましになるといいなと思います。で
も、これは会社の問題というより、その社会の問題であって、そういうふうに思われるには、それ
こそ男女両方からの固定概念ですよね。『女性って、こういうものだな』とか、『女の子だから、
もうちょっとアルバイトをして、ちょっとパートとかをやって、結婚して、旦那に稼いでもらえば
いいや』みたいな、その日本の社会でまだ普通にある考え方があると思うんですけど、そこに入っ
ていないものですから、それを当てはめられたりとか、その認識の上で話しかけられて、違うこと
を言って、ぎょっとされることがないようになればいいなと思う。もうちょっと普通にならないか
という。本質的に男女が絶対あると思うので、そこは否定しないんですけど、例えば、知ってい
る、知らないは個性であって、女の人だから知らないんだみたいなのとは違うよねというようにな
ればいいなと。最近なってきたとは思うんですけれども、まだちょっと弱いかなと。(中略)まあ
結婚してすぐの時に、『家でご飯つくっているの?』と言われたのも腹が立ちましたし(笑)。
『おまえらと同じ生活しているのに、どこでつくるんだよ』みたいな。やっぱり専業主婦の方がす
ごく多いんでしょうね。逆に、女性からも理解を受けにくいので、『何でそんな生活になっちゃっ
ているの?』とか言われるので、そういう生活を選択したことを否定されたくない、否定している
つもりがなくて、否定してしまっているところが、何かネットスラングで言うところの、『ディス
る』みたいな感じがもうちょっと減るといいなと思います。」(J)
86
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
「特に女性に多いのかなと思うんですけど、キャリアと自己実現性というか、アイデンティティ
を同一視している方っていうのは結構いるなと思っていて、男はあまり知らないんですよ、私。男
は割と仕事をするのが当たり前なのでやっているんですけど、女性の場合はそこを同一視して苦し
んでいる子が多いなというのは、私より若い子にもいたりするし。それ、なんでなのかなって思っ
たりする。本当に仕事は個人を判断するものではないと思うんですけど。いい仕事を持つとか、憧
れられるであるとか、いい評価をもらうであるとかということが自己実現っていうか、自分はこれ
でいいんだという自己肯定と同一視するとすごく苦しいと思うんですね。仕事って必ず結果がでる
わけではないので。ただそこに対してすごく苦しむ子が多いし、それを望まれるのかなと思うんで
すよね、苦しんでいる子を見ると。女の子の方が働いている子は特に気負いがちというか、すご
く働きたいとか。私できれば家で寝ていたいんですよ。なるべく早く家に帰りたいですよ。でき
れば仕事したくないし、帰りたいし、寝たいです。そんなに働きたいとか、子どもを産んでも社会
に戻りたいとかっていう人っていうのは、自分がその立場になっていないからかも知れませんけれ
ども、なぜ敢えてそこまでして、やりたいんだろうって思いますね。今、嫌なわけじゃないけど、
そんなに魅力かな働くことが。他に働かなくても魅力のことは幾らでもあるし、家庭を持っていれ
ば本当にすばらしいと思うし、持っていなくても他に何か趣味があればいいのかもしれないと思う
し、仕事というものが女性にとってはなんていうか大きすぎる、必要以上に大きい気がします。」
(K)
「開発の仕事って楽しいですけど、子どもとかが生まれて、子どもを育てながら仕事をした時、
ようやく、いつまでも好きなことを考えてられないっていう感じで考えますね。一応、そんなこと
があっても大丈夫なようにって私は準備をしてるんですけど、何にも子どもができないという。本
音を言うと、子どもを産むことで自分がちょっと面白い仕事を諦めなきゃっていうのは、なんか損
だなあって思っちゃいますね。で、いっつも旦那に、『あんたはいいな』みたいな感じで(笑)。
『好きなだけ仕事ができていいよなあ』みたいな、そんな気持ちになることはありますね。やっぱ
り産まれたら、それは子どもを、かわいくてかわいくてたまんないでしょうからね。いざとなった
ら、きっとうまいやり方をまた考えるんじゃないかとは思いますけどね。」(O)
3.3.10 先導的ロールモデルを呈示しようとしている
先導的ロールモデルを呈示しようとしている
として諸先輩のキャリアを観察することによっ
者(A, B, L, O, Q)は、将来のゲーム開発の担
て自らのキャリアを模索しながら構築している
い手、あるいは、職場に前例がなく出産・育
A氏は、それをいかに現場に還元できるかとい
児などで不安を抱えている人たちへ向けて、
うことを考えている。また、諸先輩が退職をし
先導的にロールモデルとしての役割を自ら果
て、置いていかれてしまったと感じているC氏
たそうとしている。例えば、プロデューサー
は、模範となるようなプログラマーの在り方に
ゲーム産業における女性開発者のキャリア発達
87
ついて省察している。O氏は、出産のために1
たQ氏は、自らがそのロールモデルとなって、
年くらい職場を離れるかもしれないことを上司
生き方について考えてもらえる契機となるよう
に相談し、代替可能な人的資源の配置について
に務めている。このように、自然派生的なリー
検討し、合意を得て、計画的な出産を立案して
ダーシップを発揮し、自らがロールモデルとな
いる。そして、出産について不安を抱えて相談
ることによって、より望ましいキャリアの構築
できずにいる人たちの声をどのように職場に反
の在り方を考える契機を呈示しているのであ
映させていけばよいか、思考を巡らせている。
る。
実際に、出産して育児をしながら職場復帰をし
「1期生がドット絵の、本当に黎明期、2Dの方々で、2期生が3Dだとすると、本当にまだ1期生の
方が定年になられていないくらいの感覚で、諸先輩方のキャリアパスもどんなふうに過ごされてい
るのかなというふうに拝見しているような状態でして。ですので、自分たちが実際問題、この業界
でどういうふうにものづくりに関わっていけるのかというのも、まだちょっと定かではないですよ
ね。だから、そういう意味では、もうこれまではすごく自分の本当に生涯というか、仕事として出
会いを感じて、本当に寝食忘れてやってきたところもあって、手応えのあるキャリアだったと思い
ますけれども、ここから先に関しては、本当に現場のみんなにどういうキャリアパスを呈示して、
どういう未来を見せてあげられるかなということが、常々考えているところではありますね。」
(A)
「社員みんなが楽しく仕事をできるように努めていければなと思っています。実際先輩たちがお
辞めになった中で、置いてかれる感が強かったので。それは他の子にはしたくないなと。プログラ
マーとして、やれる限りはやりたいです。自分が体力が続く限りは(笑)。やはり体力勝負がいろ
いろあるので。」(C)
「何か20代ぐらいは、こうなりたいなとか、ああいう人になりたいなとか、何か憧れのクリエー
ターとかよくあるんですけど、30歳を過ぎてから、こうなりたいなとかではなくて、下の子がつい
てきちゃうとそれなりにお手本にならなければいけないので、こうなるべきだろうみたいな、こう
なってなきゃいけないんじゃないのか、自分はっていう、理想とかではなくて、そうなっておかな
きゃいけないから勉強しておかなきゃとか、責任だと思うんですけれども。」(L)
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東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
「女性の方は出産とかがありますよね。出産は、私の方はもう一応実は考えてはいたんですけ
ど、全然、忙しいせいか子どもができないですね。で、私はこういう性格なので、子どももできな
いくせに、『子どもを作っていいですか?』って上司に確認したんですよ。このプロジェクトが、
あと何年ありますとか、もう最初に告知されていて。『途中私、この辺りとかで子どもを産むかも
しれないです。それで1年抜けたりするかもしれないけど大丈夫ですか?』っていうふうに事前に
結構上の上司の方に聞いて、その時もし、じゃあ何年目でOさんに子どもが生まれて1年間休職す
ることになったら、その時にはこういうデザイナーが何人いて、こういうスキルを持っていて、こ
ういう役割分担ができていればいいっていう計画表を二人で練って、『じゃ大丈夫だね』っていう
ことになって、『いつでもどうぞ』とは言ってもらえたんですよね。言っとかないと、突然なっ
ちゃうとひどいですからね。で、そういうふうに上司ときちんと将来起こるであろう、開発にとっ
てはちょっと都合の悪い、でも自分できちんと果たしたいなと思っている目的については、きちん
と相談すれば対処案とかはいろいろともんでもらえるので、わりとなんとかなるなとその時に思っ
たんですね。その相談したことがきっかけで、部下の方とかをどのように育てていくかということ
も、いい目標ができたのでよかったのですけれども。たまに、本当にそれを隠してる人、心配で言
えないっていう人もいますから、そういうのをどうやって拾っていけばいいんだろうっていうのが
ちょっと悩みですね。実際に産んで育ててる方ってまだいないですよね、多分。」(O)
「やっぱり出産・育児を経験したことによって、私が10年前に入った時は、そんな方がいなかっ
たんですけど、今の独身の若い子に思うことは、私を見て、人生のモデルにしてほしいとは思いま
す。『あの生き方はやめよう』と思うなら、それでいいと思いますし、『ああいうふうに生きれば
いいんだ』と思ってくれるなら、それでいい。だから、普通に今の若い社員の女子の方々は幸せだ
と思ってほしいなと、ちょっと思います。自分もいいモデルになれば、とちょっと思っているとこ
ろも、正直あるんです。」(Q)
4.まとめ
これまでの分析と考察によって、以下の点が
明らかにされた。
ンナー、プログラマー、グラフィッカーという
開発職としてのキャリアを構築している。現在
第一に、定量的な分析の結果、女性ゲーム開
ゲーム開発者として就業している女性の15名
発者は、学校卒業後、平均年齢22.3歳で初職に
のうち、5名は他産業を経由して、また、10名
就き、1社目で平均5.2年(ゲーム産業での就業
はゲーム産業内で転職をしていることから、多
は平均6.2年)にわたる比較的長い就業経験を
くの女性ゲーム開発者のキャリアは組織を越境
積んで初期キャリアを構築している。1社に就
して構築されている。
業継続している者は6名であり、いずれもプラ
ゲーム産業における女性開発者のキャリア発達
第二に、マネジメント職と開発職の観点から
89
女性ゲーム開発者のキャリアパスをみると、マ
維持を大切にしていることが示唆される。
ネジメント職は、初期キャリアにおいてマネジ
第五に、キャリア・トランジションを、イベ
メントに関する職務を経験した後、プロデュー
ント(予期したことが起こるとき、予期せぬこ
サーやディレクター等に就いており、漸次、職
とが起きるとき)とノンイベント(予期したこ
掌が広がっていく職務拡大がみられるのに対し
とが起きないとき)という観点から分析した結
て、開発職は、各職掌でより高次の専門職とし
果、イベント(予期したことが起こるとき)に
てのキャリアを構築しており、垂直方向の職務
は、出産というカテゴリーが抽出され、職場
充実がみられる。
にロールモデルとなる者が不在であったため、
第三に、定性的な分析の結果、ゲームへの関
出産や育児をしながら就業継続することに不安
心醸成の時期は、①初等中等教育期、②高等教
を抱えつつも、家族から支援を得ることで、意
育期、③初期キャリアの3つに大別される。初
図的に仕事と家庭の役割を果たすことができる
等中等教育の時期にゲーム産業への関心が芽生
環境を創造していることが明らかにされた。ま
えた者は、小学生または中学生の時に、主体的
た、イベント(予期せぬことが起きるとき)と
あるいは偶発的にゲームをプレイした原体験を
して、成長を促す仕事の経験、メンターである
有しており、いずれもそれがゲーム産業への参
上司との出会い、昇格というカテゴリーが抽出
入動機へとつながっている。同様に、高等教育
された。成長を促す仕事の経験におけるトラン
の時期にゲーム産業への関心が芽生えた者は、
ジションの特徴としては、自己の置かれた状況
主体的あるいは偶発的にゲームをプレイした原
を柔軟に受け入れることによって適応し、より
体験を省察し、学生時代の就職活動期にゲーム
俯瞰的あるいは多角的な視座から捉え直し、ど
産業への関心を抱く動機へとつながっている。
のような仕事でも面白いと感じられるように心
そして、キャリア初期にゲームへの関心が芽生
情を変化させている。メンターである上司との
えた者は、元来、ゲームには興味がなかった
出会いにおいては、上司に支援されるのみなら
が、職業経験を通して、自己の技能を活かせる
ず、自己と上司との相互の信頼関係を構築し、
可能性をゲーム産業へ見出し、転職行動へと
時間をかけて構築された強い信頼関係をもと
至っている。いずれの者も偶発的な出来事を自
に、円滑な職務遂行や自らのキャリア構築に結
らのキャリアに結びつけている。
実させている。昇格においては、部下との関係
第四に、ゲーム産業への参入の理由は、①
性における自己という視野の拡大により、自己
ゲームというメディアに関心を抱いたから、②
の能力開発から組織の開発へと発達課題を変化
多様な個を活かす組織で活躍を期待したから、
させていることが明らかにされた。ノンイベン
③人的つながりという3つに大別できる。とり
トとしては、職種の変更、キャリア・プラトー
わけ、人的つながりを契機にゲーム産業へ参入
の時期、出産というカテゴリーが抽出された。
している者は、比較的長期にわたるゲーム産業
とりわけ出産は、イベント(予期したことが起
での職業経験を有しており、人間関係の構築・
きるとき)とノンイベントの両方に含まれてお
90
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
り、さまざまな意味を有している。
受け止めようとするポジティブな思考をもと
第六に、女性ゲーム開発者のキャリア発達に
に、組織の一員として創造性を発揮できるよう
おける意識や行動には、以下の10の共通する
に、円滑な人間関係を構築するともに、自らの
特徴が見出された。すなわち、①環境や役割の
キャリアを客観的に評価しながら継続的に能力
変化を柔軟に受け止めて挑戦し続けている、②
開発を行い、楽しんで仕事をしているという点
物事をポジティブに捉えて楽しんで仕事をして
である。また、固定観念としての女性像に埋め
いる、③労働の量ではなく質で評価されたいと
込まれるのではなく、自分らしく在るために個
いう欲求を持っている、④組織のなかで創造性
性を尊重しており、他者に自己を理解してもら
を発揮しようとしている、⑤自らのキャリアを
えるような働きかけを行っている。女性に固有
客観的に評価している、⑥他者に自己を理解し
な出産についての捉え方も多義的であり、期待
てもらう働きかけを行っている、⑦組織を越境
や不安が交錯しているが、環境や役割の変化を
した人間関係を構築・維持している、⑧現在を
柔軟に受け止め、現在の自己あるいは過去の自
大切にして試行錯誤を重ねながら将来を切り拓
己、将来の自己と対峙しながら、可能性を切り
こうとしている、⑨ジェンダー・ステレオタイ
拓こうとしている姿が浮き彫りとなった。とり
プに固執しない、⑩先導的ロールモデルを呈示
わけ、出産や育児を経験している者は、労働の
しようとしている、という特徴である。
質的向上を目指し、意図的に育児環境を創造す
以上の知見から、ゲーム産業における女性開
ることによって、仕事と家庭のバランスを図っ
発者のキャリア発達過程と意識や行動の特徴に
ているが、従来のような働き方ができないこと
ついて、以下の結論を得た。
により、キャリア発達における葛藤を抱えてい
多くの女性ゲーム開発者は、初等中等教育期
る者も多い。そのため、家庭では家族の支援を
にゲームをプレイした原体験を有しており、自
受けながら、職場では制度の活用や自助努力に
己の技能を活かす可能性をゲーム産業へ見出
よってそれを乗り越えようとしている。ゲーム
し、主体的あるいは偶発的に当該産業へ参入
産業における女性の希少性やキャリア構築の固
し、比較的時間をかけて初期キャリアを構築
有性などを原動力として、職場の中で自ら先導
し、その後のキャリア発達へとつなげている。
的なロールモデルとしての役割を果たしている
初期キャリアにおいて、マネジメント職の経験
者もいる。このように、女性ゲーム開発者の
を積んだ者はプロデューサーやディレクター
キャリア発達における行動特性として、次世代
へ就き、開発職の経験を積んだ者はより高次の
の担い手の育成、あるいは、同じような課題を
専門職へ就いている。しかしながら、ゲーム産
抱える者の支援という生成継承性を見出すこと
業における女性開発者の典型的なキャリア・パ
ができる。したがって、ゲーム産業における女
ターンを見出すことは困難であり、多様なキャ
性開発者のキャリア発達の支援においては、多
リアの構築の在り方が示唆される。女性ゲーム
様なロールモデルを育み、それを呈示し、共有
開発者の内的キャリアの特徴は、変化を柔軟に
していくことが求められているのである。個性
ゲーム産業における女性開発者のキャリア発達
91
豊かな創造的専門家がいきいきと多様なキャリ
ントの創造や組織の持続可能性をも示唆してい
アを構築することは、新たなエンターテインメ
る。
謝辞
インタビュー調査にあたって、多くの方々からご協力をいただいた。ここに記して御礼申し上げる。
参考文献
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92
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
藤原 正仁(ふじはら・まさひと)
[専攻領域]キャリア・ディベロップメント、映像表現
[著書・論文]
藤 原 正 仁( 2 0 1 0 )「 ゲ ー ム 開 発 者 の キ ャ リ ア 形 成 」デ ジ タ ル ゲ ー ム の 教 科 書 制 作 委 員 会『 デ ジ タ ル ゲ ー
ム の 教 科 書: 知 っ て お く べ き ゲ ー ム 業 界 最 新 ト レ ン ド 』 ソ フ ト バ ン ク ク リ エ イ テ ィ ブ , p p . 4 8 3 - 5 0 6
藤 原 正 仁( 2 0 1 0 )「 コ ン テ ン ツ 産 業 に お け る イ ン タ ー ン シ ッ プ に よ る 学 習 プ ロ セ ス の 探 索 的 研 究 」 日
本 キ ャ リ ア デ ザ イ ン 学 会『 キ ャ リ ア デ ザ イ ン 研 究 』 V o l . 6 , p p . 1 1 3 - 1 2 4
藤 原 正 仁( 2 0 0 9 )「 ゲ ー ム 産 業 に お け る プ ロ デ ュ ー サ ー の キ ャ リ ア 発 達 」 日 本 キ ャ リ ア デ ザ イ ン 学 会
『キャリアデザイン研究』Vol.5, pp.5-21
[所属]東京大学大学院情報学環、専修大学ネットワーク情報学部
[所属学会]日本キャリアデザイン学会、日本デジタルゲーム学会、日本アニメーション学会など。
ゲーム産業における女性開発者のキャリア発達
93
Career Development among Japanese Female
Game Developers:
Perspectives from Life Stories of Creative
Professionals
Masahito Fujihara*
Abstract
The number of female developers in the gaming industry is still extremely low. Of the total
number of developers, the proportion of females is 12.8% in Japan (Fujihara 2010), 11.2% in the
United States (Gourdin 2005), and 4% in the United Kingdom (Skillset 2009; Prescott and Bogg
2010). Similarly, this ratio has been low at 10%–15% in Canada (Dyer-Whitheford and Sharman
2005), and less than 10% in Australia (Geneve et al. 2008). Game developing is a high-risk, highreturn business toward risk aversion. Therefore, game publishers have been releasing typically
release popular titles of series and remakes in similar genres. Recently, the Japanese consumer
gaming market has been shrinking (Computer Entertainment Supplier’s Association, 2013).
Thus, it is necessary for Japanese gaming companies to diversify their management in terms
of gender with the aim of providing a variety of entertainment for males and females, and
furthermore for young and old around the world.
Therefore, this study’s purpose is to clarify the nature of career development among female
game developers. The study also aims to analyze the characteristics of behavioral attitude and
career development of female developers in the Japanese gaming industry. The main topics of
this study’s interview survey included their working style, their perspectives on their current
work, and career awareness.
This study followed a one-to-one semi-structured interview format and employed qualitative
methodology. The survey was conducted on 21 female game developers who had more than five
years work experience in the Japanese gaming industry. Interviews were conducted over three
months, with each interview lasting from 42 to 108 minutes (75 minutes on average for each
*Interfaculty Initiative in Information Studies, the University of Tokyo
School of Network and Information, Senshu University
Key Words:Game developers, career transition, life story, generativity, role model, diversity.
94
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
interviewee). After obtaining the consent of the interviewee, the interviews were recorded by an
IC recorder and were then transcribed verbatim. The total number of words in the transcripts
was about 400,000 in Japanese (21,000 on average per interviewee).
This study found that Japanese female game developers display the following ten
characteristics in relation to their careers: (1) They continue to challenge the market by
behaviorally adapting to their environment and role. (2) They enjoy their work and show a
positive frame of mind. (3) They have the desire to lay more emphasis on the quality of work
rather than the quantity. (4) They display their creativity in their organizations. (5) They reflect
on their careers objectively. (6) They work at explaining themselves to others. (7) They manage
various relationships with others. (8) They take on tasks through trial and error, with an eye
on the future, while treasuring the present. (9) They do not conform to gender stereotypes. (10)
They become leading role models for other creative professionals.
In conclusion, female game developers do not have well-defined career goals; however,
they have the ability to change their situation, and then evaluate and manage it, if necessary.
Therefore, it is important that female game developers have diverse role models.
ゲーム産業における女性開発者のキャリア発達
95
基礎情報学の観点からのインターネットのコミュニティデザイン論
― ネオサイバネティクス概念とコミュニティデザイン言語の相互接続―
Design Theory of Internet Community in the light of Fundamental
Informatics :
Interconnecting neo-cybernetical concepts with community design language
チェン・ハンロン・ドミニク*
1.背景:インターネットにおけるコミュニケーションを巡る可能性と問題点
世界最大のソーシャル・ネットワーキング・
1
サービス(SNS)であるFacebookには8億人 、
2
マイクロ・ブログのTwitterには1億人 のアク
ンターネットはまさに新たな社会変革の可能性
と問題点の両方が渦巻く場として今もなお活発
な議論の対象となっている。
ティブ・ユーザ(月間に1度でもログインする
そして現在、こうした巨大SNS以外にも数多
ユーザ)が存在し、日々膨大なデータ量のコ
くのコミュニケーションの場がインターネット
ミュニケーションが取り交わされている。両
上に乱立しているが、そうした場のデザインの
サービスは共に2011年初頭に北アフリカで起
議論はまだ統一性や共通言語に欠けている。本
こった「アラブの春」と呼ばれる、独裁政権に
稿では、より解像度を高くコミュニティのデザ
対する民衆の蜂起に活用されたと指摘されてお
インに活用できる共通言語を確立するための基
り(Sangani、2011)、先進国社会における日常
礎検討を行う。そのために本稿では、構成論的
的なコミュニケーションの道具という枠を超え
な情報制御の理論を扱うネオサイバネティクス
た社会的役割を果たすようになっている。同時
の議論、特に基礎情報学の知見を整理し、イン
にプライバシー情報の流出と情報セキュリティ
ターネットのコミュニティデザインとの対応を
の構築、海賊行為や著作権の侵害とオープン
行う。最後に一般公開されているコミュニティ
ソース型の著作物流通、新たなビジネスモデル
の実践例と本稿の理論モデルを照らし合わせた
の提案と法規制の相関性といった、ネットワー
考察を加える。
ク型情報社会に特有の問題も露呈している。イ
* 東京大学大学院学際情報学府博士課程
キーワード:インターネット、ネオサイバネティクス、基礎情報学、コミュニティデザイン
97
2.関連研究
インターネット上で発生するコミュニケーショ
例への応用や検証の事例との接続は少なく、イン
ンを統合的な価値判断の枠組みで分析し、その具
ターネットコミュニティへの適用も未開拓な分野
体的なデザインを議論する体系は確立されてい
であるが、基礎情報学は単体で完結する学問と
るとは言い難い状況にある。本章ではネオサイバ
いうよりは情報工学や社会情報学といった関連分
ネティクスの系譜に位置づけられる基礎情報学の
野の概念的ベースとなる学問を志向している(図
諸概念をインターネット上のコミュニティデザイ
1)。そこで本稿では基礎情報学を実践におけるコ
ンのための言語体系として参照する。ネオサイバ
ミュニティデザインと評価に活用できるように体
ネティクスの理論モデルは豊富に存在するが、実
系化する。
図1:基礎情報学と他の情報学の関係性
(出典: 西垣通『生命と機械をつなぐ知−基礎情報学入門』高陵社書店、2012)
2.1 サイバネティクスの系譜
20世紀中盤に興隆した、情報の観察と制御
生命細胞の自律性の様式をオートポイエーシ
の方法論を研究するサイバネティクスの議論に
ス(autopoiesis、自己創出)というモデルに体
おいては当初、生物を機械(観察されたシステ
系化したMaturana=Varelaの視座は、自律的に
ム)としてみなし、制御することに関心が払わ
作動するシステムの最小単位を探るものであっ
れた。しかし、1970年代からは生物(観察する
た(Varela, 1988)。西垣らは、この観点からコ
システム)と機械を異なるものとして位置づけ
ミュニケーションをとらえ、Shannon=Wiever
る理論が発達し、現代においては機械と人間を
的な記号化された情報の送信と受信、そして情
どのように接続するかというネオ(またはセカ
報の解読というモデルを人間同士のコミュニ
ンド・オーダー)サイバネティクスの議論が発
ケーションに適用することの限界を指し示して
展している。
いる(西垣、2004)。
98
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
Luhmannが行った社会システム論の定義で
人間(心的システム)は社会に対してただの下
は、オートポイエティック・システム(APS)
位システムではなく、IT技術と複合系を成すこ
としての社会の構成素は人間個体ではなく、個
とによって、より積極的に社会を構成する要素
体間のコミュニケーションであるとされる。そ
として捉えられる。
こではコミュニケーションのプロセスと結果に
関連して、西垣は自身の基礎情報学をネオ
よって構成され、コミュニケーションを創出す
サイバネティクスの潮流に位置づけながら、コ
る自律的システムが社会システムであり、人間
ミュニケーションの構造を「階層的自律コミュ
個体(心的システム)は別次元のシステムに過
ニケーションシステム(HACS)」として定義
ぎない。Luhmannによるオートポイエーシス理
している。HACSが成立する上での以下の要件
論の社会システムへの援用(Kneer&Nassehi、
を定義している(西垣、2008):
2000)を受けて、Varelaはより高次の自己産出
の構造を作動的閉鎖系(Operational Closure)
・要件1: 心的システムと構造的カップリングし
としてオートポイエーシスと区分したが
た複合システムとして存在する
(Varela、1979)、それは理論モデルに止まっ
・要件2: 上位階層から見たとき、下位階層で擬
ている。
似的な情報伝達が行われる
しかし、インターネットが普及して以降の
ネオサイバネティクスの議論の中で、Hansen
・要件3: システムの構成素はコミュニケーショ
ンである
はシステム環境複合系(System Environments
西垣はHACSを自律システム全般に含まれる
Hybrids、SEHS)という概念を提唱している
ものとしつつ、HACSは生命単位体(生命シス
(Hansen、2009)。HansenはSEHSが作動的閉
テム)を包摂するという自律性の階層的なビ
鎖系が環境の複雑性縮減を通して機能するとい
ジョンを提示している。HACSモデルにおいて
うLuhmannの主張に沿うとしながらも、SEHS
は、VarelaやLuhmannの議論では離散的にしか
は人間と技術の偶発的で暫定的な結合としての
扱えなかった階層間の関係性を議論する可能性
「技術的閉鎖系」であるとしている。ここでは
が与えられている。
2.2 コミュニティデザインの概念ベースとしての基礎情報学
本稿では基礎情報学を人間がコミュニケー
前のものとしてマスメディアシステムがあり、
ションを交わす場としての「コミュニティ」の
それ以降のものとしてインターネットシステム
概念ベースを提供する体系として参照する。
が定義される(表1)。両者を分ける大きな差異
基礎情報学においては心的システムを包摂す
としては、マスメディアシステムが基本的に情
る社会システム、そして社会システムを包摂す
報の供給を単一方向で行うものであり、それ自
る超−社会システムの存在が前提となる。そし
体で完結することに対して、インターネットシ
て超−社会システムにおいては情報産業革命以
ステムは参加者(ユーザ)とコミュニティの運
基礎情報学の観点からのインターネットのコミュニティデザイン論
99
営者がより直接的に対話しながら作動するとい
テムのメディアよりも精密に記録され、そうし
う点である。
たフィードバックが運営に反映される速度が高
これは情報を媒介する方式(メディア)の
いという点である。インターネットで作動する
差異であり、両者が排他的な関係にあるとい
システムが「永遠のβ版」と呼ばれ、終わりの
うことではないといえる。実際に、現在はイン
ない更新によって特徴づけられるのはこのため
ターネットの特性を取り込んだマスメディアシ
である。本稿では基礎情報学のこの大分類に従
ステムが登場しているからである。重要な点と
い、インターネットシステムに属するコミュニ
しては、インターネットシステムにおいては原
ティの挙動と原理の理論的な特徴を分類してい
理的にユーザの視聴や反応といった行動が、新
く。
聞、ラジオ、テレビといったマスメディアシス
表1:二つの超−社会システム
(参考:西垣通『生命と機械をつなぐ知−基礎情報学入門』高陵社書店、 2012)
マスメディアシステム
インターネットシステム
固定的、網羅的、実名的
流動的、細分的、匿名的
少数の職業的送信者から膨大な数の一般受信者へ、新
聞、テレビ、ラジオを通じて供与される単方向的な非対話
コミュニケーション
インターネットコミュニティはインターネットシステムに対応。
運営者とユーザが相互作用しながら継続生成される。
3.基礎情報学の観点からのコミュニティデザイン論
本章では基礎情報学の観点をインターネッ
トコミュニティのデザインと接続させるための
の流れについて整理を行い、その次に概念とコ
ミュニティ事象のマッピングを行う。
概念的整理を行う。まず、異なる階層間の情報
3.1 生命・社会・機械
基礎情報学においては異なる階層の情報概
(phase)の観点を導入する。
念を統合的に扱うために、生命情報、社会情
この異なる相同士の相関を表2。にまとめ
報、機械情報の三種類の情報が定義されている
る。以下、これによって個人(心的システム)
(西垣、2004, 2008)。その上で本稿では生命
と社会システム、さらには社会システムと超−
情報、社会情報、機械情報に対応する三つの相
社会システムの動的な関係性を議論する。
100
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
表2:生命・社会・機械の相
生命相
社会相
機械相
構造的
カップリング
身体システムと
心的システム
社会システム(コミュニティ)
心的システム(ユーザ)と社会
と超−社会システム(インター
システム(コミュニティ)
ネットシステム)
HACSの
構成素
身体の作動(生命情報の ユーザ間の対話/創造(社会情 コミュニティのシステム作動(機
コミュニケーション)
報のコミュニケーション)
械情報のコミュニケーション)
評価指標
快感原則、美的評価等の 学習、承認欲求の充足、経済的 コミュニティ運営上のアルゴリ
身体(脳神経)的報酬系 利益等の社会的報酬系
ズム/システム的進化
観察記述主体
個人の心的システム
社会システムの運営者、研究者 インターネット政策者、研究者
各相においては注目するシステムと環境と
ステムから生み出される生命情報を観察記述す
なるシステムの構造的カップリングが構成され
るのはこれと構造的カップリングした心的シス
る。生命相においては身体(脳神経)システム
テムである。同様に社会相においては、社会シ
と心的システムが、社会相においては心的シス
ステムにあたるコミュニティの観点で 運営者、
テムと社会システムが、そして機械相において
研究者が観察記述主体の役割を果たす。そし
は社会システムと超−社会システムがそれぞれ
て、機械相においては超−社会システムの観点
構造的にカップリングしており、生命相と社会
でインターネット政策者、研究者等が観察記述
相、そして社会相と機械相がそれぞれ階層的な
に該当する。このように抽象度を変えた視点を
自律コミュニケーションシステム(HACS)と
持ち得るということがHACS理論の特徴である
して構成的に作動する。心的システム(ユー
が、換言すれば、ユーザであると同時にコミュ
ザ)と社会システム(コミュニティ)のHACS
ニティ運営者、そして超−社会システムの視点
は、個々の心的システムの間で交換されるコ
を同時に持つことを可能にする。
ミュニケーションが構成素であり、社会システ
重要なことはそれぞれの相に対応するシス
ム(コミュニティ)と超−社会システム(イ
テムそのものもHACSであるという再帰的な構
ンフラとしてのインターネットシステム)の
造を認識する点にある。まず生命に対応する相
HACSにおいては、個々のコミュニティが産出
は人間個体と読み替えることができるが、この
する情報通信とその情報処理が機械的コミュニ
相の志向性は神経系への刺激の継続発生という
ケーションとして構成素の役割を担っている。
生命的コミュニケーションであり、心的システ
この際、HACSの定義に沿えば、必ずHACS
ムはその心理的な観察記述と評価を行う。ここ
を観察記述する心的システムの役割を果たすシ
