Title ヨーロッパのコンテンポラリーダンスにおける二人の舞 踊家 Author(s

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ヨーロッパのコンテンポラリーダンスにおける二人の舞
踊家
秋葉, 尋子
東京学芸大学紀要 第5部門 芸術・健康・スポーツ科学
, 55: 127-133
2003-10-31
URL
http://hdl.handle.net/2309/2924
Publisher
東京学芸大学紀要出版委員会
Rights
東京学芸大学紀要5部門 55
pp . 127 ∼ 133,
2003
ヨーロッパのコンテンポラリーダンスにおける二人の舞踊家
秋 葉 尋 子
舞 踊*
(2003年6月2日受理)
はじめに
─フランスのヌーベルダンスについて─
フランスのヌーベルダンスが注目されるようになってから,日本の若い舞踊家がパリを中心とした在外研修に行く
ようになった。パリという街のもつイメージ以外に特に何かあるというわけでもないのに,次々と何ゆえ出発するの
であろうと年配の舞踊家達は考えていた。しいて言えば,21世紀は舞踊の世紀としてからのフランスは,若い舞踊家
を支援し,できたてのカンパニーを応援し始めた。若手の登竜門となるコンクールを設定したりし,世界中の若手舞
踊家の関心を集めている。
ダンスカンパニーは,半年は本国フランスで活動し,あとの半年は世界の他の国で活動するというペースで年間計
画し,フランスの国費を配分されている。ダンサーは,能力のある限りオーディションを受け,カンパニーをかけも
ちしてスケジュールや生活費のやりくりをしている。何よりも若手の舞踊家にとって良いことは,プロとして身分を
保証してもらえるということである。仕事のないときは失業保険が出るので,生活は贅沢をしなければ何とかやって
いけるのである。
もちろんネームバリューのあるダンスカンパニーに入ることが出来れば,生活も活動も比較的保障されるのだが,
中小のダンスカンパニーの場合はそんなに楽ではない。ダンサーとしての名誉は,尊敬に値する職業として社会に認
知され,ダンサーは精神的に満たされ職業としての誇りも感じることが出来る。パリ以外の中小都市のダンスカンパ
ニーに所属した場合にも,地方都市の観光案内所にチラシが置いてあり,よほどの大きなダンスカンパニーでない限
り,日本のように何から何まで自分でやらなければならない国とは違っている。
ヌーベルダンスに影響を与えたといわれる日本の暗黒舞踏のメンバー達は,フランスと日本で半年ずつという活動
をしている点で共通項があるといえよう。日本ではアマチュア的な扱いを受けた暗黒舞踏もヨーロッパではプロとし
て評価され,特にフランスでの活動は著しいものがあった。現在でもその傾向が継続しており,暗黒舞踏の研究書等
が日本ではなくフランスで先行して発売されてあたりまえで,逆輸入を余儀なくされている。
暗黒舞踏はそのはじめは確かに素人のようであったが,現在ではコンテンポラリーダンスの仲間入りをするほどの
洗練された作品であり,踊り手は舞踏家というよりもダンサーといったほうがふさわしい。日本の評価が今ひとつで
あり,一般的に暗黒舞踏はダンスと別のものであるという観念から,なかなか抜け出せないでいる。マルセル・マル
ソーと同じプロデューサーレベルであるといわれてもなかなかピンとこないのが実情である。
フランスのヌーベルダンスは,ダンスといえばアメリカ主導という観念を覆してくれるきっかけを与えてくれてい
る。もちろん日本の暗黒舞踏以外にもヌーベルダンスに影響を与えたものにニューヨークのポストモダンダンスがあ
げられる。この両者の活動場所がヨーロッパにまで広がり,特にフランスにおいて花開いているという状態が現在の
舞踊の活動を活性化させ,世界中の若手の舞踊家をやる気にさせているといえよう。欲を言えば,日本が暗黒舞踏を
ニューヨークがポストモダンダンスを再認識すべきなのである。
* 東京学芸大学(184-8501
小金井市貫井北町4-1-1)
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東 京 学 芸 大 学 紀 要 第5部門 第55集(2003)
1.1 ヨーロッパのコンテンポラリーダンスにおけるパイオニア
ローザスのアンヌテレサ・ド・ケースマイケル(以後ケースマイケル)とブッパタール舞踊団のピナ・バウシュ