では身体の作動の中で起こる生命情報のコミュ
ステムが包摂されることに注意する必要があ
ニケーションがHACSの構成素となる。同様に
る。つまり生命相においても身体(脳神経)シ
社会情報に対応する相においては参加する心的
基礎情報学の観点からのインターネットのコミュニティデザイン論
101
システム間の自然言語的な対話や非自然言語的
求の充足、または経済的利益といった社会的な
な表現によるコミュニケーションの継続発生が
報酬系が対応する。そして機械情報の相におけ
志向され、社会システムの観点から心的システ
るコミュニケーションの評価指標としては、コ
ム間の社会的関係性に基づいた観察記述が行わ
ミュニティ(社会システム)そのものの進化の
れる。ここではコミュニティを形成するコミュ
度合い、アルゴリズムの精緻化、コードの洗練
ニケーションを生成するユーザ間の社会情報の
化、機械学習の向上等のシステム(機械)的報
やり取りがHACSの構成素となる。そして機械
酬系が計られることになる。各HACSの生命的
情報の相においては、超−社会システムとして
な評価指標、つまり自己創出的にコミュニケー
のインターネットシステムを構成するコミュニ
ションを生み出しているかどうかということを
ティのシステム作動による機械情報の生成と記
探るためには、上位と下位の双方の視点を共時
録、蓄積がHACSの構成素となる。
的にとらえ、評価を行う必要がある。
HACSの階層の違いによってコミュニケー
本稿の議論の核心は、ユーザ(心的システ
ションの性質が異なるとすると、コミュニケー
ム)と上位のコミュニティ(社会システム)の
ションの評価指標も対応する相によって異な
両方が生命的な自己創出の活動を行っていると
る。生命情報の相におけるコミュニケーション
定義できれば、両者をどのように架橋するのか
の評価指標は、身体レベルの快感原則、美的評
という問題提起を行い、評価方法を定義するこ
価等の脳神経的な報酬系である。社会情報によ
とによって、コミュニティデザインの議論を展
るコミュニケーションの評価指標としては、
開することが可能になるという点にある。
心的システムの学習、社会システム内の承認欲
3.2 コミュニティデザインへのマッピング
次に、より高い解像度で基礎情報学の理論を
て定義され、コミュニケーションの時間的累積
コミュニティデザインに役立てるために、基礎
としての意味構造の変質や意味伝播にあたる
情報学におけるコミュニケーションに関する諸
「プロパゲーション」とは区別される。現在、
概念(西垣、2004,2008,2012)の階層関係を整
基礎情報学において最も議論が蓄積されている
理し、さらにコミュニティデザインの対象とな
のはコミュニケーション概念であり、プロパ
る項目との対応を表3.にまとめた。まずそれぞ
ゲーション概念は最新の議論に属する。コミュ
れの概念について説明し、次に実際のコミュニ
ニティデザインの観点からは、短期的なコミュ
ティのデザイン事例と照合させる。 ニケーションだけではなく、中長期的なコミュ
基礎情報学においてはまず、「コミュニケー
ション」は短期的、瞬時的な疑似情報伝達とし
102
ニケーションの蓄積がコミュニティに与える影
響をも考察する可能性が見て取れる。
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
3.2.1 コミュニケーション
基礎情報学におけるコミュニケーションは、
創造型のものが挙げられるが、こうしたコミュ
機械情報の伝播を担う技術としての伝播メディ
ニケーション方式の差異も成果メディアと伝播
アと、コミュニケーションを秩序づけるための
メディアの分類で表現できる。これまでの基礎
枠組みを与える成果メディアという二つの側面
情報学の議論においては主に成果メディアが詳
から考察される。そしてインターネット上のコ
細に考察されてきたが、伝播メディアについて
ミュニティを大別すると、参加者同士が主に自
は未開拓である。本稿ではコミュニティデザイ
然言語のメッセージを交わしてコミュニケー
ンにおける技術的側面にも注目するため、伝播
ションを行う対話型のものと、創作したコンテ
メディアについても独自に論じる。
ンツの共有を介してコミュニケーションを行う
表3:基礎情報学の諸概念のコミュニティデザインへのマッピング
概念
理論内容
コミュニティ対応
コミュニケーション
ミクロ(短期的・瞬時的)な疑似情報
伝達現象
対話、創造の共有
∟伝播メディア
機械情報の伝達を担うメディア技術
アプリケーション(アクセスコント
ロール技術+インタフェース)
∟成果メディア
コミュニケーションを秩序づけるため
に意味的な領域を狭める機能
コミュニティで求められるコミュニ
ケーション(対話型、創造型)
∟連辞的メディア
コミュニケーション内容の論理的なつ
ながりを作る機能
コミュニティのルール
∟二値コード
システムが受容するコミュニケーショ
ンの判別基準
合法/違法、コンセプト合致/逸脱、人
気/不人気
∟連辞用プログラム
二値コードの判断が参照する論理体系
著作権法・ライセンス、ルール
∟範列的メディア
時空間的な変化に対して安定して概念
上の選択肢を準備する機能
コミュニティにおける文化様式
∟意味ベース
記述やデータの集積
過去のコミュニケーションの総体
(アーカイブ)
∟知識ベース
細分化された専門知識の集積
コアユーザによるコミュニケーション
の総体
∟常識ベース
一般に共有されている知識
ライトユーザによるコミュニケーショ
ンの総体
プロパゲーション
コミュニケーションの集積としての意
味構造の変質、意味伝播作用
伝播メディアおよび成果メディアの改
変・更新
基礎情報学の観点からのインターネットのコミュニティデザイン論
103
3.2.1.1 成果メディア
成果メディアはHACSの中で産出されるコ
ミュニケーションの総体を秩序づけるための機
ルブック等が連辞用プログラムであると言え
る。
構全般を指す。成果メディアは更に「連辞的メ
他方で範列的メディアはシステムの時空間
ディア」と「範列的メディア」によって構成さ
的な変化に対して、安定して概念上の選択肢を
れている。
準備する機能である。連辞用プログラムなどの
連辞的メディアはコミュニケーション内容
トップダウンの規定に対して、コミュニティ内
の論理的なつながりを作る機能である。これを
でどのようなコミュニケーションが産出されて
コミュニティに照らし合わせると、どのような
きたかという時間的累積を参加者が知覚する
コミュニケーションが許容されるかということ
ことによって、どのようなコミュニケーション
を定義するルール全般に当たるといえる。連辞
を行うかということに影響を与える「コミュ
的メディアは更に「二値コード」と「連辞用プ
ニティの文化」を指す。範列的メディアの内実
ログラム」によって構成される。二値コードと
は 過去のコミュニケーションの総体(アーカ
はそのシステムにおける基本的な区別であり、
イブ)としての「意味ベース」である。意味
これによって当コミュニケーションをシステム
ベースは更に「知識ベース」と「常識ベース」
が受容するかどうかが判別される。そして二値
に分類されており、前者は細分化された専門知
コードの判断が参照する論理体系は連辞用プロ
識の集積、後者は一般に共有されている知識を
グラムとして定義される。コミュニティに対応
指している。コミュニティデザインに即して言
する概念としては、コミュニティを規定するコ
えば、知識ベースはコミュニティに深くコミッ
ンセプトが二値コードを決定する。このコン
トし、コミュニティ内で多くのコミュニケー
セプトはコミュニティ運営上の指針とも捉えら
ションを生成するコアユーザ(もしくは頻繁に
れ、「コンセプトに合致しているか否か」とい
サイトにアクセスするという意味ではアクティ
う二値コードに関係するが、それ以外にも「合
ブユーザという語彙が一般的)によって蓄積さ
法か違法か」「人気か不人気か」といった複層
れ、常識ベースはそうした知識ベースから一般
的な二値コードが関係している。こうした二値
化されたコミュニケーション様式をより緩慢に
コードの論拠が細かく定義され、参加者に対し
参加するライトユーザによって生成されるコ
て明文化された利用規約やガイドライン、ルー
ミュニケーションの総体として捉えられる。
3.2.1.2 伝播メディア
成果メディアがコミュニケーションの意味
と成果メディアとの関係や対応は基礎情報学に
内容(社会情報)を規定することに対して、伝
おいてもまだ精密に議論されていない。本稿で
播メディアはコミュニケーションの記号(機械
は基礎情報学における定義に沿って、コミュニ
情報)の処理を担う機構である。伝播メディア
ティのデザインの議論において、成果メディア
104
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
は概念的なデザイン、伝播メディアは技術的な
コミュニティにおいては、ユーザの認証やア
デザインとして捉える。例えば、二値コードの
クセス制御、表示される情報の優先度と配置、
実行を担うアルゴリズム(二値コードから除外
および関連する集計や統計の処理といった事項
されるコミュニケーションやその発信主体のア
が該当する。次に、ユーザがコミュニティに参
クセス禁止処置、またはコミュニケーションの
加する際に使用するインタフェースが挙げられ
ランキング表示処理など)は、連辞的メディ
る。インタフェースとは一般的にはユーザイ
アと連関した伝播メディアの作動であると言え
ンタフェース(UI)やユーザエクスペリエン
る。Lessigの用語を用いれば、伝播メディアと
ス(UX)といった用語で表現されるものであ
はコミュニティのアーキテクチャ(環境制御構
り、近年は視覚以外にも聴覚、触覚、味覚、嗅
造)であると言える(Lessig, 2000)。
覚といった感覚を媒介するインタフェースの研
コミュニティの伝播メディアには、大きく
究が活発に行われている(原島ら、2004)。さ
分けて二つのカテゴリが存在すると考えられ
らに広くシステムとユーザだけではなく、ユー
る。まず、コミュニティ内で生成されるコミュ
ザ同士の関係性のデザインや評価を行うインタ
ニケーションを様々な方法で集計・処理する
ラクションデザインという観点も伝播メディア
プログラム群が挙げられる。インターネットの
の範疇に位置づけられるだろう。
3.2.2 プロパゲーション
プロパゲーションとは社会システムにおけ
現が成される場合もありうる。
る中長期的な時間経過の中での意味構造の変質
たとえばコミュニティにおける「スケーラ
と意味伝播作用を指す概念である。西垣は“心
ビリティ」とは、一定数以内の参加規模であれ
的システム、社会組織システム、超−社会シス
ば場が荒れることはないが、参加者の数が大規
テムの階層のダイナミクスをつうじて思想や価
模になるに連れてユーザ同士もしくはユーザと
値観のプロパゲーションがなされる”と書いて
運営者の衝突の調停コストが増加する問題を指
いる(西垣、2012)。コミュニティにおけるプ
す。スケーラビリティの問題はコミュニティ運
ロパゲーションの本質的な意味とは、運営方針
営において頻出するものであるが、このことに
が常にユーザのコミュニケーション行為の結果
対してプロパゲーション様式をどのようにデザ
に応じて変更される可能性があるという点であ
インしうるのかという指標を議論することが可
る。換言すれば、コミュニティそのものの属性
能になるだろう。
が、内包するコミュニケーションの蓄積の結果
また、プロパゲーションと、成果メディア
として変化するということがプロパゲーション
の要素である範列的メディアは、両方とも時間
であると言える。この変化を「学習」や「進
的累積性を前提にしている点において類似して
化」というポジティブな変化として評価するこ
いるが、範列的メディアがあくまで瞬時的なコ
とも出来れば、時としては「劣化」といった表
ミュニケーションに掛かるものであることに対
基礎情報学の観点からのインターネットのコミュニティデザイン論
105
して、プロパゲーションはコミュニケーショ
である。その意味で、範列的メディアの蓄積が
ンを支える場である社会システム(コミュニ
プロパゲーションに影響を与えたり、相関する
ティ)そのものの変化(と不変化)を扱う概念
という表現が可能である。
3.2.3 各HACS間の相関
すでに述べてきたように、基礎情報学の理論
ン言語への対応であるが、同様にHACSとして
においてはHACS間の階層的なダイナミズムが
規定できる心的システムのコミュニケーション
定義されている。デザイン行為によってコミュ
様式、そして超−社会システムのコミュニケー
ニティの活性化が可能であると仮定するなら
ション様式とも同様の構造を対応させることが
ば、コミュニティの構成素であるコミュニケー
できる。
ションの継続発生以外にも、それらのコミュニ
本稿ではあくまでコミュニティの観点を中心
ケーションを産出する心的システムと身体シス
としたマッピングに留まるが、この再帰的な構
テムの相関性、そしてコミュニティを内包する
造関係によってシステム階層を論じることが可
超−社会システムとしてのインターネットシス
能である点が、ネオサイバネティクスを継承す
テムとの関係性といった次元も同時に議論する
る基礎情報学の特性の一つである。
ことが可能になる。表3.はコミュニティデザイ
3.2.4 擬似的な情報伝達
成果メディアが社会情報の層を規定し、伝播
本稿ではネオサイバネティクスにおける構成
メディアが機械情報の層を処理するが、生命情
主義的概念に従って、情報とは常に主体によっ
報の産出を担うのは個々の心的システムと構造
て産出されるものであり、情報伝達は擬似的に
的カップリングをした身体(脳神経)システム
しか行われないという立場を採っている。その
である。コミュニティは機械情報を社会情報に
意味において、コミュニケーションの擬制のメ
変換するが、社会情報がどのように生命情報に
カニズムとは、「コミュニティの観点からはあ
変換されるかということは個々の心的システム
たかもユーザのあいだで情報の意味が伝達/共
の情報解釈の様式と、心的システムと構造的に
有されているように見える」ことに等しく、社
カップリングする身体システムの構造に依存し
会システムの継続作動はこうした擬似的な情報
ている。
伝達の継続発生の上で作動している。
3.3 デザイン対象としてのコミュニティ
ここまでインターネットのコミュニティの構
からはいかにコミュニティの作動を継続させら
成を基礎情報学の諸概念と照合させてきた。こ
れるかというデザイン上の志向性である。本稿
こで浮き彫りになるのは、コミュニティの観点
ではコミュニティにおけるコミュニケーション
106
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
の持続可能性を図る指標として、「活性」とい
いる。「運営」しながら「設計」するという意
う概念を提案する。このことにより、コミュニ
味を「デザイン」という語に付している。重要
ティの活性を向上もしくは維持するというデザ
な前提としては、完全な計画を企図することは
イン上の評価を議論することが可能となる。
原理的に不可能であり、可能なこととはHACS
なお、本稿ではデザインという用語を「設
内においてコミュニケーションが創発する期待
計」と同義のものとして扱っている。設計とい
値を向上することである。このようにシステム
う言葉の与える印象として「初期設定を事前に
の挙動に介入し、そのフィードバックを基に運
定義する」というイメージがあるが、本稿では
営方法を変化させていくことの反復は、恒常的
むしろコミュニティが作動する時間経過の中で
に「調整」を行い続けるという側面も持つ。
通時的にシステムを更新していくことを指して
3.3.1 コミュニティを巡るHACS間の階層性
本稿で整理した基礎情報学の概念に基づき、
ユーザ、コミュニティ、インターネットシス
びコミュニティの学習・進化(プロパゲーショ
ン)が生まれることを意味する。
テムといったHACSの相関性をコミュニティデ
ユーザのレベルにおける伝播メディアは、
ザインの観点から図2.にまとめた。それぞれの
人間が使用できるコミュニケーション技術と手
階層のHACSが伝播メディアと成果メディアに
段の全般であり、その成果メディアは身体的な
よって構成されており、デザインと評価の対象
行動原理と精神的な行動規範によって混成され
となる。この際、各階層における伝播メディア
る。次にコミュニティのレベルにおける伝播メ
と成果メディアの特性が、階層間の構造的カッ
ディアは、コミュニティを作動させるシステム
プリングおよびにコミュニケーションの産出を
のアルゴリズムやインタフェースといった技術
制御する要因となる。そしてコミュニティにお
的な特性であり、その成果メディアとしては取
ける伝播メディアおよび成果メディアのデザイ
り交わされるべきコミュニケーション様式のコ
ンは、個々のユーザとコミュニティ全体の活性
ンセプト、コミュニティのルールを記した利用
化にかかる効果発現の原因として定義できる。
規約、コミュニケーション情報の扱いを取り決
コミュニティの伝播メディア、成果メディアを
めるライセンスといった情報が対応している。
更新することは、ユーザとコミュニティ双方
インターネットシステムのレベルにおいては、
のコミュニケーションおよびプロパゲーション
伝播メディアはインターネットを構成する基盤
に影響を及ぼす。活性化のためのデザインが成
技術の総体(インターネットのデータ通信の設
功するということは、ユーザが志向するコミュ
計であるOSI7階層モデルのようなインフラの次
ニケーションとコミュニティが企図するコミュ
元から、アプリケーションを設計するためのプ
ニケーションの双方が充足することであり、ま
ログラミング言語までを含む)であり、その成
たその充足が更に誘発されるようなユーザおよ
果メディアは法、経済、社会規範といったイン
基礎情報学の観点からのインターネットのコミュニティデザイン論
107
ターネットシステムに影響を与える社会的なプ
ログラムや現象である。
この階層間の構造的カップリングは一種の
交易関係、つまり双方の活性を向上もしくは維
持する関係性として理解することができる。例
えばユーザは自身のコミュニケーションの充足
を図り、コミュニティはシステム内のコミュニ
ケーションの総体の充足を図るが、この両者が
互いを自身の目的を達成する手段として見なし
あうだけではなく、相互の目的を調停するよう
にデザインすることは双方の「活性」を向上す
ることを志向するデザインである。HACSは生
命的な挙動を持つシステムであり、それをデザ
インすることはそのシステムとしての活性、
つまりシステムが「十全に機能するための諸条
件」を考えることに他ならない。このHACS間
の関係性が崩れれば、下位もしくは上位のシス
テムの活性が下がり、全体的なシステムの持続
可能性に影響を及ぼすことが考えられる。そし
て、長期的な活性関係にあるHACS同士は、プ
ロパゲーションという構造的変化を共有する。
図2:異なる階層関係のHACSの連関
3.3.2. 活性度の定義
コミュニティの活性度とは、対象となる
う。本稿では、表2.で定義した評価指標に基づ
HACSにおけるコミュニケーションの産出が内
いて、インターネットシステムの活性を「イン
外の諸要因に阻害されることなく円滑に遂行さ
ターネット技術のイノベーションと共有」、コ
れる度合いとして定義できる。インターネッ
ミュニティの活性に関わる指標として「経済的
トコミュニティ一つを取っても、コミュニティ
利益や活発なコミュニケーションの継続発生と
自身の活性以外にも、ユーザ、そしてインター
コミュニティの持続可能性の担保」、そして
ネットの階層における活性度も複層的に関連し
ユーザの活性を「快感原則、美的評価等の身体
てくる。
(脳神経)的報酬系」と「学習、名声、承認欲
各HACSにおける成果メディアをどのように
求等の心理的充足、経済的利益等の社会的報酬
定義するのかということには議論が伴うだろ
系」というようにひとまず仮定する。この定義
108
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
に立てば、活性とは各HACSの短期的なコミュ
ションに直接作用するデザイン手法(コミュニ
ニケーションの充足に加えて長期的なプロパ
ティ内の機能改善)の他にも、インターネット
ゲーション、つまり進化と学習の実現している
システムの観点から機能的な作用をコミュニ
度合い、として理解することもできる。
ティに及ぼすデザイン手法(高速なアクセス処
統合すると、活性にも段階があり、短期的
理機能の研究開発など)も存在する。
なコミュニケーションに対応するものと、中長
期的なプロパゲーションによって表現されるも
のの二種類があると考えられる。また、コミュ
ニティの活性化にはユーザによるコミュニケー
3.4. 実践事例に基づいた考察
こうした概念ベースのマッピングを実際の
とその他のメディアの性質の差異を比較するた
コミュニティ運営の事例に照合してみる。先述
めの便宜的なものであり、実際のコミュニティ
したように、本稿ではコミュニティの大きな分
の多くは対話的、創造的の両方の成分の混成で
類として対話型と創造型の二種類を想定してい
ある 。
3
る。対話型とは自然言語文によるメッセージを
以下に、実際に筆者が開発と運営に携わり、
交わし合うコミュニケーションを主とするタイ
一般公開されているコミュニティを参照しなが
プで、創造型は非自然言語的な創作行為の表現
ら、本稿の理論的枠組みと照合した考察を加
(作品)を介したコミュニケーションを主とす
え、表4.にその結果をまとめる。
るタイプを指す。この分類は自然言語メディア
基礎情報学の観点からのインターネットのコミュニティデザイン論
109
表4:対話型コミュニティと創造型コミュニティにおけるデザイン項目
対象コミュニティ
リグレト
AVMII
コミュニケーション
対話(テキスト)
創造(楽曲)
∟伝播メディア
更新内容
対話型コミュニティ・システムの基本
的なアーキテクチャ、注目を浴びてい
ないメッセージの救済機能
スマートフォンおよびタブレットPC上
で作動するアプリとしての基本的アー
キテクチャ、リミックスに特化したア
プリケーション設計
∟成果メディア
「ヘコむを楽しむ」コミュニケーショ
ン
楽曲ループのリミックスの生成と二次
利用
∟連辞的メディア
「心の相互ケア」のルール化
CC、リミックス
∟二値コード
ヘコみ、もしくはなぐさめとして適切
かどうか
CCライセンス遵守しているか、複数音
源を利用しているか
∟連辞用プログラム
利用規約とルールブック
著作権法とCCライセンス、アプリに
よって提示されたリミックス概念
∟範列的メディア
リグレト内コミュニケーションの定型
リミックス文化、楽曲作者、
楽曲への関心
∟意味ベース
全対話のデータ
原作と本アプリを介した派生作品の総
体
∟知識ベース
コアユーザによる応答の履歴
リミックスを介した楽曲提供者とユー
ザのコミュニケーション
∟常識ベース
ライトユーザによる応答の履歴
ライトユーザや外部ユーザによる視聴
プロパゲーション
ルール改訂、ヘコみ/なぐさめの定
型、伝播メディアの更新
アーカイブの多様化、プロジェクトの
進化・派生
3.4.1. 対話型コミュニティの実践事例から
「リグレト」は匿名でユーザ同士が日本語テ
いメッセージを集計し、コミュニティ内のタイ
キストによる投稿を行うWebコミュニティであ
ムラインでの掲出機会を増やすことによって、
4
る 。リグレトでは悩みを抱えている人となぐ
適切なレスポンスが返される確率を向上させた
さめる人が集まり、ポップなデザインとインタ
ことである。この技術的な施策を本稿の用語
フェースによって、カジュアルに心のケアを楽
で表現すれば、伝播メディアを更新することに
しむエンタテインメントの場として機能してい
よって個々のユーザのコミュニケーションに対
る。著者はリグレトのコミュニティにおける活
する充足度を向上する施策を実施し、その結果
性化デザインを適用し、評価を行った(著者ら,
コミュニティ全体の活性度も向上することであ
2012)。
る。このコミュニティの一連の機能更新そのも
リグレトの運営で行われた活性化デザイン
のをプロパゲーションの一例として捉えること
の内容は、他のユーザからの注目を浴びていな
もできる。コミュニケーション量と質の測定を
110
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
たことは、社会システムとしての進化を果たし
たと言える。図2.に即して言えば、ユーザとコ
ミュニティ双方の観点からのコミュニケーショ
ンの充足が行われ、またコミュニティのシステ
ム進化も確認できた事例となった。
他にもリグレトのような対話型コミュニティ
において更新される事項としては、成果メディ
アの内容(利用規約やガイドライン)、意味
ベース(コミュニティ内のコミュニケーション
図3:携帯版リグレトのタイムライン画面
(左)と個別表示画面のサンプル(右)
の総体)の内容に着目し、自然言語処理を用い
基に必要な施策のための機能が開発されること
ディアの改変)などが挙げられる。
たコミュニケーションの分類と提示(伝播メ
によって、コミュニティの持続可能性が向上し
3.4.2. 創造型コミュニティの実践事例から
創造型のコミュニティにおいて、コンテンツ
に対してCCライセンスを適用するということ
は、連辞用プログラム(成果メディア)を更新
することを意味する。ユーザ自らが自身の作品
について二次利用のルールを定義し、さらにコ
ミュニティ運営者もそのルールの設定を承認す
るという連辞用プログラムであると言えるから
図4:AVMII作動画面サンプル
である。コンテンツが創造コミュニティにおけ
るコミュニケーション単位であるとすれば、そ
「AudioVisual Mixer for INTO INFINITY
6
れがどのように共有されたり改変されたりする
(以下AVMII) は、多様なアーティストによ
のかというルールは、成果メディアの更新に対
る楽曲と画像に、作者が自らの著作物の利用
応している。同時に、CCライセンスを作品に
条件を簡便に定義しその意思表示を行うこと
付けることは、コミュニティの上位システムで
7
のできるCCライセンス を付けて公開し、ユー
あるインターネットシステムに掛かる法律(著
ザによる二次創作を促すプロジェクトである
作権法)に対しても作用する変更でもある。こ
5
「INTO INFINITY」 の収蔵コンテンツの二
の事は階層をまたがった成果メディアのデザイ
次創作を促進するアプリケーションである(著
ンと更新が可能であることを示唆している。同
者、2012)。
様にソフトウェアに対して付与されるオープン
基礎情報学の観点からのインターネットのコミュニティデザイン論
111
8
ソース・ライセンスの数々 も、CCライセンス
一定の評価(批判を含む)を前提に行われるも
と同様の効能を持っているといえる。図2.に即
のとして捉えられる。よって、一次的にはどれ
して言えば、コミュニティ側でのデザイン施策
だけの派生作品が作られたのかということが創
が、インターネットシステム全般における新た
造コミュニティの活性化の指標となる。さらに
な規範が醸成されるプロパゲーションにも関連
創造コミュニティの意味ベース、つまり創造さ
していることを示す事例である。また本コミュ
れた作品の総体および作品を巡るコミュニケー
ニティに関する論考の公開等は、インターネッ
ション(自然言語を用いるものであれば対話、
トシステム全体への技術的、経験知的な貢献と
作品を介するものであれば創造)を分析すれ
して捉えることができる。
ば、より深いレベルでのコミュニティの活性度
また、CCライセンスを用いた創造コミュニ
の把握が可能になると考えられる。
ティにおいて、二次派生や再利用はそれ自体が
3.5. 本理論の展望
表4のようにそれぞれのコミュニティにおけ
ション活性化のヒントを比較可能な形式に分類
るコミュニケーションの各成分、そしてプロパ
することは、新しい活性化デザイン手法の考
ゲーションの内実を整理することによって、性
案にも活用できると考えられる。コミュニティ
質の異なるコミュニティの属性を同じ基軸に
を構成する諸成分のうち、どの部分をどのよう
よって比較することが可能になる。
に更新すれば、どのような変化(活性もしくは
リグレトとAVMIIは主となるコミュニケー
劣化)が起こるのかという経験に基づく知見の
ション類型がテキストと楽曲で大きく異なり、
集積が必要となるだろう。異なるコミュニティ
志向されるプロパゲーションの内容も違う。し
同士の最も単純な相互参照の形式としては、そ
かし根本的には両者ともHACSである点におい
れぞれの差分を結合し、一つのコミュニティと
て、コミュニケーションが構成素であり、その
して合成することが考えられる。もしくは、複
作動によってコミュニケーションが継続発生し
数のコミュニティの機能的に冗長な部分を抽出
続けることが共通の合目的性であるといえる。
し、その冗長性を排したコミュニティをデザイ
そのため、性質の異なるコミュニティはこの合
ンするということも可能になる。このような相
目的性に沿う限りにおいて、相互の進化にとっ
互参照の形式は、ソフトウェア開発における分
て参考となる蓄積をもっているといえる。対話
散バージョン管理システム において、同じシス
的なコミュニケーション様式(ブログ、SNS、
テムの機能分化した複数の異なるバージョンを
チャット、掲示板、ビデオ会議等)と創造的な
結合もしくは隔離して管理する方式に類似する
コミュニケーション様式(写真、イラスト、楽
発想に基づく。
9
曲、映像)のそれぞれにおけるコミュニケー
112
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
4. まとめ
本稿ではネオサイバネティクス、特に基礎情
に止まらず、複数のドメインをまたがる観察を
報学の提供する概念ベースをインターネットコ
行うことによって、インターネットのコミュニ
ミュニティのデザインに対応づけたマッピング
ティデザインの相互運用可能性を高められると
を行った。その過程で、インターネットコミュ
考える。例えばFacebookやTwitterといった巨
ニティの伝播メディア概念について理論的な検
大なサービスにおけるプロパゲーションの分析
討を加え、コミュニティの「活性」という概念
を行うことなどが挙げられる。そしてシステム
を導入し、基礎情報学の議論の拡張を行った。
とユーザという単純な切り分けに止まることな
基礎情報学は主に人文系の概念的な議論が活発
く、ユーザ層の内部における階層性や、ユーザ
であるが、本稿のようにコミュニティデザイン
とシステムとの相互作用性の更に詳細な分析も
の具体的な技術的要素へのマッピングを行った
可能となるだろう。
議論はまだない。
今後とも、インターネット上で取り交わされ
本稿の目的はコミュニティの分析とデザイ
るコミュニケーションを事後的に分析すること
ンの双方に活用するためのフレームワークの基
に止まらず、デザイン、実装そして評価という
礎検討を行うことである。その意味でも、本稿
恒常的に反復するプロセスの流れの中で捉える
で提示した仮説の理論的な精緻化と実践への
ことによって、解像度の高い汎用的な比較分析
適用にあたっての深化は今後の課題である。ま
とデザインの共通言語の進化のための議論を深
た、本稿の理論をより多くの具体例と共に検証
めたい。
し、単一のサービスやプラットフォームの分析
註
1
Facebook Statistics, URL: http://www.facebook.com/press/info.php?statistics
2
Twitter社の2011年9月8日発表: ’Twitter touts growth, 100 million active users’, CNet, URL: http://news.cnet.com/8301-
13506_3-20103401-17/twitter-touts-growth-100-million-active-users/
3
例えばテキストのみのコミュニケーションの場であるBBSなどにおいても文字を絵として使用するアスキーアートであったり、
画像や映像、楽曲といった非テキスト型のコンテンツへのリンクを共有するが、このことは完全に自然言語のみのコミュニケー
ションが稀であることを示しているといえる。
4
「ヘコむを楽しむ!リグレト」、http://rigureto.jp/
5
「INTO INFINITY」, http://intoinfinity.org/
6
iTunes AppStore: “AudioVisual Mixer for INTO INFINITY”, URL: http://itunes.apple.com/jp/app/audiovisual-mixer-for-into/
id338225050
7
Creative Commons, http://creativecommons.org
8
Open Source Initiative, http://opensource.og
9
Distributed Revision Control, http://en.wikipedia.org/wiki/Distributed_revision_control
基礎情報学の観点からのインターネットのコミュニティデザイン論
113
参考文献
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計と運営」, 『情報処理学会論文誌』53巻3号
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——(2008)『続 基礎情報学—「生命的組織」のために』NTT出版?——(2012)『生命と機械をつなぐ知−基礎情報学入門』高陵
社書店
——(2012)「基礎情報学の射程—知的革命としてのネオサイバネティクス—」『東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 第83
号』 原島博、井口征士、工作舎(2004)『感じる・楽しむ・創りだす 感性情報学』、工作舎
チェン ハンロン ドミニク
1981 年 1 月 9 日
[出身大学又は最終学歴]東京大学大学院学際情報学府博士課程修了(2013.3)
[専攻領域]学際情報学(先端表現コース)
[主たる著書・論文]
(3 本まで、タイトル・発行誌名あるいは発行機関名)
・ドミニク・チェン:”フリーカルチャーをつくるためのガイドブック―クリエイティブ・コモンズによる創造
の循環 "(ISBN 978-4-8459-1174-5),フィルムアート社(2012/5/25)(日本語単著)
・チェン・ハンロン・ドミニク,山本興一,遠藤拓己,苗村健:“心の相互ケアのための Web コミュニティ「リグレト」
の設計と運営”,情報処理学会論文誌 , vol.53, no.3, pp. 1022 -- 1029(2012.3)
・Dominique Chen:“Future of Creative Commodities in the Coded Cultures,” Coded Cultures: New Creative
Practices out of Diversity(Georg Russegger,Matthias Tarasiewicz, Michael Wlodkowski Ed., ISBN 9783709104576), pp. 160 -- 199, Springer Vienna Architecture(2011/03)(英語分担執筆)
[所属]株式会社ディヴィデュアル、NPO 法人クリエイティブ・コモンズ・ジャパン
114
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
Design Theory of Internet Community in the
light of Fundamental Informatics :
Interconnecting neo-cybernetical concepts
with community design language
HanLong Dominique Chen*
Abstract
This paper discusses the possibility of applying Fundamental Informatics (FI) concepts into
the field of Internet community design. The basic idea is to create a correspondence table of
neo-cybernetical ideas of communication system described in the FI theories, in order to model
a practical framework to assist analytical comprehension and design of Web-based communities.
A key feature of FI is that it presupposes hierarchical relationships between
systems,
which allows a continuous apprehension and comparison of different levels such as human,
communication, social and meta-social systems.
First, we will walk through a brief overview of the history of cybernetics and neo-cybernetics,
and explain the basic ideas of FI in order to understand how they are related with contemporary
Internet communities. FI aims at serving as the theoretical basis of applied informatics; but no
practical connection has been publicly affirmed between an existing Internet system and the
theory of FI.
To bridge this gap, first the difference and hierarchy of Life information, Societal information,
and Mechanic information will be explained in detail.
We will then create a map of
correspondence between the constitutive notions of communication and propagation discussed in
FI and the different design targets of Internet community.
Finally, we will consider the consequence of this mapping in relation with concrete community
design phenomena, by studying two real world examples of publicly accessible Internet
communities of different types; the possible future progress and meaning of this framework is
discussed at the end.
Graduate School of Interdisciplinary Information Studies, the University of Tokyo
Key Words:Internet, Fundamental Informatics, Neo-Cybernetics, Community Design
基礎情報学の観点からのインターネットのコミュニティデザイン論
115
中国マスメディア・システムにおける宣伝プログラム
― その構造と機能をめぐる考察―
The Propaganda Program of Mass Media System in China:
an Observation of its Structure and Functions
葛 星*
Ge Xing
1.はじめに
本稿は現代中国のマスメディアの構造を考察
呈している二つの傾向を脱する。
するに際して、宣伝のメカニズムに焦点をあて
まず、いわゆる進歩主義と進化主義を区別し
る。改革開放期以降の中国メディアの宣伝研究
なければならない。従来の研究において、「よ
は、他のシステムからマスメディアにインプッ
りよくなってきた」こと及び「いかにしてより
トされるメカニズムとして、あるいはとりわけ
よくなっていけるか」が重要視されてきた 。
リベラル・ジャーナリズムと対置される対象と
確かに、マスメディアの影響力の拡大、メディ
1
3
してもっぱら研究されてきた 。そうした研究
アがもたらした社会情報の豊かさ、メディア技
は有益であるが、いずれの研究視点からみて
術の発達、さらにメディア規制政策の変化な
も、宣伝は他律的なもので、その構造が変容し
ど、いろいろな進歩的な側面が見られる。進歩
なかったものであると見られてきた。
という考え方は、単に学問に対するイデオロ
これに対し本稿は、社会システム理論を導入
ギーの浸透の結果だけでなく、落合(1987)
することにより、現代中国社会の構造変化を背
の主張によれば、それは近代以来高揚してき
景とする宣伝を自律的な機能システムの構造と
た近代進歩主義がもたらした結果でもあると
して分析することを試みる。中国メディア研究
いう。だが、社会システム理論は、明らかに
において、ルーマン理論をはじめとする社会シ
このような進歩主義と異なる立場を取っている
ステム理論を用いた議論はまだなされておら
(ルーマン,2009a)。というのも進歩は進化
2
ず、システム論的な分析も極めて少ない と言
の方向性問題に対して提示された一つの可能性
わざるをえない。しかしながら、筆者は社会シ
に過ぎないからである。
ステム理論を用いて現代中国マスメディアの変
社会システム理論では、進化の帰結を「価値
容を究明する際、前述した既存研究の限界を露
中立的」(ibid:252)なものと捉える。そして
* 東京大学大学院学際情報学府博士課程
キーワード:社会システム理論、マスメディア、宣伝プログラム、中国社会
117
もう一つの進歩主義的立場、即ち資本主義対社
別されうるもう一つの傾向は、マスメディア研
会主義という対立項を用いて、どちらかの優越
究における構造-機能主義的傾向である。構造
性を議論する研究立場と、社会システム理論の
-機能主義の代表的社会学者であるパーソンズ
視点とを、区別しなければならない。という
がマスメディア研究に言及されたことは少ない
のも、社会システム理論は単に機能システム
が、マスメディア研究、特に社会システムとし
の構造と作動を観察しており、「自律システム
てのマスメディアの効果や機能を論じる際、構
が成功、繁栄あるいは自由に導くことを信じて
造-機能主義的立場が見受けられる。例えば、
おらず、これらの言葉自身は政治的セマンティ
AGIL図式を参照しながら、マスメディアを社会
クである」(Moeller,2006:35)からである。要
構造に位置づける研究や、マスメディアと政府
するに、社会システム理論は、システムを良い
(政治システム)及び市場(経済システム)と
システム/悪いシステムというコードによって
のインプット/アウトプットに基づく相互関係
観察するわけではない。したがって、本稿は現
性の研究 が挙げられる。しかし、社会システム
代中国のマスメディア・システムを機能分化さ
理論の立場から見れば、システムの時間及び社
れたシステムとして捉えようと試みるが、たと
会変動に対する敏感さを強調するため、構造-
え進化が証明されても、それは「よくなってき
機能主義の因果関係的考え方をサイバネティッ
た」、あるいは「これからよくなる」ことを説
ク的な考え方へ、そしてインプットとアウト
明するものではない。
プットを持つシステムをオートポイエシス・シ
また、社会システム理論が従来の研究と区
4
5
ステムへ転換することが必要とされる 。
2.社会システム理論とマスメディア・システム
近年、従来のマスメディア研究と異な
すものでもない。さらに、上位組織との階層
り、システム及びシステムの構造の視座を
性が見られる党の機関紙と位置づけられる新聞
与える試みとして、社会システム理論を応
のようなものでもない。マスメディア・システ
用した研究が行われてきた(Arnolbi,2001;
ムとは、政治システムや経済システムなどと並
A.Gorke&Armin,2006;Moeller,2006;大黒,
び、コミュニケーションを要素とする機能シス
2006など)。まず、社会システム理論におけ
テムなのである。
るマスメディア理論を概観する。
機能システムは作動的に閉鎖的である。つま
社会システム理論は、マスメディア・システ
り、他のシステムに制御されえず、自らの要素
ムを機能分化社会の一つの機能システムとして
であるコミュニケーションの産出・連鎖によ
捉える。ここで、マスメディア・システムは伝
り、自己維持するわけである。重大なイベント
播メディア=メディア技術を指すものでもなけ
が発生しなかったとしても、報道番組は「今
れば、組織としての新聞社、テレビ局などを指
日、重要なニュースがないため、番組がキャン
118
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
セルになる」と言わないであろうとタックマン
アについて、まだ定論はない。ルーマン自身は
(1991)が述べた。これは、マスメディア・
マスメディア・システムの成果メディアを指摘
システムがコミュニケーションを産出し、ま
しなかったが、テーマあるいは「世論」がそれ
た連鎖しなければならないことを示している。
にあたると、大黒(ibid)やMoeller(2006)
従って、ここで重要なのは、マスメディア・シ
が提案している。
ステムが如何にして情報を選択し、またコミュ
一方、既存の研究は豊かな成果をもたらした
ニケーションの連鎖を確保するかということで
ものの、その研究対象はおもに先進国社会に限
ある。
られていた。確かに、ルーマンの機能分化につ
ルーマンによれば、マスメディア・システム
いての考察は近代ヨーロッパの歴史に由来する
は、情報/非情報という二値コードを用いて、
ものである。したがって、まったく異なる歴史
環境を観察し、コミュニケーションの産出・連
をもつ中国社会に直ちに応用することができ
鎖を組織化する。したがって、マスメディア・
ない。しかし、ルーマン自身はすでに社会シス
システムはつねにこの二値コードに基づく選択
テム理論を、社会主義国家の社会に応用する可
を行わなければならない。このような選択、
能性を示している 。他方、この理論にはすで
即ち二値コードの値の割り振りを決めるのは、
に異なる地域での検討用の構造が提示されてい
プログラムである。マスメディア・システムの
る。なぜなら、世界社会の概念を検討するこの
典型的なプログラムとして、ルーマンはニュー
考察は、国境を持つ地域でのさまざまな違いを
ス、娯楽および広告を挙げていた。
無視するわけではないからである。ルーマンは
6
だが、全ての機能システムにとって、コミュ
この「グローバル化と地域化」の問題(ルー
ニケーションは非蓋然的であり、マスメディ
マン、2009b:1109-1105)に当たって、個々の
ア・システムの場合、大黒(2006)は「情報
地域において機能範型では用いられていない諸
の小包」というメタファーが示す通信モデル
構造が見出されるが、それは「世界社会の水準
が、コミュニケーションの非蓋然性を無視する
で機能分化が貫徹しているがゆえに、どんな構
ため、社会的コミュニケーションを描くには不
造によって地域的な条件づけのための条件が
適切であると述べた。コミュニケーションは非
優越してくるかが決められるのである(ibid:
蓋然性があるため、システムのコミュニケー
1104-1105)」と述べる。したがって、「機能
ションを「ありそうもない」ものから「ありそ
分化はシステムの作動の可能性の条件なのでは
うな」ものへ導くという機能を担う成果メディ
なく、むしろそれら諸作動の条件づけの可能性
ア(象徴的に一般化されたコミュニケーショ
なのである(ibid:1105)」といわれている。
ン・メディア)が登場する。しかし、経済シス
このように、マスメディアという分化した機
テムは貨幣を、政治システムは権力を、科学シ
能システムの内部にさまざまな違い―例えば
ステムは真理を成果メディアとするといわれて
周辺と中心、技術の先進と遅れ、さらに本稿で
いるが、マスメディア・システムの成果メディ
議論される異なるプログラムの中国での創出な
中国マスメディア・システムにおける宣伝プログラム
119
ど―が無視されるどころか、社会システム理
二つにまとめられる。第一は、改革開放以降の
論の視座からみれば、諸作動の条件づけにより
中国社会の機能分化という傾向についての検討
生じた「地域での揺らぎ」が重要視されるよう
である。第二は、機能分化という傾向を背景と
になるわけである。
し、宣伝を機能システムのプログラムとする可
以上の検討に基づき、本稿の考察課題は次の
能性に焦点をあてることである。
3.第三者の審級の撤退
本稿において、改革開放時代以前の中国社会
期の社会構造の特徴は、国家制度は基本的に変
を、ひとつの固定的な社会として捉えようとす
わらないが、国家の社会に対する管理が、社会
るつもりはない。中国はごく短い時間に、革命
の全ての領域をカバーすることから、一部分の
と戦争及び社会主義化、そして今日の改革開放
領域である政治領域を管理すること、すなわち
期を経て、激しい社会変容を経験してきた。こ
「有限的な管理」へ転換することにあると言わ
のため、社会の進化を固定的な枠組みにより
れている(展・呉2009:352)。
とらえることは極めて難しいと言わざるをえな
このような状況は、システム論者の大澤真幸
い。実際、社会システム理論を用いての中国社
の概念を借りれば、「第三者の審級」の撤退と
会分化に関する詳しい研究は十分に行われてお
いえよう(大澤,2008:133ff)。当時の中国社
らず、今後の課題として期待される。本稿にお
会における「第三者の審級」とは、いわゆる共
いては、次の契機から考察して、機能分化が中
産主義信仰であり、資本主義/共産主義の区
国現代社会において主導的な分化形態になって
別、または階級闘争の必要性などであった。こ
いる傾向を提示しておきたい。即ち、改革開放
れらの審級は、「政治為綱」という政治的セマ
以前の時期において、社会全体を制限したり、
ンティクで社会のあらゆる領域に浸透し、社会
コントロールしたりしてきた政治システムが撤
全体をコントロールしようとしてきたが、改革
退したという契機である。
開放が始まってから、その社会全体に対する効
中国社会において、脱イデオロギー化の結果
力を失うことになった。例えば、社会主義/資
として、政治システムがすでに社会の頂点の王
本主義という二値コード は、かつてあらゆる
座から降り、社会全体をカバーすることから撤
領域に有効であったが、今日においてただ政
退したことが見られる。この観察を支える理
治領域のセマンティクに過ぎないことが挙げら
論的視座は、政治学概念の国家協調主義と新
れる。1980年代において、テレサ・テンは、
権威主義の主張である(呉,2008;展・呉,
「資本主義側の歌」を理由として拒否されたか
2009)。これらの主張によると、現代中国社
もしれないが、今日拒否されるとしても、その
会はいわゆる「社会転型時期」(=社会形態転
理由はただ個人的な選好の結果にすぎないであ
換期間)にあるといわれている。このような時
ろう。
120
7
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
新権威主義論の主張によると、このような転
する中心的なシステムの撤退により、社会の複
換の契機は、市場経済により提供されると言わ
雑性に対応するため、各システムがそれぞれ一
れている(呉,2008)。市場経済の展開は、
部の機能を担うことになるからである。
社会システム理論の視点から見れば、経済シス
他方、機能分化という進化の方向性を促進す
テムが自らの成果メディアと二値コードを用い
るのは、グローバリゼーションである。「与国
て、コミュニケーションの連鎖を形成すること
際接軌=国際社会と繋がる」という改革開放当
が政治システムに意識される帰結であるといっ
時のスローガン及び2001年までWTOへの参加
てもよいであろう。「経済規律を尊重しよう」
のための努力が象徴的に示したように、経済シ
という当時のスローガンは、政治システムと経
ステムをはじめとする、現代中国社会における
済システムは、互いを環境として観察しあい、
さまざまなシステムはグローバリゼーションを
しかも互いに制御不能であることをも示した。
目指してきた。その際、コミュニケーションを
8
その上、のちに鄧小平の「白猫黒猫論」 は、
うまくおこなうために、同じシステムに属する
これらの審級の撤退を政治的に認定したといっ
コミュニケーションへの接続の重要性が意識さ
てもよいであろう。
れ始めた。すなわち、国際貿易のため、経済的
だが、このような撤退は、政治システムの失
コミュニケーションは支払う/支払わないとい
敗を意味するわけではない。というのも、撤退
うコードで、経済的コミュニケーションに接続
した政治システムは、機能分化社会において、
しなければならないし、留学のため、教育的コ
自らの機能すなわち集団拘束的な決定の実現を
ミュニケーションは、学歴をもつ/持たないと
担うことができるようになったからだ。新権威
いうコードで、教育的コミュニケーションに接
主義の研究が、改革前の「極権主義=権威主
続しなければならない。このように、かつて強
義」的中国社会から、今日の新権威主義社会へ
力なコードであった東側/西側または社会主義
の転換を積極的に評価する理由は、まさにこの
/資本主義などは、もはやコミュニケーション
点にあるのであろう。
的効力をもっておらず、国境をコミュニケー
政治システムの撤退とともに、階級や階級闘
争などの政治的セマンティク、そして個人を集
団的に拘束する諸制度もその効力を失うことに
9
ションの境界とすることはますます難しくなっ
てきた。
以上のような社会的な転換に鑑み、少なくと
なった 。個人はより大きな自由を獲得し、あ
も、現代中国社会において、機能分化が社会の
らゆる領域におけるコミュニケーションに参加
主導的な分化形態となってくる傾向が見られる
できることになった。それらの社会変化は、社
であろう。確かに、現代中国社会に階層分化と
会におけるコミュニケーションの複雑性の増大
いう側面を見て取ることも可能である。しか
をもたらしてきた。そこで、機能分化が社会分
し、それにしても、かつてヨーロッパの貴族社
化の主導的な類型になることの契機が生み出さ
会をモデルとする階層分化と明らかに違うもの
れたと考えられる。なぜなら、全体社会を統合
である。その階層分化社会においては、二値
中国マスメディア・システムにおける宣伝プログラム
121
コードの曖昧化やコミュニケーションが厳格に
身分や戸籍でコミュニケーションへの参加を
身分、血筋により制限されていたこという特徴
制限することは、ますます制限不能になってい
が見られる。しかし、戸籍制度の緩和、人口流
る。したがって、本稿は次節では、機能分化の
動の加速または教育機会の平等化などにより、
傾向に基づき、機能システムのプログラムとし
現代中国社会において、身分による制限、また
ての宣伝の構造と機能を検討する。
4.中国のマスメディア・システムの宣伝プログラム
上述したように、機能分化が主導的な分化形
に対して、「メディア規制」や「情報操作」な
態になっていることは、中国社会において、各
どの懐疑から由来すると思われる。言い換えれ
機能システムの形成の契機を提供すると考えら
ば、システムのオートポイエシスを維持する二
れる。二値コードの成立及び成果メディアの登
値コードが、他のシステム――例えば政治――
場は、ある機能システムの分出を意味するので
により侵害される恐れがあるではないか、とい
あれば、今日、貨幣を成果メディアとし、支払
う懐疑である。
う/支払わないというコードを用いる経済シス
それらの問題を解明するにあたり、本稿では
テムだけではなく、正義を成果メディアとし、
中国のマスメディア・システムにおいて、特有
合法/違法というコードを用いる法律システム
な構造が産み出されたと主張したい。それは、
などそれぞれの機能システムの形成が見られ
以上の諸プログラムと並ぶもう一つのプログラ
る。
ムである宣伝プログラムにほかならない。特有
しかし、マスメディア・システムを機能シス
だといわれるにもかかわらず、社会システム理
テムとして捉えるかどうかについて、疑問視さ
論の主張と矛盾するわけではないと思われる。
れるかもしれない。さらに言えば、理論的に述
なぜなら、このプログラムは、他のプログラム
べられたそれぞれのプログラムについて、娯楽
と同じような構造を持ち、作動することを観察
と広告プログラムと比べれば、ニュースプログ
できるからである。次項から、このプログラム
ラムに対する疑問は最も大きいであろう。そ
について詳細な考察を行う。
れは、社会主義国家である中国のマスメディア
4.1 宣伝プログラムの誕生
前述したように、本稿において、進歩と進
て、構造として固定化される過程について考
化は区別されなければならない。ルーマン
察を行うことである。以下は、この枠組みに従
(2009a)は、進化を差異-選択-固定化とし
い、宣伝プログラムの形成と構造を考察する。
て出発すべきだと考えていた。つまり、転換点
まず、宣伝プログラムの形成を取り上げよ
=差異の誕生を確認しながら、選択をつうじ
う。マスメディアにおける宣伝とは、マスメ
122
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
ディアをつうじて意見や観点を伝達することで
くなった。今日、宣伝という言葉は、党の作動
ある。改革開放以前の時代において、宣伝はい
として、企業のPR活動や商社の広告活動の代
わゆる「共産主義新聞観」の重要な一部と見ら
名詞として、またマスメディアの作動として、
れた。ソ連の共産主義宣伝モデル、特にレーニ
さまざまな領域において語られているのは、そ
ンの宣伝観から学んだこの宣伝観念は、共産党
の過程の帰結なのである。
の活動と密接に結びついていた。新聞を主とす
その際、上述の通時的な区別が行ったのみな
るマスメディアは、政治の直接かつ強力な制御
らず、共時的な区別をも行うことになった。そ
の下で、宣伝活動を党からもらった重大な使命
れはシステム内部におけるニュース/宣伝の区
として遂行していたと考えられていた。
別なのであり、また機能システム同士の間にマ
だが、このような宣伝観念は、1980年代以
スメディアにおける宣伝と政治における宣伝
降次第に疑問視され、挑戦された。特に、文化
(政治的キャンペーン・アピールなど)が区別
大革命時期における世論操作、虚偽報道、誇大
されるようになった。
報道(いわゆる「左傾的な宣伝」)に対する反
ここで、二つの関係性が見られる。システム
省の形で、マスメディアにおける宣伝がまず事
内部の差異化は、ある意味で形式の階層性が見
10
実に基づき、行うべきだと主張されていた 。
出される。というのも、ニュース/宣伝の区別
この時期において、すでにある種の通時的な差
は、ルーズなカップリングとタイトなカップリ
異が産出されたと考えられる。その差異とは、
ングの区別として考えられるからである。その
反省という通時的な区別形式により産出された
区別は、より高次な形式のメディアを提供して
情報優先/意見優先の差異なのである。
いることができるのである。
にもかかわらず、この差異は意見をマスメ
また、システム同士の間、即ち異なるシステ
ディアの内容から排除するわけではない。まさ
ムに属するそれぞれのプログラムは、場合に
にこの点において、中国マスメディア・システ
よって、構造的カップリングというサイバネ
ムの形成は、自由民主主義的社会におけるそれ
ティックな関係が見出される。この点について
の形成、即ち情報と意見の差異による意見の排
は、後で詳しく議論する。
除(形式上にしても)との相違を見て取ること
ができるであろう。
次項において、宣伝プログラムの構造分析に
進みたい。ここまでは差異の産出、即ち進化の
前述の新権威主義及び国家協調主義が主張す
契機を考察してきたが、それだけでは宣伝をプ
るように、政治システムは有限的な管理になっ
ログラムとして捉えることにいたっていない。
たが、国家制度は基本的に不変である。その結
なぜなら、宣伝が他のプログラムとの同じよう
果、かつて党の作動とメディアの作動とが同一
な構造を持つことが確認できなければ、機能シ
化された宣伝は、一方依然として党の重要な作
ステムのプログラムとして固定化されるとはい
動として存在しており、他方、構造的カップリ
えないからである。
ングとして、各システムに回収されざるをえな
中国マスメディア・システムにおける宣伝プログラム
123
4.2 宣伝プログラムの構造と作動
ここで宣伝というプログラムに見られるシス
別される。例えば、政府がある政策を発表すれ
テムのコード、コードを支援する成果メディア
ば、その政策の内容および説明やアピールは、
などについて考察をおこなう。
政府のネット・サイトなどで長期に掲載される
社会システム理論の主張によれば、マスメ
わけである。しかし、マスメディアは、この政
ディア・システムは、ある意味で、「特殊」な
策について、繰り返して同じ内容を報道するこ
システムであるといわれている。なぜなら、こ
とができない。重要な政策やイベントについ
のシステムが、自分の固有なコードに、再帰性
て、連続的に報道することがあるが、その際、
を与えるからである。ルーマンは、「マスメ
依然として常に情報の選択・淘汰・新情報の選
ディア・システムだけが、どのオペレーショ
択を行わなければならないのである。
ンがシステムに属し、どれがそうでないかを認
近年、前述の「第三者の審級の撤退」の結果
識できるように、この差異を自己に回帰してい
として、世論の二重化が注目されてきた。世論
く」と述べた(ルーマン:2005:41)。言い
の二重化とは、宣伝により生産される世論と一
換えれば、マスメディア・システムは、コード
般大衆の間に生じる世論とが対立したり、競合
で区別された両側を変換したり、再構成したり
したりすることである 。この事態は、受け手
できるといってよい。法律システムは、ふだん
の意見選択にあたり、多様性=複雑性が出現
合法の値を不法の値に変更することを容易に行
していることを示している。社会システム理論
わない。経済システムも、買えないもの(例え
によると、機能システムは、複雑性の縮減を行
ば、愛情)を買えるものにすることがない。し
わなければならないといわれている。したがっ
かし、社会システム理論によると、マスメディ
て、情報を選択する際、ニュースプログラムの
ア・システムの特殊性は、ごく短い時間に、情
基準としての「真実」と異なり、宣伝プログラ
報を非情報にすること、そして新しい情報を選
ムの情報選択の基準は「受け手が納得してくれ
択することを自己要請することにあるという。
るか」ということであると考えられる。そし
前述した通時的な差異が示したように、改革
て、宣伝プログラムにおいて、マスメディア・
開放以来の中国マスメディアの宣伝について
システムの成果メディアであるテーマ(世論)
もっとも深刻な変化は、意見より情報の選択を
の限定的な形式としての「意見を含むテーマ
優先とすることである。したがって、他のプロ
(世論)=宣伝的なテーマ」は、下位概念とし
グラムと同じように、宣伝プログラムも常に情
て、コミュニケーションを支援するのである。
報の選択、情報から非情報への淘汰、新しい情
要するに、宣伝は「受け手が納得してくれる
報の選択を絶えずに行わなければならないので
か」という判断基準を用いてマスメディア・シ
ある。まさにこの点において、マスメディア・
ステムの情報/非情報のコードを規定するとい
システムの宣伝プログラムは、他のシステムの
う基本的な機能を有するプログラムである。こ
構造(例えば政治システムにおける宣撫)と区
のように、宣伝プログラムにおいても、ニュー
124
11
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
スプログラムと同じように、選択した情報が、
ような相互区別により産み出される差異は、マ
繰り返すことができないのである。もちろん、
スメディア・システムのコミュニケーションを
宣伝プログラムにおいて、情報の更新速度が相
支援すると考えられる。ルーマンは、広告プ
対的に遅くなる場合やある程度の反復が見られ
ログラムがマスメディアの罪を、自らかぶっ
る。それは、広告プログラムと類似し、「反復
ていると述べた(ibid:70)。そのようにして、
に気づいた読み手にそのプロダクトの価値につ
受け手は広告で流される情報を非真実とする
いてインフォメーションを与える(ルーマン,
ため、ニュースで流される情報を真実とする
2005:35)」ためである。その際、二次情報す
ことになる。この観点から見れば、社会主義の
なわち情報についての情報が産み出され、した
中国社会において、宣伝プログラムは、広告プ
がって依然として情報/非情報というコードに
ログラムの罪を、分担しているのではないか。
よりコミュニケーションが維持されうるといえ
なぜなら「世論操作」、「政党の機関」などの
る。
懐疑や批判を受けた宣伝プログラムとの差異と
マスメディア・システムの諸プログラムは同
して、ニュースプログラムは救済されたように
じコードをもっているため、マスメディア・シ
なるからである。まさにこの点において、新聞
ステムの下位システムと見なすことができない
紙の『人民日報』と『南方週末』の差異、ある
が、二値コードの正しさについてのそれぞれの
いは同じの組織の内部におけるニュース番組の
規定により、諸プログラムが相互に区別される
『新聞聯播』と『焦点訪談』 の差異がいかに
ことができる。筆者はすでに宣伝プログラム
ニュースプログラムと宣伝プログラムの差異と
とニュースプログラムの区別に言及した。この
して利用されているかが明らかであろう。
12
4.3 宣伝プログラム:メディア規制の再考
しかし、メディア規制を代表とする懐疑や批
ながら考察する。
判は、果たして宣伝プログラムをつうじて、マ
まずは、マスメディア・システムの固有な
スメディア・システムのオートポイエシスを侵
コードを取り上げよう。マスメディア・システ
害することができるか。
ムは情報/非情報というコードで、常に情報の
筆者はここまで、すでに宣伝をマスメディア
選択・淘汰・新しい情報の選択を行う。確か
という機能システムのプログラムとして捉える
に、中国社会において、政治的な理由や経済的
可能性を示唆してきた。しかし、これはメディ
な理由により、情報の選択が規制されたことが
ア操作の問題、特に中国社会においてメディア
ある。だが、ある報道が禁じられたとしても、
規制などの現象が存在することを否認するわけ
あるいは禁じられる可能性があると予期されて
ではない。問題は、社会システム理論の視座か
も、情報/非情報というコードの値が損なわれ
ら、いかにしてこれらの現象を解明することが
るとは限らない。「異地報道」 という現象を
可能であるか。本節では、以上の議論を踏まえ
考えれば分かるように、報道する価値があると
中国マスメディア・システムにおける宣伝プログラム
13
125
判断されれば、ある地域において、あるいはあ
代わりに、ルーマンは、サーモスタットと室内
るメディアでの掲載が阻害されたとしても、シ
温度との関係性のように、構造的カップリング
ステム全体のコミュニケーションを制御するこ
にはサイバネティックの環があると論じていた
とは明らかに難しい。
(ibid:102)。即ち、経済システムは商品広
次に、機能システム同士の関係性を取り上げ
告でマスメディア・システムに依存するか、あ
よう。Moeller(2006)は、「メディア操作」
るいはマスメディア・システムは広告収入で経
という概念自体の問題性を指摘している。つ
済システムに依存するか、は観察者次第になる
まり、この概念は「もしメディア操作がなけ
わけである。
れば、マスメディアは唯一の真実を提供する
中国社会の場合、政治システムに言及する
ことができる」ということを当然視しており
際、ニュースと宣伝プログラムが作動できるた
(ibid:144)、したがってこの概念は明らかに
め、両プログラムがともに政治システムと構造
本研究が避けようとする進歩主義的なものであ
的にカップリングされているように観察され
る。これに対して、社会システム理論に従え
る。だが、ある程度の「分業」も見られる。政
ば、マスメディアは世界の写像を提供している
治は宣伝プログラムでの言及、いわゆる「正
ではなく、常に構築的に現実を構成するのであ
面宣伝=ポジティブ宣伝」により利益を得る反
る。
面、ニュースプログラムの批判的な言及、いわ
実際、メディア操作という懐疑は、機能シス
ゆる「世論による監督」により撹乱されること
テム同士の間の構造的カップリングの「効果」
が多い。いずれにしても、この相互依存性は、
と見て取ることができる。構造的にカップリン
諸機能システム自体のオートポイエシスを侵害
グされたシステムが、それぞれのオートポイエ
することができない。例えば、宣伝プログラム
シスを保つが、相互刺激と相互依存のメカニズ
にとって、情報の選択は依然として優先的であ
ムが観察される。
る。それに対して、構造的にカップリングされ
社会システム理論によれば、諸プログラムを
た政治システムは、近年スポークスマンという
つうじて、マスメディアがいろいろな機能シス
対応プログラムを形成してきた。このプログラ
テムと構造的カップリングを維持するという。
ムにとっては、いかにして政治的権力を強固に
即ち、ニュースプログラムをつうじて政治シス
するかということが優先されるのである。
テムと、広告プログラムをつうじて経済システ
以上の議論を踏まえ、このような構造的カッ
ムと、そして娯楽プログラムをつうじて芸術
プリング問題と関連し、宣伝プログラムの機能
システムとの構造的カップリングにより、それ
を取り上げよう。社会システム理論によると、
らの機能システムへさまざまな依存を再生産し
各プログラムは基本的機能即ちコードの値を決
ている。だが、この依存性は、ルーマンによれ
めることがあるのみならず、それぞれ複数の機
ば、「論理的な非対称性やヒエラルヒー」を意
能を持つといわれている。宣伝プログラムも複
味するわけではない(ルーマン,2005:102)。
数の機能を持つが、ここでマスメディア・シス
126
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
テムの情報選択・生産にとって最も特別な機能
たは「希少性」を提示するであろう。また、あ
を議論しよう。
るテレビ局の記者は、筆者のインタビュに対し
この機能とは、他のプログラムの「参考基
て、「時おり我々はまだある出来事について、
準」を提供することである。ニュースプログラ
政府宣伝部の指示が来るかもしれないと思う
ムは、特に商業メディアの場合見られるよう
ので、指示が来る前に、なるべく早く報道す
に、真実という判断基準以外、人気/不人気と
る」と述べた 。いずれにせよ、宣伝プログラ
いうコードにより、コンフリクトやスキャンダ
ムと政治システムとの構造的カップリングは、
ルなどの情報を好む。上述の「異地報道」は一
ニュースプログラムに観察され、あるいは予期
例である。一地域において禁じられた情報は、
されることをつうじて、情報の価値を提示する
当地域以外のマスメディアにその情報の価値ま
ことになる。
14
5.おわりに
本稿では、宣伝というマスメディア・シス
テムのプログラムがいかなる構造を持ち、マ
的な機能を有するプログラムであることがわ
かった。
スメディア・システムの固有なコードの値の
さらに、本稿では、宣伝をめぐる「メディ
割り振りを決めるかということを明らかに
ア操作」という懐疑を、機能分化社会におい
し、研究対象と理論を拡張し、応用可能性を
ては、主に機能システム同士の構造的カップ
検討した。具体的に言えば、宣伝プログラム
リング関係の効果として分析してきた。なお
の形成過程を機能システムの「内部での選好
このプログラムの形成は、現代中国社会にお
形成」(ルーマン、2009a:79)とし、地
いて、機能システムと構造的にカップリング
域の経路依存性を考慮しながら、当該の社
されている組織による間接的な調整の必要に
会システムの内部のコミュニケーションがい
応じると理解されることも可能であるが 、
かに可能となるかについて考察した。考察の
本稿では分析できなかった。機能システムと
結果、宣伝は「受け手が納得してくれるか」
組織に関する考察は、今後の課題にしたい。
15
という判断基準を用いて情報選択という基本
註
1
例えば、欧米の中国ジャーナリズム研究が用いる主流な解釈枠組みとしてのParty-Market Journalismが挙げられる。代表的な研
究として以下の研究があげられる。Chin-chuan Lee, Zhou He & Yu Huang(2007) Party-Market Corporatism, Clientelism and
Media in Shanghai The Harvard International Journal of Press/Politics 2007:12-21, B.H.Winfield & Z.Peng(2005) Market or
Party Controls? Chinese Media in Translation Gazette 2005 67:255。
2
中国大陸のメディア研究データ・ベースを検索すると、桜井芳生・李卓鈞(2010)「盧曼社会系統論中的媒介観簡介」『新聞与
伝播評論』2010年第00期と葛星(2012)「N・盧曼社会系統理論視野下的伝播、媒介概念和大衆媒体」『新聞大学』2012年第03
中国マスメディア・システムにおける宣伝プログラム
127
期しかない。
3
特に多くの中国国内のマスメディア研究から、このような進歩主義的立場が見取られる。
4
例えば、Zhao(1998),Lin Fen(2007),Roya Akhavan-Majid(2004)らの研究が挙げられる。
5
構造機能主義と機能構造主義について、アルミン・ナセヒ,ゲオルク・クニ-ル(1995)佐藤(2011)を参照。
6
Moeller(2006:34)の引用によると、ルーマンは、東ヨーロッパの諸共産主義国家の経済崩壊の原因が、経済的情報を政治的情
報へと接続できないことにあると指摘していたという。
7
例えば、『鄧小平文選』をみれば、当時資本主義/社会主義というコードで、市場経済主義的政策を非難することはいかにして
激しかったかが窺えると呉(2008)が述べた。
8
生産力の促進を第一に考える鄧小平の政策は「白猫であれ黒猫であれ、鼠を捕るのが良い猫である」という「白猫黒猫論」に表
現されているという。彼の実用主義的哲学を最も代表する議論であるといわれている。
9
その代表的な制度は、戸籍制度や文化大革命における「黒五類」などの等級が挙げられる。
10
王中(1982=2004)は改革開放以降、宣伝を反省したり、研究したりする第一人であるといわれている。また、当時の新華社社
長である穆青(1996)の発言をも参照。
11
世論の二重化について、次の論文および記事を参照。趙兵・李建春(2012)「求解両個輿論場的最大公約数」『新聞戦線』2012
年第11期:64-67;蔡文波(2006)「力促両個輿論場迭合」『岒南新聞探索』2006年第F01期:34-35;『南方人物週刊』のインタビュ
記事「祝華新:打撈沈没的声音」(2012.9)
12
『人民日報』は中国共産党中央委員会の機関紙で、党の主要な宣伝陣地と見られる。『南方週末』は調査報道などのハード・ニ
ュースで中国国内でもっとも影響力がある新聞の一つと見られる週刊紙である。『新聞聯播』と『焦点訪談』はともに中央テレ
ビ局チャンネル1(CCTV1)の看板番組であるが、宣伝中心とニュース・ストーリ中心で峻別される。
13
出来事の発生地で報道が禁じされるが、他の地域のマスメディアあるいは中央メディアにより報道されることを指す。また、事
例研究として、芮必峰(2010)「新聞生産与新聞生産関係的再生産」『新聞大学』2010年第1期を参照。
14
2012年6月8日に筆者により、上海のあるテレビ局に務める記者に対して、宣伝部の指令と記者の態度及び行動に関するインタビ
ュである。
15
Ge Xing(2012) For whom do you speak? Presented at Chinese Media Legislation and Regulation: Trends, Issues and
Questions (PCMLP, University of Oxford, 2012.6)を参照。
参考文献
井庭崇(編)(2011)『社会システム理論―不透明な社会を捉える知の技法』慶応義塾大学出版会株式会社
大黒岳彦(2006)『「メディア」の哲学 : ルーマン社会システム論の射程と限界』 東京:NTT出版
大澤真幸(2008)『不可能性の時代』岩波書店
王中(1982)「論宣伝」『王中文集』復旦大学出版社2004:243-254
落合仁司(1987)『保守主義の社会理論:ハイエク・ハート・オースティン』勁草書房
葛星(2012)「N・盧曼社会系統理論視野下的伝播、媒介概念和大衆媒体」『新聞大学』2012年第03期
呉稼祥(2008)「従新権威到憲政民主―探索中国特色的政治改革理論」『SOHO小報』2008第2期 あるいは、http://www.crcpp.
org/cpipphtml/wujiaxiang/2009-1/4/200901041407_2.html を参照。
長岡克行(2006)『ルーマン/社会の理論の革命』 勁草書房
アルミン・ナセヒ,ゲオルク・クニ-ル(1995)舘野受男/池田貞夫/野崎和義訳『ルーマン社会システム理論』新泉社
桜井芳生・李卓鈞(2010)「盧曼社会系統論中的媒介観簡介」『新聞与伝播評論』2010年第00期
佐藤俊樹(2011)『社会学の方法―その歴史と構造―』ミネルヴァ書房
邵培仁(2002)『20世紀中国新聞学与伝播学・宣伝学与輿論学巻』復旦大学出版社
展江・呉麟(2009)「社会転型与媒体駆動型公衆参与」『公衆参与:風険社会的制度建築』蔡定剣(編)法律出版社
穆青(1996)『新聞散論』新華出版社
N・ルーマン 土方透・大澤善信訳(1984)「コミュニケーションの非蓋然性」『自己言及性について』国文社(英語版を参考し
た:Niklas Luhmann The improbability of communication International Social Science Vo1.XXXIII No.1 1981
128
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
―林香里訳(2005)『マスメディアのリアリティ』木鐸社
―土方透(監訳)(2009a)『社会理論入門―ニクラス・ルーマン講義録「2」』新泉社
―馬場靖雄/赤堀三郎/菅原謙/高橋徹訳(2009b)『社会の社会2』法政大学出版局
G.タックマン(1991)鶴木真・桜内篤子訳『ニュース社会学』三嶺書房
芮必峰(2010)「新聞生産与新聞生産関係的再生産」『新聞大学』2010年第1期
Jakob Arnolbi(2001) Niklas Luhmann: An Introduction Theory Culture Society 18:1
Roya Akhavan-Majid(2004) Mass Media Reform in China Toward a New Analytical Framework Gazette: The International
Journal for Communication Studies, 2004 66:553
Alexander Gorke & Armin Scholl(2006) Niklas Luhmann’s Theory of Social Systems and Journalism Research Journalism
Studies, 7:4, 644-655
Hans. George Moeller(2006) Luhmann Explained: from Souls to Systems, Open Court Publishing Company
Fen Lin(2006) Dancing Beautifully, But with Hands Cuffed? A Historical Review of Journalism Formation during Media
Commercialization in China, Perspectives Vol.7, No.2:79-98
Yuezhi Zhao(1998) Media, Market, and Democracy in China: Between the arty Line and the Bottom Line, University of Illinois
Press
葛 星(ゴ シン)
1979 年 12 月生まれ
[出身大学又は最終学歴]中国復旦大学大学院新聞学院修士課程卒業
[専攻領域]社会情報学
[主たる著書・論文]
(3 本まで、タイトル・発行誌名あるいは発行機関名)
「N・盧曼社会系統理論視野下的伝播、媒介概念和大衆媒体」(2012)(「ルーマンのシステム理論におけるコミュ
ニケーション、メディアとマスメディア」)『新聞大学』(中国)2012 年第 03 期、pp12-25
[所属]東京大学大学院学際情報学府博士課程
中国マスメディア・システムにおける宣伝プログラム
129
The Propaganda Program of Mass Media
System in China:
an Observation of its Structure and Functions
Ge Xingi*
Abstract
This paper applies the social systems theory mainly suggested by Luhmann to analyze
Chinese mass media system, which has been a theoretically new way of thinking about the
subject. The structure-function tradition and the progressive tradition in the research field are
supposed to be avoided by introducing the social systems theory.
The paper suggests that features of functional differentiation can be found within
contemporary Chinese society with the social reform of politically de-ideological shift. Meanwhile,
whether it is possible to view mass media as a function system remains questionable because
of the constant media regulation on Chinese mass media. However, this paper follows the basic
descriptions of Luhmann’s observation of the mass media system, and examines if propaganda
can be viewed as a program of a function system. By comparing propaganda with other existing
programs such as news or advertising, it is found that propaganda can function as a program
of the system to decide the binary values of the code which maintains system autopoesis.
Thus structure, operations functions and structural couplings with other function systems by
the propaganda program are analyzed in detail. For further researches, other perspectives of
observing Chinese mass media as a function system are to be discussed.
Doctoral student, the Graduate School of Interdisciplinary Information Studies The University of Tokyo
Key Words:Social Systems Theory, Mass Media, Propaganda as a Program, Chinese Society.