(以後ピナ)は,ヨーロッパのコンテンポラリーダンスにおける二人のパイオニア的舞踊家である。前田充の「ヌー
ベルダンス横断」では,第一章に現在,そして過去,ケースマイケル,時間の洪水と題して1991年に開催されたモン
トリオール・ダンス・フェスティバルについて,世界の新鋭でもっとも注目されるケースマイケルの二作品を中心と
するベルギー特集が行われたと報告している。最初の作品「後背地(アクターランド)」は,舞踊という時間が洪水
のように過ぎ去っていったと前田は述べている。1)
前田は「後背地」の激しいフロアー運動のダイナミックさをコンテンポラリーダンスの革命とし,マーサ・グラハ
ム(以後グラハム)のフロアテクニックによるモダンダンスの革命と対比しているが,グラハムは自らのダンスをコ
ンテンポラリーダンスであるといい,批評家のいうモダンダンスではないと,著書「血の記憶」で述べているので違
うようである。グラハムテクニックこそ,コンテンポラリーダンスの革命であると言えるのではなかろうか。
ケースマイケルもピナと同様にニューヨークの大学でグラハムテクニックを学んだであろうから,自らの作品にグ
ラハム的な動きが生かされていてもおかしくない。グラハムをモダンダンスの中に押し込んで考えることのほうが偏
っているのであって,100歳近くになって死を迎える瞬間まで作品を創り続けたグラハムについて,ニューヨークで
のコンテンポラリーダンスのパイオニアは,ポストモダンダンスのカニングハムとその弟子達ばかりではないと考え
るべきなのではないか。批評家の視点からだけで判断することの限界と思われる。
さらに前田は,ケースマイケルの作品「ステラ」が「オットーネ,オットーネ」と「後背地」の中間にあり,ピナ
と作品のプロセスが似ているとし,違うところは,ピナの作品は演劇的でありケースマイケルは音楽的であるとして
いる。筆者はピナの作品は大雑把でケースマイケルの作品は緻密なところが違うと思うが,ビデオでの「オットーネ,
オットーネ」では,ピナの作品を意識しているようであり,男女間の執拗な葛藤等が演劇的でないなどとはいえない
ので,結果的には共通している点が多いのではないかと考えられる。
ダンス界のシェークスピアといわれるグラハムをはじめとしてピナとケースマイケルも,群舞においては演劇的な
ところは三人ともあったということがいえる。三人にかかわらずダンス作品においては大作になると演劇的要素は避
けられないものがあるので三人の特徴と断定するのは危険であるが,男女間の執拗な葛藤等については,女性として
の三人の視点による共通項であり,いずれの舞踊家も激しく強い女性の動きは秀逸である。
ポストモダンダンスを超えたとアメリカの批評家に言われているケースマイケルであるが,それよりもピナの影響
の方が大きいようである。ピナはドイツ表現主義を極めたゲルマンであり,ケースマイケルはドイツ(ゲルマン)と
フランス(ラテン)両方の文化の影響を受けているベルギー(フランドル)人である点も重要な共通点である。フラ
ンスのヌーベルダンスの波にのり世界的なブームを形成していくピナとケースマイケルの二人は,ヨーロッパ人であ
るという共通点,しかも二人ともゲルマン文化を身につけている点などを考えるとケースマイケルがピナに多大な影
響を受けたことも不思議ではない。
1.2 ピナ・バウシュの現在
2002年5月にピナが6度目の公演に来日した。ピナのタンツテアターのエネルギーは,衰える事を知らない。ドイ
ツ表現主義の流れをくむ演劇と言われているが,限りなくダンスに近づいている。ヴッパタール舞踊団は,そもそも
バレー団であったものを劇団にしたものである。わが国では,ジャンルを越えたダンスととらえるかどうかの瀬戸際
であるといえる。どちらかと言うとジャンルを越えた演劇という方が現状では適切であろう。しかしながら,動いて
いる人をダンサーとプログラムに書いているように,内外共にダンスと認めつつあるというのが最近の傾向であると
いえよう。限りなくダンスに近い演劇であるともいえよう。
ドイツ語のタンツという言葉自体の持つ意味合いとの関連もあると考えられる。日本語で考えるダンスとは違い,
哲学的ともいえる特質があるので,単なるダンスのみと考えない方が良いように思われる。身体運動そのものの表出