130
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
米国パブリック・リレーションズ理論の修辞学(レトリック)
― J. GrunigのPR理論に関する批判的考察―
Rhetoric of American Public Relations Theory:
Critical Analysis of James Grunig’s Thoery
河 炅珍*
Kyungjin Ha
1.はじめに
本稿は,パブリック・リレーションズ(以
トの管理機能として捉える。たとえば,PR
下, PR)の理論一般を再歴史化することによっ
とは「組織と公衆の間に関係を築き,維持す
て,PRとは何かという問いの手がかりを探し
るコミュニケーションの管理機能」とされる
求めるものである。
(Grunig & Hunt, 1984)。あるいはPRは,
PRは,二十世紀のはじまりにおいてアメリ
「組織と公衆の間で意味共有の空間をみつけ
カで成立し,第二次世界大戦後,アメリカニズ
ていく模索活動」(Heath, 2000)と定義され
ムの拡大とともに世界的に普及してきた。そ
る。これらの研究は,PRを,公衆を管理し,
のようなPRの学的考察であるPR研究とPR理論
長期的スパンからリスクを処理することを通じ
もまたアメリカを中心に発達してきた。Boton
て組織の経済的目標を達成させる機能として解
& Hazleton(2006)によれば,PR理論が胎動
釈する。その上でPR研究は,PRの担い手であ
し,PR研究の土台が築かれた国がアメリカで
る組織を企業だけでなく,マネジメントの思考
あり,過去数十年間の研究がアメリカに集中し
と手法を取り入れた政府機関や社会団体にまで
てきた。さらに言うならば,アメリカへの集
拡大する。しかし,このような経営管理の思考
中は,同時に一つの理論への集中を伴ってき
は,歴史的な概念であるPRの理解を一面的に
た。その理論とは,James Grunigによる均衡
してしまわないだろうか。
理論/優秀理論(Excellence Theory)である
本稿は,経営管理に限定されてしまう狭い
(Boton & Hazleton,2006 ユ他訳,2010:
PR理論を再構成し,PRの歴史性を重視する立
8-21)。均衡理論/優秀理論によって,PR研
場から考察することで,PR研究が推進してき
究はパラダイムの転回を経験する。
た〈科学〉とは何であったかを問う。その上で
均衡理論/優秀理論は,PRをマネジメン
まず二章では,PRの理論研究がどのような歴
* 東京大学大学院学際情報学府博士課程
キーワード:パブリック・リレーションズ(PR),PR理論,PRモデル,マネジメント
131
史的文脈から現れたかを明らかにする。続い
かのように見える諸議論が均衡理論/優秀理論
て三章では,1980年代以降のパラダイム理論
と共有していた前提を確認する。最後に五章で
となる均衡理論/優秀理論を取り上げ,その特
は,その前提から見えてくるアメリカとPR研
徴を分析する。四章では,それに批判している
究という問題を再構成する。
2.科学的レトリックの登場―学として成立するPR研究
2.1 マスコミ研究と歴史研究の流れ
第二次世界大戦以降におけるPR研究には,
大きく二つの流れが存在する。
つけ,分析しようとした研究が挙げられる。
1950年代から80年代にかけて,PRの成立がそ
一つは,社会心理学やマス・コミュニケー
れぞれ異なる史観から捉えられた(Pearson,
ション研究(以下,マスコミ研究)の系列であ
1990)。たとえば,PRは,進歩主義的な歴史
る。当時のマスコミ研究において最大の関心事
観(progressive historian)からアメリカ民主
であったメディアの効果をめぐる議論に影響さ
主義を実現させる装置とみなされ,機能主義と
れながら,PRの実務家たちはパブリシティや
実用主義に基づいては経営・マネジメントの
キャンペーンの効果測定に主な関心を注いでき
一部と理解された。さらには,新左派的(new
た(Boton & Hazleton, 2006 ユ他訳,2010:
left)議論と新右派的(new right)視座から
28)。1970年代後半までPR研究はマスコミ研
市民社会と個人主義の信念,大衆社会における
究の下位分野であり,独立した研究領域とは言
消費者の権利などを抑圧する支配道具として批
えない状態だった。当時のPR研究が抱えてい
判された 。歴史研究によって多様な視座が与
た独自性という課題は理論研究に引継がれる。
えられたが,学としてPR研究が成立するため
このような道具主義的観点に基づいてPR
に必要な普遍的で一元的な理論は生まれなかっ
の実用性を重んじる研究に対して,もう一
1
た。
つの流れとしてPRをアメリカの歴史と結び
2.2 理論研究の浮上
マスコミ研究と歴史研究の流れから掲げられ
PRの理論研究は,マス・メディアの効果測
た課題に応えるものとして,1970年代後半か
定を副次的な問題とし,マネジメントの管理機
らPRの理論研究が発達した。理論研究は,マ
能へと関心を移動させた。それゆえ,組織論と
スコミ研究の下位分野という立場から提起され
経営管理をより重要な問題とした。理論研究の
た独自性の問題を受け,歴史研究が広げてきた
担い手たちは「(メディアが)全ての問題にお
PR概念の多様な解釈から普遍的な枠組みを構
ける解決策ではない」という見方を共有した。
築しようとした。
彼らが重視したのは,「各組織は異なる環境に
132
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
応じて異なる方法を用いながら公衆とコミュニ
いて発達させ,普遍化した。続いて1978年と
ケーションを行う。そしてそのプロセスは管理
79年にはBroomと SmithがPRを経営管理機能
される必要がある」とする視点である(Boton
として抽象化,理論化した。
& Hazleton, 2006 ユ他訳,2010)。
理論研究の構築は,PR研究におけるパラダ
理論研究は,進歩主義的な歴史観や機能主義
イムの転回であった。これによって実務家や研
的な視座に基づく歴史研究の主張を吸収し,
究者はPRを「経営とコミュニケーションの二
PR理論の開発における史的根拠として用い
つの学問分野」と捉える思考のフレームを得
2
た 。1952年,CutlipとCenterはアメリカにお
た(Grunig & Hunt, 1984:6)。すなわち,
けるPRの変遷を諸段階へまとめた。そこで二
PRの理論は,PRをマスコミ研究の下位分野か
人は,PRが歴史を通じて絶えず発展してきた
ら解き放し,「組織の意思決定において公衆
と主張した。さらに,その最高次のものとし
との相互作用を促進する戦略的な管理機能」
てPRが双方向コミュニケーションであり,経
(Boton & Hazleton, 2006 ユ他訳,2010:
営管理機能であるべきだと説明した(Cutlip,
30)へ再定義する使命を帯びていた。しか
Center & Broom,2000)。1976年,Grunig
し,そこでは様々な歴史的な文脈が忘れられて
は,Cutlipらが歴史的な概念として出した双方
いた。
向コミュニケーションの概念を組織理論に基づ
2.3 理論研究におけるGrunigの位置づけ
1982年1月,国際PR協会(IPRA)は,「PR
いる。その最も代表的な論者がJames Grunig
は専門性が強調される一つの社会科学分野とし
である。Grunigは1984年,Managing Public
て研究・教育される必要がある。そのために
Relationsのなかで「PRはある組織のために何
は実践的要綱と学問的理論が導出されるべき
をするのか。その効果はどのように測定し,
だが,実践と理論,両方を満足させるPR理論
評価できるか。こういった問題を解決するた
は未だない」と報告した。その背後には1981
めには,体系理論(system theory)に基づい
年,シラキュース大学のWilliam Ehlingが指摘
た,理論と実践を統合させる概念的枠組みが必
したように,「PRの実務家たちが,自分たち
要である」と説明した。この主張を,Botonと
が何を行い,なぜ行うのかという根本的な問
Hazleton(2006)は「PR研究における唯一の
いに応えられない」問題があった(Grunig &
パラダイム理論」の誕生と考えた。Grunigの
Hunt, 1984)。この問題を解決するためにPR
理論は1980年代以降のPR研究/理論研究に大
は社会科学の一分野として大学のなかに位置づ
きな影響を与えた。それはアメリカだけでなく
けられ,研究領域として促進された。
世界に波及し,最も多く引用・参照されるよう
1970年代後半からなるPR理論の増加は,ビ
ジネスから学問へと変容する動きに対応して
米国パブリック・リレーションズ理論の修辞学(レトリック)
になる(リ・クォン,2006)。
他方で,Grunigの理論構築における実証性
133
の欠如や資料公開の不透明性といった問題が指
たしかに,Grunigの理論をPR研究における
摘された。また,実践を本質とするPRにはた
「単一の支配的理論」と呼ぶことが妥当である
して科学的理論やモデルが存在しうるだろう
かという問題はある。しかし,Grunigの理論
かという批判も提起された(Pearson, 1990;
は多くの論争を呼び起こしながらも依然として
Heath,2000)。Grunigに対して絶えず異論が
PR研究のなかで非常に明確な立場を築いてき
提起されつづけたにもかかわらず,過去30年
た。このことを手がかりにすることによって,
間,そのパラダイムを代替する決定的な理論は
アメリカのPR研究,とりわけ理論研究に内在
登場しなかった。むしろGrunigはそれらの批
する問題を明らかにすることができるのではな
判までを含め,多くの中範囲理論と言説を統合
いか。次章以降では,1970年代以降,成立す
し,自己修正を重ね,より強力なパラダイム理
るPR理論とマスコミ研究および歴史研究のか
論へ進化した(Boton & Hazleton, 2006 ユ他
かわりをより明確にしていきたい。
訳,2010:11,21)。
3.改良されるレトリック―二つのPR理論/モデル
3.1 Grunig理論の出発点―状況理論とPR4モデル
Grunigの理論は二段階にわたって発展して
PRを四つの類型から提示した(〈表1〉「PR4
きた。初期には各組織が置かれる環境/状況の
モデル」)。状況理論は,マスコミ研究と歴史
違いによってPRのありかたが決まるという状
研究を援用しながら,組織論と経営管理の観点
況理論(Contingency Theory)を主張した。
によって体系化されていた 。
3
そして,それぞれの状況に応じて採用されうる
表1:PR4モデルの特徴(Grunig & Hunt, 1984:22)
PR4モデル
特徴
言論代行・パブリシ 公共情報
双方向不均衡
双方向均衡
ティ(Press Agentry (Public Information (Two-Way
(Two-Way
/Publicity model) model)
Asymmetric model) Symmetric model)
目的
コミュニケーショ
ン・方向性
宣伝(propaganda) 情報の拡散
科学的説得
相互理解
一方向(One Way) 一方向(One Way) 双方向(Two Way) 双方向(Two Way)
真実が必須ではない 情報の真実が基準
不均衡な効果発生
均衡的効果発生
コミュニケーショ
ン・モデル
Source→Rec.(情報
源から受信者へ)
Source→Rec.(情報
源から受信者へ)
S←F→R(受信者か Group←→Group(組
らfeedback測定)
織と組織間の交流)
きわめて少ない,観覧
者数の数え
P.T. Barnum
スポーツ業界,劇
場,製品のpromotion
15%
少ない,文章の難易
度や読者数を測定
Ivy Lee
政府/行政機関,非
営利機関,企業
50%
態度変化に関する調 相互理解に関する調
査・研究実施
査・研究実施
Edward Bernays
教育者,専門家
政府の規制下にある
競争的企業
企業(公社など)
20%
15%
研究調査有無
歴史的人物
実施組織
実施割合
134
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
6
まずマスコミ研究の文脈からみていきた
「双方向均衡モデル」 は,「(一方的に)公
い。コミュニケーションの方向性から各モデ
衆の態度と行為を変えようとする」のではな
ルを整理すると,一方向(one way)/双方向
く,「対話を通じて組織と公衆の相互理解を増
(two way),不均衡(asymmetry)/均衡
進させる」(Grunig & Hunt, 1984:41-43)。
(symmetry)という二つの軸によって四つの
この目標のために公共問題に深くかかわる組
類型が分類されていることが分かる。一方向性
織によって行われなければならない。均衡モ
/双方向性という属性は,メディアの効果をめ
デルでは,トップ・マネジメント(CEO)を
ぐるマスコミ研究の変遷においても重要な概念
対象にした基礎研究(formative research)
である(オ・ジョン,2005)。双方向コミュ
と相互理解の効果を対象とする定量評価調査
ニケーションとは,送信者と受信者の間に流れ
(evaluative research)の実施が求められる。
る情報やメッセージの移動模様を表すだけでな
それゆえ大学の研究者や正式な教育をうけた専
く,望ましいコミュニケーションとは何かとい
門家によって実行され,プロパガンダと差別化
う命題を含んでいた。
するPRモデルとして期待と信頼が寄せられて
次に,歴史研究とのかかわりを検討する。各
いた。
モデルは具体的な時代と代表的な人物(PRの
Grunigは,「双方向均衡モデル」が1960年
実務家)から説明される。1850年から1900年
から1970年代に現れたとする。しかし,それ
にかけて登場した「言論代行/パブリシティ・
が新しいゆえ普及しつつあるため ,代表的な
モデル」は興行師としても名高いP.T.Barnum
人物や事例がほとんど取上げられていない。ま
が,1900年代に現れた「公共情報モデル」は
た,「双方向均衡モデル」は,他のモデルを越
ジャーナリスト出身のIvy Leeが挙げられてい
える完全形として描かれる。そこでは,「説得
る。1920年代から流行する「双方向不均衡モ
や単なる情報提供とは異なる相互理解」,「一
デル」は第一次世界大戦中にCPI(Committee
方向に対して双方向」,「組織と公衆が不均衡
on Public Information)で活動したEdward
的な関係から対等な関係とコミュニケーション
Bernaysが主要人物として説明される。このよ
へ」,「科学的調査の無/希少に対して有」,
うな区分は,進歩主義的な歴史観とCutlipによ
「言葉と行為が一致しないPR技術者と差別化
4
る研究などから影響されたものであった 。
7
する倫理的で責任感ある研究者,専門家」など
「PR4モデル」は,マスコミ研究における双
の二項対立がレトリックとして用いられている
方向コミュニケーションの理論を横軸に,進歩
(Grunig & Hunt, 1984:27-43)。「双方向均衡
主義的な歴史観に基づくPRの歴史研究を縦軸
モデル」を頂点とするヒエラルキーは,双方向
5
にして構成されていた 。さらに言うならば,
コミュニケーション概念と進歩主義的な歴史観
Grunigのオリジナリティは,そこに均衡/不
を組織論と経営管理に組み込んだGrunig理論
均衡という概念を導入し,「双方向均衡モデ
の核心であった。
ル」を最高次の段階として示したことである。
米国パブリック・リレーションズ理論の修辞学(レトリック)
135
3.2 レトリックの実験―均衡理論と優秀性研究
状況理論は,「PR実務家の行動を理解し,
「優秀性」を議論してきた先行研究を中心に,
説明する方法として初めて科学的なモデル
経営学,組織社会学,認知心理学や政治学分
を導入」したと高く評価された(Boton &
野における文献研究を実施した。アメリカ,
Hazleton, 2006 ユ他訳,2010:62)。「PR4
カナダ,イギリスの321ヵ所の組織を対象に
モデル」は,多様なPR類型の共存を取り上
する定量調査(アンケート調査)とそのうち
げていた。しかしGrunigは,各モデルの優
の21ヶ所に絞った定性調査(インタビュー調
劣を説き,「双方向均衡モデル」を最も優れ
査)も行われた。その結果をふまえ,「(双方
たPRモデルと設定した。これを影響力のあ
向均衡モデルを導入した)優秀なPR部門が設
るものにした決定的なきっかけがIABC財団
けられている企業の経営者は,そうではない企
(Foundation of the International Association
業に比べて(組織に影響を与える)コミュニ
of Business Communicator)の調査依頼によ
ケーション機能を二倍以上も高く評価してい
8
る優秀性研究(Excellence Study) である。
る」と報告した(Boton & Hazleton, 2006 ユ
Managing Public Relationsの出版から翌
他訳,2010:34,36)。このような結論は「均
年の1985年,IABC財団はビジネス組織の効
衡モデルが規範的な理論モデル(normative
率性とPRの相関関係を明確にする目的から
theoretical model)であるだけでなく,企業
約四十万㌦を支援する研究プロジェクトを
のPR活動を説明できるモデル(descriptive
Grunigの研究チームに発注した。財団が望ん
positive model)でもある」ことを証明すると
でいたのは,なぜPRがビジネス組織にとって
された(Grunig, 2001)。
価値のある機能であるかを合理的に説明する
しかし,視点をずらすならば,IABC財団が
ことであった。同時に,最高の価値を得るた
依頼した研究課題とそれに基づいて探求される
めにはPRコミュニケーションがいかに組織さ
べき論点は,すでにGrunigの研究のなかに組
れ,管理される必要があるかを総合的に示す一
み込まれていたとも言える 。Grunigにとって
般理論の開発が求められた。PR効果の経済的
優秀性研究は,「双方向均衡モデル」の実効性
な価値とPR部門の組織と管理における優秀性
を検証する実験であった。さらに言うならば,
を究明する研究課題は,長い間,PRの価値を
優秀性研究の企画と実行,分析には,ビジネス
証明する統計的なモデルや科学的根拠を探し
組織におけるコミュニケーションの経済的効
求めていたPR業界のニーズとも一致していた
果と経営管理におけるPR価値を明らかにしよ
(Boton & Hazleton, 2006 ユ他訳,2010:30
うとしたIABC財団の意図 と,従来の議論を
−31,39)。
統合するパラダイム理論を求めていたPR業界
9
10
11
研究チームは,Peters & Waterman
の狙い が交差していた。均衡理論/優秀理論
(1982), Robbin & Hall(1990), Freeman
は,理論と実践が合体した〈疑似科学〉として
& Gilbert(1992)など,経営管理の分野から
構築されていた。
136
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
3.3 改良されるレトリック
優秀性研究によって行われた様々な調査は,
1992年まで多数の文献を通じてまとめられ
た。それに後続して「双方向均衡モデル」の改
良が行われた。
〈図1〉修正された均衡モデル(Grunig, 2001:26)
Grunigは,企業のPR実践において説得理論
Grunigは,相互勝利という概念を通じて
や不均衡モデルが有効であるという調査結果を
「組織は自己利益を守りながらも社会的責任を
踏まえ,均衡モデルを修正する。〈図1〉は,
果たせる。すなわちPRを通じて公衆の利益を
1995年に発表された「双方向均衡モデル」
保証するができる。それゆえ危険な存在と思わ
の改良モデル(New Model of Symmetry as
れてきた市民団体とも望ましい関係が築ける」
Two-Way Practice)である。改良均衡モデル
と主張した(Grunig, 2001)。しかし,Grunig
は,「組織の利益のみを擁護する立場はもちろ
が強調した組織と公衆の均衡的な関係とは,実
ん,公衆の利益を無理に組織に押し通すような
際には,組織の価値と必要に応じて設定された
姿勢も不均衡的である」と説明する。そこか
変数である。それは,経営学が注目していた企
ら交渉(negotiation)と協力(collaboration)
業の無形資産や関係的資源という概念に代替で
を通じて組織と公衆,両者の利益を増進させ
きるものであった。改良均衡モデルは,PRが
るPRが主張された。その核心が図の中央に
経営学の視界にさらに収斂していく様子を表し
ある「ウィン・ウィン・ゾーン」(Win-Win
ていた。
Zone)である。
4.レトリックの解剖図―PR研究の前提と〈科学〉
4.1 衝突するレトリック―Grunig理論をめぐる議論
Grunigの理論が絶えず改良されてきたの
大きく,(1)均衡理論の効果を問うたもの,
は,組織に公衆の要求を強要し,利益を諦めさ
(2)PRの担い手である組織の利益を指摘した
せる空想的な試みであると指摘した「誤解」を
もの,(3)均衡理論を含め,PR理論の正当性
解くためでもあった。均衡理論/優秀理論に対
を問うたもの,の三つに分けられる。以下で
する議論は20年間にわたって続けられたが,
はそれぞれを検討しながら ,1980年代以降の
米国パブリック・リレーションズ理論の修辞学(レトリック)
12
137
PR研究に共通していた前提と何かを確認した
い。
1994)。
(3)PR理論は組織と公衆の政治的,経
(1) 最初のグループではPRの効果をめぐ
済的な力の相違からも厳しく批判された。
る議論が中心となる。Grunigは,均衡モデル
Karlberg(1996)は「均衡という概念は,パ
を「双方向不均衡モデル」と差別化する上で,
ブリック・ディスコースに参加する全員に自己
説得理論全般における効果を否定的に捉えた。
主張ができるコミュニケーションの技術と資源
Miler & Van der Meiden(1993)は,説得理
があることを前提にする」と述べた。それゆえ
論と不均衡モデルの効果が軽視されていると反
均衡理論は,大企業や政府機関に従属するPR
駁した。また,均衡理論が強調してきた「組織
ビジネスを正当化するレトリックであると批判
と公衆の意見一致」が必ずしも葛藤の解消を意
した。他にも均衡理論は,「望ましくない行為
味しないと指摘し,「双方向均衡モデル」の効
を正当にみせかける空想的な試み」(Gandy,
果に疑問を提起したものもあった(Murphy &
1982; Kersten, 1994; L’etang, 1996)とさ
Dee , 1992)。
れ,「多元性や平等,調和などの概念を表面
(2) 均衡理論の効果に対する批判は,組
的に借用しているだけ」(Kunczik, 1994; L’
織/企業の利益を指摘する論争へ発展する。
etang, 1995; Pieczka, 1995)と批判された。
Susskind & Field(1996)は,「葛藤とは,エ
Moloney(1997)は,PR理論の開発が大学の
ゴにかかわる根本的な価値がぶつかることであ
なかでのPR研究の地位向上と深く結びついて
り,妥協することは信念を諦めることと同じ」
いると指摘した。
であると主張した。他にも,均衡理論と「双方
このような諸批判は,一見均衡理論と衝突し
向均衡モデル」の非現実性を批判したものが挙
ているように見える。しかし,それらの議論は
げられる。二つ目のグループは,企業の利益を
1980年代以降に成立するPR研究に共通してい
積極的に弁護する説得理論やマーケティングに
た前提を浮かび上がらせる。PR理論の正当性
対して,均衡理論は公衆の要求に組織を順応さ
を問うたものを除けば,多くの批判は均衡理論
せると捉えた。Cameron(1997, 1998, 1999)
の実効性に集中している。実効性とは,すなわ
は,デュポン社とグリーンピースの事例を取
ち均衡理論が企業の利益を犠牲にせず,説得理
り上げ,「双方向均衡モデル」は組織が自己
論と同じほどの効果を生み出せるかという問題
利益を放棄し,本質的に誤った判断を下すよう
である。この上で均衡理論はPRビジネスの本
にする危険性があると批判した。また,企業は
質と利害関係を軽視していると批判された。
「均衡理論よりも説得理論に基づいて公衆を統
だが,Grunigは,それらの批判が「誤解」で
制した方がもっと効率的だと考える」という指
あり,実は同じ目標を掲げていると説明した
摘もあった(Dozier & Lauzen, 1998; Kersten,
(Grunig, 2001)。
138
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
4.2 PR理論の〈科学〉―経営学に包摂されるマスコミ研究
14
均衡理論/優秀理論とそれに対抗するかのよ
以降,マーケティング研究 とPR研究は,統
うにみえる諸批判を含め,1980年代以降のPR
括された組織コミュニケーションの主導権を
研究は,PRが組織にとって経済的な効果をも
めぐって議論を繰り返す(Boton & Hazleton,
たらす機能であることを前提とした。このよう
2006 ユ他訳,2010:40,58−60)。学問的覇
な前提の上で理論研究は,PRが組織に提供す
権を握ることは,同時にそれぞれが組織/企業
る利益とは何か,その利益を増大させるために
に与える経済的な利益とそれを具体的な数値へ
求められる条件とはいかなるものかといった問
換算する問題につながった。「説明し,測定
題をPRの独立性と専門性から説いていく。
し,評価することが難しい」PRを合理的に示
Grunigは,PRを組織/企業の管理体系と下
13
位体系 の境界に位置する管理機能であると説
し,その効果を測定する方法が提案された。そ
の上でマスコミ研究が再参照された。
明する。そこからPRが有効に働くためには,
マスコミ研究の蓄積は,今度はPR研究に
その担い手である組織に完全に吸収されること
よってPRの効果を規定するための理論的根拠
なく,常に外側に開かれている必要があると主
として援用された。マスコミ研究を借用しなが
張する。すなわち,PRが「組織と公衆の間で
らGrunigは,PRを「SMCRE」や「AIDMA」
発生する葛藤を解消し」,優れた効果を生み出
など,コミュニケーション・プロセスを抽象化
すための最大の条件として独立性が重視された
した記号へ置き換えた。そして,マス・メディ
(Grunig & Hunt, 1984:8-11)。PRの専門性も
アの強・弱効果に関する研究動向から,PRの
また経営管理における利益から説明された。
効果を説得や洗脳ではなく,相互理解と対話と
Grunigは,各組織の性格(縦的構造/横的構
いったより基礎的なコミュニケーションから抽
造)と環境(動的環境/静的環境),全体シ
出した 。また,マスコミ研究は,PRの目標
ステムの特徴(相互作用体系/閉鎖体系)に合
を数値データから確認できるものまで切り詰
わせ,それぞれ異なる対応が求められると主張
め,それを検証する手法としても用いられた
する。それゆえ組織の本質と状況を的確に読み
(Grunig & Hunt, 1984: 125-135)。
15
16
取る専門的なアプローチが必要とされた。しか
PR研究の上位分野であったマスコミ研究
し,PRの独立性と専門性は,視点をずらして
は,今度は理論研究によってPR理論の有効性
PRビジネスの立場から考えれば,企業はなぜ
を裏付ける上で再参照される。このような動き
PRを行い,かつなぜそれを専門的な集団に委
は,広告研究,マーケティング研究において
任しなければならないのかという問いを裏付る
も共通するものである。それは,二十世紀半ば
ものとしても読み取れる。
までは広告やPR研究を包摂していたマスコミ
このようにPRを理論と実務が交差する地点
研究(マス・メディア研究)が,1980年代以
で〈科学〉として構築しようとするプロセス
降は逆にそれらの下位分野に組み込まれていく
は,もう一つの現象を伴ってきた。1990年代
/包摂されていく流れを表す。経営管理という
米国パブリック・リレーションズ理論の修辞学(レトリック)
139
観点にPRの実践はもちろん,学問的関心まで
ジメントの視界に陥没したかのように見えてい
が集中され,それとともにマスコミ研究もマネ
た。
5.レトリックの限界―脱歴史化、脱空間化
5.1 科学的レトリックと脱歴史化
本稿は, Grunigの状況理論と均衡理論を手
しかし,PRを科学の領域に位置づける上で担
がかりに1980年代以降,成立したPR研究を再
保された普遍性は,他方ではPRをアメリカと
考察した。Grunigに代表される理論研究は,
いう特殊な空間と時間/歴史から切り離す〈脱
組織に及ぼすPRの効果が科学的,合理的手続
歴史化〉のプロセスと連動していた。
きによって経済的な価値へ換算できるかのよう
再び〈表1〉をみてみると,四つのPRモデル
な印象を与えてきた。そのような試みは,PR
における行為者は「興行師」(P.T Barnum)
業界の利害関係を深め,独立したPR組織を設
から「ジャーナリスト」(Ivy Lee)へ,科
置し,財政危機にも十分な予算を確保し,専門
学的調査を取り入れた「技術者兼準研究者」
的人材を持続的に投入する環境を創出する役割
(Edward Bernays)から大学に属する「研究
も果してきた。理論研究は,広告やプロパガン
者,教育者」へ移行する。Grunigは,この流
ダと区別できる理論的枠組みを示し,あらゆる
れが一方向コミュニケーションから双方向コ
社会組織に対するPR需要の拡大を求め,PRを
ミュニケーションへ,非科学的分野から科学的
社会科学の一分野として大学教育のなかで推
分野へ,非倫理的手段から中立的機能へと発
進してきたが,それにはある問題が内在してい
展してきたPRの本質を明らかにすると主張す
た。
る。それゆえGrunigは,他のモデルの歴史的
PR理論の開発・改良において基底に流れて
起源を前景として,最高次の段階として「双方
いた思考とは,マネジメントである。そして
向均衡モデル」の優秀性を訴えた。この「三つ
PR理論が照準してきた科学化とは,経営管理
の不完全なモデル対一つの完全なモデル」とい
の科学化であった。その核心に当たる均衡理論
う優劣図は,二十世紀史のなかで変容してきた
は,進歩主義的な歴史観を発展させ,マスコミ
PRの本質を理解する上で様々な認識を鈍らせ
研究を再参照しながらPR概念を再構成した。
る。
5.2 支配するPR理論とアメリカ
脱歴史化は,〈脱空間化〉でもある。均衡
きる。1990年代以降,流行する国際PR研究
理論を中心に膨張してきたPR研究は,PRの
は,「世界で実施されるPRの実証的な調査」
成立条件であるアメリカを忘却していく。そ
から進み,各国におけるPR実践を「PR4モデ
の様子を国際PR研究からうかがうことがで
ル」から捉え,そこから「全地球的な規範理
140
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
論」を構築する道を模索しはじめた(Boton &
例を扱う上で重視したのは,それがアメリカの
Hazleton, 2006 ユ他訳,2010:77)。
企業,団体,組織であるという点ではない。む
超越的でグローバルな理論を目指す国際PR
しろ,他国の企業,団体,組織においても適用
研究の外側にある受け手は,アメリカという
可能な普遍的な理論を裏付けていることに意味
対象を明確に認識していた。各国のPR研究者
があった。
は,Grunigの理論をはじめ,アメリカのPR研
国際PR研究とその拡大は,アメリカ的学問
究を自国のPR変遷と実態を分析するフレーム
による世界的な支配としても読めるが,アメリ
として借用した(シン・オ,2002;井ノ上,
カという空間と時間までが包摂され,世界各国
2006)。それらの研究は,アメリカの先進的
の社会と文化圏が超国境的な知識のなかに組み
なPRに比べて,それぞれの国のPR実践は「双
込まれていくプロセスの一部としても解釈でき
方向均衡モデル」や経営管理に対する知識と理
る。PR研究は,その母体であるアメリカを忘
17
解が貧しいと指摘した 。PRが,ドイツや日
却することによってより上手く作動する。それ
本,韓国などの戦後社会において米軍の占領政
ゆえPR理論は,「自民族(アメリカ)中心主
策とともに普及した歴史を踏まえれば,アメリ
義的な理論でもない。だが,同時に世界各国の
カのPR理論を最高次のものとして評価する傾
文化に沿う多中心主義的な理論である必要もな
向は,学問的帝国主義/植民地主義の現れとし
かった」(Grunig,2001;Boton & Hazleton,
ても読める。
2006 ユ他訳,2010:77)。PR研究において
他方で,PR理論を提供してきたPR研究の根
もっとも重要なのは,世界各国の政治,経済,
源地とも言えるアメリカでは,脱歴史化と脱空
メディア環境,開発水準,市民団体の特徴など
間化が進んでいた。理論研究は,アメリカを
といった様々な条件を変数として処理すること
PR理論における一つのサンプルとして処理す
である。そこから全てを網羅する普遍的な理
る。アメリカは,キャンペーンの成否事例から
論と「汎用原則」(general principle)を生み
挙げられる企業名,文献から引用される大学や
出すことが国際PR研究の目指すところであっ
研究機関,市民団体や政府機関などの事例から
た。
語られてきた。しかし,PR理論がそれらの事
5.3 展望―新たなPR研究を目指して
脱歴史化,すなわち,PRにおけるアメリカ
ともに世界へ普及し,変容してきた。だが,従
という文脈の剥落は,PRの科学化/経営管理
来のPR研究が進んできた道は,そのような歴
の科学化と裏表にあり,PR研究の国際化はそ
史を明らかにし,PRの本質を問うものではな
のような側面を一層明らかにしてみせてくれ
かった。理論研究が主導してきたPR研究は,
る。PRは,二十世紀初頭にアメリカで現れ,
PRを世界に散乱する多国籍/越境する組織の
第二次世界大戦以降のアメリカニズムの拡大と
マネジメント機能として捉え,その実践までを
米国パブリック・リレーションズ理論の修辞学(レトリック)
141
合理的な管理下に置こうとした。
PR理論とそのレトリック的な特徴の再考察
PR理論の再考察を通じて指摘される従来の
は,マネジメントという思想とその狭い視界の
PR研究における限界を乗り越えていく上で
なかに世界がいかに組み込まれていったかとい
は,PRを歴史的な概念に還元させる作業が必
う問題を浮かび上がらせる。経営学とマスコミ
要であろう。特に,国際PR研究の現状を踏ま
研究が二十世紀のアメリカ社会と密接なかかわ
えれば,アメリカからPR理論だけでなく,PR
りから発展してきた歴史を踏まえれば ,PR
そのものも導入/受容された日本や韓国社会の
の再歴史化は,アメリカをモデルにする現代社
観点からもPRを再歴史化する研究が求められ
会の本質を問う上でも肝要な手がかりとなるだ
る。
ろう。
18
付記
本論文は、サントリー文化財団の「若手研究者による社会と文化に関する個人研究助成」(鳥井フェロー)による研究成果の一部
である。
註
1
PimlottとTedlowは,PRが企業の生産性と効率を向上させると説明した。PRを中立的なテクノロジーとして解釈する意見に
対して,OlaskyとSmytheはPRを自由市場と大衆消費社会を支配する企業と政府の権力であると主張した。PRを産業社会や大
企業の成長と距離を置きながら,アメリカ民主主義の装置として考えるHiebertの研究も挙げられる。(Pearson,1990)
2
例えば,Tedlow(1976)やPimlottが機能主義に基づいて主張した「マネジメントのツールとしてのPR」,Hiebertが進歩主義
的歴史観から論じた「民主主義を実現させるPR」は,理論研究によって発展された。
3
1950年代に組織理論と経営管理は,組織の本質と組織が保有するテクノロジー,そして組織を取り囲む環境によって管理原則の
作動が決定されると考えた。このような状況的観点はPR研究に導入され,理論の土台を成すようになった。(Grunig &Hunt,
1984)
4
PR4モデルは,Cutlipらによる通史的研究を参考にしている。Cutlipは,歴史のなかでPRの手法と内容/質,倫理意識などが
絶えず,発展してきたと考えた。(Cutlip, 1995;2000)このような進歩主義的な歴史観は,1920年代以降,PRを独立領域とし
て推進しようとしたEdward Bernaysの研究とも似ている。
5
そのような傾向は,各モデルの命名からも示される。一方向モデルは,一九世紀半ばから実践されたPR手法,すなわち,言論
代行,パブリシティ,パブリック・インフォーメーションから名付けられた。だが,双方向モデルは,対称/非対称という抽象
的な概念から命名された。
6
Two-Way Symmetric ModelとTwo-Way Asymmetric modelは,「双方向対称(・・)モデル」,「双方向非対称(・・・)モ
デル」と翻訳される場合もある。本稿が,これらのモデルが,組織と公衆の関係におけるバランスを強調している点から「対
称」ではなく「均衡」と訳す。
7
このような傾向は,各モデルの実施率からも示される。「双方向均衡モデル」の実施率は,言論代行/パブリシティ・モデルと
一緒に最下位の15%に留まっている。(〈表1〉)
8
優秀性研究は,Larissa Grunig, David Dozier, John White, William Ehling, Fred Repperで構成された研究チームによって行われ
た。調査対象となった321ヶ所 の組織とは,企業が148ヶ所,政府機関が71ヶ所,非営利団体が58ヶ所,その他の団体が44ヶ所で
あった。各組織のPR担当者,経営者(トップ・マネジメント)および一般社員を相手に,四つのPRモデルにおける効果と優
秀性を問うアンケート調査とインタビュー調査が実施された。(Grunig, 2001)
9
優秀性研究から各組織が「双方向不均衡モデル」や一方向モデルを用いていることが明らかになった。それは最初の仮説に問題
があったことを示すものであった。
142
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
10
IABC財団の研究依頼は,組織(企業)におけるPRの価値に焦点を当てていた。「PRが組織にとって価値のあることを証
明するためには,効果的なコミュニケーション・プログラムが組織に寄与する利点とは何かを明確に見せなければならない」
(Boton & Hezleton, 2006 ユ他訳,2010:41)
11
「過去,25年間,PRの実務家と研究者たちは,PRが組織にとって効果的であることを証明し,その価値の測定基準を開発する
12
三章の一節で取上げられる諸批判と文献については,Grunig(2001)の論文を参照のこと。
13
体系理論からすれば組織は,製造や技術部門を含む生産体系(production subsystem),人事や雇用にかかわる運営体系
ことに没頭してきた。」(Boton & Hezleton, 2006 ユ他訳,2010:40)
(maintenance subsystem),製品を市場に供給する処理体系(disposal subsystem),研究開発や企画機能を果たす適応体系
(adaptive subsystem)とこれらの下位体系を統合する管理体系(management subsystem)から構成される。
14
全てのプロモーションを合わせた「統合マーケティング・コミュニケーション」(Integrated Marketing Communication)は,
組織のコミュニケーションをPRの下で統合すべきであると主張したGrunigの優秀理論と基本的には同じ構想である。
15
Grunigは,「人々を何かについて考えさせること不可能であるが,何かについて考えることを促すコミュニケーションは可能で
ある」(オ・ジョン,2005)という議論を踏まえ,PRの効果と呼びうる基準を定義した。組織と公衆における相互理解の達成
は,コミュニケーションの「正確性」,「理解の程度」,「意見一致」などから測る必要があると主張された。
16
例えば優秀性調査は,統計学的分析から均衡モデルの優秀性を証明しようとした。また,PR活動の効果を数値データで表示
し,数学的思考によって測定・評価するPR研究の動向は,科学化=数量化に基づくマスコミ研究の動向とも重なる。(Grunig,
2001)
17
しかし,前述したように,先進PRの宗主国,アメリカでも「均衡モデル」の事例は希少で,実施率は低かった。「均衡モデ
ル」は最初から存在しないレトリック,「理想のPR」であっだ。
18
20世紀初頭における経営学の登場は,ジェネラル・エレクトリックやフォード,ジェネラル・モーターズなど,アメリカの大
企業の成長に伴うものであった。以後経営学は,組織の問題を総合的に考え,戦略を提案する専門知として構築されてきた。
(Drucker, 1954=1993)マスコミ研究は,社会心理学から影響を受け,世界大戦とプロパガンダによって本格化した。その後,
LasswellやSchrammなどによって,アメリカの大学を中心に発展してきた。(Hardt, 1992)
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河 炅珍(は・きょんじん)
1982 年4月生まれ
[出身大学または最終学歴]韓国 梨花女子大学卒業
[専攻領域]社会学、PR 研究
[主たる著書・論文]①「『公報』、ある PR(パブリック・リレーションズ)の類型――1960 年代、韓国における
政府コミュニケーションをめぐって」『マス・コミュニケーション研究』、79 号、133 − 151
②「パブリック・リレーションズの条件――二十世紀初頭のアメリカ社会を通じて」『思想』(近日出版予定/掲
載確定)
[所属]東京大学大学院 学際情報学府 博士課程(単位取得満期退学)
[所属学会]日本マス・コミュニケーション学会、日本社会学会、関東社会学会、日本広報学会
144
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
Rhetoric of American Public Relations Theory:
Critical Analysis of James Grunig’s Thoery
Kyungjin Ha*
Abstract
This paper analyzes the Public Relations theory of James Grunig from a critical perspective.
His is one of the PR theories formed in late 1970s to early 80s which emerged from the
IPRA (International Public Relations Association) with the objective of promoting PR as an
academic discipline. Within this context, Grunig’s work provided a conceptual framework for
professionals and researchers, forming a strong foundation for the field. Grunig’s theory is a
system that aims to explain What PR is through “scientific” models. Understanding his theory
as “Rhetoric”, this paper examines how PR theory is organized and influences concept and
practice of PR.
This paper examines the historical context which PR theories had been developed (section
2). As Ron Pearson (1999) has argued, by the 1980s several studies had already investigated the
birth and transformation of PR in varying contexts throughout American history. Historical
researches and also mass communication studies influenced the early PR studies. While Grunig
had initially derived his theory from contingency theory and Four Models of PR introduced in
Managing Public Relations (1984), into the 1990s he began drawing from excellence theory. This
shift reveals the refinement of “scientific rhetoric”: how each model was composed rhetorically
and what sort of logical frameworks was utilized (section 3). Through reviewing the arguments
for and against Grunig and shift toward excellence theory, the main issues in the PR practice
are revealed. Justifying the connection between corporation and the PR effect, PR studies and
theory invoked discourses of management (section 4).
PR had been argued to be founded in universal concepts. However an examination of the
historical background shows how its actual specificity was ignored or distorted in PR study.
It neglects to show the deep-seated relationship between PR and American society, as well as
the dissemination of PR after the WW2 alongside the presence of military forces (Section 5).
Graduate school of Interdisciplinary Information Studies, the University of Tokyo
Key Words:Public relations, PR theory, Excellence Theory,J. Grunig, management.
米国パブリック・リレーションズ理論の修辞学(レトリック)
145
Grunig’s theory and American PR studies were adopted widely, constructing an academic
hegemony to stimulate foreign researchers to further analyze the concept of PR. From a critical
review of international PR studies, this paper indicates problems immanent in PR study in the
contexts of Americanization.
146
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
電子政府政策の発現に関する国際比較―米英豪加日の比較
International Comparison about the Emergence of the E-government Policy:
Comparing the United States, the U.K., Australia, Canada and Japan
本田 正美*
Honda Masami
1.はじめに
電子政府政策の推進は世界的な潮流であり、
は同様の取り組みがなされるのではないかという
電子政府政策に関する研究の蓄積も進んでいる
仮説を提示し、その当否について国際比較を行
(Schnoll 2010)。Yildiz(2007)によれば、電子
うことで検証することが本研究の目的である。
政府(E-government)という言葉が政府による
以下、本研究の構成を示す。第二章では、先
文書等で最初に用いられたのは、1993年にアメリ
行研究を参照し、電子政府政策が発現した背景
カのクリントン政権期に「National Performance
を整理する。この背景に基づき、本研究におい
Review(NPR)」が発表した報告書においてで
てアメリカ以外に取り上げる国を示す。そして、
ある。このことから、クリントン政権において発
第三章では、第一節においてアメリカにおける電
現した電子政府政策が世界各国に伝播していっ
子政府政策の発現時となったクリントン政権期
たとも言える。
の取り組みについて概観する。続く第二節以降
本研究が着目するのは、電子政府構築の重要
は、イギリス、オーストラリア、カナダ、日本の
性が政府に認識され、一国の政策の中に発現し
電子政府政策の発現時の取り組みを中心として
た最初の段階において、どのような取り組みが
論じる。第四章では、それら各国の国際比較を行
なされたのかという点である。いまや世界各国で
い、最後に第五章で、本研究の意義と課題を論
様々な取り組みがなされているが、アメリカとい
じる。
う始原と目される存在がある以上、発現段階で
* 東京大学大学院学際情報学府博士課程
キーワード:電子政府、政策発現、国際比較、情報社会、電子化
147
2.電子政府政策の発現の背景
電子政府に関して概説したHomburg(2008)
も、e-businessの取り組みが参照にされ、政府
によれば、電子政府が議論されるようになった
と市民の遣り取りが電子化されることとなり、
1
背景として三つの点があげられる 。
行政手続の電子化が推進されたのである。
第一の点は、1990年代から、多くの政治家
第三の点は、市民の中で広まった官僚制や
や政策担当者が行政改革やNPM(New Public
政治家への不信から市民と行政の間に出来てし
Management)を実現させるための手段として
まった亀裂を埋めるためには、行政に対する信
電子化を捉えるようになったことである。電子
頼を再構築するための取り組みが求められ、そ
政府政策の推進によって、時間や場所という障
の手段としてICTの利活用が想定されたことで
壁を克服し、いつでもどこでも人々が求める情
ある。市民からの信頼を獲得するためには、市
報やサービスを提供しようとしたのである。行
民への情報の公開と市民からの意見の聴取を密
政に民間企業の考え方を取り入れて公共サー
に行うことが求められ、その手段として、例え
ビスの提供を顧客志向のものとし、市民が公共
ば政府のWebサイトを通じた広報広聴の充実が
サービスをより容易に利用できるようにすると
目指されたのである。
いうNPMの理念は、電子政府政策の推進によ
以上に示した電子政府政策が発現した背景の
り、政府内でサービスとプロセスを統合するこ
第一の点より、本研究では、NPMの取り組みの
とで継ぎ目のない公共サービスが提供されるこ
蓄積があると考えられる国を国際比較の対象と
2
とを通して実現されるのである 。
して取り上げることとする。具体的には、アメ
第二は、1990年代にインターネットの技術が
リカ、イギリス、オーストラリア、カナダ、日
普及し、民間企業のビジネスにおいて電子的な
本が対象となる 。そして、以上の背景の三つの
ネットワーク上で様々なサービス提供がなされ
点に関して、各国がどのような対応を取ったの
るなど、e-businessと呼ばれるような新たな動
かを次章で検証していく。なお、次章において
きが起こったことから、政府も民間企業に倣っ
は、以上の三つの背景について順に「背景①」
てICTを活用するべきであるとする考え方が台
「背景②」「背景③」という略号を用い、各国
頭したことである。電子政府の構築にあって
の取り組みと背景の対応関係を明示する。
3
3.電子政府政策の発現に関する事例研究
3.1 アメリカにおける電子政府政策の発現
電子政府政策の発現という意味で画期点と
4
。この政権において、ゴア副大統領が「NII
なったのは、本研究の冒頭でも言及したよう
(National Information Infrastructure)構想」
に、1993年に誕生したクリントン政権である
を掲げて、大統領府主導で社会の情報化政策を
148
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
5
進めた 。この構想の中心となったのが、全国規
①)。この「Access America」では、13項目の
模でコンピューターなどの情報ネットワークを
「Electronic Government」と題されたプロジェ
構築することであり、そのネットワークは「情
クトの推進が謳われ、それらのプロジェクトを
6
報スーパーハイウェイ」と呼ばれた 。
推進する上で必要となるツールとして5項目から
クリントン政権では、ゴア副大統領を中心と
成る「Support Mechanisms」が掲げられた。こ
するタスクフォースであるNPRが改革の中核を
の「Access America」は、NPRによる取り組み
7
担った 。NPRによる改革は、業績に基づく行
の一環として位置付けられ、改革を進める指針
政活動の統制の実現などNPMと総称される行政
とされた。
改革のあり方を見せるものであった。このNPR
政府における文書の電子化に続き、文書の公
によって提出された改革案として「From Red
開の電子化も実施され、1998年には、他の省庁
Tape to Results: Creating a Government that
に先駆けて、運輸省が省内の文書をオンライン
Works Better and Costs Less」があり、この改
上で公開した。運輸省のシステムでは、公開さ
革案を補足する報告書として「Re-engineering
れた文書に対して国民が電子的にコメントを寄
through Information Technology」が公開され
せることが可能とされ、ITを活用して広報広聴
た。この報告書の中で、行政改革を進めるため
を充実させようとする政府の姿勢が窺える(背
の手段としてITの導入と活用が強調され、ここ
景③)。同年には、行政手続の電子化の基盤とも
に電子政府政策の推進が発現されることとなっ
なるPKIの導入へ向けた動きも見られ、「FPKI
た(背景①)。
(Federal Public Key Infrastructure) Steering
後の1995年には、従来から存在していた文
Committee」が立ち上げられた(背景②)。
書削減法が改正され、ITの活用により、政府
続く2000年には、GSA (General Services
部門での書面利用の削減が目指された。続く
Administration)のCIOであったPiattの提案
1996年には、OMB(Office of Management and
により、連邦政府のポータルサイトである
Budget)が政府全体のITに関する予算や政策に
FirstGovが立ち上げられた 。このポータルサイ
責任を持つことが明確された。ここに至り、政
トが目指したのは、まず国民が必要とする政府
府においてCIO(Chief Information Officer)の
の情報を的確に探索出来るサイトを提供するこ
8
任命が求められた 。
9
とである。アメリカ国内の各政府機関が設置す
1996年に、クリントン政権が2期目に入る
るWebサイトは統一性を欠き、国民が必要とす
と、「Access America」と称される新たなプ
る情報に容易にアクセスすることが出来なかっ
ロジェクトが推進されることになった。この
た。そのような政府機関のWebサイトを一度
プロジェクトは、顧客志向の行政の実現を前
に全て改善することは困難であることから、検
面に打ち出し、市民に直接関わるサービスを
索技術を活用して、必要な情報が何処に存在す
提供する33の政府機関に対して、ITを活用し
るのかを探索し、その結果を示すポータルサイ
てサービスの改善を図ることを求めた(背景
トとしてFirstGovが構築されたのである(背景
電子政府政策の発現に関する国際比較 ‐ 米英豪加日の比較
149
③)。
以上に概観したように、アメリカ連邦政府に
この2000年には、電子署名に関する法律
おいては、政府の行政改革の方針を定める文書
である「Electronic Signatures in Global and
の中に電子政府政策の推進が謳われ、その政策
National Commerce Law: ‘e-Sign Law’」が
を担う部署を定めるということが行われた。そ
制定されている。この電子署名を活用すること
して、具体的な取り組みとして、国民に対する
で、オンライン上での行政手続の実装が目指さ
ポータルサイトを通じた情報提供や行政手続の
れた(背景②)。
電子化を行おうとしたことが確認された。
3.2 イギリスにおける電子政府政策の発現
12
NPMの始原となる行政改革を推進した国と
ける電子化が推進されることになった 。具体
して知られるイギリスにおける電子政府政策の
的な方針として、例えば、1999年に発表された
端緒となったのは、1996年のグリーンペーパー
「Modernising Government White Paper」で
10
「Government Direct」の発表とされる 。こ
は、2005年までに50%、2008年までに100%の行
のグリーンペーパーにおいて、政府が提供する
政手続の電子化を実現することが目標として掲
サービスの改善のための行政における電子化の
げられた(背景②)。
推進が謳われた(背景①)。このグリーンペー
電子政府政策を推進するための組織的な対応
パーが発表されるまでに、GDN(Government
として、イギリス政府は、1999年に、首相の直属
Data Network)という政府の各省庁を結ぶネッ
であるe-Envoyを任命し、その下にOeE(Office
トワークが構築されていたが、これには、内
of the e-Envoy)を編成した 。e-Envoyは、2005
国歳入庁(Inland Revenue)、関税消費税庁
年までに、全ての国民がインターネットにアクセ
(Customs and Excise)、社会保障庁(Social
ス可能となること、さらに、あらゆる公共サービ
Security)、内務省(Home Office)しか接続し
ス提供を電子化することなどの目標を掲げて活
ていなかった。そこで、より多くの政府機関を
動したが、思うような成果が上げられなかった。
ICTの活用によって結び付けることが目指され
その理由としては、e-Envoyが首相直属であるも
11
13
ることになったのである 。これは、政府が行
のの、各省庁へ強制的に施策の実行を迫る権限
政手続の電子化を目指し、政府の各機関が連携
を有さず、他に政府の活動の改善を任とするPIU
することによって、国民は個人のPCなどを用い
(Performance and Innovation Unit)や社会的
ることで政府によるサービスの提供を受けられ
排除への対策を任とするSEU(Social Exclusion
るようになることを意味する(背景②)。
Unit)なども電子政府政策の推進に関与したこと
1997年から始まったブレア政権下では、政
14
が挙げられる 。
治参加の促進、公共サービスの効率や効果の向
イギリスにおける電子政府の構築の方向性
上、情報という観点から社会より排除された者
を明確に示したのが、2000年に発表された二
の社会的経済的な救済を目標として、政府にお
つの文書である。その文書とは、e-Envoyに
150
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
よる「e-government: A strategic framework
も、金融債権に関する各種の法的手続を電子上
for public services in the Information Age」と
で可能とするMoney Claim Onlineが開設される
「e-gov: Electronic Government Services for
など、この2001年を境にして、イギリスでは、
15
the 21st Century」である 。この二つの文書は
公的な部門における電子化が推進されることに
内容が似ており、インターネットを活用した公
なった (背景②)。
19
共部門の運用の在り方への移行、公共サービス
2004年には、UK OnlineがDirectgovに置き換
の電子的な提供、インターネットへのユニバー
えられた。UK Onlineは、政府が保有する情報
サルなアクセスの実現、革新的な情報関連製品
や提供するサービスの入口となったが、入口自
やサービスの創造のための情報市場の構築など
体が多数あり、利用者は自身で最適な入口を探
を目標として謳っている(背景①・背景②)。
す必要があった。対して、Directgovは、それぞ
ここには、NPMの延長線上としての電子政府政
れの利用者が直接必要な情報やサービスに辿り
策の推進や行政手続の電子化の実現を図る政府
つけるような工夫を設計の段階から行っている
の姿勢が表れている。
(背景③)。このように、国民との接点をより
公共サービスの提供の電子化については、
イギリスでは、ESD(Electronic Service
16
充実したものに変える取り組みが断続的に行わ
れているのである。
Delivery)と総称されている 。イギリスで
同じく2004年には、OeEがE-Government
は、ESDによって、公共サービスの提供につい
Unit に置きかえられたが、2006年には、その規
て効率化が図られ、その結果、人員の削減が可
模も縮小された。ただし、E-Government Unit
能となり、コストカットが実現され、行政改
が主導して、中央省庁間での情報共有を図る
革が成し遂げられると考えられている(背景
KMS(Knowledge Management System)が
①)。さらに、ESDによって、例えば公共サー
構築されている 。また、2005年に出された
ビスが統一的に提供されるポータルサイトが構
「transformational Government」プログラムに
築されることで、市民にとって、公共サービス
より、ITを使用する機関についてはCIOを任命
へのアクセスが容易になると考えられた。その
し、CIO同士が集まるCIO会議を設置すること
結果、2001年には、UK Onlineというポータル
とされるなど、電子化を進めるための体制作り
17
サイトが構築された 。このサイトは、市民向
20
が進められた。
けに構築されたものであり、ライフイベントご
以上に見てきたように、イギリスにおける電子
とに情報が整理され、政府情報の提供が行われ
政府政策の発現時でも、政府の政策の方向性を
るとともに、行政機関が提供するサービスに
示す文書の中で電子政府政策の推進が謳われ、
18
関する手続を行うことが可能とされた (背景
推進のための組織体制を整えられている。そし
③)。また、同年に、政府のあらゆるサービス
て、具体的な取り組みとして、国民に対してUK
への登録を行う際に利用する認証基盤である
Onlineなどを介した情報提供や行政手続の電子
Government Gatewayも構築された。その他に
化を行おうとしていたことが確認された。
電子政府政策の発現に関する国際比較 ‐ 米英豪加日の比較
151
3.3 オーストラリアにおける電子政府政策の発現
Roehrich and Armstrong(2004)によれば、
対応策が書き込まれていたのである。
例えばドイツなどと同じく、オーストラリア
「Investing for Growth」では、電子署
では国内での分権が進んでおり、国全体を上
名の必要性が説かれていたため、1998年に
げた統一的な電子政府政策が必ずしも進めら
は、「Gatekeeper-a strategy for public key
21
れているわけではない 。それでも、オースト
technology use in the Government」と称する
ラリアでは、連邦政府が電子政府政策を推進
戦略が発表された。この戦略は、政府PKIに関
してきた。そして、その端緒は1997年とされ
する枠組みを示したものであり、NOIEが中心
ている。というのも、この年に当時のHaward
となって、連邦政府が利用するPKIの整備が進
政権が、従来から進められてきた行政改革を
められた。1999年には、連邦政府において、
加速させて国としての成長を促すための戦略
「Electronic Transactions Act」が制定され、
となる「Investing for Growth」を発表し、
電子的に行われる各種行政手続に法的効力が認
OGO(Office for Government On-line)とNOIE
められて、行政手続の電子化へ向けた取り組み
(National Office of the Information Economy)
が蓄積された(背景②)。
という機関を設置したからである(背景①)。
そして、2000年に発表された「Online
オーストラリアは隣国とニュージランドと並ん
Strategy」は、「Investing for Growth」などで
でNPMを推進してきた国として知られるが、こ
提示された目標を達成するための具体的な方策
の国においても、行政改革の取り組みの中で政
や基準が示され、電子政府構築において考慮す
府における電子化が位置付けられたのである。
べき認証の方法やセキュリティ、メタデータに
「Investing for Growth」に基づき、2000年に
関する指針が掲げられた。なお、この2000年か
は情報通信芸術省が「Online Strategy」を公開
らGST(goods and services tax)が導入された
し、NOIEが中心となって、電子政府政策が進
ことを契機として、電子署名の利用が進んだ。
22
められた 。
というのも、この頃までに、税務を所管する
「Investing for Growth」では、2001年までに
ATO(Australian Taxation Office)に対して、
連邦政府に関する公共サービスについて電子的
国民は所得申告を電子的に行うことが認められ
に提供可能なものは全てオンライン上で提供す
ていたが、GSTの導入により、各事業主体に
ること、政府の情報を提供する情報センターを
は、ABNs(Australian Business Numbers)と
設立すること、連邦政府への各種支払いを電子
呼称される一意の番号を付与され、さらに、各
的に行うことを可能にすること、オーストラリ
事業主体の事業内容を申告するBAS(Business
ア国内の各層の政府間を結ぶイントラネットを
Activity Statement)を提出することを求めら
構築することなどが目標として掲げられた(背
れ、それら一連の手続で電子署名が利用され
景②・背景③)。このように、「Investing for
たからである 。このBASをインターネット経
Growth」の中には、電子政府政策の背景とその
由で提出可能とするために、ECI(Electronic
152
23
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
Commerce Interface)という連邦政府と事業主
政府の保有する情報へリンクされている。そし
体を繋ぐ電子的なプラットフォームが整備され
て、2003年には、NOIEが連邦政府の省庁等が
た(背景②)。
開設するWebサイトに関して満たすべき最低基
2002年には、NOIEが連邦政府の電子政府政
準を発表した。国内での分権が進んでいるオー
策を進める上での戦略となる「Better Services,
ストラリアであるが、このNOIEが連邦政府内
Better Government: The Federal Government’
の機関として、電子政府政策に関して各層の政
s e-Government Strategy」を発表した。この戦
府間の調整が図られた。
略では、以下の六つの目標が掲げられた。その第
2004年には、NOIEが廃止された。しか
一は効率性を達成して投資に対するリターンを
し、その役割は新たに設置されたAGIMO
確保すること、第二は政府の提供するサービス
(Australian Government Information
や情報へのアクセスを容易にすること、第三は受
Management Office)に引き継がれた。そし
益者が求める公共サービスを提供すること、第
て、このAGIMOは、オーストラリア政府のCIO
四は関係する公共サービスは統合すること、第
によって統括され、電子政府政策推進の中核を
五は公共サービスの利用者から信用と信頼を得
成す組織として活動していくことになった。
ること、第六は行政への市民参加を拡大するこ
以上に見て来たように、オーストラリアにお
とであった。これらの点から、オーストラリアで
ける電子政府政策の発現時にも、政府の政策の
も進められてきたNPMの取り組みの理念が電子
方向性を示す文書の中で電子政府政策の推進が
政府政策に反映され、さらには、行政手続の電
謳われ、推進のための組織体制を整えられてい
子化の実現や市民との接点の整備も重視されて
る。そして、具体的な取り組みとして、国民に
いることが確認される(背景①〜背景③)。
対してWebサイトを介した情報提供や税務申告
同じ2002年には、政府の情報への窓口とな
24
るWebサイトが設置された (背景③)。この
などの行政手続の電子化を行おうとしているこ
とが確認された。
Webサイトは、各種政府機関のWebサイトや
3.4 カナダにおける電子政府政策の発現
カナダも積極的に電子政府政策を展開して
いる国の一つである。カナダ政府は、1980年
Canadians」という構想を打ち出し、この中で
政府の電子化にも言及した。
代後半から1990年代前半まで、情報ハイウェ
カナダ政府による本格的な電子政府政策と
イの構築及び政府による情報ハイウェイ活用
しては、「GOL (Government On-Line)」と
25
を政策目標のひとつとして掲げてきた 。そし
いう改革プログラムの実施があげられる。この
て、1994年には、内閣に附属する財務委員会の
GOLは、行政改革の手段として電子政府政策を
官房(Treasury Board Secretariat)に、政府
推進することを謳い、1999年から2006年まで施
CIOを置いた。続く1995年には、「Connecting
策が展開された(背景①)。カナダもアングロ
電子政府政策の発現に関する国際比較 ‐ 米英豪加日の比較
153
サクソン諸国のひとつとしてNPMを推進したこ
のオンライン化については、2001年に、市民向
とで知られるが、行政改革の一環として電子政
け・ビジネス向け・国際的な利用者向けの三つ
府政策の推進を捉えていたのである。
のゲートウェイとなるサイトの構築という形で
27
GOLの中で力を注がれたのが公共サービス
実現している 。各ゲートウェイサイトには、
のオンライン上での提供の実現であり、具体的
ライフイベント別などに分類された様々な分野
には市民向けのサービスをワンストップで提供
別のポータルサイトが付随しており、ひとつの
するためのポータルサイトの構築であった(背
ウインドウから複数のポータルにアクセス可能
景②)。さらに、GOLが実施に移された1999年
となっている(背景③)。このように、GOLに
には、GOLと合わせて、三つのサービスプログ
は、背景①から背景③までの各点に対応する取
26
ラムが作られた 。その第一は、サービスカナ
り組みが含まれている。
ダ(Service Canada)であり、これは、コール
2003年には、GOLの担当が公共事業・政府
センターの設置などによりリアルタイムのサー
サービス省(Public Works and Government
ビス提供を実現することを目指したプログラム
Services Canada:PWGSC)へと移管され、
である(背景③)。第二は、サービス改善構
この省の中にITサービス部門(Inf ormation
想(Service Improvement Initiative:SII)であ
Technology Service Branch:ITSB)が新設され
り、全政府機関のサービス提供の質を改善し、
た 。さらに、2005年には、サービスカナダを担
利用者の満足度を向上させることを目指したプ
当する省庁が新設され、市民向けのゲートウェイ
ログラムである(背景①)。第三が、GOLであ
の充実が図られた(背景③)。市民などに向けた
り、これはICTを活用したサービス提供を実現
ゲートウェイサイトとして、カナダでは、2003年
することを目標としたプログラムである(背景
には高齢者向けの情報提供などに特化したSenior
②)。これら三つのプログラムは、財務委員会
Info、2005年には企業向けに行政手続に関する情
の官房が管轄し、GOLについては政府CIOの管
報提供等に特化したBizPalがそれぞれ政府の主
轄とされた。なお、2002年には、SIIがGOLの担
導の下で構築されている 。
当部局の管轄下に入った。
28
29
以上に見て来たように、カナダにおける電子
GOLは、三つの段階に分かれており、第一
政府政策の発現時にも、政府の改革プログラム
の段階はオンラインでの政府の情報提供を可能
の中で電子政府政策の推進が謳われ、推進のた
とすること(背景③)、第二の段階はオンライ
めの組織体制を整えられている。そして、具体
ンでの行政手続の実現を可能とすること(背景
的な取り組みとして、国民に対してポータルサ
②)、第三の段階は複数の政府機関が共同して
イトを介した情報提供や各種の行政手続の電子
サービス提供を行うことを実現することである
化が図られていることが確認された。
(背景①)。このうち、第一の段階の情報提供
154
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
3.5 日本における電子政府政策の発現
日本では、2000年7月4日に行われた当時の森
ている業務をオンライン化し、情報ネットワー
内閣の内閣改造において、新たに中川秀直が官
クを通じて省庁横断的、国・地方一体的に情報
房長官に就任し、彼が新設されたIT担当大臣も
を瞬時に共有・活用する新たな行政を実現する
30
兼務することになった 。そして、7月7日に、
ものである」と謳われている。そして、新たな
「世界規模で生じている情報通信技術(IT)
行政を実現するために、業務改革なども必要で
による産業・社会構造の変革(いわゆる「IT
あることが確認されている。さらに、「電子政
革命」)に我が国として取り組み、IT革命の恩
府の実現」のために推進すべき方策としては、
恵を全ての国民が享受でき、かつ国際的に競争
「行政(国・地方公共団体)内部の電子化」
力ある「IT立国」の形成を目指した施策を総合
(背景①)・「官民接点のオンライン化」(背
31
的に推進するため」 に、内閣に情報通信技術
景②)・「行政情報のインターネット公開、
(IT)戦略本部が設置された。このIT戦略本
利用促進」(背景③)・「地方公共団体の取組
部は、総理大臣を本部長、官房長官兼IT担当大
み支援」・「規制・制度の改革」(背景①)・
臣と郵政大臣、通産大臣を副本部長とし、この
「調達方式の見直し」(背景①)の六つが挙げ
本部の下に有識者から成るIT戦略会議が設置さ
られた。この六つの方策の中に電子政府の背景
32
れ、同年11月にIT基本戦略が策定された 。
IT戦略会議は、ソニーの出井伸之会長が議長
としてあげられた三点に対する対応が網羅され
ている。
を務め、構成員としてソフトバンクの孫正義社
IT基本戦略の策定の直後、高度情報通信ネッ
長やオリックスの宮内義彦会長などが名を連ね
トワーク社会形成基本法(略称:IT基本法)が
ていた。そして、このIT戦略会議とIT戦略本部
成立した。このIT基本法では、第一条におい
が合同で会議を進めることで、日本政府におけ
て、「この法律は、情報通信技術の活用により
るIT政策が構想された。
世界的規模で生じている急激かつ大幅な社会経
「基本理念」と「重点政策分野」の二部から
済構造の変化に適確に対応することの緊要性に
成るIT基本戦略は、IT戦略会議が立案し、2000
かんがみ、高度情報通信ネットワーク社会の形
年11月のIT戦略会議とIT戦略本部の合同会議に
成に関し、基本理念及び施策の策定に係る基本
おいて提出された。「基本理念」は、IT革命の
方針を定め、国及び地方公共団体の責務を明ら
歴史的意義・各国のIT革命への取り組みと日本
かにし、並びに高度情報通信ネットワーク社会
の遅れ・基本戦略の三点から成り、電子政府政
推進戦略本部を設置するとともに、高度情報通
策の推進については、「重要政策分野」の三番
信ネットワーク社会の形成に関する重点計画の
目として「電子政府の実現」という項目があげ
作成について定めることにより、高度情報通信
られている。この「電子政府の実現」の項目で
ネットワーク社会の形成に関する施策を迅速か
は、「電子政府は、行政内部や行政と国民・事
つ重点的に推進することを目的とする」と謳っ
業者との間で書類ベース、対面ベースで行われ
ており、IT基本法がその後の日本の電子化に関
電子政府政策の発現に関する国際比較 ‐ 米英豪加日の比較
155
する取り組みの法的根拠となった。
そして、IT基本法は、高度情報通信ネット
ワークの一層の拡充等の一体的な推進(同法16
用した業務改革の推進が謳われ、行政手続の電
子化が推進されることになった(背景①・背景
②)。
条)、世界最高水準の高度情報通信ネットワー
2003年には、「e-Japan戦略Ⅱ」が策定され
クの形成(同法17条)、行政の情報化(同法20
た。この段階では、各種申請の電子化は必ずし
条)、公共分野における情報通信技術の活用
も進んでいなかったため、行政の電子化に関す
(同法21条)、高度情報通信ネットワークの安
る項目が主要な取り組みの一つとして提示さ
全性の確保等(同法22条)などを基本方針とし
れた。そして、ここで強調されるのが行政ポー
てあげた。
タルサイト等を介した情報提供やワンストッ
さらに、IT基本法第35条の2で、「(1)高度
プサービスの実現である(背景②・背景③)。
情報通信ネットワーク社会の形成のために政府
そして、「e-Japan戦略Ⅱ」を受けた「e-Japan
が迅速かつ重点的に実施すべき施策に関する基
重点計画-2003」では、電子政府の総合窓口
本的な方針」から七項目をあげ、それらについ
「e-Gov」や各府省のホームページの整備の必
て重点計画を作成することを定めた。その項目
要性が説かれ、以降、サイトの整備や行政手続
の中に「(5)行政の情報化及び公共分野におけ
の電子化へ向けた取り組みがなされた。さら
る情報通信技術の活用の推進に関し政府が迅速
に、2004年からは国税電子申告・納税システム
かつ重点的に講ずべき施策」があり、これが電
(e-TAX)の運用が開始された。
子政府政策の推進を規定した。
以上に見てきたように、日本においても電子
2001年には、「e-Japan戦略」が策定され、
政府政策の発現時には、電子政府政策の推進を
この中でも「重点政策分野」として「電子政府
担う組織体制が整えられ、政府としての戦略の
の実現」があげられており、ITを活用した行
中に電子政府政策が規定されている。そして、
政の業務改革の実現が目標とされた。続いて、
具体的な取り組みとしてポータルサイトを介し
「e-Japan戦略」を具体化した「e-Japan重点計
た情報提供や行政手続の電子化が目指されたて
画」がまとめられたが、ここでも、電子政府
いることが確認された。
の実現について、申請などの電子化やITを利
4.電子政府政策の発現の国際比較
前章において、電子政府の発現の背景と電子
備と政策実現のための戦略等の策定、そして、
政府政策の発現期の米英豪加日の五カ国におけ
具体的な取り組みとして行政手続の電子化や情
る取り組みを概観してきた。電子政府政策の発
報提供の実現が図られていることがあげられる
現期における五カ国の共通点として、政府内で
(表1)。
政策の実現を図るための主導的な組織体制の整
156
電子政府政策の発現における五カ国の共通点
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
として、政府の既存の省庁などに電子政府政策
策の推進を明確に位置付ける五カ国の姿勢は共
の推進を任せるわけではなく、電子政府政策を
通していると考えられる。なかでも、注目され
主導する組織体制が新たに整備されたことがあ
るのはカナダのGOLと日本のIT基本戦略であ
げられる。各国で統治制度に相違があり、例え
る。これらの戦略には、第二章で示した背景①
ば電子政府政策の推進を担当する部署などの位
から背景③までの各点に対応する取り組みが含
置付けなどは異なるが、電子政府政策を主導す
まれている。
る主体を政府内に改めて置き、電子政府政策に
電子政府政策に関する具体的な取り組みに関
関する戦略の策定や施策の実施に当たっている
する共通点として、政府が構築するWebサイト
のである。
を介した行政手続の電子化や情報提供がなされ
また、電子政府政策の推進のために、政府
ていたことがあげられる。これは、第二章で示
における改革の方向性を示した文書の中に電子
した背景②と背景③に対応している。本研究で
政府政策を規定したり、あるいは、戦略を策定
は、NPMと称される行政改革を進めたとされる
し、その中で電子政府政策の推進を謳ったりし
国を取り上げて比較を行っており、背景①につ
ている。この点について、各国の統治制度の相
いて五つの国に共通性が見出せることは予見さ
違により、電子政府政策の推進が謳われる媒体
れるが、背景②と背景③についても共通性が見
に白書・報告書・戦略などと相違は存在するも
出せるのである。
のの、政府が推進する改革案の中に電子政府政
表1:電子政府政策の発現時における政府の対応と具体的施策
アメリカ
イギリス
オーストラリア
カナダ
日本
政府の対応
具体的施策
OGO・NOIE
Treasury Board
of Canada
IT戦略本部
Secretariat/
CIO Branch
Re-engineering
through
Government
Information
Direct
Technology
Investing for
Growth
Connecting
Canadians
IT基本戦略
サイト構築
FirstGov
UK Online
australia.gov
canada.gc.ca
e-Gov
行政手続など
の電子化
Access
America
ESD
ECIの整備など
GOL
e-TAXなど
組織体制
OMBの下に整
備
発端となる戦
略等
OeE
(筆者作成 ※表は電子政府発現時の組織体制などを示しており、各国の現状ではない)
電子政府政策の発現に関する国際比較 ‐ 米英豪加日の比較
157
5. おわりに
本研究では、米英豪加日の五カ国の国際比較
られる。この作業によって、電子政府政策の発
を行うことで、電子政府政策の発現期とされる
現時の政府の振る舞いは世界共通なのか否かが
時期に実際に展開された取り組みの異同を確認
確認される。
した。少なくとも米英豪加日の電子政府政策の
その他の課題として、本研究は、電子政府
発現時には、同様の取り組みがなされているこ
政策の発現時に五つの国が行った取組みにのみ
とが確認された。ここで取り上げた五カ国は採
に着目しており、その結果として生じた成果は
用されている統治構造も異なり、中央政府の果
分析の対象としていない点があげられる。実際
たす役割にも相違がありながら、電子政府政策
に、本研究が取り上げた五つの国における成果
の発現時には同様の取り組みがなされるという
については、国連などが発表する電子政府の成
共通点が見出されることを確認した点で、本研
果に関するランキングでも差異がある。この電
究には研究上の意義があるものと考えられる。
子政府政策に関する取り組みと成果の関係に
本研究に残された課題として、本研究で取り
ついて明らかにすることが今後の研究課題であ
上げた以外の国における電子政府政策の発現時
る。
における取り組みについて確認することがあげ
註
1
以下の三点については、Homburg(2008:88-90)を参照した。
2
電子政府政策の推進とNPMの関係については、Lips(2007:40-41)も参照した。
3
NPMに関する研究については邦語文献として大住(1999・2003)や宮脇(2003)を参照し、本研究では、主にアグロサクソン諸国か
ら四カ国とNPMの影響が見られるとされる日本を取り上げることとした。電子政府政策については、2010年代に入って、韓国が注
目されているが、韓国はNPMの影響を受けているのか否か、上記の先行研究から明らかではないため、本研究では取り上げない。
4
アメリカの電子政府政策についてHagen(2004)を参照した。HagenはMargetts(1999)を参考にした上で、アメリカの電子政
5
JÆger(2005)によれば、政治家は全体構想を示すのをその役割とし、実現のための手段となる技術には深く立ち入らないものであ
府政策展開の画期点としてクリントン政権の誕生を挙げている。そこで、本論文では、Margetts(1999)も参照している。
る。
6
NII構想では、インターネットについて直接的言及されてはいない。この点については、高橋(2009:196-197)を参照した。な
お、アメリカにおける電子政府政策の開始について研究したものとして、Needham(2004)があり、これも参照した。
7
NPRの活動については田辺(2003:30-46)を参照した。
8
連邦政府における正式な政府CIOの任命はオバマ政権の成立まで待たなければならなかった。クリントン政権からオバマ政権に
至るアメリカ連邦政府での電子政府政策の推進の過程については、本田(2012)を参照した。2002年の電子政府法ではOMBの中
に「Office of Electronic Governmnet」を設置し、連邦政府における電子政府政策の推進の要とされた。
9
FirstGovについては、Binz-Scharf(2007)を参照した。
10
「Government Direct」について、Aichholzer and Tang(2004:308-309)及びMargetts(1999:45-48)を参照にした。また、イギ
リスにおける電子政府政策の開始については、Needham(2004)と本田(2011)も参照した。
11
政府内での情報共有の基盤として、中央政府の各機関を結ぶGSI(Government Secure Intranet)が1998年から正式に利用可能と
された。
158
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
12
ブレア政権以降のイギリス政府における電子政府政策については、Pleace(2007)およびAichholzer and Tang(2004)、Higgs
13
e-Envoy 局に関しては、Aichholzer and Tang(2004:314)を参照した。
14
PIUやSEUの存在によって、e-Envoyが十分に機能し得なかったという点については、Pratchett(2004)で指摘されるところで
15
この二つの政府文書については、Aichholzer and Tang(2004:313)を参照した。
16
イギリスでの公共サービス提供の電子化について、Pleace(2007:64-65)を参照した。
17
これらのサイトについては、Pratchett(2004:27-28)を参照した。
18
各政府間の情報共有が円滑に行われるために、UK Onlineに接続することになる組織は、e-GIF(e-Government Interoperability
(2004)、Pratchett(2004)を参照した。
ある。
Framework)という枠組みに準拠してWEBサイトの構築などにあたる必要があった。この点について、Pratchett(2004:28)を
参照した。
19
Money Claim Onlineの開設の経緯や概要については、Kallinikos(2009)が詳しい。
20
E-Government Unit主導のKMSの構築については、6(2007:343-344)を参照した。
21
Roehrich and Armstrong(2004)では、実際にオーストラリアの各州で展開された電子化の取り組みについて、特徴的なものが
紹介されている。
22
本節で論じるオーストラリアでの電子政府政策の推進については、Roehrich and Armstrong(2004)を参照した。
23
ABNsは、ATOが発行する電子署名証明書(DSC:Digital Signature Certificate)と関連付けられて、ABN-DSCとして使用される
ことになったのであるが、Roehrich and Armstrong(2004:199-200)によれば、税務分野以外でのABN-DSCの利用は進んでいな
い。
24
このWebサイトのURLは、<http://australia.gov.au/>である(最終アクセス2012年10月12日)。
25
GOLに至るまでのカナダ政府による電子政府政策の来歴に関しては、Brown(2007:38-42)を参照した。また、カナダの電子政府
26
三つのプログラム及びGOLの概要については、Brown(2007:42-45)を参照した。
27
カナダにおける政府による情報の公開と政府の電子化の関係については、Mitchinson and Ratner(2004)が詳しい。ポータルサ
28
2003年以降のカナダ政府の取り組みについては、Brown(2007:43-47)が詳しい。
29
Senior InfoとBizPal については、Kernaghan(2007:132-136)を参照した。それぞれ、各URLでアクセス可能である。Senior Info
30
日本の電子政府政策の発現期における取り組みについて、Yonemaru(2004)を参照した。
31
2000年7月7日閣議決定「情報通信技術(IT)戦略本部の設置について」より引用。
32
森政権におけるIT政策の展開については、高橋(2009:242-255)を参照した。
政策に関しては、Dunleavy et al.(2006:47-48)も参照した。
イトとしては、<http://www.canada.gc.ca/>がある。
< http://www.seniorsinfo.ca/>、BizPal < http://www.bizpal.ca/>(最終アクセス2012年10月12日)
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160
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
※本稿の一部は、第58回情報処理学会電子化知的財産・社会基盤研究会に
おいて「電子政府政策の発現と成熟度に関する国際比較」と題する研究
発表で公表している。発表の際に頂いたコメントが本稿を書き上げるに
あたって大変役に立った。ここに、コメントを下さった各位に感謝の意
を記しておきたい。
本田 正美(ほんだ まさみ)
1978 年生まれ
[出身大学又は最終学歴]東京大学大学院学際情報学府修士課程修了
[専攻領域]行政学、社会情報学
[主たる著書・論文]
『市民が主役の自治リノベーション』(共著)ぎょうせい、2007 年
「地方議会の広報活動に関する事例研究」『東京大学大学院情報学環紀要』80 号、2011 年
「衆議院議員総選挙における立候補手続の電子化」『東京大学大学院情報学環紀要』83 号、2012 年
[所属]東京大学大学院学際情報学府博士課程(投稿時)
[所属学会]社会情報学会、情報システム学会、国際 CIO 学会、経営情報学会、日本広報学会、社会・経済シス
テム学会、情報文化学会、日本評価学会、情報通信学会、情報コミュニケーション学会、日本計画行政学会、地
域活性学会、情報知識学会、自治体学会、記録管理学会、日本地方自治研究学会、情報処理学会、サービス学会
電子政府政策の発現に関する国際比較 ‐ 米英豪加日の比較
161
International Comparison about the
Emergence of the E-government Policy:
Comparing the United States, the U.K.,
Australia, Canada and Japan
Honda Masami*
Abstract
The aim of this article is to analyze the emergence of the e-government policy.