と考えたほうが適切かもしれない。今回の来日は,「7つの大罪」をはじめとして「怖がらないで」,「炎のマズルカ」,
「緑の大地」の公演である。ダンス的といえるのは,「怖がらないで」,「緑の大地」である。他の作品においてもダン
スはあるのだが,ここで言うのは,動きとして迫力のある作品ということである。ドイツのダンス特有の“動きのコ
ーラス”ともいえる迫力のある群舞をメインとしているのでダンス作品により近づいているといえよう。
何故ピナの作品には,舞台美術が重要な位置を占めているのかという事を考えると,ドイツ表現主義の流れをくん
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秋葉:ヨーロッパのコンテンポラリーダンスにおける二人の舞踊家
でいるという事が重要な視点であるということがいえるであろう。そもそもジャンルを問わない芸術であるという事
はピナの最大の特徴であるからだ。今でこそクロスオーバーだとか,無国籍だとかいう言葉がはやり,様々な要素が
ミックスされた不思議なイメージがかもしだされる事があたかも時流や潮流であるかのように思われがちだが,ドイ
ツ表現主義の芸術では,その基盤ともいうべき様相が,激しく強く存在し,多感な作品を多くのジャンルにおいて排
出した事は歴史的にも明らかな事である。
一般的には,ドイツ表現主義は,芸術運動よりも,身近な生活用品や調度品にみられる卓抜した工芸品等の方が,
現在の人々にも親しみ深いものがある。世界の人々がオリエント急行でヨーロッパ旅行をしたり,独特のガラス工芸
のランプコレクションを楽しんだりしている。舞踊に関して言えば,舞台美術はもちろんの事であるが,衣装にまで
金属の工芸をほどこしたドレスなどがあり,驚かされる。どのように動いたかについては知らないがさぞかし重かっ
たことであろう。ドイツ表現主義芸術については日本各地で開催され,東京の府中美術館でも美術展があり,2)現
在でも人々の関心を惹きつけていた。ドイツ表現主義は決して古いものではなく,現代美術に通ずるパイオニア的存
在である。現代美術だけでなく,ダンスを含む現代芸術のさきがけ的存在であることが実感として理解できた。
ピナのねらいである“驚かせる”は,どの作品にも該当する。観客を驚かせる何かを考えつく発想力は,卓抜した
ものがある。欧米のオペラ劇場を満席にし,観客をいつもうならせている力は,細見のピナの身体からは想像するの
が困難なほどである。ダンスそのものに驚かされるという事はあまりなく,舞台美術や装置の規模の大きさに驚くが,
あくまでもダンスや動きの芸術というジャンルの事であり,オペラ等では,大がかりな舞台美術や実物の動物(例え
ば馬等)が出てくると言うことはそう珍しい事ではない。
1.3 ピナにみる癒しのダンス傾向
ピナは,オペラハウスで上演したり,オペラの振り付けや演出をする機会が多いので,舞台を大がかりにするテク
ニックを身につけているのであろう。ダンス界では,ヨーロッパの仕事というとオペラの振り付けや演出が多いのも
ひとつの傾向であるかもしれない。ポストモダンダンスのパフォーマー達まで,オペラに係わりピナと同様の活躍を
しているので,ピナばかりが目立っているのは何か別の理由があるのかもしれない。ともかく時代をキャッチする能
力があり,20世紀末のジェンダーをとらえる天才であったといえよう。
日本に比較的多く訪れ公演をしているピナは,平成15年の11月に来日し公演する予定である。「過去と現在と未来
の子供たちのために」という新作である。ピナ自身だけでなく,団のメンバーにも子供があり,来日公演の時にも連
れてきているので,カンパニーの現在のありのままの状態が,舞台上の姿であるのかもしれない。ピナは子供が出来
たことによって作品の傾向が変化し,それまで尽きることなく激しい葛藤を舞台でしていたのだが,最近の作品では
観ていて安らぎを感じるようなものが多くなってきている。本年11月の公演に期待し安らぎの時を持ち癒されたいと
思うのは,著者自身を含め現代に生きる人々の自然の願望であろう。
フランスのヌーベルダンスの台頭により,ピナもその時流に乗ったと言われている。安らぎの傾向に作品が転換し
ているように感じられる現在のピナであるが,ヌーベルダンスの方はまだ激しい葛藤を舞台で展開している。パリの
市立劇場でのピナの活躍は有名であるが,その雰囲気が伝わってくるようなビデオが,2003年4月9日ドイツ文化会