This article is organized into five sections including the introductions. The second section
discusses the background of emergence of the e-government policy. The third section analyzes
emergence of the e-government policy. This article pays attention to the United States, the U.K.,
Australia, Canada and Japan, and it clarifies actions of those five countries at the time of the
emergence of the e-government policy. Based on analysis, the fourth section compares those five
countries. Finally, the fifth section provides some concluding remarks and suggests future areas
for research.
Doctoral Course, Graduate School of Interdisciplinary Information Studies, The University of Tokyo
Key Words:E-government, Policy Emergence, International Comparison, Information Society, Digitization
162
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
映画言説におけるフォトグラムの機能
― D.W.グリフィス作品における「フォトグラム」の映像実践―
Analysis on“photogram”in D. W. Griffith Works
:Role of Photograms in filmic discourse
難波 阿丹*
Anni Namba
0.本稿の目的
本稿は、映画の「narrative discourse(物語
film)」として、特にD.W.グリフィス監督の
言説)(以下「narrative discourse」と略)」
映画作品『国民の創生』(“T h e B i r t h o f a
の進行における、静止画像、とくに「フォトグ
Nation”,1915)を題材に、映画における静止画
ラム」的イメージの機能について、考察を試み
像の機能について論じる。
3
るものである。映画とは、静止画像を連続的に
グリフィス監督作『国民の創生』 は、当時
投影することによって得られる運動のメカニズ
の大衆 小説であるトマス・ディクソン執筆の
ムである。映画カメラによる、このような断
『豹の斑』(“Leopard's Spot”, 1902)および
続的な運動の固定化によるイメージ生成のプロ
『クークラックスクラン革命とロマンス』("The
セスについては、ベルグソン、ジル・ドゥルー
Clansman", 1905)を原案とした、12巻からなる無
ズ、フリードリヒ・キトラーが、「シネマトグラ
声映画であり、物語映画の到達点とみなされて
フ」の分析を通じて明らかにしているが、その
いる。その映画的言説に一見ぎこちない印象を
直線的な進行を異化する静止画像群が映画の物
与える静止画像群としては、タブロー単位での
語言説に与える影響に関しては、これまでつぶ
映像表現が、従来の初期映画研究において指摘
さに論じられてきたとは言いがたい。
されてきた。これらの映像表現は、主にメロドラ
1
本稿では「フォトグラム(photogram)」 の
マ的効果への貢献が取りざたされている。しか
概念を新たに提示することにより、静止画
し、同作には、タブロー単位の映像表現のみには
像(写真)と動画(映画)の複合的な物語
還元されない写真的な映像表現が見受けられ、
(narrative)の駆動方法について考察する一
1910年代における古典的ハリウッド映画文法の
助とする。そのさい、初期映画と古典的ハリ
生成これらの静止画像群が果たした意義につい
2
ウッド映画 を架橋する「物語映画(narrative
て、さらに考察を進める必要がある。
* 東京大学大学院学際情報学府博士課程
キーワード:映画言説、映画物語、フォトグラム、写真イメージ、クロースアップ
163
以下、映画と写真の存在論的な問いから、
節)。そのうえで、『国民の創生』における静
フォトグラムの概念を提示し(第一節)、グ
止画像群を分類し(第三節)、イメージと往還
リフィス映画における静止的映像表現として、
する映画の複合的なナラティブについて議論す
タブローとフォトグラムを取りあげる(第二
る(第四節)。
1.映画と写真
本章では、映画と写真を区別する存在論的な問
観性を担保しながら、両者の相違は時間性の有
いを基軸に、映画の一コマのスチール画面である
無によると論じた。更に、ロラン・バルトは、
フォトグラムの地位について考察を試みる。クリ
『神話作用』(1957)、「写真のメッセージ」
スチャン・メッツは「映画——言語か言語活動か」
(1961)、「映像の修辞学」(1964)、および「第
において、映画の叙述性に言及するさいに、写真
三の意味」(1970)の断章において映像、および
との相違を次のように論じている。
写真に対する考察を展開したのち、『明るい部
屋』(1980)において、写真と映像とを分かつ特
写真が物語を語るのは、写真が映画を真似る
徴を次のように論じる。
場合だけである。(中略)写真は物語ることに
およそ適していないために、物語ろうとすれば
4
それは映画となってしまう 。
「写真」の場合は、ある何かが、小さな穴の
前でポーズをとり、そこに永久にとどまってい
る。(これが私の実感である)。しかし映画で
メッツは、映画において認められた叙述性
は、ある何かが、その同じ小さな穴の前を通り
が、一枚の写真においては認められないもの
過ぎて行ったのだ。ポーズは連続した一連の映
の、写真が複数並べられると、それらは何事か
像によって押し流され、否定される。「写真」
を物語ってしまうことを指摘している。写真の
とはまた別の現象学が始まり、したがってま
複数化とは、静止した現実の表現に時間性を読
た、「写真」から生まれたとはいえ、別の芸術
み込むことにほかならず、メッツにおいては、
が始まるのである 。
映像から言語活動に移行する現象を指している
のである。
6
バルトは、同書において写真映像の本質を
他のイメージと区別する議論を展開し、写真で
また、アンドレ・バザンは「写真映像の存在
は、被写体はポーズしたまま静止しているが、
論」において、映画と写真の類同性に着眼し
映画では一連の映像によってその固定化が絶え
「映画は、写真の客観性を時間の中で完成させ
ず否定されていることを説明した。
5
たもののように思われる」 と述べている。バザ
ンは、映画も写真も、メカニックに現実を写し
映画は、一見したところ「写真」にはない、
取り、絵画のように人間の主観を介在しない客
ある能力をそなえている。スクリーンは、枠で
164
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
はなく隠れ場である。作中人物はそこから出て
ることがない。いっぽうで、映画においてはフ
きて生き続ける。目に見える部分的な想像の裏
レームの外が問題となる。このように見て行く
に、ある<<見えない場>>がつねに存在してい
と、映画と写真とは、外界の事物を機械的に写
7
る。
し取る点で同じ機能を有しながら、叙述性ある
いは時間性において差異を有していると考えら
写真において作中人物は固定され、外に出
れる。
1.1 フォトグラムの地位
映画を写真と区別する指標として、叙述性
さらに言うならば、同用語は、映像と視聴者の
と時間性の刻印があることは、先の議論で指摘
関係性のうちに起動する概念として捉えられ、
された。一枚の写真は物語ることはないが、写
視聴者の意識の活動と連動して、映像に立ち現
真が連続的に重ね合わされると、動きの錯覚を
れる写真的なイメージを指す。例えば、ドゥルー
生ずる。映画と写真とを架橋する要素として、
ズは、映画における運動イメージを分類するさい
本節では新たに「フォトグラム」の概念を提示
に、同用語に特別な地位を与えている。
し、その映画における地位を明らかにすること
ドゥルーズは、フォトグラムを映画におけ
るイメージの生成要素と捉えていた。彼によれ
を目指したい。
フォトグラムとは、映画用語では、映画の
ば、映画の運動とは、運動の静止に伴い、それ
一コマの画面をなす、静止画像(スチール画
らの原理を駆動させるのがフォトグラムの要素
8
面)を意味する 。フォトグラムは「瞬間的写真
9
であるといえる。また、フォトグラムを独立し
(instantaneous photography)」 として、映画
た対象として取り出すのではなく、連続した
表現に折り込まれ、視聴者の視覚の抑制として
イメージのセリーと複合的に解釈する必要があ
機能する。それらは、有機体としての映画を構
り、ナラティブやイメージの連鎖によって重層
成する要素として働き、写真と映画を架橋する
的に編成される、映画記号の単位として考えら
イメージの成立要件に関わっている。ギャレッ
れる。
ト・スチュワートは、同概念を整理して、次のよ
うに述べる。
フォトグラムを用いた映画表現は、まさ
に映画のイメージの成立要件に関係するゆえ
に、さまざまな場面に出現する。例えば、ア
フォトグラムとは、装置における視覚の抑制
ヴァンギャルド映画における膠着化した画面
として活動に折り込まれた細胞状の集合体であ
や、フリーズ・フレームとして、あるいは、ス
る。そしてその後、視聴者の鏡のような無意識
ナップショットやスチール画像、映画の終結
の凝結と置き換えによってであるかのように視
(closure)の効果としても見いだすことが出
10
野に(視野へ)戻る 。
11
来る 。本稿では、同用語を、動画およびスク
リーンの動きにおいて生起する、より写真に近
映画言説におけるフォトグラムの機能
165
い静止画像表現として扱い、映画のナラティブ
て論じる。
の進行に連想と予測を与える、重要な契機とし
2.グリフィス映画における静止的映像表現
本章では、映像文法の父と称されるD.W.グリ
たタブロー単位での映画表現に注目し(二節第
フィス監督作品を中心に、フォトグラムの映画
一項)、メロフドラマ的効果を論じた上で(二
言説に対する機能について考察してみたい。そ
節二項)、それらに集約されない、より微細な
のさい、フォトグラムに類する映像実践を取り
「フォトグラム的」映画表現に着眼してみたい
あげるため、従来の映画研究の題材となってき
(二節三項)。
2.1. フォトグラムとタブロー
グリフィスの映画作品群において、静止的な
の重要性を提示するのである。
映像表現は、フォトグラムとしてではなく、主に
グリフィスの映画作品群を通時的に見ると、
タブロー(”tableau”)単位の表象として分析
1908-1909年には写真的イメージを導入するこ
12
の対象となってきた 。あるポーズ(休止)が、
とはまれであるが、1910年頃から徐々にそれら
そのシーンに登場する全てのキャラクターに拡張
が出現するという特徴がある。バイオグラフ時
され、一定の時間保たれると、タブローあるいは
代の1908-1909年に、グリフィスは202本のワン
絵画が構成される。このような静止的な映像表
リール映画を制作し、技法上の実験を行なって
現は、グリフィスのみならず、グリフィス以前の
いる 。これらの物語上の技法から発展して、
13
14
初期映画にも使用が認められている 。タブロー
1908年以降の映画館(motion picture theater)
単位での映像表現は、活人画の伝統を引き、人
の爆発的拡大から帰結する、活弁士などの外的
物の感情を縮約して示す役割を担っていた。更
要件によらず映画物語を管理する必要が生じ、
には、それらは展開された出来事を管理する機
物語上の重要度が高い場面で静止画像を導入
能をもち、タブロー上で役者のジェスチャーが膠
し、感情の指標を示す実験が試みられるように
着化することで、映画のナラティブの進行に干渉
なったと考えられる 。
15
が与えられ、出来事の意味における解決、場面
2.2. タブローのメロドラマ的効果
グリフィスの映画作品において、タブロー
れることで、物語映画を紡ぎあげていく。ドゥ
単位の映画表現は、人物の顔面のクロースアッ
ルーズは、グリフィス映画におけるクロース
プ、あるいは、演劇的な身体表現において出現
アップと人物の顔面に関する表現について、下
する。それらはロングショットと組み合わさ
記のように述べている。
166
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
グリフィスのクロースアップは有名であり、
ような身体の型が、悲嘆、絶望、あるいは勇気と
そこでは、すべてが、女性の顔の純粋で優しい
いった態度に相当するか学習し、それらの型を静
輪郭のために有機的に組織されている(特にア
態的なポーズとして提示することによって、感情
16
イリスの技法) 。
の慣習的な性質を強調するのである。
ポーズは、タブローとして造形されること
グリフィスの作品では、なるほど、それら
で、キャラクターの感情を視覚的に要約する。
様々な顔が直接に継起するということはない
ピーター・ブルックスは『メロドラマ的想像
が、しかしグリフィスにとって重要な二項構造
力』においてメロドラマと精神分析の類似性を
(私的—公的、個人—集団的)にしたがって、
議論するうえで、抑圧されたものの認識を具体
それらの顔のクロースアップがロングショット
化する方途として、グリフィスが演出するドラ
17
と交替してゆくのは確かである 。
マに提示されるヒステリー的身体について述べ
ている。
クロースアップによる人物の顔の提示は、
映画をメロドラマとして造形する場合、初期の
行き詰まりとは、ハリウッドの家庭メロド
フィクション映画製作の移行において、中心的
ラマに典型的なものだった。それはグリフィス
な役割を果たした。なぜなら、そのように差し
が感情的危機の瞬間を身体的に上映するさいに
挟まれた人物表現が、視聴者のキャラクター心
も、また一般的にメロドラマが表現主義的結末
理への接続を可能にするからである。 にむかって歪んだ身体を提示する場合にもいえ
例えば、メロドラマは、キャラクター同士
る。『嵐の孤児』にあって注目に値する例は、
のダイアログを大規模に使用しているが、初期
アンリエッタがギロチンへ向かう途中、護送車
/古典的映画の生成期においては、映画という
のなかで路上のルイーズに最後のお別れをする
視覚表現に独異な方法として、役者のパントマ
場面である————(中略)アンリエッタがル
イム形式としての顔面、あるいは身体の型が、
イーズを抱こうとして護送車から身体を乗り出
キャラクターを伝達する機能が採用された。
し、唇が重なり、お互い長い間抱き合っていた
とりわけ、キャラクターの感情を伝達するため
とき、その身体は護送車から傾き、ほとんどあ
に、伝統的な視覚記号の洗練されたシステム、
りえない姿勢をとっているように見える。彼女
すなわちタブロー単位の映像表現が採用された
は身体が硬直してほとんど生気がなく、ミイラ
18
のである 。
19
か人形のようだ 。
役者たちは、強力にコード化され、その記号
としての機能が観客にじゅうぶん了解される身
ブルックスは、グリフィスのメロドラマ『嵐
体の修辞法を使用した。人物の顔面および、身
の孤児』(”Orphans of the Storm”,1921)に
体的な動作、そしてアクションは、特定の感情の
登場するアンリエッタのヒステリー的身体に、
状態を伝えた。メロドラマを演じる役者は、どの
言語として分節化されない、高度に感情的な
映画言説におけるフォトグラムの機能
167
メッセージを読み取ろうとする。このとき、言
セージの純粋な映像であって、メッセージがき
語化しえない硬直した身体は、静止したイメー
わめて力強く全体にわたっているため、身体
ジとして提出される。
は通常の姿勢や身振りをやめてしまい、テクス
ト、すなわち表象の場以外の何物でもなくなっ
これは犠牲の純なるイメージ、情動に完全
20
てしまう 。
に捉えられた身体とその身体に向けられたメッ
2.3. フォトグラム的映画表現
前項に述べたブルックスの指摘は、主に演
劇的なパフォーマンスに依拠する、タブロー単
続することはなく、映像の一コマとして瞬時に
消費されてしまうイメージである。
位の映像表現を論じている。映画の画面をリビ
ここで、写真に関するバルトの考察を想起
ドー経済から読み解く議論には、例えば、ジャ
したい。バルトは写真への関心の基礎を、二つ
ン・フランソワ・リオタールは、映画の動きとは
の要素に分類した。道徳的、政治的な教養(文
抑圧の回帰、および同義反復と伝播に従うとす
化)という合理的な仲介物を仲立ちとした、平
る「Acinema」と題された論稿がある。同論稿
均的感情に属する要素を「ストゥディウム」、
でリオタールは、映画を含む表象芸術において
ストゥデイウムを破壊し、分断する感情に属す
不動性が強調されれば、「生きたタブロー(”
る要素を「プンクトゥム」としたのである 。
tableau vivant”)」が出現し、アジテーション
本稿で扱う写真的な映像表現は、タブロー的な
が顕在化すれば、叙情的要約が生ずると論じて
映像表現と、フォトグラム的な映像表現に分け
21
22
いる 。本稿では、リオタールが指摘した前者
られる。両者は機能別に、前者が「ストゥディ
の「生きたタブロー(”tableau vivant”)」
ウム」、後者が、「プンクトゥム」の機能を
をあえてフォトグラム的映像表現と呼称し、後
はらんでいると言うこともできるだろう。後者
者の叙情的要約をもたらす映像表現を、従来
は、慣習としてコード化されず、細部において
のタブロー的映像表現として区別したい。なぜ
観る者の知覚に訴えかける表現として、従来論
なら、グリフィス作品に散見される静止的映像
じられてきたタブロー単位での映像表現ととも
表現には、先に論じた、縮約された感情のメッ
にナラティブの進行を異化するものである。
セージを伝達するタブロー単位での画面のみな
以下の節では、『国民の創生』における静
らず、写真の機能に近似し、観客を不意に襲う
止画像をタブロー/フォトグラム的映像表現に
ことによって情動を喚起する、微細なイメージ
分類し、主に後者がきっかけ(cue)および兆候
が頻出するからである。これらの映像表現は、
(symptom)として機能することにより、物語映
タブロー単位での映像表現のように一定時間持
像をいかにして編み上げていくかを考察する。
168
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
3.『国民の創生』におけるタブロー単位/フォトグラム的映像表現の出現
本章では、映画のナラティブを駆動させるタ
画(narrative film)」の嚆矢として知られ、タブ
ブロー単 位 /フォトグラム的映 像 表 現につい
ロー単位/フォトグラム的映像表現が、同映画に
て、D.W.グリフィス監督作品の中でも『国民の
おいて集大成された映画のナラティブの生成文法
創生』を通じて明らかにしたい。同作は「物語映
に関与していると考えられる。
3.1. タブロー単位の映像表現
『国民の創生』においては、『嵐の孤児』
成において映し出される(図1)。これは演劇
と同様、俳優の不自然に凝固した身体が、タブ
的な書割りの画面であり、ストーンマンとエル
ロー単位の映像表現によって示されている。そ
シーは、片手を握り合ったまま凝結している。
れらのイメージは、第一に、物語におけるキャ
これは両者の家族としての強い絆を示すととも
ラクターの人物造形に機能する。例えば、法廷
に、映画物語の冒頭部に、『国民の創生』の北
でのシークエンスに呼応して、白人一族である
部側の代表的な人物として両者を刻印する機能
ストーンマン家の館での、エルシーとストーン
を果たしている。
23
マンの団欒の情景 がタブローとしての画面編
図1
図2
他にも、タブロー単位の静止画像が出現する
示す、集合写真のようなイメージが、タブロー
場面は、戦場のシークエンスにおいてである。
単位の映像表現として、戦場の光景を中断する
俯瞰的なショットにおいて南軍と北軍の衝突が
かのように出現する(図2) 。キャメロン夫人
描かれる場面では、同作が発展した平行編集
の傍らに寄り添う少女たちの身体的な型は、彼
(parallel editing)の技法において、戦場の場
女たちの無垢と無力さを示している。これは、
面と対比するように、青年たちを戦場へと送り
ロングショットで挿入される男性的な戦場の情
出したキャメロン一家の悲嘆にくれるようすを
景に、女性、老人、子供という弱い立場の人間
映画言説におけるフォトグラムの機能
24
169
を二項対立的に提示する装いが強い。
いったシークエンスに、感情的に関係する立場
また、南北戦争の戦場で活躍したキャメロン
の人間を二項対立的に提示する点、また特に図2
大佐が海中に忍ばせるエルシーの写真が、人物
と図4に顕著であるが、「悲哀」の感情を縮約し
の顔面をクロースアップで捉えたタブロー的イ
て示すなど、先に述べたメロドラマ効果を有す
メージとして導入されている(図3)。そのう
る点である。
え、KKKによる審判のシークエンスでは、黒
これらタブロー単位の映像表現はいずれも、
人の軍曹ガスによって崖から落とされた娘の姿
映画の物語を駆動する上で、戦場の悲哀、黒人
が、死の床についた画像として挿入される(図
を政権に迎えることのへの非難の暗喩として
4)。娘の周囲を、キャメロン夫妻、姉が取り囲
コード化された役割を担っているが、「ストゥ
んでいる。
ディウム」としての道徳的表現に留まってお
これらのタブロー的に構成された画面には、
り、情動的導線としての機能は薄い。紹介した
いくつかの共通点がある。第一に、俳優の身体
四画像はいずれも、人物の立場や関係性を絵画
が凝固したまま、一定の時間持続する点、第二
的画面に凝縮して示すことによって、物語の進
に、黒人の裁判、戦場の情景、ガスの審判と
行を促す説明的な画面である。
図3
図4
3.2. フォトグラム的映像表現
いっぽう『国民の創生』においては、フォト
焦点化したい。
グラム的映像表現も出現する。本項では、同作
例えば、映画の冒頭部、法廷を背景に、黒人
に表れるフォトグラム的映像表現の、指標的、
に市民権を与えた南部人権論者の決議風景の傍
あるいは、情動的導線としての機能に着目す
証として、黒人の子供を撮影した短い静止画像
る。そのうえで、それらのイメージがきっかけ
が挿入される(図5)。イメージは手配写真に近
(cue)および兆候(symptom)として働き、
似し、後に挿入されるエルシーとストーンマン
複合的な映画言説を編み上げていくプロセスを
のタブロー単位の映像表現に比べると異様であ
170
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
る。画面に叙情性はなく、黒人の子供の身体が
いるのは、人物関係のエンブレムでも、中産階
25
級の道徳でもなく、来訪者(映画の観客)を判
また、同 作に挿 入されるフォトグラム的な
定する身体の一部分、目であり、不躾な視線で
ショットには、例えば、戦場の場面で砲台をア
ある。視線の持ち主はフレーム外に隠されてお
イリスで演出した画面がある(図6)。同ショッ
り、明らかにされない。この事態は、図5におい
トは、二回とも同じアングルの画像として挿入さ
て判定の材料に曝されていた黒人の子供や、白
れ、煙の有無によって敵の砲撃を知らせる経過
人に一方的な判決をくだされるガス(図8)の立
が示される。このような映像表現は、指標的に時
場とは対照的である。見られる立場から見る立
間の経過を示し、映画のナラティブをなす本体
場へと変貌した、黒人の地位の向上は、この剥
部分の、戦場のシークエンスを駆動するきっかけ
き出しの視線を提示した図7のフォトグラム的
(cue)として機能するのである。
映像表現において顕在化し、黒人軍曹ガスのフ
剥き出しに曝されている 。
また、議会場に立てこもる黒人たちの、扉
ローラへの視線、また混血黒人サイラス・リンチ
から覗く目のクロースアップは、持続時間の短
のエルシーへの視線と重複しながら、複合的な
いショットでありながら、観る者に不意打ちの
ナラティブを作り出していく。
衝撃を与える(図7)。ここにおいて示されて
図5
図6
図7
図8
映画言説におけるフォトグラムの機能
171
以上に述べたフォトグラム的映像表現は、
画の進行にふいに挿入される静止画像が、タブ
人物の関係性を寓意的に示すエンブレム的機能
ロー単位での映像表現以上に、観客の情動を喚
も、登場人物の感情を縮約する機能も担ってお
起するのに重要な役割を果たしていたと考えら
らず、「物」としての身体や、視線を剥き出し
れるのである。
に示す指標として働いている。このように、映
3.3. フォトグラムと情動
以上に述べたように、『国民の創生』にお
し、「潜在的接続」においては前個体的な特異
ける画面の静止した映像表現は、タブロー単位
性に保存される 。感情イメージは、単体では
での映像表現と、フォトグラム的映像表現に分
時空座標における固定点をもたない。つまり、
類された。後者においては、前者に伝達される
人称化されることなく断片的に体験されるが、
メッセージ性がなく、写真に近似する指標とし
「現実的連結」として現働化されることによっ
て機能し、「悲哀」や「恐れ」といった平均的
て、観客に「感情」として知覚され、経験され
感情に集約されない情動を喚起することを論じ
るのである。これら映画の時空間へ投げ出され
た。本項では、この情動に対して具体性を与え
たフォトグラム的なイメージ群は、観客の意識
るために、ドゥルーズの議論を援用する。
/無意識的な活動によって物語の有機的な連鎖
情動とは、ドゥルーズの論じる感情イメージ
26
の「潜在的接続」において論じられる 。ドゥ
28
へと送り返され、彼/彼女に触覚的な経験を与
29
えたと考えられる 。
ルーズは、感情イメージをめぐる議論におい
ある一定期間持続するタブロー単位の表現
て、「情動(affect,affection)」の「現実的連
ではなく、間歇的に挿入されるフォトグラム的
27
結」と「潜在的接続」を論じているが 、フォ
な映像表現によって「情動」に働きかける行為
トグラムとして断片化されたイメージは、視
が、グリフィスが『国民の創生』において試み
聴者に「感情(emotion)」として認知される
た映画表現上の実験であった。フォトグラム的
ことなく、意識による活動を経ずに感覚される
なイメージにおいては、感情はコード化され
「情動」の次元で、生理的、神経的作用を喚起
ず、画面の物質性自体が提示され、観客の視覚
する。
経験においては、情動の「潜在的接続」のまま
「情動」とは、「現実的連結」を伴って起動
留まっているのである。
2.結論
『国民の創生』では、物語映画の審級で解釈
な映像表現が、観客の「前個体的情動」(ドゥ
されるタブロー単位での映画叙述の仕掛けのみ
ルーズ)を喚起するうえで重要な役割を果たし
ならず、フォトグラムとして挿入される指標的
ている。不意打ちや衝撃によって映画のナラ
172
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
ティブを異化するフォトグラムのイメージと
ことは指摘するにしくはない。
は、映画が物語を構築する叙述の機能のみには
フォトグラムのイメージを契機とした映画に
包括されない多義的な要素として、映画的言説
おける物語の変調、あるいは中断と捉えられる
にその付置を模索している。従来の研究では、
場面は、スタン・ブラッケージ等の実験映画にと
活人画の伝統を継承し、主に人物のクロース
どまらず、デジタルフィルムにおける画像挿入
アップとして挿入されることにより、キャラク
にも用いられており、昨今の映画的言説にも刻
ター化(characterization)の役割も担ってい
印されている事実は、指摘しておく必要がある
たタブロー単位の映画表現のみが、物語を駆動
だろう。『国民の創生』にとどまらず、叙述あ
30
する大きな要件と考えられていた 。しかし、
るいは言表に回収されない一回的な出来事の提
フォトグラム的な映像表現があらわにする、象
示として、映画的言説に刻印されているフォト
徴的意味に還元されない指標性こそが、映画的
グラムのイメージを、今後の考察の対象として
言説を駆動する情動的導線として機能している
いきたい。
註
1
「フォトグラム」とは、モホリ・ナギによれば下記のように定義される。「この方法が光造形(Lichtgestaltung)の可能性へと
導き、その際、光は絵画における色、音楽における音のように、新しい造形手段として絶対的に取り扱われることになる。私は
この種の光造形をフォトグラム(Fotogramm)と呼ぶ。」Laszlo Moholy-Nagy, Malerei Fotografie Film, Albert Langen Verlag,
München, 1927 (1925).(=モホリ・ナギ『絵画・写真・映画』利光功訳、中央公論美術出版、1993年。)
2
古典的ハリウッド映画の定義としては、Classical Hollywood cinema, Classical narrative, Classic narrative cinemaの三種類の項目
が挙げられる。 Steve Blandford, Barry Keith Grant, Jill Hiller, ed., The Film Studies Dictionary, London: Arnold Publishers, 2001.
3
『国民の創生』は、古典的ハリウッド映画と映画言語の確立に寄与する重要な映画史上の位置を与えられており、映画史上の重
要度が高いにもかかわらず、KKKの英雄視などの人種差別的描写による負の遺産として、今日では初期映画研究者以外には、顧
みられることの少ない映画となっている。同作には、ハリウッドの映画文化産業による観客の時間の搾取に伴い、当時の観客に
絶賛と非難の相反する、情動的対応を巻き起し、知的能力を脱臼し、麻痺状態に据え置く仕掛けが縦横にこらされていると考え
られる。
4
Metz, Christian., Film Language: A Semiotics of the Cinema, trans. Taylor, Michael., New York: Oxford University Press, 1974.(=
クリスチャン・メッツ『映画における意味作用に関する試論: 映画記号学の基本問題』浅沼圭司監訳, 水声社, 2005年, 84-85頁.)
5
バザンは映画の特徴に関して以下のように語っている。「様々な事物の像は同時にそれらの持続性の像となり、いわば変化のミ
イラ、ミイラ化された変化となる。」Bazin André., Qu'est-ce que le cinéma?, Éditions du Cerf, 1958-1962.(=アンドレ・バザン
『映画とは何かII 映像言語の問題』小海永二訳, 美術出版社, 1970年, 23頁.)
6
Roland Barthes, La Chambre Claire: Note sur la photographie, Édition de l’ Étoile, Gallimard, Le Seuil, 1980.(=ロラン・バルト
『明るい部屋———写真についての覚書』花輪光訳, みすず書房, 1985年. 96頁.)
7
Ibid、pp.69.
8
Oxford English Dictionaryには、「フォトグラム」の定義として以下の三項目がある。
(1) Photograph(写真)、(2) A photograph, picture, diagram, or other facsimile transmitted by wireless or ordinary telegraphy(ワ
イヤレスあるいは通常の電信によって伝達される写真、絵画、ダイアグラム、あるいは他のファクシミリ)、(3) A photographic
picture made without camera(カメラなしに製作される写真的絵画)。
9
Tom Gunning, “’Now You See It, Now You Don’t’: The Temporality of the Cinema of Attractions” Richard Abel, ed.,
Silent Film, New Brunswick: Rutgers University Press, 1996, pp.71-84.
映画言説におけるフォトグラムの機能
173
10
Garrett Stewart, Between Film and Screen: Modernism’s Photo Synthesis, Chicago, IL : University of Chicago Press, 1999, pp.5.