館ホールでの「Dance and Media」におけるイスラエル大使館提供のリー・ヤノール監督作品,ピナ・バウシュ出演
協力による「ピナのコーヒーブレイク」3)であり,自然でゆったりしたピナの姿が印象的であった。リー監督はテ
ルアビブとパリの2都市を拠点に活動する写真家・映画監督である。1993年パリ市立劇場の「カフェ・ミューラー」
でピナに出会い,ヨーロッパを舞台に展開するシリーズの発端となったそうである。パリ市立劇場での活動がヨーロ
ッパでのピナの位置を確実なものにしていく様子がこのことでもよくわかる。
ピナの初期の作品は,見終わると身体がぐったりし倦怠感と虚脱感に陥ったが,21世紀を迎えてピナの作品は変化
したということは確かである。2002年6月中旬に撮られたビデオダンスから観たカンパニーのメンバーと舞台稽古を
する時のピナのアドバイスも,ゆったりとした口調で激しさは全く感じられない。緊張感を持ちながら,あるがまま
に進めているという感じである。パリの市立劇場の前にあるカフェで,コーヒーを飲みながら,雨を眺めている姿は,
余裕に満ちあふれている。ビデオに撮るから,髪を整えるという緊張した状態ではなく,洗い髪のように乱れたまま
のヘアースタイルで,かしこまった洋服でなくリラックスした着心地の良いシャツで,雨やどりをしているような雰
囲気が醸し出されていた。
公私ともに充実した日々を送っているピナの様子が伝わってきて,ほのぼのとした感じがして,観る側が楽な気分
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東 京 学 芸 大 学 紀 要 第5部門 第55集(2003)
になり癒された。舞踊家個人の様子をビデオで作品としていたのは珍しく,他のビデオ作品とは異なった印象であり,
ピナでなくては出せない味があった。踊らなくとも作品になる人はそうはいないと思われる。監督がいかにピナを誇
りに思い,飾らないあるがままのピナを愛しているかがわかった。子供のための公演や作品が発表されることにより
人類が平和で安らかになるように祈り今後の活動に期待したい。
2.1 ヨーロッパにおけるビデオダンス
ビデオダンスは,ここ10年の間に盛んになったものである。2003年4月7日から11日にわたるヨーロッパ,イスラ
エルのビデオダンスの上映があり,コンテンポラリーダンスとビデオアートの間に発展したビデオダンス作品の公開
である。イギリス,フランス,ドイツ,その他のヨーロッパ,イスラエル,最後に日本の人気のある舞踊家のビデオ
ダンスが2日間にわたり放映された。日本の作品は公募によるものであったが,ビデオにこれほどの関心があったか
と思うほどである。ヨーロッパ諸国のビデオダンスもおびただしい数であったが,初日のイギリスBBCの挨拶によ
ると持っているビデオの一部であるとのことであった。どれほど多くのビデオを持っているのであろうと思い,全部
を見せるという会が開かれる日がくることを期待したい。
ほんの一部と言われてもおびただしい数ある中でも,イギリスのビデオダンスはラバンの影響が色濃くみられ,ま
だまだラバンは生き続けているのだと確信できた。フランスはまさしくヌーベルダンスそのものであり,マギーマラ
ンの作品である「エデン」にみられるように,パリのオペラ座のスターダンサーを相手に“はだか”で(身体にぴっ
たりの肌色の衣装はつけている)踊っていた。舞台ではなく砂漠のような大自然の中でのデュエットなので荘厳な感
じの神の祭典のようであった。その他のヨーロッパ諸国では,北欧のビデオダンスも盛んであった。多くのビデオの
中でもイスラエルの,ピナ出演のビデオがやはり一番輝いていた。
ヨーロッパのダンスにおける映像の果たす役割は大変大きなものがある。舞台だけでなく,マネージメントの面で
も映画監督を兼ねた舞踊家の場合は,舞踊だけをやっている作家よりも作品がノミネートされる確率が高い。コンテ
ンポラリーダンスではマルチな感覚が必要とされるともいえる。パソコンもビデオも映画もできるというマルチな舞
踊家が求められている。もちろん舞踊の動きが出来る事が前提であるが,分業を余儀なくされ舞踊家というよりもプ
ロデューサーになっている舞踊家もいる。ポストモダンダンスでは,音楽家と舞踊家が同時にコーラボレイトして作
品を制作していくことによって,カンパニーを地球規模になっていった例があるように,コンテンポラリーダンスに
おけるケースマイケルのローザスもその良い例ではなかろうか。
ポストモダンダンスがフランスのヌーベルダンスに与えた影響は大きいが,マース・カニングハムとジョン・ケー
ジのコーラボレイトのような活動が盛んである。ダンス以外は単なるスタッフであるのとは異なり,それぞれ独立は
しているのだがお互いが重要な関係をなしている。マース・カニングハムと共にヌーベルダンスに大きな影響を与え
たアルビン・ニコライの舞台においては,電気に詳しく,衣装をはじめとして装置その他,ダンサーの身体と一体化
したユニークな舞台の展開をしていた。
ニコライのカンパニーのカロリン・カールソンがパリのヌーベルダンスに多大な影響を与え,その弟子達が現在の
ヌーベルダンス界で大活躍をしていることが,何よりもポストモダンダンスの傾向を持ち合わせていたユニークなモ
ダンダンスの大御所であるニコライの存在が重要であったという証しともいえる。彼ほどのマルチな舞踊家はいない
といっても過言ではない。メカに強くても舞台で思う存分に発揮できる舞踊家は,そう多くはいない。メカに振りま
わされているのが一般的な舞踊家であり,むしろメカに弱い人の方が多いのでなかろうか。
ニューヨークでのモダンダンスの大御所として歴史的な存在になりつつある舞踊家が,その弟子によって再び脚光
を浴びるという現象がみられる。ヨーロッパに影響を与えたといわれるポストモダンダンスを生み出す原動力となる
モダンダンスの大御所は,マース・カニングハムだけでなくアルビン・ニコライも重要な人物であるということがで
きる。
2.2 ローザスとビデオダンス
2002年の年末に,久しぶりにローザスの作品が彩の国さいたま芸術劇場で上演された。ベルギーを活動の拠点とす
るローザスの中心者は,アンヌ=テレサ・ドゥ・ケースマイケルである。1983年に結成されたグループであり,同年
に「Rosas danst Rosas」を初演し「Fase」とともにベルギー,オランダ,スイス,イタリア,フランス,スペインで
上演された。フランスのヌーベルダンスの波に乗ったともいえるセンセーショナルな登場であった。以後,数々の作
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秋葉:ヨーロッパのコンテンポラリーダンスにおける二人の舞踊家
品を創りそのビデオを発表し,様々な賞を取り,実力のあるカンパニーとして世界に知られるところとなった。
日本には1989年に横浜アートウェーブ(横浜国際舞台芸術フェスティバル)で,「Mikrokosumosu」を上演し,注
目された。この作品は,映画化され「Hoppla」4)となり,イタリア・ビデオ・テレビ・フェスティバルで第1位入
賞を果たした。ビデオダンスでは,図書館の大学での書架をバックにカルテットの演奏とともに4人のダンサーによ
る激しいダンスが展開された。時には,無音となり4人のダンサーの息ずかいと動きのリズムだけで迫力のあるシー
ンが展開され,有名な建築家による建物の内装が知的な空間を作り出し,独特の雰囲気がかもし出されていた。
ローザスはヨーロッパにおけるビデオダンスの流行の波に乗って,メキメキと頭角を顕わした。1992年ベルギー王
立モネー劇場専属のダンス・カンパニーとなり,新作を上演した。ビデオダンス関係では,ケースマイケル振付,ピ
ーター・グリーナウェイ監督による「Rosa」を制作した。シャンデリアの輝く宮殿の中で,ドレッシーな衣装を着た
池田扶美代が激しく重厚にダンスする姿は,ベルサイユのバラのマリー・アントワネットを思い起こさせる。この作
品は,IMZダンス・スクリーン賞を受賞した。アメリカでのニューヨークの活動に限らず日本人のヨーロッパでの
活躍は目覚しいものがある。ケースマイケル振付,ダンサー池田のコンビによるビデオ作品を集めたビデオが,フラ
ンスのポンピドーセンターで発売されているということは,かなりヨーロッパで池田の活躍が認められ定着している
と考えられる。
1994年 , 東 京 で 「 Rosas danst Rosas」「 Achterland」 が 上 演 さ れ た 。 同 年 王 立 モ ネ ー 劇 場 に て ,「 AMOR
CONSTANTEMASALLA DE LA MUERTE/死の彼方永遠の愛」の初演があった。この作品は,翌年の1995年12月,