11
ギャレット・スチューワートは、フォトグラムが物語映画から生起する例として、フォトパンを用いた『ブレードランナー』
(”Blade Runner”, 1982)と古典的ハリウッド映画の代表作である『素晴らしき哉、人生!』(”It’s Wonderful Life”,
1946)を比較している。また、フリーズフレームは、フリッツ・ラングの映画『激怒』(”Fury”, 1936.)に特徴化すると論じ
ている。Ibid, pp.9.
12
Gunning, Tom., D.W. Griffith and the Origines of American Narrative Film: The Early Years at Biograph, Urbana and Chicago,
University of Illinois Press, 1991, pp.106,115.
13
Elsaesser, Thomas.ed, Early Cinema, Space, Frame Narrative, British Film Institute, 1990.
14
1908-1909年のグリフィス映画の技法上の転換に関しては、下記の論稿に詳しい記述がある。Friedberg, Anne., “A Properly
Adjusted Window: Vision and Sanity in D. W. Grifitth’s 1908-1909 Biograph Films”, Elsaesser, Thomas.ed, Early Cinema,
Space, Frame Narrative, British Film Institute, 1990.
15
Gunning,Tom. Weaving a Narrative―Style and Economic Background in Griffith’s Biograph film, Elsaesser, Thomas, (1990)
Early Cinema, Space, Frame Narrative, British Film Institute.
16
ドゥルーズ、158頁。
17
同書、163頁。
18
グリフィス映画群のドラマ構成に関しては、下記の文献が詳細な報告を行っている。Joyce E. Jesinowski, Thinking in Pictures:
Dramatic Structure in D.W. Griffith’s Films, University of California Press, 1987.
19
Peter Brooks, The Melodramatic imagination: Balzac, Henry James, Melodrama and the Mode of Excess, New Haven: Yale
University Press, 1976, pp. xi.(=ブルックス『メロドラマ的想像力』四方田犬彦・木村彗子訳、産業図書、2002年。)
20
Ibid, pp.xi.
21
Lyotard, Jean François., “Acinema”, Rosen, Philip.ed, Narrative, Apparatus, Ideology: A Film Theory Reader, Columbia
University Press, 1986.
22
Barthes, pp.37-39.
23
インサートタイトル「In 1890 a great parliamentary leader, whom we shall call Austin Stoneman, was rising to power in
National House of representatives. We find him with his young daughter Elsie,in her apartment in Washington.」(「1890年 台
頭著しい下院のリーダー オースティン・ストーマンワシントンのアパートで娘エルシーと共にいる」)の挿入後、人物紹介的
なシークエンス(00:02:57~00:03:27)において、ストーンマンとエルシーが手を握り合い、腰掛けている絵画的静止画像が挿入さ
れる。
24
女性や子供たちと戦場を対比する場面(00:37:17~00:38:00)において、「While the women and the children weep, a great
conqueror marches to the sea.(「女性や子供たちが泣いているいっぽう、偉大な征服者は海へと進撃する」)のインサートタイ
トルが挿入される。
25
この画像は、キャメロン家の前で、馬車に積み上げられる使用人の黒人の子供の映像とも接続する。
26
ドゥルーズは『裁かるるジャンヌ』(“La Passion de Jeanne d'Arc”, 1928) における、断片化されたジャンヌの顔のクローズア
ップショットを例に挙げて感情イメージを議論する.
27
ドゥルーズ、前傾書、148頁。
28
「情動は非人称的なものであり、個体化された事物状態から区別されるものである」Ibid, pp.140-175.
29
触覚的な経験に関しては、映画のショック効果をダダイズムとの関連において論じた以下の議論を参照。Walter Benjamin, Das
Kunstwerk im Zeitalter seiner technischen Reproduzierbarkeit, Frankfurt am Main: Suhrkamp. 1963.(=ベンヤミン「複製技術
時代の芸術作品」高木久雄・高原宏平訳『ベンヤミン著作集2 複製技術時代の芸術』晶文社、1970年。)
30
人物の表徴とフォトグラムの関連性について、下記の文献に記述がある。Raymond Bellour, L’Entre-Image: Photo, Cinéma,
Vidéo, Édition de la différence, 2002.
参考文献
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174
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
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Reproduzierbarkeit, Frankfurt am Main : Suhrkamp, 1963.(=ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」高木久雄・高原宏平訳
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―,. Cinéma 2 : L’Image-Temps, Les Édition de Minuit, Paris, 1985.(=ドゥルーズ『シネマ2 時間イメージ』宇野邦一, 石原陽
一郎, 江澤健一郎, 大原理志, 岡村民夫訳, 法政大学出版局, 2006.)
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―., Film Language: A Semiotics of the Cinema, trans. Taylor, Michael., NewYork: Oxford University Press, 1974.(=クリスチャ
ン・メッツ『映画における意味作用に関する試論: 映画記号学の基本問題』浅沼圭司監訳, 水声社, 2005年.)
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るい部屋―写真についての覚書』花輪光訳、みすず書房、1985年。)
Williams, Linda.,(2001) Playing the race card: melodramas of Black and white fromUncle Tom to O.J. Simpson, Princeton University
Press.
難波 阿丹(なんば・あんに)
[出身大学又は最終学歴]東京大学教養学部卒、東京大学大学院学際情報学府修士課程修了
[専攻領域]映画史・映画理論、メディア論
[主たる著書・論文]
「D・W・グリフィス『国民の創生』(1915) 論―表象から情動へ―」東京大学大学院学際情報学府学際情報学専攻
修士論文、2010 年 3 月 .
「映画の Narrative Discourse の機能に関する考察―映画研究における Lignes de temps の活用」『東京大学大学
院情報学環紀要 情報学研究』第 81 号、2011 年 11 月 .
「指揮者・大野和士氏インタビュー―内的必然性から響きあう音楽―」『東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究
調査研究編』第 28 号(共同論文)、2012 年 3 月 .
[所属]東京大学大学院学際情報学府博士課程、帝京大学医学部講師(非常勤)
[所属学会]表象文化論学会、日本映像学会、日本マスコミニュケーション学会、Society for Cinema and Media
Studies
映画言説におけるフォトグラムの機能
175
ブランデッド・エンタテインメント時代の「広告融合型番組」
― 新しい番組スタイルを可能にしたテレビ状況とは何か ―
“Advertisement-Embedded Programs” in the Branded Entertainment Era:
The Background in the Television Industry Which Enables a New Style of
Programs
金 佳榮
Kayoung Kim
1.はじめに
1
テレビの民放 チャンネルをつけてみよう。
範疇に入るかどうかについては異論があるだろ
まず、ゴールデン・タイムのバラエティ番組。
う。しかし、E・ゴフマンのフレイム・アナリ
そこには食品企業や飲食店の商品を素材とした
シス をツールとして広告とは何かを再検討し
グルメ番組が相当な頻度で目に付く。次に、午
た難波功士(難波 1992;2000)や、「広告で
前中の情報ワイド番組。そこではほぼ毎日、
ある/ない」の問題系に構築主義的スタンス
「今話題の商品」などのタイトルで特定会社の
でアプローチすることを訴えた北田暁大(北
製品がニュースのように紹介される。そして夜
田 2008)など、広告概念再考の必要性を指摘
になると、すべての民放チャンネルから通販番
する論者が少なくない今日に、依然として番組
組が流れ、テレビの広告媒体的性格がさらに増
から分離された短編映像型CMだけをテレビ広
してくる。
告とみるのは、現代の広告状況を考察するなら
厳密には、資本主義社会では、テレビに登場
3
ば、一面的ではないだろうか。
するすべてのモノが商品としての意味を持つと
他方で、日本民間放送連盟(以下で「民放
言っても過言でない。しかし、そこまで意味を
連」)の放送基準も、「コマーシャルの種類
拡張せずとも、上記の例はいずれもモノの名称
はタイムCM、スポットCMとする 」(第18章
と特徴、機能、価格、製造会社、購入先などの
144条)としているものの、番組との関わり方
商品情報を真面目に提示しており、単純な露出
はほとんど考慮されていない。さらに学問の
とは区別される一種の「広告」として捉えるこ
分野でも、R・AndersenやM・P. McAllister
2
とができる 。
番組の中の商品情報が制度的レベルで広告の
4
5
など海外の研究者たちが約20年前からコンテ
ンツと広告の区別が曖昧になっていることに気
キーワード:広告融合型番組、場、コマーシャリズム、ブランデッド・エンタテインメント、テレビ文化
177
づき、重厚な研究成果を積み上げてきたのに対
がさらに重要なのは、現在テレビを取り巻く諸
し、日本では、関連分野におけるまとまった論
状況が番組の広告化をさらに加速させる方向に
考が不足している。筆者は、テレビ広告を議論
動いているからであるが、その詳細については
する際に、番組部分を視野に入れないことには
次節で詳しく論じることにする。
幾つかの問題が生じ得ると考えるが、ここでは
以上のような問題意識を踏まえて、本稿では
特に本稿において重要な2点だけを取り上げて
広告的メッセージが埋め込まれている舞台とし
みたい。第一に、テレビと企業の関係とその変
ての番組に注目し、変容しつつあるテレビ文化
容を包括的に考察する機会が失われてしまうと
の現在を商業主義というキーワードを中心に描
いう点を挙げることができよう。番組から切り
くことにしたい。まず、原則的には広告ではな
離されている明示的なCM枠はそもそも企業の
いはずの番組が、実際は企業と商品が重要な役
広告のために存在する空間であるため、その部
割を演ずる舞台として存在するという事実を明
分だけを論じるのでは、テレビというメディア
らかにする。次に、その役割、つまり商品や企
の使われ方や企業とテレビ間の関係変容を十分
業が、番組そのものに出演してもよいという了
に見出すことができない。そして第二は、制度
解が、目下テレビを取り巻く技術的・経済的・
的次元での広告管理に関する問題である。民放
産業的・文化的環境を反映して広がりつつあ
連の放送基準は、1週間のコマーシャル量を総
り、それが具体的な形態の番組となって現前す
放送時間の18%以内とするよう制限している
るという過程を、事例を通じて考察する。この
が、おそらくテレビの過度な商業化を防ぐため
際、本稿の対象となる企業広告的メッセージ付
に存在するこの規定はタイムとスポットCMだ
きの番組を、「広告融合型番組」と呼ぶことに
けを対象とするため、番組そのものの商業化現
する。
象にはうまく対応できずにいる。また第二点目
2.「ブランデッド・エンタテインメント時代」という「場」
2.1 「場」の原理に揺れる「広告」の定義
本稿は「広告融合型番組」に注目するが、こ
イムとスポットCM以外にも、生CM、フリッ
の種の番組は今日新しく登場したわけではな
プ・カード、テロップ、スライドなど多様で
い。草創期の放送産業では、番組制作のビジネ
あった(石原・新井 1968)というのだから、
スモデルが1社提供中心であったのは周知の事
企業としては冠番組を持つと、その中にいろい
実であり(関谷 2009)、したがってほとんど
ろな形式のCMを挿入できたのである。
の番組がスポンサー企業の広告舞台としての役
このようなテレビ初期の番組と広告の融合と
割を果たすようにつくられたことは想像に難
いう状況を非常に鮮明に実証した研究に、高
くない。当時のテレビCMは、現在のようなタ
野光平の文化資源学的広告研究がある(高野
178
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
2007;2008;2010)。高野は、当時の番組と
しかし、そのような自己完結的CMの一般化
CMの未分化状況を「番組のCM性」と「CMの
は、番組中の広告的メッセージを完全に消滅さ
6
番組性」 に分けて検討した上、従来「融合」
せたわけではなかった。それは本稿の冒頭に述
していた番組とCMが1960年代以後いかに「分
べたとおりである。これについて高野も「放送
離」されたかを明らかにした。
[番組]から取り出せないCMは、テレビから
0
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0
高野は、「それぞれの時代の放送技術やテ
消えたのではなく (傍点は筆者による)、私
レビ産業の状況に応じて、最適なCM方法が異
たちの認識枠組みから外れたと考えるほうが適
なる」(高野 2008:1)といった「場」の原理
切だろう」(高野 2008:17)と指摘するとお
を用いてテレビCM形態の変化を説明した。そ
り、それらの広告的メッセージは、番組から姿
れによると、テレビ初期に一般的だった1社提
を消したのではなく、たんに「CM」という名
供の下では、番組と合体した生CMが何よりも
前で呼ばれなくなっただけなのである。こうな
有効であった。しかし、1960年代に入ると、
ると番組内商業的メッセージはCM規制の対象
7
フィルムの発達、「集中スポット 」方式とい
でもなくなるので、商品を宣伝することにおい
うCM出稿形態の一般化、番組大型化による共
てCMよりもむしろ番組の方が自由であるよう
同提供方式の一般化、CMの独立的芸術作品化
にさえ思われる。
といった出来事が相次いで起きる。いわば、
それ自体は本質的に変わっていないものが異
「場」が変化したのである。その結果、一つ
なる文脈に置かれ、異なる意味で語られる。考
の番組が単独スポンサー企業の広告舞台とし
えてみればこれも「場」の変化に適応するため
て利用された従来の強い結合は弱まり、やがて
の言説的戦略かも知れない。この議論を深める
テレビ広告といえば独立した短編映像型CMが
ため、次節では初期生CM以後、「広告融合型
思い浮かぶ今日のような認識が定着するように
番組」がどのように発展したかを追ってみるこ
なった。これがおおよその1980年代の状況で
とにする。
ある。
2.2 テレビ史における「広告融合型番組」の変遷
高野が説明したとおり、CMの居場所に変化
雑誌『宣伝会議』を用いた。理由は、本雑誌が
が起きたのは事実だが、それ以後も番組は様々
民放より1年遅れた1954年に創刊された日本初
な方法で企業や商品と連動し続けた。どういっ
の広告雑誌として、民放とほぼ同じ歴史を歩み
た状況でそれが行われたかを検討するため、こ
ながら日本の宣伝・マーケティングの歴史を描
こでは1960年代から2000年までの民放におけ
いてきたからである。以下、筆者名が特に表記
る特徴的な「広告融合型番組」の事例を取り上
されていない引用は、すべて『宣伝会議』を出
げてみたい。資料は、主にマーケティング専門
所とするものである。
ブランデッド・エンタテインメント時代の「広告融合型番組」
179
2.2.1 「生CM」の変遷史
『宣伝会議』の中のテレビ広告関連記事でま
CMのテクニックは、自然と萎縮してどん
ず目に付くのは、やはり「生CM」である。テ
ぐりの背比べを続けている。テレビ・テー
レビが登場した1950年代半ばからスポット改
プが活用される今日に至っても、なおこれ
革期である60年代半ばまで、テレビCMの主役
らの制約は緩和されていない。相変わらず
を担ったのがこの生CMであり、それだけに記
ナマCMはスタジオCMの域を出ないし、
事数も多い。
CFに見られるような、飛躍的な表現も試
印象的なのは、概ね1960年前後、生CMに対
みられようとしない。(1962.11:26)
する見方が著しく変化したことである。すな
わち、50年代では生CMが積極的に評価されて
これは、明らかに生CMを否定的に評価する
いたが、やがてそうした声は消えていったの
ものだ。もちろん、テレビ草創期からあまり変
である。例えば、1955年3月号に掲載された座
化していない生CMの陳腐なテクニックに対し
談会では「フィルムも、むろん、いいですけれ
て、上記のような評価が下されるのは自然かも
ど、高いですしね。ナマは非常に自由がききま
しれない。しかし、状況はただそれだけでな
す」、「フィルムのものでも、コマーシャルだ
く、この頃から生CMの長所がもっとも現れる
けは、ナマでやる方がいいですね」といった発
と言われていた「番組との繋がり」という価値
言がなされている。また、「番組内容にマッチ
観に対する疑問へと広がっている。例えば、
した迫力のあるコマーシャルということでは、
1964年3月号に掲載されている「テレビCMの
広告商品によって程度の差があるにしても、
問題点―これからのCM制作は、こうなければ
生CMに優るものはない」(1956.7:33)、
ならない」では、「ストーリーの画面と同じよ
「ナマCMの美しさは、フィルムCMに画期的
うなセットで、同じようなスリラー調のCMを
な進歩でも起きないかぎり、当分は、その優位
やる。こういったものは、たいへんじゃまです
を失わないだろうと思う」(1956.8:31)な
ね」や、「それは、番組と融合しているのでは
どの記述からも、当時生CMへの期待がいかに
なくて、ムードを借りものにしてのゴマカシで
高かったかがよく分かる。ここで、当時、生
すね」などの発言が出現しているのである。
CMが脚光を浴びた最大の理由が、番組の筋や
同じ広告手法に対して、“番組にうまく溶け
雰囲気とマッチさせやすいことであったことを
込んでいる”との表現から“ゴマカシ”という
指摘しておきたい。ところが、テレビCM の最
表現に移ったプロセスに関してはより深い考察
高の美徳は番組との繋がりだといったそれま
が必要であろう。しかし、ここで重要なのは、
での考え方は、60年代に入ると変化していっ
スポット販売単位の変化や番組大型化による共
た。
同提供の一般化など、テレビ広告産業に構造
的な変化(高野 2008)が起きたことと絶妙に
いろいろな制約が多すぎるために、ナマ
180
一致するタイミングで、生CMが誇りにしてい
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
たその価値観である「番組との統一性」が否定
ワイドショー「木島則夫モーニングショー」が
されるようになったことである。この頃から、
それである。ワイドショー・ブームに火を付け
人々は「番組」と「CM」が別物であるという
たともいわれるこの番組で特に話題を呼んだの
認識を強く持つようになり、したがって両者を
は、サブ司会の栗原伶児と井上加寿子の二人が
きちんと分離すべきであるという意識も高まっ
台本なしのアドリブで商品を広告する番組内生
た。これは、それ以後のCMという概念の定義
CMで、その自然さが人気の秘訣だったという
に関わる制度設計、ならびに広告研究の範囲限
(1965.11:154)。「ショー番組」という番
定にもつながる重要な出来事である。
組のジャンルが登場して、はじめて本来の意味
このように、業界内の評価が変わることに
の生CMも生まれ、人気を博した(並河 1968:
よって生CMはもはや存在意義をなくしたかの
223)。そして、これこそが、本論のテーマで
ように受け止められていた時期に、新たな道を
ある「広告融合型番組」の始まりであり、ここ
提示したと高く評価される番組が登場した。
に現在盛んに行われている「話題の商品紹介」
1964年4月1日から1993年4月2日まで放送され
という手法の源流を探ることができるのであ
たNET系列(現在のテレビ朝日系列)の朝の
る。
2.2.2 マーチャンダイジングの先駆けとしての「テレビ・アニメ」
1960年代になると、番組のビジネスモデル
ム」が売り出された。[……]これらの、
が1社提供から共同提供へと変化し始め、また
番組とコマーシャルとの関係はもう同体
広告媒体として番組がどこまで効果的か、その
化してしまっています。「鉄腕アトム」の
効用についても問われ始めた。しかし、60年
三十分間は、全部「アトムキャラメル」の
代においても依然として1社提供という仕組み
商品コマーシャルだということさえ出来る
を維持しながらCMとの関係を緊密にした番組
ではありませんか。(1964.8:53)
ジャンルがある。それが、子ども向け「テレ
ビ・アニメーション」であった。再び『宣伝会
議』から引用する。
「マーチャンダイジング」とはいわゆる「商
品化計画」のことで、すでに存在する企業の商
品を宣伝するだけでなく、テレビの中から新し
これよりさらに、番組とコマーシャルの
い商品を企画・製作し、販売までにつなげてい
相関関係が密接になってくる傾向もありま
くマーケティング戦略である。「鉄腕アトム」
す。それは番組が商品化計画(マーチャン
が1963年1月1日、日本初の国産アニメとして
ダイジング)に結びついてゆく方向であり
テレビに登場して以来、この種の番組が続々と
ます。[……]「鉄腕アトム」という番組
登場し、1976年10月の改編期には「アニメー
から「アトムキャラメル」がつくられた。
ション・ドラマを中心とした子供番組で、商品
「鉄人28号」という番組から「鉄人28号ガ
化対象番組といわれるものは、キー局ローカル
ブランデッド・エンタテインメント時代の「広告融合型番組」
181
合わせて36件になる。うちいまもっとも世の
ある。
批判をあび、マーチャンダイジングの一環とし
てつくられるロボット、変身ものは22件と圧
これら子供番組については、その企画の
倒的に多い」(1976.10:40)といった状況
第一段階からメーカーであるスポンサーが
に至る。
加わり、そして彼らがそのキャラクターの
考えてみれば、マーチャンダイジングとは単
全てを決定づける。それは特に、変身もの
なる販売促進の手段であるだけでなく、視聴者
をふくめたロボットものを中心とした、玩
が好きなテレビのアニメ・キャラクターを番組
具メーカーが主体的に企画をおしすすめる
時間以外でも楽しむことを実現した視聴者サー
場合など、メーカーすなわちスポンサーの
ビスとして位置付けることもできなくない。問
言い分がすべてを決するといってもいいす
題の焦点は、番組そのものではなく、この種の
ぎではない。(1976.10:40)
マーチャンダイジングが番組制作のメカニズム
とその底辺にあるテレビ局と企業の関係、およ
番組企画段階から始まるテレビ局と企業との
び双方のテレビに対する見方をますます資本の
構造的協業関係、そこから、テレビ番組という
論理と一致する方向へと向かわせた点にある。
ものの本質の一面を伺うことができる。
以下の引用文はこれらの内容を裏付けるもので
2.2.3 「生活情報番組」としての「テレビ・ショッピング」
日本放送協会総合放送文化研究所放送学研究
CMでない「番組」がいかに企業商品の広告
室編(1976)『日本のテレビ編成』は、1969
の舞台として利用されたかを論じる際に、テレ
~1973年の編成動向の特徴を以下のようにま
ビ・ショッピング(以下で「テレショップ」)
とめている(p.246)。
ほどふさわしい例はないかもしれない。日本の
テレショップ第1号であるフジテレビのローカ
キー局、地方局ともに、ワイドの生活
ル番組「東京ホームジョッキー」が1971年1月
情報番組の制作が盛んとなった。地域社
にスタートした後、これと似たような番組が各
会との結び付きの新しい展開を示すもの
民放局から続々と出て来たのだが、それらのす
として、青森放送の「RABニュースレー
べてが標榜したコンセプトは「生活情報提供」
ダー」、NHKのいわゆる「ローカル30分
であった(1982.6(別冊):89)。
番組」などが注目を集めた。フジテレビの
しかし、特定企業の商品情報を公共の電波に
「リビング4」、「リビング11」をはじめ
乗せて販売につなげていくことについては、
として、テレビで商品を提示し、電話で
特にそのCM的性格をめぐって、議論が活発化
買い物を可能にする、いわゆるテレビ・
した(酒井 1982;船越 1992)。『宣伝会議』
ショッピング番組があい次いで登場した。
1980年6月号の記事「テレショップにガイドラ
182
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
インできる―民放連放送基準審議会」(p.38)
かった。放送界には「視聴者に正しい知識を伝
にも、「[テレショップ]番組それ自体がCMで
える目的で制作し、番組の素材と認じたもの
はないか、という批判が早くから起こってお
についてはCMではなく、番組とみなす、とい
り、数年前には、国会でも、国民の電波を使っ
う考え方」(1980.6:38)が常にあり、1980
て放送局が儲けていいのか、という質問がなさ
年3月民放連放送基準審議会が発表した「テレ
れるなど、常に論議の的となっている」と、
ショップに関する留意事項」にもこの考え方
その問題が指摘されている。特に1970年代に
が反映され、結局テレショップは「生活情報番
は、テレビにCMが多すぎるとの声が高まり、
組」としての市民権を獲得するようになったの
その結果、1975年に「民放連放送基準」とし
である(境 2008)。筆者は、商品情報が視聴
て、CM総量制限の規定が設けられることも
者にとって有用であること自体を否定するつも
あった。当時の視聴者がテレビCMの過剰感を
りはない。ただ、本来はその内容において広告
強めていたと推測され、テレショップに対して
であるはずのテレショップというジャンルが
もそのような批判がなされたのは自然の流れ
「情報」と名乗ることを許されたことが、その
だったと言えよう。
後、テレビ番組の内部において、商品企画や企
しかし、そういった議論があったにもか
業の存在をますます重要な位置に押し上げ、そ
かわらず、制度としてテレショップがCMと見
れらが一層活発な振る舞いを見せることになっ
なされ、CM量規制の対象となることは一切な
たであろうことを指摘したいのである。
2.2.4 広告と情報の境界に立つ「パブリシティ」
広告か情報かという境界の問題といえば、こ
して例外ではない。
こにもう一つ、非常に曖昧な性格を有したまま
もちろん、PRと広告は、その目的も機能も
長い歴史を歩んできた企業活動がある。いわゆ
具体的な手法においても確実に異なっており、
る「パブリシティ」のことである。
別々のカテゴリーとして理解すべきではあるが
パブリシティとは、「広告と同じように媒体
(津金澤・佐藤編 2003)、それにしてもパブ
を使ったコミュニケーションであるが、商品・
リシティに関しては依然として疑問が残る。と
サービス、企業の活動実態などに媒体側が関心
いうのも、パブリシティが広告でないと主張で
を示し、読者・視聴者に知らせる価値があると
きる最大の理由として、①その活動に媒体料金
判断して、記事や番組、ニュースなどに取り上
が発生しないこと、②記事として取り上げるか
げてもらうこと」(嶋村 2006:51)である。
否かを企業でなく媒体側が決めるため、広告の
その上位概念であるPR(パブリック・リレー
ように企業が望む時、望む内容を伝えることが
ションズ)は、常に自身が広告と違うと訴える
できないことが挙げられるが(広瀬 1981)、
ことに非常に努力を尽くしてきた歴史があり
内実は、その中にはフリー・パブリシティだけ
(野田 1985;広瀬 1981)、パブリシティも決
でなく、上記の二つの理由を無効にするよう
ブランデッド・エンタテインメント時代の「広告融合型番組」
183
な有料パブリシティという手法もあるからで
称と形態に便乗しており、視聴者による広告と
ある(五十嵐 2010)。これは明らかに広告で
ニュースの区分をさらに困難にさせている。
あるにもかかわらず「パブリシティ」という名
2.3 ブランデッド・エンタテインメント発展の条件
以上、『宣伝会議』を中心に1980年代まで
メント(Branded Entertainment, BE)」。
の特徴的な「広告融合型番組」を取り上げて
これをより馴染みのある言葉で言い変えれ
8
きた 。そこからさらに引き続き、当雑誌を検
ば、「プロダクト・プレイスメント(Product
討してみると、高野の「番組/CM分離プロセ
Placement, PPL)」である。
ス」がおおよそ80年代に完成されたことを裏
BEとは、「エンタテインメントコンテンツ
付けるかのように、80-90年代のテレビ広告
の持つストーリーや世界観などの文脈を活用し
枠の記事はほとんど断片映像型CMで埋まって
て、ブランドの価値を効果的に伝える、共感
いる。特に90年代半ばからは、媒体としてイ
型のコミュニケーション手法」(嶋村 2006:
ンターネットとモバイルが優勢となり、番組だ
348)である。実は、BEにしろPPLにしろ、
けでなくテレビ自体があまり語られなくなった
いずれも2000年代に初めて登場した手法では
傾向が見えてくる。
ない。にもかかわらず、『宣伝会議』におい
そして、最後の「広告融合型番組」関連記事
て2003年以降にようやくこの二つの用語がク
の出版からほぼ20年が経った2000年代半ば、
ローズ・アップされ始めたことは 、やはりそ
ある新しい広告戦略を手掛かりとして再びテレ
れら手法に期待が高まった状況が背景にあった
ビが当雑誌に主要トピックとして登場した。
ことを示唆する。ここで、その状況を「場」の
キーワードは「ブランデッド・エンタテイン
原理を用いて整理してみよう。
9
2.3.1 「場」①―経済産業的状況
番組の広告化状況を導く背景として、まず
るといわれる(民放連編 2001)。1979年オイ
はマクロレベルの日本経済の状況を検討した
ル・ショックの時と同じく2008年リーマン・
い。ここでは他ならぬ、不況のことがそれに当
ショックの際も広告費、とりわけもっとも企業
たる。一般的に、不況の際、最初に影響を受
の負担が大きいテレビ広告費が大幅に減少した
けるのは3K(交際費・交通費・広告費)であ
(図表1-1)。
図表1-1 テレビ広告費の推移(電通の調査結果をもとに筆者作成)
年
2001
2002
2003
2004
2005
2006
2007
2008
2009
2010
①
20,681
19,351
19,480
20,436
20,411
20,161
19,981
19,092
17,139
17,321
②
99.5
93.6
100.7
104.9
99.9
98.8
99.1
95.6
89.8
101.1
①広告費(億円) ②前年度比(%)
184
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
先行き不安定な経済状況の中で、企業とテレ
り込む手法なのである。「広告融合型番組」と
ビ局がそれぞれ生き残りの戦略を模索せざるを
いうのが特別に斬新な宣伝様式でないにも関
得ないのは当然である。その一つの策が、視聴
わらず、今日再びこれに注目する必要があるの
者が必ず見る番組枠内に広告的メッセージを織
も、このような経済的状況があるためである。
2.3.2 「場」②―デジタル技術と媒体の多様化
宣伝会議編(2006)『マーケティング・コ
関連記事のほとんどが、BE成長の背景として
ミュニケーション大辞典』の「ブランデッド・
CMスキップを可能にしたデジタル技術の発達
エンタテインメント」項には、用語を定義した
を指摘している。
後、次のような説明がある。
一方、新たに注目される広告媒体であるイン
ターネットやスマート・フォンとの競争状況
TVというメディアが生まれた頃からあ
も、新しいテレビ広告への工夫を促した「場」
る手法であるが、TiVo効果と呼ばれる、
として捉えられる。これは、限定されている総
HDDレコーダーによるTVCM飛ばしなど
広告費の分配の問題でもあれば、誰がより斬新
が一般化しつつある環境に対応するため
な広告手法を開発できるかというコンテンツ競
に、現在ものすごい勢いで伸びている。
争の問題でもある。テレビ広告に関わる人たち
が、利用幅の広い番組に目を向けるのも当然の
確かにその通りで、『宣伝会議』の中のBE
ことであろう。
2.3.3 「場」③―テレビ業界に関する視聴者の知識増大
繰り返しになるが、PPLという手法は2000
知っている受け手を前提に、彼らの「意表を突
年代の発明品ではなく、その源流を探ると、
くことで興味を植えつけ」ようとアプローチし
1982年のハリウッド映画「E.T.」まで遡らざる
ており、受け手側もそういったやり方の出来
を得ない。もちろん、日本の民放においても、
を見て広告主のセンスを評価しながら楽しむ
このような手法の商品広告は何十年も前から
ようになったのである(『宣伝会議』2006.
行われていた。しかし、こうした旧来のPPLと
10.)。
今日の多様な広告戦略として展開するBEの間
このように、今日の視聴者は、もはやテレビ
には一つ大きな違いがある。それは、従来の
番組における企業や商品の堂々とした自己ア
PPLがしばしば「さりげなく」(難波 2000:
ピールに驚かないだけでなく、むしろ企業とテ
181;嶋村 2006:20)、あるいは「無意識の
レビの裏側を見て楽しんでいる。すなわち、テ
中」(韓国放送委員会 2005)で行うことが定
レビ業界に関する彼らの知識が増えたのであ
義の重要な一部であったのに対して、近年の
る。これについては、北田も「ギョーカイ化
BE製作者は、すでにこれが広告であることを
されたシニシズム的存在」(北田 2005)と表
ブランデッド・エンタテインメント時代の「広告融合型番組」
185
現しながらその状況を指摘していた。また、
要素が加勢した。すなわち、テレショップやパ
1980年代前半の人々はすでに表に出ている商
ブリシティなどに伏在している“視聴者のため
品でなく、その裏の企業を見つめるような広告
の情報であれば広告でもいい”という考え方か
受容をしていたことを指摘した難波の論考から
ら、“視聴者が面白がれば広告でもいい”とい
も、大きな示唆を与えられる(難波 2000)。
う考え方に、現在の「広告融合型番組」はさら
このような視聴者を前提として、従来の「広告
に踏み出したのである。
融合型番組」に、さらにエンタテインメントの
3.BE時代における「広告融合型番組」の事例:「お願い!ランキング」
上記のような今日的「場」が実際どのように
るランキングバラエティー、誰もが知りたい情
番組に反映されているかを考察するため、ここ
報を全てランキング形式でお送りします」(番
では具体的な番組の事例を取り上げてみること
組のオープニング・ナレーションから引用)と
にしたい。分析対象として、テレビ朝日系列の
いうコンセプトの下で数多くの商品とグルメネ
深夜帯番組であり、情報バラエティを標榜して
タを取り上げており、商品と企業に対して、本
いる「お願い!ランキング」を選択した。その
論が論じてきた典型的かつ特徴的な姿勢を取っ
理由は、本番組が「新鮮な情報を毎日お届けす
ているからである。
3.1 番組誕生の背景としての不況という「場」
「お願い!ランキング」は、テレビ朝日が
う6人のお願い博士とナイスラビットという番
2009年10月5日から平日(月~金)の24時20分
組固有のキャラクターがその役割を果たしてい
10
~25時15分の55分間放送する深夜帯番組で 、
る。
あらゆる情報をランキング形式で届けることを
実は、番組の内容や司会の様子がこのようで
コンセプトとする。番組では、ランキングに取
あるのは、この番組が企画された2009年10月
り上げる素材のかなりの割合を商品情報が占め
当時放送局が置かれていた経済的状況と関係が
ている。例えば、2011年10、11月の2ヶ月間の
ある。斬新な企画ということでこの番組を取り
ランキング・アイテムを調べたところ、全83
上げたいくつかの雑誌記事 から、当時番組が
個のアイテムの内、33個がグルメ、20個が商
企画された背景、さらに言えば、このような番
品、13個が芸能人のトーク、3個が企業関連情
組が生まれざるを得なかった当時の状況がよく
報(いわゆる「企業ネタ」)、その他が14個
伺える。
11
という具合であった。一方、番組の進行役だ
番組プロデューサー樋口圭介は、これらの記
が、メイン司会者は置かれずに、レッド、ピン
事のインタビューにおいて、「お願い!ランキ
ク、イエロー、マリン、グリーン、メタルとい
ング」が企画されたそもそもの契機は全世界を
186
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
大きな経済ショックに追い込んだ2008年秋の
形式だった。また、タレントの司会の代わりに
リーマン・ショックであったと語っている。つ
番組固有のキャラクターを起用することだっ
まり、この影響で企業は広告費を削減するよう
た。以上が番組誕生に関する樋口からの説明で
になり、それがテレビ局の制作費削減へと直接
ある。
つながったのである。当時、秋の番組改編期を
ここで注目すべきは、番組制作側が重要視し
迎えていたテレビ朝日は、半減した制作費で番
ていた「多様で幅広い情報アイテム」が、結果
組をつくること、かつ、それでも6%以上の視
的には商業性の高い消費情報に傾くようになっ
聴率を維持することという厳しい条件下で議論
たことである。この番組のメインコーナーは
を重ね、平日深夜の30分番組10本を廃止し、
「美食アカデミー」や「ちょい足しクッキン
その時間帯に1時間バラエティを帯で入れるこ
グ」などのグルメコーナーであるが、そこには
とを決定したと言う。既存の10本の番組時間
グルメというジャンルがもっとも視聴者に受け
をたった1つの番組でカバーするためには多様
入れられやすいという理由以外に、極めて強い
な素材を自由に取り上げられる形式にしなけれ
情報提供欲求を持って積極的に協力してくれる
ばならない、そして制作費が削減されたため、
情報源(企業)が豊富であることにも理由を見
司会にタレントは使わない。この2つの方針
出すことができる。すなわち、数多く多様な素
は、企画会議の早い段階から決まっていたそう
材を取り上げることのできる柔軟な枠の中に、
だ。その結果生まれた番組フォーマットは、非
いかに商業的情報が入り込みやすいかを見る好
常に幅広いアイテムに対応でき、かつグルメな
例として、この番組を挙げることができるので
どのジャンルとも親和性の高い「ランキング」
ある。
3.2 協力関係を成し遂げたテレビと企業
放送局は制作費削減に苦しみ、企業は、過去
れた美食家団が試食し、ランクを付けることで
のようにテレビCMが確実に視聴されず、その
ある。会社の職員たちが出演して商品をPRす
効果のほどがわからなくなっている状況に悩
る様子から、スタジオあちこちに配置されてい
む。こうして、商品情報が番組の中に入ってく
る商品の現物、会社のロゴマークおよびポス
るのに最適な条件が整ったのである。商品を素
ター、そして何よりも、各商品の名称・生産過
材とする番組は昔からあったが、最近は何十分
程・特徴・価格・イメージなど具体的な情報を
もの放送時間をすべて一つの企業の様々な商品
提供する本編に至るまで、実に番組全体が広告
紹介に費やす番組さえしばしば目に付く。「お
であると言わざるを得ない。
願い!ランキング」の火曜コーナー「美食アカ
デミー」もその一つの例である。
テレビ局と企業、両者は一体どういうスタン
スでこのような番組をつくっているのか。広告
当コーナーのコンセプトは、特定の食品企業
効果という企業側のメリットと制作の容易さな
の商品ラインアップを有名シェフなどで構成さ
どの局側のメリットが合致していることは想像
ブランデッド・エンタテインメント時代の「広告融合型番組」
187
に難くないが、それにしても一昔前ならば、広
語った。番組制作者は視聴率だけを意識するの
告主である企業からの圧力、あるいは逆に出演
ではなく、自分が取り上げる企業の売上が伸び
企業を選定する局側のパワーなど、両者の立場
るよう視聴者に気づきを与えることを大事にす
からそれぞれ不均衡な力関係が問題視されたは
るという。「放送枠が空いたらいつもお世話に
ずである。この疑問を解くため、「お願い!ラ
なっているあの会社に声をかけよう」とする局
ンキング」に出演した経験があるカルビー株式
と、「その声がこちらにかけられるよう日頃か
会社の総合企画本部広報部PRプランナー・田
らテレビ局と良いコミュニケーション関係を築
川小百合氏、および日本ケンタッキー・フライ
いておこう」と熱心な企業、この互酬関係がそ
ド・チキン株式会社の経営企画室広報チームマ
こに見出された。両者は今、どこまで同じスタ
ネージャー・横川すめお氏へのインタビューを
ンスに立ち、お互いを理解し合って真の意味で
12
行った 。
インタビューでは、両社はそろって「テレビ
の協力関係を結べるのかを模索しているのであ
る。
局と企業のスタンスが非常に近づいてきた」と
3.3 「テレビ読み」における視聴者のプロ化という前提
「美食アカデミー」のもう一つの特徴は、宣
メントが際立つ、面白い、っていうところを意
伝目的に従事して誉め言葉ばかりを並べていた
識されていると思います」と加える。すなわ
従来の「広告融合型番組」と違って、下位ラン
ち、厳しい辛口こそ今日のBEをさらに面白く
クの商品に対してはかなり辛辣なコメントまで
する装置であって、企業情報の効果的な伝播の
するという姿勢である。過去には考えられな
ために、あたかも演出していない本当の姿を見
かったテレビのこのような姿勢を、今なぜ企業
せたかのように演出しながら、批判までをも娯
側が許容するかについてインタビューで尋ねた
楽化する というのがより正しい説明なのであ
ところ、番組で自社商品の露出の機会を獲得す
る。現在的スタイルの「広告融合型番組」の最
るだけでもメリットがあるため、一部の批判的
大の特徴は、視聴者に訴求する手段として何よ
なコメントは甘受するとのことであった。そし
りも「楽しみ」というものを優先するという既
て、今日にはあらゆる物事に関して美辞麗句だ
述の内容が、ここで再び確認された。
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けで内容を伝えると逆に面白くなく、かつ番組
そして、さらに重要な前提が必要となる。他
自体の信憑性が薄くなることも重要な背景とし
ならぬ、視聴者のそうした状況に対する寛容な
て指摘された。
理解である。いくらジャッジの批判的コメント
しかし、だからと言って、その批判的コメン
が際立って面白くても、視聴者がそれを見て素
トが真実に近いかというと、そうではない。田
直に「それでは、あの商品は買わない」と思っ
中氏は「あの人たち[美食家団]はテレビの視
てしまえば、宣伝効果はなくなるのである。こ
聴率を意識している出演者ですから、自分のコ
こで、前節で北田や難波を参考にして述べた視
188
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
聴者の知識増大の議論を想起されたい。今日の
全体の情報化が進み、だれもがネットなどから
視聴者は、すでにテレビ局と企業のそういった
放送局と企業の協働関係、さらには収益構造を
協力関係を読み取っており、番組を面白くする
維持するための共犯関係を知り得る立場になっ
ためには何でもするという戦略についても理解
た。つまり、現代の視聴者たちは、かつては業
しているのである。横川氏も「特に、今の視聴
界のインサイダーしか知り得なかった情報を
者は極端にプロ化している、っていうか自分何
もっており、そのような視聴者たちをも満足さ
でも知ってるよ、っていう風に皆言いたい時
せる情報内容と伝達形式を取った結果が、こう
代ですよね。[……]やっぱりきれいごとじゃ
した新たなBE番組を生み出したということが
ない方が面白い、裏側の方が面白い[……]」
できるであろう。
と語り、このような状況を裏付けている。社会
4.おわりに:テレビ・コマーシャリズムへの警戒の必要性
本研究は、テレビ番組の中の商業的メッセー
で「教養・教育・報道・娯楽」番組を設け、
ジが広告という定義からすり抜けたことによっ
番組相互間の調和を図ってきた。しかし2009
て、広告を管理する制度の枠からも完全なる自
年、通販番組(すなわち、テレショップ)が
由を獲得し、ますますその活動の範囲が広がっ
多すぎるという批判と、これまで通販番組が
ている今日の傾向への違和感から行われた。長
「教養」や「娯楽番組」といったカテゴリーに
期に渡る経済不況、地上波デジタルテレビお
分類されてきたことへの問題提起が国会でな
よびHDD録画の普及など、番組内広告の需要
され、その結果、2010年11月の放送法改正の
をより正当化する経済的・技術的条件がますま
際、その点が反映されるに至ったのである(鈴
す台頭している。しかし、これまで多く蓄積
木 2012)。改正法の下では、上記4つの番組分
されていた「放送の公共性」論(林 2002;花
類の他「通信販売」と「それ以外」が新しく加
田 1996;松田 1980)を踏まえるならば、筆者
わり、テレショップが統一的に通信販売番組と
は、CMもテレビ放送の一部である限り、改め
して分類されるようになる一方、放送番組の種
て「広告」という概念を再考し、元来「広告」
別、および種別ごとの放送時間の公表、そして
として管理されるべき部分は、きちんと「広
番組審議機関への報告が義務づけられた(放送
告」というカテゴリーに差し戻す努力を尽くす
法6条6項,107条,放送法施行規則4条4項,同
べきではないかと考える。
条5項)。
その点において、2010年に行われたテレ
もちろん、今回の改正はあくまでも「番組種
ショップ関連の放送法改正は非常に大きな意
別の公表を義務づけることで,放送事業者が視
味を持つ。もともと日本の地上テレビ放送と一
聴者の批判を意識して通販番組の増加を自己抑
部BS放送は、いわゆる「番組調和原則」の下
制するよう」(鈴木 2012)な措置であって、
ブランデッド・エンタテインメント時代の「広告融合型番組」
189
通販番組がCMではなく番組として位置付けら
れる番組であれば、そのように番組を分割して
れることに変わりはない。しかし、自己規制の
放送時間をカウントし、公表しさえすれば、番
実効性は事実上立証が不可能であるとしても、
組の広告化現象への気づきを少しは視聴者たち
財政難を根拠に際限なく「合理化」を可能にす
と共有できると考える。
るテレビのコマーシャリズムの傾向に対して歯
現在、テレビのコマーシャリズムを警戒しよ
止めをかけようとした試みに、一定の意義はあ
うという主張は、確かに現実離れしていると批
ると言えよう。
判される余地もあるだろう。しかし、少なくと
さて、通販番組以外の「広告融合型番組」に
も、テレビ局が私企業と手を結び、完全にそれ
関しては、議論がより不足しているが、これら
らと同化した立場から番組制作に取り組んでい
の番組においても種別公表がある程度効力を発
ること、さらに自分たちが純粋な私企業として
揮するのではないかと思う。というのも、実際
利潤の追求に夢中になっていることは、「公共
各番組を分類する際、一つの番組は必ず一つの
性」という言葉を持ち出すまでもなく、放送事
カテゴリーに入れなければならないわけでは
業が本来遂行すべき姿とは相容れない。その意
なく、例えば,30 分の番組のうち、10 分間は
味で、コマーシャリズムが当然のように受け入
「教育」、10 分間は「教養」、10 分間は「娯
れられやすくなっている現在であるからこそ、
楽」とするなど、二つ以上のカテゴリーに分割
テレビが果たすべき真の役割について再考する
することができるのであり(村上 2011.2)、
必要があると強調したいのである。
どのような番組であれ、広告メッセージが含ま
註
1
この「民放(民間放送)」という言葉について、なぜ日本では「商業放送」ではなく「民間放送」と呼ばれるようになったのか
の経緯を言及しておきたい。というのも、その呼び方には、戦後の日本における商業放送の理念が投影していると指摘されて
いるからである(松田 1980)。松田は、これについて、次の2点を取り上げてその由来を説明した。一つめは、高橋信三(元毎
日放送会長)が「民放ラジオ誕生余話」(『続・放送夜話』)の中で、「野にある放送という意味で民間放送にしようという話
が出た」と証言したことである。二つめは、『民間放送十年史』において、商業放送ではなく民間放送という名称をとった点に
は、関係者が抱いていた「NHK即公共放送とする独善性への抵抗感」があったことが発動したと指摘されていることである。本
稿では、理念に関する具体的な議論は避けておき、現在一般的な呼び方に従って「民放」という用語を使うことにする。
2
広告概念の基準として、民放連放送基準第14章93条「コマーシャルの内容は、広告主の名称・商品・商品名・商標・標語、企業
形態・企業内容(サービス・販売網・施設など)とする」を参照。
3
Goffman, E. (1974) Frame Analysis: An Essay on the Organization of Experience. Cambridge: Harvard Univ. press.
4
タイムCMは番組本編に付帯し番組を提供する形態で放送されるコマーシャル、スポットCMは番組とは別に放送されるコマーシ
ャル(SB、PTなど)を言う(民放連放送基準第18章144条)。
5
Andersenはニュースやエンタテインメント・プログラムと商品の結合の形態として“infomercials, VNRs, advertorials,
complementary copy, product placement, and programming environments”(Andersen 1995:33)を挙げ、それぞれの現状を
豊富な事例とともに検討し、それらがコンテンツと消費者文化にどのような影響を与えたかを考察した。McAllister(2000)は
メディアコンテンツと広告の融合を‘広告のコンテンツへの挿入’と‘コンテンツの広告への挿入’に分けて検討した上、これ
らエンタテインメント・マーケティングが増加する背景としてケーブルテレビやネットなどニューメディアの登場、コンテンツ
190
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
制作費の拡大、巨大コングロマリット企業の存在などを挙げた。
6
前者の例としては、1社提供の下で一般的であった番組内に溶け込んだCM、番組途中に画面の一部分を使って流したカードやス
ライドといった手法、専属タレントを使った生CMを取り上げ具体的に分析しており、後者の例としては、短編映像のCMが番組
のオープニング・エンディング映像と重なっていた事例、CMの中に番組の設定や登場人物が使われた事例を分析している。
7
同じスポットCMを複数の放送局の複数の時間帯に流す出稿方式。
8
本文では『宣伝会議』に焦点を当てて論を展開したため、広告融合型番組の例が非常に限定的となってしまったが、実際は、よ
り多様な種類があることを補足しておきたい。例えば、スポーツ競技や冠イベントのテレビ中継でスポンサー看板やユニホーム
に付着されているスポンサーロゴが露出される「ロゴ(マーク)・プレイスメント」(難波 2000)、日本テレビの情報番組「ス
ッキリ」などで見られる、企業と番組のコラボレーション商品開発コーナー(金 2011)、一流企業の成功秘訣や人気CM制作の
裏側などを取材する情報番組、有名人ゲストがお知らせとして自分の新しいアルバムや本などを宣伝するバラエティ番組、商店
街や地方の観光地などを回りながら食べ物などを紹介する旅番組のほか、ある番組の中で自局の他の番組を宣伝する行為も厳密
には「広告融合型番組」の一種類と見なすことができる。さらに、テレビに限定せず、コンテンツと広告の融合全般に視野を広
げると、やはり「記事広告(アドバトリアル)」を指摘する必要がある。記事広告とは「媒体社に広告料金を支払い、編集記事
の体裁をとって、情報発信側が原稿を制作し、説明する手法」で、主に雑誌中心に行われる(嶋村 2006:325)。日本において
はおそらく1920年代の婦人雑誌から本格的に展開され始めたであろう(北田 2008)。
9
『宣伝会議』では、2003年からPPLとBEが注目されている。その具合を見ると、2003年4月の記事「ユビキタス・ネットワーク
社会における広告進化論(3) コンテンツとアドの融合、プロダクト・プレイスメント」、2004年4月の特集「注目の新手法 プロダ
クトプレースメントの可能性」、2005年3月の記事「海外情報 キャンペーン(英) プロダクトプレイスメントが成熟期を迎える米
テレビ業界」、その次からはPPLでなく本格的にBEという用語が登場し、2006年6月1日の「広告はエンターテインメント領域へ
深いブランド体験が高める広告効果」という特集の中では「企業ブランドとコンテンツの相性が成功への近道 ブランデッド・エ
ンターテインメントの未来」というタイトルの記事が、そして同年の10月15日にはよりBEだけに焦点が合わせられた「ブランデ
ッド・エンタテインメントに見るCMの未来形」特集が掲載されている。
10
2013年4月から金曜日の放送は廃止され、週4日放送となった。
11
「秋改編で深夜12時台に帯番組を新設 放送外収入狙うテレビ朝日の大胆改編」『創』2010-1、pp.66-71、「広告に対する制作
側の意識も変化 その影響力に企業も注目!人気番組プロデューサーたちの新発想」『宣伝会議』2010-8-15、pp.21-3、「イ
ンタビュー『お願い!ランキング』 テレ朝バラエティの伝説『何もないところから企画で勝負』」『放送文化』2011-春、
pp.32-5。
12
紙面に限りがあるためインタビューの引用は避ける。詳細は、金佳榮(2011)を参照されたい。
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191
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酒井昭(1982)『社会と放送―より良きブラウン管のために』たいまつ社
堺政郎(2008)『テレビショッピング事始め』扶桑社
関谷直也(2009)「広告媒体・宣伝媒体としての『放送』」島崎哲彦・池田正之・米倉律編著『放送論』学文社
宣伝会議(1954-)『宣伝会議』
宣伝会議編(2006)『マーケティング・コミュニケーション大辞典』宣伝会議
嶋村和恵監修(2006)『新しい広告』電通
篠田博之(2010.1)「秋改編で深夜12時台に帯番組を新設 放送外収入狙うテレビ朝日の大胆改編」『創』40(1)pp.66-71
鈴木秀美(2012)「新放送法における放送の自由―通販番組問題を中心として」『企業と法創造』8(3)pp.3-15
津金澤聡広・佐藤卓己責任編集(2003)『広報・広告・プロパガンダ』ミネルヴァ書房
金 佳榮(キム カヨン)
1983 年 7 月 28 日生まれ
[出身大学又は最終学歴]成均館大学社会科学部新聞放送学科卒
東京大学大学院学際情報学府社会情報学コース修士学位取得
[専攻領域]メディア論、テレビ制度・文化論
[主たる著書・論文]
(3 本まで、タイトル・発行誌名あるいは発行機関名)
[所属]東京大学大学院学際情報学府社会情報学コース林香里研究室所属
[所属学会]日本マス・コミュニケーション学会
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東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
“Advertisement-Embedded Programs” in the
Branded Entertainment Era:
The Background in the Television Industry
Which Enables a New Style of Programs
Kayoung Kim
Abstract
While it is generally accepted that there are two parts to television; content and
advertisements, a number of commercial messages, which were formerly restricted only to
advertisement spaces, appear in dramas, variety programs, and other television content. In
spite of this, most television advertising studies in Japan so far have only dealt with the 15 to
30-second commercials broadcast between programs.
In the 2000s, several researchers, such as Koji Namba (1992; 2000), Akihiro Kitada (2008),
Kohei Kono (2007; 2008; 2010), expressed doubt about the existing, limited concept of television
advertisements. Nevertheless, current television programs have not yet been sufficiently
discussed as advertising tools. This also indicates a lack of discussion on television programs
with regards to media commercialism; however, the recent global economy and digital
technology has seen the acceleration of commercialism in the media. To better understand
the current circumstances surrounding television, it is necessary to examine the recent trend
towards programs which include promotional messages. In this paper, these programs will be
referred to as Advertisement-Embedded Programs (AEPs).
Firstly, this paper introduces Kono’s principle of the “context ”, which he defines as “the
most suitable way in which television commercials change depending on broadcasting technology
and the situation of the television industry in each period” (2008: 1). Next, the genealogy and
the recent examples of Japanese AEPs will be investigated. In the case of recent AEPs, branded
entertainment will be focused on as a significant context. Subsequently, this study arrives at the
conclusion that AEPs are produced in a context where television and corporations interests are
Key Words:Advertisement-Embedded Programs, context, commercialism, branded entertainment, television culture.
ブランデッド・エンタテインメント時代の「広告融合型番組」
193
not mutually exclusive, but are in fact on the same side due to their shared financial difficulty.
Finally, it suggests that the audience’s high television literacy is also one of the important
contexts to enable AEPs in Japan.
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東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
バーチャルリアリティ環境における物体操作
広田 光一(大学院情報学環・准教授)
1.はじめに
人は目や耳などの感覚器を通して環境を知
向上により、精細さが飛躍的に改善した。運動
覚・認識し、手足などの筋肉の運動を通して、
計測も、画像処理技術の進歩により、身近に利
環境に作用したり環境にある物を操作したりす
用できるようになった。しかしながら、VR環
る。バーチャルリアリティ(VR)は、計算機
境に対する作用や操作は、今なお現実的とは
により運動を計測し、感覚情報を生成すること
言えず、実用にも遠い状況である。もちろん、
で、実環境に代わる新しい環境を構築する技術
ゲームなどのインタラクティブなコンテンツに
である。VRという言葉が使われるようになっ
は身体運動を利用するものや、空間的なジェス
たのは1980年代末頃である。VR技術を象徴す
チャを利用するものがあるが、実環境とのイン
るインタフェースデバイスとして、頭部搭載型
タラクションに比べて非常に単純化・模式化さ
ディスプレイやデータグローブが提案された。
れている。これではまだ実環境に代わる環境と
これらは、運動や感覚の情報を人間と計算機の
はいえない。このような観点から、筆者らは、
間で直接的に結合するという概念を端的に示し
VR環境において実環境と同じような物体操作
たものであった。
を可能にする技術について、システムの構築と
現在のVR技術は、様々な面で進歩した。視
人間の特性の両側面から検討している。
覚提示は、ディスプレイの解像度と描画性能の
2.研究概要
2.1 手のモデル
人と物は接触することで、双方の状態が変化
VRシステムにおいては、人は実環境にいて、
することから、この問題はそれらが連成した問
操作の対象となる物はモデルとして計算機の中
題である。状態の変化とは、たとえば、物体が
にあるため、感覚提示や動作計測のデバイス類
運動したり皮膚が変形したりすることである。
を介して相互に関係づける必要がある。このこ
195
とは、空間的な分解能や時間的な収束性に問題
きるようになる。計算された力を人に提示すれ
を生じる。たとえば、接触の際に皮膚に作用す
ば、現実と相似な関係が得られる。
る力の分布を表現するのに十分な自由度をもつ
このような考え方にもとづいて、筆者らは手
力覚ディスプレイはない。そこで、人の一部を
のモデルの構築を試みている(図1)。有限要
モデル化して計算機の中でシミュレーションに
素法により軟組織をモデル化し、関節角より計
より応答を生成することが考えられる。たとえ
測される骨の位置と、物体との接触により表面
ば、手のモデルを計算機の中につくり、人の状
に与えられる境界条件をもとに、手指の変形を
態としては手指の関節角のみを与え、皮膚の変
計算する。この方法では、たとえば、関節の部
形はシミュレーションで計算することが考えら
分のしわの発生も計算により生成されることに
れる。これにより、接触に伴う変形や境界面上
なる。現状では、軟組織に均質な材質を仮定し
での接触の状態などは、デバイスを介すること
ているが、今後の検討の中ではより精緻なモデ
なく、計算機の中に閉じた計算を行うことがで
ル化も検討したい。
2.2 感覚フィードバック
多くの場合、操作には接触や力の感覚を伴
う。残念ながら、把持操作にともなう触力覚を
い。そもそも、触力覚が効果的に利用されるの
は、視覚がない状況であることが多い。
提示する技術は十分に確立されていない。手の
視覚によらない表現として、筆者らは、聴覚
骨格のもつ20以上の自由度に力やトルクを提
による代替を検討している(図2)。具体的に
示するデバイスは実現が困難であり、また、体
は、指や掌の上での接触の位置や強さ、エッジ
の中でも特に分解能が高いとされる手および指
の触感などの触力覚情報を、音程や音色、音
の表面に相応の解像度の触覚刺激を与えるデバ
量、方向定位などの聴覚情報に変換・代替して
イスも実現されていない。
提示する。手探りで物の形を認識したり、物体
触力覚の欠如や不正確さは、操作において
を探り当ててつかんだりする作業が、聴覚代替
様々な問題を生じる。たとえば、接触力や拘束
によっても可能であることを確認しているが、
力が発生しないと、指や掌が物体に容易に侵入
パフォーマンスは実環境での作業に比較してま
することになり、その状態の認識も難しくな
だ劣っている。なお、このような感覚代替に関
る。つかんだ物をはなそうとしても、指が物体
する実験では、習熟の程度が結果に大きく影響
の内部に侵入しているため、適切なタイミン
し、人の適応力を再認識させられる。たとえば
グで物から指を離すことができず、操作性が低
車の運転のように、有用性が高ければある程度
下する。接触の状態を、触力覚の代わりに視覚
の習熟の手間は許容される場合がある。実用的
的に表現する方法はこれまでにも提案されてい
には、人の適応力に頼る解を考えてもよいかも
るが、視覚の及ばない範囲での操作には使えな
しれない。
196
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
2.3 対象の認識
操作や動作とそれに伴う感覚情報との関係は
その中身をある程度知ることができる。
VR環境の実現において重要な要素である。こ
逆に、振る動作とそれに伴う力や振動の関係
の関係を通して、人は環境や対象物の従う規則
を表現するデバイスをつくることができれば、
性や法則性を知ることができ、見た目では得ら
箱を振ってみたのと同じ体験ができるはずであ
れない深い意味での現実感が構成されると考え
る。運動と力の関係は、物理シミュレーション
られている。このような関係性は、特に操作に
によって計算することができ、様々な法則性を
おいては、触力覚によっても認識される。この
再現することが可能である。このような考えに
場合の法則性は、物の機械的性質を反映したも
基づいて、デバイスと比較的単純な物理モデル
のとなる。たとえば、変形と力の関係からやわ
を試作してみている(図3)。たとえば、箱の
らかさの情報が得られる。もっと複雑な関係に
中身の重さや反発の強さなどの違いをおよそ判
ついても、人はある種のモデルを推定すること
別できる程度の提示が可能であることを確かめ
ができて、たとえば、箱を振ってみることで、
ている。
2.4 操作とスキル
人は学習によって巧緻な動作を行うことがで
玉は古典的なボール遊びであるが、VR環境で
きるようになる。このように学習で獲得される
はまだ現実ほど思い通りにボールを操ることが
動作能力のことをスキルと呼ぶ。もしVR環境
難しい(図4)。これには、上述の感覚フィー
が現実と同様の知覚と操作を提供しているので
ドバックの問題や、VR環境内の手とボールの
あれば、VR環境においても実環境で得たスキ
接触と応答の計算にみられる現実との乖離など
ルを活用できるはずである。逆に、スキルの活
が影響していることが明らかになっている。一
用を阻害している要因がわかれば、それがVR
方で、被験者毎のパフォーマンスを調べると、
環境構築の技術的課題であると考えることがで
現実環境で操作が上手な人は、VR環境でも上
きる。
手であることがわかり、すなわち、ある種のス
筆者らは、スキルを必要とする操作をVR環
境で行うことで、VRシステムについて問題発
キルがVR環境においても利用できることが示
唆されている。
見的な検討をおこなっている。たとえば、お手
3.おわりに
最近になって、光学式モーションキャプチャ
バイスは比較的高価で、装着の手間などの問題
により、手の骨格モデルを比較的容易に計測で
もあったのに対して、新しい技術では比較的安
きるようになってきた。従来のグローブ型のデ
価なデバイスで非装着での計測が可能になり、
バーチャルリアリティ環境における物体操作
197
これにより、手によるVR環境の操作がより身
を現実的で実用的なものにする技術をこれから
近な体験になると期待される。このような体験
も追求していきたい。
図1 FEMによる手のモデル
図2 聴覚による触力覚情報の代替
図3 振ってみる感覚を提示する装置
図4 VR環境での「お手玉」
広田 光一(ひろた こういち)
1965 年 2 月 22 日生まれ
[専門領域]バーチャルリアリティ、ハプティックス
[著書・論文]
◦ 水鳥 未那人 , 西 晃生 , 広田 光一 , 池井 寧 : 素早い動作を可能とした VR 環境の構築及び検証 ; 日本 VR 学会
論文誌 , 17(4), 429-438, 2012
◦ Yasuhiro Tanaka, Koichi Hirota: Shaking a box to estimate the property of content; Proc. EuroHaptics 2013,
564-576, 2012
◦ Koichi HIROTA, Yasushi IKEI: Switching Torque Converter: Concept and Preliminary Implementation; J.
System Design and Dynamics, 6(4), 386-400, 2012
◦ Koichi Hirota, Yoko Ito, Tomohiro Amemiya, Yasushi Ikei: Generation of Directional Wind by Colliding
Airflows; Proc. WHC 2013, 509-514, 2013
◦ 広田 光一 , 田川 和義 : 計測にもとづくインパルス応答変形モデルの構築 ; 日本 VR 学会論文誌 , 18(2), 171180, 2013
[現在の所属]情報学環 先端表現情報学コース
[所属学会]日本バーチャルリアリティ学会、ヒューマンインタフェース学会、日本機械学会
198
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
『東京大学大学院情報学環紀要』 投稿規定
⑴ 東 京大学大学院情報学環教員等(教授、准教授、助教、客員教授・准教授、研究員等)
は、本紀要および英文紀要に論文を日本語または英語で執筆することができる。
⑵ 東 京大学大学院学際情報学府博士課程在籍者および東京大学大学院人文社会系研究科博士
課程在籍者で大学院情報学環教員を指導教員としている者は、論文を日本語または英語で
投稿することができる。大学院博士課程学生の投稿論文の採否は、図書・出版委員会が指
名した情報学環教員と外部の委託された研究者による査読を経て、図書・出版委員会にお
いて決定される。
⑶ 執 筆及び投稿される論文は未刊行のものに限る。定期刊行物(学術雑誌、商業雑誌、大
学・研究所紀要など)や単行本として既刊、あるいは、これらに投稿中の論文は本誌に投
稿できない。但し、学会発表抄録や科研費などの研究報告書はその限りではない。
⑷ 投 稿する者は、指定された期日までに、執筆要項の諸規定にそって作成した原稿をプリン
トアウトしたもの1部およびそのデータファイルを電子媒体の形で東京大学大学院情報学
環・学際情報学府図書室に提出しなければならない。大学院生博士課程在籍者は提出の
際、指導教員名と投稿者の連絡先(メールアドレス、電話番号)を明示することとする。
⑸ 本紀要に掲載された論文は、大学院情報学環のホームページで公開される。
『東京大学大学院情報学環紀要』 執筆要項
執筆・投稿
⑴ 執 筆・投稿に際しては、東京大学大学院情報学環・学際情報学府図書室のホームページ
(http://www.lib.iii.u-tokyo.ac.jp/)に本投稿規定と執筆要項に関連する最新の情報が
掲載されているので必ず参照すること。特にテンプレートに記載された細則に注意するこ
と。
⑵ 原稿はA4版、横書きを原則とする。1頁は40字×34行。パソコンで作成する。
⑶ 分量は原則としてA4版で打ち出し10~30頁とする。大学院生の投稿の場合はA4版で打ち出
し、表紙・英文要旨を除き本文14頁以内とする(注・参考文献・図表を含む)。枚数の上
限は厳守すること。
⑷ 執 筆要項に適した書式のテンプレートを東京大学大学院情報学環・学際情報学府図書室の
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ホームページからダウンロードできるように準備してあるので、これらの雛形を用いて執
筆・提出を行うこと。
ファイル形式
⑸ ファイル形式はWord、一太郎またはPDFファイルとする。
全体の構成
⑹ 論 文は、「表紙」「英文要旨」「本文」からなり、この順番で構成される。図・表は本文
中に組み込む。
⑺ 右上ヘッダ部分に、通しのページ数をふること。
⑻ 1頁の余白は、上25mm 下30mm 右23mm 左23mmに設定する。
⑼ フォントはMS明朝10.5ポイントを標準とする。
⑽ 字句・叙述は簡潔・明確にして常用漢字、現代仮名遣い、算用数字を原則として用いる。
表紙書式
⑾ 表 紙には、日本語の標題、著者名、著者の所属を、和文および英文で記載する。また主要
著者の連絡先、研究助成に関する記述、謝辞、共同執筆の場合の執筆分担なども表紙に記
す。
⑿ 日 本語の標題は30字以内とする。副題がある場合は、「-」(ハイフン)の後に主題と明
確に区別する形で記載する。その下に著者名と著者所属を日本語で記す。1頁目の日本語
標題はMS明朝12ポイントで記す。
⒀ 日 本語の標題、著者名、著者所属の下に、英語での標題(主題・副題)、著者名、著者所
属を記す。英語標題は、筆頭語と主要語の頭文字を大文字で表記する。また英語の主題と
副題は「:」で区切る。
⒁ 著 者名の英語表記は原則としてFirst name を先とし、頭文字を大文字にする。日本名の
ローマ字使用法は執筆者の慣行を尊重し、統一しない。
⒂ 執 筆者の所属に、教授・准教授・助教その他の別を記す必要はない。共同執筆の場合の記
載方法詳細はテンプレートを参照すること。
⒃ 標 題、著者、著者所属に続けて、主要著者の連絡先、研究助成に関する記述、謝辞、共同
執筆の場合の執筆分担などを記す。
英文要旨
⒄ 英文要旨の頭に「Abstract」(ゴシック体)と記す。
200
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
⒅ 英文要旨はA4版で1~2頁とする。英文に関しては、特に記述に注意し、執筆者の責任に
おいて英語を母語とする人の校閲を経ること。
⒆ 英文要旨の下に、キーワードを日本語と英語で記す。日本語キーワードは「キーワード:」
に続けて6つ前後記す。日本語キーワードに続けて、英語キーワードを「Key Words:」
(ゴシック体)に続けて記す。キーワードの筆頭語および主要語の頭文字は大文字とす
る。各キーワードはコンマで区切り、最後のキーワードの末尾にピリオドを付ける。
本文書式
⒇ 本文の開始ページの頭に、日本語および英語の標題を記す。
本 文中には、数字・記号を用いて章・節を設ける。章にあたるものは「1.,2.,…」
(全角数字及びドット)とし、節にあたるものは「1.1 …, 1.2 …,」(半角数字及びドッ
ト)とする。以下これに準ずる。章題・節題、強調部分は、太字ではなく、MSゴシック
10.5ポイントを用いること。
例)章題の例
節題の例
2.1 利用頻度・利用料金(半角の数字に全角スペース)
節以下の例
2.1.1 男性の利用頻度(上に同じ)
2.携帯電話利用実態(全角の数字とドット)
2.1.1.a 男性の利用頻度の詳細(上に同じ)
目 次は、原則として各論文毎には付けない。但し、学位論文の一括掲載や長編の調査研究
論文などの場合には付けることができる。
本 文中における外国人名などの固有名詞は、原綴りあるいは英語綴りを原則とするが、公
式の名称として著名なものはカタカナでもよい。
本 文中での参照文献の引用は著者姓と発行年をつけて次の例のようにする。著者が3人以
上の場合には初出の際には全著者の姓を書き、2度目以降は第一著者の姓を書き、和文献
では「他」、欧文文献では「et al.」を書き添える。
例)Rumelhart, Hinton, & Willams(1980)は…
…と主張している(丸山・田中・谷口, 1998)。
査 読にあたっての匿名性を確保するため、自己の既発表論文等の引用にあたっては、「拙
稿」「拙著」等による表示は避け、氏名を用いる。
註は、一連番号を参照箇所の右肩に「1」「2)」「(3)」などのように書き添え、各論文末
に一括掲載する。
参 照文献は、著者の姓のアルファベット順によって並べ、各論文末に一括掲載する。欧
文、和文を分けて掲載してもよい。
紀要投稿規定
201
図・表・写真
図・表は本文中の該当箇所に組み込む。
図版は原則として白黒とする。
仕 上がり具合について希望がある場合は、その指示内容を欄外に付箋をつけて記すこと。
また、貼り付ける図・表・写真のできるだけ鮮明なコピー(写真の場合は原版)を、プリ
ントアウト原稿とは別途1部用意すること。
図 ・表・写真について、ワープロ以外のアプリケーション(表計算ソフト、ドローソフト
など)で作成した電子的なデータがある場合は、そのデータファイルも併せて提出するこ
と。印刷業者が適切な措置を取るためのものである。
図・表・写真のタイトルは、標準フォント(MS明朝10.5ポイント)を用い、以下のように
センタリングを施して記載する。図・写真の場合はタイトルの上に図・写真、表の場合は
タイトルの下に表を貼付すること。英語タイトルは省略してもよい。
例)
<図>
図4.2.2 利用目的との関係
(Fig.4.2.2 Comparison of the patterns by purpose of use)
外字
外 字が必要な場合は、当該箇所を空欄にしておき、プリントアウトに自記しておくこと。
外字は印刷時に業者が作成する。
その他の注意
上 記の他、章立て、見出し、引用、註、参考文献などは各学問領域における慣行に拠るこ
ととする。
図 書・出版委員会は、内容及び形式の双方について改稿または再提出を求めることができ
る。
校 正は原則として、初校のみ執筆者校正とする。大幅な修正は、原則として認めない。大
学院生の投稿の場合は、字句の修正以外は原則として認めない。
各論文執筆者には別刷30部と掲載誌3部を配布する。
本投稿規定及び執筆要項の改正は図書・出版委員会の決議を経なければならない。
著者紹介の執筆
論 文の掲載が決まった著者は、著者紹介と自分の写真一葉を提出する。著者紹介には、生
年月や出身大学などの履歴、専門、主たる著書・論文、所属、所属学会などを書くことが
202
東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究 №85
できる。
附則 この規定・要項は、平成21年1月16日から施行する。
附則 この規定・要項は、平成24年12月21日から施行する。
東京大学大学院情報学環 図書・出版委員会
紀要投稿規定
203
監 修 東京大学大学院情報学環
〒113-0033 東京都文京区本郷7-3-1
製 作 株式会社創志企画
平成25年10月10日