第2回神奈川芸術フェスティバルに,神奈川県民ホール(大)において上演された。フランスのダンスに詳しいプロ
デューサーが率いるイベントが,神奈川を中心にますます盛んになってきたことを実感するとともに,ベルギーのカ
ンパニーとはいえローザスの作品が,舞台やビデオで紹介される機会が多くあることで,日本の若手のダンサー達に
とって刺激となり,ヨーロッパにおけるコンテンポラリーダンスに関心を持って活動する人が増えていったと考えら
れる。
来日した1995年の9月,ケースマイケルは,ブリュッセルにダンス学校を開校し,学校長として,音楽や演劇とい
った芸術面のみならず,哲学なども取り入れたユニークな教育方針を打ち出し,ダンスの教育者としても優秀な才能
を発揮している。学校が出来た年の暮れに来日公演があったというのも記念すべきことと思われる。
2.3 ローザスの原点「ファーズ」
ローザス結成20周年記念公演が2002年12月13日に彩の国さいたま芸術劇場で実現した。作品「ファーズ」は,1982
年に,ニューヨークの留学からベルギーに戻ったばかりのケースマイケルによって発表されたものである。ローザス
創立メンバーのひとりであるミシェル・アンヌ・ドゥ・メイと共に踊る姿は一見さりげない動きの中に神秘的とも思
える雰囲気がかもし出されていた。淡々と鳴り響くミニマル・ミュージックのパイオニアである,スティーブ・ライ
ヒの音楽とあいまってエンドレスとも思えるような,ダンスというよりも行為といったほうがよいのではないかと思
える展開がなされていた。
20年前にブリュッセルのプールシューブルグ劇場で初演を演じた同じ二人のダンサーによる日本公演は,画期的な
事であった。ダンスの世界だけでなくオリジナルメンバーによる公演というものが再演されるということは実現する
ことが難しいものである。ビデオや映画ではなく生で舞台を見ることが出来ることは奇跡的ともいえることである。
多くのカンパニーが統廃合を繰り返している中での20年ぶりという事実は驚きに値する。
メイは,ケースマイケルと共に20年来仕事をしてきた人であり,作曲家兼映画監督であったので,「ファーズ」が
映画になり5),一般にビデオやDVDで購入できるようになった。このことでケースマイケルはやっと「ファーズ」
から開放されたと日本の友人へと題して述べている。かつてバリシニコフは,自分の一番充実しているときに映画に
撮っておきたいと述べ,「ジゼル」をはじめいくつかの作品を残している。うつろいやすい肉体を素材にしているダ
ンスは,一回性のものともいえ再演の難しいものでもある。例え,ローザスのように「ファーズ」がオリジナルメン
バーのまま再演されても,劇場は異なるしメンバーも20年を経れば身体的な変化があるに違いない。全く同じである
とは言えないが貴重であり,ダンス界では重要なことである。
ローザスに関して特筆すべきことは,20年ぶりの再演に留まらない。日本に紹介された作品の数も多いといえる。
前にも述べたがあえて並べてみると,「ミクロコスモス」「ローザス・ダンス・ローザス」「アクターランド」「アモー
ル・コンスタンテ」「ヴァンサンの為の3つのソロ」「ドラミング」(2001年6月)そして「ファーズ」である。実際
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に舞台で公演されたものでもこれだけあり,ビデオや映画で紹介されたものを含めると,かなりな数の作品が日本に
紹介されていることになる。カンパニーのメンバー数や作品の動きの質が一般的というよりも専門的なので,ピナ・
バウシュほど華々しい感じは受けないが,来日公演数では負けるとも劣らない。たくさんの公演にもかかわらず,地
味な感じがする。
ビデオにしても映画にしても,カラーよりも白黒のほうが作品的にもふさわしいと感ずるところに華やかというよ
りも実質的な身体運動による活動をしているからであるといえよう。「Rosas SHORTS」(Ottone/Ottone, Rosa,
Tippeke所収)6)のビデオは,池田扶美代のモノローグという添え書きがあるように,白黒の良さがふんだんに盛り
込まれている点が注目すべきところである。ローザスは,衣装においてもモノトーンが多く白のワンピースやシャツ,
黒のドレス等をダンサーが着て踊っている。決して動きは派手ではなく,一見単純ともみえる動きを完成度高く動き,
緻密な数学的能力を発揮している。
おわりに
─ローザスにおけるポストモダンダンスの影響─
ケースマイケルの作品「ファーズ」は,ローザス結成の前年の作品である。彼女のスタートラインであり,原石の
ような作品であると言われている。歩くということが中心であるが,腕の自然な振りや反動を利用し,足腰に無理な
負荷をかけないつくりかたをしているところが,トリシャ・ブラウン(以後ブラウン)等アメリカのポストモダンダ
ンス7)の影響を受けているといわれている。ケースマイケルは,ニューヨークのティッシュ・スクール・オブ・
ジ・アーツで学んだ経歴があるので,ダンスの大学在学中にポストモダンダンスの影響を受けたということがうなず
ける。
トリシャ・ブラウンは,ポストモダンダンスの旗手である。1962年に,ポストモダンダンスのメッカであったニュ
ーヨークのジャドソン・ダンス・カンパニーの創立メンバーとなり,数年後に自身のカンパニーを設立し,1970年に
法人組織としている。同年,ブラウンは,即興的なダンスシアター・カンパニーであるグランド・ユニオンの創立メ
ンバーとなった。メンバーの来日公演は熱狂的であり,日本のみならず,ヨーロッパへの影響が大きかったというこ
とがいえる。ケースマイケルが学んだダンスの大学は,ポストモダンダンスの舞踊家達の中心的活動場所であるジャ
ドソン教会に比較的近いところにあるので,影響を受ける環境にあったともいえる。
ブラウンのダンスは,非日常的な環境で,日常的な動きが使われているといわれている。屋根や壁の上で日常的な
行為をする様子とケースマイケルが学校や宮殿で日常的な動きを緻密に発展していくダンスをビデオや舞台で展開し
ているのによく似ている。もちろんどちらのダンスにも歩いたり走ったりは欠かせない動きの基本である。二人の違
いは,ブラウンが構成された即興という形で作品を作っているのに比べて,ケースマイケルは,一見して即興のよう
に思えるが,緻密な構成によって作品がつくられているところである。ブラウンが自身の作り方を「ユーモアあふれ
る煉瓦職人」のやり方といっているのに比べて,ケースマイケルは,同じ煉瓦職人のような積み重ねによるやり方だ
が,「真剣な煉瓦職人」という言い方がふさわしいと思われる。
ブラウンは,ニューヨークで活動する前にミルズ大学のダンス専攻科に在学中,アンナ・ハルプリンに学んだので,
室内というよりも野外で歩いたり走ったりするダンスになり,ケースマイケルにもその傾向がみられる。ビデオダン
スにおいては,小高い丘の林の中を駆け巡る作品があり,はだかでロスアンジェルスの山の中を走り回っていたアン
ナ・ハルプリンのグループを思い起こさせるものがあった。直接的な影響は,ケースマイケルとアンナ・ハルプリン
にはみられないが,ブラウンを通じて二人に共通点がみられるのも面白い現象であると思われる。ヨーロッパには,
興味深い歴史的な建物や広々とした田舎の風景や小高い丘の林の風景に事欠くことはないし,自然の中でダンスする
ことが,不自然ではない。ビデオダンスでは,よりその特徴が発揮され,ダンサーとそれをとりまく環境との饗応が
素晴らしい展開をし,驚きと感動を伝えている。
引用・参考文献
1)前田 充:ヌーヴェルダンス横断,初版,pp.8−21,東京(新書館),1995年
2)ディートマー・エルガー:
(ドイツ表現主義),ドイツ表現主義の芸術,pp.10−35,東京(アブトインターナショナル),2002
− 132 −
秋葉:ヨーロッパのコンテンポラリーダンスにおける二人の舞踊家
年
3)リー・ヤノール:(ピナのコーヒーブレイク),Dance and Media,pp.4,東京(Dance and Media Japan),2003年
4)Wolfgang Kolb, Anne Teresa De Keersmaeker:Rosas, Hopplal Grand Prix Video Danse 1989
5)Thierry De Mey:Rosas, Fase editions à voir, 2002
6)Peter Greenaway:(Rosa), Rosas SHORTS, éditions à voir, 1992
7)秋葉 尋子:現代舞踊教育学 舞踊の世紀,初版,pp.123−132
− 133 −
東京(大空社),1998年